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2007年の日が暮れた。刻々と、漆黒の闇に向かって、空が、群青色から、深い色に変わっていく。何もせず、私は今日も、自分の無能さに、頭をたれる。何もできなかった。掃除も、年末の始末も、何もできなかった。部屋の中は、いつもと変わらぬ散らかりようで、唯一、玄関だけが、迎春の様子に変わっている。心と体のバランスが全く取れていない。だから、そのギャップに、たまらないジレンマを覚える。この一年、何をしていたのか、解らない。去年の今頃、おばあちゃんが亡くなり、一週間ごとのお寺さんへのお参りやら、おばあちゃんの遺品の片づけやら、まだまだ、動けていたのに。今年は、明日からのお正月、どう過ごしていいのかわからないくらい、部屋の中、座る場所さえない。去年のお正月は、ちゃんと、片付けができたのに。また、鬱への逆戻りなのか・・・。そして、来年、この家がなくなり、すべてリセットして、夏が始まる。そこから、何か、感じることができたらいい、何をしていけるかわからないが、これからの一年一年、大切に生きたい。今年のように、解らないうちに、終わらないよう、今日でこんな気持ちはリセットしたい。おせち料理も用意せず、伊達巻も作らず、トイレも、洗面所も掃除もせず年を迎えるのは、結婚して、初めてだ。パパは、「それもまた、よし」と言うが、私自身が納得していない。2007が終わろうとしている中、ただただ、友達、家族、私と関わった方すべての方への感謝だけ。自分が、この年、何をし、何を考え、何を感じてきたのか、まるで、心がしびれたように、思いだせない。何をしたのか思い出せないのは、自分が力いっぱいしなかったから。何を考えてきたのか思い出せないのは、たぶん、思い出したくないから。何を感じてきたのかわからないのは、いつも気持ちが揺れていたから。そして、もうすぐ、2007年が終わる。何もしないまま、終わる。この年が終わるのと一緒に、気持ちもリセットしよう。新しい年を新しい気持ちで迎えよう。さあ、あと2時間で2007年が終わります。今日の夕食は、十割そばを食べに行きました。美味しかったっす
2007年12月31日
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とうとう、今年もあと、二日になった。朝から、潤君の「ごくせん」を一気に放映していた。でもこれ、DVD全部持ってるから、横眼で見ながら、机の上を片付けしました。今日は、晦日というのに、それなのに、午後は、な~にもしないで、家族と映画を見に行った。「ナショナル・トレジャー」。なかなか面白かった。本当はね、ぐちゃぐちゃの家の中から、逃げ出したかった。見たくなかったからかな?う~んとね、ハリソン・フォードの「インディー・ジョーンズ」みたいな映画でした。リンカーン大統領を暗殺した末裔だと言われたニコラス・ケージが、その濡れ衣を果たそうとするんだけど、たとえば、アメリカの大統領しか見ることの出来ないノートがあって、そこに、すべての秘密がかかれてあるのね、たとえば、ケネディ暗殺の秘密とか。それが、すごく、もっともらしくて、面白かったなあ。その本に、南北戦争で負けた南軍が、いつかその雪辱を果たそうと、資金のために黄金をある場所に隠してあるんだけれど、その秘密を解く、暗号を、ニコラスと、お父さんと、恋人、お父さんと別れたお母さんが、一緒に解いていって、最後には、そこに行き着くの。もちろん、敵も出てきて、パリの町中のカーチェイスは、圧巻でした。結局、黄金も見つかり、ニコラス一家の汚名も晴れて、めでたしめでたしって、本当に、家族で見るには、面白い映画でした。ただ、中学生くらいには、少し、ややこやしいかもしれない。私も何度か、隣の映画馬鹿のチビに、「どういう意味?」って聞いちゃったから。お正月前後は、本当に面白い映画が、いっぱいあります。「アース」も、試写会の券が当たったんだけど、見にいけませんでした。あ~、勿体ない。今日は「武士の一分」を見たけれど、なかなか良かったね。あの「金麦冷やしてまってるから~」のCMの女性、壇れいさん・・て言うの知りました。キムタクも良かったけれど、じいの役の方、度忘れしちゃったけれど、演技が光ってましたね。お正月は、どんな映画するかなあ。
2007年12月30日
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今日は、パパと、以前住んでいたマンションの近くに立つ市に出かけた。以前は、市の立つ日は毎日行っていた。こちらに越してからも、元気な時は、時々行った。4日と9日の四九の市という市で、取れたての動いている海老だの魚だの、農家のお野菜だの、葉っぱがちゃんとついた大根だの、そりゃ~、楽しい市で、毎回、買い物用のカートを購入して、買いに行き、食卓をにぎわせた。大根の葉っぱは、スーパーじゃ手に入らないし、動いている海老も、手に入らない。うす塩の脂の乗った美味しいあじの開きなど、絶品。魚があまり好きじゃなかった私も、この市で、魚の美味しさを知った。こちらに来てから、10年は毎回、通った。鬱や、おばあちゃんのことや、父のことがあってから、全く行かなくなったが、この12月29日の市だけは、必ず、行く。カニを買いに行くからだ。我が家は、3日の夜に、必ず、カニを食べる。この「かに」は、カニ雑炊とかじゃなく、本当に「かに」だけ食べるのだ。毎年、年末の最後の市には、大きな箱にアラスカ産のズワイカニの足だけがぎっしり入った物が売られていて無類のカニ大好き人間の私には、まさに、宝の山。それも、いつも買う、露天のお魚屋さんのオジサンお勧めのかには、船上冷凍で、身が中で凍って、爪に割れ目が出来ているくらい、ぎっしり身の詰まったカニで、本当に、毎年、間違いなく、おいしい物。それを、20年毎年、12月29日に買って、3日に食べるのが、我が家の恒例だった。ところが、去年の29日は、大雪の翌日で、市自体、お野菜の店が4軒ほどしか出ておらず、いつもの魚屋さんもお休みで、仕方なく、近くの大きなスーパーで、買った。しかし、やはり、おじさんの魚屋のかにのように、ジューシーで、肉厚なものではなく、値段も高く、がっかりしてしまった。今年は、早々に出かけて行ったが、ショックだった。あの魚やさんの店がないのだ。近くのお花屋さんに聞いたら、「あ、あの店、2年前から出てないよ」というのだ。去年は大雪だったから・・・・と思っていたのだが、私が驚いて、なぜだろう・・と怪訝そうにしたら、「社長が死んでなあ・・」と気の毒そうにお花屋さんの方が仰った。「社長って、あの口鬚の元気の良いオジサン?」と聞くと「そうそう」。信じられなかった。まだ、60歳にもなっていないくらいだった。市の中でも、一番大きな露店で、4人のオバサン達も、うちの娘達が小さなころ、その手に、ホイっとチリメンジャコを握らせてくれたり、可愛がってもらったのに・・・。もう、あのカニ、食べられないんだ・・・。仕方ないので、ほかの露天の魚屋さんのカニを買った。パパと、「残念だなあ」と言いながら、市の立つ道の横にある大きな大きなショッピングセンターに行った。お正月の買い物やら、ロッテリアのチキンやら買って、帰宅。予断だが、私は、このチキンは、「ケンタッキーフライドチキン」より、「モスチキン」より、どこのチキンより、美味しいのは、ロッテリアのチキンと思っている。ケンタッキーは確かにスパイスがおいしいが、チキン自体の柔らかさがない。モスチキンは、揚げ過ぎでカスカスで美味しくない。このロッテリアのチキンは、ジューシーで、本当にやわらかく、おいしい。スパイスの物足りなさは、自分で補充すれば良いわけで、柔らかさとジューシーさを重視するなら、ロッテリアのチキンが一番おいしいのだ。何もしないはずだが、何となく、年末って感じですね。
2007年12月29日
