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「霊魂論」エチカ詳解153 スピノザは、迫害を逃れてポルトガルから移住したユダヤ人を両アムステルダムの富裕なユダヤ人の貿易商の家庭に生まれます。両親はポルトガルでのユダヤ人迫害から逃れ自由国家オランダへ移住してきたセファルディムです。セファルディム(Sephardim)とは、ディアスポラ(Diaspora)のユダヤ人、ブリタニカ国際大百科事典によれば、[ギリシア語で「散らされている者」を意味し,ユダヤ人でパレスチナ以外の地に移り住んでいた人々をさす。ヘブライ語ではガルート(「追放」の意)。その起源は,おもだったユダヤ人をバビロニアに強制移住させた前586年のバビロン捕囚(Babylon captivity)である。アケメネス朝ペルシアのキュロス2世が寛容勅令を出したとき,捕囚のユダヤ人は一部帰国した(前538)。同じ頃エジプトのナイル川上流のエレファンティンにもユダヤ人が多く移住していたことが知られている。古代最大の地はアレクサンドリアで,前1世紀の人口の 40%がユダヤ系であった。1世紀のディアスポラ人口は 500万に達し,その 5分の4はローマ帝国内に住んでいた。70年のエルサレム滅亡によって,内外のユダヤ人はすべて政治的・精神的故郷を失い,オリエント,ローマ世界の大都会で土着化し始めた。彼らはそこでも言語,宗教儀礼,教育などで独自の伝統に従い,一般人と隔絶した生活を送った。そのため古くから地域住民との間に紛争が絶えず,アレクサンドリアでは前1世紀半ばから,ローマにおいても前139年にユダヤ人が迫害された記録がある。1世紀中頃すでにユダヤ人は東はペルシア,メソポタミア,さらに小アジアの各地やアフリカ北部にも移住していた。使徒パウロのキリスト教の伝道も,ディアスポラのユダヤ人を足場として展開された。ユダヤ教徒自身のディアスポラ観は必ずしも常に同一でなく,正統派から改革派までさまざまである。現代におけるそのおもな違いはシオニズム運動とイスラエル国家の存在を認めるかどうかである。]と説明され、聖王ダビデが神の約束の地「パレスチナを征服してイスラエルを建国」した離散して故郷パレスチナ以外の地に住むユダヤ人を指しますが、現代では本国を離れたユダヤ人全般をも指し示す用語となりました。哲学・思想ランキング
2019年03月31日
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「霊魂論」エチカ詳解152 此処ではユダヤ民族がキリスト教徒から嫌厭される因を探る必要があります。現代でもバチカンの法王にはユダヤ人は未だに登場していませんが東洋の果ての日本人から見れば不可思議そのものです。神に祝福された英傑ユダヤの王ダビデを生んだユダヤ民族が何故に新訳教徒やイスラムからも敵対・蔑視を受けるのか、答えはナザレのイエスの誕生秘話に始まります。後世には売春を生業にしたとまで侮蔑されるマリア、当時には父方不明の赤子は「神の子」と呼ばれる風習からきた推論でしょう。亦、イエスが大酒飲みで遊び人だとも史記解釈、大工ヨハネはダビデの子孫であり真面目一筋であったと極端な解釈があるなかで、聖書はイエスの誕生の詳細、ユダヤの王がお生まれになったと東方の三博士(Adoration of the Magi)に語らせています。此のことは、日本民族が万世一系・皇祖皇統の神として崇められた天皇を弑逆(しいぎゃく)したとすれば、倭族の血筋を引く者全てが世界から怨念の対象にされると考えれば、キリスト教の特異性が際立ちます。事実、欽明(きんめい)天皇の皇子。587年兄用明(ようめい)天皇の死後に炊屋(かしきや)姫(推古天皇)や蘇我馬子らに擁立されて即位するも。馬子との確執があり,592年馬子の手先により暗殺弑逆された崇神天皇がいます。蘇我氏は朝鮮半島の渡来人であることから日本人は半島人と嫌厭する・される関係にあるとする関係になります。いかにキリスト教にとってのイエスが特異なのかを象徴します。「これは、キリスト教会内の反ユダヤ主義に対抗する重要なしるしだ。イエス・キリストはユダヤ人で、ローマの為政者に殺害されたのに、これまでキリスト教徒はユダヤ人すべてにキリスト殺害の連帯責任があるとみなしてきた。そのため、ユダヤ人は残忍な迫害と反ユダヤ主義の標的となってきたのだ」に言い尽くされます。哲学・思想ランキング
2019年03月30日
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「霊魂論」エチカ詳解151 スピノザを教会権威が異端者扱いより敵視したのはユダヤ人であったことが影響しています。マルクスやフロイトの例のように、無神論者であったりキリスト教などに改宗していても、親の一方がユダヤ人であればユダヤ人と呼ばれるのが現実なのです。丁度、スピノザの本国世界の海を席巻していたところの商業都市連盟のオランダ人の男性は海洋を超える漁民とは相違し年季に帰国することなく滞留地で家を構え現地人の女性との間に子をもうけています。然し、其の子はオランダ人を名乗ってはいないほうが一般でした。16世紀以降の台湾でも中国大陸から多数の男性が単身あるいは国共合作後に分裂し本国を追われた中華民国反共独裁の国民党政府最高指導者蒋介石の国民党軍も殆んどが男性であり台湾に移住し台湾土着民族の女性と結婚、台湾人の其の血脈には台湾土着民族の血液が滲みており、現代の2千万を有する民は中国人ではなく台湾人です。本土に併合されれば差別化が必ず起こり台湾に齎す影響は図り知れません。オランダの移民の子々孫々は現地民族を名乗り、逆に中国大陸は台湾人に中国人を名乗れと強制します。此れが、ユダヤ人の場合は宗教がらみなので?制がなくても新約聖書が物言います。ユダびと、たとえ片親に其の血を受け継いでいればキリスト教が差別を与えます。此処に強烈な疑問、ユダヤ人大工のヨハネとマリヤのことされるイエスは「何びと」なのか、此処に強烈なユダヤ批判が起動するのです。政治や権力絡みの問題ではなく、其の勢力に圧倒的潜在力を持つ宗教的権威が猛威を奮うからです。哲学・思想ランキング
