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10月も、今日で終わりです。秋。正に、錦秋・・・のはずなのだが、まだ、紅葉は、そう、綺麗じゃない。そう言えば、以前は、遠くまで紅葉を見に行ったなあ。「紅葉狩り」素敵な言葉だと思う。子供の頃、紅葉の天ぷらを頂いた時、「ああ、紅葉狩りって、天ぷらにするための葉っぱを取りにいくことなんだ」と思った(笑)後になって、本当の意味を知り、「ああ、日本人は、何て素敵な言葉を持っているんだろう」と感動した。私が今まで見た紅葉のNO1は、清水寺。多分、行った日が、良かったのだろう。もう目も覚めるような美しい光景だった。木の上の赤い紅葉も素敵だったのだが、清水寺をお参りしての本殿から門までの帰り道、左下に、崖が有る、丁度、茶屋の少し手前。その下が、もう、もう、本当に、ため息しか出なかったのだが、真っ赤な絨毯になるのだ。15メートル四方から、その向こうまでが、本当に、真っ赤。「きっれいーーー!」と一緒に行った家族の口からも、それしか出なかった。暫く、ため息をつきながら、立ち止まって、見入ってしまった。当時は、デジカメも、持っていなかったので、残念な事に、写真は残っていないが、その鮮やかな光景は、瞼にしっかり焼きついて残っている。NO2は、三重県の北にある藤原町と言う所にある、聖宝寺(しょうぼうじ)。いつも、紅葉祭りがひらかれるのだが、この時期には、あまり赤くならないから、可笑しい。この紅葉祭りの間は、車で上に上がれないから、近寄らない(笑)これが終わり、人もまばらになった頃、車で山の上にあるこのお寺に行くのが、我が家の紅葉狩り。一回気まぐれに、友人達との食事会のあと皆で行ったら、紅葉祭りをやっていて、車での入山は禁止とかで、皆で、ゼイゼイ言いながら、上に上がって、懲りた。「ここ、歩くとこじゃないよね~」と、友人達の口からも、文句たらたらだった。で、ここの紅葉は、遅いので、11月末に行くと良い。駐車場から、高い石段を登って行くと、まるで、行った人を迎えるように、階段の上に枝が張り出ていて、燃えるような赤が、空一面に広がる光景は、ため息物。午前中に一回行ったことがあるが、お日様が、紅葉の葉っぱから透けて、紅葉の赤色が、物凄く鮮やかだった。古い苔むしたお庭に、転々と赤い紅葉の葉っぱが落ちている様も、古池に、赤い葉っぱが浮いている様も、非常に美しい。このお寺の裏には、滝もあって、なかなか良い所なのだ。そう言えば、暫く行っていないなあ。去年は、お祖母ちゃんの病院探しで奔走していたし、その前の年は、父が亡くなって、一周忌を向かえ、そんな気になれなかったしなあ。今年は、いけるかなあ。行きたいなあ。清水さんにも、行きたいなあ。明日から11月。もう、あと2ヶ月で今年も終わりです。
2007年10月31日
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昨日帰宅して、家族皆で、御弁当を食べて、さすがに眠くて、早くに寝たのに、今日も、たっぷり、8時間寝てしまった。色色しなくちゃならないことが有るのだけれど、なかなか、体が思うように、動かない。帰宅して、パソコンを開いたら、ダダダダと、どうでも良いメールが100通以上入っていて、まず、それを消す事から、作業を始めた。私は、訪問販売法によって、メールアドレスを公開しなければならない理由によって、メアドを公開しているので、余計、迷惑なメールが送られてくる。勿論、プロバイダーによって、透過処理は、してもらうサービスを受けているが、中には、それをかいくぐり、本当に、熱心だなあ・・・と感心してしまうくらい、毎日、送られてクメールが多い。まあ、ほとんど、Hサイトとか、男性相手の出合い系とか、融資の勧誘のメールだ。こうして毎日、削除していると、本当に、その、しつこさに、頭が下がる。最初は、腹が立ったり、自分は女性であるから・・・と返信もしていたが、たいてい、メールデリバリーサービスから、メールアドレスが帰って来るので、辞めた。一体、こんなサイトが幾つ有るのか知らないが、本当に、ご苦労様だ。午後から、髪を洗いに行った。下のスーパーで、買い物をして、雑誌を買って、帰った。何だか、今日は何もしなかったなあ。まあ、こういう日も、有りかな?
2007年10月30日
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翌朝、Tちゃんとホテルで朝食を摂った。実は、今回、伯母の家に行こうかどうか迷って、結局、当日まで電話できずに、来てしまったのだが、ここまで来て、おばの顔を見ないのもなあ・・・・と思い、電話した。色色と忙しい従姉妹なので、お留守かもなあ・・・と思ったが、やはり、伯母と同居している従姉妹は留守だったが、旦那様がいらして、一応伺うと言う事になった。しかし、食事をしていたら、隣に住む姉の方の従姉妹から電話。今日は、その従姉妹も病院に行かなくてはならなく、伯母も、余り体調が良くないと言う。では、今回は、残念だが、見合わせます・・となった。Tちゃんには、もしかすると、明日は、伯母の家に行くかもしれないので、別行動になるかも・・・と伝えてあったが、予定が変わったので、一緒に何処かに行こうと言う事になった。聞けば、Tちゃんは、ヨンサマに夢中だそう。で、今日は、新大久保にあるコリアンタウンに行くつもりだったそう。新大久保と聞いて、飲んでいたお茶を噴出しそうになった。私も、新大久保にある、東京グローブ座に、行くつもりだったからだ。今、相葉ちゃんのお芝居「忘れられない人」が上演されている。しかし、お芝居の時間は、夜からなので、当日券も多少あるようだが見ることは出来ない。せめて、大看板の写真でも撮りに行き、運がよかったら、パンフレットも買おうと、思っていた。もう一箇所、神楽坂か恵比寿に行きたかったのでTちゃんに言うと、「うん、私も行きたい!」はい、決まり。一緒に部屋に帰り、荷物を発送する手はずを整え、チェックアウトした。今回は、お土産は最初に買っちゃって、荷物と一緒に送ってしまったから、樂チンです。吉祥寺から新宿に出て、新大久保に着いた。コリアンタウンとグローブ座は、反対方向なので、そこで解散。時間を待ち合わせ、横断歩道を渡った。昨日、私にしては歩き過ぎで、足がつりそうだったので、ゆっくり歩いてグローブ座に向かった。夜からの公演だったので、見事に、人っ子一人いなかった。これは好都合と、さんざん、大きな看板やら、玄関の横のウィンドーに張られたポスターやらを、思う存分、写真に撮った。パンフレットも欲しかったが、まだ、玄関にはブラインドが下りていて中には誰もいなかった。これじゃ、パンフレットは無理かなあ・・・と思い、ふと見ると、地下の事務所に数人、机に向かっている人の姿が見えた。そこに貼ってあるポスターに、ここの電話番号があったので、電話を掛けてみた。うまく掛かったが、まだ、関係者が来ていないとのことで、パンフレットは売っていただけなかった。残念。また、ゆっくり歩いて、新大久保の駅前に向かった。途中、グローブ座に嵐君の舞台が掛かると、嵐関係の雑誌を沢山出す書店があって、そこに寄って見たが、めぼしい雑誌が無かったので、そのままお店を出た。駅前の喫茶店に入って、お茶を飲んでいたら、東京の嵐友から、偶然にもメールが入った。今、近くにいると伝えた。暫くすると、Tちゃんが、入って来た。「どうだった?」「うん、もう、直ぐそこからコリアンタウンだよ」「え?そうなの?」「うん、オバサンが一杯、ヨンサマの等身大の写真と記念写真とか撮ってた」爆笑。で、これから、恵比寿のガーデンプレイスに行く事にした。ところが、ちょっと原宿に寄ってみたくなった。Tちゃんに聞くと、「もう20年くらい、行ってない、行こう行こう」となって、途中下車。実は、娘達に、いつものハーブスターのチキンを買って帰ろうと思ったのだが、なんと、なんと、潰れてお店が無くなっていた。ここでランチをしようと思っていたので、さあ困った。どうしようかなあ・・・と暫く行くと、以前、貸切で入れなかったレストランが見えた。あ、あそこにしよう・・とTちゃんに言うと、「良いよ」で、テラスに座って、メニューを見たら、!!大好きキッシュがあった。ホウレン草ときのこのキッシュプレートを頼み、美味しいランチをしながら、またおしゃべり。そのあと、原宿駅前のタレントショップに行ったら、!!ここも潰れていた。そうか~、不況の波は、若者の町原宿まで来てるのか・・・。その後、いつも行く表参道の「ローラアシュレイ」に行き、久しぶりにお買い物。ピンクの可愛いツインニットをゲット。娘達に、可愛いバックでも・・と思って、やはり原宿に行くといつも行く、ロンドンが本店の手作りバックのお店に入ったら、商品の雰囲気が、以前と全く変わってしまっていて、娘達の欲しそうなのが無かったので、パス。はい、原宿探検も終わり。電車に乗って恵比寿の駅を降りると、ガーデンプレイスまでは、動く歩道で歩かずに済んだ。雨も大丈夫で、樂チンです。横断歩道を渡ると、建物群が見えた。綺麗な新しい建物が幾つか。恵比寿ビールの建物と、サッポロビールの建物も。階段の向こうに、大きなクリスマス用の樅ノ木を、設置していた。有りました、有りました、お目当ての時計台広場の石のオブジェ。「花より男子」のドラマで、潤くんの道明寺が、つくしと何回か待ち合わせをした場所。なかなか良い場所で、回りに木が植わっていて、その前に沢山のベンチが設置してあり、昼下がり、人々が、思い思いに木陰のベンチで本を読んだりしていた。ちょっと恥ずかしかったが、Tちゃんに頼んで、おのぼりさんよろしく、記念撮影。散々、写真を撮った後、三越に入ってお買い物。可愛いメモ帳やら、ガラスのドアノブをゲット。なかなか面白かったが、タイムアウト。もう、行かないといけません。Tちゃんは、もう少し後に帰るとかで、其処で別れた。東京駅に行き、叙々苑の焼肉弁当をまた、4つ買って、新幹線に乗ろうとしたら、見覚えある顔の人が立っていた。「あ、あれ、アダモ(島崎俊郎さん)ちゃんだ」つい、じーーっと見ちゃったら、目があっちゃった。その途端ニッと島崎さんが笑った。何処かに行くらしく、素敵なハーフコートに、大きなバッグを肩に掛けて、誰かと携帯でしゃべってらした。何度も、新幹線を利用するが、芸能人に会ったのは初めてだ。近鉄では、ジュリーだの、コーラスグループのサーカスだの、女優の高木沙耶さん、浅野ゆう子さんに会ったことがあるが、新幹線では初めてだ。この時間の新幹線にしたのは、丁度、夕日が沈む頃の富士山が見られるかなあ・・・と思っての予約だった。しかし、なんと言う事、丁度、富士山のところだけ、雲?ガス?が掛かっていて、見られなかった。残念。品川じゃなく、東京から乗ったのは、わが心のふるさと、東京タワーが見たかったのと、叙々苑の御弁当が買いたかったからなのだが、これも、新幹線の通る場所からは、もう、東京タワーは、ビルが邪魔をしてあまり見えなくなっていた。そうなんだ、ほんの数年で、こうなっちゃうんだなあ・・・と少しがっかりした。今回の帰郷は、本当に楽しかった。同期会も勿論だが、今日一日も、物凄く楽しかった。嵐君抜きでも、こんなに、楽しめるのかな。あ、今日は、嵐君の足跡たどりだったか(笑)でも、久しぶりのお買い物も楽しかった。もっと、どんどん、表に出なきゃ駄目だなあ。帰ったら、少し、表にでるようにしようっと。画像は、グローブ座の入り口と大看板。それに、恵比寿ガーデンプレイス時計台広場
2007年10月29日
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朝、Tちゃんと約束した、予約した新幹線に乗ると、笑顔のTちゃんがいた。Tちゃんは、小学校、中学校のお友達。私と同時に、家族で名古屋に引っ越した。偶然にも、今日解ったのだが、Tちゃんのご両親は、すぐうちの近くの出身でいらした。中学生の頃のTちゃんは、天然パーマの綺麗な柔らかそうなウェーブの掛かったロングヘアの、目のくりくりした、「フランスキャラメル」の箱の女の子のような子だった。おてんばの私とは違って、いつも、静かに、優しい笑顔をしていた。そんな彼女とも、久しぶり。こちらにお嫁に来ている、イラストレーターのもう1人の友人の展示会に、昨年一緒に行き、プチ同窓会をした時以来だ。品川から山手線に乗って渋谷に出て、そこから井の頭線に乗って、吉祥寺に行った。前日、井の頭公園の木が台風の風で倒れ、散歩していた女性が怪我をしたニュースが、この地方でも伝えられて、驚いた。いわば、東京は台風一過のすごく良いお天気の日だった。前回、同窓会の時、伯母の家にお世話になったが、夜、帰りが遅くなるといけないと、後ろ髪を引かれるように帰宅したので、今回は、吉祥寺の駅前に、Tちゃんと同じホテルを取った。ホテルに荷物を置いて、下のレストランで、バイキングのランチを摂った。何も、こんな場所に行かなくても、駅前だから、あまた、お店はあったが、お店を探している時間がなかった。すぐに、バスに乗って、「武蔵野市文化会館前」まで乗り、降りた。中学校は、そこから歩いてすぐ。入り口には、受付がしつられてあり、大勢の方がいらした。Tちゃんと並んでいたら、ポンと肩を叩かれた。「おお、Sちゃん、久しぶり~」同級生だった、男の子(・・・と言う年じゃないが)Sちゃんが、いつものように穏やかな笑顔で立っていた。彼は、中学時代からとても優秀な人で、この会の司会もいつもかって出る。今回も、卒の無い、ユーモアたっぷりのご挨拶をなさった。一緒に懐かしい体育館に入ると、いました、いました、懐かしい人たち。