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時間の陥穽140 アリストテレス(Aristotles/紀元前384年-紀元前322年)はマケドニア出身の古代ギリシアの哲学者であることは夙に勇名を馳せていましたが、彼は以降の哲学者とは違い、当時の「哲学者」の意である考える人であり、祖師の軍人でも在ったソクラテスや師である政治学のプラトンと同様に才は多様で弁論術・文学・科学・医学にも長けており「万学の祖」と呼ばれえうように、当然に然るべき「時間」に関しても哲学者であることを踏まえた物理科学論、近代的な精密科学に発展する以前の思弁的傾向の強い自然に関する学問を欧米では物理学と自然学が同一の語で表されますが、これはアリストテレスを代表とする自然学が概念的変貌を遂げるなかで、物理学へ転化していったことを如実に示しているように物理学の基底を設けた人物です。アリストテレスは公開用の対話篇や研究資料やメモなを多く書いたと記されてはいますが、纏まった類いの著作は殆ど残存せずっていません。現存するアリストテレスの著作の多くは、リュケイオン時代の専門教育用の論文群です。此等のテキスト群は、リュケイオンの最後の学頭であったアンドロニコスによって編纂されたと伝えられ、「アリストテレス著作集」と呼ばれています。哲学・思想ランキング
2020年04月30日
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時間の陥穽139 歴史に「もしも・仮に」の文言は史学では禁句ですが、敢えて人類文明に時間の概念がなければ、産業革命を経て以降の増々人間の社会生活からの要請からの多忙からくる時間の流れの忙しい拘束という発想は消え去るのでしょうか。人間の社会生活の中に期限の設定がなければ何も急ぐ必要はないから、見方によっては現代の時間の概念は古代人のおおらかな時間の流れを喪失し、現代人を苦しめてもいる因なのです。抑々が、いついかなる何のために時間の概念が誕生したのだろうかの命題は、時間の流れの真否を知る上では一考の余地があります。時間の物理学上の存否に拘わらず、人類が文明を持つに至ってからは人間の生死や活動に関わるかぎりの課題でした。時間の生成を神に渡さず、史上初めて物理学から捉えたのは、意外にもアリストテレスです。古史の哲学者は、詳訳すればソクラテスの「無知の知」、真実を求めるものであり、時間は物理学にも堪能なアリストテレスに歴史は荷を背負わせます。哲学・思想ランキング
2020年04月29日
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時間の陥穽138 時間は人間にとっては実体として在ろうが無かろうが、人間が無人島で孤立無援、運良く備蓄食料庫が備わる場合は別として、たとえロビンソン・クルーソー(Robinson Crusoe)にしても人間の側には時間概念が必須となります。何故なら海や河川で魚介を捕るにしても日の巡りを意識せざるを得ず、狩猟には動物の周回に注目せざるを得ず、果実は採集の予期が必要になり、恐らくは、時間の観相なしには生きるどころではないでしょう。進化上人類は社会生活を経て進化しており、本能を理性に置き換えたとも憶えるからです。其れ故に人間から時間の概念を取り上げることは人類の死滅を意味します。とは云え、時間の流れについては、其の流れが人間精神内の深層にあるのか、将又、世界の側にあるのかは人間が確固たる人生を送る上では重要課題として浮上してきます。古代人にとっては、時間の概念を生み出し、正確に測定することこそが、食糧の安定生産に繋がり、生命の危機から脱却して文明を発展させる鍵ともなったことから大凡の時間概念が見えてきそうです。哲学・思想ランキング
2020年04月28日
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時間の陥穽137 科学万能の現代に、未だ謎に包まれた天体「ブラックホール」、実相はアインシュタインの相対性理論からブラックホールが予測・認識されたわけではなく、アインシュタインがブラックホールの存在を突き詰めた彼の相対性理論がブラックホールの生成を予測したというのが事実です。そして、アインシュタインの革新的な方程式を用いて、ブラックホールが実際に生成される可能性を初めて示したのは、カール・シュヴァルツシルト(Karl Schwarzschild,/1873年-1916年)はドイツの天文学者、天体物理学者です。時間の流れの実相に解を与えてくれそうなブラックホール。彼シュヴァルツシルトがこれを成し遂げたのは、アインシュタインが一般相対性理論を発表したのと同じ1915年内で天体をここまで小さく圧縮すればブラックホールが生成されるという尺度を定めたことです。但し、ブラックホールを予測した文献は其れよりも古く、イギリスの学者ジョン・ミッチェル(John Michell/1724年-1793年)も「暗黒星」(dark stars)の存在を予測していました。非常に質量が大きく、または非常に圧縮されているために、光さえ脱出できないほどの重力を有する天体を指した名前ですが一般化にはいたりませんでした。ブラックホールという言葉が普遍的な名称になったのは1967年になってからなのですが、私的には「Black Hall」よりは「Dark Stars」のほうが適正なブラックホールの性状を表しているように想えます。何故ならブラックホールは「底なし沼」ではなく宇宙内恒星系の派生だからです。何でも呑み尽くす自分自体まで呑み尽くす天体ではなく「無」には成りよう無く時間線上にある天体です。個々から帰結するのは、ブラックホールは時間の流れの有無そのものの解決の原点には成り得ないことです。哲学・思想ランキング
