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体調が今一。今朝から、おなかの調子が良くない。中国から戻ってきて、日にちが経っているから、それが原因じゃないだろう。風邪が、また、ぶり返したのか。夜中に何度も目を覚ます。腹痛もある。全く嫌になっちゃいます。午後から、ますます、起きていられ無くなった。まずい。病院は、午前中までだから、明後日まで、何とか頑張って、薬を持たせないとなあ。熱は無い。美容院に髪を洗いに行った。写真の整理と、中国の日記がやっとアップできた。後は写真の整理だけど、これは、ゆっくりやろうと思う。夜、嵐君の出る番組を面白く見た。江原さんが、うまい事言った。私もそうそうと、相槌を打った。「バナナを想像して見て」嵐君達「はい、しました」江原さん「そういう風にみえるんだよ」そうなのだ。はっきりそこに見えるわけじゃない。どちらかと言うと、「感じる」の方が、当たっている。ただ、最近は、体調がいまいちなのか、全くそう言う事には、遭遇しない。歳とともに、こういう感性は、無くなるのかもしれない。その方が、こちらとしても嬉しい。江原さんの良い所は、自分の分野以外に、下手に口出ししない事だ。こういう人は、ともすると、何もかも解ったような事を仰るが、本当は、臨床心理の部分も多いと、常々思っていたが、江原さんは、そこまで立ち入らない。だから、やはり、この方は本物・・と思える。しかし、嵐君達、メジャーになってきましたなあ。嵐君と出会って、早4年突入になるが、結成デビュー5周年の頃は、こんなにメジャーじゃなかった。相葉ちゃんの「一番になる」と言う目標は、達成しつつあるように思う。ファンやってて、良かったなあ。以前のように、オークションで、グッズを買いあさるような情熱は、もう無くなり、今は、落ち着いたファン街道を歩んでいるが、やっぱり、嵐君は、私の元気の源には変わり無い。今月は、大阪の京セラドームと、東京ドームのコンサートに行くが、今回は、どんなお顔を見せてくれるかな?楽しみだなあ。それまでに、体調を戻さないといけません。それに片付けもね!
2007年03月31日
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今年も桜の季節が来た。桜、大好き。ちらほら咲き始めた桜は、薄紅色から、白まであるが、やはり、一番濃いピンクが好きだなあ。中国に行った時、曲君が、「中国に元々桜はありません。全部日本から来た桜です」って言っていたけれど、あんな田舎の道沿いに咲いていた桜を見ると、はるばる、中国にやってきて、頑張って咲いてる桜なんだと、凄くいとおしくなった。桜って、日本の文化に本当に密着していると思う。絵にしてしかり、文学にしてしかり、歌も桜の歌が、この時代にも、次々生まれている。日本人の心の中には、ちゃんと桜の位置が出来てるんだと思う。思い出とともに、沢山の桜の木がある。若い頃より、歳を重ねていく事に、桜が好きになってきたように思う。娘の幼稚園の入園式に、本とに、満開の桜だった。はらはらと、落ちてくる桜の花びらの中、小さな娘が、可愛らしい笑顔で、桜とカメラに収まった。卒業式の頃も、また、桜だった。初めて着た桜色に似た着物に身を包み、娘と一緒に桜の木の下で、卒業の喜びに、涙した。子ども達が小さな頃、お友達に誘っていただき、低い川沿いの桜の木の下で、皆でバーベキューをした。毎年、大きな桜の木のトンネルの出来る一級河川の堤に行く。大人になって、夜桜のなまめかしさを知った。真っ暗な中じゃなく、暮れなずむ空の桜は本当に美しい。池を薄紅色に染めるくらい落ちた花びら、満開から、散り始めた桜の美しさは、何にも代えがたい。そこから、感性の鋭い芸術家たちが、歌にし、短歌にし、絵になるのだ。そして、味も、桜に大きな影響を与える。私は、桜湯が好き。桜の満開のこの季節になると、ああ、日本人でよかったなあ・・・とつくづく思う。桜を無条件に受け入れられる心の隙間みたいな物が、生まれつき備わっている国民のように思う。桜、見に行こうっと。
2007年03月30日
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本日も、朝から、家事をしつつ、写真の調整と、ブログのアップ、写真のプリントに追われた。休憩に、ニノの「拝啓 父上様」を見た。時間延長かと思ったが、きちんと1時間で終わり。何だか、倉本聰らしいなあ・・・と言う感想。神楽坂。良い町ですね。私が生まれた新橋も、料亭などがあり、「新橋芸者」と言う芸者さんたちもいた。神楽坂は、新橋より、上品な感じかなあ・・。昔、髪を腰まで伸ばしていて、一度、ばっさり切ったことがあって、その時、床屋さんのオジサンに、母が料金は要らないから、この髪下さい・・と言われたことがあった。その時、母が、新橋は芸者さんが多いから、カツラにするのよ・・と言った事が、とても印象に残っている。私の髪の毛で作ったカツラは、誰の頭を飾ったのだろう・・。「拝啓 父上様」面白かった。最近、TVのワンクールが、3ヶ月になった。昔は、もっと長かったような気がするなあ。脚本が長くなくなったのか、役者の確保が難しくなったのか解らないけど、ゆっくり、半年、見てみたいと、最終回を見るたび、お名残惜しくなる。まあ、でも、そのおかげで、潤君の新しいお顔が見られるわけだから、それも良しかな?3月も、もう、あと2日。医療費控除の計算をまだ出していない。毎年、12月には、ちゃんと出しているのに、今期は、お祖母ちゃんの事があって、なかなか出来ず、とうとう、3月末になった。あ~あ、今年は、駄目だなあ。確か、2年分、出しても良かったような?・・・・。週明けにも税務署に聞いてみましょう。我が家は、私が虚弱体質だし、お祖母ちゃんの医療費もあるから、軽く15万を超えるから、返って来る分も大きい。お祖母ちゃんが亡くなって、来年度は、多分、半分になるだろう。知らないときは、風邪薬や、他の薬を買ったレシートは捨てていたが、ここ数年は、ちゃんと取って医療費に加算している。病院に行く、タクシー代金も、控除の対象になるそうだから、結構、きちんとすれば、15万なんてすぐに、超えるかもしれない。歯科にかかると、軽く超える。それから、クレジットカードのポイントの商品の交換の締め切りも、3月末が多い。今年は、好きなものを選べるカタログにした。でも、きっとまた、どれにして良いか解らず、暫く放って置くんだろうなあ。こういうところ、直さないといけません。今日は、のんびりの一日でした。
2007年03月29日
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やっと、中国紀行の日記をアップできた。でも、まだ、半分。日にちが経つのは、本当に早くて、中国に発ってから、今日でもう1週間になる。忘れないうちに、色色な亊を思い出しながら、書いたが、書き終る頃に、また思い出し、何回も書き直した。写真は、全部で159枚。私、こんなに撮った覚えが無い。景色が多い。それだけ、中国が珍しかったのだろう。まだ、半分しか、ガンマ数値や、明るさ、コントラストの調整が出来ていない。折角撮ったのに、ボケボケになってるのもあるのだが、走る車からの物が多いので、仕方が無い。とりあえず、Hさんに渡す分だけ、プリントしたが、昨日から、母に頼まれていた、尾道の旅行の写真もあり、すぐに、インクや、L版の紙がなくなった。午後から、買い物に出て、インクと紙を買って来た。このインクと紙が結構高い。写真屋さんで、プリントしてもらうと、一枚50円。家でプリントすると、30円くらいかなあ。紙は安いのだが、インクが、一つ1000円少しするものが、5色。50枚も刷ると、無くなっちゃうから、少しまとめて買った。こういう作業をしていると、すぐに、時間が経っちゃいます。今日も、片づけが出来ないまま、夜。また、明日、頑張りましょう。
2007年03月28日
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今日は、久々のプチ嵐会。名古屋に近い、Kちゃんとお嬢さんのAちゃんと、R君。Aさんとお嬢さんのKちゃん、それに、初めてお目にかかるSちゃんと私の総勢7人。場所は、以前、翔君が「県民性ベストテン」の取材をしたホテルのレストラン。いつぞやも、嵐会をしたバイキングのお店です。私はまだまだ中国ボケから覚めておらず、何だか、行けるのかなあ・・・と思いつつ、やはりお寝坊して、車で名古屋まで行き、デパートの駐車場に留め地下鉄でその場所まで行った。今日は、帰りに、買い物をするつもりだった。電車より、うんと近いから不思議。お約束のレストランに行くと、いました、AさんとKちゃん。うぉー、Kちゃん、お化粧してるよ!彼女は、今年から、高校生になりました。知り合った頃は、まだ、中学生だったから、その成長には、驚かされる。初めてのSちゃんは、やはり、名古屋近郊の方。程なくすると、現れましたKちゃんと、Aちゃんと、R君。このR君、もう、本当に可愛いのだ。お目目がなんとも優しいお目目で、このくらいの男の子は、走り回っても、可笑しくないのに、ご両親のお躾がしっかりしていて、そんな事はせず、お行儀が良い。何より、私の回りではとんと見られなくなった、むにゅむにゅの幼児体型をまだ、しっかり持っていて、可愛いの何の。しみじみ、今度、こういうお手手を思う存分触れるのは、「孫」だなあと、実感。Aちゃんは、4月4日から上映される嵐君の映画「黄色い涙」の撮影見学で、江南で会って以来1年ぶりで、本当に、蝶が開くように、このくらいの年齢の女の子は、美しくなっていくのが、なんとも素敵だ。「女の子」から、「女性」になっていく、一番良い時期だなあ。我が家の娘たちは、もう、そんな時期は過ぎちゃったから、何だか、羨ましい。お料理は、結構、中華が多くて、さすがに食指は動かなかった。でも、ここは、他のお料理も十分あるので、美味しいお料理をいただきながら、楽しいお喋り。R君が飽きないように・・・とKちゃんが用意したおもちゃに、感動した。こういうの、パパ、好きなんだよね~。以前、甥っ子が持っていたのを、羨ましそうに見ていたが、その子ももう直ぐ大学生。昆虫や、恐竜が、パタパタと組み替えると、ロボットになる物。なかなか面白い。こういうおもちゃは、女の子ばかりの我が家には無かった物だ。パパの弟が、大きな物を買った時、見せてもらって以来。言うなれば、おもちゃの知恵の輪。なかなか考えられていて、大人も十分に楽しめる。おもちゃ業界も、進歩してます。途中からAさん親子が、入学のお買い物に行くと帰った。私達も、もう少しお喋りしていたら、お店の人に「オーダーの時間は終りますが、宜しいですか」と言われた。あ~、そろそろお開きにしろって事ね・・。と、席を立ち、お店を後にした。Kちゃん親子は、そこの駐車場だったので、お玄関でバイバイ。Sちゃんと駅に向かって、私は地下鉄、Sちゃんは、私鉄に乗って別れた。そのままパルコに行き、「黄色い涙」の前売り券を購入。ついでに、「さくらん」展とかで、綺麗な京小物が一杯有ったので物色していたら、可愛いCDケースがあったのでゲット。車を止めたデパートに戻り、ソニープラザを覗きに行ったが、今回は、余り欲しい物はなかったので、そのまま上に上がると、素敵なブーツを見っけ。中国に行く前にほしかったのだが、こういうのが見つからず、断念して行ったが、履いてみたら、凄く履きやすかった。パパに電話でお伺いを立てて、ゲット。夕方、車で帰宅。さすがに疲れました。近くの美容院に行き、洗髪し、ついでに、隣のマッサージやさんに行き、10分だけ、肩をもんでもらった。「凝ってますね~」と言われちゃった。久しぶりに長時間の運転だったからか、中国で、散々マッサージしてもらい、くせがついちゃったか。あ~、今日は楽しかった。Kちゃん、Aさん、Sちゃん、楽しい時間を、ありがとうございました。m(__)mまた、行こうね!!
2007年03月27日
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今日からパパは、普通に会社。子ども達は、春休みだが、チビは午後からバイト。オネエは学校の図書館に出掛けて行った。はい、また、1人っす。今日は、良いお天気なので、荷物を開いて、お洗濯をした。お土産は、まだ、そのまま。お醤油のビンを一本一本出して、並べ始めたら、帰って来たパパが、それを見て、「おーおー、凄いな」。何だか楽しくなってきたので、そのままお土産を全部、並べてみた。猿の絵の書いてあるキャンディ、タッ○ウェアのプラスチックのケース二つ。菊の香りのチューイングガム。娘たちに買った、貝の象嵌のついた手鏡。水牛の角で出来たコーム。ティッシュボックスのケース。ホウロウのボール、洗面器、お皿。社長さんがくれたシルクのガウン。それに、沢山のパンフレットや、食事の時、いつも貰ったティッシュの入った可愛いお店ごとのケース。これみんな仕舞うの、大変だなあ。楽しみながら、片付けましょう。午後からは、昨日と同じ、写真の編集。デジカメで撮ってきた写真が暗かったりして、見にくいものは、ガンマ値や、明るさ、コントラストを変えて、調整。これが、100枚以上だから、20枚もしたら、目が疲れてきた。日記も更新していないし・・。まあ、ゆっくり、ゆっくり、マイペースでやっていきましょう。それが、また、楽しみでも有るから。さあ、お土産の画像です。キッチュで可愛いホウロウの色色。右上がお土産の一部です。ぬいぐるみはウェルカムぬいぐるみ。ロバ君は、オネエが一つ持って行っちゃいました。手前の赤い袋は、お正月のポチ袋だそうです。右上のがどんぐり!!
