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「霊魂論」エチカ詳解243(生と死74) 「霊」即ち「Spirit」に比して「魂(Soul)」とは何の様な形態をいうのでしょうか。「自己そのものをあらしめる」霊エネルギーが通過するための導管、将又、与えられた物の特定成分を取り除く作用をする機能をもつフィルタリングする濾過(ろか)と捉える向きもあります。個々其れ其れの魂には目的がある。魂は変化したい、体験したい、成長したい行動性を持ち、ただ在るだけだった霊エネルギーが「魂」というフィルターを通ることで、概念や情動が生まれ、霊エネルギーが森羅万象に拡がることになります。人間精神に時間と空間を紡ぎ出すエネルギーと捉えることも可能でしょう。「魂」は人間の記憶を要素として取り込みは過去と未来を結ぶ自己の恒常の担い手になる可能性までをも「時間というファクター」を使って紡ぎ出すのです。「人生の目的」や「未来のへ構想」といった言葉が使われるとき、それは「魂」について語っており、「魂」は時間的要素をを要として「時間」という過去と現在と未来をフィールドします。「霊」即ち「Spirit」をルドルフ・シュタイナーのように、霊の不滅のサイクルを受け入れるならば「魂」の濾過装置が霊の再現の鍵を握ります。哲学・思想ランキング
2019年06月30日
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「霊魂論」エチカ詳解242(生と死73) 世界の理、宇宙意識で生きるとは単純に聞こえても、物理科学のように現象を調べ推測理論立て、確証を世間に公表すれば誰もが宇宙意識で生きることが出来得る程には単純ではありません。其の視点からも「自分にとっての霊とは?」と「自分にとっての魂とは?」は自己の内奥の精神に眠るとされる「霊」や「魂」の是非と存在のあり方を問うことは意義があります。「霊」即ち「Spirit」とは自分そのもの、圧倒的に自分の存在を在らしめるもの、人間の根源的な圧倒的に「生き続けたい」と願う全ての原初の欲望の顕れ、常道であれば「生き続けたい」と願う全ての原初の欲望、時間と空間を超越しており、生まれもしなければ死にもせず、且つ亦、人間肉体の生死の次元を超えて在り続けるエネルギー、 進化や成長といった生物進化論といった目論みはなく、 只々、神の様態の延長として在り続けることを圧倒的に感応する自己、神の子であると純真無垢に確信する自己、霊が現象化したものが、肉体(物質)であるとするのが「霊」即ち「Spirit」です。哲学・思想ランキング
2019年06月29日
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「霊魂論」エチカ詳解241(生と死72) スピノザの実践倫理、西田幾多郎の禅道実践による「善」は共に世界意識を知り実践する方法論は、「神格」が賦与された存在であり世界外的存在ではなく、神を神格性を持たない大宇宙の理のなかに「絶対存在としての意思・意識・認識」を求めます。何故なら十全の全てを満たす存在とは永遠不朽の「有」としてあり、此の面からは宇宙はエントロピーでの大崩壊をすることなく、縁日の屋台の細工風船が如くに終末と誕生は百万遍の数珠が如きに連綿と繋がります。スピノザの実践倫理、西田幾多郎の禅道実践は一言でいえば「宇宙意識に生きる」ことを求め、其の実践の薦めなのです。「自分にとっての霊とは?」、「自分にとっての魂とは?」を探訪究明するときにはスピノザの実践倫理、西田幾多郎の禅道実践は無限の「有」に対する人間の対処を明確にするためには役立つかも知れません。哲学・思想ランキング
2019年06月28日
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「霊魂論」エチカ詳解240(生と死71) 「霊魂」とは肉体とは別個に実体として存在すると考えられているもの、人間の生命や精神の源とされ非肉体的、人格的な存在とされるものと定義すると、幾つかの疑問が湧くことに吝かではありません。一般常識から考慮すれば「霊」と「魂」という言葉の語彙は厳密に区別して使われているわけではありません。さりとて、両者が全く同義同一かといえば、「霊」と「魂」を英語に訳せば霊(Spirit)と魂(Soul)の単語が著すように多少ニュアンスは区別されてるようです。社会意識として認識される「霊」と「魂」は粗かた同義に扱われていますが、此れをこと各々の個体である人間の意識の探求に焦点を当て探ると、意外に「霊」と「魂」の区別かつかないのには驚かされますが、自己の思考に照らしめて、霊と魂との違いと関わりを追求すれば、両者の違いを明確には「霊に不滅」や「魂の不滅」区別せずには社会的な語彙は別異にして、自己の生涯に確信と安寧が訪れません。世界には意識としての「根源」が在る。将又、世界そのものを想像した「根元」が有る。両者の何れにしても自分の霊魂と霊と魂の違いと関わりがよく分からなければ、人生の目的其の究極の自己の成果に向けて、生はおろか死を見つめることさえ出来得ません。スピノザの「エチカ」にしろ、西田幾多郎の「善の研究」にしろ其の教えるところは、尽きるところ、理知を持った人間が我が身に静謐と安寧を宇宙の意識に心傾け同調する方法を知ること。此れは宗教的捉え方ではなく哲学者としての先人「シッダールタ(Gotama Siddhattha)はを手本にすべきでしょう。哲学・思想ランキング
2019年06月27日
