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~差別するこころ~ 司馬遼太郎の大著『竜馬がゆく』を読み終えてから、次に何を読もうかと迷った。と言っても家の中の本に限られる。新刊を買う必要性は少ないし、図書館は遠過ぎる。以前古本屋で買った中から、灰谷健次郎の『兎の眼』を手に取った。もう何年「積ん読」状態だったろう。あの大著の後では心も容易に反応してはくれないだろうが、まあ一日中パソコンに向かっているよりは良い。 灰谷健次郎(1934-2006)は児童文学作家。神戸で生まれ、貧しい少年期を過ごした。高校は夜間だが、大阪学芸大(当時)を卒業して17年間小学校の教員を務めた。その後退職し、児童文学を志した。と言っても教員時代から児童詩の編集などを手掛け、文学に対する志は強かったようだ。しかし、なぜ彼は学校を辞めたのか。その疑問を解く鍵がこの本に隠されている。 それまでに私が読んだ彼の著作は『遅れて来たランナー』と林竹二先生との対談だけだった。前者は私がランナーだったこともあって、そのタイトルに目を奪われたのがきっかけだ。一時、沖縄の渡嘉敷島で暮らしていたことも雑誌『ランナーズ』で知っていた。その後、再び淡路島へ帰ったことも。恐らくは病気の治療だったのかもと、今になって思うのだ。 小学生に授業中の林先生 対談集を読んだのは林先生が2番目の職場の学長だったためだ。先生の専門は哲学だったはずだが、大学紛争当時も過激派学生が封鎖した校舎の中に一人で飛び込むような人で、後年小学校で特別事業を行う「聖人」だった。「本当の教育とは何か」を追求する二人だけに、心が通じるところがあったのだろう。 さて話の舞台は関西のある小学校。学区内には市の清掃工場と、そこに働く貧しい人々と子弟がいる。教師経験の浅い小谷先生の奮戦ぶりや、「蠅博士」鉄三の成長が心を沸かせてくれる。しかし貧しいことだけで差別を受ける子供も世の中にはいるのだ。小谷先生や鉄三たち清掃工場の子供たちを見守る足立先生の眼差しは真剣だが、子供に対する愛情の深さは格別。だが工場の移転を契機に大問題が勃発する。 騒動の結果までは描かれていないが、市や校長などのうろたえぶり、一部の教育ママたちの異常反応に「やはり」と思わせるものがあった。灰谷の作品は強い反響を呼び、中には部落解放同盟から非難を浴びるものもあった由。実兄の自殺もそれらと関係があったのだろうか。出身地ゆえの差別、貧しさゆえの差別。東北に住む人間にとっては理解不能だが、差別が現存するのを四国勤務時に体験した。 住井すえ著『橋のない川』が、私が差別問題を知ったきっかけ。あまりの実態に驚き、怒りすら覚えたものだ。さて『兎の眼』はミリオンセラーとなり、灰谷の代表作となった。平成18年病没。享年72才。目下彼の著『我利馬の船出』の古本を読んでいる。果たしてこの後どんな展開が待っているのだろう。
2019.03.20
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~維新前夜を読み解く~ 司馬遼太郎著『竜馬がゆく』全8巻文春文庫を読了した。4か月もかかったが、全く飽きることはなかった。この原作を元にした大河ドラマも放送された頃、私は別な歴史小説を読んでいた。いずれも埼玉県のブロ友Cさんから譲ってもらったものだ。それをなぜ今頃になって読んだのかは触れないが、やはり今で良かったと感じた。本の内容を受け入れるだけの素養がようやく備わっていたと思うからだ。 大黒屋光(幸)太夫(左) 元々日本の古代史や考古学関係の専門書ばかり読んでいた私が幕末期に魅せられたのは、吉村昭著の『大黒屋光太夫』を読んでから。伊勢国白子(現在の鈴鹿市)の船頭であった光太夫の乗った廻船が、難破して漂着した先がロシアのアリューシャン列島。帝都サンクトペテルブルクの女帝エカテリーナに日本への帰国を願い出、根室に帰るまでの10年間の苦労と当時の国際情勢が手に取るように分かった。 楠本イネと娘高子 日本初の女医、楠本イネの生涯を描いた吉村昭の『ふぉん・しいほるとの娘』も名著だった。日本への研究心に満ちたシーボルトの実態。日本人妻お滝との間に生まれたイネ。外国勢に開国を迫られる幕末日本の動転ぶりと各藩の動き。その中でのシーボルトの国禁騒動と追放。唯一外国に開かれた港町長崎の姿。女医イネの誕生と苦労。イネの成長を通じて幕末と明治の日本、そして国際状況が学べた。 イギリスの外交官で後に枢密顧問官となったアーネスト・サトウの著『一外交官が見た明治維新』が実に秀逸。彼は幕末期の日本と日本人を冷静な目で観察していた。日本語を理解して候文も書け、各藩の主要人物と交わり、「生麦事件」にも遭遇。『竜馬がゆく』では2人が2度出会ったと書かれているが、実際はどうだったのだろう。明治には駐日公使として来日し、近代日本をつぶさに見ている。 歴史小説は歴史そのものではないが、歴史の一面は捉えている。迫り来る先進国の脅威と各藩の激しい動き。竜馬の脱藩からその死に至るまで、動乱の日本が余すところなく描かれた小説だった。原作は昭和37年から41年にかけて産経新聞夕刊に連載された。これによって竜馬の考え方と生きざまが、あまねく世に認知されたようだ。大河ドラマの脚本もこれに拠ったようだ。 激しく変動する日本と諸外国の動静。慌てふためく各藩の対応。元寇などそれまでも国難はあったが、過去最大の国難が日本に迫っていた。水戸藩、土佐藩、長州藩などでは藩士同士が殺し合い、薩摩と長州では外国船を砲撃して戦争にもなった。それ以前の啓蒙思想家に対する厳罰と安政の大獄。そして戊辰戦争で国内が真っ二つに割れ、新政府誕生後も西南の役などの混乱。(写真は左から岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通、高杉晋作) 大城立裕の『小説琉球処分』にはペリーの黒船来航と沖縄が日本に組み込まれる過程が描かれている。だがそこには列強の侵略を乗り切った「内地」の苦難と流血は存在しない。国際認識が違っていたし人物もいなかった。それは現在も同様に思える。島の利益だけ考えていたら、いつかとんでもない事態を迎えるのではないか。『竜馬がゆく』は独創力、判断力と、先を見る目の大切さを教えてくれたように思う。
2019.03.08
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長い長いミッションだった。昨年の暮れに読み始めた本を、昨日ようやく読み終えた。読んだのは井上ひさしの『吉里吉里人』で、新潮社から昭和58年に出されている。その時点で第30刷となっており、初版はその2年前だったようだ。サイズは四六判で834ページ。文庫本なら6冊分にはなると思う。この大著を読んだ理由は、本が以前から家にあったため。恐らくは文学専攻の長女が読んだのだろう。もちろん古本。我家にある本のほとんどが古本だ。 吉里吉里国歌 10年以上前にも一度読もうとしたことがあった。井上ひさしの代表作のこの本は有名で名前を知っていたし、一頃話題になってもいた。だが少しだけ読んで読むのを止めた。何だか面倒になったのだ。今回もそうだったが、今度こそ最後まで読もうと頑張った。最初の書き出しからしつこい描写が延々と続く。それで厭になってしまうのだ。今度はその壁を何とか乗り越えることが出来た。 一言感想を言うならば、奇想天外なストーリー。東北で生まれ、東北で育った彼にしか書けない本だと思う。吉里吉里国と言う名の国が突如日本から独立して誕生し、最後はそれが崩壊に至るまでの経緯を丹念に追う。書かれた言葉の大半は吉里吉里語。つまり東北地方の方言だ。それにかなりの頻度で卑猥な言葉が出現する。私はどちらも不得意な分野ではないため、直ちに「日本語」に通訳しニヤニヤしながら読んでいた。そう、この吉里吉里国はわが故郷である宮城県の最北部に誕生した仮想国なのである。 吉里吉里国には独特の理念が存在する。金本位制に基づく経済体制、有機農業を中心とした農業政策、世界が羨む最先端の医療システム、そして政治体制は民主的で明快。村民は4千人ほどだが、最先端の医療を受けに世界中から患者が集まるため8千人に膨らんでいる。それにこの国では動物を合体させた奇妙な生物や、動物と野菜を組み合わせた新たな生命体が誕生している。空想の世界ではあるが、時代を先取りしたユートピアなのだ。 井上ひさし(1934-2010)は、山形の寒村で生まれた。なぜか父親の戸籍に入らず、仙台の孤児院に預けられた。高校は県内で最優秀の仙台一高。当時は男子校だ。第二女子高に通っていた若尾文子(後に女優)を見染めたのは地元では有名な話。施設の推薦で東京の上智大学に進学したが中退し、一時岩手県の病院に勤めたことがある。だから東北弁には堪能。自由自在に使えるし、元々彼の語彙は豊富なのだ。 NHKの人形劇『ひょっこりひょうたん島』は彼が脚本を書いた。まだ白黒時代の放送だが、あれは愉快で楽しい話だった。若い頃はストリップ劇場で喜劇の台本を書いていたこともあったそうだ。そんな下地がきっと『吉里吉里人』を生んだのだろう。最後は淋しい結末で私の予想は外れてしまうのだが、彼の思考を知るためにも読んで良かった古本だった。 私がかねがね興味を抱いていたのが、最初の奥さんである西舘好子さんとの離婚。私はてっきり奥さんの浮気が原因とばかり思っていた。なぜなら次の結婚相手が彼が関係した劇団の主宰者だったからだ。だが今回ネットで調べて、そうではないことが分かった。原因は夫のDV。つまり家庭内暴力だった。井上は遅筆堂の異名があるほど文章を書くのが遅く、編集者泣かせの作家だった。それで筆が進まないとイライラして妻を殴ったのだとか。 締め切りが迫ると困った編集者は井上に殴らせるよう奥さんに頼んだそうだ。それで妻の頬は始終腫れ上がっていたのだ。小説の世界ならいざ知らず、これでは奥さんは堪らない。逃げ出すのは当然だろう。井上は仙台市文学館の初代館長で、彼が亡き後はお嬢様が彼のコーナーを引き継いだ。それで親しみがあったのだが、私の疑問は意外な結末で解けた。さて、今回が彼の著作を読んだ2作目。人間とは、そして人生とは実に不思議な存在だと改めて感じた次第。
