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時間の陥穽22 特殊相対性理論による効果と一般相対性理論からの結論を踏まえれば、21世紀に生きるあなたは人間が音速の壁を破ったと同様の体験、現在では光速の壁が待ち受けますが、少なくとも、光速に限りなく近い速度が体験する機会があるやも、SFならずとも期待出来得ます。今其の時、貴方貴女が光子に限りなく近い速度が出る恒星間宇宙船に搭乗する乗客であれば、「本船内の光の速度は秒速十米であること、これは通常空間の三千万の一であること」を機内アナウンスで聞かされ、相対論的現象や光学的現象の不可思議を説明されることになります。受け入れれば其れなりの行動が行なえ、受け入れなければ現実離れとなり正気は保証出来なくなります。此処で大事なのは時間と重力が地球環境とは異質だということ、外世界の視覚効果も異次元であることです。哲学・思想ランキング
2019年11月30日
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時間の陥穽21 アルベルト・アインシュタインが1905年に発表した論文に端を発する特殊相対性理論とは、慣性運動する観測者が電磁気学的現象および力学的現象をどのように観測するかを記述する物理学上の理論です。端的に云えば、重力のない状態での慣性系を取り扱った理論で、第一には互いに等速直線運動をしている座標系である慣性座標系ではすべての物理法則は同じ形で表される特殊相対性原理と、第二にすべての慣性座標系に対し真空中の光速度は常に一定の値をもつ光速度不変の原理の二つの原理を基礎とするのが特殊相対性理論です。この理論により空間・時間の観念は観測者には相対的なものとなり、二つの慣性座標系の時間・空間座標はローレンツ変換によって結びつけられるが故に、運動する時計が示す時間が伸びる、つまりは現象の進行が遅れることになります。更には、ニュートン力学がこの理論に合わせて変えられる相対論的力学の結果、物体の質量は速度によって変化します。此の特殊相対性理論を一般座標系にも拡張したのが一般相対性理論だというわけです。相対性理論は、時間と空間が相対的なものであるという立場をとる以上、 光速に近い速度での運動では特殊相対性理論による効果が、強い重力場においては一般相対性理論による効果が顕著となります。特殊相対性理論からは「時間の進み方は絶対的なものではなく観測者に依存して決まる」、一般相対性理論からは「重力の正体は時空に生じる歪みである」といった結論が得られ、これらもまた古典物理の前提を大きく変更する事態となります。 哲学・思想ランキング
2019年11月29日
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時間の陥穽20 20世紀初頭に誕生したアインシュタインの「相対性理論」。この革新的理論は其れ迄の形而上学及び天文学の力を借りた力学の「時間」に関する常識を根底から覆します。相対性理論によれば「時間」は伸び且つ縮むと云います。詰まるところ、或る個人の外環境によれば百年、他の個人の外環境の状況に取っては僅か十年ということが原理的に在り、現実だということです。更に加えて、アインシュタインの「相対性理論」は、其れ迄のユークリッド以来の等質空間や光速度に近い速さで動く物体の運動を二つの慣性系から記述するときの、二つの慣性系間の座標変換。相対運動の速さが光速度よりもきわめて小さければ、ガリレイ変換に一致する。1904年ローレンツが見出し、特殊相対性理論においても確認された時間概念は時空間に革命を齎します。アインシュタインの「相対性理論」はあなたにとって過ぎ去った過去の出来事や,まだ起きていない未来の出来事が,別の誰かにとっては現在の出来事であるといったことがありうるというのです。哲学・思想ランキング
2019年11月28日
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時間の陥穽19 ニュートン力学的な直感とは一見して相容れない理論の構築が待ち焦がれた結果が、20世紀初頭に誕生したアインシュタインの「相対性理論」です。此の理論は其れまでの等質空間における「時間」に関する常識を根底から覆します。其れ迄の対性理論における時間・空間の座標変換では、ニュートン力学の法則が、互いに等速運動しているものは座標系を用いても同じ形で与えられる。これはガリレイの相対性原理として知られていたが、1864年に定式化されたマクスウェルの電磁気学により疑問視されローレンツ変換が導入されます。相対性理論における時間・空間の座標変換。ニュートン力学の法則は、互いに等速運動している座標系を用いても同じ形で与えられる。これはガリレイの相対性原理として知られていましたが、1864年に定式化されたマクスウェルの電磁気学、および、その応用としての光の電磁波論の法則は、ガリレイの相対性原理を説明するには不足でした。