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「霊魂論」エチカ詳解239(生と死70) 霊魂を語る上では肉体とは別に精神的実体を主張する、所謂古えから史上に顕れた唯物論や唯識論や唯心論、此処では唯物主観に基づくイデオロギーにみられる社会的立場を主義とする立場除いて、SoulもしくはSpiritとして表現される霊魂、肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの。肉体から離れたり、死後も存続することが可能と考えられており、統一身体における肉体とは別にそれだけで一つの実体をもつとされるもの。非物質的な存在であり質量・粒子を持たないもの。人間の生ある間はその身体にあって、生命や精神の原動力となっている存在。人格的・非物質的な存在。個人の肉体や精神をつかさどる人格的存在で、感覚による認識を超えた永遠の存在とされるものを史上の霊魂思想の大凡の形態特徴と看做します。哲学・思想ランキング
2019年06月26日
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「霊魂論」エチカ詳解238(生と死69) 哲学上の存在論は突き詰めると「何が在るのか」と「何故に在るのか」の二つに問いに収束していくと云われています。この問いは人間が自己を肉体のみならず精神をを取り巻く世界における「なぜ在るのか」の問いでしょう。「何が無いのか」と「なぜ無いのか」の二つに問いに関しては、「虚と実(Imaginary and real)」の見極めが基準となります。たとえば「無」存在ですか現代科学が宇宙観測の極小粒子の活動に於いて、突然に世界から消滅乃至は出現が観測され、もはや「無」は虚ではない「存在無」と認識され、無とは在ること無しの存在であり、偶然或いは必然として世界に出現、無因でないことから世界内では「無」は「虚」ではなく「無としての存在」を予期させています。此れを人間精神の根底且つ深奥に眠る霊魂に当て嵌めると霊魂不滅の解答が出る一試案とは成り得ます。「霊魂」は、体とは別に実体として存在すると考えられているものであったり、人間の生命や精神の源とされ非肉体的、人格的な存在とされるもののことである。「霊魂」という表現は「霊」と「魂」という言葉の組み合わせであり、両方を指し示します。一般には、個人の肉体及び精神活動をつかさどる人格的な実在であり、人間肉体の五感的感覚による認識を超えた永遠不滅の存在を意味しているとされます。哲学・思想ランキング
2019年06月25日
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「霊魂論」エチカ詳解237(生と死68) 人間が下等生物として区分けする生物、此処では生命と無生物の中間としてのウイルスを含めて、人間を人間ならしめるものとの相違点は何かと問えば、答えは人間の幼児期から発せられる問い「何故に」求められます。此の答えは進化論的な生命科学の歴史的展開からは答えは見い出されていません。「なぜーーー云々以下、幼生期ではなぜ死ぬの?理性獲得期に至っては、なぜ宇宙があるの?(Why is there a universe?)」「なぜ世界があるの?(Why is there a world?)」「なぜ無ではないの?(Why not nothing?)」は自己を否定した虚無主義に陥らない限りは当然に浮上する疑問です。答えとして正答の可能性は、形而上哲学。唯一神教宗教科学が此れ等の問に答えを与える可能性を秘めています。存在論のテーマは突き詰めると「何が在るのか」と「なぜ在るのか」の二つに問いに収束していくと学問的には説明されますが、私見では「何が無いのか」と「なぜ無いのか」の二つに問いに修練します。「無いこと其れ存在」を意識するからです。哲学・思想ランキング
2019年06月24日
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6xxx-xxx-xxxxx 京都府京都市北区紫野郷ノ上町22-1 清水ハイツ 1F清水 弘通 TEL xxx-xxx-xxxxx??????@gmail.com
2019年06月23日
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「霊魂論」エチカ詳解236(生と死67) 人間が「死」の存在の意味を知り、其の定めの真相を追求することは、実際のところは生命の誕生、なかでも理性を伴うことが予期される人間の誕生の真相の真意、其の理性が何処から齎されたものか、何故に人間だけに理性が備わっているとされるのか、此れ等が霊知を備えた人間が探求することに他なりません。実際のところ生物の中で、死を嘆くものはいても、自己の誕生の由縁を探求し、文字どおりの「生・前」までを追求するものは人間を除いては皆無です。死は眼前に出来得ても、生命誕生以前の自己を知ること能わずだからです。たとえナザレのイエスにしても「神」其のものの記憶をもって生まれた筈はありません。遺伝子だけが人間に個性を齎すならば双生児は同一の思考・同一行動をとるとするのが自然でしょう。鶏のブロイラーはたった二羽の番い(つがい)から数十億の雛が育ち、競走馬の代表であるサラブレッドも二頭の番い(つがい)から。此れでは旧約のアダムとエバの楽園伝説もあながち否定されるものでもないことになります。人間の霊知の究めんとするのは、実は「死」そのものより「出自の秘密」なのだとも云えます。哲学・思想ランキング
2019年06月23日
