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朝、そのまま学校に行く用意をして、美容院に。鏡の前に座り、手際よく小さくまとめられていく自分の髪を見ていた。次は、着物。上手に着せていただき、さあ、出発。学校につくと、最悪、一番遠い駐車場しか空いていなかった。長い長い、階段を慣れない草履と着物で、休憩しながら、昇った。体育館に入ると、入り口にコーラス部の指導をしてくださっていた先生がいらした。「あ、おめでとうございます」「あ、ありがとうございます」とご挨拶。会場に入ると、待ち合わせしていた友人を探した。確か、右の前の方のはずだった。前に向かって歩いていると、「Iっこちゃん、ここ、ここ」とコーラス部の別の友人が呼んでくれた。見ると、着物姿の友人達が、並んでいたので、間を通り、中に入って座った。すると、その反対側に幼稚園からご一緒の友人達もいて、ご挨拶。聞けば、父兄の席は、クラス別になっており、待ち合わせした友人の席は、卒業生をはさんで反対側。まあ、仕方ない。始まった。まずは、卒業証書の授与から。私の席は、卒業証書をもらった生徒達が、自分の席に帰っていく通路横だった。女の子は、女性らしく、男の子は、本当にたくましくなったが、幼稚園から知っている子が通ると、小さな頃の面影があり、それだけで、もう、目頭が熱くなった。そして、校長先生の祝辞。実に良いお話だった。北海道にある有島武郎の「小さきものへ」の碑のお話親の子を思う、究極の気持を表した文だった。「小さき者よ 不幸な そして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ 前途は遠い そして暗い しかしおそれてはならぬ おそれない者の前に道は開ける 行け 勇んで 小さき者よ -『小さき者へ』より」このお話だけで、もう、鼻の奥が痛くなるほど、泣いてしまった。その後、来賓や、理事長のご挨拶。最後に合唱。我校は、合唱にとても力を入れていて、全国的な大きな賞をここ毎年頂いている。素晴らしい歌声が、体育館一杯に響き渡った。感極まった卒業生が、涙を流しながら、歌っている姿は、見ているこちらも、もう、たまらなく泣かされた。最後に、娘は、少し下を向きながら、拍手の中、退場して行った。娘が出てくるのを待って、表に出て、娘と記念撮影。その後は、お友達と、お昼を摂り、カラオケに行き、夕食も済ませてくるとの事。私達も、近くのうなぎ屋さんのお座敷に食事に行き、暫く「終わったね~」など、積もる話に花が咲いた。そのまま着物で居る友人と別れ、一旦帰宅する友人達と一緒にお店を出て、母の所に着物を見せに行った。母に記念の写真を何枚か取ってもらった後、そこで、着替え、髪を崩してシャンプーしてもらいに、再び、美容院に行った。髪を洗っていただいてる間が、一番リラックスできた。折角早く寝ようと思っていたのに、結局、2時半までかかって、寝不足。美容師の先生にご挨拶をして、前の薬局に○ンケルを買いに行き、帰宅。少し頭痛がしそうだったので、薬を一緒に飲み、着替え、さあ、いざ、出発。嵐君のCDを掛け、緊張をほぐそうと大きな声で歌いながら、謝恩会の会場に向かった。ホテルの駐車場に車を入れて、上に上がった。受付を済ませ、受付の後ろに行ったら「あれ?お着物、着替えちゃったの~」と皆に言われた。「あんなもの着てたら、緊張の上の緊張で、引っくり返っちゃいそうだもの」と言うと、皆に笑われてしまった。続々と、先生方もいらして、私の緊張も、最高潮。何度も、トイレに立った。さあ、そろそろ、会場に入りましょうか。会場は、とても立派な宴会場だった。高い天井に大きなシャンデリアが、いくつも輝いていた。私も、教頭先生の横の自分の席に落ち着いた。いよいよです。司会の方に呼ばれて、ご挨拶。司会者の場所で良いのかと思っていたのに、なんと、舞台の上、金屏風の前に設置されたマイクの前に立つはめになった。おいおい。聞いてないよ~。会場は、水を打ったように静まり返った。平常心、平常心。「皆様を前に、大変僭越でございますが、PTAクラス役員代表として、開会のご挨拶をさせて頂きます。」とりあえず、ここまでクリア。会場は、相変わらず、シーーーン。「今日、無事、卒業式を迎えることが出来ましたのも、校長先生初め、教頭先生、学年団の先生、そして、各教科の先生方の、時には厳しく、そして暖かい御指導の賜物と、感謝しております」自分の声が、マイクを通し、広い会場に響きわたるのが解る。まずいよ、声が小さくなっちゃった。「ささやかではございますが、心からの、感謝の気持をこめ、ここに、謝恩会を開きたいと思います」もう、緊張の最高潮を行き過ぎた。もう少し、ここから、柔らかいご挨拶を続けるつもりだったが、ここで切っても良いなと判断。お辞儀をして、舞台を降りた。席に戻る間、拍手をしていただいたが、もう、何も覚えていない。本当は、このあと「子ども達も沢山の思い出を先生方に頂きました。そして、ご父兄の皆様も、同じように、この学校から、思い出を頂きましたが、これからのお時間、皆様と楽しく過ごし、また、素敵な思い出を作っていただければ、役員一同、大変、幸せに思います」と言うつもりだったが、言えなかった。壇上にあがり、設置されたマイクでお話させていただくことの難しさを、初めて経験した。今までも、何回か、コーラスの集まりで、大勢の中、ご挨拶させていただく機会があったが、全く、勝手が違った。久しぶりに味わった、この上ない、緊張の一瞬だった。席に戻り、乾杯の音頭を私の横にいらした恩師の教頭先生にお願いし、乾杯。やれやれ、やっと、落ち着きました。それからの数十分、教頭先生と、とても楽しいお喋りをさせていただいた。教頭先生も、普通の御父兄に対する会話と、かつての教え子である私との会話とは、当たり前かもしれないが、違っていらした。やはり、何年経っても、担任の先生と生徒なのだ。親しくお喋りしてくださり、本当に嬉しかった。父の事や、弟のことなど、話題は尽きなかった。先生も私も、まさか、30年後にこうして席を同じくして、お喋りできるなんて、如何して想像できただろう。少し、こちらに顔を傾けながら、お喋りしてくださる先生は、30年前の、新任の教師だった先生そのものだった。この日私は、写真を持って行った。32年前の修学旅行先の宮崎で、先生と一緒に撮った、ツーショットの写真。「先生、これ」と出すと、「うん?おーー」と上着のポケットから老眼鏡を出され、写真を手に取られとても懐かしそうに、笑顔で見てらした。「これ、どこだっけ?」「宮崎です」「あ、そうだった、そうだった」「先生、すごくバスガイドさんにもててましたよねぇ」と言うと、少し、お酒の入った先生は、照れ笑いをなさった。「どこに行っても、先生の横にバスガイドさんが行きたがったんですよ」「そうだったかなあ」良いなあ、こういうお話ができるのも、恩師ならではだ。宴もたけなわ、今期で勇退される校長先生のハーモニカの演奏は、父を思い出させ、涙が出てしまった。父も、戦争に行った時、慰めにハーモニカを持って行き、実に上手かった。皆さんが、そろそろ、各先生へのご挨拶に席を離れ始めた。私も、カメラを友人に託し、教頭先生に「先生、30年後のツーショット、お願いします」と言うと、先生も快く、並んでカメラに収まってくださった。そして、私も、各先生の所にご挨拶に行った。もうお一人、女性の先生で、私が、教育実習をした際の教官だった先生も、今期限りと伺い、先生のお席に行った。「親子二代、本当にお世話になりました」と言うと、S先生は、私の手を握ってくださり、「本当に寂しくなるわね、私、今、フォークダンスしてるのよ。一緒にしない?」とさそってくださった。そして、先生とも、ツーショットで記念撮影。お名残惜しいが、同じ役員仲間の閉会のご挨拶。実に楽しい会だった。そして、それぞれの先生が皆「今年の6年生は、良い子ばかりで、本当に、おいおい泣いてしまいました」と仰っていただいた。中には、生徒が帰ったあと、一人、6年間の思いに教室で泣いていたら、「携帯忘れました」と戻ってきた生徒に、泣き顔見られましたと会場を沸かせてくださった先生も。私のように18年、この学園にお世話になり、今年で最後の方も多く、御父兄の中でも、私のように涙してらっしゃる方も多々いらした。本当に、暖かい、素晴らしい謝恩会だった。二次会に、ホテルの下にある、ラウンジで、お茶を飲みましょう・・・とかえる方も少しいたが、薄暗い、ラウンジの中、お茶を飲みながら、また別の方とお話した。午後10時過ぎ、先生方をお送りした。お酒の入った先生は、チャーミング。娘の担任のI先生は、しっかり私の手を握り、「Kさん、それじゃ、またお目に掛かりましょう」と仰って帰っていかれた。その後、残った役員や、御父兄たちと、何枚も、記念撮影。本当に楽しい、時間だった。先生、ありがとうございました。そして、参加くださったご父兄の皆様、本当にありがとうございました。
2006年02月28日
