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調布近隣の子育て真っ最中のみなさま、 来る3月2日、土曜日に、調布駅前のグリーンホールにて、「ちょうふ子育てフェスタ」を開催します。 子育て支援に関わる様々な団体の出店、ステージなどがございます。 結構ロハスだったり、目からウロコだったり、面白くてへぇ〜ふぅ〜んといった声もお楽しみ。 熱い調布の人々が、あなたをお待ちしています。 わたしは13時30分より、ちょこっとヨガ、なるものをステージでいたします。 ほんの20分ほどですが、良かったらお会いできるとうれしいな。 いつもやっている肩こり緩和のプチヨガや、人生に疲れたときのヨガ、パートナーと心が離れてしまったときのヨガなど、(いやいつもやってるものなんだけどね)お伝えしま〜〜〜す! 試飲や試食もいろいろあるみたいですよ。 赤ちゃんのスペースも完備。 ほっぺにハートのペイントもしてくれるみたい。 いろんなハッピィがつまってる、調布子育てフェスタ、どうぞいらしてね!
2013.02.24
土曜日、チャリティヨガクラスのインストラクターを経験した。 このクラスは、ヨガの学び直しでわたしがここ2年ほど通っていたクラスで、いまはTTを卒業し、シニアやマタニティクラスを受講している。 いつもは師の立つ場所で、インストラクターとして振る舞うのだけれど、この場所の重さを改めて感じることができた。 テーマは肩甲骨と股関節。 ともに学んで来た仲間が参加してくれたり、自分の弱点もまたとても見えてきたクラスだった。 参加者のからだの様子をみながら、からだを開いていき、生活の疲れを労いながら、少しづつ、思い込みを外していく、からだに負荷をかけながら、今を越えてみる。 ほんの1時間と少しの、自分のからだを巡る旅。 できたこととできなかったこと、すべてが学びと糧になる。 そして、改めて、こっそりと(苦笑) いろんなクラスがあるけれど、わたしはやはり産後クラスがいちばん難しいと、やはり思うのだ、ふふふ。
2013.02.24
昨日、早朝に電車に乗ったら、都立受験の中学生とその親の姿をみかけた。 ついに本番だ。 受験は本人にもまして、家族ともども長距離マラソンを伴走するようなもの。 いろんな八つ当たり、はたまた八つ当たりのお返しをしてみたり(苦笑)、こどもよりも塾についてが高校について詳しくなり(苦笑)、ほんと、思っている以上に、親も見えないプレッシャーがかかる一年だった。 今日でとりあえずお疲れさまだ。 受験生も、ご家族も、合格までの数日はやれやれと過ごしてほしい。 がしかし、合格までの数日で、なんと期末テスト(笑) もちろんわが息子は既に、燃え尽きてます・・・ 吉報が届きますように!
2013.02.24
早朝8時過ぎ、クラニオセッションを。 クラニオもフラワーエッセンスも、おそらく他のセラピーも、自分の中に眠る答えを発見するためにあるんじゃないかと思う。 8回目のセッション。 部屋もコツコツと片付けられるようになり、物も減らすことができているよう。 自分の本音に気づいたり言えたりすると、そのとき、からだがぶるぶると震えるようになるという。 今日も触れながら丁寧に言葉を重ねていくと、ざわざわとしたものがからだのあちこちに、寒気のようにやってきた。 頭だけじゃなく、からだもぐるぐると回るような感覚も。 「ちょっと気持ち悪い、無理な感じ」 特に混乱が強い額に手を触れ、その混乱に呼吸を入れてもらう。 目眩が引き、落ち着いた後、その方は言った。 「わかりました」 「わたしは完全なたましいを持っているって」 「わたしが嫌で変えたかったのは、からだの方。 心を無理に変えようとしていたから、苦しかったんだって、 やっとわかりました」 こんな言葉をきけるわたしのほうが、震えそうになる。 春がくるタイミングで、からだをひらき、心を歓ぶようなからだを磨きながら育てていけるといい。 からだが変化すると、さらに心も軽くなるし、嫌なひとが不思議といなくなる。 春です。 からだと心を、つないでいくクラニオセッション、ご興味ある方は声をおかけくださいね。
