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~わが貧しき短歌と秋の花々~ ミセバヤは何を見せしやその姿 みすぼらしきを恥づることなく 花の名を知らざるままに歌を詠む ただ慰めになれと願ひて 桜草身を寄せ合ひて売られたる 場末の店のその片隅で 年ごとに庭に咲きける小菊なれど 独り身なれば拝みつつ愛づ 春は土夏は水やり秋は施肥 真心込めて育てたる人 汝はそも貴き花よ皇帝と 呼ばれしダリア真青なる空 花好きが丹精込めて育てたる 皇帝ダリア気高く咲きぬ 霜に耐へ風に耐へたるこの花が 今輝きぬ天に向かひて 花はなど美しきかを語らねど 人和ませる魔法持ちをり 年ごとに老ひる我をば嘆かずに 明るく生きむ花に習ひて <続く5
2020.12.04
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<この拙き歌を新妻となる予定のK子に捧げる> 家と言ふ幸の形のいにしへの古き写真をことごとく捨つ 全力で断捨離を終へ父としての最後の文を子に出さむとす 商ひで訪ねて来るその人がわが妻となることの不思議さ *きたる 子は四人いずれも娘と言ひし人微かに笑みてわれを見たる日 君を迎かふ準備はすべて整ひぬ全力投球のこの一か月 震災の津波襲ひしその町に生まれし君が傍らに立つ 七十も半ばを過ぎて得たる君をわが掌中の珠として生く*しょうちゅうのたま わが余命幾歳あるや知らねどもただひたすらに君を守らむ *いくとせ 喜びも悲しみもまた共にせむたとへ果てなき道であるとも 幸薄きわが妻なるか震へたる君を抱きしめわれも嗚咽す *ふるえ*おえつ 雪の中二時間ほども語りたる多分あの時が恋の始まり これほどに深く愛せしことありやその人の名を幾度も呼ぶ *いくたび ああK子永遠に麗しき名の君にわが魂も癒されまほし *とわ *うるわし *いやされ 嗚呼妻よ君と縁の赤き糸はいついかにしてつながりたるや *ああ *えにし 美しき響き持ちたる君の名を呼べば微けき返事ありけり *うるわし*かそけき 今回の断捨離作業中、私は新約聖書の「コリント人への第二の手紙」の中でキリストが語った「愛」に関する言葉を必死に思い浮かべていました。私が教会に行ったのは50年以上も前のことで、ほとんど忘れていましたが、それでも2、3の聖句を思い出すことが出来ました。キリストが語る「愛」とは、無私無欲の行為。それだからこそ尊いのだと改めて感じた次第です。 ここに載せた短歌はどれ一つ現実ではなく、すべて私の心の中にあるものです。魂に潜む愛のカタチ。それが短歌となりました。人を愛するという行為。美しい日本語で短歌を詠むという行為。どちらも魂を清めるとともに、希望と勇気を与えてくれたと思っています。こんな歌が誕生したことに心から感謝しています。ではまた。
2020.02.01
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~マックス爺久しぶりに短歌を詠める~ どれほどの樹が枯れたのか妻は去り子も訪れぬ庭となりたり ギシギシと風に軋みしトタン板わが人生の悲鳴にも似て *きしみ お早うとペダルを踏みてわれを抜く高校生に秋の陽淡し 如己堂の小さき庭に紅の秋の薔薇咲く平和祈りて *にょこどう=長崎市の永井博士の旧居 払暁の空晴れわたり人々の一日始まる朝餉とともに *ふつぎょう *ひとひ *あさげ 朗らかに鼻歌うたひ立つ厨いつしかわれは寡夫となりて *くりや=台所 *やもめ 秋暮れて小菊薫れるころとなる小鳥来ずとも楽しき庭よ 皇后の頬に涙の光りたりティアラのごとく令和輝け なお昨日の俳句教室では、前日載せた今月の兼題(宿題)として提出した三句ともすべてが講師から高い評価を受けました。「直し」も無しです。褒められるとやっぱり嬉しいものですね。12月の兼題は「年越しや」。帰宅後、早速この課題に取り組んでいます。
2019.11.22
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~熟年離婚を詠む~ あまたある言葉の中で哀しきは「熟年離婚」の重き現実 エイプリルフールのその日選びたる華燭の典はいづこに去りし 調停後分割されたる年金を大事に使ひ命をつなぐ 世迷言泣き言すべて捨て去りて食料品を黙々選ぶ :よまいごと 離婚より二年経ちてやうやくに家事の手順もスムーズとなる *ふたとせ 子は三人いづれも遠き地にありて忘れられたる老父の日常 *みたり 七十も半ばとなれど悲しみをわれな忘れそなほ生くるため 女とは妖怪変化と気づきつつまだ煩悩に取りつかれをり 唐突に怒りの言葉吐き出せど聞く人もなしわれのほかには 迫り来る不安を無理に押し込めて一日終へたりあしたは如何に *ひとひ 真夜覚めて胸の動悸を怖れつつまた床に就く独り身のわれ 朝食の後に飲みたる六種もの薬の名をばつひに覚えず 余人には体験出来ぬ離婚すら人生修行と受け止めて生く 三月も晦日となりて降る雪を清しと見つつ春の日を待つ 時ならぬ春の雪とはなりにけりされど闘志はいまだ捨てざる 別れたる妻は健やかに過ごせるや炊ぎの間にもふと思はれて *かしぎ=炊事 昏き歌されども捨てずわが胸に湧き出したる言の葉なれば *くらき 埋火のごとく耐へをるわがいのち春はいつ来るいつ来る春は *うづみび 融けそめてまた降りかかる淡雪に平成の御代いま去らむとす 苦しみを喜びとなし生かしめてさらなる試練われに与へよ
2019.04.01
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~拙い歌に寄せて~ 10月はあまり体調が良くなかった。本来なら秋晴れのすっきりした気分でいたいのだが、約2年ぶりで不整脈が起きたり、それが治まった途端耳鳴りに悩まされた。加えていつもながらの軽いめまいも。楽しみにしていたハイキングだが、結局はキャンセルした。弟が今日来宅するので、何とか体調を整えねばと願った。だが、良く眠れない夜。最近はそんな日が続いていた。 この二月一首の歌も詠まざりき そを悲しまぬ人となりたり *ふたつき 病院の待合室の長椅子に 目まひする身を沈めてをりぬ 改めて二種の薬を処方さる 不安と安堵の霜月近し 処方箋眺めてわれに薬剤師 根掘り葉掘りと症状を聴く つひにわが服用薬は八種へと 増へて今年も残り二か月 耳鳴りも目まひも常となりにけり 七十半ばの齢となれば *よわい 年金を分割したる身なれども 悔ひたることは一度もなし *ひとたび 山の上の病院への行き帰りは電動自転車。帰宅後は自転車で買い物に行き、さらに郵便局へ行った。ふらつきがある身での自転車は怖い。私は緑内障なのでなおさらだ。危険であることは十分承知しているが、独り暮らしである限り冒険せざるを得ない。昼食後、新しい薬を飲んだ。めまいと耳鳴りの薬とドクターは言っていたが、薬剤師によれば、脳の血流を良くする薬なのだとか。 ざわめきも薄れこころは穏やかに 深まる秋を送らむとして この薬が効いたのか、頑固な耳鳴りが薄れ、体がかなり楽になった。目まいも軽快した感じで嬉しい。これで夜熟睡できればねえ。極力薬の世話になりたくないが、必要な助けは借りざるを得ない。やはり医学の進歩は有難い。なるべく健やかな老後でありたい。
2018.10.30