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いよいよ明日になった。お昼前、パパからTEL.義弟が御祖母ちゃんに会いに来ると言う。美容院に髪を洗いに行こうと思っていた時。聞けば、まだ大丈夫な時間。慌てて、美容院に行き、シャンプー。御祖母ちゃんは、今日は、しっかりしていた。日によってこんなに違うんだなあ。午後から、母が、血圧が高いというので、S先生の所に連れて行った。母を家に送って、使い捨てカメラや、明日履くタイツなどの買い物。最後にスタンドに寄って、洗車。うん、完璧。しかし、今日はものすごく寒い。明日もこんなに寒いのかな、着物大丈夫かなあ。ショールは用意したけれど、あそこの体育館寒いんだよねぇ。足袋の上からじゃ、ホカロンも貼れないし・・・・。足がつったら、最悪。夕方、大失敗。電話があった。チビが、「Hさんだよ」と言うので、出た。Hさんて、うちのクラスにいらしたかなあ。と思いつつ、出た。「Hです。実は、今朝からすごい熱で、どうしても明日の謝恩会に行けそうもないのですが」「卒業式も出られないんですか?」「いいえ、何とか、卒業式には、行こうと思っているんですが」「あの~、前日なので、キャンセルは、難しいのですが、何とか、頑張って、お熱が下がりましたら、謝恩会も出ていただくと言う事で、何しろ、前日なものですから、ホテルの方にも、もう、人数を確認してしまったものですから・・」「はい、解りました、前日に熱を出すなんて、本当に、済みません」で、至急、Kさんに連絡、「え?うちのクラスにHさんなんて、いたっけ?待って待って、今、名簿見てみるわ・・・・やっぱ、居ないよ、違うクラスじゃない?」「うん、解った、履歴があるから、こちらから掛けて、聞いてみるわ」で、もう一度こちらからHさんにTEL「あの、何度も済みません、Kですが、Hさんて、何クラスでしたっけ?」「あの~、数学のHですが」「え?」キャーーーーーー!!!先生じゃん!なぜ、先生が私に掛けてくるねん。先生のことは、学年主任の先生にお願いしてあるのに・・・。落ち着け、落ち着け、で受話器を持ち替えて、話し出した。「あの・・H先生ですか?それは、大変失礼申し上げました。ご父兄だとばかり思ったものですから。お熱、大丈夫ですか?」「ええ、今朝から、下がらなくて、何を食べてももどしてしまって・・」電話番号を見ると、すぐお近く。「あれ?先生のお宅は、うちのすぐ近くですね」「ええ、S先生の所で点滴を打って頂きました」さっき、母を連れて行った時、奥で誰か点滴を打って寝ていた。あれ、H先生だったんだ。もう、平身低頭、失礼をお詫びして、電話を切った。もう、チビの奴~。自分の先生が解らないのか!すぐにKさんにTEL。もう、さんざん爆笑されてしまった。「良いなあ。Kさんらしいわぁ。おっかしい~、良いなあ良いなあ~」また、笑ってる。「冗談じゃないよ~、本当に心臓、つぶれるかと思ったのに~」Kさんは、笑ったまま。人の気も知らないで~。もう、大失敗の一幕だった。明日、学校に行ったら、すぐに、お詫びに行こう。またまた、気にすることが増えちゃった。もう、最悪です。夜、お洋服をオネエに見てもらった。私は、どうしても、若い頃から、黒が好きでついつい黒ばかりになっちゃう。少し、華やかな色も用意すれば良いのだが、まあ、こんなもんでしょう。今夜は、早く寝たいが、まだ少し用意が残っているのに、誰も家事を手伝おうとしない。全く、君たちは何様なんだ!!足、つりませんように。
2006年02月27日
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朝から、パパがいた。何故?あ、日曜なんだった。こっちの気も知らず、「映画でも見に行こうか」って・・・・。とても、その余裕が無い。着物の下着にアイロンを掛け、着物を箪笥から出して、確認。着物は、太ってから作った訪問着だったので、無事セーフだったが、長襦袢が、もう、ギリギリだった。かなりやばい。これ、着物作った時、作らなかったんだなあ・・・。と今更ながら、太った体が恨めしかった。そりゃ、痩せぽっちだった私の頃に作ったのだから、こうなることは、解っていたはず。準備が、悪い。次回は、何時になるか解らないが、こんなことが無いよう、暇になったら、すぐ作りに行こう。帯は、一竹さんの帯。いよいよデビュー。元々持っていた辻が花の帯と並べてみた。雲泥の差とは、このことか。今までの帯が、色あせて見えた。明日が楽しみ。美容院に持って行き、足らない物など教えていただいた。母が、昼間、散歩の途中にやってきて、庭に咲いている水仙を持って行った時、いる物を聞いて用意したが、やはり、2~3足らなかった。こりゃ、母がいなくなったら、娘達がお嫁に行った時、大変だ。子どもが小さな頃は、お宮参り、入学式など結構、着る機会があるからなあ。着付け、習いに行かなくちゃいけないかしら。お茶やお花をしてらっしゃる方は、みな、御自分で着られる。こういう時、いつも思う。娘時代、ちゃんとやっとけば良かった・・・。親の言う事は聞いておくものだ・・・と。母は、結構うるさく言った。お花くらい生けられないとお玄関が寂しいわよ。お茶のお作法くらい知って無いと恥をかきますよ。着物の着付けは、子どもが出来た時に知っておかないと、美容院にお金が掛かってしかたないわよ。それを全部、無視した。どうでも良い、七宝焼きやらを熱心に習った。御蔭で、電器釜を購入し、少しのお小遣いを稼げるくらいになったが、生活には、何の役にも立たなかった。本当、親の言う事は聞いておくもんだ。自分のわがままのせいで、いまだに自分じゃ、着物は着られないし、剱山を使った、お花は生けられない。お茶のお作法は、日々の生活の中で必要ないが、どこかに行き、お抹茶が出てきた時、どきどきしてしまう。全く、親の言う事は聞いておくものだ。何とか、用意が出来た。あとは、心の準備。明日は、ハンドバック、お洋服のチェック。ご挨拶の予行演習。あ、これはしない方が良いな。なまじ、いつもしていない、こんな事をすると、変に緊張しちゃって、何も喋れなくなっちゃうかもしれない。いつもぶっつけ本番で、何とかなってきたから、これは辞めときましょう。夜、緊張でおなかが痛くなった。自然体になるのは、本当に難しい。夕食も作れなくて、皆でお蕎麦を食べに行った。そうだ!困った時の嵐君。今日は、潤君の番組が唯一有った。嵐君を見ているときだけ、無心になれる。今日の潤君は、また、一段と素敵です。どうにか、心を落ち着かせた。何だか、じわじわ、実感が沸いて来ました。
2006年02月26日
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全く落ち着かない。気持ちばかりが、はやり、落ち着かない。しなくちゃいけないことばかりなのに、体が前に出ないのだ。全く、困ったものだ。自分のこういうところが大嫌い。性格なのか、年のせいか、ADHD障害からくるのか、解らないが、大嫌い。届いた嵐君の番組のDVDを見て、元気をもらおうと暫く、休憩。あした、美容院に持って行く着物の一式もまだ、確認していない・・・・。その後の謝恩会に着る、洋服も確認していない。チビが月曜に、卒業式の予行演習に行く。あ、制服、クリーニングから取ってこなくちゃ。大変だ。もっと、静かに、卒業の日を迎えたかったなあ。幼稚園から、お世話になった学園とも本当にこれでお別れだ。オネエが4歳からだから、丸18年。この学園にお世話になってきたのだ。そう考えると、メチャクチャ寂しい。謝恩会では、私の席は私の恩師でもあり、娘達の教頭先生だった方の隣。校長先生は、弟の恩師で、今回、謝恩会のことでお願い事があり電話した時、「お父さんお元気でらっしゃいますか」と問われ、一昨年、亡くなりましたと申し上げたら、本当にビックリなさってらした。私より、父とよくお話させていただいていたから。その校長先生も、今期で勇退される。そして、来期からは、私の恩師が校長になられるのだ。その恩師にとって、私は、大学を卒業して教員になられて、初めての生徒だった。本当に、感慨深いものがある。修学旅行に九州を一周したが、先生とのツーショットの写真は、色あせてしまったが、今も、アルバムにある。私が、初めて娘の入学で中高の校舎に行った時に、何に驚いたかと言うと、私が、通っていた頃、まだ、私の背の辺りだった木が、大きく大きくなっていた事。こんなに、うっそうとしていたかしら・・・と思ったものだ。それだけの時が経っていたのだ。私が、この学校を巣立って、上の学校に行き、就職し、また学生になり、結婚し、子供を生み、20年と言う月日の中で、この木々たちは、ずっとここで、こうしていたのだなあと思うと、愛しくて仕方なかった。そして、そこから、また10年が経ったのだ。心には、溢れんばかりの思いで一杯。それなのに、その思いに浸っていられない状況が何とも恨めしい。さあ、もう少し、頑張りましょうかねぇ。
2006年02月25日
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とうとう、日本に金メダル。フリーの時は、リアルタイムで見たくて起きていたが、流石に、今朝は起きていられなかった。しかし、やっぱり、リアルタイムで見たかったなあ。アジアンビューティーと言われているらしい荒川静香さん。確かに、黒髪にあのお顔、あの演技は、正に、アジアンビューティ。何より、衣装をお母様が縫ってらっしゃるのに驚いた。それも、洋裁をした事が無かったと言う。あの素材は、非常に縫いにくい。薄いシフォンや、収縮性のある素材は、とても、とても、縫いにくいのだ。その上、1000個近くのビーズを縫い付けたそう。母の愛が今回の勝利の勝因だなあ。娘が、世界一になるってどんな感じかな。世界一の娘と、世界一の母。静香さんが、メダル獲得後にTVの取材で、お母様の喜ぶお顔を見て、初めて、自分が金を取ったと自覚したと仰って、ああ、なんて素敵なんだろうと思った。その後、静香さんがお母さんを後ろから抱いてスケートをしながら、怖がるお母さんに「ね、解ったでしょ、ただ滑るだけでこんなに怖いんだよ。どれだけ、ジャンプするのが怖いか解った?」と結構強い口調で仰ったVTRを見て、ああ、普通の母と娘なんだなあ・・・と嬉しくなった。娘って、本当に、母親に厳しいのだ。しかし、世界で一番の友達にもなれる。今日、一日、荒川静香さんの話題で、一杯だった。夕方、買い物に出たついでに、大ちゃんのソロコンの載った新聞数紙を買った。東京のZEPPは、花道があるよう。大ちゃんが、言っていた「ほんの少しずつ違うんですね」が、解った。ソロコンも福岡で終わりだなあ。明日、今年のカレンダーを取りに行こう。今回は、どんな写真なのかな、すごく楽しみ。
2006年02月24日