2015.01.30
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ベルリン映画祭で女優の黒木華が銀熊賞を受賞した。銀熊賞は主演女優賞に当たり、対象の作品は「小さなおうち」。妻が観たいと言うので映画館に行ったのだが、内容は何と戦時中の不倫の話だった。夫のいる若妻が夫の部下である若い社員を好きになり、彼の下宿先で密会を重ねると言うものだ。黒木華は、その「小さなおうち」に雇われた女中さんで、最後の密会を策略で阻止する。妻は多分こんな内容とは知らずに観たがったのだと思う。 黒木華はくろき・はると読む。彼女を初めて知ったのは、NHKの朝ドラ「純と愛」だった。ヒロインの純と同じホテルに勤務する意地悪な従業員の役だった。監督は「寅さんシリーズ」の山田太一。オーディションで監督の目に止まった理由は、田舎から出て来た女中さんの役が務まるのは彼女しかいないと感じたためらしい。若妻役の松たか子をも凌駕する演技が、国際的な映画祭で認められた訳だ。表彰式の会場では突然自分の名前を呼ばれ、慌てる彼女の様子がおかしかった。 このところ第二次世界大戦をテーマにした映画が多い。昨年観た「少年H」、「終戦のエンペラー」や今年に入ってから観た「永遠の0」などがそうだ。「永遠の0」はNHKの経営委員として発言が注目されている百田尚樹氏の小説が原作。過激な発言が目立つ同氏だが、映画は特に戦争を賛美するような内容ではなく、とても感動的だった。イラストレーターである妹尾河童氏の少年時代の実話である「少年H」も、戦時下で必死に生きる家族の話で好感が持てた。 戦争と言えば、NHKの朝ドラ「ごちそうさん」では、戦時中の大阪のある家族の暮らしがテーマ。厳しい状況下で、人々が食べるためにどんな苦労を強いられたかを、面白おかしく描いている。同じ頃に生まれた私に当時の記憶はないが、戦後の窮乏生活を体験をしただけに、戦争がどれだけ悲惨なものかは知っている。フィリピンで戦った父は片足を失い、戦後無理を重ねたこともあって40歳の若さで死んだ。それが以後の生活に暗い影を落とした。 幼時に母と別れたため、私は家庭の暖かさを知らない。それにも戦争の影響があったのだ。だから私にとって戦争は忌むべき存在で、二度と悲惨な体験をしたくない。だがその反面で、国の防衛は絶対に必要だと感じる。それは昨今の東アジア情勢を見ても明らかで、我が国の平和と安全を脅かす恐れのある国家が、現実に存在してるからだ。 さて、今日の本論は読書の話。昨年の10月半ばから読んでいた小松左京の『日本沈没』上下巻及び第二部の上下巻を先日ようやく読了したばかりだ。第一部は今から30年以上も前に発表され、映画化もされている。残念ながら私は映画を観なかったが、今回古本屋で買った原作を読み、この作家が大変な構想を抱いていたことに気づいたのだった。 題名が表わすように、この小説は日本列島が沈没する話。単なる空想ではなく、地球科学に基づいた科学小説で、実に良く研究されていた。私が読もうと思った直接の動機は、近く起きると推定される東海地震、東南海地震、南海地震が連鎖して起きるとされる大地震の存在だ。小説では日本海溝の深部で始まった異常が、やがて日本列島全体を太平洋へと飲み込んで行く。必死で国外への脱出を図る日本人の運命はどうなるのか。 第二部は日本列島が海中へ没した25年後から始まる。世界各国に別れて暮らす日本民族の必死な努力が続く。パプアニューギニアやアマゾンでの開発。カザフスタンの奥地で開拓民として暮らす日本人。1億2千万人のうち4千万人は犠牲になったが、8千万人が国外へ脱出した。国土を失い、「国家」が形だけ残る。日本政府が置かれるのはオーストラリアの北部。この政府が日本民族の再起をかけて取り組んだプロジェクト研究が第二部の中心的なテーマだ。 第一部は小松左京自身が執筆したが、第二部では構想だけで、谷甲州に執筆を託した。新たな執筆者によって描かれた第二部は、がらりと趣を変える。この小説で描かれるのは、日本人とは何か、民族とは何か、国家とは何か、人類とは何か、そして地球や宇宙は人類にとってどんな存在なのかだ。まさに地球的、宇宙的な規模での科学小説だが、最近の国際情勢まで取り込んだ描写に驚かされた。そして日本人とは本当に凄い民族だと知らされた思いがした。 その後に読み始めたのが吉村昭の『三陸海岸大津波』。出版は2004年だから、東日本大震災はまだ起きておらず、明治29年、昭和8年、昭和35年の大津波が事実に基づいて丹念に描かれている。3年前の大震災による津波被害とあまりにも良く似ていることに驚いたのだが、読んでる途中で止めた。私の気持ちが暗くなり過ぎたためだ。そこで同じ著者の短編小説を一つだけ読み、別の本を探した。 私が選んだのは柳美里の代表作である『命』四部作。彼女は在日三世で、名前は「やなぎ・みさと」ではなく、「ユウ・ミリ」。処女作『石に泳ぐ魚』の実在のモデルとされる女性から訴えられ、裁判で出版を差し止められた曰くつきの小説家だ。不倫の結果妊娠して産んだ我が子を虐待し、精神的な治療を受けたこともあるようだ。その子の妊娠中、かつての恋人だった東由多加の闘病生活を支える。それらの経緯が第一幕から明らかにされて行く。これは単なる私小説と言うよりは、文字通り命をかけた闘争だと感じた。 読んでる途中に「後書き」や「解説」を読んでしまうのが私の悪い癖。今回も解説を読んでみた。解説者はマルチタレントのリリー・フランキー。彼はこの本の存在は知ってたものの、作者に解説を依頼されるまで読んでなかったらしい。その彼いわく。「この小説はスキャンダラスではあるが、不真面目ではない」と。それは著者自身の生き方とも言える。映画『そして父になる』の電気屋さん役だった彼の顔を思い出した。あれはとても自然な演技だった。 岐路に立たされた時、人はどう生きるのか。柳はそれを小説の中で生々しく語る。彼女がこれまで歩んだ道は決して平坦ではない。在日と言う出自がそうだが、それはさほど表面には現れない。だが精神の最奥部には、「意識しない意識」が存在するのだと思う。彼女が書く文章は実に明快で潔い。それは開き直って生きている彼女自身にも似ている。白日の下に全てを曝して生きる者にしか書けない文章だ。 問題が生じてもそこから逃げようとしない彼女。私にとっては初めて読んだ彼女の小説だが、真直ぐな生き方と文章に、強い魅力を感じている。今日は映画の話からテレビドラマ、そして最近読んだ小説の話と変わったが、どれも「実存と虚構の芸術」であることに変わりはない。最近読んだ、あるいは読みつつある小説が私の心に潤いをもたらすことはないが、人間とは何かを改めて考えさせる良いきっかけになったことだけは確かだ。
2014.02.27
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山岡荘八(1907~1978)の大著『徳川家康』(講談社文庫全26巻)を、昨夜読了した。昨年の11月14日に読み始めたので、1巻当たり3.8日の猛スピードだった。この大河小説は、戦争の余燼が燻ぶる1950年(昭和25年)から足掛け18年もかけて執筆された。著者は敗戦で自信を失った日本人が元気を取り戻すため、平和を願ってこの本を書こうと決心したそうだ。 この小説が出されるまで、徳川家康や徳川幕府に対する評価は低かった由。きっと幕末には朝敵となり、明治以降はびこっていた皇国史観のせいだと思う。だが、山岡が描く家康像は、それまでの観方を一変させた。「欣求浄土 厭離穢土」の旗印を掲げて戦った武将は、死に至るまで求道者であり続けたのだ。 浄土宗の熱心な信者であり、天下を治めるために儒教を取り入れ、皇室への尊崇を政治の根幹とした家康。そこに至るまでには、幼少から青年期まで人質だったこと、正室築山殿の謀反、嫡男の切腹、次男の秀吉への養子縁組、六男松平忠輝の野望など、家庭的に恵まれなかった影響が大きい。また、関ヶ原の戦いや2度に亘る大坂の陣も、揺らぎない太平の世を作る決心をさせる元となった。 歴史小説はあくまでも小説であり歴史そのものではないが、私は家康の74歳の生涯を描くこの小説から、多くの事柄を学ぶことが出来た。