2019年03月29日
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「霊魂論」エチカ詳解150 スピノザに比して、ドイツ南部のシュトゥットガルトの中級官吏の家に生まれ、牧師となることを志した「観念論の覇者」とも云うべきヘーゲルが、独自の生の哲学に基づくキリスト教批判のノートを書くも、教会権威からは何故か迫害はありません。彼の思想の原点にあるネオプラトニズムを下敷きにしたルネサンスの自然哲学とドイツの神秘主義のなかに流れる生命的存在の一元論は根元に存在する「一者(プロティノス)」が姿をさまざまに変容させて展開されてゆきます。神が自己を啓示するとは、すなわち、根元の一者である神が己を二つに分裂させ、分裂という形で本質を現象させることなのですが、進展して自己認識を達成することによってその分裂から自分を取り戻すとした思考は、神の完全体としての絶対性を否定したものにもかかわらず何故に教会の弾劾を受けなかったのかは難問ですが、一つには神格を否定しないこと。二にはスピノザの旧約に約束された神の民族イスラエルびとのユダヤの血流であり、移動商人の身でありながら異端を述べることがあります。比してつドイツの中流官僚の生まれにしてアカデミーに名を馳せた人物とは、学閥を持ち持たないを問うまでもなくアカデミーに軍配は挙がります。西洋世界はキリストを育んだユダヤ民族社会を、イエスを罪に陥れ(おとしい)れ身をローマに売った民族と捉える深層の真相を探らないと其の現元は見えて来ません。注意すべきはナザレのイエスはユダヤ人大工のヨハネとは受胎告知によれば血縁がないことです。聖母マリアが胎盤を提供しただけなのかは、神が受胎を告知しているところからイエスはマリアの血は受け継いでいる筈です。其の事実があっても其の事実が有ろうが無かろうか西洋に置ける其の蔑みは現代にまで持ち越されています。有史以来の単一民族国家としての皇統を持つ日本には想像すら出来得ませんが。哲学・思想ランキング
2019年03月28日
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「霊魂論」エチカ詳解149 スピノザの同時期同時代のインテリジェントやアカデミーは、エチカ公刊の前後にも関わらず、只手稿だけを手にしても、小賢しい論理法を以って世界を定義することには、正教会であれ、インテリジェント(intelligent)やアカデミーも無視する筈だろ思えましたが、豈図らんや、教会権威はスピノザは勿論のこと其の主著「エチカ」の内容に畏怖を憶えます。何故なら、演繹的推論が意味を持つのは、定義の中に意味のある内容が含まれている場合だけ、例えば、法で過失に因(よ)らずして他人の生命を故意に奪えば、其の者には大前提、小前提および結論という3個の命題を取り扱い、これを用いた結論が真であることを見い出す必要はなく、誰もが報復乃至は法律の?制ををもって罰しなければならないのは、演繹的に定義しても疑問は無い筈です。然し乍ら、スピノザの「エチカ」のように神とは永遠にして完全なものであると定義すると、それが現実に意味を持つのかどうか。我々共通の思考には其れを十全な明証性を伴って確信できるとは限らないでしょう。理知有る人間は其れを曖昧な定義、乃至は混迷した議論といわざるをえない場合もあります。ところが、スピノザは三角形のような、幾何学における定義、其の図形の性質のうち誰もが反論し得ないような部分を選んでそれを定義に含めるから、そこから導かれる演繹的な推論は破綻することが少ない。其れを利用したスピノザの論理法は「つぼ」に嵌まると、信教教義以上の効果を及ぼすことが予想され、スピノザは正教会の信者からは「神敵」と見做され迫害は当然に予想されていたのです。哲学・思想ランキング
2019年03月27日
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「霊魂論」エチカ詳解148 スピノザが同時代の聡明で知的なインテリジェント(intelligent)やアカデミーに受け取られると飛び出たとされる其の論理は、ユークリッド幾何学の如き明快さが持つ普遍性が不足していると鑑みられ、一般には推論としか受け止められていません。ならばと、神秘体験を持ち出せば、ピタゴラス教団の如く熱烈な信者を獲得出来得たかも知れませんが神秘主義者とは認識されても、思想家スピノザの本意である「倫理学」は其れでは主張出来得ない、本体が神憑き・神懸かりとなり「倫理」ではなく信仰の「教義」となりスピノザは耐えきれないでしょう。ユークリッド理論は定義に始まり理、定理、証明の連鎖に現代の数理学が異論を齎すまでは誰しもが「普遍の真理」と捉えられたものであり、スピノザは自己の構想する「真理」の証明は「幾何学原理」に求めるしか選択のすべがなかったとも云えます。「エチカ」を読解するにあたって、定義を認証さえすればことは速やかに進みます。定義の「神即自然」が受け入れられないならばスピノザ哲学は不明な論理であり、其処から「倫理」が生じることは疑問視され、学校教育の「倫理社会」の一分野としての価値しか齎されません。哲学・思想ランキング
2019年03月26日