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「霊魂論」エチカ詳解235(生と死66) 人間誰しもが生を受け理知を獲得すれば、生あるものの道筋の先には全てが死に繋がることは、幼児が屡々、昆虫の足をもぎ取り、羽を毟り死に至ることを知ることからしてもだれしもが知っているものです。此処から人間の生き方に二つの道筋が待ち構えます。一つは人間が生あるものの道筋が全て死に繋がることを常に意識しながら人生の日々を送るか、、片や人間が生あるものの道筋が全てが死に繋がることを常に意識せずに無視した行動を選択する人間でいることはです。前者は思想的には悲観主義と捉える向きもあるかも知れませんが、「死」を常に感じ生きる故に、逆に「生」を疎かにせず確とした目的を持つ人間、「死」の価値を知るからこその「目的死」を懐き、その時が来れば「死」を厭いません。後者の人間の一つの性向は、生あるものの道筋が全てが死に繋がることを常に意識せず無視する、言い換えれば、死を意識した生活を送る者を悲嘆主義と蔑み、勇気・覇気をいだく者は「死は死であり滅び断絶」だと嘯(うそぶ)き自らの私欲に囚われ是々非々が横行します。亦、なかには「死」に囚われている程の時間と隙がない現実主義者がいます。何れをとっても死は生命に纏わり付きます。人間生命が生じ産まれれば人生が始まり終息が待ち構えます。併し乍ら、人間が生あるものの道筋が全て死に繋がることを常に意識しながら人生の日々を送った人間はそれなりの納得した終末を迎え、「死」の観念を蔑ろにして来た人生を人生が終末を迎えた人間は侘しさを覚えるのは確かです。何故なら、人間は理知という特性を与えられた唯一の生物だからです。人間だけが「死」を迎え、他の生命は「仕留め」を迎えるからです。哲学・思想ランキング
2019年06月22日
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「霊魂論」エチカ詳解234(生と死65) スピノザは人間に個々其れ其れの霊や魂及び形而上学的霊魂の不滅や再生を、聖職者や神秘学者のようには説きません。人間夫れ々が霊魂を有することは可能にしても、それは神から発し分与されたものであり人間の肉体の滅びとともに回収されるものです。其の人間が経験や体験で培った精神の深奥の変化は、肉体の死とともに滅びるのではなく神に回収されるのだと解釈します。「善の研究」の著者である西田幾多郎はスピノザに傾聴していたと見えて神を我が精神の身に捉えるために「禅道」探求します。古来、倭の国は古えより魂の存在を信じ、以来、仏壇のお供えや法事、お盆などの行事が行われ、祖先の魂を安んじめてきた歴史があります、魂は本当に存在するのだろうか。スピノザや西田幾多郎の論によれば、精神の深奥には神に感応する何かがあり、その実践にスピノザは実践倫理を、西田幾多郎は「善」即ち「神の理」である自然の摂理を通して神に感応することを追求します。併し乍ら、人間の身が滅びた後の霊や魂が世界内に残存することは想定していません。人間が霊魂を有することは否定しないにせよ、絶対存在への昇華を想定するのです。哲学・思想ランキング
2019年06月21日
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「霊魂論」エチカ詳解233(生と死64) スピノザの云う絶対者・絶対存在且つ絶対意識・更には絶対精神を併せ持つ全うした「完全体」というのは、内在する「有」としては否定され、「無い」ものとしても否定され、しかし汎ゆる全ての根元としての働きを司るものであり、スピノザの云う絶対神やハイデガーの見えざる神の存在も同様です。神が大宇宙の存在其のものに内在するのであれば、神は大宇宙のエントロピーに従って滅び去るはし、神が大宇宙の存在其のものからは離れて外在するものだとすれば、人間への干渉は成立し得ず、神の存在は人間には部外者であり、人間が望む救いは人間からの一方通行のものとなります。スピノザは此の論理をたとえ人間からの一歩通行であっても神の存在を確信し、その源から出た人間の愛の根元である愛を知ることは人間の無常の喜び、尋常ではない究極の僖びであるとします。此処で気を付けたいのはスピノザの「神の愛」とは所謂キリスト教のアガペー、罪人である人間に対し神が注ぐ自己を犠牲にした愛の其れではなく、神が自己を愛する故の全うした愛です。其れ故に、彼の倫理学は社会的道徳教育と云うよりは、神を知ることそのことが其の愛に触れるための「実践倫理」だと述べていることになります。哲学・思想ランキング
2019年06月20日
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「霊魂論」エチカ詳解232(生と死63) スピノザの云う絶対者、絶対存在且つ絶対意識更には絶対精神を併せ持つ全うした「完全体」とは如何なるものなのでしょう。現代物理学に推し嵌めて憶測すれば、大宇宙の滅びや存在の有無とは関わりがあっても何ら影響を受けない存在、唯一の「有」の筈です。何らかの影響を受ける存在であれば「見えざる神」ではなく「見得(う)る神」であり、現代物理学の先端観測技術が其の存在を見逃す筈がありません、「無因子から有因子が生じ」将又「有因子が無因子に転遷」しているとの観測報告がある以上は「無」は「絶対無」ではなく有因の存在に比した無因の存在の相対無、即ち「名目上の仮相無」として存在します。此のことを紐解けば「神」とは世界の摂理の根源にして存在しない無幻の有無さえ究まれない人類の幻と表現しても許されるよう存在で人間がたとえ「観想」し得ても「観相」することは能わずです。言い替えれば生命ある存在としては観相することすら能わずの摩訶不可思議なもの、スピノザは神が世界に内在まして偏在するとは言わず、ハイデガーが神を否定しないまでも人間には観相することさえ許されない何ものかと云うのは、絶対神格などは途方も無い虚無であり、神そのものが自己を認識することもあり得ません。自己を認識するのは限界を知ることであり、其れ故に完全体ではなくなり「有」そのものでなくなります。人間が神格性を付与したものは、その意味では「有」其のものから派生したもであり、「神格」や「生命そのものにも偏在を伴う仏格」は哲学を離脱し宗教となります。哲学・思想ランキング
