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今日は、早朝からパパはゴルフ。チビも、映画研究会の鑑賞会で、出かけていった。オネエは、修士論文のため、自分の出た中学にアンケートの依頼に出かけた。はい、また、1人っす。平日の1人は、全くなんとも思わない。むしろ、気が楽。でも、土日の1人は、結構、寂しいかな?今日は、少し嵐グッズを整理しようと決め、写真などを、新しいグッズのアルバムに入れたり、ダブった写真をオークションに出すべく撮影したり、結構、楽しく過ごした。早朝に出かけて行ったパパが、お昼過ぎに戻ってきた。今日は、お昼をプレー終了後に摂って、帰って来たそう。しかし、腰痛もちのパパは、早朝からぶっ続けのプレーで、また、腰を痛めて帰って来た。あ、これは、チャンスかも!半年前、お祖母ちゃんの部屋を整理した時、父の形見だった、マッサージ椅子を処分した。結構、皆が使っていたが、「これ捨てたら、新しいの買ってやる」とパパが宣言したので、お名残惜しかったが、お祖母ちゃんの尿の匂いもついていたし、古い物なので、細かいマッサージができなかった。父も許してくれるだろうと、えいっと捨てた。しかーーし、それから、パパは、なかなか買いに行こうと言い出さなかった。「うそつき」背中や肩が痛くなるたび、パパに毒づいた。私は、背中が痛くなりだすと、肩がパンパンに張って、首に来て頭痛になる。だから、背中が痛くなりだした時に、対処しないと、おう吐まで行ってしまうのだ。だから、マッサージ椅子は必需品。なのに、なかなか買いに行こうと言い出さない。で「うそつき」・・と言う事になっていた。だが、今日は、パパ自身が相当、腰が痛いらしい。「パパ、電気屋さん行こう」「なんで?」「マッサージ椅子買いに行こう」やはり相当痛かったのだろう、案外素直に出かけた。電気屋さんに入ると、二階の奥にマッサージ椅子が並んでいた。丁度欲しいのが、空いていた。パパを、一番良い物に座らせ、私もその横のに座った。こういう場所で、座るのは、買いに行く時以外、なかなか勇気のいる事だ。しかし、今日は、買いに来たので、かなり堂々と座った。ビックリした。もう、本当に、色色な機能がついているのだ。6人のマッサージ師の手で・・・というのが、このマッサージ機の売りらしい。めちゃ気持ち良い。横を見ると、パパは、目をつぶって気持ち良さそう。よしよし、乗ってしまえば、こっちのものだ。暫く、女性店員さんの説明を受け、私は、色色な機種のに乗ったが、パパは、さっきの機種に乗ったまま動かない。しめしめ、こりゃ、決まりだなあ。案の定、ワンクール15分のマッサージが終ると、「おーー、腰、痛くなくなったぞ」と言いながら、椅子から立ち上がった。それから、色色な物に乗ったが、やはり最初のが、気に入ったらしい。「どうしますか?」「これ、もらおう」やったーー!苦節半年、「うそつき」と言い続け、機嫌の良い時「マッサージ椅子買いに行こう」と行ってみたりしたが、なかなか「うん」と言わなかったパパ。さすがに自分の腰が悲鳴を上げたら、背に腹は代えられなかったらしい。説明してくれていた女性店員さんが「良いですね~、私もこれ欲しいんですよ~」と笑った。手続きをして、帰宅。来週、届きます。これで、私も、腰痛や、肩こりから、大分解放される事でしょう。あ、しまった。部屋、片付けておかなくちゃ・・・。
2007年06月30日
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朝5時半起床。6時半前に家を出てTのいるマンションに、迎えに行った。最後のビックリ仰天。マンションの部屋に、友達のベトナム人男性2人がいたのだが、何と、畳の上で靴、履いている。パパが、「おいおい、駄目って言ったろう」と苦笑。慌てて「あ、これ、新しいのです」とT(笑)私の顔を見たら、抱きついてきた。「大丈夫、大丈夫、一緒に空港まで行くから」となだめた。チャムの目に涙が一杯。港から、対岸の中部国際空港セントレアまで、高速船が出ていて、35分で着く。それに乗る。大きな荷物をトランクに、Tと港までドライブ。色色な話をした。船着場は、コーヒーとドーナツのサービスをしていて、出航の時間まで、小雨降る港を見ていた。海の匂いがした。潮の香り、好き。セントレアに着き、他の研修生と待ち合わせ。面白かったのは、その、一緒に帰るベトナム人の男の子。日本人と言われれば、全く解らないくらい、日本人のような顔つきの、ちょっとジャニーズ系の可愛い子だったが、大きな大きなTVを台車に乗せていた事。亀山ブランドの○クオスだ。我が家にも無いのに、頑張って買ったんだね・・・とパパとにっこり。ベトナムの家族への、お土産だそう。なんとも微笑ましいよね。チャックインを済ませ、軽い朝食を摂りに、皆でお店に入った。Tは、私のそばから離れない。一緒に帰国する、研修生の男の子は3人いた。話に聞けば、今回3年前に16人の研修生を受け入れたそうだが、何と10人逃亡し、無事に帰国するのは、この4人と、昨日先に帰国した二人だけだったそう。そりゃー、日本政府が、もう、ベトナム人の研修生を、この受け入れ団体に許可しなくなったのは、当然と言えば、当然だろう。とばっちりを受けたのは、うちのような零細企業。次期は中国人の研修生にしなけりゃならなくなったので、先日、パパと中国に行ったのだ。Tと食事をしながら、また、色色な話をし、住所を教え、また、教えてもらった。Tの家は、私が行った、サイゴンの聖マリア教会のすぐ近くだった。帰国してからの就職先への紹介状を、受け入れ側の社長さんから、受け取っていた。日本企業が一つと、ベトナムの日本語を生かせる会社と、二通の紹介状を、大切そうに、カバンに仕舞っていた。Tは、歩きながらずっと、私と手を繋いでいたが、いよいよ、出発1時間半前の時間になり、ゲートのところに、行った。こちらは、パパと私、それに受け入れ団体の方3人。「ママ、ありがとう。お醤油、送ります」「うん、ありがとう、気、使わなくて良いよ。遊びに行くからね」「はい、絶対、来てください、すぐに会いに行きます」涙で一杯のTと、何回もハグ。こちらも、情にほだされて、涙が出ちゃった。本当に、一生懸命、働いて、一生懸命、慣れない国で頑張ったね。頑張った3年間は、Tちゃんの勲章だよ。ベトナムに帰っても、きっと、貴女なら、ちゃんとやっていけるね。社会主義国ベトナムの国民は、一生に一回、公の研修でしか外国に出られない。外国に出るのは、結婚するしか方法は無い。その上、同時に二人は出られない。一家に1人だけだ。だから、こちらから行くしか、会えないのだ。何度も、振り返りながら、Tはゲートに入って行った。ところが、一緒に入ったベトナムの男の子たちは、そのまま中に消えたが、Tだけ、税関の所に、足止めをくらった。Tが、かぶっていた帽子が、時々動くのが見えた。「どうしたんでしょうね~」「何か、水を、持ってたのかな~」「もう、行ってやれないしな~」とこちら側で、見送りの男性たちが、心配そうに見守った。20分も、足止めされていたろうか。Tの姿が、見えなくなったら、税関の係員が、何かこちらに持って来た。ガムテープでグルグル巻きにされた新品のお化粧品と、それに何と!・・・・・果物ナイフ!!!!「これ、刃を出さないで下さい。出すと、ここでも銃刀法違反になりますので」と、私に化粧品とナイフが渡された。係員が行ってからもう、爆笑だった。「そりゃー、こんなもん持ってりゃ、足止めくらうよな~」「なぜこんなもの、持ってたのかね~」多分、今朝、食事をしたと言っていたから、最後に使って、荷物を作ってしまった後だったので、軽い気持ちで、自分のバックに入れたのだろう。「化粧品だけなら、通してもらえたかもしれないのにな~」口々に、男どもは、笑いながら言っていたが、私は、Tの気持が、いじらしかった。これ、ちゃんと、彼女の家に送ってあげよう。T、待っててね。必ず、お化粧品、送ってあげるから。そこで、解散。私は、パパと買い物に。セントレアは、飛行機に乗らなくても、十分遊べる場所なのだ。銭湯まである。マッサージをしてもらいたくて行ったが、待ち時間がすごく有り諦め、アジアングッズのお店で、普段着になりそうなワンピースと、スカートをゲット。レジの横に、革で出来た、お花の指輪があったので、赤、白、黄色とゲット。美味しそうなかわはぎの干物もゲット。ザ・ギンザのグッズやバックも見た。ふと気が付くと、11時。飛行機が飛び立つ時間になった。デッキに出たら、ベトナム航空の懐かしい機体が見えた。・・・と、受け入れ団体のOさんがそこにいた。Oさんとは、逃げて帰って来たFを、やはり送還する朝に、パパとマンションに迎えに行った時、初めてお目にかかったが、既にFは逃げた後で、一緒に帰った苦い思い出の有る方だ。物凄い日差しの中、一緒に飛行機が動くのを見ていた。Oさんは、感慨深そうな表情だった。「さあ、もう、どうしようもないですね。日差しがきついから、中に入りましょうか」飛行機は、離陸のため、滑走路を動き出していた。そこでOさんは、次の高速船に乗ると帰って行かれた。パパと、また、少しお店を見て、そろそろお昼に皆、色色なお店に並び出したので、私達も、お蕎麦屋さんに入った。美味しいそば粉100パーセントの、カモのお肉の乗ったおそばを頼んだ。うーん、超、美味。満足です。私達も、次の高速船で帰ったが、あんなに晴れていたのに、こちらに帰ってきたら、やっぱり雨。置いてあった車に乗った。「とうとう、帰っちゃったね」「うん」3年前、初めてマンションに連れて行った日を思い出していた。そうそう、車に乗ったことがあったのは、Tだけで、後の二人は乗ったことが無くて、車に酔っちゃって、大変だった。手違いで、着替えの入った荷物が届いていなくて、私が慌てて、下着を買いに走ったんだった。日本語が少しだけ解るTだけが、頼りだった。後は、国立大学に通う留学生のベトナム人の男の子にアルバイトで、通訳を頼んだり・・・。何だか、懐かしいなあ。T、元気でね。きっと、遊びに行くね。バイバイ、T。
2007年06月29日
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関係は無い(爆)ただ、ファンなだけだ。嵐君を好きになった頃、私は、どん底にいた。鬱病の治療が2年過ぎても、なかなかよくならず、ドンつまりの状態だった。糖尿病から脳梗塞を起こし、引き取った認知症の姑は、ますます悪くなり、まだ、私が病院に連れて行ったりしていた時期だ。主治医が、介護は無理と診断を出したが、姑を放り出す訳にも行かず、義弟夫婦は、最初から無理と言い出し、我が家に引き取ったが、介護した一年で、鬱が恐怖症に進んだとき、ドクターストップで、家での介護は無理と、一応、施設には、入れてもらっていた。そんな中、父が倒れた。玄関で転んで、鼻と口の間に穴が開き、2針縫った。帰宅して、その晩高熱を出し、救急車で運ばれ、血液検査の結果、骨髄異型性症候群と診断された。この病気、なじみの無い名前で、解らなかった。しかし、調べたら、高い確率で、死に至る病。治療は、骨髄移植しかなく、40歳以上の患者には不治の病と言って良かった。翌日、先生を呼びとめ尋ねたら、余命半年と言われた。あの日の事は、ブログにも書いたが、自分でも、どうしようもなく混乱した。父がいなくなる・・・。ファザコンを自負する私にとって、奈落の底に落とされたようだった。そして、東京に帰ったまま、お正月にも、お盆にも家に寄り付かない弟に代わって、私が、母の送迎と母と交代で父の看病をする事になった。勿論、年取った両親の心の支えにもならなくちゃ・・・と気持ちも相当な負担があった。一進一退の病状。朝、母を病院に連れて行き、父と少し話しをして帰宅し、夕方、また、母を迎えに行った。母が用事の有るときは、一日、父と向かい合った。そしてお祖母ちゃんの認知症。自分の鬱病、そして、診断された障害。どうやって乗り切れば良いのか、解らなかった。おまけに更年期の症状も出ていて、気持ちも、体もボロボロだった。そんな時、嵐君に出会った。気持ちが、ほっとした。最初は、潤君が好きになり、そんな自分を嘲笑している自分がいた。「自分の娘と同じ年の子好きになって、何やってるんだ」もう1人の私が言った。家族も、呆れた。そりゃ、本人が一番、あきれているんだから、当たり前だろう。私は、最後のビートルズ世代。「ゲットバック」や「レット・イット・ビー」「ザ・ロング・アンド・ワインディングロード」など、リアルタイムで、ビルボードの順位に一喜一憂した世代。だから、音楽に対して、うるさい・・・と自負が有った。自分で曲を作らない歌手は、アーティストとは呼ばないと、当たり前に思っていた。その私が、なぜ嵐君に落ちたのか、自分でも解らなかった。そして、ある日、コンサートに連れて行っていただくチャンスに恵まれた。それも、奇跡のバックステージ、1列目。目前には、メンバーが、上がってくる階段。相葉ちゃんの顔のにきびまで、数えられるくらい、近かった。初めてのコンサートは、本当に驚きの連続だった。ジャニーズは口パクと聞いていたのに、ちゃんと歌っているのが、マイクを通してじゃなく、目前のメンバーの声で解った。踊りも、半端じゃない。上手い。一辺で、嵐ワールドに、惹き込まれた。父の看病の最中に、よく、コンサートになんて行く・・・と眉をひそめられても、陰口を叩かれても、私にとって、唯一の癒しになった。事実、初コンサートの次のカウセリングで、カウンセラーが、私の余りの変わりように、驚いた。それまでの私は、死んだ目をしていたそうだ。暗い、先の見えない、救いようの無い毎日の中、カウセリングに行き、カウセラーの前で、何度も泣いたのに、嵐君の話しをする私は、別人のようだったそうだ。そして、追い討ちをかけるように、父より先に、友人が、同じ鬱から自殺をしたり、従業員の奥さんが、夫婦のトラブルから焼身自殺を計ったり・・・。本当に、あの頃、つられて自分も死んでしまいそうな状況だった。残された父の日々は、少なくなっていき、いつもフラットな気持ちでいるのが、とても難しい時期だった。鬱も相変わらずなのに、障害者と診断も降りた。暗澹たる思いの毎日の中で、一筋の光が、嵐君だった。カウンセラーから「今度、いつですか?」と聞かれるようになった。「その日まで、気持ち、持たせましょう」と励まされた。浜松のコンサートに行く前、病室に寄った。「コンサート、行ってくる」と言った私に「お前、若いなあ」と笑った父。大きな娘に、お小遣いまでくれたあの時の父の顔、忘れられない。「元気になって帰ってくるね」と病室から、コンサートに向かった。1部と2部に入ったので、途中の休憩の時間、父の容態が心配で、娘に電話を入れた。「大丈夫だよ、お爺ちゃん。元気」あ~、良かった。私が居ない間に、急変してもおかしくない状態だったから、心配だったが、それでも、嵐君に癒されたかった。父は、結局、その年の11月に逝った。父のお葬式が終った翌日から、事務的な仕事が、山ほど出来た。父の家に、嵐君のCDを持ち込み、父のパソコンで仕事をした。新しい忌中の紙の張られた家から、嵐の曲が、次々流れてくる。多分、とても異常な姿だったろう。しかし、それが、私の唯一の癒しだった。嵐君の曲は、本当に人生の応援歌が多い。アイドルグループの曲だと、甘い、恋愛の歌が多いと思われがちだが、兎に角、嵐君の曲は、人生の応援歌が多いのだ。その歌詞に、癒される。本当に、素敵な言葉が一杯詰まっているのだ。歌詞を文章に書くのは、著作権の問題があるそうだが、一つだけ、お許し願って、書きたい。コンサートの最後の方に、いつも必ず、歌われる歌。「感謝カンゲキ雨嵐」にこんな歌詞が付いている。「上手くなんて生きられない それは誇り、助けてくれた君は同じ目をしてる。許して許されると、人は素直だね。泣きながら生まれてきた僕らは、多分、ピンチに強いありがとう何度でも立ち上がれる気がしてる僕の勇気は泉」あの頃、どれほど、この曲に、励まされ、癒され、涙しただろう。だから、いまでも、コンサートで聞くと、鼻の奥がツーンとしてしまう。父が亡くなってから何故か、嵐君は、超忙しくなった。暮から新年にかけてミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」幸運にも、オーラスにそれも、前から10列までの間に、当選する事が出来た。年が明けてから、毎月のように、ニノの「理由なき反抗」、潤君の「エデンの東」相葉ちゃんの「燕のいる駅」大ちゃんの「幕末蛮ぷー」のお芝居。それに、夏コン。本当に、父の亡くなった翌年の2005年は、毎月、どこかに出かけていた。そして、その度、私の鬱は、快方に向かった。そして、父を亡くした悲しみも、軽くなっていくようだった。まるで、「嵐」は、神様が私に与えてくれた、宝物のように思った。大袈裟ではなく、命を嵐君に助けられたように思う。そして、3年経った今も、私は、嵐君が大好き。相変わらず、コンサートに行くと、元気になって帰って来る。嵐君には、本当に感謝。そして、私が北へ南へ出かけることに、嫌な顔せず送り出してくれる家族にも感謝。そして、嵐君を通じて沢山のお友達になった方々。友達でいてくださって、心から、ありがとうm(__)mやっぱり、関係は無い・・かな(笑)