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「霊魂論」エチカ詳解147 スピノザの演繹的推論の出発の始発点をなすのは「定義」です。スピノザは扱おうとする対象について、其れが如何様な本質を有するのかについて定義します。幾何学において、三角形とは三つの辺によって囲まれ、将亦同じ意の言い換えですが三つの角を有する図形だと定義するようなものとしての定義を自らの論理に照らして定義します。このように定義すれば、三角形の三つの角の和が180度になるとか、正三角形は同じ長さの辺からなるとか、諸々の定理が論理から必然的に導き出されてくるから論理的には他者からの防波堤になります。此れ等幾何学的数学を自らの論理に取り込んで、唯一の実在で思考を実体としての神についての自分のこれと同じような手順を踏んで、スピノザは、実体としての神についての自分の思考を何人にも否定しきれないものと定義として表現、更には、世界についての自分なりの認識、神秘体験を有するにしても、論理的必然だと導き出しています。此の論理的必然なしにはスピノザの「エチカ(倫理学)」が立ち上げられないからです。哲学・思想ランキング
2019年03月25日
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「霊魂論」エチカ詳解146 スピノザの主著「エチカ」の論述構成は、恰もユークリッド幾何学の論考構成と同一であり、寧ろ意図して構成されています。世界とは神という実体そのものと同じものであり、その属性が我々の意識のもとに思考や延長として顕れ、その特殊化したものが個別的な事物や観念として我々人間精神の思考のなかに齎さるのだから、此の世界のうちには論証できないものはひとつもない。そしてその論証の方法として、幾何学的数学の演繹的な推論、其の方法論理は神を定義する限り此れ以外にはないのだとするのです。其れにしても、些か、スピノザの数理論理を無理矢理にこじ付けて当て嵌めた感があり、特殊な叙述形式は現代人にとっては却って読み辛い面もあります。恐らく此の思考に影響を与えたのはピタゴラスが教祖となったピタゴラス教団の論理思考が読み取れそうです。、定義や定理や公理及び証明は批判を避ける防波堤と看立てて組み立てたものでしょう。其のことを前提にすれば別段に端折(はしょ)って読んも思考は理解でき得ます。哲学・思想ランキング
2019年03月24日
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「霊魂論」エチカ詳解145 スピノザ「エチカ」の方法論、演繹的説明原理は正鵠を射ているのであろうか。スピノザの演繹法は定義に始まり、公理、定理、証明の連鎖は方法論としては認められるものの「定義」がスピノザの恣意に囚われて居ないのかどうかは誰しもが疑問を持ちます。第一義の定義は凡そ個人思考の偏向が入る余地がないものでなければなりません。スピノザの論理経過が万人に認識されない場合はには誤謬が有ると弾弓されるのは免れ得ないことになるのも致し方ないところでしょう。然し乍ら、西洋思想の地下脈流には、誕生環境から洗礼等々キリスト教の教えが生活に密着しており、仏教のように他の諸々の神々を認容することはありえませんから、スピノザが神を演繹で定義することは不遜であり挑戦だとされることになります。西洋哲学の神の捉え方の争論は「神の神格」の定義にあります。スピノザの「神の定義」は「有るもの一般としての遍在(Ubiquity)」であり、人間が観想でどうとかこうとかの疑問を挟めないものだからこそ「彼のエチカ」は「神の定義」を論理の普遍・永遠性と捉えます。此の前提をを受け入れなければスピノザ哲学は何者も意味しないハッタリ哲学に陥ります。世界には始まりも無いし終わりも無いとすれば、其の実体は完全体たる神でありスピノザによれば世界内自然は神の様体の予め準備された実践だということになります。哲学・思想ランキング
2019年03月23日
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「霊魂論」エチカ詳解144 スピノザの眞理眼は、神即自然の汎神論と同様、観念と現実が一体となった自己充足的な一つの世界のみが存在するということに論理が結実しています。此れを結実せしめたのはシッダルタの生前成仏の覚りにしか史上で触れたものは見当たりません。因縁の束縛から離脱するという段階、釈迦は肉体は因縁からは離脱できないものの、自己の内精神を「無我」とし、因縁の柵(しがらみ)から自己を解放させ、世界に溶解し世界と一体となり「仏」、名称はスピノザの「神」とは異なれども、粗方、似通った存在を成したと見るべきでしょう。仏教ではインド古代の神々は争い生死を保てない存在としては認め、「仏世界」では其れ「仏」に仕える身として描かれます。詰まるところは、西洋哲学的にスピノザが神秘体験したのか、将又、仏的境地を「直感知」したのか、シッダルタの生前成仏の覚りがスピノザの眞理眼と同様のものなのかは迂闊には判断できません。人間は神の属性のそのごく一部しか把握できませんが、神の属性の延長と思惟の延長は、実は、銀行の貸し金庫に猫がいるという物体的現実と貸し金庫に猫が居るという真なる観念は、相互に対応しているかのようにも憶えますが端的に同じひとつのものの別々の属性の形式による表現でしかないということに気付かされれば「神即自然」を解する、直感知・直覚知を得れば信教上の受け身にならざるをを得ない神の倫理が自ずから生じるのは自然でしょう。哲学・思想ランキング
2019年03月22日
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「霊魂論」エチカ詳解143 スピノザの世界観は理念も現実も同じ唯一の実在である神を別々の属性で表す例として、ナイアガラ瀑布(Niagara Falls)を想像すれば解り易いかも知れません。人間は誰しも瀑布の面前では光と音の荘厳さに驚天でざるを得ません。滝の落流は虹を放ち轟音に人間の耳は掻き消されます。ところが、滝の荘厳さを顕わす其の虹を形成するその光と轟音を鳴り響かす音は、其れぞれに自体では異相の関係にあります。其々が別の位相にあり、互いに自立しており、交わることのない並行関係にあるのです。人間の感性は此のように相互に交わることのない筈のものを、「思惟の属性」と「延長の属性」の自立的な平行関係にありながら其れ等を巧みに捉え、且つ共時的に捉えるのです。人間の持つ感覚器官と観念とが現実に共鳴して吠えるのです。例え其の被験者が信仰を持ち得ないものでも感動は或る稼働力を持ちます。「神即自然」の神秘体験です。哲学・思想ランキング
