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(パスカル、は特別で、別にお食事をドアの中で、。)今日は定休日で、シャンソン教室の日。前日の夜に、高校時代の同級生たま*ちゃんと長電話。話題は、野良猫のこと。彼女、住まいする大阪北部の住宅街の公園での猫レスキューのこと、去年の春に話していたので。いよいよ今年から、ウチのノラたちの餌場を、門口から裏の納屋に移動すべく、画策中。合わせて、そのたくらみになんぞ、瑕疵があるやもしれぬと、たまちゃんに聞いたのである。長電話になったのは、猫のことはすぐ済んで、なんと彼女も昨年夏からシャンソンを梅田に稽古に行ってる、、というじゃないか。ったく、。。正直、ウレシイ一致である。(違う教室だったけど、彼女は日本語の方)(写真は、シャレだけだけど、他の皆さんはこちらでエサを食べております。)ちょいとハスキーで、魅力的な声は、高校時代から変わらず、電話での会話でもすぐにあたしを、高校三年生♪に引き戻してくれる。。クロアチアに行った。と言った。きっと何か用があったのだろう。国内旅行は趣味じゃなさそうで、ウチに来て欲しい、とお願いしても、ウジウジと返事がない。来たくないのだろう。また電話しよっと。朝から、ネトフリで、「ポップスが最高に輝いた夜」を観た。クインシージョンズが監督、ライオネルリッチーが生徒会会長、べラフォンテが言い出しべえの、アフリカの飢餓を救えキャンペーンのイベントで、新たに曲を作ってアーティストが歌おうというもの。アメリカのトップアーティスト(歌手)40人が、ある夜集まり、そのコーラスを仕上げるドキュメンタリー。どーどー泣いた。ホンマ、皆、うまい。歌。およよ。感動ものだった。余韻あるなか、教室始まる前に行ったビルの屋上の、ディテール、面白くて。。これを、イノシシにすれば使いようがあるような、。。。
2024年01月31日
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月の、表面にあって、その姿勢が、逆立ちしたまま、仕事を始めたSLIMさん。えらいです。よろしくお願いします!と、言ってしまった。今日は、落語家の桂サンシャインさんのこと、書こうと思っていたのだった。サン、(三)とあるからには、桂三枝の弟子である。(今は三枝さんは文枝)漢字では、三輝、と書く。外国の方が外国語の落語、、とはこれ如何に。と聴き始めて、面白かった。現在はNYで、活躍中と。彼はカナダ人で、英語の落語をブロードウエイでやったりしている。その彼が、えねちけ第二放送で、青山文化センターでの連続講演をやったのを放送していて、あたしは、日曜の朝10時からを楽しみにしていた。カナダから日本に来て、落語家になるまでのイキサツ、サンシャインの名前の由来、師匠(三枝さん)との会話、落語を英語でやる苦労、、などなど、お話は尽きない。もちろん、これらは日本語で。(ネトフリでは、スタンダップコメディーとかも楽しむけど、。)丁度前回は、この、スタンダップコメディーと、落語の違いについての言及があり、サンシャインさんは言う。ジーバー、そして親子合計3世代が、同時に観客席に座り、同じオチで、大笑いできるのは、世界でラクゴ、しかありません!日本の皆さん、大いに落語を誇りに思っていいです。とかのお話もあった。(子供は連れていけないスタンダップコメディー)彼の公演は世界中で行われている。国により、笑いのツボが違うのではないかと、本人も思っていたらしい。だから、いろんな国で落語(英語)をするにあたり、これはダメか?これはいいか?とか、考えたりしていたと。しかし、結局は、そういう事をしなくなった。なぜなら、、笑いは、万国共通!だと、分かったから・・。(すごいこと、してはりますなあ・・)国により、地域により、、じゃなくて、、人によるのだと。へー。「ハーバード大学」で、やったことあるんです。ここは、こちらが(サンシャインさん)笑ってしまいましたと。。持ちネタで、、「宿題」(文枝の三枝時代の新作落語ー三枝さんのをゆーチューブで聴けます)というのをやったんです。(英語でです)子供が、学校の宿題を家に持って帰り、父親がそれがわからないので、翌日会社に持っていき、部下に教えてもらう、、と言うお話なんだけど、鶴亀算とか、追いかけ算とかが出てくる。で、ハーバード大学で。この算数の問題の場面になると、学生たちが、メモを取り始めて、、答え合わせ!の場面では、、みんなが、よーし、合ってる!とか、囁くんだそうです。熱心に、算数の問題を解き始めて、笑わない。(これには笑ってしまった、、とサンシャインさん)で、結局、三番目の問題を、うやむやにした。(この回限りのアドリブ)公演が終わって、外に出ると、、学生たちが、ズラッと並んでいる。笑わなかったのになんで??と思った。こんなに面白かったか?笑ってくれなかったのに、、と思ったわけ。サンシャインさん取り囲まれて、、あの、3番目の答えは?との質問攻めにあったと言うのだ。答えはありません。というと、、学生全体が、、さもありなんと、、納得。だったそうだ。ハーバード大学で!これを聴いて(ラジオ)いたあたしは、大いに笑った。というわけ。ふーん、ハーバード大学ねえ!もっと、日本人も、サンシャインさんの英語落語、聞いて、英語の落語を楽しめばいいのに、、と、強く思った次第。外務省さん、(そう、外務大臣、あたしは個人的にはええ感じ、、と思っているが、)こういう方を、(お笑い)大使にしてください!!
2024年01月30日
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地区の女性会の活動、年に数度かのイベントです。今回は、紐クラフトの小物を作ります。日曜の午後、ご参加ください。と、連絡があったのは先週。けっ。ママちゃんアートだ。と、やだなあ、、行くのは。と思っていた。でも、、でも、、お正月早々には、地震もあった。飛行機も燃えた。連日の地震倒壊の家屋の写真報道。田舎の風景。避難所のありさま。高齢化ここに極まれり。等々。。道で出会えば、こんにちは。ご無沙汰、と少し会話。お隣と出会えば立ち話。お野菜の到来、お米を買ったり、。。と、自分で言うのもなんだが、それなりにつましく穏やかにお付き合いはしているつもり、、ではあるが、、やはりここは、、やだなあ、を置いといて、参加する方がいいだろう。と、決めて、、出かける。徒歩80歩の公民館へ。デザイナーのプロとして、半世紀、仕事を続けてきている、いた、、このあたしが。。なんで今更、ママちゃんアートに付き合わないといけないか。かわいそう自分、との、干からびたプライドが剥がせずに、そこここに散見される。あーたに教えてもらわんでもこんくらいはすぐ出来るし、作り方も分かります。要するに、、にわかにクラフト、などと言わんといて欲しい。という矜持、のようなものがやっぱり、、あるのだ。自他ともに認める、、という形になっているのは、今回のお世話役のやさんで、自他ともに認められていないのが、このあたし、、であること。これは、、厳然たる事実なんだ。だって、、皆さんご存じないもの。あたしのキャリアなど。世の中、、こういう流行りものの手芸関連、いっときはビーズであったり、藤(とう)であったり、ヒマしてる主婦の手芸、ちょいとうまいのをモテハヤシ、「手作り百閒横丁」(さるデパートのイベント、、ずいぶん前)などと企画して、人集めに躍起になった時代もあった。横目で見て、生きてきた。(一体、この全容の何がアートであるか、デザインか、と)そういう生き方をしてきたのだから、昨日のあたしのお悩みは当然の帰結。自分でそうしてきたのだぞ。。しゃあない。丁度、「1.5人称」に開かれよ。との、ご託宣も得たことだし。とにかく、2時間を過ごし、作品?を持ち帰ることが出来た。よくがんばりました。自分。(いやいややってます、という表情が出ると困ると思っていたけど、ちゃんとご挨拶も出来、お話もしながら、お隣には適切な手出しをして、教えて差し上げて、集中したので、顔は下を向いていたし、、よかった)えべっさんのお飾りに足した。背景がちゃんとしないので目立たないからメモ用紙をセロテープで貼って、よし、これでいい。
2024年01月29日
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天然知能 (講談社選書メチエ) [ 郡司ペギオ幸夫 ]1.5人称の考え方とは?に関してのレクチャーから始まり、わかるまで説明します。と、述べられている。英語では、一人称、二人称、三人称、の区別が、初期においてとっても大切になるため、子供たちにしつこく教えているあたし。日本語での世界は、なかなかに説明が難しい。以前、養老先生の本で、一人称の死、二人称の死、三人称の死、について、テーマとされた本があって、なるほどと読んだ記憶があった。あわい、という言葉があったような気がするが、間違いか・・。あわひ、と書くことがよくあるので、古語かも。あいだ、と、あわい、とでは、印象が違う。ただ、1.5人称というよりはむしろ、あわい、という感じかな?と思った。突然ですが、、半世紀前、デンマークで学生であったとき、だいよんせかい、(第四世界)という日本語の単語を学生たちの小さなあるパーティーで、イギリスからの留学生DAVEに、質問された。だいよんせかい、って、漢字ではどう書くのか。書く事は出来たが、当時は意味を知らないあたしである。ひったか、という名前も出てきて、日高、と(書いて)教えて差し上げる。ときは、1974年の末、12月ごろだった。その日高、という活動家がデンマーク警察に60日の拘留、などのエピソードは、ずいぶん時間が経ってから知ったことである。でその、1.5人称、インスタントの焼きそばが、生茹でになったときにそれを食して、小麦粉の新しい味を感じたのだと著者はいう。これが1.5人称ですわ。と。(へー。と面白く、可笑しく読み進んでいるが・・)偽名で半世紀、逃亡生活ののち、現在は危篤の状態と言う方がニュースに出ている。まさん、と言う方が、24日の深夜、クルマで出かけたまま帰宅していない。と、市内のニュースアプリに出ている。昨日朝知った。この方は、80歳で、あたしは直接ではないが、よく知っている。ある方面では、市内有名人。友人知人の間では、大きな心配となっている。お顔もよく知っている方なので、ひたひたと、灰色の心配があたしにも押し寄せている。もう、72時間が過ぎてしまっている。。薪補充作業を黙々とした。
