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~わたしのブログ論など~ 先日のブログ騒動にまつわる追跡調査。男性4部合唱曲「希望の島」は、明治時代に伝わったアメリカのゴスペルソングを編曲したもので、種子島にも馬毛島にも無関係。種子島と馬毛島との距離は最短箇所でも10kmある。種子島の高台からだと、10km先の扁平な小島は「一本の線」くらいにしか見えないだろう。そんな荒れ地を「希望の島」と思うとは不思議な人だ。 彼のブログに訪ねて来るブロガーのことで思い出した。仮にCさんと呼ぶ。Cさんはあるブロガーへのコメントで自分は大学院を2つ出てると書き、自分のブログでは1年に2つの学会から賞を受賞したと書いていた。私は驚いた。彼が連日たくさんのブログを訪れてコメントを書いているのを知ってたからだ。そんな優秀な人が、なぜ大切な研究の時間をブログで費やすのかと。 私はCさんは学者ではないと直感。1つは「偽石器事件」の首謀者藤村新一氏を擁護したこと。高卒の藤村は某団体に所属して「発掘の真似事」はしていたが、詳細な報告書も論文も発表していない。高額の補助金をもらっていながらだ。北海道の某所で、藤村本人が「偽石器」を埋めてる姿を毎日新聞の記者に撮影された。翌日藤村はそこから「石器」を発掘したと公表したが、毎日新聞に一連の行動をすっぱ抜かれた。 掘ったのは60万年前の地層。それが真実なら学説が変わる大発見。だが「神の手」藤村が埋めた石器は縄文時代のもので、「加工」の痕もあった。藤村が関係した160もの「遺跡」は全て偽と認定され、一時は「国の史跡」になった宮城県の「座散乱木遺跡」や「馬場壇遺跡」は指定を解除された。教科書の記述は「嘘」となり、関係した「市町村史」は全て偽書となり、日本の旧石器時代研究は、30年以上遅滞したのではないか。C氏は一体それをどう感じたのだろう。到底研究者とは思えない所以だ。 C氏はまた「STAP細胞」論文偽造の小保方さんを擁護した。彼女は「STAP細胞」の存在を証明するため図表などを偽造し、「SCIENCE」誌の審査員に見破られた。責任を取って上司の笹井部長が自殺。彼女の博士論文(早大)の冒頭にNIH(アメリカ国立衛生研究所)の年次報告書のコピペが30ページ近くあったことが後日判明し、博士号もはく奪された。それを擁護する神経が分からない。 C氏が「龍の肉球」とブログに書いたのには笑えた。龍はかつて中国の皇帝しか使えない権威の象徴。冊封体制下にあった琉球国王が認められたのが「三本爪の龍」。中国皇帝のは「五本爪」でしかも「珠」を握っている龍。彼が肉球と思っていたのは、権威の象徴である「珠」。それを彼は「肉球」と勘違いしていた。そのことだけでも彼の教養の程度と、単なる俗物であることが証明出来た。 4つ目の疑義は「茶臼山」の名称。彼は山の頂上で茶宴を催したことが由来と言う。なるほどそんな可能性もあるかも。だが標高2千m近い茶臼山(栃木)の頂上にわざわざ茶臼を運んで茶宴を催すことなど、到底考えられない。古代の日本人は筑波山のような「双耳形」の山を「神奈備」(かんなび=神威のある尊い存在)山と考えた。同じ形の石が二つ重なる「茶臼」もその変形で尊い形と感じたのだろう。 前方後円墳の名称に「二子山古墳」や「茶臼山古墳」の名が多いのも同じ理由だろう。確かにC氏の雑学は大したもの。だが方々のブログに出かけてせっせと書き込みをしてるのは、アクセス数を増やすためと推察。普通の人は彼のブログを見て「博識」と感じ驚くだろうが、私は日ごろからブログの内容や行動を観察し判断している。他にも幾つかの理由があるがもう不要だろう。当然訪れるのは止めた。 次に天皇制に関しての事例。ある男性が「年号は西暦に統一すべき」と書いていた。一理ある。ある女性は「平成天皇」「令和天皇」と書いていてビックリ。年号に関する規定は憲法にあり、天皇制と深く関係しているのだ。もし西暦だけになれば「2021-2078天皇」のようにしか表記出来ないことになる。 だから生存中に天皇の位を譲位した近代になって初めての今回のケースでは、前の天皇を「上皇さま」と呼び、その皇后を「上皇后」と呼ぶことを令和になってから決めた。女性のブログにやんわりとそのことを書いたら、私のコメントが消されていた。きっとその女性は恥をかかされたと思って消したのだろうが、実は肝心のことはまだ書いていない。 天皇の名は諡号(しごう=送り名)で、死後に付けられる。明治以降は憲法で「一代一年号」となったため、天皇の死後彼の在世中の「年号」が諡号となる。つまり生きている間に「平成天皇」まして「令和天皇」はあり得ないし、非常識なのだ。生存中の天皇を呼ぶ際は「今上天皇」(きんじょうてんのう)と呼ぶのが通例だが、現代の日本人でそのことを知ってるのは少数かも知れない。 私は人生の大半を国立大学の図書館員として過ごし、他に国立大学の付属病院や国立博物館に勤務した。研究者ではないが、いずれも学術や情報に関わる勤務内容だった。そのことで正確さや、公平さや、迅速な情報を求める癖がついた。また趣味の歴史や考古学、その周辺分野の専門書を数多く読み、かつ極力現地を訪れて「本物」を観たことが、さらに正確な判断材料になってくれたと思う。 さて歴史関係については縄文時代から現代史までへと関心が広がり、その対象範囲も日本、東アジア、世界へと広がり、合わせて地理、(地名、人名も)、国際状況へと拡大した。出来るだけ客観的に見ようと努力しつつ、自分の感性と判断力、推理力を磨いているつもり。まあ凡人の老人が出来ることはごく限られてはいるが。 12日(土)のロコ・ソラーレはダブルヘッダーだったようだ。同夜遅く、ROCと対戦して圧勝。3連勝で3勝1敗となった。残り5試合(?)はいずれも強敵と聞いた。頑張れニッポン。 男子ジャンプではノーマルヒルで金メダルを獲った小林陵侑選手が、ラージヒルでも銀メダルを獲得。彼が飛ぶ姿をライブで観ることは出来なかったが、ニュースで結果を知って喜んでいる。やっぱり嬉しいですねえ。日本選手の活躍は。さて、全国的な大雪の予報が出ています。どうぞ読者の皆様の地区が安全でありますよう、心からお祈りしています。ではでは。(@^^)/~~~🌸 <一応続く予定>
2022.02.14
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ハ~イ元気?俺も元気。いや~っ、先日眼科の待合室で待ってる間に良いことを思いついてね。例によって暇つぶしにブログ用の写真を撮ってたのさ。壁とか天井とかシュールなヤツをね。そのときふと「白いシリーズ」も案外面白いぞと思ったのさ。翌日にはさらに構想が膨らんで、その写真とはまるきり関係ない文章と組み合わせようとね。まあ俺は常々思っている。ブログは実験。そして人生も実験だとね。 <眼科入口> 俺が若いころ好きだった画家は、モンドリアン、ミロ、レジェ、カンディンスキー、シャガールなどかな。関係ないかも知れないが、案外影響は受けたかもねえ。 <外構> 今のブログを始めて9年目。その前の「日記」を含めるともう13年にはなるねえ。その間いろんなことがあったよ。でも文章だけの日記やブログから、写真を載せるようになってまだ2年7か月だけど、確かに表現方法は豊かになった気がするね。 <雨除け> 俺が覗いてるブログは20近くあるよ。正式には数えたことないけどね。その人が更新したら必ずコメントするブログ友さんは10人よりちょっと少ない感じ。それくらいでも結構忙しいよ。何しろ自分のブログへのコメントにも必ず返事を書いてるしね、俺は。 <玄関ホール> 写真や動画が中心のブログは見るだけ。つまり「読み逃げ」って訳さ。だって美しい、珍しい、楽しいだけのブログになんて、俺にはコメントする気はないんだよね。 <玄関ホール> 俺がいつも見ているブログのオーナーには、僧侶、画家、塾の講師、元教師など様々な方がおられる。勿論主婦の人も多いよ。だけどその主婦の方も多士済々で、色んな才能を持った方が多いね。だから刺激になるし、見ていても面白いのさ。 <玄関ホール> 中には数名だが、高齢のご主人をお持ちの方もおられる。ブログに出て来る家族像が、これからの俺には参考になると思って注意深く読んでるのさ。 <待合室天井> そうそう、先日俺は100円ショップでノートを1冊買った。何を書くんだって?ふふふ。今後の対策だよ、対策。 <待合室天井> もっともそれを読むのは俺ではない。俺が死んだ後の家族、つまり遺族って言う訳さ。 それは俺が死んだ後で残った家族が困らないためのメモ。