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10年以上も前からずっと観たいと思っていた映画【かもめ食堂】を遂に観た。大阪に来てからはTSUTAYAを利用する機会も全く無かったし、Amazonの『プライムビデオ』でもなかなか無料対象にならなかったので(笑)、これまで先送りにしていたのだ。今回、ようやく観る機会に恵まれたが、やはり良い映画だった。その前に鑑賞した【壬生義士伝】の感想も一緒に。今回は偶然、「背負う男」の生き様と「背負わない女」の生き方という対照的な作品になった。【壬生義士伝】…満足度★★★☆剣の腕は一流ながら、仲間達も呆れるほど金途に熱心な東北訛りの新選組隊士、中村貫一郎。「守銭奴」と笑われた男の生き様が、約50年を経て巡り会った2人の男達によって語られて行く。中井貴一の素晴らしい演技と相まって、主人公の「家族に対する想い」や「武士としての忠義」は痛いほど伝わって来る。貫一郎の事が気に入らない仲間の隊士・斉藤一(佐藤浩市)や、竹馬の友・大野次郎右衛門(三宅裕司)との対比のさせ方も見事で、物語に深い余韻を残す。しかし、蛇足に思えるシーンも少なくなく、作品全体としては散漫な印象を受けた。もっと、家族との絆に的を絞って描いても良かったのではないか。【かもめ食堂】…満足度★★★★☆実際に喫茶店を経営している身としては、誰も客が入って来ない冒頭のシーンには背筋がヒヤッとしたが(笑)、ゆったりと流れる日常の風景や彼らの交流を見ている内に、自然とそうした不安も消えて行った。何がどうという訳ではないのだが、この物語を包み込む不思議な空気感に癒されるのだ。恐らく、それこそがこの作品最大の魅力であり、効能だろう。小林聡美、片桐はいり、もたいまさこのキャスティングも絶妙で、まるで万能薬のように観る者の心を解きほぐしてくれるヒーリング映画。
2019.09.27
映画【壬生義士伝】を観たので、今回は宝塚版と比較しながら語ってみようと思う。と、その前に、先回の【カフェブレイク】で気になった事を一つだけ。もしかすると、永久輝せあは今回の組替えを「雪→花」と考えているのではないか。そうではない、「雪×花」と考えなければ駄目だ。その意識改革が、彼女の個性を生み、成長に繋がる。番組を観た限り、彼女が本当の覚悟を決めるにはまだ暫く時間が掛かりそうだが、「東京公演の途中で組替えを知らされてから、芝居に変化が出た」と語っていたし、きっと大丈夫だろう。あまり頭でっかちにならず、遊び心を忘れず頑張って欲しい。そんな永久輝に、ニーチェのこの言葉を贈ろう。世界には君以外には誰も歩む事のできない唯一の道がある「その道がどこに行き着くのか」などと問うてはならないひたすら進めでは、ここから本題。先ず、両方を観た感じとしては、どちらも「一長一短」という印象を受けた。宝塚が「家族」に重点を置いているのに対し、映画は「武士」の側面に重点を置いている。表現したいものが違うので、これに関しては甲乙つけるのは難しいだろう。好みの問題としか言えない。主人公の中村貫一郎と妻しづとの馴れ初めは、映画の方がドラマチックで感情移入もし易いが、逆に斉藤一と恋人ぬいとのエピソードは余計だったように思う。息子の嘉一朗と千秋の別れの場面も、クライマックスが過ぎた後なので、冗長に感じる。この辺りは、宝塚の方が無駄が無くて良かった。そうした中で「この台詞が宝塚版にあれば、もっと分かり易くて良かったのに…」と思う台詞が3つあったので、紹介しておきたい。1つ目は、脱藩し家を出る貫一郎が、妻のしづに語る言葉だ。「多くの子弟に学問を教え、剣術を授ける立場のワシが、 間違ってもこの盛岡で銭っこが欲しいとは、どこの誰にも言えねえ…」宝塚版では、単に貧しさ故の脱藩という印象しか無かったが、この台詞からは少年達の手本となるべき指南役としての貫一郎の辛い立場が見えて来る。と同時に、そうした柵(しがらみ)から解放された新選組だからこそ、彼はあんな風に仲間から笑われても、なりふり構わず金を無心できたのだ、という事にも気付かされる。それ故、宝塚版にこの台詞があれば、貫一郎の決意により説得力が増したのではいかと思う。また、宝塚版には「貫一郎から大野次郎右衛門の母親へ、食料の差し入れがあった」という台詞があるため、「竹馬の友として2人は助け合えなかったのだろうか…?」という疑問が湧いてしまったが、映画ではそんな事はなかった。貫一郎は、次郎右衛門に対して脱藩理由を「尊皇攘夷のため」と説明し、決して「貧困」を口にはしていないからだ。彼は、飽くまでも武士として筋を通しているのである。