全5454件 (5454件中 351-400件目)
< 1 ... 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 >
爺が気になった話題 17日ぶりに捕獲されたアミメニシキヘビ 横浜市で起きた大蛇脱走事件。飼い主から電話で依頼を受けた白輪剛志さんは、「日本ハ虫類・両生類協会」理事長で、静岡で「体感型動物園」の園長をされている方。連日無償で現場に駆け付けたようだが、このヘビは28度C以下の気温だと遠くへ行けず、きっと50m半径の建物の天井裏に潜んでいる可能性が高いと判断。すると踊り場の天井に隙間があるのを発見。 害虫駆除業者と打ち合わせし、屋根裏へ潜入。すると案の定鉄骨の梁に巻き付いていた由。やはり動物の行動を知り尽くしているんだねえ。飼い主は迷惑をかけたことを謝罪し、捕獲されたヘビは横浜市が管理することになった由。しかし17日間ヘビも良く耐えたもんだねえ。けが人が出ず、先ずはめでたしと言っておこう。 大相撲夏場所は大関照ノ富士が優勝して賜杯を手にした。(左)ただ1人全勝で突っ走っていたが、後半まさかの連敗。千秋楽の本割には貴景勝(右)にも敗れて、まさかの優勝決定戦となった。ここでは踏ん張り、4回目の優勝を果たした。早速横綱審議会が開催され、次の場所で優勝もしくはそれに準ずる成績であれば横綱に推挙すると明言。また今場所の貴景勝も「優勝に準じた成績」と認めた。 朝乃山 ところが残りの大関が不甲斐なかった。正代は辛うじてカド番を脱出したが、朝乃山は場所中にキャバクラに通っていたことが週刊誌にすっぱ抜かれ、相撲協会に虚偽の申告をしたことがバレ、親方は謹慎のため途中休場させた。来場所はカド番だが、理事会が開催されれば、さらに厳しい処分が出る可能性がある。本人はたとえ幕下に落ちても相撲を続けると表明。プロ野球でも不祥事で解雇された選手が出た。 黄河石林 中国甘粛省の黄河石林(上)で開催された「100kmクロスカントリー大会」で21名の死者と1名の負傷者を出す大事故が起きた。原因は突然の気象の変化。日中は18度あったのが、急に豪雨が降って体温を奪われた由。朝方は5度まで冷え込んだようだが、選手は薄着のため次々に倒れたと言う。現場は車が入れない場所で、救助隊が駆け付けられなかった由。 現場での救出活動 事故の原因は主催者と参加選手の認識の甘さだろう。これは単なる「クロスカントリー」ではなく、「ウルトラトレイルレース」。距離が100kmともなれば気象の変化は当然で、途中に休憩所やエイドステーションを設置するのが普通。どんなコースか分からないが、完走者には2万3千円のボーナスが出るとの触れ込みで、浮かれていたのだろう。私は100km以上のレースを20回以上走っているが、コースと天候と服装の知識、自分の実力を十分認識する必要があると思う。 大規模接種センター(東京会場) 東京及び大阪で「大規模接種センター」でのワクチン接種が始まった。菅内閣の支持率が落ち込んだ昨今の情勢を盛り返す絶好の機会と考えても無理はない。「さざ波」、「屁でもない」コロナに苦しむ国民を前にそうツイートした高橋内閣参与も辞職。自衛隊の医官、看護師らの協力を得て、かなりスムーズに接種が進んだようだ。今年中には3種目のワクチン(英国アストラゼネカ社製)の導入も期待される。 伊達政宗騎馬像 実はわが仙台市でも仙台駅東口の商業ビル内に大規模接種センターが設置され、急遽ワクチン接種が始まったようだ。これは宮城県と仙台市の協力によるもので、医師は東北大学付属病院から10名ないし15名派遣されている由。仙台市以外の政令指定都市でも、同じような動きが出ていると聞く。新型コロナウイルスによる感染症が、一日も早く収束して欲しいものだ。 WHOロゴ IOCロゴ アントニオ・グレテス国連事務総長は5月24日、ジュネーブで開催されたWHOの年次総会において「我々は今、新型コロナ」と戦争状態にある」と宣言した模様。これに対してIOCのバッハ会長とコーツ調整委員長はあくまでも東京オリンピックの開催に意欲的と伝わる。片や国際機関。片や「イベント会社」。果たしてどちらの言い分に理があるか。世界はまさに激動のさ中だ。
2021.05.26
コメント(4)
~脳の一部が破壊した荒行~ 先日テレビである番組を観た。一人の僧侶が記者の質問に応えているが、それだけではなさそうだ。話が進むうち、意外な展開を見せ始めた。「あれっ、この人のことは聞いたことあるぞ」。しかもわが家と同じ区にお寺があり、かつてない偉業を成し遂げた人。その当人が成就した「行」の実態を知るのだが、全く予測不可能な凄まじいものだった。 多くの信者に囲まれた塩沼亮潤(しおぬまりょうじゅん)大阿闍梨。(だいあじゃり)。住職を務める慈眼寺(仙台市太白区秋保)にて。師は1968年(昭和43年)仙台市生まれで東北高校卒。比叡山延暦寺の酒井雄哉師が、史上初めて「千日回峰行」を2度達成したことをTVで知って、自分も千日回峰に挑戦したいと願ったそうだ。偶然にも、そのニュースは私も聞き、世の中には凄い人がいるものだと衝撃を受けたものだ。 奈良県吉野山金峯山寺 塩沼青年は早速行動を起こす。1987年。19歳で吉野の金峯山(きんぷさん)寺にて出家得度(金峰山修験本宗)。1991年23歳で大峰山千日回峰行入行。1999年31歳で千日回峰行満行。翌年四無行満行32歳。番組作成のため記者と修行地の吉野に赴き、塩沼氏は現地の人たちと親しく挨拶をしていた。小僧時代の塩沼氏を良く知っている地元の方々は、久しぶりの再会に感激していた。 若き日の師は千日回峰行に向けて毎朝早朝に起き、トレーニングのために山道をランニングする姿を目撃されていたのだ。私は大阪勤務時代に吉野の桜を見に行き、この金峰山寺の姿を良く覚えている。 蔵王権現 この寺は真言宗の僧侶(満堂方)、天台宗の僧侶(寺像方)、神社の仏事を行う(社僧)らによって運営されている由。神仏混交のうえ、吉野から大峰山、熊野にかけては、修験道の祖と伝わる役行者(えんのぎょうじゃ)が開拓した山伏の修行の場でもある。その守護神が蔵王権現なのだろう。 役行者(えんのぎょうじゃ)木像 さて、わが宮城県にも「蔵王連峰」があり、東北地方には役行者の修行地と伝わる場所も多い。役行者は吉野から東北まで、空を飛んで移動したと言われる。私が初めて役行者の木像に接したのは、熊野那智大社の神護寺である青渡岸寺の本堂だった。旅を重ねていると色んな事象や事実に遭遇し、わが国の歴史認識や、日本人の優れた感性について示唆を受けることが多い。 千日回峰のコース 「千日回峰行」を再現(普段「回峰行」の撮影は許可されない)するために53歳の師が錫杖(しゃくじょう)を片手に、鎖も使わずに急な崖を登って行く。若いプロデューサーは必死で後を追うが、危険な場所は避けた。大峰山千日回峰行は高低差1300m以上の厳しい山道を、往復48km、1日16時間以上、千日間歩き続ける荒行。 大峰山山上ケ岳(コース) 修行期間は年間4か月。それを足掛け9年行い、その翌年に「飲まず」、「食わず」、「眠らず」、「横たわらず」の「四無行」を9日間行う。それで満行となるが、これまで達成したのは1300年間でわずか2人だけとのこと。達成者は「大阿闍梨」(だいあじゃり)の尊号を授かる。上の写真の右奥に見える大峰山が千日回峰行の中間地点で、ここからまたスタート地点に戻って1日が終わる。それは雨の日、雪の日、嵐の日も同様。照明器具があるようには見えなかったが。 行を終えた塩沼師は仙台へ帰省する途中、東京で人間ドックを受けたそうだ。その時に脳の撮影をしたら、後頭部の3分の1ほどが真っ黒になっていた由。その写真がTV画面に映ったが、ドクターの診断によれば、不眠不休の厳しい修行を長期間続けたために脳が大きなダメージを受けて、「破壊」されたのだろうとのこと。1300年間に2人しか達成出来なかった荒行の凄さが理解出来よう。師の体は白血球が少ない特異体質のようだが、今もランニングを楽しんでおられるとのこと。 慈眼寺 塩沼大阿闍梨は故郷の仙台に帰って、秋保温泉の奥に建立した慈眼寺で住職を勤める傍ら、世界中を飛び回り、仏教の精神と平和の尊さを説くなど、活発な講演活動を行っているそうだ。3分の1が破壊された「脳」はどうなったのだろう。徐々に再生されるのか、それとも今後重大な障害が発生するのか。塩沼師はそんなことに拘ることなく、今日も穏やかな笑みを浮かべつつ信者に接している。 護摩供養する塩沼師 「比叡山の千日回峰行」成就に感銘を受けた少年が、自らも厳しい修行の道を目指し、見事2人目の「大峰山千日回峰行」満行を叶え大阿闍梨となった。塩沼師の慈眼寺では節分の際、「福は内、鬼も内」と唱えるそうだ。それは悪行を重ねる鬼を仏の力で改心させ、再び世に送り出すためとか。何と尊い話ではないか。不信心で不遜な爺の心にも、一瞬灯が灯った(気になった)のであった。 合掌。
2021.05.25
コメント(6)
~ワクチン狂騒曲~ ビニール傘 わが市における新型コロナワクチンの個人接種開始が5月17日から始まることは知り、市のHPで接種会場を確認し、通院中の医院でも可能と知った。その当日午前0時じゃストに申し込みしようと手ぐすねを引いた待っていたのだ。ところが医院のHPが何も反応しない。3時ごろに再チャレンジしたがダメ。諦めて布団にもぐった。 白花のシラン(紫蘭) 電話は当然駄目だがHPが動かないのには焦った。開院時間の9時半になってようやく予約システムが稼働。だが初めてのシステムに焦ってミス入力を重ねてしまった。1回目は予約出来たが、3週間後の2回目の予約が不可。それでPCを切り、電話作戦に切り替えた。これが拙かった。結局10時間以上かけて無反応のまま終わった。 夕食後。再度PCからの予約開始。ところが私が諦めた間に7月中旬までは全て予約済。気を取り直して初回を7月15日で確定。2度目の接種はまる三週間後に1人分の余裕があったため予約。目出度く2回分の接種日と時間を確保出来た。ドジで間抜けな亀が申し込み初日に何とか手続き完了。疲れがドッと出た。 朝ドラ「おかえりモネ」 朝ドラ「おかえりモネ」が放送開始になったのも、その日だったか。ドラマの舞台がわが宮城県で、ヒロインの故郷の島も、就職先の市も知っていて親しみを感じる。それにあの「大震災」に遭遇した同郷人の話となれば、見ない訳には行かない。美しい映像、馴染みのある風景と地名。ドラマに期待する気持ちが高まるのが道理。楽しみにしてるね。 俳句教室イメージ 2か月ぶりに市の俳句教室に行った。館長が交代したせいか開催の連絡がなく、自分で確認して駆け付けた。教室に入ると講師が小声で私を呼ぶ。「私は肝臓がんで手術し、いつ倒れてもおかしくない。もしも私が休んだらよろしく頼むね」と一言。あれまあ。倒れた以降はずっと私が講師をするのか、先生が休んだ日だけ代理を務めるのかは分からないが、とも角承知しましたと返事した。 山法師(講師の俳号) この日集合した仲間はいつもの半分以下。恐らくはセンターからの開催連絡がなかったのだろう。8名だけの教室は静かで進行がスムーズ。私の提出句には講師から厳しい指摘と意見。もう少し「句を作り込め」と。確かに今回は色々あり過ぎて、推敲と添削が不足していた。6月の兼題は「朴の花」。帰宅後早速十句以上を詠んでみたのだが。 玉ネギの葉の酢味噌和え キュウリの苗の邪魔になっていたタマネギの葉を切り、「ぬた」(酢味噌和え)を作った。ピクルスの残り汁に砂糖と味噌、洋辛しを少量ミックスして混ぜ込んだ。相変わらずの貧乏料理。「ただ」の素材にしては美味しく出来たと思う。野菜サラダ、キャベツとキュウリの塩もみなども合わせて作り、作り置きおかずが野菜豊富となって嬉しい。 っドライカレー 最後にドライカレーを。やもめ料理は、とも角残った材料と調味料で手早く美味しく作ることが肝心で、「能書きは不要」。無骨一遍の男料理だ。全て美味しく出来上がり、3回分程度の主食にはなったろう。後は刺身と卵入り山芋。ワクチン予約完了祝いにイチゴを添えた。
2021.05.24
コメント(4)
~慌ただしい暮らしのなかで~ ドクダミの花 沖縄と奄美は早々に梅雨入り宣言をしていたが、その後も九州北部、中国四国地方くらいまで、あっと言う間に梅雨入りになった感がある。今年は早い梅雨入り。きっと長いのだろうし、雨も多いのかも知れない。コロナ収束の見通しが覚つかず、東京オリンピックの開催も今一歯切れが悪いままだが、梅雨までそれに追い打ちすれば、心の中のどんより雲はなかなか晴れないだろうなあ。 高温の日が続いたお陰で、庭の花があっと言う間に咲きましたよ。バラ、モッコウバラ、ミニバラ、紫蘭、サンズンアヤメ、イチハツなどが次々に。 ハハコグサ だけど、この時期は雑草も勢いを増して花を咲かせます母子草などは可憐なのですが、そのままにしておけば実が実って増えますからなあ。それで可哀想だけど、抜いてしまうのですよ。 それにね。きれいに咲いた花も、いつか終わる時が来ます。そうなると大変なのが掃き掃除です。バラは軽いからまだ簡単だけど、量の多いモッコウバラが雨に当たった後が大変。重いし、汚いし、濡れて厄介だしで、これが結構大変な作業になるのです。 郵便受けの前に出していた植木鉢は花がみすぼらしくなったため、ゴムの木と入れ替えました。そして野菜に花が咲き始めました。 ジャガイモの花 これはジャガイモですが、元気の良い茎2本を残して、間引きします。おおきな芋を育てるためです。そして小さな熊手で「土寄せ」作業。芋が地上に出ると、青くていがらっぽい味になるためです。 8本のトマトの苗にはがっちりとした支柱を施して、風に揺れないよう他の支柱や木の枝に固定しました。さらに脇芽を摘み、ビニール傘を被せます。トマトは雨が多いと病気になりやすいのです。ユズ エノモトチドリ 左はユズの花です。昨年思い切った剪定をしたので心配していたのですが、たくさんの花を咲かせてくれました。こんなに咲いたのは初めて。恐らく全方向の太い枝を伐採したため、北側の枝にまで日光が差すようになったのでしょう。秋には50個ほど実ってくれるかもね。右は鉢植えのとても小さな花、エノモトチドリで4年目です。放置したままですが、意外に生命力は強靭みたいですね。 春先に苗を植えたジャガイモとタマネギは順調で、1か月以内に収穫出来そうです。残念だったのが写真のキャベツ。良く見ると所々に青虫が食った跡があり。葉が食いちぎられています。懸命に探して2匹見つけましたが、青虫も殺されまいとして必死。カリフラワーの表面にはナメクジが齧った跡。ブロッコリーだけはどうやら無傷みたい。マックス爺の奮闘はさらに続くのでR。<続く>
2021.05.23
コメント(4)
~南島の神話と民俗と歴史~ 南島の夜明け 「日本民俗学の父」柳田國男は、「海上の道」で、日本人の祖先は稲を携え南から島伝いにやって来たと唱えたが、そんな単純なものでないことをこのシリーズでは説いたつもりだ。逆に内地から南島に伝わったことも多いのだ。神話、言語、宗教、文化、食物など多岐にわたる。追補版で記したように、内地と南島の間には古来様々な交流や物流があったことは、考古学上からも文献上からも確認されている。 辺戸岬と安須森御嶽 手前の頂に聖地安須森御嶽(あすむいうたき)がある。その先の辺戸岬(へどみさき)は沖縄本島の最北端。沖縄の始祖はあまみきよ。そして奄美の始祖はあまみこ。どちらも頭に「あま」が付き、海洋民族だったことが分かる。あまみきよが最初に上陸したのが辺戸岬。やはり神は北からつまり内地からやって来たのだ。岬周辺には貝塚が多く、海中洞窟からは土器を発見。かつては陸地で、人が暮らした証拠だ。 浜比嘉島のあまみきよの墓 神は島の東海岸を南下し最南端まで行った。途中にカヌチャベイと言うリゾート地があるが、カヌチャに(神着)を充てているのが何とも示唆的。おもろ市の浜比嘉島には始祖神の墓と伝わる洞窟があり、沖縄勤務当時に訪れたことがある。とても不思議な雰囲気の漂う島で、倭寇伝説もある。「シヌグ」と言う名の伝統芸能があるようだが、私は「凌ぐ」=祖先の暮らしぶりを伝えたものと解していた。 神の島 久高島 次に神が上陸したのが久高島。ここにはクマール御嶽(うたき=聖地)やフボウ御嶽、穀物の種が漂着したと言うイシキ浜があり、琉球王朝の聖地だ。神の島からは一木一草たりとも持ち出し厳禁。二人の祝女(のろ)を頂点とする神行事が盛んで、産卵のために近づくエラブ岩でエラブウミヘビを捕獲出来るのは、のろだけだった。午年(うまどし)に行われた奇祭「イザイホウ」が絶えて久しいが、私は勤務した国立民族学博物館で動画を観た。 受水走水 久高島の対岸、知念岬にある受水走水(うきんじゅはいんじゅ)は沖縄で最初に田植えをしたと伝わる。だが現場は驚くほど小さな湿地。隆起石灰岩で出来、川が短くかつ直ぐに海に流れる沖縄本島に稲作に適した場所はほとんどない。それでは穀物の栽培も無理で、採集生活の「貝塚時代」が内地の平安時代辺りまで続いたのも無理からぬことだろう。やはり柳田國男の説には無理があると思う。 玉城城 沖縄本島南部にある南城市の玉城城(たまぐすくじょう)。沖縄本島では11世紀ごろから各地に按司(あじ=権力者)が起こり、群雄割拠状態だった。砦(とりで)程度のものが多く、やがて北山、中山、南山の3国に落ち着き、最後は中山が統一して琉球王国が成立する。沖縄の城(ぐすく)には大抵御嶽(うたき)などの聖地があった。つまり祭政一致で、敵を負かすために祈った訳だ。 沖縄には古くから「おなり信仰」があった。妹(女)が兄(男)を霊力で助けると言う思想。卑弥呼が「男弟」を助けたのと一緒だ。皇室の斎宮と同源だろう。沖縄では祝女(のろ)やその頂点である聞得大君がいた。国王の姉妹が聞得大君に就任し、王国の神事を掌理した。伊是名島や久米島にも有力な祝女がおり、重要な神事を執り行った。古代日本を彷彿とさせ、内地から伝わったと考えて良いと思う。 左は祝女の装束。首には玉が掛けられ、所々に「勾玉」が見える。右は沖縄県立博物館所蔵品。先端にヒスイかメノウ製の勾玉が付いている。日本では縄文時代に始まった勾玉が、沖縄では琉球王朝が崩壊した後も重要な宗教用具として今日も使用されている。 さて、奄美諸島の喜界島(上)の話に戻る。大城久(おおぐすく)遺跡(中)からは九州南部の陶磁器などが出土している。近辺には製鉄遺跡が存在し、奄美ではかなり異質だ。沖縄本島でも製鉄遺跡は初期の王都である浦添城などに限られる。強大な権力の象徴で、奄美を併合した琉球王国が喜界島を統治するまでさらに200年を要したのも、喜界島が太宰府や九州の有力武家と協力関係にあったと推察出来よう。 尖閣諸島 魚釣島 上は明治時代、福岡の商人古賀氏が尖閣諸島の魚釣島で事業を行っていた際の写真で、那覇市の歴史博物館提供。古賀氏は明治21年(1879年)那覇市に寄留。1882年に石垣島に支店を設立し、尖閣の状況を探っていた。同諸島がどの国にも所属しないことを確認、沖縄県の承認を得て1884年尖閣に職員を派遣した。1895年には自ら尖閣の久場島に赴いて現地視察をしている。 1897年から螺鈿(らでん)の材料である夜光貝の採取、アホウドリの羽毛採取とはく製の製造、肥料となる糞を採取。鰹節の生産にも乗り出し終戦後も続いた。ところが1970年に国連が尖閣周辺の石油埋蔵の可能性を公表すると、中国が領有権を主張し始めた。尖閣諸島は国際法上も実効支配上もわが国固有の領土で論議の余地はない。日中友好協定の締結を急いだ田中角栄が、歴史を知らなかっただけだ。 ユウナの花 さて、奄美大島、徳之島、沖縄本島北部、西表島が世界自然遺産の候補地になることが決定したニュースを聞いて書き始めたこのシリーズ。「補遺版」と合計で9回になった。苦しみの連続ではあったが、我ながら良く最後まで書けたものだ。まだまだ検討不足や書き足らない部分、不正確な部分はあろうが、これを以て最終回としたい。 沖縄本島および沖縄県の島々については、沖縄勤務時代及び転勤後に何度も訪れたため、懐かしい箇所ばかり。これからも訪れる機会があり、さらにブログで取り上げることがあるだろうか。長期間のご愛読に心から感謝し、結びの言葉としたい。どうもありがとうございました。亭主敬白。<完>
2021.05.22
コメント(2)
