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せっかく(?)宝塚の観劇予定が無いのだから、今月は積極的に映画を観ようと思っていたのだが、蓋を開けてみたら2本しか観られなかった。【ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬】…満足度★★★本当は優秀なはずなのに、何故かいつも自らドジを踏んでは状況を悪化させるイギリス諜報員、ジョニー・イングリッシュの活躍(?)を描くコメディ映画の第2弾。【Mr.ビーン】で有名なローワン・アトキンソンが主演しており、役柄が変わろうとも安定した下らなさで笑いを提供してくれる。【Mr.ビーン】が好きな人なら、理屈抜きに楽しめるはずだ。個人的には、アメリカナイズされて退屈になった【007】シリーズに対して、こちらはしっかりと「英国人気質」を受け継いでおり、好感が持てた。もしかすると、この「ジョニー・イングリッシュ」は、今のジェームス・ボンドに対するアンチテーゼ(対立命題)として生まれたキャラクターなのかも知れない。【LION/ライオン 25年目のただいま】…満足度★★フィクションをいかに現実っぽく見せるかが映画の醍醐味であるはずなのに、この作品は実話を元にしているにも拘らず、どうにも安っぽいフィクションに見えてしまう。物語を表面的に追うばかりで、人間の心の機微にまで踏み込めていないせいだろう。素材が良いだけに、この描き方は勿体ない。
2019.05.29

2019.05.24

以前紹介したTHE WiLDHEARTSと並んで、僕が今でも大好きなバンドがいる。英国はスコットランド出身のTEXASだ。デビューは、30年前の1989年。深夜の音楽番組でMVを観たのが、彼らを知る切っ掛けだった。紅一点のフロントマン、シャーリーン・スピテリの可愛さと、それに似合わず芯の通った本格的なブルースロックとのギャップに、僕はたちまちファンになってしまった。母国での評価も高く、デビューアルバム【SOUTHSIDE】は全英3位に入るヒットを記録している。当時のMVが無かったので、TV出演時の映像を。しかし、続く2作目では妙に洗練された音作りがファンの期待を裏切り、暫く低迷する事に。僕もHR/HMに傾倒して行く中で、その存在をすっかり忘れてしまっていた。再び彼らの事を思い出したのは、一体どれくらい経ってからだろうか。全く噂も聞かなかったし、てっきり解散したものだと思っていたが、調べてみるとその後も活動を続け、アルバムも出していた。そして、その時の最新作、'97年発表の4作目【WHITE ON BLONDE】を聴いて、僕は2度目の恋に落ちる(笑)。アルバムの中で、僕が一番好きな曲。こちらは、映画【恋する惑星】をイメージした、シャーリーンの美貌が際立つMV。かつての個性だったブルースロックを捨て、代わりにシャーリーンの歌声を前面に押し出した楽曲の数々は、路線変更という表面的な変化とは全く別次元の、新しいTEXASの幕開けを宣言するに相応しい魅力と自信に満ち溢れていた。その完成度の高さには、異論を差し挟む余地も無い。これは衝撃だった。勝気な瞳のプリンセスは美しい女王へと成長を遂げ、絶対君主の威厳すら感じさせる。これで彼女に傅(かしず)かないファンはいない(笑)。実際、本作は全英だけで165万枚を売上げ、チャートでも見事1位に輝く大ヒットを記録した。その後は、途中にシャーリーンの産休やソロ活動を挟みつつ、バンドは現在も活動を続けている。新しいアルバムを聴く度に感じるのは、【WHITE ON BLONDE】の成功で国民的人気を得た事で、彼らがより自由なスタイルで曲作りができるようになっている事だ。(2作目【MOTHERS HEAVEN】も今になって聴くと、違和感はほとんど無い)勿論、その中心にいるのがシャーリーンである事は言うまでもない。彼女はTEXASの「Heart」であり「Mind」だ。こちらは、2017年に発表された9作目【JUMP ON BOARD】からのMV。さすがにデビューした頃の若々しさはもう無いが、50歳を過ぎても自分らしく生きている彼女の姿は、男の目から見ても格好良い。これからも、彼女について行こう。
