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同じような価値観を共有できる人。仕事でもプライベートでも永く付き合っていきたい人との人間関係の基本である。この部分が一致していれば、細かいことはとやかく言わなくてもそれぞれの裁量で同じ方向へ向かって事を運ぶことが可能になる。特に仕事に関しては個人の持ち味を最大限に生かしたやり方によって、個人そのものも生き生きと輝けるものと信じる。ある中古車販売会社の壁に貼ってあった標語で気になってすぐメモをとったものがある。「自信と意欲を備えた輝く個人」私の理想にかなり近い目指すべき個人のあり方だ。
2004.07.31
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先週の日曜日のイバントのことが西日本新聞の筑豊版に取り上げられていて、商店街の主催者の方が記事を送ってくださった。浴衣姿でご乗車いただいたのは地元商店街の方だったが、そこにお二方の氏名・年齢まで掲載されていてビックリ!ここだけの話だが、私より目上の方とばかり思っていたら年齢は私より若かった。(おっと失礼。ここに書いたらここだけの話にならないか)(笑)本日の表題は私の勤務していた化粧品会社の代理店向け研修時のテーマだ。女性だけでなく、男性であっても「いつまでも若々しくありたい」という願望はあり、興味あるテーマであろう。この場ではとてもそのノウハウは書ききれないが、「自分に似合う色」や「カラーコーディネート」のことを学べたのは後々役に立っている。ナカムラミカコさんのようなプロではありませんが。。。
2004.07.30
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かつて、当時勤務していた会社の社長を空港まで車で迎えに行った営業マンが帰社するなり社長とのひとコマを報告。オートマの営業車の助手席に座った社長が一言「ブレーキを左足で踏んでみろ」と。勿論、通常右足だけで行うアクセル・ブレーキの操作を急に変更するのは慣れていないので非常に危険である。その営業マンもおっかなびっくり操作し、脂汗ものだったようだ。この報告を聞いてから自分でも実践してみたが、左足ではブレーキ操作をしたことがないので、最初の内は急ブレーキがかかったり踏み込みが足りない等、危険極まりない状態。が次第に慣れてくるとコツがつかめて右足ほどではないが、何とか操作できるようになった。信号待ちの時など使い続けている右足を休ませることもでき、覚えると結構便利なことに気付いた。通行量の少ない道等で少しずつ慣らしてからでないと危険を伴うので、お薦めはできない。ただ恐らく社長が言いたかったのは固定観念を捨てろ、ということではなかっただろうか。普通当たり前と思っていることをあえて違う方法でやってみる。そこから新たな発見や気付きが生まれる。ゼロからスタートして成功を収めた創業社長の言葉には一見しょうもないような言葉でもやはり重みがある。
2004.07.29
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TBS系のテレビ番組にて人生において勝利するのはIQの高い人間ではなくPQの高い人間である、というテーマのクイズ形式バラエティを見た。中には答を知っている問題もあったが、頭が柔軟でないと絶対解けない問題続出で興味深かった。単なる学歴や知識でなく、人生を生き抜いていく為の知恵や能力が今最も問われている。番組を見られなかった方、内容をリンク先で確認できますので、是非ご覧下さい。
2004.07.28
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一ヶ月ぶりの眼科検診。昨日、目の中でコロコロした感じがあり早目に検診に来たのだが、やはり緩んだ糸の抜糸を行い正解であった。再手術後、何とか経過は順調に推移しており感謝しかない。「喉元過ぎれば熱さ忘れる。」ということのないよう、あの悲惨な入院生活のことを脳裏にしっかり刻んでおかねば。。。医学の発達した現代に生まれてなければ、自分は失明とはいかないまでも超弱視を余儀なくされ、まっとうな生活はできていないと思う。心より「感謝」「感謝」「感謝」だ!