2024年01月28日
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街とその不確かな壁 [ 村上 春樹 ]めでたく、、読了。お疲れさま。自分。でも、これで、むらかみはるきワールドに入ることが出来た。ありがとう。あとがきも読んで、イキサツも知った。(このお話の履歴)古い―新しい夢ー現実読むー書くこういう事じゃないかったか・・。
2024年01月27日
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昨年末、プールの支配人でもある、こコーチからアドバイスを貰い、(それは何度か会話の端に登っていた事だけれど)年明けからは、プールに行くために、プール建屋の地下駐車場からではなく、第2駐車場からグラウンドを回ってプールの1階に入る、というルートを追加?することにした。丁度70歳になる頃から、朝5時起きで小一時間のウオーキング(つまり猟犬種であるチャーリーとの散歩)、必要であれば夕刻も戸外を歩くのが日課であった。のが、、彼の病気と医者通い、に伴い、次第に歩く距離は少なくなっていた。続いてのペットロスで更に外歩きの習慣が無くなっていく。だから、かれこれ5年はさぼることになった。のである。コロナ禍のこともあり、ついこの前、と感じるがもう、5年も経っているのだ。脳の記憶と実際の身体能力には、隔たりがあるのだと、、思い知る。本当に目と鼻の先であるこの距離など、、と思いきや、最初この坂を上ったときは息が切れた。へー。。さすが、重力とは大したもんだ。日本の無人探査機が、月に行った、そして無事に到着したが、逆立ちしていることが判ったとニュースにあった。関係者ご一同には失礼かもしれないけれどなんと、ほほえましい。月でも、G・Matter。向かって右に小山があり、せいぜいが高さ10メートルほど。でも名前がついている。「神明山」。聞くところによれば、、古墳があるとかないとか。この駐車場で、リュックに変えて(なんと、このケチなぼちぼちが購入したのです!)ゆるやかな斜面を、山の左側を回っていく。正面に見えるのがプール建屋。水面が、地表面とほぼ同じなので、そして、ガラス張りなので泳いでいて、グラウンドが見通せるのだ。すてき。そんな風に思うのはあたしだけみたいで、この日は、レッスンの参加者は極端に少なかった。ざんねん。外から、反射的にプールの中を撮影しようと思ったら、バツ印ペタペタと貼ってあった。そうだ。撮影禁止なんだった・・。ので、道だけ。左側がプール。スイミングのエクササイズの事前運動としてのウオーキング、なかなかに、よい考えである。プールの着替え室で、(雪だったので)まさかあなた、今日も!第2駐車場?じゃないよね。と、お仲間に言われたが、そうやけど?なんで?などと、しれッと答える。(おまえ、わーっとらん。うひひ。)この日は、平泳ぎの後、アクアビクスだったので、先生が上でこちらを向いて指導。あたしたちは、グラウンドの方を向いて並んで体を動かすので、丁度、雪景色が視界全体に広がる。なんという至福であろうか!!BGMは、笠置シズコのヴギであるぞ。。リズムが、先生の頭を超えてこちらに来る。もう、先生など見ていないあたし。勝手にヴギ、やっている。♪午後からは、地元小学校の評議員会に出向く。参観日でもあった。1年生から6年生まで、教室が並んでいるのだが、子供たちの成長、あれよあれよという間に、、大きくたくましく、しっかりしていくさまを見るにつけ、感動。そして、教師、大変。(だろう)この小学校にも、大谷選手からのグローブが贈られていた。
2024年01月26日
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朝日が昇る。ウチら辺より北側は雪雲が覆い、おそらくひどい雪なんだろう。南側は、晴れているのだろう。
2024年01月25日
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街とその不確かな壁 [ 村上 春樹 ]ずんずんと、読み進む。主人公が、ある事象に対して、甲じゃないか?いや、乙かもしれない、あるいは、、こういう可能性は?そうだよな、これこれこういう背景があるとすればそうなるか、、と、イキサツを顧みて、考えるところなどは、それはないで、ってことは全くなく、そうそう、、そうです。と、思いながら読めるし、普通?普通はその線、と読み手も思う。ついていけないわ、という事は全くない。構え過ぎたか・・。知らぬ間に全体の半分以上まで来てしまった。節や章、という感じではなく、大きな数字が書いてある。映画のシーンのように感じる。そのカタマリそれぞれの最後の文章が、次のシーンの最初に出てくることもある。色名は易しいし、小道具も無理がない。特記すべきは、この小説に登場している、薪ストーブ。このおかげで、あたしは、グッと中に入ることが出来る。幸運だ。自分が長い間使っている道具のことをいろいろ描写しているのは、なんだか、、誇らしい感じさえする。昨日読んでいるところで、、話の筋なんだけど、、ああ、これはこういう展開だ。と、分かってしまったことがあって、それはその通りになった。一つは、封筒の中身。いま一つは、登場する女性からのキス。前者は腑に落ちるが、後者はどうか。それと、陶器のブランド名。ここは、*****ド、じゃなくて、ロイヤルクラウンダービーでなくちゃ。などと、、楽しんでおります。モルソ―、と言うブランドを書いてもらわなくても、薪ストーブの由来など、、もともとは、このタイプのは、バイキング船で使用されていた、、とかなんとか、入れてもらうと、もっと嬉しかっただろう。余談。
2024年01月25日
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沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い (新潮選書) [ 岡 典子 ]を知った書評欄にその本はあった。先週ころ、読了している。薦めてもらい、よかった。で、次は、、続いて同じ書評欄に、、街とその不確かな壁 [ 村上 春樹 ]であった。あたしは、村上春樹を読まずに老いた。ノルウェイの森のころ、北欧に居た。あまり、好きじゃなかった。どうしてかしら、。。村上春樹さんはそして、どんどん有名になり、評価されていく。ますます、遠ざけた。今回は、ある書評欄で、2023年に良かった本、押さえて欲しい本、ということで、3冊の本が上がっている。批評家かどうか、一般読者か、、知らないけれどアンケートで、高得票をとった上位から3冊、ということらしかった。「勇者たち」が入るアンケートだからそこそこ(そこそこ何?)なんだろう。と判断するが、そこに、村上春樹か、。。えーい。図書館での会話。ぼちさん、丁度、今なら貸出可能です。(順番待ちらしい、何人もの方が読みたいと、、人気なんだな)そのことばに惹かれて、じゃあ、借ります。と言った。分厚いんだこれが。。あまり好きでない作家さんなんです。あらそうでしたか。我が家は、夫も、娘も(もちろんあたしも)好きで彼のはよく読んでいます。へー。そうなんですか。一度、やだな、と思うと、、どうしても手が出なくて・・。でもこれなら、丁度、(初めてのむらかみはるき本としても)いいんじゃないでしょうか。お勧めします。などと、カウンター越しではあるが、言葉を交わすようになっている司書さんとの会話があった。司書さんも勧めて下さる。そうか、。。夫も、娘も、、と彼女は言った。ウチは、そういう会話が無い家庭だった。娘とは時々、話の端に本が登場することはあったが、。。ファミリーで、むらかみはるき、が会話に上がる。そんな家庭が、あるのか。。と、落ち込んだ。でも仕方がない。これからその家庭を目指すにも、もう、誰もいないのだから。がはは。で、むらかみはるきさんを連れて帰る。読んでおりますの。このあたしが。。かなりの確率で、3ページより向こうは行けない、と思い込んでいたが、。もう、半分以上まで進む。使役のようじゃなく、楽しんで。。何よりの発見は、就寝前に読み込むと、、アーラ不思議。薄味ながら味が濃い。眠りが不快、じゃなくて、深い。29日の返却期限までには読み終えると思う。感謝!
