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みかん園の2月のまとめみかん作業は、例年であれば12月いっぱいで終わるんですが、表年の今季は、1月末まで出荷作業が続きました。自園のものは少しで、主に早川のだんだん園のみかんでしたが。例年なら1月を農閑期の休みとして、2月の剪定から動き出すんですが。この2月はクタクタで、湯治がよいを組み入れるようにしました。人間、仕事があってハリのある時は、やんやかや早起きしてあれこれ動けるんですが、収穫を終えて、ひと山越すと、それまでの疲れがどっと出てくるんですね。この2月の寒い日は、なるべく大平台で湯治して、ガチガチの体をほぐすようにしました。さて、この2月ですが、梅の季節でした。今年の梅は、例年より10日くらいはやく、花が咲きました。みかん園のまわりに梅の木がありますが、よい香りが漂っていました。今年は、ミツバチがはじめてみかん園で冬を越しました。これまで晩秋の試練により、2回失敗してきましたが、3回目にして、無事に冬の時期までミツバチが頑張りました。ミツバチは、寒い時期は巣箱の中ですが、暖かな日には、花の周りで見かけるようになりました。働きもののミツバチです。これを見ていると、疲れもいやされます。それで、目下、春先の分蜂に備えて、待ち箱の改造に取り組んでいます。待ち箱を、二段式の巣枠型に改造しだしています。そうすれば、ミツバチが増えても2階部分を継ぎ足せばよいし、巣枠を2段にしておけば、採蜜する時に巣を壊さずに、貯蜜部分を取り出せますから。従って、もっかは大工仕事をすすめています。肝心のみかんの剪定作業の方ですが、この方も、ボチボチと始めています。収穫作業をしていた時に、地面に垂れ下がっていた枝や、枝が密集し過ぎて、枝同士が重なり合っていた部分を、すくようにしています。3月半ばまでには、終わらせたいのですが。さらに、これからの作業ですが、土壌改良があります。樹冠の下部分の草取りをして、土を中耕して土壌を改良します。美味しいみかんをつくるためには、大事な作業です。まもなく、収穫もあります。3月の中旬以降になると、それぞれ少しずつですが、こんどは、清見、湘南ゴールド、日向夏、甘夏の収穫が待ってます。最近は、みかんの種類がいろいろ増えてます。当方も、試しに植えた各1本くらいですが、7,8月を除けば、なんらかの柑橘が味わえるようになってます。
2016年02月29日
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きのこの種付けと、蜜蜂の継箱作りみかん園は、剪定と土壌改良をすすめる時期ですが。その他にも、いろいろあります。2月27日ですが、早川・だんだん園では、キノコデーでした。この時期は、毎年、キノコの種付け作業をするのだそうです。当方は、キノコについては、まったく経験がなく、「取材」するだけでしたが。「ひらたけ」というキノコだそうです。これは台木に、クルミの木を使うそうです。この時期に、種付けの時期だそうです。木にドリルで穴をあけで、コルクの様なキノコの種を植え付けていました。この7月の梅雨のお湿りで、種は木になじむようになるとのこと。それにより生育環境が出来て、実際に、発芽・生育するのは来年です。収穫するのは来年の秋とのことです。空けた穴に、キノコの種を打ち込んでいました。これがだんだん園の、この2月下旬の恒例作業とのことでした。当方の方は、みかんの剪定とミツバチ作業です。ミツバチの方は、2月27日-28日をかけて、待ち箱の二階部分の継箱をつくりました。前回は、給餌器をつくったのですが、今回は継箱です。なんとか、一つの継箱が完成しました。あとは、この中に入れる巣枠づくりの作業があります。まぁ、遠い昔ですが、中学だったか、工作をして以来の作品です。
2016年02月28日
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プレハーノフ『史的一元論』の明と暗 その9 これまで、プレハーノフの『史的一元論』を読んできました。今回で最終回です。 今回から岩波文庫の下にはいったんですが、そこで重大な問題にぶつかりました。 下巻は、第5章「近代唯物論」のつづきと、「結論」です。 この第5章のつづきですが、その内容はマルクスの歴史理論の検証としての『資本論』です。 これまで、『史的一元論』を読んできましたが、最初からここまで読んでくる中で感じたことは、プレハーノフという人は、フランス唯物論や空想的社会主義、王政復古時の歴史家たち、ドイツの観念論哲学をたどることで、マルクスの新しい歴史理論(唯物論的歴史観)が誕生する必然性を解いてきました。独特にその元になる諸資料の吟味と、そこから引き出される方法論の展開には、「ロシア・マルクス主義の父」と賞された学識の豊かさを感じさせられてきました。それは今でも変わらないのですが。 今回、第5章のつづき、「『資本論』と唯物史観」を読んだ時、一つの重要な問題にぶつかりました。これと同じ問題を扱っている著作を、以前に読んでいたからで、それを取り出してみました。それで、今回初めて気がついたんですが、あらためてレーニンの著作『人民の友とは何か』(一分冊)を読んでみると、この第5章つづきとが、証明の形態は違っていても、議論の筋書きがあまりにもよく似たものになっていることでした。レーニンとプレハーノフ、 いったいどちらが元なのか。どちらに著作権があるのか、当然ながら気になりました。 プレハーノフ(1856年-1918年)の『史的一元論』は、1895年2月初めに、ロシア本国で刊行されました。他方レーニン(1870-1924)の『人民の友とは何か』は、1892年ころから準備され、1894年3月から6月に書かれて非合法的に広められたそうです。 要するに、ひと回り以上も年上のプレハーノフは、1885年の『われわれの意見の対立』ころからはマルクス主義の大御所的な存在だった。歴史哲学の知識も豊かに持っていたことは、これまでの『史的一元論』の前の諸章でもしめされています。しかし、この「『資本論』と唯物史観について」の基本的な論述は、当時はまだ22-24歳の、無名の青年・レーニンが最初に書いていたものだということです。プレハーノフは、その文章を読んで、彼の学識をもってその骨組みに添えたということです。といえば聞こえはよいのですが、ことわりがない。 端的に云えば、大御所が非合法の刊行物を読んでパクったんです。まぁ、よく言えば、この部分はその骨格を生かして、彼なりに自らの学識をそえて豊かなものにした、ということでしょうか。だとすれば、ことわりが必要です。 そうしてみるとプレハーノフという人は、「ロシア・マルクス主義の父」と賞賛された時期もありますが、帝国主義戦争での「祖国防衛」に賛成したり、1905年の革命は「立ち上がるべきではなかった」など、後期の政治活動では誤った道に陥っていきます。明から暗への人でした。明については、それとしてしっかり評価しなければないとおもっていますが。 では、いつから、このマルクス主義者はおかしくなっていったのか?この問題があります。 この問題については、不破哲三著『レーニンと『資本論』』(2)の中の「チューリヒでの失望」P118との部分で、レーニンの手稿「どのように『イスクラ』(火花)はあやうく消えかけたか?」(全集4巻 1900年9月初め執筆)が紹介されています。 これはレーニンの刊行されたのは死後の全集ででした。個人的な覚書だったんです。ここに問題の人間像が出てきます。レーニンも当初は、プレハーノフを著作で知っていたわけですが、その限り、その積極的な業績に、ずーっと敬意を感じていたんですね。ところが、イスクラの新聞づくりで亡命先のスイスで、プレハーノフと初めて直接に会って打合せしたところ、それまで想像していたプレハーノフの人物像と実際の現実との間には大きなギャップがあることを、突き付けられたんですね。このギャップの根っこや、性格はどのような問題があるのか。この文章が示しています。それ以来、レーニンのプレハーノフに対する対応は、学術的に評価できる面は認めるにしても、それとは別に、政治的・運動的な人間像については現実にそくした分析的対応になっていきます。 以上が、岩波文庫の下巻、第5章の「近代唯物論」(つづき)において、「『資本論』と歴史理論」の部分が持つ問題点です。 繰り返しですが、ここでのマルクスの歴史論について検証している作業は重要です。それは今日でも学ぶべき事柄だと思うんですが。全体の事実にもとづいて論証している点については学ぶ価値があります。しかし、すでにこの章に関しては、問題を持ってるわけです。基本のくみたての骨子は既成の別にあって、その骨組みをもとにして、代数的に新たな事例を加えることで、全体に独創的な印象を与えようとしている点があること、このやり方については注意が必要です。 最後です。今回、40数年ぶりに『史的一元論』を読んでみました。初めて読み通しました。プレハーノフの人物像が二面的に見えてきました。レーニンが当初もっていた敬愛の情もわかりますし、またガッカリした気持ちもわかります。私なども、この作品を大事に持ちあるって来たわけですから。たしかにそこには学びとるべきものもふくまれてます。しかし、その人間像を知っちゃったんですね。これからは、プレハーノフの作品に関しては、栄光とされる時期についても、より注意して、明暗をもつ人物として、しっかりと腑分けしながら学ぶべきだと思うようになりました。
