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昨日の、嵐君、可愛かった。小倉さんとのコラボもなかなか。まだまだ、ぎこちなさのある、番組の様子だが、正直、ゲストいらないなあ・・と思った。小倉智昭さんと、嵐君達だけで、充分おもしろいんじゃないの?keiちゃんに貰った、バトンがまだだったので、少し遊んでみようかなあ。☆ジャニーズ好きであることをカミングアウトうん、最初はね、言うの恥ずかしかった。良い歳してとか、自分が人から言われたら、驚くだろうなあって思っちゃったから。でも、自分ガドンドン元気になって行って、友達がどうかした?何か良いことあった?って聞くから、隠して置けなくなって、言っちゃった。毎回、お芝居とか、夏コンとか行くと「元気になったね~」とか「すっごいパワーだね」って言われます。☆アリーナ最前列 無いなあ。一番最初のコンは、バックステージ最前列で、まだそんなに、全員が好きなわけじゃなかったから、相葉ちゃんなんか、1メートルも離れてなかったし、高さも一緒だったから、お互い、恥ずかしくて、すんごく照れちゃった。相葉ちゃんのにきびの数もわかっちゃったくらいだった。その時です。潤君が目の前の階段の下から上がって来て、ニノのソロ中、真っ暗な中、「潤」て思わず呼んじゃって、至近距離で睨まれたの(T_T)忘れられない、あのちょっと怒った大っきな目。トラウマになってる。☆目の前に花道去年、と今年。去年は、スタンド右最前列で、花道の前だったから、潤君も1メートル以内で、見ましたし、私の前で、わざわざ横の女の子にウィンクしてるのおこぼれ頂戴しました。この時は、同じ高さだったので、大ちゃんに、手もタッチしてもらった。左手の先にまだ、感触が残ってるよ、かなりきついタッチだったから。今年は、アリーナ(センター)で、花道横だった。高かったから、触れなかったけど、潤君の奴、私の前までこっち側を見てたのに、私の前に来て私の顔みるなり、いきなりくるっとスタンドの方を向いちゃった。こいつーーーと思ったけどそこで止まってたので、ま、後姿の腰つき、目前でしっかり見させてもらいました。☆天井席一番上は無いけど、去年、一番ステージに近い席の(つまり横はもう、誰も居ない席)、かなり上の方だった。スピーカーの横で、めっちゃ響いて、おなかと耳が痛かった。スタンドにトロッコで出て行く相葉ちゃんや、ニノが準備してるとこも、全部見ちゃった。でも、ステージのメンバーは遠かった~。☆コンサート・舞台の為にズル休み基本、専業主婦なので、これは無い。ただ、去年、「理由なき反抗」の前日、御祖母ちゃんが3回目の脳梗塞で救急車で運ばれ、流石にいけなかったなあ。一緒に行くはずだった方に「隣の席がぽっかり空いてて寂しかったよ」って言われた。☆CDを複数枚買う自分でも、馬鹿だと思うよ。完全にジャニーズ事務所の思うつぼだと思うよ。毎回、かなり、自嘲してるよ。でも、買わずにいられないんだよね~。誰か止めてくれーー。でも、止められないよ多分。☆初回盤と通常盤両方買う当たり前(爆)☆一人でコンサートうん、いつもそう。コンも、お芝居も。隣の人と、仲良くなって帰ってくるよ、いつも。でも、今年は、お友達と一緒の回もあった。1人だと、自分のペースで騒げるから、心置きなく楽しめると思ってた。でも、今年、お友達と入って、結構面白いなあって思ったなあ。☆担降り宣言無い無い、絶対ない。☆CMに出演しているからと言う理由でその商品を買う C1000は、懸賞があったから、しつこく買ったけど、オーザックは、一回食べてみたくて買った。あとは、買わない。☆握手会ああ、これ、私の中の傷になってるんだよな~。最大の後悔。午前中に売り切れちゃう、サイン券が無くなると踏んで行かなかったのよ。そしたら、始発で行った友達が、二回も握手出来たって聞いて、夕方までやってたって聞いて、もう、泣いた。それからずっと思ってます。待ってろよ、嵐!!☆握手会中止 行ってこうなったら、暴れるな。☆初日一部去年大阪、初日初回一部に入ったよ。曲も次から無くなったのが有ったし、構成も違うようになったし、練れて居ない分、つまらない部分もあるけど、相葉ちゃんが、歌詞、間違えて皆に土下座したり、ニノが唄わなきゃならないとこ唄わなくて、みんなにあやまったり、面白かった。☆オーラスお芝居は、ほとんど、行ってる。WSSの時、大ちゃんが大泣きして、こっちももらい泣きした。コンは、今年初めて。すごく盛り上がったけど、最後に潤君が最後の曲を間違えて紹介しちゃって、皆が慌てて、泣けなかったみたいで、可笑しかった。以上。楽しかったです。keiちゃんありがと。
2006年09月30日
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娘の事故から、数日経って、相手から、奥さんが、鞭打ちになったと電話があった。娘は、後ろから追突した訳じゃない。出会い頭にぶつかり、娘が右に回避したので、相手には、左前にこするようにぶつかったのだ。おかげで、娘の車は左前が大破した。・・・と言う事は、娘の車を確認できていたはずなのに、向こうが突っ込んできた可能性が高い。相手のご主人が言うには「子供も病院に行ったのですが、それは、お金で払ってもらえれば、良いです」チャイルドシートをしていなくて、助手席に乗せていて、急ブレーキで滑り落ち、何処か打って鼻血を出した。だから、あれほどあの時、救急車を呼ぶと言ったのに、そっちが固辞したじゃないの。「おかしいですね、追突したわけじゃないのに、むち打ちですか・・・」と言うと、相手は、しどろもどろ。病院に行き、診断書を書いてもらったので、明日の朝、警察に行くと言う。まだ、どちらが、悪いと決まって居ないのに、こちらに治療費を出せという。直ぐに、ピンときたが、相手がそう言う以上、やはり、従わずにいられない。これで、娘の起こした事故は人身になった。翌日、警察から電話があった。あの時のおまわりさん。「あの時、お母さんが、あんなに救急車を呼ぶって仰ったのに、大丈夫って言ってたのに・・なあ」とこちらに、とても好意的な口調。「大丈夫、心配しないでも娘さん、そんなに重い処分にはならないから、そう言ってあげてな」「はい、ありがとうございます」こんなことなら、こちらも、あそこが痛いここが痛いと言えば良かった。良い勉強をした。事故があったら、救急車を呼ぶべきだ。しかし、人身になったので、警察署に、書類を書きに来て欲しいとのこと。オネエが帰ってきたら、また、電話をさせると言って電話を切った。またまた、新しい問題勃発。全く何て、ことなのだろう。相手が悪かった。何だか、ビリケンが来てから、良いことないじゃない。玄関に行って、ビリケンの頭をポカリと叩いた。「あなたが来てから、嫌なことばっかりじゃん!うちに、不幸を運んできたのか~」しかし、夜、パパに言われた。「ビリケンが来たから、もっと大きな事故になるところ、あの程度で済んだし、お前の歯も、新しい技術の義歯が出来る腕の先生に当たったんじゃないか、良いように考えられないか?」パパ、本当にアンタは偉い。そうプラス思考になれば、私は鬱にはならないのになあ。「そうか~、ビリケン殴っちゃった」「おいおい」玄関に行き、ビリケンに謝った。「ビリケン、もっと良いようになるよう、頑張ってよね」良いこと、あるかなあ。あ、今日は、翔君の「NEWS ZERO」と、「嵐の宿題くん」があるんだった。楽しみ。やっぱり私には、ビリケンより、嵐君。
2006年09月29日
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月一のお食事会。今回は、例の素敵なお料理屋さん。「呼月」と言う。先日行った時は、土足のまま座れるお席だったが、今日は、靴を脱いで座る、掘りごたつ式のお座敷。今月の幹事のOさんが、ここのオーナーと、ずっとPTAで一緒だった事から、直接お願いしたそう。前にも書いたがカップめんの乾燥野菜のシェアー日本一の会社。そこの経営。この市は、結構そういう会社が多い。この会社も○清の乾燥野菜を一手に引き受けているから、日本中で売られているカップめんのほとんどの乾燥具は、ここで作られているし、イオングループの発祥の地でもある。知らないだけで、もっと多くの有名企業があるだろう。車で30分ほどの所には、吉永小百合さんのCMでも名前の出る、今話題の液晶、亀山ブランドの「亀山」も。大きな工業地帯がある。以前は、四日市公害と言う問題もあった。心臓の悪い弟をこの市に連れて来る時、虎ノ門病院の、心臓外科医としては日本で5本の指に入る、弟の生まれたときからの主治医が、「四日市!?」と驚かれたが、公害の部分は、ごく一部で、東京より空気は数段綺麗。お部屋に通されたら、先日、お世話くださったスタッフの方が、顔を覚えていてくださっていて「先日はありがとうございます」。そして全員が揃った所で、お店の方がいらして仰った。「今月二度目のお客様がいらしゃいますので、料理長が少しメニューを代えさせて頂きたい・・とのことですが、宜しいでしょうか?」!!、こっちがもう、今月だったのか覚えてないくらいなのに、お店の方が覚えているとは・・・。驚いた。私は、例え同じお料理でも、構わないと思い、やってきた。その心使いに脱帽、流石だと思った。一流とはこう言う事なのだろう。お料理は、本当に品の良いお味で、素材をいじくりすぎず、その素材のおいしさをしっかり残した、お料理だった。最初に銀杏の焼いた物が、先附として出てきた。渋い色の小さなお皿が素敵だった。手でつまみながら、皆で話をしながら頂いた。今日は、私を含め5人。後の3人は、仕事があったり、用事があったりで来られなかった。美味しいお料理と、仲間たちとの楽しい話で、ささくれ立っていた心が、温かくなっていくようだった。「Iちゃん、大変だけど、頑張るんだよ」暖かい言葉が、本当にありがたかった。それは、同じような辛い思いも、経験もして来た人達の言葉だから、余計、心に沁みる。お互い隠し事もせず、色色つらいことを話し合ってきた長い付き合いの仲間だからこそだろう。みんな、聞いてくれて、ありがとう。午後3時前、解散。気持は、大分軽くなった。今日は、晴れていたんだなあ。行く前はそんなことも、気付かなかった。やっぱり、皆との食事は楽しい。
2006年09月28日
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歯科医。嫌なことって、重なる物だ。とうとう、義歯じゃないとどうにも成らないらしい事が解った。先生は何とかしようとしてくださったが、どうにも、私の元々の歯の造りが問題らしい。ただ、普通の義歯は、持ちが悪いし、いかにも義歯と解ってしまうので、新しい方法を試してみましょうとの事。この方法は、今までの義歯とは違い、噛む時、本来の歯の力のかけ方と同じなので、物を噛むたびに、弱る普通の義歯とは違い、15年以上は、持つそう。簡単に言うと、取り外しの利くブリッジ。茶筒式と言うそう。まだ、新しい方法で、保険が利かないが、先生が今までこの方法を行ってきた方は、事故で、歯を無くした若い方とか、比較的若い方だそう。写真を見せていただいたが、元々ある歯に被せる方法なので、実に綺麗。言われなければ義歯とは解らない。ただ、保険が利かないので、総額が相当額かかる。まあ、仕方が無いですね。まだまだ綺麗な歯でいたいから。歯、死ぬまで自分の歯でかみたかったら、日ごろの手入れが本当に大切だと思った。いわば、自業自得だから、仕方あるまい。この先生が、こう仰る以上、他の方法は無いと思った。インプラントという方法も考えた。しかし、歯科医師の奥さんの友人が多いので聞いたが、皆が皆、やめなさいという。インプラントは、口の中に車一台入れる値段な上、合う人と、合わない人が出てくるそう。友人のご主人も、最初の頃は、インプラントをしていたそうだが、あとのケアが大変な事や、合わなくて、お金を無駄にしてしまう患者さんを見ていて、今はもう、インプラントをしていないと言う。先生も、インプラントはしていないし、やめなさいと仰った。気持が萎えた。娘の交通事故、自分の歯、その上、最近、ジュリアンのおなかに腫瘍が見つかった。何だかな~。そのまま帰る気に成れず、名古屋の地下街をぶらぶらした。そう言えば、冬物の娘達のパジャマがもう、小さくなっていた。娘達に、可愛いパジャマを買った。少し、気持が戻った。明日は、月一のお食事会。みんなの顔を見たら、少しは元気がもらえるかなあ。
2006年09月27日