2007年06月28日
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三年前、我が社に3人のベトナムからの研修生が来た。名前は、T、F、W。2年経った頃、結婚していて、子供もベトナムにいるWが、居なくなった。そして、もうすぐ、研修も終わりと言う時、今度は、Fがいなくなった。警察に捜索願を出し、入管にも届けた。そして、今月、名古屋で、二人が保護され、入管に不法滞在者として引き取られた。今日、最後まで残っていたTちゃんが、就業最終日を迎えた。明日一日、お休みで、明後日帰国する。正直、私達は、また、いなくなっちゃうかもしれない・・・とどきどきだ。以前にもここに書いたが、逃亡すると、向こうで研修の保証金150万を払って出てきているのだが、それが没収になった上、強制送還になる。しかし、真面目に帰国すれば、戻ってくる。ベトナムの150万は、日本の2千万に相当する。家が買える金額なのだ。今日、Tちゃんは、うちの従業員さん達に、お別れ会をしてもらい、女性、男性関係なく、抱き合って、泣いていたという。それを聞き、私は「大丈夫、Tちゃんは、ちゃんと帰国する」と思った。親元を離れ、3年、外国に働きに出る事が、どれほど大変な事か、同じくらいの娘を持つ親としては、とても、切ない。しかし、Tの家は、貧しい訳じゃない。おうちも二つあるそうで、ホーチミン市(旧サイゴン)の街中に、大学生の弟と、日本人と結婚して、今、妊娠して帰国している妹と3人で暮らして、郊外の家に、ご両親が住んでいるそう。勿論、持ち家だ。今回、来るにあたって、Tちゃんは、お母さんにお金を借り、足らない分は、家を担保に銀行から借りたそう。そこまでしても、日本に働きに来たかったそうだ。発展途上国のアジアにとって、日本は、そんなに魅力のある国なのかなあ・・と思う。明後日、Tちゃんを中部国際空港セントレアに送っていく。3年間、本当に真面目に、一生懸命働いてくれた。日本語も、上手くなった。こんな私の事を「日本のママ」と言って、慕ってくれた。何だか、寂しいヨ。T。
2007年06月27日
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最近、胸を痛めたニュースがある。80歳のご老人が、自転車で、日本一週をして、あと40キロで、懐かしい我が家に着く・・・という時、トラックにはねられ、亡くなった。もう、このニュースを聞いた時、本当に、残念と言う気持ちと、お気の毒と言う気持ちで一杯になった。80歳の老人がなぜ?と言う疑問があった。調べれば、「青春の無かった戦友のために、戦友の分も一緒に、走ろうと思った」そうだ。マウンテンバイクなんて、お歳のわりに、何とお若い・・と感心した。それなのに、もう、長野のご自宅目前で、亡くなられた。お友達は、皆で、御祝いをしようと、待ってらっしゃったそうだ。本当に、残念で仕方がなかったろう。亡くなった話で、不謹慎かもしれないが、食肉偽造やら、眉をひそめたくなる話ばかりで、もう、たまらない気持ちだった中、なんて、素敵な話なんだろうと、無事、帰還されていたら、トピックスとして、全国に流れたであろう、話題だったろうと、本当に、残念だった。ご冥福をお祈りいたします。食肉偽造の事件は、日を追うごとに、そのあくどい手口が、次々出てくる。今日(28日現在です)に至っては、なんと、冷凍した肉を、雨水で、溶かして使っていたというニュースまでも出て来た。冗談じゃない。雨水って・・・・。それも、社長の態度をみていると、反省の色は微塵もない。「どこでもやってる」と言う言葉まで飛び出し、一斉に、食肉の表示の抜き打ち検査が、全国の小売店、スーパーなどで、行われる結果になった。8月には、その検査結果が出るそうだが、公の機関は、つつみ隠さず正直に、発表して欲しい。そうじゃなければ、我々、普通に暮らしている人の口に、安全なものは、もう、入らないと同じ事になる。某お菓子メーカー、某乳製品メーカーの例があったのに、それでも、平然と、こう言う事をし続けた企業体質。恐い。よく、無農薬野菜の事を思う。無農薬と言っても、育てる水を、蒸留水を使っているわけじゃない。温暖化の酸性雨の水で育てた、無農薬の野菜が、普通に売られている野菜と、どれだけの差があるのか・・・と、いつも疑問に思ってしまう。その肥料で、育ったニワトリや、牛や、豚。安全な肥料で育った食肉って、どこまで安全なのかなあと、いつも思う。便利になったけれど、確実に、私達の食の安全は、脅かされている気がしてならない。地球自体が、危険にさらされているのだから、どうしようもないなあ・・・と思う。地球は、これから、どんな風になるのだろう。私達の可愛い子孫達は、どう戦っていくのだろう。人間は、バカじゃないから、きっと、素晴らしい英知と勇気で、無事、地球を守っていくに違いないとは、思っているが・・・。明るいニュース、聞きたいな~。
2007年06月26日
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月曜日は、唯一、5人揃いの嵐君が見られる日。まごまご嵐の見られないこの地区では、宝物の番組。「まごまご嵐」は優しいお友達に送って頂いているので、リアルタイムでは見られないが、少し遅れて見ることができる。しかし、やはり、リアルタイムで見られる番組は、魅力です。「Cの嵐」から「Dの嵐」になって、「Gの嵐」から「嵐の宿題君」になった。深夜番組だった頃は、結構、際どい物も放映したが、さすがに、12時から放映になったら、少しお行儀の良い番組になっちゃったかな?昔のゲストで、確実に嵐君の番組に出て、ブレイクした芸人さんも、多々いらっしゃる。大体、「エアギター」がメジャーになったのは、「Gの嵐」のお蔭。私は、「Dの嵐」の頃にファンになったので、「Cの嵐」はほんの少ししか知らない。話題になった物は、お友達に見せてもらって知っているが、本当に、よく頑張っているなあと、思う。若い男の子が、それも、アイドルが、よくここまで頑張るなあ・・・と言う様な事をさせられている。今の嵐君の話術の間は、このCとDで培われたように思う。相葉ちゃんの天然の生きた「Aの嵐」も面白かったし、翔君が、一生懸命、下手な絵日記をつけていた、すいかか何だったか忘れたが、植物の成長記録も面白かったし、秋葉系の潜入レポートも面白かった。極めつけは、何故か、いつも、おかまの取材は、大野君で、これも、凄く面白かった。そしてファンが一番好きだったのが、「ぐだぐだ」地下のスタジオに、お布団を敷いて、パジャマ姿の嵐君達が、思い思いのくつろいだ格好のまま、ゲームをしたり、物を食べたり・・・。ストッキングかぶりも、この時の罰ゲームから、始まったんじゃないかしら。ぐだぐだで好きだったのは、お正月に収録されたものが、一番好きだった。確か、新しいスタジオが、階上になって、収録中、向かいのビルで、仕事をしているOLたちに、手を振ったりしてた姿が、めっちゃ可愛かった。その横で、潤君が、見向きもしないで、お節を食べていたような覚えがある。羽子板で、勝負して、顔中すみだらけになったり。あれは、もう、出来ないだろうなあ。今の超人気者になった嵐君には、あのぐだぐだ加減は、貴重だった。信頼したスタッフと、嵐君だけで作った番組だから出来たことだろう。嵐君が初めて、メジャーの司会「24時間TV」の司会に抜擢された時、Dのスタッフが、ずっと、嵐君達を追っていて、緊張した表情が、Dのスタッフと接する時だけ、普段の顔になっていたよね。何だか、凄く懐かしいね。あれは2004年の夏だったから、たった3年前の事なのに・・・。すごく前のように思える。大ちゃんは、聾唖の子達にダンスを教えて、上手く踊れたら、おいおい泣いちゃって、潤君は、太鼓の指導を身障者の方にして、翔君は、ピアノを少女に教えて、ニノはギターを弾いてやはり身障者の方と歌って。相葉ちゃんの手紙に翔君まで泣いちゃって・・・。それを見ていた私達ファンも号泣しちゃって。懐かしいなあ。嵐君、どこまで、大きくなっちゃうのかなあ。少し寂しいけれど、頑張って欲しい。
2007年06月25日
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今日は、朝から、母とオネエとチビが名古屋に買い物に行った。午前中に雨が降ってきて、車で連れて行けば良かったかな・・・と思ったが、後から聞いたら、表を歩かなかったので、大丈夫だったそう。パパと二人。・・・となると、やっぱり、映画。先日パパが諦めた「プレステージ」を見に行った。何故かは知らないが、男の人って手品が好きだ。私は、正直、騙されるのが面白くなく、手品は、はっきり言って、嫌い。宇宙人や、本当に不思議な事、不思議な力を持っている人には、ものすごーーーく興味があるのに・・・。で、「プレステーージ」も、手品の映画だと思っていたので、CGを使えば、いくらでも不思義ができるじゃん!!と、見たいと思わなかった。ところが、これ、サスペンスだった。そう、私の大好きサスペンス。で、行くことにあいなった。今日は、前日からのチケットを買っていなかったので、早めに出て、チケット売場に並んだ。驚いたが、いつも、家からパソコンで買ってしまうので、発券しかしないが、会員カードを出したら、なんと、もう、8回分、ただで見られるそうだ。だが、延々並んで聞いたら、先に無料のチケット交換券を機械で発券して並ばないといけなくて、結局、普通に買おうとしたら、「あの~、ご夫婦でらっしゃいますよね。」「はい」「どちらかが、50歳以上だと、お1人1700円のところ1000円です」え?そんなサービスあるんだ。いつもパソコンから1700円で買っていた。なんだ、ずっと損しちゃっていた訳か。しかし、そう言われて気が付いた。私、やっぱ、50歳に見えるんだ~。これはこれで、ショック(爆)チケットを買ってから、下に降りて、スターバックスでお昼。実は、ホウレン草のキッシュを、ここで売っていると情報を得た。とうとう食べられる・・・とスタバに入って行き、「ホウレン草のキッシュを・・」と注文したら、なんと「申し訳ありません、昨日までで、ホウレン草のキッシュは、販売を終了しました」「え?」聞けば、あの食肉偽造の波がここまで来ていて、スタバのホウレン草のキッシュに入っていたソーセージに、問題が発覚したそう。しかし、昨日までは、売っていたのに、私、本当に、ホウレン草のキッシュに縁がないわ。仕方が無いので、サントウィッチにした。食事を終えて、上に上がり、中に入った。結構、やはり、男性客が多かった。映画は、確かにサスペンスだったが、「そんなの有り~(ー_ー)!!」と言う感じ。つまり、最後の最後に、そんな筋だったら、誰だって、できるじゃん!!誰だって、その手を使えば、こう言うふうに出来るじゃん!!って、謎解きだった。謎解きまでは、確かに面白かった。でも脚本として、この手を使うのは、卑怯だなあ・・・と言う最後だった。何を言っているのか解らないでしょう?でも、見た方は、解っていただけると思う。書きたいけど、これ、手品の種明かしみたいなものだから、書けません。でも、この時代の衣装やら、セットは素晴らしかった。手品の裏方をしている、渋みのあるマイケル・ケインが良かった。実は、大掛かりな手品は、この裏方さんがむしろ主役なのだ。映画でも、見終わって、暫くすると、ああ、彼が主役だったんじゃないか・・・と思えるくらいだ。面白くないかと聞かれれば、面白かった。だが、最後がいただけなかった。それはパパも、同じ意見だったから、あながち、的を外した意見じゃないだろう。それから、デパートに買い物に行き、帰宅したら、丁度、良い時間になって、そのまま子ども達と、母を乗せ、ちょっと遠くのお料理屋さんに行った。ここ、遠いので、美味しくて、お店も凄く素敵なのだが、なかなか行かないで居たが、美人の女将さんに、「まいどあいりがとうございます」って言われちゃうと、また、来ようと言う気になる。今回は、チビのリクエストで、このお店になった。確かに遠いが、古い民家を改造したような、昭和初期の建物のように、モダンなお座敷。板の間に、掘りごたつ式のお部屋は、ガラスに模様が入っていて、天井の梁も黒くて、太く、壁は、白い漆喰で、時代ダンスが本当に、素敵。次々運ばれる、洋風和食もとても美味しい。オネエは、このお店が一番好きだそう。お刺身も、カルパッチョほどではないが、沢山の薬味ネギに美味しいポン酢にごま油のようなタレ。グラタンは、小さな栗かぼちゃの中をくりぬき、イカと海老のグラタン。柔らかいお肉の小さなステーキは、お箸で切れちゃいます。うにの乗った、上にうっすらと、かに味噌で味付けした、茶碗蒸し風な物も美味。ご飯は、小さなお茶碗に、上に時雨と、山菜の煮物が乗っていた。自家製のもものゼリーと、コーヒーのシャーベットも、甘すぎず、上品なお味でした。もう、おなかが一杯。降り出した雨は、帰る頃、小降りになった。夜道をドライブしながら帰宅。あ~、今日は、映画も見られたし、美味しいご飯も食べたし、楽しかったなあ。明日から、また、頑張りましょう。
2007年06月24日
