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時間の陥穽111 アウグスティヌスが考える永遠に触れる前に、物理科学が解析する世界の始まりと終わりに触れておきます。ビッグ・バンに始まり宇宙が変化し続けているという考えは「宇宙にも終わりがあるのではないか」という疑問を生み、多くの天文学者・物理学者を悩ませることになり、現在では、宇宙の終わりについては4つの可能性が示唆されています。第一の可能性は「宇宙の熱的死」と云うものです。宇宙の温度は均一ではなく、高い温度の場所もあれば、低い温度の場所も存在します。「宇宙全体のエネルギーが有限である」「宇宙が永遠に膨張し続ける」という考えを前提に「熱は高い温度から低い温度へ移動し、その逆は成立しない」という熱力学第二法則に基づいて考えた場合、長い目で見ると宇宙全体のエネルギーが有限ならば熱は高い温度から低い温度へと向かい均一に近づいていくと云えます。宇宙全体のエネルギーが均一になるということは「何も現象が起こらない」という「宇宙の熱的死」を意味しています。然し乍ら、其れ故、宇宙は膨張を止みません。変化しないことが「死」ならば、変化とは無縁の神学哲学上の「神」や形而上哲学に云う「絶対者」は同じく死んでいることになり、常恒の「有」であろうとなかろうと始まりを司る力は持ち得ません。「宇宙の熱的死」の矛盾です。宇宙は死から生じたとは言い難いからです。現在宇宙の有限性は物理学上証明されていないため、必ずしも宇宙が熱的死を迎えるとはいえないどころか物理学は矛盾を抱え込むことになります。哲学・思想ランキング
2020年03月31日
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時間の陥穽110 永遠に対して与えられる恒常性とは、何も一神教の独占ではなく、他にもインド大陸の仏教哲学等にも見受けられます。此の概念は形而上哲学は勿論、自然哲学でも思想の根幹を成しています。では、物理学上の永遠はどうかと問われれば「永遠」なるものは現代物理学ではありえません。世界即ち宇宙一切の変化に携わる理論・観測・実験物理学は宇宙が変化し続けているという考えを支持します。宇宙が変化し続けているという考えは、始まりであるビッグ・バン思想を生み、「宇宙にも終わりがあるのではないか」という疑問を生みました。此れには多くの天文学者や物理学者の思考を悩ませました。宇宙そのものを「永遠の恒常」、「有」、「常住」と見做さない以上、永遠を否定せざるを得ないことになり、世界には「永遠の瞬間」は無い、即ち、絶えずの変化を根幹に絶対存在の否定へと思考が展開します。宇宙は絶えずの変化に覆われ「始まりがあり終りがある」将又「無限に終末を始まりに転移させている。次元を超えた「常住の宇宙」とも云えるは「恒常世界」は無い。宗教、乃至、形而上哲学の恒常性とは世界は無縁であり「永遠の瞬間」は人間の観想に過ぎないとします。但し、時間の存在と其の流れに関しては物理学会にも真否両論があり、時間は未だに存否両論が入り乱れ不明の状況にあります。哲学・思想ランキング
2020年03月30日
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時間の陥穽109 聖書によればキリスト教における神は、全知全能であり、「知恵」そのもの。汎ゆる全きものの創造主、「永遠」そのものだとされます。聖アウグスティヌスは聖書が語るこの神における知恵(sapientia)をめぐって「知恵そのものは成ることなく、かつてあったようにいまもあり、いつまでもあることでしょう。というより寧ろ、知恵のうちには、「あった(fuisse)も「あるであろう(futurum)」もなく、只々「ある(esse)」のみがあるだけなのです。此処に云うEsseなるものはエッセはラテン語のEsseであり、キリスト教のスコラ哲学における神学用語で、神から事物に付与される「存在性」を意味します。其の神の知恵を「永遠(aeterna)」と定義するのですから。此の思惟に反して「あった」や「あるであろう」をば永遠とはいえません。永遠とは「ある」と結びつくがゆえに不変性を示し、「あった」「あるであろう」という変化を含意するものとは無縁である。従って「万物を超えてとどまりたもう永遠の知恵」と述べられ、永遠には恒常性、仏教哲学云うところの「有」乃至「常住」が認められることになります。哲学・思想ランキング
2020年03月29日