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先日娘が事故をおこした。お昼過ぎ、娘から電話があった。娘は、朝から車で外出していた。「お母さん、事故った」「え?」「車同士で、ぶつかったんだけど」「相手は?」「小さな子乗せてるお母さんの車」全身の血の気が引いた。「怪我は?怪我はないの?」「わかんない、子供は泣いてる」「すぐに、救急車と警察に電話しなさい。何処?」場所を聞いて、さっき出て行ったばかりのパパに電話。すぐに飛び出して行った。しかし、娘の言っていた場所に行ったが、事故の様子が無い。傍で住宅の工事をしていた作業員に聞くと、事故など無かった途の事。おかしいなあ、確かにこの交差点と言っていたのだが・・・。大通りに交差した、団地から出る道の角に、大きな駐車場のあるコンビニがある。その横に、有名なクリームプリンのお店があって、その前に、電線の工事の大きな車が止まっていた。その車をよけながら、コンビニの駐車場の中を見たら、右前が大破した娘の車が目に入った。ああ、ここの交差点だったのかと、駐車場の中に入って車を止めた。娘が、すぐに近寄ってきた。案外冷静で、落ち着いていた。「どうだったの?怪我ない?」と言うと、「うん、大丈夫、警察呼んだ」相手の方は・・・・と見ると、2歳くらいの男の子を抱っこした若いお母さんだった。初心者マークを付けた、小さな黒い、軽のワゴンだった。娘の車は普通車だったが、右角が大破しているのに対し、相手の車は、左前が少しへこんでいる程度だった。子供に怪我があっては大変と救急車を呼ぶよう何度も言ったが、相手のお母さんは、「大丈夫ですから」と言うだけ。その頃になると、坊主頭に耳にピアスをした凄く若いお父さんらしき人と、その父親と言う方も来た。聞くと、事故直後にチャイルドシートなしで、助手席に乗せていた子供が、滑り落ちて、何処かで打ち、鼻血を出していたそう。「怪我があるといけませんから、直ぐに、救急車を呼びましょう」と、こちらが幾ら言っても固辞なさった。娘に事故の状況を聞いたが、コンビニから出て、工事の車をよけて、右折しようとした娘の車に、右から左折しようと走ってきた相手の車がぶつかったそう。それなのに、何故、娘の車の左前角が大破したのか、私には今一解らなかった。程なくして警察の事故処理のパトカーがやってきた。何回も、相手の方に、病院に行くよう言っていたが、大丈夫と仰って、警察の方も、「大丈夫ですね」と念を押していた。警察の方の説明によると、娘が、事故直前に、右に回避したので左前横が、大破したのだという。回避できていなかったら、もっと大きな事故になっていたそう。本当に怪我が無くてよかった。警察が、実地検分をして、写真を何枚も撮っているうちに、パパが、車屋さんを連れてやってきた。これで、私のお役目は済んだ、あとは、パパが相手と話してくれるだろう。警察のパトカーも、「あとは、保険屋さんに話してください」と言うと帰って行った。娘の車は、タイヤに前方がめり込み、動きそうも無い。車を、来てくれた保険屋さんもかねている車屋さんに任せて、荷物を私の車に積み替えた。車屋さんのKさんは、我が家の担当で、よく知っているので、私の横に来て、仰った。「お姉ちゃんが回避しなかったら、大きな事故になっていましたね~、怪我が無くてよかったね、奥さん」「そうですね~」「びっくりしたでしょう」「はい、もう、全身の血が止まったみたいでしたよ」「今、JAF呼んだから、このまま車持って帰ります」「よろしくお願いします」「両方とも怪我が無いから、後は、保険の話だけですから、もう、帰ってもいいですよ」「はい、よろしくお願いします」聞けば、相手のお母さんは、娘と同じ22歳。片や学生、片や母親。お互い同じ年と知って、初めて、二人に笑顔が戻った。「本当にお怪我ないですか?」「はい、大丈夫です」「車だけで済んでよかったです」「はい」やれやれ、心臓が止まるかと思った。免許を取って2年目、そろそろ事故をするなあ・・・と思っていた頃だった。娘には、良い薬だったかもしれない。しかし、自分が事故をした時より、気持は重い。私の場合は、相手の居ない事が多かったから。一度だけ、駐車場でぶつけられたことがあったなあ。車に乗っていると色々なことがあります。こちらが交通法規を守っていても、貰い事故もある。いかに旨く回避できるかが問題。家の車の台数が増えれば、事故の回数も増える。お互い気をつけたいものだ。本当に怪我がなくて、良かった・・。
2006年09月26日
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昨日、ヤマハのつま恋の日記にコメントを下さった方のHPに行き、コメントをしたら、今日のアクセスが、500を超えそうな勢いでカウントされている。今更ながら、つま恋の影響力を微笑ましく思う。皆様、頑張ってください。3万5000人のつま恋に集まった方以外にも、あの日々を懐かしく思う方が、大勢いらっしゃる事、力強く思います。パパは、今日もお休みで、1人、ゴルフに出かけていった。一時は、やめようとしていたゴルフ、面白くなったようで、良かった、良かった。チビは、今日から大学。オネエは先週から、院が始まっている。お勉強、頑張って頂戴。私も、ソロソロ、始動開始しないと、待ってくださっているお客様に、申し訳ない。しかし、体が、思うように動かない。全く、歳は取りたくないなあ。昨日から、昼間のTVは、安倍さんの組閣のニュースばかりだし、嵐君のCDを聞きながら、少し片付け。明日の嵐君の特番のCMが、頻繁に流れる。「Aの嵐」なかなか面白そうな実験をするみたい。楽しみ。クリーニングに出さなくても洗える夏物を少しお洒落着洗いで、お洗濯。風もあるし、良く乾いた。秋が、ドンドン深くなっていく。でも、まだ、日中は暑い。夜、どうしても、ステーキが食べたくなり、久しぶりに、父の好きだったお店に行った。たまにだが、無償にサーロインの少し脂っこいステーキが食べたくなる。パパも、「そう言えば、ここずっと食べに行ってないなあ」と、家族で出かけた。ここに来ると、どうしても父を思い出さずには、おれない。お店のマダムとも、自然、父の話になる。そのくらい、お肉の好きな人だった。私が今日、「ステーキ、食べたい」と言うと、「お父さんの娘だなあ・・」とパパも笑った。お店に座って待っていたら、4人の人が隣のテーブルに入って来た・・・と、そのうちの女性が、「あ、Kさん、お元気でした?」と笑顔でさっと私の横にいらした。コーラス部の先輩。もう10年以上のお付き合いの元ミスY市のSさん。彼女とわかったら、嬉しくて、私も立ち上がって、ご挨拶。お互い手を握り合い「お久しぶり」「Kさん、今日はご家族と一緒?」Sさんは、会社の若い方を連れていらっしゃったようだった。このお店の近くで、建材の会社をしてらっしゃる。若い方にご馳走するためにいらしたのだろう。こうして、思わぬとき、思わぬ人に会えるのは、凄く嬉しいものだ。短い会話の間、お互い手を握り合ったままだった。久しぶりのステーキは、美味しかった。たまに食べるから、美味しいのだ。これ、毎日は、食べたくない。ステーキが食べたくなるのは、体が疲れているときが多い。夏バテがそろそろ出始めたのだろう。お腹一杯になってお店を出て、帰宅。7時から、嵐君が出た歌番組を楽しんで見た。「アオゾラペダル」を唄うかと思ったら「きっと大丈夫」だった。これ、夏コン以来だ。ぱーーーっと、あの夏の日々が蘇った。嵐君達も、嬉しそうに歌って踊っている。多分、今日これを見た、夏コン参戦組の方は、皆さん、同じ思いだったのじゃないだろうか。まだまだ、余韻に浸ってます。終ってからは、見ないで貯まっていたドラマを見た。今日一日、何していたのかなあ。こういう日も良い・・か。明日は、朝から嵐君が生でTVに出る。早起きしなくちゃ。二日続けての生出演。何とも、嬉しい限りです。
2006年09月25日
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静岡の妻恋で、31年ぶりにコンサートが行われた。当時私も、青春の真っ只中にいた。中学から高校に掛けて海外のアーティストばかり聞いていたが、自分もピアノやギターをやっていたので、大学生になった頃、バンドの子と知り合い、あがた森魚、加川良などのミニコンサートにも行き、コンサートの手伝いもした。自然、吉田拓郎にも、のめりこんだ。「旅の宿」で大ブレークし、メジャーになったが、その前の「夏休み」「人間なんて」が大好きな歌だった。軽井沢に行く途中のレストランで、拓郎一行に出会い、サインをもらった事もあった。その青春のつま恋コンサートが開かれると知ったのは、もう、チケットが完売された後だった。1975年当時は、確か5万人以上が集まった。夜を徹してのコンサートだった。友人が何人も行った。しかし私は、厳しい父の元、とても行ける状況じゃなかった。涙を呑んで、見守ったあの伝説のコンサート。それが、31年ぶりに開かれた。TVでその様子を見た。泣いた。「皆、歳、取ったんだからさ」「ここを出たら、また、やーーな世間に戻んなくちゃなんないからさ、今日は、思い切り、楽しもうぜ」すいも甘いもかみ締めた世代の集まり。団塊の世代から少し下の世代。この31年のあのつま恋からの間に、それぞれの人生があった。それを思うと、拓郎の歌を聞きながら、涙が止まらなくなっちゃった。私だけじゃないよ、みんな、一緒なんだよ。あの日、出口から分かれて行った人々が、31年、どんな人生だったのか、それぞれに辛い思いを一杯して、今日、ここに集まれた人は幸せ。当時2500円だった入場料が、31年後は12000円になった。今は、その金額を払える人生になったのだ。その金額を払えるように、生きてきたのだ。何だか、今回集まった3万5千人の人生がとても、とても愛しく思え、1人じゃないんだなあと、改めて、いつもは知らん顔して生きてる同士が、本当は、こうして繋がってるんだなあと、感動した。「人間なんてララーララララーラー・・・」ギター掻き鳴らして居たあの頃。何だか凄く愛しい日々だったなあ。母を馬鹿にする子供達よ、母にも、輝くような青春が有ったんだぞーーーー!!!
2006年09月24日
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最近また、パパがゴルフに凝りだした。以前も、毎日仕事の後に練習に通った時期があった。しかし、もう、8年以上ゴルフをしているが、なかなかスコアが上がらず、正直、ここ数年は、接待のために行くだけで、楽しそうじゃなかった。元々肩を何度も脱臼して、腕を付け替える手術をしている。2年がかりの手術だった。一旦、腕を付け替え、大きなステンレスのボルトを入れた。そして1年後、腕がしっかり固定できた頃、もう一度、そのボルトを抜く手術をした。両方とも1ヶ月以上の入院だった。忘れもしない、平成元年のお正月、パパは病院にいた。まだ、車の免許を持っていなかった私は、その前年の病院通いに、1時間に2本しかないバスではどうにもならず、毎日タクシーを使い、その金額がすごい金額になり、最初から解っていた1年後の手術の為、まだ、小さかった娘達を、教習所の託児所に預けて、車の免許を取った。入院は私の免許待ちだった。そして、手術、リハビリに毎日病院に通ったのだが、入院の唯一の楽しみのTVが、毎日、天皇陛下の御崩御のニュースと、平成になった特番ばかりだった。そんな腕なものだから、見ていると、ドライバーを打つ時に、自然と、左腕をかばってしまうのだ。本人はそう言う事は無い・・・と言うので、以前一緒に打ちっぱなしに行き、ビデオで打つところを撮ってあげたことがある。思い切り、腰を回して、腕も回さなければいけないのだが、それが出来ないのだ。で、暫く、もう、自分からゴルフには行かなくなった。勿論、接待のお付き合いゴルフには、否応無く行っていた。でも、面白いはずが無く、スコアも100が切れないままだった。所が、最近、久しぶりに1人で行くようになり、良いスコアを出した。それがよほど嬉しかったらしく、長年使って、もうぼろぼろになっていたゴルフバックやら、ボストンバックを新調した。以前は、1人で行くことなど皆無だった。練習場には、1人で行くが、コースに出ることなど、一度も無かったのに、最近は、1人で行き、ゴルフ場の従業員さんと一緒に回るのだ。とても楽しそうに帰って来る。スコアは相変わらず良くはないが、楽しんで行ってくれるだけ、良かったなあと思う。で、今日は、お仕事ゴルフ。午後4時ごろご帰還。真っ黒に日焼けして、帰って来た。・・・と手になにやら段ボール。「なーに、それ」「あのなあ、この辺の地元の人ってな、スーパーの卵は生で食べないそうなんだよ」「どう言う事?」「今日、Kさんの家に迎えに行ったら、奥さんがこれどうぞって・・」箱を開けると、茶色い卵がびっしり2段になって入っていた。「生で食べるのは、この卵だけらしいぞ、地鶏の産みたて卵だよ」そうなんだ・・・確かに卵の殻が汚れている。見てたら、話を聞いたら、ちょっと食べて見たくなった。パパと二人で、器に割りいれ、お醤油をたらし、食べて見た。ぷるんぷるんの盛り上がった色の濃い黄味。一口、口に含むと、すぐにスーパーで買ってくる卵との違いがわかった。こくが全然違うのだ。我が家は、卵をよく食べる。卵で栄養が摂れるなら・・と、わざわざ、ビタミン強化、有機肥料で育てたニワトリの卵を買ってくる。1パック、318円の結構高いやつなのに、その卵より、数段に美味しい。パパも、旨いなあと感激。勿論、その夜の食卓に、この卵が上がったのは言うまでも無い。この卵で、すき焼き食べたら、美味しいだろうなあ。まだ、すき焼きにするには、暑い。聞けば、お値段も今買っているのと変わらない・・・どころか安かった。こりゃ、この味を覚えたら、スーパーの卵は、生で食べられない。地鶏の産みたて卵がこんなに美味しいとは、この歳になるまで知らなかった。少し車で走ると「産みたて卵、販売所」と言う看板があるので、売っているのは知っていた。いつも、素通りしていたが、こりゃ、しまったなあ。新鮮な卵、まだまだ沢山あるが、次回からは、卵はそこに行って買おうと思った。パパのゴルフ復活の思わぬ、落とし土産。まだまだ、知らない事、知らないで損をしている事、有りそうです。
2006年09月23日