2004.07.27
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某市へ仕事で出向いたので、駄目もとで普段滅多に会うことのできない方に連絡を取る。期待はしていなかったが、うまく都合が付いて無事一緒に昼食をすることに。連絡手段は携帯メールのみ。そして不慣れな土地の待ち合わせ場所は手元の地図にて確認。無意識のうちにデジタルとアナログ両方を使いこなしていたが一昔前の携帯のない時代であれば絶対に会うことはできなかった。便利なグッズを使いこなすことによって、よりハッピーになれる時代。接近戦もアナログとデジタルの使い方次第ですね。
2004.07.26
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昨年、大水害で壊滅的な被害を受けた嘉穂劇場が復興したのを受けて近くにある本町商店街にて「復GOセール」が行われその最終日にアトラクションの一つとして呼んでいただく。本町商店街を出発し、嘉穂劇場までの往復周遊コースで約20分。途中、水害時の水面の位置が記録された場所があったが自分の胸元までもあり、改めて被害の凄さを思い知らされた。一年前のことではあるが、未だに崩壊したままの家や荷物が雑然と家から飛び出しているところも見受けられた。 商店街の中には長崎街道の大名行列を再現した立派なからくり時計があり、一時間おきにパフォーマンスがあった。今回根本的な人通りの少なさ等もあり思ったほどの乗車には結びつかなかったが、時間帯・ターゲット層・コース設定次第で大きく集客が左右されることを思い知らされた。大きな反省点だ。
2004.07.25
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筥崎宮・夏越まつりにて夕方より営業。参道の出店テントの中に楽天仲間のみらいXさんの会社名を発見。以前携帯メールを登録していたので、送信してみるとご本人は不在だが、スタッフの方がいるので是非立ち寄って下さいとのこと。タイミングを見計らってテント訪問し、スタッフの方よりジュースの差し入れをいただく。お互いに仕事中であったので、即現場に戻ったが今日は私一人ぼっち状態であったので、ほんのわずかな会話でも随分と気が紛れて精神的に救われた。お気遣いに本当に感謝致します。お祭り自体には近隣の方中心に大勢の方が来られていた。小さな男の子と一緒に通りかかったお母様が一旦スーパーに行かれた後、ペットボトルのお茶を差し入れに買ってきてくれた上にご乗車してくれた。同様のことは今までに何度も経験しているはずだが、不意のことで妙に心を打たれた。原点に戻る必要性をひしひしと感じた夏祭りの夜であった。
2004.07.24
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会社を辞めてからは滅茶苦茶な飲み方をしなくなったが、かつてのサラリーマン時代、私は酒乱と呼ばれるような飲み方を頻繁にやって、数々の失敗を繰り返した。ある時、当時の大酒飲み上司Iさんと一泊の出張で大分の日田市に出向いた時のこと。仕事を終えて得意先のMさんと3人で食事に出かけた。そろそろ寒くなってくる時期でお店で鍋物と共に濁り酒を一升瓶で注文。これが妙に口当たりがいいものだから、短時間で2本空けてしまう。更にMさんの身内が経営するスナックで2次会。ここからが悪夢の始まりで私は完全に「イって」しまった。心神喪失状態で記憶がないので、ここからの話は後から色々な方から話を聞いての私の行動の推定。ビジネスホテルに上司と共に戻った私は何故かまた一人で町へと飛び出す。ある病院の工事中の駐車場にたどり着き自分の部屋と勘違いして停まっていた車のワイパーを立ててスーツの上着を掛け一人で大騒ぎ。病室の方が警察に通報されてあえなく御用。私はブタ箱に保護されたのだ。翌日意識を取り戻した時はホテルのベッドに。上司が夜中に警察から呼び出されて私を引き取りに来てくれたのだ。もうこの日は仕事どころでなく大変!!!朝から警察、病院へと菓子折を持って謝罪に出向く。ただ救いだったのは病院に入院されている方が激怒されずに、笑い話のように許してくださったこと。「工事中でたくさん穴が掘ってあるのに、よく落ちなかったね。」と逆に感心されていた。今から17年も前の出来事です。「酒は飲んでも飲まれるな!」何度も肝に銘じている教訓ではあるが、その後も何年かに一度はつい失態を繰り返している。恥を人前にさらして己の戒めに。