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時間の陥穽108 ギリシァ神話の多神教の神々に対して、アラビア半島にルーツを持つ唯一神教の代表格三教の一つ「キリスト教における神」は全知全能、知恵そのものであり、あらゆるものの造物主、永遠そのものです。当然乍ら、自ずから有り、始まりもなく終わりもない、時間は創造こそすれ、通常人間が流れる時間とは関わりを持たない筈です。「神の永遠とは神の瞬間」のことです。「永遠の瞬間」若しくは「永遠の今」それこそが神の完全性を顕しています。神格性を持つ人格神なら人間は神との接点が持てないこともないのですが、「永遠の瞬間」の完全体との接点は無限に程遠いものなのか。此のことに蝋燭を灯したのが、中世には思想として神学大系が楽しそうに遅れを取り、時宜に対応するに低迷して危機的状況にあった教会理論の再構築を行った教会中興の祖アウグスティヌスが、「神の永遠」立点を語ります。哲学・思想ランキング
2020年03月28日
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いっぷ句-28一気にと待てし櫻の開花の宴 愚通人気ブログランキングへ
2020年03月27日
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時間の陥穽107 ギリシァ大哲学者の三哲、なかでも「ロゴス」は「神の言」が世界創造の始源であることを明示はしませんし、世界の終末にも明快な解答を与えないことに不足を感じるのは何故なのか。人間は生を持って生まれ死を持って終末を向かえます。其のこと故に、普遍・永劫は自らの生が恵まれたものであれば其の永劫を、不遇なものであれば生命体系を超えての救済を求めるのは歴史が示します。ソクラテスが毒杯を煽って神の元へ行くとは言わなかった以上、ギリシァ哲学ではピタゴラス派を除いては、見掛け上認めていた神話信仰以上のものは見られません。「永遠」は左程に重視されなかったことはギリシア神話の主神たる全知全能の存在である筈のゼウス(Zeus)は、人類と神々双方の秩序を守護・支配する神々の王ゼウス率いるオリュンポスの神々と、父クロノス率いる巨神族ティーターンに戦いを挑んだ10年に渡る大戦争「ティタノマキア(Titanomachia)」が証明しています。また、ゼウスが父クロノスに戦いを挑んだ対敵の属性がクロノス、「時」を神格化したものであるのは永遠を問うギリシャ思想史の皮肉です。ゼウスを筆頭とするオリュンポスの神々は「ティタノマキア」に勝利するまでは「時間」の支配下にあったことになり、古史思想にあって「時間」が重視されていたことの証となります。哲学・思想ランキング
2020年03月26日
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時間の陥穽106 古史思想を代表するギリシァ大哲学者の三聖哲に対して、中世正教会の中興の祖アウグスティヌスはキリスト教の教条解釈を推し進め、「時間論」ではギリシァ哲学以来の「時間」観念」を運動から切り離し、時間を時間として世界の運動に絡み合わされたものを、時間をそれ自体として思考します。古代ギリシアにおける永遠、世界の根源としての端緒および終極が俎上に上ること必定ですが、プラトンをもってしても世界の始まりと終わりに対する強い究明意識は左程の究明する態度は見て取れません。 これに対してアウグスティヌスは時間を運動から切り離し点が特に際立ち、時間をそれ自体として考えた世界側の時間を永遠との対比をさせ、神との接点という枠組みにおいて考察します。アウグスティヌスの「永遠」とは、当然に世界時間上には乗らないキリスト教における「神の永遠(God's eternity)」です。オカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2020年03月25日
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時間の陥穽105 ギリシァ三哲、ソクラテスからプラトンそして史上初めての大帝国サラセン帝国の基を築いた若き英雄アレキサンダー(アレクサンドロス3世)の家庭教師である孫弟子アリストテレスも当然に時間に関する考察を行なっています。師の時間を永遠の動く似像と位置づけている見解に対して、更に加えてアリストテレスは、「今」に焦点を合わせて、時間は事物の運動、殊に根本的な運動としての天体の運行が示す諸々の今に関する運動の数(刻々)、なかんずく「より先の今」と「より後の今」の 二つの今によって区切られた運動を基準単位にして測られるものと捉えます。両者には時間を運動と関連付け、尚且、時間を運動に依存させるという態度は共通しており、而も、そこで表される時間は、私たちが日常生活を営む際に他者の行動との結節点となる時間、配慮される時間としての日常的時間(時計が刻む時間)にほかならないとします。プラトンそしてアリストテレスにとって、時間とは運動との連関において考察されるべきものなのです。哲学・思想ランキング
