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~マックス爺の緊急一泊旅行(2)~ 早速担当の看護師が部屋にやって来た。この病院の看護師さん、パラメディカルスタッフは若くてきれいな女性が多い。これだけでも宿泊(いや入院(;^_^A)する価値があろうと言うもの。10階病棟の簡単な案内、治療計画など当日の予定について説明があり、入院着に着替え。右手に囚人番号(いや、患者固有番号と名前が入ったリングが嵌められ、検温と心電図測定。抗生物質を2錠服用。 それから車いすで1階の臨床検査室へ移動。最初はベッドに寝たままでの胸部X線撮影。次に採決(いや採血)。それから心電図測定と、両手両足の血圧測定、最後に胸に薬を塗って、心エコー撮影。これは心臓の動きや異常をその場で確認するもの。担当者はドクターではなく臨床検査技師とのこと。私は質問があれば何でもその場で尋ねる派。珍しい苗字だと出身地までお聞きすることも。 これだけの検査でももう草臥れていた。検査の合間にトイレに駆け込むこと数度。もう1階での検査は終了とのこと。これはおかしいなと思って尋ねたら、検査指示票にそう書いてある由。そのうち10階のパラメディカルスタッフがやって来て、車いすを病室まで運んでくれた。だが病室の様子がおかしい。私が検査で留守の間に2人部屋の相棒がどこかの病室に移動し、私は「窓際族」に変っていた。 理由を聞いて笑えた。2人とも同じ姓のため、間違いを防ぐための措置らしい。部屋の壁には「当院は救急病院指定のため、救急の患者さんが入院する場合などに部屋の移動をお願いする場合があります」とある。そして看護師さんが慌ててやって来た。「心臓カテーテル検査」が入りました。帰って来られたばかりで恐縮ですが、これから2階の検査室に移動します」と。 それで分かった。心臓カテーテルは1階ではなく2階。私は過去3度入院し、心臓カテーテル手術を受けたのに、検査会場を忘れていた。さて既に朝8時過ぎには左手首にカテーテルの挿入口となる装置が装着されていた。処置室に到着し技師さんの名札を見て出身地を尋ねた。珍しい苗字だった。狭いベッドに横たわり、先ず麻酔薬を飲まされた。苦い変な味の薬。それを舌でなめて溶かし、唾液で胃に流す。 暫くすると胃がムカムカして来た。思わずうなり声が出る。「どうかしましたか」と技師さん。「吐き気がします。空腹のせいかも」。朝から悪かった胃の調子。てっきりそれが原因かと思っていたのだが。技師さんが「吐き気止めを今から点滴に混入します」と。それが効いてか、その後は胃のむかつきは解消。彼が叫んだ「○○投入」の○○の正式名を思い出した。大学病院の医事課に勤務していた若き日。 その薬剤名を約60年後に思い出すとは。 身動きできず苦しかったカテーテル検査も無事終了。看護師がカテーテル挿入口を透明なテープで嫌と言うほどきつく固定する。そうしないと傷口から猛烈な勢いで血液が噴出する由。後はちゃんと私の心臓が撮影されたかどうか。部屋に戻った後で「検査同意書」の説明欄に「麻酔薬の副作用として吐き気が起きる場合がある」とあった。そうか、それが原因だったかと納得。2時過ぎに遅い昼食が届いた。だが、私は箸を持参しなかった。コップも歯ブラシも忘れた。そこで売店へ行き最低必要なものを購入。 そこへ看護師が慌てふためいてやって来た。「どこへ行ってたんですか。10回も探しに来たんですよ」と彼女。それは悪かったね。でも午前中に無理やり全ての検査を突っ込んだのはそっちじゃないの。お陰でまだ昼食も摂ってない。こっちは昨夜から何も食べてないの。そんなことは言わない。我慢には慣れている。彼女は左手のカテーテル挿入口の蓋の圧力を少し下げようとしていた。 締め付けた堅いテープが、左手首の骨に当たって猛烈に痛く、左手の掌と指が紫色に腫れ痺れる。そのため傷の治り具合を確かめながら、管の圧力を徐々に弱める。転倒して左手を衝かないよう厳重に注意されていた。そんな経緯の後、20時間ぶりに食物が、胃に滑り込んだ。摂取カロリー1800calのちらし寿司、煮物、ごく薄いスープなど。食事の指示票に「納豆禁止」とあった。 誰の指示かは知らないが、納豆に多く含まれるカリウムが、「血液サラサラの薬」ワーファリンの効き目を阻害するためだが、私はワーファリンを飲んでないし、「お薬手帳」も提出してある。これが最後まで訂正されず、退院時の注意にも「ワーファリンは飲みましたか」とあった。因みに私は納豆が好きで、「たれ」なしでも食べられる。ただしその代わりに沢庵や、ザーサイ、梅干しを少し齧るが。(続く)
2021.09.05
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~マックス爺の緊急一泊旅行(1)~ 金曜日の朝6時前。前日整理した古い剪定枝をゴミ収集所まで運んだ。これは去年の剪定枝のうちユズとバラの枝で、1年間腐葉土づくりの山に放置していた。もちろん葉はすっかり落ちて腐葉土になったが、枝がまだしっかりしてるだけでなく、鋭い棘が残っていて、そのまま縛ってゴミに出すと、自分自身も清掃の人も負傷する恐れがある。そのため前日丹念に棘を切り落としていたもの。 帰宅後パソコンを立ち上げて当日のブログを確認した直後、体調の異変を感じた。動悸と息苦しさ、両手の痺れと体温の低下。げっぷとたとえようもない不快感。自然に口から流れ出すよだれ。恐らくは急に気温が低い外に出たことによる、血圧の急上昇とそれに伴う異常なのだろう。血圧を測る前に怒涛のように押し寄せた異変をどう処置するか。もしも「脳梗塞」ならこれは一刻も争う。 迷わず119番に電話した。管区の消防署の救急の人が電話に出る。聞かれるままに体調を説明。至急救急車をよこす由。名前、住所の確認。電話は自動的に登録されるはず。自宅付近に救急車をターンさせる場所があるかも。10分ほどで到着する由。それから猛ダッシュで、お薬手帳、保険証、薬、財布の入ったポシェット、小さなリュック、履いて行く靴を選んで救急隊が来るのを、ソファーに座って待った。 間もなく合計4人ほどの救急隊員がやって来て、矢継ぎ早の質問。現在の体調を詳細に尋ねるので、さっき話した通りと言っても、きっと彼らも詳しく伝える暇なく出動したのだろう。そこで再び丁寧に話す。その受け答えをみて担架は不要と思ったか、徒歩で救急車へ。9段ほどの外階段は隊員の肩を借りた。救急車に乗り込む前、向かいのKさんに簡単に事情を話す。Kさんとはゴミ出しの際会ったばかり。 救急車の狭いベッドに、進行方向に頭を向け仰向けに寝る。その間も質問が飛び交う。これまで手術などで入院した病院。近くの総合病院は診療を受けたが、入院や手術はしてない。結局不整脈の手術を3度受けたK病院の救急部に症状を話し、搬送されることが決定。山越えルートなので、揺れるせいで車酔い。そんな状態で近親者の連絡先を聞かれる。メモの義姉の名を告げた。早速連絡する救急隊員。 ベッドの脇に血圧、脈拍、血中酸素量がデジタルで表示。血圧は上が198で下が110とかなり高く.血中酸素量は98。これは正常。やがてK病院の救急搬送口から、救急部にストレチャーのまま入る。担当医は循環器内科のO先生で、到着前に私のカルテに目を通していたようだ。改めてO医師に今朝からの事情と現在の体調を説明。医学的な知識がほとんどない救急隊と異なり、こちらは直ぐに察知。 直ちに心電図を測定し、胸部のX線撮影。それらと私の説明を見合わせて今後の治療方針を策定。外来で検査することも、入院してさらに詳細な検査を可能とのこと。心臓のエコー撮影、カテーテルで造影剤を注入しての冠動脈造影検査、両手、両足の血圧の差の測定、血液検査がその具体的な内容。突然の体調変化と救急車内での緊張からか、急速に血糖値があがって物凄い口の渇き。立て続けにコップで2杯水を飲み、トイレに行った。 今春体調の悪さを自覚し、K病院の人間ドックを受けようと資料を請求した。それで「脳ドック」を含む精密検査が22万円以上かかることを知った。人間ドックは健保の適用外。それなら後期高齢者保険の1割負担で必要な検査を受けた方がベターと考え、即刻入院を決断。1泊2日なので、ほとんど準備不足でも何とかなるはず。直ちに循環器内科病棟のある10階の病室に移動。義姉も移動し、必要書類に記入してくれた。 80歳近い義姉に迷惑をかけたくないが、他に頼るべき者がいない。こんな場合を想定し、従弟にもしもの時は保証人になって欲しいとお願いはしていたが、彼もコロナ不況で苦しんでいるさ中。無理は言えない。これが転勤族で長年故郷から離れていた者の宿命、そして独り暮らしの高齢者の定めでもあろう。ともかく後はドクターに一存。それにしても腹が減った。前夜の夕食から何も口にしておらず、薬も服用しないまま。これでどこまで持つか。生来の強さを信じるしかない。<続く>昨日の朝に緊急入院したため、いつもは前日に予約しているブログが予約出来ませんでした。本日の正午近くに退院し帰宅したので、それからブログを書き更新した次第です。亭主謹白
2021.09.04
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~マックス爺と家庭菜園~ 昨日のこと。空模様を見て間もなく雨が降り出す。そう判断して、畑の野菜に肥料を与えた。肥料は水に溶けて初めて根から吸収され、野菜全体に栄養が行き渡る。それから3時間後、結構な量の雨が降り出した。よしよしとっさの作戦大成功だ。 (1) (2) (3) (4) これは南の畑。(1)にはモロッコインゲンの種を蒔き、目下成長しつつある。既に支柱を施してあるので、今後蔓が延びれば支柱に絡みつく。(2)にはブロッコリーの苗4本、カリフラワーの苗3本、レタスの苗2本が間隔を空けて移植してある。(3)の畝にはトマトの苗8本とこぼれ種から育ったミニトマト1本がある。トマトとミニトマトの収穫はそろそろ終わりに近い。始末した後はタマネギの苗を植える予定でいる。(4)には雲南百薬が3、4本植えられ、適当に葉を摘んで茹でて食べる。柵の傍の横一列の畝には、白菜の種を蒔いてあり、シソが1本まだ残っている。 家の東側通路横の空きスペースを耕した、細長い東の畑。ここには大根の種を蒔いてある。一番右に見える苗は「挿し芽」をしたのが大きくなったトマト。このまま成長して実を付けるかは今後のお天気次第。多分無理だろうが、遊び心でそのままにしてある。その左に支柱してある植物は2年前に種を蒔いたタカサゴユリ。今年初めて花を咲かせ、今は実が生り種が育っているが、もう十分だ。 このほか、裏の腐葉土を作っている前の空きスペースに裏の畑があり、紅菜苔(こうさいたい=茎と葉が紫色の蕾菜)の種を蒔いてある。 左側はカリフラワーで、右側がキャベツの苗。キャベツの苗の1本にはモンシロチョウが卵を産み付け、成長した青虫が葉を食べて、かなり大きな穴を開けた。このため慌てて消毒薬を散布したが、一歩遅かったようだ。だがそれでもある程度は成長し、結球してくれると信じている。 左はブロッコリーで、今後成長に従って葉がドンドン大きくなって、隣の苗の葉と重なり合うようになれば、一番外側の葉を切る必要がある。右はレタス。暑さに弱いため、しっかり根付くまで朝夕の水やりが欠かせない。 左は8月末に蒔いたモロッコインゲン。支柱は既に施してあるので、今後蔓が延びて傍の支柱に絡みつく予定。これから寒くなるが果たして花が咲き、莢と豆が食べられるまでに育つかどうか。右は日当たりの良くない裏の畑に蒔いた紅菜苔(中国野菜、紫色の蕾菜)が発芽したもの。こちらは条件が悪いが、寒さには強いと勝手に思っている。 左は紅菜苔の種袋。中は白菜が発芽した様子だが、あまりにも芽が小さくてボケた。右はそれが成長した姿が写る白菜の種袋。 発芽した大根の芽(左)と、大根の種(右) 身割れしたり発育不全のトマト(左)と、悪い部分を切り落として食べられそうな部分(右) 枝に残ったまだ硬くて小さなトマト(左)と、成長して色づいて来たトマト。こんな風にして極力枝に残し完熟を目指すが、寒くなるにつれて成長が止まったり奇形の実になることが多い。それを見極めて苗を処分し、腐葉土置き場に積む日もそう遠くはなさそうだ。 キッチン裏でケースに入れたままで擱いてあるタマネギ。乾燥させるための十分なスペースがないため重なり合っており、やがて腐り始める。それは発芽のための準備でもあるが、そんなタマネギを素早く探し出し、悪い部分を切り落として食べられそうな部分を残し、冷蔵庫の中で保管し適宜料理に使っている。こんな風にして自家製の野菜は(も)、出来るだけ無駄なく利用するよう心掛けている。 左は完熟し腐敗した今年のゴーヤのこぼれ種が落ちて発芽したもの。収穫したゴーヤは、小さな実まで全部料理に使った。佃煮、サラダ、ゴーヤチャンプルー、味噌煮、カレー炒めなど。熟した実はジュースにになり、種の周囲の果肉も食べられるが、今年は大量に収穫したため、そこまではしなかった。右は挿し芽から育ったトマト。どちらも今年の収穫は無理だが、遊び心で放置している。 今後予定の農作業としては、トマトの苗の処分と、収穫後のモロッコインゲンの処分。支柱の片付け。その後の畝を耕し、タマネギの苗を植え付け。収穫後の雲南百薬の蔓の処分と、残った根に土寄せして凍らないように冬越しさせる作業。大根、白菜、ブロッコリーなどの収穫と、余分な大根を冬越しさせるため、畑に埋める作業など。こんな風に農作業は年を通じて絶えることなく続く。最大の苦労は何と言っても夏季の草取りだが。<続く>
2021.09.03
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~マックス爺ヨタヨタ走る~ 8月末のある朝。私は久しぶりに走ってみようと決めた。連日の庭仕事と畑仕事で体はクタクタ。疲労のせいで睡眠も浅かったのだが、長年走って来たランナーの直感で多分大丈夫と踏んだ。走るのはきっと3か月ぶりくらいじゃないか。それにその日は案外涼しいと感じて、ランパン、ランシャツ姿になった。ただし手にはスポドリが入った小さなペットボトル、頭には濡れたメッシュの帽子、首には濡らした「冷却用鉢巻き」。こんな装備をするだけで、楽に走れるはず。 サンゴジュ ところがそう甘くはなかった。ほとんど毎日が家での自粛暮らし。やるのはちょっとした家事とブログの更新。そして草取りや庭仕事も運動と言うよりは、使う体の部位の偏った労働で、スポーツとは異なる。つまり連日こんな暮らしで、体が凝り固まっていた。足の筋肉も心肺機能も衰えがち。たちまち足に来、ノロノロと歩くようなスピードでしか走れない。 タカサゴユリ それでも良い。いつもはほとんど使っていない筋肉や機能を使えるのだから。造園業者の庭に何やら赤い実。あれはガマズミではなく多分サンゴジュだろう。T山への裏道を道なりに走る。信号機などはない自然が残っている郊外。目印になるのは県立高校くらいか。そしてその先の丘陵地には団地。小川の左岸には営林署の森。政宗公が青葉城を敵の手から護るため残した原生林の名残だ。 橋の下まで来て驚いた。川幅5mほどのZ川が太古から刻んだ深い谷。団地と地下鉄の終点を繋ぐため新たに架けたH橋。その下からそれぞれの方向に向かう新道と階段が作られ、古い裏道の拡幅工事が進んでいた。橋の架設は50年も前からの都市計画。ようやくそれがつい最近実現したのだ。ただ、イチリンソウやニリンソウ、ヤマブキなどの花が咲いていた元の河道は消えた。それがちょっぴり残念。 ところどころに咲いているタカサゴユリを眺めながら進むと、団地の下の小さな水田がわずかに黄ばんで見えた。山間の谷地の田圃。こんな場所でもまだ農業をしてる人がいるのだ。今では貴重な都会の片隅の「ビオトープ」。田んぼの上をアキアカネが飛び回る季節が、間もなくやって来るだろう。 秋きぬと目にはさやかに見へねども 風の音にぞ驚かれぬる 藤原敏行朝臣 キンミズヒキソウ(金水引草) 東北自動車道の手前から左折し、巨大な団地裏の坂道を登る。特段息苦しさは感じない。そんなことが起きるほどのスピードじゃない。今はこれで十分。これで満足。坂を登り切るとT山の美しい三角形の山容が木々の間から現れた。空が澄んでいる。空気がひんやりしている。わが家の周辺とは明らかに異なる気温。やはり豊かな自然が気温の上昇を抑えているのだろう。 坂を登る途中、地面に落ちている花びら。これはクズ(葛)の花の残骸。葛は野草だが、この根っこに含まれるでんぷん質が葛湯や、葛餅や漢方薬の葛根湯(かっこんとう)にもなる。花はとても甘い香りがし、少し前まで近所にも生えていた。だがその小さな藪は切り開かれ、今では3棟の細長い住宅に変わった。ここ数年で空き地と言う空き地に、小さくて新しい家が次々建った。 坂を登り切ると下り。途中から左折して昔の近郊電車の軌道跡の径に出る。草に覆われた道端の湧き水を目で追う。上のような小川と違い、団地のある丘陵から染み出たもの。暫く走ると草むらの切れ目に湧き水が見えた。以前子供たちがザリガニ釣りをしていた場所。雨上がり後の少し濁った水に、帽子と冷却用の鉢巻きを浸す。走っているうちに乾燥し、すっかり温まっていたのだ。 クズの花 暫く行った三叉路を直進してさらに下り坂を走る。足元にクズの花びら。樹上を見上げるとわずかに残ったクズの花。とても懐かしいものに出会った感じ。まだ元気な現役ランナーだったころ、8月の暑い盛りの宮城UMCの恒例行事「薬莱山遠足(とおあし)」。わが走友会のコースは55kmで、途中富谷市郊外の二の関周辺でクズの花が迎えてくれたものだ。あの厳しかった真夏のラン。 緑陰の道 やがて鬱蒼とした街路樹の道に。歩道も広くて安全。ひんやりとした木陰が心地よい。緩やかな下り坂が1km以上続く。楽に走れて最高。信号を真っ直ぐ進み国道へ。そこから左折し途中から旧国道へ。神社脇のきつい登り坂もかつては良く走った。帰宅直前の地獄だった。無事路地奥のわが家に到着し、勝手口から入る。ああ良かった。最後まで何とか走れ、無事帰宅出来て。<続く>
2021.09.02
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~マックス爺園芸店を巡る~ 園芸店A ここ数日の間に3つの園芸店を巡った。園芸店Aは個人会社で、自社の温室(2か所)では販売用の生花や野菜の苗を育てている。青果市場や花卉市場の鑑札も持っているのだろう。切り花や野菜もたくさんある。また近所の農家から委託された野菜も売っている。少々傷んだものは値下げ品となる。そんな中にも結構掘り出し品がある。 ただし場所はかなり遠く、自宅から5kmほどはあるだろうか。写真は名取川に架かるT大橋の上から撮った。わが家は右手奥に見える三角形の山の方向。たまに走る時は家からあの山に向かって走り、一周して帰る。電動自転車はバッテリーが切れたら動かないので、遠くに行く際は必ずチェックを要する。そして雨が降らないか、天気予報の確認も。布団を干している時はなおさらだ。 ここへ行ったのは、秋野菜の苗を売ってないか確認するため。だがあったのはキャベツの苗だけ。仕方なく4鉢買った。1鉢70円ほど。マリーゴールドの見切り品が1鉢50円。それを3鉢購入。外の植木鉢の花が淋しくなっていたのだ。他にシシトウ1袋。名前は「福耳シシトウ」で辛みがないようなネーミングだが、結構辛かった。野菜の種を4種。こちらは種子屋から仕入れたのか原価。 白桃?? 大きな桃が2個で200円。帰宅してじっくり見たら、少し傷んでいた箇所があったので、見切り品かも。でも味は上等で今年の初物。いつもはこんな高い果物は食べず、お徳用のものばかり。たまのぜいたく品。自分へのご褒美だ。 ハックスベリー ハックスベリーが1パック100円。これは良い買い物をしたと喜び勇んで帰宅したのだが。パックのままだと分からないので、深鉢に移した。そして早速洗って食べると、何とも異様な味。「ベリー」と名がついているので、ブルーベリーの仲間と勝手に思い込んでいたのだ。「ハックスベリーフィンの冒険」を思い出す。「トムソーヤーの冒険」を書いたマーク・トウインの小説で、トムソーヤーの友達だ。 鬼灯(ホオズキ) これは変。そう思い「ハックスベリーは不味いか」とネットで検索すると、どなたかのブログに以下の説明。どうやらやはりその方も調べたようだ。「ハックスベリーはナス科ナス属イヌホオズキ種の野菜系。ガクにはソラニンと言う有害物質が含まれる」。ソラニンは青くなったジャガイモの皮やジャガイモの芽に含まれる成分。生のナスの味がした訳も中に小さなナスのような種があった訳も分かった。あれじゃ100円でも高い。しかし、こんな「野菜」を作って売れるんだろうか。間違って買った人以外に。 次に行った園芸店Bは地元のホームセンターの園芸コーナー。私はここの会員でいつもは家庭用品や園芸用品を買う。まあ、自社製品もあるので料金は安いし、品物も悪くはない。この日買ったのは大物で、自転車では無理なので、向かいのKさんの車に乗せてもらった。 発酵鶏糞(左)は1袋15kg。それを2袋。これは畑を耕した後に元肥として石灰と一緒に撒き、土にすき込む。まあ栄養分が豊富で土の酸性化を防ぐのが目的。右の化学肥料は5kgの小袋。こちらは窒素、リン酸、カリの3要素がバランス良く配合されており、追肥として少量与える。即効性があり、野菜の成長を助ける。全部で35kg自転車では到底無理。1袋を積んで帰ったことがあるが、途中でゴムバンドが緩んで、もう少しで転倒するところ。狭い荷台に大きな袋では、バランスが取り難いのだ。 トマトの花 別の日、眼科からの帰りに寄ってみた。秋冬野菜の苗を売っていないか確認するためだ。入口の門が少し開いていたので中に入って園芸コーナーを見ていると、苗に水やりしていた女性が声を荒げた。「まだ開店前です。入らないでください」。思わず私は言った。「見るだけでも駄目なの。分かったもう来ない」。入って困るなら、ちゃんと門を閉めておけば良いだけの話。開店の2分前。 園芸店C 私が向かった先は、B店のすぐ近くの店。ここは全国チェーンの大型モールの園芸部。いつも私が買うのは衣料品や、文具、寝具など。品ぞろえが豊富で品質が良いのが安心出来る。先日大型のリュックと、大きめのポシェットを買ったのもここ。この日はレタスの苗2本、カリフラワーの苗3本、ブロッコリーの苗4本をお買い上げ。Kさんによれば、堆肥もB店よりもこっちが安い由。こうして当面必要な秋冬野菜の苗と、種がそろった。後は植えたり蒔いたりすれば良いだけだ。この続きは暫く後に。<続く>
2021.09.01
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~バカがいずい~ ある朝起きると右の目がおかしい。触れると痛みと重苦しさ。これは黴菌でも入ったか。連日草取りをして、汚れた手やタオルで目を触ったり、拭いたりしたせいかも知れない。それに眼鏡を新調した1か月後に視力検査をするとドクターが言っていた。まだ新調して1週間しか経ってないが、もう慣れた。ついでに新しい眼鏡をかけて行ってみようか。診察に来た理由を受付で話した。 名前を呼ばれて検査室で「眼圧」の検査。これは緑内障が進んでないかの検査のはずだが。やがて診察室に入るよう案内があり、ドクターの前に座った。目のどの辺が痛みますか。そこで指で示した。先ずは上瞼をひっくり返して確かめるドクター。次に下の瞼もひっくり返して診察。痛むのは下ですね。麦粒腫(ばくりゅうしゅ)と言います。目薬2種を処方され、1週間後に来院せよとの指示。 麦粒腫は俗に言う「物もらい」。関西以西では「目ばちこ」とか「目いぼ」とかも言う。因みに宮城県と岩手の県南では「バカ」。そして「バカが出来ていずい」と言う。「いずい」はしっくりしないとか、ゴロゴロする意味。「コロナウイルスは目からも感染すると言う説があるようですが」と私が聞くと、「考えなくて良いです」とドクター。「それは違うよ」なのだろうが、彼独特の言い回し。 隣の薬局で2種類の目薬を受け取る。1つは痛み止めと腫れを抑え、もう1つは感染を抑える由。一緒にはならないのと聞くと、目に良くないため、片方を垂らしたら、5分間の間隔を開けて欲しい由。そして「物もらい」は疲れた時に出やすいとも。それで分かった。庭仕事と畑仕事を半月続け、ランニングも1回やった。その疲れが出たのかも。医学博士と薬学専攻の薬剤師。薬剤師の意見がとても貴重だった。 洗面所の蛇口をひねるとお湯が出ていた。てっきりこの暑さで水道管が温まったせい。そう思っていた。ところが何分経っても温かい。これはおかしい。そこで洗面所の下の扉を開けて、開閉弁を見た。2つあって左がお湯用で右側が水道。どうやら水道の方を閉じて、お湯の方を開いていたようだ。そんな記憶はないが、ひょっとして水圧が強かった時に弁の開閉を間違えたのだろうか。 2つ目の異変は、ある時触れた鏡がとても熱かったこと。何なんだこの異変は。そこでスイッチを確認。先日鏡の下にあるスイッチを触れた。それは自分の姿をデジカメで撮るため。どうやらその時に間違えたようだ。照明のスイッチは消したが、冬季に鏡が曇るのを防ぐためのスイッチを間違って触れたのだろう。それが長時間の点けっ放しで、熱せられたものと推定。どちらも原因は自分の単純ミスだ。 ある夜、1階の押し入れがある和室に行った。その時なにやら這いずり回る虫を発見。とっさに傍にあったパジャマで叩いた。パジャマを退けるとそれは「ゲジゲジ」みたいだ。ゲジゲジや便所コオロギが浴室に出たことが何度かあったが、まさか和室にも出没とは意外。ティッシュでつまんでゴミ箱に捨てた。2週間ほど前の深夜、暗い居間で見た黒い虫は幻覚ではなく、ひょっとしてこれだったのかも。 10日ほど前にレンタルの化学モップを交換しに、業者の人が来た。料金を支払ってから、窓ガラスなどの清掃見積もりをして欲しいと伝えたら、数日後に担当者が来宅。家の延坪面積は43坪。大小さまざまの窓ガラスが相当ある。網戸も同数。そして気になっていた空調機とキッチンの換気扇と風呂場の汚れ。一度に清掃したらきっと大変な出費になるはず。さらに外注したいオプションの清掃もまだあった。 この家を建ててから24年が経過。その間にリフォームは4度やり、便利できれいになった。前妻がいたころは大掃除も毎年やった。だが彼女が認知症になって以降汚れが目立つように。独り暮らしになって以降は頑張って掃除しているが、それは目につく場所だけで、周囲が空き地のせいか窓やサッシの汚れは深刻。せめて数年に1度はプロに頼もうと思ったのだ。見積書はまだ届かないが。 4日ほど前、わが宮城県にも「緊急事態宣言」が発令された。大都会に比べたら大した感染者数ではないが、やはり一層の「自粛」は必要だろう。私は独り暮らし。体調の異変を感じて救急車を呼び、入院したこともあった。その頃は新型コロナ感染症がなかった。もしも今入院したら、誰も面会出来ない。子供が遠くにいる私などは処置なしだ。やはり注意が一番の対策。それに比べたらわが東北楽天がなかなか勝てないことなど、小さな話かも。<続く>
2021.08.31
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~楽しいショウタイム♬~ おやおや。舞台の上で何かが始まったよ。みんなが力を合わせて「風」を起こしてるんだって。 おいおい君たち。風を起こして一体何をするんだい? 何をするって、ボクたちのことをちゃんと見ていたら、そのうちに分かるよ。 これはキノコじゃなくて歯車なの。ほらね、色んな歯車が一斉に動き始めたよ。 ガンバレ、ガンバレ。みんなで力を合わせて風を送ろう。 ボクたちワタシたちが一生懸命に風を送っていたのは。この3つのバルーンを空に浮かべるためだったのさ。でもこれはただのバルーンじゃないの。パラリンピックのシンボルの「スリーアギトス」さ。「アギトス」は昨日も勉強したよね。「どんな困難なことが起きても決してあきらめず、限界に挑戦し続ける」パラリンピアンを表したのさ。ラテン語で『私は動く』って意味なの。ああ疲れた~っ。 舞台の上では懸命なパフォーマンスがつづいています。 ここは「パラ空港」。世界中からいろんな飛行機がここを目指して飛んで来るんだよ。 お~い。たくさんの飛行機さ~ん。パラ空港はこっちだよ~。 おやまあ気の毒に。中には翼が折れた飛行機や、片翼だけの飛行機もあるねえ。 みなさん大変でしたね。ようこそパラリンピック東京大会へ。 「片翼の小さな飛行機」を演じたのは東京都内の公立中学2年生の和合由依さん(13歳)。先天的な障害のため手足が自由に動かない。でも好奇心旺盛で「学校の先生や家族に自分が頑張っている姿を見せたい」とキャストのオーディションに応募。審査では楽器の演奏、歌、絵画を披露し、応募した798人の中から主役に抜擢された元気娘。 普段は電動車いすを利用しているが、より自然な演技がしたいと手動の車いすを選択し、週3回、1回8時間の練習をこなして本番に臨んだそうだよ。一度は空を飛ぶ夢をあきらめた飛行機がほかの飛行機と出会う中で、自分の持つ力に気づく姿を表情豊かに演じました。とても素敵だったよ由依さん。 最後に派手なデコレーションのトラックも登場。どうやら、飛行機たちを見守っていたようです。 聖火台への最終点火アスリートは、車いすテニスの上地結衣選手、ボッチャの内田峻介選手、パラリフティングの森崎可林選手の3人でした。皆さんどうもお疲れ様でしたね。このようにパラリンピックの開会式はオリンピックの開会式に比べてとてもシンプルでしたが、それだけ観る人の心に訴える力が強く、パラリンピックの精神を良く理解出来たように感じた次第です。 この後、天皇陛下がパラリンピック東京大会の開会宣言をされました。なお閉会式には陛下の名代で秋篠宮殿下が列席されるそうです。 開会式の翌日からは、「スリーアギトス」の精神に則って、パラリピアンたちの激しくも美しい戦いが始まり、TVを通じて私もたくさんの競技を楽しませてもらいました。その中で知ったのですが、マラソンの解説者として有名な増田明美さんが、何と「日本パラ陸上委員会」の理事長を務めておらるんですねえ。増田さんのお人柄を観た想いがします。これからも選手の皆さんを応援しましょうね。では。