2007年03月26日
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朝、地震で飛び起きた。昨日の疲れで、まだベッドの中。暫く揺れた。でも、収まった。何処が震源地かなあ・・・と思いながら、また、眠りに落ちた。11時半、目が覚めた。雨はすっかり上がっていた。パパは、床屋さんに行ったみたい。TVを点けた。え!?うっそ!どこを押しても、地震の特番。何と、能登半島沖で、震度7の地震。続々と、被害の状況が、放送されている。新婚旅行で一緒だったご夫婦が、確か鯖江市だった。無事かしら・・・。あ、昔のボーイフレンドも、高岡でパン屋さんをしているんだった。起きぬけの働かない頭で、考えながら、TVの画面に見入っていた。まだ、頭は起きていない。午後になり、友人達が心配になってきた。そうだ、あの人も、この人も、あの方面だった。慌てて携帯にメールを打った。中国に行く前日に買ったばかりの携帯で、まだ使い方が今一解らない。メールの文字を打つのももどかしかった。そのうち、無事のメールが届き始めた。そのたび、あ~、良かったと胸撫で下ろした。この地方も震度2だった。荷物は、そのまま。お土産を開く気にも、洗濯物を出す気にもなれず、ただただ、一日、TVを見ていた。夕方、52歳の主婦が、亡くなったと言うニュース。52歳って、聞くと、ああ、もう相当なオバサンだ・・と言う感じだが、何のことは無い、私と同じ歳じゃない。そうか~、世間では、そういう風に思われる年齢なんだ・・・と今更ながら、自覚した。しっかりしてない、ふにゃふにゃの自分は、ちゃんと大人になってるだろうか?気晴らしに、留守中、録画してあった、嵐君の「大実験」を見た。面白かった。何も考えずに、ボーーッと見れるから、良い。もう一つ、ニノの「拝啓 父上様」は、ちょっと見る気になれない。特に最終回だから、大切に見たい。午後から、少し寝た。1時間じゃ、時差ぼけじゃあるまいし。疲れたんだなあ・・・。夜、やっと、デジカメからカードを出して、撮ってきた画像の編集に入った。全部で150枚以上もある。この作業、延々と続くだろうなあ。地震被害のあった方、お見舞い申し上げます。明日は我が身だなあ。さあ、今日は、お風呂に浸かって、ゆっくり寝ましょう。おやすみなさい。
2007年03月25日
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上に上がり、部屋に通されると、席に着いた。中国に来て、気がついたことが沢山ある。それは、何処に行っても、お箸が、縦に置いてあること。日本では、自分の前に横に置いてある。中国では、縦に置くのだ。だから箸置きが、向こうにある。なんだかとても使いにくかった。シャブシャブは、前回と同じように、牛肉の薄切り、羊のお肉、春菊、エノキ茸、白菜、きくらげ、生きたシャコなどなど。他にも、お野菜の炒め物やら、酢豚、例のにんにくのラッキョウなど。買って来たイチゴは、洗って、大きな白い器に入れられて、出てきた。今回、再認識したのは、こういうお店は、本当に皆、円卓だと言う事。そしておもてなししてくださる方が、中心になって上の回るテーブルを指先で回してくださる・・と言う事。今日は、昨日の神戸の日本人とのクォーターの方が来て、通訳をしてくれているので、私は李ちゃんとお喋りしていた。メールアドレスの交換をしたり、李ちゃんが、日本語でわからないところがあるというので、それに応えたり。時々、社長が、私の前にイチゴを回してくださるので、「シェーシェー」と頂いた。イチゴは、大きくて、とても甘かったので、沢山食べちゃいました。もう一つ、中国では、器を絶対持って食べない。持つのはお行儀が悪いとされている。だから必ず、自分の前には、中くらいのお皿が置かれている。例えば、シャブシャブなどを食べる時、お鍋からお肉をたれの中に付け、そのまま口にするのではなく、お皿の上で、余分なたれを落としてから、口に入れる訳だ。郷に入っては郷に従えと言う。だから、私もそうして食べた。お醤油が好きと聞いた社長が、特別に醤油のたれも用意してくださった。普通は、ゴマダレらしく、小さな器に、これでもかと沢山タレが入っていた。お醤油のタレは、トウバンジャのような香りの辛くない味噌を溶かし、ごま油を入れて食べる。これが凄く美味しかった。相変わらず、青島ビールで「乾杯」「乾杯」。これから運転しなくちゃならない高さんが、お茶で「乾杯」をしてらしゃったので、私も、お茶にしたら、横に居た高さんが、ニッコリなさった。言葉は通じないが、4日ずっと車を運転してくださった高さん。本当に、良い方だった。そろそろお開きにしないと、飛行機の時間が迫ってきた。社長が、私とパパとHさんに、お土産を下さった。下に降りて、握手をして社長さんとお別れ。高さんの運転する車に乗って、烟台の町を走り出した。パパとHさんのお土産はブランデーだった。「まずいなあ、これ、税関通らないですよ」Hさんが後ろで仰った。社長の部下の高さんに差し上げる訳にも行かない。何処かで、ブランデー二箱、それにずっと荷物になっているオーバーと、パパの皮のコートを仕舞えるカバンを買おう・・・と言う事になった。高速道路に入る前、小さなスーパーを見つけたが、そこに無くて、二軒目に入ると、有りました。パパがカバンを見ている間に、もしかして、こういう小さなスーパーに有るかも・・と奥の食器売場に行くと・・!!!!有った。有りました。キッチュで可愛い、お花の模様の、小さなホウロウのボールやら、深みのある小さなお皿。私を探しに来た李ちゃんが、私の様子に「あっ!ありましたか!?」「有った、有った!」と抱えて出てきた私に、大爆笑。レジに持って行くと、パパがまだ並んでいた。「有ったか?」「うん、やっとゲットだよ」もう、Hさんも大爆笑。「あんなに探してなかったのにね~」高さんも、いつものように、親指を立てて、笑っている。さあ、烟台の町を後にし、チンタオ空港までまた3時間のドライブです。でも、行きと違って、今回は、通訳の李ちゃんが一緒です。車の中で、李ちゃんは、色色な話しをしてくれた。卒論を書いているそうだ。中国は、10月が卒業。テーマは「川端康成と、大江健三郎」だそう。私は漱石だったというと、漱石の話になった。なかなか勉強家だなあ。他には、日本語で一番難しいのは、敬語だそうで、一生懸命聞いてきたので、私も真剣に、色色な例文を書きながら、教えた。お蔭で、日本から持って行ったペンを無くしてきた。「あったら、李ちゃん、使ってね」と言うと、ニッコリ。パパとは、少しシビアな話になった。彼女は、日本が中国にしてきたことを、ちゃんと学校で教えられている。南京大虐殺やら、他の日本がして来たひどい事を、小さな頃から、教えられてきた。それなのに、何故、日本語の通訳になったのか。パパが聞いた。それは、李ちゃんが、うちの娘たちと同じ年頃であり、どう思っているのか知りたかったからだ。中国は、石油が採取できないそうだ。そのエネルギー問題をクリアしたら、中国は、多分、世界の中心になるだろう。その中、日本語を勉強し、こういう企業と企業の言葉の橋渡しは、本当に重要な仕事になっていくのだと思う。過去の不幸な出来事を、しっかり教育された彼女の世代が、どう思いながら、それをになうのか知りたかった。李ちゃんは、パパの質問に少し戸惑ったが、賢い子だ。「鋭いですね~」と笑った。何と言ったのか、忘れてしまったが、うまくかわしていた。だが、少なくとも、この数日間、生の日本人に接し、彼女は何かを感じてくれたと思う。昨日、面接をした学校には、パンフレットによると、京都の有名大学を出た女性講師や、他の大学を出た日本人の講師が4人いた。だが、私達は、彼女にとって、そういう人たちとはまた違う、日本人だったはずだ。楽しいお喋りをしている間に、車は高速道路を降りて、チンタオ空港の駐車場に入った。車から荷物を降ろし、買ったカバンに二つのお酒の箱と、私の邪魔だったオーバーとパパのコート、それにさっき買ったホウロウの食器を入れたら、丁度良い大きさだった。中に入ると、社長が手配して下っていた方が、荷物をチェックイン。さあ、お別れです。李ちゃんに「お勉強頑張ってね、日本語も」と言うと「はい」思わずハグして、「ありがとう、シェーシェー」と言うと、李ちゃんの可愛い目が見る見る潤んでしまった。私も黙って、李ちゃんの手を握った。4日間ずっと車を運転し続けてくださった高さんにも、握手して「シェーシェー」。本当に優しい方だった。チェックインして後ろを振り返ると、何時までも、二人が手を振ってくれていた。ありがとうございました。さあ、出国審査のところに行くと、Hさん、私、パパの順で中に入ろうとしたら・・・パパが引っかかった。係員と向こうの税関の部屋に入って行った。私が「お醤油かなあ」と言うと、Hさんが「醤油じゃないですよ、だって、荷物の名前は奥さんですから」Hさんは、以前水虫の薬を大量に頼まれ持ち込んだとき、やはりひっかっかって、30分も出してもらえなかったそうだ。「奥さん、なかなか出てきませんから、あっちで待ちましょう」と言うので、奥の椅子に座って待った。すると、10分もしないで、パパが入って来た。「どうした?」「醤油、醤油」あ~やっぱりだ~。Hさんが、「でも、あの荷物、奥さんの名前でしたよ」と言うと、「一番人相の悪い奴を引っ張っておけってなもんだろう」。まあ、でも良かった。「お前にみせてやりたかったぞ。あのX線写真、もう綺麗に並んでて、そりゃあ、手榴弾に間違われるよ」「で、どうしたの」「もう、こりゃー、開けて見せないと、駄目だなって険悪な雰囲気だったから、トランク開けて見せたよ」「え~、靴下でつつんであったのに?」「おお、で、醤油がでてきて『ハオチイ(美味しい)』って言ったら、『全部そうか』って言うからそうだって言ったら、そこにいた奴ら、皆、苦笑してたよ」本当に、ご苦労様でしたm(__)mこうしてお醤油は我が家に向かった。飛行機は1時間も遅れた。パパとHさんがお茶を飲みに行っていたので、私は、空港の中のお土産やさんに、娘たちに何か良いお土産がないかと探した。そしたら、そこに居た若い女の子が日本語が出来る子で、私が日本人と解ると、「スマップの木村君が好きなんです」お、ジャニーズだな!嵐君の事は知ってるかなあ・・・と聞いてみた。3人とも、クビをかしげたので、携帯の待ちうけ画面の嵐君を見せたら、「あ、これ、松潤」「え?如何して知ってるの?」「流星学園に出てたから」「花男」の力、恐るべし!!!一気にジャニーズの話で盛り上がっちゃった。おかげで、お土産も買えたし、楽しい時間を潰せた。飛行機にやっと乗ると、すぐに離陸。夕日が、中国大陸に綺麗に沈んでいくのが見えた。日本に帰国したのは、時差があるので、もう、10時近かった。機内食の夕食が口に合わず、セントレアで3人で夕食をとった。機内食は、日本そばに、なんと、黒醋の汁。それに、かぴかぴの具の入っていない焼きそばだった。行きは結構、美味しかったのになあ・・。表は土砂降り。対岸への船は、もう無い。バスも、もう無いよう。ゆっくり夕食にしようと言う事になり、結局、タクシーに乗った。途中、港に車を止めたHさんを降ろし、そのまま家まで帰った。雨は相変わらずの土砂降りだったが、家に付く頃には小降りになった。オネエは私達と入れ違いに、適応障害児とのお泊り研修に行って居らず、チビだけだった。あ~、楽しかった。今日は本当は、私達の24回目の結婚記念日だったが、中国でそんな事を言ったら、また、「乾杯」の嵐になっちやうと思い、帰国し、夕食をとっているときにパパに言った。明日から、25年目に入ります。ちょっと疲れたけれど、本当に、連れて行ってもらって良かった。パパ、ありがとうございました。画像は、烟台の市に続く道沿い。しゃぶしゃぶの始まる前のテーブルセッティング。高速から見た農村、チンタオ空港の玄関の上にある文字。お世話になった、中国東方航空の機体と、綺麗に中国大陸に沈んで行く夕日。
2007年03月24日
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一旦、書いて送信したら、全部消えた・・・・。字数が多すぎたみたい・・・4時間近く掛かったのに、へこんだので、暫くアップ無し。日にちがあくと、忘れるから、気を取り直し、再び挑戦です。4日目。昨日の雨は、やんでいた。朝、少し早く目が覚め、いつもHさんと一緒の朝食だったが、約束の時間より大分早かったので、パパと一緒に着替えて下のレストランに下りた。エレベーターには、昨日の共産党大会に参加した中国の人が沢山乗り込んできた。このエレベーターに昨日から気になっていたポスターが貼ってあった。日本料理の写真に「日出東国」の文字。そうなんだ、日本は、「日出ずる東方の国」だったんだ。改めて、日本の素晴らしさを知ったよう。烟台は、海外の人がわざわざ行くような観光地ではないので、食事の内容も、海外の人向きじゃなかった。中国の人の朝ごはんは、お粥か、パン。だから、お粥に入れるようなお菜が12種類ほどと、全然味がしないが、お粥に入れるんだろうな~と思われるスープが2種類。それに、炒め物やら、飲茶。その中に、お皿の中に真っ赤な汁と、3センチ四方の赤い塊が有った。パパが、「それだけはやめとけ、豚の血で作ってあるから」と本気で止めた。そうなると、ちょっと味わってみたい、天邪鬼。ほとんど飲茶と、炒め物にしたが、一個だけその小さな四角い柔らかい物を皿に取った。味は・・。物凄く、塩辛かった。柔らかさはプリンと、チーズの感じ。酒かすのような風味もあるが、独特の醗酵した風味。匂いはそう無い。確かに美味しくない。そりゃ、これ、お粥に入れて、溶かして食べるんだろうから。茶色く濁ったスープみたいなのを、皆、取っていたので持ってきたら、これも何の味もせず。なんだこりゃ?解らないままだった。でも、飲茶は皆、美味しかった。中でも、ずっと気になっていたが、おなかが一杯になるので、前のホテルでも有ったが、口にしなかった物があった。「BUN」と書かれて有った。最後だから、一つ取ってみた。食べてみた・・・な~んだ、中には何も入っていない、肉まんのあんの無い皮だけで出来たパンみたいな物だった。昨日の話では、今日は、ワイン工場を見学に行くそう。実はあまり気が進まない。お酒を飲める人なら、試飲をしたり、楽しいだろうけれど、そのお酒が全然駄目な私とパパだから、嬉しいわけがない。もし、相手の方が、私達のために、連れて行ってくれるつもりなら、市場に連れて行ってもらった方が、断然嬉しい。パパに、様子を伺って、もし、私達が喜ぶだろうと、ワイン工場になったのなら、そう話してもらおうと思った。食事を終えて、レストランを出ると、入り口の女性が、それはそれは綺麗で可愛い人だったので記念撮影。しかし、どういうわけか、余り綺麗に映らない。何回かシャッターを押したが、皆、薄暗くてピンボケ。残念。部屋に帰り、Hさんに電話をしたら、やはり、私達のためだったらしく、急遽、高さんがいつも買い物に行っている市場に連れて行ってもらうことになった。さあ、このホテルともお別れです。お醤油を割れないように梱包し、パンフレットなど頂いた。チンタオのホテルもここも5つ星ホテルだったが、チンタオのホテルは、大きな門を入ると、何棟かに分かれていて、一つの建物がそう大きくなく、建物も古かった。いかにもリゾートのホテルと言う感じで、建物群の真ん中に噴水があった。しかし、サービスは、ウェルカムフルーツは勿論の事、ウェルカムのぬいぐるみやら、4種類のタオルが3枚ずつ毎日用意してくださってあったし、室内履きのサンダルも、入浴後に履くスリッパのほかに用意があった。部屋にはアイロンも用意されていたし、お客様に対するサービスは素晴らしかった。ここ烟台のホテルは、確かに素晴らしい建物である事は確か、大理石のロビー、お花は見るからに高額な物だったが、お部屋のサービスは、今一だった。タオルは3種類で、2枚ずつ、室内履きは無いし、アイロンも無いし、ウェルカムフルーツも、勿論、ぬいぐるみも無し。そう考えると、同じ5つ星でも、こうも違うんだなあと、思った。建物で選ぶか、サービスで選ぶか・・・?今回、良い勉強をした。建物が少々古くても、やはり、お客様の事を第一に考えてくれるサービスが、本当に人をもてなす心なんだと思った。荷物を持って、下に降りると、広いロビーのソファに、もう李ちゃん、高さんがいた。ほどなくしてHさんが、降りてらっしゃった。高さんは、この烟台の人。李ちゃんは、遠くの大学の寮なので、朝早く高さんが、迎えに行ったそうだ。荷物を車に積んでもらうとき、余りの重さに、ボーイさんが、ふらついた。思わず、皆で失笑。車に乗り込み、さあ、出発です。暫く大通りを走るが、ここ烟台も大きなビルが立ち並んでいる。少し奥に入ると、道も狭くなった・・と言っても、普通の日本の幹線道路並の広さだ。大通りが、桁違いに広いから、狭く感じる。両側にソロソロ店が立ち並び始めた。