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今日こそは、歯医者さんに行こうと、家を出た。以前お世話になった歯科医。ただ、事前に予約を入れたとき、顔見知りの受付の女性に、「Kさん、前の先生じゃないけど良い?」と聞かれた。「え?あの先生じゃないの?」と聞くと、「うん、若い先生に代わったの」。そこは、ある歯科大学病院からの派遣の先生が来ていて、以前までお世話になっていた先生は、名古屋のはずれの方に変わったそうなのだ。この先生、評判が良くて、歯科医に関し、どんな医師にも疑心暗鬼の私が、「腕は確かよ」と言われ、恐々一度だけ治療を受けたが、確かに年輩の上手い先生だった。その上、歯並びの悪い私の希望で、矯正歯科を探してくれ、自分はあまりこの町の医師は知らないからと、自分の大学ではない、違う大学出の矯正歯科の先生に紹介状を書いてくださるような、先生だった。医師の世界は、大学の派閥が厳しい。それなのに・・・・だ。で、紹介状を持って、矯正歯科に掛かったら、私の歯は非常に難しい状態になっており、大元のN大学病院に行ってくれと言われた。もう、このまま諦めようと思ったが、「Kさん、諦めないでください。いつまでも、女性ですから、綺麗な歯並びで居て欲しいなあ」と暖かい言葉を頂戴し、そこでN大学病院の矯正歯科への紹介状を頂いた。しかし、鬱が酷くなり、とても名古屋に通えないまま1年が過ぎた。名古屋から、まだまだ地下鉄で30分ほど行かないといけない場所にあったのも、災いした。で、結局、治療途中で行かなくなり、半年経ち、とうとう、物が噛めない状態になってしまい、歯科医に電話したのだった。説明すると、長くなってしまうが、実は、私は若い時から、1人の歯科医師にしか、お世話になっていないのだ。松坂屋時代、デパートの入ったビルの上に、N大学直轄の歯科医があった。勤務の時間を縫って、3年そこに通って歯をすべて直した。この歯科医、夜に歯痛で電話をすると、そのN大学の歯科学部の当直歯科医に通じる。だから、とても安心な上、非常に上手くて、医師も6人常駐しており、どの医師も、本当に上手かった。私の歯は、生まれつき問題のある歯で、私の担当は、大体、いつも院長先生のT先生だった。結婚して名古屋を離れ、この市に引っ越してからも、近所の歯科医でいやな思いをする度、結局、名古屋まで行き、その歯科医に通っていた。ここで入れたブリッジは、20年も、もった。本当に実に上手い歯科医なのだ。だから、ずっと、そのT先生以外の歯科医には、正直、怖くていけなかったのだが、先の知り合いの受付の女性に薦められ、以前お世話になった先生に診ていただこうとしたのだ。「若い先生に代わったけれど、良いかな」仕方が無い。「お願いします」で、出かけた。酷い目にあった。説明をしてくれるのだが、こちらの気持は全く汲もうとしない。「もう、お歳もお歳ですから、入れ歯にするのが良いのじゃないですか」お歳もお歳って、まだ、51歳なんですけど!!、割れている訳でも、根が、傷んでいる訳でもない歯を抜こうとする。あまり腹が立ったので、「少し考えさせてください。」と言った。「・・・じゃ、今日はセメント詰めて置きますから」と仰った。驚いたのはその治療。何もしないどころじゃない、消毒も無し、いきなり、白い粉を口に入れた。じゃりじゃりした感じがメチャクチャ気持が悪い。「つばで固まりますから」と言ったまま、治療室を追い出された。口の中は、セメントでじゃりじゃり。冗談じゃない。これが、ちゃんと免許のある歯科医のすることか!初診料だけ支払い、すまなさそうにしている受付の女性に挨拶して医院を出た。横に併設している病院のトイレに駆け込み、口をすすいだ。白い粉が出てきた。もう二度と、来る物か。車に乗り、うちに向かった。腹が立って仕方が無かった。しかし、このままじゃどうにもならない。以前歯垢を取りに行った、近所の歯科医に行ったら、なんと休み。もう一軒、近所にあったので、そこにも行ったが、予約じゃないと見てくれないそう。暗澹たる思いで、帰宅。家にまだいたオネエにぶちまけると、「随分ひどい事するね~、お母さん大丈夫?訴えてやれば!」訴えはしないけれど、そんな気持だった。消毒もしないで入れられたセメントが、歯茎に沁みて、痛くなってきた。洗面所に行き、歯ブラシで思い切り磨いたが、痛みは取れない。もう、駄目。T先生に助けてもらおう。もう、3年、行ってない。診察券を探した。先生は、ここ20年、デパートの有る駅ビルから、駅前の小さなビルに移り、お一人で開業されていた。そこに電話をすると、「痛いの?そりゃ、いけないね、う~ん、予約の人が居るから、待ってもらうけど良いかい?」もう、先生の優しい声を聞いたら、ほっとしてしまい、「はい、何時まででも待ちます」と言うと、「じゃ、今からいらしゃい」。すぐに、車に飛び乗り、駅前のショッピングセンターの駐車場に入れ、近鉄に乗り、名古屋まで特急で出た。3年ぶりだったので、どのビルだったのか忘れてしまい、暫く探したが、昔の職場の前のビルだと思い出し、エレベーターのボタンを押した。「駅前歯科」先生の小さな歯科のドアにたどり着いた時、どっと疲れが出た。最初から、ここに来るべきだった。中に入ると、懐かしい待合室。私が遠くから来ていると知っている先生が、受付から顔を出し、「お、来たね、ちょっと待っててな」。お昼前から歯科医に行って、午後5時。やっと、T先生の診察台の上に乗った。経緯を話すと先生は「そうか、酷い医者だなあ、どこの歯科医だ?」と仰った。それから、矯正歯科の話もしたら、やはり、私の歯は、矯正が出来ないそう。「N大学病院に行っても、この歯を治せる医者は、いないよ」N大学出の先生はそう仰った。「可哀相だけどなあ、Kさんの歯は生まれつき小さくて、矯正するには、隙間が足りないんだよ。」「そうなんですか」「うーん、高いお金かけても、痛い思いをしても、多分、直ぐに元にもどっちまうよ」「解りました、先生がそう仰るなら、もう、諦めます」実は、矯正を薦めてくれた、大学病院に行かないと直らないと言った矯正歯科医も、実は偶然、先生の後輩だった。「入れ歯なんか、まだまだ先で良いよ。治療して駄目になったら、また治療して、ちまちまやって行けば良いんだよな」その言葉を聞いて、私は不覚にも、涙が出てしまった。「大丈夫、僕がその度、直してあげるから」「はい、先生が、もう入れ歯じゃなきゃ駄目って仰ったら、私ももう、諦めます」「そう、そう」先生は、力強く頷いて、優しい目で笑った。20歳の時から30年、この先生にお世話になった。私の歯は、非常に硬く、なかなか抜けなくて、親不知が生えて来て痛くて眠れ無くなった翌日、仕事の合間を縫って先生のところに行き、抜こうとしたが、なかなか抜けず、困った先生が、他の医師を呼び、3人が係りで引っこ抜いてもらった。しかし、そんな風な状態だったから、出血が酷くて、先生から職場の上司に電話が行き、「少しこちらで休ませてから、帰しますから」と連絡してくださり、何回も、心配そうに診に来て下さった。そうやって、結婚してからも私の歯は、すべて先生の手で治療された。この30年ずっと。治療が終わり、次回の予約をお願いしようと待合室に出たら、奥さんがいらしていた。いつも受付にいらっしゃるのに、今日は、若い女の子だったので、どうなさったのかなあと思っていたので、奥さんのお顔を見て、安心してしまった。子ども達もお世話になっていて、御存知なので、暫くお喋りした。この奥様にも、20年以上お世話になっている。「先生、どうか、何時までもお元気でいらしてください、私の歯は、先生じゃないと駄目ですから」と本当に、心から言うと、「そう言ってくださるのは、Kさんだけよ。遠い所からいつもありがとう。ここに来るまでに、幾つも歯科医はあるのにね~」と優しい笑顔で仰った。表に出ると、もう、薄暗かった。なんて、一日だったんだろう。名古屋駅の地下街で、買い物をして、ラッシュアワーの電車に乗った。体は疲れたが、気持はすっきりしていた。やっぱり、私の歯は、T先生じゃないと駄目なんだなあ。改めて、つくづく思った。本当に、T先生、いつまでも、お元気でいらしてくださいね。先生の手は、私にとって、神の手なのですから。
2006年09月22日
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今日そこ歯医者さんに行こうと思っていたのに、また、行けなくなった。午前中にパパから、母を連れて銀行に行って、そのまま迎えに来るから、お昼を表で食べようと言う電話。はいはい、解りました。歯医者はまた、明日にするよ。しかし、待てど暮らせど来ない。すると電話「予定が変わった、銀行のHさんが、午後からじゃないと都合が付かないそうだから、メシ食ってから行くぞ」で、結局、お昼はうちで食べた。午前中に、大きな荷物が届いた。差出人は、パパ。??何??宛先もパパだったので、開けずに置いておいた。お昼、パパが戻ってきて、「お、届いてるな」と凄く嬉しそう。何、何、何?玄関に行くと、パパが、梱包を解きだした。中には、二重に段ボールが入っている。割れ物注意、何だこれ?出てきたのは、大きないぶし銀ならぬ、金色のビリケンの置物。「!!何これ、パパ、買ったの!?」「おお、良いだろ」物すっごく嬉しそうに言う。呆れて物も言えなかった。どうすんだ、こんな物。「ここに置く」・・・はい?!私が、お花や、与勇輝さんの陶器の小人の人形やら、以前やっていたガラスエッチングの作品の置いてある下駄箱の上に置くという。冗談じゃない、こんなデカイ、金色のものを置いたら、雰囲気が、全部吹っ飛んじゃう。でも、パパは、ガンとして引かない。よっこらしょと持ち上げて、下駄箱の端に置いた。もうね、全くかみ合わない状態。私のヨーロピアン趣味のコーナーだったのが、この微妙な置物のビリケンの、不細工な顔のお人形のおかげで、台無しだよ~。「あのな、こいつの頭を撫でると、良いことあるんだぞ」横浜のおもちゃ博物館に行った時も、そう言えば、おもちゃに興味を示さず、ビリケンのストラップ、買ってたなあ。大阪に社員旅行に行って、自由時間に1人になって、商店街のお店で見つけたそう。そりゃ、パパ1人だったら、買っちゃうかもな~。まあ、仕方ないかな。午後、母と3人で銀行に行き、私は、駐車場でTVを見ながら車の中で待った。物凄く眠くなって、気が付いたら、座ったまま寝てしまい、首が痛くなっていた。シートを倒し、この車、座席の下から、オットマンが出てくるので、足も上げて、もう一回、爆睡。結局1時間以上待たされて、そのまま駅前で母を降ろし、旅行会社へ。ベトナム行きのタグやら、書類やら、渡航セットを頂いて、最終の確認。何だか凄く楽しみに成ってきました。帰宅したのは、もう夕方。あ~あ、一日過ぎちゃった。今日も、何も出来なかった。夜、玄関のビリケンさんが気になって、見に行った。良く見れば、なかなか、愛嬌のある顔。まあ、福を運んでくれるそうだから、仲良くしようかな。パパ「お前のために、買ってきたんだぞ」だって。寝る前、前を通って、その頭を撫で撫でしてやった。「良いことありますように。福、運んで来てよ、ビリケン」。
2006年09月21日
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今朝起きたら、タイで軍事クーデターがあったそう。タイって、嵐君が10月に行くとこじゃないの。こりゃ大変。でも、タイってよくクーデターが起きるよね。タイと言えば、観光の国、沢山の日本人観光客が居るはず。お昼頃のニュースで、政府が、外務省を通じて、観光客に、外出しないよう、通達を出したとか。大変な事になったなあ・・とTVを見ていたら、面白い事を言った。このクーデターは、タイの王様のお墨付きらしい。え?って思ったが、タイの王様は、政治に口を出しちゃいけないんだそうだが、クーデターについては、軍隊を応援したり、認証したりして良いらしい。そんな面倒なことをしなくても、政府に「もっとしっかりやれ」とか「私腹を肥やしちゃだめだよ」とか言えば良いじゃん、ね~。面倒な国なんだな。日本じゃ、軍事クーデターが起きる事は無いけれど、ある意味、タイは、何時まで経っても変わらない日本より、浄化作用があるのかもしれないなあ。当の首相は、娘の留学先のロンドンにさっさと亡命したそうな。何だか、変わった国です、タイ。この様子だと、嵐君の出る、国際音楽会も、開催されそうだし、一安心かな?ここのところ、飲酒運転による事故がクローズアップされている。にもかかわらず、そんな事もどこ吹く風と、相変わらずの飲酒運転による事故多発。17歳の高校生が、無免許のまま友人の結婚式に車で出かけ、二次会後に友人を乗せたまま車を運転し、人をはねた。そのまま逃げて、友達にミニバイクで迎えに来てもらい、一緒に車に乗っていた友人とミニバイクに3人乗りして現場に様子を見に帰り、既にきていた警察に検挙されたと言う。もう、何をか言わん、モラルの欠片も無いじゃない。無免許運転、飲酒運転、ひき逃げ、飲酒運転幇助、バイクの3人乗り道路交通法違反。17歳の高校生。親の顔が見たい。大体、特に地方にいくほど、車社会になる。居酒屋の前の大きな駐車場は、一体なんだろう。よく流行る居酒屋には、必ず、大きな駐車場がある。警察が、その前で張っていたら、ほとんどが逮捕じゃないの?日本の警察は、本当に甘いと思う。まあ、警官も飲酒運転で捕まる今の日本の現状だから、嘆かわしい事、この上ない。今日は、久しぶりのカウンセリング。頭痛になる方程式も解ってきたし、今度は、そのストレスにどう対処していくかだなあ。ADHD障害者は、人一倍ストレスに弱いそうだから。もっと、笑って暮らせれば良いのに、つまらない事に腹を立ててしまったり、大きくなった娘達の至らない所に、頭を抱えてしまったりしてしまう。もう少し、器用にすいすいと泳げれば良いのになあ。今日は、総裁選があったり、ニュースが面白かった。なんと、安倍さんは、私と同級生。おまけに、成蹊学園に小学校から行っていたそうだから、あの並木道の学校に居る頃、一番近所の武蔵野第一小学校に居た私と、どこかで会っていたかも・・なんてね。従姉妹も、同じ成蹊学園。親近感を覚えた。さあて、日本はこれから、どう変わるのかなあ。変わってほしいです。明日は、歯医者さんに行こうと思う。なかなか行く勇気がでません。放って置いて、叱られるだろうなあ。矯正にも行きたいのに、なかなかいけません。やれやれ、最後は、やっぱり、愚痴になっちゃうなあ。