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今日、人間ドックの結果が来た。あの時、最後の診察で、医師は、問題ないって言ったのに、「胃にポリープがあります。専門医で精密検査をしてください」ですって。あ~、また、あの胃カメラ飲まなくちゃならないんです。嫌だなあ~。オネエが「お母さん、前にやった時より、最近のはもっと、細くなってるから、だいじょうぶだよ」だって。前に胃カメラ飲んだ時は、ゲボゲボやりすぎて、のどが傷だらけになって、喉が血だらけになって、胃カメラを飲んだ薬じゃなく、のどの出血の薬をもらって帰った。今度も、そうならないとは限らないから、嫌だなあ。でも、胃がんだったら、諦めはつくな。胃がんだったら、また、アガリクスにお世話になろう。死ぬことは、正直、怖くない。いつも言っているが、死ぬことは、修行が終わって、あの世に帰れることだと、信じて疑わないから、家族と別れるのは、辛いけれど、神様の元に、帰れることは、楽しみでもある。次の人生を送るまで、神様の元にいるらしいから。空の上から、みんなを見ていたいし。うん?おかしなこと、言ってるかもしれないです。でも、この年になると、先が見えちゃうんだよね。良くも悪くも。でも、それは嫌なことじゃないの。あたり前と割り切っている。だからね、70過ぎて、健康に過ごしている方を見ると、なんて幸せなんだろうって、うらやましい。自分が70になった時、健康であるわけがないし、皆に迷惑かけてまで、長生きしたくないから。自分の死期って、何となくわかるもんだと思う。最近、60代で、死ぬなあって、確信みたいなものがあって、生きられて、あと、15年くらいかなあって思い始めている。だから、家も、建て直そうと思った。こんなこと書いて、70過ぎまで生きたら、ごめんなさい、家族の皆様。なるべく、ご迷惑かけないようにします。結構、たんたんと、思ってる。皮肉でも、諦めでも、すねてるわけでもなく、淡々と。人生って、本当に不思議だなあ。
2007年12月28日
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チビの成人式の前撮り写真を撮りに行った。もう、大変。朝、駅前の美容院にちびを送って行った。大体、2時間ほどかかるそうなので、その間に、私も私の行きつけの美容院で、シャンプーしてもらいに行った。私の美容院は、二つあって、ひとつは髪染め専門に行く美容院で、こちらは予約がいる。もう一つは、スーパーの二階にあって、予約要らず、空いていれば、すぐにしてもらえる。シャンプーは、いつもこっち。で、下で、着物を着ていても、食べられる物を購入。汁が飛んだり、こぼしたりするものは、一切だめ。そのまま迎えに行ったが、この日は雨。着物を着ているのに、雨。参った。美容院は、駅前の商店街にあって、駐車場がない。横断歩道に、少しスペースがあって、そこに車を止めると、向こうから歩いてくるチビが見えた。着替えた荷物が重そうなので、ウィンカーを出して、雨の中飛び出し、迎えに行った。私の車は、クルーザーなので、天井が高く、イスに座った姿勢で乗れるので、着物の時は、良い。そのまま、写真屋さんに直行。この写真屋さん、チビと同級生のお宅で、いろいろ賞を取ってらっしゃり、なかなか素敵な写真を撮ることで有名。まず、スタジオで、昔のように、落ち着いた感じの濃いモスグリーンのスクリーンの前で、立った写真と座った写真を撮った。それから、白い大きな窓の前に立って、ポースを取ったり、ソファに寄りかかったり、室内で40枚ほど撮って、下に降りて、中庭で、また、色々なスナップのような写真を撮った。今回、チビは、なかなか笑えず、困った。プロのモデルさんなら、自然な笑顔ができるのだろうけれど、チビは、「はい、御嬢さん笑って」と言われても、こわばった笑いしかできず、私が、可笑しくて笑うと、つられて笑い、「あ、そうそう、その顔そのまま」と言われたり、もう、本当に私の方がおかしくて仕方がなかった。たっぷり2時間かかりました。こっちも疲れた~。そこからおばあちゃんのうちに行き、着物を作ってくれたおじいちゃんにお参り。おばあちゃんと一緒に記念撮影したり、お昼で帰ってきたパパと記念撮影したり。パパは、流石に、うれしそう。娘って、可愛いんだろうなあ。チビは、もう、限界。「脱いで良い?」ばっかり。夕方、やっと、着替えて「ふ~」だって。年明けに、撮った90枚以上の写真の中から、3枚選ぶそう。その作業も大変そうです。画像は、おじいちゃんのご仏前で、お参りするチビ。初公開!
2007年12月27日
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去年も、この話をしたが、隣の団地に、ものすごくきれいに、電飾のデコレーションをしている家がある。それも、去年は、4軒ほどだったが、今年は、クリスマスが近くなって、行ってみたら、何と、6軒も一緒になってデコレーションしてあった。これは相当、見ごたえがある。一番最初になさったお宅は、ますますバージョンアップしていて、ただただ、「ほーーー」っとしか、言葉が出てこない。娘たちを連れて、見に行った。これ、相当、前から、計画してやってらっしゃるそう。見に来る人も多く、ちょうど、公園があり、そこに車を止め、みなさん、見に来る。写真を撮ったり、楽しんでらっしゃる。最近の新聞に、迷惑しているご近所の話題が載っていたが、幸いここは、公園があるので、車が、行きかうこともあまりないし、皆、ちゃんとモラルある行動をとってらっしゃるので、問題があったことはない。おうちを建て直したら、やってみたいなあ・・とは思うものの、そう、若くはないので、たぶん、我が家はしないだろう。やはり、ご主人さまが、一生懸命だそうだから。我が家のパパは、「めんどくさい」。電気代も馬鹿にならないそうだし。でも、一度、やってみたい。やる以上、半端なことはしたくないし。パパの力がなければ無理だし。やっぱ、我が家は、しないだろうなあ・・・。まあ、こうして、見せていただくのが、一番でしょう。
2007年12月19日
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昨日は、人間ドックの翌日だったが、今年最後のお食事会。日記が一日ずれている。昨日の会場は、以前住んでいた近くの産婦人科の息子さんが、お母さんの病院の横に開いた中華のお店。この女医さん、人気の女医さんで、私も何度か、お世話になった。親の代からの産婦人科で、息子さんも、三代目を継ぐものと思っていたが、お店ができたとき、驚いた。車で行くと、なかなか洒落た、創作中華のお店。中のインテリアも、なかなかモダンで素敵。二階に通されると、8畳ほどの洋室に、テーブル。壁は黒、なかなか素敵なお部屋だった。昨日は、いつも単身赴任のご主人が帰って家を出られないTちゃんが、久し振りに参加。話に花が咲いた。お料理は、どれも、中華なのだが、創作中華で、本当に、おいしかった。量も、私達にちょうど良く、最後は、おいしいお粥。また、家族ときたいなあ。帰宅後、ゴルフに行っていたパパと買い物に出た。プロショップで、またまた、いろいろお買いもの。本当にここ、面白いものがいっぱいある。食材もそうだが、調味料が、なかなか手に入らないものがある。パパは、今、わさびふりかけと、トウガラシふりかけがお気に入り。トウガラシも、わさびの方も、最初は、お友達に送っていただいたのだが、ある日、わさびの方は、大きな袋に入ったものを見つけ、それから無くなると、ここに買いに来る。おまけに、中華ちまきのトンポーローと、鶏肉の二種類、手羽先餃子など買って、帰宅。昨日は、なかなか面白い日でした。で、今日は、何したかなあ・・・。と思いだせないくらい、ぐだぐだした。こういう日、増えてるなあ・・。
2007年12月17日
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昨日、人間ドックが終わって、帰宅し、パパは、そのまま会社に出て行った。土曜日なのに、今、急な仕事が入って、工場の従業員さんが、出勤してくださっている。親会社からの急な変更には、子会社の休日も返上しなくちゃならない。本当に、御苦労さまです。小さなお子さんのパパもいるのに、土日くらい、休ませてあげたいものだ。夜、久し振りに、母を誘って、丘の上のフランス料理のお店に行った。このお店、お子様はお断りの、本格フランス料理屋さん。家族で経営してらっしゃるのだが、本当に、おいしいお料理を出す。お店はそう大きなお店じゃないのだが、この街では、私も家族も、一番おいしい洋食屋さんと認識している。お店も、高い丘の上にあり、急な坂を上がっていく。その夜景は、本当に、六甲に負けないくらい奇麗。そう遠くないところには、港の工業地帯、それも、日本でも有数の工業地帯のライトアップが、本当に不夜城のように美しい。うんと遠くには、長嶋温泉の観覧車の明かりが、丸く小さく見える。お天気のいい、昼間に来ると、港の船まで見える。席に付き、皆で、パパのお誕生日のお祝いに乾杯。もう、顔を覚えてくださっていて、いつものマダムが、いろいろな話をしてくださる。去年の結婚記念日に、パパがプレゼントしてくれたネックレスをしていったら、きちんと覚えていてくださって、「あ、それ、パパのプレゼントでしたよね」って。