歩道の横に車が止まると、高さんが、ここと、指を差した。その先にずっとお店が並んでいた。李ちゃんが、私の手を取って、行き交う車を避けながら一軒のお店に入った。そこは洋品屋さん。中国らしい、手刺繍のテーブルクロスが天井近くから、下がっていた。皆、大変、素晴らしい刺繍がしてある。何か良い物無いかなあ・・と物色すると、ありました。少し濃い赤のシルクサテンに、刺繍の施されたティッシュボックスのケース。色違いに橙色のもあった。可愛いなあ、そうだ、母のお土産にしよう。橙と赤、母の良い方をあげましょう。高さんが、交渉すると、12元だそう。え?!180円?安い!表に出ると、直ぐ隣に、木製の大きな鳥かごが店先に幾つかぶら下がっていた。なんともその木の鳥かごが素敵だったので、近寄ってみると、中に綺麗な色の鳥と、セキセイインコが入っていた。これ、売り物らしい。道端には、木で出来た四角い箱に大きな赤いイチゴがいっぱいのイチゴ売りが、そこかしこにいた。違う商店街に連れて行ってくれると言う高さんに従って、車の方に戻りかけたが、そう言えば、日本を離れて、大好きなイチゴを口にしたのは、中国の最初の朝以来、口にしていない。その美味しそうなイチゴに思わず「美味しそう、食べたいなあ」とつぶやくと、高さんは、すぐに解って、イチゴ売りのオバサンに何か言った。箱の上には、どのイチゴ売りも、ガラスを被せていて、それをずらし、袋一杯入れてくれた。大きな赤いイチゴからプーンと甘い香りがした。車に乗って、今度は、賑やかな繁華街と言った感じの市場に着いた。屋根の無いアーケードのような所。もう、車と人で一杯。車を商店街の入り口に止めた。「止められないような所に、止めちゃうんだよなあ」とパパが感心して言った。中に入って行くと、これぞ、ザ・チャイナ!というような、全面真っ赤のお店があった。それはそれは、目がちかちかしてしまうくらい、何処を見ても、真っ赤。大きなタピストリーや、農家の門に貼ってあった「福」の文字の大きな紙やら、横浜の中華街でも見たことのある、赤い縄で編んだひし形の大小の物やら、兎に角、赤いものばかり。「李さん、赤は中国では縁起の良い色なんだね」と言うと「はい、特に、お嫁に行く時とか、赤い物を沢山用意します」そうなんだ。金物ばかりのお店が並んだ通りに出た。ホウロウの器を探しに、次々、店に尋ねて歩くと、有りました、少し大きいけれど、赤いホウロウの洗面器。可愛いキッチュな金魚と薔薇の絵つき。小さな物は無いかと尋ねると、もう、これしかないと言う。中国も、今は、新しくステンレスが主流になってきているそう。まあ、仕方がありません。ゲット。「これ、結婚する時にお嫁に持って行く洗面器です」と李ちゃん。なるほど、赤い。表通りに出ると、普通に売店があり、パンを売っていて、結構流行っていた。少し歩くと、今度は、宝くじ売場。へ~、中国でも、宝くじってあるんだ。商店街の表は、もう、目がちかちかするような、看板の嵐、はい記念撮影。その他にも、自転車の後ろにリヤカーのような三輪車を引っ張って、美味しそうな果物を山にして売っている人。今日は、土曜日だから、そりゃ、賑やかだった。商店街をすたすた歩く私と李ちゃんに、パパもHさんも、仕方が無いなあ・・・と言う感じで付いてきたが、結構、その光景を楽しんでいたよう。Hさんは、月に二回も中国に渡っているが、こうして商店街をそぞろ歩くのは、初めてだそうだ。さあ、そろそろ切り上げないと、昼食のお店に社長さんがお待ちです。戦利品を持って、車に戻ると、高さんが、ニコニコして待っていてくださった。「良い物買えましたか?」と聞かれ、「シェーシェー、おかげで、面白い物を沢山見ました」と言うと、親指を立てて、ニッコリ。車は、また、大通りに出て、綺麗なビルの駐車場に入った。店の前には、社長が、待っていた。社長さんが、何か李ちゃんに尋ね、李ちゃんが笑顔で答えていたので、何かと思ったら、「奥さん、お買い物が大好き・・と言いました」思わず笑っちゃいました。今日の昼食は、シャブシャブです。社長さんにご挨拶して、皆で上にエレベーターで上がった。画像は、高さんがいつも行く、市場に立つ高さんの後姿!木製の大きな鳥かごの並ぶ、店先。素敵、本当に素敵な籠でしたよ。次に連れて行ってもらった商店街。凄い人でした。その横、普通に美味しそうなパンを売っていた売店。一番下は、赤い看板の嵐と、商店街の様子、そして宝くじ売場。
2007年03月24日
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3日目、二日間お世話になった、チンタオのリゾートホテルから出発。朝食は、昨日と同じく、ホテルの中でだったが、昨日、町に出て見てよく解ったことは、お菓子屋さん、それも、ケーキ屋さんが、割と多いこと。それから、パンは普通に日本と同じように食べられていて、海外からのお客さんのためでなく、中国の旅行者にも普通にパンが出ていた事が解った。町には、美味しそうなパンの並ぶ、パン屋さんもあった。中国の朝は、共働きのために屋台・・・と思っていたが、前日に、美味しいパンを買って、家で済ます朝食も多いそうだ。お醤油の入ったトランクは、異常に重くなり、車に積むとき、ボーイさんが、その重さに笑った。ウェルカムフルーツは勿論の事、毎日、パパのベットと私のベッドには可愛いぬいぐるみのプレゼントもあった。タオルも、4種類ツインなのに、3枚づつ置いてくださったし、アメニティも充実していた。最初はこれで5つ星なのかなあ・・と思った建物だったが、お客様をお迎えする心意気は、間違いなく5つ星だった。車は高速道路に乗り、一路烟台(えんたい)へ。今日は朝から、通訳はなし。高さんと、Hさんと、私とパパだけのドライブ。私は持って来たCDを聞きながら、車窓の景色に見入っていた。烟台までの道の両側は、空から見た定規で図って建てたのじゃないかと思う家の並びと同じように、ハコヤナギのまだ、そう大きくない木が、本当に綺麗に、何メートル、何十センチ間隔で何重にも植えられていた。山が見えなくなると、広大な土地に、広大な畑が広がっていた。北海道も広大だが、その比じゃない、中国大陸だ。赤茶けた道が、何処までも何処までも続いている。両側には、チンタオの漁村とは違う、農家が時々、見えた。日本の感覚だと、農家は、数軒が固まって集落があり、その回りに田んぼがある。中国の農村は、これまたズラズラズラと、きちんと規則正しく並んだ20~30の家がひと集落になっていた。そして次の集落までの広大な農地が広がっていた。昨日、曲君から、中国の農家はお金持ちだと聞いた。そりゃ、こんな広大な農地だから、作物も相当量採れるはず。面白いのは、その農家の建て方。ずらっと横に幾重にも並んでいるのだが、一つ一つの家に鉄の門だか、木の門だか解らないが、石造りにレンガ色の瓦の屋根に、その門が、いかにも中国らしかった。それぞれ、家によって違う物が貼ってあるのだ。ある家は、赤い「福」と言う字だったり。門の色も違う。見ていてちっとも飽きなかった。きっちり3時間、烟台のホテルに着いた。チンタオの5つ星ホテルに比べると、造りが超豪華。立派なホテル。入り口には、警察か、軍隊か解らないが、警備のために立っていた。何事かと思ったら、実は、今日、ここで、中国共産党の全国大会が開かれ、中国各地から、共産党の偉い人が多く集まり、宿泊しているのだそうだ。本当は、それでこのホテルが取れないはずだったのが、今回の相手の社長さんの力が大きく、どうにか泊まれるようになったそう。ロビーでチェックインを待っていると、真っ白いスーツを着た、私と同じくらいの年齢の女性が、そんなにふんぞり返って、そんなに大股で歩か無くたって良いのになあ・・と言う感じで通り過ぎた。多分、共産党の偉いさんだろう。ホテルのロビーにも、警備員が一杯。共産党大会の受付もあった。そうこうしていたら、可愛らしい女の子が、やってきた。烟台での通訳「李さん」。研修生で、今日がデビューと言う。まだ、あどけなさの残る可愛いお嬢さん。一度で仲良しになりました。まだ、大学4年生で、10月に卒業したら、この中国側の研修生の窓口の会社に内定が決まっているそう。研修は、今日から3ヶ月。家の娘達とそう歳が変わらない。「宜しくおねがいします」と言う声も可愛らしい。キーを貰い、12階の部屋に荷物を置きに行った。お昼は海沿いの道を少し走り、また、海鮮料理のお店に。少々、食傷気味です。チンタオの海に比べ、烟台の海は、荒々しかった。今回は、高さんの上司で、今回の中国人の送り出し機関である会社の社長さんも同席した。手広く会社を経営している社長さんも李ちゃんも一緒で、ちょっと皆、緊張した雰囲気の中、食事が始まった。李ちゃんは、話しやすいのか、私に色色話しかけてくれ、それに答えると、社長に通訳して伝えていた。彼は、共産党員で、かなりの上の役職についているそう。中国は共産主義の国。だが、国民が全員、共産党員な訳ではない。事実、通訳の江さんも、曲君も違うそうだ。それでも、民間化した会社のトップに上がろうとするとき、共産党員であることは、かなり有利に働くという。この社長も、国の会社を自力で何億かで買い取ったそうだ。自然、食事の時の話もお仕事の話になるから、私は大人しく、美味しいお料理を頂いていた。午後からは、日本語学校での面接。今回の面接は15人だそうだが、その前に、中国各地から、数十名の応募があったそう。それを、中国側で15人に絞り、さらに、補欠を含め4人を選別する。こちらも真剣なら、向こうも真剣だ。かなりきつい質問もするそう。で、私は、午後からホテルでお留守番・・と言う事。皆を送り出してから、ゆっくりさせていただこうと、部屋の中でTVをつけたが、中国語で解らず、CDは、イヤホンが煩わしく、持って来た本を読み出したが、ふとシャワーを浴びて髪を洗おうと考えた。だが、直ぐに、いやいや、風邪が酷くなって、ご迷惑を掛けたら大変と辞めた。好奇心の虫が頭をもたげた。こんなに立派なホテルだから、美容院くらいあるだろう・・と、部屋にあった館内案内のリーフレットを見た。ありゃりゃ、全部、中国語、漢字がならんでいるだけ。これじゃ、何が何処にあるか解らないなあ・・と諦めた途端、最後のページに有りました英語の説明。1階から見て行くと、有った、有った。HairDresser&Beauty Salonの文字。おまけにショッピングアーケードの文字も見落としません。さあて、行動開始。下に降りると、物々しい雰囲気を尻目に、フロントの横の方の通路を歩いて行くと、右にショップがあり、左奥に少し明るい光が見えた。あ、ここだなと思い、入って行くとピンポーン、美容院だった。「ニイハオ」と言うと、女性一人と話しながら彼女の髪を整えていた若い男性が、こちらに歩いてきた。「シャンプー」と言うと、すぐに通じた。シャンプー台に座ると、沢山の中から、シャンプーと、コンディショナーのボトルを見せられた。「これと、これ」と言うと、「OK」。中国のシャンプー台は、面白かった。日本と同じように横になるのだが、頭を直接台に乗せるのだ。だから、シャンプーしている間、頭は、台の上の儘洗ってくれる。まあ、痒い所に手は届かないけれど、髪は綺麗になったから、それで良し。ドライヤーで、乾かしてもらい、ブローして、はい終わり。受付で、部屋番号を言うと、フロントに連絡し、伝票にサインして店を出た。ついでだと思い、向かいのお店にも入ったが、そう、面白い物は無かった。部屋に帰り、少しお昼寝しようと、よこになり、丁度うつらうつらし始めた時、パパが帰って来た。大きなため息。ご苦労様でした。相当な神経を使ったのだろう、そりゃ、これから3年間、うちで働いてくれる人だ。海外からの研修生は、色色難しい。以前は、ブラジルからの2世3世もいたが、やはり色色難しかった。増して今、中国からの出稼ぎの人の中でも、犯罪に走る人が増えているから、本当に慎重に人選が必要なのだ。中国は、夫婦フィフティフィフティの国だ。だから通訳の江さんなども、7歳のお子さんがいるが、お祖母ちゃんに預け、仕事で2~3日家を空けるのは普通の事だという。ご夫婦で一週間も顔をあわせないことも多々あるそう。そう言えば、中国は、一人っ子政策で、二人目を生むと、罰金を取られるという。出生率を何とか上げようとしている日本から思うと、なんとも羨ましい話だ。夕方、可愛い李ちゃんと、また、北京ダックの専門店に行った。玄関の前には、アヒルの大きな像。李ちゃんと記念撮影。私達は、美味しいご馳走を頂いたが、社長さんは、食べようとしない。聞けば、週に3回もこうして接待しているため、そうそう、食べられないという。見ていたら、出てきた焼き芋と、干物の魚と、ホットケーキのようなおコメのケーキだけ、口にしていた。食事の途中で、神戸で生まれて育った、日本人とのクォーターの男性と、別の仕事で来ていた通訳の江さんが加わった。この神戸の男性は、所謂「華僑」。神戸で、自分の兄弟が、ホテルを3つも経営しているという。自分も毎朝4時から修行したが、どうしても我慢出来なくて、中国に帰って来たという。だから、日本語はぺらぺら。それも凄い速さではなしをするものだから、中国人の社長に日本語で喋ってしまったり、可笑しかった。皆様、本当に、良く飲まれます。何度も何度も、「乾杯」「乾杯」。その度、私もワインのグラスをあげ、少しだけ口にする。今日は社長がワインがお好きなので、ワインとビール。私の横に李ちゃんが、まるで、私とパパの娘のように座っていたが、男性と、江さんは、お仕事の話で盛り上がっていたので、李ちゃんと、ずっと色色な話をしていた。中国では、中学から、家を出て、寮生活をするという。だから、李ちゃんも寮生活で、6人部屋だそう。自炊をしたりする施設はあるので、自分で作ったりします・・だそうだ。ご馳走様をして、お店を出たら、表は雨。その後は、足ツボマッサージに行くそう。ふ~ん、男の人は、マッサージが好きなんだなあと思った。なんとそこのお店も「良子」。そこで江さんに聞いてみたら、なんと、「良子」は人の名前ではなくて、心根の良い子がマッサージします・・と言う意味だそう。それを聞いて、Hさんも、爆笑。このお店は、チンタオのように、立派な建物じゃなく、普通に普通の建物だった。江さんは、しきりに、私に日本の化粧品のことを聞いてきた。資○堂が、彼女達のステータスの化粧品のようだ。「奥さんは何を使っていますか?」と聞かれたが、私は、リンクルにはこれ、ホワイトニングにはこれと、自分でチョイスした物を使っているし、日本人の女性で、同じメーカーの化粧品を全部そろえて使っている人はそういないですよ・・と言うと、とても驚いていた。日本の化粧品のメーカーの多さを教えたら、納得していた。お世話になった江さんとは、ここでお別れ。ホテルに帰って、シャワーを浴び、ゆっくり休んだ。画像は、一番上が烟台への道中に見た、農村。中段は、お世話になったチンタオのホテルと、右は、烟台のホテルの玄関にいる通訳の李ちゃん。そして、北京ダックの専門店の玄関にいたアヒル君。烟台のホテルの全景と、綺麗なウェルカムカードとアメニティセット。
2007年03月23日