2016年02月27日
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秩父路のバスの旅2月26日は、職場の社員旅行で、秩父路を旅してきました。当方は、この3月31日で完全退職ですから、最後の旅行です。日ごろの生活からしたら、秩父行きなどは、ありえないことですが。天気は最高で、関越自動車道からは富士山が良く見えました。富士山が見えるということは、天気の心配はなし。いつもとは違った場所からですが、ここ関東平野からの富士山もまた素晴らしい。途中、鶴ヶ島インターでおりて、醤油工場を見学しました。鶴ヶ島に醤油工場があるなんて、知らなかったんですが。会社の周りには梅の香りが漂ってました。川越が近くにありますから、ここの醤油も古くからの歴史があるのかもしれません。ついで、秩父路です。秩父のシンボル・武甲山が、窓から鮮明にみえました。セメントを取るために、山が削られて低くなってきているとのこと。削った痕でしょうか、やまには横縞の模様がついていました。秩父は長瀞の渓谷も見どころですが、今回は、やはり川沿いにある大滝の氷柱をみてきました。今年は暖かいのか、今、氷のつららは、3割方しか残っていないとのこと。これは自然のつららだそうです。地下水が岩盤の間から流れ落ちて出来たものでしょうか。さて、最後は、秩父のお酒「秩父錦」の工場を見学してきました。もともと大宮郷にあったそうで、江戸時代中期に創業したそうです。もちろん、試飲してきました。といったことで、「秩父錦」のさまざまな銘酒を試飲してきました。新聞紙にくるまれたお酒が、今の時期限定のおすすめとのこと。普通のお酒よりアルコール度が高く、20度くらいはあるそうです。「今の時期しか」「ここでしか」「試飲して比べてみてほしい」とか、こうした殺し文句が、酒本責任者から聞かされたら、1,300円の投資でしたが、やっぱり、のどから手が出てきてしまいました。うち職場の主要部門は、病院からの検体を検査する職場です。また当方の職場は、その会社が新たに介護用具のレンタル事業を起こした会社ですから、いずれも、職場の全員が一度に休むわけにはいきません、一時の中断も出来ない職種です。従って、輪番をくんでの社員旅行です。今回の一行は、7番目の組で14名でした。いつものせかせか、緊張する業務を忘れて、のんびりとした秩父路でした。日ごろはこうした交流はなかなかできないんですが、当方は、完全退職の一カ月前ですから、「もったいないことをした」と反省です。たいへん楽しい交流だったんですが、もっとはやくにこうした交流をすれば、もっと楽しかっただろうに。まぁ、後の祭りです。日頃の行いのおそまつさを感じさせられました。
2016年02月26日
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今日は、帰りに早川園によってきました今日・2月25日は、小田原方面も寒い一日でした。真鶴園へ、給餌器づくりに行ってきたんですが。さすがにミツバチも、この寒さでは巣箱の中からでてきません。一階部分にかたまっていて、砂糖水も減ってませんでした。帰り道に、早川のみかん園に寄ってきました。みかん園からの景色です。寒々とした景色ですが、左の方には小田原城が修理を終えたようで、姿をみせてます。早川のみかん園は、全体としては農閑期です。ときどきヒヨドリの声が聞こえていました。これは甘夏です、つぎに出荷を予定している柑橘です。かなりの巨木ですから、4月中旬からの出荷が楽しみです。もう一つは、湘南ゴールドです。これもやはり4月の中旬に、収穫を予定しています。この二つが、次に出荷を予定しています。今回、早川園に寄ったところ、春の気配が2つありました。一つは、ブルーベリーの木でしたが。ここには、ブルーベリーの木は1本だけですが、あります。その枝先ですが、赤いものがついていました。花でしょうか、芽でしょうか。当方は、ブルーベリーの木というのは、7-8月の収穫時しか知らないのですが。冬の寒々とした常緑樹のみかん園にあって、明るく春を感じさせてくれる色でした。もう一つは、お茶の木です。去年の暮れに巻き付いていたつる草を取り除いて、刈り込みばさみで荒剪定、木の背丈を低くしたんですが。その枝先に、芽が出だしていました。乱暴な刈込みだったんですが、自然はたいしたものです。ちゃんと、新しい芽が出てきました。お茶は、5月の連休あたりが茶摘みになります。今年は、大きく枝払いをしたので、それほど摘めないと思いますが。真鶴園の茶摘みと合わせて、新茶をつくろうと思っています。人気もない寒々とした冬のみかん園ですが、自然は、ぬかりなく春の準備をすすめています。
2016年02月25日
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甘夏を味見してみました先日、2月17日、みかんの木の剪定を始めた時ですが、試しに甘夏を数個とって来ました。神奈川県西部の真鶴方面では、甘夏の収穫は、まだちょっと早く、4月下旬から始めだす予定なんですが。これが、かなりいけました。もちろん、まだ酸っぱいんですよ。しかし、おもっていたほどの酸っぱさではなくて、これなら試食用に提供するところまできていると感じました。甘夏は、木についているものの全部が、全部、一度に成熟するわけではありませんから。なかには、はやいものでは、すでに自然落下するものも出てきています。この寒さの峠を越せば、提供しても大丈夫なところまで進むと思います。もちろん、まだ3月21日までは、春分の日までは、我慢するつもりですが。それにしても、そろそろ、樹冠の下周りを整備しておいて、早いものは、しばらく取り置くようにして、まず味試し用として、あちこちに提供しようと思っています。そうした準備の段階に、いよいよ入って来ていると感じています。
2016年02月24日
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当方とプレハーノフ『史的一元論』との出会い去年の暮れから、プレハーノフ著『史的一元論』を読んでいます。今回、『史的一元論』は、再びの挑戦です。当方が、最初に、この『史的一元論』と出合ったのは、1969年の高校3年の時でした。関東の片田舎、小田原のことでもあり、国の政治もほとんど知らなかった時でしたが。当時の、世界的なベトナム侵略戦争への反対、国内的には学園の民主的運動のなかで、確かな道を求めて、様々な宗教から哲学、思想を探っていたんですね。そうした中に、この『史的一元論』との出会いもありました。ただし、当時はその岩波文庫の上巻しか入手しておらず、かつ、その上巻すらも読み通すことは出来ませんでした。しかし、その後40年余、ほこりをかぶりつつも動く先々でも、片隅に持っていたわけです。昨年の10月、年も重ねて継続雇用の終わりの時期になって、完全退職も秒読み段階になって、どうしたわけか、この本をひっぱりだして、ほこりを払い出しました。たまたまでしたが、新たに岩波文庫の上・下巻、川内唯彦訳、1976年9刷も入手しました。去年にあらためて、それを通読こそしたものの、簡単ではありませんでした。高校当時にはねかえされたもの「無理はなし」というのが、あらためての実感でした。しかし、この本は重要な著作であることは、すぐにわかりました。マルクスの科学的社会主義について、その成立の歴史的背景となる「三つの源泉」について、18世紀フランスの唯物論、王政復古期の歴史家たち、空想的社会主義者たち、ドイツの観念論哲学について、ていねいにたどっているんですね。これが、エンゲルスの『空想から科学へ』、レーニンの『三つの源泉と構成部分』とともに、欠かせない古典であることが分かりました。それだけではないんですね。岩波文庫の下巻は、第5章「近代唯物論」のつづき、なんですが。これは、「『資本論』と、その基礎をなす唯物史観」が、主題になっています。この点については、不破哲三さんも『レーニンと『資本論』』(2)(新日本出版社 1999年刊)で、唯物史観に対して、レーニンとプレハーノフの接近を紹介しています。私見ですが、『史的一元論』は、科学的社会主義の世界観と方法を学ぶ上で大事な著作だと思っています。『フォイエルバッハ論』とともに、これも欠かせない古典文献だと思っています。当方は、今、フェイスブックに学習紹介をしていますが。以前に東京・多摩市で地域の学習サークルをつくって学習していました。1989年11月から2001年10月ころまでしたが。『資本論』についても挑戦して、ついに最終章の第三巻第52章「諸階級」まですすみました。もちろん理解のほどは、あやしい面も多々ありましたが、終わりまで進みました。その時は事情に流されて、わからなかったんですが、一同に会しての学習というのは、メンバーの生活事情から難しかくなっていたんですね。学習サークルの活動は、終了する所となりました。今回は一つの提案なんですが、最近、ブログとフェイスブックをしりました。これを利用させてもらうことで、一同に会せなかったとしても、それぞれのところでの学習を交流することは出来ると感じています。当方は、時々学習したことなどを発信させてもらってますが、インターネット上で、相互の学習サークルが出来たらと思っています。当然、テーマが問題になりますが、当方は、社会科学の古典についての学習です。専門的なことになると分からないんですが、基本的な点での学習です。ということで、それぞれ学習したことの成果となり、紹介へのご意見となり、ご批判となり、発表したり、お寄せていただけたとしたら、さいわいです。
