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「霊魂論」エチカ詳解274(生と死105) 仏教の輪廻の考え方は、輪廻は,無明(むみよう)即ち無知と愛執(あいしゆう)によって輪廻が生じ,其れ等を絶ち切ることによって涅槃や解脱が得られると説きます。後世の仏教は此の輪廻に「六道(六道輪廻)」を賦与、死後の迷いの世界を地獄・餓鬼・畜生・修羅,人間・天上の六つの転生に分けて整理し説諭しています。「輪廻転生」の語句「転生」其の一語で語られる場合は多くは人間に限ったを指すと転生捉えたほうが文献解釈が容易になります。インドの世界観で,すべての衆生が,死ねばその生(しよう)の業(ごう)に従って輪廻転生(りんねてんしよう)するという6種の世界。業によって趣き住む所なのでこれを六趣(ろくしゆ)ともいうが,六道は悪趣ともいって苦の世界である。すなわち天道,人(にん)(間)道,修羅道,畜生道,餓鬼道,地獄道をいい,このうちとくに畜生道,餓鬼道,地獄道を三悪趣(さんなくしゆ)(三悪道)という。天道は天人の世界で人間の世界の人道より楽多く苦の少ない世界であるが,天人にも死苦があり,死に先立って五衰をあらわす。 釈尊のインド古来の神存在を認めた説法の「神の死」が、此処に意味を成します。将又、紀元前6-紀元前5世紀のオルフェウス教、ピタゴラスを教祖とするピタゴラス教団、プラトンなどが霊魂の不滅を説くとともに,その霊魂が他の動植物に生まれ変わって流転するという輪廻説を主張しています。輪廻は理知を獲得した人間の本態的衝動の産物なのかも知れません。哲学・思想ランキング
2019年07月31日
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「霊魂論」エチカ詳解273(生と死104) 「輪廻転生」の解脱の輪廻を絶ち切る「涅槃」の一方んお「解脱」とは、涅槃と同一視されますが、一切の煩悩がなくなった心の状態が解脱であることから、涅槃のうちの有余依(うよえ)涅槃、即ちこの世に生存している間に得られる涅槃とまったく同一として解釈すべきでしょう。此の境地に到達した聖者は阿羅漢(あらかん)と呼称されています。四諦の研究は人間存在を冷徹に見据えるけれども他者への働きかけが乏しいために、大乗仏教徒は四諦を軽んじています。大乗は空(くう)を理解する智慧である般若(はんにゃ))と、大悲(だいひ)に基づいて一切衆生を救わんとする方法である方便(ウパーヤ/upya)の二つが結び付いた般若波羅蜜(プラジュニャーパーラミター/prajpramit)こそが解脱、涅槃であると主張します。つまり大乗の云う解脱は、空に基づく他者への実践のなかにのみ見い出されるものなのです。この実践のためには六波羅蜜として布施(ふせ)・持戒・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧の長期にわたる修行が必要であるとします。なお後代の密教はこの大乗の思想を受けて更に仏教哲学を発展させ、取り分け弘法大師空海は、此の「解脱」がこの世において得られる最高の涅槃としての即身成仏を強調し自らも死期を察知し即身成仏を完遂したとも云われます。死後は弥勒菩薩の修行している兜率天に往生して、56億7千万年後には、必ず弥勒菩薩と共に帰ってきて真言宗を問うだろう遺告(ゆいごう)を残します。哲学・思想ランキング
2019年07月30日
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「霊魂論」エチカ詳解272(生と死103) 「輪廻」と「転生」の二つの概念は解釈的に重なるところも多く、「輪廻転生」の一語で語られる場合頻繁です。現世を去り再度この世に帰ってくる形態の範囲の違いによって使い分けられることが多く、輪廻は動物などの形で転生する場合も含み古代インド宗教に見られ、のちには仏教にも受け継がれ無明(むみよう/無知)と愛執(あいしゆう)によって輪廻が生じ、其れ等を絶ち切ることによって涅槃(ねはん)や解脱(げだつ)が得られると説かれます。涅槃は仏教では究極的目標である永遠の平和、最高の喜び、安楽の世界を意味すします。本来は風が炎を吹消すことを意味しており、自己中心的な欲望である煩悩や執着の炎を滅した状態を指しています。この状態は「涅槃寂静」と呼ばれ初期仏教の根本的教えの一つでしたが、人たるものが生命または肉体をもつかぎりは完全な涅槃の状態は達成されないとして、これを「有余 (依) 涅槃」とし,死後に実現される完全な状態を「無余 (依) 涅槃」と呼び,釈尊の死を涅槃に入るというようになります。またジャイナ教では仏教と同様に永遠の安楽な世界、ヴェーダーンタ哲学ではブラフマンとの合一を意味しており生命其のものの終焉は曖昧模糊となります。哲学・思想ランキング
2019年07月29日
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「霊魂論」エチカ詳解271(生と死102) 人間の肉体の転生、肉体を宿主とする精神の奥底に眠るが如きの霊魂の転生、宗教に持ち込まれる神から与えられた入魂(神の恵みとしての受魂」の転生、形而上学に於ける人間精神の探求の結果として表象される霊魂、スピノザが「エチカ」で紐解くところの神の延長としての意思若しくは意識は其れ其れに「転生」可能を訴えています。なかでも疑似遺伝子の癌ウィルスや単細胞生物の分裂増殖等々の無性増殖は転生無用故に霊体が其の中に潜んでいるとは思考し難いものがあります。其の物単体に意識受態は無いにしてもスピノザ流の絶対者の延長觀念から思考すれば、人体には有害そのものとされる癌ウィルスやスピロヘータにも何がしかの役割を持たされているのかも知れません。現代科学では理論上では個人意識や認識の保存と再生は可能なまでに進展しています。人間の生存の意味が問われるのは、果たして人間が「永遠の生」と「人間意識の再生」を実現することが理に照らしての「善非」を問うことが求められる時代に遭遇しています。今はハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」は人間が「永久に生きるべきか死ぬべきか」を問われる哲学が解答すべき時が迫ってます。哲学・思想ランキング