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今日は、チビの20歳の誕生日。・・・・というより、彼女は、22日の11時50分くらいからこの世に出始めた。そして、日をまたぎ、23日0時10分過ぎ、全ての体が出た。病院の先生は、分娩台に居る私に聞いた。「22日にしますか?23日にしますか?」出産後の興奮した頭で考えた。「全部出た23日にしてください」つまり、彼女の誕生日は、私が決めたのだった。今なら、別に22日でも良かったかなあと思う。今日はバイトだそうで、明日、お祖母ちゃんも一緒に食事に行くことになっており、とりあえず、今日はおうちご飯。パパはゴルフで、また、1人。午後から、車で出かけた。本屋さんに行ったり、DVDを返しに行ったり、デパートに、買い物に行った。3年いたベトナムの子が来週、帰国する。何か記念のプレゼントを・・・と思い、ミキモトのお店で、私がよく、おつかいものにする、ベビーパールの付いた、グッズを探しにいった。ミキモトのお店のグッズは、本当に素敵なものばかり揃っている。私も、イニシャルにベビーパールがついたボールペンを愛用している。リップブラシも、ここの物。女性が、好みそうな物ばかりで、ジュエリーは、なかなか手が出せないお値段だが、小物は、5千円前後で、良い物が買える。で、結局、ボールペンにした。そうこうしていたら、もう4時。慌てて、スーパーにチビの好きなスパゲティの材料を買いに行き、いつものケーキ屋さんに、ケーキを取りに行って、帰宅。物凄い勢いで、ポテトサラダと、スパゲティ3種を作った。潤君の「バンビーノ」でおいしそうだった、トマトソースの海鮮のスパゲティと、サーモンとホウレン草のクリームスパゲティ。それに、かにと、きのこの和風スバゲティ。チビが、帰ってきて、「手伝おうか?」。いえいえ、今日は貴女の誕生日ですから、良いです。午後7時すぎ、パパが帰って来た。実は、今日、記念すべきものがあるのだ。あの日、チビが生まれた日、偶然、父の家に遊びに行っていて、私は、梅を漬けようと、梅を洗って拭き、乾かす間、3歳のオネエを寝かしつけていた。私は、焼酎ではつけない。ブランデーで、甘さを控えて漬ける。・・・とその時、破水した。ポッと破水する小さな音がした。こりゃまずい、と、すぐにパパに病院に連れて行って貰った。で、出産したのだが、母が、その梅を漬けて置いてくれたのだ。つまり、チビの生まれた日付の開封していない梅酒だ。20年、引越しやら、リフォームやらしたが、いつも、キッチンの何処かにあった。全部の食事の用意が出来て、床下収納庫から、ビンを引き上げた。20年経ったかぶせて有った袋はもう、ボロボロになっていた。破いて、中を見ると、向こうが見えないくらい、濃い色になった20年ものの梅酒が出て来た。日付はS62,6・23。これ、感動です。オネエは、帰りが遅いので、3人で、食事をしたが、少し沢山作り過ぎちゃいました。「どうするの~、このスパゲティ」明日、食べれば良いじゃない・・・と思ったが、「明日、お昼、お祖母ちゃんと出かけるもん」あ、そうだった。じゃ、夜。「何言ってるの、夜は、食事にいくじゃない」は~、と言う事は、このスパゲティ、どうするんだ~。がんばって、皆頑張って、食べてね~。食事の途中で、先日買って来た、プレゼントを渡した。もう20歳だから、本物のアクセサリーをあげようと思い、銀のくさりと、銀のお月様のチャームにした。チビは、嬉しそうに「ありがとー」。大事にしてね。9時過ぎ、オネエが戻ってきたので、乾杯とケーキでおめでとう。いよいよ20年ものの梅酒の開封です。良い香り。かんぱーい。えもいわれぬ、深いこく。めっちゃ美味しい(^_^)v20年前、この梅を拭いている時は、まだ、この子はおなかの中に居たんだなあ。感慨深い。この梅酒は、宝物です。亜美波、お誕生日おめでとう。
2007年06月23日
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昨日とはうって変わって、物凄い土砂降り。本当に、凄い雨。これで、少しは、干上がった水がめも潤うだろう。今日は、一日、ぼうっとしていた。午後から、DVD三昧。先日、「間宮兄弟」と一緒に、「ハチミツとクローバー」と「かもめ食堂」も借りてきて、まだ、見ていなかったので、今日はそれを見た。まずは、翔君の「ハチミツとクローバー」。この映画、ちゃんと近くのシネコンでしていたし、前売りの切符も買ってあったし、「アフタヌーンティ」とのコラボで売られていた、ハチミツも買ったのに、肝心の映画をみていなかったマヌケな話しだ。主演は、翔君。翔君を一目で恋に惹きこむのは蒼井優ちゃん。そして、優ちゃんを惑わすのは、伊勢谷友介。翔君の友人役には、「硫黄島からの手紙」で、ニノに銃を向ける、元憲兵の役だった、加瀬亮君。そして、大好きな俳優さん、堺正人さんが、翔君達の先生を演じている。舞台は美大。一種独特の雰囲気の美大。漫画が原作だが、舞台を美大に持って来たことが、上手いなあ・・・と思った。話しはどこにでもある、青春の恋。微笑ましい話。この蒼井優ちゃん、実は、会ってる・・・と言うか、目前で見た。去年の潤君の舞台、「白夜のワルキューレ」の劇場。私の席は、中心より少しだけ、舞台から左側だったのだが、中心の通路に面したところが招待席だったらしく、蒼井優ちゃんを初め、市川実和子、森山直太郎、一青窈 さんらが、座ったり、話したりしていた。蒼井優ちゃんは、初め、静かに座っていたが、舞台上演の前に、出演している鈴木杏ちゃんと浜田マリさんが、優ちゃんを見つけると舞台から降りて来て、一緒に、通路に立ったまま、楽しいおしゃべりを初めた。そばで見る優ちゃんは、すごく顔の小さな、華奢な少女だった。時々、明るい笑い声が聞こえてきた。白いワンピースが、可愛かった。映像の中の優ちゃんは、本当に、繊細な役を演じきっていた。翔君は、素のままの感じだった。くせのある人の多い美大の中、育ちの良さや、美大にはそぐわない感じの好青年。素直にそのまま育った感じの青年をうまく演じていた。でも、コンサートのMCの時に見せる、とぼけた感じは微塵も無かった。そして、堺正人さんは、いつものように、黙っていても、笑顔に見えてしまう穏やかな表情のまま、生徒に人気の教授(?)役を演じていた。私は、堺正人さんの怒った顔を、何だか、見たいなあ・・・・といつも思うのだが、いまだ、見たことが無い。若い人達の切ない思いが、溢れている、正に青春そのものを描いた映画だった。相変わらず、表は土砂降り。夕方まで、「ハチミツとクローバー」をみて、夕飯を作り、チビが帰って来たので、一緒に夕食を摂り、暫くしてオネエが戻ってきて、今度は、「かもめ食堂」を見た。この映画も、見たくて仕方がなかったが、こちらは、単館の映画館しかやっていなくて、見逃してしまった。このあたりの単館の映画館は、パルコくらいしかない。気軽に、出かけられる距離じゃないので、気が付いたら、終っていた。私は、TVが好きなので、好きな女優さんも、多い。個性的な演技をする女優さんが好き。その中でも、小林聡美さんは、特に好きな女優さん。三谷幸喜さんの奥さんでもあり、売れっ子の才能溢れる三谷さんが、惚れ込んだ事だけあるなあ・・と、納得するような方とお見受けした。彼女の演技は、本当に自然で、うまいなあ・・・といつも感心する。今回は、もうお1人のもたいまさこさんも、良い。そう、お二人は「やっぱり猫が好き」のメンバー。あの番組は、素晴らしい番組だった。いまでも、間違いなく、新しい。舞台は、フィンランドのヘルシンキ。北欧スカンジナビア半島の、白夜の国。いつか行って見たい国の一つ。最近ではフィンランドデザインの、イッタラやマリメッコも人気だ。群ようこさんの原作。日本で何をしていたのか解らないが、独身の女性がフィンランドの港町で、レストラン・・・と言うより、食堂を開く。理由が面白い。イタリアにはイタリア料理、フランスにはフランス料理、ドイツはフランクフルト、でも、フィンランドには、サーモン、つまり、日本と同じしゃけを日常、食べる国民だから、きっと、食の好みも一緒だろう・・・。毎日、お客さんは来ない。日本かぶれの青年だけ、毎日、コーヒーを飲みにやってくる。それでも、毎日、市場に行き、店を開ける。この食堂、日本の家庭料理のお店。唐揚げ、とんかつ、おにぎり、塩じゃけなどが、メインメニュー。そんな中、ある日、日本かぶれの青年から「ガッチャマン」の歌詞を聞かれたが、どうしても思い出せない。彼女は、気になって気になって仕方が無くなる。書店に行き、偶然、日本語のムーミンの本を読んでいる日本女性に声を掛け、思わず「ガッチャマンの歌詞、知ってますか」と聞くと、怪訝そうにしながらも、さらさらと歌詞を紙に書いてくれた。それが、片桐はいり。彼女は、別にフィンランドに来たくて来たのじゃなく、地球儀をくるくる回し指で止めたら、そこが、フィンランドだったので、来た・・・と言う。話しをするうちに、彼女は小林聡美の家に滞在し、店を手伝い始める。だが、相変わらず、客は来ない。ある日、シナモンロールを作ってみた。その香りに惹かれ、毎日、店の表で、噂話をして通り過ぎていた、オバサン3人組が入ってくる。そして、もたいまさこが、登場。空港で、荷物が何処かに行ってしまい、おまけに猫をあずかり暫く滞在する事になった。もたいまさこも、店を手伝いだす。そして、3人組が来てから、店は、次々客が来て、順調に滑り出した。たったそれだけの筋なのだが、実に、ゆったりと時間が流れ、ほんの日常の心の動きが凄く良い。フィンランドといえば、ムーミンの国。初めて知ったが、スナフキンとミーは、兄弟で、ニョロニョロは、電気を食べて生きているんだそうだ。映画の中にも、出てくる台詞に、如何してここの人は、こんなにゆったり、暮らしているのでしょう・・・と言う言葉がある。小林聡美が「それは森があるからでしょう」と答える。ノルウェーと同じ、森の国でもあるのだ。もうひとつ、良いなあと思ったのは、フィンランドでの、おにぎり。これが、すごく良いのだ。これこそスローフード。おにぎりって、優しい。形も、味も、すべてが、優しい。お母さんが握ってくれたお母さんの手の大きさのおにぎり。お父さんが握ってくれた、大きなおにぎり。しゃけに、おかかに、梅干。そして海苔。この映画を見ると、おにぎりって、握った人の愛情が形になった物のような物なんだなあって、改めて、気が付く。海苔は、アジアだけの食品らしい。海外では、黒い食品と言うのが、珍しく、外国で、大きなおにぎりを食べていた人が、子供の頭を食べていた・・と騒がれたというギャグもあるくらいだ。そしてヘルシンキの人々も、おにぎりを敬遠していたが、やがて、注文するようになる。お料理のお好きな群ようこさんらしい、物語だ。今、子ども達の食が危ない。母親が働きにでて、コンビニや、テイクアウトの食品が、食卓に多く登るようになってから、青少年の犯罪が多くなったように思う。お母さんが作った、愛情溢れる食事を毎日食べて育った子に、悪い子はいないように思うのは、私だけだろうか。この映画は、そんな事も、考えさせてくれる。淡々とした映画なのだが、実に、良い。去年、この映画が上映されてから、ブームが起き、パンのCMにも、このかもめ食堂で撮影された物が、使われた。小林聡美さんが、サーモンのサンドウィッチを手際よく、作っているCMだ。そして、もうひとつ、改めて思い知らされたのは、語学。小林聡美は、フィンランド語が、話せる。やっぱり、自分の好きな国に行くなら、その国の言葉を克服するのは、当たり前の話なんだなあ。上映当時、見ていたら、確実に、マイブームになった映画だったろう。そう考えると、やはり、映画は、旬の時、映画館で見るに限るなあ・・・映画、やっぱり好きです。
2007年06月22日
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画像が一緒にアップできなかったので、こちらにアップします。こちらが、撮影時の下の二枚の写真と同じ場所です。
2007年06月21日
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嵐友のAさんと、今日は、嵐の映画「黄色い涙」の撮影地であった、愛知県江南市の商店街を1年ぶりに訪れた。梅雨に入ったので、雨を心配したが、丸1年ぶりに降り立った江南の駅は、去年、毎日通ったあの日々のようにお日様が降り注いでいた。駅から、撮影の有った商店街への道は、所々、お店のシャッターが降りていた。まず、映画の中で、5人がしょっちゅう行き来した、古い家を利用したセットのお店が並んでいた場所に行った。映画の中この場所で、一番印象に残ったのは、ニノが、元師匠の漫画家の所に、手伝いに行っている時、お金が無くなった翔君、大ちゃん、相葉ちゃんの3にんが、アイスキャンディを食べながら歩いていると、勤労青年の潤君がやって来て、3人が呼びとめられるシーン。丁度、私たちが、行った時、その撮影が行われ、目前で、このシーンが撮影された。ところが、思わずAさんと「うっそ!!」と驚きの声を上げてしまった。なんと、1軒を残し、全ての家が壊され、新しい家が建ち、また、建築中。作業中の作業員や、トラックが、忙しそうに動いていた。そして、道も、所々、舗装されてしまって跡形も無くなっていたのだ。そこにあのセットがあったなんて、信じられないくらいだった。暫くAさんと、「信じられないね~」「1年経つとこうなっちゃうんだ」と、撮影の痕跡、記憶を探り出そうとしたが、本当に、何の跡形も無くなっていた。そこからが、真っ直ぐに延びる商店街の入り口なのだが、これは、そのままだった。4人が銭湯に行こうとして、前を歩く潤君を見つけ、一緒に歩き出すあの商店街だ。その入り口にある美容院に入れて頂き、撮影を間近で見せていただいた。お礼を言おうと、ドアを開けるとお客さんがいた。若い女の従業員さんに「ご主人お願いします」と言うと、中から、あのおしゃれな、ちょい悪おやじが出てらした。「やあ、これはこれは」と言うと、笑顔で迎えてくださった。とても綺麗な奥様がいらっしゃって、私は生まれて初めて、ここでネイルアートをしていただいた。「あのネイルアート、写真に撮ってブログに載せました」と言うと、「そう」とまた、笑顔。「奥様は?」と尋ねると「そこにいるよ」・・・・と見ると誰か、お店の端の方に寝て、マッサージを受けていた。ああ、ここにいらっしゃったのか~。ご挨拶して、お店を失礼した。それから、Aさんとゆっくり商店街を歩いた。ああ、ここ、嵐君達もこうしてゆっくり、歩いたんだなあ・・・と感慨深い。やはり、所どころ、シャッターが下りていた。そしてメインの撮影場所、「さかえや」に入った。ここ、映画では、香椎由宇ちゃんのお父さんが、経営する食堂。何度も、何度も、映画で出て来たが、撮影当時は、スタッフの休憩所になっていて、見学者は、入れなかったので、初めて中に入った。嵐君達の休憩所は、向かいの呉服屋さんの「かりや」さんだった。後に、この地方だけの放映の「坂東リサーチ」と言う番組で、坂東さんと、久本雅美の妹のレポーター久本朋子が訪れて取材した時、「かりや」さんの奥さんが出てらして、暑さで倒れたニノが寝たお布団やらを見せてくださっていたが、嵐君達が休憩した場所は、金屏風のある金彩色のふすまの、お見合い用のお部屋だった。