全59件 (59件中 51-59件目)
未明に余震があり、それから暫くして愛犬が吠えた。時計を見たら午前3時20分ころ。まだ散歩する時間帯ではないが、急いで着替えして外へ出た。彼は余震に怯えたのだろうか。それとも寄る年波で少々惚けたのだろうか。そのいずれであっても今は愛犬に付き合うことに決めた。人間も同じで、やがては歳を取り、多少の差はあれ老化する運命にある。 散歩から帰宅するなり餌を与えるのが通常だが、今日は2時間ほど早いため再び彼を玄関に入れて休ませる。一方、眠れなくなった私はブログへ返事を書き、読書して時を過ごした。5時過ぎに愛犬に餌を与え、いつものように朝食の準備に。 今日は寒気が去って青空と太陽が戻った。街路樹のケヤキがいつもの年のように芽吹き出した。その淡い色合いを楽しみながら、震災後2度目の帰宅ランを実施。閉鎖された青葉城への道を走っていると、パトロール中の人が2人、天守台の方から降りて来た。何か言われるかと覚悟していたら、そのまま黙って通り過ぎた。 八木山橋の上から見ると、竜の口渓谷の崖が何箇所か崩落していた。この周囲の地下には、戦前から戦後にかけて掘った亜炭(木炭のなり損ない)採鉱の穴が縦横に張り巡らされ、それが青葉城の石垣の崩落の要因にもなっている。天守台から動物公園にかけての交通量が平素よりかなり少ない。きっと行楽や観光どころではないのだろう。 帰宅後、激辛ラーメンを食す。これは我が社と協力関係にある韓国の企業から震災支援品として贈られ、1人につき3個の配分があったもの。社員数1200名×3だから相当の量になったはず。だが、激辛味は日本人の味覚には馴染まず、私は味噌ラーメンと一緒にして食べている。それでもまだ辛過ぎるのだが、立場上文句は言えない。 一旦見送られたカラオケ大会は4月から6月に延期。また東北楽天の観戦チケットは、変更後の公式戦日程表に沿って、改めて抽選し直しするそうだ。この恒例行事の有無が我が社の経営状態の判定材料だったが、どうやら何とか持ち堪えたのだと思う。震災で倒産したり、会社自体がなくなったところが多いと聞く。契約が減った程度ならまだマシな方かも。 実兄が未だ行方不明の義兄は、近く福島原発付近まで出向いて遺留品を探すようだ。きっと政府が許可する「一時帰宅」の折を狙ってのことだと思う。東北電力の女川原発は大きな被害を出さなかったのに対し、東京電力の福島原発(第1、第2)は、国難とも言える大災害をもたらした。これは単に立地条件だけの問題なのだろうか。 走友会の有志が福島県の松川浦まで50km走をし、同夜は民宿に15名ほどが泊った。今回の大震災のわずか6日前のことだ。もし大震災が6日早かったら、15名の仲間は津波に飲み込まれていたに違いない。一昨年の夏、石巻から気仙沼までのマラニック中に私が泊った南三陸町の民宿も、今回の津波で消え去った。嫌でも運命の存在を感じる所以。 さて大震災の結果、地上の牡鹿半島では5.3m位置がずれ、一方海底のずれは24mにも及んで地図の書き換えが必要なのだそうだ。石巻港は地震の影響で地盤が1mほど沈下し、1日2回ある満潮の都度、周辺が水没するなど大きな影響が残った。 あの日、山梨県の西湖でも高さ1mの「津波」が発生した由。これは地震に伴う共振現象らしい。また地震の何日か前に、確か茨城県の海岸に50頭ほどの小型クジラが海岸に打ち寄せられている。クジラは稀に方向を間違うことがあるが、ひょっとして彼らは地震の前触れのようなものを感じていた可能性もあると思うのだが。
2011.04.21
コメント(10)