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食事が終わり、また、高速道路を、走り始めた。崖側には、ガードレールが無く、落ちたら、イチコロ。はるか下は、綺麗な海。街に戻ると、ジャスコに行こうと言う事になった。「はい?ジャスコ?」そうなのだ。ここチンタオには、ジャスコも、マイカルも有るのだ。そして、この「ジャスコ」は、日本で言うと「高島屋」と同じデパートで、マイカルは「三越」と少し高級なデパート。つまり、ジャスコのあの袋をぶら下げているのは、このチンタオではステータスでもあるそう。何だか、ピンと来なかった。だって、毎日お買い物しているジャスコだよ。私は今回、買い物でどうしても手に入れたいものがあった。それは、ホウロウの可愛い絵の書いてあるボール。日本の中国雑貨のお店で、随分昔に購入し、ずっと使っているのだが、ふちが、かけてしまい、そこがもう錆びだして来ていた。だから、今回、中国行きが決まった時から、ベトナムで買って来たお醤油と同じ物が中国にもあるそうで、そのお醤油と、ホウロウの食器を買うのが、目的。残念ながら、ホウロウのボールは無く、その代わりに、タッ○ウェアの中国盤の可愛い絵の物があったので二つゲット。タッ○ウェアは日本では、店頭販売はなかなか無いのに、中国では普通に売っていたのに、驚き。マイカルにも行ったが、ますますホウロウ製品は無かった。そこで曲君が、「僕が毎日行っているスーパーにいきましょう」と言ってくれ、中国の人が毎日買い物をしているような、日常的なスーパーに連れて行って貰った。ジャスコにはすっと車が入れたが、このスーパーは、駐車場も一杯。とりあえず、降りて、中に入った。エスカレーターが面白くて、階段状ではなくて、フラットな坂のまま、上がっていく。これは、何処でも、レジが一階にしかなく、カートを乗せるためらしい。3階まであったが、残念な事に、ホウロウの容器は無かった。一階に下りて、食品のところに行った。その広大な売場と、品物の数に圧倒された。最初はHさんやパパの後ろから、物珍しくてくっついて歩いていたが、曲君が何処からかカートを持って来てくれてからは・・・。後から「さっきまで後ろにいた奥さんが、カートを手にした途端、だーーっと走り出して、見えなくなった」と語り草になったが、カートを手にしたら、こっちの物。だだっと、私は売場を歩き出し、欲しい物を次々見に行った。お酒の置いてある場所は、両側の棚10メートルくらいに並んでいた。ポテトチップスも、片側、全部で10種類ほど、ずっと並んでいた。欲しいお醤油を探した。マギーの、あの美味しいお醤油。ありましたありました、これも、大小、だーーっと並んでいたので、全部で13本、ゲット。曲君がカートに入れるのを、手伝ってくれた。次に、お土産に良い物は無いかと物色していたら、キャンディや、お菓子のコーナーに、これも、端から端までだーーっとキャンディが並んでいた。どれを買って良いのか解らない。曲君に聞くと猿の可愛い絵の描いた物を手に取り、「これ、ミルクキャラメルで、美味しいですよ」と教えてくれた。日本に6年いた曲君が言うのだから、確かだろう。これもゲット。昨日、通訳の江さんから一粒頂いたチューイングガムが、菊の香りのガムで、噛んでいるとプーンと自分の口から良い香りがしてきたので、それがほしくて探した。あった、あった、これもゲット。それから、中国は木の実が美味しいんだった。木の実ばかりが、これもだーーーっと並んだ場所に行くと、なんとどんぐりがあった。「曲君、これ、どんぐり?」「はいそうです。美味しいです」はいゲット。その時は、気が付かなかったが、パパとHさんを、広大な売場に放って置いて、買い物をする私に、曲君は、しっかり付いてきていた。品物を見て、解らないから聞こうと思うと、曲君は、いつも横にいてくれた。これも後から「曲は、偉い!」と語り草になった(爆)もう、カートは一杯になって、レジに行き、お金を払い、ここのお店の袋を沢山貰おうとしたら、なかなかくれない。曲君が、交渉してくれ、小さな袋を沢山ゲット。レジを離れて、カートを押しながら歩いていると、大好きなフレーバーティの量り売りがあった。菊、ラベンダー、薔薇など等。聞けば10Gから売ってくれ、日本の値段の十分の一。はい、これもゲット。兎に角、物価が安い。これだけ買っても、日本円に換算したら、1万円にもならなかった。車に戻り、高さんに報告。高さんには、日本語が通じないが、いつもニコニコ、優しいお顔。ほしかったお醤油が買えたというと、親指をたてて、うんうんと頷いた。ホテルに一旦戻り、買い物して来た物を整理した。夕食は、1時間後とのこと。明日は、朝食後にすぐに、烟台(えんだい)に行くので、今のうちに醤油を梱包しないと、時間が無い。パパは、疲れて、ベッドで寝てしまった。さあ、このお醤油のビンを無事に持って帰るにはどうしたら良いか・・・。!!良い方法を思いついた。寒い寒いと言われたから、厚手のストッキングの上から履こうと、ハイソックスを4足買って持って来た。新品だから綺麗なわけで、そこにお醤油のビンを滑り込ませると、うまく3重に包めた。4足だから、8本はこれで間に合った。後はどうしようか考えていたら、時間になってしまい、パパと下に降りた。高さんと、Hさん、曲君が待っていた。また、車に乗って、今日の夕食は、北京ダックのお店に。コックさんが北京ダックをワゴンに乗せ、持って来た。切り分けるのを、パフォーマンスしてくれた。他には、エビチリ、野菜とあわびの炒め物など、また、お料理が並び、乾杯、乾杯になった。ここのエビチリは、ちゃんと海老を開いてあって、色色な野菜と一緒に、チリソースで炒めてあった。日本のエビチリとは、少し違った。北京ダックの一番美味しい部分は別のお皿にのせられていた。少し脂っこいが、噛むとすーーっと消えた。後は、日本で食べる様に、ライスペーパーにおネギと一緒にのせ、巻いて食べるのだが、噛むと、油が下に滴り落ちた。日本の北京ダックと、雲泥の差。美味しかった。日本のように、皮だけじゃなくて、身の部分も一緒に切ってある。如何して日本は皮だけなのか、不思議なくらい、身が美味しかった。おなか一杯になって、お店を出ると、「マッサージに行きませんか?」とHさん。少し疲れたので、ホテルに帰りたかったが、そのマッサージも興味があったので、男性陣と御一緒することにした。そのお店の名前は「良子」。Hさん行きつけのお店だそうで、その名前が気に入っているそう。車を歩道に乗り上げた。「え?駐車して良いの?」と聞くと、「本当は違反ですが、そこは中国、交渉次第です」そうなんだ・・面白い国。確かに店のボーイさんに、交渉すると、止められちゃったから、不思議だ。中は凄く立派なお店で、1階は足ツボマッサージ。二階は、上半身のマッサージ。3階は、全身のマッサージで、結局、全身する事になり、着替えなくてはならなくなった。白湯が出され、待っていると順番が来て、更衣室に連れて行かれた。本当に綺麗な更衣室と、横に大きなシャワールームがあった。着替えて、パパと一緒のマッサージ室に入ると、若い女の子が二人。片方の子は、日本語が少しできた。100分と聞いて、え~、帰ったら12時過ぎちゃうじゃん・・と思ったが、全く時間を感じさせないくらい、気持が良かった。まず、顔のマッサージから、足ツボマッサージへ。顔のマッサージは、エステのよう。髪の毛を分けてしてくれた頭のマサージが、超、超、気持ち良かった。それから、仰向けのまま肩や、太もも、腕のマッサージをうけ、最後は、うつ伏せになって、腰から、背中、首筋、足まで全身のマッサージ。パパは、いびきをかき始めた。一旦、仰向けからうつ伏せになる時、トイレを心配していただいたが、私は行かずに「不要(プヨウ、ブヨウ)」と言うと、そのまま続けてくれた。マッサージが終ると、1時間40分は、あっという間だった。体が軽くなった。これは日本人にはたまらない物です。お客さんには、女性客も多い。表に出ると、すっかり夜はふけていたが、街はまだ賑やかだった。ホテルに帰り、パパはそのままダウン。私は体に残ったマッサージのクリームが気持ち悪く、シャワーを浴びた。実は、昨日、茶色い水が出たので、シャワーは浴びなかった。5つ星ホテルなのになあ・・と思っていたが、どうやら、建設中の違う棟の水道管からの水で、苦情が出たらしく、今日は、綺麗な水だった。アメニティグッズで感動したのは、コームがプラスチックではなく、なんと、つげの櫛だったこと。さすがに中国です。お風呂から上がり、お醤油の梱包を続けた。お醤油を綺麗に並べて、隙間が無いよう、洋服などを詰めて、はい、完璧です。さあ、明日は、本来のお仕事。烟台(えんだい)市までは、ここから3時間ほどだそう。疲れるから、寝ましょう。烟台、どんな所かなあ・・・楽しみです。画像は、ろ山の山肌に吸い付くように建つ住宅の様子、巨石のろ山、そのまま漁村へと繋がる、住居群。海へと続く路地。ろ山のリフト乗り場にいた、おばあちゃん。北京ダック!!マッサージの「良子」
2007年03月22日
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朝、気持ちよく起きた。青島二日目。今日は、観光の日。今回、中国に来た理由は、今年の夏からうちの会社で働いてくれる人のスカウトの為で、私が来なければ、観光の日程はなかった。中国では、今、日本への出稼ぎに応募してくる人が多く、明日はその面接で、一緒に日本から行ったHさんは、中国側と日本の各会社との間に入っている会社の方。ひと月に二回、中国に渡っている彼も、観光は初めてだそう。泊まっているホテルは、面白い施設だった。泊まる棟と、食事やら、屋内プールだとか、マッサージしてくれる場所が別棟になっていて、起きて着替えて、食事をする棟に、一旦表に出て行く。海の見える場所で、凄く気持が良かった。二階に上がって、席に着いて上着を脱いで、椅子に掛けると、ウェイトレスの女の人がその上着や、カバンの掛かった椅子の背に大きなカバーを掛けた。これは、その後、何回か、経験した。中国では、こうして、バイキングのお料理を取りに行く間に、盗難にあわないよう、防御する方法を採っているのだ。なかなか良いアイデアだなあ・・と感心。ホテルのバイキングは、中国らしいお粥から、美味しそうなパン、飲茶、炒め物やら、普通にオムレツを焼いてテーブルまで持って来てくださったり、とても沢山のお料理。客席は、中国人がほとんど。パパは昨日から、コーヒーが飲みたくて仕方が無かったが、部屋のコーヒーは、すでにお砂糖、クリームが入っている小袋で、お湯を注ぐ物しかなく、ここでやっと、ブラックコーヒーを飲めた。私は、主に、飲茶を選んで持って来た。小さな蒸篭が並んでいて、一つ開けると、ニワトリの足のお料理が良い香りを放っていた。「美味しそう!!」・・はい、ゲット。そしてその横の蒸篭には、これまた、美味しそうな小さな骨のついたお肉の塊。なんだろう・・。解らないけど、ゲット。肉まんは、日本のように大きくない。手の平にちょこんと乗る大きさ。お皿に色色なお料理を乗せ、テーブルに着くと早速パパが突っ込んできた。「おい、それ何だか解ってんのか?」言うと思ったよ。「ニワトリの足だよ」「・・・・そっちは」ふん!驚かないもんね。パパは、少しがっかりして、また、小さなお肉を指して言う。「これは解らない」「(笑)豚のシッポだよ」「ふーーん」でも驚かない。サソリに比べりゃ、こんな物どうと言う事は無い。パパはもう、呆れていた。しかし、摂ってきたお料理の中で、これが(ニワトリの足)一番美味しかった。大好き八角の香りがたっぷりで、口の中に入れると、解けてしまうくらい柔らかく煮てあり、味も美味しい。小さな骨が沢山だったが、箸でつまんで、お皿に出していたら、Hさんが笑いながら仰った。「中国では、お皿に『ぺっぺっ』って口から出すんですよ。」え~、お行儀わるくないのかなあ。パパが言った。「俺も上海に行っていた頃、見るからに綺麗な上品な女性が、『ぺっぺっ』って骨を飛ばしてるの見て驚いたぞ」中国では、お箸で骨を出すのが、反対にお行儀が悪いらしい。真似してみようと思ったが、やはり、まだ出来なかった。豚のシッポの方も、骨はあるものの、とても美味しかった。今日の観光は、チンタオの「ろ山」と言う所。この「ろ」は、日本の字には無い。山辺に「芳」と言う字。だから、無理して書くと「山芳」と言う字。チンタオは、日本の伊豆のように、山と海の町なのだ。今日は、その山の方に行く。通訳は、昨日の江さんから、日本の大学に6年留学していた「曲(きょく)君」当年27歳の青年だ。ホテルから、出発。街中から段々、郊外に向かうが、その車の横に同じような6人乗りの車がぴったり付いて何か助手席の女性が叫んだ。それが、何回か続き、その度、別の車だったので、何事かと思ったら、郊外に向かっている車に観光ガイドを申し出ていたのが解り、中国のたくましさを改めて知らされた。山の裾の方は、漁村。無数の海へと続く路地が、とても風情があって、素敵だった。有料道路に入って、どんどん上に上がって行くと、山肌が見えてきた。しかし、日本の山と違うのは、全部山が岩で出来ていること。大小奇岩のろ山は標高1000メートル以上ある。巨石が積み上がって出来ている山なのだ!中国では、仙人が住むといわれている山だそう。まるで孫悟空の生まれた「かかざん」みたい!ここでも車が止まる度、女の人が、近寄ってきて、ガイドさせてくれと、しつこく追いかけてくる。とうとう、綺麗な子に負けで、交渉成立、車に乗り込んできた。私はそれが可笑しくて仕方が無かった。中国の人の声は大きい。普通に会話しているのだが、喧嘩をしているように、聞こえてしまう。高さんとその女性の交渉の間、けたたましい中国語が行き交った。まずは、中腹にある道教の2000年の歴史のあるお寺「労山太清宮」に入った。ここでも、不思議な磁石のおもちゃを、売っているオバサン達に、しつこく追いかけられた。全く、中国の女性は、たくましいなあ。境内に、白い松の木があった!!!突然変異だそうだが、本当に幹が白い。他にも、樹齢1000年の椿の木が祭ってあり、良い具合に、今、真っ赤な椿が満開で凄く綺麗だった。道教のお寺はとても立派だった。中国ではとても有名な場所で、2000年の巨木が沢山有るお寺。西暦以前、紀元前からの木なんだなあと、感慨深かった。鳥居をくぐった中は、何棟もあって、中の仏像は、鮮やかな色で彩色されていて、お顔は、西洋と東洋の中間のお顔。私は、申し訳ないが、このお寺より、その警備をしている人が気になって仕方がなかった。そのいでたちが、正に「キョンシー」なのだ。「あ、キョンシーがいる」と思わず、口に出してしまい、曲君に笑われた。お1人の「キョンシー」が、椅子に両足を上げて、膝を抱えながら、こちらに背を向け、一心に何か読んでらっしゃるので、そうっと近付き、記念撮影(笑)二人目の「キョンシー」の方は、下の写真のように、座ってらっしゃったので、遠くからパチリ。しかし、3人目の「キョンシー」はシャイなのか、手で、「だめだめ」のポーズ。境内の中には、樹齢1000年の大きな椿が有り、美しく咲いていた。ふと見ると、境内の端に石造りの家があり、その横に小さなお茶畑があり、おばあさんが、ほうきでそのあたりを掃いていた。その光景が、まるで童話の絵本からそのまま出てきたようで、思わず写真を撮った。綺麗なガイドさんとは、そこでバイバイ。お寺を出て、今度はもっと上に上がって行った。車の眼下には、海が見えた。山の方には、石造りの家が立ち並び、お茶の段々畑が見えた。山頂近くに、大きな広場があり、駐車場になっていて、そこでも記念撮影。今度は、リフトで山頂まで行く。リフトからの眺めは、それはそれは壮大な物だった。如何して、落ち着いているのか解らないような不安定な大きな岩、岩、岩が重なっていて、中には、桃岩と赤い字で書かれた本当に桃の形のような巨大な岩や、老子といわれる岩もあった。中国では、桃は神聖な果物。驚いたのは、その巨大な岩?石?に、上下数十メートルの「壽」の字が、掘って赤く彩色されているのだ。それも、幾つも。どうやって彫ったのだろう・・。下に降りて、有料トイレに入って、出てきたら、お土産売りのおばあちゃんに出会った。84歳と言う。物凄く可愛いおばあさんで、思わず、腕を組んで、記念撮影。元の広場に行くと、今度は、別のガイドさんが、またしつこくガイドを申し出た。高さんと何か交渉していたが、また、車に乗り込んできた。そこから、山を下り始め、元の漁村に入った。暫く走ると、一軒のお店に止まった。お昼ごはんはここで摂るそう。で、そのガイドさんの親戚のお店だった。店に入ると、やはり、今朝、そこのお父さんが漁で取ってきた魚や、養殖の生簀から持って来たさざえやあわび、かき、帆立が一杯あった。二階に上がって、待っている間に、ビールで乾杯。昨日から、食事の際は、毎回、ビール攻め。中国では、まず「乾杯」なのだ。ここチンタオは、アサヒビールの資本の入った「青島麦酒」の大きな工場があり、青島ビールは、水が良いので美味しいビールとして有名だそうで、食事の前、中国の方は、皆、まず、乾杯をする。そして、可笑しかったのは、そこに置いてあった食器を、曲君が、次々、運ばれてきたお茶で洗い始めた事。あ~、やっぱり、衛生的に、こういうお店は、中国の人も用心するんだ・・と可笑しかった。何度もこういうお店に来ているHさんは、過去2回、食あたりになったそう。原因は「かき」だったそうで、それから、どんな大きなお店でも調理してあっても、かきは食べないんだそうだ。私は持って来た除菌ウェットティッシュで、お箸やら、お皿を拭いた。お料理は、あわび、帆立、サザエ、鶏肉など皆、美味しかった。さっきまで泳いでいたお魚は、特に白身で美味しかった。帆立は、チンタオの大きなお店の物より小さかったが、こちらの方が、こくがあり美味しかった。最後にラーメンを頼んだが、日本の物と違い、きしめんのように平べったく、かん水の入った麺ではなく、スープも、あっさりしたもの。でも、もうギブアップ。食べられなかった。中国は、お茶の国だが、普通に飲むのは、ウーロン茶ではなくて、緑茶。日本と同じ緑茶が一般的。そしてもっとポピュラーなのは、白湯。ホテルに着いたときも、まず、白湯が出てきたのは、意外だった。お店を出ると、街に向かったが、道沿いの桜が咲き始めており、とても綺麗だった。曲君によれば、中国には、元々桜は無く、全部日本から持って来た物だそうだ。へ~そうなんだ・・・と、改めて、日本が桜の国だった事を認識した。町に戻ったが、その後の話は、もう一回アップしましょう。画像は、ろ山の駐車場にある、大きな石碑。道教のお寺の入り口の石の鳥居、白い松と樹齢1000年の椿の木、そして唯一彩色していなかった仏像。そしてそして「キョンシー」一番下の写真は、今朝の朝ごはん。ニワトリの足と、その向こうが豚のしっぽ!!
