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これでおしまい [ 篠田 桃紅 ]キョウレツである。ご本人、一切弟子は取りません。との方針を貫かれた、と思っていたが、お若いころは教えていらしたらしい。出自や、ご家族のことなどが判明する。借りてよかった。合わせて、、むらの小さな精米所が救う アジア・アフリカの米づくり [ 古賀康正 ]この本をリクエストしていて、取りに行き、上の本を一緒に借りてきた。
2021年07月31日
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スイミングに行って、歩くだけ、バシャバシャ泳ごうとするだけ、ではなく、実は、、潜ってプハー!ってのも、最近やるようになった。壁を蹴って底に近いところまで進んで、、しばらくカエル脚で進み、息が続いている間は潜ったまま進んで、、苦しくなると水面に上がろうとして、上に向き、、そして、クジラのようにプハー!と、背中から水鉄砲・・なわけはないが、。やってみようと思った頃は、5メートル行くともうダメ、だったけど、最近は時々、10メートルくらいまで行けるようになった。(プールの底のタイルは、目印に区切りごとに色を変えてある)今年に入り、個人的に屈託が増えて、コロナ禍でもあり、息の詰まる日々が続いて、、まあ、人生とはこういうものだろうとは思うが、老年のあたしには、キツイこともある。そんなときに、ふと眺めるのが「石」である。路傍の石、、だといいが、いや、路傍の石に癒されるほどには、人間が全く出来ていないので、あたしの場合は、きらきら光る石、なんだが、。何十年も集めるばかりのことをして、さして、富の蓄積になっているかと言うとそうではなく、単に、子供時代のカード集めや、切手収集と変わりない。もともと、それに、投資するとかそういう考えも原資もなく、あらキレイ。だけのことだ。これは、ルビー(写真上の方)だが、突然、リングにしようと思って、適当なキャスト(既製品の石の台)を探したりしたが、最近は高騰しており、それと、本来あまり好きではない宛がいぶちだし、逡巡し、結局、オーダーにしようと決心した。こちらは、お付き合い30年。しかし田舎に移住してからはご無沙汰だった。小商いしている時は、本当にお世話になった。お客様へお届けのジュエリーは数知れずだが、当方の所に来るものはほんの僅か。余程の幸運で、安く入手できた石しか、装飾品として手元には無い。そうそう、夫が拾ったダイヤリング、を警察に届け、晴れて落とし主なしで、頂いて、それを作り直したこともあったっけ・・。折角お送りいただいた石ですが、、と連絡があって、「良くない」とのご託宣。急遽、探し出し、同じ大きさっぽいタンザナイトと、ルビー(写真下のペア)、を追加で送る。タンザナイト(命名はティファニーと聞いている。本来は、ゾイサイト)は、合格、だった。で、出来上がったのが、、わーい!ルースの時より、大いに出世した。ばらけている石を整理しようかと思って、これである。道遠し。。ちなみに、、ペアのルビーはデザインの段階でボツになりました。またの機会に、。いつのことやら・・。
2021年07月30日
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朝日新聞の朝日川柳より「バッハ言う 国破れても 五輪あり」もう笑うしかない。
2021年07月29日
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哲学の女王たち もうひとつの思想史入門 [ レベッカ・バクストン ]綺羅星のごとくに女性の哲学者の紹介が続く。感謝。の中で、目に留まった。以下引用 P160~::::: 男ばかりの世界で、自分が、女性であることを思い知らされる機会が、アンスコムには何度もあった。ウィトゲンシュタインの後継者として、ケンブリッジ大学哲学科に初出勤した日、ふだん通りズボンとチュニック姿で事務室に入っていった。対応にあらわれた事務員はその姿を見て、新入りの清掃員かと尋ねてきたという。ズボンを穿く習慣はケンブリッジ大学の服装規定委員会からも目をつけられ、女性は講義の際、スカートを着用するよう言い渡された。するとアンスコムはビニール袋にスカートを入れて授業にあらわれ、授業中だけズボンの上からスカートを穿いた。さらに、ボストンの高級レストランの入り口で、女性はズボン着用では入店できないと告げられると、その場でズボンを脱いだという。 アンスコムは、間違いなく手強い女性であり、いろいろな意味で典型的な哲学者だった。その業績は驚くほど多岐にわたるのだが、スペースの都合ですべてを紹介する事は出来なかったので、ぜひとも実際に著作を読んでみてもらいたい。彼女の作品は常にウイットに富み、挑戦的で、読みごたえがあるからだ。:::::引用ここまで。ちなみに、エリザベス・アンスコムは(1919-2001年)すでに亡くなっている。
2021年07月29日
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家は生態系 あなたは20万種の生き物と暮らしている [ ロブ・ダン ]引用ここからーーP10-11『ガリヴァー旅行記』の著者のジョナサン・スウィフトには、「ノミの体には、その血を吸う小さなノミ」という詩があるが、実際に起きていることはもっともっと複雑だったのだ。 生き物のことをこんなふうにいろいろ聞かされると、家に帰って掃除しよう、もっとごしごしこすってきれいにしなくてはと思うかもしれない。ところが、また別の意外な事実も明らかになっている。同僚たちと私が家の中の生物について調査したところ、生き物がわんさかいて多様性に富んでいる家屋に生息している生物種の多くは、人間の役に立っており、場合によっては人間にとって不可欠な存在であることがわかったのだ。 このような生物種のなかには、人間の免疫系が正常に機能するのを助けてくれているものもある。病原体や害虫の発生を抑え、それらと張り合ってくれているものもある。新しい酵素や薬剤の供給源になりそうなものも少なくない。新しいタイプのビールやパンの発酵に役立つものもある。そして、数千種の生物が、水道水を病原体のない状態に保つなど、人間にとって価値ある生態学的処理を行ってくれている。家の中の生物のほとんどは、害がないか、役に立つかのどちらかなのだ。 残念なことに、家の中にいる生物の多くは善良で、人間にとって不可欠でさえあることに科学者たちが気づき始めたちょうどそのころ、社会全体は、家の中を殺菌消毒することに精力をかたむけるようになった。躍起になって屋内の生物を殺していくうちに、意図していなかった結果、しかし当然予想できたはずの結果を招くことになった。家の中を外部の世界から遮断しようとするだけでなく、殺虫剤や抗菌薬を使用すると、その矛先が有益な生物にも向かい、そのような生物を死滅させ、排除していくことになる。そして、知らず知らずのうちに、チャバネゴキブリ、トコジラミ、さらには命取りのメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)のような、薬剤耐性を持つ生物種に加勢してしまうことになるのである。ーー引用ここまで。
2021年07月28日
