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朝、ゆっくり起きた。今頃、上の部屋でも、嵐君達、起きてるかなあ。今日は、一部が、2時半からだから、アリーナに入るのも、遅くだな。窓から、アリーナが目前に見えた。記念撮影。下に降りて、美味しいバイキングの朝食を頂いた。帰りに隣のショッピングモールにある、無印良品に行き、買い物。部屋に戻って、TVを見ながら、昨日、ゲットしたテープを、巻いて、買って来たセロテープで留めて、売っていた透明の綺麗なボトルに、一個一個入れていった。そして、うちわに、買って来た糊を使って、「ステキナ夏アリガト」とテープで色分けして張った。今日は、私はオーラスのみ。だが、お昼に、私のサイトに遊びに来てくださってる、大勢の方とランチのお約束。12時近く、用意をして、したに降りた。入り口にTママさん、発見。会えたことが嬉しくて、抱き会っちゃいました。人気者の4歳のTちゃん、可愛い。お姉ちゃんのFちゃんも、おしゃまで可愛い。家の娘達はもうこの可愛さはないなあ。テーブルに行くと、結構以前から、サイトではお知り合いだったSさんもいらした。こちらも、本当にお目にかかれて嬉しくて、やはり、抱擁。Sさんのお嬢さんも、大人しい、品の良いお嬢さん。総勢11人。途中、Kちゃんも、Mさんと一緒に来てくれた。楽しい時間を過ごした。その頃、嵐君は記者会見をしていたそうで、表にでてきてくれたそう。一部に入る方と別れ、また、部屋に戻り、ゆっくりしてたら、パパから電話。程なくすると、母が到着。それから、少し寝た。一部が終った直後、大きな地震。ソファに腰掛けていたが、相当揺れた。TVの速報で、震源は東京湾、震度4。怖いなあ。新幹線が止まった。用意をして、会場に向かった。全国公演。全37公演の最後。そのうち、私が参加したのは、横浜、大阪、長野、名古屋、横浜全9公演。永かった。こんなに行ったのは、初めてだった。そして何より、去年まで、1人で参加して、1人で行って、1人で帰って来た公演だったのが、今年は、沢山の友達に会った、喋った、食事した、お茶した、忘れられない、公演になった。1人で参加する気楽さも捨てがたいが、こうして、大勢の方に会え、交流が出来た事は、私にとって、何よりの得る事の多い事だったように思う。さてさて、オーラス。始まりました。今回は、ステージむかって右。潤君の沢山来てくれる方です。「最後だぞ!さいごまで、ついてこいよ!」ゲスト席にV6の長野君、井ノ原君、三宅君が来ていて、スポットがあたった。ワルキューレの時も長野君が来てて、足、踏んづけそうになったんだっけ。オーラスのMCが超、面白かった。翔君が、この秋、小倉智昭さんとの夜のニュース番組のキャスターに抜擢された。で、他のメンバーにも、レポーターをしてもらおうと、マイクを渡されたメンバーがそれぞれに、自分のレポーターぶりを、披露したのだが、さすがに潤君は、司会をしているだけあって、卒の無いリポーターぶりだった。可笑しかったのは、大ちゃん。最近の大ちゃん、おかまキャラがすっかり身に付いて、このレポーターももう、爆笑だった。まず床にはいつくばって「この床、素材はなんでしょう、木じゃないですよ、塩ビでしょうか~、もう、やですねぇ」次ぎに、ライトが無数にあるステージの壁を指して「わあ、みてください、このライト、幾つ有るんでしょうね~、一、二、三、四ぃ、もう、数え切れないわ~」翔君が、もう、死にそうなくらい、笑いころげていた。会場も爆笑。その後にマイクを渡されたメンバー「こんな後に、どうやってやれってんだよ~」そりゃそうだ、やりにくいったらありゃしないよなあ。最後の「COOL&SOUL」になったら、あらら、泣けてきちゃった。え?私が。自分でも驚いた。走馬灯のように、このひと月半のことを思い出した。最初の横浜で、初めてこの公演を見た後、文句たらたら言った自分。次ぎの大阪は暑くて参ったが、少し変わっていて、少し納得。そして、KちゃんとYさん親子と3時間かけて行った長野公演。生まれて初めて食べた駅弁。その頃には、沢山の嵐友と会え、前から2列目で、潤君に煙を掛けられ、3年目にして、初めて作ったうちわに潤君が嬉しそうに反応してくれた喜び、超満足して帰った、長野。そして、地元名古屋4公演。23年ぶりに行った、飲み会。そして、昨日、今日。思い出したら、涙がでてきて困った。本当に素敵な夏だった。そしてそんな夏をくれた嵐君に、感謝。最後のトリプルアンコールは、今回の公演で初めて唄う「旅立ちの朝」。その前にあった、5人のご挨拶は、アジア公演に向けての、それぞれの意気込みが感じられた。5人に涙は無かった。実に爽やかな、最後だった。一つの仕事をやり遂げた、男の顔、顔、顔。ニノが「相葉ちゃんや、キャプテンが泣くと思ったら、なかなかったね、それだけ大人になったって事だね」と言っていたが、潤君の、「アジアに出られるのも、皆が居てくれたから」と言う言葉も、翔君の「みんなを置いていくような事はしないから、ちゃんとついてきてください。ここが、僕らの場所だから」と言う言葉にも、大きくなった嵐君が感じられ、感動で、泣かされた。本当に、素敵な夏を、ありがとう。嵐君。ホテルに帰って、下を見たら、凄い人の波。ああ、本当に終っちゃったんだなあって、すっごく寂しかった。何だか今年の夏は特別だったような気がする。母を誘って、居酒屋に行った。暫くすると、Kちゃんからメール。居場所を告げると、Sちゃんとやってきた。母と4人で、美味しい物を食べた。母は、3人の嵐談義にびっくりしちゃったみたいだが、「良いわね~、楽しそう」と言っていた。長野に帰るSちゃんと、地元のKちゃんと、表で、「また、会いましょう」と握手して別れた。母とホテルに帰り、休んだ。シャワーを浴び、そっとカーテンを開けて、窓の外を見た。暗い中、横浜アリーナが、目前に見えた。ああ、本当に終っちゃたんだなあと、凄く寂しかった。それだけ、この夏が、私にとって、素敵な夏だったと言う事なんだなあ。そこにアリーナがあるけれど、もう、誰もいなかった。ファンの女の子も、嵐君も。空っぽの箱みたいだった。明日は、三鷹の伯母に会いに行く。お元気だと良いなあ。
2006年08月31日
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午前中、ゆっくりして、横浜へ行く準備。10時15分にタクシーが来て、駅へ。11時25分の新幹線で横浜に。家から、約2時間ちょっとで、ホテル到着。近いなあ。ホテルに入ってびっくり、荷物を預かってもらいにフロントに行ったら、どう見ても、嵐のコンサートに来た女の子が、トイレに並んでいた。立て看板「当ホテル御利用者以外の御利用は、御遠慮ください」まあ、当然っちゃー当然だけど、中のレストランや、喫茶店は、そのファンのお客さんばかり。経済効果、絶大です。荷物を預けていたら、メールがドンドン入った。得意じゃないので、少しずつ、お返事。そしたら、Aちゃんが、二階の喫茶店にいるとの事。行ってみたら、いたいた。東京出張のはずのAちゃん、相変わらず、美人系。そこで、以前お目にかかれなかった、Iちゃんにも後から、Kちゃんも、表れ、暫く、お茶を頂きながら、嵐談義。チェックインの時間になったので、失礼して、フロントに行くと、ここも長い列。ありゃりゃ、こりゃ、開演まで間に合わないかなあ・・・と心配していたら、横にまたまた立て看板。「こちらで宿泊の方の、サインの強要、写真撮影は、御遠慮ください」えっ?えっ?えっ?・・・・と言う事は、嵐君、今日、ここに、御宿泊?!嬉しい!!!そりゃ~、二日続けて3公演、帰宅するより、目前のホテルに泊まった方が、体が樂だよね。ぎりぎりで、公演に間に合った。今日は、愛しの潤君のバースディコン。一部で、ケーキの「ハッピーバースディ」があったそう。こりゃ、期待大。「横浜、やる気あるか~、コンサートは、俺たちだけがやるんじゃねぇぞー、皆で作ってくんだからなー」のニノの言葉に大きく頷く。始まった。何だか、メンバー、地方公演を終えて、嬉しそう。席は、花道横の1ブロック。超、良席。何回も、潤君が来てくれたが、私の顔を見ると、後ろを向いちゃう。そうか、そうか、またご機嫌が悪い訳か。良いもん、今日は、大ちゃんに、癒してもらうから。と思ったけれど、翔君が何回も来てくれた。可愛いなあ、翔君。それでも、一回だけ、潤君、顔を見てくれ、少し反応した。そりゃ、もう、顔はとうに覚えられちゃってるよね。MCになった。いよいよ潤君のお誕生日。皆からのプレゼントの披露になった。大ちゃんからは、Gの嵐で、潤君が気に入った、マイナースポーツの機器。相当、高額で、潤君が欲しがったが、断念した物。潤君、嬉しそうに何回もやって見せていた。次ぎに、相葉ちゃん。姿勢が良くなると、通っているスポーツジムのトレーナーから薦められたと、前の方が高い、ごつい靴を贈られた。「これ、お前履いてんの」の潤君の質問に「ううん」相葉ちゃん、潤君に突っ込まれてた。次ぎは、翔君。「あのね~、まつもっさん、携帯変えようかなって言ってたから・・」と。大きな段ボールをそのまま持って来た。「あの~、これ、家電なんだけど、ファックスも付いてるし」潤君、腐ってた。次ぎ、ニノ。パイレーツカリビアンのフィギア。「お、ジャック・スパロウだ!」これは、潤君、結構、嬉しそう。「あ、これ、良いなあ。かざっとこ」で、もう一個、おまけに出した、ジャック・スパロウの首が揺れるお人形。これには、潤君、舞台の端っこに置いて、首が揺れるのを楽しんでいたが、結局、ムービングステージで、唄ってる最中、ニノに、耳打ちした後、会場の子に手を伸ばして、あげていた。で、翔君やニノにどのプレゼントが一番嬉しかったか聞かれ、「言えねぇーよ」。そこで、4人が、前に目をつぶって並び、潤君が気に入ったプレゼントを贈った人の肩をたたく事に。緊張の一瞬。大ちゃんの肩をポンと叩いた。はい、皆目を開けた。大ちゃん、凄く照れて、嬉しそう。ニノに「おっさん、何、照れてんだよ。何、その嬉しそうな顔」と突っ込まれてたが、大ちゃんの嬉しそうな顔。可愛かった~。で、片付けようとしたが、大ちゃんのくれたプレゼント、30キロもあるそうで、ジュニアの子が、往生して運んでいた。お宮SKは、「JRが知らない伝説」で、何曲も、唄い踊らされ、最後にニノボソッと言った。「もう、俺、音声さん、信用しねぇ」爆笑。滞りなく、すべての曲をやり終えた。最後のWISHの曲が終る時、会場に銀、赤、緑のテープが飛んだ。私の上にも、無数のテープが落ちてきた。幾つもキャッチ。舞台に近かったので、バックステージに行った時以外は、双眼鏡を使わなかった。最高でした。今回、7月22日に初めてこの「ARASHICツアー」を横浜で見た時と、大変、変わっていた。今回は、スタンド席とアリーナ席の間のかなり、高い位置に、トロッコに乗ったメンバーがやってきたが、7月には、そんな事はしなかった。無かった花道も、半分だが、付いた。そして、トロッコに乗って、やってくる回数が断然増えた。やはり、こうでなきゃ~。初日に見て、文句たらたらだったが、最初からこうしてくれていたら、文句は言わなかった。衣装も、ステージらしい、衣装に変わっていたし。満足なステージだった。さて、今日は、大変なんです。公演が終って、すぐに、新大久保のグローブ座に移動。グッズ売り場に走ったが、もう、みんな売り切れ。欲しかったタオルも、コップも全部無し。仕方が無いので、写真だけ、購入。で、中に入った。今回のジャニーズフィルムフェスタ、当たった席が、一番前。首が痛くなるかと思ったが、うんと足を前に出して、半分、寝転んで見たら、あら、樂チン。一年ぶりに、K子ちゃん親子とご一緒。私の余ったチケットを、引き取っていただき、会えることが出来た。何だか、いやに、お嬢さんが大きくなったような気がして聞いたら、去年より、4センチも伸びたそう。まだ13歳なのに、私より大きかった。可愛い子で、K子ちゃんのお大きな目にそっくりのお嬢さん。長野の最初の嵐友のMさんの次に、お友達になった方で、1年ぶりの再会に懐かしかった。映画もなかなか面白かった。グループを超えた、対談。横浜に帰ったのは、もう、11時近く。3人で行ったのだが、「お腹がすいた」しか、言葉が出てこなかった。探して、夜中の2時までやっているお店で、やっと、夕食。美味しかった~。ビールも飲んじゃいました。ホテルに帰りついたのは、12時。部屋に入りシャワーを浴びた。ゆっくりしたら、「ああ、この上に嵐君達が、いるんだなあ」と実感。じわじわ嬉しくなった。ファン心理。同じ屋根の下で、眠れるなんて嬉しいなあ。「Gの嵐」を見た。今頃、上の部屋で見てるだろうなあ。ゆっくり休んでね。明日は、最後だよ。また、明日、会おうね。お休み。
2006年08月30日
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鏡を見たら、驚いた。染めてから、まだ二週間なのに、分け目からそれぞれ5ミリ白髪が伸びている。つまり、両側で1センチになっちゃう。あ~、やだやだ、染める予定は無かったが、ビンもかなり伸びているので、いつもの美容院に電話したら、空いていると言うので、急遽、午後から染めていただく事になった。お昼前、買い物に出た。今日は、パパはゴルフで、チビは、学校に行った。お昼ごはんは私1人。何だか、無償にカップめんが食べたくなった。あまり、食べない人なのだが、たまに、食べたくなる。スーパーに行ったら、有るなあ、すごく沢山の種類。どれにしようかな♪何のことは無い、オーソドックスな、日本最初のカップ麺を買ってしまった。ま、良いか。午後から、居ない間のTVの録画予約やら、母が行きたがっている横浜の町へのアクセスやら、調べて、美容院に行った。それから、2時間半。ゆっくりお喋りをしながら、染めてもらった。美容師の先生も、あまりの早い伸びに驚いていた。こんなに元気なのに、白髪って、どう言う事よ!!!しっかり、色素をつけてらっしゃいよ!!・・・と髪に突っ込んだが、空しい。明日は、10時過ぎに家を出る。午後2時半の公演なのに、この時間で充分良いのだから、横浜も近いなあ。午後1時前に横浜到着予定。ホテルに荷物を置いて、知り合いに会う。楽しみだなあ。三鷹の伯母に会うのも、楽しみ。元気になってると良いなあ。前半の横浜公演と違い、わくわくどきどき。今は、何の気負いも無く、不安もない。前半の横浜行きのように、緊張で、吐き気になったり、頭痛になることもないだろう。何とも、気楽な1人旅です。まあ、途中から、問題ありの母が一緒だが、好き勝手は慣れました。これからは、こういう機会が増えてくるだろうなあ。父が亡くなって、初めての、母との旅行もまた、面白いかも。
2006年08月29日
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昨日、法事が早く終ったので、夕方から、映画を見に行った。「花田少年史」総合感想は、「もろB級映画」しかし、面白かった。わが心の「ALWAYS」で、天才的な演技を見せた、須賀健太君主演。六平直政さんや、もたいまさこさん、お父さんの西村雅彦さん、お母さんの篠原涼子さんと、他にもワルキューレに出ていた、杉本哲太、濱田マリ、など等、超一流の役者さんばかりなので、B級だが、十分、見るに耐える。どこがB級か。必要のない特撮やら、幽霊同士の戦いが、大人3人が雁首揃え見る映画じゃないなあと思うだけ。内容自体は、とても面白かった。特に、西村さんのお父さんが、流石だなあと言う演技。そして、今一番輝いている篠原涼子さんのお母さんが、すごく良かった。須賀君の上に中学生の娘のいる役なのだが、体当たりで元気で、優しくて、強いお母さんを熱演していた。上映中、何度も声を出して笑う場面が一杯なので、残り少ない夏休み、最後の子供サービスに見にいらっしゃるには、すごく、良い映画です。今日は、朝から、物凄い雨。出かける予定だったが、とても出られないくらいの横殴りの大つぶての雨。夕方から、やっと買い物に出た。最初に薬局に行った。滋養強壮の薬を薬局で薦められた。毎日のように、ドリンク剤を飲んでいるので、「こちらの方が、利きますし、安いですよ」との事。成分は、ドリンク剤より良いそうで、絶対、利きます・・・と仰るので、ドリンク剤を買わずに、そっちを買って来た。さあ、利きますやら。横浜行きの切符をJRに買いに行き、近鉄の切符を買いに行ったついでに、デパートで、お夕飯を調達。湯葉で巻いてある、美味しそうな湯葉巻きを買った。薄味で、なかなか美味しかった。湯葉と言うより、さつま揚げのような感じ。それから、おなすの煮びたし、むつの照り焼き。このむつの照り焼きが美味しいのだ。うちで焼いても、こう、上手く焼けない。少々お高いが、そのお値段を出しても、良いくらい美味しい。後は、海老の入ったポテトサラダ。やっぱり、デパ地下の食品は美味しいけれど、高いなあ。帰りにアフタヌーンティに寄って、お買い物。ここは、いつも見ているだけで面白いから好き。可愛いお茶碗があった。顔を洗う時、髪が長いので、いつも髪を留めて洗うのだが、前髪がびちゃびちゃになる。そこで、洗顔用のヘアバンドをゲット。なかなか便利そう。チビが、早く帰ろうと言い出したので、お買い物はそこまで。私は買い物は通販が多く、デパートでは、余り買い物をしない。お洋服も、24時間お買い物番組で、ほとんど買う。東京にしかないブランドのお店の物が手にはいるし、サイズ展開も、多く、気に入っているブランドもあるので、季節の初めに開催されるそのブランドのショーに1点、2点と買い集める。だから、デパートの婦人用品売り場は、いつも素通り。でも、小物は好きなので、こうして時々、立ち寄る。あとは、うなぎを買いに行ったりだけ。帰宅して、30日のアクセスを調べたりした。夏休みももう残り少ない。オネエは、昨日から障害児とのお泊りボランティアで、30日から1日まで横浜に行く私とは、1週間会えない。今日から夕食は、パパとチビと私だけ。30日にオネエが帰って来るから、また、3人。良い歳の娘が二人いるんだから、何とかするでしょう。娘達の夏休みは、まだまだ有るから、ゆっくりして来るね。母との旅行なんて、初めてかな?30日は潤君のバースディコン。ぶちあがるぞ。そして、31日は、嵐友達とのランチ。そしてオーラスコン。何だか、ワクワクしてきました。