女性は、大体、誰だか解るのだが、男性は、中には解らないお顔の方もいらして、仲良しのYちゃんに、「あの方どなた?」と聞いていた。このYちゃん、中学生の時は、本当にやんちゃな男の子で、先生に目をつけられていたが、いつも明るくて、可愛い子だった。5年前より、髪がますます後退していて「頭、またこうなっちまったよ」と明るく笑った。時をYちゃんの頭で感じた(ごめん(~o~))交換日記をしていたRちゃんが、少し遅れてやってきた。彼女が、中学卒業以来ずっと、お年賀状やら、やり取りしている友人。バリバリの現役のグラフィックデザイナーだ。オネエが小さな頃、彼女のお宅に遊びに行った。やはり、いつまでも、彼女はカッコ良いなあ。思わぬ懐かしい人にもお目に掛かった。伯母の家の隣の3兄弟の末っ子で、私より一つ年下の男の子。今は、校長先生だそうだが、なつかしい幼馴染だ。私が、まだ、新橋にいる頃から、伯母の家に遊びに行くと、一緒によく遊んだ物だ。折角なので、記念撮影。同期会は、近くのマンションの地下にあるレストラン。皆で移動。本当に、楽しい時間だった。あのころ、いじめなどなかった。本当に、皆、仲が良かった。だから、こうして、卒業して40年近く経つが、なんのこだわりも無く、会えるのだ。一番会いたかった男の子は、今回も会えなかった。ただ、前回「会いたい」とリクエストしてあった、その会えなかった男の子と私といつも3人でいた男の子には会えた。多分、今なら、いじめの対象になるだろう、ハンディのある子や、外国籍の子もいたが、友人とも、こんなに仲の良い学年も無いんじゃない?・・・と、思い出話に花が咲いた。だからこそ、クラス会じゃなく、皆に会いたくて、同期会になったのだ。ご挨拶で、私が一番遠くから来たことが解ったら、皆が、良く来た!と、声を上げてくれて、嬉しかった。お名残おしかったが、帰宅する方もいて、一次会は、終った。そこで、二次会に場所を移した。二次会は、三鷹の駅前にある「白木屋」ここが、発祥の地の本店だ。この店の前、長い間「梅屋敷」といわれる、大きな広い土地の大きな梅の木が沢山のお宅があったが、最近、とうとう壊され、何か大きなビルが建つそう。どんどん、変わっちゃうな~。一次会から、二次会の場所まで、歩いた。東京の人は本当に、よく歩く。この距離、田舎なら、絶対、車の距離だ。「え~、歩くの~」と言った私とTちゃんに、「本当に車人間は、困ったちゃんなんだから!」と叱られた(笑)でも、歩いてよかった。犬の散歩に毎日通った横河電気のグラウンドを通ったし、アンティークドールの世界では有名なさわやかさわこの「エデンべべ」のブームを作った画家の神谷圭子さんの住むマンションの前も通ったし、友人たちの家の前も通った。懐かしいなあ。私は確かに、ここにいたんだなあ・・・とつくづく思った。新橋からここに来て、5年しかいなかったが、父を育てた伯母の家があったから、新橋にいた頃から、遊びに来ていたし、こちらに来てからも、春休み、夏休みは、休みに入るとすぐに、伯母の家にさっさと帰って来たものだったから、たった5年しか住んでいなかった気がしない。二次会の居酒屋では、酔っ払った男の子たちが、実に機嫌よく、とても滑らかに、懐かしい話を色色していた。皆、52歳か53歳。今の日本を動かしている年齢だが、全く、昔と変わっていない。新しい名簿をいただいたが、3人の方が物故になっていた。モンキーズのデイビーが大好きだった女の子も、亡くなっていた。寂しいね・・・と少ししんみりした。で、これからは、5年ごとに、会おうと言う話になった。皆の元気な顔を見たいから。二次会の会場の玄関で、皆でまた、記念撮影。そのまま、歩いて帰る人、実家に寄っていく人、電車に乗る人に分かれた。最後の最後までM君は、「帰っちゃうの~、もう一軒、俺の知ってる店、行こうよ~」と言ってくれたが、なだめて、そこでバイバイ、また、会おうね!と解散した。Tちゃんと一緒に、三鷹の駅から、一つだけ電車に乗って、吉祥寺に戻った。この三鷹の北口の駅前から、井の頭公園を挟んで、吉祥寺の駅前までが、うちの中学校の学区だったから、車窓の景色も懐かしい。「お疲れさん、また、明日ね」とTちゃんにご挨拶して、部屋に入った。あ~、こんな楽しい時間、本当に久しぶりだなあ。小学校中学校と、一番懐かしい時間をともにした友人達。皆、年は取っちゃったけれど、ちっとも、そのキャラクターは変わっていなかった。お医者さんになった人もいれば、整体師になって、長いおひげを生やした人もいれば、バリバリのキャリアウーマンの人も、会社の中枢になっているサラリーマンの人も。でも、こうして集まると、あの時代に、戻っちゃうのだ。子供も、皆、大学生になったり、お孫さんのいる方も、いたが、いつまでも、仲の良い、仲間のまま、いようね。また、本当に、また、会いましょう。みんな、それまで、元気でいてくださいね!
2007年10月28日
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明日から、また、東京に帰る。今回は、嵐君関係じゃない。中学校が、大々的に10年に一回開く、同窓会。だから、うんと、年齢の上の方や、若い方が一同に集まる。その後、小学校、中学校の同期会が開かれるので、行くのだ。う~ん、5年ぶりかな?10年前、やはり、中学校の同窓会が行われた。私はそれまで、行方不明になっていたらしい。冗談じゃない、中学校を卒業してから、二人の友人に、毎年、お年賀状、暑中見舞いを出し続けていたから、自分がそんなことになっているとはつゆ知らず。行って見たら、「Iちゃん、行方不明だったんだよ」と皆に言われ、大爆笑だった。何故なら、私がこちらに来るまで住んでいた住所には、伯母や、従姉妹達の一家が、いまだに住んでいるのだから。それに、これも後から解ったことだが、同窓会の委員の子のお父様と、伯母は、武蔵野市の卓球仲間だった事。解ってみて、笑える話だ。それじゃ、何故解ったのだろうと聞いてみたら、こちらに、やはり一家で引っ越して来た同級生が、私の行った高校の名前を覚えていて、まだ、個人情報保護法のできる前、学校に問い合わせてくれ、判明したという。幸い、私の行った高校は、娘達の出た綜合学園の高校で、私の資料は、弟やら娘やらも行っていたので、処分されずに、すぐに、判明したそうだ。しかし、私の高校の名前を覚えていてくれた友人も凄い!後で聞いたら、彼女の従姉妹が、私の高校の後輩で、名前を知っていたそう。同窓会の委員の子が、彼女のお友達だった事から、同じ名古屋方面にいた彼女に問い合わせの電話があり、判明したそう。最初から、私と連絡し合っていた人に聞いてくれていたら、そんな、苦労かけずに、解ったのに・・と、二人で大笑いしてしまったが、「思いつかなかったわよ~」だったそうだ(笑)で、10年前、27年ぶりに皆に会えたのだ。私達は、男子、女子の区別無く、とても仲が良かったので、その後、ほかのクラスの人達にも会いたい・・・と言う事になり、5年前、大々的に同期会が開かれたのだ。その際、卒業後32年経っていたが、70人ほども集まり、先生も来てくださり、本当に、楽しい集まりになり、良い思い出となった。そして、今回、また、同期会をしようと言う事になり、武蔵野市の中学から、同窓会のお知らせの往復はがきが来て、その端っこに、「同期会もします」とのことで、喜んで、参加を申し込んだ。私を見つけてくれた、友人は、名古屋に住んでいて、同じ近鉄電車でいけるところに住んでいる。こちらにお嫁に来ている、もう1人の友人が、プロのイラストレーターになっていて、年に2回ほど、展示会をするのだが、その時、3人で会い、プチ同窓会もした。これも後で解ったが、男子の中で二人、航空会社の名古屋支社と、名古屋駅前の会社に単身赴任している人もいる事が解り、また、会いたいね・・・と言う事になっている。彼女は、結構、有名イラストレーターで、子供の雑誌などに、書いたり、絵本の挿絵を描いたりしている。彼女のホームページには、可愛い、主人公たちが一杯いるので、ご興味がある方は、行ってみてください。我が家では、ここで売ってる彼女の作ったTシャツを、パパが着たりしている(笑)今回、彼女は、お仕事が忙しくて、不参加だそう、残念。さあて、明日は誰に会えるかなあ。楽しみです。
2007年10月27日
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17日に、嵐のコンサートDVD「ARASHI AROUND ASIA IN DOME」が出た。これは、今年の4月、嵐君達が、昨年秋、台湾、韓国公演を成功させ帰国し、今年のお正月に、凱旋公演をしたのだが、その際、入りきらなかったファンのため、4月に、大阪、京セラドームと、東京ドームで行った追加公演のDVDなのだ。今年春、このアジアの公演やら、アジアに行った彼らのオフショットなどを収録したDVDが出た。しかし、ファンが首を長くして望んだ、日本の公演は、オムニバスでしか収録されておらず、散々な不評だった。何故なら、日本の公演のDVDは、「いざッNOW」コンサート以来、丸3年、出してもらっていなかったから、私達ファンは、当然、このDVDには、去年の夏コンの様子が収録されていると思っていたからだ。しかし、事務所側は、海外で活躍する彼らを見せたかったのだ。そこに、ファンと、製作者側とのギャップがあった。一昨年の「ONE」コンは、本当に素晴らしい、今でも、幻のコンサートと言われるくらい、素晴らしいコンサートで、一時、それがDVD化される・・・と言われていたが、どういう訳か、DVDは出ず、その話は頓挫した。そして、去年の「ARASHIC」のDVDも、出してもらえなかった。そして、やっと、やっと出してもらえたDVDは、アジア公演のものだった。「そりゃ、ないよ~」が、多くのファンの気持ちだった。で、今回のドーム公演のDVD。本当に待ちに待った、DVDだったのだ。急遽出された事が、解った。何故なら、いつも入っている、オフショットが、一切入ってなく、コンサートを、まるまる、最初から最後まで、二枚のDVDに収めて有ったから、それが解った。二枚目のDVDなど、まだまだ、収録できる時間がたっぷり残っていたにもかかわらず、コンサート以外、何も、収録されていなかったのが、ああ、急遽、出されたんだなあ・・・・と、思わせた。実は、私は、事務所に前回のDVDは、製作者側の意向と、ファンの気持ちが、大きくずれている事や、ドームコンのDVDを出して、欲しい・・・と言う要望を何回も、出していたので、このDVDが出ることを知った時は、本当に嬉しかった。勿論、私と同じ多くの要望が寄せられたからだと思う。思った通り、このDVDは、素晴らしい物だった。そして何より、嬉しいのは、このDVDのコンサートは、私が入った公演だったこと。つまり、DVDの画面の中に、私が映りこんでいるだろう・・・と言う事が、何より嬉しい。発売されて一週間になるが、今日まで3回見た。2時間半に及ぶので、そう何回も見られないが、今のところ、まだ、「自分」は見つけられない。見始めて、最初は探すのだが、そのうち、コンサートの内容に、引きこまれてしまうから。でも、見つけたい。楽しみが、また、一つ、増えました。
2007年10月26日
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相葉ちゃんの舞台が、始まっている。今回、東京グローブ座には、いかない。大阪の方に行くことになっているので、まだまだ、お預けです。二ノが「マラソン」で、ギャラクシー賞をもらったそう。あの演技は、その栄誉に値する演技だった。ドラマ「マラソン」の中に、嵐の二宮和也は、いなかった。完全に、主役の自閉症のマラソンランナーになっていた。あらためて、凄い、才能を持った青年なんだと、ファンでありながら、気付かされた。郵政民営化の最初のコマーシャルである、年賀葉書のCMに、何と、二ノが抜擢された。嵐ファンとして、とても誇りに思う。可愛い二ノが、淡々と、年賀葉書を作っている。そして、最後に、二ノの書いた「今年もよろしく、二宮和也」の葉書が映る。二ノの手の平はとても小っちゃい。コンサートに行くと、その小さな手で、一生懸命、手を振ってくれる。24歳の男の子の手じゃないような、小ささなのだが、CMでも、その小さな手で、葉書を作っている様が映り、ファンには、たまらないのだ。可愛い顔をしているのに、口から出てくる言葉は、ものすごくウィットに冨み、鋭い突っ込みをメンバーにし、インタビュアーを煙に巻く。その外見と、内面のギャップに、ファンは気持ちを持っていかれちゃうのだ。非常に頭の良い子だなあ・・・と二ノに接するたび、思う。最近は、翔君が、世界バレーのキャスターに選ばれたり、ニュースゼロのキャスターも1年を越え、その切り口に、唸らせられる。本当に、活躍が、目立ってきた。この子達は、絶対、登りつめて、一番になる・・・と思った自分の勘が間違いじゃなかったなあ・・・と、内心、ほくそえんでいる。大ちゃんの歌だって惚れ惚れするくらい、上手い。プロのダンサーに「ダンサーにならないか」と誘われたほど抜群のダンステクニックも、もっともっと、多くの人に、披露する場を与えてあげたいなあ・・・と強く思う。私は、大ちゃんが自分で考えた「振り」が大好き。TVの露出はほかのメンバーほど無いが、その歌とダンスの才能は、ほかのメンバーの数段、上だと思っている。そしてそれを、ほかのメンバーも認めているのに、大ちゃんは、淡々としていて、だから皆が大ちゃんを大好きなのだ。その上手さは、メンバーの紹介のラップでも「降参だ」と唄われている。「アイドル」とくくられている事が、その上手さが、何だか、もっともっと、知られて欲しいと残念で仕方が無い。勿論、愛しの潤君(笑)は、格別。24歳の男の子が、ここまで物を考えているのか・・・と思うくらい、深く物を考え行動する彼には、本当に、やられてしまう。時々、年齢より幼いはじけるような笑顔にも、そのギャップにやられてしまう。舞台が、会場を動く「ムービングステージ」も彼が考えて、ほかのジャニーズのコンサートにも使われるようになったし、今年の夏コンの天井をウォーキングする「MJウォーク」など、人のやら無いことを考え出し、物凄い努力の元に、初めてやってしまう前向きで真摯な生き方に、無条件でオバサンは、感動してしまうのだ。そして、ほかのメンバーにも「恐い」と言われながらも、「一番優しい人」ともいわれる潤君。ますます、やられちゃうのだ。そして相葉ちゃんの、抜群の明るさ、その天然さ。彼の回りには、いつも誰かいる。明るい笑顔は、嵐の宝物。実は、多分、メンバーの中、一番、男気があるのが、彼。でも、感激屋で一番泣き虫。その明るさの中に、どれだけ、辛い思いをしてきたのか、ファンは知っている。肺に穴の開く気胸になり、嵐を諦めようとした事や、メンバーに迷惑を掛けたことが、彼の中に大きな傷として残り、それが、人に接する時の彼の飛び切りの笑顔と優しさとなっている。「嵐でよかった」「俺が一番、嵐が好きなんだ」と言い放ってはばからない相葉ちゃんの気持ちが、とても、とても、いじらしくて、笑顔を向けられると、同じように笑顔になってしまうのだ。これから、どんな顔を見せてくれるのか、まだまだ、進化していくグループ「嵐」本当に、楽しみです。