2020年04月27日
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時間の陥穽136 ブラックホールに時間が停止或いは全く無いならば、アリストテレスの説く時間概念「より先・より後に関する運動の数」も全く無く、ブラックホール自体の存在自体が雲散霧消してしまいます。光子の脱出速度を上まわる質量を抱えていても自らが自転及びエネルギーの吸収は勿論、且つエネルギー放射をしている筈です。光子と空間に連関する時間も間延びはすれど、ブラックホールの核内でも時間の流れというものが在る筈なので運動が存在します。途轍もない質量による重力が無限に増えるならば、何時の世にかは銀河系のみならず宇宙を飲み尽くすからです。大宇宙からブラックホールは、数ある恒星の世代なのです。ブラックホールを知り尽くしたとしても恐らくは宇宙其の物の成り立ちは見えて来ないでしょう。時間が光や空間と連関する存在としてあれば、ブラックホールは充分な光と空間を携えています。光と空間に時間が影響されるとすれば、ブラックホールの核内では一般世界での宇宙から見れば核内の人間の生涯は数十万年の時を過ごす訳です。此れは古来より云われる「神」や「佛」や「神仙」の時の流れです。「生者必滅」世界を生じめたのが何ものであれ、生じたものは滅びを纏います。此の問への答えは。神を世界外、神を世界内そのものとした時には、必然的に滅びへ向かう宇宙若しくは永遠に膨張収縮する宇宙がありビッグバン自体が「神の永遠」瞬間に帰結します。即ち、「時間の流れ」とは生きて思考する神の延長である理性に「何らかの目的」を果たすために与えられた恩寵或いは枷なのかも知れません。哲学・思想ランキング
2020年04月26日
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いっぷ句-29散り桜受ける毛氈宴げの席 愚通人気ブログランキング
2020年04月25日
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時間の陥穽135 非常に正確に計時可能な「ミリ秒パルサー」は、最高の精度の原子時計よりも正確に時間を計ることができるとされます。仮に「ミリ秒パルサー」の自転周期1秒間に600周である「ミリ秒パルサー」を発見された場合には、其のままに地球時間の基準時間になる可能性大です。此処で恒星間の距離を表す場合、単位時間が科学的に語られる場合は、光速についての時間は距離に置き換えられていうることには注意が肝要です。言い換えると、光子の速度は時速何万キロ等々ではなく、光子の移動距離を基準単位にしています。此れから導かれるのは、スーパー質量のブラックホールでは光子といえども其処から逃れるすべがありません。仮に、光子が時間と緊密な関わりを持っているならば、ブラックホールでは光と同様に時間は動きようがありません。時間が宇宙の変容に関わってきた場合には些か面妖な問題にぶち当たります。人間精神の常識はブラックホールに時間が停止或いは無いならば滅びがある筈もない無い矛盾が生じます。つまりは、「恒常性と有」が生じる矛盾です。哲学・思想ランキング
2020年04月24日
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時間の陥穽134 ニュートン力学においては時間は全宇宙で同一とされたが、アルベルト・アインシュタインが発表した相対性理論によって、現代では事実がそう簡単ではないことが認識されました。特殊相対性理論によれば光の速度はどの慣性系に対しても一定である。これを「光速度不変の原理」と呼びます。勿論のこと、光子系列には電磁波が含まれますが、殊更に、光子と電磁波 違いは、電磁波が連続的なのに対し、光子はパルス( pulse/極めて短い時間だけ流れる電流や電波。そのくりかえしの集まり)であることです。電磁波は連続的な測定で観測できますが、光には時間が無く原子に直接作用する現象としてしか観測できませんから光子として扱われます。光が電磁的な波という表現そのものが間違いであり、古典的な電磁波で説明することは到底無理なのです。何故なら。連続的な素粒子レベルの無極性パルスは相互作用でき得ないからです。不連続な素粒子レベルの無極性パルスは相互作用でき得ません。「電場と磁場の相互作用が電磁波」への課題です。此の論から想起させられるのが、天体観測で一時期もしや「宇宙人の定期的信号」と想われた「パルサー」でしょう。哲学・思想ランキング
2020年04月23日