2006年09月20日
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昨日の敬老の日に、御祖母ちゃんに何もしてあげられなかったので、今日は、お昼に食事に誘った。いつもは、昼食は、病院のついでなのだが、今日は、何もない。ホームに迎えに行くと、リビングに杖を手にして待っていた。素足のまま、靴を履いて出掛けようとすると、ケアの方が、二人で何やら小声で話し合っている。「Kさん、ちょっと待って、おトイレに行こう」おばあちゃんに仰った。御祖母ちゃんは「平気、大丈夫!」といつもの調子。しかし、確かに匂う。まあまあと二人のケアさんに連れられて中にもう一度入った。暫くすると、素足だったのが、靴下を履かせていただき、出てきた。「すみません、やはり、してましたので、おむつ替えました」「ありがとうございます」認知症でも、しっかりプライドは残っているのだ。そこを、上手く対処しないと機嫌を損ねる。嫁の私が言うより、他人のケアの方に言っていただいた方が良いのだ。今日は、初めてのファミリーレストランに行った。見たそうにしたので、「何が良い?」とメニューを見せるが、糖尿病性網膜症で、もう、ほとんど見えないよう。しかし、眼科で、視力検査をすると、両方とも1.0なのだ。本当に不思議。単体でひらがなや、形を見ると、判断できるのだが、物の形の判断などが、もう出来ないようだ。「I子さんと一緒の物でええわ」御祖母ちゃんは、いつも、私と一緒の物が良いと言う。不思議なのだが、パパと一緒の物とは言わない。??何故か解らない。牡蠣フライ定食にした。運ばれてきた熱々の牡蠣フライを美味しそうにほおばる。「美味しい?」と聞くと、「うん。美味しいわあ」「そう良かった」パパは、食べこぼした物を拾いながら自分の頼んだ物を食べている。私がすべき事なのだろうけれど、私がするのを嫌がる。これも、残っているプライドなのだ。食事が終わり、コーヒーを飲ませてあげようと思い、「コーヒー飲む?」と聞くと、「うん」パパはコーヒーはブラック。御祖母ちゃんにもブラックで飲まそうとするので、私が頼んだアイスティのミルクを「入れる?」と聞くと「ふん、入れるわ」お砂糖も入れたそうにしていたので、カロリーオフのお砂糖が置いてあったので、入れた。お店を出て、ホームに帰った。ケアの方が「Kさん良かったね~、何食べたの」と笑顔で聞くと、「何も食べてへんよ、コーヒー飲んだだけ」がっくりきた。聞こえたのが、車のところに戻る途中だったので、走っていって「お義母さん、牡蠣フライ食べたじゃない、美味しかったって言ってたじゃない」と言うと、一瞬、間があったが、「ああ、牡蠣フライな、美味しかったわ」認知症、本当に、可哀相だと思う。定食だったので、私は、ご飯を半分も食べられなかったが、姑は完食。「お腹一杯になったかな」とパパが聞くと、「全然足らへんわ」苦笑認知症は、満腹感もないのだ。味覚も怪しい。どこまで行っても、認知症に満足と言う結果が無い。ハングリーなまま。だって、瞬間的に美味しいと思っても、それを、持続して覚えていられないのだから、いつまでも、ハングリーなままなのだ。御祖母ちゃんが、体に良くないからと皆が忠告しても、好き勝手、食べたいだけ食べてきた長い人生のつけが回ってきたのだから、自業自得といえばその通りだが、食に関して満足してきた人生の期間と、何も解らなくなったハングリーな、この認知症の期間。今、神様の宿題で、プラスマイナスしているのだろうか・・・。帰宅したら、この町の自治会から、昨日の敬老の日の記念に頂いた、非常用持ち出し袋が目に入った。何だか、全く違う世界の事のように思えた。
2006年09月19日
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昨日、たっぷり寝たので、早くに目が覚めた。パパは、今日は、ゴルフ。早起きは三文の徳、と言うとおり、嵐君の台湾公演の様子が、朝の各局のワイドショーで、次々放映され、上手い具合に録画できた。凄く嬉しそうなメンバーの顔、顔、顔。生き生きした表情で、汗びっしょりになりながら、広東語で、台湾のファンに挨拶するメンバー。それに応えてくれる台湾のファン達。見慣れた衣装で、聞き慣れた曲を唄う嵐君達。良かったね、大成功だったみたいだね。やっぱり、行きたかったなあ・・。パソコンの机の上にある、この夏コンで、客席に降ったテープの入った透明のケースを見ながら、まだ、余韻に浸れる自分が、嬉しかった。夢のような日々は、過ぎちゃったけれど、こうして思い出が形で残っている。幸せな時間の幸せな余韻。ケースをひっくり返すと、中にある丸めたテープが、光を放ちながらケースの中を行ったり来たり。本当はね、これ、私の上に降ったのは半分。後は、片付けていた警備のお兄さんに貰った物。「頂いても良いですか」って聞いたら、にっこり「良いっすよ」って、どばっとくれちゃった。持ってた手提げに押し込んでホテルに持って帰って、コンサートの余韻に浸りながら、のんびり一本づつ丸めてテープで止めた。今は、大事な宝物。テープが飛び出した「シュポッ」って音も、耳に残ってるし、嵐君達の嬉しそうな「ありがとぉー」って声も聞こえてくる。多分、この先何年もこれを見るたび、この素敵だった夏を思い出すんだろうなあ。少し肌寒くなった朝、幸せな気持に浸った。昼間は暑かった。台風の後に、フェーン現象で、夏に逆戻りしたから。30度だって。まだまだクーラーのお掃除が出来ません。嵐君達、飛行機、飛べるかな。台風、台湾方面に行ったみたいだし。夏服をクリーニングに出そうと思っていたのに、10月のベトナムは、日本の夏と同じ気候だそうで、夏服が良いそうだ。パンツを履かない私をパパが心配する。だって、若い頃から、スカートしか履かない人だったから。最後に履いたのは、ゴルフ教室に通って以来、履いてないかな。それも、キュロットの短い物だったから、パンツじゃない。長いパンツは、パパと知り合った広告代理店の時代、撮影の手伝いにスタジオに行った時、どうしてもパンツを履かなくちゃならなくて、当時バギーパンツってのがあって履いたんだけれど、ものすごーーーく恥ずかしくて、仕事が終って会社に戻って、すぐに着替えちゃった。当時は、まだ、やせっぽっちだったのだけれど、パンツは、嫌いだった。まず、足が短い。体の割りに、お尻が大きかったから。自分が気にしているほどじゃなかったのだろうが、若い頃から、私はスカート派だった。メコン川の船上マーケットなどに行きたい・・と思った。綺麗なお花や、美味しいジュースを買いたかった。でも、ボートに乗るなら、ズボンじゃなくちゃ、連れて行かないって、パパに言われた。今は、肥満体に短足。ズボンなんて、とんでもないなあ。そうだ!、ゴルフの練習の時に履いた、キュロットにしよう。誰も知り合いがいるじゃなし、どんな格好したって恥ずかしくないもんね。あと半月で、行けると思うと、嬉しい。キッチュで、可愛い小物、一杯見つけてこよう。あ、それまでに、家の中を綺麗にしておかないとなあ。頑張ろう。
2006年09月18日
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夏バテもせず、調子に乗ってたら、ぶっ倒れた。薬局が薦めてくれた滋養強壮剤が効いて、調子が良い物だから、自分の体を過信してしまったのだ。やっぱり、虚弱体質は、無理をしてはいけないなあ。昨夜、遅くから入浴した。夏の間、湯船は使わず、シャワーだけだったが、昨日は、とても涼しくて、久しぶりにゆっくり湯船に浸かりたくなった。お風呂に入り、プラたわしで湯船を綺麗にして、お湯を張り、4ヶ月ぶりに湯船に沈んだ。やっぱり、日本人は湯船に入るのが一番だなあ・・・とお湯の中で大分時間を過ごし、出たのが、2時過ぎ。それから、お肌の手入れをし、マッサージ機に乗って、うつらうつらしてしまい、気が付いたら3時過ぎ。あんりゃ、パパがまだ帰ってこないじゃない?飲み屋さんで捕まってるなあ・・・。少し心配になった。パパはお酒が強い方じゃない。家のなかでは、全く口にしない。夏の暑い日にやっと、ビールを飲むくらいだ。・・・と表に車の止まる音、タクシーかな?。パパご帰還。相当飲んでいたが、しっかりとはしていた。私もパパも、お酒を飲んでしょうたいを無くす、覚えてない・・と言う経験が無い。パパは、そのまま二階に上がってバタンキュー。午前4時前のこと。私も、就寝したのは4時。さすがに二日続けての寝不足が祟った。朝、大腸がどーーーんとして目が覚めた。これは、いずれ頭痛に成る兆候。だましだまし、過ごしたが、母が三回忌のお店の事で電話をかけてきた時点から、もう、頭痛はピークになった。私の頭痛は、大腸の調子の悪い時に、精神的なストレスが重なると起きる。だから、母から電話が掛かってきた時、正直、やり過ごそうと思ってしまったが、体の事で掛かってきたら大変と思い、出た。しかし、案の定、後先考えずに突っ走っての事後相談。もう、本当に良い加減にして欲しい。起きてきたパパに、頭痛が酷いこと、母が、また、突っ走って訳の解らない事になったことを伝え、後の事を頼み、薬を飲んだ。パパが上手く話しをしてくれ、母の用事を済ませ、やっと、3回忌のお店も決まり、少しは、頭痛も良くなるかと思ったが、一向に痛みは引かず、吐き気ももようし、起きていられなくなった。夕方、二階に上がり、横になった。如何してこう弱いのかなあ。自分の体が恨めしい。7時過ぎまで寝た。夕飯の時間になり、気がつくと、今日は日曜。潤君のTVが有るなあと思ったら、何とか起き上がれた。嵐君は本当に私の心のお薬です。少し寝たので頭痛も、治まった。下に降りて、簡単に夕飯を作った。昨夜、折角作ったおみおつけが、今朝、火を入れるのを忘れ、痛んだ。まだ、痛む気温なんだと思った。勿体無いが、仕方が無い、お吸い物を作り直した。潤君の可愛い笑顔を見ながら、パパと食事を済ませたら、台風の風が強くなってきた。バイトに行っていたチビが帰宅。昨日、今日が良い日になると良いなあと思ったが、持続しない。こうして、私の人生の一日一日が、減って行くのだろうなあと思った。一体、何をしているのか解らない毎日。小さな幸せに一喜一憂して、時が過ぎていくのだ。ただ、願わくば、体の調子はいつも、フラットでいたい。私の人生に頭痛が無かったら、どんなに幸せだろうと思った。これは、神が私に出した宿題の一つなのだろうか・・・。
2006年09月17日
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今朝は、寝不足。オネエが、大阪の心理学学会に大学から泊まりで、今日から3日間、出かける。大阪には、名古屋に集合して、新幹線で行くそう。その集合時間が朝の6時半。で、5時40分にタクシーを頼んだ。ほとんど始発の電車に乗るため。起きられなかったら大変と、また、私の悪い癖で、起きていた。まあ、前夜、寝ようと思ったのが、2時を過ぎていたので、そのまま下のソファに横になった。だが、さすがにもう、大人。物音に気付き、洗面所に行ったら、オネエはもう、歯を磨いていた。すぐに玄関の呼び鈴がなって、インターホーンにでたら、タクシーが来ていた。「朝もはよから、ご苦労様。気をつけて行きなさい」と見送って、そのまま、またソファに横になったら、今度は、パパが降りてきた。今日は、偶然、オネエと同じ大阪に社員旅行。難波花月の吉本を見に行くらしい。こっちは、近鉄で行くので、オネエよりゆっくり。難波花月は入った事が無いが、嵐君のコンサートやら、お芝居で、もう、勝手知ったる場所になった。あの美味しいお好み焼き屋さんの「ゆ○り」で、お土産を頼んだ。パパも出かけて行き、後はチビだけ。今日は土曜日だというのに、昨日まで、ぐだぐたしていた家族が、皆、今日は、用事で出かける。チビも、成績を貰いに学校に行くそう。ついでに、映画研究会の集まりもあるそう。結局、誰もいなくなり、二階に上がってベッドに滑り込んだ。爆睡。気が付いたのは、10時過ぎ。まだ、眠いが、誰かが、玄関のドアを叩いたような気がして、下に降りた。犬が鳴かなかったから、気のせいかもしれない。ゆっくり、一日過ごした。お夕飯はパパがお好み焼きを買ってきてくれるし、涼しくて、良い日だった。ガス台の横を片付けた。冷蔵庫を入れてから、リビングに置きっぱなしになっていたストッカーを、ガス台の横に設置した。除菌剤で床を綺麗に拭いた。こう言う事をするの、物凄く久しぶりだなあ。この前、クーラーをつけてもらう前日に、ガス台の上は綺麗にしてあった。それから、上手い具合に回って、毎日、お料理した後の汚れを綺麗にしている。もう、更年期になってからずっと出来ていなかった事だったが、何とか、回っている。気になっていたガス台の横が綺麗になった。少しづつ、綺麗にしたら良いじゃない・・・。そう自分に言い聞かせる。昔出来ていた事が、出来ないことに苦しむのは、もう、そろそろよそう。こうして、また、少しづつだが、出来るようになったのだから、家族の皆様には、もう少し、我慢していただきましょう。夜、パパから、駅までお好み焼きを取りに来いとメールが入った。自分は、以前から、新しくお店を出した父の代からの知り合いに、その店に来てくれと言われていて、そのまま行くから・・と、駅前まで行って、車の中で、パパを待った。土曜の夜の駅前は、賑やかだった。今日が最終回のドラマを見ながら待っていたので、大分、待たされたが、一向に気にならなかった。パパからお好み焼きだけ受け取り、そこで分かれ、急いでうちに帰り、チビと二人、ドラマの続きを見ながら、美味しい、美味しいお好み焼き、頂きました。もうドラマは最高だし、お好み焼きは美味しいし、本当に幸せです(笑)このお店に一緒に行った、嵐友の皆々様、やっぱり、ここのお好み焼きは、特別、美味しいです。今日は、本当にのんびりしたし、出来なかった事が少しできた良い日でした。明日も良い日だと良いなあ。