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家は生態系 あなたは20万種の生き物と暮らしている [ ロブ・ダン ]今年の夏は、石の土間に、ダンゴ虫が大発生。と、想像する。毎朝、デスクの下回りに2-3匹がゆっくり歩く。調べてみると、彼らの食べるものは埃など、とある。さもありなん。愛犬の吐しゃ物、見えるところは拭きまくったが、見えないところにもかぴかぴになった高栄養の粥状のものがまだ、残っているのだろう。。そこでダンゴ虫。ひたすら外に、(これはカメムシ対策と同じ)出すことにしている。観察を続けると・・、彼らは、歩行速度をコントロールしていることが分かる。じっとしている、からゆっくり歩く、普通に進む、そして、急ぐ、、走る、様に進む、、まで。方向もちゃんとコントロールする。散策?状態から、目的を持って歩むのだ!みたいに。。多くの虫たちが当然に(ウチは古い日本家屋)多種類棲息するのである。クモのシャーロットだって、毎日5時半ごろ自分の作成した放射状の巣を掃除するくらいに、皆、マメなのだ。。とは言え、、人間のあたし、見た目、も気になるので、そういう虫たち、一見、居ないかのように周りを掃いたり拭いたりはするが・・。この、20万種。という副題に惹かれて図書館から引いたが、これは最初の数ページを読み始めて、蔵書決定である。
2021年07月27日
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S-AIR スタンダード空調ベスト(服地のみ) 裏チタン 遮熱素材 S〜3L 空調服夫がこないだ散髪に行って、そこのご主人、空調ベストを着ておられた。その散髪屋さんは奥様が理髪師さんで、ご主人は、農業。Iターン派で、4-5年前に都会から引っ越してきて、道路沿いに開業。彼曰く、(これいい!作業に・・)次いで、、(ワークマンいい、デザインも案外・・)あれ?(とあたしは偶然にもワークマンと言う単語が話に出たのであれれと驚いただけであれ?、と発音はしていない)どこ?(と、夫が髪結いの亭主殿に聞く。いえなに、夫の散髪、終わったら軽トラでウチまで送ってきて、少しおしゃべりをするのが、いつものパターンなんである)すぐそこ。(と、トンネル超えての道を説明・・)実はあたしは、達人さんがこないだ、スニーカーのことを書いておられたのをしっかり覚えていて、ワークマン、チェックだな。と考えており・・。夫と、出かけた。なんと、朝の7時からの営業である。ウチら向き。初めて行ったが、いつも通る道沿いにあった。義足の夫は、スニーカーに拘りがあり、(松葉杖の高さと靴底の高さが別の靴とああややこしい、、要するに靴底の高さと、履きやすさに条件がある)農作業は基本、座って行うが、最近は暑くて、、とこの、空調ベストが欲しくなったようだ。あたしは、スニーカーを買おうと思っていて、。ちゃんとしてる。お店はいい感じ。スタッフも優しかった。近い、安い、商品デザインもいい。と、いいことずくめである。達人さん、ありがとうございます。おかげさまです。と言いながら、、スニーカーは買わなかったんです。その横の、可愛い靴と、498円の(値下げ品)キャップを買いました。とゆーわけで、、夫は空調ベスト(付属品一式!)、庭仕事用スニーカー、あたしはかわいい靴(撥水)と、キャップ、と、、大盤振る舞いだった・・。
2021年07月26日
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哲学の女王たち もうひとつの思想史入門 [ レベッカ・バクストン ]かねてよりリクエストしていて、このたび入手。早速引用:はじめに、、から。はじめに プラトンの『国家』をフェミニズム哲学の本だと思う人はまずいないだろう。しかし、男性と同じように女性にも理想の都市国家をつくりあげる能力があるとプラトンが語ったとき、彼は時代のはるか先を行っていた。ソクラテスの言葉を通してプラトンが主張したのは、才能と知性を備えた女性は、男性とともに「国の守護者」として力を発揮すべきだということである。「哲人王」とも呼ばれた守護者たちは、哲学の智恵を市民に授け、都市に調和をもたらすことで国家を統治する存在だった。 それから二〇〇〇年以上たっても、人々は相変わらずこう思っている。プラトンの時代から思想の分野を担って来たのはほとんどが男性だろうと。まるで、女性も偉大な哲学者になれるというプラトンの予言を、これまでだれも実現してこなかったかのように。少なくとも、現在の哲学書を目にすれば、そう思ってしまう。 これまで、哲学の歴史は女性を正当に評価してこなかった。それは、最近出版されたこの分野の本を見てみるだけで分かる。たとえば、、::引用ここまで。(キリがない)とこのような、文章で始まる本である。表紙をめくって、最初に読む文章だ。本から光が出ているように感じた。さて、哲学。最後まで、読めるだろうか・・。
2021年07月25日
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鶏むね肉の生姜焼き。レタスサラダ。胡瓜と錦糸卵、ビアソーセージと長芋、の甘酢胡麻油。大根おろしに縮緬雑魚。ピーマンのもろみ味噌。干しナスの炊いたん。(写真にはないです)味噌汁。白飯。日中の暑さに参っているが、今朝は涼しい。助かった。
2021年07月25日
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高地文明ー「もう一つの四大文明」の発見 (中公新書 2647) [ 山本 紀夫 ]読了。以下引用:P308-309 にもかかわらず、日本の歴史教科書では十分に検証されていない「四大文明」説や大河文明説が長年にわたって記述され続けてきたのだ。この点については、稿をあらためて検討してみたいと思っているが、とりあえず現在気づいていることだけを述べておこう。 まず、日本の研究の世界、とくに人文系の研究の世界では、高名な研究者が発表したことに対しては「御説ごもっとも」という雰囲気があり、批判したり、誤りを正す態度がないせいではないか。高名な研究者が提起した説に異論を唱える人はきわめて少なく、大半の研究者が追随するだけではないだろうか。これでは活発な議論もおこりえないだろう。 もうひとつは、野外での調査や観察の成果を重視せず、文献に依存する研究者が少なくないせいではないか。たとえば、アンデスには大河がないにもかかわらず、そこでも文明が誕生していることは、そこを自分の足で歩き、自分の目で見れば容易にわかるはずである。しかし、近年、自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の頭で考える研究者、つまりフィールド・ワーカーはきわめて少なくなっているのだ。 さらに、注意しなければならないことがもうひとつある。それは、文明を扱う時は地球全体、人類全体を視野に入れて調査、研究しなければならないことだ。比較文明学を専門とする梅棹忠夫もこの点について次のように述べているのだ。(1行アキ、段落一文字下る)文明とはシステムであり、社会の編成原理である。文化のちがいは価値観にもとづくが、文明の相違は装置や、制度の差に由来する。そういう観点から全地球、全人類をながめてみる必要がある。国家や国民を超えたところに文明の単位をもとめると、ことなった像がいろいろ浮かびあがってくるはずだ。(梅棹、二〇〇八)(元に戻って) 梅棹が強調するように、わたしも本書で全地球、全人類を眺めた結果、予想もしなかった文明像が浮かび上がってきた。 :引用ここまで。新書版なので、写真が小さいのが悔やまれるが、刺激的な本だった。今日のタイトルは、、新聞の記事にあった言葉だけど、明らかに間違っているんだけど、、と思ったので、。