「さかえや」は、「かりや」さんのお隣の今はお店を閉めている洋服やさんの持ち物だそう。昭和初期に建てられた、本当に、レトロで素敵なコンクリートの建物だ。中に入ると、香椎由宇ちゃんが働いていた、お店のカウンターやら、「さかえや」の暖簾、値段表などそのままだった。広い店内には、真ん中にテーブルが置かれ、撮影時の見学者の写真やら、スタッフの写真に混じって、嵐君達の写真も有ったが、雑誌などに出ていたものと変わり無く、目新しい写真は無かった。監督の写真やら、スタッフの写真やら、その数は、大きなファイルにして10冊以上あった。そして驚いちゃったのだが、カウンターの直ぐ横に、TVやら、DVD機器やらが置かれ、ずっと、DVDが流れているのだ。勿論、店の中に、番をする人はいない。色色な「黄色い涙」に関するDVD。機械の操作は、自由に出来たので、暫く、DVDをとっかえひっかえ代えて見た。入り口近くには、ノートが置かれ、ここを訪れた人が、やはりそこに置いてある、12色のサインペンで、思い思いのことが書いて有った。何だか、嬉しくなった。ここを訪れるのは、嵐君のファンだ。間違いなく、ファンしか来ない。DVDも、エキストラが貰ったTシャツもなにもかも、無防備に置かれてあるのは、街の方達が、嵐のファンを信用しきってくださっているからに違いなく、そうなのよね~、嵐のファンは、マナーが良いから・・・と鼻が高かった。Aさんと、写真を撮ったり、写真を見たり、暫くそこに居て、「さかえや」を出た。その奥には、ロバのパン屋の撮影がされた空き地。この空き地の横を入った所が、ニノのアパート・・・と言う設定だった。いつも撮影の見学に行った時、座って休んでいた石垣の横で、お祭りの時、ニノがラブシーンを演じていて、ビックリしちゃったのだが、今は、人っ子一人、通らない。呉服屋の「かりや」さんの前を通って、もと来た道を歩き出した。そう言えば、映画の中、かりやさんの看板がそのまま写った時、嬉しかったなあ。暫く歩くと、丁度商店街の真ん中あたりに、空き地があって、テントが張られ、そこが、撮影の基地になっていたのだが、今は、ロープが張ってあり、「売り地」の看板が立てられてあった。その奥に、「美人姉妹」の床屋さんがある。撮影の見学に来ていた頃、お茶を出していただいたり、毎朝通ってくる私達に、情報をくださったり、特別に、撮影の近くまで連れて行ってくださったり、散々お世話になった姉妹だ。話し好きな方達で、愉快な姉妹でも有った。そっとドアを開けた。「こんにちは~」と声を掛けると、奥から妹さんが出てらした。最初は怪訝そうなお顔をなさったが、「ああ~」とすぐに思い出して頂き、満面の笑顔で、迎え入れてくださった。「まあ、暫くね~」と奥からお姉さんも出てらした。「入りなさい、入りなさい」。お言葉に甘え、中のソファにAさんと腰掛けた。少し、お喋りをして、失礼するつもりだった。しかし、床屋さんは、どうも、お暇なよう。お話好きのお二人からは、次々、色色なお話が出てくる。美味しい冷たいお茶を頂きながら、こちらも楽しいお喋り。撮影の基地だった隣の空き地は、撮影の直ぐ後、売りに出されたそう。あの、セットの有ったところも、今は住宅になっている。「去年じゃなかったら、撮影出来なかったろうね~」とお姉さんがしみじみ仰った。そうなんだ・・。そろそろ失礼しようと、「ここらあたりで、どこか美味しいお店ありますか?」と尋ねた。12時を大きく回っていた。昼食がまだと知って、「うん、私が一緒にそこまで行ってあげるわ」。妹さんにご挨拶して、お姉さんとお店を出て歩き出した。聞けば、シャッターの下りた商店は、休みではなく、廃業しているそう。それも、彼女いわく「お金持ちで、別のところに家を建てて、引っ越した」そうだ。暫く歩いて、駅前まで行き、お店を紹介して頂いた。そしてご親切に、チケット屋さんに連れて行ってくださり、帰りの切符を50円も安く手に入れてくださった。当日の切符を、金券ショップで売っているなんて知らなかった。よく、お礼を申し上げ、そこで、お別れ。「また、遊びにおいでね」「はい、ありがとうございます。」Aさんと一緒に、ご挨拶。お店に入り、Aさんと美味しい焼きぞばを食べながら、楽しかった江南リターンズツアーを思った。嵐君を通じ、こうして、人の輪(和だね)が繋がっていく。それが、私達には凄く嬉しく思えた。Aさんは、そのまま電車に乗って帰り、私は途中の名古屋で降りた。滅茶苦茶楽しい時間だったなあ・・・。駅前の高島屋に寄って、チビの誕生日のプレゼントやら、暑中見舞い用のグッズやら、取り置いてもらってあったバックを購入。包んでもらっている間、横の喫茶で、美味しい桃ゼリーとアイスティを頼み、休憩。・・・と、家に着いたAさんからメール。私も、デパチカで、夕食のお買い物をして帰宅。は~さすがに疲れました。でも、楽しかった。もう、一回、映画、見にいこうっと。来月、この町でも上映になる。「黄色い涙」は、今、どんどんロングランを続け、上映館も増え続けている。なんとも嬉しいじゃないですか。画像は、今のロケ現場。すっかり変わってしまった、上二枚の写真は、セットの画材やさんや、うどん屋さんの有った場所。下の二枚は、「さかえや」の内部。このカウンターに潤君が香椎由宇ちゃんに映画の本を返しに来たり、相葉ちゃんたちに、香椎由宇ちゃんが、天丼をはこんだりした場所です。
2007年06月21日
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今日は久しぶりにカウセリングに行った。ここのところ、予約の時間が早くて、どうしても、行けなかった。そこで、カウンセラーが、午後に時間を取ってくださった。決め付けているつもりは無いのだが、やはり、私の鬱は、ADHD障害から来るものと思っているので、障害は、死ななきゃ治らないから、鬱もずっと付き合わなくちゃならない・・・とそう思っていた。しかし、カウンセラーの言う事には、鬱は、障害が原因でも、必ず、治りますよ・・・との事。そう言われても、そうなんだ・・・位の思いだった。もう、7年になる。我慢できない頭痛から解放されたくて、精神科に飛び込み、鬱病の診断をされた。2年、治療したが、一向によくならず、その後に、先天性のADHD障害者と、診断が降りた。でも、考えてみれば、あの頃、私は、本当にどん詰まりの状態だった。父が骨髄異型性症候群の発病により、余命半年と宣告され、東京に帰ったまま、こちらに寄り付かない弟に代わり、母の病院への送り迎え、両親の精神的な支えも兼ねていた。勿論、京都から引き取った姑も、認知症がどんどん酷くなっていき、まだ、私が病院に連れて行ったりしていた。そりゃ、普通の人だって、おかしくなっちゃう状況にあった。そして、友人の自殺、従業員の奥さんの焼身自殺、亡くなった父の友人でもあり、うちの会社の子会社の社長の自殺・・・・。次々、本当に、気持ちをしっかり持っていないと、潰れてしまいそうな出来事が襲ってきた。こうして書いていると、本当に、よくぞ、乗り切れたなあ・・・と思う事ばかりだ。その度、カウセリングで、心の重石を、いつも取り除いてもらっていたような気がする。そして、父が逝き、お祖母ちゃんも逝った。そう考えると、今こんな穏やかな時は、無いような気がする。とりあえず、娘達はもう、世話は要らない。風邪をしょっちゅうひいたり、頭痛になったりはするが、入院したりする大きな病気の心配も、夫婦とも無い。時々、パパと派手な喧嘩もするが、あ、私、今、幸せなんだなあって、気がついた。友人との食事も、嵐友達との交流も、メチャクチャ楽しいし、こうしてブログも、毎日、書ける。何だか、不満ばかりだった様な毎日だが、実は、凄く、素敵な毎日だったんだな~と、気が付いた。家事は、なかなか出来ないが、お料理は、以前のように、作る事が出来るように戻った。あとは、片付けさえ出来れば、もう、何も言う事はないじゃない?それもこれも、自分の問題だけ。誰かに、煩わされることは何も無い。そうか~。何だか、物凄く、近目で、物を見すぎて居たような気がする。もっと、遠目で、自分の回りを見ればよかった。明日から、何だか、楽しくなりそうです。うん、絶対、たのしくなるよね!!頑張ろうっと。
2007年06月20日
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パパは毎日、お昼に帰って来る。その時間は、大きく12時を過ぎた1時半くらい。だから、いつもお昼は、2時前になってしまう。以前から、友人などから、「毎日なんて、大変ね~。私なら、耐えられないわ」と言われていた。これは、毎日、作るのが大変ね~じゃなく、帰って来ることが大変ね~なのだ。それは、主婦の方なら、多分、全員の方が解ってくださると思う。何しろ、「亭主、元気で、外が良い」って言葉が、昔からあるくらいだから。ところが、パパは、機嫌を損ねた。「お前の友達に、そんな事言われるのが、俺には解らない」そうだろう。解らないから、毎日、帰って来るのだ。サラリーマンの奥さんは、朝、ご主人を送り出して、夕方、帰宅するまで、全部の時間が、自分のものになる。結構、あれしてこれしてって、心が解放されるものだ。毎日パパが帰って来る我が家は、それが無い。あれしようこれしようと思っても、パパが帰って来ると、2時間はいるから、何も出来ないのだ。「したら良いじゃないか」って言われる。そういう問題じゃないのだ。男の人は、それが解らない。1人で居られる時間って、凄く気持ちが楽だ。ましてや、自分ひとりのお昼ご飯なんて、どうにでもなる。今日は、その気持ちを、とうとうパパにぶつけた。だが、やはり、パパはお昼に戻ってきた。確かに、サラリーマンと違って、同僚が居る訳じゃないし、時間つぶしに、漫画喫茶にも、誰がみているか解らないから行けない。会社で社員の前で、御弁当を食べるのも、切ない。いつも、心に鎧を着けて、行動している身にとって、会社は戦場だから、うちに帰って来て、よろいを脱ぎたいのもよく解る。社長と言うのは、そういう意味、かなり孤独な職業なのだ。だから、帰って来るなと言うのは、可哀想だと思い、今まで我慢していた。しかし、最近、私の方が、切実に参ってきていた。で、とうとう、言った。帰って来ないで。母も同じ立場だった。父が毎日、お昼に帰って来ていた。だから、午前中、私と買い物に出ても、いつも逆算して、この時間以後は、帰らなきゃって、まるで、怯えのように、言っていた。事実、「私、お父さんのお蔭で、PTSDになりそうよ」と言っていた。私がいくら、「今日は、私と一緒だって解っているんだから、大丈夫だよ」って言っても、「わあ、早く帰らなきゃ、お父さん帰ってきちゃう」と、泣きそうな顔をして言っていた。一度、お昼を大きく回ってしまった事があって、父は、母がいないならいないなりに、自分で食事のできる人だったので、怒ったりはしなかったが、母は、ずーーーと「どうしよう、どうしよう」と言い通し家に車をつけると、後ろも見ず、家に駆け込んだ事があった。父も大人だから、文句一つ言わないが、そこは夫婦、どう思っているか、解っちゃう。100パーセント、「良いよ、良いよ」って気持ちじゃない。だから、父が亡くなって、名古屋に二人で買い物に行った時、やはり、11時前になったら、「もう、帰らなきゃ」と言い出し、驚いた私が「なぜ?」と言うと、「あ、もう、帰らなくて良いんだわね~」と物凄く、ほっとしたような嬉しそうな顔で言った。その時、本当に、母はPTSDだったんだと、思った。私もそうなりたくなかった。パパも、「今日私、お昼居ないから」と言っても、機嫌が悪くなったりはしない。パパにとって、私が居ようが、いまいが、家に帰って来ることが、休憩なのであって、私に何かしてもらおうとかと言う気持ちは、毛頭ないからだ。しかし、こちらは、そうじゃない。申し訳ないなあ・・・と言う気持ちが何処かに絶対あるのだ。気が休まる暇が無いのだ。熟年離婚が多いのは、こういう気持ちを、夫が理解しないからだ。昼間自由な気持ちで居た奥さんが、定年により、夫が、毎日家にいるようになり、自分の気持ちも時間も自由にならなくなる。それに耐え切れなくなって、熟年離婚になる訳。パパに、一生懸命説明した。だが、なかなか解ってもらえなかった。コマーシャルにも、あるじゃない。「3メートルの思いやり、付かず離れず、大人のリビング」って。やっぱり、おうち、建て直そう。お昼間、二人、家の中に居ても、姿の見えない場所が欲しくなった。めっちゃ、贅沢な話しだが、熟年離婚を避けるために、これも方法の一つだろう。
2007年06月19日
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昨日は、映画の話だけになったが、昨日は、父の日だった。夜、家族で、食事に行った。近くにある、しゃぶしゃぶのお店。ここ、何時も一杯。お値段もそう、安いわけじゃないのに、本当に、ランチの時間も一杯で、待っている人が居る。昨日は、ちゃんと予約してあったのに、ちゃんと時間に行ったのに、少し待たされた。それでも、そこで待っていた大勢のお客さんに比べれば、予約しておいて良かったと思った。実は、私は、お肉の薄切りは、シャブシャブが、一番、お肉の味がわかると思っている。勿論、ステーキや、網焼きのように、厚みのあるお肉は別だが。これは、薄切りのお肉に関して。お肉が大好きな私にとって、折角の良いお肉を、すき焼きのような味の濃いものにしてしまうのは、まして、卵をつけてたべるのは、勿体無いと、思っている。勿論、冬のすき焼きは、格別だが、こういう暑い日は、さっぱりと、シャブシャブが良い。だが、パパは、しゃぶしゃぶより、すき焼きが好き。で、昨日は、父の日だったので、娘たちに、「今日は、すき焼きだからね」と、釘を刺されていた。最近、私は、こう思う。あと、死ぬまで何回、食事が出来るだろう。そう考えると、一回の食事も、おざなりに、適当にするのが、凄く勿体無く、罰当たりな気さえしてしまう。だから、食べたくない物を食べる辛さったらない。昔から、食にたいしては、超、我が侭だった。贅沢を言うのではない。食べたいものを食べたいだけなのだ。適応に選んで済ますくらいなら、何も食べなくても良い・・・とさえ思う。子供の時から、例えば、自分が是が食べたいと思ったら、折角、お店に入っても、そのメニューがないと、出てきてしまうくらい、徹底していて、父が、よく呆れていた。だから、自分で作るようになって、自分で決めた材料が揃わないと、絶対作らなかった。美味しい物には、貪欲だった。量はそう食べられないから、余計美味しい物を食べたかった。贅沢を言うつもりはない。安い材料でも、料理は、十分美味しい物が作れるから。でも、自分が納得いかないものを食べてしまった時は、物凄く機嫌が悪くなる。昨日の私がそうだった。「今日は、父の日だから」と、我慢して、すき焼きを食べた。「ああ、こんな良いお肉、しゃぶしゃぶにして食べた方が、本当のお肉の美味しさが解るのに、勿体無い」と思いながら食べる辛さ。「こんな、暑い日に、すき焼きなんて・・」と思いながら、食べる辛さ。ましてや、家で作るすき焼きと違い、お野菜は、ごぼうだったり、味が薄かったりしたから、余計、あ~、折角のすき焼きが、ごぼうの風味で、台無しだ~と思いながら食べたから、いけません。柳川鍋じゃないんだから・・・おネギの無いすき焼きってなんだ・・文句たらたらの内心。でも、今日は、パパの日だから。我慢、我慢。食べ終わって、おトイレに立ったら、オネエがやってきた。「よく、我慢しましたね」どっちが親だか解らない。「相当我慢してたの、わかったよ」「だって、味は薄いし、何?あのごぼう」「うん、味薄かったね、ごぼうも今一だったし」そうか~、オネエもそう思って食べたのね。まあ、今日は、父の日だから、パパが喜べば、それで良しか。それに、こんな贅沢させてもらって、文句言ってちゃ、バチが当たる。感謝して、ご馳走様。パパは、娘達のプレゼントを開けて、ご満悦だった。良かったね。男性下着だったが、こんなのくれるのは、娘だからこそだよね。嬉しそうなパパが、面白かった。は~、今日は、ちょっと嫌だけど、明後日くらいは、しゃぶしゃぶにしましょ。やっぱ、夏の牛肉の薄切りは、しゃぶしゃぶでしょう。
