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時間の陥穽225 ビッグバン(Big Bang)以前のコスミック・インフレーション理論をもってしても、人間精神の疑問は更に遡及します。そのビッグバンの超短時間でのコスミック・インフレーションをもってしても、其れの起きる元因の原点、宇宙其のものの究極の原点の有無が問われていません。ところが、極く最近では原初の最初の宇宙の因は無から生れたと考えられています。「無」は物質も何もない状態であるという古今東西の「無」の語彙の認識、「虚」を別としてどうしてそこから何かが生れてくるのでしょうか。此処では宇宙因を宇宙の外部の神格に求める宗教やや形而上哲学における内外を問わずの絶対者に創造を求めるのではなく、純粋物理科学的な宇宙の誕生についての理論です。現代科学理論の主流は「無のゆらぎ」から宇宙は生まれたとする説です。無のゆらぎとは、無と有の状態が両方とも同時に、ある確率をもって存在している状態を指します。私たちの身近にあるものも、細かく分解して見ていけば、実はすべて確率的に存在しているに過ぎません。このような概念に基づく物理学を量子論と呼んでいます。量子論は決して数学上の便宜的な事象の構造を抽象して論理的に形式化したモデルではなく、実際に起きているさまざまな現象を説明できる物理学なんです。この量子論的な世界が、宇宙の始まりにあったと考えられているのです。哲学・思想ランキング
2020年07月31日
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時間の陥穽224 ビッグバン(Big Bang)以前の様相を経済用語「インフレーション」に因んで付けられた 宇宙の人間の知の限界を超えた程の膨張コスミック・インフレーション(cosmic inflation)の命名には私的には異和感があります。何故なら、宇宙の急激な収縮に対語としては当然にコスミック・デフレーション(Cosmic Deflation)の語が予期されますが、宇宙終末思想では「時空間の一点から無まで」を理論で追いかける思考があり、経済用語「デフレーション」では、まさか、宇宙の価値と存在を紙屑同然の兌換紙幣ならぬ不換紙幣となる用語は不適切だからです。話を戻してコスミック・インフレーションが具体的にどれくらい宇宙が膨張したのかというと、インフレーション前の大きさは、直径10のマイナス34乗cmとされていますから、物質をこれ以上には細分化できない究極の粒子といわれる素粒子よりもはるかに小さかった筈です。。それがインフレーション直後にはビッグバンは直径1cm以上の豆粒大になっていたのですが、極小宇宙のコスミック・インフレーションとその後のビッグバン(Big Bang)に時間が持ち込まれていることを考慮するにつけ時空間の発生時点が曖昧模糊となります。哲学・思想ランキング
2020年07月30日
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時間の陥穽223 ビッグバンとネーミングされた後、1965年にベル電話研究所(Bell Telephone Laboratory)の技師が、「宇宙背景放射」という火の玉の残滓の余熱を電波というかたちで状況確認したことにより、ビッグバン理論が天文科学で証明され世界的に認知されるようになります。ところが此処で、総合物理科学は勿論、天文物理科学にビッグバン理論の矛盾と欠陥が顕れ指摘されることになります、形而上哲学では現存在である世界の始まりを絶対存在の絶対意思の結果と想定し、神学哲学では宇宙部外的存在の神格に依る他者創造を認める傾向が顕著です。更には、ビッグバン理論が説明してない「モノ」の根幹、人類に喩えれば赤子の誕生の母体がビッグバン理論では論述・上梓されたものが見当たりません。其処で搭乗したのがインフレーション理論なのです。お馴染みの経済指標で物価水準が急上昇する経済用語「インフレーション」に因んで付けられたものですが、ビッグバン(Big Bang)以前は宇宙創成の10のマイナス44乗秒後に始まって、10のマイナス33乗秒後に終了した、つまり、1秒の1兆分の1をさらに1兆分の1にして、またさらに10億分の1以下にした、とてつもなくわずかの時間に起きた宇宙の異常、何をして異常というのかは人間知の限界を超えた程の膨張を意味するのでしょうが、宇宙の「コア(核)」である因その起原を示してはいません。然し乍ら、時間論から観想すれば時空を認識をする上では参考すべき重要な要素となります。哲学・思想ランキング
2020年07月29日
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いっぷ句-32季語の梅雨流れ悔しき道の河 愚通人気ブログランキング
2020年07月28日
