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昨日ダンスマガジンの今月号を「初めて」購入してきた。いつもは立ち読みで済ませてばかりだったんだけど、今月号は殆ど世界バレエフェスの特集みたいな感じだったし、そして何より!コジョカル@チャイコフスキー・パ・ド・ドゥの写真が可愛すぎてこれを持ち帰らでいられましょうか、なんて気分になってしまって(笑)。観たかったなぁ、コジョカル・・新国の「シンデレラ」は私はまず無理だし(涙)。コジョカルはキトリなんかでもすごく良いんじゃないかなぁ、って言うかコジョカルのキトリ観てみたい!華はあるし可愛いし、テクニックは万全だし、観てるだけで幸せな気分になれそう。前回のバレエフェスで最後のグラン・パ・ド・ドゥの場面だけ観たけど、ぜひ全幕とおして観てみたいわ。あと嬉しかったのはヴィシニョーワ&マラーホフの「ダイヤモンド」の写真が掲載されていたこと。ちっちゃいけど。で、気になっていたヴィシの衣装、これってやっぱマリインスキーの衣装だよね?マリインスキー来日公演のチラシでロパートキナが着てるのと同じだもの。照明の関係か、色合いはちょっと違って見えるけど。それにしてもこんな小さな写真でもヴィシニョーワには目を引かれるなぁ。こういうバリバリのオーラを要求される役においては彼女はやっぱぴかいちですよねぇ。一度ザハロワとヴィシニョーワの「ダイヤモンド」の競演を観てみたいものです。「舞踊美の権化」であるザハロワが素晴らしいであろうことは想像に難くないけど、ヴィシニョーワにはザハロワにない「ドラマティックさ」があるでしょ?彼女が踊るとなんかそこから「物語」が漂いだす、というか溢れ出すというか。もちろん彼女自身も「舞踊美の権化」であることは間違いないのだけど、そこからはみ出るものもヴィシニョーワは持っている。そこがザハロワとは決定的に違うところなんでしょう。ザハロワは良くも悪くもその枠内にこれ以上は望めないというくらいにぴったりと収まっていて、決してその枠を超えようとはしない。あくまでも、厳しいまでに「舞踊」だけで勝負する、勝負できる人なのだ。そういう意味では新国の「ライモンダ」、ヴィシニョーワでも観てみたいな~、って思う。あの牧版「ライモンダ」は主役が殆ど踊りまくりの出ずっぱりで、ザハロワファンとしては有難いことこの上ないような感じの舞台だったけど、「物語」としては終始一貫見事なまでに平板で、起伏も何も無い(注・これまたあくまで私見です)。演出のせいということもあるかとは思うけれども、やっぱ「ザハロワはザハロワ」なのだ。その点ヴィシニョーワがあの「ライモンダ」を演じたら・・やっぱ全然印象が違ってくるんじゃないかな。「ドラマ」になるんじゃないかな。「ドラマ」もあって舞踊もあって、本当に「素晴らしい」作品だと感じられるかも知れない。ヴィシニョーワは、役によっては私はいまいち受け付けないところもあるのだけど・・ニキヤなんかは特にね。あまりに「恋する女」であり過ぎて好みではないと思った。だけど所を得たら、それはそのまま最大の賛辞にもなり得る訳で。新国の版じゃなくても一度彼女の「ライモンダ」は観てみたいですね~。マリインスキー、持ってきてくれないかなぁ。それともABT?