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~わがランニングコースにて~ 私が最近ずっと走っているのは9kmのコースです。ここをノロノロと、あるいはトボトボと歩くよりも遅いスピードで足を引きずっています。こんな姿を見たらきっと「何だ、あの爺さんは」と思うことでしょう。走り始めてから間もなく40年近く。すでに9万kmは走りました。地球を2周と4分の1走った計算になります。今日はコース紹介の抜粋で、短歌も添えました。どうぞお楽しみ下さいませ。 ヤマユリはとても大ぶりな花で、遠くからでも良く目立ちます。でもどこにでも咲く訳ではありません。当然のことながら地下に球根があり、毎年決まった時期に咲くのです。期間は長くても1週間程度。短ければ4,5日で咲き終え、花びらは枯れて落ちてしまいます。だから定期的に訪ねないと、花を見逃します。こんなプレゼントが待ち受けているコースは、何だか嬉しいですね。 走ることイコールわれの生くる術 汗水垂らしただトボトボと 今朝も一人走りてゆけば山百合の ほのかに匂う小径なりけり 山道を往けば真白き山百合の 佇みていしわれを待つごと 点々と紅き斑を花びらに 浮かべ咲きたり山百合の花 *まだら 太白山(321m)に続くこの道は、旧秋保電鉄の軌道跡です。ここに6つほどの沼があり、山の湧水が集まります。上の沼から順次下の沼へと流れ、やがては下流にある田圃に注ぎます。そう。ここは江戸の藩政期から続く農業用水で、昭和の初めまでは旧山田村と旧鈎取村の境界と思われます。この静かな道を、私は時計回り、反時計回りに1回ずつ変えて走っています。 走りつつ耳を澄ませば山清水 流れて沼へ注ぐ音する この沼は伊達の頃より百姓の 命をつなぐ用水なりき 静謐を潜めおりたる沼なるか 今も眠りぬ山懐に 行く手には青き沼あり点々と 菱生いし沼 鳥歌う沼 ウバユリ(姥百合)は地味な花です。それも雑草の中に立ってると、ほとんど目立たないほどです。そしてその名前の由来が哀しい。花が咲く頃には葉(歯)が落ちてしまい、その様子が年寄りの女性つまり姥を連想させると言うのですから失礼な話です。 さて、何年か前のこと。北海道の大沼公園の周辺を走ったことがありました。そこにウバユリについて書かれた標識が立っていたのです。その球根がかつてはアイヌ人の重要な食料だったことや、名前の由来など。その時花が咲いていたかどうか記憶は曖昧。これらの花も、3日後には枯れていました。 ふと見ればお暗き藪のその中に 紛れしごとき姥百合の花 翠なる花弁を四方に巡らせて 姥百合の花荒野に立てり *みどり 姥百合は悲しからずや人知れず 姥と言う名のままに枯れゆく その昔アイヌモシリは姥百合の 根を食したと知りしわれなり どれも4首ずつ詠みました。ランニングはさほど頭を使わないのですが、短歌は結構ひねるのですよ。きっとそれがボケ防止に役立つと信じているのですがね。
2018.08.02
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~他流試合(習作)と一本勝負(課題作)~ 5回のシリーズで短歌や俳句のことを書いている。読む人にとっては関心の乏しいテーマだろう。加えて連休中でもあった。それにも関わらずまあまあのアクセス数があった。よほど暇だったか、やはり関心があったのかは不明だ。最終回の今日は、ブログ友のところに書かせてもらう他流試合と毎月の課題作品のことを書きたいと思う。前者は言って見れば習作のようなもの。短時間で仕上げる必要があるからだ。 長崎港 昨日、ローズコーンさんのブログに書かせていただいたのが以下の作品だ。歌の対象は写真の印象からのものと、彼女の連載記事からのものだ。なお2枚の写真も彼女のブログから借用させていただいた。 海岸も今は昔の広き道 はるかな先に二つの小山 造船所港も橋もぼんやりと 春の霞に紛れておりぬ 県庁の庁舎に迫る海の色 青き水面にさざ波の立つ 新しき道路はうねり続くなり 街の渋滞緩和されるや 恋人の弔問終えしビアトリクス 一人自宅のアトリエに籠る その朝に観たブログの印象を作品に仕上げるには、とっさに思い浮かぶ言葉の中から何を選ぶかに尽きる。その意味では、毎朝デッサン(習作)を描いていると言えようか。それもまた鍛錬だ。 長崎県庁と海 札幌のブログ友たくちゃんさんが珍しく短歌を詠まれていた。彼女がいつも詠まれているのは川柳。だが最後の第五句が字足らずなのが残念。そこで厚かましくも自分ならこう詠みたいと書いたのが次の歌。 記念誌の編集作業に持ち寄りし 友の弁当に舌鼓うつ 埼玉のブログ友にととらさんは俳句を嗜まれている。その彼のブログに中山道を歩いた際に出会った「唄清水」のことが紹介されていた。そこで思わず詠んだのが次の句。 ゆく春や泉の音の絶へずして どちらもお節介であろう。だがそれを許してもらえると踏んでの所業だ。恥をかくのは自分。いわば武者修行のような習作を重ねて、いつしか秀作が詠める日が来ると信じたい。 所属短歌会の6月の課題をどう詠むかで迷った。 1) 新緑も五月の風も友として ひたすら前へランナーわれは これを元歌として推敲。 2) 新緑も額の汗も友として 坂登りゆくランナーわれは だが不満足 3) 新緑や流るる汗もそのままに 坂登りゆくランナーわれは まだ平凡と感じて 4) 光る汗新緑の坂登りゆく ランナーわれは汗にまみれて 汗がダブってるねえ 最終 光るかぜ新緑の坂登りゆく ランナーわれは汗にまみれて この歌を葉書に書いて、担当者に郵送。これが仲間の歌と共に来月の例会の際の詠草(えいそう)として読み上げられ、批評を受けることになる。掲載の順番は、作品が届いた順とのこと。5月の例会では、私の作品は先生の次で2番目に載った。 これまで提出した3回は、よそ行きの歌がほとんど。わが結社の方針は生き様を詠う由。明らかにそれとは反していたのだが、初心者は大目に見られていたようだ。今回は勇気をもって自分を少し曝け出した。これからは暮しに密着した歌が詠めるよう努力したい。 一方俳句教室の6月提出分は、沖縄風俳句にしようと考えた。1) 潮引きてひと八重干瀬に遊びけり これが元句だが、情景がさほど思い浮かばない2) 八重干瀬に人遊び来し潮干かな これでも八重干瀬の場所がイメージ不能3) 八重干瀬に小舟(サバニ)集い来し潮干かな 中七が字余りなのが気になった最終 八重干瀬に舟集い来し潮干かな 八重干瀬は沖縄宮古島の北西の海中にあり、春秋の大潮の時のみに姿を現す巨大(南北16km、東西7km)なサンゴ礁で15ほどからなる。天然記念物で国の名勝。かつては特別に上陸を許可され、潮干狩りや魚取りを楽しめたが、環境保護などのため現在では中止されている。 A4の用紙を短冊形に6等分し、6回同じ句を書きこんだ。コピーしてハサミで切り、当日講習仲間に1枚ずつ配布する。作者名はペンネームで「真楠」と入れた。マックスと読ませるが、句と併せて講師や句友たちの反応はどうか。今後この作業を10回続ける。短歌も俳句も道は遥かに遠く、かつ厳しい。<完>
2018.05.08
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~借景と実景~ ローズコーンさんのブログを開くのが、私の毎朝の楽しみだ。それは彼女の暮らしぶりや、長崎の街や観光や歴史がなどが分かるため。そして、私が住む東北とは明らかに風土が異なるからでもある。その刺激が短歌や俳句を詠ませる。つまり私の作品の多くは、彼女の写真を「借景」として誕生している。 彩と音ずれて楽しき遠花火 帆船の寄港祝いし花火かな 夢で聴く子守歌なり遠花火 海のうえ花火崩れし静寂(しじま)かな <ロシアから長崎港にやって来た帆船> ロシアより来航したる帆船の マストの灯遥かに臨む 三本のマストすべてに帆を張りて 風孕ませぬ白き帆船 帆をすべて取り払いたる艦船は 異国の波に身を任せたり 岸壁にドラムとギターの音ひびき 若きクルーの真剣な顔 乗員の腕の白さに驚きぬ ロシアの海は光薄きや コザックも社交ダンスもぎこちなき 若者たちに日本の春陽 帆船はついに帰還の日を迎う 見送りの船に別れを告げて <長崎県佐世保市のツツジ園 眼下は九十九島> 紺碧の海見下ろして花ツツジ 絶景の島点々とツツジ山 甘き香を放ちて咲きし花ツツジ 山一面の絨毯と化す 階段を一段毎に上り行く ツツジの変化楽しみながら 躑躅山眼下に九十九島見ゆ すべては春の景色となりて さて、ローズコーンさんの写真を借景とすれば、我が家の庭は実景と言えようか。