遺言って訳じゃないけど、たとえばブロバイダーの連絡先や、年賀状などをくれた人への注意事項などを書いておくのさ。 <待合室天井> ゴメンゴメン。少し脱線して。さて、長い間にはブログ友も変わったよ。去って行った友もいれば、俺がその場から去ったブログもあるね。 <待合室天井> 俺は思うんだよね。ブログ友と言っても本当は相手の名前も知らない他人だから、気楽に付き合える人が良いのさ。 <ブラインド> 出来たら考え方や価値観が近い方が喧嘩にならずに済むし、第一居心地が良い。出来たら女房もそうあって欲しいね。まあ、これは取り換えがきかないけど。 <事務室の時計> それに俺の基本方針だけど、ブログは出来るだけ毎日書こうと思うんだ。勿論これは健康と相談の上だけどね。 <待合室照明> 俺のブログの読者は、かつてランナーがほとんどだった。俺も熱心なランナーで、レースには良く出ていたからね。それも100kmとか200kmの。つまり俺が最も熱心だった趣味はウルトラマラソンだったのさ。だからブログは、マラソンの「完走記」が中心だったかもねえ。そんなのが良く探せば幾つも見つかるさ。 <事務室入口> でも今でも俺のブログを読んでくれているランナーは少なくなったと思うよ。何しろランニングに関することはほとんど書いてないからなあ。それにここ数年は、レースどころか走ることすら満足に出来なかったもんね。 <空調機> そして俺もランナーのブログをほとんど読まなくなった。走れないランナーじゃ、読んでも参考にならないんだよね。だから俺が今でも見てるブログは、農業などをしてるランナーのなんだ。それなら刺激にも参考にもなるしね。 そんな訳で、今はブログが俺の一番の趣味になった。だからこれからもずっと更新し続けるよ。俺が生きてる限りね。最近ではこんなブログでもアクセス数が増えてるのが嬉しいな。心から感謝しないとね。 ところで「白い実験」は果たして成功したんだろうか。更新後にチェックしてみようね。さて明日は別なテーマでもう一度実験に挑戦する積り。みんなも楽しみにしていてね。じゃあまた明日。<続く>
2015.10.30
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日が長くなった。そして日差しが少し春めいて来た。北欧の人々はかつてクリスマスよりも冬至を祝ったとか聞いた。緯度の高い地方は昼の時間が短い。それでも冬至が過ぎれば少しずつ日が長くなり、雪や氷が融ける春が近まるからに違いない。春の訪れを待つ北国の人間は、皆同じ気持ちなのではないか。 私は暫く走っていない。体もそうだが、心が私を走らせなかった。寒さのせいでも、体調の悪さでもない、ただただどうしても走りたいと言う気持ちにならなかったのだ。そうして日がな一日、私はパソコンの前に座っていた。あれほど体を動かすのが好きだったのに、今ではようやく散歩に出かける程度。きっと心も体も歳を取ったのだろう。 そうまで私が執着していたのはブログ。思うように走れなくなってからは、最大の関心事で、最大の趣味になったようだ。LINEなどしたことはないが、苛めや犯罪につながる不健康なものとの印象が強い。ツイッターなど、単につぶやくだけ。なるほど「速さ」はあるが、情報量は少ないと思う。ではフェイスブックは?それもやったことはないけど、お友達の申請など、付き合いの範囲が限られて窮屈なのではないか。 その点、ブログは良いよね。情報量が多いから好きなことが書けるし、写真だってたくさん載せられる。それに交友範囲も広いもんね。でもその分たまにだけど変な書き込みがあって、迷惑することもある。パソコン上で日記やブログを始めてから私は多分13年くらいになる。ずいぶん色んなことを書いて来たし、とても楽しみだったんだよね。それが最近妙なことが起きてるんだ。 3か月ほど前のことだが、アクセス数が急に伸びた。変だなあと思ったが、その後も落ちずに続いたんだよね。これは俺のブログも人気者になったのかと、ついそんな気になったのさ。それが2、3日前から急落。昨日などは以前よりも少ないほどまでに落ちた。これはショックだねえ。老後の楽しみのブログ。その楽しみは大勢の人が見てくれることでもある。それがこんな風に急激に減ると、正直ガッカリするんだよね。 ひょっとして、これって楽天ブログの謀略なのかなあ?ブログの利用者が減ると、広告主も減る。そうなるとIT企業としては困る。それを避けるため、一時的にアクセス数を「水増し」する。その「サービス期間」が終わると、前よりもさらに減ってしまう。ひょっとしてそんなからくりになってるんじゃないかと疑っているんだよね。何せ以前は「自動巡回」なんてシステムがあったくらいだからね、楽天ブログには。 まあ俺の場合、たとえアクセス数がどんどん減っても、ここで頑張るしかないね。たとえ他所へ行っても増える保証はないし、第一メカに弱い俺には写真を搭載する方法などが変わると、それだけで付いて行けなくなるもんなあ。テーマだって読者が飽きないよう工夫してる積りだし、写真だって頑張ってるんだけどなあ。まあ、歳を取ってレースや旅行に行けなくなると、それも残念ながら減ってしまうだろうけどね。淋しい話けど、今日のブログはそんな心のつぶやき。
2015.02.08
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喉仏のすぐ上の辺りが痛い。グリグリが出来て赤くなっている。痒みもあって、まるでダニにでも刺されたような痛み。最近藪に入ったことはないが、近所のワンコに触ったことはある。でも、まさかねえ。夜中に目覚めた時に触ると、グリグリが少し小さくなっていた。ああ良かった。 右足の脹脛も痛い。こちらは寝ている時にあった激烈な「こむら返り」が原因。最近こんなことが起きると、「俺も歳だ」と思ってしまう。きっと体だけでなく、心の老化も進んでいるのだろう。 甲子園での戦いがついに終わった。夏の高校野球決勝は、大阪桐蔭が4対3で三重高校を下した。先行したのは三重。王者桐蔭に怯むことなく立ち向かい、2点を先取。一時は勝利の光も見えたのだが、追い着かれ、追い越された。敗因はスクイズの失敗だろう。あそこで追加点を取っていたら、どう転ぶか分からなかった。だが、予想に反しての善戦。両校とも決勝戦に相応しい、見事な試合運びだった。これで今年の夏も終わったね。 ブログにも出会いと別れがある。1年ほど前のこと、私のブログを「お気に入り」に登録してくれた方があった。早速伺うと、相手は若いランナー。そのブログには、「なぜ楽天ブログはアクセス数が増えないのだろう」と書かれていた。答えは簡単。真面目だが、読んでいてちっとも面白くないのだ。走友会に入って仲間と出会えば人間の幅も、ランナーとしての経験も増えるのになあ。そう思いつつ、静かに退散した。 「詩を教えてください」。そうコメントされて困ったことがある。その方は毎日詩を書いている。一方の私は既に「現役」を退いた。それに詩を教えることは人生そのものを教えること。私にそんな大役はとても務まらないのだ。 せめてもにと、「クチコミテーマ」の使い方について記した。詩を書く仲間が訪れたら、新しい交流も出来るだろうと考えてのことだが、その後も「クチコミ」を使う気配はなかった。こちらも静かに退散した。 あることにとても詳しい方が、私のブログにコメントをくれた。それに反論すると即座に2番目のコメントが入り、それにも異論を唱えると、「だから私は嫌われ者だ」と書いて来た。勿論私はそんなことを一言も書いてはいない。 私達一般市民は研究者ではない。だからいくら詳しい分野でも、判断ミスはある。私はそう思っているのだが、どうやらその方はそう考えてなかったようだ。姿が見えないネットの世界では、こんなすれ違いが時々起きる。 ある方のブログに書き込みをしたら、返事がなかった。それから数カ月経った頃、別の方のブログを何気なく見たら、かつて私が書いたことについて愚痴をこぼしていた。どうやら私の真意を曲解し、他の方に「告げ口」したようだ。その後2人のブログを訪れてはいない。 ただ、かつて「お気に入り」に登録したため、相手のブログが更新されれば自動的にその情報が入る。これもシステム上避けられないこと。神ならぬ身の人間が書くブログに誤解はつきもの。そう考えれば「出会い」と「別れ」は必然なのかも知れない。 最近は更新されないままのブログも目立つ。少し前まで各地のレースを転戦した走友達も、きっと歳を取って走れなくなったのだろう。私は走れなくなってもブログテーマに困ることはないが、趣味の幅が狭まるとブログの発信力が急激に衰える。 