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「霊魂論」エチカ詳解122 スピノザにしろヘーゲルにしろ「神」が「一者」として唯一の「有」、何事にも影響されず、変化変遷はなく、何故にと問えばそのものが他の影響からは離れた異相の「自体」であり完成体たる実存を超えた「実体」だからです。スピノザとヘーゲルの神概念は空間における運動エネルギーや光、時間の流れとは無縁の異質・異相であることでは共通します。但し、此処から二人の神の論理は違和感が醸し出されてきます。現代のアインシュタインから始まる宇宙観、大宇宙の成り立ちや終末無き物理科学はスピノザにしろヘーゲルにしろ知らなかった。ヘーゲルの説く「一者」論では問題は湧出(ゆうしゅつ)しないのですが、スピノザの世界内存在の「絶対存在」では、彼の生存中には大宇宙の成り立ちや終末が想定されていない以上、大宇宙そのものがエントロピーの法則で壊滅したときの論理は予想されてはいません。永遠の「有」である神存在の内在世界、スピノザが「神」を大宇宙に統べからく内在するとする以上、世界とともに滅びるのか、「有」の語彙を捉え直すのかは第二のスピノザの出現が待ち構え解決する課題となります。哲学・思想ランキング
2019年02月28日
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「霊魂論」エチカ詳解121 自我そのものの内部にある「自己意識」の構造を考えると、そこでは「見る自分」は「見られる自分」と同一であり、同一であることを知っている。ゆえに「見る自分」と「見られる自分」との区別は、区別でありながら同一を含んでいる。この「区別ではない区別」という構造は、主観と客観の対立という構造が成り立つための不可欠の前提であるが、しかしその前提を認めればもはや主客の単純な対立は消えてしまう。すなわち主観と客観の二元論は、本当のところは「区別でない区別」を前提するからこそ成り立つ論理なのであると同時にこの二元論的無限性の関係を度外視するからこそ成り立つとも云えます。此の前提をスピノザのエチカに説く「神概念」に当て嵌めれば、仮に絶対意識である神存在が意識を分別しようとしたとして、そこでは「見る絶対意識」は「見られる様体の延長としての絶対意識」とは同一であり、同一であることを知っている。其のこと故に「見る神」と「見られる様体の延長としての絶対意識=人間精神」を直覚知した者は主観と客観の対立という構造を超える。ために神との合一の可能性を知り歓喜に震えます。哲学・思想ランキング
2019年02月27日
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「霊魂論」エチカ詳解120 ヘーゲルの神「一者」論に対して、片やスピノザの神「絶対者」は世界内存在の有り様を分裂させるのではなく神の様態の延長と捉えます。其れ故に、ヘーゲル曰く「一者」一旦分裂し復帰する工程は必要ありません。喩えれば、スピノザが熟知していた上座仏教に哲学観念の不足を観た「大乗哲学」から「仏の偏在」を自説に取り入れ、世界内の生きとし生きるもの全てに仏心賜るを、巧妙に人間が神の様態の延長である限りにはと「対しての神」ではなく「包含された神」を描き出します。其処では「一者」や「分裂」の経過とは無縁です。其れもスピノザに見る神は、神が各々個々の人間に関心を抱くはずも無く、ただ神の様態の延長としての生まれた人間は、神を知ることで歓喜を得、神と一方通行の合一であろうとも、神を知ることで其の「愛」に歓喜します。西田哲学の「直感知」です。詳細に述べれば教祖宗教や旧約・新約・回教を除いて、神が各々個人の内面を観察している筈もなく、何方かと云えば偽教だとされる大乗哲学の仏心偏在、心に仏を思い浮かべれば其処に仏が存在し安寧するが近いかもしれません。其れ故、神を愛することは神に愛されることではなくて自らが神を愛する結果、歓喜を得られることになります。神が人間を愛するのは、自らの存在が齎すものであり「神の愛」アガペーです。哲学・思想ランキング
2019年02月26日