信長や秀吉との関係、生まれて以降の家庭的問題、戦い方が激変して行く戦争の実態、2度に亘る朝鮮の役の実態、諸外国の我が国への進出と交流の実態、大名とキリシタンとの関係、松平忠輝と舅である伊達政宗の野望の実態などだ。 意外なことに家康は「キリシタン禁止令」や「鎖国令」を出しておらず、むしろ外国との貿易の道を探って堺衆との関係も密接なのだ。武家諸法度を制定し、百姓の直訴制度を許すなど、360年もの長きに亘る徳川幕府の基礎を作った彼は、死後も国土を守るために、遺骸を立ったままで久能山に埋葬することを厳命したと言う。それを江戸の鬼門に当たる日光東照宮に遷座したのは、孫の三代将軍家光。それ以降、権現として祀られる。 長い長いこの小説は、「人の一生は重き荷を負うて、長き道を行くが如し」と言った家康の人生を余す所なく伝えた名作だった。これで吉川英治の『新平家物語』、『私本太平記』と併せて、平安時代の末期から江戸時代の初期まで、この10カ月間で日本の歴史を小説を通じて観て来たことになる。幕末関係の歴史小説もかなり読んだので、少しは通史の理解が進んだように思う。 昨夜から読み始めたのが宮城谷昌光の『風は山河より』全6巻。その後は同氏の『新参河物語』全3巻を読む積り。いずれも小説の舞台は戦国で、家康の家臣の話。宮城谷の中国歴史小説は50冊以上読んだが、『風は山河より』は彼が書いた初の日本歴史小説のようで、果たしてどんな取り上げ方をするかが楽しみだ。今年もどうやら歴史小説三昧の日々になりそうだ。
2013.02.20
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≪ 読書編 ≫ 今年もたくさんの本を読んだ。いや、たくさんの本と出会ったと言った方が適切かも知れない。その大部分は古本屋で買った歴史小説だ。自分で選んだのだから必然の出会いかも知れないが、たまたまその本が並んでいたのだから、やはり偶然なのだろう。埼玉のブログ友しぃさんからは、大量の歴史小説を送っていただいた。それもほとんどが大作。それまで自分では読む気がしなかった大作とも格闘した年だった。 歴史小説ばかり読むのは偏っているかも知れないが、私はそれで良いと思っている。歴史小説には、歴史の真実(主に日本史だが)が隠れているし、謎を解く鍵が潜んでいる。そして、作家の歴史観や登場人物に関する「想い」も分かる。私に残された時間があとどれくらいあるかは分からないが、出来る限りこれからも歴史小説を中心に読み続ける積りだ。以下、今年読んだ本を列記する。≪司馬遼太郎の著書≫ 『花神』全3巻 村医から倒幕の総司令官となった村田蔵六、のちの大村益次郎の半生。 『最後の将軍』 第15代将軍徳川慶喜の苦悩 『馬上少年過ぐ』 東北の英雄 伊達政宗の生涯 ほか6編 『故郷忘じがたく候』 朝鮮から拉致されて薩摩焼の祖となった家の話 ほか2編 『ある運命について』 短編集 『街道をゆく3』 陸奥のみち ほか2編 『街道をゆく5』 モンゴル紀行 『街道をゆく41』 北のまほろば≪吉村昭の著書≫ 『関東大震災』 大震災の発生に絡んで、在日朝鮮人や社会主義者が虐殺された実態 『破船』 荒天の時に明りを灯して船を難破させる犯罪の末路は 『海の祭礼』 日本に憧れた幕末のアメリカ人ラナルド・マクドナルドの話 『ニコライ遭難』 明治天皇表敬のために来日したロシアの皇太子ニコライが暴漢に襲撃された話 『高熱隧道』 昭和15年黒部第3発電所完成までの壮大な工事内容≪蓮池薫の著書≫ 『半島へふたたび』 北朝鮮に拉致されていた蓮池さんが、初めて韓国へ渡った時の紀行文≪大城立裕の著書≫ 『小説 琉球処分』上下 琉球王朝が明治新政府によって日本に組み込まれた際の動揺≪井上靖の著書≫ 『天平の甍』 遣唐使と鑑真の来日に伴う想像を絶する苦労話≪吉川英治の著書≫ 『私本太平記』全8巻 鎌倉幕府の滅亡と建武の中興、室町幕府が出来るまでの過程:しぃさん寄贈 『新平家物語』全16巻 平清盛の青年時代から、悲劇の天才源義経の最後まで:しぃさん寄贈≪村上春樹の著書≫ 『風の歌を聴け』 マチスの絵のような不思議な感覚の小説≪山岡荘八の著書≫ 『徳川家康』全26巻のうち12巻まで(12月25日現在):しぃさん寄贈 今年読んだ本は今日現在で56冊。ほぼ週1冊のペースだ。読書家から見れば少ないが、これでも私にしては良く頑張った方だ。2回の不整脈手術での入院中も読書は続けていたし、体調不良や酷暑の中でも本を読んだ。また大作を読むのはなかなか厳しかったが、それ以上に得られたものは多く、楽しい作業だった。来年も出来る限り出会いを大切にし、本に親しみたいと願っている。
2012.12.25
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わずか1日のんびりしていただけで体重が1kg増えた。まったく恐ろしいものだ。体調が悪くてとても走れないと感じた土曜日だったが、日曜日には何とか回復。それでいつものように走りに行った。気温は低いが、風がないためさほど寒くは感じない。それでも手袋は2重にする。安もので風が通るし、冬は手の先から冷えるのだ。 18kmの山のコースを2時間15分かかって帰宅。これでもかなり速くなった方。ランニングを再開した頃は2時間50分近くかかっていたのだ。途中、太白大橋の上で同じ走友会のIさんに遭った。腰が不調のため走れず、今は歩いていると彼。自分もそうだが、歳を取ればどこかに故障が出るのが普通ではあるが。 昼食を済ませ、「福岡国際マラソン」を観る。ところがコマーシャルが多過ぎて、肝心のレースがさっぱり映らない。いくら放送がコマーシャルで成り立っているとは言え、これじゃ本末転倒。さっぱり面白くないのだよねえ。公務員ランナーの川内選手は30km手前で失速して6位。無職ランナーとして一頃話題になった藤原選手も35km過ぎで痙攣し、4位に留まった。 39歳の「皇帝」ゲブレシラシエは32km地点で走るのを止め、初マラソンのマサシは38km過ぎで歩道に座り込んだ。激戦を制したのは国内一般参加のギタウ。ケニアから広島の世羅高校に留学し、同校の全国駅伝優勝に貢献した彼は、祖国に妻と子を残したままだそうだ。記録は2時間06分58秒。だが、これではケニア代表になるのは無理で、さらに記録を縮めたいと話していた由。 恐るべき24歳の若者。だが、これが世界の現実だ。2位で日本人1位になったのは旭化成の堀端選手。ギタウには1分26秒の差をつけられ、即世界陸上選手権の代表内定とは行かなかったが、大器の片鱗は見せたと思う。監督の指示で時計を外しており、30km過ぎで「揺さぶる」のが早過ぎたのかも知れない。 夜は大河ドラマ『平清盛』を観ず、『徳川家康』を読む。今回の『清盛』にはほとんど魅力を感じないのだ。あの時代の面白さは吉川英治の『新平家物語』の方が、人間の描写も歴史認識もずっと勝っていると感じた。それを再びテレビで観られないのが残念だ。 3年ほど前、私は宮城谷昌光の中国歴史小説に夢中になっていた。多分、主な作品は読み尽したはずだ。だが、『風は山河より』などは読まずに残していた。その頃は日本の戦国時代の小説などを読む積りは全くなかった。その主人公菅沼定盈の名前が『徳川家康』の第4巻に突然出現。何と彼は家康の部下だったのだ。 夜9時からは『王女の男』を観た。これは韓国の歴史ドラマだが、歴史ドラマらしさは少なく、ほとんどが男女の恋の話。残り2回で放送終了だが、「粗筋」を読んだのでもう観ない積り。それよりも朝の連続ドラマ『純と愛』が面白い。現実にはあり得ないストーリーの連続だが、その奇抜さに惹かれる。果たしてあのホテルと主人公達は、これからどうなるのだろう。
2012.12.03
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女優の森光子さんが亡くなった。舞台『放浪記』でのでんぐり返しが評判でロングランを続けたが、年齢が年齢だけに最後は生彩がなかった。今年の6月にパーキンソン病で入院したとも、認知症だったとも言われているが大女優だったことだけは間違いない。亨年92歳の大往生に合掌。 政治評論家の三宅久之さんが亡くなった。亨年82歳。テレビの名物番組で口角泡を飛ばし、熱く政治を語った硬骨漢だった。重度の糖尿病で声が良く出なくなったことを理由に、今年引退した。一旦は体調が回復して病院から退院したが、間もなく息を引き取ったようだ。合掌。 さて、私の体調も少しおかしい。夜半に動悸を感じることがあるが、「脈」を採ると正常に動いている感じ。家で血圧を測ると、とんでもない数字が出ることがある。だが、これも少し間を置いて測り直すと正常。目の調子が良くない。物が二重に見えることはこれまでも良くあった。暫く鳴りを潜めていたこの症状が、最近また出るようになった。どれもこれも老化の為せる業だろう。それでも読書が出来るのがありがたい。 『新平家物語』全16巻の読了後に、「お口直し」として読んでいた村上春樹の小説は読むのを止めた。『風の歌を聴け』はマチスの絵を観るようで、確かに新鮮だった。だが続いて『1973年のピンボール』を読み始めたら、『風・・』の2番煎じみたいでどうにも良くない。パラパラとめくって次に『カンガルー日和』を手に取った。