2020年03月24日
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時間の陥穽104 言葉を媒体とするには、現代社会では鯨が歌い海豚が会話する、即ち、情報伝達手段として「言葉」を持つとは言われる場合もありますが、古代ギリシァの思考大系には「ことば」を媒体として表現するのは、神の論理即ち万物が流転するという宇宙の真理、理法を発することであり、また、万物の流転中に存在する一定の法則や原理を「神の言」の表現として「ロゴス」として、人間と世界の関係を説明しています。宇宙の真理・理法・万物の流転中に存在する一定の法則や原理は神に帰しており、人間が理性をもって「神の言」の表現として「ロゴス」を理解することが、宇宙の真理・理法・万物の流転中に存在する見えない「時間」にもギリシァ哲学は焦点を当てています。此処には、知覚の対象であるが思惟の対象でない実在と思惟の対象であるが知覚の対象でない実在の区別がなされ、時間は思惟の対象であるが知覚の対象でない実在と認識されます。哲学・思想ランキング
2020年03月23日
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時間の陥穽103 時間論に関しては現代に於いてもアウグスティヌスの時間論を基底に構築した哲学や物理科学原論の骨子に応用展開されること屡々です。勿論のこと、アウグスティヌスの時間論以前に「時間論」を考察した思想家は史的に登場するだけでも多々あります。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる祖父譲りのアリストクレスという名があるが、身長高く体格が並々ならず、青年期はアテナイを代表するレスラーとしても活躍し、イストミア大祭に出場した他、プラトンという名前そのものがレスリングの師から付けられた仇名であると言われている古史オリンピックのレスラーでもあったプラトン(紀元前427年-紀元前347年)は、知覚の対象であるが思惟の対象でない実在と思惟の対象であるが知覚の対象でない実在の区別で「時間論」を解きます。彼は時間を一定の円運動を行なう天体の運行によって生じ、そこに永続性としての永遠「神の一瞬」とのつながりを見ることができるとして、時間を永遠の動く似像と位置づけています。人間が観相する時間とは、「永遠」即ち、絶対の永遠の過去・今・未来を完結する「一瞬が全体」を統合するのです。人間の時間観相を、ギリシア哲学では万物が流転するという宇宙の真理・理法。また且つ、万物の流転中に存在する一定の法則や原理を「ロゴス」としたのも、永遠の全体・永遠の一瞬の思惟の対象であるが知覚の対象でない実在を意味しています。哲学・思想ランキング
2020年03月22日
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時間の陥穽102 我々が時間を観相するときにあるのは、人間幼児が知性を持ち始めた途端に、子供は「今頂戴」と強請り、親は「さっき食べたでしょ。後であげますから」と時制を意識することなく受け入れているように、時間存在そのものが有り体に仄めかす必要もなく、教育課程に入らなければわからないと云った人間は平常ではいない筈です。いないからこそ、の「いったい時間とは何でしょうか。誰も私に尋ねないとき、私は知っています。尋ねられて説明しようと思うと、知らないのです。」を俎上に上げて、その課題に答えようとしたのが中世初期のキリスト教がローマ帝国によって公認され国教とされた時期を中心に活躍し、中世教団の確立に貢献した教父であり、古代キリスト教世界のラテン語圏において多大な影響力をもつ理論家であり古代キリスト教の神学者・哲学者・説教者、ラテン教父と呼称される、所謂、「神の国としての教会」の礎(いしずえ)を築いた人物として知られるアウグスティヌス(Augustine/354―430)です。彼の偉大さは其れまでの教団の教条主義的な概念を独自の神学哲学を以って、それまでの形而上哲学や唯物哲学に負けない論壇を張ったことにあります。哲学・思想ランキング
2020年03月21日