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「霊魂論」エチカ詳解119 スピノザは世界を演繹論から生命的存在のネオプラトニズムを下敷きにした根元に存在する「一者(プロティノス)」が姿をさまざまに変容させて展開されて行くのに似て、人間精神の変容を、神の持つ不変体の中の動態変容の性状だと看做します。此処に、ヘーゲルとスピノザの「神」存在への認識と定義に大きな相違が顕にされます。ヘーゲルは神が自己を啓示するとは、すなわち、根元の一者である神が己を二つに分裂させ、分裂という形で本質を現象させることだが、自己認識を達成することによってその分裂から自分を取り戻すとしています。 主観と客観の対立を統一にもたらすという課題は、主観的統一と客観的統一を絶対的に統一するという形式では果たされない。主観と客観という二元論の枠組みが存在する限りでは、統一の次元をどれだけ高めても、対立が残る。対立と統一が無限背進を生み出すからである。したがって、対立を真に超えるものは、同時に対立構造そのものをも超えるものでなくてはならない。対立構造の枠組みをそのままに残したままで、対立する両者のうえにたつものを樹立すればよいというのではない。対立の枠組みそのものが見かけ倒しで、仮象であることを明らかにし、その枠を否定するのでなければならない。それが「無限性」という形式である。ヘーゲルは対立弁法の矛先を未来ではなく統一の「一者」の可能性を示唆します。哲学・思想ランキング
2019年02月25日
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「霊魂論」エチカ詳解118 ヘーゲルが捉える弁証法的哲学は、或る一つのものを取り上げて其のものの持つ本性とは、其のものと他のものとの差異の集約であるとします。塩の本性には、辛い且つ水溶性、白色結晶などの性質を含有しています。塩のうちの性質の「辛い」は、甘い、苦い、渋い、酸っぱい等々」との差異を示します。此の様な差異は、塩を他のものと比較するという存在関係であるから、差異の集約が本性になるとは、関係の集約がものに内在するとも表現でき得ます。あるものは、他のものとの関係を身につけて(anhm)、その関係の集約を身に体して(ansich)いるという訳です。喩えれば、私である自己の人格とは、私である自己が他の汎ゆる人々と交際する関係の集約であると云えます。私の身体に対する私の自己決定権が認められず、私の身体を他人が売買し、私の生産物に対する私の所有権が認められず、私に自由な等価交換の機会が与えられないなら、私は奴隷であって、人格を持たないと意味付けられる。私が「本性」として身に体して(ansich)いる「人格」とは、私が接触するあらゆる関係の集約である。其れ故に、他者との関係は一方通行となります。ヘーゲルが捉える方法論とは、此処で取り上げられるのは社会に於いての人格ですが、多様な関係が一個の個体の内に物象化されるとしています。哲学・思想ランキング
2019年02月24日
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「霊魂論」エチカ詳解117 自我そのものの内部にある「自己意識」の構造を考えると、そこでは「見る自分」は「見られる自分」と同一であり、同一であることを知っている。其れ故に「見る自分」と「見られる自分」との区別は、語句は区別でありながら語彙は同一を含んでいる。この「区別ではない区別」という構造は、主観と客観の対立という構造が成り立つための不可欠の前提であるが、しかしその前提を認めればもはや主客の単純な対立は消えてしまう。すなわち主観と客観の二元論は、本当は「区別でない区別」を前提にするから成り立つのであるが、しかし同時に、この無限性の関係を度外視するから成り立つ矛盾性が入り込む。曲線と直線の接点を考えると、接点という無限分割の極限点においては、曲線が直線と同一であるとともに区別されてもいる。即ち究極的には「区別ではない区別」という構造が極限点には成立している。極限点の成立を一つの過程として説明すると、無限に分割された点の上を移動するカーソルが、その最後の点に到達するということになる。「無限」という概念を、「どこまで行ってもまだその先がある長さ」のように考えると、無限点に到達するということはありえない。無限点は「どんなに近づいてもまだ到達していないところ」という構造をもつことになる。これをヘーゲルは「悪無限」とよんで、「真無限においては無限点への到達が達成け入れられない」という立場を取ります。此処に、スピノザの世界外を無視・矛盾として捉えてのは世界内存在全ての「絶対存在」とヘーゲルの神概念としての「絶対存在」が、彼岸に絶対存在者を置かない理由です。X線上では無限小であり且つY線上では無限大の存在を想像すれば、「一者」が見えてきます。哲学・思想ランキング
2019年02月23日