2007年03月22日
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朝5時起き。船で、対岸の中部国際空港「セントレア」へ。たった35分で到着。朝日がすごく綺麗だった。海外用に携帯を設定してもらおうと、Docomoショップへ行くと、長蛇の列。ああ、今日は休日だからかぁ。先に朝食を摂ろうとお店に入って、朝ごはん。しかし、甘かった。携帯のお店は相変わらずの列。並んでいたら、この旅をずっと御一緒する、今回我が社の担当になったHさんが走ってきた。「Kさん、チェック・インも凄い列です。もう、行かないとまずいです」仕方が無い。Docomoの人によると、買ったばかりのワンセグ携帯電話、韓国とタイ、その他の数カ国は通じるそうだが、よりによって、中国は駄目だそう。仕方が無い。チェックインして、免税店に寄る暇も無く、中国東方航空の飛行機に乗った。ベトナムに行った時のように相変わらず狭い座席だが、たった2時間弱だから、東京に行くのと変わり無い。ただ、飛行機はあのベトナム航空より小さい。座席は、また、翼の横。私は、飛行機が大好き。特に、飛び上がった瞬間の体に感じる、フワッとした感じが好き。本を読んでるうちに、着きました、中国青島(チンタオ)。空から見えたチンタオは、家も、何もかも、まるで定規で測って建てたんじゃないかと思うくらい、ピチッと無数に並んで、建っていた。パパ曰く「これが中国だよ」「ふ~ん」。空港から出ると、眼鏡を掛けた、太った優しそうな男の方が迎えに来ていた。これからずっとお世話になる「高さん」。そして、いかにも賢そうな30代の女性の通訳「江」さん。日本読みだと、同じ「こう」だけど、発音が少し違った。慣れるのに、往生。あんなに寒いって言ってたのに、全然寒く無いじゃん。日本の方が寒くてオーバーを着ていたくらいで、チンタオに着いたら、暑くてオーバーを脱いだ。お昼過ぎだったので、そのままホテルに荷物を部屋に置きに行き、暑さに我慢できず、着替えて大きなレストランへ。ホテルの名前は「海景花園大酒店」この「園」の字は中が「元」と言う字。時差は丁度、1時間。レストランの中は、正にザ・チャイナ!「良友海鮮大酒楼」と言うお店。チンタオは海沿いの町で、政府高官の避暑地だそう。つまり、お金持ちの街で、こういうレストランが沢山ある。エレベーターで上に上がると、びっくり!!入り口から、これでもか・・・と食材が積まれ、いけすには、生きたままの魚介類が、一杯!「どれが食べたいですか?」と江さんに聞かれ迷ったが、帆立、上海蟹、大きなしゃこ、海老を注文。男の人が、水槽から食材をあげる。見慣れない貝が有ったので聞くと「さざえです」。日本のサザエとは、似ても似つかない巻貝。それも注文。さあ、奥の席に着こうと歩き出したら、横に詰まれたお料理の見本に「さそり」があった。これは、生きた物じゃなく、見本だったが、食指が動きました。好奇心の塊の私の前に、こういうものを置いちゃいけませんよ。「食べたい・・・」「やめとけよ」パパと何回かのやり取りののち、それを見ていた高さんが、さっさと頼んじゃった。パパ「知らないぞ~」「食べられない訳じゃないでしょう、食材として置いてあるんだから」と少々、自信の無さで突っ張った私でした。竜の飾りのある小さな橋を渡って、物凄く広い食べるお部屋へ。テーブルに着くと、可愛いおしぼりとティッシュの入った物が置かれていた。来ました、来ました、どれもこれも美味しそうなお料理。食材を自分でチョイスして、それを、どう料理するかで、そこのレストランの評価が決まるらしい。中国のサザエは、薄く切って、お野菜と炒めてあり、柔らかくて美味しかった。帆立は茹でて、ソースで和えてあり、これも美味。海老は、塩焼き。炒め物や、スープ、煮びたしのような料理も多かった。さあて、来ましたサソリ!。何かと一緒に揚げてあった。一つお箸でつまんで口に入れると、食感も、味も、小海老の唐揚げそのもの。うん・・・・めっちゃ美味しい。通訳の江さんに「食べませんか?」と聞くと、「私は良いです」あ、これ、中国の人も食べない人は食べないんだ・・・と解ったが、私の横に座った高さんは、私がサソリをつまんで塩をつけ、口に運ぶたびにニッコリし、親指を立てて、自分も口に放りこんだ。江さんによると、さそりは漢方の一種で、関節の痛みに効くそうだ。サソリと一緒に揚げて有ったのは、大根のかつらむきにした物を干し、千切りにしたものだそう。これも美味しい。帰ったら、小海老でやってみよう。おなかが一杯になって、車に乗り、観光に出発。ここチンタオは、遠浅のとても綺麗な海のある町。街中を走り、海の別荘地に向かったが、驚いたのはその町。地震が無いから、耐震じゃなくても良いので、物凄く面白いデザインのビルが乱立している。それも、相当な高さで、まるで、都心にいるような感じの街中。海沿いには同じような綺麗なマンションが、次々現れた。共産主義の国だから、土地は国の物だそうで、買うのは部屋だけなのだが、それが日本なみに高いそうだ。古い別荘地に入ると、ドイツ統治下の名残の洋館が次々現れ、素敵だった。その中の一つの横に、車が止まった。もう、本当に素敵な石造りの洋館。蒋介石が泊まっていた館だそう。中に入ると、アンティーク大好きの私には、垂涎ものの家具や、階段。相当な高さで、海が綺麗に見えた。ん?何だありゃ?ウェディングドレスの上に上着を羽織った女性と、白や黒のスーツを着た男性のアベックが、物凄く大勢いる。下に降りると、中庭に、エンゼルがいるブランコだの、造花で飾られたハートのアーチなどある。「江さん、これなんですか?」「中国では、結婚式の前に、写真を沢山撮るんです。そのためのここは絶好の撮影場所なんです」へ~、そうなんだ。見れば、海岸の岩場に、沢山アベックが、カメラに笑顔を向けている。そこから、今度は、展望台に向かった。その時、道で私達の乗った車の横に、何組かの花嫁さん達が乗ったバスが並んだ。そのバスには、花嫁とお婿さんの大きな絵に「花嫁・・・撮影・・」と書かれていた。面白い事をするな~、中国。展望台は、いかにも「中国」と言う感じの建物。上に上がると、お土産屋さんがあった。テラスに出ると、下に洋館が並んでいた。みな、石造りにレンガ色の瓦屋根。ここもドイツ統治下のなごりだそう。そこで、おトイレに行きたくなった。ホテルのトイレじゃない。さあ、いよいよ覚悟のトイレ。しかし、有料トイレはちゃんと仕切られていたし、まるで便座は大きな壷にビニールが掛かっているような感じ。「奥さんできそう?」と聞いてくれるHさんに、「ぜんぜんOKですよ」持っていた除菌ウェットティッシュで回りを拭いて、はい、出来ましたよ。車にまた乗ると、江さんが聞いてくださった「疲れましたか?」少々、疲れたかな?でもまだ大丈夫。「では、海岸に出てみましょう」少し走って海岸に出た。海岸の岩場に出て歩くと、本当に静かな波で、ここが、別荘地である事が理解できるようだった。車に戻り、一旦ホテルに戻った。夕方、まだ、明るいうちに、迎えに来た車に乗った。街中の道は、8車線、広い!片側4車線、信号の横に、あと何秒と数字が出る。これ良いアイデア。時間によって、車線が変わるそうだが、交通ルールはあって無いようなもの。方向指示器も出さずにいきなり、前に出たり、危ない危ない。昼間はそうでもなかったが、物凄い車の量に公安のパトカーが出て、警備員が交通整理をしていた。この「公安」と「警察」の違いが、最後まで解らなかった。ただ、警察は、一番上だそうで、公安は「警備員」と言う言い方をしていた。車の量が多いので、車の購入にも規制があるそうだ。夕食は、しゃぶしゃぶ。牛肉の薄切りと、春菊、エノキ、マトンの薄切り、それに、きくらげに、野菜の炒めたものやら、にんにくのラッキョウなど。このにんにくのラッキョウ漬けが美味しかったが、3つも食べると、自分でもその匂いに、辟易してしまった。「日本では、ラッキョウはにんにくではないのですが、中国では、これですか?」と聞くと、そうだそうだ。一日目は、これで終わり。チンタオの一日目の感想は、今、オリンピックを控え、中国は、ドンドン古い建物を壊し、綺麗なマンションや、街造りをしている最中なのだなあ・・と言う事。こりゃ、なかなか面白そうだぞ、中国。明日が楽しみです。写真は、最初に行った「良友海鮮大酒楼」の食材の積まれた一部、それに、「サソリ」の唐揚げ。蒋介石の泊まった洋館の屋上から見た、チンタオの海。中国らしい建物の展望台と、そこから見た旧別荘地。
2007年03月21日
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朝から、お医者さんに行って来た。診察に1時間以上も待たされた。こんな事、珍しい。診察室に入って行くと、大先生は、いつものように「どうかな?具合は?」と優しいお顔で仰った。「先生、風邪、まだ、治りません」「うん、Kさんの風邪は、毎年春にならないと、治らないね」おいおい、それでも、医者か~。「明日から、チンタオに行くんですけど・・・。」「そりゃ、熱が出たら大変だね。チンタオは寒いからね」「はい、そうなんです。東北と同じくらいだそうです」「じゃ、熱が出た時に入れる座薬を出しときますね」「ありがとうございます。」で、お薬を一杯貰って帰宅。お昼を食べたら、早速用意。大きな方のトランクに、洋服やら、薬やら、おしり拭きウェットティッシュ(発展途上国には必需品です)やらホテルに長い時間いるので、沢山のCDやら、読んでいない文庫本を入れた。全部の用意ができたのが、3時過ぎ。4時から、美容院で、シャンプーの予定だったので、出かけた。表は、日差しがきついのに、風が寒かった。そのまま郵便局に、荷物を取りに行き、買い物を済ませ、帰宅。7時過ぎに夕食、HDDの予約設定も完璧。嵐君の「実験の嵐」は見られないから、帰ってからのお楽しみ。さあ、明日、朝5時半出発です。早く寝ましょう。おやすみなさいm(__)m
2007年03月20日
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今日はお祖母ちゃんの百か日。オネエはどうしても出なくちゃならない講義があるとかで、行かず、来るはずだった義弟一家も、弟が前日ぎっくり腰をしてしまい、来られなくなった。結局、パパと、チビと3人だけだった。朝からどうも、体調が良くない。寒い本堂なので、気をつけて、厚着をして行った。体調が悪いと、人に対する気くばりが、なかなか出来なくて、家族とぶつかってばかりいた。お坊さんの百か日の法話を聞きながら、切なくなった。「おかあさまの業は、残っています。息子さんを思い・・・」お坊さんのお話を聞きながら、最終的に「憎しみ」しか持てなかった私は、その「業」がとても煩わしいと思ってしまった。思わず、「憎しみしかもてなかった私はどうしたら、義母を思うことが出来るのでしょう」と叫びたくなった。あの人は、本当にお浄土にいけたのだろうか・・。目の前の阿弥陀様を見つめながら、亡くなったら、自分の気持も、浄化されるだろう・・・と単純に思っていた自分が、日を重ねる度、自分の言いたい事だけ散々言って、したいままして、人の気持を知りもせず、理解もせず、まるで、あの世に逃げて行った姑に対するたまらない思いが、またふつふつと湧き上がってきた苦しみは、どうしたら良いのだろう、どうしたら救われますかと問うていた。私の中で、今はまだ、写真も見たくない日々が続いている。写真があると、破ってしまいたくなる衝動に駆られるから、仕舞ったままだ。コテンパンにされた気持は、表面的には元通りになったようだったが、少しも癒えていないことが、最近自分でも解った。私、こんなに人を憎むことが出来たのだ・・・と言う、たまらない思い。消しゴムで消してしまいたい、自分。どう払拭したら良いのか、自分の中で堂々巡りを繰り返している。気持の悪い百か日だった。帰宅後、どうにもだるくて、熱を測った。やっぱり、37度あった。まずい、明後日から中国なのに・・・。スーパーに、厚手のストッキングを買いに行った。お店の女の子に、聞いたが、もう、良い色は無いという。どういう経緯か忘れてしまったが、青島に行くと言う話になったら、何と言う偶然!!!その女の子が青島の出身の方だった。物凄く日本語がうまくて、てっきり、日本人と思っていた。「その格好で行かれますか?」スカートにタイツをはいていた。「ええ、この上に足首まであるオーバーを着て行こうと思ってますけど」と言うと、「直ぐに風邪引いちゃいますよ。」風邪はもう、ひいている。で、彼女の提案で、タイツの上に厚手のハイソックスをはく事になった。「これだとスカートから見えないし、暖かいから大丈夫です」で、聞いてみた「チンタオってどんなところですか?」「海の近くで、凄く海鮮料理がおいしいですよ。」「観光する場所とかあります?」「なーんにもないです」・・・・そうなんだ。「でも、ガイドブックにドイツの統治時代の建物が並んでいるって書いてあったけど」「ああ、街は凄く綺麗です」あ~、良かった。しかし、本当に何と言う、偶然。パパも驚いていた。明日は、早めにお医者さんに行って、お薬貰ってこなくちゃね。あとは、予約録画の用意と、ホテルの中で時間を過ごすことが多いから、CDと、本もわすれないようにしないと。何だか、ちょっと楽しみになりました。
2007年03月19日
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今日は、前から見たかった「パヒューム」をパパと見に行った。オネエは何か用事が有り、チビも見たがっていたが、バイトで、また、後で見に行くというので、二人で行った。やはり、期待通りだった。実に、面白かった。だが、何を言いたかったのか、まだ、判然としない、解らない。もう一回、見たいと思った。この映画、原作を読んで、スピルバーグや、スコセッシら名だたる巨匠監督が映画化を切望し、奪い合ったが、原作者が巌として映画化を許さず、ドイツのこの監督、がとうとうこの原作者をおとしたそうだ。主人公は、天才的な嗅覚の鼻を持つ。目を覆いたくなるような、あまりに残酷な出生と生い立ち。しかし、彼は、その鼻を武器に、どんどん、自分の世界を広げていく。だが、お金持ちになりたいわけでも無く、名声がほしいわけでもなかった。ただただ、自分の鼻が満足行く「香り」を作りたかっただけなのだ。しかし、それは、究極の香りだった。「美しい娘だけが持つ体臭」をブレンドした・・と言う、究極の香り。教養も、教育も無い彼は、次々、勘だけで、間違った精製法をためして、失敗する。しかし、ある日、その方法を、とうとう見つけてしまう。そして、犯した罪は、その香りを得る為の殺人。だが、彼の中では、罪の意識より、はるかに大きな、自分の香りを作る欲求が支配する。映画は、淡々と、解説の言葉だけが、物語を押し出していく。そして最後の香りを手にした彼は、空虚になる。奇跡の香りは、人々を恍惚とさせ、多分、望めば、すべてが、彼の手に入っただろうに、彼はそれを望まなかった。私には、その彼の純粋な気持が、哀しかった。罪を犯しているのに、それはあくまでも「香り」に対する純粋な気持からの殺人。だから、拷問に掛けられても、彼の口からは「必要だったから」と言う言葉しか出て来ない。純粋にその香りが欲しかったから、手にしたまで・・・。多分、彼にとって「死」は、そう重要な感覚では無かったのだと思う。それは、やはり、彼の残酷なまでの出生と生い立ちの中での絶望を当たり前に受け入れて生きてきた感覚なのだろう。だから、自らの「死」も、彼の中ではそう、重要な事では無かったのだ。映画を見終わって、長い長いエンドロールの最中も、私の中で、「今のは一体何?」と言う繰り返しの疑問と、物凄く沢山の思いと、「ただただ、哀れ」と言う当たり前の思いが複雑にあった。しかし、もう一度見たら、多分、また違った感覚が、私を包むように思う。どちらかと聞かれたら、多分、とても好きな映画だ。中世の薄汚れたパリが良い。イタリアのメヂチ家から、王家にお嫁さんが来るまでナイフもフォークも使わなかったフランス人。その時代を彷彿とするような、パリが良い。そして、重要な役どころの、腹黒いが、彼を可愛がる調香師を演じるダスティンホフマンが良い。そしてその最後が、「哀れであり、滑稽」。映画全編を飾る最高峰のオーケストラ、ベルリン・フィルハーモニーの奏でる音楽もまた素晴らしく、この映画を、香り高い物にしている。サントラ盤も、欲しくなった。何だか、久しぶりに、本格的に好きな映画を見た気がした。
2007年03月18日
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流石に疲れて、10時まで寝てしまった。パパはもう、仕事に出かけていなかった。本当にご苦労様ですm(__)m何だか、だるい。ヤバいなあ。水曜日は、中国。凄い寒いそう・・・。日本の東北って、どんなんだろうなあ。何もする気になれなくて、ぐだぐだしていたら、子供達が、今日はカラオケに行こうと言い出した。気分が晴れるかもしれないなあ・・と、夕方、カラオケに。何だか久しぶり。我が家は、私以外は、本当に、歌がうまい。オネエは、大学時代は、ずっと、バンドでボーカルをしていたし、チビも、歌が好き。親ばかだが、オネエの歌は、ただただ聞きたくなる。お友達からも、オネエとカラオケに行くと、「あれ歌って、これ歌って」とリクエストがあるそうだ。主に、SALYU、椎名林檎、中島美嘉、宇多田ヒカルを二人でハモッたりして唄っていた。パパは、何を歌っても、最後はビブラートが利いて、演歌になっちゃう。今日は、子ども達が、まず歌いだし、私は、だるかったし、少し唄わずに食事をしていた。途中で、歌いたくなって、嵐君のメドレー、大好きな「ブルー」やらユーミンを唄った。パパも、つまらなそうにしていたが、途中から、歌いだした。延々3時間、たっぷり歌って、気分が晴れた。帰りに近くのTU○AYAに寄って、パパは、中島美嘉、私はパパがこの前買ったユーミンのベスト、子ども達も、欲しいCDをゲットして、ついでに、本も買って、帰宅した。お店に子ども達がお世話になった先生が、いらしたそう。そう言えば、このお近くだった。オネエがご挨拶し、少しお喋りしたそうだが、ジヤージー姿だったそうなので、「あっちも、あまり会いたく無いと思うよ」とオネエの気配り発言で、ご挨拶はしなかった。あ~、楽しかった。また、行こうね、カラオケ。
2007年03月17日
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今日は、朝から富士宮工場の見学。この会社は、日本のプレス機械では、世界に名の知れた会社。いつもは小田原にある、大きな展示会場に行く。とても綺麗な建物、ホテルがあり、度々、TVドラマの撮影場所にもなっていて、時々、TVドラマを見ていると、ドラマなどに出てきて、あ、ここあそこだ・・・と、知る人ぞ知る場所。大きな高級ショップも、コンピュータールームもある。日本中から、色色な会社が、出来上がった機械の展示を見にやってくる。そのホテルに泊まらない・・と前もって言っておくと、都内の超一流ホテルに部屋を用意してくれているので、いつもはそこに泊まることが多い。前日に見学して、翌日は遊んで帰るのが、今までのパターンだったが、今回は、その展示された機械が作られているだけの工場の見学だから、本当にお仕事。ホテルで朝食を済ませ、迎えのバスに乗って、9時過ぎ、工場に到着。会議室に入れられて、また、暫くビデオを見て、説明してくださる、まるで航空会社のアテンダントのようないでたちの女性に連れられて、耳にイヤーホーンを付け、その女性の声が聞こえて来る通信機を持たされ、順に工場の中を回った。それぞれのポイントでは、大きな液晶TVが置かれ、短いビデオによる説明がなされた。見学の形態としては計算しつくされた施設だろう。2時間の見学が終わり、元の会議室に戻り、暫く質疑応答をして、解散。バスに乗って、お土産を頂き、富士宮の工場を後にした。このお土産が、曲者。毎回、会社のマークの入ったガラス製品なので、今回もそうかと期待しないで帰宅後開けたら、素敵な、渋い焼き物のデミタスカップのセットだった。工場から新富士の駅までまた、1時間バスに揺られて、着いたのが、12時過ぎ。そこで、ずっと私達に付いてくれていた方に、ご挨拶してお別れ。お留守番にお世話になった母の所にお土産などを買った。今回は、丁度、オネエが東京にいる、小学校から高校まで一緒だった仲良し3人組で会う約束をしてしまい、チビだけが、留守番になった。一緒に行く?と聞いたら、面白くなさそうなので、行かないと言うので、母の所にお泊り。そこで、面白い物を見つけた。間伐材のヒノキが、袋に入れられて、売っていた。一袋、100円。とても良い香りなのだ。洋服ダンスに入れておくと、防虫剤になるし、お風呂にいれても、良い香りがするそう。乾燥して匂いがしなくなったら、少し水をスプレーしてやると、また、効果は、永遠に無くならないと言う。「木は生きてるからねぇ」と売ってるオジサン。あまりに良い香りがしたので、4つ買った。沢山有った中から、一つ選んだ駅弁を買って、新幹線に乗った。パパとの旅行で、駅弁なんて買ったの初めてです。時間がまだ早かったので、また高島屋に寄った。デパチカに行ったら、お花見の季節限定の御弁当が、物凄い数出ていた。パパと、色色見て楽しみ、子ども達にもお土産が余り無かったので、今日は、夕飯はこれにしようと御弁当を4つ買った。上に上がるって、お店に預かってもらっていた商品を取りに行き、パパが待っていた場所に行くと、大きな木が飾ってあった。当然、偽物だろうと花びらを触ったら、あら!本物でした。「西洋シャクナゲ」凄く綺麗だったので、記念撮影。夕方帰宅。流石に疲れました。ご苦労様でしたm(__)m写真は、パパと初めて食べた、駅弁と、大きな「西洋シャクナゲ」の木です。本当に綺麗ですね~。
2007年03月16日