2021.08.30
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~開会式セレモニー・厳かな中にも~ オリンピックとは一味違ったパラリンピックの開会式だった。あんなに金をかけた派手なものでなく、障害を持ったアスリートの祭典パラリンピックに相応しい静謐と尊厳を秘めていたように思う。 国旗が静かに入場して来た。国旗を持つのはパラアスリート、ドクターや看護師さん、ボランティアの方々。無観客での開会式だが、それだけ荘厳さを感じる。 国歌「君が代」を斉唱する女性歌手は、全盲の方。良く透き通る声だった♬ ショータイムに出られたミュージシャンも、何らかの障害を持たれた方が大勢おられた。例えばピアニストは左右どちらかの手の指1本だけで鍵盤を叩いていた。この日のために特別に編成したチームとのことだが、彼らがこれまでの人生の中でどれだけ厳しい日々を過ごして来たのだろうか。 大スクリーンにパラスポーツの映像が写された。これはテコンドーだろうか。ちょっと見ただけでは、どんな障害があるのかは不明だったが。 日本チームの旗手(今回から男女が一緒に持って入場することになった)、館内放送で案内があったが、右側の女性が谷真海さんだと直ぐに分かった。「お帰りモネ」百音と同じ宮城県気仙沼市の出身の彼女は、大学在学中に骨肉腫を発症して片側の足の膝から下を切断した。それから競技用の義足をつけて、陸上競技に挑んだ。あの頃は走り幅跳びの選手で、若くてきれいな女性との印象だった。 当時の姓は佐藤さん。その後結婚されて谷姓になった。現在39歳で一児の母。そして今はトライアスロンに挑戦している。障がい者だって恋もすれば結婚もする。そして母になってもアスリートであり続ける。何ら健常者と変わらない。常に何かに挑戦し続ける姿は、輝くばかりだ。 色鮮やかな光が投影された。それが形も色も様々に変化して行く。そこへ車いすに乗った一人の少女が、青いコスチュームの人に押されてやって来た。どうもショータイムが始まるみたいだ。でもそれは明日のお楽しみに。 スクリーンにヘジャブを被った婦人の姿が映った。彼女は手を合わせて神に祈る。国の治安を、暮らしの安定を、家族の安寧を、ひたすらに世の平和を。平和のないところに治安はない。暮らしの安定も家族の安寧も平和があればこそ。オリンピック開催期間中は戦いを中止する。それが太古からの約束事だった。今、世界は平和だろうか。障がい者や国を追われた難民が心からスポーツを楽しめているだろうか。 2つの旗が掲揚された。一つはわが日本の国旗である日の丸。そしてもう一つはパラリンピック旗で「スリーアギトス」と呼ばれる。ラテン語で「私は動く」の意味。困難なことがあっても挑戦し続けるパラリタリアンを表現した。パラリンピックの崇高な理念の象徴だ。五輪の輪が壊れたわけではない。 第二次世界大戦が終わって間もなく、ロンドン郊外にあるストーク・マンデヴィル病院の医師ルードウィッヒ・グッドマン博士は、杖を使ってホッケーに夢中になっている入院中の障碍者たちを見た。そこで博士は考えた。「障碍者たちに必要なのは保護ではなく、ひょっとしてスポーツなのではないか」と。 その後病院の庭でひっそりと競技会が開かれるようになった。最初に集まったのは16人。回を重ねるごとに参加者が増え、1953年に開かれた競技会の陸上競技、やり投げの様子が上の写真。これが障がい者を保護すべき人から、「自分で人生を切り開く人」に変換させ、その後「パラリンピック」と呼ばれる国際的な活動の黎明期の姿だ。<続く>
2021.08.29
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~開会式の映像からその1~ 8月24日の夕食後、私はTVの前に陣取りデジカメを構えて待っていた。無論夜8時から始まるパラリンピックの開会式を撮るためだ。既に終了したオリンピックの時は失敗した。テレビの画面に居間の照明が写り込むのだ。それでTV前の照明を消し、キッチン周辺の照明だけにした。それだと割ときれいに撮れる。これは良いと、2時間半ほど頑張ったが、それが体力と気力の限界だった。 オリンピック期間中もそしてそれ以降も、庭仕事と畑仕事はまだ続いていた。それに家事と日課のブログを仕上げるだけで私はクタクタになっていたのだ。一応開会式の写真は撮ったが、翌日からの競技そのものはほとんど観ていない。甲子園の高校野球やプロ野球も見る暇はなく、たまたま食事中に点けるのと、ニュースで結果を知るくらいのもの。そして夜もグッスリと眠れた日は少なかった。 そんな訳で、このシリーズでも競技の模様や結果について詳細に記すことはしない。せいぜい私が受けた印象を記す程度。それでも閉会式当日の写真を楽しむことは出来るのではないか。とまあ、そんな感じで気楽に眺めていただけたら嬉しい。新国立競技場上空に上がった花火。本当にきれいでしたね。 さあ、いよいよ各国の選手たちの入場です。はるばる遠い東京へようこそ。新型コロナで大変な中を、良くぞたくさん来てくださいましたね。わたしたちは心から熱烈歓迎で~す。 どうやら「難民団」のみなさんみたいですね。残念ながら参加予定だったアフガニスタンからの難民のみなさんは、お国の事情で急遽参加を見合わせたようです。アフガンの治安が早く復旧しますよう。 たとえ生まれた国や住んでる国は違っていても。 たとえ信じる宗教や文化が違っていても。 たとえ話す言葉や食べるものがちがっていても。 たとえおかれている政治体制がちがっていても。 たとえ肌の色や服装がちがっていても。 たとえ性やどんな性差があったとしても たとえどんな障害があったとしても わたしたちは誰もがアスリートなのです だから東京へやって来ました。世界中の仲間と共に競技するために わたしたちに競技する機会を与えてくださった日本のみなさま。 そして東京のみなさま。私たちはあなたたちの勇気に心から敬意を表し わたしたちを暖かく迎えてくださったことに 心から感謝しています。ドウモアリガトウ。 わたしたちは皆さんを歓迎し、全力でサポートすることを誓います わたしたちは全力で競技し、これまでの成果を披露します わたしたちは力の限り戦い、そして大会を楽しみます わたしたちはこの日が来るのをずっと待っていました 世界中のパラアスリートのみなさんこんにちは。ようこそ日本へ。ようこそ東京へ。明日から戦いが始まりますが、今夜は十分に開会式を楽しんでくださいね。 <続く>
2021.08.28
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~ドラマ「大地の子」を観て~ NHKのドラマ「大地の子」をつい最近何度か見た。最初の放送は1995年で、これまでに何度か再放送されているようだ。ドラマは歴史そのものではないが、日本人残留孤児が戦後の中国で生き延びた過酷な半生を徹底した取材で、山崎豊子が小説にした。その壮絶なストーリーは、今シリーズのタイトルそのものと感じて、最終回に取り上げた次第。 著者と著書 原作者の山崎豊子(1924-2013)は大阪船場の生まれで現在の京都女子大学国文科卒。毎日新聞大阪本社学芸部勤務時代に副部長だった作家井上靖から記者としての手ほどきを受けた。1957年実家の昆布問屋をモデルにした小説「暖簾」が処女作。「花のれん」で直木賞を受賞したことを機に、作家生活に専念、以後「ぼんち」。「女の勲章」、「白い巨塔」、「華麗なる一族」、「不毛地帯」、「二つの祖国」、「沈まぬ太陽」と社会性を帯びた作品を世に送った。呼吸不全により89歳にて没す。 胡耀邦書記と歓談する山崎豊子 日本人の中国残留孤児問題を著すべく当時の中国共産党胡耀邦書記を何度も訪れ、取材許可を嘆願。当時は外国人に開放されてない農村地区を巡り、8年をかけて300人以上の日系戦争孤児の体験談を収集。まさに執念そのものだった。彼女には「盗作疑惑」が複数あるが、いずれも丁寧かつ慎重な脚本化を怠ったのが原因で、猪突猛進の性格が彼女へのあらぬ誤解を生んだのだろう。 歓談する周恩来と田中角栄 山崎がこの小説を書き、さらに日中合同でのドラマ化が実現した背景には、「日中友好条約」締結に向けての両政府の歩み寄りがあった。「尖閣問題」を一時棚上げしての条約締結だが、元々尖閣に領土問題は存在しない。1970年に国連が海底探査し、東シナ海に大量の石油が埋蔵する可能性に言及して以降尖閣は中国領と先方が主張しただけで、それより100年も以前からわが国が実効支配していた。 中国人の養父と陸一心役の上川隆也(右) それはさておき、日中共同によるドラマ化も難航を極めた。日本側はリアリティーを求めるため、当時の貧しい農村部を描こうとするが、中国側は日本側はわざと中国の貧しさを描くと誤解していた由。日本人残留孤児陸一心役の上川隆也は公募で選ばれた新人で、中国語は全く話せなかった。それが2か月ほどの特訓で、中国人俳優と変わらぬ流ちょうな中国語を話した由。誰が見ても素晴らしい熱演だった。 往時の文化大革命(左)とスパイ容疑で地方に追放される一心。(右) だが中国政府のドラマ制作への規制は厳しく、中国の政治家の実名は出さないこと、農村部の貧困や、文化大革命の実像は使用しないことなど大変なものだったそうだ。ドラマ化の構想から完成までに4年もかかったのはその影響が大きいようだ。私はネットを検索し、画像を補足した。 話は前後するが、一心の実父(仲代達矢)が製鉄会社の現地責任者として中国に赴任し、偶然わが子を探し当てる。業務打ち合わせのため日本に行った2人。一心はホテルを抜け出して実父の家を訪ね、祖父母、母、妹の位牌に手を合わせ線香をあげる。その留守中同僚が一心のカバンの中から「機密文書」を抜き取る。中国に帰国後、一心は機密文書を日本に渡した容疑で、地方へ左遷される。 都会の中の貧民街 だが歴史の実態は全く正反対で、中国は賠償金代わりの日本からの膨大なODA(経済援助資金)を元にして工業化を推進し、中国に進出する外国企業に対しては中国企業との合弁会社設立と最新技術情報提供を義務付けた。いわば合法的な企業機密のパクリであった。日本への帰国を願う実父に一心は告げる。「私は日本の子ではありません。この中国の大地の子なのです」と。 日本人孤児の実録(左)と大連の旧日本家屋と満開のアカシア(右) この作品によって、主演の上川隆也は第4回橋田賞新人賞を受賞し、「大地の子」は平成7年度文化庁芸術作品賞とモンテカルロ国際テレビ賞最優秀作品賞をダブル受賞した。私は昨年中国の大連と旅順を旅したが、「大地の子」が胸を過ったのは言うまでもない。大連は旧満州の玄関口であり、日本との連絡船や引き揚げ船が発着した港。大連の日本人街、ロシア人街、旅順博物館を懐かしく思い出す。<完>私なりの現代史論にお付き合いいただき、ありがとうございました。明日からは「通常営業」です。
2021.08.27
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~「ヤルタ会談」と「ヤルタ協定」そして日本と中国の戦後~ NHK「映像の世紀プレミアム」を観て書き始めたこのシリーズ。甲子園の高校野球も、後半戦に入ったプロ野球も、そして昨日から競技が始まったパラリンピックも観ず、シリーズを書こうとしている。学校で習わなかった現代史の面白さを知ったからだし、真実に近づきたいと言う私の想いからでもある。理解を深めるためにネットで検索し、新たな知見と同時に、自らの認識を修正することも度々だった。 皇居前で玉音放送を聞く人々 日本人が初めて自国の敗戦を知ったとされる、昭和20年8月15日の「玉音放送」。思い出すのがこの写真だが、これは不自然との意見があるようだ。当時、皇居に一般人が立ち入ることは許されていない。また皇居前に拡声器や放送設備はない。土下座する前方に立っている人物が不自然などがその理由。ただしこの日重要な放送があるとの通知はあった。日本は前日に「ポツダム宣言」を受諾していた。 ミズーリ号上での調印 1945(昭和20)年9月2日。東京湾に進入した米国艦船ミズーリ号の船上で、敗戦国日本と、連合国代表との間で、停戦に関する協定が結ばれた。日本の全権は東久迩内閣の外務大臣である重光葵(しげみつまもる)、連合国の代表はアメリカのマッカーサー元帥。ミズーリ号が停泊したのは、江戸末期に「日米和親条約」を結んだ同じ場所。アメリカはその「位置的効果」を計算済みだった。 <日本のポツダム宣言受諾を発表するトルーマン大統領> ポツダムはドイツの一都市。そしてポツダム宣言とは、イギリスのチャーチル首相、アメリカのトルーマン大統領、中華民国の蒋介石主席の名において、日本に対して発せられた13か条からなる降伏要求の最終宣言。正式には「米英中三国共同宣言」と言う。ソ連は後に加わり追認した。 ミズーリ号上での調印は日本がポツダム宣言を認めたことを意味し、即刻同日に発効した。ミズーリ号では戦勝国を代表してマッカーサー元帥が署名したが、後日日を改めて中華民国、イギリス、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドの代表も署名した。 <ヤルタ会談の参加メンバー(左)とヤルタの位置(右)=クリミア半島先端の宮殿> このように日本の敗戦は前もって連合国側によって綿密に準備されており、ドイツやイタリアと結んだ軍事同盟など何の役にも立たなかった。驚くことに激しい戦争のさ中に戦後処理まで協議されていた。メンバーは左からイギリスのチャーチル首相、アメリカのルーズベルト大統領、そしてソ連のスターリン書記長。この会議ではソ連の対日参戦、戦後の国際連盟設立など。知らぬは日独伊の枢軸国のみだった。 1) 2) 3) 枢軸国のドイツ、イタリア、日本の占領地を戦後どう処理するかを協議したのが1)ヨーロッパ 2)朝鮮半島 3)日本列島をどう分割するかが上の3つの分割図で、図にはないがバルカン半島、台湾、樺太などの北方領土も関係する。もしもこの案が実施されていたら、わずかに近畿を除いた地域が全て外国領となっていたわけで、幸い実行されなかったのは、共産主義に対する不信感からだろうか。 日本が敗戦を認めた後に、ソ連が満州や北方領土に侵入し、日本兵をシベリアや中央アジアに連行して強制的に過酷な肉体労働をさせたこと、北方領土を未だに返還しないのを非難しても、ロシアは戦勝国として当然との考えだろう。だが「朝鮮戦争」の勃発などで、その後の世界情勢が大きく変化し、日本も遅まきながら「サンフランシスコ講和条約」の締結によって国連に復帰し、再出発出来た。 それでは中国はどうか。内戦で国民党に勝利した中国共産党は、中華人民共和国を建国し、共産主義を国是とする。一方敗れた国民党の蒋介石(右)は、日本が利権を失った台湾に入る。その台湾が戦後間もなくは国際連合の正式メンバーで、理事国でもあった。だがその後「中共」は「一つの中国」を標榜して台湾を国連から追放、資金援助したアフリカ諸国の力を借りて、安保理常任理事国の座を手に入れた。 アメリカがアフガンから撤退すると聞いたこの国は、タリバンの指導者を北京に呼んだ。協議したのはアメリカ軍に対する攻撃作戦の伝授と、資金援助の約束。アフガンから撤退する米軍は、対中国包囲網を強化する予定でいた。だが、その計画がもろくも破綻した。今年の北戴河会議(中国共産党幹部のOB会)で批判を受けた習近平は、「黙れ。台湾と尖閣は必ず獲る」と怒鳴った由。ああ怖っ。 ロシアの国旗は白青赤の三色。で国旗に込められた願いは、白=高貴と率直さ。青=名誉と純粋さ。赤=勇気と寛大さ。なんですって。そんな風には全然感じないけど。国家としてオリンピックに参加出来ない腹いせにサイバー攻撃を。北方領土では軍事訓練をやりたい放題。「国後島から泳いで来た」と言うロシア人が、先日北海道警察に拘束された。だが服は濡れておらず、小さなリュックを背負っていたらしい。難民だろうか。う~む。しかし、どう考えても変な国だ。<続く>
2021.08.26
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~戦争を止められなかった男とアメリカを戦争に巻き込んだ男~ 「映像の世紀プレミアム」。NHK制作のこの番組を興味深く観ている。初めに観たのは「第一次世界大戦」の事情と背景。そして半月ほど前に観たのは「日中戦争」とそれに引き続いて生じた「太平洋戦争」に関する映像だった。恐らくNHKは実際に入手した映像を極力客観的に繋ぎ合わせただけで、この戦争に関する主観的な主張はしていないように思えた。それがむしろ真実味を増すのだ。 満州事変 日本が統治していた当時の満州国で勃発した「満州事変」は、警察力が弱かった満州では漢族や満州族のゲリラ部隊が出没して、国民(日本人、満州族、漢族、朝鮮族)の財産を脅かしていた。漢族の首謀者は張学林。業を煮やした関東軍の若き兵士は、張学良の兄である張作霖が乗った列車を爆破し、列車はゲリラ部隊によって爆破されたと発表し、満州における権益を強化して行く。 国民党を率いていた蒋介石(右)は日本軍の力を削ぐため、満州から離れた上海や南京などでゲリラ活動を活発化する。長江(揚子江)下流域の大都市である上海や南京には外国の租界(そかい)が置かれ、ここで戦闘が起こると外国資本の利害にも大きく影響する。それで日本軍は満州から中国本土へと戦線を拡大して行くことになる。 若き日の毛沢東(左)と中国共産党の逃亡(長征) 蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる中国共産党は、時に相戦い(内戦)、時に合作(協力)して日本軍に立ち向かった。こうして日本軍は中国奥地の工業都市である重慶までをも爆撃するなど、戦線は広がる一方となった。ここで蒋介石は一計を案じ、ルーズベルト大統領率いるアメリカの目を日中戦争に向けさせるべく多くの軍事機密を提供した。 チャーチル英国首相 日本軍による米国真珠湾攻撃 一方、イギリスのチャーチル首相も追い込まれていた。ヨーロッパの大英帝国はドイツ機による空襲を受け、アジアの植民地である、ビルマやインドは中国から転戦した日本軍に侵攻されていた。貴重な軍事力を二手に分割されていたのだ。そこで彼もルーズベルトと頻繁に連絡を取り、アメリカを参戦させるべく精力を投入する。やがてアメリカの過激な要求に耐えかねた日本は、真珠湾攻撃の奇襲に出る。ついに日本は、アジアの戦争から広く太平洋を戦地とする「太平洋戦争」に突入。悲劇の始まりだ。 太平洋戦争の主な出来事(左)と、当時の近衛文麿首相(右) 左図の青い線で囲まれた部分が日本軍の最大戦域。アメリカに屑鉄の輸出を禁じられて艦船や銃砲の鋳造が困難になった。また拡大する一方の戦域は兵站(へいたん)補給の困難を日本軍にもたらした。石油を得ようと東南アジアに進出するも反撃に遭い、ついには松の根から出る油脂を精製して使用するなど、悲惨の極み。 <太平洋戦争の映像> 情報不足と資源不足でありながら、無謀にも戦争に打って出た大日本帝国の悲哀。近衛は軍部を抑えることも、天皇に戦争中止を訴えることも出来なかった。戦後の東京裁判で死刑判決を受けた近衛は、その翌日に服毒して自ら死を選んだ。 原爆投下後の広島市内 原爆投下後の長崎市内 実際の戦争を知らない世代の一人として、たとえ映像だけでも当時の日本が置かれた状況や、戦争に至った道が少しは理解が出来たように思う。私は中国の大連に旅して日露戦争の戦跡も観たし、台湾に旅して日本統治時代のことを少し知り、オーストラリアでは首都キャンベラの「戦争博物館」を見学して、戦争の傷跡を知った。 <戦後の風景=バラック造りの「闇市」> そして何よりも戦後に少年時代を過ごした者としては、まだあちこちにあった「焼け跡」、戦争孤児としての浮浪児の存在、生きるがため「パンパン」となった女性、未舗装で石ころと穴ぼこだらけの道路を歩いた、そして朝鮮戦争当時日本に駐留していた米軍のジープから投げられるガムやコーヒーを拾い、学校給食の「脱脂粉乳」と塩の塊のような「クジラ肉」で生き延びた。今なお苦く強烈な貧乏時代の切ない思い出だ。 ここに書いたことはNHKの見解ではなく、私の個人的な感想と意見です。なお、理解を助けるため放映されたもの以外の映像を加えてあることを合わせて付記します。<続く>
2021.08.25
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~難民になると言うこと~ 写真は記載内容とは一切関係ありません。 アフガン(アフガニスタンの省略形)の婦人が赤ちゃんを産んだ。この混乱のさ中にだ。産んだのはアメリカの軍用機で運ばれたドイツの米軍基地内。きっとアフガンの婦人は、その軍用機が一体どこに向かうのかを知らなかったと思う。しかし良く米軍は、アフガン難民を軍用機に乗せたものだ。恐らくは脱出する方も、軍用機を操縦する兵士もきっと必死だったに違いない。 米軍機が向かう先は、アラビア半島とドイツの2か所。その地の米軍基地に急遽アフガン難民を収容するスペースを確保したようだ。だが、双方とも満杯状態に近くなったようで、次の受け入れ先は韓国とわが国内の米軍基地と発表した由。米軍基地内は日本の権力が及ばないため、承認するしか道はない。 日本も自衛隊の輸送機を3機アフガンに向かわせた。これは駐アフガンの大使館員を日本に移送するため、ただし日本大使館に勤務していたアフガン人も例外措置として、日本に受け入れを認めたみたい。またアフガン周辺国から帰国希望邦人も帰還させる由。この後一体どれだけのアフガン難民が、無事脱出出来るのだろうか。 と言うのもアフガニスタン国立銀行にある資金のほとんどは外国資本で、既に外国資本が確保済み。そのため新政権が使用出来る資金は、わずか0.1%か0.2%らしい。タリバンはどうしても外国の援助なしでは国家運営は不可能。そこに中ソが付け入る隙がありそうだ。またタリバンは、国外に逃亡した前政権幹部とも連絡を取り合ってる由。協力を得るためか、それとも罰するためか。 タリバンは目下、アメリカ軍に協力した国民が誰かを必死で調査していると聞いた。これは当然罰するためだとしか思えない。アフガンでの医療活動や、農業発展のために尽力した日本人医師をも殺したほどの彼ら。恐らく恐怖政治は何も生まず、人々に強烈な恐怖と深い不信感を植え付けるだけなのではないか。イスラム至上主義には融和も平和も感じない。あるのはただの不毛。アフガンの国土そのものだ。 1月ほど前までの新聞小説で、不法滞在外国人と入国管所職員による厳しい審査の現実を知った。主人公の一人は滞在期限が切れたスリランカ人。その彼を何とか救おうとする日本人母子。これはハッピーエンドになるのだが、それとまるきり反対のことが現実となった。 日本滞在中のスリランカの女性の滞在期限が切れる。彼女は重い病気(糖尿病)にり患しているが、審査機関によって収容。弁護士も付けてもらえず、糖尿病の治療も許されない。その結果死に至った。母国から妹と母親が来日し、監視カメラで撮影した映像の提供を要求する。提出されたのはまだ半分とか。まさか新聞小説で知った不法滞在外国人問題。日本の関係法がこれまで通りで良いのか、考えさせられた。 さて、アメリカがアフガンから撤退する理由は、「軍」と言う限りある資源をより有効活用するためとのこと。これはつい最近「バイデン爺さん」が自らマイクに向かって話した。もっとも原稿はゴーストライターがいるのだろうし、主要な国家政策や外交方針はオバマ政権当時以来の優秀な閣僚が打ち出し、爺はただ「口パク」で話すだけだろうが。もしそうでないとすれば、奇跡に近いかも知れない。 それでは中国がアフガンに強い関心を寄せる理由は何だろう。もちろん「一帯一路」計画に中央アジア諸国やアフガンを取り込むこと。実は中国とアフガンはわずか76kmだが国境を接しているのだ。大半は山岳地帯だろうが、インド洋への近道であることは間違いない。「クワッド」でもし睨みを利かされても、「抜け道」があれば中東からの原油調達はさほど困難でない。私はそう見たのだが。<続く>
2021.08.24
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~まだある庭仕事と畑仕事~ 白いムクゲ(木槿)はいかにも淋しい。ムクゲは韓国の国花で、パククネ前大統領の名前(朴槿恵)にも木槿の文字が見える。この花が咲き出してからもう半月にはなるだろう。結構長く咲いているが、もうそろそろお終いの感じ。花が咲き終わったら、少し剪定するかも知れない。その方が、翌年木の勢いが増すと思うのだが。 シュウメイギクがようやく咲き始めた。あまりにも茎が広がり過ぎ、蕾を持っている茎を残し、かなり刈り込んだ。庭の到るところに移植した前妻。花の姿は優雅なのだが、この根茎が強くて周囲を圧倒する勢い。だからまるで「お化け屋敷」のような庭になっていた。この花は大阪勤務の時に花壇で育てたもの。それを新築予定の仙台の自宅まで持って来たのだが、少し間引く必要がありそうだ。 シコンノボタン(紫紺野牡丹)が今年は良く咲く。冬の間中、鉢ごと暖かい居間に置いたのが良かったのだろう。数年前あまりにも伸び過ぎた先端部を切ったが、脇芽が出て花の数が増えたのだろう。 今年はハイビスカスも良く咲く。この花を初めて知ったのが沖縄。沖縄ではお墓の周辺に植えることが多い。別名を仏桑花と書くように、クワ科の仲間。花は一日花で、その日のうちに萎んで翌日根元に落ちる。園芸種は色も姿も変わり種が多く、台湾でも色んなハイビスカスを見た。 ピンクのバラがようやく咲いた。咲いたのは嬉しいのだが、以前に比べて花がかなり小さくなった。今回の庭仕事で観察したところ、枯れた枝がかなりあった。私の剪定が悪かったのか、蔓性の雑草に栄養分を摂られたのか。園芸用の肥料を上げた方が良いようだ。きっと他の色のバラも同様だと思う。 今、敷地のあちこちでこのユリが咲いている。多分タカサゴユリ(高砂百合」だと思うが、自信はない。2年ほど前に面白がって薄い「ペラペラ」の種を、方々に蒔いたのだ。それが発芽して、全部育った。中には畑の一角を陣取ってるのまである。可哀想なので支柱を施し、その周囲は耕さないようにしている。掘れば百合根の丸い球根が出て来るはず。食用になるが、無論食べる積りはない。 白いガザニアは植木鉢に植えて、外の郵便受けの下に置いてある。それがなかなか丈夫で、明るい黄色の花は、既に弱って枯れた。他に咲いてるのはギボウシ。実が大きくなり始めたのが、コムラサキと南天。そのうちシュウカイドウ、ミヤコワスレなども咲き出すはず。かなり後には小菊も。 実は昨日もまた畑仕事と庭仕事をした。やるべき時にやって置かないと後が面倒なのだ。庭、畑、家の周囲の雑草は一応取ったが、直ぐにまた生えるはず。それが雑草の性質。畑も不要な苗は始末し、畝を耕した。上の写真の一番右側の畝は「雲南百薬」。その隣はトマト8本と、その奥にミニトマトが1株。まだ収穫出来るためそのままにし、剪定や追肥をしている。 その左側の2つの畝は10月末にタマネギの苗を植える予定地。奥の塀際の畝も開いているが、間もなく秋冬野菜の苗を植える予定地。一番左側の土の色が濃い畝は、昨日支柱を立てた。 先ず支柱を立てて固定してから、モロッコインゲンの種を蒔いた。最初に蒔くと、どこに蒔いたか分からなくなるためだ。もし首尾良く発芽したら、必ず支柱が必要になるため無駄にはならない。理由は「蔓性」のため。ただし、仙台の今後の気候で果たして収穫まで漕ぎ付けるかどうかが問題。そんな「実験」も楽しみのうち。首尾が良ければ喜び、たとえ失敗しても経験として生きる。 今回畝を耕した際に、土の中から出て来たのがこれ。収穫が今年は7月にずれ込み、つい慌てて全部確認しなかったようだ。その頃には地上の茎は腐ってしまうため、種芋を植えた場所が分からなくなってしまうのが原因。だが面白い。南の畑のミニトマトは、去年の「こぼれ種」が勝手に発芽したもので、東の畑のトマトは摘んだ脇芽を「挿し芽」したのが育ったもの。そんな「遊び」を楽しんでいる私。 今年は40本以上収穫出来たゴーヤに感謝し、ゴーヤの花を載せよう。去年は貧弱なのがたった3本だけ。相当の不作と言うか、失敗作。自然が相手の家庭菜園は何が起きるか分からない。それもまた喜びのうち。シソは種が出来るまで抜かないで放置。実った種を畑に蒔くと、また来年そこから発芽する。そんな繰り返しで、わが家のシソは10年以上も命を繋いでいる。また畑の話が続いてしまい、好きでない方には、どうもゴメンなさいね。
2021.08.23