昨日から愛犬マックスの下痢が止まらない。多分食べ物のせいではないと思う。そうなると原因は強い余震が続いていることくらいしか思い浮かばない。今夜は庭に放し飼いにして対応。余震も愛犬の下痢も、早く治まってくれると嬉しいのだが。 とあるセンターの前で早朝から行列している人がいる。何かイベントでもあるのだろう。そんな風に思っていたのだが、その行列は昨日もそして今日も同様。ガードマンの人に聞いてみたら、「震災を受けた方への小口の融資の申し込み」の由。金額は10万円が限度らしい。10万円の資金にも困窮している人がこれだけたくさんいることを思い知らされた。 地下道にホームレスの姿が戻って来た。震災後彼らの姿が全く見えない時期があった。飲食店やコンビニが軒並み閉鎖されていた時だ。きっとその時彼らは、避難所で暮らしていたのではないか。水や最低の食料はもらえるからだ。その後の復興が、再び彼らを街に呼び戻した。私はそんな推理をしてみたのだが。 「土曜ダイヤでの運行はいつまで続くのですか?」。先日停留所に停まっていたバスの運転手に尋ねた。「多分今月いっぱいはかかると思います」。彼は申し訳なさそうに答えた。今月末からゴールデンウイークが始まる。そうなると通常のダイヤに戻るのは、早くても連休明けになる。自転車通勤がまだ続くと言うことは、帰宅ランの再開がまだ遠いことを意味している。 昨日久しぶりに仙台空港に舞い降りた飛行機。通常は東北新幹線と競合するために運行していない羽田からの便。そして伊丹からの便。わずか数本のフライトだが、それも自衛隊や米軍の協力で滑走路から大量のゴミを除去できたお陰。空港ビル内では未だに断水と停電が続き、手荷物検査は非常用発電で対応してると言う厳しさは変わらない。 政府が発表した福島原発に関する「計画的避難」のショックか、福島県飯館町の102歳のお年寄りが自殺した。彼は活発な性格で老人会の会長職にあった由。住み慣れた土地を去る不安と、自分の存在が移転の迷惑になることを恐れたのではないか。100歳を超えた老人が希望を失うような事故の責任は、一体誰がどう取るのだろう。 今日はわざわざ震災見舞いを送って下さった方々へ、心ばかりの品を発送させていただいた。震災後1カ月を経過し、最後の課題だった都市ガスも復旧したためだ。とてもお礼に代えられるものではないが、改めてご厚意に感謝したいと思う。 昨日は山崎の3ランホームランなどで2連勝中だったわが東北楽天だが、青山の先発で始まった今日のゲームは2番手の片山が打ち込まれて敗れたようだ。だが昨年の日本チャンピオンに対して2勝1敗は立派。明日の甲子園の先発は田中マー君だと思うが、懐かしいマウンドで思い切り腕を振って投げ込んで欲しい。がんばろう東北!!
2011.04.14
コメント(8)
我が家の点検に来てくれた東邦ガスの若者は20歳。工業高校出身の仲間はガスの製造現場などに配属されるが、普通高校卒業の彼らはサービス部門への配属になるそうだ。同社は社員数3千人以上で、国内では東京ガス、大阪ガスに次いで第3位の規模。彼は高校時代からずっと野球を続け、目下プロの選手を目指していると話してくれた。 都市ガスの臭いがする植え木の名前が「ヒサカキ」であることを、アメリカ在住のLime Greenさんが教えてくれた。彼女はブログ仲間の情報で知った由。早速調べてみたら、まさに同じ木の花。都市ガスは本来無臭だが、危険性を察知させるため、わざわざ嫌な臭いをつけると聞く。ひょっとしたらこの「ヒサカキ」の臭いを真似たのかも知れない。なお本来の名は「姫榊」。つまりヒメサカキからヒサカキに変化したわけだ。 昨日ようやく今年のプロ野球公式戦が始まった。我が東北楽天は本拠地のKスタが被害を受けて補修工事中だし、ネーミングライツの持ち主であるN製紙も大津波で被害を受けている。そんな中、選手会長の嶋の3ランホームランで見事な今季初勝利を飾った。エース岩隈は4点を失いながらも勝ち投手。この勢いで楽天が勝ち続け、被災地の希望の星になって欲しいと願っている。 昨日の仙台は桜の開花宣言が出た日でもあった。午前中はまだ4つしか花が開かなかった標本木も、午後からさらに1つ開いたためこの日の宣言になった由。