いや、見える景色が問題ではなく、自らの暮しの中でどんな俳句や短歌を詠むかが問題なのだ。出来れば格好良い作品を詠みたいが、そうは問屋が卸さない。また「格好つけ」は、いつか化けの皮がはげる。そんなこんなで、呻吟の毎日だ。では苦しみの中から生まれた作品を以下に。 やれ嬉し三つ葉摘みいる命かな 山鳩やジャガイモの芽欠き終えし時 薫風や一期一会の句友へと 歌を詠みし四月の窓辺目の前を 黒き鳥一羽とつぜん過る ひとり身の夕べは侘し花冷えの 風吹きくればなおさらのこと どれぐらい漕いだら渡れる向こう岸 三十一文字の海の広さよ たまゆらに新緑となる命かな 木香薔薇のやわらかき葉も たわむれに「静謐」とう字を書いてみぬ 黄砂降りしく春愁の刻 四十にて正社員とう子の保証 押印終えて重き両肩 アンニュイな調にのせて天気予報 ひねもす雨の降るとうその日 かくして今日もまた戦いは続く。<続く> 💛 ローズコーンさん、いつもありがとうございま~す!!😊
2018.05.07
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~「みなしの世界」を詠む~ 私は戯れに短歌を詠んでいます。稀に俳句を詠むこともあります。人が作品を生み出す時、何に触発されるかは様々。私の場合はブログ友ローズコーンさんが書いた文章や、彼女が撮った写真が動機になることが多いかも。「へえ、これは面白そう」が「これを何とか短歌に詠めないか」へと変化し、呻吟する毎日です。でもそんな作業が脳の活性化を図り、老化を遅らせているとすれば嬉しいですね。 <制作中の田中達也氏> 少し前のこと、ローズコーンさんのブログに、田中達也氏の作品群が載ったことがありました。氏は1981年生まれ。鹿児島大学教育学部卒業、美術教育専攻。鹿児島市在住のミニチュア写真家で「見立て」作家。氏の作品展を観たローズコーンさんが、彼女のブログで紹介してくれたのです。 朝ドラ「ひよっこ」をご覧になった方なら覚えていると思うのですが、冒頭に出て来る不思議で愉快な映像は、すべて氏の作品です。これは一体どんな仕掛けで動くのかと思っていた私でしたが、あの作者が実は彼。今日はこどもの日に因み、氏の作品を観て詠んだ歌を披露します。 <上の作品の完成形=部分> サバンナの樹下に動物集い来て 憩えるごときブロッコリー二本 海底に潜りオカリナ進みたり 潜水艦の形となりて 夕暮れの畑を耕すひと二人 ポテトチップのなだらかな丘 浴槽にお盆酒まで浮かびいて 電卓浴場人で賑わう 深井戸のビンより水を汲む女 紛うことなき日常の様 塵取りの打たせ湯なるか水しぶき 曇りガラスのような光景 揚げ物の油切り器がさながらに レーンに変わりプールに変わる 重ねたるホットケーキの月面に 軟着陸の様を写して 実りたる稲刈る人ら忙し気に 後ろに続く刈田の清し 愉快なり何を塗らんと思いきや チョコポッキーの焦げ茶色の塀 やわらかなアイスバーなる氷山にペンギン三羽なにを戸惑う バームクーヘンの穴で働くコックさん 丸テーブルに客がずらりと サーファーは肉の大波乗り越えぬ ブロッコリーの緑も添えて アボガドの大いなる種島となり 椰子の樹一本てっぺんに立つ ハードルは連続したる音符なり 五線で競うアスリートたち ノートビルすっくと立ちし街角を サラリーマンは忙しく過る 剣玉のボールはビルを破壊せり コンクリートの雨を降らせて 炒飯の大波襲う海原を 白いパンツの男が泳ぐ 空に星オクラロケット旋回す 宇宙飛行士苦心の作業 輝ける白きゲレンデ滑りゆく 姿も楽しトイレットペーパー 筆箱のふたはスケートリンクなり 鉛筆ベンチで応援の人 十ほどのクリップテント並びたる 今宵はここで楽しいキャンプ あら不思議あら面白や毛糸玉 若き男女の絆となりて 歌の対象となった作品がそれぞれあるのですが、一点ずつお見せ出来ないのが残念。それほど見事な傑作ぞろいです。世の中には不思議な感覚を備え持った芸術家がいるものですねえ。皆さまも機会がありましたら、ぜひ「田中達也の作品」で画像検索してください。また私の拙い短歌から、少しでも雰囲気を味わっていただけたら嬉しいです。 なお本日の写真はネットでの検索に加え、ブログ友ローズコーンさん撮影作品の一部を借用させていただきました。ここに表記し、心から御礼申し上げます。<続く>
2018.05.05
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~「ピーターラビット」を短歌で~ 私の数少ないブログ友の1人に、長崎のローズコーンさんがおられます。彼女は自身の英語の勉強のために、時々英語のお話を原語と日本語訳で紹介されています。目下彼女のブログに連載中なのが、有名な「ピーターラビット」の誕生秘話です。私は彼女のブログを読んだ印象を、時々短歌や俳句で表現することがあります。それは短時間での一発勝負で、自分にとってはかなり厳しい作業です。このシリーズではそんな便乗作品をいくつか紹介します。 <ビアトリクス・ポター(1866-1943)イギリスの絵本作家で児童文学者> 「ピーターラビット」の生みの親です。 イギリスの古き時代を偲ばせる「ピーターラビット」誕生の秘話 自らが描きし兎ピーターと話弾みし夢多き人 アトリエは元々ポターの子供部屋 ケンジントン区の古き邸宅 ミスポター「ピーターラビット」の生みの親 その不思議なる生い立ちを知る 初版本の印刷前に確認す ビアトリクスは著作権まで ベンジャミンのその表情は七変化 人とウサギの不思議な関係 夏はいつも暑いロンドン抜け出して 別荘へ向かう賑やかな旅 幾たびもインクの色を調整し 誕生したるポターの童話 一冊の童話生まれしその陰に 若き男女の恋芽生えしか 腐敗臭ただよう森のその奥に キノコの一群忽然出現 「それでは」と頭を下げてヒーリスは サラの許へと急ぎ向いぬ バグパイプ突然響く村祭り 若き二人は踊るや否や 美術館未婚女性の二人いて ひそひそ話に笑い転げる 新たなる物語書く計画は ポターの心を奮い立たせり 母は聞くクリスマス客のリスト見て ビアトリクスの抵抗はいかに おやここにミレーが描きし絵が数点 今日のポターの話の中で 上流のクリスマスパーティー 姉弟らは驚きつつも観察したる ブランディー入りのコーヒー手渡しつ 何かささやく「ノーマン作戦」 スカーフをつけたウサギの可愛さを ポターの部屋でノーマンは見た 居間でベルを鳴らしてポターは客を集め ウサギが主人の童話語れり 「ねえミリー」そっと呼び出し秘め事を 漏らした人の言葉も震え ついに愛が成就する刻訪れし 走り去る馬車に手を振る娘 あれは夢? いえいえそうではありません 心もときめく二人のダンス ノーマンは十一時ジャストに戸を叩く 前途を決める運命の時 怒る母 娘は正々堂々と自らの意思示し譲らず 頭取にビアトリクスは尋ねたり 印税で地所買えるや否や 壮大な娘の計画知らぬまま 新提案を切り出せし父 避暑地へと向かう駅舎に現われぬ 恋人追いし娘の心 雨に濡れ遅れて来たるノーマンは 刷りたてのゲラそっと手渡す 汽笛鳴り走り出す汽車 互いの目見つめて二人 駅舎の別れ 口づけを交わし二人の別れかな 汽車の窓から手を振る娘 素晴らしき農園売りに出されたる ビアトリクスの作戦は何? 弁護士は腕まくりして案内す 美しき丘の麗しき家 ローズコーンさんのブログで、このお話の紹介はまだ続いています。従って私の作歌作業も当分続くことでしょう。もし私の作品から、「ピーターラビット誕生」のイメージが膨んだら嬉しいです。そして毎朝頭をひねりながら短歌を詠む私を、ついでに思い浮かべていただけたら望外の幸せです。しかし「ちりも積もれば山となる」で、たくさんの歌が生まれたものですね。ではまた明日。<続く>💛画像はすべてネットから借用したものであることをお断りし、心から御礼申し上げます。