2006年09月28日
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いつの間にやら九月も半ばを過ぎ、もうすっかり秋の気配が。今年の夏はもう信じられないくらい暑かったけどなんかいきなり涼しくなっちゃいましたね。数日前なんてなんかもう寒いくらいでしたよ(私の住んでる辺りだけかも知れませんが)。さてさて、秋と言えばもちろん「芸術の秋」です!もうすぐ「ライモンダ」ですね~。ウヴァーロフ降板という心配な事態も起こってしまいましたが、彼ももうダンサーとして若いとは言えない年齢ですし、ゆっくり治療に専念して頂きたいですね。私としては2年ぶりにザハロワの「ライモンダ」を観られることがとっても楽しみです♪2年前は、彼女自身ライモンダは全くの初役だったそうですし、絶好調という訳でもなかったようで「ライモンダ」には今一歩かなぁ?などという感想を抱いてしまったのですが。特に最終幕のグラン・パ・オングロワではもうちょっと「風格」とか「威厳」というものが欲しいなぁ、なんて思ってしまったのですが(注・全くの私見です)、あれから2年経って今度はどんなライモンダを見せてくれるのか、期待は高まります。まぁ前にも書きましたが私はいわゆる花のようなお姫様役(オーロラやライモンダのような)においてはザハロワはちょっと好みではないかも、私は氷のように冷たい美しさで魅了してくれるザハロワの方が全然好きなので(ニキヤやオデットのような)もともと「ライモンダ」でザハロワを特別観たい!という訳ではないのですけどね。これまた前にも書きましたが「ライモンダ」だったらヴィシニョーワの方が私は絶対好みだと思う。オーロラも然り。こういう「華のある」役においてはヴィシニョーワの右に出るバレリーナはいないんじゃないかな?コジョカルやシェスタコワもライモンダは似合いそうですが。それにしても2年後に再演というからには新国の牧版「ライモンダ」は、かなり好評だったということでしょうか。全幕で「ライモンダ」なんてなかなかお目にかかれないという希少性に負うところもあるのでしょうかね?今回は大阪公演まであるし(←有難いです~)。でも私としては「ライモンダ」よりも「マノン」を再演して頂きたいのですがね~(笑)。フェリはもう無理なんだろうけど・・ヴィシニョーワかコジョカルで「マノン」希望!ヴィシも新国には何度も出演しているし、コジョカルもそもそも新国の「マノン」初演時に出演する予定だったのだから全くの不可能ではないはずですよね?「シンデレラ」にも出演してくれることだし(三度目の正直?)。その場合、デ・グリュー役はもちろんコボーで!この2人による美し過ぎるパ・ド・ドゥは今でも忘れることが出来ません。前回ロイヤル来日時にこの2人による「マノン」を観られたことは本当に幸運でした。バッセルほどではなかったですけどコジョカルのマノンも本当に素晴らしかったと思います。事前にそれ程期待していなかったというのも大きいかも知れませんがね。期待が大きいと、良くて当たり前、みたいな気持ちにもどうしてもなっちゃうところがあると思うんですよ。ほんっと~に観客の自己本位の我がままさというものはどうしようもないですね・・私もなるべく平常心で、「白紙」の状態で舞台に臨みたいといつも思ってるんですけど、やはり好きなダンサーとか素晴らしいと世間で評価の高いダンサーだと、どうしても「先入観」抜きで臨むということは難しいです。「先入観」こそが、たった一度しかない眼の前の舞台への感謝の心とか感動の心を薄れさせてしまう恐るべき曲者。なんとかしたいと思いつつ、どうしても「先入観」から自由になることは出来ないでしょう。バレエを観る回数が増えれば増える程、「良くて当たり前」という恐るべき発想が知らず知らずのうちに身に付いてしまう。良くて当たり前だから、感動もしないし、少しでも自分の好みじゃなかったりすると文句を言いたくなってしまう。これは本当に反省しなければ、と思いつつ「贅沢にはすぐに慣れる」人間ゆえの宿命にも逆らうことは出来ない。
2006年09月16日
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新国の「ライモンダ」大阪公演のチケットを買ってしまった。正直チェルネンコなら見送ってもいいかなぁなんて思っていたのだけど、代役がパヴレンコとあってはやはり観に行きたい!彼女、前回のマリインスキー来日公演ではどうも評判は良くなかったようだけど、何と言っても天下のマリインスキーのプリンシパルですもの、「ライモンダ」のような演目で観るのは打ってつけ。わざわざ上京してまで観たいとは思わないけど、比較的近くで観られるのならこれはやっぱり観ておかねば。こんな機会でもなければ彼女の全幕なんて、いつ観られるか分からないものね。チェルネンコには失礼だけど変更になって私としては却って嬉しいわ。これぞマリインスキーのプリンシパル!というような踊りを観せて頂きたいものです。楽しみ~♪ところで疑問なのはホールのHPによるとこの公演は録音テープによります、とかなんとか書いてあったのだけど、イープラスのサイト上では関西フィルの演奏、と書いてあるのよね。一体どっちが正しいの?実際に公演が行なわれる会場のサイトに記載されてる事の方が信憑性は高いとは思うんだけど、それだったらせっかくの「ライモンダ」全幕公演だというのにず~っとテープ演奏なんですか・・・新国にしてはチケット代もお高いというのになんだかなぁ・・まぁ私は音楽なんて全然わからないし、「バレエ」が素晴らしければそれで充分だから別にいいんだけどね・・