2006年08月28日
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もう、そんなに経っちゃったんだなあ。と言う、感慨深い思いと、その間の激動の自分の人生を思うと、あっという間だったような気がする。義父は、とても静かな人だった。京都の伝統工芸である、着物の染めの職人だった。静かだが、眼光鋭く、きちんと見る物は見ている人だった。歴史が好きで、時々、うっそ・・と言うような冗談を言った。初孫のオネエが生まれたとき、抱いて可愛がっているのを見て、パパが「信じられない」とつぶやいた。パパが子供の時、何かの都合で、二人で寝る事になったとき、怖くて、朝まで寝られなかったそうだ。だが、パパと結婚してからの義父は、本当に優しい、ものの解った、素敵な舅だった。舅が、肺がんで余命いくばくも無いと知らされた帰り、大津のドライブインで、実家の父に報告の電話を入れた時、おいおい泣きだしたのは、パパじゃ無く、私だった。あまり泣く私に、車の中、パパが苦笑して「お前がそんなに泣いたら、俺が泣けないじゃないか」とつぶやいた。みんな、お祖父ちゃんが大好きだった。オネエが10歳、チビが7歳、甥っ子は4歳、姪っ子たちはもっと小さかった。亡くなった父が、舅が生きてるうちに・・と自分は勇退し、パパを社長にしたのを報告に病院に来てくれた時、もう、半分、脳に転移していたのに、父の手をしっかりと握り、まるで「息子を頼みます」と言う表情で父と見詰め合ったそう。亡くなる前、父は舅の事を話すと必ずその話をし、あの時のお父さんの目が忘れられないと話していた。舅が亡くなる前2ヶ月は、毎週末2日、大津の病院に通った。ここから往復3時間少し。ちっとも苦にならなかった。甘い物が好きな舅に食べさせたくて、ガラスの器と、水まんじゅうを持って行ったが、もう、味も解らなくなっていたのに、にこにこして「美味しいわぁ」と言ってくれた舅の優しさが、忘れられない。舅が亡くなって、私の人生も大きく変わった。お気楽なマンション住まいだったのが、姑を引き取る為、今の家に越した。花の好きな私は、最初の3年、ガーデニングに凝り庭を花だらけにしたが、その後始まった更年期に、今は見る影も無い。そして、自分の鬱病の発症と、通院、ADHD障害者の診断がおりた。ぶくぶく薬の副作用で太り、昔の標準体重も無いやせっぽっちの私は、いなくなった。鬱との戦い。そして、5年前の姑の脳梗塞。引き取るつもりでこの家に越したのに、食事療法を病院から言われ、それを、忠実にまもろうとしたパパや私達の行為は、京都で好き勝手に暮らしていた御祖母ちゃんには苦痛で、来ては3日目には、京都に帰ってしまう繰り返しだった。一度目の脳梗塞は、視野狭窄と言う、両目の左端が見えない障害だけで済んだ。1人暮らしが不可能な障害では無かったのが、余計、京都を離れられなくさせた。そんな事を繰り返しているうちに、二度目の脳梗塞。とうとう医者から、印籠を渡され、我が家で引き取り、くだんのとおり、今の状況になった。この12年、一体、何だったのかと思う。オネエは小学生から、大学院生になり、チビは一年坊主から、大学生になった。そして最愛の父も1年の白血病との闘いの末、逝った。13回忌は、京都からこちらに場所を移し、関西からやってきた義弟一家と行った。御祖母ちゃんが、お経の間、耐えられるか心配だったが、大人しく、私の横で、私のするように、手を合わせていた。お坊さんは、娘達のロンドン行きに付き添ってくださった、学校の英語の先生のお父様。とても進歩的な物の考え方をなさる方で、尊敬している。お堂に響き渡る良いお声のお経は、暑さを忘れさせてくれた。無事、お勤めが終わり、少しお喋りをし、次回、父の3回忌のお願いをし、笑顔しか見たことのない、やはり、得度されてらっしゃる、奥さんに見送られ、お寺を後にした。最初は「だれのお参り?」と聞くと舅の事がわからないようだったが、何度も、お父さんの13回忌と言うと、何とか覚えて、後からはそう言っていた。先日、パパが、ホームを尋ねた時、「Tちゃんの奥さんがね・・」と自分の事なのに、解っていなかったので心配したが、今日は大丈夫。昨日のお店に行き、会食。折角なので、お料理に土瓶蒸しを頼んだ。娘達は、今年初めての松茸に、大喜び。美味しいお料理に、御祖母ちゃんも嬉しそうだった。久しぶりに会った、甥っ子は、高校生の顔になっていたし、姪っ子たちも、大きくなっていた。そりゃ、会うのは、去年のお盆に京都にお墓参りに行って以来、こっちに来たのは、オネエの成人式以来だからなあ。もっと、御祖母ちゃんに会いに来てくれれば良いのに・・・と言う思いは、私の中に不満としてある。でも、パパがそれで良しとしているのだから、言わないようにしているが、辛い事があると、つい、口に出してしまう。長男意識がとても強いパパだから、そういう人を選んじゃったんだから、仕方ないかなあ。でも、旅行に行った話を聞くと、その一回、御祖母ちゃんの顔を見に来てあげられない?と口から出そうになる。共働きだから、まして、フルタイムの看護士さんと、デパートに出向している営業マンだから、休みがなかなか合わず、やっと合った日曜や土曜は、子供達を行楽に連れて行ってやりたいのは心情として解るが、御祖母ちゃんのところに、連れて行くのも、子ども達には、大切な勉強じゃないだろうか。・・と思ってしまうのは、いけないことだろうか・・・。御祖母ちゃんが施設に入って3年、義弟一家で会いに来たのは2回だけ。義弟だけでは、2回。やっぱり、少しおかしいよ。途中、お土産を買いに寄って、御祖母ちゃんを施設に送って、義弟一家と別れて帰宅。ご苦労様でした。帰宅が早かったので、夕方、映画を見に行ったが、その話は明日しよう。
2006年08月27日
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パパが11月の父の3回忌に使うお料理屋さんに母を誘って、行こうと2日位前から言い出した。今日は、オネエの最後の研修と、チビのアルバイトで、大人だけ、良いチャンスなので出かけた。ところが、このお料理屋さん、凄い人気で、予約しないと、入れない。なのに、パパは予約もしないで、いきなり行こうとした。ずっと、予約しないで良いの?と言っていたのに・・・。案の定、電話すると、既に一杯。このお料理屋さん、駅前の街中にある。ビルの谷間に信じられない、お庭のあるお料理屋さんで、実は、来月の友人達とのお食事会のお店。前にも書いた記憶が有るが、だれそれ作の陶製の壁に、だれそれ作の器。お花は、アートフローリストのだれそれで、設計は、東京の名だたる人気のお店を設計しただれそれ・・・と言うお店。お昼のランチも4500円からの高級料亭。そこが、一杯なのだから、景気は確実に良くなっていると言う事。このお店、娘達の出た学校のPTA会長さんの経営。カップめんの乾燥の技術のパテントを持っている、カップめんの乾燥野菜のシェア80パーセント以上の大きな会社の経営なのだ。だから、パパも仕事柄少し関係があり、理事会などで来た事があり、是非、私や母を連れて行きたかったらしい。まあ、一杯なのだから仕方ない。近くのしゃぶしゃぶの専門店に行った。ここも、いつもとても人気で、12時を過ぎると、もう、並ばないと入れない。実は、明日の舅の13回忌の法事の後の食事はここ。だから、余り行きたくはなかった。パパが、一応決めたメニューで良いのか、もう一度、確かめようと言う。まあ、そう言う事なら・・と、入ったら、時間が早かったので、まだ充分座れた。以前頼んだ、1500円のランチメニュウ。あ~最悪。二日続けて、同じ物は、さすがに美味しくても食べたくは無いなあ。母は初めてだったので喜んだが。まあ、親孝行、親孝行。結局、今日食べた物に、何か追加しようと言う事になった。夕方、オネエが研修を終えて帰って来た。そのまま、一緒に研修に行った男の子2人と打ち上げに行くそう。二人とも、名古屋の子なのに、オネエのために、近くに来てくれたそうだ。「田舎だよ」と言っていたそうだが、名古屋に下宿している子に、言われたそうだ。「Aちゃん、田舎ってのはね、隣の家まで何百メートルもあったり、道あるいていたら、蛇が出てきたりするところを言うんだよ。家は沢山並んでるし、蛇なんかでてこないし、近鉄デパートくっ付いてる駅もあるし。コンビナートはあるし、ここ、どこが田舎やねん!!」なかなか面白い子だなあ。そのまま出かけていったので、今日の話は聞けなかったが、昨日、書の時間があったそう。70歳過ぎの患者さんが、「Aちゃん、恋せよ乙女、その唇の色あせぬ間に」と言う書をくださった。オネエが大切そうに、見せてくれた。セクハラ爺さんで、看護士さんから、困ったお爺さん扱いされているそう。まあ、解ってやっているのか、解らずやっているのか解らないが、娘には、そんなことはしないそうなので、解ってやっているのだろう。多分、オネエのカウンセラー人生で、大切な宝物になるに違いない。一生懸命、勤めた初めての研修。さぞや、得るものが多かっただろう。研修が決まってから、通うか、宿泊施設を用意するか、すったもんだしたり、心配で、仕方が無かったが、終ってみれば、どうと言う事は無かった。遠いところで大変だったが、良く頑張りました。お母さん、花丸あげる。打ち上げ、思い切り、楽しんでおいて。
2006年08月26日
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病院に行った。症状を言うも、いつものように「う~ん、夏バテと、少しお腹が張ってるね」途の事。やっぱりなあ。で、一応の血液検査。所が、私の血管は細い。いつも、看護婦さん泣かせなのだが、新しい看護婦さんで、腕の血管では血が取れないらしく、手首をさすって、「ここでも、良いですか」おいおい、そこ、すっごく痛いんだぜ~。でも、良い大人が「嫌です」ってのも大人気ない。にっこり笑って「良いっすよ」(やだやだ、痛い、いつもの看護婦さん来て~)で、手首の内側、脈を診るあたりの血管から、3本の血液検査用の血を取った。注射針を入れてから、探られて、めちゃめちゃ痛かった。針を抜いて暫く痛みがとれず、腫れた。あ~、お医者さんと縁を切れたら良いのになあ。いつものお薬と、酸化マグネシウムと言う成分そのままの名前の薬を貰ってきた。午後から、少し寝たかったが、夕方4時、パパが迎えに来て、母を連れて銀行へ。シャッターの下りた銀行は、開いてる時より、忙しそうで活気がある。何回か、閉まってからの銀行に行ったが、いつもそう感じる。うちの会社担当の外交さんに、部屋に通された。早速、色色な書類に、署名捺印していく。何が何だか説明してもらっても、面倒だし解らないから、情けないが、言われるがまま、判を押していく。パパがいちいち説明してくれるが、こっちが聞く気がないと解ると、「良いな、もう、説明しなくても」「うん」母と声を揃え即答し、爆笑。パパが解ってりゃ、良いことだもん、会社の事は。一応、会社の役付きになっているから、こういう仕事も回ってくるが、専業主婦には、面倒だし、ややこしいし、嫌いな仕事。途中、支店長さんが、ご挨拶にいらした。ありゃ、この方、見た事がある。後で聞いたら、以前は娘達の出た学校の坂の下にあった銀行の支店長さんだったそう。多分、学校で、顔を何回か見たのだろう。銀行って所は、移動が多いからね。6時近く、やっと解放。疲れました。パパもご苦労様。母を送って、帰宅。早く、体を治さなくちゃなあ。頑張ろう。
2006年08月25日
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とうとう、ダウンした。朝から、体中、だるくて、起きていられなかった。お医者さんに行こうと思ったら、今日は木曜日でお休み。熱を測ったが、微熱だけ。ただ、背裏が物凄く凝って、痛い。毎年、この時期は、こうなる。夏バテ?更年期?まあ、両方だろうなあ。一日、ふかふかのクッション二つを重ねて枕にし、リビングで横になった。もう、本当に嫌に成ります。明日は会社の用事で夕方から銀行にパパと母と行かなくちゃならないし、横浜に母が途中から一緒に来ることになったから、切符の手配もしなくちゃならない。出さなくちゃ成らない郵便もあるし、返品しなくちゃならない商品の梱包もある。でも、油のきれたロボットみたいに、少しずつ起き上がると、体を動かそうとすると、ドーンとおなかが重い。一番弱い所にくるんだよね、こういう時。でも、ゆっくり寝ていられない。体は寝てても、気持が全然安らいでない。最近、愚痴ばっかりだなあ。健康体に生まれたかった。健康がどんなに素敵なことか・・。久しぶりに人形の写真集を片っ端から見た。癒されるなあ。明日、お医者さんに行って来ようっと。お夕飯は仕方が無いので、御寿司を取った。半年前、出前をしてくれた洋食屋さんが潰れて、今、出前をしてくれるのは、御寿司だけ。不便だね。その前にこの団地にあった、どんぶり屋さんは、とても、ショッキングな事件で、潰れた。凄く美味しい天丼やカツ丼で、本当に助かっていたのに・・。親父さんが、交通事故で寝たきりになった娘さんの将来を憂いて刺殺し、家に火をつけて無理心中したのだ。おかみさんは息子さんと病院に行ってて、無事だった。近所だったので、火が上がった時、驚いて娘達と見に行った。ただの火事だと思っていたのに、そんな悲惨な事件が起きていた。こんな小さな住宅街なのに、大きな事件がもうひとつあった。小さなローカルの駅なのだが、その駅前で近所の娘さんが誘拐され、絞殺され、少し離れた海岸沿いで、発見された。我が家から、坂を下って5分の駅でだ。暫く、娘達を送り迎えしていたが、さらに、近所のアパートで、犯人が捕まった。この団地は、静かな新興住宅街で、あまりアパートは無い。いつもゴミだしに行く角から見えるアパートだった。そんな近くに犯人がいた事は、ショックだった。後に、アルバイトで知り合って、関係がこじれた結果だった事がわかった。その時、思った。事件は、他人事じゃなくなっている。物騒な世の中になって、憂いてばかりじゃ子供を守れない。事件があってから対処しては遅い。いつでも、回りに気を配り、用心すべきだ。娘達には、パパが注意した。男の人は怖いから、簡単にお付き合いはしない事。そう言っても、難しい事かもしれない、気休めかもしれないが、親として、出来る事は、しておかないと守れないと思った。それから、娘達の帰宅が10時を過ぎる時は、迎えに行っている。車で1分のところだが、行っている。それが親が出来る、精一杯の防御かなあ。嫌な世の中です。あ~、だるくなっちゃった。寝ましょう。失礼します。
2006年08月24日
