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<佐藤浩市>改めて知る父・三國連太郎さんのこと 何を背負い、何を求めて生きぬいたのか 「ファミリーヒストリー」今夜4/30(水) 💛三國連太郎 、本名 佐藤 政雄 の生涯のすさまじさ三國は「僕は本当は佐藤じゃない」つまり実の父親は違うと漏らしていたという。母親が16歳の時、一家離散により広島県呉市の海軍軍人の家に女中奉公に出され、ここで三國を身籠り追い出されて帰郷した。帰郷の途であった静岡県の沼津駅で父親と出会い、1922年に父親の仕事先であった群馬県太田市にて結婚、翌年1923年1月に三國が生まれた。生後7か月のとき、一家で父親の故郷・静岡県西伊豆へ戻った。父親は男気があり、三國を愛し、旧制豆陽中学を2年で登校拒否し、退学する息子を殴りつけたが、その奥に愛情を感じたという。三國は下田港から密航を企て中国の青島へ渡った。その後釜山で弁当売りをし、帰国後には大阪で皿洗い、ペンキ塗り、旋盤工などさまざまな職に就く。昭和18年12月、20歳のとき大阪で働いていたが、徴兵検査の通知が来て故郷の伊豆へ戻り、甲種合格後、実家へ戻った。母親は「おまえもいろいろ親不孝を重ねたが、これで天子様にご奉公ができる。とても名誉なことだ」と手紙が来たが、「戦争に行きたくない。戦争に行けば殺されるかもしれない。死にたくない。何とか逃げよう」と逃げた。母に「ぼくは逃げる。どうしても生きなきゃならんから」と手紙を書いたところ、佐賀県呼子で船の段取りをつけていたところで憲兵に捕まり連れ戻された。中国へ出征する前、最後の面会にやってきた母が「きついかもしれんが一家が生きていくためだ。涙をのんで、戦争に行ってもらわなきゃいかん」と言ったが、父は「生きて帰って来い」と伝えたという。戦地で銃撃を受け、高熱を出したが治療はされず、蠅や虫がハイ寄る中でなんとか生き抜こうと決意した。三國は何度殴られても、銃を一発も撃つことはなかった。中国からの復員の際に、妻帯者は早く帰国できるということで、同じ佐藤姓の女性と昭和21年4月に偽装結婚し、同年6月に引き揚げた。宮崎県宮崎市の妻の実家に身を寄せて宮崎交通に入社、バスの整備士として2年勤務昭和23年)、女児を身籠もっていた妻と離婚して鳥取県倉吉へ行く松竹の「あなたの推薦するスター募集」に、倉吉時代に出入りしていた写真館の主人が三國の写真を送っていた。昭和26年、木下恵介の監督映画『善魔』に、主演として抜擢されデビュー、役名の「三國連太郎」を芸名にする◎俳優の佐藤浩市さんが、4月30日午後7時半から放送されるNHKのドキュメンタリー番組「ファミリーヒストリー」(総合)に出演する。佐藤さんの父親は昭和を代表する俳優の一人・三國連太郎さん。子は新進気鋭の俳優・寛一郎さん。親子3代にわたる役者家族の歴史をひもとく。佐藤は生涯“人間”を演じ続けた父が何を背負い、何を求めて生き抜いたのか、改めて知りたいとの思いで出演を決めた。
2025.04.30
コレステロール値を下げるナッツが判明【高コレステロールによる心臓病や脳卒中の対策に】米研究で明らかになったこと4/30(水) ナッツの中でもファンが多いピーカンナッツ。その理由も納得。美味しいだけでなく、どんな料理に加えてもアクセントになり、健康にも良いことづくし。ヘルスラインによると、ピーカンナッツには、食物繊維、銅、チアミン、亜鉛など、健康の鍵となる栄養素が含まれているため、血糖値の改善や、心臓・脳の健康にも役立つとされている。そして今回、そんなピーカンナッツを「最強スナックリスト」に追加すべき理由がまたひとつ明らかに。最近発表された研究によれば、ピーカンナッツにはコレステロール値を下げる可能性があるという。『American Journal of Clinical Nutrition』誌に掲載された新しい研究ランダム化比較試験では、138人の参加者が、普段食べているおやつの代わりに1日57gのピーカンナッツを食べるグループと、これまで通りの食生活を続けるグループに分けられた。12週間後、研究者たちは、ピーカンナッツをおやつに取り入れたグループの総コレステロールが約8.1 mg/dL低下したことを発見。さらに、悪玉コレステロール(LDL)やNon-HDLコレステロール、総コレステロールと善玉コレステロール(HDL)の比率、中性脂肪(トリグリセリド)の数値も減少しており、ピーカンナッツを食べなかったグループと比較して、総コレステロールは約3.75%、悪玉コレステロールは約6.6%低下していた。ただし、わずかなマイナス面もあり、ピーカンナッツを食べたグループは、通常の食生活を続けたグループよりも体重が増加したという結果が出ている。このメカニズムについて、研究では詳細に触れられていないが、専門家たちはいくつかの理論を提案している。まず、ピーカンナッツには不飽和脂肪、食物繊維、植物ステロールが豊富に含まれており、これらが血中コレステロールを低下させると説明するのは、この研究の共著者であり、ペンシルベニア州立大学栄養学部の准教授、クリスティーナ・ピーターセン博士。さらにこの研究では、ピーカンナッツが不健康なおやつを“置き換える”形となり、参加者がより健康的な選択を意識するようになった点も指摘されている。ピーカンナッツにはオレイン酸もたっぷり含まれており、これは不飽和脂肪の一種で、LDL(悪玉コレステロール)やHDL(善玉コレステロール)の低下と関連していると説明するのは、『The Little Book of Game-Changers』の著者で管理栄養士のジェシカ・コーディング氏。「オレイン酸は一般的に心臓に優しい脂質と考えられています」また、ピーカンナッツには水溶性食物繊維も豊富であり、これが胃の中でコレステロールを吸着し、体外に排出するのを助ける働きがあるとコーディング氏は説明する。「この食物繊維はコレステロールの管理に非常に効果的です」もう一つ考慮すべき点がある。コーディング氏によると、ピーカンナッツに豊富に含まれるポリフェノールや抗酸化物質が、細胞を酸化ストレス(体内のフリーラジカルと抗酸化物質のバランスが崩れ、細胞が損傷すること)から守ってくれるという。「食生活の乱れや座りっぱなしのライフスタイル、ストレスなどで細胞が大きなダメージを受けていると、体は効率的に機能できなくなります」とコーディング氏。「抗酸化物質が豊富な食事は細胞を助け、食べたものから脂肪を効率的に排出するなど、体の機能を手助けしてくれます。これが、コレステロールの数値にも反映されることがあるのです」ピーターセン博士によると、1日約57g(軽く手のひら2握り分)を目安に食べるのがベストだという。