何だか長新太の漫画チックな絵を観ているようで、読むのを止めた。 しからばと、『走ることについて語るときに僕の語ること』を読み出した。だが、これもいけない。彼も100kmレースを1回くらい走ったことがあるみたいだが、こちらはウルトラを含め、フル以上の距離のレースを100回近く走っているランナー。走ることの感動は誰よりも知っている積り。その感動が本から伝わって来ないのだ。彼の文章が拙いのではなく、きっと私の感受性が問題なのだろうが。 何年か前、私のブログに村上春樹の本を読めと熱心に書き込んだ人がいた。私はそのころ歴史や考古学の専門書を読んでいた。自分が何を読むかを人に決められては困る。閉口した私はこう返事した。「確かにその水は美味しいのでしょう。でも馬は水を飲んだばかりなのです」と。人が薦めるものを断るのは勇気が要るが、「残された時間」はその人によって違うのだ。 私はその後、歴史小説を読み始めた。専門書の難解な文体に飽きたこともあったが、歴史小説の面白さに気づいたのも大きい。何せ歴史の面白さと同時に、小説の面白さも味わえるのだから。小説を読むことで歴史の真実を知ったことも多い。特に幕末維新関係の小説は、どれだけ私の知見を深めてくれたか。 ブログ友のしぃさんが大量の歴史小説を贈ってくれたのは、今年の春ごろだった。彼女は蔵書が増え過ぎて、手放すことを決意されたのだ。それから私は未知の世界に踏み込むことになった。室町幕府成立の背景を描く『私本太平記』全8巻と、平安時代の終焉と鎌倉時代の幕開けを描く『新平家物語』全16巻の大著に挑戦したのだ。そして吉川英治の文学にすっかり魅了された。 4日ほど前から山岡荘八著『徳川家康』を読み始めた。全26巻の大著だ。だが、読み出して直ぐに圧倒された。想像外の面白さなのだ。戦国時代の人間がどう戦い、どう生きたのか。ちっぽけな私小説の世界とはスケールがまるで違う。きっとこれまで知らなかった世界が見えることだろう。 この壮大な小説をしぃさんが読んだのは、まだ10代だった由。何と凄い精神力。彼女は当時放送されていた同名の大河ドラマに惹かれてこの本を読み始めたようだが、普通10代の娘さんが読む本ではないだろう。その後大評判となった『徳川家康』は、当時経営者が読むべき本として推奨されたほど。それを70代間近になった私が読むと言う奇偶。 やはり私にとって大事なのは、歴史を通じて人間が歩んで来た道を知ること。歴史とは何か、人間とは何かを追求することだ。歴史の真実と、それを築いて来た人間の実態を知ることが私のライフワーク。残された時間内に何を読むかは人様々。だが私の場合は既に結論が出ている。
2012.11.17
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7月の初めから読んでいた『新平家物語』をようやく読み終えた。全16巻の吉川英治の代表作だ。4カ月間で16冊だから、月平均4冊のペース。これだけの長編を読むのは初めてだったが、登場する多彩な人物に魅了されて、まったく退屈することがなかった。その直前には同氏の『私本太平記』全8巻も読んでおり、これで平安末期から室町時代の初期まで、日本史の裏舞台を垣間見たことになる。 『新平家物語』の登場人物は多彩。平清盛とその一族、木曽義仲、源義経、源頼朝などが次々に興り、そして死んで行く。彼らの背後で常に政略を画策していた法王後白河院もその1人。作者が拵えた架空の人物もいた。町医者の阿部麻鳥。商人の朱鼻の伴ト。奥州の金売り吉次などがそうだ。小説は青年清盛が京の市場をうろつく場面から始まり、麻鳥夫妻が吉野山で花見をし、過去を振り返る場面で終わる。 滔々たる歴史の流れに浮かんでは消える何人もの人々。小説を書き終えた作者は、「主人公はそれらの人ではなく、歴史の流れそのもの」だと言う。なるほど、歴史の流れが主人公なら良く分かる。盛者必衰、諸行無常の世界だ。それにしてもこれだけの長い小説を、良く書けたと思う。新聞への連載は7年以上にも及び、その間体調を崩して休載した時もあったらしい。 登場人物に対する作者の目は実に厳しく、そして優しい。良くこれだけの愛情と観察を持って人間を捉えられるものだ。吉川英治の人物の大きさがとても良く分かる作品だった。次は山岡荘八の代表作『徳川家康』全26巻に挑戦する予定。きっと読了までには1年を要すると覚悟を決めている。ここ3年ほど私は歴史小説ばかり読み続けて来た。小説からも歴史を学べると信じてのことだが、いよいよその集大成かも知れない。 その前に今は一旦小休止して村上春樹の『風の歌を聴け』を読んでいる。ノーベル賞候補作家の小説で「お口直し」をする訳だ。現代が対象だし、文体がこれまで読んだものとは丸きり違うので、とても新鮮。まるでマチスの絵を観るような感じだ。彼の小説は古本5冊と新刊書1冊が座右にあるが、多分1カ月ほどで読み終えると思う。その後がいよいよ『徳川家康』の出番。心して臨みたいと思う。≪この文章は本日2度目。最初に2時間以上かかって書いたものが、最後の最後に一瞬で消滅。気を取り直して再び書いたものの、内容は全く違ってしまいました。う~む残念。何とかなりませんかねえ楽天ブログ!!≫
2012.11.11
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朝の連続ドラマ『純と愛』が相変わらずハチャメチャだ。あんな突飛な行動をするホテル従業員がいたら直ちにクビになるだろう。だが話は面白く、どう展開するかとても楽しみだ。大河ドラマ『平清盛』がますます分からなくなって来た。あれでは清盛の真実の姿や時代の背景が理解出来ないと思う。脚本家の勝手な想像で描いたドラマは歴史観を歪め、歴史の面白さを奪うだけとしか思えないのだが。 吉川英治の大作『新平家物語』は、間もなく第14巻を読み終える。こちらは大河ドラマと違って、歴史を丁寧に辿って行く。義経は一の谷、屋島、壇ノ浦で平家を次々に破り、ついに滅亡させる。まさに戦の天才だ。だが兄頼朝から遣わされた軍監梶原景時の讒言によって冷遇され、兄と会うことすら許されない。強固な武家社会を築こうとする頼朝にとって、義経主従は邪魔な存在だったのだろう。 読み始めてから3か月が過ぎた。話がゆっくり進むため、とても理解し易い。文章も構成も素晴らしく、ストーリーの展開が巧みなため、つい釣り込まれてしまう。天皇家、貴族、武士、庶民の暮らしぶりが良く描けている。当時の宗教や人々の考え方、食べ物や服装、産業、交通事情、地勢などが良く分かるし、人間心理が手に取るようだ。 だから清盛を描けば清盛を応援したくなり、木曽義仲が登場すれば義仲の生き方を想い、義経の奮戦ぶりに感動し、そして頼朝の冷酷さに慨嘆する。「吉川史観」と言うか、彼の歴史観の公平さも感じる。よほど多くの史料に目を通したのだろう。過去の評価に加えて、彼独自の解釈も随所に散りばめられ、より生き生きとした人間と時代が描かれる。 きっと吉川は、現実の人生でも相当苦労したのだと思う。そうでなければ、あれだけ人間を深く捉えることは不可能。人間の業の深さと弱さを知るからこそ、暖かい目で人間を観られるのだろう。大河ドラマとは比べようもない素晴らしい作品だ。残り2巻とちょっと。心行くまで吉川文学の世界を楽しもうと思う。 昨日は映画を観るついでに古本屋に寄った。買ったのは『風の歌を聴け』、『村上朝日堂の逆襲』、「村上ラヂオ』、『カンガルー日和』、『1973年のピンボール』の5冊。『走ることについて語るときに僕が語ること』は紀伊国屋で取り寄せてもらうことにした。全て村上春樹の著書だ。残念ながら今回はダメだったが、来年こそノーベル文学賞を取ってくれるはず。 さて、昨日観た映画はシネマ歌舞伎。劇場で演じられた歌舞伎を撮影し、映画館で見せるという趣向。第18作目は『籠釣瓶花街酔醒』(かごつるべさとのえいざめ)。吉原の花魁(おいらん)の美貌に魅せられた客が、金をだまし取られた上に恥をかかされ、ついに女を殺すというストーリー。客が中村勘三郎で、花魁が坂東玉三郎。歌舞伎を観たのは初めてだが、日本の伝統芸術を知るのも悪くはないと感じた次第。
2012.10.12