このことから、光の波の振動媒質としてのエーテルの静止系が存在するかもしれないと一時期考えられてはいましたが、1905年、アインシュタインが、ガリレイの相対論とは別の相対論が成立することを発見し、電磁気学を含むすべての法則についても、等速運動座標系間において相対性原理が成立していることが確認された。このアインシュタインの相対論における新しい時間・空間の座標の変換式がローレンツ変換です。この変換式は、1892年にH・A・ローレンツにより、電磁気学の法則を不変とする座標変換としてみいだされたものであるが、その同じ変換式を、アインシュタインは、光速度一定の原理と相対性原理を基礎に再発見した。これにより、ローレンツ変換は電磁気学に特有のものでなく、すべての法則の基礎である時間・空間に固有の性質であることが認識された。さらには、ミンコフスキーは、この変換を時間・空間を含む四次元空間における回転に関する対称性として認識します。この対称性はすべての物質の存在形態を決定してもいるのであると断言します。哲学・思想ランキング
2019年11月27日
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時間の陥穽18 ニュートン力学(古典力学)におけるガリレイの相対性原理。宇宙空間を高速で動く地表の構造物がなぜ安定に存在するかに、ガリレイの相対性原理はこれに対して論理的根拠を与えたように思えます。ところが、19世紀の物理学の水準ではニュートン力学がガリレイ変換に対する対称性を持っているのに対し、電磁気学の理論はガリレイ変換対称性を持っていなかったことから解決に困難を極めます。ニュートン力学の立場では、ある基準系に対して電磁気現象はジェームズ・クラーク・マクスウェル(James Clerk Maxwell、1831年-1879年)のイギリスの理論物理学者で マイケル・ファラデーによる電磁場理論をもとに、1864年にマクスウェルの方程式を導いて古典電磁気学を確立したマクスウェルの方程式によって記述されるが、基準系に対して運動している別の系では方程式の形が変化してしまうことを示していたのです。更には、 別の困難として、統計力学におけるエネルギー等分配の法則の問題がある。真空中の電磁場の振動を、振動の波数成分によって分類すると、それぞれの波数に関する振動は、他の波数成分と互いに独立な調和振動子の運動として力学的に翻訳することができた。これをエネルギー等配分の法則と組み合わせることで、平衡状態における電磁場の放射のエネルギー密度を決定することができた。しかしながら、これによって得られる電磁場のエネルギーの体積密度は発散してしまい、各振動数に関する分布も実験とは一致しなかった。相対性理論や量子力学といった、ニュートン力学的な直感とは一見して相容れない理論の構築が待ち焦がれたのです。哲学・思想ランキング
2019年11月26日
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時間の陥穽17 現代物理学の時間概念を検討しておくことは、史上に顕れる時間概念を検証し本在的基底の流れを読み込むときには参考、否、必須になるかも知れません。現代力学は19世紀の物理学の存在や時空に対する立場は、当時の共有されていたガリレイ変換に対する対称性を基いにしたニュートン力学的な直感的観想に依っています。物体の運動やあらゆる事象は定立しておりそれらは原理的に予測可能であること。時間の流れは一様で普遍的であるという立場の中に概ね収まるものでした。片やその一方では、19世紀に起こった電磁気学、熱力学および統計力学の技術的・理論的発展の中で、ニュートン力学的な直感的観想に依った理論では説明不可能な現象があることが実験的・理論的に知られ探究されます。19世紀に起こった電磁気学はニュートン力学が、 互いに一定の速度で動いている座標系の間で、ニュートンの運動の法則の形を変えないような変換。時間の進み方は共通であると仮定されているガリレイ変換に対する対称性を持っているのに対し、電磁気学の理論はガリレイ変換対称性、対象物にある変換を施したときに対象のもつ何らかの性質が不変でなかったを示します。此れ等が19世紀の物理学における困難を極めます。力学的な矛盾を抱えたのです。哲学・思想ランキング
2019年11月25日
