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~琉球王朝の栄光と苦悩~ 第2琉球王朝の王都首里城を描いた絵図である。今も残る「守礼門」(琉球王国は礼儀を守る礼節の邦と中国の皇帝から称賛されたことから「守礼之邦」の扁額を掲げた門)の他、「中山門」(琉球を統一した王朝(中山)であることを示すなど幾つかの門が見える。首里城は全部で10ほどの門がある壮大かつ華美な城で、小高い山(首里森)の頂上にあるため、遠くからでも良く目立った。 韓国青瓦台 なお、城(グスク)、墓、集落など重要なものの位置は、風水思想に基づいて定めた。沖縄では風水を(ふんし)と呼んでいる。京都の都が東山、北山、西山と三方を山に囲まれていること。ソウルの大統領官邸青瓦台が山を背後にしていることも風水思想から来ている。なお古い時代の浦添城や首里城の地下からは、朝鮮式や日本式の屋根瓦が出土し、古くから琉球と人的、文化的交流があったことが分かる。 琉球王朝は中国の明や清王朝に進貢していた。それにより中国皇帝の支配下にある「琉球王」として認められた。これが「冊封」(さくほう)体制と呼ばれ、数年に一度「冊封使」が派遣された。上は冊封使の行列。琉球では狭い島国であることを悟られないよう、那覇港に着いた使節を輿に載せ、わざわざ遠回りして首里城に案内し、さらに海が見えない別荘「識名園」で一行をもてなした。 組踊 冊封使をもてなすため踊奉行の玉城朝薫(たまぐすく・ちょうくん)が考案したのが「組踊」(くみおどり)で、日本の歌舞伎と琉球舞踊を組み合わせたもの。組踊や琉球舞踊を中心とした沖縄の芸能を上演する施設「国立劇場おきなわ」が浦添市にある。なお名乗頭の「朝」は上流士族の男性のみが許され、日本の「朝臣」の名残との説もある。初代琉球民政府長官の屋良朝苗(やら・ちょうびょう)も一例。 王冠 さて、琉球王の王冠(左上)はかなり中国風と言え、金や銀、さまざまな宝石、サンゴ、ガラス玉などで飾られている。大きめの簪(かんざし)は琉球髷(まげ)に王冠を留めるためのもの。これに対し、王族や上流士族は城内では「はちまき」(右上)と称する冠を被るのがルールだった。日本の「鉢巻き」とは異なり、いわば「ターバン」の変形と言えるもの。無論階級によって色が異なっていた。 琉球王朝が最盛期のころは貿易船(左上)に乗って、様々な国と交易した。北は日本の博多や堺、中国、フィリピン(当時はルソン)、ベトナム(当時は安南?)、タイ、インドネシアとかなり広範だった。中国とは進貢と言う形での貿易であり、当時の琉球の明、清への進貢品は火薬の原料である硫黄(中国には火山がないため採れない)だった。ただし琉球では外洋を航海する大型船を造る技術がなく、中国が船と通訳を貸し与えた。それが臣下に対する大国の応対だった。 螺鈿細工 琉球の船は福建省の福州港に入るのが規則。他の国も入港先が決まっていた。当時はバーター貿易(物々交換)で、貿易先で仕入れた物品を、他国に持参し別のものと交換した。「わらしべ長者」だが、それでもかなりの利潤を得た。琉球から日本へは螺鈿や中国や東南アジアの陶磁器などが送られ、日本からは蒔絵や太刀を得た。螺鈿(らでん)細工の原料は夜光貝(ヤコウガイ)で、琉球王朝ではその品質管理のために「貝擦(かいすり)奉行」を置いたほどだ。 その琉球王朝の富に目をつけたのが島津藩。徳川幕府に「琉球征伐」を申し出て認可された。島津藩の言い分は次の理由。1)秀吉が命じた朝鮮の役に琉球は参加せず、その分の経費を島津藩が請け負ったが、琉球はその半額しか返済しなかった。2)琉球の船が仙台付近と長崎付近に漂着した際、島津藩が琉球まで送り届けたが、その謝礼をしなかったというもの。まあ「言いがかり」みたいなものだ。 1609年島津藩の軍船300艘が沖縄本島北部の運天港に入り、今帰仁城を攻略陥落させたのを皮切りに、陸路と海路でわずか3日間で首里城を落とした由。島津が最新式の火縄銃を大量に保有していたのに対し、琉球王国ではその100年以上も前に「刀狩り」して武器がなく、残った武器も錆ていたと言う。これ以来琉球は島津藩と中国(明、清)に両属する形になった。 無論中国はそのことを知らない。冊封使が琉球に来る際、島津の武士は首里を去って農村部に身を隠していたからだ。そして江戸幕府の将軍の代替わりには慶賀使を、また新琉球王の即位時には謝恩使をことさら異国風に飾り立てて江戸城に登城させた。これがいわゆる「江戸上り」(えどぬぶい)で琉球王朝には大きな負担となった。 島津家家紋 一方島津は琉球王朝が貿易で得た富を奪い、国内で高く売れるサトウキビ生産を琉球に強制した。それで十分「元」は取ったはずだ。また島津藩には「密貿易」の噂が付き物だ。その根拠地や中継基地となったのが、坊津であり東シナ海に浮かぶ甑島(こしきじま)。九州南部には倭寇の基地が多く、かなり古い時代から活動が盛んだったのだろう。それもまた海洋民族である日本と沖縄との宿命なのかも知れない。 倭寇の図(1) 倭寇の歴史も前期と後期とでは様相が異なるようだ。初めは室町幕府の許可を得た正式の貿易船だった。安土桃山時代も堺の貿易船は遠く東南アジアまで航海して巨大な富を得た。呂宋(るそん)助左衛門などはその典型だ。江戸時代の初期はオランダなどの要望を受けて、武士を傭兵として東南アジアへ派遣した。シャム(タイ)へ渡った山田長政などはその代表だろう。 倭寇の図(2) ただし徳川幕府によって外国との貿易が長崎、平戸の両港に制限されると、倭寇として密貿易に変わる。また、倭寇と言えば日本人が主体と思われがちだが、朝鮮や中国の沿岸部の貧困な農民や海洋民が貿易船を襲うこともあったようだ。中国は貿易船をインドやアラビア半島に派遣した時代があった。現在世界各国に存在する華僑はその子孫なのだろう。それが素人である私の認識だ。 中国の皇帝に仕えたイスラム教徒鄭和による7次に亘る航海図。先に述べた「冊封体制」と共に、中国の南シナ海における権益と琉球は中国領の主張の根拠だろうが、それは国際法がない時代の話で、到底肯定出来るものではない。かつての「海のシルクロード」の存在が「一帯一路」の夢を抱かせたのは確か。唐王朝以来、中国の領土拡大野望は続いている。なお「中国」の呼称は近代の辛亥革命以降で、それ以前は各王朝の呼称しかなかった。強いて全土を指すなら「支那」か。理由は秦や清の欧米名チャイナの変化だから。
2021.12.14
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~わが些末な日常~ 北限のミカン 近所のお宅の庭に生っているミカン。以前は鉢植えだったのを、大丈夫だと判断して庭に地植えにしたのだろう。仙台でも20年後にはミカンが育つ。そんな話を聞いたのは20年も前。それが本当になったのだ。あるアパートでは大きく育った樹に、鈴生りのミカンを見た。地球温暖化は確実に進んでいる。土曜日は自転車に乗り新米10kgを買って来た。リュックがずしりと重たかった。 わが家の南天 その夜は遅くまで歴史関係の本を読み、11時過ぎに風呂を沸かして入った。夜中に何度か目覚めてトイレに行ったが、その都度再び眠れた。朝方もトイレに起き、その後テレビを点けたまま眠った。テレビの音が子守歌代わりなのだ。電気代は知れたもの。一人暮らしは時間が自由に使えるのが良い。7時過ぎ、古新聞を資源ゴミ回収場所まで運ぶ。それからゆっくり目の朝食。 窓辺で新聞を読み、それから自転車で買い物に行った。バス停前の花壇を見ると背高のっぽの皇帝ダリアがない。切られた幹が幾重にも積み重なっていた。もう霜が降り、氷が張る季節。地上に出ている部分は凍るため、Kさんが切ったのだ。その切った幹に守られて地下の根は冬を越し、来年の初夏に再び地上に茎を伸ばす。 帰宅後、買った食品を手早く所定の位置に保管し、鎌を持って畑に出た。ブロッコリーとカリフラワーの苗を抜いて処分。白菜の外側の葉を大胆にむしり取る。互いの葉が重なり合うと日が当たらないためだ。東の畑から大根1本、裏の畑から中国野菜の残り株を抜く。物置からジャガイモ4個とタマネギ2個を出して、腐った部分や不要な芽を摘んで台所へ。 それから料理に取り掛かる。材料とメニューと手順を素早く考える。先ずはジャガイモの皮を剥いて切り、ニンジンと一緒に圧力鍋で煮る。その間にピクルスを作る。素材はニンジンと大根の皮とタマネギと柚子。それを器に入れて酢などを注ぐ。次はカレー用の豚肉を切り、タマネギを刻む。圧力鍋からジャガイモとニンジンを取り出して別の鍋へ。肉とタマネギを加えて煮込み、時間を見て適量のルーを投入。 次に圧力鍋で「白モツ」を煮る。既に湯通ししてあるが、不要な脂分を抜くためだ。それをしながら別の大鍋で味噌汁を作る。具は冷蔵庫の残り物で十分。それに油揚げと豆腐を足す。茹でた白モツ、タマネギ、大根、ニンジン、切った木綿豆腐を手鍋で煮る。いわゆる「モツの煮込み」だ。ブタのホルモンは脂を抜けば鉄分が豊富で体にも良い。昼食はその煮汁と出来立てのカレーでカレーうどんを作った。 地元紙のニュースをネットで検索すると、仙台の地銀が同性のパートナーとの連帯債務での住宅ローン契約を可能にしたようだ。変わる変わるよ時代は変わる。そう言えばなでしこジャパンのある選手が、自分の性に違和感を感じて乳房を切断したと告白したようだ。さらに付き合っている女性との結婚を相手の家族に申し込み、理解と許可を得た由。 髪は短く、顔は日に焼けてこげ茶色。そんなことを知らなければ、男と言われても信じるはず。だが彼女は中学生の頃から生来の性と自分の感覚とのズレに苦しみ、悩んで来たと言う。そして自分の両親にもそのことを今回カミングアウトした由。両親は驚いたものの、最後は分かってくれたそうだ。両親が一番に願うのはわが子の幸せ。GLBTだったっけ。世の中にはこんなこともあるんだねえ。 月曜日が新聞休刊日と言うので、日曜と月曜のテレビ欄を探したが、いくら見てもどこにも見当たらない。もしやと思ってゴミ箱の上を見ると、「探し物」がちゃんと乗っかっていた。これは大事だと思って、最初に抜いていたのを忘れていたのだ。最近はこんなことが増えた。さてこれからの老後、優先順位を判断して、ちゃんと生きて行けるのか。安心して死ねる人が羨ましいが、人を羨んでも何にもならないことは自分が一番良く知っている。さて今夜の夕飯は何にする。それくらいなら決められるけど。
2021.12.13
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~「貝の道」そして「謎の文字」~ 紅型の袷(びんがたのあわせ) 何日か前、自分が持っている沖縄関係の本と、古代史関係の本を改めて調べてみた。すると気になる資料がたくさん見つかった。結局収集はしたもののまだ読んでなかったのだ。いわゆる「積ん読」(つんどく)。買っただけで満足し、その後手にしてなかったのだ。その中から数冊選んで手元に置き、そのうちの1冊を読んだらとても面白かった。 また沖縄の地図帳には、沖縄勤務当時にコピーした資料や新聞の切り抜きが挟まっていた。当時訪ねた離島の聖なる場所に関するもの。改めて読むと、興味深い事実が分かった。本は出版された時点での最新の情報だが、現在の最前線の研究成果はyoutubeで確認出来る。このまま自堕落に過ごしていてはいけない。まだ認識出来るうちに、少しでも本を読もう。そんな風に思った。さて、今回は図録の中から気になった写真を幾つか載せようと思う。年代順でもテーマ別でもなことを先ず断って置きたい。 左は葛飾北斎が描いた「琉球八景」の一部。勿論北斎が沖縄へ来て描いたわけではない。右は琉球王朝時代に描かれた那覇港。たくさんの船に混じってひと際目立つ船が中央に見える。黒と赤の船で、舳先に「目」のようなマークがある。これが現在も沖縄県のシンボルマークになっている。これは当時の貿易船で、日本、朝鮮、中国(明、清)、東南アジアにまで出かけた。 北斎が描いたのは那覇港で、右の図の上方に見える部分を参考にしたのだろう。都城のある首里は小高い丘の上にあり、港のある那覇はその外港。当時は小島の多い磯で、小島と小島を橋で繋いで港にし、その後徐々に干拓地を広げた。北斎の描いた船や家は和風で、実際の沖縄の風景ではない。ただ、小島と小島を繋いだ長矼(ちょうこう=堤)は当時の那覇らしさを感じさせる。 これは飛鳥時代の日本と近隣諸国。朝鮮半島では百済と高句麗が滅び、新羅が統一した。九州の南にある多禰(たねは現在の種子島)、西隣の島は現在の屋久島、その南方の阿麻弥(あまみは現在の奄美)で、さらに阿児奈波(あじなわ=沖縄)、久美(くみ=沖縄の久米島)、志覚(しかく=石垣島)の名が古い文献に残っている。わざわざの朝貢ではなく、難破したための挨拶ではなかったか。 これは北海道伊達市の有珠10遺跡出土の装飾品。貝そのものや貝で作った製品が多いが、大半は南方産のものと思われる。北海道では縄文時代の後「続縄文時代」が長く続き、沖縄では縄文時代の後「貝塚時代」が長かった。それにしても沖縄から北海道まで渡った南方産の貝。丸木舟でリレー式に日本列島の各地に届ける「貝の道」があったと考えられている。 これは韓国慶尚南道出土の貝製腕輪。貝の名はスイジガイ。漢字では「水字貝」と書く。角が出た特徴ある貝は韓国では産しない。それを切って腕輪に仕上げたのは貝の形に呪術性を感じたからだろう。5~6世紀の遺物で、日本の南島産の貝が対馬半島を渡ったものと思われる。 沖縄県具志川市地荒原貝塚出土品で、紀元前2千年~400年。左はイモガイ製の腕輪で、右は貝製の釣り針、鏃(やじり)と穴を開けた装飾品。同じ貝が北海道伊達市の有珠10遺跡出土品にも見える。韓国から出たスイジガイ製の腕輪も具志川市出土のイモガイ製腕輪も、日本の古墳時代には形を真似た青銅製のものに代わる。なお腕輪のことを考古学では「釧」(くしろ)と呼んでいる。 鹿児島県種子島広田遺跡出土の貝符(かいふ)で、紀元前1世紀~紀元2世紀。白くて立派な貝を加工して模様を刻み、穴を開けて紐を通し装身具にしたのだろう。この貝も種子島よりずっと南方産と思われ、同遺跡が貝符の製造地なのか、中継地なのか、それとも使用地なのかは不明だ。 鹿児島県奄美諸島の沖永良部島神野貝塚出土の深鉢で、紀元前3千年~2千年の縄文後期前半のもの。これと同様の土器が沖縄本島中部の遺跡からも出土している。縄文土器が宮古島からも出土してることからも、南方の島々と日本列島との間に人的、文化的な交流が古くからあったことが分かる。まだ丸木舟しかなかった時代、縄文人は果たしてどんな気持ちで大洋に漕ぎ出したのだろう。 最後に謎めいたものを紹介したい。これは沖縄本島中部の嘉手納(かでな)町や北谷(ちゃたん)町から出土した刻画石版で、制作された時代も制作の意図も判明していない。中にはこれを「ムー大陸」文化の証拠とか世界の各地で見られる「神聖文字」だと主張する人もいる。 ところがである。沖縄本島から何千kmも離れた北海道の小樽市の海岸にある「フゴッペ」洞窟からも、似たようなものが発見されている。絵なのかそれとも特殊な字なのか、また岩に刻まれた時代も不明。沖縄のは石版、小樽のは直接洞窟の岩に刻まれたことが異なる点。世の中には摩訶不思議なこともあるのだ。そしてかつて日本に原人がいた証拠とする「葛生原人」や「明石原人」の骨が、いつの間にか消えて、行方不明になった。今日は不思議な話で終わりとしたい。
2021.12.12
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~ニュース管見とわが暮らし~ 曇って寒い金曜日。石油ファンヒーターの温度設定を4度上げたら、少しは暖かくなった。家事以外の特段の用事は無く、パソコンに向かう時間が増えた。いや、少しだけ外へ出てガレージの枯葉を掃き掃除した。そんなことでも何か仕事をした気にはなるものだ。食事は相変わらず工夫して1日3食きちんと摂っている。ただし、薬の方はたまに間違えることがあって、種類によって錠剤の残量が異なっている。 中国が武漢の生鮮市場を閉鎖し、周辺を整備し始めたようだ。ご存知新型コロナの発祥地。欧米はウイルス研究所からの漏洩を主張したが、中国は自然のコウモリ由来と主張し、生鮮市場を発生源とした。その市場を閉鎖し整備するのだから、証拠隠滅と言われても仕方ない。さらに初期感染を報じた市民を共産党政権は拘束した。その数320名ほどになるそうだ。政府に不都合な国民は拘束され、口を塞がれる。 そう言えば私はあることを想い出した。人民解放軍がチベットを制圧した理由だ。中国政府はチベットの農奴解放を主張していたが、チベットからインドのパミール地方に逃れ、その後日本に帰化したペマ・ギャルポさんが言うには、チベットに農奴はいなかったと。また日本に帰化した中国人の石平さんは言う。北京大学の学生だった頃南京出身の学友と話したが、「南京大虐殺」は聞いたことがないと。 先日バイデン大統領がリモートでロシアのプーチン氏と会談した。アメリカはウクライナ国境付近からのロシア軍撤退を主張し、ロシアはウクライナからのNATO軍の撤退を主張。これではいつまでたっても水掛け論だ。ロシアは最近日本の北方領土の開発事業を韓国に持ちかけた。同地での軍事演習も政府幹部の訪問も再々。こうして日本の返還要求意欲を徐々に奪って行く積りなのだろう。 自民党の外交部会に新設された対韓国政策検討WGが、来年夏を目途に対抗策を検討する方針を固めた由。ここ十数年の間に韓国がわが国に対して行って来た非礼を列挙してみよう〇 韓国議会議長による天皇(現上皇さま)への謝罪要求〇 韓国艦船から自衛隊哨戒機に対するレーザー照射〇 GSOMIA(軍事情報包括保護協定)の破棄宣言〇 いわゆる「元徴用工」訴訟を巡る異常判決〇 東京五輪選手村での政治的内容の垂れ幕設置〇 東京五輪選手村での福島県産食材回避のための給食センター設置〇 韓国警察庁長官の竹島上陸 ざっと見ただけだが、根拠のない「少女像」など他にも多数あるはず。私は韓国が教科書で、韓国は連合国側の一員として日本と戦って独立したと虚偽の歴史を書き、教え、戦後生まれの多くの国民がそれを信じていることを許せない。日韓併合は当時の韓国議会が決議したことで、それ以降は同じ国民となり、戦争の際も志願兵として日本軍に加わった。慰安婦の強制連行の事実はなく、彼女らは貧困のため自ら応募、あるいは親に勧められて高給の職に就き、客を取らない自由も旅行の自由もあったことが、米国による調査資料として、米国立公文書館に保存されている。 バイデン大統領がオンライン形式で「民主主義サミット」を開催し、111ケ国と地域が参加した。ただしロシアと中国は全体主義国家のため不参加。会議中に「C国」の名は上がらなかったそうだ。フランスは北京冬季五輪の外交的ボイコットをしない方針の由。それはそれで良い。それでこそ自由主義国家だ。ドイツでは3党連合による新政権が発足。ミャンマーの軍事政権による市民の虐殺はますます過激になり、変異株による感染者は世界で増加中。わが宮城県でもオミクロン感染者発生。この冬が問題だ。 日本の温室効果ガス(CO2換算)が7年連続で減少しているとのニュースを聞いた。そんな折、電力会社からソーラー発電買取料金の値下げに関する通知が来た。これまでの4分の1以下になるのだから堪らない。自然エネルギーへの移行も大変な経費を要するようだ。ますます変化する国際情勢と地球の自然環境。こうなると産業革命が果たして人類にとって、良かったのか悪かったのか。それはきっと神のみぞ知る領域なのだろう。
2021.12.11
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~疲れながらも~ 疲れて頭痛がしながらも、なお沖縄の話を書こうとしている。最初は前回の補足をまず。縄文時代は新石器時代とも言われるが、「新」があれば当然「旧石器時代」もある。縄文は約1万5千年前から3千年前くらいなので、旧石器時代は1万5千年以上も前になる。日本列島が大陸とつながっていた時代があり、動物も人類も歩いて来れた。 ただし、南西諸島は大陸から岬のように突き出ており、九州との間に海峡があった。北海道も樺太と繋がっていたが、津軽海峡はあった。縄文人が日本の先住民族であることは何度も書いた。彼らの中には南から日本列島にやって来たグループと、樺太を経て北からやって来たグループがいた。元々は南方系の古い民族の子孫だろう。 弥生人が稲を携えて北九州へやって来たことは書いた。Natureに載った論文は朝鮮半島経由だったが、揚子江南部から直接北九州や山口に来たとの説もある。ところで弥生人の顏が縄文人に比べて扁平なのは、「北方的な適応」の結果。眉毛や髭が薄いのは凍傷にならないため。鼻が低いのは冷たい空気を広い副鼻腔で暖めてから肺に送るため。胴長なのは消化に時間を要し、腸が長くなったため。 寒冷な北海道が稲作に適さなかったため、縄文人やツングース系の民族が弥生人との混血が進まなかった。一方沖縄は隆起石灰岩地質で稲作には向いてなかった。それに雨が直ぐに地下に沁み込み、短い川は直ぐ海に注ぐ。そのため北海道同様に、縄文時代(沖縄では貝塚時代)が長く続き、弥生人との混血がなかなか進まなかった。そして容貌にも縄文人の特徴が色濃く残った。 (1) このシリーズを書きながら、自分が持ってる沖縄関係の本を何冊か探した。「沖縄の城ものがたり」は沖縄の出版社が1988年に出したもの。価格は2800円。多分私が沖縄から転勤する時に買ったのだろう。当時としてはかなり高価。文章が平明の上図が多くて理解しやす。今読んでもなかなか面白く、大いに役立った。 (2) 「海上の道」~沖縄の歴史と文化~は東京国立博物館が、沖縄の本土復帰20周年を記念して開催した特別展の目録で1992年の刊行。ほとんどが図版で、解説は少なくしかも専門的。8番目の職場に転勤した際、たまたま私の机の上にあったもの。今ではとても貴重な資料で、次回以降にこの図録から借りた写真を載せようと思っている。 (3) 「世代わりにみる沖縄の歴史」は2007年に(1)と同じ出版社から刊行されている。価格は1500円で、著者は沖縄の教育関係者で、歴史の専門家ではない。恐らくは沖縄に観光か走りに行った際に買ったと思われる。「沖縄7度の世代わり」として〇原始沖縄世 〇古代沖縄世 〇薩摩世(島津藩の統治下にあった時代) 〇大和世(日本の沖縄県となった明治以降) 〇戦世(戦時中) 〇アメリカ世(アメリカ軍政府時代) 〇沖縄・大和世(琉球民政府時代及び日本復帰以降)のように区分している。 それが恐らくは沖縄県民の偽らざる歴史観なのだろう。多分今後読むことはないだろうが、これも沖縄と私の縁として傍に残しておこう。
2021.12.10
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~雨で暗い日~ 雨の中の庭石 水曜日。この日も朝からの雨。気温が低いため一日中暖房を入れっ放し。朝食後は窓辺で新聞を丹念に読む。数日前、痛む腰をかばいながら久ぶりに大掃除をした。ただし洗濯は少し休んでいる。天気が悪いのに洗濯しても干せないからだ。体を動かさないくせに、食事は3食ちゃんと摂り、しかも美味しく食べている。夜中トイレに何度か起きる割に、睡眠は良く取れているはず。日中少しウトウトはするが、 エンゼルスの大谷翔平選手が過日正力松太郎賞の特別賞を受賞した。イチロー選手、松井秀喜選手に次いで3人目とのこと。今年の流行語大賞でも「リアル二刀流」と「ショータイム」が選ばれたので、それらを含めると、今年は「13冠」らしい。大リ-グでも選手間投票で選ばれた賞もあり。これだけ他チームから愛された日本人メジャーは珍しいのではないか。好青年の来季のさらなる活躍を祈りたい。 北京冬季五輪マスコットの記念切手 アメリカバイデン大統領の「外交的ボイコット」発言が飛び出した北京冬季オリンピック。これに慌てた中国は「オリンピックに政治を持ち込むな」と激怒した。だが先の共産党幹部による女子テニス選手への性的犯罪など、スポーツを汚しているのは中国。オーストラリア政府も「外交的ボイコット」を表明したが、中国は気にしないと言いつつも強く抗議したそうだ。EU諸国もボイコット追随の気配があるようで、果たして今後どう展開するか。 わがブログでも何度か取り上げた中国の大手不動産企業「恒大グループ」がついに94億円のデフォルト(利払い不能)を起こしたようだ。ドル建てのもので、今月末と新年早々にも次の利払いが迫っている。アメリカの株式専門誌「ウォールストリートジャーナル」は、中国政府が同グループの解体手順に入ったと見ているようだ。中国では他にも利払いに苦しむ大手不動産業が多いと聞く。 日本軍による「真珠湾攻撃」から昨12月8日で80年経った。最近第二次世界大戦、中でも太平洋戦争や日中戦争に関する映像がテレビで良く流れる。あの奇襲をきっかけにアメリカは大量の空母建造に取り組み、日本は「大和」や「長門」など重厚な戦艦建造に走った結果、その後の海戦の在り方に影響。制空権を握ったアメリカは、太平洋戦争に勝利。奇襲成功の信号「トラトラトラ」はぬか喜びに終わった。 たまたま観たTV画面にくぎ付けになった。たくさんの鳥が人間を襲う話。これはヒチコック監督の「鳥」と直感して番組欄を確認すると、やはりそう。スリラーの巨匠のこの作品はあまりにも有名。1963年(昭和38年)制作で、実話にフィクションを加えて映画化した由。たくさんの鳥は模型と映像の合成によるもの。不朽の名作は迫力があり、本当に怖かった。かくして今日のタイトルが決まった。
