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今回この2人による「ジゼル」を観て、私は初めてマラーホフがどうしてこんなに人気があるのか、わかったような気がした。前回のバレエフェス、前々回の「マラーホフの贈り物」公演で観ていたとはいえ、それはやっぱり「ガラ」だから、私にはそれほどどうということも感じられなかった(失礼千万は承知のうえです、すみません・・)。全幕では昨年「ラ・バヤデール」のソロルを観たけど、あれもいまいちよくなかった(あくまで私個人にとっては、です)。私はこれも何度も書いてることですが、バレリーナ目当てにバレエ観に行く人なので、男性ダンサーには殆ど関心はありません。なので、そのせいも十二分にあるとは思うのですが、それにしてもこれほどファンも多くて評価の高い人なのに、私にはその良さが殆ど感じられないのはなんでだろ~、好みじゃないのか、私の観る眼がないのか、いまいちよくわからない・・と思っていました。ですが、今回の舞台を観て、なるほど、これが彼の真骨頂なのかも知れないな~、さすがにこの役を十八番としているだけのことはあるな~、と思いました。彼も相当役に入り込むタイプのダンサーみたいですね。1幕は特に、とにかくこれだけジゼルに舞い上がっちゃってるアルブレヒトというのも珍しいんだろうな~、という感じ。見た目的にも私にはアルブレヒトぽくて?しっくりきました。確かにこれだけアルブレヒトに夢中になられたらヴィシニョーワのジゼルが幸福の絶頂で輝きまくっていても全然おかしくないですよね。というか当然の帰結ですよね。ヴィシニョーワのジゼルは他の人がアルブレヒトだったらもしかしたらちょっと、ジゼル1人だけが浮いてしまうようなことにもなりかねないようなところもあるかとは思うのですが(ジゼル1人だけが幸福感で輝いているという・・)、マラーホフ@アルブレヒトならその点全く心配なし。というかマラーホフ@アルブレヒトの我をも忘れた恋の相手にはこのくらいの人でなきゃ釣り合いが取れないような気もします。確かにマラーホフのアルブレヒトは一見の価値はある、と思いました。とにかくこれほどジゼルが好きで、初恋(だと思う)の喜びに有頂天になってしまってる純なアルブレヒトというのは観ていてやはり良い気持ちにさせてくれるものです。後にはもちろん思いもかけぬ悲劇が彼らを襲うわけですけど、もしあんな最悪な状況で自分の正体がばれることが無ければ、アルブレヒトはどうしただろうか・・と思わずそんな想像もしてみたくなるようなアルブレヒト。もしかしたら彼はバチルドとの婚約を破棄してジゼルと結婚する道を選んだかも知れない。まぁあり得ないことかも知れませんが、そんな空想すら沸いてくるような。ヴィシニョーワのジゼルもそんなマラーホフ@アルブレヒトの熱い想いを受け止められるだけの器をもった?ジゼルで、こんな2人が一緒に恋の喜びに浸ってくれるのですから、いやはや、珍しいような古典的「純愛」ドラマ?を見せて頂いたような気分でした。標準的な「ジゼル」の舞台とは違うのかも知れませんが、こういうのはこういうので良いな~、と。しかしそれだけに2幕でのヴィシニョーワ@ウィリ(ジゼル、ではもうない)には驚かされました。いやもちろんこういった感想を抱いたのは私だけかも知れません。もしかしたらヴィシニョーワは普通のジゼルらしいジゼル?を演じていたのかも知れませんので、あくまで私の個人的な印象に過ぎないのですが、ヴィシニョーワのジゼルは最早人間的な感情を表に出すことは殆どなく、ウィリらしく、それでいてジゼルだった時の想いに突き動かされるような形で、アルブレヒトと踊り続けます。彼女のことですからもちろん踊りは上手だし、彼女のもつ何よりの魅力である迸るような生命力は、踊っている以上どうしても出てしまうこともあるのですが、私にはそれも気にはなりませんでした。むしろジゼルは生前何よりも踊りが好きだったのだから、踊ることが何よりの喜びだったのだから、ウィリになってしまったのだって何よりも踊り続けていたいという気持ちが強かったからであって、そうであるならば、それほどまでに踊りを愛していたのであれば、踊るときに生命の輝きのようなものが出てしまってもそれは自然なこと、少しも不自然ではない、とさえ思えましたね。