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朝、気分が悪かった。少し戻した。最悪の体調。昨夜は余り眠れなかった。ヨーグルトと、紅茶、薬だけ飲んで、準備をし、家を出た。パパは、私より早く、ゴルフに出かけていった。オネエが、心配してくれたが、後を頼んで、出かけた。電車に乗ったら、少し気持ちが落ち着いた。名古屋駅で、Kちゃんと、待ち合わせ。新幹線に乗った。Kちゃんは、私の気持や体調を良く解ってくれているので、一緒にいて、とても、気持ちが楽。感謝。Kちゃんが、そう言えば、いつも席が進行方向の左側だけど、今日は、右側で景色が違う・・・と言っていたが、そういわれると、私も、いつも左側で富士山を間近に見ているが、今日は、本当だ、反対側だった。と、私達の前の車両で急病人がでました・・と、医療関係者を探す車内放送が入った。TVのドラマでは、何度か見たが、初めての経験。結局、病院への搬送が必要な患者さんとわかり、静岡に臨時停車するという。3~5分近く止まって、発車したが、Kちゃんが「凄いスピードだよ」と笑うので表を見たら、今までの車窓から見えていた建物が後ろに走る速さの倍も早いスピードに成っていたものだから、思わず笑っちゃいました。少し遅れて到着。私はそこからホテルに荷物を置きに行き、Kちゃんは、そのまま東京ドームに向かった。今日のお宿は、新宿京王プラザホテル。12時を少し過ぎていたので、まだ、チェックインは出来ないのを覚悟で行ったら、大阪と同じように、もう、お部屋に入れました。暑かったので、少し休んで、着替え、コンサートモードに切り替えて、部屋を出た。東京ドームへは、総武線で水道橋まで。途中、飯田橋を通る時、ニノのドラマ「拝啓、父上様」で、重要なロケ地になった「カナルカフェ」が見えた。そうだ!!、明日は、神楽坂に行ってみようっと。東京ドームには2時近くに着いた。友人達との待ち合わせの場所に行くと、直ぐに合流できた。宜しくお願いしますm(__)mとご挨拶。一緒にお店に入り、昼食を摂った。お友達のMちゃんに、グッズの購入をお願いした。大阪は簡単に買えたのに、東京では、4時間待ちがざらだったそう。もう、本当に感謝、感謝。大阪で買っておけば、良かったのになあって話です。でも、私は初日だったから、ライブの写真はまだ売っていなかった。・・・つまり、このライブの写真は私が見た公演・・と言う事になる。楽しい嵐話をしているうちに、時間はドンドン過ぎちゃう。6時からの公演なのに、もう、ドームの回りは、物凄い人、人。人。5時半、お店を出て、今日、御一緒するMちゃんと、中に入った。大阪は、バックステージど真ん中だったが、今日は、ステージを正面にすると、右側。でも結構、近かった。暗転。セットリストなどは、変わっていなかったが、大阪初日にあった、大宮SKの映像が全く無く成っていたし、相葉ちゃんの手紙を読んで、「黄色い涙」の映画の映像が流れてからの相葉ちゃんの歌が、映像も無く、手紙を読むことも無くなり、脈絡も無く始まる。その時、会場が、大騒ぎになった。相葉ちゃんの座る椅子を運んできたのが、タッキー事滝沢君と翼君だったのだ!!。ラッキー!暫く、嵐君達と、タキつばで、MC。そして相葉ちゃんの章一君になりきっての歌。おまけに、私達の直ぐ横上には、あの、小倉智昭さんが、いるよ!!小倉さんは、もう、のりのりで、ずっと立ち上がって両手を振っていた。大きな気球は、潤君のソロの時だけだった大阪だが、気球にゴンドラが付いて、3つの気球に、それぞれ、私達の前に翔君と大ちゃん、バックステージ側に潤君、向こう側に、ニノと相葉ちゃんが乗って、上がった。降りてきてから、潤君が、直ぐ前の、野球の時の選手たちのいるダグアウトって言うのかな、バックネットの横の屋根に乗って、もう、本当に、近くに来てくれた。両手を振り上げて、煽る煽る。みんな、本当に、嬉しそうに歌って、踊っていた。MCの時、いきなり潤君が「僕、ちょっと、嵐から、抜けよう思っているんだ、ほんと、悪いんだけど・・」なんて言い出すから一瞬、会場がヒヤッとさせられて、静かになった。・・・と、大きなスクリーンに「当選おめでとうございます」のC1000のキャンペーンに当たった映像が映された。「当たっちゃった」と潤君ニノが「本当にあたるんだね。でも、あれ?関係者は応募しちゃ駄目なんでしょう」「うん、だから知り合いの携帯から応募したら、当たった」会場のブーイングにも負けず、「でさ、俺も、当たったからには、そっちから見たいからさ、抜けるわ」会場もメンバーも爆笑。もうひとつ、開演前に、メンバーは、東京ドームの一番上からの景色が見たくて、行ったそう。自分の座った座席の番号を言う度に、歓声が上がった。一番上の客席からの写真を撮って見せてくれた。すっごい高さだった。あんな所から見ている人もいるんだなあ。とりあえず、今日はメンバーのお顔は、ちゃんと見える、席だ。そして、今回のMCのつぼ。東京ドームの入り口は、回転ドアに一部なっているのだが、今朝、潤君がもの凄く機嫌が悪かったそう。廊下で、1人、怒っていたそうだ。それでも、大ちゃんが、くると、怒ったまま「おはようっ」とドスの利いた言い方で言ったそう。「怒ってても、ちゃんと挨拶はするんだよね」で、メンバーも、納得しながら爆笑。で、潤君「いやさ~、東京ドームって、回転ドアじゃん?今朝さ~、上手く入れなくて・・」コンサートの構成や、いつもいつも、物事を、真剣に真面目に考えている潤君。回転ドアに入れない、おとぼけなとこもあるのが、何とも可笑しくて、会場はもう爆笑。もう、本当に、リアル道明寺が回転ドアに腹を立てて不器用な自分に腹を立てて、それでも皆にちゃんと「おはよう」と言う品の良さに、またまた、萌~なオバサンでした。MCあとの本編は、いつものように、息をも付かせず、どんどん責めてくる。こちらも、コール&レスポンスを精一杯した。一番感動的だったのは、大好きな曲「ブルー」。ニノが最初のソロなのだが、センターステージで、最初の一小節だけ唄うと、マイクをみんなに向けた。私も大好きな歌だったので、思い切り唄った。5万5千人の大合唱。東京ドームが皆の歌声で、一杯になった。その時点で、もう、私は涙が出てきた。皆の歌声に、ニノは満足そうに、満面の可愛い笑顔に、Vサイン。そして最後のご挨拶。一番こちらに潤君。翔君のご挨拶の間に、相葉ちゃんが、泣き出した。それにつられて、潤君が下を向いて、泣き出した。もう私も横にいたMちゃんも、涙、涙。それでも、潤君は、手で涙をつまむように拭うと、きちんとご挨拶ができいた。今回のご挨拶の中、感動的だったのはニノ。あまりいつも、まじめに話さないニノ。いつも、おちゃらけてしまうニノが言った。「僕は、映画の撮影で日本を長いこと留守にしました。正直、日本に帰って、嵐の元に自分が帰れるか、心配でした。でも、帰って来て、みんなの顔を見たら、『ああ、自分の場所は、ここなんだ、嵐なんだ、ここがあるから、表に出て行けるんだ』と思いました。改めて僕は嵐の二宮なんだと確信しました。」これにも、また、泣かされた。そして、アンコールは3回。「WISH」はいつものように、最後のワンコーラスは「歌ってくれー」と潤君、で、また大合唱。最後のアンコールの時に出てきた潤君がこういった「僕たちの公演を8年見ていてくださったかたは、『A・RA・SHI』をやっちゃったら、もう、やる曲がないって、知ってるでしょう」物凄く、優しい笑顔で言ったが、会場のリクエストに最後の曲、新曲の「WE CAN MAKE IT」が掛かった。潤君は、イントロを歌い終えると、持っていたマイクを捨てちゃった。回りのステージの端の方に、行くと、思い切り両手を振った。メインステージに戻る時、捨てたマイクをまた、スタッフから渡されていた。しかし、今日は、翔君の「ニュースゼロ」の日。そこは、ファンです。もうこれ以上、引きとめては、翔君の仕事に差支えがあると、9時を過ぎた時点で、もう、最後のお別れです。「本当に、ありがとう。では皆さんと、三本締めをしたいと思います」と翔君と潤君。皆で揃って三三七拍子をした。5万5千人の三本締めだ。壮観だった。何度もの「ありがとう」の言葉と、輝くような笑顔を残し、4人は、消えた。最後にいつものように、翔君が1人残り、「バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ」して行った。最高のステージだった。こんなに泣いたのは、初めてだ。感動に次ぐ感動。楽しくて、楽しくて仕方がない時間だった。何回も、横のMちゃんと、抱き合った。嵐、本当に良い。ずっと、応援し続けてきて、ここの所、大分メジャーになってきて、中だるみだったファン生活。でも、今日、改めて、良い意味で彼らは何も変わっていない、成長著しいが、昔からのファンを置いていくようなことはしていないし、ファンと一緒に作るステージの形は、こんな大きな会場になったけれど、以前のままだった。嵐君達の歌声に、私達の、歌声が重なる心地よさ。私達のレスポンスにちゃんと間をおいて、応えて唄ってくれる心地よさは、何も変わっていなかった。歌のうまさも、踊りの上手さも一流だ。嵐、やっぱ、最高です。会場を出る時は、規制退場。そりゃー5万5千人が一度に出て、駅に向かったら、大混乱が起きる。お友達ともう一度、集まって、ご挨拶して別れた。気持ちの良い、疲労感。ホテルに帰り、時間が遅かったので、ルームサービスのお食事を、さっきまで目前にいた翔君のニュースゼロと、「嵐の宿題君」を見ながら、摂った。夜中、今日のスポーツ紙全部に、今回の公演が載っているのを思い出し、表に出て、コンビニを探したが、見つからず、タクシーに乗ってコンビニを探してもらい、全部ゲット。ホテルに戻り、ゆっくりして休んだ。あーー、疲れました。
2007年04月30日
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明日、出かけるというのに、全く、用意が出来なかった。鬱かなあ・・・・。今回は、母と行くことや、母が、弟に連絡してしまった事などが、気持ちに重石をしていた。1人の方がどんなに気楽か・・・と口に出して言って、パパに叱られた。親孝行せいって。気持ちが元気なら、そう言う事は解るんだけれど、今は、鬱が酷いからなあ....。夕方、パパが出かけようと言い出した。コンタクトの具合が良くないので、調整してもらいに行くと言う。私も買い物が有ったので、出かけた。パパを眼科の付いているコンタクトのお店に置いて、私は、ストッキングやら、Tシャツやら買った。思ったより、早く、用事が終って、そのまま近くのデパートに行った。6階にあるチケットピアに、ネットから予約した、「リバーダンス」のチケットを取りに行った。何だか、ついこの間も来た様な・・・。そうか、夏のユーミンの「シャングリア」のチケットの交換したんだった。・・・・とパパが、貼ってあったシルクド・ソレイユのポスターを見つけた。「これ、もう、買えますか?」と聞くと、ピアの会員は先行予約がもうできるそう。「会員ですか?」「いつも、冊子は送られて来ますけど」と言うと、「会員さんですね」と仰った。パパが何かごそごそしているので見たら、ピアのカードが出てきた。「あ、あるじゃん!」「おお、お前がこの前、そう言うから、見つけたよ」で、ドラリオンもチケットを予約しようとしたが、いかんせん、オネエの予定がわからない。仕方が無い。聞けば、会員なら、ネットからも買えるそう。じゃ、後日、家から買いましょう・・・とピアを後にした。今年の夏コン、嵐君の公演が、重なりませんように。下に降りて、少し買い物をし、帰宅して、ようやくエンジンが掛かった。着て行く洋服を選んだり、荷物を用意したり、デパートに行ったおかげで、友人に渡すお土産も買えたし、伯母に持って行く、お土産も買えました。何だか、凄く楽しみになりました。朝は、あんなに、気が重かったのになあ。まあ、楽しまなくちゃ、もったいないもんね。久しぶりに、家のお風呂で髪を洗った。風邪を引いてから、ずっと美容院に行っていたから、本当に、久しぶり。やっぱり、自分で洗髪した方が、気持ちが良い。でも、ドライヤーをすると、ぼさぼさになっちゃいます。ちゃんと、トリートメントしているのになあ。まあ、だから、美容院はプロなんですけどね!