2006年09月16日
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嵐君、デビュー7周年おめでとう。5周年をお祝いした5×5が、何だか懐かしいです。パパが、朝起きたら、いきなり、「呼月予約したぞ」。あ~?、今起きたばかりなんですけど。昨日は、あのお料理屋さんから、銀行に行った。書類を片付けに行ったのだが、私は、チビと、銀行のソファで、友人にメールを送ったり時間をつぶしていたが、結構待たされた。で、帰宅後、疲れてしまい、昨夜は、早くに寝てしまった。その次の朝に起きたら、いきなりまた、食べに行くという。二日続けて、贅沢じゃないの~と言ったら、「もう予約した、無理に入れてもらった」とのこと。呼月は、例のPTA会長の経営する、高級料亭。一日、数客しか取らないお店で、なかなか行けなかった。どう無理して、予約を取ったのか解らないが、行くしかないなあ。正直、あまり、気が進まない。幾らなんでも、二日続けての料亭のお昼ご飯は、胃の休む間もない。でも、行かない訳にいかない。今日も、懲りずに、父の3回忌のお料理屋さん探し。今日は、昨日大学に行っていて、いなかったオネエもいる。明日から、大阪で3日間の学会があり、大学から泊まりで大阪に行くので、今日しか行けない。チビより、オネエの方が、小さい頃からおじいちゃんが面白がって、あん肝など食べさせたので、舌は確か。まあ、仕方が無い、行きますか・・・。その前に髪を洗った。さっぱりして、母を迎えに行き、出かけた。やはり、昨日のお店より、クラス感が全く違った。店構えも、実に品の良い構えで、ほんの控えめに生けられたお花も、まあ、なんとセンスの良い、素敵な物なのかと感心させられた。気負った所がまるで無く、実に居心地が良い。清潔感の漂うお店の中。無駄な物は何もない。こういう所を、本当に高級料亭というのだろう。出てきたお料理は、素晴らしい焼き物の器に品よく盛られていた。昨日のように、ただただ大きな器に盛られるのではなく、その味、その色に合った、色、大きさだった。素材を大切にした、薄味あり、しっかりした味あり。お鯛の焼き物やら、おなすをはもで巻いた物、控えめに置かれたお品書きを見ながら、次のお料理を予想して楽しむのも、また一興だ。接客の女性も、無駄な話は一切しない。お料理の説明も、実に簡素になさる。こちらの会話の邪魔にならないよう、よく躾けられている。さすがだと思った。打ち水された廊下は、塵一つ無い敷石。照明も、多分、ライトディレクターによるものだろう。こういうお店は、トイレに入ると、お店の姿勢がよく解るのだが、ここは、文句無く、心配りが行き届いていた。小さな茶色いハンドタオルが、綺麗に籠に重ねて並べられ、使ったタオルは、下に落とすように、穴があいており、手洗いのボールも、清潔感溢れる、銅製の深い四角いボールだった。水の跳ね返りで、洋服が濡れないようにの心配りだろう。そして、昨日のお店は、お化粧を直すための鏡が無くて、驚いたのだが、このお店は、全身を映す鏡と、手洗いの前にも、全面に鏡が貼られていた。そして、すぐ近くでもお化粧が直せるように、横も鏡張りだった。廊下の突き当りには、天井まで焼き物で作られたオブジェ。その海の色のような深いエメラルドグリーンに、目を奪われた。母も、この店がいたく気に入った。しかし残念な事に、三回忌の予定の日は、このお店の休日に当たっていた。まあ、仕方が無いよね。オーナーは、私の友人のお知り合いだけれど、無理は言えないよなあ・・・とパパが言う。でも、本当に良いお店。今度は、ディナーを頂きに来ようと、支配人さんらしき方に送られて、大満足でお店を出た。やれやれ、昨日のように、これでもかとお料理が出てきたら、どうしようかと思ったが、丁度良い、分量のお料理で良かった。とても良い素材で、適量。これが何より一番。今月末、お友達とのお食事会、ここにして良かった。帰宅後、久しぶりに、TU○AYAに行った。横の書店で、欲しい本を買おうとしたら、売り切れていたので、注文して、メディア館に行き、借りたDVDを返し、見たかった映画を借りた。ついでに、CDの売り場で、見っけ。「たらこのうた」「た~らこ~、た~らこ~、たーっぷり、た~らこ~」の歌。実は、CDが出るのが楽しみだった。所が、歌が、CMと違う子が唄うと聞き、少しがっかりしてしまった。我が家は、娘もパパも、これを携帯の着信音にしている。オネエは、ゲーセンで、いくつもこのキャラクターをゲットして、あちらこちらにくっつけている。私も、半年ほど前、子ども達にせがまれ、得意の腕で、UFOキャッチャーで、かなり大きなたらこキューピーをゲットした。オネエのブログに写真を載せているくらい、マイブームだったのだが、プレミアムエディションのCDにそのたらこキューピーがくっ付いていた。買おうか、買うまいか迷った末、辞めた。あのCMのように、沢山の子のコーラスなら、欲しかったのだが・・・・。でも、また、欲しくなるかもしれないなあ。今日は、なかなか面白い一日だった。明日は、嵐君は台湾です。ここの嵐仲間も、台湾にいらっしゃっている。コンサート、どうか、成功しますように。・・・・やっぱ、行きたかったな~。画像は、我が家のたらこキューピーの一部です
2006年09月15日
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専業主婦をしていると、時々、曜日を忘れる。まして、子供が夏休みだったり、パパが、うちにいたりすると、全く解らなくなる。夕方まで、ずっと火曜日だとおもっていたら、水曜日だったり。で、折角カレンダーに予定を書き込んで有っても忘れるのだ。先日も、この街の防災訓練に出そびれた。まあ、出ないお宅も多いので、問題は無かったが、曜日がずれて認識していた事が、ショックだった。あ~、またやっちゃった・・・と自己嫌悪。歳のせいか、私自身の問題か。今日は、お昼に、急に食事に出ることになった。以前から、母が行きたがっていたお店。父が亡くなる前に行くはずだったが、チャンスが無くて、結局、行きそびれた。住宅街にあるお店で主体は和食なのだが、洋式は、フランス料理。お店の作りもフレンチアンティークで素敵だったし、器で食べさす料理だったが、正直、器に頼りすぎていたような所もあった。しかし、お値段は、イセエビが出てきたし、あわびのコキュールもあったし、確かにお値打ちだった。御主人は腰が低く話し好きで、こちらが恐縮してしまうほどだった。しかし、気になったのは、「一折、1万円の物ですが、今日の記念に1900円にさせていただきます」と言うお土産用の御寿司の薦め方など。元々大阪が本拠地だったそうなので、こういう薦め方が、大阪商人のやり方なのかもしれない。もう一つ気になったのは、色色な亊に懲りすぎて居ること。もっとシンプルに、料理自体を主体にした方が、好評なのじゃないだろうか・・と思った。正直、最初の2品くらいが出てきたときは、ああ、次回のお食事会、ここにしようかな・・・と思ったが、食事が終ってから、皆を連れてくるところじゃないなあ・・と思ってしまった。と言うのも、理由がもうひとつあった。食事が終わり、デザートの時になり、「デザートは隣の部屋に用意してありますから」と席を移された。何故だろうといぶかしげに、言われるがままその部屋に通されたら、壁一杯の飾りだなに宝飾品が、並んでいた。ああ、な~るほど。多分、足元を見られたのだろう。デザートを食べ終わる頃に、御主人が、従業員を従え、無数の箱を出してきた。その中の一つをあけて、長い真珠のネックレスを見せられた。申し訳ないが、その真珠は巻きは悪いし、粒は揃っていない。とても質の悪い物だった。こちらを見ての対応だったのだろうが、そのように見られたこちらにも責任があるかもしれないが、その真珠を「本当なら10万以上の物なんですが、ここにある物は、皆、10分の1のお値段で提供させていただいております」と言われた時は、流石にこの真珠に1万円も出す値打ちは無いと思った。この方のこれが、お商売の仕方なのだろうが、余り気持の良い物ではなかった。少々、うさんくささも、感じてしまった。元々、宝飾品の卸をしていたそう。しかし、薦め方が、品の無いやり方だと思った。パパが空気を察して「じゃ、そろそろ、失礼しようか」と言い出し、そのまま、失礼した。聞けば、昔から何度もコーラス部で使っているお店のオーナーだった。最近、ここも、あまり評判が宜しくない。経営者が変わったらしい・・・と聞いていたが、この方だったのかと思った。商売って難しい。どんな身なりの人も、本当の所は解らないから、お客を身なりで判断してはいけない。だから、どんなお客にも、平等に接しなければならない。それが出来てらっしゃらないように思う。最初から、パパの車を見て、お給料を出す方の方ですね・・・と言われた。これから、こちらを使ってくださいと、お料理が出てくるたびに、御主人が何か言いに来る。私達のほかにまだ数組のお客がいたが、宝飾品のある部屋に通されたのは私達だけだった。「今日は特別に・・」が多すぎた。何度か訪れ、何回目かに、ただ一つ、そう言う事をしていただくのは嬉しいが、「今日は特別に、ディナーで出してますオードブルを召し上がってください」と持ってくる。母が父のことを話すと、「今日はお父様に食べていただけなかったので、コースにはないのですが特別に」とフカヒレのスープを父の分まで蔭膳として持って来てくださる。「今日は特別に、1万円の御寿司の折を1900円ですので、お土産にいかがですか」と持ってくる。その場その場では、大変嬉しく、恐縮してしまったが、後から考えると、何だか、特別扱いされた事が、かえって重荷になった。お料理は、満足いくものだったが、あまりに、「お得です」と自分から言い過ぎるのも、こちらに対して、失礼じゃないかなあと、思った。「これなんぼ」が大阪商人の基本で、「で、いくらにしてくれる」が、やり方かもしれないが、何だか、釈然としない物が残った。そんなに、物欲しそうに見られたのかと、こちらも気分がよくない。折角のお料理が、何だか、台無しになってしまった感だ。パパは、相手を責めるな、そういう風に見られたこちらに責任がある。と言う。「勉強させてもらったと思いなさい」と言う。「そう見られた自分はまだまだだなあと、反省しなさい」と言う。パパ、あんたは、偉い。そんな風に割り切って考えられない私は、まだまだですなあ。人生最後まで、勉強です。今日は、つくづく考えさせられました。
2006年09月14日
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雨。一雨ごとに秋になっていく季節。この雨がやんだら、また、秋の色が濃くなっているのだろうなあ。スーパーにも、栗やら、松茸やら、梨やらが並ぶ。昨日は、旬のさんまを夕食のメニューにした。物凄く脂が乗っていて、大根おろしとポン酢で頂いたら、ほっぺが落ちそうなくらい美味しかった。お魚は、あまり好きな方じゃなかったが、この地に来て、好きになった。東京にいる頃は、新鮮と言っても、ここほどじゃなかったから、あまり、好きじゃなかった。母が東京にお嫁に行った時は、お魚屋さんのお魚が、気持ち悪くて、買えなかったそうだ。「みんな死んでる」東京では当たり前の事なのだが、浜育ちの母にとって、魚は生きているのが当たり前だったから、魚屋さんでそう言って、大笑いされたそうだ。母は面白い人で、お嫁に来るまで、お米を炊いた事も無かった。お嫁に来た、翌日から、父が、お米の研ぎ方から教えたそう。だから、八百屋に行き、料理の本に載っているまま言ったそう。「人参半分、キャベツ3枚、しいたけ2枚」東京の下町だ、八百屋のおじさんは目が点になったろう。「・・・・ねーちゃん、良いよ。持ってけどろぼう」と母が言ったもの全部、くれちゃったそうだ。後から父に「東京と言うところは、ただで、くれるのですか」と真面目に聞き、父が、慌てて、お金を払いに行ったそうだ。嘘みたいだが、本当の話。母は両親とも教育者だったが、家庭の事は、全部、お手伝いさんがしていた中で育ち、据え膳の、勉強だけしていれば良い環境に育った。そしてそのまま、社会人になることなく、お嫁に来た。父にしてみれば、大変な人をお嫁に貰っちゃった訳だ。その代わり、御茶や、お花、裁縫はプロ並に出来た。祖母が、修身の先生だったから。今で言う、家庭科か?なのに、お料理は、まるでしたことがなかったのだ。昔は、女中さんがお料理をしていた家が多かったのだからだろう。おさんどんをする必要がなかったのだ。東京の伯母の家にも、お手伝いさんがいた。ミエちゃんと言う子で、私も小さいとき、可愛がってもらった。お嫁に行く時も伯母が色色用意をしてあげて、伯母の家からお嫁に行った。家族と同じ、感覚だった。事業主の妻だから、結構、苦労もしているはずなのに、母は、そういうところが全く無い。以前、聞いたことがあるが、「これが当たり前って、いつも思っていたから、比べる物が無かったから、苦労だと思ったことが無い」そうだ。確かに、母はいつも強くて、明るい人だった。ずっと声楽をしていて、高校生の頃、何度もNHKのラジオに出て、唄った。母のアルバムにセーラー服の若い母が、マイクの前で歌う姿が何枚かある。音大に行きたかったらしいが、父の所にお嫁に来ることが、決まっていて、断念させられたそうだ。だから、当然のように、私も、ピアノと声楽をやらされた。正に、「やらされた」のだ。否応無く。小さな頃から都電(路面電車)に乗って、1人通った。今でこそ、当たり前の塾通いだが、昭和30年代の毎週のレッスンは、結構、珍しかった。5年通ったが、引越しと共に、解放された。そんな母の、私の中の若い頃の姿は、いつも歌っていた。掃除機の物凄い音に負けないくらいの声で、モーツアルトや、シューベルトの歌曲。うるさかった。本当にうるさかった。父を亡くしてから、暫く元気が無かったが、今の母の支えは、やはり「歌」。週に3日、通っている。そして、最近、母の偉さが解ってきた。お米も炊けなかったお嬢の母だったが、一旦始めると、根気よく続ける。一時流行った紅茶きのこなど、とうに皆、辞めているのに続けていたし、一旦始めると、なかなか挫折しないのだ。そんな母は、父の健康を考えて、ずっと以前から、毎日30品目を目標に食べていた。父も母も、少食だったが、その習慣はいまだに守られていて、母のご飯時に行くと、必ず、新しいメニューがあるのだ。だから、娘達は、御祖母ちゃんのところでご飯を食べるのを楽しみにしている。私が、コンサートで、泊まりになったり、パパと、京都に出かけていて、子供達の夕飯を母に頼んだりすると、子ども達は、凄く嬉しそうに母の所に食べに行く。「だって、おばあちゃんのとこは、食材が豊富だから」と言われちゃう。1人暮らしになった、今も、きちんと30品目を守っているから、尊敬。母は、結構、面白い人だから、話題が尽きない。最近、私より酷いADHD障害者だなあと、気が付いたが、もう、あの年だから、通院の必要も無いが、ずっこけることも多々ある。また、別の機会に話そう。