あと、どうでもいいことのようではありますが、ヴィシニョーワはほんと~に腕が長い!もうビックリしちゃいました。いや、ロシアのバレエ団と一緒だったらそれほどとも思わなかったと思いますが、東京バレエ団との共演だと、やはりものすごく際立ちます。それも脚が見えていたのならそちらにも気を取られて相殺?されていたかも知れないのですが、脚の見えないロマンティック・チュチュでは腕だけが突出して長く感じられてしまいました。東京バレエ団の方達も良かったです。ぺザントの踊りはパ・ド・ユイットということで、見た目にも華やかで綺麗でした。2幕のコール・ドも美しかった。ウィリたちがアラベスクで交差する場面、私の席からは今一歩綺麗に観えなかったのが残念・・(あくまで座席位置の問題です)。東京バレエ団の方達のキャスティングは、15日のコジョカル&ルグリの日と同じだったようです。井脇幸江さん@ミルタ、木村和夫さん@ヒラリオンは、それぞれ熱演で良かったです。カーテンコールは最後は殆ど全員が立ち上がってのスタンディング・オベーションとなりました。大阪ではこの公演1回きりでしたけど、長丁場のバレエフェスを乗り切って最終日まで素晴らしい舞台を観せてくださったヴィシニョーワ、マラーホフ、東京バレエ団の皆さんには本当に心から感謝です。ソトニコフさんも本当にお疲れ様でした!本日1度きりでしたけど大阪センチュリー交響楽団の皆さんも、素晴らしい演奏をありがとうございました。カーテンコール時でも、終始静かな表情だったヴィシニョーワ、なんかいつにも増して綺麗に見えました。マリインスキー来日がほんとに待ち遠しいです(気が早過ぎですが)。
2006年08月24日
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1幕での生き生きした少女からから一転、2幕でのヴィシニョーワ@ジゼルは、終始感情を押さえ気味で、ウィリになってしまったことを強く印象づけられるものでした。マラーホフ@アルブレヒトの様子は基本的に1幕とそう変わらない。夜の森でもジゼルの気配を感じて、終始ジゼルを追い求めてるような印象だった。アルブレヒトにとっては今もジゼルはジゼルのままだ。あの頃の、幸せだった頃と同じジゼル。ジゼルが既にウィリになってしまっていることなど関係ない。彼はこの場面でも終始ジゼルを追い求め、我が手に取り戻したくて仕方が無い。アルブレヒトには見えるのだ、ジゼルの姿が。あの頃と同じ、自分が夢中になって今でも忘れられない愛しい少女の姿が。しかし既にウィリとなってしまったジゼルは最早、アルブレヒトの手の届く存在ではない。完全に別世界の住人なのだ。彼女はもう9割方ウィリに成りきってしまっている。なのでアルブレヒトがどんなに心から彼女を求めても、彼女はそれに応えることはできない。ジゼルがアルブレヒトの命を救おうと踊り続けるのはジゼルのなかの無意識が、そうさせるように彼女を突き動かしたのであって、決して「人間的な感情が彼女にまだ残っていて」などという類のものではない、と思った。ジゼルはただただ、己の中の無意識に突き動かされ結果としてアルブレヒトの前に現れ、遂には彼の命を救うため一晩中踊り続けることになるのだが、彼女はこの場面では最初から最後まであくまで「ウィリ」だ。最早人間ではなく、幽霊のような存在だ。ジゼルはアルブレヒトへの愛ゆえに彼の命を救おうとする、確かにそのとおりなのだろうけど、その行為をジゼルが「自覚」していたかどうかは甚だ疑問だ。むしろ彼女はここでも全く「無自覚に」そうしたのではないだろうか。人間のアルブレヒトと、既にウィリとなってしまったジゼルとの温度差・・のようなものが確かにそこには厳然として存在していたように思う。アルブレヒトは命ある身、体温のある血の通った人間である一方、ジゼルは既に命絶えた身、体温の無い血の通っていないウィリであるという・・・アルブレヒトがどんなに激しくジゼルを追い求めたとしてもジゼルは既にウィリ。共に踊ろうがどうしようが、既に別の世界に行ってしまったジゼルと心を通わせることは絶対に出来ない。