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~猛烈に働いた日~ 8月21日(土)は朝5時に目覚め、着替えてそのまま庭へ。この日はやることがたくさんあった。朝食も摂らず、黙々と仕事をこなした。上はその時使った道具類。ゴーヤの苗3本を始末し、ネットと支柱の除去。これだけで1時間近くかかった。先日収穫したばかりなので、出て来たのはごく小さなゴーヤ3本。それも捨てずに台所行き。 次に梅の木の剪定作業。これには2時間以上かかった。太い枝は鋸で、まあまあのは枝切ばさみで、細いのは鎌でと細かく処理。剪定前の写真は撮らなかったが、バッサリ伐ったことが一目瞭然のはず。実は切った枝の処理にも結構手間がかかる。サイズと切った枝の形を統一して、ビニールひもで縛る。ついでに付近のバラ、ボケ、ツツジの延びた枝も剪定。厄介なのがこの後出て来る。 ユズには鋭いトゲがある。(左)直接触ったら怪我をするのは、毎年経験済み。そこで今年は右のような棒の先に「熊手)を付けた「枝引っ張り棒」を作った。新しい枝は梢の上に出るため、普通では届かず例年苦労の連続。それも庭の角地に植えてあるため、脚立も入らないのだ。でも今年は「飛び道具」のお陰で楽に枝が伐れた。 作戦2は棘の付いた枝をそのまま縛らずに、面倒でも1本ずつ枝のトゲを剪定鋏で切った。左が切った後のトゲ。知らずに踏むと、シューズをグサリと貫き足が大けが。手に刺されば指が大けが。毎年苦労の種だったユズの剪定。そして右はティッシュの空き箱。これに切ったトゲを入れ、穴にフタをしてから、ゴミ袋に入れる。そうしないと自分も、ゴミ収集の人も危険。我ながら実に名案。「急がば回れ」 作戦その3は、腰かけて作業すること。枝の剪定や、ネットや支柱の除去作業は立ったり屈んだりしての作業だが、草抜きやユズのトゲ切作業は、座った方が長時間楽に作業が出来る。そう思ってマットの上に、お風呂の椅子を置いて座った。こんなことでも疲労度が全く異なる。やはり楽だと助かるよね。 昼食は手短に、ゴーヤ大盛り冷やし中華。この時初めてTVを点けて、ニュースと高校野球をちらっと見た。汗をかいたシャツは着替え、昼食後は再び庭に出る。 左は剪定した枝を縛ったもの。80cm以内にまとめれば、ゴミ袋に入れずそのまま出せる。全部で8束になった。次の「燃えるゴミ」の日に、近くの集積所まで運ぶ予定。右側は裏庭のゴミ集積所。ここには剪定した枝の小さなものや、野菜の苗などを積んでいる。1年もすれば立派な腐葉土に変わる。この「山」に料理で出た油が浮いた水や、汚れた水をかける。下水も詰まらないし一挙両得だ。この日抜いたゴーヤの苗や蔓も積んだ。今後処分予定のトマトの苗もここに来る。 この日剪定した梅の枝には「アメリカシロヒトリ」(有害な蛾の幼虫の巣)があった。またユズの伸びた枝には「アブラムシ」がたくさん付いていた。バラなどの若い葉を好んで食べる害虫だ。やはり早めに剪定して正解だったようだ。危ない危ない。 1) 2) 3) 4) 夕方からキッチンに立ち、2時間ほど料理に没頭。1)は定番のゴーヤチャンプルーで、ゴーヤのほかに豚肉、ベーコン、水抜きした木綿豆腐、溶き卵が入っている。塩コショウとユズポン少々。2)は野菜の塩もみで、ゴーヤ、タマネギ、キュウリが入っている。3)はカボチャの煮物。調味料は醤油、出汁醤油、味醂。弱火でゆっくりと煮る。4)は醤油タレに漬けた見切り品カツオを焼いたもの。 遅めの夕食。焼き魚の代わりに刺身。納豆、作ったばかりの料理、沢庵、自家製梅干し、ゴーヤの佃煮など、野菜たっぷり。薄い焼酎1杯。この後、夕方の服薬。夕食中にTVでニュース。その後謎の諏訪地方がテーマだった「ブラタモリ」を久しぶりに観た。私にはとても良い勉強になり、趣味の歴史を解くヒントを得た。その後新聞に目を通し、9時半から翌日用のブログ執筆。時間がないため連載物は無理で、この日やったことを書いた。 先日来茶化して「苦瓜病」などとブログに書いていたが、内心はゴーヤの栄養価についてとても関心があった。そこでネットで調べてみると、トンデモナイゴーヤの「実力」が判明した。 <ゴーヤ100g中の成分> 〇カリウム(体のむくみや高血圧を予防する効果)260mg 〇葉酸(貧血を防ぐ効果)72マイクロg 〇ビタミンC(倦怠感や疲労感の除去に効果)76mg(野菜のなかでも多い方) 〇カルシウム(骨を強化する効果など)260mg 〇モモルデシン(ゴーヤの苦みの成分)食欲増進の効果絶大。 〇エネルギー 15kcal 〇食物繊維がたくさん (便秘への効果絶大)。 まあそんな次第で、ゴーヤは厳しい夏を乗り切るためにはとても重宝な野菜であることが分かったのじゃ。だから苦いから嫌とか言わないで、ドンドンゴーヤを食べなはれや。爺は先日来の疲労がすっかりどこかへ行ってしもうた。これもせっせとゴーヤを食べたせいと、今頃気づいたんじゃ。幸いこの夏はゴーヤの大豊作。まだもう少し冷蔵庫にあるでのう。ふぉっふぉっふぉ。ではまた明日。
2021.08.22
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~終戦記念日に寄せて~ 今年の終戦記念日式典から 先日の俳句教室で、戦後の風景を句に詠んだ仲間がいた。私は比較的最近NHKのドキュメンタリー番組「新映像の世紀」や、歴史ドラマ「大地の子」を観た。どちらも終戦記念日を意識した再放送だったのだろうが、私の胸に沁み入るものがあった。 実体験していない戦争と、敗戦の大きな影響、当時の世界情勢など、知らなかった世界がほんの少し見えた感じ。こんな仰々しいタイトルで、老ブロガーが気楽に書ける内容でないことは百も承知。だが恥をかくのも良いじゃないの。自分の頭や気持ちの整理のためにも、敢えて挑戦したいのだ。 アフガニスタンで政変が起こった。過激派タリバンが政府軍を駆逐したのだ。ここ1か月ちょっとのうちに、彼らの支配地がみるみる真っ赤に染まった。国民もそして外国人も国外へ脱出しようとして必死。飛行場の金網をよじ登り、米軍機にしがみつこうとする人々。まさに修羅場とはこのこと。既にTV放送も規制を受けた。タリバンは自国民に対して、「乱暴はせず女性の人権は守る」と言っているが、果たしてこの混乱は治まるのだろうか。 崩壊寸前の世界貿易センタービル そもそものきっかけが2001年9月11日の同時多発テロ。この暴挙に怒ったアメリカが、犯人の過激派を匿ったとしてアフガンに軍隊を派遣。以後駐留を続けていた。なのに国内事情から軍の撤退を決定。それに慄いた前政権は国外に逃亡した。そもそも同時多発テロ事件疑惑が、果たして真実だったのかどうか。テロに無関係のかなり離れた古いビル2棟も、後に倒壊したと聞く。 大王アレキサンドロス3世(英語での呼称はアレキサンダー) アフガンはマケドニアの若き王アレクサンドロス3世(アレキサンダー)の大遠征(紀元前356-323年)以来民族の対立が激しく、数少ないがギリシャ系民族が今も存在する由。もちろん大王の軍隊の子孫だ。民族のるつぼ、宗教のるつぼ。そして東西文明の交流点。バーミアン渓谷の大仏像(世界文化遺産)が当時のタリバン政権によって破壊されたのも、同時テロと同じ2001年だった。 (1) (2) (3) (1)は世界文化遺産に指定されたバーミアン渓谷の大仏で、偶像崇拝を嫌うイスラム国家時代、既に顔が切り取られ、両足の下部が劣化のために崩落している。(2)はタリバン政権によって完全に爆破された仏像。(3)は(1)よりも古い時代の本来の大仏と考えられる石像を、CGと投影によって再現したもの。 アフガン情勢に早速この人が反応し、米軍の撤退を非難した。まだソ連だった時代に、ソ連の戦車がアフガンの地を蹂躙したことなど忘れたかのような口調だ。ソ連の冷酷さと暴虐は、その後東欧社会主義国家の崩壊につながった。つい最近、ロシアの極東大臣が、大規模開発推進のための「北方領土特区」の準備が完了したと公表。日本が主張する「北方領土」はロシアの領土として譲れないが、開発への協力は認めると言う図々しさ。 計画を公表する極東発展相 プーチンとロシアの強権政治は欧米から警戒され、経済制裁を受けている。彼らも現状打開に必死。だから同じように世界から非難されている中国と、共同歩調を取るのだろう。わが北方領土が返還されることは先ずあるまい。全ては「ヤルタ協定」で決定済みとの認識。わが日本国民は何と無知、無頓着なのか。それらのことについては、次回以降じっくり書きたいと思う。 こちらのこの人もアフガンに反応し、米軍の撤退をなじった。だが本当はほくそ笑んでいるはず。新疆ウイグル自治区での人権侵害から世界の目を逸らさせ、「一帯一路」がアフガンを通れば思うつぼ。恐らくは今後タリバン政権に近づくはず。ほぼ同時期に台湾空域に中国機が侵入し、わが尖閣では百隻の「中国漁船」が操業中。同時に海警局艦船4隻が領海へ侵入したが、いずれも不法行為。本来なら逮捕すべき重要事態だが、菅政権にそんな覚悟が果たしてあるだろうか。 各地で続く中国の大水害 もちろんバイデン政権の出方を窺っているのだ。あの耄碌爺さんが、尖閣や東シナ海、南シナ海で中国軍と本気で対峙する気があるのかと。新型コロナの発生源として、武漢のウイルス研究所が疑われ、WHOは再調査を求めている。中国は今年もまた大水害が発生中。そして香港のみならず中国本土からも、国外への脱出者が激増しているらしい。果たして中国に、今後どのような打開策があるのか。では初回はこの辺で。<続く>
2021.08.21
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~天候の急変に戸惑いつつ生きる日々~ ある日のこと。珍しいお客さんがわが家にやって来た。あれは雨が降ってない日。「今日は~!!」と庭に入って来たのは親子。あれまあ。若いパパと幼児がわが家に来たのは初めて。用件を聞いて微笑んだ。キャッチボールをしていて、ボールがわが家の裏庭に入ったみたい。「どうぞどうぞ」と言うと、2人して探しに行った。ほどなく見つかり、喜んで帰った。まだ草取りをしてなかったので、きっと探すのが大変だったはず。 別の日、町内会の役員が小さなビニール袋を手にやって来た。袋の中に入っていたのは3個のどら焼き。「敬老会」の部会に配られたものとのこと。「敬老会」の前に配られたアンケート用紙に、私は「一人で生きてるのがやっとです」。「敬老会に会食するのは適切ではない」と書いて提出した。このコロナ禍の下での本音。自分では買うことのないどら焼きを、3日間かけてゆっくりと味わった。 夏の甲子園大会がトンデモナイ事態になっている。降り続く雨で順延に次ぐ順延。雨天コールドが1回。ノーゲームが2回。おまけにコロナ感染で、参加校中2校が出場辞退を表明する異常さ。雨の影響でスケジュールを何度も組み直し、今後雨天コールドはせずに、「継続試合」の検討をするみたいだ。そりゃそうだよねえ。折角勝っていたのに、再試合とか。接戦だったのにコールドとはあまりにも無残。 東北学院校章 コロナ感染による出場辞退のうちの1校が、わが宮城県の東北学院高校だった。県大会の決勝戦はTVで観て、校歌も聞いた。小学校から大学まで校歌は一緒なので、今でも歌詞は覚えている。校章は小学校から高校までが一緒で、十字架にTとG。大学の校章はさすがに異なる。甲子園で1勝したからまだ良いが、感染者の名前が分かると将来に影響するとして、学校側が辞退を決めた由。だが何か勿体ない。 「二刀流」の大谷翔平選手の活躍が凄い。打者としてはホームラン40本で、両リーグを通じてトップで2位に5本差をつけている。打点もトップと1点差。投手としては今季8勝目。それだけでも驚く。ファンが急増し、マスコット商品が飛ぶように売れている由。アウェイでも、相手チームのファンまでもが大谷に声援を送る始末。大リーグの歴史を変えたね。ひょっとして殿堂入りも可能かもよ。 さて、昨日の俳句教室は出席者が少なかった。多分受講生は全員高齢者でワクチン接種済のはずだから「新型コロナ」は関係なし。「お盆休み」の影響があったのか。それとも体調不良か。お陰で私は全員の作品に対して、自分の意見を述べさせてもらった。これは異例の異例。受講生が少ないこともあってか、講師が私に自由な意見陳述を促したのだろう。 講師は高齢の上、肝臓がんが肺に転移して手術不能な状態であることを受講生に告知した。1か月前、私は密かに彼から打診されている。私が倒れたら君が講師をしてくれと。そのことを皆は知らない。私など受講生の枠を出ないのだが、講師は他に適任者がいないと判断したのだろう。私より受講歴や作句歴が古い人もいるが、たつての願いなので私は引き受ける積り。たとえそのことが原因で苦しんだとしても。 帰途、スーパーに寄って買い物。帰宅後入浴、買った食品の仕分け、大量に収穫したゴーヤのうち熟して部分的に腐敗が始まった物を使い、「塩もみ」を作った。もちろん腐った部分は切って捨てる。これも美味しく出来た。またお盆後で安い見切り品が買え、カツオの切り身を醤油、味噌、味醂を混ぜたタレに漬けた。焼いたらきっと美味しいはず。それ以外は刺身に。こちらもまだまだいける。 今日20日は旧のお盆。天気も良いので義姉と一緒に墓参りの予定。月遅れのお盆の頃は雨続きで無理だった。さて布団は冬用から、薄い夏蒲団とタオルケットの組み合わせに変えた。庭の草取、植木の剪定、洗濯に布団干し。ブログに掃除に、俳句の準備。まあ忙しいのも生きていればこそ。庭のハイビスカスがまた一つ咲いた。気温の上昇を敏感に察知しているのだ。暑いと蚊が出て困るけど。
2021.08.20
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~猛暑・梅雨寒・猛暑~ 天候の激変には驚いた。あのオリンピックでも、あまりの暑さにプレーの開始時間や競技会場を急遽変更したりと、てんやわんやの騒動だった。暑熱の東京から場所を札幌に移した男女マラソンや、競歩でも暑さでリタイヤする選手も出たほど。それが一変しての長雨と大雨。中には3か月分の雨が数日で降った場所もあり、各地で大きな被害が発生した。中国では河川の氾濫が相次ぎ、北朝鮮では食糧不足が加速した模様。 わが家も大わらわ。夏蒲団から冬の掛布団に替え、パジャマも夏用から秋用に替え、暖房を入れたりもした。体温が下がると頭痛がするからだ。きっと血管が収縮して血圧が上がったのだろう。暑かったころは気持ち良かった水風呂や水シャワーから一転して、暖かいお風呂や温水のシャワーに。そして服装も長袖、長ズボンに替えた。自らの健康は自ら保つしかない。ましてコロナ禍の現在においては。 シャラの実 鬱屈した日が続く中で、幾つか気分転換をした。お茶、ウーロン茶、コーヒーなどの色が沈着したカップを悉く漂白剤で漂白。すっかりきれいになった。急須を新しいのに替え、新しい茶碗で暖かいお茶を飲んだ。すると安物のお茶がとても美味しい。雑巾のようになった布巾、古びた毛布、擦り切れた夏蒲団、穴の開いた靴下やステテコを片っ端からゴミに出した。古いタオルは布巾にし、新しいタオルを下ろした。 古びたシューズを農作業用にし、安いシューズを買って普段履きにした。私が買うランニングシューズは1万2千円前後。そんな高級品も古びればランニング用には使えない。新たなものはわずか千円。普段履きならこれで十分。1万3千円もした英国製の登山用のリュックを捨てた。「佐渡島一周」などのマラニックで使い込み、底の一部に穴が開いていた。それにファスナーが引っかかる。もう寿命だ。 新たに買ったリュック 新調したリュックも千円ほどの安物。英国製のは20リットル用で、腰と胸用のベルトがあった。体にフィットして楽に動けた。今度のは中国製かも。30リットルほどの大きさで、多分10kgの米袋がすっぽり収まるはず。だが付いてるのは肩のベルトのみ。これで米を入れて背負ったら、きっと不安定で自転車が漕げない。そこで、小さめのポシェットを「腰用」のベルト代わりにすると、安定した。大成功。 思い切って眼鏡も新調した。眼科で綿密な視力検査のもとに発行された「眼鏡処方箋」に基づく「レンズの調整」。遠近両用に紫外線カット。フレームは六角形の青。これまでの爺さん臭いものとは大違い。それにこれまでのものは使い込んで汚れ、しかも度数が合わなくなっていた。それを「倹約精神」で我慢して来たのだ。もう我慢は不要。必要なものはドンドン買う方針に変更した。 これが新しい眼鏡をかけた自分。頭は白髪、目は垂れ目、顔には疲労の色が濃い。それも当然だ。夢中でオリンピックを観戦し、連日遅くまでブログを書き、翌朝は畑や庭の草取、植木の剪定作業などに没頭していた。去年2か月連続でやった過酷な「断捨離」作業のせいで、今も痛む腰。そんな状態で無理をすれば、疲労困憊は当然。だが独り暮らしの身では、私の他に作業する人はいない。 大量のゴーヤ 昨日も畑の整備と裏庭の草取り作業。ゴーヤの増え過ぎた蔓を処分したら、その陰からゴーヤが大量に出て来た。全部で13本。これでは「苦瓜病」が治る暇はない。今年初めて「ゴーヤチャンプルー」を作った。我ながら実に美味しい。でもこれを全部一人で食べるのはなあ。今度義姉が訪ねて来るので、彼女に持たせよう。良かったらご近所にも上げて」と。自家製の梅干しは用意した。以前上げると約束したもの。飛び切り上手に出来上がった今年の梅干し。まるでプロが製造したものみたい。これホントあるよ。 こぼれ種から発芽して育ったミニトマト 今日は月に1度の「俳句教室」。このブログは予約機能を使って前日に書いているが、既に兼題(宿題)を含めて3つの作品を短冊に書いた。宮城県も近々「蔓延防止」云々の指定を受ける。さて、俳句教室が影響を受けるかどうか。まだ連絡が来ないので教室はあるはず。だが、受講生の集まり具合はどうだろうね。お盆も済み、気分一新で皆がやって来るのを期待しよう。<続く>
2021.08.19
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~東京からパリへ~ NHKのオリンピックス報道番組のスペシャルナビゲーターを勤めたのが、この人。名前は櫻井翔。嵐のメンバーだったが、嵐は2020年末で活動を停止したらしい。歳は39歳。彼が18歳の時にグループはハワイのクルーズ船の中でデビューしたのだそうだ。そんなことは一切知らず、ただただあのオリンピック番組を観ていた。彼はネットから借りたこの写真よりもっと生き生きとし、連日猛烈かつ爽やかにに働いていた。そして番組のテーマ曲になった「カイト」も彼ら嵐が歌った由。あの曲を思い出しながら、既に閉会した東京オリンピックの幾つかの場面を振り返ってみたい。 13年ぶりの復活で、見事金メダルを獲った野球の「侍ジャパン」。事前の評価があまり高くなかった稲葉監督の意地が光った。きっと若手選手も自信をつけたことだろう。稲葉氏は今シーズン後、日ハムの新監督に就任するとの噂がある。 男子サッカーの「森保ジャパン」は予選で全勝しながら、決勝トーナメントでは苦杯を飲んだ。銅メダルをかけたメキシコとの3位決定戦はメキシコの老獪さに敗れた。泣き崩れる白のジャパンに対して、緑のメキシコは自信たっぷりで喜びに満ち溢れていた。明暗が分かれたあの厳しい戦い。あの時の口惜しさを糧とし、次の世代を背負う選手がきっと強くなってパリに向かうはずだ。 最高齢はオーストラリアの馬術の選手で62歳。以前には日本にも古希(70歳)を超えた選手がいたと記憶している。やはり馬術の選手だった。きっと経験がものを言う競技なのだろう。 無観客の競技場での静かな閉会式。あのコロナ禍の中で、よくも最後までやり遂げたもの。日本はもっと誇っても良いと、私は思っている。 表彰式での選手同士での「メダル掛け」。今大会のシンボルとも言えますね。 17日間灯し続けた聖火。国内の聖火リレーがちょっぴり寂しかったですね。でもありがとう。この後「オリンピック旗」は東京を離れ、IOCを経てパリ市長の手に渡った。 ここからは次回「パリ大会」のデモンストレーション画像。とあるホールでのクラシック演奏で始まった画面だが、いつしか演奏はセーヌ河畔に飛んだり、ホールに戻ったり、また市内へと飛び出し、その後で何と宇宙船の中での楽器演奏となったのにはビックリ。窓の外は海ではなく宇宙。 宇宙船からはこんな美しい地球の姿を見せてくれた。地上では新型コロナ感染症が蔓延し、アフガニスタンでは過激派が政府を倒したり、大会後の日本では大雨に苦しんだり、異常気象によりアフリカ北部などで山火事が発生したりと、人々の悲痛な叫び声が聞こえるのに、何事もないように宇宙は静まり返ってている。私はこの映像をパソコンのデスクトップにした。 大聖堂の屋根の上でも、アスリートが何かデモンストレーションをしていたが、一般の選手がこんな場所で競技することはない。ただし、会場が競技場からパリ市内へ飛び出して行くことは確かみたい。 エッフェル塔にはためく巨大な五輪旗。もちろんCGによる合成なのだろうが。 熱狂するパリ市民。おうおう。ちゃんとマスクしてるね君たちも。さてヨーロッパの異常気象は2024年までには果たして落ち着いてくれてるんだろうか。 優秀なフランス空軍機が、エッフェル塔を5つの色で包んだ。見事な連携だ。 エマニュエル・マクロン大統領も画面に登場。日本の政治家と違って若くて良いねえ、何と言っても43歳だもの。だから3年後だってまだ46ダヨ~ン。 最後に誰かが近づき、テレビカメラに何かを描いた。「paris 2024」か。ふむふむなるほど。よろしく頼んだよフランスの皆さま。そしてパリ市民の皆さまたち。これで俺も渋沢栄一たちが明治初期に「パリ万博」へ行ったような気分になったぞ、おっほん。長いシリーズに付き合ってくれてどうもありがとうね。メルシーボーク。これでさらばじゃ。<おしまい>
2021.08.18
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~いくつかの視点 その3~<復活した種目> 金メダルの侍ジャパン 野球は2008年の北京大会以来のオリンピック種目となった。ソフトボールも同様だ。競技人口が少ないと言うのがIOCの考え方だろう。そこで東京大会で復活させるため、2つの競技団体を統一させた。そんな苦労の末の「侍ジャパン」の優勝と金メダル獲得だった。稲葉監督を中心にまとまり、際どい戦いながらも5連勝で終わった。主将もおかず、選手の自主性を重んじた監督の目に光るものがあった。 上野由岐子投手 モニカ・アボット投手 WBCと言う国際大会がある野球に対して、ソフトボールは日本国内でのリーグのみ。オリンピック種目から外れたことで、日本の中心だった上野投手とアメリカのアボット投手は心が折れた。だが再び東京で復活すると聞いた2人は日本国内のリーグに戻った。2人は高崎のビッグカメラチームの同僚。2人とも最後の力を振り絞って東京大会で戦った。決勝戦で敗れたアメリカのアボット投手は、ゲーム後上野の傍に近づき、心から祝福し肩を抱いた。上野由岐子、39歳のソフトボールに懸けた執念だった。<2つの祖国> 陸上男子100m及び4×100mリレーの2種目で金メダルを獲ったイタリアのラモントマルチェル・ヤコブス選手はアメリカのテキサス州生まれ。アフリカ系アメリカ人の父は軍人で、彼が幼い頃に韓国に転勤。イタリア人の母はそのことで離婚し、母国へ帰国した。ヤコブスはかなり遅れて陸上競技に取り組み始めた。その彼が、新しい祖国に栄誉と金メダルをもたらした。妻はイタリア美人らしい。<親をコーチとして育った選手> 女子陸上の田中希実選手(21同志社大)は、東京大会の準決勝で3分台の日本新記録を出し、決勝でも3’59”95と好記録を出して8位入賞した。日本の女子陸上選手がオリンピックのファイナリストとなることは稀。左はレース後座り込む彼女。右は日の丸を背負ってインタビューに答える彼女。日の丸はコーチである父が手渡したもの。娘は元陸上選手の父の下に育った。若いので記録はまだ伸びるだろう。 大会終了後の特別番組で、幼少期の選手の姿を見た。何と卓球の伊藤美誠選手の子供の頃の写真があの卓球少女「愛ちゃん」そっくりだった。髪の結い方もラケットを持つ姿も、すぐにも泣き出しそうな雰囲気も。愛ちゃん同様にお母さんが元卓球選手だった由。きっと全国的に有名だった愛ちゃんの姿を見て、母親が幼い美誠ちゃんをあのように育てたいと思ったのかもと。そして水谷隼選手も同じ教室にいたそうだ。12歳年上の水谷選手は、目の不調で現役から退くことを表明。最後に2人の良い思い出が出来ましたね。 大会後引退表明した女子ウエイトリフティングの三宅宏美選手も、中学生の頃から父義行氏の指導を受けていたし、女子レスリングの伊調馨選手も実家が八戸市でレスリング教室を開いていて、父親に幼いころから鍛えられた。浜口京子選手が元プロレスラーの父アニマル浜口氏の猛練習で鍛えられたことを思い出す。一流のアスリートは幼少時からエリート教育を受けて来たのだろう。現在では各競技団体が全国から隠れた素材を探し出し、「英才アカデミー」で育成している。<オリンピックと社会性> コロナ禍の中でのオリンピック開催には批判もあったが、色んなボランティアがその運営を支えた。医師団は報酬なしで検診に協力し、登録した看護師は500名に及んだと言う。今大会に参加した選手や関係者のコロナ感染者(陽性者を含む)は、150名だったと聞くが実態はどうか。 BMX会場付近で 閉会式会場周辺 連日の日本人選手の活躍に刺激されてか、「無観客」の会場に入場出来なかった観客が、会場付近の陸橋から(上)「ただ」で見物したり、閉会式会場の新国立競技場付近に出向いて打ち上げられる「豪華な花火」を楽しむ人が多かったようだ(下)。私はずっと家のTVで観戦したが、「コロナ自粛」に飽き飽きした若者が街中へ繰り出すのを、果たして非難出来るだろうか。そしてあれほど盛り上がった「東京オリンピック」をコロナ大感染の原因として、非難出来るだろうか。良い時は褒めそやし、状況が悪化したらくそみそにけなす。マスコミや野党の悪い癖だ。 国内ではコロナ感染者数激増の原因としてさほど評価されていない今大会だが、アメリカワシントンの通信大手は、「こんな時期に良く東京はオリンピックを開催してくれた」と評価している由。私も同感だ。スペイン風邪大流行時の「アントワープ大会」。あれは第一次世界大戦直後で、オリンピックどころではなかったはず。 新たなウイルスの出現とパンデミックは、世界的な人流が普通の今日では、避けることが出来ない事象ではないかと思う。未知の恐怖との遭遇とそれへの対応は一個の生命体である人類の運命とも言える。地球人は英知を振るって今後も未知の危険と戦わざるを得ない。世界のアスリートは良くぞ体調を整えて東京に来てくれたものだ。彼らアスリートたちの優れたパフォーマンスを目の当たりに出来たことは、単なる暇潰しでも、「コロナ自粛」でもなかった。人類の歩むべき一つの方向性を示したように私は感じた。 IOCのバッハ会長が広島へ行った経費を誰が支払うかでもめていると聞いて驚いた。実態はバッハ会長訪問時の警備費用の負担で、結局広島県と広島市で折半する由。名古屋市の河村市長が表敬訪問した女子選手の金メダルを噛んだ事件。IOCが新品と交換するようだが、経費は約9万円。素材は古い携帯電話などいわゆる「都市鉱山」から回収した貴金属。河村氏は自分の給与3か月分を返上する予定とのこと。どうも筋違いな謝罪のように感じるのだが。「あの人はお子ちゃま」。大阪の松井市長の河村名古屋市長への一言だ。 「サンモニ」での張本氏の発言に怒った日本ボクシング協会が、TBSに抗議した問題。翌週の「サンモニ」でMCの関口氏と張本人の張本氏、女性キャスターがそれぞれ謝罪したそうだが、張さんの謝罪は意味が通じないものだったとか。それとは別にTBSの社長が改めて記者会見するそうだ。あの番組自体が「上から目線」で大嫌い。勘違いした変な「進歩人」が多いんだよなあ。喝~っ!! 東京オリンピックの開催以前から何かとイチャモンをつけっ放しだったお隣の韓国。「防護服」を着たランナーのポスター、竹島が入った大会ポスターに対する抗議、選手村での不適切な垂れ幕の除去騒動。選手村食堂の食材に「放射能汚染された」福島県産品が使われているとして、近隣のホテル内に韓国専用の食堂を作ったり、「韓国人選手」用の弁当を作って選手に届けたり、ビクトリーブーケに福島県の花が使用されているとして拒否したりと傍若無人の連続だった。 ビクトリーブーケ 表彰台でメダルと共に選手に手渡された「ビクトリーブーケ」(左)には、岩手県のリンドウ、宮城県のヒマワリ、そして福島県のトルコ桔梗が使われている。もちろん「東日本大震災からの復興」のシンボルだ。その崇高な精神を理解出来ない三流国家。彼の国の原発の方が、日本よりもかなり高い濃度の排水を日本海に垂れ流しておきながら。いつまで経っても馬鹿な国、馬鹿な民族だ。 東京大会終了と同時に、韓国がまた新たな嘘を世界に広めた。IOCが「旭日旗」の使用を禁止したと発表。日本政府は直ちに事実無根と抗議した。無観客なので旭日旗の出番はないし、IOCも「これまでと変わらない」と表明。つまり「旭日旗」に政治性は全くないとの判断だ。「反日」のためなら、どんな策謀も許される隣国。メダル獲得数でも相当悔しがったそうだ。まあお気の毒に。こちらは全然気になんかしてないのにねえ。何でだろ。何でだろ。 <スポーツと不正> 男子100×4リレーで銀メダルを獲った某国の選手の尿から、禁止薬物が出て同選手は目下暫定的な出場停止処分を受けている。他にも3か国の3選手が同容疑で検証中。もし疑惑が確定すれば銀メダルは没収され、銅の国が銀に、4位の中国が銅メダル獲得となる。以前から国家自体がドーピングに関与しているロシアは問題外。不満なロシアは、オリンピック開催国をサイバー攻撃する由。<ホットな話題> 男子フェンシングのエペ団体戦で金メダルを獲った日本チーム(左)のメンバーは、自らを「エペジーン」と呼称していたそうな。「ジーン」は人でもあり、陣でもあろうか。さて優勝の立役者である身延和靖選手(右35歳)が所属するネクサスのメダル報告会に参加したところ、太っ腹の社長さんが「夢のある報奨金」と称して1億円支給のサプライズ。良い社長だねえ。銀メダルの女子バスケットも協会が1人に付き500万円の報奨金を出す由。ひょっとして、他にもあるかもね。 全仏オープンも東京オリンピックも2回戦で棄権した大坂なおみ選手。彼女が告白したとおり、心の不調は誰の目にも明らかだった。だが彼女は最近以下の宣言をした。「今週開催されるアメリカの大会で得た賞金の全てをハイチに寄付すると」。父親の出身国であるハイチでは、ごく最近大地震が発生して大きな災害が起きた。それで彼女は一大決心をしたのだろう。 自分の身にも半分流れているハイチ人の血。そのハイチが危機に陥っているのに、心の不調を理由に閉じ籠っていることは出来ない。彼女はきっとそう感じたのではないか。もしそれが事実だとしたら、今度の災難が彼女にとって大きな転機になるような気がする。きっと神様に、良い復活のチャンスをもらったんじゃないのかな。また以前のように挑戦し前進する大坂選手であって欲しいと祈って止まない。<続く>