2007年10月25日
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赤福が、大変なことになった。三重県人にとって、赤福は、有って当たり前のお菓子だった。今回、赤福の製造日問題が明るみに出たとき、日本中の消費者の感想がTVで流れ、「あ、赤福って、こんなに有名だったんだ」と、初めて認識した。本当に、その人気に驚いた。赤福は、このあたりでは、どこにでも売っている物だった。伊勢の名物だが、三重県で、人口の一番多いこの市でも、デパートは勿論の事、駅の売店、駅の近くのコンビニ、本当に、表に出たら、目にするものだった。お土産品としてでなく、時々、食べたくなって、買ってくる和菓子の一つが、赤福だった。昔、この赤福の創業からの物語を、十朱幸代さんだったかが、演じたドラマもあった。その時の息子さんが、今の会長。この会長の肝いりで、作られたのが、「伊勢、お蔭横丁」伊勢の新しい、観光地として、人気をはくし、今や、一番の人気の場所になった。お伊勢さんの入り口に、本店があり、古い木の戸に「赤福」とかかれた文字は、三重県人には、馴染みの光景だった。実は、赤福に良く似たお菓子もある事はある。勿論、私達には「偽者」としての認識しかないが、箱も、包装も、そっくり。知らない人が見たら、きっと、間違えて買っちゃうんじゃないか・・・と思うくらい、似ている。赤福が販売停止になった日から、こっちが売れているだろう。だが、多分、地元の人は買わないだろう。そういう物だ。売れ残ったお餅が、有名なおせんべいになっているのは、知っていたが、まさかの、表示違反。一日も、早く、復活して欲しい。食べられないとなったら、余計に、食べたくなっちゃいました。赤福、美味しいんだもん。
2007年10月24日
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色色な都合が付かなくて、なかなか、主治医の診察を受けられないでいた。しかし、先週、カウンセリングを卒業してから、主治医に診察を受けなくちゃ・・・・と3ヶ月ぶりに、主治医の診察に出かけた。暫く待たされて、呼ばれ、診察室に入った。この若い主治医は、今、問題になっているリタリンを、私の体から抜いてくださった医師だ。「先週、カウセリングを卒業しました」と言うと。「そうですね、もう、無くて、大丈夫ですね」・・・・と、相変わらずの、淡々とした口調。「鬱が治った・・・と言う事でしょうか」・・・と被せて聞くと、「う~ん、まだ、完治とはいえませんが、もう、何も、心配は無い状態になったことは確かです」そうなんだ。「ただ、コンスタンが無いと、まだ、頭痛とかしますでしょう?」「はい」「じゃ、薬は続けてください」。はい、これだけで、診察は終わり。鬱をはじめ、精神科の疾患は、その線引きが、とても難しい。娘に「お母さん、鬱、もう、治ってるし・・」と、言われて見ても、自分では、はっきりしない。確かに、鬱の時のような落ち込み方の落ち込みもなくなったし、表に出たくない・・・・と言う事もなくなった。人と接したくない・・・と言う事も、本気で死にたくなる・・・と言う事も、無い。何も、する気になれないことは、普通の人でもあることだから、鬱なんかじゃないだろう。そう考えると、本当に、あの、不思議な感覚は、もう、無い。出口の無い、穴の中にいるような感覚はなく、出口がちゃんとある、穴の中に入ることはある。鬱って、不思議な病気だと思う。ましてや、私の場合、長かった。抗鬱剤が飲めなかったのも理由だし、もともとの、障害ADHDは、治らないから、その障害から来る鬱でもあったので、原因を消せないから、自分の気持ちを立て直すのに、とても、時間が掛かってしまった。この家に来て、すぐになった鬱。最初は、産褥鬱といわれた。子供を生んで、10年以上も経っているのに・・・。納得いかなかった。そして調べた結果、出て来た、生まれつきの障害。やっと、鬱の原因として納得がいった。そして、お祖母ちゃんの認知症と介護、父の難病の看病と、その死。友達の自殺や、知り合い二人の自殺。そして、お祖母ちゃんの死。沢山の人生の波が、私の上を通り過ぎて行き、よわっちい、私の精神は、悲鳴を上げた。長かったなあ~。丸8年、鬱で通院した。私の病気の影響で、オネエは、音大から、臨床心理士の道に方向転換した。気が付けば、中学生だったオネエは、23歳になり、小学生だったチビは、大学生になっていた。その間に、どれほどの我慢をさせたのか・・・・。申し訳ない気持ちで一杯だ。パパにしたって、認知症の母親の対応だけで、泣きたいくらいだったろうに、その上、頼りの女房は、鬱病患者なんだから、踏んだり蹴ったりだったろう。みんなに、迷惑掛けてたんだなあって、申し訳ない気持ちと、感謝の気持で一杯になった。カウンセリング、卒業した日にも思ったけれど、これから、結婚するまでの短い間だけでも、うんと、幸せにしてやらなくちゃな~。頑張るぞ!!頑張れ、私!!
2007年10月23日
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昨夜の事。パパはもうねてしまったし、私もそろそろ寝ようと、マッサージ椅子に座りながら、TVを見ていた。起き上がり、お風呂から出た上の娘と少ししゃべって、おトイレに入り、流した。寝ぼけ眼に、映ったのは、物凄い勢いで、蓋をした便器から、あふれ出てくる水。確かに流してしばらくして、タンクに水のたまって行く音が、いつもより、大きいなあ・・・と頭の中で、無意識に思ったのは確か。冗談じゃない。水、止めなきゃ・・・。しかし、寝ぼけていて、とっさに、如何して良いのか解らなかった。そうだ!マイナスドライバーで、給水のねじを締めれば良いんだ!そのまま玄関の階段下に有る道具箱に走ったが、こういう時に限って、見つからない。ええい、これで代用しよう・・・と大きな工業用のカッターを握って、トイレに戻ったら、すでに、トイレの中は、海。もう、廊下に流れ出している。慌てていて、少しも止まらない。もう駄目だ・・気が付いたチビが、パパを起こしに階段を駆け上がった。どうしたら、止まるのか、解らない。水は、どんどん、凄い勢いで流れ、とうとう、一段下の娘達の部屋にまで流れ出した。まさに、うち中、水浸し。幸いまだ、リビングの堺は越えていない。おきてきたパパは、すぐに、水が溢れた原因を突き止め、カッターの歯で、ねじを締め、水は止まった。原因は、給水の管がはずれ、満水になったときに止まるボールが持ち上がらず、物凄い勢いで、水が流れ出した事と、我が家の下水管が、その水の量に耐え切れず、詰まってしまったことにあった。何しろ、古い家だから、下水の管も狭い。まるで、建て直される家の断末魔のような騒ぎだった。さあ、それからが、大騒ぎだった。水は、トイレの高さ4センチの敷居を飛び出し、リビングから、娘達の勉強部屋にまで流れ出し、バケツ、5杯分くらいの水が、廊下に溢れていた。その上、またまた、私はすべって、転んだのだ。おかげで、きていた普段着のワンピースは水浸し。幸い、汚水じゃない事が、せめてもの慰め。家族総出で、あった、タオルに水をしみこませ、バケツに絞る作業を繰り返した。廊下においてあった段ボールの底も、紙袋の底も水浸し。娘の部屋は、普段から、片付いていないから、床に放って有った物、すべて、水浸し。この時とばかりに、パパは、私達に、言いたい放題。そりゃ、色色な物、置いてあったり、片付けていなかった私達が悪いから仕方ない。2時間かかって、家族総出で、夜中にお掃除。「この家の断末魔か」パパもつぶやいた。やっと、綺麗になったのは、明け方の3時。下水道やさんは、24時間営業だったが、こちらが、対応できそうもないので、朝まで待つことにした。そのまま、私は冷え切った体を温めようと、お風呂に入りたかったが、下水が詰まっているからどうしようもない。チビも、まだ、お風呂には、入っていなかったので、「!」思いついた。「お祖母ちゃんのとこに、借りに行こう」。夜中、チビと二人、車に乗って、母の所に行き、そうっと、足を偲ばせ中に入り、入浴。母らしく、綺麗にすのこも上げ、お掃除してあった。チビは、おトイレも借りた。起きて、ビックリするといけないと思い、置手紙に、「お風呂と、おトイレをお借りしました、午前3時」と書置きして帰った。こういう時、実家が、直ぐ傍だと、ありがたいっす。帰宅したら、パパは、すでに寝ていた。朝、すぐに、下水道やさんに連絡。高速のジェット水流で、流してもらい、下水も復活。やれやれ、古い家は、本当に大変です。あ~、眠い。
2007年10月22日
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すごく、のんびりした日曜日。パパは、ずっと、ゲーム三昧。チビもパパにくっついて、朝から二人でやっている。20歳の娘が、これだけ、パパにくっついて、ふざけている様は、実に微笑ましい・・・・ってか、少し、ファザコン気味?。オネエは、昨日、栗で、栗きんとんを作っていた。見るに見かねて、私も少し手伝ってやった。昨日、彼のお宅に成っていたものを頂いてきたそう。ふきんが無かったので、ラップで、茶巾しぼりにする。味は、美味しい。オネエが出かけた後、私は、お天気が良いので、柿を取りに、庭に出た。もう、かなり赤い。よし!、収獲。高枝バサミをよいしょと持ち出して、斜面に降りた。最近、パパが、蛇をみてから、あまり庭に出たくなくて、經遠していたが、柿ほしさに、降りた。今年は、豊作です。不思議なのだが、毎年、違うのだ。今年は、富有柿の方は、豊作なのだが、富有柿のために植えられた、違う種類の柿のほうは、全く実っていない。どうかすると、二本の柿とも、どうすりゃ良いの?ってくらい豊作になる年もあるのだが。昨年は、両方とも、あまり実らなかった。その前の年は、両方とも、たわわに実った。で、今年は、おいしいほうの富有柿のみが実った。15分も、格闘すると、スーパーの袋一杯になった。高枝バサミは、使いこなすまで、かなり、時間がかかる。はさみの横に実を掴むはさみがあるのだが、反対に切っちゃうと、実が落っこちちゃうから、はさみの向きを確かめてから、切らないとならない。で、最初のうちは、草の上に、沢山落っことした。収獲した柿を持って、家の中に入ると、チビは、バイトに出かけて行って、パパだけになっていた。「ほら!」とパパに見せると、爆笑された。何故なら、取っても、我が家では、パパくらいしか食べないからだ。私も娘達も、あまり柿はいただかないから、全部自分がたべなくちゃならない・・とでも思ったのだろう。良いもん、お友達に送るから!一つ、食べたいというので、剥いた。所が、やはり、少しまだ、早かった。「甘いよ」とパパは言うけれど、まだ、毎年のように甘くない。やっぱり、もう少し、後のほうが良いなあ。実は、毎年、葉っぱが落ちてから収獲するのだが、鳥が沢山食べにきているので、もう、大丈夫と思って、収獲したのだが、やはり、まだ、葉っぱも沢山のこっているし、早かったなあ。お昼ごはんを食べてから、パパと、映画でも見に行こうか・・・と調べたが、あまり見たいものもなく、結局、ぐだぐだと、一日を過ごした。オネエは学校に、チビは、バイト。きっと、これから、こんな日が一杯になるんだろうなあ。1人ですることは一杯ある。革工芸、嵐君のDVDの整理や、写真の整理、お人形の事。でも、パパとは、映画を見に行ったり、ドライブしたりかなあ。好きな事は共通なのだが、出かけないとなると、家の中では、あまり共通の趣味が無い。「3メートルのおもいやり~♪」って感じになっちゃう。これから、何年、生きられるのか解らないが、こうして、のんびり、ゆったり、過ごしていけたら、幸せなんだろうなあ。でも、少し、早い?こういうの。私もパパもアウトドア派じゃないからなあ。多分、革工芸をさせたら、美大出のパパは、私なんかよりずっと素敵な作品を作っちゃうんだろうなあ。それも、面白くない(爆)まあ、しばらくは、このままが良いかな?