2019年07月28日
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「霊魂論」エチカ詳解270(生と死101) 常識的には,身体的なもの乃至は物質的なものとは独立の存在として、自我・精神・霊魂などの言葉とほぼ同義的に使われることが多い「心」ですが、人間の汎ゆる精神活動及び精神過程の統合ないし纏まりの総体を示す用語とされたり,また単に行動を説明するために仮定されたいくつかの構成概念のシステムとして思考され考えられる漠然とした行動概念の基底として置かれるのが「心」の一般的な概念として使用されています。殊(こと)さら、仏教の経論では{心(しん/citta)」は肉体に対する精神、其の精神には心の本体と其の働きとがあると説いています。将又、「心」の解釈について、其れ其れの経論により種々の異説が説かれています。人の心臓の意・ 阿頼耶 (あらや) 識・自我意識である末那識・通常一般の意識・自性清浄心すなわち真如の意などと皆挙に暇がありません。「心(mind)」は思考する人間単独の産物ではなく。対照するものあっての精神思考の活動だとも云えます。哲学・思想ランキング
2019年07月27日
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「霊魂論」エチカ詳解269(生と死100) 心が人間に備わった人間在らしめる特有の基底であるのだとすれば、他の高等生物には「心」が存しないことになります。其れ故に旧約・新約、エホバを唯一神とするイスラ-ムも「心(mind)」は常態では,人間の身体的なもの乃至物質的なものとは独立の存在として、自我・精神、霊魂などの言葉とほぼ同義に使われることが一般的です。一方,現代心理学では,個体の示す複雑な行動を規定し、統御している機能についての一般的な言葉として「心(mind)」は屡々用いられています。此の立ち位置からは、機械論的一元論の立場にに立ち位置を定め、個体の示す複雑な行動を規定し、統御している機能を規定している脳の活動ないし過程といったものを漠然と示す用語であるとされますが、他方では、生理的過程と区別された汎ゆる精神活動、加えて精神過程の統合、乃至、精神の総体経緯を示す用語とされたり,また単に行動を説明するために仮定されたいくつかの構成概念のシステムとして考えられたりもしており定義は曖昧です。「心(mind)」は余りにも拡張解釈の定義があるために思想的には使用を懸念しているむきが見られます。常識的には,身体的なものないし物質的なものとは独立の存在として,自我,精神,霊魂などの言葉とほぼ同義に使われることが多い。一方,現代の心理学では,個体の示す複雑な行動を規定し,統御している機能についての一般的な言葉として用いられる。その場合,機械論的一元論の立場によれば,こうした行動を規定している脳の活動ないし過程といったものを漠然と示す用語であるとされるが,他方,生理的過程と区別されたあらゆる精神活動,精神過程の統合ないしまとまりの総体を示す用語とされたり,また単に行動を説明するために仮定されたいくつかの構成概念のシステムとして考えられたりしている。哲学・思想ランキング
2019年07月26日
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「霊魂論」エチカ詳解268(生と死99) 量子脳力学(Quantum Brain Dynamics)を語る上で、保江邦夫は場の量子論ではゼロ点エネルギーの総和が計算上無限大になるという発散の問題を、朝永振一郎が1947年に発表し。のちに65年ノーベル物理学賞を受けることになった「くりこみ理論」は,計算上無限大になるという発散の問題くりこみ理論によって回避しているものの、点状のゼロ粒子という従来の物理学上の矛盾は内包しているとします。量子脳力学では従来の物理学上の矛盾は内包しています。此処に素領域理論からののアプローチが生じます。素領域理論では、粒子は最小領域(泡状)の中で惹起されると捉えるので量子論も観点から生じる矛盾はなく、将又、個々の粒子に対応する場を無限に想定する必要もなく、それぞれの泡の固有振動数の違い(鋳型)よって異なる粒子が惹起されると捉える。故にミクロからマクロのスケールにまで適応される統一場理論であり、超弦理論よりもはるかに時代を先駆けていたのが素領域理論なのであると述べている。素領域というビールの泡の外と内はどのような構造になっているのか? 保江は「泡の内側は素粒子で構成される物質の世界であるのに対して、外側は非物質で、ライプニッツのいうモナド(単一)のような絶対無限の世界。そこは完全調和なので何も起こらない。あるとき完全調和に崩れ(ゆらぎ)が起きたことによって泡が発生し、それぞれの泡の鋳型に応じた素粒子・物質が生まれるのです。そして人間が肉体の死を迎えると非物質の魂となって元の素領域(泡の外=霊界)に溶けていくんです」と述べている。哲学・思想ランキング
2019年07月25日