私にはこの場面でのヴィシニョーワがこの様にある意味「冷たく」見えてしまったことがかなり意外でした。こんなヴィシニョーワはちょっと想像していなかった。もっともっと「人間的」な、生きていた頃の感情をかなり残していて、情熱的にアルブレヒトを救おうと奮闘する?タイプなんじゃないかと勝手に想像していましたから。だけど彼女は終始静かで、人間的な感情など喪失してしまっている、と言うより超越してしまっている、というように見えたのです。人間としての感情で一杯のマラーホフ@アルブレヒトとは好対照でした。私は前回書きましたとおり、「ジゼル」を全幕で観たことは今回でたったの2回目です。ですので本当にこの作品については何もわかりません。が、03年「バレエの美神」公演でジゼルの2幕(途中からですが)を観たとき、イヴリン・ハートのジゼルはもっと人間的であったような気がするのです。アルブレヒトを今も愛していて、彼の命を救いたい、という思いがかなり強いジゼルであったような気がします(あくまでそんな「気」がする、というだけですが)。今回観たヴィシニョーワのジゼルはあの時のハート@ジゼルに比べると随分と「冷たい」ように私には感じられました。人間ではなくウィリなんだと。私はなるほど、こういうジゼルも良いな~、と思ったのです。ちなみにザハロワの場合は人間ではなく「聖霊」という気がしました(笑)。「現し身の男と幻の女の決して結ばれることの叶わない恋」、この形容はそのまま今回の舞台に当て嵌まる言葉であるように感じました。現し身の男がどんなに恋焦がれようが、幻の女がそれに応えてくれるはずはなく・・応えたいという気持ちが女の方にあったとしても幻の女が人間の男にどのように応えられるのか・・・決して結ばれない、そのことをジゼルは無自覚のうちに知っているのです。そう知っていながらアルブレヒトへの想いは彼女を突き動かし彼の命を救おうと夜通し踊り続ける。ジゼルは全て「自覚」していません。ただただ内からこみ上げてくる「何か」に突き動かされて、その「何か」とはなんなのか、それもわからないけれど、それでもその「何か」はジゼルを突き動かすのです。ウィリであるジゼル、2幕のジゼルはウィリである・・あまりにも当たり前過ぎて、大前提であり過ぎて、ついついそのことを忘れがちになってしまっていたのでしょう。ヴィシニョーワのジゼルはそのことに改めて思い至らせてくれたような、そんなジゼルでした。
2006年08月22日
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昨日はヴィシニョーワ&マラーホフの「ジゼル」、大阪公演を観てきました。バレエフェス最終公演が私にとっては唯一のバレエフェス鑑賞となってしまいましたが・・でも。観に行けてとても良かったです。素晴らしい舞台だった、と思います。私は前から何度も書いてますけど、「ジゼル」という演目はあまり好きではありません。それに、意外にもこの演目も地方ではあまり上演される機会は少ないように思います(単なる気のせい、思い込みに過ぎないかも知れませんが)。マールイや新国なんかは数年おきくらいに「ジゼル」を上演してくれてると思いますが、私がバレエを観るようになった02年の夏以降は、少なくとも東京でしか「ジゼル」は上演されていないのでは?と思います。前々回の「マラーホフの贈り物」公演で「ジゼル」が上演されたのも東京だけだったと思うし(記憶違いでしたらすみません)、そういう理由(近場であまり観る機会が無かった)で、だからといってわざわざ上京してまで観たい作品でもないので、という訳で、私が全幕で「ジゼル」を観たのって、なんとたったの1回しかないという・・・な状況だったんですよね~。ですので、「ジゼル」という作品を今回観られたことは私にとってはとても新鮮な喜びでもありました。改めて観てみると、確かになかなか面白い作品ではあるな~、ファン?が多いのも頷けることだと思いましたね。え~、前置きがなんだか長くなってしまいましたが、私にとっては2回目の「ジゼル」全幕でした。なので、感想は殆ど(と言うより完全に)初心者の眼から観たもの、ということになります。