2021年07月24日
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神田神社(こうだじんじゃ)は、兵庫県丹波篠山市大山上古河坪にある神社。御朱印の有無は不明。『延喜式神名帳』にある「神田神社(丹波国・多紀郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。丹波篠山市から丹波市に通じる国道176号線の大山上バス停西側の丘上に鎮座する。社前の道はかつての旧山陰街道で、丹波から但馬に通じる街道として重要視され、多くの旅人が往来した。飛鳥時代末期の大宝2年(702年)9月9日、大山谷の石角(住)口に創祀された。御祭神は大巳貴神。当地は、弘法大師空海が開基した京都東寺の荘園だったところで、空海の遺産である綜芸種智院を売却した代金で購入されたという。平安時代の承和12年(845年)、大山荘が立荘した際、当社は大山荘の総鎮守と定められ、一宮神社と称された。承保元年(1074年)、大嘗祭において神田郷で抜穂式が行われた。それを祝った大江匡房の下記の歌が『千載集』に見えている。千早振る 神田の里の 稲なれば 月日と共に 久しかるべしその後も一宮神田大明神と称せられ、皇室はもとより公家・武家から篤い崇敬が寄せられた。平安時代末期の応保2年(1162年)12月、参詣に便利なように、現在地より北方5町の山間避地より、現在地に遷座した。『東寺百合文書』によれば、鎌倉時代の仁治2年(1241年)に「一二宮両社御神楽料」が、室町時代の応永23年(1416年)に「九月九日朔幣」が行われた。それによれば、御神楽・田楽などの費用、お供え物やお礼、神社の維持費などを東寺が負担した。また、足利尊氏が武運長久を祈って加護大般若経を寄進、応永元年(1394年)に征夷大将軍になった足利義持が応永6年(1399年)、管領細川満元に御教書を奉呈させ武運長久を祈った。戦国時代末期の天正6年(1578年)8月、明智光秀が大山城の中沢氏を攻めた際、その兵火にかかり、社殿や古記録がことごとく焼失した。ほどなくして再建され、江戸時代になると、篠山藩主の祈願所として崇敬を受けた。社殿は延宝8年(1680年)、明和2年(1765年)に修理が加えられ、寛保2年(1742年)には、時の藩主松平信岑に尽力によって正一位が授けられ、以後、正一位神田大明神と称した。例祭はもとは旧暦9月9日。現在は10月10日前後の休日に二宮神社へ鳳輦の渡御が行われる。現在は、市内畑宮に鎮座する佐佐婆神社の兼務神社か。かんだ神社、と一般的なネット情報ではあるが、地元では、こうだ神社、と呼ばれている。
2021年07月23日
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と、月一のヴォーカルレッスンに行ってるスタジオの校長先生。娘の世代。飛び飛びになってるけど、ほぼ月一にお会いする。スイミング始めましたの。と、年の初めに報告した。ぼちぼちさんを見ていて、身体にいいんだな、と実感して、私も始めました。確かに、いいですね。へー、。それはそれは。と、盛り上がった。そこはスタジオ(というか、単に音楽教室なので水はない・・)なので、身体に良さそう、、って、ことは、、あたしを見て、、ということは、、むふふ。第三者が、全く眺めるだけで、、判断されたのである。自分では、気がつかない。成績表を見せられた感じだ。衰えてはいるが、・・時間経過とともに確実に老いて行くのだから・・その下り坂は、非常に緩いか、、有りうべくは平たん?という事なのだろうと思った。さて、ヴォーカルレッスン。ボンビ先生曰く、ぼちぼちさん、、長い間のレッスンですが、、今日が一番うまい。ひょえー!!先生がお上手なのでしょう。教え方が・・。と言う言葉は飲み込んだ。2回目のワクチンから2週間。。それこそ、ぼちぼち、マスク外してもいいかな??
2021年07月22日
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家の前のみちの坂を下りるとそこがコイン精米所。昨日は、先客が。。精米所の周りの木立に変わった実?がぶら下がっていた。眺めている間に、終わりましたどうぞ、と、言ってもらい、コメの精米をする。道端の何気ない木なんだが、名前を知らない。葉の形から入るのがいいかな?あれ?ニイニイゼミだ♪!今年も出てきている。嬉しかった。
2021年07月21日
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老活の愉しみ 心と身体を100歳まで活躍させる (新書762) [ 帚木蓬生 ]以下引用:P58~59 前に述べたように歯周炎になると、歯と歯茎の間にポケットが出来ます。歯科に行くと、一、一、二、二、三、二と言う具合に、歯科医師が針をポケットに入れて深さを測定します。一本の歯に対して六ヶ所の深さを測るのですから、有意義な検査法です。一はもちろん一ミリの深さを意味し、四以上が要注意になります。このとき出血の有無も点検されます。この歯周ポケットが深くなると、内面の歯茎は潰瘍になっています。上皮が剥がれた状態で、転んで膝をすりむいた傷と同じです。 歯肉や口腔粘膜を覆っているこの上皮細胞は、重要な役割を担っています。細菌などの感染を防ぐバリアになるとともに、免疫物質や抗菌物質を分泌します。この上皮バリアが壊れると、血液が滲み出し、歯周病菌が増殖しはじめます。歯周病菌にとって、血液に含まれる鉄は必須栄養素だからです。歯磨きした時の出血は、歯周炎発症の赤信号なのです。 歯垢であるプラークは細菌の塊ですし、その不潔さは大便同様なのです。汚いプラークを大切に持っている人は、大便を口に含んでいるのと同じです。 仮に全部の歯に深さ五ミリの歯周ポケットがあれば、合計九センチ×八センチの潰瘍がある計算になります。そこにいわば大便が押しつけられるのですから、その結果は推して知るべしです。プラーク中の細菌は、潰瘍にむき出しになっている毛細血管に侵入し、全身に運ばれて、さまざまな悪事を働きます。妊婦では低体重児や早産、慢性関節リウマチ、慢性腎疾患、糖尿病、骨粗鬆症(ルビあり)と、枚挙すれば限りありません。 ::引用ここまで。歯を磨いてきます。
2021年07月20日
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昨日の、空の雲。チャーリーだらけで困った。家は生態系 あなたは20万種の生き物と暮らしている [ ロブ・ダン ]毎年7月になると、数年前までニイニイゼミが鳴き始めていたんだが、。今年はさっぱりだ。代わりに耳鳴りが、。。(突然ではなく、随分前からなんだけどね)おそらく、今頃と思うが、アマガエルの小さいのが湧いて出るはずが、、今年は見ない。ミツバチも現れなかった・・。怖いですねー・・。と、少し思う。洪水と水害をとらえなおす 自然観の転換と川との共生 [ 大熊 孝 ]去年お披露目だった、地域のコミュニティーセンター。低いところのそれも、川の合流地点に完成!である。総予算、一憶6千万。1983年に、この川は氾濫している。日本人は忘れるのが得意。物言い出来る立場ではないので、どうしようもない。70歳、これからは湯豆腐 私の方丈記 [ 太田 和彦 ]読了。老活の愉しみ 心と身体を100歳まで活躍させる (新書762) [ 帚木蓬生 ]著者は、ドクター。開業医。歯周炎、歯周病の章、まことに、、ホラー!