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「霊魂論」エチカ詳解267(生と死98) ロジャー・ペンローズとスチュワート・ハメロフの量子過程から生じてくるとする意識と臨死体験の関連性、「霊・魂・霊魂」と言われる「霊体」説は本当に科学的認証を得ているかと云えばそうでもありません。岡山県出身で日本のノートルダム清心女子大学の大学院人間生活学研究科人間複合科学専攻教授。同じく情報理学研究所所長日本の理学博士。専門が数理物理学・量子力学・脳科学・金融工学である保江邦夫(やすえくにお/1951年9月27日 - )は、量子脳理論の治部・保江アプローチ(Quantum Brain Dynamics)の開拓者であり。高校時代から武道に憧れを抱いて各武術に奥義を究めた異色の人物ですが、霊界については脳の振る舞いに系の持つ量子力学な性質が本質的な形で関わっている、というのが量子脳理論と言われるものを意識の問題と絡めて議論されています。 宇宙が創成されたとき、何もない無の状態、すなわち宇宙をひとつの量子力学系と考えたときのその真空状態である最低エネルギー固有状態からトンネル効果による相転移で疑似真空状態としての比較的平坦な宇宙が出現したとされます。そして、その宇宙の上での踊る素粒子もまた、場の量子論により記述される。スケールこそ違え、これと同じ現象が人間の脳の中で生じているという。この思考形態を量子脳力学(Quantum Brain Dynamics)と呼ぶのです。哲学・思想ランキング
2019年07月24日
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「霊魂論」エチカ詳解266(生と死97) ロジャー・ペンローズとスチュワート・ハメロフは、何らかの量子過程から生じてくると推測される意識と臨死体験の関連性について「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質、物質である限りは観測可能なものから成り立っており、しかも重力・空間・時間に囚われない性質を持つため、通常は脳に納まっている」即ち脳で絶えず精神の基底から生み出される。私見では「脳内で受肉した霊の進路を導く意識(魂)は脳内で生成される数限りない雲霞の如きものであり、脳を栓あるガラス瓶のように一塊になっている」が、臨死体験の体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散、雲散霧消する。但し臨死体験者が身体活動の停止から蘇生した場合は意識は脳に戻り、仮に体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない。」と述べています。哲学・思想ランキング
2019年07月23日
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「霊魂論」エチカ詳解265(生と死96) 霊・魂・霊魂何れにしても科学からの論及にはどのようなものがあるのであろうか。科学が巨岩や山川は兎も角も、なかでも精神性の高い生物とされる人間の意識に関して、1964年にスティーヴン・ホーキングと共にブラックホールの特異点定理を証明してみせたイギリス・エセックス州コルチェスター生まれの数学者・宇宙物理学・理論物理学者のロジャー・ペンローズ(Sir Roger Penrose/1931年8月8日 - )は物理科学から、片や、スチュワート・ハメロフ(英: Stuart Hameroff/1947年7月16日 - )は、アメリカ合衆国の麻酔科医・医学博士は意識に関するロジャー・ペンローズとの意識に関する共同研究で有名ですが、共に意識は何らかの量子過程から生じてくると推測しています。ロジャー・ペンローズは其の著「皇帝の新しい心」に於いて、脳内の情報処理には量子力学が深く関わっているという仮説を提示しています。その仮説は「ペンローズの量子脳理論」と呼称されます。放射性原子が崩壊時期を選ぶように、物質は重ね合わせから条件選択が可能だといい、意識は原子の振る舞いや時空の中に既に存在していると解釈するのです。素粒子にはそれぞれ意識の元となる基本的で単純な未知の属性、スピノザの云う神の属性とかが付随しており、脳内の神経細胞にある微小管で、波動関数が収縮すると、意識の元となる基本的で単純な未知の属性も同時に組み合わさり、生物の高レベルな意識が生起するというのです。哲学・思想ランキング
2019年07月22日
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「霊魂論」エチカ詳解264(生と死95) 民俗学研究のE・ノーベックは、さまざまな人物、事物、自然物に憑依(ひょうい)して威力を発揮させる日本のカミ(神)の観念はマナ(mana)に酷似すると述べています。此の「マナ」はイスラエル民族がモーセに率いられてエジプトから故郷へ逃れる途中、荒野で神から与えられたという食物「マンナ(manna)」とは意を異にし、超自然力・影響力・呪力(じゅりょく)・心力・非人格力・神(聖)力・効力・奇蹟(きせき)・権威・威信等々の意味をもつとされるもので日本の古神道では最重要概念として組み込まれているものです。極めて優れた事績を残した人物の霊魂は、尊(そん)所謂尊ぶべき者で「至尊・世尊・三尊・釈尊・不動尊」と同等、例えば倭健命の日本武(やまとたける)に尊や命に人格神を割り振るときに賦与される「霊」になるとされます。日本の古神道(民間信仰)は此のあたりの概念は甚だ曖昧であり、神道の系列では、 尊(みこと)は日本神話にある人格神、即ち、人と同じ姿かたちと人と同じ心を基底に持つ神であり、霊(チ)は霊魂の基本となる言葉で血や乳(チ)に通じ、魂(タマシヒ)とは強い付着性、遊離性を持つマナと捉え、中国で生命の原動力が雨に求められたので雨の字が付くのですが、日本では太陽光から来ると考えられたことにより、日と同じヒと呼ばれ全ての活力の元であり、優れて威力のあるものを「霊」と、漠然としていますが一応の区分はされているようです。哲学・思想ランキング
2019年07月21日