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時間の陥穽101 我我通常社会に存する人間が日常生活を送るうえで切っても切り離せない「時間」という概念。地球上の汎ゆる生命其のものが地球の自転周期のサイクルを持つ「時間」。此等は生物学的時間概念とも云えるもので其の「モノ」のサイクルは同様でも、仮に、其の「モノ」に知性が存すると仮定すれば観想する時間の流れの長短は極度的に異なるでしょう。例えば、鳥類の最小である蜂鳥の驚くべきハイスピードの羽ばたきと心臓拍動の速さ、アフリカゾウの巨大重量と人間の三倍以上の心臓拍動の遅さは「時間」の観想の長短を予想させます。此の「時間」の観相は生命体の其々自体の時の経過は、時間其のものの流れが一定であっても「時間の流れ」の進捗はゴム輪の如く伸縮している筈なのです。哲学・思想ランキング
2020年03月20日
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時間の陥穽100 凄まじい(すざましい)速度をもって膨張する宇宙では銀河団の離間速度も其れに比例しており、宇宙の中心点としての「0点」は膨らむ風船の任意の複数を点印した如く、どこもが中心点としての「0点」で有り得ます。それでは仮に、世界には「0点」としての「刻(瞬間)」が発生する原点の一瞬一瞬が無限にあり、宇宙其のもの全てが無限の鏡面の如くに存在して展開するとします。思考する人間がそれを思考で以て統括していると看做します。此の思惟では宇宙の構造が無限級数のパラパラ漫画となり、人間がマンガ本を見る如く宇宙を自らの思考で一瞬一瞬を補間し一連の流れとして構築していることになります。即ち、思考する人間が宇宙に流れを注ぎ込み時間の流れを齎します。時間は世界の側には無く、人間の観想にあるというわけです。此処に登場する「人間思考」を「神思考」と置き換えてみれば世界は思考する人間あればこその変遷・変化が生じることになります。「神」と「人間」の絶対意識の共有です。仮に世界の始まりが「神」に由来するならば時間は神とともに始まり人間が継承することになります。「時間」は神で始まり人間が継承している摩訶不可思議なものであり、実体はなくとも或る意味では実存する奇妙奇天烈摩訶不思議なものとして存在するのです。哲学・思想ランキング
2020年03月19日
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時間の陥穽99 物理科学では重力や光に関する学論には、アインシュタインの登場以来必ずと云っていい程、重力が光に与える影響と「時間」に与える影響が併載されること頻繁です。それだけに、仮に時間の存否で時間存在其のものが否定され、若しくは、時間は認めても不断の流れや時間の特性とされる方向性が否定されると「見えないようで見える重力と光」と「見えるようで見えない時間」が課題となります。見えないようで工夫さえすれば其の実相を見ることを得る「重力と光」と相違し、見えるようで、其の存在をいざ問答で尋ねられ返答に困るのは、なにもアウグスティヌスだけではありません。アウグスティヌスは「いったい時間とは何でしょうか。誰も私に尋ねないとき、私は知っています。尋ねられて説明しようと思うと、知らないのです。」(『告白』第11巻第14章)と述べている。誰しもが生活の中で意識せずとも分かっているのが時間であり、意識すれば解らなくなるのが時間の粒子特性を持つ重力や光との際立つ異相なのです。時間はあなたの形相そのものを形造るものではありません。ところが豈図らんや、人間にとっては時間は常にその生涯を支配するのです。哲学・思想ランキング
2020年03月18日
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時間の陥穽98 見えないもの程当てにならないものはないとはよく聞かされる言葉ですが、其れを自らの理知を高め手に入れた人間は確信に至ります。宗教・哲学・物理科学等々然りです。思考の探索だけでは捉えきれない神存在、見えないものを実証化しようとする哲学、人間の眼で一見すれば、見えてるようで見えない明かりを齎す光の根源の光子、人間の眼では捕らえられないが感覚的は捉え得る重力若しくは質量を検出する物理科学。世界は無量の粒子と空間で構成されます。然し乍ら、宇宙が単に「点粒子」と空間で縫製されているだけならば、光の偏光や空間でを伸ばしたり縮めたりする重力は説明出来得ません。其処に「振動」即ち「波動」が伴えばということから「超ひも理論」が登場します。ところが、「時間」のみが粒子や空間とは意をことにします。そこから「時間と其の流れ」が問題化します。哲学・思想ランキング