2つ目は、新選組を離脱し御陵衛士を結成する伊東甲子太郎が、貫一郎と斉藤一を引き抜こうとする場面だ。「自分達の仲間になれば、給金も上がる」と言う伊藤に対し、貫一郎はこう返す。「恥ずかしながら、それがしは一度主君を裏切った身。 なれば、二度は裏切れねのす」これは、場面そのものが宝塚版に無いため難しい所だが、貫一郎が金よりも忠義を重んじる武士である事がはっきりと分かる台詞でもあるため、何とか入れて欲しかった一言だ。(例えば、見合いの場面で「この際きっぱり武士を捨て、商人として生まれ変わってはどうか…?」と言う近藤に対する返答として使えなかったか…?)この台詞があると、鳥羽伏見の戦いでの行動にも説得力が出たように思う。宝塚版では貫一郎が急に義に走ったような印象が強いが、映画を観ると彼は常に己の義に従って行動している事が分かる。3つ目は、左配役となった次郎右衛門が、南部藩蔵屋敷で帰藩を願う貫一郎に対して言う言葉だ。「ワシ1人がお前のために死ぬ事はできる。 だども、お前1人のために南部20万石を朝敵とする訳にはいかねえ!」これほど次郎右衛門の胸中をはっきりと語っている台詞が、どうして宝塚版でカットされたのか不思議でならない。それとも、映画版のオリジナルで、原作小説(未読)には無い台詞なのだろうか。実際、映画では斉藤一と大野千秋が過去を振り返る形で物語が進むが、小説では記者が貫一郎の足跡を辿る形になっており、随分と違うようだ。以上が、映画を観ながら「これが宝塚版にあれば…」と感じた3つの台詞だ。もし、いつか【壬生義士伝】を再演する事があれば、その時はぜひ検討してもらいたい(笑)。映画そのものの評価と感想は、また改めて書こうと思う。
2019.09.25

今回の花組レヴュー【シャルム!】は、いきなり現代の若者達が出て来て「いつもと雰囲気が違うな〜」と思っていたら、そうだ、パリの地下都市が舞台なのだった。パリの中心部は景観を統一するため、建物の高さは勿論、屋根の角度やバルコニーの位置、そして使う石材の種類まで厳しく制限されている。そして、その石材の採掘場所というのが、他ならぬパリ市街の真下にあり、そのためパリの地下には巨大迷路のような空間が広がっている。(というのを、以前たまたま【ブラタモリ】で見た…笑)更に、18世紀後半になると、埋葬しきれなくなった遺体を収容するため、教会はこの大空洞を今度は墓地として活用するようになる。これが「カタコンブ・ド・パリ」と呼ばれる世界最大規模の地下墓地の始まりであり、現在は600万体の遺骨が納められている。という豆知識を挟みつつ(笑)、レヴューの感想を。今回は、明日海りおのサヨナラ公演という事で、彼女の男役としての魅力を存分に楽しむと共に、涙を誘う演出もあり、「1回の観劇では足りない」という思いと「1回でも観劇できて良かった」という思いが交差しながら鑑賞した。(まあ、DVDを購入する事に決めたので、今は1回でも満足しているが…笑)若者達の格好と骸骨達が歌い踊る場面以外は、実に宝塚らしいレヴューだったと思う。個人的に一番感動したのは、明日海が柚香光、瀬戸かずや、水美舞斗とそれぞれ踊る黒燕尾のデュエットだ。特に、柚香との場面は、明日海の愛と優しさが満ち溢れており、思い出すだけでも胸が熱くなる。トップスターの重責を知る者だからこそ、そして別れを覚悟した者だからこそ、あの全てを包み込むような眼差しになるのだろう。S4『Nuit Jungle 美しき男』も良かった。いつかの公演でもこの衣装で踊る場面があり、とても格好良かったので、サヨナラ公演で再び観られたのは嬉しかった。S6『Resistance 地底の恋人』も好きだが、感想を書くために公演プログラムをチェックして、「あれって地下の話だったんだ…」とちょっと驚いた(笑)。花組の次代を担う若手達も、一纏めで観られるのでお得だ。という訳で、レヴューの感想は苦手なので簡単に(笑)。(DVDを買おうと決めた段階で、ちょっと気が抜けている…笑)芝居と違い、レヴューに解説は要らないので、それぞれの感性で楽しめば良いのではないか。明日海りおのサヨナラ公演ではあるのだが、彼女自身が「退団後の事は考えず、今は目の前の舞台に集中したい」と答えているからだろうか、僕もまだ悲しいという気持ちは無く、それよりも寧ろ観劇できた喜びと感謝、そして明日海りおの愛に包まれた恍惚感の方が今は強い。悲しむのは、実際にその日が来てからにしよう。それに、もうDVDを買う事に決めたので、たとえ忘却の粉を振りかけられようと、僕の中で明日海りおの魔法(シャルム)が解ける事は永遠に無い。ありがとう!!