で、肝心の「ジゼル」ですが。1幕でのジゼル&アルブレヒトは、こちらが少々気恥ずかしくなってしまう程のラブラブ状態でした。まるで戦前の日本の中学生と女学生の恋のような、今時少女漫画でもこんな描写はないだろう、と言いたくなるくらいの初々しさ(ひとつ間違えればかなりバカっぽい)。が、それがなんか私にとっては新鮮で、絵本の中の登場人物を見ているような気分でしたね(←良い意味で、です)。マラーホフのアルブレヒトについてはいろいろ聞いたり読んだりはしていましたが、やはり完全に純愛路線。初恋に完全に舞い上がってしまった多分まだ10代の少年(設定上は)。今はもう、とにかくジゼルのことで頭が一杯で、他のことは目に入らない状態に陥ってしまっている。たまたまジゼルの家の近くを通りかかったかなにかの時にジゼルを目にして、一目惚れしてしまったんだと思う。ジゼルに会いたくて、ジゼルと一緒にいたくて、ただただジゼルが好きで・・という、完全に初恋に我を忘れた若様。悪気なんてこれっぽっちも無かった。多分自分がジゼルに「嘘をついている」という認識すらしていなかったんじゃないかと思う。「恋は盲目」街道一直線の若様なのだ。一方のヴィシニョーワ@ジゼル。彼女も可愛かった~。あのピンクの衣装も似合ってると思ったし、最初から髪を下ろしてるのもいい。ちゃんと「村娘」に見えたと思う(笑)。あと踊ることが大好き、というジゼルの資質?に彼女は何よりぴったりはまっていると思った。踊ることが好きでたまらない、というジゼルの姿はなんかそのままヴィシニョーワの姿とオーバーラップするものがあった。踊ることの喜びと恋の喜びとで、今のジゼルが生命の輝きに満ちていても当然のこと。全然違和感は感じない。そうだよね~、別にこの場面のジゼルは「病弱」に見えなくても構わないんだ、今のジゼルは幸せの絶頂にいるんだものね。彼女が輝いて見えるのも当然と言えば当然なのだ。ジゼル特有の?あのポーズ、スカートの両裾を持つというあのスタイルもザハロワで観た時にはう~ん、あんまり似合わないような・・と思ってしまったけど(私の唯一の「ジゼル」全幕は04年のマールイ公演でザハロワ&ルジマトフがゲスト主演した時)、ヴィシニョーワは可愛いと思った。彼女は小柄だし、東京バレエ団の人たちと一緒にいても周りから浮き上がってしまうことが無いのも良かった。ヴィシニョーワにとってジゼルの踊りはなんとなくパワー及び技術を持て余してしまうようなところもあるんじゃないか?とも思えてしまうけど(私はもっと一杯ヴィシの踊りが観たい!)、彼女がこの役を大切に演じたい、と思っているのであろうことは充分に窺い知ることが出来た。ヴィシニョーワは恋する情熱の女を演じさせたら当代有数の1人であると思うけど、「女」ではなく「少女」に一応ちゃんと見えたことも良かった。で、結局のところジゼルとアルブレヒトはお互い初恋に舞い上がり周りが見えなくなってしまった世間知らずのお坊ちゃん、お嬢ちゃん、という風に私には見えた。純情過ぎて幸せ過ぎる2人。とにかく熱々の恋人同士なのだ。でも・・当然ながらこの幸せ過ぎた状況は終わりを告げる。ヒラリオンがアルブレヒトが貴族であることの証拠となる剣をジゼルに見せにくる。アルブレヒトは「ジゼル、そんなものでたらめだよ、信じなくていいんだよ」と言う風にジゼルを宥める。でも遂に大公やバチルドがアルブレヒトの前に現れて・・バチルドはジゼルに彼こそは自分の婚約者であると告げる。仕方なくアルブレヒトはバチルドの手に接吻しようとする。この場面、アルブレヒトの苦渋の思いというか、断腸の思いというか、ジゼルの眼の前でそれをしなければならないことへの無念さ、ぎりぎりに追い詰められた彼の気持ちが痛いほど伝わってきた。「ジゼル!僕が愛してるのは君なんだよ!君だけが好きなのに!」だけれど立場上、それをせざるを得ない状況に陥ったアルブレヒト。そして・・遂に真実を知ったジゼルが、張り詰めていた糸が突然切れたかのように「嫌!」というかのように割って入る(え~、この辺りの話の順序はちょっと自信ないです・・)。ここから先、狂乱の場のヴィシニョーワ@ジゼルは見事だったと思います。