2019年03月21日
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「霊魂論」エチカ詳解142 人間はの属性は「神即自然」の無限の属性の保持者の僅か一部、延長と思惟の様体だけであり、世界全体を俯瞰する其のものとは相違し、宗教の神格性が与えられた其れとも相違し有限存在であり続けています。其れ故に、「自由意思」という世界を完全に把握することが出来ない者故の錯覚が生じるとスピノザは思考しています。勿論のこと「神即自然」の完全体は他者からの影響を受けないので完全に自由な筈ですが、無限に充足するものが目的の自由を持たないのは、元から「神即自然」は十全であり足りないものを欲する自由とは無縁だからこそだと云えます。持てないものと持たないものが、人間と神の相違なのです。人間の意志と目的と価値は三つ揃いを一式として、古代から中世にかけて思考の枠組みであった目的論を醸成してきたと云えます。然し、スピノザにとっては此れ等の意志や目的も価値も、すべてが有限存在であるし、人間独自の想像の産物であり、ピタゴラス教団が数理論理から三角形の常理が三角のなかに神の存在を見せたように、人間の有限性を無限である実在「神」に投影しているだけのものでしかありません。スピノザ以前の世界観というものは、概ね形而上学的にプラトンに代表されるように現実の世界と理念の世界を別々のものとして捉えられています。然し乍ら、スピノザにあっては理念と現実は同じ完全なる実在としての神を別々の属性で表すものでしかない、人間が観想する理念と観相する世界は神の属性だと看做します。哲学・思想ランキング
2019年03月20日
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「霊魂論」エチカ詳解141 自己の目的遂行を自由意志で決していると思いがちなのは、各自がスマホで操作するゲームを進行するときには、自分は自由に選択決定する意志によって冒険を楽しんでいると感覚的には覚えますが、ところがぎっちょんちょん、自由に選択決定する意志によって冒険を楽しんでいるかのような錯覚を覚えるのはプログラマーの卓越した技です。此れが一度クリアしたゲームに左程に過去ほど興味をなくし再挑戦しないのは、その提供された世界の全体を概ね把握してしまったため、殆んどが必然になり、冒険の醍醐味である自由意志という錯覚を味わうことが出来なくなるからなのです。スピノザの神が完全体であるが故に他者の制限からの自由を持たない、完全体には完成が備わっていることから何らかの自由欲求は持ち得ません、人間だけが自由意思の感覚を味わうのであって、神が自由を欲するのであれば人間と同等に甘んじ其の限りに陥ります。哲学・思想ランキング
2019年03月19日
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「霊魂論」エチカ詳解140 有限である人間が神の持つ属性のうち「思惟の属性」と「延長の属性」持ち得ることは、「完全なる実体」である絶対存在・絶対意識・絶対意思の有り様に感謝すべきでしょう。神の無限の属性のうちの「思惟の属性」と「延長の属性」とを併せ持つこと自体が生命を持たない物質と比して奇蹟だからです。「延長の属性」は物体はもとより空間や運動の属性から生じる時間にしても持つものですが、思惟の様態である心の世界{内精神」においても当て嵌まります。スピノザによれば人間が神の延長の様態と思惟の様態を持つ限り、人間が奔放だと想定する意志の自由は否定され、私自身の持つ意志とは単なる実体である「神」の一様態としてその必然が顕れているものでしかあり得ません。今眼前のスイーツを食べたいが自己のダイエットのために我慢するというのは自己の目的遂行を自由意志で決していると思いがちですが、スピノザの「目的論批判」から見れば、自己が此の思惟に意志の自由を感じるのは、只々、私自身の内精神が全体としての無限世界を把握出来得ない有限存在であるがゆえに得手勝手に捉えてしまうからだとしています。哲学・思想ランキング
2019年03月18日
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「霊魂論」エチカ詳解139 スピノザが構想する「エチカ」の世界の唯一の実体「有」としての完全体は他者に制限をされません。とはいえ、完全体であるが故に絶対の自己が有るとすれば、言葉を変えて絶対な自由が有るのだとすればれば、何ものに対しての自己か、何ものに対しての自由かが命題として浮上し「神の定義」は他者を必要とする矛盾を抱えて崩壊します。神に「自己」や「自由」を問うこと自体が間違いなのです。対して、世界内存在に属する在りと汎ゆる存在は他者の存在の影響下にあり其のもとにあって限定付けされ、且つ又、其の存在も他者を限定付けています。一言すれば、大凡あらゆる有限存在は別の有限存在によって限界づけられ規定されているということです。スピノザの絶対存在は其れ等全てを俯瞰していると規定しています。其れ故に、スピノザの「目的論批判」が俎上するのです。あらゆる有限存在は別の有限存在によって限界づけられ規定されており、かつそれら有限存在は根底でひとつの無限存在につながっており、必然的である機械論的決定論のような世界、例えれば賦与された世界、ビリヤードの台上の粗方無限数の玉がハスラーの一突きを待ち隙間なく互いを限界づけあい、影響力を持って存在し、時間的に云えばルーブ・ゴールドバーグ(Reuben Garrett Lucius Goldberg /1883?1970)の機械のような原因結果の作用の連鎖によってひとつの実体有・完全体という世界の枠の中で物事が進行されているとスピノザは構想するのです。哲学・思想ランキング