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時間の陥穽16 デカルトの「省察」本文は六(後に7つ)の「meditation (省察)」と題した章によって構成されており、其れ等一つずつが「1日の省察」という位置づけで、黙想録あるいは日記のような形式で書かれています。デカルトは読者に対して、思いを巡らし、思索の歩みを読者自身も辿ることを求めています。アリストテレスの霊魂観、若しくは「魂」の概念を完全に葬り去ったとは云われますが、其の根拠を示すのが、「省察」のうちの第二省察と呼ばれる部分です。アルキメデスの不動 のポイントを、デカルトは「私は考える/cogito)の中に発見したと高々に宣言すします。「考える私」は、身体をもち、栄養を摂取し、動き、そして感覚することができる。然し乍ら、其れ等夫々の要素や動態は、私から切り離すことができる筈であり確実な根拠をもって本質がそこにあるとは信じられない。然し乍ら、「私と考えること」は、「私が考えているかぎり」の二つは不可分で切り離すことは出来ない。私は、考えるもの(res cogitance)であり、これが精神(mens) だ。身体は、延長するもの(es extensa)として、精神と切り離 すことができる。これが有名な、デカルトの心身二元論で、人間が此の二つの実体か ら構成されるとします。自我観、身体観、更に彼デカルトの宇宙観では、アリストテレス的な霊魂観、個々の魂は身体としての肉体が終わる以上、死後は消滅してしまうことが明白だとする魂の概念が入る余地はありません。デカルトのコギト・エルゴ・スムは外的物質界の影響を受けない、アリストテレスとは異質な常恒の霊魂、外世界には存在の有無が問われる「時間」たるものは、神の継続の前では何ものをも意味しない。魂、「霊魂論」的には霊と魂は時間の影響は及ばず、とは云え、時間存在其のものの解答にはなりませんが、心頭に留め置きたいものです。哲学・思想ランキング
2019年11月24日
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時間の陥穽15 人間の霊及び魂、乃至は霊魂が存するには其の存する在り処なしには実在を主張することは出来得ません。且つ又、主張したところで、古代ギリシァの肝臓説やデカルトの臓器の関連説もいただけません。仮に人間の霊及び魂、乃至は霊魂が肉体の一部に固定されていれば其の運動、生成生滅・活動変化・時制と運動を受け入れなければなりません。此のことは、古来の哲学思想は勿論、現代の信教や霊魂論を肯定する思考にも受け入れ難いものがあります。現代理論に登場する脳漿の一部借用論も魂の取り憑きには都合がいいものの、肉体の時制を受け継ぎます。人間の霊・魂、乃至は霊魂が時制の影響を受けないことが、仮にでも、認証に近付ければ、肉体とは別途、時間軸線上の影響に晒されない人間精神の奥底の真相に一歩近づけます。デカルトの「省察」は、アリストテレスの霊魂観、ある いは「魂」概念を否定し、新たなる人間の時間観念の真相への重要な解答への道筋を与えてはくれますが本命だとするには多分に不足です。哲学・思想ランキング
2019年11月23日
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時間の陥穽14 人間が肉体から離脱した状況・状態として存するとは、人間の内精神の殆どが活動しない仮死若しくは脳活動の停止或いは禅における無我の境地や仏教の云う涅槃が浮かびますが、実は此れ等は全て霊魂実在論から導かれたものです。我々は何がしらに、みな先駆的に「自分」と云っている自分の肉体が非物質的なものに支配されていると感じています。其の何かを霊とか魂と呼ぶには抵抗があるかも知れない。ただ我々の人間の行動が時計の歯車のように極度に単純化されたメカニズムから決定されたものとは覚えない。即ち、我々の肉体には、物質的な可動システムのようなエネルギー点火プログラムが組み込まれている筈だ、其処に人間の点火プログラムは何処に在り其の点火エネルギーは何なのかが問題点として浮上します。外世界に時制があろうかなかろうか、人間の身体活動には始動が在り稼働・停止があるという事実、霊・魂乃至霊魂と呼ばれるものが人間の肉体の何処何の(どの)部分に在るのか、一体全体何が燃え上がるのか其処に時制がです。哲学・思想ランキング
2019年11月22日
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「時間存在」13時間の陥穽13 「ビッグバン」を単一の宇宙其のものの根元だとしても、此処今日の現代ではブラックホール・ホワイトホール の理論が発展し、単一だとされる大宇宙のなかに、有と無からの発生と生滅の理論。観測からの探求が進み大宇宙は穴開き練習ボールや別府地獄谷温泉の如く、無からの出現、有から無への転移が観測記録から予期・予測されようとし、人間思想史上に未だかってない「無から有・有から無」の言語矛盾も無き如しの時代に突入しようとしています。ここから導き出されるのは、今は最早、有と無を問うことが現象面から否定される可能性があることです。私的見解では、有は一にして縁日の細工風船の如く「一にして無上限」が人間が夢見る如くに活動しているようにも思えます。無次元のごときに思える大宇宙として捉える世界は無乃至無限次元の「一の有」の夢想、虚無主義者の云う時空の無い「何か(虚無)」なのかも知れません。但し「時間存在」がここで問題にするのは時間の本質ですから立ち入ることは控えます。哲学・思想ランキング
2019年11月21日