2007年04月29日
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寝た。もう、一日中、寝た。睡眠不足じゃない。でも、どういうわけか、寝ちゃうのね~。わかりましぇーーん。だって、昨日は、12時にベッドに入ったのに、今朝は、8時半に、カラスが直ぐ表で「かぁ~」って鳴いた声に起こされた。で、おきて、朝食にヨーグルトと、ソーセージと、パンを半分食べて、ぼーーっとしていたら、10時過ぎ、眠くなっちゃって、ソファに横になったら、次起きたのが、12時半。あんりゃ?寝ちゃった・・・・と思って起きて、お昼に、焼きそばを作って、チビと食べた。パパの帰りを待って、サスペンスを見ていたら、また眠くなりそうだったので、立ち上がって、食器を洗って、そうしたら、だるくて起きていられなくなって、またソファに逆戻り。そして次に、気がついたのが、4時半。うっそ!!今日は、東京行きの新幹線の切符を買いに行く予定だった。今まで、真っ正直に買っていたら、友達に、「馬鹿ね~、50歳過ぎたら、安くなるのよ」って言われて、パソコンで調べたら、往復で1500円もお得に買えることを知った。でも、まだ、会員登録をしていないので、今回は、また馬鹿見ちゃいました。で、買いに行かなくちゃ・・・と思っていたら、また、寝ちゃいました。結局、7時半、パパが、お付き合いでお昼も夜も食べない事が解り、食事の用意も、しなくて良くなり、余り物で十分、夕食になりそう。出かける用意をして、出て行ったパパと入れ違いに、オネエが帰って来たので、留守番を頼み、切符を買いに行った。で、帰りにチビをバイト先で拾って帰宅。昨日、しゃぶしゃぶして残ったお肉を玉葱と炒めて、お昼にパパがたべるはずだった焼きそばをあっためて、はい、出来上がり。今日した事。寝た。ただただ、寝た。どうしてこんなに眠れるのか、不思議で仕方が無い。鬱病患者って、寝るのか?更年期障害か?わかりましぇーーん。もう、眠くなってきています。今日も、12時。おねむの時間になりました。あんなに寝たのになあ。おやすみなさい。
2007年04月28日
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朝、6時前に起きて、用意をして、出かけた。もう直ぐそこが、高速道路・・・と言う場所になって、研修生を迎えに行ったHさんから電話が入った。「え?(笑)いない?」とパパ。実は、今回、彼女が戻ってきた・・・と聞いた時から、こうなるのじゃないかと、思っていた。そのまま、ベトナムの研修生のいるマンションに向かった。荷物は、荷造りしてあったが、本人がいない。大阪から帰ってきてから、もう、うちでは働かせていなかった。だから、2週間、彼女は帰国するまでの毎日、ここに、1人で留守番をしていた。一緒の部屋の子に聞くと、昨日の朝、会社に来るときは、まだいたそうだ。会社までは、自転車を買い与えてあった。自転車は、そのまま。・・・と言う事は、彼女の逃亡に手を貸した組織が、ここに彼女を迎えに来た・・・と言う事。Hさんによれば、百万以上のお金を捧に振って、逃亡すると言う事は、それ以上のお金を見せられたのだろう・・とのこと。まともな仕事とは思えない。同じ部屋の子達は、絶対、知っていても言わない。携帯電話のスウィッチも、切れている。1時間ほど待ったが、帰って来る気配はなかった。隣の部屋のTが、私が来ているのをみつけ、「あ、おはようございます」と顔をだした。「何かあったんですか?」「Fがいなくなった」とパパが言うと、物凄く驚いていた。彼女と、いなくなったFは、南北の出身で、同じベトナムからの研修生だが、仲がよくない。それは、ベトナムに行って見て解ったが、たかだか何十年前まで、北と南は、戦争状態だった。だから、いまだに、北出身と、南出身のベトナム人は、余り仲がよくないのだ。仕方が無いので、そこで、解散になった。パパと二人で、帰りに喫茶店に寄って、モーニングを食べた。「馬鹿にされたなあ」「仕方ないよ、縛っておく訳に行かないし」2週間前、戻ってきた時に、警察に捜索願を引き下げに行った時も、おまわりさんが、「へーーー!戻ってきたんですか」とビックリしていた。今回、戻ってきたので、「強制送還」と言う処置ではなく、本人承知の送還と言う処置になったのも、入管の温情からだったのに・・・。馬鹿な子だ。受け入れ先のHさんの言うには、多分、大阪に行ったは良いけれど、向こうの会社に、警察の捜査が入り、とりあえず、帰れ・・・と言われ帰ってきたけれど、ほとぼりが冷めたので、また、召集になったのだろう。じゃなきゃ、わざわざ向こうが、こんな所まで迎えに来ない・・・とのことだった。日本の暗部が見えた。これで、彼女は、不法滞在者になり、また、お尋ね者になった訳だ。こうして、ドンドン、日本に不法滞在者が、増えていく訳だなあ。雇う人がいるから、増える訳で、こちらとしては、どうしようもないのだ。結局、うちに入った3人のベトナム人は、T一人になっちゃった。うちの工業団地に、3年前入った研修生は7人だったが、今は、4人になった。3人逃亡したのだ。そして、日本政府は、うちの工業団地では、もうベトナムからの研修生は、受け入れないと決めた。だから、先日、中国の研修生のスカウトに、中国に行ったのだ。でも、中国からの研修生も、こうなるのじゃないかなあ・・・。だって、日本政府は、何の手だてもしていない。不法滞在者を作らないためには、どうしたら良いのか、とても難しい問題だと思った。夕方から、以前住んでいて、今は、賃貸にしているマンションに点検に行った。また、新しい方が入るので、リフォームの点検。久しぶりに、入った部屋。何だか物凄くほっとした。ここに住んでいた頃が、私、一番しあわせだったような気がした。子ども達は、ここで育った。チビがここで生まれ、オネエが幼稚園に入り、小学校に入り、6年生のときに、この家に越した。お祖母ちゃんを引き取る為。このマンション、何処の部屋も、凄くお日様が入って、明るいマンションだった。お部屋も広くて、壁も白くて、本当にここに戻って来たいと、思った。あのマンションにいた頃、本当に、幸せだったと思った。帰宅したパパに、そう言ったら、「お前の言うの、解る気がする」とぼそっと言った。鬱になったのも、この家に来てからだし、お祖母ちゃんとの事も、無かった。そして、若かった。でも、もう、あの頃には戻れない。来月から、また、新しい家族が引っ越してくる。今度、ここに入れるのは、いつかなあ。うんと歳を取ったら、ここに住みたい。道を挟んだ前は、超、大型のスーパーとホームセンターなど、生活に困らない環境。引っ越さなければ良かった・・・・。でも、引っ越さなければ、お祖母ちゃんを引き取れなかった。仕方の無いことだったのだ。なんだか、1人で、何も無い部屋で、誰もいないマンションで、むしょうに切ない気持ちになった。
2007年04月27日
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今日は、絶対、片付けよう。そう思って、朝から、頑張って、TVも消し、嵐君のCDを掛けながら、片付けに入った。しかし、1時間も動くと、体が、だるくなった。参った。仕方が無い、休み休みしようと、椅子に座って、お茶を飲んだ。お昼、パパがお昼に会合があるとかで、帰ってこなかった。残り物で、お昼を済まし、また、頑張ったが、長いこと、放っておいたものは、一体何処から手をつけて良いのやら。それでも、夕方、チビが帰ってきて、「お、少し、片付けたね」と言ってくれたから、少しは、片付いたのかなあ。明日は、朝、中部国際空港セントレアに行く。実は、うちの研修生が、2週間前、逃亡した。うちは、パスポートは預かっているが、他は、全く自由だから、もっと割りの良い、仕事に就くため、逃げようと思えば、逃げられるのだ。ただ、逃げた時点から、不法滞在者になり、お尋ね者になる。だから、2週間前に彼女が逃亡した時も、警察に捜索願を出し、入国管理局にも、届けた。ところが、先日、大阪から電話が入った。「今、大阪にいます。」いなくなってから2週間。「何をしてるんだ!」「遊びに来ました」「これからどうするつもりだ?」「帰ります」で、彼女は、帰って来た。しかし、入管に相談した所、送還と言う処置にするよう言われた。あと研修は3ヶ月残っていたが、他の研修生にも示しがつかない・・・との理由だった。多分、大阪の業者にお金で釣られて行ったが、何かトラブルがあって、戻ったのだろう・・・と言う、研修生の受け入れ側の会社の報告だった。今帰れば、逃げて捕まっての帰国ではないので、ベトナム政府に預けた保証金120万もこちらの退職金も入る。彼女には、悪い話ではなかった。日本での彼女達は、本当に良く働く。うちのように、きちんと、日本政府と、ベトナム政府の間で、研修と言う形で受け入れている会社もあれば、不法滞在であることを承知で、もっと高いお給料で、正等に入国し、働いている彼女達をお金でつり、逃亡に手を貸し、働かせる組織もある。だが、受け入れ先のうちとしては、正等にやってきている彼女達を、たこ部屋のように、監禁することは、許されないし、するつもりもない。だから、彼女達にすれば、まだまだ日本で稼ぎたいと思えば、逃亡するしかないのだ。ベトナムのように、社会主義の途上国では、一旦帰国したら、多分、二度と、正式に研修生としての出国はできない。だから、帰って来たには、相当な理由があるのだろう。そして帰国させる事が決まった以上、最後まで、見送ってあげたかった。そこで明日、パパと、こちらの受け入れ会社の方、先日、中国に御一緒したHさんと、送っていく予定。朝、7時50分発の船で、飛行場まで行くので、7時前に家をでるので、6時前には起きないと、いけません。今日は、早く寝る事にした。少し疲れたし、まだ11時だが、寝ましょう。おやすみなさい。
2007年04月26日
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午前中にお葬式に行った。家から5分も掛からない場所に、市の大きな斎場がある。昨日の、入りきらないくらいの大勢のお通夜と打って変わって、今日は、Nさんの旦那様の会社の方や、亡くなった息子さんの会社の上司の方、町内の方だけの寂しいお見送りだった。本当に、お気の毒で仕方がない。ただでも小柄なNさんの奥さんが余計、小さく見えた。お写真の息子さんは、本当に、明るい笑顔だった。私は、息子さんにお目にかかったことはないが、パパは、2~3度、出勤の時に、車で見たそうだ。31歳まで育て、慈しみ、脳性小児麻痺の妹さんの将来も、いくばくかは頼りになさってらっしゃっただろう。本当に、これから・・・と言う年齢なのに、自分より先に逝かれ、どんなに悔しかっただろう、どんなに、代わってあげたいと思われただろう。今日も、お参りさせていただいたが、何も声が掛けられなかった。何を言っても、空しく消え入りそうだった。出棺のお見送りをして帰宅した。皆、だれも、何も言わず、解散した。こんなお葬式、出るのが辛い。このまえは、O先生の旦那様のお葬式だったが、お歳を召したお母様が残されたのさえ、お気の毒に思ったのに、今回は、31歳の息子さんの葬儀・・・・。ご両親は、まだ、定年も迎えてらっしゃらないお歳だ。お母様は私より、少し年上なだけ。私、同じ事があったら、あんなに毅然としていられるかしら・・・。多分、まだ、ご実感が無いのだと思う。これから、寂しさがこみ上げてらっしゃるだろう。本当に、お気の毒としか、言いようが無かった。気持ちの落ち込む、お葬式から帰って、お昼ごはんも、食べる気になれず、着替えて暫く、休んだ。夕方、気分を変えようと、髪を洗いに行った。肩をもんでいただいて、凝っているのが自分でも解った。「Kさん、肩、凝ってますね~」いつもの美容師さんが仰った。物を考えすぎたんだろう。少し、気持ちが晴れて、下に降りて買い物をして帰った。夜は、潤君の「バンビーノ」やっと、元気になった。潤君、今回も頑張ってますね~。素敵です。明日は、元気にすごしましょう。
2007年04月25日