2021年07月20日
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中高と同窓生であった、ジちゃんからメール。このところ、病院と縁が切れない。今度は、胆石だと言う。去年は、抗がん剤治療で頑張ってたのに。夏の終わりには、もう一度手術だと。大変だなあ・・。コロナ禍、いや、コロナ下、かしら、、コロナ禍下、か。面会不可の状態で手持無沙汰になったのだろう。同級生ネットワークの連絡網?があるので、知人友人の訃報などは通っている、、とは思うが病院からのメールに、訃報を返すのは気が引ける。こちらは元気です。暑いです。ところでワクチンは、、と、あっさり返したが、。待てよ、彼女は、中学で一緒だけ?中高一緒?小中高じゃない事は確かだが、。と、少し頭が混乱した。こないだ、もたらされた同級生の訃報2件は、どの辺の繋がりであったか。。確認に、情報元へメール。メールしながら、、途中で、無駄な努力をしている。との自覚が湧く。だから、メールに、、こんなメールは書かない方がいいと思い始めましたがここまで書いたので出しますわ。と。。返事が数日後着て、周りが、(同級生)病院まみれで、気が滅入る。と。。弱音を吐いている。70歳、これからは湯豆腐 私の方丈記 [ 太田 和彦 ]あっさり読了。著者の略歴を読んでから、本に入るのがいつものことだが、なんと、朝倉先生の授業を受けておられる。ああ、あの時代に、同じ先生に学んだ方だ。と、思うだけで読み進める。著者は、お酒が大好きで、関連著書も多数。一方あたしは、あまりお酒自体に縁がない。だから、あまり面白くなかった。日本全国の居酒屋評論もあり、余程のマニアでないとここまでは書けないだろうと思った。老年期のデザイナーのエッセイ、という感じでそれでも楽しかった。お酒以外は、共感する事多数。
2021年07月19日
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水深の話である。通う温水プールは、25メートルの普通のプールで、水深120センチ。その四角のプールの傍に、変形のウオーキング専用のプール、、があって、幅が2メートルほどで、全長は2-30メートルなんだろう。くねくねと折り曲がって蛇のようになっており、入る所と出るところが同じ。ここが、水深90センチなんである。いつも参加している水中ウオーキングのクラスは、120センチの方でする。昨日、コーチから、歩行運動と水深の関係、のお話を聞いた。アタマでは分かっているつもりではあったが、くねくねプール(水深90センチ)の方は、印象としては、リハビリっぽく感じでいたので、入って歩いたことはなかったのだ。「効きますよー」・・つまり、しんどいですよー。と言う意味。水自体は流れてはいないが、腰位まで水に浸かり、速足で歩こうとすると、これがまあ、チカラが要るのである。(すぐやってみた)たったの、30センチ、水深が違うだけで、こんなに感じが違うのか。。と驚いた。重力、恐るべし。所謂、速足、ってので、4回ほどグルグルしたが、汗が噴き出した。スイミング始めて、半年。これが、初心者ってものでしょうね。。この、くねくねプールの使い方、いろいろ試してみようと思った。
2021年07月18日
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辻留の盛り付け 茶懐石からお弁当まで [ 平 晴彦 ]観ていて楽しいのは、何と言っても器!高地文明ー「もう一つの四大文明」の発見 (中公新書 2647) [ 山本 紀夫 ]**ネパール王国探検記 川喜田次郎を思い出した。この本は小学校6年の時に、もりとうさんが、バースデープレゼント!だったなあ・・。(もりとうさんの下の名前はすぐ出てきたが、姓がなかなか思い出せなかった。こうして書き記すと、すんなり出てくる。脳の運動である。実感する。)**そろそろ、最終章に向かう。メソアメリカ文明の研究者である著者は、徹底したフィールドワークで、所謂机の上の学者を批判して気持ちいい。
2021年07月17日
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今年も、ブルーベリーの時期が来た。お初。雨が続いているからか、味は、、イマイチ。昨夜の夕食は、ナスの鳥ミンチはさみ、レンコン、カボチャとしし唐オクラの炊いたん、自家製ポテトサラダ、胡瓜の金山寺味噌、と、野菜中心。
2021年07月16日
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ひょっこり突然に現れた亡き父の日記。ささっと読み、遠い記憶の束に収めるはずが、アタマの隅に引っかかり取ることが出来ない。いつの日か、忘れてしまうのだろうが。今のところは、。水の底に、杭があって、思い出の紙片がそれに絡まっては、潮の流れに抗えず、次々とちぎれて、明るい水面に向かって昇っていく。中にはそのまま、引っかかって留まるのがあって。祖父が大阪市野田(今の福島区)に住居を構え、子が8人いた。事業に失敗し、極貧の暮らしとなる。父から直接話を聞いた、キャベツのことも、この日記を読んで思い出した。空腹で食べ物をねだる父、祖母は、彼に一銭だか5銭だか小銭を握らせ、キャベツを一つ買ってきて、と言う。買ってきたキャベツを茹でて、おかかをかける。それが、食事であったと。一方、日記には、、夏はまだ、薄物を着ているだけで良かったが、冬は寒さをしのぐため、家族全員に厚い生地の着物を用意しないといけない。一家の着物は全て母が縫っていたと。(読み手のあたしは当時はそれが当たり前であることは知っている)お母ちゃん、寒い。と、口々に8人の子が言う。縫物に母は没頭する。上の子の物を下の子に回し、と冬物を縫う母。その冬物を縫う母は、まだ、夏物の着物を着たままであった。その母に、まとわりついて、お腹が空いた何か食べるものが欲しい、とねだる子(亡き父)。。その、母との思い出を歌にしている。。中学に上がると、三男であった父は東京の母の実家、つまり加納家に、働きに行く。薬局の小僧さんである。(これは聞いていた)夜学に行ったのだろうか。。1人の餓死者も出さずに、とにもかくにも、8人の子を育て、そして、一家は第2次世界大戦の末期に、北海道へ移住。それが、100年前のことである。ヒマヒマに、日本近代史の学習をするあたしだ。それで、この、1920年恐慌、の単語を知った。文章にすることで、少しづつ、記憶の紙片が水中から明るい水面に向かってヒラヒラと昇る。
2021年07月15日