2006年09月13日
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何から片付けて良いのか、どこから片付けて良いのか、考えているうちに、一日が終っちゃった。午後からまた、爆睡。疲れていたんだなあ。朝、涼しかった。ああ、もう、秋なんだなあと思った。お昼、買い物に出たとき、庭の柿の木を見たら、富有柿じゃない、普通の柿の方に、もう、橙色になった柿が幾つかなっていて、すでに鳥につつかれていた。しかし、この時期に出来る柿は、まだまだ食べられない。葉っぱが落ちてからの柿だけ、食べられる。今年は、こんな時期に赤くなっているから、全く生らないみたいだなあ。昨年、一昨年と、一杯生ったが、今年は、休憩の年なんだな。柿が生ると、実は、本当は困っちゃう。我が家の人たちは、余り好きじゃないから、唯一、亡くなった父が、喜んで食べていたが、父が亡くなってから、鳥に食べられるのが勿体無くて採るが、結局、採った半分近く、腐らせてしまう。こうして、今年は生らないなあ・・・と思うと、少し寂しいが、内心ほっとしている。もっと好きな実の生る物を植えようと、イチジクの苗を植えるのだが、毎年、庭師さんに、刈られてしまう。背の高くなった夏草に埋もれて見えなくなっちゃうから。2年、そう言う事が続いて、もう諦めた。キウィもよく生るそうだが、好きじゃないし、メロンは難しそうだし、いちごは畑だし、プルーンや、さくらんぼは、苗がなかなか売ってないし、我が家が好きで買ってくる果物で、簡単に出来そうな物が無い。よく日の当たる場所は有るので、何か見つけたいなあ。大ちゃんのお芝居が発表になった。作者のきだつよしさんのブログを読んだら、夏コンの時にもう、話が出ていたそうだが、本は、これから書くそうだ。まだ書いていないのに、発表になるのは、作家としてプレッシャーだろうなあ。大ちゃんは、抜群に、お芝居のセンスが良いから、この冬が楽しみ。一昨年の「センゴクプー」も昨年の「バクマツバンプー」も、素晴らしかったから、今年も期待ができそうだ。嵐のメンバーがそれぞれ、次々、秋からの仕事が決まっていく中、大ちゃんは、お芝居だろうなあ・・・・と思っていたので、発表になったとき、納得した。今回はカンフーのお芝居だそう。一昨年から、大いにやる気になった大ちゃん。才能ある人が、やる気になったら、凄いよね。最強、素晴らしい物になるだろうなあ。冬が楽しみになった。勿論、潤君の「僕は妹に恋をする」の映画も、同じ頃、放映開始が決定になった「花より男子」も楽しみだし、秋から毎週月曜に始まる翔君のニュース番組のキャスター?レポーターも楽しみ。それに、何より「父親たちの星条旗」とニノの出た「硫黄島からの手紙」も。早く大きなスクリーンで見たい。これは、家族で是非見に行こう。こういう映画は、子ども達に見せなくちゃ。やっぱり、秋から冬は良い。
2006年09月12日
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今日した事。パソコンのゲーム、ソリティア。あとは、録画して見てなかった「救命救急24時」の最終回を見た。それから、お夕飯を作って、お昼は、カレーライスを食べた。あとは、爆睡。夢を一杯見た。ADHD障害者の特徴にカラーの夢を見るってのもあるらしい。全く知らなかったが、子供の時から、夢はカラーだった。今朝の夢は、まだオネエが小さな頃、信州のあたりに旅行に行った夢だった。何だかしらないが、オネエにぶつぶつ文句を言っていた。昔、あまりリアルに夢を見る物だから、起き上がっても朦朧としてしまい、こんな事なら・・・と面白がって、ノートを枕元において、忘れぬうちに、書き留めていた事があった。時々、夢の続きを見た。夢の中で、あ、これ、この前の続きだって解っているところが面白かった。覚めたくない夢の時も、もう少し、このままにしていようって思いながら、見ていた。面白いね。若い頃見た、高いところから落ちる夢は、最近、全く見なくなった。何故かなあと思っていたら、先日、TVで面白い事を言っていた。高いところから落ちる夢は、性欲を表すのだそうだ。な~るほど、それで最近、見ないのか~と妙に納得した自分に失笑した。結構見るのは、どこかに行った夢。子供を叱っている夢。まずいことにそういう夢を見ると、寝言に出しているそうだ。パパに、「昨夜また誰かを叱ってたぞ」って言われちゃう。そうそう、モード学園時代、メチャクチャ面白いことがあった。友人達とスキーに行くことになり、その旅行代金を持って学校に行き、盗難にあったことがあった。そして、その晩、夢を見た。どんな夢だったのか忘れてしまったが、寝言で、思い切り「どろぼーーー!」と叫んだのだが、これも寝言になった。ところが、あまりの寝言の勢いに自分の声で目が覚めた。まだ、そう遅い時間じゃなかったらしく、両親が起きていた。当時、私の部屋は、客間をはさんで、リビングの並びにあった。・・・と、リビングで母の声。「あなた、今、表で『どろぼー』って声がしたのよ、怖いわ~」父が何か低い声で言っていたが、聞こえなかった。まさか、わが娘の寝言だとは知らない母に、おかしいやら、申し訳ないやら、くすくす笑いながら、私は、また、眠りに落ちた。勿論、翌日の朝食の時、その話題になった。母が「昨夜遅くに、近くでどろぼーって声がしたのよ、怖かったわぁ」紅茶を吹きこぼしそうになりながら、謝った。「ごめんごめん、それ、私の寝言」「え~、なんだそうだったの~」勿論、爆笑だったが。子育て真っ最中の時は、夢の中、今よりもっと子供を叱ったり、泣いたりした。その度、私の寝言に起こされるパパが、私を起こしてくれた。「おい、おい、夢だぞ、夢」何度、そう起こしてもらったことやら。随分、お世話になりました。最近は、足がつって、起こしてしまうことが多いかな。夜中にいきなり「いたたたたー」ってベッドの上に立ち上がっちゃうから、横で寝てるパパは、「またか~」って。その度起こされるパパは、いい迷惑だよな~。本当にどうもすみませんm(__)mって感じです。でも、パパのいびきも凄いからなあ。今はタバコを辞めたので、回数は減ったが、先にパパが寝てると、無呼吸の症状が出て、途中でいびきが止まる。こっちも寝ていながら、心配で「1,2,3,4・・・」と数えて、8秒過ぎると、目を開けて顔を見ちゃう。そうすると、物凄い勢いで息を吸う。無呼吸症。心配になり、人間ドックに行った際に医師に相談したが、心配ないですよ・・・と言われた。しかし、やはり、いびきが止まると、数えちゃう。苦しくないのかなあ。不思議な現象?症状?。気に成って眠れないから、パパより先に寝るようにしている。でも、今日は、昼間に寝ちゃったから、夜、なかなか眠れないかもしれない。暑さも峠を越えたが、やはりこの地方は、日本列島のどこより暑そう。まだまだクーラーが必要です。今日は、夢、見るかな?良い夢、見たいな。
2006年09月11日
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今日も朝から、盛況だった。今日は、O先生の御子息御夫婦やら、御主人やら、日曜なので、ご家族の方の御来場が多かった。午前中に、ほとんど、先生の大きな作品は、売約済みになってしまい、小物も、どんどん出て行った。だって、もう、先生の作品は、手に入れることが出来ないから。私も、二つ、予約した。一つは、パパに、一つは、昨日、来てくれた母にプレゼントしてもらっちゃいました。母は、凄く先生の作品を気に入っていて、一昨年の展示会には、父と一緒に来てくれ、ショルダーバックを父にプレゼントしてもらっていた。どこに持って行っても「どちらで購入されました?」と聞かれると嬉しそうにしていた。今回限りで、先生の作品が手に入らなくなると知って、昨日、早々に来て、お気に入りをゲットして行った。午後から、友人達が次々に来てくれた。特に、この展示会を楽しみにしてくださっていたTちゃんは、お母様と、オネエと幼稚園から一緒の娘さんと3人で来て下さった。オネエの同級生の娘さん、Nちゃんは、まあ、花が開いたように、綺麗になっていた。今春から、社会人。幼稚園の頃から知っているから、その可憐な美しさに、こちらまで、嬉しくなってしまった。折角いらして頂いたお母様には、本当に申し訳ないことになった。お母様が、お気に召した物がすべて、売約済みになってしまっていた。それでも、これで最後だから・・と色色お買い上げいただいた。暫く、ロビーで一緒にお茶を飲みながら、楽しいお話も、させていただいた。よくお礼を申し上げ、エレベーターホールまで見送った。Tちゃん、いつも、本当にありがとうね。午後から、パパも来てくれ、O先生や、ご一緒している方達にご挨拶。もう1人のお友達も、お姉さまといらしてくださった。夕方には。先生の作品は、ほとんど、売約済みになってしまった。最初に幾つかの段ボールから出して、展示した時点では、本当に沢山あったのに、展示会が終わり、片付けに入ったら、たった1個の段ボールに残っただけだった。先輩達の作品も、沢山、お嫁入りして行った。展示会は、もう、暫く出来ないだろう。今回も、皆さんの作品を一同に見せていただき、早く、私もあんな作品を作りたいと、切に思った。幸い、長年続けてらっしゃる方々に、教えていただくことになり、辞めなくて良いようになったので、是非是非、頑張って、大好きなバックを沢山作りたい。昨日、今日といらしてくださった沢山のお客様。誠にありがとうございましたm(__)m午後6時、皆で片付け、会場を後にした。疲れました。でも、何だか爽やかな疲れ。車を入れた大型店舗に入って、ベトナムの本を買って、帰宅途中、プロショプで、お買い物をし、帰宅。足がつって、今日は、指もつって、相当な疲れと思ったが、お夕飯を作り、パパに今日のお礼を言って、二人で食事。明日から、少し、ゆっくりしましょう。あ~、疲れた。先生の素晴らしい作品の数々。
2006年09月10日
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朝、9時半集合。ホテルの隣に車を止めて、展示会場に入った。さあ、お客様がいらっしゃる前に準備・・・・と思ったら、先生の写真をうちに置いてきてしまったことに気がついた。昨日、準備していて、先生の写真が、スナップしかなかったので、パーテーションにかけるように大きくカラー拡大コピーして、額に入れ、用意して有ったものをうちに置いてきたのだ。もう、我ながら、本当に、若年性認知症じゃないかと思うくらい、最近こう言う事、多い。すぐに、車で取りに帰った。10時からの展示会。10分過ぎてしまったが、何とか、先生の素敵な笑顔の写真を飾ることが出来た。午前中の早い時間だというのに、すでに会場は、一杯。沢山のお客様がいらしてくださった。こうして、一同に、もう、二度と、先生の作品は、見る事は出来ない。追悼展示会と言う事で、先生の作品を気に入って使ってくださってらっしゃる方が、大勢、見に来てくださり、お気に入りを、お買い上げくださった。次々、赤丸の売約済みのシールが貼られていった。新聞を見て御来場くださった方も、多い。そんな中、端っこの方に、私達の作品も、恥かしながら、並べていただいた。長い方は、もう、30年も作り続けてらっしゃる。その方達の作品も、先生に負けず劣らず、素晴らしい物ばかり。東京から、先生の御主人やら、お知り合いも駆けつけてくださった。私達、若輩者は、お茶を出したり、お湯のみを洗いに走ったり。時々、お客様のお相手をしたり、受付で、御記名をお願いしたり・・・。気がついたら、もう、お昼を回っていた。交代で、下のお店に食事に出た。この時間が、私には凄く勉強になる時間だ。何せ、人生の先輩ばかり。色色なお話しを伺うのが、とても楽しい。午後は、また、お客様のお世話。しかし、本当に、先生の御顔の広さを今更ながら、思い知る。御夫婦で、遠くから足を運んでくださる方も多い。今日は、私の知り合いは、元コーラス部の先輩がお1人だけ。O先生とご一緒に、今同じ団体で活躍なさってらっしゃる方。ありがとうございます。夕方、潮が引くように、お客様が少なくなって、皆で、休憩。まさか、こんなに盛況になるとは思わなかったと皆、とても嬉しそうだった。午後5時、また、明日と解散。さすがに疲れました。夜、知らない内に、寝てしまっていた。明日も、沢山の方がいらっしゃるだろう。先生、空の上から、見ててくださいね。画像は、先生が、作られた玉座と、菊のご紋の木型。1枚の革で、全体を作り、菊のご紋を打ち、上から金箔が施された。