2004.07.23
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夜、月に一度の食事会「ミカの会」参加。今回は私が幹事でイタリアンの要望に応えて楽天オフ会でも利用したことのある上呉服町のイタリア家庭料理の店unoさんへ。そろそろお開きに差し掛かった時、外の方から「ドーン」という大きな音が。何と乗用車と接触したタクシーがカーブを曲がりきれずにお店の前に突っ込んできたのだ。幸いけが人はいなかったが、タクシーの前輪がへし曲がって身動き不能になっていた。確率的にはそうそうこんな場面に遭遇することはないのであろうが、以前は飲み会の帰り、バイクで自損事故を起こして転倒、意識不明の男性に遭遇。救急車を呼んで運んでもらい無事助かったようで後日お礼を言いに来てくれた。災難は忘れた頃にやって来る、という戒めかも。unoさん、訪問車でなく、訪問者が増えてくれればいいですね。どうもご馳走様でした。
2004.07.22
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2月のボッキー会に参加されていたMさんからメールがあり天神で昼食。当時は保険関係の仕事をされていたが、現在は靴磨き&修理の出張サービス「靴みがき隊」の営業本部長になっていた。今年の年初TNCの番組で紹介されていたのを偶然見ていたので、その存在は知っていたが、身近な人間がスタッフになっていたことに驚いた。かつては町中の路上に多くいた靴磨きのおじさんやおばさんのやっていた仕事。代表の蒲池氏が利用した際、便利なのだが路上で恥ずかしい思いをしたのが起業の動機であると朝日新聞の記事にも掲載されていた。昔からある超ローテク・アナログで労働集約型の仕事にデリバリーサービスの概念を持ち込んだものだ。無店舗の出張サービスという点では私の仕事にも通じるものあり、参考までの話と知人の紹介をする。尚、現在は舞鶴にあるNTTドコモ自社ビルのすぐ近くに店舗を開設済み。アナログ・ベンチャーの今後の活躍を応援したい。
2004.07.21
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18・19日と出張で留守の間に宅配便の不在連絡票が2枚入っていた。本日19時以降であれば在宅ということで連絡したが待てど暮らせどやって来ない。21時まで待って20分程外出したがやはり来た形跡がなく、結局本日も受け取れず。この日記は21日に書いているが、19時半から20時半まで1時間だけ外出した時に訪問あり、またもや不在連絡票が。。。いつになれば受け取れるのだろう。宅配便自体は便利なサービスであるが、私のような一人暮らしの人間にとってはその受け取りが悩みの種でもある。私も少しだけ宅配の仕事をやった経験があるので、業者さんの大変さはよくわかる。いてもいなくてもまずは受取人に荷物の存在を告知するために訪問しなければならない。訪問した時に受取人の方が在宅であれば、それで配達完了で何の問題もないのだが、昼間の在宅率は極端に低く、不在連絡票を入れることがほとんど。ここから悪夢のような荷物のたらい回しが始まる。今の時期はお中元関連の荷物が集中する時期で、連日新たな荷物が大量に押し寄せて来る。とにかくどんどんさばいて配達を完了させたいのだが、在宅していなければ持ち帰りとなり、未完了の荷物がどんどん溜まる。新たな荷物と未完了の荷物の洪水で私自身もパニック、ノイローゼ状態になった。それ故、不在連絡票が入った際は早めに連絡を入れるようにしているのだが。。。最新のマンションであれば宅配ロッカーという便利な機能があって重宝する。が、私の所属していたP便の上層部の人間は「一回目の訪問では先様に失礼にあたるので、宅配ロッカーには入れないように。」等とほざきやがった。馬鹿か!!ただでも未完了の荷物が溜まる一方なのに、こんな通達聞いてられるか!と無視してどんどん宅配ロッカーに入れた。最も困ったのがオートロックのマンションで不在連絡票をポストに入れざるを得ない方。このポストがチラシであふれて、どう考えても見てくれてないだろうという方の存在。告知もできないので、永遠に配達も完了しない。本当に困ってある時たまたまそのマンションに入って行く人に便乗して中に入り込み、受取人の部屋の前に荷物を置いて受け取り票に自分でサインをする、というズルをした。幸い何のクレームも来なかったのでよかったが。それ位宅配便の受け取りには悩みがつきものなのだ!