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時間の陥穽12 時間存在の本質を史上永々と追いかけてきた人類ですが、21世紀に入った今日現代では古史からの形而上の概念とは趣を異にして、正教会及び神学概念の天文学がガリレオ・ガリレイやコペルニクスにより転換点を迎え、其れを踏まえたのニュートン力学が天文学のみならず物理科学の飛躍的に発展を促します。ゼノンのパラドックス以来の時空観念への現代物理科学の挑戦です。デカルトのコギト・エルゴ・スムを取り上げるまでもなく世界の側には時間なる概念は成り立たないものではないか。此れに対し物理科学は観測・理論双方を通して数多の小宇宙を含有する大宇宙を観測・理論から世界を探求し、量子力学に達し宇宙論を展開します。通常一般には宇宙は広大無辺とは認識されますが、いつ如何なる様態で始まったのかは「ビッグバン理論」を他の推論を持ち込まなければ肯んじ自己を一応の納得がいきます。ところが。我々人間の脳は始まりには終りがあることを常識は答えます。始まりと終わりがないのは宇宙そのものを創生した「神」其れ以外には矛盾した考えだと判斷しかねません。其れは「ビッグバン」をただ単一宇宙其のものの根元だと思考するからに他なりません。 哲学・思想ランキング
2019年11月20日
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「時間存在」11時間の陥穽11 時間は屡々空間と並立して「時空」と称されます。大乗の祖「龍樹(ナーガールジュナ)」は其の著「中論」において、人間の内的世界の「精神性」を主要なテーゼとして掲げますが、人間の外環境世界を全く無視して物理世界を無視しているわけではありません。其の意味では西洋思想家の龍樹を虚無主義者と決めつけるのには疑問が残ります。龍樹の資料の中で直接的には空間について語っているものは見受けられませんが、全く触れていないかと云えばそうでもありません。「中論」の「時の考察」の章で「過去」が「現在・未来」に依存しているという論証に次いで、過去が現在・未来に依存しているという論証の例を掲げて、其れを前提に、順次に、残余の現在と未来、更には「上・下・中」などの多数性などを解すべきであるとの言が空間に相当すると捉えられます。時間が「過去・現在・未来」という事象の先後関係として理解されるように、空間も「上・下・中」あるいは「左・右」などの物の位置関係とし「時の考察」の章と同様に捉え「空間論」を説いています。即ち、時間が「過去・現在・未来」という事象の先後関係として理解されるように、空間も「上・下・中」あるいは「左・右」などの物の位置関係として理解できる。「上・下」「右・左」は独立した別々の存在でもなく、また、同一存在の単なる別名でもない。それらは依存関係(縁起)を示す。「上下・左右」の位置関係そのもの(空間)も、事物に依存している。だから、事物がなければ空間もない。空間が依存しているところの事物さえも、それ自体で成立しているのではなく他に依存している。此れ等の論法の語るところは、空間が依存しているところの事物さえも、それ自体で成立しているのではなく他者に依存している。空間はさまざまなレベルの縁起によって成立している。此の意味するところは、時間とは「先後関係」のこと、空間とは「位置関係」のことであい、時間や空間は事物の背景として、事物とは別に存在している自性する何かではなく、事物の間にある先後関係や位置関係そのものに過ぎない。、というのが、わたしの理解するナーガールジュナの時間論・空間論です。したがって、言うまでもないことだと思いますが、「時のながれ」というようなものをナーガールジュナは認めていません。彼にとっては流れるような本質的な独自性を持った自主独立の何ものかがあって、外環境の時の流れは否定され、内精神の時の流れも幻想・幻影だとします。哲学・思想ランキング
2019年11月19日
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いっぷ句-9紅葉を夢見て青葉仰ぐ 愚通人気ブログランキングへ
2019年11月18日
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時間の陥穽10 龍樹の中論の「時の考察」に述べられるさらなる批判、「もの」と「時間」との関係も興味深い時間解釈です。「もしも、なんらかのものに縁って時間があるのであるならば、そのものが無いのにどうして時間があろうか。しかるに、いかなるものも存在しない。どうして時間があるであろうか。(中村元訳)」ナーガールジュナの時間は自性として存在していないと説きます。事象の背後に「時間」という背景が事象とは別に存在し、独自に活性化エネルギーとして可動するものではなく、時間とは世界の事象を離れては有り得ず、それそのもの。自体で自立しているのではない。単に、様々な原因や条件に依存し想起されるもので実体は存在しないことになります。「現一瞬間の先である過去とか其の後の幅を持つ現在や未来」は独立した別々の存在ではなく、また、同一存在の単なる別名でもない。それらは依存関係即ち「縁起」である。先後関係そのものと捉えられる時間も、事象に依存している。だから、事象がなければ時間はない。時間が依存しているところの事象さえも、それ自体で成立しているのではなく他に依存しているとし、時間を時制もなく独立独歩のものでもなく他自性があれば其れに依存する縁起説を取ります。人気ブログランキングへ