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時間の陥穽222 宇宙の始まりは138億年前。超高温・超高密度の人間が表象する火の玉の想像を超えた「ビッグバン」の急膨張により誕生したとされています。それでは、ビッグバンはどうして起きたのかについては、釈尊の「問うべからず」の答弁を想起しますが、現代の理論物理科学はそれでは引き下がりません。万人が認証する宇宙創生を解明する理論が待たれるところです。ビッグバン理論は1948年にジョージ・ガモフ(George Gamow/1904年1968年)、ロシア帝国領オデッサ(現在はウクライナ領)生まれのアメリカの理論物理学者であり、1922年に一般相対性理論の場の方程式に従う膨張宇宙のモデルをフリードマン方程式の解として定式化したことで知られるアレクサンドル・フリードマン(Alexander Alexandrovich Friedmann/1888年-1925年)の弟子として知られています。ビッグバンのネーミングは彼の火の玉宇宙論を他の科学者が恐らく信じられないことから「宇宙がビッグバン、「小さな風船が突然に大きなバルーンになるように「バーンという爆発から始まったというのか?」といったことから名付けられたことからも解るように天体物理科学の遅速故に名付けられたものです。其れよりも何も当時の物理科学者が、宗教の結果遡及から神を見い出させようとする遡及論を嫌う傾向への顕著な例が此の命名に反映されてるようです。哲学・思想ランキング
2020年07月27日
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時間の陥穽221 我々人類が生存し生活する蒼き水の惑星地球は空間に占める規模・質量共に微々たる存在ですがマクロ的には大宇宙に属します。宇宙は今から「とある一点」、137億年前にビック・バンを起こして、此処で「とある一点」と抽象論的に云うのは空間と時間が共通する或いは依存関係にあれば其処には未だ両者ともに生じてないことから来ます。時間の発生、此れが哲学的にも宗教的にも、形而上であれ神学上であれ未だ万民の精神が納得できる何らの解決を齎してはいないことの苛立ちです。現代物理科学の宇宙創造の理論では、「とある一点」では宇宙そのものがない故に空間もなく「無」或いは「虚」の何某(なにがし)かと云うしかないところからくる便宜的表現ですが、現代物理科学の理論では、それではビッグバンはどうやって起きたのかの謎に、ビッグバン直前の「宇宙のはじまりの瞬間」を捉えたとされる仮想理論が浮上しています。哲学・思想ランキング
2020年07月26日
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時間の陥穽220 ビッグバンが虚空の一点から発生したのか、将又、何らかのエネルギー例えば神の絶対意思を起因としたのかは謎ですが。ビッグバンを起こした直後の宇宙は、すべての物質とエネルギーが一カ所に集まった高温度・高密度の状態だったと想像されています。ビッグバン直後の温度はプランク温度と呼ばれ、宇宙の構造に直接関係している定数:プランク定数とそれを発見したマックス・プランクに由来しています。マックス・カール・エルンスト・ルートヴィヒ・プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck/ 1858年-1947年)はドイツの物理学者で量子論の創始者の一人であるり「量子論の父」とも呼ばれている人物です。。黒体から放射されるエネルギーである「黒体放射」に関して、熱力学の理論シュテファン=ボルツマンの法則、または、ヴィーンの変位則から導かれる予測と実験的に求められた結果である「レイリー・ジーンズの法則」との間に矛盾があることが知られていたのを、プランクは光のエネルギーが、ある最小単位の整数倍の値しか取ることが出来ないと仮定するとこの矛盾が解消されることを発見し、放射に関するプランクの法則(1900年)を導出した。またこの過程で得られた光の最小単位に関する定数(1899年)はプランク定数と名づけられ、物理学における基礎定数の一つとなった経緯があります。プランクが導いた結果は、後にアルベルト・アインシュタイン、ニールス・ボーアなどによって確立された量子力学の基礎となるものであったほどの人物に由来するプランク温度。宇宙の根底にある非常に重要な構造を明らかにした、それがプランク定数です。このマックス・プランクの登場から、突然、物理の歴史は一転し、古典力学から量子力学の時代に入り「神はサイコロを振らない(Der Alte w?rfelt nicht)」と懐疑的な立場をとったアインシュタインを超えるまでの人物評も見受けられます。哲学・思想ランキング
2020年07月25日
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時間の陥穽219 熱其のものは通常の視力では捉えられるものではありません、但し、人間が可視化するためのサーモグラフィー(thermography)のように、物体から放射される赤外線を分析しすれば可視化すること可能です。そのため、熱其のものは通常の視力では捉えられ切れないために炎のように形象を心のなかに表象し辛い面があります。極微的なミクロの世界に視点を移すと、「熱は原子や分子の運動エネルギー」と表現されいぇいます。宝石や金属のような固体は、其れ其れに原子同士が固く結びつき、運動しているような様相はありませんが、実は小刻みに振動しています。そこに熱が加わると、原子の運動が活発になって結合が弱まり、液体へと変転します。其処から更に熱を与えると気体へと変化するのは御存知の通りです。即ち、原子の運動が活発になり、拡散して乱雑になり、エントロピーが増大が起こるのです。ミクロの世界に代表される運動を原子のレベルで考えると、「エントロピー」というものが容易に理解できます。それでは極微的なミクロの世界ではなく視点を世界である宇宙に目を向けエントロピーを考察しましょう。現時の宇宙論では今から約138億年前にエントロピーが極小状態で誕生し、その後の爆発的膨張エネルギーを経て空間的拡がりを持ち現在の宇宙が成り立ったとするのが「ビッグバン理論」であり、現時では有力な反証がありません。哲学・思想ランキング