確かに、あの日、ここでパパがプレゼントしてくれ、その場で首につけてくれた。凄いなあ・・・・。お客商売って、こうじゃなくちゃね。大変なプロ意識だと思った。ここ、お誕生日や、結婚記念日だと、記念写真を撮ってくださる。一昨年の年賀状には、この写真を使った。今年は、母が一緒なので、母も一緒の記念撮影。数組いらしたお客さんも、皆さん、記念日だったよう。お料理は、本当においしくて、色も奇麗だ。大好きなフォアグラの乗ったステーキは、ほっぺが落ちそうにおいしかった。サザエを、エスカルゴのような味付けで出された。これも、凄く美味しい。お魚も、薄く削ったトリュフが乗っていて、とても美味しかった。ここのお料理だけは、マネできない。美味しいものを食べると、いつも、うちで作ってみるのだが、ここのお料理は、まず、ソースがまねできない。それらしく・・・はつくれるのだが・・。娘達も、おいしいお料理を堪能していた。母は、いつもの調子で、のべつ幕なしに、しゃべっていた。パパが中心に座ったので、被害にあっていた(笑)まあ、仕方ないですね。この年の人に、変われ…というのも、無理ってもんだし、可哀そうだしね。本来なら、弟の家族と一緒に行くところだが、不祥の弟は、今何をしているのかも、解らない身だから・・・。マダムとの楽しいおしゃべりと、おいしいお料理を堪能し、デザートの後、お抹茶を頂き、そろそろ、席を立った。いつものギャルソンの女性が、「今年もありがとうございました。来年もよろしくご来店ください」と素敵な笑顔でおっしゃりながら、ドアを開けてくださった。自動演奏のピアノの音に見送られて、表に出た。星がきれいだった。写真は美味しいお料理の数々です。これに、オードブル、スープ、温野菜、パン、口直しのシャーベット、プチフール、アイスクリーム、コーヒーか抹茶が付きます。本当に、おいしかったっす。
2007年12月16日
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今日は朝から、人間ドック。今年で11年目です。去年、10年目の記念品に銅製の素敵なマグカップのセットを頂いた。今日は、珍しく、早くに病院についたが、37番だった。ここ数年、企業ごとに人間ドックにくるので、凄く混む。受け始めた11年前は、予約すると、次の週に受けられたのだが、ここ5~6年、予約しても、どうかすると半年先とかになる。いつも、キャンセル待ちにしていただくのだが、そうすると、半月ほど先に受けられる。いつもいっぱいなのは、どうも、保険会社の社員の方が多いようです。個人で受けると、3万円以上で、夫婦で毎年受けるから、相当なお値段になるが、健康には代えられないから仕方がない。今日は、読みかけの本を持って行ったので、時間はそう感じなかった。体重は、去年より減った。視力は、去年より、ほんの少し悪くなった。血圧が思ったより高く、自分で驚いてしまった。昔は低血圧で、だるい日もあったのに。肺活量も、まあまあ。エコーで、胆石が見つかったが、これも、11年前から、変わらずそこにあって、動かない。聴力は、かなり良いそう。「え?ここまで聞こえますか?」と聞かれるほど(笑)眼底出血もないし、眼底血圧も異常なし。心電図も、異常なし。そこまでで、すでに、12時。残りは、バリウムの胃腸検査。私は何度か書いたが、バリウムは、全く平気。何がいやって、あのバリウムの後に飲む発泡剤。喉の奥に、顆粒を入れ、水で流しこむのだが、顆粒を入れ、水を流し込むまでの、数秒が、我慢できない。で、セーので、顆粒と水を飲みこむ。今日は最悪。発泡剤を飲んだら、ゲップをしてはいけないのに、思わず、飲めた緊張から解き放たれ、出てしまった。はい、もう一回。最悪。でも、レントゲン技師の言う通りの動きは難なく取れるから、撮影は無事、終わり。さて、バリュームを早く身体の外に出すため、横にあるレストランで、コーヒーや、お茶をたくさん飲んでくださいと言われる。今朝、何も飲まず食べずだったので、冷たいお茶を、ごくごく飲んだ。パパは、コーヒー。あとは、乳がんの触診と、直腸癌の検査と、結果を医師から聞くだけ。パパが先に呼ばれ、しばらくすると、私が呼ばれた。ともに、これと言った問題なし。特にパパは、去年、メタボリック気味だったのが、今年、節制と、重り付きの靴を履いたりしていたので、中性脂肪も数値内。私は、体型の割に、内臓脂肪は、気をつけましょう程度の少なさ。コレステロール値も至って正常。ただ、血圧が、高いそうなので、そこを気を付けてくださいとのこと。あとは、ポリープも無いし、食べ物の好みが変わったことも、年齢によるもので、甘いものが全くダメになったのは、体にも良いことじゃないですか…と言われた。確かに、甘いものがダメになって、困ったことはないなあ。共に、まずまずの健康体ってことっすね。着替えて、料金を支払い、パパはバリウムをだすための下剤を貰って、レストランで、昼食。思ったが、年々、食事の内容が、貧弱になってきました。昔は、お刺身やら、天ぷらやら、お蕎麦があったが、今回は、ローストビーフが少しと、何だか解らないお料理だった。食後のロールケーキも、回りのカステラが、ぱさぱさ。まあ、甘いものがダメだったので、パパに食べてもらっちゃったけど。来年も、この時期に受けたいので、帰りに、来年の予約をした。本当は、脳ドックも受けてみたいのだが、保険が利かないから、相当な料金。ドックと一緒だと、2人で軽く、10万円を超えるから、55歳になったら、しよう。私は、本当に、胃腸が弱い。普通の人は、バリウムを飲んで、下剤を服用して、体外にだすのだが、私は、もう、おなかが痛くなってきた。体の中に異物が入ると、すぐに、反応してしまうのだ。だから、下剤なんか飲んだら、大変なことになる。娘たちを生むときも、下剤は、かけなかった。いったん下剤を飲むと、1週間は下痢が止まらなくなるから。帰宅してすぐに、トイレに駆け込み、はい、排泄できました。尾篭な話で申し訳ないですが、これは、良いことですねきっと。バリウムがなかなか排泄できず、体の中で固まって、セメントのようになってしまう人もいるそうだから。人間ドック、今年も、無事、終わりましたよ。
2007年12月15日
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少し疲れていた。ここのところのハウスメーカーとの打ち合わせやら、引っ越しのこととか、新しいうちの事で、かなり、体も、精神的にも疲れていた。本当は、行きたかったが、今日は、革工芸に行くのをやめた。今日は、ゆっくりしようと、朝から、嵐君のDVDを見た。年末になり、今週、来週と、大きな歌番組に出る。必ず「LOVE SO SWEET」を歌う。本当に、この曲、嵐君達、大切にしているんだなあ・・・。だって、この曲の後に、「バンビーノ」の主題歌「WE CAN MAKE IT」も、ニノと翔君のドラマ「山田太郎物語」の「ハッピネス」もあるのに、「花男」のこの曲しか歌わない。確かに、今年のオリコンで邦楽の売り上げ第4位に輝いたのは確かだが。この曲で、嵐を好きになってくれた新しいファンがいっぱいいるし。私は嵐君には、もっともっと、いろいろな歌、歌ってほしい。コンサートに行くと、バラードの上手さにいつも感心する。もう少し、大人の歌、もう、歌っても良いんじゃないのかなあ…と思っている。スマップの歌の下手さに、いつも、その曲、嵐に歌わせろ~と思うのは、私だけだろうか。スマップファンに叱られそうだが、嵐の歌のうまさには、かなわないと思う。夕方、少し元気になって、お使いに出た。今日は、少し寒い。でも、まだ、吐く息は白くならない。やっぱり、いつもの冬より、暖かいよなあ。
2007年12月14日