2021.12.09
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~日本語及び琉球語の起源~ 今日のテーマはとても遠大だ。そして直接沖縄には関係のない話も多く、かえって沖縄に対する理解を妨げるかも知れない。それでもこの困難なテーマに挑んだのは、つい最近ネットであるニュースを知ったことによる。難し過ぎてつまらないかも知れない。頭が混乱するかも知れない。これまで理解していたことは違うかも知れない。私自身もどうまとめるべきか分からないのだが、ともかく書き出した。 その新説は世界的な科学雑誌であるNatureに載ったそうだ。日本語の原郷は現在の中国東北部に住んでアワやキビを栽培していた4千年前の農耕民と言うのがその主旨。論文を発表したチームは、ドイツ、日本、中国、韓国、ロシア、アメリカの研究者たちで、専攻分野は言語学、考古学、人類学、遺伝学。加えて98種の言語の農業に関した語彙や、古い人骨のDNA解析、考古学に関する膨大なデータを組み合わせ分析した結果と言う。 さて、琉球語を含む日本語、韓国語、モンゴル語、ツングース語、トルコ語などユーラシア大陸に広範に広がる「トランスユーラシア語」の起源と拡散については、アジア先史学で長年問題となっていた。だが、文法上の共通点がある。トルコはヨーロッパの入口だが、かつてはモンゴル付近にいた民族が西へ西へと移動して現在の位置に落ち着いた。突厥(とっけつ)やトルキスタンの国名や民族名に「トルコ」の響きが残っていると以前から感じていた。 アワ(粟=左)やキビ(黍=右)の雑穀などを、縄文時代の日本列島で栽培していたことも私は知っていた。稲作が日本列島に伝わる以前、縄文人が採集生活だけでなく住まいの近くで数種類の穀物などを栽培していた。栗や漆も同様だ。自然の山栗と栽培種の栗ではDNAが異なる。また花粉の植物オパールの分析でも分かる。 参考までに国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の見解を載せておく。 今回Natureに掲載された論文を補足する図を載せておこう。農耕の普及と共に言語も拡散した。朝鮮半島ではイネとムギも加わった。日本列島へは約3千年前に「日琉語族」として水田稲作農耕を伴って九州北部に到達した。沖縄では11世紀に始まる「グスク時代」に九州から多くの本土日本人が農耕と琉球語を持って移住し、それ以前の言語(縄文語?)と置き換わったと推定出来る由。 さて、左の図は国立歴史民俗博物館の資料から借用した。右から縄文人、弥生人、オホーツク人である。縄文人は日本列島の先住人。縄文土器は朝鮮半島からも数多く出土しており、縄文人と共通のDNAを有する人骨も発掘されている。縄文文化は朝鮮半島にまで及んでいた時期があったのだ。 さて弥生人は稲作文化と新たな言語を持って日本列島にやって来た。オホーツク人は北海道で縄文人と住み分けていたツングース族。縄文人と弥生人は徐々に混血するが、弥生人が北海道に渡ることはなかった。稲作に適さなかったからだ。 先住民の縄文語は、後で北海道や本州北部にやって来たアイヌ(右から2番目は現代のアイヌ人)語に引き継がれたようだ。秋田の狩猟民であるマタギの言葉には、アイヌ語が残っているそうだ。アイヌ人の祖先はユーラシア大陸東部のツングース系だろう。右は現代の沖縄人で具志堅用高さん。彫が深い容貌はアイヌ人に似ているが、DNAの特徴は内地人に近く、アイヌ人のDNAの特徴とは遠い。 ゴーヤが描かれた琉球漆器 今日書いたことは、私がこのシリーズの中で主張して来たこととも通じて嬉しい。ただし、ことはそう簡単ではなく、日本で一番古い人骨は沖縄の石垣島の洞窟遺跡で発見されている。その人骨のDNAは確かインドネシア系のものに近い特徴があった。かと言って沖縄の民族が日本人の祖先だった訳ではない。九州南部にある幾つかの海底火山の爆発で、日本列島との往来が途絶えた時期があったためだ。 丸木舟を刳り抜くための石斧はフィリピンから関東にかけて同じ型の石器が出土している。朝鮮半島出土の黒曜石は佐賀県の腰岳産で、ロシアのウラジオストク周辺から出土した黒曜石は、島根県の隠岐島産だと分かっている。縄文人の活動範囲はとても広い。その頃はまだ国も国境もなかった。ただし丸木舟での民族移動はあった。人間とはある意味凄いし、縄文文化は偉大な文化だとも思う。 そして日本人男子の遺伝子のY染色体は、アジアの近隣諸国のものとは明らかに別物の由。Y染色体は男系にしか伝わらない。それが古来ほぼ同一の特徴を有しているのは、大量殺りくがなかった証拠。縄文から弥生へとわりと穏やかに推移して行ったのだろう。日本人と似たY染色体が出るのはチベットの由。あそこは高地でなかなか他民族が攻略出来なかったためだろう。ただし現代を除いて。
2021.12.08
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~わが人生も晩秋から冬へ~ チャイムが鳴って誰かが訪ねて来た。ドアを開けると建築業者の方。ご丁寧に今年もカレンダーを届けてくれたのだ。独り暮らしの私の場合、カレンダーは一つあれば間に合うのだが、新聞屋さん、近所の方、建築業の方、そして保険屋さんと最低でも4つは溜まる。いつもは資源ゴミに出すのだが、それもなんだか勿体ないような気もする。何せ紙の質が上等。何かに使う方法はないのだろうか。 比較的体調が良いと感じたある日の午後、散歩に出かけた。前日とは全く違うコース。緑地帯のケヤキはすっかり葉を落とし、確実に初冬の風景に変わっていた。秋に撮った写真もそろそろ消化しないとな。H橋を渡り、新しく出来た道を探して橋の下に出た。工事が終わって整備された道。アップダウンがきつかったせいか、かなり疲れた。途中で走る真似をした。多分それが私のラストランになるはずだ。 ある日「総合買取屋」の職員が訪ねて来た。色々見て行ったが目ぼしいものはなかったようだ。それでネクタイピンを探した。ところがダイヤモンドのが見当たらない。「やられた」と思った。昨年の冬、断捨離中に来た別の業者が、永年勤続でもらった銀杯2個を手放さない。1個千円とのこと。馬鹿馬鹿しいと思ったが売った。少しそこを離れた時間があった。あの時あの業者が素早く盗んだのだろう。それ以外に無くなる理由は考えられない。判断能力が衰えた老人は「カモ」だ。先日は保険屋にも騙された。 もらったラフランスが完熟したので、ジャムを作る気になった。果物ナイフで皮を剥けば、後は手で圧し潰せる。大ぶりの柿、バナナ、わが家のユズは細かく刻み、リンゴは擦りおろし、味醂少々、蔗糖1匙、酸味を出すためピクルスの残り汁も少し入れてグツグツ鍋で煮込んだ。だがトロリとして、ジャムにもマーマレードにもならなかった。それでもとても美味しく出来、ヨーグルトと混ぜて食べた。 スーパーで買ったカマス(左)とカレイ(右)の頭と尻尾と内臓を取って、一夜干しにしようとベランダに行った。ところが折悪しく空から雨粒。仕方なく室内に入れた。さらに今後数日は荒れ模様との予報。一旦冷蔵庫へ入れ、そのうち焼いても良いと判断。さらにありったけの野菜と肉、ベーコン、さつま揚げで煮物を作り、モヤシ、エノキダケ、タマネギ、油揚げ、豆腐入りの味噌汁を作った。 自宅軟禁されていたミャンマーの民主政治家スーチー女史が拘束され、このほど禁固4年の実刑が下った。軍事政権の高圧的な政治が続くミャンマー。最近の東南アジアの政情は不安定だ。中国が自国の「民主主義」を手放しで自画自賛し、逆にアメリカの人種問題をあげつらう始末。中国の一体どこに民主主義があるのだろう。チベット、ウイグル、香港、内モンゴル、そして法輪功への抑圧や、臓器摘出など。 インドの港湾をロシアの艦船が利用する協定を近く締結することが決まった由。「クワッド」には半ば反するが、国境を接する中国の脅威を常に感じてるインドにとっては苦渋の選択なのであろう。同時にロシア製のライフル銃50万丁をインド国内でライセンス製造することでも合意したようだ。一方で最近のロシアは中国軍との共同演習に熱心だ。なんだか雲行きが怪しいと感じるのは筆者だけだろうか。 12月16日の真珠湾攻撃が近いせいか、このところNHKが第二次世界大戦の映像を良く流している。無謀な日中戦争からさらに無謀な太平洋戦争へと向かい、一方で東南アジアにも転戦した。屑鉄や石油を輸入しているアメリカと戦ったらどうなるかは、簡単に判断出来るだろうに、たった1度の奇襲成功ですっかり舞い上がってしまった軍部と当時の日本人。 そんな状況下でも、冷静な判断をした軍人も中にはいた。だが彼らの意見は無視された。乏しい物資の島国が「大東亜共栄圏」や「八紘一宇」の大層な夢を見てしまったのだ。明らかに現在と状況は異なるが、極東、中でも中国共産党の動きに不穏なものを感じている人は多いはずだ。心して事態の推移を見守りたいと思う。中国は自国民のみならず周辺国までも地獄に誘う積りだろうか。 このたび成人され、正装にティアラを付けられた敬宮愛子内親王。成年皇族の一員として今後各種の公式行事に参加されることになる。通学に雅子皇后が付き添われることもあった幼少時。あれからぐっと成長され、今回美しくて気品のある姿を国民に見せてくれた。偏に今後の健勝とご活躍をお祈りしたい。
2021.12.07
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~首里城炎上~ 現存する首里城の一番古いとされているのがこの写真である。撮ったのはフランス人で、撮った時期は明治10年(1877年)。いわゆる「琉球処分」(琉球王国が日本に編入されて一時「琉球藩」 となり、それが沖縄県となった)のが明治12年(1879年)なので、これはまだ琉球藩当時のもの。確かに写真の下に見える説明文はフランス語だ。なお琉球処分後、城は「神社」として残された由。 さてこれはアメリカのペリー提督が首里城を訪ねた時の絵。時は1853年で日本の暦では嘉永3年に相当する。ペリーは日本に向かう前に当時の琉球王朝を訪れ、あわよくばこの島国を奪おうと企んだ由。だが琉球は一行を丁寧にもてなし、那覇港に停泊していた黒船に無事帰還してもらえた。当時カメラはなく、ペリーはお抱えの絵師に描かせた。これは守礼門から立ち去る際の様子。 尚巴志王 これは第一琉球王朝第2代の尚巴志王の肖像。1429年に沖縄を統一した中山王国は王都を浦添城から首里城に移したと伝えられている。そしてその後の600年間で首里城は5度焼失している。そのうち3度は王朝内部の対立によるもので、1609年の島津藩による侵攻の際も、琉球処分の際も城は無事だった。最後の琉球王尚泰は明治政府の命により、住居を東京に移された。反乱を防ぐ人質だった。 首里城の4度目の炎上は、第二次世界大戦時に米軍による攻撃のため。城の地下に日本軍司令部の塹壕があったため、写真の通り神聖な首里森は全くのはげ山となった。城跡は整備され、昭和25年(1950年)琉球政府立琉球大学のキャンパスとなる。校舎は木造でキャンパスはとても狭かったそうだ。昭和47年(1972年)の本土復帰を契機に、琉球大学は国立となり現在の西原町に移転。私もそこで3年間勤務した。 復興した首里城 昭和61年(1986年)国営公園として首里城を復元することが閣議決定した。本土復帰20周年に当たる平成4年(1992年)11月3日に、正殿や瑞泉門などの復元完成により、公園を一部開園した。平成12年(2004年)、他の4つの城、御嶽1か所、王朝の王陵および別荘庭園と共に世界文化遺産に指定された。 首里城の復元に関して大変な苦労があったことを私も知っている。資料調査のため関係者が私の職場にも来たからだ。決め手となった過去の資料類が、沖縄県立芸術大学の資料館(左)にあるのを発見したのが高良倉吉氏(右)。氏が浦添市立図書館長時代に「沖縄県史」(全20巻)を刊行した記念式の際にお会いした。氏はその後琉球大学教授、名誉教授、沖縄県副知事を歴任されている。専門は琉球史及び琉球文化。 炎上する首里城正殿 それほどまでに苦労して復元した首里城が、令和元年10月31日の火災により焼失した。火災の原因は今も不明のままで、当夜は城内で工事中だったがその責任追及も、警備会社に対する賠償請求もなかった。それが私が嫌う沖縄のテーゲー(いい加減)主義の弊害だ。あの美しい城を観られたのはわずか13年間。幸いにして私はたった1回だけどこの目で観ることが出来た。 厚かましくも玉城沖縄県知事は、首里城の早急な復元を政府に要求した。不十分な管理体制で貴重な建築物や歴史資料を焼失させたのに、焼けたら次のを作れば済むと言うのだろうか。当時の安倍総理は沖縄県の希望を入れ、2028年までには再興することを約束した。沖縄県民も再建のための基金を拠出し、5億円ほどになったと聞いた。実際はもっと巨額を要するのだが、問題は建築資材の確保。前回以上の苦労は目に見えている。大量な木材や特殊な屋根瓦の製造など。そして次回は厳重な防火設備の確保だ。山の上にある首里城の消火設備をどうするか。文化財の展示とは相反する要素であるからだ。 焼失した正殿跡地 これが焼失した正殿の跡地。正殿前に立っている「龍柱」(黒い2本の石柱)が哀れだ。正殿の右手にあった北殿(にしのうどん)も左手にあった南殿(ふぇーぬうどん)も全焼し、正殿の跡地はまだ整理中のよう。たくさん見える袋の中には、赤瓦が入っている。再利用と、次回の素材とするためだ。私はたまたまこの現場も観た。復元前、復元後、そして焼失後の首里城を全て見た内地人はそう多くないはずだ。 最近の空撮か? 変な言い方だが、首里城が焼失したお陰で、私は長年の疑問が解けた。沖縄勤務当時、そしてその後に首里城を訪れた際に、それまで見たくとも見られなかった場所を観ることが出来たためだ。昨年末の旅では、女官たちの浴場、王の遺体を一時安置する聖地、城内の幾つかの御嶽(うたき)そして東西の砦などを確認出来た。やはり首里城は、敬虔な祈りの場所だったのだ。首里城の輪郭がはっきり分かる。 王の間(焼失前) 王の間の火の神と香炉 このシリーズを書く契機になったテレビ番組で、琉球王の個人的な空間である「王の間」にも、「火の神」(ひぬかん)が祀られていたことを知った。「火の神」は民衆の間で古くから守られて来た習俗。火は神聖かつ暮らしには欠かせない重要な存在であるのは、縄文以来不変なのだろう。伊勢神宮でも深夜に松明を灯して遷宮の儀式をする。こんなことでも沖縄と古代日本のつながりを感じている。 首里森御嶽の位置関係 これもテレビの画面から借用した。焼失前の正殿前から伸びる赤い線が御庭(うなー=正殿の前庭でピンクに見える場所)を通り緑色をした「首里森御嶽」(すいむいうたき)まで一直線につながってる。ここが城内で一番神聖な場所。恐らくは首里城が建てられる以前から、首里森(首里城がある山)の聖地だったことが窺える。華美な城中にも、祈りの場所があったことをようやく確認出来た想いだ。 祝女(のろ)に扮した女性が祈っているのは上の地図の「京の内」にある御嶽の一つ。その上に緑色の「首里森御嶽」が見える。だがそれは城の復元に伴って新たに作られたもの。戦後琉球政府立琉球大学のキャンパスとなった時に、ここから北東方面に3kmほど離れた「弁の嶽」(びんぬたき)に城中の御嶽を移動して祀った由。私はその御嶽も訪ねたが本来の神々しさが失われ、とても明るい墓地だった。さて今回の番組で、首里城内に10の御嶽があると分かったのが、私にとっては最大の収穫だった。
2021.12.06
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~最近のニュースに思う~ ヨルダンの発掘現場 少し前の新聞に面白い記事を見つけた。ヨルダンの死海の北東部にあった古代都市「トール・エル・ハマル」の遺跡を発掘していた研究者が驚いた。ここは今から3600年前に破壊されて滅んだ都市。一説では旧約聖書創世記に登場する「ソドム」ではないかと考えられていた由。滅んだ理由は神の怒りに触れたこと。 だが発掘調査の結果、興味深い事実が判明した。遺跡から隕石で破壊された証拠が見つかったのだ。例えば陶器の表面が高熱でガラスのように溶けていたことだ。だが、付近にクレーターは無く、隕石が空中で爆発したとの結論に至った。伝説の都市「ソドム」は神の怒りで滅んだのではなく、隕石の空中爆発によって滅んだのだ。 隕石の爆発で有名なのが1908年にシベリア上空で起きた「ツングースカの大爆発」では、東京都全体に匹敵する広さの森林が焼失したが、ヨルダンの古代都市「トール・エル・ハマル」の場合は広島に投下された原爆の千倍もの破壊力だったと推定されようだ。 ロシアでは数年前にも隕石の空中爆発(上)があった。物凄い閃光が空中を横切り、その衝撃で千人もの負傷者が出たと聞く。さて、最近の地震の頻発は果たして「富士山大噴火」の予兆なのだろうか。4つのプレートに取り囲まれている日本は、昔から大災害の洗礼を受けて来た。ただただ平安を祈りたい。 つい最近アメリカのNASAが小惑星に探査ロケットを衝突させる実験をしたようだ。それは衝突の衝撃によって、小惑星の軌道を変えようとする試みだった。少しは軌道変更に役立ったのだろうか。因みに今後100年以内に地球に衝突しそうな軌道の小惑星は、今のところ見つかっていないそうだ。恐竜が滅んだ原因は小惑星が地球に衝突したため、長期に渡り急激に気候が低下したこととされている。 バベルの塔 旧約聖書にまつわる話をもう一つしよう。ある時人々は神に近づこうとして高い塔を建てた。これに怒った神は塔を破壊し、言葉をバラバラにしたそうだ。民族によって言葉が違うのはそれ以来とされている。因みにバベルの塔に似たような建物が、イランとイラクに存在するようだ。旧約聖書の記述には、何らかの根拠があったことを物語る。 旧約聖書の有名な話の一つに「ノアの箱舟」がある。不道徳な人間の行いに怒った神は、大洪水を起こして人類を滅ぼそうとする。だが、信仰心が篤いノアに神は「大きな箱舟を作って家族と動物を載せなさい」と説く。何十日間も降り続いた大雨で大地は水浸しになり、人も動物も死に絶えた。ところがノアの箱舟だけは安泰で、何十日か後に乾いた土地に漂着すると言う神話だ。 箱舟が漂着したのがトルコとアルメニアの国境近くにあるアララト山(左)。標高は5千メートルを超える高山だ。だが人工衛星が山の中腹に巨大な船の残骸があるのを撮影。研究者が調査すると確かに古い船のようなものが埋まっていた(右)。ただし、さほど古い時代のものではなかった由。しかしなぜ山の中腹に巨大な船の残骸が残っていたのかは不明。 バベルの塔と言い、ノアの箱舟の大洪水伝説と言い、人類は昔起きた大事件を伝説のような形で語り継いで来たのだろう。考古学には「聖書考古学」や「水中考古学」のような分野もあり、長年の謎が研究の発展に伴って、解明される事例も生じている。 さて、話は中国の陰謀に変わる。数日前中国の昆明からラオスの首都ビエンチャンまでの高速鉄道が開通した。問題はその建設費。大部分は中国が負担すると言うのが建前だが、ラオスの国家予算の70%近い借金が残った。これも「一帯一路」構想の一部だが、路線は今後タイ国内を通り、マレー半島を南下し、シンガポールへ向かう壮大なもの。 タイ国内ではアンダマン海のダウェイに分岐する支線も計画されており、中国による経済支配を警戒していると言う。中国の狙いはアセアン諸国への接近と、反目するベトナムからの分離で、中国の野望は恐るべき域にまで達している。他国から懸念される人権侵害などどこ吹く風で世界一の強国を目指す。 孔子廟 最近たまたま「中華民族琉球特別自治区準備委員会」なる政治団体が中国広東省に存在することを知った。まるで沖縄は中国の一特別自治区のように聞こえる。琉球王朝時代、琉球の貿易船は福建省の福州港に入港するのが約束事で、出先機関の「琉球館」があったのも事実。だが、沖縄の民は縄文人の子孫で、中国人ではない。だが尖閣諸島の事態でも明白なように、沖縄は自国領と主張している。日本と沖縄との分断が中国の狙いだ。世界一危険な全体主義国家中国。ゆめゆめそれを忘れてはいけない。
2021.12.05
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~日本の最果ての島で~ 沖縄の染色=紅型(びんがた) たまたあるテレビ番組を観て書き出したこのシリーズも今日で10回目を迎えた。書くほどに面白くて熱中するのだが、話のネタはまだ尽きない。ただし、それを読者にどう伝えるかが問題。私自身は長年現地を観、資料を読み、日本各地で見聞きしたことや調べたこととも対比して自分なりに考えている積りだが、単なる歴史愛好者のためたまには不正確なことを書く場合もあるのを断っておく。 ボケてるがこれは沖縄県の地図。中央下の赤い島が沖縄本島。その北にかなり離れて「硫黄鳥島」とボケて記された島も沖縄県。名前通りここはかつて琉球王朝が硫黄を採掘し、中国に輸出していた重要な場所。そのため1609年から琉球を支配した島津藩もそのまま琉球領とし、沖縄県に組み入れられた。沖縄本島と宮古諸島の間は300kmも離れている。先月中国とロシアの空軍機が通り抜けたのはこの海峡だ。宮古諸島の先にあるのが八重山諸島で、今回の話の舞台。 宮古と八重山の位置関係は上の地図を参照されたい。この中で一番人口が多いのが石垣島で、島全体が石垣市。尖閣諸島も石垣市登野城と言う住所を持っている。一番面積が大きいのがイリオモテヤマネコで有名な西表島。人が住む日本最南端の島が波照間島。その他の小島を含めたのが竹富町だが、町役場は交通の便から石垣島にある。日本最西端の島が与那国島で、単独の与那国町。台湾までは80kmの距離。宮古島までは縄文土器や弥生土器が到達している。 この地図は「八重山」の概念を表すためのもので、島の位置は不正確。「よなぐに」は本来ずっと左(西)、「はてるま」はもっと下(南)だが、距離が遠過ぎて入らない。尖閣諸島は石垣島のずっと上(北)に離れており、中国が虎視眈々と狙い、海警の艦隊をいわば常駐させているのもそのせい。八重山は古来から国境の島なのだ。 これは竹富島の「なごみの塔」から見た赤瓦の集落。面白いことには、塔の周辺に「私たちは平家の子孫です。集落名に「赤」が付くのは平家の赤旗に由来します」と書かれた看板があったのには驚いた。沖縄本島には源為朝が来島して琉球の王の始祖となったとの伝説があるが、こちらは「箔」をつけるための創作だろう。竹富島には琉球王朝の出先の「蔵元址」があり、当時はこの小島が八重山の中心地だったのだろう。 沖縄本島を統一して琉球王朝を成立させた後、奄美諸島のうち6島も制覇し、勢力は八重山諸島にまで及んだ。ところが波照間島出身のオヤケアカハチが石垣島で反乱を企てる。王朝の税が過酷なことと、無理な開拓が多くの人々を死に追いやった。石垣島や西表島には風土病のマラリアがあったため。琉球王朝にとってオヤケアカハチは反逆者だったが、八重山の人達にとっては英雄。 左がその図だが、私には名前も姿も日本人に見える。平家の落人か倭寇の血を引くのではないか。彼を討ったのが宮古島の豪族「仲宗根豊見親」。つまり琉球王朝は自ら手を出さずに、先島の島民同士を戦わせたのだ。右は「クスクムリ」と言う名の狼煙台(のろしだい)で波照間島にある。「クスク」は城のぐすくだろうし、「ムリ」は盛り上がった場所のこと。日本語の古語と同義だ。私もこの傍をマイクロバスで通った。 宮良殿内 これは石垣市にある宮良殿内(みやらどんち)。殿内は身分の高い人の住宅の意味。国の重要文化財に指定されている。オヤケアカハチを征伐した宮古島の仲宗根豊見親は、「八重山頭職」に任命されたが、長くは続かなかった。その後の頭職を継いだのが石垣島の宮良家。宮良家の名乗頭(なのりがしら=直系の男子が受け継ぐ名の漢字一文字)は「当」の旧字である當。例えば宮良當壮だが、これは実在の人。 宮鳥御嶽 私は石垣島へは仕事と観光で2度行った。仕事で行った際に観たのが博物館と宮良殿内。そして観光で行った川平湾の付近で、この御嶽に行った。ここは地元民しか入れませんと書かれた看板があったが、私は心の中で礼をして御嶽(うたき)に入った。うたきは沖縄本島での名前で、八重山では「おん」と言うことを知っていた。御嶽山も「おんたけ」なので何ら不思議ではない。 外の鳥居は立派だが、神域は沖縄本島や離島と同様に香炉があるくらいの簡素さ。それが原始神道本来の姿なのだろう。私はバスガイドに尋ねた。「オヤケアカハチ」の墓はあるのかと。答えは「ある」だった。もし彼が琉球王朝に対する反逆者だったら墓を作るのは許されないだろう。きっと八重山のために戦って死んだ英雄は、目立たない場所にひっそりと葬られ、島人たちに篤く崇拝されて来たのだろう。 石垣島の「唐人墓」 観光で島を訪ねた時、早起きしてホテルから西に向けて走った。行った先にあったのがこの場所。今回ネットで調べて初めて謂れを知った。清時代清人が奴隷としてアメリカ船に積まれた。船員の横暴に怒った清人は船長らを殺害し、石垣島に逃げた。だが別のアメリカ船がやって来、犯人たちを探し出して殺した。そこで日本が仲裁に入って70人以上の清人を船に乗せて清国に送り返した。そのお礼と供養のため、後年中国人が中国式の慰霊塔を建てた由。 久松五勇士顕彰碑 一方、宮古島には「久松五勇士」伝説がある。日ロ戦争当時、ロシアの軍艦を見かけた宮古の青年5人が通信基地があった石垣島までの100km以上小舟を漕いで伝えた。その急報により日本海軍の太平洋艦隊がロシアのバルチック艦隊を破った。私は「宮古島ワイドーマラソン」(100km)の途中、顕彰碑の前を通った。そんな風に全都道府県を旅しかつ走破した私は、ヤマネコの西表島でも「ちゅらさん」の舞台だった小浜島でも、早朝に起きて走った。今では腰を傷め、歩くのがやっとだが。