2025.04.30
信長の朱印状 約100年ぶりに発見織田信長と親交があったポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスが「地上の天国」と称賛した宗教都市があった。その絶頂と没落を伝える史料が約100年ぶりに発見された。滋賀県東近江市の百済寺(ひゃくさいじ)で所在不明になっていた信長の朱印状の原本だ。発表した市の担当者は「探し求めてきた史料がようやく姿を現してくれた」と歓迎している。
2025.04.30

通信108号より・I先生から返信のメール。「おはようございます。分かり易い書籍のご出版おめでとうございます!一気に読ませて頂きました。・・・・・・行動力は正に尊徳先生の至誠と実践そのものですね。有難うございました。」・静岡文化芸術大学図書館が「安居院庄七と鷲山恭平」を蔵書としていただいた。初めての大学図書館の蔵書である。書庫ではなく、2階新着図書コーナーに開架図書で置かれているのが嬉しい。「絵と地図を見て遠州報徳の広がりがわかる」(『報徳』5月号47頁の「ご案内」から)本を学生の皆様に手に取って読んで貰うことを切望する(^^)
2025.04.30
米経済再建は「関税ではない」大ベストセラー「21世紀の資本」著者の指摘が話題世界的なベストセラー「21世紀の資本」の著者で仏経済学者のトマ・ピケティ氏が、「過去の米国の経済的な優位性を育んだのは関税でなく『教育』」と発言したピケティ氏はフランスの経済学者で、専門は経済的不平等。歴史比較の観点から緻密なデータをもとに、世界に広がる経済格差とその対策について説いた考察本である同著が、世界各国で驚異的売り上げを誇る大ベストセラーになった。「21世紀の資本」では、現代資本主義における格差拡大のメカニズムが分析されているが、同氏の理論は、「資本収益率(r)が経済成長率(g)を上回る場合(r>g)、必然的に富の集中が進み、格差が拡大する」というもの。「簡単に言うと、世の中は資産家とその他で形成され、資本を持っていれば勝ち。なければ負けで、富が公平に再分配されていないことが、貧困が社会や経済の不安定を引き起こしているという。そして、その格差を助長しているのがグローバル化だと。そのため世界じゅうで、『累進課税の富裕税』を導入し、資産の再分配をする。それこそが格差拡大に歯止めをかける大胆なアプローチになる、と指摘しています」(経済部記者)「トランプ氏の場合は、現行の貿易システムによりアメリカが『敗者』になった。だから内需によって国家を成り立たせるとして、関税を課すとしています。しかし、ピケティ氏によれば『本当の敗者』は米国でなく、アフリカや南米、南アジアといった地域にある最貧国。そして、過去の米国の経済的優位性を育んだのは関税などでなく、米国がこれまで培ってきた『教育』なのだと。つまり、教育の拡充こそが米経済再建のためには最重要課題である、と指摘しているんです」「アメリカの教育は今だけでなく、未来の社会で生き抜くための本質的なスキルを身につけることが重視されていて、P21もその一つ。同事業設立時には、アメリカの連邦教育省が 150 万ドルを提供。アップルやシスコ、デル、マイクロソフトといった情報技術系企業が中心となり、教育界からも全米教育協会が参画し、文字通り、21世紀を生き抜くための教育が実践されています。つまり、教育に投資することこそが、将来のアメリカ経済を活性化させていく起爆剤になるということです」
2025.04.30
英紙の視点「トランプ関税によって日本が持つ圧倒的な“生存本能”が試されている」4/24(木)英経済紙「フィナンシャル・タイムズ」この激動の時代を生き残るため、明治維新と戦後復興という二つの転換期を乗り越えた日本の「生存本能」に注目すべきだ筆者は断言する。表面的には大きな危機に直面しているように見えるかもしれないが、日本はその戦略を知っている。トランプはグローバル化によって、米国が諸外国に搾取されてきたと考えているが、実際にはその恩恵を大きく受けたと大多数が思っているだろう。日本もまた戦後の約80年間、グローバル化によって飛躍的な成長を遂げてきた。日本は1960年代後半に世界第2位の経済大国へと躍進し、それから40年以上にわたりその地位を堅持した。バブルの崩壊により経済成長が停滞すると中国に抜かれたが、その後もグローバル展開を拡大する道を突き進んだ。近年、日本企業の海外法人の売上高は1991年と比べておよそ3倍に増えている。CLSA証券の日本担当ストラテジストであるニコラス・スミスは、「東証株価指数(TOPIX)が示す日本企業の収益は、世界経済の成長と連動している」と指摘する。彼によれば、日本企業の業績は世界経済の動向をいち早く示す世界総合PMI(購買担当者景気指数)と密接な相関関係にあるという。日本は戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の草案をもとにした現行憲法に則り、平和主義的な起業家精神を発揮して利益を得てきた。深刻な天然資源とエネルギー不足の問題を各国との貿易によって克服する一方、あらゆる販路を通じて積極的に日本製品を売り込み、企業買収や知的財産(IP)も活用した。米軍の傘の下で平和な日常を送りながらも、環太平洋地域における「沈まない空母」としての地位もしたたかに確立した。日本は、グローバル化と世界秩序、パクス・アメリカーナ(米国覇権のもとに成り立つ平和)のトライアングルの上に築かれた、最も洗練された先進国だ。その過程で培われた国力が、日本に文化大国としての富と地位、そしてゆとりを与えた。こうした経緯を考慮すれば、日本がここ数ヵ月間、激しく動揺したのも無理はない。トランプの大統領就任によって日本が失うものはあっても、得るものは皆無だ。どう転んでも経済的、社会的、地政学的な打撃は免れないだろう。2月の石破茂首相の米国訪問は円滑に終わり、成功だと評された。だがその後、トランプは日米安全保障体制への疑念を公然と表明した。さらに日本が関税免除の約束を取りつけ損ねたことも、国内の不安を増幅させた。いまや政治家、官僚、企業幹部、自衛隊関係者だけでなく、日本の誰もが自国の行く末を案じている。とはいえ、「トランプ政権は日本に災厄しかもたらさない」という予測は、グローバル化の時代にこの国がいかにうまく立ち回ってきたかを忘れている。それは日本の適応能力と圧倒的なプラグマティズム、生存本能を見落とすことにほかならない。たしかに世界のこれまでの地政学的・地経学的環境は、驚くほど日本に適していた。