~より遠くへ 造船技術と航海技術の向上~ 丸木舟 このシリーズで何度も使わせてもらった丸木舟。きっと最初に作られたのは「スンダランド」付近だったのだろう。丸木舟用の木を伐り倒すための磨製石斧や、切った木を刳り抜き人が載る場所を作るための「丸ノミ型が南方で起こり、フィリピンや台湾を通じて南西諸島、九州、そして関東からも出土したことで石器と人が来たルートが分かる。縄文人たちの勇気ある行動が、今日の日本人を育んだと言っても良く、丸木舟は1万5千年以上の歴史を持つはずだ。 つい数年前、日本の研究者たちが台湾東岸の花蓮市付近から日本最西端の与那国島(よなぐにじま)までを木舟を漕ぎ渡る実験をした。漕ぎ手は5名でうち1名は女性。台湾沖の黒潮に流され、2日間かかって無事与那国に到着した。今回は伴船が随行したが、縄文時代は頼るのは自分たちだけだった。 男鹿半島で今も使われている現役の丸木舟 もう一つ私が丸木舟で思い出すのが、秋田県男鹿市の博物館(なまはげ館)で見た丸木舟。素材は秋田杉の大木で、先端は角ばってとても頑丈な造りだった。今も現役の丸木舟は冬の日本海の荒磯でも作業出来るよう頑丈な造りなのだ。とても良い物が見られたと思っている。 舟形埴輪 上は古墳時代の古墳から見つかる「舟形埴輪」。それまでの丸木舟とは異なり、「波切用」の舳先があり、波が入らない高さがあり、片側に6個の櫂(かい)を漕ぐ場所が設けられている。左右12名の漕ぎ手がおり、これに見張り役などを入れれば15名程度が乗り組んでいたのだろう。外洋航海にも耐え、恐らくこの形の船で、朝鮮半島に渡り唐・新羅の連合軍と戦ったと思われる。 遣唐使船 複数の帆を有し、風のない時は漕ぎ手が漕いだようだ。出発点は難波の住吉宮の傍にあった住之江。航路は幾通りかあり、博多から朝鮮半島経由で黄海を突っ切るコースが一般的で、宗像大社の沖津宮(沖ノ島)などで航海の無事を祈った。だが新羅や唐との関係が悪くなると、五島列島を経由するルートや奄美諸島を経由するルートも採られた。だが南方ルートは台風に遭遇して難破することが多かった。 開元通宝 開元通宝は621年に唐で鋳造された銅貨。奄美や沖縄で比較的まとまって発見されるのは、遣唐使が持ち帰ったことに拠るようだ。これを倣ってわが国が鋳造したのが「和銅開宝」または「和銅開珍」と言われるが、わが国最古の鋳貨は「富本銭」(ふほんせん)。十数次に及ぶ遣唐使、遣隋使も律令制度が整ったわが国には不要、航海も危険としてやがて廃止された。私は長崎県福江市三井楽の「遣唐使館」を訪れたことがある。 日宋(にっそう)貿易船 平安時代末期から北宋との貿易が始まる。これを差配したのは大宰府だが、貿易港は博多で、日本海側の良港として敦賀港があった。平清盛は大宰府の次官に任じられたが現地には赴かず、博多港の隆盛を見て大輪田泊(神戸外港)を築造し、宋船を博多ではなく大輪田に直航させて巨利を得ようとした。福原への遷都も企んだが、それが実現する前に源氏に敗北した。 宋銭 鎌倉幕府が自ら貿易することはなく、ほとんどを商人に任せた。このため室町時代以降も、北宋、南宋との貿易はますます盛んで、博多からは坊津(鹿児島)を経由し、南島との交易ルートが開かれた。また琉球王朝が成立して中国との朝貢貿易を開始すると、その恩恵を得ようと南島ルートがさらに南下し、その結果17世紀初頭の島津藩による琉球王朝への侵攻へとつながる。 坊津古図 坊津(ぼうのつ)は東シナ海に面する薩摩(鹿児島)の良港。その地の利ゆえに南島貿易の中継地となり、中国の高僧が渡来して地名となり、密貿易や、倭寇の基地としても潤い、後世ポルトガル人が布教のために渡来する。薩摩藩の重要港となるなど、最先端の文化をいち早く摂取し、大いに栄えた。 倭寇図 中国の沿岸を倭寇が襲撃している。海上では相手の船に綱をかけて引き寄せ、乗り込もうとしてるのだろうか。右手の海岸では上陸した倭寇が地元民と戦っている。激しい倭寇の略奪は、中国や朝鮮などの諸国にとっては恐怖であり、厄介な存在だったことだろう。このため、わが国に倭寇の取り締まりを要請し、南島の喜界島へもその通達が来たのだろう。 上は倭寇が遠征した地域。倭寇は中国が賊に対して呼んだ名称で、正常に貿易出来る際は貿易した。ただし、相手が貿易を拒んだ場合は襲って略奪した。朝鮮や中国の貧しい民が食うに困って「倭寇」を名乗り、自国の沿岸民から略奪することもあったようだ。また明が海禁(鎖国)政策を採ると、貿易が出来なくなった倭寇は狂暴化して行く。 そのような意味で、前記と後期とでは倭寇の行動が大きく変容する。倭寇とは別に公貿易を行う商人も存在し、さらに琉球王朝の貿易ルートとも重なっていたため、倭寇の実態は一層不鮮明なものだった。 倭寇のイメージ 倭寇の基地と称するものが九州一円に数多くある。五島列島は朝鮮半島や中国大陸に向かうには好都合だった。沖縄本島東海岸にも倭寇の基地と伝わる地区があり、日本風の言葉や氏名が多いのはそのせいとする説がある。また第二琉球王朝の始祖となった尚円(しょうえん=金丸)の父親は倭寇だったとか、宮古島には倭寇の基地があったとの説が存在する。 ヤンバル船(マーラン船) 琉球の近海用の船が上のヤンバル(山原)船。マーランは中国風の呼び名だろう。この船で沖縄本島北部地方から材木や薪を那覇に運んでいた。また沖縄には源氏の頭領が王の先祖になったとか、平家の落ち武者が流れ着いたとかの伝説が多く、竹富島の赤崎(平家の旗は赤)集落には「自分たちは平家の末」と書かれていた。きっと今でも祖先を誇りに思っているのだと思われる。 琉球王朝の進貢船 中国の冊封体制下にあった琉球王朝は、定期的に中国へ進貢船を送り、中国からは冊封使船がやって来た。中国にとって貴重な「硫黄」や夜光貝の螺鈿(らでん)細工、日本の刀や蒔絵、朝鮮の南画などは琉球がもたらした。資源の乏しい琉球にとって他国から得た品も貴重な貿易品で、いわゆるバーター貿易だったのだ。 首里城守礼門 こうして最盛期には遠くはシャム(タイ)バタビア(インドネシア)まで出かけた。ただし船は中国が建造してくれ、通訳も世界情勢に通じた中国人が乗り込んだ。琉球王朝栄光の日々。薩摩は貿易の巨利に目を付け、17世紀初頭琉球を侵略。武器の無い琉球は鉄砲を持つ島津にわずか3日間で占領されて服従し、かつて奪った奄美諸島を島津に返還する。この体制が明治後期の「琉球処分」まで続き、中国(明及び清)は琉球が中国と島津に両属していたことを知らないまま。それが中国の誤解に繋がった。<続く>
2021.05.21
コメント(2)
~神話から歴史へ~ 神功皇后「三韓統合図」 第14代仲哀天皇の后である神功(じんぐう)皇后は熊襲征伐が先だとする夫を残して身重の身で朝鮮半島に渡り、三韓を征伐した後帰国して後の第15代天皇となる応神を産んだとされる伝説上の女性。対馬には彼女が朝鮮の前に対馬に立ち寄ったとする伝説が残されている。 岩戸山古墳の石人・石馬 継体天皇21年(527年)、朝鮮半島南部へ進撃しようとしていたヤマト王権軍を阻止しようとして筑紫君磐井が反乱を起こした。いわゆる「磐井の乱」だが、物部氏によって成敗される。彼が埋葬されたとされる岩戸山古墳は長径170mで北部九州最大の前方後円墳。墓には独特の石人や石馬が供えられた。一説によれば磐井は新羅と結託し、王権軍に対抗したと言われる。 古代朝鮮半島の政治体制 天智天皇2年(663年)。新羅(しらぎ赤色)は高句麗(こうくり茶色)を倒すため唐(グレー)と結託して、まず百済(くだら青色)を滅ぼしにかかった。当時任那(みまな薄緑)に拠点を置いていた日本(倭=薄紫)は百済の援軍要請に応えて征夷大将軍の阿倍比羅夫を援軍として送ったが、百済の白江河口で唐・新羅連合軍と戦いわずか2日間で敗戦。任那も新羅に奪われ、日本は半島の拠点を失った。 その経緯について刻した好太王碑文を唐は高句麗(現在の北朝鮮)に建てた。碑文には「倭」の文字が十数か所刻されているが、後に朝鮮人によって字を消されるが、拓本が中国に残ってたため今も判読が可能だ。勝利した新羅は朝鮮半島を統一し、滅んだ高句麗の故地には渤海(ぼっかい)国が興り、わが国と親交を結んだ。 大宰府政庁(復元) 唐の日本への襲来を怖れた天智天皇は都を難波から近江へ遷都し、大宰府を強化、水城(みずき)を構築して防備を固め、逃げ城としての大野城を背後に設け、九州北部に全国から防人(さきもり)を派遣した。また瀬戸内海から難波に到る地域に逃げ城を設け、対馬には金田城(こんたのき)を置いた。その後、航路が不安定などの理由で、遣唐使が中止された。日本が初めて迎えた国際状況緊迫化時代だった。 日本書紀 史書に南島のことが出て来るのは奈良時代に編纂された「日本書紀」が初見だが、多彌(たね=種子島)、夜久(やく=屋久島)、海見、阿麻美、奄美(あまみ=奄美大島)、貴駕(きか=喜界島)阿児奈波(あじなは=沖縄本島)、久美(くみ=久米島)、信覚(しかく=石垣島)などの名称が散見できる。朝貢と言うよりは舟が難破して漂着し、都に連行されたのではないか。ただし、種子島には、同島と屋久島を領地とする「国府」が一時期置かれたことがある。九州本土に近かったため、早めに律令体制に組み込まれたのだろう。また中国の史書である「隋書」に琉球の名も見え始める。 喜界島城久遺跡 面白いのが喜界島。奄美諸島でもっとも東北部に在り、薩摩、大隅に近い。そのせいか、どうも比較的早い時期から大宰府の下部組織として機能していた形跡が窺われる。後に「倭寇」が九州北部を荒らし回った際、南島の南蛮人を取り締まるよう喜界島にも通達が来たことが史書に載っているようだ。 <夜光貝> <螺鈿細工の柱> <平泉金色堂内部> さて、縄文時代から古墳時代まで日本列島の住民に珍重された、南方のイモガイ、ゴホウラ貝、スイジガイ(水字貝)はその後装飾の趣向が変わったのか、他の素材が出現したためか、需要がなくなった。それに代わって内地に運ばれたのが一番左側の夜光貝だ。これは螺鈿(中央)の素材となり、匙(さじ)や酒盃に加工された。螺鈿細工で有名なのが奥州藤原氏が建てた金色堂内部のもので、豪華絢爛そのもの。 こうしてやがて沖縄の島々まで次第に日本の貿易体制に組み込まれて行く。他にも言語や宗教、独自の歴史と文化交流について述べたいのだが、今回はこれまでにしたい。ご愛読に感謝しつつ。<続く>
2021.05.20
コメント(2)
~移動と定住と交流について~ <旧石器時代人> <縄文人> <弥生人> 日本人の祖先となった人たちの顏だ。旧石器時代の人で頭蓋骨が見つかっているのは沖縄県だけだから、これはその骨から復元したのだろう。それは縄文人も弥生人も一緒。縄文人は旧石器時代人の風貌ととても良く似ている。 これに対して弥生人は顔が長くて鼻は低く、瞼は一重で体毛が薄くて明らかに先の二人とは異なる。日本列島へは一番遅く中国大陸や朝鮮半島経由でやって来た人種。これらの特徴は北方系であることの証明。眉毛やまつ毛などが凍傷にかからないよう薄く、鼻は取り込んだ冷たい空気を温めてから肺に送るため、副鼻腔が広がり顔が扁平になる。彫りの深い顔立ちの前二者とは明らかに異なる。 縄文人と弥生人は徐々に婚姻関係を強めて行く。稲作が盛んだった九州北部から西日本一帯の混血が進んだのに対して、縁辺部の北日本、九州南部、南西諸島では両者の混血が遅れたために、縄文人の特徴を残した人が多かったのだろう。より一層混血が進んだ現代日本人のDNAは、両者の特徴を未だに保有している。 北谷伊礼原遺跡出土土器 沖縄県北谷町(ちゃたんちょう)にある伊礼原(いれいばる)遺跡は縄文早期(約7千年前)から縄文晩期までの複合遺跡で、国の史跡に指定されている。なお、沖縄の歴史は日本の時代区分と呼び名が異なり、「縄文時代」に当たる「貝塚時代が」、日本の平安時代辺りまで続いている。 左は熊本の曽畑式(そばたしき)土器で、右は鹿児島の市来式(いちぎしき)土器で、いずれも沖縄県内の遺跡から出土した縄文土器。熊本や鹿児島の人が沖縄に住んだのではなく、移動した人が持参したものだろう。なお、宮古島以西の先島、八重山地方からは弥生式土器が出土している。そこまで九州人が移動した理由がきっとあるに違いない。 左からイモ貝、ゴホウラ貝。これらは南西諸島の海で採れる貝。そして一番右はそららの貝で作った釧(くしろ=腕輪)。日本では縄文時代から古墳時代辺りまでこの貝の腕輪が装飾品として珍重された。そのため後に「貝の道」と呼ばれる洋上のルートが存在した。当然何(十、百)人もの人が丸木舟を「漕ぎ継いで」南方の島々に土器を運び、その代わりに南島の貝を入手したと考えられる。そして苦労して得た南海の貝は、他の地方へとさらに分布したはずだ。黒曜石の採取もそうだが、驚くべき航海術と忍耐力だ。 さて上の縄文土器が発見された場所が朝鮮半島と聞いたら、皆さんはどう思うだろう。縄文時代から半島と日本列島との交流があったと考える人もいるだろう。だが私はそうは考えなかった。南島の貝のように交換するものがあれば別だが、その時代に朝鮮半島から日本に持ち帰ったと考えられる物はない。 さて前に書いたように、隠岐の島産の黒曜石がロシアのウラジオストック周辺から発掘されていることを考え合わせると、多分当時の縄文人は彼の地に定住していたように思える。理由は朝鮮史の中で約5千年間ほど空白の期間があると聞く。縄文人が朝鮮半島の各地にいたことを歴史書に記すことが出来なかったのだろう。また百済国の域内からは「前方後円墳」が10基以上発見されているが、韓国人はそれを不都合と考え、重機で幾つかの墓の形を変えてしまった。日本起源のものが朝鮮半島にあっては不都合なのだろう。歴史の捏造は、彼らのもっとも得意分野だ。 しかしなぜ縄文人は朝鮮半島や極東ロシア周辺にまで行ったのか。1)当時は国境がなかったから。2)食料を求めて。でも食料は十分あったはず。日本は四方を海に囲まれ、魚介の入手は容易。それに栗やトチの実、山野の動物も少なくはなかったし、数種の穀物などの栽培も既に行われていて、朝鮮半島へ渡る理由にはならなかったと思われるのだ。 ほかに考えられる理由は、鬼界カルデラ、姶良カルデラの巨大爆発や、阿蘇山、雲仙岳、桜島、霧島山などの相次ぐ噴火で絶滅の危険を感じた九州の縄文人が朝鮮半島に逃げたと考えるのはどうか。そんなことを言う人はいないし学説もないが、ど素人の空想と笑わば笑え。しかし、「明石原人」や「葛生原人」はその後、一体どうなったのか。マックス爺の苦悩と妄想はさらに続くのであった。<続く>
2021.05.19
コメント(0)
~日本人と稲が来た道~ 字が薄くて良く見えないが、人間の祖先がアフリカで出現した後地球上にどう拡散したかが上の図。薄い矢印は現生人種の「ホモサピエンス」。すると濃い矢印は「原人」かも知れない。ジャワ原人や、北京原人が良く知れらている。やはり日本列島へのルートが幾つかある。そして日本列島に現生人類が来た年代は「4万年前」のようだ。 デニソワ人 ネアンデルタール人 左はデニソア人で右はネアンデルタール人。彼らは現生人類が出現する前に滅び、主にヨーロッパで暮らして後者が前者を絶滅したと考えられて来た。ところが両者には婚姻関係が認められ、その後ユーラシア大陸を移動したと考えられるようになった。そしてわが日本人の遺伝子の中にも、彼らの遺伝子がごくわずかだが残っている由。彼らと婚姻関係があった遠い先祖が、日本列島へやって来たのだろう。 さて、中央アジアの民族の伝承には、我々の祖先のうち魚が好きな者は東に向かって日本人となり、肉が好きな者はここに留まってカザックになったと言うのがある。さてデニソワ人の中にはヨーロッパからスンダランドに来た者もいたみたいで、ミクロネシアなどの人々に金髪の人がいるのは、デニソワ人の遺伝子が残るためとも言われるようだ。 現代人のDNAに関する模式図。太い実線であればあるほど近い関係であることがわかる。それによれば本土日本人と中国人。琉球人とアイヌの遺伝的な関係性は少ないと考えられているようだ。 これは遺骨(先祖)のDNAによる関連性。左上の東北の縄文人は、東北の弥生人とDNA的には離れている。つまり婚姻関係が乏しく混血は少ない。現代日本人は渡来系弥生人とDNAの特徴が似ているが、現代韓国人や現代中国人とは似ていない。 少し見難いが、図を見てみよう。長江(揚子江)中流域で起こったイネが西の「熱帯半月板)に向かっている。中国山東半島周辺で起こった稲は「温帯ジャポニカ」(中国の河姆渡遺跡で発見され、種の起源とされた)は、直接日本列島にむかっている。一部は朝鮮半島や済州島に近づき「カーブ」している。かつて日本の米は朝鮮半島経由でもたらされたとされたが、今では否定されむしろ日本から半島に向かったとの説もある。 一番下に南西諸島経由での本列島に向かう矢印がある。柳田国男の「海上の道論」に近いと考えられ、熱帯ジャポニカと注記されている。どうも私たちが現在食べている品種とは異なるみたいだ。 左上は水稲の2種。左側のインディカ種は長粒米(ちょうりゅうまい)で、インドやタイで多く作られている。その右のジャポニカ種は粒が短い短粒米だが国内で生産しているのは温帯性のもの。右の茶碗よそってあるのは古代米。「古代米」には「赤米」、「黒米」、「青米」などがあるがいずれも商品名であり、正確な品種ではない。以上は全てさらさらした食感の粳米(うるちまい)で、もちもちした食感の餅米とは異なる品種だ。 傾斜地での陸稲栽培(タイ) 粟(アワ) 稗(ヒエ) さて左上はタイの陸稲。陸稲とは水田ではなく畑で育てる稲のこと。水田耕作にはそれなりの環境が必要だ。ところが山地では平らな場所が乏しく水利も不便。そこで斜面の畑に種を蒔き、天然水の雨に頼る。もしも痩せた土地なら、焼き畑で林を燃やし灰を肥料代わりにする。日本の稲作は長らく弥生時代からとされて来たが、今では縄文時代から行われたとする説が出ている。当然焼き畑が考えられ、陸稲のほかにアワやヒエの栽培もあっただろう。東北では栗や漆、エゴマ、苧麻(カラムシ、ちょま=衣服の原料)の栽培例も見られる。 土井が浜遺跡人の復元図 さて、稲作が縄文時代に遡ると共に、押し出される形で弥生時代の開始が千年から1500年ほど遡ると考えられるようようになった。戦後からさほど経っていない昭和28年(1953年)九州大学医学部の金関教授が、山口県の土井が浜遺跡から弥生人骨を発掘した。発掘調査はその後も続き、全部で300体ほど発見された。遺体は全て頭を西に向けていたと聞く。 きっと彼らは籾を携えて西から来たのだろう。響灘さらに玄界灘の彼方には彼らが出発した中国の山東半島がある。籾を持った移住者たちは日本の稲作文化隆盛に貢献した。彼らは死に際して故郷を向いて葬るよう懇願したのではないのか。さて、後来の弥生人は先住民である縄文人とどう「折り合い」をつけたのだろう。 稲を刈る神官 西日本から東北の縄文土器が発見されるのは、東北の縄文人がわざわざ稲作を教わりに来た証拠との説も聞いたが、事実はどうなのだろう。稲作地帯の前進と異民族との結婚は、日本神話の「国譲り」や「神武東征」を私は思い浮かべるのだが。<続く>
2021.05.18
コメント(2)
~日本人はどこから来たか~ 柳田國男 昭和27年雑誌「心」に、後に「日本民俗学の父」と呼ばれた柳田國男が「海上の道」と題する論文を載せた。東京帝国大学の学生だった頃、愛知県の伊良湖崎の海岸に流れ着いた椰子の実を観て受けた、日本人は黒潮に乗って南から米を携えてやって来たとの「素朴な空想」からのものだった。そのイメージがやがて小学唱歌「やしの実」になったと言う。 柳田國男の著書 「海上の道」は研究者たちから猛烈な批判を受けた。それは当然だ。考古学、日本古代史、言語学、宗教学、文化人類学などの観点からの考察がないのだから。その後研究と考察を重ね、かなり緻密な論考を発表し、彼の全集にも収載された。彼の論考は大筋では間違っていないが、十分とは言えない。そして彼の主張は関連分野研究の進展によって、補足されて行く。学問とはそういうものだ。 古生物が辿った道 上は氷河時代の日本列島のイメージ図。ナウマンゾウやアケボノゾウ、イリオモテヤマネコ、アマミノクロウサギ、ツシマヤマネコなどが、当時は大陸とつながっていた樺太や朝鮮半島、現在の中国方面から直接、そして一時期つながっていた西南諸島を通じて「日本」へやって来た。当時の日本海は大きな湖のようで、津軽海峡がわずかに開いていた。日本人の祖先もそれらの獲物を追って「日本列島」へ遅れてやって来たのだろう。もうその時は大陸から切り離されていたかも知れない。 最古の人骨 これは沖縄県石垣市の白保竿根田原洞穴遺跡から出土した人骨。2016年までの研究で、2万7千年前の旧石器時代のものと判明。国内最古の人骨で、身長は165cm。全部で19体が「埋葬」されていた。この時代のまとまった人骨としては世界最多。DNA分析で、インドネシア人と近い特徴を持つことが分かっている。この遺跡は新石垣空港の造成工事中に発見され、今も滑走路の下にある。 上は那覇市にある山下町第一洞穴とそこから出た人骨で、洞穴そのものは3万6千年前の遺跡と言われる。また南城市の港川フィッシャー遺跡からも人骨が出ている。沖縄県で古い人骨が発見される理由は、石灰岩地質で骨が融けずに残るからで、日本列島は火山灰の酸性度が高いため、骨が融けて残らないのだ。私は沖縄勤務当時山下洞穴を訪れた。昨年30年ぶりに行ったが、開発され昔の雰囲気がすっかり消えていた。 奄美大島 そのほかの古い遺跡としては鹿児島県奄美大島の土浜ヤーヤ遺跡が2万5千円前のもの。徳之島の天城遺跡は3万年前のもの。沖縄県南城市のサキワタリ洞遺跡からは2万1千年前~1万3千年前の釣り針が発掘されており、これは世界最古の釣り針だそうだ。旧石器時代の古い遺跡が南西諸島に集中していることに驚く。 こうして見ると藤村新一が起こした「偽石器事件」は酷かった。彼は北海道で「偽石器」を予め土に埋めているのを毎日新聞の記者に目撃され、それまでの「成果」が嘘だったことがバレた。15万年前、20万年前、30万年前と遡り、最後は60年前の石器発見と発表。彼の「発掘」を信じて「市町村史」を出版した自治体は数知れない。宮城県内の「馬場壇遺跡」や「座散乱木遺跡」の名を今もまだ覚えている。あの事件で、日本の旧石器時代研究はすっかり狂った。きっと30年間以上の空白だろう。 磨製石斧 これは双刃石斧(そうじんせきふ)と呼ばれ、刃は裏表で使用され、さらに磨製(ませい)であるため、切れ味は鋭い。5千年前のもので、東南アジア、中国沿岸部、沖縄から南九州まで同じ形のものが出土している。これは生木を伐るのに使用する。用途は家の木材や丸木舟とするための伐り出しだ。木の「柄」にこの石斧を縛って固定し、木を切り倒した。 左上は「丸ノミ形石斧」と呼ばれる石斧で、インドネシア、西南諸島から日本列島、東京の新宿の縄文遺跡からも出土したのを知っていた。右上は今回知った「桁ノ原型石斧」(けたのはらがたせきふ)と呼ばれ、長崎県の五島列島から沖縄本島にかけて出土している。どちらも用途は材木を刳り抜くためで、内側がカーブしている。それで丸太を刳り抜いて丸木舟を作った。 丸木舟は海を渡るために必要だった。なぜ縄文人たちが海を渡ったか。危険を冒してまで欲しい物の筆頭が左下の黒曜石(こくようせき)。火山性でガラスのように鋭利。それを打ち欠き、右の鏃(やじり)や槍の穂先を作った。 五島列島から出土の黒曜石は、佐賀県の腰岳(こしだけ)産。関東出土の物は伊豆七島の神津島産。青森の三内丸山遺跡の物は、北海道旭川付近の産。そしてロシアウラジオストック出土の物は、日本の隠岐の島産。いずれも丸木舟を漕ぎ、海を渡ったのだろう。人間は30kmの間に見えるものがないと不安を抱くらしい。だから縄文人たちは必死だったと思う。<続く>
2021.05.17
コメント(4)
<a)沖縄の火山島> まずは昨日の続きで火山島の話から。でも鹿児島県の分は終わって、今日は沖縄県。上の図はその火山島の位置で、赤い矢印で「ここです」と書いてある。ところが右側(東側)に鹿児島県とあるのになぜか沖縄本島はずっと南にある。それでもここは沖縄県。つまり「飛び地」なのだ。島の名は硫黄鳥島。その島名にヒントが隠されているが、さて分かるかどうか。 上の図は島を上空から見たもの。島には円形の地形が大小3か所以上ある。火山の火口のようだが、色は白い。ここはかつて硫黄を採掘した場所だが今は無人島。島の住所は沖縄県島尻郡。沖縄本島の最南端の郡なのが2つ目の謎。実は昭和34年(1959年)の噴火時に島民全員が避難したのが久米島で、そこが島尻郡だったため。久米島の泊集落の一部に「鳥島」の地名をつけた。私は70歳の時に「久米島マラソン」(フル)を走ったので、集落の風景を今も覚えている。偶然だが楽しい思い出だ。 崇元寺石門 これは那覇市安里にある崇元寺の石門。去る大戦で破壊され、後に復元された。琉球王朝時代、硫黄鳥島で採掘された硫黄はこの寺の隣の「硫黄蔵」に収容された。かさばるため精製されたが、王国の首都で硫黄を精製したら発生した有毒ガスで困っただろうが。実は硫黄は中国に貿易品として送る貴重品。火山のない中国で火薬の原料の硫黄は採れず、琉球に頼っていたのだ。 恐らく300年間は中国のために採掘されたはず。そんな歴史から明治以降も沖縄県に編入されたのだろう。なおこの石門の前を戦前は軌道車が走っていた。路線は4つあり、いずれも人とサトウキビを運んでいた。いかにも南国らしい話だが、現在では那覇市と浦添市を結んでモノレールが走っている。 久場島 久場島は尖閣諸島の一つで沖縄県所属。明治期には人が住んで仕事をしていた。そのことは後日改めて書くが、今日はこの島が火山島であることだけ紹介したい。良く見ると丸くくぼんだ地形が2か所見える。恐らくは火山の火口痕だと思われる。そのほか西表島の海中にも気泡を生じる場所がある。きっと海中で熱水が湧いているのだろう。<b)氷河期の「日本列島」> さて上の図は氷河時代(約200万年前~1万年前)の地形の様子。現在のインドネシアとボルネオ島は陸続きで「スンダランド」と呼ばれ、アジア大陸にも繋がり、台湾から日本へと緑色の陸地だったことが分かる。その途中に飛び出て「琉球弧半島」と書かれた箇所がある。南西諸島と日本列島は完全につながっておらず、以前記した生物学上の境界線になった。 「スンダランド」の東側には、オーストラリアとニューギニアと陸続きの「サフールランド」と呼ばれる大陸があった。海が凍ったため海面が低下して陸続きになったのだ。なお2つの大きな大陸の間には「小スンダ列島」があるため、人類が割と簡単に移動して行った。オーストラリアの原住民のアボリジニ、ニュージーランドの原住民のマオリ族、ミクロネシアの人々などだ。 下田遺跡出土土器 上は沖縄県波照間島の下田遺跡から出土した新石器時代(縄文時代)の土器で、インドネシアや台湾の土器の特徴があると言われている。陸続きになって人類が移動し易くなった影響だろう。日本最古の石垣島の人骨(3万5千年前)のDNAがインドネシア人の特徴と似てるのも同じ理由。なお、同遺跡からは西表島にしか生息しないイノシシの骨が出ており、縄文人が丸木舟で行き来していたことが分かる。毎回専門的な楽しくない話で済みませんが、私の好きな分野なものでつい。ではまた明日。<続く>
