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十月号歌評下書き(歌誌「賀茂短歌」) 後藤瑞義 原 明男 タラップに五輪旗掲げて小池知事笑顔に透ける東京の空 (評) リオオリンピックが閉会となり、五輪旗が次回開催都市東京の小池知事に渡されました。その五輪旗を掲げて今小池知事がタラップを降りて来る映像を見ている作者なのでしょう。「笑顔に透ける東京の空」の解釈がすこし難解です。わたしは、「笑顔に」で切り、「透ける東京の空」と読みました。つまり、小池知事の喜びの笑顔に呼応するように「透ける東京の空であることよ」といった感じです。さて、作者の意図はどのようだったでしょうか。 渡辺つぎ スタッフの箸がふれれば口を開け一人前を食べつくす老人(おい) (評) 養護施設「みくらの里」にてショートスティをする作者、その折りに観察したことを歌にしたのでしょう。満百五歳の作者の衰えない好奇心に感心します。この歌は、作者自身のことではなくあくまでも他者を観察して作った歌です。(作者を知っているわたしはそう断言できるのです)ですから結句は「友」くらいにすると分かり易いかも知れません。ご自分のことであれば、やはり「われ」でしょうか。 「スタッフの箸がふれれば口を開け」は、一人では食事ができない人でしょうか。スタッフが箸でおかずをつまんで口元にもっていって、そっと唇にふれるとそれが合図のように口を開けるのでしょう。そのような遅々とした食事風景、スタッフのご苦労を感じます。そして、凄いと思いましたのは、一人で箸を持って食べることの出来ないような人であっても、「一人前を食べつくす」という言葉でした。「食欲が生きる力ですよ」と満百五歳の作者に言われているようにも感じたのです。 鈴木菊江 台風の暗き予報の束の間に声をかぎりのつくつくほうし (評) 「台風の暗き予報」、この「暗き」とはどういうことでしょうか。台風の雲の感じを「暗き」と表わしたのでしょうか、あるいは大型台風にたいする作者の暗い気持ちでしょうか。「束の間」というのは、今大型台風が近づいているのであろう、その束の間でしょう。「声をかぎりの(つくつくほうし)」は、晩夏の夕暮れに鳴くつくつく法師の鳴き声を「声をかぎり」と作者は感じたのでしょう。それは、同時に九十八歳となられた作者の思いのこもった言葉でもあるのではないでしょうか。表面的には台風のことを歌っていますが、作者の内面的なものも滲み出ているような感じがしました。 黒田幸子 水気なく畑干からび皸われておまけに猪がさつまいも掘る (評) 「踏んだり蹴ったり」とか「泣き面に蜂」とかがありますが、まさにそれを短歌にしたような感じです。「水気なく」で渇水を連想させます、ですから「畑干からび」はダブル感じです、「皸われて」も同様でしょう。また、結句の「猪がさつまいも掘る」も表現は少し違いがあるものの、マイナスイメージです。同じイメージの繰り返しのようですが、作者の心理としましては、これでもか、これでもかと襲ってくる、思うようにならない自然の力に対しての遣り切れなさの表現なのでしょう。 後藤早苗 大輪のダリヤを一枝仏壇に供えて今日の新聞を読む (評) 「大輪のダリヤを一枝仏壇に供えて」は、事実をそのまま述べているのでしょう。「大輪」という言葉が意味を持つのでしょうか。それで、その一枝で十分だったのでしょうか。単に花を飾ったのではなく、仏壇に供えたというのも色々想像されます。しかし、何と言いましても「今日」が目を引きます。単に「新聞を読む」でなく「今日の新聞を読む」とことわっているところに目が行きます。「今日」とは何でしょう。「昨日の新聞」も、「二、三日前の新聞」 も読むことがあるのでしょうか、たとえば、日々忙しくしていて…。 作者は、深い意味もなく「今日」という言葉を使ったのかもしれませんが、それによってこの歌は色々考えさせる歌になったのだと思います。 藤井美智子 新聞もテレビもうまるリオ五輪室内連日三十度越ゆ (評) 「新聞もテレビもうまるリオ五輪」は、リオオリンピックの熱戦の報道が新聞、テレビを埋め尽くすようだというのでしょう。その報道の過熱ぶりに輪をかけるように連日室内の温度は三十度を越しているといったことでしょうか。作者の悲鳴が聞こえるようです。 さて、短歌は瞬間を切り取ることを写生と同様に重視しています。そういう観点から言いますと、「連日」という言葉は、期間のようなものを挿入しています。一般的にいえば、期間を、あるいは時間を短歌に入れますと、力が弱くなる、瞬発力がなくなる、散文的になるなどといわれます。ここでの「連日」は、暑さを強調しているように思いますが。 「連日」の言葉を瞬間的にするのであれば、「室内温度三十度越ゆ」などが考えられると思います。 小池美恵子 足し算で走り続けし人生に病みて知りたる引き算の時期 (評) 観念的な歌、人生を足し算引き算にたとえた、この比喩はうまいと思いました。若い頃などは確かに、あれもこれもと増やすことに一生懸命だったのでしょう。病いを得て、捨て去ることの悲しみを知ったようです。具体的には長年なさっていた絵画の絵筆を捨てる決意をなさったようです。