2006年09月09日
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明日からの革工芸の展示会の準備。今回の会場は、駅前のホテル。亡くなった革工芸の先生の追悼展示会になった。貸していただいたテーブルに緑のサテン生地を載せ、箱をくるみ、先生や、私達の作品を飾っていく。パーテーションにフックを使って、ぶら下げる。このフック、絵画の展示用なので、ワイヤーがフックに取り付けてあり、かなり丈夫な物。次々、取り付けて、作品を飾っていく。驚いた。先生の遺作の数々と一緒に、玉座の写真があった。「え?これって、玉座ですよね」「そう」先生の妹さんで私の恩師のO先生が愛しそうに、先生の写真を飾ってらっしゃりながら、頷いた。見ると、20年ほど前の日付になっている。菊のご紋が、背当ての上部に付いた、正に、玉座。そして、その菊のご紋に使われた菊の木型も飾られた。この玉座、今の天皇陛下が、使われている物なのだろう。皇室は質素だから、そうそう新調することはない。現在も、式典などで、TVに映る椅子、I先生が作られたのだ。そうだったのか・・・。そんな凄い方に、私は、革工芸を教えて頂いていたのか。改めて、先生が亡くなった事が残念で、余り熱心でなかった生徒であることが、悔やまれて仕方が無かった。手提げや、ハンドバック、ポシェット、細かいものでは、定期入れ、お財布、キーケース、めがねメース、小銭入れ、大きなものでは、ボストンバック。このボストンバックにいたっては、もう、芸術品と言うほか、言い用のないくらい、素晴らしい細工の施されたものだ。沢山の作品の中、昨年、購入しようと思い、少し迷って諦めたバックがあった。今回、もう、迷わず、パパに買ってもらおうと思い、赤い売約済みのシールを貼った。このバック、先生の独自の手法で作られたバック。黒いショルダーバックに、細かい細工、打ちの施されたぬめ革がカットされ、縫い付けられている。とても、素敵で、世界でたった一つのバック。私も、自分の作品を二つ、出品した。皆さんの作品も、本当に、素敵な物ばかり。コーラスも辞めて、革工芸一本にし、頑張ろうとしていた時の先生の訃報だった。本当に悔やまれて仕方が無い。2時過ぎから初めて、5時近くに終わり、皆さんとコーヒーを頂いて、解散。明日から、沢山のお客様がいらっしゃるだろう。新聞にも、掲載していただくことになっている。これで、最後の展示会になるかもしれないから、私も、楽しんでお客様に接しよう。先生、見てらしてくださいね。
2006年09月08日
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オネエの病院の日。私が、横浜に行っていた間にMRIの検査を受けた。閉所恐怖症の人は、無理といわれるMRI。どうだったのか、帰宅したときに聞いたが、「あれ、一度怖いって思っちゃたら、もう駄目だね」とオネエ。「貴女はどうだったのよ」オネエは時々、幼児の時と同じ笑顔をする。この時も、その笑顔でニンマリした。あ、また、何かしたな・・「超、爆睡しちゃった」・・・(-_-;)起された時、とても恥ずかしかった途の事。当たり前だ。やっぱり貴女は、面白い奴だ。小雨降るなか、病院に着いて、待合室で少しだけ待たされて、呼ばれた。MRIのレントゲン写真を見ながらの説明。子宮筋腫は2センチで問題なし。チョコレート脳腫はやはりあるそう。子宮内膜症の疑いは無い。あ~、とりあえず、良かった。何だか気が抜けた。今後、チョコレート脳腫の大きさが、どの程度のスピードで大きくなっていくかが、治療の目安になるそう。今は何の自覚症状もないので、治療の必要は無いそう。腹痛、大量出血があった場合、薬での治療になるのだそうだが、現状の様子見、と言う事になった。半年後にもう一度、MRIを撮り、その時の結果で、今後の治療を決めていく。直ぐにパパに電話。「そうか、とりあえずの心配はないんだな」「うん、経過見だって。」「良かったな」本当に良かった。まだまだ、半年後にどうなって行くのか解らないが、早期に発見できたから、対処も早くできるという物。自分の体の中にそういうものを持っていると、知っているだけでも、少しは無理をしないようにしたり、出来る。先生が仰っていたが、最近、食生活のせいなのか、チョコレート脳腫の若い女性の方がとても増えてきてるそうだ。だが、最初は、自覚症状が無い為、気がつかず、生理の際の腹痛や、大量出血で気がつき、来院するそうだ。しかし、その時に薬で対処できる大きさなら良いが、もう、卵巣を取らないといけない大きさに成ってしまっている時は、手術が必要になる。娘のように、全く関係が無かったが、おりものが多いのを気にし、来院して発見されたことは、正にラッキーだった。最近は、大きな病院には女医さんも増えている。確かに婦人科は、内診があるから、なかなか行きにくいが、若い人も、自分の体を大切に、早期発見の為にも、生理痛のある方は、是非、受診してほしいと思った。帰宅後、驚いた。チビがいるので、キッチンに付けたばかりのクーラーを点けたままにしておいた。そのクーラーの下から、水が、滴り落ちているじゃないの~。慌てて、ボールを置いた。こりゃ、いけません。すぐに、昨日工事してくれた業者に電話。丁度パパがお昼に戻ってきたので、電話を変わった。「もうね、小便小僧状態ですわ、ドレーンの調子でしょう」上手いこと言うなあと、笑っちゃった。いやいや笑ってる場合じゃない。留守にしていた間、水はこぼれ続けていた訳だから、クーラーの下のキッチンストッカーをどけて、掃除。午後から、車屋さんがPTを取りに来て、黒のPTを代車に置いて行った。チビが、「おかあさん、黒、かっこ良いね~」そうなのだ、PTは、本当は、黒が一番かっこ良い。いかにも、クラシックカーのようなのだ。しかし、黒の夏の暑さを経験しているので、手が出なかった。ロンドンを走っているタクシーのような形だから、黒は確かに良い。暫く見ていたが、今更どうしようもないしね。それに、黒だと、内装がグレーだから。今の内装のベージュも気に入ってるから、まあ、良しでしょう。夕方、電気屋さんが来て、クーラーを直して行った。程なくしてPTも帰って来た。やれやれ、本日は、朝から忙しかったなあ。空を見上げたら、雲が凄く高くになっていた。あ~、秋の空だ。これから、刻々と景色が変わっていくのだろう。楽しみです。
2006年09月07日
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朝から、案の定、男児誕生の特番ばっかり。生まれたことはめでたいが、これからどうするんだろうなあ。今回生まれた子が、いずれ、天皇になったら、愛子ちゃんの子は、次ぎの天皇になれるの?パパはそう言っていたが・・・。別のところから、とんでもない事を聴いたりして、まだまだ、開かれた皇族じゃないよなあって思う。さてさて、今日は、待ちに待ったクーラーの取り付け日。しかーし、表は秋の空。半日掛けて、つけてもらったのに、涼しい。まあ、来年、活躍していただきましょう。夏コンの余韻も秋風が持って行っちゃいそうな気配。秋、秋、秋、大好き。秋はね、食べ物も美味しいし、お月見もあるし、夏草も枯れるし、涼しいし、兎に角、大好きなのです。今年は、ようやく、更年期もおさまりつつあるので、何か出来そうな気がする。午前中、パパと、旅行代理店に行った。ベトナム行きが、パパの仕事の都合で延びた。本当は仕事で行くはずだったのが、状況が変わった。でも、連れて行ってくれるそう。「今回は、行くって言ったから、お前の好きなようにしていいぞ」途の事で、国は、ベトナムしか駄目だけど、オプショナルも、ホテルも、好きなようにして良い途の事。でも、ベトナムって、そう言われると、知らない。世界遺産が好きなのだが、日程的に、4つある世界遺産には、行くことが出来ない。ベトナムは、女性客にはエステが、メインらしいが、興味ない。やっぱり、キッチュな小物やら、フランス統治時代の名残を巡りたいので、ハノイじゃなく、ホーチミンにした。来月の初め。日本は秋まっさかりだが、ベトナムは暑いそう。それだけが、今一かなあ。パスポートも取ってきたし、後は、出発まで少しベトナムのお勉強でもしようかな。お隣のカンボジアのアンコールワットも見たかったが、カンボジアには、日帰りできるのだそうだが、カンボジア政府の意向で、カンボジアに足を踏み入れた人は、一泊しなくちゃいけないんだそう。面白いね。外貨獲得のためか、観光事業の促進のためか、面白い。で、行けない・・・とほほ。でも、私には、カンボジアに行くには、覚悟が要る。勿論、ベトナムもあの壮絶なベトナム戦争や、枯葉剤の影響を受けた子ども達のことを思うと、まだまだ、大変だと思うが、観光に国を挙げて取り組んでいるから、それに乗ってみたい。昔見た「キリング・フィールド」と言う映画が、私の中のカンボジアの印象。だから、私個人の印象で、観光で、お気樂に行けない。実話の映画化だったが、その悲惨な内容は、今も、画面画面がはっきり残っている。アメリカ人記者と、通訳のカンボジア人との、内戦の悲惨な状況の中での、国を超えた友情の物語・・・実話の映画化。何回か見たが、涙なくして見られない。戦争の恐怖が、身にしみた映画。最後に、命からがらアメリカ人記者と再会した時は、もう、本当にオイオイ泣いた。まだまだ地雷の残った場所も多い。そのカンボジアには、いずれ、行きたい。何だか、実りの多い、秋になりそうです。
2006年09月06日
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---------------☆ーーーーーーーーーー☆ーーーーーーーーーーーーーーーー☆ーーーーーーーーーーーーー☆---------この日、紀子様の男児誕生にたいしての日記を書いてから、色色な方からのコメントいただきましたが、賛否両論です。ごく普通の専業主婦が、正直に疑問に思ったまでのことを書き綴りました。左翼でも、右翼でもありません。勉強が足りないと言うご意見最もです。女性週刊誌も読みませんし、過去に女性天皇、持統天皇がいるのになぜだろうと疑問を持ち、普通の感覚で書き綴りました。たまたま、身近にいた、皇室の関係の方にも色色なお話しを聞き、その上での感想です。それに対して、色色なご意見が有るのは、当然です。ただ、これはあくまで、私個人の感想であり、皇室典範にたいしての議論をするつもりも毛頭ないですし、紀子さまのご出産に対し、ごく自然に疑問を持った事を書いたまでです。そこのところを、曲げて取らず、ああ、こういうように思っている奴もいるのだなあと、ご理解いただければ幸いです。
2006年09月05日
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朝パパに起こされて、市役所に印鑑証明を取りに行った。眠いなあ・・・。ついでなので、帰宅後自分の車で、母と買い物に行った。少ししか買わないつもりだったのに、あれも無い、これも無いと、結局、凄い買い物になった。ホテルで食べたポテトサラダが美味しかったので、久しぶりに、たっぷり作ろうと、北海道産のじゃがいもを8つ買った。中に入れるハムを、自然飼育の「モク○ク」のベーコンをちょっと贅沢だが、使おうと、選んでいた。ベーコンの塊が、1000円。ロースハムが1680円。どうせ小さく刻んじゃうし、そのまま食べる訳じゃないから、ベーコンの方で充分、それでも贅沢と思い、買った。・・・・つもりだった。夕方、人参を粉ふきにして、さあ、ベーコンをさいころに切ろうとした。真空パックを切ってまな板に置いて、その時点で、変わった形のベーコンだなあと思った。包丁を入れた途端、ありゃ??柔らかい・・捨てたパックを見た。「手作りロースハムーー¥1680」ギョエー、ベーコンじゃないし、ロースハムだし、1680円だし(T_T)同じ籠の中、直ぐ横にあったのだ。間違えて、ロースハム買っちゃったんだぁ。あ~、勿体無い。1000円のベーコンの塊でさえ、贅沢と思ったのに、これだけで食べるのに、充分耐えうる味のロースハムを、買っちゃった・・。仕方ない、超、贅沢なポテトサラダになった。家族の反応「お母さんのポテトサラダ美味しいけど、今日のは、何だかすっごい美味しい。」当たり前だ、1680円のロースハム入ってるんだから・・・とほほ。悔しいので、半分は残し、薄切りにしてお皿に並べて、明日、パンに乗せて食べることにした。せめてもの抵抗。まあ、たまには、良いかな。最近こう言う事多い。100均に冷水筒を買いに行った。散々選んで、気に入った物をレジに持って行ったら、「これ、400円ですけれど宜しいですか?」自分じゃ、100円だと思ってた物。まあ、どうせ使う物だし、まあ良いやとそのまま買って来た。しっかりしなさい、私って感じ。これが、年を取るってことなのかなあ。買い物の帰りに、母が、月命日でお墓に行くというので、そのまま、車で連れて行った。毎月、母は、自転車でバケツと雑巾と、ブラシを持って行っている。久しぶりに来た。家から車で5分も掛からない。でも、この前来たの何時だったかなあ。小さい母が掃除し易い様にと、わざわざ、背の低い墓石にした。せっせと父と話しながら、綺麗にしていた横で、私は母に日傘を差しかけていた。あと2ヶ月で、亡くなって2年になる。綺麗になったお墓に、手を合わせた。薄情な娘でごめんねと言いながら。横の我が家のお墓の土地の草を、母が抜き始めたので、除草剤使うから、放って置いて良いよとやめさせた。この暑い中、倒れられたら、大変です。墓石、どんなのにしようかなあ・・・。どうせ、パパと私しか入らないんだもん。娘達が面倒見やすいのが良いなあ。パパが先に亡くなったら、京都のお墓は、義弟に任せよう。私が先に死んだら、後のことは知らない。そう遠いことじゃないなあ。あと、20年?30年も先じゃないでしょう。あと20年生きたら、充分かな。そう言えば、20年前何していたかな?オネエが3歳。おなかに、チビが居た頃かな?若かったなあ・・・。あっという間だったような。と言う事は、あとの20年もすぐだなあ。御祖母ちゃんのように、子供に迷惑を掛けるような年の取り方はしたくない。しっかり摂生して、運動して、あと20年頑張って生きましょう。・・・何ちゃって、大地震があって、あと10年も生きられなかったりして。いやいや、それとも、意地悪ばあさんになって、90まで生きちゃったりして。うん、なかなか先のこと考えるのも、面白いぞ。