2018.05.04
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~ブログ友ローズコーンさんを通じて~ 数少ないブログ友の1人に、長崎のローズコーンさんがおられます。毎朝お互いのブログを訪ねて、コメントを書くのが日課です。美しい長崎の風景が載せられた彼女のブログは、私の詩心を刺激することが多く、その時閃いた短歌を載せていただくことがあります。彼女の許しを得て写真をお借りし、歌を再掲しますのでご覧いただけたら幸いです。なお歌と写真はリンクせず、順不同であることを申し添えます。 青空にサクランボの花溶け込みて メジロヒヨドリ枝に集いぬ 爛漫の春は来にけりサクランボ 紅の花満開にして ひともとの玉之浦椿艶やかに われを招きぬ春の客として 楽し気に蘭を着生せし老人 確かなる技庭に溢れて 蒼穹にソメイヨシノの道続く 今年も生きて楽しむ桜 桜越しに臨むクイーンエリザベス 長崎は今春のさ中に 坂道や桜の影と照明の影映りけり長閑なる午後 花開く時にその音聞こえしと 長崎の友今朝のブログに 一面の黄の集団となりし花 収穫されざる冬の野菜は 春野菜鶏ガラを煮て大皿に 食欲あれば老いも楽しく ムスカリの和名はブドウヒヤシンス 花言葉は「通じ合う心」とか 水彩画筆一本で描きたる 淡き花の絵署名を添えて タガログ語飛び交う山の公園よ 若者たちは花見の宴 聞けばみなフィリピンよりの出稼ぎと どの青年も屈託のなし 車座になりてビールを傾ける 眸明るき異国の青年 テレビ局も取材の準備花の山 長崎は今春真っ盛り 花の下夫婦仲良く語らいぬ 港見下ろす丘の頂 老夫婦ともに白髪の花見かな 手と手取り合い肩を貸しつつ 紅に空染まりゆく稲佐山 塔のシルエット明らかにして のそのそとテントウ虫は這い出でぬ 春が来たかと畑の道に
2018.03.27
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~わが貧しき鎮魂の歌~ あの東日本大震災から今日でまる7年を迎える。天地がひっくり返ると感じたほど、大地が揺れたあの日。仙台の我が家でも、大きな振動が連続して起きた。電線は波のように揺れ、地面からは地下水が湧いた。電気は4日間、水道が1週間、そしてガスは35日間も使えず、寒さに震え、余震に怯えた夜が続いた。 停電が治まった時、TVに流れた画像を見て驚いた。わが故郷東北は、これほどまでに被害を受けたのか。海では流れる油が炎を上げ、空港では練習機が津波に流されて行く。町に乗り上げた船、破壊されたビルや住宅。あれほどまでの地獄を私は知らない。 大津波と避難の在り方を巡って、いまだに裁判で争っているケースもある。両親が亡くなったのは、下校途中の自分を探したためだと思い込み、未だに笑わない子供の存在を、あるドキュメント番組で知った。原発事故で故郷を失った多数の町民。未だに仮設住宅に留まる町民や、孤独死もしばしば見られる。あれから7年。未曽有の大震災から今日でまる7年を迎えるが、被災地の復興はまだまだだ。 亡くなられた多くの犠牲者の冥福を祈り、今も苦しみ続けている被災者の皆様に、この拙い短歌を捧げる。 <白い山茶花の写真はネットから借用しました。この場を借りて御礼申し上げます。> この一年被災者に笑み戻りしか 未だに続く裁判もあると 新しき堤防道路避難所も されどこころの復興はいつ 笑わない子に育ちたる遺児ありし 父母(ちちはは)の死は自分のせいと 目に見ゆる地上の復興進みゆく 海底はまだ瓦礫の山か 美しき山河裂けたるあの地震(ない)を 思い出す日の少なかる現在(いま) 破れたる校舎は震災遺構なり 子らの声なき無人の校庭 わが親をわが子を飲みし大津波 降りしきる雪の記憶は消えず 眼底(まなそこ)に今もくっきり震災の映像残るあれから七年 故郷に二度と帰れぬ哀しみよ 原発災害の犯人は誰 震度五の余震の夜も幾たびか 止めようもなき記憶の風化 新しき街が出来ても忘れまじ 「津波てんでんこ」避難優先* 孤独死の現実仮設住宅地 いまだに続く震災の余波 *「津波てんでんこ」とは、被災地に昔から伝わる言葉。もし津波が来たら、家族がどこにいるかと探していないで、先ずは自分1人だけでも安全な場所に逃げなさいとの言い伝え。その方が助かる確率が高まるとの、体験から来た貴重な教訓だ。上の12首は昨日の朝に詠んだ作品です。合掌。
2018.03.11
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~異国情緒たっぷりのランタン祭~ 扁額にある「関聖帝君」とは、中国の漢末劉備に仕えた関羽の別名で尊称。お馴染み「三国志」にも登場する高名な豪傑だ。これは長崎ランタン祭の一こまで、もちろん像は作り物だ。だが、関羽の前に奉げられた豚の頭は本物。これも含めて以下に掲載する写真は、すべてブログ友のローズコーンさんが撮影されたもの。彼女にお断りして転載させていただいた。 <川を横切るランタンの灯りは、さながら龍のようだ。> 長崎にお住まいの彼女は、このようにして時々と言うか毎日のように長崎の街や歴史を紹介してくれる。私はそのブログで南国の風景や異国情緒たっぷりな街を知り、歴史を学ばせてもらっている。私が住む東北とは、気候も違えば文化も異なる。だからこそ心惹かれるのだと思っている。 <川面に映える鳥形のランタン。その鮮やかな明かりが幻想的だ。> ご存じの通り、長崎は江戸時代の鎖国の時代も、唯一外国との窓口として門戸を開いていた土地だ。その相手が出島でのオランダであり、平戸での中国だった。後に中国とも長崎で対応した。その交流の歴史から生まれた祭がこの「ランタン祭」で、50年の歴史を有すると言う。 <天に昇る金色の獅子の巨塔> 「ランタン祭」は中国の春節(旧正月)の期間に合わせて開催されるようだ。そして今年は17日に亘って開催されたと聞く。ローズコーンさんのブログに載った写真や説明文から、いかに賑やかな祭であるか、その雰囲気が伝わって来る。 <馬上の勇者も歴史上の人物だろうか。> 長崎港には連日のように大型の客船が入港する。時には数隻が同時に桟橋に横付けになることもあるようだ。そして乗客の大半は中国からの観光客らしい。大勢の中国人がバスを連ねて市内に繰り出し、大量の買い物をして再び船に乗って帰国する。出島の時代とは一味違った交流だが、これも時代の流れなのだろう。言い方を変えれば、それだけ中国国民の生活様式が変化した訳だ。 <御輿に載った中国皇帝と皇后。扮しているのは長崎市民だそうです。> 私はローズコーンさんのブログに触発されて、時々自作の短歌を詠ませていただいる。朝の短い時間に、その日初めて見た写真などの印象で歌を作るのはとても厳しい作業だが、それも良い訓練の場。ランタン祭に関しても、幾つかの歌を詠ませていただいた。ローズコーンさんにお断りし、ここに再掲したい。改めて、どうもありがとうございました。 <供え物の豚と線香> なお、歌は作った順番で掲載し、写真と連動しておりません。 街中の広場に集う恐竜も ランタン祭の出番待ちいる ランタンの龍も牡牛も天翔ける 祭を待ちし長崎の街 春節祭みやげの龍はガラス製 体くねらせ天へと昇る ギアマンとビードロの音懐かしき 春節近き長崎の街 玻璃の龍頑丈な脚つけられて 飛翔かなわず地上を守る ランタンの光煌く中華街 祭も既に半世紀経つと 鳥形のランタン中島川の中 水面に映ゆる鳥の王国 川またぐランタンは今龍と化し 光の橋を架けんとするか ランタンの灯りは明るく輝きて 馬上の勇者矛を振り上ぐ