仙台にも遅かった春がようやくやって来た感じがする。嬉しいけど、まだ心からは喜べない複雑な心境だ。でも皆で頑張って、何とか元気を取り戻したいと思う。 今朝の自転車通勤時にM仙人とF田会長が走っている姿を見た。こんな時だが、仲間の頑張る姿を見るだけでも嬉しい。5月初旬の「洋~湖~海」はスタート地をいわき市から郡山市に変更して実施すると連絡が来た。第1日目だけの参加予定だったが、距離が当初の110kmから60kmに縮まった由。私は体調が不十分のため参加は無理。せめて半額だけでも戻ると嬉しいのだが没収だそうだ。 5月15日(日)予定の「仙台鉄人会10時間走」も中止が決定。これは主催者のW氏に電話で確認済み。彼の家は地震でかなり被害を受けたみたいで、大会用の物品が取り出せない状態らしい。毎年楽しみにしていた行事だが、事情が事情だけにやむを得ないと思う。 今度の日曜日(17日)に市内の公園を舞台にしたチャリティーランがある。1周3kmのコースを走るのも歩くのも自由。チャリティーは1周につき100円。これは体慣らしにも最適だし、精神的にも救われるため今の私にはピッタリの企画。ここから私の復興計画を始めようと思う。
2011.04.13
コメント(6)
2、3日前から自宅付近で東邦ガス(名古屋本社=被災地への支援部隊)関係者の姿を見かけた。2人1組でガス漏れの検査をしていたため、私の住む地区でも個別の点検と開栓が近いと密かに期待していた。ガスが点いたのは3月11日(金)の震災当日が最後。それも危険と言うニュースを聞き、急いで元栓を閉めたのだった。 仙台市内でも最も早い地区の復旧は2週間ほど前だが、我が地区が何故遅れているのかが疑問だった。今回は新潟~仙台間の民間のパイプラインを利用しての特別措置。ガス漏れの有無と共に、ガス管の経路や太さが復旧の優先順位と深く関わっていたのだろう。 この1カ月余り、大変な思いをして入手したカセットボンベだが、その減り方のスピードが驚異と言うよりも恐怖だった。どんどん残りの本数が減って行く毎日。今なら簡単に購入出来るが、当初は3本セットのものをばらして、1人1本しか売ってくれない。そのわずかの本数に500人もの人が群がる姿は、まさにパニックそのものだった。 近所の温泉へ入れるようになったのは震災の10日くらい後。3時間並んで整理券を入手しても、許された滞在時間は着替えを含めわずか30分間で、体を洗うために常時30人が順番待ちしてる有様だった。浴槽内は「芋の子状態」だったが、避難所暮らしの方々の苦しみには到底及ばない。 これは笑い話だが、散歩の途中でガス漏れを感じたのが2か所あった。ひょっとして、ガス漏れ検査に手抜かりでもあったのか。そんな疑問が解決したのは偶然のこと。ある樹木の地味な緑の花にたまたま鼻を近づけたところ、何とそれがガス臭の原因だったのだ。もう1か所にもやはり同じ樹木があった。 まさか都市ガスの臭いがする花を咲かせる樹木がこの世にあったとは。ともあれ苦しみ続けた「ガス騒動」は本日を以て目出度く終了する。4日間で済んだ停電の辛さ。8日間で免れた「水運び」の重労働。そしてようやく人間らしさを取り戻せる自宅での入浴。贅沢かも知れないが、やはり日本人にはお風呂が欠かせないようだ。 ただし津波で全財産を失った方や、未だに避難所で不安な日々を過ごしている方々、また放射能汚染のため自宅から遠く離れた土地での不自由な生活を余儀なくされている方々の存在を忘れてはならない。未曽有の大災害と未曽有の恐怖。幼子の心に植え付けられた恐怖心は、なかなか消え去らないだろう。 昨夜は強い余震にも関わらず、久しぶりに8時間近く眠れた。そのせいか、今日は景色が良く見える。たったそれだけのことだが私にはとても有難く、また嬉しく感じられてならない。この2日間は心身ともに限界状態で、ブログ更新がやっと。とても皆さまのところにお邪魔することが出来なかった。お詫びと併せて、日頃の友情に心から感謝申し上げたい。