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時間の陥穽133 時間論における絶対時間の定義のT-4は、時計の時刻は、是が非でも光を以って合わせなければならないとする根拠はないとするものです。位置の違う「時計を合わせる」という操作に特殊相対性理論の場合のように光でもって合わせるということをしない。光速の不変性をもって特殊相対性理論の場合のように「光という手段」でもって合わせなければならないという絶対的な理由などの根拠は実は何処にもない。「ある位置に標的として基準時計を置き、その基準時計に合わせようとする時計を無限にゆっくり々近づけて合わせ、そして無限にゆっくり々離していく」という操作で合わせればよい。最後の方で、宇宙中の全ての時計を合わせればよいのであるというものです。位置的に遠く離れている時計同士を合わせる場合、特殊相対論では、時計を近づけ時刻を合わせてから一気に離したりすると時計が狂うからという理由で拒否されているが、T-4は此れを解消すると説きます。ニュートンの絶対時間・絶対空間の矛盾の解消法ですが少々こじつけがましい気がします。哲学・思想ランキング
2020年04月22日
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時間の陥穽132 時間の定義T-3は、時間が空間のみならず、他のいかなる物理的実体からも独立であるとするものです。時間が思考を持った人間が便宜的に考え案出した観念的概念であることから、人間精神の内層の問題であり、外層世界からの精神の内奥への働きは影響こそすれ、物体に働く力が物体の位置によって一義的に定まる空間領域である「力場」、譬えば物体の質量に働く万有引力場または重力場の力の場、電荷に働く電気力の場である電場、磁荷に働く磁気力の場を磁場というものには一切影響されないとする定義です。通常の一般環境では相対性理論も人間個々が気付くほどの影響を齎さないために一応の説得力を持ちます。此のことから導き出されるのは、時間がより早く進んだり、遅れたりすることはなく、一様に流れていくとの認識か基底にあることです。哲学・思想ランキング
2020年04月21日
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時間の陥穽131 現代物理学上では絶対時間の定義が成り立たせるには、其の位置環境と同様の環境世界にしか通用しないことになります。ニュートンは絶対時間としての時間在り方T-1からT-4のうちT-2への時間としての絶対時間の批判は、時間は単に概念であるに過ぎず、物理的な実体ではない。時間とは人間が社会生活上に便宜的に考えだした観念的な概念であり、実在するものではないとするものです。時間とは思考を持った人間が便宜的に考え案出した観念的な概念であり、人間が物事の変化を表現するのに便利だからとします。時間とは宇宙全体を過去から未来へ一様に流れるものと史上に規定し約束したものなのです。最初に約束したものごとに、「何故に時間の矢は過去・現在・未来として順次に流れるのか、逆転は不可能なのかはT-2の時間が概念であり、物理的な実体ではないことから問うこと自体が意味を成さないことになります。時間とは人間が社会生活上に便宜的に考えだしたトリックだということなのでしょう。哲学・思想ランキング
2020年04月20日
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時間の陥穽130 物事には知覚の対象であるが思惟の対象でない実在と思惟の対象であるが知覚の対象でない実在を在るとするのが西欧の思考的傾向です。世界を大宇宙と呼称し、其れに含まれる各々の銀河団を「小宇宙」と定義、世界は小宇宙の銀河団を統べる大宇宙のより構成されているのが人間の科学物理が捉える人間思考の世界構想を区分けした宇宙構造論です。其の世界において、常識的には大宇宙内の生命体系の時間観想、即ち、物理観測上の時間の流れも同一と考えがちです。其の思考の大成がが「ニュートンの絶対時間」に定義されます。ニュートンは絶対時間としての時間在り方(TIME1からTIME4)を以って定義します。第一に絶対時間とは、人類共通の認識の上にたった概念であり、宇宙全体を一様に流れるものである。即ち、時間は全宇宙において一様に流れるものであり、任意の系において何れもが時間は共通である。其のことから導き出されるのは全ての系で、共通の時計を持つことが可能であり、時計の時刻の刻み方は、全ての系で完全に同じである。系によって、時間の進み方が違ったりすることはない。或る系での時刻T-1と宣言するとき、他の何(いず)れの系においてもそのときの時刻はT-1であることになります。哲学・思想ランキング
2020年04月19日
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時間の陥穽129 時間とりわけ「時間の流れ」には厳格な下地を持つ物理的な時間と文化的・社会的な時間と心理的な時間が考えられ、其れ其れに異なって在り、此等の三者はそれぞれ物理的な出来事、文化的・社会的な出来事、心理的な出来事と相関しています。現実は現在に閉じこめられたものではなく、過去へと未来へと?がり広がっている。これは樹木がその成長への可能性を持っているとともに、それ自身の過去を年輪として保持しているのと似ています。現在の現実のこの時間的な厚みと広がりを、単なる「瞬間としての現在」に閉じこめてはならないとする今どきの考えには現実味はありますが、其れは時間を象徴化するに過ぎず記録式時計が時を刻むと何ら変わりなくなる誤謬を呼びます。時間の象徴化は長針と短針を逆針させれば時間自体が逆進するわけです。人間精神の象徴化傾向であり踏切の赤点滅の信号の様に人には解り得ても動物は知りえません。時間存在は人間の象徴的存在ではなく他に答えを求めざるを得ません。哲学・思想ランキング