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新幹線は午後なので、ゆっくりパパと家を出て、駅前のデパートの資生堂パーラーで昼食を摂った。この資生堂パーラー、苦い思い出が有る。パパの仕事で東京の西小山に、オネエがまだ2歳の頃、暫く住んだ。東京生まれの私は、もう、嬉しくて、毎日が楽しく、幼馴染に会いに行ったり、大好きな浅草に遊びに行ったりした。ある日、小さい頃に住んでいた新橋の近くの銀座8丁目に、小さなオネエを連れて出かけた。若かった父と母は、よく私を連れて、銀ブラをしたそうだ。資生堂パーラーの本店は、銀座8丁目に有る。密かに、私にとっての資生堂パーラーは、憧れだった。でも、子供の行く所じゃないと思っていたので、いつか、行きたい、行って、お茶を静かに飲みたい・・・と思っていた。で、ある日、行った。しかし、やはり、小さな子供を連れて行くところではなかった。右を見れば、パイプの煙をくゆらして、静かに本を読んでる老人、素敵なお帽子を、とても上品に着こなしてらっしゃる老婦人、品の良い所作のご夫婦らしい中年の二人連れ、その中、プリンを頬張るオネエを連れた私は、場違いだった。ああ、まだ、ここに来るのは早かった・・と後悔した。このお店に似合う人になりたい・・・そう思った苦い思い出のお店だ。しかし、デパートの中のここは、普通のレストラン。若い人も多く、美味しく、食事が出来た。食事後、いつものあの店に行き、綺麗な薔薇の模様の葉書を買った。時間になり、新幹線のホームへ。御一緒する、今回の見学のAと言う大きな会社の担当の方にご挨拶。乗る前に売店で、本を買った。これが、思わぬ拾い物だった。「19歳」。ノンフィクションだ。一家4人を惨殺した殺人犯を、その育ちから、事件に至るまで、そして、被害に遭った家族が、事件に巻き込まれるまでを書いた物だ。こういうのは、「24人のビリー・ミリガン」以来、読んでいなかった。電車の中、バスの中、ずっと、読まずにいられない勢いで読んだ。駅は新富士に着き、会社の用意してくれたバスで、朝霧高原のゴルフ場に向かっていた。気付くと、バスの両側に、乳牛やら、大きな公園やら、牧場が続いていた。どんどん、標高が高くなって行き、駅から1時間ほどで、ホテルに着いた。建った当時は、東洋一のログハウスだったそう。中に入ると、木の香りがプーーンと鼻をついた。「すってき!」長い木の廊下は両面ガラス張り、ゴルフ場だから、綺麗な芝や、富士山に連なる山が見えた。が、富士山は、裾野だけしか見えない。お部屋は、太い大きな木の梁がいくつも天上に渡っていた。家具も、皆、木材だけで作られている。とても素敵なお部屋だった。しかーーし、遊びに来たわけじゃないので、すぐに、セミナー室に集められて、そこから2時間、機械の話。まるでチンプンカンプンの単語の並ぶ、お話。寝ちゃわないか、心配だったが、全員で30人足らずのお客さんに、社員は10人以上。寝たら、バレバレ。頑張って、解らないなりに聞いていたら、好奇心の虫が頭をもたげ、回ってくる、機械で作られた部品見本も、面白く、時間は過ぎた。私達のほかの方は、南は九州、北は秋田から来てらっしゃった。そのあと、お部屋に戻り、少し休憩し、お食事。これが、超、美味しかった。幾つかのグループに別れ、大きな鉄板の前に座った。6人のシェフが出てらしてご挨拶なさり、鉄板の向こうに入って、鉄板焼きが始まった。帆立、金目鯛、あわび、レンコン、それに大きな飛騨牛のヒレ肉が、次々焼かれて、美味しいソースで食べさせていただいた。最後は、紫蘇の入ったご飯が、そのまま色色なだしの残った鉄板で炒められて、お吸い物とお漬物も一緒に出された。良いあんばいに、御一緒したうちの担当の方が、余りお酒を飲まれない方で、パパも、私も飲まされずに済んだ。折角こんなに美味しいご馳走なのに、お酒が入ったら、味も解んなくなちゃうもんね!。面白い話を聞いた。お部屋の窓から見える富士山の下の方に、あのオウム真理教の麻原彰晃がいた「第七サティアン」があったそう。そうなのだ、ここの住所は上九一色。最後に別のラウンジで、デザートを頂いて、解散。ここのラウンジも、大きな梁や、太い柱で出来ていて、一時ログハウスが流行ったが、良いものだなあと思った。部屋に戻ると、パパは少しお酒が入ったので、案の定、バタンキュー。私は、楽しみにしているニノの「拝啓、父上様」を面白く見て、シャワーを浴び、本の続きを読みながら、寝てしまった。富士山、明日、見れるかなあ・・・。写真は、翌日の朝、ほんの少し姿を現した、雪の掛かった、大変美しい富士山、刻々と雲が掛かりそのうちに、見えなくなっちゃいました。下の方に見えるのが、「第七サティアン」の有ったあたり。そして、アジア一のログハウスホテルの一室。
2007年03月15日
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今日はゆっくりしようと思っていたが、そうも行かなかった。明日は富士宮に行くし、来週は中国。まずは、クリーニング屋さんに洋服を取りに行った。この二日、何もしていなかったので、部屋がぐちゃぐちゃ、チビが、せっせと片付けてくれた。ありがとうね。買い物に出たら、物凄く寒かった。気象庁が、桜の開花予想を訂正した。そりゃ、あんなに暖かかったから、あのまま春になっていたら、その開花予想でよかったろうが、こう寒くては、開花予想は、大きく変わってくる、桜も凍えてしまうだろう。大好きなイチゴの、大きな物が安かったので、沢山買った。帰宅し、何か良い器は無いかと探していて・・!!、思い出した。「コスタボダ」のガラス器。これを最初に見たのは、昔よく行ったレストランのショーウィンドーだった。本当に可愛いデザインの、真平らのお皿だった。草花が、全体にデザインしてあり、それが、浮き上がっているもので、行く度、これ、欲しいなあ・・と思っていた。ある日、TVを見ていたら、それが、スウェーデンの「コスタボダ」と言うメーカーの物である事が解った。TVに、まったく同じデザインのものが出てきたのだ。しかし、お値段が半端じゃなかった。日本の同じような器の10倍以上するお値段・・。しかし、欲しいとなったら是が非でも欲しくなってしまう病気。名古屋のデパートに探しに行った。一つのお店で扱っている事が解り、早速、出かけて行くと、何と言う幸運、バーゲンをしており、あのレストランのと同じデザインのボールがあったのだ。本当はお皿が欲しかったが、その品番は、もう、手に入らないと言われ、そのボールを買った。嬉しくて、嬉しくて、毎日、お花を生けたり、サラダに使ったりしていたが、子供たちが少し大きくなり、次々、お皿を割るようになって、慌てて、サランラップで包み、食器戸棚の一番上の段にずっと仕舞ってあった。出してみたら、もう何年も使っていなかったので、被せてあったサランラップは、ボロボロ。早速洗って、買って来たイチゴを洗って入れた。うん、可愛いじゃない?何年も前の物なのに、ちっとも古いデザインには思えなかった。流石、良い物は良い。家族が自由に、食べられるように、そのままテーブルの上に置いた。パパが帰ってきたので、「これ、覚えてる?」と聞いた。「そう言えば、お前『コスタボダ、コスタボダ』って言ってたな」覚えてらっしゃいました。昨日用意したホワイトデーのお返しは全部で11個。一時に比べれば、これでも少なくなった方かな?大きな袋に入った物を、パパが抱えて出て行った。ご苦労様ですね。夕方、ニュースで松坂屋と大丸の経営統合が決まったと言う。社員証を外してから、早28年経つが、唯一、私が社会人として働いた会社だ。みんなどうしているかなあ・・。たった、3年だったが、社会人として、大切な事を沢山、教えていただいた。今は我が家にボーナスは無いから、人生の中、唯一「ボーナス」を頂いた3年間だった。経営統合で名前が無くなったら、寂しいなあ。さあ、明日は富士宮。この季節は、富士山がとても綺麗。富士山は、大好きです。お天気が良いと良いなあ。楽しみです。写真は、「コスタボダ」に入れたイチゴと、先日、母と一緒に行って買った白いガラスの石を、クッキーを買った時の入れ物に入れて、やっと落ち着いた「ハートリーフ」です。可愛いでしょう
2007年03月14日
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疲れました・・・。O先生のご主人のご葬儀は、大変立派なご葬儀だった。各、有名新聞、地方新聞、ネットニュースにも、訃報のお悔やみの記事が載った。私が知っているご主人は、いつも静かに、展示会の受付に座ってらして、時々訪れる方に、とても穏やかにお話され、O先生にも、いつも優しく話されていた姿だった。学者として名を馳せ、沢山の著書をお持ちになり、有名大学の教授達と学者として接していらした姿より、多分、ご家族にお見せになった姿しか知らなかった。事実、妹さんにお話されたり、姪御さんや、お嫁さんとお喋りしている姿しか知らなかったのだ。だから、今日、正直、大学の教授をされていらっしゃる事は知っていたが、早稲田大学のT教授が弔辞を読まれたり、著名大学からの弔電やら、著名な方の弔電が読まれるのを聞きながら、凄い方だったんだなあと、あの優しい穏やかな笑顔を思い出し、何だか余計に哀しかった。そして500人を超えるだろう、弔問客に、気丈にも笑顔で対応し続けたO先生が、痛ましくて仕方が無かった。お嫁さんのYさんは、少し落ち着かれた笑顔でご挨拶してくださった。O先生のお姉さま、革工芸の先生だったご主人のIさんは、私の姿を見つけると、「やあ、どうも」と仰って、近付いてこられた。「突然のことで大変でしたね」と申し上げると、「うん、もう、あっちこっちに転移しててね~」と仰って、目をしばたかせた。Iさんは、亡くなったO先生のご主人とは、全く違ったタイプで、とても社交的で、華やかな方。「I先生を亡くされたばかりで、今度はご主人でしょう・・・もう、本当に、お気の毒で・・、あんなに気丈にされてて、見てるいのが辛いです」と言うと、「うん、Yちゃんは、頑張りやさんだから、後が心配だね」と仰った。考えてみれば、大学教授夫人として、悠々自適の生活もあったのに、O先生は、自ら音楽の教師を定年まで勤め上げ、今も、革工芸やら、コーラスやらで、活躍なさってらっしゃる。本当にいつも元気印の先生。高校を卒業し、30年経って、子供達が、お世話になることになり、コーラス部に入れていただいたが、その時も、昔と全く変わってらっしゃらない若さに、友人と、本当に驚いた物だった。あれから、さらに10年。その明るい笑い声は今もちっとも変わらない。ご焼香を済ませ、最後のお別れになり、皆さんが涙する中、少しだけ、涙を見せたが、O先生は、実に気丈に、他の方にお花を渡したり、なさってらっしゃった。出棺。大勢の方が、見送った。どうか、安らかにと、ご冥福を祈った。コーラスの仲間も沢山来ていたが、挨拶して別れ、革工芸のお仲間と、昼食を摂った。いつもの、お店。去年の今頃は、I先生もお元気にこの御膳を頂いていたのに、父が亡くなり、I先生が亡くなり、姑が亡くなり、そして今日は、O先生のご主人を見送った。何だかな~。帰宅後、とても疲れ、少しうつらうつらベッドの上でしていたら、今日3時半から診察だったのを思い出した。慌てて着替え、病院に向かった。お祖母ちゃんの事が有ってから、月に一度の診察日が、どうしても先生の診察日と合わず、去年から、一度も主治医の診察を受けらないでいた。「久しぶりですねKさん。お変わりないですか?」と聞かれ、姑が亡くなったこと、自分の中で少しずつ、何かが変わりだしていることなど話した。「そう、お姑さん、亡くなったんですか」「はい」「大変でしたね」「ええ、でも、もう、来週百か日を迎えますので、落ち着きました」。思えば、姑が原因で酷くなった鬱病だったが、主治医にしてみれば、これで少し変わるだろうと言う見解なのだろう。「じゃ、薬はそのまま飲んでいてくださいね」。太った原因の薬をまた、ひと月分貰って、帰りに買い物に寄って帰宅。物凄い疲労感。でも、もう、夕食を作らなきゃいけません。疲れました。本当に、疲れました。今頃、O先生、倒れてらっしゃらなければ良いと、ふと、心配になった。きっと気丈な先生だから、私などが心配する事もないのかもしれないなあ。自分の事、しっかり、しなくちゃね。
2007年03月13日
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今朝、早くに電話が鳴った。まだ、お布団の中にまどろんでいて、出られなかった。大事な用事なら、また、掛かってくるだろう・・そう思った。8時過ぎ、下に降りて、着信記録を見たら、革工芸でご一緒している、昨年9月の展示会後から入られた、コーラス部の仲間から。何かなあ・・・と思い、掛けてみた。「あのね、16日のレッスンは無しだって。」「うん、私、いけないって、言ってあるよ」「ウン、違うのよ、O先生のご主人が亡くなったって」「え?!」驚いてしまった。すぐに、長いことお世話になっている、革工芸の先輩のお宅に電話を入れた。「聞きました、もう、ビックリしちゃって・・・どうしたら良いですか?」「あ、Kさん、昨夜、電話させてもらったんだけど、お留守だったから」あ、夜、買い物に出ていた。「すみませんでした、で?どうしたら」「昨夜ね、亡くなったって、Hさんから連絡有って」Hさんのご主人とO先生のご主人は、同級生で、何十年ものお付き合いだそう。「だって、あんなにお元気だったじゃないですか・・・」「うん、今年の1月のレッスンの時、検査入院するって仰ってて、先月のレッスンの時、皆さん出てこなくてね」この皆さんとは、O先生と、先生のご長男のお嫁さんのYさんと、大阪の姪ごさんのあっちゃん。「で、聞いたら、M大学病院で手遅れって言われて、N大学病院に移ったんですって。で、昨夜亡くなったのよ・・」もう、声も出なかった。O先生は、昨年、実の姉である、革工芸の先生を亡くされている。私は、この暮から、お祖母ちゃんの事があって、ずっと、お休みしていた。そう言えば、いつも、次のレッスンの電話は、O先生からあるのに、先月は、Mさんからだった・・・。そんなにお悪かったとは・・・。O先生は、このブログに何度か登場した、私の高校の時の音楽の恩師で、弟や、我が家の二人の娘達もお世話になった方で、私が革工芸をするきっかけは、O先生が、コーラス部のパーティで、持ってらしたカバンがあまりに素敵で、4年前にO先生のご紹介で、仲間に入れていただいたのだ。ご主人は、大学教授を歴任され、今は、定年を迎えられ、週に何度か、講義にいらしていた。息子さんお二人も独立されて、ご夫婦で旅行にいらしたりなさっていた。私が最後にお目にかかったのは、去年の革工芸の追悼展示会が最後だった。とても物腰の柔らかい、品の良い、素敵な紳士だった。いつも元気なO先生が、可愛くて仕方が無い・・と言う優しい目で見てらした。パパがご挨拶させていただいた時も、ニコニコとされ、本当に素敵なご夫婦だったのに・・・。お通夜は、7時からと言う。喪服を着る。髪、染めてない・・・。慌てて、美容院に駆け込んだ。幸い、いつもの美容院じゃなく、シャンプーをしてもらっている予約の要らない美容院が空いていた。ここで以前染めてもらった時、痛くて薬が合わず、染めてもらわなくなったが、今日は月曜で、他の美容院はお休み。訳を話し、刺激の少ないように薬を調合していただき、染めた。夕飯に、野菜とお肉の煮物を作って、お豆腐を用意し、着替えて、車で出発する頃に、雨が落ちてきた。斎場は、隣の市、いつも革工芸のある場所の近く。多分、物凄い、数の方がいらっしゃるから・・と、1時間前に家を出たが、案の定、駐車場は、もう、後10台も入ったら一杯になりそうだった。30分前に着いて、これだから大変だ。3階に上がると、すぐに、O先生の回りにコーラス部の方達がいらしたが、気丈にコーラス部の方と、笑顔で話してらっしゃったO先生は私の顔を見つけてくださると、私の腕を軽く叩いた。3ヶ月ぶりの再会だった。もうそれだけで、私には十分だった。「ビックリしました」とだけしかいえなかった。O先生は「うん、うん」と頷かれ、また、前の方達と話していらした。ご焼香にいらした中には、私達親子の恩師で、今年校長になられたI先生もいらしていて、ご挨拶。Mさんが「Kさん、こっちこっち」と呼んでくださった。亡くなったご主人の妹さんがいらした。展示会の時、色色お喋りさせていただいたので、ご親族は、大体、お顔がわかる。ご挨拶をして、少しお話させていただき、Mさんと、前の方に座った。お通夜は、家族の方もバタバタしてらっしゃるし、まだ、何が何だか、解らないうちに、終る。ご焼香と、読経が終わり、皆さんが三々五々、帰り始めた。前に行って、あっちゃんにご挨拶し、Mさんと帰ろうとしたら、出口でYさんと、先生が、皆さんにご挨拶なさっていた。お嫁さんのYさんとあっちゃんと私は、いつも食事の時のお喋り仲間。Yさんの前に行くと、私より、15ほど年下のYさんは、私の手を握った。「大変だったね、お義母さん、支えてあげてね」と言うと、「はい、もう、もう・・」後は言葉にならなかった。もう、哀しくて仕方が無かった。Yさんは、いつもお舅さんが、好きだと言っていた。良い、お舅さんだったのだろう。O先生は、最後の最後まで、気丈に笑顔で対応なさってらっしゃった。何だか、最近、喪服ばっかり着ている。クリーニングに出す暇が無いくらい。哀しいよね。特に、今回、まだ、ご主人のお母さまがご健在。逆縁てやつだ。これほど残酷で、哀しいものはない。私も、母より先に逝かない様にしなくちゃ。あの方元気だからな~。明日は、お葬式。せめてお天気が良いと、良いなあ・・・。
2007年03月12日
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もう、本当に、冬に逆戻り。パパは、朝からゴルフ。夕方、風邪を引いて、鼻を真っ赤にして帰って来た。帰宅後に映画に行く予定だったが、時間が合わず、中止。また、行けなくなっちゃった。表は雨が降ってきて、今日は大人しく家の中。パソコンで、今まで出来るのに、使わなかったDVDの印刷とかをして遊んだ。HDDに録画してあったユーミンの2006のコンサートをDVDに落とし、そこに印刷。なかなか良いのが出来ました。最近、パパが、ユーミンの出たばかりのベストアルバムを買った。仕事帰りに、CDショップに寄って、買って来た。いつもCDショップに行く時は、一緒に行くのに、ずるい!と言ったら「今から行くか?」って・・もう良いよ!!ユーミン、松任谷由実は、私にとっても、パパにとっても青春そのものだった。まだ、そんなに有名じゃなかった頃、私は、彼女が高校生の時から知っていた。・・・というのも、私がファンだったグループサウンズのタイガースにいた加橋かつみが脱退し、ソロのアルバムを出したとき、「ディンドン」と言う曲を書いたのが、当時センセーショナルな上演だったミュージカル「ヘアー」で加橋と共演した高校生だったユーミンなのだ。その後、多摩美に入ったユーミンは、私が、大好きだった「はっぴいえんど」のメンバーをバックバンドにして、デビューした。最初のアルバムを出した頃、名古屋市公会堂に来た。当時まだ、以前の公会堂で、明治の頃に建てられた凄く素敵な、アンティークの会場で、ユーミンは、凄く気に入り、舞台の端に腰かけたり、下に降りて来てくれ、通路を歩きながらMCをしたり、今じゃ考えられないように、客席とのコミュニケーションを取っていた。会場の中も、満杯じゃなく、ちらほら空席が目立つ、コンサートだった。しかし、その2年後、私が社会人になっていた頃だから、ユーミンも22歳くらいだろうか、CMに彼女の歌が採用され、大ブレイク、コンサートに行ったら、もう、会場は一杯だった。その日のチケットは、ダブルデートの約束をしてあり、友人のカップルが私達の分も持っていた。だが、実は、その前に、私達は上手く行かなくなり、あやふやな状態が続いていた。来ないかなあ・・・と思っていたが、彼は、やってきた。ひと月ぶりに会い、はっきり別れを決めた、忘れられないコンサートになった。遠い、私の青春だ。ユーミンのご実家の「荒井呉服店」は、東京の八王子の商店街にある。ここも、独身の時に行った事がある。ユーミンのお母様は、凄くモダンな方で、有名監督とお付き合いしたり、なかなかの有名人だったそうだ。八王子から湘南に電車が出ていて、ユーミンは小さな頃から遊びに行っていたという。湘南と言うと、皆、サザンオールスターズを思うが、私にとっては、湘南→ユーミンなのだ。ユーミンの曲の中、大好きな詞のフレーズがある。「ソーダ水の中を、貨物船が通る」コップのソーダ水を通して見える三浦岬の船をそう表現したのだ。「窓の形に広がった空」このフレーズを聞いた時、ずっと書いていた詩を、書く事を辞めた。私には、こういう感覚は無いと、叶わないと思った。そして、この歌に出てくる、今は無くなったそうだが、山手町の丘の上にあった「ドルフィン」と言う、レストランにも、三浦岬が見たくて行った。多摩美の卒業制作の絵は、とても素敵な絵だった。日本画を専攻したので、それらしい絵かと思っていたが、洋画のようなタッチだった。ユーミンは私より、一つ年上。松任谷さんと結婚した時は、私にしてみれば、大好きなはっぴいえんどからの流れの方との結婚で、二つの道が一つになった気がした。その後、松田聖子に曲を提供したり、どんどんユーミンは大きくなって行った。でも、ファンとして、ずっと、ユーミンと一緒に、歳を重ねた気がする。最近はCDも買わなくなったし、コンサートも行かなくなったが、パパと結婚して、パパが持っていたLPと私ので、二枚ずつ、我が家にはユーミンのアルバムがある。今年のユーミンのコンサートに、行こうか・・と今パパと話している。私にも、ユーミンは青春だったが、パパにも青春だったのだ。ユーミンの昔の曲が沢山入ったCDを車に乗りながら聞くと、ふたりして、とても切なくなる。パパも、パパの思い出が、私には私の思い出がそれぞれ、曲の間にあって、とても、とても、懐かしい。多分、死ぬまで、私達夫婦にとって、ユーミンは永遠の青春の象徴だろう。画像は、上手く出来た、DVDへの印刷です。嬉しい!!