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「霊魂論」エチカ詳解116 プロティノスにより唱えられた「一者」論は、近代認識論哲学のヘーゲルにより、なかでも、主観と客観という対立構造を前提に「絶対者」を彼岸に置くという意味で「悪・観念論」にとどまるのは、主観と客観の対立構造そのものを知識の自然的な思考であるかのように想定するからだと批判されます。主観と客観の対立状態とは、知識が自分自身に対して距離をとった反省の段階であるにすぎないのに、その段階を「固定的」に考える点に、プロティノスにより唱えられた「一者」論からヘーゲルと同様に影響を受けたカントやフィヒテの立場、所謂、「反省哲学」の拙劣さが浮上し、示されているとします。主観と客観の対立を統一にもたらすという課題は、主観的統一と客観的統一を絶対的に統一するという形式では果たされない。主観と客観という二元論の枠組みが存在する限りでは、統一の次元をどれだけ高めても、対立が残る。対立と統一が無限背進を生み出すからである。したがって、対立を真に超えるものは、同時に対立構造そのものをも超えるものでなくてはならない。対立構造の枠組みをそのままに残したままで、対立する両者のうえにたつものを樹立すればよいというのではない。対立の枠組みそのものが見かけ倒しで、仮象であることを明らかにし、その枠を否定するのものでなければならない。それが「無限性」という形式であるとします。スピノザの一元論・ヘーゲルの対立を前提とした弁証法の行きつく先の究極は此の思考の発展型だといえます。主観と客観というのは単に人間精神が抱く鏡面に写った自己の姿の虚妄であり、其処をされば客観は消失します。哲学・思想ランキング
2019年02月22日
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「霊魂論」エチカ詳解115 プロティノスによりギリシア・ローマ文明とオリエント・エジプト文明が初めて完全に一体化されたと云えます。彼の著作は死後に弟子のポルフュリオスによって「エンネアデス」として編纂されます。其の内容の重要基幹である「神」概念は、「一者」(ト・ヘン)がいっさいの存在事物の源泉である。一者はその存在の充溢(じゅういつ)により、それが存在することによって、そのもの以外の存在事物をそのものの外に生み出す。これが「溢出または流出/aporrho-or-emanatio」とよばれる「流出説」です。其の際には、「一者」其のものの実体はなんら損なわれることはない。存在の働きを自己以外のものを生み出す創造の働きとして把握するこの直観は、ギリシア哲学の達したもっとも美しい直観の一つで、当然に後世の、スピノザとヘーゲルに影響与えます。然し乍ら、予告としてスピノザが採用した汎神論に警笛を鳴らしている文言が見られます。哲学・思想ランキング
2019年02月20日
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「霊魂論」エチカ詳解114 スピノザの神概念とヘーゲルの神概念を考察するうえでヨーロッパ古代末期を代表するギリシアの哲学者、神秘思想家であるアレクサンドリアのネオプラトニズムのプロティノス(Plotinos)/205-269or270)の思想が、二人の「神概念」を語るのに大いに参考になります。ヨーロッパ古代末期を代表する哲学者にして神秘思想家であるプロティノス、誕生はアレクサンドリアの近く、思想はアンモニオス・サッカスに学び、東方に知恵を求めて、39歳の折、当時ペルシャで行なわれている哲学とインドの盛んな哲学にも関心を持ち、これら東方の叡智を吸収する事を願い、241年のゴルディアヌス三世(Gordianus Ⅲ/225年1月20日-244年2月11日)のペルシャ遠征の時に、その軍隊に身を投じ、共に同行するも。遠征の挫折により果たせず、40歳でローマに上り、学校を開き、多くの友人と門弟を集め、共感と敬礼を受けた人物です。プラトンに傾倒し、自分の哲学をプラトン哲学を基底とし其れを展開発展さして見せます。以上のことから彼とその弟子たちは、当時の人からはプラトン主義者、後世の思想家からは新プラトン主義者と呼称されます。そこにはアカデミアの流れをくむアリストテレス、ストア派などの影響も大きく、古代ギリシア哲学の西欧の一大総合思想体系として影響力を持ちます。また、時代当時の一元論的、宗教的な傾向に応じ、魂の解脱を目ざす救済の哲学でもあることは特筆に値いします。著作は9篇に分けられた6巻の論稿からなるところから「エンネアデス(九篇集)」」と呼称されます。私見ですが、不思議なこと且つ不可解なのですが思想家に限らず「偉人」と呼ばれる史上の人物は何故か自ら記すること相叶わぬようで「エンネアデス(九篇集9)」も弟子の記述です。哲学・思想ランキング
2019年02月19日