2020年04月18日
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時間の陥穽128 時間の考察に無理矢理に人間の内部思考を持ち込むのは、人間を社会や文化から切り離された「個人として考察する近代哲学」に由来する悪い習慣だとする議論もあります。其の逆に「ニュートンの絶対時間」のように、物理的な出来事はその中で起きる、出来事そのものには時間は影響されない不変の枠組みと看做す考えです。この独立説は時間を主観化していない点で評価できるのですが、此の時間の持つ独立普遍性は光の速度の不変性に立ち位置を置いた現代物理学の基点とも云える相対性理論によって、この絶対時間はあっさりと否定されてしまいます。現在にも通じる時間思考の原点とも云えるアリストテレス時間思考によれば、仮に何も変化が起きなければ、われわれは時間が経過しているかどうか分からないであろうから、時間は出来事そのものではないとしても、出来事の一つの様相であるとします。詰まりは、アリストテレスは時間を「~より先と、~より後ということを考慮した場合の運動の数と定義していて、時間は可能性が実現して再び可能性へと回帰する出来事の性格と表記します。然し乍ら、「~より先と、~より後」には現在が意識的にか省かれ、現在瞬間の運動の数は無くなり、此れでは時間特有の「時間の流れ」が読み取れなくなります。哲学・思想ランキング
2020年04月17日
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時間の陥穽127 時間の幻想説や意識説も、立ち位置が未来や過去は存在しないという時間判断に依っており、存在を現に目の前に在って知覚可能な存在者に限定してしまう経験主義的判断が時間のを本質を捉えきれないでいます。時間を幾何学的時間軸として表象して、知覚可能な今の連続と看做せば、ベルグソンの云うような時間の空間化や具象化が生ずることになります。此処に「可能性としての時間」の思考が生じます。未来と過去は、それぞれ予期し想起できても知覚することはできないから、存在しないということになる。しかし、未来は心の中で期待されるだけのものではなく、過去の経験や徴候から推測されるものであり、現在の現実に基づいている。むしろ、未来は現在の現実そのもののはらむ可能性である。予期や期待はこの可能性の一部である。鶏卵そのものにその可能性があるから、「鶏卵からニワトリが生まれる」とわれわれは予測するのであり、逆ではない。過去は一度実現した可能性がその現実性を失ったもの、つまり、未来と同じく可能性である。かつて起きたことが再び起こらないかとわれわれが危惧するのはこのためです。未来と過去とは、可能性だから存在しないのではなく、可能性としては存在するのです。可能性は実現したあと、再び可能性に還り、再び自らを実現する機会を狙うのです。「可能性」は人間の側にあるのか世界の側にあるのか、抑々が瞬間のみに現実で在るのかが問われるのです。哲学・思想ランキング
2020年04月16日
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時間の陥穽126 ベルグソンは時間を時間軸のような仕方で空間化して表象する根強い習慣に反して、本来の時間は意識の諸状態の相互浸透であると示し時間の実体化を拒否しますが、時間を幻想とは言わないまでも、意識など人間の内面である精神に帰そうする思考です。見られない過去と未来はアウグスティヌスとともにラッセル存在しないとしましたが、はっきり時間がないとは結論づけてはいません。未来とはまだ起きていない事柄に対する期待であり、過去とはすでに起きてしまった事柄の想起である。期待も想起もわれわれの精神の働きであるから、時間はわれわれの心の中の働きと言うべきだというのである。未来とは未だに起こっていない事柄に対する期待であり、過去とは既に起きてしまった事柄の想起であり、期待も想起も我々人間の精神生活の働きであるから、時間は人間精神内部の心の中の働きと言うべきだというのです。ベルグソンが登場するように意識説は幻想説の同じ系統で違う種類同じ系統で違う同じ系統で違う変種であるヴァリエーションだとも云えます。仮に時間が言語的な意味で人間存在の精神の基盤に存在し得るならば「インドで発見された言語を解せなかった狼少年の事例」が参考になります。言語としての「ロゴス」は社会共同体的な意をも持つもので、人間にとって世界のかなりの部分を意味によって構成しているわけですから、仮に時間が言語的必然ならば、それを解せなかった、勿論狼の共同体を別にして狼少年には時間は存在しません。反対に物理的現実に帰せないとすぐに意識や内面に問題を預けてしまうのは、人間を社会や文化から切り離された「個人として考察する近代哲学」に由来する悪い習慣なのだとも云えます。現代物理学に期待が及ぶ所以です。哲学・思想ランキング
2020年04月15日
