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この5月、みかんの手入れのまとめ職場を退職して2カ月が過ぎて、5月のみかん作業のまとめです。例年、5月の作業というのは、みかんの花とお茶摘み、そして草刈りです。みかん園の新たな年度の始まりということです。10数年つとめた介護用具貸与の職場を3月末で完全退職して、生活の新たな再構築がはじまっています。当方にとっては、真鶴のみかん園ですが、これを放りだすわけにはいきません。しかし今の年金では、みかん園にかよう費用までは出てきません。どうするか。まぁ、いくら「じっと手を見ていても」、解決できるわけではありませんから。そうした折、新たな展開がありました。昨年11月から借りた早川の市民みかん園ですが、この4月-5月は、甘夏の収穫と出荷がありました。新たな事業の展開です。これが収穫を終えた甘夏の木です。早川の知人が、自身の畑の一角ですが、市民みかん園を貸してくれたんですね。このおかげで、4月から5月中旬にかけて、初めての甘夏の出荷をしました。東京から早川を、週2回の15往復、計2130個の甘夏を出荷しました。例年ならこの時期は、せいぜい草刈りに往復するくらいだったんですが。甘夏を届けることで、その味を喜んでもらえるし、販売することで、交通費の心配は消えますから、何よりのことでした。ところが、そうした中、5月上旬でしたが、自分の体に変調をきたしてしまいました。5月5日から10日まででしたが、入院する羽目になりました。便秘で、お腹が張ってしまって、夜に寝ることもままならなくなったんですね。初めての入院体験でしたが、1週間、もよりの病院に入ってきました。これまで当方は、10数年、介護ベッド貸与を仕事してきてたんですが、今回は、主客が逆になって、ベッドのありがたさということを体験できました。それと食事管理の大事なことも、実地に1週間、体験してきました。まぁ、もうあんたも歳なんだということをよく自覚しろ、ということです。5月上旬という時期は、みかんの花の季節だったんですが、おかげで今年は、その一番盛りの時を見逃してしまいました。お茶摘みが終わって、これからみかんの花がピークだという時に、入院しましたから。 我が宿の花橘はいたづらに 散りか過ぐらむ見る人もなしに (『万葉集』巻十五・3779) 中臣宅守という人の歌だそうですが、重なる気持ちがしました。やはり、会社勤めを終えて、そこで体の変調をきたしたんですね。4月は甘夏のおかげで、動き回っていたんですが、その終わるころが問題でした。退職というのは、自然環境の方は、さほど変わらないのですが、個人の生活の方は、新たな再構築、リセットが必要だったということです。まぁ、これは、しばらくの間は、試行錯誤が続きます。その柱の一つに、これまで積残してきたことを片付けることがあります。この5月には、ルソーの『人間不平等起原論』を読むことが出来ました。これは、高校時代でしたが、いまから47年も前ですが、知人がルソーの何んだったか読んでいて、何かしきりに熱く語っていました。当方にとっては、猫に小判だったんですが。ほどなく、エンゲルス『空想から科学へ』で「弁証法の傑作」と紹介されてました。これも当方は読み込む力がなくて、氷の上をすべるように、跳ね返されてたんですね。ルソーは近代民主主義の古典的存在です。5月は憲法を考えさせられる時でもあります。とくに昨年来、緊迫した事態が続いていますから。そうした事情が、このルソーの古典を、そのほこりをはたいてくれました。今回は、47年ぶりの再挑戦でしたが、やっと納得しました。遅まきながらの野蛍光灯でした。これはヘーゲルよりも、20年も前に書かれているんですよ。賞賛される訳がわかりました。しかし大事なのは、この著作の意義は過去の遺品ではないということですね。確かに粗削りですが、それでも、今を前にすすめる力を、問題を提起をしているんですね。こんな感想もあります。「ルソーの精神は日本で十分に根をはったとは言えない。だから戦後、主権在民という言葉は一とき流行したが、その真意は、覚えぬさきに忘れられかけている。わたしたちは、もう一度この名著を読み返して、元気をつける必要がある。」これは桑原武夫氏の1954年のもの。『社会契約論』の訳者たちを代表して岩波文庫のまえがきに書れています。戦後9年、今から60年前に述べた感想ですが、今も妥当していると思います。今はさいわいにして、たんに本から元気をもらうだけでなく、現実の市民運動からも元気をもらえる時にあります。しかし、ルソーはこんなことも言ってます。「君たちのいっさいの不幸は、君たち自身から生じていることを知るがよい」と。これは『不平等起原論』に関連して、『告白』で述べた部分ですが。わたしなども感じます。戦後生まれの首相の言動をみるにつけて、そこには自分自身の曖昧さも関連していることを。だいたい、こんなあだ花を現在許している社会的基礎があるんですから。自分も含めて、民主主義はいま試練のなかにあるということです。私などの生まれは1950年ですから、終戦5年目の生まれです。そのたった5年前にあった社会の大きな転換に実感を持ててないんですね。あたかも戦後民主主義が、ずーっと自然な、自明の理としてきたきらいがあるんですね。その転換をよしとはしていても、それを実感をもって受けとめきれてないところが、弱点になっている。今の尊厳を守ることの厳しさに弱さがある。だからあんなのが首相にもなるんですね。それは他人の問題ではなく、自分自身に関連する問題です。そこに、現在というものの歴史的位置があることを理解しておく必要があるわけです。こうした状況ですから、これからも前途にはいろいろ紆余曲折があるはずです。それを乗り越えていくためにも、その力をつくるためにも、今を大事にするということです。これが5月の感想です。
2016年05月31日
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湯河原温泉にとり、迷惑な話です当方は、甘夏の収穫が忙しくて、この4月ー5月は、1回しか寄れなかったんですが。みかん作業に出かけた時は、なるべく湯河原温泉を利用させてもらってます。みかん園のある真鶴町のすぐ隣ですから、車なら15分くらいで移動できますから。忙しい時や、よほどくたびれた時を除いて、なるべく利用させてもらっています。この一カ月くらいでしょうか、すっかり湯河原温泉は有名になってしまいました。とかく、湯河原温泉を利用していることは、あたかも公金私費でもあるかのような、一人の人の使用によって、何十回となく、いや百回となく、報道されつづけています。湯河原温泉は、すっかり汚名を着せられてしまった感があります。まったくもって、迷惑せんばんな話です。そこで今回は、私にとっての湯河原温泉の紹介です。当方は、草取りを終えた後は、湯河原温泉を利用させてもらってます。湯河原の湯治場「ままねの湯」なんですが。これがその浴場です。これまでにも、ここは何回も紹介させてもらっているんですが。近所の人たちも利用していますし、仕事帰りの人も利用しています。遠方から湯治にやってくる人たちもいます。ここの利用料ですが、立ち寄りで200円なんですよ。半日の休憩なら600円、一日休憩なら1200円です。すぐお金のことが気になってしまうのも、今回の問題のせいでもあります。これが源泉をプールして、浴槽に引き込むコックです。ここはシンプルな浴槽ですが、温泉自体をゆったりと、利用しやすいようになってます。なにしろ源泉が湧きだしたすぐ隣に施設があります。加水をいっさいせずに、温度調整をしています。源泉温度は81度なんですよ。その方面の医師からも、温泉の効能が良いと太鼓判です。山梨県の農家の方で、農閑期の湯治にきている方にあったこともあります。やけどや、皮膚のただれにも効果的なんですよ。当方の場合、草取り作業で疲れた体も、ここでシャキッとさせて、帰りの長距離を安全運転で走ることができます。そもそも、湯河原温泉は、歴史的に古くから有名なんですよ。『万葉集』の巻第十四・3368に、こんな歌があります。 足柄の土肥の河内に出づる湯の 世にもたよらに子ろが言はなくに(足柄の土肥の川沿いに出る温泉のように、本当に動揺するとは乙女子は言わない)湯河原は鎌倉時代は、土肥氏の拠点だったんです。石橋山の旗上げで敗れた頼朝は土肥氏の案内で房総半島に逃れたんです。早川や岩、湯河原、伊豆山神社はなどは、歴史の舞台なんです。古くからの温泉場なんです。こうした、すべてが、今回の姑息な公金私費の問題で、濡れ衣をかぶされました。いまや湯河原は、汚名の舞台として、その代名詞にされてるんですね。そりゃ、政治家だって温泉で休養はすると思いますよ。これじゃあ、誰だってきにくくなるじゃないですか。だいたい、国民のために尽力する人は、身辺も中身もきれいでないとだめです。つぎつぎと魔化しばかりになったら、人にその言葉が責任を感じられなくなったら・・・。信頼なくしたら、政治家としては、もうおしまいです。都民にたいしてはもちろんですが、このご時世に、こつこつと温泉をまもって、営業を続けている温泉業者の、その奇特な努力にとっても、いい迷惑です。今や、当人は、そんなことには気はむかないとおもいますが、いったい、申し開きするにたるどんな内実があるというんでしょうか。当人はもちろんですがそれを推薦しかついだ人、支持した面々は、この際明確な反省が必要です。
2016年05月30日