2007年06月18日
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久しぶりの、映画の梯子です。今回は、揉めた。パパは「プレステージ」が見たい。私は「舞妓HAAA~N」が見たい。しかし、どうにもこうにも、時間的に、無理。お昼を食べる、時間が20分しかない。で、パパが「300」でも良い・・・と言い出した。「300」って、スパルタ軍が、たった300人で、侵略軍と戦うやつだよね。もう、先が見えた。きっと、血しぶきが飛ぶんだなあ。だって、R15指定だもん。高校生以上じゃないと駄目って事は、かなりなもんだなあ。まあ、でも、先に「300」だから、「舞妓HAAA~N」で、気持ちは持ち直すか。朝早く起きて、9時半出発。映画好きなチビは、試験が近いので、今日は、パス。で、二人で、映画の梯子。やはり思ったとおり、首が飛んで、血しぶきの嵐。男の人って、こういうの好きなんだよね~。闘争本能が、DNAに組み込まれているから。でも、女性である私から見たら、「だから、何なの?」状態。スパルタの子供からの儀式やら、スパルタ式の子育ても、「だから、なんなの?」。で、何十万と言う侵略軍に、たった300人で戦おうと、王が、議会を通さずに、出兵してしまう。男の人が好きそうな、異常に背の高い巨人やら、奇形の戦士やらが、次々出てくる。回りを見回したら、女性は私と、やはり連れてこられたらしいアベックの女性だけ。それも、先日、平日に見に行った「黄色い涙」の観客より少ない。せいぜい15~6人。首が飛ぶたび、血しぶきが画面を染めるたび、本当に、男の人はこういう映画が好きなんだなあ・・・と呆れる。この映画、アメリカじゃ観客動員数が「ハリーポッター」を抜いたんだそうな。アメリカ人の好きそうな映画。でも、最後まで「だから何なの?」。で、当たり前だが、全滅する。全身に無数の弓矢を受けながら、それでも、相手に向かっていこうとする王。多分、これが、男のロマンなんだろうなあ・・・・。お昼は、日曜で、何処も一杯。並ぶのが、大嫌いなパパに連れられて、久しぶりに、美味しい、うなぎを食べた。午後からは、私が見たくて仕方がなかった「舞妓HAAA~N」。TVのCMが流れるたび、ああ、早く見たい・・・と思っていた。昨日からの上映で、劇場は一杯。さっきの「300」とは、凄い違い。宮藤官九郎脚本、阿部サダヲ主演となれば、面白くない訳が無い。それに、堤真一に、柴崎コウ、伊藤四郎が絡む。そして先日亡くなった植木等さんの最後の作品。もう、思い切り、笑わせていただきました。阿部サダヲさんは、本当に好きな俳優さん。普段あんなにシャイで、寡黙な人が、どうしてスクリーンの中に入ると、あんなにはじけちゃうんだろう。そのギャップが、物凄く好きなのだ。阿部さんは、二人のお子さんのお父さん。多分、二人を連れてらっしゃったら、阿部さんと、気が付かないかもしれない。舞台は、京都。最初に、高校生の阿部サダヲが、班長として、がんばっている間に、みなに置いていかれ、大騒ぎする。その場所、CMでも「7はーーーーん」と叫んでいるあの場所は、私とパパが、結婚式を挙げた、懐かしい場所、平安神宮です!もう、そこからして、笑った。結局、迷子になり、花町に迷い込み、舞妓さんに泣いているところを保護され、すっかり舞妓ファンになってしまう。社会人になり、パソコンで、舞妓さんのホームページを持つ。そのキーを叩き、文を書く描写も面白い。顔文字とかが、阿部サダヲの頭上に、浮かんでは消える。そして「荒らし」に遭う。実はその荒らしが、そこから彼を脅かし続ける、堤真一。念願の京都支社勤務になり、実は左遷なのだが、そんな事はお構いなし。喜び勇んで、花町に行くが、「いちげんさん、お断り」で、中に入れず。伊藤四郎の社長が、おなじみさんと知り、結果を出したら連れて行ってやると言われ、物凄い勢いで、仕事をし、念願叶い、お座敷に上がる。その仕事なのだが、カップラーメンの会社。日清が、全面協力をしていて、なんと、阿部サダヲが開発したラーメンを、実際に発売するそうだ。まあ、冷静に見る映画じゃないから、突っ込みどころは、色色あるが、そこは、受け流して見て頂きたい。兎に角、笑いたいな~、最近、面白い思いをしてないな~と言う方は、是非是非、ご覧になって欲しい。そうすれば、TVのCMの「7はーーーん」が流れる度に、思わず笑ってしまうようになる。宮藤官九郎って人は、本当に、面白い本を書くなあ。以前TVで「僕の魔法使い」と言うドラマを放映したが、大好きだった。超、甘甘の新婚の篠原涼子が、ある日、自転車で男の人と衝突してしまい、それ以来、物凄く頭を使って物を考えると、そのぶつかった、超不細工な経済学者に変身してしまう・・・と言う内容だった。この時も、阿部サダヲが出ていた。堤真一のこの映画の感想が「やりながら『どんな映画やねん』と思いました」と言うのが、普通の人の感想だろう。「バンビーノ」で潤君と共演している北村一輝が、変な医者役で、「ALWAYS」の須賀健太君が、舞妓さんの追っかけカメラ小僧で、「世界の中心で愛を叫ぶ」の山田孝之が、阿部サダヲと同じ道をなぞるパターンの高校生を、ちょい役ながら、豪華な共演陣。兎に角、面白い。ただただ、面白い。思い切り、笑わせていただきました。オマケだが、横に座っていた年配のご婦人の二人組み。次々、押し寄せてくる、笑いの先制パンチに付いていかれず、もう、次の笑いの仕掛けが始まっているのに、いつまでも、声を殺して笑ってらっしゃって、横に居た私は、笑いの連鎖で一緒に笑ってしまい、次の笑いに備えられなかった。だから、もう一回、見に行きたいな。そのくらい、面白い、本当の意味での可笑しい映画だった。こういう映画も、たまには、良いですね。少なくとも、血しぶきビャーッの映画よりは、楽しめるんじゃないでしょうか?だって、パパ、思い切り、笑ってましたから。
2007年06月17日
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先日、借りてきたDVDを見た。今日は、珍しく、オネエがいたので、二人で、見た。「間宮兄弟」これ、上映している時に、見に行きたかったのだが、シネコンのような、大きな映画館での上映は無く、単館のマニアックな映画を上映する映画館だけでの上映だったので、行きそびれてしまった映画。物凄く良い映画だった。見終わって、暫く、気持ちがあったかーーく、ああ、良い映画を見たな~と思った。オネエも、同じ感想だった。「すごく良い映画だね」。この映画で、ドランクドラゴンの塚地が、映画賞の新人賞を、結構、受賞した。映画をみて、それも頷けた。たんたんとした、大人の男の兄弟の、生活が描かれている。兄役は、佐々木蔵之助さん。別に特別、変わった二人でもない。教養も、常識も有り、礼儀もちゃんとわきまえた、兄と弟。仕事も、真面目にし、生活態度も、どちらかと言うと、普通の人より、真面目かもしれない。ただ、二人の世界感が凄く面白いのだ。良い大人が、女性を部屋に招待して、品の無い王様ゲームのような事はせず、「モノポリー」をしたり、トランプをする。カレーパーティをしても、ちゃんと、三種類のカレーを作る。浴衣パーティをすれば、派手な花火じゃなく、線香花火を楽しむ。二人の生活は、本当に淡々としているのだが、面白い。毎日のようにDVDを借りてきて、二人で、ポップコーンを食べながら、カウチポテトよろしく、映画を鑑賞する。弟は、兄に女性を紹介しようとしたり、兄も、弟が可愛くて仕方がなく、思いやりに溢れている兄弟。ちょっと飛んでる母親役には、中島みゆき。映画の時間がゆっくり流れる。だが、何か、心を打つものが、静かにこちらに入ってくるのだ。人を思う、優しさ、思いやり。言葉にすると安っぽくなってしまう物が、非常に、素敵に描かれている。オネエが「本当に、良いよね~」と感動していたが、私も、こんな静かで、優しい映画を見たのは、久しぶりだった。勿論、塚地がやっているから、時々、滑稽な場面も出てくるが、それが、大袈裟で無く、「うん、うん、有るよね、こう言う事」って納得しちゃう可笑しさなのだ。「間宮兄弟」今度、レンタル屋さんにいらっしゃったら、是非、借りてみて欲しいなあと、皆さんにお薦めです。塚地が、本当に、良いです。
2007年06月16日
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先月、鬱が酷くて、行けなかった革工芸。二ヶ月ぶりに、行った。先生が亡くなって、早、1年。追悼展示会からも、もう、半年近くになる。そして、妹さんの私の恩師の旦那様が亡くなって、百か日だそう。時はどんどん、経ってしまう。人の気持ちを少しだけ、置いてけぼりにして。久しぶりに、楽しい時間を過ごした。やり始めると、夢中で作業に没頭する。家で、なかなか出来ないのは、是をし始めると、全く他の事が出来なくなってしまうからだ。だから、私は、5年近く経った今も、カリキュラムをしている。後から入ったお二人は、もう、自由に自分の好きな物を作ってらっしゃるというのに・・。情けないよね。頑張ろうっと。今作っているのは、トートバック。かなり大きなもの。出来上がるのに、普通の方は、ひと月以上掛かる。これ、リクエストが多くて、早く作らなきゃいけません。買うと、何万もする工芸品。材料だけで、かなりのお値段がした。展示会に出すと、皆の作ったバックは、是の半分の大きさで、材料の倍近くする。それでも、世界に一つの素晴らしい工芸が施されたバックだから、展示会では、いつも取り合い状態になる。早く、沢山作って、展示会で売りたいなあ・・。久しぶりに、何時ものお店でランチを頂いて、一日、革工芸を楽しんだ。来月の日程を決めて、解散。今日は、昨日から、今日の帰りにジャニショに行くつもりだった。大阪から、毎回、レッスンに来ている先生の姪のAちゃん。お姉さんが、名古屋にお嫁に来ているので、今日は、そこに行くそう。大きなトランクを持っていたので、私が、ジャニショに行くから、乗って行かない?と聞いたら、「お願いします」。で、Aちゃんを乗せ、名古屋に。革工芸の場所は、丁度、私の家から名古屋までの、3分の1名古屋に行った場所にあるから、そこから名古屋までは、20分ほどで行く。一昨日、行ったばかりだが、これからも、友人に頼まれる可能性が強いので、もう少し、買って置くことにした。今日は、先日見つけたコンビニの駐車場に止めさせていただいた。お店の方に買い物をして、「30分ほど止めさせて下さい」とお願いした。Aちゃんは、そこから地下鉄に乗って行った。さすがに、一昨日来たばかりなので、ジャニショのレジの女の子に怪訝そうな顔をされた。放って置いてください。好きで来てるんだから。今日は、時間が遅かったのか、高校生で結構混んでいて、並んで買った。行けば行ったで、買っていない写真がほしくなって、またまた、色色買ってしまった。コンビニに戻って、車に乗って、ルンルンで帰宅した。疲れているはずなのに、チキンの唐揚げが作れちゃった。今日は元気です。フットワークも軽くなりました。春先の鬱の酷さがうそのようですな~。このまま行ってくれると、良いんだけどな~。
2007年06月15日
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梅雨に入ったそうです。今日も朝から雨。例年より、6日遅れの入梅って、例年て、誰が決めたんだ?今年の梅雨は、7月の夏休みくらいまで続くんだって。で、夏は、猛暑になりそうなんですって。夏は、昔は、そう嫌いじゃなかった。でも、今は、四季のうち、一番嫌いな季節になっちゃった。年を取ったせいかもしれない。嵐君の夏コンだけが、嬉しい季節。まず、日差しが駄目。暑いのが駄目、混んでる海が駄目。太ったせいもあいまって、夏の暑さが、耐えられなくなった。四季の序列は、やっぱり、年を取ると、変わるよね。昔も、今も、変わらないNO1は「秋」自分が3月、春の生まれが恨めしかったくらい、秋が好き。若い頃は、次に春、夏、冬だったけれど、ここ20年くらい、秋、冬、春、夏の順番になった。冬が好きになったのは、冬って、寒いようで、暖かいから。人の温もりが、感じられる冬が好きになった。それに、家族のイベントが多いから。春は、とりあえず、自分の生まれた季節だし、お花が綺麗だから。夏は、やっぱり、暑いし、大好きなお花が無いから。最近は、冬の方が、花の種類が多いのに、お気付きだろうか?真夏は、花が無いのだ。ひまわりくらいしか、お花屋さんに、まともな花がない。庭も同じ位、花が無くなる。暑いし、花はなくなるし、良いこと無いから、夏が嫌いになった。だから、これから、一番嫌な季節になる。それが済めば、順番に、好きな季節が来る。庭の梅の実が、もうそろそろ、取っても良い頃になった。スーパーの店先には、もう随分前から、売られているが、我が家の梅は、このくらいが、収獲の時期だ。今年も、沢山の実を付けた。今年も、やっぱり、梅ジュースかな?昔は、梅酒が主だったけれど、飲酒運転が厳しくなってから、朝、健康のため、梅酒を水で薄め、氷を入れて飲んで行くことが出来なくなったので、3年前あたりから、梅ジュースにしている。梅干は、和歌山の「はちみつ梅」を送ってもらっているので、作らない。昔作った梅干。塩辛ーーい梅干が、いまだに、流しの下の壷に入っている。新婚時代に作ったが、パパが、梅干を初め、お漬物が駄目なので、そのままになっている20年物の梅干だ。たまーに、一つ、お茶に入れて食べている。少し塩辛くなったお茶が、美味しい。いつか、江戸時代の梅干ってのをTVで見たことがある。もう、梅干の形状はしていなかった。黒い物体だったが、凄く値段が高くて、驚いちゃった。どんな味がするのか、食べてみたいものだ。昔、伯母の家で、頂き物の、水戸の梅のお菓子を頂いたことがある。丁寧に包まれた、上品な梅干のお菓子だった。すっぱいのだけれど、不思議な甘さがあって、美味しかった。このあたりでは、紀州の梅だが、関東では、水戸の梅だ。最近の梅干は、余りすっぱいのは、敬遠されるらしい。かく言う私も、今は、ハチミツ梅干。ラッキョウも、昔は漬けた。今は、誰も食べてくれないから、漬けない。私が食べたい時だけ、買ってくる。そう考えると、昔は色色、作ったなあと、思う。果実酒にはまって、すももから、イチゴ、レモン、さくらんぼまで、作った。色がめちゃめちゃ綺麗だったのは、すもも酒。美味しかったのは、イチゴ酒。イチゴ酒は、上手く、実を上げる時期をみないと、失敗する。梅酒のように、最後まで入れておけない。失敗すると、土臭くなる。でも、毎年、頑張って、いちごジャムと果実酒は作ったものだ。それが、今、何も出来なくなってしまった。自分でも悲しい。どうしてこうなっちゃったのかな~。あ、マイナス思考。いけませんなあ。また、できるようになるよね、きっと。今は、心の冬眠中です。