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「霊魂論」エチカ詳解113 ネオプラトニズムとは新プラトン主義(Neoplatonism)とも云われ、古代ギリシァの哲学者であるプラトンのイデア論を継承し、万物は一者から流出した「流出説」を説く思想です。紀元後3世紀始祖とされるプロティノスが大成させています。ヘーゲルの思想の原点にあるものは、ネオプラトニズムを下敷きにしたルネサンスの自然哲学とドイツの神秘主義の流れであるのですが、スピノザの演繹的論法から始まる神の一元汎神論とは相違し、ヘーゲルは原点にネオプラトルネサンスの自然哲学とドイツの神秘主義のなかに流れる生命的存在の一元論を主張しています。。根元の存在を下敷きにした「一者」(プロティノス)が姿をさまざまに変容させて世界が展開されてゆく。神が自己を啓示するとは、すなわち、根元の一者である神が己を二つに分裂させ、分裂という形で本質を現象させることだが、自己認識を達成することによってその分裂から自分を取り戻す。当に、生命的存在の一元論を展開してみせます。神が何の様に何に故をもって分裂を進め、再度統合するのかは難解です。哲学・思想ランキング
2019年02月17日
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「霊魂論」エチカ詳解112 スピノザの神概念そのものの疑問を解く鍵となるべきものは、一時中断するも書き綴ったスピノザの大著友人が纏め上げた「エチカ」でしょう。自然の内に存在する唯一の実体とは、神以外にはなにものもない。逆の見方をすれば、人間の本質には「神」は実体としての形相は構成しないものの神の様態の表現なのです。このことの帰結として、人間精神は、神の無限な知性の一部であるということになります。此処でネオプラトニズムを下敷きにしたルネサンスの自然哲学、ルネサンス哲学は中世哲学の直後に区分されるルネサンス期の哲学であり、イタリアで、古代ギリシア・古代ローマの文芸が復興したことを先陣に、神中心の中世的世界観から人間中心の新たな世界が生まれ人文主義者と呼ばれる人物が活躍した時代で、思想面でも世俗主義的で個人主義的で合理主義的な傾向をもつものとドイツの神秘主義のなかに流れる生命的存在の一元論とネオプラトニズム、両者ともに一者から万物が流出するという思想であり、初期キリスト教思想家、トマス・モア(Thomas More/1478年-1535年)は、「ユートピア」の著述で知られる。大法官まで登りつめたがヘンリー8世により反逆罪で処刑された。没後400年の1935年にカトリック教会と聖公会で聖人となった等々、ルネサンスの哲学、ロマン主義などに影響を与えてきた思想を下敷きにしたルネサンスの自然哲学とドイツの神秘主義のなかに流れる生命的存在の一元論を問うのがヘーゲルですが、スピノザの「汎神論」的神概念とは相違し、神が万物を創造したにせよ、あくまでに、「人間精神と神」、信教では人格と神格とが別れていますが、一元論ではあっても神を不可知としている点は、万物の根源を知りたい者にとっては充足させるのには足りません。哲学・思想ランキング
2019年02月16日
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「霊魂論」エチカ詳解111 スピノザに惹かれるのは彼の「神の存在」思考。其れを受けて、勤務地京都は東山の麓にある琵琶湖疎水に沿った「哲学の道」、北は銀閣寺から、南は永観堂の北東に位置する若王子神社(にゃくおうじじんじゃ)辺りに至る約1.5kmの小径、後年、彼に因(ちな)んで「哲学の道」と名付けられた道を、手を懐に入れたり、後ろに組んだりしながら、やや前屈みに黙々と歩くひとりの初老の男性、名は日本を代表する哲学者京都大学で教鞭をとる西田幾多郎(にしだ きたろう)です。幾多郎は思索に浸りながら、「哲学の道」を歩いたそうですが、究極の目的は「直感知」であり、絶えず「直感知」を得るための構想に励んだことでしょう。記者は「直感知」と云うよりは、多少意味合いが異なるために「直覚知」を多く用いて表現していますが、その意味合いが多少相違するのは、神秘体験の在る無しによるものです。「直感知」は今現在世界で、自己が当に実感した世界内全ての有り様であり、「直覚知」とは、世界の有り様全体を実感としては足りず確認作業を経て納得したものです。簡略すれば世界内存在全ての象徴である神を観相することです。象徴である限りは如何様の姿形で顕れても問題はないでしょう。「見える神」とは其のような人間の体験です。但し、夢想でないことは「直感知」が教えてくれます。哲学・思想ランキング
2019年02月15日