2021.08.17
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~いくつかの視点・その2~<女性アスリートの活躍> 女子マラソン表彰式 皆さんはどう思われただろうか。今大会での女性の活躍が目についたことを。一つのデータを示そう。1964年(昭和39年)の東京大会での女性アスリートの比率は全体の13.2%だったそうだ。それから57年経った今大会での女性アスリートの比率は48.8%。前回東京の3.7倍。何と全体の半分近くまで増えている。それほどジェンダー(性差)の解消が進んだことになる。<参加者の低年齢化> スケボーの開心那選手 スケートボード「パーク」の開心那選手(日本)は12歳。恐らくこの12歳が最少年齢だろう。外国の女子卓球選手も12歳だった。1992年のバルセロナ大会で日本の岩崎恭子選手が金メダルを獲った。その時インタビューで「今までの人生で一番嬉しかった」と言ったのが記憶に新しい。あの時の彼女の年齢は13歳だった。さて、今大会で男子の12歳はいたのだろうか。<日本選手の名前> 若いから「キラキラネーム」の多いこと。今大会のブログを書いていて、選手名の文字変換に苦労した所以だ。日本選手の大部分は平成生まれで、昭和生まれの選手は少なくなったのではないか。また、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィン、空手の新種目が珍しくて目に焼き付いた。 柔道のウルフ・アロン選手 カタカナ名の日本選手が増えたのも今大会の特徴のように思う。柔道のウルフ・アロン選手や陸上のサニー・ブラウン選手、女子バスケットのオコエ桃仁花(もにか)選手。他にもいたと思う。これは国際結婚が増えた証拠。でも大抵日本人は母親のケース。そのうち父親が日本人で母親が外国人のアスリートや、両親とも外国人で日本に帰化するケースも増えると思う。変化はLGBTだけではない。 <ママさん選手の活躍> アメリカのママさんアスリート アメリカのママさんアスリートの写真が新聞に載っていた。何でも出産後に東京大会出場を目指して再びトレーニングを開始し、めでたくメダルを獲ったとか。かつての柔道の谷亮子さんも「谷でも金」、「ママでも金」と張り切っていたのを思い出す。今大会女子陸上100mハードルの予選に出た選手も確かママさん選手だった。日本でも今後は普通になるかも知れない。 <お疲れ様でした> 三宅宏美選手と父義行氏 女子ウエイトリフティングの三宅宏美が引退を発表した。まだ35歳と若い彼女だが、父義行氏は前の東京大会重量挙げの銅メダリスト、伯父義信氏は金メダリストだった。その期待から彼女も14歳ころから競技を始め、今回が5回目のオリンピックだった。20年以上の競技生活で、きっと腰や膝や肩などに痛みが出ていたはず。今大会は記録なしに終わった彼女だが、「やりつくしたので悔いはない」と話していたのがとても印象的だった。「長い間重たい物を持ち上げて、お疲れ様でしたね」。 体操の内村航平選手 内村浩平選手もまだ32歳の若さだが、今大会後の現役引退を表明した。本人曰く「体力の限界」の由。北京、ロンドン、リオ、東京大会に出場。個人総合2連覇を達成し、団体や種目別を含め、金3,銀4を獲得。世界体操選手権個人総合6連覇など金10,銀4,銅4獲得。リオ大会後は肩の怪我で苦しんでいた。彼が引っ張ってくれた間に若手も育って来た。長い間、体操日本のためにありがとうね。<病気やケガからのカムバック> 池江瑠花子選手 水泳の池江璃花子選手。この人の名前と涙ぐましい闘病生活を知らない人はいないだろう。2年前に白血病を発症し、抗がん剤治療などで長い入院生活を送った。髪の毛は抜け落ち、体重は15kgも減少しして、「死にたいと思った時もあった」と言う。そこからオリンピック出場までの苦労は並大抵ではなかったはずだ、でも彼女は再び競泳プールへと戻って来た。 今大会メダルを手にすることは出来なかったが、リレーに出場して活躍した。かつては世界一の実力者。彼女の再起のために、世界の仲間がカムバックを祈ってくれた。「大会は中止すべき」。そんな声が強かったが、もしも中止したら彼女だけでなく世界のアスリートが東京に来れなかったのだ。1年間大会が延期されたお陰で、彼女は地元開催のオリンピックの場に立てたのだ。 福廣ペア 女子バトミントンダブルスの福島(右)廣末(左)ペア。2人は熊本県出身の幼馴染で、子供の時からのバトミントン仲間。福島選手が1学年上だが、社会人チームで一緒になったことからペアを組んだ由。ダブルスの実力をつけ、見事世界ランキング1位にまで上り詰めた。ところが今年の6月に廣末選手が右膝の「前十字じん帯」を損傷。お先真っ暗になったものの一念発起して治療に専念し、出場を果たす。 右膝に「ギブス様の黒いサポーター」を着けた末広選手が入場した際、会場がどよめいた。それほど異様な出で立ちだった。ペアは頑張ったが、世界一の実力は発揮出来なかった。当然のことだ。それでも準々決勝までは行ったが、相手に弱みを衝かれメダルは獲れなかった。それでも凄い執念。事故から2か月未満でオリンピックに出たとは。無理した痛みが出ないことと、2人の前途を祈る。本当にお疲れ様。 イギリスのトム・ディーンさんは水泳の選手。彼は2度新型コロナ感染症にり患したが、完治して東京オリンピックに参加し、2つの金メダルを獲った。何と言う執念だろう。その強い意志が、きっと奇跡をもたらしたのだろう。 ところが世界ランク1位のバトミントン選手が勝てなかった。金メダルが期待されたトランポリンの選手が、大会の1か月前から高く飛べなくなった。どちらも日本の選手だ。一人は慢心から、もう一人は過度の期待と緊張から、本番でその実力を発揮出来なかったのだ。自分自身を律し、あるいは極度の緊張から自らを解き放つ心の余裕。栄光と同時に魔物も棲むオリンピックは、何と厳しいのだろう。<続く>
2021.08.16
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~オリンピックの文化プログラムと閉会式における「鎮魂」~ オリンピックの大会において「文化プログラム」を複数企画すること、及び閉会式において様々な理由で亡くなった全ての人の追悼する時間を設定することがオリンピック憲章に定められている。鎮魂と追悼は前リオデジャネイロ大会から始まり、東京大会でも引き継がれた。小池都知事は明るい着物姿で登場したが、次回開催地のパリ市長が黒いスーツ姿だったのはきっと彼女がそれを意識していたのだろう。 閉会式が華やかさだけでなかった裏に、そのような意味が込められていたことを今回初めて知った。それもブログを書くために調査して。「文化プログラム」は多様性の象徴でもある。そうか。オリンピックとは単なるアスリートの戦いの場ではなかったのだ。オリンピック開催の意義について、認識を新たにした私だった。文化プログラムと鎮魂・追悼の内容はIOCの関係委員会に前もって提示され、理事会において承認される必要がある由。 男女のフルマラソン及び競歩の会場となった札幌市の大通公園付近では、文化プログラムの一環としてアイヌの人たちなどからアイヌ文化にまつわる舞踊が披露された。時あたかも北海道の白老町にアイヌ文化創生空間としての国立施設「ウポポイ」が昨年完成したばかりだ。それも日本が単一民族国家ではないことを示す一助なのであろう。 鎮魂・追悼の一環として佐藤健作氏による和太鼓の演奏があった。同氏はサッカーワールドカップ大会のセレモニーなどでも、和太鼓を演奏している。文化プログラムを兼ねているとも言えよう。 樹木をイメージした衣装で「鎮魂の魂の舞い」を閉会式会場で踊ったのは、ダンサーのアオイヤマダ氏。死と再生を感じさせる踊りのように私は想った。以下は会場内の巨大なスクリーンに映し出された日本各地の踊り。踊りは死者を慰めるものである。盆踊りなどはその典型と言えよう。 白老のウポポイの湖畔で(?)の、神秘的なアイヌの踊り。 沖縄のエイサーは形こそ異なるが、日本の盆踊りに相当する。お盆の時期には各地で独自のエイサーが踊られる。平成元年沖縄に赴任した私は、その夏家族を連れて沖縄市で開催された「全島エイサー大会」を観覧した。太鼓や鉦や棒を持った独特の踊りと、南国の雰囲気に圧倒されたものだ。中には「キョンダラー」(京太郎)と呼ばれるおどけた動作をする役割の人や、棒を持って戦うしぐさなどは内地ではなかなか見られない。 西馬音内(にしもない=秋田県)の盆踊り。<地名の末尾の「内ないは」アイヌ語の「沢」の意味>鳥追笠を目深に被って顔は見せない。手振りの美しい踊りはとても魅惑的だ。と言っても私は実際に観たことはないのだが。所作は富山市八尾町の「おわら風の盆」に似ているように感じる。(こちらも実際に見てはいないが)。風の盆の「胡弓」には独特の哀愁が漂う。 岐阜県郡上市八幡町(旧郡上八幡町)の「郡上(ぐじょう)おどり」は、秋田県の「西馬音内盆踊り」、徳島県の「阿波踊り」と共に「三大盆踊り」の一つと言われています。また「郡上節」は三大民謡の一つと言われている由。私もその一節は知っています。また徳島県に勤務したため、阿波踊りは実際に自分でも踊りに参加しており、浴衣も残っています。あの練習が嫌いでした。地元とよそ者じゃ年季が違います。徳島県では小学生の時から学校で踊っており、腰つき手つきが全く違います。思い出してもああ恥ずかしい。 踊りの「トリ」は地元の東京音頭。こちらは「スクリーン」の映像ではなく、民謡歌手も含めて大勢の踊り手が会場で踊りを披露しました。中には飛び入りで参加した外国人の選手もいたようです。ただし東京音頭は賑やか過ぎて。鎮魂・追悼に相応しかったかどうか。でも、「ヤクルトスワローズファン」には嬉しいプレゼントだったことでしょう。 閉会式が終わりに近づくころ、この方が舞台に現れました。物凄い巨体で、一瞬ギョッとしたのが本当のところ。歌手の岡本知高さんは、世界に3人しかいない「ソプラニスタ」の1人。男性でありながら女声の一番高いパートであるソプラノの音域を完璧に歌えるのです。その声量にも驚きました。何せあの天井が抜けた新国立競技場の真ん中で、マイクなしで歌うのです。英語で歌ったオリンピック賛歌のド迫力。 なお青の衣装は彼の故郷である、高知県の仁淀川の水の色だそうです。私はその川を知ってます。知ってるどころかその川の源流から河口まで原付で走りました。実際は愛媛県松山市から国道33号線を通って仁淀川から高知に出、さらに徳島県境の馬路村まで行ったのです。目的は「おらが村心臓破りフルマラソン」への参加。一泊して翌日フルマラソンを走り、また原付で松山へ帰ります。往復で400kmはあったでしょう。 そのレースを走ったお陰で、翌月の「第1回四万十川100kmマラソン」を完走出来たのです。9月のフルは翌月の100kmの練習台。お陰で初100kmを見事に完走。一緒に参加した仲間のランナー8人のうち完走出来たのは2人だけ。あれが私のウルトラマラソンの初レースでした。50歳だったから27年前になりました。こんな風にして私は47都道府県を全て走り、キャンベラ、メルボルン、シドニーでも走り、10万kmをかなり前に突破。目下地球を3周目です。と言っても今では歩くようなものですがね。(;^_^A 17日間の「東京オリンピック」に世界中からやって来たアスリートたち。夢と希望をありがとうね。では3年後にパリで。まあその前に今日からパラリンピックの選手村が開村するよ。ではまたね。 <続く>
2021.08.15
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~わが日常の詩~ まるで戻り梅雨のやうな天気 全国のあちこちで水害が発生してゐるやうだ そんなある日の朝 雨が降ってないので 俺は久しぶりに走らうと思ったのだが駄目だった 腰が酷く傷んでゐた 去年2か月かけてやった断捨離のせいか それとも今年の草取りのせいか ともかく俺はもうランナーではなくなったみたひだ その代わりに俺は畑の野菜を収穫した ゴーヤが3本トマトとミニトマトが1個 洗面所の鏡を見て驚いた そこに青い顔した俺がゐたからだ これはきっと「苦瓜病」に違ひない 最近俺はゴーヤばかりを食ってゐた ゴーヤの佃煮 ゴーヤの炒め物 ゴーヤのサラダ そしてゴーヤの煮物 俺は自分が作った野菜を無駄にはしない 良く出来た野菜は近所の人に配り 俺は出来損ないの野菜も残さず食ふ 苦くて青いゴーヤの別名は苦瓜 ゴーヤを食ひ過ぎたそのせいで俺は顏まで青くなり きっと「苦瓜病」になったのかと 新型コロナと「苦瓜病」はどっちが怖いか ビーグル犬のモモが吠へてゐる まるで悲しくて鳴くやうに まるで淋しくて鳴くやうに おいモモよ 悲しいのはお前だけじゃないぞ 淋しいのはお前だけじゃないぞ 正確には比べられないだらうが ひょっとしたら俺の方がもっと悲しくて もっと淋しいかも知れない なあモモよ 広くて大きな家に一人住まひの俺 夜中に何度もトイレに起き テレビを点けてその音を聞きながら布団に横たはる俺 俺はきっと頻尿なんだらう 俺はきっと睡眠障害なんだらう そして高血圧に高血糖に不整脈に緑内障 ちょっと前には耳鳴りや眩暈もあった 自転車で転んで硬膜下血腫になって手術もしたし 不整脈の手術は3回やった そんな俺でもまだ生きてゐる いやひょっとして何者かに生かされてゐるのやも知らん 不思議な話だが俺はいささか怖いのだよ ある日バッタリ仆れても辺りには誰もゐない 誰も子供たちに知らせるひとがゐないんだよなあ 人が死ぬのは最初から決まったことで仕方ないが 自分で自分の葬式は出来ないのだよ 自分なりに葬式の内容は決めてゐるが それを子供たちに伝へることが出来ないのだよ さてどうすべきか 年取った俺はそんなことを想ふ日々だ 最近の俺は特に 雨の中で赤いハイビスカスの花が咲いてゐるのが 和室の窓から見へた お~い俺の3人の子供たちよ お前たちは元気で暮らしてゐるのだらうか 特に東京の2人の息子たちは 新型コロナに感染してはゐまひか 何か困ってゐることはなからうか と、東北に暮らす老ひた親の俺は考へる でもどうすることも出来ないでゐる 悲しい淋しい父親の俺だよ ひょっとしてと考へた俺は柚子の枝先を見上げた そしてたらばほらね 今年もちゃんと実が生ってゐたよ まだ青くて固い柚子の実が 柚子の白い花はいかにも清楚だ そして良い匂ひがして俺は大好きだ 桃栗三年柿八年柚子の大馬鹿十八年 そんな柚子の実を観ることもなく かつて俺の妻だった女は俺の許を去った 彼女がしっかり溜め込んだわが家の金をほとんど持って お~い かつて俺の妻だった女よ お前は元気で暮らしてゐるのだらうか 五十代半ばから少しずつ現れた認知症は その後もっと進んだのだらうか 台所のテーブルに立つ3本の「中濃ソース」 そのうちの2本は最近俺が買った ソースが切れかかったため1本買ったが それを忘れてまた1本買った それで念のために残っていた古いソースの 消費期限を確かめた そしたら驚くことに2014年の10月だった それを俺の妻だった女が買ったのは それよりもっと前だったことになる その古いソースを俺は4年かけて使った だが保存料も入ってないのに何ともなかった そして俺が買ったのと少し様子が違ふ 右側のソースの消費期限も確かめて見た 念のために そしたらそれは2016年の5月 やはり彼女が買ったもの それを俺が気づかなっただけの話 滅多に使ふことのない中濃ソース 使ふのは「鰺フライ」を買った時だけ レンジで「チン」した鰺フライに 中濃ソースをかけて食ふと旨いんだよなあ だからこれからもせっせと鰺フライを買はうと思ふ 自分では作れない油を使ふ揚げ物だから 広い広い二階建ての一軒家に残る装飾品は かつての思ひ出の品 アイヌ風の彫刻は大阪勤務の時に 銀婚式の記念で二人で行った北海道で買った 重い重い彫刻だ 一対のシーサーは沖縄勤務の最終年に 俺が思ひ出の品として買った 沖縄勤務の三年目は俺と長男だけが沖縄に残った 長男がちょうど高校三年生だったからだ 残りの家族は四国に行った 大学生になった長女が棲む街へ 沖縄の猛暑に辟易した妻が 高校受験を控へる次男も連れて 沖縄に残った俺は必死に仕事をし 一日二回の食事を作り 何とか長男を飢へさせないやうに頑張った そのストレスで俺は糖尿病予備軍になった 食ふことが二人の生命を繋ぐことだったから 甘い豆の缶詰を一度に半分ほど食った 長男と一緒の「単身」生活は苦しかった だが俺は走ることと詩を書くこととで救はれた そして花台は屋久杉の根っこ 鹿児島で会議があった際に指宿で買った 天然記念物の屋久杉は伐採禁止だが 地下の「根っこ」は入札で買へるとのこと どれもみな思ひ出の記念品 そしてかつて一つの「家庭」があった証拠 どれもみな重たい物を買ったのは俺だ 今もまだ重たい「家庭の残骸」 かつて妻だった女がこの家を出てはや四年と四ケ月 俺は一度の外食もせず日に三度 自分の食事を自分で作ってゐる その間に俺は歳を取り そして走れなくもなった かつては100kmや200kmのレースも 完走出来た男が今や走りたくても走れない 悲しいし 悔しいし 淋しい日々 それでも自分で何とか暮らせてゐる日々 そしてブログを日課と出来る日々 記憶力はすっかり衰へたが 一日三食しっかり食べ 新聞を読みネットとテレビとでニュースを確認し 自分なりに考へる日々でもある それだけでも有難いことじゃないか それだけでも嬉しいことじゃないか なあ自分よ なあ俺よ 広い家の居間で一人飲む珈琲 インスタントの超安物だけど俺にはこれで十分 ミルクも安物の低脂肪乳だけど俺はこれで満足 外ではまだ雨が降ってゐる それを観ながら俺は詩を書いてゐる わが街仙台はもう薄暗くそして寒い 今日からお盆だがこの先ずっと雨ばかりの予報 コロナ禍もあって厳しい日々だ だが俺にとっては独り暮らしになったあの日からずっと 実に厳しい耐乏の日々だった だが俺よ 年老ひた自分よ 嘆くのはよさう この先に明るい希望の灯はないが それでも真っ直ぐ進まうではないか なあ俺よ 歳老ひた自分よ せめて気持ちだけでも若々しく これからも生きて行かうじゃないか これまで同様に愚直で一筋に それが一番俺には似合ってゐると思ふ なあ青い顔した苦瓜病の俺よ 鏡の中のそこのお前よ
2021.08.14
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~いくつかの視点・その1~ これが今回の「東京オリンピック」に参加した難民団。総勢29名だ。難民になった理由は自国の内乱や、隣国との政争、経済的困窮などか。何とか競技したいが不可能なアスリートをIOCが救った。この数はさほど多くはないが、回を増すごとに増え、今後も増え続けると思う。新型コロナのパンデミックもオリンピックに出られない大きな理由となるだろう。平和で豊かな日本ではなかなか理解出来ないが。 新聞に載っていた写真。12歳のヘンド・ザサ選手は今回卓球に出場した。「内戦を乗り越えて参加したシリアの少女」とあるので、ひょっとしたら彼女も難民団の一員だったのかも。アフガニスタンもタリバンの侵攻で、ほぼ全土が政府の力が及ばなくなった。日本から逃げた元日産のカルロス・ゴーン氏の祖国レバノンも悲惨な状況で、国土はボロボロ。だが大金持ちの彼は、郊外の別荘暮らしとか。 抱き合う高飛び込みの男性2人 IOCは「LGBT」への理解を示している。今大会の参加者で「LGBT」であることを告知した選手は250名だったとか。Lはレズビアン、Gはゲイ、Bはバイセクシャルつまり両性愛者、Tはトランスジェンダー=うまれついての性が自分の認識と異なること。LGBTの結婚はもとより、スポーツへの参加に関する世界の認識は変わりつつあつようだ。 新聞に写真が載った女子ボクシングフェザー級銀メダリストのネスティ・ペテン選手。どうやら性的マイノリティ(少数者)みたいだが、LGBTの定義と何が異なるのか。ネット検索しても彼女の故国は不明だった。かつてのオリンピックでは女子選手の性別チェックが女医によって行われた時代があった。実際に下着を下げて確認するのだ。ただ先天的な「両性具有」の人も稀にいる。現在では「男性ホルモン」のパーセンテージを一定の割合まで下げることが参加資格として求められていると聞いた。 「サンデーモーニング」でこの人が言ったそうだ。「嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合うスポーツってどうなんだろうね」。日体大の女子選手が金メダルを獲ったことへのコメントだ。早速日本ボクシング協会から、TBSに対して抗議の文書が送付された由。柔道、空手、重量挙げ。女子選手にとってある意味で過酷なスポーツは他にもある。時代は変わって行くんだよ。なあ張さんや。 あるブログに「男子選手にはコンドームを配るのに、女子選手にピルを配らないのは云々」とあった。呆れたねえ全く。IOCは別に選手同士の結合を推奨してるわけじゃないの。以前からの慣行で念のため。女子選手は競技時期と生理が重ならないようピルで調整してるのは当然。かつて私はトラックを走る日本の女子選手の足から赤い物が流れるのを観た。それでも彼女はゴールまで走った。立派だった。 ドイツの女子体操チームが全身を覆う「ユニタード」姿で現れた時、一瞬会場がざわついたとか。体操や新体操など肌の露出度がますます過激になるレオタード。ドイツではどちらを着用するかは選手の判断に委ねたようだが、協会としては選手を護る意識があったのだと思う。最近は女子アスリートの下半身ばかりを狙って撮影し、合成した画像を売る不届きな輩も多いと聞く。卑怯な男だ。 米国女子体操チームのエース、シモーネ・バイルス選手が個人総合の決勝を棄権した。理由は「心の健康を保つため」の由。実はチームドクターから性的虐待を受けていたそうだ。そのドクターは児童ポルノの所持容疑で禁固60年の判決を受けた。光り輝く舞台の陰に、そんな暗く汚れた世界があったとは。日本でも何年か前、女子選手に対するコーチのパワハラが問題になったなあ。まさかあの米国でねえ。 聖火の点火者として大坂なおみ選手を指名したのは、IOCの意向だったとか。彼女は「うつ病」を理由に全仏オープンを途中棄権し、話題になった。その彼女をこともあろうに最も緊張度の高い開会式の点火役に指名するとは。有名なアスリートを使えば開会式が盛り上がると考えたのだろうが、長時間の拘束は彼女の精神を疲弊させ、本職のテニスのシングルスは2回戦までで棄権となった。嗚呼無情。 札幌で開催された男子のフルマラソン。28km地点の給水所のミネラルウオーターのボトルを手で払ってテーブルから落としたのが、フランスのこの男。本人は手が滑っただけと弁解していたが、自分用の1本はしっかり握っていた。個人の「スペシャルドリンク」は国別のコーナーで直接係員から手渡される。だが誰でも自由に取れる「ゼネラル」は飲むためにも、体にかけて冷やすためにも重要。それを知りつつ他の選手の給水を妨害したのだ。あの猛暑のレース中に。何と言う腐った精神だろう。 その「現場」はバッチリ動画に撮られて、世界に発信された。さすがのフランスの報道社もこの不正行為を猛烈に詰った。次回はパリ大会。それなのに自国の選手がこのような恥ずべき姿を世界に曝したのだ。不正は必ずバレるし、そんなことをして勝っても嬉しくはないだろう。もっともそんな腐った精神のアスリートが上位に入る訳はないが。 表彰台での政治的な抗議行為は禁止されているが、競技開始前の抗議活動は今回から許されることとなった。写真は女子サッカーの日本と英国の戦い。試合前にイギリスの選手(白のウェア)、なでしこジャパン(青のウェア)、審判(黄色のウェア)が揃ってグランドに膝をついて「人種差別」に抗議の意思を示している。世の動きと共にスポーツの世界も変わり行く。3年後のパリではどう変わるか。<続く>
2021.08.13
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~わたしなりの総括~ 私ごときにオリンピックの総括など出来るわけがないし、第一する必要がない。ただ今回「東京オリンピック」を観て感じたことぐらいなら書くことは可能。それに年老いた一ブロガーとして、書いておきたいこともある。ただし上げたデータの正確性については保証の限りではない。オリンピックの正確な記録は私の仕事ではない。ぼうっとした印象を、徒然なるまま気楽に書こうと思う。 広島でのバッハ会長 今更だが、開会式のバッハ会長と橋本聖子さんの挨拶が長かったねえ。当初の予定では6分のところ、20分にもなって退屈。もっとも通訳の時間も含まれていたが。そのバッハさんが広島を訪れた。あれはノーベル平和賞受賞のためとかの声も聞くが、行かないよりは行った方が良い。人類が起こした残虐な事件の現場なのだから。ドイツ人の彼なら戦争の愚かさと悲惨さとを、より深く理解出来るはずだ。 8月9日長崎の平和祈念式典には、オリンピックのため来日された外国人の方もかなり参列された模様。きっとバッハさんよりは純粋な気持ちからだろうと思う。だが日本政府代表の菅総理は、式典に4分遅刻した由。何と公園内の「トイレ」が思ったよりも遠かったのが遅刻の原因とか。ははは。大衆の面前で「お漏らし」するよりは良いじゃないの。プーチンさんなら30分遅れても平気の平左だもんね。 大河ドラマ「いだてん」 中村勘九郎がマラソンランナー金栗四三(かなくりしそう)役を演じたのは、何年前だったか。彼は日本初の五輪参加者の一人として1912年のストックホルム(スエーデン)大会に参加した。何と「シベリア鉄道」に乗って行ったんだよ。レースでは外国選手の速さについて行けなくなり、熱中症のため途中で倒れた。その50年後に現地を訪れ、書状をもらった。完走タイムは50年〇月〇日〇時間〇分。嘘みたいな本当の話。 アントワープ大会のポスター 1920年のアントワープ大会(ベルギー)。同地は第一次世界大戦の戦場であり、焼け跡を整備して競技場を造るのに苦労した由。敗戦国のドイツなど5か国は参加が認められなかった。当時のヨーロッパは「スペイン風邪」の流行中で、数十万人の人が亡くなっている。今から100年前の史実。疫病下での大会開催は東京が初めてではなかった。日本の銀メダリストは確かテニスの清水選手だったはず。 「幻の東京大会」ポスター その20年後の1940年には東京でオリンピックが開催されるはずだった。だが第一次戦争後、世界の情勢が変化。軍事大国となった日本を警戒する大国から経済的に追い込まれたわが国は、「国際連盟」から脱退し、戦争のための準備に取り掛かる。昭和15年。日本政府はついに「東京オリンピック」の返上に踏み切る。「幻の大会」のポスターには、力強い仁王像が写っているのだが。 1964年(昭和39年)24年前幻と終わった「東京大会」が実現。バレーボールの「東洋の魔女」と大松監督。私も夢中になって応援したものだ。終戦の混乱から復興し、「朝鮮戦争景気」で立ち直った日本経済。東京では濠の上を高速道路が走り、東京から新大阪までの東海道新幹線が走った。「新横浜」の駅裏には田んぼが残り、「岐阜羽島」駅前には何の建物もなかった。その57年後の今回で2度目の「東京オリンピック」。所要経費は当初予定の2倍に膨れ上がったと言う。 IOCの「商業主義」に関する批判があるのを知らなくもない。ただ「コロナ」や「ワクチン接種」に関するデマが横行しているように、一方的な情報をそのまま鵜呑みにしないのが私の主義。例えばIOCが得た巨額な資金で、脆弱な種目のスポーツを援助したり、年々厳しくなる社会情勢から「難民団」のオリンピック派遣を援助したり、性的マイノリティに対する理解や、人種差別に対する抗議姿勢に関してもこれまでとはスタンスを変えつつあると、今大会を通じて私は感じた。 パリ大会のデモ映像から パリ大会は3年後だ。その前に来年は「北京冬季五輪」がある。中国の人権侵害を危惧して世界はボイコットに動くのか。ロシアの組織的ドーピング問題は解消するのか、そしてアフガニスタンやシリアの内戦は果たして治まるのか。ヨーロッパの異常気象とコロナのパンデミックが落ち着き、パリ大会が無事開催出来るのか。だが温室効果ガスの低減はかなり先と思える。オリンピックは社会や時代と共にある。安全安心な大会を心から願っている。<続く>