2007年10月21日
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物凄く久しぶりに、カラオケに行った。我が家の近くには、3軒の大きなカラオケやさんがあって、今日は、普段着のまま気軽に行きたかったので、一番近くに行った。土曜日の夜なのに、時間が早いのか、空いていた。しかし、中に入って納得した。娘達には、以前から、あまり評判が良くない。私は、気軽に行けるので、好きなのだが、椅子の革は破れているし、部屋は、たばこくさい。料理を頼めば、トマトが無いから、キュウリを代わりにして良いか・・・と電話があるし、パスタのメニューを頼もうと思ったら、メニューにはあるのに、パスタはもう、扱っていない・・と言う。こりゃ、若い人には、人気はないなあ・・・。それでも、ゆうに4時間、唄いまくった。娘達は、YUKIやら、東京事変やら、SALYUやら、ドリカム。パパは、漫画の主題歌やら、古い曲ばかり。私は、嵐君の新しいアルバムの曲ばかり。前にも書いたが、娘達は、オーディションを受けて、200人以上の中から、東海地区に残ったくらいだから、私が好きだけど歌えない曲も、リクエストして、唄ってもらった。親ばかだが、本当にオネエは、上手い。そりゃ~、音大に行く為、3年も、声楽を習わせたのに、心理学部に転向しちゃったくらいだから、元が掛かっているから、上手くなくちゃ、親としては、踏んだり蹴ったりだ。大学生時代は、若い教授の作ったバンドにスカウトされて、色色な場所で、歌っていたが、さすがに、大学院に入ったら、そんな暇はない。こうして、行ける時に、カラオケで歌うくらいになった。私は、あれだけ聞いているのに、嵐君の歌を上手く唄えない。歌ってみて、改めて、大ちゃんの歌の上手さを実感する。パパは、何を歌っても、上手いのだが、こぶしが効いちゃうのだ。こぶしっていうのか、変なビブラートかな?だから、私も娘も、クレージーケンバンドの曲がパパには、合ってると思うので、よく、唄ってもらう。思いっきり歌って、堪能して、夜10時過ぎ、お店を出た。あ~、楽しかった!また、行こうね!!
2007年10月20日
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今日は、月一の革工芸の日。雨の中、行った。で、雨のせいで、すってーーーんと、ころんだ。革靴だったので、教室のある、公の建物の床がすべり、転んだのだ。友人や、そこにいらした方達が、飛んできた。「危ない!」「大丈夫ですか!?」カッコ悪いったらあーりゃしない。しかし、まだ、そのまま後頭部を打つほど、年は取っていないのが、幸いした。とっさに、左腕で、頭に床が来る前に、ひじで体を支えた。腰は打ったが、腕はそう痛くないし、大丈夫だった。これで、直接頭を打っていたら、かなりな衝撃だったろう。あ~、年は取りたくないっす。まったくもう・・・我ながら、かっこ悪い。しかし、革工芸は、面白い。いよいよ、表面が出来上がった。これで次回は、レッスンバックの形になると良いなあ。今日は、順番で、私がお茶菓子を持って行く日だったので、いつものケーキ屋さんで、フェナンシェを買って行ったのだが、レジのところで、待っていると、小さな紙が貼ってあって、駅前のデパートに出店するお知らせだった。「え?Kデパートに入るの?」と聞くと「はい、また、そちらもよろしくお願いします」。このケーキ屋さん、私の秘密だったのになあ。企画物が、すごく良くて、クリスマスのケーキは、勿論、ホワイトデイのお返し用の小箱なんて、本当に、女の子が喜びそうな企画なのだ。今年は、ピンクの箱に茶色の蓋の正方形の箱に、木の棒の先にお砂糖が、固まった物が付いている物と、お紅茶の可愛いティパック、それに、ハートの形のフェナンシェが、5つ入っていた。勿論、サテンの太いリボン付き。クリスマスには、40cmくらいのクリスマスツリーに、ドラジェの小袋や、クッキーの小袋、フェナンシェなどが、木にくくりつけられて、本当に、女の子が「わ~」と言いそうな、可愛いクリスマスツリーで、私はいつも、数個買って、友人にプレゼントするのだ。それが、これから、不特定多数のお客の来る、デパートに登場してしまうわけで、何だか、寂しいような、秘密を知られてしまうような、不思議な気持ちだった。お茶の時間に出されたフェナンシェは、何処のお店の物より美味しくて、私はいつも、これを用意するのだが、今日も、「お店、教えて」と言われてしまったくらい美味しい。表は、相変わらずの雨だったが、部屋の中、暖かい空気が流れ、和気藹々と、革を叩く音がしている。この空間が好きだなあ。革工芸、楽しいです(^_^)v
2007年10月19日
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娘が、今月だったか、京都の学会に行った。確か、一泊してきて、お勉強、大変だなあ・・・と思ったのだが、今日になって、そのパネリストの1人が、「北山 修」だと知った。「ちょっとまって、北山修って、いつもお母さんが話してる人?」「そう、北海道の大学の精神科に、歌手辞めて入ったって人」「きゃー、何故、サイン貰ってくれなかったのよ~、知ってたら、本、持ってってもらったのに~!」」とミーハーな母は、娘に詰め寄った。しかし、次の瞬間、母は、驚きの事実を知った。「あのね、お母さん、北山修教授って、今や、精神医学会では、超がつくほど有名人なんだよ」「え?そうなの?」「北山先生の講演には、何百って人が聞きに来てるのに、『サインください』なんて言えないのっ!」へ~、へ~、と二回言ってしまうくらい、驚いた。私の歳、私達の年代の方、もしくは、少し上の方にとっての北山修は、「戦争を知らない子供たち」「あの素晴しい愛をもう一度」「風」「花嫁」「さらば恋人よ」などの作詞家としても、エッセイストとしても、勿論、フォーククルセダーズのベーシストとしての彼が認識としてある。しかし、あの時、あの解散のあと、元々医大学生だった北山修が、札幌大学の精神科に行った事は、有名な話だったが、その後のことは、知らなかった。娘によれば、今、ご自分のクリニックを持ちながら、九州大学の教授も兼任されてらっしゃるそう。おまけに、何とかと言う、海外の有名な精神科医の研究者として、日本では第一人者と言う。そうか~、北山修は、有言実行、自分のやりたい事をちゃんと、かなえていっているのだなあ・・・と、何だか、負けていられない・・・と、元気を貰った気がした。北山修の書は、少なからず、私に影響を与えた。今も、何回も読んだので、表紙がぼろぼろになったエッセイが本棚に並んでいる。その同じ「北山修」の名前の難しい専門書の背表紙が、娘の書棚に並んでいると思うと、なんとも、可笑しかった。正直、そちらの本は、読む気にはとてもなれない。北山修様、親子で貴方に、はまってます。
2007年10月18日
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今日は、3ヶ月ぶりのカウセリング。10時の予約に、少し遅刻して行った。今までのふた月、一回は、すっかり忘れてしまって、行かなかった。もう一回は、熱を出していた。で、カウンセラーから電話があり、今日の予約になった。部屋に入った。何だか、いつもと気持ちが全く違った。これまでは、椅子に座り、カウンセラーと目が合うと、自然に、自分の気持ちの不条理な部分を吐き出した。しかし、今日は、何も無いのだ。本当に、何も吐き出す物が無い。正直に気持ちを話した。カウンセラーは、うんうんと頷き、「Kさん、もう、カウンセリング、必要ないですね」と仰った。以前、カウンセリングの必要性を問われた時、今、現状でカウンセリングが無くなったら・・・と不安になった。しかし、今日は、もう、大丈夫だな・・・と自分で思った。実は、オネエにも、つい数日前に、言われた。「お母さん、もう、鬱、治ってるよ」まだ、勉強中のカウンセラーの卵に言われたことだから・・と「そう?」と答えたが、やはり、本当だったのか。「鬱病が、治ったのでしょうか?」と聞くと、「私は精神科医じゃないので、お答えできませんが、カウンセリングはもう、卒業です」気が抜けたようになるかと思ったが、凄く、冷静に、凄く、爽やかな気持ちだった。多分、以前の私だったら、沢山の思いで、泣き出したかもしれなかったが、気持ちは、本当に、フラットで「爽やか」だった。「長いこと、本当にありがとうございました」「いいえ、私も嬉しいです」このカウンセラーで、3人目だったが、一番年齢も近く、一番気持ちを解ってくださった方だった。「自分で『もうやめたんだから』って思わず、また、気持ちが落ち込む事があったら、いつでもカウンセリング申し込んでください」と仰ってくださった。そして「Kさんは、沢山、自分で上がってくる方法を身につけてらっしゃるから、大丈夫ですよ」「?」「嵐君だったり、お友達との交流だったり、お人形だったり・・」あ、そう言う事ね。今は、家を建て直す事で、目一杯の気持ちだが、落ち着いたら、したいことが山ほどある。鬱になんか、なっていられないって感じかなあ。ご挨拶と、お礼を申し上げ、カウンセリングルームを後にした。帰りにいつものお花屋さんに行き、アレンジフラワーを頼んだ。二階に上がって、美容院で髪を洗ってもらった。気持ちも一緒に、洗い流したような感じ。出来上がった可愛いお花を持って、病院に戻った。時間はもう、12時を過ぎていた。この時間なら、患者はいないはず。カウンセリングルームをノックすると、カウンセラーのK先生が出てらっしゃった。「あのこれ、お部屋にでも飾ってください」と渡そうとしたら、驚いたお顔になった。「いえいえ、Kさんの卒業記念にしてください」と仰ったが、黙って、頭を下げ、K先生の手に花束の入った袋を手渡した。「じゃ、遠慮なく、いただきますね」優しい笑顔で仰った。私も、深く頭をさげた。本当に、貴女がいらしたから、私は、何回も救われた。本当に、心からの感謝だった。受け取っていただけて、良かった。私のささやかな、せめてものお礼の気持ちだった。帰宅し、お昼に帰って来たパパに話した。「そうか、じゃ、食べにでようか」と、一緒に食事に出た。「卒業記念だからな」パパも嬉しそうだった。古くからの洋食屋さんで、美味しいランチを二人で食べた。長かった。本当に長かった。お祖母ちゃんの認知症で、苦しんだ時も、父が不治の病になって、全部の重圧が、私1人の肩にかかって、潰れそうになった時も、本当に死んでしまおうかと思った、鬱の酷かった時も、いつもいつも、カウンセリングは、心の支えだった。あそこに行き、パパにも言えないことも、吐き出し、気持ちをぶつけた。何度、泣いただろう。毎週、カウンセリングの日が、待ち遠しかった。あそこに行って、吐き出したら、樂になる・・。そう自分に言い聞かせ、気持ちを支えていた。いわば、私の緊急避難場所だった。今日、そこから、卒業しました。なんて、爽やかな気持ちだろう。なんて、穏やかな気持ちなんだろう。カンセラーだけじゃない、支え続けてくれた大切な、大切な家族にも感謝。これから、頑張って、皆を幸せにしてあげなくちゃね。まずは、美味しいご飯から・・・かな。私を支えてくださった皆様、本当にありがとうございましたm(__)mそして、これからも、宜しくです。
2007年10月17日