2021.05.16
コメント(0)
~海中の火山~ 2018年11月14日午前0時44分。桜島は南岳火口から噴火した。噴煙は4千メートルに達したと言う。私たちはかつて学校で火山の種類を死火山、休火山、活火山の3種と習った。その区分だと桜島は当然活火山。今も激しい火山活動を呈している「現役」の火山だ。桜島は阿蘇山、霧島山、開聞岳そして東シナ海に浮かぶ南西諸島の硫黄鳥島まで続く「霧島火山帯」に属している。 姶良カルデラ 今日のサブタイトルは「海中の火山」。意外に感じる人がるかも知れないが、桜島は陸地とは繋がっていても、れっきとした海の中の火山。上の図は直径約20kmの姶良(あいら)カルデラ。鹿児島湾の最奥部は丸い形で赤線の外輪山が残る。なお「霧島カルデラ」が中にあり、二重のカルデラになっている。 海の中にカルデラがあるのは、かつてそこが火山活動の「現場」だったからだ。「たぎり」と呼ばれる火山性ガスの気泡が出る箇所があるのもそのせいだ。さて、最初の噴火は約3万年前の旧石器時代に桜島付近で起こり、噴出源から半径90kmの範囲が火砕流で埋め尽くされた。また火山灰は南九州で厚さ30m、高知県宿毛市で20m、京都で4m、関東でも10cm積もったようだ。それは地面を掘って調べると、いつの時代のどこの火山灰かが分かるのだが、それにしても物凄いエネルギーだ。 姶良カルデラの名前も初めて聞いただろうが、次に紹介する「鬼界カルデラ」もきっと初耳だと思う。場所は鹿児島県の種子島の西側で屋久島の北側の東シナ海の中。左の地図の赤い丸で囲んだ場所。海の中なので分からないと思うけど、外輪山が「竹島」と「薩摩硫黄島」として残っている。「鬼界」の名は平安時代の僧俊寛らが流された島が「鬼界が島」とされたからだが、奄美には「喜界島」があって紛らわしいため、最近は「薩摩硫黄島」に改めた由。 海中の「鬼界カルデラ」 人工衛星からの撮影と船による洋上からの観測で得られた海中の姿が上の図。直径が32kmもある世界最大級のカルデラが海中にあるが、死んではいない。巨大な溶岩ドームが立ち上がり、「マグマ溜まり」があることも分かっている。海中から火山性ガスの気泡が出ている。まさに鹿児島湾と同じ構造だ。 鬼界カルデラからの火砕流と降灰の範囲 分かりにくいが上の図は、ピンクが火砕流が及んだ範囲で、オレンジ色の降灰は東北地方にまで及んでいる。先史時代以前に超巨大噴火を複数回起こし、約7300年前の噴火は、地球最大級規模だったようで、その火砕流で九州南部の縄文人は絶滅したと言われていた。高温の溶岩が海を埋め尽くして九州の海岸まで行くのだから、その量と立ち上る水蒸気の凄まじさをつい想像してしまう。 霧島市上野原縄文遺跡 ところがである。その説を覆す発見がされた。時は昭和61年(1986年)、所は霧島市(当時は国分市)。工業団地を造成中にとんでもない遺跡が発見されたのだ。何重もの地層の4層目は桜島の火山灰で縄文晩期だと判明。さらに掘り進めて9層目と10層目の境が縄文早期前葉の地層。そこから日本列島最古の大規模定住集落跡地が発見されたのだ。 鬼界カルデラ外輪山の一つである薩摩硫黄島 ことの重大にさに気づいた調査団はそこで発掘を中止して埋め戻した。そして現在は当時の住居跡を再現した縄文の森となり、展示施設を設けた。背後の海は鹿児島湾だろう。すると現地は小高い丘のようで、このため鬼界カルデラの火砕流に飲み込まれなかったのだろうか。 上野原遺跡から出土した土器 上は、同遺跡から発掘された7500年前の土器。分厚くて模様の無い不器用な土器だが、そのために破損を免れたのかも知れない。そして皮肉にも、幾層にも亘って降り積もった桜島の火山灰による「シラス台地」が地下の埋蔵品を守り、その後の開発を防いだのかも知れない。縄文は東北が最高の文化を誇っているとされて来たが、大規模定住はここが暮らし易かった証。多分日本の考古学史を書き変える発見だろう。 上野原遺跡出土土器 考古学は面白い。単なる空想ではなく遺物を通じて、その時代の人の暮らしが明確に分かるからだ。私はこの遺跡の名前は知っていたが、実態は知らなかった。こうして困難なテーマに挑み、ブログを書くためネットで調査することで新たな知見を得る。何と言う果報だろう。同遺跡はその後国の史跡に指定された由。昨晩、200万アクセスを達成した。今後も元気で頑張りたい。読者の皆様に感謝だ。<続く>
2021.05.15
コメント(2)
~暮らしとニュースの補足~ 新型コロナへのワクチン接種が気になって、市のホームページを確認した。仙台市が「蔓延防止」から除外されたたため、何か動きがないか調べた次第。すると高齢者への個人接種をいよいよ17日から受け付けるらしい。そこで接種場所はどうかと思ったら、いつも通院してる内科で可能なようだ。そして接種開始は5月末日から。17日に早速メールで申し込もうと思っている。 久しぶりにカレーを作った。冷蔵庫の中がかなりスカスカになっていた。それはそうだ。3食とも家で食べているのだから。今ある食材で何が作れるかと考えて下した結論がこれ。調味料にも一工夫して、飽きない味にした積り。加えて、暑くなるこれからは食べ物が傷みやすくなる。そこで味の濃いものにした次第。問題は太り過ぎ。つい何でも美味しく食べてしまうのでねえ。 地元紙のオンライン版ニュースに、蔵王連峰の宮城県側に「種まき坊主」が現われたとの記事を見つけた。なるほど。そう言われて見れば、杖を突いた爺さんが右を向いて立っている。右上はその拡大図。昔はこの「雪形」を観て農業を始める目安にした。俳句の世界で「雪形」は春の季語。4月は中止となった俳句教室も、今月は開かれるはず。そろそろ私も宿題を考えねば。 岩手山の「大鷲」 同じ雪形でも岩手山の「大鷲」は残った雪の形ではなく、消えた形。山頂に悠々と羽を広げた黒い大鷲がくっきりと映えている。これを教えてくれたのが岩手のブログ友だったニッパさんだった。ブロ友「だった」と言うのは、彼が数年前にがんで亡くなったため。彼と盛岡駅で待ち合わせし、志波城歴史公園などを案内してもらったことが、懐かしく思い出される。彼を偲んで一句。 雪形の大鷲舞ひて南部富士 雪形や小波立てり麓の田 *さざなみ 先日「北極航路」の開発のことをブログに書いたが、その後新たな事実が分かったので若干補足しておこう。ヨーロッパから日本までを通常のルート(黒線)で来るよりも、もし北極海ルート(赤線)を使って日本へ来た場合は約7千km距離を稼げることが判明。当然中国や韓国も同様のメリットがある。そしてその際ほど良い寄港地になるのが右図の中央にあるグリーンランドだ。 左上のグリーンランドはデンマーク領だが、現地は自治政府が統治し、全世界の国の投資を受け入れている。最近は分厚い氷床が溶けて鉱山が開発され、中でも中国は莫大な投資をして「レアメタル」を採掘してるそうだ。レアメタルはIT産業には不可欠の金属だが、中国が世界の8割を製品化してほぼ独占中。 今回の選挙ではスエーデンからの独立を目指す会派が、開発を抑制する会派に敗れて少数派になったが差はわずか。中国の動きを警戒したトランプ氏は、開発抑制派をてこ入れしていたそうだ。極限の北極圏で、激しい戦いが繰り広げられていることを思い知らされた思いだ。 横浜の個人宅から5月4日に逃げたアミメニシキヘビは、どうやら13日現在まだ捕まってないようだ。普段は檻で飼っていたが、その日は換気のため窓を10㎝程開けて出勤したとか。長さは3.5mで直径は10cm。無害ではあるが、人間が巻かれたら、その圧力で死ぬこともある由。沖縄の楽器三線(さんしん)に張る皮は、このニシキヘビのもの。飼い主は許可を得ていたようだが、生餌は一体何だったのだろう。もしカエルやネズミだったら、きっと大変な数だろうね。 シュンラン(春蘭) さて、わがブログが間もなく200万アクセスを達成する運びとなった。楽天ブログを開設したのは14年前の5月末。当初はそれまで利用していたブログの不具合で止む無く0から開始した、連日文章だけ1万文字近い味気ないもので、来客はランニング仲間がほとんどで、1日平均100名ちょっとだった。 古代ギリシャのマラソン 写真を載せられるようになったのは7年前。それで印象が変わったのかアクセス数も増えた。ただ長い間には亡くなったり、病気でブログを閉じられた友もおられたりと、たくさんの出会いと別れがあった。現在のブログ記入率は98.3%。1日平均のアクセス数は400件近くまで上がった。これも飽きずに来訪される読者の皆様の7お陰と心から感謝し、今後ともより充実したブログとなるよう努力したいと存じます。先ずはご報告方々御礼まで。亭主謹白。
2021.05.14
コメント(8)
~「世界自然遺産」への登録に向けて~ 南西諸島 かなりボケているが、鹿児島(右上)から台湾(左下)まで連なる南西諸島の島々。冒頭にこんな地図を載せたのは、奄美大島、徳之島(鹿児島県)、沖縄本島のやんばる地方、西表島(沖縄県)が近くユネスコの「世界自然遺産」に登録予定なのを知り、これらの島々をブログの話題にしようと考えたのだ。 左の地図は鹿児島県の薩南諸島で、右は屋久島の南西に位置する口永良部島で、煙を上げているのが新岳。有史以前からつい最近まで、ひっきりなしに噴火を繰り返している火山。平成、令和になっても噴火と地震が起きて、時々ニュースになる。地図の左側上部(西側)に続く島々がトカラ列島で、十島村に属している。最近のコロナ騒動で、鹿児島からフェリーでワクチンを運び、7つの島民に無事注射出来たことが話題になったばかり。 この列島の宝島とその右(東)にある悪石島との間に生物学上の境界線「渡瀬線」がある。ここは海深が千mあり、南西諸島と九州が一度も繋がってないためここを境にして動植物の生態がまったく異なる。津軽海峡の「ブラキストン線」と同様だ。 さて、奄美大島(上)と徳之島にしかいない固有種が右のアマミノクロウサギ。国の天然記念物だが、かつて大陸とつながっていた時代にアジアから渡って来たもの。その後隆起と沈降を繰り返して、島に閉じ込められた「生きた化石」となった。耳、尻尾、手足が他のウサギに比べて極端に短いのが特徴だ。 左上は奄美大島の最高峰である湯湾岳(ゆわんだけ694m)から見える焼内湾の「あまみブルー」。右上は湯湾岳にある神社。沖縄の始祖神はアマミキヨ(アマミク)だが、奄美の始祖神は(アマミコ)。奄美はかつて記紀に「海見(あまみ)」と記された。九州南部の「海部(あま)族」だったのだろう。縄文土器が沖縄に渡来してることも含め、沖縄の神と神話がどこから来たかが窺える。ただし琉球王朝時代の1458年に、奄美諸島は琉球王朝の支配下に入り、その150年後に再び島津藩に奪還される。 沖縄本島北部の山原(やんばる)には豊かな森(左上)があり、琉球王朝時代から戦前までは、薪や木材を山原船で那覇や首里に運んでいた。第二次世界大戦の激しい沖縄戦でも大きなダメージを受けず、今日まで動植物の貴重な固有種が保たれている。右上は良い香りを放つイジュの花。ヤンバルテナガコガネなどの昆虫や、ノグチゲラなどの野鳥が棲む森でもある 天然記念物のヤンバルクイナ(左上)やセマルハコガメ(中央)を守るための道路標識を設置し、道路を動物が潜り抜けるためのトンネル、また落ちても登ることが出来る側溝を作って貴重な動物を保護している。飛べないヤンバルクイナの天敵であるマングース(右上)を捕獲する檻(おり)を設置するなど自然を守る活動を展開して来た。それらの活動が「世界自然遺産」指定に繋がったのだろう。 左上は奄美大島、徳之島、沖縄本島のやんばると共に「世界自然遺産」に指定候補の西表島。右は同島の固有種で天然記念物のイリオモテヤマネコを守るための道路標識。普段は深い森の中にいるが、夜道路に飛び出して車に轢かれる事故が増えている。餌にしているイノシシの子供のウリボウが減ったことも、個体数が増えない理由だ。この島には近畿大学と龍雄大学の研究施設が別個に置かれている。 日本国内でこれまでに「世界自然遺産」に登録されたのは、知床半島、屋久島、白神山地(秋田・青森)、小笠原諸島。私は白神山地は訪れ、知床半島は観光で行って走った。私の国内ランニングの最北端と最東端が知床。北海道は色んな箇所を走り、キタキツネ(上中)やエゾシカ(右上)と出会った。そして国内で走った最西端と最南端が西表島だった。ここでは水牛や蝶々のアサギマダラと出会った。 沖縄本島 奄美大島は行ってないが、上空から何度か見た。沖縄に勤務し、旅したお陰で南西諸島の上空を70回は飛んだだろう。地図も好きだしフライトマップ(航路図)も見るので、島の形を見れば大体どの島か見当がついた。そしてブログを書くためにネットで検索し、その地の歴史や文化を改めて知る。楽しみにもなり有難いことだ。なお走った最東端はシドニーで、最南端はメルボルン。出張の際ランニングシューズを持参したのだ。各地で走った思い出が増え、走破距離は42年間で10万km以上。地球3周目に入っている。
2021.05.13
コメント(4)
~山ウドと冷やし中華~ ゴムの木 ある朝思い切って植木鉢を全部外へ出した。その日は気温が23度になるとニュースで聞いた。それならもう出しても大丈夫と判断。ハイビスカス、シコンノボタン、クジャクサボテン、シンビジウム、クンシラン、シャコバサボテンなど全部で15鉢ほど。水やりをし、家の中を全部掃除した。特に居間は広くなった。小さな電気ストーブもついでに片付けた。 タマネギ タマネギはかなり玉太りが進んだ。これは昨年の秋に苗を植えたもの。さほど手間もかからず、ほぼ放置状態。間もなく収穫し料理にも使える。そうなれば当分買う必要がなくなる。3月に植えたジャガイモはかなり茎が茂って来たので、もう少ししたら元気な茎を2本残し、後は間引きする予定。収穫は来月後半ころ。そうなればジャガイモも当分買う必要が無くなる。 左上はキュウリ。4本植えたが、うち1本は強風で茎が折れた。右上はトマト8本。他にミニトマトが2本。下はゴーヤ(3本)。気温が高くて乾燥するため、いずれも朝夕の水やりが欠かせない。そのうちに仮の支柱、本支柱、ネットなどを苗の成長に合わせて施す必要がある。3株あった10年物の雲南百薬を掘り返すと、根茎部がかなり腐っていた。凍った箇所から腐食が進んだようだ。その部分を切り取って再び土に埋めたが、もしも発芽しない場合は、モロッコインゲンの種を蒔く予定。 一番左の青シソは昨年の晩秋に適当にばら撒いた種が発芽したもの。もう10年近くわが家の畑で生き続けている。真中はサンショウ(山椒)。恐らくは鳥の糞に混じっていた種が勝手に発芽し、育ったものもで高さはまだ15cmほど。春になって葉が出て山椒と判明した。鳥が良く庭に遊びに来るため、数年に1度はこんなことが起きる。右は百合の芽だが、種類は不明。私が2年ほど前に庭の各所にばら撒いた種が芽吹き、それ以来毎年春先に芽が出る。こんな贈り物も、可愛いものだ。 山ウド 園芸店で安売りしてた山ウド。「むろ」で育った真っ白いウドと違って、野原で育った「天然もの」は香りが強い分、堅くて筋が多い。茹でてマヨネーズを付けて食べたり、ピクルスにした。気温が急上昇すると体調が変わる。布団や服装に要注意。風呂のお湯の温度を1度下げ、シャワーを初めて使用。パジャマを冬用から夏用にし、シャッターは閉めずにカーテンだけにしても、寒くなくなった。 特に暑い日の昼食は、冷やし中華が食べたくなる。そこで今季初めて冷やし中華を作った。パソコン机の足元を温めた小型の電気ストーブは仕舞った。コロナ自粛の運動不足のためか、このところ体重が急上昇中。これはヤバイねえ。もっと気を付けないと。 兄嫁から電話があり、コロナ自粛の折、兄の一周忌はお寺で簡単に済ませる由。今後の永代供養や、墓地の始末と市への返却について検討中とのことで私の意見も聞かれたが、私も出来るだけ子供に負担がかからない方法を考えていると告げた。生も家も永遠ではない。まして子供がいずれも遠隔地で暮らしていればなおさらだ。さて、まだ元気なうちに今後どんな準備が必要なのか。
2021.05.12
コメント(4)
~半月間の夢から目覚めて~ 半月もの間、生死や性と再生をテーマにしたシリーズに没頭し、暫しこの世のことを忘れていた。しかし完全に忘れていた訳ではなく、世界の気になったニュースの項目だけはメモしていた。それを思い出して書いてみようと思った次第。 丸い円の内側は北極圏内。地図の右側はほとんどがロシアの領土で、下部にスカンディナヴィア半島が見える。その左側の小さな島がアイスランドで、その上の大きな島がデンマーク領のグリーンランド。そしてその上にカナダの北部が見える。この北極海は今氷が溶け出して、グリーンランドでは海岸部の台地が露わになって来たと聞く。この北極海航路の制覇を巡って、今米ロの熱い戦いが繰り広げられているとか。 左はロシアの原子力潜水艦。厚い氷をぶち割って浮上したところだ。右は訓練中のロシア軍の動きを監視する米国海軍の潜水艦。ロシアはヨーロッパから北極海を通じ、ベーリング海峡から太平洋に出る航路の開発を窺っており、中国もそれに便乗しようと企図してるようだ。アメリカ海軍の監視活動はその牽制のため。地球温暖化が新たな火種になっているのだ。 戦いは宇宙にも及んでいる。中国が宇宙ステーション建設のために打ち上げたロケット長征5号B(左)が、地球帰還の大気圏突入時に燃え尽きず、インド洋モルディブの北方に墜落した。残骸は全長30m、20トンの巨大さで、その動きは米国宇宙軍が把握して情報を発信していた。どうやら中国は機体をコントロール出来なかったようで、NASAは早速中国に警告した。 EU(左はEUの国旗)はこのほど、中国との貿易量を減らして新たにインドとの貿易を推進する方針を打ち出した。右はEUの実質GDP成長率で、近年はマイナス成長が続いていた。原因は中国との貿易で支払う金額が増大して、EU加盟国の経済が停滞していた。それに中国のウイグルや香港に対する人権弾圧に対する反感もあって、中国を牽制するために軍艦を派遣する国も出始めていた。 そのEUからやっとのことで離脱した英国は、止む無く日本が中心になって推進しているTPPへの加盟を希望している。EUとの貿易による利益が減ることに対応するためだ。ところが皮肉なことに、国内で分裂の動きが出た。スコットランドで独立派の議員が過半数を獲得したのだ。ただしこれを認める国民投票が成立するかは不明。英国の国旗「ユニオンジャック」(右)は各地方の旗が合成して出来たもの。もしもスコットランドが離脱することになれば、新たな国旗を作成することになるかも知れない。 クンブ・メーラの群衆 EUから有難い提案を受けたインドだが、今は全土で新型コロナウイルスの変異株が蔓延し、連日40万人以上の患者と4千人以上の死者が出ている。上はヒンズー教最大の宗教行事の「クンブ・メーラ」で、ガンジス川で沐浴するために全国から集まった群衆。3月から始まる巡礼で500万人もの信者が押し寄せた。ガンジス川は聖地だが大腸菌で汚れ、信者は川に入って全身にその水を浴びる。 河畔では新型コロナで亡くなった死者を火葬しているが、薪では火力が弱くて完全に灰にはならず、火葬場も処理能力が追い付かないようだ。日本の企業も商品の生産が出来ず、邦人の帰国もままならない状態とか。 サイバー攻撃のイメージ そんな折、ジョンソン&ジョンソン社、ファイザー社(いずれも米国)が開発した新型コロナワクチンの情報が何者かによって窃取された由。調査した結果サイバー攻撃を仕掛けたのは北朝鮮軍所属のサイバー部隊のようだ。北朝鮮は米国の北朝鮮政策に反発してバイデン政権を恫喝する一方で、密かに最新の医療情報を盗んだ訳だ。6月には食糧が尽きると目される北朝鮮。彼らが必死なのは分かるが。 新装なった国立競技場(上)で先日東京オリンピックのテスト大会が開催された。無観客なのは当然だが、トイレが4つしかないサブトラックは選手たちには不評だった由。それよりも競技場前では、「東京オリンピック」の開催に反対する市民デモがあった。また水泳の池江璃花子選手宛に、オリンピック出場を辞退するようネットで訴えかける動きがあり、同選手が困惑していると聞いた。何だかなあ。 視察のため当初来日の予定だったIOCのバッハ会長も、コロナの厳重警戒が延長されたことに伴い、結局は来れないことになった。ウイルス陽性者数の増加もさることながら、変異株がさらに変化し、感染者と死者数が増えているのが気になる。明るいニュースと言えるのかどうかは分からないが、ようやく国内の製薬会社などが変異株ウイルス対応のワクチン開発に乗り出す。五里夢中だが頑張ろう日本。
2021.05.11
コメント(4)