だが日本の成功は、同国が変化にあわせて迅速かつ的確に動き、その状況に順応してきた結果だ。たとえば1989年の天安門事件以降、日本は中国進出のチャンスをいち早く捉えた。そのスピード感は日本政府にとっていまもなお、グローバル化を活用した最も優れた業績のひとつに数えられる。戦後秩序の崩壊は避けられないと考える日本人は、今後の行く末が目に見えるようだと話す。少子高齢化と人口減少に歯止めがかからないこの国は、スピードと気迫をもって時勢に適応することが再び求められているのだろう。いまよりも若く、血気盛んだったときに日本はそうした局面を二度経験した。最初は19世紀後半の明治維新、次は1945年以降の戦後復興と近代化だ。国として存続するため、イデオロギーを捨て去る──これがいまも昔も変わらず、日本が生き残りのためにとってきた戦略だ。他に大切なものがあっても、生存本能を最優先させる。簡単に真似できることではないし、真似しようとする国も少ないだろう。それでもやはり、日本のこの比類なき生存本能が新しい時代にどう発揮されるかは、注目に値する。
2025.04.30
中国の景況感減速 「景気判断の節目」3か月ぶりに下回る中国の製造業の景気の良しあしを示す指数が判断の節目となる「50」を下回りました。中国の国家統計局によりますと、4月の製造業の景況感を示す指数である「製造業PMI」は49.0となりました。3月より1.5ポイントの大幅な下落となり、景気の良しあしを判断する節目の「50」を下回りました。50を下回るのは1月以来、3か月ぶりです。中国とアメリカは互いに報復関税を課した状態が続いていて、こうした動きが中国の景況感悪化に影響した可能性があります。ロサンゼルス港、アジア輸入貨物が来週35%減へ 中国貨物停止=幹部米国の主要な貿易拠点であるロサンゼルス港のエグゼクティブディレクター、ジーン・セロカ氏は、アジアからの輸入貨物が来週に35%減少する見込みだと明らかにした。29日のCNBCとのインタビューで「関税を理由に多くの米大手小売業者が中国からの貨物輸送を全面停止しており、貨物量は急減している」と述べた。停止された中国からの貨物輸送はロサンゼルス港全体の約45%に相当するという。セロカ氏は、中国と何らかの合意や枠組みが成立するまでは、一部のコモディティーを除き、同国からの貨物量は非常に少ないと予想。ロサンゼルス港の輸入は今年後半に少なくとも10%減少するとの見通しを繰り返した。カリフォルニア州南部のロサンゼルス港とロングビーチ港は中国からの貨物の主要な受け入れ港で、米中貿易摩擦の影響を最も受けやすい。
2025.04.30

「安居院庄七と鷲山恭平」が袋井市立図書館、月見の里のほか4つの小学校と1つの中学校の蔵書となった。
2025.04.30
「生活即禅」20洗面哲学 次は洗面の偈ですが、恐らく世界で洗面ということについて、これほどよく教訓しているものは外にあるまいと思う。まず楊枝を横に拈じて、手執楊枝、当願衆生、心得正法、自然清浄、楊枝に歯磨粉をつけて、晨嚼楊枝(しんしゃくようじ)、当願衆生、得調伏牙(とくちょうぶくげ)、噬諸煩悩(ぜいしょぼんのう)、顔を洗うのにどんなことをやってもよいかというに人の見える所で、口の周りを歯磨き粉だらけにして辺りかまわずげーげー吐き出されては溜らない。漱口の時、澡漱口歯(そうそうくし)、当願衆生、向浄法門(こうじょうほうもん)、究竟解脱(くぎょうげだつ)、やはり人に不愉快な感じを与えないように、そして後で人の迷惑にならないようにやらなければならぬ。ここに洗面哲学、洗面の宗教があると思う。洗面の時、以水洗面、当願衆生、得浄法門、永無垢染(ようむくぜん)「我々は最小限度の水で最大限度の礼儀と最大限度の信念と最大限度の態度の鍛錬をする。」洗面それ自身鍛錬であります。それから我々はご飯を食べる。(「生活即禅」p.58)
2025.04.30
「報徳の歌ー二宮尊徳道歌から学ぶー」小関栄著 (158頁)9 終わりに喰呑(くいのみ)と着ると住居(すまい)の三つの徳は 忘るる時ぞ身はせまりけり 日々の生活に最も必要なのは衣食住です。これは当然のことながら、満ち足りているとこの有難さは忘れがちです。いざ災害や事件などで異変が起きて、一つでもこれが欠けた時には、普段の生活が壊れてしまうものなのです。 平和な毎日に慣れきって、何の不自由も感じない人たちでも、その有難さを「忘れる時」は、「身はせまる」とは、差し迫ってどうにもならないほど生活に困るものと心得ておくことが必要と強調して詠っているのです。 我々は、まず現実的に生きることであり、そのために、少なくも、衣食住が満たされることで、報徳訓にも「身命の長養は衣食住の三つにあり」と示されています。 普段から、この衣食住の三つの徳に、常に感謝の気持ちを忘れずに、肝に銘じおくことが肝要と教えています。 飢餓直前の天保4年1月21日の日記に書かれた歌です。
2025.04.30
頭抱える米大豆農家 対中輸出に暗雲、関税引き下げ訴え トランプ政権100日4/30(水) トランプ米政権が中国に145%の高関税を課し、中国も対抗して米国からの輸入品に125%の関税をかけたことで、米中間の貿易が困難な状態となる中、中国に農産物を輸出する米国の農家は頭を抱えている。 特に大豆は輸出の約半分が中国向けで、高関税が長引けば、ブラジルなどにシェアを一段と奪われかねない。農家からは早期の関税引き下げを求める切実な声が上がっている。 「あすにも貿易戦争が解決されてほしい」。穀倉地帯の中西部ノースダコタ州で大豆やトウモロコシを育てる農家で、米大豆協会(ASA)会長のジョシュ・ガックル氏(50)はこう訴えた。国内各地で作付けが進むが、米中対立が長期化すれば、対中輸出が減るのは必至。「農家は既に物価高で苦境にあえいでいる。関税は泣き面に蜂だ」と嘆く。 第1次トランプ政権下でも米中は関税をかけ合い、2018年の米農産物の対中輸出は前年からほぼ半減した。一方で中国は、物流網を整備して国際競争力を増したブラジル産大豆などへの切り替えを進め、米国産のシェアは下がった。 ニップンの服部秀城チーフグレインアナリストは、「今秋収穫する穀物の購入契約が結ばれる7~8月ごろまでに米中関係が改善しなければ、中国の大豆輸入に占める米国産の割合はさらに低下する恐れがある」と分析。欧州連合(EU)などでも米農産物の輸入が減るリスクがある。 昨秋の米大統領選では、農村部がトランプ氏の有力な支持基盤として勝利に貢献した。米政権は農家救済のため補助金を打ち出す可能性もあるが、ガックル氏は「農家は公正で自由な貿易市場へのアクセスを求めており、政府の補助金には頼りたくない」と強調。あくまで関税引き下げを求めている。