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時間の陥穽125 時間幻想論にはベルグソンやゼノンとは異なる立ち位置から、大乗の祖ナーガールジュナ「空論」同様に、時間線から時間の本質を追求し物理学上の時間を否定したのが論理学,数学基礎論,意味論の動向に大きな影響を及ぼす逆理、素朴集合論のパラドックス(Russell's paradox)を突いた伯家第3代ラッセル伯爵、バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russe)や大森荘蔵らが唱えたベルグソンやゼノンとは切り口を事にした時間の探求があります。彼等によれば、過去は過ぎ去ってしまっており、未来はまだ起きていない、故に存在するのは現在だけであり、未来から現在を経て過去に流れている行く時間という観念は幻想であるとします。たしかに人間の経験則からいっても、過去は未来と違い、実際に起きた事柄である。然し乍ら、人間は其の過去は想起しているだけであり、起きている出来事を目の当たりにしてはいませ。仮に目の当たりにしているのであれば、それは過去ではなく現在だということになり矛盾が生じます。ラッセルは数分・数秒前に起きた出来事はもはや夢かどうかは判別仕様がなく分からないと述べて、時間的過去の出来事を夢や幻想と同じレベルに置いています。然し乍ら、第二次世界大戦は起こらなかったら現代世界はまったく違っていただろうという仕方で、過去は現在を制約していることの事実は歪めません。だから、過去には夢や幻想とは別の存在論的な地位を与えてやらなければならないのです。同様にして、未来についても、ありそうなこととありそうでないことの違いを区別する必要があるとします。哲学・思想ランキング
2020年04月14日
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間の陥穽124 時間幻想論は思想家はともかくも万人に受け入れられたかといえば、事実は凡そ否定的です。其の根本的疑問には瞬間を抽象的な幾何学的点に擬えるところに、基本思考としての無理があるとの指摘です。我々の経験する「瞬間」は物理的にもとても短いだけで、人間が知覚する空間上の点がやはり僅かにしても面積を持つように、一定の幅を持つ時間間隔のことであるから、実際には、矢は少しは動いているのであとします。ユークリッド幾何学に云う「点の定義」の否定です。フランスの哲学者アンリ・ルイ・ベルクソン(Henri Louis Bergson/1859年10月18日-1941年1月4日)は、時間を時間軸のような仕方で空間化して表象する根強い習慣に反して、本来の時間は意識の諸状態の相互浸透であると示します。時間を時間軸のような仕方で空間化して表象する根強い習慣に反して、本来の時間は意識の諸状態の相互浸透であるという。しかし、これは言い換えれば、意識の外の物理的現実は相互浸透のない幾何学的空間であるということになります。事実的には、幾何学的に構成された空間とは違い、現実の空間を構成する点は他の点と相互に浸透し合っているのでではないか。ベルグソンはゼノンとは立ち位置が似ても似ても似つかない哲学者であるが、外的な現実を幾何学化してしまっている点では共通しているようですが、人間精神の活動に重きを成していること、其の点に違いが看取れ、時間を人間側に内部化します。哲学・思想ランキング
2020年04月13日
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時間の陥穽124 時間幻想論は思想家はともかくも万人に受け入れられたかといえば、事実は凡そ否定的です。其の根本的疑問には瞬間を抽象的な幾何学的点に擬えるところに、基本思考としての無理があるとの指摘です。我々の経験する「瞬間」は物理的にもとても短いだけで、人間が知覚する空間上の点がやはり僅かにしても面積を持つように、一定の幅を持つ時間間隔のことであるから、実際には、矢は少しは動いているのであとします。ユークリッド幾何学に云う「点の定義」の否定です。フランスの哲学者アンリ・ルイ・ベルクソン(Henri Louis Bergson1859年10月18日-1941年1月4日)は、時間を時間軸のような仕方で空間化して表象する根強い習慣に反して、本来の時間は意識の諸状態の相互浸透であると示します。時間を時間軸のような仕方で空間化して表象する根強い習慣に反して、本来の時間は意識の諸状態の相互浸透であるという。しかし、これは言い換えれば、意識の外の物理的現実は相互浸透のない幾何学的空間であるということになります。事実的には、幾何学的に構成された空間とは違い、現実の空間を構成する点は他の点と相互に浸透し合っているのでではないか。ベルグソンはゼノンとは立ち位置が似ても似ても似つかない哲学者であるが、外的な現実を幾何学化してしまっている点では共通しているようですが、人間精神の活動に重きを成していること、其の点に違いが看取れ、時間を人間側に内部化します。
2020年04月13日
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間の陥穽123 誰しもが時間を知っていると尋ねられて「知らない」と答えることのない「時間」、イギリス産業革命以来、時間は生産の効率化故に日月変化を超え、産業生産工程に組み込まれた時間に現代人は生体時間と呼ばれるものから逸脱し、時刻の象徴に従って生活しています。太陽系の人間が居住する水の蒼き惑星の生態リズムを壊しても時間の束縛は迫り脅します。現代人は時間の克服なしには「ストレス(stress)」に押し潰される危険に陥っている常態です。とは云え、時間の持つ縛りから解放するにしても、対象の時間が曖昧模糊の状態では克服は覚つきません。此処で大まかな時間説を紐解いてみましょう。第一は時間は存在しないし、時間が存在するとする其れは人間の幻想であるという思考です。紀元前500年か紀元前475年誕生の南イタリアの都市エレア出身エレア派の始祖ピュタゴラス学派のアメイニアス(Ameinias)に師事したとも伝えられる詩で哲学を語った人物パルメニデスを師とした弟子ゼノン。そのゼノンが言うには、「運動には時間が必要」であるが、瞬間は点であって延長を持たないから、ある瞬間における矢は動いていない。このことはどんな瞬間についても言えるので、飛ぶ矢は動いていないと言うべきだが、これは矛盾だから、運動は、したがってまた時間は、不可能だというの時間幻想説です。哲学・思想ランキング