2024年01月24日
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本格的な寒さにより腎が冷え、血行不良が表面化してくる大寒の候、手指のひび割れや皮膚の外角層がめくれ粉っぽくはございませんか。乾燥対策にも冷え対策が大切です。背中側にある、へその真後ろ部分「命門」というツボには字のごとく生命力と深い関りがあり、エネルギーを発生・整える働きがあります。ツボを刺激するマッサージでも良いですが、カイロで温めるだけでも効果的です。冷えの自覚がなくとも、「命門」を温めて体調が良ければ隠れ冷えがあるかもしれません。命門を温めることで熱を生み出す力を強め、気血の流れを整えるとともに寒さに対する抵抗力や免疫力の強化にも繋がります。以上、定期購入の漢方やさんのDM。カイロで温めるだけ。とあるが、あたしは、カイロ、を使わない。ちょいと、今日は買って、貼ってみようか。
2024年01月23日
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今年の冬は、おおむね暖冬で、消費する薪は少なめ。それでも、先月12月に用意した分は、次の注文をしないといけないなあ、くらいには、減っている。カメムシの大発生については、関西方面では周知の話題。薪の1本1本に冬眠している。集団、、というほどもないが、結構。。ほぼ毎日の戸外からの薪運びで、当然カメムシも一緒に家の中に入るわけ。あたしの気がつかないうちにある程度はストーブにくべられてしまうが、見つかれば、また外に追い出される。結構な数なので、土間のストーブ廻りで歩き回り、ストーブの近くにあるマイデスクにも飛来する。5角形の茶色で1センチほど。ブーンという羽音も馴染みである。都度、メモ用紙に移動させ、外に弾く。何度もそれをする。そのカメムシ、飛んで、止まって、しばらく動かず。だから眺める。触角は点線に見えるほど細い。静止していて、まず触角を少し動かす。ほんの少し、。足が細く整っていて、その着地している姿勢が美しい。この曲がり具合が、いいです。などと、眺める。例の、パニックになった時の臭い、ひどいのではあるが、パニックにならなければただの虫である。ただの、美しい昆虫。翅の淵は少し光る。地味だけど、いいなあ。昨日、仰向けになって動かないのが傍にいた。あれ?死んでるの?と、不覚にも人差し指を腹に近づけた。刹那、あたしの人差し指にしがみついたのだ!生きていた。心はキャ!と叫んだが、そのままカメムシを止まらせたまま立って、ドアまで行って、外に出ていただく。臭いは無し。よかった。そのくらい、あたしは、カメムシと仲良くしています。カメムシしがみつき事件と相前後して、天然知能、をめくった。なんせ章立てが、変わっているので、。第一章が、マネコガネ、となっている。天然知能 (講談社選書メチエ) [ 郡司ペギオ幸夫 ]以下引用、少しだけ。p16のはじめから。→ 人工知能・自然知能・天然知能 夏の初めになると、道路脇の小さな崖に繁茂したマメ科の植物、そこに乗っていたマメコガネを思い出します。学生時代の通学路、職場に通った道と、場所は様々なのですが、いつも夏の崖は、縦横無尽に蔦を広げ、大きな分厚い、野生のマメ類に特徴的な緑の葉に覆われていました。そういった葉を見つけると、必ず葉の端や、蔦上の小さな芽などに、マメコガネを探したものでした。 マメコガネは、光沢のある茶色の背中(羽)が、やはりメタリックの緑色に縁どられた、大人の爪ほどのコガネムシです。何より魅惑的なのはそのポーズで、前から三対目の脚は、大きく上に持ち上げられたり、横にまっすぐ突き出されたりしているのです。前二対の脚で、葉や、他のマメコガネの背中にしがみつきながら、後ろの脚はしっかりと華麗なポーズを決めている。 マメコガネは出初式をやっているに違いないのです。←引用ここまで。この後、文章はそれこそ、感動的に(あたしにとっては)続くのであるが、。冬眠から覚醒した我が家のカメムシ。ねえ。。
2024年01月22日
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天然知能 (講談社選書メチエ) [ 郡司ペギオ幸夫 ]この、著者のお名前、ぺギオ、ってのが入っているので、ご両親か、その内のお一人が外国の方かしらと思ったのだけれどご本人が、ペンギンが好きなので、。ということらしい。それで、面白そうだ!と思って、図書館に行き、リクエストし、蔵書があって、引いた。まだ読んでいない。ただ、AI、AIと皆騒ぐ割には、人工、に対して、天然、と知能に名付けたのは快挙だと思う。本の裏書が、またケッサクで、紹介すると、、、「考えるな、感じろ」とブルース・リーは言った。計算を間違い、マニュアルを守れず、ふと何かが降りて来る。それらはすべて知性の賜物である。いまこそ天然知能を解放しよう。人工知能と対立するのではなく、想像もつかない「外部」と邂逅するために。以上引用裏表紙から。へー。。ちょいと、読むべき本が積んであるので、今の併読分1冊を終えてから、。楽しみ♪
2024年01月21日
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年明けから3週間、いよいよ大寒。そして立春。一年で一番寒い時期である。自然も寒ければ、政界も寒い。今朝、納屋に行くと、シャレがピアノの上にいた。なかなかいい展開である。パスカルは、顔の右側上部に、ケガをしている。犬の場合は、すぐに獣医に診せるところだが、ままならぬ。せめて、質の良いタンパク質(魚のアラなど)の提供くらいしかしてやれぬ。仕方がない。大事にせえよ。誰にもわかるハイデガー 文学部唯野教授・最終講義 [ 筒井 康隆 ]以前、この前の著書となる文学部唯野教授を読んだのだが、当時はちんぷんかんぷんで、そのままに。この度意を決して、引いた。さて、どうなりますことやら・・。自分的には、上り坂のつもり。暗闇の効用 [ ヨハン・エクレフ ]北欧の家具デザインを学ぶのに、現地の学校に留学した。その時、照明器具に関して、かの地は夜の長い(したがって暗い)国なので、「あかり」に関しての関心が強く、当然、照明についてもそのデザイン性を問われるのだ、との言説に接した。1970年代の日本では、「くまなく明るい」蛍光灯が主流。国民性の違いかも、とかは少しは思ったが、今考えると単に、インダストリアルデザインのレベルが違った、という事だけかもしれない。さて、この本の著者は北欧の方。地球環境的クライシス本。地球を暗闇にして欲しい、との基本的態度が最初からドーン!と書かれている。内容的には、(地球が人口の灯で)光り過ぎなので、昆虫の皆さんには大変な時代。ということ。反論の余地なく、その通りと思うしかないので、こちらも気分が落ち込む。よって、下り坂とする。街とその不確かな壁 [ 村上 春樹 ]初めてのハルキ本である。あたしは、「ノルウェーの森」の最初のページで脱落した情けない人間である。世の中では、高い、以上の評価のある書き手だ。肌に合わない、その一言で、あたしの人生が終わってしまっていいのだろうか。とも思ったので、そして、図書館の司書さんと少し話して納得したこともあり、読み始めている。最初の章で、ああ、壁の中は、、(と分かった気になってしまい)それなりに、次の展開が楽しみになり、今のところ、放棄せず、読み進んでいる。半分近くまで。これが、まさか。以上で、今日のご本の紹介を終わります。
2024年01月20日