とは言え何度も言いますとおり「ジゼル」を全幕で観るのは2回目の私には狂乱の場において「見事」と言える演技がどのようなものなのか、またどういった演技が「標準」なのかも全くわかりません。映像でも「ジゼル」は殆ど見たこと無いのです。ですので、全然わからない私が、それでもやはり息を詰めて思わず見入ってしまった、他と比較は出来ないけれど(ザハロワ@ジゼルは心臓病を強調していたのであまり「狂乱」というイメージは残っていません)なるほど、これが「狂乱の場」か~、としみじみ納得できた(というのもおかしな言い方かも知れませんが)のが昨夜の舞台でした。「狂乱」というとさぞかし激しく身悶えするかのようなイメージがありますけど、実際にはそれ程でもないのですね。理性を失って、何もわからなくなってしまったジゼルには最早アルブレヒトの姿も目に入ってはいないようです。アルブレヒトの剣を引きずりまわして一瞬自分を刺そうとしたところを?すんでのところでヒラリオンに剣をもぎ取られます。放心した態で虚空を見つめたりこの場面で1幕での幸せだった時と同じ音楽が流れ出したりして(え~、この辺りもあまり自信はありません・・)ジゼルの哀れさが一層募るかのような演出です。途中何ともいえない変な音楽?が鳴って(すみません、何と形容してよいのかわかりません、が「ジゼル」を何度もご覧になったことのある方でしたら説明不要のものかと思いますので)観客にも「これはただ事ではない」との事態が伝わります。し~んと静まり返る会場。あの広いフェスティバルホールが、この満員御礼?の会場があそこまで物音ひとつせず静まり返る光景というのは初めての経験でした。素晴らしく異常であるということが実感出来ましたよ。遂に息絶えるジゼル。それまで呆然自失、どうしてよいか判らないの態でジゼルを見守っていたアルブレヒトはヒラリオンを詰りジゼルに駆け寄りますが、ジゼルの母に阻止されて?(すみません、この辺りも既にあやふやです・・)その場から絶望の態で走り去ります。それはまるで「ジゼルが死んだなんて嘘だ~!そんなこと絶対に信じないぞ~」と思っているかの如くで。ジゼルの「死」を受け入れたくない、このままそこにいてはジゼルの「死」が厳然たる事実であることを嫌でも認めざるを得なくなります。それを避けんが為、その場を走り去ったかのように私には思えました。可哀想なアルブレヒト!何の悪気も無かったのに、ただただジゼルが好きだっただけなのに、それだけなのに・・・しかし、時既に遅し。ジゼルは死んでしまいました。
2006年08月20日
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ザッとではありますが、バレエフェスについての皆様の御感想を拝見させて頂いてきました。私が個人的に今回のフェス出演者の中で注目、というかお目当てだったダンサーは、ヴィシニョーワ、セミオノワ、コジョカル、フェリ、で男性ダンサーではコボー、テューズリー、メルクーリエフ、バランキエヴィッチ、といったところだったのですが、コジョカル&コボーの「春の声」は素敵な作品だったようですごく観てみたかったと思いました。作品自体も素晴らしいんでしょうが、作品に「生命」を吹き込むのはダンサーですもの。コジョカル&コボーは作品を素晴らしく輝かせてくれたようですね。私はこの2人には昨年の「マノン」でとても感動させられて、以来この2人にはかなりの関心を持っています。なのでバレエフェスの舞台でも観たかったな~。「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」もコボーと組んで踊るとどんなだったんでしょうね?あ~、やっぱり観たかった!「オネーギン」もコジョカルは夢見る少女にぴったりだからあの場面、手紙を書いてるところから始まる場面(だったんでしょうか?)はさぞかし可愛らしかったことでしょう。昨年シュツットガルトバレエの「オネーギン」観たときには、この夢の場面が私にはなんかすごくエロティックなものに感じられてなんともいえない気分になったのですが(「マノン」のように直接的な、誰が見てもそうとわかる場面ではないので却って余計にぞっとするようなものを感じてしまったのですよね~。