2019.09.17

「さて、今日は何の日でしょうか!?」 「あれ…、今日って何かありましたっけ?」 「え、覚えてくれてないのッ!!?」「なんちゃって、お誕生日おめでとうございます!!」「わ~い、ありがとう!!」 「て、おだちん居ないじゃん…」と、場の空気が和んだところで…(笑)ARI、誕生日おめでとおぉぉおおうッ!!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
2019.09.14
もっと手間取るかと思ったが、今日は久し振りにもの凄く店が暇で、一気に書けてしまった(笑)。話題が後回しになってしまったが、僕が観劇した3日(火)は桜木みなとら宙組生が何人も観に来ており、何だか得した気分になった(笑)。そして、レヴュー【シャルム!】のアドリブで知ったが、その日は小池修一郎も客席にいたようだ。同じ脚本家として、【A Fairy Tale -青い薔薇の精-】の感想を聞いてみたい気もするが…(笑)。次期トップスターの柚香光は、これまで以上に丁寧な演技で、明日海りおと双璧を成す存在感を見せた。彼女も、公演毎に何かしら成長を感じさせる。明日海りおの後任という重責は勿論あるだろうが、どうか自分らしさを失わず頑張って欲しい。同じく95期の水美舞斗も、更に存在感と安定感が増し、どんどん目が離せない男役になって行く。今回演じた庭師のニックも、こういう役をやらせたら右に出る者がいないのではないかと思える程、草花に対する愛情が表情から溢れ出ていた。更に、シャーロットの母フローレンス(城妃美伶)に対する秘めた想いも、一瞬の描写の中で見事に表現しており、限られた出番の中で役に深みを与えていた。だからこそ、ウィングフィールドの庭園は、ニックにとって尚更に大切な存在だったのだろう。新人公演で主演を務める聖乃あすかは、本公演では台詞の無いパントマイムだけの芝居だったが、持ち前の美貌と花男の気概とで華麗に薔薇の精を表現してみせた。勿論、真の「美」を体現する明日海りおに比べれば、まだまだ幼さは隠せないが、そこは今後の成長に期待しよう。インタビュー記事で見せる顔付きも随分と凛々しくなり、きっと今公演で多くの事を学んだに違いない。前回の【CASANOVA】で新公主演した帆純まひろも、今公演では一気に出番が増え、爽やかな演技で魅せた。新人公演で得たものを、しっかりと次に繋げている。他にも、これまであまり印象に残らなかった、優波慧や飛龍つかさ達も存在感を示し、明日海のサヨナラ公演で花男のプライドを見せた。さて、このスター候補生が何人も控える花組で、永久輝せあがどんな個性を花開かせるのか。興味は尽きない。そして、彼らの手本となる、瀬戸かずやを始めとした上級生達の演技も光った。そんな中で、今回僕が妙に気になったのが、シャーロットの夫役を演じた羽立光来だ。94期というから、珠城りょうと同期だ。身長も178cmと高く、個人的には俳優の小澤征悦に似た渋さを感じた。出番こそ少なかったが、芝居ではふてぶてしく、レヴューではコミカルな表情も見せ、「まだまだ知らない個性がいるものだな…」と、改めて観劇の面白さを感じた。花男達よ、どんどん咲き誇れ!!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆次回は、レヴュー【シャルム!】の感想を。まだ1行も書けていないので、更新は来週になると思う。
2019.09.12
前回の繰り返しになるが、【A Fairy Tale -青い薔薇の精-】には「2つの時間」が流れている。1つは、直線的に進む「人間社会」の時間。産業革命を成し遂げたロンドンでは人々が「時は金なり」と謳い、更なる社会の繁栄と利潤を求め慌ただしく動いている。そして、その傍らでは、確実に環境汚染が進んでいた。もう1つは、かつてウィングフィールドの庭園に流れていた、循環する「自然界」の時間。しかし、薔薇の精エリュ(明日海りお)が自然界の掟を破ったために、庭園の草花は枯れ果て、今は時が止まってしまっている。ここで幼少期を過ごしたシャーロット(華優希)も、母親の死を境に人間社会の時間の中に飲み込まれ、その後は辛い人生を送っていた。更に、50年という歳月の間に庭園は土壌汚染が進み、たとえエリュの罪が赦されたとしても、精霊達が以前のように暮らせる環境ではなくなってしまっていた。