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私が落ち込んでいるのが解ったのか、パパが、午後から会社を抜け出して、デパートに買い物に行こうと言い出した。パパと着替えて、デパートへ。ここのところ、パパは太って、父の遺品のスーツを直して着ていたが、父が亡くなって2年、それももうきつくなってきた。どう言う訳か、パパは異常に腕が長い。また、少しスーツが必要になった。いつものテーラーOさんに頼むと、作りあがりが、仮縫いやら日にちが掛かる。以前、急に礼服が必要になり、ダーバンで直して貰い買った事があって、ダーバンに行った。お仕立てだと、高いお値段のスーツも、ダーバンなら半額で買える。それに、生地は大量にイギリスから仕入れるから、お仕立てのお店より、安く良い物が手に入るし、元々のデザインを、パパの体型に合わせて、仕立て直してくれるから、早い。で、今回は、大人買いで、2着買って、お仕立て直しにしてもらった。サイズも、もう、一回採ってあるから、早い。ついでに、靴も購入。「お前も洋服か靴か買うか?」と今日は、いやに優しいじゃん。で、下に降りて、いつもお世話になっているHIROKO BISに入ると、春物の可愛いスカートが有った。はい、お買い上げ。それに合う、タンクトップも見立てて頂いた。こういうの、なかなか上手く着こなせない。でも、とっても着やすそうだったので、ゲット。上に、上着でも着て、合わせよう。さらに下に降りた。もう、足が痛い。そう長い時間だと思わなかったので、ヒールのある靴を履いて来ちゃったので、もう限界。アフタヌーンティで、お茶して、帰宅。パパは着替えて、会社に出て行った。私は、そのまま買って来たお大根と、前に買ってあったぶりのあらで、ぶり大根を作っている間に、二階に上がって、喪服に着替えた。夕方、斎場に向かった。いつも買う和菓子屋さんが、お休み。やばい!!仕方が無い、直ぐ横の洋菓子屋さんで、可笑しくない焼き菓子を「夜伽見舞い」で包んでもらった。東京では「通夜見舞い」なのだが、このあたりでは「夜伽見舞い(よとぎみまい)」と言う。これ、こちらに来てから知った。お通夜の会場は、もう、通夜見舞いの人で、本当に一杯。かろうじて、椅子に座る事が出来たが、後から来た人は皆、横の控え室のお部屋で座布団に座らされていた。亡くなった息子さんの同僚の方達だろう、若い方が、会社の制服の上着のままいらしていた。本当に沢山の方がおまいりなさった。お経は短かったが、お焼香の列は、なかなか途切れる事は無かった。ご夫婦が、焼香の終った方にご挨拶なさってらした。私の顔を見て、奥さんが、「あ・・」と小さく仰った。お気の毒で、お気の毒で、ただただ、「ご愁傷様です」と小さく言えただけだった。ご主人が最後に、短いご挨拶をされた。「家族思いの優しい子でした」しっかり、なさってらっしゃった。奥さんは、泣いてらっしゃった。いたたまれません。こういうお席。どんなに、どんなに、お辛いでしょう。妹さんは、いらっしゃらなかった。多分、何処かに預けられてらっしゃるのだろう。ご近所の方にご挨拶して失礼した。合掌。
2007年04月24日
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朝、さすがに疲れたのか、お寝坊です。起きたら、玄関にすでに、大阪からの段ボールが届いていた。オネエがまだいた。・・・とパパから電話。「組長のTさんから電話で、Nさんのご子息が亡くなったそうだから、電話で確かめてくれ」え?!息子さんて?Nさんとは、我が家の2件お隣で、この組では歳も近いので、一番仲良くして頂いている。ご主人のお勤め先が、私の友人のTちゃんの一族が経営する会社だったこともあり、親しくお喋りもする。おばあちゃまが亡くなった時も、お参りさせていただいた。組長さんのお宅に電話をするも、留守電。気になって、お隣に聞こうと家を出たら、丁度、お隣の奥さんがお庭から出てらした。「すみません、Nさんのお兄ちゃんが亡くなったって伺ったんですけれど・・」と言うと、「そうなのよ、昨夜ね、8時くらいに、救急車が来て、お隣に止まったから、また、娘さんかと思ったら、お兄ちゃんだったの」「いつ亡くなったんですか?」「くも膜下出血で、もう、病院ですぐに亡くなったらしいよ」・・・・・。実は、Nさんのお宅には、脳性小児麻痺のオネエと同じ歳のお嬢さんがいる。施設にかよってらっしゃるのだが、ほとんど寝たきりか、車椅子。おばあちゃんが亡くなった時、奥さんが二人を看てらっしゃった事を知り、本当に頭が下がったものだ。31歳なんて、これから結婚して、本当に、これからって時じゃない・・。お気の毒で仕方が無い。お通夜の時間と、お葬式の時間をうかがった。気持ちが一辺に、下がってしまった。どんなに、お気落としだろう・・・。お辛いだろう。たまらない気持ちになった。何だか、そのまま、一日が過ぎ、何も手がつかなくなっちゃった。片付けなくちゃいけないのに。こりゃ、明後日のお葬儀が済むまでは、元気が出ないなあ。こういうのを言うのかな・・ああ、無情って。
2007年04月23日
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二日目の朝、ゆっくり起きた。家族4人で同じ部屋に泊まるのは、初めてかな?いつも、夫婦と子ども達だったから。下に降りると、わぉ、バイキングのレストラン前に、長蛇の列。暫くすると、全員、一辺に入れた。100種類のお料理が売りらしいが、半分は、和食のお惣菜。これと言って、変わったお料理は無かった。ブドウジュースと、オムレツとフレンチトーストと、ベーコン、ポテトサラダ、納豆、コーンスープ、レタスとコーンのサラダ、お紅茶。朝しっかり食べて、お昼は、軽くしようっと。チェックアウトはお昼だから、子ども達は、近くのお店に買い物に出た。私も、下のソニープラザに行ったが、余り欲しい物も無いので、部屋に帰って、気がついた。梅田ガーデン、今なら12時からの回、見れるかも。電話をしたら、あと2席しかないと言う。やっぱり、諦めました。荷物をまとめ、送っちゃう。これ、旅のコツ。昨日、チビは、私と別れてから、梅田の町を6時間も歩き回って、買い物していたらしい。その買い物した物やら、嵐君のコンサートグッズやら、カバンやらダンボールに詰め込んでいたら、子ども達から、ロビーで待っていると言う電話。パパと二人、下に降りて、チェックアウト。チビは、足が大きい。以前大阪に来た時、大きなサイズばかりのお店があって、そこに行こうと言う事になった。だが、店の名前も場所も解らない。ただ解っているのは、大阪厚生年金会館の前のホテルから、歩いていけたと言う事だけ。タクシーに乗って、厚生年金の近くへ。雨が降ってきたので、傘を出し、歩き出したが、なかなか見つからない。結局、御堂筋の商店街まで行ったが、見つからず、オネエが、行きたかったお店が有ると言うので、お昼をドーナツやさんで食べて、そっちに行った。そのお店は、最上階ワンフロアが、いつでもディスカウントのお店で、物凄い数のお洋服が、それも、古着やら、若い子の好きそうなお洋服が、メチャクチャ安い。時間が無いので、凄い勢いで買い物をして、また、タクシーに乗って、難波へ。難波に来れば、こっちのもの。勝手知ったる何とかで、高島屋の前で降ろしてもらい、花月まで歩いていき、パパに予約した切符を発券してもらっている間に、私は夕食の予約に、いつものお好み焼きやさんに走った。劇場の中に入ると、若手の漫才が始まっていた。段々にベテランへ。桂小枝は、面白くない。月亭八方の落語も、今一。今いくよくるよ登場。ネタなのかどうか最後までわからなかったが、くるよさんの衣装が、合っていず、漫才の最中も、衣装を押さえながら喋っていた。それが、途中から、可笑しくて可笑しくて、仕方の無い状態に。漫才の内容より、その姿が可笑しくて、めちゃくちゃ受けていた。最後にいくよさんに「さっきから何してんねん!!」と突っ込まれ、くるよさんが抑えていた手を離したら、ウエストで止まっていた洋服が下に落ちちゃった。大爆笑。最後に踏んづけてこけそうになったから、あながち、ネタじゃなかったのだろう。宮川花子さんは、ご主人の大助さんが、病気療養中なので、1人で出てきたが、ご主人がいないなら、いないなりのオバサンが喜びそうな、亭主の攻撃ネタで可笑しかった。相変わらずのピンクハウスのお洋服。そのお笑いの上手さは、さすがだった。そして最後が、ザ・ぼんち。おさむちゃんの大きな声が、元気一杯。これもさすがのネタのおもしろさだった。だが、次がいけません。休憩を挟んで、新喜劇。何時も見ている「なるとも」の芸人さんが、沢山でていたが、途中で寝てしまった。吉本の中にある売店には、吉本のオペラグラスや、吉本ブランドのペットボトルのお茶があって、記念にゲット。中売りは、さすがに大阪、たこ焼きを売りに来た。なかなか美味しかったですよ。たっぷり2時間半。結構面白かった。嵐君の翌日に、吉本か~と思ったが、劇場内で、たこ焼き食べながら、お笑い見るのも、楽しいと解った。パパは、「日帰りが出来るし、家で、チケットが取れるから、また来よう」とご機嫌だった。予約したお好み焼きやさんに行くと、お店の前は、長蛇の列。予約して正解!!並んでいる人を尻目に、二階に通された。美味しいお好み焼きと、すじの入ったネギ焼き、海鮮やきそば、みんな美味しかった。おなか一杯になりました。お店を出て、吉本のお店でお土産を買って、近鉄の駅に行き、電車に乗った。丁度、嵐君の今日のコンサートに行った帰りだろう、嵐のコングッズの袋を提げた人が、沢山乗っていた。午後9時半すぎ、帰宅。早速、10時からの「おしゃれ」に潤君が出るので、見れました。昨日、あの笑顔が、直ぐそばにあったんだな~と、感慨深かった。久しぶり・・・・あ、去年の夏、横浜コンサートの時、一緒に行ったんだった。だから、去年の横浜以来の、家族旅行、結構、面白かったです。今度の東京ドームは、母と親子連れ。さてどうなります事やら・・・。
2007年04月22日
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いよいよ待ちに待った日が来た。嵐君の凱旋コン、追加公演、初のドームコンサート。しかし、今回は、何時もと違って、家族連れです。家族の予定がバラバラだったので、とりあえず、私とチビが、先に大阪へ。お昼前、着いた難波から、ホテルのある梅田まで行った。時間が早いからチェックインできないけれど、荷物だけ、預かっていただこうとホテルに行ったら、「ちょっとお待ち下さい。もう、ご用意できるかもしれません」大阪新阪急ホテル。なかなかやるじゃん。「どうぞ、もう、お部屋にご案内します」で、チビと、お部屋に入った。荷物を置いて、お昼ご飯を食べに出た。今回、実は梅田にした理由が一つあった。嵐君の映画「黄色い涙」も、梅田ではもう上映されていたので、見られたら、一緒に撮影を見学したチビと見るつもりだった。荷物を置き、直ぐ目前のスカイビルに向かったが、見えているのに、かなり歩いた。4階に上がったら、すでに、12時の回は立ち見席も満席。1時の回が、まだ、立ち見席があったが、終了が3時。コンサートに早めに行って、グッズも買いたいし、諦めて、映画のグッズの潤君の前掛けと同じ柄の巾着袋と、マッチのセットを買って、スカイビルの食堂街に行った。これが結構面白かった。古い街造りになっていて、ALWAYSの世界。古いタバコ屋さんがあったり、車の可愛いオールドモデルが置いてあったり。洋食屋さんに入り、ランチ。ホテルに帰る途中、チビと解散。私はそのまま、京セラドームに向かった。グッズ売場はまだ時間が早いので、すぐに並ばずに買えた。今回、グッズが面白かった。時計を見ると、3時前。グッズはもう購入したし、ホテルに一旦戻って、少し、休む時間はたっぷりある。歩き疲れたし、コンサートで足がつっちゃったら嫌だし、ホテルに帰って、5時過ぎまで寝た。ゆっくり用意をして、5時半にホテルを出て、京セラドームに。今日の席は、バックステージ、ど真ん中。前から11列目。席に着くと、正面が、そう遠くない。ここで野球できるのか???と思うくらい、横浜アリーナと同じくらいのアリーナ席の広さだ。勿論、客席は、二階の上の方までたっぷり有るから、収容人数は、何倍もあるが・・。正面の舞台のバックの電飾がものすっごく綺麗だった。画面が大きい分、その美しさがわかる。今回チケットが2枚当たってしまって、私の横は、空席。その向こうに、若い可愛らしい女の子が1人。聞けば、広島から来たという。「いつも1人なの?」と聞くと、「はい、大体1人です」で、始まるまでの間、彼女と色色お喋り。嵐のコンサートは、こういうのも楽しいのだ。暗転。すごく綺麗な電飾の中から、嵐君達が登場。わぉ、お正月の凱旋コンとは一変して、全身、キンキラキンの衣装です。まるで宝塚の大階段のよう。セットリストは、MCまでお正月のコンサートと一緒だった。ニノの「いらっしゃいませーー、いらっしゃいませーー、いらっしゃいませーー」の可愛いご挨拶も。今日は、しっかり双眼鏡を持って来たので、見やすかった。一番、お正月との凱旋コンで、目だった変化は、「COOL&SOUL」去年の夏コンも、お正月の凱旋コンも、下から記者会見のテーブルが上がって来て、ラップになるのだが、今回は、この大階段の途中に本当に、宇宙に浮いてるようにメンバーが立ったまま、唄った。後ろの電飾は、宇宙の星が飛んでくるようなデコレーション。わーー、すっごいな~と言う感想。もうひとつ、新しいのは、画面にメンバーが、去年のアジアコンから今回のドームコンまでの感想をそれぞれ言うフィルムが流れた事。潤君は、左ハンドルの車を運転しながら、インタビューに答えていて、信号で止まったのか、時々、こちらを向く、そのお顔が凄く素敵で、会場から、悲鳴のような歓声が上がった。大ちゃんはキャップを横にかぶって、相変わらずのゆっくりした喋り方。翔君は、いつものように、歯切れの良い、喋り方。MC前に大宮SKの二人がフィルムで出てきたが、今回は大宮は無し。