2019.05.22
この作品を宝塚で舞台化するとして、鍵となるのはやはりミアとセブの「別れ」の場面だろう。何しろ、この作品でアカデミー主演女優賞を獲得したエマ・ストーンが銀幕で演じても、日本人には伝わらなかったのである。宝塚のトップコンビがどれだけ上手かろうと、客席から離れた舞台上の芝居から、観客がそれを読み取るのは絶対に不可能だ。きっと「セブが可哀想…」という感想で終わってしまうに違いない(笑)。あの場面をどう描写するか…。夏目漱石が「I love you」を「今夜は月が綺麗ですね」と翻訳したように、日本人の感性に寄せながら、しかし決して明け透けに「別れ」を観客に意識させない、繊細な言葉選びが必要になる。正に、脚本家の腕の見せ所と言えるだろう。ラストに関しても、宝塚版なのだから、思い切ってハッピーエンドという手もあるが、「2人は決して結ばれない」というのはチャゼル監督が最後まで拘った演出でもあるため、ハッピーエンドにしてしまうと、もはや【ラ・ラ・ランド】ではなくなってしまう。(実際、配給会社からハッピーエンドにするよう言われても、彼は頑なにこのラストシーンを変えなかったという)加えて、台詞が一切無いので、これをどう演出するかも、作品全体の印象を決める重要な箇所となるだろう。それによって、観劇後の余韻も違ってくる。逆に、そこさえ正しく観客に伝われば、後は楽なのではないかと思う。「いかにもハリウッド映画」の部分を「いかにも宝塚歌劇」に変えるだけで済むからだ。ハリウッドも宝塚も「人々に夢を見せる」という点では共通している。更に、【ラ・ラ・ランド】はミュージカルもある。伝えたい事を簡潔明瞭に表現できれば、「宝塚で【ラ・ラ・ランド】を観て良かった」と感じてもらえる作品になるに違いない。内容的には90分で収まるが、歌とダンスで華やかさを加えれば、一本立てでも行けるだろう。(ただし、間延びする危険性も同時に高まるが…笑)まあ、それ以前に、舞台化する事自体が難しい作品なのかも知れない。という訳で、ようやく全部書き上げた。普段、映画の内容についてこんなに詳しく書く事が無いせいか、何だか妙に疲れた。(しかも、半年以上前に観た作品だ)知恵熱が出そうだ(笑)。とりあえず、書きたい事はひと通り書いたので、暫くはブログの更新も滞るだろう。下書き中の話題は幾つかあるので、気が向いたものから適当に書いて行き、纏まれば載せたい。では、また…
2019.05.16
5年後、別々の人生を歩んでいた2人は、予期せぬ形で再会する。そこでセブは、自分のピアノ演奏でミアに夢を見せる。それはミアが叶えられなかった夢であり、セブが叶えてやれなかった夢でもある。ここで思い出して欲しいのが、最初の感想にも書いた「ハリウッドは人々に夢を見せる街だ」という事だ。ミアと出会うまでのセブは理想ばかり高く、独り善がりの演奏しかできない若者だった。自分が夢を見るばかりで、人々に夢を見せる事ができずにいた。その彼が、自分の演奏でミアに夢を見せたという事は、彼が夢を見せる側の人間、つまり「ハリウッドの住人」になった事を示している。そして、その夢の中で、ミアはセブの本当の気持ちに気付いてしまう。「きっと、彼は今でも私の事を愛してくれている」と。そうでなければ、あんなに素敵な夢は見せられないだろう。そして、彼女は迷う。