2025.04.30

静岡文化芸術大学図書館が「安居院庄七と鷲山恭平」を蔵書としていただいた。初めての大学図書館蔵書である。書庫ではなく、2階新着図書コーナーに開架図書で置かれているのが嬉しい。「絵と地図を見て遠州報徳の広がりがわかる」(『報徳』5月号47頁の「ご案内」から)本を学生の皆様に手に取って読んでもらいたい(^^)
2025.04.30
報徳記巻之5 【8】小田原領中興國安民の道を開業す その1報徳記&二宮翁夜話198「安居院庄七と鷲山恭平」を本年2月出版しました。本書はすでに安居院庄七の生誕地・秦野市及び足柄上郡各町の教育委員会を通して、図書館・公民館図書室・全小学校・中学校に寄贈しました。安居院庄七終焉の地、浜松市の全図書館にも寄贈し、浜松市立中央図書館では、既にに蔵書となっています。また東京都立図書館の蔵書にもなっております。現在、神奈川県と静岡県の公共図書館に寄贈を進めています。神奈川県秦野の大山御師(相模国大山の先導師)の出身で、50歳過ぎてから「報徳の教え」に目覚め、「報徳を広める」志を抱いて、遠州一円に報徳の教義を伝え、報徳社を続々と設立させた安居院庄七、その教えを受けた遠州報徳の指導者達、そして安居院先生の伝記を記した鷲山恭平氏に連なる遠州報徳の指導者たちの偉大な功績を広く次の世代に、そして現代共に生きる人々に知らせるプロジェクトです。報徳記 巻之五【8】小田原領中に興国安民の道を開業する小田原候が逝去され、下は百姓に至るまで赤子が慈母から離れたように、悲歎にくれていた。嫡子の讃岐候は父君に先立って逝去されており、嫡孫の仙丸君が幼年で世を継いだ。家老の辻と吉野以下は、先君の遺言を奉じて、領村の再興を先生に委任しようとして、評決した上で、天保9年先生に命じて言った。「野州三村を再復し百姓を撫育した良法を小田原領中へ移し、永安の道を開くべし」先生は謹んで命を受け、その後に居ずまいをを改めて家老以下にこう言われた。「先君は寛仁にあらせられ、国民を安んじようと政治に心思を尽くされ、かってしばしば私にこの事を問われました。『私が思うに、小田原上下の勢いは、これを四季にたとえると秋冷の時に当たります。秋は春夏生々の五穀が皆熟し、一年中で豊かなことは秋を最上とします。世人は、この時に当たれば、後日の艱難を考えることなく前日の艱苦を忘れ、ただ目前の贅沢を快しとします。これが凡情の常であって遂には貧苦を免れない理由です。小田原上下は先年困窮が極って、高禄の重臣であってもその日の活計に困しみました。しかるに最近ようやくその困窮を免れて、しいて領民の租税を増し借債を償わないで、水草が根がなくて花を開いているような事態に及び、贅沢を常とし節倹を憎んで、なお、この上の豊富を望んで不足心がやみません。いささかも後難を憂うる心がありません。このような人情にあたって、上を損し下を益し、節倹を行い永安の道を確立することは困難です。ああ、時は既に秋に当たっていて、いかんともすることができません。君はこれを憂えられ、臣をして永安の道を立てようとされますが、人情の背くところ上下の時勢に反して道を立てることができましょうか』と言上した。先君は沈吟して、やや久しくして言われました。「汝の見る所は時勢的然である。現在は行うことができないといっても、嫡孫の仙丸の代には行うことができようか。汝は今よりその備えをなし、後年は必ず永安の道を開いてくれよ」と命じられた。私はその行うことが困難なことを知ってはいましたが、先君が国家を憂労される事はこのようでした。しかるを後年といっても、なお困難であると言上すれば、君の苦心を安んずることができません。やむことをえず、『後年仙丸君の時に至るならば行れる時も至りましょうか。成不成にかかわらず臣の分量をば尽くしましょう』と言上しました。」報徳記 巻之五【8】小田原領中興國安民の道を開業す小田原候逝去(せいきょ)し玉ひ、下(しも)百姓に至るまで赤子(せきし)の慈母に離れたるが如く、茫然として悲歎に迫れり。嫡子(ちゃくし)讃岐候(さぬきこう)は父君(ちゝぎみ)に先立ち逝去し、嫡孫(ちやくそん)仙丸君(せんまるぎみ)幼年にして世を繼(つ)ぐ。是(これ)に於て大夫(たいふ)辻(つじ)吉野(よしの)以下先君の遺言(ゐげん)を奉じ、領邑(いふ)再興の道を先生に委任せんとし、既に評決して、天保九戊戌年(つちのへいぬのとし)先生に命じて曰く、野州三邑(いふ)再復百姓撫育(ぶいく)の良法小田原領中へ移し、永安の道を開くべしとなり。先生謹(つゝし)みて命を受け、然後(しかるのち)端(たん)を改めて大夫(たいふ)以下に謂(い)ひて曰く、先君、寛仁にして國民(こくみん)を安んずるの政(せい)に心思(しんし)を盡(つく)し、曾(かつ)てシバシバ臣に此の事を訊問(じんもん)し玉ふ。微臣(びしん)思へらく、小田原上下(じやうげ)の勢い之を四時に譬(たと)へんに秋冷(しうれい)の時に當(あた)れり。夫れ秋は春夏(しゆんか)生々(せいせい)の五穀皆熟し、周年中(しうねんちゆう)の豊饒(ほうぜう)なること秋を以て最上とす。世人此の時に當(あた)れば後日の艱難(かんなん)を慮(おもんば)らず前日の艱苦を忘れ、惟(たゞ)目前の奢侈(しゃし)を以て快(こゝろよ)しとす。是凡情の常にして遂に貧苦を免れざる所以(ゆゑん)なり。小田原上下先年困窮極り、高禄の重臣と雖も今日(けふ)の活計に困しめり、然るに方今(ほうこん)漸々其の窮を免れ、強(し)ひて領民の租税を増し借債(しやくざい)を償わず、水草(みづぐさ)の根なくして花を開けるが如くなる時に及び、奢侈(しゃし)を常とし節儉(せつけん)を惡(にく)み、尚(なほ)此(こ)の上の豊富を望み不足心(ふそくしん)息(や)まず。聊(いささ)か後難を憂ふるの心有らず。此(こ)の如くなる人情に當(あた)りて、上(かみ)を損し下(しも)を益し、節儉(せつけん)を行ひ永安の道を確立すること豈(あに)難(かた)からずや。嗚呼(あゝ)時既に秋に當(あた)れり、如何(いかに)ともすべからず。君之を憂ひ臣をして永安の道を立てしめんとし玉ふといへども、人情の背く所何を以て上下の時勢に反し道を立てることを得んや と言上す。先君沈吟(ちんぎん)良(やや)久しくして曰く、汝の見る所時勢(じせい)的然(てきぜん)なり。方今(はうこん)は行ふこと能はずと雖も、嫡孫(ちやくそん)仙丸の代には行はれんか。汝今より其の備へをなし、後年(こうねん)必ず永安の道を開くべし と命じ玉ふ。某(それがし)其の行はれ難きことを知れりといへども、先君の國家(こくか)を憂勞(いうらう)し玉ふ事是(こ)の如し。然るを後年と雖も猶(なほ)難からんと言上せば、君の苦心を安んずるの道なし。已(や)む事を得ず後年仙丸君の時に至らば行はるべきの時も至らんか。成不成(せいふせい)に拘(かゝ)はらず臣の分量をば盡(つく)すべし と言上せり。