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オネエが20日から、岐阜の病院に研修に行っている。毎日、2時間掛かって、通っている。最初の日は、疲れていて、話したがらなかったが、昨日、初めて、自分から話し出した。昨日から統合失調症の方のデイケアセンターでの研修だそうだ。今日は、「人とどうやったら上手く付き合えるか」と聞かれたそう。統合失調症。昔、精神分裂病と言われていた病気。発症は青年期が多い。「こっちが聞きたいような事、聞かれるから、戸惑うよ」そうだろう。なかなか、難しいよね、頑張るんだよ。しかし、学校に行っている時より、帰宅はうんと早い。身体的には、夕飯も早いし、朝は早いし、非常に健康的な生活。チビは、この土日から、生まれて初めてアルバイトをし始めた。初めて行く前の晩、「いらっしゃいませ」「おタバコは吸われますか」「少々お待ちください」などと練習していた。オネエより、うんと不器用な子だけれど、こういうところは凄く真面目な子。本当はオネエのように、家の会社で少し修行をさせたかったのだが、今の会社は、チビが入る余地はないらしい。自分の家の仕事を知る事は大切と思うし、事実私も、高校大学の長い休みの時は、会社を手伝ったのだけれど、背に腹は代えられない。従業員達の手前、チビに甘くする事は出来ないし、パパにしてみれば、チビが会社にいるのは、凄くやりにくいみたいだ。一昨年から毎年、高校新卒の子を雇っているから、チビと同じ年の子もいる。なんな中、もう半年、テキパキと仕事をこなしだしたその子の手前、学生のチビが、足手まといになるのは、パパの体面上、宜しく無い状況だもんね。オネエがバイトした頃とは、状況も大きく変わっているから、仕方が無い。他人の中で、揉まれた方があの子には良いように思う。今日は、お風呂の掃除に業者が来る予定だった。家のお風呂は、10年前、永久お掃除付きの契約で、リフォームした。ある日、飛び込みでリフォームのセールスに来た会社に、丁度、水回りをリフォームしようと思っていたパパが興味を示し、家に上げ、話を聞いた。お風呂、トイレ、キッチンをすべてリフォームしてもらった。築17年の古い家の中が綺麗になり、凄く嬉しかった。凄く高い金額を最初に言われたが、そこは転んでも只で起き上がらない関西人。蓋を開けてみたら、あれもしろ、これもしろと付け加えさせ、結局「Kさんには、叶いませんよ~」と言う言葉を吐き出させたほど、色色綺麗にしてもらっちゃった。完全にパパの勝ち。それから5年ほど、毎年、お風呂の掃除に来てくれ、蛇口から、湯船、天井まで1時間かけて、綺麗に掃除してくれた。勿論、無料。しかし、5年前、その会社が潰れてしまった。TVの「24時間TV」のお風呂カーのお風呂を作っている会社だった。お掃除はどうなるのかと心配していたら、債権会社が、引き継いで、それから5年、変わらず来てくれた。で、今年また、会社が変わっていた。所が、いつもお掃除用具を持ってくるのだが、今日は、手ぶらでやってきて、ほんの少し、家の掃除用具で掃除しただけで帰った。リフォームしてから10年で、永久お掃除付きは無くなったようなものだが、ダス○ンに頼むと、結構なお値段を取られる。10回分で、かなり元は取れたんじゃないか・・と思ったら、納得できた。これからは、自分でしなくちゃなあ。当たり前の事なんだけど。
2006年08月23日
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少し、回復。朝から、良いお天気だったので、貯まったタオル類をお日様に干した。今日も、凄い日差し。お昼前、御祖母ちゃんを整形医院に連れて行き、お昼を一緒に食べるから・・・と、パパとチビと3人で、出かけた。ここ数日、チビが、親指の付け根が痛いと言い出していたので、ついでに連れて行った。私は、メールのやりすぎだよ・・・と思ったのだが、まあ、どうせ整形に行くのだからと連れて行ったが、やはり「使いすぎです」と言われて、失笑。御祖母ちゃんは、杖をついても10センチ歩幅でよたよたとしか歩けなくなっている。やはり、レントゲンを撮ったら、骨がずれたまま付き始めてしまっているとのこと。仕方ないよね、ギブスしてなかったから。視線が泳ぐ。多分、視線が定まらないのだろう。ランチ、施設にいたら、ラーメンが食べられないだろうと思い、ラーメン屋さんに連れて行った。脇の下に手を添えて、駐車場からお店まで介助しながら入った。御祖母ちゃんは、ラーメンより、お米が食べたいと言うので、半分ほどのラーメンと、色色な料理とご飯の付いたセットにした。チビも同じ物にしたが、運ばれて来た物を見てビックリ。多すぎる量。チビも、食べられないと言い出した。パパが、いきなりお米だけ食べ始めたおばあちゃんに、ご飯をどけてラーメンを食べさせた。哀れだった。本能。正に、本能のみの食事って、こんな感じなんだろう。きちんと持ててないお箸を、機械的に口に運んで、麺を食べていた。糖尿病になるくらいだから、辛い物がすき。気が付くと、レンゲで、塩辛いスープばかり口に運んでいた。パパが、注意すると、また、機械的に無感情に麺を口に運んでいた。時々、食べ物を下に落とす。しかし、視線は食べ物にしかない。無表情の食事・・・・。私の元気印の72歳の母と2歳しか違わないのに、まるで、80過ぎのおばあさんのよう。多分、麺だけは認識しているが、回りにある、お肉の炒め物や、にらのシュウマイは、何を食べているのか解らないのだろう。味がちゃんと付いているのに、箸ではさんでは、麺のスープに漬けて食べていた。チビが残した同じ量をしっかり食べ終わり、パパの「満足か」に、「足らへんわ」。食に対する欲求は、多分死ぬまで変わらないのかもしれない。また、よたよたと歩いて居る横で、介助しながら駐車場へ、車に乗せて、ホームに帰った。本当に、特養が空いたら良いのに。後、何年待ったら、良いのだろう。でも「空く」と言う事は、収容されている方が「死ぬ」と言う事。「空きを待つ」こともまた、切ない。本当に、痴呆になってはいけません。糖尿病になってはいけません。午後から、私の診察。ひと月に一回の診察になったから、担当医に会うのも久しぶり。カウンセリングは、今担当のカウンセラーが、子宮筋腫の手術でお休みしているので、ひと月空いた。横浜に行った時の緊張した状況やら、このひと月の事を話した。若い担当医なので、少々頼りない。いつも「まあ、余り考えすぎず、気楽にすごしてください」で終る。「気楽に過ごせないから、こうなってるんじゃん」と突っ込んでみたくなるが、それも大人気ないと素直に「はい」と診察室をでる。君のような若輩者には、解らんよ・・・と言うのが、正直な気持。とりあえず、診察をしないと、投薬してくれないから、行ってるようなもの。以前の先生のように、打てば応えるような答えは出てこないから、こっちも期待しない。薬を貰い、買い物をして帰宅。今日は、少しお料理も出来た。疲れも少しとれたかな?
2006年08月22日
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朝から頭痛。この書き出し、もう、何回目だろう。多分、二日間の疲れだろう。下に降りる前に、吐き気で、ゲボゲボした。もう慣れちゃった。頭痛薬を飲んで、少しおなかに入れた。ヨーグルトと、スクランブルエッグ。で、胃腸の薬と安定剤。如何してこう、よわっちいのかなあ。強くなりたくて、サプリメントも、一杯飲んでるのに。生まれながらの虚弱体質は、治んないんだなあ。それなのに、会社の用事で市役所に。パパには、あまり迷惑掛けたくないから、具合の悪い事は伏せた。頭が少しくらくらした。「お袋のとこに行くぞ」「うん」貰ってきた御祖母ちゃんの薬を届けに行く前に、夏休みのチビを連れて、近くの中国人のやっている本格中華のお店に、ランチに行ったら、サラリーマンで一杯。その帰りにホームに寄った。薬を渡し、翌日に行く整形の話をしに行った。覚えては居ないだろう。散歩にでて転んで、手の甲をぶつけ、薬指と小指の根元の骨を骨折した。ギブスをはめたが、そこは、認知症。外せるようになっているギブスをしている訳が無い。ケアの方がいくら言っても言う事を聴かない。そのうち、喧嘩になったそう。それでギブスは、外したまま。だが、明日持っていかないとならない。パパがどこにやったのか聞いた。解らない。皆で探した。・・・・とブラスチックの衣装ケースの引き出しの下から、簡易ギブスが出てきた。隠したのだろう。摂り合えず、パパが預かった。帰ろうとすると、チビに「あんたんとこ、行くわ」と言うので、チビが「ううん、おばあちゃんは、ここにいるんだよ」と言うと、「お母さんが、あかんて言うたんやな!」こんなに認知症が酷くて、要介護4の痴呆なのに、私に対する思いは変わらないのだ。「ううん、そんな事言わないよ、だって、ここが御祖母ちゃんのうちでしょう?」とチビが言っても、聞いていなかった。認知症でも、憎しみや、プライドは変わらないのだ。認知症と解っていても、面と向かって言われると、本当に、やってらんない。だから、ここに来たくないのに、パパはいつも、一緒に行きたがる。何故なのか解らない。私が行ったって、喜びゃしないのに・・・。私だって、おばあちゃんがどんなにボケたって、私に対して、良い思いでいないことは百も承知だから、来たくない。まして、今だにこういう言われ方をするのが、たまらないのに・・・。私が居る時でさえ、こうだから。パパが何か注意をした事は、すべて私が言わせていると、思っているらしい。可愛い息子が、自分にこんな事言う訳が無い・・と思っているのだ。それは、認知症になる前から、パパが、「あんたは、I子さんの言うがままやな」と言われたと苦笑していたから、ぼけても、その思いは強く残っているのだろう。我が家は、典型的、亭主関白なのになあ。本当に、パパに怒鳴られて、御祖母ちゃんにさんざんこう言われて、自分の病気が重くなって、・・本当にやってらんない。ケアの方に、お礼を言って、ホームから帰宅。少し横になった。足の筋肉が痛い。これは、楽しかった時間のなごり。今年は、少し、沢山行き過ぎたかなあ。でも、ニノの日記に楽しかった思い出が書かれていた。確かに楽しかったのは間違いないけど、翌日に、膨らんだ思いは、ぺしゃんこになった。
2006年08月21日
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今日は、車なので、何となく、気持がゆっくり。行く用意をしていたら、1部に一緒に行くはずだったKちゃんからメール。吐き気が止まらないそう。昨日から、咽喉を痛め、声が出なくなっちゃってた。お医者さんに行ったら、気管支がはれ上がってしまっていたそうだ。頑張ってみたが、どうしても来られそうも無い途の事。「了解」と返事をしたが、可哀相で仕方が無かった。ぎりぎりの時間まで何だかんだして、結局家を出たのは、9時少し前。公演は10時から。急がないといけません。高速に乗って、家から40分、あらら、首都高速を降りて、レインボーホールの方に曲がったら、ずらっと、車の列。駐車場に入ったら、5分前。まあ、間に合うでしょうと、入ったら、もう、1曲目が始まっていた。最初のご挨拶は「おはようございます」皆ともう一回一緒に礼をして「おはようございます」。翔君は、昨夜、巨大な立ったカエル3匹に追いかけられる夢を見たそう。潤君は、遅くまでTVをみていたそう。「俺、TVっ子だから」と可愛いこと。今日の1部の席は、Fブロック16列、つまり6列目バックステージ横。うん、良い席。まして、Kちゃんの分との二人分だから、ゆったり。潤君が来た。私の団扇を見て、凄く嬉しそうに笑って、手を振ってくれた、今日は機嫌が良い。この日、もう、団扇はその時以外出さなかったが、さすがに、顔を覚えられたのか、3回、小さく手を振ってくれた。そりゃ、横浜で親子席の直ぐ上、大阪は遠くだったが、長野では2列目で作った団扇を見て、恥ずかしそうに小さく手を振ってくれ、名古屋は、昨日二回公演だった。覚えられて当然だろうなあ。若い子は、何万人といたが、この歳の自分のファンは、そうどこの会場もいないだろう。まして、去年は、クリーニング、クリーニングでほとんど同じ格好をして、同じ大きなお花の指輪をして行った。潤君にしたら、「また、あのおばさん、来てる」ってなもんだろう。大宮SKのコーナーは、今まで最初に黒いメタル生地の衣装から出てきて、途中、SKの衣装になったのだが、MCの途中でハケル予定の二人が、なかなかはけることが出来ず、着替えが出来ずに、そのままSKの衣装で出てきた。大ちゃん「俺なんか、一旦上着着てたのに衣装さんに『時間がないです』って言われて脱いだんだよ」で、何をしたのか・・・。全くおバカで可愛いったらありゃしない。「今から、卵します」とニノ、おなかを出して、「卵一個」「卵二個」と言いながら、おなかのお肉を叩いたら、本当に、卵をかき混ぜている音。会場爆笑。3部では、大ちゃんも真似をして、後ろ向きになり、練習してニノに「何、練習してんだよぅ」と突っ込まれていた。この時大ちゃんの新しいワザは「うずらの卵」だった。今回の公演の山場は「COOL&SOUL」から「I WANT SOMEBODY」に掛けて。ヒョウ柄のような表地に赤い裏地の長い上着が潤君、同じ生地で、5人のデザインが皆違っていて、インタビューの机のセットを乗り越えて、ムービングステージに飛び出すあたりの踊りと歌が実にファンキー。嵐の真髄見たりの企画。そして、今まで長野以前までメインでしていたMCを、センターステージに移した。構成がどんどん変わっていて、面白かった。1部が終わり、駐車場に行ったら、Kちゃんからメール。昨日、ランチのお約束をした中学校の先生Mさんと連絡してください途の事。そうだった、Kちゃんが、来られないってことは、二人でランチだったんだ。慌てて、メールし落ち合い、車で会場を一旦出てファミレスに入った。Mさんは、本当に、飾らない良い方だった。きっと、人気のある先生なんだろうなあと思った。クラブは卓球の顧問をなさってらっしゃる、スポーツウーマン。如何して嵐を通じて知り合う方は、こう、良い人ばかりなのかしら。きっと、嵐君のもっている雰囲気がこういう人ばかりひきつけるのだろう。横浜に帰ると言うMさんを、レインボーの駅の傍まで送り、また、駐車場に入れた。ここからはぐだぐだ、車の後部座席に移り、本を読んだりメールをしたり、少しうつらうつらしたり、本当に、ゆっくりした。夕方、やっと復活できたKちゃんがやってきて、一緒に会場に向かった。2部、昨日と同じJブロック。そう、奈落の下まで見えちゃう面白い席。今回のMCねたは面白かった。みなが引くから言えないと言い出した相葉ちゃんとニノ。それでも会場の声に押されて、言い出した。昨日、曲を唄っている最中、居るはずのないところに、男の子がいたそう。亡霊。すると、今まで黙っていた翔君が、実は歌のイントロに女の人の声がして、怖くなってイヤホンを外して唄ったそう。踊っている時、そのイヤホンが当たって痛かったが、怖いので、出来なかったそうだ。レインボーには、幽霊がいる・・・。と言う結論。面白かったのは大宮SK。題して「大Sの知らない物語」。いきなり千年メドレーの間に去年のニノのソロ曲「秘密」が入っていて、あの可愛い指差しダンスやら、他の曲も、少しずつ、やってくれて、その度、大ちゃんが、あたふたしていて会場大受け。でもさすがにニノのクスクス笑う姿に負けじと、付いてきていた。そして1部の卵の「芸」もう一つ、大ちゃんのおかまの芸にまたまた、感心しかり。裏嵐コーナーで、もて女の断り方ってのを、また、おバカにやったのだが、最後の大ちゃんの女性の演技に感服。なよなよした演技は、ソロコンの時の「サミー」を彷彿とさせた。あまりに女性演技がうまくて、潤君が「上手すぎて、腹立つ」ともらしたほど。さすがの男役のニノも、受けに受けてた。才能って、引き出されるとすごいなあ。アンコールの時、下に来てくれたメンバー皆、汗びっしょり。実に爽やかな御顔。最後の引っ込む時、皆(相葉、ニノ、大ちゃん)に押されて翔君が「好きだよ」引っ込もうとしてまた押し出されて「大好きだよ」、また押しもどされ「愛してるよ」と言って、会場に大受け。ダブルアンコールのあと、随分嵐コールをしていたが、出てこなかった。横にいた横浜からいらしていた女の子と喋りながら、退場した。多分、早い時間の新幹線で帰京したのだろうなあ。車に戻り、会場から出てすぐに高速に乗った。都心環状線に居る時は良かったが、名阪に入ったら、疲れからか、カーブのセンターラインの感覚がわからなかった。こんな怖い思いをしたのは初めて。「死」を目の当たりにしたような感じ。夜の高速は何回も走ったが、突然、自分がどこを走っているのか解らなくなったのだ。今から考えると、連れて来ちゃったのかも知れないなあと思った。そう、嵐君達が言っていた幽霊さん。夕食の買い物にスーパーに寄って、帰宅したのは午後10時。さすがに疲れてしまい、食事が終ったら、気が付いたらその場でねてしまっていた。楽しかったな~、4回公演。後残す所、横浜2公演。嵐君、皆様、お疲れ様でした。
2006年08月20日