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小林節著『「憲法」改正と改悪』から『「憲法」改正と改悪』は、時事通信社から2012年5月3日に刊行されたもの。本の紹介といっても、「はじめに」の部分、5ページだけなんですが。5月20日に八王子市で開催された小林節氏と五十嵐仁氏との対談をお聞きしました。小林節氏については、樋口陽一氏との対談『「憲法改正」の真実』(集英社新書)、これは2016年3月22日刊行の直近の対談を読んでいたんですが。小林氏は、この7月の参議院選挙に、政治団体をつくって比例代表選挙に出ようとされてます。このことは、この20日の対談でも、ホットな、直接の質疑が交わされました。私などは、率直なところ、学問をとおして社会に貢献する言論活動に徹した方のが、小林氏の力が、本領が、発揮されるんではないかと思っているんですが。それはともかく、この間、小林氏が主張されてることを当たってみました。『タカ派改憲論者はなぜ自説を変えたのか』(皓星社 2015年2月刊行)ですが、1990年代からの小林氏の歩みの輪郭についてたどることができました。今回は、『「憲法」改正と改悪』(時事通信社 2012年5月3日刊行)は、二冊目です。この本で紹介されていますが。まず、小林節氏の経歴ですが、1949年東京生まれ。慶応大学で法律学を学び、ハーバード大学ロー・スクールでも研究員をされてきました。本人曰く「戦後生まれの「団塊」の世代に属す私は、学校は日教組、新聞は朝日で教育された」自称「護憲」的改憲派とのことです。本題の「はじめに」ですが。小林氏の問題意識が次の様に語られています。「1、国民全体に憲法に対する基礎知識があまりに乏しいことに驚かされる。2、何より、「戦争」を「放棄」し、「戦力」を「不保持」だと明記している憲法を戴くこの国に、堂々と国の機関として自衛隊が存在すること。その担当大臣がまともに説明できないことがおこっている。3、時の首相が、本来は主権者・国民の意思としての憲法に規律されるべき立場にありながら、あろうことか、その憲法を使って国民に「愛国」の義務を課そうと・・提案した。4、当然それを「本末転倒」だと批判した私にたいして、知人が真顔で『なぜ、愛国心がいけないんですか?よいことじゃないですか』と言い放ったのには驚かされた。・・・これは典型的な人権侵害です。こんな当たり前な基礎知識すら広く共有されていない我が国の現状は、いかなる立場の人々にとっても恐ろしいことだ。日本国の土台が腐っているようなものだから。・・私にとって、今、どうやって、まっとうな憲法知識をこの国の主権者・国民に急速に広めるか・・・、それこそがこの素晴らしい国の基(もとい)をつくるために、急務である。」これが、小林氏の基本的な現状認識です。大事な、重い指摘だと思います。私などは、個々の点では意見の違いも感じなくはないのですが、しかしこの現状の基本認識についてはしっかり共有しています。昨今の政権担当者の言動と政治からして、戦争法をはじめあらゆる分野で、国民の切り捨てがすすめられています。小林氏の「基礎知識が乏しい」との指摘ですが、ズバリ正解です。こんな政治を許しているわけですから。当方としても、あらためて65の手習いですが、今の状況の中でこそ、自己の曖昧さをただしつつ、日本憲法の基礎知識をしっかり学ばなければならないと考えさせられている一人です。
2016年05月28日
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ルソー『人間不平等起原論』を読んで (その2) 『読んで』なんて、おこがましいのですが。とにかく終りまで来れたのは、私にとっては一歩前進と思っています。 今回、ここまで来れたのには工夫がありました。 翻訳のせいにしては申し訳ないのですが、この本には「硬いもの」との印象がありました。ところが、昨今の世相が立憲主義を問い直してくれたことで、おざなりだったこの本について、再びほこりを払うことになりました。だいたい65歳ともなると、難しそうな、ち密な論理にはついていけないのが率直なところですが。今回は、次の点をこころがけたんですね。 主題は、いまの世相の中にあって、ルソーの代表作で近代民主主義の思想を確認することですが。これまで跳ね返されてましたから。一つは、読んでいてつまづいた時には、岩波文庫の桑原武夫・前川貞次郎訳(昭和29年刊)と中央公論社の小林善彦訳(昭和41年刊)とを、この二つ訳書を読み比べてみたことです。もう一つは、初めから全体をつかもうとするのでなく、各節の要点をおさえるようにしたこと。第一部は53節、第二部は60節ありますが、その節節での焦点をおさえるようにして、それ以外のことはドンドン忘れてよしということでした。すると、自然に、全体で言ってることが見えてきたんですね。 もう一つは、時に、基本にある思想を念頭に置くようにしたことでした。 それは『告白』(桑原訳 岩波文庫中 昭和40年刊)です。この(中巻)の第八巻P174に、ルソーが当時を回想して述べています。それによると、一つは1753年にアカデミーが論題「人間の不平等の起原について」が出された時、「あのアカデミーがよくもこういう題を出したものだと驚かされた。この勇気に私(ルソー自身)も答えようとした」との思いの点です。もう一点、ルソーはここで探究の仕方について述べています。「森の中を歩いて原始時代のおもかげをもとめて、その歴史をたどった。人間のちっぽけな虚偽を片っぱしからやっつけた。人間の本性を赤裸々に暴き、その本性をゆがめてきた時代と事物との進歩のあとをたどり、人為の人と自然の人とを比較することによって、人為の人のいわゆる進歩改良のなかにこそ、その不幸の真の原因があることを人々にしめそうとした。」と。さらに「たえず自然に不平をいっている非常識な人々よ、君たちのいっさいの不幸は、(自然などの外にあるのではなく)君たち自身からしょうじていることを知るがよい」と。 ここで語られているのは分析と総合、下降と上向の方法の問題ですね。もちろん私などには細部では理解出来てないんですが、それは仕方ないんですが、しかし一番肝心なのは大筋の基本的展開をしっかりとらえるように、それがルソーのアドバイスだと受けとめました。 それらによって、これは今から260年も前に書かれた著作ですが、なんとも不思議なことですが、今日の世相のなかに、この著作が輝いて見えてきたんですね。 その中身は、実際にそれぞれ人がこの著作を読んでいただいて、その人なりにつかむしかないんですが。 さて最後です。前回、エンゲルスが『空想から科学へ』第二章で、この著作が「弁証法の傑作である」と評価しているのを紹介しました。同じくエンゲルスは『反デューリング論』(第一篇哲学 十三 弁証法。否定の否定)で次の様に述べていました。 「ルソーはヘーゲルが生まれる20年も前にこのように述べていた。・・・自然な野蛮状態では、人間は平等であった。それは完成化能力、みずからをいっそう発展させる能力もっていた。そしてこれが不平等の原因となった。ルソーは不平等の発生を一つの進歩と見るのである。この進歩は敵対をふくむものであった。それは同時に一つの退歩であった。 文明のどの新しい進歩も、同時に不平等の新しい進歩である。文明とともに生まれてきた社会が自らのためにつくりだす制度はすべて、それの元来の目的の反対物に転化する。 『諸国民が自ら君主をいただいたのは、自分たちの自由を守るためであって、この自由を破壊するためではなかったことは、争う余地のないことであり、いっさいの国法の根本原理である。』(第二部第38節) それにもかかわらず、これらの君主たちは、必然的に人民の抑圧者となり、この抑圧を強めていき、ついに、絶頂まで推し進められた不平等がふたたびその反対物に転化して、平等の原因となる点までいたる。すなわち、専制君主の前では万人が平等である、つまり平等にゼロである。こうして不平等はふたたび平等に転化する。だがそれは、言語を知らない原人の古い自然のままの平等ではなく、社会契約にもとづくより高度の平等である。抑圧者は抑圧される。それは否定の否定である。 だから、ルソーのこの本には、すでにマルクスの『資本論』がたどっているものと瓜二つの思想の歩みがあるだけでなく、個々の点でもマルクスが用いているのと同じ弁証法的な論法が、多数見いだされる。すなわち、その本性においては敵対的で、矛盾をくんでいる過程、一つの極端のその反対物への転化、最後に、全体の核心としての否定の否定である。・・・」このようにエンゲルスは、ルソーのこの著作とその思想を紹介していました。あらためてこの論評も、私などがこの著作を読み進む上で刺激とも、励ましともなると思います。 当方は、これから次の焦点の『社会契約論』へ、いよいよすすんでいきたいと思っています。
2016年05月27日
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5月24日の真鶴のみかん園です久しぶりに、片づけと草刈りで真鶴のみかん園に行ってきました。午前6時12分、平塚から見えた富士山です。そこに富士山があることを意識してないと、きっと見逃がすとおもいます。うすく、霞の中に頂上が見えました。この間、甘夏の収穫で大忙しだったんですが、ようやく5月21日に、すべて販売が終了しました。3月末から、毎週2回、全部で15往復したんですが、「やれ、やれ」です。今回は、コンテナの片づけなど、その後片付けでした。それと同時に、蜜蜂の分蜂はどうなっているか、巣箱の内検が目的でした。まずは、用意しておいた待ち箱ですが、「待ち人は来たらず」でした。ひっそりとして、蜜蜂の気配はまったくなし。キンリョウヘンの花も、寂しく咲き終わってしまったようです。まぁ、こればかりは蜜蜂の選択です。大自然の中で、一番適当な場所を選んで住まいとするわけですから。当方の、養蜂の世話もまだまだだというわけです。巣箱の入口では、そこそこのミツバチが出入りしているんですが。しかし、前とくらべると、こころなし静かです。今回は、それが主題ですから、巣箱の蓋を開けて、しっかりと内の巣枠の様子を調べてみました。どこにいるのか女王蜂、今回もやはりその姿を確認することが出来ませんでした。まず全体として感じたのは、前回見た時より、ミツバチの数が減っていました。巣枠を二階にも分散させたせいもあるかもしれませんが、以前に見た時は、どの巣枠にもびっしりと蜜蜂がついていたんですが。問題は、巣枠の下部ですが、王台が二つ出来ていて、その中は空でした。はっきりしました。この間に分蜂があったということです。ようするに、最初の女王蜂とその群れですが、大自然の何処かに、もっと適当な場所をみつけて、そこへ飛去ったということです。当方の養蜂は、一番肝心なところで、まだ世話することが出来てないということです。未熟なことで、残念ですが、目下のところ仕方ありません。さて、みかんの木の方ですが。花は、ほとんど散りました。こちらの方は、逃げ去ることはないのですが。今年は、実のつき方からして、全体としてはみかんは裏年の様です。それでも、なかには、ご覧のとおり、幼果をたくさんつけた木もあります。この季節の『万葉集』、みかんの歌です。 我が宿の花橘はいたづらに 散り過ぐるらむ見る人もなしに 『万葉集』巻十五・3779 我が宿の花橘は散り過ぎて 玉に抜くべく実になりにけり 同 巻八・14895月上旬の、みかんの花の季節が過ぎていきました。さて、みかんの花が過ぎて、そのつぎの楽しみですが。6月は梅です。いよいよ梅の実の収穫時期が近づきました。みかん園の周辺には、梅の木が植えてあるんですね。 今は梅の実は、葉の影に隠れています。どのくらい実がついているか、たしかなことは分からないのですが。なんとなく、去年より実のつき方が少ないような気がします。近所の方に、実のつき具合について、見立てをお聞きしたところ、『ここにきて、だいぶ、実が落ちちゃったようだ』とのこと。とにかく、実の数の多い少ないの違いはありますが、採れることは採れます。蜜蜂のように、飛び去っていくことはありませんから。これもまた、楽しみにしている季節です。今度は、梅酒と梅干しづくりにかかります。いよいよ、梅の収穫の時が近づいてきました。