会場が大ブーイング。潤君や翔君が出てきて、「これほど、ブーイングが起きるなんて・・」とファンに言い訳していたが、ニノと大ちゃんが、階段の後ろにいたらしく、「階段の陰に隠れてないで、出ておいで」と潤君に言われ、出てきたが、衣装は、みなと同じで、余計にブーイング。フィルムのシチュエーションは、たかと雄二のたか役の大ちゃんが、妊娠したから・・と言う理由で、翔君が「たかがどうした?」と突っ込んだが、一瞬二人が固まって、答えられず、爆笑。「いや~、どっちがどっちだか、今、とっさに解らなかった」とニノ。ジャニーズの上の人に「やりぬく覚悟があってやってるのか・・とか言われちゃったし・・」と歯切れの悪いお返事に、会場から、またブーイング。まあ、今回、あれに大宮を入れたら、時間的に無理だったろう。MCのあと、見たかった「黄色い涙」の短いフィルムが流れた。そして、相葉ちゃんが、章一君のいでたちで登場し、舞台に座って、ギターを引きながら、映画の挿入歌を歌いだした。最後は、後ろの階段の上に、メンバーが登場し、コーラス。で、相葉ちゃん「めっちゃ、緊張した」を繰り返した。MCは、本当に、嵐君の仲の良さが解る。今回は、食事の話になり、ニノは何時も財布を持っていかず、誰かに驕ってもらうとか、皆に内緒で大ちゃんが、ニノにラーメンをおごろうとしたら、皆にばれて結局、皆に奢る事になったとか、特に、今回は、翔君が、標的になった。以前から翔君は、食事に行き、お店の人が持ってくるのが遅いと、切れる・・と評判だった。今回も、相葉ちゃんが炒飯を、翔君がラーメンを頼み、炒飯とラーメンを半分こしようとしたらしい。所が、炒飯は来たが、ラーメンがなかなか来ない。段々翔君が切れだしたのが相葉ちゃんにはわかったそう。翔君は何度も「切れてない!」と否定。で、相葉ちゃんが、お店の人に言いに行ったそうだが、以前にも、お母さんと喧嘩して、ひと月も口を利かなかったとか。ここで会場が爆笑すると、とどめの一言。「そんな人が、毎週、ニュース番組で、ニュース読んでるんだからね~」と言われ、またまた会場爆笑。所がその後、相葉ちゃんの足がつっちゃった。物凄く痛そう。本気で寝っころがっている。「うぁー、俺さ~、本とに、さっき、緊張しちゃったんだよ。で、足つらないようにって思ってたら、つった~、ちょっと、待って」大ちゃんが、頭の方に潤君が相葉ちゃんの靴を脱がせて、笑いながら、足をマッサージ。その間、ニノと翔君が上手く時間を持たせた。本気で潤君は、笑顔ながらも相葉ちゃんの足をもんでる、相当痛そう。本当に、萌ぇ~、優しいなあ・・・・。「相葉さん、白いソックスなんだ」と翔君がつっこんでいた。あとは、コンサートでのお風呂ネタ。京セラドームは、普通のホテルのお風呂のような物が一つしかないそう。先に翔君が入っていたら、何時ものように相葉ちゃんが入って来たが、素っ裸のまま転んでしまったらしい。翔君も驚き、「相葉ちゃん、大丈夫、大丈夫」と聞いていたお互いが、素っ裸だったのが、可笑しかったそうだ。MCの後は、「バンビーノ」の主題歌、新曲を歌ってくれた。この曲、潤君が唄いだしのソロ。上手く唄えますように・・・と親の気持ち。物凄く高い、ビルのようなトロッコで、左右から分かれて、来てくれた。ソロ曲のとき、ニノがバックステージであの可愛い指差しの振りをした。後ろからだったが、ニノの肩の筋肉の動きがすごく良く解って、あの振りは、相当な運動量だとわかった。後ろを振り向きざまに、可愛い手を振って、バックステージ側のファンを沸かせた。潤君のソロは、「TELL ME・・」。何と何と、ステージの前の赤い大きなバルーンに吊るされて、右の方向から登場。途中で降りたが、あのバルーンは、要らなかったよなあ。大ちゃんのソロは、相変わらず、切れの良いダンスで、ほれぼれした。足のことが心配だったが難なくこなしていたが、どういうわけか、後半、大ちゃんが、音を外し始めた。最初の方の歌はそうでもなかったが、MC後の曲で、音が時々、はずれた。で、どうしたのかなあ・・・と気になったが、なんと、バックステージに来たので、双眼鏡でお顔を見たら、大ちゃん、目が真っ赤、泣いていた・・・。余程、ドームコンの成功が嬉しかったんだね!一通りの曲が終わり、白地に模様の入ったスーツで、バックステージに勢ぞろいし、1人1人、ご挨拶。翔君、ニノ、相葉ちゃん、大ちゃん、潤君の順だったかな?ご挨拶の間中、他のメンバーはこちら向き。去年の夏からのコンサート、アジアに飛び出して行った話、そして、お正月に行った凱旋コン、そして今日、初めてのドームで、こんなに沢山の人に支えられているんだと、改めて実感した感激を、とつとつと、話してくれた。そんな中でも、ニノは「緊張してしまった人もいるし、足がつっちゃった人もいし、・・・」とここまで言うと、横の相葉ちゃんが「それ全部、俺だから」とつっこんでいた。アンコールは、何と、何と、二回。「LOVE SO SWEET」をもう一回唄ってくれ、さっきまで、途中までしか来なかった大きなトロッコが、最後に私達の前で、交差した。メンバーが、物凄く近い!!皆、本当に良いお顔をしていた。満面の満足そうな笑顔。自信を持てた笑顔だった。普通、嵐のコンサートは、大体2時間半なのだが、この日、3時間近くに及んだ。よほど、ドームの初のコンサートの成功が嬉しかったのだろう。二回目のアンコールは、既に、規制退場のアナウンスが掛かっていたのに、ニノが「だって、みんな、呼ぶんだもん。火傷するぜ」なんておちゃらけ言いながら、現れた。だから、全部終って規制退場で、割と、早く出られたのに、既に9時過ぎ。考えてみれば、今日は初日で、大阪泊まりだから、嵐君達も、早く帰らなくて良い。時間の余裕があったのだろう。すぐに買って有った切符で地下鉄の駅のホームに。パパに電話。「お前が一番遅い!!」怒ってるよ~。私だって、8時半には終ると思っていたもん。でも、嬉しかった。初のドームコン、正直、豆粒くらいにしか、メンバーは見えないかも知れないと、覚悟して行ったが、双眼鏡のおかげで、結構ちゃんと見えたし、嵐君達も、マメに、こちらに来てくれたし、何より、舞台の装置が大きくて、本当にまるで宝塚の舞台を見ているように、綺麗だった。いつもの会場も良いけれど、こりゃドームも、装置や電飾、映像の事を考えると、なかなか良かったと思った。特に5人が、正面の電飾の中に、ばらばらに散らばった時の綺麗なことったら、今まで無かった美しさだった。これは、東京ドームが楽しみです。9時半、ホテルに帰った。皆で街に出て、中華の居酒屋で、たらふく美味しい物を食べた。牛タンのアボガド乗せ四川風が美味しかったし、上海風焼きそばも、かに入り炒飯も、海老マヨも、美味しかった。そして、何と、青島ビールがあった!あの中国のチンタオビールだ。これ、フルーティでおいしいのです。ぶらぶら散歩しながらホテルに帰る途中、コーヒーや、紅茶を買って帰った。家族でこうして、旅行先の夜の街を歩くのは、何年ぶりかなあ。横浜は、そんなに遅くまで出歩かなかったし。何だか、凄く楽しかったね!!お酒の入ったパパはすぐに、寝ちゃった。私は、疲れた体に熱いシャワーを浴びて、足がつらないようにタイガーバームを塗りこんで、寝た。明日は何処行こうかなあ。
2007年04月21日
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今日は、久しぶりの革工芸だった。実は、余り、行きたくなかった。明日から大阪だし、こういう日は、家で用意をしたい。しかし、ご主人を亡くされた先生が、「お休みしたら、皆さんに申し訳ない」と言うお気持ちから、教室を開いてくださった事が解っているので、お休みする訳にいかなかった。O先生のご主人が亡くなって、早ひと月。仲の良い、お二人暮らしのご主人が亡くなって、広いおうちに、1人になってしまったO先生。どんなにお辛いだろう。しかし、今日も、何時ものように、満面の笑顔の先生だった。思えば、昨年の今頃、革工芸の先生だった実のお姉さまを亡くされ、今度は、大学教授のご主人。ご不幸が続いた。先生が、明るくされてらしゃっるのに、私達が、暗くてはいけないと、何時ものように振舞った。革工芸は、し始めると、本当に楽しい。だが、ここ数ヶ月、家ではしていない。気持に全く、余裕がないからだ。中国に行った、カバンさえ、まだ、片付けられて無い。これぞADHDの障害そのもの。本当は、ずっと家にこもって、少しずつでも、片づけをしたいのだ。こういう細かい作業は、やはり、気持ちが乗らないと、なかなか出来ないのが、本音。でも、折角来たのだから、気持ちを切り替えて・・・と、とりあえず、楽しく過ごした。今日は、亡くなった革工芸の先生のご主人もいらしていた。聞けば、明日、四十九日をするそう。お嫁さんのYちゃんと暫くお喋り。午後は、やはり用意が気になったので、少し早くに失礼して帰宅した。昨夜、なかなか眠れなかったので、帰宅後、美容院を予約し、二階で少し寝ようと思った。しかし、これがいけなかった。「少し」じゃなくて、すっかり寝てしまい、美容院の予約時間を大きく過ぎて、目が覚めた。慌てて、電話すると、先生は笑いながら「待ってるから、来てください」と仰ってくださり、お世話を掛けた。あ~、またやっちゃった・・・。自己嫌悪。人は、こうして人に支えられているのですなあ。本当にありがとうございましたm(__)m成長しない自分に、反省。人生、お迎えが来るまで、お勉強です。ほんと。
2007年04月20日
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昨日、ショッキングなニュースが飛び込んできた。遊説中の長崎市長が狙撃され、亡くなった。この日本でだ。問答無用の一方的な方法で、この法治国家の中で、こういう事件がおきるのは、本当に、憂う事だと思う。日本は拳銃所持が一般的に許されていない。先日アメリカで起きた、大学内で起きた32人銃撃事件について思えば、全く自由に銃が手に入る国の出来事だから、こういう事件もありえるなあ・・と言う思いが有ったが、拳銃保持が許されていない日本の話だから、いやになる。暴力団員の中では、多分、簡単に拳銃が手に入るのかもしれない・・・と思えるくらい、今の日本の治安は、悪くなっているのだなあと、実感した。一体どうなっているのだろうなあ・・・。しかし、お気の毒で仕方が無い。奥さんの目の前で、夫が狙撃される・・・。奥さんの悲鳴が耳に残っている。たまたま私が見ていたTVの局は、救急車に運び込まれる、目を閉じた血だらけの心臓マッサージされている市長のお顔が映し出されていた。政治に関わる者は、昔は、皆、命がけだった時代も確かにあったが、この世の中で、こう言う事が起きると、また、あの、時代になっていくのか・・と恐くなる。少しずつ、少しずつ、何か、ずれていく感じは否めない。荒れる、子ども達。関心を寄せているように見えて、実は無関心な大人たち。自分の生活だけで一杯一杯の人々。なんか、違うんじゃないのかなあ・・・と思う。日本て、こんな国民だったかなあと、改めて思う。小さな頃は、よく父にこんな事を言われた。「天につばすれば、必ず自分に落ちてくる」。下町だったからか、隣のオジサンとか、街のオバサンに言われた。「罰が当たるよ!」「誰も見て無いようでも、お天当さんが見てるよ!」。だから、私の中ではいまだに、必ず誰かに見られている気がして、ゴミをポイ捨てしたり、出来ない。道徳的には、結構、自分はまじめな方だなあと思う。昔の人は、こうして、モラルを高めていたのだろう。これが、日本の良い所だったように思う。日本の素敵なところかなあ。日本て、もっと素敵な国じゃなかったかなあ。日本ほど治安の良い国は、なかったんじゃないの?何故こうなっちゃったんだろう・・・。
2007年04月19日
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今朝は、いやに寒かった。季節外れの、気温だそう。関東では、ヒョウが降ったとか・・。寒い訳だ。で、まだ、風邪が治らない。全く、早く暖かくなって欲しいものだ。今朝から、潤君主演の新番組「バンビーノ」の番宣で、潤君が、生出演の追っかけをした。TVで出そうな番組を録画しておいて、ドラマなどが始まったら、HDDを見ながら編集。ほぼ、この地方で放映された物は、全部、ゲット。それぞれ、1分~2分ほどだったが、撮れた。面白かったのは、朝の番組では、かなりテンションの高かった潤君が、お昼を過ぎ、午後になると、お疲れ気味だったこと。ご苦労様。「バンビーノ」期待通りだった。今まで演じてきた、どの役より、私は潤君の真面目さ、不器用さ、優しさが出ていて、まさに、代表作になるんじゃないかと、思った。良い役者さんにも囲まれ、すごい良い顔をしていた。このくらいの歳の男の子って、本当に、目を見張るくらい、成長が著しい。ファンになった頃は、まだまだ、ギラギラした所があったが、最近の潤君は、とても落ち着いてきて、「男の子」から、「男性」になって来たように思う。ここ1~2年に潤君が経験した事を、ちゃんと吸収して、自信につながったのだろう。雑誌でも、とても良い顔をしている物が多くなった。瞳のギラギラが、穏やかな、光になってきている。ますます、目が離せなくなります。そして、嬉しいことが。劇中で、潤君の使っていた携帯電話。私のと、お揃いでした!!!!あ、見覚えある・・・と録画を見たら、そっくり、色も機種も一緒のでしたーー!!結構、これ、嬉しい。夜、チビが、明日の御弁当の玉子焼きを作るから、教えて・・・と言い出し、焼き始めたが、ちょっとしたことで、大火傷してしまった。左の人差し指の内側を、5センチほど。寝ようと思っていたのに、流水で冷やし、薬を塗って、アイスノンで冷やし、1時間そのまま。何とか、水ぶくれになるのは、避けられそうだが、相当痛い。チビは、ごめんなさいと、反省していたが、もし、明日、まだ痛みが酷かったら、お医者さんに行かないといけないなあ。怪我、何か、久しぶりにしました。