~死と再生~ 菊の御紋は天皇家の紋章である。それがテーマと何の関係あるの。と聞かれるだろう。菊の原産地は中国。日本へは遣唐使がもたらしたと言われる。中国で菊は割と重要な役目を果たした。「重陽の節句」つまり旧暦の9月9日は菊の花を飾って祝った由。薫り高い菊は日本人にも好まれ、朝廷に献上されてついには天皇家の紋章となった。宮家の家紋は全て菊をアレンジしたものとなっている。 ところが菊を愛したのは中国や日本だけではなかった。これは古代エジプトのファラオの黄金の椅子だが、何と背もたれのデザインはまさに菊の御紋ではないか。すると菊が中国からエジプトへ伝えられたのだろうか。それは不明だが、実はこの「菊」は太陽を表したものなのだ。しかし古代エジプトの王室とアジアの東外れにある日本の皇室で、同じデザインを用いていたとは。天皇の祖先である天照大神は太陽神で、国旗は日の丸。すると菊の紋章を太陽と見なすことも可能なのかも知れない。 古代エジプト「太陽の船」 それならなぜ古代エジプトでは太陽を聖なるものと考えたのか。それは太陽が不滅であるからだ。夕方になると太陽は西に沈む。だが翌日の朝には東の空から再び姿を現す。古代エジプトの民は太陽を復活と再生のシンボルとして崇め、その太陽を舟が運んでいると考えた。上の絵は太陽神を舟で運んでいる姿。それは絵だけでなく、巨大な船が発掘されたことで実在が証明されている。 発掘された「太陽の船」 エジプト考古学の専門家である吉村作治早大名誉教授は、かつて巨大ピラミッド付近の地下には巨大な空間があることを地磁気センサーで探知し、巨大な船が収められてる可能性があると「世界ふしぎ発見!」で語っていた。その後、エジプト考古庁が発掘して吉村説が真実だったことが証明された。彼は他にもう1艘分の空間があると言っていたが、古代エジプト人の信仰や知識、技術の高さが理解出来よう。 秋田県大湯環状列石 これは秋田県鹿角市にある大湯環状列石遺跡。縄文時代のストーンサークルだ。巨大な石の輪が2か所あり、その中に写真のような石組が幾つかある。この遺跡には住居はなく、祭祀専用の空間だった。石組をどかして掘ると人骨が出て来たことから墓だったことが分かった。同時に、この石組は太陽の位置を正確に捉える日時計で、毎年春分の日には、同じ位置から太陽が現れることが確認された由。墓は死者の埋葬施設だが、「日時計」はその復活と再生を願っての施設。二重の意味があったのだ。 第二琉球王朝尚育王肖像 さて、沖縄では太陽を「てぃーだ」「てだこ」と呼ぶ。第二琉球王朝の最初の王都であった浦添城と、次に移動した首里城からは、東方の久高島から昇る太陽を遥拝したことが知られている。久高島は琉球の始祖神であるアマミキヨとシネリキヨが上陸した聖地で、城(ぐすく)には必ず祭事を執り行う御嶽(うたき)があった。まさに卑弥呼や、日本の原始神道を彷彿とさせる祭政一致の姿だ。死と再生は人類共通の願いであり、それゆえ縄文、古代エジプト、琉球王朝と形を変えつつも太陽信仰が出現したのだろう。 (1) (2) (3) さて最後に古代の三美神を紹介しよう。(1)はトルコから出土した「地母神」。豊かな胸と腹部から妊婦であることが分かる。(2)は長野県茅野市の棚畑遺跡から出土した「縄文のビーナス」。どうやら縄文時代中期の土偶のようで、国宝に指定されている。腹部から、妊婦だと分かる。(3)は(2)と同じ茅野市棚畑遺跡出土の「仮面の女神」で国宝指定。妊婦なのか「出べそ」状態だ。同一の遺跡から出土した土偶が複数点国宝に指定されるのは恐らく初めてのはず。 亀甲墓 これは「亀甲墓」と呼ばれ、沖縄のお墓の形態の一つ。名前の由来は形が亀の甲羅に似ていることからだが、これは琉球王朝時代に進貢していた中国福建省の墓制を倣ったもので、「母胎」との説もある。つまり死後は母の胎内に還り、いつの日か再生する願いがあったのだろうと。かつては火葬せず遺体は墓の中の「しるひらし」(汁減らし)に安置し、数年後に取り出して洗骨した。洗骨は女性の仕事だった。 この墓も風葬募の一種。温度と湿度の高い沖縄では最も自然な葬制だったのだろう。一族はみな同じ墓に葬られた。いわゆる「門中墓」(むんちゅうばか)で、今でも一門の結束は強い。墓の入口を「産道」と見なすことも出来るが、遺体を入れた後は漆喰で固め部外者の侵入を防いだ。墓は集落のすぐ傍に在り、死者は子孫の繁栄を見守っていた。そのため家も墓も風水によって場所を決めたのだ。 唐草文 「唐草模様」と呼ばれ、日本の風呂敷のデザインの主流はこれだった。かつては中国由来の忍冬(スイカズラ)の蔓を模したとされたが、今では空想の植物をデザイン化したパルメット紋と呼ばれる。古代ギリシャやエジプトの神殿の石柱などにも彫られた。まさに「文化は伝播する」見本。「東京凡太」が背中にこの風呂敷を被っていたが、そんなことを知る人はもういないだろうなあ。 <横山大観 「生々流転」の一部> 横山大観の名作に因む「名前」を借りたシリーズも最終の10回目。我ながら頑張って難しいテーマに挑んだと思う。「生と性」についてはまあまあ書けたが、「死と詩」のうち「詩」はさっぱりだった。次はいずれ「詩」をテーマに書きたいものだ。なお、この「生々流転」を観たのは島根県の足立美術館だった。ツアーで行った際にたまたま「院展100周年記念展」だったかをやっていたのだ。 ただし展示点数が驚くほど充実し、日本画にあまり興味のない私は大急ぎで見回り、庭園や他の美術品に心を動かされたのだった。偶然だが上の絵を見ると、足立美術館の有名な庭園に雰囲気がとても良く似ていることに気づいた。長い間のご愛読、どうもありがとうございました。心から御礼申し上げ、このシリーズの結びといたします。亭主謹白。<完>
2021.05.10
コメント(4)
~形と意味~ 昨日「陰陽石」のことを書いたら、それを観た鹿児島のクマタツさんが、それがあるのは宮崎県の小林市だと教えてくれた。私も確かネットで知ったはずなのに、原稿を書いているうちに失念したようだ。メモはしてるはずなのに、最近は忘れることが増えた。ただし、それに因む画像を保存していたことを思い出した。宮崎県で一番古い「田の神さあ」が陰陽石の地に建てられていると言うからこれも小林市にある訳。そしてこれは神官型の田の神さあだと言うことが分かり、彩色もされている。 これも宮崎県の田の神さあで、彩色されている。右手に持っているのは「しゃもじ」のようで、上の神官型とは明らかに雰囲気が違うので、きっと農民型なのだろう。私はこの画像を見て、これは「あれ」に似てるなあと直感した。 みるく神(沖縄県竹富島) 私が似てると思ったのは、沖縄県の先島地方に伝わる「みるく神」。先島とは宮古島以西の島々。そして「みるく」は弥勒菩薩の「みろく」が転じたものだが、仏教の弥勒菩薩とは異なり、海の彼方のニライカナイ(極楽浄土)からやって来る神で、風体は「布袋さま」に近いだろう。人々に世果報(ゆがふう=豊穣や幸福)をもたらすと信じられるが、果たして九州南部と沖縄に共通点があるのかどうか。 さて、これまで見て来た神々はすべて石で出来ていたが、上の道祖神は長野県のもので、見た通り稲わらで作られている。道祖神には賽の神、障の神、幸の神、さえの神などの別名があり、いずれも「さい」または「さえ」と呼ばれ、悪霊を封じ込め病魔を退散させると信じられていた。遮(さえぎ)るの「さえ」も同じ語源を持つと思われる。 因みに古代東北の蝦夷(えみし)は武力に秀で、都の人々を怖がらせた。そこで朝廷に服属した蝦夷の中から都を警護する者を選んで「佐伯氏」と名乗らせた。これも「さえき」で、「守る」の意味。また東北の蝦夷を各地に移転させた。佐伯、細木などの地名はそれに由来するもので、真言宗の開祖空海上人も讃岐国(現在の香川県)の佐伯氏の出身。古代豪族にも佐伯氏がいる。 秋田県にも可愛らしいわら製の道祖神を祀る風習があるようだ。また「仁王さん」と呼ばれることもあるようだ。仁王も寺院の門前にあって、聖なる空間を守護する存在だからであろうか。形や素材や呼び名は違っても、日本民族とし相通ずる信仰があったのだろう。 さて、大事なことを忘れていたことに気づいた。宮城県名取市にある道祖神社のことだ。平安時代の延長5年(927年)に編集された「延喜式神名帳」に掲載された全国の官社一覧のうち、陸奥国名取郡の2社がここにあるのだ。明治になって二社を合祀し、「佐倍乃神社」と名を変えた。これも「さえの」と発音するので、相当古い時代から東北でも信仰された何よりの証拠。するとウィキペディアの記述にも過不足があると言うことだろう。 左の道祖神の台座の下部に不思議な形が彫られているのに気付いた。右はその拡大だが明らかに女性のシンボル。石像は「両性具有」だった。私には観音様のようにも見える。「香炉」か賽銭台があるのは聖なるものと崇めた証拠だろう。形が良く似た「桃の種」が奈良の纏向遺跡から3600個ほど出土したのも頷ける。女陰を表す古語の「ほと」は朝鮮語のポティと同源だそうだ。なるほどねえ。 両性具有(りょうせいぐゆう)と言えば、彫刻家アルプのこの作品はさほどリアルではないが、それらしい雰囲気とエロスを感じる。私が初めて彼の作品を知ったのは中学生か高校生の頃のはずだが、フォルムの美しさと彫刻家の意図は感じた。形に込められた人の願いや祈りは、時代や地域や人種を超えているのかも知れない。明日は最終回になるが、果たしてどうまとめたら良いのか。<続く>
2021.05.09
コメント(2)
~あれまあ。どうしてだろう?~ 1)田の神さあ<クマタツ氏撮影> 過日鹿児島のブログ友クマタツさんのブログ「ジージの南からのたより」を見てビックリ。彼が撮影した1枚の写真に目が釘付けになった。彼は薩摩藩の歴史に詳しく、書かれる文章はとても精緻だ。この日のテーマは「田の神さあ」。薩摩弁で「たのかんさあ」と呼ばれる豊穣の神だが、私はこれはあるものに似てると直感。それは男女のシンボル。左側が女性、右側が男性と見たのだが。思い過ごしだろうか。 田の神の後ろ姿(クマタツ氏提供) なぜ田の神が男女のシンボルと結びつくのか。田の神が山から里に訪れることは知っていた。「山の神」には奥方の意味もある。それで男女なのか。形が似ている「道祖神」は、長野や関東で祀られることが多い。だが鹿児島は火山灰地層の「シラス台地」が多く、稲作には向いてないはず。それなのになぜ。果たしてどんな謂れがあるのだろうと私の疑問は深まるばかり。そこで調査を開始した。 画像はグーグルの画像検索で探せる。上は鹿児島と宮崎南部の「田の神さあ」。全て男の形だ。宮崎の南部もかつては薩摩藩に属しており、同じ風習が伝わっているようだ。ヒットした画像をクリックすると、撮影した際の記録を得られる場合もある。またウィキペディアで「田の神さあ」や「道祖神」を検索し、信仰の起源や現状などを知ることが出来た。こうして少しずつ疑問が解けて行った。 <宮崎県えびの市の「田の神さあ」> 「田の神さあ」の形には農民型と神官型があるようだ。神官型の「田の神さあ」は霧島山の噴火で被害を受けた地域に多いそうだ。いずれも豊穣、子孫繁栄、長命を願った由。それほど古い信仰の歴史はなく、どうやら島津藩の新田開発と関係が深いようで、江戸時代に起こった由。豊穣地区の「田の神」を自分の集落に借りる「オットウ」の風習があり、返す際はお礼の品を付け、両地区の農民が共に祝った由。 <長野県安曇野市の道祖神> 一方「道祖神」(どうそしん)は村境や峠などの道端に置かれ、旅の安全を守る神とされた。先住の国つ神が天つ神に国譲りし、道案内したことが旅の安全神に繋がったのか。また縁結びの神、和合の神とされたのは国津神の猿田彦と天津神のアメノウズメが夫婦となったことに因むのだろうし、安曇野市の道祖神がいずれも双身型なのも同じ理由。冒頭の写真と石全体の形が良く似ているのはそれを意識して作ったからとしか思えない。中国では紀元前から「道祖神」信仰があった由。新たな謎が増えた。 陰陽石 調べるうちに、宮崎県南部に「陰陽石」(いんよういし)と言うのがあると分かった。陰陽とくれば、男女のシンボルに間違いない。左手の溝が陰で女性のシンボル。奥の石はどう見ても男性のシンボルだ。これは火山の噴火で偶に出来た「作品」で、人工物ではない由。それも大正時代に茨城県の人が発見したみたいで、古くから信仰の対象となったものではなさそう。世の中には、そんなこともあるのか。 1) 2) 3) いずれも長野県下の双身型の道祖神。1)は男女が手を繋いでいる。2)は男女がキスしてる「接吻型」だが、男性の足が女性の股間に伸びているように見える。3)は男の手がおっぱいに触れている。二人は既に恍惚の表情だ。まあ素朴な愛の表現だが、明治新政府はこれらの道祖神を「恥ずべき」ものとして、極力外国人の目に触れない場所に移動させたと聞く。こんな微笑ましい愛の信仰を。<続く>
2021.05.08
コメント(4)
~連休も曜日も忘れて~ 実際の話。連休がいつまでなのか知らずに過ごし、曜日も忘れていた。新聞休刊日もあったが、さほど退屈しなかった。わりと面倒なテーマのブログに取り組んでいたせいで、それを書くだけで連日3時間から5時間くらい費やしたのではないか。東北楽天の応援にも熱中した。テレビ放送があれば必ず観、ラジオ放送があれば聞き、どちらもない時はPCで試合の進行を細かくチェックした。 ネモフィラ ソフトバンクには1勝しか出来なかったが、それでも何とか首位は保った。6日は休養日で、7日からは札幌ドームで日ハムとの3連戦だが、多分試合は行われないはず。日ハムの選手、スタッフなどに大量の新型コロナ陽性者が発生したためだ。大都会での試合は休止され、入場者数制限もあって各球団は苦しいと思う。だがプロ野球もオリンピックも、命在ればこそのイベント。今は忍の一字なのかもね。 前日はシーツ、布団カバー、掛け布団の襟に取りつけたバスタオル、枕カバーを全部洗濯し、ついでに布団と枕を干した。洗い立てのシーツやカバー、バスタオルを再び布団や枕に装着するのは面倒だったが、風呂にも入ったお陰でとても気持ち良く眠ることが出来た。翌朝はまだ眠たかったが。起きて布団を2階に運んだ。天気予報では晴れ、仙台は23度になるとか。これは一大事だ。 先ずは気になっていた草取り。畑と庭の両方だからとても大変なのだが、この日は軽めの作業で終え、畝をスコップで掘った。その後に発酵鶏糞と石灰を撒いて整地。抜いた雑草を燃えるゴミの袋に詰め込み、三つ葉とミョウガの芽を摘む。それから植木鉢を外に出して水やり。続いて2階のベランダに布団などを干す。 ミョウガの新芽 三つ葉 上がミョウガの芽でこれが成長すると茎と葉っぱになる。普通食べるミョウガは花の蕾だが、若い茎も食べられないことはな、「ミョウガタケ」と呼ぶ地方もある由。三つ葉と一緒に茹でてお浸しに。スーパーボランティアの尾畠さんはタンポポまで摘んで食べるようだが、私は軟弱者なのでそこまでの修行はまだ無理。でも香り豊かな春の恵みを、とても美味しくいただいた。 さて、連休中のとある朝。植木鉢にみずやりしようとしてビックリ。足元にピンクの色が見えたからだ。「あれっ、おかしいな。こんなところにピンクのプラスチックを置いた覚えはないのだが」。驚いて屈んで見るとクジャクサボテンの花が5つ咲いていた。例年なら咲くのは7月ころ。この冬は居間に取り込み、水と液体肥料を与えていた。だからハイビスカス同様、かなり早く咲いたのだろう。感謝感激。 出来ればホームセンターへ行く積り。トマトの苗を8本、ミニトマト2本、ゴーヤ3本、キュウリ4本くらいで十分。カボチャは昨年庭で生った種を蒔いてみよう。こんな風にしてマックス爺の連休も幕が下りそうだ。いや、これからも目標をみつけて少しでも元気でいないとね。そう呟きながら、半袖シャツのまま颯爽と自転車で出かけたマックス爺であった。
2021.05.07
コメント(4)
~罪のない者がまず石を投げよ~ さて生と性などをテーマにしたこのシリーズを、苦しみながらも書いて来た。さて、それをどうまとめようか迷っている。今日を最終回にする積りなのだ。先ずは煩悩に苦しんだ先人のことを書こうか。 これはある夫婦。男の名は岡本一平。漫画家である。女の名は岡本かの子。その妻で女優。だが不思議なことに、彼らの家にはもう二人男が同居していた。一人は京大生で、かの子の恋人。もう一人は夫婦の息子の太郎。後に「芸術は爆発だ」で有名な芸術家となる。一平はかの子の恋人の同居を許した。天衣無縫と言うか、破廉恥と言うか。そんな自由な家で育ったことが、彼の芸術に影響したのかも知れない。 島崎藤村は詩人であり、小説家だった。ある状況下で、彼は姪と関係して子を生す。それを描いた小説が「新生」。部落問題を描いた「破戒」も有名だが、彼は長野から逃れるように東北に来、わが母校の東北学院に勤務した。他に小説「夜明け前」や詩集「落梅集」がある。小説には麻薬の要素があるが、特に私小説ともなればその色は濃く、作家の苦悩もさらに深まる。 夫との間に子がありながら、家族を捨て恋人と出奔した女がいる。その名は瀬戸内晴美。やがて著名な小説家となり、源氏物語の現代語訳を出すなど活躍。後に小説家であり天台宗の僧侶でもあった今東光の得度で尼僧となる。卒寿を過ぎた今も尼僧と小説家の二足の草鞋を履いている。 聖書の話である。パリサイ派の長老たちが一人の女をイエスの前に連れて来てイエスに問うた。女は姦通した罪人。「さて、この女をどう罰しますか」と。そこでイエスは答えた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、この女に先ず石を投げなさいと」。パリサイ派の長老たちは皆口をつぐんだ。(ヨハネによる福音書第8章3~11節) 不思議な男がいる。500もの会社を興し、経営が軌道に乗ったらそれを他人に任せた明治の経済人渋沢栄一。大河ドラマ「青天を衝け」の主人公だが、彼には妻以外の女性との間に出来た20人もの子供がいたようだ。いわゆる妾(めかけ)だが、当時の日本では社会的通念の範囲として許されていた。妻を4人まで持てたイスラムどころの騒ぎでないが、平等に愛し養うのはむしろ「男の甲斐性」だったのだ。 国宝「合掌土偶」 さてもう一つの命題である死についても記さねばなるまい。神の怒りに触れてエデンから追放された人間は、同時に「死」を受容する存在となる。縄文時代の平均寿命は40に満たなかった。原因は出産による母子の死亡率が高かったこと。このため縄文人は家族の長寿と繁栄を願って土偶を作り、人の代わりに破壊し、住居の直ぐ傍に墓を立てて死者の冥福を祈った。深い宗教性の存在が縄文文化の特徴でもある。 「人間(じんかん)五十年 外天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」。信長が本能寺の変で死を覚悟する際に舞ったとされた幸若舞「敦盛」の一節だ。たかだか50年の人生は夢や幻のようだとの意味か。この時信長は満48歳。まさに謡曲通りの死となった。戦国時代が終わり、江戸幕府の泰平の世となっても、平均寿命はさほど変わらなかったみたいだ。 「村の渡しの船頭さんは今年六十のおじいさん 年は取ってもお舟をこぐときは元気いっぱい櫓がしなる」。これは昭和16年に発表された童謡「船頭さん」の歌詞の一節。60歳でお爺さんだが、第二次世界大戦で多くの兵や国民が死に、平均寿命は下がった。かつて15歳で元服した時代があった。娘は15で嫁に行き、30代で祖母になるケースも珍しくはなかった。つい何十年か前まで、インド人の平均寿命は30代だった。 それが今や日本人の平均寿命は男女そろって80歳を超えた。当然だがその年齢までの生存を約束された訳ではない。かつその年度生まれの「新生児」が生きると予想される「平均」に過ぎない。怖いコロナもあればがんもある。だが、がんの遺伝子がヒトの細胞分裂に作用していると聞く。ヒトは生まれながらにしてがん細胞と共存し、ウイルスと共存する運命にあるのだ。 81歳になるスーパーボランティアの尾畠春夫さんが、「後何年ボランティア活動が出来ますか」と問われて言う。「歳ですからせいぜい50年くらいでしょうか」。何と言うユーモアだろう。彼は今でも毎日家の周囲を8km走り、野草をおかずにして一人で生きている。乏しい年金を節約し、ボランティア活動の資金にしてると言う清貧さ。人間の値打ちは年収でも地位でも年齢でもなく、その志にあることを彼の言動から学ぶことが出来る。<続く>
2021.05.06
コメント(2)
~エロス・諸行無常~ 歓喜仏 愛欲の業火仏も人もまた *ごうか まぐわひて人生まれける道理かな チベット仏教の仏像などには性〇為そのものと思われる形のものがある。大抵は「歓喜仏」(かんきぶつ)と呼ばれ、今も厚い信仰の対象である。その真意は到底凡人には理解し得ないが、あるいは生命の起源が真理につながるとの考えかも知れない。 クメールの女神の笑みに惑ひつつ <アンコールワット彫像> 東南アジアの女神たちもチベット仏教の秘仏に劣らず妖艶そのもの。アンコールワットの壁面一杯に浮き彫りされた女神像はいずれも豊満な肉体を有し、隠微な印象はどこにもない。実におおらかで、これを「祇園精舎」と考えたのであれば、日本人の感性とは異なるようにも思うが、多分そうではないのだろう。 縄文の石棒 道祖神 梵天祭り 縄文時代の石棒も日本古来の信仰である道祖神も、形は男〇器そのもの。梵天祭りの「梵天」もその代理で、子宮に見立てた社に梵天を突入させるのが祭りの本旨。形を変えた性〇為と見なすことが出来よう。これらに共通するのは種族の繁栄と長命の願い。ヒンズー教の「リンガ」も男〇器を模したと言われるので、長命と種族の繁栄は民族や時代を超えた希求なのだろう。 そそり立つ魔羅につながる人類史 *まら(仏教用語で男〇器) 天の岩戸の前で踊るアメノウズメ ほと出して鈿女踊れる大岩戸 *うずめ エロスとは生そのものと見つけたり 弟スサノオノミコトの乱暴に怒って姉の天照大神が天岩戸に隠れて以来、世の中は真暗になって人々は困っていた。そこでアメノウズメノミコトが大岩戸の前に進み出、踊りを踊った。皆は喜んでやんやとはやし立て笑った。外が賑やかなことに驚いた天照大神が戸を開いて覗いた途端、タヂカラオノミコトが一気に戸を開き、天照を外に引き出した。すると世の中はたちまち明るくなったと言う日本の神話。 この時、アメノウズメは「腰のもの」を外して「ほと」を露わにし、ストリップの発祥とも言われる。ほとは聖なるもので、呪術性を秘めていたと言われる。単なるエロスとは異なり、沖縄にも似たような話がある。 殷の紂王と妲己 さて、「酒池肉林」と聞いたら何を思い出すだろうか。男なら「ムフフ」なことと答えるかも知れない。だがこれは殷の紂王(ちゅうおう)の妃だった妲己(だっき)の行いに対しての譬え。彼女は贅沢を好み、毎晩のように宴を催し、池に酒を注ぎ、子豚の丸焼きを林のように立てて豪遊した由。挙句は裸の男女に鬼ごっこさせた由。その殷が周に攻められ、妲己は周王に殺害された。天下の悪女を成敗した積りだったのだろう。 四字熟語残し悪女は殺されぬ イヌイットの氷の家 北極圏に住むイヌイット(かつてのエスキモー)は氷の家を作る。昔は電気もストーブもない。おまけに近隣には家もない。だから遠来の旅人が訪れた際は、主人は妻を客に提供した由。心身の暖房のため。客は主人の配慮に感謝し、喜んで受け入れるのが礼儀だった由。また貧しい地域では兄弟が妻を共有することもあった。それもまた文化。文化に高低はない。あるのはその土地に応じた暮らしと人の生き方なのだ。 妻与え客をもてなすイヌイット オーストラリアの僻地に、集団で暮らす一族がいたそうだ。研究者が彼らの血統に関心を持って調査したしたら、彼らは4代から5代に亘って近親結婚を繰り返していたことが判明。その結果、身体的な障害のみならず、精神的な障害が数多く見られた由。あまりにも近い血族で何世代にも亘って婚姻したため、劣性の遺伝子が影響したのだろう。これは本当にあった話。きっとメンデルもビックリだろう。 メンデルもエンドウ豆なら分かったが 話はまだ続くのだが、こんな内容の話は書く方も草臥れるのでねえ。 <一応続く予定>
2021.05.05
コメント(2)
~連休とは言うけれど~ オオテマリ 庭のオオテマリがかなり大きくなった。それにつれて、薄い緑色だった花が、純白に変わって来た。初めてこの花を他所で観て、わが家の庭にも植えたい。そう思ったほどの存在感があったのだ。だが、なかなか大きな花は咲かず、咲いても春先に虫に食われる年が続いた。どうやら特殊な蛾(が)が卵を産み付けるようだ。毛虫が出るころは葉が虫食い状態になるが、今年はその被害が軽かったのかも。 それにしても連休と言う実感がない。特に独り暮らしになってからは酷い。それはそうだ。「サンデー毎日」だもの。でも無理はせず、その日の体調でやれることをやる。その日は大掃除をし、昼は素麺を茹でた。3年前に次男が送ってくれた上物。裏の畑から三つ葉を摘んで茹で、竹輪を切ったのと一緒におかずと薬味にした。午後はブログに熱中。 昼が素麺だったにも関わらず、夜はスパゲッティが食べたくなった。それもケチャップ味の強いナポリタン。幸い、茹で時間「7分」のが1袋残っていた。だがなかなかお湯が沸騰しない。そろそろIH用のレンジがいかれて来たのか。鶏の胸肉を茹でたのを刻んで具に。柔らかくて食感が良い。大成功だ。その夜はシンクの金具や布巾など一式を漂白した。翌朝、かなり汚れが落ちていた。 その夜は雨。翌日の日曜日の朝は町内会の草刈だが、雨の場合は中止。鎌と軍手は準備し、玄関に置いていたが、どうも人が出て来る気配がなかったため行くのを止めた。朝食はナポリタンの残りだが、すべて美味しくいただいた。あるおかずの中で思いつく限りバランスの良い食事を考え、野菜と果物も欠かさない。問題は天候と買い物の関係。さてどんな順番で行こうか。 先ずA店に行き、米10kgを買って帰った。それだけで背負ったリュックが一杯。一度帰宅し、次はB店へ。ここでは野菜、果物、魚、肉、牛乳、麺類、豆腐、納豆、お菓子とパンなど。パンは半額。古い刺身も「切り身」(加熱用)となって半額。野菜の「お徳用」も仕入れた。値下げの原因は連休中だから。半額にしてでも早く売った方が、店にとっては良いのだろう。そして得をした私もウハウハ。 トロの本マグロが200円代。色は悪くなっていたが、味と品質には問題なしと判断。帰宅後ラップを外しながら見たら「地中海産」だった。地中海産の本マグロを食するのは初めて。これが実に素晴らしい味で、上トロそのもの。これは驚いた。すし屋でだって食べたことはない。しかも3~4回分になった。 100円のタコは「細い足」だけ。出刃で切ると吸盤が吸い付いて来る。これは活きが良い証拠。キュウリを刻んで酢で和えた。まあこんな具合に主夫と化した爺さんは家事に精を出す。 帰宅した頃はまだぽつりぽつりだった雨が、キッチンで食品を仕分けしているうちに、音を立てて降り始めた。ハハハ。買い物作戦大成功だ。出かける時間と店の順番を間違えていたら、きっとびしょ濡れになったはず。残った買い物。夏野菜の苗と、お徳用野菜は、連休中に他の店へ行く。その方が安くて良いものをゆっくり選べるはず。なにせ爺さんにたっぷりあるのは「時間」。これを活用しない手はないからね。