2016年05月25日
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ルソー『人間不平等起原論』を読んでます これは以前に、読んだはずなんですが。1975年のことですから、40年前も前のことです。 その時は、いいかげんな読み方だったんで、ほとんど記憶に残ってないのですが。 今、何故、ルソーの『人間不平等起原論』か、ということですが。 政治家の多数が日本国憲法を否定してはばかりません。憲法に反する戦争法を国民の反対にもかかわらず、すすめている事態です。だから言わずもがなですが、日本国憲法の立脚点を、あらためてその考え方の基礎を、学んでおこうというわけです。 本当は、ルソーの『社会契約論』が眼目です。これも同じように読めてないんですが。それをめざすためにも、まずはこの著作から挑戦しようというわけです。 前回は読むのに失敗しましたが、それは読み方にも問題がありました。 いま、手元に二冊の『人間不平等起原論』があります。 一つは、岩波文庫の本田喜代治・平岡昇訳(昭和47年刊)ですが、もう一つは、中央公論社『世界の名著30』の小林善彦訳です。前回に読んだ時は、この著作があまりにも硬そうな印象をもってしまったんですね。それもあって、つまずいてしまい読み込めなかったんですね。駆け足の、拾い読みでした。今回は、二種の翻訳を比べるようにして、せめて文章の趣旨だけでもしっかりつかもうとしています。前回の印象とは違って、実際はルソーらしい優しさで書かれていたんですね。 そうした併読方式ですすめています。目下、第二部の中ほど、全体の4分の3まできました。 今回読んでみて、まず驚かされたことですが、第一に、ルソーはここで人間の自然状態からはじまって、今日の社会状態に至る過程を描いています。その過程の必然性を描いているんですね。その叙述は、ヘーゲルの『精神現象学』やマルクス『資本論』の価値形態論を連想させるような展開です。ルソーの方が、書かれたのは古いわけです。なかなか、みずみずしい論述です。エンゲルスが「弁証法の傑作」と評価してますが、そのわけも納得です。もっと早く読み込むべきでしたが、仕方ありません。 第二に、その中身は社会契約論に関係しているんですね。ホッブズの『リヴァイアサン』の万人の万人に対する戦争もでてきます。先日、池田貞夫先生の講演「ホッブズの『リヴァイアサン』を読む」を紹介しましたが、指摘されたように、確かにここでルソーによってとらえ返されていました。ルソーもまた、そうした事態をどう克服するかを問題にして、この先では社会契約論を提起していくようになるんですね。このルソーの著作は、その前提となる関係を考察しているわけです。 これを読んでいると、ヨーロッパの中世と日本の封建社会の共通性を感じさせられます。領地争い、土地という富をつくる財産の奪い合いにおいて、「一所懸命」の言葉があります。それを公の政治社会が、一定のルールをつくって、けんか・争いをやめさせて、領地を安堵していくんですね。そうした関係が、自然に浮かんできます。 第三に、もちろん、なによりも今の日本社会の問題です。今、立憲主義ということが問題になっていますが、これにも通じる考え方が、ここにはあることを感じさせられます。 政権のトップが「おれらが政治的多数派だから権力者であり、なんでもできる」「憲法だって解釈を勝手に閣議で決められる」「戦争法も政治的多数だからすすめていく」と。こうした政治が横行して、突っ走っています。付和雷同の取り巻き連中にささえられて。 それが本来の憲法論から如何にはずれているか。基本的な問題への無理解がある。戦後70年、尊重され、守られてきたルールが、こともあろうに戦後生まれの政権の長によって、無視され、蹴飛ばされている。まったくの邪道に政治が落ち込んで、そこからいろいろな問題をおこしている。 この歪みをしっかり正さなければなりません。そのためにも、ことがらの正確な関係をつかむ必要があります。事態を正視できてこそ、打開する道がはっきりしてくると思っています。 従って、私などの民主主義の源流の旅、古典作品の旅ですが、現在の、今直面している問題が出発点ですし、課題になっている問題です。これまで積もっていたほこりを払いながら、まだまだ、さらにしっかりと続けていくつもりです。
2016年05月23日
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小林節・五十嵐仁 対談を聞いてきました 東京・八王子市で、5月20日夜、注目のお二人の対談を聞いてきました。「夏の選挙と日本の未来」と題した対談ですが、 「戦争をする国ストップ 憲法を守り・いかす共同センター八王子」の主催です。 私がじかにお二人の話を聞くのは、この1月の八王子市長選挙時に次いで2回目でした。 もちろん、7月10日投票予定の参議院選挙で、安倍政権の暴走をストップさせること、戦争法を廃止させ、立憲主義を取り戻すこと、これが主題です。 この対談はだいぶ前から決まっていたと思います。その案内チラシを見て、注目してとっておいたんですが。 この企画がたてられ、チラシが配られてからも、その間にも、政治の状況は動いています。 この5月20日までに、一人区での野党共闘が前進して、全32選挙区のうち30選挙区で成立するまできています。 そうした中で、5月14日には、小林節氏が政治団体「国民怒りの声」を設立して、この参議院選の比例代表選挙に10人を立てる、との報道を見ました。(「東京新聞」5月15日付) 今回の対談では、そうした点も含めて、じかに率直な話を聞けたわけですが。 なにしろ、五十嵐氏とも、お二人は、今を活躍する見識者ですから。この対談をお聞きしての、私なりの感想です。 小林節氏が、安倍政権の暴走の前に「違憲だ」と表明して立ちふさがったのは、勇気ある良識をしめしたものでした。野党共闘の実現へむけて、市民とともに、グズグスしている野党の尻をたたいてきたのも、大事なことだったと思います。 樋口陽一氏との対談「『憲法改正』の真実」(集英社新書)も、市民の政治運動を励ましてくれていると思います。 そうした市民にとって、大事な方であるからこそ、ご自身の固有の力を発揮している場があるわけですから、今回の動きについては「もったいない」というのが、率直な感想です。 『知も大衆の心をつかむなら、トータルとして大きな力になる』誰かがそんなことを言ってましたが。 いま、小林節氏は、なんやかや余計な説明ごとにおわれちゃって、本来発揮できる力が、発揮されるべき見識が、ここへきてトータルで弱まっちゃっているようにおもえます。もちろん、ご当人は、シャカリキになって動いてはいるんですが。義憤を感じて動いているのも分からない訳ではないのですが。 もちろん、だれしも個人として被選挙権の権利はありますが、学識者が直接に政治活動にのりだすには、現実にはかなり無理があると思うんですよ。結果として、その力がもったいない、とおもいます。市民の力を発揮させるために、彼流の仕方がいろいろとあると思うんですが。
2016年05月21日
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ついに、甘夏の収穫を完了しました5月19日(木)、本日、早川園の甘夏の収穫を完了ました。甘夏の木は、黄色の果実が消えて、これでようやく、元の常緑樹に戻りました。今日は、午前7時15分発で出かけたんですが、天気は快晴でした。富士山も、9時11分でしたが、小田原サービスエリアからよく見えました。すそ野の左側に宝永山があるんですが。そこにあることを知っていないと、見逃してしまうと思います。肉眼ではなかなか分かりません。火口の跡は、濃紺の色のなかにすっかり隠れちゃっていますから。快晴の天気の下ですから、作業はおお汗をかくことになります。最初に真鶴のみかん園の草刈りをしてから、お茶の木の整枝剪定をしてから、午前11時30分に早川園に移動しました。本日の早川園の主題は、甘夏の収穫を完了することでした。これがその労働の結果です。3月までは、枝もたわわになっていた木でしたが。目残しの1個をのぞいて、すべて収穫を終えました。今日の収穫は、正午からはじめて、午後2時半までかかりましたが。(甘夏の収穫に加えて、お茶の木の整枝剪定があったので。)「やった!」早川園の、初めての甘夏ですが、ついにその巨木の収穫を、すべて終了しました。これが、本日の、最後の収穫の結果です。本日、第15回目の、最終収穫は75個でした。5月に入って、ここにきて、味が大変おいしくなりました。今回も、味を試してみたんですが、これなら大丈夫、太鼓判です。どこにだしても、ひけはとりません。