2007年06月14日
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今日は、ある保険会社のご招待で、近くのレストランで、パパとランチ。保険会社は、本当に大変ですね~。こう言う事もしなくちゃならないんだなあ。幾つかの丸いテーブルに、担当者と、顧客が数人ずつ座った。きっとお知り合いが居るだろうなあ・・。と座って、回りを見回すと、いたいた、子ども達の学校で、御一緒だった、Sさん。向こうも気が付き、お互い手を振った。このレストラン、結婚式も扱っていて、開店してから、近くなもので、何回か来ている。ご招待に、文句を言うのは、無粋だが、何時ものランチとは違っていた。多分、予算内の特注ランチだったのだろう。それでも、お喋りは楽しかったし、満足して帰った。帰宅したらまだ、2時半。珍しくお化粧してるし、着替えているし、何処か行こうかなあ・・・。と思ったら、ひらめいた。ジャニショ。先日、グッズが買えなかったので、また行こうと思っていた。すぐに、グッズセンターに電話したら、「今日、入りました」!!!ラッキー!!こうなると、フットワーク軽い。すぐに、車に飛び乗って、名古屋に向かった。パルコの駐車場にはいると、平日の昼間なので、すぐに止められた。地下鉄に乗って、2つめ。ジャニショのある駅で降りて、足取り軽く、向かった。途中、コンビニがあり、駐車場がかなり広い。あ、今度、ここに止めさせてもらおう。平日の昼下がりのジャニショは、すいていた。頼まれたグッズと、私ももう少し、買い足した。それから、先日、お金が足りなくなって、買えなかった写真も、ゆっくり選んで購入。1時間ほど、中にいた。大きなジャニショの袋を持って、お店を出た。このジャニショの袋が、また、すんごく目立つのだ。鮮やかな黄色に、ピンクや赤、橙で「Johnny's」と派手に入っているので、かなり、持つのが、恥ずかしい。さっき、私が、ジャニショに向かっている時、私と同じ位の年齢の女性が、大きな手提げにジャニショの袋を入れていたところを、すれ違った。気持ち解るなあ・・・と少し可笑しくて笑いながら見送った。電車の中では、ジャニショの袋を、ハンドバックで隠して持つが、やはり、ちょっと恥ずかしい。パルコまでなので、まあ、短いから、耐えられる。ルンルンで、帰宅。でも、やはり少し疲れました。私にしては、かなりフットワーク軽い行動だったので、疲れが後から来る。まあ、以前の私を思ったら、考えられない行動かな?少しずつ、気持ちも、体も元に戻りつつあるかも。そうだったら良いなあ。
2007年06月13日
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昨日から、嵐君の夏コンの当落が始まった。ジャニーズ事務所と言うのは、ファンクラブにまず入らないと、チケットを手に出来ないようになっている。だから、ファンは、平等に、ファンクラブに入会し、電話予約じゃなく、最初に期日までに振込用紙に希望の公演コードを記入し、送金し、抽選になるシステム。実に、よく考えられている。だから、私達ファンは、この振込用紙が、ジャニーズ事務所から送られてくると、「振り込め用紙」と言っているのだが、ジャニーズ事務所は、本当に、上手に考えられていて、夏コンの前に、必ず、新しいCDが出る。そして、そのコンサートは、大体、その新しい曲で構成されるのだ。だから、ファンは、そのCDも、買う事になる。そしてこれまた、CDは、通常盤と、初回限定盤が出る。勿論、内容が違うから、社会人のように、お金が自由になるファンは、当たり前のように、両方買う。で、その週のオリコンの売り上げが、1位になる訳だ。増して、最近の嵐君の勢いは凄くて、この新しいCDをインターネットで予約しようとすると、既に「予定枚数に達しましたので、予約できません」と言う表示が続出するくらいの勢い。ここのところで、ファンクラブの会員数が20万人を突破したとか。夏コンは、北は北海道、南は九州まで、全国47公演行われる予定なのだが、今回、最終公演が、地方だった。実は、私は、是はおかしい・・・と踏んでいた。コンサートでの一番人気は、初日と、最終日、オーラスなのだ。初日大阪は、激戦が予想されたが、最終が、地方ってないよな~と思っていたら、案の定、追加公演と称して、やはり、横浜に持って来た。これ、絶対、最初からの計画と見た。最終公演を発表すれば、そこに人気が集中するのは必至。何公演か、複数の追加公演が出たが、そう簡単に、会場が押さえられるわけが無いし、スケジュールだって、この人気沸騰中の嵐君達に空きが、あるわけが無い。つまり最初から、仕組まれたとしか思えない策略と見た。本当に、侮れない、ジャニーズ事務所。やり方が上手すぎ。さすがに、芸能界に、スターを何人も送り出しているプロダクションのやり方だ。昨日から、何回も電話するも繋がらず。それでも、繋がると、もう、心臓がどきどき。これ、毎年の事。「チケットがお取りできました」か、「誠に残念ですが・・」かどちらかなのだ。その上、一旦、「誠に残念ですが・・」が出ると、その後は全部、駄目なのだ。つまり、当たった分だけ、先に、知らせる・・・と言うやり方なのだ。だから、「ま」がでるか「ち」が出るか、もう、本とに、受話器を握り締め、手に汗なのだ。前日、昨日の確認は、すべて、取れていた。で、今日の確認はいきなり「誠に・・」から始まった。もう、それで十分。後は全滅と解った。で、私は、今年は、大失敗した。実は、去年、半分当たれば良いと思い、15公演申し込んだら、追加公演、追加公演で、13公演も当たってしまった。その経験から、今年は申し込みを控えたのだが、それが裏目に出た。去年は、結局、9公演も行ってしまい、旅費など、かなりな出費だった。今年は、6公演くらいで良いなあと、余り申し込まなかった。しかーし、ここのところの嵐人気。作戦が裏目に出て、複数枚で申し込んだところが、全滅した。前半横浜、地元名古屋、後半横浜と、各1枚ずつのところは、全部当たったが、複数枚申し込んだ、大阪、名古屋、長野、浜松が、全滅。今年の夏コンは、スパンが長いので、3ヶ月のうちのたった3つ。各月、1個ずつしか当たらなかった訳だ。もうビックリ。しかし、物凄く不思議なのだが、ここに遊びに来てくださる方、友人の中で、大阪が当たったと言う報告が1人も居ないのだ。どうなっているのだろう。少なくとも、10人のうち、必ず、半分以上の方が、いつも必ず当たるのに、その方達も、全滅なのだ。それだけ、新規のファンクラブ会員が増えたと言う事か。もしそうなら、嵐人気は、もう、社会現象と言っても過言じゃない。大変な事になってきちゃったなあ・・・。「僕らは、皆をおいて行くようなことは絶対しないから、ちゃんと付いてきてください」。これ、潤君がいつも、コンサートの時、言ってくれる言葉。本当に、先日のドームコンも、あの広い会場の中、少しでも皆のそばに行こうと、努力してくれていた。それが、とても嬉しかったし、いつものように、コール&レスポンスも変わらず有ったし、大ちゃんは、端の端の方まで、いつものように、手を振っていたし、見ようとしていた。ああ、本当に、ファンやってて、良かったって感動したけど、こういう結果が出ると、何だか、やっぱり寂しい。それでも、オーラスが当たったのは、凄い幸運だから、感謝もして、ありがたく、少ない公演を、楽しみにしていたいと思う。でも、来年は、作戦を考えないといけません。今年は、どんなパフォーマンスを見せてくれるのかなあ。楽しみだね、皆。
2007年06月12日
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今朝から、何回も、玄関の呼び鈴が鳴る。その度に、でると、「○○ハウスの○○ですが・・」。実は、昨日、友人と食事して帰宅後、時間が早かったので、パパと、住宅展示場に冷やかしに行ったのだ。いえを建て直すにも、一度もそのモデルハウスを見ないのは、勉強不足だし・・・と言う事で。それに、昔から、モデルハウスを見に行くのが、好きだったので、リクリエーション代わりに、興味本位と野次馬根性を十分、刺激してくれる代物だ。昔、よく、子ども達を連れて行った、病院の近くに、大きな大きな住宅展示場がある。まずはドライブ。話はそれるが、この病院でお世話になった小児科の先生がいらっしゃる。デブッと太ったおなかの、優しい眼がねの先生は、子ども達に人気だった。診察が終ると、白衣のポッケから、ミルキーやら、キャンディがでてきて、子ども達の小さな手の平に、ちょこんと乗せてくださった。その先生の奥さんも、この病院で、婦長さんをなさってらした。チビがRhマイナスAB型とわかったのも、先生の「血液検査してみようか」の一言だったし、オネエが、私と同じように、腸が極端に弱くて、「ガラスの腸」と診断してくださったのも、この市で小児科の医師会の長をなさってらっしゃった先生のおかげだ。毎週のように、遠かったが、先生が好きで、通った病院。ところが、何年か前、この先生のご自宅に強盗が入り、奥様が殺害され、先生もお怪我をなさった。もう、TVでニュースが流れたとき、本当に、「嘘。嘘・・・・」としか、言葉が出てこなかった。お気の毒で、お気の毒で、仕方が無かった。子ども達は、この先生のおかげで、病気をいつも治していただいたし、私も、診察していただいたり、腸をこわして、入院したし、奥様も先生も、我が家には、本当に、お世話になった方々だったのに。こういう時、お見舞いをするべきか、どうか、凄く迷う。でも、結局、もう、行かなくなって何年か経っていたし、そのままになってしまった。その病院が,見えてきた時、少し、心が痛かった。先生、どうなさってらっしゃるだろう・・・。今も、小さな手に、キャンディを乗せてらっしゃるのかしら・・。住宅展示場の中に入ると、日曜なのだからか、混んでいた。丁度、車を止めた前に、北欧の輸入住宅が有ったので、早速入った。お?と思ったのは、昔は、モデルハウスに入ると、その間取りやら、雰囲気に惑わされた物だったが、間取りには、全く興味が沸かなかった。多分、今、住んでいる家が有るからなんだろうなあ。興味は、その造りになった。この住宅は、全部、窓枠などが無垢の木を使っていて、かなり気に入った。壁も、壁紙じゃなくて、漆喰なのも良い。どっさり、パンフレットを紙袋に入れてくださった。次、在来工法の木造のうち。なかなか、素敵な作りだし、中に入ると、気持ちが落ち着いた。やっぱり、木のお家は良いなあ。造りは完全に洋風なのだが、空気が流れている感じが良かった。ここも、壁は、壁紙じゃなくて漆喰。これも良い。ツーバイフォーが、主流になっているが、ここは、違うそうだ。そして、ツーバイフォーの欠点も教えてもらった。ツーバイフォーは、確かに機密性はあるが、表からの空気の流れが無いため、シックハウス症候群になりやすいと言うのだ。その上、知らなかったがツーバイフォーは、機密性が高いので、石油ストーブが点けられないのだそう。「え?」と聞き返したが、「ツーバイフォーの住宅で、聞いてみてください。機密性が高いから、結露になったり、二酸化酸素中毒になるので、多分、使えないって言われますよ」そうなんだ~。「普通の気候の土地に、ツーバイフォーは必要ないですよ。北海道などの寒冷地には、良いですけれど・・」確かにそうだなあ。知らなかった。そんな事、Mホームさんは、一言も仰らなかった。やっぱり、来て良かった。次、有名なSハウス。ここはツーバイフォー。しかーーし、中に入って、5分もすると、目が、しばしばしてきて、鼻の奥の方が、ツーと痛くなりだした。私は、アレルギー体質だ。はっきり、そこにいたセールスマンに、伝えた。これが、ホルムアルデヒドによる、シックハウスの症状なんですね。そうはっきり、申し上げた。それ以上、セールスマンは、何も言わなくなった。申し訳ないが、早々に退散。は~、恐いね~。モデルハウスに、たかだか5分いただけで、こういう状態になるとは。ここで、家を建てたら、大変な事になる所だった。この会社、TVのCMでも、一番馴染みのある住宅メーカーなのに。そこから、2~3、違うメーカーの住宅に入ったが、やはり、もうひとつ、目がちかちかした住宅があった。そして、在来工法のおうちにもう一軒入ったが、こちらも、なかなか良かった。そこで、色色聞かれたので、我々は、もう若くないし、今実際に、自分の家に住んでいるから、こうしてモデルハウスに来て、「わー素敵」って気持ちは毛頭無いって事、是だけ、沢山のメーカーがあるが、それぞれ、「売り」は何なのかが知りたくて来た事など伝えた。「手ごわいですね」って言われた。で、そこで、凄く良い本を頂いた。訴訟になっているメーカーやら、シック症候群になった例の多い住宅、工法の説明、第三機関のチェックを嫌がったメーカーなど、200社以上の住宅メーカーの情報が書かれた本。これが、凄く後から役にたった。さてさて、最後に、設計図を書いていただいたM社のモデルハウスに入った。中から、いつもの担当の方が、笑顔で出てらした。先週、今日、ここに来るかもしれないと、伝えて有った。「色色見て来ました」「どうでしたか?」と聞かれたので、正直に、感想を言った。そして、ツーバイフォーのストーブ駄目・・・の話もぶつけてみた。「はい、確かに、機密性が高いので、普通の灯油のストーブは使えないですが、設置式の表に排気がでる物でしたら、使えます」そうなんだ。さすがに、住宅メーカー、手ごわい。その上、我が家の設計図が出て来た。一応、今みてきた在来工法の家の良い所やら、輸入住宅の、テラスにキッチン、ダイニングから出られるのが、凄く気に入った事など伝えた。話をしていたら、ありゃりゃ、目が少しちかちかしてきた。「すみません、目がちかちかしてきたんですけど」「え?そうですか?なんだろう・・」ここのモデルハウスは、壁紙が使われていた。パパが、「ここは建てて何年?」と聞いた。「二年経ちます」そうか~、機密性が高い分、接着剤のガスが、抜けきってないわけだ。恐いなあ・・。やはり、壁紙じゃなく、絶対に漆喰の壁だなあと、思った。今日のモデルハウス巡りは、大きな成果があった。やはり、机上の話じゃなく、実際に、そのメーカーの家に行ってみて、その空気を吸う事が、とても大切だなあ・・・と思った。知らなかった在来工法も、今は、地震に強いように、考えられている事も知ったし、ツーバイフォーの欠点も知った。帰宅後、頂いた本を読んで、我々の無知が、問題とつくづく思い知らされた。これは、本当に、こちらがちゃんと勉強しないと、建てたあとでは、取り返しがつかないと思った。パパも、本気で、本を読み出した。は~、ここからですか~。設計図が出来上がって、近付いたと思った建て替えは、元より、もっと、多難になったような気がした。でも、行って良かったね。