2020年03月17日
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時間の陥穽97 我々自身そして我が身の回りのもの全てが粒子の集合で成り立っています。私の身体はもとより、其の呼吸する空気も何もかもです。詳細に述べれば、此の我々が存する現在宇宙は全てが素粒子と呼ばれる「点粒子」から成り立っているのです。其の素粒子を現代物理学がITの機能・能力・技術の飛躍的な発展に伴って観測技術に応用、基本的に粒子は素粒子と呼ばれる「点粒子」から成り立っており、その種類は少なくとも17種類あることを観測で発見します。これらの粒子はとても小さく、肉眼では見ることが出来得ません。原子程度ほどなら原子顕微鏡「Atomic microscope」を使って何とか現代の技術で画像にすることができますが、それ自体を構成する電子やクオークなどの素粒子の段階になると、目で見るということは諦めざるを得ないこととなります。見えないもの程当てにならないものはないかもしれませんが、人類は理知を手中に入れてこれらの粒子が数え切れないほど集まって、世界を形成していることを理解します。哲学・思想ランキング
2020年03月16日
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時間の陥穽96 ユークリッド幾何学の「位置を持ち、部分を持たないものである」との定義を現実世界を取り扱う物理科学が粒子論に持ち込むことには無理があることから物理科学はユークリッド幾何学の「位置を持ち、部分を持たないものである」と「ゼロ」と同義の定義である点に、此れの定義に加えて「点粒子」は大いさを持たない粒子のことで、空間上のある一点だけに分布する粒子であることを付加します。通常の物体やそれを構成する原子や分子などは大きさを持ち、点状には分布していないが、ある尺度、即ち、物理科学上の立ち位置で点と見做せるような大きさしか持たないなら、それらは点粒子として扱うことができると解きます。このとき、その物体の持つ内部構造などは点粒子の持つ内部自由度として解釈される。たとえばある質量分布を点粒子と見なすなら、その点粒子の質量は分布全体の質量の合計となり、質量の密度は無視されます。質量を持たない光子や其の系列素粒子が「ゼロ」と同義だと説くのです。言い換えれば、質量のない粒子は「ゼロ」とは云え別の尺度から扱えば「位置を持ち、部分を持たないものである」ということが数学からは厳密には曖昧なものとなります。哲学・思想ランキング
2020年03月14日
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いっぷ句-27塀上に艶艷やかな桃の花 愚通人気ブログランキング
2020年03月13日
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時間の陥穽95 そもそもユークリッド幾何学の「位置をもち、部分を持たないものである」との定義を現実世界を取り扱う物理科学が粒子論に持ち込むこと自体に無理を感じます。物理科学においての「点」様態に「位置をもち、部分を持たないものである」を持ち込めば、粒子としての素粒子が空間的広がりを持たず、基点「0」が無限に運動することになります。其処から見えるのは空間こそが宇宙世界の原点となり宇宙の形成が本末転倒となります。素粒子が空間的広がりを持たず運動するとすれば時間概念を導入すべきでしょう。基点「0」が無限に運動するには宇宙も無限に膨張する宿命にあります。基点「0」としての中心を偏在させるには永遠の膨張が必要です。仮に、宇宙世界が膨張空間の無限性を持たなければ、其の運動線はいつかは遡及して宇宙の原初であるビッグ・バンに方向転換してゼロ時点へと行き着きます。ところが現状のビッグ・バン理論ではビッグ・バンの「Core/核」を角砂糖大とする論が通説です。ゼロ次元であり空間を占有しない素粒子が空間を無くし一点に凝縮すれば宇宙はブラックホールどころか宇宙の始元の「コア(核/Core)」は角砂糖如きの大きさではなしに、無限小の針先にも勝る「一点」である物理科学上の定義の一次元「0」と化します。哲学・思想ランキング
2020年03月12日