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吉川英治著『私本太平記』全8巻を昨夜ようやく読み終えた。彼の著書は初めてだったし、中世に関する本も初めて。文中の言葉が古く、初めて知る地名もあった。地名は地図で、言葉は各種の辞書で、人物や事物はネットで確認しながらの読書だった。だがそれは決して苦痛ではなく、むしろ私にとっては楽しい作業でもあった。 単純な感想だが、言って見ればやはり「大河小説」だろうか。30年以上に亘って1人の人物を追うのは大変なこと。それが新しい時代を切り開く者であればなおさらだ。時代の寵児足利尊氏を取り巻く人間像の豊富さと複雑さ。ことは後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうとする企てから始まる。幕府側と朝廷側のどちらにつくか迷う武士団。それが寝返りと裏切りの連続で、最終的な帰結が全く読めない展開だった。 小説を読みながら、私は平成3年に放送された大河ドラマ「太平記」の俳優を思い起こしていた。北条高時(片岡鶴太郎)、足利直義(高嶋政伸)、楠木正成(武田鉄矢)、佐々木道誉(陣内孝則)、高師直(柄本明)などの顔が生き生きと思い出されるのに、話の主役である足利尊氏(真田広之)、後醍醐天皇(片岡孝夫)、新田義貞(根津甚八)の印象が薄いのは何故だろう。 それはあまりにも錯綜した戦いが続いたせいもある。テレビでは分からなかった歴史的な背景が、今回小説を読んで良く理解出来た。尊氏の戦いは多分30回にも及んだはず。幕府を京都室町に開いた後も、南朝側に何度も都を奪還されている。あれだけ血みどろの戦いだったことを、今回初めて知った。まさに戦国時代、下剋上の先駆けだったと思う。 私の中では「南北朝時代」と「室町時代」が混在していた。また戦前のいわゆる「皇国史観」があの時代を小説の対象とすることに躊躇させていたようだ。吉川英治がこの本を書いたのは昭和33年1月から36年10月までの3年10カ月間。ようやく書き終えたのは死の1年前でしかない。彼にとっては最後の大作だった。 この大河小説を通じて、作者は一体何を描きたかったのだろう。多分それは人間そのものであり、権力者の実態だったはず。実弟である直義の毒殺や、敵である正成との交流など、尊氏は杳として捉えることが困難なほどの多面性を見せる。悩み苦しむ姿も、全て真実だったのだろう。変な話だが作者の学歴は高等小学校だけ。それも卒業ではなく中退のまま。 義務教育すら終えていない人が、とても書ける本ではない。一つには彼自身が人生とは何か、絶えず悩み苦しんでいたからこそ書けたのだと思う。室町時代、2つの皇統の争い、皇国史観、いわばそれまでの小説家が避けて来たテーマに、果敢に取り組んだ精神が至高の文学となった。引き続いて私は『新平家物語』全16巻に手をつけた。さらに吉川文学、吉川史観に魅せられることは間違いない。<続く>
2012.07.04
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「私本太平記」も第4巻目に入った。鎌倉から室町へかけての時代、そして初めて読む吉川英治の文章がとても新鮮に感じる。鎌倉幕府を転覆しようとする後醍醐天皇の謀が漏れ、遠く隠岐の島に流される。楠木正成は戦いに敗れて雌伏する。物語の主人公、足利尊氏(高氏の時代)の動きはまだないが、バサラ大名佐々木道誉の動きが急だ。 出て来る言葉が古い。おおよその「感じ」は解るが、極力辞書で本来の意味を調べながら読んでいる。「古語辞典」を使うのは多分50年ぶりくらいのこと。それよりも広辞苑に載っている言葉の方が多い。昔の小説家がいかに言葉を知っていたかが分かる。それに漢字に関する素養は大変なもの。面白さにつられて1日200ページほど読んでいるが、先の展開は全く不明だ。 この小説は大河ドラマにもなった。楠木正成役が武田鉄矢で尊氏の弟直義役が高嶋政伸だったことは覚えている。中でも印象的だったのが片岡鶴太郎扮する北条高時の狂乱ぶり。だが、尊氏役の真田広之の印象が薄いのが不思議。調べてみると、放送されたのは平成3年。これは沖縄赴任の3年目で、当時高校3年の長男と2人で暮らした頃。今にして思えば食事の世話などで、テレビどころではなかったのだろう。 小説中の地名にも惹かれる。公卿日野俊基が綸旨を持って血起を呼び掛けた高野山は、47都道府県探訪最後の県で、記念に110kmのレース「和歌山城~高野山往復ウルトラ」を走った際の折り返し点。またその手前の紀見峠や天見峠は、「大阪府山岳連盟チャレンジ登山マラソン」で走った。どちらもアップダウンが激しく、厳しいレースだった。 後醍醐天皇が最初に立て籠った笠置山は、最後の未走県である奈良を走った時に傍を通った。急峻な砦への食料補給は柳生から行ったようだが、私は奈良市内から北上して柳生に達し、そこから南下して50kmほど大回りしたのだ。途中で古事記、日本書紀の編纂に加わった太安万侶の墓にも立ち寄ったのが良い思い出だ。 正中の変で捕まった公卿日野資朝は佐渡へ流され、処刑される。その場面で出て来る地名が雑太(さわだ)と国府川。前者はその後佐和田と変わったが、「佐渡島一周ウルトラ」206kmのコースの途中にある集落。いつも真夜中に通るため誰一人いない不気味な街だ。国府川はその南方12kmほどにある小河川。付近には佐渡に流された貴人の墓も多く、やはり走っていて不気味だった。 後醍醐天皇が配流先の隠岐に向かう途中に島根県の安来を通る。中の海の沿岸だが、私は直ぐ近くの宍道湖畔を走ったことがある。玉造温泉から松江を往復したのだが、凍った湖水で白鳥が眠っていたのを覚えている。この小説が今後どう展開し、時代はどう変わるのかとても楽しみ。きっと私の想像もますます広がるに違いない。 40ほどのブログを巡回するのがこれまでの日課だった。だが走れなくなった後、訪れるブログにも変化が生じた。キロ何分で走ったとかの記録を重視するシリアスランナーの日記が面白く感じなくなった代わり、生活感に溢れ、著者の人生観が現れたブログにより惹かれるようになったのだ。テーマは園芸、旅行、文学、映画、評論、写真、美術などなど。老後の楽しみが一層増して来たように思う。
2012.06.21
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2冊の本を連続して読んだ。いずれも古本屋で買った1冊105円の本。だが本の薄さと価格の安さに比べて、そこに書かれていた内容は、ずっしりと重いものだった。艱難辛苦に遭った時、人は思わぬ力を発揮する。2冊の本はそのことを十分に知らしめてくれた。そして著者が苦心して書いた小説から、歴史の真実の一端をも知り得た。人間の、そして読書することの奥深さを、今しみじみと感じている。≪ 吉村昭著『高熱隧道』新潮文庫 昭和50年初版 平成21年第52刷 ≫ 「黒四ダム」のことは誰でも知っていると思う。『黒部の太陽』として映画化もされた。だが、その20年前、第2次世界大戦に向かう時代に作られた黒部第3発電所のことは、ほとんど誰も知らないだろう。今も欅平まで続く黒部峡谷鉄道。だがその先には黒部川の急峻な渓谷を辿る「日電歩道」と呼ばれる崖道しかなかった。工事はその絶壁に沿って進められた。 トンネル工事に伴って地中から高熱が吹き出す。初めは60度くらいだったのが、最高で165度に達する。とても人間が耐え得る熱さではない。ダイナマイトも自然発火するほどの危険さ。だが人夫に谷川の冷水を浴びせ、凍らせた竹筒にダイナマイトを仕掛けて、トンネルを掘り進む。ある時、コンクリート製の5階建て宿舎が谷から忽然と消える。 日本初の泡雪崩(ほうなだれ)の仕業だった。急速に冷え込んだ深夜に起きるもので、雪崩の「爆風」で宿舎が丸ごと数百mも吹き飛ばされる。4年に及ぶ工事の犠牲者は300名以上。約3mに1人の異常さだった。そこまで過酷な工事を進めた理由は、近づく戦争に備えて物作りのため電力を確保すること。犠牲者には天皇から金一封の弔慰金が贈られる国策工事だったのだ。 歴史にも残らずに死んだ多くの人々。欅平までトロッコ電車で行った際でも、谷の深さを実感したものだが、黒部には人を寄せ付けない厳しさが潜んでいたのだ。今は黒部立山アルペンルートで黒部湖までも近づけるが、技術力の乏しかった戦前は、ただがむしゃらに発破をかけ、トンネルを掘るしかなかったのだ。小説は細いトンネルが貫通したところで終わり、その先の厳しい工事までは書かれていない。≪ 井上靖著「『天平の甍』新潮文庫 昭和29年初版 昭和54年第35刷 ≫ 奈良時代の天平5年(733年)、難波津から4隻の船が出航する。当時の先進国である唐へ向かう遣唐使船だ。ここに5人の僧侶が乗り込んでいた。仏教を学び、唐から高僧を招くためだった。やがて4隻の船は無事唐に着き、洛陽を経て都のある長安へ向かう。5人の僧はそれぞれ寺を指定されて学問に打ち込むことになる。 だが、時として運命は過酷。帰国の船(次の遣唐使船)がいつ来航するかは分からないまま、日本に来てくれる高僧を探し続ける僧侶達。その旅の途中で抜け出す僧もいる。唐でも有名な鑑真は、自らの意思で日本へ渡ることを決心し、20名ほどの弟子と共に船に乗り込む。だが嵐に遭って難破し命だけは助かったものの、多くの経典が海に沈む。 そんな遭難が5度も続き、その中で鑑真は失明する。日本人僧の運命も様々。中国国内を流浪した挙句、天竺(現在のインド)まで旅しようと試みた者。30年にも及ぶ滞在で3000巻もの仏典を写経した者。彼はその厖大な経と共に海に沈む。中国の女性と結ばれて帰国しなかった僧もいたし、一番熱心に鑑真を招こうとした僧は旅先で病死した。 唯一生き残った僧普照は現在の沖縄から薩摩に渡り、鑑真らと共に都へ上る。帰国まで実に20年。一緒に帰る予定だった阿倍仲麻呂の船は嵐で現在のベトナムに漂着し、再び玄宗皇帝に仕えることになった。鑑真は東大寺に戒壇を設け、多くの僧に真の仏教を伝える。それまでは税を逃れるため僧や尼僧になる者が多かったのだ。 やがて鑑真のために唐招提寺が都の西に建立され、国内の僧は、先ずここで学ぶことが定められた。その寺へ、渤海国を経由して遥々唐から2個の瓦が届く。彼の地に残った僧が送った瓦は、長い旅で傷だらけ。その鴟尾(しび=鬼瓦みたいなもの)が唐招提寺の屋根に取り付けられた。小説のタイトルは、そのことを表している。 さて、少し前に埼玉のブログ友であるしぃさんが68冊もの本をわざわざ送ってくれた。全て彼女が読破した本だ。次はその中から吉川英治の『私本太平記』全8巻を選んで読むことにした。いつ果てるか分からない分量だが、覚悟を決めて読み始めた。厖大な資料を元に小説を書く作家の苦労に比べれば楽な作業だが、作家の想いをしっかりと受け止めたいと願っている。