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「霊魂論」エチカ詳解110 スピノザの云う汎神論とは凡(おおよ)そ世界内の森羅万象全てが神の表現だということに尽きます。現実世界を超越した位置に神の占める場が在るわけではないことをも意味します。スピノザの「自然即神」とヘーゲルの創造以前の「神の叙述」の概念は難解ながらも信教に依存しないことは肯んぜられます。スピノザが自己の思想の基底に置く「自然即神」という汎神論的思想を、論理的に体系ずけた経緯と境地は何に由来するのか、将又、到達したという境地とは何かと問えば、スピノザに影響を受け「善の研究」で東洋哲学を世界に知らしめた西田幾多郎の「直感知」を考察すればスピノザの思考経緯は判別できます。其の西田幾多郎が曰く「直感知」ですが、西田幾多郎は「哲学の道」のみでは其れを解決できず「禅」に解決を求めていますが得たとはされていません。スピノザは思考のみで「直感知」たるものをどのように手にしたのかは甚だ不明ですが、西洋の思考には「神秘学」なるものがあり、当然に通暁していて其の仕様を心得ていたものと思われます。哲学・思想ランキング
2019年02月14日
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「霊魂論」エチカ詳解109 スピノザの「自然即神」とヘーゲルの創造以前の「神の叙述」の概念の同義と相違はどうなのかは、両者が「神」の認識を基底に私論を組み入れていることから両者の思想を伺う上でも重要な要素となります。スピノザの「自然即神若しくは神即自然」とはインド哲学にも通暁していた彼が仏陀の「偏在」をヒントにスピノザ流に解釈したものです。汎神論とは一切の存在は神であり、神と世界とは一体のものだとする宗教観・哲学観。全てのものが神の表現であるということです。仏教に云う「仏」の偏在を意味すると捉えても左程に違和感がありません。汎神論では事物の全てが神に由来するのは勿論の事、釈尊が教義伝搬上の理由から一応必滅転生ををするとして認めた「神」の影響がスピノザの「神」概念に影響を及ぼし、スピノザの「神」は大乗哲学の遍く存在する「仏」、大乗の阿弥陀仏(Amida Buddha)と捉えても意味することは遠からずでしょう。哲学・思想ランキング
2019年02月13日
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「霊魂論」エチカ詳解108 ヘーゲルは歴史は、その国家の運命を支配する力である。然れども、歴史はその国家の運命を支配する力でもあるとしています。「国家の実体は歴史である」という観点をヘーゲルの方法論を用いて導き出しています。「東洋では一人の者が、ギリシア・ローマでは若干の者が自由であることを知るが、しかし、我々ゲルマン人はすべての人間が即自的に自由であること、人間が人間として自由であることを知っている」。歴史とは自由の理念の不可避的な拡張の過程である。進歩と近代化に期待するすべてのインテリゲンチャ(ロシア語で〈知識人〉の意/Intelligentsia)にこの歴史哲学は希望を吹き込んだ。ヘーゲル哲学は「歴史を最高の実体・動的に変化する理性体」とみなすという歴史哲学と解されることによって、世界的な影響を及ぼします。これによってヘーゲルは理性中心の啓蒙主義的歴史観から、進歩の内在的な必然性という実証主義的な歴史観、たとえばマルクス主義へ、歴史観の転換を用意すします。此れが、ヘーゲルをして無神論者と評論されることに繋がっていきます。されとて、ヘーゲルは「神」存在を否定しているわけではありません。大論理学序説に置いて論理学の内容は「神の叙述」で、但し、自然並びに有限的精神の創造に先立って永遠の本質的存在の相とは、神の叙述であると表現しています。スピノザの「自然即神」想起させます。ヘーゲルが「目的自由論」を主張するのに対し、スピノザは「目的論批判」の立場です。哲学・思想ランキング
2019年02月12日
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「霊魂論」エチカ詳解107 スピノザの存したところの近世時代の西欧世界は商工階級の市民の経済的基盤と其の財力からある程度には体制内に権力基盤を得ています。相対的には中間階級の地位を占め、更に拡張上昇傾向を示しています。相対的にとはいえ、以前とは比価級数的に絶対王政や正教会に発言力を持ち得た時代が到来したのです。其れは、市民階級が既得階級に取り込まれる危惧が発生することの危惧をも意味します。スピノザの近世世界のオランダでは市民階級が既得権益から一部は権力奪取するも、体制の維持に囚われた旧権力の圧力をば完全には排除しきれていまません。