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「霊魂論」エチカ詳解263(生と死94) 仏教の渡来または仏教との習合以前に日本にすでに存していたとされる固有の信仰「古神道」とは。特定の教祖や教団組織はなく、地域あるいは血縁共同体としての自日本を神孫君臨と神明擁護が変わることなく実現する世界に例のない国とみなす神国論、自然崇拝・祖先信仰・神意判断などをそのおもな内容とします。具体的には「古事記」「日本書紀」「祝詞(のりと):神を祭り神に祈るときに神主が神前で申し述べる古体の文章。」「万葉集」などに屡々顕れる祭祀,世界観,行動様式ということになりますが,他面から見て、神を祭り神に祈るとき、神主が神前で申し述べる古体の文章の流布という現実に不満をいだきながら,日本古来の伝統を求めた国学者や神道家によって,江戸時代に入ってから描き出された宗教という側面が強いものを求めて、本居宣長は「古道」という名でこれを表わし,平田篤胤は「古学」,大国隆正は「本学」という言葉で古神道追求の立場を表現しています。此れ等は多分に南北朝時代に南朝の柱石であった北畠親房(きたばたけちかふさ)の著「神皇正統記(じんのうしょうとうき)を意識しており、日本を神孫君臨と神明擁護が変わることなく実現する世界に例のない国とみなす神国論を唄いますが、天皇(すめらみこと)の系統図であることから単なる血脈相承論と捉える向きもあるでしょうが、126代の天皇となれば降下した皇女皇息は数知れず、大凡の日本人は血筋が皇室に何らかに係累することになり、天皇(すめらみこと)の皇祖崇拝が。日本国民の崇拝となることは左程矛盾は生じないことになります。哲学・思想ランキング
2019年07月20日
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「霊魂論」エチカ詳解262(生と死93) インド大陸北方現在のインドとネパールにまたがった東西約80キロ、南北約60キロほどの狭い地域に住み、米作文明稲田と遊牧文明の名残(なごり)の家畜の生産物で生活していた極めてプライドの高い、一説にはモンゴロイドの血を引く釈迦国の皇位継承者シッダールタが世の矛盾を憂いて沙弥となり覚りをひらいたブッダが説いた初期仏教、所謂、上座仏教の「無我」は「霊魂がない」と解するのものではなく「非我」の和訳が示すように、「真実の我ではない」と解して、自他平等の境地を目指した思想とされ、俗に言われる滅して後の我の消滅や転生を意味する霊魂とは全く異なる概念でした。日本に伝搬した仏教概念にはブッダは「無我」を説いて霊魂を否定したともされ、近年の日本の僧侶や仏教関係者によって執筆された仏教入門書等では、ほぼ其の図式で説明されていることが多いのが現状です。仏教は六道の輪廻からの解脱を目的としている。 死後に成仏即ち解脱する事ができた者は、諸仏の持つ浄国(浄土)へと生まれ変わる。出来なかった者は、生前の行いにより六道のいずれかに定まり生まれ変わる。 その生まれ変わるまでの期間を中陰と呼ぶが、中陰時の立場を、民間信仰では霊魂と呼ぶが此れは霊と魂が同一視されることからの混同であり、中陰は霊魂が「霊・魂」のうち魂の浄化期間の時期を指すと理解します。何故なら、霊の導きを離れた「霊体」になれば生前記憶は粗方(あらかた)失われることから、仏教の云う六道輪廻はあり得ない筈です。哲学・思想ランキング
2019年07月19日
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「霊魂論」エチカ詳解261(生と死92) 三魂七魄は中国西南の民族では現代でも屡々見受けられますが、何れもチベット・インドの地域の影響を強く受けた「魂観」です。 「中華帝国」は殊(こと)宗教に関しては本格的な勃興はありませんでした。意外にも所謂、神の通訳である「預言者」や「世界意思の憑依者」の形態の虜なるものは「黄巾の乱」や「太平天国」を除いて大仰(おおぎょう)にはならず、素朴信仰である民間信仰から上階した類が多いのが特徴です。道教及び儒教は共に日本の古事記や日本書紀に見られるが如く、歴史的事実を踏まえての教えや教訓を神話化若しくは倫理・論理化を進めて昇華したものであり、「中華」独自の信教は民衆信仰の域を超えたものではありません。並んで、日本の「神教」も神話体系其のものの思考や思想を顕にした教典といったものは無く、古事記や日本書紀の資料である風土記を基礎にし国造り神話を基にしたものです。吉田神社宮司の天皇神祇の論理的史論は後の天皇機関機関説にも影響を与えますが、一過な民族的な祖々崇拝の観があり「神学概念」を持つには至ってないのが実情です。単純に云えば誰しも死ねば神宮、単に「神宮」と言えば伊勢神宮を指し示すのですが、此処に自己の霊が帰着すると考えるのは無理があるからです。哲学・思想ランキング
2019年07月18日
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「霊魂論」エチカ詳解260(生と死91) 文字通り世界の文化文明加えて経済の中華の中国の道教では、「魂(こん、たましい)」と「魄(はく)」という二つの異なる存在「魂・魄」があると考えられています。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指し示しました。合わせて魂魄(こんぱく)ともいい「気」を要導とすることは今日現代の中国民間思考に反映されており今なお盛んなること「法輪功」の騒ぎをみれば納得がいきます。「魂と魄」は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地と定義されます。中国民間の「魂・魄」思考をを紐解いていくと自ずと「三魂七魄」という道教にて好まれる観念語句が浮かび上がります。「雲笈七籤(うんきゅうしちせん)」に云う三魂とは、第一が生命魂、第二が智慧魂、第三が欲望魂としています。これは天・中間・地に対応する觀念です。七魄については確言は出来得ないにしても、死ぬと、七日で一魄が散じるの次第で四十九日日では七魄すべてが散じるという。ということは「霊魂」が一体として現世と霊界の狭間に在り四十九日を経るまでに何らかの力による、おそらくは世界内意思存在としての「霊界」、言い換えれば世界意識の派生から「魂」の審判浄化が行われるとするのが順当でしょう、魄は単純に肉体とすべきではなく、形而上学的の観念的な「からだ」、西洋哲学における人体の宇宙機関説を思い浮かばせます。哲学・思想ランキング