2021.12.04
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~心配と安心と~ 胃カメラを飲む前日、朝も昼も手抜きの食事だったため、夕食はしっかり食べた。病院からもらったパンフに夕食は7時までには摂るよう書かれてあったので、それは意識していた。風呂に入って髭も剃り、着替えと目覚ましをセット。睡眠導入剤を飲み、まあまあ眠れた。翌朝は6時前には目が覚め、目覚まし時計は必要なかった。歯磨き時に水を2杯飲んだ。それも病院の指示だった。 問題は天気。胃カメラの予約は7時50分で、案内では20分前までには来るようにとのこと。この朝の最低気温は2度。前夜は雨が降ったようだが、自転車で行けるかどうか。もしも行けるならどのコースが安全か。寒くないよう手袋とアノラックは用意していた。指定通り7時半には病院に着いた。だがドアは閉まったまま。7時50分にドアを開けるとの表示有り。すると20分前に集合は一体何だったのか。 受付を済ませ、看護師さんに呼ばれて処置室へ。ここで胃カメラを飲むための事前の指導と準備。ベテランの看護師さんは手際が良く丁寧な応対。これで気持ちが落ち着いた。時間になってドクターが処置室へ。「グーテン モルゲン」と私が言うと通じない。看護師さんが「ドイツ語ですよ」とフォローしてくれた鼻腔から麻酔薬を注入し、喉から麻酔用のスプレー。どちらもカメラの管が通り易くするため。 カメラの画面を見ていたドクターが、私にも見ろと言う。体を起こして画面を見ると、胃の中にたくさんの食べ物が未消化のまま残っていた。これは大失敗。栄養をつけようとクジラの刺身を鱈腹食べた。それが良くなかったのだ。仕方なく撮れる範囲だけ撮って撮影は終わった。しかし胃の中の麻酔剤が気持ち悪い。何度かうがいをし、水を飲む。看護師さんから注意を受け、しばらく後でドクターの診断。 撮れた範囲では、良性のポリープが3個あるが問題なし。半年後にもう一度胃カメラ実施。次回は前夜の食事はエネルギーの高いジェリーくらいにせよとのこと。血糖値と運動に関しても注意を受けた。帰路A公園経由で無事帰宅。昼食はパンと果物くらいで簡単に済ませ、雨傘で作った「杖」とカメラを持って散歩に行った。体調の悪さにかこつけて、じっと自宅に籠っていた最近の日々を反省したのだ。 殺風景な公園。ケヤキもカツラも葉を落として、すっかり冬支度を整えていた。しゃがみ込んで写真を撮ると腰が痛む。何とか立ち上がり杖をついて歩く。こんな杖でもあれば助かる。ますます北風や雪や氷に苦しむ季節だが、頑張って歩かねば。それが独り暮らしの老人の課題。寝た切りにならないためにも。 夕方のニュースで、この日の朝仙台に初雪が降ったことを知った。やはり寒かったのだ。自転車で転ばなくて良かったと安堵。午後からユズの実を枝から切って近所に配る。凍ったり解けたりを繰り返すとそのうち腐る。美味しいのを上げて喜んでもらった方が良い。残った実は、Tさんが高枝鋏で切って持ち帰った。ユズ湯にするみたい。私は小さいのと傷ついた実が少しで十分。味に変わりはないしね。 歌舞伎役者で人間国宝の中村吉右衛門が死んだ。享年77歳。私と同じだが誕生日が少し早い私が1学年上。死因は心不全。心臓に問題があったのかどうかは分からない。心臓が止まれば心不全になる。松たか子の父松本白鷗は実兄。松たか子にとっては叔父さんだ。私はここ数か月、体調の悪さに苦しんだ。この体でどこまで生き長らえ、暮らしに必要な認知機能をどこまで保てるか。日が一層短くなった。
2021.12.03
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~沖縄の離島と聖地(その2)~ これは沖縄本島の西にある久米島の上江城(うえぐすく)です。小さな島にしてはかなり大きくて立派な城です。 久米島はかつて楽天イーグルスがキャンプをしていた島として有名でした。これは上江城の頂上に立つ私。眼下に島の集落が見えます。私がこの島を訪ねたのは「久米島マラソン」(フル)を走るためで、70歳で走ったこのマラソンが私にとっては最後のレースになりました。レース前日タクシーで島の観光地巡りをやったのです。この島には幾つか気になる場所がありましたので。 これは具志川城です。カーブした城壁がなかなか見事でした。ここは下から眺めただけで終わりました。 これも久米島の伊敷索(ちなは)城の石垣です。久米島を統一したいなは按司(あじ)は沖縄本島からやって来たみたいで、長男に与えたのが上江城。次男に与えたのが具志川城です。三男にも城を与えたようですが勢力争いに敗れて沖縄本島に逃げ、糸満市の具志川城主になったと伝えられています。 これは重要文化財に指定された「上江洲(うえづ)家住宅」です。上江洲家は具志川城主の末裔の家柄と伝えられています。 上江洲家住宅の石塀で、とても見事です。久米島の按司は中国との交易もしてましたが、沖縄が統一されて琉球王朝が誕生すると、王朝に仕えます。久高島同様、久米島の水夫は船の操縦が巧みだったため、中国、朝鮮、日本、東南アジアなどへ向かう貿易船の乗組員となったようです。 久米島の祝女(のろ)の君南風(きみはえ上右=現地語でちんべー)は経験あらたかな神女でした。彼女を祀る君南風御殿(左上)が今も信仰の対象として残っています。八重山地方の石垣島で反乱が起きた時、君南風は敵を呪詛するため、宮古島の武将仲宗根豊見親(なかそねとよみうや)と共に船に乗り込んで八重山に向かい、見事反乱を治めたと伝えられています。 これは宮古島の武将仲宗根豊見親の墓で、沖縄本島の墓とは全く形態が異なります。それでも風葬墓であることは確か。石垣島の反乱を鎮めた豊見親は「八重山頭職」に任じられますが、それは一時的なことでした。正面に墓室への入口が見えます。その左にある池にはエビが数匹泳いでいました。 豊見親の本名は目黒盛と言ったようです。これも沖縄にはない姓で、倭寇の末裔と私は感じたものです。宮古島にも倭寇の基地があったと言われ、縄文時代や弥生時代の古い土器も発掘されています。 これは宮古島平良港の近くにある漲水御嶽(はりみずうたき)の中で、祈る信者の姿です。このように離島では今でも古来の信仰を守っています。 上は宮古島の大和井(ヤマトガー)と言う名の井戸です。雨は直ぐに石灰岩に吸い込まれてしまいます。そのため石段を下りた深い井戸が必要で、水を得られる場所は聖地です。名前が示す通り、この井戸は当時琉球を支配していた薩摩藩の武士か、首里の役人しか使えない重要な場所でした。島の人々が使ったのはその付近の「ウシガー」でした。そこは島の人が水を飲み、牛や馬を洗う場所。それだけ差別されていたのです。 これは「人頭税石」と呼ばれるもので、平良港の近くにありました。高さは148cm。子供はこの石と同じくらいまで背が伸びると一人前と見なされ、税金を支払ったのです。かなり過酷だったと聞きます。宮古島ではなかなか作物が獲れず、カラムシと言う植物の繊維で織った「宮古上布」を税金として琉球に納めていたそうです。宮古島へは仕事と100kmマラソンで2度行きましたが、私は島の歴史を知るのに夢中でした。だから今でもこうして、沖縄の話が書けるのです。
2021.12.02
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~暮らしとニュース~ 宮城蔵王の冠雪 先月末から急に寒くなった。29日の朝、仙台は今季の初氷と初霜だったそうだ。こうなるとヒートテックの下着と暖房が欠かせない。急上昇する血圧にも要注意。血管が硬くもろくなってる老人はなおさらだ。本当は種が落ちる前に雑草を抜くべきだったが、腰痛のためそれが出来なかった。自転車での買い物にも手袋が必要になった。広い国道から雪を戴く蔵王連峰が見えた本格的な冬の到来だ。 普段はトレーや牛乳パックの資源ゴミを回収しにしか行かないA店では、握り寿司と助六寿司を買った。何だか急に酢飯が食べたくなったのだ。先日まで工事中だった店は外も内側もすっかり様変わりしていた。出入り口は1か所だけ。これでは何かあったら危険だろう。売り場もすっかり模様替えしてスッキリ。おまけに自動支払いのレジが増えていて戸惑った。 B店では冷凍のクジラ肉、果物や野菜、ハムとベーコン、豆腐、納豆、パン類、牛乳、ヨーグルト、沢庵、餃子とシュウマイまどを買った。帰宅して直ぐに冷凍のクジラ肉を出刃包丁で切った。その方が早く溶けるからだ。リンゴを食べてビックリ。歯応えで、昨年から冷蔵してあった徳用品だと分かった。寿司は昼と夜に食べてもまだ余った。それでも腐る訳ではない。久しぶりの酢飯に大満足の私だった。 日大の田中理事長が所得税法違反の容疑で東京地検特捜部に逮捕された。それ以前に理事など2人が逮捕されている。特捜部は2人が還流させた裏資金が田中理事長に提供されたのを裏付けたかったのだろうが、証拠がないため別容疑で逮捕したのだろう。理事長は学生当時アマ横綱になって職員に採用され、相撲部監督、理事、理事長と出世。学長を廃止して、大学を牛耳った。反対する職員は左遷し、研究者は要職に就けなかった。まさに独裁者。これが学生数日本一の大学の実態とは。 中国共産党の前副首相が世界女子テニスダブルス1位のポー選手(上)に対して行った性犯罪。それを隠蔽するため共産党関係の情報機関が必死になって、ニュースを捏造する様子が滑稽だ。IOCのバッハ会長までその捏造に加担する始末。コロナの変異株の名前までWHOが習近平に忖度して、別のギリシャ文字を選んだようだ。果たして北京冬季五輪まで捏造と情報操作で乗り切れるかどうか。支持率がかなり落ちたバイデン爺さんが、中国に対して強い姿勢を取り続けてるのが意外と言えば意外だ。 さて、明日は朝一で胃カメラを飲む予定。7時半までに病院に行かなくちゃいけないが、ちゃんと起きれるだろう。それが心配だ。
2021.12.01
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~沖縄の離島と聖地(その1)~ NHKで首里城の復元に関する番組を観たことで書き始めたこのシリーズも今日で8回目を迎えることになりました。45歳から3年間沖縄に赴任し、沖縄を去ってから30年近く経ちました。その後も仕事や観光やマラソンで20回以上沖縄を訪れて各地を巡った思い出が尽きません。特にリュックを背負って4年かけた「沖縄本島単独一周ラン」の記憶が鮮烈です。今回は離島の聖地について記します。 久高島 沖縄本島最南端の知念半島の沖合にある小島が「神の島」久高島です。私は職場の仲間と一緒に島に渡りました。今は島の真向かいの港からフェリーが出ていますが、当時は馬天港でした。この島の神秘性や神行事のことは本を読んで知っていましたし、その後最大の神行事「イザイホウ」の動画を観ることが出きてラッキーでした。昭和53年が最後のイザイホウになったからです。 岡本太郎が島の人に無理に頼んで見せてもらったという風葬墓。岡本を案内した島人(しまんちゅ)がその後狂死したことも私は知っていました。島の印象は詩に書きましたが、今回ネットでその画像を検索するとヒットしたのが上の写真です。奥に2人の人が見えます。勝手に行ったのか、案内してもらったかは不明ですが、私が風葬墓の白骨を目にしたのは1回だけ。それも偶然のことでした。 これは沖縄本島の北にある伊是名島の伊是名城です。見事な三角形の山は、日本でも聖なる山の特徴です。島へは今帰仁村の運天港からフェリーで渡ります。右が城跡ですが、見事な石段と石垣がありますが、私には巨大な風葬墓に見えます。きっと背後の崖の下に洞穴があり、そこが本来の聖地、あるいは古い時代からの居住跡があったのではと思います。 不思議なことにこの小さな島から英雄が出ています。その一人が第二琉球王朝を興した金丸(後の尚円王)です。彼は田の水を盗んだと島人に疑われて島を出たと言われています。後に琉球王となった人物にそんな噂があるのは変な話です。きっと彼の家系は九州南部から来た倭寇だったと私は推察しています。彼の本名、文武に優れて首里城に出入り出来たことの点からです。 これは伊是名島の奇観「陸ギタラ」(手前)と「海ギタラ」(後方の海中)で、とても不思議な印象を受けました。共に絶壁の頂上には「祭祀址」が残っているみたいです。嶺や山上の岩に神が降臨するのは内地も一緒で、北方民族の神話の特徴です。またこの景色を観た松山の美しさにも驚いたものです。ゴミ一つ落ちてない、まさに神の島に相応しい厳かさでした。 これは「神アシャギ」と呼ばれる伊是名島の聖地の一つです。「アシャギ」の語源は「足上げ」で、つまり神様が憑依(ひょうい=寄り付く)する場所を意味します。この原始的で床もないようなわらぶき小屋が、神社の原型だったのでしょう。何もなく素朴だからこそ感じる厳粛さ。尚円王となった金丸の実姉の「伊是名ノロ」も、きっとここや城で琉球王国の安泰を祈ったことでしょう。 ここは沖縄本島勝連半島沖の浜比嘉島。今では「海中道路」から枝分かれした橋で連絡していますが、昔は屋慶名港からフェリーで渡りました。島には沖縄の始祖神であるアマミチュー(アマミキヨ)の墓と称されるものがあります。上の写真の小島にありますが、私が島を訪れた頃は、まだコンクリートの道はなく、海岸から眺めるばかりでした。私が風葬墓探しを断念したのも実はこの島でした。 これはアマミキヨが妻シネリキヨと暮らしていたと伝わる洞窟「シネリチュー」へ向かう参道です。こちらはお参りした記憶が残っています。やはりとても不思議な感覚を受けたものです。この島には沖縄の他の地区とは異なる氏名が多いと聞きます。九州南部の倭寇が沖縄本島の東海岸沿いに南下したことを物語っているように思います。沖縄本島北部の東海岸にも日本の姓が多いとされるのと同様です。 アマミチューの墓か、シネリチューの洞窟かは不明ですが、両者はごく近い場所にあります。浜比嘉島には「浜」と「比嘉」の二つの集落があり、島には「シヌグ」と呼ばれる棒を持って戦う伝統行事があります。シヌグの語源は恐らく「凌ぐ」。現地の島民と後からやって来た倭寇が戦った名残ではないかと私は推測しています。私の沖縄への想いは、30年経っても未だに胸の奥で煮えたぎっています。<不定期に続く>
2021.11.30
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~いくつかの戦いについて~ 大相撲九州場所の14日目。全勝の横綱照ノ富士は1敗で追っていた幕内の阿炎を危なげない取り口で下し、千秋楽を待たずして優勝を決めた。新横綱直後の2場所連続優勝はあの名横綱大鵬以来と言うから驚く。それにしても大関の地位にあった者が怪我と病気で三段目まで落ち、治療と稽古を重ねて元の地位に復帰し、さらに最高位まで上り詰めての連続優勝とは信じられない偉業だ。 自らの嘘で6場所出場停止処分を受けた元大関朝の山も、この分では幕下下位に落ちるのは確実だが、果たして照ノ富士のように復活出来るかは疑問。逆境に耐えた照ノ富士に対して、朝の山にはハングリー精神が足らない。元大関のプライドを捨て、彼の気持ちがどこまで耐えられるか。結局照ノ富士は千秋楽も大関貴景勝を下し、全勝で賜杯を抱いた。日馬富士のあの暴行事件から、良く立ち直ったものだ。 今年の日本シリーズは稀に見る激戦だった。2勝3敗で本拠地に戻ったオリックスが、第6戦目でも粘りを見せ、延長12回5時間にも及ぶ好ゲームだった。残念ながら最後はヤクルトに屈したが、6試合はすべて僅差のゲーム。長い期間セリーグの3位だったヤクルトが、高津監督の「大丈夫だまだ行ける」の言葉に勇気づけられての連勝は見事。でも最後まで頑張った両チームに、大きな拍手を送りたい。 林外務大臣が、中国から招待されたことをTV放送で漏らしたそうだ。欧米各国が北京冬季五輪に首脳を派遣しない「外交ボイコット」を検討しているさ中。要請を受けたら同盟国アメリカと反することになり、断れば中国のメンツを潰すことになる。東大法学部卒、ハーバードの大学院修了の秀才の軽はずみな発言が今後外交にどう影響するか。今中国は焦っているのだ。あんな乱暴な政治が通用するのは変だ。 新型コロナウイルス感染症の新たな変異種が現われたようだ。南アフリカ周辺で発見された「オミクロン株」で、これはかなり手強いようだ。これまでに接種したワクチンも簡単にスルーするとかで、新株発見のニュースと同時に、世界株安が始まったようだ。これは怖いニュースだ。早々に3度目のワクチンを接種するのが最大の対応だろうか。それにしても「北京冬季五輪」の今後も心配だ。 先日、TVのローカル番組を何気なく観ていた。「限界集落に1か月住んで」と言うタイトル。宮城県の最南端で山形県と接する七ヶ宿町の「干蒲」と言う名の集落。限界集落とは住民の半分以上が65歳を過ぎている地。だがNHKの記者がテント暮らしをしたその地で取材の対象になったのは、93歳の夫と89歳の妻の家族。勿論周囲には売店もなければ医者もいない。冬季の食料は全て畑で作り、冬に備えていた。 念のため地図で確認すると、その集落は15年ほど前にランニングで通った場所だった。私は60過ぎで、ウルトラマラソン対策のため峠越えをしていた時期。JR白石駅で下車し、国道113号線を西に向かった。小原温泉を通過し七ヶ宿町に出る。ダム湖に沿って山形県方面に向かう途中で右折し県道11号線で山形県の上山市へ。集落は県境の手前にあった。とても静かで桃源郷のような印象だった。 金山峠への道は楽だったが、山形県側の下りがきつい。道路が全面苔蒸して、ツルツル。ほとんど往来がないのだろう。途中楢下(ならげ)宿を越えて麓まで下りると、山形勤務当時に利用した蒟蒻料理店があった。その日走ったのは57kmくらいのはず。当時越えた峠道は5か所。うち4か所は山形県へ、1か所は福島県へ抜けた。全国47都道府県を走破したため、どんな地にも思い出がある。まだ若くて力が漲っていた頃の話だ。
2021.11.29
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~沖縄の聖地を巡る~ 沖縄の聖地については、このシリーズでも何度か書いた。ここは沖縄本島南部にある南城市の「佐敷ようどれ」。自衛隊の基地内にあるため、私は観たことはない。一見家のように見えるがこれは風葬墓。「ゆうどれ」は夕方の意味で、薄暗い「あの世」を連想させる。この地には琉球王国が成立する前の豪族が住み、墓はその時代のものとされている。現在は麓に「月代宮」と言う神社が建っている。何度も書いているが、沖縄の城(ぐすく)は墓、聖地、城や砦、古い住居址、そしてそれらの複合体で、内地の城とは全く概念が異なる。だから墓や神社があるのは当然なのだ。 これは同じ南城市の知念城。知念半島の先端部にあり、沖縄最大の聖地である斎場御嶽(せいふぁうたき)にも近い。美しい城壁が比較的に良く残っている方だろう。古い城と新しい城の二重構造で、城壁の門が崩れかかり、木材で支えているのが見える。私が沖縄に勤務した30年前は補強されてなかった。背後の山も多分聖地で、御嶽か拝所(うがんじゅ)があるはず。城内にも拝所が複数あったと記憶している。 これは旧玉城村(たまぐすくそん=現南城市)にある仲井眞城(なかいまぐすく)城と言っても実際は風葬募でこれは第一琉球王朝第6代尚泰久王の墓。場所が分からなかったため、近くの村役場に聞きに行ったら警戒された。顔を見て内地人だと分かったのだ。警戒した理由は外国人が墓を掘rり、古い武具を発見したため。勝連城主の阿麻和利に嫁いだ王女百十踏揚(ももとふみあがり)の墓も付近にある。 これは同地に近い場所にある玉城(たまぐすく)で、石段も城壁も自然の石灰岩で、世界文化遺産指定の美しい城とは異なり、原始的な城の形を残している。城内には幾つかの拝所があり、うこー(沖縄式の燃えない線香)が供えられていた。どうやら外国人が勝手に発掘したと言うのはこの城の麓の洞穴らしく、私はその時発掘された武具を、昨年行った沖縄県立博物館で偶然見ることが出来た。 写真撮影禁止だったが、印象としてはこんな日本の野武士がつけたような簡便な鎧(よろい)。直感的にこれは日本の倭寇じゃないかと思った。琉球王朝の武士(さむれー)は武具を持たない。統一王朝誕生後、武具は不要になったためだ。なぜ外国人がこの城の麓を掘ったのかは不明だが、歴史に興味を持っていたのだろう。だが藪の中はハブの棲みかでもあり、とても危険だ。この絵は後に再び登場する予定。 首里城と尚円王 浦添にあった第一琉球王朝の王都は、やがて現在地の那覇市首里に移る。第一琉球王朝の最後は内乱などがあって衰退した。そこに現れたのが伊是名島出身の百姓金丸。彼は島から追い出されるような形で都へやって来た。役人に取り入って城に出入りし、最後は大臣に上り詰めた。やがて周囲から推される形で幼い王子を排除し、自ら第二琉球王朝の王尚円と名乗った。進貢していた中国にはばれないように。 首里城歓会門 なぜ一農民の金丸が琉球の王になれたのか。実態はクーデターとの説がある。金丸が伊是名島を追われた理由も不明。私は伊是名島へも行ったことがあるが、実に神聖な気配に満ちた美しい島だった。伊是名城がある山へは金網がしてあって登れなかったが、神秘に溢れていた雰囲気が印象に残っている。尚円は実の姉を島の祝女(のろ)の最高位伊是名ノロに就けたと言う。 玉陵(たまうどん) これは第二琉球王朝の陵墓である玉陵。うどんは本来「御殿」で生きている人の御殿の場合もあるが、貴人の墓にも用いられる名称。とても巨大で立派な風葬募で、世界文化遺産の一つ。私は尚円王となった金丸の先祖は九州南部の「倭寇」出身だったのではないかと推定している。それなら文武に秀でていたの当然で、名前の金丸も大和名(日本式の名前)にぴったり。沖縄には倭寇伝説が多く残り、史実に近いと思われる。 識名園 これは琉球王朝の別荘で、琉球式の広い庭園を持つ識名園。世界文化遺産の一つ。中国から来た柵封使をここで歓待した。この場所は直接東シナ海が見えないほぼ唯一の地で、琉球は広いと誤解させたのだ。そのため中国では沖縄を「大琉球」、台湾を「小琉球」と呼んだ。当時の台湾は蛮族しか住まない未開の地で、日清戦争の賠償として割譲したのには、蛮族が台湾に漂着した多数の沖縄人を殺害したこともある。
2021.11.28