2025.04.30
東司の修行 洗浄偈 左右便利 当願衆生 向無上道 得出世法 已而就水 当願衆生 向無上道 得出世法 以水滌穢 当願衆生 具足浄忍 畢竟無垢是は御便所についてです。私の所では大便所小便所と言う所が、この頃は御手洗所と改称した。昔は厠(かわや)と言った。私は九州の田舎を知っているが、ちょう所(づ)という。手水所というのをちょうづというのです。それはあまり俗名で雪隠(せっちん)ともいう、禅寺では東司(とうす)今でも言います。東司はもう臭くなって便所。なるほど用便する御用です。はあ、あの御用です。御用場は何の御用をなさる所です。それが大便所小便所、今は御手洗所。手を洗わねばならぬような穢い手の汚れることをする場所とこういうふうになったが、昔は洗浄という。つまり汚れた所を清めるという意味である。昔は便所で唾を吐くと勿体ないと言っていた。それから便所で鼻歌をうたうと馬鹿になるとも言った。それなのに便所で落書をしたらどうなるか。近所隣り同志壁を隔ててやあどうだいと話をする。書生の修養の足りなさ。 お便所の中は道場です。小便がひっかからないように狙いを定めてする。「およそ生活というものは狙いです」どこかの便所に狂歌が書いてあった。「急ぐとも心静めて中にせよ ゆがんでおれば是非もなけれど」小便をする態度が悪いと女中さんや奥さんが大変迷惑する、一人だけでない大勢の人に迷惑が掛かって来る。学校などで小便所の中に煙草の吸殻を投げ込む人があるが、あれが塞がったら大変です。そういうふうに煙草をくわえながら爺むさい態度で便所に入ることは君子聖人の態度と言われない。 お便所の中はよい所です。なぜかといえば誰も見ていないからです。誰も見ておらない所で立派な態度を執ることを私は宗教生活と言う。 唯独自明了余人所不見 自分が自分へ。明るい自分が自分になりきる、こういう事であるから、自己に恥じない良心というようりも、もう少し徹底したようなものです。そういう自己に恥じない者がそれが神様に恥じない仏さんにも恥じない。そこで唯独自明了。人から見られない世界において本当の生活をする。そうすると便所で本当の生活をするということは非常に宗教的である。自分が自分へ透明である。自分が自分へ明らかで、人に見られない所で本当のことをしておる。人の見ている所ではつまらないことはしない。あなた方の見てござる所では正直にしておる。人の物を取るということはどんな大泥棒でも手を出しやしない。向こうを向いておるとひょっとしてやる。それでは宗教ではない。あなた方が見ておる所で善人ならば大したものではない。あなた方が見ていない所で、善人が本当の善人である。それは私らの見ている所では小僧はおとなしいなかなか善良な小僧だが、我々が外出するとその留守に悪いことをする。それでは宗教的ではありません。ただ制裁が恐ろしいから、そこで手を引っ込めておるのである。それを駒繋(こまつなぎ)とか鼠伏(そふく)とかいうので、荒馬が繋がれているようなものです。馬がおとなしいようですけれども、仕方がないとかヒヒンと立ち往生しておるので、もし放したら随分荒れるやつです。電気をつけると鼠はじっとしておる。米びつの陰でごぞごそやっていてシツシツといっても暗がりだから一向平気だ。ところが電気をつけるとちょくちょくとどこかへ入る。もういいだろうと電気を消すとまたガサガサ活動する。まあお互いにあの通りです。人はどうか知らぬが今までお互いに大概そうしたものです。そこで我々は養わなければならぬものは人から見られない世界において、本当に正しき事をすることで、便所が修養道場であるということはむべなるかなである。それについて便所の壺の外へ紙が落ちればいい。それで毎日便所を覗いては竹棒で落しに行くのです。なるほどそのお婆さんが喧しく言うということだったが、気をつけるだけ実に綺麗なものです。それは便所はたださえ穢いのに落とした紙に小便がかかり、それにいろいろなものがかかってこびりついているから、なおさら穢い。穢いからなるべく美しくしなければならぬのです。そのお婆さんは喧しく言うので、娘さんが落とすつもりではないが、紙のほうがぷーと逃げるのだから仕方がない。そこが人間の心掛けというものであって、それを後でよく固めて落とせば壺の中より外に落ちないようにいくらでもできるものであります。こういうところが、人間の心掛けとして大切なものである。それから洗面のことである。(「生活即禅」p.53-57)
2025.04.29
「報徳の歌ー二宮尊徳道歌から学ぶー」小関栄著 (157頁)9 終わりにおもえただ 天竺(から)学びする人とても わが身をめぐむこの日の本を「天竺(から)」とは、中国の唐とインドの天竺を一つにまとめて言い表した言葉です。当時、学問といえば儒教、仏教が主体でした。しかし、尊徳は「わが身をめぐむ日の本」の大地に生きている日本人は、この日本から学べといっています。尊徳の教えは自ら神儒仏一粒丸だという観点からみれば、日本古来の教え、神道ということになる。*「二宮尊徳の政道論序説」題名でもわかるように少し変わった視点から、尊徳先生に敬愛をこめて書かれている。本書をお読み下さる方へー自序にかえてーによると、岡田氏は15歳で少年兵になり、復員後は町工場で旋盤工として働き、46歳の時、小谷三志関連の文書にであって、その研究に没頭し、小谷三志と二宮尊徳の関係から尊徳研究にも入られたという経歴をお持ちである。尊徳先生が故郷に帰られていたとき、ご馳走を召し上がっていただきたいと思った人が、「先生は何がお嫌いですか?」と食べ物の好き嫌いを聞こうとしたところ、「わしは学者と坊主が嫌いだ」と答えられたので、話の接ぎ穂で「なぜ学者と坊主がお嫌いですか?」と再度聞いたところ、「実践もしないのに、知ったような顔をして人が言ったことをさも自分が知っているように話すから嫌いだ」とおっしゃったというエピソードを読んだことがある。最初の論考は「神仏儒三味即席料理考」である。「神儒仏正味一粒丸」は、二宮翁夜話巻の5に出てくる。【44】尊徳先生はおっしゃった。私は久しく考えて、神道は何を道とし、何に長じて何に短であるか、儒道は何を教えとし、何に長じ何に短であるか、仏教は何を宗として、何に長じ何に短であるか、と考えるに皆互いに長短がある。私の歌に「世の中は捨て足代木(あじろぎ)の丈(たけ)くらべそれこれともに長し短し」と詠ったのは、慨歎にたえないからである。