2021.05.04
コメント(4)
~エロスと歴史と習俗~ 源氏物語絵巻 世界に誇る日本の文学の代表として「源氏物語」を挙げる人は多いかも知れない。その証にこれまで何人もの人が訳している。だが古典文学に明るくない私には、王侯貴族の単なるセッ〇ス依存症としか思えないのである。時代が異なるので単純な比較は出来ないが、皇室における結婚観は現在とは全く異なり、中には「近親〇婚」としか思えないようなケースも多々あることに驚かされる。 古代の上流階級では「妻問婚」が普通だった由。真っ暗な寝床に男が忍んで行くのだ。当時貴族が風呂に入るのは月に5、6度。それも吉兆を占ってからのこと。長い髪を洗うのは米を研いだ研ぎ汁。ただし光沢を出すため、髪に油を塗っていた由。匂いを隠すため、香を焚き込めていた。だからあまり清潔とは言えなかったようだ。庶民は風呂などにも入れず、たまに体を拭く程度だったのではないか。 筑波山 関東平野の北に聳える筑波山。男体山と女体山の二つの嶺の間で、古代は年に2回「歌垣」が催されていた由。本来は男女が歌を詠み交わすことだが、実態は自由恋愛。その日だけは既婚者と未婚者を問わず好きな相手と思いを遂げることが出来たと言う。頂上は筑波山神社の神域だが、神も公認する特別な一夜だった。 百人一首に陽成院(陽成天皇)の歌がある。「筑波嶺のみねより落つるみなの川 こひぞつもりて淵となりぬる」。みなのかわは「男女川と書く。こひは恋で、筑波山での歌垣を詠んだもの。だが都の天皇は筑波山も、そこで行われていた「歌垣」の実態も知らない。歌を詠んだ天皇は若くして皇位を次ぎ、権力を維持するために苦心した。藤原氏の影響が婚姻に及び、激しい権力争いが絶えない古代の皇室だった。 時代も場所も遠く離れた沖縄にも、かつて筑波山と似たような風習があった。毛遊びだ。「もうあしび」と読み、祭りの夜にだけ許される草むらでの男女の自由恋愛。琉球王朝とヤマトに同じ風習があったのは決して偶然ではない。日本と沖縄は、人種も言葉も宗教性も風俗も底流でつながるものがある。どちらも祖先は縄文人だからであろう。本土の庶民なら、さしずめ「夜這い」に近いかも知れない。 男女間の話はまだあるのだが、今日はこの辺りで止めておこう。私は色んなことに興味を持ち、本を読んだり、現地を旅したり、博物館、美術館、神社、古墳、聖地などをたくさん訪ねた。またTVなどの科学番組が好きで観ている。そのせいで、幾つかの疑問点がふとした機会に解けることがある。つい最近もそんなことがあり、自分の直感が間違ってなかったことを知った。まさに事実は小説よりも奇なり。だから自由な発想が大切。自分の知識など知れたものだ。<続く>
2021.05.03
コメント(0)
~ディープ・ステートの闇~ <庭の花を背景に> アイリス 4月29日(木)。朝起きてパソコンを立ち上げ、自分のブログのアクセス数を確認する。深夜0時には翌日のブログが公開される。その日のテーマは「ヒラリークリントンの処刑」。果たしてどれくらいの人が記事を読んだのか興味があったのだ。朝の8時半の段階では300アクセスちょっとで、いつもと大差ない。夜の9時には1500まで上がっていた。 ツリガネスイセン(ピンク) 必要があってグーグルの画像検索で「クリントンの絵」を検索した。するとその中に見覚えのある写真。彼女の画像ではなく私がその日のブログで用いた「黄色いシュンラン」。ただしタイトルがそのまま「ヒラリー・クリントン死刑台の露と消える」となっていた。アクセス数が増えたのはきっとそのせい。翌朝確認すると前日の最終アクセス数は1800を超えていた。自己新記録だ。これにはビックリ。 咲き始めたモッコウバラ ついでにヒラリー・クリントンの画像を検索すると、私のブログは既に削除されていた。アメリカの民主党や、グーグルなど巨大IT企業など、つまり「ディープステート」側に不都合な情報や画像はこうして消されると言う何よりの証拠だ。私は今回身をもって体験したが、ツイッターでもyoutubeでも、多くの人が真実を知らせようとしても、黙って闇に葬られる。今はそう言う時代。怖いのは中国や全体主義国家だけとは限らない。 ツルニチニチソウツルニチニチソウ ツルニチニチソウ バイデン政権の施政方針演説があった。認知機能に問題があると言われながらも、何とか「普通」に演説し、特に不自然な点はなかったように感じた。だがあれも上手に編集した後なのかも知れない。しかしバイデン親子の弱みを握り、大物の民主党員に大量の資金をばら撒いた中国がなぜそのことを明かし、脅迫しないのかが不思議。もしもそうすれば彼らの不正も全世界に伝わるからだろうか。爺はそう考えた。 ドウダンツツジ つくば勤務時代の後輩のHさんから電話が来た。町内会の避難対策を参考にしたかった由。大きな余震があっても家族が無事だった場合は家の前に「黄色い布」を合図として出すと言うルールだ。それはそれとして、つくば悪友会の仲間の消息を尋ねた。筆まめな彼はほとんどの人と年賀状をやり取りしてる。それで皆が元気でいることを確認。コロナ自粛の今は、足腰が弱ってと言うと、彼も笑った。 さて今月から町内会の草刈が始まった。月の第1日曜の朝7時半からが約束事だが、コロナのこともあって密にならない範囲で、しかも短時間に終わることになっている。超開会の総会も中止し、「会議資料」による報告と事業計画の承認だけになった。5月なのに心は晴れないが、「東北楽天」の頑張りが唯一明るい話題。そろそろ、畑に夏野菜の苗を植える時期だ。
2021.05.02
コメント(2)
~宗教と性差別~ 夜のモスク 連日苦戦しながらブログを書いている。特に今日取り上げるイスラム教の話は厄介だ。知識がないためと、この宗教の厳格性のため。揶揄したと誤解され暗殺された人もいるほど。でも誤解を恐れずに書こうと思う。私の青年時代、イスラム教は教祖の名を取って「マホメット教」と呼ばれていた。現在は「ムハンマド」とされ、「イスラム教」になった。神の名はアラーで、ユダヤ教の神の名にも通じるとされているようだ。 イスラム教国の国旗(部分) ユダヤ教の信徒だったムハンマドはアラーの啓示を受けて預言者となり、イスラム教の宗祖となった。彼は偶像を禁止するなど厳しい戒律を定めた。そして10年ほど前、アラーを揶揄する漫画を新聞に載せたフランス人が暗殺され、事件を論評した筑波大学の助教授が殺された事件を今でもはっきり覚えている。やはり異常性と残忍性が際立っているとの印象が強い。 マララ・ユスフザイさん(ノーベル平和賞受賞者) 2012年。14歳だった彼女がアフガニスタン北部の中学校からスクールバスで帰宅途中、2人の学友と共に過激派タリバンに襲われ、彼女は頭部を銃撃された。入院、手術して頭部を貫き顎骨に留まっていた銃弾の摘出に成功する。彼女が襲われた理由は、タリバンはイスラムの女子に教育は不要と主張していたが、彼女は事件の3年前イギリスのBBCに取材を受けた際、それに激しく反論し抗議したこと。 映像が世界に報道され義援金がアフガニスタンに寄せられたことで、政府が勇気ある少女として、彼女の本名を公表したのが仇となった。彼女は奇跡的に一命を取りとめ、退院後も女性解放運動と人権活動に身を捧げ、2014年にノーベル平和賞を受賞した。授賞式や国連総会での堂々とした英語での演説は、世界の人々を感動に包んだ。 イスラム教にスンニ派とシーア派があることは知られている。スンニ派はイスラム圏の9割を占め、宗祖ムハンマドの教えである慣行を重視すべきとする。従って規律はより厳格だ。これに対してシーア派は宗祖ムハンマドの血を引く者から指導者を選ぶべきとする、血縁重視と言えようか。男は妻を4人まで持てると言うのは、両派とも共通のようだ。 これに対して対して女への制限はかなり厳しいものがある。女性は夫以外の男の前で肌をさらさないことが求められ、図のような肌を蔽う衣類が規律の厳しさに応じて設けられている。ただしトルコのように近代化したイスラム国家においては、これらの厳格な衣装から解放されて、お洒落を楽しむのが普通になった。 ただし、アフリカなどには過酷な通過儀礼がある。少女に対する「割礼」だ。一部キリスト教徒にもあるようだが、ほとんどはイスラム教徒の中での習俗のようだ。具体的には、クリ〇リス、大〇唇、小〇唇を切除し、中にはちつを縫い合わせることもある由。その苦痛と心身への被害は甚大で、医学的な有用性は全くない。世界で毎年約2億人の少女がこの危険行為に曝されている。 アラビアンナイト また新婚の初夜に、新郎が新婦に対して割礼を施す地域もあると聞く。医学的な知識も技術も、麻酔もないまま素人が重要な〇器を損傷するのは因習に過ぎず、百害あって一利なしの危険行為だ。アフリカのある地域で大勢の女子中学生が拘留され、過激派兵士の妻として前線に送られたニュースがあったのは、つい数年前だったと記憶している。どうやらその後解放されたと思うが、誤解でないことを祈りたい。記載内容が 「わいせつ」との判定で公開出来なかったため、一部「伏字」にし直しました。<続く>
2021.05.01
コメント(0)
~4月の最後に~ クリントンの遺影 4月下旬のある日、探していた事実を確認してブログを書き直し、予約していたブログと入れ替えた。その翌日ネットで探したヒラリークリントンの画像に、なにやら「囚人番号」の@ようなものが付されている写真を見つけた。日本語は誰かが親切に翻訳して付記したのだろう。「国家反逆罪」で軍事裁判を受けたことが、1枚のモノクロ写真からも伝わって来る。 差し替えた方のブログを予約する時も、ちょっとしたトラブルがあった。書き終えて安心し、「予約」をクリックしたら「一部にわいせつな表現があるので書き直して下さい」と楽天ブログからの通知文が表示。その日に書いた「女性への割礼」で具体的な「部位名」を書いたのが、「わいせつ」に相当する言葉として予め登録してあり、それに捕まったのだろう。直ちに「伏字」に直して再投稿し、今度はOK。 ドウダンツツジ(満天星) 「あれっ、前にもそんなことがあったなあ」。大学の医学図書館や国立の博物館にも勤めたことのある私は民俗学などにも興味があり、具体的な身体の部位名を平気で書くことがある。それは純粋に科学的な関心からで、決して「わいせつ性」はないのだが、馬鹿なAIは予め登録された「禁止語」に反応してしまう。前後の文脈や全体構成を見ればわいせつ性がないのは、一目瞭然だと思うのだが。 A B C 上の3枚の図は、中国が人口衛星から撮影した写真を元に製作した尖閣諸島「魚釣島」の地図。Aが人工衛星から撮った写真か。ただし、中国は以前から尖閣周辺の海底地形を違法に調査していたので、それらを組み合わせたのだと思う。Bは三次元的な映像で、島をより立体的に捉えている。Cは植物の生態など、島の様子をより本物に近いよう加工したみたい。 尖閣諸島は歴史的にも国際法上からも日本古来の領土であり、中国がこのような地図を作成する権利はない。彼らの狙いは「中国の実効支配」を世界にPRすることにあるのだろうが、とても許されることではなく、早速日本政府が中国に抗議したのは言うまでもない。 これも中国関係。元は葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」の一つで「神奈川沖・浪裏の富士」。それを福島原発処理水を海洋に放出する日本側を揶揄する目的で有名なこの浮絵を改造。1)富士山が消えて、その代わりに白い「十字架」を描いている。2)富士の山麓に原発を模した白い建物を描き、そこから「何か」が噴出してるように描いた。3)一番手前の舟からは、何やら液体様のものを容器で海中にばら撒いているように加工。 この件についても、早速日本政府は厳重に抗議したのは言うまでもない。言論弾圧、人権弾圧、新型コロナ対応、近隣国家への強権的な姿勢などで、国際的な圧力が最近中国に対して強まったことへの対抗だろうが、中国の焦りと孤立を感じることも可能。 小惑星リュウグウの岩石 JAXA(宇宙航空研究開発機構)は、このたび昨年12月にはやぶさ2が小惑星リュウグウから持ち帰った岩石サンプル(上)に、有機物と水が含まれている「特徴」があるのを発見したと公表した。小さくていびつなリュウグウ。そこに弾丸を発射して岩石の粉塵の採取に成功したはやぶさ2が、またまたやってくれましたね。これが宇宙における生命誕生の謎の解明につながると嬉しい。 かつての夫妻 3年前に殺害された「紀州のドンファン」こと野崎幸助さん。77歳での死亡時、13億円余の遺産があった由。夫の殺人容疑で元妻の須藤早貴(25歳)が和歌山県警に逮捕され、昨日地検に書類送検された模様。死因は「急性覚せい剤」中毒の疑いで、口から摂取させられた感じ。元妻が覚せい剤の売人と連絡を取り合い、キッチンから覚せい剤反応が出たことが判明。55歳の年の差婚に無理があったか。それとも大金に目がくらみ、欲に駆られての犯行か。明日ははや5月だ。
2021.04.30
コメント(4)
~一つの死・ブログと報道と真実~ シュンラン(春蘭) ここ数日の間、私はyoutubeであることを確認していました。だが、それらしい内容のニュースは皆無でした。昨日の夕刻17時40分にようやく探し物が見つかり、ある事柄を確認することが出来ました。なぜ時間がかかったかは、現地との時差、米国での報道、youtuberの翻訳と制作とアップ、そしてグーグル社の記事内容チェックなどがあるからです。 言うまでもありませんが、テレビや新聞などが真実を伝えるとは限りません。それはアメリカの大統領選挙の報道を見て強く感じたことです。然らずんば何を信じるか。大統領選挙に関して言えば、私の場合はyoutubeでした。しかしその当時のチェックはとても厳しく、より正確と思われる情報を入手するのが困難でした。そして得た情報を信じ、自分の信念と感覚に従って、ブログに記したのでした。 前置きが長くなりましたが、私が探していたのはヒラリークリントンの死の確認でした。「根も葉もある?ない?」シリーズで先日まで連載していた彼女の悪事、さる大型コンテナ船のスエズ運河での座礁事故、そして米海軍グアンダナモ基地(収容所)で行われていた彼女を被告とする軍事裁判の決着です。端的に言えば死刑の執行。やっぱり第5回の通り、彼女は絞首刑に処され死亡していました。 私が参照していたyoutubeは「マタタビの羅針盤」でした。彼の情報を信じたのは、「real raw News」を彼が苦心して翻訳していたこと。記述内容に真実味が溢れていたことです。大統領選挙に関する時もそうでしたが、アクセス数を増やすため、中には真実とは程遠いセンセーショナルなものも結構ありました。本件は内容が内容だけに、さらに確実性が求められると判断しました。 ただし第1回から第4回分までは、私見も付加しました。それは単なる感想ですが、それくらいなら許されると判断していました。ただし、今回(今日)は何も付加する必要はありません。かつてはアメリカの国務長官まで務めた著名な政治家が、国家反逆罪などの犯罪人として軍法会議にかけられ、処刑された事実を伝えれば十分でしょう。ただ、報告が遅くなった理由と背景だけは、記した積りです。 彼女が自宅で逮捕されたのは3月2日だった由。処刑にはトランプ前大統領、ポンペオ前国務長官、トランプ陣営の主任弁護士だったジュリアーノ氏が立ち会ったそうです。皆さま自身が確認したい場合は、「マタタビの羅針盤」の「ヒラリーの最期」で検索してください。ただし、米国内の記事内容チェックの関係で上手くヒットしない場合があり得ますので、その際は何度かトライしてください。 何度か私のブログを賑わせてくれた彼女の霊に白いバラを捧げ、結びとします。そして情報を提供してくださった「マタタビの羅針盤」さんに、心から感謝申し上げます。ではでは。<この項 完>
2021.04.29
コメント(6)
~宗教と性・聖と俗~ 楽園追放(1) 神は自分に似せて人を作ったと言う。男はそれで良かったが、女は男の肋骨から作った由。神は男女に言った。「これからお前たちを楽園に送るが、決してリンゴの実だけは食べていけない。食べたら死ぬよ」と。だが、イブはヘビにそそのかされてリンゴを口にし、アダムにも食べることを勧めた。だが、食べ終わった二人は恥部をイチジクの葉で隠した。リンゴを食べ、善悪の分別を知ったのだ。神は怒って二人を楽園から追放した。そして人間は神の予告通り死ぬ運命となる。 楽園追放(2) 神は全きものとして人間を作ったとし、キリスト教の中にはダーウィンの「進化論」を否定する宗派や、「輸血」を拒否する宗派や、今でも都会から離れた農村で昔ながらの暮らしを守っている宗派があると聞く。また堕胎を禁じ、避妊を禁じる宗派もある。 受胎告知 フラ・アンジェリコの「受胎告知」は、マリアが天使から神の子を宿したことを告げられる場面を描いている。つまり処女懐胎で、マリアは夫ヨゼフと交わらぬまま妊娠したとされる。聖母マリアたる所以で、生まれたのが神の子であるイエスキリスト。例えは悪いが日本にも日輪の夢を見て「日吉丸」を産んだ農婦がいた。後に太閤豊臣秀吉となる人物の生い立ちの話だ。 中世の古城 中世のヨーロッパの領主には「初夜権」と言うものがあったと、大学時代の講義で知った。つまり領主は自分の領地に住む家の娘を自由にすることが許されていたと言う。つまり権力で処女を奪った訳だ。その一方夫婦が離婚する際は、二人を決闘させた由。ただし男には目隠しをし、片足は鎖で杭につないだ。生き残った方が正義。神前で神に誓ったのだから、夫婦のどちらかに不正義があったとの考えだ。 中世のキリスト教寺院 当時の宗教の主流だったカトリックの神父は結婚を禁じられていた。だが神父と言えども人間。性欲はある。それで尼僧を犯したり、少年を相手にすることもあった由。戦国時代の日本の武将も同じで、戦場に女性を伴うことが出来ず、小姓と呼ばれる美少年を傍に侍らせていた。最後まで織田信長の側に仕えた森蘭丸の話は有名だ。夜も武将の伽(とぎ)の相手をすることから「御伽衆」とも呼ばれていた由。さて現代でも。神父が信徒の女性をレイプした話を稀に耳にする。 親鸞聖人 その点、親鸞聖人(しんらんしょうにん)は異例中の異例かも知れない。鎌倉時代の僧侶で浄土真宗の宗祖。異例と言うのは僧侶の彼が妻帯していたことだ。恵信尼の存在と7人の子女がいたことが知られている。聖人は越後に流されたことがあり、当時身分の高い流人(彼は皇族でもあった)には身の回りを世話する女性を拝する習わしがあった由。「悪人正機説」や「歎異抄」で有名な聖人の人間らしい一面が偲ばれて微笑ましいと私は思うのだが。<続く>
2021.04.28
コメント(0)
~生物としての人間と社会性~ 何度か使ったこの図だが、今日もまた使わせてもらったぞ。サルの仲間だったころから、徐々に人間らしくなって行く様子がとても良く分かるね。サルだったころは四足歩行で、背中が曲がっているね。それがだんだん腰が伸び、着物を身に着け、道具を発明し二本の足でしっかり歩くようになる。背が伸びてより遠くまで見えるようになり、頭が大きくなる。つまり頭蓋骨内の脳が巨大化して行くんだねえ。 ミロのヴィーナス サルだった頃のメスには「繁殖期」があった。そして「四足歩行」だと当然外性器は露わになる。それでオスを惹き付けた。もちろん繁殖のためだ。それが二足歩行になり、背骨が真っ直ぐして脳が大きくなったヒトに「繁殖期」はなくなった。だが種の保存のためにオスを惹き付ける必要があるが、露わにならない外性器に代わって、乳房が大きく目立つようになった。 骨盤の男女差 四足歩行となったヒトが変化したのは脊椎や脳だけではない。骨盤も大きく変化する。四足歩行の動物は安産。馬や鹿の子などは生まれたと同時に立って歩ける。ところが人間の胎児は弱く、長期間子宮内に留まり成長を続ける。骨盤の形状に男女差が現われるのは思春期以降。男性は変わらないが、女性は出産に備えて開き横長となる。産道が広がることへの対応だ。男性は竪型の空洞のまま。 乳幼児の頭蓋骨 さらに、胎児の頭が産道を潜りやすくするため、胎児の頭蓋骨には隙間があり、産道の出口では頭の形を変形させて出産する。生まれたばかりの乳幼児の頭は「ペコペコ」して柔らかいが、やがて次第に隙間が埋まる。ヒトの出産は大ごとで、縄文人の平均寿命が短い原因は、出産で母子の生命が失われることが多かったため。二足歩行でヒトとなったばかりに、女性の負担が格段に増大した訳だ。 ロダン「接吻」 繁殖期がなくなると危険も増える。そこで衣類をまとい、住居をしつらえ、用心のために「火」を焚く。やがて石器や土器を発明し、食べ物を煮炊きすることを覚える。栄養を摂ることで体格が向上し、生命が延び、頭脳が発達する。そして互いに意志や情報を伝達する手段を発見する。 <ボッティチェリ 「春」> 動物のオスが複数のメスと交尾するのは、自らの子孫を残そうとする本能と、さる脳科学者は言う。人間の男の浮気も動物であったころの名残と言うのだが、さていかがなものか。現代における「性」や結婚は変容し、家族の概念も国や時代や宗教によって異なるようにも思う。次回はそんなことを考えてみたい。ただし、焦らずにぼちぼちとね。<続く>
2021.04.27
コメント(6)