2019年11月17日
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時間の陥穽9 龍樹の中論の「時の考察」に述べられる「時」とは「三つの時世」すなわち、過去・現在・未来のことですが、人間の内世界特有のものとして捉えても、其処には「持続性」が取り込まれていません。人間が生活。思考する等々では通常は時間の経過といった持続性が意識若しくは認識されています。 此の持続性が時間其のものの独立した自主性にあるのか、将又、時間其のものが他のものあっての依存若しくは縁起するものなのか。仮に、時間の自性論を認めれば、ものの自性とは自立・独立・永存していることになりますから、過去・現在・未来はそれぞれが全く別の事象を指しているのか、それとも同一事象を指しているのかということになります。ところが仮に、過去・現在・未来のそれぞれが同じものを指しているとすると、過去も現在も未来もその区別がなくなってしまうという受け入れがたい事態に、「神の永遠若しくは神の瞬間」と云われるものに落ち込んでしまいます。其れは其れで結構ですが人間は神ではありません。他方、それぞれがまったく独立した事象であるとすると、明らかに認められる過去と現在と未来の関係が、全く説明できないという別の受け入れがたい事態に落ち込んでしまいます。こういう受け入れがたい事態に落ち込んでしまうのは、もともと、時に自立・独立・永存の自性を想定するという間違いを犯しているからだ、というのがわたしの理解するナーガールジュナへの疑問です。人気ブログランキングへ
2019年11月16日
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時間の陥穽8 時間は形而上哲学のみならずギリシァ唯物論の世界観、西洋の唯一神教の現世世界の創造者として時間創造を含めての神格の存在を認容し肯定する宗教、尚且つ世界の普遍性を説く釈迦の哲学、但し、世祖釈迦を覚者ではなく仏祖として捉える仏教は悉(ことごと)く除く、即ち、「いとも気高き蓮華経」の法華経のみならず「時間」即ち「時制」を受認し、経典に持ち込む仏典を除きます。但し、大乗の祖「龍樹(ナーガールジュナ)」は其の著「中論」において自らの世祖釈迦の言論を用いて空論を展開し人間の精神を解析し、人間の内精神環境の生成・衰亡・滅却を「空」と断じ、正覚者を奉じ時間を自らの論法として否定論法を、西洋思考は虚無主義とと断ずる批判は有るものの、駆使して否の三段論法から人間の精神を分析し「時制・時間」を人間精神の想定する過去・現在・未来の時間観念を悉く無明と断じ、「中論」の19章「時の考察」で「時」とは「三つの時(三世)」すなわち、過去・現在・未来であり「時の流れ」を時流としてではな変化・変遷として扱います。縁起説にとっては流動し続ける時の流れは当時のインド思考では想定外で「空」論には非常に都合のよいものとなっています。人気ブログランキングへ
2019年11月15日
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時間の陥穽7 霊的側面から時間を鑑みると、時間とは次元の間を流れる魂の反映であり、私という宇宙がそれを創っているのであれば、時間の概念は我々の内部精神の創造概念であり外環境蘇のものには実相は無いのではないかとの慰問が湧き上がります。此れが観測を主体とする科学である天文学、物理学のみならず諸科学が関与すると、形而上哲学から捉える時間は人間の精神内部のあり方に在らず、物質世界の側には存在するのではないか、此の物質世界の側の時間概念を人間の精神内世界に当て嵌め、辻褄を合わせることも不可能ではないとも取れます。たとえば、世界の創造を担う絶対存在・絶対意思・絶対意識は時間には干渉されない以上、其の意識存在の延長としての人間も時制の影響を排除出来得るのではないかの疑問が浮上しますが、人間の外環境から受ける生命感覚、昼行性、朝は起き夜は寝すむの習慣的観念がそれを容易くは受け入れないこと、社会生活構造が複雑複数化するにつれ、行動統合化が必須になり時間は流れがあろうがなかろうか必要となります。但し、厳くまでも「時」点的な捉え方です。人気ブログランキングへ
2019年11月14日