だから今それぞれの道の専らとするところを言うならば、神道は開国の道であり、儒学は治国の道であり、仏教は治心の道であるといえよう。だから私は高尚を尊ばず、卑近を厭わず、この三道の正味だけを取ったのだ。正味とは人間界に必要なことをいう。必要なところを取って、必要でないところを捨てて、人間界において無上の教えを立てた。これを報徳教という。たわむれに名づけて、神儒仏正味一粒丸という。その功能の広大である事は、数えあげることができない。だから国に用いれば国の病いが癒え、家に用いれば家の病いが癒え、そのほか荒地が多いのを憂える者が、服用すれば開拓ができ、負債が多いことを憂える者が服用すれば返済ができ、資本がないことを憂える者が服用すれば資本を得、家がないことを憂える者が服用すれば家を得ることができ、農具がないのを憂える者が服用すれば農具を得、その他貧窮病や贅沢病、放蕩病、無頼病、遊惰病、すべて服用して癒えないという事がない。衣笠兵太夫が、神儒仏三味の分量を問うた。尊徳先生がおっしゃった。神一さじ、儒仏半さじずつであると。ある人が傍らにいて、これ図にして、三味分量はこのようですかと問うた。尊徳先生は一笑されておっしゃった。世間にこの寄せ物のような丸薬があろうか。既に丸薬というならば、よく混和して、更に何物とも、分らないようになっているものだ。このようでなければ、口の中に入って舌に障りがあり、腹の中に入って腹の具合が悪いであろう。よくよく混和して何品とも分らないようになっている必要がある、ハハハ。佐々井典比古氏によると、弘化4年(1847)5月~翌嘉永元年(1848)7月までの、東郷(ひがしごう)神宮寺仮住時代のことだろうと推定されている。岡田氏は天保12年(1841)12月、それより6年前、小谷三志の弟子である不二行者柴兵右衛門と若林金吾に宛てた手紙に同様の内容があると紹介されている。 幸便に任せ一翰啓上候、・・・(大学、論語など臼でひいて、切り刻んでひらかなで道歌を作ったのでご賞味ください) その外神儒仏の三味悟道即席御料理なども、これまた数年天地の間に借地つかまつり、人様の厚き御世話を蒙り、渡世つかまつりおり候、右報徳のため、お望み次第案外安く差し上げ申し候につき、お求めご賞味くだされ候はば、朝夕日用の一助にもあいなり申すべく候。同様の内容は浦賀の宮原屋にも送っており、尊徳先生はユーモアを好まれて、ごく親しい人にはこういうジュークのような語り口をされたのであろうか。しかし内容はごくまじめなものである。
2025.04.29
「あんぱん」黒井先生「ボウフラより弱い」涙のうさ子に追い打ち「パワーワード」連日の叱咤にネット震える4/29(火) 第22話は、柳井寛(竹野内豊)に背中を押され、柳井嵩(北村匠海)は美術系学校の受験を決意。しかし、苦手な数学の試験もあると知り、頭を抱える。同じ頃、弱音を吐いて泣き始める小川うさ子(志田彩良)を励ましながら、朝田のぶ(今田美桜)はせっせと先輩の洗濯物を洗う。担任の黒井雪子(瀧内公美)は「御国のために強くなりなさい」と言い放つ…という展開。 うさ子の進学は、気乗りしない縁談から逃げるためだった。過酷な生活に「もう嫌や。家に帰りたい」と涙。そこへ黒井が現れる。 「2人とも、もうホームシックですか。浅田のぶ、あなたがなぜ合格できたか分かっていますか」「体操の点数が他の受験生に比べて極端に高かったからです。あなたの価値はそれだけです!」「家族のために努力する、でしたっけ。そんな甘ったれた精神だから、ホームシックにかかるんです!」「(うさ子に)メソメソするな!あなたは弱すぎる。鏡川のボウフラよりも弱い。御国のために、強くなりなさい!」 のぶは「うちは負けんきねえ。うさこちゃんも負けたらいかん」と前を向いた。 連日の叱咤。SNS上には「例えがボウフラ…き、厳しいなぁ、黒井先生」「容赦ない」「独特な罵り方」「凄い言葉、初めて聞いた」「あなたの価値はそれだけです、ひどすぎる。鏡川のボウフラより弱い、パワーワードすぎるw」「釜じいVS黒井先生は正直見たい」「ボウフラがトレンド入りは草」などの声。反響を呼んだ。💛瀧内公美さんの一喝は、「光る君へ」の明子の呪詛の場面を想起する。強い女性を演じる!Q 「光る君へ」に出演されて、反響はいかがですか。 A 多くの方から連絡をいただき、恐ろしい役だね、と言われます(笑)。でも、楽しみに見ていると言ってもらえるので嬉しいです。 Q 明子は、『源氏物語』の六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)のようなキャラクター、と説明されたそうですが、どのように役作りされていますか。 A 六条御息所は妄想が激しく、『源氏物語』では恋敵を呪い殺してしまうような女性として描かれていますが、おもしろい人だと思います。明子役は、「天皇の孫で血筋は良いが、父が失脚させられたせいで心に傷がある」という点を軸にしています。ほかの女性に負けられないという思いを持ちながら演じていますが、負け犬感も大事にしています。呪詛して、母親になって、明子はパワーアップしていきますが、軸は変わりません。Q 呪詛シーンは迫力がありました。苦労した点はありますか。 A 陰陽師指導の先生から、「自由にやっていい」と言われたのですが、今までの人生で呪詛したことがないのでやり方がわからなくて(笑)。陰陽師の映画などを見てイメージを膨らませました。リハーサルのとき、「明子はもっと燃え上がっている」と言われ、そこから今までのイメージを捨て、最終的に明子のキャラクター像に合わせたやり方で呪詛しました。Q オンエアをご覧になり、いかがでしたか? A ちょっと恥ずかしかったです(笑)。平安といえばたおやかで、ほかの女性たちはサロンで集まって他愛ない話をしたり、倫子様は猫を愛でていたり。そんな世界観に私だけ目を吊り上げ呪詛していて(笑)Q 恐ろしい役を演じて、私生活に影響はないですか。 A 私は客観視して演じるタイプで、物語のなかに入り込むことがいっさいないので、私生活に入ってくることもありません。役の感情というより、明子の役割はこうなんだろうな、と考えながら演じています。Q 第22回では、道長に惚れたと告白していました。 A 道長は優しい人で、旦那様としてもステキな人だと思いますが、明子の本当の想いは、いまだに私はよくわからない部分があります。幼少期の経験が明子の思考を複雑化させているのではないかな、とも個人的には思っています。Q 柄本佑さんの演技で引き込まれたところはありますか。 A いつも佇まいがすごいステキだなと思います。