2020年07月24日
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時間の陥穽218 宇宙の中で時間を逆流させる程の莫大なエネルギーとは如何がなものが思い浮かぶでしょう。惑星や恒星では力足らずです。恐らく銀河団クラスの星雲まるごとエネルギーに変換する技術を持った文明が必要になるでしょう。サイエンスフィクションのタイムマシン程度の動力では時間の方から無視されます。時間とエントロピーは同じ方向に進むという理論があります。此の「エントロピー」の語彙は「エネルギーの質」のことで、「乱雑さの度合い」と表現されることもあります。エントロピーが高いほど、質の悪いエネルギーであり、質の悪い高エントロピーのエネルギーを、手を加えずに質のよい低エントロピーのエネルギーにすることはできないとするもので、これを「熱力学第二法則」といいます。例えば熱エネルギーは、質が悪くてエントロピーが高い。中央を仕切られた水槽の仕切りの一方には熱湯を入れ、別の一方には水を入れておき、仕切りを取ると時間の経過とともに熱湯と水とは混じり合い微温湯になります。この現象は、熱湯の「熱が拡散した」ともいえ、エントロピーが増大したと表現されます。世界内自然界にあっては、熱は温度の高い部分から低い部分に流れて行くのを常理とします。そこから、高低差のある熱源の温度のちょうど中間ぐらいの温度で熱の移動が停止されます。これは「熱平衡状態」と呼ばれ、エントロピーが最大の状態だとされるのです。世界は時間とともに熱は拡散し続け冷めていき、エントロピーが増大していくのが常道とされるのが現代科学の認識です。哲学・思想ランキング
2020年07月23日
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時間の陥穽217 純粋自然科学から即ち経験主義から離れた理論物理科学では「時間の流れ」を可逆若しくは不可逆の何れか、将又、双方が混在するのかは目下の課題です。一般教養の基礎物理学では「時間の流れ」も、不可逆的な変化と考えられています。「コップ」から「割れたガラス片」と変化するように、「整然とした状態」から「乱雑な状態」へと変化していくのが、自然界の掟です。「乱雑な状態」から「整然とした状態」に変えるには、そこに何らかのエネルギーが必要になってきます。例えば、ガラスの破片を集めて、熱で溶かし、再び同じコップを作るなどが考えられますが、完全に同じものを再現できる訳ではありません。時間が1つの方向にしか流れないのは、それを逆に戻すためのエネルギーが存在しないからという考えもサイエンスフィクションではなくてもありそうです。逆に考えれば、過去に戻るためには、莫大なエネルギーが必要なのだとも捉えられます。現在の人間の手持ちの科学では、そのような莫大なエネルギーは、手に入れることができないからです。哲学・思想ランキング
2020年07月22日
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時間の陥穽216 アーサー・エディントンの「時間の矢」によれば、時間には「過去」と「未来」の非対称性がある。時間は「未来」に向かって流れるけど「過去」には戻らないと述べます。然し乍ら、真実本当に、時間は「未来」にしか流れないのでしょうか。時間が「過去」に流れるということは有り得ないと断言出来るのでしょうか。ここで問題にするのはSFは勿論のこと神学や宗教を離れ純粋自然科学から「時間の流れ」を検討します。我々を取り巻く自然界には、可逆」と「不可逆」という2種類の変化の様態が見られます。可逆とは変化を変化前に逆戻りさせると、再び元の状態に戻れることが可能なことです。対して不可逆とは変化を逆戻りさせて、元の状態に戻すことができ得ない戻ること不可能なことです。可逆の一例としては、水が凍ることや氷が溶ける氷結・融解が挙げられます。水は温度が0℃で凍りますが、温度が上がれば再び氷から元の水に戻ります。その逆も然りです。対して不可逆の例では、水の入ったコップがテーブルから落ちて、粉々に割れてしまったとします。こうなると、元の水の入ったコップには戻すことが不可能、「覆水盆に返らず」状態に陥ります。物の変化を撮影したヴィデオを逆回しで再生すれば、元に戻ったようには見えますが、ところが、現実に割れたガラスの破片が自然にくっ付き結合して、元のコップに戻るようなことは誰が想像しても有り得ないことです。此の当たり前のようなことが一般的には自然界の法則とされています。哲学・思想ランキング
2020年07月21日