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午後、パパがお昼に帰宅し、そのまま昼食を摂り、病院に行った。状況と体調を話すと、「それは、仕方がないですね」だって。禁断症状と言ったら、笑われた。何とか・・と仰ったが、聞き取れなかったが、急に、飲んでいた薬を辞めたときに出る症状だそう。薬局で、取り合えず、主治医じゃなかったので、2週間分貰った。貰った薬を直ぐに飲みたかった。待合室にいたパパもコーヒーが飲みたい・・・と言うので、入院病棟の自販機が沢山置いてある場所に行った。ここにくると、切なくなる。精神科の入院病棟。奇声がしたり、夢遊病のように、薬で歩き方がおかしい患者で溢れている。正気と狂気の狭間。薬を飲むための飲み物を買って、そそくさと、その場を立ち去った。一時、この入院病棟と、外来の病棟が一緒だった時、恐ろしさで、病院にこられ無くなった時があった。何回も、知らない患者に、話掛けられた。自由に病棟を行き来できる患者なので、危険な事はしない。話している内容も、普通の会話。何故、ここにいるのか不思議な人も多い。しかし、中には、奇声を発し、付き添いの人になだめられる人もいる。その狂気と正気のわずかなずれが、恐怖になった。自分がその中にいることが、耐えられ無くなったのだ。診察が終わり、車に戻り、運転し始め、やっと、自分が正気である事にほっとしたものだ。入院してらっしゃる方の中には、色色な症状の人がいる。鬱が酷くなり、自殺の恐れのある人は、狂気で入院している訳じゃないし、ほかの病名で、狂気じゃない症状もある。そういう正気の人と、狂気の人とが、同じ病院の中、入院を余儀なくされているのだ。、やはり、精神科は、そういう意味、特別な空間に思う。すぐに、買った飲み物で、貰った薬を飲んだ。そのまま、パパと、大型の電気屋さんに行った。7月から、我が社に、中国からの研修生が来ている。そう、いつか行った中国の面接でスカウトしてきた研修生。電気製品は、一応全部用意したのだが、彼らの主食である、蒸しパンを、沢山作って冷凍する冷凍庫が欲しいと言い出した。一度に沢山作っても、今の冷蔵庫では、入りきらなくて、保存ができないそうだ。休みの日にしか作れないから、沢山作っておきたいそう。我が家にも、この冷凍庫がある。業務用のもので、今から20年ほど前に購入した。優れもので、食材の安い時、大量に買って保存したり、通販で冷凍の物を買ったり、年末に頂いた新巻じゃけを保存したり、本当に、重宝している。これ、欲しくて欲しくて、家計をやりくりして、自分で買った。当時の値段は、8万円だったが、電機屋さんに行って驚いた。5万円までで、色色なメーカーの色色な物が出ているのだ。我が家のは業務用だから、上に蓋が乗っている形なのだが、普通の冷蔵庫のように、前の扉を開くと、沢山引き出しのついているものやら、同じように上に蓋が乗っていて、中がし切ってある物、小さな冷蔵庫のような感じの物などなど。電気屋さんは、本当に面白いなあ。注文して、お店を出た。薬が効いてきたのか、昨夜の薬とさっき飲んだ薬で、症状は全く消えた。ああ、良かった。でも、薬に依存したくないから、頭痛が起きそうな時だけ飲むようにしたいなあ。これから、段々減らして行きたい。まずは、朝食後からかなあ。薬と上手に付き合おうっと。
2007年10月16日
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実は、金曜から、抗不安剤のコンスタンが切れている。昨日のお昼までは大丈夫だったが、今朝から、体がおかしい。まず、心臓が、いつもより、バクバクと煽ってきている。それに、体中がだるい。最初は、また、腸炎がぶり返したと思っていたが、どうやら、そうじゃないらしい。段々具合が悪くなって、かなり自分でも、まずい状態であることが解った。救急車を呼ぼうか・・・とも思ったが、多分、薬を飲んでいない時間が長すぎて、起きている症状だと思ったので、夜まで、横に成っていた。少々、恐い思いもした。誰もいない家の中で、このまま死んじゃうんじゃないかとさえ思った。そのくらい、心臓が、物凄い音をして、鼓動を打った。体中の血が、逆流するような、物凄いだるさ。夕方、自分で車を運転して病院に行こうと思ったが、とても、運転出来る状態じゃなかった。夜、オネエが帰って来て、状況を話したら、やはり「禁断症状みたいなもんだよ」だそう。でも、コンスタンは、普通に内科でも出す、軽い薬と聞いていた。「そりゃ、普通の人にはね」「どう言う事?」「お母さんみたいに、何年も飲み続けていて、3日も飲まないんじゃ、そういうような症状が出ても仕方ないのよ」だそう。今日は、だるくて、病院にいけなかったが、明日、パパに連れて行ってもらおう。明日までの我慢。薬、恐いなあって思った。でも、私の場合、この薬がないと、何か特別な時、異常に緊張し、吐き気をもようしたり、酷い頭痛になるから仕方がない。先生も、長いこと、飲み続けても大丈夫な薬だから・・・と仰っていたしなあ。この薬を飲み始めて、もう、8年くらいになるかな?そう言えば、私の事だから、何処かに入れ忘れてないかと、あちこち、探してみた。こういう時に限って、見つからない。旅行用の小物入れ、薬ばかり入った箱。サプリメントの籠の中・・・。無い・・・。諦めかけた時、ハンドバックのポケットに一錠だけ見っけ!!!良かった、これで少し、症状も軽減されるかもしれない。すぐに、水で流し込んだ。夜、横になっていたら、薬が効いてきたのか、心臓がバクバクしていたのが止まった。少し、動けるようになった。明日は、すぐに、病院に行かなくちゃ。全く、自分の体なのに、自分の体じゃないみたい・・・。
2007年10月15日
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月一の友人との食事会の日。今日は、イタメシ屋さん。元々、フランス料理のお店で、以前、来たことが有ったが、いつの間にか、イタメシ屋さんに変わっていた。以前のお店の方が、格調が高かったが、内装は、そう変わっていない。メニューが面白くて、メインのお料理を頼むと、後はバイキングが付いてくる。だが、バイキングは、サラダと、ちょっとしたお料理と、スープだけ。あとは、ドリンクバーだから、あまり、食べる物は無かったが、メインに頼んだ、ワタリカニのスパゲティが凄く美味しかった。今日は、いつもこられなかった、Sちゃんが、久しぶりに参加。彼女、しょっちゅう、旅行に出ていて、たまたま、今日、家にいたらしい。本当に毎回、どこかに行っていて、参加出来ないでいた。今回も、カナダのお土産、メープルシロップを頂いた。海外のほかは、いつも、大体、東京に単身赴任のご主人の所に行っていることが多いらしい。IさんのところのKちゃんが、いよいよ、明後日、ご結納だそう。来年3月の結婚だから、そろそろだね。一番先に、お祖母ちゃんになるのが、仲間の中で一番若い彼女だなんて、何だか不思議。一番年上のSちゃんは、息子さんだから、まだまだだなあ。Iさんは、今も現役の保母さん。もう、仕事がきついから、辞めたいのだそうだが、なかなか、保育園の方が、手放してくださらないそう。今は週に3日しか出ていないが、もう少し続けなくてはならないそうだ。お医者さんの奥さんで、薬剤師のOさんも、フル勤務の薬剤師さんなので、辞めさせてくれないんだそう。彼女、少し、体をこわしているので、お医者さんのご主人も、辞めさせてくれる様、頼んだそうだが、薬局の社長さんに、後2年、頑張ってくれないかと、泣きつかれたそうだ。お医者さんの奥さんで、なにも働かなくても良い環境で、働き出したきっかけは、「暇をもてあまして」だったのに、いまじゃ、その薬局で、いなくては困る存在になっちゃっているらしい。食事の間、何度も「辞めたい・・」とつぶやいていた。この年になって、働く大変さが解るので、何だか可哀想だった。その反面、いつも元気印のKちゃんは、今日もパワー全開。兎に角、じっとしていられない人だから、彼女といると、元気になれちゃう。仕事を抜け出してきた・・・とかで、食事が終ると、そそくさと、戻って行った。風のように吹き抜けていったKちゃんの余韻に、皆「相変わらず、元気だね~」とため息。あのパワー、欲しいなあ。結局、話が弾んで2時過ぎまで、お店にいたら、はい、追い出されちゃいました。駐車場で暫く話していたが、私も、3時から、ハウスメーカーとの話があったので、帰宅した。今日のハウスメーカーは、本命さん。今日は、設計図の最終の話し合い。設計の先生は、名古屋に事務所を持ち、このハウスメーカー以外のお仕事もなさってらっしゃるので、色色、実になる話をしてくださった。やっぱり、こっちに頼みたい。今日は、パパと、気持ちがはっきりとした。夜、久しぶりに家族が揃ったので、新しく出来た、イタメシ屋さんに行った。おいおい、お昼もイタメシだったのになあ。面白いお店で、スパゲティを注文すると、大きな、大きなチーズの塊のくりぬいた中で、スパゲティをかき混ぜて、チーズを絡めてくれる。ここも、好きなパスタ、好きなピザ、好きなサラダ、好きなお料理を一つずつ選んで、あとは、ドリンクバーと、ドルチェを20種類の中から選べる。私は、元々少食なので、このコースは、とてもとても食べらそうになかったが、4人セットだったので、仕方なく、頼んだ。やはり、スパゲティだけで、おなかが一杯になっちゃいそうだったので、半分にしておいた。案の定、お料理の柔らか骨付き豚のローマ風ステーキは、とてもも美味しかったが、少ししか食べられなかった。薄焼きの、石焼ピザがとても美味しかった。そう言えば、本場のイタリアのピザは、凄くパンの部分が厚かった。ごく普通に、立って、皆、店先で食べていた。後で知ったが、座ると、それだけでお金が取られた。ピザは、日本の方が美味しい・・・と言うのが、パパと共通の感想だったが、パスタは、めっちゃめちゃ美味しかった覚えがある。オリーブ油の種類が一杯あって、スパゲティは、本当に美味しかった。もう、おなか一杯です。今日は、美味しい物を一杯、頂きました。
2007年10月14日
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見た映画が、TVで放映された。「踊る大捜査線ザ・ムービー」。一時、これにはまった。お台場で、開催された、夏の恒例の催し「お台場冒険王」にも出かけ、この映画のセットやら、衣装の展示、映画の中で使われた消え物の小道具であったカップめんをゲット、この催しの売りであった、特別なプリクラなどがあって、まだ、小学生だった、娘達と、勇んで行き、スタジオの見学など楽しんだ。ああ、若かったなあ・・・と感慨深い。次に上映された「踊る大捜査線ザ・ムービー・レンボーブリッジを封鎖せよ」も、見に行った。これも明日放映されるので、録画する予定。二週に分け、スピンオフの「交渉人、真下正義」「容疑者 室井慎次」なども放映される。このスピンオフは、この「踊る大捜査線」が最初にしたのじゃないだろうか。主役じゃない、その映画の脇役が、主役になったドラマ。いわば、裏のドラマ。とても面白い方法だと思う。最近、映画をDVDにする遊びを覚えた。勿論、DVDにしていたのは、以前からだが、プリンターで、DVDに直接印刷できるようになり、自分で画像を探して、プリントして、ライブラリーを増やしている、映画は、本当に好き。チビは、その影響で、大学もそういう学部に行っているが、大学の図書室には、チビの指定席があるらしく、司書の方が、「新しい映画、入ったよ」とチビの顔を見ると仰ってくださり、希望を聞いて、新しい映画のDVDを入れてくださるそうだ。休講になると、図書室に直行して見ているらしい。最初に作った、インジェクト印刷したDVDは、「スィンキングガール」。それから、次々ライブラリーを増やし、「フラ・ガール」「ブレイブストーリー」「花田少年史」などなど。TVドラマでも、秀逸な物は残している。二ノの「マラソン」「はだしのゲン」などの単発で良いドラマは、再放送が望めないから、残した。CMが入るから、一旦、HDDに録画し、暇な時に編集して、DVDに落とすのだ。印刷も面白い。色色な写真を探して、レイアウトして、印刷している。最近は、なかなか上手く出来るようになった。ただ、画像を探すのが、結構、大変なのだ。特に、アイドル系の出ているドラマの画像は、しっかり管理されていて、なかなか無い。それでも、画像の修正など行って、印刷の段になると、達成感がある。しかーし、DVDの数が日に日に、増えて、膨大な数になってきているのは確か。家の建て直しの中に、このライブラリー用の棚を作って頂く希望を出してある。嵐君のDVDだけで、すでに、100本以上ある。勿論、自分で録画した物もあるし、買った物もあるから、場所を取って仕方が無い。それでも、録画してしまう。そして、嵐君の場合は、雑誌から画像を撮影して、印刷する。時間も手間も、お金もかかっている。でも、面白いから辞められない(笑)もう、私のライフワークの一つになっている。私の好奇心を満足させるには、十分な楽しみ。まだまだ、面白い事、ありそうです。画像は、ライブラリーの一部。映画「明日の記憶」TVドラマの「HERO」映画「時をかける少女」TVドラマだったが、秀逸だった松本清張の「天国と地獄」などもある