2020年04月12日
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時間の陥穽122 人間の住する宇宙の其の構成が、物質世界の素材だけではなく精神世界の素材にも住して生きているとすれば、宇宙は物質だけではなく「精神宇宙」なるものを在らしめてる可能性があります。現在思考されている宇宙構成は宇宙組成全体の約5パーセントに過ぎないクォーク、レプトン、光子、重力子などヒッグス粒子を含めての全ゆる素粒子、此れだとは示すことが出来得ないが其の5~6倍はある未知の物質「ダークマター」、残り6割を占めるとされるダークエネルギーと呼ばれている正体不明のものに分類されていますが、此の中には「時間」因子は存在しません。我々人間が最もよく知っている「時間」を概念として認証されたものが皆無なのです。哲学・思想ランキング
2020年04月11日
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時間の陥穽121 時間の捉え難きは「見ざる・言わざる・聞かざる」ではないけれど「時間の三否」として「見得ざる・言得ざる・聞こ得ざる」、先ずもって時間自体が見い得た、即ち観測されている物質は宇宙組成全体の約5パーセントに過ぎないクォーク、レプトン、光子、重力子などあらゆる素粒子、此れだとは示すことが出来得ないが其のその5~6倍はある未知の物質「ダークマター」、残り6割を占めるとされるダークエネルギーと呼ばれている正体不明のものにも仮説としても「独立した時間子や時間因子及び時間エネルギー」は発見どころか独立したエネルギーかの発言も聞き及びません。アウグスティヌスが云うように時間は我我人間が最もよく知っているは筈なのに、真相を認識でき得ない何かなのです。見方を変えれば、理性をかち得た「人間の死」の肉体滅亡後の霊魂の如きものともいえます。「在る」は自分には認識できても、他には説明出来得ない宇宙構成の物質世界に更には他に「精神世界」の「在」が匂います。哲学・思想ランキング
2020年04月10日
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時間の陥穽120 時間を止めることが出来得ない人間が創造者とのコンタクトをとることは到底不可能なのでしょうか。その接点を求めて歴史上多くの思想家や宗教家及び哲学者は解答を試みてきました。然し乍ら、未だに万人に認証される共通の認識が到達するには至っておりません。此処に世界の創造主或いは創造因との接触に時間が関与していることは史上に名を成す多くの思想家が論陣を張っています。アウグスティヌスは神学哲学にギリシァ哲学の思想を絡めて一つの時間論を著書「告白」により時間論を 繰り広げました。そこに時間はわれわれがよく知っているはずなのに、もっとも説明しがたいものの一つであることを告白しています。「時間」とは事程左様に自己の実生活上の実感とは相違し説明し難いものなのです。「時間」が捉えきれないのは「時間」其のものの実体が曖昧で、其の存在・不存在、時間そのものの流れの存在・不存在が、現代に至っても確定に至ってないことに要因があります。哲学・思想ランキング
2020年04月09日
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間の陥穽119 アウグスティヌスの「同時につまり一挙になされる創造には、物事の本質に変化がある以上、始めと終わりも創る筈であり、世界に変化をを齎すのに「時間」を創造することが「御言」或いは「ロゴス」に含意されている筈で、当然のことながら永遠においては生成や変化があるわけもなく、すべてが神において同時になされるとしても、時間は永遠における創造によって永遠から生じたものです。永遠を始原として永遠から変化は生じてくる。此の意味でアウグスティヌスの「神はすべての世紀の創始者であり建設者」であって神によって造られなかった時間はなく、「神はまさに時間そのもの(ipsum tempus)を創造したのである」は理に適っているように覚えます。詰まるところ、永遠から時間が生じたがゆえに、永遠は時間を超越するのであり、其れ故に、被造物の世界或いは人間の意識世界に時間が割り振られることになります。時間は我々の属する世界の時間となり、そこには変化があり、始まりと終わりがあることになります。神においては永遠があり、人間においては時間があるのです。従いて、時間が創られたということは、この世の万物が創造されたということに等しいといっても多くは外れていないでしょう。哲学・思想ランキング
2020年04月08日