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時間の陥穽215 通常生活に置いては、社会生活を送る現代人は、都会暮らしで星の運行で時間を表象する人は稀でしょう。一般には時計やカレンダーを見て過去から現在そして未来、流れ去ったものの想起や今の現状そして予測をしています。英国の天文学者アーサー・エディントン(Sir Arthur Stanley Eddington/1882年-1944年)は其の著書「物的世界の本質(The Nature of the Physical World)」の中で、「さあ、任意に矢を描いてみよう。我々が矢印の方向に従うにつれて、世界の様子に乱雑な要素がますます見つかるようであれば、矢印は未来を指している。乱雑な要素が減って行くならば、矢印は過去に向いている。これが物理学で知られている唯一の区別である。乱雑化の導入が取り消せない唯一の事実であるという根本的な主張が認められれば、これはすぐに続く。私は、宇宙で類似物をもたないこの時間の一方向性を表現するために、「時間の矢」の語を用いる」と述べています。更にエディントンはこの矢印について注意を払うべきものとして、それ(時間)は意識によって鮮明に認識される。それ(時間)は矢印の逆転が外界を無意味にしてくれるということを我々に教えてくれる、我々の推論能力によって同様に主張されている。それ(時間)は多くの個人の組織化の研究を除いて、物理学では現れない。と述べ、熱力学の性質についての長い議論の末に矢印は乱雑な要素の漸進的な増加の方向を示す。物理学に関する限り、時間の矢印はエントロピーのみの性質であると結論づけ、時間の理解は他の基本的な疑問を解くうえで極めて重要だと述べます。例えば,特異点としての密度が無限大になるところで何が起こるか,宇宙膨張がいずれ反転して宇宙が崩壊に向かう可能性があるのかどうか、時間の性状を問います。
2020年07月20日
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時間の陥穽214 時間の流れの肯定論者にしても、振り子運動の如く行きさったものが戻ってくることは無く、停止点や転換点を持つ筈も無く、ウィリアムテルの我が子の頭上の林檎を射た矢の如く一方向への流れしかないというのが一般論です。「時間の矢(Arrow of Time, Time's Arrow)」という1927年に英国の天文学者アーサー・エディントンが提唱した概念であり、時間の 「一方向性」または「非対称性」を表す言葉があるように、現代の最先端理論の量子力学を除けば、空間は前後左右上下とどの方向についても対称的に移動でき得るのに、時間は過去から未来にむけての一方向、、振り子運動の対照的運動には非ず、非対称的にしか進行するだけです。此れが一度放ってしまえば戻ってくることのない矢で例えたものが「時間の矢」です。時間の矢は何故に存在するのか、つまり、何故時間は過去の方向には進まないのかは、量子論をしても物理科学学の未解決問題の一つです。但し、超微視的レベルでの物理的過程にあっては、完全に、或いは殆どが時間対称であるのを真と考える理論が認識されつつあります。然し乍ら、我々が想定する世界の巨視的なレベルでは時間の方向性があり流れがあるというのが妥当な概念となります。今のところはという条件付きですが。哲学・思想ランキング
2020年07月19日
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時間の陥穽213 ゼノンのパラドックス「飛ぶ矢は飛ばない」という通り、世界に瞬間というものが現実・現在するならば時間は止まることが可能なように見えます、然し乍ら、たとえ光子の速さををもってさえ脱出不可能なブラックホール、中心の核に近付くに従い時間の流れが伸長する世界、真っ只中に時間はあるのでしょうか、将又、永遠の瞬間が見られるのでしょうか。此れはブラックホールが宇宙ない存在である限りにあっては有り得ません。宇宙は活動を基底とした世界だからです。否、ブラックホールが現宇宙の綻びであり他の新世界への核と成るべき、質量さえ見い出され得ないコア(Core)因子ならば、たとえ、超巨大ブラックホールにしても力不足です。何故なら、他の新世界への核と成るべき、質量さえ見い出され得ないコア(Core)因子ならば宇宙は暫時縮小した宇宙を産み続け最後にはエネルギーどころか因子さえ無くすでしょう。ブラックホールはやはり世界内因子としての超強力質量の星だと考えた方が理解は容易です。更には、此の超巨大ブラックホールにしても時間の逆走を仮想理論的なものが上梓されたことを見聞しません。此のことから、現在宇宙にある限りに在って時間の存在を認める限りに於いては過去や未来、将又、現在・現今・現時の瞬間の有り様が確実性を失います。哲学・思想ランキング
2020年07月18日
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時間の陥穽212 わくら葉が河を流れるように、河下が未来であるとするならば、時間は尋常では未来に流れると云われます。「時間の矢」という語彙には、時間は「未来」に向かってのみ流れ「過去」には戻らない、「過去」と「未来」の非対称性、恰も、一方通行の運動のように後には下がれない制約があるようです。然し乍ら、真実根源的に。時間は「未来」にしか流れないものか、可能性として「過去」に流れるということは有り得るのではないか。映像フィルムの逆回しは世界の側では矛盾でしか有り得ないのか、大きな恒星が燃えつき収縮し、超強い重力のために物質も光も放出することが不可能な人間の光学観測ではブラックどころか、そもそもが色別判別しようのない見えない(Invisible)天体では、通常空間から観れば時間が限りなく遅速する或いは停止に限りなく近付く。然し、ブラックホールの核内であれ変化は進行します。ブラックホールの核内に行き着いたとしても永遠の瞬間は期待できません。ましてや、時間が逆行することなどは人間の思考では非常識と鐘がなります。ところが豈図らんや、思考学上の歴史を鑑みれば地動説と天動説の対決のように非常識が常識になることもあり得ます。人間の想像力は多くのサイエンスフィクションやファンタジーを待つまでもなく時間は過去と未来を奔放に駆け回り、瞬間さえ感覚を超え思考で受け止めています。人間が人間であるのは「唯一の考える動物」は近頃では否定される傾向がありますが、人間は人間である「唯一の想像する動物」に関しては肯んじてもらいたいものです。哲学・思想ランキング