2019年06月19日
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「霊魂論」エチカ詳解231(生と死62) 人間の心の安寧にとって人間身体の老齢化による死の克服は非常に困難であることを物理科学からの視点から匂わされますが、更なる長寿化は令和元年の朝日新聞一面に取り上げられています。2019年6月14日朝刊「発見!!若返りの酵素 注入したら…寿命延び毛並みツヤツヤ 日米研究チーム」との見出しで「加齢で減少する血液中のたんぱく質の一種(酵素)を若いマウスからとり、老化マウスに注射すると、身体活動が活発になり、寿命を延ばすことを日米研究チームが突き止めた。ヒトでも、加齢でこの酵素が減ることを確認しており、健康寿命を延ばす抗老化法の開発につながる可能性があるという。ル・メタボリズム電子版に発表する。加齢で々な臓器の働きが衰え、病気の原因になる。その一因に、加齢で減る「NAD」という物質がある。NADは、酵素によって体内で合成される。 そこで、米ワシントン大や国立長寿医療研究センターなどのチームは、血液中のこの酵素を分析。6カ月と18カ月のマウスで調べると、オスで3割、メスで7割減ることがわかった。老齢マウスでは、この酵素の量が多いほど、その時点から長く生存する傾向があることもわかった。 酵素の量が保たれるようにマウスを遺伝子操作すると、高齢でも身体活動のレベルが1年若くなった。ヒトでいえば、50代が20代に若返るようなものだという。睡眠の質、学習・記憶力、網膜の細胞の働きなども高く保たれていた。 さらに、4~6カ月の若いマウスから、この酵素を含む成分を取り出し、26カ月のメスのマウスに3カ月間与えると寿命が16%延びた。毛並みもよくなり、活発に動いた。健康寿命にあたるような「中間寿命」を延ばすことを確認した。 米ワシントン大教授の今井真一郎さんは「この酵素の働きは、抗老化法の手段になる可能性がある」と話す。(編集委員・瀬川茂子)の如くに、若年成体の血液の或る酵素を導入摂取すれば50歳代が20歳に若返る可能性を示唆します。現代の生命医学過去に比しては幾何級数的に進歩し人間肉体の老化現象を遅延させる程迄に至ってます。此れが近未来に達成されれば、ただでさえ、年金確保に少子化対策を図るのに四苦八苦の日本などはの年金制度は破綻どころか崩壊するのが必定です。勤労定年80歳、年金支給年齢は85歳でなければ国家予算が破綻に陥ること夢想ではなくなります。其れにしても此の事自体は延命・長寿の問題であり「不死」其のものや霊魂の不滅を解消する訳ではないことには注意が肝要です。「不死」自体にしても「肉体の不死」或いは「霊魂の不死」の定義上の見直しが必須となります。哲学・思想ランキング
2019年06月18日
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「霊魂論」エチカ詳解230(生と死61) 人類に不死を齎す課題を解く手掛かりは、何もDNAに関わるものであるにしても、手本にするのがアメーバ等々の単細胞の下等生物だけかと問えば、多細胞生物にも其れ其れの個体には滅びがあるようで無いに等しい生物が海辺の五肢生物である「ヒトデ綱(海星綱)/Asteroidea」が解答を与えるヒントに祖上します。其の生態の詳細は粗方は解明されているとはいうものの、其の生命系の謎は深まるばかりです。「種」としては、体の移動には管足を用いる。岩の上に住するものは、管足の先の吸盤を岩に吸着させ、多数の管足の働きで体全体を片方へ押し進めながら、じわじわと這い進む。砂泥の上にすむものは管足で砂泥を掻き分けるようにしながら進みます。海星綱の殆どほ肉食で、動きの鈍い動物、とくに二枚貝を好み、巻き貝・多毛類・小形甲殻類・棘皮動物、あるいは魚貝類の死骸(しがい)などを食べており、悪食では人間に劣りません。また、砂泥中の腐食物を食べるものもあり。摂食方法は、餌(えさ)を其の儘に口の中へ取り入れるもの、胃を反転して口から外へ押し出し、体外消化を行うものが多く見られ、たとえば二枚貝を食べるときには、まず貝の上に伸し掛かって抱きかかえるような姿勢をとり、貝殻の両側に多数の管足を吸い付けて引っ張り開けようとします。長時間のうちには、貝の殻を閉じる筋肉は疲労して貝殻がすこし開くので、其の隙間から胃を中に差し込んで消化を始めます。不死性の手掛かりは、此処から始まります。繁殖期になると雌雄は各々が放卵、放精し、海中で受精がおこります。受精卵から孵化(ふか)した幼生は普通、浮遊生活に入るが、直接親が保育する種も多数あるといいます。人類の不死性を追求する上で注目すべきは無性的に体全体が分裂したり、腕の自切によって増えるものもあることです。腕若しくは肢は一般に切れやすいが、再生しやすく、1本の腕から完全な個体を再生する例もあることは人間が不死性を獲得する生物物理学の未来への期待です。哲学・思想ランキング
2019年06月17日