2004.07.20
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松山千春のデビュー曲「旅立ち」。私にはつらい思い出のある曲。たまたまラジオから流れてくると大学4年の頃にタイムスリップしてしまう。風の「22歳の別れ」も同様だ。懐古趣味ではないが、70年代~80年代にはやったフォーク・ニューミュージックには詩の中の人物に自分をだぶらせて共感できるメッセージの込められていたものが多いと思う。最近の歌では少ないなあ、と感じるのは自分が年をとった証拠でしょうか。物理的な移動を伴わなくても心の中の旅立ちは存在する。今自分はどこへ向かおうとしているのか。日々の生活の中で時々見失いそうになるけど、自分の信念を貫こう。チューリップの「心の旅」もいいですね。
2004.07.19
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以前小倉駅のかしわうどんのことをこの日記で書いたが、今日その謎が解けた。やはり在来線でもホームによって出店している業者は違って、このかしわうどんは8番ホームにあるお店のもの。今日もたまたま門司港駅方面の列車を待っている時間に食べる機会に恵まれた。お店の横に張り紙があり、見てみると「人気ナンバーワン!クッキングパパでも紹介された小倉駅8番ホームのかしわうどん」と書いてある。実は隠れた名店だったのだ。皆様、小倉駅から門司港駅方面に行かれる際おなかが減ってたら一度お召し上がり下さい。何と言っても「290円」というのが許せる!
2004.07.18
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門司港レトロの業務終了後、小倉へ。昨日から小倉祗園太鼓の祭りが始まって、小倉駅前はすごい人だかり。かつては各町内ごとに出していた山車も最近は様変わりして、デパートや役所まで自前の山車を出している。それ以上に増殖しているのが「○○会」と名乗る太鼓集団。私の弟も「田町会」という実力ナンバー1の会に所属しているので、その辺は許せる。が、かつての暴走族のような集団が結成している太鼓チームもやたら目に付き、あまり印象のいいものではない。まあ、日頃の鬱憤を晴らすはけ口となっているであろうし、人に迷惑をかける行為に比べればよしとするか。私もかつては自分の出身町内で社会人初期までは出場していた。が、ある時を境に一切そこでは出場しないようになった。何故か?それは同じ町内で子供の頃から一緒に出ていた人間が勤務地の関係で中々帰省できなくなったこと。それと最も致命的なのは同じ町内の年長者達に全くやる気がないからだ。やる気のない人間と一緒にいるとはっきり言って楽しくない。これは仕事でも同様である。結局、昔からの友人のいる町内に出させてもらうようになり、他の町内からも一人また一人と増え、そのうちお祭りが同窓会状態に変貌していった。が、今年は中心人物が東京に転勤となり、山車もなくお祭り不参加。不完全燃焼状態の神谷商店です。ここは仕事に燃えるしかないか!