2020年07月17日
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時間の陥穽211 人間が時間の流れを意識したのは脳の視床下部の「視交叉上核」の発達に依ることが解っています。人間は時間の流れを知る上で基点とも云える瞬間を、理念では解ってはいるにしても、生態機能により感覚として実測していない且又実測し得ません。ある観測実験学によれば、人間が感知できる最短の時間は、0.03秒という結果が示されました。我々人間は「今此の時」を感知しようと努力してもしても0.00秒には到達出来得ません。逆に人間の生体機能が出来得る最長の脳内細胞の記憶の維持は3秒程度だとされます。人間は、3秒ごとに時間を感知し、その記憶を脳内で只管に繋ぎまとめているのです。更には年齢を重ねるごとに時間を感知する生体機能は5秒程度に伸長します。年齢を重ねるにしたがって、時間が経つのが早いと感じる人は多いと思いますが、若者と老人では、このように時間を感知する長さが違っているようなのです。「3秒ごとに情報が増える状態」と、「5秒ごとに情報が増える状態」とでは、3秒ごとの方が、脳内に蓄積される情報量が多いのは明白です。刺激が無くなり、単調な毎日を過ごすと、時間の経過を早く感じるようで、刺激を沢山受けた方が、時間が長く感じられると考えられています。日本では人生百年の時代が来たと謳っていますが、時間を感知する生体機能が9秒程度に伸長されれば其の個人の長生意識は百年生きようとせいぜいが60年という事になりかねません。人生は数字ばかりでなく万葉時代人の生き方に見習うものがあるのかも知れません。哲学・思想ランキング
2020年07月16日
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2020年07月15日
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時間の陥穽210 宇宙の変化や世界の始まりと終末というシナリオは物事の道理を問う知性体の脳の産物です。神を絶対存在。絶対意思・絶対精神として世界とは別段に置いたり、世界そのものに偏在或いは其れに等価したり、たとえ現代の先端物理学や天文学にあっても、其の理路整然の美しさから何らかの「絶対存在」を仄めかす科学者も数多あることは事実です。ところが、「時間概念」が関わって来ると様相は一変します。物理科学は物事の尺度に「時間」が基底として関与し、宗教的見解では「時間」は創造主の創造物となり、哲学的見解では「時間」其のものの根幹として概念の定義が求められてます。仮に「世界」のなかに「永遠」が常住すれば、変化を逃れ人間は「永遠の生命を」享受できます。言い換えれば世界の中には変化を逃れるすべが無いと云えます。人類を含めた生命の体内時計は、「恒常性/Homeostasis(ホメオスタシス)」の一種であると考えられています。ホメオスタシスは、生体内部や外部環境の変化に関わらず、生体の状態を一定に保とうとする機能「恒常性」のことです。これによって、体温や血圧、脈拍、ホルモンの分泌量などは一定の状態に保たれ、生命を維持できるようになります。体内時計も、睡眠の周期や行動などに大きな影響を及ぼしており、生命の維持には欠かせないものです。「体内時計」は意識に上ることはないが、睡眠の周期や行動などに大きな影響を及ぼしている要素です。此れが人間の時間の流れに作用しているかもしれません。人間を度外視すれば世界は未来に向かっているのか過去に矢が飛んでいるのかは甚だ難しくなります。哲学・思想ランキング
2020年07月14日
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時間の陥穽209 仮に時間が独立して流れるものとすれば。「永遠」は物事の変化を認識するための概念である時間、常に移ろい過ぎ去っていく時間に対し、物事の変化に作用されずに不変を意味します。時間其のものの概念が有限を前提してあるのに対し、永遠であるということは無限、無期限であることを前提とします。 有形、無形を問わずそれが何時の時点から存在するかを推し量れない過去から有る、元来・本来的にあるもの、またはある時点から存在しているものであっても過去から現在に、さらには際限のない未来へと不変の状態や形式で無限に存在し続けることを前提とする概念です。現在の宇宙観測から齎される「無から此処では常住を意味しない有」が報告されていますが、従来の「無からは何も生じない」という原理を受け入れれば、世界は無から始まることは出来得ない循環世界論が浮上します。20世紀初頭では宇宙は無限の過去から永遠の未来に向かって限りない広がりを持っていると考えられ、アイン・シュタインでさえも、自分の発表した方程式に定常でない解があることを知り、宇宙項と言うものを追加し、宇宙を定常に持っていこうとしましたが彼は後年、これを後悔したと伝わっているとおり、物理量の値が永遠に不確定になってしまうことがある現象を量子論に委ねます。哲学・思想ランキング