2007年10月13日
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今日は、何とか、動けるようになった。秋の気配が、濃くなった。10月も半ば、当たり前。でも、日差しがきつい。こりゃ、地球温暖化のせいだろう。恐いなあ・・・。庭の柿の色が濃くなって来ました。鳥は、本当に良く知っている。赤くなって、おいしそうな物だけつついていく。鳥は、赤い色がわかるのだろうか・・。TVは、お相撲さんの過失致死の事件と、ボクシングの違反行為をしたボクサーのことばかり放映している。どこを回しても、同じ話題ばかり。午後、ハウスメーカーにパパと行った。家の建て直しの話は、着々と進んでいる。最初に数社、チョイスして行っていたが、今は、二つの会社だけになった。だが、正直、今日の会社は、断ろうと思っている。一つは、歴史も実績もある、大手のハウスメーカー、もう一つは、地元で人気の輸入住宅の工務店。大きな方は、阪神大震災を経験している。倒れた家は、一棟も無く、壁が落ちたり、瓦が割れたりした棟が1500棟あったそうだが、会社が大きかったお蔭で、全て無償で直したそう。勿論、今度、そんな大きな地震が有った際は、無償かどうなるかわからないが、そういう実績がある。もう一つのメーカー・・・と言うより、工務店なのだが、こちらは、そういう経験が無い。無いから、恐いから、これでもか・・・と、地盤の調査と、基礎工事をきちんとしている。家自体も、なかなか素敵な家を建てている。では、何故断ろうとしているのか・・・。それは、その会社の大きさの不安と、ハウスメーカーは、設計士、コーディネーター、すべて分業で、その専門の方が担当するのに比べ、工務店は、建築士の方がすべて決める。そこの違い。出来上がってきた設計はそう違いが無い。消費者にとって、会社の大きさって、やはり大きい。申し訳ないが、潰れたときの事を考えてしまう。家って、何十年て使う商品だから、やはり、小さな工務店は不安を感じてしまうのだ。大きな会社は、会社が潰れても、まず、政府が会社更生法を使う。その会社の社員を守らなくてはならないし、顧客も多いから、社会問題になる。このご時世だから、本当に明日は解らない。本当に失礼な話だが、潰れたときのことを考えてしまうのだ。地元で頑張っているから、逃げやしない・・・と仰るが、地元で、代々仕事をしている会社がつぶれ、実際に、こちらが保証人になっていたばかりに、今現在、その負債をかぶった経験をしているから、地元だからと、安心できないのだ。残念だが、私もパパも痛い思いをしているから、工務店さんを選択できないのだ。本当に難しいと思う。最初から、その思いはあった。だが、魅力ある家を沢山建ててらっしゃったので、行って見たのが最初だったが、やはり最後の選択を迫られた時、会社の小ささが、ネックになった。申し訳ないが、ここまでだ。家を建てるということになって、沢山のメーカーに行き、色色な話を聞き、色色な知識も身につけた。結婚して、賃貸のマンションに住んでから、分譲マンションを買い、そして、人の建てた家に移った。いわば、最初から、設計し、建てる家は初めての経験。楽しいが、大変だ。各ハウスメーカーは、設計の段階まで無料でしてくれる。その顧客確保に、しのぎを削っている。我々が、これまで候補から削って行ったメーカーには、工期がすごく長くて、消えて行ったメーカーや、決まった形式の家で、我々の希望通りにならなくて、消えて行ったメーカーもある。そして、予算が合わず、「他の土地を見つけて、建てませんか」ととんでもないことを言い出したメーカーもあった。それだけ、我が家の土地が難しい土地だった事もある。今、最後に残ったメーカーは、その全てをクリアしている。まだ、話は詰めていないが、さて、本腰いれましょうかね。
2007年10月12日
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なんともだるい。最初に発熱してから、すでに1週間。熱はそうたいした事はない。ただ、ふらふらするのだ。自分で喋っていても、自分で喋ってる感じがしない。不思議な感じ。これが、貧血ってもんかなあ。明日は、ハウスメーカーとの約束があるから、今日も、大人しくして、早く治さないとなあ。朝、いつも、韓国産の豆乳を飲んでいる。この豆乳、本当に美味しい。今日も、飲んだ。私は、子供の頃から、苦手な食べ物が一つだけある。ほかのものは、何とか、母が厳しかったので、食べられるようになったが、これだけは、代わりの物が、大好物だったので、母も余りうるさく言わず、大人になっても食べられないままだ。それは、お豆腐。何が嫌いなのか、解らない。多分、にがりが嫌いなんだと思う。だが、同じ大豆食品の納豆が、大好物だったので、お豆腐は食べなくても、叱られなかった。好き嫌いに関して、母はとても厳しかった。「ホウレン草嫌い」と言った途端、そこから後の食事のおかずは、ホウレン草攻めだった。ホウレン草を食べないと、食べる物が無かった。ゲボゲボ言いながら、食べた。じゃないと、鉄拳が飛んできた。ホウレン草は、あのシュウ酸が駄目だった。歯の裏にシュウ酸が付いた感じが気持ち悪くて、嫌いだった。勿論、母はちゃんと、十分水にさらして出したが、嫌いな物の、そう言う事は、余計に感じてしまう物だ。未だに、ホウレン草は好きじゃないが、お蔭で、食べられるようになった。だが、お豆腐は、相変わらず、駄目。何の味もしない、にがりの味だけ。だから、食べる時は、ゴマドレッシングやだし入り醤油でぐちゃぐちゃにして、やっと食べられる。最近、お豆腐らしくない「風に吹かれて豆腐やジョニー」だけは、食べられるようになった。その私が、豆乳が大好きなのだ。日本の豆乳はまずい、が、この韓国産の豆乳は、メチャクチャ美味しい。で、ここ、黒ゴマ入りもあって、パパが一緒に飲みだし、直ぐに無くなってしまうようになり、今日、大量に注文した。パパは、最近、ダイエットし始め、ここ数ヶ月で、10キロも痩せた。朝は、私の真似をして、豆乳しか飲まない。その上、足首に、片足2キロずつの重りを巻いているし、靴の底に1キロの重りの入っている靴を履いている。ダイエットのつもりじゃなく、ゴルフがうまくなりたくて、始めたのだが、痩せた。出っ張っていたおなかも、凹み、ズボンが、大きくて、直しに行った。羨ましいなあ。私も、病気が治ったら、重り、つけてみようかなあ。とりあえずは、まず、元気にならないといけませんね。
2007年10月11日
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はい、ぶり返しました。今朝から37度5分。幸い、熱だけで、おなかは痛く無い。お医者さんの薬がまだ、残っていたので、飲んで、大人しくしていた。夕方から、病院に行った。診察はしてもらわず、今までと同じ薬を頂いてきた。薬さえ飲んでいれば、大丈夫な状態。私に移してくれたチビは、もう、すっかり元気。やっぱり、若いんだなあ。大人しく、していた。午後、ホテルから送った荷物が届いた。ゆっくり、片付けた。お洗濯もした。本当は、今日、診察の日だったが、こんな状態では行けない。薬が、ソロソロ無いので、不安だが、何とか、調整しよう。今年の私の夏が終った。夏コンが終ると、毎年、そう思う。嵐君のコンサートがおわると、秋になる。今年は、もう、十分に秋だったが、嵐君のコンサートが、終るまで、夏日もある変な秋だったから、これで、本当に秋になるだろう。思えば、去年の夏コン「ARASHIC」から、ずっと、コンサート三昧だったような気がする。夏コンがあって、アジアに嵐君達がキャンペーンに行き、その行く直前と、帰った直後のコンサートにも参戦できた。考えてみれば、去年は9公演も行ったんだった。嵐君達は、夏コンがおわると、アジアに初コンサートに行き、そして、お正月の凱旋コンがあった。母を連れ、横浜に行き、伯母に「あけましておめでとう」も言えた。そして4月、初のドームコンがあり、やはり、母を連れ、翌日は、神楽坂に遊びに行った。そして、3ヶ月後には、もう、今年の夏コン「TIME」が始まった。その間にも、潤くんの「花男」やら、二ノの「拝啓」「バンビーノ」があり、いつも嵐君が一緒だった。そして、嵐君達は、この一年で、大きく成長し、新しいファンの方も大勢増えた。私も、嵐君のファンになって、4年目に突入。最初の「いざッNOW」コンから、すでに、4回目の夏コンだった。19歳だった潤くんも、この8月で24歳になった。このくらいの男の子って、本当に、成長が著しい。偶然にも、それをみてこられ、本当に、幸せに思う。嵐君達は、これからもどんどん、大きくなるだろう。17日には、私が入った日の初ドームコンのDVDもでる。本当にこれからも、楽しみだなあ~。
2007年10月10日
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明け方まで眠れなかったので、遅く起きた。朝食にするか、ブランチにするか・・。疲れていたので、ホテルには、午後1時までチェックアウトを延長してもらった。ゆっくり起きて、用意をし、折角東京ドームに泊まったので、父の好きだったジャイアンツが、セリーグ優勝したばかりだったので、優勝グッズを買いにでた。売場は、昨日、ホールの中にあった売店で聞いてあったのだが、解らず、ホテルの前にある、案内で聞いた。ついでに今、東京ドームで開催されている「黄色い涙展」の場所も聞いた。かなり高額の入場料が要るらしいので、もう、行くのを辞め様と思っていたが、「いえ、『黄色い涙展』は、無料で入場いただけます」とのこと。じゃ、食事をして、チェックアウトしたら、行ってみよう。後で、この選択に後悔することになった。オフィシャルグッズは、色色あった。サイン入りのボールには「2007チャンピョン」の金文字が入っていた。そのボールと、それを飾るケースと、キーホルダーをジャイアンツのお好きな方に内の分と一緒に買った。ホテルに戻り、フロントに電話して、いつものように荷物を送る手配をして、ブランチを摂りに、下に降りた。もう、大変。一応、11時半からだったので、その時間に降りたが、表からのお客さんが一杯。どうも、人気のバイキングらしい。暫く並び、料理をチョイスした。おなかはすいている。大好きなかに、ステーキなど、チョイスしたが、一番美味しかったのは、海鮮スープ。帆立や、海老、蟹のだしが出ていて、とても美味しかった。ゆっくり食事をした。おなか一杯になって、部屋に帰った。チェックアウトまで、ゆっくりしようとしたが、最悪の事態になった。足がつり始めたのだ。慌てて、タイガーバームを塗りこみ、マッサージしたが、治らない。こりゃ~、まずい。お風呂にお湯を張って、脚をつけてみた。どうにか、痛みが引いた。寝不足か、病気の間、ずっと運動していなかったにが、急に、ハードな動きをしたからだろうか、解らないが、相当、手ごわい。こりゃ、折角だが、『黄色い涙展』は諦めなきゃなるまい。こんな事なら、先に行っておけば良かったなあ。平日だし、午前中だったから、空いていたのに・・・残念。どうにか落ち着き、時間を見ると、もう、チェックアウトの時間。フロントに連絡し、荷物を取りに来ていただき、チェックアウトしたが、その時に「フットマッサージ」の字が眼に留まった。聞いていただいたら、今なら、空いているそう。すぐに、連絡していただき、7階に上がった。着替えて、25分のマッサージのコースを頼んだ。マッサージの最中にも、何回かつった。マッサージ師の方が、「こりゃ、手ごわいですね~」とビックリなさっていた。何度か、椅子から立ち上がり治し、また、マッサージを続けていただいた。結局、1時間ほどかかってしまった。時間を見ると、もう2時半。新幹線の切符は3時半を予約していた。そろそろ、出発しないと・・。着替えて、マッサージ室を後にした。このまま歩いて行くと、雨だし、また、足に無理がきそうだったので、ホテルからタクシーに乗った。東京駅までは、そう遠くなかったので助かった。ゆっくり歩き、家族に約束してきた、叙々苑の焼肉弁当と、娘達の好きな「ゴマたまご」をお土産に買った。新幹線の切符を発券し、ゆっくり歩いてホームに降りた。今回は、横浜から隣に乗客が乗り込んできた。むしょうに眠くて、CDを聞きながら、暫く寝てしまった。無事、最寄の駅に着き、タクシーで帰宅。皆、まだ、帰っておらず、着替えていたら、パパが帰って来た。夕食に美味しい焼肉弁当を頂きました。今回は、病気を押しての参戦だったが、本当に、素晴らしい公演だった。体調は、最悪の状態だったし、お友達にも、会えなくて残念だったが、たまには、良いかな、こういうのも。本当に、ゆっくりゆっくり、行動した。いつも帰る伯母の家にも、行くことが出来なかったし、こんな、陽の高いうちに、下りの新幹線に乗ったのも、初めてだったが、大人の選択ができた。こう言う事も、あるよね。さすがに疲れました。画像は、ホテルの人気のバイキング。真ん中の赤いスープが、美味しかったシーフードスープ。それから、大好きな叙々苑の「焼肉弁当」。キムチ、煮豆、海草の佃煮、くらげとお大根の酢の物が横に入ってます。