2018.03.10
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<暮らしと短歌> <わがやの藪椿> 火災保険の契約に行った。1年で切れる掛け捨ての物。それ以前に入っていたのは地震保険までつき、満期に300万円返って来る内容だった。昨年それを解約し、返金分を家のリフォームに充てた。これから先何年生きるか分からない。そして家を売ることもあり得る。そうであれば1年ごとの保障で十分。地震保険が無い分安くて済む。もうあれほど大きな地震に遭遇することはあるまいと考えたのだ。 4月のツアーを申し込んだ。宮城県内と福島県の2か所での花見ツアーだ。日帰りだから料金は安い。3月のツアーは申込者が少なくて、催行中止となった。3か所の霊地を巡るものだっただけに、とても残念に思う。だが、花見なら大丈夫だろう。旅行日は3日あるが、一番遅い日を選んだ。花見だけは日を間違うと悲惨。早くてもダメだし、遅ければさらに最悪だが、果たして満開時の「読み」がどうか。 数日前、庭で水仙が咲いているのに気づいた。厳しかったこの冬。私の体にもこれまでにない異変が幾つか起きた。霜焼けに驚くほどの高血圧。きっと厳しい寒さが、その引き金になったのだろう。加えて目まいもあり、胃の調子も悪かった。だから、良くぞこの体調で冬を乗り切ったとの想いが強かった。水仙を見つけたのはそんな時。ことさら花が愛しく思えた。 短歌会の例会に行った。今月は見学者としてではなく、正式な会員としての参加。だから詠み合わせの中に、私の作品もちゃんと載っていた。予め私が送ったのは次のもの。 もしもしと風の電話で呼びかける 聴こへしものは風の聲(こえ)のみ 「風の電話」は被災地に建つ、電線がつながってない電話。震災で亡くなった犠牲者と遺族が、魂の交流をするための「装置」だ。 旧仮名遣いと旧字を使ったのは、震災後7年を経て大災害の記憶が風化して来つつあることの象徴だったが、この結社では推奨しない由。だが、言葉の選び方と感性には驚かれた。この歌は技巧を度外視した、いわば無防備な作品。だが、月に一作品の提出では何か物足らない。引き続き総会にも出席。2年後に合同歌集を上梓する計画とのこと。果たしてその歌集を手にすることが出来るかどうか。 帰宅後4月分を葉書に記し、郵送した作品は以下のもの。 死も生もいまだ答は見つからず木立に墜つる流星群は これは生活よりも感性を優先させた作品。わざわざこれを選んだのは、短歌とは何かを仲間たちに問うためだ。言葉を磨くこと。感覚を磨くこと。そして歌と生活の一体感。何を重視するかで、その結社の方向性が分かるのではと。新参者はそんな風にして周囲の様子を窺い、「歌とは何か」を知って行く。 庭のクリスマスローズに新芽が出ているのに気づいた。良く見ると花芽も出ている。その夜、トイレに起きた際、歌が浮かんだ。水仙の花の歌だ。 あれほどの冬も峠を越えたるか 庭にひともと水仙の花 ひともとは「一本」。一株なら「一許」を充てて良いかも知れない。他愛ない歌だが、ようやく冬を乗り越えた歓びがそこにある。良くぞ生き延び、再びこうして春を迎えられると。 <白菜の花の蕾> 発酵鶏糞を2袋買った。15kg入りなので、自転車で2往復。その翌日、空いている畝をスコップで起こした。先ずは第一にジャガイモを植えるための準備だ。鶏糞と粒状の石灰を撒き、鋤で均す。それから雑草の除去。雨が降る前に作業が終われば、肥料が溶けて十分土に沁み込むと考えてのこと。畑仕事を終えた途端、ポツポツ雨が降り出した。土を掘りながら作ったのが次の歌だ。 急げ急げほでなし寡畑を掘る 春来る前に雨降る前に 「ほでなし」は仙台弁で「馬鹿者」くらいか。寡は「やもめ」。滑稽で自虐的な歌だが、案外気に入っている。歌は上品で取り澄ましたものばかりとは限らないと言う見本になるかどうか。
2018.03.09
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~初回は短歌から~ バスツアーに参加して、つい先ほど帰宅した。大慌てで必要な分だけ写真を取り込み、車中で詠んだ短歌を載せようと思う。何せ撮った写真は260枚ほどになるので、整理にはかなりの時間を要すだろう。本当は短歌の方も、もう少し推敲すべきところだが、まあ止むを得ない。先ずこんな時間に翌日のブログを書いているのは今回が初めて。少々乱暴な点があっても目を瞑っていただきたいと思っている。 真白なる南蔵王の屏風岳 青麻の山は雪まばらにて 古城あり小さき町の丘の上 蔵王連峰見上ぐるごとく 山塊は玲瓏として連なりぬ 安達太良山は光に立てり 春立ちて山容いよよ朧なり 智恵子は哀し安達太良悲し 山峡の雪の静寂の深き翳 春の声まだ聞こえはせぬか 磐梯も猪苗代湖も寡黙にて 会津はすべて雪に静もる たちまちに高速道より離れ行く 磐梯山を独り残して 県境に白き山々連なりて 会津は雪の中に眠りし 雪に明け雪に埋もれて暮らすかな 雪が育てし会津魂 <続く>
2018.02.11
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~歌詠み人の集まりとは~ ひょんなきっかけから短歌の会に入ることになった。ある日ズボンを持ってクリーニング店へ行ったのだが、そこのお婆さんから短歌の会を紹介されたのだ。まあ暇だし、短歌を作るのは頭の体操にもなる。そう思って幾つかの短歌を記し、先生に見ていただいた。それから数日後、丁寧な入会のお誘いが郵便受けに届いた。お礼の電話をしたら、先生が散歩がてら届けてくれたそうだ。 新年最初の歌会は2月と言うことで、首を長くして待っていた。数日前には会が開かれるお宅を確認に行った。そして自分なりに準備をした。だが何をすべきかが分からない。会はどう進行されるのだろう。皇居での歌会始めのように、自分の歌を朗詠するのだろうか。持ち物はどんなもので、服装はどうすべきか。まあ最初なのでスーツを着て行こう。スーツを着るなんて6年ぶりくらいになるか。やれやれ。 指定された家まで行くと、先生が外に立って待っていた。初めての対面だ。挨拶もそこそこに家に入ると、2つの部屋をぶち抜き既に机が並べられていた。集まっていたのは先生ご夫妻と4人の会員。そして私を含めて3名の初心者がこの日は見学と言う立場で参加した。欠席者の提出分も含め、合計8首の歌がこの日の論評の対象。会員紹介、会の概要、今年度の活動予定、上部団体との関係などについて説明あり。 1首ごとに作者から作歌の狙いなどが説明され、会員と先生から感想、意見、添削などが述べられる。最初は黙って聞いていたが、途中から私も感じたままに話し、初めての参加者が意見を言うのはこれまでなかったことと言われた。歌に対する真剣な想いが伝わって来た。ロマンティックな歌、骨太な歌、技巧的な歌、素直な歌。歌は作者の力量や感受性によって様々に変化し、表現される。 歌会の後には昼食会が開かれた。通常は論評だけだが、この日は新年会を兼ねていた由。懇親の中で、会員の本音も聞けたし、新規加入者を含む会員の経歴の一端も知ることが出来た。1年経過しないと上部団体へは紹介しないが、この短歌会の方がよほど作歌の勉強になるとの話。堅苦しい会との予想は外れ、案外フランクな雰囲気に救われた。 歌会の後は数人のメンバーが近くの病院で長期療養中の患者さんへの作歌指導をされているそうだ。その患者さん達との合同歌集を3年に1度刊行する由。まあ自分がどこまでやれるかは分からないが、付いて行けるだけ頑張ろうと思っている。次回は3月の第1水曜日で、その1週間前までには予め1首だけ葉書で投稿する決まり。食べ残した弁当は持ち帰った。さ~て、早速歌を詠んでみるとするか。
2018.02.08