この甘夏の味を提供したかったんですね。早川園の甘夏ですが、3月26日から収穫を始めました。巨木が2本ありますが、15回の往復をして、全部で2,130個の収穫でした。5月にはいると美味しくなるのは分かっていましたが、それまで待っていると、果実の多くが落果しちゃうし、短期に集中すると販売が混乱をきたしますし、いつまでも実をつけておくと、木自体にも負担がかかり過ぎますから、すこし収穫期をちらばして、200個くらいずつ収穫して、出荷するようにしてきました。そもそも甘夏を販売で出荷したのは、今回が初めてだったんですよ。これまで、真鶴園の甘夏は、せいぜい全部で100個くらいなるだけですから、知人と自家消費すれば、すべてなくなっていました。ですから早川園の甘夏を提供していただいたおかげなんです。そのおかげで、多摩方面ですが、新たな販売事業がひらけました。全部が全部販売できたわけではありません、味見用もありましたから、それでも、一袋を5個入りにして、週2回、20袋位ずつドンドン提供してきました。単純計算では、のべ400人以上に提供したことになります。だいたい、これまで、当方の「みかん」の出荷といえば、年末の温州みかんのことでした。その温州みかんの収穫は、11月、12月が、出荷の時期だったんです。年に一度だけだったんです。それが今回、早川の甘夏のおかげで、4月、5月にも出荷できるようになりました。年に2回の出荷が出来るようになったわけです。この地の甘夏の味は、自然の味で、大変おいしくなるんですよ。しかし、柳の下にドジョウはいなくて、来年もまた、同じように繰り返せるわけではありません。みかんは、表年と裏年の、隔年結果がありますから、今回と同様に来年もまた、同じように提供できるわけではないのですが、しかし、それでも数量の多い少ないのちがいはおこるんですが、それでも、年に2回、温州みかんと甘夏が、提供できるのは確かです。真鶴・早川みかんは、新鮮でジューシーで美味しいんですよ。少し酸っぱいけれど、農薬や除草剤を使わずに栽培しています。安全で、自然の味です。これを、どんどん出荷していきます。まぁ、身体の続く限りですから、あと10年くらいでしょうか。それまでは大丈夫です。しかし、一寸先は分かりませんが。今回、提供できたことは、結果については間違いなしです。これが、明日への土台です。それと、今回、初めての発見がありました。キウイの花を初めて見ました。知人のアドバイスによって、ドタバタと、初めてキウイの剪定をしたんですが。どうやら、その掛け込み剪定をしておいたのは、正解だったようです。もっとも、まだ実がつくかどうかは、わかりませんが。しかし、しっかりと花がつかないことには、実はなりませんから。咲いた花を見ながら「ふむふむ」と、いまから、秋の収穫を期待しているところです。
2016年05月19日
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『苦悶するデモクラシー』(美濃部亮吉著)を読みましたこの本は、数年前に入手していたものですが。今回、『苦悶するデモクラシー』(美濃部亮吉著 角川文庫 1973年刊)を読みました。著者の美濃部亮吉氏は、1967年-78年、12年間の革新東京都政の知事を務めた人。この本は、その前の、「文芸春秋」の1958年6月から59年1月に連載されたのをまとめたものだそうです。今からすれば60年近くも前ものですが、しかし今の時世のなかで、けっして古くない、身近な響きを感じながら読みました。 細かなところでは問題点があるんですよ。しかしそれでも、全体としては戦前の日本の歴史を知る上で貴重な著作だと思います。戦前の日本が、1919年(大正8年)の森戸事件以降、思想や言論の自由が奪われていった様子が、当時の状況史料もつかって具体的に紹介されています。戦後の民主主義を、戦前の大変な苦労をして切り開いてきた一人として読みました。 私は1950年生まれなんですが、戦後の日本国憲法の民主主義は、それは自然なものとして過ごしてきたわけですが。今65歳、この歳になって考えてみるると、自分が生まれたたった5年前までは、国民はまったくちがった社会条件で過ごしてきたんですね。「自然」どころか、この時代社会の違いを、変化をしっかり認識することが今求められています。ここにその材料が提供されているわけです。安倍グループの政治家を見ると、その大切さを感じます。 これまでも日本の歴史では聞いた記憶はあります。森戸事件、滝川事件、天皇機関説、矢内原事件、教授グループ(労農派)事件などなど、これらの諸事件は言葉としては知っているつもりだったんですが、この本のすばらしさは、それをより具体的な社会状況のなかで、かなりリアルに、客観的に明らかにしてくれていることです。 この間、立憲主義ということが問題になっています。「憲法とは国民が自身の権利を守って、国家を抑えるもの」-立憲主義の基本ですね。しかし、ここでは、まさにその逆の事態が、私などが生まれるたった5年前まで、長い時代として続いていたとの現実です。だから、理解しがたいようでも、そのあとが、よく注意してみれば国民的体験として、そこそこに歴史に刻まれ残っているんですね。 「国家権力が、政府が、国民を支配する」「国民の自由を奪って、国家がその意に反するものを、徹底して取り締まるようになる」これが現実の社会としてあったんですね。安倍内閣の言動を見ると、それが実際に目指している社会です。それは具体的現実としてどういうことだったのか、その現実性をつかむことが大事になるし、この著作はそうした現実を紹介してくれているんですね。つまり、過去の現実であるとともに、その復活することへの、いまぶつかっていることへ警鐘をならしているんですね。 それもそのはずです。美濃部氏のこの文章は学者の単なる歴史知識ではないんです。これは著者自身が、教授グループ事件の関係者、被害者の一人だったわけですから。お父さんの美濃部達吉氏は天皇機関説事件の当事者だったわけですから。自身が体験し、体感したまさに現実問題、忌まわしい現実なんですね。 この「まえがき」で言ってます。「デモクラシーに対する圧迫は、何にもまして言論の自由に対する圧迫となって現れる。言論の自由を制限して、真実を国民の眼からかくし、世論を誤った方向に導き、その上で、道にさからった世論を基礎にして、民主主義の外観をよそおいつつ、独裁権者は、思うままのことをしようとするからである。言論の自由に対する弾圧は、デモクラシーに対する圧迫のバロメーターだといえるだろう。」著者の実感のこもったメッセージですし、今に響いています。 私は、1969年に関東の片田舎から学生で上京してきたんですが。その時には美濃部亮吉氏は東京都知事として、実際に革新都政をすすめていたんですね。それがどんな人で、どんな苦労があって、今その仕事にあるのか、それは田舎者として知らなかった。もちろん、そのひとが、どういう実際の経歴の人なのか、しっかりふりかえることもなく、ほとんど知らない中で過ごしていたんですね。今回、この本をあらためて読んでみて、納得です。くりかえしますが、この本にも細かな点で問題を感ずる点もありますが、それでも全体としては、都民を主人公にする都政をつくってきた事業の上で、大事な見識の持ち主だったんですね。この著書の全体から、また節々から、そうした資質がうかがえます。 もちろん、その後、1979年の革新都政のゴタゴタも見てきました。最後までその原則的な姿勢をしっかりつらぬいてほしかったし、ポリシーを守ってほしかったんですが。当方が体験した時期は、そのマイナス姿勢が問題になり出すころで、その結果の余韻が大きかったということです。しかし、今回、この著作に当たれたことで、少しですが、その傷がいやされる気がしてきました。 今回、この若いころの美濃部氏の著作を読んで、考えさせられます。ここで提起されてる問題に照らした時、今の国政では、戦争法、反憲法の横行問題があります。これは、美濃部氏が生きていたら、自身の体験からして、けっして許さない、きびしく対決する点だと思います。 さらに加えて、現在進行中の現東京都知事の問題があります。 現都知事はお金に汚いんですね。公金私費の問題、これじゃあ都民のための政治なんていいかげんになるはずです。口先とは違って、都民はそっちのけの実態が見せつけられてるんですね。口先の男とその勢力と、実際に都民の政治を開拓した人たちの違いは、やはり違います。しかし、さらに問題があります。これは都知事当人の問題であるとともに、先だっての都知事選挙でこの人物をかついだ幾つかの政党があるわけで、その人たちにも大きな責任があります。この人物と政治を都民に推薦し、押し上げたんですから。今、彼らは、この問題は、この人物個人の問題だとして、他人ごとにしてかわそうとしています。それをかついできた自分たち自身の責任はほおかむりして、どこ吹く風の態度、この勢力こそが問題であり、根本的な大問題なんですが。
2016年05月17日