~万物は流転する~ 横山大観作 <「生々流転」の一部> 横山大観 横山大観は慶応4年/明治元年(1868年)現在の茨城県水戸市生まれの日本画家。昭和33年(1958年)没。ほぼ自己流で絵筆を握り、東京美術学校(現在の東京芸術大学)を受験し合格。後に助教授を勤めるも校長の岡倉天心が追放後はフェノロサなどの同志と共に、日本近代美術の在り方を目指して奔走。日本近代美術の父と呼ばれる。第1回文化勲章受章。 <横山大観作 「生々流転」の一部> 「生々流転」彼の代表作で1923年に制作。長さは40mを超える日本一長い絵巻物で、重要文化財指定。国立近代美術館所蔵。確か「国立京都博物館」で作品を観、色彩があったはずなのに、ネット検索したら墨絵みたいだ。人生は悠久で、人は絶えず変化すると言う壮大な作品名を、今回のシリーズ名に使わせてもらった。私なりの人生論と雑感を書こうと思う。 未明、テレビを点けたら「おしん特集」をしていた。それもかなりの長時間。一体これは何事と奇異に感じつつ、古い画像に見入っていた。NHKで実際に放送された昭和58年ごろ。私は最も多忙な時期で、ある新設大学の創設に腐心していた。だからこの有名なドラマを、ほとんど観たことはなかったのだ。 石井(左)と橋田(右) この二人脚本家の橋田壽賀子とディレクター石井ふく子の二人が出て来て納得がいった。これは先日97歳で逝去した橋田壽賀子の追悼番組だったのだと。それにしてもまだ当時の日本社会で女性の登用が困難だった時代に、この二人は「出る杭は打たれる」とばかりに叩かれ続けながらも、決して妥協せずに自らの意志と主張を曲げなかった。世界的な評判となった「おしん」は、いわばその象徴となったのだ。 おしんが筏に乗って酒田に奉公に行く場面、母親役の泉ピン子が堕胎のため冬の川に入る場面は、「吹き替え」なしだった由。そしてこの名作は世界中90か国以上で放送され、当時おしんを観たイラン人女性が日本に憧れて日本人男性と結ばれ、現在日本で母となった実話など、この作品が世界の人々に与えた感銘の大きさが分かろう。それにしても戦前の貧しい東北の農家の話が、これほどの感動を呼ぶとは。 朝ドラ「おちょやん」は「松竹新喜劇」の実話を下敷きにしていることは知られている。渋谷天外(ドラマでは一平)と妻浪花千栄子(右=ドラマではおちょやん)の平和な日常に、一平の浮気で女性劇団員が妊娠し、やがて子供が生まれる。そのことを知り、おちょやんは静かに身を引く。それが昔の日本女性の普通の身の処し方だったのだろうか。「オロナイン軟膏」の広告の笑顔が悲しい。 愛ちゃん夫妻 これに対して現代の日本女性は実にたくましい。週刊誌にダブル不倫をすっぱ抜かれた福原愛ちゃんは、「一緒の家には入ったが、一緒の部屋に入ってはいない」と弁明。その後台湾から実母は日本に帰国。今後介護が必要の由。一方の夫君は地元の裁判所に離婚を申請し、弁護士を準備。今後2人のお子さんの親権を争うことになると思われる。もうかつての「大和ナデシコ」の面影はない。<続く> 今後このテーマの合間に、適宜他の話題を挿入することがあり得ます。予めご了承願います。
2021.04.26
コメント(6)
~土と遊ぶ~ 暇に任せて敷地内の草取りをしている。このところの気温上昇で、雑草の伸び方が早くなったからだ。先日などは夏日一歩手前まで行った。雑草が喜ぶはずだ。まだ抜きやすい時に処理しないと、後で苦しむことになる。そして家庭菜園は、連休ごろから夏野菜の苗を植える必要がある。だから草取りは、その前準備でもある。ネットから「それらしい」写真を借りて、庭と畑の近況をお見せしたい。 庭のモミジが美しい。若葉が一斉に芽生えて、まるで緑の大きな傘を広げたみたい。木自体は1mにも満たない高さだが、植えてから15年ほど経って、とても存在感がある。 バラの赤い新芽(右)も美しくて好きだが、オオテマリの緑の蕾(左)も可愛い、これが日増しに大きく、かつ真っ白な花と化す様子は見事。例年毛虫に食われるのだが、今年はまだその気配はない。モッコウバラの新芽が一斉に芽吹いて壮観。ネットに相応しい写真がなかったのが残念。 ツツジは赤とピンクが相次いで咲き始めた。モミジの清冽な緑と対比して、春らしい柔らかいグラデーションを織りなしている。白のツツジはまだ。モッコウバラとどちらが先に咲くか。 次に畑の現状だが、ジャガイモとタマネギの様子は前回載せた。裏の畑のシュンギク(左)が発芽した。残り物の種のうえ、日当たりが良くない悪条件だが、それでも元気。右は冬の間土を被せていた雲南百薬の新芽。最初の苗を植えてから、何とか冬越しさせて10年目ほどになるだろうか。間もなく支柱が必要になるだろう。ジャガイモは24個のうちの1個が遅霜で新芽がやられた。それでも地中ではまだ生き続けて、再び芽を出すはず。ジャガイモは寒冷に強い作物だ。 2本ずつ植えたキャベツ、カリフラワー、ブロッコリーがいずれも順調に成長している。代表としてブロッコリーの写真を載せた。そのうち蝶々が卵を産み付けにやって来るかも。 草花ではツリガネスイセン(釣鐘水仙=左)が満開。木の花ではセイヨウシャクナゲ(西洋石楠花=右)が真っ盛り。梅の実の成長ははこれから。ボケ(木瓜)も椿もやがて艶やかな実を付けるだろう。 外に出している植木鉢のパンジー(左)とガザニア(右)も元気良い。冬の間室内に取り込んでいた植木鉢を外へ出すのも間もなくと思うのだが、寒さに弱いため遅霜に遭わないよう注意せねば。 さて、われらがマー君。昨日の対西武戦で本拠地で初登板し、見事6回1失点で今季初勝利。併せて日本国内で通算100勝目を挙げました。歴代2番目の速さでの100勝達成とのことですが、マー君は8年間日本を留守にしていたのと、国内の勝利は全て楽天で挙げたことを思うと、その偉大さが分かると思います。優勝した年の24勝0敗の勢いと剛腕はありませんが、力をセーブしたクレバーな投球が見事でしたね。「通算100勝」には球場のファンも喜びに溢れていました。
2021.04.25
コメント(0)
~春陽~ 白いスミレ 新型コロナウイルス感染症の勢いが止まらない。複数の変異種が猛威を振るい、最近はインドで流行中の「二重変異株」も発症した由。重症者用ベッド不足が現実となって、政府に「緊急事態宣言」の発動を依頼する都府県もで出した。仙台市でも高齢者に対するワクチン接種の計画が立たず、当初予定の4月からどうやら6月にずれ込む見通しのようだ。これではオリンピックどころではないだろう。 白いハナズオウ 国によっては、医療関係者へのワクチン接種よりも、施設の高齢者への接種を優先している国もあるとのこと。理由は死亡率を考慮してのこと。そして日本のコロナ対策の遅れの原因は、厚生労働省の「医療系技官」の存在との説もある由。医学の知識を有しているのを良いことに、迅速な対策より自らの保身を優先するとの指摘。送別会でクラスターを発生させたのも先日居酒屋で感染したのも彼らと言う。 小さな梅の実 しかしこれだけ自粛暮らしが長期化すると、自律心が緩んでしまう。大都会の若者が路上に座り込み、大勢でアルコールを摂取するニュースも良く目にするようになった。「緊急事態宣言」適用となれば飲食業だけでなく、イベント、娯楽施設、博物館、美術館などにも波及し、学校の休校措置もあり得る。まして旅行は厳禁。観光関係者に与える損害は甚大なものとなろう。今は心の平安を保つのに必死だ。 少しはタマネギらしく 介護保険料と後期高齢者保険料の刈領収書が届いた。年金から自動的に控除されるため、逃れる術がないが国民としての義務でもある。ある総合病院から届いた「人間ドック」のパンフレットを見て、仰天した。コースの多さと金額の高さ。脳ドックを含むコースは何と22万円ほど。これじゃあ受けたくとも二の足を踏むねえ。それで爺さんは頭をひねって他に良い方法がないかと考えたのさ。 ジャガイモの葉も大きく 基礎的な検査は無料の「市の健康診断」を使う。肝機能や腎機能は市の健診になければ、いつもの病院で受ける。脳内に異常があると感じたら以前行った「脳神経外科」で頭部のMRIを受ける。それなら1割負担で大丈夫。全体でも人間ドックの10分の1以下の支払いで済むはず。そう考えて決着をつけた。だがその一方で、コロナ禍の今は、病院に近づかない方が良いとも。何とか生きる気力を保ち続けたいものだ。 三つ葉の新芽 気温の変化が大きい。先日は23度ほどまで気温が上がった。5月下旬の陽気だ。だが朝夕は冷え込み、油断すると頭痛が起きる。野菜炒め、ピクルスを作り、2種類の魚を焼く。その後、シンク、電子レンジの掃除をし、グリルの中と「受け皿」の掃除をし、新しくアルミホイルを敷き直し、グリルの「5分間手入れ」で付着した焦げを焼き切る。 さてわが東北楽天はソフトバンクに1勝も出来ず、昨日は西武と引き分けて首位と2.5ゲーム差の2位。今日のデーゲームは本拠地で初登板の田中マー君が先発。彼に勝ってもらって、勝ちペースになることを期待したい。
2021.04.24
コメント(2)
~徒然なるままに~ 新聞小説の一つが終わった。260回以上に及んだ連載だが、自分としては結構楽しみに読めた。テーマは日本に働きに来た外国人の在留資格と日本女性との結婚。日ごろ接することのない内容だけに、その進展にドギマギし、日本の法制度を忌々しく感じ、日本民族の単一性と女性のたくましさを感じた。思いがけない場面から小説は始まり、想定外のエンディングで閉じた。さすがは小説家。読ませる術を知っている。 そして彼が生まれ育った国について、改めて思いを馳せたのだ。複数の民族と言語と宗教。イギリスに統治された時代もあり、民族同士の内戦と殺戮もあった。そして近年中国の経済援助で造成された港湾の工事費を支払えず、99年間中国に無償貸与された。穏やかな国民性との印象が強かったが、私が知らなかった歴史と文化があった。単に私が無知だっただけだが、どんなことでも勉強のきっかけにはなる。 さて、バイデン政権になって初めての首脳会談が、過日ワシントンで持たれた。尖閣列島への日米安保条約の適用、台湾海峡の平和と安全の確保への言及、気候変動問題への共同歩調、新疆ウイグル自治区や香港に対する中国の人権侵害批判など、共同声明で明確な意思表示がなされたのが意外だった。たとえ形式的とは言え、まさかバイデン爺さんがそこまで踏み込んだ意思表示をしたとはねえ。 見方を変えれば、それだけ彼が追い込まれていたと言うことだろう。内政でも外交でも、トランプ氏が敷いた路線を守るしか術はなかったのかも知れない。対中国強硬姿勢や、日本、インド、オーストラリア、イギリス、ドイツと協力しての中国封じ込め。国内では中南米からの違法移民が国境に多数押しかけたため前言を撤回し、入国審査の厳格化と入国者数の制限を表明した。やっぱりねえ。 日米の首脳は夕食に出された「ハンバーガー」も食べず、夢中になって話し込んだと言われる。その一方、日本へは「塩対応」だった由。まあ、バイデン爺さんにとって日本は唯一心を許せ、かつ力を誇示出来る友好国なのだろう。可もなく不可もなし。菅総理にとっても無難な国際外交の滑り出しだったのではいか。トランプ=安倍外交の威力と国際的な影響を改めて知った思いがする。 日米首脳会談後の共同声明が発表された途端、C国が噛みついた。「台湾海峡の平和と安全」に言及したことや新疆ウイグル自治区と香港の人権侵害への懸念が、逆鱗に触れたのだろう。「国内問題」に口を挟むなと、王毅外相も例の報道官も、青筋を立てて日米両国を罵った。だが、その慌てぶりこそが、今回の日米首脳会談が中国の「重石」であることを改めて知らしめた。 中国によるスパイ活動の一端が明らかになった。今から5年前の平成28年。当時日本滞在中の中国人SE(中国共産党員)が偽名を使って電子機器の借用契約をし、日本で作った偽IDを中国のハッカー集団Tickへ売った由。当局に事情聴取されたものの、その後出国。ハッカー集団はJAXA(宇宙航空研究開発機構)、日立製作所、三菱電機、IHI、一橋大学、慶応大学など200か所をサイバー攻撃した模様。幸いにも大きな被害はなかったと言うが。 もう1人は中国人留学生で、中国共産党女性幹部の指示により人民解放軍のサイバー部隊「61419」に本滞在中に不法に得たID番号とパスワードを伝達し、USBメモリーを譲渡した容疑。こちらも事情聴取後、まんまと出国。本件で日本政府から抗議を受けると、C国は例のごとく「確かな証拠もないのに犯罪者扱いをするとは何事か」と反論。日本は世界一の「スパイ天国」。そして無策の国だ。 自国を来訪したアメリカのケリー気候変動担当特使に日本のトリチウム処理問題を訴えて「袖にされた」韓国。日本の処理方針はIAEAが認可する科学的なもので問題ないと一蹴され、以後日本案を容認せざるを得なくなった。また今回ソウル地裁で「元慰安婦への賠償訴訟」に関して日本政府による賠償は無用と、前回と異なる判決が出て却下。そもそも提訴資格すら疑問の原告。「何だかなあ」である。
2021.04.23
コメント(4)
~ジ・エンド~ 私が見ていたyoutubeと言うのは、このアメリカのニュースサイトを翻訳したもの。あまりにも内容が凄過ぎて、最近は「まがい物」が複数現れる始末。毎回手に汗を握って見ていたのだが、どうやら一つの結論に達したようだ。 この人の異常さについては、以前から知っていた。大衆の面前で「発作」を起こすようなことがしばしばあったからだ。そして何度か記したように、オバマ政権時代には国務長官と言う権力を笠に着て、とんでもない悪事を働いてもいた。だが、果たして真実なんだろうかと半信半疑だったのも確か。異常さがあまりにも際立っていたからだ。 現地時間の4月15日。グアンダナモ基地でこの人の5回目の審理があった。裁判官役の軍人は男2人と女1人。そして検事役を果たしたのがハニンク中将。この日も彼は証人を用意し、軍事法廷で証人に質問した。証人と言うのは彼女が国務長官当時の戦略補佐官であり、かつ愛人でもあったアベディン氏。彼は中将の質問に、包みなくかつ淀みなく答えた。 ヒラリーは元国務長官、国務長官、元ファーストレディーと言う完全な自由裁量権を利用し、アメリカ国内及びアフガニスタン、シリア、イラクと言った貧しい国から、養子を得るとの名目で、数千人もの少年少女、未成年者を「調達」していた由。その大半はカリブ海の〇島へ連行され、一部は「クリントン秘密結社」の有力者に売却されたり、「寄付」されたようだ。 被告と検事 また彼は、クリントンからトランプ前大統領の暗殺を持ちかけられたことも証言した。その間、彼女は一言も発せず、そのために彼女の有罪は開廷後わずか5分で決まった。そして死刑の方法に関する彼女の希望も示さなかった。そのためハニンク中将は、絞首刑となることを彼女に告げた。 死刑執行は現地時間の4月26日の消灯後と決まった。恐らくは民主主義国家アメリカの歴史に汚点を残す日となるはずだ。さて、この日の証人アベディン氏の次の審問の日時はまだ決まっていない。そして本来なら、バイデン親子も当然この基地に送られて軍事法廷で裁かれたはず。現職大統領としての「免責処置」があるのか否かは誰も知らない。 しかしスエズ運河で座礁した大型コンテナ船は、クリントン財団と関係「大あり」だった。しかも「大量の人間および遺体」と言う証拠を載せて。共同保有者である「クリントン財団」の主ヒラリークリントンは逮捕され、裁判を受けた。そして間もなくその報いを受ける。「エヴァーグリーン」(常緑)とは皮肉。まさに「天網恢恢疎にして漏らさず」。悪いことは出来ないものだ。以て瞑すべし。しかしこの話に続編が起こる可能性は、果たしてあるのだろうか。<完>
2021.04.22
コメント(6)
~ある軍事裁判~ 「俺がyoutobeを見直したのはだね」男が口を開いた。「ある軍事裁判が始まったのを知ってのことだよ」。これにはたまげた。昨年の大統領選挙での民主党による不正選挙とマスコミの加担には本当に腹が立ったし、悪漢どもが全員捕まれば良いと願ったほどだ。その想いはバイデン政権の誕生で潰えたが、それでもまだ正義のための戦いを続けていた人たちがいたと知って、俺は嬉しかった。 軍事裁判と言えば「米海軍グアンダナモ基地」。と言うよりも「グアンダナモ収容所」が有名。9.11の犯人たちも一時ここにいたらしいが、オバマ政権がここを廃止する動きもあった由。だが、トランプ氏は廃止するどころか収容所を拡張し、さらに容疑者を収容する専用船まで湾の岸壁に係留した。これは本気で大量の悪人らを逮捕し、一人残らず軍事裁判にかける気だとね。 ところがインチキ選挙のためにトランプ氏が敗れ、おまけに弾劾裁判まで起こされて、一時は万事休すと諦めた。アメリカの正義は雲散霧消したとな。ところが最近、ここに囚人が連行されたことを知った。その名前を聞けば驚くよ。誰でも知ってる名前だからね。ヒラリークリントン。オバマ政権当時の国務長官で、トランプと大統領選で戦った相手。そしてかつてアメリカのファーストレディーだった人。 だが彼女の悪評は腐るほど聞いた。「個人メール事件」、中国からの不正献金授受。それに自分に不都合な人を次々に「消した」物騒な女。さらにカリブ海に浮かぶ小島で、「アンチエージング」(若返り)に効果があるとされる「虐待された幼児が分泌するある種のホルモン」の摂取。そして大統領候補になるための予備選挙での不正などなど。 彼女が海軍の特殊部隊に逮捕されたのは3月半ば。実はもっと以前に彼女を逮捕すべきと言う声があるのを、トランプ氏が制止していた由。そのため彼女の犯罪の証拠を、徹底的に収集出来たそうだ。グアンダナモへ収容された彼女には、直ぐに「拘禁症状」が現われた由。暴言を喚き散らし、看守の顔に唾を吐きかけ、独房の床に排せつ物をまき散らと言う異常な興奮状態。 そこで軍医は彼女に鎮静剤を注射し、血液を採取した。その結果、彼女自体の血液型に、2つの異なる血液型が混じっていた由。そして血中から「アドレノクロム」と言う化学物質を検出。それはアドレナリンの酸化で生じ、思考障害、現実感喪失、神経毒による精神異常を発現する作用がある由。その原因は「アンチエージング」のために彼女が〇島で飲んだ、幼女から採取したホルモンのようだ。 軍事裁判(軍法会議)は既に開始され、これまで4度の審問があった。軍事裁判は一審のみで審理され、無罪、死刑のいずれか。ヒラリー氏は自分一人で乗り切れると判断し、弁護人は要請しなかったようだ。だが、証人を待機させて準備した裁判は厳しく、検事役のハニンク中将の追及は容赦ない。ヒラリーが訴える体調不良も「仮病」と見破り、さらに審問は続くが結審は近そうだ。 軍服姿の容疑者 彼女の容疑は、国家反逆罪、嘱託殺人、人身売買、マネーロンダリングなど。いずれも重罪で、無罪の可能性は1%もないだろう。また審理の中で、国務長官時代の部下と彼女がトランプ氏暗殺を協議していたことも判明。当時50名近くの関係者を暗殺したと噂される狂人。そんな人間がオバマ政権当時、国際政治を動かしていたのだから、中国も顔負け。バイデン親子の売国行為と言い、マスコミと巨大企業の暴走と言い、アメリカの闇はとてつもなく深い。<続く予定>
2021.04.21
コメント(0)
~奇怪な話~ スエズ運河で座礁した船の名は「エヴァーギブン号」。永久に与え続けると言う意味の英語だが、船籍は日本で、愛媛県今治(いまばり)市の正栄汽船 と言う会社が保有している。 ネットでその会社の画像を探したら、赤白のゲートに「船主と共に伸びる」と大書した文字が目に入る。そこで素人の私は疑問が起きた。「船主」は自分の会社じゃないのか。それなのに一体これは何と感じた。今治市には海事関連企業が500社以上あり、そのうち「外航海運会社」は70社。正栄汽船はその中でも最大らしい。船舶のオーナーとして有名なのが、ギリシャ、香港、今治らしい。 しかし船の船腹には「エヴァ―グリーン」と大書してあった。これは正式な船名ではなく、運航会社名と言う。つまり正栄汽船のような船会社は、実際に船を運航するだけでなく、運航を他の会社に委託することがある由。世界の海を航行するには危険が伴う。それで責任を分割するため、そのような制度と法整備が昔から行われて来たみたい。 複雑なことに、運航会社は「クリントン財団」とウォルマートの共同所有になっていた。ヒラリー元国務長官は中国から膨大な資金提供を受けていたことで有名。そして「ウォルマート」は世界一の売り上げを誇るアメリカのスーパーマーケット。高名な政治家が米国でも有数の企業と組んで、一体どんな事業を展開して来たのだろう。ウォルマートはけちで人使いが荒いことでも有名だそうだ。 船のコンテナに大勢の人間が潜んでいたことは書いた。また重火器や戦略核兵器が積み荷に紛れていたことにも触れた。到底普通の輸出品でないことは確か。米国海軍特殊部隊の査察によれば、膨大の積み荷の80%が中国の製品だった由。もしそうであれば中国の港湾から積み出されたことは確実だろう。 深せん市塩田地区 エヴァーギブン号が立ち寄った形跡のある「塩田」をネットで検索すると、中国広東省の深せん市に塩田区と言う地名があった。さらに同地区の地図を検索・拡大すると、かなり大規模な港湾とふ頭が整備されていると判明。深せんは中国国内で4本の指に入る経済特区。中国製品がここから積み込まれた可能性は高いと言えよう。 では重火器などの武器はどうか。これは私の推測だが、ひょっとして北朝鮮関係かもと。北朝鮮による「武器輸出」の噂は以前からあった。だが、直接北朝鮮の港湾から積み出せばすぐにバレル。つまり今回日本も台湾の会社も積み荷の中身を知らず、「悪用」されたのではないかとの推理だ。 さて、エヴァーギブン号がスエズ運河で座礁し、離礁した後、2隻の小型タンカーが相次いで座礁した由。それは単なる事故か、それとも「妨害」なのかは不明。アフガニスタンからの米軍撤退、イランの核放射能濃縮宣言など、中近東一帯に危険な空気が漂っていたのは確実。この文章を書いている途中「怪現象」が発生した。明日、このブログが無事公開されることを祈る。ではまた。<続く>
2021.04.20
コメント(0)
~狂気の沙汰その1~ トランプ氏の弾劾裁以来、私はyoutobeを観るのを止めていた。あれほどの不正選挙をして、現職大統領を陥れたアメリカとその国民に希望が持てなくなったからだ。大罪を犯したバイデンとその息子。そのうち彼らは中国に脅され、台湾も尖閣も奪われるかも知れない。私はそんな風に感じていた。だが私のブログに、今youtubeで何かが起きていると書いた人がいた。 それが気になって久しぶりに観たyoutubeが、日本船籍の大型コンテナ船の事故。スエズ運河で座礁し、その後離礁したもののグレートビター湖で拘束され、積み荷を検査された例の船だ。だが疑い深い私は、そんなことはあり得ないと信じなかった。だが数日後にyoutubeを再確認すると、トンデモナイ情報が目に飛び込んで来た。 コンテナ船を拘束したのは、米軍の特殊部隊。積み荷を全部下ろして点検すると、生存者1245名、遺体1366体。合計2611人もの人間がコンテナに積まれていたと言うのだ。それにしてもなぜそんな大勢の人が窮屈なコンテナ船にいたのか。そして彼ら、彼女らはどこへ向かうはずだったのか。ただの「積み荷」だった訳はない。命ある人間なのだから。 所有者は愛媛県の船会社で、運行管理は台湾の会社。これは既に前回書いた。最終目的地はロッテルダム。オランダ最大の貿易港だ。だが不思議なことに、何とこのコンテナ船は中国の塩田港に寄港していた。そこで何を積んだのかは不明だが、スエズ運河を猛スピードで通過しようとして蛇行し、座礁。船の乗り組み員は「砂嵐」を座礁の理由に挙げたが、スエズ運河庁はそれを認めていない。 しかし米国海軍の特殊部隊は、なぜこの船に目をつけたのだろう。実は船の航行管理システムで、世界中の船を監視出来る由。だからエバーギブン号が中国に寄港したことも知っていたのだろう。そして驚くべきことに、積み荷はどうやら人間だけじゃなかったようだ。 特殊部隊の捜査結果、相当量の重火器と戦略的核兵器が100か所もの場所へ届けられる手はずで、「中東地区の戦闘」が目的だろうとのこと。到底日本の船会社の手配は不可能。では、台湾の管理会社の犯行か。まだ不明だが、そんな馬鹿なことはしないはず。船がやばい事態に陥った時用の「自爆装置」も備わっていたが、特殊部隊は信号を遮断し、船の爆破と証拠隠滅を間一髪で防いだ由。 クマタツ氏撮影 ミステリアスで世界を股に掛けた犯罪。危険な臭いがする怪事件で、ただの「座礁事故」でないことは確か。船はスエズ運河庁から座礁による損害として400億円近い補償金を要求され、グレートビター湖で拘束中。文字通り目下「大いなる苦さ」を味わっている。 上の写真を左右反転 さて、この話には続きがある。元国務長官のヒラリークリントン氏。彼女がネット上のコールサインとして使っていたのが「エバーグリーン」(常緑)。そしてこの船の管理運航会社の名前も同じ「エバーグリーン」。因みに世界一行方不明者が多い国がアメリカで、2番目がイギリスらしい。今回の事故と何か関係があるか、それとも無関係か。その話を次回記したい。<続く>