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~マックス爺とブラックフライデー~ 全国的に冬型の気象配置となり、北海道では80cmも降った地区があったようだ。仙台でもかなり気温が下がり、暖房が欠かせなくなった。窓ガラスの大きな居間は日が出れば暖かいが、日陰になった途端暗くて寒さを感じる。灯油が高いため出来るだけ使わず、空調機プラス足元の小型電気ストーブを上手に使っている。 オリックスがようやく2勝目を手にした。しかし接戦が続く今年の日本シリーズ。3勝1敗とヤクルトが王手をかけたが、オリックスが土俵際で踏ん張った。これでまた大阪で試合が出来る。パリーグの楽天ファンとしては、やはりパに頑張ってもらいたいのだ。 寒い時はおでんが良いだろうと、大量におでんを作った。自家製の大根はまだ小ぶりだが、十分役立った。ジャガイモとモロッコインゲンも自家製。ご飯には「糯米」(もちごめ)を一つまみ入れた。頑張っている自分へのご褒美の積り。お風呂に入って冷えた体を温める。急に熱い湯船に入ると血圧が上がるので、まずはゆっくりと「掛湯」してから。 夜中に変な夢を見た。一緒に行動していたはずの妻がいない。必死になって知らない道をさまよう。どうしても見つからない妻。これは困ったことになったと悩んでいた時に目が覚め、トイレに起きた。実際に同伴中の妻が途中でいなくなるのは彼女が50代初めから。今思えばきっとあの頃から認知症が始まっていたのだろう。だが彼女は自分の行動が正しいと頑として曲げなかった。 翌日の朝ドラ「カムカムエブリボディ」。夫の弟の勇は戦地から復員して来た。喜ぶ夫の両親。だが、そこに夫稔の戦死の通知が届く。何と言う展開なのだろう。安子は稔との間に生まれた長女を背負って、毎日頑張って働いていると言うのに、こんな無慈悲な話になるとは意外だった、後でひょっこり帰って来るなんて言う「逆転劇」はないのだろうか。こんなんじゃ「カムカムエブリボディ」じゃないよね。 実はその日の朝、カーテンを開けようとしてシンビジウムに花芽があることに気づいた。私が最後の職場からもらったきれいな花が咲くシンビジウムが妻が家を出る時理屈をつけて持ち去り、妻が買った貧弱な苗が残された。私はその古い株を2分し、花を咲かせようと試みた。それが5年目にして初めて花芽をつけ、今つぼみが膨らみつつある。何と嬉しいプレゼントだろう。努力は決して無駄でなかったのだ。 それに気を良くした訳ではないが、この日は幾つかの用事をこなすため自転車で出かけた。最初は郵便局。当面の生活費と来月初めに受ける「胃カメラ」の医療費を下ろすこと。だが、年賀状の印刷は頼まなかった。そんな気分になれないのだ。そこから最寄りの生協へ。ここでは先ず会員に加入。第一は会員としての生活援助サービス受けるためだ。 2つ目は「ブラックフライデー」のちらしに載っていた衣料品を買うこと。長袖の柄シャツは加齢臭が沁み込んでいたため2枚。防寒着は買ってからもう20年以上も経った「古着」同然だった。私はそれでも我慢出来るが、これも独り暮らしを頑張っている自分へのご褒美。まあ実際の品物は、こんな高級品でなく、中国製の安物だが。 さて、帰宅してもらったパンフを確認すると、私が期待していた援助サービスとは異なるみたい。それで民生委員から以前にもらった「パンフ」を探すと、それとは別物だった。腰痛が酷い時は「草取り」を依頼しようと考えたのだ。便利屋に頼む手もあるが、そちらは料金が高い。また食事を作ってくれるサービスもあるみたい。たまには女の人が作った料理が食べたい。私の味付けには限界があるのだ。 ところで先日買ったベトナム製の「サバ缶」を1つ開けた。味噌煮で味は悪くない。問題はその中身の量だ。日本の名のあるメーカーなら、缶一杯のサバがギュウギュウ詰めで入っていた。そしてあの美味しかった「水煮」の味。ベトナム製の味噌煮は中身がスカスカ。いわばサバが味噌の中で泳いでいるような感じと言ったら適切か。それでも贅沢は言うまい。こうして生きているだけでも感謝しないとね。
2021.11.27
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~沖縄の城物語(2)~ 沖縄の城の石垣 沖縄の城がグスクと呼ばれ、その起源が墓、御嶽(うたき)などの聖なる場所、砦(とりで)、古い住居跡、あるいはその複合体であると言う仲松弥秀氏の学説については既に紹介した。それが按司(あじ=豪族)や統一者である王の居城となった例はさほど多くはない。世界文化遺産に指定された今帰仁城、座喜味城、勝連城、中城、首里城のほかには浦添城、大里城、南山城、糸数城、知念城くらいだろうか。その中には石垣が残る程度のものも多い。焼失した首里城は沖縄を統一(最大時には奄美の一部も)した琉球王の居城だったため、例外的に大きくて華美だったことを先ず理解してほしい。 これは日本の戦国時代に当たる「グスク時代」の沖縄本島。北山は現在の国頭郡、中山は中頭郡、南山は島尻郡に相当するが、郡が置かれたのは明治時代に沖縄県になってからのこと。琉球王朝時代の行政区分は「間切」(まぎり=現地語でまじり)で、これが平成の大合併までほとんど変わらずに残っていた。 「北山」のグスクは、今帰仁城と名護城程度。「中山」のグスクは、首里城、浦添城、中城、勝連城、座喜味城、安慶名城、知花城、具志川城、越来城、山田城、台城など。「南山」のグスクは大里城、大城、南山城、玉城、糸数城、知念城、ミントングスク、垣花城、志喜屋城などだが、私はそのほとんどを訪れたが、中には見つからなかったグスクもある。グスクの多様さと大戦での破壊のためだ。 勝連城 勝連城は勝連半島の付け根の丘の上にある。城主は阿麻和利(あまわり)と言う名の豪族で、妻は琉球王の娘の百十踏揚(ももとふみあがり)つまり政略結婚だった。城下の南風泊には港があり、中国にも使者を送るほどの権力を有していた。だが阿麻和利は後に奸計を用いて首里王朝に反逆する。 中城湾を隔てて勝連城を監視していたのが護佐丸が城主の中城。護佐丸の娘は琉球王の王妃。つまり護佐丸は琉球王の舅に当たる忠臣。中城で警護の訓練をしてるのを見た阿麻和利は、護佐丸が反逆したと首里に使いを出す。それを知った百十踏揚が急使を首里に送ったが間に合わず、反逆の疑いをかけられた護佐丸は事態を悟り、王の軍に抵抗せず妻と共に自害した。彼は付近の巨大な亀甲墓(右)に眠っている。なお、この戦いについては諸説あるが、那覇の大綱引きで綱に上がるのは、この2人の豪族だ。 浦添城 浦添ようどれ さて、北山王国、南山王国を制覇し沖縄を統一した第一琉球王朝は、浦添に王都を構えた。眼前の東シナ海には牧港(まちなと)の良港があり、中国との貿易に便利だった。城の北側の崖の中腹には巨大な風葬墓である「浦添ようどれ」がある。ここは伝説の王朝時代からの古い墓でもあった。また崖下の発掘調査では、城下址や鍛冶屋の工房跡が発見されている。 金属加工は権力の維持には不可欠で、中城の裏道の途中にも「カニマンの墓」称するものがあった。カニマンは現地語で鍛冶屋のこと。製鉄技術がなかった沖縄では、朝鮮や日本から「鉄てい」(鉄の延べ板」を輸入し、それを何枚か繋ぎ合わせて鍋を作った。「三枚鍋」「四枚鍋」などと言われるのはその当時の名残。沖縄のオバーの名前に多かった「なべ」(現地語でなびぃ)は食べ物に困らないように付けたもので、カマドなども同様だ。 私は沖縄に赴任した平成初期に浦添城を訪れた際、一人の白装束のオバーが海に向かって手を合わせる姿を観た。沖縄では海の彼方にニライカライと言う極楽があると信じられている。内地で言う西方浄土だが、その姿の神々しさに驚いた。未だに原始神道が信じられている沖縄。既に内地では失われた姿が、沖縄には残っている。沖縄各地の聖地を訪れる旅に強くそう感じたものだ。<続く>
2021.11.26
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~最近のニュースを交えて~ 昼食後、椅子にもたれながら眠ってしまったようだ。前夜目が覚めた際、睡眠導入剤を1錠の半分だけ飲んだ。それで合計6時間ぐらいは眠れたのだが、それでは不足だったのだろう。外を見るとそれまで晴れていた空から、大粒の雨が落ちていた。急変する天候のせいか、どんどん気温が下がっている。仙台市内の泉ヶ岳’(標高1100m程度)が初冠雪し、市内でも最低気温が4度を切る日も出るようだ。さて薬を1種類減らしてから体調は良く、腰痛体操が効いて腰の痛みも改善したようで嬉しい。 新聞を読んで驚いた。薬物中毒の女性の勤務医の話だ。彼女は人づきあいが苦手で、緊張する場面では睡眠薬を飲んでいたようだ。すると心が解放されてスムーズに話が出来るように感じた由。それで1日に5錠も飲むようになった。睡眠導入剤が「向精神薬」であることは私でも知っている。依存性があるため出来るだけ服用しないようにし、1錠の半分だけにする時もある。 彼女が次に飲み始めたのは市販の鎮痛剤。それを大量に服用すると、モヤモヤが消えるように感じるそうだ。そのため理由をつけては頻繁に服用したようだ。その後彼女がどうなったかは記されてないが、恐らくは薬物中毒で入院したのではないか。それは薬に限らず、サプリメントも同様だ。健康に良いからと飲めば、薬剤などとの複合作用を呈する。カルシウム剤の過剰摂取は、筋肉の骨化を引き起こすようだ。 中国、ロシア、北朝鮮の動きが不気味だ。ロシアはこの度人工衛星をミサイルで爆破する実験に成功したそうだ。分解した機体は数多くの宇宙ゴミとなって他国の人工衛星や国際宇宙ステーションに衝突する危険性があるのだが、ロシアは成層圏突入の際に燃え尽きると主張。中国は同じ実験を既に2度実施し、多数の宇宙ゴミをまき散らして平然としている。無責任で勝手な国だ。 それどころか、この度は極超音速(音速の5倍)兵器からミサイルを発射する実験にも成功。さすがのアメリカも危機感を覚え、今後その方面の研究を急ぐようだ。中ロの空軍機が、沖縄の宮古海峡を通過したのも数度に及び、つい最近中国の艦船が鹿児島県の口の表島の領海内を深夜に通過し、自衛隊機がスクランブル発進している。日本やその同盟国に対する嫌がらせなのは明らかだ。 最近中国はASEAN諸国に急接近して、巨額の経済援助を申し出ているようだ。「開かれたインド太平洋」を目指すアメリカ及びその同盟国に対抗して、この地域での影響力をさらに高めるのが狙いだ。マレー半島のタイ領に運河を通して、インド洋のベンガル湾から直接シャム湾に抜ける航路を作れば、自国の管理下にあると主張する南シナ海へ直結して、マラッカ海峡を通過する必要がない。 「一帯一路計画」で多くの国を「債務の罠」にかけ、借金を支払えない場合は港湾などを中国の管理下に置く例が増えた。この度UAEの海軍基地内に中国の施設があることが判明して、アメリカが抗議した。カンボジアの海軍基地にも中国支援で建設した建物があるようだ。 ICPO(国際刑事警察機構)の役員に中国の公安部門幹部が立候補する動きがあり、欧米が警戒している。もし当選すれば世界の警察情報を入手して自国に有利な状況を作り、外国に逃亡した中国人の情報も把握可能。国内の監視体制が世界に広がる訳だ。中国の危険な企みは際限なく、習近平体制がさらに強固になることが先ごろの「6中総会」で決定している。中国の暴走は誰も止められないのだろうか。 先日バイデン大統領と習近平主席が初めてリモートで会談したが、さほどのインパクトはなかったようだ。それでもバイデン氏は「台湾海峡」の現状維持を保つよう説得し、「北京冬季オリンピック」を来年に控える習近平は大人の対応をしたようだが、バイデン氏はたとえ選手は派遣しても、自らは北京に行かないことを宣言。EUもそれに追随する感じだ。 そんな折中国の女子テニス選手に対する中国共産党幹部の性強制が問題化した。中国は慌ててSNSで否定する動きをしたがいかにも不自然。その果てにはIOCのバッハ会長まで使って、疑惑否定に動いた。中国の闇と恐怖政治は深刻だが、自国民は何らの情報を与えられていない。最悪最低の全体主義国家が隣国の日本。このような状況下では、憲法を見直して対応すべきと私は感じているのだが。 沖縄の玉城知事は、辺野古基地の軟弱地盤強化工事を認めない方針のようだ。そのために超危険な普天間基地が市街地の真ん中に残り、ますます基地返還が遠のくのだ。中国はその動きを利用し、沖縄県民の分断を策謀している。それに気づかない沖縄県民は、相変わらず基地反対を唱える。香港の次には台湾。そしてその次には尖閣と沖縄が奪われるのは必至なのに、その構造がまるで見えないのだ。
2021.11.25
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~沖縄の城ものがたり~ 琉球漆器のお盆で絵柄はユウナの花。わが家にもこれと同じ物があります。鮮やかな赤には、ブタの血を混ぜて使うそうです。沖縄の話を1日おきに書いています。公開の前日に予約機能を使って書いていますが、疲れて眠くなって来ました。こんな時は誤字に気づかなかったり、文章が変になったりするのが常です。それでも書き始めました。もしも途中になったら24日に続きを書きますね。 これは13世紀ごろの琉球です。各地に按司(あじ)と呼ばれる豪族が出、城を築き次第に勢力の範囲を広め、中国と貿易を始めます。日本との関係はそれよりもずっと古く、縄文時代には九州と行き来して土器や貝を交換し、奈良時代には南島人が渡来し、史料に以下の地名が残されています。海見(あまみ=奄美)阿児奈波(あじなわ=沖縄)、久美(くみ=久米島)、志覚(しかく=いしがき)などです。 紅型(びんがた=沖縄の染色) 沖縄の始祖神が北から来、古代神道に繋がること。源氏や平家の落ち武者伝説があることも日本との関係を思わせます。鎌倉時代に日本から仏教や漢字が伝わり、南九州の倭寇が沖縄に基地を持っていたことも分かっています。九州南部の地名や人名との共通性が奄美や沖縄に見られるのも倭寇の影響が考えられます。ただし異なる漢字を用いたのは、島津藩が琉球王朝を征服後本土と区別するためです。例=中曽根(内地)仲宗根(沖縄)、中間(内地)仲間(沖縄)、松村(内地)松茂良(沖縄)など。 これは世界文化遺産、北山王国の今帰仁(なきじん)城(ぐすく)です。この城の石は他の城の琉球石灰岩と異なって熱変性のため青い色をしてるのが特徴です。とても広い城郭が4重に張り巡らされ、城壁の上の「犬走り」が見事です。奥の廓に住居址や、飲み水を得るため谷川に下りる道、馬場跡などがあります。北山を滅ぼした中山王国は、「北山監守」を置きます。 今帰仁村にある百按司(むむじゃな)墓は、北山監守やその子孫の遺体を葬った風葬墓と伝えられています。現在は高い塀で遮られていますが、低い方の塀からは中の白骨が見えるはずです。女性が2人立っている辺りです。ここで言いたいのは城と墓には密接な関係があり、しかも共に聖地であることです。 かつてここから京都大学の研究者が無断で人骨を持ち去り、沖縄県が現在返還を求めていると聞きました。かつてアイヌ人の墓から北大や札幌医大が無断で人骨を持ち去ったのと同じ構造です。人類学者や分子遺伝学者には貴重な「研究資料」でしょうが、到底許される行為ではありません。 世界文化遺産の座喜味(ざきみ)城で、読谷村(よみたんそん)にあり、中城城主である護佐丸の父王の居城とされ、城壁の石は護佐丸が生まれた恩納村の山田城から運んだとされています。私は山田城も訪ねましたがほとんど石垣はなく、周囲に風葬募も見当たらず、とても城跡と思えないほどでした。その当時長男の高校の歴史の教師は場所すら探せなかったそうです。さて座喜味城の廓は2つでこじんまりしていますが、カーブした城壁が美しい城です。私は2度行きましたが、厳粛さを感じなかったのは、城内に御嶽がなく、付近に風葬募がなかったからでしょう。でも正確には存在するのかも知れません。かつてここには日本軍の高射砲の陣地があり、米軍に徹底的に破壊されたようです。世界文化遺産指定の沖縄の城のほとんどは戦後再建されたものです。<続く>
2021.11.24
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~朝からの雨で~ 月曜日の仙台は朝からの雨。ブログはいつも予約機能を使って前日に書いています。居間に取り込んだシャコバサボテンに白い花が咲いた。普通のピンクの花もあるが、この透き通った薄いピンクの方が清楚だ。さて古い傘を壊して「杖」にしてみた。生憎「骨」が分解出来ず、針金で縛った。不細工だが、これだと誰も持ち去る人はいないだろう。果たしてこの杖に頼ることがあるかは不明だが、念のための用心。 庭のユズを切って近所に配った。間もなく気温が下がると柚子も萎れて食べられなくなる。かと言って一度に全部切ると使い切れない。そこで15,6個ほど切って差し上げることにした。向かいのKさんの奥さんはとても喜んでお礼に柿をくれた。裏のSさんの奥さんにはお返しは要らないと言って手渡したが、とても喜んでくれた。Tさん宅は留守で、門の柵にビニール袋を掛けた。 「桃栗三年柿八年柚子の大馬鹿十六年」と言うそうだが、わが家のは確か17年目に初めて小さな実を付け、今年は30個ほどが枝先で黄色く色づいた。高い場所の実は獲れない。鳥の餌になればそれも楽しいではないか。さて、左上はKさんから頂いた柿。そして右上は留守のTさんが後で届けてくれた干し柿。「お返し不要」のメモを入れていたのに。これでは「エビで鯛を釣る」になったかも。 あみさんのブログで、大谷翔平選手の記念切手が近く発売されることを知った。日本人として嬉しい快挙だもんねえ。政府は「国民栄誉賞」の授与を検討したが、本人から今回は辞退したいとの返事だった由。一方の藤井竜王「竜王」が将棋界の最高峰なので「四冠」よりも適切な呼称のようだ。そしてついに渡辺王将が持つ「王将」位への挑戦者となったみたい。もし勝てば五冠でまたまたの新記録達成。 大相撲九州場所は横綱の照ノ富士と大関の貴景勝が、中日まで土つかずの8連勝。日本シリーズはヤクルトとオリックスが1勝1敗の好ゲームを展開中。だがヤクルトは「神宮大会」のため本拠地が使えないのが痛いかも。 大河ドラマ「青天を衝く」では、渋沢栄一の妻千代がコレラで亡くなった。確か43歳くらいだったはず。栄一や千代役の俳優は変わらないのに、子供たちは成長するにつれて俳優が代わる。そのため父母よりも老け顔の子供になっているのが笑える。さて、今後最終回までどんな展開になるのか楽しみだ。 「北海道・北東北の縄文遺跡群」がユネスコから世界文化遺産に認定された記念式典が22日にオンラインで開催された。写真はそれを記念した先日の「世界ふしぎ発見!」に出た縄文土器。左上は「水煙紋土器」で確か山梨県出土で、私は初見だった。火焔土器にも似てるが物凄いエネルギーだ。 右上は何度か見たことがあったが、確か長野県出土で「出産紋土器」と言うらしい。上の顏は母親で、下の顏はまさに産まれ出ようとしている赤ちゃん。平均寿命が短かった縄文時代、出産は母子ともに命の危険が大きな難事業。出産の無事を祈った縄文人の真剣さがとても良く伝わる。縄文文化は想像以上に高度で、強い精神性と芸術性を感じられる世界に誇る日本の文化。各地の縄文土器をたくさん見られた私は幸せ者と言うべきだろう。
2021.11.23
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~久高島は神の島~ 沖縄本島南部の知念半島の沖合にある久高島は「神の島」と呼ばれる。アマミキヨとシネリキヨがこの小島に漂着し、対岸に渡って沖縄の始祖神となったとの伝説があるからだ。またかつては琉球王が年に一度島を訪れ神行事をしたとも伝えられている。だが島津藩による琉球支配(1600年代初頭)後、王が島に渡ることは禁じられ、王朝随一の神女である聞得大君が王に代わって、対岸の斎場御嶽から遥拝するだけになった。それが王朝最大の神行事となった。 これが久高島の祝女(のろ)。「のろ」は呪うの「のろ」祝詞(のりと)の「のり」と語源が共通で、日本語の古語と意味も発音も近く、神の言葉を伝えることにつながる。神社での戦勝祈願は言葉で相手を呪い殺すことであり、祝詞(のりと)は神への讃辞。言葉は言霊(ことだま)。青森県出身の野呂さんは神職の家系だった。恐らく偶然ではないのだろう。さて久高島でノロになるのは島出身の女だけ。またこの島からは一木一草たりとも持ち出せないのが決まり。港にそう書いた看板があった。 久高島では琉球王朝時代、年に40回以上もの神行事が行われた。それは当時島の男たちが貿易船に乗って長く家を留守にし、その間女の操を守るためと言う。最大の神行事「イザイホー」では、砂の上に梯子の絵を描き、女たちを渡らせる。不思議なことに不貞を働いた女は、それを渡れなかったそうだ。また久高島は原始共産制で、畑は共有で順番に耕作地を交換していたと言う。今でも私有地はないはずだ。 かつて午年(うまどし)に行われていた島最大の神行事イザイホー(上)。島のノロ総出の行事は1週間続く。各々に役割があり、男の世話役もいたが、島の最高神職である久高ノロと西銘ノロが高齢となったため昭和53年(1978年)が最後となった。私はテレビでもその模様を見、勤務していた国立民族学博物館のビデオテーク(当時)でも見たことがあった。壮大かつ厳粛な神行事だ。 フボー御嶽 写真は久高島最大の聖地であるフボー御嶽。フボーとはソテツの現地語。ここは男子禁制の地で、簡単な拝所(うがんじゅ)と香炉くらいしかない。これが原始神道本来の姿で、内地も同様。磐座(いわくら)、巨岩、巨木、山頂、洞穴などが信仰の対象で、神社の建物や鳥居などが出来たのはずっと後になってからだ。大勢のノロたちは、この御嶽と祭りの広場を何度も往復して祈り続ける。 後ろに見える小屋はエラブウミヘビを燻製にする場所。西銘ノロと久高ノロだけがウミヘビを獲ることが出来た。ウミヘビは産卵のため遥々インド洋からやって来る。毒性は強いが性質が穏やかで口が小さいため噛まれることは滅多にない。ウミヘビの燻製は滋養があり、高額で取引された。島根県の美保神社でもウミヘビを捕らえて神前に供える風習がある。ウミヘビを神の使いと考えるのも、共通で興味深い。 さて「芸術は爆発だ」の言や「太陽の塔」の制作で知られる岡本太郎は、パリ大学で民族学(文化人類学)を学び、久高島にも来たことがある。その際「風葬募」を是非見たいと島の人に頼み、仕方なく案内した由。だがその男は狂死した。風葬地は島の聖なる場所で、島外の人に見せてはいけない場所。その禁を破ったため、精神に異常を来したのだろう。 <百按司(むむじゃな)墓=今帰仁村の白骨> 沖縄勤務当時、私もある島に渡って風葬募を訪ねようとしたことがあった。だがその手前で男の人に止められた。彼は那覇からその島に来て酪農をしていたようだ。私が風葬募を見に行くと言うと、止めろと言う。きっとそこは禁断の地なのだろう。私はそう察して別の聖地に向かった。さて私が久高島を訪れた際、どこからともなく白い子猫が現われて、私を港まで導いてくれた。本当に不思議な体験で、私は詩を書き2冊の詩集を出した。<続く> 写真はすべてネットからの借用です。
2021.11.22