2019年07月17日
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「霊魂論」エチカ詳解259(生と死90) シッダールタが覚りの境地に至った後のブッダが説いた初期仏教での「無我」は「霊魂が無い」と解するのではなく「非我」の訳語が示すように、「真実の我ではない」として「夢我」と解す可きできしょう。此れから求められる解は「真我」には階級制度を持ち込むべきことは誤りであり、自他平等の境地を目指した思想であることに意味があります。通常一般に説かれている「霊魂」とは全く意を異にしてブッダは人間の精根の要素の普遍的なものの要因を自他平等と観想し「空観」を究めたのかも知れません。亦、紀元の前後を通して古史上に宗教的権威を以って施政することが乏しい、言い換えれば、世界が漢民族を中心にしピラミッドの頂点にした「中華帝国」は、文字通り中華が世界の根本であり世界の中心人間精神の基底であり、西洋・西方亜細亜とは異なり、信仰と宗教は中国の歴史に起因する古代史の積み重ね及び中国古代の民間信仰を基盤とし、不老長生・現世利益を主たる目的として自然発生的に生まれた民間宗教を元として中国古来の巫術もしくは鬼道の教を基にし、其の上部に墨家の上帝鬼神の思想信仰とはいうものの神の降臨や預言とは全く無縁と云えるものです。無縁のとはいっても、漢民族に限定されるのですが独自の生命観を持ち、漢族以外の異民族には寛容であっても左程は毛沢東の農本唯物主義観が生まれるまでは則天武后を鑑みれば一神教の国家程には異教徒に過酷ではなく寧ろ寛容でした。哲学・思想ランキング
2019年07月16日
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「霊魂論」エチカ詳解258(生と死89) 凡そ多くの宗教にあっては、人は死んでも意識あるいはそれに近似のものが霊魂となって残ると説く。霊魂は生前暮らしていた土地に思ひ鎮まる(おもいしずまる)まで現世(うつつよ)に留(とど)まる、現世(うつつよ)を離れては異世の黄泉のような霊魂の住まう世界に旅立つともいう。霊魂の存在は、屡々、道徳・倫理などと結びつけて語られており「スピノザの「エチカ」も例外ではありません。キリスト教などが説くように、生前の行いに応じて天国や地獄などに送られるともいわれる報償論。あるいはヒンドゥー教のように霊魂は生前の行い、此処に課題があるのですが、生前に王族として施政を総覧したものは応じて転生、奴隷階級として過ごしたものはそれなりに転生するという被支配民にはバラモン制度が死後も続くとすると説くバラモン制度もありますが、輪廻転生は現世に充足したものにはそれなりに、苛政に虐げられたものにはそれなりの繰り返し、ハツカネズミの一輪車から同様に逃れられない運命が付き纏います。インド大陸北方のカンボジア地方の移動民と云われる釈迦族の小王国の嫡子シッダールタの出現がインド被虐階級に「蓮華の世界」を用意します。哲学・思想ランキング
2019年07月15日
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「霊魂論」エチカ詳解257(生と死88) 霊魂は、人間が生きること其の死生観の根源的な解釈のための概念の一つと目されます。現代生活では、霊魂を肯定的に捉えることの作用が、人生の生き甲斐や肉体の健にと深く関与することが、様々な分野の学者の研究によって明らかにされています。霊魂に纒わる死生観が霊魂の実質存在の有無に関わらず人間人生に精神上にプラスアルファーの効果を与えることも疑いを差し挟めません。数多(あまた)の宗教は生の永遠性を神、若しくは普遍的存在に起因させ、人間の肉体は死んで滅びても意識あるいはそれに近いものは霊魂となって残る、将又と霊界に吸収され大霊に同一化すると説きます。亦、霊魂は生前暮らしていた土地に鎮まるとも、黄泉のような霊魂の住まう世界に旅立つともいいますが、「霊」と「魂」とを或る意味人間肉体の滅亡後の経緯と思考する「霊魂論」の立場からは、人間は命脈尽きたときには「霊・魂」は一体として其の宿主の身体を離れ或る期間生前意識を保持する「魂」が其の者の霊を先導、霊に貢献或いは害毒として作用した部位は霊界に入る前に記憶とともに洗浄若しくは劫火で滅却されて霊界に参入すると憶えます。人が亡霊を見るのは「魂」が「霊」とは分離し難いほどに未練を現世(うつつよ)に後悔であれ、恨みであれ怨念を残す状態だとも云えます。哲学・思想ランキング
2019年07月14日