あれほど「言葉」に煩かった方が、最近は意味不明のことを書かれることがある。老化は自分ではなかなか気づかないもの。だからよほど注意していないと、いつしかブログも魅力を失ってしまうのではないか。 5年もの間ずっとコメントを書いていたのに、一度も来てくれなかった方がいた。ウルトラマラソンを走っていた私は結構辛抱強い方だが、それ以降諦めて読むだけになった。相手は楽天ブログでなかったため仕方なかったのかも知れない。 ところが同じブログで1カ月連続でコメントしても訪れてくれなかった方も。ある時、たまたま別な方のブログに毎日コメントしてるのを見つけてビックリ仰天。ほほう、この人は自分が好きなブログにだけはコメントを書くんだねえ。すっかり呆れ果てた私だった。 ある方からランキングへの「応援」を求められ、丁重にお断りした。つい最近のことだ。その方は既に200万アクセスを遥かに突破されている。だが文章と写真は過去のものを何度も使い回しされているみたいだ。 誰しも老化は防げず病気にもなる。だが、ブログは「等身大」の自分を見せる場。私はそう信じ、敢えて自分の老醜を曝している。たかがブログ、されどブログ。ブログは人間修業の場。ランキングなど争って一体何になる。私のそんな思いが、果たして相手に伝わったかどうか。
2014.08.26
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≪ ブログ編 ≫ 今年も残すところ後4日になった。考えてみれば、今年も良く書いたものだ。何って?ブログの話ですよ。旅行やレースで出かけた日を除き、毎日文章を書かない日はなかった。いや、旅行やレースに旅立つ朝も早起きしてブログを更新し、帰宅した日も簡単な報告だけは載せた。いわば文章中毒の私は、年がら年中文章のことを考えている。だから今日も気になって、真夜中に目が覚めてしまったのだ。 書く内容は自分の趣味や日常生活に関することが多いが、時には気になったニュースなども取り上げる。私の趣味の筆頭はマラソンで、これは日頃の練習のジョギングから、ウルトラマラソンまでと幅が広い。レースに出れば完走記に取り組むことになる。ウォーキングや自転車、東北楽天の応援、稀に登山へも行く。狭いが家庭菜園を作っており、これも良くブログに登場する。 一方、精神力を要する趣味の筆頭は何と言ってもブログ。次いで読書、歴史研究、美術館博物館巡りと続く。それらに助けられているとは言え、ネタ探しには苦労が絶えない。だから恰好のテーマを見つけたら、メモするのが常。翌日書く文章を、前日のうちに準備することもしばしばだ。 歴史的な内容や政治的なことを書く場合は、より神経を使う。予め事実を確認することはもとより、一旦公開した後もより正確で適切な表現を目指して文章を手直しすることがしょっちゅうだ。昨日のテーマは微妙な問題だけに、朝更新した後夕方まで15回ほど文章を手直しした。大げさかもしれないが、ブログは私にとって、まさに真剣勝負の世界なのだ。 最近は歳のせいか、物忘れや勘違いが多い。言葉を忘れ、適切な表現が出来ないこともしばしばだ。幸いキーを叩けば自動的に漢字が現れるから正しい字を選べば済むが、いざ紙に書こうとすると字を忘れていることが増えた。そんな私に助っ人が現れた。今年の春ようやく買ったデジカメだ。 これでずいぶん表現方法が豊かになった。現在の楽天ブログを含め、私はこれまで12年以上ネットで日記を公開して来たが、ずっと文章だけのものだった。それはそれで趣があるが、視覚に訴えると効果がまるで違う。私はパソコンやカメラに対する知識がない。だがこんなど素人でも優秀なカメラのお陰で、少しは内容が多彩になったように思う。 予めどんな写真を撮るか、またどのテーマにどの写真を組み合わせるか、新たな課題と楽しみが加わった。だがメカ音痴の哀しさ、写真を撮れば撮るほど、容量が直ぐに満杯になる。だから2カ月半ほど前のブログの写真を削除するのが日常作業。同様にブログ更新直後には折角撮った貴重な映像も、パソコン本体から削除している。 原始的で不便極まりない作業だが、慣れればこんなものかとも思う。これは「断捨離」の一環で、世の中は諸行無常、栄枯盛衰と考えれば済む。さて、長年ブログを続けていると、色んな出会いがある。中でも自分の感性に合ったブログが見つかると嬉しい。こうしてネット上の友が1人、2人と増えて行く。 その一方で別れもある。更新しなくなって久しいブログは、やがて「お気に入り」から消える。また、姿の見えないネットの世界では、稀に行き違いも生ずる。そんな時、私は静かに立ち去る。無理な付き合いはいつか破たんするものだ。だからコメントを書く際は細心の注意と配慮が必要。ブログを見ているうちに、つい相手のことを良く知ってるとの錯覚に陥り易いためだ。 素晴らしい写真や、驚くような知識。ネットの世界にはそんなブログがたくさんあるが、私がコメントを書かせてもらっているのはごくわずか。申し訳ないが、多くは密かに楽しませてもらっている。それでも心の癒しには十分だ。私は完璧な体裁のブログより、人間味があり、生活感が感じられるものに惹かれる。同じ人間として共感が持てるためだ。 歳を取れば、やがてマラソンは無理になるが、ブログは意思さえあればその先も続けられる。日常生活の全てを曝すことは出来ないが、これからもブログと共に歩む積り。たかがブログ、されどブログ。かくして今日も文章と格闘する私だ。そして大晦日まで毎日書く積り。こんなブログだけど、皆様これからもどうぞよろしくね~。<続く> 写真は全て11月26日に近所の公園で撮ったものです。
2013.12.28
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俺ってよっぽどのブログ気違いかも知れないなあ。寝ても醒めてもブログ。一日中ブログのことを考えてるもの。難しいテーマを、どう書くか。時には構想から文章まで10時間もかかることがある。これは歴史的な事実を確認する時なんだけどね。電車やバスの中でも端末を覗いているヤツや、ペダルを漕ぎながら携帯を観てるヤツを笑っていたけど、これじゃ俺も笑われそうだ。 何だか変だねえ、楽天ブログ。予期せぬエラーが多いのは前からだけど、最近は予告なしで色んな機能が使えなくなり、利用者が減ったんじゃないかなあ?俺なんかそれでも我慢して使ってる。これも修行の一つだと思ってね。本当はメカに弱いからなんだけど。旅行した沖縄をテーマに17回のシリーズを連載した時は、アクセス数が4割減った。それでも俺は書くしか方法がなかったなあ。 それが「デザイン」を今のに代えてから様子が一変。字が急に大きくなったし、アクセス数が急に増えた。ひょっとして埼玉の古代蓮ハスのことを書いたのが急増の原因かとも思ったが、本当の理由は良く分からない。俺のブログがそんなに人気が上がる訳はないしね。案外これは楽天ブログの陰謀かとも疑っている。何とか客離れを防ごうとしてのね。(爆) さて、俺が良く訪ねるのは、ランニング、登山、旅行、花や家庭菜園、山野草、写真、映画、読書、歴史、陶芸、絵、小動物、そしてボランティア活動をしてる人などのブログ。中にはプロ並みの写真を撮る人もいれば、実に面白い文章を書く人もいる。俺はただ美しい花などが並んでいるだけではだめ。そこに生活の匂いや人生観が感じられるブログが好きなんだよなあ。 写真を入れるようになったら、俺のブログも変わったよ。どんな写真にどんな説明を入れるか、視覚的な効果まで考えるようになった。俺は暇人だから、前日からその準備が出来る。これも結構楽しい作業なんだ。問題はパソコンの前にいる時間。段々長引いて、最近では本も読まなくなった。また姿勢が悪いせいか、脚まで痛くなって来た。(泣) ランニングはいつか走れなくなる時が来るけど、ブログはその先も何とかなりそう。ただし、頭がボケなければの話だが。書きたいのは歴史の話。アクセス数が減るのは確実だけど、それでも挑戦してみたいんだ。それにまだ日の目を浴びてない写真もあるからなあ。未明にブログを仕上げ、一安心してまた眠る。どうやら今日もいつものパターンになりそうだね。(笑) あっ、そうそう。大事なことを忘れてた。先日何気なくブログ管理の「舞台裏」を観ていたら、俺のブログをフォローしてくれていた人がずいぶんいたんだねえ。これにはビックリ。俺は「お返し」もしてないでゴメン。それに結構読み逃げも多いしなあ。日頃このブログをわざわざ訪ねて下さる愛読者の方には、この場を借りてお礼申し上げます。そして、これからも自分なりに充実したブログを目指します。どうぞ応援をよろしく~!!