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~人生の晩年・人間について想うこと~ 土曜日。朝ドラ「カムカムエブリボディ」を観て驚いた。何と稔と安子がいつの間にか結婚しているではないか。だが、15分間の「まとめ」で納得。稔の学徒出陣の前に、稔の父親が息子の願いを聞き入れて、和菓子屋の一人娘と結婚させることにしたのだ。純情だったあの頃。さて私がラジオで「カムカムエブリボディ」の音楽を聴いたのは戦後のこと。あれは「証城寺の狸囃子」と言う童謡だ。 庭のウメモドキ あの頃の音楽で覚えているのは「鐘のなる丘」、美空ひばりの「りんご追分」。そのうちテレビ放送が始まり、空手や相撲の中継に夢中になり、そのうち「バス通り裏」、「ジェスチャー」、「私は誰でしょう」、「ひょっこりひょうたん島」などが出て来た。黒柳徹子がまだ若い娘だった頃だ。 秋山庄太郎撮影の「秋田美人」 「鶴瓶の家族に乾杯」を観て驚いた。先日TVに出たのは104歳のお婆ちゃん。出陣する兵隊さんと急遽結婚したが、夫婦生活もないまま夫は戦争に行き戦死した。残された彼女は再婚することもなく、養子をもらって家を守り子や孫、ひ孫、玄孫までいる身だが、今でも夫を愛してると言っていた。手も握ったことなどないはずだが、良くその純情を貫き通したものだ。 先日行ったK内科で隣に座っていたお爺さんと少し話した。92歳で89歳の妻と2人暮らし。買い物、用事、病院にはバスやタクシーを使っている由。一時は杖を突いて歩いたが、右肩に荷重がかかって大変だったそう。東京のお嬢さんが見かねて、電動歩行器を買ってくれた。それは椅子付きで、バスを待つ間は座れて良いとのこと。夫婦仲良く助け合っている老夫婦に、私は尊敬の念を禁じ得なかった。 三船美佳が高橋ジョージと離婚したのはかなり前の話。年の差婚で十代で結婚した美佳は、モラハラ気味の夫がウザったくなったのだろうか。最近では篠原涼子がかなり年上の夫市村正親を捨てて家を飛び出し、韓国の若いミュージシャンと恋愛中だとか。世の中は変わり、家族の形も、恋愛観も変わった。昔なら考えもしなかった不倫の時代。それだけ自由になったのだろう。わが家でも大金を持った認知症の妻が家を出て行った。どうやら付き合っていた男性いたようだ。知らぬは亭主ばかりなり。 久しぶりに眠れ、久しぶりに十分に食べ、久しぶりに好調と感じて散歩に出かけた。本当は5kmほど歩く積りが腰痛が発生、家の近所500mほどで終わった。農家の畑の柿は全て収穫してあった。きっと「渋抜き」にでもしたのだろう。わずかな運動でも気持ちが和んだ。健康であることの有難さを痛感したことだ。 Kさんが世話しているバス停前の花壇での皇帝ダリアが、青空に向けて大輪の花を開かせていた。実に見事な風景。世話する人の真心。それに応えて立派な花を咲かせたダリア。樹高は3m以上にも伸びてまさに「皇帝」の名にふさわしい雰囲気だ。間もなくこの花も霜でやられる。季節の移ろいは早い。夕方新聞屋さんが集金に来た。相変わらずのバカ話をして別れる。 先日その花の前で、近所の人に出会った。先方は2人連れで1人は夫を亡くした80歳くらいの女性。もう1人はその姑で90歳を超えているだろう。先方から話しかけられ「毎日3食とも自分で食事を作っています」と言うと、「じゃあ行く?」と女性。一瞬何のことかと思ったら、自分の姑に対して「それなら嫁に行きますか」と言うことだったのだろう。彼女は私が独り暮らしをしていることを知っていてそう言ったのだ。それは姑に対しても私に対しても失礼な話。世の中には色んな人がいるものだと痛感。 落ち葉 先日受診したK内科は7年ぶりで、診察券を作り直した。「ずいぶん丁寧に診察しますね」とドクターに話すと、「これくらいの時間を取らないと本当の診察は出来ないよ」と彼。そして新築移転したM内科のことを私に尋ねた。「土曜の午前と日曜日は2人のドクターで診察してますよ」と答えると、人を雇えば結局同じなんだけどね」と。私の暮らしぶりにも耳を傾けてくれ、その人柄を見直した私だった。 ドングリ 一方、14年ほど診察を受けているM医師。先日「体調が悪いので薬を減らしてください」と頼むと、「それなら薬は全部止めますか」と脅迫。私が服用している薬は強く、同時にかなり強い副作用を持つのが多い。それが数種だとさらに複合的に作用する。新築移転してかなりの借金があるのだろう。表情が以前よりも険しい。その体調不良の不安の私に「心療内科に行けば」の言葉は忘れられない。私の体調を最も良く知るドクターだが、この際セカンドオピニオンを求める気になったのも確かだ。 倒れたユリの種 薬を1種類減らしたお陰で、ふらつき感と不安感が減って集中力が増し、心が少しのびやかになった。たとえ錯覚だとしても今の私には嬉しい変化。そのお陰で散歩に行く気にもなった。「人間は社会的な動物である」。確か古代哲学者の言葉だと思うが、出来ればより長く正常な認知機能を維持したいものだ。今日もブログを書けたことに感謝し「予約する」をクリックした。
2021.11.21
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~祈る~ 首里城「京ノ内」の御嶽にて 首里城内の御嶽(うたき)の中で最も重要なものは首里森御嶽だったことは前述した。私はその理由を、首里城が建つ前に御嶽のある森があったからではないかと考えている。その森にあったのが首里森御嶽(すいむいうたき)だから首里城の正式な名も「すいむいぐすく」だったのではとの推察。城と祈りの場である御嶽は密接な関係。つまり城は神によって守られていたのだ。神女の髷(まげ)の後ろに大きな簪(かんざし=後述)が見える。 因みに最初の写真の低い塀の内側が御嶽の一つ。本来ならあの中で祈る。だが、この女性は琉球舞踊の踊り手で、テレビ撮影のため神女の服装をして御嶽の入口に立っただけ。そして御嶽自体も現在では信仰の対象でなく、ほとんど厳粛な雰囲気はない。第2回で載せた首里森御嶽も現在祭祀の対象になっていないが、風化した琉球石灰岩がいかにも古めかしく見えて、雰囲気はある。 これは2011年にNHKで放送された琉球歴史ドラマ「テンペスト」(嵐)で女優高岡早紀が演じた、琉球王国最高の神職である「聞得大君」「きこえおおぎみ)。琉球髷(まげ)を抑える大きな簪(かんざし)を琉球語で「ジーハ」と呼んだ。ジーハは身分により材料も形も違う。胸の赤い玉は「勾玉」。大君は王の血族で太古の卑弥呼や伊勢神宮の斎宮に当たり、国家の安泰を祈願するのが役目だった。 1) 2) 上は沖縄第一の聖地である斉場御嶽(せいふぁうたき)。「第一」の理由は琉球王朝時代、王や聞得大君がここで国の安寧を祈ったからだ。ここも世界遺産の一つ。御嶽の中には幾つかの聖地があり、それぞれ名前があって信仰の対象だった。 1)は巨大な岩が右側の岩にもたれかかって、きれいな三角形を作っている。大きな岩も三角形も日本古来の聖なるもの。2)は縄文時代の岩陰遺跡に良く似ている。多分縄文時代(沖縄では貝塚時代だったか)には縄文人が住んでいたと思われる。台風を避けるに好都合だったからだ。洞窟が聖なる場所であるのは古代日本も変わらない。 3) 3)は1)の三角の奥にある聖地で、ハート形の樹木の向こうの海上に見えるのが「神の島」久高島(くだかじま)。沖縄の神アマミキヨとシネリキヨが上陸した島であり、米などの「五穀」が漂着した島との神話がある。かつては琉球王が島に渡って神行事を行ったが、1600年代初頭に島津藩によって琉球が支配されると王が島に渡ることを禁じられ、ここは島を遥拝する「通し御嶽」となった。 それも王に代わって聞得大君が代参した。右の地図で見ると、斉場御嶽は知念半島の先端にあり、大君は色んな聖地を巡って首里からここまで来た。それを東回り(あがりうまーい)と呼ぶ。久高島はその沖5kmほどにある平坦な小島。この島の重要な神行事のことなどは改めて記すことにしたい。私は斉場御嶽が世界文化遺産に指定される前に3度、指定されてから1度訪れたが、指定前は観光客は誰もおらず怖いくらいで、とても神秘的な雰囲気が漂っていた。久高島へも1度船で渡ったが、とても不思議な経験をしたことがある。<続く> 昨日の金曜日、朝食抜きで消化器内科へ行って来ました。胃カメラの予約だったので朝食を摂っても良かったようですが、空腹でフラフラ状態ながら新たなことが分かって良かったです。ひょっとしたらセカンドオピニオンのために病院を変えるかも知れません。 そしてもうどなたもご存知のように、大リーグエンジェルスの大谷翔平選手が、下馬評通りアメリカンリーグのMVPに選ばれました。日本人のリーグMVPはイチロー選手以来偉業。しかも満票だったみたいですね。簡単ですがひとまずオメデトウと申し上げておきますね。やったね翔平!!
2021.11.20
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~わが貧しき習作~ 皇帝ダリア 月1回の俳句教室に向けて、凡人たる私は幾つかの句を準備する。11月の兼題(宿題)は「立冬や」だが、その他にも晩秋から初冬の句を詠んでみた。まあとても文学的とは言えない句ばかりだが、私にとっては愛する作品だ。では暫し愚作にお付き合いいだけたら幸せです。 立冬や旧友に文認めぬ *したため 立冬や日は傾きて鳥の群 立冬やわが人生に悔ひのなし 立冬やわが人生も凛たらむ *りん 立冬や一杯の茶の旨きこと 立冬や終の棲家に差す朝日 *ついのすみか 立冬や完結したる朝ドラマ 冬カモメ石女深き息を吐く *うまずめ 冬鴎完結したる朝ドラマ *ふゆかもめ 凩の河口に響く汽笛かな *こがらし 虎落笛わかれし妻は何方へ *もがりぶえ *いずかた もがり笛石女いまだ眠られず *うまずめ=子のない女性 石女や冬立てる日の宮詣り *みやまいり もがり笛行方不明の妻の夢 *もがり笛=竹の切り口などに当たる風の音 立冬や夜汽車の汽笛遠ざかる 立冬や遠ざかり行く夜汽車の音 *ね 実方中将の墓 冬めくや歌人の墓の夕まぐれ 枯尾花歌人の墓の夕まぐれ *枯尾花は枯れススキのこと 歌詠みの墓や草木はみな枯れて 立冬や遠ざかり行く日々の数 冬菜畑影引きずりて村夫子 *そんぷうし=村の学者 冬菜畑村夫子の影長くして *ふゆなばた 陽を受けて気高きことよ木守柚子 *きもりゆず 日を受けて輝く柚子の命かな 講義を終えた講師に言いました。「先に引き受けていた俳句教室の講師の件ですが、著しい体調不良のため辞退したいと思います」。「そうか分かった。君は弁が立つので適任と思ったのだけど、体調不良の苦しさは自分も一緒なので、無理しなくて良い」と講師が答えた。 私だって自分なりに俳句の話はしたいし、仲間とこれからも俳句を学びたいと思う。専門の本を4冊買って勉強したいと準備していた。だが今の体調で1年間講師を続けるのは無理。引き受けても迷惑をかけるとの判断だった。これで2,3日続いた不眠から解き放れたら嬉しい。それ以上に講師のために役立てなかったことが悔しい。講師は胃がんが肺に転移し、これ以上の治療を拒んでいる。風前の命で教壇に立っているのだ。
2021.11.19
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~沖縄における信仰と祈りの形(1)~ 私は沖縄が大好きだ。だから沖縄の話を書いているうちに死ぬことがあっても本望と思うくらい。わが家にも沖縄のものがたくさんある。シーサー4対。漆器は2個。抱きビン2個。織物2種。トックリ1個お猪口2個。版画数枚。だがそれを撮らずに今日のブログを書き始めたため、とりあえず借り物の写真を載せて置こう。 漁船はサバニ多分小舟(さぶねの変化だろう)と言い、パイナップルみたいな実はアダンで、ヤシガニの大好物。手前の海がエメラルドグリーンなのは、サンゴが砕けた白い砂のため。沖が紺色なのはそこから急に深くなっているためで、その境にサンゴ礁がある。サンゴ礁の内側がイノー(内海)と言って、昔から潮が引いた時はカニや逃げ遅れた小魚やあーさ(アオサ)を採って食料にしていた。 これは首里城内にある首里森御嶽(すいむいうたき)。首里城の中でも最も大事な聖地で、私も沖縄勤務当時に見たはず(?)なのに全く厳かさを感じなかったのは、多分現在では信仰の対象ではなかったせいだろう。塀の内側に樹が茂っている多分ガジュマルのはずだ。本来はこの木が樹がご神体だったはず。 ガジュマル 沖縄を代表する樹木のガジュマルは成長すると樹高20mにもなる。そして枝から髭のような気根(きこん)を垂らして空気を吸い、それが地面に届くと根付いて太くなると支柱根(しちゅうこん)になる。上の写真にも支柱根が見える。こうして幹だけでなくたくさんの支柱根が生えるのは、強い台風に耐えるため。痩せた土地では根は板根(ばんこん)と言う板のように立った根になって幹を支える。 ソテツ ソテツは良く見られる植物。沖縄ではクバと言い、この葉を編んで笠にした。クバが変化してフボーと訛る。飢饉の時はソテツの実をあく抜きし、毒素を少なくして食べた。神の島久高島には「フボー御嶽」と呼ばれる聖地があり、島で最も重要な儀式を執り行った。ここは男子禁制で神職の男が最も大切な儀式の時だけ入れた。ガジュマルもソテツも神の憑代(よりしろ)で、神道の神木と一緒。つまり沖縄には日本の古代神道が色濃く残っているのだ。首里城も初めは森しかない聖地で、城はかなり遅れて出来た。 左は沖縄本島最北端の辺戸(へど)岬。奥の尖った山の頂上に安須森(あすむい)御嶽(右)がある。私は沖縄在住中に一度だけ登ったことがある。猛毒のハブが出そうで怖かった。長靴を履き、棒で草むらを突きながら用心して登った。頂上には何もない。それが本来の姿。高い峰(沖縄では嶺の字を用いる)に神が降り立つのも内地と同様に北方民族共通の神話なのだ。 頂上には小さな祠と香炉があり、「ここは神様と交信する大切な場所です。汚さないでください」と書かれた小さな表示板があった。沖縄神話で辺戸岬は沖縄の男女神アマミキヨとシネリキヨが初めて上陸した地とされる。最北端のここに初めて着いたと言うことは神は奄美方面から来たわけで、名前からも海人族(あまぞく)だったことが分かる。縄文土器も神も内地から島伝いにやって来たことを暗示する。 中城城の大井戸 なかぐすく城の城内には大井戸(うふがー)がある。ここはかなり大きな城で沖縄本島を貫く脊梁山脈の標高150mほどの丘陵上にある。敵の阿麻和利(あまわり)の居城である勝連城を見張るには好都合の場所だった。だが飲み水を得るために掘ったのがらせん階段状の石段を下りた先の井戸で沖縄では「かー」と呼ぶ。人工的に作った泉で水が貴重な沖縄では聖地であり、信仰の対象となる。首里城では感じなかった厳粛さをここで感じたのは、背後の森が自然であるためだろう。だがこの城のある本島中部も沖縄戦の激戦地だった。 ここは宜野湾市にある普天間宮の地下洞窟。ここが元々信仰の対象で、本来は風葬の地だったと私は思っている。だから沖縄人は先祖を祀った。日本神話にもイザナミが亡き妻イザナミを追って黄泉(よみ)の国(あの世)を訪ねる場面があるが、風葬募を想定させる状況だ。温度と湿度が高い沖縄では、洞窟に遺体を置けば、そのまま腐って遺骨だけが残る。神社の建物が建つのは明治以降に日本に帰属してからだ。 風葬墓 モノクロなので昔の写真だが、お棺の先に見えるのが人骨。現在ではちゃんとしたお墓(沖縄では色んな形をしたものがある)に葬り、かつての風葬墓は石垣と漆喰で封鎖されるのが大半だが、地方は離島には未だにそのまま残るものがあり、私は本島中央部の嘉手納町で見たことがある。恐らくは戦争で関係者が全員死亡したため、手をつけずに放置した「財産」ではないかと考えられる。<続く>
2021.11.18
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~あるテレビ番組を観て~ 庭の山茶花が咲いたのを居間から見つけ、写真を撮りに外へ出た。パソコンに写真を取り込む作業中に、手の痒さを感じた。注意して右手を見ると、黒くて小さな虫が止まっていた。私はすかさず左手で叩いた。やはり血を吸っていた。これは多分九州で言う「スケベ虫」。大きさは4mmほどで、衣類を潜って胸元に飛び込むことからそんな名がついたようだ。仙台にはこんな蚊はいなかった。それが11月中旬でも蚊が出る。やはり地球温暖化の影響が大きそうだ。 福原愛さんが青森大学の非常勤准教授に就任したことはブログに書いた。その後彼女はプロ卓球Tリーグ男子の「琉球アスティーダ」の社外取締役に就任した由。愛ちゃんは常々日本卓球界のために貢献する気持ちが強かったそうだが、その希望が今回叶った。チームでは広くアジアでも通用する選手の強化を考えてのことで、中国のリーグに属した経験のある彼女は適役だったのだろう。 首里城守礼門 それにしてもなぜ「アスティーダ」と名付けたのか。3年間沖縄に勤務した私は直ぐにピンと来た。アスは明日だろうが、「ティーダ」は琉球語で太陽の意味。琉球王朝時代の沖縄で太陽は神そのものの存在。「ティーダ」または「てだこ」と呼ばれる太陽信仰が王朝内でも庶民の間でも浸透していた。 なぜこんなことを書き始めたかだが、先日NHKの「祈りの首里城・デジタルで蘇る姿」と言う番組を観てのことだ。私は3年間の沖縄勤務のほかにも20回以上沖縄を訪れ、いろんなものを見聞している。だから守礼門と旧い歓会門しかない時代の首里城も知ってるし、復元された美しい首里城も観たし、焼け落ちた後の首里城本殿跡地も観た。そこでタイトルの「祈りの首里城」が引っかかったのだ。 これは現存する最古の首里城の写真。もちろん戦前の撮影でモノクロ。明治時代の「琉球処分」で琉球王国は「琉球藩」となり、さらに遅れて「沖縄県」となった。最後の琉球王は東京に移され、王の居城だった首里城は「神社」として残った。その建物も第二次世界大戦の沖縄戦で焼けた。首里城がある山の地下塹壕に日本軍の司令部があり、米軍によって徹底的に破壊されたのだ。 首里城は合計で5回焼失してるそうだ。だが「世界文化遺産」としての首里城は無事。その理由は文化遺産として指定されているのは、地上の建物ではなく地下の遺構であるため。この焼けた瓦の下に遺構は埋まっていて無事。因みに世界文化遺産に指定されたのは、北から今帰仁(なきじん)城、座喜味城、勝連城、中城、首里城、第二琉球王朝の陵墓である玉陵(たまうどん)、王朝時代の時代の別荘である識名園、そして沖縄最大の聖地斎場御嶽(せいふぁうたき)の8か所だったはず。私は全て訪れ、識名園以外は複数回訪れている。 古い時代の首里城歓会門 因みに沖縄では城を「ぐすく」と呼ぶ。沖縄の民族学者で琉球大学の教授だった仲松弥秋氏の著書に拠れば「ぐすく」は奄美諸島から沖縄の八重山地方にまで広範囲にあり、墓、聖地、集落、砦などの性格を有し、またそれらの複合の場合も多かったようだ。そしてその「ぐすく」には必ずと言って良いほど御嶽(うたき)があるのが普通。だから城は祈りの場でもあったのだ。もちろん平和と安泰を祈っての。だが私が見た20以上のグスクで御嶽を持つのはそう多くはなかった。多分戦火で焼失したと思われる。それだけ沖縄本島は激戦地だったのだ。ただ今帰仁城と中城、浦添城には明確に御嶽と思われる場所が残っていた。 園比屋武御嶽 首里城で誰にでも分かる御嶽が園比屋武(そのびやん・うたき)。ここは琉球王朝時代外国に旅立つ時などに旅の安全を祈願した場所。徳川将軍の代替わりや琉球王の交代時には江戸上り(えどぬぶい)と称す使節を送るのが通例だった。その時は琉球衣装を着ていたそうだ。当時旅は命がけ。王朝の最盛期には中国への朝貢はもとより、朝鮮や東南アジアまで貿易船で出かけた。御嶽の前には必ず香炉が置かれ、線香を上げた。沖縄の線香(うこう)は1本1本ではなくまとまって引っ付いている。色は緑ではなく黒。そして今では火事にならぬよう、火は点けないで置くだけ。面白くない専門的な話がましばらく続く予定だ。<続く>
2021.11.17
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~移ろいゆく季節のはざまで~ 月曜日は新聞休刊日。部屋に取り込んだシコンノボタンが1輪だけ咲いた。整形外科からもらった塗り薬は捨てた。強い湿布薬に肌が負けて発赤した。湿布薬は20枚以上残っているが多分使わないはず。どこの医者も過剰に薬を出す。その方が儲かるからだろうが、出来れば薬の過剰服用は止めたい。認知症の原因の一つが、脳に蓄積した特定の化学物質だと聞いたことがある。 狂い咲きした農家のユリ 先日循環器内科を訪れた時、ドクターから「Aさんの人生観」云々と言われた。まるで私の人生観が病気を引き寄せたみたいに聞こえた。確かにそれはあったかも。高血圧は遺伝性のもの。ただし不整脈はある時期、過激な肉体労働で疲労したまま、55kmの練習会に参加し、走ってる途中に急激な心身の異常を感じた。だが、ゆっくり走っているうちに症状が治まって、ゴールまで走った。 ユリと虫 なぜ疲労困憊の身で練習会に出たのか。それはある登山レースが迫っていたからだ。だが、そのレースの途中高低差800mある「八郎坂」の途中で何度か転倒。雨の後で滑り易かったからと理解していたが、ひょっとしたらあれも不整脈による眩暈だったのかも知れない。とも角自分が鉄人だと信じ込んで、かなりの無理をしていたことは確か。反省はするが後悔はしない。全ては自分が選んだ道と判断だ。もちろんドクターにも前妻にも、そんな話はしたことがないのだが。 ムベとユズ 近所の塀に生っていたムベを一つ失敬していた。誰も獲る様子がなかったからだ。それを暫く放置していた。中がまだ熟してないと思ってのこと。ところが月曜日に触ってみると弾力性が増していた。熟した証拠だ。アケビは実が開くが、ムベは開かない。そこでナイフで切れ目をいれて実を引き裂いた。 種の周囲にゼラチン状のものがまとわりついている。それをまとめて口にし、種だけ吐き出す。ほのかな甘さはとても上品。こんな美味しい物を食べないなんて、ぜったいもったいないよ。俺は好きだな。 ちなみに枝に生ってる様子は上のとおり。高い所に生ってる実は大人でも届かない。家人が庭から手を伸ばせば採れるだろうが、全部取るかどうかは分からない。どうも勝手に獲ってスミマセン。 先日スーパーで買って来たサバの味噌煮の缶詰。1個110円の特売品。どうもパッケージが日本風じゃないなと確認したら製造はベトナムで、輸入元が日本の会社だった。これには驚いた。まあ味噌煮と醤油煮があったので、多分日本の業者が現地業者を指導しているのだろうが、まさかベトナム製の缶詰を食うとは。少し前に義姉がくれた缶詰の一つも全く同じ。どうやらかなり出回っているみたいだ。 ビスケットのかけらではありません。縄文人が作った「土面」の一部です。見つかったのは青森県八戸市にある是川遺跡の一つ「一王寺遺跡」からこの度発掘された縄文時代中期前半(5300年~5100年前)のもので、これまで発掘された最古のものと判明した模様。口は欠けていますが2つの目が開けられ、眉は紐状の粘土で作られています。顔面の尖った棒で突いた窪みは、ひょっとしたら刺青(いれずみ)を表したのでしょうか。紐穴はなく、どうやら手で持って顔にかざしたようです。 <合掌土偶(国宝=左と漆を塗った注口土器(右)> 是川遺跡は先ごろ世界文化遺産に登録された「北海道・北東北縄文遺跡群」の一つで国宝の「合掌土偶」や漆を塗った見事な土器が出土したことで有名で、私も訪れたことがあります。縄文時代の遺跡や遺物は北海道の礼文島から沖縄の宮古島にもあり、朝鮮半島やロシアの日本海沿岸部まで広がっています。隠岐の島産の黒曜石がロシアから出土しており、縄文人の広範な活動が偲ばれます。日本人の祖先は縄文人であることは疑いないこと。弥生人などその後渡来した民族との混血はありましたが。 テレビだったかネットだったかは忘れましたが、制服にも「ジェンダーフリー」のものを制定している学校が既に出ているそうですね。下はズボンかスカート。上着は男女とも着られるサイズを用意。ネクタイも幾つかから選べるみたい。女子がズボンを履き、男子がスカートを履く自由な校風。まさかそんな時が来るとはねえ。時代と共に社会が変化して行く。そんな風に感じた私でした。 目まぐるしく変化した晩秋の一日。今日もブログを書くことが出来たことに感謝しています。
2021.11.16
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~日曜日のわたし~ 昨日の日曜日。私は結構頑張りました。6時半には目覚めて着替えし、古新聞と「雑紙」をゴミ収集所に運びました。第2日曜日は資源ごみの回収日なのです。帰宅後は布団を2階に運び、気温が上がってからベランダに干します。そして朝食の準備。アジフライ、コロッケ、煮物、納豆、そして果物など、出来るだけバランス良く、エネルギーになりそうなものを選びます。と言っても、残り物ばかりですが。 新聞に目を通した後、買い物へ。最初のスーパーでは買い物をせず、プラスチックのトレーや紙パックを指定のボックスに入れようと思ったのですが、何と改装工事で休業中でした。止む無く遠回りして別の店へ。ここでも買わずにトレーなどをボックスに入れただけ。その次は100円ショップで、安全ピンや髭剃り、ゴム紐などを購入。安全ピンは掛布団が汚れないよう、バスタオルを止めるためです。 3番目の店でようやく買い物。体調が悪くて出かけずに、2週間冷蔵庫の中の食品で済ませていました。それでも何とか持ったから不思議です。ただし、栄養は不足しがちだったかも。それで、しっかり買いました。野菜が少し安くなった気もしますが、どうでしょう。帰宅して仕分けすると、買い忘れたものもありました。悪くなりそうなものは、素早く処理します。 午後はモロッコインゲンの苗と支柱を始末しました。あまり収穫物はないかと思ったのに、意外とまだ残っていました。70本以上はありました。上はその一部です。ついでにブロッコリーとカリフラワーを苗を残したまま包丁で半分に切りました。全部切ると多過ぎるとの判断です。あまりにも大きいため、一度では食べ切れずに悪くします。育ちの悪い白菜も抜きました。間引き菜くらいにはなるでしょう。 バカボンのパパではありません。将棋の藤井4冠の師匠の杉本八段です。弟子が九段で師匠を追い越しました。その師匠が4冠達成の弟子について語ります。「この日が来ることは10年前に確信していましたが、それでも師匠としては感無量です。人間の無限の可能性を感じさせてくれます。さらなる飛躍を期待しております」と。10年前なら藤井4冠はまだ小学校2年生。既にその頃から才能を見抜いていたのですね。 そして弟子の藤井4冠は言います。「最近は対局の場にデジタル時計を持ち込んでいます。以前は持ち時間の使用に問題があり、対局中の長考で時間を浪費していました」。この師匠にしてこの弟子あり。素晴らしい関係ですね。さて、来年2月の竜王贈呈式で賞金4千万円が授与されると、収入は1億円を超えるようです。さらに「王将」位への挑戦権を得る可能性もあるみたい。驚異の一言です。 大相撲九州場所が2年ぶりに開催されました。福岡に観客が戻りました。初日、大関の貴景勝と横綱の照ノ富士は勝ちましたが、ご当地力士で熊本出身の大関正代は黒星スタートとなってしまいました。さて写真は元横綱白鵬の間垣親方です。親方として最初の仕事は警備です。本来なら一代親方「白鵬」を名乗れたのでしょうが、協会はそれを許しませんでした。現役時代色んな問題を起こしましたからね。 さて、この日収穫した大量のモロッコインゲンのほとんど、カリフラワー、ブロッコリー、間引いた白菜は全て茹でました。でも白菜はまだ結球してないので、茹でるととても小さくなります。それをさらに絞って水を出します。しかし獲れたての野菜は美味しいですね。自分が作ったとなればなおさらです。これで畑に残る野菜は白菜(まだ10株以上)、大根、キャベツだけになりました。タマネギは植えない積りです。何しろ苗が100本単位のため、多過ぎるのですよ。ああ疲れた。早く寝よう。