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年明けに今回の女性委員会での動き方について、委員長から連絡があり、あたしは、でれーっ、としていたので、シャン!となった。会議後半はあなたにお任せします。だった。。えーっ!急遽、作戦を練り直し、記憶を浚え、出来てないこと今から出来ること、などを整理してメモして、これくらいで、、とその日に備える。半時間のスピーチして、夕刻は中学生の英語。これが火曜。水曜は、昨年からつもりをしていた、梅田行き。久しぶり。木曜は、週のうちで一番きついスイミング。平泳ぎやって、アクアビクスして、。午後は、小学校に出向く。子供たちに会う。夜は、ヴォーカルのレッスン。月に2回がいつもの週と違い、前に入った。この、火水木の3日間、、来るまでは(その日になるまで)想像するだけでもハードだが、いざその日に来てみると(その時間になる)、結構ハードだ。ああ、あれがそうね、と見上げていて、、高い山の峠に差し掛かり、一歩一歩大腿をヨッコラショ、と上げなくては上に登れないという感じ。昨夜、ボーカルのレッスンを終えたのは、午後9時。就寝は10時半。いつものルーティン、午睡はこの3日間は全部キャンセル。したがいまして、昼寝ちゃーん、、と叫ぶだけ。やまびこが遠くへ響いた。がしかし、今朝起きてみて、(6時半起床)自分のことながら身体の様子と対峙して、どもないようである。またぞろ、いつもの金曜日を過ごそうと思う。今年はいよいよ、猫たちの餌場移動大作戦だ。昨年夏ごろから、毎日のエサをやり始め、ちゃんと来てくれるパスカル、パスカルが連れてきたレゾ、次いで、ブランとシャレ、の2人組。レゾは、冬が始まってすぐ、居ない。てっきり、パスカルの子、だと思っていた。(パスカルはクロネコ、それもでっかい。レゾは中くらいで若い)ノラの平均寿命は3-4年。どこかの家ネコになっていればいいが・・。で、レゾ抜きでの、餌場移動である。まずテラスへ。これは、時間がかかったが概ね良好に推移した。お正月の頃である。寒くなる季節。(小寒から大寒へ向かう)納屋の中で、エサやりが出来ないかと試行錯誤。数日前のシャレ。なんと、ピアノの上が、彼あるいは彼女の場所になっている!ネコのことをあまり知らないので、そうなってから(ピアノの上でお昼寝)なるほど。と思った。これで、ネズミは戦々恐々になる。この3匹は、親子とみているが、パスカルはある日、納屋のソファに寝ておった。しかしエサは、まだ、玄関で時々食べる。若い猫は柔軟性があり、理解も早い。ヴィジョン、、と言うほどのこともないが、、彼らが居場所と認識し、拠点にしてくれれば、と思っている。去勢や一般ケアのこと、調べ始めている。近隣の話題に上ったときに対策を説明するという可能性も生じるだろうから。あたしは、、彼らが野生のままで、(なつくとかそういう事と関係なく)ネコちゃんたちとの距離を保ちたい。見果てぬ夢か。ネコのことで、納屋が少しづつでも整えばいいと思う。照明を変えて、明るくはしたが、まだ、夫のものの整理が出来ないでいる。今年はぜひとも、取り組みたい事である。
2024年01月19日
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沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い (新潮選書) [ 岡 典子 ]「はじめに」のところ、引用ここから→p4 ドイツでは長い間、ホロコーストはナチスが独裁政治の中で秘密裏に遂行した政策であり、多くの国民は知らなかったとされてきた。もちろん、ドイツ国民が絶滅収容所の存在や、そこでユダヤ人の身に何が起きているかも多かれ少なかれ知っていたことは、多くの研究が明らかにしているが、それを公然と語ることはタブーとされてきた。「国民は知らなかった」とすることで、ホロコーストの責任をすべてナチスに負わせて一般市民の免責をはかる戦後の総括が進められてきたからである。 そうした中で、国民自らがユダヤ人救援に関与したと認めることは、ホロコーストを知らなかったとか、自分たちもナチスに欺かれていたといった前提を翻すことにもつながりかねなかった。しかも、ナチス支配の崩壊後もドイツ社会にはユダヤ人への差別意識が根強く残り、ユダヤ人救援への関与を公言することは依然として困難であった。 一方で、ユダヤ人の側もまた多くを語りたがらなかった。語るにはあまりに凄絶で、重すぎる体験だったからだ。圧倒的多数の同胞が死んでいったなかで、自身が生き延びたことへの負い目もあった。加えて、たとえ語ったとしても、それに心を寄せるドイツ人は少数だった。彼らの多くはユダヤ人たちの生々しい告発を、いつまでも過去に囚われ、自分たちを繰り返し非難し続ける不快な話題と感じた。 かくしてドイツ人にとってもユダヤ人にとっても、その凄絶な過去は心に深い傷となっていたから、当事者たちが自ら口を開くまでに相当の時間が必要であった。 ユダヤ人救援に関する本格的な研究が始まったのは、ようやく一九九〇年代になってからである。以来、W・ベンツ、W・ベッテ、B・コスマラなどのドイツ現代史研究者が中心となり、ユダヤ人を救った無名市民の存在を掘り起こす地道な作業が続けられてきた。そのための主な情報源は生き延びたユダヤ人をはじめとする関係者の証言であった。長い時を経て寄せられた情報のなかには、曖昧な記憶に基づくものや、事実とは異なるものも少なくない。その中から「何が事実か」を見極める過程を経て、無名のユダヤ人救援者に関する書物や論文は少しづつ公表されてきた。 今日のドイツで、救援者たちは「沈黙の勇者」と呼ばれる。それはホロコーストを生き延びて戦後を迎えたユダヤ人たちが名付けた感謝と敬意の表現である。 ←引用ここまで。p5中学か、高校の時にあの有名な、「夜と霧」を読んで以来、だから結構、長い間ではあるが、根本的な哲学的でさえある、人間とはこういう事々もする、、のだろうか、、どうなっているのか、、という問いが、自分にはあって、図書館にある本、と言う縛りはあるものの、ユダヤ人絶滅収容所に関係する書籍はピックアップして読んでいたつもりであるが、先日、ある大手新聞社の推薦図書にこの本があり、あたしは知らなかったのでリクエスト(図書館にお願い)して、このたび読み始めることが出来ている。著者は1965年生まれ。ヴァイオリニストから、研究者になり、(心身障害学)博士。筑波大教授。わけわからん言い訳をして、何を言ってるか理解できない自民党所属の女性議員がおられるが、謝る謝らんとかそう言う低次元のことでわいわい言ってるメディアも、もちろんその原因を作っている政治の在り方にも、気持ちが整理できないで、カスが残るのだが、ドイツと言う国が、羨ましい。隣の芝生は青いだけか。。
2024年01月18日
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昨年7月には、まだ工事中のビル。今朝眺めると、、出来上がっております!シャンソン教室を再開(自分側、ずっと開校です)して、久しぶりに遠足だった。楽しみだった、阪急梅田店のディスプレー。もう、チョコレートの季節だがや・・。田舎は雪模様。(数日前)
2024年01月17日
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1月17日早朝5時46分の揺れは、ひどかった。何度も、この1月17日が来るたびに思い出す。そして今年1月1日に、能登地方で大きな地震があった。日を追うごとに、被害の甚大である事、自然の営みのスケール、能登地方の半島の在り方、などがニュースで取り上げられて、気持ちが落ち込む。今朝のニュースでは、輪島市の中学生が集団で100キロほど南の施設に集団で一時移動、とのこと。こないだは、神戸大学名誉教授の災害専門の先生が、今回の地震の行政の対応について、自身も反省しているとしながら、かなり、批判的なご意見を述べられていた。つまり、初動が、ダメだと。。阪神大震災の教訓が全く生かされていないと、嘆かれている。原発の場所がこの地震の起きた中にあるし、被害状況の把握が難しいとか、危険が危ないとか、いろいろ言われている。ある程度は、さもありなん、、とか想像したりする。現地にえらいさんが、視察?に来るのが遅いのじゃないかとかだ。ただ、2週間経過して、周辺の救援体制は整いつつあるような印象だ。災害の専門家のご意見と、中学生の集団移転を掛け合わせると、まず、阪神大震災は、29年前に起きた。ほぼ30年。10年が3回だ。あたしは、当時46歳である。能登地方に比較すると、阪神間は都会である。全く違った被害があるとしても、(例えば高速道路高架がなぎ倒されたとか)自然との関わり合いが全く異なる。4mも海岸が隆起して、港湾が使用不能になるとか、海岸線が200mも海方向に延びて、陸地が広くなるとか、天然のダムが沢山できてしまうとか、海沿いの道路がすっかり無くなってしまうとか、、とてつもない変化が能登半島先端部で起きている。しかも、10年間を3回過ごした後である。我らは、生きて、こうして見聞きするが、ざっくり、40代の時のことと、70代の時のことではまったく、状況は違うのではないだろうか・・。違う、そう、しんどさが。。30年前に50代60代であった人が、もう、80代90代になっておられる。日本は平均的にみても、全体が老いているのだ。その割には、、と言っては何だがお若い世代が頑張っておられるという印象だ。シュリンク(縮み)していくのは、ある程度やむを得ないであろうが人の手が入っていない自然豊かな能登半島をまた、賢く、復興して欲しいものだ。大阪の人工島に現在鋭意建設中の木製リング。費用は350億円と言う。ここはひとつ、分解、解体を含めて、そのエネルギーを能登半島に注いでいただきたい、と思うのはあたしだけだろうか・・。