2013.07.24
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最近良く眠れない日が続いている。その理由は分かっている。大部分はブログのせいだ。私は毎日4千から5千文字の文章を書いている。それに要する時間は2時間ほどだが、結構神経を使う。文の構成もさることながら楽天ブログの場合は折角書いた長い文章が、操作ミスでもないのに消えてしまうことがあるからだ。歴史的な内容だと3時間近くかかるのもザラ。だからそれだけでも結構な作業なのだ。 それに加えて選抜高校野球がなかなか面白い。昨日で北海道と東北の高校は全て敗退したが、日中も居眠りが出来ないでいる。プロ野球が開幕したので毎日が興奮の連続。だが、その興奮を一気に高めるものが、古稀を祝うクラス会から帰った夜に届いた。デジカメだ。メカに弱い男が70近くなって手にしたこの玩具が、睡眠不足を増幅させた原因だった。 普通の人なら量販店で安いものを探すはず。だが、私は少々高めについても近所の電気屋さんから買う。店主から直接説明を聞けるためだ。その夜も取扱説明を聞いて、自分ではすっかり理解した積りになっていた。だが翌日実行しようとしたら、上手く作動しない。悲しいかな、再び店主の手を煩わせたのは言うまでもない。そこで自分なりのメモを作ってみた。 悪戦苦闘の結果、初歩的な作業だけは何とか出来るようになり、早速ブログに自分で撮った写真を張り付けた。ほほう、これはなかなか立派。「字だらけ」だった私のブログが、少しは印象が違って見えるではないか。早速妻を呼んだ。彼女は私のブログを見るのは初めて。「大変参考になりました」と話していたが、翌日になると「お父さん、毎日良くあんな細かい字を書いているね。目が痛くならない?」と変化。まあ、それが正直な感想だと思う。 文章を書くのが大好きな私にとって、この程度の長さはさほど苦労でもないが、きっと読む方は大変なはず。11年間も文字だけの日記やブログを通して来た超アナログ人間の私が、何故今ごろになって「近代兵器」の助けを借りるようになったかだが、理由はこんな詰まらないブログにも毎日せっせと通ってくれる読者がいるため。ブログは読む人がいて初めて成り立つもので、それを忘れちゃいけない。 来月私は妻と沖縄へ行く。石垣島や西表島や波照間島などがある先島地方だ。西表などはまさに「秘境」の部類で、そう何度も行ける所ではない。そして言葉だけで紹介するのはとても無理。美しく珍しい南島風景をネット上に公開出来たら何よりの読者サービスになるし、沖縄大好き人間の私にとっても記録が残せるのが嬉しい。 素人なりに構想が膨らんで行く。例えば写真と詩の組み合わせはどうか。写真と俳句も面白そう。たまには写真中心の日があっても良いし、そのテーマはこんなものはどうだろう等々。単純だった表現が、写真と組み合わせることによって格段に豊かになる。マラソンなら、きっとレースの雰囲気をより感じてもらえるはずだ。 ブログを見たことで、私が部屋に閉じこもって「悪さ」をしてるのではないことだけは妻も分かったみたいだ。たかがブログ、されどブログ。負担にはならない程度にこれからもブログを楽しみたいと思う。それが精神を刺激し、老後の生き甲斐になればさらに嬉しい。これからは時々デジカメを手に散歩してみる積り。そしたら何か新しいものが見つかるかもね。 ≪ 仲良し姉妹 ≫ ツバキ
2013.04.02
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楽天ブログに切り替えてから5年半。今日でちょうど2千回目の公開になった。搭載率は97.4%。マラソンで遠出する日以外は、ほぼ毎日のように4千文字から5千文字のブログを書いている。ちょっとした作家気分だ。1日平均の来訪は119件。写真もない文章だけのブログなのに、これだけの方が訪ねて来られることに感謝している。 コメントは特に期待はしていない。もちろんあればあったで嬉しいのだが、私の場合友を求めるためではなく、自分の想いを発表するのが目的。だから「読み逃げ」でも大いに歓迎。私自身も他のブログへのコメントは少なく、そっと覗くことがほとんどであることをお断りしておきたい。 長文のブログは誤魔化しが利かない。そして内容が面白くなければ、やがて来訪者は減る。ブログは「読んでもらってなんぼ」の世界だが、ネタ切れはブロガー共通の悩みだろう。私の場合、文章を書くのはボケ防止でもある。前に書いたことは極力避け、どんなテーマをどう構成するか、毎回神経を使う。そして一旦公開した後でも、表現がおかしかったり、変換ミスなどを発見したら何度でも直す。それが文章に対する私なりの拘りだ。 ネット上で日記を書き出してから11年。「さるさる日記」から始まり、「ジオシティ」→「さるさる日記」→「楽天ブログ」と変化した。昔の日記に比べ「ブログ」はかなり便利で、色んな機能を持っている。だが楽天のシステムが変なのか、折角書いた文章やコメントが突然消えることがある。2時間以上かかって書いた長文が、あっと言う間に消えるのは悲しい。それでも気を取り直して再び書き直す。 「壁紙」はその時の気分で時々変えるが、私は「自然」な方が好きだ。酔っ払って替え、後で「しまった!」と思うことがたまにある。明日から12月。クリスマスが近づけば、それに相応しい壁紙を選ぶのが楽しみだ。そして最近は「クチコミテーマ」を選ぶことにしている。これで検索して訪れる人のためだ。 一方私が良く訪れるブログは、楽しいもの、勉強になるもの、人柄を感じるものが中心。そしてテーマは、旅、写真、園芸、ランニング、評論、読書などが多い。それらのブログは自分の刺激になり、明日への活力にも繋がる。この場を借りて御礼申し上げたい。 昨夜はNHKの番組で宋休さんの映像を観た。彼は僧侶で、笠間焼の陶芸家でもある。scotchケンさんのブログを通じてhimawariさんのブログを知り、彼女のブログから宋休さんのブログに行き着いた。ブログから感じた彼の生き方はやはり本物。その信念が顔にも表れていた。himawariさんも少しだけ映った。ブログを通じてのこんな出会いもたまにはあるのだ。たかがブログ、されどブログ。大げさかも知れないが、私はこれからもブログに命をかける積りだ。
2012.11.30
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このところ何だか寒い日が続いている。いわゆる梅雨寒だ。サマーセーターは勿論のこと、自室でパソコンを開いたり、本を読む時は膝に毛布が欠かせない。暗くて鬱陶しいことこの上ない季節だが、日本列島に住む者の宿命と思うしかない。 さて、ブログを開設して5年が過ぎた。話題に事欠き、搭載に苦しむ毎日ではあるが、衰え行く脳を保ち続けるためにも文章を書くことは有効だと思っている。さほど面白くもない我がブログを訪れる読者の皆様には、この場を借りて御礼申し上げたい。 ブログは言うまでもなくネット上に公開する日記。文章を書くためには先ずパソコンの文字変換機能が上手く行くことが前提。ところが悲しいかな、メカ音痴のせいで、その変換に苦労する毎日だ。自分の打ちたい文字がなかなか出て来ず、「音」は合ってるものの変な漢字が結構な頻度で出て来る。こうなると頭をひねって、文字を繋ぎ合わせるしかない。 個人的な「辞書登録」の方法も知らないので、毎日その繰り返し。まあ無駄な作業だが、ボケ防止に良いと思うことにしている。書いた文章は一旦「下書き保存」する。これは楽天ブログの機能の一つ。だが、気をつけないと、ちょっとした拍子に文章が消えてしまうことがある。操作ミスではなく、多分楽天ブログの欠陥なのだろう。 そんな時はさっさと諦めて、再び書き直す。私の場合、毎日3500~5500字ほどの文章を書いているのだが、折角書いた文章が、あっと言う間に消えるほど空しいことはない。それでも書き直すことで、さらに良い文章になると思って諦める。一旦公開した後でも、文章がおかしい個所は極力直す。 ほとんど修正しないで済む日もあるが、それは稀で、大抵は5、6度推敲を重ねるのが常。たまには前日の日記を修正することもある。誤字、脱字、表現がおかしい個所、内容が間違っている個所、別な表現にした方が適切な個所。読み直すとそんなところがどうしても出て来る。文章には責任を持ちたいと思って直すのだが、歳を取ると字やものの名前を忘れるのはザラ。それに勘違いもある。 パソコンの傍には小さな本棚があり、そこに広辞苑(国語辞典)、新字源(漢和辞典)、英和辞典、古語辞典、歳時記などが置かれている。また各種の地図や歴史年表もある。だから大抵のことは、それで調べれば分かる。(グーグルのお世話になることも多い)ところが広辞苑は昭和48年発行の第2版。収録された言葉が古く、文字がとても小さいのが欠点だ。 老化で視力が落ちた目には、この小さな文字が見えにくい。特に画数が多くて入り組んだ漢字は、とても見えない。そこで登場するのが天眼鏡。今時の言葉で言えばルーペか。100円ショップで買った安物だが、まあまあ役に立たないこともない。こんな苦労をしながら毎日文章修業に明け暮れている訳だ。 それらの小道具は、読書の際にも活躍する。今読んでるのは吉川英治の「私本太平記」。第1巻は読了して目下第2巻目だが、表現が古めかしく、意味が分からない言葉が結構ある。広辞苑で調べるのは大変だが、それも自分のため。こうして「物」のお世話になる毎日だが、一番大切なのは自分の気持ち。困難に立ち向かうことこそが人間たる所以と思うからだ。≪参考≫今日書いた文章も、公開後に15回ほど修正を重ねています。推敲に苦心した好例でしょうか。なお、最初の文章を掲載したのは、朝の5時台でした。