たまには、自分の人生を振り返って、こういった歌を詠みたい気持ちもわかるつもりです。「時期」という言葉が少し気になりました。短歌は瞬間の文芸と言われますので。参考は、瞬間的な思いにしてみました。 参考:足し算で走り続けしわが人生病みて知りたり捨てる哀しみ 鈴木きみ 小波(さざなみ)のよるや離るやくり返し眠りは浅く明け方迎う (評) 「小波のよるや離るやくり返し」と「眠りは浅く明け方迎う」が何となく響き合っているように感じたのでした。つまり、 「小波のよるや離るやくり返」すように、「眠りは浅く明け方を迎える」といったように感じたのです。この歌に関して作者は一切の私情をはさんでおりません。ですから、読むほうも色々想像ができるのだと思うのです。仮に、この歌が海辺の宿に泊まっての実際の状況を実写したものであっても、このように感情を一切はさまず、そのままを詠むことによって、読者に色々想像させることが出来るのだと思います。写生論の根本がここにあるように思います。 土屋文恵 客足の途絶える葉月末を待ち獣おでまし畑を荒らさる (評) 「獣おでまし」などとユーモラスな表現をしておりますが、内容はなかなか深刻です。客足と獣の出没の因果関係は不明ですが、そういうこともあるのかもしれません。歌自体はウイットに富んでいて悪くはないと思います 今わたしは、写生と観念について考えています。たとえばこの歌は、観念的な歌ということになります。夏の繁忙期が終わるころになると獣が不思議と出没して畑が荒らされる。といったことで、何かを実際に写生して作ったのではないと思います。この自覚(この歌は観念的な歌であるという自覚)がまず必要だと思います。 話は別のことになりますが、注意事項としまして、「葉月」は陰暦八月の異称です。あくまでも陰暦であるということです。厳密にいいますと、現代の陽暦(太陽暦)では、九月上旬から十月上旬に当たるでしょうか、秋の季語となります。そのようなことにも注意が必要と思います。八月だから、葉月と安易には用いるべきでないでしょう。ただ、この作品においては、収穫の秋を見据えての「葉月」かもしれません。 三首目の「残暑に耐ゆ」は、「残暑に耐ふ(う)」が正しいと思います。「絶ゆ」は、正しいですが。 四首目の「荒らさる畑」は、「荒らさるる畑」が正しいと思います。
2016.10.25
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編集後記(白浜短歌平成28年10月)下書き和歌と短歌の違い 大野誠夫の『短歌入門』に、前回と同様、短歌における写生について書かれています。正岡子規や斎藤茂吉とともに、今回は島木赤彦の作品が載せれれています。三名とも言うまでもなく、写生を基本とした有名な歌人です。 明治になりまして、和歌が短歌と呼ばれる様になったことは、私も何回か書いています。それでは、和歌と短歌とはどう違うのでしょうか。これについては、案外書かれていないように思います。私自身も今まで書いておりません。 和歌と短歌の違いを端的に表しているのが、この写生論であると思います。日本は、明治になって、先進国の西洋文明、科学文明を必死に取り入れたわけです。その一環として短歌では絵画における写生論をとり入れたと思われます。 正岡子規が古今集を否定したのは、その観念性にあると思います。和歌がもっとも和歌らしいのは、やはり平安時代から鎌倉時代の初め、古今集から新古今集に至る八代集(古今集・後撰集・拾遺集・後拾遺集・金葉集・詞花集・千載集・新古今集)の歌の数々であろうと思います。その特徴を一口に言えば、観念性(歌を頭で作る、想像や空想で作る、掛け言葉や縁語、歌枕、本歌取りといった技巧で作る)ということではないでしょうか。 月に兎がいて餅をついている、とか、かぐや姫の話、あるいは鬼の話、あるいは妖怪であったり、呪いや祟り、もっともっとあげることが出来ますが、そういう想像の世界、観念の世界がはびこっていた時代でもあったと思います。なぜでしょうか、そのひとつをあげて言えば、夜の暗さがあります。その時代の夜の暗闇は現代の文明社会とはまったく違った世界であったことでしょう。そうした暗闇の世界を色々想像し、恐怖したことが想像されます。あるいは、宮廷社会での、特に女性の閉鎖的な環境もあったと思います。たぶん、あまり外出も出来ない状態を想像します。姫君はもちろんですが、仕えていた女性たちの環境です。昔(万葉集など)の歌を読んだり、屏風絵あるいはそこに書かれていたであろう歌などによって、色々想像して歌を作ったりしたことでしょう。そんななかで歌枕(地名が織り込まれている歌)や、それに影響されて作る本歌取りなどの技術を学んでいったのではないでしょうか。そういう、想像で作るような、頭で作るような、見たままを正しく写生するのではない歌、いわゆるこうした和歌を正岡子規はとにかく否定して、歌を新しく作り直そうとしたのでした。それが、今日の短歌と呼ばれる歌の出発点だったと思います。
2016.10.19
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