2011.04.12
コメント(14)
3月11日金曜日、突然大地震が襲った。マグニチュード9.0と言うとてつもない地震は、大津波を伴って大きな被害をもたらした。あれから1カ月。未だに発見されてない行方不明者は多い。そして地震は、人々の心にも大きな傷を負わせた。 姪の夫君は震災数日後、実家のある南三陸町までバイクを飛ばし、行方不明中だった実母の遺体を自分で見つけ出したそうだ。その決め手になったのが「福耳」と指輪とネックレスだった由。何千という中から母上を見つけられたのは、息子の必死な想いがきっと天に通じたのだろう。 震災当日、かつての捕鯨基地である石巻市鮎川へ仕事に行っていたF田会長が聞いた話によれば、牡鹿半島と金華山との間の海峡では地震発生直後の「引き潮」で海水が全くなくなり、海底が露わになったとか。それから間もなくして今度は大津波が襲ったそうだ。海峡の幅は約3kmだが、想像するだけでも恐ろしい話。 地震、津波、原発の放射線漏れなどによる被害の凄まじさについては、改めて記すまでもないだろう。どれだけの人が亡くなり、どれだけの人が行方不明になり、そしてどれだけの人が傷ついたか。倒壊したビルや海に飲みこまれた家々。電気、ガス、水道、交通網に道路や空港などなど。被害は東北北部から関東まで及んだ。 さて、我が家で復旧していないのはガスだけになったが、未だに水が出ない地区もある。地震の規模や津波の大きさはこれまでの予想を大きく覆したとは言え、原発の立地や安全性に果たして問題はなかったのか。原発事故による避難者はさらに増えそうな勢いだ。今後はより安全な自然エネルギーの活用を一層推進する必要がある。 昨日の統一地方選挙で、毒舌家の石原東京都知事があれだけ圧倒的な大差で当選したのは何故なのだろう。都民は方向性の定まらない民主党政権に嫌気がさし、安定性、信頼性、堅実性、実行力のある政治家を選んだとしか考えられない。これだけ危機的な状況が長引けば、選択の幅は限られていたのかも知れない。 今日は心配だった眼科の診察を受けた。診察の結果は「白内障のなりかけ」だが、特に心配ないとのこと。次回は視神経の検査と、眼鏡の乱視調整についてさらに詳しく検査するようだ。ウルトラマラソンレース時に生じる症状もドクターに話したが、疲労とストレスが目に強い影響を与えたのだろうとの話。 震災後ちょうど1カ月の今日も、かなり強い余震が何度か襲っている。あれだけの巨大地震だけに、今後1年間は強い余震が発生する可能性が高い由。今夜こそはゆっくり眠りたい。毎晩そう願いながら床に就くのだが、まだまだ悩みは消えそうもない。
2011.04.11
コメント(8)
静かだと思っていたら、いつの間にか雨が降っていた。出来れば翌日は降らないでほしいとの願いも虚しく、今日も朝から小雨。走友会の掲示板に、雨の場合も救援物資を持参するのかと質問を書いたのだが、その返事はなかった。こうなったらやむを得ない。これまでの参加レースでもらった、大きめの袋に物資を詰め替えた。 保存食(ご飯)28食分が1つ目の袋。これは第1現場から余剰品を戴いたもの。2つ目の袋には新品のトレーナー(上着)9枚、新品のTシャツ4枚。これはさるデザイン会社のサンプル品を会社から戴いたもの。3つ目の袋には半袖Tシャツ6枚(着用済)、タオル6枚(新品)、バスタオル2枚(新品同様)、半ズボン1着(新品同様)、雑巾2枚(新品)。これらは私がレースなどでもらったものだ。 昨夜も深夜に目覚めてほとんど眠っていない。疲労と睡眠不足の悪循環だ。何とか朝食を済ませ、集合場所の体育館へ自転車で向かう。上下とも雨合羽着用。注意力の散漫に極力注意し、慎重にペダルを踏む。体育館到着前に、近くのコンビニで栄養剤を服用。 まずやって来たのがO川さん。