スピノザと同時代のドイツ観念論の大成者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel/1770年-1831年)は思考及び存在の発展論理として積極的な意味付けを行ない大成化し、将又、元来は問答・対話の術を意味する弁証法について、思考及び存在の発展論理として積極的な意味付けを行ない大成化した人物ですが、曰く、世界は個人の生き方の問題においても、国家が生の目的であって、歴史は理性的な観照の対象であるに過ぎない。されども、個人は市民社会において、己の利益の自由な追求を楽しむことを許された市民である。しかし、此の同じ市民が同時に国家の一員・国民でもあって、国家のために自己の生命・財産を犠牲にすることは、国家という永続する実体に自分を同化する最高の生でなのであるある。「国家にとって個人は岩に打ちかかる波にすぎない」としています。此れではヘーゲルが哲学者と云うよりは社会学・政治学者に過ぎないとも取れますが、プラトンの国家論の例もあり、一概には哲学者の地位を揺るがす程のものでもありません。哲学・思想ランキング
2019年02月11日
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「霊魂論」エチカ詳解106 スピノザは同時期・同世代に活躍したギリシァ以来の思想史上稀なる多種多様な思考を基底にする近世哲学者が輩出しています。なかでも、一際(ひときわ)異相に映るのは、過去見られなかった「神」の観相の概念・混迷にの解釈です。其れまでの思考論法とは演繹的論法とは逆の演繹的論法です。先ずは、スピノザの非常に特殊な「神観」を理解しなければスピノザの演繹世界は覗けません。スピノザによると、神は世界の外にいて世界の在り方を決めるような存在ではありません。神とは我々が在する世界そのもので、我々人類は勿論の事、汎ゆる星雲から、川辺や道端の石ころや、人間の手に成る机や椅子といった大凡あらゆるものどころではなく、完璧に全体としたところの質量や空間・運動・将又、時間の流れ等々が、神の絶対的な存在・意思・意識の顕れであると思考します。極論すればスピノザは世界には厳密には神しか存在しません。此のような神の心的、物的な顕れ方の順々は完全に必然的な連関のもとで生じている故に、世界の物的・心的な出来事全ては決定されているといます。スピノザはおおもとの連関定数は決定されているとし、神が神格性を以って意識的にともあれかくもあれと自体の意思が決めたのでは無いことは明白です。瑕疵なし玉・完璧な有に望みは全く不要、完璧な故に自己存在・意識・意思を確認する必要性は全く不要であり、必要とされるのは不足を補足するのであり、仮に神に神格があり望みを抱くとしたらスピノザ論法では「神」ではなく不全の「力あるもの」に当たり矛盾存在です。釈尊の世界観の「神」は当に不完全体であり死を併せ持ちます。スピノザの目的論批判は世界の物的、心的な出来事はすべて決定されているとする論拠に基づきます。然し乍ら、スピノザは自由意志と決定論について、両立主義的見解を「エチカ」で著しています。根拠は完全体は運動すら関与する必然性はない。神の活動自体に自由意思を許容するメカニズムが含有する。従って、自由意志と決定論は必然的な秩序のもとで以って活動しているのです。哲学・思想ランキング
2019年02月10日
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「霊魂論」エチカ詳解105 世界思想、なかでも西欧に於いての宗教・政治学・哲学のうちで取り分けスピノザの属する「近世の哲学」は、世界哲学史上の金字塔ともいえるギリシァ哲学と相違し、広域範囲は遥かに大きく、多民族に亘っており、増して、ギリシァ哲学、その後近世の哲学の思想の蓄積は以後の近代哲学以上に現代社会にまで影響力を保ちます。「神は死んだのか」に対しては、否(いな)、神の実相・虚相に人間が近付いたのが「近世の哲学」で宗教・政治学・哲学を論理学的に区別の枠を取っ払うことに成功したのが、スピノザの「エチカ」です。其の方法はヘーゲルの弁証法いたって盛んなる時、哲学が標準では弁証法だとされていたときに、現在も通用するユークリッド幾何学及び数学を用いた演繹論法です。「近世哲学」の哲人の多くが帰納法を説くなかでは特色に値します。宗教説法の「信じろ、さらば許されん」、これはキリスト教のみならず、日本の法然上人及び親鸞聖人の説諭にも「南無阿弥陀仏」の語彙を説くことに説諭として表現されています。但し、西洋思想史本流の「神」は世界の存在以前の問題であり、言い替えれば世界外存在です。片や、シッダルタの覚りに始まる仏教思想の神々は世界内存在であり生死生滅を避け得ないとして位置付けられ、「仏」こそが世界の真理を知ると改訂されます。仏とは「神存在」を超える偏在を説きますが、推測するにアジア思想に耽溺する程であった筈のスピノザは「シッダルタの覚り」をそれ相当に理解し、自己の哲学世界構築に役立てているのです。哲学・思想ランキング