2006年09月04日
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今日は、御祖母ちゃんの整形外科。知らなかったが、先日の手の骨折の他、足も痛めたようで、もしかすると、半月版損傷や、じん帯損傷の可能性もあるとの事。そうなると、認知症には物凄く厄介。なにせ、手のギブスも外しちゃって、今、手の丁度、小指の付け根から、腕にかけて、大きなこぶになってしまっている。つまり、ギブスをしていなかったので、変な風に骨がくっついて、それを、人間の本能で、外的危険から守ろうとして、こぶが出来たのだろう。それが、半月版損傷だったら、どうなるのか、皆目見当が付かなかった。しかし、幸い、じん帯も大丈夫との事。良かった。全く、認知症には、治療をしようと言う気持が無いから、厄介です。チビと、パパと、おばあちゃんと、いつものようにランチ。今日は、様子が良い。認知症は、その日によって、全く反応が違う。いつも、右手しか使おうとしないのに、何ヶ月かぶりで、こちらが言わないのに、左手にお茶碗を持った。いつもパパが「左手を使いな」と言わないと、膝の上に置いたままの左手を、何も言わないのに、使っていた。右脳が損傷、死んでいる部分が多いから、左が使えないのだ。歩いていても、どんどん右に歩いて行ってしまう。ただ、視野は狭い。大きなお盆に載せられてきた、おかずが見えないらしい。食べた端から、置き換えてあげた。糖尿病で,甘い物がすきなものだから、デザートの抹茶ゼリーに生クリームが乗った物を先に食べたがった。パパがどかすと、やっと、サラダを食べた。スプーンがあるのに、早く食べたくてお箸でゼリーを食べ始めた。パパに言われてスプーンに持ち変えるが、とても動作が遅い。一つ一つの動作の認知と、脳への伝達が、遅いのだろう。「お母さん、今日は、調子良いみたいね」と言うと、「ふん」と頷く。会話はこうして、成立するのだ。しかし「このまえ、法事したの覚えてるか?」とパパが聞くと、やはり、何も覚えていなかった。弟一家が来たことも覚えてなかった。哀れ・・・・。御祖母ちゃんを送って、電気屋さんに行った。実は、もう夏も終わりだが、キッチンに小さなクーラーを付けてもらうことにしたのだ。我が家は、二階家なのだが、リビングとキッチンの部分は、二階が無い。直で屋根なものだから、昼間、カンカン照りになると、がんがんにクーラーをつけても、二階部分のある、何も点いて無い廊下の方が涼しい。リビングでクーラーをつけても、キッチンは、いつも30度以上ある。そんな中、お料理し始めると、滝のように汗が出てくる。ここまで我慢したが、これから夏バテになっちゃう前に、クーラーを付けようと言う事になった。まだまだ残暑厳しいので、ありがたい。5日に付ける場所の確認に来て、6日に取り付けに来る。これで、私の今週の予定は、全部一杯になった。7日は、午前中、MRIを取った娘の結果を聞きに病院へ、午後は、PTクルーザーのリコールで、車屋さんが代車を持ってくる。8日は、革工芸の展示会の準備に駅前のホテルへ。そして、9日からの3日は、展示会に毎日、通い、お客様の接待。そして、週が開けたら、ベトナム。目まぐるしい日々がやってくるなあ。今のうちに、ゆっくりと、英気をやしなっておかないとなあ。いやいや、電機屋さんが、来るから、片付けないと。なかなかゆっくり出来ないなあ。
2006年09月03日
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夢のような3日が嘘のような朝。ああ、もう、遠い遠い存在に戻っちゃったんだなあ・・と、潤君の写真のあるキッチンのコーナーを見て思った。でも、体は、あの薬局で勧められた滋養強壮剤で、全く、疲れが無い。ありゃ、これ、利くじゃん。午後、ホテルから送った荷物が届いた。もうひとつ、私を待ってたのは、車のリコールのお知らせ。全くアメ車だなあ。帰宅早々、凄く忙しいことになりそう。カレンダーの予定が、急に一杯になった。今週末からは、革工芸の亡くなった先生の追悼展示会の準備に入る。横浜は、結構涼しかったのに、名古屋地方は、まあ、なんちゅう暑さ。横浜で、震度4の地震を経験したが、今、「救急病棟24時」の再放送を見ている最中だったので、恐怖を感じた。この夏の事を思うと、やっぱり、寂しい。空しい。空虚。昨日は、潤君に会ったのに、今は、遠い遠い、何キロも離れた、全く別の世界に生きてる自分。当たり前の事なのに。今回、3年目にして9公演と言う回数を行ったから、余計だろうなあ。オーラスでは、泣いちゃったし。なぜか、この夏のことを思い出したら、泣いちゃった。馬鹿だね~って思った。良い歳こいてって、思った。こんな事で泣いてって、少し、自嘲した。でも、本当に、楽しかったから、素敵な夏だったから。届いた荷物を片付けながら、思った。本当に沢山の人に会えた夏。色色な方がいるんだなあって、今までぬるま湯の専業主婦をしていて、子供の学校のお友達のお母さんと、少しの嵐友しかお付き合いの無かった私にとって、また、30年前の社会人の世界に戻った感覚だった。また、この閉鎖的な、専業主婦に戻るんだと思ったら、少し、空しかった。この夏、お酒も飲みました。夜遊びもしました。思い切り、嵐談義もしました。でも、多分、これからの毎日には、絶対ありえない時間。でも、何だか、頑張れそうなのはどうしてかな?夜、家族で久しぶりに、カラオケに行った。思い切り、嵐君の歌を唄った。目の前に、ステージでの嵐君の姿が、見えちゃって困った。ありがとう、潤君、翔君、相葉ちゃん、大ちゃん、ニノ。貴方たちは、本当に最高です。これから世界に飛び出していく貴方達を、誇りに思います。ファンやってて良かったって、思わせてください。大きくなってください。元気をありがとう!明日から頑張るよ、私も。コンサート後にホテルの部屋から見えた横浜アリーナと、「WISH」のエンディングに、舞台からセンター席に降ってきたテープ。
2006年09月02日
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朝、ゆっくり起きた。荷物を少し片付けた。昨日の記者会見の様子が、ワイドショーで、放映された。アリーナの玄関にあった、ARASHICの地球儀の前でのインタビュー、見られて良かった。母の部屋に電話して、一緒に下に朝食に降りた。アリーナの見える席についた。表は、結構、雨が降っている。そのせいか、少し涼しい。ゆっくり朝食を頂いてから、母と一緒に、ショッピングモールを偵察。素敵なバックがあったので、オネエに買ってもらい、ついでに、私もピンクの大きなバックを買ってもらっちゃった。母に買ってもらうの、久しぶりだなあ。父が亡くなる前は、よく3人で名古屋のデパートに行って買ってもらっていたものだ。傍に、革で作った、色色な可愛いキーホルダーが有ったので、パパに、歌舞伎役者の細工の物をゲット。良いお土産になった。私は子ども達のお土産に、可愛いピンクの革の猫と犬に付いた、携帯用の時計を買った。フロントに行き、段ボールを買って、部屋に上がり、着替えて、お化粧をして、家に送り返すよう、段ボールに荷物を詰め、フロントに電話して取りに来てもらった。さあ、もう、11時。チェックアウトです。雨だったので、菊名の駅まで、タクシーに乗った。そこから東横線で、渋谷まで出て、井の頭線で、吉祥寺に。雨は少し小降りになった。タクシーに乗って、伯母の家の近くまで行き、タクシーから降りて、少し歩いた。伯母の家に行くのは、お芝居ワルキューレ以来だから、半年ぶり。そこから伯母の家までの間に、私が生まれた場所がある。昔は産院だったが、今は普通の家が建っている。そこから3軒目が伯母や、従姉妹達の家のある場所。昔は、お屋敷ばかりの通りだったが、今は、何だか、マンションやら建っている。伯母は、心配したが元気で、安心した。春にお邪魔した時と、そう変わらなかった。御歳97歳。とてもそんな歳には見えない。耳が少し遠くなったくらいで、顔つやも良いし、頭脳も明晰、良かった。ただ、上の従姉妹が、少し心配。春にお邪魔した時、両方の指が、「少し曲がらないの」と言ってらしたが、もう、指自体が腫れてしまい、曲がったままになってしまっていた。原因が解らず、私達がお邪魔した時、K病院に行ってらして、いらっしゃらなかったが、お喋りしている間に帰って来た。その指を見たら、もう、痛々しくて、可哀相で仕方が無かった。あちらこちらの病院を紹介してもらい、いらしたそうだが、原因がわからないのだから、治療のしようが無いそうなのだ。K病院の結果が早く出ると良いね。従姉妹の旦那様が、二階に居たが、女ばかり5人のお喋りは、そりゃ、賑やか。美味しいゼリーを頂いて、お喋りは尽きない。だが、楽しい時間は直ぐに過ぎちゃう。母も久しぶりの再会に嬉しそうだった。伯母も元気で良かったです。午後4時過ぎ、お宅を失礼し、下の従姉妹に車で送ってもらい、三鷹の駅に出た。娘達にお土産を買いに、原宿に行くと言ったら、表参道ヒルズを見てらっしゃいと、お薦め。お礼を言って、車から降りて、見送った。母と原宿まで出た。来たついでにジャニショに寄って、今回のコンサートの写真をゲット。娘達が楽しみにしているハーブスターのチキンを20ピース頼んで、お金を払い、後で取りに行くからと、預かってもらった。チビが、イギリスで行った、可愛いバックなどの小物のお店が、この春来た時にできていたが、ゆっくり見られなかったので、寄った。超、可愛いバックがあったので、チビにゲット。チビ、喜ぶだろうなあ。表参道ヒルズに向かって、表参道を登って行った。GAPの前の横断歩道で青になるのを待って渡りだした。?・・前から、黒いTシャツにGパン。黒いニット帽に、大きなサングラスの細い男の子が歩いてきた。潤君に似てるなあ・・・と思った瞬間、向こうが荷物を持っている反対の手で、不自然に口元を隠した。実は、潤君は口元にほくろがある。すれ違いざまに、見ようとしたところだった。潤君?・・・・。!!!!!潤君だ!!!潤君だよ~!!すれ違いざまに、目を伏せて歩いて行ったが、あの大きな瞳、小さな顔、もう間違いない・・・。振り返って、行く先を見てたら、信号が赤になっちゃった。それでも、黒いTシャツの行方を眼で追った。母が「細いわね~、髪が長くて、帽子から出てたわね」と言った。間違いない潤君だ。青になって、慌てて、その方に行った。見失ったあたりに、立体駐車場があった。そうか~、竹下通り方向に歩いて行ったが、ここに車を入れて有ったんだ。そのまま見ていたかったが、潤君はそう言う事を嫌う人。まして、私とわかっての、口元を隠したとしか思えなかった。長い公演の次の日、折角のオフに、追いかけられたら、可哀相だよなあ。我慢我慢。そのまま、来た道を戻り、表参道ヒルズに行ったが、もう、放心状態だった。母が何か言ってるが、耳に入らなかった。やっぱり、解ってたんだなあと言う思い。解っての、コン会場での無視だったんだなあと思ったら、少し哀しかった。でも、オーラスの時は、笑って、手を振ってくれていたっけ。覚えられただけで、幸せかなあ。色色な思いで一杯になった。一通り見て、預けてあったチキンをもらい、新幹線の中で食べる物も、そこで用意し、原宿の駅に戻り、品川に出た。品川の駅は、改札を出なくても、ショッピングできるお店が並んでいた。母は、おせんべいが大好き。自分と我が家におせんべいのセットを買ってくれた。自分の分の御弁当を買って、ホームに降りた。私はまだ、複雑な思い。友達にメールして、励まされ、やっと、正気に戻った。昨日のオーラスのコンサートも、皆、吹っ飛んじゃった。そりゃ、その会いたかった人が、目の前に来ちゃったんだもん。すれ違っちゃったんだもん。大きなサングラスをしていたが、その大きな綺麗な瞳も見えちゃった。色の白い潤君の後姿の腕は、赤く見えた。雨で、少し肌寒かったから、赤くなっていたのだろう。やっぱ、目立つよ潤君。夜、9時過ぎ、自宅到着、あ~あ、帰ってきちゃった。さっきまで、潤君のそばにいたのになあ。すっごいサプライズが、最後の最後に私を襲った。幸せなサプライズ。本当はね、あの時、言いたかった。「素敵な夏をありがとう」って。だから、ここで、言っちゃうね。潤君、素敵な夏をありがとう!!
2006年09月01日
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