2013.02.23
主人の実家には月一度家族でお邪魔する。 料理上手なお母さんは毎回ごちそうを作ってくださる。 ふだん手のかかった食事をとらない我が家の、胃袋のオアシスといったところだ。 チャレンジ精神旺盛で、想像力豊か。 本当に優しいひとだ。 お父さんは、コツコツ、地道に努力を重ね、困ったひとがいればすぐに手を差し伸べるひと。 主人は、両親の良いところを余すところなく受け継いだ。 はげも受け継いだ。 こどもたちはもちろん、わたしも主人の両親が大好きだ。 ずいぶんと世間からはみ出た嫁だけど、わが娘のように愛してくれる。 息子の高校のお祝いに、春休みに、九州鉄道旅行へいく。 元気でいてくれることが、本当にありがたい。 いい思い出を作りたい。 5月には、なんと新しい、終の住処も完成する。 主人の家の血がこどもたちに受け継がれていることを、ひそかに誇りに思っている。 この家の家族になれたことは、人生の財産だ。 こんな面白い豊かなひとを育ててくれて、お父さんもお母さんもすばらしい!とときどき言っている。 我が家の幸福のみなもとが主人だから、幸福のみなもとのみなもとだ。 源泉ね。 息子は、自分の運転する電車に、おじいちゃんを乗せることを夢見ている。 なんとかなんとかがんばって生きてくださいねと、会うたびに言っている。
2013.02.16
やるべきことがたくさん。 笑えるくらい! しめきりというのは、やはりあったほうがいいのね。 ここ2週間で、クラニオの卒業論文に入る。 約3年半の集大成で、またここがはじまり。 ここまでいろんな巡り合わせがあったのも、クラニオに出会うためだと思っている。 クラニオに出会って、やっと自分の人生に軸がしっかりできた、そんな感覚だ。 この感覚があれば、どこででも生きていける。 産後クラスも、ひとの人生の変わり目を感じられる、もう醍醐味満載な仕事だ。 ヨガはちいさなわたしを感じる時間。 バッチフラワーは、ひとの真摯さに触れる時間。 好きなことをみんな仕事にして(それしかできない)ちからをもらっている。 というわけで、たまには自分のちからを地域に役立ててみようかと、来年度はPTA会長をすることに決めた。 一緒に走ってくれるチームの仲間は、情熱も冷静さもユニークさも持ち合わせている。 ちょっと最強メンバーだ。 大きなことはできないし、淡々と行事を滞りなく遂行できるようにするのがメインだけど、保護者が、あともう少しでも我が子やともだち、そして親同士、学校、先生に関心が向くよう、声をかけていけたらと思う。 勇気をもって、はらをくくってごらんよ、と伝えるだけなんだろうなと思う。 覚悟を決めたほうが、うんと人生は面白い、味わい深い。 せっかくこどもを持ったのだから、自分のスケールを自分の中に持ってごらんよと。 とまぁ、来年度は少しはスーツを着る機会が増えるかしら(苦笑) 会長というコスプレをする感覚だ。 あっという間に駆け抜ける、きっと。 あっという間に、わたしは娘の卒業式で式辞を読んでいるんだろうね。 今から泣かないで滞りなく遂行しているイメージをもたないと、ちょっとヤバいとヒヤヒヤしている。 だってね、無事任期が終わったら、チームのメンバーと号泣しそうだからさ。
2013.02.16
午後、クラニオセッションを。 わたしにとって個人的にとても大切なひとへの、かなしみや憤りを味わい尽くし、やがて昇華するための、ささやかなセッション。 お座布団を三枚並べて、ブランケットをかける。 今日は子猫ちゃんたちが気ままに好きな場所でのんびりする。 仙骨とお腹に触れていると、膝にもたれてくる。 この猫ちゃんたちは、お客様がいるときはこんなふうにゆったりしているそうで、家族だけになると途端やんちゃをしだすらしい。 被災地の猫が産んだ子猫で、ここにやってきて3週間くらいだろうか。 彼女とセッションしているときは、わたしはすっかりセラピストでいるわけでなく、会話しながら、生き続けることの凄みと奇跡のようなものを全身で感じる時間になっている。 