2019年02月09日
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「霊魂論」エチカ詳解104 毛沢東の指導下で行われたとされる文化大革命、毛沢東の指導下とは云え彼はベッドに寝たきり状態であり、言葉を理解できるのは夫人のみ。所謂、毛沢東夫人江青を中心とした「四人組」が鄧小平や其れを支持する一派の政敵の撲滅を目論んだものです。毛沢東が黙認していることを支持・指導していると吹聴し、幾数千万の人民、所謂、農民の敵であるとした知識階級を槍玉に揚げ総括させ、最後には知識人である故に教師なども犠牲となります。何れの国々でも、経済やシステムの阻害要因は既得権益を第一とする官僚制度なのですが、文化大革命で官僚の四分の三が失脚したのは、当(まさ)に内乱といえます。歴史の面白いところは、槍玉の筆頭に挙げられた鄧小平が中央に復帰するやいなや、経済自由化路線を導入し中華人民共和国は政治的には共産一党独裁(例外はあります)ではあるものの、経済活動は過去の計画経済を放棄し市場経済を導入し、経財的格差を生みはしたものの、世界経済第二の経済大国を築き上げたのは、皮肉にも、官僚の四分の三を失脚させた文化大革命です。思想史は屡々此のような皮肉な側面を見せます。其れ故に、世界外精神の「神格性の無」を問い、神の意思の完璧性に伴う自立性は常時活動するものの、或る意味では最初に用意されたもの以外は有り得ません。神は自身が完璧であり、存在・意識・意思は持ち合わせ活動するものの其の形態は神自体も承知・確認するのは問題外であり、其れがスピノザの問う絶対存在なのです。其れ故の、目的論批判なのです。哲学・思想ランキング
2019年02月08日
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「霊魂論」エチカ詳解103 スピノザの存した近世、人間は夫々に信教や思想の多様化、科学技術の発展に伴う世界観や価値観の変遷は、現代のIT革命時代の人間思考の劇的変化・変革にも比肩し得まる状況でした。信教はもとより、科学的技術革新による世界観の現実世界の論理思考は如何に強権を以って規制しようが、物理科学の発見と新理論、現代ではIT技術特有の特有の象徴であるソース(source)の共有化により、隠蔽しても暴露されるのは衆知の通りです。現代社会に於いては、辛うじて、思想的には「内心の自由」のみが立憲主義を建前とする国家に於いて守られています。唯物主観の歴史は労働者階級が国家権力を王権から奪取したソヴィエト連邦と、多分にマルクス及びレーニンの旗印は掲げるものの中華人民共和国は中国全土の人口の過半を超えた九割(現代でmp80%)を占める農民を主たる労働者に置き換え、農本主義と共産主義をセットにした毛沢東主義である独自の共産主義が成立しますが、スターリニズムの指導者に対する個人崇拝、軍事力や工作活動による暴力的な対外政策、秘密警察の支配を背景とした恐怖政治や大規模な粛清などを特徴とする全体主義傾向は「内心の自由」どころか究極的な「総括」が待ち構えます。其れこそ「内心の自由」どころか「良心の自由」さえありませんでした。中華人民共和国では毛沢東思想の影響下で紅衛兵が見せた「赤い小冊子」を水戸黄門の印籠が如く、黄門様は居なくても其れ以上の毛沢東を持ち出して、毛沢東の黙認のもとで数千万の人民、所謂、農民の敵であるとした知識階級が槍玉にあがり犠牲となります。此のことはマルクス・レーニンの唯物主義が異相の思想を排撃どころか抹殺する例であり共産主義が「内心の自由」を認めない一例です。宗教も異端や他宗派には厳しく当たりますが、イスラム原理主義は別として比較論的には大らかであるとさえ云えますが、スピノザの存した時代は宗教が危機感を抱いていたこともあり、個人への風当たりは強く、スピノザがハムレット的な「No To Be or To Be」と悩むのも無理からず、ソクラテスの弁明の経緯で以って其の行動を批判するのは酷かも知れません。此の点だけのみでスピノザの思想そのものを唾棄するのは誤りです。哲学・思想ランキング
2019年02月07日