2019年03月17日
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「霊魂論」エチカ詳解138 スピノザの云う「思惟の属性」と「延長の属性」とを簡単に語彙を紐解けば「心」と「モノ」です。スピノザは人間の精神能力を、現代から見ても其の思考の構想の雄大さから何処ぞの異星文明がギリシァに舞い降りたとしか想えない哲学的な神の形而上学の「神存在」と「人間存在」の関係で人間の精神思想を相当に高く評価していたのにギリシァの唯物史観の哲学者や神話叙事詩で信仰にまで高められた俗人的な神格性の神を批判したとして毒杯を煽ったソクラテスの構想する神格に比しては、過小評価し過ぎる嫌いがあります。「属性」を形態として捉えるならば、其の形式段階で具体的に個々の差異を生じさせるものは「様態(変様)」です。眼前に見る泰山河川も食卓に上る真っ赤な林檎も、神の「存在有としての実体」其のものの顕われであり、「神」を表現しています。極東の島国であり、世界でも特異な万系一世の「おおきみ」を抱く単一民族国家(勿論のこと異論はあるでしょうが)として歴史を重ねてきた邪馬台国以来の「八百万の神」も、或る意味でスピノザの云う「思惟の属性」と「延長の属性」から正当性を持ち得ています。哲学・思想ランキング
2019年03月16日
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「霊魂論」エチカ詳解137 スピノザ哲学に於ける「存在」とは、唯一無二の一の絶対の「有」・人間精神や科学では到達し得ない、仮に万が一、人間が到達し得たとしても其のときには、シッダルタの入滅後生じた多数の仏世界の如く、新たな世界を創造するでしょう。人類が現世界を離脱したことを意味します。世界が無数に顕れエントロピーに向かって行くのかも知れません。但し、此処では万物に満つる汎(すべて)である神を質的に規定するスピノザの論法「属性」を解析してみます。此の今生の世界、スピノザが推理する限りは万系一世永劫の世界は継続するようです。スピノザは汎神としての神を質的に規定するものが「属性」だとします。無限の神は当然に無限に多くの属性によって成り立っています。対して有限である人間には神の持つ属性のうち「思惟の属性」と「延長の属性」のみが捉えきることが出来得るのみです。とはいえ、此の二つの属性を併せ持つことがが人間を地球上で他の生物を分け隔る根拠となります。哲学・思想ランキング
2019年03月15日
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「霊魂論」エチカ詳解136 スピノザの主張する汎神論、絶対存在・絶対意思・絶対意識の完全体としての何ものにも作用されない「有」、仮に「神」が造物主でありながら世界の変遷に影響を受けるのならば其の範囲において「神」は制限された限りある神、有限の力の持ち主となり、古代ギリシァの神話の神々やインド古代の神々、日本の自然の驚異に「神聖」を感じ取り神憑きを行った「巫女」の八百万の神(やおよろずのかみ)の其々とに対して左程に異相はありません。仮に人間精神や行動に興味その影響を受けとり、其の反応から報償を付与するのであれば「信教上の神」ではありえても、スピノザの如くに「神即自然」やヘーゲルの世界内外を超越した「見えざる神」は俎上には顕れ得ません。何故なら、神は見得ざるが人間精神の直感的精神(直感知・直角知)のみが感応する観相する存在だからです。旧約聖書のモーゼとの出会いにしても、神の言葉として人間は「私を見れば死ぬ」と記述され、又、旧約で神を見たとされる「預言者エリヤ」にしても、目にしたものは「神の象徴」であった筈です。旧約聖書の「神」との出会いの記述は保々粗方神の申し子との出会いです。哲学・思想ランキング
2019年03月14日
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「霊魂論」エチカ詳解135 人格神が自由意志によって天地を創造したり、否、創造物を喜捨選択して創造を留まる或いは止めることは、神が世界内とは別の世界外の存在の可能性を示唆し、世界其れ自体の法則が偶然や恣意性を持ち合わせることを意味します。必然的存在である筈の神さえ世界の変遷が予測できなくなり、絶対者たる「絶対有」としては矛盾の極みに陥りますです。神の活動は完璧であり完全体、唯一無二の「有」です、其れ故に、仮に絶対者に自由思考・自由意志・自由意思があるとすれば精々が大天使ガブリエル程度でしょう。神は自己を造ったのではなく永遠・永久の世界を「俯瞰する瞬間」です。二次元グラフに例えれば無限小の極小X軸から無限大の極大X軸を俯瞰する無限大のy軸上の極点が神であると捉えれば自由な恣意など介在する余地はなくなります。絶対者に自由思考・自由意志・自由意思があるとするのは神を擬人的に見てしまう人間の想像の産物でしかあり得ません。人間が神を知ることが出来得るならば其が姿は人間に似てるとするのは芸術の神の表現であり表象です、ピタゴラス教団は神を法則の姿「正三角形(Equilateral-triangle」と捉えるでしょう。スピノザの神の捉え方は「一(いち)」にして「神即自然」世界に内外はなく神が世界だとするところに特徴があり、信教哲学との相容れない論理になり、迫害が予想さたるのは理の当然であり、生前に「エチカ」は出版出来得ませんのも頷けます。哲学・思想ランキング