一緒に演じているときは淡々としていて気がつけば撮影が終わっているのですが、オンエアを見ると、ものすごい技術を持っている人だと思いました。足し算も引き算もかけ算もできて、なにもやらないという選択もする人で、彼が演じていると余白があるのです。目力も強く、見ていて圧倒されます。Q 今後、明子は倫子に嫉妬心を持つのでしょうか。 A 嫉妬というより、子どものことで負けたくないという気持ちが出てくると思います。倫子様は一番無敵な強いキャラクターですよね。出自もいいし財力もあるし、黒木さんのお芝居を見ても、妬むことを知らない女性に思えます。「困りましたね」と言いながら全然困っていなくて逆に怖いです(笑) Q 「光る君へ」に出演されて、平安時代のイメージは変わりましたか。A 平安時代はたおやかな世界、公家文化をイメージしていました。「光る君へ」だからこそではあると思うのですが、もっとポップでイマドキな感じもあるんです。そのミックスを大事にしていますし、この先さらに自分がどんなイメージを持つようになるのかも楽しみです。「あんぱん」 瀧内公美インタビュー――今日からのぶの女子師範学校での生活が始まり、本格的に黒井が登場しました。最初からかなりのインパクトでしたね。黒井は、この時代を象徴する軍国主義者ですから、やはり威厳のある女性ではありますよね。女性教師がまだまだ少ない時代だからこそ、エリートであり、質実剛健といったところでしょうか。ですから、彼女のきっちりした部分を時代性にちゃんと乗った形で表現できたらなと思いました。――黒井の声には、生徒たちを震え上がらせるような迫力がありましたが、セリフを言う上で意識した部分はありましたか?黒井のセリフ回しや言い切るような語尾は、自分がいままで出会ってきた先生たちはあまり発しないようなものだったので、想像の範はん疇ちゅうで演じるのは難しい役でした。そういう時は、作品で描かれている時代の映像や映画を自分の中でサンプリングして、どうセリフを言うのかを真似る作業から始めます。――発声以外でも、黒井雪子という人物を作り上げる中で心がけていることはありますか?台本には「一切笑わない表情も動かさない」と書いてあるんですけど、キャラクター造形ではそうはしていなくて。これから国の状況が厳しくなっていくにつれて、そういうピリついた空気感を出すために表情を動かさずに演じていることもあるのですが、ただただ厳しくやってもあまり鬼気迫るようには見えないような気もするんです。極端に言えば、逆に笑っていたりする方がすごく怖く感じるというか。なにか緩急みたいなものはつけられたらいいな、と思っていました。――衣装や髪型なども、キリリとした黒井らしいスタイルですよね。髪型も時代に合わせて作ってくださっています。最初は見慣れなくて(笑)。でも、このお衣装を着させてもらって、髪型も全部作っていただくと、やっぱり黒井の気持ちになれるというか、演じる上で手助けしてもらっているなというのは感じます。――「覚悟のない者は去りなさい」など、黒井はかなり生徒に厳しく接します。生徒たちにどんな思いを持っているのでしょうか?厳しく感じるとは思いますが、この時代は黒井の言動が当たり前なんだと思います。いまの時代を生きていると、平和ボケしていると言われたりします。私自身、何かが起きた時に初めて、「あ、平和ボケしていたんだ」と気づくことがあります。やはり意識していないと見ようとしていないんですよね。黒井は軍国主義の教育を当たり前に施す人なので、ああいう物言いは黒井にとって日常なのだと思います。その精神がないと、君たちはこれから生きていけないぞ、と。強くなってほしいという思いを常々持っている人です。――のぶの入学試験での失敗も目撃している黒井は、最初からのぶにはより厳しく接しているようにも感じました。瀧内さんご自身は、のぶにはどういう印象をお持ちですか?実際に今田さんが演じているのぶの目を見ていると、すごく強い意志を感じるんです。エネルギー値が高く、「あ、この子はどこにいても大丈夫だろうな」という感じがします。最初は、のぶはちょっとへっぽこな女の子で、そのままダメダメなりに成長していくのかなと思っていたんですけど(笑)、彼女が演じていると、迷いの中にも強さがあるので、見ていて全然不安がないんですよね。それはすごく不思議な感覚だなと思いました。台本を読んでいた時の印象と全然変わっていくこともありますし、とにかく今田さんのエネルギー値の高さに毎回驚かされています。――今作が朝ドラ初出演ということですが、改めて出演が決まった時のお気持ちをお聞かせください。それはとっても嬉うれしかったです。昨年の大河ドラマ「光る君へ」に続いて、朝ドラにも出演することができて、本当にありがたいなと思っています。今回は、一昨年出演させていただいた「大奥」という作品でお世話になったプロデューサーの舩田さんからお声がけ頂きました。何においてもご縁を大切にしていますから、そういった意味で「この役を任せたい」とおっしゃっていただけたのは本当に嬉しかったですし、身の引き締まる思いでした。――大河ドラマとは違う、朝ドラならではの雰囲気は感じられたりしますか?なんだか現場がはつらつとしています(笑)。「光る君へ」は舞台が平安時代ということもあり、雅みやびでたおやかな世界だったせいか、すごく緩やかだったんです。時間がゆったりと流れている雰囲気があるといいますか。明子さまは、激しい描写もあり、内省的な毒々しさのある方でしたが、時代背景がたおやかなので違う意味での怖さがありました。今回の黒井は、軍隊のようにピシッと動きますから、大河でお世話になったスタッフの方が見にきてくださったんですけど、「真逆すぎてびっくりする」とおっしゃっていました(笑)。みなさんがご覧になられてどう感じていただけるか、楽しみです。――最後に、「あんぱん」という作品の魅力について教えてください。台本を読んでいて、可愛かわいらしいな、愛らしいな、ほのぼの、ほっこりする、優しさが溢あふれているところでしょうか。特に、最後の「ほいたらね」のナレーションが大好きで、ナレーションもしたいと思うくらいです(笑)。それから、一人一人のキャラクターがはっきりしています。こういう長尺もので、いろんなキャラクターが出てくると、ちょっと似ていませんか? と思うことも起こりうると思うんです。それがないんですよ、不思議なことに。一人一人のキャラクターが立っていて全然違うんです。――確かに、登場人物それぞれのキャラクターが見事に立っていますよね。もう一つ、台本がとても魅力的だなと思うのは、そんなにドラマチックじゃないんですよ。そこが私は本当に好きで。いろんなことが積み重なって、この結果になっているという感じがして、物語のためだけに人物が登場してないところが、この台本のすごく好きなところです。登場人物一人一人のことをちゃんと大事にしている台本だなということを感じられるんですよね。また、豪華すぎる魅力的なキャストの方々が揃そろっておりますので、みなさんがどんなふうにそのキャラクターを演じているのか、実際のオンエアが楽しみです。