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今日は、嵐君の地元公演。名古屋が地元なのに、なかなか良い席が当たらない。午前中に、シャワーを浴びて、シャンプーしようと思ったけれど、何だかだるくて、そのまま出た。いつもの美容院に電話したら「今すぐなら、空いてるよ~」で、すぐにお化粧もせず、行って洗ってもらった。用意をして、駅までタクシーに乗ったら、その運転手さんが、道を知らなくて、参った。ああ、今日、あんまり良い日じゃないかも。最初から、そんな気持。電車でレインボーに行くの、何年ぶりかなあ。オネエが6つの時から、7年間毎年「ディズニー・オン・アイス」に行っていたが、一番最初に行った時に乗って以来だから17年ぶり?次の年から、広大な駐車場があることが解り、それ以来、車ばかりで行っていたし、嵐君のコンサートに行くようになっても、いつも車だったから。若い子ばっかりで、ギューギュー詰め。それも、女の子ばかりだから、コロンの匂いとかで、暑いし、気持が悪くなりそうだった。贅沢だが、やっぱり車って快適なんだと改めて思った。会場に着いたら、待ち合わせていたSさんと、お目に掛かった。とってもスレンダーな本とに綺麗な方。北海道からいらしていた。お互い「宜しくお願いします」のご挨拶。同じ会場の体育館で、車椅子のバスケットボールの試合があるので、競技用の車椅子の方がたくさんいらした。皆さん、とても元気で、目が輝いてらした。頑張ってください!!と声を掛けたくなった。ボランティアの女の子達と、嵐のコンサートに来ていた女の子達、同じ年頃なのに、見た目が、全く違っていた。私は、こっち側。あっち側になってみたい・・でも、なれるかな?あっちの子達は、私達を、どんな気持で見てたのかな?嵐のコンに来ていた女の子より、瞳の輝きに一生懸命な美しさを見たのは気のせい?ボランティアって、凄く地味だよね。でも、無くてはならない人たち。オネエもずっと、毎週、5年間続けている。オネエは自分の勉強のためだけど、今日は彼女達を見て、少し考えた。私、世の中のために成ってない、今までも、一つもなってない。そんな事を考えているうちに、時間。今回1部の席は、スタンドHブロックの23列。またまた、通路側。行ってみたら、美味しい席。私の前は、階段の壁それも端の席。つまり、私の前は、うんと下。こりゃ、目立っちゃいます(*^^)vまして、メンバーがリフターに乗って上がり始めるところ、丁度、目線が一番来る所。Sさんと、「やったね!」コンは長野以来。やっぱり名古屋の会場の方が広いかなあ。暗転。今回、凄く楽しみだったのは、潤君のエクステを取った姿だった。激しく踊るたびに、さらさらと揺れる、髪が素敵だった。やっぱ、エクステ無い方が良いよ、潤君。「キャラメルソング」の大合唱に、ニノが、会場に小さくVサイン。何回か来てくれた潤君、団扇見て、お手振り。やったーー!アリーナに居たお友達からも団扇が見えたそうだから、リフトに乗った潤君からも見えてるに違いない。私の下は誰もいないし、見たところ私の上の近くに潤君のファンはいない。間違いなく、お手振り、笑顔頂きました。・・・てか、団扇、多分、覚えてくれていたのだろう。名前の団扇は多いが、舞台の台詞の書いた団扇はないもんな~。作戦成功です。今回、当たったのは、潤君がいつも来てくれる側の席ばかり。ラッキー!潤君、大ちゃんのほっぺにチュッ。本当に仲が良いんだから。MCで面白かったのは、翔君が朝、なかなか起きられなくて、何度もお父様に起こされて、最初はリビングで「迎えが来てるよ」と起こされ、気が付いたら自室で寝てまた起こされ、リビングに行きまた寝てしまい、また起こされた話、その上、楽屋で気が付いたら、お父さんのパンツを履いてきちゃったそう(会場に見せてたよ)。お疲れなんだね、嵐君。ニノの「硫黄島からの手紙」の予告。泣きそうになった。駄目なんです私、こういうの。まして昨日の夜、TVで、この渡辺謙さんの演じた方の実録の物語を見たばかり。可愛いニノの顔が2秒だけ写って、爆笑。だって、予告が流れる前にニノ自身が「ほんの少しだけね、2秒くらいね、出てきますから、みてください」って言ってたのが本当に、2秒、まるで幼い子のようなニノが出てきたから。大宮SKの時、ニノが、潤君の私物の赤いふちのサングラス、大ちゃんが、翔君の私物の横にメタルの入ったサングラスをしてきた。最後に引くとき、それをばらした。慌てて、物凄い勢いで潤君と翔君が飛び出してきた。勿論、脱兎のごとく、二人は、舞台から逃げ降りた。潤君「お~い、ふざけんなよ~ほんと、ぶっ殺す・・・どんなのしてた?」と会場に聞く。会場から聞いて、本当に、少し切れていた。で、ニノと大ちゃんが、着替えて出てきたら、ニノの頭を持って、おでこに、ものすごい頭突き。「ごん」て凄い音がした。ニノ「まつもっさんのは、あいつですから」と大ちゃんを指差した。続いて、大ちゃんにも頭突き。大ちゃん、「いてぇ~」って両手で頭突きされたとこをこすってた。あ~、潤君、切れてる~、笑ってるけど、あの頭突きは本気だ~。ニノが暫くして「ねぇ、血、出てない」って、モニター見ながら翔君に聞いていたから、本当に痛かったのだろう。その後、ジュニアの子に大ちゃんのプレゾンの時の歌が好きですと言われ、会場からリクエスト。大ちゃん、もの凄く恥ずかしがっていたが、あのソロコンで朗々と泣いて唄った曲をアカペラで唄ってくれた。でも、その後が可笑しかった。「アオゾラペダル」を唄ったとき、その前に翔君、ジュニアの子に汗を拭いたタオルを渡し忘れ、農作業(ニノ弁)のように首にタオルを掛けたまま唄っちゃった。白い素敵な刺繍のシャツの首にタオル。私の席から、そのタオルがよく見えて、ニノに「貴方、それなんですか」って思い切り突っ込まれて、翔君、さすがに落ち込んでいて、メチャクチャ面白かった。1部の「シルバーリング」の時は、潤君、髪をヘアピンで留めていたが、2部は、時間が無かったのか、そのままだった。私は、そのままの方が好きだな~。2部までの間、Kちゃんと、2部からやってきたI子さん、娘さんのKちゃん、と涼しい所を探して過ごした。皆がアリーナ入り口に居ると聞いて、行った。2部の席は、Jブロック23列またまた階段上、前には誰も居ない。期待していなかったのに、舞台左横の上の方なので、「COOL&SOUL」の時、奈落でスタッフがマイクを設置したり、メンバーが着替えて席に着いて、髪を触ったりしているのが、丸見え。最後の曲を唄い終わり、笑顔で、奈落に下がって行き、姿が見え無くなった途端、背を丸めて凄い勢いで舞台下から着替えに出て行く姿や、オープニングの時、セーノで、一斉に前かがみになっていたのを、真っ直ぐに背を伸ばした瞬間など、皆見えちゃった。アリーナ席の後ろの方より、近い感じがした。うん、J席、なかなか面白いぞ。明日も実は、J席なのだ。少しがっかりしていたが、こりゃ、なかなか面白い。裏嵐で、椅子取りゲームをした。その時、椅子を持って来たニノが重そうにしてるのに、相葉ちゃんが手伝わなかったのを見て、潤君「おい、もってやれよ」とさっと椅子をニノの持っている上の2脚を取ってあげてた。ほんと、優しい奴だな~(惚れ惚れ)音楽が掛かったが、なかなか鳴り終わらない。いい加減、止まるかと思っても、5人が何周回っても止まらない。すると、一斉に「あべちゃ~ん」と5人が音声さんに突っ込み入れた。一番運動神経の鈍い翔君が最初に負けるだろうなあと思っていたら、やっぱり、最初は翔君が×ゲーム。次が相葉ちゃん。大ちゃんの×ゲームの物まねのカラスが物凄く上手かった。何をさせても器用な人だなあ。そして最後にニノが負けて、会場に中山キンニクンのまねを「はい、皆さんご一緒に、前の人の首、引っ掛けちゃって良いですから」と一緒にさせた。今日は、翔君がとても機嫌が良かった。今回も、最後に万歳をさせて、沸かせていた。さてさて、集合です。そこで帰るI子さん親子と、皆で、記念撮影。ふざけて、皆、ニノがしてたキンニクンの真似をして撮りました。楽しかったね。会場を出て、タクシーを見つけて、皆で分乗して嵐会のお店へ。総勢17人。私は、6人の方しか知らない。お顔は、大阪、長野公演などで、お目にかかったりで知ってる方が4人、後は初めての方。でも、盛り上がりました。結婚以来、初めての、飲み会です。そりゃ、1人で遠くに泊まった時、1~2度、遅くまで話し込んだ事はあるが、こんなに本格的な飲み会は、結婚以来23年、初めてだった。折角、車を置いてきたのだからと、頑張ってビールを2杯頂いたが、それ以上は無理。すぐに、ウーロン茶に切り替えた。お料理もとても美味しかった。何より、新しいお友達が出来たのが嬉しかった。中学校の英語の先生。素敵な方で、話が弾み、明日、お昼をご一緒する約束をした。みんな飲む飲む、すごいな~。違う世界に踏み込んだ、何だか、羽が生えて、飛んで行きそうな気持だった。しかし、楽しい時間も、帰りの電車が気になってしまって、後半は、時計を見ながらの会話だった。損な性格だなあ。これ、泊まってたら、もっと、楽しめたのかも。一緒に終電に間に合うよう、長野にご一緒した方と、お店を出た。しかし、名古屋駅まで歩いたら、20分は掛かっちゃいそう。だって、地下鉄の駅一つこっちだったから。すぐに、二人で地下鉄に乗る事にし、階段を降り始めたら、とうとう、足がつった。やっぱりなあ~。何とか騙し騙し、地下鉄を降りて、その方と別れ、近鉄のホームに入った。最後の急行だったので、凄く混んでいた。途中の駅で、電車の中ががらがらになったので、座ったら、また、足がつっちゃった。仕方が無いので、荷物だけ置いて、ずっと立っていた。がらんがらんの電車の中で、立ってる、不審者になっちゃった。駅に着いて、タクシーに乗ったら、何とか直った。12時半、帰宅。新しい発見が沢山あった日だった。コンサートも楽しかった。明日も良い日だと良いなあ。
2006年08月19日
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明日は名古屋コンだと言うのに、体調が、今一。少し頭痛。嫌な感じ。横浜に行く前日もこんな感じだったなあ。安定剤とずっと思っていた薬が、娘の一言で、落ち込んだ。おいおい、君は、カウンセラーになるんでしょ?お母さん、落ち込ませて、どうするの・・・・と突っ込んでみても、空しい。「安定剤だけど、抗不安剤だよ、これ」そうなんだと思った。「抗不安剤」つまり、不安にならないようにするお薬。私、そんなに、色色な亊に、不安になるのかなあ。確かに、家族を横浜に連れて行くとき、緊張のしすぎで、脂汗が出たし、吐き気と、頭痛で、もう、やめようかと思ったくらいだったものなあ。いつから、こんな風になっちゃったんだろう。若い時は、気持もフットワークも軽かったのになあ。ADHD障害者は、自分に自信が無いって症状がある。私も、そうなる事、多々あるけど、誰でもそういう時ってあると思ってるから、気にしてない。向上心がなくなったら、生きてる意味ないし。「不安」ね~。心配しすぎってことだよね。確かにマイナス思考だよね。悪いことしか、考えない。何か有ると、良くない結果ばかり、考えちゃう。例えば、今の不安は、明日、コンサートに、二つ続けて参戦するのだが、足、つったら、やだな~とか。飲み会があるから、車で行くの辞めたけど、体、持つかなあとか、飲み会に行って、足、つったら迷惑掛けちゃうなあとか、会場が、駅から少しはなれているから、近鉄の最終に何時にお店を出たら、間に合うか、間に合わなかったらどうしよう・・とか・・。ありゃりゃ、不安ばっかりだよ。そりゃ~、頭痛になるよなあ。これ、性分だからどうしようもない。私、小さいときから、大腸が弱かった。「過敏性大腸炎」なんて言われた事もある。これ、国の難病指定に入ってる。本当は違ったのだけれど、神経が細いから、何かあると、すぐに下痢したり、便秘したりしたし、赤ん坊の時は緑便しかしない赤ん坊だったらしいから、大腸が、極端に弱いんだろう。大腸は、神経、精神的なストレスに弱いらしい。だから未だに、薬が無いと、消化出来ない。情けないったらありゃしない。見た目は、図太い神経の人に見えちゃうのになあ。デブって、損だね。まあ、なりたくてなったデブじゃないけど、しかも、その元凶が、抗不安剤なんだから、踏んだりけったりだね。愚痴ばかりの更新。たまには、良いかな?こうして吐き出さないと、また、不安になっちゃいそうだから、お許しあれ。
2006年08月18日
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こんな名前を付けたんだったっけ。お喋りでうるさいからって理由。私達のお食事会ももう、何回目だろう。今日も、娘の同級生のコーラス部に籍を置いていたメンバーとの月一の食事会に行った。もう、楽しい事、この上なし。今日は、全員の参加ではなかったが、8人中7人の参加だった。日曜にしてから、なかなか出られなかったTちゃんも、今日は久しぶりに参加。美味しいランチを頂きながらの楽しい話に花が咲いた。今日の会場は、カジュアルなフランス料理屋さん。ここ、パパのお気に入りで、焼きたてのパンを、籠に入れて持って来てくださる、食べ放題。パパはここのクロワッサンがお気に入りで、私は、いちごが練りこんであるいちごパンと、メープルシロップの練りこんであるメープルパン、チーズがたっぷりのチーズパンが好き。今日のコースは、お魚の多いコースでした。お値段も1500円と、お値打ちなので、お客さんは、ほとんど女性のグループ客。なぜか、いつも、私には話題が尽きない。皆、どうしてIちゃんは、そう事件ばかりあるの・・・と呆れる。娘の熱中症、冷蔵庫が壊れた事、パパが禁煙したこと、御祖母ちゃんの骨折、おまけに嵐君の夏コンのこと。私も、書くことに事欠かない。多分、そういう星の下に生まれたのだろうなあ。メンバーは、不動産会社の代表取締役のKちゃん、お付き合い17年。彼女は、名古屋にある御主人の不動産会社を手伝っていたが、ここ数年で、猛勉強し、宅建の資格と、二級建築士の免許を取って、独立した頑張りやさん。物凄く忙しいのに、最近、書と英会話も始めたそう。いつもそのパワーに感服。娘の親友のディズニーランドのホテルのエレクトーン奏者のママ。兎に角、フットワークが軽くて、じっとしていられない性分なので、ずっと、学校でもお役に就いていた。上の娘の幼稚園からの友達のお母さんのTちゃん、お付き合いは一番長く、もう19年に成る・・・・と言うより、私の高校の後輩。だから、知り合って、30年以上になる。ある国会議員さんの従姉妹で、元々上場会社のお嬢様なのだが、全くそんな感じじゃなく、仲間の中でも物の考え方がしっかりしていて、身の丈を大切にしている堅実派。たまに、私が、贅沢しようって言うと「贅沢言わないの!私マックで良いわ」と叱られちゃう。筋の通らないことが大嫌いで、言いたい事がちゃんと言える人で、いつも偉いなあって思っちゃう。下の息子さんが、まだ横浜で大学生をしていて、御主人は、この春、やっと札幌支店から帰ったと思ったのに、今度は、大阪支社長で単身赴任中。夫婦仲のよさは、仲間の中でも評判。現在実母と、京都から帰って来た社会人一年生のお嬢さんと女ばかりの生活中。ボランティアで、身体障害児の遊び塾に行ってらっしゃる、私とは全く違う、専業主婦。おまけに健康のために太極拳も。尊敬です。歯科医の奥さんMちゃん。最近、東京の実のお父様が認知症になり、自宅の病院の受付をしながら、入院中のお父様の食事に、毎日病院通い。ただでも痩せているのに、最近また痩せて、ちょっと心配。娘の仲良し3人組のもう1人のママ。お付き合い17年。今年下の娘さんが、受験で大変みたい。お兄ちゃんは、学校の先生になるべく、大学院でお勉強中。お父様のことが無かったら、点字の講師で、病院の受付の合間を縫って、近所の小学校に教えに通っていたのに・・。大丈夫?って聞いたら、穏やかに「うん、大丈夫だよ」って。本当に、お仕事しながらの看病、大変です。内科医の奥さんOさん。コーラス部で知り合って、お付き合い11年。薬剤師の免許を持っているので、御自宅の医院の薬局で昨年からお仕事をしてらっしゃる、ご自分も医者の娘。毎朝5時に起きて、一日分のお食事を作ってから、薬局に行く。私には到底できないです。それなのに、少々どんくさいところも有る可愛い人、今日も、松葉杖に、顔に絆創膏。どうしたのかと思ったら、家の中で転び、めがねが壊れ、怪我をし、びっくりしてしまい、二時間もそこに座ったまま、床が血の海になり、帰宅した医師の御主人が、血だらけの女房を目の当たりにし、度肝を抜かれたそう。如何してどこかにすぐに連絡しなかったのと尋ねたら、気が抜けちゃって如何して良いのか解らなくて・・と、皆で、可哀相やら可笑しいやら。上のお嬢さんは医大5年生。下のお嬢さんもチビと同級生で名古屋で同じく大学生。一昨年から幼稚園の先生をしているIさん、やはり、コーラス部で知り合って11年。中国に単身赴任の御主人、お嬢さんは大阪で大学を出て、そのまま社会人。下の息子さんも、大阪で大学生。気楽なワンコ3匹との1人暮らし。仲間の中では、一番の年下。キュートな容姿は、昔と変わらない。最初は、御主人が中国に長いので、寂しいと言ってらっしゃったが、最近は、気楽で良いわ~(笑)解る、解ると皆同じ反応に爆笑。唯一私より年上のSちゃん。コーラス部に入ってきて、いきなり、私とTちゃんKちゃんに役員に引き込まれた可哀相な人。お付き合い8年英語が好きで、大学の聴講生になり、頑張って今は英語の講師になった。ロッキード事件の時、丸○にお勤めで、警察の刑事さんの対応に追われたという。御主人は東京に単身赴任。上の息子さんと二人暮し。下のお嬢さんは東京で大学生。このお嬢さんが嵐ファンで、話が合う。ピアノの講師をしてるTさん。今日唯一、こられなかった人。お付き合いは、一番短いが、それでももう、6年。お嬢さんは優秀で、東京の大手不動産会社にお勤め。いつもとても穏やかな方で、一生懸命、他の方の話を聞いてくださる。ピアノの講師はもう、長いそうで、結構忙しくなさってらっしゃる。現在は、御主人と二人暮し。こうして書いてくると、こどもが、手元にいない方が多いなあ。中には、大学は他に行っていても、帰ってきて就職した方も。8人中、5人は自営の方だから、話が通じるので嬉しい。自営は自営の苦労もあり、会社と運命共同体だから、気苦労が絶えないが、それを、うんうんと、実感で解ってくれるから、嬉しい。彼女達に知り合う前は、お医者さんは、良いなあと思っていたが、内情を聞くと、精神的にも、本当に大変のよう。これだけ、気持の合う仲間は少ないと、感謝している。場所を移して、結局、夕方の5時過ぎまで、積もる話をした。また来月ね・・と約束をして三々五々、家路に着いた。本当に良い仲間。こういう方達とめぐり合って、心から、神様に感謝です。もう少し落ち着いたら、皆で香港、台湾に行こうと約束。早く行けると良いなあ。