2019年03月13日
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「霊魂論」エチカ詳解134 スピノザの論理はは世界内自然の公理を「神」から始めます。喩一神教すべての「始めに神ありき」の論理的進め方とに異様はありません。但し、世界を創始した「神」から始めるのではなく、世界は神に始めがあると無理押しせず、世界と神は一にして世界内存在も当然に同体である以上は神に従うのは当然であり、神に始めがない限り世界にも初めはありません。神が真に絶対有であるためには、神は万物に内在するものであらねばなりません。仮に人格神のように現実から超越するものを仕立ててしまえば、神は現実に対するに相対的とはいえず限られたなものになり、完全でもそれ自身においての世界実体なるものではなくなってしまいます。また、仮に人格神が自由意志によって天地を創造したりしなかったりすることは、別の世界への循環の可能性、いわば偶然や恣意性を意味し、必然的有である神としては昆虫のように変態するところとなりスピノザの思考とは矛盾します。今日科学のブラックホールとホワイトホールの相関関係からは其れもありなんでしょうが。哲学・思想ランキング
2019年03月12日
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「霊魂論」エチカ詳解133 第三の定理(theorem)は公理や定義を基礎として論理学的に、数理論理学および数学において、証明された真なる命題をいう数学用語です。語源的には実践的な行為の規準に対して思弁的,理論的命題をさし実証結果を指してはいませんが。さらにそれは証明可能な言表であることをを意味し,定義や公理あるいは問題に対立する概念ではあります。一般には演繹の中間過程において引出され,以下の推論の前提となる命題をいうのですが此れがスピノザの哲学論法なのです。公理から定義から定理という順に定められるの普通ですが、ピタゴラスの定理などは定理が正しいからこそ定義に到り、公理が立ち上がる論理を用い「神」を掴む「ピタゴラス教団」の始祖となり、厳密に言えば公理→定義→定理という順は時と場合によってはは逆転します。哲学・思想ランキング
2019年03月11日
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「霊魂論」エチカ詳解132 第二は数学及び幾何学上において様々な証明をするのに判断の基準を鮮明にするために定める「定義/Definition」です。世界のことは相対的で相い起たします、大乗では縁起するものばかりなので、基準を定めないと判断の基準が右往左往・紆余曲折の泥沼化と帰します。其れ故の縁起を離れた「空」論で、謂わば両面テープだと解釈します。ユークリッドは此れを数学・幾何学の論理法に導入し、より厳密化して万民が厳密かつ客観的な判断をに迷わないために「定義」という基準を定めています。証明する以前の立ち位置にある前提となりますが、万人が納得するには多少の疑念は残ります。第三の定理は世の中のことは相対的なものばかりなので、基準を定めないと収拾がつきません。そこで、より厳密かつ客観的な判断をするために、「定義」という基準を一応に定め、これに基づかせます。其れ故に、定義は証明するとかいう以前の、発起者の思考論理の基盤のことです。定義の置き方を間違えれば以降の論理は誤謬若しくは無に帰すのは致し方ないでしょう。哲学・思想ランキング
2019年03月10日
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「霊魂論」エチカ詳解131 スピノザは「エチカ」においてユークリッドの数学・幾何学の論理法を導入した理由は、其の論法が古から当時まででは疑義を差し挟めない万人が納得する唯一の論理基盤であると思考したからです。其の数学的論理の展開は、先ず第一には当然の如く「公理」から始まります。此れはユークリッド幾何学では平面における平行線(parallel-lines)のように、これはもう明らかで証明の仕様がないと割り切ってしまった自明なもののことです。現代科学では多々の疑問があるのですが、スピノザの時代では自明なことでした。通俗的には義務教育段階で特殊相対性理論を教える筈もありませんから、当然の理として受け止めるのは通常は成り立ちます。IT時代の今日現代、日々日常に2進数や16進数が登場しても、人間の脳のシナプスは2進数にしても人間が「数」の基礎においているのは十進数です。ユークリドド数学・幾何学の原理は現代の生活論理には無くてはならない存在なののは現代においても廃れません。2進法での現金のやり取りは少なくとも人間同士の言語上の取引には不便でしょう。哲学・思想ランキング
2019年03月09日
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「霊魂論」エチカ詳解130 ソクラテスの問答法の如く、古今東西における一般的な哲学論法は結論の蓋然的命題を前提に「自然の斉一性uniformity of nature 〕若しくは(斉一原理/ principle of uniformity of nature)」を前提に論法を進展・展開させていきます。推論の一種である枚挙的帰納法を成立させるために必要な前提として、18世紀スコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒュームによって導入された概念ですが、b別段に其れまでのが違っていただけ訳ではなく定義付けして確認したに過ぎません。通常の論法は此れなしでの哲学的な思惟は行き場を失います。混沌は哲学とは相容れないものであるからです。