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時間の陥穽118 アウグスティヌスが考える永遠から導き出される永遠は恒常不変です。恒常不変である限り始めも終わりもなく、持続性や存続性さらには永続性とも無縁でなければ「永遠」の範疇を外れるとします。つまり、神は宇宙を創造こそすれ、宇宙そのものからの一切の干渉を排除した恒常不変の「有」です。持続性や存続性さらには永続性とも無縁であるからこそ、それから導き出される「時間の流れ」とは無縁の存在です。アウグスティヌスが「神」を詠います。神の御言葉は、「真に不死であり永遠/uere inmortale atque aeternum」であって、神は「あなたとひとしく永遠な御言によって、語りたもうすべてのことを、同時にかつ永遠に語る、似通った語彙では「ギリシァ三哲の「ロゴス」にあたることになるのであるから、アウグスティヌスは、「あなたが生じるようにと語りたもう全てのものは生じ、しかもそれは、あなたが語ることによってお造りになるままに生じます。」留意すべきは神は永遠なる御言によってすべてを創る。これは永遠における創造であって、「同時に」つまり一挙になされる創造であると云うことです哲学・思想ランキング
2020年04月07日
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時間の陥穽117 アウグスティヌスが考える永遠は、当にギリシァの神々を侮蔑したとして毒杯を煽ったソクラテスを始まりとする形而上哲学の絶対者と同様に恒常不変です。恒常不変である限り「有」存在ではあるものの、真の創造者であることから、当然に、創造の源は世界内創造の因果とされるものには無縁です。神には特性の根元として「不変」があります。此の特性は、所謂、仏教哲学「大乗」の世界観の普遍とは意を異にします。「佛」とは宇宙内全てにに遍く存在するものではあっても、厳くまで、喩え、浄土世界であれ世界内存在であり変化を内在しています。「いとも気高き蓮華経」の法華経に多宝仏が其々の仏身を身に付けた仏世界の仏に統御する治世を時制で定めていることから、仏が時制に支配されていることが分かります。哲学・思想ランキング
2020年04月06日
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時間の陥穽116 時間の存在と其の流れの観点から「永遠」を見れば、永遠は「有る」、仏教哲学に云う「常住」と結びつくがゆえに不変性を示し、「あった」・「ある」・「あるであろう」という変化を含意する時制を持つものとは無縁です。アウグスティヌスは「万物を超えてとどまりたもう永遠の知恵」ギリシァ古典的形而上学が説く「ロゴス」、ソクラテス説く処の「無知の知」の根源として恒常性が認められることになります。永遠が始まりと終わりを持つことは恒常性を認めるならば、そこに変化が生じること皆無です。アウグスティヌスは時制を踏まえた上で、「神」とは始まりと終わりを内に含有するよりは始原すなわち根源でなければならないとします。さすれば、全ての永遠の根源には創造・被創造の立ち位置もなく、全ったきものであり時制はなく「神」には始まりや終末は、時間の流れと無縁である以上、神あるいは永遠と被造物は、創造という契機によって分かたれる分。即ち、「神たる永遠なるものは、将しく創造活動において「、あらゆる創造されたものを超え出ているとされている。」というよりは創造を成し得ない、矛盾するようではあるが完璧には其れ以上の創造はあり得ません。其の様に思考を巡らせれば「変化」は神の本質から出た遊びなのかも知れません。哲学・思想ランキング
2020年04月05日
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時間の陥穽115 永遠は始まりと終わりを持つことはない。宇宙が終末を迎えないとするするならば始まりの無きを証せば宇宙は永遠なるものとなります。然し乍ら、永遠のもう一つの聖アウグスティヌスが永遠に与える条件「永遠に始まりと終わりがあれば、そこに変化が生じることになるから、永遠は始まりと終わりを内に含むというよりはむしろ、始原すなわち根源でなければならない。」を永遠は変化を超えた始原ないし根源であるとします。即ち、神、永遠なるものは、まさしく創造活動において、あらゆる創造されたものを超え出ている故に変化とは無縁のものとなります。ところが宇宙は汎ゆるものを創造・破壊変化させています。だとすれば、それから導かれるのは永遠なるものは、万物を生み出すがゆえに万物を超越するのだとするのを受け入れれば宇宙が終末を迎えることが予想されます。スピノザの「エチカ」における見解、宇宙そのものに「神=永遠」を認識するのではなく、汎ゆる創造されたものを超え出ている存在を宇宙の始原と終末の埒外にあるとして、宇宙が終末を迎えることは「神=宇宙」ではないことから、宇宙が終末を迎えることになります。哲学・思想ランキング
2020年04月04日