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南岸低気圧の通過で、仙台ではこの冬6度目の雪となった。気象台の発表によれば、積雪は18cmとのこと。前夜トイレに起きた時、雪が降ってるのが分かった。そして、玄関扉のガラスを通して、外の雪明りが見えた。それが本当に明るいのだ。さて、その雪景色に自作のヘボ短歌を幾つか添えた。ご笑覧いただけたら嬉しい。 <深夜の雪 ~わが家の玄関先にて~> 蒼穹も忽ち雲に隠れたる明日より続く雪の予報は わざわざと凸凹の道選びけり買い物帰りの心模様に 生と死は連続なるか陰鬱な日よわが胸の鼓動は弱く また一人ブログを止めし友ありぬ年改まる寿ぎの春 担当の民生委員も訪ね来ぬ独居老人増えたる町は ことさらに陰鬱なる歌詠まざりき晴れるも曇るも人の世の常 この冬の六度目の雪降りしきるエンディングノート買い来しその日 しんしんと深夜の雪は積り行くほのかに白きその雪明り 家も畑も雪に埋もれて静まりぬ南岸低気圧通過の町は 雪止みて青空戻る北国の春なお遠き人の暮しよ 雪の朝坂道下り校舎へと急ぐ若人受験日近く 雪は今雨と変われり空重く暗き夕暮れ迫る一時 血圧も下がりようやく人心地つきて窓辺で啜る日本茶 <翌朝の風景 ~近所のお宅~> 以下はローズコーンさんのブログに載せていただいた自作の抜粋(順不同)です。 紫の小さき花の咲き出しぬ宇宙を目指すチランジアの葉 黒々とビルのシルエット美しき再び街の目覚むる朝 城砦のごとき形を浮き出して岡のマンション朝空に立つ 御神籤を引けば待ち人来たるらし会えるその日を思い浮かべつ 普賢岳見上ぐる里のコスモスを描きし友の会心の作 冬の陽の低く差し入る長椅子に臥せし仔猫は警戒解かず 青鷺の翳揺らめきし河岸に魚影見えざり迫る夕刻 生くるものみな名を持てり汝もまた冬の野に立つ水仙の花 突然の雪に戸惑う南国の人の暮しを偲びてみたり ちゃらちゃらとチェーンの音の軽やかに雪の日の街眼科へ急ぐ 白き家段々畑のごと積り山取り囲む雪の長崎 鈍色の丘の斜面に雪の家連なり空の彩に溶け込む 外出をすべきか悩む雪の日よ坂多き街長崎なれば ベランダの南天の葉も家並みも今日は真白の景色に変わる 見ゆるものすべてが雪に包まれていつもと違う銀世界なり
2018.01.24
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~正月を詠む~ 初春の光はあれど風強き庭眺めいる男の暮し 屋根の雪今はすべてが融けたるかただ烈風の吹き抜ける庭 三鉢ほど観葉植物並びいてその長き影居間に伸びたり 三人の子の暮らしぶり思いつつ一人北国に生きる父あり 今朝もまだ永らえているわが命日増しに強き春待つこころ ヒーターを消し足元のストーブを「弱」に変えたり日の差しくれば 柚子三つ持たせ息子と別れたる正月二日の朝八時半 何事もなきかのごとく始まりぬ大河ドラマは七草の日に 今日ははや七草粥と書きし友わが正月は二日で終わる 筍の皮剥ぐようなわが日常食もブログもその日暮らしの 鏡餅正月飾りも買わざりき年賀状すら出さぬ新年 別れたる妻は今年が年女消息もなき戌年正月 ついにまた眩暈が来たる突然にそをやり過ごし飲む残り酒 *めまい
2018.01.08
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~年の瀬迫る~ 昨日の仙台は、目が覚めると雪の朝でした。ここ数日間は暴風が吹き荒れたり、雪と雨が交差する悪天候が続いていました。それに雪の朝ですから、まだ天候は安定してないのでしょうね。 そんな訳で朝から石油ヒーターとエアコンをフル稼働して居間を温め、室温が上がってからは足元に小さな電気ストーブを点けました。これで足元まで暖かく、しもやけ対策になりました。外はようやくお日様が出ましたが、時々突風が雪を吹き飛ばしています。ではそんな朝の情景を短歌で。 しんしんと雪積り行くわが胸よいま一年は去らむとすなり 雪降りてすべての音の消えむとす未だ小さき椿の蕾 梔子の葉に積りゆく雪白し病みし一年今暮れむとす *くちなし 大根の葉も凍りしか今朝の雪正月飾もまだ買わぬ間に ようやくにこの一年も終えむとす霜焼け痒き雪の朝は 生きてあるものみな白く包みける雪の朝の清々しかな 今年も後わずかになりました。皆さまも風邪を引かず、どうぞお元気でお過ごしくださいね。
2017.12.28
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<普通のことばで・・> 先だっての夜、東京の次男から電話があった。大晦日の夜に帰省するとのこと。へえ、これは嬉しい。少しは期待していたものの、確率は50%以下だと思っていたのだ。「お前の料理も食べたいんだ」と言うと、「俺も作るの?」と息子。「まあお父さんも作るけどね」。そう言うと、「あんまり無理して買わないで良いよ」と、これは食材のこと。前妻がいた時は、連日ご馳走攻めだったのだが。 息子の声を聞いて安心したのか、急に疲れを感じた。ひょっとしたら父親だけしかいない仙台へは帰って来ないかも知れない。半ばそんな風に諦めていた。東京にいればお金はかからないし、寒い仙台で風邪をひく心配もない。だが予想が覆って、次男と2人で新年を迎えられそうだ。その夜は昏々と眠った。11月のウォーキングでF 田さんが「一番大切なのは良質の睡眠」と言っていたが。 「俺だけど」くぐもる声で東京の次男帰省を伝うる電話 昏々と眠りに眠るわれなりし息子の電話聞きたる夜は 山の上の整形外科へ行った。往復4kmの歩きは良い運動になる。待合室の長椅子に座って順番を待っていると、親子連れが扉を開けて入って来た。上品そうな老婆はお母さんで、にこやかな女性は娘さんだと思う。きっと何不自由のない裕福な暮らしなのだろう。理学療法士の施術は相変わらずの内容。まだ右肩に堅いしこりが残っている由。次回の予約をして帰途に。途中のコンビニで果物を購入。 微笑みを浮かべつ母の手を取りて待合室に入りしその人 帰路は裏道を通った。目の悪い私は下り坂は要注意だ。新しい家が増えた一方、誰も住まわなくなった家も目立つ。主のいない家の石垣に菊の花。あんな条件の悪い場所でも健気に咲いている菊の花が哀れだ。どれ戯れに一首詠んでみようか。 破屋あり冬の石垣残菊は孤独に耐えてなお天を向く 先日TVで紫玉ネギはアントシアニンが多く、がんに効果があると言っていた。ビタミンCは熱すると破壊されるらしいが、紫玉ネギは炒め物にしても大丈夫らしい。たまたま今年作ったのがこの種類で、私は偶然にも熱を通して料理に使っていた。貴重な食材だったためだ。 さて、白菜は六つ切りにし、生シイタケはそのままの形でお日様に干している。白菜は甘みが増し、シイタケは旨味成分とビタミンDが増すと聞いたからだ。 椎茸と白菜を干す階(きざはし)に冬日は温(ぬく)し風も止みたり 和室に取り込んだシャコバサボテンが満開だ。ピンクの色と、白っぽい色のが混じっている。良く見たら、ノボタンとゼラニウムも咲いていた。さて、レンタルのモップを返却する前日、窓の掃除をした。長い柄をつけたモップで、全てのガラスと網戸を拭く。1階は掃除機をかけた。今年は後2回掃除機を使えば十分だろう。朝は暖かだったのが、途中から急に寒くなった。 十鉢の冬越ししたる日溜りに今満開のシャコバサボテン 手に息をかけつつ窓を掃除する禍々(まがまが)しき年忘れむとして 寒き日よ氷雨しぐるる冬空に少し陽の差す刻(とき)の嬉しき <黒川能(山形県鶴岡市):ネットから借用> 窓の掃除中、お向かいのKさんが私を呼んだ。以前に撮影した黒川能の写真を、カレンダーに仕立てたとのこと。早速拝見したが、なかなかの出来映え。鶴岡市櫛引の農村に、平安時代辺りから伝えられて来た伝統芸術で、国指定の「重要無形民俗文化財」。演目は百を超え、能は薪を焚いて翌朝まで演じられる壮大なものらしい。初めて見る写真に驚く。ここはKさんの故郷でもある。 能衣装面(おもて)を着けし村人はこよい幽玄の世界に遊ぶ しんしんと夜は更け薪(たきぎ)はぜし音黒川能の舞なお続く 歩いて買い物へ行った。先ずは100円ショップでメモ帳など。これは歌集で使われた難解な言葉をメモするため。次いでリカーショップで4リットル入りの焼酎。私が常飲する超安物のアルコールだ。それらをリュックに入れて帰宅途中に雨が降り出した。朝は晴れて比較的暖かかったのが、急転直下の氷雨。またまた大型の寒気団が南下して来たようだ。 お天気同様に短歌もままならない。極力奇をてらわずに普通の言葉で心に響く短歌を作りたいのだが、それが思うように行かないもどかしさ。そんな言葉との格闘をどれだけ繰り返せば良いのだろう。まあ焦らずにのんびり行こう。 音たてて氷雨はわれに降りかかる焼酎買いたる帰途の細道 作品は2日分。昨日はこの他、ローズコーンさんのブログに5首を投稿させていただきました。