2021.11.15
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~自分なりの危機感~ 土曜日の朝、そそくさと朝食を済ませて病院に行った。行きつけの内科だが、土曜日に行ったのは初めて。それだけ私は必死だったのだ。土曜日にも関わらず、大勢の患者さんが既に並んでいた。「25番」の札を受け取り、新聞を読んで順番を待った。かなり辛い心境だったが、腰の痛みが出なかったのがせめてもの救い。順番が来てドクターに呼ばれ、診察室に入った。 体調が悪くて死にそうだと言うと、ドクターはぎょっとしたみたい。1か月以上も前から「げっぷ」が出ることを告げると、ベッドに寝かされエコーで診断された。心配なら胃カメラを撮った方が良いと。そこは循環器内科が専門で、私は高血圧、不整脈、高血糖を抑える薬をもらっていた。そのうち高血圧と不整脈の薬は長い間飲んでいる。その「薬毒」が腎臓に負担をかけているのではないかと疑ったのだ。 薬剤を解毒するため腎臓がフル稼働し頻尿につながるのではと疑い、ドクターに疑問をぶつけた。そして2種類の血圧降下剤を1種類にして欲しいとも。ドクターは少し怒ったようだ。ネットにはそんな情報が出てるけど、医者は1人1人の症状を診て薬を処方してると。もちろんそうだろうが、出来るだけ薬の数は減らしたい。ドクターは「めまい」の副作用がある薬の欄に「×」をした。これで飲み薬が1種類減り、帰宅後私はその薬を全て捨てた。 そして私に言った。昔は自信に溢れていたのにねと。それはもう15年近く前の話。まだランナーとして絶頂期にあったころ。それから無理が祟って不整脈の手術をし、足腰も故障した。また家庭の上でも大きな変化があった。「心療内科」にかかったらとも。だが私が心療内科に行っても解決にはならない。むしろ私が相談したいのは、まだ認知能力が残っているうちに財産処理などの「終活」なのだ。 帰宅後朝食の残りを食べて眠ろうとしたが止め、午後「肉うどん」を作った。人間はやはり食べないとエネルギーが出ない。気にしながら放っている「仕事」も幾つかあるが、なかなかその気にならない。それでもやっとこ大掃除をし、近所を散歩がてら秋らしい風景を撮った。これで当分の間、ブログ用の写真に困ることはないはず。 小室さんと眞子さんが、今日アメリカに旅立つようだ。一昨日の夜にはお母さんの元婚約者と面会して、「解決金」の支払いでも合意したそうだ。私は良かったと思っている。ネットでは、小室さんはフォーダム大学のロースクールを卒業してないとか、NYの法律事務所をクビになったため、日本で暮らすとかのデマが流れていた。 だが、来年2月の司法試験は、前回不合格になった科目だけの受験であることを私は知っていた。世の中には平気で嘘をつく人がいる。苛めによる自殺も深刻で、嫌な世の中だとつくづく思う。たった2人きりで過ごすアメリカ暮らし。どうか平穏で眞子さんの複雑性PTSDが少しでも良くなることを祈っている。2人の前途に幸あれ。 いやはや驚いた。藤井聡太3冠(右)が豊島竜王(左)に挑んだ「竜王戦」は昨夜が3連勝での第4戦目。2日目の後半。持ち時間は豊島竜王が残り2時間、藤井3冠が9分と聞いて、これはやばいなと感じていたのだが、そこからも攻撃の手を休めず、ついに豊島竜王の投了となった。これで19歳3か月での4冠達成。最年少記録を塗り替えた。まさしく「藤井時代」の到来。私は将棋に詳しくないが、共に同時代に生きたことを喜びたいと思う。
2021.11.14
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~中国の苦しみと私が身の苦しみ~ 中国で開かれていたいわゆる「第6総中」でこの度歴史決議が出されたようだ。その全文は明らかになってないが、習近平国家主席の政治手腕と功績を讃え、「歴史的功績を上げて歴史的変革を起こした」と称賛。ついに習近平は毛沢東、鄧小平に次ぐ歴史的な政治家として歴史に残ることになったようだ。確かに軍拡を進め、「一帯一路」を強行し、南シナ海のサンゴ礁を軍事基地化し、ウイグル族、香港市民を抑圧して自由を奪い、南モンゴル地区では漢民族化を進め、宇宙開発にも乗り出した。 その一方で国民の所得格差は爆発的に拡大し、ここ数年の水害は多くの国民を苦しめている。街の至る所に監視装置が設置され、常に行動がチェックされている。今、国内には食糧確保令が出ているとのこと。来年の初めに開催予定の「北京冬季オリンピック」までに新型コロナを抑え込むため、近くロックアウトを実施する予定。食料の確保令はそのための準備のようだ。 また中国では全国的な停電が多発している。政府の最初の説明はCO2の削減のためだった。だが実態は石炭の高騰で発電所が赤字になるため、発電を抑制しているのだ。このため、都市部では一斉に自家発電装置を用い出した由。そのため逆にCO2の排出が進んだようだ。国民が苦しむ中で習近平は、自分が2035年まで国家主席でいられる特権を手にしたようだ。どこまで危険な道を選ぶのだろう。 このたび外務大臣に就任した自民党の林議員が「日中議連」会長職を辞した。これまでは大の親中派と目されていた林氏がこのたび参議院議員から衆議院議員に鞍替えし、外務大臣の要職に就いた。そのため中国や国内外からあらぬ目で見られぬよう、「中立」の姿勢を取ったと言うことだろう。中国は貿易相手として重要ではあるが、尖閣を巡る対立で日本は譲れない立場にある。今後の舵取りが重要だ。 <守礼門(左)と普天間飛行場(右)> 沖縄の2大新聞である「琉球新報」と「沖縄タイムス」が折に触れて沖縄独立論や米軍基地反対をアピールする裏に中国の工作があることは以前から叫ばれているが、沖縄県民の目にはそれが明白に見えないほど当然の県民感情として定着してかのようだ。だが、先島の「八重山日報」(?)だけは冷静に事態を把握してその危険性に警告を発しているのだが、何分沖縄本島から遠過ぎて声が届かないのが実態だ。 さて、危険と言えば私の健康状況も同様だ。一晩に何度もトイレで起きるため不眠がちとなり、朝から不調。食事を作るのも億劫なほど。これでは健康は維持不可能で、自分でもこれは危ないと感じることが最近はしばしばだ。その理由を考えていたがどうも薬の飲み過ぎに原因があると考え始めた。市の健康診断を終えた時、診断結果に「腎機能」の評価が3で、「要治療」とあった。だが、主治医は何も言わない。ある日のこと、頻尿は泌尿器科が担当かと聞いたら、彼は「腎臓内科」と即答した。 それで「腎機能の障害になるもの」をネットで調べた。その結果は「水分の不足」これは大丈夫。私は良く摂る方だ。第2が過剰な薬の害。特に血圧抑制剤を複数種類処方する医者は要警戒とのこと。それから血糖値を抑制する薬と合わせると腎機能が衰えて重大な結果をもたらす由。つまり腎臓の役割の一つが解毒作用。薬やサプリメントは人工物で人体には毒。その解毒のために腎臓がフル稼働する由。 そのため血液をきれいに作り変えて再び全身に送る機能が疎かになる訳だ。私は今日急遽内科を受診してドクターにそのことを質問しようと思う。薬をたくさん出すと医者は儲かるが、高齢者の患者には負担になって毒なのだ。得に言えない体調不良は腎機能の低下に起因するものかも知れない。そして腎臓に良くないことの3つ目が睡眠不足。一晩に何度もトイレに起きれば睡眠不足になる。だがなるべく飲まないようにしている私は、それも体調不良の大いなる要素になっていたわけ。理屈は分かった。後は実行だ。 将棋の藤井3冠が昨日から山口県の宇部市で戦っている「竜王戦」の第4局。結果は今日の夜に判明する。もし後手の藤井3冠が勝てば4連勝で「竜王」を奪取し、4冠となる。前にも書いた通り十代での4冠達成は最年少記録を塗り替えることになる。 一方ロサンゼルスエンゼルスの大谷翔平選手は、アメリカンリーグの「指名打者部門」でシルバースラッガー賞を受賞し、また一つ評価を上げた。分野こそ違え、2人は日本の若者の誇りだ。元阪神のスラッガー、バース選手は大谷はメジャーでも別格の第選手と絶賛した由。観る人が見れば、彼の偉大さは一目瞭然だ。 さて、セパのファイナルステージ第3戦が昨夜あった。これを書いている時点(予約で書いてるため)では戦いの最中。巨人とロッテには是非とも一矢報いて欲しいところ。さてそろそろ夕食の支度に取り掛かろうかな。では、また。アディオス。さて結局セもパも引き分けた。これで4連勝となりヤクルトとオリックスの日本シリーズ進出が決まった。前2年最下位のチームの優勝も珍しいが、同じ状態同士の日本一決定戦も初めてのこと。巨人も、ロッテもお疲れ様でしたね。また来年頑張りましょう!!
2021.11.13
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~地球温暖化は防げるのだろうか~ イギリスで開催されているCOP26で、岸田総理はCO2削減の後進国援助のため、日本は1兆円を支援すると表明した。それにも関わらずさる団体から日本は「化石賞」を授賞することになった。2年連続らしい。受賞の理由は「日本はお金は出すがCO2を減らす努力はしてない」との皮肉らしい。確かにわが国は「金さえ出せば責任は果たした」との思いが強いのかも知れない。 しかし批判は他にもあった。イギリスに向かった各国の首脳が、政府専用機を使ったことだ。イギリスのジョンソン首相すら、国内からの移動に飛行機を使ったそうだ。まさか自転車では来れないだろうが。しかしCOP26の目標が「産業革命」時から1,5度の気温上昇に抑えると言うもの。到底それは無理なのではと素人ながらに思うのだ。さて産業革命はイギリスで始まった。 1760年~1840年にかけてのことだ。イギリスで産業革命が起きた理由は、動力源としての石炭があったためと言われる。それがジェームス・ワットによる蒸気機関の発明で、一気に花開いた。さて私が住む仙台市では、この100年に気温が2.4度上昇し、今後100年で6度上昇すると予測されるそうだ。一地方都市にしてこの有様。それが地球全体となったら、一体どうなるのか。 北極圏の氷は猛烈な勢いで融けている。そのうちシロクマは絶滅するとも。永久凍土も、高山の氷河も年々融解が進んで閉じ込められていたメタンガスが噴出したり、河川の水量が急激に減少している。アマゾンのジャングルは不法伐採で相当の面積が失われ、その木を焼く火や煙が人工衛星からも確認されるそうだ。このままだと人類は地球温暖化か、原水爆ミサイルで全滅するのではないか。全ては人間の奢りから始まったことだ。 と書いたところで、アメリカと中国がCO2の10倍以上温暖化に影響を及ぼすと言うメタンガスの削減方法に関して協力するとのニュースが飛び込んで来た。元々中国は世界最大のCO2排出国で、本気になって削減する気はないのだ。それがアメリカとの貿易戦争や、自国の人権侵害で国際関係が悪化していることから目を逸らさせる策動なのではないか。ついそんなことを考えてしまう。 小笠原諸島南方にある海底火山「福徳岡ノ場」の噴火によって噴出された大量の「軽石」が海流に乗って沖縄や奄美諸島に到達し、その後黒潮に乗って四国沖や紀伊半島にまで到達しつつあるようだ。そして今朝のニュースでは、伊豆七島にも漂着した模様。勿論こちらは自然災害で、今回の噴火は過去100年間国内で最大の規模だったとのこと。 ここは沖縄北部のある港。漂着した大量の軽石は港を埋め、餌と間違えて食べた魚を殺し、冷却水を取り込むための装置を持つ漁船や海上保安庁の艦船を故障させ、このためフェリーが発着出来なくなった離島もあり、生活に支障を来しているようだ。同じ事態は過去にも何度かあったようだが、今回は被害の規模と範囲が膨大かつ広範。自然災害だけに誰にも苦情が言えないが、何とか早く治まってほしいものだ。 クライマックスシリーズのファイナルステージが始まった。緒戦はセパ共に首位のチームが完封勝ちをした。首位チームはアドバンテージとして1勝を手にしているため、これで2勝。従って下位のチームは今後4勝2敗で行かないと優勝出来ない計算。さて第2戦も首位のチームが完封勝ちした。これでアドバンテージを含めて3勝で、優勝に王手をかけた。ちょっとあっけなかったが、これからどうなるか。 作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが99歳で逝去された。死因は心不全のようだ。俗名は瀬戸内晴美。夫と子がいる身でありながら、京都大学の学生と駆け落ちしたことがあった。その後女流作家となり51歳の時に得度し、天台宗の僧侶となった。つまり信仰生活は48年にもなる訳だ。墓碑銘には「愛した 書いた 祈った」と刻むよう以前から決めていた由。謹んで冥福を祈りたい。合掌。
2021.11.12
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~苦しみと共に~ 新聞を読んでいてふと気づいた。おかしいなあこの記事は見たことがあるぞ。連載小説も確か読んだはず。不思議に思って日付を確かめると、3日前のものだった。あちゃ~、やっぱりな。どこかで見た感じがしたのは錯覚ではなかった。ただ読み終えた新聞を、机の傍のいつもの場所に置いたのが間違った原因。その日の新聞は2,3ページほどを読んだ後、ソファーに置いてあった。デジャブは確かだが、それを忘れた私に問題があったのだ。 不思議な感触を得たことが他にもある。腰痛で苦しんでいた頃(まだ続いているが)、食欲がなくなってと言うか、料理を作るのが面倒になって「お粥もどき」で簡単に済ませた日が続いた。ある日洗面所の鏡を見てビックリ。そこには目が落ち窪んだ自分の顏があった。まさに「死相」そのものだ。人間食べないと急速にエネルギーを失い、心身に大きな影響を及ぼすことを改めて認識。急いで焼肉を食べた私だった。 Windows11に切り替えたせいか、写真の取り込みが出来なくなった。いや、その後また更新が終わると、その現象が治まって取り込めるようになった。体調が悪い上にパソコンや使っているソフトが不調になると、メカに弱い私は戸惑ってしまうのだ。生きるために果たして何を優先させるべきかと。独り暮らしのジジイは苦しい。掃除はしないが洗濯はし、腰痛体操だけはちゃんとしている。 マララ・ユスフザイさん(22歳)が結婚した。相手は同じパキスタン人でクリケット団体の役員。もちろん式はイスラム教によるものだった。彼女はパキスタンに住んでいた中学生の頃、イスラム過激派に襲撃されて、頭部を拳銃で撃たれた。急遽飛行機でイギリスに運ばれて手術を受け、生還した。彼女が襲撃されたのは、女性に教育は不要とするイスラム原理主義者の狂信によるもの。 だが復活した彼女は恐怖に打ち克って、女性にも教育が必要なことを訴え、国連総会でもそのことを訴えた。私は英語は分からないが、演説の格調の高さと平和を愛する気持ちは伝わった。その彼女がノーベル平和賞を受賞したことは周知のとおり。彼女はそのまま英国に住み、大学で哲学などを学んで、この度卒業した由。結婚はその後のことで二重の喜びだった。何と素晴らしい人生だろう。 彼女の母国の隣のアフガニスタンではイスラム過激派のタリバンが統治し、前政府の要人たちは外国に逃亡した。外国にある国家予算の一部は凍結されたままで、アフガニスタンは今貧困に苦しんでいる。最近のニュースによれば、小児病院に入院中の子供25人が餓死したとのこと。厳格な信仰は子供の命まで奪うのか。おかしな話だ。子供の命すら救えない宗教とは一体何なのだろう。 暗いニュースは平和で豊かなわが国にもある。京王線の電車内で起きた傷害事件に続いて、九州新幹線の車内でも似たような事件が起き、わが宮城県では、ナイフを持った青年が幼稚園に侵入して捕まった。いずれも動機は他人を殺傷して自分が死刑になることにあったようだ。何と異常な社会になったのだろう日本は。いつからこんな危険な国になったのだろう日本は。私は弱ってこそいるが、他人に迷惑だけはかけない積り。だが最期の最期はどうしても、誰かのお世話になるだろうけど。
2021.11.11
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~真夜中の苦しみ~ 嫌な夢を見た。家を出た前妻がどこまでも追いかけて来るのだ。川を渡り、泥んこ道を走って逃げ、ある建物に飛び込んだ。だがそこにまで女は現れた。これはトンデモナイ事態。さて俺はどうすべきか。大いに悩んだところで目が覚めた。どうやら尿意を催したみたい。これでその晩3度目の目覚め。トイレを済ませ布団に入る前に睡眠導入剤を飲んだ。この分では睡眠不足になると思ってのこと。しかし腰痛と言い、頻尿と言い、老化とは辛いものだ。これ以上服薬を増やしたくないが、泌尿器科へ行くしかないか。 6中総会 8日から開かれている中国共産党の第19期中央委員会第6回総会(6中総会)の最終日に40年ぶりに3度目の「歴史決議」をする模様。1回目は毛沢東がそれまでの決議を反故にした。2回目は鄧小平がそれまでの政治方針を大転換させた。さて今回習近平は何を決議するのか。国家主席には任期があってないようなもの。他の幹部には年齢制限があるが、彼には適用されない絶対無二の存在なのだ。 国外でも国内でも彼の評判はあまり良くない。だが、全ては強権発動で乗り切って来た。ウイグル問題、香港問題、一帯一路の不評や経済力の低下、だが次々に軍備を拡張して力の政治を貫いた。次は台湾の奪取を宣言し、尖閣は台湾の属領と中国共産党は主張している。日米はじめEUやオーストラリア、ニュージーランドが危惧を抱くのは当然だ。だが中国は宇宙制覇まで目論んでいる。怖い国だ。 米国空母の模型 このたびアメリカのスパイ衛星がアメリカの空母の実物大の模型があるのを中国で発見した。場所は新疆ウイグル自治区のタクラマカン砂漠。人里離れた砂漠のど真ん中に実物大のアメリカの空母の模型を設置して、どうやら軍事訓練でも行っている模様。習近平の台湾奪取計画は本気なのだ。中国が世界の覇者になるためには、自由主義諸国との戦争も辞さない構え。全体主義国家の狂気は実に恐ろしい。 バイデン大統領も一応ファイティングポーズは取っているものの、どこまで本気は分からない。それに国内での支持率は低く、人気は今一だ。米軍のアフガン撤退でタリバンが完全制覇してしまった。バージニア州知事選挙では共和党候補者に負けた。トランプ人気は今でも高く、来年の「中間選挙」までバイデン氏が大統領でいられる保証はどこにもない。 何分前回の選挙でトランプは歴代大統領最高の得票数を得た。だが民主党が仕掛けた「ドミニオン集計器」による選挙不正で大領領になれなかった。それどころか暴徒が議事堂に乱入した責任を問われて下院及び上院で2度の弾劾裁判を受けた。あの乱入事件も実態は不明。民主党や巨大IT企業のオーナーが暴徒に資金を提供していたのだ。もちろんトランプの当選を阻止するために。全ては闇に葬られたが、米国民の多くが未だに、あの選挙には不正があったと認識している。まさにディープステートの犯罪だ。 間もなく国会が開催され、第2次岸田政権が発足する。細田氏の衆議院議長就任に伴って安倍晋三氏が派閥に戻り、旧細田派は安倍派に鞍替えするはずだ。日本維新の会や国民民主党の勢力拡大で、改憲派議員は改憲に必要な4分の3の議員数を確保する模様。改憲に消極的な公明党が抜けても、改憲論議はこれまでより一層高まるはずだ。 電磁波攻撃のイメージ 「ハバナ症候群」と言う奇怪な現象が世界中で起きている。だが被害に遭ったのはずれもアメリカ大使館、領事館の職員約200名。最初に見つかったのがハバナだったためのネーミングだが、中南米諸国を中心に心身に健康被害のある職員が続出し、大量の電磁波を受けた障害と考えられているが、その原因は未だ解明されないまま。こんな風にサイバー攻撃や電磁波攻撃が実在するのが世界の現実。怖い時代だ。新型コロナ感染症もどこかが開発した「生物兵器」でなければ良いのだが。
2021.11.10
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~わが身と比べても仕方ないけど~ 昨日の月曜日、体調と相談しながら庭に出た。そろそろモロッコインゲンを片付けるころと考えたためだ。だが改めて探すとかなりの莢が見つかった。さすがに11月、少し黄ばんで堅そうな感じ。でも十分食べることは可能。懸命に探すと60本以上収穫出来た。ブロッコリーが見事。真っ白なカリフラワーも虫食いがない。それで獲れたてのブロッコリーとカリフラワーをKさん宅に届けた。 Kさんからは前日柿をいただいていた。作業中にTさんがお土産のお菓子を持って来られた。そこでTさんには、必要なだけモロッコインゲンを持って行ってと言うと、20本ほどを持って帰ったようだ。それから気になっていた庭の雑草を鍬で抜いた。さらに裏の畑の中国野菜を収穫。昼食後は忙しかった。モロッコインゲンは全部茹でて冷凍した。これで冬まで持つはず。いや持って欲しい。 次に冷蔵庫に残っていたカリフラワー半分と、獲れたてのブロッコリーを切って茹でた、こちらは冷蔵庫へしまい、日常のおかずに。次に中国野菜を茹で、ナス、ニンジン、鶏の挽肉と一緒に炒め煮。最初に油で軽く炒めてから調味料を適量入れてコトコト煮る。何しろ大量なのでなかなか火が通らず時間がかかったが、やがて野菜から水分が沁み出して来ると楽。最後にごま油を少々。 土曜日の夜、NHK制作の歴史ドラマ「聖徳太子」を観る。前後編の2部作だが3時間の大作を一気に観た。前半は堅い椅子に座って。こちらは腰痛に耐えて最後まで頑張った。後半は布団に横たわりながら観たが、途中で眠ってしまった。ああ残念無念。主演は本木雅弘で見事な太子役だった。宝田明が出演すると聞いて驚いた。てっきり死んだと思っていたのに88歳で、物部守屋役を見事に演じていた。 太子像1幼児期 ところで私たちが良く知っている「聖徳太子」は実在の人ではなく、後世に付けられた尊称もしくは諡号(しごう=死んだ後に貴人に付けられたおくり名)。古代の資料に「聖徳太子」の名はない。俗に言われる「厩戸皇子」(うまやどのおうじ)も戦後になってある研究者が言い始めた説だが、これも未だ確認されないままに定説化されたのが実態のようだ。 太子像2少年期 「聖徳太子」は飛鳥時代の皇族で政治家。用明天皇の第二皇子。幾つもの別名があるが「うまやと」と呼ばれていたことは本当のようだ。母は蘇我氏の娘。叔母である推古天皇の「摂政」として蘇我馬子と共に天皇を支えたとされる。妃や妻は7人ほどおり、子供も多数いた。当時は大陸に「隋」があり、倭国は遣隋使を送って大陸の優れた文化や政治方式を取り入れたとされる。 成人した聖徳太子像 彼が「冠位十二階」や「十七条憲法」を制定したことは名高い。また「日の出づる国の天子日の没する国の天子に文をいたす。恙なきや」と隋の皇帝に文を送ったことも有名。当時の朝鮮半島は高句麗、百済、新羅が鼎立する三国時代で、何かと争いが絶えなかった時代で、争いに負けた半島の王族がわが国に逃げて来たとも伝わり、太子は百済語を話せたとの説もある。 摂政時代の太子像か やがて国家と宗教の在り方を巡って豪族同士の戦が始まった。日本古来の神道を崇めるべきと言うのが物部氏。仏教を国教として敬うべきとするのが蘇我氏。蘇我の血を引く太子は仏法を信じて物部氏と戦って勝利する。こうして強大となった蘇我氏が滅ぼされるのは後の乙巳の変と大化の改新。中臣氏(後の藤原氏)の台頭だ。当時は朝鮮半島にわが国の拠点があり、鉄の輸入に貢献したと言われる。 四天王寺 聖徳太子が建立したと伝わる仏教寺院が少なくとも8つはあるようだ。これはそのうちの一つである大阪の四天王寺。私も訪れたが、建物の多くがコンクリート造りだったのがガッカリ。きっと何度か焼失したのだろう。元巨人の元木が卒業した上宮高校は仏教系。太子には上宮太子の別名があり、後に聖人としての太子信仰が広まり、聖徳太子の名が広まり定着したのだろう。 法隆寺 また太子の霊を慰めるために建立されたのが法隆寺で、確か妃の一人の発願にょるものと記憶している。ただし、伽藍は一度焼失しており、少し離れた場所に方位をずらして第二次の伽藍を再興したことが考古学上の研究で判明している。付近には有名な「藤ノ木古墳」がある。写真は講堂(手前)と五重塔(後方)共に国宝に指定されている。 法隆寺金堂の壁画 金堂の壁画は国宝に指定された名作だが、戦後壁画の模写作業中の失火で大部分が焼失した。今も焼けたままの状態で保存されているが、別途模写による復活も試みられている。上は壁画の一部で観音菩薩か。確か戦後の一時期20円切手として通用していたはず。このブログは自分の記憶に基づいて書いたため、一部事実と異なる部分や誤字がある可能性があることを付記しておきます。 さて、私が眠って観なかった部分は一体だどんな内容だったのでしょう。そのうち再放送があることを心待ちしています。では腰が痛むためこの辺で。