2021.08.12
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~疲労困憊の身で~ 台風が来る前に抜いた雑草や剪定ゴミや生ごみを収集所に運んだ。台所の裏で干しているタマネギのケースを2個、物置に入れた。玄関先の植木鉢玄関に入れ、窓は全部閉め、1階のシャッターを下ろした。これで心配はないはず。だが何度か出入りした時一緒に、蚊も家の中に入ったみたい。痒いのに弱い私は「蚊取り線香」を点けた。 日付が変わる頃、風雨の音が聞こえなくなった。それでも眠れずに照明を点けると、何か黒い虫が動くのが見えた。まさかゴキブリがわが家にいたとは。それとも疲労による幻影か。とても蒸し暑い夜だった。 朝起きると体がベトベトして気持ち悪い。そこで着ていたものを脱ぎ、タオルで体を拭いた。服を脱ぐ際邪魔になる眼鏡を外して安全な場所に置いた。だが着替後にいくら探しても見つからない。置く場所は大抵決まっているが、2階で部屋干ししていた洗濯物が乾いたか観に行った帰り、階段で何かを踏んだ。これは間違いなく眼鏡の感触。慌てて照明を点けると、片方のレンズが外れた眼鏡。 これは失敗。トンデモナイことを仕出かしてしまった。片方のレンズしかない眼鏡で、PCの画面を見た。見えにくいが見えないことはない。しかし片目では伊達政宗だ。さて、どうするか。やはり眼鏡屋に行くしかない。そう決断し、朝食後預金通帳と保険証を持って家を出た。眼鏡屋はまだ閉まっていた。店員に事情を話し相談。切れたワイヤーは直った。だが新しい眼鏡を作るなら、眼科の「眼鏡処方箋」が必要とのこと。視力検査し直して処方箋が出るまでに3時間かかり、とうに正午を過ぎていた。 混んでいたのは連休後だったからみたい。お金を下ろして眼鏡店へ。新しいフレームを選び、レンズのレベルを決定。まあ相当な金額だが、外国の有名メーカーはさらに高い。キャッシュで支払うと「お得意様割引」に。正月の初売りだと割引商品券が使えるが、それまでは待てない。新しい眼鏡はこれまでのものよりも見え易いはず。そしてこれまでのものも予備用に残す。また失くさないとも限らないので。 失敗は眼鏡だけじゃなかった。草刈鎌をどこかにやって、もう一度新しいのを買い直したし、圧力釜でご飯を炊いた時に焦がした。「〇分に火を止める」のメモを横に置きブログを書いていたのだが、ブログに熱中してつい忘れた。鍋でお粥を作っていた時も、2階の洗濯物を見に行って焦がした。IHクッキングテーブルは焼け焦げを作ると大変で故障の原因にもなる。必死でガラスクレンザーや粒子の細かいクレンザーを使ってきれいにすると、ちゃんと使えた。 圧力釜や手鍋も当然IH用。こちらは暫く水に漬けた後、「金たわし」でゴシゴシ洗うときれいになった。「焦げ飯」も工夫して食べたが、お粥はほとんど問題なかった。こんな失敗は、老化で注意力が散漫になった証拠。時間節約のために、何かをしながら別のことも同時にする癖がある私は要注意。独り暮らしでの「探し物」はなかなか大変。もしも鍵とかの大事な物を無くしたら、生活が出来なくなる。 眼鏡店からの帰宅途中ショッピングセンターに寄り、夏用のパジャマ、ステテコ、大きめのポシェットを買った。どれも不自由していたもの。ゴムが緩んだパジャマやパンツ、ステテコは雑巾にするしかない。そして丈夫なゴムを入れ直すのが私にはとても難しい。細いゴムは入れ易いけど、直ぐに緩んで困る。自宅付近で水道寒管の工事中。何時ころ断水が終了するか尋ねたら、1時間後くらいの由。 朝からバケツ一杯と容器一杯の水は用意していた。それで冷やし中華を作って食べると、もう2時半。TVでは甲子園の高校野球初日。山崎育三郎が「栄光は君に輝く」を歌っていたが、朝ドラ「エール」でも何度か彼の美声を聞いた。次男の母校である愛媛の新田高校が、夏の甲子園初出場で初勝利。高校時代の次男の苦労を知ってるだけに、私も嬉しかった。 空は晴れ、きれいな夏空に変わっていた。だが各地で水害が出たようだ。夕刻からおかず作り開始。野菜炒め、定番ゴーヤの佃煮、わが家産の「へなちょこカボチャ」のミルク煮、そしてこの日干したアジの干物を焼いた。我ながら手慣れたもの。タマネギ2ケースを物置から出し、台所裏に干す、その後翌日のブログの準備。この日はオリンピック関係を休み、日常生活の話を書いた。夜久しぶりに「普通のニュース」を見た。 オリンピックは意識を集中して観戦し、写真を撮り、メモを残し、毎日ブログを更新した。そして翌日の早朝は庭と畑の草取り、庭木の剪定や畑仕事を2時間以上やった。クタクタの上日中は猛暑で夜中も蒸し暑い。ずいぶん水風呂や水シャワーに入ったが、睡眠不足が続いた。それでも何とか体が持ったのは、十分に水分塩分を摂り、適度に食べたせいだろう。自分で自分をほめたいほどだ。でも電気代が相当高いだろうなあ。この夏はずいぶん使ったもの。<続く>
2021.08.11
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~台風9号の余波、そして祭りは終わった~ 仙台は大雨が降っている。そして時々強い風が吹き抜ける。台風9号の影響だ。国内各地での災害が心配だ。しかし良くもオリンピック期間中に台風が直撃しなかったものだ。それだけでも奇跡的と私には思える。各国の選手や役員たちはもう帰国したのだろうか。それともこの大雨の中、日本に滞在してるのだろうか。ニュースによれば9日中に4500人が帰国予定らしい。どうもお疲れさまでしたね。 しかし新型コロナ感染症パンデミックのさ中に、良くも251か国・地域と難民団が参加出来たものだ。私はアフリカ諸国やインド、南アメリカ大陸の諸国などは参加できないのではと危惧していた。それが1年の順延で開催され、大きな事故もなく「無事」に閉会出来たと思う。欲を言えばきりがないし、事実問題点も幾つかあった。それを今さら声高に叫んで、一体何になると言うのだろう。 マスコミや野党が騒ぎ立てるものだから、国民の多くがビビッてしまい、聖火ランナーやボランティア予定者の辞退が相次いだ、確かにコロナ対応も含めてお粗末なのは確かだが、他に名案や代案があったとは思えない。オリンピックが終わって国内の「大新聞」はアンケート活動開始。「オリンピックは成功だったか、それとも失敗だったか」の設問。「失敗」と答えた人が多かった由。そんな設問で「誘導」すれば素直な日本人は、直ぐにその「誘導」に乗ってしまうのだ。 しかし外国の通信各社の反応は概ね良好だった由。あの状況下で「無観客」は止むを得ない措置だったし、記者たちにとっても多くの制約がある中で、日本人は温かい応対をし、各国の選手や関係者に良い印象を与えたとの評価。それは事前合宿地として対応した地方の市町村に対しても感謝が述べられているそうだ。それが外国人から見た「東京オリンピック」の評価。この状況下で開催出来たのは、日本だからこそだそうだ。それを国内では「政争の具」にする。毎度のことだ。 各国の選手や関係者に問題がなかった訳ではない。選手村を抜け出して観光に行ったり、選手村の食堂で飲酒し「どんちゃん騒ぎ」をしたり、ホテルの女性作業員に抱きついた乱行もあったと聞く。選手村の部屋の壁を壊したり、閉会式で喫煙した選手の存在。中には来日中にコロナに感染したり、逃走した選手や、生命の危機を感じて滞在中に亡命した選手も出た。そんなことが果たして最初から想定出来るだろうか。多少の瑕疵は起きるもの。問題はその対応力だ。「結果良し」で良いではないか。私は日本のそして日本人の底力を信じたい。 しかし、コロナパンデミックによるオリンピックの順延で、選手たちが受けた影響は大きかったに違いない。出場資格を得るための予選がなくなったり、試合がないことによる調整不足など、国や競技種目を超えた苦痛を味わい、そのことに基づくストレスや心身の不調を味わったアスリートも少なからずいたことは、開催された後に現実のものとなって現れた。それを一体誰のせいだと言うのだろう。 それでもアスリートたちは全力を尽くしてオリンピックに臨み、緊張や興奮にも打ち克って競技した。私が感動したのは彼らの真剣な姿だ。順延はわずか1年だが、その期間中に最盛期を失ったアスリートも多かったはずだ。失敗を犯したり敗者となった選手を誰が責められるだろうか。そして最後まで諦めずに自分を追い込み鍛錬を重ねた者が真の勇者となったのだろう。敗者と勝者は紙一重。真実は神のみぞ知る。 何はともあれ、17日間に及ぶ祭りは終わった。己の限界を知り引退を決意したアスリートたち。さらなる高みを求めて3年後のパリを目指す者。現役のアスリートから指導者に転身する者。これまでと全く異なる世界に踏み出す者。長年の鍛錬と過度のストレスから病んだメンタルを癒す者。競技中心の生活から解き放たれて家庭へ帰る者など行く手は様々だ。心から言おう。「17日間の感動と勇気をありがとう。そして大変お疲れ様でした」と。<続く>
2021.08.10
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~スポーツの力~ 東京オリンピックの最終日には「男子のフルマラソン」がある。だが、疲労が出て観戦中に眠ってしまった。後半は起きて写真を撮ったが、どうしても辻妻が合わない。そこで再放送を観て、目ぼしい場面を撮って合成。話の内容がちぐはぐなのはそのせいだ。どうもスミマセンね。 スタート後の選手たち 北海道旧赤レンガ庁舎 それでも都合が良いのは、札幌のコースは同じ個所を複数回回ること。それに再放送も観て何とか「辻褄」を合わせた次第。だから選手の数が多かったり、少なかったりする。女子のフルや競歩の50kmでも相当リタイヤが出たが、この日の札幌も暑さが厳しかった。 日本の3選手。大迫傑は2度日本新を出して賞金2億円を稼いだ男。今回が最後のレースと決めている。服部勇馬は仙台育英から東洋大に進み、マラソンに目覚めた。東京オリンピックの選考レースで好記録を出し、札幌に来た。中村匠吾は富士通のエース。服装がそれぞれ異なるのは、他のレースの映像を放送局が使ったのだろう。 大迫はトップ集団に食らい付いた。アフリカ勢のスピードは格別で、しかも30度以上の気温の中で全力を上げて走ると体内温度も上がる。そこで各国は様々な「暑さ対策」をしていた。大迫はしょっちゅう帽子を替えた。帽子の中の氷が直ぐに解けてしまうからだ。中村と服部は次第に置いて行かれ、トップ集団から離れてゆく。 左はレースの途中痙攣で走れなくなったエチオピアの選手。20名以上体調不良で棄権したと聞いた。右は日本の服部選手。ゴール後立ち上がれなくなり、車いすで救護された。 ケニアのキプチュゲが悠々ゴール。オリンピックで2連覇だ。彼は非公式だが1時間59分でフルを走っている。2位のナゲーエ(オランダ)と3位のアブディ(ベルギー)は共にアフリカのソマリアからの難民で家族同士も知り合い。国は異なるが練習を一緒にしている仲、再放送や表彰式の解説で知った。日本人にとっては不思議な話だが。「難民団」としての参加でなくて幸せだったかも。 大迫は39km地点まで2位グループにいたが、「アフリカ勢」のスピードに付いて行けなくなる。41km地点の8位から最後の力を振り絞って2人を抜き、6位になった。左はゴール直前の彼だが。かなり苦し気な足取りだ、タイムはトップから2分03秒遅れの2時間11分26秒みたい。自己ベストより6分ほど遅いが、この気温では仕方ないだろう。 ゴール後のインタビューでも、まだ大迫は疲れた様子。だが耳の金のピアスがいかにも彼らしいと感じた。メダルは獲れなかったが、ピアスだけは本物の金だ。今後について聞かれると、後輩に託したいと答えていた。東京オリンピックを目指して3年間も頑張って来たランナーには、やはり休養が必要と感じた。 今大会で感じた「不思議さ」の一つが女子バスケットボールの活躍。何と準決勝でフランスを下して決勝戦に出たことだ。だが対戦相手が常勝アメリカと聞いて、正直これは惨敗だろうと思っていた。確かにスタート直後から点を取られた。何せアメリカの女子は身長2mの選手もいるのだ。それをスピードと得意の「3ポイントシュート」で立ち向かう。 途中で買い物に行ったため、結果は知らないままだった。 試合後インタビューを受ける中心選手。てっきり惨敗だと持ったらトンデモナイ。何と75-90。負けは負けだが、大健闘と言っても良いのではないか。 世界を相手のバスケットボールで銀メダルは立派なもの。誇っても良いくらいだ。今大会では、オリンピックで初めて勝利した競技が結構あった。そして初めてオリンピック種目になったゲームでもかなりメダルを獲った。コロナ禍におけるオリンピック開催に抗議するマスコミや野党の影響を受けてか、反対する国民の声もあったが、私は「日本だから開催出来た」と思っている。 オリンピックの最終日もまだ日本チームは頑張っていた。そして最後の閉会式を私も観たが、写真の整理が全く出来ていないため載せられない。正直な感想は「開会式よりずっと良かった」だ。オリンピック旗は東京都からIOCに返され、次回開催地パリ市長の手に渡された。パリ市長も女性だった。 国立競技場の大スクリーンには、早速パリからの歓迎映像が映った。実に素晴らしい映像。パリの新種目はブレークダンス。「ブレーキー」と呼ぶらしい。そしてパリ市内の観光名所が、競技会場にもなるみたいだ。後3年間生き延びて、「パリオリンピック」も観戦したいものだ。ではまたね。
2021.08.09
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~アスリート魂は永遠に~ 私を大興奮させてくれた「東京オリンピック2020」もいよいよゴールに近づいて来た、台風が来ているみたいだが、なんとか各国のアスリートたちがこのまま最後まで戦えることを願っている。私のブログはこのところオリンピック一色になっている、だが日々の競技結果を載せることが目的ではなく、私の心に響いたことを中心に書いているに過ぎない。今日は新たな観点からのメモを。 気になっていた競技の一つが「スポーツクライミング」。中でも日本の女子選手の戦いぶりが脳裏に残った。3種を合わせた「複合」の最終成績が上。結果は野中が銀、野口が銅メダルを獲った。しかし急な壁面を、どうしたらあんな風に登れるのだろう。執念と訓練とは恐ろしいものだ。 競技中の野中生萌選手(左)と銀メダル後のインタビューに答える彼女。 競技中の野口啓代選手(左)と銅メダル後のインタビューに答える彼女。各国の選手たちが美しく化粧やマニキュアをした姿で信じられない身体能力を発揮するそのギャップに、驚かされたのだ。新しいこのスポーツを引っ張って来た彼女。オリンピックの種目になり、しかも地元開催で遺憾なく実力を発揮した。野口はこの大会を最後に引退する由。おめでとう。そして長い間お疲れ様でした。 女子バスケットの日本チームが準決勝戦でフランスを下したと聞いて驚いた。体格的に劣る日本女子が、次々に3点シュートを決める様子や、鋭くゴール下に切れ込む姿の恰好良さ。オコエ選手は東北楽天のオコエの妹だろうか。決勝は世界一の強豪アメリカ。まさに夢のような対決だ。 女子レスリング53kg級で向田真優選手が金メダルを獲った。このクラスには世界的にも強い選手が君臨していたので、彼女にもきっと長い臥薪嘗胆の日があったことだろう。コーチを務めてくれたのが現在のご主人と聞いた。夫唱婦随かそれとも「婦唱夫随」か。これからもどうぞ仲良くね。 女子ゴルフの最終日(7日)はプレー中の雷で2時間中断したようだ。上位には日本人の名も残っている。優勝はアメリカのコルダ選手。これでゴルフは男女ともアメリカが金メダルを独占した。右はコルダ選手と、祝福するお姉さん。日本の稲見とニュージーランドのリディア・コー選手が同スコアで並んだ。この結果銀メダルを決定するプレーオフが18番ホールで始まった。 プレイオフの第1打。稲見選手(左)はフェアウエーを確保したのに対して、コー選手(右)の第1打は傾斜地に落ちた。この結果ボギーを叩いたコー選手に対して、稲見選手は難なくパーセーブ。これで日本の銀、ニュージーランドの銅が決まった。さすがは最後まで冷静な稲見選手のプレーだった。なお畑岡奈紗選手はあまりスコアが伸びず、9位に終わった。両選手どうもお疲れ様でしたね。 スポーツニュースで面白い記事を見つけた。ウズベキスタンの新体操チームのコスチュームは、何と「セーラームーン」。これは開催国日本に対するリスペクトを表すものだと聞いた。新型コロナ感染症のパンデミックで殺伐した世の中に、嬉しい話題だ。 卓球男子個人戦、同団体戦、混合ミックスで大活躍した水谷隼選手。全試合終了後に引退を示唆した模様。後輩の張本選手が「絶対に水谷さんを引退させません」と言っていたが、引退の理由は以前から治療中の目の異常んためとか。長い間日本卓球界を引っ張ってくれてありがとうね。これからもコーチとして残り、後輩の指導に当たって欲しいな。 さてこれまでの五輪では煮え湯を飲まされ続けた侍ジャパンですが、今回はとうとうやりました。アメリカを相手の決勝戦では、見事2-0での完封勝ち。これで今大会では5戦全勝での金メダルでした。まず3回の裏に村上のソロホームランで先制し、8回裏にはヒットと敵失で1点を加算。9回からは2勝3セーブの栗林がアメリカを力でねじ伏せましたよ。 左上は銅上げされる稲葉監督。これまで散々辛酸をなめ続けて来た稲葉監督が、今回の優勝でようやく男になりました。 日本の優勝で盛り上がる応援席(左)とインタビューで涙をこらえる稲葉監督(右) ゲーム後横浜球場で表彰を受ける日本チーム。銀メダルはアメリカ、銅メダルはドミニカでした。サッカーで苦杯をなめただけに、野球の優勝で胸の閊えが取れました。 このほか7日はレスリング、空手での優勝や銅メダルの獲得が続いたようですが、紹介だけにしておきます。今朝も早朝6時半から男子マラソンが開催されるため、一旦ここまでで予約し、詳細は明日以降に掲載することにします。では、お休みなさ~い。
2021.08.08
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<注意>このブログは本日(7日分)2度目の更新です。前日中に「予約機能」で書いた「悲喜こもごも」は別にあります。2つ分だとかなりの分量ですが、お読みいただければ幸いです。 木瓜の実 6日のオリンピックは悔しいことが重なった。疲労のあまり頭痛がしていたほど。それで書きたいことの全てえは書けず、そのまま更新した。これは言って見ればその「続編」みたいなものだ。 男子サッカー。メキシコとの3位決決定戦は、メキシコの「作戦」が優った。今回の強行スケジュールで、両チームの疲労は限界に達していた。森保ジャパンは最後まで頑張ったが、敗戦は「作戦の優劣だ。「東京」での組み合わせが判明した時点で、メキシコは日本人コーチと契約し、日本側の戦略とその対策などを徹底的に検討して来たようだ。 そして3位決定戦の対策は「先制点」を獲って心理的優位に立つこと。そのためにレフェリーとのコンタクトに努め、自国に有利なジャッジを得るよう努めた。それで相手ペナルティーエリア付近で「故意にファールを受けたポーズ」を取り、それがPKにつながった。昔なら「シュミレーション」で逆にメキシコが反則を取られたケース。だがレフェリーはビデオでの確認もしなかった。日本の敗戦は結局そこから始まった。 「紳士的」な日本に対してメキシコは「点を獲るためには何でもする」方針。その精神的なタフさに敗れたと言っても過言ではない。 それなら男子100×4リレーの敗因は何か。第1中継点でバトンが繋がらなかったのが理由だが、日本の精緻なバトンリレーは研究され尽くされていた。そして選手個人のレベルが外国チームに比べて劣っていた。 TVの画面にこんなテロップが出たが、「過去の栄光」など何の値打ちもない。国内では4人のランナーが9秒台を実現した。恐らくはそれが油断の元だろう。選手個々人のレベルを上げ、大会の花形である男子リレーでの勝利を目指して各国は相当早めに対策を練り、練習して来たはずだ。だが日本の場合はリレーの出場メンバーの選定に、陸連の誤算があったのではないか。過去の栄光と高いバトンリレー技術と選手個人の経験をあまりにも信用し過ぎた。 準決勝ではギリギリのタイムで決勝進出を決めた。その動揺がメンバーにあり、急遽立てた「対策」がやはり「付け焼刃」だったのだろう。中国は準決勝で好タイムを出した。アメリカは失格し、ジャマイカも順位を落とした。長期的な対策をしっかり立て、地道に厳しい練習を重ねた国が結局は勝利したのだ。 結果は1位のイタリアが37秒50.2位イギリス。3位カナダ、5位中国、6位ジャマイカ、6位ドイツ。メダルを熱望した日本は途中棄権。やはり油断があったのだろう。開催国としての意識も苦しめたし、コロナで国際的なレースがなかったことも大きい。それはどの国も同様だが。そして日本にはコロナ下での「オリンピック開催」に対する厳しい批判もあった。 彼らは語らないが、「オリンピック」の象徴とも言える男子100×4リレーメンバーの彼らに対しても、「オリンピックに反対」とか「出場を辞退せよ」との抗議がSNSであったとも聞く。今回は補助に回ったサニーブラウン選手やモーモー選手ら若手のさらなる育成が必要だし、そのためにも陸連の強化体制整備が望まれる。それは今回初の「新種目」の活躍ぶりを観れば明らかだ。 女子陸上1500mの田中希実選手の活躍についても触れたい。彼女のコーチは実父。この華奢な体で、レースではいつも全力を尽くしスピードのある外国選手に最初から食らい付いている。準決勝でも国内初の39秒台を出して決勝に進出し、決勝でも全く同様スタート直後から電力で外国選手を追い続けた。その積極性が8位入賞をもたらした。 彼女は決勝でも再び3分台の好記録を出した。レースを終えた彼女に、コーチである父親がそっと「日の丸」を手渡した由。「8位入賞で荷の丸なんて」と尻ごむ彼女もそれを肩にかけて報道陣に向かった。確かまだ21歳と和解田中。あんな華奢な体で世界の強豪に何とか食らい付こうとする姿は、観ていても清々しい。オリンピックの陸上競技でファイナリストになる名誉。彼女にはまだまだ飛躍して欲しい。 寝不足のまま早朝に目覚め、早速新聞でその日の木競技種目と放送時間を確認。何気なく教育テレビを点けると、何と女子マラソンが始まっていた。新聞では7時から実況放送のようだが、何と1時間繰り上がって6時スタートに変更したようだ。出場予定選手には前夜遅く連絡があったと言うが、日本の一山は既に就寝後だったとゴール後話したようだ。急な変更は暑さ対策のためだが、選手は困惑したことだろう。 TVでは相変わらず景気の良い「テロップ」を流すが、実際に戦うのは選手だ。前田と鈴木は最初から先頭集団に着いて行ったようだが、一山は慎重に周囲の状況を確認し少し後方にいたようだ。 北大構内が画面に写った。私も仕事で何度か北大に行ったし、観光でもポプラ並木などに寄ったことがある。またかつての「北海道マラソン」(フル)のコースも北大構内付近を通るので、私には懐かしい風景だ。 目が覚めた時は金銀銅メダルが決まっていた、前夜4時間ほど下眠ってなかったため、TV観戦中に眠ってしまったのだ。それが良い睡眠不足解消に繋がった。 タイムは良くないが、地元オリンピックでの8位入賞は立派だ。きっと前半自重したのが順位に繋がったのだろう。因みに積極的にトップグループに着いていった鈴木は19位、前田は33位に終わった。勝つためには練習もさることながら、レベルの高いレースで経験を積み勝てる技術を自ら学び取ることだ。今日7日も色んな競技があり、日本選手の活躍が期待される。<以上、本日2本目のブログでした。>
2021.08.07
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本日のブログは2本立てです。こちらは前日に予約した分ですが、別途「敗因と希望」を改めて7日に挿入しました。大変お手間をかけますが、そちらもお読みいただけたら幸いです。~何より嬉しい日本選手の活躍~ 早朝から庭仕事。その後水シャワーと洗濯、そして朝食を終えてTVを点けた時は、既に男子競歩50kmは中盤に入っていた。スタート時に24度だった気温が8時には29度に、9時には30度になった。フランスのベテラン選手が途中棄権。イタリアの有力選手2名もリタイヤ。暑さと疲労のために失格する選手も出だした、30km過ぎポーランドのトマス選手が1人抜け出す。 25周目。(28~30km)トップに立つポーランド選手。2位集団の中に日本の川野将虎選手(左手の選手)も見えるが、彼はこの後42km地点で倒れ、道路端で嘔吐するアクシデント。50kmは4回目だが、国際大会も暑い中での競歩も初めて。だが、前日20kmで練習仲間が銀メダル獲ったことを励みに頑張ったのだが。恐らくは猛暑で水分を摂り過ぎ、胃に負担をかけたのだと思う。 2位集団。この後でドイツとスペインの選手がトップのポーランドを猛然と追撃開始。みるみる離されて4位集団となる。 40km地点の順位。日本の川野はこの後、前述のとおりアクシデント発生。丸岡、勝木も順位を落とした。 左は金メダルのトマラ選手(ポーランド)。やはりヨーロッパは競歩が強い。日本の川野選手(右)はアクシデントの後復活し、6位入賞を果たした。オリンピックでの競歩50kmの部は、今大会で最後になる。それだけ選手の体に負担がかかり、かつ運営が難しいのだろう。 畑岡奈紗選手 稲見萌寧選手 女子ゴルフはこの日が3日目。どうやら転向不順で1日遅れたようだ。第3ラウンドを終えて、日本の稲見が3位につけ、畑岡も7位につけている。今日は最終日。2人ともスコアが上がって来ただけに期待が持てる。台風が接近中なので、風の具合が心配だ。 男子卓球の団体戦は、韓国との3位決定戦。水谷・丹羽の左ペアがダブルスでまず1勝したところまでは見た。エースの張本も実力を発揮したことだろう。その後のニュースで3-1で韓国を下したことを知った。女子団体の銀に続く、男子団体の銅。世界の強豪と戦うためにも、若手が育つことを願う。 空手男子「形」の喜友名諒(きゆなりょう・沖縄31歳)の準決勝を観た。彼は世界空手選手権3連覇など連破記録の「ギネス記録」保持者。決勝ではスペインのキンテロ選手(37歳)と対戦し、圧勝して金メダルを獲った。オリンピックで形の最初の金であり沖縄県にとっても初の金になった。やっぱり強かったね。 いやはや驚いた。たまたまNHK教育を観たら、突然サッカーの3位決定戦だった。それも前半に2点も取られていた。理由は分かったが書かない。最初の1点はPKで獲られ、2点目はフリーキックから。日本の動きが重い。暑い中で5戦もして来たのだから当然だが、メキシコは2点を先制したせいか、動きが良い。それにファールのもらい方やレフェリーへのアピールが上手い。 それもそのはず。メキシコはほぼフルメンバーらしい。スペイン同様に技術が高い。過去のオリンピックでもメキシコと日本には因縁めいた話が多いようだが、力の差は確実にあった。 円陣を組んで後半戦をスタートした日本だったが、コーナーキックで3点目を奪われた。メキシコも疲れているのだろうがもう安全圏に入ったと判断して勢いがある。後半の32分、三笘が突破して放ったシュートが相手のゴールネットに突き刺さった。見事な一撃だった。 憔悴しきった吉田(左)の顏と、グランドに倒れて号泣する久保建英。ベテランの吉田の口惜しさと、まだ若い久保の口惜しさには相通じるものがあったのだろう。しかし世界は強い。フィジカルもメンタルもテクニックも、個々人の判断力も段違いだった。それでも森保ジャパンは最後まで良く頑張ったね。みんな夢をありがとうね。その悔しさを忘れずに、前へ進んでくれ。
2021.08.07