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時間の陥穽94 著者は「そのものとしての時間」と「時間の流れ」を区別し。時間の流れは世界の側には無くて、人間の生物進化に基づいた思考理念の象徴的観相と信じるものですが、此れを強引にごり押しすれば人間の脳活動や精神の立ち処の観念問題となり、粗方、霊魂の存在に対応する神存在と同様の扱いを受けかね得ない所以から、物理科学の理法から検討することが有用と敢えて捉え検討するのですが、流石に、現代物理学には記者の文系頭脳は追い切れません。点粒子(英: point particle)とは、物理学においてよく用いられる理想化された粒子として理想粒子 (ideal particle) または点様粒子 (point-like particle) とも呼称されます。其処にはユークリッド幾何学原論による「位置をもち、部分を持たないものである」と定義されている0点と現代物理学における素粒子理論は勿論のこと、その最先端である超弦理論は矛盾点はないのでしょうか。光子を定義付ける素粒子の1つで、場の量子論において、光(電磁波)を粒子と考える場合の名称。 光子は、フェルミ粒子とボーズ粒子の二つに分類される素粒子の中のボーズ粒子に属し、且つまた、標準模型に含まれる17個の素粒子の中の一つで粒子とともに波であるとされるのですが、此れでは位置情報どころか、素粒子は位置0どころか位置0点は次元的に絶えず移動し、瞬間若しくは停止がありません。これが「そのものとしての時間」と「時間の流れ」に影響することはあきらかです。哲学・思想ランキング
2020年03月11日
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時間の陥穽93 宇宙世界の物質の基礎を従来の「素粒子論」、物質の基礎を粒子、其れ以上には分解不可能な物理学上の点だとする素粒子論では、エネルギーや質量が無限大になってしまうケース。世界で最も有名な科学方程式とも言えるアインシュタインの E=mc2(イー・イコール・エム・シー2じょう/ E equals m c squared)によると速度vが大きくなって、光速に近づくと質量m'や運動量Pが無限大に近づいてしまう結果が出てきてしまうという問題。此れは幾何学的観念の「点」、点は部分を持たないものであるという幾何学上の定義に由来していますが、物理科学上の「点」の概念導入で逃れられそうです。然し乍ら、重力の働きによって空間や時間が伸び縮みすると考えるアインシュタインの一般相対性理論と、ミクロな世界の法則を記述する量子力学との間にある深刻な矛盾を解決する理論は、重力を扱うことで解決の素粒子論では、素粒子の間に働く複数の力の中に重力が含まれていないため、重力を説明できない。「超弦理論若しくは超ひも理論/Superstring theory)は無限大の問題を解消するとともに、重力を扱うことができるようになることを示唆するのです。哲学・思想ランキング
2020年03月10日
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時間の陥穽92 超弦理論は「位置をもち、部分を持たないものである」と定義され幾何学上に定義された位置のみを表し、大いさを持たない位置情報ではなく、物理科学上における「点」である「点粒子」であるとされた「素粒子」が実は「紐(ひも)」であるという仮説に基づく理論です。此の文意からは「もはや此れ以上には分割され得ない点粒子」が、ところが豈図らんや、実は長さを表象する紐(ひも)であるという仮説に基づく理論です。超弦理論は物理科学理論に新たに様々な奇跡を起こし現在時では注目される魅力的な理論として世間を賑わしています。常識が問います。もはや其れ以上に線分出来得ないのが数学的思考の「点」であり、「点」は何乗しようと「点」であり続ける筈です。物理科学上に於いても、簡易に述べれば、もはや此れ以上に砕けないのが「点粒子」である「素粒子」、其れを、実は「紐(ひも)」であるという超弦理論は。現在の素粒子の標準理論では各素粒子に対応する場をいちいち導入しなければならなかったのに比して「紐(ひも)」理論は様々な振動モードを対応させることでクォーク、レプトン、光子、重力子などあらゆる素粒子を一つの「紐(ひも)」で記述できる可能性を期待させるのです。「超弦理論(超ひも理論)」は、「時間の流れ」の観点からも見逃せない世界組成論ともなります。哲学・思想ランキング
2020年03月09日