2021.04.19
コメント(2)
~ただ黙々と~ <中国雲南省 玉龍雪山> 翌日は曇りがちではあるが気温は高い。天気予報を信じて布団を干した。結局生命保険会社の「人間ドッグ経費の一部負担サービス制度」はもう何年か前に終了していた。思うに「東日本大震災」などで、保険会社の利潤もかなり目減りしたのだろう。後は自分で医療機関を調べ、自分で経費負担するのみ。そう世の中は甘くはない。それにそれらは元々覚悟の上。 頃合いを見て買い物に。メモは全くせず、スーパーで物を観ながら決める。魚、肉、野菜、果物、牛乳、豆腐に納豆にパンなどなど。そしてその夜に食べたいものも少々。帰宅して失敗したと思ったのは、リンゴがなくなりかけていたこと。でも、リンゴはそろそろ終わる。品質も食感も悪くなるのでさほど悔やむ必要はない。それに柑橘類がまだ十分あるし。 「訳ありトマト」の大袋を買ったので、せっせと食べよう。私は「訳ありジジイ」のせいか、結構「訳あり食品」が好き。見栄えはまったく気にならず、実質を重視する方。この日も案外上手に食料品を選んだと納得。内容の割に、支払った代価は少なかったはずだ。 さて、帰宅後は小松菜を茹で、その茹で汁でエノキダケを茹で、その残り湯に塩を一つまみ入れ、予め下処理した若鶏のレバー(2割引き)を茹でた。順番を間違えたら大変。それぞれタッパーに保管し、適量を器に盛ってポン酢と胡麻油を少々かけるだけで、立派なおかずになる。超簡単でしかも栄養のバランスも抜群。ニラもまだあるしね。油が浮いた鍋の残り汁は、裏の堆肥の上へ。 サバの味噌煮 自己流炒飯 頃合いを見て次の料理に取り掛かる。この日は1尾100円だったサバを2匹購入していた。予め頭と内臓を切り取って、二重のビニール袋に厳重にしまう。「サバの生き腐り」と言うほど「足が速い」ため、さっさと処理する必要がある。鍋で味噌煮を作っている間に、もう一つのコンロでは炒飯を。これも少ないご飯を、有効に使えるので独り暮らしには好都合。付け合わせの野菜もたっぷりある。そうそう、鶏皮と小松菜の炒め物を作ったのを忘れていた。 さて目下3連敗中のわが東北楽天だが、この日から東京ドームに場所を移して日本ハムとの3連戦。緒戦は辛うじて逆転勝ちし、4連敗を免れた。土曜日はメジャーから復帰した田中マー君が先発のデーゲームだ。多分テレビでの放送があるだろうから、凱旋したマー君の雄姿を楽しむことにしよう。 残念ながら、東京ドームでのマー君は、2本のホームランを打たれるなどして敗れた。恐らく帰国後の疲労、キャンプでの調整不足の中で起きた怪我。まだ十分な体調ではなかったのだろうが、彼はそれ言い訳にはしないはず。そして次は調整し、もっと強くなってグランドに戻るはず。国内での連勝記録は28で途絶えたが、新しいマー君の雄姿が見られることを信じている。まだ首位と0.5ゲーム差の2位。さほど嘆くような事態ではない。
2021.04.18
コメント(4)
~気温の変化と体調~ モッコウバラの新芽 その日は朝から暖かかった。それで洗濯をし、布団を干した。午後の3時になってもまだ暖かい。それで散歩に行く気になった。日ごろから走ったり歩いたりしてると、免疫力が上がり新型コロナにも罹りにくいとテレビで言っていたのも頭のどこかにあった。今日は違ったコースを歩こう。家の裏から出て、H橋に向かった。広い道のここならお日様にも当たれる。その方がより健康的だしね。 八重桜「関山」 橋を渡り切って、今度は橋の下の道へ。高みから周囲の里山の雑木が見える。冬の間は枯れたような景色が、ちょうど今は若葉が萌え出て新鮮。まさに「山笑う」と言った感じ。土手の木々が一斉に花を咲かせていた。特に鮮やかなのは八重桜の「関山」だが、ソメイヨシノは既に散っている。 グミの花 坂を下って行くと今度は地味な花。近づいて枝の先を見ると、どうやらグミの花みたい。戦後間もない子供の頃は食べ物がなく、少々渋みのあるこの実も食べたものだ。道に下り、さっき通った橋の下を潜る。道路の拡幅工事が進み、舗装も終わっていた。この道はいつも走る9kmコース。N高の正門付近に来ると。珍しい形の花が咲いているのを発見。 1) 2) 3) 4) 1)はサンシュユ(山茱萸)で花の形は近いが色が違う。2)はトキワマンサクで、色は近いが花の形が違う。3)はハナノキ(花の木)で色も形も近いが、花が咲く季節が違う。結局4)は、桜かハナモモの花が散った後の咢(がく)と蕊(しべ)が花のように見えたと言うことなのだろう。 ニラ 帰宅後畑のニラを切った。結構な量があったので半分を茹でてお浸しにし、残りは「ニラ玉スープ」を作って、夜はうどんの汁にしたが、少し味が薄かったようだ。その夜。急に体調がおかしく感じた。昼はあれほど暖かかったのが、台所に立ち暖房も点けずにブログを書いているうちにすっかり体が冷えてしまったのだろう。酷い疲労感。これは「人間ドッグ」で調べてもらう必要があるなあ。慌てて保険屋さんに電話。確か人間ドッグ料金の一部を負担してくれるサービスがあったはず。 楽天生命パーク球場 その夜も東北楽天は負けた。これで2つの引き分けを挟んで3連敗。あの強かったイーグルスは一体どこへ行ってしまったのだろう。そしてかく言う私もすっかり弱った。60代半ばまでは楽に40kmを練習で走り、100kmや200kmのレースも完走したと言うのに、今はちょっとした気圧や気温の変動も身に堪える。それがなによりの老化の証。それでもまだ簡単にくたばる訳には行かない。
2021.04.17
コメント(4)
~世界は情報で動く~ 15日、河野行革相がTVで「東京五輪を無観客で行う可能性」について言及した由。同日、二階幹事長は「新型コロナがそれまでに終息しない場合は中止も選択肢の一つ」とTVで話したそうだ。五輪開幕まであと100日を切った。IOCのバッハ会長は依然として開催する意向だが、選手、関係者、迎える私たちの健康が一番。命に優るものはない。健康であってこそのスポーツ。私は二階氏の意見に賛成だ。 福島原発における排水処理に関して復興庁が「処理水に含まれるトリチウム」を擬人化したパンフレットの図柄を撤回した模様。排水に含まれるトリチウムを100%除去するのは至難の業。そこで政府は安全値の30分の1にまで希釈し、3年後海洋に放出することを先日決定した。トリチウムは放射性物質でそのままでは人体に危険だが、自然の中にも存在し、世界各国でも原発で発生したトリチウムを大気中や希釈後海洋に放出するのが一般的のようだ。 麻生副総理兼財務大臣が、「日本の場合は飲料水で許可されるパーセンテージ以下で処理するので、飲めるほど」と発言したら、中国の報道官が「それなら飲んでみろ」と早速噛みついた。それは処理した場合であり、しかも海洋への放出のため、それを飲むわけではない。また韓国の文大統領は、日本の計画を暴挙として、国際海洋法裁判所に提訴する意向を表明した。それでネットで資料を探した。 資料(上図)によれば世界の原発所有国では、発生するトリチウムを可能な限り除去、希釈後に大気中または海洋に放出しているのが現状で、韓国も中国も例外ではない。特に韓国の月城(ウォルソン)原発では設備の故障に気づかず、大量の放射性物質が日本海に流出していたことが判明。同国が国際海洋法裁判所に提訴しても、ブーメランとなることは確実だ。 しからば日本はどうすべきか。今後は国際原子力機関(IAEA)などと連携し、科学的で正確な情報を国内および世界に周知させることだろう。 中国や韓国が日本叩きにシャカリキになるのは、自国の経済や政情が思わしくないため。それはロシアのこの人も同様だ。先日2036年まで大統領でいられ、しかも退任後は就任時の罪を一切問われないとの憲法改正に成功した。さて、新型コロナウイルス感染症用のワクチン「スプートニク」をインドや北朝鮮に送ったこと。中国、北朝鮮のみならず韓国へも外相を派遣したことは、すべてバイデン爺さんが「プーチンは殺人者」と評価したことへの対抗心。ロシアも自国の国益を守ることに必死なのだろう。 あるyoutubeの画像を見て驚いた。先日パナマ運河で座礁した例のコンテナ船が、離礁後地中海へ向かう途中の米国の特殊部隊に急襲され、荷物の総点検を受けた由。その結果コンテナの中から生きている子供と死んだ子供合計4千人が見つかり、確保されたと言うもの。 この船の所有者は愛媛の船会社で、実際の運航は台湾の会社。寄港地も最終港も決まっており、位置はGPSで管理されている。生きた児童4千人分の食料、排せつ物をあえだけ混み重なったコンテナでどう管理したのか。なぜ日本の船会社がそれを請け負ったのか到底理解が出来ず、到底信じっられなかった。 youtubeは貴重な媒体だが、毒にも薬もなる。アクセス数が莫大な広告料に繋がり、中にはそれを目的としたユーチューバーがいるからだ。アメリカのQアノンはその後どうなったのか。3月5日からアメリカの政治体制が変わると喧伝した彼らはその後どこに雲隠れしたのか。 話を戻そう。あのコンテナ船はスエズ運河の途中にあるグレートビター湖で、スエズ運河庁によって拘束中。航跡から座礁前、通常の制限速度を大幅に上回って蛇行していたことが判明。そして補償金9億ドル(986億円)が支払われるまでは動けない。ただ乗組員の健康は良好の由。この情報はまともだ。先の情報との関係は不明。謎めいた話だが、これには続報がある。<続く>
2021.04.16
コメント(4)
~老齢を生きる~ オードリー・ヘップバーン 古い映画をテレビで観た。「マイフェアレディー」。オードリー・ヘップバーンの主演で、名前だけは知っていた。「ローマの休日」、「緑の館」、「ティファニーで朝食を」、「王様と私」。まだ中学生くらいの私は妖精のような彼女の美貌に憧れ、映画のタイトルは記憶に残っていた。それを50年以上も遡って観ることが出来て満足だった。そして「へえ、こんな内容の映画だったのか」とつぶやいたのだ。 保険屋さんがやって来た。今回契約した保険の説明だ。証券は別途届き、電話で契約意志の確認もあった。何せ後期高齢者の私は、この先の命の保証がない。子供はいずれも遠隔地で暮らし、私が契約した保険のことも知らない。それで死亡後の手続きなどを確認する必要があったのだ。色々話すうちに、彼女が案外素直なことに気づいた。保険レディーの交渉術だと感じたのは、どうやら誤解だったようだ。 ヘプバーンが二十歳の小娘役を演じたのは35歳の頃だったようだ。それでも何の違和感もなかった。そう演じられるのが女優なのだろうし、化粧や服装の力も大きいのだろう。その彼女が62歳で亡くなっている。場所はウイーンで死因は虫垂炎(盲腸)。これは以前にも調べて知っていたことと気づいた。だが私の心の中の妖精は健在。「ローマの休日」のキュートな王女の姿が、まだ生き続けているのだ。 私の体調の悪さの原因を「ひょっとして気圧のせい」とRさんは言い当てた。Rさんは保険屋さんの名前。実は私もきっとそのせいと感じていた。低気圧が東北に近づいていた。それに疲労や睡眠不足や独り暮らしの不安や、今後の終活など、原因は幾つもあった。それに新型コロナやブログさえも。だがRさんと話して少しだけ気が晴れた。さて「パンドラの箱」は開けたものの、中から一体何が飛び出すか。 曇りとの予報を信じて洗濯した。その朝の起床は遅かった。それから慌ただしく朝食を済ませ、洗濯物を干し、リュックとポシェットに必要なものを仕舞って、自転車で山の上の病院に向かった。玄関の扉を開けた途端に雨粒が当たり、慌てて引き返して帽子とウインドブレーカーを付けた。それだけでも少しの雨なら耐えられるだろう。病院の駐車場は混んでいたが、待合室はガランとしていた。 お好み焼き 少し落ち着いてから血圧測定。自転車を漕いだ割には安定していた。緑茶を飲んだ後、処置室で採血。いつもの血糖値の測定だ。しばらく待合室で新聞を読み、やがて診察室へ。ドクターと最近の体調や仙台市内のコロナ感染の話をひとしきり。新型コロナ感染症で治療し、治癒した人が病院へも良く来るらしい。いずれも元気なので、心配は不要とドクターは言うのだが。彼もきっとワクチンを打ったのだろう。 めざし 前回処方してもらった漢方薬は不要と断った。あれは寝たきりの人が服用するものとドクター。私はまだ10kmは走れると言うと、「そんな人は要りませんね」と納得。念のため睡眠剤は頼んだ。まだ余分が少しあった。この日、血圧や脈拍は正常で血糖値も低かった。やれやれ。先日来の不調が嘘みたいだ。隣の薬局で薬を受け取り、途中のコンビニで大福を買って帰宅。 豚肉の味噌漬け 行きに比べて帰りは楽。坂道を下るだけなので注意すれば済む。帰宅後お茶と大福をいただき、昼は軽め。午後から洗濯物を取り込む。大体は乾いていたが、少し湿っぽいのは継続して室内干しに。やることをやって、昼寝しようとしたが目が冴えてダメ。仕方なく翌日のブログを書くことに。窓の外ではSさんの庭の菜の花が風にそよぎ、山鳩の物悲しい声が聞こえる。デデポポ、デデポポ。 ネットから借りた「菜の花畑」
2021.04.15
コメント(2)
~悲喜こもごも~ メジャーで優勝した松山英樹選手 米国プロゴルフツアー「マスターズ・トーナメント」で、日本の松山英樹選手が優勝した。これまでの日本選手の順位は4位が最高。アジアでも初の快挙だった。優勝賞金は2億2700万円。栄誉のグリーンジャケットを着せてもらった。これで広告などの収入は656億円になるとの予測。東北福祉大学卒で、現在も住民登録している仙台市民としても喜びに堪えない。 優勝者は翌年の同大会で歴代の優勝者をご馳走でもてなし、来年の優勝者にグリーンジャケットを着せるのが慣習とのこと。今回彼が優勝出来たのは、専属のコーチ、トレーナー、キャディー、通訳を雇ったことにある由。もちろんアマ時代から同大会に参加し、10年の経験があったことも大きいのだろう。おめでとう松山選手。これで今後も彼の後に続きプロゴルファーを目指す若者が増えることだろう。 英国王室のフィリップ殿下(王配)が99歳で逝去された。ギリシャ王室の王子として生まれながら、王政廃止によってヨーロッパ各国を転々とする数奇な運命。英国の貴族に救われて英国に住み、軍人となった。王女時代のエリザベスと対面したのが王女13歳、殿下18歳の時。長身でハンサムな殿下に一目ぼれした王女はやがて女王となり、殿下はその夫(王配)となった。葬儀は国葬ではなくウインザー城で軍隊方式で執り行われる由。 永遠の愛を全うした英国王室の恋物語に対して、日本の王女はどうなるのだろうか。国際基督教大学(ICU)の同級生である二人の婚約は未だ波乱に富んでいる。特に小室氏母子に対する国民の感情には複雑なものがあるのは承知の上だが、私は敢えて何も言わないことにしたい。 バイデン大統領が対面での首脳との最初の対談の相手として、わが国の菅総理を選んでくれたことは光栄で、現地時間の18日に対談の予定。対中国策などに関して率直な意見を交換することになるのだろう。今人民解放軍の動きが急を告げており、米中の空母群が台湾付近で対峙している。「一帯一路」が破綻し、新型コロナや新疆ウイグル自治区での人権侵害で世界から非難を浴びている中国も必死だ。 不正選挙防止法が米国の27の州で承認された。あれほどトランプ氏を痛めつけたケーブルテレビ、FOX社、CNN、MSNBSなどが軒並み視聴率が下がり、ワクチン開発を急いだトランプは正しかったとの評価が米国内で湧き上がり、バイデン政権もうかうか出来ない。ペンス前副大統領が、次の大統領選に立候補する動きもあるようだが、トランプ氏の人気には到底勝てないだろう。 溢れる原発処理水タンク 福島原発の処理水を希釈して2年後から海洋に放出する方針が政府で定まった。処理水に含まれるトリチウムの放射能汚染を福島県の水産関係者は心配し、立憲民主党は批判するが、原発汚染が起きたのは旧民主党政権時代。当時の菅総理らの対応の拙さがメルトダウンに繋がったのは明白。それなのに相変わらずの批判オンリーだもんなあ。 馬毛島 鹿児島県種子島の西側にある無人島、馬毛島の自衛隊訓練場整備が地元西之表市の反対により、難航している。同訓練場予定地は沖縄県における訓練地不足を補うため、国が90億円を投じて買い上げたもの。普天間基地の辺野古への移転問題も旧民主党時代の鳩山総理の「最低でも県外移転」との不用意な発言が紛糾する原因となった。 また宮古島の自衛隊基地のミサイル迎撃装置、弾薬庫設置もなかなか地元の理解を得られていないのが現状。尖閣や沖縄を攻めようとする中国の思うつぼ。もっと政府は地元の理解が得られるよう、奮闘して欲しいものだ。
2021.04.14
コメント(2)
~凄い男がいたもんだ♬~ 故植村直巳氏 世の中にはまったく凄い男たちがいたもんだ。トップバッターは、冒険家で登山家の植村直巳氏(1941-1984)。身長162cm、体重60kgの小柄な男が凄いことをやってのけたのだ。彼は兵庫県出身で明治大学農学部卒。明大に農学部なんてあったんだねえ。昭和45年(1970)。彼は日本人として初めて世界最高峰のエベレスト登頂に成功。それは同時に世界初の五大陸最高峰制覇達成でもあった。 北極点に立つ 1978年。彼は犬ぞりでの北極点単独到達に成功する。これも単独行では世界で最初の偉業だった。それらのことから彼は「国民栄誉賞」を受賞し、「バラ―ン・スポーツ賞」をも受賞した。しかし彼の挑戦はそれでは終わらなかった最も困難と言われた冬季のマッキンレーへの単独登頂に挑んだのだ。周囲からは危険だから止めたらと忠告されていた。この山は天候が変わりやすく、冬季は特に危険だ。 デナリ 植村氏の雄姿 登頂には成功したようだ。だが下山途中に彼は行方不明となり、確か今も遺体は見つかってないはず。彼が命を懸けたマッキンレーはその後現地語の「デナリ」と呼ばれている。婚約者がいたと記憶してるが、どうやら結婚はしなかったようだ。恐らくは危険に挑戦し続ける冒険者として、家族に迷惑を掛けたくなったのだと思う。 植村直巳の記念切手 彼の偉業を讃えて、デンマーク政府が自国領であるグリーンランドで発行した記念切手。小柄な東洋人が、誰もなし得なかったことに挑戦し、見事に実現した。だが、その代償はあまりにも大きかった。 関野吉晴氏 関野吉晴氏(1949-)は東京都生まれの冒険家、医師(外科医)、文化人類学者(武蔵野美術大学教授)。この人の経歴はまさに異端。一橋大学法学部に入学し、直ぐに探検部を創設。7年間かかって卒業する間に、早稲田大学探検部にも所属し、探検のために必要な文化人類学を学び、現地人の治療に役立ちたいと横浜市大医学部に入学・卒業し医師免許を取得。 アマゾン川 1981年アマゾン川源流のペルーで、インカ文明の遺跡を発見。きっかけは確か人工衛星から撮ったアマゾンの写真にインカの遺跡が微かに写っていたことだったはず。その後、アマゾンの源流から河口までを舟で下る一大冒険を決行。それに触発されて、さらにスケールの大きな冒険に挑戦する。 それは人類が辿った道を実際に辿る壮大な計画で、南米大陸最先端のパタゴニア地方から「反時計回り」に人類発祥の地であるアフリカを目指すもの。1993年から約10年間を要する「グレートジャーニー」で、フジテレビで撮影、編集、放送されたビッグプロジェクトだった。私が特に印象深く感じたのは、シベリア原野での蚊やブヨなどの大襲撃。人類の旅の困難さを思った。 関野氏の縄文号 歩けない地域の第一はベーリング海峡。ここは船を使った。と言っても写真のようにとても始末な造りだ。バイカル湖やビクトリア湖ではカヌーを使ったかも知れない。冒険家で、かつ外科医の関野氏の10年にわたる旅は、文化人類学者の彼にとっては貴重なフィールド調査だったことだろう。彼は今、武蔵野美術大学の名誉教授を務めている。 3人目は寛平ちゃん。「アヘアヘ」や「血い吸うたろか」のギャグで有名なお笑い芸人。吉本新喜劇の大スターがランナーであることを知ってる人は多いと思う。だが、その実力を知る人は少ないだろう。「フルマラソン完走したら給料倍にする」。社長のそんな冗談で始まったマラソン挑戦が、彼の闘志に火をつけた。高知県出身で高卒、生家はとても貧乏だったようだ。若くして大阪に出てからも苦労の連続。 走る寛平ちゃん それに心臓もさほど強くはなかった由。だが実家の祖母ちゃんが長命で、それなら自分もと練習を積み、直ぐに市民ランナーのレベルを超えた。ベストタイムは1998年、49歳の時に出した3時間8分42秒。2008年水と食料14kgを背負って走る「サハラマラソン」245kmを51時間で完走。「24時間TV」では神戸ー東京間600kmを7日間で完走した。 スパルタスロン ギリシャの「スパルタスロン」を3回完走。距離は246kmだが途中に標高1700m余りのサンガス山があり、夜は盗賊も出る場所。そして日中は30度を超える猛暑で、参加資格も厳しい。私が寛平ちゃんと一緒に走ったのは、大阪の「泉州国際マラソン」(フル)で制限は4時間。直前に膝を傷めていた私は苦戦したが、彼は例のギャグを飛ばしながら、あっと言う間に追い抜いて行った。良い思い出だ。 そして圧巻だったのが2008年12月17日にスタートした「アースマラソン」。陸地は全て自分の足で走り、海はヨットで渡る。寛平ちゃんヨットは素人で同乗者はいるが、交代で彼も操縦し、見張りもして頑張った。その様子は連日ネットで中継され、私も興奮しながら応援したものだ。その寛平ちゃん。無理が祟ったのか、膀胱がんを発症し、確かアメリカ西海岸で入院手術したはずだ。 応援に応える寛平ちゃん(左)と、彼が辿ったルート(右) 人も船も長い旅路でガタガタになり、船はアメリカ大陸横断中に一旦日本に運んで修繕し、アメリカ東海岸からの大西洋横断の際は再びこれで渡った。2年ちょっとを要したが、寛平ちゃんはこの間の仕事を全てキャンセルして臨んだ大事業だった。とも角走って地球一周は人類初の快挙。右は「大阪杯贈呈式」で表彰された寛平ちゃん。さすがにいつもとは様子が違いますね。アヘアヘ。 さて、最後の登場者が辛坊治郎さん。アナウンサーやニュースキャスターとして著名な辛坊さん。前回は全盲のヨットマンと組んで(左)太平洋横断に挑戦したのですが、三陸沖300kmほどでクジラと衝突して艇が破損し、緊急信号を発信して救助を求め、自衛隊の救難艇に救助されたことがありましたね。あれから何年経ったでしょうか。 今回は艇を新たに建造して再挑戦するみたいですよ。60代半ば(65歳)のオッサンが、ヨットで太平洋を横断しようするとは良い度胸してますね。しかも今回も同乗者は全盲のヨットマン。2人3脚で協力し、今回は見事成功して欲しいですね。その果敢なチャレンジ精神に大きな拍手を送ります。左上の写真のテロップにだと、先週の金曜日に既に出航した模様。旅の無事と成功を祈ってますよ~!!