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「霊魂論」エチカ詳解256(生と死87) 古祀エジプト王朝の代から、王家・貴人が死ねば霊魂は一旦は黄泉に陥るが、其処での試練により再度肉体に戻り蘇るという思想は心臓や頭脳を防腐処理を成し、身体を木乃伊化したことから如実に読み取れます。古代インドでは、霊魂は何度もこの世に生まれ変わるという考え方は極々一般的であり、ヒンズー教影響下の輪廻転生の思想は常識化していました。但し、カースト制度が持ち込まれるバラモン。ヒンズー教影響下では下層民は彼の世でも虐遇から逃れられないものとされたため、却って、被虐民族や下層民は永遠の滅却を求める始末でした。「あの世」である霊界へ行ったり、「この世」である生者の世界、現世(うつつよ)に影響を及ぼしたりすると考える文化・思想も存在しています。人間だけでなく、命あるもの全般、動物や植物に宿ると考え、さらには鉱物にも霊魂が宿るとされることも屡々です。霊魂を心と同一視することもあり、「心は霊体、魂は神魂[」とする言も見られます。逆に霊魂と心を同一視しない考え方もあり、他方、すでにサンジャヤ・ベーラッティプッタが来世に関する問いへの確答を避け、不可知論の立場をとるのは、西洋思想家ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーを彷彿とさせる思想もあり「霊魂論」は千客万来の観ありです。哲学・思想ランキング
2019年07月13日
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「霊魂論」エチカ詳解255(生と死86) 「霊」と「魂」及び其の組み合わせとした「霊魂」何れにしても、古今東西更には南北も含めて宗教や文化圏ごとに様々な理解の仕様や解釈があり多種多様に分かれます。其の真実実相は唯一つの筈ですか、事が人間の「生々流転(しょうじょうるてん 」に関わると「生々」は「生まれては死に、死んではまた生まれることを永遠に繰返す」という意味で、「流転」は「物事がとどまることなく、移り変っていく」さまを表すのですが、其のときの現世(うつつよ)で権勢を得た人間は自己を民衆とは異なった人間、即ち神の権威から「霊魂」を受諾したと見る傾向は古代史を紐解けば数多(あまた)共通する人間の性(さが)が顕れ被支配民族それも奴隷階級は霊魂無しとして扱われるのはエジプトを始め、旧約世界、ナザレのイエスが登場するまでの非キリスト文化圏では常態として疑問は抱かれませんでした。紀元前にあって世界に稀なる完全民主国家、国民直接参政権・国民議会・国民審判制度を持った奇跡の都市国家のアテナイを中心としたギリシアも人口の9割を占める国民として認めない奴隷故に確立した絶対民主政であり実相は近代アメリカの南北戦争の起因のひとつとされる奴隷制と酷似します。人間夫々に「霊」と「魂」及び其の組み合わせとした「霊魂」がある状況は、新教キリスト教やイスラーム、仏教等の宗教、思想史的にはアリストテレスの形而上学、スピノザの学術上では神秘学に分類される「エチカ」まで待たされます。哲学・思想ランキング
2019年07月12日
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「霊魂論」エチカ詳解254(生と死85) 「霊」と「魂」という言葉の組み合わせであるとした「霊魂」が、思想史では最も多く取られる表現であり、肉体とは別に実体として存在すると考えられたり、人間の生命や精神の源とされ、非肉体的即ち通常観測し得るものとしては非物質的で、専ら形而上学的に捉えられ、物質・物理科学の俎上に載せられることがあっても、公式に認証されるには至っておりません。抑々が、人格を個性と捉えるならば、高等生物は皆其れ其れに個性を持ち合わせており、人間だけに霊性を付与するには無理があります。まして其の夫々が個性としての霊魂を持ち合わせ不滅だとすれば、光子と同様に質量は無いにしても、霊世界は台風銀座と化します。「霊」に関しては肉体滅亡後は不滅にしても大霊或いは「神意」に回収されるとすれば問題は起きません。問題は「魂」でしょう。森羅万象、岩や山・瀑布や巨木に「魂」を照射する人間がいる以上自然体にも魂があります。あくまで人間の魂の虚像としての仂きですが、人間が不断に自己の姿を映す鏡を想わせます。哲学・思想ランキング
2019年07月11日
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「霊魂論」エチカ詳解253(生と死84) 「霊と魂及び霊魂」を思想史的に捉えれば、人間の肉体及び精神活動を司る人格的な実在で、五感的感覚による認識を超えた永遠不滅の存在を意味していると捉えられますが、果たして此れを人間個々の精神が受け入れられるかどうかは相当に疑問視されます。人間日々の生活を霊魂により制御されるとすれば、人間の人格が二重化されるからです。否、其れを予期して霊を受け入れた肉体の培う精神とを調整する緩衝材として、換言すればパソコンのCPU(Central Processing Unit)としてのエラー制御の役目を担うのが、常有である霊の究極意識である絶対存在の意思「究極の霊元」の延長である「霊」を人間固有の「魂」が負う役割なのかもしれません。「霊」は神の延長である以上それ自体では付加増減するところはありません。此処に人間に魂が付加された要因、霊の成長若しくは加減乗除の可能性が与えられます。オカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2019年07月10日
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「霊魂論」エチカ詳解252(生と死83) 「霊と魂及び霊魂」は、体とは別に実体として存在すると考えられているもの。思想史的に鑑みると、人間の生命や精神の源とされ非肉体的、人格的な存在とされるものと看做すとされます。物質的肉体とは別個に実体として存在する、実体として存在するのであれば、神存在を特異として観測される可きものである筈ですが実態は思索上考えられているものであったり、人間の生の源とされ非肉体的、人格的な存在即ち物質化不可能だが在るべきものと捉えられています。唯物論的には当然に質量のあるやなしやが問われますが、光子に質量がないとする定義を受け入れれば存在の否定は曖昧となります。一般的思想によれば、「霊魂」という表現は「霊」と「魂」という言葉の組み合わせであり、両方を合わせ指し示します。個人の肉体及び精神活動をつかさどる人格的な実在で、五感的感覚による認識を超えた永遠不滅の存在を意味するのですが、世界内存在に恒常の「有」が見い出されない以上、此の言の正当性を主張するには「神の現実在」言い換えれば「神の内在性」を認めるしかありません。哲学・思想ランキング