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「霊魂論」エチカ詳解102 スピノザの存した時代に、多元化した「異なる価値観・世界観」は宗教がその典型であるように、相互の立ち位置の違いから比較不能だとも云えます。宗教的には兎にも角にも、各人にとって自己の信教は、自らの生きる意味・世界、言い直せば、当時は宇宙は小宇宙でしたが、大宇宙が存在する意味を与えてくれる掛け買いのない唯一のものです。掛け買いのない唯一のものを信奉する人々の集団が対立すれば、ことが深刻な争いになるのはいの当然当です。人生の意味及び世界存在・宇宙(当時には大宇宙概念がなかったから宇宙)の存在意味がかかっている以上、過去の宗教戦争(Religious wars)を持ち出すまでもなく、簡単には譲歩するわけにも行かず、取り分け、西欧では対立は血生臭いものとなるのが必定でした。以上のように宗教がらみの思想対立は正邪が問えず比較不能の対立に由縁する故、屡々、敵対する宗教民族の抹殺を掲げるものまでが現れ、現代に及んでまで世界各地で、軍事力やテロでは解決しない筈の抗争を繰り返しています。人間が人間を超えスピノザの基本柱である「神」と共感するのは未だ暫らくは望めません。哲学・思想ランキング
2019年02月06日
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「霊魂論」エチカ詳解101 ドン・キホーテやハムレットの主人公が自ら望んで、価値観の多元化した世界に生きたわけではありません。二重の意味で、彼らは当世に生きた著者と時代の要請が彼らを行動せしめたと云えます。彼らにしてみれば出来得るならば、「此の紋所が目に入らぬか」や諸肌脱いで「世間は知らぬども此の遠山桜が知っている」正誤のはっきりした何が真実で何が正義か思い悩む必要がない世界に生まれたかったでしょう。勧善懲悪の通用する世界を夢想するも、近世多元化世界はドン・キホーテの騎士物語を読み耽(ふけ)挙げ句に、強気を挫き弱きを助ける遍歴の旅を狂人の妄想にしてしまいます。近世思想史を紐解けば「異なる価値観・世界観」は相互に相容れません。スピノザの生きた近世世界の思想は価値観うあ世界観が多元化したのみならず相互に比較不能の思考に向けて論陣を張ります。異なる生き方をする人間に理解を求めるのははほぼ比較不能なのです。スピノザの苦悩が始まります。哲学・思想ランキング
2019年02月04日
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「霊魂論」エチカ詳解100 ハムレットは、此の儘、心のうちに暴虐な運命の矢弾(やだま)を受け、泰然と耐え忍ぶのか、それとも寄せ来る怒涛の苦難に敢然として立ち向かい、闘って其れに終止符を打つのか、果たして、何(いず)れが立派な行き方かなのかに心が迷います。ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare/1564年-1616年4月23日)は、前者は運命の矢弾に耐え忍ぶ(No To Be)ことであり、後者は寄せ来る怒涛の苦難に敢然として立ち向かい、闘って其れに終止符を打つ(To Be)のだとしています。何に故の選択か、其処には唯一の真理が、当世の現状では、もはや夥(おびただ)しい自ら正当性を主張する思想が蔓延し、相対的に真理が分裂、世界の思考は混沌としている。近世西欧の思想・思考家はこのことを憂えていたにしろ為す術を知らない。其の時期に信教と形而上哲学の混沌に終止符を打たんとしたのがスピノザです。彼が心のうちに暴虐な運命の矢弾(やだま)を受け、泰然と耐え忍んだにせよです。哲学・思想ランキング
2019年02月03日
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「霊魂論」エチカ詳解99 「ハムレット(Hamlet)」が何故に此の時代に定着し一般化されたのかは宗教的権威の無力化があげられていますが、英国国教がプロテスタントになったことも大いに影響しています。唯一の真の宗教が分裂し様々な宗派が自らの正当性を標榜する世界が顕著になった結果、西洋史上に初めてだともいえよう「個人の良心」が意識され表面化します。父王の亡霊に復讐を促される日々に思い悩み、はたして地獄から現れた悪霊(あくりょう)ではないのかよの疑念に苛(さいな)まれ、なかなかに、復讐を実行に目論見・移そうとしないハムレットは、今までの既成の宗教が分裂し、価値観が多元化した世界で、新たに現れつつあった「個人の良心」を象徴しています。其処で語られるのは、個人は真の宗教のみでいきるだけでは足りず如何に生きるべきか、その選択を自ら思慮しなければならないと戯曲は奏でます。哲学・思想ランキング
2019年02月01日
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