2016年02月23日
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19日の5野党合意を新聞に見ました2月19日の5野党の党首会談について、翌20日付の新聞を見てみました。この間、憲法と国民世論を踏みにじって、戦争へと引き込みつつある安倍政権です。国民世論を背景にして、この政治を変えるため野党五党による合意の成立です。5党首が合意した確認事項です。1、安保法制の廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を共通の目標とする。2、安倍政権の打倒を目指す。3、国政選挙で現与党およびその補完勢力少数に追い込む。4、国会における対応や国政選挙などあらゆる場面で出来る限りの協力を行う。明確な表明です。これなら憲法の平和と民主主義の原則を固めるものとなります。まず、「赤旗」の報道です。さすがです。この合意について、客観的に詳しく報道するとともに、その持つ意義を「主張」で「戦争法廃止への画期的な確認」と報道していました。この問題について、20日付の各紙の報道を見たのですが。もちろん、各紙とも、それぞれに報道していました。その見出しです。「参院選共闘 5党首一致」(『読売』)「5野党連携加速」(『朝日』)「野党共闘へ半歩前進」(『日経」)「共産1人擁立せず」(『毎日』)当方が気になったのは、4項目の確認内容ですが、それを客観的に報道していたのは『赤旗』と『日経』でした。どうも、『毎日』が典型的ですが、問題の目先を参院選挙にしぼってしまう。しかも、その1人区で共産党が予定候補者を取り下げる、との点にしぼる報道でした。もちろん、それも大きな事件だし、関心事だとは思いますが、5党が合意した4項目は、国民世論に答えて、「1、安保法制の廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を共通の目標にする。」と、明確な共同の目標を打ち出したことです。そのために、「2、安倍政権の打倒を目指す。」ことで一致したことです。メディアも当然ですが、そのこと知っているわけですが、しっていながら、この重要な政治的な対決点、戦争か平和か、対決の中身を抜かして、目先が共産党の一人区の選挙問題だけに集中してしまうきらいがあるようです。確かに選挙協定は重要な問題ですよ。しかし、やはり重大な政治問題があっての選挙なんだ、という点が、肝心な点が抜けているようにおもわれます。
2016年02月22日
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みかんに関して、TPPのもたらすもの近年のみかん農業の状態について、関連する本により調べてみました。政府は「段階的に関税を廃止するから、TPPの影響は限定的なもの」と、農水省の影響分析は発表しています。(「東京新聞」2015年10月30日付)はたして、実際の状況はそうでしょうか。少し以前に出版された本ですが、2冊の本からみかんの現状をみてみました。一冊目は、『日本の農業』(原 剛著 岩波新書 1994年2月刊)です。この本から、みかんに関する部分を引き出してみました。「ミカンは、リンゴ、ブドウ、ナシとともに国産果実の四大品目とのこと。(今、TPPの中身でオレンジの自由化が問題になっていますが、 これには、この間のみかんの農業に対する政府の農政の歴史があります。) ミカンと競合するオレンジですが、すでにこれまで自由化がすすめられてきました。 オレンジ果実が1991年4月から、オレンジ果汁が92年4月から、輸入自由化されました。 これによって、例えば、ジュースでみると。ミカン果汁にくらべて大幅に安いオレンジ果汁は、自由化後の1992年には主産地のアメリカとブラジルから年間46,200トン、155億円相当分が輸入されました。(資料が直近のものではありませんが、仕方ありません) 価格競争力の弱い国産ミカン果汁は、たちまち販路を狭められて在庫が増えて、この大部分を生産している農協系の搾汁工場は営業不振に陥っている。生食用のミカンに活路を見出すほかに道はなくなっている。 しかし、生鮮果実の国民一人当たりの消費量は、もっとも多く消費された1972年度の一人年間43.8キロから、93年度には約38.7キロに減っている。 ただし購入単価は最近の10年間で70パーセント以上も高くなっている。これは糖度の高い品種が開発され、ハウスミカンのなどの高付加価値化や高級化によるものだ。 こうした事情から果実の栽培面積は毎年減り続けている。 ミカンの場合、「かんきつ園地再編対策」(1982年-90年)により、多くのミカン畑が廃園または植林地にかえられた。耕作放棄された樹園地は全耕作地の6パーセント、2万8000ヘクタールにのぼる。(直近だと、もっとひどくなっているはずです) 果樹畑は傾斜地が多く、作業が機械になじまない。労働時間が長いうえ、高所での剪定、摘果、袋かけなどの中腰作業が多いなど、長時間、重労働感がもたれている。 中心となる働き手が、60歳以上の経営体の18パーセントが規模を縮小する考えである。 自由化の圧力が、まもなく日本の果樹園の光景を一変させようとしている。」 さらに、もう一冊です。『現代たべもの事情』(山本博史著 岩波新書 1995年1月刊) 「1993年の生鮮果実の総輸入量は164万トンとなり、国内ミカン生産の150万トンをこえた。オレンジ果汁の輸入量も6万キロリットル。果汁輸入の総量は15万キロリットル。これは生鮮果実に換算すると150万トンにあたる。 愛知県豊橋市には、世界最大の多国籍アグリビジネスのカーギル社の大型タンクが建造され、ブラジルからオレンジ果汁がタンカーで次々に運ばれてくるようになった。 柑橘類の国内自給率は、1980年から92年にかけて、生鮮果実で90パーセントから78パーセントへ、果汁では88パーセントから32パーセントへと急激に低下した。 1960年代に九州などで新しいミカン産地が拡大されたが、その結果、1973年にはミカンの大暴落が起きた。それを契機にして、温州ミカンから、ネーブル、ハッサク、伊予柑、ユズ、スダチなどへの切り替えが各地ですすめられた。しかし、ネーブルやハッサクは85年ごろから、伊予柑も88年ころをピークに栽培面積が縮小している。輸入グレープフルーツに押された結果である。」以上が、二冊の本が指摘しているみかん農家の状況です。 当方は、縁あって、みかん栽培をこの10数年続けてきました。ここで紹介されているみかん農家の状況は、1990年代前半までのデーターですから、すこし資料が古いんですが、それでも、だいたい当方が日ごろ感じていることと重なっています。問題は、こうした実際を、農業政策の出発点にしなければならないのに、そうなっていないことです。トンチンカンに政策推進がゆだねられていることです。 今の焦点は、政権がTPPで関税を撤廃することをおしすすめていること。今すすめられようとしている施策は、みかん一つをとっても、みかん農家からすると、とんでもない事態を引き起こします。この政策は日本農業の全般を滅ぼす方向に引っ張ろうとしています。 それは、農家の声を無視して、農家をつんぼ桟敷において、安倍首相や甘利大臣などの強引なリードですすめてきたものです。担当大臣は、わいろで辞任しましたが、代わりを立ててさらにむちゃくちゃに推進しようとしています。 いま必要なことは、ただちに、このTPPの、日本農業の壊滅・日本人の食生活の明け渡し政策を中止することです。そして、この間の農業政策の実態を事実にもとづいて明らかにすることです。すくなくとも、現状より後退する政策はやめること。農家の実際に即した有効な振興政策を探って、それにきりかえることです。
2016年02月21日