2024年01月16日
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明日は、市の女性委員会だ。ぼちぼちさんが、ご熱心なテーマですので、よろしく。と先日、委員長からLINE。おそらく、2-3年前になるか、、いや、もっと以前か。(直近の3年間は本当に白い)市の西北部にある施設のトイレの臭気がひどいので、こんにちは市長室に面接予約をして、市長に直訴したんだった・・。不特定多数の市外からの訪問者、つまり観光客がこの施設にも、結構訪れだしていた。土産物の売台が並び、見通せる限り、、その中ほどに売台が無いところがあって、ツカツカと近づくと、、そこは、トイレのドアだった。今は、ほぼ標準となっているのが、公共トイレ入り口は前室のような空間が設置されている。(あたしの言う、トランジット空間)ここは、建築年がかなり古いために表示のドアを開けるとすぐに、トイレ!である。それが臭うのである。当然、売台の前でも臭うのだ。トイレの工事となると大変である。すぐに出来ることと言えば徹底掃除しかない。ボランティアで行きましょうか?とまで言ったくらいだ。直訴の効果もあり、その後、掃除しました。とか連絡が入る。また見に行くが状況は変わってない。。掃除方法まで、申し上げたものだ。あたしも、そうそうこの施設だけに関わっているわけにはいかない。そうこうするうち、、女性委員会に入りませんか?というお誘い。そんなこんなで、一昨年秋からの委員活動である。今年は、2年の任期をまとめて、学んだことを提言と言う形で市に提出する予定。本当に勉強になった。感謝。もう今は、直接の感想を、夫に聞く事は出来ないけれど、彼の、障碍者としての生活を妻としてともに取り組むことが出来たのは、より一層、知識が増えて有難い事である。自宅に、ストマケア(人工肛門ケア)用の個人トイレをありものでなんとか設えることが出来たのは、かつて、、住宅設計を仕事としていたときに、吉野の別荘にそれが要る、とのクライアントに出会ったのも、(勉強大変だった)下地の一つになって成果に繋がっている。。などと、つらつら書くと、ホンマ、人生に無駄なことなど一つもないなあ、、、と、大きな息をするのだ。義母が、施設入所の際、個室を希望し、ちょうど、出来たばかりの市内の施設に入ることが出来たのだが、、その時も、国交省の建築設計標準など参照したりした。まだ、使用していなかった車椅子のこと、これに関連して、車椅子の通路におけるすれ違い、の場合は、渡り2900、しかし、東京都は地価の関係上、別途2700とする。とかの文言、印象的であったので記憶しているが、。まあいろいろ。思い出として、次から次から、、今のあたしの皮下脂肪のように膨れて来る。今朝は、雪かと思うと冷たい雨だ。雨の方が、冷える感じだ。
2024年01月15日
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ロート製薬 メンソレータム ハンドベール うるさらバリアジェル (70g) 【医薬部外品】手のリアルは、甲の皮をつまんでみると、すぐには戻らず山脈のように留まる。若い人の手の甲とは違う生き物のようである。皮膚細胞のターンオーバーを75年も繰り返しているのだから無理もないのだろう。この手で、多くの作業を休みなくやってきている。お疲れさん。とじっと手を見る。皮膚が若返る、を期待してのハンドクリームではなくせめて、ザラつかないように、の程度ではあるが、今は一日何度も塗っている。もう一方の身体先端の足の裏、つい先日、長らくの治療行為であった水虫のクリームが無くなって、皮膚科に行き検査。(5か月くらい続けたか??)それがあーた、とにかく継続で毎日1回、足裏から先端、踵まで、ベッタリ塗るのですぞ。だから、1本の普通のチューブ状のクリームが10日でなくなるほどたくさん塗るのです。就寝前、と言われてそれが苦で、朝一に途中で変更してもらった。すっかり習慣づいて、水虫は卒業と相成る。あれ?と発見したのが、、足裏のすべすべ。この事を先生に言って、このすべすべをキープしたいと。で、サリチル酸系のクリームを貰って来た。余得である。なんせ、人生の長い間、手のひら、甲、もそうだが、足裏のケアなど、とんと無関心であったのだから、。でも考えてみると、、自分と言う身体をずっと一身に?支えてくれている。ご苦労さんである。人類史としては、永らく人は平均寿命40年ほどであり、こんなに長く生存しなかったのだからくたびれるのは無理もない。こないだは、人工涙液、ってものやってみたなあ、【第3類医薬品】【あす楽】 参天製薬 人工涙液型点眼剤 ソフトサンティア (5ml×4本入) 目薬コンタクトされている方には宜しいらしい。あたしはメガネだが、目に補給するといい感じだ。いやはや、色々助けてもらう。
2024年01月14日
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限界分譲地 繰り返される野放図な商法と開発秘話 (朝日新書941) [ 吉川祐介 ]その昔、和歌山県の海沿いの地に、いずれ別荘を建てようと思って買った土地があるんだけどまだ別荘は建てられなくて、そのままになっている土地があるんだけど、最近は、年に3万ほどの管理費を払っているんだけど、その管理費を支払いに現地に行くと、おもてなしがあって、美味しいものが食べられる。いえなに、管理会社がごちそうしてくれるの。ついて行ってくれない?と言った人がいた。なあ、。とか思い出した。老後をやめる 自律神経を整えて生涯現役 (朝日新書940) [ 小林弘幸 ]殿方にとっては、この、生涯現役、と言う単語はどうも、グッとくるらしいんだな。書評を読んだりしてみて、これは順位が落ちるなあ、と思った。THE PERFECT DAY(映画)は、いい映画だったけれど、所詮は、、オトコの映画なんだな。これが、。日本と言う場所を物語のベースに置いたドイツ人監督はさすがと言うべきか。老いの失敗学 80歳からの人生をそれなりに楽しむ (朝日新書942) [ 畑村洋太郎 ]失敗も何も、成功もなにも、あったもんじゃないあたしのよたよた人生だ。さて、どんな論法であるのか、興味が湧いている。あとは、図書館に行って、探してみよう。あ、気になった文言がある。気になったというより、気がついた教えられたというべきか。朝日新聞デジタルの記事中。AIが超えられないバカの壁 養老孟司さん「問題はむしろ人間」 「大脳の分野の一部の機能とだけ比べれば、ヒトの能力を超えるのは当然でしょう。囲碁や将棋でAIが人間に勝ったとか負けたとか言ってるけど、オートバイと100メートル競走してどうするんだって話ですよ」脳化した都市から、3000年に1回、いや4000年に一度の天変地異が起った田舎の山奥のこと、想像せよ、と言っても無理だがや・・。とか発声はせずとも、呟いている。ぼろろろろろろおろおろろ・・・。と、炎の音が聞こえる。薪ストーブの火をおこし火床が出来たかなー?とストーブを見る。寒い。みなさま、どうかご無事で!!