2007年10月09日
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熱は無いが、まだ、ふらふらするので、ゆっくり家をでた。タクシーで駅まで行き、近鉄で名古屋に出て、新幹線の切符を予約して有ったので発券し、新幹線のホームに上がった。駅前で、美味しいてりやきチキンクロワッサンサンドを買い、ホームで飲み物を買った。今日の席はA窓際で、たまたま隣に誰も乗り込んでこず。荷物も横に置いたまま、ゆっくり車窓の景色を楽しみながら昼食。これでもか・・と粉薬、錠剤、カプセルを、一気に飲み込み、紅茶で流し込んだ。東京駅に着き、中央線から総武線に乗り換えて水道橋、すぐに東京ドームホテル。チェックインの列に並んでいた。嵐君のコンサートに来たとすぐに解る人ばかりの中、「こちらへどうぞ」と、目前のカウンターじゃない、横のマネージャーの席に通された。・・・私も嵐君に来たんだけどなあ・・・と思いつつ、ご好意に甘えて、皆さんカウンターで立ってチェックインする中、椅子に座って、書類に書き込んだ。多分、別の用事の宿泊客と思われたのだろう。今日のお部屋は、19階。広々とした応接セットもあるダブルサイズのベッドの部屋。さすがに高いだけの事はある。さあて、いつもホテルに持ってくる、普段着用のワンピースに着替え、熱を計った。36度8分。まずまずです、良かった。午後2時、コンサートまで4時間ある。少し休もう。ベッドに横になって、TVを小さくつけ、眠りに落ちた。5時前、目が覚めた。ありゃ?少し熱っぽい。計ったら、やばい!37度5分もある。こりゃまずい。解熱剤と、買って有ったドリンク剤を飲んだ。ゆっくり、起き上がって、用意し始めたら、次々メールが入った。嵐友が、同じホテルに入っているので、下で会いましょうと約束し、着替えて、コンサートグッズを持ってエレベーターホールに行くも、一向にエレベーターが止まらない。10分も待ったところに友達から電話。「Iさん?どこ?」「エレベーターが来ないの」「あ、私達も待ったけど来ないから、一旦上に上がってから降りたよ」「あ、そうするわ」とそこに上に行くエレベーターが止まった。ずっと一緒に待っていた外人の女性に、来たエレベーターに乗るよう手招きした。一番上の階に着き扉が開くと、彼女が降りてしまった。「ダウン?」と聞くと「YES」と言うので、「COME IN」。で一緒に降り始めたら、案の定、凄い人が乗り込んできた。全部、嵐君関係。ようやく下に降りたら、もう、開演20分前。ドームにそのまま入った。今日の席は、1塁側の天井席。でも、これが良かった。席が解からず、係員に教えてもらい行くと、いましたIさんとSさん親子。Iさんは、4日前に退院したばかり。私は、病み上がり・・・ってか、病み中か。そんな二人だから、コンサート中にも、座る事が多いから、スタンドだけど、アリーナより、目立たなくて良いなあ。Sさん親子にご挨拶。大阪は、アリーナど真ん中、前から8列目だったが、今回のこの席は、もう、ぜーーんぶ見渡せる。こりゃ、なかなか良いかもしれません。さあ、始まりました。「TIME」最終公演オーラスです。嵐君の気合も、全然違った。もうね、ペンライトがものすごーーーーく綺麗嵐君達には、こういう風に見えていたんだなあと、Iさんと、話した。大阪は前過ぎて、全然わかんなかった。でも、嵐君は、遠い。小指くらいか、豆粒か(笑)でも、大丈夫、双眼鏡、今日はオペラグラスじゃなくて、バードウォッチング用の倍率の高いの持ってきましたから、潤君のハンサムな笑顔も、相葉ちゃんの素敵な姿も、二ノの可愛いお手振りも、大ちゃんの汗も、翔君の筋肉(笑)もちゃんと見えました。今日は、翔君、ものすごく、嬉しそうで、無駄な筋肉を何回も見せては、受けていた。潤君が今日はDVD用のカメラが入っていると言ったような気がしたので、横にいるIさんに「今、DVD用のカメラ入ってるって言ったよね?」と聞くと、「うん、言った、出るって言ったよ」キャー嬉しい!!17日に出る、前回の4月のドーム公演のDVDも、私が入った公演だった。またまた、自分の入った公演がDVDになるかもしれないなんて、最高です。二ノの700万円近いピアノ、やっぱ、良いなあ。で、衣装が、大阪と少し違ってた。大阪では、最初の衣装に羽なんて付いていなかったのに、色違いの羽をつけていた。翔君が、気に入って、一旦脱いでいた羽の付いた衣装をもう一度着て、踊る時、かおに突き刺さると話し、受けていた。それに潤君のソロのお帽子も、大阪じゃ、うさぎ色の淡いピンク色だったのに、東京ドームは、度派手な、スパンコールのついたキラキラお帽子だった。MJウォークも、大阪は、最初から吊ってあったが、東京ドームでは、メインステージに階段が用意され、下から、上って行き、途中から吊られた。DVDにするからか、MJウォークの時間が長かった。他にも、大阪ドームで、乗ったAの形の高いトロッコが置いて有ったが、東京ドームでは、最後まで乗らなかったし、所どころ、演出を変えてあった。最後は、もう、大騒ぎ、潤くんは、アリーナに降りちゃうし、ダッグアウトの屋根に乗って、ファンの子達が、ネットごしに触ってるし。「ファイトソング」ジャンケンで潤君が負けちゃった。「俺、さっきやったじゃん・・・」と言っていたが、結局、ゴムでビョーンビョーン。降りて来て言った一言に爆笑。「さっきMJウォークしたから、ゼーンゼン恐くネー」まあ、本当に負け惜しみで可愛い子なんだから最後のご挨拶。相葉ちゃんが、泣いちゃって、「ありがとうございました」しか言えなかった。でも、本当に本当に心のこもった、良い「ありがとうございました」だった。二ノが「相葉さん、泣きましたね~」ってちゃかしていたが、「今日で、長いコンサートも夏も終わりです。でも、終るって事は、始まるってことだからね」っと言った言葉が、しみじみ心に響いた。潤君のご挨拶にも、泣けた。思い切り、コール&レスポンスして、思い切り、振りを一緒にして、思い切り、嵐君と一緒に歌っていたら、横にいたSさんが「熱があるとは、思えない」と笑ってらした。うん、自分でも、何だか、物凄い、元気になった感じがします。トリプルアンコール2回目に出て来たとき、潤くん「折角、でてきたんだからさー」と叫んでいて、会場のコール&レスポンスが一段と高くなったら「そういうこと!!」って凄く嬉しそう。そしてそして最後は、私が大好きな「感謝カンゲキ雨嵐」この曲、駄目なんです。本当に、駄目なんです私。特に二番の歌詞は、泣かずに歌えない。さっき、本編で唄ったときは、一番だけだったから、少し泣いたけど、歌えたよ。それも、ムービングで、直ぐ下に来てくれ、二番までフルコーラスで歌ってくれた。「辛い時は甘えてと、強く思う~♪大事な人の愛が、心の包帯」そして、次が一番、私の琴線に触れる。「うまくなんて生きれない、それは誇り~♪助けてくれた君は、同じ眼をしてる、余裕を無くして、知らずに傷つけたかい、許して許されると、人は素直だね~♪」もう、号泣。「Smile again ありがとうsmile again 何度でも立ち上がれる、気がしてる僕の勇気は泉~♪」隣でIさんも、泣いてる。もう、本当に良い歌なのだ。私は、お祖母ちゃんの介護の間も、父の看病の時も、一番辛かったとき、この歌に何度、救われただろう。だから、この夏の「TIME」コンで、この曲がセットリストから無くなっていた時、本当に寂しかった。でも、やはり、皆がこの歌を望んだのだろう。「TIME」ドームコンのファイナルの大阪も東京ドームもセットリストに返り咲いていた。そして、この長い長い、夏のコンサートの最後の曲が、この曲だったこと、一生忘れられなくなるだろう。Iさんも私も、もう、涙、涙、後ろの席の女の子たちの泣く声も、聞こえてきた。本当に嵐君のコンサートは、暖かくて、優しくて、良いのだ。彼らは、もう、精一杯、私達に、歌で愛を示してくれる。こんなにメジャーになって、こんなに、観客動員数を誇るまでになったが、3年前とちっとも変わっていない。「ちゃんと、付いて来いよ~」と叫び、「皆を置いていくような事はしないから」と何回も言い、ファンに対しての言葉使いも、非常に礼儀正しく、大きな会場になっても、できるだけ、ファンに近付こうと、係り員が冷や冷やして警備するほど、近くに来ようとする。その嵐君達の気持ちが本当に嬉しい。一生懸命、1人1人に手を振ろうと努力し、大勢のファンに「いつもちゃんと見えているよ」と言うのも、あながちパフォーマンスじゃないなあと思う。嵐君のここが魅力なのだ。何度でも、その優しさや、励ましの心に触れたくなるのだ。そして思う。また、明日から、頑張ろうって。今回の天井席は、全て、見えた。前回の大阪では、後ろの方に行っちゃうと、何をしているのか、モニターでしか解らなかったが、確かに嵐君達は、小さかった、遠かったが、全部解った。そして、ステージの電飾のきれいだった事。ステージの演出も、全部トータルで見えた。大阪では、立ち上がる炎の熱さを身近に感じられたが、今回は、その演出の全体像が見られた。京セラドームの超近い席と、東京ドームの超遠い席。両方経験できたファイナル公演だった。天井席は、規制退場も一番最初に出られた。ドームの回転ドアの横のドアから出ようとしたら、物凄い内側から、押し出す風が、小さな入り口に突風を起こし、係員が、表に出て、出てくる人を受け止めるようになるまで、何人か、倒れていた。Sさん親子とは、その混乱の中、はぐれてしまった。Iさんとドームホテルに戻り、夕食に少し中華を頂いた。本当は、今日、体調が良かったら、嵐会が有って、懐かしい嵐友達と飲み会のはずだった。幹事さんにメールを送って、皆によろしくと伝えた。Iさんも、私も少しゆっくり、食事した。中華は、とても美味しかった。Iさんは、東京駅の近くのホテル。彼女、明日、朝一番の新幹線で戻らないといけない用事があったので、ホテルの表まで送った。部屋に戻ると、今、別れたばかりの翔君が、ニュースZEROに出て来た。さっき、「じゃ、ゼロ、いってきま~す」と最後に言って、はけた翔君が、涼しい顔をして立っていた。でも、声が少しかすれていた。これが、唯一のコンサートの余韻。そう言えば、大阪も月曜で、午後2時からのコンサートが、3時間半におよび、ゼロに間に合うのか・・と心配だったが、どうやら、伊丹空港から、飛行機で東京に帰ったことが、後で解った。さすがに東京ドームは、6時からのコンサートだったので、いつものように、2時間半だった。少し暑かったので、着替える時、熱を計ったら、あら、不思議、平熱36度5分に下がっていた。本当に、やっぱり、嵐君は、私のお薬なんだなあと、心から、実感してしまった。でも、昼間に寝てしまったので、なかなか寝られず、結局、「24」を二本見て、午前4時近くに寝た。本当に、今日、コンサートに参戦できて、嬉しかった。嵐君に心から、感謝。ホテルの前から見た東京ドーム。綺麗!