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最近、昼食に凝っている。昨日は、山梨の「ほうとう鍋」をした。今日は、フランクフルトに粒マスタード、サワーキャベツそれにパスタ。明日は、パパがゴルフなので、チキン料理でもしようかな。先日、死ぬ思いで名古屋から抱えて帰った白いお皿や、大小のボールの御蔭。やはり、お料理は、器だなあ。お料理するのが、楽しくて仕方ない。10年前に戻った感じ。元々器が大好きだった。結婚する前に何も買い揃えずに済んだくらい、コレクションが有った。就職した時も、食器が好きなので、「家庭用品」を希望したのに、配属されたのは、「家庭用品課、ギフトセンター、商品券売り場」だった。それでも、同じ課だったので、商社の人と親しくなり、新しい変わった器が入ると、内線で「面白いの入ったよ」と知らせてもらった。だから、我が家の戸棚は、北海道の木を使った、大きな、大きな食器棚なのだが、それでも、入りきらず、システムキッチンの棚に所狭しと入っている。一年に一度しか使わないものも多い。お正月用に揃えた「めでたい」と赤い字と鯛の模様の有る、周りに金線の入った中皿と小皿。3軒のデパートを足を棒にして気に入った物を探し回ったアンティークっぽい模様の漆のお重。桃の節句しか使わない、お雛様模様の大鉢と、お皿、箸置き、4人分の桜の抜きのある赤い木のトレイ。夏用のガラスの器。手巻き寿司用の大小の木桶。クリスマス用のツリーの模様の大皿と、小皿。子ども達が小さな頃、お誕生会用に使った、可愛い熊の模様の入った、大皿と小皿のパーティセット。それに一時凝ったお菓子作り用の、色色な耐熱ガラスや、陶器の型。そして、アンティークのリモージュのお皿達や、染付けの古代柄の骨董のお皿。もう、本当に、もう一つ戸棚が欲しい。凝り性なのだ。何にでも、凝ったらとことんやらないと、気がすまない。そのため、家の中は、私が凝ったために増えた物が多々あり、今や、粗大ゴミにとなっている。年を重ねてやはり凝ったのが、お肌のお手入れ用品。コロコロ肌を転がすと、血行が良くなり、肌がすべすべになったゲルマニウムの通称「ころころ」微振動が一秒で何百回と起き、クリームをつけてマッサージすると、リフトアップになる、何とかソニック。TVに繋いで、自分の毛穴まで見れる、シミ撃退機。これがすごいのだ、黒い色に反応し、レーザーが出る。だから、永久脱毛も出来るらしいが、少し、チクッとするのが嫌で使わなくなった。皆、たまーーーにしか使わない。だから、お肌も、年相応。編み物に凝ったときは、手当たり次第に毛糸を集めた。これは、あれを編もう、これは、あれを。で、二階の押入れの半分は、毛糸が占領。パッチワークに凝った時の遺物は、生地。もともと花嫁修業に仕事を辞め洋裁の専門学校に3年行っていたので、生地は、山ほどそろえた。それも、デザイナー養成では定評の有る○ード学園だったので、変わった素材、変わった生地が多かった。学校を出てからパッチワークにはまり、使ったが、それ以上に、またまた生地が増えた。それも、二階の押入れ。いい加減、処分すれば良いのだが、なかなか出来ない。落ち着いたら、少し、家の中を整理しなくちゃなぁ。それより、この凝り性を直さなきゃ駄目か。ちょっとこれは至難の業かも。
2006年02月23日
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明け方まで、起きてしまった。トリノのフィギアスケートを見たくて、深夜3時まで起きていたら、NHKのアナウンサーがのたまった。「フィギア女子の日本勢は、明け方5時から7時までの予定です」あのね~、解ってるんなら、もっと早く、言ってよぉ。とTVに突っ込んでみたが、もう、あと2時間しかない。上に上がって寝たら、折角ここまで頑張って起きていたのに、たった2時間じゃ、目が覚めない。仕方ない。ソファに横になった。うつらうつらして気が付いたら、もう、ミキティは終わっていた。しかし、あとの二人と、全米1位のコーエンの演技は見ることが出来た。流石に村主は素敵だったが、コーエンの滑りや演技は、うっとりするくらい素敵だった。そして、何より、あの大きな瞳のこぼれるような笑顔。あれだけで、5点はあげてしまいそうになるなあ。御蔭で、卒業式にむけて髪を染めに行って、ついつい、うとうと寝てしまった。また、気持の良いことこのうえ無い。頭寒足熱と言うが、頭温足温と言う感じだから、自然、寝不足の体は眠りに堕ちてしまう。やっぱり、髪が染まるのは、気持の良いものです。帰りにお墓に寄って、父にチビの報告。バレンタインデーに掛けてあげようと思って忘れていた、父の好きなウィスキーを少しかけてあげた。午後から、着物の下着の足らない物や、足袋など買いに行った。夜、友人から謝恩会のキャンセルの報告。やれやれ。
2006年02月22日
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卒業式に着物を着ることになった。預けてあった帯を取りに行って、銀行に行った。さあ困った。何処か解らないのだ。パパに聞いて行った。な~んだ、いつも駅前に行く時、前を通っていた所。外から見ると、大理石で出来た、とても立派な建物で、私は、ずっと、長い間、ホテルだとばかり思っていた所。駐車場には、大きな看板があるのに、その十階建て程の銀行のビルには、何処にも看板らしき物がなかった。駐車場に車を止めて、その建物の前にいるのに、通りすがりの方に「済みません○重銀行の本店はどちらですか?」と尋ねてしまった。その方は、お仕事中で、何か銀行に運んでらっしゃる途中だった。即座に「これ」と目の前のビルを指差した。なんだ、これか・・・とその方と一緒にビルに入ったが、「いやいや、お客さんは、あっち」とビルの反対側の入り口を指差した。全く、失礼この上ない銀行だ。大理石の本当に立派で綺麗なビルなのだが、看板が、ほんの小さな大理石の看板が、地面に置いてあるだけ。景観やデザインを考えてのことらしいが、こっちとら、そんな物はどうでも良いのだ。もっと、解りやすいものにならないのか!おまけに、入り口が解らない・・ときてる。銀行って、何様?本当に腹が立った。お客様あっての銀行じゃないんですか~。ビルの前に来てるのに、そこが、銀行と解らない。入り口が、二つあるのに、どっちが、お客様用なのかも解らない。全く、失礼千万。こうして胡坐をかいた経営をしていたら、この銀行、今に潰れるぞ!中の窓口の女性は、とびきりの美人だったし、感じも良かった。文句の一つでも言ってやろうと思ったが、トーンダウン。でも、言いたい事は言って来た。本当にお客様の事を考えて、もう少し、解り易くしてくださいと。こういうの、「仏作って魂入れず」っちゅうやつじゃないっすか。ねぇ ○重銀行さん。
2006年02月21日
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はい、今日は、謝恩会最後の打ち合わせ。もう、何が何だか、さっぱりなのです。それでも、友人達は、実にテキパキと大切なことを決めて行き、誠に心強いのです。美人で名高いKさんが顔も上げず、つぶやいた。「最近、こういうこと、気が散ると出来ないんよ~、やだね!」うん、うん、わっかるよ~と、同じ年代だから共感の声が上がる。すぐに、何をやっていたのか、続けてしてしまわないと、忘れてしまうのだ。だから、イタメシ屋さんの赤と白のチェックのテーブルクロスの上一杯に資料を広げ、一心不乱にまとめている彼女は、頼んだパスタが固まろうが、横で、薄情にも食べ始めている私達に目もくれず、トントントンと仕事をしてくれます。ありがたいm(__)m誠にありがたいのです。で、私は、横の友人に言われ、彼女のパスタを固まらないよう、まぜまぜした。私の仕事は、いつも、会の司会みたいなのと、校長先生への連絡やら、雑用に徹します。後は、当日の開会のご挨拶くらい。みんなが、テーブル割などに、心を砕いてくれていたりしているのを見ていると、ああ、このメンバーで本当に良かったと思います。さあ、一段落着いたところで、彼女達の食事。その間に今度は、食べ終わった私が、彼女の雑用を引き受けて、今日の仕事は万事OK。・・・と彼女と反対側にいた、これも、もう、10年以上のお付き合いの友人が、「部長から話が・・」と私に振った。部長?何の事?ああ・・・そう言う事。「では、宴会部長から、打ち上げの相談です」途端に緊張で張り詰めた空気が和む。良いなあ、こういうの。長年、一緒に色色してきた仲間だから生まれる空気。一緒に何かを作り上げていくの、多分、これで最後だね。思い切り、楽しい謝恩会にして、思い切り、楽しい打ち上げしようね。さあ、もう、ひと踏ん張り。
2006年02月20日
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チビの結果が出た。希望する所には、行けなかった。可哀想だが、自分の今までの、結果だから、仕方あるまい。少し泣いたが、「あなたの今までの結果だから、泣くのは卑怯じゃない?」と言ったら、すっと、泣き止んだ。結局、受かっていた大学に、行くことになった。遠いのがたまにきず。それ以外は、良い学校だと、私は思っている。問題は、大学のレベルじゃなく、何をその子が、学び、身につけるかだから、4年間を有意義に過ごして欲しい。お茶を習うのも、お花を習うのも、お料理を習うのも、大好きな映画を見まくるのも良い。何かを掴み取って欲しい。お昼にパパが、ご苦労さん会をしようと言い出し、近くの例の素敵なフランス料理屋さんに出かけた。今日のパパは事の外、良く喋った。お料理は、本当に美味しい物だった。先日、友人達と食べた物とは、全く違うお料理だった。チビももう、吹っ切れたようで、良かった、良かった。昨日御迷惑をお掛けしたお宅にお菓子を買って、帰りに昨日のオーディションの結果を見に行った。きのうは、25人受けた。お店のカウンターに張り出されていた。よしよし、二人揃って、通った8人の中に入った。第一次関門突破。今回のオーディションは、多分、10回以上有るんじゃないかなあ。さあて、何処までいけますやら。
2006年02月19日