2012.06.16
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≪ 写真を楽しむ ≫ 寒い。毎日実に寒い。冬が寒いのは当たり前だが、こんなに寒いのは初めてだ。日曜のレースでも、多くの走友が寒さで苦戦したようだ。「勝田」の様子が少しだけ分かった。古川組は前日のうちに現地入りし、水戸に移動して「アンコウ鍋」を楽しんだようだ。往きの車中から飲み始めるどうしようもない飲ん兵衛軍団だが、レースも滅法強い。内臓を鍛えたランナーは本番にも強いのか。 我が南仙台走友会の仲間のうち、S田夫妻は夫婦で参加。奥様は10kmの部だったようだが、ご主人は3時間15分ほどでのゴールだった由。これも練習の成果とM子さん。一方走友会の掲示板に書かれたM仙人の報告によれば、東京のT夫妻も参加されていた由。スピードランナーのY子さんの勢いは、未だ衰えてないようだ。 いつもは速いM仙人も寒さに苦戦し、4時間半ほどでのゴールだった由。他のメンバーはどうだったのか分からないが、Y広さんが最後まで頑張っていたようだ。私がもし参加していたら、多分中間地点辺りから足が進まず、風邪を引いてしまったと思う。寒い時期のレースはもう無理かも知れない。なお、T田さんが送ってくれた大量の写真で、レースの雰囲気を十分知ることが出来た。いつもありがとうね、T田さ~ん!! さて、寒い時には暖かい南の島を思い出すのも一興。実は私には取っておきの「お気に入りブログ」が2つある。1つは沖縄の走友のもので、もう1つは松山の人が開設したもの。どちらも私が住んだことがあり、写真が中心であることも共通。その素晴らしい写真を観てたら、冬の寒さも忘れてしまう。そんな訳で写真を観ては、沖縄や松山に旅したような気持ちになっている。空想の旅は、お金がかからないのが嬉しい。 らんふぉさんのブログ「らんふぉにっき」は、実に楽しく、かつ美しい写真に溢れている。彼はカメラを持って、ランニングの練習をしながら写真を撮る。それも車で色んなところに移動し、色んなところを走る。練習のためだか、写真を撮るためだか分からないほどだが、彼は「別大」に出るほどのランナーだから、きっと両方なのだろう。 美しい沖縄の風景、何気ない路地裏のシーン、行き会った人々、咲き乱れる花々や不思議な焼き物。彼の撮る写真は超一流で、観た人の心を癒してくれる。私はほとんどコメントは書かないが、あれだけの写真を「ただ」で観られるのは、幸せそのもの。私の沖縄好きが益々深まる所以だ。 一方「輝く愛媛の『旬』情報」は、偶然知ったブログ。こちらは専ら松山市周辺の風景が主体。私は小学校5年の終わりから高校1年のごく初めまで松山で過ごしたことがある。また不思議な縁で、50歳前後に松山で勤務した経験もある。こうして松山には合計8年ほど住んだ。松山城、梅津寺海岸、浄瑠璃寺など八十八か所のお寺、道後温泉などの写真は観るだけで懐かしい。 私が学んだ学校、住んだ地域、遊びに行った場所。それらの写真や解説が載ると、まるで夢のようで嬉しい。何せ55年も前に行った場所が、時間や空間を超えて目の前に広がるのだから。らんふぉさんが撮る沖縄の風景は、初めて観るものが多くて珍しいのだが、松山周辺の風景はかつて観たものが結構多いため、余計懐かしく感じるのだろう。 故郷を遠く離れて松山で暮らした少年時代。もう仙台には帰れないだろうと淋しく感じたことがあった。高校1年の春、思わぬ父の急死によって再び仙台へ帰って来たが、その後自分自身が転勤族となって全国を旅することになった。だから私には色んな懐かしい場所がある。いずれの日にか、再びその地を訪れたいものだ。< 1月のラン&ウォーク > ラン回数:16回 ラン距離:154km ウォーク距離:98km 月間合計:252km これまでの累計:78397km
2012.01.31
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いやはや参りました。今日は女房から頼まれた用事をさっさと済ませ、ブログを書き出したのですよね。自分では午前中に書き終え、午後は走りに行くつもりでした。それが間もなく終わる頃になって、2時間以上かかって書いた文章が突然消えてしまったんです。原因は自分の操作ミスではなく、楽天ブログのシステムに問題があると思うんですけどね。 こんなことが1カ月に1度は起きます。私と同じ経験をした人が他にもいるみたいで、たまにそのことに触れた文章を読むことがあります。実に困ったもんです。腹立たしいです。息を詰めて書いた文章が、何かのはずみで消えるのは悲しいです。時間が無駄になり、また同じことを書く勇気が湧かなくなります。 まあ自分が一生懸命書いたからと言って、それを読んだ人が面白いかどうかは別です。却って案外不評かも知れません。何故なら息を詰めて書いた文章なんてのは、真面目すぎてつまらないからです。そう言う意味では全く別な内容を、別な角度から、別な文体で書き直した方が良いのかもしれません。いつもなら同じテーマで直ぐに書き直しするんですけどね。 ガックリついでに最近ガックリしたことを書きましょう。それは「京都マラソン」の落選通知です。「東京マラソン」が6年連続抽選漏れだったことは既に書きましたが、楽しみにしていた「京都」までが落選とはねえ。何だかなあ?。因みに5年連続で「東京」に当選していた走友が、今回は初めて落選した由。だからと言って「抽選は公平」なんて思いませんよ~。 「東京」の場合10万円を寄付すると、特別枠で走れる制度があります。またボランティアに応募したり、協賛のレースに幾つか参加すると当選のポイントが上がるような感じも受けます。来年が第1回開催の「京都」でもボランティア募集があり、旅行会社からの宿泊予約の早めの案内がありました。ひょっとしてそれに乗ったら、ポイントが上がったんでしょうかね。 私はそこまでして走ろうとは思わないし、むしろ「邪道」と感じます。正々堂々申し込んで落選なら仕方がない。でもやっぱり落選は悲しいです。「不運なボクちゃん」は後何年間続くのでしょうか。 最後に「お口直し」の意味で、我らがマー君の「ゴールデングローブ賞」受賞について記します。ご存知の通り、今季彼は最高勝利数、最高勝率、最高防御率を勝ち取り、沢村賞も受賞しました。それに加えてのゴールデングローブ賞ですから、投手部門のほぼ完全制覇達成ですね。来年はKスタでの開幕試合開催も決定しているので、楽天ファンはきっと大いに盛り上がることでしょう。
2011.11.26