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2月20日は姫之湯で湯治です雨が降らなければみかんの剪定ですが、2月20日は、あいにくの天気で下り坂。こんな日は早出して、電車に揺られて箱根・大平台へ、姫之湯で湯治です。湯けむりがたつのは、外が寒いためですが、その後ろには、梅の花が咲き出していました。いろいろ、読みたいものをたくさん持ってきたんですが。「読みたい」ものと、実際に「よめた」ものとでは、かなりのギャップがありましたが。それでも、最小限はすすみました。一つは、昨日・19日の野党間の合意をつたえる新聞です。もう一つは、今日こそ終わらせようと、プレハーノフの『史的一元論』(下)の「結論」でした。今日は、午前10時33分ころでしたが、「ガタガタ」と地震がありました。箱根町の地下10キロを震源としたものとのことで、震度3でした。また、天気も午前9時半くらいには雨がパラつき出し、雨音が聞こえるようになりました。「夕方から雨あしが強まる」とのことでしたので、午後3時には、早々に帰途につきました。帰り道の、小雨と霧の大平台駅です。霧の箱根というのも、なかなか綺麗なんですよ。途中の出山信号所からの景色です。小雨と霧で、いつもの景色とは違って水墨画のような外輪山でした。さらに、出山鉄橋から見た、下を流れる早川です。やはり、雨の強弱が大きくなってきてました。この帰りの電車もふくめてでしたが、なんとかプレハーノフの『史的一元論』ですが、「結論」を終えるところまできました。まだ通読したくらいですが、やはりこの時期のプレハーノフは、科学的社会主義の唯物史観を独特に解明しています。レーニンが推薦しているのもうなづけますし、今日でも真剣に学ぶに値すると思います。当方に中身を紹介できる力があればよいのですが・・、とにかくもう少し読んでからですね。
2016年02月20日
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みかんの剪定作業を開始しました2月17日、みかんの剪定作業を開始しました。4月になるとみかんの木は芽吹き出しますから、その前に剪定です。これが今回剪定した切り枝です。当方の、真鶴のみかん園は、背丈の高いみかんの古木が密集し合っています。いったい、どの枝を切ったらよいか、いつも悩まされる剪定作業です。葉が多いいことは、木にとってはよいことなんですが。しかし枝が密集し過ぎると、陽がよく当たらなくなり、美味しいみかんが出来ません。美味しいみかんは、太陽の恵みなんですね。そこで、今回の剪定方針ですが、1、ミカンの収穫の時に、枝が密集していた部分を、所々すくようにしました。2、木の背丈が高すぎて、収穫がしにくくなりそうな高枝を、切り縮めることにしました。3、木の内側に伸びている枝と、地面に垂れ下がりそうな枝を、少し切るようにしました。こんな基準で枝を切りました。まだ剪定は、全体の半分くらいすすんだところですが、2月中には全体を終わらせるつもりです。今回の剪定をしていて、異変を感じた木が1本ありました。青島の木ですが、ようやく実を付出しはじめた1本です。今季は、小木のわりに、たくさん実をつけてくれた若木なんですが。どうも木が、疲れている以上に、枯れこんで死んでゆくようにみえます。たんに実のつけ過ぎによる木の疲れくらいなら、やがて体力を回復してくれるはずですが、枯れ込みが激しすぎるんです。せっかくここにきて果実をつけ始めた、大事な若木ですから、今回、応急措置をしておきました。樹冠のしたの草取りをして、肥料を少しと水撒きをしておきました。なんとか元の樹勢を回復してくれればよいのですが。といったことで、この2月の手入れですが、みかんの木の剪定作業をすすめていきます。
2016年02月19日
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新春の対談とあいさつを読みましたそれぞれは、以前に新聞では読んではいたんですが、新春の二つの対談と新年のあいさつをまとめた冊子です。 『国民の新たな歩みを政治変革に』 (共産党の中央委員会出版局発行 380円)です。 三つの話というのは、1、新春対談 「中野晃一・志位和夫」対談(「しんぶん赤旗」の1月1日付掲載) 2、新春対談 「早野透・志位和夫」対談(「赤旗日曜版」新年合併号掲載) 3、共産党旗びらきの、志位委員長あいさつ(「赤旗」1月5日付掲載) です。この順番は、当方が最初に読んだ時の時系列なんですが。 この三つの話は、同じ主題-戦争法を廃止するために-なんですが、それぞれに独特の個性ある話になっていて、現在の社会を理解するのに大事な刺激なものです。 中野晃一氏は、「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人だそうで、上智大学の政治学の教授だそうです。 早野透氏は、元朝日新聞コラムニストで、桜美林大学教授だそうです。 ひとによれば「曲学阿世のもの」とけなされるでしょうが、当方からすれば気骨ある民主主義的な知識人です。 対談の主題は、今現在、進行中の問題ですから、これからどの様に事態が動いていくか。 今の注目の局面での、ホットな対談ですから、きっと後からふりかえって読みたくなるはずです。 まぁ、新聞をとっておいでもよいのですが、 それだと、いずれ山のなかに散逸しちゃいますから、あえて冊子を取り寄せた次第です。 さて、明日・2月19日(金)には、野党5党首の会談が予定されているそうです。 国民の期待に、政治家の人たちがどんな答えをしめせるか、注目です。
2016年02月18日
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春一番が、巣箱を二つも倒壊させていました2月17日、みかんの剪定とミツバチの給餌器づくりに行ってきました。午前7時10分に、平塚から見えた富士山です。午前中の天気は快晴でしたが、風が少し吹いていました。この2月14日朝、東京は春一番の嵐が、吹き荒れて過ぎていきましたが、それは、みかん園でも大変だったようです。今回、まず最初に目についたのは、その嵐による傷跡です。春一番の嵐により、巣箱が二つなぎ倒されていました。しかし、今回は不幸中の幸いでした。倒された二つの巣箱は、いずれも待ち箱で、巣箱の中は空でしたから。それにしても、大きな嵐だったようです。チューブのひもで二重にしばり固定しておいたのですが、二つの巣箱が倒されていました。今回の懸案の一つは、ミツバチの巣箱の給餌器を作り直すことでした。前回、給餌器を3カ月ぶりに使用してみたところ、砂糖水を入れて、巣箱に置いたところ、砂糖水がもれだしてきたんですね。給餌器はベニヤ板でつくられた箱ですから、長持ちはしないんですね。しかし、今回ふたを開けて給餌器をみてみたところ、その中に7割方の砂糖水が残っていました。壊れて漏れていたところは、上部の方に問題があるようで、それ以上の水漏れは、きたしてはいませんでした。「ヤレヤレ」といったところです。てっきり、今回のなかで、緊急の対応が必要かと思っていたんですが、一応、そこまでの切迫した必要性はなくなりました。時々強い風が吹く中で、巣箱の蓋を開けたものですから、朝のうちは、巣箱の中でじっとしていたミツバチですが、巣門に複数の門番が出てきて、警戒態勢を取りだしていました。同時に、前回いれたふるい巣枠を掃除して、ゴミ出しをする係りもいましたし、日影で見えにくいのですが、花粉を抱えて帰ってくる働き蜂もいました。梅の花は、すでに峠を越しました。まだ、陽気は寒い風も吹いてますが。この時期は、春の暖かい陽気の日もあれば、真冬のような寒の戻りもあります。やはり、しっかりした給餌器を用意して置くことが、大事になっています。みかんの剪定作業とともに、給餌器づくりが求められている時期です。
2016年02月17日
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当方も梅をたのしんでます今日も職場の昼休みには、大宰府の梅が紹介されてました。数日前は、湯島天神でした。今、梅のたよりが、いろいろ各地の名所から届いてます。マスコミは、さかんに派手な梅林を紹介してますが、しかし、名だたる名所ばかりが、梅の楽しみどころではありません。 梅一輪、一輪ごとの暖かさ注意して歩いていれば、案外手近かな所にも梅の木はあり、そのひと枝に近づいただけでも、綺麗な花も、清楚な香りも楽しむことは出来ます。真鶴のみかん園にも、そんなことで、数本の梅が楽しませてくれてます。しかし、梅は花と香りだけではありませんよ。ちょうど今ごろです。梅酒と梅干しが、花を楽しむころには、味を楽しめる時となっています。梅は、観賞用だけではないんです。よい色をしてるでしょう。6月に梅の実を収穫して、仕込んでおいた梅酒と梅干しでしたが、この花をめでるころには、ちょうど美味しくなっています。素人作でも、自分なりの最高の一品がつくれます。目だけでなく、舌の方でも楽しめるというわけです。むかしの人は、梅の花と香りについては、たくさん歌に残してますが、食べたりすることは、下品だったのかもしれません、食の歌は残していませんから。しかし、きっと何らかの形で、食文化もあったと思いますよ。今日、日本全国に、これだけ梅が広がっているということは、各時代の時どきに、それだけ愛されて広められてきたということです。梅を楽しみ、植樹する人たちが全国に広げていったということです。これはすごいことですね。