2007年04月18日
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長い長い時間をかけて、一冊の本を読んだ。「19歳」副題は「一家四人惨殺犯の告白」。この本、実は、2月にパパと富士宮に仕事で行った時、時間つぶしのため、駅の売店に本を買いに行った時に買った本。つまり、読みたくて、探して読んだのでも、前から知っていて、買ったわけでもない。その場で、ただ、興味本位で、買った本だった。しかし、内容は、興味本位で読む本じゃなかった・・・。本を読んで、その後に、何も残らない、むしろ、何かを持っていかれたような気になったのは、生まれて初めての経験だった。本の半分は、この殺人犯の育ちから、犯行に至るまでを、淡々と、ルポしてある。そして、事件に巻き込まれた家族の経緯も書かれている。そこまでは、興味深く、結構、勢い良く読んだ。目を覆いたくなるような、耳をふさぎたくなるような、極悪非道な犯行だった。しかし、後半の、犯人と著者の書簡のやりとりやら、面会で交わされた会話には、読んでも読んでも、何も見えてこなかったのだ。そして延々と読み続けてきた最後の著者の言葉は、この未成年の殺人犯、関光彦と言う人物を「理解不能だった」と言う表現で終る。まるで、荒波の大海に放り出されたような、暗闇に1人残されたような気持ちだった。何なのよ!!と叫びたくなった。納得がいかなかった。著者の中で、ああ、この人間はこういう人物だったのだ・・と言うものが一切無いのだ。取材は、多分、これ以上できない・・と言うくらいしている。関光彦が、結婚したフィリピン女性を追って、住所も解らない、関光彦の印象に残った町の様子だけを頼りに会いに行っている程。最初にこのルポは、新潮45に掲載、そして「19歳の結末」と言う本になり、この文庫本「19歳」になった。文庫にする時にも、色色紆余曲折があったそうだ。著者は、この文庫本と、単行本では、名前を変えている。その間に、変えた名前でフィクションの小説を書いている。そして変えた名前で、文庫本になった時、最終章が書き加えられている。前作にはなかった、自身に起きた出来事だ。関光彦と真正面から向き合った著者は、自律神経失調症になり、駅のホームでめまいを起こし、転倒。打ち所が悪ければ、死亡していただろう所、顎の骨を骨折し歯を失っただけで、生還している。入院治療に2ヶ月を有し、再び、拘置所の関光彦に会いに行く。知らなかったが、死刑が確定した者は、家族と弁護士以外は、面会が出来なくなり、家族以外手紙も一切だせなくなり、刑務所での作業も一切無く、ただただ、刑の執行を待つだけの生活になるそう。独房に入れられ、朝、多数の足音が自分の房の前で止まった日が、執行日・・だとは、以前聞いたことがあり、それまでは、法務大臣が、判を押すまで、何年にもに及ぶ。刑が確定するまで、著者は、時間が無い・・・と、面会に何回も足を運ぶが、一日3回までの面会に、上手く入れず、著者の納得のいく対話ができないまま、最高裁での刑が確定する。そして、この本は終るのだ。「理解不能の、モンスター」と言う関光彦への表現を残し。現在、関光彦は再審請求中だ。読後感は、空しさだけだった。何なのよ!・・・と言う気持ち。そのおぞましい犯行の一部始終が、脳裏に残る。そして何より脳裏をよぎるのは、最後に残された、何度も、何度も関光彦に陵辱され続け、最後は、家族の血しぶきの中でも強姦された、事件当時15歳だった少女のこと。今は、結婚し、海外で生活をしているそうだ。どうか、どうか、彼女が幸せで有りますように・・・と泣きたいほど、願わずにいられない。彼女の心の中の傷が癒えることは、多分、いや、絶対にないだろう。たとえ、この先、関光彦の死刑が執行されても。事件は、高校受験の勉強をしていた少女が、無くなったシャープペンシルの芯を買いに行った日がきっかけだった。関の運転する車にぶつかり、怪我をし、病院に行き、手当てを受ける。そして、関の車で家に送ってもらうその途中、関の元に監禁され最初の強姦が行われ、生徒手帳から住所を覚えられる。そして、後に、暴力団から強迫を受けた関が少女の家に強盗に入り、次々家族を殺害。死んだ母親の血と尿を拭かされたその場で、また陵辱される。異変を察知した父親の会社の通報で、警察が飛び込んだ時、4歳の妹の胸をつらぬいた包丁を握らされ、共犯のようにさせられていたそう。あの時、自分がシャープペンシルの芯を買いに行かなかったら、あの時、関の車で送ってもらわなかったら、あの時、警察に通報していたら・・・・数限りなく、大人になった彼女は自分を責め続けるだろう。だが、陵辱され続けた15歳の少女に、一体、どんな抵抗ができたのだろう。4歳の妹が殺害された時、眠った怒りが揺り覚まされ、唯一、関に踊りかかり、腕と背中を切りつけられている。今、彼女が生きている事が、私には、奇跡に思えるほどの経験だ。勿論、回りの精神科医や、カウンセラーの努力と、彼女の家族の愛情の結果だろう。しかし、心の傷は、癒えるはずがない。どうかどうか、彼女のご主人が、深い愛情で彼女を包み、彼女と共に、幸せになっていてくれることを、願うばかりだ。そして、最後に弁護側が主張した、関光彦が母親のおなかにいる頃、流産の防止のために、黄体ホルモンの注射を打ち続け、その結果、脳に異常をきたした・・と言う事も、考えなければいけないと思った。事実、医学的に、黄体ホルモンをうち続けて生まれた女性が、男性ホルモンのせいで、体が、男性化してしまった症例もあるそうだ。つまり、関光彦が、異常な性欲と凶暴性を持ったのは、妊娠中の黄体ホルモンによって、より、男性ホルモンが強くなり、こういう事件を起こした・・・と言う弁護側の一つの主張。だがそんな事も、5人も殺傷しておいて、自分は未成年だから少年院に送られて、すぐに社会に出られる・・・と単純に思い、家族に出所後のために受ける資格習得のための書籍を差し入れさせている、無神経な愚かな考え方は、ホルモンとは全く違う関光彦と言う人物の、本質だろう。筆者が何を言いたかったのか、何を求めてルポし続けたのか、そして最後に何故「理解不能」と言い放ってしまったのか。本を読んだだけの私には、到底、計り知れない物だが、こういう人間を、作らないためには、世に出さなためにはどうしたら良いのかさえ、この本は、教えてくれなかった。この本の書評の一つに、こうあった。「まず一つ忠告。興味本位で読まない事です。精神をやられますので。忠告二つ目。ストレスや仕事などで忙しい人及び未成年者。読まない事ですねまず。場合によってはトラウマになったり吐くかも。全部本当の事なので。忠告三つ目。彼の狂気の本質を調べない事です。人間の社会「だからこそ」の超えられない壁を目の当りにします。」(アマゾン『19歳の結末』《我々は地球人です》さん書評より抜粋)・・・・・・・・・・まさに、このとおりだと思った。
2007年04月17日
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胃腸炎だったオネエは薬が効いて、元気になった。所が、今日は、私が朝から頭痛。全くね~、何故に頭痛。治ったオネエが「何か心配事でもあるの?」パパに至っては、「週末に嵐君に会えるんだろう?」チビは「あさってから『バンビーノ』始まるのに」。私は、そんなに単純なのか?オネエが救急に行き、胃腸炎と解った時、実は、パパと笑ってしまった。実はその朝、チビが洗濯をしたのだが、何と、水の上に、パソコンが浮いてきたのだ。はい・・・?そう、小さいノートパソコンが、洗濯機の中で、クルクル回っていたのである。時、既に遅し。丁度、地震の有った昨日の出来事。そりゃ、その前の晩からおなかが痛いとは言っていたが、私が出かける頃、まだそれほどでもなかった。何しろ、お祖母ちゃんのバースディの食事のお店を、夕方までに予約しといて・・・と言っていたくらいだから。それが、救急に連れて行くまでになったのは、このパソコン事件があったからだ。何故、パソコンが洗濯機の中にあったのか。前日、犬の世話のことで叱られ、表に呼ばれて、持っていたパソコンを、ヒョイと、洗濯機の中に入れて表に出たのだ。彼女にしてみれば、出口のところに置いてあった洗濯機のふたがたまたま開いていて、すぐに、取り出すつもりで、ちょっと置いたつもりだったのだが、腹痛で、家の中に入った時、すっかり忘れたのだ。で、翌朝、チビが、まさかそんなところに、パソコンが有るとは、つゆ知らず、そのまま洗濯しちゃった・・・と言う事だ。丁度、学校の論文を書いたりするのに、新しいパソコンをもう一台買う段取りになっていた。だから、パパの怒りを買った。物を大事にする気持ちが無い。こんな所に、ホイと置いちゃう、オネエの感覚が解らない・・・ときつく叱られた。勿論、洗濯しちゃったチビは、昨日留守番で二人きりだったから、地震の後、こっぴどくオネエに叱られたらしい。だが、帰宅した私に、チビを叱る権利も、資格も貴方には無い・・・と反対に叱られた。で、神経性胃腸炎は、酷くなっちゃった訳だ。二人が自室に引き上げた後、パパが可笑しそうに「お前の娘だな・・」と言って笑った。オネエは小さな頃から、精神的なストレスが、おなかに来ちゃう。で、私の頭痛は、胃腸から来るから、頭痛薬を飲んでも、まったく効かないのだ。何が原因なのか解らないが、頭の芯に鈍痛。こういう日は、もう、何も出来無くなるのだ。一日、ほとんどTVを見て過ごした。バージニアで学生が32人も射殺されたニューズを見て、「バンビーノ」の番宣やら「黄色い涙」の劇場挨拶の芸能ニュースをまとめてDVDに落として、印刷したり・・。表は雨だし、まるで冬眠しているみたいに過ごした。気持ちよく起床して、気持ちよく、毎日を過ごしたいのにな~。
2007年04月16日
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今日は、月一のお友達とのお食事会。パパは、朝から1人、ゴルフでルンルン。子ども達は、お留守番。今日は、まったく知らない初めてのお店。遠くなので、早めに家を出て、高速に乗って行ったら、家から20分ほどで着いちゃった。お店は、閑静な住宅街に出来た、洒落たお店。駐車場には、まだ一台も車は無く、開店の時間までもう少しある。暫く待って、友人が着き、中に入った。今日の参加は、下のお嬢さんが、見事、国公立の歯科学部に合格したMちゃんと、やはり、下のお嬢さんが、有名美大に合格した、オネエと姉妹のようなに大きくなったYちゃんママのKちゃん、それに、上のお嬢さんの結婚が決まりそうなTさんと私。本当ならフルメンバーは8人で、今日の予定では5人だったが、Oさんが、ご主人が急に胆石の手術を受ける事になり、来られなくなったので半分に。皆で、おめでとうの乾杯をした。これで、全員、下の子が大学生になって、子育ても、お役ご免になった。中国のお土産を渡したり、美大に入ったIちゃんが、姉のYちゃんと二人で、何と何と三鷹にマンションを借りたとか、楽しい話が、はずんだ。・・・・とその時、ガタガタガタ・・・。地震だ!でも、この建物、新しいので免震構造らしく、そう揺れなかった。「大きいね」「うん、ここがこれだけ揺れるってことは、震源地は、大変な事になってるんじゃない」「本当だね、どこかしら・・」と呑気に食事を続けていた。丁度、メインのお肉料理が出てきた時、お店のオーナーの方が「震源地、三重県中部だそうですよ。震度5強だそうです」と仰った。!!えっ!!大変だ!!築30年の家には、胃腸炎を起こして、昨日から具合の悪いオネエと、チビがお留守番をしている。それに、パパ!!今日は、震源地近くのゴルフ場だ!!慌てて、電話をするも、携帯の画面には、ダイヤルする度、「暫くお待ち下さい」の文字が出る。30分経っても、繋がらない。仕方が無い、171の伝言ダイヤルに掛けてみたら、もう、サービスが始まっていて、音声に従って伝言した。落ち着かないが、どうしようもないから・・とそのまま食事を続けていたら、友人達の電話に次々、メールが入りだした。あ、私の携帯にも、友人からのメールが。そうか、電話は相変わらず繋がらないが、メールなら・・と、オネエの携帯にメールした。