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今日は、パパのお誕生日。だが、午後1時過ぎのハウスメーカーとの打ち合わせが長引き、夜6時過ぎに。ケーキの予約があったので、失礼して、ケーキを取りに行った。お誕生日の食事の用意も、出来てない。パパと一旦別れ、パパは、会社に、私は買い物に出た。何にしようかなあ。食事は週末に行くし、今日は、ステーキにしましょうか。お肉売り場に行くが、良いお肉がない。赤身ばかりの輸入肉のステーキには、以前、凝りたから、せめてお誕生日は、霜降りのお肉にしたい。ふと見ると、横に、霜降りの焼き肉用の少し厚みのあるお肉があった。「うん、これにしよう」あとは、サラダとおみお付けがあればいいし。帰宅し、すぐに、サラダと、おみお付けを作ったら、子どもたちが、次々に帰ってきた。8時過ぎ、パパが帰宅。ささやかな、お誕生日パーティです。娘からは、下着と靴下のプレゼント。「勝負下着だよ」だって。私は、大きな箱。そう、エスプレッソ機。パパは、ことのほか、喜んだ。「高かっただろう」いえいえ、お気になさらないでくださいませ。最近、いろいろ、お世話になっちゃっておりますから。今日のケーキは、チョコレートケーキ。ろうそくを立てて、「ハッピーバースディ♪」ところが、思いっきり、ろうそくを吹き消したパパ。ケーキの上に乗っていた、チョコレートを削ったものがトッピングしてあったが、全部、テーブルの上にばらばらに吹き飛んだ。「最低!」娘たちが、爆笑とともに、口ぐちにパパに言う。「あ~、あ~」と言いながら、皆で拭く。「気付けよ」とオネエ。パパも、思わぬ失敗に、「すまんすまん」と言いながら、自分でも「最低だな」。はい、あなたは、確かに歳をおとりになりました。ガナッシュだったので、凄く硬くて、パパに切ってもらった。もう、その香りだけで、「うっ」となりそう。やっぱり、私、チョコレート、ダメっす。でも、お祝いだから、ほんの1センチほど切ってもらって、口に入れたが、やっぱり、駄目。オネエが「お母さん、本当に、チョコレートがダメになっちゃったんだね」ほんと、自分でもわからない。昔は、平気だったのになあ。ケーキバイキングだって、行ったのに・・・。ささやかだが、暖かい誕生日だった。娘たちが、お嫁に行っちゃったら、こうして4人でお祝いすることも無くなるだろう。それとも、家族でお祝いに来てくれるかな?感慨深い、誕生日でした。画像は、まだ、チョコレートのトッピングが無事、ケーキの上にあった状態のケーキです。このあと、パパが思いっきり吹いて、チョコレートは、無残に飛び散りました。
2007年12月13日
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明日は、パパの誕生日。ケーキ屋さんに、予約に行った。顔見知りのいつものケーキ屋さん、おしゃべりに花が咲いた。私は、最近、全くチョコレートを体が受け付けない。香りをかいだだけで、吐き気さえ、もよおすくらいになっちゃった。なぜだか、全くわからない。好みが変わった時は、体のどこかが異常をきたしている…と言うので、少し、心配だが、週末に人間ドックに行くので、聞いてみようと思っている。まあ、以前から、チョコレートは、そんなに好きじゃなかったが。でも、パパも、子どもたちも、普通のケーキより、チョコレートケーキの方が好きだから、今日は、チョコレートケーキの誕生日用のケーキを予約した。それから、私がパパに用意したのは、エスプレッソコーヒーメーカー。最近、パパは、エスプレッソがお好み。表で飲むときは、いつもエスプレッソを注文するから、家でも、飲めるよう、機械を買ったのだが、高かった~。家を建て直ししてくれたり、最近、感謝することがいっぱいなので、このくらいのプレゼントは、当然かな。さあ、明日のおうちパーティの準備は、整いました。週末に、母も誘って、食事に行くけれど、明日は、家族だけで、お祝いです。夕方、食事の用意をした。今日は、子供達が好きな、蒸し鳥と、おみおつけ、海老とキノコのわさびマヨのサラダと、菜花の佃煮。では、レシピです。蒸し鳥は、広げたラップに塩を振って、そこにモモ肉を広げ、また、塩を振り、おねぎを爪で開いてしょうがの薄切りと一緒に乗せ、端からラップで巻いて、レンジで15分チンする。(私のホームページのレシピに詳しい作り方がありますので、そちらも、ご覧ください)菜花は、細かく刻んで、お砂糖、お醤油、みりんで、炒め、半分以上、量が少なくなると、あめ色になってくるので、そこにごま油を少したらして、出来上がり。海老とキノコのサラダ。これは、ちょっとおいしいですよ。小さなお鍋に少量の水を入れ、沸騰したら、シメジを切って入れ、ブロッコリーも切って入れて茹でる。一緒に、海老の皮をむいて、半分に切ったエビを入れゆでる。全部一緒に茹でちゃうので、手間がかからず、おまけに、ブロッコリーに、シメジや、海老のおいしいエキスが移って美味しくなります。その間に、ボールに、マヨネーズと、わさび、塩を入れ、お好みの辛さに練っておく。そこに、茹で上がったエビとしめじ、ブロッコリーをよくお湯を切って、入れ、あえる。サニーレタスを洗って、よく水を切って適当な大きさにちぎって、小鉢に広げ、そこに、和えてあった、ブロッコリーのわさびマヨ和えを入れて、出来上がり。今日は、かなり、評判が良かったです。蒸しトリは、おいしい割に、作り方が、超簡単。たれに、ゆずぽんを使えば、また、簡単だしね!おいしい晩御飯でした。
2007年12月12日
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最近、凄い物を手に入れた。洗剤なのだが、除菌もできるし、手にも優しい。食器洗い機にも使えるし、洗濯にも使える。子供のバケツくらいの大きさのケースに、粉が入っていて、自分で付属のスプーンで調整して、お湯で薄め、スプレーボトルに入れたりして使っている。年末になると、ガス台とか、換気扇のお掃除に良いかな?…と思って購入したが、その威力に、毎日、面白がって、使っている。事実、ガス台の上に長年使わずに置いてあった、油まみれのケトル。本当は、ホウロウで、白地に可愛い花模様なのだが、油で汚れ、模様が見えないほどになっていた。それを、小さな衣装ケースを買ってきて、お風呂場に一晩漬け置いた。洗剤は、少し濃いめにしたが、翌朝、水の表面に、おからのような白いフワフワが浮いて、全くこすっていないのに、きれいになっちゃっていた。その白いフワフワが、油汚れだったのだ。「!!!凄い!!」感動だった。で、面白くて、毎日、きつい汚れを見つけては、奇麗にしている。毎日、こうして、スプレーでシュッとして、拭けば、ずっと奇麗なままだと解っちゃいるが、今まで、それができなかったが、この洗剤を手に入れてからは、毎日、ガス台は、奇麗なままが、持続している。自分でも、うれしい。今日は、お洋服を洗ってみようと思っている。明日は、何をきれいにしようかなあ。売っていたTVのおじさんの思うつぼです。
2007年12月11日
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今、本を読んでいる。だいぶ以前の話だが、色々な能力を持つ、超能力者の特集がTVであって、その中に、予知夢を見る人の話もあった。他の超能力者は、結構、日本のTVにも何度か出ていて、珍しくなかったのだが、その人は初めてで、面白いなあ…と興味をそそられた。で、アマゾンで、購入した本が「未来からの警告」。今、半分ほど読めた。この本を手にする気になったのは、近畿地方に、震度8以上の地震が起きるかもしれない…という夢に興味が湧いたからだ。この方の夢は、90~97パーセント、当たっているという。小さな頃から、その出来事の何年か前に、いろいろな出来事が起きる夢を見るようになったらしい。で、大人になり、いつも枕もとにメモを置き、夢を見ると、書き留めていたそう。凄いのは、その夢を見た出来事を、その国の代表者や、新聞社に手紙で知らせていること。それも、その日に、こういう内容で、手紙を書いた・・・・・と、公証役場に、証明してもらって、送っているから、この本には、その書類の写真がいっぱい載っている。ビートルズの二人の死亡を予言しているし、ジョンの殺害も、9・11事件も、アイルトン・セナの事故死も、正確に、日にちを言い当てている。そのほかにも、世界で起こった天変地異や、事故、事件も。日本についていえば、阪神大震災、昭和天皇の崩御の年、新潟の地震も。地下鉄サリン事件に関しては、浅原の名前まで言い当て、「サリン」という薬品の名前も、「オウム」は「アウム」と少し違っているが、言い当てている。ワールドカップの優勝も、言い当てているし、ドイツの東西の統一と、ベルリンの壁の崩壊も。読み進むと、本当に怖くなってくる。この人の素晴らしいところは、これで、お金儲けをしていないところ。ブラジルの田舎に家族と住み、教師のサラリーだけで生活をしており、むしろ、予知夢を知らせるのに、郵便代金、コピー代金、緊急を要するとき、何万と使って、知らせているのだ。つまり、予知を知らせるため、持ち出しになっているのだ。それは、彼のポリシーで、自分はこういう能力を神から手に入れ、それを、無欲に世界中に知らせなくてはならないという、使命感で、行っているという。だから、余計に、信憑性がある。まだ、今日の時点で、半分しか読んでいないが、確か、2032年、日本が、世界地図から、無くなっている…とも言っていた。つまり、地球温暖化によって、日本が水没する…というのだ。たかだか、22年しか、時間がないのだ。地球温暖化、本当になんとかしないと、可愛い私たちの子供たちが、日本が、無くなってしまうのだ。ぜひ、この本、読んでみてください。何かしなくちゃ…という気持ちになります。