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第14回目の甘夏収穫に行ってきました5月15日(日)は、午前6時発で第14回目の甘夏の収穫に行ってきました。『全体を3回くらいで、全べて採っちゃえばいいじゃないか』そんなやり方もありますが。当方のポリシーは、少し違ってます。5月に入ってから、ここで西湘方面の甘夏がたいへん美味しくなっています。八百屋さんの店頭には、早いところでは、年が明けるとともに甘夏が並んでいます。そうなんです、南国産の甘夏は早くから流通にのってくるんです。「はやいということは、値が高い」ということて、生産しているんですね。確かに、甘夏が好きな人は、少しでも早く味わってみたい、それは当然の心理です。しかし、小田原方面の甘夏は、無骨の様ですが、5月近くまで待ちます。5月に入ってからの甘夏こそが美味しい。今、この時期が、当地の甘夏の旬なんです。この味を味わってほしいからこそ、当方なんぞは、苦労しているんですね。今日の早川のみかん園です。この画像に、本日の労働の結果があります。今日の行動は、まずは、真鶴のみかん園で、蜜蜂が分蜂してないかチェックしました。特に、これまでにくらべて、たいした変化はなかったんですが、それを確認して、午前8時45分早川園に移動しました。第14回目の甘夏の収穫をするためです。早川園についてから、最初の作業は草刈りです。1、前回のブログと比べれば分かるんですが、全体的に草刈り作業を行いました。「みかん園の手入れ」とは、とどのつまりは草刈りなんですね。これで苦労させられます。もっとも、エンジン式の草刈り機が、仕事してくれるんですが。2、今回は、それに加えて「野焼き」をしました。これまで、剪定をした切り枝がたまってたんですが、それを野焼きしました。これは、当たり前のようですが、じつは早川のみかん園の特権です。石垣山全体の、広域みかん畑を守って来た早川の農家の人たちの特権です。真鶴園ではそうはいきません。こちらでは「野焼き」は禁止されています。これはこれで、もっともなことなんですよ。市街地にあるみかん園では、万万が一の火災をきたさないように配慮されているんですね。真鶴の歴史には、火災による甚大な被害の経験があります。火災による甚大な被害が、確かに真鶴町史には何回も記録されているんですね。早川の大自然では、野焼きは自然権です。風の強さを考慮して、防火用の水をそなえさえすれば、問題なしです。実際問題として、野焼きは欠かせません。ここには、歴史と自然に、大きなちがいがあるんですね。さて、次はキウイです。今回、キウイの下を草刈りをしていて、新たな発見がありました。キウイの木は茂みになってますが、この下はイノシシの住居になってました。大きく穴が掘られて、寝床が出来ていて、おまけにウンチもありました。さいわい、陽の明るいうちは、別な住みかがあるようで、出くわさなかったんですが。夜行性の当人は、この時間帯は、どこか別に住まいがあるようで、いなかったんですが。次は、本日の主題の甘夏の収穫です、これは、その労働の成果です。これは、車に積み込む前の甘夏です。今回は、草刈りをして、野焼きをした後は、もう、これでヘトヘトだったんですが、(そんなことは言ってられません。)あくまで、本日の主題の第14回目の甘夏の収穫作業でした。今回の甘夏の収穫ですが、高枝の、枝先にある甘夏を、木によじ登って、全部で115個の、23袋分の収穫をしました。これで、4月からの甘夏の収穫は、累計で2055個となりました。まさに、「宝の木」です。あと、残りとして、木には100個くらいが残っています。残っているのは、採りにくい場所にありますから、簡単には採らしてくれず、危なくて、そう簡単に片付くわけではないのですが。甘夏の収穫・出荷事業は、今回が初めてだったんです。これまでは、真鶴園の自家消費どまりだったんですが。今回は、初めて早川の甘夏を収穫して、販売品として出荷しているわけです。初めてにしては、この成果は好評で、出来過ぎじゃないかと思うんですが。おそらく来年は、裏年になりますから、収穫量はグーンと落ち込むと思います。それでも、4月・5月にも、新たにみかんの事業が出来たというわけです。そもそも、この甘夏事業は、「だんだん園」園主の好意によるものです。去年「市民みかん園をやってみないか」との幸いな話をふってくれたからこそのこと。もしもこの話がなったら、去年の様子をふりかえると、今ごろは「湯河原」の湯治場で、一回200円の湯治です。草刈り後に、湯河原の湯治場で汗を流していたところです。湯河原は、今時でも奇特な湯治場があるんですよ。ところが今回は、この時期に湯治に一度も行けてない、甘夏の収穫・出荷で、ピストンの往復で、4月・5月ともに、大忙しです。しかし、最近、同じ湯河原でも、誰かさんにより、とんでもない実態が明らかになりました。別荘なんか持っていたんですね。しかも毎週、温泉三昧なんかしていた。さらに、自費ではなかった。自腹も切らず、毎週、公費の運転手づきで通ってるなんて。これじゃあ、いくら「福祉」とか、「庶民の苦労」なんて言ったって、分かってこない。しかも、介護をセールス看板にして選挙してたんですよ。方便そのもので、まったくの舌先三寸だということです。政治家とは、かの種類の人たちというのは、そうしたもんなんですね。彼をかついでいたやつらは、連帯責任だけでなく、体質が共通だということです。都民、国民をごまかしてきたことが、今回さらけ出されたわけです。きっと、湯河原の温泉営業者こそ、こんなゲスの話題になっちゃって、とんだぬれぎぬで有名になっちゃって、迷惑せんばんですね。それはともかく、甘夏作業は、いよいよ大詰めとなりました。早川・真鶴の5月の甘夏は、この時期に、一番美味しいんですよ。当方としても、その味は太鼓判です。これを味わずしては、甘夏の味を味わったなんて、話なりません。これは、今日の作業をすべて終えて、その帰り道です。この地の自然の恵み、柑橘類を栽培して、東京の多摩という一角ですが、その消費者に届けることで、その味を楽しんでもらう。まぁ、そんなことを余生の営みとする生き方が、一人くらいはあっても、広い世間ですから、あってたとしてもよい、と私などは思っているわけですが。
2016年05月15日
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刈っても雑草は、すぐに繁茂して来ます5月12日の、早川のみかん園の様子です。新緑のみどりが、鮮やかで、たいへん綺麗なんですが。この緑は、すごい生命力なんですよ。この景色には、いくつかの課題が提起されてます。1、この間の主題の甘夏の収穫があります。だいぶ収穫がすすんで残りはあと少しですが、まだ残っています。枝先の、採りにくいところにあるものですが。2、正面にある木は枯れてしまいました。温州みかんの木なんですが、原因は分かりません。寿命なのかもしれません。どうしようもありませんが。3、引き続く課題の一つですが、草刈り作業が提起されてます。これでも、少しまえに刈ったんですよ。たった一週間の間隔があいただけで、もはや一面に雑草が伸び始めています。早川の自然の力は、雑草の繁茂してくる力にもみてとれます。そのまま放っておけば、根が張り、茎もしっかりして、刈り取るのが大仕事になります。人の腰くらいの高さになってしまい、かき分けるようになりますから。いずこも置かれた状況は同じです。あちこちの畑から、草刈り機のエンジン音が聞こえてきていました。さて、今回は、キウイの生育にも驚かされました。キウイの生育は早いんですね、こちらは歓迎なんですが。先月までは、枝と茎だけだったんですが、それが今は、すっかり葉に包まれてしまい、木の骨格は見えなくなってました。キウイの栽培というのは、初めての経験なんですが。枝には、丸いサクランボのような球がついていました。これが花の芽でしょうか。キウイの木には、雄の木と、メスの木の二種類があるそうで、実がなるには、しっかり受粉することが大事だそうですが、どうなるでしょうか。つぎはミツバチです。早川園の方は、空の待ち箱があるだけで、群れを飼うにまでにはいたってないのですが。これは真鶴のみかん園のミツバチです。いまは、みかんの花の季節です。蜜蜂は、みかんの花粉を小脇に抱えて帰ってきます。門前でみていると、あちこちから花粉を抱えて帰ってきます。かなり活発に出入りしてます。「もう、分蜂しちゃったのか?」と蓋を開けてみたんですが、まだ分蜂はしていませんでした。一階の巣枠には、どの巣枠にも、枠の中いっぱいに巣がつくられてました。せっかく、二階にも巣枠を入れてあるんですが、そちらは空のままでした。それで、分蜂を前にしたこの時期としては、適当とは思えなかったんですが、あえて、巣枠を移動してみることにしました。一階の子育てスペースは限られてますから、二階にも巣づくりがすすむように。一階の巣枠と、二階の巣枠を、各2枚を交換してみました。もう一つは、分蜂した場合への対策です。分蜂した新たな群れが、前から用意してある待ち箱に住み着いてくれるように、待ち箱の隣に、蜜蜂が好むそうなので、キンリョウヘンの鉢を置いてあります。キンリョウヘンの花の香りが、蜜蜂は大好きなんだそうです。この時期は、辺り一帯に、みかんの花の香りが、いっぱいに漂ってますから、はたして、キンリョウヘンの香りに集まってくれるかどうかは、わからないんですが。この大自然には、ほかにももっと魅力的な場所はいくらだもあると思いますから。当方の分蜂対策は、すべては、キンリョウヘンだのみということです。期待する通りに進んでくれたら、さいわいなんですが。
2016年05月14日
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みかんの花は、散り始めていましたこの間、車も故障だったんですが、5月5日から10日の間は、体の方も故障してしまって、足止めがかかりました。もう大丈夫なんですが、一週間の空白をきたしました。今日・5月12日は、そうしたことで、久しぶりのみかん園行きでした。午前7時10分、小田原から見た富士山です。今日は、雨上がりの快晴で、富士山の姿も鮮明にみえました。こうしてみると、雪もだいぶ溶けてます。宝永山も、濃紺の色のなかになって、目立たなくなっています。まずは、真鶴のみかん園にいったんですが、今の時期は、みかんの花の季節です。この一週間で、みかんの花は峠を越してしまったようです。地面には、一面に花びらが敷きつめられていました。 『万葉集』巻15からですが、 我が宿の花橘はいたずらに 散りか過ぐらむ見る人もなしに 3779 中臣宅守この時期は、地面に落ちている花びらを見れば、その木が、この秋に、なり年か、裏年かを、予想することができます。それによると、真鶴園の早生みかんは、今年は全般的には裏年は様です。木の足元に、花びらの落ちて無い木がかなりあります。枝の方を見ても、花自体が見当たらないんですね。ことしは、受注枠を絞らなければならないようです。他方では、そんな中にも元気な木があります。真鶴園の甘夏ですが、これは小木が1本あるだけですが、今年も健在でした。枝先に花がたくさんついていますが。木の下には、地面に花びらが散っています。この甘夏は、土地柄にあっていたと見えて、毎年果実をつけてくれてます。