2021.11.09
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~わが週末~ 土日はパリーグのCSに夢中になっていました。わが東北楽天は3位。2位の千葉ロッテは1勝1引き分けでも首位のオリックスと戦えますが、3位の楽天は2勝しないといけません。緒戦の土曜日。楽天は先行し、有利な場面もあったのですが9回裏にサヨナラ負け。やはりロッテは力がありました。日曜日の第2戦も楽天が引き離した場面もありましたが、引き分けに終わりました。 これでロッテはファイナルステージ進出決定です。外国人が大活躍のロッテに対して今季の楽天は、外人が力不足でしたね。そして主力の浅村が本来の調子が出ず、抑えの松井も怪我が長引いてそのままCSを迎える状態。これでは勝てませんがそれでも良く頑張ったと思います。強かったロッテですが、今季のオリックスは投打のバランスが良いので、きっと激戦になるでしょう。楽天の選手たち、お疲れ様でした。そしてロッテとオリックスには、是非とも日本一になって欲しいと願っています。 昨日の日曜日は念入りに腰痛体操に取り組みました。そして家の中をグルグル歩き回りました。少しでも運動不足を解消するためです。私はとてもたくさんの薬を飲んでいます。大抵は慢性的な症状があるため服薬を止められないのです。今回はさらに腰痛の痛み止めを処方されました。朝昼晩の1日3回食後に服用するのですが、私は朝の1回だけにしています。 そして睡眠導入剤ももらっていますが、こちらも出来るだけ飲まないようにしています。一旦飲み始めると習慣になるのです。痛みのため体調不良になり、その影響で気力まで衰えてしまいます。これでは老化が進むでしょう。歳老いてからの独り暮らしはとても大変ですが、何とか少しでも良い体調を保ちたいものです。長時間腰に負担をかけるため、ブログも少し簡略化したいと思っていますが、さてどうなりますか。こんなブログですがお訪ね下さる読者の皆さんに感謝しています。ではでは。
2021.11.08
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~これから気を付けることなど~ 金曜日は眼科に行った。目薬がなくなっていたからだが、この日は瞳孔を開く目薬を差して眼底撮影するのが主目的。時間がかかったが無事終了。特に問題はなかったようだ。だが困ったのは瞳孔が開いてるために眩しいこと。嬉しかったのは隣の薬局の薬剤師さんが、他の病院で出された薬と「目薬」の相性を調べてくれたこと。別の薬局では耳鼻科に行くことを勧められ、半年間の投薬で耳鳴りと女眩暈が治まったこと。プロのこんな親切心は嬉しい限り。中にはつっけんどんな人もいたけどね。 翌土曜日は整形外科へ行った。一つはもらった湿布薬が強過ぎて、肌が赤化したことどうやら炎症が起きたもよう。もう一つは腰痛が治まらずに他の治療法がないかドクターと相談したいと思ったことだが、さてどうなるか。先ずは背中の服を上げて腰の湿布薬の痕を確認。これは塗り薬のステロイド剤を処方してくれた。 次いで私は質問した。手術での完治は無理かと。ドクターの答えはこの程度の脊椎の異常で、手術はしない由。それでは神経ブロック注射の是非。これも同様の答え。私がやっている体操の説明をすると、それは脊椎が擦れるから止めた方が良い由。整骨院で理学療法を受けるのは自分の判断で良い由。そして今後は腰痛と上手に付き合うしかないとのたまう。 そして「腰痛体操」のパンフレットをくれた。なるほどこんな軽い体操で良いのか。そして腰痛に良くないことも書かれ、私にも該当することがたくさんあった。あちゃ~。受付で支払う時、痛み止めの飲み薬が処方されてないことに気づき、処方してもらった。これはいざと言う時の最後の砦(とりで)。ともかく独り暮らしの私は、寝込んではいられない。前夜も義姉と電話で腰痛の話をしたばかりだった。 二宮金次郎の石像 先日NHKの「英雄たちの選択」のテーマは二宮尊徳だった。幼名は金次郎。昔は小学校に金次郎の石像があったものだ。山で切った柴(薪たきぎ)を背負い本を読みながら家路に就く姿。倹約家で努力家の見本みたいな人で、成人後は農民の手本として崇められた。ところが彼が幼いころ村が大災害に遭い、十代半ばで両親を亡くし、以後は自分の才覚で暮らしを立てたことが分かった。 私が知っていたのは下肥(人の糞尿)を肥え壺で発酵させ、それを有効な肥料として活用したこと。そのため「発酵」具合を確かめるため糞尿を舐めたと言う事実。それは恐らく本当の話なのだろう。金次郎は家計を建て直しただけでなく、村の農業を改善した。その評判を聞きつけた小田原藩の家老が、士分に取り立て、家の家計を任せると数年で借金を返し、逆に財産を増やし、小田原藩に雇われることになる・ 桜町陣屋 当時小田原藩は全国7か所に領地を有していたが、金次郎改め二宮尊徳が管理を任されたのが4千石の分家。これは栃木県真岡市(現在はさくら市か)にある桜町陣屋。現地の家臣の抵抗に遭いながらも尊徳は改革を進めて、見事農村経営に成功し巨額の収益を得た。その評判を聞きつけた幕府が尊徳を召し抱えることにした。こうして尊徳は幕臣となり、ますます力量を発揮する。 二宮尊徳 幕臣としての最初の仕事は印旛沼の治水を兼ねた利根川から江戸への航路を切り開くこと。尊徳は測量と実地調査に基づく緻密な計算で、70年での完工計画を提出した。だが折角の計画も、経費の関係で幕府が実行することはなかった。次に命じられたのが「日光領」の収益改善と、全国どこでも通用する農村経営素案作りだった。これも尊徳は心血を注いで緻密な計画を70冊もの本にまとめた。 「日光領」は日光東照宮を中心とした「天領」だが、山あり谷あり荒地ありの問題地。だが尊徳は自ら現地を訪ねて計画を取りまとめた。そしてその途中で死ぬ。一農民が幕臣となって全国の農政の手本となる農村経営策を講じた。後世の渋沢栄一の「論語と算盤」同様、そこには農民愛に基づく道徳と経済理論があった。恐るべき思想家で、全国に尊徳講が出来たくさんの「弟子」が生まれたのも頷ける。江戸時代の農民には、こんな人材もいたのだ。後の渋沢栄一も近代日本を作った偉人だった。恐るべし、江戸の農民たち。
2021.11.07
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~最近のニュースなどから~ 元卓球選手の福原愛さんが青森大学の客員准教授になると聞いて驚いた。何しろ台湾に子供を置いて離婚したりと話題になってたからだ。そう言えば彼女は青森山田高校の卒業。青森大学も同じ経営なのだろう。学園には円形の卓球台を何台か寄付した由。それは障がい者も卓球を楽しめるものらしい。そして彼女が教えるのは国際コミュニケーションで年に数回らしい。そう言えば彼女は中国語がペラペラだった。 いささか旧聞になったが、10月31日の選挙速報をテレビ各局が競った。TBSのMCを勤めたのが爆笑問題の太田光。ところがいつもの調子で政治家たちに「ため口」をきいて、そのあまりの下劣さに批判が殺到したようだ。何しろ政治のこと、選挙のこと、社会の問題点など何も理解せず、相手を怒らせるようなことばかり質問した由。放送法にも抵触するほどの失礼さで、TBSの良識が疑われる内容だったそうだ。それが原因か、視聴率は各局の最低で、わずか3%だった。視聴者は良く観ているのだ。 アフリカのある民族の50人に1人が、女性→男性→女性→男性と性転換する由。それは精巣から分泌される男性ホルモンの量が普通よりも少ない遺伝子のせいらしい。だが人間には多かれ少なかれ、男性的要素と女性的要素を生まれつき持っているらしい。それは発生学でも確認されており、人間のほかにも両性具有や、環境によって性転換する生物がいるのだとか。 だからLGBTは決して特異な問題ではなく、人間として生まれたことによる生物学上の基本要素らしい。Lはレズ、Gはゲイ、Bはバイセクシャル、そしてTはトランスジェンダーの略だが、この説明が難しい。アメリカではついにパスポートの性別にM(男)F(女)のほかにX(どちらでもない)を付け加えた由。しかしまあ、人間って本当に複雑なんだねえ。草食系もいれば肉食系もいるしね。 昨日のブログにkazuさんがコメントしてくれたが、この度アメリカの製薬会社が開発したコロナ治療薬の「モルヌビラビル」がイギリスでコロナ治療薬として正式に認可されたようだ。治療効果は50%以上と言われているが朗報だろう。日本の製薬会社も新型コロナ感染症用のワクチンや経口治療薬の開発を急速に進めていると聞く。後の問題は富める国と富まざる国の問題。生命の安全に格差があるのが現実だ。 この空き地ラーメン屋さんがあった場所「こがねラーメン」なつかしいです 新聞の歌壇(短歌欄)を何気なく見ていて驚いた。作者は四国の地方都市N市の女性。なぜ驚いたかと言えば私は40歳から5年間N市に住み、そのラーメン屋さんで何度か食べたことがあるからだ。豚骨のこってりしたスープ。白髪の坊主頭の店主。店はお世辞にもきれいとは言えず、ゴキブリが棲み着いているような感じの汚い店。私より10歳ほど年長の店主は海釣りが趣味だった。 その店は昔お城があり、O港から続くM街道と呼ばれる古い町並みの続く旧道の一角にあった。ここはかつて四国巡礼のお遍路さんが通った道なのだ。あのお城の麓の中学には長女と長男が通った。今季で引退する東北楽天の藤田選手は、次男の少年野球チームのかなりの後輩だ。あの海辺のあの町のあのラーメン屋。それが今は「空き地」になったようだ。店主は死んだのだろうか。汚かったあの店はもうない。 ネットで検索したら、私が創った図書館の写真がヒットした。あの5年間でどれだけ私が苦労したか。何もない所からたった1人で創った図書館。もちろん建物は建築会社が建て、設計は設計事務所がしたのだが、管理運営方式や規則の制定や、蔵書の選定や整理作業に勤しんだ日々。昼は職場の軟式野球の練習をし、冬季は海辺の道を走った。あの光景が今も脳裏に蘇る。偶然見た短歌が私の若き日の思い出に繋がった。とても不思議な縁。これだから人生は面白い。まだ生きてこの世に在ることに感謝したい。
2021.11.06
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~トコトコ歩いて行った先は ~ 木曜日は朝から良い天気。前夜のうちに洗濯を済ませていた衣類を干し、布団も干した。遅めの朝食を済ませ、リュックにその日の新聞などを詰めて、バス通りをてくてく歩いた。向かったのはこれまでかかっていた内科。山の上から山の麓へ新築し、その日が最初の診察だった。これまでの場所は冬の通院が大変。雪や道路が凍ったら老人には危険。バスでも行けるが時間と手間がかかる。 新しい病院は気持ちが良い。待合室は受付の前だけでなく、診察室を挟むように両側にもあるようだ。患者が多くて待たされたが、私は持参した新聞を読んでいた。名前が呼ばれて処置室へ。ここでは採血して血糖値の検査。Aさん印象が変わったねと若い看護師さん。これまでのフレーム無しの眼鏡から、ブルーの6角形のフレームの眼鏡にしたせいかも知れない。受付嬢が何人か交代していた。 ドクターに呼ばれて診察室へ。まずは移転のお祝いを伝える。患者はほとんど変化なしとのこと。床屋もそうだが通い慣れた所が良いらしい。私は最近の体調を話す。整形外科に行ったこと。そして「げっぷ」が出ることを話すと、その場で「エコー」診断をしてくれた。胃の裏にあるすい臓は診にくいが、がんはなかった。いつもの薬を処方してもらい受付で会計を済ます。 すぐ隣にある調剤薬局に行くと、こちらも順番待ちの人が多い。近くから移転した際に増築したようだ。これまでの薬局と違って、ジェネリック薬の種類が変わった。しかし県知事の意向で4つの総合病院を2つずつ統合移転する予定。移転はかなり先になるだろうが、これまで通っていた患者さんたちは困ってしまうだろう。私の「臨終」にも影響があるかもねえ。帰途もテクテク。今度は全部下り坂。 RCEPと言う新しい貿易の枠組みが来年の1月から発効するようだ。2012年に交渉が開始された大型経済連携協定で、関税の削減のほか投資促進や知的財産保護などが謳われてる。当面は日本や中国など10か国でスタートする。これがスタートすると世界でも有数の自由貿易経済圏が誕生するのだが、果たしてどうなるのか。 日本はそれとは別にTPPと言う環太平洋自由貿易構想にも参画しており、既に11か国が批准している。厄介なのはここにも中国が参加を表明し、同じく参加表明した台湾と競り合っていることだ。加盟には全参加国の賛成を得る必要があり、日本が中国の参加を拒むこともあり得る。RCEPよりは貿易額は低くなるが、関税はほぼ撤廃されて貿易の自由度は高まる予定だ。これにアメリカの復活がなるかどうか。 台湾と米国が台湾で合同演習をしていることは記したが、何と米軍基地のあるグアム島でも2国の合同演習が実施されていることがごく最近明らかになった。もし中国が台湾に侵攻したら貿易どころの話ではなくなる。中国の今後の出方が問題。戦争と貿易は同時には出来ない。さて、中国は今後どうなるのか。ますます独裁色を強める中国が、果たして国際協調路線を採れるのかどうか。ロシアも様子を窺っている。 数日前のこと。全国47都道府県の新型コロナ感染者数が0か1ケタ台になった。ウイルスが変容し過ぎて死滅したとの説もあるが、真実は不明。そのため日本の製薬会社が開発中のコロナ治療薬の治験がし難いみたい。そのため、今後東南アジアでの治験を試みる計画のようだ。 病院のドクターの話では、医療従事者に対する3回目のワクチン接種の話も、まったく聞こえて来ない由。さて、コロナはどうなったのか。だが北京冬季オリンピックを控える中国では、「食料買いだめ禁止」を発令。どうやら近くロックダウンして、感染防止策を強化するようだ。やはり世界でコロナは息を潜めているようだ。
2021.11.05
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~ジジイの心配~ 火曜日。庭で草取りをしていた時、蚊に刺された。11月にもなってまだ蚊がいるんだなあと驚いた。これも地球温暖化の影響だろうか。夕食を食べようとした時、何やら食卓に飛んで来た虫がいた。金バエだった。これにも驚いた。そしてその夜、布団に入っていた時手の痒みに気づいた。蚊が部屋にいたのだ。そこで蚊取り線香を点けて寝た。金バエは翌日の文化の日も室内にいた。本当に暖かい11月だ。 若者が京王線の車内でトンデモナイ犯罪を起こした。車内でリュックからナイフを出した際、隣の席に座っていた人が注意したようだ。男はその人をナイフで刺し、次に大量のライターオイルを振り撒いて、火を点けたようだ。少し前に小田急線の車内で起きた犯罪を真似したようだ。動機は人を殺して死刑になりたかった由。一人で死ぬ勇気がない男。高校までは真面目で寡黙な学生だったようだが。 何年か前、相模原市の障碍者施設で施設の職員が多数の障がい者を殺害した事件があった。その時「何とか皇子」のブログに事件の原因は安倍総理(当時)の労働政策にあると書いてあった。私は殺人を犯した青年は薬物中毒者と言われ、かつ「障碍者は不要で殺しても良い存在」と言ってるとコメントで指摘した。世の中には政府批判をすればリベラルな知識人だと勘違いしてる輩がいるのだ。気の毒に。 先月末の総選挙が迫る間際に中国の哨戒機「運9」(左)が2日に渡りのべ3機が沖縄の宮古島周辺に飛来して、情報収集をして行った模様。尖閣を含む島嶼部への上陸作戦を想定したものだろう。もちろん自衛隊機がスクランブル発信して中国機に警告した。 その少し前の先月中旬。中国とロシアの駆逐艦10隻が日本列島を一周した。初めての事態だがもちろんわが国を脅すのが目的だったのだろう。米軍の超音速戦略爆撃機B-1Bランサー(右)が、それに呼応してロシア国境付近まで発信したようだ。 台湾の蔡総統が、先日常駐している米軍が台湾軍と共同で軍事訓練をしていることを初めて公にした。人民解放軍の台湾侵略が近いとみて、公表に踏み切ったのだろう。中国では目下権力闘争のさ中。一党独裁の国ではどんな悪政も可能。世界から人権侵害を非難されてる習近平は必死だ。「一帯一路」で借金漬けになった国は130国近いとのこと。EUも最近中国と距離を取り始めた。 中国には人民解放軍と密接な関係のある理工技術関係の大学が7つだか8つだかあるらしい。そこに在籍していた研究者が来日して日本の大学や研究所に勤務し、多額の研究費や補助金を受け、その研究成果を自国に持ち帰って元の大学に復帰し、それを人民軍のために利用するケースが少なくないと分かったようだ。だが日本の大学では彼らの身元調査をしっかりしないため、日本の貴重な税金が中国の軍事研究のために使われることが多いようだ。 また中国には「千人計画」と言うのがあり、世界の一流研究者に多額の研究費を補助して中国(最終的には人民解放軍)のための研究をさせているのは有名。日本の研究者の仲にもこれに応募している人がいる由。また「日本学術会議」所属の研究者にも存在すると言われる。推薦されても政府が任命しない理由もその辺にあると推察される。日本人にとって嘘をつくのは「恥」だが、中国では「嘘」は単なる戦略。「三国志」の昔から人を騙すのは勝つための方策であり、恥とは考えないのが中華思想と文化なのだ。 イギリスで開催されたCOP26で岸田総理は3分間の演説をし、バイデン大統領と短時間会談し、現地に8時間だけ滞在して、政府専用機でトンボ帰りした。実に慌ただしい旅が総理としての初外交だったが、きっとそれでも何らかの意味はあったのだろう。co2の削減方針やこの件に関する後進国への援助計画などを対面で発表出来たのだから。今日は別のことを書く予定だったが、やっぱり気になったニュースの話になった。
2021.11.04
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~久しぶりの草取~ またまた選挙の話で恐縮ですが、何しろ政治の話が好きなもので。 わが仙台市の選管では、今回も集計ミスがあったみたいで、数え直しをしていたそうです。それで最終計が終わったのが月曜日の朝8時半過ぎだった由。宮城2区では前回1400票差。今回は540票差の接戦。それでは再集計も仕方ありませんね。 さて維新が伸びたのは「身を切る改革」を力説したことではないかと思っています。その潔さがきっと有権者の心をつかんだのでしょう。それに対して立民の作戦は大失敗でしたね。今回は「政権選択選挙」とあれだけ大口を叩いての惨敗だっただけに、敗戦の責任を取って枝野代表と福山幹事長が共に辞任表明したみたい。 特別国会の召集が10日。それ以降の日に自民と立民に異動があることでしょう。さて今回の選挙での最大の敗者はマスコミと言った政治評論家がいたとか。それは新聞社やテレビ局の予想が全く当たらなかったからと言う趣旨。自民党の地方組織は意外にしっかりしている由。それに比べたら立民の地方組織はガタガタと言うのだが。 英国グラスゴーで開催中のCOP26(気候変動枠組み協定)の会議に、エリザベス女王がビデオレターで出席者に挨拶された由。その内容が凄いです。「世界各国は口先だけでなく、誠実に実行してこそこの難問を解決できる」と檄(げき)を飛ばした由。とても94歳とは思えない若さと実行力ですね。 ところがアメリカのバイデン爺さんは例によって居眠りし、付き人に注意されていたとか。きっと激戦のジョージア州知事選挙の方が気がかりだったのでしょう。日本の岸田総理は「時差」を利用し、0泊2日の強行スケジュールでの参加でした。さすがは若さです。中国とロシアは削減目標を明言しなかったみたい。やっぱりなあ。 今何種類かの小菊が咲いています。久しぶりに外に出て庭と畑の草取りをしました。屈むと腰が痛いため、柄のついた鍬で草を根こそぎ掘り起こし、土を落としてゴミ袋に。長時間の作業は無理なので、ゆっくりと少しだけで終えました。それでも何とか動けるのが嬉しいですね。ありがたいです。 野菜はいつも通りモロッコインゲンとカリフラワー(左)とコウサイタイ(右)を収穫。インゲンとカリフラワーは小さく切って茹でるだけ。カリフラワーには太った芋虫が潜んでいました。ぷよぷよして気持ち悪いですなあ。 コウサイタイは茎が堅かったため軽く茹でてから、さつま揚げと一緒に炒めました。これでまた食事の時に野菜がたくさん摂れそうです。 居間に取り入れたシャコバサボテンが咲き始めました。やはり南側の大きな窓際は暖かいのです。午後からはそこに寝転んで昼寝です。腰の湿布薬は1日1枚と決めています。連続すると皮膚が薬に負けて赤化するためです。もちろん腰なのでその状態は見られないのですが、これまでの経験で分かります。さて今日は文化の日ですが、仙台は晴れの予報。さてと、ゆっくり散歩しようかな。
2021.11.03
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~朝まで生テレビ?~ 日曜日の夜は早めに風呂に入り、布団の中で開票速報を見入っていた。NHKなので、初っ端かな当選確実が出たりする。そして画面の一番下に党別の当選者数や、与党、野党それぞれの勢力図が表示され、飽きることなく、眠気も起きずに各県、各地方の開票状況を見た。凄いエネルギー。全国の合間に、私が住む宮城県内の開票速報も入るから慌ただしい。 時間の経過と共に、意外なニュースも飛び込んで来る。誰それが選挙区で落選。そして誰それが比例で復活云々。県内は3区から6区まではすんなりと開票が進み、その結果も下馬評通り前議員が強い。問題は宮城1区と2区。共に大票田である仙台市が選挙区なのでなかなか開票が進まず、票数が変化しない。この日は同時に知事選もあり、前回ダブル選挙でミスした選管が慎重なのだろう。 自民党の山崎拓元幹事長が辻元立民副代表を応援したとかで問題になった大阪10区では、いつも自民党攻撃で喚き散らす辻元女史がまさかの落選で、比例復活もならずの惨敗。さすがは維新の牙城。維新は大阪では大人気の党。立民共産の候補者一本化も役に立たなかった。東京では石原兄弟が苦戦。兄の石原派のボスで元幹事長の兄が落選。弟も選挙区で落選し、朝方比例で復活当選したようだ。 自民党甘利幹事長がまさかの選挙区で落選。現職の幹事長としては初めての珍事だったようだ。かなり遅れて比例で復活したものの、総理に幹事長を辞退したい旨申し出たそうだ。岩手のドン小沢氏も選挙区で落選し、比例で復活。もうかつての勢いは消えた。政界の「壊し屋」で「仕掛け人」の面影はもうない。老兵はそろそろ消え去る運命だ。結局自民の幹事長は茂木外相に落ち着いたみたい。 深夜2時半を過ぎた頃、ようやくわが宮城1区の当落が判明。前回も激戦で1700票差だった宮城22区はまだ決着がつかず。結局ようやく朝方に結果判明した由。終わって見れば自民は大勝して、単独で安定多数を維持。維新も大躍進。公明は増加。国民、れいわも健闘。N党は議席なし。社民は沖縄で辛うじて議席。統一候補を画策した立民と共産は票が延びずに議員の数を減らす始末。 選挙中も自民政権を口汚く罵っていた立民と共産。あの狂ったような言動には呆れ果てた。実現も出来ない減税や、夢物語の福祉政策。もしもあんな連中が政権を取れば、あっと言う間にC国に組み伏せられてしまうだろう。得意なのは与党攻撃だけ。維新や国民のような謙虚さと現実を直視しての政策提示が出来ない限りは政権担当など夢のまた夢だ。 腰の痛みにたまりかねて整形外科で診察を受けた。レントゲン写真を撮ると、腰椎の一部が変形していた。老化が原因だろう。張り薬をもらい、患部を温め機械で腰をけん引してもらった。痛みがあっても体操して良いとのこと。今後は無理しないでゆっくり行こう。昼食後窓辺で毛布を被って眠った。目が覚めたらもう夕方。寝不足が解消されて、少しは体調が良くなった。やれやれだが、これからが問題だ。