2007年12月10日
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一昨日、髪を染めに行った。一周忌の前に、奇麗にしておきたかったし、喪服に、白髪は、厭だった。しかし、体調が良くなかったのか、いつもより、しみた。アレルギー体質の私は、本当に、お化粧品から、髪染めの薬品まで、制約がある。パーマをかけていないのも、掛けたくなくて、掛けないのじゃなく、パーマ液を受け付けないから、仕方なく、直毛なだけ。で、昨日は大丈夫だったのだが、今朝から、頭皮が、ボロボロ、落ちてくる。大きな物は、2センチ四方。かさぶたのように、なって。もう、本当に、厭になっちゃいます。しみた時、まずいなあ・・・と思ったのだが、仕方がなかった。シャンプーしたかったが、こうなった時、シャンプーすると、余計、酷くなるので、我慢、我慢。皮膚科に行こうか迷ったが、また、飲み薬をもらうだけだし、そのまま、様子を見た。パパは、ゴルフ。この時期は、本当に、多いです。お付き合いも多いし、親戚のお婿さん達と行くことも多い。午後から、少し休んだ。一周忌も終わったし、後は、チビの成人式の写真の前撮りと、引っ越しの準備と、クリスマス、来週のパパの誕生日だなあ。なんだか、ばたばたします。だから、師走なのかな。それにしても、暖かい。紅葉も、今が、とてもきれいだ。地球温暖化を、実感するなあ。本当は、ものすごく怖いことなのに・・・。さあ、今日も、がんばりましょう。
2007年12月09日
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今日は、おばあちゃんの一周忌法要。京都から、おばあちゃんの兄弟の人やら、義弟家族も来る。昨日の午後、デパートから、引き出物も届いた。お寺に持っていくものやら、いくつかの袋に分け、用意をし、パパの車のトランクに入れておいた。なんだか、もう、何年も経ったような気がしていた。去年の今日、姑は、4回目の脳梗塞を起こし、施設で倒れた。それから、丸2日目に、息を引き取った。運ばれた時は、もう、数時間と言われたのだが、あの年代の人は、心臓が強いそうで、奇跡的に二日、意識がないまま、おばあちゃんの心臓は、動き続け、兄弟達もゆっくり、お別れができ、心臓が、だんだん弱くなり、天に召された。この一年、なんだか、もの凄く沢山の出来事があり、私には、もう、3年位経ったような感じだ。1年過ぎ、やっと、少し、心の整理がついた。最後まで、私は、姑を受け入れられなかったし、姑も、最後の最後まで、認知症になりながらも、嫁である私を、嫌い続けた。それなのに、姑が最後に炉に入った時、私は、そこに泣き崩れ、自分でも、自分の気持ちがわからず、混乱し、母に支えられながら、控え室に行き、長男の嫁としての立場をかろうじて演じた。皆さんにお弁当を出し、集まった親戚の前、ごあいさつをするパパの横に立った。すべてが終わっても、私の中には、どす黒い塊みたいなものが、消化不良のように残り、あまりにたくさんのことを考えすぎ、何が何だか解らないうちに、仏事の行事だけが、済んで行った。お坊さんがお経をあげてくださる間、いつも、私は、阿弥陀様の像に、ずっと、問いかけていた。気持ちの整理がつかないまま、カウンセリングの数が増えた。日常の雑事に追われるようになり、やっと半年経った頃、ああ、終わったんだ・・・と実感した。亡くなったすぐのころは、姑が亡くなっているのに、まるで、家に帰ってきたような気がして、怖くて、部屋に入れず、姑の部屋の畳を替え、家具を処分し、姑の影が分かるものは、すべて、処分した。そうしないと、私自身がつぶれてしまいそうだった。半年経った頃、やっと、お仏壇に、お花を供えたり、お線香をあげたりできるようになった。それとともに、私の鬱も、好転していった。何をそんなに、恐れていたのだろう。気持ちが全く通じなかった人だから?・・・。面と向かって、言われたことのない、酷い言葉を浴びせられたから?・・。いや、違う。私の中の、姑を認められなかった鬼のような気持ちに、自分自身が、恐れをなしていたのだと、そのうちに、分かってきた。仲の良かった嫁姑は、舅の死から、歯車が狂いだし、私は、自分がこんなに、いやな人間なのだと思い知った。姑を受け入れようと、努力もしたが、認知症と言う、モンスターに阻まれ、お互い相いれないまま、先立たれてしまった。今なら、冷静に、理解できる。頑張って介護しても、返ってきたのは、ねたみ、そねみ、疑心暗鬼の言葉だけだったのは、認知症という、病気のせいだったから、仕方のないことだったのだと。だが、その渦中にいる時は、解らなかった。目の前にいた、普通に会話をしている相手が、攻撃的な態度や、言葉を吐いたのに驚き、傷ついた。理解できなかったのだ。すべて、病気だったから、病気がなせる業だったのだと。そういえば、小説「氷点」の中にこんな一節があった。「・・・私の中にも、氷のような気持ちが一瞬、芽生えたことがあったのだ・・」正にそんな感じだった。10時過ぎから、法要が始まった。今日は、いつものお坊さんじゃなく、娘たちの先生だった方。新鮮なお経だった。先生のお経を聞きながら、この1年の自分の気持ちやら考えていた。この1年の自分の気持ちの移り変わり。もう、済んだことなんだなあと、やっと思えるようになり、静かな気持ちだった。11時半に法話も終わり、お料理屋さんに、場所を移した。今日は、お豆腐料理屋さん。美味しいお料理だった。次回は、来年の3回忌。そのころは、私はどう変わっているのだろう。楽しみであり、怖くもある。皆様にご挨拶して、解散した。ひとつ、面白かったこと。お供えに、皆さん沢山のお菓子折りを持ってきてくださった。通常、我が家がお寺に持って行った物はそのまま、お寺さんにお供えしていただくが、来てくださった方が持って来てくださったものは、お下がりとして、こちらに返していただくのだが、先生、よほど、緊張なさってらっしゃったのだろう、そのままになった。お返しくださいとも言えず、まあ、こういうこともあると、何だか、とても、微笑ましかった。先生、頑張ってください。また、お世話になりますm(__)mやれやれ、やっと、終わりました。
2007年12月08日
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昨日、唯一の社会人の時の話をして、いっぱい、思いだしたことがあるので、今日も、その話題です。最初のサプライズは、芸能人。東京で生まれて育った割に、芸能人を見た・・・とか、そういうのに、無縁だったのに、社会人になってから、色々な方にあいました。一番最初に会ったのは、浅野ゆう子さん。まだ、あどけなさの残る、中学生か、高校生だった。私のいる商品券売り場の横に、たばこや、婦人小物の売り場があって、たまたま売り場の人が不在の時、扇型の重ね手鏡をマネージャーの人と一緒に見ていて、「これ、ください」と、おっしゃった。ミニスカートの下からは、もう、本当に、折れそうな細い脚が伸びていて、脊の高い、ゆう子さんは、オーラいっぱいの可愛いお嬢さんだった。それから、店内で、「高速エスパー」を唄った望月浩が来て、歌ったこともあった。一番印象が深かったのは、星由里子さん。この方は、商品券を買いに来てくださった。今でも忘れないが、素敵な紺色のスカーフを、品良くなさってらっしゃった。当時、亡くなった、大作家、花登筺と結婚したばかりの時期で、御園座で、花登さんのお芝居があって、その用事で、買いに来てくださったらしい。「花登と書いてください」と、おのしの記名を依頼されたが、ちょうど、記名の係りの方がお昼ご飯に出てしまっており、私が、僭越ながら、「花登」と書かせていただいた。その間に、売り場の仲間が、ハンカチを買ってきてくれ、星さんにサインしていただいた。そう言えば、あのハンカチ、どうしちゃったかなあ・・・・。通勤の駅や、電車の中でも、コーラスグループ「サーカス」と一緒になったり、沢田研二、ジュリーにも会った。女優の高樹沙耶さんは、小さな方だった。マネージャーやら、メイクの人たちと、駅にいたが、その中心に小さな女性がいて、それが、彼女だった。事件も沢山あった。名古屋駅前だったため、私たちのいる売り場の横は、大きなガラス張りで、表が見えた。