2004.07.17
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楽天仲間も募金活動に協力していた福田ひかるちゃんの訃報を聞く。死因は心臓移植手術後の拒絶反応だという。本当に気の毒であり無念ではあるが、真摯に受け入れなければならない。心よりご冥福をお祈り申し上げます。私自身は両眼とも角膜移植手術を受け、しかも左目は感染症によるトラブルで再手術まで余儀なくされた。結局3名の方から貴重な角膜の提供を受けたことになる。時間が経過するにつれ忘れがちであるが、普通に目が見えていることだけでも感謝の念を忘れてはいけないのだ。角膜に関しても拒絶反応というのは起こり得ることで、その予防の意味も含めて今でも3本の目薬を一日4回点眼しないといけない。もっと重病に苦しむ方に比べれば大して手間ではない。生きていること、生かされていることなんてつい忘れがちであるが、人の死をキッカケに改めて意識し、感謝の気持ちを新たにしたいものである。
2004.07.16
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博多祗園山笠のフィナーレ、追い山の日。夜中に目が覚め、ラッキーと思ったのも束の間。不覚にもまた眠ってしまい、目が覚めたら5時半。テレビにて櫛田入り後の道中しか見ることができなかった。ただ、昨年10秒差で千代流に追いつかれそうになった今年の一番流れ・西流が過去最高タイムにて雪辱を果たしたのはすごい出来事だ!昨年の屈辱を果たすべく、一年前から何度も繰り返された話し合いや勉強会・走りこみによる体力作り。そして最終的には心が一つになった、チームワークの勝利であろう。速さでは千代流・東流が定評あるところだが、そんな既成概念を覆す西流の快挙は弱者の自分たちにも大いに勇氣を与えてくれた。
2004.07.15
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先日の選挙でテレビ局が一斉に同様の報道番組を流した際、手元に映画のビデオがあるのを思い出し、久々に鑑賞した。タイトルは「ザ・フライ2」。マイナーだが私の好きな映画の一つで知人が譲ってくれたビデオだ。一般的にはB級ホラー映画の扱いをされているが、私は形を変えた純愛・家族愛物語だと思う。監督や脚本のスタッフに共通して言えるのは動物好きであることと、女性を性的道具としてしか見ない人間に対する怒りの感情である。ハッピーエンドの為その後続編は作られていないが、万が一主人公の恋人ベスが身ごもっていたとしたら、という設定でザ・フライ3も制作可能であろう。
2004.07.14
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先日のキャンプで島に渡る前の渡船場でのこと。Kさんが地元から参加の数人を集めてこんなことを言った。「遠方から一人で参加される方も多いので、一人で孤立した方がいないように、みんなで気をつけてあげてね。つい仲のいい人とばかり一緒にいるのはわかるけど、一人ぼっちで淋しい思いをする人が一人もいないように。」この言葉・気配りには本当に感銘を受けた。実は私自身がかつて同様の団体旅行に参加した際、まさに孤立して淋しい思いをしたことがあるからだ。自分がうれしいと思うことを人様にも施す。自分がいやだなあ、と思うことは人様にも体験させてはいけない。この発想から出たであろうKさんの発言。頭でわかっていても中々言える人はめったにいない。私自身もそうであったのだから。こんな本当に些細なことに気配りのできる人に私もなりたい。今回のキャンプで教わった最も貴重な教訓だ。
2004.07.13
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博多の町では本日「山笠」の追い山ならし。夕方都市高速の天神北ランプで下車して天神中心部まで、大渋滞の為に通常5分のところが40分もかかった。夕方以降、大安吉日ゆえか仕事の問合せや懐かしい友人から等、妙に電話の多い一日であった。極めつけは「神輿はありませんか?」という問合せ。さすがにこれは用意できないので、丁重にお断り。夜クリーニングを出しに行った帰り、食事を作る気力もなく以前から気になっていた住吉にあるちー坊の坦々麺へ。激辛だがスープが美味しくて全部飲み干した。また、坦々麺なのに何故か替え玉があるのも意外!それにしても「替え玉」は博多発のいいシステムだと思う。いきなり大盛を頼んで食べきれない時は困るし、普通盛りを頼んで足りない時も困る。このシステムの導入でお店も多少の売上げアップができるし、他の地域のラーメン店でももっと導入してもいいのになあ。