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冷やかしで、娘達がオーディションを受けた。それも、か~なり大きなレコード会社のだ。多分、今一番、ヒット曲を出している会社だろう。さあて、どこまでいくかな?娘達がオーディションを受けるのは、これで二度目。一度目は、オネエが小学校3年生、チビが、4歳の頃。映画のオーディションだった。こっちも、面白半分に受けた。書類選考に通り、面接と相成った。パパと、休日の暇つぶしのつもりに出かけた。しかし、会場に行き、驚いた。皆、親の目が血走ってるのだ。真剣に、髪の毛をあーでもないこーでもないといじくってる親も居れば、洋服がお姫様みたいなのを着せられている子もいた。うちの娘達は、GパンにTシャツ。みんな真剣なんだ。しらけた。6人の審査員が並んで、次々、質問していく。カメラテストもあった。今度は駄目だろうと思っていたら、最終5人の中に二人して通ってしまった。しかし次がすごかった。二人で合わせて40万円近くのお金が要った。映画に出る前にレッスンがあるそうで、その授業料。申し訳ないが、親の方に、それだけ掛けるつもりが毛頭無かったので、丁重にお断りした。それ以来だ。今回は、何万人に一人の選考なので、彼女達も、お気樂。何処までいけるか、楽しんでいる。オネエは確かに、声楽を3年も個人に付いて習ったから、それなりに上手い。バンドで唄ってもいるし、ステージで、唄った経験も多い。大学時代は、教授のバンドでボーカルになり、会場を借り切って、バンドのワンマンショーもこなした。しかし、チビは、本当にしろうと。さあて、どこまでいけるかな?ちょと、楽しいじゃないっすか。夜、コーギーのジュンがまた、鎖を切って、逃亡。もう、これで3回目。何処行ったかと思っていたら、御近所の方が、集会所に張り紙がしてありますよ・・・と教えてくださった。やれやれ、集会所の紙にあった番号にお電話。迎えに行くと、もう、ものすごいお屋敷。呼び鈴を押すと、奥の方から若い男性が出てらした。「申し訳ありません」と恐縮すると「いや~、ジョキングしていたら、最後まで付いて来てしまいまして、それに、来る車、来る車に飛び出すものですから、危ないなあと、連れて帰りました」もう、本当にそうなのだ、こいつ、車が来ると、怖いものだから、吠えて、向かって行くのだ。良くお礼を申し上げて、リードにつなぎ、連れ帰った。天国のお父さん、本当に、やんちゃに育てたもんですね!。三つ子の魂、百までもは、犬にも当たるのかしら・・・・。
2006年02月18日
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忙しい一日だった。市役所に、ある届けを提出に行った。書類を揃え、20日までの提出期限、ぎりぎりになった。ずっと、私の机の横に有り、気持の負担になっていた。やれやれ、ADHDの「先延ばし」の障害の一つは、本当に厄介です。母がお使いに連れて行ってと言い、一緒にくっ付いてきたが、市役所と、病院と、連れ回してしまった。普段あまり、母のところに行かないので、母は、返事をしない私にお構いなしに、お喋りしていた。市役所と病院と行くうちに、「咽喉が渇いちゃったわねぇ、お茶、飲みに行こうか」そりゃ、あれだけ喋れば、誰だって咽喉が渇くよなぁ。「うん、薬、薬局で貰ったらね」と、病院の下にある薬局に入って行くと、「御自由にどうぞ」とお茶の機械があった。我慢出来なかった私は、紙コップにお茶を入れると、母に渡した。母は一言「随分、安上がりになっちゃったわねぇ」と言って受け取った。まあ、良いじゃないですか、美味しいウーロン茶だったし。買い物をして、表に出ると、もう、暗かった。今日は、すごく寒い。私が診察してもらっている間、母は、車のTVを見ていた。凄惨な事件があり、その特集をしていた。また、弱い者が犠牲になった。それも、非常に自分勝手な理由で・・娘達の行っていた幼稚園は、スクールバスか、父兄の個人的なお迎えだけだった。今回の事件は、不審者の為に幼稚園が決めた父兄による集団の送迎だったそう。これは、すごく問題があると思った。スクールバスは、園の玄関から、父兄の元に送られて来るから、安心だった。まして、バスの中は、先生が乗っていらして、停留場所にくると、その親の顔を確かめた上、子どもを降ろしてくれた。たまに、私の都合のつく日や、そのまま、どこかに出かける時などは、迎えに行っていた。それを、園が責任を持たず、子どもを、父兄の気持をきちんと確かめもせず、グループ分けして、任せていたのだから驚きだ。母が、「もう、自分の子供は、自分で守るより方法は無いわねぇ」とつぶやいた。当たり前だと思った。顔見知りや、知り合いに殺される時代だ。もう、そろそろ、教育関係者は、肝に銘じて、自分の子は、自分で守るよう、親たちと一緒になって徹底すべきじゃなかろうか。アメリカなど、とうに、そうなっているのになあ。嫌な世の中になりました。
2006年02月17日
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ショックなニュースだった。キ○ンのアガリクスに発ガン作用が有ると、ラット実験で明らかになったそう。一昨年、父が、骨髄異型性症候群で逝った。その前の年の12月、私は、医師に父の命を限られた。「半年持たないでしょう」その日から、家族の戦いが始まった。そして、このブログにもずっと、父との色色な会話や、家族の思い、日々を書いてきた。(2003/12~)その中で私達の唯一の救いが、アガリクスだったのだ。アガリクスによって起きた、色色な亊も書いてきた。アガリクスが、元々、初めて日本に入ったのは、ここ三重県の大学の研究所だった。三重大学のI教授の知り合いが、新しく日本での食品としてブラジル産のアガリクスを大学に持ち込んだのが、最初だった。そして、食品としての研究の最中、うちに持ち帰った関係者や、学生の間で、家族に癌患者がいる者が、なぜか、アガリクスによって、癌の進行が遅くなったり、助かったりして、これはもしかすると・・・・と癌に良い健康食品としての研究が始まったそうだ。私達家族は、I先生の研究所に行き、そう説明を受けた。事実、日本名の「ひめまつたけ」はI先生が、初めて、日本での栽培に成功し、出荷する際、命名した名前だ。百科事典にも出ている。このI先生の名の付いた「101菌」と言うアガリクスとの出会いは、母方の伯父からだった。伯父は、中学校の校長を歴任した後、画家として悠々自適の生活を送っているが、実は、数年前、余命3ヶ月と宣告された胃癌患者だった。しかし、伯父の教え子が、当時たまたま三重大学のI先生の研究所におり、アガリクスを紹介され、飲むようになり、余命3ヶ月と言われた伯父の癌は、今はもう、無くなるくらいの小さな物になり、8年が過ぎ、現在、何の心配もなく、元気に日々を過ごしている。父の病気を知った伯父が、そのアガリクスを持ち込んできたのだ。藁をも掴む思いだった私達は、即、車に乗り、研究所を尋ねた。ただ、父の担当医だった、血液内科の医師は、「必ず、成分表をもらってきてください」と半信半疑だった。説明を受ける私達に、研究所の係員はこう言った。「確かに癌には、めざましい効果が見られますが、今のところ、白血病には、まだ結果は出ていません。」それでも、父は、即刻飲む決心をし、成分表を抱え、病院に帰った。血液内科のエキスパートでもあったT医師が、成分表を返してくださった時、こうメモに記されていた。「確かに、癌には、効果がみられるようですが、お父様の病気は、癌細胞ではないので、それを御承知置きいただければ、お飲みになって結構です」12月に半年持たないと言われた父は、次の年の春も夏も越した。血液内科の医師たちは、「お父様の血液や、骨髄に、今まで見たこともない、細胞の形が見られました」と、仰った。その後、何度も、私達は医師に呼び出され、「数値的には、危篤状態です」といわれたが、当の父は、何の問題も無く元気だった。そして、半年も持たないと言われた父は、一年近く生き延びて、一昨年、11月に逝った。普通、この病気で亡くなるのは合併症だそうだが、父は、純粋に、この病気の細菌「芽球」の増殖により亡くなった。父が亡くなった後、医師たちから、「こんなケースは初めてですので」と、献体の願い出があり、私達家族は、これからの研究のお役に立てれば、この病気で苦しむ方に、少しでもお役に立てればと、献体を承諾した。このブログにも、何回も書いたが、私達は、最後の一時間まで父が何の苦しみもなく逝けたのは、このアガリクスのおかげだと思っている。その後、同じI101菌のアガリクスを飲んでいた父方の伯母も、肺がんから生還した。だから、私にとって、このニュースは、本当に、晴天の霹靂だった。そして、このニュースで、折角、質の良いアガリクスを服用してらっしゃる癌患者の方々が、辞めてしまわない事を願わずにいられない。ここに、事実、命拾いした末期の癌患者だった人が二人、確実にいる事を声を大にして言いたい。ただ、一つ。アガリクスと銘打ったものの中には、確かに粗悪なものもある。医師にきちんと、成分表を示し、許可を取った上での使用を、して頂きたい。中には、嫌がる医師もいるだろう。しかし、家族を守るのは、医師ではなく私達家族です。また、成分表が出せない、研究結果が出せない物は、粗悪なものと、考えた方が良い。事実、私達が使用したアガリクスは、成分表も、研究結果も、成果も、きちんと文書になったものだった。そこのところは、家族を守る為、心して、選んでいただきたいと、切に願う。私達は、父が、医師が限った命より半年も長生きしたのは、アガリクスの御蔭だと、今も信じている。
2006年02月16日