今年も、収穫量は少ないのですが、自家消費するくらいは大丈夫です。午前10時には真鶴園を終了して、早川園に移動しました。今回の遠出ですが、主題は早川の甘夏です。5月にはいりましたが、いよいよ甘夏の収穫も最終段階です。これは、今回収穫したあとの木です。いよいよ残りの果実も少なくなってきました。この5月にはいって、甘夏の美味しくなる季節です。今回は、第13回目の甘夏収穫でしたが、全部で85個を収穫しました。ここには、2本の木が重なってるんですが、これまでの収穫ですが、すでに全部で1900個を越えています。すごいですね、真鶴園の甘夏木の収穫は、せいぜい100個くらいですから。これをどんどん出荷しているわけです。今は、身体が悪いなんて、言ってられないんですね。この早川園にあるみかんの木ですが、木にもいろいろあります。写真の左端に見える木ですが、今回見たところ、枯れだしてしまいました。やはり、そうした木も、なかには出てくるんですね。他方、なんの種類のみかんか、わからないんですが、後から植えた木でしょう、今が青年期の木もあります。その木は、今、たくさん花をつけていますから、見とれていんですが。ここでも、動くものがいました。近づいて見たら、二ホンミツバチでした。やはりここにも来ているんですね。誰か、ちかくで飼っているんでしょう。ここでも、一生懸命に花粉と花蜜をあつめていました。正午には、今回の甘夏収穫も、予定量の収穫作業を終えました。これで、今日の遠出の目標も、すべておえました。「やれやれ」とおもって、視線を上げてみたんですが、視線の先にはすばらしい景色がひろがってました。作業が終わるまでは、眼中になしだったんですが。左手のとがった山は「大山」です。「大山詣」の阿夫利神社がありますが、雨降り山で今日も少し雲がかかっています。右手には相模湾がみえますが、囲むように三浦半島が伸びています。みかん園のあるこの地は石垣山ですが、正面にひろがっているのは、小田原の市街地です。秀吉が小田原攻めて見ていた景色です。この景色は素晴らしいでしょう。いろいろあっても、この景色を見れば、それらの苦労を吹き飛ばしてくれます。甘夏の収穫も、もうあとちょっとで終了です。
2016年05月12日
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この食事補助の負担変更は問題です私は、5月5日から10日まで、入院を余儀なくされました。退院するに際して、当然ながら、入院費用のことが気になりました。入院するなどということは、これまで無かったんで、疎かったんですね。そうしたところ、談話室の掲示物に目が留まりました。『入院時の食事療養費の改定について』というお知らせでした。「平成28年4月1日より国の施策として入院時食事の療養費の負担が変わります。一食あたり640円ですが。 患者の自己負担 + 保険給付平成27年3月31日まで 260円 380円(これが、)平成28年4月1日から 360円 280円(にかわりました)(さらに)平成30年4月1日からは 460円 180円(に変わるとのことです)」この改定の表を見て、改めて考えさせられました。だいたい、入院患者というのは、入院したくて入院しているわけではありません。医師が診察の結果、治療のためには必要として入院しているわけです。入院を指示されれば、すべてを病院を信頼して、命をお任せします。言ってみれば、受け身の弱者であるわけです。そこでは医療保険の制度の変更に、『賛成だ』『反対だ』などといってはいられません。人間は入院するとなると、食事を頼らざるをえません。また、療養にとって食事を含めた安心の診療体制が欠かせません。今さらですが、腹が立ってきました。「誰だ、こんなことを決めやつは。いつ、どこで決めたんだ」おそらく健常者は、このことの重大性に、私もそうでしたが、疎いかもしれない。おそらく「健康保険財政の赤字のために、予算を減らす」との合言葉だったでしょう。かつての厚生大臣が、メチャクチャな費用を使って海外「視察」をし、湯河原には迷惑な話ですが、週末に温泉別荘に頻繁に通っていた。なけなしの弱者には、予算が赤字なのでとして、負担を強いておいて、自分たちは、週末は公用車で温泉三昧とは。何十億という原発マネーが、ひそかに原発立地自治体にながれている。火山学や地震学の警告、国民の深刻な体験、などはどこ吹く風で。「ベースロード電源」などの合言葉によって、さらに原発をすすめている。「予算がない」なんて文句は、「その気はない」ことのごまかしですね。いったい、この国の政治はどうなっているんでしょうかね。政治屋が仕切る政治と、国民の切実な現状とがかい離してしまっている。農家を切り捨てていっている。弱者を切り捨てていっている。その道の専門の学術を蹴飛ばして、一部の政治家が御用学者を集めて仕切っている。この国の政治と社会の公平性は、いったい何処へ行っちゃったんでしょうか。その根本は、政権が憲法をひっくり返すことにウハウハしている問題です。やはり、この事態を、きびしく根本的に変えなければならない。安倍政権とお仲間をたおして、国民に責任をもつ政権の構想を、運動を、わたしたち国民は、いまこそ、真剣に探るべき時だと思います。
2016年05月11日
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鈴木安蔵氏の「新憲法の成立」について憲法問題に関して、注目される歴史的な証言をみつけました。 当方は、このところ体調を悪くして入院していたんですが、そうした中で、注目すべき小論を読む機会をえました。 『昭和の戦後史1占領と再生』(汐文社 1976年4月刊)のなかにあったんですが、「新憲法の成立」(鈴木安蔵著)という小論です。 やはり、この本もずっとほこりをかぶっていたんですね。その中で、注目した一節です。「憲法制定は、最も強力に、占領軍の圧力、指導の下に進行することとなった。『圧力』といったが、それは、あとで解明するように、ポツダム宣言受諾の歴史的ならびに政治的意義を理解せず、これまでの旧天皇制権力秩序の根本はそのまま存続せしめなければならぬ-いわゆる『国体護持』-とする日本政府の、そしてその成立・存続を可能とした国民一般の状態においては、憲法改正作業は、最初から、明治憲法の根本的変革を目指すものとはなりえず、ポツダム宣言の条項に照らしても、とうてい問題となりえない政府案が起草されたこと自体にたいする連合国側の当然堅持していた日本民主化方針の攻勢を示すものであった。それは、一切の人権抑圧法令の廃止、特高警察の廃止、戦犯追及、なんらかの形でそれに該当するとされた政治家、実業家、学者らの公職その他教職などからの追放の指令と同一本質の『圧力』であった。この連合国の日本民主化政策の遂行、いなポツダム宣言受諾ならびに降伏自体の『外圧』がなかったならば、そもそも今日なおともかくも憲法構造としては生命を保っている憲法典の確定、それによる戦後の民主的日本の発足は不可能であったとせざるをえないのである。」(P16-17) 著者の鈴木安蔵氏は憲法学者です。現行の日本国憲法は、1946年11月3日に公布され、翌年の5月3日に施行されたわけですが、それがつくられる過程で、民間の研究者の憲法研究会から憲法草案が1945年12月28日に発表されました。それをまとめる中心的役割を果たした人です。 この小論は、それから28年をへた1976年の時点で書かれたものですが、そこには日本国憲法が出来た当時の社会状況が、それと、それを後からふりかえって、問題を客観的に伝えてくれています。 第一に、当時の状況ですが。国家体制の民主的変革が求められていた。 憲法研究会では、「ポツダム宣言を受諾して降伏したということ自体は、論理必然的に、これまでの軍国主義的帝国主義的独裁体制を合法化してきた明治憲法の廃止、新しい民主主義的憲法の制定を意味するというのが、わたくしたちの認識であった。」(P17) しかし国家責任者・政権の方は、「日本政府は、東久邇内閣にせよ幣原内閣似せよ『国体護持』を原理とし、そもそも明治憲法の根本に手をふれることをまったく考えていなかった。」(P20)安倍首相たちは、この事態を直視できない、否定する後者の流れです。 第二に、当事者の証言です、この事態の打開がもとめられたことの。 「あまりにも非民主的な、明治憲法のきわめて微弱な文言的修正というほかのない政府案にたいし最小限守るべき限界を参考草案として提示されたのは必然の成り行きである。それは日本の支配連力、支配階級の『国体護持』原理にたいしては、徹底的な反措定であり、少なくとも、ポツダム宣言の趣旨に沿ったものである。国内の政党、諸団体の草案も次々とあらわれたが、・・・それを取捨して独自の、当時の日本の現状に適合した民主的草案を作成する能力は、政府には無かった。いわゆる『押しつけられた憲法』という言葉が、今日にいたるまで保守勢力の間で口にされる。やや比喩的にいうならば、まさしく『国体護持』旧明治憲法体制原理にたいし、それをあくまで維持しようとした勢力にたいしては、占領初期のすべての民主的施策とひとしく『押しつけられた』ものである。」(P28)安倍首相とその仲間の素顔です。 この鈴木安蔵論文は、憲法施行されてから28年後くらいに書かれたものです。今の社会問題と基本関係はだいたい共通していますから、この論文は、現在の事態の客観的な事態を明らかにしてくれます。現在の安倍政権とっている言葉と行動が、いったいどの様な位置にあり、歴史の流れのなかにあるのか、より明確にみえてきます。 この間には、70年近くがすぎました。今の状況は、この鈴木安蔵論文が書かれた状況とは違った面もあります。 第一に、この危険な事態の切迫が一つです。安倍政権は内容をごまかしながら、行為において現実に反憲法の戦争法を押し付けてます。自衛隊の海外派遣が、『殺し殺される』危険に直面しています。 もう一つは、鈴木氏の反省している点ですが、戦争終結直後は、主体的な弱さがあったというんですね。 「明治憲法の廃止と新しい憲法の制定について、ひろく国民に呼びかける運等を組織しようという考えには到達しなかった。」(P21)「多くの国民に問題を投げかけたかと思う。・・・しかし、国民的な憲法制定会議の開催の訴えも、それにたいして労働者階級はじめ国民の広範な層を動員しうる政治的社会的力、その組織なしには、実現されることは不可能である。」(P27)「主体的な革新・『革命』勢力の結集のいちじるしい立ちおくれ、全国民的組織の未完成、したがってまた、動揺、崩壊の事態にあった旧天皇制権力秩序を変革しようとする明確な統一的プログラムは完成せず、必然的に、そのような闘争の目標、具体的な政治綱領の集約としての憲法草案の作成、それについての政治勢力間での討議、さらに国民的規模での大衆討議が展開されることがなかった。」(P16) 鈴木論文は、時代を感じさせる古い表現がありますが、中身としては大事な問題が示唆されていると読みます。ひるがえって現在をみると、歴史的な新たな運動がつくられつつあると思います。保守の人たちも含めて、戦後一貫して守って来た国民主権、平和主義、基本的人権を守る運動が手を携えつつあります。憲法破壊の安倍政権を変えるためには、まだ課題があるということ。政権問題の協議・合意をつくる必要があるし、そのためにも国民的な力の発揮が必要だということでしょう。 そうしたことを、この鈴木安蔵論文はアドバイスしていると読みました。