自然を蘇らせるためには、人間達の協力が必要だ。こうして、断絶した2つの時間を再びを繋ぎ合わせるべく選ばれ、エリュと出会う事になったのが、植物研究家のハーヴィー(柚香光)だ。2人は、最初こそ相手を認めようとしなかったが、やがて互いを知り心を通わせる中で、大切な何かに気付いて行く。そして、ついに約束の期日、夏至の夜が訪れて…。ラストシーンで謎の貴婦人(乙羽映見)の正体が分かると、実は今回の顛末が全て、彼女の描いた「シナリオ」だった事に気が付く。彼女は、ハーヴィーがエリュと出会い、協力し合えるようにと、始めからヴィッカーズ商会を指名したのだ。(勿論、消息が不明だったシャーロットの居場所も、彼女だけは知っていた)主演の明日海りおは、全編通してとにかく美しく、それだけで満足してしまいそうになるが(笑)、それが際立つのも、緻密な役作りと卓越した表現力がその根幹にあるからに他ならない。その一挙手一投足に、男役の美学が息づいている。これまで積み重ねて来た努力の先に本物の「美」がある事を、彼女は身を以て証明してみせた。「神は細部に宿る」とは、正に明日海りおのためにある言葉である。そんな彼女の演技の中で、最も印象深かったのはシャーロットと再会する場面『S14』だ。恐らく永遠の生命を持つであろう精霊のエリュに対し、人間のシャーロットは50年の間に随分と年老いてしまった。それでも、エリュはその老女がシャーロットであると直ぐに気付き、彼女にそっと寄り添う。この場面で見せる、明日海の演技が素晴らしい。50年という時間を一気に飛び越え、再びシャーロットと巡り逢えたエリュの表情は、正に霧が晴れたかのように澄み切って穏やかだ。穢れを知らぬ、無垢な少年のようにも映る。たとえシャーロットの外見が変わろうと、彼女に対するエリュの愛は些かも色褪せていない。愛の「純真性」「永遠性」を物語る、美しい場面だ。それを、明日海は表情と仕草だけで完璧に表現してみせた。そして、それに応える華優希の演技も見事だった。今回は少女時代から老年期までをしっかりと演じ分け、それだけでも新トップ娘役としての力量を示したと言えるが、中でも老年期の芝居は、とてもお披露目公演とは思えないほど自然で違和感が無く、目を見張った。しかも、単に嗄(しわが)れた声で喋っているだけでなく、そこにシャーロットが生きて来た50年の重みまで感じさせたのは、見事としか言いようがない。歌に声量が足りないのが唯一気になった点ではあるが、これは今後の努力で改善されるだろう。次期トップスターの柚香光と、どんな化学反応を見せるのか楽しみだ。ありがとう!!ところで、謎の老婆(美花梨乃)の正体は、一体誰だったのだろう…。彼女だけは、本当に「謎」だ(笑)。
2019.09.11

今公演のポスター画像を見た時、「何となくトートっぽいな…」と感じたのだが、実際に【A Fairy Tale -青い薔薇の精-】を観て、これは明らかに明日海りおのお披露目公演である【エリザベート -愛と死の輪舞-】を意識して描かれた作品である事に気付いた。恐らく、演出家の植田景子は、この作品から【エリザベート】を想起させる事で、「明日海りお」という存在を永遠に回帰する物語に昇華させようとしたのではないか。物語の「終わり」が再び「始まり」に繋がるように描く演出は、上田久美子が【金色の砂漠】で用いた手法であり、植田はそれを明日海のキャリアに応用したのだろう。少し話が逸れるが、「時間」には2通りの捉え方がある。1つは、時間を直線的な、過去から未来へ向かって一方向に流れるものとして理解する仕方。あらゆる出来事は時間的に不可逆的であり、全てに始まりと終わりがある。現代人のほとんどが、この認識をしてるのではないか。これに対し、別の捉え方もある。例えば、古代の人々は、星の周行や季節の繰り返し等から、時間は循環するものだと考えた。この場合、時間は過去から未来へと一方向に流れるものではなく、無限に回帰するものであり、始まりと終わりとが一つになった円環のイメージで語られる。確かに、今公演を以って明日海りおはタカラジェンヌとしての生活に終止符を打つ。来年になれば、次期トップスターとして柚香光が大劇場の舞台に立ち、宝塚に新たな歴史を刻んで行くだろう。それは現実であり、どれだけ悲しくても時計の針を過去に戻す事はできない。