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トリノオリンピックが始まった。どうも今回のオリンピックは、日本勢の調子が良くない。あの長野の勢いは、何処に行ってしまったのか・・・と言うくらい。大好きなモーグルの上村愛子ちゃんも、なかなか頑張っているが、結果が出ない。ジャンプの原田は、考えられないような、競技自体に関係ないミスで失格するし、スピードスケートの順位も低い。やはり、地元の利ってのが大事なんだなあ。オネエの大学は、オリンピック選手が多くいる。当然のごとく指導者も元選手がいる。心理学部は関係ないが大学の名前が出ると、応援したくなるのは人情ってもんか。オリンピックほど、日本人であることを自覚させられることも少ない。ここのところ、寝不足。明日は、地元のミキティが滑る。私とチビの大学には、伊藤みどりさんがいた。多分、その後輩選手もいたはず。応援に力が入る。がんばれーー!!久しぶりに嵐君の新曲だ~。ダケ○のC1000のCM出演と、エイ○フォーのCMのバックに流れるCMソング。9月には、キャンペーンで、運がよければ、会えるなあ。暫く、家の中にC1000の空き瓶が溢れる事になる(笑)チビの試験の結果は、明日、明後日。多分、駄目だろうなあ。あのくらいの勉強で入れたら、他の受験者に申し訳ないもの。そのくらい、チビは勉強をしなかった。まあ、自分の事だから、自分で反省し、やり直しが利かないことも世の中にあるんだと、学んでくれたら、それで良い。高い授業料だったが、今まで、チビを少し甘やかしすぎた、親としての責任だから、仕方ないなあ。たった一つ受かっている大学が、私の母校だというのも、何かの縁だろう。あすこ、嫌になるくらい遠いんだよなあ。私は通学時間に、横溝正史60冊を読破した。本を読む時間はたっぷりあったから、本当に、沢山の本を読めた。チビも、沢山良い本に出会うと良いね。さあて、卒業式に、何、着てこうかなあ・・・。
2006年02月15日
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今日はバレンタインデー。パパがお昼に帰宅した時、手に可愛い紙袋が。会社の女性従業員達から、頂いたそう。海外から働きに来ている子達からもいただいたそう。「少ない給料を、本国に仕送りしてんのに、まあ、涙が出てくるよ」本当に、ありがとうございます。そして、娘達が作った、チョコレートタルトと、トリュフ。タルトは、大きなイチゴで埋められ、なかなかの出来。そして一緒にもらったカードに泣かせる台詞が並んでいた。良いなあ、父親って。パパは本当に嬉しそうに相好をくずし、口にしていた。私のは、海老煎餅。「女房だけだな」そうだよ、本当は、お医者さんから、控えるよう注意されてる食品の筆頭がチョコレート、生クリームの人に、チョコレートは、あげられないよ。母が可笑しかった。母はチョコレートが大好き。母の所に行くと、いつも私にチョコレートを止められているパパに、「ちょっとだけ」とチョコレートを出す。結構、口うるさく、止めている私に、今回、母がくれたのは、カカオ72パーセントから、80パーセントまでの甘くない、チョコレート。最近の健康志向から、ある有名メーカーが、わざわざ一つ一つの包み紙に「73%」とか、書いた物を出したのだが、母は、今回それをくれた。いつも高級トリュフだったのに。で、パパに言ったそう。「Iに言って。カカオの配分が多いから、大丈夫よって」それを、パパが、まず言った。「お母さんが、そう言ってたぞ」!爆笑。パパ、本当にチョコレートが好きなんだね!まあ、この日だけは仕方ないなあ。でも、本当にコレステロールに良くないんだよ。昼間TVで、面白いものをやっていた。「今日、山ほど御主人がもらってきたチョコレートにお困りの奥様、チョコレートを使って、お料理しましょう」小麦粉など使って、溶かしたチョコと、果物でパンケーキを作っていた。なかなか良いアイデアだった。私は、チョコレートは、生チョコ以外、あまり食べない。それも、ほんの一つくらい。甘さも駄目だが、甘くないチョコは、口の中でまとわりつく感じがだめ。最近、ポリフェノールがあって良いとか、動脈硬化に良いとか言われているが、買ってまで食べたいと、思った事が無い。だから、パパの気持がわからない。しかし、この日以後、数日は、解禁してあげる。あ~、3月14日ホワイトデーは、またまた、私がお返しを買いに走らなくちゃならないんだなあ・・・積まれたチョコレートの箱にエイッとパンチしたくなる。誰だ?こんな風習を作ったのは!!
2006年02月14日
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午前中、随分遅くまで寝てしまった。やはり、体の疲れがでたのだろう。無理が出来ないなあ。夕方、病院に行った。やはり、風邪の菌がおなかに入った途の事。一番弱い所に行っちゃうんだなあ。嫌になるくらい、沢山薬が出た。まったくなあ。娘達は、何故かうきうきして、何か、相談している。あ、明日、バレンタインデーか・・。おいおい、また、台所を占領するつもり?私は、すでに、パパには、海老せんのハート型になったものを、用意してある。有名な海老煎メーカーが、バレンタインデー用に作った物。先日、大ちゃんのソロコンの時、名古屋でMさんと買い物をした際、ゲットしてあった。パパは、コレステロール値が高いし、チョコレートをあまり食べない方が良いから・・・と用意した。これ、良いよね、男の人で、甘い物がだめな人は、喜ぶんじゃないっすか?。娘達は、チョコレートタルトと、生チョコを作っていた。もう、台所が大変なことになってる!頼むよ~。ココアパウダーの粉、固まると、取れないんだから。結局、夜中まで作っていたよう。私が見た時には、可愛い袋にラッピングしていた。私は、そそくさと、先に休ませてもらった。明日、パパ、喜ぶだろうなあ。
2006年02月13日
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昨日から、体調が良くない。金曜から、おなかがおかしい。夜、胃がめちゃめちゃ痛くて、脂汗が出てきた。そのあと、暫くして、トイレに駆け込んだ。尾篭な話で申し訳ないが、それから、ずっと、下っている。家族と同じ物しか食べていないから、風邪かなあ。もう本当に嫌に成っちゃう。昨日、今日と病院はお休みなので、いつものおなかのお薬に、正露丸を飲んだが、治らない。明日、病院に行かないとなあ。夜、皆で、カラオケに行くことになった。正直、あまり、行きたくなかったが、チビの試験が終わったら、行こうと、オネエはてぐすね引いて待っていた。堰を切ったように、二人は、次々歌っていた。私も、暫くすると、元気が出てきて、嵐君の曲と、「明日」「サンキュ」を唄った。表に出たら、お星様が綺麗だった。帰りにおばあちゃんの様子を見に行ったが、相変わらずだった。日常が戻りつつある。穏やかな日常。
2006年02月12日
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今日は、建国記念日だと言うのに、パパは仕事。大変です。パパが作っていた、会社案内が出来た。全部自分で作れるんだなあ。紙だけ用意すれば、カラーコピーでこんなに綺麗にできるんだ~と、いたく感心してしまった。3枚に折った、なかなか洒落た物ができた。「評判は?」と聞くと、「社員には、すごく良いよ」まだ、社外には、渡してないらしい。母の所にも持って行ってくれたらしい。あ、社歴のところに父の名が無い。これ、母が見たら、多分・・・・。「あのね~、パパ、お父さんの名前、何とか入れてあげられない?」と恐る恐る、聞いてみた。「俺も、最後まで迷ったんだけど、色色な会社案内見たけど、創業者の名前が入ってるのは、一流のだけなんだよ。それも、ごく一部だけでさ。」「・・・・」黙っている私の気持を察してくれ、「やっぱり、お前、入れて欲しいか?」「・・・・・うん、私は良いけど、お母さんがきっと入れて欲しいと思うよ」と思い切り、控えめに言った。「うん、解った、入れるよ」。あ~、気ぃ使います。以前は父とパパの間に入って、本当に、気を使ったが、父が亡くなって、やれやれ、これで気を使う事も無くなったなあ・・・と思ったが、今度は母との間に入って、気、使います。パンフレットは流石に素敵です。やっぱり、才能あるよな~。勿体ないなあ、パパ。「バイトしたら」と水を向けると、「アホかお前は。自分の社だから、出来るんだろう」そうか~、残念だなあ。また、こんなチャンスがあったら、良いね。さあ、私は、私の仕事しましょう。
2006年02月11日
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思い切りお寝坊。そうだ、ふき、もうそろそろ収獲できるかなあ・・。と斜面に降りた。足で草を掻き分け、先日見つけた場所に行って見た。無い!無い、無い・・・・。根こそぎ、誰かに採られている。冗談じゃない。昨年、体の具合が悪くて、96の東京の伯母に送ってあげることが出来なかった。やっと一年待って、今年こそ、新鮮なものを送ってあげようと、すごく楽しみにしていたのに、誰かに採られて、無くなっている。これって、立派な窃盗じゃないんっすか?人の家の中に入ってきて、人の家の植物、作物を黙って取っていくのは、窃盗でしょうがっ!!もう、ものすごーーーーく、腹が立った。警察に連絡しようかと思ったくらい、悲しくて、残念で、仕方が無かった。パパが、防犯のため、我が家には、表庭と、裏庭であるこの斜面のところに、センサー付きの電灯が設置してある。人が近付くと、パッと明るい電灯がつくようになっている。それなのに・・・・。そう言えば、一週間くらい前、ジュンがしつこく吠えてたなあ。パパが見に行ったけれど、ジュンのいる所に異常がなくて・・・。あの時だったのかなあ。ただただ、悔しかった。こういう人には、天罰があたりますように。・・・と思わないと、溜飲が下がらない。あ~、ふきのとう・・・・。
2006年02月10日