2019年07月09日
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「霊魂論」エチカ詳解251(生と死82) 時間とは次元間の流れを捉える魂の反映であり、私個人という世界を宇宙然とした内世界を創っています。時間が魂の反映であるかぎり、魂の存在亡きところに時間はなく、物質空間的世界はアリストテレスが紐解いた如く「変化量」の遷移を示すのみです。人間の「魂」は時間観念を持たない「霊」を変化へと誘う役目を負っています。「霊」を個々の私人が精神の内奥に纏い変化へと導く「魂」は霊の偉大化や極小化及び滅却に関与しています。「魂」は人間の生きざまを顕す記録媒体として働き無用なものを霊界には運び入れることを許さない理法の管轄下にあります。「霊」とは個体を表象するものではなく神の持つ要素の絶対意識の延長に他ならないからです。其のことからの帰結は「霊」は神其の源に帰着し、「魂」は人間其の因果に応じて自己が受け入れた「霊」を活からしめたか、汚穢で堕落せしめたかを理法は其の論理に照らして人間人生を秤にかける(Weigh on)ギリシア神話の女神テミス。ローマ神話の女神、ユースティティアに象徴されるように「霊」の加減乗除を左右する代物です。其れ故に霊は魂に基礎を与え、魂は霊の進路を決定づける役割が課され「霊」の転生に甚だしき影響を齎します。哲学・思想ランキング
2019年07月08日
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「霊魂論」エチカ詳解250(生と死81) 霊魂と「魂」と「霊」を分別せずに思想に語句を取り入れ活用するときには、形而上学的に唯心論では在りべきもの、唯物論では在り得べきものとされ、虚無主義の思考の浸透や唯物主観から派生した社会哲学である唯物主義を除き、「在る」は否定されてはいません。但し此処に大きな思考の隔たりがあることは否定されざる事実です。一に「霊」とは自己が何者であるのかを覚するものであり、自分が何ものであるかを認識しており、二に其の成長及び滅びを齎すのが「魂」の仂きであり作用だと云えますが、三に「霊魂」とは誕生に賦与された霊的意識、其の後の理知の獲得による魂の芽生えと世界理法に照らした実践行動を踏まえ、理知を踏まえ自らの世界での立ち位置を認識した者にだけ許される永劫不滅の何ものかに引き渡される極小の付加です。何故なら「完全体」が其れを予期していた筈だからです。ミケランジェロ(Michelangelo)が自己の彫刻作品に笑みをもらす構図が「世界の理」である世界意識に齎らされます。哲学・思想ランキング
2019年07月07日
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「霊魂論」エチカ詳解249(生と死80) あなたの心眼に映る世界が全てあなたのマインドの反映ということになれば、此の惑星、たとえ地球人が他惑星に植民したとしても、地球の環境を引き摺ってのことになり、異星人とは成りえないので、地球人が100億人おり、そのうち、理知・感覚・何かをしようという意向や考えを持つ人間が80億人いれば、80億の世界観、80億個の世界、自己の思うがままの、自己が決定権を持つ世界を創ること、将又、破壊することが出来ます。人生とは自己のうちに世界を持つこと、世界の中に自分が居るのではなく、自己の中に世界が在ります。世界が流動するとは云え、時々刻々流れる「時間」とは人間が世界の変化量を量るために導入した観念であり、世界の側には「時間子」なるものは発見されていません。流れる時間の中に自分が在るのではなく、自己の中に時間があります。時間とは次元の間を流れる魂の反映であり、私という自己の観念宇宙がそれを創っています。魂は次元の間を流れる自由路であり、希望だということになります。哲学・思想ランキング
2019年07月06日
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「霊魂論」エチカ詳解248(生と死79) 「魂」と「霊」は聞く耳(心根)を持ったあなたの精神に語りかけます。「あなたの魂の目的を生きてね。但しあなた自身が誰であるかを決して忘れないでね」と。実は霊自体には「悪霊(Evil spirit)」などは有り得ません。何故なら、人間が生涯を終えるときには「魂」の行動原理が念密に霊界原理(世界理法)に照らされ汚濁した不要の部位は抹消滅却されているからです。霊界原理(世界理法)は悟りの人を除いて人間で可能な在らん限りの単純なる人間思考では及ばない真相を語りかけます。人間存在の全貌とは「自己を世界に臨ませる人間」と「世界に生かせられている存在」だということになります。形而上学の精神論から俯瞰すれば、私の世界の全てが私のマインド(Mind)、理知・感覚・また、何かをしようという意向や考えの反映であり、其れ故にあなたに映る世界は全て、あなたのマインドの反映ということになります。哲学・思想ランキング
2019年07月05日