2004.07.12
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昨晩つい調子に乗って飲みすぎ、二日酔いでダウン。せっかく能古島まで来たのに、一度も海に入れず(><)うれしかったのは生まれて初めてそうめん流しを体験できたこと。子供は勿論、大人でも十分楽しめる。そばで商魂逞しそうな売店のおばちゃんがじっと観察していたが、この夏、自分の店の商売としてやり始めるかも(笑)夜まではとても体力がもちそうにないので、シーホークに寄った後、早々に撤収。帰宅後、仕事の問合せをいただいていた業者さんに電話。日程的に中々折り合いが付きそうにないので本日面談するために博多駅方面へ。近くまで行ったところで名刺を家に置き忘れて来たことに気付き、さすがに初対面なので再度取りに引き返し、タクシーで駆けつける。幸い商談はスムーズに進み、一件落着。今一番困っているのは自転車のパンク。修理に行く時間が取れないのです。早くなんとかせねば。。。
2004.07.11
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ボッキー会福岡事務局主宰の能古島キャンプに参加。博多駅発の行きのバス車内にいきなり名刺入れを忘れるチョンボに始まり、オオボケの連続。夜の宴会時には慣れないメガネをどこかに置き忘れてしまい、周囲の皆様方には大変ご迷惑おかけしました。それにもまして今回のキャンプを準備して下さった派遣屋きよみさん始め、スタッフの方には大変な作業をこなしていただき誠に感謝です。地元なのにお手伝いできず、恐縮しております。最後のキャンプファイヤーでやった色々なゲーム。特に新聞紙使った生き残りゲームは経費をかけずに盛り上がれて更にチームワークのよさが試される、とてもいい内容であった。私のいたチームが結局最後まで生き残ったが、とっさの判断力とにわかチームワークはメンバー自身も本当に驚くほどに素晴らしかった。これは応用できますね。
2004.07.10
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日記が溜まりすぎて手が付けられなくなりましたが、気合を入れて更新しています。夜、mash roomさんのお誘いで久留米まで出向き、ゆかたパーティに参加。私は手持ちの浴衣を2回目の着用。女性陣はほとんど浴衣で来られていたが、男性陣は甚平やら何故か新撰組の格好をした野郎やらと最後までよくわからないパーティであった。Sさんに車で福岡まで送ってもらい、到着したのが午前2時。明日はキャンプだというのに大変だ~!
2004.07.09
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日経新聞の記事の見出しに使用されていた言葉。空港へのアクセスが日本一便利であろう福岡にはもっともっとそうなって欲しい。ではよそにはない福岡が持っている魅力あるものは何か。私はその一つは博多の屋台であると思う。屋台の魅力は何であろうか。それは作り手とお客様の距離が近い「人の顔の見えるサービス」であり、たまたま隣り合わせた方も含めてすぐに仲良くなれる「コミュニケーション」であると思う。他県から遊びに来た友達にどこに行きたいか聞くと、ほとんどの人間が「屋台」と答える。博多にとっての屋台はもはや観光資源の一つでもある。一口に屋台と言っても博多ではラーメンやおでん、焼鳥だけではなく、天婦羅やイタリアン、バーまである。私の知っている屋台でラーメンを置いていないところがあり、「ラーメン下さい。」等とオーダーがあるとオヤジさんの機嫌が急に悪くなり、「ラーメンはラーメン屋に行って食べて!」と怒られる。そんな頑固オヤジの存在も魅力につながってはいるのでしょうが。屋台のことになるともっともっと話したいことはあるのだが、また別の機会に。
2004.07.08
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私の出身地・小倉にはサバやイワシの「ぬかみそだき」なる郷土料理がある。昔は何も意識せず食べていたが、ある一件を境にとても貴重な食べ物だということを知ってから帰省の際には母親によく作ってもらうようになった。大学生の時、友人の父親が大分から遊びに来ていて私が小倉出身とわかると「小倉なら、サバのぬかみそ煮が食えるやろう。あれは小倉でしか食えんが、うまい。」という話を聞いてからだ。何かの拍子にこの話を思い出して、一般家庭以外で取り扱っているお店を探し出し、試食。その中でも創業来30年以上になる老舗を小倉の台所・旦過市場で発見。ご主人に自分の思いを手紙にしたため交渉した結果、お気に入りの中のオンリーワンの神谷商店にて取り扱いさせていただけることになった。何故、小倉でしか食べられないのか?その秘密は小倉の家庭に代々伝わる「ぬか床」にあった。漬物をつけるぬか床なのだが、小倉では母から子へ、子から孫へと毎日かき混ぜながら代々引継ぎ、100年以上のものもざらにあるようだ。魚を煮付ける際にこのぬかを加えることによって青魚の臭みが消えただの煮付けでない味噌煮とも違う独特の味わいが生まれる。酒の肴にもご飯のおかずにもピッタリですよ。