触れる位置を変えると、猫も場所を移って、ご主人様の足元に体重をかけたりする。 猫のゴロゴロっていう音はひとの波長を上げるんだって、なんて話をしたり、最近起きたミラクルな話に泣きそうになったり。 まるで内臓がちぎれて喪ったような、まだ血がだらだらと流れるような痛み、と、彼女は彼女に起こった喪失を表した。 わたしはその痛みをけっして知ることができない。 ただこうして手で触れ、寄り添うだけ。 それでも、だんだんと力が回復しようとしているのを、手から受け取れる。 ひとは生きるようにできている。 死んだ方が楽、とからだの底から言ってしまえるほどの苦しみとかなしみ、怒りをひとつひとつ感じながら。 喪ったとてもうつくしいものを誇りに思いながら。 まだ家中に残る大切なものの気配に日々かなしみながら。 それでもひとは、生きるようにできているのだ。 彼女がそれを体現している。 子猫ちゃんたちは終始空間に溶け込んで、ずっとまどろんでいた。 もうこのこたちは、この家の家族なのだと思った。
2013.02.13
本当に上質なものは、自然に軽やかで自分の放つひかりとリズムが誰かの胸に歓びとなって素直に届くのだろう。 浅田真央の四大陸のショートプラグラムは、一瞬で観る者を幸せにしたし、勇気づけた。 どれほど愚かすぎるマスコミと日本のスケ連、そして他国の政治的な意図に阻まれようと、スケートを続けたあなたに、本当にありがとう。 彼女を支え続けたご家族やコーチたちに、本当にありがとう。 浅田真央であり続けてくれた奇跡に、本当にありがとう。 そしてダイスケ! なんてドラマティックなひとなのかしら。 深く沈むのも、ちからがなきゃできないこと。 これもまた血となり肉となるのね、本当にあなたのこの一年は楽しみでしかたない。 そしてついにチャッキー! 優勝おめでとう! やっとまともな評価がされて、本当に嬉しい。 あなたはチャンよりもうんと表現に優れている。 5度の4回転、その意志に拍手です。 勝つことの歓びを、体中で味わってね!
2013.02.10
息子の学校公開へ。 小学校に比べると、それと寒いからか、各学年10名も来ていないんじゃないかという、ひっそりした学校公開だけど、中学生好きなわたしはできるだけ参加するようにしている。 明日は私立一般受験だけど、受験生にとって、特に男子は体育で発散することがかなりいいんだろうなぁと思った。 ゆるい卓球とか、楽しいサッカーにバスケ。 3年生になると、みんな大人になってきて、自分と相手のキャラが理解でき、なんとか居場所を見つけることができる。 1年生のときはとにかくとんがってて危なっかしかったのにね。 成長するんだなぁとしみじみ。 国語では「15歳の定義」とあって、今の自分を深く掘り下げるような授業だった。 廊下に、15歳ってこんな年、というそれぞれの言葉が展示してあった。 そのひとつひとつの言葉が、どれもよかった。 真剣に言葉をつむいだものも、気恥ずかしくてわざとオブラートにくるんだもの。 息子は、何度も自分が崩れかけても、また進むことをあきらめない、挑戦し続ける年 と書いていた。 他にも、夢と現実がかけ離れてしまう年、けど夢を追ってしまう年 とか、初めて夢を一人で育て始める年 とか、常識を語る者を見ていて腹立たしい年 とか、他人に助けを求められる最後の年 とか、自分が嫌になっていく年、他人と比べてしまう年 とか、成長していく自分を認めてもらいたい年 とか、言葉と気持ちに矛盾があらわれる年 とか、友達とみんな一緒がいやな年 とか、迷いに迷って迷い続ける年 とかね、だけどこれって、大人になっても続くんだよ。 大人も相当迷ってる。 勝手に諦めてもいる。 自分はどうあればいいのか、15の頃から考え始めるのだろうね。 この前もいちいち口を挟んで「うざい」と言われたんだけど、このこもついに親に反抗できるようなちからが備わってきのかと感動した。 それでなくちゃね。 できるなら、一生懸命悩み、楽しみ、大人になってくれ! 大人も相当に、どこまでも楽しめるんだよ!