自分の選択(=他の男性との結婚)は、果たして正しかったのか…。こんな風に2人して成功できるなら、あの時別れる必要なんて無かったのではないか…。彼女が動揺するのも無理はない。何しろ、彼女自身は「自分はフラれた」と思っていたのだから。これだけ通信手段が発達した現代社会にあって、お互いが全く連絡を取り合わなかったのも、これで説明が付くだろう。(ただし、スマホやパソコンがほとんど画面に登場しないのは、チャゼル監督が本作に「古き良きハリウッド映画に対するノスタルジー」を描き込もうとしたからでもある)「貴方は、本当にこれで良かったの…?」戸惑いながら振り向く彼女に、セブは少し寂しそうに、けれど優しく微笑みながら頷く。「これで良かったんだ」と。そう、彼も分かっているのだ、現実がそんなに甘くはない事を。「あの時、こうしていれば…」というのは、後になってから言える言葉であり、その時はそうするしかなかった。未熟な自分達は、あそこで別れるしかなかった…。けれど、あの恋があったからこそ、2人は成長できた。互いに夢を叶える事ができた。だから、これで良かったんだ、と。僕の好きな漫画【バーテンダー】の中に、こんな台詞がある。「お客様はプロとアマチュアの違いが分かりますか? プロになるということは 現実の中で何かを捨てるということ たとえばかつて抱いた夢 理想 憧れ… 必要なのは捨てる辛さ痛みに耐え 現実に学ぶということ そこからプロの本当の成長が始まる だからこそムダに捨てない 活かすために捨てる」たとえ自分が望まぬ形だったとは言え、一度は仮初めの成功を手に入れたセブには、その事が身に染みて分かっていたはずだ。夢を売る仕事は、自分が夢を見ていては成り立たない。だから、あの時ミアを突き放した。彼女が本気で夢を追うには、自分との恋愛は足枷(あしかせ)にしかならない、と。しかし、だからと言って、セブがミアへの愛を失った訳ではなかった。きっと彼は、彼女が女優として成功するにしろ、夢を諦めるにしろ、いつでも戻って来られるように、もしもの時を考えてその場所を空けていたのではないか。或いは、ミアの気持ちに応えてやらなかった事に対する贖罪の気持ちもあったかも知れない。(こういう時、たいていは男の方がセンチメンタルな発想をするものだ…笑)何れにせよ、別々に選んだ道の先でお互いが成功した事で、「もしも」が起こる事は無くなる。それでも、彼に後悔は無い。彼女が頑張っている姿を見ていたからこそ、自分もそれに負けまいと頑張って来られた。別れた過去を無駄にしないために…。だから、これで良かったんだ。君と出会い、恋をしたから、僕は今ここに居られる。そんな想いが、セブの最後のあの表情になって表れたのではないかと思う。ここは「メイド・イン・ハリウッド」だからこそ深みが増すラストシーンだと言える。更に、「セブがミアに捨てられた」と思いながら観るのと、「セブがミアのために身を引いた」と思って観た時とでは、その表情の見え方が違って映るのも、この作品の凄い所だ。チャゼル監督は、そこまで計算した上で、セブ役のライアン・ゴズリングにあの表情をさせたのだろう。そこにも、若き才能を感じた。以上が、僕の観た【ラ・ラ・ランド】の全容だが、どうだっただろうか。まあ、異論・反論はそれぞれにあるだろうが、僕がこの映画のどこに感動し、何を評価してあの点数を付けたのか、その理由は理解してもらえたと思う。さて、次回は「この映画を宝塚で上演するとしたら…」について書いてみたいと思う。完全に余談だと思って読んで欲しい(笑)。
2019.05.15