2006年08月17日
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今年のお盆休みは、中に通常の日が入った変則。で、前半は今日まで。パパは、張り切って、庭の草取りやら、延びてきた枝を落としていた。午後から、やっと取って来た新しいカーテンをつけた。多分、20年近く使っていただろう、所々に破れがあるレースのカーテンをはずし、重みのある、ジャガードのカーテンを外した。パパは、この3月から、禁煙をしている。それまでは、日に3箱吸うヘビースモーカーだった。トイレの壁、リビングのカーテン、TVの画面、ガラス窓のガラス。もう、ちょっと拭くと真っ茶色になった。受動喫煙の怖さも何回も言ったが、ちっともやめようとしなかった。車に乗ると、その煙に、どんなに暑くても寒くても、窓を全開にしないと、息が出来ないくらいだった。私は喫煙者じゃないのに、肺は、真っ茶色だろうな~と、受動喫煙からなる、P何とか言う肺の病気が本当に怖かった。何時もいつも酸素ボンベを引っ張って歩かなくてはならないそう。いい加減本当に、辞めて欲しかった。ある日、娘達が、本気で抗議した。「お父さん、私達これから、赤ちゃんを産むのに、もう既に、お父さんのタバコの煙で、肺にニコチンが貯まってる。もし、その影響で心臓疾患の子供が生まれたら、お父さんどう責任取ってくれるの?」さすがのパパも、これには、相当堪えた。幾ら女房が文句を言っても、駄目。本当にタバコをやめないなら、離婚してやろうかと思うくらい、嫌な思いをしても、どこ吹く風だったパパが、その日から、ピタッと辞めた。ヘビースモーカーだったことは有名で、どこに行っても言われたそう。「あれ?Kさん、タバコ、吸ってないですね」だれもが、驚いた。暫く「吸ったら吸ったで、文句言われ、辞めたら辞めたで、いちいち聞かれるよ」とぼやいていた。しかし、1ヶ月、2ヵ月と経ち、とうとう半年になろうとしている今日、30年近く手にしてきたタバコは、陰も形もなくなった。暫く、甘いものを欲しがり、食事の量も増えたが、今は、以前と同じ量に戻り、糖尿病の血筋があるので、私がうるさく言い、甘いものもそう食べずに済んでいる。で、思ったのだろう。カーテンを綺麗にしよう。取って来た、オーダーした新しいカーテンを付けると、本当に、ぱーーーっと部屋が明るくなった。埃っぽかった部屋が、空気まで綺麗になったよう。うん、まずまずです。やっと居心地の良い空間になりました。後は、私の片付け次第ですな
2006年08月16日
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エリザベス・サンダーホームの澤田美喜さんのドラマが、また、放映される。私は、園長の澤田美喜さんのドキュメントドラマを、10代に見た。まだまだ、その当時、国際結婚は珍しく、当然、混血児も少なかった時代。今は、混血児も珍しくなくなり、返ってその優れた容姿が、もてはやされる時代だ。初めてこの澤田さんのサンダースホームが、ドラマになった頃は、まだまだ混血児が珍しく、いじめに遭う時代だった。そして、澤田さんも、まだ元気に御存命だった。徹子の部屋に出てらした澤田さんは、実に凛とした女性だった。さすがに旧財閥のお嬢様らしく、品の良い、物腰の柔らかいこんな女性が、あんな凄いことを成し遂げたのかと、私は、尊敬と憧れの目でじっと番組中まんじりともせず、見たのを覚えている。そして同時に、信仰の力を知った。父は、宗教が大嫌いな人だった。兄弟の中に宗教に傾き、家業を捨てた者がいた。そのせいも有ったのだが、私が、キリスト教の教会に行き始めたのを知り、烈火のごとく、怒った。友人に、中学を出てすぐにシスターの道に入った方がいて、君が代を歌う卒業式に出られなかった事もあいまって、やはり宗教は、身に合わないと思ってしまったのも事実。だが、考え方は、キリスト教の輪廻転生など、それに近い考え方が、今の私を占めている。澤田さんの生き方をドラマで見てから、暫くショックで、これから始まるであろう自分の人生と照らし合わせてみたり、多分、そんな行き方は自分には到底出来ないだろうと、まだ始まったばかりの自分の道に躓いてしまったりした。今回、放映されるドラマを見て、何人の人が、感銘を受けるのだろう。時代背景は、すでに美喜さんが亡くなって20年以上経った現在から始まっている。終戦記念日の今日、違った方向から戦争を描いたこのドラマが放映される意味は、とても深く大きいと思う。戦争がもたらした、不幸な子供たちが、美喜さんの力で、幸せな子供になっていく過程は、見ていて、本当に感動だから、二度と、このような子ども達を作ってはいけないと、思うし、昨今の子供の受難の時代に、もう一度、親になる意味を考えさせてくれるドラマだと思う。自分の人生で何をすべきか、深く考えた末に、美喜さんは2000人のママになることを選んだ。それも、御自分のお子さんを育てた上で。誰にでも出来る事ではない。今も、サンダースホームはあるのだろうか。確か、大分前に、解散したようにニュースで見た。今、この時代に、本当は、澤田さんのような方が必要なのではなかろうかと、思えて仕方が無い。今この時代をご覧になったら、澤田さんは、どれほど嘆き悲しむだろうか。多くの方に惜しまれて亡くなった澤田さんの生き方を考えると、本当に今こそ、自信を無くした母たちに、叱咤激励して欲しいのに、愛情を確かめられない子ども達に、大丈夫よと、励まして欲しいのにと思わずにいられない。今更ながら、澤田美喜さんが亡くなった事が、惜しまれて仕方が無い。
2006年08月15日
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眠いです。昨夜、夜中の1時過ぎ、オネエがリビングに来て、そろそろ寝ようかなと思っていた私に「気持が悪い」昨日は、我が家は恒例のお墓参りだったが、オネエは、久しぶりに東京から帰って来た親友と3人で、奈良に車で出掛けていた。この暑い中、奈良公園やら、大仏殿やら、春日大社やら回ったそうだが、すぐに、熱中症?!と思い、「お風呂場で、頭からお水をジャージャー掛けなさい」と言った。「大丈夫だよ」と言っていたオネエだが、お風呂から上がってきたら、まだ具合が悪そうで、熱を測った。最初に計ったら37度5分。あらら、病院に行かないとだめかなあ・・と思ったが、相変わらず「大丈夫だよ、きっと体も水を浴びたから、風を引いたんじゃない」などとのたまっていたが、あれよあれよと上がっていき、30分後には38℃2分。こりゃいけません。困ったな、パパは明日接待ゴルフ。起こしたら、明日パパが心配。仕方ない。ERに連絡したら「すぐきてください」とのこと。着替えて、保険証やら診察券やら長引くと思い、本も持って下に降りた。駐車場を開けて、中の自分の車を出すのが、もどかしくて、表に置いてあったパパの車に乗って、病院に向かった。お盆休みに入った病院のERは、混んでいるかと思っていたが、そう待たされずに呼ばれた。状況を説明すると、直ぐに血液検査と点滴。混んでいないと思ったが、点滴室は一杯だった。点滴の液は、なかなかなくならない。3時過ぎ先生がいらして、血液検査の結果を仰った。やはり軽い熱中症。処置が早かったので、そう大した事にならなくて済んだ。オネエは、寝息を立てていた。医療の現場は、日々進歩しているんだと感じた。点滴を差した腕には、動いても大丈夫な様に、大きな透明シールみたいなのが貼られた。御祖母ちゃんが入院した時、これがあったら、すぐに絆創膏を取っちゃおうとする度「駄目だよ」と言わずに済んだのになあ。点滴の間、ゆっくりできたのになあと思った。長引くと思ったので、読みかけの「陰日向」を持って来た。思わぬ、読書の時間。4時過ぎ、1本目の点滴が終った。帰れると思ったら、看護士さんがもう一本点滴を持ってらした。こりゃ全部終るのは、8時を過ぎるなあと思い、ゴルフに行くパパが、車が無いと困ると思い、一旦オネエを残し看護士さんに事情を話し、家に帰った。パパの車を置いて自分の車を出し、また駐車場の柵を閉めた。この作業が面倒くさくて、パパの車で行ったのだ。二階に上がると、気配を察してパパが目を開けた。「どうだ?」「うん、やっぱり熱中症だって」「そうか、Aは?」「まだ点滴してる、あなたの車で行っちゃったから、取替えに帰って来ただけだから」「そうか、気をつけろよ」「うん」。で、オネエに頼まれたIPOTを探して、病院にとって返した。途中、コンビニに寄って、美味しそうな届いたばかりのパンを買った。夜が白々と明け始め、降り出した小さな雨粒が、気持ち良かった、夜明けの道は白く、誰もいない無機質な街の様子は、凄く素敵だった。動く物は、ほとんど無い街の様子。排他的な感じじゃなく、明日の始まりみたいで、すごく暖かい感じだった。動いているのは、やけに鮮やかな色の信号機だけ。時々すれ違う車は、朝の薄い新しい光の中、普段より汚れて見えた、病院の点滴室に戻ると、向かいにいた19歳の大学生のご両親が来ていた。聞くともなしに、聞こえてしまったが、数時間前、保護者の許可のいる検査が必要とかで、御実家の電話番号を看護士さんが聞いていた。どこの番号なのか、聞きなれない局番だった。夜中に病院からの電話で、どれほど御心配なさっていらしたのだろう。幸い、髄膜炎の初期症状とかで、これから熱が高くなる前に近郊の県なので、そのまま連れて帰るそう。後に、待合室でご一緒になり、聞けば子供達の出た学校の上の大学だった。下宿先で具合が悪くなり、自分で車を運転しERに来たそうだ。これだから親元を離れての通学は大変なのだ。8時前、やっと点滴も半分以上終わり、持って来た本も読めた。だが、こちらは昨日お墓参りをして疲れた身、そろそろ、眠気がピーク。気がつくと、娘の布団の上につっぷして、うつらうつらしてしまった。バタバタとした足音で気がつくと、隣にまた、新しい患者さんが運ばれてきた。ERに落ち着く暇はないのだなあ。咽喉が渇いたので、目覚ましにもと思い、ERの自販機に無い紅茶を買いに下に降りた。この病院は、勝手知ったる何とか。チビを産み、父が1年近く闘病し、御祖母ちゃんを何度も入院させたから、どこに何が有るか、解っていた。・・・と、階段の途中で、見覚え有るお顔が・・。あ!・・I先生!先生も、すぐに私に気付き立ち止まられた。「御無沙汰しております」「こちらこそ、お元気そうで何よりです」「今日は、どうされたんですか?」I先生は心配そうに、私の顔を覗き込んだ。「娘が、熱中症になっちゃいまして・・」I先生は、あの穏やかな瞳を瞬かさせて仰った。「まあ、もう良いのですか」「はい、お蔭さまで、今、点滴を打って頂いて、大分良くなりました」「そう、それは良かったです」「先生、赤ちゃんは?」「ええ、無事、生まれました」「どちら?」「男の子です。今、保育園に預けてきました」「そうですか、おめでとうございます」小柄で、ベリーショートの先生の、キュートなお姿は、あの頃、父の担当医だった頃と少しも変わっていない。「もうすぐ、二年になります」「そうですね~。お母様お元気でらっしゃいますか」「ええ、半年泣いてばかりでしたが、今は私より元気に、コーラスやら声楽に通っています」「そうですか~、それは良かった。何よりです」「先生も、お元気で」「はい、ありがとうございます」父が、亡くなったあの日以来、初めてお目に掛かった先生だった。実は先生にも、大きな新聞沙汰になるような事件が襲い、皆で心配していたのだが、、お元気そうで安心した。下で紅茶を買ってERに戻ると、オネエの点滴も、もうあと少し。オネエにI先生にお目に掛かった事を話した。「先生も大変だったね」娘も感慨深そうだった。「そうね、でも、いつもの素敵な笑顔だったよ」と言うと、そうと、やはり安心したようだった。暫くすると、医師がやってきた。これも、医療の進歩か。赤外線の出る体温計で、娘の頭の数箇所を赤いランプを当てて熱を測った。「36度8分ですね。もう大丈夫です。家に戻られて、褐色のおしっこが出たら、また来院してください。このまま何でもなければ、もう大丈夫です」「ありがとうございました」大騒ぎの一晩が、開けた。帰り支度をして、ERの受付に行くと、ERの会計は閉めましたので、8時半から、通常の外来で会計が出来るので、そちらでお願いします・・と言われ、仕方がないので、ERの待合室でオネエと、買って来た美味しいパンを食べて待った。ERには悲喜こもごもの人生がある。そこに昨夜から一緒の御老人の男女数人がずっといた。聞くともなしに耳に入った話は、遺体をどうするかの話だった。ご兄弟らしいその人達は、それぞれ、自分のところでは引き取れないと言っている。中の一人が市役所に言ったら、火葬にしてくれるから、9時まで待って市役所に連絡しようと言っていた。何とも切ない話だなあ。御老人たちが、看護士さんの後に付いて出て行った後から、ストレッチャーに載せられたご遺体が、頭から足まですっぽり白いシーツを被せられ、運ばれていった。爽やかな朝にそぐわない光景だった。腹ごしらえして、外来に行くと、いつもと変わらない日常の病院の風景があった。ありゃ?この前、オネエの婦人科で来た時と、椅子が一新されて、無数の綺麗な白い1人掛けの椅子が、並んでいた。娘を産んだ頃から、ずっと草色の革の長椅子だったのに、高い吹き抜けの天井の広いロビーは、ぱっと明るい感じに変わっていた。開いたばかりの外来のカウンターに、貰った書類を出し、会計を済まし、駐車場に行くと、雨は上がって寝不足の目に日差しが眩しかった。やれやれ、大騒ぎの大元の御本人は車の中、すっきりとしたお顔。午前9時前帰宅。TVを付けたら、東京が大停電になっている・・・と言うニュースがあちこちで放送されていた。眠い。いつもの薬を飲んで、朦朧とした頭で着替えて二階に上がり、パパと入れ替わりに眠りに付いた。完徹、何年ぶりかなあ。
2006年08月14日