2012.06.14
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司馬遼太郎著『北のまほろば』を先日読み終えた。「街道をゆく」シリーズの第41巻。青森県内を旅した際の紀行文だ。「まほろば」はあまり聞き慣れない言葉だが、「優れた良いところ」を意味する古語。本州最北端の青森県だが、司馬にとっては寂れた土地ではなく、豊かな土地に思えたのだろう。 倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく青垣 山籠れる倭しうるはし 古事記や日本書紀に現れる伝説的な英雄日本武尊(やまとたけるのみこと)が死に瀕して、生まれ故郷の美しさを想って詠んだ歌とされるが、もちろん歴史的な事実ではない。ただ、古代から国のために戦地に赴き、彼の地で亡くなった多くの兵士がいたことは間違いない。そして遠く離れた故郷を思う気持ちは、古今東西共通だと思う。 この本で取り上げられているのは、先ず弘前城、岩木山、津軽衆と南部衆、津軽出身の作家。弘前城の項目では石場家のお婆ちゃんも出て来た。作家で出て来たのが今東光、日出海兄弟、太宰治、石坂洋次郎などだが、私はほとんど読んだことがない。太宰の「走れメロス」は小学校の教科書で知った程度で、石坂の小説は映画「青い山脈」を観たのみ。私が読んだ長部日出雄の「津軽世去れ節」は津軽三味線に命を賭ける男の栄光と没落を描いた小品だが、そこには津軽の独特な風土や、津軽衆の心情が良く描かれていた。 十三湖と中世の豪族安東氏との関係、三内丸山遺跡、亀が岡遺跡、大森勝山のストーンサークル、弥生時代の水田遺構である垂柳遺跡などにも触れている。それらを訪れて、青森は縄文時代から富み栄えた地であることを確信したのだ。三内丸山は五千年近く永続的に営まれた縄文の村で、当時は海の傍にあったため鮭の遡上や栗の栽培などで食料に恵まれていた。 また垂柳遺跡は、弥生時代の東北では稲作は不可能との常識を覆した。これは陸路ではなく、海路を辿ってイネがもたらされたためで、関東地方とほぼ同時期に稲作が始まっていたのだ。ただし後世気温が低くなると、稲作は一旦後退する。まだ冷害に強い品種がなかったためだ。縄文時代の東北が日本列島の中で一番人口が多かったことも立証されているが、それだけ豊かな収穫があったのだ。 冬季の八甲田山で大量遭難死した第八師団の話(新田次郎の小説で有名)と当時の南蒙古進出との関係、古来の狩猟民であるマタギの話、版画家棟方志功の話も興味深いが、戊辰戦争で敗れた会津藩士が明治政府から下北半島への移住を強制された話には驚いた。45万石の大藩から名目3万石の「斗南藩」へ。廃藩置県までの3年間の幻の藩の苦しみを初めて知った。それほど東北は明治新政府から目の敵にされたのだ。 津軽半島の先端である竜飛崎へは菅江真澄(三河国出身)や、長州藩の吉田松陰が津軽藩の警戒を破って訪れている。彼らはどんな想いで岬に立ったのだろう。素晴しい本だったが、幾つか著者の誤解があった。その最大は、西行や芭蕉が訪れた最北の地は宮城県との記述。正しくは岩手県。平泉で芭蕉が詠んだ 夏草や兵どもが夢の跡(高館)、五月雨の降のこしてや光堂(金色堂)などの有名な句を、彼が知らない訳がないのだが。「画龍点晴を欠く」とはこのこと。惜しいものだ。
2012.06.02
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ブログ友が送ってくれた本が届いた。第1陣が司馬遼太郎著「竜馬がゆく」全8巻。私はこれで十分だと思ったのだが、折角なので残りの本も戴くことにした。そして第2陣として届いたのが58冊。その内容は、山岡荘八著「徳川家康」全26巻、吉川英治著「新平家物語」全16巻、同「三国志」全8巻、同「私本太平記」全8巻。合計66冊の歴史小説はまさに圧巻そのもの。 ブログ友は少しずつ本を整理をしている模様。出来れば図書館に寄贈したかったようだが、ハードカバーでないため保存は不可能。そのため誰か引き取ってくれる人を探していた。そこで最近司馬遼太郎の歴史小説を読み出した私が名乗りを上げた訳。「竜馬がゆく」はテレビドラマ化され、私も観た。その原作を読んでみたいと思ったのだ。 私は長年日本の古代史や考古学関係などの専門書を中心に読んで来た。歴史小説の面白さに目覚めたのは、つい2年半ほど前。その大部分は古本屋で購入したもので、現在30冊ほど未読のものがある。それらと合わせれば100冊の本が、出番を待ってる訳だ。果たしてそれらにどんなドラマが秘められているのか、考えれば考えるほどワクワクする。 このブログ友と知り合ったのは3年以上前のこと。あるブログへのコメントを見たのがきっかけだったと思う。落ち着いた雰囲気のデザインと言い、文学的なタイトルと言い、その人のブログには全く浮ついたところがない。誠実な人柄が表れた文章、そして向上心を感じさせる内容のブログを、これまで3年以上見せていただいた。 今回初めて本当の名前を知り、住所を知り、書かれた文字も拝見した。すべてが予想した通りのものだった。丁寧に梱包された段ボール箱や、パッキング材代わりに詰められた新聞からも、その人の知性や人柄を感じた。ブログはネットを通じての、いわば「虚」の世界だが、今回は現実そのもの。これだけの本を、一体どんな気持ちで読まれたのだろう。 丁寧に扱われたことは本を観れば分かる。そして本当は手放したくなかったはず。そんな愛書家の心理は自分でも良く分かる。ブログ友の折角の好意を無にしないよう、そして著者の想いを感じながら、残された人生の友として読みたいと思う。 「私たち良く似てますね」。たまにこんなことをブログに書き込む人がいる。「どこが?」と私は問いたい。確かに日本人で楽天ブログのユーザーであるのは共通だが、訪ねてみるとそれ以外に似てる部分は少ない。その人の真意は自分のブログへの誘導みたいだ。また同じ文章を多くのブロガーに、一斉に送りつける人もいる。しかもブログの内容とは全く関係のない文章をだ。 これも我田引水の類。失礼な書き込みには返事しないのが私の主義だ。そして世に媚びず、自分の生き方と信念を守り、人に不快感を与えず、知性と向上心を感じるブログ、それが私の理想。私はそんなブログを訪れるのが楽しみだ。そして「虚」の世界が、時として「実」に変わる不思議さ。それを「縁」と言うのかも知れないが、これだからこそ人生は面白い。
2012.05.17
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ずいぶん前置きがながくなったが、この本には「琉球処分」前後の数年のことしか書かれていない。それも日本や中国との長い関係、そして緊迫した当時の国際関係などはほとんど抜け落ちている。もっぱら書かれているのは、日本へ帰属するに際して琉球の人達、なかでも政治の中心にあった高官や士族の行動だ。また明治政府から派遣された処分官などの行動も詳しく描かれている。 出来れば日本への帰属を抑えたい琉球側に対し、明治政府の進め方は実務に徹している。当時の琉球では、このことを巡って意見が2つに割れた。一方は長年お世話になった中国との信義を、あくまでも守ろうとする立場。これを頑固党と呼ぶ。彼らはいずれ清国が軍艦に乗って琉球の苦難を救いに来ると信じていたし、実際に中国大陸に渡ってそれを訴えた人達もいた。だが当然のことではあるが、国難の最中にある清国にはそんな余裕がなかった。 一方、近代化路線を進める日本に好感を抱き、その体制下に入ることを受け入れる人達もいた。それが開化党だ。どちらの党派も琉球を愛する心は変わらないのだが、中国につくか日本につくかの相違。両派の妥協案は、返事を出来る限り延ばすこと。この「牛歩戦術」に、政府から派遣された使者が次第に苛立って行く。 廃藩置県が断行された際、琉球王国は「琉球藩」となり、琉球王は「藩王」に任じられた。だが何年経っても交渉が進まなかったことから、ついに明治政府は松田道之を処分官として派遣し、「琉球藩」を沖縄県とし、藩王を華族に列して上京させる。こうして琉球王国は完全に滅び、人々は魂の抜け殻のようになる。 この小説は松田処分官が記した厖大なメモに基づいて書かれている。その貴重な資料が、かつての私の勤務先に所蔵されていたことを、今回初めて知った。そして琉球側の資料は存在しないみたいだ。この差が「琉球処分」だったのではないか。日本と琉球の行動の差は国力の差だけでなく、それまでに乗り越えて来た苦難の相違なのではないか。 新生沖縄県の租税が内地並みになるには、琉球処分からさらに年月を要する。