2004.07.07
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熊本の宇土にて昼食に
2004.07.06
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「理解に苦しむ粗品」の話を一昨日記入したところ、何人かの方から掲示板に書き込みをいただいた。うれしい限りだ。なるほど、と思うと同時に自分の先入観の強さを反省した。「○○に使うもの」と用途が限定されているのではなく、「○○にも使える」応用の利くものであった。要は自分で工夫して勝手に便利だと思える場面で使えばいいのだ。世の中に転がっている色々な品物も本来の目的でなく、他の目的に転用すれば意外と重宝することもあり得る。先入観・偏見を取り除いて自分で物事を判断する目を養いたいものだ。
2004.07.05
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脱サラ後これまで色々な仕事をやってきたが、自分は一匹狼タイプだとつくづく思う。だから、他の人間と一緒に仕事をする場合も自分が組織のトップに立ってみたいな構図よりも同じように一匹狼的な人間と横並びで事にあたる方が性に合っている。大企業での法人営業のような仕事は最も合わないようだ。家業のレベルで末端のお客様に接する仕事は楽しい。そんな家業の販促支援的仕事は中々利益につながり難いので、誰もやりたがらない。ただ、ネットの存在がある今、仮想空間で経費をかけずに販促につなげる手法は十分考えられる。要は創意工夫次第だ。と言うわけで土曜日に商談成立した商材を神谷仮想商店にて取り扱うことになりました。一週間以内にアップの予定です。
2004.07.04
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久々に小倉へ帰省。無職の母親は最近地元の婦人会や敬老会等、地域貢献活動に積極的に参加しているらしい。先日治安の悪化している小倉で暴力追放パレードなるものがあり、参加したところ粗品が配布された。これが何に使うものなのか理解に苦しむ代物。上下に大き目のクリップと小さ目のクリップがあり、真ん中のつなぎの部分は折り曲げ可能である。以下写真撮影したものをアップします。お分かりの方、教えてください。
2004.07.03
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夜、カットしてもらう為に西新の津賀城ヘアークラブへ。閉店間際になったので、店長が特別に缶ビールを出してくれた。ゆっくりくつろいだ環境で一杯傾けすご~く得した気分!あまり大っぴらにはできないかもしれないが、サービス業の種類によっては応用できるかも。終了後、以前店長から話のあった11月婚礼予定のMさんを紹介してくれることになり、お店に呼んでいただく。久留米の神社での婚礼時に人力車を活用してくださることになった。Mさんは以前婚礼関連のカメラマン(厳密にはウーマン)をされていて私がやってる現場を見られたのがきっかけだ。私のHPをたまたま探し当てた際検索エンジン上で「津賀城」の名前が出てきたので、何で?というところから話が進んだ。見知らぬ人同士を結びつけ、垣根を低くしてくれる可能性をネットの世界は大いに秘めている。
2004.07.02
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今日は博多祗園山笠の始まる日であり、人力屋にとっては創業記念日にもあたる。その記念すべき日に先日手紙をしたためて依頼していたことが一歩前進。また昨日会ったHさんが来週から長崎へ長期出張が決まり、彼の壮行会を兼ねて私の家で食事をした。私も彼も組織に属さない人間。それに全く利害関係も絡まないので、前向きな話だけで楽しい時間が過ごせる。楽天仲間も似たような点があるから長続きできるのかも。キャンプを楽しみにしてます。
2004.07.01
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