2021.11.02
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~国民の審判~ このブログは公開の前日に予約機能を使って書いています。それもまだ午後3時なので、全く選挙の状況は分かりません。私は朝7時になるのを待って投票所へ行き、朝食後は家の中の掃除を始めました。10月半ばにやったのはプロの清掃業者。今回はその時にやらなかった部分です。3時間ほどかかりました。疲れましたが、なんとか腰が持ってくれました。 さて、タチウオを焼こうとして探したのですが、冷蔵庫のどこにも見当たりません。そこでグリルの魚焼き器を開けると、そこには焼き終えタチウオが4切れ。数日前に焼いたまま忘れていたんですねえ。これにはビックリ。塩焼きなので悪くなることはないでしょうが、それにしても焼いたまま忘れるとはねえ。最近はこんなうっかりミスが増えました。それでも何とか生きていますよ。とりあえずここまで書いて予約しますね。本日まだ書ける気力と体力が残っていたら、続きを書くかも知れません。 土曜の夜、開票前に少し書き足しています。藤井三冠が豊島竜王に挑んでいる竜王戦の第3戦目は、前半の不利を凌いだ藤井三冠が勝ったようです。第4戦は今月の12、13日に行われます。もし藤井三冠が勝てば初の10代での4冠達成でもちろん最年少記録を更新です。さて、30分後には開票速報が始まります。土曜日のうちの書き込みはここまでとしておきましょう。ではまた。
2021.11.01
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~さて、審判は?~ アメリカのバイデン大統領がなかなか頑張っている。あの大領領選挙時は、さかんに認知症とか言われており、あっという間に中国にやり込められると私は考えていた。息子のハンターバイデンと本人が中国から莫大な支援(それも犯罪的な)を受けていたため、それをネタにゆすられたり脅されたりして、直ぐに音を上げると。ところが中国に対しても臆していない。今はジル夫人と共に国際会議に参加中だ。 しかしあの大統領選での不正疑惑は一体何だったのだろう。最高裁は裁定する任務を放棄したようだし、トランプ氏の弾劾などアメリカの巨大IT企業やマスコミが犯した情報操作疑惑はまだ解明されぬままで、GAFAがほんの少しだけ変化くらい。アノン、Qアノン、ディープステートはどうなったのか。スエズ運河で座礁したエバーグリーン号は既に動いて久しいが、あの時コンテナから発見されたと言う大量の死体と子供は一体どうなったのか。すべてがデマだったとは思いたくないが。 アメリカの調査機関が、北朝鮮のサイバー攻撃に関して警鐘を鳴らした。バグラディッシュの銀行システムに侵入して大金を奪ったのは北の犯行と言うのだ。一説によれば北には約3千人のサイバー攻撃の部隊がおり、次に狙られると考えられのは東南アジアか日本と言うのだ。さしずめ2度のシステムダウンを起こしたみずほ銀行などは、丁度良い餌食になりかねない。 小室さんと眞子さんの結婚に関して、何だか怪しい雰囲気のyoutubeがいくつかあるのを発見した。日本語の使い方が変なのできっとK国かC国の情報操作のように思う。日本はちょうど総選挙の最中。人心を惑わし日本を貶めようとしたのだろうか。どうも小室さんは不合格だったようだ。試験は年2回ある。次の司法試験は来年の2月。再チャレンジには眞子さんも応援する由。何とか頑張ってほしい。 ロシアと中国の駆逐艦10隻が日本列島を一周する異常事態が起きてるのに、安保廃棄や自衛隊解消を叫ぶ政党があることに驚く。一番中国の餌食になりやすい沖縄で米軍基地反対を叫ぶ県民。中国はこのたび海警の艦船が尖閣付近で漁をする日本船と漁師を逮捕する権限を与えたようだ。一番深刻なのは石垣島の漁民だが、沖縄県知事はどこ吹く風。一体何を考えているのだろう 小池都知事がダウンし、入院中とのこと。これで2度目だ。都民ファースト党が立ち上げた。「ファースト党」は、結局瓦解したようだ。これで小池氏が国政に復帰する道は閉ざされたのか。それとも来年の参議院選挙に出馬する元気がまだ残っているか。自分本位の政治家で敵を作って壊すのは得意だが、地道な活動が苦手な彼女。だが劇場型政治に慣れた国民には、なかなかことの本質が見えないようだ。 土曜日の夜、ある選挙事務所から電話があった。なかなか厳しい状況なのでよろしく頼むとのこと。新聞やネットの情報でも、全国で激戦が続いているみたい。一部野党の選挙協力が結構効果を上げているようだ。意見はあるがここには書かない。国民一人一人がしっかりと判断して投票すれば良いだけのこと。さて、深夜にはどんな結果が待ってるのか楽しみ。昼はゆっくり寝てようか。
2021.10.31
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~最大の関心事迫る~ 「おかえりモネ」が終わった。りょうちんは買ったばかりの中古の漁船で漁に出て行った。港ではりょうちんの父も見送ってくれた。あの大震災の津波で死んだ妻への深い想いも、ようやく断ち切れたようだ。みいちゃんは東京の大学に入った。りょうちんと結ばれるのはまだずっと先だろう。モネと菅波先生の距離もなかなか縮まらない。だが離れて暮らしていても心は通じているのだ。 みいちゃんの入学祝で集まったモネの家に集まった同級生たち。そこでモネは10年間触れられなかった楽器の蓋を開ける。そこに入っていたのは「あの日」の翌日に開かれる予定だった演奏会のビラ。ようやく皆はあの日に還ることが出来たのだ。東日本大震災から今年で10年。あの時のたくさんの犠牲者への鎮魂となる今回の朝ドラだった。被災地住民の一人として心から感謝したい。 「おかえりモネ」のエンディングを観ながら、この2人のことを想った。4年前の婚約発表直後に出た週刊誌の記事から、一転地獄に突き落とされた2人。その後の騒動はご存知の通り。2人も3年ぶりに会ったのだ。今回の結婚会見に関しても坂上忍司会の「バイキング」は小室親子を犯罪者扱いし、その場にいた芸能人も言いたい放題。なぜマスコミの暴走に対処出来なかったかと問われた宮内庁長官曰く。 「もし膨大な記事にいちいち反論すれば、反論しない部分は真実なのかと受け取られてしまう」と、苦悩の色をにじませた。今日ニューヨーク市の司法試験合格者が発表される。恐らく小室氏の名前もその中にあるはず。だが、NYでの弁護士活動にはかなりの難問があると聞く。最初は見習いだが、客との契約を取ってこそプロの世界。眞子さんの就職活動も現地の治安も気になるが、そこで生きるしかない。 二人の門出に対して、エンゼルスの大谷選手の活躍に対する評価は物凄い。「ベースボール・アメリカ誌」では年間最優秀選手に選ばれ、メジャーの選手たちが受賞を祝っていたのが凄い。それだけ彼は愛されていたのだ。「ベースボール・ダイジェスト誌」では野手部門の最優秀選手に選ばれた。またメジャー選手会の選手間投票では年間最優秀選手に、そしてアメリカンリーグの最優秀野手に選ばれ、コミッショナー特別賞も受賞した。だが本格的な賞の受賞発表は11月半ばの予定だが、既に各賞受賞、そしてMVPの下馬評が高いようだ。 ようやく10日ぶりに買い物に出かけた。これで何とか飢えずに済みそうだ。大急ぎで食品を仕分けし、昼食後に郵便局へ行った。大掃除の費用の振り込みだ。これで宿題が終わった。畑からレタスとモロッコインゲンの収穫。大根、カリフラワー、ブロッコリーの成長も順調。小菊が満開状態になり、白のツツジが狂い咲きしている。さて明日は総選挙。朝から投票に行き、夜は一晩中開票速報を観ることになるだろう。それでも何かブログに書けたら良いのだが。
2021.10.30
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~解けたなぞ~ なぜ朝ドラ「おかえりモネ」ってあんなに重苦しいのだろう。ずっとそんな風に思って来た。話の主な舞台は宮城県最北端の気仙沼市。気仙沼湾に浮かぶ気仙沼大島(ドラマでは亀島)に住む漁師の一家。でも漁師はお爺ちゃんだけ。お祖母ちゃん(竹下景子)はずっと姿を見せず、ナレーションだけ。それも養殖のカキと言う設定。不思議だ不思議だと思っていた。東日本大震災の被災地である宮城に住む私がそんな調子なので、東北以外(あるいは東北でも)の他県の人は訳が分からないと思う。 その謎が昨日ようやく解けた。あの大地震と大津波が来た日、認知症のお祖母ちゃんは孫のみーちゃんがいくら逃げようと言っても家を動かなかった由。それで自分だけ逃げたみーちゃんはずっと自責の念に捕らわれていたんだねえ。当時仙台の大学にいたモネも同様。銀行員の父も教師だった母も、家にはいなかった。ああ、そういう設定だったのかと初めて知った。それで朝ドラなのに静かな不思議さが漂っていたのだ。そう思うと被災地の人々の深い悲しみが分かる。あの朝ドラは「挽歌」だったのだ。 腰痛と心身の不調で10日ほど買い物に行かず、冷蔵庫と物置にある食糧で生き延びて来た。今は冷凍のものが少しあるが、野菜や果物などの「生もの」は食べ尽くした。それでもン残り物を使ってカレーを作った。これで後2,3日は大丈夫なはず。青トマトも、一部腐り出したタマネギも、虫が食ったモロッコインゲンも全部役立ち、私の腹の中に納まった。 業を煮やしてお掃除の会社に電話した。今月半ばに実施したプロによる大掃除。5人が来て1日かかったあの代金の請求がなかなか来なかったからだ。最初に見積もりしてくれた担当者の話だと18日締めと言っていたが、それにしてももう月末ではないか。暫くして返事があり、今週末には振込依頼書を郵送する由。それだと振り込むのは来月の初めになるよと言うと、それで良いとのこと。何とも悠長な話だ。 ようやく選挙公報が届いた。あと数日で選挙と言うのに、こちらものんびりした話。まあ衆議院議員も、県知事も投票する人は既に決めている。問題は最高裁判所の裁判官審査だ。どんな判事が今回の審査対象なのか一応知って置こうと思ったのだ。まあ彼らがどんな裁判をして来たのかは書かれた内容では分からない。それで出身大学と経歴だけ見た。中には法曹界とは全く異なる経歴の人もいることに驚いた。 巨人軍の長嶋永世名誉監督が今年の文化勲章を受章することが決定したようだ。85歳の高齢で脳梗塞の後遺症もある身ながら、東京オリンピックの開会式にも最終ランナーとして参加(右)されていた。ソフトバンクの王さん、元NYヤンキースの松井選手と一緒だったが、観ていてとても痛々しく感じた。あんな遅い時間帯まで、障害のあるお年寄りを酷使してどうする。私はあの演出に怒りを覚えたほどだ。 私は70歳までウルトラマラソンをやって来て、体力にはかなりの自信があった。現役の頃は自分は普通の人より鍛えたスーパーマンとの自負もあった。だが、最近は腰痛などで苦しみ、日常生活もやっとこ維持してるだけ。フレイル(寝た切り)にならないためには、70代の時にどれだけ筋肉を使うかが重要らしい。スーパーマンではなく普通のジジイで良いから、何とか元気で暮らしたい。それが最近の切なる願いだ。
2021.10.29
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~🌸 ついに二人は結ばれた 🌸~ 火曜日の記者会見。あの場所が「警察共済組合」関係の施設と聞いて驚いた。ホテルでの会見と聞いていたからだ。警察共済組合関係の施設なら、きっと借料も一般のホテルよりかなり安いはず。それだけ二人は困窮していたのだろう。本来は喜びに包まれたご結婚披露の場であったはず。それがそれらしい華やかさは一切なく、まるで責任追及の場のような重苦しい雰囲気に包まれていた。 その日の午前中に赤坂御用地で家族に別れの挨拶をされた時、眞子さんが手にしていたブーケは、妹の佳子さまと宮内庁の女子職員が手作りしたものだった由。1億4千万円の「何とか料」すら受け取らなかった眞子さん。淋しくそして侘しい結婚の当日。佳子さまは姉をサポートするため、あの記者会見の会場まで出向いたそうだ。家族の強い絆を示せたのがせめてもの救いだったように思う。 あの会見をTVで観て、私は複雑性PTSDと診断されたと言う眞子さまが、本当は相当精神力の強い人だと思った。緊張した面持ちの小室さんに比べて、眞子さんは完全に開き直っているように感じたのだ。それはまるで敵に襲われそうな雛を守ろうとする母鳥だ。小室さんも「眞子さまを心から愛してる」と表明され、眞子さまもかけがえのない人と穏やかな暮らしを送りたいと話されていた。 そもそも眞子さんがICU(国際基督教大学)に入学されたのは自分の意志だった。幼稚園から通った学習院と異なり、ICUでは国際性豊かな教養を身に着けられると思ってのことだろう。だが1年生の頃親しかった学友が眞子さんとの2ショットの写真をネットに流した。それを知った秋篠宮殿下に叱責されたと聞く。きっとそれは父親としてよりも皇室の一員として、皇族のあるべき行動ではないとの想いだったのだろう。その彼はどうもチャラ男だったようだ。そこで眞子さんは大事なことに気づいた。 その後で出会ったのが同級生の小室さん。留学に関する説明会会場で前後の席になり、会話したのがきっかけと聞く。小室さんは紳士だった。小学校は国立大学の附属。中高はアメリカンスクール。幼いころから優秀だったのだろうし、国際性にも目覚めていた。ただ小4の時父親が亡くなり、母親は仕事をして彼の教育費を稼いだようだ。小室さんも高校と大学の7年間、フランス料理店でアルバイトした。 そのレストランの経営者の話を聞いた。圭君は7年間真面目に働いてくれ、とても感じの良い青年だったと。そして彼の母親がレストランに訪ねて来て、小4の時に父が死んだ際、彼が母親に「お母さん悲しむことないよ。これからはボクがお母さんを守るから」と言ったそうだ。こんなところにも彼の本質が表れているように思う。こんな風にして母子は頑張ったのだ。因みに亡父は横浜市役所勤務だった由。 ICU在学中2人はそれぞれ留学した。眞子さんはイギリスへ、そして小室さんはアメリカへ。共に「交換留学」を利用してのものだった。眞子さんは大学卒業後、イギリスの大学院で博物館学を学んで修士号を得られた。その後ICUの大学院で博士課程に進まれたが、この度の結婚で中退した。小室さんは一橋大学の大学院修士課程に入り、その後アメリカのフォーダム大学ロースクールに進んだ。 共に語学(特に英語)は得意だ。小室さんは中高がアメリカンスクールだったし、ロースクールも3年間アメリカ。そして弁護士試験を受験した。この26日偶然にも、彼が提出した法律関係の論文がアメリカの若い学生に与えられる賞を受賞した。第一位だった由。因みに昨年は全米で2位だったそうだ。眞子さんは皇族としての公務を果たす傍ら、東大総合博物館にも勤務されていた。共に学術派なのだ。 小室さんがフォーダム大学のロースクールに進学する前に勤務していた東京の法律事務所の所長さんが、2人が結婚された感想を聞かれて、これまで受けた恩はこれから少しずつ返して行けば良いんだと笑顔で話されていたのが印象的だった。きっと渡米費用などは彼が用立てたのではないかと思った。眞子さんは公務で被災地を訪れた際は身分を隠し、子供たちには自分を「まこしー」と呼んでと話していたそうだ。 今回の会見を目の当たりにして、最近のマスコミの劣化を感じてならない。また最近のyoutubeはアクセス数を増やそうとして、内容がないくせにセンセーショナルなタイトルをつけるのが増えた小室氏と眞子さんの結婚が、なぜこれほどまでに糾弾されなくてはいけないのだろう。皇族には憲法で定められた皇族の立場があり、しかも多忙な公務をこなしていることを忘れてはいけない。 故なき誹謗中傷に曝された小室さんとそのことで心に深い傷を負った眞子さん。マスコミは下らないゴシップを垂れ流さず、もっと生産的な情報を提供すべきでないか。最後まで愛と信頼を貫いた二人を、私はとても立派だと思うし、これからも世界を舞台に活躍して欲しいと願っている。どうぞNYで暖かい家庭を築いてくださいね。日本での騒動を早く忘れて。 さて、どんな情報源からどんな情報を得、それをどのように理解して、どう用いるのか。ただ知り得た情報をそのまま鵜呑みにするのでは、何にもならない。普段から情報に疑問を抱き、より正確な情報を求め、それらを比較して自分の頭で考え直し、新たな事実を知ったらそれまでの認識を改めることが肝心だ。情報は毒にも薬にもなる。だからこそより正確な判断が出来るよう絶えず努力したいと思う。
2021.10.28
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~実話と虚構~ 小室さんと眞子さんの結婚に関する共同記者会見(上)と、予め寄せられた5つの質問に対する文書での回答を観た。前者は報道だが、後者はワイドショウで。その結果色んなことが分かった。これまで伝えられていたことが事実でなかったのが一番だ。小室さんの母親の元婚約者の窓口となっていたのがある週刊誌の人と分かり、やっぱりなあと思った。きっと週刊誌は話題を独占したかったのだろう。その記事がいつの間にか独り歩きし、お母さんや小室さんへの非難になり、眞子さんへも大きな影響を与えたのがその図式だったのだろう。 今回の「事件」で知ったのは、皇族には反論する場がなく反論も出来ないと言う事実。だが、一方的に非難された小室さんを守ろうと、眞子さんは以前の説明文にも積極的に関わった由。そして小室さんには外国に生活の拠点を作るよう数年前に依頼された由。それで彼はフォーダム大学に進学し、米国の弁護士資格を取る道を選んだようだ。彼が小4の時に父が自死。それでも母親が頑張ってアメリカンスクールの中学校と高校に通わせたみたい。遺族年金の詐取やフォーダム大学入学時の皇室利用疑惑などについては否定し、二人の結婚に無関係な質問については、論点回避した。元々私は噂話を信じてなかったが、今回の会見ですっきりした思いだ。 この日の午前中、眞子さんはご家族に別れの挨拶をされた。きっと皇嗣ご夫妻にも感慨深いものがあったことだろう。佳子さまとは最後にハグをされ、佳子さまは励ますように姉の背中をたたいた。車が動き出すと微笑みながら手を振っておられた3人。秋篠宮家にとってもここ数年間は地獄の苦しみだったことだろう。よくも最後まで娘を信じ切ったものだ。紀子さまの父上である川嶋学習院大学名誉教授が先日入院されたが、眞子さんも祖父のお見舞いに駆け付けた。きっと川嶋先生も安堵されたことだろう。 婚約発表時の二人 しかし今回の騒動は一体何だったのだろう。週刊誌が作り上げた「特タネ」に釣られて、非難ごうごう騒ぎ立てた国民。私はほとんど気にしなかった。週刊誌やTVのワイドショウなど、話題になってナンボの世界。そんな話を本気にする方が幼稚なのだ。今後アメリカに行けば、世界の大金持ちや王室の子女がウジャウジャ留学してるんだそう。眞子さんも共稼ぎする由。早くアメリカでの暮らしに慣れ、平穏な日々を取り戻してほしいと願う。しかし「月だの太陽だの」と言っていた婚約当時(上)に比べると、今回は困難に打ち克って成長した姿が印象に残った。どうぞお幸せにお過ごしを。 モネの一家 それらは現実の話だが、虚構の世界も終結が近づきつつある。朝ドラ「おかえりモネ」の話だ。2人の娘を持つ家族の話。「東日本大震災」と言う大災害を乗り越えて、それぞれの道をまさぐる家族。事情や家族構成は違っても、眞子さん佳子さま姉妹がいる秋篠宮家とどこか通じるものがあると私は感じた。もちろん皇族と庶民では暮らしぶりも置かれた立場も異なる。だが、葛藤がありながらも何とか自分の務めを果たすことでは一緒。 気象予報士になった姉の百音(ももね=モネ)と地域医療を志す菅波医師は遠く離れて暮らしながらも、次第に思いを通じ合う(左)。妹のみいちゃんは水産試験場に勤務する学術派。漁師になったりょうちんを思いながらも打ち明けられなかった。だがりょうちんの乗る漁船が嵐で難破しそうになるのを、モネの気象情報で救いりょうちんもようやくみいちゃんの想いに気づく。「俺幸せになって良いのかなあ」と言いつつ。(右) 父と娘。そして父と息子。親子の確執はどこの家にもある問題。それを乗り越えて子供たちは成長し、それぞれ独立して行く。私にも1人の娘と2人の息子がいる。長い転勤暮らしで、今はバラバラになった。おまけに熟年離婚した私たち夫婦。元妻は50代半ばから人格が変化し、やがて認知症となり大金を持って家を出た。私は目下独り暮らし。不安と老化に苦しむ日々だ。それでもこうしてブログを日課にしている。さてそれがいつまで続けられるか。今は家族の温もりがたまらなく恋しい。
2021.10.27
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~ただ自分の感性を信じて~ 月曜日の夜NHKの「ファミリーヒストリー」を観た。今回は俳優堤真一の家族の物語。私が彼を初めて知ったのは2003年放送「武蔵MUSASI」の又八役。武蔵役海老蔵に比べてなんと弱っちい人物だろう。それがその時の偽らざる印象だった。ところが今年の「青天を衝け」で演じた一橋慶喜の重臣役では、とても深みのある人物を好演していた。18年の年月が役者を成長させることを痛感したものだ。 新型コロナウイルス感染症の感染者数が激減している。誰がこの事態を予測していただろうか。日本での感染が始まったころ、少なくとも4万5千人は死亡すると言っていた専門家もいたほど。だが横浜へ入港したクルーザーの乗客を救ったのを皮切りに、良く頑張った日本の医療スタッフ。つい先日までの恐怖が嘘のようだ。菅前総理がファイザー社の社長に掛け合って大量のワクチンを確保したことが最大の要因。野党もマスコミもくそみそにけなしたが、あれがなければ、今頃はトンデモナイ結果だったろう。 ところが中国では今新型コロナが復活しており、北京冬季オリンピックまでに収束するか懸念されている由。それからウイルスの流出疑惑のある中国で、2019年の夏PCR検査器の輸入が急増したことが今頃になって判明した。それも集中して使用されたのはあのウイルス研究所のある武漢市周辺。やっぱりなあと思うのは私だけではないはず。隠蔽し、嘘をつき、逆に追及者を脅すのは中国の常とう手段だ。 日曜日の参院補選では、山口で自民党の候補者が圧勝し、静岡では野党推薦の候補が圧勝した。衆院選の予備選挙と目されていたが、結果は1勝1敗。だが元々はどちらも自民党議員が前職でいただけに、落胆が大きかったのは与党の方だろう。衆院選の当落予測が良く出るが、私は信用しないことにしている。予測はあくまでも予測。最後まで何が起きるか分からないのが選挙。コロナ同様油断は禁物だ。 渋沢栄一 何度かブログに書いたこの人の子供の話だが、最初の妻千代が死んだ後、後添えをもらったことをつい最近youtubeで知った。妻と妾が同居していたことは「青天を衝く」でも明らかだが、正妻と妾では全く立場が異なり分別があったようだ。嫡子庶子合わせて認知された子は10人以下だが、認知してない子が50人いたとも言われる。当時はそれでも不道徳ではなかった。それより栄一の反骨精神が凄い。 先日北極圏で自腹で観測を続けている日本人ボランティアの話を書いたが、高額な防寒着は全く役に立たなかったそうだ。それで彼はイヌイット(従来のエスキモー)に依頼して、特別に彼らの服を譲ってもらったそうだ。帽子と上着はトナカイの毛皮、ズボンはシロクマの毛皮。靴は二重の毛皮で内側にはウサギの毛皮が張ってる優れもの。これで1週間のブリザード(地吹雪)に耐えられた由。凄い知恵だ。 月曜日も私は腰痛で家にいた。もう1週間以上買い物に行っていない。火曜日の今日も仙台は雨。それでも何とかなるだろう。冷蔵庫と物置に食料品がある。北極圏の厳しさを思えば、これくらいの苦労はまだ天国と言えるだろう。何しろ温かいお風呂にも入れるし、テレビやパソコンが観られ、新聞も読めるのだから。
2021.10.26
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