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再来年になると、あたしがデンマークの王立美術アカデミーに留学して、半世紀になるが、未だに、その学校、そして、デンマークと言う国に、大いなる感謝と、恩義、を感じている。入学を許される、という僥倖は、チャレンジしたからではあるが、一旦、その学校の学生になれば、全ての費用は、無料になった。おまけに、学生パス、なるものも貰って、国内の美術館、博物館、はすべてフリーパス。日本からの仲間には、政府の奨学金をゲットし、生活費もほぼ貧しくない程度に支給されていたが、あたしは、暮らして行くためには、、というか、食べるためには自分で稼がないといけなかった。デザイン事務所のアルバイト、ウエイトレス、などでしのいでとにかく、学びは継続した。年度の終わりの旅行も、ご招待である。翻って、今現在、日本では、大学院生たちは、平均して300万円と言う大金の借金を背負い、苦学する。大変だよね。。教育に、お金が潤沢に回らないと、国はダメになる。本当に嘆かわしい。誰がどこから調達するのか、と言う問題ではなく、これはシステムの問題だ。教育の重要性を真剣に政治的に、論議してもらいたい。そう書いて、ああ、。老女が一人、夕暮れに落ち込んでいる。
2021年07月14日
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夏!である。午前中は、こういうお天気で、午後から2回、集中的に強い雨が降った。雑草が、伸びる伸びる。一日に、、6-7センチは行くのではないか??と思う位、成長が著しい。授業中なので誰もいない校庭、、の向こうに名前の付いている山。所用があって、地区の小学校に出向いた。幼稚園も併設されている。子供たちは、シャボン玉遊びに余念がない。水遊びも、それぞれのバケツを用意してもらい、いつもの年とは様子が違うが・・。小学校は、プールの授業は中止だそうだ。2年続けて、水泳の授業が無いのは本当に残念です、と、校長先生。
2021年07月14日
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単なる数字が、たまたま同じであったので、思い出したこと。一つ目の二万四千円。昭和30年当時(1955年)。父とのサイクリング。この、父と、私、弟の3人のサイクリング熱は、ひとしきり続いたのだが、それが、昭和30年ごろであった。そのある日、お父さんの自転車がなくなった。母は、返したのだ。と言う。そのサイクリング車は、ジュラルミン製で、車体も軽く、ハンドルが下に大きく湾曲し、ツール・ド・フランスで、参加者が皆乗っているようなスポーツタイプのものである。2万4千円もしたのだ。当時。金額を強調し、こどものあたしにも印象が残るセリフ。ので、記憶がある。もちろん、子供は普通の自転車だ。あたしが14インチ、弟は12インチ。贅沢過ぎて、あまりの浪費に母が驚き、返品に至ったのだろう。二つ目の二万四千円は、、。昭和40年当時(1965年)。我が家に、薬屋さんの御用聞きが毎日来ていて、その支払いが、2万4千円。母が亡くなる少し前、薬、、だけではないだろうが、、強い痛み止めを、頻繁に購入していたらしい。(その数年後亡くなるのだが)父は、月に2万4千円も薬代やで!と言ったのだ。。痛み止め、は腹部の痛みの為であったのだと思う。隣町まで電車に乗り、有名な漢方薬屋さんに「百草根」という湿布薬を買いに行ったのは娘のあたしである。同じ2万4千円だが、、ちょいと調べてみた。貨幣価値。2000年と比較。昭和30年当時の一万円は16万円。昭和40年当時の一万円は8万円。(以上ざっくり)するってえと、、父のサイクリング車は、約40万。母の薬代は、約20万。(この方が驚くね)10年で、貨幣価値は半分になっている。平成から、令和になって、あまり貨幣価値に変動が無いので、10年で、半分(倍)になる時代があったのだと、驚いている。叔父が、先日、父の日記文集を送ってくれたので、しばらく、昔の事々を思い出したりしていた。
2021年07月13日
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デスクからふと、外の通りを見ると、お向かいのブロック壁(通りとは直角)が桃色になっている。これはこれは、、と言うわけで、夕焼けを撮影。もうすぐ、梅雨が明けるのかしら。
2021年07月12日
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100年に一度あるかないかと言うイベントなので、そのコンペティション、その競技本体の色々に入るまでに、手続きが沢山あるのは分かります。先日も、何やら集合写真がメディアに掲載されていましたが、この、風雨の中、当事者の皆さんは、簡易テントの中、そして、手話通訳の方はテントの外、と言う風景を見ました。あんまりですわな。良識、知識、常識を備えた方々、と思しき連中が(都知事を含む)テントの下でポーズ。手話通訳の方だけ外。。ってね、、。写真しか見てないので何とも言えないけれど、お仕事(つまり手話)遂行中?のご様子。雨が降る。傘もない。テントだって、万全、とは言えないでしょう。あのひどい雨なんだから、完全に降雨から切り離されている、と言う状態ではないでしょうが、誰一人、問題だとは思われなかったのだろうか。まことに心痛の極み。ささ、中へ入って、、と言うだけの簡単なことがなぜ出来ないのだろう。余計なことを言うのはダメなんだろうか。あのとき、その思いを言葉で表現したら、ヤバい!ことになると、、皆が思っていたのか。自分が言わないでも、誰かが言うだろう、と思っていたのだろうか、一番偉い人が言わないのに、、ここで言うのは差し出がましいかな?いえいえ、それは違うと思う。でも、この写真が、今現在の日本の日本人の良くない点を表して余りある。あなたの傍に、困っている人が居れば、手を差し伸べようではありませんか。ボランティア、って、そういう世界をJOCが築いてきたのではないの?無観客になってもお願いしているボランティアの方にはしていただく事が山積しております。たとえ、一日だけでも、まくばってお願いしたいと思っていますと。例え一日だけでも、、って、オリンピックと言う、晴れがましい場で、私は、ボランティアをした!という、エピソード作りだけの「ボランティア」じゃないの?あほらし。まその、ボランティアに、期待して、いそいそ出かけたとする。そこのボランティア大好きな方、まあ見ててごらんなさい。赤いじゅうたんなど敷いてありません。雨が降ってもテントの外ですぞ!今回の手話通訳の方、おそらく、、ボランティアでない。それでも、テントの外だった。。。
2021年07月12日
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うわぁ、タイルが動いた!と、大声で言うと、お仲間の先輩の一人が、タイルは動かへん。あんたが動いたんや。と笑いながら答えてくれた。先回のクロールのクラスで、バタ足を懲りずにやっていた時の事。取り組んで数か月ではあるが、皆さんの様にはまだまだ出来ない。ただ、慣れては来ている。ので、あまり消耗しなくなった。ありがたい。クロールを教えていただいているコーチは只今の所、2名。お一人は、、バタ足が進まない?いいんですよそれで。と言って下さる。もうお一人は、折角動かしているのだから、足だけで、前に進みましょう。と言われる。両方とも、納得である。クロールの場合は、推進力が、手が8,足が2、だそうだ。今後の、技術向上に期待したい。ヲホン。午後は、すごい雨と雷さん。梅雨がもうすぐ開けるのだろうか・・。