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「霊魂論」エチカ詳解229(生と死60) 生命が宇宙に於いて地球だけの特異で独自なものなのか、将又、他の天体にも生命形態を有するものがいるかどうかは一先ずは別件として扨て置(さてお)いて、地球上における生命の起源についても諸説紛々、哲学上はもとより物理化学や宗教等々其の立ち位置で異相となりますが、突き詰めれば真相は一つしかなく他は間違い・誤謬・偽装された思考となる筈です。地球上の生命は神が創造したものとする宗教論及び形而上哲学、他の天体からやってきたものだという責任回避的な説などを別にすると,現在時点での理解は或る意味では無機物から有機物への変化を受けたうえでの自然発生説に傾いています。「汚い処に蛆が湧く」の言葉のように無機物から有機物への変怪は不可解です。有機物は小惑星でも発見されており有機物が即生命に繋がるかと云えば「否」です。其れでは太陽系どころか銀河系だけでも似たり寄ったりの環境は数え切れないくらいありそうで、宇宙は生命の声に絶えず包まれている筈ですが、世界は地球の呼び掛けには答えてくれません。此処に地球の特異性或いは選ばれしとする思想が浮かび上がります。哲学・思想ランキング
2019年06月16日
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「霊魂論」エチカ詳解228(生と死59) 現代理論ビッグバンに始まる宇宙の形状と大きさは、過去の馬蹄形や球面説を駆逐し、前世紀の科学理論値を物理科学技術の飛躍的発展が、過去には当時見かけ上、言い替えれば観測可能な137億光年先にあるものとされてきた世界の涯てを、更に、地球から或いは他の星雲の惑星を中心として、膨張を考慮すれば何処に中心を儲けようが風船の表面に印をつけたのと同様の果てしない世界、だから観測可能な宇宙の大きさは全方向に向かって465億光年、つまりは、宇宙が球体とすれば宇宙の大きさは直径930億光年の球体であることになります。此の広大無辺な空間に生命が在るのは現在までに確認された生物は全て炭素を中心として構成されているが、これは主に炭素の原子価が4で、多様な結合を実現できるからなのですが、ケイ素型生物を含めて生命が地球のみなのかどうかは此処では別として、地球上における生命の起源起源と其の後の精神の発芽を踏まえての死の存在についての「霊魂の存在」を問う必要性が生じてきます。哲学・思想ランキング
2019年06月15日
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「霊魂論」エチカ詳解227(生と死58) 此処に「死」が恐怖ではなく、安寧を齎すものであり幸いなるものであると語る者が居るとすれば、社会生活全体の安寧にとっては危険極まりない思想となります。ナザレのイエスですら罪なき身で人類全ての罪悪を一身に身に負うて釘を四肢に打ち込まれて十字架に架けられ、何故に此の「死の苦痛」を受けねばならないかを父なる神に問い叫びます。勿論の事、「死」其のことを訴えている訳ではなく、其の死に至る迄の苦痛の経緯なのですが、「死」其のものを幸いとする思想は人間精神の根底に押し付けることは間違いです。旧約での楽園追放が示すように「死」は人間に限らず生命が高等化するに伴いDNAに組み込まれた何ものかの因子です。人類は当初の遺伝子から発がんウィルスを誰しもが持っており、将又、推測するに成長遺伝子と死の促進遺伝子を併せ持つ筈です。癌ウィルスが生物かどうかは別にして、DNAに組み込まれること、細胞に滅びを齎すだけでなく或る役割を担っていることをも考慮しなくてはなりません。「死」が生命に組み込まれていることのメカニズムを生命物理学が解明したならば、遺伝子変化を食い止め「不死」を実現出来得るかもしれません。アダムとエバの不死と引き換えの「知恵」が失われる危険性は拭えませんが云々。哲学・思想ランキング
2019年06月14日
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「霊魂論」エチカ詳解226(生と死57) 神経外科医アレグザンダーは霊魂の不死を確信したもようですが、不死は何も霊魂の特権ではないことが、生命物理学から問われます。生物学上における人間の不死性の獲得を探求する分野にスポットライトがあたります。具体的に云えば、其の秘密は生命体としての人間のDNAに関係がありそうです。何故なら、地球上の全ての有機生命が死を迎えるのを必然とはしていないからです。例えば、単細胞生物のアメーバは分裂を増殖方法として自己の複製を繰り返し、何れが親か子か孫かは区別の仕様がありません。つまりは、「鶏が先か卵が先か」以前の問題なのです。生命の進化は雌雄の増殖方法の進展に伴い展開進化されますが、代わりに生命の終末を齎す因子を持ち込んだのです。ーー此の段からは著者のSF的妄想ですが、生命体進化形態の哺乳類なかでも其の最先端を走る人類は次代を見据えた獲得能力のためには単細胞生物であるアメーバー的繁殖では進化が著しく遅化することが本能的或いは生態的若しくは人間精神の根底に変化変遷が組み込まれていた可能性は否定しきれません。「楽園」のアダムとエバが不死と引き換えに手にしたものが「知恵」だということです。哲学・思想ランキング
2019年06月13日