ある日、先輩が「あの人おかしい・・・」と言ったので先輩の視線の先を見たら、向いの20階くらいもある大きなビルの屋上に男の人が、行ったり、来たりしていた。どう見ても、作業員の仕草じゃない。警察に電話しようとしたとたん、その人は、空に向かって、身をひるがえした。私も、そこにいた売り場の仲間も思わず「あーーっ」と言って、目を覆った。すぐに、向いの歩道には、多くの人が集まりだした。すぐに、警察に通報。見に行った人に聞いたら、もう、見るも無残な姿で、頭からは、中の物が辺り一面、飛び散っていたそう。若い、男の人だった。いまでも、あの飛び降りた瞬間の光景は、脳裏から消えない。駅前なので、号外も何度か配られ、もらいに行った。ガラスの向こうで配りだすと、女性の係長が「もらって来て良いよ」とニッと笑って仰る。暇を持て余していた私たちも、面白がって、もらいに行った。その中でも、一番の人だかりになったのは、「田中角栄逮捕」の号外だった。総理大臣現職中のロッキード事件での、逮捕だった。当時、ピーナッツ何個?が、流行語になった。今思うと、本当に楽しい3年間だった。仕事をしている感覚は、正直、余りなかった。そう考えると、今の若い子の方が、目的意識をきちんと持って、仕事をしているような気がする。したい仕事もあったが、理想と現実はとてもギャップがあって、自分のしたい仕事に就いている人は、ほんの一握りだと、私はいつも子供たちに言っている。自分がしたい仕事に就けている人は、本当に幸せなことで、感謝しなくちゃいけないと思う。もちろん、本人の努力もあるが、偶然な幸運もあるのだ。世の中、ほとんどの人が、自分の仕事に甘んじているのが現実だ。夢がかなって、自分のしたいことを仕事にできている人は、本当に一握りだろう。私も、したい仕事があった。夢もあった。だが、現実は厳しい。だから、デパートの面接試験を受けに行った帰り、悲しくて、友人に電話してしまった。「勿体ない」と言ってくれた友人の言葉でどれほど、救われたか。自分で「好きな仕事に就けるのは、幸運な人だけなんだから、これで、もう、諦めよう」と、一晩泣いて、自分で納得して就職した仕事だったが、こうして、30年経って思い起こせば、そう、悲しむ状況でもなかったし、楽しかったなあ…と思えることは、すごく幸せなことだし、出会った多くの人に、感謝、感謝だなあ・・と思う。若かったんだなあって、今なら、分かるのだが。歳を重ねていくことは、若い時に解らなかったことも、理解できるようになるって、良いことも一杯あるんだなあ・・。さあて、明日の準備しなきゃなあ。
2007年12月07日
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良いなあって、いつも思う。公務員にボーナスが支給されたそう。この季節、いろいろなところで「ボーナス・セール」とか、「ボーナス・チャンス」なんて特売をする。でも、サラリーマンじゃないから、ボーナスはない。さみしいなあ。ボーナスもらってない人、いっぱいいるんですよ。唯一、社会人をしていたデパート。デパートって、面白くて、ボーナスは、忙しくなる前に出る。今が一番の繁忙期。その前に出るのだが、当時、年間3か月くらいだった。お給料の3か月分だから、ボーナスは年2回だから、その半分の1.5か月分しか出なかった。大卒の初任給92000円の時代だったから、出ても、諸費用をひかれ、手取りで12万くらいだった。それが毎年、5月と11月に支給された。ボーナスより、5月のお給料の方がうれしかった。5月は、3月からの昇給分の差額が、まとめて支払われたから、ボーナスより、うんと、多かった。私の職場は、商品券売り場だった。大学に募集があったのは、事務職だったのだが、面接のとき、頼み込み、売り場に回してもらった。1日、机の前に座っているのが、当時の私には苦痛だった。それより、お客様と接したいなあ、その方が、面白そうだなあって思ったから。それなのに、半分、事務職の商品券売り場に配属になり、最初は、ガッカリだった。でも、後から、この売り場で良かったとつくづく思った。商品券売り場は、覚えることがいっぱいで、仕事を一通り覚えるのに1年かかるため、配置転換はなく、配属されたら、退職するまで、そこから動かなくて良かった。だが、ほかの売り場は、商社との癒着などの防止のため、時々、配置が変わり、人間関係が難しいと、友人がぼやいていた。一般の人にはわからないが、商品を扱う売り場は、本社員の他、商社の人、派遣の人などがいるからだ。ギフトセンター科商品券売り場は、本社員ばかりで、配置が変わることはなく、皆、とても仲が良くて、休みの前日、仕事が終わってから、皆で旅行に行ったり、繁忙期終了時には、打ち上げで飲みに行ったりした。繁忙期以外は、本当に暇で、休憩はお昼が45分、10時と3時に15分と決まっていたが、お昼は、1時間、他は30分もらっていた。その代り、繁忙期は、殺人的な忙しさだった。何しろ、1万円~5万円の商品券なのに、その日の売上が、1千万~2千万以上になることも、多々あった。一番忙しいのが、この年末、次が、夏、その次が、春だった。朝、売り場のカウンターを、50センチ以上も前に出しておかないと、夕方、お客様の力で押され、私達の動けるスペースが、狭くなってしまうほどだった。「いらっしゃいませ」~「ありがとうございました」まで、ほとんど、顔を上げる暇がなかった。一番、難題が、食事に出る時の交代だった。お昼に出る人の後ろに、目立たないよう控え、お客様と目を合わさないよう、「ありがとうございました」と下げた頭をそのままにして、後ろに控えた人と、交代して、売り場から出る。そうしないと、何重にも重なったお客様の前からいなくなることはできなかった。1年もすると、商品券の箱の大きさ、形は決まっていたから、一個を2秒半で包めるようになった。自分でも「まるで、早回しみたいだなあ」と思った。この繁忙期は、お歳暮を買いにいらっしゃる方だけでなく、ゴルフのシーズンでもあり、おひとりで、20箱、ゴルフの景品として、買っていらっしゃる方も多く、お歳暮のときは、20箱を3分で、「ブービー賞」などののし付きで包んだこともあった。おかげ様で、どういう時に、どういう、印ののしを付けて持っていくのか、あらゆる場合を覚えたし、水引も、自分で結べるようになった。事務が嫌いで売り場に回してもらったのに、交代で、出納をしなきゃならなくて、ADHD障害の私が出納をすると、いつも、夕方、会計から電話がかかってきて、訂正印を持って、6階まで訂正印を押しに走ったものだ。元々そろばんは2級の腕前があったので、困らなかったが、最後の商品券の売り上げの集計の計算の記入を、よく、間違えた。そりゃ、日に2千万以上の売り上げがあった日には、本当にお札を数えるのが、面倒で、指が痛くなった。まあ、お陰で30年経った今でも、お札は、上手に数えられるけれど(笑)お札って感覚は、なかったなあ・・。まさに、「紙」だった。だって、売り場の奥の金庫には、常時何千万という商品券があったわけだし、「お金」って感覚を持っていたら、怖くて、出来なかったと思う。3年もいると、私をご指名してくださる顧客の方もいらして、大阪の方だったが、いつも、100万近く、買っていってくださった。とても腰の低い、上品なおじいさんだった。そうそう、いつか、警察の捜査が入ったこともあった。贈収賄事件の捜査だった。あの時は、刑事さんが来て大変だった。友の会も扱っていたので、それも面白かった。あまった映画の券とかも頂けたし、あの3年間は、ボーナスもあったし、今から考えると、面白かったなあ。3年お勤めをして、私はまた、学生に戻ったのだが、繁忙期は、2年ほど「学校が終わった後の1時間でも良いから・・」と上司から懇願され、手伝いのアルバイトもしていた。何せ、私が退職するときは、私が一番の古株だったから、アルバイトが、本社員より、仕事ができちゃうって、変な状態だった。もちろん、普通の学生アルバイトの倍のアルバイト代も貰っちゃったし、おいしいアルバイトだった(笑)人に使われる経験をした、唯一の3年間に、本当にたくさんのことを学んだ。今考えると、本当に、実のある3年間だったし、すごく楽しかった3年間だったなあ。デパートが好きで、デパートにお勤めしちゃったんだけど、そのデパートも、最近は、全くいかなくなっちゃったなあ。年が明けたら、ゆっくり、行ってみようかな?名古屋でいちばん大きなデパート、私の元職場へ。
2007年12月06日