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我が家の今年のお盆のお墓参りの日。今年は、急にこの日になったので、オネエが参加出来なかった。と言うのも、14日は、パパが接待ゴルフで行けないし、15日は、御祖母ちゃんを連れてこなくてはならない。16日は、私に用事が有り、17日は、オネエの診察日なので、結局、急遽、今日になり、オネエが行けなくなったのだ。オネエは以前から、東京のディズニーランドのホテルでエレクトーン奏者をしている幼馴染の友人が帰省した際、近くの歯科医のお嬢さんと仲良し3人組で奈良に行くことになっていた。今日がその日で、バッティングしてしまったのだ。まあ、お墓参りはいつでも行けるからと、いそいそと奈良に出かけて行った。その代わりと言っては何だが、母が一緒に行くことになった。あ~、こりゃ、大変だ・・・と思ったが、親孝行、親孝行。11時近くに家を出た。チビと、母と近くのお店に寄って、お花と、昔、父の実家にいた乳母のお仏壇にお供えするお菓子を買った。いま、その息子のMさんが、父の実家の墓守をしてくださっている。我が家だけで行くなら、そんな面倒な事はしないが、母を連れて行く以上、仕方が無い。まず、父の実家のお墓へ。実は、父が亡くなって、お骨を納骨する際、私は納得がいかなかった。何故なら、墓守をしてくださっているMさんが、4基ある墓石の間の砂利を掘って、父のお骨を浅い部分に埋めたのを見て、そっと、母に「あんなので良いのか」と何回か聞いた。母はMさんがそうしてくれるのだから、間違いないと言ったが、ずっと、不満であり、不安だった。その不安は、後に亡くなった伯母の納骨の時、現実のものとなった。お坊さんが来た伯母の納骨の際Mさんは、墓石の前のお花台をどけ、その下の石の板もどけ、土の部分に血筋の無い伯母のお骨を埋葬した。血筋である父のお骨は、墓石の間の砂利に埋めたのに・・。そしておまけに、こんな話を耳にしてしまった。はとこの夫婦がお墓参りに来た雨の日に、誰かのお骨が、そのまま砂利の上にむき出しになっていて、ビックリして、埋めて置いたというのだ。私は、その話を耳にした時、すぐに、父だと思った。父が可哀相で可哀相で仕方が無かった。パパは、お骨は、一日も早く土に返る方が良いのだから・・・と慰めを言ったが、何故父がきちんと埋葬してもらえなかったのか、大きな不満を持った。父は後妻の子だった。勿論、昔の庄屋だから、後妻といえども、きちんとした庄屋同士の結婚だった。しかし、後妻、つまり祖母は、女の子二人と父を生んだが、結核になり、可哀相に、父の二人の姉は、祖母を看病し、次々結核に感染し、10代でその若い娘の命を散らせた。父だけは、祖母が近寄らせず、感染を免れたが、本当の兄弟をなくし、腹違いの兄弟の中、育った父はその寂しさからか、手のつけられない不良になり、祖父が亡くなってから、兄弟たちの手に負えず、10歳の時、東京の長兄夫婦に引き取られた。わが子のように伯母に可愛がられ育てられた父は、そこから出征し、復員してからも、故郷には戻らず、結婚するまで、東京三鷹の伯父伯母の元にいた。そして父は、晩年、自分の入るお墓をこの家の近くに作った。実家のお墓があるのに・・。私には、不思議だった。しかし、父のお骨のことがあり、すべて解った気がした。あの伯母の納骨の日から、ずっとずっと気になっていた。父のお骨を掘りおこし、きちんと、お墓の中に入れてあげたい。そして、今日、そうすることが出来た。お墓に着くと、パパと二人で、父のお骨を探した。探すまでも無く、少し砂利をどけたら、本当に、すぐ地表近くにお骨は現れた。これじゃ、少々の雨が降ったら、そりゃ、出てきてしまうはずだ。父が、可哀相で可哀相で涙が出てきた。丁寧にまだ形の残ったままの父のお骨を、そっと拾った。小さな欠片になったものも全部、砂利の中から探し拾った。チビも、可哀相だね、おじいちゃんと言いながら、拾ってくれた。母が用意した白い紙の上に、少しも土色にならず、白いままの父のお骨は貯まって行った。ひとかけらも残しておきたくなかった。そして、軍手をしたパパが花台をどかし、石の板をどかし、土を掘った。そして、父のお骨を大切にそっと中に入れた。「お父さん、これでやっと、落ち着いて眠れるね」そう言いながら土を被せた。花台を元に戻し、持って来た蓮のお花の入った花束を添えた。やっと、やっと済んだと思った。気持が落ち着いた。野ざらしになっていた父のお骨。これでやっと、兄弟や、母親の眠る土中に戻って行った気がした。人を恨んではいけない。そう思って過ごしたが、あまりに父が可哀相だった。この1年と少し、自分の骨が野ざらしになっているのをどんな気持であの世から見ていたのか。パパが「これで、本当に土に帰れるな」とつぶやいた。お数珠を手に掛け、深く祈った。チビが、おじいちゃん、暑いの嫌いだったからと、ジャージャー墓石にお水をかけてくれた。お父さん、また、来るからね。父のお墓を後にし、母をMさんの所に連れて行き、暫く待って、今度は、母の実家のお墓に行った。途中、美味しいうなぎを食べた。ここ数年、うなぎ屋さんに行くことが無かったので、久しぶりのひつまぶしだった。母の実家は、我が家をはさんで反対側。いつも、行くのに戸惑う。今回も、少し迷った。本当は実家にも母は行くつもりだったのだが、今、母の姉が、入院しているので、行くのを辞めた。主婦のいないうちにお邪魔するのも憚られた。炎天下のお墓は、もう、じりじりとした日差しで、墓石にお水を掛けても、すぐに、乾いてしまった。唯一、私が、顔を合わせた祖父の眠るお墓。私の長い髪をいとおしそうに撫ぜて「綺麗な髪だなあ」と言った大人しい祖父を思い出す。アララギ派の歌人でもあった祖父の印象は、大人しくて、いつも本に囲まれていた学者の印象だった。私が大学生のときに交通事故で亡くなったが、切れることの無い、ご焼香の列が強く目に焼きついている。亡くなってから、政府から勲四等だったかを頂いたが、死んでからくれたって、嬉しくも無いと思った。どんなに偉い人だったかもしれないが、私には、私のためにいちご畑を作ってくれていた、この上なく、優しい祖父だっただけだ。さあてこれで両方のお墓参り、終了。京都のお墓は、先日、法事の帰りに参ってきた。今回は、初めて母を連れて行ったが、来年からは一緒にいきましょうと、パパが言ってくれて、近くまで帰ってきて、母がお茶を御馳走してくれ、美味しいケーキとお茶を飲んで帰宅。ご苦労様でした。しっかし、暑い、本当に暑い日でした。
2006年08月13日
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久しぶりにドールの話。数ヶ月ぶりに、ドールが届いた。大怪我をして、修復されたジュモーEJの子。小さいながら、やはり腐ってもEJ、めっちゃ可愛い。多くの数が作られたTETEに比べ、EJは、時代も古く数も少なく、高額。だが、TETEを手にした者が、次に欲しくなるジュモーがこのEJだ。トリステや、ポートレートは、それ以上のクラスになってくる。これらは、今、底値と言われている日本の中でも、200~300万以上する。海外でも、150万以上はする。バブルの時期は、1千万近くしたものだ。日本人は、ジュモーが好き。やはりそのネームバリューだろう。パリに行った時、日本語もわからないフランス人が、「ジュモーだよ」って、道端で、どうみてもジュモーじゃない人形を売っていた。ジュモーは、無印の物も多く、見極めるのは、素人には難しい。特に、TETEになる前の、アーモンドアイや、ポートレートは無印が多いから、見慣れない方には、解りにくいだろう。最初に魅せられてからもう、30年以上になるが、私が最初にジュモーを見た頃は、バブルの時期で、とても手の出せる値段じゃなかった。普通にTETE JUMEAUが、百万もする時代。お顔の良い、小さなサイズの物は、200万を越える物もあった。EJの完品となると、400~600万などざらだった。そう考えると、今は、底値に近いが、最近、世界の景気が上がってきたのか、また、高騰し始めている。そんな中、世界中で一番アンティークドールの値段が高いのはイギリス、次ぎが日本なのだ。だが、同じジュモーでも、ピンからキリまである。お顔も、質の良いものから、え?と思うような質の悪いものも。特に、後期のオープンマウスは、剥き出した歯をしている物が多く、お世辞にも可愛いと言えない子も多い。しかしジュモーと言う名前だけで、高額で売れてしまう。私なら、そのお金を大事に取っておき、少しずつ貯金をしてもう少し自分が気に入った物を手にしたい。それでも、主婦をしていたりすると、月々の支払いに戸惑うこともある。そのため、私のサイトでは、そういう方のために無金利のローンもさせていただいている。このシステムにしたのは、自分が欲しくて欲しくて仕方が無いのに、分割にしていただけず、哀しい思いをしたから。中には分割にしてくださると仰っていただいたが、月々の支払いが大きいと、それも無理と諦めた。だから、私が、販売を始めた時は、絶対、欲しいと思ってくださる方に哀しい思いはさせたくないと思った。しかし、リスクも大きい。今まで二回、お支払い中にキャンセルになった。長い支払い中に他に欲しい子が出来てしまったり、ご家庭の事情があったりだからである。その度、一つ一つ、販売者としてのお勉強させていただく。私が販売を始めてから、大手のクレジット会社からオファーがあった。うちのカードを使ってくれとメールを頂いた。しかし、金利がかなり取られる。お客様に余計なお金を支払っていただくのは、申し訳が無いので、お断りした。もうひとつ、大きな出版社から出ている、かなり有名なアンティークの季刊誌が、是非、取材させてくれと言ってきた。広告も載せないかと言う。これもお断りした。私は、チマチマと、本当にお好きな方と、メールでやり取りし、小さく、あくまで、儲け仕事としてでなく、綺麗ごとでなく、同じお人形の好きなコレクター同士として、販売をしていきたかったからである。大きく手を広げたら、どうしても、儲け主義になってしまうのは否めない。それが嫌だった。最初のポリシーである、「本当にお好きな方に適正価格で、お譲りする」が、壊れてしまわないよう、いつも、これで良いかと後ろを振り向きながら運営している。最初は失敗もたくさんした。今は、決まった海外の3人の信用できるディーラーから、こんな人形を見つけてきたが、どうかと連絡があるが、以前は、海外の色色なオークションで落札して仕入れた。慣れないオークションに戸惑ったり、解らない英語で、トラブッたり、写真と全く違うものが届いて、泣き寝入りしたり。海外発送に慣れていないバイヤーから購入し、届いたら、目を押さえてある石膏が外れて、目が破損してしまっていたり・・・。大手のオークション会社だったので、苦情を申し出たら、束になった英語の訴訟状が届いた。これをよく読んで、記入し、FAXで送り返せというのだ。こうなるとお手上げ、もう、そこで諦めた。その失敗の数は、数知れない。それでも、もう、50体以上の子が、新しいママの下にお嫁に行った。時々、新しい衣装に換えて貰ったり、新しいウィッグに換えて全く雰囲気の違った子になった画像を送って下さるのだが、その時ほど、嬉しいことは無い。ああ、可愛がって頂いているのだなあと思うと、この仕事をしていて、至福の時間を頂く。100年前に優れた技術を持つ職人の手から生まれたドールは、天変地異をその持ち主の愛情で乗り越え、二回に及ぶ、世界戦争もかいくぐってきた。だから、私の元に来てくれたときに、本当に先人の愛情に感謝をするのだ。多くの人形を愛する方に守られ、今日、私に出あった人形たち。最近、レプリカ、リプロダクションの物も、混同してアンティークドールと言う方も多いが、本来のアンティークドールは、100年近く時を越えてきた人形のみに許される敬称なのだ。間違わないで欲しいと、アンティークドールに魅せられた者は思う。本物のアンティークドールに失礼だと思う。これからも、多分、死ぬまで私は、この魅力から抜け出せないだろう。それは魔力かもしれないなあ。
2006年08月12日
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久しぶりにパスポートの更新に出かけた。結婚した時に申請したままだから、20年以上ぶり。その間、海外に行くチャンスは無かった。古い赤い表紙のパスポートを持って行った。中の写真は、まだ、20代の私。初めてパーマをかけたクリンクリンのロングヘア。時代を感じる。ハネムーンで行った、フランス、イタリア、ギリシャの入国の刻印が、懐かしく残っている。記念に頂こう。家族の中で、パスポートが赤いのは私だけ。結婚する時、パパと初めてパスポートを一緒に取ったが、その後パパは、仕事で、しょっちゅう中国に出かけていたから、とうに、青いパスポートに変わっていたし、娘達も、それぞれ、中学3年生の時にケンブリッジとオックスフォードに語学研修に行く時に取得したので青いパスポート。私だけが、海外に行くことが無かったので、そのままにしてあった。海外に行く事の多い母が、昨年、父が亡くなって寂しい思いをしているだろうからと、東京の伯母たちがハワイに誘ってくださった時、一緒に行こうと言ってくれていたのだが、オネエとチビの受験があり、一人、旅行に行くのが憚られ、更新のチャンスを逃した。今回の更新は、9月にパパと仕事でベトナムに行く予定によって。以前から、突然、行くぞ・・・となることがあるから、早く、更新しておくよう、うるさく言われていたが、パパの様子から、そんな暇はないなあ・・・と高をくくっていた。所が、とうとう、本当に9月に行くことになった。「行きたいか?」と聞かれた。ベトナムは、今一番行きたい国だったので、即「うん!」で、更新と相成った。「仕事で行くのだから、遊んだりはできないぞ。」とはいう物の、花の国、ベトナムは、前々から、行きたかったので、ホテルに放って置かれたら、しめたもの。天才的方向音痴のパパと違って、一度行った場所は、必ず、覚えてしまうので海外も怖くない。地図を見るのも、好きだから、マーケットに行き、キッチュでカラフルな小物を漁って来たい。人形が好きだったので新婚旅行は、是が非でも、パリに行きたかった。パパは、当時デザイナーだったので、デザイン最先端のイタリアに行きたがった。二人の希望で迷わず、ヨーロッパに。添乗員のいるツアーは高額だったので、日本を出発するまでは、係員さんがいるが、飛行機には添乗せず、それぞれの国に、住んでいる日本人が案内してくれるツアーに申し込んだ。初めは不安だったが、後から思うと、正に正解だった。出発後、ギリシャの空港がストでフランクフルトで足止めを食らった時、一番最初のギリシャ行きの飛行機に乗れたのは、私達だった。一時は添乗員がいなくてどうなるのかと不安だったが、他の乗客を尻目に、さっさと飛行機の乗り継ぎができたのだ。おかしいのだが、同じ飛行機、同じクラスの席に、大きな航空会社のツアー客がいた。聞けば、私達のツアーとほとんど同じコースだが、お値段が断然高い。この時、ギリシャに在住の日本人のガイドが事早く対処してくれていて、ギリシャ人のアテンダントに誘導され、私達のツアーがどのツアーよりも早く、最初のギリシャ行きの飛行機に、フランクフルトから乗ることが出来た。その上、向こうに長年住んでいる日本人なので、穴場のレストランやら、美味しいお菓子のお店など、連れて行って頂いた。人数も少なかったので、ツアーの予定を変更して、行きたい所に連れて行ってもらったり。最初は不安だった私達も、あ~、このツアーにして良かったと帰りの飛行機の中で、仲良くなったツアーの方達と、話した。ギリシャ、ローマと回って、スイスのレマン湖の横を通る夜行列車でパリに入ったときは、物凄く嬉しかった。お決まりの観光案内をして自由行動になったとき、私の本領発揮。下調べしてきた地下鉄に乗って、のみの市に行った。地下鉄の切符を買うのも慣れない海外。しかし、ドールの為ならなんのその。全部、日本語で通した。そしてその当時、出たばかりの翻訳機も活躍した。カフェに入って、翻訳機で注文した際、店の主人が翻訳機をとても気に入った様子。フランス人は、自国の言葉に誇りを持っている。日本人が、翻訳機でフランス語を話すのに、驚いていた。私の横にぴったり座り、見せてくれと言うので翻訳機を貸してあげた。そこにいた店のお客も、皆集まってきて、興味深そうに見ていた。暫く見ていた店の主人は、大きく両手を広げ、何でもたたで頼めと言い出した。こちらがびっくりしてしまい、パパはコーヒーを、私は、ジュースしか頼めなかった。翻訳機がこんなに面白い出会いを招いてくれるなど、思っても見なかった。お目当てのドールのお店の並ぶ通りを歩いていたら、パパが急に腹痛になった。トイレを探そうとしたが、なかなかカフェが見つからない。翻訳機でこちらの言いたいことは言えるが、向こうの言っている事がわからない。やっと何とか解って、カフェに飛び込んだのは、良い思い出だ。だが、そこでも、面白い経験をした。当然、洋式のトイレと思って入ったら、和式のように、ただ、穴が空いているだけだったのである。外人が、フランス人が、しゃがんで用を足すのかと思ったら、可笑しくて、パパと爆笑だった。そして、無事、有名店でドールを手にし、気の遠くなるように広い蚤の市を、きちんと元の駅に戻り、また、地下鉄に乗って、オペラ座の近くのホテルに帰った。勿論、私達二人だけの大冒険だった。ローマの時も、ギリシャの孤島に行った時も、自由行動が多く、実に面白いツアーで、パパは私が頼りだった。だから、パパが中国に仕事で何度も出かけて行った時は、もの凄く心配だった。幸い毎回一緒に行った方が、やはり、土地勘のある方だったので、助かった。食べ物に関しても、パパは香菜が駄目なので、前回ベトナムに行った時、どんなにホテルから離れても、ホテルに帰って、食事をしたそうだ。しかし、これも、私はOK.パクチーも全く気にならずに口に出来る。むしろ、香りの強い食品の方が好き。だから、秋のベトナム旅行がとても楽しみ。イギリスのテロ問題で、海外に出るのが、面倒になってきたが、9月の中ごろと言うので、少しは緩和されているかな。ベトナム楽しみです。
2006年08月11日