2007年06月11日
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先延ばしになっていた月一の友人達とのお食事会です。今日は、明るいカジュアルな、イタメシ屋さん。教えてもらった地図を頭に叩き込み、出発。今日は、5人。先日ご主人が手術なさったOさんも参加です。手術は、無事済み、経過も良いそうで、もう、ご自身の病院で、診察にあたっているそう。良かったね。一時は、どうなる事かと思ったけど、もう、大丈夫だそう。やはり、癌は、早期発見です。今日は、Kちゃんが、コーラス部最後の退部記念の集まり。で、記念品を皆で用意していたが、仕事が忙しくて、後からの参加・・との事。彼女は、不動産会社の社長さんになった。名古屋の会社は、ご主人、そしてこちらの会社は、彼女が社長さん。なかなか大変のようで、事務の人、営業の人、運転手さんと、彼女の4人だそうだが、最近、大きな会社がこのあたりに誘致され、不動産会社の彼女の所は、この日曜日にも、大勢の引き合いがきているそう。本当に、頭がさがります。じっとしている彼女を見たことがない。他の友人が、「Kちゃんは、一日、26時間欲しいんじゃない?」といえば、「いやいや、彼女は、26時間あったら、26時間目一杯、動いちゃうわよ」とかなり頷けるお言葉。うん、確かに、言えてる。私達の年齢は、子供を仕立て、今度は、親の介護をしなくてはならない年齢だ。私もやっと姑の介護から解放されたばかりだが、友人の中にも、まだ、介護している方が、2人。かく言う私も、母がいつまた、倒れるか解らない。やっと、穏やかな日々が戻ってきたが、それも、何時まで続くか解らない。介護する前と、自分の年がうんと増して、体力も、無くなった。元にもどしてよ!と言いたいが、無理な話で、介護しながら、ちゃんと自分の人生も、生きていかなくちゃならない。あ~、介護する前はこうだったのに・・・と恨みつらみを言っても、仕方がない。だからこそ、こうして同じ年齢の友人達との食事は、何物にも代えがたい大事な優しい時間なのだ。年齢を重ねるごとに、子供の話から、主人の話になり、最近は、親の話や、老後の話になって来た。その話をするメンバーの顔が、変わらないと言う事が、どれほど、素敵なことかと、いつも、食事会のたび、思う。仲間のお一人が亡くなって、1人メンバーの顔が減ってしまったけれど、おばあさんになって、孫の話や、自分のいなくなった時の話をするまで、きっと、このまま何十年も、お付き合いしているのだろうなあ。本当に、幸せなことだよね。幸せな時間です。雨が降っていたが、帰る頃に、やんだ。Kちゃんも、顔をそろえ、お互いのこのひと月を話し、いつものように、次の予定を決め、解散。本当に、気のおけない友人達との時間は、楽しかったです。今度は、どんな話が聞けるかな?また、来月ね。
2007年06月10日
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パパが映画に行こうか・・・と言い出した。所が、お互いみたい映画が違う。私は、国分君の「しゃべれども、しゃべれども」が見たい。パパは、松本仁志の「大日本人」と、たけしの「監督・ばんざい」お互い、映画は好きなのだが、好みが違うのは仕方ないよね。で、結局、梯子をする元気も時間もなく、家にいることになっちゃった。どういうんだろう、パパは、家に居る間は、ずーーーーーーーーーーーっと、ゲーム。何が面白いのか、ずーーーーーーーーーーーーっと、同じゲーム。わっかりましぇーん。私も、以前は、「バイオハザード」「ドラクエ」くらいはした。勿論、「バイオハザード」の映画も行った。しかし、ゲームは一回やっちゃったら、もう、二度と、同じゲームはしない。ところが、ゲームって、ゲームおたくにはたまらない仕掛けがしてあるんだそう。例えば、「バイオハザード」。何回かクリアすると、物凄い武器が、手に入ったり、弾を際限なく手に入れることができたり、キャラクターの衣装を、好きなように代えられたりするようになっている。また、決められた時間内にクリアすると、また、特別な、ご褒美があるらしい。しかし、私は、二回も同じゲームをしようとは、思えない。だから、「またやってるの~」と言う事になる。ゲームって、結構、値段が高いが、ここまでやってくれると、十分、元はとれるよね。パパはゲーム、子ども達は、出掛けていない。いずれ、こういう風になるんだなあ。休みは、パパがゴルフに行かない時は、いつも、二人っきり。寂しいなんて、言っていられないなあ・・・。これが、死ぬまでずーーーーっとなんだもん。この先、孫が来ることだけ、楽しみにはなりたくないしなあ。母はその点、自分の好きな事にまっしぐらだ。「歌」。父が生きているときから、週に何度か出かけていた。まあ、父に定年が無く、生涯現役だったから、昼間は、1人の気軽な生活だったから出来たのだろう。私も、立場は、母と一緒だが、ほとんど出かけない。月一のお友達との食事と、革工芸だけ。母のように、週一のコーラスと、週一の歌の個人レッスンは、私から見たら、かなりハード。多分、鬱と一生付き合わなくちゃならないから、出かけるのは、相変わらず、少ないだろうなあ。このまま嵐君を好きで居られれば、年に何回か、色色な場所に出かけられる。気持ちが変わらないよう、願うばかりです。
2007年06月09日
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朝、雨の音で目が覚めた。そんな穏やかな雨じゃない。まさに、土砂降りだぁ。表を見ると、下のバス通りの坂の上から下へ、雨水が、滝のように、流れていく。凄いなあ。何処かが、水不足だって、ニュースで言っていたけど、この市に住んで、給水車が出たなんて、聞いた事が無い。この団地も、水がおいしいので、浄水器が売れないそうだし。水には、恵まれている。だから、お茶どころなんだろう。京都の宇治茶と呼ばれるお茶は、この市で栽培され、宇治茶として、売られている。このあたりを、ちょっと走ると、大きなお茶畑に、そこかしこで出会う。伊勢茶。お茶と言えば先週の金曜日、こちらに用事で来た友人のご夫婦と、お茶を飲んだ事を思い出した。何回か、お目に掛かっているご主人は、パパとは、全くタイプの違う方。「優しい」を「人」にすると、こういう人になるんだ・・・・と言う感じの方。とても穏やかにお話されるし、ほんとに、友人が羨ましくなっちゃう。パパが、同じシチュエーションだったら、どうかなあ・・・とパパに置き換えて見た。まず、つまんない冗談を言うなあ。これ、関西人の当たり前の第一歩。ああ、もう、多分、全然違うなあって思ったら、ちょっと、面白くなっちゃった。彼女も「一辺、会って見たい」うん、うん、会わせてあげたい。多分、納得するよ。「ああ、こういうタイプね」って(爆)短いけど、楽しい時間を過ごし、帰宅。お昼過ぎ、消防自動車が、やたら、近くを通る。何だ?何だ?と二階から、見ると、煙が見える。パパがお昼ごはんを食べて、会社に出て行くとき、電話をよこした。「今、下の道だけど、まずいところに出ちゃったよ。ハンバーガーショップがあるだろう。道を挟んだその前にある、プレハブの作業小屋が火元で、消防自動車と救急車で、片側通行やってて、なかなか進まないぞー」。火の気の無い、作業小屋。また、放火だ。この団地では、無いが、この団地の下の飲食店が、立て続けに、数年前、放火されて全焼した。全く、何が不満で放火なんかするんだろうなあ。放火は、殺人の次に罪が重いって知っててやるんだろうか?窃盗より、強盗より、罪が重いんだぜ!軽い気持ちでして、捕まったら、一生を台無しにするのになあ。世の中、どうなっちゃっているのかなあ。
2007年06月08日
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昨日は、嵐君お楽しみデーだったので、書かなかった事がある。実は、友人と別れて、電車で、帰って来た後の話しだ。名古屋に車で行かない時は、うちの直ぐそばの駅から電車に乗らないで、大きな駅から、名古屋線に乗る。だから、車でその駅まで行き、駅前のスーパーに何時も止めておくのだ。このスーパー、元、松坂屋の入っていた大きなビルの中にあるから、駐車場も、地下2階まである、立派な駐車場。どうせ、夕飯のお買い物をするし、駐車時間も、7時間まで、無料になるから、名古屋まで買い物に行くと十分、大丈夫だった・・・・・はずだった。昨日は、お小遣いは、たっぷり持って行ったはずだったが、ジャニショで、たんまり買い物をし、友人と、美味しい食事とお茶をし、スーパーで、夕食の買い物をし、あと、千円札が一枚と、小銭が少しになった。スーパーのサービスで、駐車券にハンコを押してもらい、ウラワザ、上の階のゲームセンターで、駐車券を出すと、さらに、4時間サービスをしてくれるので、ゲームセンターに行った。是で2時間の超過だから、600円で済むなあ。ガチャンと印字してもらい、さあ帰ろうかなあ・・・とふと見ると、大好き「たらこキューピー」の新バージョン。これは、欲しい。残ってた小銭を全部使ったが、敢え無く撃沈。さあ、帰りましょう・・・と車を出して、料金所の機械の前に行った。駐車券を入れた。見ると、料金のところが「600」じゃない。「1350」!!!え!?うっそ。何?どう言う事?幸い、後ろに誰も並んでいなかったので、バックしてもう一度、駐車した。おかしいなあ・・・。7時間無料のはずじゃない?さあて、どうしよう。今日、銀行のカードは持ってこなかった。パパに電話するも、悔しい。暫く考えた。電車で帰って、戻ろうか・・・。しかし、うちの駅は電車が、1時間に4本くらいしかない。!!!!ひらめいた。お財布の中に、タクシーチケットがあった。是を使うしかないなあ。車から降りて、エレベーターに乗った。で、気がついた。「お客様へこの度、駐車料金を、2000円以上お買い物の場合2時間までのサービスとさせていただきます。○○(ゲーセン)も、同様2時間サービスとさせていただきます。2時間以上いらっしゃる、109シネマのお客様は、係り員にお申し付けいただき、料金の証明を受けてください。6月1日」の張り紙。つまり、6月から、4時間以上は、料金が要る事になったのだ。知らなかった~。仕方ない。表に出て、タクシーに乗った。「すみません、家に忘れ物をしたので、もう一度、ここに戻ってください」もう、かっこ悪いったらありゃしない。無事、帰宅し、お金を持って駅前まで戻り、駐車料金を支払い、スーパーを出たのは、名古屋から戻って、1時間以上も経ってからだった。何だか、真っ直ぐ帰る気になれず、書店に寄って、横のDVDのコーナーで、見逃した「救命救急24時」のDVDを借りた。は~。折角、楽しい嵐君デーだったのになあ。まあ、知らなかったんだから仕方ないね。これからは、気をつけましょう。
2007年06月07日
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以前から約束していた日です。パルコの映画館に「黄色い涙」を見に行った。ご一緒したのは、Iさん。去年の今頃、毎日、一緒に撮影の見学に行った友人の一人です。お互い、思い出が一杯ある映画。共有出来る、思い出の有る映画を、二人で見に行くのは、すごく、楽しみ。あの頃、凄く暑くて、彼女は白い帽子をかぶっていたのを、思い出す。先に、彼女が来ていて、チビを連れて行った撮影の時、「早く、早く、いるよ、いるよ」と、逐一、メールで知らせてくれ、チビと撮影場所である、商店街まで、走った思い出。何か、コンクリートのゴミ箱みたいなのがあって、二人で、寄り掛かっていたら、翌日、それが、自動販売機に、セットでカバーしてあったことが解り、爆笑した事。映画の中でも、メンバーが、道路の中央で話し込むシーンで、後ろにしっかり写りこんでいた。もう、一杯の思い出と共に、二人で見た。時々、ひじをつついて、「あれあれ」と目配せしたり。めっちゃ楽しい時間だった。二人で、イタメシ屋さんに行き、暫くお喋りしたあと、ジャニショに。行く最中、お喋りしすぎて、地下鉄の駅を一つ乗り越しちゃった。慌てて、おりて、逆戻り。こんな事、滅多にしない。学生の時以来だから、余程、お喋りが楽しかったのだ。ショップは、駅と駅の間にあるから、結構歩くのだが、それもまた、友達と一緒だと、短い距離に思えちゃう。中に入ると、有った、有った。新しいグッズが一杯出ていて、友人の分もゲット。会報ファイルや、チケットファイル、アルバム、写真など。ジャニーズショップに行くと、ついつい、長居をしちゃう。本当は、そこにある写真、ぜーーーんぶ、欲しいのだが、1枚、150円と割高の写真だから、10枚買うと、1500円。良い値段だなあ。グッズは、若い子のお小遣いで買える値段に設定してあるが、写真は高い。でも、事務所公認に写真だから、他では手に入らない、オフショットの写真もあるし、メンバーが、コンサート中、そのカメラに向かって、思い切り、ウィンクしている写真など、ファンにはたまらないものばかりだから、気が付くと、結構な金額を払うはめになる。この写真、どうするんだよって、自分で突っ込む。一つのコンサートに、毎回、7~80枚色色な所で買っちゃうから、物凄い量の写真がある。勿論、1枚150円の写真ばかりじゃない。私が死んだあと、どうするんだろうなあ(笑)可笑しかったのは、Iさんが、チケットファイルを、お友達の分も一緒に買って、私が、やはり買ったあと、すぐに、あ、もう2冊欲しいなあ・・・と見たら、「売り切れ」の札が、しっかり貼られていた。買い占めちゃったってことだな。残念。次回の入荷の情報を聞いて、お店を出た。アーーー楽しかった。久しぶりに、思い切り、好きな事が出来ました。帰りに、駅前のデパートに寄って、ほうれん草のキッシュを買おうと、ずっとずっと、楽しみにしていたが、チャンスが無くて、行けなかったので、やっと、買える・・と行ったのに、そのイタリア料理の出店が、なんと、5月中に、閉店していた。ショック!渋谷のデパートで、名古屋では、ここのデパートに入っていると聞いていた。おいおい、冗談じゃない。もう、本当に、1年越しくらいで、買いに行くのが、楽しみだったのになあ。こう言う事って、本当に、悔しい思いをする。お店の名前だけ、メモしていただいて、デパートを出た。夕方、帰宅。あーー、楽しかった。命の洗濯しました。
2007年06月06日