特に、「斉一性原理」とは、「科学哲学」の世界で用いられる言葉で「自然界で起きる出来事は全く出鱈目に生起するわけではなく、何らかの秩序があり、同じような条件のもとでは、同じ現象が繰り返される筈だ」だという仮定であり推論の一種ではあるのですが、科学的帰納法を成立させるために必要な前提となります。此れにより普遍的法則とみなされる因果関係が確定されることとするのが通常一般的な哲学論法です。対してスピノザが特異なのは「エチカ」において、敢えて通俗的な哲学思考の論理法、何に故にかくあるのかの結果から訴求する「帰納法」に反して、ユークリッド数学・幾何学の論理法を世界真理の論理思考法を組み込みます。此れは或る意味危険を伴う作業です。何故なら、「始めに言葉ありき」、意味はこの世は神の言葉によって作られたということを意味する表現の言い回しに相似するからです。其れ故のユークリッド数学・幾何学の論理法導入であり文言としては難解になります。即ち、一切を信教に依らず「神存在」を証明してみせる荒業なのです。謂わば、合理的数学理論と信教理論の闘いに正教会を引き摺り出したのです。エチカの出版が難航するのは火を見るより明らかでしょう。文系の拙者には読みづらいのが難点ですが、万人を頷かせるには此れしかないと確信したのでしょう。哲学・思想ランキング
2019年03月08日
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「霊魂論」エチカ詳解129 スピノザの汎神的な「神即自然=神存在」は完全自立の存在「実体」です。比して有限な存在である「個物」は、他のものに限定されることによって成り立ち、相互関係の対立の連鎖の中でのみその実存を訴えるものです。此れは上座仏教から或いは自ら「偽経」を名乗る、何故なら、自ら偽経と名乗るのは、大乗が信教を前提にしないからですが、其の八宗の祖師、大乗仏教の祖「龍樹」の説く「中論」を彷彿とさせていす。龍樹は無限者は「縁起」の定義付けからは独立した存在であり、不可得であって「空」を匂わせます。スピノザの「エチカ」にしても龍樹の「中論」にしても、物事乃至個物を相互関係の対立の中で見い出します。古典的な弁証法的論理です。黒は白との対立、限定されることによって初めて実存することができ得、内は外との対立がその成立条件となる等々です。厳密には、スピノザの個物としての人間は「神である実体(無限者)」の延長としての一様態でしかないため、あくまでもそれは相対的な個物であり実体ではあり得ませんが、人間が内精神に自我を持つ限りは神との接点が期待できます。弁証方法論は哲学論理では搖るぎ難き論法を示します。対してスピノザは演繹論法を自著「エチカ」の論理の基幹に据え神との接点を模索しています。哲学・思想ランキング
2019年03月07日
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「霊魂論」エチカ詳解128 スピノザが思惟するところの汎神的で「神即自然=神存在」とは、自然物に限ったことではなく、アインシュタインが神の申し子のような宇宙法則の摂理に感動したように、生命そのものに対しての不思議の基底にある存在そのもの、それらがすべて神の顕現なのです。哲学の発祥はギリシァ文明圏にあると目されますが、「万物の根源は水である」とした古代ギリシァ哲学者「タレス」の哲学の創始から始まり、弁証法の創始者ヘラクレイトス、原子論者デモクリトス、数の教団のピタゴラスと続くのは自然哲学者といわれる哲学者たちは唯物観。神話的世界から脱却した世界観を求め世界の原理を探究する人々です。彼らはそれぞれ万物の根源を探究するものでした。滅びゆく国家、衰え行く国力、乱れた政治に登場するソフィストたちとフィロソフィスト、ギリシャの偉大な三哲ソクラテス、プラトン、アリストテレスに続くストア哲学者のゼノンとエピクロスにあっては個物も被造物もそれ自身において存在する「実体」として捉えるものでした。対してスピノザが思惟するところの、それ自身において存在し、その存在のために他の何ものも必要としない完全自立の存在「実体」は唯一「神」以外にはあり得ません。哲学・思想ランキング
2019年03月06日
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「霊魂論」エチカ詳解127 スピノザが思惟するところの「神存在」とは、人間が自己其のものを鏡像や自己を克明に細部に亘りデーター化すれば一見には実在化したとすることは出来得てもどこまでも拡張現実若しくは仮象にか過ぎません。とは云え、アメリカの銀行系調査機関によれば、現在我々が生きていると想われる世界がデーター化された世界である可能性を40%とするように、デカルトどころではない理論まで生じています。自分が仮象世界に生きていることを確認し得るならば、世界内の汎ゆるデーターを組み込んだIT技術の持ち主が実世界に存在する事になり、現在する人間は夢幻であり神は「データー化された世界を生み出した何者か」になります。基幹的には人間精神がスピノザの思考するところの「神存在」とは、絶対存在・絶対意思・絶対意識であり、神格を持たず、己を認識する「神我」さえ不要な「不変の実体」です。人間が四六時中自我を意識・認識しないのに相似します。例えば、人間は身体の手足の爪が在ることは認識していますが、何かのアクシデントがない限り爪の成長変化は意識しません。神と人間の世界構造が似てる由縁です。哲学・思想ランキング
2019年03月05日