しかし、明日海りおが携わった作品達は、宝塚という夢の世界に永遠に残る。僕達は、それを好きな時に手に取り、彼女の思い出に触れる事ができる。同時に、それらの作品は、彼女をリアルタイムで知らない子供達が宝塚を知り、新たなファンになる可能性も秘めている。そうして彼女を愛し、語り継ぐファンがいる限り、明日海りおの物語は何度でも再生し、終わる事はない。それは、「懐かしい思い出」と「大切な人達への想い」を永遠の中に閉じ込めようと、シャーロットが書き上げた絵本『A Fairy Tale』そのものだ。QUEENの名曲【The Show Must Go On】にも、次のような歌詞がある。「Fairy tales of yesterday will grow but never die (お伽話はいつまでも語り継がれ、決して終わる事がない)」どれだけ無常に時間が流れても、人の想いが繋がり続ける限り、物語は永遠に繰り返す。この点において、【A Fairy Tale -青い薔薇の精-】は他の宝塚作品とは違い、植田景子から、そして明日海りおからファンに向けてのメッセージが織り込まれた、明日海でなければ成立しない特別な作品と言える。明日海りおと言えば、個人的には【MESSIAH】が最も印象深い作品ではあるが、【A Fairy Tale】のメッセージに気付いてしまうと、やはり先ず「終わり」と「始まり」とを繋ぐこのDVD(=お伽話)から買わなければ、という気持ちが強くなる。(というか、もう買う事に決めた…笑)明日海りおのイメージを最大限に活用した「薔薇の精」という設定、【A Fairy Tale】というタイトルと【エリザベート】との類似性から読み解けるメッセージ(と、そのアイデア)、女性ならではの繊細さを感じさせる脚本と演出、そしてそれらを100分に纏め上げる構成力。いやはや、これはなかなかの快作を堪能させてもらった。ありがとう!!という訳で、今回は「感想」というより「深読み考察」みたいになってしまったが(笑)、次回はキャスト別の感想を交えながら、ストーリーにも触れてみたい。
2019.09.06

確か、ダン・ブラウンの小説【ダ・ヴィンチ・コード】だったと思うが、「ヨーロッパ人にとって薔薇は特別な花だ」という台詞があった。(違ったら申し訳ない…笑)欧州で「薔薇」は、どの国語でもほぼ同じ綴りと発音だという。(語源は、ラテン語の「rosa(ロサ)」だと言われている)英語 …「rose(ローズ)」ドイツ語 …「rose(ローゼ)」フランス語 …「rose(ローズ)」イタリア語 …「rosa(ローザ)」スペイン語 …「rosa(ロッサ)」ロシア語 …「pоза(ローザ)」これは、古来より人々が薔薇に魅了され、愛し、その価値観を共有して来た証拠だろう。だから、国が変わっても、時代が流れても、薔薇は薔薇なのだ。そんなヨーロッパ人にとって特別な花である薔薇の精霊を、宝塚ファンにとって特別な存在である明日海りおが最後の舞台で演じるというのも、何かしら運命のような気がする。気高く、美しく、甘く、情熱的で、薔薇のような明日海りお。と、ここまでが、前日までに下書きしてあった部分だ。ここから感想を続けるつもりだったのだが…。その最後となる公演を、今日観てしまった。そう、観てしまったのだ。もう次は永遠に無い、この日の舞台を…。素晴らしい舞台であった事は間違いない。明日海りおの集大成と呼べる、最高の舞台だ。いや、彼女だけでなく、他の組子達も「これぞ宝塚!!」という芝居とショーで魅せてくれた。「1年に1枚」という掟を破って、DVDを買おうか迷っている程だ。しかし、その幸福感と充足感と共に、想像していた以上の喪失感に襲われ、何を書いて良いのか言葉が出て来ない。愛する人に気持ちを伝える時、言いたい事は沢山あるはずなのに、結局ただ一言「愛している」という言葉しか出て来ないように…。明日海りおが、自分の中でこれほど大きい存在になっていた事を、今日初めて知った。だから、今は「ありがとう」という言葉だけを伝えるのが精一杯だ。感想は、もう少し気持ちが落ち着いてから、改めて書きたい。ありがとう!!貴方と出逢えて、僕は幸せでした。
2019.09.03
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