2017.12.20
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<三十一文字の文学> その日、歩いたのは近所の歯科医までだった。もう少し歩こうか。そう思って午後から散歩へ出かけた。折角だから用事も済まそう。私はそんな風に考える男。A公園経由で銀行の支店へ行って記帳し、その後は郵便局へ行こう。だがその途中で、先日銀行でお金を下ろした際に記帳したことを思い出した。最近はこんなことが増えた。それならM公園へ寄って見よう。 この公園へ行くのは久しぶり。夕暮れ近い公園に、ほとんど人影はなかった。土の道を反時計回りに一周。すると土手に白っぽい花。今頃咲くのはジュウガツザクラ(十月桜)のような冬桜しかないはず。果たして名札にも「十月桜」とあった。この春も確かこの場所で咲いていたが、まさかそれが十月桜だったとは。林の奥にあった古い樹は伐られたが、こんな若木が植えてあったのだ。 造成地見おろす丘のいただきに十月桜の若木三本 そこからさらに進んで林の中に入り、かつて十月桜があった辺りへ行ってみた。そしたら何と、そこにまるで幻のように桜が咲いていた。まさしくこれは十月桜。さっきの若木よりもさらに薄い色の花びら。背景の雑木林や曇り空がそう見せるのだろうか。伐られたと思ったのは、どうやら私の勘違い。この時期、寒々しい公園で咲いてる花は少なく、十月桜はとても貴重な存在だったのだ。ああ嬉しい。 伐られしと思い込みたる三神峯の十月桜冬空に立つ 神宿る三神峯の丘その奥に十月桜密やかに咲く 空の色と見紛う桜咲きいたり師走なかばの三神峯の丘 冬木立葉を落としたる樹々の間に十月桜立ち尽くすごと 人影の絶えたる岡の夕まぐれ血の気失せたる桜咲きたり 薄命の女のように佇みし花びら淡き十月桜 この日は他に1首。 冬の夜ハウステンボス明々と老女の胸に灯りを点す
2017.12.19
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<言葉に宿るもの> 真夜中にソーラーの感知器が赤く点灯したことは書いた。私はこの20年ほどの間、2階の1室で過ごして来た。だからこの装置とはあまり馴染みがなかったのだ。それが現在は居間で寝ているため、感知器が作動する現場を見たのだ。結局青の点滅は発電中のサインで、赤の点滅は蓄電中のサインなのではないか。それが私が出した結論だ。間抜けな話だが、案外デジャブー(既視感)のようでもある。 ヤク〇トのお姉さんが見本品の感想を聞きに来た。若くてきれいな人。自己紹介のパンフレットには3人の子持ちとあるが、とてもそんな風には見えない。お母さんは私と同じ学年みたい。すると彼女は長女と同年齢くらいだろうか。腸内細菌とウ〇チの話をひとしきりして帰った。自分も健康には関心があるが、月3千円近い支払いには戸惑いがあった。適当に繕って断ったが、丁寧に礼は言った。 小麦粉がまだ大量に残っていた。パンを焼くため前妻が買ったのだろうが、もう賞味期限が切れて久しい。害はないと考え、小エビや冷凍のオクラ、挽肉などを入れてお好み焼きを作った。味付けは適当だが、これがなかなか美味しい。食べ物を粗末にせず、捨てずに済んだのが嬉しい。今後もなるべく負担に思わず、楽しんで使おう。 ナタマメ入りの歯磨き粉が届いた。4本セットのお徳用だが、今回は1本おまけ。送料は無料で7千円近くを配達時に支払った。そして直ちに電話して、定期購入中止の連絡。その方法で安く買えるとオペレーターが話していたからだ。恐らくはこれで1年間は持つはず。スッキリ感が凄いが、口臭がどうかは1人暮らしのため不明。口臭外来へ行けば保険は利かず、治療に40万円はかかるだろう。 歯医者へ行った。ほぼ3か月おきに歯石を除去しているのだが、この日も治療に先立ち、歯周ポケットの深さを検査。虫歯の部分を除き、歯茎やポケット内の状態が改善している由。ドクターには言わなかったが、これはきっとナタマメのお陰だと思う。残り少ない歯を、せめて今からでも大切にしたいもの。入れ歯はまだだが、時間との戦いになるのだろう。 ある朝のこと、郵便受けに封筒が入っていた。差出人は短歌会を主催するK先生で、中には縦書きの原稿用紙と歌集、そして参考にするよう先生が推薦した名歌が紹介されていた。早速読み出したのは良いが、悲しいかな意味の分からない言葉が多い。短歌独特の表現も理解し難く、見本に挙げた名歌の良さが何なのか分からない。現実の厳しさを思い知らされた日だった。 その夜、K先生宅へ電話してお礼を述べた。最初に出られた奥様も歌人のようで、歌集に作品が載っていた。先生には感じたままを話し、2月の新年会にも出席する予定と伝えた。先生が言う。「〇さんが私より歌が上手くなったら困ると」。クリーニング店の老婆のことだ。彼女らしくて笑えた。無論そんなことには拘泥していない。より短歌の本質に迫り、少しでも人生の機微に触れたいだけのこと。 手作りの歌集と原稿用紙とをわれに届けし師のありがたき 字も書けず言葉も識らぬ寡(やもめ)居て三十一文字の海に漕ぎ出す 届けらる歌集に見ゆる物故者の歌の群れ読む寒き室内 闘病のさ中に詠みしその歌に託した命何処彷徨う 作歌とは厳しきものと教えらる歌集『木犀』薄き一冊 幻日は小雪止みたる宙(そら)にあり煌くオリオン銀河の彼方 死も生も未だ答は見つからず木立に墜ちる流星群は この他に1句。 生(あ)れましし御子眠りたる飼葉桶聖母マリアはただ微笑みて これがその日詠んだ歌。いやはやとんでもない世界へ船出したものだ。
2017.12.18
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< まずは愚痴から・・> 漬物石 言いたかないけど暑い。こう暑いと参るのは人間だけじゃないようだ。先日の昼飯代わりにパンを食べようとしたらカビが生えていた。ビニール袋に入った食パンを放置していたのを、そろそろ食べないと駄目だと思ったのだが既に遅かったようだ。 念のためにキュウリの漬物も調べて見たら、そのうちの1本にカビが生えていた。これは拙いと思ってカビを拭き取り、漬物の容器を替えた。きっと狭過ぎて重石が利かなかったのだろう。 こちらが新たに漬け直した容器。元は奈良漬でも入ってたのだろう。昨日の朝もキュウリが5本収穫出来た。これ以上食べるのは無理。そう判断して5本とも近所の人に上げた。この容器での漬物が成功したら、次は古漬けに挑戦しようと思う。泡が出てもそのまま放置すると、やがて飴色の酸っぱいキュウリの漬物が出来るはず。日本特有の立派な発酵食品だが、果たして上手く行くかどうか。 ついでに先日漬けたばかりの梅干しを見た。んんん?何だか変だぞこれは。中身を取り出してみると、梅が破れて液体が濁っている。