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~陸上男子100×4リレー日本決勝へ~ 草の陰からカボチャを見つけたよ 睡眠不足と猛暑の日々だが、早朝の庭仕事はまだ続いている。庭と畑と通路の草取り。畑の始末、植木の剪定、秋冬野菜の準備など、やりたい仕事はまだ山のように残っている。あれだけむさ苦しかった敷地内が、徐々に美しくなるのを観るのは楽しい。そして何とかきれいにしようとする意欲と体力が残されていることにも感謝したい。 5日(木)に観たオリンピックの競技は、まず陸上の男子100×4リレーの準決勝。日本のメンバーは多田。山県、桐生、小池の4人。1組3位で何とか決勝進出。決勝は6日(金)の22時50分から。またまた興奮して寝不足になることだろう。中国も100mで9秒84を出した素選手がいるので、良いライバルとなるだろう。アメリカは決勝に残れなかった。時代は変わったのだ。 女子ゴルフもちょっとだけ観た。5日は第3ラウンド(3日目)。日本の稲見と畑岡も上位に食らい付いている。6日は最終日。男子の松山選手同様、最後までメダルに迫って欲しいものだ。ゴルフがオリンピックの虚偽種目になったのは今回が初めてかと思ったら、1900年のパリ大会。1904年のセントルイス大会。そして前回のリオ大会で112年ぶりに復活したようだ。 因みに東京大会では50競技で戦われている。今大会からの新種目は空手、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンの4競技16種目。新たな4競技は全てTVで観戦出来たのでラッキーだったと思う。ところで空手には構えの美しさや正確さを競う「形」と、実際に相手と戦う「組手」の2種目がある。そこでテコンドウとどう違うのか見てみよう。 テコンドウ(左)と空手の組手(右)。テコンドウはヘッドギアと胴を付けている。手には手袋をし、シューズを履いている。空手の組手はヘッドギアなしで手にはグローブをはめている。打つのも、蹴るのも寸止め(すんどめ)と言って相手の体の直前で動作を止める(あるいはその意識を持つ)のが原則。そして「投げ」も有効。蹴りのポイント確認のため、シューズの色も帯の色と合わせている。 「形」ではいくつもある形の中から何種類か選んでその動作をする。その前に「形の名」を申告するのがルール。それぞれの形の正確さ、攻撃と防御の姿勢と気合を相手と競う。日本の清水希容(上27歳)はスペインの選手に準決勝戦で勝ち、決勝の結果は銀メダルだった。男子の形の喜友名選手も、国際大会で常勝しておりメダルが有望だ。 男子ボクシングフライ級の田中亮明選手(左)が、どうやら銅メダルをゲットしたみたいです。「銅」もオメデエトウゴザイマス。 順番がバラバラだけど、女子レスリング57kg級で川井梨紗子選手が金メダルを獲っていたんですねえ。既に妹の友香子選手が62kg級で金メダルを獲っていたので、姉妹そろっての金メダルゲットは史上初。そしてお姉ちゃんはリオ大会からの2連覇なんですねえ。しかし忙し過ぎて、ご飯を焦がしてしまいましたよ。IHクッキングヒーターと圧力鍋、大丈夫かなあ。 陸上競技の競歩とマラソンは札幌で開催される。最初は男子競歩の20kmだった。だが夕方4時の札幌はまだ31度もある暑さだった。 日本の3選手は若いけどそれぞれかなりの実績がある。特に山西は世界からマークされる存在だ。そして各国の暑さ対策も山西を真似ていた。 飛び出した中国の王選手。だが、日本の山西と池田は追いかけず第2集団で様子を窺う作戦に出た。あまりの暑さと急カーブ(500mの折り返しを10周)にバテたり、失格になる選手が増え出す。警告を3回受けると2分間の「休憩」を取らされ、警告4回で失格する。急カーブでフォームが乱れ、審判も厳しく警告を出す。 満を持して日本の2選手がトップの中国王選手を追い、ついにトップに躍り出る。後ろのイタリアの選手と3人でのメダル争いが始まった。 ラスト1風の鐘(左)が鳴る。残り200mでイタリアのスタノ選手が飛び出した。警告を2回受けた池田選手はそれでも後を追ったが、スパートが早過ぎて疲れた山西は追えなかった。そのままイタリアが金。2位と3位は日本選手。池田が銀、山西は銅を獲った。 ゴール後の2人。誰かがちゃんと日の丸を準備してくれていたんだねえ。 メダル授与は翌日に東京であるが、札幌の街中のコースに設置された表彰台で、ビクトリーブーケの授与があった。これも良い記念だね。山西が「お盆」ごと受け取ろうとしたのが笑えた。この日の複数のメダル獲得で、日本メダル獲得数は過去最高になった。 女子卓球団体決勝対中国戦は残念だったね。でも最後まで良く頑張ったと思うよ。あの強豪国と戦っての銀メダルは立派の一語。これからもさらに上を目指してほしいな。さて、男子サッカーの3位決定戦は今日メキシコと。ガンバレ森保ジャパン。そして早朝から男子競歩50kmなどがある。果たして今日も体が持つかどうか。暑さと寝不足に負けず、無理せず過ごそうね。
2021.08.06
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~一流の技術と精神を観る日々~ 4日。新たな競技を観た。女子スケボーの「パーク」。「ストリート」は街中の「階段や手すり」を模したセットだったが、パークはスノーボードの「ハーフパイプ」よりももっと複雑でもっと危険な構造。よくも恐怖心を抱かずにあれに挑戦するものと、「女の子たち」の勇気に痛く感心し爺であった。 「急な崖」のへりに立つのはおろか、スピードをつけて崖を登り、「へり」の上で540度回転する大技を刳り出す強者もいる。これまでになかった全く新しいスポーツ。そんな世界にいち早く飛び込んで技術を磨き、オリンピックの新種目になったのだから、世界的に支持されているのだろう。 上位を日本選手が独占した。四十住選手(19歳)、開選手12歳)。イギリスのブラウン選手(銀)は13歳でお母さんが日本人。4位の岡本選手。最後に大技に挑戦して失敗したが、そんな決意を15歳でなかなか出来るものではない。 金メダルの四十住選手 銅メダルの開選手 日本選手の活躍を目の当たりにした江東区長は、このリンクを「恒久施設」として五輪後も残すことを都知事に要望する由。そうなれば、きっと日本の若者たちの「聖地」になるはずだ。 <スペイン国旗と公認球> スペインのサッカーは強かった。強化試合では1-1の引き分けだったが、本番では目の色を変えて日本に向かって来た。ヨーロッパの強豪チームに所属する選手を「国の命令」で招集し、フルメンバーも6名いた由。彼らのテクニックが凄い。ボールの保持力、パスの精度、状況認識の正確性。強い体力。前半からボールはスペインが70%近くを支配していた。 森保ジャパンも必死に食らいついた。シュート数はスペインが優ったが、ジャパンがスペインのゴールを脅かした場面も何度かあった。0-0のまま前後半90分が終了。延長戦の前半も0-0のまま。それでジャパンのメンバーは体力の限界に来ていた。だが、スペインにはまだ余力があったのだ。 延長戦後半10分。残り時間5分でスペインは温存していたフルメンバーを交代要員として出場させた、その彼があっという間ににジャパンのゴールに迫り、絶妙な角度からシュートを放った。強くて正確なシュート。何度も危機を救ったキーパーの谷が反応したものの、ボールは森の手の先をするりと抜けてゴールネットに突き刺さった。 最後の最後で勝利の女神は森保ジャパンを見捨てた。きっとあれが心身の限界だったろう。ベンチに下がった久保も疲労の色が濃かった。日本の課題は多いだろう。メンバー全員が外国の一流チームに所属するほどまで技術が上がらないと世界一は無理なのだろう。まだ道は遠いが、実力は確実に増している。メキシコとの3位決定戦も、きっと苦戦の連続だろうが、耐え抜いて銅を獲れ!! 4日からスポーツクライミング女子予選が始まった。これもスケートボード同様、観ていて楽しい。以前は確か「ボルダリング」と呼ばれていたが、現在では〇登るスピードを競う「スピード」、〇登った壁の数を競う「ボルダリング」、〇登った壁の高さを競う「リード」の3部門から構成される新たなスポーツに生まれ変わった。コースごとの攻略法と体の使い方など、見所がたくさんだ。 さてオリンピック開催中の日本に朗報。IOCのアスリート委員に太田雄貴氏(同志社大卒35歳。北京オリンピックのフェンシングフルーレ個人の銀メダリスト)が当選しました、明朗なIOCを実現して欲しいですね。 めでたいことはまだ続く。女子レスリング52kg級の川井友香子選手が、見事金メダルゲットです。確かクラスが違う彼女のお姉さんも出場してたけど、お姉ちゃんの方はどこまで進んだかな。 めでたいことはまだまだ続くよ。野球の準決勝は対韓国戦。まさに因縁の試合ですが、5対2で見事に勝ちました。決勝戦は7日(土曜日)で、韓国とアメリカの勝者ともう一度戦います。だから銀メダル以上は決まったのですが、是が非でも優勝したいですよね。以下、写真をご覧くださいませ。 8回裏。日本は2アウト満塁の好機に山田が走者一掃の3点タイムリー2塁打を放って、膠着した試合に決着をつけたのです。9回表もハラハラでしたが、見事抑えの栗林が見事に韓国を0封でした。 侍ジャパンの鮮やかな勝利。こうなったら決勝でも勝ちたいね。アメリカにも韓国にも本番で勝ってるのに、敗者復活で決勝へ上がった相手に負けたら悔しいもんなあ。 侍ジャパンは最後まで整然と韓国側にも挨拶しましたよ。ではまたね。
2021.08.05
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~わたしなりの戦い~ 市内の「シルバー人材センター」にメールした。庭の雑草が物凄いのに加えて、植木の枝がかなり茂ったので、剪定と草取りをしてくれる人の派遣を依頼したのだ。夕刻に電話があり、植木の剪定は来年3月まで予約が塞がっている由。仙台も高齢者が増えて困っているのだろうし、加えてコロナ感染もあって希望者が多いのだろうと妙に納得してしまった。 2日の朝、3日の朝と2日続けて早朝に草取りをした。そして紫陽花、シュウメイギクを剪定し、ワレモコウやハーブを抜く。ついでにキュウリの苗を処理。1時間半も動けば汗だくだ。それに蚊も寄って来る。その辛さに耐えながらの作業。一人で生きるためには欠かせない仕事。覚悟を決めたら後はやるだけだ。ゴミ出しをして水風呂に入り、着替えをして朝食の準備にかかる。 エンゼルスの大谷翔平選手が6月に続いて7月も月間MVPに選定された由。7月に打ったホームランは7本。それに15の盗塁を決め、オールスターでも活躍した。もう投手としてだけでなく、打者としての評価も超一流となった。メジャーで活躍する日本の若者。オリンピックには出てないけれど、彼は彼が置かれた環境の中で、精いっぱいプレーしている。実に爽やかで頼もしい日本男児だ。 急遽帰国を命じられたベラルーシの女子陸上競技の選手が、在日ポーランド大使館に飛び込み、「人道ビザ」の発行を受けてポーランドに亡命することが出来た。独裁国家のベラルーシでは大統領が強大な権力を持っている。今回はコーチからこれまでやったことの無い種目への転向を言い渡され、抗議したところ本国に伝わって「帰国命令」が出た模様。帰国すれば拘束されると感じた彼女は、派遣された東京で亡命を決断したわけだ。世界にはこんな国もあるんだねえ。それに比べたら日本は本当に平和だ。 アメリカの女子砲丸投げの選手が表彰式で、抗議のポーズを示した。彼女が信じるLGBTの意思表示とのこと。今大会からIOCは競技前に政治、宗教、人種の観点からの抗議は認めているが、表彰の際の抗議は認めていない。さて、この意思表示に対して果たしてどの様な裁断が下るのだろう。 またまたお騒がせ男白鵬の登場である。モンゴルの「民間大使」のような立場の彼は、故国にマスク5千枚を贈った奇特な男でもある。だがそれが度を過ごすともめごとの元になる。今回は「魏出禁止」のさ中、東京オリンピックに参加したモンゴルの柔道選手を激励するため「日本武道館」に出向いて歓談して姿がSNSで判明。日本相撲協会は外出許可の申請は出てないと、またもやお冠の態であるそうな。 台湾のない中国地図 さて、米国議会の下院において、台湾を中国の一部とする地図を禁止する法案が提案され、決議される模様。上の地図にも福建省(青)の沖にあるはずの台湾の位置には「グレーの痕跡」があるだけだ。オリンピック期間中に、極めて政治的な行動を示したバイデン政権。全体主義国家中国を非難する動きは、日に日に増強しているように私には見えるのだが。 連日連夜、東京オリンピックの熱戦を堪能させてもらっている。2日の夜は「侍ジャパン」とアメリカの戦いにハラハラさせられた。3日の夜はサッカー「森保ジャパン」とスペインの準決勝に痺れるだろう。そして男女の卓球団体戦も。日中の暑さとは異なる観戦の「熱さ」。早朝の草取り作業共々、体調を崩さないよう注意しながら、一流のアスリートたちが繰り広げる世界の戦いを楽しませてもらおうと思っている。そして今日4日は、因縁の韓国戦。負けたくないね「侍ジャパン」と稲葉監督。 さて、数日前から名前が挙がっていた女子ボクシングフェザー級の入江聖奈選手(20歳日体大、鳥取県出身)が決勝でフィリピン選手に5-0の判定勝ちを収め、見事金メダルを獲得しました。オリンピック女子ボクシングで初めての金。鳥取県出身者としても初の金メダル。きっと今頃故郷では大騒ぎをしてるでしょうね。彼女はとてもカエルが好きなことで有名です。 男子体操種目別「鉄棒」でもやりました。橋本大輝選手が金メダルゲット。これで個人総合と合わせて2つ目の金メダル。末恐ろしい選手が現われましたね。19歳の若きリーダーの誕生です。オメデトウ橋本選手。こえからも日本の体操界をよろしくね。 女子卓球団体対香港戦は3-0の圧勝。これで決勝戦進出。金か銀が確定です。相手は中国かな。頑張って欲しいですね。 男子レスリンググレコローマンスタイル77kg級の屋比久翔平選手は沖縄県出身。見事銅メダルゲットでした。レスリングでのメダルは久しぶりですね。おめでとうございます!! 男子サッカーは準決勝で対スペイン戦。スペインにボールを支配されながら、頑張って0-0のまま延長戦に突入。 延長戦の後半。ついに強豪スペインに得点を許し、0-1で敗退しました。 次はブラジルに敗れたメキシコとの3位決定戦があります。「メキシコオリンピック」以来の銅メダルを何とか獲って欲しいですね。 そして今日の侍ジャパンは対韓国戦。勝てば優勝で金メダルです。頑張って欲しいですね。 ではでは。良い報告が出来ますよう。
2021.08.04
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~苛烈な戦いの中で~ 新型コロナウイルスパンデミックの中で「緊急事態宣言」の対象となる都府県が増えている。どこかに油断があるのだ。特にテーゲー(良い加減)な沖縄では、地元の浜辺でどんちゃん騒ぎをしたり、東京では仕事にならない夜のお仕事の女性が沖縄で稼いでると言う噂。私はドンドン送られて来るツーリストのパンフを片っ端から「古新聞」入れに放り込んでいる。 日本滞在中に違法行為があったとして、関係委員会から「IDカード」の取り上げや注意喚起を受けたオリンピック関係者がかなりに上ると言う。自分が「ゲイ」であることをカミングアウトしたイギリスの水泳選手。コーチを批判したため帰国するよう命令を受けたベラルーシの選手。だが彼女は空港で警官に事情を話し、日本に留まる意志を伝えた由。それらに比べたら日本はまだ平和だ。 陸上男子100m決勝には痺れた。ファイナリストは全員9秒台の選手ばかり。その中には準決勝で9秒84のアジア新記録を出したばかりの中国の素選手もいた。これでは期待された日本選手が決勝に進めなかったのは当然だろう。スタート1回目でイギリスの選手がフライングし、一発退場となった。世界一速い男を決める場は、緊迫と余裕が混在する場だ。 結局最速のランナーになったのは、予想に反してイタリアの選手。ヨーロッパ新記録での堂々たる優勝だった。常勝ジャマイカでもなければ、アメリカでもアフリカの選手でもなかった。準決勝を走り終わったばかりなのに、そこからさらにギアを上げる世界のチップアスリートの強さを思い知った感じだ。 日本プロゴルフ協会の青木功会長が話していた。男子ゴルフで4位に終わった松山選手だが、コースの途中に何度も上位を抜き去るチャンスがあったと。きっとそうに違いない。ど素人の私でも、松山選手のパットが何度も「カップに蹴られた」のを何度も目撃したもの。ゴルフはちょっとした「運」の違いが影響するスポーツ。松山選手は最後まで良く耐えながら、勝利の女神に見放されたんだよね。 女子ボクシング入江聖奈選手(青フェザー級) 女子ボクシング並木月海選手(青フライ級) 日本の女子ボクシングが有望だ。フェザー級の入江選手は今日(3日)にメダルの色が決まり、フライ級の並木選手は明日4日にメダルの色が決まる。しかし「南海キャンディーズ」のしずちゃんがオリンピックへの出場を目指してボクシングの練習をしてたころが夏かしいね。あれから日本の女子ボクシングは本当に強くなりました。これもしずちゃんのお陰かな。ガンバレ両選手~っ!! 朗報です、女子体操種目別の「床運動「で村上茉愛選手が銅メダルゲットです。日本の女子選手が種目別でメダルを獲ったのは今回が初めてとか。良く頑張りましたね。大きな花丸を上げましょう。 続いて男子選手にも朗報です。レスリンググレコローマンスタイル60kg級の文田健一郎選手が銀メダルを獲りました。決勝戦に進むことは前日から分かっていたのですが、少し残念でしたね。 <野球準々決勝戦ショートショート> 開会式 いざ戦いへ「侍ジャパン」 先発メンバー(日本) 先発投手はマー君 マー君と青柳が打たれて最大差は3点に広がった 日本は9回2アウトで同点に追いつく。 喜ぶ侍ベンチ 10回はタイブレークでの延長戦 10回表アメリカを0点に抑えた日本はその裏バントで1アウト23塁のチャンスを作る。 アメリカは外野を2人、内野を5人にする「奇策」に出たが、甲斐がライト前にサヨナラ安打。 苦しめられたゲームもついに決着を。 テレビの画面に早速勝利のテロップが。 戦いの跡 10回裏には「1x」の文字が。 変則的なトーナメントなので次は韓国との準決勝戦だ。これまで散々煮え湯を飲まされた韓国戦、今回こそにっくき韓国を破りたいねえ。ただし決勝戦で再びアメリカと対戦することもあるのが、この変則トーナメント。ルールだからしょうがない。こうなったらもうやるっきゃないね。
2021.08.03
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~浮かれることなく~ 八月である。今日は最初の日曜日。前日に刈り取った庭のシュウメイギクやミント、モッコウバラなどの剪定枝を紐でしばった。これで玄関までのアプローチがほんの少しだけスッキリした。だがほとんどがまだ手付かずのまま。水風呂で汗を流し、着替え後近所の投票所に。その日は仙台市長選挙の投票日でもあった。だが町内会の草刈はサボった。選挙が優先だし、町内会よりわが家の庭が大変なんだもの。 東京オリンピックの進行は順調そうだ。私はアフリカのアスリートたちがコロナで参加出来ないのではないかと密かに危惧してたのだが、案外たくさんの選手が参加したのが嬉しい。ロシアは国がドーピングに関与した疑いで今回も個人資格での参加。その憂さ晴らしでもないだろうが、悔し紛れにサイバー攻撃をしてるとの噂もある。 日本選手の活躍も様々。遺憾なく実力を発揮して表彰台に上った者。あれほど事前に金メダル候補と大騒ぎされながら、静かに去って行った者。柔道の井上康生監督が辞める由連盟の規定により、2期8年(実際は特例で9年間)以上の就任は禁止されている由。現役時代に味わった悔しさをバネに、後輩たちの強化に全力を尽くした。彼の努力が今回の柔道のメダルラッシュに繋がったと信じている。 時間には制限があり、観たくても観られない種目がどうしても出て来る。しかし世界の頂点を根ざして東京に来ただけに、どの国のどの種目のアスリートも、メダルへの執念は凄まじい。彼らの真剣な姿はどんな「ドラマ」よりも素晴らしい。5年間も待って東京に来た彼らの純粋で強固な心身がぶつかり合い戦う姿は、清々しく輝いて見える。 そんな時に「北海道・北東北の縄文遺跡群」がユネスコの世界文化遺産に正式登録された。また合わせて奄美諸島と沖縄本島北部、西表島の「世界自然遺産」が正式に登録されたのが嬉しい。こんな苦しいコロナ感染時にオリンピックを開催した日本への励ましと、私は勝手に受け取っている。何度か訪れた北海道や沖縄の大自然。そして東北の縄文遺跡の幾つかを自分の目で確かめることが出来て幸いだった。 どうでも良い話だが、「年の差婚」で結ばれた芸能人夫婦の話。何と若い妻の方から離婚を切り出すケースが増えているみたい。さしづめその嚆矢は「三船美佳」だったのではないか。人間誰しも歳を取る。若い妻はまだまだ元気でやりたいこともやれるだろうが、年老いた夫は自由度が減るのが普通。そんな時に妻から離婚を切り出されたらうろたえるだろうな。などと考えてしまう爺も歳を取ったのだろう。 エンゼルスの大谷の活躍が止まらない。7月中に37本のホームランを打った打者が、15盗塁を同時に決めたのは、長い大リーグ史上でも初めてのこととか。並みはずれたパワーと柔軟なチャレンジ精神を持った彼だからこそなし得た偉業。そしてその偉業はまだ道半ば。この勢いでは50本以上打ってホームラン王になるのも夢じゃないね。オリンピックには来れなかったけど、彼は彼で頑張っているよ。 日曜日だから「朝ドラ」がない。そしてオリンピックのために「大河ドラマ」もない。ネットでオリンピック関係をチェックしても大したニュースはなく、TV放送のある種目にもさほど魅力を感じない。てな訳で、午後はずっと男子ゴルフを観ていた。だがねえ、それがねえ。最終日の松山選手の調子が今一なのさ。惜しいところでカップに嫌われ、イーグルやバーディーやパーを逃す場面が多かったね。 一時は単独2位や単独3位に立つチャンスもあったのに、18Hを終わってみれば3位タイの7選手でのプレーオフと相成ったが。残念ながらここでも松山選手はカップに嫌われてしまったよ。 せめて彼が頑張った証拠に、3位タイ7選手のリストでも上げて置くかねえ。それにしても昨日はついてなかったね。男子ゴルフは終わったが、ここで女子ゴルフの試合もあるんだよ。「霞ケ浦CC」は女性のプレーヤーを入場させないのが「伝統」だったが、オリンピック会場に決まればそうは行かない。てなわけで、後は日本の女子に頑張ってもらうとするか。 8月に入ったのに、相変わらずはっきりしない空模様。さて日曜日の夕方現在で、日本が残っている種目は、〇フェンシング男子フルーレ団体3位決定戦。〇女子レスリング皆川博恵選手が準決勝へ。〇男子レスリンググレコローマンの文田健一郎選手が準決勝へ。そして女子ボクシングのフライ級も確か有望な選手が残っていたはず。結果は夜のニュースとハイライト版で確かめる積り。 結局はっきりしたのは男子体操種目別の「あん馬」で、萱和磨選手(セントラルスポーツ所属24歳)が見事銅メダルゲットしたことだけが、嬉しいですねえ。良く頑張りました。 さて競泳の最後を飾ったのが男女の400mメドレリレー。男子は6位、女子は8位でしたが、共に決勝に進めたのが嬉しかったです。特に女子は白血病と戦って来た池江璃花子選手が復活し、東京オリンピックで活躍出来たのがどれだけ勇気を与えてくれたことか。東京オリンピックの中止を叫んでいたマスコミや一部野党の議員たちは、一体それをどう見たのか聞いてみたいものです。 今日月曜日は確か、野球の侍ジャパンが出場するはず。大いに燃えて応援しましょうね。ではでは。
2021.08.02
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~たかが五輪されど五輪~ このブログが公開されている時は、もう8月になっている。激戦が続く東京オリンピックに興奮しつつも、自分ではしっかりとその日を送っている積りだ。さて何日か前のこと菅総理に「これだけ感染者数が増えているのにオリンピック、パラリンピックを中止しないのですか」と聞いた記者がいた。私は唖然とした。ここまで進み連日熱戦が続いていると言うのに、選手村の選手や各国の記者や関係者に帰国してもらえるのだろうか。 もちろん記者が言いたいことは分かる。だがそれが出来る状況かっどうかは良く考えれば分かることだ。もっともらしい正義感を振りかざす新聞社やTV局。だが動き出した汽車を止めるのはもう無理なのだよ。そんなこと考えれば誰だって分かりそうなもの。こんな爺だってコロナは心配だし、都会で働いている2人の息子のことも心配している。 ビクトリーブーケ それにオリンピックにやって来た選手たちは、連日真剣に戦っているんだよ。その姿をTVで観戦し、一流のアスリートたちの心情を思いやっている私だ。だが福島県の放射能で汚染されていると「ビクトリーブーケ」にケチをつける国があるようだ。 ある国の選手2人は選手村を抜け出して「東京タワー」観光に出かけ、IDカードを没収された由。2人が獲った銀メダルは果たしてどうなるのだろう。 アーチェリーの古川高晴選手(近大職員36歳)が団体戦に続き個人戦でも同メダルを獲った。彼はロンドン大会の個人戦でも銀メダルを獲っており、今回が3個目のメダルとか。素晴らしい努力ですね。 昨日はハラハラドキドキしながらTVを観ていた。何せ好調の「柔道混合団体」と野球「侍ジャパン」の2回戦が重なっていたものだから、気が気じゃなかったと言う訳さ。柔道は苦労しながらロシアとの準決勝を勝ち抜き決勝進出。これでメダルが確定した。後は何色のメダルになるのか。ところが決勝戦の中継までには時間がかかったねえ、そして結果も最悪のものとなった。 これが「混合団体のメンバー」。ルールは単純だけど、男女ともにランク分けが大まかだから、体重差が大き過ぎて、体力のある外国陣に苦しめられた日本チーム。決勝戦もフランスに先手を取られ、失速した感がありましたね。 今回が初めてのこの種目は、作戦が大事。そしてやはり「体格差」の問題をクリヤーしない限り「金」は難しそうな予感がしました。でも銀は銀。日本チームは良く健闘しましたね。 福島から横浜に場所を移して開催された野球の第2戦目。「侍ジャパン」の相手はメキシコ。先制されたもののこの日は慌てずに攻略し、2本のホームランなどで相手を突き放しました。これで予選をAグループ1位で通過でした。柔道も気になるし、野球も気になる。それに放送局が違うため苦労しましたよ。 終わって見れば結果は7対4の圧勝。これでベスト8に入ったのかな。次は準々決勝で明日アメリカと対戦することにってことになった。狭い横浜球場は、投手が気を遣うよね。それに日中は猛暑だから、恐らく選手たちもクタクタだったはず。先ずは2連勝おめでとうございます。この調子で優勝をめざして頑張ってくださいね~。!! さて柔道も激戦でしたが、サッカーも過酷でした。ニュージーランドを相手に、前後半の90分で決着がつかずに延長戦に突入。30分間の延長戦でも決着がつかず、何と0対0のままPK戦になだれ込みました。鹿島は海風があって、少しは涼しかったのかな。でも両チームの選手たちはかなり体力を消耗したみたいですわ。 PK戦に臨む日本の5人。PK(ペナルティキック)は両チームが5人ずつ、交互にシュートします。もちろんその時はキーパーが交代するわけです。ところがですねえ。日本は3人が全員ゴールしたのに対し、ニュージーランドは1人がキーパーに止められ、別の1人が枠を外して日本が断然優勢に。 結果は日本が4本目を決めて勝利。早速イレブンとベンチメンバーが肩を抱き合いました。これでベスト4になったのかな。準決勝の相手は確かスペインだったはず。そしてグラウンドも横浜に移動します。凄いぞ「森保ジャパン」。作戦がここまでズバズバ的中していますね。このまま優勝へ突っ走ってくださいよ。ガンバレ森保ジャパン。 さてブロガーも忙しい。何せ私は毎日更新を原則としています。それも「予約機能」を使って前日のうちに原稿を書くのでもう大変なんですわ。上はゴルフの3日目。18番ホールの松山選手がパーパットを打つ瞬間です。初日から徐々に差を詰めて来た松山英樹選手は3日目も調子を上げて、何とトップと1打差の2位。最終日は「最終組」でのスタートとなりました。「霞が関国際CC」は東北福祉大学の学生時代からプレイしていたゴルフ場ですからかつて知った「わが家」のようなもの。 左は途中の上位者。一時はトップに並んでいたのですよ。右は3日目のプレイを終えてインタビューに答える松山選手です。これは優勝も期待出来そうですが、彼は決してそうは言いません。さて、今日はどんな激闘が待っているのか。ガンバレガンバレ松山~!! こんな調子で、実は観たかった陸上競技を全然観てないのですよ。その代わり(?)に夕食時に食べた「鮎の塩焼き」でも載せて置きましょうか。ではまた。ごきげんよう。
2021.08.01