最初の感想にも書いたが、この映画における「歌」と「ダンス」は、主人公達の「夢」や「恋」を彩るための演出として用いられている。だから、2人の夢と恋に陰りが見え始めると同時に、そうしたミュージカルの要素も鳴りを潜(ひそ)めてしまう。その歌が再び蘇るのが、ミアがセブに促されて受ける最後のオーディションの場面だ。ここでの歌は、しかしミュージカルと呼ぶには余りにか弱く、頼りない。それは、挫折したミアがもう一度夢に向かって歩き出す時の、不安や躊躇いを表現しているからに他ならない。この辺りからも、【ラ・ラ・ランド】におけるミュージカルの位置付けが見えて来るのではないかと思う。そして、この映画における「巨大な飛行石」とも呼べるのが、オーディション後にミアとセブがベンチに座って語り合う場面だ。ここでの2人の会話を、どう受け取っただろうか。離れ離れになる恋人同士が、お互いの気持ちを確かめ合っている…?答えは「NO」だ。ここは、紛れもなく「別れ」の場面である。「でも、2人は互いに『愛してる』と言っているじゃないか!?」と思われるだろう。しかし、「愛してる」という言葉が、常に「愛してる」という気持ちだけを表現しているとは限らない。セブと話している時の、ミアの表情に注目して欲しい。彼女は気付いたのだ、彼の言葉が別れを告げている、と…。「あとは様子を見よう」という言葉は、2人の恋にこの先が無い、つまり「さよなら」を意味している。(少なくとも、彼女にはそう聞こえた)だから、自分の背中を押してくれたセブに対して、「ありがとう」と「さよなら」の気持ちを込めて、ミアは最後に「ずっと愛してるわ」と答えたのだ。「別れ」の場面で、敢えて「愛してる」という台詞を言わせる。或いは、「さよなら」という言葉を使わずに「恋の終わり」を演出する。これぞ正に「ハリウッド流」であり、チャゼル監督の非凡な感性が発揮された場面だと言える。そんな監督の意図に、こちらも正に「オスカー級」の演技で応えみせた、エマ・ストーンの表現力も鳥肌ものだ。このシーンは、何気ないやり取りに思えて、実は脚本と芝居とが見事に結晶した最高の場面である事を強調しておきたい。この演出で、この映画に対する僕の評価(★★★★☆)もほぼ決まった。これに続く2人のやり取りも、短いながらはっきりと別れを象徴している。セブ「この景色」ミア「よくない」セブ「最悪だ」ミア「ええ、昼間は初めてよ」グリフィス天文台は、2人が初めてキスを交わし、恋が始まった思い出の場所だ。にも拘わらず、彼らはそれを「よくない」「最悪だ」と言う。これは2人の恋がそこで一旦終わり、お互いの気持ちがフラットになった事を表している。「昼間」という表現も、彼らが幼い夢から醒めて、冷静に現実を見られるようになった隠喩だ。(2人の恋が「夜」から始まった事とも対比させてある) →→ (景色の映し方も、恋の始まりと終わりを表現している)だから「ミアが裏切って」とか「現実的な判断をして」他の男性と結婚したという解釈は、全くの的外れなのだ。(そもそも、あの場面で別れを切り出したのはセブの方だ)2人は、既にあの場面で大人の判断をして別れている。そして、大人になったからこそ、2人は互いに夢を叶える事ができた…。前回も述べた通り、この作品のテーマは「ミュージカル」でもなければ「恋愛」でもない。徹頭徹尾「ハリウッド」だ。それを踏まえた上でこの場面を解釈しないと、ラストの展開も正しく読み解く事はできない。とは言え、普通に観ていて、あそこが別れの場面だと気付く人は滅多にいないだろう。(僕も「この景色ー」のくだりが無ければ見過ごしていた所だ)チャゼル監督としても、寧ろ気付かれない事を前提に、あの場面を撮ったように感じる。恐らく、その方が観客の驚きも大きくなり、ラストの展開に様々な解釈が生まれて面白いと考えたのだろう。その大胆かつ挑戦的な発想も、個人的には気に入った。次回はいよいよ、その2人が再会する場面について書いて行きたい。
2019.05.13