2007年03月11日
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母が、昨日、無事に帰宅した。お土産を買ってきたから・・・と言うので、お昼に帰って来たパパが、会社に行く途中で、母の所まで乗せてもらい、帰りは、お天気の良い昼下がり、お散歩しながら、帰った。その距離、たった徒歩5分。近すぎます。今回、母は、米子と松江に行って来た。詳しい事は聞かなかったが、声楽の先生と、お友達と3人で、絵を見に行ったらしい。その先の一つが、ルイス・ティファニー庭園美術館だったのだ。この美術館、7~8年前までは、名古屋にあった。娘の大学近く、私が青春を過ごした街で、高級住宅街や、素敵なお店の並ぶ街にあった。こちらにある頃、パパと、家族で2回ほど行ったのだが、その2回目に行った際、丁度、閉館の前日で、荷造りをしていて、閉館を知り、もうビックリしてしまった。聞けば、松江に庭園美術館として、お引越しをするとの事だった。また、いらしてください・・・との言葉に、絶対、いつか、行こうと思っていた。その美術館に行ったというのだ。良いなあ・・・・。と言ったら、なんと、たった6年しか経っていないのに、今月一杯でまた、閉館すると言う。は~?どうして?「わかんないわよ」で、調べたら、どうやら、松江市との確執やらが有ったらしいが、なんとも、残念に思った。ルイス・ティファニー、いわずと知れた、アールヌーボーの代表的な芸術家。私は、本当に、ルイス・ティファニーや、エミール・ガレ、ドームなどが大好き。特に、ティファニーは、家具とステンドグラスが秀逸。名古屋の美術館にあった、鹿のいる森の風景のステンドグラスは、言葉も出ないほど、美しい物だった。後ろから、朝日のような明るい光が当たり、それが、段々、夕景の光になって行く。その前に、椅子が設えてあり、そこに座り、朝日から夕景までの色の変化に、ため息を付きながら、見入った。今、この複雑な色ガラスを作れる職人さんがもうおらず、この美しいステンドグラスを作れない・・・と説明を受けた。また、ステンドグラスのランプは、有名だろう。日本の浮世絵などから強い影響を受けたティファニーは、非常に日本的な模様を、そのガラスの中に埋め込んだ。ティファニーの残したスケッチブックには、非常に精密な昆虫のスケッチが残されている。一時、ステンドグラスを習っていたので、その精密なガラスの接続が、いかに、高度な技術を要するのか知っている。ステンドグラスは、一つの色ガラスを形に切り、その回りに薄い銀箔のテープをぐるり巻きつけ、はんだ付けしていくのだ。模様が、細かいほど、その作業の数が増えていく訳で、トンボの羽の脈の部分など、気の遠くなる工程で、一つの作品が出来上がっていく。家具もまた、素晴らしいのだ。アールヌーボーの美しい曲線を組み合わせた、椅子。色の違う木を組み合わせ、削って作っていく象嵌がはめ込まれたキャビネットや机のなんと美しい形。もう本当に、ため息もの。その美術館が、無くなってしまう。なんとも残念で、勿体無い話じゃないだろうか。名古屋の場所は、デザインビルの中にあった。その1階には、レプリカや、ティファニーの本物が買えるお店もあった。パパと、いつか、あの家具、買いたいね・・・などと、話しながら、楽しんで見たのに、無くなってしまった。今度はいつ、見られるようになるのだろう。とても残念な話じゃないですか。
2007年03月10日
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今日は、表に出ることが無かった。映画を一つ見た。「スウィングガールズ」結構、話題になった映画だ。本当は、劇場で見たかったが、父が入院していた、末期の時期で、結局見に行けずに、終った。TVで放映されるのを、随分、クビを長くして待っていた。で、先月、3年ぶりに、やっと放映されたが、裏のドラマが見たくて、録画したままだった。「のだめカンタービレ」の、のだめちゃん役の上野樹里ちゃんや、今放映されている「花より男子」に、お茶の家元御曹司の元恋人役の、貫地谷しほりちゃんが出ている。そう言えば、この映画の後に、ニノのお芝居「理由なき反抗」の舞台でヒロインの彼女を見ている。そして唯一の男の子の平岡祐太君は、先日見た潤君の「僕は妹に恋をする」に親友役で、出ていた。3年も経つと、随分、大人っぽくなるなあ。この映画、本当に、この映画のために、皆が楽器を演奏できるまでに練習し、吹き替えなしで、スィンギング・オケを作った当時話題の映画だった。期待していた通り、とても面白かった。やっぱり、大きな画面で見たかったなあ。田舎の高校生が実に生き生きと、ジャズとともに過ごす毎日が、描かれている。そのきっかけが、なんとも面白いのだ。夏休み、野球の試合に応援に行った吹奏楽団に御弁当を届ける落ちこぼれの女学生達。降りる駅を乗り越し、仕方なく、暑い中、御弁当をぐだぐだと歩いて届けるのだが、真夏の中をのんびり届けて、御弁当が痛み、食べた吹奏楽団が病院に担ぎ込まれる騒ぎになる。で、次の野球の試合に応援にいけなくなり、責任を取って、いやいやながら楽器を演奏する事になる。しかし、やっと、その気になった頃に、回復した吹奏楽団に、楽器を取り上げられてしまう。つまらなかったはずなのに、楽器を演奏する楽しさを知ってしまい、戸惑いながら、楽器を手に入れ、演奏し始め、ジャズに出会う。その途中の、生き生きと青春を過ごす様子が、とても素敵なのだ。そして最後は、ジャスの魅力にでこぼこ集団だった彼女達だが、素晴らしい演奏をやってのける。最後の演奏は、思わず拍手してしまった位に素敵だった。そして、演奏し終わった彼女達の満足そうな顔が、次々映し出され、映画は終る。無理をせず、ただ、好きで、突っ走る彼女達が、実に良いのだ。それぞれのキャラクターも、良い。本当に、大きな画面で見たかった。監督は「ウォーターボーイズ」の矢口史靖 監督。舞台は、東北の米沢。その自然の雪の風景や、夏の風景も、実に美しく、良いのだ。ロードショーは、2004年の9月中旬。父は11月4日に亡くなったから、本当に、もう、危篤状態の頃だった。その春に嵐君に出会って、初めてコンサートに行った夏の後だった。嵐君に出会っていなかったら、多分、私は父の事と、姑のことで、潰れていただろうから、映画を見る余裕は無かった。そう思うと、今、この映画を見られたことが、感慨深い。良い映画を見た。チビも見たいと、言い出したので、そのままDVDに落とした。そして、夜は、潤君の「花より男子」。でも、今日は、切なくて、ちょっと見たくなかったなあ。漫画の原作は読破しているので、今日の内容はわかっていたから、本当は、見たくなかった。でも、潤君見たさで、見ましたが、やっぱり、今一だったなあ~。いよいよ来週は、最終回。好評で、続編が放映されたが、今、ドラマのクールはとても短い。でも、4月からは、「派遣の品格」の後番組で「バンビーノ」と言う、新番組にまた主演する。潤君、本当に売れっ子になりました。予告編では、白いシェフの制服が良く似合っていた。楽しみです。映画、見に行きたい。今見たいのは「パヒューム」「さくらん」「ナイト・ミュージアム」「ドリーム・ガール」「バブルへゴー」。特に「パヒューム」と、アカデミー賞を取った、私が大好きなシュープリームスをモデルに作られた「ドリーム・ガール」は、外せないな。モータウンレーベルから、きら星のごとく登場したシュープリームス。その後、ダイアナ・ロスが抜け、解散したが、大好きだった。映画、大好きです。
2007年03月09日
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寒いなあ・・・本当に、冬に逆戻り。今日は、暖かいかと思って、表に出て、パパを待っていたら、寒くて立っていられなくて、家の中に、コートを取りに入った。今、コンビニで、点数集めると、コップがもらえるキャンペーンをしている。ほとんど、毎日のように、コンビニに行くから、直ぐ貯まっちゃう。で、この前は、ムーミンのを貰って、今日は、ドラエモンのを貰った。子供がいないから、喜ぶのは、私だけ。良い歳して、めちゃ嬉しい(爆)でも、これ、スープに丁度良い大きさなのだ。それで、貰ってきた。早速、インスタントのコーンスープを入れて飲んだ。なかなか良い感じです。この分だと家族の分も、集められそう。それから、パンの点数も集めている。可愛い、トートバックがもらえる。こういうのに、凄く、弱い。点数集めて、貰うの大好き。主婦の楽しみ。以前は、ドーナツも、食器がもらえる企画があったが、コストが、掛かるのか、最近はしていない。随分、集めた。いまだに使っているのは、カフェオレカップ。もう、次々割っちゃって、1個しかない。そう言えば、私は、あまり、食器を割ったことが無い。割るのはいつも子ども達。以前、高いアンティークの染付けのお皿を使っていたが、子ども達が次々割っちゃったので、使わなくなった。今、一つ、フランスのリモージュ焼きのアンティークの小皿を使っているが、子ども達は使用禁止にしている。私専用。これ、クッキーとか、いちごとか、小さなケーキとか乗せて食べると、余計に美味しく感じる。やはり、お料理は、器だとつくづく思う。子ども達が、お嫁に行っちゃって、パパと二人きりになったら、器を買いに行く旅をしたい。そして、その器に合うお料理を、考えるのも、凄く楽しみです。あ~、それもこれも、まずは、部屋の片づけからだなあ。頑張ろうっと。こればっか言ってるなあ、最近。
2007年03月08日
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何だか冬に戻っちゃったような寒さ。でも、何だか、気持良いのは何故かな?寒さが恋しい冬だったから・・・かもしれない。昨日、子ども達がくれたお花を、お玄関に生けた。チューリップが、凄く可愛い。チューリップは、やっぱり、春の一番のお花だなあ。実は、先日、お友達との食事の帰りに、大好きな真っ白いカラーを売っていたので、買ってあった。でも、こっちのお花の方が華やかなので、お玄関に生けた。カラーどうしようかなあ・・。リビングが綺麗なら、大きな花瓶に床にそのまま置いて生けるのだが、ぐちゃぐちゃのリビングに生けたら、お花が可哀相だもんね。洗面所にでも、生けましょうか。頑張りたいのに、今日は体調が今一。ここのところ無理をしないようにしている。来週、仕事がらみで、富士宮に一泊で行く。その次の週は、やはり仕事がらみで中国にパパと行く。富士宮は、大きな機械メーカーの展示会に行く。大きな会社で、宿泊施設は、まるで、一流ホテルのような物を持っていて、展示会に行くのは、毎年、小田原なのだが、今年は、富士宮だそう。中国は、3泊になる。一応、北京らしい。詳しい事は聞かない。好奇心旺盛の私が、行くとなると、あっちこっち調べて、行きたくなり、そこに行けなかった時、がっかりするのが、自分で解っているから、仕事がらみの時は、行くつもりじゃなかったのに行けちゃった・・と言う形になるように、いつもしている。ベトナムの場合は、街が狭かったから、行きたいところに、行けたが、中国は、デカイ。まあ、万里の長城くらいは行けるかも知れないが、期待はしていない。食べ物の心配は全くしていない。これも、好奇心旺盛の私だから、なんでも口にする。前もって言われなければ、世の中で一番嫌いなへびも、食べるだろう。試して見て、口にして、嫌いとか、まずいとか言いたい。食わず嫌いは、一番、卑怯だと思っているから、知っての上で、文句を言いたい。だから、ベトナムでも、なんでも食べた。生のもやしが食べられる事を知ったのも、ベトナムだ。中国、本当は、新婚旅行に行きたかった国。でも、時節柄、辞めておいたほうが良いと言われ、あきらめた。24年目にして、やっといける。経験者のパパは、「ホテル以外のトイレは汚いし、隣との囲いは無いし、絶対、お前、だめだぞ」って言っているが、それが、その土地で普通の事なら、出来ちゃうよきっと、私。まあ、何が出ますか、お楽しみです。で、今日も、うだうだ3日め。相変わらず、良く寝ます。何故こんなに眠れちゃうのか、解りません。「春眠、暁を覚えず」とはいう物の、夜はとうに明けているのにね。本当に、頑張らなくちゃ、お仏壇も、マッサージ椅子も、買ってもらえそうにない。そろそろ、本当に頑張れ、私。
2007年03月07日
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朝からうだうだしてます。昨日、あんなに暖かかったのに、今日は、物凄い風と、寒さに、びっくりした。友人から、おめでとうメールを沢山頂き、ありがたいです。お返事しながら、お一人お1人に、お礼に行きたいくらい嬉しかった。うだうだしてたら、パパがお昼に帰って来た。チビと3人で、ラーメンを食べに行った。本当は、お祖母ちゃんとよく3人で行った、創作和食屋さんの定食が食べたかったが、先に、買い物をしている間に、ランチの時間が終っちゃって、準備中の札が掛かっていて、入れなかったのだ。お祖母ちゃんが生きてる頃、よく3人で、食べに行ったのに、お祖母ちゃんが亡くなってから、一度も行って無い。1200円のお膳なのだが、サラダ、山いも、味付けした温泉卵、揚げ物、その日のお魚のお料理、お刺身、ご飯にお漬物、デザートの杏仁豆腐だとか、ブラマンジェが付いてて、1200円とは、お得な定食ですよね。食べたかったなあ。最後に、いつものケーキ屋さんに寄って、子ども達が、用意してくれてあったケーキを取りに行ったら、パパが「おい、あれ見て」。可愛いケーキ屋さんのアプローチの所に、黒板があって、「お誕生日おめでとうございます」と書かれてあり、その一番上に「Kさんちのお母さん」と私の名前があり、その下にも、5~6人の方のお名前があったが、「○○さんちのお母さん」と言う書き方は、私1人で、なんだか、恥ずかしいような、細やかな心使いが、とっても嬉しかった。帰宅して、しばらくして母から電話が有り、明後日から山陰に旅行に行くので、デジカメが欲しいと言い出し、夕方、電気屋さんに連れて行った。もう、本当に、沢山有るので、びっくりしちゃった。「簡単操作で、画面が大きくて、画像が綺麗なの」と言ったら、2~3台、見せてくださった。で、母が気に入ったのを買ったが、私は母が、落っことすのが心配で、ついでに、バックに付けられる小さなケースも買った。私のデジカメもそう古くないが、ひと月もすると、新しいバージョンアップした物が出るそうだ。本当に、30種類くらいあった。驚き。で、隣のニトリに入って、箪笥を物色。これも、驚いた。3万円出せば、結構、良いのが買えちゃう。え~、箪笥って、こんなに安いんだ~。早く、二階を片付けて、一棹買いたい。そしたら、洋服も片付くなあ。ガラスの花瓶を割っちゃったので、一つ買った。それに、綺麗な色のガラスの石も、白とブルーをゲット。表に出たら、何と、みぞれが降ってた。寒い訳だ。「貴方今年で幾つになった?」「聞かないでよ~」親のくせに、嫌がらせ。自分の歳から20歳引きゃー解るじゃん。嫌味としか思えない。でも、誕生日だから・・・とお小遣いもらっちゃった。「これで、何か買いなさい」「うん、ありがとね」帰宅後、また、うだうだ。今日は、なーーんにも作りたくない・・とチビに宣言。でも、買い物でしゃぶしゃぶの用意をして有ったから、野菜を切って、直ぐに用意をしてくれた。よしよし。ほどなくして、パパが帰宅。食事後、オネエが帰ってきて、ケーキで御祝い。ケーキの炎を吹き消したら、オネエが向こうから、綺麗な花束を持って来た。「お誕生日おめでとう、これ、あみと私からだよ」わ~、凄い綺麗!!!嬉しい!!「ありがとーーー!!」毎年、花束を貰うが、これ、本当に嬉しいなあ。「明日から、また、頑張ってな」とはパパ。はい、頑張ります。でも、マイペースでね、ゆっくり、無理せず、頑張ります。AY、AM、パパ、ありがとうね!感謝。画像は、子ども達がくれた花束とケーキ。あんまり可愛くて、綺麗だったので、記念撮影。花束のグリーンのシールにくっ付いているのは、月桂樹の葉でした。良い香りがしました