2007年10月08日
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熱は、36度8分まで下がった。ところが、ずっと下痢だったせいで、栄養がまったく摂れておらず、ふらふらする。髪が汚い。シャンプーに行こうにも、少し立ち上がって歩くと、ふら~。まずい、貧血になっている。とりあえず、髪を洗いに行こう。車に乗って、座っちゃえば、全然へいちゃら。近くの組合に属さない、年中無休、予約無しの美容院に行った。朝一番で行きたかったが、やはり、体が重かった。髪が綺麗になって、気分いっそう。下の薬局に行って、貧血に効くものは無いかと尋ねたら、出てきました、漢方薬とドリンク。両方でかなりな値段だが、まあ、背に腹はかえられない。えいっと購入。車に戻って、まずドリンクを飲んだ。そのまま帰宅し、泊まりの用意と、関係各所にメール。本当なら、明日、嵐友とランチのはずだったので、まず、そちらにキャンセル。それから、久しぶりに、お目に掛かれるはずだった、嵐友達との、打ち上げの飲み会も、申し訳ないけれど、キャンセル。ただただ、体調と相談の行動を取らないと、折角のオーラスが、嫌な思い出になっちゃうから。ごめんなさいなのです。夜、体調とまたまた相談しながらお泊りの用意。まだ少し、ふらっとするが、今朝ほどじゃなくなった。さすがに漢方。即効性のある漢方だそう。さあて、明日の新幹線の切符は予約したし、あとは、明日、もっと体調が良くなってくれることを願うばかり。何とか出かけられそうです。
2007年10月07日
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お医者さんの薬が効いたのか、熱が、ようやく37度に下がった。食事も摂れる様になったが、いかんせん、下痢が治らないので、貧血。少し動くと、ふら~っとする。やばいなあ。これで、明後日、行けるかしら・・・・。渋谷に取って有ったホテルを、高くて敬遠していた東京ドームホテルに変えた。そこの数千円で、無理をして、誰かに迷惑をお掛けしたら大変だもんね。行くだけ行って、公演は夕方からだから、ホテルにチェックインして、少し寝よう。でも、お約束のランチは駄目かもしれないなあ。それに、打ち上げの飲み会も無理かなあ・・・。色色、ご迷惑お掛けします。席は、大阪と真逆の天井席だから、途中で座っちゃっても、目立たないし、返って良かったかも。明日一日、何とか、元気になれますように。
2007年10月06日
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やっと、ホームドクターに行った。パパは、朝から会社のボーリング大会で、仕方が無いので、ハンドルにぶら下がりながら、自分で行った。車で3分ほどなので、助かるが、行って、どっと熱がまた出る思い。待合室は、座る場所がないくらい混んでいた。それも、中年以上の男性が一杯。何故?いつもは、お年寄りと子供ばかりなのに・・・。やっと呼ばれて入るまで1時間半。もう、ソファに腰掛けているのが、限界だったので、ほっとした。チビは、若先生で、私はいつも大先生。で、中待合で待っていたら、若先生が、「Aちゃん、いかがですか」と仰って前を通り過ぎた。「おかげさまで、良くなりましたが、私、うつされました」と言うと、笑ってらっしゃった。今に始まった事じゃないから、珍しくも無いだろう。大先生に呼ばれ中に入ると、いつものように「さあてKさん、どうしました?」と聞かれた。「Aがウィルス性の腸炎で一昨日若先生にお世話になったんですが、症状が一緒なので、移されたみたいです」と言うと、いつもの看護婦さんが笑った。で、点滴。ところが、薬は二週間に一度貰いにくるが、診察は久しぶりで、新入りの看護婦さんに当たっちゃった。私の血管は看護婦さん泣かせなのだ。細くて、点滴の時、往生するのに、この看護婦さんは無理だろうなあ・・・と思っていたら、案の定、針を入れてから、血管に入れられず、探られた。経験のある方はお分かりになると思うが、針を最初に入れられる痛さは我慢出来るが、探られる痛さは、物凄く痛い。キャー、もう辞めてよ!と言いそうになったとき、いつものベテランの看護婦さんが通った。・・・とその新しい看護婦さんが、とうとう助け舟を出した。こっちも、ほっとした。事なきを得て、無事、冷たい液が入っていく感じがして、落着。しかし、後で見たら、やっぱり回りが5センチほど赤くなっていた。勘弁してよ~。薬をもらい、帰宅。熱は37度8分に下がったが、相変わらず、腹痛と下痢。先に感染したチビは、もう、起きて色色してくれている。明日は、学校に行くと言う。嵐君、オーラスドーム公演まであと3日。何とか、治さなくちゃ。治るかなあ。用心のため、ホテルを変更。這ってでも行くからね!まってろよ、嵐!
2007年10月05日
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全く、熱が下がらない。アイスノンをしても、ロキソニンを飲んでもだめ。今日も、38度5分。早くお医者さんに行きたいなあ。チビは、人に移しておいて、もう大分良くなった。一家に同時に病人が二人は、久しぶりだなあ。何時ぞや、食べた天丼にあたって、3人が同時に寝込んだことが有ったきりだ。あの時は、情けなかった。それでも、一応の家事をする人が二人とも倒れると、流しの中は食器だらけだし、洗濯物はたまるし、参った。明日はお医者さんに行こう。
2007年10月04日
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とうとう、熱が上がった。38度7分。何だか久しぶりだなあ。どういうわけか、そう、だるくない。いつも、このくらい出ると、うん、うん、唸って、寝ているのだが、寝ているのに変わりないが、うん、うん、唸ってはいない(笑)笑える余裕がある。ただ、おなかが猛烈に痛い。お医者さんに行きたいのに、休み。なんとかの会で今日と明日は休診日だから、明後日までこのまま。チビがERで貰ってきた薬と、私がいつも飲んでる薬が一緒だったから、とりあえず、それを服用している。ゆっくり休もう
2007年10月03日
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熱を出した。どうしてなんだろうって、いつも思う。虚弱体質に生まれついたから、仕方が無いって言われれば、それまでだが・・・。ちょっと寒くなると、すぐに気をつけていても、熱を出す。病気に関して、流行に敏感なんだ。チビに移された。チビは、昨日の晩、熱が高く、いつものようにERにお世話になった。移されちゃたまらんと思い、うがいもしたし、風邪薬も飲んだが、夕方から、だるくて、熱を測ったら、37度5分。あ~あ、移っちゃった。如何してこう、弱いのかなあ。摂れるサプリメントは、全部取っている。外見的には、健康そのものに見えるから、余計、損をしちゃう。メチャメチャだるい。それなのに、頑張って夕食を作った。しゃけのムニエルと、ホウレン草の卵いため。それに昨日の残りのハンバーグ。チビは、38度5分まで上がったから、これから上がるだろう。8日のドームコンまでに治さなくちゃなあ。でも、風邪の症状は何一つない。おなかが痛い。多分、また、腸炎を伴う、風邪だろう。参った。大人しくしていよう
2007年10月02日
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今日から、10月です。今日で連続4日目の雨降り。梅雨の次に雨の多い季節です。そして一雨ごとに、涼しくなっていくのでしょう。じめじめはしますが、今朝は、お布団が恋しくなりました。1日の月曜日。会社では、後期の初日。学校では衣替えです。でも、私には、何も関係が無い。子供たちに制服は無いし、パパは、もう、ずっと同じ制服着てるし・・。ただ、TVだけが、季節のけじめの日を報じているだけ。最近、世の中を騒がせているお相撲さんの世界。ここも、古い体質なんだと、事件で露呈した。で、今日、TVをみてて、狐につままれた気分になった。お昼の番組に、龍虎さんが出て、辛口のコメントをしていた。あんりゃ?この方、亡くなったんじゃなかった?確か、グルメでらっしゃって、グルメ番組に沢山でてらっしゃって、それがアダになって、亡くなった・・・と思っていた。パパが帰宅して、「今日、龍虎さんが出てた」と言うと、やはり「え?死んだんじゃなかったか?」ほらやっぱり。「だって、出てたもん」二人で顔を見合わせて、本当に狐につままれたみたいだった。龍虎さんは生きてる。じゃ、グルメな元お相撲さんで、しょっちゅう、TVのグルメ番組に出ていた人は誰だ!?う~ん、龍虎さんは、検索して、確かに生きて活躍してらっしゃる事は、判明したが、亡くなった元力士が気になって、気になって仕方ない。これは、どうやって検索したら、解るんだろう。誰か、教えてくだされ。夜、安藤和寿さんが、自民党の議員に泣いてくって掛かっていたのが、目に飛び込んだ。老人看護の問題。私も、和寿さんの仰る事に賛成。老人看護や、認知症の介護は、した人じゃないと、なかなか解らない。私も、「介護した」と偉そうには言えないが、1年、認知症の姑の介護、世話をし、3年その施設探しや、病院探しに、奔走した。圧倒的に施設が足りなく、3年待ちはざら。こちらの都合も何も無い。しかし、「待つ」と言う事は、「死ぬ」ことを待つ訳で、複雑だった。また、昔の考え方の人は、公のものに頼らず、ご自分ですべて抱え込もうとして、心中と言う悲しい結果も生む。もっと、本腰を入れ、もっともっと、専門の学校を増やし、公の施設を増やし、これからくるであろう、3人に1人の介護の時代に対処してもらいたい。そして、ここが大切な事だが、認知症と、普通の老人介護は全く別物と言う認識が、余りになさ過ぎる。全く別物である事、もっともっと、知らせなくてはいけないと思う。お祖母ちゃんが亡くなって、もう、10ヶ月になろうとしている。やっと次の施設が決まって、仕事も家事も放って、1週間パパと奔走して、本当にやっと見つけて、ほっとして帰ったその深夜に、病院に搬送されたと知らせが入った時、どれほど、私やパパが、落胆したか、それは経験した人しか解らないだろう。そのままお祖母ちゃんは逝ったが、気の抜けた日々の中、本当に、心から、認知症の介護施設と、普通の老人介護の施設は、一緒じゃいけないと、強く思った。悲しいが、認知症の家族の介護は、はっきり言って、無理。それは、お祖母ちゃんのいた施設の方も、「ご家族の介護は無理です。少し離れた所にいらしてこそ、認知症のお年寄りに優しい気持ちがもてるのです」と、仰ってくださった。普通の病院に入院した時も、24時間完全看護の病院だったにもかかわらず、「認知症の看護は出来ませんので、ご家族にお願いします」と言われ、パパと、12時間ずつ交代で、病院に詰めた。普通の老人が入院したら、点滴の針を抜く事はないから、その間だけでも、ゆっくり休める。しかし、認知症のお祖母ちゃんは、ちょっとトイレにでも行こうものなら、その間に点滴の針を抜いて、部屋から居なくなってしまうのだ。認知症とはそういうもの。今は、納得もし、余裕でそういえるが、あのころ、私もパパも、そんな気持の余裕は無かった。夜中に寝てしまったパパは、靴におしっこされたり・・・・。政府の皆様、ご家族に認知症のご家族がいる方、もっと頑張って、より良い方向に向かって行ってくださるよう、頑張ってください。応援します。
2007年10月01日
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