こんなこと感じてるのは私だけかも知れませんけど)コジョカルでも同じように感じたのかなぁ。全幕とガラとではもちろん全然違うとはいえ、禁欲的な少女の夢の中に男性が侵入してきて、その男性の腕のなかで少女がああも激しく空を舞い踊る・・というシュチュエーションが、私には少女の「性の目覚め」、もっとはっきり言えば少女の「眠っていた官能に火が点いた」、みたいな、そんな風に感じられてなんか言葉に出来ないような複雑な思いに捉われたのだった。この事は、当時の日記にも書いていることだけれど、夜中、少女の寝室に、鏡の中から、男性が・・という一連の流れは、もうそれだけで充分にエロティックだと思うんだけど。当時の日記にはこんな風に書いてたと思います。「私にはタチアーナがオネーギンに犯されているように感じられた。もちろんタチアーナがそれを望んだからだ。喜んで、進んで犯されたのだ。」え~、あまりに露骨な表現ですみません・・が、とにかく私にはあの時、そんな風に感じられたのですよ。って、話がバレエフェスから脱線。要するに、とにかくコジョカル観たかった!という話です(笑)。あと、私の一番のお目当てだったヴィシニョーワの「ダイヤモンド」はどうだったんでしょう?聞くところによると衣装がパリオペ組とは違ってかなり地味だったとのことですが。でもね~、いいのよ別に。衣装が地味だろうがなんだろうがヴィシの煌めき光線というのはそんなものを超越したところにあるのだから。とは言え一体どんなだったんだろう?そもそも私、「ダイヤモンド」がどういう踊りだったのか9割方忘れちゃっているのでほんとは何とも言いようが無いんですよね・・バレエフェスも今夜でBプロも終わり、残すところは「ガラ」と「ジゼル」だけか。私は本当に最終日の「ジゼル」しか観に行けなくなっちゃったわけだけど、こうなってみるとやはり近くで公演があるということの有難さを痛感するわ。いや、別に大阪だって近いわけじゃないけど、東京まで遥遥出かけて行くのとは訳が違うもの(当たり前ですが)。新幹線利用しなくてもいい、在来線で行けるというのがどれほど有難いことかつくづく思うわ(←お財布にね・笑)。
2006年08月11日
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バレエフェスAプロも終わり、明日からBプロですね。皆様楽しんでいらっしゃるようで羨ましい限りです。私は今回Bプロだけ観に行くつもりでしたけど、事情により断念しました・・我がままばかりをとおすことも出来ませんよね・・残念ではありますけどまぁ仕方ないか、という気持ちです。以前の私だったらものすごく落ち込むところだと思うのですが、今年は秋以降「絶対」観たい公演が目白押しなので、「そこまで」観たいというほどではないバレエフェスは見送らなきゃいけないよね、まぁ仕方ないよね・・といった感じです。こんなことになるんだったらやっぱりチケット取らなきゃ良かったよ、と後悔しても詮無いこと。思うようにはならないのが人生ですもの。これくらいのことで落ち込んでても仕方ないですもんね。予備知識?無しで舞台に臨みたかったので、皆様のバレエフェスの御感想などは実はまだあまり拝見してはいなかったのですが、これからいろいろ読ませていただこうと思ってます。拝見したらなんかかえって辛くなりそうな気もするけれど・・今は19日の「ジゼル」を観にいけることが心の支えかな。これまたあくまで「予定」ですけどね。
2006年08月07日
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今日からいよいよバレエフェスAプロが開幕しますね。18時開演で、終演は22時20分。いや~、長い!前回もこんなに長かったっけ?と思って前回会場で配られたタイムスケジュール表?を見てみたら、前回は18時開演で終演は21時45分。今回は出演者の数が多いのか、演目ごとの上演時間が長いのかよくわからないのだけど、いずれにせよ気合いが入ってるようですね。まぁ別に長ければ良い、というものでもないでしょうが。しかしこの終演時刻では、会社勤めの方などにはきついものがあるでしょうねぇ。