私の掲示板への文章を読み、気になって訪れた由。義捐金は既に振り込んだとのこと。そのうちM仙人、S藤さん、マコちゃん、F田会長が次々にやって来た。これでようやく救援物資と義捐金を手渡すことが出来た。次に一番気になっていた被災会員とご家族の安否を尋ねる。 Y元町在住のSさんは、自宅が津波に破壊されて避難所暮らし。Y田さんは実家が福島原発の放射能騒ぎのため避難。さらに父上は入院された由。東京支部のY子さんの実家も津波被害に遭い、ご家族は東京へ避難された由。M井さんの実家も津波被害で避難所暮らしを余儀なくされておられる由。その他にも親戚が津波のために亡くなられた会員が多数いるようだ。 F田会長は震災当日、海沿いの町へ仕事で出張中に津波に遭い、命がけで高地に逃げて助かったものの、携帯電話がつながらずに数日間行方不明者扱いになっていたとか。津波の怖さを、まさに身を以て体験したわけだ。その他、被災地の生々しい様子を、実際に確認した仲間から聞いたが、想像以上の内容に驚いた。私の帰宅ランのコースも通行不可のようだ。 ともあれ、会員で亡くなった方が出なかったのが、不幸中の幸いか。M仙人の「エベレストマラソン」、O川さんの「川の道」参加も当初の予定通りとのこと。3週間ほど走れなかった後で40km走ったら筋肉痛が酷かったとO川さん。今の私なら15kmも走れないかも知れない。ともかく久しぶりに仲間の元気そうな顔を見て一安心した私だった。 昼食後、裏の荒れ地を全て掘り起こして2つの畝を作り、肥料と石灰を撒いて「三つ葉」の苗を植え直した。これまではガチガチで小石混じりの場所だったが、手入れし直したことで立派な三つ葉が収穫出来そうだ。夕方、空に明るさが戻る。明日は何とか短い距離でも走りたいものだ。
2011.04.09
コメント(6)
昨夜の余震はかなりの揺れだった。慌ててテレビを点けると、宮城県中部は震度6弱。再び眠ったが、起きた時はフラフラ。きっとあまり眠れてなかったのだろう。7時前に第1現場のビルに着くと、管理会社の方が2人とも室内にいた。昨夜から泊りこんだとかで、2時間仮眠をとっただけとのこと。 エレベーターが動かないため、階段を歩いての巡回。屋上では自家発電用の軽油が油槽から漏れ出していたし、緑色をした何かの溶液も漏れて、排水路に流れていた。11階、10階のテナントは軒並み室内の物品が散乱。前回受けた被害をようやく処理し、棚などを固定する矢先だった由。 立体駐車場が停止したために役員車が出せず、2人の役員が仲良くハイヤーで出勤した。次々に出勤する社員の方に、階段の利用を案内する。屋上から見えた青葉城の崖は、前回よりも崩壊が進んだようだ。折角ガスが通った地区が再び使えなくなったようだし、停電した地区もあったようだ。我が家は依然としてガスが復旧しないまま。 第2現場のビルでもエレベーターが動かない。こちらは15階建てなので、来客は文句を言いながら階段を登って行く。近所の食堂の壁に亀裂が入り、大きく膨らんでいてとても危険な状態。責任者の女性は、余震のために眠れなかったと青い顔。私も何とか気合で持たせているだけ。 帰宅途中、被害を受けた中学校の校庭に入ると、地面が波打っている。校舎は一見問題がないように見えるが、とても授業が出来ない状態らしい。そんな学校が県内にかなりあって、今後の見通しが立たないそうだ。ディーラーのショウウインドーが割れている。1か月前の本震、そして今回の余震と、2度共被害を受けたようだ。 午後は疲れた状態での庭仕事。西側の通路を掘って邪魔な石を退かし、北側の花壇で増えたフキ、ミョウガ、菊の根を間引きしながら移植。オモトとリュウノヒゲは、愛犬が荒らした玄関脇の花壇に移植。いずれにも前回の作業で蓄えた栄養分豊富な土を補充した。ついでに裏庭のアオキ、萩、山椒の枝を剪定して縛る。その後、庭や畑に散水。 最後に資源回収ゴミの始末。前月は大地震発生で回収がなかったため、かなりの量になっていた。ようやく家の内外が片付く。ごみ処理施設が被害を受けたことに加えて、津波や地震による大量のゴミ発生でパンク状態だそうだ。「まるで私の頭と同じ」なんて、冗談を言うのも気がひけるほど。大地震がもたらした影響は未だに大きい。