瓶の内側には少しカビが生えているようだ。そこで焼酎を浸したキッチンペーパーで瓶の内側を拭いた。これはアルコール消毒の代わり。 潰れた梅を取り出し、形がちゃんと残っているのだけ元の瓶に戻して液体を入れた。原因は梅酢が十分に上がってないことと、雑菌が入ったせいだろう。取り除いた梅がこれ。もちろん梅干しにはなってないが、食べられないこともない。塩分とクエン酸の補給に良さそうだ。< ここからは近所の花とヘボ短歌> おいダリア秋でもないのにもう咲いて暑くないのか赤い顔して バス停の前の花壇に咲くダリア誰を見送る背伸びしながら 立葵花壇はいつしか夕暮れぬそれでも立ってる孤独の花よ ネズミモチ変な名前をつけられて不満も云はず咲けるその花 集会所マーガレットの群れの中金色の花凛々しく立てり マルガレータふざけて呼びしその花の真面目な顔は太陽を向き 松葉菊プラスチックのやうな花誰も見ぬ中懸命に咲く 妖艶な唇をもて太陽の熱気吸ひたり凌霄花 *ノウゼンカズラ ペチュニアは金魚のやうに群れ泳ぐ尾をひらひらと打ち振りながら 花の名は知らねど楽しその姿老ひたる我と小さき宇宙 薔薇咲きぬ八重の花びら馥郁と高貴に充ちて庭の一許 紅薔薇の想ひ届かぬ恋ゆへに身を焦がしつつ一人咲きたり 夏の庭熱射に耐へて咲く薔薇の香り届けよ枯れざる前に 梔子の厚き花びら真白にて邪を祓ひたる聖の姿 *クチナシ *はらい *ひじり あじさゐは精いっぱいの彩を見せ健気なる貌陽にかざしたり *かお どうもお粗末様でした。最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。どうぞ暑さに負けず健やかに過ごされますよう。
2017.07.16
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<秋の実を詠む> この秋も色んな実を見かけました。今日はそんな実の2回目。前回同様に下手な短歌を添えてみました。ご笑覧いただけたら嬉しいです。 茶色の実ヘクソカズラの美しき嫌われ者の名前なれども シャリンバイ同時につけし花と実を秋深き日に初めて見たり 麗しき名前よ汝はマユミなりその木で強き弓作りしか 碧空に向かひて漕ぎしブランコはショコラ色せし真弓の実なり 真弓早や実の割れしかな干し葡萄色せし種の貌覗きたり 空中に飛び出したりし紅き実は師走を飾る吊るし雛なり 誰一人獲る者のなき柿の実はやがて熟してヒヨドリが喰ふ まだ青さ残れる柚子に晩秋の暖かき陽は降り注ぎたり 柚子三つ肩寄せ合ひて何語る今夜の鍋に使われるやも やうやくに柚子も明るき色となる秋深まりしみちのくの庭 鈴生りの柚子輝きし道の端吾の物なら楽しからうに 鬼灯の皮破けたる内側も透かして見ゆる秋となりけり 甘藍は中国名のキャベツなり少し虫食ひ甘さの証拠 丈低き樹に釣り合はぬ花梨なり肌艶めきて芳香放つ 金色の堅き果実よ名は花梨顔に似合はずジャムになるらし 頼りなき実よ誰一人振り向かぬ白南天は淋しかりけり 悟りたる風情なりけり白南天ただひたすらに経を唱へて 災ひを転ずると云ふ南天もやうやく赤く染まりて来たり 秋更けて南天の実は太りしか苦しみながら仆れむとして 鉢植への林檎の苗に四つの実驚きて見ぬ通りすがりに 近所を散歩していると、たまに思いがけないものを発見します。このリンゴもそうでした。短歌には4つの実としてますが、本当は10個ほどのリンゴが輝いていました。さほど広い庭でも、日当たりの良い庭でもありません。ですがきっと家の主人の手入れが良いせいで、鉢植えの小さな樹に鈴生りのリンゴが実っていたのです。実に愉快。広い農園でなく、住宅地の道端で元気の良いリンゴを観られたのですからねえ。<続く>
2016.12.05
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<秋の実と短歌> 秋の風景が続いています。私は滅多に自分のブログに短歌を載せず、専らブログ友であるローズコーンさんのブログを拝見しながら「便乗短歌」を詠ませていただいています。今日はこのシリーズの4回目。色んな実の特集です。そこで座興に下手な短歌を添えてみました。ご笑覧いただけたら幸いです。 暑き日のありけり葡萄たわわにも実りし秋よ早や遠き日に サイカチの実に似し汝は合歓(ねむ)の木の焦げ茶色せし豆の種なり ムベと云ひウベとも云ひし秋の実は爽やかなれど開かぬままに (ムベはアケビのように開かないまま熟します) 木通(あけび)徐々に色づき初めぬ秋の日は釣瓶落としに傾きて来し 野茨(のいばら)の葉は枯れ落ちて見へねども陽に光りたる紅き実の珠 野葡萄よこの秋汝を幾度見し硝子細工のやうな色して ピラカンサ恐竜の名と疑ひしされども鳥は好みて食(は)みぬ 秋深き家庭菜園残されしミニトマトまだ青き実のまま 暖かくキウイ照らせし秋の陽よ間もなく冬は訪れるらむ (11月3日) 秋更けて枯れ始めたるキウイの葉されどもその実いよよ熟して (11月14日) 万両の実は艶やかに光りたり道にはみ出す植木鉢たち 千両は葉の上につき万両は葉の下側に鈴生りとなる 名も知らぬ小さき赤き実二つ三つ集ひ来たりてブランコ遊び なれの名はヒヨドリジョウゴ鵯が好むと言へど訪ね来たらず 青き空梢に高く柿の実の肌艶やかに秋は更けゆく (11月6日) すべて葉の落ちたる梢柿の樹はそれでも天へ向かひて伸びる (11月16日) 退屈でしょうが、このシリーズは少し休んでまだ続きます。<不定期に続く>
2016.11.28
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<百合と短歌> 花の名は知らねど咲きしわが庭に真白き百合の短き命 百合よ百合気高き汝に亡き母を重ねて見たり母知らぬわれ 障害を持ちし人々働ける施設の苑にカサブランカ咲く とりどりの色鮮やかな百合咲ける施設に響く朗らなる聲 古稀過ぎし我に眩き百合の花わが青春の輝きに似て 花言葉知らねど汝の姿見て「清純」のみが想ひ浮かびし 息荒く坂登りたるその先に真白き百合の佇みてをり 純白のカサブランカは意外にもゴージャスなりし足止めて見ゆ 鬼百合と誰が名づけしその花に命の息吹感じたるわれ 良く見れば花びらの色毒々し鬼の喜ぶ気配ならむか 花びらに浮かぶ斑点数多あり鬼と云ふ名の源なるか 鬼百合の中にも白き蕾あり喩えて云へば鬼の霍乱 山道を行けば一際目立ちたる山百合の花姿麗し 崖の上手の届かざるその先に気高く咲きし山百合の花 姿こそ見へねど香り何処より漂ひて来し朝の山道 歩むほどスピード遅きわが走り山百合の花見つけながらの デジカメを持たず走りて山百合を訪ねて写す翌日の朝 思ひがけぬ場所で見つけし山百合を喜び眺むランの足止め 香り高き百合の中でも山百合は一際高き香りを放ち 鬼百合に負けない数の斑点を持つ山百合の優しき姿 険しくて手の届かざる山百合は年経るごとに花弁を増やす 何者も冒すべからず山百合は気品に満ちて一人咲きたり ある朝、ランニングをしながら見かけた山百合の花。その日はデジカメを持っていなかったために撮ることが出来ませんでした。そこで翌日自転車に乗って再び山百合を撮りに出かけた次第です。良く探せば、意外にもたくさん見つけることが出来ました。案外身近な場所にも咲いていたのです。 また別な日は、わざわざ隣の名取市の山の団地まで走りに行きました。そこでも思いがけず山百合の姿を見つけました。香り高い山百合の花。その姿は気品に満ちています。その他の百合も含めて今日は百合の特集にし、併せて拙い短歌を添えて見た次第です。我が家の狭い庭でも、これからまた数種の百合が咲くことでしょう。花と歌を楽しんでいただけたら幸いです。<不定期に続く>
2016.07.29
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