2024年01月13日
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昨日は、初稽古。昨年末の発表会の写真を、先生が届けて下さる。送りますね。と言って、お互いのスマホを手元に。。大いに、お褒め頂き、弟子としては感謝だし、嬉しかった。このほかにアップの写真多数であるが、マル秘。いちいち、お腹が出てます。シワ、沢山あります。背中曲がってます。口、もっと開けた方が良い、やっぱり、手に、年齢が出ます。などなどなど、、コメントをつけないといけないと分かって、止めました。それでも、当日に、こうして歌えたのだから、おかげさまです。思うに、、スイミング効果があるかも。。と思ってるんです。昨年末に、コーチに質問した。(プールのある建物の2階に空き部屋がある)自転車こぎなどのマシンはないのですか?と。コーチの反応は、、どうするつもりなんですか?と。いえなに、、運動を地上でして、プールに入る、といいかなと。と答えて。コーチ曰く。この公園には、第二駐車場というのがあって、それはグラウンドの向こうにあるんですが、、皆さんは、運動運動と言われている割には、地下駐車場に車で来て、即、プールに来られますよね。せっかく、ちょっと離れた第2駐車場があるのだから、そこに車を停めて、プールまでの5分間でも(徒歩5分)歩いて来られたら如何?ぐうの音も出ない。おっしゃる通りである。とゆーわけで、、今年は、お天気の日は第二駐車場に停めることにする。なーんちゃって。まだ2回しか実行できていない。昨日は、寒いが晴れて、その5分の道、なかなか清々しかった。ゴミ出しは、徒歩で。そのほかは、クルマが多い。この徒歩でも、平地だと駆け足になったりするが、プールの第二駐車場から本館(プール)にはいるまでは、坂道ありで、最初歩いたときは、息が上がった。こんなに衰えているのか!こういう局面になってみないとこの、感慨は抱く事は出来ませぬ。本当。私も第二駐車場、というお仲間が出来ているので、せいぜい頑張りまっさ。歌も。プールも。
2024年01月12日
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如月十兵衛 娘鍼医の用心棒 (論創ノベルス 6) [ 扉修一郎 ]読了。比較することは憚られるので、ただ、読了とだけ。福翁夢中伝 下 [ 荒俣 宏 ]下、の文字を見落としていたので、借り直しの予定。上から読みたい。忘れ得ぬ言葉 私が出会った37人 [ 鎌田 慧 ]同じタイトルで、ある哲学者?の本を読み、その本には、3-4人しか登場していない。37人とあるので、興味が湧いた。未読。玉村豊男のポテトブック [ 玉村豊男 ]食い意地の張ったあたしのことである。何か、美味しそうだ。【3980円以上送料無料】【OPEN記念全品ポイント5倍】かくて老兵は消えてゆく/佐藤愛子/著著者は大正12年生まれ。あたしの母は大正7年、父は8年、義母は11年生まれでいずれも鬼籍。感慨がいつも沸き上がる。大きな文字での改め出版なので、ちょっと前の日本のことごとが題材になっているエッセイ。愛子先生は、コーナンジョシ。(親和、と書いて)シンナ、と読むがこれも阪神間の女子高、カイセイ(海星)、コーベジョガクイン、と続けると、、阪神間のオジョーの学校である。そんなこと、思い浮かんでいる。大文字はやはり読みやすいので、読了。1冊3000円する。図書館でこのシリーズをまた借りて来よう。
2024年01月11日
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法曹関係者のかさんは、正義漢、が服着て歩いているような方だ。ここんところ数年、市の端の方の大規模養鶏場の臭気問題に取り組んでおられた。国がなまくらだと、県もしかり、市も町も、。のようにあたしには見えるが、ほんの数回程度の市議会傍聴でそう言うのはおこがましいが、市議会の停滞感、目に余っている。停滞するだけではそれは一つの在り方、とでもいうことが出来ようが、先年、暴言(と、制止が必要なくらいの行動)により市議会開催中、賛成多数で議員辞職勧告を受けた議員がいる。あたしはそれをラジ関(ラジオ関西)のニュースで知ったくらい。マル秘でもなんでもない。その議員と、もう一人の議員が、ある時、養鶏場の問題で熱くなっている地区の公民館に出かけて、議員報告会をやった。その時に、会議の終了後、立ち話で住民の方々と言い争いになり、大声でやりあう事態となる。これも、マル秘でもなんでもない。結局、この夜の顛末について、あるいはこの夜のことをキッカケとして民事訴訟をしようという事になり、去年、原告の弁護士を引き受けられたのが、この、かさんである。これとて、マル秘でもなんでもない。実は上記裁判の判決が年末にあって、原告敗訴となった。これも上記と同じ。敗訴は知らなくて、先日お会いして知ったことだ。ザンネンである。相談を受ける立場ではないが、関連資料をメールしてくださった。これが、マル秘、かというとそうではない。すべてオープンソース。見ようと思えば誰でも見ることが出来るもの。あたしは返事を書いた。(一般市民をして、憤懣やるかたない、この怒りの感情をどうしてくれようかとまで思わせるに至る市会議員とは何ぞや。と思うわけである。議員自ら議会報告会に出向いたのであれば、市民の代表として、大らかに平らかに市民の感情を見聞し、そして、共感し(決して無理なことではないです。10年以上に渡り、ひどい臭気で悩んでおられる方々が大勢居られるのだから)なんとか衆智を結集し解決の糸口を探ろうとするのが、(少なくともその姿勢なりともを示す)市民代表の勤めではないのか。それが、、市民の怒りの発言に対して、まともに同じ大声で怒鳴り、暴言を吐く(このや9ざが!)のはどう考えても常軌を逸している。)以上は気持ちであり、このままを書いたのではない。これに似たことを書いたが紙に包んで、紐をかけた。お返事が来て、、いかにも、法曹関係者的な言葉ばかりではあったが、メールタイトルに、★マル秘★、とあった。慎重に、事態解決にお進みになって欲しい。そしてあたしは、★マル秘★、了解。とお返事した。以下マル秘。しかしなんですな。天下の市会議員さん達も落ちたもんです。そっくりそのまま、市民の意識も高くなっているとは言えませぬ。だって、あたしも含めて市民が彼らを選ぶのだから、。。。
2024年01月10日
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間違ったり、忘れたり、は最近よくある事である。認知症関連の情報は、溢れている。衰えてきていると、実感する。世の中のある程度の年齢以上の方はどうも、同じようだ。物忘れ外来に行き、一度検査を、とは思っているのだが、検査してどうなるもんでも無し。しかし、定点観測には、いいかもしれない。さて、年賀状。気持ちが動くとかそういう事でなく、ただ、ヒマであったのでやってみようと思った。この、ヒマだから、、時間が空いたから、、と思えるのは良い事である。紙の行き来でなくて、ご機嫌伺が適宜できる方が良いと思って、毎年来る年賀状の束に対して、封書で、その考えをお伝えするってのはどうか、とか、お年賀でなく、日を置いて往復はがきでメールアドレスとかを書いてもらい住所録を作るってのはどうか、とか、逡巡していたのである。そう、大げさになればなるほど考えがまとまらず、。などと、煮詰めていて、、昨日は、年賀状を作成した。あれ?。手持ちのハガキに、赤字で年賀、と入れて、不足分をコンビニに行って買って、印刷して、、ポスト投函の用意をして、と。(これが、昨日の午後)朝5時起床。寝起きに、突然閃く。あ、co.jp 書いてない。あちゃー!そうだよ、、書き足せばいいのだ。と。。作業の思考は、投函分を束ねた刹那、そこから離れている。思考探偵は時系列で復習するが、なぜ、突然思い出したかはわからない。確かに、、作成当時は、何かが足りないとは思っていたのが、シナプスちゃんがあたしと朝、一緒に起きてくれて判明したのである。遅い!っちゅうねん!(でも間に合った。ホッ!)