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時間の陥穽91 物理科学が捉える宇宙構成論である超弦理論。一般相対性理論と量子力学をつなぐと期待されている「超弦理論(超ひも理論/Superstring theory)」は、1960年代にイタリアの物理学者、ガブリエーレ・ヴェネツィアーノが核子の内部で働く強い力の性質をベータ関数で表し、その式の示す構造が「弦 (string)」によって記述されることに南部陽一郎、レオナルド・サスキンド、ホルガー・ベック・ニールセンらが気付いたことから始まる仮説です。元来は宇宙初期に存在していた超高温物質であるクォーク・グルーオン・プラズマ(Q・G・P))。一般には研究対象から原子核物理学の一分野と位置づけられ、理論的手法は素粒子物理学の基礎となる場の量子論に基づいており、一般相対性理論と量子力学をつなぐと期待され、現在に至るも其の主張するところの魅力は増加することはあっても減衰することを知りません。超弦理論(超紐理論)とは、現在時では「点」、物理学上の点であり、ユークリッド幾何学に云う位置情報以外は何ものも表さない数学上の記号ではない粒子だと思われている素粒子が実は「紐」であるという仮説に基づく理論ですが、とても単純な思考論理のようですが其の示す理論展開は数々の魅力的な奇跡を引き起こしてくれます。哲学・思想ランキング
2020年03月08日
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時間の陥穽90 某時間線上の或る人間から見た範囲で時間の矢の向きが逆向きになったかのように全ての分子が動き、物事が未来から過去へ展開しているかのように見える世界。過去に科学ドキュメンタリー番組で時間が逆行するように観相される世界が取り上げられたこともあります。自己の属する世界が順行していると認識するのに反して、世界に並行して遅速若しくは迅速に進行している並行宇宙世界。若しくは時間が逆行、反面、言い換えれば彼らの方から見る我々の世界こそが退行していると覚える世界。此れ等は、其れ等を夫々の立ち位置から観相すれば観察者の世界こそが実は時間は順行しており、彼の宇宙世界こそが時間の矢が逆転した世界となります。哲学・思想ランキング
2020年03月07日
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時間の陥穽89 仮に現在の宇宙の空間において「時間の矢」の方位の逆転、時間の巻き戻りが実際は頻繁に起きているかもしれないとすれば、偶然が重畳したにしても「時間の矢」の時間線に在するものから見た範囲の限りでは、時間の矢の向きが逆向きになったかのように全ての分子が動き、物事が未来から過去へ展開しているかのように見える筈です。時間線に目撃例がない理由は、物理科学上では確率的に時間の流れを目撃するのは不可能だからという点が顕れるのです。つまりは「熱力学第二法則」の真の常態とされるエントロピー、そのエントロピーは熱力学の用語ですが、難解な概念の代表格であり、「熱力学の第二法則」は別名「エントロピー増大の法則」とも呼ばれ、「宇宙は秩序から無秩序へ向かい逆戻りはしない」という実に深遠な意味を併せ持ちます。本来のエントロピーとは、熱力学における不可逆性の度合いを、数値化したものであり、全てのものが不可逆性を持つとすれば宇宙も時が経てば何れ終焉を迎える筈ですが、ところが、哲学的に捉えた「時間の矢」の概念は物理科学の云うところとは関係しておらず、意識と直接関係していると考えられ「熱力学第二法則」は、時間の流れの実相を捉え切っておらず、時間の流れを熱力学第二法則という物理的時間概念と決別し時間の矢の概念を人間の意識に結び付けます。哲学・思想ランキング
2020年03月06日
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時間の陥穽88 我々が人生で未来が過去に向かって運動展開したという「体験例」の独白は創作を除いては皆無です、此処に注意すべきは人間有史の記録には屡々其の当の人間が未来に至って其の現況を告げる話はありますが、そこには何故に未来にまみえ将又住したのかを納得させる説得力が乏しいために問うても合点に行き当たりません。人間個々の人生体験を鑑みれば、どう見ても時間は過去から未来へと一方方向にしか進んでいないように思えるのです。未来が過去に向かって展開するのは余程にもって確率的に小さく且つ起き難いことか、将又、有り得ないことなのか。仮に「時間の矢」は世界の方に存在しないとしても、実際の物理法則に反するとは云えまい。「時間の矢」と「熱力学第二法則」を関係付けて説明するのは物理科学者には難解な課題に容易に解釈らしきものを与えられるかもです。ということは、当然に「時間の矢」は存在しないと主張している物理科学者も普通一般的に存在しています。然し乍ら、「時間の矢」は存在しないのが、物理法則に反さないのであれば、何故に、汎ゆる観測装置をもってしても見えないのか。時間の巻き戻り現象が実際は頻繁に起きているのかもしれないが、其の時には個々或いは人類の記憶が一緒に過去に戻ることになり、それを観測する事はその現実在の宇宙内では単純に不可能というわけです。哲学・思想ランキング