2016年05月10日
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安倍首相からのメッセージを紹介しますたまっていた新聞を読んでいたところ、安倍首相からのこんなメッセージが紹介されてました。『これからもずっと後回しにしてよいのか。思考停止している政治家・政党の皆さんに真剣に考えてもらいたい』(「東京新聞」4月30日付)これ、わかりますか。もちろん憲法問題についてです。「憲法の平和・民主の原則をまもれ」と一生懸命に主張している人たちに対して投げかけられた言葉ですよ。一片の閣議で憲法を覆し、戦争法により憲法の平和原則を否定を強行した安倍首相です。解釈改憲して違法行為を正統化している首相です。その首相が憲法そのものの改変に向けて言っているわけです。しかも、その自分自身の考えに反するもの、それは「憲法を守るべきだ」と主張している多くの人たちに対して、「思考停止している人たち」と評言しているわけです。日本テレビの番組での安倍首相の発言だそうです。直接聞いたわけではありませんが、新聞が紹介しているのは、確かな発言のはずです。誤った言葉を紹介したなら、逆に大問題になりますから。何回か、その発言をなぞってみました。いったいどんな心理で、誰に対してどんな内容をかたっているのか。『思考停止…』その真意を理解しようとするうちに、やはり腹が立ってきました。こんな人物が国政を担当するのを許していること、あらためて自分自身にも腹が立ってきました。
2016年05月08日
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池田貞夫講演「『リヴァイアサン』に学ぶ」を 読み返してます当方、5月5日の深夜に、体調をおかしくして、ドック入りしました。食い意地が災いしたようですが。この一週間は、病院でおとなしくしているように、とのことです。車が13万キロを走って、煙を出して壊れてしまったように、人間もまた、歳とともに、いつもどうりにはいかなくなるということです。おかけで、みかん仕事の方は、しばらくはストップです。車の故障にくわえて、この体調の方からもセーブがかかりました。それで、病院時間をつかって、池田貞夫講演を読み返しています。私などにとっては、先生の最後のプレゼントとなってしまったわけですが。「権利の思想から社会のルールを考える」、池田先生が、あえてこれを副題とした訳が分かるような気がします。人間の権利を基本に据えて、国家社会をづくりを探っていくことです。そもそもホッブズなんて思想家は、名前くらいしか知らなかったんですが。その思想家と、今日的な社会問題が関係しているなんて、岩波文庫で水田洋氏が4冊で訳されてますが、だれが読み解けるでしょう。やはりこれは、長年の真摯な研究によってこそ、その意味をときほごすことができるわけで、先生は、その成果を、われわれ素人にも分かりやすく、腹蔵なく語ってくれたわけです。報告集を読み返してみて、池田先生の不思議なちからを感じさせられます。古典作品から、今日な豊かさを引き出すヒントをつかもうとする熱意に、ど素人と、真剣に向き合っている先生の姿勢と、内容に、敬意を感じてきます。今日問題の「立憲主義」は、ここにも源流があるんですね。ということで、この一週間は、外出時間が出来たなかで、もろもろの成果があれば、また紹介させていただきます。
2016年05月06日
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池田貞夫先生のホッブズ『リヴァイアサン』講座を紹介します当方の手元に、3冊でひと組の冊子があります。池田貞夫先生に講師をしていただいた1992年の社会科学講座の報告集です。「ホッブズの『リヴァイアサン』に学ぶ-権利の思想から社会のルールを考える」と題したもので、11月と12月に4日間の講座で、のべ67名の方が参加したものでした。当時の当方などには、名前でしか知らないホッブズでした。最近、憲法に関係した本を何冊か読むと、必ずといってもよいくらいにホッブズが出てきます。それで改めて、池田貞夫先生の講座を取り出してみたところ、「権利の思想から社会のルールを考える」との副題がつけられていました。それから早いもので20年余が経過しています。最近、昨今の世相からしてでしょうが、この報告集を引っ張り出してみたんですね。「なるほど、先生はこんなことをいいたかったのか」、気がつくことがいろいろあります。今ごろになって、当方の蛍光灯に灯がついている次第です。再度、この講座を参考にして、学びかえしてみたいと思っています。この講師をしていただいた後、程なくして、池田先生は多摩市から引っ越されていきました。それで、私などにとっては、音信が途絶えてしまっていたんですが。今回、インターネットで調べていたら、ショックなことにあいました。板橋亮平さんという方のブログを見たんですが、2011年6月11日付でしたが。「池田貞夫先生のこといまから3年前に76歳で亡くなられました。1931年生まれ。東京教育大学文学部哲学科を1954年にご卒業。1959年には東京教育大学大学院修士課程修了されました。東京教育大学助手を長きにわたり務めた後すぐに中央大学経済学部助教授に就任。1986年教授に昇進されました。私との接点は、中央大学の大学生時代に一年間の総まとめとして自分の進捗具合を発表する発表会でディスカッサンツになっていただいた時でした。いろんな有益なコメントをいただいたのがきっかけで、先生と読書会をして投稿論文を見ていただくことになりました。そしてかなり厳しいコメント、たとえば、ここは事実と違うなどと、ロールズの専門家ではないのに指摘されたことがしばしばありました。いまはお亡くなりになられましたので衷心より偲ばれます。先生は、社会哲学が御専門で、ホッブズやヒュームといったイギリス経験論の社会哲学をご専攻されていました。しかし業績はたくさんあり社会学や政治学に関する論考も多数執筆されました。煙草が大好きで研究室は真っ白かったように記憶しています。気さくで研究以外のことについてもいろいろ教えてくれました。先生は日本哲学会に御所属されていたにもかかわらず若い時に反旗を翻し、東京大学を中心とする哲学に強い抵抗感を示し学会大会で発表者を貶したためという理由で長い間、東京教育大学で辛酸をなめられたと述べておられました。絶対に自分は目で見たものしか信じない、というかたい持論をお持ちで、妥協を許すことはしませんでした。今生きていらっしゃったら、いろいろと叱咤激励されていたかもしれないのにと思うと寂しさを感じます。よき恩師でした。」とのこと。ちっとも知らなかったんですが、池田貞夫先生は亡くなられていたんですね。なんとしたことでしょうか。ご冥福をお祈りいたします。あの当時のことが想い出されます。野蛮と言ってもよいくらいな私たちで、今、想えばたいへんにおこがましいものでした。近所に社会科学の先生がお住まいというだけで、藪から棒に、講師を頼んでみようとのことで、玄関をたたいたんですから。見も知らない、得体も知らないものの、突然の訪問だったんですが、先生はにこにことして、居間にとおしていただき、いろいろ歓談していただきました。ちっとも、嫌な顔をされなくて、結局、講座が実現することができました。最初は、「プラトンの国家論」で、1992年4月に3回でした。第二回目が、ホッブズの「『リヴァイアサン』にまなぶ」だったんですが。先生は、準備の聞き取りの段階でも、もちろん当日の講義でも、その全体を通じて、私たちを未知なわくわくした世界に案内してくれました。予備知識のほとんどない私たちでしたから、事前の懇談でも、講演の後でも、さまざまな疑問・質問がぶつけられたんですが。どんな疑問・質問に対しても、先生はたのしく丁寧に説明してくれたんですよ。それは、残された報告集が、その記録として、語ってくれています。しかし、今にして感じるんですが、これから再学習してみますが、少なくとも、ここで語られていることというのは、現在にこそ、大事な意味をもつ事柄ばかりだということです。池田先生は、しっかりと時代を見すえていたんですね。
2016年05月03日