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最近、洋楽にしても、日本の曲にしても、CMや、ドラマで、懐かしい曲がよく使われている。たぶん、私たちの年代の人が、CMや、TVのプロデューサーの年代なのだろう。その中でも、ついつい、見てしまうCMがある。偶然にも、両方とも、ビールのCMだ。ひとつは、ユーミンが、歌うのを、男の人が見ている…というシチュエーションのCM。実は、この曲「卒業写真」は、TVで放映されたことがなかった。それなのに、CMで初めて、公開されたと話題だった。それも、何と、ユーミンがいつも本当にライブをする時、レコーディングをする時、一緒のメンバー、林立夫、斉藤ノブ、武部聡志、高水健司、そしてそして、ギターは、私の永遠の宝物バンド、はっぴいえんどのギタリストだった、鈴木茂が出ているのだ。もう、ファンにとっては、たまらないCMだ。これは「キリンビール」そしてもうひとつのCMは・・・・。はっぴいえんどの不滅の名曲「風をあつめて」を使っている「アサヒビール」のCM。曲名は、出ていないし、歌手の名前も出ていない。画面は、原田泰造がおいしそうにビールを飲むだけだ。しかし、今や大作詞家になっちゃった松本隆のドラムの音がフューチャーされた曲の初めから始まる「街のはずれの、背伸びした路次を・・」と歌う細野晴臣の、のんびりした歌声は、もう、本当に、ユーミン同様、ファンには、たまらないだろう。この曲「風をあつめて」は、大好きな「風街ろまん」というアルバムからの曲。ちなみに、このホームページの「MUSIC」にも紹介しているが、このブログしか見ていただいてない方に、「しつこい」と叱られそうだが、話したい。はっぴいえんどは、大滝詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂の4人が、作ったグループ、バンド。1970年当時の日本は、グループサウンズ真っ盛りの時代。その中、フォークの神様、岡林信康のバックバンドに、はっぴいえんどが参加していた。当時の日本では、まだまだ、ロックは、海外の物という認識が強かった中、初めて、本当に、日本で初めてロックを日本語で構築したバンドだった。彼らの最初のアルバムの帯には、「日本語による、日本初のロックバンド誕生」と書かれているのが、ものすごく可笑しい。はっぴいは、「風街ろまん」「はっぴいえんど(ゆでめん)」「HAPPY END」という、たった3枚のアルバムを残し、解散した。ゆでめんとは、ファンの間で通称になっているもので、アルバムのジャケットのイラストに「ゆでめん」と書かれた看板が書かれているからだ。その解散は、当時、大滝と、細野の音楽性の違いから・・・と言われていた。事実、その後、大滝はナイアガラレーベルを立ち上げ、三ツ矢サイダーやティッシュのCMやらの多くを手掛けたり、名曲「パレード」で知られる、山下達郎、大貫妙子がいたバンド「シュガーベイブ」をプロデュースし、世に出したり、さんざん、自分の好きなように、音遊びをしていた。ちょっとふてくされたような、アンニュイな声や歌い方がとても良い。彼の特徴だ。しかし、その間、一部のファンに支持されたが、松本隆と組んで出し、爆発的に売れた「ロングバケーション」までは、メジャーにはなれなかった。予断だが、この「ア・ロングバケーション」が、邦楽最初のCDだと言うことは、あまり知られていない。このCDから、レコード盤は序々に日本から姿を消したのだ。一方、細野晴臣は、はっぴい解散後、ソロ「HOSONO HOUSE」を発表、ジェームス・テイラーのようなバリトンの声、歌、非常にリラックスした曲調を聞いた時、「ああ、確かに大滝とは、音楽性が合わないなあ」と思ったのが、私の最初の感想だった。無論、はっぴい時代も、二人のそれぞれ作った曲は違っていた。その後、林立夫、鈴木茂、松任谷正隆らと「キャラメル・ママ」を結成したが、一枚のアルバムも残さず、「ティンパンアレー」に移行した。これは自慢だが、あるラジオ放送で、唯一、「キャラメル・ママ」として紹介された曲3曲の入ったテープを所有している。まさに、お宝音源だ。そしてこの「ティン・パン・アレー」時代に、プロデュースして、矢野顕子、ユーミンらを世に出し、言わずと知れた、坂本龍一、デザイナーだった高橋幸宏と「イエローマジックオーケストラ」を結成、日本じゃなく、世界に飛び出し、世界にシンセサイザーの音を知らしめ、世界のロックミュージシャンだけでなく、音楽にかかわるすべての人に、影響を与えた。そして、松本隆ははっぴい解散後、その感性を生かし、日本の音楽史上、先日亡くなった阿久悠に次ぎ、多くの曲を書いていて、ちょっと挙げてみても、「木綿のハンカチーフ」「赤いスィートピー」「メモリー」「ルビーの指環」「冬のリビエラ」「スニーカーブルース」「硝子の少年」「風の谷のナウシカ」「東京ララバイ」…などなどがある。松田聖子、矢沢栄吉、中山美穂、マッチ、キンキ・キッズなど多くの歌手に詞を提供していて、今や、大作詞家先生になった。ちなみに、松本隆の父親は大蔵省官僚、松本自身は慶応出身で、大好き嵐君の翔君に経歴が似ているなあと気がつきました。松本隆の書いた「微熱少年」は、松本の感性の素晴らしさがよく分かる小説で、のちに、映画化されているが、私は、最初に松本の詩を読み、どうしてこんなに、透明な表現ができるのか・・・と、まず、はっぴいにはまった原因だった。青山生まれの松本の中には、東京という街でなく、透明な別な町がいつもあった。そこから出てくる詞は、路面電車からの風景であり、白い塀の、表現がおかしいが、品の良い路地裏であり、風だった。「はっぴいえんど」と言う日本語で唄うロックバンドの登場、それも、並の言葉ではなく、非常に水準の高い表現の日本語、美しい日本語で唄われる全くの和製オリジナルロックバンドの出現として、海外のロックに向けられていた目を、日本にもこんなバンドがいたんだ・・と振返えさせるのに充分な力があり、松本隆の詩は、本当にものすごい力があった。当時、私は、寺山修司の編纂した詩集に載せてもらったり、一部が単行本になったりしていたのだが、正直、ああ、とてもかなわないと、私に詩を書くことをやめさせた張本人だ。そして、ギタリスト鈴木茂は、はっぴい解散後、細野とともに「キャラメル・ママ」「ティン・パン・アレー」を結成するが、解散後は、尾崎亜美とバンドを組んだり、トップギタリストとして、スタジオミュージシャンとして活躍した。もちろん、堀ちえみなどのアルバムの編曲を手掛けたり、多くのアルバムに参加しているし、自身のアルバムも多く出している。そして、1972年、はっぴいえんど解散1年後、1973年9月21日に文京公会堂で行われた解散コンサート「CITY」は、後にアルバムになったこれが、いうなれば、4枚目のアルバムだ。すでに解散して日にちがたち不安だったが、文京公会堂に集まった4人の演奏は、冷静に考え組み立てられた3枚のアルバムとは違い、とてもリラックスしていて、熱くそれでいてやわらかい雰囲気が漂い、私はかえって、こちらの音の方が、好きだ。「はっぴいえんど」というアルバムを引っさげ、デビューした、日本最初の日本語のロックバンド。次のアルバム「風街ろまん」は、非常に秀逸な出来で、名盤中の名盤だし、最後の「HAPPY ENND」は、日本語初のロックバンドといわれることに、抵抗した彼らの気持ちがあらわれ、「さようなら、日本、さようなら、アメリカ」と言う詞で終わる。つまり、自分たちの音楽は、日本初のロックでも、アメリカのロックでもなく、自分たち、「はっぴいえんど」の音であると、強く主張して解散していったのだ。はっぴいえんどが解散したとき、言われたのは「出るのが10年早かった」だった。私は、今、日本には、多くのロックバンドが存在するが、すべては、このバンドから始まったと、豪語してやまない。このバンドが、この4人が日本のポップス界を作ったとも思っている。事実、松本の書いた詞の曲は、阿久悠を抜いて、現在、日本一の売上を記録している。つまり、日本の作詞家の中、トップであるということだし、大滝や細野のプロデュースしたユーミン、松田聖子は、それぞれ、日本のポップス界歌謡界のトップに立ったのだから。今も、TVからは「街のはずれの、背伸びした路次を・・・」と聞こえてくる。私はそのたび、胸がキュンとなり、そのあと「散歩してたら、しみだらけの~♪ もやごしに起きぬけの路面電車が、海を渡るのが見えたんです~それで僕も、風を集めて、風を集めて、風を集めて、蒼空を駆けたいんです、蒼空を~」と口ずさんでしまうのだ。はっぴいえんどは、永遠だ。はっぴいえんど、一度、聞いてみてください。ほんと、すごく良いですよ!!