「無事?」そうしたら、直ぐに返事が。「うん、大丈夫だけど、物凄かった~」良かった・・・・。次はパパ。なかなか返事が来なかったが、15分ほどして返事が。「今、プレー前の昼食を摂っていたが、揺れが酷いので、全員、建物の外に、非難させられた。とりあえず、無事だ」あ~、良かった。無事と解れば、楽しい食事は続き、それぞれメールを打ちながら、最後のお茶まで楽しい時間を過ごした。さあて、帰ろうと思い、車に乗って、TVを点けたら、乗ってきた高速は、丁度、私が乗る部分が不通になっていた。帰りは、今日来られなかったTちゃんの所に、お土産を届けるつもりだったから、どちらにしろ、下の幹線道路を通って帰るつもりだったが、こりゃ、混んでるだろうなあ・・・と1号線に出た。やはり、高速を降りた車で、渋滞中。まあ、急ぐ訳じゃないし。Tちゃんのところに寄って、少しおしゃべりして、家に向かったが、途中、海蔵川の橋を渡る手前で、桜が見えた。何とまあ、綺麗な事。私の大好きなちり際、正に、花吹雪!!!少し撮影して帰った。車で堤を走ったら、はらはらと、花びらが、車のフロンドガラスに落ちてくる。写真を撮っているときも、手に、肩に落ちてくる。もう、桜祭りの片付けを、街の方々がしてらっしゃった。また来年ね。家につくと、もう、大変だった。ベトナムから買って来たお茶セットのうち、小さなお茶の器が、落ちて割れていた。ふと見ると、戸棚のガラスに、ピンクのガラスのお猪口が、寄りかかっている。このまま扉を開けたら、これも、ガッシャーーンだろう。うまく、捧でずらして、開けた。食器が全部、前の方にずれていた。チビが「あ、お母さん、恐かったよ~」と抱きついてきた。そりゃ、こんな築30年の古い家だから、相当な揺れだったろう。「あのね、お昼ご飯に炒飯作ってたら、揺れだして、ここにいたら死んじゃうと思って、お姉ちゃんと二階に逃げて、布団の中で収まるのまったの。でもね、その時、炒飯を入れたお皿が落ちたんだよ」オネエは?オネエは具合が悪いらしく、ソファの下で寝ていた。「大丈夫?」「地震は大丈夫だったけど、私は大丈夫じゃない」こりゃ、救急に連れて行かないとまずいなあ。二階に着替えに上がった。驚いた。ベッドがずれている。桐の和ダンスの扉が開いて、中の物が落ちている。本棚にのせてあった、一番上の本が全部落ちている。ありゃりゃりゃ、こりゃ、本当に、相当な揺れだったんだと、納得した。ただ、どうも、揺れの方向が一方だったと解る。倒れていても当然の、写真立てがびくともしていない。今回、南北に揺れたようだ。だから北向きに置いてある食器棚の食器が、全部、手前にずれていたが、キャビネットの中の人形も、写真立ても、倒れていなかった。これが、東西に揺れていたら、東向きに置いてあるキャビネットの中の人形も無事ではなかっただろうし、キャビネットの上の写真立ても、倒れて落ちていただろう。きがえて、オネエを乗せ、市立病院に向かった。日曜の救急は、混んでいた。持って行った本を読んでいるうちに、呼ばれて中に入り、診察。どうやら、腸炎らしい途の事。会計を済ませ、下に降り、薬を貰い病院を出た。それから、夕飯の買い物に出掛けたが、異常に疲れてしまって、お肉やお野菜の売場で、何を買って良いのか、迷いに迷って、なかなか決められず、あれもこれも余計な物まで買ってしまい、自己嫌悪。夕食は、スモークサーモンとオニオンスイライス、焼肉と、ブロッコリーとアボガドのサラダと、お惣菜の肉じゃが。もう、めちゃくちゃのメニュー。家族は豪華だと喜んだが、こっちは落ち込んだ。疲れると、体も思考も止まって混乱しちゃう。最近、こう言う事、多いです。地震は時間が経つごとに、被害がわかってくる。我が家の被害は、炒飯と、お茶碗一個で済んだが、亀山の被害が大きい。被災された方には、心からお見舞い申します。海蔵川の桜の花吹雪です。とても、とても、難しかった撮影です。雪のように、白い花びらが飛んでいるのに、なかなかカメラには、上手く写らなくて、苦労しましたが、渾身の一枚。
2007年04月15日
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今日は、朝から、美容院。起きると、少し寒かった。花冷えっていうのかな?こういうの。少し暖かい格好をして、家を出た。気分が良かったので、いつもは、車で行くのだが、歩いていった。何のことはない、家から歩いて5分も掛からない、駅前。こんな近いところ、何時も車だったんだなあ・・・・と反省。車に毎日乗っていると、近いところも、車で行くようになっちゃう。以前、もう少し遠くの小さな郵便局まで歩いた事がある。家から15分弱。気持ちが良かった。だが、帰りに、買い物に行きたくなり、あ、車で来れば良かった・・・と思ってしまった。そうなのだ。車で出ると、ついでに、買い物にいけるから、ついつい、車に乗ってしまうのだ。なぜなら、ここは住宅街で、一番近くのスーパーでも、歩いては行けない場所にあるからだ。不便と言えば、不便な所。ここに来た当時は、駅前に、小さな家族だけで経営してらっしゃるスーパーがあった。しかし、少し離れた所に、チェーン店のスーパーが出来て潰れた。駅前に有った頃は、歩いて毎日買い物に来たが、その新しいスーパーは、歩くと20分以上掛かる場所。隣の団地の中。だから、行きは良いが、帰りは重い荷物を持って、20分以上歩くのは、かなり辛い。で、車ばかりになっちゃった。昔、パパと二人で、お散歩代わりにそこのスーパーまで歩いたことがあった。行きは、立ち並ぶお家を見ながら、あそこのお家が良いねとか、ここのこのお花、うちも植えたいねとか、楽しく歩けたが、くだんのスーパーまで着いたら、パパが言い出した。「お前さ、俺ここで待ってるから、車で迎えに来てくんない?」ばっかみたい!!何、冗談言ってるの!と、顔を見合わせ、爆笑したが、歩いてみて解ったのは、この街は、坂ばかりだったこと。そう、勾配のきつい坂じゃないが、帰りは、その坂、登りが多いのだ。その日は、二人で、ふーふー言いながら帰って来た。こりゃ、散歩する距離じゃないと思い知った。それから、二度と、そのスーパーまで歩いた事がない。犬の散歩に、かなり歩いたが、最近は、それもしなくなった。運動しないといけませんね。午後から、遠くのスーパーに買い物に行ったが、その途中に小さな川があるのだが、その堤の桜が綺麗だった。ずっとずっと川に沿って、桜の列が続いていた。木は海蔵川の半分の大きさも無いが、本数は多い。こんな風の強い日なのに、しっかり咲いていて、とても綺麗だった。このあたりの桜では、一番遅いかなあ。今年は、桜、随分見られました。明日、海蔵川を通る。多分、この風でもう、大分散っちゃっているだろうなあ。でも、少し楽しみです。
2007年04月14日
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髪の毛が、もう大分、白くなった。明後日は、友人達との月一のお食事会だし、明日、染めに行こうと思った。女の髪の色って、本当に、大事だなあと思う。今日は、面白い経験をした。いつも、アンティークのお人形などを発送に行く宅配やさんがある。そこは、その宅配業者の基地で、大きな倉庫やら、発送の施設やらあって、そこの一部に、個人の荷物を受け付けてくれる事務所がある。実は、先日、潤君の写真をジャニーズ事務所から購入した時、中の写真が、全く同じ物で、交換してもらったのだが、返送は、持って来た宅配業者に渡して欲しい・・・との事務所の話だったのに、その宅配業者は、届けると、あっという間に帰ってしまい、結局、私が発送しなくてはならなくなった。通販の返品もあったので、発送に行ったのだが、お金を持って行くのを忘れ、顔見知りの女性が「良いですよ、預かっておきます」と仰ってくださったので、荷物を預け、隣の郵便局にお金を降ろしに行った。で、帰って来て、お金を払い、帰ろうとしたらその女性が、「あの~、ジャニーズ事務所、松本係りって、松本潤さんの事ですよね」と仰ったので、「はい、そうですけど」と言うと、「お嬢さんがファンでらっしゃるんですか」と聞かれた。その女性は、歳の頃は、私と同年代、何時もとても感じの良い方で、時々、お喋りもした事がある方だった。「いえいえ、私」と言うと、二人で思わず笑ってしまった。「実は、私もファンなんです。」!!!そうだったのか~。で、今日、お休みとかで、喫茶店でお目に掛かることになったのだ。3時に待ち合わせて、自宅の近くの大きなお店で待ち合わせした。聞けば、彼女は、27歳を頭に4人のお母さん。良いなあ。せめて私ももう1人欲しかった。話は弾み、楽しい時間を過ごした。思ったとおり、とても良い方だった。映画にいきたいが、1人で行くのもな~と思ってらっしゃったとかで、それじゃ、私も、何回か見に行く予定なので、ご一緒しましょう・・・と言うことになり、約束をして別れた。嵐君を通じて、また、新しいお友達が出来ました。それも、家がご近所さんです。お子さんが多いので、私なんかよりうんと以前からのファンでらっしゃったのに、なかなか遠くのコンサートにいらっしゃれなかったそう。これから、色色、御一緒しましょうと、お約束。こうして、嵐君を通じて知り合った方は、皆さん本当に、良い方ばかり。嵐君の雰囲気がそういう方をひきつけるのだろう。何だか、楽しくなりそうです。
2007年04月13日
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夕方から、少し出かけた。遅い時間に出かけるのが、最近多くなった。以前から気になっていた嵐君の映画「黄色い涙」とのコラボをしている、ファミリーマートに行こうと思った。所が、近所には、このコンビニが、無い。どういう訳か無い。他のコンビニは、結構あるが、ファミマだけが無い。時間が無い訳じゃないので、車を走らせ、時々出会う、満開の桜を見ながら、さらに車を走らせた。有った!!有りました。車を止めて、中に入り、嵐君の表紙の冊子を頂き、コラボの商品を探す。パンフレットが有ったので見たら、バスタオルとTシャツを売っていたが、嵐君のイラスト・・・・と言うか、「黄色い涙」の5人のイラスト。かなり、良いお値段もする。今回は、パスだな。お店を出て、また、ゆっくり、ドライブしながら家に向かった。大きなスーパーを通り過ぎ、大きな橋を渡ろうと信号を待っていると、その川の堤に植えられた、大きな桜から、花吹雪。わー綺麗!!!車のフロンドガラスに、一片、花びらが落ちてきた。以前、桜の花びらで、ポプリを作ろうと思って、桜の堤に座り込み、集めた事があった。しかし、翌日、干した花びらは、半分以上、茶色になった。懲りずに、また、拾ってきて、今度は、すぐに、乾燥剤を入れたビンに入れた。しかし、1週間もすると、やはり、半分は茶色になった。根気良く、ピンセットで、ピンクになった物だけ選び、新しいビンにシリカゲルと一緒に入れたが、やはり、半月もすると、茶色っぽくなった。結局、全部捨てた。桜の花びらは、ポプリにはならない。何故なら、花びら自体が、薄いからだと気がついた。ある程度の厚みのある花びらじゃないと、綺麗な色を残しての乾燥は無理らしいのだ。でも、鼻を近づけると、桜の香りがした。昔は、そんな事もしていた。今は、そんな日々が、嘘のようだけど・・・・。帰宅して、少し寒かったので、桜湯を入れ、1人でゆっくり飲んだ。少し塩味の桜湯はこの季節に飲む。本当はね、お結納のお席に出して欲しかったのだけれど、私のお結納の時は、普通のお茶だった。だから、娘たちのお結納のお席では、絶対、桜湯を出してあげたい。これ、私の密やかな、夢です。さあて、少し、頑張ってお料理しましょうかね。
2007年04月12日