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本日をもって、チビの受験も終了。今日は、最後だし、帰りに遊ぶ約束だったので、一緒に出かけた。私は、大ちゃんのコンレポを書こうと、レポート用紙持参。控え室のオネエの大学の学食で、ずっと書いていた。お昼も、そこで済ました。午後試験が終り、チビがやってきた。「あーーーー、終わったあーー」うん、うん、分かるよ~、ご苦労様でした!「こんなに勉強したの初めてだよ!」ははは、大学入って、君は、勉強しないつもりだな!帰りにずっと付き合ったお返しにジャニショに付き合いなさい・・・と言うとしぶしぶついてきた。名古屋のジャニショ、一度だけ、お友達に連れて行ってもらったが、ありゃ?このまえと場所が違うよ。そう言えば、このビル、この前、工事してたから、移ったんだね。すごく解りやすい場所に変わっていた。平日だから空いていると思ったが、結構、学校帰りのお嬢さんたちがいた。チビと同じくらいの歳の子ばかりなのに、チビは、中に一旦入ったが、表の椅子に座って待ってると言い、出て行った。翔君と大ちゃんのソロコンの写真が一杯出ていたので、たくさんゲット。グッズも新しいのが出ていた。面白いのは、アートネイルがあった。枕カバーも欲しいなあと思ったが、パパが絶対、嫌がると思ったので諦めた。レジを済ませて、さあ、今度は、チビの行きたいとこ付き合うよ。まずは、いつも行く、お洒落なカフェでお茶とケーキを頼んだ。「お母さんここで本読んでるから、行ってらっしゃい」とチビだけ、そのあたりのお店に出した。私は、最近読み始めた本を開いて、アップルティーを楽しみながら、時間を過ごした。駅に戻り、お夕飯を調達し、帰宅。やれやれ、この一年、大変でしたが、これで結果はどうであれ、終わりました。パパから、「ご苦労だったね」のお言葉を頂戴し、本当に、終わったと実感。途中、色色あり、泣いたり、辛いこともチビにはあったが、少しは成長してくれたかな?さあ、あとは、私の仕事が残ってるなあ。頑張ろうっと。
2006年02月09日
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今日は、久しぶりのカウンセリング・・・・のはずだった。時間を間違えてしまい、午後4時からだったのに、11時に行ってしまった。本当に、自分のおトボケにがっかりする。しかし、丁度時間が空いていたので、そのままカウンセリングしていただいた。「Kさん、本当に調子良いみたいですし、落ちても、ちゃんとここの所、御自分で上がってらっしゃってますから、もう、月一で良いと思います」。で、来月から、月一になった。嵐君の御蔭かなあ。人生が変わっちゃったみたいだもん。こんな楽しい世界があったなんて、思いもしなかった。午後から、髪を洗いに行った。それから、帰宅後、謝恩会の仕事。連絡がなかなかつかず、困った。校長先生にお願いに行かなくちゃならないし、大変だなあ、これから。明日で、チビの試験が終わる。長かったなあ・・・。この一年、お尻をたたきまくった。オネエはこちらが、心配するくらい目が釣りあがって勉強していたが、チビは、本当に、マイペース、最後まで、マイペースのままだったが、本人曰く、「私、こんなに勉強したの始めて」(笑)まあ、明日が終われば、晴れて、自由の身だなあ。良いなあ。今、一番良いときだよなあ。私も、もう一回、青春に戻りたいよ。昨日、買って来たのは、30cm四方の四角い白いお皿と、かなり厚みのある、白いボール大小。今日は、早速使った。お料理って、お皿次第で、全然変わってしまう。器って本当に大切です。今日のメニューは、生しゃけのムニエル、ブロッコリーの付け合せ。サニーレタスとトマトのサラダ、わたりがにのおみお付け。白いお皿に盛り付けたら、本当にレストランみたいに素敵になった。パパも、「お、なかなか良いじゃないか」かにのおみおつけは、昨日かに○○で食べたのより、断然、美味しかった。「好きな人が作ったかに味噌汁の方が美味しいに決まってるジャン」と言うと、パパも、「うん、確かに、昨日のより、こくがあるな」美味しい食事は、本当に人を幸せにします。さあ、明日で最後。頑張りましょう。
2006年02月08日
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今日は、本命の試験の最終日。午後からも試験があるので、御弁当を二人分作って出かけた。10時から試験開始なのに、9時20分集合。試験が終わるまで、教室の出入りは禁止になる。試験までにトイレに行きたくなったら、いちいち断らなくてはならない。変なの・・・。9時25分、机の上には、受験票、時計、鉛筆、プラスチック消しゴム(プラスチック消しゴム以外はいけないのかぃ!)を用意し、それ以外の物は机の下に置くよう指示が出る。私達のいる、付き添い控え室の学食にまで放送が入る。9時30分「受験の諸注意」が配られ、黙読するよう指示。9時40分、諸注意のリーフレットを仕舞うよう指示。45分、問題用紙と、マークシートが配布。問題用紙は、伏せ、名前と、受験番号、試験科目にマークするよう指示。9時50分「試験開始、10分前です」の放送。そして10時、大きなブザーが鳴った。こちらまで、緊張してしまう。心の中で「頑張れ~A」と叫んだ。私は、相変わらず、編み物。もう、編み上がる。あまりに寒いので、何か暖かい物を飲もうと、自販機に行ったが、暖かい物は、コーヒー、ココア、それに何かトマトのスープのような物しかなかった。ココアを持って自分の場所に帰ったが、5分もすると、部屋が寒いのですっかり冷めてしまい、口に含むと、ココアの粉が沈殿し、めちゃめちゃまずかった。午前中の試験が終り、受験生たちが次々食事をしに入って来たが、チビから、教室で食べるとメールが入った。午後の試験が始まるので、受験生たちが出て行き、人が少なくなってから、御弁当を開いた。自分で作った御弁当を食べるのは、何十年ぶりだろう。冷たく冷えた御弁当は、美味しくなかった。こんな御弁当を、私は子ども達に何年も食べさせていたのかと思うと、かわいそうで、今更ながら、後悔した。もっと、手の込んだ、冷めても美味しい御弁当をちゃんと作ってやれば良かった・・・と。しかし試験が終わって、学食に来たチビに聞くと「うん、美味しかったよ」と笑顔を向けられた。・・・・心が少し痛かった。今日は、オネエのお誕生日。帰りにチビが、オネエにCDをあげたいから、CD屋さんに寄ってくれと言うので、地下街のCDショップに行った。オネエはYUKIが大好き。確か、最近、ベストが出てるはず。探したが無かったのでお店の方に聞くと、「ああ、明日発売です」と後ろにあった段ボールから、ひょいと出してくれた。はい、ゲット。パパが、かにの好きなオネエと私のため、かに○○を予約してくれていたので、駅で待ち合わせ。私が、地下街で食器をたくさん買ったものだから、重くて歩けず、迎えに来てもらったが、お店はすぐ駅前。かに専門店に来たのは、久しぶり。パパは、仕事でここをよく使うらしい。どうして、かにのコース料理って、たらばなんだろう。たらばは、大味で今一。私は、絶対、繊細な味のズワイがにの方が好き。結局、最後に我慢できず、ズワイの焼きがにと、かに味噌を頼んだ。「ん~、やっぱ、ズワイは最高」と言う私に、パパも一口つまんで「うん、美味いな」でしょう、でしょう。「おまえ、本当にかにが好きなんだなあ」。何、今更言ってんの。たらふく、かにを堪能して、帰宅、ハッピーバースディをした。オネエの希望で、ケーキは、チョコレートガナッシュのケーキ。おなかが一杯のこういう時は、甘い物は、げんなりする。でも、お祝いだから、16分の一だけ皆と一緒に頂いた。私からのプレゼントは、淡いピンクの皮にハラコのはめ込まれたショルダーにも、ハンドバックにもなる、カバン。ピンクの部分に鉄鋲がたくさん打たれた、すごくお洒落な、大きなもので、もし、オネエが気に入らなかったら、私が使おうと思っていたが、気に入ってくれたよう。チビのプレゼントは、CDと、熊の顔のCDケース。22歳のお誕生日、おめでとう。素敵な一年になりますように。
2006年02月07日
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今日は、以前から予定してあった、PTA役員会の集まり。学校近くのイタメシ屋さんに11時半集合。今日は、総勢、15人足らず。先に食事を済ませ、話し合いが始まった。今回は、もう、最終的な進行の役などを決めた。私は気がついたら、最初の開会の辞をする羽目になってしまった。仰せつかった限り、失敗は許されないなあ。まあ、司会よりは良いか・・・。コーラス部の御蔭で、人前に出て、しゃべるのは、慣れている・・・と言うより、人前に出て、しゃべるのに、恐れはない・・かな?。しかし、今回は、校長先生初め、大勢の先生方と、御父兄の前で、最初にご挨拶しなくちゃならない。ちょっとプレッシャー。まあ、日にちも有るし、頑張りましょうかねぇ。お一人、お父様がいつも参加してくださるのだが、実は、パパの仕事関係の方。直接のかかわりは無いのだが、同じ、親会社の下請け会社の社長さんで、うちなんかの会社と違って、結構大きな会社だ。以前、親睦を兼ねて、パパが親会社さんと中国に行った際、ご一緒させていただいたそう。スキーのライセンスをお持ちで、いかにもスポーツマンと言う感じのとても、紳士的で、気さくで、素敵な方だ。私が、一番気を使う方。私がバカ言ってると、パパの恥になっちゃうし。パパの足だけは、引っ張っちゃいけないと、常々思っているから、PTAの会も大変です。司会、ご挨拶、受付、案内など決め、ホテルとの交渉には、そのホテルに顔の利くIさんにお願いした。彼女は、本当にそつなく物事を運んでくれる。私もあやかりたいが、不器用な私には、無理かなあ。大変だけど、楽しい謝恩会にしたい。校長先生も、今期で定年だそうだし、思い出の残る、良い会にしたいなあ。頑張りましょう。帰宅後、もう、気と体力を使い果たし、くたくたになっちゃった。鍛え方が足らないなあ。大人のお付き合いの鍛え方が足らないんだよな。この年になると、色色、大人のお付き合いをしなくちゃならない時があるのに、「そつなく」ってのが、一番苦手だから仕方ないか。自分は、自分のままでしかないし。正直に、不器用に、やって行くしかないなあ。まあ、いつも、誰かが、助けてくださるので助かってるけど。でも、成長したい!!!