2020年07月13日
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時間の陥穽208 我々が日常で使う「永遠」とは、永遠の愛・永遠の契り・永遠の別れ等々日々場面により使用しますが、その「永遠」とは神の前に誓ったり、仏にすがるのように宗教絡みで多用されています。その他「永遠」の四字熟語をとっても永永無窮・永久不変・永劫回帰・生生世世・生死流転・千古不易・千古不磨・千秋万古・千秋万歳・天壌無窮・天長地久・万古千秋・万古不易・万世不易・百載無窮・百世不磨・不朽不滅・未来永劫等々垣間がありません。然し乍ら、どれもこれも一様に「時間の流れ」を想定していることには粗方間違いないでしょう。永遠(とわ、えいえん)とは、物事の変化を認識するための概念である時間に対し、変化しないものの概念であり、常に移ろい過ぎ去っていく時間に対し、不変のものを言う。また、時間が有限であるのに対し、永遠であるということは無限、無期限であるということが哲学的態度なのでしょう。有形、無形を問わず時点がそもそも存在しない無明の時点から存在するかを推し量れない過去からも有る、元元の源・本来ある、またはある時点から存在している、いずれであってもそれらが過去から現在に、さらに際限のない未来へと不変の状態や形式で無限に存在し続けること「永遠」とは「常有」に居座り続ける「何ものか」です。哲学・思想ランキング
2020年07月12日
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時間の陥穽207 時間の無限性とは一体何ものなのか。我々の頭脳ではなかなかに解明の先が見得ず難解です。「無限時間の相」は、語彙的には何となく理解したつもりでも、その本質を問われれば数多の人間は返答に窮します。時間が「永久無限」に存在するということは、逆説的に捉えれば「瞬間」が無限であること「永遠の瞬間」を意味します。此処から導かれるのは、時間が流れるにしても物質的実体は現実態を帯びるのは、今現在の「実体」としては瞬間に存し、過ぎた過去は天文物理科学が640光年光年離れたをベテルギウスの超新星爆発を観測したにしろ、光子の齎す悪戯に過ぎず、残像のみの幻像であり、実体ではありません。「絶対的存在」を認めない限りにおいては時間そのものが幻想であり、実相としての時間は存在していないということになります。大宇宙の本質、世界としての絶対世界とは、時間も無ければ空間も無い、時空を超越した根源の世界であり、そこには只々、「永遠(とわ)の現在」、「今」という名の「永遠(えいえん)の時」があるだけなのです。「根源の世界」とは時間も無ければ空間も無い「点」であるのが実体なのでしょうか、将又、其の「点」は何らかの方向性を抱くものかは思想分野を問わず究明すべき課題です。哲学・思想ランキング
2020年07月11日
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時間の陥穽206 現時に在る宇宙、此れは時間の流れの過去時の宇宙・現在今瞬間の宇宙・未来時の宇宙を否定する論者を見据えての言い回しですが、時間独立論の観点からは、ビッグバンの時間逆転であるビッグクランチによって、宇宙が目に見えない程の小さな点になって最後を迎えるにしても「宇宙の消滅」を匂わしてはいません。仮にそうであれば、理論物理科学の一部の科学者たちの思考(ビジョン)が如くに、ビッグバンによって今ある宇宙が始まり、ビッグクランチによって今ある宇宙が終わりを迎えたとしても、この「無限」の大宇宙は、そのようなサイクルを、何回でも何十回でも、何百回でも、それこそ「無限」に繰り返すことがあった筈だし、これからもあることになります。宇宙から導き出されるものに「絶対無」が無い限りは、宇宙がどのような状態にあるのかに関わらず、過去は「無限」であり、未来もまた「無限」なのです。「無始の過去、無終の未来」なのであり、過去には始まりが無く、未来には終わりも無いことになり、此の宇宙其のものの有りようが「始まりも無ければ終わりも無い」、仏教哲学が否定・批判的に云うところの「常恒・常有」であり、時間性を独立的に捉える時間論からは、大宇宙は時間においては「無限」となります。哲学・思想ランキング
2020年07月10日