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時間の陥穽114 宇宙の終末について可能性を示唆する第四の可能性が熱的死・ビッグクランチ・ビッグリップに続く終末可能性としての「真空崩壊(Vacuum collapse)」と呼ばれるものです。他の終末説が時間が流れるとしてのタイムスパンが起動するのが数十億~数百億年も先なのに比して真空崩壊だけはいつでも起こり得るとされます。宇宙物理学や量子力学では、「物質が一切存在しないが、最低限のエネルギーを固有している場の状態」を「真空」と呼称します。対して、真空に近い準安定状態であり、真空よりも大きなエネルギーを固有している場の状態を「偽の真空」と呼んでいます。例えるならば、真空とは「波一つなく穏やかなる湖」、偽の真空とは「波一つなく穏やかなる山上の湖」即ち場を持ちますです。私たちが生きている宇宙を満たしている真空が真の真空なのか偽の真空なのかは、未だに其の真偽は判明されていません。瞠目すべきは仮に我々の宇宙を満たしている真空が偽の真空であった場合、ふとしたはずみで真の真空へ相転移してしまう可能性があるということです。「真の真空への相転移」とはいわば「何かのきっかけで山上の湖が決壊して一気に山の麓へ水が流れ出てしまう状態」で、これを「真空の崩壊」と呼びます。ある空間で真空崩壊が起こると、触れた構造は一瞬にして崩壊してしまうという、極めて高エネルギーの「真の真空の泡」が発生します。「真の真空の泡」は光速で広がっていき、人間が観測することは不可能であるため、私たちが気づかないうちに宇宙全体が崩壊してしまうといわれ「神」・「絶対存在」の死さえ予期させています。哲学・思想ランキング
2020年04月03日
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時間の陥穽113 現在時点の物理科学は、宇宙の終末については4つの可能性が示唆していますが、其の第三は現在屡々マスメディアの話題に登場する宇宙の全エネルギーの約68%を占めているともいわれる「ダークエネルギー又はダークエナジー・暗黒エネルギー/dark energy)」と呼称される現時点では発見されていないために仮説上のエネルギーとされるものです。現代宇宙論および物理天文学において、宇宙全体に浸透し、宇宙の膨張・拡張を加速していると考えられる今は仮説上のエネルギーです。此の理論から考察すれば、宇宙のエネルギー密度が「時間」と共に増加していると仮定した場合、自然界を構成する4つの力すら上回り、宇宙全体が素粒子レベルでバラバラになってしまうという「ビッグリップ」という現象で宇宙が終わってしまうと予想されています。何も見えないから何もないという常識論を持ち出すことは現代物理学にはもはや通用しません。青天の遥か遠くで人間論理の認識が太陽光が輝く昼間には見えなくても、太陽の沈んだ夜間には星が燦然と煌くことから見えないものを認識することを事実と捉えることは儘あります。「何も見えないから何もない」は宗教・形而上哲学はもとより物理科学も否定せざるを得ない状況に進行しています。ビッグリップ仮説は2003年に提唱された、比較的新しい仮説ですが、未だにダークエネルギーの密度が増加を示すような兆候が観測されていないことから、多くの科学者はビッグリップ仮説に対して否定的です。宇宙理論物理学者であるケイティー・マックは、「仮にビッグリップが訪れるとしても、少なくとも1200億年はかかると考えられるので、安心してお待ちください」と述べています。哲学・思想ランキング
2020年04月02日
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時間の陥穽112 現在の宇宙が膨張し続けるにしても永遠無限に続くというわけにはいかないだろう。或る意味では宇宙は中心を持ち、とは云え、膨張する風船の何処を中心にしても良いのですが拡大している訳だから、ビッグバンによって膨張を開始したとされる宇宙が、宇宙全体に含まれる質量(エネルギー)がある値、ビッグバンの総エネルギーの限界に達した場合には膨張を続けていた宇宙が、膨張から収縮に転じる「特異点」をもって膨張から収縮、関数グラフのターニングポイント、宇宙にある全ての物質と時空は無次元の特異点に収束すると考えられるとするのが、予測される宇宙の終焉の一形態であるビッグクランチ(Big Crunch)と呼ばれる宇宙モデルです。膨張を続けている宇宙が、ある時点で膨張から収縮に転じる「特異点」があるのではないか。関数グラフのターニングポイントです。或る時点で膨張から収縮に転じ、まるで目一杯に膨らんだ風船から空気が抜けるように萎み、最終的に無次元の特異点に収縮してしまうという考え方が「ビッグクランチ」と呼称される学説です。此の「ビッグクランチ」と呼称される特異点は宇宙の終わりだけではなく、新しい宇宙の始まりに繋がるのではないかと考える科学者も存在し宇宙サイクル説が登城します。然し乍ら、プランク長と呼ばれる微小な長さよりも十分に小さくなった宇宙を理論的に取り扱うためには、一般相対性理論に加えて量子力学的効果をとり入れる必要がある。このような理論を量子重力理論と呼びますが、現在に至っても完全な量子重力理論はまだ構築されていないため、ビッグクランチによって何が起こるかを物理学的に記述するまでには至っていません。ビッグクランチの後に更に「振動宇宙」(Oscillatory universe) として再び宇宙が膨張に転じるかもしれないと考える科学者もいることには注意が肝要です。宇宙がビッグクランチを迎えるのか、それとも永遠に膨張を続けるのかについては、宇宙に収縮に転じるだけの十分な質量(臨界質量密度)が宇宙に存在するのか。宇宙定数と呼ばれる重力に対抗する斥力の源が存在するのか。存在するならばどの程度の大きさなのかが問題になります。哲学・思想ランキング
2020年04月01日
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