2006年02月06日
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チビも中休み。昨日は、オネエの大学の二回目の受験だった。私が、大ちゃんのパフォーマンスに爆笑している頃、彼女は、頑張っていた訳。少し、心が痛んだが、母の世界と、子どもの世界は違うから・・・と、勝手な理屈を作って、お互い、納得(笑)昨日は、帰宅したら、オネエはお友達と食事に行っていて、可哀想にチビは、パパ待ちで、まだ食事をしていなかった。パパにすぐ帰って来るよう電話して、私は、もう、おなかが一杯だったが、二人じゃ何だか寂しいと、3人で、中華のお店に行った。ここ、本格中華で、パパは、お仕事でよく行くらしい。私も少しつまんだ物だから、今朝から、おなかが張って仕方ない。朝は、いつも豆乳しか飲まないのだが、それも、飲みたくなくて、薬だけ、紅茶で流し込んだ。表は雪。本当に今年は良く降るなあ・・・。そう言えば、オネエを生んだ年も雪が多かった。病院が、名古屋城のある公園の隣だったので、入院している間、何だか、毎日、雪景色をみていたような気がする。オネエが生まれた晩も、雪で交通が麻痺していて、父たちが、車で到着したのは良いが、9時過ぎに帰って行ったが、帰宅が、明け方になるくらい、車が動かなかったそうだ。生まれたのが、女の子だったので、「小雪」にしようかと、思ったくらい。娘の名前は、いまでも不思議なのだが、夢で、出てきたおじいさんが教えてくれた名前だった。ずっと、男の子と思っていたので、娘が生まれて、何も名前を考えておらず、慌てて紙一杯に名前を考えたが、生んだ翌日の夜、夢にひげのおじいさんが出てきて、今の娘の名前を言ったのだ。瞬間目が覚めて、枕元にあった紙に書き留めた。家族も、とても気に入って、そのまま届けた。結構、変わった名前だったので、未だに、同じ名前には、出会ったことが無い。本人も気に入ってくれている。あのおじいさん、ご先祖様だったのか、神様だったのかわからないが、私は、神様と信じている。その子が、もう、22歳になるなんて、何だか信じられないなあ。時の経つのは、本当にはやいものです。
2006年02月05日
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大ちゃんのソロコンに行った。今回の同行者は、私と嵐を引き合わせてくれた長野のMさんと、近郊のAさんとその中学生のお嬢さん。コンサートは、午後からだったが、早くに待ち合わせ、一緒にお昼を頂いて、コングッズを購入した。今回は、Bブロックの真ん中くらいの番号。ステージがメチャ近い。入って、30分以上待っていた。スタンディングなので、足が心配なのに、時間はなかなか過ぎていかない。翔君の時は、舞台に既にバンドの楽器やら、色色あったが、ありゃ??、舞台の上にあるのは、高いところに椅子一脚だけ。???。始まった。いきなり、上下ジャージ姿の大ちゃんが、エアギターを始めた。次に、エアキーボード、エアドラム エア・バイオリン エア・オーケストラ 次々、可笑しいパフォーマンス。ステージの後ろに大きな画面が二つ。おでんの屋台に黒のダウンジャケットを着た大ちゃんが、元気無さげに座って、杯を傾けている。「俺、明日、初日なんだけど、何だか、自信が無くて・・」と、次に現れたのは、一昔前のマジシャンや、漫才師が着る様なスパンコール一杯のジャケットにおかまメークの大ちゃん。「大丈夫よ、自信をおもちなさいよ」もう、完全におかまモード。大ちゃんワールド全開。爆笑のうず。コンの構成は、ダンス、歌、そして、このフィルムによるお笑い。もうめちゃめちゃ楽しくて、会場は、笑いの渦だった。ニノのスキンヘッドも登場。お得意のダンスを続けざまに3曲やったあと、台の上に倒れこんじゃった。息も絶え絶え、「ゴメンネ、ね、ちょっと、待ってて、今、今ね、下に降りて、そっち行くから」靴も脱げて「〇■×#☆、ア、靴も脱げちゃった。ごめんね」もう、はあはあ、本当に苦しそう。会場から「頑張って~、大丈夫!」と声が飛ぶ。その度「うん、大丈夫だから、ごめんね、うん、ちょっと待ってて」階段を降りながら「う、階段を、降りれたから、も、ちょっと待って」とスタッフに飲み物をもらって、「うわー、これ、うめー」爆笑。MCでは、仙台コンの後、全身筋肉痛になったこと、ちゃんとリハーサルをしていたのに、皆の前に出ると、頑張って踊っちゃうから、仙台から、一週間空いて、踊ったので、すごく、きつかったとのこと。25歳になった大ちゃん。「四捨五入すると、もう、30って言われたけど、何で四捨五入しなくちゃいけないのか。四捨五入って言葉は好きなんですけど」爆笑。「あの、札幌できょう、翔君のコンのはずだったんですけど、飛行機が降りられなくて、東京に戻って、コンサートが延期になっちゃったらしいですよ。本当は、コンサートがあったら、ちょっとね(画面を指差し)コラボしようかなあ・・」そこで会場から「えーーーー!!!!」大ちゃん、すねたように、「なんだよ~、翔君が良いんだ、そうか、そうか」とふざけていじけてみせる。大爆笑。会場から色色な言葉が飛んだ。もう、大ちゃんめちゃめちゃ可愛い。笑顔で思い切り、指差され、凝視された視界に入ったとAさんと私。「え??私達・・・?」と振り返ったら私達の後ろの子が、翔君のソロコンの帽子とタオルをしてたのを見つけのだった。満面の笑みで「そこ、なんだよ~、それ翔くんのじゃん、もう、良いよ~」とすねたのが、めちゃめちゃ可愛かった。ふざけていじけた後だったので、それに輪をかけた翔君の帽子とタオルで笑いながら腐ってる大ちゃんが、反対に、本当に大きて、優しい男の人に見えました。御蔭で、大ちゃんの笑顔と指差し、5秒間ゲット。[こういうの見ると、飛び込みたくなるんだよな~」って会場を埋め尽くしたファンを見て、言っていたが、「良いよ~」と言うファンの声に「いやいや、ぜってー信じねーぞ、そんなこと言ってても、俺が飛び込んだ途端」よける格好をして、下を見て「床に落ちたら、あーあって言うんじゃないの、こうしたりして」と、こぶしを上に上げたり、もう爆笑。静かなバラードを歌い終わった時、大ちゃんの鼻が赤く、目に涙。さっと、解らないように、指で目を拭いたのを私は見逃さなかった。大ちゃん、本当、泣き虫だなあ。踊りは、本当に天才的。正に、中に浮いてるよう。それを、ほんの2~3メートルくらいの位置から、今回見られた。美しいのほか、表現できる言葉が無い。歌の時は、皆で歌おうと言い、唄ってる皆をしっかり見ていた。一度、前の人の上げた手で見えなくなったのか、私の方を首をちょっとまげて、唄ってるか、確かめるように見てくれたとき、目があった。優しい本当に優しい笑顔。大ちゃんの優しい笑顔が大好き。潤君とは、また違った魅力のある人だなあ。ぼぞぼぞMCやってる時の大ちゃんと、唄って踊りだした大ちゃんが、同じ人だと、本当に結びつかない、大ちゃんは、不思議ちゃんだ。中ごろで、私達がスタンディングなのを気にしてくれた。「みんな大丈夫ですか?俺ね、自分がこういうのに行ったらなあって思ったら、やだなってね、疲れちゃうなって思いましたもん。」「足、大丈夫ですか?」何回も聞いた。優しいんだなあ、A型の気配り全開。嵐君のコンサートの時は、いつも、控えめに話、噛んだりしちゃう大ちゃん。大ちゃんのソロコンはMCが心配だったが、MCもなかなかやるじゃん。やっぱり、やれば出来る子だったんだ。爆笑物は、去年の夏コンのそれぞれ5人のソロ曲を歌った時。ジュニアの子たちが出てきて、相葉ちゃんの曲のイントロを踊りだし、普通に相葉ちゃんが歌ってるフィルムが流れ出した。・・と、いつの間にか、相葉ちゃんの衣装を着た大ちゃんが、フィルムの中で相葉ちゃんと重なって歌っているじゃないですか。もう、爆笑。そしてニノのソロ曲の衣装を着た大チャン登場、あの可愛い振りをして、ニノの曲をニノの声でクチパク。次に翔君のフィルムが流れ、あれ?出てこないなあと思ったら、曲が終わる寸前、翔君と同じ衣装とハットを被った大ちゃんが慌てて登場。「あ~?終わった」と一言だけ言うと、また引っ込んだ。次に我愛しの潤君のあのセクシーフィルムが流れ、黒の衣装の大ちゃんが、カーリーヘアのかつらを被って、登場。潤君のセクシーダンスを滑稽に真似。最後は、女装したジュニアの子とセクシーダンス。しかし、持ち上げようとして、持ち上がらず二人で倒れこんだ。もう、もう、本当に、可笑しくて、会場中、笑いの渦。こりゃ、アイドルのコンサートじゃなくて、お笑いのワンマンショーじゃないのってくらい、会場中、大爆笑。「サクラ咲ケ」の時は、上から、花びらが舞って、私の肩にも落ちてきた。床に落ちた花びらをゲット。舞台の隅々まで移動し、前の手の届く所には、全部、タッチしてあげていた。大ちゃんの優しい人柄が良く解るコンサートだった。私達4人の感想は、兎に角「めっちゃ楽しい」だった。ありがとう大ちゃん。会場を出て、少し歩いてお茶を4人で飲みに行き、興奮冷めやらず、散々、嵐話に花が咲いた。Aさん親子とはそこで、別れ、私はMさんと買い物をし、ZEPP横のショッピングセンターに戻って、お蕎麦を食べた。素敵なお店で、最初にお茶とそば粉かりんとうが出てきた。そして、生のわさびと小さなおろし器も。最後に「これに入れてお持ち帰りください」と、「わさび」と書かれた袋まで出てきた。Mさんと楽しいお喋りをして一緒に駐車場に戻り、Mさんの車の後について出て、長野に帰るMさんと高速に乗って、途中から別れた。今日は、本当に楽しかった。コンサートは勿論の事、MさんやAさん親子とのお喋りもめちゃめちゃ楽しかった。嵐君を通じて、知り合った大切な大切な友達。この年で新しい、気の置けない友達が出来るなんて、奇跡に近い。嵐君のファンの方、特に年の近い方は本当に良い方が多い。それも、多分、嵐君達の雰囲気がそういうファンを引き付けるからだろう。行かせてくれた家族と、嵐君に感謝。大ちゃん、すっごく楽しかったよ!!ありがとう。