2021.04.13
コメント(2)
~冒険は人間だけの特権~ 幸せな二人 お笑い芸人の有吉弘行とフリーアナウンサーの夏目三久さんが結婚したと言う。4月1日に籍を入れた勇気ある行動。この二人がつき合ってから10年。5年前に一旦関係は解消したかと思われたのが、どうやら二人は密かに付き合っていたようだ。三久さんは良家の子女で、東京外国語大学卒の才媛。そして素直な笑顔の素敵なお嬢様だこと。今日の話題はそれではなく・・。 この有吉君。20年も前のまだ売れない芸人のころ「猿岩石」と言うコンビ名で色んなことに挑戦していた由。その一つがとあるテレビ局の企画番組「行け電波少年」。ある日何も知らずにテレビ局に顔を出した猿岩石の二人。ディレクターは二人に向かって、これから旅に出ろとのご命令が下ったとさ。まあ、こうなったら賛成も反対もない。とも角どんな仕事でも引き受けないと食えないからねえ。 砂漠の中をえっちらおっちら。 彼らに下ったミッションとは、アジアからヨーロッパ大陸までヒッチハイクで到達することだったんだって。スタート地点は香港で、ゴールは確かパリだったはず。二人の苦労は一つ右上のボロボロの姿を見れば理解出来よう。ヒッチハイクと言っても、頻繁に車が通るような場所ばかりではない。とも角若い二人はがむしゃらに前に進んだみたいだよ。その結果は何とか成功してパリにたどり付けたみたい。 ゴール後、旅の途中の経験談を二人で書いた。左側は「猿岩石裏日記」で、右側が「猿岩石日記」ヨーロッパ編。どちらも大好評で売れに売れた。こうして若い彼らは一躍大金持ちになったと言う訳さ。中には「やらせ」を疑う声もあったようだが、確かめることは不可能。「この道を本当に2人の日本人青年が通りましたか」なんて聞ける人がいるとは限らない。有吉はこの成功後も不遇が続いたようだ。 さてテレビの冒険番組と言えば、それは何と言っても「世界の果てまでイッテQでしょ」あんた。特にこの爺さんがぶったまげたのは、男の子じゃなくて女の子。 それも眉毛が異常に太いこの人。そうそう。イモトアヤコ嬢だよ。だが彼女。並みの女性と甘く見ちゃいけないよ。その根性たるや男優りなんてもんじゃない。女の中の女。女は愛嬌、そして女も度胸。この人の挑戦心と言うか冒険心と言うか、芸人としてのプロ魂は超一流だよ、お立ち会い。 ほんで、南米大陸最高峰アコンカグア(6962m=上)の登頂にも成功しましたぞ、マジで。これも偏に登頂を目指して、地道に鍛錬を重ねた成果ですのう。女性には幾つものハンデがありながら、彼女は一切泣き言を言わずにやり遂げましたわい。誰にでも出来るこっちゃない。アヤコはん、あんたはんは偉い。ほんま芸人の鑑じゃのう。<続く>
2021.04.12
コメント(2)
~ニュースから考えること~ 新型コロナウイルス変異種 火星ではない。新型コロナウイルスの変異種である。「まんぼう」こと「蔓延防止措置」云々が発動されて、わが仙台にもいよいよ危険が迫って来た。仙台圏での病床使用率が、とうとう94%まで上がって来たのだ。東北楽天の前売り券も9日までで発売中止となり、後は当日券の販売のみか。J1ベガルタ仙台などはもっと惨め。ここ3年も赤字の上、今季は0勝6敗1分けでまだ一度も勝ってないんだよなあ。 変異種その2 東京都、京都府、沖縄県が、近く「まんぼう」の発令適用となる。昔々その昔昭和20年代の話。NHKラジオで「やんぼう、にんぼう、とんぼう」と言うのがあったんだ。その時の声優はね。タマネギ頭のおばさんいや失敬、黒柳徹子さん。その頃の彼女は森繁久弥が言い寄るほどの美人だった。オイラはまだ小学生だったがね。ダンスのマンボno.5なら「マンボでウ」だけどな。 室伏広治氏 しかしこの鉄人にも驚きましたなあ。何と「悪性脳リンパ腫」と言う名前の病気と戦っているんですよ。お父さんも同じハンマー投げの選手で東洋の鉄人と呼ばれた中京大学教授。ルーマニア系ハンガリーの奥様との間に生まれたのが広治氏。ロンドン五輪で銅、アテネ五輪で金のメダリスト。中京大学の大学院体育学研究科博士課程修了の体育学博士で、東京医科歯科大学教授。しかも46歳で現職のスポーツ庁長官ですぞ。 この病気が分かったのは、歩き方がおかしくなったことと、その結果転んだこと。鉄人が何もなしに転ぶなんて考えられませんからね。室伏氏が「アレキサンダー」とミドルネームを持っていたこと、博士号を持ち国立大学の教授だったことを今回知って本当に驚きました。しかもJOCの委員ですよね。でもこの難病の治療を受けながら勤務もこなしているんだって。政治家には彼の爪のあかでも煎じて飲ませたいよね。ホント。 毎度のことではあるけど、このオッサンには困ったもの。新型ミサイルを打ちまくる北の刈り上げ君のご機嫌取りか、再び北とオリンピックを共催したいとIOCに申請したみたいだよ。その北は「東京オリンピック」への不参加を表明したばかり。来年の大統領選の前哨戦のソウル特別市、釜山市の市長選挙で野党統一候補に大敗。次に打つ手は「反日」しかない。でもコウモリ外交がいつまで通用するか。 しかし、今の東北楽天は強いぞ。ソフトバンクとの地元での3連戦。ナイターでの緒戦は1対1の同点で引き分け。ロースコアの熾烈な攻防だった。翌日はデーゲーム。ソフトバンクに0対7とリードされながら、一旦は8対7と追いつき、その後同点のまま9回を迎え結局は8対8でドローとなった。ソフトバンクは8人、楽天は7人の投手リレー。手に汗握る接戦だった。 しかし凄いものだ。ロサンゼルス・エンジェルスの大谷翔平選手がまたまたホームランを放って、メジャー通算50号に達した。並みいる野手陣を差し置いて、この大谷が日本人最速の50号だった由。怪我で長期離脱したことを考えると驚異の一言だ。そして水泳日本選手権に出場していた池江璃花子さんが、4種目で優勝を手にした。どちらも天才だが、努力の人でもある。これからの活躍が楽しみだ。
2021.04.11
コメント(2)
~ともかく歩こう~ ツリガネスイセン さてと、おとこは考えた。庭のツリガネスイセンを見ながらね。「釣鐘水仙」漢字だとこう書くのだが、それほど釣鐘に似てるとも思えない。まあ良い、そんなことは。おとこは一旦家に入って準備をし、再び玄関に出て来た。何と大きなリュックを背負っている。腰のポシェットにはタオルハンカチ。そして頭にはメッシュの帽子を被って。近所のワンコに挨拶し、そのままスタコラ歩き始めた。 最初に寄ったのは近所の郵便局。そこで先ず生活費を下ろしてね。通帳は帰宅後チェックする予定。そこから男は次の目的地に、いつもとは違った方向からA沼公園へと。ところが公園入口のアパートが跡形もなく消えていた。民間会社になって財産管理が厳しくなり、そのうち高く売りつけるのだろう。DD公社の敷地が、どこもここ数年で更地になってしまった。時代ってのは絶えず変化するものだ。 A沼公園の八重桜 A沼公園は静かなもの。コブシやシデコブシはもう散りかけて、わずかに八重桜が咲き始めた感じ。池の真中の島のヤナギもすっかり青葉になり切ってない感じ。そこから再びバス通りに出、三神峯(みかみね)公園の裏口の階段を登った。その天辺の土手にコウバイ(黄梅)の小さな花が咲いている。そして石段を上り終えると、公園の満開の桜がわたしの眼に映った。手前の白っぽいのはきっと大島桜系だろう。 まだ人影は少ないもの、道路にはたくさんの車が駐車していました。天気も良いし、今年はソメイヨシノがずぶん早めに満開になったため、人気の少ない平日の午前を目掛けてお花見にやって来たのでしょう。広いこの公園ならきっと「密」にもならないはず。そう思ってね。例年出ている地元の商店街のお店がありません。やはり市からしかるべく通達が出てるのでしょう。 普段家の中で縮こまって暮らしてる身としては、ポカポカ陽気のこんな日のお花見は、気持ちが解放されますね。きっと病院に行く以上の治療効果が得られるかもね。1年ぶりの三神峯公園は良いなあ。なら、あそこへも行って見ようか。そう思って向かった先は、雑木林の奥でした。 雑木林と言えばこれですよ。春の妖精。カタクリの花。首を傾(かし)げて下向きに咲くため、とっても写真を撮り難いんですけどね。可憐で可愛い色のカタクリ。私は大好きです。 周囲は全て住宅地なのに、公園の一角には今でもこんな自然が残っているのは、江戸時代から伊達の殿様がお城に近い山の木を切らせずに大事に守って来たためなんですよ。だから青葉城にほど近い場所に今でも鬱蒼とした森が残り、中にはモミの原始林もあるほどです。 だからわたしは「仙台って田舎だねえ」と言われても怒りません。人口が100万人を超える大都市の真ん中を流れる川(広瀬川)で天然のアユが釣れたり、近郊の山にカモシカが棲んでたり、カタクリやイチリンソウ、ニリンソウが咲くなんて場所、あんまりないですからね。 A沼のカルガモ親子 それからわたしは歩いて生協へ行き、パソコンの修理について尋ねました。修理に要する期間とおおよその代金が分かったので、何かあったら頼もうかなと。そして次はいつも行くスーパーへ。ここで買い物を済ませ、背にはリュック、首には荷物満載のナップザックをぶら下がると言う変な格好で、またまた家まで歩いて帰ったのでした。ハハハ。これでこの日の運動は終了。午後からは料理作りでした。 さて涌井、岸、則本がそれぞれ2連勝なのに、前回は1回3分の1で10点も取られた滝中。今夜は勝って3連戦と行けるか。それとも再び煮え湯を飲まされるか。まあプロの厳しさは社会人野球の比ではないですからね。と書いたのですが4-0勝って勝ち投手になりました。あれまあオメデト。
2021.04.10
コメント(0)
~まあ色々あるさ~ 綿雲 翌日は朝から良い天気。早速2階に布団を運び上げた。こんな日に布団を干さない手はない。急いで洗濯機も回した。心配した体調は案外良かった。きっとたっぷりの昼寝と、早めに寝たことで溜まっていた疲労が抜けたのかも知れない。新聞を取りに行ったついでに家の周囲を一周。実はもし体調が悪かったら思い切って病院に行く気で準備していた。だが、どうやらその心配はなさそうだ。少し安心。 西洋シャクナゲのつぼみ 西洋シャクナゲのつぼみが膨らみ始めた。ツリガネスイセンの茎が伸び、先端の花房の色が濃くなって来た。白いスイセンが一斉に咲き始め、先月植えたジャガイモの芽、種を蒔いたシュンギクの芽が出てるのに気づいた。でも喜んでばかりはいられない。雑草の方もドンドン勢いを増すからだ。油断は禁物。今年もまた雑草とのし烈な戦いが始まる。 マーマレード 思いついてマーマレードを作った。写真はプロが作った見事なもので、ネットから借りた写真。私が作った際の材料は、夏ミカンと晩白柚(バンペイユ)の皮を刻んだもの。夏ミカンの実。摺りおろしリンゴ(大半分)、バナナ1本。梅ジュースの実4個分。ピクルスの残り汁。レモン汁。砂糖適量。それらを鍋でコトコト20分ほど煮詰めた後、水で鍋を冷やした。これが案外美味しく出来たんだよなあ。 ピクルス 次に作ったのがピクルス。写真は借り物なので美しいが、私のは何でもありでこんな芸術品ではない。大根やカブの皮、曲がったニンジン(’皮ごと)、刻んだキャベツとタマネギ、大根、キュウリ。漬け汁は食酢が中心で、それにレモン汁、ポン酢を少し加える程度。 カブの甘酢漬け カブはスライサーで薄切りにしたものを塩で揉み、一晩そのまま置く。翌朝それを手で絞って水気を切って容器に入れ、別に作った酢、砂糖、レモン汁の漬け汁に漬けるだけ。超簡単な男料理。葉っぱは味噌汁の具となり、皮は刻んでピクルスの材料。全く無駄になるところがない。 タラの刺身 この日はタラを刺身にした。買った時は皮を剥いだフィレ状態。結構良い状態で量も多く、しかも半額となっていた。でも一見してこれは刺身になると判断した。他にもマグロやカツオの切り身を買って刺身にすることもある。色と艶を見て鮮度を判断し、自分の責任で刺身包丁で切る。新鮮な魚の場合、市場に出てから2日ほどで熟成し、旨味が増すのだ。これも生臭さがなく、早速美味しくいただいたのでR。 さて、その夜も対西武ライオンズ戦。楽天の先発は則本だった。前回はあっぷあっぷしながらも何とか勝った彼。前日負けた首位ライオンズはきっと本気で来るだろう。そう思っていた。だが先制したのはわが東北楽天。しかも着実に追加点を上げ、なんと6対3で2連勝し、とうとうパの首位に立ってしまった7ではないか。則本も堂々の2勝目。これで勢いづいてくれたら嬉しいのだがねえ。
2021.04.09
コメント(2)
~おとこ一人暮らしを語る~ クマタツ氏撮影 ある日おとこは体調の異変に気付いた。トンデモナク気分が悪い。このままでは倒れてしまうんじゃないか。本気でそう思った。それはそうだ。前妻と別れてからまる4年。旅行に行った時以外は3食とも全部自分で食事を作った。それに1日も欠かさずにブログを更新した。馬鹿真面目におとこは旅行中の分まで予約してたのだ。それじゃあ疲れるのは無理もないよねえ。 ホトケノザ そこでおとこは庭に出、思いっきり体を伸ばすことにした。そう体操だ。自分流のラジオ体操とストレッチ体操を少々。それから家の周囲をグルグル回った。出来るだけ長くなるよう。そして負荷もかかるよう外階段の上り下りも加えて。時計周りを10回。そこまでは覚えていた。反時計回りを5回。無理をせずにそこまでで止めた。それから昼食。確か値下げ品の団子を3本などを食べたはず。 タチツボスミレ それから思い切って眠った。それも毛布を掛ける程度ではなく、和室にちゃんと布団を敷いて。眠ったのは1時間以上だったかも。起きたら少し気分良くなっていた。それで何とか翌日分のブログを書けた。でもブロ友さんのところへ訪れるまでの気力は起きない。ゴメンナサイね。 しかし、新型コロナウイルス感染症の勢いが止まらない。大阪府、兵庫県と共に「まん防」の対象になったわが宮城県だが、その後とんでもない事実が判明した。2月中旬以降に発症した陽性者167件のウイルス検査を国立感染症研究所に依頼したところ、そのうち80.5%がE484K型と言う変異種だったことが判明したのだ。そのせいで、今月の俳句教室は中止。来月も予定が立たない旨の連絡があった。 まあ嫌だねえ、恐いねえ。まだワクチン接種の詳細がなんにも分かってないのにねえ。分かっているのはもしワクチンを接種したことが原因で死んだら、政府が4千万円を補償してくれると言うこと。それとコロナで入院しても、私が契約してる医療保険では、ちゃんと保証があること。でもわたしは一人暮らし。もしも死んだら一体誰が請求するんだろうね。その夜、保険屋さんから電話があった。 その夜の対西武ライオンズ戦の先発は岸投手。今季調子が良いライオンズとの緒戦だった。そしてこの夜の楽天は首位西武の投手陣を全く苦にせずに、やりたい放題で打ちも打ったり13対2の大勝で岸は早くも2勝目。ゲーム差0の2位となったのだ。オッホン。良いぞ良いぞこの調子。後はもう心配ないと、その夜は早めに布団にもぐって眠ったのだった。
2021.04.08
コメント(4)
~中国の不気味さ~ 空母遼寧 過日、中国の空母遼寧と数隻の艦船が沖縄の「宮古海峡」を通過して太平洋へと遠征した。これで3度目の太平洋遠征だったと思う。領海侵犯はなかった由。ただし空軍機もこれに追随したため、自衛隊機が那覇基地からスクランブル発進したそうだ。 数日後、今度は中国最大級の駆逐艦など3隻が対馬海峡から日本海に入ったようだ。これは初めてのことだった由。なぜ中国人民解放軍はこうした示威的な行動を取ったのだろう。それは言うまでもなく米、日、豪、印のいわゆる「クワッド」に加えて、最近ではイギリス、フランス、オランダの海軍までも加わって中国の東、南シナ海覇権を封じ込めようとの動きへの対抗であることは明白だ。 その中国でトンデモナイ遺物が発掘された。それが黄金の仮面(上3枚)だ。場所は四川省の省都成都の北方40kmにある広漢市の三星堆遺跡。それをネットのニュースで知り、関心を持った次第。 遺跡と発掘風景 この遺跡は長江(揚子江)上流域文明の中心地で、30年前から発掘を中断していたようだ。上は同遺跡と発掘風景の写真でネットで検索した。モノクロでぼやけた、いかにも古そうな画像だ。ところがこの遺跡から驚くべき遺物が発掘されていたことを、ネットで知る。以下に過去の発掘品を載せる。 三星堆博物館 どうやら発掘物はこの博物館に収容されているようだ。恐らく学術的にも貴重な物であるため、博物館を造って管理、保管しようとしたのだろう。 貼金銅人頭像 青銅神樹 高さが4mあるという、とてつもない巨大な青銅製品。こんなものが地中に埋まっていたとは驚きだ。 高さ2.6mの青銅立人 捩(ねじ)れて飛び出した「目」を持つ神像。この画像は以前観たことがあった。この遺跡は今から約三千年前のもの。世界四大文明の一つである「黄河文明」は良く知られているが、それとは異なる場所に、黄河文明にも劣らない文化を持った帝国が築かれていたことに驚嘆する。日本で言えば弥生時代に相当する。しかもこれまで発掘したのは遺跡全体の千分の一と言うからビックリだ。 昨年後半から発掘が再開され、祭祀坑6基が新たに発見された。冒頭の金の仮面のほかに、これまで酒器、玉製礼器、絹、象牙製品など500点が発掘されている。古代中国の文化の高さに目を見張る。そして同時にその末裔である中国人(漢族)政治家の思考の野蛮さにも驚く。どうやら文化は持続しないようだ。
2021.04.07
コメント(4)
全5454件 (5454件中 351-400件目)