2016年02月16日
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バレンタインの見方が、ガラリ変わりました当方は、バレンタインチョコなんて無縁でしたから、「なんだバレンタインなんて、日本だし関係ないね」と思ってきていたんですが。職場で、チョコレートの箱をもらったとたんに、評価が変わりました。人間の気持ちなんて、まったくもってゲンキンなものです。義理チョコだったとしても、うれしくなるものなんですね。
2016年02月15日
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昨日は大平台の姫之湯でした昨日、紹介したように、2月13日は、箱根・大平台の姫之湯で湯治でした。今回は、その姫之湯の紹介です。午前9時15分くらいに、姫之湯についたんですが、朝の一番の割には、駐車場は車がならんでいました。これらは、立ち寄りのお客さんたちなんですね。当方は、2階が休憩者用の広間になってますが、一番に来たものの特権です、特別室に特別の椅子を確保しました。休憩室の方はガラガラですいていて、当方の貸し切り状態でした。昼近くには、二組くらいの方が加わりましたが、まったくゆるゆるでした。ここは食べ物の持ち込みは自由ですから、朝食と昼食を持ち込んで、日がなゆったりと、のんびりでした。温泉の方ですが、立ち寄りのお客さんがよく利用しています。2人、3人と、切れ間無く利用していたんですね。シャッターチャンスを狙っていたんですが、ようやく、貸し切り状態になった時に、「しめた」と撮らしてもらいました。大平台温泉は、箱根17湯の中では、比較的に新しく開けたところで、湯量は豊富ですが、あまり大きな施設はありません。自然の中でもあり、静かな落ち着いた温泉場です。その中で姫之湯は、温泉組合の管理による日帰りの共同浴場です。ハイカーの方や、地元の方、この温泉目当ての周辺の方と、少数ですが、切れ間無く、様々なお客さんが利用しています。源泉かけ流しですが、循環装置により温泉を綺麗に濾過しています。熱めの浴槽温度に設定してくれてますから、これが疲労回復には効果的で、ぴったりです。立ち寄りが600円で、一日の休憩だと1300円です。当方にとっては、ここで一日をのんびりと、昼寝付きで、温泉三昧と読書三昧が出来るわけですから、時間の取れる時には、湯治場としてうってつけの施設です。
2016年02月14日
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プレハーノフ『史的一元論』上を読む その8『史的一元論』について、「読み始めましたが、なかなか時間がかかります」と、エンゲルスが手紙に書いたのは、1895年2月8日、死去する半年前のことでした。食道がんの、ぎりぎりの体調だったんですね。当方は、今季のみかん仕事を終えて、一段落です。今日・2月13日は、箱根大平台に湯治に行ってきました。今回も、毎度のことで、懸案の書籍を持って行ったんですが。今回は、ようやくにして『史的一元論』上(岩波文庫)を通読することが出来ました。そこで今回は、上巻を読んで感じたままのランダムな感想です。1、まず第一に、本書の題名がしめす歴史的な刻印です。『史的一元論』、なんともとっつきにくい本の題名だとおもっていたんですが。P246まで進んだところで、その事情がわかりました。そこにその題名について、本音というか、正確な意味が書かれていました。「現代の一元論的な、すなわち唯物論的な歴史観があたえることのできるもの」つまり、『唯物論的な歴史観』というのがこの著書の主題だったんですね。本書は1895年の刊行です。帝政ロシアの検閲制度をくぐって本国で出版されたんですね。ストレートな表現を抑えているのは、合法出版をめざした歴史事情があったんですね。これに対し、レーニンの『人民の友とは何か』は、いわば非合法「出版」だったんですね。2、第二は、1914年時点でもレーニンをして、『カール・マルクス』の文献で、この著作は、「マルクス主義の哲学と史的唯物論とについては、最良の叙述はプレハーノフの著作である」と紹介していますが、そうした一冊だということです。当方が、最初にこの著作を知人に紹介されて読もうとしたのは、1969年高校の時でした。当時は、全国的な学園民主化の時代の流れの中での、関東の片田舎のことでしたが、当然でしたが、跳ね返されました。なんとか、まともに読めているのは2016年2月の今日のことですから、65歳の職場の完全退職を目前にした時ですから、まさに「人生は短く、学成り難し」です。まぁしかし、その上を通過するより、したままでいるよりは、ましということです。3、プレハーノフの哲学と史的唯物論の解説ですが、これは自主的で独創的です。レーニンが「最良の叙述」と評していることがうなづけます。マルクスの歴史観を紹介するなかでの強調点のひとつですが、P220「必要なことは、マルクスの見解を故意にせよ、故意でないにせよ、せばめないことである。」と、具体的にくりかえし注意を喚起しています。その後にこんな言葉を紹介しています。P276「哲学の根本命題を単に繰り返すことにとどまるならば、一切の哲学を無内容な形式主義につづめてしまうことができる、とすでにヘーゲルが述べている。」マルクスは、史的唯物論を確立してから、単純にその定式の言葉を繰り返していません。P276「自分の根本命題を発展させるために、マルクスほど多くのことをした思想家は、まれである」と。実際、『資本論』も含め、世界の動きを追跡し、アドバイスしているのですから。4、プレハーノフは、その歴史理論の検証(実証)を紹介しています。P277「第一の著書は18世紀末からはじまる哲学と社会科学の歴史である。この著書はマルクスの理論が、なぜあらわれなければならなかったか、それが未解決な問題にどう答えたかを示す。第二の著書は『資本論』である。第三の著書は、1848年からはじまる、『(共産党)宣言』が出現したときからはじまるヨーロッパの諸事件の歴史である。」この歴史理論を検証する観点は、今に生きている見方であり、努力の課題提起と思います。そして、不破哲三著『スターリン秘史』もそれに加わると思いますが、その後の今日にいたる諸国の歴史にあるとおもいます。5、もちろんプレハーノフについては、その後の歩みをみると明と暗があります。この『史的一元論』刊行した時期は、ロシアの啓蒙的思想家として大きな役割を果たしました。その後の日々に、そこでの原則的立場を貫けたか、守ったかというと、そうではなかった。帝国主義戦争や民族自決権の問題など、しっかりとした立場にたてなかった。日々生起してくる新たな諸問題に、自身が述べてきた立場で対応できないという弱点がでてくるんですね。この問題があります。なぜそうなったのかの問題があります。しかしそうではあったとしても、この時期にはたした啓蒙思想家としての業績には、今でも学ぶべきものを持っていると思います。第5章の途中を読んでいるところですが、以上、ランダムに感じている諸点です。いよいよ岩波文庫の下巻、第5章の後半に入ります。
2016年02月13日
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これがヒノキ花粉のもとですこの間にヒノキの枝を切り縮めたんですが、これが枝先についていたヒノキの花です。みかん園の防風林としてヒノキが植えられていますが、すくすくと伸びて、みかんの木が日陰になってしまうようになりました。そこで、先日、枝先を切り縮めました。植えられている場所は土手ですから、危なっかしい仕事だったんですが。手の届く範囲で、枝を払いました。これが、この間に切った枝を束ねたものです。10束くらいになったでしょうか、なかなかの大仕事でした。ヒノキの天辺あたりの枝には、松ぼっくりの様な、ヒノキの花がついていました。杉の木とともに、ヒノキも花粉症の原因になりますが、きっと、時期が来れば、この花から花粉が飛散するのかと思います。みかんの木への日照対策でヒノキの枝を切ったのですが、同時に、それは花粉症対策になるかもしれません。
2016年02月12日