2021年07月11日
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先日、父方の(8名の内ただ一人、存命)叔父が亡父の句集を送ってくれた。たまたま、昔の品を整理していたら出てきた、という事で。。少し、複雑な家族の歴史であるので、あたしには、辛い。しかし、実の娘なんだから、と思いやってくれた叔父の好意を無駄には出来ない。返事も書かにゃならぬ。ああ、本当に思い、じゃなくて、重い。困難な事は数あれど、一つづつかき分ける。それが人生さ、ってわけで、今朝は手紙のひと時であった。。。:::::::::::::::::::天候不順の折、いかがお過ごしでしょうか。すっかりご無沙汰してしまっています。先日は、亡き父、*の昔の俳句などの当時の日常を記した文章用紙をお送りくだ さり、本当にありがとうございました。詠んだ歌の末尾に61とありますのは、おそらく、昭和61年のことと思って読み ました。(以下、西暦換算で失礼いたします。この文章の束、以下、句集、とします)昭和61年は、1986年です。すでに、35年の月日が過ぎ去ったのだと、感慨無量でございます。少々の間違いがあるやも知れません。また、お会いしました折にご教示くださ い。つらつらと、その当時の父の様子や、**(継母)様との二人暮らしの様子、父の若いころの思い出(初めて知る事ごとも多くございましたが)、そうそう、こういう事を言っていた、、と、句集を読んでいろんな思いが溢れて 来まして感傷的になりました。私が22か、23のとき、ですので、1970年、71年に、**(継母)子さんの一言がきっかけになり、家を出てから15年、自分が1987年、39歳の時に父が亡くなっていますので、1919年生まれの父は、1986年当時67歳、最晩年の句集、という事になります。ほどなく、身体の調子が悪いと、入院したのでしょう。以後の経過は、昨年私が叔父様にお手紙しましたような経過で、亡くなるのですが、ほぼ一年ほどの間に、書かれている事、父の貧しかった子供時代の母を思うことや、そして、自分自身が老いて、その母と、 豊かな食卓を囲むことが出来ると喜んでいる様子や、退職後、バドミントンの競技に趣味 として参加していたと思えるような記述、ご近所の(**様・読売新聞の記者) 様子など、想像し、まさに、実の父、肉親でしか恐らくはこの感覚は理解できな いだろうと思いながら、読ませて頂きました。背中の左肩甲骨の下あたりに、銃創の在った父です。1951年に**に亡き母が家を建てたときに、槙のお風呂があったのですが、そのお風呂に入って、戦争の思い出を語る父でしたが、小さい私には言わない事 の方が多かったのでしょう。父と会えずにいる間、そして、父が亡くなってしま い本当に会えなくなり、結局、長期になりましたこの、35年間に書いてあるもの は多くなく、その断片を思い出すだけでしたが、今回、少しまた、その暗闇の 中、パズルのピースが一つ、二つ、三つ、と明らかになりました。救いです。まるで、お宝のように、いそいそといつも読み返すことは到底できませんが、お送りいただきましたことは、叔父様も言われるとおり、生き残った娘の私が、読んで、また、こちらに留め置くことが適当である、のは納得しております。私の持っている、父の遺品(とは到底言えないおひとさまからは単なるガラク タ)の中に、「バドミントン」という雑誌があります。その中に、バドミントン協会理事であった父が、昔の思い出と称して、連載記事を書いてい ます。字も細かいし、叔父様はご存じの事かもしれませんので、まして、印刷物ですし、迷いましたが、その記事の一部をコピーして同封いたし ます。(トマス杯初参加時、チーム監督として日本代表団を率いる。1954)また、お会いしました時にお見せしたいと思っています。さて、去年は、台風も同行して大変な北海道、でしたが来年は、、コロナもなく、普通に旅が出来そうだ、とお話していたのに、なんと、引き続きのコロナ禍です。予想もしませんでした。ワクチンも無事に2回接種、おすみになられたと拝察いたします。こちらも、なんとか、生き延びてはおります。どうかお元気でお過ごしください。また、お会いできますこと、また一緒に北海道に旅行できますこと、楽しみにしています。ごめんくださいませ。::::::::::::::::::::::::::句集の中に、「南京予備士官学校」、という単語が出ている。ネットで調べたが、あまり多くの情報はないし、正式に学校として存在したのかも不明。。在籍歴の方は多くいるようだ。
2021年07月10日
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ロスに暮らして、はや15年、、なんだそうです。そうですか・・。近いのは年齢だけで、全く別世界の方なんだけど・。朝一で、新聞の記事を読んで、「生活に手を抜かない」というようなことをインタビューで言われてました。この一年半、未曽有の事態に覆われて、ここへ来て、、(あたしはしっかり思い出すのですよ、あの、誘致が決まったときの瞬間の記念写真)ミカン客でも、じゃなくて、無観客でも開催と、。反対する人たちは、反日なんだとか、どなたかが言われたり、一方では、世界の中では断トツに感染者が少ない、単なるさざ波、、の発言があったり、要するに、大したことないのに、なんでそんなに大騒ぎするのだ?と言う論調もある。大したことなのかそうでないのか、何やらサッパリ要領を得ない。マスクマスクと大騒ぎが去年ありました。結局このマスクは、見かけた、マスク寄付お願い!の箱に入れました。小さかったのです。マスクで困ったことはありましたがそれも一度くらいで、なんとかしのいで、そして、一年経過して、今度はワクチンワクチン、と一色で、それも一日100万回!なんだと。それがあなた、無いじゃないか!どうなってるのと、地方ではこの日に駐車をしましょうと言いながら、じゃなくてこの日に注射をしましょうと言いながら、やっぱり出来ませんのでごめんなさい。などと混沌の極みであります。こういう形で、結果、の一つが現れてきた、という事なんでしょうか。いや、結果、というよりは、因果、と言った方がいいかもね。さて、、生活に手を抜かない。手を抜いたらたちまち、日々の暮らしに影響するあたし、としては、抜く、などもってのほか。いやもっと言うと、抜くのはダメ。なんですな。これが。。昨夜の夕食は、鯛あらの潮汁。先日、市から商品券が送られてきて、いそいそと近くのお魚美味しいと評判のお店で、タイのお刺身をそのチケットで購入。お刺身のおまけにアラを頂戴し、それを夕食にしたのです。ご馳走様でした。