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時間の陥穽6 我々人間の精神世界は、個々の人間が内世界を創造した反映であり、其の宇宙に存する。神学哲学を除いた形而上哲学では「全ては精神活動の反映である」という形而上学の基本的な考え方をもとにすれば、私(わたくし)人間の世界は全てがあなたの内心の反映であり、此処には物理学上の世界は関与するものの其の世界を決定する権原を持ってはいません。誰かが創った世界の中に自分が居るのではなく、自分の中に世界があるというのです。此の観点に立てば流れる時間の中に自分が居るのではなく、自分の中に時間があることになります。強いて問えば、時間とは次元の間を流れる魂の反映であり、私という宇宙がそれを創っているともいえます。哲学・思想ランキング
2019年11月13日
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時間の陥穽5 時間存在を霊と魂の違関係性から探究することは、時間の解釈には物理学のみならず様々なものが関与してきます。詰まるところ、人間態とは霊でもあり、魂にも両対応した合一体です。然し乍ら、其の人間に付与するものは分担されています。自分は果たして何者なのかは霊の担当。其れを受けた上で自己の生きる目的を霊に関与・妥結し生きている使命を果たす展望を与えるのが魂です。人間の成り立ちには何方(どちら)か一方のみで機能すれば欠損の人間が生じ、全うな人間とは云えません。通常は「霊」と「魂」どちらの意味も含んでいる場合や、明確に線引きし難い場合もありますので其れ等を根底に意味合いを捉えれば理解は進みます。自己の生きる目的を正当に鑑み、魂の目的を認識し、本来の我を逃さないこと、此れは我執に執着せよという意味ではなく、自分の意識領域全体が自分の意識では理解が及ばない領域全体を含め執着を離れよという意味です。哲学・思想ランキング
2019年11月12日
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いっぷ句-8月影に映える自分を追いかけて 愚通人気ブログランキングへ
2019年11月11日
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時間の陥穽4 我々人間は雌雄其々の生命因子を通しての遺伝子作用で生じる受胎を経ます。其の後母胎からは切り離され、母体ろの肉体的な離別が訪れ、後(のち)は通常一般には母体に抱(いだ)かれます。此の時点までの経緯に「霊」や「魂」は発祥若しくは関与しているのでしょうかについては些かの疑問が残ります。古来からの思考は 「霊性」受胎のときに受肉するも出来事の変化はともかく時制の影響は受けず、「人魂」は受胎其の後の細胞の数・種類の複雑化の過程の或る段階に発生、恐らくは脳細胞の形成段階に発生し時制の経過とともに活動すると類推されます。魂(Soul)とは自分を自己と在らしめる「自分そのもの」である霊エネルギーが通過するための器であり、器の形状に目的が有るように、霊を目的に応じて 魂は進化、成長する欲求に従って霊にフィルターとして働き概念や情動を伝え霊性を高めます。魂は霊に森羅万象を紡ぐ 時間と空間を付与します。其れ故、我々人間が人生や歴史の出来事は魂の内側の出来事なのです。我々自身が人生の展望を思考するときには記憶を持つ過去と現在と未来によって「時間」という魂の観念が働きます。哲学・思想ランキング
2019年11月10日
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時間の陥穽3 人間の霊性を鑑みるに、絶対存在の霊性の在り続ける「有」からの延長を肯定的に捉えて類推すれば、其処・其の与えられた「場(時空間)」に在り続けたい力が感じられます。其れ故、そこには変化が導入されていません。「有」存在は其れ自体で成り立つものであり、他者はなく、他性の干渉や影響から度外視された存在の中の恒常無辺の「有る」ですから、其の霊性も絶対霊性と呼ぶべき完璧さを備えます。其の様態の延長、即ち、世界そのものに霊性を感じ取ることの出来得る人間は、「絶対有」から存在維持の意志をも受け継いでいます。「霊」と「魂を」一と見て「霊魂」を合一した万学の祖と称されるアリストテレスは、プラトンの超自然的なイディア論を批判し、万物は形相(エイドス)と質料(ヒュレ)を有しており、運動の変化は可能態(デュナミス)である形相に内在した質料と現実態(エネルゲイア)形相の発現した状態で説明できるとしますが、「霊魂」を肯定するアリストテレスが霊魂にも質料ありとするのは一種のエネルギーと捉える限りは致し方なく、プラトンの超自然的なイディア論を批判する根拠となります。此の論理からは「絶対存在」の霊性にも質量が在り変化・変量が導入され世界に「有」が存在すべき場はなく不変の世界や神存在が立つ位置はありません。哲学・思想ランキング
2019年11月09日