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~連日のメダルラッシュと熱戦~ 木曜日。仙台の天気はとても不安定で、時々雷鳴がありました。TVのBSは画像が乱れ、PCはヒヤヒヤしながら使っていました。そんな中で興奮しながら観戦していたのが男女の柔道でした。 男子100kg級のウルフアロン選手は父親が米国人で東京の大学の研究者。そして母親は日本人。東京生まれの彼は名前は外国人だけど英語は話せず、子供のころからからかわれていたようです。でも自分では恰好良い名前だと思っていた由。子供の頃から柔道場に通っていながら、さほど強くなかったそうです。東海大学浦安高校から東海大学へ進学。強くなりたいとの思いが募っていったようです。 これまでに全日本選手権優勝、世界選手権優勝。そして今回はオリンピックも初出場での優勝。見事な3冠達成でした。地道に練習に取り組み、苦手をなくして行ったと聞きました。 予選から決勝戦まで、常に全力投球でしたね。攻めに攻めて相手を消耗させ、延長戦でも積極的に技を仕掛け、技ありや一本を取る正攻法。決勝戦でも相手の韓国選手を終始圧倒していました、試合後、敗れた韓国選手が歩み寄り、ウルフアロン選手の右腕を上げて、勝者を讃えていました。厳しい戦いが済めばお互いに相手をリスペクトする美しい姿。それこそが真のアスリートです。 TVのテロップが流れたように、この日の女子は78kg級。日本の濱田尚理選手は予選から決勝までの全試合を寝技で一本を取った猛者です。鹿児島県出身で子供の時から柔道場に通い、大学は山梨学院大学に進学。卒業後は自衛隊体育学校に勤務。30歳と言う遅咲きながら初めてのオリンピックで優勝ですから、相当に精神力が強いのでしょうね。 濱田さんの自衛官としての姿。なかなか凛々しいですね。 男女そろっての柔道の金メダル獲得。日本がこんなにも強くなったのはなぜでしょう。きっと日本柔道連盟の地道な強化策が結実したのでしょうね。本当に見事でした。柔道日本の復活です。 真剣な表情の女子卓球の伊藤美誠選手です。男子の水谷隼選手と組んだ新種目、男女複合ダブルスでは中国の強豪を撃破しての優勝でしたが、女子シングルスでは準決勝戦で中国選手に敗れ、シンガポールの選手との3位決定戦に回りました。本人は決勝戦へ行きたかったみたいで、最後まで悔しがっていましたが、切り替えて銅メダル獲得に足し立ち向かいました。 どうしても強くなって中国を破りたかった彼女のために、現在のコーチが自分の仕事を投げ打って伊藤の専任コーチに就任してくれた由。その指導の下に着々と実力をつけて来たのですね。リオでは「お客さん」でしたが、東京ではチームの中心選手に成長しました。日本の女子がオリンピックのシングルスでメダルを獲ったのは、今回の伊藤が初めてのこと。日本の卓球の歴史を塗り替えたのでした。 団体ではメダルなしに終わった日本の女子体操ですが、村上茉愛選手が団体での怪我を押して出場し、見事5位入賞でした。これは日本女子の最高位です。これから始まる個人種目別では得意の「床」が残っているので、きっと活躍してくれることでしょう。 期待されたバトミントン男女のシングルスとダブルスは、世界ランク上位の日本選手がいずれもメダルなしのまま敗退しました。その中で新種目である男女の複合ダブルスで渡辺・東野ペア(愛称「わたがしペア)が見事銅メダルを獲った見たいです。女子ダブルスで世界ランク1位の福島、広田(ふくひろペア)と戦って勝利した中国チームが、試合後広田選手に駆け寄って慰めていました。彼女は膝を負傷していたのです。実に美しいリスペクトの姿でした。 金曜日は朝からゴミ出し。そして朝食後は市の健診で眼科へ行き、目の毛細血管の状態を検診しましたが異常なしでした。帰宅がてら買い物。帰宅後は新聞を読み、ネットで各種ニュースをチェック。晴れ間を確認しての布団干し。昼食後は例によって気になるオリンピックのTV観戦ですが、なかなか観たい番組の放送時間が合わずにイライラでした。この日の注目もやはり柔道でした。 この日の柔道は女子が78kg超級で素根輝(そねあきら)が出場し、男子の100kg超級は原沢久喜が出場。共に準々決勝まで進んだことは確認していました。男子の原沢は残念ながらリオ五輪の「銀」を超えるどころか3位決定戦でも敗れ、メダルなしに終わりました。積極性が足りませんでしたね。一方女子の素根は相手がいずれも100kgを超える巨漢が合相手でしたが、じっと辛抱の柔道でした。 まだ21歳の伸び盛り。初めてのオリンピックで堂々の優勝は大したものです。やはり格闘技は攻める気持ちがないとダメですね。積極性が足らなかった男子の原沢に比べて、素根はとても気持ちが強くて自分よりも体格が優り、腕力が強い相手に対しても辛坊と我慢の柔道に徹しました。気持ちで負けなかったことが勝因でしょう。見事な金メダルでしたね。良く頑張りました。金メダルおめでとうね。 そのうち男子フェンシングのエペ団体で日本が決勝戦に進んだとのニュースを知りました。全く知らない種目なので、まずはネット検索で実態を知りました。メンバーは4人でそのうち3人が交互に相手チームの3人と対戦して、先に45点取った方が勝ちみたいです。フェンシングには他に2種目あるのですが、「エペ」は剣が相手の体のどこに当たっても有効。「足の裏」も〇には驚きました。 日本チームは山田、加納、宇山、見延の4人。いずれも若い選手で日本ではまだ経験の乏しい競技ですが、急速に実力をつけこの日もランキングが上のチームを相手に連破して来たとの話にはビックリでした。 ところがTVを観ても、あまりにもスピードガ速くてついて行けません。ただし「ポイント」を獲った選手の「面」にランプが点くので分かります。また「ルール」は上の通りです。 決勝の相手はロシアでした。もちろん日本よりも国のランキングは上です。でも日本の若い選手は急速に実力をつけて相手を怖れずに攻め続け、しかもクレバーな作戦を取りました。優勝が決まると、選手だけでなくコーチもマットの上に集まって乱舞です。 解説者の人が言ってました。「諦めるな。攻め続けろ」と。日本チームはまるでその言葉が聞こえているように戦いました。驚きました。スケボーやサーフィンなどと同様に、若者の勢いを感じた決勝戦でした、男子柔道の原沢選手にも見せたい試合でしたよ。 表彰式までは観てなかったのですが、幕張の会場では既に選手たちが「日の丸」を掲げていましたよ。お疲れ様日本エペ団体チーム。これからの活躍も楽しみにしていますね。ではまた明日。
2021.07.31
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~連日の奮闘の陰で~ 写真は「開会式」の自撮りを使用 木曜日。病院に行って来ました。市の健診といつもの診察を兼ねてのものでした。採血の結果、血糖値が上がっていました。もうかなり前からほとんど運動してなかったもんなあ。それでも3食きちんと食べてたので、それが原因でしょう。今日はその続きで眼科へ行きます。市の無料健診に眼底検査もあるのです。買い物と病院の時しか外出しない私。今はじっとコロナ自粛の日々です。 開会式では、天皇陛下の「開会宣言」の時に菅総理と小池都知事が起立せずに着席したままだったのが批判の対象となりました。どうやら原因は「台本」通りの進行とずれたための「もらい事故」だったみたいです。やっぱりねえ。そんな失礼なこと。普通はしないよね。 橋本組織委員会委員長と、IOCのバッハ会長の挨拶が長過ぎて白けました。本当は2人で6分の予定だったのが、実際は20分を超えていました。まあ「通訳」の時間も必要だけど。バッハさんこの時とばかりの長演説。開会式全体も冗長で白けたのに、2人の長い挨拶にはうんざり。ゴタゴタ続きの「東京オリンピック」の象徴でした。 大坂なおみさんを聖火の最終ランナー兼点火アスリートとしたのは、バッハ会長の要請だった由。女性でハーフの彼女なら不評なオリンピックの印象を変えられるかもと考えたのかも知れません。だが4時間もかかった開会式と点火の重圧は「うつ病」の彼女を苦しめたのでしょう。テニスでは早々と3回戦敗退(右)でした。たくさんの子供たちを深夜まで参加させたのも、問題ありでしたね。もっと考えないと。 日本案の差死臭ランナーは野球の長嶋さん、王さん、松井氏の3人でした。日本人には通じても、果たして世界の人に通じたかどうか。それに障害の残る高齢の長嶋氏を深夜まで待機させたのもどうかなと思います。 冒頭の「江戸木遣り節」もそうでしたが、海老蔵の「暫く」も、いかにも「取って付けた」感のある「日本文化」の紹介でした。なんだか「ちぐはぐ感」ばかりを感じた私でした。 圧巻は各競技50種目のピクトグラム(絵文字)を「実演」して見せた3人のお笑い芸人の熱演。3人が協力しながら「単純な服装と道具」をとっ替えひっ替えしながら短時間のうちに全50種目を演じ切ったのです。お金もかからない割にはとても笑える珍芸。観ていた世界の人々にも笑ってもらえたのではないでしょうか。 全体的に「薄っぺらい」感があった東京オリンピック開会式の演出。金をかけ智慧を絞った末があれではねえ。そして無観客となってたため大勢のボランティアの方が不要になり、4千人分のお弁当がそのまま廃棄されたとか。まさに愚の骨頂。調整不足が露呈した一幕でした。 さて、選手村に掲げられたK国の垂れ幕が2度にわたりIOCの警告で撤去されました。同国は福島原発で放射能汚染された食品は食べないと宣言して自前で用意。女子卓球の試合中、K国報道社のカメラの照明が日本のI選手に眩しく見える妨害として、照明を落とされる始末。あの国の反日行動は歴史がありますもんね。 卓球混合ダブルスで優勝した日本チームのM選手には、C国の多数の市民からSNSによる中傷があった由。それでもM選手は平然とやり過ごしたみたいです。立派ですね日本人選手は。 でも例外はありますよ。男子バトミントンで世界ランク第1位の某選手。ランク20位台の某国選手と対戦中に心が折れ、シャットアウト負けの初戦敗退でした。有力な金メダル候補だったのにねえ。彼はこれまで賭博容疑、アジア大会時に女性アスリートとの〇的関係、交通事故による顔面骨折などと問題児だったのですよ。きっと誰も忠告出来ない「裸の王様」だったのでしょうね。 各国選手や関係者からコロナ感染者が出ています。詳細に報知出来ないようですが、結構な人数になっています。そんな中A国の男子選手たちが選手村の食堂でマスク無しでの会話やアルコール摂取で盛り上がっているとか。選手と言えどもルールは守ってほしいですよね。 さて感染者数の激増を危ぶみ、埼玉、千葉、神奈川の3県知事が共同で、政府に対して「緊急事態宣言発令」を要請したいと表明しています。「宣言」で感染が収まれば良いのですが、一番は「コロナ自粛」。それも若い年代の外出など行動を自ら見直さないと「効き目」はないでしょうね。「若い自分たちは大丈夫」。そんな自分勝手で想像力のない思考が、国民に悲惨な結果をもたらすのですがねえ。 さてあれほど「東京オリンピック開催中止」を声高に叫んでいた報道各社や野党の責任者たちは、日本選手の活躍や各国のアスリートの激闘をどう見ているのでしょうね。批判は簡単。だが自分がそれを実行する立場だったらどうなのか。国民も自らの判断無しに批判ばかりを信じているのではないでしょうか。物事には必ず裏と表、光と影の部分があります。東京オリンピックとそれに続くパラリンピックが、滞りなく運営されることを心から願っています。より安全、安心な大会でありますよう。 今日は各競技やメダルの話題から離れ、私が日ごろから感じていることを書かせていただきました。日本と各国の選手の活躍、協議の運営が円滑に行われることを切望しています。ではでは。
2021.07.30
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~急変する天候とオリンピック観戦~ 台風8号来襲に備えて、収穫したタマネギとジャガイモなどを物置に移動。ベランダの物干竿を外してベランダの床に置いた。1階の主な部屋のシャッターは早めに下ろした。果たして台風は東北を直撃するのかどうか。 28日水曜日の朝、シャッターを開けると猛烈な雨。6時前に石巻市に上陸したとのニュース。宮城県に台風が上陸したのは観測史上初めてのこと。風はさほど強くなく、雨も仙台では弱かった、ただし、この日の天候は急変。晴れ、にわか雨、雷と目まぐるしく変化した。寝不足で体調も今一。こんな時は無理は禁物。出来たら昼寝もしたいのだが、果たしてどうなるか。 台風の日の朝食 せめて朝食はバランスよく摂ろう。しっかり食べられたら簡単に倒れないはず。晴れ間を見て畑のゴーヤ7本とトマト10個を収穫。早速近所に配りに行った。雨と高温で成長が早いため、ドンドン収穫期が早まり一人では食べ切れないのだ。それなら喜ばれた方が良い。そして見栄えの悪いのは自家用にする。それで十分だ。 10時のおやつ 新聞を読む。ネットでニュースを確かめる。そしてオリンピック関係の放送時間と内容を確認。これは毎日のことだ。そうこうしているうちに、オリンピックのニュースが入って来る。 女子競泳個人メドレ200mで大橋悠依選手が400mに続いて金メダル獲得。いやはや凄い選手がいたものだ。病気から復帰間もない池江璃花子選手を完全にカバーしている。連日の日本選手の活躍は観てる国民にも勇気をくれる。ありがとう。そしてお疲れ様。 そして男子競泳200mバタフライ決勝で、本多灯選手が銀メダルをゲット。期待された選手が「不倫報道」以降全く振るわないのとは好対照でした。勇気と感動をありがとうね。 そしてこの日の注目は、何と言っても県営あづま球場で始まった野球の初日。稲葉監督率いる「侍ジャパン」の対戦相手はドミニカでした。2対0とドミニカに先行され、1点は返したものの終盤ピッチャーを交代ささせた直後の失点に呆然。その後の同点のチャンスに好機を逃した走塁ミスなどで、イライラが募る展開でした。それが9回裏のチャンスにソフトバンクの甲斐選手が先ず同点スクイズを決め、続く巨人坂本選手の安打で一気のサヨナラ勝ちでした。最後の最後にようやく胸の閊えがとれた感じです。 さてもう一つの死闘が女子柔道70kg級の新井千鶴選手でした。準決勝ではロシアの選手と16分を超える戦い(上)。延長戦でも息詰まるような戦いの連続。新井選手は最後の力を振り絞って寝技に持ち込み、ずっと耐えていた相手が最後は新井の「送り襟締め」で落ち(失神)ての一本勝ちでした。 決勝戦も観たかったのですが「チャンネル切り替え」に失敗してダメ。しつこくネットをチェックしていたところ、金メダルを獲ったことが判明しました。オーストリアの選手を相手に戦い、3分過ぎに「技あり「を取って逃げ切ったようです。男子90kg級が3回戦敗退だっただけに、新井の粘りと頑張りが朗報をもたらしましたね。新井選手本当におめでとうございます。そしてお疲れ様でしたね。 しかし男子サッカーにも大興奮でした。強豪フランスを相手に4-0の完勝でした。いやはやビックリですねえ。森保監督(下)の作戦がドンピシャ。これでAグループ1位通過で準々決勝進出が決定。次の相手はニュージーランド。日本は優勝を目指してるなんて言ってて「大ぼら」だと思っていたのですが、いやはやこれほど強いとは驚きましたよ。これからが本番ですね。 いやはや驚きました。男子体操個人総合で、何と橋本大輝選手が金メダルゲットです。団体では銅メダルでしたが、個人総合での栄光は大したものでした。それに彼はまだ十代。今後の活躍が楽しみです。 さて、新型コロナウイルス感染者数が東京都などで急上昇中なのが心配です。若者の感染者が大多数みたいですが、なるべく無用な外出は控えて欲しいものですね。これは予約機能を使って書いてますが、今日は朝から病院です。飲み薬が切れたので。どうしても行かないとね。ではでは。
2021.07.29
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~オリンピックに台風接近~ なんだかんだあって、すったもんだの東京オリンピックだった。「開会式」当日まで新国立競技場付近で「オリンピック反対」運動そしていた市民たち。あれが一つの象徴だった。そして外国からやって来た各国の選手や関係者の中からもコロナ感染陽性者が出たりしたことも心配の種ですね。でも選手たちは連日各種目で健闘しています。このまま無事最終日まで進んで欲しいです。そして引き続きパラリンピックも無事開催して、成功してほしいですね。 さて、新型コロナ感染と共に心配されるのが台風8号の進路と被害です。小笠原諸島東方で発生した台風8号は居座る太平洋高気圧の影響を受けて、その裾を巡り反時計回りで日本列島に接近中です。今後の進路予想では東北地方に上陸し、関東地方にも影響しそうとのこと。アジア以外から来られた選手たちは、初めて経験する台風。大会運営に強い影響が出ないことを祈っています。 さて、なかなかお伝え出来なかった新種目。卓球の男女混合ダブルス戦のことが気がかりでした。卓球の世界では何と言っても中国が世界一の実力者。水谷隼(32歳)と伊藤組美誠(20歳)のペアも、決勝の対戦相手の中国ペアにはこれまで4連敗だったそうですね。ところが予想を覆して水谷・伊藤ペアが決勝まで勝ち進み、接戦の末4対3で初優勝し見事金メダルをゲットしました。 本来なら無観客の会場に30名ほどの中国人観客が入って、大声で声援するなどの違反行為を繰り返しました。それでも堂々と戦った2人。中国の放送では日本に反則があったと訴え、逆に香港では日本が中国を下したことに大喜びする姿が観られたそうです。 この2人は静岡県磐田市出身で、ご近所同士。水谷選手の父母が経営する卓球教室に伊藤選手が初めて来たのは5歳か6歳の頃だった由。2人はそれ以来の同志。その後水谷が東京へ行っても、帰省する度に美誠選手を「おんぶ」していたそうです。そして晴れてのペア結成。冷静な水谷と強気な伊藤。お互いを知り尽くし最後まで信じあい、カバーし合った見事な優勝。二人はきっと結婚するのではなんて思ったことでした。 栄光の陰には挫折もある。女子重量挙げ49kg級にエントリーしていた三宅宏美選手ですが、試技でついに記録なしと終わり、即引退表明しました。父も伯父もオリンピックメダリストと言う重量挙げ一家に育って、十代の頃から激しいトレーニングと過酷な減量を重ねて来ました。そして金と銅メダルをゲット。5回連続出場と3回連続メダルの期待がかかった「地元東京」でしたが、きっと心身の限界だったのでしょうね。宮城県出身だったので、彼女の苦労は身に沁みていました。宏美さんどうもお疲れ様でした。今やゆっくり休んで、早く体調を回復してくださいね。 開会式を撮った写真がまだ40枚上残っているが、少しも載せる気が起きないでいる。あの薄っぺらい「演出」に比べたら、世界の超一流選手たちが競い合い、勝利を目指す激しい戦いを目の当たりにしたら、比べようもない感動の連続だ。体調を整え食事と睡眠に留意しながら、今日も出来るだけ多くの競技をTVで観戦したいものだ。それが私にとっての「東京オリンピック」。かけがえのない思い出だ。 朗報が届きました。女子サーフィンで都筑有夢路(つずきあむろ)選手が地元の利を得て銅メダルを獲得しました。台風接近で波の状態は良くなかったみたいですが頑張りましたね。おめでとうございます。 続いて男子サーフィンにも朗報です。台風8号襲来を控えて急遽1日前倒しした決勝戦でしたが、地元の海を熟知する五十嵐カノン選手が、見事銀メダルに輝きました。男女とも新しい種目にメダルゲットとは実に愉快。日本の若者たちに心から盛大な拍手を送ります。 その一方、女子テニスシングルスで大坂なおみ選手が3回戦で敗退しました。開会式の日は深夜近くまで競技場に残り、最終ランナーと聖火台に点火する大役を果たした彼女。全仏オープンでは体調不良で試合続行を断念。よほど心身の疲れが抜けなかったのでしょうね。どうもお疲れ様でした。 女子重量挙げ59kg級で安藤美希子選手が銅メダルを獲得しました。女子の重量挙げでメダルを獲ったのは引退した三宅宏美選手以来のことでした。まさに「悲願のメダル」。きっと三宅選手も喜んでいたことでしょう。良かったね安藤選手。 やりました。やりました。13年ぶりにオリンピック種目になったソフトボールで、日本チームが優勝し、金メダルを獲りました。決勝戦の相手のアメリカは強敵でした。そしてアメリカの選手の中には北京オリンピックでソフトボールが無くなった後、ソフトから去った選手もおりました。ただこの日を信じて日本に残り日本のチームでプレーしていた選手もいるのです。その意味では日米の選手たちは苦労を共にしたのですね。選手の皆さん、どうもお疲れ様でした。これが五輪でのソフトボールの見納めでしょうか。 金メダルー日本、銀メダルーアメリカ、銅メダルーカナダでした。たくさんの感動をもらったソフトボールの各試合。私も連日大興奮でした。 男子柔道81kg級で永瀬貴規選手が金メダルを獲りました。このクラスではほっそりとした感じの永瀬選手でしたが辛抱して検証戦まで進み、延長戦で最後に切れ味鋭い技を出しての決着でした。このクラスでのメダルはリオでの同選手の銅メダル。今回はその時の悔しさを励みにトレー人して来た由。しかも男子は4日間連続での金メダルゲットですから立派ですね。今日(27日)もブログの構成に苦しみつつ、オリンピックを楽しんだ一日でした。どうぞ台風が無事に通過しますよう。
2021.07.28
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~やっぱりオリンピックは凄いね!! 月曜日。朝からTVを点け、早速オリンピック観戦だ。この朝たまたま観たのがお台場で行われていたトライアスロン。お台場の水質を気にしていたのだが、晴れが続いていて良かった。それに神津島のきれいな砂をたくさん投入していたと言う。新型コロナパンデミックの最中に、トライアスロンで陽性者が続出では大問題だからね。 オリンピックのトライアスロンのルールは「オリンピックディスタンス」と決まっている。スイムが1.5㎞。バイク40km。ラン10kmの順番だ。スイムは一部選手に注意が聞こえず、スタートをやり直したが、再度きれいに一斉スタートした。 トランジット これは「トランジット」と言う、バイク置き場。海から上がった選手は、バイク用のヘルメットを被り、バイク用のシューズを履く。そして1周10kmのコースを4周。スイムの得意な選手は早く海から上がるが、バイクが得意な選手はバイクで差をつける。一番前は風の抵抗をもろに受けるので、先頭グループも交代する。4周したら再度トランジッドへ。ここでランニングシューズに履き替えて走り出す。 ランで10kmの走って最初にゴールした選手が優勝。胸の「NOR」はノルウエーだろうか。かなりのベテランのように見える。因みに日本選手の最高位は15位くらいだったか。名前からすると、日本人と外国人のハーフみたいだが、最近の日本選手はかなり国際的になったね。私もたった1回だけだが、オリンピックディスタンスのトライアスロンに出場したことがある。もう25年も前だが良い記念だ。 オリンピック観戦は楽しいが、独り暮らしと言えどもそれだけでは行けない。前日は大掃除をし、南の畑からジャガイモを掘り、枯れたバラの枝を剪定し、月曜日は買い物に行った。ずっと家に閉じ籠っていると食料品不足になる。必要不可欠なものを天気を観ながら買いに行く。この日は寿司と刺身、果物、牛乳、野菜、パンなどを最低限度。 月曜日の早朝5時から1時間ちょっと、庭と畑の草取りをした。梅雨の後の高温で、草ボウボウになっていた。そのうち特に気になる部分だけ処理。それでも50リットルゴミ袋1個が一杯になった。その時、ゴーヤがかなり実っていることに気づいた。それで食べられそうなのを鋏で切ると、8本ほど収穫出来た。今年の初物だ。 それで作ったのがゴーヤチャンプルー(左)とゴーヤの佃煮(右)。ゴーヤチャンプルーは5㎜巾に切り、一度レンジで熱を通す。黄色いのはパプリカ、木綿豆腐、鶏の挽肉を入れて炒め、最後に「溶き卵」。味は塩コショウ。佃煮はそれよりも分厚く切り、醤油、出汁醤油、味醂、酢を適量。味の変化と栄養のバランスを考えて、煮干しと刻んださつま揚げを入れてある。 連日大豊作のトマトを近所の方に配ったら、お返しに「枝豆」をくれた方。桃をくれた方。海の珍味の「ホヤ」をくれた方など様々だった。もちろん枝豆は自分で茹で、ホヤはキュウリと和え物にしたのだが、とても美味しくて元気になった。 さて「スケートボードパーク」を会場に開催されている新種目のスケートボードの女子ストリートでまたまた金メダルが飛び出した。 離れ技 優勝した西矢椛選手はまだ13歳と言うから驚く。バルセロナの水泳で金メダルを取った岩崎恭子の14歳よりも若い日本人最年少金メダリストになった由。銅メダルの中山楓奈さんは16歳とのこと。スケボーなんて公園にたむろして階段や手すりを傷つける若者との良いイメージがなかったが、今や世界の新しいスポーツになったんだね。 アーチェリー男子団体で日本チームが銅メダルゲットのニュースが飛び込んで来ました。取り敢えず協議中の写真を検索したので、張り付けておきますね。 またまた朗報です。男子柔道73kg級の大野将平選手(左)がオリンピック2連覇の金メダル。女子柔道57kg級の芳田司選手(右の上)が初出場で見事銅メダルでした。これで柔道は連日のメダルラッシュです。さて、今夜もこれからどんな感動を味わえるのか。これじゃ睡眠不足になるのも当然ですねえ。ではまた明日。 ハハハ。やっぱりまだありましたね。体操男子団体で日本チームが銀メダルを獲得しました。全員が初めてのオリンピック。トップのロシアとわずか0.13点の僅差。3位の中国を含む3チームが最後の最後まで手に汗握る大接戦でした。やっぱりオリンピックは凄いです。反対もあったけど、ここまで盛り上がったのは全て世界から集まった選手のお陰です。これからも頑張ってくださいね。応援しています。
2021.07.27
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~メダリストが続々と~ 金メダル第1号男子柔道60kg級=高藤選手 良く頑張りましたね。おめでとうございます。 女子柔道48kg級の渡名喜風南選手(一番左)は残念ながら銀メダルでした。負けず嫌いの渡名喜選手には3年後のパリオリンピックでの活躍を期待しましょう。お疲れ様でした。 金メダル第2号はスケートボード=ストリートの部の堀米雄斗選手でした。新らしい種目の初めての優勝を飾ったのは地元東京出身の若者と言うのが嬉しいですね。彼は子供の頃からスケボーに親しみ、十代でアメリカに亘ってプロとなり、購入した自宅の敷地に練習場を作ってオリンピックに備えたまだ20歳の若者です。お父さんも喜んでいましたね。どうもおめでとうございます。 金メダル3人目は女子水泳の大橋悠衣選手。400m個人メドレでまさかの金メダル。最後は外国選手の猛追に遭いましたが、何とか逃げ切り見事な金メダルゲットでした。表彰時の写真がまだネットで公開されておらず、普通の水着姿になりましたが、池江璃花子選手の無念さを、見事にカバーしてくれましたね。本当におめでとうございます。 何と金メダル第4号と第5号は柔道の阿部兄妹でした。オリンピックで兄弟が金メダルを受賞したのは初めて。しかも今回は同じ日にそれぞれが決勝まで進み、共に優勝したのですから奇跡ですね。 先に表彰台に上がったのは妹の詩さん(左女子52kg級)でした。このクラスは世界に強豪が多くいて、日本人選手がメダルを獲ったのは久しぶりだったんですねえ。強い兄の背中を追って柔道の世界に飛び込んだ妹が、ようやく兄の背中に追い付きました。 兄の一二三さんは66kg級。「一本」に拘る柔道家ですが、オリンピックで勝つためには最後まで我慢して勝負に拘る作戦を取ったようですね。表彰式の写真がまだネットで公開されてなかったため、テレビの画面を撮影したものを載せました。 この日は女子ソフトボールもカナダに勝って全勝を守り、アメリカと共に決勝に進むことが決まりました。また男子サッカーはメキシコに勝って2勝目を挙げ、準々決勝に進む可能性が高まりました。でもどちらも油断せずに頑張って欲しいものです。こんな風に私は昨日も東京オリンピックモード一色でしたよ。 <開会式の写真の残りは、またいずれ載せることにしますね。>ではでは。
2021.07.26
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~わが家のTV画面を見ながら撮影した写真~ 上空から 真ん前から 病気に打ち克ってオリンピックに参加した池江璃花子さん。 スタート。何かが萌え出る様子。 会場の外に上がる花火 会場内ではマッピングが。 何かが動き始める・・。 オリンピック開催までの苦労を表現。 そんな状況を絆で解決、前進。 演じた方々、お疲れ様!! いよいよ国旗の入場。 富士山に見えたのは聖火の「点火台」。 掲揚台へと移動する日の丸の旗。 君が代を斉唱するMISIAさん 法被姿の真矢ミキさん。 貴賓席の天皇陛下ほか いなせな江戸木遣り節 「 点火台前の静かなパフォーマンス 巨大な提灯の入場 世界各国の木で作った五輪。1964年の東京オリンピックの際に各国が持参した種から樹を育て、その「間伐材」でこの大きな五輪を作ったそうです。今から57年前。私は20歳でした。部隊裏ではずいぶん長い間、色んな方々が準備を重ねて来たんですねえ。 和装でのタップダンス 無観客の中での演技 ギリシャを先頭に選手入場開始 会場内に広がる光の輪 オリンピックの発展に貢献された方に贈られたトロフィーは月桂樹の冠と五輪を組み合わせたもの。 今回の東京オリンピックへの参加国・地域は205.中には「難民選手団」もありました。 今回から各国の旗手は男女1名ずつ。日本は男子バスケットの八村選手と女子卓球の石川佳純選手でした。 行進を終えて喜ぶ選手たち 鮮やかな民族衣装のアフリカの選手団 大興奮の選手たち 日本の大選手団。夜8時から始まった東京オリンピックの開会式が終わったのは、深夜の12時近く。実質4時間に亘るイベントをカメラを構えてテレビの前に陣取っていました、写真は全て自分のデジカメで撮ったものです。安直ですが、見損じた方もいると思ってブログに載せた次第です。続きは次回以降に掲載する予定。退屈でしょうが、お付き合いいただけたら幸いです。<続く>
2021.07.25