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暑いので、怖い話を一つ。これは、私の話ではなくて、パパの大学時代の話。パパの大学時代は、真面目一方だった私の学生生活に比べ、美大と言う、自由な風潮の中にあり、結構、面白く遊んだそうだ。夏は、京都と言う土地柄、心霊スポットも多く、夜、仲間達と集まっては、行った時の話。京都に車で行くと、必ず、名神高速を降りてから、山科から、京都市街地に入るのだが、その途中に、左に入ると東山ドライブウェイに通じる道が有る。その入り口に、小さな四角い用水池があり、ガードレールが付いている。そのガードレールは、実は、パパが付けるきっかけになった、いわく付きのガードレールなのだ。大学生だったパパたちは、幽霊が出ると、評判の東山ドライブウェイに、丑三つ時、つまり、午前2時頃に、行ったらしい。山頂にあるお寺に行くと、真っ暗で、水子を祭ったお堂は、それはそれは、おどろおどろしかったそうだ。ふと見ると、ぼうっと林の方に、火の玉。一緒に行った5人の仲間と、慌てて車に戻り、お寺を後にしたそう。「あ~、こわ~」「見たよな」「おお、見た」などと言いながら、坂を下ってきたそうだ。ところが、途中から、車を運転していたパパが、恐怖に襲われた。突然、ハンドルが利かなくなったそう。「あれ?」とあわてているうちに、ドンドン坂を下り、スピードが出てきた。ブレーキを踏んでも、全く、スピードが落ちない。「事故る!」瞬間に思った。そして、その坂の下の用水池に向かって一直線に車は向かって行った。池は、四角い形をしていた。そのまま落ちたら、完全に車がはまり、ドアが開かず、全員水死する。その恐怖で、皆、震えあがった。もうだめだと思った瞬間、車は、池の手前の崖に激突した。しかし、車の前半分は、池の上に突き出ていたそうだ。幸い、皆、大した怪我が無かったが、車は大破した。あんな怖い思いをしたのは、生まれて初めてだったと、未だにパパは、そこを通るたび、言う。そして程なくして出来たのが、かのガードレール。だから、あのガードレールは、自分が付けたのだと、若い頃の武勇伝を話しながら、言う。言うまでも無く、それ以来、心霊スポットめぐりは、しなくなった。壊した車は、友人の父親の高級車で、自分達の軽率な行動の代償に、パパの両親が、お詫びに伺った。まあ、若気の至りと良く言ったものだ。パパは、その時、本当に両親に申し訳なくて、大学も辞めようかと思ったくらいだったそうだ。心霊スポット。冷やかしに行っては絶対いけない。パパは今でも、あの、突然いう事を利かなくなったハンドルとブレーキの感触が、忘れられないという。池にそのまま落ちていたら・・・と想像すると、ぞっとする。お盆です。皆様、ご先祖様、大切に致しましょう。
2006年08月10日
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娘の検査のために、朝から、大きな総合病院へ。産婦人科、チビを産んで以来の場所。何だか、懐かしかった。ここは、唯一の市の病院なので、いつも、一日仕事になるのを覚悟して、読む本を持って来た。前から読みたかったが、読めずにいた劇団ひとりの「陰日向に咲く」。なかなか面白い。話のつながりが、とても面白い。客観的に「人」を見ていく、この人は多分「人」が好きなんだろうなあと感じた。そう待たずに呼ばれ中に入ると、若い女医さん。診察の後に、色色説明を聞いた。女性の病気は、なかなか表に言い表せない。こうしてブログに書くのも少し気が引けるが、だから、なかなか、表にでてこず、手遅れになるケースが多いのだ。娘のことだが、親として、あえて、書きたい。内視鏡による写真を見せられた。先生のいう事には、子宮に腫れがみられるそう。子宮に腫れがあるのは、子宮筋腫、子宮内膜症、チョコレート濃腫。だが、内視鏡だけでは、判断しかねるのだそうだ。娘には自覚症状はない。娘が最初に産婦人科に行ったのは、少し、いつもより下着が汚れるのを気にし、診察に行ったのだ。そこで言われたのが、2センチほどの子宮筋腫。それを聞き、ああ、大した事ないなあと思った。私も、子宮筋腫があり、人間ドックで、このくらいの大きさなら、何の問題も無いといわれていた。しかし、若い女性、結婚前の女性である娘のことだ。もう一軒、診断を仰いだ方が良いと思った。近所に、評判の良い、割と大きな産科があったので、そこに行くようにうるさく言った。夏休みに入っても、集中講義など、毎日、11時に帰宅する忙しい中、なかなか行けなかったが、一昨日、やっと、行って来た。出てきた彼女の様子が、少し引いていたので詳しく聞いたら、「子宮内膜症の疑いがあるって言われた」血の気が引いた。2日後に別の提携病院でMRIを撮る様言われたという。こりゃ、ここじゃ駄目だと思った。兎に角、大きな病院に行かなくちゃ。所が、彼女は、納得しない。大きな病院に行けば、MRIも、すぐにはやってもらえないから嫌だという。二つの病院に行くように言ったのは、こうして、診断の違いが出てくるかもしれないと、思ったからだ。案の定、違う診断が出てきた以上、もう、小さな病院に用は無い。一刻も早く、検査施設も対処も、充実した大きな病院に行くべきだと、思った。しかし、私が何を言っても、頑固な彼女は動かない。何故ここじゃいけないのかと、食い下がる。結婚前の女の子にとって、婦人科の診察がどんなにいやな物か、女親として、重々承知している。出来れば、一回でも少なくしてやりたい。しかし、今は、そんなこと言っていられない状況であることも、否めない。ここは、もう、パパの出番しかないなあ・・と思い、夜まで待った。パパが帰宅し、事情を話し、娘を呼んだ。パパの説得にも、最初は、頑としていう事を聴かなかった。とうとうパパが切れた。命と学問とどっちが大事なんだと、怒鳴った。子供の産めない体になっても良いのかと説得した。パパに対してこうだから、私が説得できる訳が無い。やっと、納得し、今日、総合病院に行くこととなったのだった。所が、やはり、MRIは、月末しか空いていないそう。それは仕方が無い。しかし、今度は、結果の診察日を決める段になり、先生が一週間後の9月7日と仰っているのに、21日にしてくれと言う。診察室で、もっと早くにならないのかと言うと、やっと、14日と言う。まあ、多分、研修とかが有るんだろうと思って、14日にした。パパが迎えに来てくれ、学校に行く用意をしてから車で出掛けるという娘を自宅に送って、パパと用事でそのまま家を出た。パパに聞かれたので、一部始終を話したら、また、パパが怒った。すぐに娘に電話をした。聞けば、7日が駄目な理由が、なんと、友人との旅行途の事。またまた、パパが切れた。昨日あんなに、話し合ったのに、まだ、解らない馬鹿かと娘を叱った。22歳にもなる娘にこんなことで叱らなくてはならない親の情けなさったらない。婦人病を軽く見ている若い子の気持が、全く理解出来ない。子供が産めなくなるかもしれない恐怖はないのだろうか。遠距離だが、恋人もいるのに・・・。手遅れになったら、命の問題も出てくる。全く、解らない。・・結局、病院に連絡し、7日に変更していただくことになった。今日ほど、空しい思いをしたのは、初めてだった。私は彼女を、ちゃんと育ててきたつもりだった。躾も、他のお友達が厳しすぎると笑うくらい、うるさく言って来た。命の大切さも、動物を飼うことによって、学んできてくれていると思っていたし、何が一番大切なことかも、教えてきたつもりだったが、それが、根底から崩された思いを、今日はパパと一緒に味わった。「あいつは一体、何を考えてるんだ」パパが、にがにがしそうに、つぶやいた。22歳。もう、大人、されど、まだまだ、子供。やはり、社会人にならないと、本当の大人にはならないのかしら・・・。今日は、親として、一日、考えさせられた日だった。子育て、大人になればなるほど、難しい。なぜなら、もう、本人の考え方が、出来上がってしまっているから。それを、軌道修正するのは、本当に至難の業だ。しかし、このままでは、彼女は、駄目だ。親として、戦わなければなるまい。こりゃ~ちょっと、気持を引き締めてかからにゃなるまい。あ~、しんどいな~。
2006年08月09日
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おばあちゃんの介護度の新しい結果が来た。今まで要介護2だったが、いきなり、4になった。大変なことになった。あの施設は、要介護1~3までの認知症の対象者の施設。いよいよ追い出されることになりそうだ。ここ数日、御祖母ちゃんは、数回施設内で転んだ。昨日は、施設のそばに、知り合いの京都の人がいるから、連れて行けと、言い出し、どうにもこうにも京都だと言って譲らず、仕方が無いので、ケアの方が連れ出してくれたが、足がもつれそこでまた転び、手を骨折した。もう限界かもしれない。今日は、3年前に申し込んで有った、特別養護老人ホームに片っ端から電話して、要介護が4に上がったことを、伝えた。特養は、要介護4にならないと、入れない。条件が揃ったわけだ。しかし、今の施設を追い出される日が近付いたことも確かだ。気持が、落ち込んだ。まして、14日に施設が全室を消毒をするのでいられず、家に連れてくるという。この日は、パパは、接待ゴルフ。私と、娘で看なくちゃならない。私と娘の言う事など、とうに聞かない。お正月、黙って3人で、TV を見ているだけで、会社にいるパパに電話しろと言うので、どうしたのかと思ったら、「I子さんとAちゃんが,嫌だったから帰ろうと思って・・・・」あれだけ嫌がっていた施設にだ。私が一体何をしたのですか~と言う気持。相手は痴呆老人なのだが、元々の性格が、可愛くないからどうしようもない。ニコニコして、ありがとうとしか言わない認知症の方もいるのになあ。また、おしっこの片づけで、一日終っちゃうんだろうなあ。それも、私が、片付けるのが、嫌らしい。御祖母ちゃんが入ったトイレの後にすぐに見に行くと、「見んといてっ」ときつく言われる。こっちだって、見たくて見るんじゃないよって叫びたくなる。自分が汚したのを、認めたくないのだろう。認めなくて良いから、掃除をするの、放っておいてください。で、挙句に「I子さんが意地悪してきた」とくる。どうぞどうぞ、好きに言ってください。その方が、あれして、これしてと言われるより、こっちも樂ですから。14日の事を思うと、気が重くなるよ。気が重くなることがもうひとつ。娘が婦人科で、診察を受けた。子宮内膜症の疑いが出てきた。明日、大きな病院で見てもらう予定。まだ、結婚前、子供も産んでないのに。最初は子宮筋腫の診断だったが、今日、近くの評判の良い婦人科に行かせたら、そういう診断が出た。こりゃもう、大きな病院に行くしかない。なのに、オネエは、このままその小さな個人病院の紹介で、MRIを明後日、撮りに行くと言うので、大きな病院じゃなくちゃ駄目だと、パパと叱った。喧嘩になった。親の気持、子知らず。パパが凄く怒った。私も、こんなに、人の気持の解らない、馬鹿だと思わなかった。がっかりした。もう、勝手にするが良いと思った。こんなに腹の立ったことは最近無い。手遅れになって、後悔するが良い。そうすれば、少しは反省するだろう・・そうまで思った。どこで、躾、育て方を間違ったのだろう・・・。空しかった。こどもなんて、つまんないものだな。
2006年08月08日
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月曜日。何だか体中の疲れがどっと出た。沢山寝ているのに、眠い。まるで、夏休みに入った子供が、お昼寝を毎日しなくちゃならないような状態。体の動きを止めると、スーーーッと寝ちゃいそうになる。台風が来ているそうだが、物凄い日差し。肌に痛いくらい。それなのに、明日はもう、立秋。「暑中お見舞い」から「残暑お見舞い」に変わる。夏になって、まだ、二週間なのに。葉書を買って来たのに、まだ、出してないうちにもう、残暑見舞いになってしまった。お年賀状は、喪中の方には出せないが、夏は、出せるので、私は、暑中お見舞いに力を入れている。が、今年は、まだ、作る気にならない。ちょっと、また、少し鬱かなあ。お花が持たない。今、薔薇が安い。以前は1週間は持ったが、今は、暑いものだから、4日もすると、もう、しおれてしまう。中性洗剤を水に入れると、持つというので、やってみたが、あまり変わらない。下の娘が、大学の日本文化の授業で、華道をしていた。これがなかなか面白い話。大学に通いだしたら、お花を持って帰ってくるようになった。???華道部に入ったの?と尋ねると、ううん、授業。え?授業でお花するの?うん、日本文化の授業で。良いなあ、お花、習わせなくちゃと思っていたので、丁度良かった。所が、ただの華道の先生じゃなかった。石田流のお家元、石田先生に直で教わっていたらしい。「石田流って、あのいつもおばあちゃんが、名古屋まで展示会に行く奴?」「そう、あのお家元」「!!!そりゃすごい」「うん、最後の授業の時、修了書を頂いて、横にいたお弟子さんがこう言ってたよ」「『この修了証は、直接お家元に教えて頂いたという証明ですから、将来、役に立ちますよ』って」授業でお家元に教えていただくなんて、ラッキーな事。実は、娘はこの大学に入る前、入学する事に、引いていた。行きたかった大学の受験に次々失敗し、推薦で来ていたこの大学に、他の大学を受ける前に受験し、既に合格が決まっていたが、遠いし、勉強の内容に不満を持っていた。しかし、受からなかったのは、自分の不勉強のせい。嫌々ながら、通いだした。だが通いだしたら、なれちゃうもので、毎日、楽しそうに通っていた。この日本文化の授業も、なかなか面白そうなカリキュラム。私が通っていた頃と、えらい違いだなあと思ったものだ。今の大学は、学生獲得に色色な嗜好を凝らした授業をする。多分、この華道の授業も、その一環だろう。しかし、毎回、持って帰って来る、お花は、うちでは、生けられなかった。なぜなら、あまりに独創的な細工がしてあるから。チビは、本当に、こういう事をさせると、思いも付かない発想でしてしまう。絵を書かせても、ピカソのような絵、つまり、解説が必要な作品を書く。で、ある日、聞いた「この作品見て、お家元、何て仰った?」「うん、しばらく唸ってらして、『実に独創的な作品ですね』って」娘の作品を見て、戸惑い、なんと表現して良いのか困ったお家元のお顔が浮かび、思わず噴出した。「何故笑うの~」娘が不服そうに言った。「ごめんごめん。お花ってね、形が決まっているものなのよ。」「こういうのいけないの?」「ううん、いけないんじゃなくて、石田流の流派に無い形なのよ」「・・・・」「だから、A流って事。A流、作っちゃおうか」もうそんな言葉で、ごまかされる歳じゃない。それからは、あまり、独創的なものは、生けなくなった。流派に添ったお花を生けるようになった。Aちゃん、もしかすると、あなたの才能の芽を摘んでしまったかもしれないね。華道の授業は、半年で終わり。次ぎにどんな授業があるのか、母は凄く楽しみ。また、お母さんを楽しませてね。
2006年08月07日
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PTクルーザーに代えて、初めての遠出。上手く行けるかな?その上、今まで、一人で車じゃ行ったことの無い場所。パパとは、何度も行っているけれどね。7時半、黒の上下に身を包み、パパの着替えを持ち、嵐君のCDを抱え、さあて、出発・・・と思ったら、ETCカードが無い。ん?この前は、革工芸の時に使ったから家の中だ。もう一回、鍵を開けて中に入った。探したが見つからない。早く行かなくちゃ・・・。探している暇は無い。二階でまだ寝ている、オネエを起こしてオネエのカードを借りた。ちょっと遅くなったが、7時45分、出発。滋賀の大津に9時半の待ち合わせ。高速に乗った。良い調子。良い調子。途中、亀山で降りて1号線に降りた。あんりゃ、2台前の大きなトラックが、50キロ制限の道を40キロで走ってる。何なんだ、もう、こっちは急いでるのに。前の車もイライラとしているらしい。追い抜こうにも、追い越し禁止区域。ディーゼル車だ~仕方ないっか。鈴鹿峠に入り二車線になった途端、前の車が凄い勢いで、先に行った。こりゃ良い、後に付いた。おまわりさんに捕まるとしたら、前の車だね、ドンドン行く。滋賀は、交通法規を守らない車に厳しい。ネズミ捕りもよくしている。自動車学校の先生が、滋賀は気をつけろ・・と、言うくらい。パパも何回か、捕まっている。街中までおかげさまで前の車が先に行ってくれ、栗東の名神高速に入る頃は、9時前。途中、一回、コンビニにお茶を買いに入っただけ。PTも、なかなか良い調子。大津に着き、高速を降りて、大津駅に向かった。9時15分到着、うちから1時間半てこと?そんなに飛ばしてないのに・・。すぐに義弟にTEL.まだ、家にいた。パパの到着予定は、28分。ゆっくりしましょ。後ろの座席の荷物をハッチバックを空けて、仕舞ったり、パパの洋服を片付けたり。程なくして、義弟夫婦がやってきて、車に乗り込んだ。30分を過ぎているのに、パパが来ない。あ~、もしかして絶望的な方向音痴が災いしたか・・・。大阪から、反対に乗っちゃったとか?40分、もう、いけません。すると、通じなかった携帯が鳴った。「悪い悪い、大阪の駅員の兄ちゃんが、28分て言ったからお前にそう言ったけど、本当は、38分の間違えだった」無事、パパの着替えを持って、駅にお迎え。さあ、出発。法事は、パパのおばあさん夫婦の法事だった。おばあちゃんは、7回忌、おじいちゃんは、50回忌。パパが生まれる前におじいちゃんはもう、いなかった訳。施設に入っている御祖母ちゃんの弟の家で法要をし、近くのお料理屋さんで、お食事。叔父いわく、「この県で、一番行きたい店と言う雑誌にいつも一番に載る店」だそうだ。なかなか美味しかった。叔父の家に戻り、皆さんより、先に失礼して、お墓参りに行った。御祖母ちゃんが、歩けなくなってから、去年のお盆に、パパが御祖母ちゃんをおぶってお墓の坂を上がった。でも、もう、京都までの移動は無理に成った今、私達が、お参りするしかない。パパと二人、お墓にお参りした。京都女子大の裏のお墓なので、学生のスポーツをする声が聞こえてくる。とても環境の良い所。ゆっくりお茶を飲む間もなく、京都を離れた。もう京都の家はない。こうしてお墓参りに来るくらいになってしまった。パパが生まれて、大学を出るまでいた街。今は、遠い街になってしまった。何か、催しがあるのか、五条通りは、焼き物を並べ始めたテントが並んでいた。もう少しゆっくりしたいなあ・・・と思ったが、今日は、法事とお墓参りに来たのだし、黒い洋服を着て観光でもあるまいと、すぐに、また、高速に乗って、家路についた。夕方6時、くたくたになって帰宅、もう、何も作る気がせず、焼肉を食べに、チビを拾って行った。あまり量は入らなかったが、疲れると、無償にお肉が食べたくなるのは、本能だろうか。疲れ果て、11時のニュースも見られず、気が付いたら、寝てしまっていた。お疲れ様、PT。