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「霊魂論」エチカ詳解126 万物は精神も物体も含めてすべて神の現れ、唯一の無限実体、大乗に云う「空」ではなく「有」の諸様態であり、一切は神の内的必然によって生起するから、人間の自由意志も偶然もまったく存在しないし、関与しない。スピノザはこのような宿命論に立ち位置を定め、人間の真の最高の幸福を探究しようとするのを世界の基底にします。此の思考に伴う自足感こそが「神に対する知的愛」なのである。ここに道徳の最高の理想がある。というのは、人間の神に対する愛とは、神がその様態である人間を介して自己自身を愛する「神の知的愛」の一部であり、同時に人間が神の変容である限り、「人間に対する神の愛」にほかならないからであるとしています。此処で再度彼の汎神論(はんしんろん/pantheism)が浮上します。汎神論とは、「神と宇宙」、或いは「神と自然」とは同一であると看做す哲学的・宗教的な立場です。万有神論、汎神教とも呼ばれ、古代インドのヴェーダやウパニシャッド哲学、ソクラテス以前の偉大なギリシア思想、近代においては、スピノザ、ゲーテ、シェリング等の思想がこれに属するとされます。汎神論においては、一切のものは神の顕現であるとされる。若しくは世界における神の内在や遍在が強調される。一切のものと神とを一元論的に理解しようとする汎神論においては、理論上、神は非人格的原理としてのそれである場合が多いが、人格神を立てる有神論的宗教の理論的思弁や神秘主義、あるいは祭祀上の習合からも汎神論的傾向が生じることも稀ではありません。汎神論は歴史上、それ自体とし独立思考として存立したものではなく、様々な宗教・哲学のなかにみられる一定の傾向であり、汎神論的態度は古代・中世にも幾らか見い出されますが、西欧社会で頻出するようになるのは16世紀以降になります。哲学・思想ランキング
2019年03月04日
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「霊魂論」エチカ詳解125 ノバーリス(Novalis/1772~1801)、本名はフリードリヒ・フォン・ハルデンベルク、恋人ゾフィー・フォン・キューンの死を契機にいわゆる「ゾフィー体験」にして生れた一連の詩で有名です。23歳のときに13歳の少女ゾフィーと婚約、所謂ロリコン嗜好が疑われますが、其の後僅か2年でに死別しています。ところが其れを決起として神秘力の獲得を確信し,彼女の住む闇の世界に憧れ、抒情詩「夜の賛歌(1800年)」が生まれています。彼はロマン派としての小説家ばかりではなく、偉大な哲人でもありました。彼の述懐した「ゾフィー体験」は今世(こんせい)現代の著作に色々とアレンジして創作発表されてていることは御存知の通りです。彼のロマン的神秘主義は、宇宙万有を統一的なものとして認識し、その思想は魔術的観念論との呼称されます。ノバーリスが宇宙万有を統一的なものとして認識し、その思想は魔術的観念論とよばれた程です。。其の彼ノバーリスがスピノザを「神に酔える人」と評したことは有名ですが、其の評価の真髄はスピノザが死後に至るまで唯物論者、無神論者として恐れられたのは、彼の神がキリスト教的な人格神ではなく、「神すなわち自然」)と考えたからである。万物は精神も物体も含めてすべて神の現れ、唯一の無限実体の諸様態であり、一切は神の内的必然によって生起するから、人間の自由意志も偶然もまったく存在しない(目的論批判)。スピノザはこのような宿命論にたって、人間の真の最高の幸福を探究しようとするのであるとしたことを評価したことです。哲学・思想ランキング
2019年03月03日
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「霊魂論」エチカ詳解124 「神即自然(DeussiveNatura)」、此のスピノザの神概念が用いる哲学の有名な慣用句は、彼の汎神論の其れの語彙を言い表わしたものです。汎神論とは事物の悉く汎(すべて)が神であるという思想です。現実を超越した場所即ち世界内外に「人格性を賦与された神」がいて、その神が「自由意志」、自由意思とは規制があるところに発生するものであるのであり、神に自由意思が所存するのは無限の存在である絶対者に人間が私的に思考を枠組みとして捉えるものであり、神は大いなる奇跡の力を持った存在に止’とど)めるもので、信教的な寓話としては理解は可能かもしれませんが、神の絶対意思や絶対意識に枠組みを架していると言ってもいいでしょう。此の事ゆえに、神が自由意思に基づいて現実世界を創造したのではなく、神は現実の万物に内在しており、あくまで事物は神が姿を変えてあらわれた別様態、神の延長だという一元論的考え方スピノザが用いるが「神即自然」であり、其の思考は仏陀の教えを連想させます。哲学・思想ランキング
2019年03月02日
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「霊魂論」エチカ詳解123 有限な限られた生命(いのち)の人間と「いのち」なるものを持たず無縁な「神」との接点は何処に或るのかは最重要課題です。此の接点が無ければ人間が永遠に神を知ること能(あた)わずになります。接点が分かれば其れを解き明かせれば人間は神との精神の合一の可能性を手に入れます。「神との接点」とは如何なるものか。此処では神を、世界が過去から未来無限の時間線上移動するとした場合に、次元が異なる円球との接点を思い浮かべれば保々不可能事と捉えられます。人間は通俗的には過去から未来へと時間線上移動すると進行する線と捉えられ、スピノザの神概念が人間精神が神の様態の延長と捉える以上、次元を問わない円球座標と点座標の運動としての線座標との接点が生まれる可能性があがらちないとは云えません。二次元座標を想定しても神の瞬間、或いは永遠は時間軸をX軸と捉えた場合には、神はY軸上の無限大でX軸上の運動線を俯瞰する永劫の過去から永劫の未来を俯瞰する無限のY軸上の三角錐存在と捉えられます。哲学・思想ランキング
2019年03月01日
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