2024年01月09日
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今朝の朝日ウェブの記事中、中見出しに「グラインドデザイン」と言うのが出ている。え?グランドデザインじゃないの?とすぐに思う。だって、能登地震の、ある大学の先生のインタビューだもの。さて、グラインド、、粉砕デザインとは何か?新しい言葉か?ひとしきり考えるがその頭で、記事を読み進み、、やはり、記事最後でグランドデザインが求められる、、とあった。中見出しにグラインドデザインは、マズイ!朝日さん!
2024年01月08日
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年賀状!おついたち(元旦)から、、明けて暮れてをしばらく過ごして、、ポスト確認をようやっときのう。怠け者のあたし。ダメだなあ・・。亡夫の係であったので、気持ちが動かなんだ。お正月から、気持ちが塞ぐことが多くたまらない。テレビを消しましょう。とかニュースで言ってるが、もともと、テレビは見ていない。寒くなると、いや増して被災地の事々が容易に想像され、堪らない。ディアナのクリスマスカード、emailで、出したよ、とは言ってきたけど、その出したよ、、は、12月に入ってしばらくしてからだしクリスマス当日には間に合わないのは、、当然としても、、、などと思ってはいたが、でも、、年賀状と一緒に入っていた!豪州からの夏のクリスマスのカードは生まれてはじめてだ!そう、今は、、夏至が過ぎたところで、、いよいよ本格夏の到来だ。それにしてもコアラちゃんの可愛い事!ディアナはおそらく、、5分でこれ位は書く。あたしは、、50分はかかる。スペルチェックが、自動で入るから、え?違うの?とかやってる。それと、、定冠詞が抜ける。などと、、お勉強。いちいち自分の年齢と脳内で照らし合わせるとかもする。言い訳。関係ないのに。。そう、本来は、あたしの本質とは関係ないのだ。でも環境はそういう風に強いるのである。文の長さなど、主観である。だから、ちょいと書く、ってのがディアナであたしは、長文のように感じる。第一、意思疎通出来てるのかしらねえ・・。記憶によれば、最近いろんな語りかけがありそれが2通になっていたので、まとめて、返事したかった。でも、こちらの脳の都合で、まとまらず。クリスマスカードのお返事、で、しようと思ってた。返事にはなってない。(なんやそれ)彼女、スイミング、、行ってみて、これええやん!となったらしい。良かった。書きたいことは次々浮かぶので、自動で、カチャカチャと自分の脳で英語にする。都度、辞書と参照。全く未知の言葉はないけれども・・。言い回しとか、単語とか、、良い先生に出会ってる。(ディアナのこと)ただ。基本は、古い半世紀前のあたしの話し言葉だ。機会があれば、ディアナ先生に質問してみよう。
2024年01月08日
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せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ七草(、は無くて一気に和歌のよう読む、と言うか唱えるというか・・)やさんから、恒例の七草粥用のパックを頂戴する。ご親戚が、神奈川県で農家をしておられる関係上、毎年関東に出向き、お手伝いである。昨日まで、作業していました。と、。お正月の濃い?食事に疲れた胃をあっさり系のお粥で、休めましょう。ということで1月7日は「ななくさがゆ」の日だ。夏の鰻、冬の大根、カボチャ、大みそかには年越しそば、ひな祭りには、、端午の節句には、、と、食べ物と記念日は結びつく。クリスマスには、、チキン?次回記念日は、15日の小正月。小豆を食べることになっている。(あたしは大抵忘れている)世の中に災害が無ければ、1月の第2週のニュースは、出初式だの、神社のお賽銭数えだの、辰年の縁起物だので、次の週になると商売の神様のえべっさん、残り福、、そして、共通一次などの受験関連などと、記事は満たされる。四季のある日本列島は、この、季節関連伝統関連の出来事で、見出しは揃っている。しかあし、、今年くらいからは、、2季的になるとどうなるのだろうかねえ、。週替わりあるいは、月替わりで、ネット通販のDMを書き、商品お届けのご挨拶としている。1月4日に、ほぼ北東の空に、虹が出た。コウフンして、撮影したが、見えないぞ!端っこ、、奥の家の山との間が、、辛うじて・・。
2024年01月07日
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4日から、ネット通販の仕事再開。5日から、スイミングプール再開。英語教室再開。最近は、薪ストーブの点火、手が出ない。面倒と思ってしまうのは、暖冬だからか・・。着替えを済ませると、これなら(寒いがしのげる)、、と思ってしまう。スイミングの今年の目標は、バタ足で25mを続けて泳ぐ。というのだ。カエル足、そう平泳ぎでは、それは全く当初から可能であった。いつも、コーチがいるグループレッスンに参加してすぐに水から上がるのが上達しない原因である。教えてもらう前の時間、つまり早めに水に入るのはするけれどもレッスンの後、復習がどうも、苦手なのだ。なんとか、この、少しの時間を心してバタ足の練習に充てたい。当面は、プハー!と水に浮いてええなあ!とボーッとしているだけじゃなくバタ足!と唱えて練習するべし!と、書いてみよう。四角の青い浮き、、ビート板を持ってプールサイドに行くのを習慣にしておられるお仲間がいるが、そのようにやってみようか・・。なんせ、バタ足で前に進むのに半年かかっている。(今では少し前に行くことが出来ますよ)それを考えると順調?に進歩しているわけだし・・。今年も、週に何度かの水泳教室を続けることが出来ますように!!写真は、息子一家が来た時に持ってきたぴーすおぶけいくす。久しぶりに眺めた。あみだくじで頂きました。あたしは、モンブランだった。一時間以上も並んで買ったそうだ。オツカレ。
2024年01月06日
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大晦日から元旦を迎えようと、NHKの紅白にチャンネルを合わせた娘と孫。Eテレに、孫の合唱団の一員としての彼女がテレビに映り、少しインタビューなどがあるらしいと知って、、。これは、、やはりばあばとしては見せていただかねば!と思っておった矢先、突然、テレビが見えなくなった。夜の8時過ぎのこと。どうも、繋いでいる何かのケーブルが壊れたみたいと娘。必要な物は何か?判明して、、調達しなければならなくなった。が、大晦日。スマホの小さな画面では観ることはできるが・・。夜の9時まで営業しているホームセンターを見つけて、出かけることになった。そして、おそらくコレ、、と思うものを調達することが出来た。こういうのあまり得意じゃない、、と言いながらも、娘は色々やってみて、、すぐに、また、テレビは映るようになった。ホッとした。大晦日の3世代の冒険だったね、などと言い合ったことだ。地震は元旦の夕刻。横揺れだけで、長く、なかなか収まらず、薪ストーブ、すぐに3個の換気口を閉じて、炎を失くし、アタマに何か被り物、、、と毛糸の帽子を眺め、、外に出る方が良いのかしら、、前の空き地がいいかしら、いや電信柱は危ないのではないか、、とかそんなことまで考えた。それほど、長く揺れた。怖かった。パソコンのモニターに同時進行で、能登半島の津波と地震のニュースが流れている。その時、娘と孫は、伏見稲荷に初詣で、おみくじの写真を送ってきたりして、。帰宅後聞くと、全く知らなかった。と言う。長い石段を上るか、下るかしていたときらしい。一連の写真をとったのは2日、息子家族も合流し、一家でランチに行った。帰宅後、そのテレビに映ったのは、羽田で飛行機の燃える様子。なんと!娘と孫はいつも羽田―伊丹往復の所、今回は珍しく、帰途は新幹線を予約していた・・。年明け早々のひどい災害が立て続けに・・。言葉が無い。これから、それら災害の全貌が次第に明らかになるだろう。おめでとうございます、、と言いにくい、今年のお正月だ。
2024年01月05日