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「霊魂論」エチカ詳解247(生と死78) 人間は胎盤への着床から分娩の何れかの段階に霊的太陽系から「霊」が賦与され、産後の成長期の自我の獲得の段階にて「魂」が吹き込まれるとするのが、「霊魂論」の立場です。其の後の人間には、自身の精神に纏うた霊が精神の内奥に鎮座し其の人間の基底としてあり、貴方貴女が何ものであるかの決定に関与します。シッダールタ然りナザレのイエスと同様にです。一般的日常を生きる社会人は其れに気付かされる機会が薄い故に無視されることもあります。自我意識が芽生え目的意識の萌芽が発生すると「魂」が活動し、魂の目的論的作用が人間の行動領域を決定づけます。此の時点から人間人生の終末に亘っての魂の実践が「死」後の自己が生きた証の分岐点となります。人間誰しもが不幸になりたくて生まれる者はいません。此処に持って生まれた「霊」。其の目的に関与する「魂」の目的意識の意義が浮上します。霊は車で言えばメーカーの車種タイプであり、「魂」は 人間にとってステアリング・ホイール (steering wheel)として仂くと云う訳けです。後生が天国か地獄かは生前行動を制御する「魂」如何に関わる問題だと云うわけです。此処に「世界の理」世界が宇宙意識を持つとして人間の行動原理、人間の行動倫理が発生します。哲学・思想ランキング
2019年07月04日
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「霊魂論」エチカ詳解246(生と死77) ルドルフ・シュタイナーの神秘体験を著したとしか想えない物質太陽系と重層するような霊太陽系説を受け入れるとすると、世界の意思的理は霊太陽系に密接に結びついて在ることになります。世界の意思としての絶対意思が物質太陽系を意志的なものをとしたとすれば、当然に其の霊的世界に存する人間の内精神の深奥に位置する理性の根幹には、スピノザの神の様態としての延長である人間には其の絶対意識{世界の理」に感応する稀なる機会が与えられていることになります。つまり我々人間には霊の保持、魂の磨きによっては絶対存在の息吹に触れるチャンスがある訳です。絶対存在に触れることは霊の召喚に繋がり人間の最高の歓びと栄誉を齎します。理性を獲得し理知を追求する人間は精神内奥に霊もあり、魂も或いは「霊魂」としてあります。此処では自分が何者であるのか?(Remember who you are?)は「霊」、自分が何者であるかを想起し回想しているいる状態を担うのが「魂」とします。自らのありたい姿と現実を比較して差異を自覚し、自らの人生に創造的緊張を生み出すことが、常にありたい姿に向けて学習し続ける原動力となるのが「魂」の分担領域となります。哲学・思想ランキング
2019年07月03日
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「霊魂論」エチカ詳解245(生と死76) 霊はただ単に、其処(太陽系)其の存在で「在り続けたい」と欲する力ですが、それだけでは何も変化は生まれないことは予期される通りです。そこに「変わりたい」且つ「成長したい」という欲望が宿り、魂の濾過構造に霊が流れ込んだもの。それが「命」と呼ばれるものの正体なのかもしれません。我々人間が精神の内奥に秘めている力は、自己が何者であるのかを覚するのは「霊」であり、自分が何ものであるかを認識し成長及び滅びを齎すのが「魂」の仂きであり作用だと云えます。霊自体には生前経緯の記憶すらなく、専ら其の人間の生前行為の既歴や善悪を世界理法に照らして神の摂理に適うものなら其の認識を霊に付加し、適わぬものならシュレッダーとして全てを滅却します。「魂」が古今東西「炎の玉」として描画される由縁です。詰まるところ、我々理知を持った人間は霊でもあり、且つ魂ですが其の人間精神の構成分担が相違し、「自分が何者であるのか?(Remember who you are)は霊が受け持ち、自分が生きる目的は何か?(Remember your purpose)は魂の受け持ち分野です。世界理法に照らし合わせての正常な判別が出来得ない濾過器としての魂は一定期間は存続、つまりは世界への未練として存じますが、表現としては酷いですが世界哲理に照らして劫火で滅却されます。哲学・思想ランキング
2019年07月02日
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「霊魂論」エチカ詳解244(生と死75) 霊とはルドルフ・シュタイナーの言を借りれば、ただそこに「在り続けたい」と欲する願望ですが、唯其れだけでは変化は起きようがありません。そこに「変わりたい」「成長したい」という欲望が宿り、魂のフィルターに流れ込んだもの。それが「命」と呼ばれるものの正体です。生命物質全般に宿る活動行動の源とは相違し、人間肉体に宿る「命」は「霊」と「魂」が一体化したものであり、人間は肉体(Body)と心(Mind)と霊(Spirit)と魂(Sohi)、其の構成は世界の理「絶対存在・絶対意識・絶対意思と絶対目的」に対応します。人間が世界の語り部なのです。此処に「有」である神の恒常性が関与します。以上のことから人間は寿命やアクシデントに見舞われ死ぬのは肉体としての滅びであり、スピノザはもとより西田幾多郎の世界理法としての神存在、将又ルドルフ・シュタイナーの「神秘学概論」における肉体の滅びにおける「死と霊・魂」、此の場合は肉体の死と伴に人間霊魂は命としての命脈は尽きず、魂の生前行為による汚濁の浄化が行われ「魂」は役割を終えます。霊は浄化を終えたものとして物質系太陽系に似た霊的惑星系に迎い入れられます。此処で注意すべきは魂の浄化が生前行為の所作により「霊」の業火として襲い掛かり、文字通りの「浄火」「劫火」として作用することです。是々非々主義者や似非合理主義者の人間死ねば終わりが実現するのです。「魂」はシュレッダーダストと化して崩壊します。哲学・思想ランキング
2019年07月01日
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