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「霊魂論」エチカ詳解225(生と死56) 多くの心霊現象の研究家はアレグザンダーの臨死体験の一連の経緯を、霊界からの計画的な導きによって臨死体験をし、後遺症もなく異例の生還を果たしたのだと考えがちです。ところが彼が導き出した結論は、唯物主義によって身動きが取れなくなっている科学者たちの魂を揺さぶり、真実に目を向けさせるための大きな一歩になるものと其の体験を捉えたのです。神経外科医アレグザンダー自身は。「Spiritualism」和訳で心霊術・交霊術・心霊論・降神説等々の神秘主義に陥ることなく、今後の活動を「脳や肉体の死が命の終わりを意味しないことを知る幸運に恵まれたことで、肉体とこの世界を超えて見てきたものを伝えなくてはならない。それが自分の責務であると考えている」言い、所謂、大霊魂的存在や「神格的」な存在を仄めかしてはいません。自らの体験をあるが儘に伝えることに忠実にあらんと努めているように見えます。顔相からして内に籠もったところがなく、彼の経験談は恨みつらみの彷徨える霊魂談のように陰に籠もったものではないのが、より現実性を感じさせます。哲学・思想ランキング
2019年06月12日
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「霊魂論」エチカ詳解224(生と死55) 神経外科医アレグザンダーの臨死体験の一連の経緯は、心霊主義と訳されるスピリチュアリズム(Spiritualism)、人は肉体と霊魂から成るとするも、決して混在しているわけではなく肉体が消滅しても霊魂は存在し、現世の人間が死者の霊(霊魂)と交信できるとする思想、信仰、人生哲学の実践です。Spiritualismは和訳では心霊術・交霊術・心霊論・降神説等々訳されます。其のなかでも、Spiritualism(スピリチュアリズム)の日本語訳での「心霊主義」は「唯心論や精神主義」とも訳されるために他の心霊術・交霊術・降神説等とは意味合いが少し異なります。唯心論は、精神の独立した存在と優位を説く学説上の区分であり、哲学においては、心霊主義(心霊論)は唯心論に含まれ、他の心霊術・交霊術・降神説等とは神秘学一辺倒でないことには注意が肝要です。神経外科医アレグザンダーの臨死体験の一連の経緯は、スピリチュアリズムの初期の頃に当時の実験科学者が霊界の働きかけによって物理的心霊現象を試みたことを一の人物が成し得たとも云えます。哲学・思想ランキング
2019年06月11日
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「霊魂論」エチカ詳解223(生と死54) 人間は死んでも生き続けることの其の発想・体験談自体は左程稀有なことでもないのですが、神経外科医アレグザンダーの報告内容が歴史的なのです。何故かと問えばの存在は、「臨死体験」や「死後の世界(World after death)」の存在は、すでにアレグザンダーの報告以前100年以上前に立証されていることであり、もはや論ずるに足りないこととされています。多くの唯物論者が今回のアレグザンダー医師の発言に衝撃を受けたことは推測されますが、彼はスピリチュアリズム、霊界の高級霊団によって計画された人類史上はじめての地球規模の大プロジェクトの言い回しに過ぎないと捉えます。スピリチュアリズムは高級霊の働きかけの最大の目的は地上に「霊的真理」をもたらすことですが、スピリチュアリズムはすでに「霊魂説の証明」の段階をすぎ、地上と霊界を貫く霊的真理を学びそれを実践するという、次の段階へと歩みを進めていることを鑑みると臨死体験の研究自体が時代遅れの産物だとしているのですが、此処に思考上の産物と体験上の産物、物理科学を根拠に置く解釈と分析が昨層します。哲学・思想ランキング
2019年06月10日
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「霊魂論」エチカ詳解222(生と死53) 外科医アレグザンダーの臨死体験の解釈以前の臨死研究では、体験談を集めて其の精神病理学的見地から、神秘学的な類いを削いで探求するという立場でした。対してアレグザンダーの臨死体験についての検証は、精神科医で聖女と称されたエリザベス・キューブラー=ロス以来の医科学的には画期的なものであったのです。脳神経外科医ならではの科学的観点に立つ分析と、脳科学分野の最新研究の知識から導かれた結論は、今迄の人間組成学に於ける精神活動の本拠を完全に打ち砕くことになります。外科医アレグザンダーは「臨死体験は、脳の物理的な働きから切り離された体験である」という新たな見解をもたらしたのです。詰まりは人間精神の奥底の居場所が脳ではないことになります。其れに留まらず、さらに彼は、強烈な説得力を持った死者である実妹(じつまい)との出会いによって、死後の世界があること、人間は死んでも生き続けることを確信した故に、自己に顕れた経緯を堂々と世間に公言したのです。哲学・思想ランキング
2019年06月09日
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「霊魂論」エチカ詳解221(生と死52) 外科医アレグザンダーの臨死体験で「死後の世界」を確信するに至らせたもう一つの出来事、それは多くの臨死体験者が、死の淵でもはや生者とは云えない親族や友人に出会ったと語っていることです。併し乍ら、彼はそうした多くの臨死体験者が語る身近な人ではなく、見知らぬ女性と出会い、彼女の言葉によって心から慰められたことが最後まで心に引っ掛かっていました。此れは「霊魂論」を著す記者自身の体験とも酷似しますが、其の件は別記にて著す予定です。何れにしても、彼は退院から4か月後に、その女性がすでに他界している実の妹であることを知ったのです。彼は、生まれてすぐに現在の父親に引き取られ、実の妹とは一度も会ったことがありませんでした。自分の記憶に存在しない死者と出会うことができる世界、それは「死後の世界」しかないとアレグザンダー医師は確信したのです。ちなみに、「霊魂論」を著す記者自身の体験では家庭事情から意図的に隠された実の祖母と実母の姉が形態を伴って顕れたのではなく、自分に語りかける声でした。しかも存在があったことさえ知らない筈の私に名前と係累を教えてくれました。其の体験後に時期を経て誰が名を明かしたのかが大問題に、決着は持ち越されています。哲学・思想ランキング