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今日は、前から、母にお使いに連れて行ってと言われていた。午前中は、相変わらず、ぐだぐだしていたが、午後から、出かける用意をして、母に電話。「お使いの前に、お花見、行こうか」「うん、行こう、行こう」で、母を迎えに行き、先日の河川敷に行った。ここ、本当に、素晴らしい桜並木なのに、あまりTVとかに紹介されない。ゆうに2000本はある巨木の桜が、実に美しい場所なのに・・だ。だが、地元の人は良く知っていて、夜桜を見に行くと、河川敷の駐車場が一杯になるくらい混む。国道をはさんで、夜店の出るほうは、片側に植えて有るが、海側は、道の両側に、桜の巨木が生えていて、どこまでも、どこまでも、桜のトンネルになっている。本当に、大きな桜の木が植わっていて、綺麗なのだ。どうも、管理が、はっきりしていないので、取材の許可を、何処で取って良いのか解らないので、TVなどで放映されないらしい。実は、それを知ったのは、うちの会社のトラックが、この桜の木にぶつかって、折ってしまった事で判明した。一昨年のこと、うちの会社の従業員がトラックを、桜の木にぶつけて、根元近くから、折ってしまった事があった。直ぐ下に、民家があるし、こりゃ大変と、市に言いに行った。ところが、市は、市の管轄ではないと言うのだ。では、町の管轄かと、そこの町内の町長さんのお宅に行った。所が、ここも「うちの桜じゃないんです」は~????県庁にも問い合わせしたが、結局、何処の桜なのか、解らず仕舞い。どうも、その昔、奇特な方が、少しずつ苗を植えて行き、何十年も経ち、今日の桜並木となったらしい。こちらは、きちんと、植木やさんに来てもらい、対処したが、あとのことは、どこに言っていいのやら、皆目見当が付かない。これだけの、桜の本数だ。ゆうに2千本はある。だが、今、その桜は、その生えている場所の町内の方達が、薬品をまいたり、交代で、お世話しているそうで、持ち主は、解らないそう。全く不思議な話だ。母と、国道の下を通り、河川敷を歩いたり、桜を愛でたり。持って来たデジカメで、母と写真を撮りあいっこしたり、これも、親孝行です。道は、花びらがピンクの絨毯みたいになっている。本当に、綺麗・・しか言葉が出てこない。夕方に近かったが、もう、宴会の花見客がいた。1キロは、歩いただろうか。だが、桜の巨木は、何処までも何処までも続いている。片側の夜店の出ている方から、桜のトンネルのある方まで。桜を堪能した。車に戻り、河川敷から、上の堤の道に出て、国道までの道も、また、桜のトンネル。それも、トラックが樂に通れるるくらいの巨木のトンネルは、本当に見事としか言えない。私は、散り際が大好きなのだが、今日は、余り風が無くて、花吹雪にはお目にかかれなかった。明日は雨だそうだから、明後日、もう一度、来てみようかな。去年は、もう、泣きたくなるくらい、綺麗な花吹雪を目にした。桜、大好き。本当に、日本人でよかった!!さあ、買い物です。大きなスーパー行き、ホームセンターに行き、薬局に行き、母を送っていった。それから、郵便局に行き、宅配便を出しに行き、帰宅しようとしたら、パパから、今日はお付き合いだから、食事はいらないとTEL.帰宅し、チビと夕食を食べた。まあ、こんな日も良いですな。
2007年04月11日
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今日は、母の誕生日。解っていたが、なかなか起き上がれなくて、参った。お昼、パパと出かけた。久しぶりに、しゃぶしゃぶ屋さんで、ランチ。ランチメニューは、しゃぶしゃぶじゃない。帰りに、ここの美味しいゴマだれを買った。銀行に行ったり、くるくると用事を済まして帰宅。で、また、寝ちゃった。どうも、飲んでいる風邪薬が、相当、眠くなる成分が入っているようだ。全く、いつになったら、治るんでしょうか?夕方、やっと起き上がって、近くのお花屋さんに行った。せめて、お花の好きな母に花束を上げようと思い、作っていただいた。ここ、素敵な花束にして下さるから、ちょっとした贈り物をする時、いつも頼む。作ってもらっている間に、夕飯の買い物。帰りに、母のところに寄った。「お誕生日おめでとう」「あら、覚えてたの」だって。でも、お花、喜んでもらえました。子ども達に、「今日、お祖母ちゃんのお誕生日だったんだよ」と言うと、二人とも「あ”---、なんで言ってくれなかったのよ~」で、お詫びの電話をしていた。父が亡くなって、一人ぼっちの誕生日は可哀想だが、そのうち、皆が、そうなるんだろうなあ。私が、元気なうちは、母の誕生日は、ちゃんと祝ってあげよう。今度の土曜日、食事に行くように、どこか予約するよう、パパが言った。ありがとうね、パパ。
2007年04月10日
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昨日、最後に、夜桜を見に行った。実は、ここは、穴場だ。海蔵川と言う川沿いに、約2キロにわたって、桜の巨木が植えられている。日曜日だったので、夜店が、国道を挟んだ反対側に、並んでいた。そのぼわっとした赤い光が、遠くからみると、まるで、幻のように見えるのだ。チビが「千と千尋の物語」の世界だね~と、その美しさを表現した。まさに、そうだなあと思った。ちょうど、八百万(やおよろず)の神様が、湯屋に船で着くあの場面の光に、そっくりなのだ。湯屋のボアッとした赤い光、暖かい光のように、夜店の明かりが並んでいた。そして、頭上には、ちょうちんが並び、満開の桜をそこだけ、白く浮き立たせていた。無数のさくらが、我先にと、咲き誇っていた。夜桜は、暮れなずむ時が一番美しいらしい。しかし、こうしてぼあっと見える、白い薄紅の花は、お風呂上りの女のうなじのような、色っぽいさがある。なまめかしい・・と言った方がぴったりとくるかもしれない。雪洞の弱弱しい光の中にそこだけ、薄ピンクの桜が浮き上がる様は、本当に、ため息が出る。写真を撮ったが、なかなか綺麗に取れない。フラッシュをたくと、折角のなまめかしさが、なくなってしまう。露出を一杯にして撮ってみた。河川敷には、いつ組みもの、グループが、バーベキューをしたり、焼肉を囲んでいた。良いなあ。こう言う事、大好きなのに、パパが嫌いだから、した事が無い。唯一、子供が幼稚園の時、お友達のお母さんに誘っていただいて、参加しただけ。本当は、本格的に、ガスボンベ持ち込んで、色色したいなあ。車から降りないパパを放って置いて、娘達と、夜桜見物。本当に綺麗。夜桜を堪能して、帰宅した。今日は、苦手の月曜日。いつまでも、お布団のなかでまどろんでいた。さあて、一週間の始まりです。何とか、頑張りましょう。
2007年04月09日
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今日は、伯母の一周忌。この伯母は、東京の伯母の妹であり、父の兄嫁であるので、兄弟、姉妹同士で、結婚したのである。今、兄弟で残っているのは、東京の伯母だけだ。父の兄弟も、父が最後の1人だったし、東京の伯母の兄弟も、今は、伯母以外は、皆亡くなった。朝、喪服に着替えて、母を乗せ、従兄弟の家に向かった。この従兄弟の家、大きな団地の中にあり、一回で、すっと行けたことが無い。同じような家が立ち並び、おまけに、12丁目とかまである。何回行っても、くるくる、角を曲がって、やっとの思いで行き着く。今時、自分の家で、法事をするのは珍しい。お蔭で、皆さん、足がしびれたり、つったり。たっぷり2時間の読経。伯母が亡くなってってから、もう、1年経つんだなあ。お祖母ちゃんが亡くなって、まだ、4ヶ月だから、他人事じゃない。父は、11人兄弟の末っ子だったから、従兄弟は、凄く沢山いる。しかし、従姉妹達より、むしろ、その子供世代に私は近い歳。パパが仲良くゴルフに行くメンバーも、従兄弟の娘のお婿さん達だ。皆で場所を移し、美味しいお料理を頂いて、解散。今日は、投票日だったので、母を送って、その足で、自宅にオネエを迎えに行き、投票に行った。帰宅し、着替えに二階にあがって、TVをつけて、ベッドに座った。何だか、むしょうに疲れちゃった。気が付いたら、そのまま寝ていた。夕方、チビが、スパゲティを食べに行きたい・・・と言い出し、久しぶりに、食べに行った。以前、良く行ったイタメシ屋さんが、名前が変わっていたが、同じようなイタメシ屋さんだった。サーモンとホウレン草のクリームパスタ、たらこスパ、ミートソースなどと、チキンのグリル、それに、チーズフォンデュを頼んだ。猫舌の私は、チーズフォンデュは、冷ましてからしか食べられないので、チーズフォンデュの意味が無い。従って、ちっとも美味しくない(笑)おなかが一杯になったら、オネエが、DVDを返しに行くと言うので、そのままTU○AYAに。私は、映画雑誌を3冊買った。今「黄色い涙」のお蔭で、映画雑誌は、嵐君の表紙の物が凄く多い。前に買ったのと、とりあえず、これで全部ゲット。凄く気持ちの良い夜だった。あ、桜、見たいネ・・・と言う事になり夜桜を見に行った。メチャメチャ綺麗だった。その話は、また明日にでもしましょう。
2007年04月08日
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雨。何だか久しぶり。やっぱり、雨が好き。だから、今日は少し気分が良い。満開の桜に、雨は似合わないなあ。お向かいの凄く大きな桜の木が二本、満開。お宅は、四つ角にあって斜面の真ん中に、大きな木が二本、枝をのばして、可愛い薄いピンクの花を沢山咲かせている。駅から上がってくる、道行く人が、見上げていく。風の強い日は、我が家の駐車場にも、花びらが舞い込む。桜、植えたかったなあ。午前中は、ぐだぐだしていたが、明日、伯母の法事がある。夕方、いつもの美容院に髪を洗いに行った。帰りに、持って行くお供えを買いに、ジャスコの専門店街に。折角だから、包んでいただいている間に、お夕飯の買い物をした。表に出ると、駐車場の一角に、そりゃあ綺麗な花の苗が揃っていた。ガーデニングをしなくなって、何年経つだろう。40代の頃は、毎年、綺麗に花を咲かせていた。今、庭の隅に、残骸のように、コンテナが積み重ねてある。凝ると、とことん凝るから、値段の安いコンテナは一つもない。皆、素敵な物ばかりそろえたのに、そのどれにも、今、花は咲いていない。この全てに、花が溢れるように咲いていたのが、まるで夢のよう。あの頃、皆を送り出してから1時間は、花の水やりと、花がら取りだった。もう、そんな事も全くしなくなった。あんなに、綺麗に咲かせていたのに・・・・。本当に、更年期障害は恐い。生活を一変させてしまう。お料理は手の込んだ物は作れ無くなったし。お菓子も全く、作らなくなった。唯一、梅ジュースだけ、作るだけ。昔は、梅干も、梅ジャムも、イチゴジャムも作ったのになあ。あんなに簡単に作れるチーズケーキさえ、作らなくなった。毎日、私が、すこしずつ、削られていくような気さえする。早く、この地獄から抜け出したい。早く、昔のように、生活を楽しみたい。若さはもう、取り戻せないけれど、せめて、生きている事が、毎日、楽しい・・と思いたい。今は、嵐君だけ。家族の嘲笑の中でのファン生活は、気持ちの良い物じゃない。でも、今はこれにしかすがれないから。したい事。部屋を綺麗にする事。昔みたいに、庭を花で一杯にしたい。お菓子作りをコンスタントに出来るようになりたい。昔みたいに、余った時間で、手芸をしたい。いったい、何時になる事やら・・・・。
2007年04月07日
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ここの所、何も出来ない。座ってする作業は出来る。だから、ニノの「拝啓父上様」のDVDライブラリーを作ったり、写真の整理はしている。しかし、立って、動く事がなかなか出来ないのだ。まだ、更年期?先日、TVで、女性の病気の特集をしていた。その中に、質問に答えて、病気の有無を調べるコーナーがあって、ばかばかしいと思いながら、しっかりやってしまった。案の定、更年期障害の診断範囲に入った。あ~、やっぱ、まだ終ってないんだなあ・・・と思った。だるい。物凄くだるい。立ち上がっての仕事が、持続しないのだ。そのくせ、出かけると、動いてしまう。また、鬱が酷くなってる?最近、カウンセリングをさぼってるからなあ。やっぱり、まだ、必要な時間なのかもしれない。中国に行った荷物はまだ片付いてない。今日、起きたら、玄関が綺麗になっていた。そう言えば、パパが何かわめいてたなあ。ジャニーズ事務所から来た物、送ってもらっているお米、通販で買った、春の花柄キルトのソファカバーの入った箱。みんな何処かになくなった。これは私の仕事なんだけど、パパが痺れを切らせて片付けたのだ。情け無いよ。本当に。こんな事さえ出来ない自分が、悔しい。でも、体は動かない。やっぱり鬱かなあ・・・。そんなに急に良くなるわけないのに、油断していた自分に反省。でも、もう、7年近くになるのに・・・。鬱の原因のADHD障害は、生まれつきの脳の障害だから、治らない。じゃ、ずっと、このまま???冗談じゃない。精神的な病は、春先に酷くなるらしい。それかなあ・・・。中国、あんなに、楽しかったのになあ。でも、負けたくないから、頑張ろうって思うだけ。嵐君の番組で、障害も個性って言っていたけど、そう思えるほど、障害って甘くないんだよ。家庭崩壊もするし、自殺者も出ちゃう。「障害は個性」って言える人はまだ、まし。当の本人には、全く意味の無い言葉にしか聞こえない。なぜなら、その障害に、思い切り、傷つけられてきたから。苦しめられてきた人生は、取り返しがつかないから。障害が無かったら、もっと、素敵な人生だったかもって思っちゃうから。こうして、振りこのように、気持ちが動く。マイナスポケットと、明るい場所に。障害の上に、更年期障害って、踏んだり蹴ったりだよなあ。おまけに、体はドンドン衰えていく一方で、歳を取っていく一方で、10年前に出来たことが、半分もできなくなる。こんなはずじゃなかったのにって、家族に責められて、思い切り傷ついて、良い事無いなあって思う毎日。結構、辛い。いや、かなり辛い。時々、ヒステリックに「キャーッ」って叫んじゃう。すっとするかなあって思ってするんだけど、余計、落ち込む。時間が無駄に過ぎていくだけ。毎日、毎日。無駄に過ぎる時間。もう1人、私のクローンがいて、そのクローンはまだ若くて、私がしたいと思っていること、全部してくれたら、家の中も綺麗になるのに・・・。でも、クローンだから、そのうち、私のようになっちゃう。その時は、私がそのクローンを殺す。で、その頃に、私の人生も、ジ・エンド。そうだったら、どんなに良いかなあ。馬鹿な事考えてないで、すこしでも、動きましょう。あ~、だるい・・・・