2021年07月09日
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紙箱アクリル蓋 40mm角ルースケース用 <黒:グレー> No.10056ゴソゴソと石類をかき回し、並べていく、、のは、単純作業でもあるし、とは言えいろいろ思い出しながらでもあるし、(文化的か?)一方では、販売とかの目的もないし、一目で見渡せるようになるのは気持ちがいいし、整理整頓が主眼であるので、これは補助的行為の色合いが強いよな、、。プラスチックルースケース幅40 <黒:透明フタ> No.3481 ×20セットプラスチックルースケース幅40 <白:透明フタ> No.3481 ×20セット
2021年07月09日
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大量の梅ジャム、鋭意?消化に努めなければ、、と思い、冷蔵庫の在庫、ポークリブで出来ないかといつもの、クッキングケンサク。マーマレードで炒め煮、ってのを見つけて、これを採用する。マーマレードの代わりに、梅ジャム、である。結果、うまくいきました。簡単なので、ついでに手順を書きます。塩コショウした豚リブを、焦げ目がつくまで焼いて、水入れて煮立たせ、あくを取る。梅ジャム、醤油、砂糖、を加え、ソースかけながら炒め煮みたいにして、後は、鯛の兜煮のようにたれと肉の火の通り具合を見ながら弱火にして蓋して5分くらい。ああ、分かりにくい書き方。だが、ま、そこんとこよろしく。胡瓜のワカメとのサラダと、残り野菜(ナス、ピーマン、しし唐、小松菜、マイタケ)の中華風スープ。これが、脇役。
2021年07月08日
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辻留の盛り付け 茶懐石からお弁当まで [ 平 晴彦 ]阿闍梨さまの料理番 もっと知りたい精進料理 [ 鳥居本 幸代 ]阿闍梨さま・・平たく言うと、千日回峰の行者様、の事かと思うが、読み進み、辻留さんの名前の本が目に入り、引いた。高地文明ー「もう一つの四大文明」の発見 (中公新書 2647) [ 山本 紀夫 ]著者は、あたしが二十歳の時はすでに、高地文明のフィールドワークに学生として参加。5年後、あたしは欧州に行った。半世紀後彼は、国立民族学博物館の名誉教授。フレドリック・ブラウンSF短編全集4 最初のタイムマシン [ フレドリック・ブラウン ]短編集、の名に恥じず、ページ開いて、右、と左、で一つのお話もちょいちょいある。気軽に読み進む。
2021年07月08日
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氷砂糖がどんどん溶けて、梅シロップは出来上がりつつある。結局、ビンの半分くらいになっている。たくさんいただいた梅の実が余ったので、ジャムにした。気合入れてお砂糖を沢山入れたけど、酸っぱい。多すぎるが、考えると、、別にジャムとしてだけに使わなくても、何か料理に使えるのではと思って、いろいろ探すと、美味しそうなレシピが山ほど見つかる。ありがたい。取り敢えず、オレンジチキン、ならぬ、梅チキンとか、してみようかな??
2021年07月07日
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昼間から夕方にかけて、それぞれの接種場所で無事に2回目のワクチンを接種。どなた様も、おそらくだが、、3週間のブランク、ストレスフルであったと思う。あたしは少なくとも、気になって毎日を過ごした。2回目が終わればホッとするだろうと思っていたが、2回目の方が反応がきついと言われている。ある人は、翌日38度の熱で一日ダウン、ある人はどもなかった、1回目と同じだと言う。だるくて仕方が無かった、でもそれも丸一日で済んだし、と言う方も居た。聞きまくりである。さて、明日はどうなりますことやら。。。マスクは離せないが、しんどくなっても次の日はまた、普通になっていますように!!皆様も、お大事に・・。
2021年07月06日
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芥川賞候補傑作選 平成編2 1995-2002 [ 鵜飼哲夫 ]読了。この本の中の小説は全て、今一歩、でかの芥川賞である。平成編1、を読んで、こういう編集のやり方もあるのだ、、と感心して、2、に進んだわけだが、一気に、全体が、生々しくなった。時代が近いからかもと思った。それでも、1995-2002までを浚えてあるのですでに、20年近い時間が経過している。次はちょっと、怖いなあ・・。8編のうち、「濁世」はキョウレツ。大塚銀悦作。花村萬月を想起した。作者は、文章力の割には、あまり世の中に出ておられない?様な印象である。(もちろん、一人前以上の有名人であるのだろうが)今回は、「偶然」に驚いたのが、「水のみち」[書籍初掲載]とある。伊達一行。読んで数日後、この熱海の土石流の事故である。
2021年07月06日
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凝った冷製スープ。食べ方、まずスープだけを一口二口、味わってから具(隣のグラス)を入れて混ぜて飲んでね。と、お願いされた。黄緑色のとろりとした液体は、胡瓜、メロン、パイナップルのスープ。カツオのたたき気取っちゃって香草とか。ナスのオイルで頂きます。ご近所の有名桃農園から、ももと生ハムのスープ。お花も召し上がれ。イベリコ豚のソテー、がメインディッシュ。紫つゆ草とインゲン豆を敷いてあったが、インゲンは殆ど生。これはもう少し加熱して欲しいところ。肉はジューシー。ナッツとキャラメルのヌガーアイスと、クランベリーの氷菓。ヌガーアイスは塩味がほんのりして、変わった味だ。ネットで調べて、遠出をした。西脇市の洋食屋さん。お若いご夫婦でしておいでだ。ランチはこのコースのみで、とにかく食べて。と言うシステム。不満などあろうはずもない。皮肉でもなんでもなく、そもそも、料理の写真みて、あ、これなら、こちらの食欲にいいかも。と思ったからで。そうそう、自家製いもパンも美味しかった。バケットの方が好みでしたが、。これで、税込3000円(人)。食堂oggi。
2021年07月05日