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時間の陥穽205 未来については終末の時間が課題に上ります。、時間独立論の観点からは如何なものとなるのでしょうか。理論物理科学や物理天文学を扱う分野では、ビッグバンの時相の逆転であるビッグクランチによって、膨張した宇宙はいずれ収縮して、目に見えない程の小さな点になって最後を迎えるという、然し乍ら、其の恐らくは観測上見得ない、見ること能わずの極小の「一点」が終末と表現するも、「無」に帰すとは述べていないことには注意が肝要です。ブラックホールの質量理論とは次元が違うからです。其の「一点」は質量さえ無視できる「何か(?)」なのでしょうか。仮に、今ある宇宙が、ビッグバンの時間逆転であるビッグクランチによって、目に見えない程の小さな点になって最後を迎える時が来ると仮定すると、、時間独立論の観点からは、目に見えない程の小さな点であれ存在する以上、時間の働きがけはあり、存在に時間を認める限り宇宙が小さな点になった直後の時間が想定されます。「物事」が存在する限り経緯を認識するのが時間独立論ですから時間の消滅は有り得ません。たとえ其れが僅かにしろ想定できれば、一京分に一秒であれ、可能性があれば無限に先求することが可能となります。哲学・思想ランキング
2020年07月09日
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時間の陥穽204 時間独立論の観点からは、過去ではなく未来については終末の時間はとの疑問については如何様に回答するのでしょう。宇宙物理科学の理論物理学者のなかにはビッグバンから始まった膨張しきった宇宙は、何れはビッグバンの時間逆転である「ビッグクランチ(Big Crunch)」によって、膨張した宇宙はいずれ収縮して、目に見えない程の小さな点になって最後を迎えると思考する人物も少なからずいます。ビッグクランチとは、宇宙物理科学理論で予測される宇宙の終焉の一形態です。現在時点で思考される事象の構造を抽象して論理的に形式化した宇宙模式(Universe pattern)では、宇宙はビッグバンによって膨張を開始したとされているが、宇宙全体に含まれる質量即ちエネルギーの総和がある値よりも大きい場合には、自身の持つ重力によっていずれ膨張から収縮に転じ、宇宙にある全ての物質と時空は無次元の特異点に収束するとする思考ですが、プランク長と呼ばれる微小な長さよりも十分に小さくなった宇宙を理論的に取り扱うためには、アインシュタインの一般相対性理論では覚束ず、量子力学的効果を取り込まれています。この理論を量子重力理論と呼びますが、2005年の時点では完全な量子重力理論はまだ構築されていないために、ビッグクランチによって何が起こるかを物理学的に記述することは出来得ていません。ビッグクランチの後、「振動宇宙」(Oscillatory universe) として再び宇宙が膨張に転じるかもしれないと考える科学者もいます。哲学・思想ランキング
2020年07月08日
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時間の陥穽203 ナーガールジュナの時間論に疑問を持つ多くの人は、時間の独立論の観点から現代の靴理科学・観測天文学に照らして、過去の時間の究極は、ビッグバンが起こったとされる138億年前で膨張が始まり、其れ以前の過去は無いのではないかと問います。然し乍ら、仮に138億年前にビッグバンによって今ある宇宙が誕生・成長したとすれば、其の瞬間にも何かの前触れがあった筈です。でなければ宇宙は無因から生じたことになります。ビッグバンの其れが仮に1億分の一秒だとしても「時間が独立」していれば、それよりも少し前の直前の瞬間ともいえる時間も存在した筈です。ビッグバンが起こる一億分の一秒前という時間が仮に存在していたのであれば、独立した時間があることになり、それを「無限」に遡及していくことも可能となる理屈です。哲学・思想ランキング
2020年07月07日
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時間の陥穽202 ナーガールジュナは時間の「無限」というものに、始まりも無ければ終わりもない、まして現在に時の流れは無いと説きます。過去には始まりが無く、未来には終わりも無いのです。「無始の過去、無終の未来」なのです。従いて始まりが無い、始点を持たないものに「其れ」以上の過去はなく、終わりが無い終点を持たない未来には「其れ」以上の有り様もなく、全てが「永遠」の枠組みの範疇に取り込まれ、「現在」其の瞬間も「永遠」の枠組みの範疇に取り込まれ「時間の無限性」は否定され、「現実(reality)」のみが実在性を帯びます。仮に時間が在るとすれば、過去には始まりが無いので、時間というものを過去へと無限に遡って行くことが出来ますが無限遡及が待ち構えます。将又、未来は終りが無いので無限に想求・想及することが可能ですが無限追求が増し構えます。「無始の過去、無終の未来」なのです。ナーガールジュナに云わせれば「時間の流れ」は「現在今の此の世」に混沌を持ち込むものだというふうにもとれます。哲学・思想ランキング
2020年07月06日
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時間の陥穽201 始めも終わりもない「無始無終」。仏教では無限の過去から永遠の未来に亘り輪廻の車輪が無限であるとします。大宇宙それ自体をも大生命体と捉えれば常住することなく輪廻することになる訳です。然し乍ら、此処にいわれる「無限の過去から永遠の未来」とは何を指しているのかは人間の常識では図れず、なかなかに明晰な解答が見付からず難解です。仏教哲学では常住する「有」を一切認めないことから「無始無終」を文字通り解釈すれば、世界はゼノンのパラドックス「飛ぶ矢」、「飛んでいる矢は止まっている」如く存在するのではなく、輪廻に応じて変化・変動はするが、世界の物事には始元も終末も無いことから「円環」する「輪廻」と捉えるしかありません。其の変動をナーガールジュナは縁起として捉え「空」と表現してみせます。将に、頭と尾も無い「ウロボロスの輪」です。それではナーガールジュナは現実が無いと主張するのでしょうか。此れが西洋思想家のナーガールジュナを虚無主義と批判する論点です。物事は変化しているのみならず時制を持たないことは有り得るのか、時間の「無限」性というものにナーガールジュナは「否」との回答で応じます。哲学・思想ランキング