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ミツバチの巣箱を二階建てに増築しました2月11日、ミツバチの巣箱を二階建てにしてきました。まだ朝晩の気温は寒いのですが、春に向けての準備です。冬の間は、巣箱は一階建てに縮小してあったんですが。梅から桜へ、春の花が咲き出す時期に向かいます。ミツバチの動きも、そろそろ始まりだすと予想したためです。ついでに、床板を交換するようにしたのですが。底板に、何やらミノムシのような袋状のものがありました。その袋を開けてみると、中からスムシが出てきました。去年の秋は、スムシが大繁殖するのは抑えることが出来たのですが、まったくのゼロということではないんですね。ミツバチがスムシの繁殖を抑えていたということです。スムシの何匹かは袋の中で、ミツバチの追跡をかわして、冬を越そうとしていたようです。今回、床板の掃除をしたことは正解でした。それと、一階にあった巣枠のうち2枚を二階の方に移しました。空いた箇所に、空の別の巣枠を追加しておきました。これらの作業の時は、巣枠の様子を観察する機会だったんですが、新米はなかなかじっくり観察する余裕がありません。ドタバタ作業のため、よく観察することが出来ませんでした。この中で問題が一つ発生しました。二階部分に、新たに給餌器を置くようにしたのですが、すべての作業を終えた後でしたが、給餌器の中に入れた砂糖水が垂れ落ちて、漏れ出てきました。給餌器が劣化していたようです。後の祭りですが、使う前に漏れしないか、点検してから使うべきでした。しばらくしたら、漏れは止まっていました。どの辺から漏れをきたしているのか、わかりません。全部漏れ出ちゃったのか、それとも少しは残っているのか、わかりません。今回は、これ以上のドタバタは避けたかったので、そのままにしておくことにしました。ミツバチは、漏れ出た砂糖水をなめていました。砂糖水のシャワーを浴びたミツバチもいるようです。なんとか大事なく、落ち着いてくれればよいのですが。いずれにしても、はやめに、新たな給餌器をつくらなければならないということです。
2016年02月11日
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プレハーノフ著『史的一元論』を読んでます (その7) プレハーノフ著『史的一元論』(川内唯彦訳 岩波文庫)を読んでます。 この本は、マルクス主義をロシアに紹介して、啓蒙的な役割を果たしたものと読みました。 現在、第5章「近代唯物論」を読みつつあります。 前回、この本の意義について、エンゲルスの評言を紹介しました。 今回は、レーニンの残した評言について紹介します。 その一つは、以前にも紹介しましたが、「「フペリョード派」の分派について」(全集16巻 P288 1910年8月30日付)の注の中で、本書を「ロシアのマルクス主義者の一世代全体をそだてあげた書物」と評言しています。 (この評言は、不破哲三氏が『レーニンと『資本論』』2(P38)で紹介しています。) もう一つは、『カール・マルクス』(全集21巻 P75 1914年7-11月)の「文献」の中で紹介しています。「マルクス主義の哲学と史的唯物論とについては、最良の叙述はプレハーノフの著作である。」として、5冊あげた著作の1つとして紹介しています。 第5章は、全体で160ページと長いんですが、注目した論点の一つを紹介します。 「マルクスの歴史観を理解するには、彼が出現するすぐ前の時代の哲学、社会的歴史科学がどんな結論に到達したかをおもいだしてみなければならない」(P170)、また「マルクスは、まる一世紀ものあいだ思索する人々の頭脳をなやましていた「呪うべき問題」に率直で正確な回答をあたえたにすぎない。」(P211)と指摘して、それらについて説明しています。 以下は、まったくのプレハーノフの述べたことの要約なんですが。 フランスの唯物論者は、人間とその思想は取り巻く社会環境の産物だと結論した。しかし、唯物論的見解を人間に適用する段になると、社会環境は何により制約され、その発展法則はどんなものかの問題で、人間の意見によってつくられるとの観念論に屈した。 フランスの王政復古時代の歴史家は、その社会環境を分析した。その結果は、政治制度が社会関係に根ざしており、社会関係は所有の状態によって規定される、との確信を得た。 それにより、新しい問題に、所有の状態は何に依存するかに直面した。それが解けなかった。 同じころ、ドイツの観念論哲学のシェリングとヘーゲルは、人類の歴史的運動を説明するのに、人間の本性の他に(外に)求めなければならないことを理解していた。その鍵は何か?両者はそれを精神の特質に、絶対理念の論理的発展法則にもとめた。回り道して再び観念の力に求めた。 ここにマルクスが現れて、新たな発見として、観念論の根本を訂正した。 マルクス以前の社会科学者は、人間の本性という概念から出発した。 マルクスはその反対に、歴史的運動の原因は人間のほかにあると考えた。人間は生きていくのに必要なものを外的自然からかりてくることで自分の身体を維持していく。それには外部の自然に働きかけなければならず、「人間は外部の自然に働きかけることによって、自分自身の本性を変える。」 人間の歴史的発展の科学的解明は、人間の本性の反対側から、つまり人間が外部の自然に生産的に働きかけること、この過程はどの様におこなわれるかを明らかにしなければならない。 マルクスの唯物論的歴史観の立場が、それまでの成果をどの様に受け止めたのか、それをどの様に発展させようとしたのか。その必然的な関連を、その歴史的課題をプレハーノフは探っています。 ここでの説明を読むと、プレハーノフが「ロシア・マルクス主義の父」と賞されたわけが納得させられます。基礎的な知識を普及させる仕事においては、確かに素晴らしい業績を残しています。 次回は、マルクスの歴史観について(P216)の、プレハーノフによる紹介です。
2016年02月10日
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みかん園の周辺の木の手入れみかん園の周辺にあるヒノキです。土手に植えられているんですが、確かではありませんが、どうやら防風林の様です。その日の木は、当方がみかん園を管理しだした10年余りにもだいぶ伸びました。近所からは「日陰になるので切ってほしい」との要望もあり、また、みかんの木にとっても日当たりが悪くなるので、これまでに何回か天辺や枝を切ってきたのですが。この地域の農協では「営農経済センターだより」というニュースを出しています。小田原から湯河原にかけては、みかんを中心とした農作に対して、月ごとに様々なアドバイスが掲載されてます。当方も、これを参考にさせてもらってますが。今回のニュースでは、果樹園でのみかんの木の密集問題が指摘されてました。周辺の木々によるみかんの木に対する日当りだけでなくて、みかんの木同士の密集による日当りの問題です。この日あたりをよくする問題は、みかんの剪定でのポイントの一つでもあるのですが。当方にとっても、密集した木に、どの様に手を入れるかは、毎回の悩みの種なんですね。今回のニュースには、「果樹 縮間伐及び園地環境の改善」として、「高品質果実の生産、低樹化のためには、十分な樹間距離が必要になります。密集園では、樹高が高くなり作業性が低下し、また日陰になるため高品質果実の生産が出来ません。剪定に入る前に縮間伐をして十分な間隔を確保しましょう。あわせて、園地の防風林等の手入れもしましょう。」と指摘されてます。まさに、その指摘はズバリなんです。当方のみかん園は125坪ですから、狭いみかん園です。大きくなった木は、そう簡単に太い枝を切るわけにはいきません。いったい、どの枝を切ったら、理想的な樹形に近づけるのか。どのようにみかんの木々の手入れしていくか。その基本的な見立てが出来ないたこともあって、毎回、些末な手入れに終始しているのが状況です。今回も、悩める剪定の2月にはいっています。
2016年02月09日
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戦争法の重大な危険を明らかにしてます2月7日付『赤旗』に、衆院予算委員会での志位質疑が掲載されました。じつは、当方は2月4日のテレビ中継そのものをみていたんですが、日ごろの疲れもあって、ついうとうとしてしまって、その質疑の中身を、よくつかめませんでした。ところが、2月8日、今朝、知人がフェイスブックで、この『赤旗』7日付の志位委員長の質疑の議事録の重大さを指摘していました。それで、今朝、遅まきながら、新聞を持ち歩るって、目を通してみたんですが。あらためて、問題の重大性が認識させられました。南スーダンの状況が明らかにされてます。自衛隊の派遣されている部隊が、その中で新たな危険な任務を課せられようとしています。詳しくは、2月7日付『赤旗』で確かめてみてほしいのですが。二つの危険が差し迫っています。その一つは、南スーダンへ派遣されている自衛隊の問題です。現地の戦争状態のなかで、自衛隊員は身を守る以上に、任務が広げられて、任務遂行のための武器使用が具体化されようとしています。あらためて、この危険な安倍政権と戦争法の道をストップさせなければなりません。