2007年04月06日
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毎日、候補者の選挙カーが、この静かな団地にも、入ってくる。この選挙カーに、いつも疑問を感じてしまう。生活の中に、何の遠慮もなく、いきなり、名前を連呼して、車が行く。聞いた方には、ただただ、「うるさい」と言う印象しか残らない。この選挙カーが通り過ぎて、名前を覚えている人が、一体何人いるのか非常に疑問に思う。今日は、とうとう、切れた。具合が悪くて寝ていた。我が家の3方向は、道路になっている。つまり、2方向は、普通の道で、1方向は、我が家の庭である斜面の下にメイン道路があるのだ。で、その上、つまり、我が家の横に、そのメイン道路に掛かる橋がある。我が家の庭である斜面は、その橋の下へと続くのだ。で、その橋の上で、宣伝カーを止めて、あーでもないこーでもないと、候補者は、わめくのである。そう、正にわめくのだ。候補者にすれば、格好の場所なのだろう。下を通る車は、まるで、自分に向かって走ってくる錯覚になるのだろう。だから、そこに車を止め、延々、演説をするのだ。我が家の直ぐ横で・・・だ。必要以上にボリュームを上げた声は、騒音以外の何者でもない。だから、何を言っているのかも解らない。ここは駅前でなければ、広場でもない。それなのに、目と鼻の先に、住宅があるのに、がなりたてられたこっちの身にもなって欲しい。二匹の犬は、狂ったように泣き続け、その音に、リビングのガラスはびりびりと震える。いつも、5分我慢する。良識ある候補者は、その程度で「お騒がせいたしました」と去っていく。しかし、10分を過ぎると、こちらも立ち上がる。この野郎、これ以上やったら、怒鳴りつけてやろう。もう、戦闘体制になっている。人に迷惑を掛けない・・・って幼稚園で、教わんなかったですか!これだけ人家が傍にあるのに、そこに病人や、赤ん坊がいると言う配慮もないんですか?自分の言いたい事だけ言えば、相手の迷惑も考えない奴に、どんな政治ができるんですか?山ほど言いたい事を抱え、今か今かと飛び出す瞬間を待っている。しかし、10分くらいでは、その勇気が出ない。結局いつも、泣き寝入りなのだ。しかし、今日は、切れました。たっぷり15分。とうとう裏のドアを開け、飛び出してやろうかどうしようか迷っていたら、同じように、文句を言いにいらしたご老人が見えた。しかし、女性運動員のにこやかな笑顔に、腰砕けの様子。こりゃ、私の出番です。「いい加減にしていただけませんか?」「ご近所迷惑も、考えてください」「ここは、駅前の広場じゃないんですよ」階段の上から、言った。すると、女性運動員が慌てて車の方に走った。すると、ヌーボーと、名前をたすき掛けにした候補者が、現れた。「選挙運動だから・・・」と、当然の権利じゃないかと、横柄な態度で、何か言いかけた。「選挙運動だからなんでも許される訳じゃないでしょう。こんな住宅街の真ん中で、ご病人のいるお宅だってあるのに、そんな事も考えられないのですか」とまくしたてた。我ながら、少し、冷静じゃないと反省したが、虫の居所が悪かった。むすっとした候補者。何をか言わん。おかげで、血圧が上がった。主義主張の前に、まず、人として最低の常識、最低の礼儀は守って欲しい。何か、間違って無いですか?私がまちがっているのだろうか・・・。パパが帰って来たので、報告したら、「すーっとしたか?」「うん」「そりゃ良かった。しかし、○○党は恐いぞ。火でもつけられないように、気をつけろよ」だって。
2007年04月05日
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今日から、東京グローブ座で、嵐君主演の「黄色い涙」が、上映される。今回は、映画なので、わざわざ東京まで見に行く予定は無い。この地方では、28日から上映になる。去年の6月、毎日、撮影の見学に江南に通った映画だ。今日、映画の解説のようなDVDが届いた。「『黄色い涙』寄り道のすすめ」と言うDVDだが、もう、涙ものだった。なぜなら、あの日私がいた場所が、そのまま嵐君とともに写っているからだ。嵐君の映画の見学に行ったのだから、当たり前なのだが、あの暑い江南の日々が、思い出された。あの商店街の空気、人、会話・・・。すべてが、この映画に入っている。そして、私が目前で見学したシーンも。もう、全く客観的に見られなかった。こりゃあまずいと思った。もっと、客観的に見られなければ、折角の映画が、ぶち壊しだ。このDVD買って良かった。しばらく、このDVDで慣れてから、映画を見ないと、映画の筋や、意味が、全く入ってこないから、犬童監督の言いたかった事や、嵐君達の演技がちゃんと見られない。それは、嵐君達に、失礼だもんね。でも、凄く懐かしかった。特に、翔君と相葉ちゃんと大ちゃんが、アイスクリームを食べながら、潤君と立ち話をするシーンは、全くもって100パーセント、目前で見た撮影だったから、あ、ここ、消え物のアシスタントの人が、アイスキャンディを渡したんだった。あ、ここ、潤君が、振り返って自転車で走ってきたんだった。・・・と見ていて、嬉しくて仕方が無くなっちゃった。あれから、もうすぐ、1年なんだなあと、感慨深い。犬童監督に「あ、本当に切符買う人ね」と言われた西大垣の駅も、写った。DVDのインタビューの後ろを、近鉄の養老線が走っている。ああ、あの広場で、このインタビューを撮ったんだ!とか。もう、全然他人事じゃなくて、困った。この地方の上映は28日からだから、本当に、このDVDで慣れておかないとなあ。何回見に行こう。早く見たいような、まだ、見たくないような、不思議な気持ち。画像は、当時見学に行った江南の商店街と、近くのセット。下は、近鉄養老線西大垣の駅と、改札口。ここが、劇中、阿佐ヶ谷の駅になった。
2007年04月04日
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本当に、一日、グーグー寝ていた。風邪薬に、睡眠剤が入っているのも確かだが、遅い朝に起きて、お昼まで、少し家事をして、午後から、また、夕方までねた。こんなに眠れるのが、物凄く不思議。疲れているのかなあ。ここ数日、体調が悪い割りに、夕食は、きちんと作れている。夕方に、調子が上がるのは、鬱病患者のせいか・・?そう言えば、カウンセリングにずっと行っていない。行きそびれているのではなく、月一のカウンセリングの日を、忘れちゃうのだ。ちゃんとカレンダーに書き込んであるのに、そのカレンダーを見ないから、どうしようもない。今年の嵐君のカレンダーは、置く事が出来ない、壁掛け式だから、仕舞ったまま。壁には、毎年、決まったカレンダーがかかっているから。我が家のカレンダーは、20年前から、ピーターラビットの物。ビクトリクス・ポターの物なのだが、今年のは、色が、日にちの書き込みのところまで付いていて、使いにくい。いつもみたいに、薄い色にしてくれれば良いのになあ・・と少々、不満。私にとって、カレンダーって、結構、気になる物だ。我が家には、おトイレ、リビング、キッチンに必ず掛ける。しかし、絶対、企業の名前だとか、お店の名前の入った物は使わない様にしているが、その中、例外でいつも本当にセンスが良くて、欲しくて、そのためにお洋服を年末に買うお店の物がある。「レリアン」さん。今年も、油絵のパリの様子が描かれた物に、書き込みしやすいように、鉛筆が付いている。リビングに掛けていても、違和感が無い。そして、リビングの片隅にある、私のパソコンの机の横には、ビクトリアンの物。これ、毎年買うのだが、おまけに、小さなノートのような物と、カードと、一年分の日付の書いた物が付いてくる。もう、カードが随分貯まっちゃった。本当に可愛いカレンダーで、気に入っている。おトイレは、毎年、小さめの見やすい物を選んでいる。キッチンは、皆が見るので、毎年同じポターの物。暮に皆、用意するのだが、私が、カレンダーに色色シールを貼ったり、書き込んでいるのを見ると、家族は、ああ、年末なんだなあ・・と感じるそうだ。今年は、お祖母ちゃんの事があったので年明けに書き込みをした。ポターのカレンダーには、シールが付いてて、誕生日とか、パーティーとか、メモリーとか文字が入っているので、家族の誕生日とかに貼る。一昨年は、父の誕生日と、両親の結婚記念日が無くなり、今年は、お祖母ちゃんのお誕生日が無くなった。明日は、少し体調も良くなっていると良いなあ。あ、明日は、グローブ座で、「黄色い涙」のロードショーだ。早く見たいなあ。
2007年04月03日
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昨日、無理して映画に行ったせいか、発熱。だるい。何とか、午前中にお医者さんに行きたかったが、どうにもだるくて、寝ていた。午後、少し樂になったので、ニノの「拝啓 父上様」をDVDに落とし、DVDの表面に、ホームページから取った写真やら、ジャニーズは、ウェブでは絶対画像を出さないから、買った雑誌の「拝啓・・」のニノを撮影して、DVDに印刷した。全部で6枚。放映開始の前に放送された「拝啓・・」の番宣30分分を入れて、ライブラリーを作った。うん、これでDVDを買わなくて済みます。夕方、お医者さんに行った。中国に行く前にも行ったから、「中国いかがでした?」と聞かれた。「サソリ食べてきました」と言ったら、笑われた。でもね、本当に、小海老の唐揚げと同じだったんですよ、皆様。「如何して治らないんでしょうねぇ」と言ったら、「治りかけて、また、次の風邪をひくんです」だそうです。今回は、おなかに風邪の菌が入り、ここ数日、下痢と嘔吐で、結構、きている。いつものおなかの薬と、風邪の薬、下痢止めの薬が出た。また、薬ばっかり・・・・。でも、早く治さないと、片付けも、コンサートにもいけなくなっちゃうから、ちゃんと、薬を飲んで、治しましょう。今日は、凄く寒い。表に出たら、震え上がった。それに黄砂が酷くて、いつも見える景色が見えない。これ、中国から来たんだなあ・・・と思ったら、何だか、愛しかった。そう言えば、TVで中国のニュースをしていたが、ふうっと、あの漢字ばかりの街中に引き戻された気がした。ああ、この感じ、この感じ。ヨーロッパに行ってからも、街角の石畳をTVでみると、回りの空気感みたいな物を感じた。海外旅行の良さは、こういう、日本では感じない空気感を感じられる事だと思う。帰りに、ガソリンスタンドに寄ったが、本当は洗車したかったが、こんな日じゃ、無駄だと思い、そのまま帰宅した。早く、風邪、治しましょう。
2007年04月02日
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体調が今一だったが、午前中にゆっくり寝て、午後から、少し、動いた。パパは今日は、ゴルフ。オネエは、帰郷しているボーイフレンドとデート。チビは、バイト。で、夕方、パパが帰ってきて、チビが帰ってきて、映画に行く事になった。パパが以前から見たがっていた「ナイト・ミュージアム」。あまり、気が向かなかったが、見たかった「さくらん」や、「アンフェア」の時間が合わなかった。これ、お子チャマ映画だと、敬遠していた。見に行ったが、やっぱり、ファミリー映画だった。しかし、物凄く驚いた事がある。なんと、何と、「ディック・バン・ダイク」が出て来たのだ!!!この方、私が若い頃見た映画に度々出てきた、往年のミュージカル俳優さん。大、大、大好きで、5回も見ちゃった「チキ・チキ・バン・バン」やら、「メリー・ポピンズ」に出ていた俳優さんだ。名曲「チム・チム・チェリー」を煙突の上で踊り唄ったあのディック・バン・ダイクが、「ナイト・ミュージアム」の悪役の親玉で、出て来たのだ。それも、あの長身で、足元の軽い青年ではなく、白髪の老人の姿で。そりゃ、そうだろう。私が、中学生の15歳の頃に、物凄いダンスをしていた方が、私が歳を取ったように歳を重ねているのだから、当たり前っちゃー、当たり前なんだけど、ものすっごいショックだった。あのディック・バン・ダイクが・・・。お爺さんになっちゃった~って感じだった。内容は、やっぱり、お子チャマ向けだったが、彼が、彼に会えただけで、満足。最後のエンドロールの時、ディックがふざけて、ステップを踏むシーンがほんの少し出てくるが、もう、彼の最盛期を知ってる者には、たまらなかった。それも、凄く嬉しそうにステップを踏んで、笑った顔。素敵でした。帰りに、いつものおすし屋さんで少し御寿司をつまんで、帰宅。何だか、久しぶりに、楽しかったなあ。
2007年04月01日
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