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年単位で言えば、去年、の12月15日、レッスンでやってみた、クリスマスカードをオーストラリアに送る!というミッション。いささか、遅れて準備が整った。ディアナには悪いが、もう、クリスマスには間に合わない、と思っていたので新年に関するシールなどをプレゼントとして同封した。昨日、メールで着きましたー!ありがとー!と、写真とともに送ってくれた。こちらも、お正月モードですぐには返事が出来ず、受け取りだけお知らせし、半日後、返事を書いた。この手紙の前にあたしが送ったクリスマスカードの返事が来ていてその時、丁度年の変わり目に差し掛かった時だったので、それも、受け取りだけの連絡をし、4-5日後に返事書くね、と伝えたが、前回メールは後回しにしよう。などと、脳のリハビリには持って来いである。以下、直近メール。↓(年末にようやくご所望のヴィデオを送る。孫が手伝ってくれて送ることが出来た。説明も何もなしで3個送ったので、それを書いた。)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーDear Diana,From now,I'll write mail to you.Videos are all three.1st and 2nd is 19th of Nov. Titol of "Donna Pera Autumn Concert".With a partner she is a friend of choir .Song is Enka,a Japanese one.2nd is just talking, but the audience was laughing very much!Every person who came that concert said to us next time you should do talk only!Just like a standup comedy.😆3rd one is,,,4th of December I sang as you recognise "Armstrong" in French.😅At that time,30-40 people attended to stage ,they are all student of music school of Miho.I performed the2nd of last. But every time I saw my performance in video, I shamed very much.😭Because the gap between what I expressed the something and the horrible song.Unfortunately,I have not received your card yet.Maybe in these days,we'll see.Every X'mas day my English class students get the big X'mas cake from me.All four famiries.In here Sasayama,as it were say a country side in Japan,people doesn't concerning about Christmasday.As you wrote to me,and you imajin and think 16years ago.But this year, will be held every in the end January,in the head of community-center of Sasayama City,was held in Christmas EVE!And I sang on stage[When you wish upon a star].The last stage of this year 2023.That song wasn't memorized to me, so I studied very hard for 3 days!Young people and kids were almost feeling the Christmas festival I think.So, I'm waiting your letter O.K?I'll check the post.Thinking of you.LOVEBochi ーーーーーーーーーーーーーーーーーーディアナとあたしは紙のやり取りじゃなく、モニター画面で。お互い、この国際郵便事情についてはミステリー、というしかないよね、などと言いながらのやりとりである。実際に郵便局経由で、紙を送る時代ではない。次の時代の人たちは、昔はこういう事をしていたんだ、、と思うだけだろう。
2024年01月04日
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を書こうとしているが、能登半島の大地震、加えて羽田空港の大変な事故、と、新年早々世の中慌ただしく、オーストラリアのディアナからもお見舞いのメールが来たりして、慌ただしい以上のことのようだ。波乱の幕開け、、である。さて、途中で切られた昔の話。ばあば不在の子育て家庭の主婦として、生きていたあたしは、いくらなんでも可哀想、との感情を親戚周辺に起こしたのだろう。余裕があり、ほぼ平和な、そして、地理的にも近い大叔母の婚家、U家が折に触れ、救いの手を差し伸べてくれた事については散々ここにも書いている。箕面時代のお隣さんの一人であるささんも、そうであったが、(今思い出しても本当に有りがたかった)年末年始となれば、さすがにささんもご自分ちのことで一杯になり、その周りも静かになって来る。(若い夫婦は実家に帰省など)12月20日過ぎになると、電話が入り、あんた、おせちとか、いつ取りに来る?と、大叔母。じゃあいついつね。と約束し、出かけていたものだ。その家は、当初は敷地2000坪のお蔵もあった大豪邸で、その土地をデヴェロッパーに売り、マンションを建てて1階部分を取得、マンションになってからも、おせちを取りに行く、のは続いていた。さて、大豪邸は大昔で、マンション時代も昔のことである。空の、その前年に貰ったおせちのお重を持参して、座卓に並べられているお料理を順番に詰めていき、お重が満杯になれば、次にタッパーにお雑煮の材料を入れ、両手に重い、その食料品一式を貰って帰る。どうぞよいお年を!と、挨拶して・・。これは、助っ人のお手伝いさんが来なくなるまで続いたのだ。おせちを自分で作り始めて、このディケイドもカタマリとして記憶している。店をしていた時代はその流れであった。田舎暮らしを始めてもその習慣はあった。なんせ、おせちの最重要献立の黒豆の有名産地であったし。(だから梅干しに続き、黒豆味噌も作り始めている)夫の退職に伴う暮らしの変化、そして、姑の在宅介護、施設入所と忙しい年が続いて、ある年に、一度は買ってみようか、とおせちのお重を初めて購入、したのは、そうだ、。夫が大怪我した年だったかも。。。この、みやまのおせちは、、4回目か5回目。(昨年は夫の忌中でお休み)計算が合わないのは、旅行か何かか??さて、今年の準備はどうなるだろう。。
2024年01月03日
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大晦日の恒例行事に、U家におせちを取りに行く。というのがあった。箕面に住まいしている時から、隣の県に越しても続いていた。U家には、長らくお手伝いさんが居て、彼女が辞めてからもそのお正月準備のおせち作成だけは、遠方のそのお手伝いさんがU家にやってきて、年末の最終週は逗留してねじり鉢巻き、おせち作成に従事した。そのおせち、黒豆を水につけて、数の子の皮を取ったり、野菜類の下茹でなど、、下ごしらえから始まり、日がな一日、だいどこはホットである。おせちのお重、子供たち5人の家分と、後数個、、になるので、合計は7-8セットとなり、お重は3段なので、壮観である。ふすまを外した和室に、長方形の座卓を3個並べてお重を広げて、出来上がった料理を大鍋から順番に移していく。持って帰る方は、欲しいもの、、というよりは、、伝統にのっとり一の重、二の重、三の重、と重ねて、風呂敷で包んで・・と言う作業と、お雑煮の中身の野菜類をタッパーに入れるのと、もしお餅が欲しければそれも、、と言う具合に自分の取り分を紙袋に入れる。ほんの少し、余裕があれば、早い目に行って、お手伝い。ただ、チーフ(お手伝いさん)がとんでもなく手際のよい方なので、手を出し兼ねたり・・。おそらく、、当時は、主婦とは言え、キャリア10年ほどだと、未熟者め、と思われただろう。しかしそこは、他人である。ホンマ、助かりましたー!のお声があったのは、言うまでもないが。そんな、、昔のことを、みやまに今年のおせちを貰いに行って、紙袋を下げて、お店を出たときに空を見て、思い出したのだった。
2024年01月02日
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新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。 2024 元旦昨夜は、例年だと雪のはずが雨になった。新年早々には、楽観的に、、せめて松の内は、、心穏やかに、、と。年が改まって、また月日が巡り、暮らしを楽しく、小さな喜び事に感謝して、過ごそう!おせちの写真は、サクサク孫が撮影しているが、それをば、、こちらにアップする、、ってのがなかなか。取り急ぎ、我が家の伝統お雑煮。まさにぼちぼち(ゆっくり)と、新しいめぐりを生きていく。
2024年01月01日
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