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~たかがオリンピックされどオリンピック~ 木曜日の夜。前日のソフトボールに続いて、男子サッカーでも興奮した、相手はコロナの陽性者を出した南アメリカ。試合が決定したのが当日と言う離れ業。果たして日本はどんな精神状態で試合に臨んだのだろう。相手は守りを固めて勝ち点1を獲りに来たとしか思えない作戦。いくら日本が攻めても、南アはゴール前を選手で固めた。何とももどかしい前半が0たい0で終わった。 だがその重苦しい雰囲気を破ったのが20歳の若者だった。後半26分。レアルマドリードの久保建英が敵陣深く切り込み、左足を振るうとボールはゴールポスト内側のギリギリに吸い込まれた。わずか15歳で単独スペインに渡った天才児が、故国でのオリンピックに召集され、見事「勝ち点3」ゲットに貢献した。日本人サッカー選手のオリンピック得点最年少記録だった由。しかしあの小さな体で物凄い身体能力。南アも最後は日本の運動量について来れない感じだった。建感動をありがとうね建英。 しかしこの東京オリンピックは、何と言うゴタゴタ続きだろう。ロゴマークのパクリ疑惑から始まり、最後は演出担当、音楽担当、文化プログラム担当者の相次ぐ辞任と解任騒ぎ。新型コロナのパンデミックと相まって、よくもまあ開催出来たものだ。国民のワクチン接種率は先進国の中でも下の下の30%台だと言うのに。しかし辞任、解任の行動を知って唖然とした。何と言う無知、何と言う破廉恥、何と言う非常識。これじゃあオリンピックを開催する資格などあったもんじゃないよなあ。 外国チームにも色んなことが起きた。来日しながら選手が逃亡した国。チームの6名の感染が判明しただけでなく、引率したドクターがワクチン接種を受けてなかった国。コロナ感染を理由に不参加を表明した国が、不参加の理由は経費負担が出来なかったためで、その後参加を決めたなんてことも起きた。これからもきっと色んな予期せぬ出来事が起きるだろう。私はそんな胸騒ぎに襲われている。それが本音だ。 韓国がまたまた選手村に新たな「垂れ幕」を掲げて問題を起こした。あくまでも日本を貶めようとする作戦のようだ。なんと腐った根性なのだろう。日本を困らせて喜ぶ国民性。民度の低さを感じてならない。中国は尖閣への接近を中止した。理由はオリンピックのためではない。台風6号の進路が尖閣に向かうため危険と認識したのだろう。 軍艦島の廃墟 そんな折も折。ユネスコは世界文化遺産に登録された長崎県の通称「軍艦島」の朝鮮人労働者の状況に関する説明が不足と勧告した。韓国がかねてから「朝鮮人に対する日本の強制労働」と言い張り、ユネスコに異議を唱えていたのだ。それにはわが国にも原因の一つがある。NHKが制作したドクメンタリー「緑なき島」に事実と異なる場面を挿入したのだ。それを韓国は朝鮮人への差別と言い張った。 戦前の軍艦島風景 軍艦島(端島)の海底炭鉱は最新設備であったが、戦後75年を経て危険があるため「採掘の現場」は撮影許可が下りなかった。そこでNHKは筑豊地方の映像を一部挿入した。やせ衰えた体、裸に近い恰好、狭くて危険な坑道を這うようにして働く労働者。それを見つけた韓国が、朝鮮人への虐待と言い張った。だが現実は異なる。 当時の三菱炭鉱の坑道は高さが1.9mあって、這うような場所はない。安全のために服装はきちんとしており、使用していた照明付きの安全帽も映像のものとは異なる。そしてガス爆発を防ぐために、「裸電球」での照明はしてなかったことが当時の日本人工夫の証言で判明している。だが、NHKの会長は国会でその事実を証言しなかった。以上は自民党の青山参議院議員が苦労して調べたことだ。 何かあるごとに登場するこの少女像。故吉田清治が戦前の済州島で日本軍が韓国の少女を無理やり連行して従軍慰安婦にしたと言う、偽情報を複数の著書にした。それを信じた朝日新聞や北海道新聞が連載記事として何年にも亘って掲載した。それが全くの偽情報と分かってからも朝日新聞は掲載し続け、韓国はそれを根拠として国連の人権委員会に提訴し、日本の「進歩的知識人」が応援した。「河野談話」もその延長線上にあり、未だに尾を引く原因となっている。 だから一概に韓国の欺瞞を冷笑は出来ないが、彼の国では未だに「日本帝国の残虐性」を物語る神話として信仰され、ひいては基金の悪用などの不正にもつながっている。 さて東京オリンピックからは、選手が「人種差別への抗議」を示すことをIOCが許すことになった。写真は女子サッカーでイギリスチームが試合前に膝をつき、「人種差別」への抗議姿勢を示したもの。ごく緩やかな動きではあるが、世界は確実に変わっている。 今アルメニアには隣国イランからの観光客が押し寄せていると言う。理由はアルメニアが他国からの来訪者に対しても、イギリスのアストラゼネカ社のワクチンを無料で接種していため。この周辺は昔から「人種のるつぼ」であり、言語、宗教、民族も多様で長い紛争の地であった。だが、厳格なイスラム原理主義のイランが入手出来るワクチンは少ない。そして中国製のものは、効能が不明だ。 さて、金曜日の今夜は、東京オリンピックの開会式がある。ひょっとして聖火の最終ランナーは女子テニスの大坂なおみ選手が務めるのではないかとの情報がある。もちろん真偽のほどは分からない。なぜならこのブログは開会式に先立つ2時間前に書いているためだ。さてどうなるか、楽しみに観てみよう。ゴタゴタ続きの東京オリンピックが、彼女の登場で果たして丸く治まるかどうか。
2021.07.24
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~いよいよ本番~ 木曜日。カレンダーを観ると自分の字で「祝日」と書かれている。そうか東京オリンピックのために祝日を移動したのだろう。仮の「海の日」の連休みたい。午後ソファーで眠ってしまい、涼しさで目が覚めた連日の猛暑が嘘みたいな曇り空。網戸だと寒いくらいの仙台だ。つい転寝したのは疲れていたせいもある。前夜はなでしことカナダのサッカーの試合に見入っていたのだ。 しかし、と思う。かつて「なでしこは」ワールドカップで優勝し、ロンドン五輪では銀メダルを獲った。澤穂希が不動のキャプテンだった頃。あの頃は本当に強かった。それが現在の世界ランクは11位くらいか。緒戦の対カナダ戦も、試合開始早々から押されっぱなし。悪い流れであっという間に先制点を取られてしまった。さて、ここからどう立て直すのか。私は食い入るようにテレビの画面を観ていた。 岩渕選手 なでしこに流れが来たのは後半に入ってから。残念ながら相手キーパーの反則によるPKは失敗したが、あれはフェイントをかければ決まっていたね。カナダの選手に疲労が目立ち、動きが鈍くなった。観方からの縦パスを受け、ディフェンダーとキーパーの動きを確認しながら、岩渕が絶妙なシュートを放つと、ボールはゴールネットに突き刺さった。さすがは世界一だった頃の数少ない経験者。勝ち点1をゲットした貴重なプレーだった。 2連勝の日本 ソフトボールが五輪種目になったのは「北京」以来13年ぶりだったことにようやく気付いた。野球と女子のソフトボールがセットで五輪種目になったのは、東京が会場になったため。その間に世界の事情も変わっていた。前日日本はオーストラリアを8対1のコールド勝ちで下した。ピッチャーは超ベテランの上野由岐子。未だに現役でいたとは信じられない思いだった。 福島県営あづま球場 女子ソフトボールの試合会場の福島県営あづま球場は、福島県の要請により残念ながら「無観客」での実施となった。せっかくソフトボール用に整備し直したのにねえ。だが球場のあるこの地区で、数日前隊長1mの熊が出たとのニュースを聞いた。きっとツキノワグマもオリンピックを観たかったと思うのだが。何せもう日本でオリンピックを開くのは、当分ないと思うので。 第2戦目の対メキシコ戦も前日に続いて上野が先発投手となった。彼女はこの日が39歳の誕生日。緊迫する国際試合での連投は、いくら鍛え上げた剛腕投手でも大変だったはず。試合は2対2のまま8回から「タイブレーク」方式の延長戦。ノーアウトランナー2塁と言う設定だ。さすがの上野にも疲労が目立ち、新人のサウスポ―後藤が急遽登板し、このピンチを救った。 そしてその裏日本は1アウト3塁の場面で渥美万奈が見事なエンドランを決めて、3対2の劇的なサヨナラ勝ちを決め、上野の誕生を祝った。世界ランクは日本が2位でメキシコは5位。参加6チームの総当たりで決勝戦と準決勝戦が決まるルールだ。前夜のなでしこと言い、この日の女子ソフトと言い、手に汗握る好ゲームだった。例えテレビ観戦でも、日本のチームを応援出来て本当に良かった。 さて、いよいよ今日23日は東京オリンピックの開会式。世界的なコロナのパンデミックで、散々な東京オリンピックとなった。そして開催後も予測不能の事態が生じる不安も残る。そんな中での開催に何か意義があるのだろうか。私はあると信じている。世界がそして日本が、開催を目指して「最大限の努力」をしたと信じている。今日東京の空には、ブルーインパルスが五つの丸い輪を描くはずだ。 そして仙台の楽天パークで強化合宿中だった稲葉監督率いる「侍ジャパン」も、最善を尽くして頑張ってくれるはずだ。世界から集まったアスリート及び関係者の健康を心から祈っている。 最後に残念な話を書き加えたい。中国製の「シノファーム」と「シノバックス」は共に新型コロナウイルス感染症用として開発されたワクチンで、アフリカや中南米、東南アジアへ「ワクチン外交」の一環として中国から無償提供されているものだが、この効能に疑問が生じているようだ。さらにワクチン接種後の副反応による死亡者が増加しているとも聞く。どうやら中国は同国製のワクチンの効能を過大に評価している可能性があるようだ。さて真実はどうか。そして来年の「北京冬季五輪」の行方はどうか。
2021.07.23
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~猛暑の中での五輪開催~ クンシラン 冬は重たい鉢を居間に入れていたクンシラン(君子蘭)がついに咲いた。花が咲いたのは3年ぶりだろうか。今は外に出して日陰に置き、毎日せっせと水やりをしている。きっとその努力に応えてくれたのだろう。家の中からオレンジ色の蕾が見えた時は嬉しかった。愛情を込めて育てたら、花も野菜も大抵は何らかの反応を示してくれるものなのだ。 水曜日の朝。収穫したトマトをザルに入れて、Kさん宅のチャイムを鳴らした。2階の窓から顔を出したのは息子さん。冗談で「怪しいものです」と言うと、「直ぐに下ります」と。そこで朝獲りのトマトです。多いので手伝ってください」と手渡す。家の中から下のお嬢さんの「怪しいトマトが届いた」の声。帰宅後「雲南百薬」とシソの葉を摘み、それから庭木と野菜にホースで散水。 先日は散水中にトンデモナイことが起きた。自分が撒いた水に滑って転倒したのだ。その時に右手を何かで切ったようで、鮮血がほとばしった。ズボンは水でびしょ濡れ。構わずホースの水を右手に懸けた。黴菌がはいらないためだ。水道を切って家に入り、手当てをした。先ず右手の傷と膝の擦り傷にオロナイン軟膏を擦り込み、膝はそれでOK。右手の指はティッシュを巻いた上から輪ゴム。それで血が止まるかどうか。 その手で濡れタオルを絞ろうとすると傷口が裂けて血が出る。これは無理しない方が賢明と放置。まる1日ほどして、内部には痛みがあるものの傷口は塞がった感じ。膝の傷は絶えず空気に触れているため、治りが早い。最近はこんなミスが多くなった。転倒で大事にならないよう注意しよう。そう思いつつ、室内でも躓く。注意力不足と、筋力の衰えが原因か。 2個目の「爆裂キャベツ」を処理した。今回出て来たのはナメクジ1匹と青虫のウンチ。腐った個所や汚い葉を丁寧に除去したのが上の写真。大部分はキュウリと一緒に「塩もみ」にし、残りは味噌汁の具の一部にした。これで残ったのはまだ掘っていない、南側の畑のジャガイモ。果たしてこれが地中でどうなっているものやら。 残った「ケチャップ炒め」に生卵3個を入れてかき混ぜ、玉子焼きを作った。味付けも具も不要。そのままフライパンでゆっくり焼き上げると、香ばしい卵焼きが出来た。我ながらグッドアイデアだった。自分は今何が食べたいか。そして現有の食材で何を作れるか。自分にもまだそんな認知機能が残されていることに感謝。買い物もメモなしで出来る。ありがたい話じゃないか。 キュウリの佃煮(上)も自家製梅干しも、キュウリの酢の物も、野菜のピクルスも、キャベツとキュウリの塩もみも、野菜たっぷりのカレーも、全て今の時期にはとても有用。水分の補給だけでは「水中毒」になってしまう。血液が薄まるのだ。私は長いランニング生活から、夏は塩分や各種ミネラル分の補充が重要なことを知っている。比較的大量の野菜と果物もビタミンCやクエン酸、食物繊維の摂取に有効だ。 Kさんのブログが更新されなくなってから1か月。2度目のワクチン接種の副反応で体調を崩したのかも知れない。いつも生真面目にコメントをくれた彼。K君、Kさん、Nさんとこれまで3人のブログ友を見送り、1人のブログ友の認知症発症にも遭遇した。ブログは小さな宇宙。いずれは私も宇宙に旅立つことになろう。その夜Kさんが私のブログを訪ね、コメントしてくれた。果たして彼に何があったのか。 木曜日の午前中。転寝から目覚めてみると暑い。慌てて温度計を確認すると34度。そんな高温の室内で眠っていたのだ。慌てて窓と扉を閉め、クーラーと扇風機を点けた。ランナーだった私は速乾性のランシャツ、ランパンを今でもたくさん持っている。水分、塩分の摂取と涼しい服装。そして首には濡れタオル。誰も訪れない家だもの、恰好はどうでも良い。今は何とかこの猛暑をやり過ごすだけだ。 なんだかんだと批判されつつも、何とか「東京オリンピック」が始まった。先ず福島市で女子ソフトボールの予選。その第一戦で日本がオーストラリアを8対1で下した由。オーストラリアは群馬県で40日以上にも渡る事前合宿したチーム。どの国の選手も役員も、どうぞコロナにり患しませんようにと祈りたい。あれだけ五輪反対を叫んだ人たちも、いざ試合が始まればきっと夢中になって応援するはず。それが人間として当然の心情。批判だけが人類を進歩させるわけではない。爺はそう信じている。 「東京オリンピックは世界に希望をもたらす」。信じがたいがこれはWHOのテドロス事務局長がIOCの総会で発した言葉だそうだ。そうかい。君は本当にそう思っているんだね。もしもそうなら、なぜ中国の肩ばかり持って、もっと早めに新型コロナ感染症の危険性と対策とを世界に訴えかけなかったんだろうね。皮肉屋の爺はそう思うが、これからでも遅くはない。君は決して中国の横暴と陰謀の片棒を担いじゃいけないよ。テドロス君。
2021.07.22
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~わが人生論~ メジャー・アナハイムエンジェルスの大谷がオールスター後の試合で第24号ホームランを打った。オールスター後は4連続三振の出だしだったと言う。だが、その後はストライクからボールになる球を掬い上げるように振り抜くと、スタンドに一直線に飛び込んだ由。ホームランボールを拾ったのは相手チームのファンだったが、彼はそのボールをエンゼルスファンの少年にプレゼントした由。 心温まる話だ。大谷には周りの人を惹き付ける「何か」があるようだ。オールスターの前夜のホームラン競争で大谷がなかなかホームランを打てずにいたところ、花巻東の先輩であるシアトルマリナーズの菊池雄星が近づいて来て、大谷に何かをささやいた。大谷がリラックスしてホームランを量産したのは、その直後だった。まさか緊迫する場面で、高校の先輩が力づけてくれたとはねえ。大谷は「持ってる男」だ。 誰にでも愛される大谷に対して、この男はどうだろう。6連続休場の後、45回目の優勝を果たした白鵬。全勝同士で対戦した千秋楽。勝った後で取ったのがこのガッツポーズ。私はこの男が嫌いだ。優勝後の「勝手な万歳三唱」や「勝手な三本締め」を土俵上から観客に求めた馬鹿な力士。実は照ノ富士が序二段まで落ちるきっかけを作ったのもこの男だ。 14日目に変則仕切り 引退した日馬富士が貴ノ岩をリモコンで殴打し、裂傷を負わせた事件。あの時に日馬富士ををけしかけたのも白鵬だし、膝を傷めている照ノ富士を無理やり正座させたのも白鵬。「モンゴルの結束」を乱す奴を「可愛がった」訳だが、彼らはその重さを知らない。相撲は神に捧げる儀式として始まったが、モンゴル勢とっては、仲間で「勝ち」を分け合う「儀式」だったのだろう。 白鵬の肘打ち 過日開催された「横綱審議会」では、白鵬が14日目に正代に対して取った「変則仕切り」も、千秋楽に照ノ富士に対して取った「肘打ち」と数発の「パンチ」は極めて評判が悪かった由。「あれは相撲じゃない」との意見。「注意」は解除されたが、横綱の品格に疑問を投げかけた白鵬の「無法」だった。 しかし、照ノ富士は立派だった。ここ数場所の「横綱不在」を補って余りある活躍を果たしたし、序二段から復活して3度の幕内優勝と、1度の準優勝を果たした。それも千秋楽まで全勝同士での。あれだけの大けがと内臓疾患(糖尿病と腎臓病)に良くぞ耐え、良くぞ再起したものだ。その努力は力士の見本であり、卑怯な相撲を取らない気高さは、相撲道の神髄だ。彼ならきっと立派な横綱になるはずだ。 その大相撲で不祥事があった。十両の貴源治が大麻に手を出したと言うのだ。彼は双子の兄貴公俊(後に貴ノ富士=廃業)と共に貴乃花親方が育てた弟子。兄は相次ぐ暴力事件で角界を去り、総合格闘技に移った後もレフェリーの注意を無視して相手選手を攻撃し続けたと聞く。残った双子の片割れが今回は麻薬に手を出したと聞いて、元貴乃花親方はどんな気持ちだろう。人一倍相撲道を愛した男だったが。 草なぎ演ずる徳川慶喜 大河ドラマ「青天を衝く」を、毎回興味を持って観ている。幕末の維新期。人はどんな選択をし、どう生きたのか。今でこそ勝った「官軍」が「正義」とされているが、事実はそんな単純なものではない。岩倉具視は「錦の御旗」を偽造していたし、長州藩は皇居に対して発砲もした。薩摩の西郷や大久保の策謀は並大抵ではなく、明治新政府成立後も藩閥政治で大混乱を来し、下野する者が続出した。 孝明天皇 孝明天皇が長州の横暴に手を焼き、会津藩主で「京都守護職」となった松平容保に宸筆(しんぴつ=天皇の直筆)の感謝状を贈ったことは有名な史実。その事実を知った薩長は、そのことを隠し通す。天皇が感謝状を渡していた相手を攻めるのだから、一大決心を要する。孝明天皇は1867年満35歳の若さで崩御する。死因は天然痘。諡号(しごう=送り名)を贈られた最後の天皇となった。その第二皇子が睦仁親王で後の明治天皇。彼は幼時に牛痘(種痘)を受けていたため、り患しなかった。西洋医学の恩恵を体験した天皇第一号と言えようか。 ドラマの主人公 しかし、日本と言う国の奥深さを感じてならない。「士農工商」とは言え、百姓は一番下の身分だ。だが日本には実質上「奴隷」は存在せず、百姓でも志があれば、「読み書きそろばん」が習えたし、幕末には武士にもなれた。一橋侯となった水戸家の九男が有能な男を配下にする。その武士が目を付けたのが「血洗い島」の百姓。それを士分として召し抱え、パリ万博に送る慶喜の度量に圧倒される。 老齢期の渋沢栄一 将軍職を辞した慶喜は、以後水戸、静岡。東京と移転し、一市民として生きる。王政復古と明治新政府樹立の源となった元勲らはそれぞれ立身出世し、早くから貴族に列せられた。だが、慶喜がようやく公爵となって貴族院議員に列せられたのは明治後期で彼は50代になっていた。どうやら勝海舟が足を引っ張っていたと言うのが実態らしい。だが、慶喜はそんなことには頓着せず、カメラや近代的な趣味に明け暮れていた由。 パリに派遣された篤太夫 そして慶喜の経済を救ったのは、かつての部下渋沢栄一だった。慶喜は栄一が勧める株式を購入して莫大な富を得ていたようだ。そして二人に共通するのは艶福家であること。どちらも正妻以外の女性との間に20人もの子をもうけている。世の中何が正義で、何が悪かは分からない。人生もまた然り。一体何が美であり、なにが醜であるのか。コロナのパンデミックで、世の価値観は一変した。さて、東京オリンピックは一体どう運営されるのだろうね。
2021.07.21
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~眠れぬ夜~ 土曜日の夜。オールスター第2戦の会場は仙台の楽天生命パーク。天候にも恵まれ、「東日本大震災」の年以来10年ぶりの開催となった。掛け声だけの「復興五輪」なんかよりもずっと親しみが湧く。その所をファンも良くわきまえていて、観客数は1万5千人。則本、宋、松井と楽天の投手がぴしゃっと抑え、小深田も打ったがヒット3本で3打点の島内がMVPになったのが嬉しい。巨人に移籍した高梨やウィーラーを喜んで応援していたのも、東北のファンの暖かさだ。 深夜、寝苦しくて目が覚めた。室温は28度だが空気が淀んでいる。クーラーと扇風機を点け、涼しくなったころスイッチを切った。後は扉を2か所開けて換気。あまり涼しくはないが、何とか眠れるだろう。眠ったのは多分未明の2時ころだ。日曜日。朝から洗濯機を回し、布団を2階に運び、窓をすべて網戸にした。室温は朝から30度越え。カーテン越しに太陽が照り付ける。 新聞受けから新聞とちらしを抜く。トマトの畝の上に差していた雨傘を取り外す。余分な水分を嫌うトマトのために梅雨の大雨を避けるためだったが、これからは逆に散水が必要となろう。物置からホースを持ち出し、外水道に取りつけて早速散水を開始。植木鉢にはバケツから給水。雑草は目が当てられないほどだが今は無視。健康第一で、直ぐに水シャワー。その後着替えをしてさっぱりと。 2日間天日干しにした梅干しを容器に入れ、隙間にシソの葉を詰めた。梅酢がない上にシソの葉が少ないので、後は梅干し自体の塩分が頼り。これで今後どこまで傷まずに持つか。せめて冷蔵庫で保管しようと思う。朝食時も1個食べた。絶妙な酸味と塩分の案配。まさしく塩梅だ。ザルは新聞紙とビニールで包んで物置に戻した。 次に大鍋でカレーを作った。自家製ジャガイモとニンジンは予め圧力鍋で煮た。底に残ったお湯を大鍋に移し、豚肉、自家製タマネギ、キュウリなどと一緒に煮込んだ。問題は水分が多いキュウリの存在。これも何度か煮込めば、カレーがしみ込んで傷みを防げるはずだ。 新ショウガを50円で買った。少し傷み始めていたが、腐った箇所を切れば十分に使える。爆裂キャベツとキュウリの塩もみにも刻んで入れたし、カレーにも刻んで入れた。1個目の「爆裂キャベツ」からはナメクジや小さなムカデが出て来たし、腐った箇所もあった。それらを丹念に取り除いて、結局食べられる部分は全部利用した。それで2個目の爆裂キャベツも収穫したのだった。 韓国人が「選手村」に掲げていた政治スローガンは、結局IOCの勧告によって撤去させられた。また汚染した福島県の食材は絶対食べないと主張して、自国から食材やコックを連れて来たが、どうもそれだけでは栄養が不足するようで、選手村の食堂でも食べるようだ。今回も、「防御服を着た選手」のポスターを作り、竹島が載った日本のポスターにケチをつけ、嫌がらせの連続だった韓国。それでも直接菅総理と面談したいと文大統領から親書が来た由。気分の悪いあの国。結局来ないようだ。ヤレヤレ。 代々木公園に上がったバルーン 新国立競技場近くの代々木公園の上空に上がったバルーンは、「東京オリンピック」開催を祝って、世界の芸術家たちが準備した「芸術作品」なのだとか。バッハ会長らOICの理事ら40人を招待して赤坂離宮で開催される「歓迎会」。「オリンピック貴族」たちはご馳走には飽き飽きしてるだろうから、窓の外のこんな芸術でも堪能されたらいかが?。どうやら会食は中止になったとか。嬉しいな。 リュウゼツランの花 100年に1度しか咲かないと言うリュウゼツランの花が咲いた由。日本に来たアフリカナミビアの選手。コロナ感染でオリンピックに出場不可となり、帰国も出来ないままに逃亡中とのこと。また日本に来てからコロナ感染が判明した外国の関係者もおられました。心配だらけの「東京オリンピック」ですが、何とか無事に、出来れば対処可能な範囲内で会期を終えて欲しいなと願っていますよ。 宇宙ゴミ回収ロケット 何とまあ奇特な方がおられたものですなあ。宇宙デブリと言う各国が打ち上げて宇宙に漂っている(ゴミ)を回収するロケットを、この度日本の一技術者が考案して打ち上げたそうですよ。この方はロケットや宇宙科学の専門家ではなくただの技術者。先日も中国の巨大なロケットの残骸がインド洋に落下する事故があったばかり。 そのことに心を痛めた日本の技術者が、猛勉強を重ねて宇宙に漂う膨大なゴミを何とか回収しようと立ち上がった由。何と気高い精神でしょう。そして何と素晴らしい実行力なのでしょう。きっと莫大な経費と時間を要することでしょうね。NASAの協賛が得られ、彼の成功と希望が叶えられることを心から祈っています。さて千秋楽の全勝対決、一体どうなるのでしょうね。<2日前の予約でした>
2021.07.20
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~猛暑やコロナからいのちを守る~ 土曜日。梅雨明け宣言の翌日。不十分なりに何とか眠れた。先ずは何をすべきか。新聞受けから新聞を取る。植木鉢と畑の苗に水やり。これは絶対に欠かせない。それから「爆裂キャベツ」、トマト、ミニトマト、キュウリの収穫。トマトは今朝も10個以上獲れた。そキュウリとトマト数個をビニール袋に入れ、裏のSさんに声掛け。出て来たご主人に「食べるのを手伝ってね」と言って手渡す。Sさん宅でもつくっているが、わが家の方が早く苗を植えたため、今は完熟で美味しいトマトが大収穫。 先日は同じ班のTさんに梅の実とキュウリを上げたら、お返しに梅酒をくれた。実家の梅とわが家の梅をミックスして作ったと言っていたが、とてもスッキリした味で美味しかった。きっと氷砂糖を使ったのではないか。あれは精白糖の甘さではない。今回はトマトを上げた。中に「お返しは不要」と書いためメモを入れて。野菜作りも良いが、獲れる時は一気に獲れるため、一人暮らしには多過ぎるのだ。 この日も朝から水シャワー。汗が流れて気持ちが良い。既に室温は30度に達し、日中は32度ほどまで上昇するようだ。当面草取りは禁止。草ボーボーで見た目は悪くても、健康には代えられない。それから朝食の用意。鮭の焼いたの。キュウリの酢物、キャベツとキュウリの塩もみ、トマトのぶつ切り、納豆とキュウリの佃煮。そして作り立ての梅干し。塩分過剰気味だが、リンゴとオレンジで排出することに。 メジャーのオールスター。ホームラン競争では敗退した大谷だったが、強打者としての面目は果たした。そして第1戦では、2番バッターで先発投手の二刀流を披露した。特別ルールで2回を投げて無失点。勝ち投手となった。ベーブルースの再来と、野球は久しぶりにアメリカ国民の気持ちを熱くしたようだ。メジャー自身が大谷のPVを作成してスクリーンに載せたほどの人気ぶり。日本人の誇りだ。 将棋の藤井聡太九段(王位、棋聖)が王位防衛戦第二戦で、6連敗と苦手だった挑戦者の豊原竜王に勝って、1勝1敗と対戦成績をタイに持ち込んだ。研究熱心で謙虚で実に爽やかな好青年だ。きっと彼は100年に1度出るかどうかの天才なのだろう。東京オリンピック同様に、傍で観られなくても、画像とニュースで活躍ぶりを観られるだけで、「同時代」に生きた一人として嬉しい。 ウガンダからオリンピックのため日本に来た選手が逃亡した由。コロナ感染で試合に出られなくなり母国への帰国も不能となり、日本で働きたいと思ったそうだ。バッハ会長が広島の原爆ドームに、副会長が長崎に向かった。IOCがオリンピックで国際平和に貢献してるとアピールしたかったのだろうが、不誠実なものを感じる。彼は陰で観客の増員を政府に要求してるとか。 東京都の小池知事の腹黒さには呆れ果てる。「コロナ対応で疲れた」と言って入院し、都議会議員選挙の数日前に退院して仲間を応援。都民ファースト、アスリートファーストといかにも美しい言葉だが、敵を作り、不都合なことは政府のせいにする悪どさ。私はお台場を会場にする「トライアスロン」の選手が気の毒。あんな汚れた海で泳いで、コロナにならないことを祈るのみだ。 地元の利府町長と宮城県知事が大歓迎の意を表しているオリンピックのサッカー予選。これに仙台市長がビビッて政府に無観客を要請した。仙台市は通過するだけで、ほぼ無関係。それにサッカーの観客は8千人だが、仙台市で企画しているスポーツイベントの観客数は1万5千人。女の首長はあっちにフラフラこっちにフラフラ。選挙が近いとこうも腰が退けるものか。 新型コロナや東京オリンピックに関する異常な報道には、首を傾げると言うか大いに疑問を抱いている。昨年から一体どれだけ国民の不安を煽ってきたことだろう。新聞も酷いがワイドショウはもっと酷い。中には社内の記者に「コロナをもっと煽れ」と発言させるテレビ朝日のような悪質な番組もある。それらを真に受けた国民がアンケートで問われれば、政府の支持率が下がり、不支持が上がるのは当然だ。 第一に、毎日毎日やれ各県別の感染者数がどうの、重症率はどうの、ベッドの空き具合はどうの、死者数がどうのと、それほど詳細な報道が果たして必要なのだろうか。自分の頭で考えることの少ない国民は、すっかりその数字に踊らされ、データの餌食になり、心を支配されてしまう。そしてうつ状態から抜け出せずに、死を選ぶ人の増加が起きる。何と不幸な国なのだろう。「なんだかなあ」である。
2021.07.19
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