2020年07月05日
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時間の陥穽200 ナーガールジュナの著作とされる「中論」に関しては、多くの思想家が何事にも「縁起ありき」で、その縁起を「在りき、将又、有りき」ものなのかを明快にせず「空」として何れにも属させてないことを指摘します。ナーガールジュナの思想は「始め」に縁起ありきであるとする仏教解釈の学者さえいます。ところが、ナーガールジュナの文献を睥睨しても、先ず「縁起」があって其の後に汎ゆるものが続くことを述べるのをいうまでもなく否定しているように憶えます。否、寧ろ「始め」とか「最初」という概念そのものが、縁起を否定するものだとして屡々否定します。何故なら、「初めがある」という言(げん)は、原因や条件なしに事象があることを意味するからです。此れは仏教全般に共通していえます。縁起や輪廻を説く仏教は無因の「無始無終の有」を否定するからです。それゆえに、シッダルタは社会情勢から教えの弘通ゆえに、言質では神を認めても「神」の生死を匂わせています。世界の存在に関する「始め」とか「最初」という言葉は甚だ非仏教的な概念だからでしょう。哲学・思想ランキング
2020年07月04日
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いっぷ句-30花萎む草を育む梅の雨 愚通人気ブログランキング
2020年07月03日
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時間の陥穽199 空間なければ「運動」や「時間」が無いのは論を待たずです。点さえも位置を示すことに鑑みれば空間が欠かせません。時間線として捉えられる「時間」も当然に空間なしには成り立ちません。縁起論者のナーガールジュナも、流石に世界としての宇宙の始まりについては明言はしていませんが、「有」を認めない以上、「縁起」したとしなければなりません。但し、「空」即ち「縁起」と捉えるならば「始まり」は無限遡及に陥り矛盾が露呈します。始まりが無いものには終わりも無い「虚無」が浮上するからです。起論者のナーガールジュナの難点です。そのナーガールジュナが空間について語っていると想われるのが、「時の考察」の章のなかで「過去」が「現在・未来」に依存しているという論証のすぐ後で、これ「過去が現在・未来に依存している」という論証によって、順次に、残りの二つの時期、現在と未来、、さらに「上・下・中」(空間に相当する)など、多数性などを解すべきであるとした文言です。従いて、時間が「過去・現在・未来」という事象の先後関係として理解されるように、空間も「上・下・中」あるいは「左・右」などの物の位置関係として理解できるとするのです。つまり、空間が依存しているところの事物さえも、それ自体で成立しているのではなく他に依存している。「点」として表されるモノ自体が「空間」依存してこそ成立することになります。時間とは「先後関係」のことであり、空間とは「位置関係」のことであって、時間や空間は事物の背景として、事物とは別に存在している何かではなく、事物の間にある先後関係や位置関係そのものに過ぎないとします。従いて、「時の流れ」というようなものをナーガールジュナは認めていません。彼にとっては、変化は流れるような何かであっても「時間」そのものでない「?/何か」です。哲学・思想ランキング
2020年07月02日
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時間の陥穽198 ナーガールジュナは茶碗が土に依存するように、茶碗が獨立して存在を世に占有するものではなく、土から陶工の技倆を得て、竈の火熱で焼かれ、茶碗としての在り様が生じるように、人間自体も無機物から有機物への変性、その後に何モノかの因に依る本能の定着を経て、生命に地球環境を始めとする外世界から精神が芽生え、今現在此のように思考する人間が現在するとします。それは常有であるモノの意図の産物ではなく、全てが連鎖する因縁から生じたものだと説きます。即ち、人間精神が思考する常恒・不変の「神」の否定です。其れ故に、大乗哲学では「神」も縁起を逃れ得ず死すべき存在です。では「仏」は不滅かと云うと、仏にしても「空」が仏でない限り始まりがあり終わりもあります。此処に「空」論の深奥の真髄がありますが、変化無き真髄を実体無き作用因としての「空」、結果因としての「空」を鑑みれば、「空」には始まりもなければ終わりもない「縁起」の実相さえ見得ずの文意を鑑みて、西洋思想家が龍樹が虚無主義者の烙印を押すのが、あながちに否定するのは短略的なのか、誤謬なのかは難しいところです。哲学・思想ランキング
2020年07月01日
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