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何だか分かり難いタイトルだが、今日のテーマは仕事とウルトラマラソンとブログの話。さて私は現在67歳になる。この歳で肉体労働をし、ウルトラマラソンに挑戦し、ほぼ毎日ブログに長い文章を書いている。いずれも自分にとってはかなりきつい作業だが、最近とみにこれを維持する体力が無くなったことを痛感している。同時にこれは気力の問題とも言える。 前職は59歳まで41年間働いた。そして現在の仕事は9年目。併せて50年もの間、せっせと汗水を垂らして来た。途中2か月ほど求職期間があったが、高校時代も学費を稼ぐためにアルバイトをしていたので、ほぼ働きづめと言っても良い。きつい肉体労働を9年間続けて来た理由は生活費を稼ぐためであり、年金が満額支給されてからはマラソン経費をねん出するために変わった。 ランニングは35歳の正月から始め、今年で33年になる。ウルトラマラソンを始めたのは、51歳からだから今年で16年。記念すべき最初のレースは、「第1回四万十川ウルトラマラソン」だった。47都道府県の走破達成は8年前。最後に走った県は奈良県で、近鉄奈良駅前をスタートし柳生などを経由し、奈良市の周囲を50kmほどマラニックした。 これまでに走った全てのレース記録は残していないが、ウルトラマラソンとフルマラソンの完走回数は合わせて94回を数える。このうちフルの完走は49回で、ウルトラはフル以上の距離を走ってリタイヤした場合も含めて45回となる。そして今年は1度も100kmを完走出来なかった。それだけ年齢的に厳しくなったのが真実の姿だ。 現在のブログは開設後4年半。だがその前の「ネット日記」を合わせると10年目になる。これも10年の間にはネチケットの問題も含めて、色んなことが起きた。ほぼ毎日平均で4千文字もの文章を書き続けるのは一仕事。「ネタ」に困るのは日常茶飯事だし、どんなテーマでどんな風に表現するかと、まるで作家にでもなったかのような苦労の連続だ。 仕事を続けてウルトラのレースに出ている限りは、何とか話題も見つかる。ところが仕事を辞め、ウルトラを止めたら、きっと魅力の乏しい内容になるのではないか。それが専らの心配ごとだ。それでも写真1枚すらない我がブログを訪れる方が結構おられ、毎日文章を書く励みになっているのも事実。読者の皆様にはこの場を借りて心から感謝申し上げたい。 だから例え仕事を辞め、ウルトラを止める事態になっても、ブログだけは何とか頑張る積りでいる。もちろんウルトラだけがランニングではないし、走ることだけが趣味の全てではないのだが、ブログにも何らかの影響は出ると思う。今後はブログをどんな風に魅力のあるものにするか。それが私の課題と言えそうだ。そんな訳でこれからもご愛顧のほど、よろしくお願いしますね~。
2011.10.21
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< ブログ編 > 私のブログ「マックス爺のエッセイ風日記」を開設して3年半になる。この間の来訪件数は14万件を超えた。1日平均だと111件らしい。これもマラソン仲間やブログ仲間が観に来てくれたお陰で、心から感謝申し上げたい。 私のブログの記載率は97.3%だそうだ。1年365日のうち、355日は日記を書いたことになる。でも、実際はもっと高率のはず。楽天ブログの場合、早朝に書くと前日分として掲載されるからだ。また、後日になって以前の日記を訂正したりすると、訂正した日付に替わり、記載率が下がる。細かいようだが、出来ればシステムを修正して欲しいものだ。因みに、記載率100%の方が居られることを知っているが、毎日日記を書き続ける苦労は並大抵のものではない。 私も出来る限り毎日日記を書くことを目指しており、今年も色んなことを書いた。多分最も多かったテーマは趣味に関すること。中でもランニングが一番だろう。園芸や家庭菜園の話も良く書いた。そして歴史の話も結構多かったかも知れない。その他、仕事の話やスポーツの話。そして最新のニュースの中で、興味を抱いたものも取り上げた。 だが何か書けるうちは良いのだが、書けなくなるとどうしようもない。書こうと思うテーマを日頃から幾つかメモしておいているが、それでもネタに困ることがある。さて、そんな時ブログ仲間はどうやって乗り切っているのだろう。写真が趣味の人なら写真を載せればスペースは塞げる。でも、私のように文章が主な場合は誤魔化しようがなくなる。そんな時は辛い思いをすることになる。 今年も何人かのブログが閉じられた。中には40万件以上ヒットの人気ブログもあった。病気になったり、不幸にして亡くなられた方もいたと思う。だが、ブログを書けなくなって放置した方もいるように感じた。宿命と言えなくもないが、やはり悲しい。まあ無理して続けるよりは良いのかも知れないが。 無理だと思ったら、少しお休みするのも良いのかも知れない。だが、私の場合はまだ何とか毎日書こうと言う気持ちが残っている。きっと「文章中毒」、「ブログ中毒」なのだろう。まあそれだけ打ち込めるものがあるのは幸せなのかも知れない。毎日書こうとすると、つい余計なことまで書いてしまいかねない。例えばプライベートなことなどがそうだ。これも迷惑をかけない範囲で、人間の多様さを紹介したいと自分では思っているのだが。 文章を書く上で困るのはテーマだけではない。歳を取ると字を忘れたり、表現を忘れたり、物の名前が浮かんで来なかったりすることがある。特に人の名前を忘れることが多くなった。だから執筆中に四苦八苦するのはしょっちゅうのこと。それが舞台裏の真の姿なのだ。良く言えば、さらなる「ボケ防止」のため、必死になって文章を書いているとも言える。まあ、読まれる方には迷惑な話かも知れないが。 願わくば私の拙い文の何処かでも、心に残るものであって欲しいと思う。それには先ず自分が感動することが必要だろう。これからも感動出来る柔軟な心を持ち続けたいと願う所以だ。そして色んなことに関心をもつこと。恥をかくのを恐れずに、自分の感じたことを自分の言葉で表現すること。人間修業もそうだが、文章修行にもこれで良いと言うことはないのだ。 さて、今夜はクリスマスイブ。折しも仙台では雪が舞っている。これが本当のホワイトクリスマスだ。どうぞ皆様も良いクリスマスイブを迎えられますよう。
2010.12.24
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ようやくマウンテンバイクでの歴史探訪の旅を書き終えた。書き始めて3日目の朝、散歩の時に怪我をした。土手を下りようとした時に、滑ってしたたか尻を打ったのだ。愛犬が引っ張ったのも原因になったと思う。兎も角、その時から猛烈に痛んだ。転んだ時、とっさに右手をついたためか、右肩にも強烈な痛み。今週はその痛みに耐えながら仕事を続けた。 寝ていても痛むが座ってパソコンに向かう時が一番酷い。歴史に関するブログの時は事実関係の調査を含め、1回当たりの執筆に少なくても3時間はかかる。その姿勢が尻の痛みをさらに倍加させた。だが必死になって書いたのに、第1回201件、第2回167回、第3回162件、第4回146件、第5回132回、第6回103件と日を追ってヒット数が激減。 読者はきっと「ぶらり自転車の旅」に、冒険話を期待していたのだろう。ところが意に反して話の内容が宮城県南部の郷土史だったため、退屈したのかも知れない。それでも最後まで書き終え、私は満足だった。ほとんど予備知識がなかった今回のコース。それが途中でもらった資料や、帰宅後にネットで調べたことで、色んなことを学んだ。私が書いた内容はそれらを上手につなぎ合わせただけに過ぎない。 川崎町の龍雲寺で取った「ナラタケ」は翌日の味噌汁に入れた。香り同様、古い朽木の味がした。美味ではなかったが、それがナラタケの特性だと考えたのだが、妻は少し食べただけで残りを全て捨てたようだ。とても残念だった。さて、念願だった玉ネギの苗をようやく植えた。猛暑の影響か、今年の苗はあまり出来が良くないようで、例年より少し安かった。 今シリーズ掲載中に「秋田内陸ウルトラ」の記録集が届いた。完走はしたが記録なしに終わった秋田。今さら記録を見ても仕方がないとは思ったが、見るだけは見た。100kmの部の完走率は57.8%の由。66歳以上のランナーの完走率を調べたら37.5%。完走者全体と比べれば20%以上低く、「チャレンジ賞」の厳しい状況が裏付けられた。走友達の健闘ぶりが分かったことも大きな収穫だった。 今日は10時から「長野マラソン」のエントリーが始まる。ランネットからの申請も昨年は10分ほどで定員に達したとか。果たして首尾良く申し込めるかどうかは分からない。<結局私がもたもたしているうちに、つながらなくなった(泣)>そして明日は大勢の仲間が「第1回伊南川ウルトラ遠足」に参加する。晩秋の尾瀬周辺は紅葉が美しいようだ。厳しいコースに耐えながら、最後までレースを楽しんで欲しい。 私は明日、登山の予定。この夏走った二口峠と笹谷峠の中間にある、仙台神室、山形神室、トンガリ山、ハマグリ山を縦走するコースだ。尻と肩にまだ痛みが残っている。2週間前に登った栗駒山の2倍ほど高低差があるとのこと。果たして最後までついて行けるかどうかは分からないが、頑張って登る積り。早朝から出かけ、帰宅は遅くなる予定です。
2010.10.23