2006年08月06日
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朝から、大阪のアクセスをプリントアウトしたり、ホテルの予約の画面をプリントアウトしたり。何故に、私が・・・・と思いつつ、天才的方向音痴のパパが、無事いけるか、心配。だって、パパ、うちの団地で、迷います(爆)午前中に、買い物に行き、午後3時過ぎ、パパを駅まで送った。楽しいと良いね。直前に一番仲の良かった四国の友人に電話したら、連絡が行ってなかったとかで、知らなかったらしい。その日に大阪で花火大会があったり、なにやら、スポーツの試合があったりで、どこのホテルも取れず、やっと取れたホテルが、ツインデラックスとやらで、丁度、一緒に泊まれるから、今から出て来いと言ったら、「5時間はかかるじゃろ~」←良いですねぇ、愛媛弁ですよ。で、結局、会えなかったらしい。チビは、この日、市の大々的なお祭りで、御祖母ちゃんに先日買ってもらった浴衣と帯をして、夕方、いそいそと出かけていった。オネエは今日も遅い。で、母と久しぶりに、前から行きたかった沖縄料理のお店に行った。沖縄料理、大好き。ラフテーやら、チャンプルー、たこライス、大好き海ブドウ。お刺身の好きな母に、盛り合わせ。もうおなか一杯。オネエに、少し料理を包んでもらって、帰宅。のんびり明日の法事の用意をした。初めてPTで行く、遠出です。嵐君のCDを沢山積み込んだ。夜、TVで吉祥寺の旅番組をしてて、よく行くお店が沢山出てて、嬉しかった。伯母ちゃん、従姉妹達、皆お元気かなあ。新しい冷蔵庫は、やっと、中が一杯になって、冷蔵庫らしくなった。だが、まだ、慣れていなくて、冷凍室と野菜室を間違えて、新しいコラーゲンのビンを入れちゃって、気が付いたら、ビンが凍って割れちゃった。あーーあ、これ、高かったのになあ。勿体無い事しちゃった。冷蔵庫、綺麗なまま、使いましょう。長いこと、うちにいたドールが、いよいよお嫁に出る事になった。きっと、新しいママに可愛がってもらえる事でしょう。京都から戻ったら、梱包し、発送です。いつも発送のときは、ちょっとさびしい。新しいドール、なかなかアップできない。頑張らなくちゃな~。まだまだ可愛い子がいるのに、撮影から始めなくちゃ。しっかりしろ、私。
2006年08月05日
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朝、少し遅く起きた。良いお天気。でも、お洗濯はする気になれなかった。昨日のニノと潤君のコメントに、考えさせられた。明日は、パパが大阪の大学の同窓会に行く。切符を買いに行くので、そのアクセスやら、ホテルもまだだというので、検索したりしていたら、電話。誰かなあと思ったら、O先生。「はい」「貴方今何処?」「え?家で・・・」そこまで言って、でんぐり返った。きゃーーー、今日、革工芸だった。それも、来月の展示会前の大事なレッスン日。「先生大変、忘れてました」「まあ・・(笑)」「すぐ行きます」「はい、気をつけていらっしゃい」もう、超特急で用意。まずい事に、先生が亡くなってから、指導してくださる方に、若手3人で、お礼のお菓子を持って行くことになって、初めてのお役目は私だった。お道具を車に積み込み、車に飛び乗って、高速とは反対の、いつものケーキ屋さんに。美味しそうな栗のパウンドケーキを3つと、皆さんのお茶請けに、フェナンシェを10個買って、もう少し行った先にある文具屋さんに、トレッシングペーパーを買いに行った。こういう時に限って、ガソリンが無い。いつものスタンドに寄った。・・・と以前いた店長さんが、出てらした。キャンペーンで手伝いに来てらっしゃったのだ。「Kさん、お久しぶりです。車代えられたんですね」そこで、娘とSAABの話をし、父が亡くなって、父の車に乗っていた話をしたら、父を御存知だったので、とても驚かれた。少しお喋りをして、いざ出陣。さあて、高速に乗ろうかと、引き返していた所、また電話。「あ、今何処?」「高速に乗るところです」「いつものお店に来て、いつもので良いわよね」「はい、お願いします」いつも行く、美味しいお店に先にお昼を食べに行っているとのこと。高速を降りたら、そのまま、お店に向かった。あ~、広いお店の中、どうやって探そうかと思ったら、まだ、玄関の広間に皆さんいらした。「あ、来た来た」「すみませーーん」で、無事、美味しいランチを頂きました。カレンダーにしっかり、「革工芸」と赤い文字で書いて有ったのに、これだ。次回の予定を今度はブザーの鳴るように設定してある携帯に入れた。これで大丈夫。やはり、革工芸は楽しい。来月は、先生の追悼展示会です。夕方、帰宅後、大阪の会場へのアクセスを調べ、すぐに、駅にパパの切符を買いに行った。何故私がしなくちゃなんないのか・・。今回は、仕事じゃないよな~。少し甘やかしすぎかな(笑)駅前のデパートの駐車場に止めて、駅の窓口で切符を買って、横の「アフタヌーンティ」を覗いたら、まだ、「ハチクロハニー」が有ったので、もう一個買った。これで、食べられます。下に降りて、デパートで夕食を調達。表に出たら、もう、暗かった。あ~、こんなに、ばたばたしたの、横浜以来だな。しなきゃいけないことが出来ませんでした。明日、また、頑張りましょう。パパは明日、4時前の電車だから、ゆっくりね。遅くまで寝ようっと。チビは、明日お祭りに行くんだって。良いなあ。私も浴衣着て、行きたいよ。
2006年08月04日
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昨日は楽しすぎて、今日は、朝から、脱力感。目が覚めたのが、8時前。下に降りたら、パパが出かけるところだった。チビの御弁当を作って、「間に合わない!」と叫んでパニクっているチビを乗せ、下の駅まで3分。送った。全くね~、大学生なんだから、もっと、事前に時間を考えて、就寝出来ないかな~。朝から、良いお天気。久しぶりに、お洗濯物を干した。最近、乾燥機ばかり使うから、綿の物が縮む。私は、お日様に干すのが好きなのだが、チビが、毎日自分の洗濯物を乾燥機に掛ける。出しておきなさいと言うのだが、出せない。電気代、お小遣いから、差っぴこうかしらん。プールの排水溝の問題が大きくなってきている。確かに子供の頃、泳ぎが大好きだった私も、海より、プールで泳ぐのが好きで、良くプールに泳ぎに行ったが、排水溝に体を吸われるのが面白くて、手を当てたりしたものだ。子供って、そういうのが好きなのだ。だから、本当に大人は、心して、危険な箇所を再点検して欲しい。昨日届いた名古屋公演のチケット4枚。あまり良い席じゃなかったが、狭い会場なので、見えないことはないな。余っていたフィルムフェスタのチケットも、友達親子が一緒に行きたいと申し出てくれたし、最初に全部当たって、戸惑ったが、何とか、なりそうだ。気持も体もゆっくりの一日。週末は、忙しくなりそうだし、しっかり英気を養っておきましょう。
2006年08月03日
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名古屋発、10時丁度発の「しなの」に乗って、いざ、長野に。新幹線には、ここのところ、度々お世話になっているが、こういう、電車の旅は、近鉄以外で一体、何10年ぶりだろう・・・・。パパと結婚してからは、パパは車が大好きなので、新幹線以外で、何処かに電車で行く、旅行に行く事は最近無い。え?20年ぶり?めちゃめちゃ、楽しみだった。ご一緒したKちゃんが、美味しい、美味しい駅弁を買ってきてくださった。駅弁食べるの、生まれて初めてかもしれないよ~。そのくらい、覚えが無い。新幹線に乗るときは、いつも、何も食べる事なく、着いちゃうし、近鉄では、食べるとしても、いつもサンドウィッチか、ハンバーガーだからなあ。近鉄は、乗っても、せいぜい2時間弱。すぐに着いちゃう。でも、長野は・・、普通に遠かった。途中の景色が抜群に綺麗。その上、オネエが3歳の時に、行った妻籠、馬籠の旅以来の駅に次々止まり、もう、懐かしくて涙ものだった。途中からご一緒したYさんの息子さん二人が、めちゃめちゃ可愛かった。からかうのに、丁度良い年頃、車中、楽しませていただきました。長野は、少し涼しいかなと期待したが、やはり、暑かった。シャトルバスに乗って、会場の長野ビッグハットに。会場限定の可愛い団扇付きの「アオゾラペダル」を購入、あ~あ、これで、4枚になっちゃったよ。暑いので、待ち合わせていたTちゃんが、到着してご挨拶して、すぐに会場の中に入った。今回のお席は、Tちゃんのチケ運の良い、スタンド2列目。ほとんど、高さが無いから、アリーナ席にいるよう。今回のツアーで狭い会場は、ここが初めて。今回の構成は、絶対、狭い会場向き。楽しみです。暗転、始まった。海外26時間行脚を終えて帰って来たとは思えないくらい、テンションが高くて元気、元気。嵐君達、ものすごく機嫌が良い。やはり、海外の反応に、自信をつけて帰ってきたんだなあと実感。セットリスト半分を終えてMC。こういう時、本当に、ニノは、賢くて、こちらが期待している通りに、反応してくれる。「皆さん、海外なんて行っちゃって何よって思ってない?日本でチマチマやってて欲しかったって思ってない?、思ったっしょ。僕も思ったもん」「でも大丈夫だよ、僕ら日本が大好きだから」勿論、会場は、大歓声。今回、初めて団扇を作って行った。いつも、目が合うと、さっと逸らす潤君、どんな反応してくれるか。年甲斐も無く、どきどきだった。潤君のソロ曲になる前、毎回、会場のどこかから現れ、ドライアイスの煙をファンに掛ける。いつも、舞台向かって、右からの登場だったが、なんと何と、潤君が隠された箱が、私達の前を通って、すぐ、左前で止まった。うっそ!ニノの「キャラメル・ソング」が終った次の瞬間、目前にサングラスをしためちゃめちゃ素敵な潤君登場。はい、煙、もれなく思い切り掛けられました。お隣のAちゃんのお友達のMさんと抱き合っちゃいました。MCは、タイ、台湾、韓国の話が盛りだくさん。面白い話が沢山だったので、忘れないうちに、またレポを書きたい。MC後に、もう、本当に嬉しいサプライズあり。私達が座っていた場所は、丁度真ん中あたりで、センターステージからトロッコに乗って左右に分かれる位置の前あたりだった。曲のイントロが始まって、潤君が私の方のトロッコに乗った時、段々上がっていくトロッコの上から、私の団扇を見て、肩をすぼめ、胸の前で小さく手をにぎにぎして、凄く嬉しそうに、恥ずかしそうに笑ってくれた。その少年のようにはにかんだ笑顔に、もう、バッキューン!!!死にました。嬉しすぎて、思わず、Mさんに抱きつきました。生まれて初めて行った嵐君の公演では、突然目前の階段から現れ、思わず「潤」と呼び捨てにして暗転中に睨まれ、その後の公演は目が合っても目をそらされ、苦節3年目にして、初めてだった。昨年は、スタンド席一番前で、わざわざ私の前、ほんの1メートルの所にいるのに、私の右隣の女の子達に、満面の笑顔で手を振り答えていたのに、目前の私は、無視。良いよ良いよ、もう、解ってるからって気持だった。でも、今回、あの恥ずかしそうな可愛い笑顔を見て、解りました。自分の親ほどの年齢の私に、自分がコンタクトを取るのが、恥ずかしかったんだ~と。でも、今回、うちわの文字が、よほど嬉しかったのだろう。本当に、恥ずかしそうに一瞬、手を上げて笑ってくれた潤君。頑張って、作った甲斐がありました。煙を掛けられただけでも、超、うれしかったのに、ありがとう。その後、何度も、ニノや、相葉ちゃん、翔君の可愛い笑顔が、目前を通り過ぎた。大ちゃんも、肩に掛けていたタオルを投げてくれたが、下に落ち、傍にいたスタッフが拾い、私達の前にいた大ちゃんの団扇を持った子に渡せと、トロッコの上から手で指示して、その子も嬉しそうにタオルを貰っていた。その時の大ちゃんの目にうっすらと涙。泣き虫大ちゃん、健在でした。長野、めちゃくちゃ楽しかった。サプライズが二回。狭いから、お顔も近かった。横浜、大阪と見てきて、だんだん満足のいく公演だったが、今日の長野は、120パーセントの満足度だった。翔君が踊りを間違えて、ニノに土下座させられたりはあったが、とても、楽しく、嵐君達も、非常に機嫌が良かった。会場で、私を最初に嵐君にめぐり合わせてくださった長野県在住のMさんとも再会できた。公演が終わり、長野駅に戻り、わさびマヨネーズなどお土産を買って、東京へ帰る新幹線組の方と別れ、また「しなの」に乗った。非常に楽しく、非常に実りのある公演だった長野。初めての長野公演だったが、こりゃ、くせになりそうです。長野でお目に掛かれた皆様、ありがとうございます。楽しい旅をご一緒したYさんとおぼっちゃん達、いつもいつもお世話掛けちゃっているKちゃん。ありがとうございました。m(__)m長野、楽しかった~。
2006年08月02日
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昨日、嵐君は私が参加した大阪最終公演からそのまま私が、電車に乗って帰宅の途に付いた頃、同じように関空に向かい、26時間に渡るアジア3カ国を巡るプライベートジェットによる、記者会見ツアーを行った。朝から、ワイドショーに連続出演の嵐君だった。ところが、全部見逃した。パパが、「おお、そういやー、やってたぞ」録画・・録画ボタンだけで良かったのに、押してくれよな~~。良いもん、友達にたのんじゃったから。その代わり、新聞を買いに走った。各スポーツ紙にでかでか、出ていた。全部ゲット。顔見知りのコンビニのおばさんが「ああ、それだったの、さっき女の子が来て、一杯買っていったから何かと思ってた」同じ事をしている子がいるのかと、可笑しかった。ついでに、うちわを作る材料で、足りなかった物を買いに走った。お昼に冷やし中華を作って、パパとお昼を済まし、明日、長野に持って行くお土産を用意しにまた出かけた。夕方、以前から作ろうと思っていたチンじゃオロースーと、エビチリを作った。エビチリはとても簡単に作れる。ケチャップと、チリソーズ、お醤油に胡椒、おネギのみじん切り、しょうがのすった汁を入れたら、はい出来上がり。今日は、先日横浜でとても美味しかったので、大きなプリプリの海老を使った。家族の評判も上々でした。パパは、食事後、お付き合いで出かけて行った。うん、良いチャンス。団扇作りに掛かった。文字を何回か、拡大コピーして、カッター台の上で切り抜き、買って来た蛍光の紙に貼り付け、カッターでカット。さあて、うまく、団扇の中に入りきるかなあ。ハイ、上手く出来ました。今回の文字は「CQCQ さすけ」そう、潤君が血を吐くような練習の日々を送り、全霊を込めて演じ、さらに大きくなったお芝居「白夜のワルキューレ」の重要なワンシーン勝さんに無線で「CQCQ」と何回も呼びかけてた「CQCQ」と役名「さすけ」。潤君、見てくれると、嬉しいなあ。2時間ほどで出来た。証拠品を抹殺。パパが帰宅。「あんりゃ~、字が落ちてる・・・、お前、団扇作った?」あーあ、ばれちゃった。見せたら、腐っていた。元プロから見たら、かなり、稚拙な出来だったろう。まあ、女房が楽しく、機嫌良くしているから、パパも、何も言わないし、私も、好き勝手させてくれる家族には、いつも、感謝の気持でいるから、これで、良いんじゃないでしょうか。明日の用意万端。「しなの」の旅も楽しみだ。さあ、明日はどんなサプライズが待ってるだろう?
2006年08月01日
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