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時間の陥穽2 所謂、仏教哲学が云う、生きとし生きるもの全て生命全般の魂を問うのではなく、「霊魂論」は魂を人間特性からの視点で捉え、人間が自己をあらしめる源泉である絶対霊性の様態の延長としての自分を濾過及び透過させ霊に目的性を付加するものと捉えます。人間の魂には正常であれば化したい、体験したい、成長したい願望を齎します。 魂は進化しよう、成長しようを行動化するものです。只々在るだけだった受肉した霊エネルギーが「魂」という有る種フィルターを通ることで、概念や情動が生まれ、森羅万象が広がる時間と空間を紡ぎ出す質量観測が現況観測出来得ないエネルギーです。我々人間が自己の人生や史上に起きた事件は魂の歴史です。我々が人間の目的や自己の未来展望を語る時、魂が介在します。霊は精神に宿る、一方、魂は人間の脳組織即ち記憶や脳内活動に関与します。過去と未来は「魂」の特性です。霊はただそこに「在り続けたい」と欲する存在力ですが、それだけでは何も変化は生まれないことは自明の理です。そこに変化欲望や背栄町欲望を吹き込み、魂の器に流れ込んだ結果が「命」と呼ばれるものの正体なのかもしれません。時間は人間の霊性と魂に与えられた特異性を予想させます。哲学・思想ランキング
2019年11月08日
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時間の陥穽1 著者の視点から観想或いは観相したのだとも云える私的見解「霊魂論」は霊(Spirit)と魂(Soul)との違いと関係性についての理解を求めています。霊とは世界そのものに内在する在るもの。世界に外殻があるとは思えないが、世界内存在其のものに内在する意思を顕現するエネルギーの源泉、恒常に根ざす原初の意志の欲望の一端を示します。意の当然に、全ての原初である限り時間と空間はを超越しており、生死滅却は有り得ず、其の霊なるものの本源は唯あり続ける「有」です。進化や成長といった目的はなく、ただ在り続けるだけともいえるが、そこに何がしかの意志が推測される全在の意思、其の延長がロゴスである言葉・言霊をもつ霊的延長を受胎した人間の「霊性」です。世界内霊性の具象化したものが質量を持たない質であり、意思を受託内在化したものが人間の霊性です。其れ故に人間の霊性に時間の制約や影響は有り得ません。哲学・思想ランキング
2019年11月07日
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「霊魂論」エチカ詳解361(生と死192)大団円 史上に物事や体験を記する人間が登場してから、初めて時間の観念や空間概念、生命の不可思議、運動と空間の関連、其れ等が人間に齎す影響が解析されようとしています。仮に大宇宙に人間存在の特異性若しくは思考能力が似通った存在がいるとして。世界が何故に其の存在を発祥せしめたのかは、それ自体を実証する科学は今現在の時点では不明の儘です。何故なら、世界の存在其のものを科学は究明すればするほど新しい難問を抱えることになり、確実な進歩があるとは云え、其の先は世界の解明若しくは人類の生滅かは「神のみぞ知る」、スピノザ流思考に従えば、神の絶対存在・絶対意識・絶対意思に人類がどれほどに近接出来得るか、人間の霊・魂若しくは「霊魂」として捉え得る、許されるならば絶対存在の様態の延長としての自己存在・自己意識・自己意思を恩寵として授かった「理知」が解決を齎す希望があります。此処には他力的な救済はなく、人類其の縦横無尽の努力のみが解明に蝋炎を齎すと信じて疑いません。神秘体験や宗教体験はば絶対存在の様態が垣間見せる夢幻だと想わせるからです。結論は世界には終末があれば人類に滅亡、人間には終焉があり、世界に再生があればその延長にも再生が可能だということです。世界は「パンドラの箱(Pandora's Box)」なのです。哲学・思想ランキング
2019年11月06日
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「霊魂論」エチカ詳解360(生と死191) シッダールタが抑々が長い髪く伸びた髪を短刀でざく切り切りにして、カーストを外れ、教団・寺院の組織に入らぬままで信仰生活を送る沙弥(しやみ)として遁世者(とんせいしや)となったのは、世の無常でした。たとえ享楽三昧に浸っていても、世の無常は無情にも肉体の衰弱や病が自身の身にも降り掛かり享楽の極みも継続しないことを、宴の一件から覚ります。シッダールタが心行刻苦して注目したのは生命そのものでした。生きとし生きるものには差別はない、喩え、神と呼称されるものにも滅びである死はある。中道である「心の平安」を見い出せば死は恐るるに足らず苦悩を齎さず涅槃即ち安寧を約束すると解いたのです。其れ故に、シッダールタはヒンズー教の神々を一切否定することはなく、其れを信仰と断じ、自らは世界の理を悟った「覚者」とみたのです。釈迦となったシッダールタが成したのは自分という我執を離れ「世界の理」に同期することでした。其の同期を涅槃として捉え、「世界の理」に同期した釈迦は今なおの世界に偏在して生きることになります。仏教とは神的体験を基いにした神霊をいうのではなく、世界の類稀なる生命の現象を解明し、其の道理を解きます。哲学・思想ランキング