2020年03月05日
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いっぷ句-26雛壇に菱餅乗せる娘艷やか 愚通人気ブログランキング
2020年03月04日
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時間の陥穽87 「言(ことば)はロゴス」 ヨハネ福音書は、このようにして始まります。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった云々。そこには、これは普通の所謂(いわゆる)通常に使用されている語彙の「言葉」とは違うのだという思いと、それでもこれは「こ・と・ば」としか言いようのないものなのだという思いの、神の言葉の預言を其の儘に人間が解せる言葉で介在する通辞、此の「言」は初(はじ)めに神とともに在り、萬(よろず)のものこれに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。{起こったできごとで」、この方ぬきにおこったものは、なにひとつなかった。言によってできたものは「命」(此処に掲げられた「命」を詳細に考察すればで世界そのものと捉えられます。)であった」という訳もあります。聖書を解釈するに世界創造が神に起因する以上神を別格として世界には始まりがあり終末が神の別途に設けた世界を覗けば不可避だというわけです。結論から云えば「此の文章の文言「ことば」を「時間」に読み替えれば以外に同調するものが垣間々に見えます。人間の思考は「空間」を自分の手を持って形相して見せることが出来ます。ところが「時間」となると其の本質を問われれば時を象徴化させた時計を見せ、証として提供します。哲学・思想ランキング
2020年03月03日
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時間の陥穽86 古代の記録・文献にまみえる民族には、古代ゲルマン民族の血脈にある一派の時間の流れの観想を思い起こします。彼らは時間を過去から現在そして未来へと流れるとは観想せず、時は未来から来たりて現在より過去に至るとする時間感を抱いていました。其れ故に、未来の神々が現在に来たりて相争い滅びに至ることをを観相します。時間が過去から現在そして未来へと流れるのが人類す総じての性向ではない特筆すべき一例です。然し乍ら、可能性として有り得るかもしれないのに未来が過去に向かって展開したという万人が認証するような例は、信教やSFに登場はしても、未だに見付かっては理論物理学を除けばマクロであれミクロであれ物理科学観測では観測されません。此処には熱力学第二法則のエントロピー増大の法則が関与します。 此処で根本的に頭に剞んでおきたいのは、現在の物理科学が「時間の矢」なるものは、便宜的な象徴であり、抑々が、一方向・反対方向・双方向の「時間の矢」其の物を目撃した者、観測機械に記録したものは皆無だというのが現実です。哲学・思想ランキング
2020年03月02日
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時間の陥穽85 確率論から云えば未来が過去に向かって展開することは有り得ないことでもないように考えれば、時間が過去から現在そして未来、人間の生涯を時間の矢に託せば精子発生が人間自体の過去時の起点であり、出産誕生から自己意識に目覚め外界情報を取り入れ、情報の蓄積から其の経緯に流れを感じ取る成長を経て、体内時間を獲得し。現在を認識するも流動する時間は停止を知らず、絶え間なく過去へと流れ、いま臨終に望み自己の現在の終わりを知ったとすれば、其の人間独自の持つ時間感覚には、信教や神秘哲学に依らずして未来はありません。此れは物理科学上の時間の流れとは質を異にしています。人間だけが夢想によって過去を疑似体験してみたり、未来を夢想するのです。確率論から云えば、あり得るかもしれないのに未来が過去に向かって展開したという人間の夢想は別にして目撃例は一切存在しないと見るのが常識です。どう見ても時間は過去から未来へと一方方向にしか進んでいないと想うのは通常では致し方ありません。哲学・思想ランキング
2020年03月01日
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