2019年06月08日
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「霊魂論」エチカ詳解220(生と死51) 罹病した細菌性髄膜炎から7日目に奇跡的に覚醒、其の後病魔から解放されたDoctor Alexander IIIが退院後に徹底した検証、即ち入院中のスキャン画像や臨床検査や神経学的検査の所見などの総てのデータを綿密な且つ詳細な調査により、昏睡状態にあった7日間は彼の脳機能は完全に停止していたことを確認、脳が活動しないことには意識や精神が脳を宿主とする精神医学や脳生理学にとり臨死体験が意識を失う時点のの直前に大量に分泌されるエンドルフィンの働きによる幻覚を想い出した、まさに人間が毎夜の睡眠或いは昏睡時の夢のように自己精神は脳の再活動により甦ったとします。PCのCPUの活動の復帰に伴いHardDiskから再活用された状態、臨死は其の名の如く死に臨んだ体験であり真の「死滅」を意味しないのだとの意を述べています。併し乍ら、自ら其れを被険した脳神経外科医アレグザンダーは臨死体験を「死の直前に大量に分泌されるエンドルフィンの働きによる幻覚である」とか「睡眠時に見る夢と同じようなもの」など脳内現象として捉えるのは其れこそが幻想だとします。外科医アレグザンダーは外的な臨死体験を徹底した外的な検証を行い、自分が体験したのは、理論上ほぼ完璧なかたちでの臨死体験であり、おそらく推定するに類例の中でも最も説得力を持つものである」として、「臨死体験を幻想だと片づけることが、医学的観点から見て絶対的に不可能である」と結論づけます。神経医科学の専門家である彼が其れ迄の医科学を見直すことを提言したのです。哲学・思想ランキング
2019年06月07日
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「霊魂論」エチカ詳解219(生と死50) 神経細胞とりわけ「脳の神経細胞」は、其の数、大脳で数百億あり小脳で千億に達します。脳全体では千数百億の個体から構成されており有機CPUとして使えそうです。其の各々の脳細胞は、電気信号を発して相互に情報をやり遣り取りしている状況はIT技術の数十億の現代ネットワークにも引けは取りません。一つの脳細胞からは、長い「軸索」と、大樹の枝のように分岐した短い「樹状突起」が伸び、其れぞれの突起は他の脳細胞と繋がり合い「神経回路」を形成、此の細胞体と軸索と樹状突起からなる脳細胞を「ニューロン」と呼称しています。脳細胞自体の大きさは、0.1mm~0.005mmで、大脳では1mm3に10万個ものニューロンが詰まっています。人間一個体の脳の全体のニューロンの軸索や樹状突起を仮に一直線に絆げた場合には百万キロメートル、100万キロメートルの世界になると、月の軌道(半径:約38万km)を含有する規模となります。此の細胞体から出て複雑に枝分かれしている「樹状突起」は、ほかのニューロンから電気信号の情報を受け取る「入力アンテナ」の役割を果たし「軸索」が出力装置の役割を果たし、樹状突起が受け取った電気信号は、軸索を通り、次のニューロンに伝達される仕組みです・この驚くべき巨大なニューロンのネットワークには正常であれば常時に電気信号が絶えず駆け巡り、我われ人間の高等生物とされるに価する高度な機能が可能になるのです。ニューロンの細胞体の構造は、何ら他の細胞と変わらりません。遺伝情報が書かれたDNAを含む「核」、エネルギーを創り出す「ミトコンドリア(mtDNA)」などです。唯一点際立つ相違は、細胞体から突起が出ていることです。哲学・思想ランキング
2019年06月06日
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「霊魂論」エチカ詳解218(生と死49) Dr,エベン・アレグザンダーが罹病した細菌性髄膜炎とは、脳や髄膜に細菌が脳内に細菌が侵食し、増殖感染を繰り返し頭脳を破壊する極めて悪性の病気です。「成人」、医学的には成人は小児科が区別されるように成体に対する概念であり、国際的にはやはり年齢を基準として区別する法年齢とは異なり、15歳程度からを成人として扱うのが医学的成人と呼称区別されますが、細菌性髄膜炎とは其の成人1000万人に対して1人という極々あり稀な病気で致死率は90%に及びます。集中治療にあっても昏睡状態が1週間を超えた場合には、回復する見込みなしとされ治療が打ち切られます。Dr,アレグザンダーは其の7日目に奇跡的に覚醒しました、それも全く後遺症もない診断されるほどに回復します。これは医術が記録に留められる史上世界で初めてのケースなのです。此処にニューロン、神経細胞の極小で且つ巨大なネットワークが浮上します。哲学・思想ランキング
2019年06月05日