最初の感想で、僕は「この作品は厳密にはミュージカル映画ではない」と書いたが、もっと正確に言えばこの映画は恋愛映画ですらない。では、何映画なのか…?答えは「ハリウッド映画」だ。「ハリウッドで撮影したのだから、ハリウッド映画なのは当然だろう」と思われるかも知れない。しかし、そうではない。【ラ・ラ・ランド】は、新進気鋭の監督デイミアン・チャゼルがハリウッドへの「敬意」と「洒落」と「皮肉」を込めて、いかにもハリウッド映画に出て来そうな場面を若い感性で切り取り、現代風に味付けし直し、コラージュした作品なのだ。この映画の演出に、どこか「わざとらしさ」や「誇張」を感じるのはそのためだ。勿論、それは意図的なものである事は言うまでもない。ネット上では、例えば映画館のシーンで、ミアが上映中のスクリーンの前に立ってセブを探すシーンを観て、「こんな非常識なヒロインに感情移入できない」なんて感想を書く人がいたが、その人は残念ながらこの映画の本質を全く理解していないという事になる。大切なのは、そうした監督の意図を正しく汲み取った上で、映画を鑑賞する事なのだ。そして、同時にこれは、ハリウッドの住人達(=業界人)の矜持(きょうじ)を誘う映画でもある。きっと、彼らもこんな恋愛や挫折を経験して来たのだろう。だから、この作品がハリウッド界隈で随分ともて囃(はや)されたのも当然の話で、それにも拘わらず世界的に大ヒットした所に、この若き監督に天賦の才能があるという事なのだと思う。僕は、その新たな感性が気に入った。このように、【ラ・ラ・ランド】で描かれているのは「恋愛」でも「ミュージカル」でもなく、徹頭徹尾「ハリウッド」である。この映画にとっては「恋愛」や「ミュージカル」といった要素は、実は大して重要ではない。寧ろ、この使い古されたテーマと手法を、どう現代風にアレンジして再生するかが重要なのだ。そういう意味では、宝塚の小川理事長が掲げる「温故創作 / リボーン」に近いと言えるだろう。映画のラストに、わざわざ「メイド・イン・ハリウッド」と銘打ってあるのもその所以である。だから、この作品を読み解くには必ず「ハリウッド」というフィルターを通さなければならない。逆に、このフィルター(=感性)を持たないまま観ると、恋愛やミュージカルといった表面的な要素しか目に入って来なくなるため、中途半端な印象を受けかねない。ただ、そうは言っても、一般的な日本人にはその恋愛とミュージカルの側面しか見えないのだろうから、それで「面白くない」と感じたとしても無理からぬ話ではある。【ラ・ラ・ランド】は、そもそも日本人向きではないのだ。以上を踏まえつつ、次回からは実際に本編の内容について触れていきたい。と言っても、解説するのは、ミアがセブに促されて受ける最後のオーディションの場面からだ。それまでのシーンは、謂わばケーキの上に飾られた苺や砂糖菓子などの「デコレーション」であり、ここで語る程の内容ではない。【天空の城ラピュタ】のムスカ風に言うなら、「上の城などガラクタに過ぎん。ラピュタの科学は全てここに結晶しているのだ」という事だ(笑)。
2019.05.10

ようやくGWの10連休が終わり、普段の生活が戻って来た。前半はいつもの週末と言った感じだったが、後半は忙しくて疲れた。定休日の昨日は朝9時半まで寝ていたものの、何となく身体が重くてブログを更新する気にならず、夜は21時半には布団に入って寝てしまった。おかげで、だいぶ疲れは抜けた。(ついでに、コメディ映画を1本観たので、気分転換もできた)さて、今月は特に何もする事が無いので、これから暫くは当初の予定通り映画【ラ・ラ・ランド】について書いていきたいと思う。感想ではなく解説なので、随分と長文になっているが、頑張って読んで欲しい。(損はさせないつもりだ…笑)恐らく、4回くらいの不定期連載になると思う。