2007年03月06日
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朝から雨。その割に暖かい。明日からまた、寒くなるそう。三寒四温の繰り返しの無いままだったので、なんだか、ほっとした。雨の月曜日は、な~にもしたくない。体の調子も、今一。なんだか、風邪の薬のせいで、一日、眠い。ちょっとソファに横になると、うつらうつらしてしまう。今日は、ぐだぐだを決め込んだ。TVを見るのも、疲れる。HDDに録画して見ていなかった物を片っ端から見た。本当は、今日、名古屋に出かけて行くはずだったが、それも、やーめた。昨日撮った写真を編集したり・・。午後、電話があった。私のサイトを見た、ウェブのショッピングモールの会社が、うちに出店しませんか・・と言うお誘いだった。私は、そういうお誘いは、全部お断りしている。お人形をコンスタントに、アップできれば、そのショッピングモールに参加させて頂きたいが、何せ、気まぐれのアップだし、儲けたくてやってる訳じゃないし、そういうものにお金を使えば、自然、お人形のお値段に上乗せしなくちゃならない。ホームページを作ってから、有名出版社や、クレジット会社などから、オファーを沢山頂くが、一切、お断りしている。自由気ままにやって行きたいし、人形の値段に、上乗せしなくちゃならない事は、一切したくない。本当にお人形のお好きな方だけ、お相手にしていたいから、面倒な物は、性分に合いません。パパには道楽だと言われるが、はい、その通りです・・なのだから、仕方が無い。今のペースが、私には、合っているし、それでお客様に喜ばれれば、こちらも、嬉しい。一通り、説明したら、向こうも、解ってくださった。こういう話は、エネルギーを使うので、参ります。電話を切って、また、ソファの上に寝転んだ。雨の音、優しいなあ。春の雨は、春の匂いも運んでくる。土の匂い。どこからか、花の香りも・・。猫が、ずっと、足元で丸くなって寝ている。可愛い寝顔。のんびりの、一日。何か、幸せ。でも、むしょうに眠いです。自分の顔を自分の手で隠して思い切り足を伸ばして寝てるミルキーです。安心しきっている私と同じうだうだ猫のお姿
2007年03月05日
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6日の誕生日の日は、平日で、皆が帰りが遅いから・・・と、前倒しで今日、お食事をする事になっていた。実は、今日は、月一の友人達とのお食事会。お昼に、ご馳走を食べて、夜も・・・が嫌だったが、今日しか空いて無いと、家族が言うので、今日になった。昼間、いつものように、皆で集まった。今回は、先月、下の子の受験の方がいらしたので、食事会を辞めたから、皆に会うのは2ヶ月ぶりだった。Kちゃんの下のお子さんは、見事、希望の武蔵野美大に合格。その上、マンションは、私のふるさとである吉祥寺と言う事で話が盛り上がった。良いなあ、私も、吉祥寺にマンション、買いたい。宝くじが当たったたら、絶対、買うと決めている。そうしたら、嵐君のコンも、そこから行けるし・・。儚い夢です。友人達との会話は本当に面白い。でも、今日は、中のお一人のお嬢さんが、結婚が決まりそう・・・と言う話題に、もう、そういう時が来たんだね~と、感慨深かった。このメンバーは、10年以上のお付き合いの方が多いから、お互い、若い母親の頃も、女盛りの頃も、一緒だった。今じゃ、年を取って、寡婦になったら、一緒に住みたいよね・・なんて話も出るようになった。旦那様が、先に逝くと決め付けて話しをしているのが、何とも可笑しいよね!嬉しいような、寂しいような、お互い同じ気持を共有できるから、本当に、良いお友達を持ったと、感謝する。解散して帰宅し、少し片付けをして、夕方、着替えて母を迎えに行き、丘の上のフランス料理のお店に行った。ここ、お子様お断りの本格フランス料理屋さんなのだが、お子様お断り・・と聞くと、なんだか、すごくかしこまっているお店のようだが、全くそうじゃなくて、狭い店内は、自動演奏のピアノがあって、ご家族と、2人の従業員の方でやってらっしゃる、とても家庭的なお店なのだ。正直、ここ以上に美味しいお店を知らない。フランスの料理コンテストで賞を取られたご主人の、表彰状とメダルが、誇らしげに壁に掛かっていて、時々、マダムがお話しに来てくださる。記念日だというと、写真も撮ってくださる。一昨年の我が家の年賀状の写真は、この写真を使った。パパが、誕生日のプレゼントをそこでくれた。前から欲しかったものだったので、凄く嬉しかった。母が、マダムと暫くなにやら、話していた。丘の上に有るお店なので、夜景が凄く綺麗だった。お料理も、本当に美味しかった。前菜のお魚料理も、スープも、シャーベットも大好きフォアグラの乗った小さなステーキも、超美味でした。こうしてこんなお食事が出来る事に、感謝。本当に、パパに感謝だなあ。家族の皆様、本当に、ありがとうね。画像は、最後に出てきたデザート。私だけ、お誕生日のプレートをサービスしてくださった。デザートは、あまりに可愛いので、記念撮影しました。
2007年03月04日
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今日は、桃の節句。何時からお雛様、出さなくなっちゃっただろう。確かに1人で出すには、かなりの体力が必要。7段を組み立てて、緋毛氈を敷くまで1時間近く掛かるし、お人形を飾るのにも、そのくらい掛かるから、もう随分、出していない。亡くなった父が、買ってくれたのだが、子ども達が、それで遊ぶ事を、とても喜んで、私は、壊しやしないかと冷や冷やしたが、父は、「良いよ良いよ、遊ばせてやれ、本来そういう物じゃないか」と言って遊ばせたので、随分、壊れているお道具もあるが、良い思い出になった。お祖母ちゃんの部屋だった所が、お祖母ちゃんが来るまでは、飾る部屋だったから、お祖母ちゃんを引き取ったのが5年前で、5~6年出していないって事だなあ。マンションに居た頃は、毎年出していた。娘達も、小さかったし、手伝ってくれた。この家に来てから、7段出すのに大変なので、毎年、7段と、お姫様お内裏様だけの年と、交代に出していたが、出さなくなった。元々お人形が好きなので、小さな物や、陶器で出来ている小さなお雛様はコレクションしていて、365日、飾ってある。最近は、それに、タピストリーを飾ったりするだけになった。しかし、お料理だけは、頑張る。そのため、この日だけ使うお皿だとか、鉢とか、箸置きとかお盆がある。毎年、この日は、散らし寿司に、蛤のお吸い物、それに、菜の花のおひたしとメニューは決めてある。今年は、それに昨日の天ぷら。毎年、食べちゃってから、あ~、写真撮って置けばよかった・・・と後悔するが、今年は、ちゃんと食べる前に撮影できた。最近、娘達が、レシピや写真を残せとうるさい。新しい料理を作ると、「これ、どうやって作った?」としつこく聞くようになった。お嫁入りのための準備だろうなあ。だから、時々、こうして写真に残す。レシピも、書くようにしている。でもね、やっぱり、少し寂しいかな?あと何回、こうして、お節句のお料理を皆で揃って、いただけますやら・・・。画像は、頑張って作った、お節句のお料理です。あ、お箸が逆さまなのは、娘達が、二人とも左利きだからです。なんか、やっぱ、こうして見ると、違和感あります(笑)
2007年03月03日
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ここ2~3日、裏庭である斜面に所々に、ふきのとうが、出てきた。最初の頃は、採っても如何して良いのか解らず、東京の伯母に、そのまま送っちゃっていた。従姉妹から、天ぷらや、佃煮にすると良いよ・・と教えてもらい、昨年くらいから、自宅で食べるようになった。ふきのとうと、土筆を採ろうと思ったが、土筆は、まだ出ていなかった。ふきのとうを採ると、すぐに、料理しないと、時間が経つにつれ、にがみや、あくが出てきてしまう。今日は、朝から、今晩のメニューは、天ぷらと決めた。天ぷら、もう、随分していない。台所が汚れるし、油物が最近、家族が好まなくなったし、時間が掛かるし、疲れるから、しなくなった。しかし、今日は、頑張って揚げた。ふきのとう、にらとエノキ、人参、えび、帆立の貝柱、とろろいもの磯辺揚げ、かにのポーション、全部揚げるのに、1時間半掛かった。天ぷらをすると、いつも沢山揚げすぎちゃう。ま、明日は、桃の節句だし、余っても明日に回せばいいか・・。揚げ終わって、天汁を作って出来上がり。もう、本当にくたくた。春の香りがする、ふきのとうは、8つほど揚げた。後は、あくを取って、佃煮にしよう。食事後、油物にまいったチビが、香醋を飲んだ。「すっきりするね」パパも、暫くしたら、「油で、気分が悪い」おいおい、凄く、良い油つかったんだよ。脂肪がつかないとか、オリーブ油とか。パパ随分、沢山、食べたからなあ~。で、試しに言った。「香醋、飲んでみる?すっきりするよ~」余程、辛かったのだろう、「おお」!!!。パパが香醋、飲んだ!!「どう?美味しいでしょう」「いんや、超まずい」。そうですか、そうですか。しかし、入浴後に、「おい、あれ、もう少しくれ」さっき飲んだのが、効いたらしい。これで、パパも飲むようになったら良いのになあ。しかし、な~んだ、天ぷら、久しぶりにしたのに・・・・。もう、皆、本当に油っこいものは、駄目になってきたんだなあ。それに、私のからだが弱くなってから、天ぷらはなかなか出来ないし。本当に久しぶりにしたが、やっぱり、立って揚げている間が、辛い。天ぷら、我が家のメニューから、封印されそうです。画像は、最近お気に入りの香醋と、ふきのとう
2007年03月02日
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もう、どうしようもなく成っていた。我が家は、変わった建て方をしてある。一階が、あって、中二階があって、ロフトのある二階があるのだが、私達の寝室は、その中二階の8畳ほどの洋間なのだが、そこが、物の飽和状態になっていた。非常に恥ずかしい話だが、お布団は干す、シーツも、時々洗濯する・・・が、掃除は、していない。出来ないのだ。何故?床に足の踏み場も無く、物が散乱しているから、掃除機を掛けると、吸い込んじゃうから。折角、お祖母ちゃんの部屋が綺麗になったので、片そうと思ったのに、どうも駄目なのだ。考えた。あそこが癌だ。あの部屋が、片付かないと、家の中は片付かない。しかし、もう何ヶ月も、掃除機を掛けていない。埃の塊が、端っこに、そこかしこにある。これこそADHDたる所以。こうなったら、如何して良いか解らないのだ。しかし、ここをやっつけないと、永遠に、綺麗にならない。我が家が汚い理由の一つに、洋服が多すぎる事もある。リビングにも、キッチンにも、誰かの洋服がある。仕舞えばいいじゃない?と当たり前に思うだろうが、仕舞う場所がもう無いのだ。だから、処分するか、大元の寝室を片付けないと、どうにもならない事に、気がついた。で、朝から、今日は絶対、片付けると、自分に言い聞かせた。しかし、体が言う事を聴かない。気持は、思いっきり、片付けたいのに、体が、動かないのだ。泣いた。悔しくて、どうしてなのよーーーっ!!と、叫んだ。一応、片づけをするつもりで、部屋の中にあった、洋服の入った箱、5つは、すでに下に降ろしてある。お昼過ぎ、パパが帰って来た。「したいのに、出来ない」と言うと、無言。これは、更年期障害のせい?鬱のせい?ADHDのせい?自分でも解らない。気持がぐちゃぐちゃ。困った時の嵐君。暫く、DVDを見た。気持が、引き戻された。パパが会社に行った。ようし、やっちゃおうか!何処からやって良いのか解らない混乱した時は、端っこから、しましょうって、決めたんだった。これADHD障害者の、対処法。一応部屋に古い、型の掃除機が有ったが、ダイソンの排気が綺麗な物が良いので、下から掃除機、ダスキン、ゴミ袋の束を抱えて、二階に上がった。まず、部屋の入り口にある、紙袋から。中には、お祖母ちゃんが施設を出なくてはならなくなって、毎日、走り回っていた頃届いて、中を見ようと思っていたのに、お祖母ちゃんが亡くなって、空ける暇も無く、お祖母ちゃんの部屋を空けなくちゃいけなくなって、慌てて、下から運んで、後で見ようと思っていた友人からの小包が入っていたが、すっかり忘れていた。見たかったが、まず、それを下に持って行った。それから、京都の市で買った、アンティークの帯が沢山入った袋。丁度良い、箱があったので、中の帯を防虫剤と一緒に入れた。それをどけたら、ホコリだらけ。廊下のコンセントに掃除機のコンセントを入れて、早速、お掃除。入り口からこうだ。次、洋服ダンスの前に置いてあるディレクターチェアの上のものを片付けた。何枚も、洋服が出てきた。虫食いになってないのは、放ってあるくせに、ちゃんと、防虫剤をはさんであるから。自分で笑ってしまった。箪笥の中は、もう入らない。私はなかなか、洋服が捨てられない。10年前の着ていないものまで、律儀に、洋服ダンスに、季節ごとに出してしまう。今日は、洋服は、片付けない。とりあえず、掃除機を掛けるのが目標。お洗濯できるものは、廊下に出した。クリーニングに出すものは、大きな紙袋に入れた。ディレクターチェアをどけたら、ここも、すごい埃。掃除機で何回も吸い込んだ。ダスキンで洋服ダンスの中も拭いた。ホースヘアのハンドバックが出てきた。これ、高かったんだよな~。でも、もう、こんなの持たないから、廃棄。中から、布の袋が出てきた。何か入ってる?開けてみたら、こげ茶色のウサギの毛皮の、まあるいバックが出てきた。超可愛い!、こんなの買ったんだ。何時だっけかなあ。でも、もう、季節的に持てないなあ。来年、使おう。横の段ボールの中に、本やら、カタログが入って、これも、埃だらけ。廃棄。ん?本の下から、思わぬものが出てきた。何年も掛かって毛糸刺繍しているバックの、持ち手やら、小物の部品。ああ、こんなとこに有ったんだ・・・・。捨てないで良かった~。綺麗に掃除機でごみや埃を吸い込んで、袋に入れてしまった。時間を見たら、既に、5時。キリも良いし、また、今度、続きをしましょう。まだ、部屋の4分の一しか出来ていない。全くドンだけ、放っておいたんだよ・・と自分につっこんだ。夜、パパが帰ってきて、二階を見て言った。「おお、やっと、人がいられる部屋になりつつあるなあ」ほんとだよ。全く、私って、どうしようもないね。
2007年03月01日
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