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「霊魂論」エチカ詳解217(生と死48) Dr,エベン・アレグザンダーは29年間、脳神経外科・神経内科に携わり、アメリカの名門ハーバード・メディカル・スクールで准教授を務めた超一流の脳神経外科医です。これまでに200本以上の論文を執筆し、医学研究者として世界中にその名を知らしめています。ところが、長年の医師活動のなかに、心拍停止状態から蘇生した患者たちから「見たこともない美しい場所へ行ってきた」とか「亡くなった親族と会話をした」等々の、彼の専門分野ではない精神分析医の問題で幻想には耳を傾けるものの自らの分野ではないと決めつけるのが合理的判断だったと認めています。即ち、其れ等は病的体験からくる意識錯乱と捉えていたのです。彼は自らの臨死体験を綴った著「死後の世界(Proof of Heaven: A Neurosurgeon's Journey into the Afterlife/脳神経外科医の来世への旅)」の中で「私は親切だが疑り深い、骨の髄まで医師の典型というべき人間だった」と自らを振り返っています。科学で証明できるものは受け入れるが、そうでないものは信じないという典型的な唯物主義観の医師だったのです。豈図らんや、其の自分が2008年11月のある日突然、重度の細菌性髄膜炎を発症し、7日間の昏睡状態に陥ります。そしてその病向き合う闘病中に、彼自身が此れ迄には全く以て信じることがなかった「臨死体験(Near Death Experience)」をしたのです。哲学・思想ランキング
2019年06月04日
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「霊魂論」エチカ詳解216(生と死47) 21世紀に入ってのIT技術飛躍的発展に伴い精神科学、とりわけ脳に関しては際立ってIT技術が組み込まれ、其れ迄の脳外科を代表とした医学・脳生理学は役割が縮小化され、脳は物理科学が多くを担うようになりました。そうした現状の中で、2012年10月にアメリカ合衆国にて世界のトップレベルの脳神経外科医であったエベン・アレグザンダー(Eben Alexander III/1953年12月11日-)が、自らの臨死体験を綴った「死後の世界(Proof of Heaven: A Neurosurgeon's Journey into the Afterlife/脳神経外科医の来世への旅)」の著します。科学者として第一線で活躍してきた医師が、医学の常識に反する「臨死体験」を現実の体験として公表し、自分が訪れたのは「死後の世界」であると主張したことから、世界中に大きな反響を巻き起こし、彼の著書は全米で200万部を超える此の分野での大ベストセラーとなり、各国語に翻訳され世界的なセンセーションを沸き立たせたことは物理科学一辺倒の思考に一石を投じました。彼は2008年に自身が遭遇した臨死体験を報告し、意識を生み出すのは脳では無いこと。将又、意識は肉体が死を迎えた後も存在し続けることを科学的に解明することは可能で、いずれは解明されると強く主張します。哲学・思想ランキング
2019年06月03日
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「霊魂は論」エチカ詳解215(生と死46) エリザベス・キューブラー=ロスが恐らくは自らの体験を具体化した「死の受容プロセス」の第三段階は、自分が何はともあれ汎ゆる方策を巡らして死なないようにする方策を彷徨する段階です。西洋医術に世話になっていれば漢方医に、将又、似非仁術にさえ頼ろうとする段階です。秦の始皇帝は健常時より不老不死を求め奸臣或いは開拓者の言に三度まで大艦隊を蓬莱島に遠征を実施させるのですから、死と見返りならば己が倫理は軽んじられます。第四段階では、死なないようにする方策が尽きて、自己の感情を抑制し何とか自分の精神状態を平常に保とうとする段階です。此の段階から最終の第五段階では其の人物が誕生から今までの人生経過において獲得した科学・宗教・哲学などの獲得状況により形態は異なるものの死への安寧と諦念が生じるのが一般でしょう。此れ等のプロセスを得られないならば不慮の死或いは「悪因悪死」で人間には手が負えません。哲学・思想ランキング
2019年06月02日
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「霊魂論」エチカ詳解214(生と死45) 人間幼きにしろ老齢にしろ、余程の人生の苦境に立たされなければ、死を嬉々として受け入れたいと願う人間は皆無だといえます。父なる神に復活をを約束されるイエスでさえ「死の苦しみ苦難」を十字架上で訴えています。其れでは誰もが忌み嫌う「死」への経緯は如何(いかが)なものでしょう。スイスはチューリッヒ出身のアメリカ合衆国の精神科医にして、死にゆく人の心のプロセス(経過)を説いたエリザベス・キューブラー=ロス(Elisabeth K¨ubler‐Ross/1926年7月8日-2004年8月24日)は名著「死ぬ瞬間(原題:死ぬ瞬間・死とその過程について)」の著で、死の受容のプロセスを基本的経過を著しています。全てに当て嵌める訳にはいきませんが病や被障から死を見詰める余裕がある場合であり、地震・雷・火事等の一瞬の事変は抜きにしています。第一段階では「自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階」で、否認・隔離の状態であり、自己の思考から遠避ける状態です。不安ではあるが考慮の埒外を望み、定常の生活を求めています。第二段階は、何故に自分が死ななければならないのかを不条理として怒りを外周囲に向ける段階です。自己と同年齢の世代が元気でいることにさえ苛立ち腹立たしく怒りが収まりません。人倫を失えば社会的危険性さえ伴います。哲学・思想ランキング
2019年06月01日
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