2006年02月04日
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今日は、下の娘の試験日の中休み。明日は、大ちゃんのソロコン。午前中に病院に診察に行き、帰りにスーパーの二階にある美容院で髪を洗ってもらった。その時、マッサージをして頂いたのだが、ものすごく気持ちよかった。実は、肩がこりこりだったので、髪を洗ったら、近くのマッサージ屋さんに行こうと思っていたくらい。彼女は、私の話を聞いて、「そうですよね、以前はすごく痩せてらしたの、覚えてますよ。太ると、私も肩こりが酷くて、太らないようにしてるんです」と頭痛の話やら肩こりの話やら、意気投合。しばらくして、気持も肩も軽くなり、髪も綺麗になり、気分良く、下に明日の娘の御弁当の材料を買いに降りた。今日は節分。東京ではこんな風習は無かったが、この地方では、今年の恵方を向いて、太巻きの御寿司を丸かじりすると、その年、一年、無病息災になるとされている。節分が、旧暦の一年の始まりだからだろう。しかし、そういう風習になれなかった私は、何だか、丸かじりするのが、いかにもお行儀が悪くて、一度もした事が無かった。売り場に、ものすごく込んでいる一角があったので、何事かと行ってみると、色色な太巻きが、二本780円でバイキングしていた。見ると、なかなか美味しそう。主義を曲げるのは、納得いかないが、まあ、郷に入れば郷に従えって言うからなあ。買っちゃった。海鮮巻き、シーチキン巻き、とんかつ巻き、鉄火巻き、海老巻き。これだけあれば、足りるかな。帰宅後、非難ごうごう。「あんなに、お行儀悪いから嫌だって言ってたのに」ははは、まあ、良いじゃない。一口だけ、今年の恵方、南南東を向いてかじったあとは、そこだけ切って、普通に切り分けた。なかなか美味しかった。こりゃ、樂チンで良い。来年から、これで行こうっと。何だか、不思議なのだが、買い物をしていたら、バレンタインのために、ウィスキーや、お酒のミニチュアを売っていた。それを見ていたら、急に、父のところに持って行きたくなった。一度レジを済ませてはみたものの、気になって、もう一度、リザーブの小さなビンを持ってレジに並んだ。父は、ウィスキーが大好きだった。そっとビンを手に包み、車に乗って、夕方のお墓に行った。如何してそんな気になったのか自分でも解らない。父に会いたくなったのかな?墓石の台の上にそっと置いて、手を合わせた。「お父さん、ウィスキー持って来たよ、バレンタインデーになったら、上から、かけてあげるからね」と心の中で言いながら手を合わせた。何だか、いつも、この時間だなあ。多分、この時間に魂が一番父に近くなるのかもしれない。父に手をあわせて、心が静かになった。お父さん、またね。
2006年02月03日
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今日は、受験二日目。娘の行きたい学部は、本当は、そう遠い場所じゃない校舎なんだが、入試のみ、遠い場所にある学部の違う場所で試験があったので、付いて行った。オネエが受けた時、オネエの学部はその遠い方だったので、受かっても、行きたくないと言うほど、遠かったが、見事に落ちた。地下鉄を終点近くまで乗っていき、そこから、また、バスで終点まで。家から、二時間は掛かる。行き方も解らないだろうし、本命だったので、不安がったチビに、「一人で行きなさい」とは言えなかった。甘かったかなあ。朝、6時起床。用意をして、出かけた。やはり、遠いからだろう、随分多くの御父兄が来てらっしゃった。私は、持って行った、潤君とニノのラジオのテープを聞きながら、編み物をしたり、刺繍をしたり。時間は、お昼までだった。出てきた娘に「どうだった?」と聞くと、ありゃ珍しい、「国語が、あれ?あれ?ってくらい解った」あのね~、解って当然なんじゃないの~。解って、「あれ?」は無いんじゃないの~。二教科受験だったので、英語もあったが、こっちは五分五分だそう。まあ、運が良けりゃ、受かったかな?名古屋まで戻って、明後日、大ちゃんのコンの前に、お昼に皆さんと行くお店を探しがてら、チビとお昼を食べに入った。それから、少し買い物をし、オネエのバースディプレゼントを買って帰宅。途中、また、地震雲を見た。とても、長く、大きな地震雲が、東京より、少し北向きにあった。「今度は、東北の方だなあ」とつぶやいた。夜、ニュース速報。「新潟震度3、津波に気をつけてください」やっぱり。最近、私、的中率100パーセントだわ。あ~、怖い。
2006年02月02日
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今日は、チビの本番受験の初日。受けるのは、オネエの大学。オネエがゼミ室を見せてくれるというので、オネエと三人で出かけた。家から、約一時間。昔、この大学に友人が通っていて、文化祭に来たことがあったが、今は、ものすごく立派な建物になっている。そうそう、オネエがおなかに居る頃、パパが、デザイナーの仕事で、この大学の創立何十周年だったかの本を作ったのだが、オネエがこの大学に入ることになった時、まさか、その大学に20年後、娘が入ると思わなかった。縁は異なもの乙な物って思ったが、これで、姉妹ともだったら、ちょっと笑えるなあ。オネエのゼミ室は、想像していた物とは、全く違っていた。私が「ゼミ室」と聞いて思い浮かべていたのは、古い本棚のある、ちょっと暗いごちゃごちゃ色色なもののある部屋だった。事実、私の行っていたゼミ室は、そうだった。しかし、ドアを開けてびっくり。20疊ほどもあろうか。会議室のように綺麗な明るい部屋のくるりにパソコンが並んでいて、部屋の真ん中に大きなテーブル。パソコン用の椅子が整然と机の周りにあって、ほかには、本棚一つ無い。端に小さな白いボールの流しがあって、横にポットが置かれ、ゼミ生のコップが並んでいた。「へぇ~、想像してたのと、全然違っちゃった」と言うと、「よくTVで出てくる、薄暗い感じ?」「うん、そうそう」私が言うと、そこに居た学生さんが笑った。「ここ、窓が無いから、冬暖かくて、夏、クーラーが利いて快適なんだよ」「本棚も一つも無いんだね」「うん、心理はそういうの無い、本は、図書館が上にあるし」そうなんだ。受験生の付き添いの部屋は、学内に4つある学食の一つ。娘の大学には、ラーメン屋さん、おどんぶり物屋さん、普通の学食、それに、マクドナルドが入っている。戻って、さあ、編み物をしようかな・・・と思ったら、「教えて」。先日から、教えてくれと言っていたが、なかなか初めないので、私はさっさとチビのマフラーを編み出し、もう、半分編んだ頃だった。「何も、今、することはないじゃないの~」と言ったが、そうだ、すぐ傍に、ジャスコがあったはず。「よし、買いに行こう」と娘と大学を出て、ジャスコに行った。外は冷たい雨。散々迷って毛糸と編み棒を買って大学に戻った。このジャスコ、私が大学を卒業する寸前に出来た。私がこの近くの大学に通っていた頃は、何も無い所だったが、今や、名古屋を代表する、学生街になった。それからが、もう、大変だった。娘がこれほどぶきっちょだったとは・・・・・。泣きたくなるくらい、不器っちょだった。まして、左利きなものだから、教える方も匙を投げた。仕方ない、娘が折れて、右利きの方法で編み始めた。何とか、3センチくらい編めるようになったら「面白い。」そうかそうか、良いことだよ。携帯ばかりに指先使ってると、携帯脳になっちゃうからね。今日は、三教科なので、御弁当を持たせた。私達は、お昼をその学食で食べた。なかなか美味しかった。午後3時過ぎ、終了。チビが来た。さあ、帰りましょう。帰りの電車の中で、地震雲を見た。地上に近い所から、放射線状に何本か、線状に空に延びている。方向からして、東京。この放射線状の雲が出てると、地震の起きる時間は近いという。嫌だなあ。・・・・・と、その夜、やはり、起きた。東京、震度3。やっぱり地震雲、当たるんだ。
2006年02月01日
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