旧支配階級の不満を抑えるための措置だったのだが、小説にはそのことも書かれていない。ただ、琉球人の「心の揺れ」だけは実に良く分かった。 少し前にNHKで「テンペスト」が放送(近々地デジで再放送?)された。幕末期の琉球王国で一人の宦官(実は女性)が大活躍し、国難を救う話だが、実際の沖縄の歴史は島津藩の侵入、日本への帰属、第二次世界大戦下における国内で唯一の地上戦、そしてその後の米軍による統治、民政府誕生、日本への復帰と厳しい道のりを辿った。米軍基地がひしめく現状を嘆き、日本からの「独立」を願う人々も未だに存在する。 北アメリカではかつて原住民のインディアンが白人に追われて土地を奪われ、ハワイ王国がアメリカ合衆国の一州となった。「だから沖縄も我慢すべき」とは言わない。どんな国の歴史にも、語り難い暗部がある。大切なのは本音で話し合うことが出来るかどうか。そしてその前に歴史の真実を知り、今後に役立てる努力を惜しまないことだ。 かつての東北は沖縄と同じ立場に在った。古代には蝦夷の住処として討伐され、中世には平和のシンボルであった平泉が源氏に滅ぼされ、近世・近代では維新戦争で敗れて開発が遅れた。だが新参の沖縄を唯一厚く保護しようとしたのは、東北出身の上杉県令(旧米沢藩)だった。彼には沖縄の苦しみが他人事ではないと思えたのだろう。 偶然の赴任先である沖縄とこれほど長く付き合うとは考えてもいなかったのだが、良きにつけ悪しきにつけ「腐れ縁」となるはず。そして私なりの「沖縄研究」は、死ぬまで続くと思う。そのためにも、この本に出遭えて良かった。
2012.04.24
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2月の入院時に読んだのが吉村昭著「関東大震災」。それを読み終えると「破船」、「海の祭礼」、「ニコライ遭難」と続いた。「破船」は完全な創作だが、他の作品は歴史小説。ここまでが吉村昭の著作。この後「絵で解る琉球王国~歴史と人物~」に続き、今回の入院時に蓮池薫著「半島へ、ふたたび」を読了した。そして10日かかって大城立裕著「小説琉球処分」上下巻を読んだ。 「絵で解る琉球王国」は沖縄の歴史の解説書みたいなものだから楽しく読めたが、それ以外の本はすべて緊張感のある内容。出来ればそれらの本を1冊ずつ紹介したいのだが、今回は「琉球処分」だけにしておこうと思う。沖縄に関心を寄せる私にとってこの本は必読書だったが、沖縄在任中には残念ながら読むことが出来なかった。 昨年11月、偶然那覇市内の書店で手にしたのが下巻。仙台に帰ってから上巻を買い求め、今回ようやく念願達成。沖縄赴任の24年後になってしまったが、案外これで良かったと思う。もし在任中に読んでも、多分本当の意味での理解は出来なかったと思う。私が明治維新前後の近代史に興味を持ってから1年4カ月。その間に読んだ歴史小説が今回かなり理解を助けたと思う。 「琉球処分」とはかつての琉球王国を分解し、近代国家日本の枠組みに入れる政治的作業のこと。日本にとっては当然の措置が、450年もの間夢を見続けていた「琉球王国」の人々には驚き以外の何物でもなかったと思う。17世紀初頭に島津藩の侵入に遭うまで琉球王国は、中国の冊封体制下にあった。つまり名目上の臣下だ。ところが島津藩の支配下になった以降は、中国と島津藩への二重帰属を余儀なくされる。こうして沖縄の長い悲劇が始まった。 幕末期には、欧米の列強がまるで飢えた狼のように東アジアに押し寄せる。最初の餌食になったのがお隣の清国。アヘン戦争を仕掛けられて、英帝国に屈した。日本へもイギリス、フランス、ロシア、アメリカなどの軍艦がやって来る。日本は辛うじて独立を保ったものの、長い鎖国体制を解き開国するに至った。 列強に追い着くため明治新政府が採ったのが富国強兵策。そして台湾に漂流した琉球人が現地の蛮人に殺された事件を理由に、清国と交渉して琉球を日本の統治下に置く。この間には琉球王国を清と二分する案や、沖縄本島だけを琉球王国として残し、本島以北を日本、以南を清領として分割する案もあった。 前後するが、幕末のころの外国船にとって、琉球は燃料と水を補給する好都合な位置にあった。まかり間違えれば属領になる可能性もあったと思う。日本が生き残り、琉球が滅んだ理由は何だろう。私は教育体制と危機意識の違いだと思っている。日本では武士以外の子弟も寺小屋で学べたし、優秀な者は西洋の技術を学ぶことも出来た。 意外なようだが、鎖国体制化下でも長崎や平戸を通じて西洋の知識、技術が伝わり、中国の情報も入手出来た日本。先進的な各藩ではそれらの知識や技術を積極的に導入し、蒸気機関を作った藩もあったほど。また長州や薩摩は外国船を砲撃して敗れ、先進諸国の強さを身を以て体験し開国へと向かった。だがその前には藩が勤皇派と佐幕派に分かれて殺し合いしたり、官軍と幕府軍が戦って多くの血が流されている。 明治になってからも旧士族の不満が戦乱を呼び、日本人同士の戦いが続いた。ところが琉球処分に際してはほとんど死者が出ず、琉球人同士の殺し合いもなかった。琉球では300年以上も前に武器を廃棄しており、字を読めない士族も多かった。そして平和なこの島は国際情勢に疎く、外国軍に攻められても独自の外交術で何とかなるとの、根拠のない楽観論が横行していた。<続く>
2012.04.23
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昨年の暮れに放送された司馬遼太郎原作「坂の上の雲」の最終回でのこと。主人公である秋山好古、真之兄弟が瀬戸内海に小舟を浮かべて魚釣りをする場面があった。2人揃って魚釣りをするのは子供の頃以来と言う真之に対して、好古は初めてだと言った。あの番組は全国各地で撮影されたものを繋ぎ合わせたもののようだが、あれは間違いなく松山近郊の海だと分かった。小舟の後に見えた岩が「ターナー島」だったからだ。 「ターナー島」は漱石の「坊ちゃん」に出て来る話で、坊ちゃんと山嵐が瀬戸内海に小舟を浮かべた際の「イギリスの画家ターナーの絵に出て来そうな島だ」との会話から愛称になった小島。私がそれを知っていたのは、あそこが松山勤務時代の練習コースだったからだ。松山市内の和気地区から南下し、松山観光港に向かう海岸の直ぐ傍にある小島で、確か頼りなげな松が1本だけ生えていた。 とても淋しい場所で、冬は冷たい風が吹き抜ける。だからランナーの姿をほとんど見かけなかった。観光港から引き返すと、標高986mの高縄山が、まるで薄い乳房のように見える25kmのコースだった。もう一つの練習コースは道後温泉の奥からミカン山を一周する25kmで、春はミカンの花の良い香りがし、遥か瀬戸内海を臨むことが出来た。 この正月に読み終えた「花神」にも、懐かしい風景が登場する。長州藩士が芦屋に上陸して京都に攻め上る際、西国街道の芥川宿を通過する場面だ。ここは現在の高槻市で、やはり大阪勤務時代の練習コースだったところ。上流には摂津峡という自然豊かな峡谷があり、下流は淀川に合流する。まさか宿場だとは気づかなかったが、確かに宿場町の面影がほんの少し残っていた。 春は川の両岸が桜並木となり、花見客が多い。そこから淀川に架かる橋まで往復するコースは水飲み場がほとんど無く、冬は北風に苦しめられる厳しい場所だった。あの堤防の単調な30kmが、私を鍛えてくれたと思う。もう一つのコースも淀川の支流に沿って走るもので、殺風景だったが春には土手の野草を摘んだ。 同じく「故郷忘じがたく候」は薩摩焼の沈寿官が主人公だが、作者の司馬が沈氏の自宅を訪ねて甲突川を遡る話が出る。その川の河口付近を走ったのは、鹿児島で会議が開かれた時だった。目の前には鹿児島湾が広がり、その向こう側には煙を吐く桜島の姿が臨めた。幕末の頃、この湾にイギリスの艦隊が侵入し、島津藩と砲火を交えた。 最新式のイギリスの艦砲はあっと言う間に島津の大砲を粉砕し、鹿児島城下を驚かせた。この敗北が薩摩を攘夷から開国に変えた歴史的な転換点となったのだが、当時はそんなことを知らずに、美しい風景を眺めながら海岸を走っていた。こうして見ると、小説の舞台を走るなどは時間を超越した不思議さで、まさに奇遇と言うしかない。
2012.01.21