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< ブログ編 > このブログを開設してから2年7ヶ月。今年もずいぶん色んなことを書きました。システム側が示す日記の記入率は98.2%。1年の日数にこれを掛けると、365日のうち358日は日記を書いた計算になります。逆に書かなかったのは7日間だけ。結構な日数ですね。 私は1回平均3500文字は書いています。そしてこれを書くための所要時間は最低でも1時間30分ほど。そうなると文字総数は125万3千文字に達し、時間数は537時間にも上ります。毎日のようにブログを書くには、それだけ膨大なエネルギーが必要なのです。 今年書いた内容で一番多いのはウルトラマラソンを含むランニング関係でしょうか。19回の連載プラス4回の予備編で23回書いた「沖縄本島東海岸単独縦断走」や、17回プラス2回の連載になった「佐渡島一周」などが、長くかかった例です。ランニングは私の一番の趣味ですからそうなるのでしょうか。 次に生活雑記。これは日常の生活で心に浮かんだことや感想を書きました。最新のニュースに関してもかなり書いたし、園芸や家庭菜園の話、仕事の話も結構話題にしました。他には健康の話や愛犬の話。中には自分が作った詩や俳句を載せた日もありました。 大した話は書いてない私のブログですが、ブログ仲間やランニング仲間が書き込みをしてくれるのはとても嬉しいことです。今年は楽天の活躍を通じて知り合った仲間が増えました。さて、コメントへの返事は必ず書くようにしていますが、自動的かつ一方的に同じ文章を大勢の人に送っている場合などは私の書いた内容と何ら関係が無いため、削除させてもらっています。 先日、所属する走友会の忘年会の際、ある方が私のブログが一番面白いと話してくれました。多分お世辞でしょうが、それはブログを開設している者にとっては最大の褒め言葉であり、最大の喜びでもあります。さらに私がパソコンに疎く、最近調子が良くないと書いたことを心配し、わざわざ様子を見に来て下さった方もおられました。そのお陰で今日はパソコンの動きがとても速いです。 ほぼ毎日ブログを更新していると、話題に事欠くことが生じます。そんな時が最大のピンチ。それでも果敢に挑戦するのは、ブログの更新を日課にすることが呆け防止につながると信じているからでもあります。ここに来て下さる方には私のボケ防止に付き合って戴いている訳で、申し訳なく思っています。 さて、今夜はクリスマスイブ。皆さんはどんなイブをお過ごしでしょうか。目下妻と2人暮らしの我が家では妻が鶏肉を焼き、私は愛犬と散歩がてらチーズケーキを買いに行きました。そして長男からはこの日に合わせたお歳暮が届きました。そんな静かでささやかなイブですが、健康であることに心から感謝しています。 こんな調子ですが、来年も出来る限りブログを更新する積もりです。これからもどうぞよろしくお願いしますね。そして今夜は メリークリスマス。皆様にとって素晴らしいイブになりますようお祈りします。
2009.12.24
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このブログを開設してから2年3ヶ月ほどになる。極力毎日書くようにしているせいか、通算の記入率は99%を越える。写真もない文字だけのブログは、読む人から見れば面白くないだろうが、書いてる本人は案外面白がっている。だが日課とは言え、毎日3千文字以上の文章を書き続けることは案外草臥れるし、書くテーマに苦労するのも日常茶飯事だ。 開設して1年以上「カテゴリ」なしに日記を掲載していた。つまり書きっ放しと言う訳。だが、ある時から少しでも読者の役に立てばと考え直し、日記にタグ(キーワード)とカテゴリ(テーマの分類)を付けるようにした。これが積もり積もると案外便利。どんなテーマでどんな日記を書いたかが検索出来るようになる。 ブロガーであれば誰でも気になるのがカウンター。つまり何人の人が自分のブログを訪れてくれたかの目安になる。今では1日に100名を越えることも珍しくなくなったが、実はこれにはカラクリがある。ブログを提供している楽天が、ヒット件数を増やしてポイントや売り上げの増加になるよう、「自動巡回」なるシステムを提供しているのだ。 つまり特定のブロガーが日記を書いたら、直ちに「足跡」をつけるシステムだ。実際に出向かなくても足跡だけは残し、自分のところにも来てもらおうと言うちゃっかりぶり。こんなブログを訪れてみると、日記はほどんど書かれずに商品の宣伝だけが掲載されていることが多い。また携帯電話からだと思うのだが、特定の人が連続で十数回も覗きに来るケースも稀にある。これは一体何なのだろう。 さて、ブログを開設した最大の喜びは、心が通じる友と出会うことだろう。それは同じ趣味の人ばかりではないが、きっと人生観や価値観が近いからではないかと感じる。逆に中には嬉しくないこともある。一方的に「お友達になりたい」と言ってくるケース。淋しがり屋なのか、目立ちたがり屋なのか、単にヒット数を増やしたいのか。 自分勝手な理屈を他人のブログで展開し、平然としている人も要警戒。そんな人は得てして自分勝手さに気づいていないことが多い。また他人が書き込んだコメントを無断で消してしまうブロガーも困ったもの。都合が悪いことや自分が知らないことを書かれると拙いのだろうか。稀には間違っての消去もあるだろうが、確信犯的に消すような人のところには、私は2度と顔を出さない。 つい最近のことだが、半年以上前に書いたことについて問い合わせして来た方が居られた。仙台にお住まいでスポーツによる障害を負った方だ。是非私が通院したスポーツ整形の専門医を紹介して欲しいと言うもの。もちろん喜んでお教えしたことは言うまでもない。 また、ふとしたことで、私が応援している東北楽天の田中投手の猛烈なファンとも知り合った。福岡にお住まいの若い女性の方だ。以前は熱心なホークスファンだったとか。それがマー君の魅力にはまって、彼への応援専用のブログを立ち上げたのだ。マー君に対する深い愛情を感じる文章。そして野球の詳しさ、熱心さには驚くべきものがある。 私が良く訪ねるKさんのブログは知的関心に溢れている。森羅万象に詳しく、しかも引用した文献の紹介も忘れない。きっと普段は研究に従事されているのだと思う。その彼がある時を境に「人気投票」を止めた。ヒット件数が30万件近いブログの開設者である彼が、数字の無意味さを知ったからのように思える。そして最近では、「一方的」な記事から、愛読者との間の双方向性を目指す試みを始めた。その謙虚な姿勢には頭が下がる想いだ。 私の性癖から、つい「隣の芝生」を覗き見るようなこともある。他人の人生や人生観に関心があるからだ。でも用心しないと単なる出歯亀になる恐れがある。ネットを通じて、その人をすっかり理解したかのような錯覚。人間は環境に慣れると、つい自分勝手な思いに走る。プライバシーにはくれぐれも注意しながら仲間のブログを訪ね、今後も大いにインターネットを楽しみたいと思う。
2009.08.12
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驚かれるかも知れないが、私は毎日4時間以上パソコンを見ている。まずメールやニュースのチェック。それから自分のブログへ書き込みしてくれた方への返事とその日の日記。これで約2時間ほど。日記と夕食が済むと、今度は仲間のHPやブログへの探訪が始まる。よほど用事が無い限り、毎日40以上のサイトを覗くのが日課。これで2時間。合わせて4時間だ。 こんなことで妻からは呆れられ、たまには嫌味を言われる。「お父さんは自分の世界に入り浸っている」と。でも自分ではそんな意識は全くない。私にとってブログは人生修行の場。また心の癒しや刺激を受ける場であり、摩訶不思議な世界でもある。一度でも会ったことがある走友は別として、見ず知らずのブログ仲間が偶然訪れ書き込みをしてくれることなどまさに奇跡。一体どのようにして私のブログに辿り着いたのだろう。 さて、私の心を癒してくれるブログの一つが、北海道富良野地方の素晴らしい写真を中心にしたもの。もう一月以上音沙汰がないのが心配。また、沖縄県久米島の果樹園のサイトも一月以上更新されていない。ここも沖縄らしい珍しい風景が好きで観ている。そのうちには必ず復活するだろうと首を長くして待っている。 スペインでギター修行中の方のブログには修行の厳しさが漂うが、同時に異国情緒豊かな情景が載るのが楽しみ。専ら水彩画を描かれている方のブログには、目下冬枯れの公園の絵が毎日掲載される。きっとプロの方だと思うのだが、とても懐かしく親しみが持てる画風なのが嬉しい。 企業戦士でありながら、毎日せっせとブログを更新されている方。自虐的とも思える文章だが、必死で人生と戦う様子に身がつまされる。現職の看護士さんのブログは壮絶な日々であるにも関わらず、とても伸びやか。長年の夢だった「デイサービスセンター」を、近々自分達で立ち上げるまでに至った由。夢を追う人は一見弱そうでとても意思の強い人だった。 園芸を趣味とする方々のブログは季節の花々で溢れ、観ているだけで楽しくなるし、釣り人のブログではこちらも釣りの醍醐味を味わうことが出来る。カワセミの姿をひたすら撮影される方もおられるし、韓国女優の写真が毎日のように載るブログには驚くことばかり。もっと驚くのが森羅万象に詳しい方の知識溢れるブログ。教養人とはきっとこのような方のことを言うのだろう。 私のブログは長たらしい文章だけでとても貧弱だが、昨日の日記に対する反響は結構凄かった。家事などに関する我が家の約束事は恥を曝すようでどうかと思ったのだが、特に女性陣には好評だったみたい。ゴミ出し、資源ゴミのまとめと搬出(牛乳パックやトレーの回収も含む)、ファンヒーターへの灯油の補充なども私の仕事であることを忘れていた。これからは男も出来るだけ家事を手伝う必要がありそうだ。 一見プライバシー丸見えの我がブログだが、本当に大事なことは書いていない積り。秘して見せない部分が15%はあると自分では思っている。そして出来損ないの人間なので頭に来ることもあるけど、そんな時も出来るだけスマートに表現したいと思う。寅さんの文句じゃないが、「それを言っちゃ~お終め~よ」。こうして私のブログ修行の日々は続くのだ。