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みかんの花と草取り、甘夏収穫5月3日(憲法記念日)、今日は第12回目の甘夏収穫に行ってきました。当方の車は壊れちゃってますから、知人に車を貸してもらっての遠出です。この連休は、真鶴道路が伊豆への行楽で混みますから、午前中が勝負です。朝からの渋滞を避けるため、午前5時15分の出発でした。主題の甘夏収穫の前に、ひと仕事があります。真鶴園での草取り作業です。真鶴園では、みかんの花がきれいでした。前回の5月1日に来た時よりも、さらに花が広がってました。ゴールデンウィークの時はみかんの花の時期です。この景観は、いくら見ていてもあきません、憩いのひと時です。みかんの花の清楚な香りが漂い出していますから。それは、その場所でないと楽しめません。しかし、花を眺め、愛でてばかりはいられません。仕事が待ってます、草取りです。まだ真鶴園全体の半分の草取りが残ってますから。この時期は、一雨ごとに繁茂してくる雑草との根競べです。以前に一度草取りしたあるんですが、その草を天日返しして、さらにその後生え出した草をもう一度草取りです。ひっくり返した雑草の下からは、かならずミミズが出てきます。草取りした後のドーナッツは、ミミズの繁殖場所になります。これが、除草剤をいっさい使ずに草取りをしている事情なんです。ミミズというのは、みかん園にとっては大事なんですね。自然に土壌改良の大仕事を、こともなげにしてくれるんですから。人の作業でやったら、たいへんな大仕事になるんですが。草取りしたには、いつも、後からついてくるものがいます。ムクドリです。天日返ししてきた後を、ついばんで、つかず離れず追いかけてきます。ムクドリは、ミミズを餌にしようとして、さかんに地面をつっいているんですね。こうして、みかん園の5月は、みかんの花の季節になっています。平和な憩いを感じさせてくれるひと時です。さて、午前9時には、真鶴園の草取り作業を終了して、移動です。この後が、肝心です。今回出かけてきた目的-お茶の受取りです。JAの製茶工場によって、製茶してもらったばかりのお茶を受けとりました。加工賃はキロ330円ですから、2.1キロで693円でした。そして直ちに、早川園へ移動です。早川園では、もう一つの目的、甘夏の搬送がまってるからです。このために、渋滞があったとしても、あえて車で来ているわけです。まずは、前回収穫してあった130個を車に積み込みました。その後で、さらにもう一仕事を頑張りました。甘夏の第12回目の収穫です。今回は100個を収穫しましたが、これは物置ボックスにおきました。これで、3月末から全部で1,855個を収穫したことになります。今回収穫した後の甘夏の木です。だいぶ収穫が進んだでしょう。黄色の甘夏が目立たなくなってきました。すでに採りやすいところのものは収穫を終えています。あとは、枝先にあるものや高い位置にあるもので、採るのがたいへんなんですが。これでも、まだ300個以上は残っているんですよ。まだまだです。さて、午前10時30分にはすべてを終えて、早々に帰途につきました。渋滞に巻き込まれないためですが。石垣山の帰り道では、農家の方が茶摘みをしているのを見かけました。みかん園の隅の方に、あちこち、お茶の木が植えてあるんですね。このご夫婦は、当方と同じく、一心二葉の手摘みをしてました。今夕は、雨とのことですから、茶摘みもここが勝負です。当方は、早く帰って、甘夏の出荷をしなければなりません。「酸っぱい」という人もいますし、「まずまず」と言ってくれる人もいます。とにかく、この自然の恵みを、とことん収穫して、都会に届けることです。この甘夏の収穫も、いよいよ大詰めです。
2016年05月03日
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みかんの花にミツバチが5月1日、みかんの花が咲きはじめて、蜜蜂が活躍していました。この日は、八十八夜で、お茶摘みに行ったのでしたが、茶摘みを終えて「やれやれ」としていたら、みかんの木の下で、地面に花びらが落ちている木がありました。全体的には、みかんの木は、まだつぼみの状態なんですが、開花を始めた成木がありました、まだ成木ではこの木一本だけなんです。この木は、去年は裏年だったんですね。その分、満を持して、この木が先頭を切って開花し始めました。その花の様子を見ようと、地面から視線を上げてみたところ、なにやら、数匹の動くものがいました。わかりますか、ミツバチです。よくみると、ミツバチは、花から花へと飛んでいて、この飛んでるときは、カメラで撮るのは難しいのですが。やがて、花にとまります。そうなると静止しますから、カメラに収まります。花粉を集めている蜜蜂は、一心不乱に花の蜜をあつめてます。頭を花の中に突っ込んで、周りの気配なんか気にしません。こうして、みかんの花の受粉を、静かにこともなげに進めてくれています。この役割を期待していたんですね。近所の人が言ってました、『以前に、近くの養蜂家が亡くなって、蜜蜂かいなくなって、みかんの採れる量がだいぶ減ったと聞いている』と。一方、当方はミツバチの分蜂が気になっているんですが。そのミツバチの巣箱の方はと言うと、まだ分蜂はしてませんでした。ただし、巣箱の門前は、テンションがたいへん高くて、テンヤワンヤでした。「すわ、分蜂か」と思わせるような、活発な門前の動きでしたが。しかし、茶摘みをしてから、しばらく時間がたってから、ふたたび帰り際にも見回ってみたんですが、午後2時過ぎでしたが、また元の静けさにもどっていました。その間に、分蜂したわけではないと思うんですが。しかし、その動きからして、分蜂する時が間近かなことは間違いなさそうなんですが。十中八九、当方のいないときに分蜂するので、どうしようもないのですが。ただ一つ、誘導のために望みにしているのは、キンリョウヘンです。今回は、キンリョウヘンの置く待ち箱を変えました。蕾がついていて、香りも漂い出したかに感じるんですが、しかし、まだミツバチが寄り付く気配はなし。みかんの花の香りのが、今は魅力的なんでしょうか。キンリョウヘンの置く位置を変えたのは、前に置いた待ち箱ですが、それは、蜜蜂が以前に使っていた巣箱だったので、定住しやすいとは思うんですが、それが置かれた位置を見ていると、1、西陽が正面から当たって、蜜蜂にはきつそうなこと。2、そこは、何回か巣箱が転倒して、バラバラに散乱してしまっていたこと。それで、今回は、お勧めの待ち箱をかえてみました。もっとも、最適な住みかを選ぶのは、最終的にはミツバチ自身なわけですが。とにかく、これから開花をひろげるみかんの花を、ミツバチたちが、間違いなく飛びまわってくれることは確かです。目下のところは、当方に出来るのは、観察することだけで、ここまでなんですね。これからさらに、みかんの花が全体的に開花していきます。みかん園は、花の香りが漂って、心地よい春の陽気に包まれるはずです。今回は、少し風が、時々吹き荒れて、心地よさも半ばでしたが。いよいよみかん園は、みかんの花の開花と、蜜蜂の分蜂、これが当面の焦点になります。
2016年05月02日
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お茶摘みに行ってきました今日は5月1日、メーデーでもありますが、八十八夜でもありました。当方は、お茶摘みにみかん園に行ってきました。車が壊れてしまったので、すべては電車と徒歩で行ってきました。まぁ、それも正解です。連休中の真鶴道路は、伊豆方面への行楽の車で、いつも以上に、上りも下りも大渋滞していましたから。これは、真鶴のみかん園にあるお茶の木です。 夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る・・・♪よくお茶の若葉が生えそろっているでしょう。まとまった量を栽培している農家は、機械や、袋付きのハサミを使ってますが、当方のように、わずかな生産者は手づみで十分です。一心二葉の新芽を、ポキポキと手で摘んでいます。当方は2009年に、本場静岡に茶摘みの体験に行ってきました。大体、それまでは、お茶の栽培なんて、まったく知らなかったんですが。http://plaza.rakuten.co.jp/sagamimikan/diary/200904260000/今回は、はじめて早川のみかん園でも茶摘みをしました。真鶴へ来る途中でしたが、早川駅で下車して、石垣山のみかん園にのぼって、お茶摘みをしてきました。これが早川園のお茶の木です。本来なら、こちらの方が広々としていて、たくさんとれるはずなんですが、今回は、今年の1月に整姿剪定をしたばかりだったんですね。人の背丈を越えるようなお茶の木を、摘める背丈に切り縮めたんですね。したがって、新芽の育ちが弱かったんですが、少しであっても、まぁ、摘めるだけさいわいの部類でした。一般的に、この辺のみかん畑では、土手や境界にお茶の木が、よく植えられています。みかん園のある石垣山へ登っていく途中でも、あちこちで農家の方が、茶摘みをしていました。こちらの茶畑は、よく手入れがされてます。ご夫婦で、袋付きの刈り込みばさみをつかって摘みとっていました。「歩いて登って茶摘みをするんじゃ、たいへんだね」と声をかけていただきました。さて、摘みとった茶葉ですが、早川の分と真鶴の分がありましたが、当方は、まとめて真鶴町岩にあるJAの製茶工場にとどけて、製茶を依頼してきました。これがその工場です。東海道線の長坂トンネルの入り口にあります。赤い屋根の建屋が製茶工場です。今年は、4月29日から5月4日まで、期間限定で、茶摘みのシーズンだけ稼働しています。このあたりの農家の多くは、みかんをつくってますが、みかん園のすみの方でお茶も栽培しています。そうした農家のために、JAが共同事業として製茶工場を運営しているわけです。当方は、今回は車がなかったので、ここでもテクテクと歩いて出しに行ってきました。これが受付で、茶葉の重さをはかってくれます。当方の籠の重量は3.5キロ、籠自体の重さが1.4キロ、したがって正味は2.1キロでした。少量でも、受付してくれるんですね。他の少量者の茶葉と合わせるようにして、一工程にして機械にかけてくれます。さぁ、これで、茶摘みは完了です。明後日には煎茶が出来上がっているとのことです。今、工場全体からは、お茶のよい香りがプ~ンと漂ってきます。受付の場のすぐ隣が、出来上がったお茶が出てくる場になっていて、製茶工場の最後の検査工程になってます。出来上がったばかりの新茶が、つぎつぎに出てきていました。明後日は、出来上がった新茶を、ここにとりに来ることになります。
2016年05月01日
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