2016年02月08日
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香りただよう梅の花2月6日、神奈川県西部の真鶴では梅が見ごろになりました。今、梅の花は、まわりに何ともよい香りを漂わせています。残念ながら、PCでは映像は送れても、その香りまでは届けれません。こればかりは、間近かに接して、実際に体感するしかすべなしです。前にも紹介しましたが、『万葉集』には梅の花がうたわれてます。梅の花は『古今集』にもありますが、こちらは花の香りを多く歌っています。『古今集』には、当方が数えただけでも23首の梅の花がうたわれてます。 33. 色よりも香こそあわれとおもおゆれ たが袖れしやどの梅ぞも 41. 春の夜のやみはあやなし梅の花 色こそ見えね香やはかくるる 48. ちりぬとも香をだに残せ梅の花 恋しき時の思いでにせんなどです。ミツバチの動きですが。今回は、陽気も寒くて、ミツバチの動きは枝先では見かけませんでしたが、それでも、頑張っているようです。花粉を抱えたミツバチが、巣箱に帰ってきていました。ミツバチは、寒い冬の時期は巣箱からでてきませんが、この早春の暖かさのもとで、活動を始め出しています。みかん園にある梅の花でもミツバチを見かけますが、もっと広い周辺には、菜の花なども咲きだしています。この寒さのなかでも、巣箱の中でじっとしているのではなく、これらの花粉を集めようと、あちこちに飛び出してゆきます。
2016年02月07日
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甘夏の接ぎ木をしました2月6日、種から育てた木に、甘夏の子枝を接木してきました。当方は、接ぎ木というのは、心得がないんですが。見よう見まねで、接ぎ木をしてきました。土台になったのは、甘夏だと思いますが、種から育てた木です。人の背丈くらいに育ったんですが、なかなか花をつけてくれません。そこで今回、その枝に甘夏の枝を接木してみました。経験のない、見よう見まねの接ぎ木です。継いだ小枝は、甘夏の木からとった小枝なんですが。この接ぎ木が、上手くいったらよいのですが。
2016年02月06日
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プレハーノフ著『史的一元論』を読んでます (その6) プレハーノフの『史的一元論』(川内唯彦訳 岩波文庫)を読んでいます。 これから第5章「近代唯物論」に入りますが、今回は寄り道です。 エンゲルス(1820.11.28-1895.8.5)とプレハーノフ(1856.12.11-1918.5.30)との交遊を見ておきます。 第一回目の紹介(2015年10月26日)で、エンゲルスは亡くなる半年前に、プレハーノフに『史的一元論』の刊行を祝う手紙を出していたのを紹介しました。 「これをロシア国内で出版することが出来たのは、大成功です。これは一歩前進です。」(全集39巻・1985年2月8日付)。 あらためてME全集から、人物索引でプレハーノフについて調べてみました。それによると、1、プレハーノフのエンゲルスとの接点ですが、最初は科学的社会主義の文献のロシア語版の翻訳活動にあったようです。プレハーノフは1882年1月に『共産党宣言』のロシア語版を出しています。 エンゲルスはその翻訳を許可するとともに、序文を書いています。 ロシアの革命運動の動向に注目していたエンゲルスですが。プレハーノフの論文や著作を読んでいます。「ロシアが1789年に近づいている」と見ていました。そのロシアの動向をとらえる材料になっていたわけです。 ア、『われわれの意見の相違』の中のチェリニシェフスキー論 イ、「ヘーゲルの歴史哲学」 ウ、「ロシアにおける飢餓との闘争における社会主義者の任務」 エ、「ヘーゲル没後60周年によせて」 ロシア動向の報道とともに、こうした論文の名がエンゲルスの手紙に出てきます。 2、エンゲルスは、先にザスーリチなどとの交流があったようですが、1894年5月21日付のプレハーノフあての手紙で書いています。 「『先生』と呼ぶのは勘弁してください」と、これがプレハーノフ宛の最初の手紙です。この頃から直接の交流が始まったようです。 エンゲルスは全部で5通のプレハーノフ宛の手紙を残しています。 1、1894.5.21付 2、 94.5.22付 3、 94.11.1付 4、 95.2.8付 5、 95.2.26付 エンゲルスは、1895年8月5日に74歳で亡くなりますから、最晩年の交流だったということです。 3、1895年2月8日付のエンゲルスのプレハーノフ宛の手紙です。 「ヴェラ・ザスーリチがあなたの著書(『史的一元論』)をくれました。ありがとうございます。読み始めましたが、なかなか時間がかかります。ともかくも、これを国内そのもので出版することが出来たのは、大成功です。これは一歩前進です。そして、かりにわれわれがこの新しく勝ち取った地歩を確保できないような場合でも、これはやはり、先例になりますし、氷は破られたわけです。・・・ 以前と比べると、私は今ずっと元気です。消化は良好ですし、呼吸器は正常です。夜は七時間眠り、仕事は楽しくやっています。一年近い中断のあとで、ようやくまた仕事ができるようになって、私はしあわせです。・・・」 エンゲルスは食道がんだったそうです。 エンゲルスでも、『史的一元論』を読むのに時間がかかったようですから、当方が読み進むのがのろいのも当然か、などと自らを慰めているんですが。
2016年02月05日
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確定申告を終えて、ハッサクを届けてきました2月4日、今日は、確定申告をまとめました。それを八王子税務署に郵送で送って、申告を完了しました。従来は、最寄りの市役所の相談会に参加して、税理士さんにチックしてもらってから送付しているんですが、今年は、すでに相談会は1月末で終わってしまったとのことでした。みかんの出荷でドタバタしているうちに、相談会は終わっちゃってたんですね。しかし、この数年、何度も自主申告してきましたから、書き方はわかるんですね。郵便局から郵送するようにして、確定申告は完了です。「やれやれ」、これでみかんの年間作業は一区切りです。今日は、もう一つ作業がありました。ハッサク、これは新商品なんですが、これを、この間のみかん販売に協力していただいた受任者のひとたちに、味見用としてプレゼントしてきたことです。これは、早川園から1月31日に預かってきたみかんですが。この内、青島みかんはすでに売り切れてました。当座は、レモンとハッサクです。無人販売所にそこそこ残っていたハッサクでしたが、ハッサクの販売がすすまないのは当然です。今回が初めてで、なじみがないんですね。当方の周りでは、温州ミカンほどには消費者がいません。待っていたとしても、それで売れるものではありませんから、今日は、みかんの受任者・販売の協力してくれてる人たちに、ハッサクをサンプルとして、ドンドンとどけるようにしました。だいたい受任者自身が、その品と味を納得してくれなければ、新たな柑橘販売なんて成功しっこありませんから。この先の中心は、4月中旬からの甘夏が眼目です。これも当方の周りでは新たな販売品なんです。この甘夏はある程度まとまった量の収穫が予定されてます。それまでにも、いろいろな柑橘がありますから、その収穫量が少ないのですが。もちろん一部販売もありますが、まずはそれぞれの柑橘を味見用にプレゼントです。
2016年02月04日