2019年11月05日
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「霊魂論」エチカ詳解359(生と死190) 釈迦の覚りとは人間に永遠の生命を約することではなく、人間に「心の平安」を約するものです。其れ故に、当時のカースト制度(Caste system)の柵(しがら)みに囚われた下層民やそもそも民としての扱いもされない階層の人間に、カースト制度下の永久に続く生命や魂の不滅や再来を約す宗教は、救いどころか生きて地獄・死んでも地獄が待つと約束するものであり、カースト制度下の神格は救済の神とは成り得ず自己に心が在ることさえ信じることさえ許されません。此処に人間の柵(しがらみ)に疑問を抱くに自己の我執に囚われた享楽と苦汁を客観として観想し、中道である「心の平安」を見極めた釈尊が、世界の理に浄土を見い出します。即ち、人間が現世で味わう享楽と苦汁の営み、輪廻思想からくる永劫の再生、此れはヒンズー教のバラモンから来る上から目線、即ち、特権階級の永続思想からくるものであり、カーストとは輪廻する理でありバラモンはバラモンとして、卑属は卑属として永年回帰するとしたものです。此の様なことが世界の理ならば自分を、卑属とされた階級に産まれ、真相として幼児期から語り聞かされ、後に成長した自分を人間と自覚したものには溜まったものではありません。哲学・思想ランキング
2019年11月04日
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「霊魂論」エチカ詳解358(生と死189) 中道とは偏らないこと、のちに釈尊と成るシッダールタは釈迦国の皇太子(Shakyamuni Crown Prince)として、一時は毎夜の食事の舞踊を極めた宴に酔いしれ楽しんだことを認めはしめすが、何かしら心が満たされなかったことを告白しています。人生死ねば無明、何ほどに現世を自己の思うが儘に生を楽しむことは是ではないのか。小国であれ第一王子自己の贅を尽くした日々ですが彼は心より入り浸らず、彼の精神が煩悶に揺れます。或る日の宴で給仕女の子供が摘み食いしたことで、その子供が火炎に投げ込まれたのを見て、享楽は虚しいだけだと知り沙弥となり苦行の道を選択し沙弥となります。ところが、幾ら苦行・難行しても心の平安は得られない。彼の心の平安は全ての人間が須らく「心の平安」を得てこそなるからです。自己の心の平安への坐禅の経験から「享楽は虚しいだけ、苦行は辛いだけ。そのどちらに身を置いても心の平穏は得られない。」として、禅道を通して中道という生き方がもっとも大切であるとの結論に至ります。中道とは「偏らない道」「正しい道」という意味であり、享楽と苦行とのどちらにも偏らない生き方を指すものであり、両極端を離れて静かに坐り、自分の心を水鏡のように穏やかなものへと整える。更には整えることができたら、今度は整え続けること。今更に整え続けること、人は悟ったと覚えど、続けるのは難しい、其れ故、シッダールタは釈迦となった後にも禅道を継続します。「修行の持続」「修行の護持」を縮めて「行持(ぎょうじ)」を薦めます。此れが釈迦の「普遍の心」で遍く人間に存在したまう「仏心」であり、神とは次元を異にした異相の世界観です。哲学・思想ランキング
2019年11月03日
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いっぷ句-7台風一過猛風去りて笹起きる 愚通人気ブログランキングへ
2019年11月02日
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「霊魂論」エチカ詳解357(生と死188) 外界の刺激に対してなんらかの印象を間髪置かず感じ取る直観的な「心の働き」とは、生物が外界の刺激に対してなんらかの反応を示す「本能的能力の働き」とは天と地ほど差・相違があります。先ず、外界の刺激に対してなんらかの反応行動を示すのではなく、「なんらかの印象」に応じた直観的な「心の働き」を起動するには知性と理性の補助は欠かせません。知性は物事を理解する力であり、教養とか夫々其の時代々の社会的常識とされるものですが単独ではスーパーコンピューターに及ぶべきもありません。然し乍ら、其の直感と知性がコンピューターを進展させたことも忘れてはいけません。知性は物事を理解する力で教養とか常識、学力といったものです。そして「理性」西洋的思考では判断力で感情とか心情に動かされずに冷静に考え判断する力で中庸が多くに求められています。特に亜細亜のインド・東洋では「中庸」が特別の意義が付与され、見識なしの独善などは忌まわしいとされています。禅道に云う「心の平安」は偏りを離れて、心をニュートラル、真ん中に据えることです。ブッダは心の平安を「中庸」禅道に云う「中道」を得て覚りを開きます。 哲学・思想ランキング
2019年11月01日
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