2007年12月05日
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やっと、姑の一周忌の引き出物の買い物に出た。行ったデパートは、最近、リニューアルされた。車を入れて、店内に入ると、すぐに、心つもりしていた商品があった。必要な数を頼み、もう一種類の物も用意した。前日に届けていただく手配をし、やれやれです。そういえば、いつも行くケーキ屋さんが、出店したそう。ちょっと覗いてみようかな?探すと、すぐに見つかった。可愛いブルーの小さなマドレーヌの型をかたどったレリーフが、壁いっぱいにデコレーションしてあり、中は、簡単なケーキを作れるよう、調理室が、ガラス張りになっていた。近づくと、顔見知りの売り子さんが、私を見つけ、笑顔になって、調理室の中にいらした方に声をかけられた。二人で、ショーケースの裏から出てきてくださった。「出店おめでとうございます」と言うと、声を揃えて、「ありがとうございます」と言って、笑顔がほっとしたお顔になった。新しくデパートに出店し、緊張の日々なのだろう。「如何ですか?売れてる?」と聞くと、「お陰様で」中を見ると、確かに、ショーケースの中は、もう、半分しかない。「そりゃ、お宅のケーキもお菓子もおいしいもんね!」と言うと、うれしそうに満面の笑顔になった。我が家の秘密のケーキ屋さんだった。本当に、女の子が好きそうな企画物を、季節季節に、出している。ここのフェナンシェは、天下一品。パパは、家の近くの小さなこのお店の前を素通りできない。本当にケーキが大好きだから。おひとりの方が、「今年も、よろしくお願いします」と仰った。わが社は、父の代から、クリスマスに従業員たちに、クリスマスのケーキを出している。うちのような小さな会社で、本当に一生懸命働いてくれる従業員たち。お給料だって、ボーナスだって、ほかの中小企業に比べたら、安い。それでも、働いてくださっている、せめてもの感謝の気持ちで、出している。バブルのはじける前は、12月24日には、夕方、ケーキのお店からトラックで運んでもらい、寒い会社の玄関の前に、ケーキの箱を積んでもらい、帰宅する従業員たちが、次々持って帰ってくれたものだが、従業員の数も減り、そう、大っぴらに出来ない状況になってからは、こじんまりと、ささやかだが、パパが終業時にお渡ししている。今はケーキではなく、焼き菓子になったが、今年は、ケーキにしようか…とも思っている。それを、パパの代になってからは、毎年、このケーキ屋さんに頼んでいる。本当に、可愛い、センスの良い箱とラッピングなので、親会社の女の子にパパが持って行き、人気になり、わざわざ、このお店に買いに来るようになった方もいるくらいだ。「頑張ってください」と言い、売り場を離れた。さあ、今日はちょっと疲れちゃったので、下の階で、デパ地下のお惣菜にした。パパも、今日は、忘年会でいないから、ちょうどいい。お酒が飲めないパパには、これから、辛い季節になる。体、大事にしてください。少し、今日は、疲れました。
2007年12月04日
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今朝から、やっと、ちゃんと起きた。やはり、目覚めたとき、何となく、今日は大丈夫だなあ…とわかる。水曜からだったから、丸5日、かかった。熱は、最高37度5分で済んだが、こんなに嘔吐がひどかったのは、久し振りだった。食事をしている時も、そろりそろり、噛んでは胃の中に落としていった。生まれつきの虚弱胃腸だから、どうしようもない。それで、痩せているのなら、まだ、我慢するが、肥満になっているのだから、食べ過ぎて、太ったと思われるのが、本当に、いやだ。今日は、とりあえず、法事の引き出物を買いに行くのは控えた。人が沢山いるところで、また、何か菌をもらったら、弱っている体はすぐに、感染してしまうから、うちの中、溜まった仕事をして、午後から、ハウスメーカーに行った。最近、ハウスメーカーとの話し合いは、4時間ほどかかってしまう。細かい、仕様の話は、本当に、面倒だが、建ててしまってから、文句は言えないので、細部にわたって、決める。次回からは、コーディネーターも加わるそう。今日も、実のある、話し合いができた。帰宅後、ようやく、まともな食事を作った。子どもたちも、店屋物に飽き飽きしていたのか、「おいしい、おいしい」と食べた。消化の良いものをと、今日はお刺身にした。このあたりのお刺身は、本当においしい。こりこりした食感。それから、生きた、わたりがにを売っていたので、かにのおみおつけにした。かわいそうだが、まな板の上で、真ん中から包丁を入れようとしたら、暴れて、はさみで、挟まれそうになった。さすがにおいしかった。まあ、このまま、おなかの調子が良いと、助かるのだが・・。
2007年12月03日
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朝から、この地区の大掃除だというのに、我が家は、誰も参加できなかった。昨日、お通夜にはパパに行ってもらったが、今日は、お遊びのゴルフじゃなく、お付き合いのゴルフで、半分、お仕事だし、オネエも、午前中から、教授の合手伝いとかで、出ていったし、チビも、サークルの集まりで、出て行った。まあ、仕方がないよね。・…ということで、本日も、無理せず、ゆったり過ごしました。風邪で倒れたら、3日もありゃ、何とかなるのだが、おなかをやられると、最低1週間は、倒れたままだ。先々月の嵐君ドーム最終公演の時は、風邪だったので、熱が出たが、何とか、3日で治して、参戦できたが、今回は、今日も、あまり体調が良くない。無理をして、また、ぶり返したら、元の木阿弥。こういうときは、無理せず、ぐだぐだするに限ります。でも、今週の土曜日には、おばあちゃんの一周忌があるのに、まだ、引き出物も用意していない。本来なら、先週、デパートに頼みに行くつもりだったのに、倒れちゃったから仕方がない。来年はチビの成人式もあって、その御ぞうりなどの見立ても、まだしてやっていないから、倒れている場合じゃないのになあ。でも、何とか、明日のハウスメーカーとの話は、出来そうなところまで回復はした。無理せず、このまま、何とか乗り切りたいなあ。
2007年12月02日
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今日から12月だと言うのに、相変わらず、寝込んでおります。少し、起きていようと思って、着替えて、下にいるのだが、気がつくと、ソファに寄りかかって、寝ていることが多い。今日は、チビは、バイトで、オネエは、午前中、家庭教師のアルバイトをして、午後から、学校に行った。修士論文の執筆が本格化してきて、余計に、ピリピリしてきたので、用事以外は、あまり、会話もしない。チビは、勉強部屋も、寝室も一緒なので、相当、被害を被っている。「お姉ちゃん、最近、怖い」(笑)4月からの仕事の話もちらほら出ているが、10月の臨床心理士の試験まで、べったりの仕事はできないから、彼女も、色々大変だろう。12月は、寝ている場合じゃないのに、まだまだ、しゃんとできない。自分の体なのに、じれったいったらありゃしない。健康に生まれたかったなあ…本当に。夜、あまり眠れないので、ついつい、昼間、寝てしまう。悪循環。まあ、年末に倒れるよりましか・・。病院に行った時、置いてあった週刊誌の表紙が嵐クンで、娘に買ってきてもらった。嵐クン、こんな女性週刊誌の表紙になるくらいになたんだなあ。売れてきましたね~。来週は、歌番組に久し振りに登場する。楽しみ。あ~、早く、ちゃんと動けるようになりたい。夜、パパがお通夜に行ってくれた。場所を聞いたら、友人のご主人が経営する斎場だった。まあ、これで、明日は行けないが、お許しいただきましょう。御苦労さまでした。
2007年12月01日
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