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【中古】 宝石 改訂版(1) 品質の見分け方と価値の判断のために /諏訪恭一(著者) 【中古】afb図鑑のようなこの本、3冊シリーズで本棚にある。購入時は、各1万円だった。折に触れ、石の種類別に網羅されているので、読みなおす。昨日来、ブルージルコン(いつかは入手したい石の一つ)を見ているが、本当に値上がりしてる。すでに、高嶺の花かもしれない。15706 ブルージルコン 3.03ct 最も魅力的な宝石 一見ブルーダイヤモンド(処理) カンボジア Ratanakiri産 : 瑞浪鉱物展示館 【送料無料】懐に札束入れて、、とは程遠く、いつもミネラルショー(展示会形式の)に出向いていた。。石が好きなので、時が過ぎるのを忘れるくらいに楽しんだ。今は、すぐ歩き疲れてしまうかも知れないし、ちょっと調べたミネラルショーなど、お知らせハガキ一枚で入場できたのに、今は、700円‼も必要だ。日程が合って、気持ちが動けば、また行ってみたい。うーん、700円か・・。お遊びの範囲を超えないお金の使い方と言えば、あたしは、せいぜい一万円以内、と決めているので、大盤振る舞いだとしても、そしてそのチャンスが会場で3回遭遇するとして、3万円、である。さて、そのお財布、池袋のショーの時に、失くした。会場を出てから気がついた。慌てて戻り、ウロウロした順番をたどって、会場をもう一度回る。。焦ったなあ。もしもし、、と、声掛けされて、これあなたのじゃないの?と、いう本人は外国の人。日本語上手。そうです!ありがとう!たくさん入っているみたいだね。とニヤッとされた。(レシートで財布はパンパンに膨れている)このお店(ブース)で、スピネルを値切って買ったのだった。以来、彼とは親しくなって、石友達に。ショーのたびに会場で出会い、おしゃべりしたものだ。パキスタンからのナイームさんと言う。今はロンドンにお兄さんを頼って行ってしまっている。ああ、今は昔。昨日のクロール、少し進展があって、気分がいい。最後尾、には変わりませんが、。
2021年07月04日
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午前中は、プールがすいている。広いプールに10人いるかどうか、くらい。レッスンになると、2-3レーンを使用し、各レーンに4-5人。芋の子を洗うには、程遠い密度。コロナ禍が過ぎれば、もう少し増えるのかしら。この、すっかりばらけて、人が居ない。というのがいい。(一番人が居ないときに行くからであろうが・・)身づくろいも素肌!が条件であるのでこれも、気に入ってる。とにかく、水着等をバッグに放り込んで出かけてクルマで5分。殆ど、自分ちの庭の感覚。浮かんで天井を見る。潜って水中を見る。これも楽しい。ガラス張りの建物の外は、緑のグラウンド。うしろには、小高い丘。春にはタケノコ、夏にはカブトムシ。風が渡る。市内会員限定の時期である。比較的新しいプールなので、近隣市からのビジターも多いから、落ち着いたらもう少し、混むかもしれない。ただ、あたしは、コロナ禍の只中からの参加であるので、様子は不明。リラックスプールと言う名の隅っこの40度のお風呂!着替え室のシャワー、そして、サウナ、完備である。運営もしっかりしているし、コーチ陣も申し分ない。と、言ったところで何も出ないが、。。こちら。ところで、梅シロップは、順調に出来上がり中。
2021年07月03日
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トゥグリッパー(toe gripper)デューク更家 推奨 指間パット 足指を刺激しカラダのバランスをサポート ダイエットグッズ 姿勢 猫背 仙腸関節 骨盤矯正 浮き指 正しい歩行をサポート 足痩せ【送料無料】一昨日来、これを装着。寝ても覚めてもバタ足。。は大げさであるが、只今の関心事の一つであることには変わりない。ビジネス関連、人間関係関連、浮世の大海に浮かぶ小舟である身としては、トシナリにそれなりに、種々抱えるのは、どなた様も同じであろう。それはそれとしてだ。バタ足の技術に拘泥出来る幸運よ!というわけだ。昨日は、スイミング行く途中に、空の雲を眺めて、愛犬の大きな顔が見えたので、ああ、おかげさまで、元気だよと、雲に声掛けをする。指折り数えて、、すでに別れて9か月が過ぎた。都知事の愛犬も最近みまかった、との事。落ち込み激しいのはよく分かる。お立場的には、あたしの様にはいかないだろう、とも思う。ここ一年くらい、左足指の第四趾に、少々違和感があって一度、整形外科でレントゲンでも、、と考えていたのだが、(2年前の階段での転倒事故以来だと思う、事故当時は、顔面強打につき、頭部にばかり医者の注意が行って、手首付近のレントゲンは撮ったが、足先はチェックしていない)痛くなければ足指の骨折などは老人の場合、捨て置かれるかもしれない、、とかま、捨て置かれてもそのうち引っ付くのではないか?などと、思いつつ、日が過ぎていた。足先をつらつら眺めるにどうも、形が左右対称でないし、無意識にだが、歩き方もちょっとヘンなのでは?と感じる。考え出すとキリがない。そして、スイミングで、バタ足、である。背泳ぎしても、まっすぐ泳げない。脚のバランスが悪いのかもと、試してみようという気になった。ちなみに、外反母趾とか、そういうのではないのだが、。。さて、どうなりますことやら・・。指の違和感は即日解消である。これは良かった。ウチのイモリより小さいものが、足指に挟むだけで身体全体の骨格に影響するのかどうか、半信半疑だ。
2021年07月02日
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こないだ、街の写真屋さんが、新聞折込のチラシを作成。ぼちぼちさんのこないだ撮影したサイト用の写真、載せていいですか?と連絡がありいいですよ。とお返事したが、あたしんちは、新聞を取っていないので半分忘れていたところ、、かさんが、律儀に(チラシ)新聞に入ってたよー!と、ラインで教えてくれた。あらま、晴れがましいことで、。一番下の段、着物があたしです。
2021年07月01日
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水中梅。↑↓。梅を2キロほど、はさんから頂いた。電話で、あたしは、、ビンも大きなのがあるし、チャレンジしてみます。と言ったので翌日、届けて下さった。ところが、そのビンは、あるにはあるが、このあいだ、蜂蜜を詰め替えたので、3個とも使っていたのだ。それを忘れていて、。。結局、4個目を購入。あく抜き、ヘタ取り、洗浄、拭き上げ、消毒、はキッチリしたが、計量、は目分量。梅干しはビンテージも含め、壺に入れてあり、沢山あるので作るまでには気持ちはまだ動かず、いつも梅のシーズンになると、横目で通り過ぎていたが、今年は梅シロップを作ってみようと思った。いい加減にサクサク瓶詰めした。ので梅が少し余る。余った梅たちを眺めて、しばし躊躇う。どうしようか、。。そうだ、ジャムなと作ってみちゃれ。と思い、、。パック詰めして、冷凍した。
2021年07月01日
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