2011.04.08
コメント(10)
バスが来ないため、毎朝自転車で出発しています。バスが土曜ダイヤのままなのは、地下鉄が部分開通のため、かなりの数のバスが代理運行に廻されているからだそうです。ガソリンが補給できるようになったのに何故バスが来ないのか疑問でしたが、そんな理由があったのですね。地元紙を購買してないので、詳しい事情を知らないままなんです。 屋上から青葉城の方を見ると、崖が大きく崩れているのが見えていました。あれはきっと地震のせいだろう。自分なりにそう考えていたのですが、今日聞いた話では青葉城の石垣も崩れた由。そこは帰宅ランのコースなので走れば分かるのですが、何せ自転車で帰るのは厳しいコースなんですよ。 そして帰宅時にまれに乗るバスですが、今日バス停を覗いたら「時刻表」の張り紙に気づきました。経路の途中で土砂崩れがあり、別ルートでしか行けない由。「鹿落ち坂」が崩れたことは早くから知っていましたが、まだ修復出来てなかったんですね。その崖の上にある老舗旅館も今回の地震で倒壊した由。由緒ある建築物がまた一つ消え去って淋しいですね。 今日は昼食後、畑に種蒔き。蒔いたのは春菊、カブ、そして大根。大根は昨秋の余った種を使いました。そして早めに愛犬の散歩を済ませ、近くの温泉へ。ここはもう通常営業で、並ばずに入れるようになりました。夜寝る前に行った方が良いのですが、その時間帯は物凄く混んでいるのです。勤め人がどっと押し寄せるからでしょう。 体を洗うための順番待ちが先ず大変。お湯も汗臭いし、「あか」が浮いてます。日中なら楽かもと作戦変更。それにずいぶん気温が上がったので、風邪を引く心配がないですからね。やはり空いていて直ぐに体を洗え、お湯も比較的清潔です。それでも結構満員状態。きっと同じような考えの人が多いのでしょう。お陰様ですっきりさわやか。心も和みました。 昨夜は疲労が激しく、呼吸するのがやっと。ブログを仕上げたら、エネルギー切れとなり、どなたのブログへも訪ねることが出来ませんでした。今日は少しマシな感じ。夕食後には何とか訪問出来そうです。 さて、走友会仲間の被災されたご家族に対する救援物資ですが、自分なりにかなり集めることが出来ました。今度の土曜日が持ち寄る日なのですが、生憎天気が悪そうですね。自転車なので濡れて行くしかないかも。出来ればその時間帯だけでも降らないで欲しいと願っています。 失礼な話ですが、実は被災された方がどなたのご家族か、まだ詳細を知りません。心配しているものの、このまま集合の時を待とうと思います。ゴメンナサ~イ。
2011.04.07
コメント(10)
《 我が家の復興計画 》愛犬マックスを昨夜から外へ出した大分暖かくなって来たからねこれが復興計画第1特段文句も言わなかったなああの黒犬そして俺は今日久しぶりに23kmも走ったよこれが復興計画第2土手にはツクシが生えグラウンドでは子供達が野球の練習をしていたやっぱり春なんだねところでお母さんだけどもうとっくに走ってるよ《 救われた 》あんなに大きな災害の中でも俺の食欲は落ちなかっただから救われたんだろうなきっともう一つの「よく」の方は2回誰だ変なことを考えたヤツは?入浴だよ入浴《 待っている時に 》温泉の整理券をもらおうと待っている時に俺は話した日本人は風呂に入れないと大騒ぎになるけど世界には一生にたった2回しか体を拭かない民族がいるんだとつまり生まれた時と死んだ時やっぱり世界は広いなあ
2011.04.02
コメント(10)
全59件 (59件中 51-59件目)