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C1000の嵐君のイベントに応募し続けて、今日でもう、最後にしようと、覚悟を決めた。全部で、90本づつ、3回注文したから、総計270本、6ポイントで一回の応募だから、45回、応募した計算になる。でも、一回も当たらず。応募シールだけ、オークションに出ていたが、そんなバカな買い物は、主婦はしない。ちゃんと商品が付いていて、安くオークションで買った。スーパーで、1本89円のところ、90本で送料込みで7200円だから、80円てことだ。まあ、家族のビタミンCの補給には、貢献してくれた。それで良しとしましょう。以前から、見たくて、見られなかった映画のDVDを借りてきた。横田めぐみさんのご家族を外国の監督が描いた、「めぐみ」。怒りと、情けなさと、お気の毒で、お気の毒で、何度も、涙した。特に、オネエが、合唱コンクールで独唱した「流浪の民」。同じように、めぐみさんが、オネエの歌ったパートを、独唱したのを聞いた途端、もう、こらえきれずに、嗚咽した。本当に澄んだ、美しい、清楚な声。この歌声を、北朝鮮は、家族からもぎ取った。その残虐性。その許されざる行為。後に、13歳とは知らず拉致した事を、拉致した本人から、聞いた脱北者が、「彼も子供と知って、苦い思いをしたようだ」と言った。冗談じゃない。本当に、冗談じゃない。理由もわからず、娘を奪われて30年を送ってきた家族の苦渋に満ちた日々など、如何して理解できよう。娘のことを思うだけで、いてもたってもいられないはずだ。それなのに、よくぞ、いつも、カメラの前で気持ちを強く持ち続けていらっしゃると、お母様の早紀江さんを、TVに映る度、尊敬の気持ちで、見ていた。しかし早紀江さんにも、死んでしまおうとなさった日々があったそう。その思いを考えれば、当たり前かもしれない。その上、拉致問題を解決する前に立ちはだかっている壁が、日本政府だと言う事も、情けない話だ。いまさらながらだが、世界中の人がこの映画をみて、世界中の世論に訴えて欲しい。本当に、この映画こそ、世界の人に、知ってもらいたい映画だ。一日も、早く、拉致された全ての人が、自国に帰れるよう、願わずにいられない。この映画を作ってくださった、監督に感謝しつつ、願いつつ、DVDを仕舞った。映画、面白い娯楽性の高い物もあれば、こうして、世界に訴えなければならない、メッセージ性の強い物もある。ニノの「硫黄島からの手紙」のように、大きなお金で作られた素晴らしい映画もあれば、この映画のように、ただただ、横田夫妻を追った地味だが、質の高い映画もある。映画って、本当に、凄いなあ。
2007年06月05日
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今日は、住宅メーカーに行く日。設計図が出来たそう。お昼に、パパと、スパゲティを食べ、近くのMホームに行った。出来上がった設計図は、素晴らしいものだった。何処の大邸宅?と聞きたくなっちゃうようなおうち。「ご希望を設計図にして見ました」と設計士氏。そりゃ、言いたい事言ったもんな~、確かにこうなるよ。「洗濯物を一時的に置いておける部屋が欲しい」「トレーニングルームが欲しい」「人形の小物など、沢山の物を収納できる部屋が欲しい」「子供達の部屋を分けてやりたい」「子供たちの顔が一日一回見られるような造りにしたい」「家族と、お客さんのいる場所を分けたい」「トイレが二階にも欲しい」「洗面所でいつも喧嘩になるので、二箇所欲しい」「木で囲まれたテラスが欲しい」「駐車場に車を4台置けるようにしたい」「三方が道路なので、少なくとも、二箇所から入れるようにしたい」・・・etc.で、出来上がってきたのが、この設計図と、お家の外見、エクステリア。・・・・!!思わず、笑っちゃいました。な~んと、地下室まである。ひゃーー!!、こりゃ凄い。しかし、現実問題、無理。「あの~、ちなみに、これで建てるとしたら、建設費は?」・・・と恐る恐る尋ねてみたら、7~8千万だって。・・・(-_-;)・・・・はははははっ。笑うしかなかった。で、パパの一言が深かった。「いやいや、笑うなよ、これからが、考えどころなんだから」。そうだね、希望を全部いれると、こうなるんだ。「さあ、これで、何処を削って、何処を残すかだな」。うちに帰って、まるで冗談の設計図を、娘達に、見せた。「うひょー。すっごい!何処のお屋敷なんだよっ!」やっぱり、突っ込んできた。オネエにいたっては、一瞥すると、物凄く冷静に、「どうせ、私、住まないから関係ない」。オネエは、就職をソロソロ考えていて、どうも、家から通える所には、カウンセラーの空きが無いようなのだ。で、家から出ることを考えている。散々冷やかして、設計図は、ソファの上に、放って置かれたまま。設計図には、少々、問題もあった。お風呂場と、リビングが、家の端と端になってしまっていて、リビングに階段があるから、お風呂から出て、二階に上がる距離が、有り過ぎた。勿論、これから、1年以上掛けて、考えていく間取りだ。まあ、このままだと、本当に、宝くじでも当たらないかぎり、こんな家は建たない。聞けば、今の家の広さより、廊下の幅が広かったりで、3~5割り増しの大きさだ。冗談じゃない、今の家さえ、お掃除が出来てないのに、だれが、掃除するんだ?一日おきに、掃除するしかないなあ。本当に、ただただ、笑うしかなかった。あ~、前途多難。本屋さんに行ったら、ワンコーナー全部、住宅に関する本ばかりだった。ぺらぺらとめくってみた。雰囲気の雑誌、細かく材料などの値段を算出した雑誌、輸入住宅のカタログみたいな雑誌、有るわ有るわ、こんなに、沢山の本が出ているなんて思いもしなかった。こりゃ、少し勉強しなきゃなるまい。でも、その本も、一冊、千円以上のものばかり。写真が多いから、平均1800円くらいのものばかりだ。は~、本当に、前途多難。楽しみで良いわねって、母は言うけど、ちっとも、楽しくない。ただただ、多難だ・・・と言う思いだけ。本当に、建て直し、出来るのかしら・・・・。聞けば、設計から、建築申請、引越しまでに、1年以上掛かるそうだ。それから、建築に、半年以上。って事は、私が55歳くらいまで、掛かるって事か。生きられてあと20年と思っているから、健康に住めても、15年か・・・・。建て直し、辞め様かなあ・・・・・って、少し、弱気になってます。
2007年06月04日
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日曜日。パパはまたゴルフ。今日は、以前からの予定で、地区のお掃除だった。カレンダーにきちんと書いて有った。しかし、また、大失敗。朝、電話が鳴った。誰だろうと、寝ぼけ、電話を取ると、「お母さん、今、駅前を通ったら、お掃除してたけど、良いの?」「あ!、どうしよう」「あ~、ドンマイ!」時計を見たら、既に終了に近い時間だった。地区のお掃除には、出来るだけ出ている。・・・と言うのも、普段、あまり近所のお付き合いをしていないからだ。お隣の方や、その一軒向こうの方くらいまでしか、おしゃべりをしない。元々、ここの家に越してきてから、12年、後から入居した我が家だから、この団地の第一期の土地である、この一角の方は、もう、30年近くのお付き合いをしてらっしゃる。だから、お歳も、私より、うんと年上の方ばかりだ。当時、小学生のいるうちは、我が家だけ。だから、お話しても、話題に付いていけなかったし、あちらも、若い家族には、わざわざ話しかけてくださることも無かった。だから、出来るだけ、お掃除には、参加してきた。しかし、今日は、どうにも体が動かなかった。お玄関から出ることも、あまり無い。毎日、新聞を取りにも出ない。パパは、会社で、二紙取っているから、会社で読む。私が、TV欄を見たり、読むくらいだ。だから、2日分貯まっていたりする。新聞を取りに行かないから、玄関から出ない。駐車場の方から出入りしちゃうから、回覧板に気が付かないことも多く、組長さんから「今朝、回覧板をいれさせもらったんですけど、今見たら、そのままですので、まわしてください」とお電話を頂くことも、ある。以前の組長さんは、お玄関前に置いて下さったので、誰かが、気が付いて、持って入る。しかし、今年の組長さんは、門扉横の郵便受けに入れてくださるので、気が付かないことが多い。本当に、厄介な病気です。鬱。お蔭で、今日一日、鬱が酷くなっちゃった。また、言われてるんだろうなあ・・・Kさんは、本当に、しょうがない・・・。本当に、申し訳ないなあと思うのだが、是ばかりは、どうしようもない。あ、また、マイナス思考。仲良くするのも、大変です。
2007年06月03日
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パパは仕事、チビは、午後からバイト、珍しく、オネエが一日、うちにいた。パパがお昼にいつも帰って来るのは、とうに12時を過ぎ、1時半から2時くらい。だから、いつも、お昼はそのくらいに食べる。自然、夜も、皆の帰りが遅いから、8時くらいになる。お料理するのは、好きなのだが、鬱の時は、お買い物に行けないから厄介。だから、行ける時に、どっちゃり買い込んでおく。冷蔵庫の中には、時々、何だったか忘れる物があって、結局、賞味期限が過ぎ、ゴミ箱行きになる。本当に、こんなことやっていたら、今に、神様のバチがあたってしまうなあ・・・と、腐った野菜をゴミ箱に放り込みながら、また、落ち込む。このマイナス思考が、鬱になる原因の一つなんだろうなあ。小さな頃から、そうだった。良いことを考えていて、裏切られる事の方が多かった。心臓の悪い弟が生まれ、7歳まで一人っ子だった私にとって、寂しい毎日だった。母は、一年のうちに、半年、弟の病院に付き添った。たまに、テストの点が良くて帰っても、従姉妹しかいなかったりした。弟が生まれるまで、兎に角、強烈な教育ママだった母は、私のテストの点が悪いと、「私の娘が・・」と、まさかと思われるが、泣いたのだ。だから、テストの時は、緊張した。良い点を取って、母の笑顔が見たかった。母は、教育者の娘。父も、教育者の息子。ただ、父は、ご多分に漏れず、ぐれて、田舎では手に負えなくなり、小学生の時、東京の叔父の下に引き取られ、小学校を終えてから、志願して、行かなくても良い戦争に行くため、中野通信学校に入った。だから、少しは、私の気持が解ってくれたが、母は、小学校、中学校、高校と、いつも、首席で卒業した絵に描いた優等生。だから、出来の悪い娘が、本当に、悔しかったのだろう。でも、叱られているうちが、花だった。良い点のテストを持って、母の嬉しそうな顔を期待して帰っても、母はうちにいないことが多くなった。弟が生まれて、私の事は、二の次になった。だから、私も、何も期待しないようにした。父は、営業職だったから、毎日、帰りが遅かった。そんな家庭環境だったから、いつも、一番悪い事を考えていれば、傷つかないし、期待が裏切られる事も無かったから、いつも、自分に関する物事は、悪い方、悪い方に、考えるようになった。マイナス思考って、一両日中に、出来るようになるものじゃない。私の場合は、自己擁護のために、そうなった。だから、社会人になって、何か嫌なことがあると、「ほら、やっぱりこうなった」と、切り抜けることが出来た。「どうせ・・・」が考えの前にいつも来た。だから、反対に、良いことがあると、信じられなかった。こんな良いことが有るって事は、反動で、悪い事が、倍になって返ってくるに違いない。そんな物の考え方に、なってしまった。で、表に出ると、四六時中、緊張の糸が張りつめられたまま。体にも、それは、顕著に出た。緊張性、頭痛。背中が痛くなってくると、要注意。すぐに、肩がパンパンに張って、程なくして首筋から頭痛になる。幸か不幸かADHD障害者とわかり、抗不安剤を貰うようになり、服用するようになって、副作用で、肥満になったが、小学生から、頭痛薬を手放せなかった私の頭痛は、軽減された。それでも、嵐君のコンサートに行く朝や、何処かに、泊まりで行く朝は、必ず、緊張で、もどす。「何に緊張してるんだ?」って自分に言い聞かせるのだが、もし、足がつっちゃったら、もし、友達との時間に間に合わなかったら、もし、何か忘れ物をしたら、もし、もし・・・。相変わらずの、マイナス思考が、私を苦しめる。パパは、反対に、物凄くプラス思考。なるようにしか、ならないし、したい事と、出来る事は違うから、出来なくても気にするなって、いつも言う。しかし、小さな頃から、身についちゃったマイナス思考を追い出すのは、至難の業なのだ。自分の首を絞めているのになあ・・。全部解っているのに、マイナス思考になっちゃうのは、やっぱり、傷つくのが恐いんだろうなあ。意気地の無い自分に、本当に、腹が立つのだが、今から矯正するのは、難しいよね。出て行け~、マイナス思考!
2007年06月02日
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本当なら、今日から、衣替え。しかし、我が家には、もう、制服を着ている人はいないから、TVで聞き、ああ、そうか・・・くらいの感覚。今年の夏は、暑いそう。沖縄は、もう梅雨に入ったそうだ。しかし、今日も、良いお天気。午前中に、病院に予約を確認に行ったが、どういうわけか、カウンセラーからの指示は無く、また、来週、確認する事になった。私のカウンセラーは、名古屋の病院から週に一日、来ているから、連絡が付かないのだ。まあ、仕方が無いかなあ。先日の事。ベトナムに帰るはずだった子、あの逃亡した子が、警察に捕まったと言う。先月、丁度、ひと月前、パパと、ベトナムに送還されるはずの子を、マンションに迎えに行ったが、荷物を置いたまま、前日から逃亡し、帰ってこなかった。一度逃亡し、帰って来たから、警察に、また、引き下げた捜索願を出し、送還命令を出した、入管に報告し、そして、もう、我が家から、手が離れていた。その時点で、素直に帰国すれば、向こうで借金して作った研修の保証金も、こちらで働いた、退職金も、強制送還ではなかったので、貰えたはずだった。その額は、ベトナムの人には、大変な大金だったのに、彼女は、それを捧に振ってまで、逃亡し、他で働いていたのだ。つまり、その金額より大きな金額を悪徳な組織に提示され、足の無い彼女を、うちの寮であるマンションから連れ出した組織があったのだが、先日、そこに警察の捜査が入り、彼女は、就労ビザを持たない不法就労者として、逮捕された。そこで、日本の研修先であるうちに、名古屋の警察から電話があったのだ。しかし、すでに、うちから、日本の受け入れ先である団体に、パスポートは、返してあり、もう、うちの会社とは、縁が切れていた。本当に、バカなことをした物だ。これで彼女は、不法就労者として、強制送還になる。3年近く、うちで真面目に働いていたのに・・・・。強制送還だから、退職金は出ないし、向こうの保証金も返って来ない。情けないやら、自業自得と言う思いやら、可哀想やらだった。あのまま、私達と一緒に、空港から、送還されれば、100万円以上のお金を手に出来ていたのに・・・。今は、入管に収監されているそうだ。きっと、毎日泣いているだろう。しかし、今となっては、どうしてやることも出来ない。後味の悪い結果になった。近いうちに、入管から、ベトナムへ、強制送還の身となる。3年一緒に働いてくれたうちの従業員たちの気持ちも、傷ついている事だろう。夕方、どうにも、体がだるくなり、寝た。窓から気持ちの良い風が入り、うとうとしていたら、寝てしまった。この季節は、本当に、気持ちが良いね!明日は、少し、頑張ろうかなあ。
2007年06月01日
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