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≪ 幕末から明治へ(2) ≫ 日本の古代史や考古学関係の専門書を読み続けて来た私が、幕末や明治期に関心を持つようになったきっかけが、新田次郎著「アラスカ物語」。これは明治期に宮城県出身の船乗りがアメリカに渡り、縁あってアラスカのエスキモーの指導者になる話だった。これが引き金になって幕末の漂流記を読む気になった。 先ず読んだのが吉村昭著「アメリカ彦蔵」。播磨国(今の兵庫県)の彦蔵は13歳で初めて船に乗り込むが、初航海で破船・漂流し米国に帰化。その後通訳として日本に帰還し、日米外交の最前線に立つ。次に読んだのが吉村昭著「大黒屋光太夫」。伊勢国(今の三重県)白子の沖船頭だった光太夫は遠州灘で遭難し、ロシア領アリューシャンの一小島に漂着。そこから長い旅をして女帝エカテリーナに拝謁。 往復の旅でロシア語を習得した光太夫はロシアの対日本外交に役立つと考え、帰国を許される。その知識を買われ光太夫は幕府の通訳として活躍する。3冊目が井伏鱒二著「ジョン万次郎漂流記」。土佐(今の高知県)の漁師万次郎は漁船に乗り込んで手伝いをしていたが、暴風雨で船が漂流しアメリカの捕鯨船に救助される。 その後アメリカ本土で教育を受け、再び船に乗り込み琉球王国経由で帰国を果たす。英語に堪能な上に西洋の新知識を持つ万次郎は土佐藩に重宝され、さらに幕府の開成学校教授となって本領を発揮する。彼らは無事帰還できたが、漂流して遭難死した人も多い。諸藩が外国と自由に貿易をしないよう幕府が船の仕様を厳しく制限し、「舵」が荒天の外洋では耐えられない構造だったためだ。 その後に読んだのが吉村昭著「ふぉん・しいほるとの娘」。これはドイツ人でありながら日本への強い関心からオランダの医官となって長崎に赴任したシーボルトの来日から、その娘で日本初の女医となる楠本イネの一生を描く大作。幕末の騒然とした国内、シーボルトの学問への執念と国禁の日本地図を国外に持ち出そうとして発覚した「シーボルト事件」と国外追放。イネの女医として大成するまでの苦労など、次々に展開する大事件に固唾を飲んだ。 イギリスの若い通訳官見習いだったアーネスト・サトウ(後通訳官、外交官)著「一外交官の見た明治維新」では、幕末と明治初期の緊迫した国内事情が手に取るように分かった。サトウは薩摩弁も理解し「候文」も自在に書けた日本通で、「佐藤愛之助」の別名を持つ。自由な精神の持ち主で、勤皇・佐幕の別を問わず各藩の藩士と通じて情報を得、イギリスの対日外交に寄与した。その結果イギリスは薩長主体の開国派を援助する立場を取る。一方フランスは幕府を援助する立場を取り、状況によっては日本が二分される恐れもあった。 これに加えて今回読んだ司馬遼太郎著「花神」で、幕末から明治期への激動がほぼ認識出来た。国を揺るがす物凄いエネルギー。熱情と狂気。まかり間違えば外国に支配されかねない状況を、当時の人達は良く乗り切ったと思う。それらの事実は宮城谷昌光の古代中国史をテーマにした面白さとは多少異なる。それは私達の先達が苦しみながらも手探りで近代化を進めた実話だからだ。 小学校から大学までの授業ではほとんど習わなかった幕末から明治へかけての歴史を、何冊かの歴史小説で学べたことに感謝している。語弊があるかも知れないが、知れば知るほど面白い時期。当時の日本人が何を考え、どう行動したかを知ることは、今後のためにも役立つと思う。特に平和で豊かな現代人にとってはなおさらだ。今後ともあの時代に注目し、色んな本を読んでみたいと思っている。
2012.01.15
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≪ 読書編 ≫ 昨年の年末から宮城谷昌光の中国歴史小説に魅せられて熱心に読み始めた。新聞に連載された彼の小説がきっかけだった。3月に空前の「東日本大震災」があり、その後自身の体調不良にも遭遇したが、それにも関わらずまあまあ本が読めたと思う。以下、この1年で読了したタイトルを記しておきたい。<宮城谷昌光の中国歴史小説> 「青雲はるかに」上下 「楽毅」全4巻 「晏子」全4巻 「天空の舟」上下 「管仲」上下 「沙中の回廊」上下 「夏姫春秋」上下 「長城のかげ」 「香乱記」全4巻 「侠骨記」 「花の歳月」 「華栄の丘」 「沈黙の王」 「玉人」 「介子推」 「重耳」全3巻 「太公望」全3巻 「三国志」全6巻 「奇貨居くべし」全5巻 「王家の風日」。 私達には馴染みの少ない中国古代史の面白さに加えて、宮城谷が描く小説の面白さが惹き込まれた理由だ。調査資料が限られた中で、良く資料を読み解き、自分なりの解釈を加えて小説を構成して行く力は相当のもの。初めは書店で新本を買っていたが、やがて古書店巡りをしながら必要な巻を揃えて行った。読む楽しみだけでなく、古書店を訪ねる楽しみも増えた訳だ。<宮城谷のその他の作品> 「春の潮」は初期作品集で、「史記の風景」、「歴史の活力」、「春秋の名君」は歴史評論。面白さはあるものの、中国歴史小説に比べれば迫力には欠けると言えよう。この他にも買ったままでまだ読んでない彼の作品があるが、多分それに取りかかるのは来年以降になると思う。 宮城谷の小説の途中に伊波勝雄著「世替わりにみる沖縄の歴史」を読了。また宮城谷作品の入手が途切れた時期に、たまたま古書店で目にした司馬遼太郎の作品を購入して読んだところ、宮城谷とは違った面白さを発見し、それ以降司馬遼太郎の作品にはまっているのが現状。以下、これまでに読んだ作品を列記したい。<司馬遼太郎の作品> 「項羽と劉邦」全3巻 これは中国歴史小説だが、宮城谷とは違った視点での人物描写が、実に面白かった。 シリーズ街道をゆく 1)「甲州街道、長州路ほか」 3)「陸奥のみち他」 6)「沖縄・先島への道」 28)「耽羅紀行」。これらは街道を旅しながらの紀行文で、司馬の最後の作品。沖縄と耽羅(韓国済洲島)は文化、歴史などに共通する部分があって面白かった。 他の巻に私の知人が登場したのにはビックリ。そして彼の先祖が室町期に甲州(山梨県)から太平洋を舟で遡り、現在の八戸周辺に達して南部藩の基礎を作った話には驚いた。「司馬遼太郎の日本史探訪」と「手掘り日本史」は歴史評論。歴史観、文明観、人物の捉え方がユニークで秀逸。司馬の人間性を彷彿とさせる内容だ。 現在読んでいるのが「花神」全3巻。これは幕末から明治にかけてに活躍した村田蔵六(大村益次郎)の話だが、吉村昭著「ふぉん・しいほるとの娘」上下を読み合わせると、シーボルトの遺児である楠本イネとの関係や、幕末の諸藩の緊張ぶり、明治維新へと突き進む様子が分かって面白い。 司馬は1996年に没しているが、存命中に彼の作品を読んだことはなかった。だが、たまたま古書店で手に取った本から、文化勲章を受章した彼の偉大さを知ることになった。全くの偶然だが、これも運命と思えなくもない。こんな出会いがあるから人生は面白い。来年も極力好きな本に時間を費やしたいと思っている。
2011.12.29
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北杜夫が死んだ。亨年84歳。死因はインフルエンザの予防接種後に引き起こした腸閉そくだったようだ。歌人で精神科医だった斉藤茂吉を父に持ち、精神科医でエッセイストだった斉藤茂太が兄。本人も東北大学医学部を卒業した精神科医だったが、あまりその方面で活躍した話は聞かない。 彼の名を高めたのは、ドクターとして乗り込んだ水産庁所有の船での経験をもとに書いた「どくとるマンボウ航海記」。これ以降「どくとるマンボウシリーズ」が大人気となった。ユーモア溢れる独特の文体に癒された読者が多かったのではないか。私もこのシリーズが大好きだった。その一方で、芥川賞を受賞した「夜と霧の隅で」のようなシリアスな作品や、自らの家系を描いた「楡家の人びと」のような作品もある。 晩年の彼が話題になったのは、躁うつ病の明確な症状だった。「うつ期」には自宅に引きこもり状態となり、「躁状態」の時は全財産を株の購入に充てるなど、ハチャメチャな行動を取ったようだ。だが、そんな時でも変わらずに愛された作家だったと思う。 彼の本名は宗吉。父茂吉は自分の名前のうち兄には「茂」の字、弟には「吉」の字を与えた。兄が最初に入学したのは明治大学文学部で、弟は松本高等学校(現在の信州大学人文学部)だったが、父は強引に自分と同じ道を進ませた。北はきっとそれが重荷に感じていたように思う。 娘の斉藤由香がエッセイストであることは、彼の死をきっかけに知った。これで思い出すのが幸田家のこと。幸田露伴は「五重塔」などを書いた明治の文豪だが、その娘の幸田文はエッセイストとして著名だった。孫の青木玉はその母の血を引き、ひ孫の青木奈緒もエッセイストと言う4世代にわたる文筆家の系譜に驚く。 私は遠藤周作にも北杜夫と同じような感性を感じる。「狐狸庵シリーズ」のようなユーモア文学に傾倒する一方、「沈黙」のような重厚な作品もあるためだ。それは彼が敬虔なカトリック信者だったことと関係が深いのだろう。また井上ひさしのユーモア精神とも共通性が感じられる。井上が作品で人を笑わせながらも底辺に哀感が漂うのは、彼が孤児だったことと無縁ではないだろう。3者に共通するのは、深い人間性だ。 さて、最近司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの何篇かを読んだ。人間に対する視点や歴史に対する視点は、彼独特のものと感じた。絶えず「日本人とは何か」、「歴史とは何か」を追求する姿勢が、常識を超えた英知として文脈に溢れている。文化勲章が授与されたのも、きっと彼の類まれな追及心に対してだろう。そして当然のことだが、作家の評価は彼らの死後もなお続くのだ。< 10月のラン&ウォーク > ウォーク距離:128km ラン回数:9回 ラン距離:122km 月間合計:250km 年間距離合計:2989km うちラン:1518km これまでの累計:77、669km
2011.10.31
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