2006年09月09日
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なんか、かなり久しぶりの日記になってしまった・・「ジゼル」の感想を書いて以来、何にも書いてなかったのね。その「ジゼル」ですけどなかなか面白い作品だとは思いましたけど、これをまた何度も観たいか?と聞かれると、私は多分ノーだなぁ。確かに素晴らしい作品なんだろうけど、だからこそこれほどまでに沢山の観客、ダンサーに愛され、長く残ってきたという、それだけの価値のある作品なんだろう、とは思うけど、私はやっぱりこの演目を特別好きになることはないだろうと思う。やっぱり、ヒロインのジゼルに共感出来ないどころか、むしろ「反感」すら感じてしまうという、私自身の性格の悪さ(笑)にそれは偏に由来するのだと思う。だってね~、やっぱり私には考えられないもん。「たかが」男1人の為に命を落とすだなんて。「たかが」恋の為に命を落とすなんてことは私にはどう想像を逞しくしたって考えられない。恋に殉じた薄幸の少女、こういう設定自体に私は「反感」を抱いてしまう。そんなことくらいで死んでんじゃね~よ!って、そう叫びたくなる。私はそもそも恋愛自体をひと時の熱に浮かされた「熱病」みたいに思ってるところがあって、時が来たれば必ずや冷めるものだと思っている。恋愛は正にひと時の「病」でしかない。私にとっての恋愛観というのはそういうものだ。だからそんなひと時の「病」のために死んでしまうなんてことは私には馬鹿げたこととしか思えない。子供の時、「男にとって恋愛は人生の一部に過ぎないが、女にとっては人生の全てである」というような言葉をどこかで聞いて、なるほどな~、と思ったものだけど、いまだにそれを覚えてるってことはやはり私にとっては鮮烈な言葉として印象的だったのだと思う。現在、女性自身も恋愛は人生の全て、などと思ってはいないだろうし、そういう世の中でもなくなってるとは思うけれども、だけど女性たちの「恋愛」への熱き思いというのはやはり相当なものがある、と私は思う。熱き思いというか、「こだわり」というか。私からすれば「どーでもええやん!」と言いたくなるようなことでもやたらにこだわってる人が多い。恋愛に人生支配されてどーする!と叫びたくなるようなこともある。だけど、やっぱり世間一般の女性にとって「恋愛」というのはやはり特別なものなのだなぁ。私にその気持ちはわからない。想像することは出来ても絶対に「共感」することは出来ない。恋愛なんてものはひと時の熱病みたいなものなんだから、いずれ必ず冷めるときが来る。であるからこそ、そのひと時を存分に楽しみ、味わい、幸福に感じることも可能となるのだ。いずれ必ず「終わり」が来るとわかっているからこそ、そのひと時を大切なものと感じることも出来るのだ。喜びも悲しみも苦しみも全て込みで、「大切に」思うことが出来る。ひと時が終わりを告げれば、私は自分が振られたのであれこちらから振ったのであれ、本当になんの後腐れもなく「綺麗に」別れることが出来る。ひと時の幸せをありがとう、って思いを相手に抱くことが出来る。逆説的な言い方になるかも知れないけれど、「たかが恋愛」という気持ちを抱いているからこそ、素晴らしい恋も出来るのだ。未練たらたらで相手の後を追いまわすなんて行為は自分から「どうぞもっと私を嫌いになって下さい」とお願いしているようなものだから、全く気が知れないと思うのだけど、実際そういう人も身近にいるんだよね・・まぁそういう人からすれば私なんかは「本当の」恋愛を知らないのだ、だからそんな綺麗事が言えるんだ、ということになるのかも知れないけれど。でもそんな惨めな姿を曝してまで「本当の」恋愛を知りたいとは全然思わないよ。とまぁ、私の恋愛観について語ってしまいましたがとにかくこういう考えの持ち主である自分がそもそも「ジゼル」を好きになれるはずないですよね。もちろんジゼルはまだ十代の少女で、時代背景、社会状況も全然違うなかでの話なのですからジゼルがあんなふうに命を落としてしまう、しかも彼女は心臓病だったのだし、私なんかとは正反対の純情一途の少女、人を疑うことを知らない無垢な少女だったのだから、それはそれで当然の成り行きだったのだ、とは思います。彼女が可哀想なことは私にだってわかります。でもね~、やっぱり私には絶対に理解できないものがある。あまりにも「遠い」存在・・・
2006年09月03日
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