2009.02.26
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< 表現する喜びと苦しみ > 私が初めて詩を書いたのは小学生の時、そして小説らしいものを書き短歌を詠んだのが中学生の時だった。退職間際に石川県の山中で勤務したことがあるが、この時は足の故障で走ることが出来なかったため散歩をしながら俳句を作っていた。その数1年間で約2千句。季語の知識も無く全く自己流のものではあったが、十分心の慰めになってくれた。考えてみるとずいぶん長い間、言葉を借りて様々な表現方法を試みて来たことが分かる。 さて、インターネットの楽しさを知ってから早14年になる。最初は掲示板に投稿するだけだったのだが、友人が私のために作ってくれたHPへ日記、エッセー、俳句、評論などを書いていた。前職を退職して以降は日記だけになり、やがてブログへと形を変えた。現在ではほぼ毎日約3千文字ほどの文章を書き、ブログで公開している。 書いたものをブログで公開する意味は何だろう。第一はやはり自分が何かを表現したいからだし、それを他の人にも見てもらいたいからだと思う。公開すれば当然恥を書くことも承知の上だ。自分の年齢を言い訳にしたくはないが、やはり加齢による衰えは隠せない。字を忘れる、言い回しを忘れる、事実を忘れる、毎日がそんなことの連続。 それに教養がないこともバレバレ。それでも毎日文章を書いて公開するのは、第一には楽しいからだし、第二には恥をかく以上に得られることがあると考えるからだ。だが文章を書く楽しみと同時に苦しみもある。何を書くか、どう表現するかと悩みは尽きない。文章を書くことを日課としているのだが、能力の限界を感じることも多い。 私にとって文章を書きそれを人目に曝すと言う行為は、自分の能力への挑戦であり、同時に忍び寄る老化への挑戦でもある。自分が楽しいと感じる事柄、面白いと感じる事柄、関心のある事柄を書いているが、内容が面白くなければいつか読者は去って行くのが道理。だが他人の評価をあまり気にせずに、飽くまでも自分の信念を貫く気持ちが大切だと思っている。 自分が楽しかったことや感動したことがそのまま読者に伝われば嬉しい。そのためにはどんな内容をどう表現すれば良いかと思いを巡らす。呆けて行く頭を何とか振り絞り、どんな構成でどんな言葉を用いるか格闘する日々だ。また公表した文章の中に間違いを後日発見し、慌てて訂正することも良くある。それが舞台裏の姿だ。 日々の暮らしを伝える単なる日記のこともあれば、エッセー風になることも評論風になることもある。また、ひょっこり着想が浮かんでたまには詩を書くこともある。それをブログと言う舞台の上で不特定多数の読者に見てもらう連日の作業。言ってみれば同人誌を一人で発行しているようなものか。 ネタ探しに苦労し、「失語症」やボケと戦いながらも自分なりに表現に心血を注いでいるこの趣味だが、何とか頑張ってこれからも出来るだけ長く継続して行きたいと願っている。内容の乏しい私のブログだが、この機会をお借りして読者の皆様に心からの感謝の意を表したい。これからもどうぞよろしくね~。 ランニング、散歩、自転車、園芸、家庭菜園、プロ野球(東北楽天)観戦、美術鑑賞、歴史研究、詩や文章の作成とブログ。5回にまたがって披露した趣味だが、例え中身は貧相でも私にとってはとても大切な生き甲斐。まだ健康で仕事をし、報酬でそれらの趣味を継続出来るのはとても幸せなことと感謝している。「芸は身を助く」でもないが、豊かな老後を過ごすためにも趣味は大事。まさに一生の友と言えよう。 <完>
2009.01.24
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あるブログが忽然と消えた。とても人気があったイラスト入りブログ「めんころさん」だ。作者は30代の女性で目下同棲中。その暮らしぶりを漫画チックに紹介するもので、ほのぼのとした良い味わいのブログだった。なんでも人気度第1位だったそうな。 最近になって作者は妊娠したようだ。跡取りの長男である男性の実家ではとても喜んでくれ、結婚話が順調に進むかに見えた。だが女性は3人姉妹の長女。既に妹達は他家に嫁ぎ、長女である作者が婿を取って家を継ぐ約束になっていたらしい。そんないきさつもあって実家のご両親と気まずいことになってしまったようだ。 「つわり」に苦しめられていた作者は、実家と嫁ぎ先双方の親のことを考え、深く悩んだのだろう。そしてブログを継続する気持ちを失くしたのだと思う。「めんころさん」には、リンクする同じく人気度抜群のブログがあった。こちらの方も目下休止中。親友のブログの突然の消滅に呆然としているのだと思う。 さて、私のブログ「マックス爺のエッセイ風日記」だが、昨日でちょうど開設1周年を迎えた。それまで利用していた「さるさる日記」が突然停止したのが昨年の今頃。「いわて銀河」の完走記を書いている途中の思いがけない事故に慌てふためき、現在お世話になっている「楽天ブログ」に切り変えたのがことの真相だ。 昨日までの来訪者数は25,460件らしい。1日平均のヒット数は70件。そして日記記入率は97.8%とのこと。記載内容の是非はともかく、極力毎日日記を記すことを自分に課した。ブロガーとして当然来訪者数が気になるし、少ないよりは多い方が嬉しいに決まっている。だが、それだけが全てではないだろう。 私のブログの場合、私のことを知っている県内のマラソン仲間が毎日かなりの数訪ねてくれているはず。そして全国のウルトラ仲間も結構覗いてくださるようでもある。アドレスなどから推察すると、読者の範囲は北は秋田、岩手から沖縄にまで及ぶようだ。有難いことで、この場を借りて日頃の御礼を申し上げたい。ただ「来訪者」の中にはHサイトとか、単なる宣伝のために「足跡」を遺すケースも目立ち、こちらはあまり歓迎できないのが本当のところだ。 ブログを持ったのは書きたいことがあるためだが、毎日3千から4千文字ほど書いていると、正直「ネタ」切れになることも多い。また適度にプライバシーを守りつつ、どれくらい「本音」で「実態」を書くかも悩むところだ。歳のせいにする訳ではないが、ものの名前を忘れたり、うろ覚えで間違ったことを書いたり、不適当な表現をすることも再々。翌日になって前日書いた文章の過ちを発見し、慌てて訂正をすることも結構ある。 しかし、自分の「無知蒙昧ぶり」を曝すのもまた人生修行の一つ。いかにも知ったかぶりをして書いたことが事実と違っていることに後で気づき、赤恥をかくのもまたブログの側面だと思う。マラソン同様、世の中には自分よりももっと速く経験豊かなランナー(知識や技術力の優れたブロガー)がおられるし、その表現力はじめ能力の高さに驚くこともしばしばだ。 だが、文章(ブログ)もマラソン同様に個性が大切。他人と比較してばかりいてもしょうがない。そして他人の評価を気にし過ぎたり、初めから読者の「褒め言葉」や「慰め」を期待するのもどうかと思う。一旦公にした文章がどう理解されるかは全て読者次第。 マラソンもまた然りで、一旦レースに参加した以上すべてはランナー自身に責任があると思った方が良い。それくらいの覚悟がなければ文章は書けないし、ウルトラレースは走れないと思うのだ。ブログもマラソンも長い人生のほんの一部分。本気になって取り組まないとなかなか本物には近づけないように感じる昨今の私だ。
2008.05.27
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