近くにお住まいの方はいいですけど終演後に電車に乗って帰宅、という方にはちょっとねぇ・・日程が全て平日というBプロがいまいち人気がない?のも仕方が無いことのように思えます。地方から宿泊付きで上京してくる身には終演時刻というのは全然関係なくて、それだけは嬉しいですね。舞台の余韻に浸りながらゆっくりとホテルに帰る、というのは考えてみればすごく贅沢なことだと思います。日ごろの憂さはすっかり忘れて、とことん「非日常」の世界に浸ることが出来るのですもの。まさに極上のひと時です。これでお金に余裕さえあれば言う事ないんですが(笑)。そうそう、バレエフェスの全幕特別プロ「ジゼル」大阪公演も観に行く予定でいます。実はいま一番楽しみなのが「ジゼル」だったりする。ヴィシニョーワのジゼルが楽しみで♪冬のマリインスキー来日では彼女の全幕はもしかしたら観られないかも知れないから、「ジゼル」とは言え全幕で観られるのは嬉しいわ。やっぱりダンサーというのは全幕で観なければ絶対にわからないですもん。あ、「ジゼル」とは言え、なんて書いちゃいましたけど、私「ジゼル」はあんまり好きではなくてね。この件に関しては前に書いたことがあるので繰り返しになりますが、ヒロインのジゼルに対して、私は「全く」共感することが出来ないのですよ・・特に1幕。2幕のジゼルは好きですが。だってね~、恋人に婚約者がいた、自分とは身分違いの貴族さまだった、自分は騙されていたの?私とのことは全部嘘だったの?そんな風に思って大・大ショック!な気分になるのは理解できる。幸せの絶頂から不幸のどん底に付き落とされたジゼルのショックは想像に余りある。純真無垢な少女が、人を疑うことを知らぬ少女が、初めて知った「恋」によって裏切られ、衝撃を受けることまでは理解できる。と言うかここまでは誰だって理解できることでしょう。だけどね~、だからって、「狂乱」というのは一体なんなんだ~!全然意味判らない。だって、それまでのジゼルは身体こそ弱いものの、心は健やかそのもの、母親にも周囲の人からも大切に思われて、明るい陽光降り注ぐ村で、とっても幸せに暮らしてきたんだよね。私は思うんだけど、そういう人は、困難や苦境に見舞われたとしても絶対に乗り越えていける「強さ」を持っていると思う。たとえ偽りの恋だったと知ったとしても、どんな大きなショックを受けようが、自分自身を支えることの出来る「なにか」を絶対にもっているものだと思う。「狂乱」とは絶対に結びつかない。一時的に精神をおかしくしてしまいそのうちにそのショックによって弱かった心臓が・・という流れは理解できないこともないけれど、やっぱり「ジゼル」と「狂乱」とは私には全然縁の無いものであるように思える。むしろ「対極」にある、そう断言することも出来るくらいだと思う。周囲から愛されて、大切にされて育ったジゼルのような人が気を狂わすなんてことは基本的にはありえない。健やかな精神の持ち主であるジゼルが「発狂」する、なんてのはあまりにリアリティー無さ過ぎ。そういう意味ではあまり「狂乱」を強調することなく、ショックのせいで弱かった心臓が打撃を受けその結果心臓発作として死んでしまう、そういう役づくりの人の方が私には好ましいわ。大方の人にはそんなジゼルはつまらないと写るかも知れないけれど。私がジゼルなら、そりゃあその時は大ショックで、泣き崩れてしまうかも知れないけれど、そして数日間は水も喉を通らぬ状況に陥るかも知れないけれど、だけど絶対立ち直るよね。そしてアルブレヒトに手紙を書くの。「アルブレヒトさま、短い間でしたが「夢」を見させていただいたこと、心から感謝いたしております。アルブレヒトさまはバチルダさまとどうぞお幸せに・・」ってね(笑)。アルブレヒトのことを心底愛していたジゼルなら、不可能なことではないはず。「愛とは決して見返りを求めぬもの」私はこの言葉は永遠の真実である、と思う。「恋」ではない、「愛」ならば、「無償の愛」というものは確かに存在するのだ。「無償の恋」なんてのは存在しないけどね(笑)。
2006年08月03日
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