前にも書いたが、基本的に僕は「映画なんて、自分の感性で観れば良い」と思っている。同じ映画でも、観る人の性別や年齢、境遇、教養、趣味嗜好によって感じ方は様々だろうし、見えて来るものも違う筈だ。だから、僕が面白いと思うものを退屈だと言う人もいるだろうし、逆に大ヒットした映画でも僕は「駄作」と評価する場合もある。人の好みや感性を画一化する事ができない以上、それは当然の事だろう。ただ、監督の意図を正しく理解した上で作品を評価するのと、何も分かっていない状態で批評するのとでは、全く意味合いが違う。本来、「好き嫌い」と「批評」とは全く別のものだからだ。例えば、ムンクの【叫び】という有名な絵がある。大抵の人は、あの絵の中の人物は「叫んでいる」と思っているのではないか。しかし、実際は全く違って、あれは突然聞こえて来た大地の叫び(のような声)に恐怖を感じたムンクが「耳を塞いでいる」絵なのだ。 「私は2人の友人と一緒に道を歩いていた。 陽が暮れようとしていた。 突然、空が血の赤に染まった。 私は立ち止まり、酷く疲れを感じ、柵に寄り掛かった。 それは炎のような血と舌とが、青黒いフィヨルドと町並みに覆い被さるような光景だった。 友人は気にせず歩き続けたが、私は不安に襲われてその場に立ちすくんだ。 そして私は、自然を貫く果てしない叫び声を聞いた。」(1892年1月22日に書かれた、ムンクの日記)別に、この事実を知ったからと言って、絵に対する「好き嫌い」の評価が変わる訳ではない。「叫んでいる」から好きで、「叫んでいない」なら嫌いというものでもないだろう(笑)。しかし、絵に対する「見方」や「印象」は確実に変わるはずだ。これからするのは、そういう類いの話だ。次回は、【ラ・ラ・ランド】の「作品テーマ」について語ってみたいと思う。これがきちんと理解できていないと、この映画を正しく読み解く事はできない。今週末には更新できると思うが、それまでムンクの絵でも眺めながら待っていて欲しい(笑)。叫んでいる? 耳を塞いでいる?
2019.05.08

ここ数日、先日紹介した英国のバンド、THE WiLDHEARTSの曲をYouTubeで聴き直していたのだが、その中に聴き覚えのない曲があり、調べてみたら新曲だった。(一応、これまでに発表されたスタジオアルバムは、全部買って聴いている)彼らの音楽性は、当時からよく「METALLICA meets THE BEATLES」と喩えられたが、今回も相変わらず強烈なリフに一筋縄では行かないメロディが絶妙に絡んだ、これぞTHE WiLDHEARTSというサウンドを聴かせてくれている。THE WiLDHEARTS【Dislocated】更に、公式HPには、彼らが実に10年振りとなるニューアルバムを発表するという驚きの情報が。発売日は5月3日だという。って、今日じゃないか!!? (笑)もの凄いタイミングだ。最近はあまりHR/HMを聴かなくなっていたし、音楽雑誌をチェックする事も無くなっていたので、よもや10年経ったこのタイミングで彼らの事を思い出した自分に慌てた(笑)。本当に、こんな偶然ってあるんだな…。「平成の1曲」に選んでいなければ、完全に見過している所だ。新作のタイトルが【ルネサンス・メン (RENAISSANCE MEN)】というのも、何気に繋がってる感があって面白い。これは、もう買うしかないだろう。現在のメンバーは、ジンジャー(Vo&G)、ダニー(Ba)、CJ(G)、リッチ(Dr)と黄金期のラインナップが復活している。来日公演も行うらしいが、大阪は日曜日(6月30日)なので無理だ。そこは繋がらなかったか…(笑)。
2019.05.03
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