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湯治と確定申告の準備2月3日、箱根・大平台の姫之湯へ湯治に行ってきました。みかんの収穫が一段落したので、今日は湯治です。今日の姫之湯は、どうしたことか、大分すいていました。二階が休憩室ですが、その一角に特別室を確保しました。姫之湯は、循環式の濾過器を使っていますが、源泉かけ流しです。一日の休憩料が、1300円です。食料を持ち込んで、ゆっくりと温泉三昧ができるわけです。今回も、のんびりさせてもらいました。今日の浴場は、季節がでしょうか、比較的にすいていました。さて、本日の湯治ですが、その他に宿題が二つ、三つありました。その一つは、確定申告の準備作業でした。当方の確定申告ですが、2月前半中にまとめて提出します。当方は、この3月までは継続雇用ですから、給与収入があります。それに加えて、休日農夫の、みかんの農業収入がありますから、確定申告Bの書式です。だいたい資料はそろっているはずですから、今はまとめの段階です。この自主申告をまとめるようにすると、その年のみかん作業の特徴が見えてきます。たとえば、経費の内、東京-真鶴間の往復の交通費だけで、ガソリン代13万円と高速料13万円かかりますから、赤字は間違いないのですが。前回はガソリン17万円と高速料17万円でしたから、すこし抑えました。また、みかんの売り上げは、前回が15万円でしたが、今回は25万円でした。これは隔年結果が基礎にありますが、今年は収穫量が多かったのに加えて、団地での販売の協力がすごかったんですね。こういった特徴が、いろいろ見えてきます。当方は、この3月で介護用具レンタルの仕事を完全退職します。そのあとをどうするか、ということが当然問題になるわけですが。みかん仕事による社会活動、どうやらこの道をすめ、というのが天命の様です。これが、当方の完全退職した後の、第三の老後の仕事とせよということですね。ところで、今回、帰りの箱根登山電車ですが、最新型の電車でした。ドアーは足元までガラスです。運転席あたりでは天上までガラスになってました。グーンと視界が広く見えるようになっていて、足元の急な崖、その崖沿いに走っている路線道とか、すぐ下の早川の谷川の流れが、電車の上の架線やトンネルの上側までみえる。これまで窓の枠内からしか見ることのできなかった景色が、パノラマのように、視界いっぱいに見えるようなつくりになっていました。まるで運転手さんになったような気持ちにさせてくれました。駅員さんに聞いてみたら、この車両は「一昨年の11月から運行しだしている」とのこと。当方は、この間に何回か来ていますが、この車両にのったのは今回が初めてでした。全体はクラシックな箱根登山鉄道ですが、あたらしい魅力を加える設備投資をしたわけです。
2016年02月03日
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これからの中・晩柑橘の出荷予定です真鶴と早川の温州みかんの出荷は、1月末で完了しました。この温州みかんが、当方の柑橘類の主要な産物だったんですが、それ以外にも、これから中・晩柑橘の出荷を予定しています。ハッサク、清見、日向夏、湘南ゴールド、甘夏などです。今回は、温州ミカン後の、これらの各種柑橘の紹介です。一、今現在は、ハッサクとレモンが出荷中です。(真鶴園では、収穫数が少ないので、もうなくなりましたが)早川園の「だんだん園」には、まだあると思います。二、3月下旬には、清見の出荷を予定しています。この時期のみかんは、鳥に食べられないように、ネットをかけています。二本しかないのですが、そこそこに実がなってます。自家消費には余る段階に来てますから、限定品ですが集荷します。他人に味わってもらえるように、木がそこまで育ったということです。三、4月上旬には、日向夏の出荷を予定しています。日向夏はニューサマーオレンジともよばれています。日向夏は、薄皮に苦みがないので、リンゴのように薄く皮むきをすれば食べれます。これも1本しかありませんから、限定品です。味見分だけで終わってしまうかもしれませんが、提供します。四、4月中旬には、湘南ゴールドの出荷を予定しています。湘南ゴールドは、神奈川県の農協が特産品にしようと力を入れてます。当方の2本は、今年は裏年で、たいしてなってません。他方、早川園の2本は、ご覧のとおりよくなっています。なにせ木の数は2本と少ないのですが、そこそこの収穫ができると思います。多くの人は、初めて味わうことになると思いますが、反応が楽しみです。なんたって、当地の農協・農家が特産品にしようとしている新しい柑橘ですから。是非、その味を試してもらいたいと思っています。五、4月下旬からは、甘夏の出荷を予定しています。これが、次の大仕事になると思います。これがその甘夏の木です。真鶴園の甘夏は小木ですから、収穫の数もそれほどないのですが、上の写真は、早川園のものです。大きな木ですから、たくさんなっており、どのくらい採れるか楽しみです。ふつう甘夏の出回る時期は、もっと早いんですが、小田原方面では、5月の頃の甘夏が美味しいんですね。これが後半の主要な物産となり、出荷を予定しています。ぜひ、この甘夏の味を試してほしいと思っています。ということで、年末から年明けで主要なみかんは終わたんですが、みかん作業は、まだまだ続くということです。これから、引き続き中・晩柑橘の出荷を予定しています。出荷量はたいしてありませんが、3月下旬から5月まで、さまざまな美味しい柑橘を提供していきます。乞う、おたのしみに、です。
2016年02月02日
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2016年1月の、みかん仕事のまとめ今年の1月はみかんが表年だったため、これまでの経験にはない大商いでした。温州みかんは、例年だと12月末には、仕事納めだったんですが。そして、販売するには規格落ちのみかんをジュースにしぼる・・・、真鶴園では、かなりの無理をして、大体そうして日程に納め込んだんですが。他方、早川の「だんだん園」の方は、その枠内には収まらずにいたんですね。年を越した1月初めになっても、まだかなりのみかんが木に残っていたんですね。それで、当方もその販売に協力することにしました。とはいっても、当方のお得意さんも12月末で販売の潮の波が引いていましたから、まして1月の販売というのは、これまで経験したことがなかったんですが。「窮すれば通ず」ではないんですが、どんな経緯か分かりませんが、近くの商店街に無人の販売所がつくられました。これが、前代未聞なんですが、1月に大商いを展開することとなりました。12月末に終わらせようと、10月末から週に2回往復し続けてきたんですから。もう、へとへとで、ようやく終わったつもりだったんですが。ところが1月にはいって、さらなる大仕事が待っていたわけです。1月4日に、みかん60キロを搬送して来て、出荷する。1月9日に、みかん40キロ。1月16日に、みかん40キロと、ハッサクと伊予柑、レモン。1月20日に、みかん40キロと、ハッサクとレモン。1月23日に、みかん38キロと、ハッサクとレモン。1月28日に、みかん30キロと、ハッサクとレモン。1月31日に、みかん20キロと、ハッサクとレモン。要するに、1月に入ってから、さらにみかんだけでも200キロ強を販売したわけです。200キロの販売というのは、2キロの袋にして100袋を販売したということです。しかも、その他にもハッサクとレモンが加わっていたんですから。これは相当な量だったんですね。だいたい1月になってかの商戦というのは、まったくの初めての経験だったんですが。さいわい、どうしたわけか売れ行き好調で、すでに全体の95パーセントが販売されました。あと残りは、ハッサクが少し残っているだけというところまできています。結局、早川のみかんは、東京の団地では1月になってからも好評だったんですね。この早川のみかん園とのこうしたつながりは、今回初めてです。去年の11月3日に「市民果樹園」を借りたことで、つながりがより近くなりました。早川のみかん園「だんだん園」は、石垣山にあります。ここは、山全体がみかん畑で、豊かな自然が残されているんですよ。みかんを収穫していた時に、野生のキジに何回か出会いました。キジは動物園では見たことがありましたが、野生のキジを間近に見るのは初めてです。なんとキジは飛べないんですね、初めてそれを知りました。他方、真鶴のみかん園の方ですが。こちらでは、去年の4月から二ホンミツバチを飼っているんですが。まだ雪がちらつきそうな寒い陽気の時期ですが、梅の花が咲き始めました。1月28日でしたが、ミツバチが梅の花で、花粉を集めようと活動しだしていました。二ホンミツバチが、無事に冬場を迎えれたのは、今回が初めてです。10月のスズメバチやスムシの襲来で、これまで壊滅して来てたんですが。今年は、何とか乗り切りました。冬の寒い時期は、ミツバチは巣箱の中でじっとしていたんですが。梅の花にさそわれて動き出しました。春が、もうすぐそこまで来ているということです。1月31日の早川のみかん園ですが、今季のみかん作業を一区切りさせて、餅つきの交流会が開催されました。表年の収穫を終えて、すでに体全体がクタクタのはずなんですが。やっと大仕事を終えたとのことで、ほっとした表情が全体に出ていると思いませんか。やれやれ、これで一段落です。やっと、これでひと休みできるというものです。さて、今後のみかん園ですが。グリーンのネットが掛けられているのは、湘南ゴールドです。これは当地の特産品ですが、3月が収穫予定になってます。また、小屋の前に大きな木に実がなってますが、これは甘夏です。つぎ予定している大商いは、この甘夏です。甘夏は、4月下旬から5月が収穫時です。この他に、清見と日向夏がありますが。これらが、3月以降に待ってますが。まぁ、それらの諸々のことは、まだ先のこととして、今はとにかく、しばしの休息ということです。
2016年02月01日
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