2013.02.09
クラニオセッション。 始めて1年になる方。 セッション前から左脇腹がしくしく痛むのが気になります、とのこと。 寒いので、足から入る。 足から入るとつま先まで温かくなってくる。 次に仙骨。 会話をしながら触れていると、また左腰の上のほうが痛くなってきたようで、仙骨と左腰を同時に触れてみる。 その痛みの質感を味わってもらう。 ピンポン玉よりも少し大きい芯がある感じ。 茶色っぽい感じ。 ざわざわする感じ。 感情は? 何か当てはまる感情はある? 時間をかけて感じてもらう。 あ、ちゃんと見て、と言っています・・・ ちゃんと見て、と言っているんですね。 それは誰に? 自分以外の他のひと? それとも自分自身? 多分、自分自身に。 自分自身に、ちゃんと見てって言っているんですね。 と言葉を重ねた途端、彼女のからだのあちこちに刺すようなちいさな痛みが現れた。 右の股関節の上や、左の親指の先や、あちこちに。 苦笑しながら、その痛みを感じる。 息を殺して生きていた分、からだのあちこちがカバーしてきたのだろうか。 自分自身で問題を認識したときの変化のちからは、凄まじいといつも思う。 わたしがやってできることじゃなく、何度でも、何度でも言える。 回復するちからはあなたの中にある。
2013.02.07
先月、叫びたいような怖さの中にあるとき、何にそんなに怯えているのだろうとずっと考えていたら、あるとき、ふっとわかった。 わたしは「世間」が怖かった。 わたしが行動することによって受ける批判。 それに答えられる自身が全然なかった。 自分の中に揺るぎなさだとか、強さだとか、確信だとか、微塵もなかったからだ。 家族も世間になる。 先日も書いたように、主人からも息子からもあきれられ。 もちろん返す言葉もなく。 いやいやすみませんと。 根拠のない自信家のわたしはどこかにいってしまい、全く着たことのない服を着るように、ちいさなわたしがいるだけだった。 たったこれっぽっちしか知らない、ちいさなわたし。 だけどこの世界にちゃんと生かされて、多分調和している。 ヨガがあり、クラニオやバッチがあるから、調和の静かなうつくしさを感じられる。 調和していないとき、多分ひとはよそにスケールを置いている。 わたしも世間のスケールが、怖くて仕方なかった。 まぶだちマキさんが、わたしがこれから歩こうとしている道は、「TAPAS」だと教えてくれた。 ヨガスートラの八支則、ニヤマのTAPAS(苦行)だ。 幸せに向かう道は「すべてTAPAS」と、マキさんの師は伝えたそうだ。そして、TAPASは偉大な受容だ、と。 TAPASなのだ、と心に言ってみると、いろんな恐れがすーっと鎮まった。 怖かったものの正体がわかったときに、マキさんはこんなふうにメッセージをくれた。 世間、それは常に変化するもの、永遠じゃないもの、不確かなもの、流れていくもの、恐れる必要のないもの。 わたしたちはいつもいつも、ともすると永遠じゃないものに惑わされて、普遍の真実を見失いがち。 その道のりこそが大切だと気づかずに、結果ばかりを追ってしまう。 自分の生を精一杯生きようと覚悟を決めたひとはね、こんな言葉を友人に伝えることができるのだ。 自分自身を生きることは、どこかで誰かを勇気づける。 誰かの安心につながり、誰かのハートを鼓舞させる。 スケールは自分の中にあるのだ。 起きることを受け入れようと思う。 それでも震えてしまっても、その震えも次にはちからになる。 ちいさなわたしは、そう思う。
2013.02.04
テレビで、ダイスケが出演したショーを観ていたら、ふっと自分の鼻の下が長くなっていることに気づいた。 おお! これが鼻の下が長くなるという現象か。 興奮する気持ちをちょっと隠すと、こうなるのだとわかった。 主人が部屋に入ってきたときに、そうなったからだ。
2013.02.03
1月はずっと心の内では、ホ・オポノポノ状態だったわたし。 叫びたいような、いつも震えているような、得体の知れない何かがとても怖かった。 その得体の知れないものがわかり、自分の中ですっかり諦めてしまっていたこと、さまざまなことを思い直し、できうる限りの最善をイメージすることにした。 数週間前に、ある大きな決断をしたのだけれど、なかなか主人に言えず、せめて息子の受験が終わるまではとずるいのだけど待ち、伝えたら、いやいやふきんをテーブルに投げられた。 いやきっと彼はビール瓶でも投げたかったろうに。 なぜこの時期によりにもよってあなたじゃなきゃいけないんだ! と言われ、返す言葉はなく。 正直、「巡り合わせ」としか言えないのだ。 この「巡り合わせ」を上手く説明なんてできないのだ。 わたしもいっぱいいっぱいで、もちろん反論する気力ももともとなく、ごめんなさいね、と淡々と謝った。 2日ほど口を聞いてもらえずに、まぁ自然と、いや自然じゃないけれど、しかしわたしたちの間には伝家の宝刀があったことにはたと気づいてね! これをきっかけに、主人との間では新たな目標が生まれたわ、ふふ いまはその件についてはやれやれという感じで、しょうがないね、夜空けるときは俺がめしは作るから、とか、休みを調整したりするから、と、助け舟を出してくれている。 もちろん、言動にはくれぐれも気をつけるようにと。 ↑ 非常に信用なし・・・ 最善主義者、という言葉があるのだけど、いまできることをするひとのこと。 この一年は、これでいこうと思う。 できることを、精一杯。 ひとりではないから。
2013.02.03
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