2025.04.29
オリオールズ菅野智之、ヤンキース戦で3回まで6奪三振無失点…ジャッジには2安打許すも4/29(火) オリオールズの菅野智之投手は28日(日本時間29日)本拠地でのヤンキース戦で、今季6度目の先発登板。初回、初回1死でのジャッジとの初対決は左前に安打を許した。 先頭のグリシャムに対しては3-1とボール先行ながら、投ゴロにしとめた。今季打率4割を超える2番ジャッジに対しては、初球は外角低めに外れる93・2マイル(約150・0キロ)のシンカー。2球目、83・7マイル(約134・7キロ)のスイーパーを左前にはじき返された。 続くベリンジャーには四球で1死一、二塁。4番ゴールドシュミットには93・5マイル(約150・5キロ)の直球で空振り三振。5番の“魚雷バット男”チザムに対しては、死球で2死満塁とした。だが6番ボルピを遊ゴロに打ち取り、初回を無失点で立ち上がった。 2回1死、8番ドミンゲス、9番ペラザから連続三振を奪い、本拠のファンから大歓声を浴びた。先取点1点を得て迎えた3回先頭のグリシャムからも87・6マイル(約141・0キロ)のスプリットで空振り三振で3者連続三振とした。だが続くジャッジには中前へ2打席連続安打、ベリンジャーにも一、二塁間を抜かれて1死一、三塁のピンチに立たされた。だが4番ゴールドシュミットにはスプリットで空振り三振。続くチザムに対してもスプリットの連投で空振り三振を奪い、得点を許さなかった。 菅野は、勝敗がつかなかった前回登板23日(同24日)のナショナルズ戦で、オ軍では、昨年9月14日のコービン・バーンズ以来となる2試合連続7イニングを投げ切った。2試合連続無四球と、ますます安定感を増してきた。 チームは、タイガースにダブルヘッダー連敗後、前日は0-7の完封負けで今季ワーストタイとなる3連敗中。開幕前は優勝候補にも上げられていたが、開幕ダッシュに失敗した。エース候補のロドリゲスがキャンプで離脱。開幕投手のエフリンもIL入り。ベテランのモートンは0勝6敗と総崩れ。35歳のオールドルーキーが、2勝1敗、防御率3・54で孤軍奮闘している。 「ここまで彼は、打線の良い相手に対して、緩急を駆使しながら、素晴らしい仕事をしている。春季キャンプで(ヤンキースと)対戦したことも役立つだろう」と試合前のハイド監督。菅野は、フロリダ春季キャンプ中の3月20日(同21日)のヤンキース戦に先発。主砲ジャッジに2四球1奪三振。チザムに本塁打を許すなどとした体験が、生きることを期待していた。
2025.04.29
「道はるかなりとも」青山俊董(平成10年11月30日発行)〇沢木興道老師が晩年「得は迷い、損は悟り」ということを、繰り返し繰り返しおっしゃった。凡夫は放っておけば得する方にしか動かない。凡夫の思いの満足する方へしか行こうとしない。その凡夫が少しでも無我の修行、道に近い生きざまをしようと思ったら、つとめて損する方へ、なるべく貧しく、なるべく人目の立たぬように動けということになるでしょう。(p.74)昨年の大河「光る君へ」で まひろ(紫式部)が中宮彰子に「瑕(きず)は宝なのです」という場面があった。「『人の心の好惡(こうお)苦だ(はなはだ)常ならず好めば毛羽を生じ惡(にく)めば瘡(きず)を生ず』人の好き嫌いの心はとても変わりやすいもの。好きとなれば、羽が生え飛ぶほどに持ち上げて大事にしますが、嫌いとなれば、瑕(きず)ばかり探しだします」まひろは彰子に白居易の「太行路」を指南する。彰子「私も間もなく、帝に瑕(きず)を探されるのであろうか」まひろ「瑕とは、大切な宝なのでございますよ」彰子「え?」まひろ「瑕こそ、人をその人たらしめるものにございますれば」実に人は自分の瑕(欠点)に苦しむ。しかし瑕(欠点)をみつめ、瑕と向き合うことによって、人は成長できる。一昨年暮れの心臓手術以来、1年数か月、毎朝、2,3回(30分ほど)坐禅をする。心臓によく、姿勢を正しくするうえでよい。実に瑕(きず)から目をそらすことなく瑕と向き合って、むしろ瑕(大切な宝)をいつくしむように坐る。誠に瑕は大切な宝、人を人たらしめるものである。楽天ブログに、坐禅する上での参考にするために 沢木興道師の文章を載せている。おそらくは自ら正しく坐禅することなくして、沢木師の言葉は心魂に響かない。
2025.04.29

通信107号(2025年4月28日)を会員にメール送信した。・「安居院庄七と鷲山恭平」が新たに秦野市立図書館と秦野市の11公民館図書室の蔵書となった・山北町立生涯学習センター図書室に「安居院庄七と鷲山恭平」と「現代語訳 安居院義道」を寄贈する。・大日本報徳社・社員(NPO Pocca代表)のSさんからメールがあった。の話題を載せた。送り状に「「安居院庄七と鷲山恭平」の本はパワーを持っていて、新しい人や団体との出会いのご縁を持ってくるようです。」と記した大日本報徳社の「報徳」5月号の47頁に「安居院庄七と鷲山恭平」出版のご案内が載っている。「絵と地図を見て、遠州報徳の広がりがわかる『安居院庄七と鷲山恭平』を出版しました。ご希望の方は大日本報徳社事務局までお問い合わせください」とある。この本は確かにパワーを持っている(^^)
2025.04.29
トランプ氏、新たな所得減税を示唆-米財務長官は関税交渉進展と強調ランプ氏、新たな所得減税を示唆-米財務長官は関税交渉進展と強調トランプ米大統領は27日、関税収入を活用して年収20万ドル(約2900万円)未満の層に対する所得税を引き下げる考えを示唆した。トランプ氏はこれまでも関税収入が所得税収に代わり得ると主張してきたが、経済学者からはその実現可能性に疑問の声が上がっている。 同氏は「関税が発動されれば、多くの人々の所得税は大幅に引き下げられ、場合によっては完全に撤廃される。焦点は年収20万ドル未満の層だ」と自身のSNS「トゥルース・ソーシャル」に投稿した。 トランプ氏の関税措置は世界経済を混乱させ、米国内でも物価上昇への懸念や景気後退(リセッション)に対する不安を招いている。また、ドルや米国債などの安全資産としての位置付けについても懸念が広がっているが、ベッセント米財務長官は27日、ABCニュースの番組「ジス・ウィーク」で「これが必ずしも信頼喪失を意味するとは思わない」と指摘。「2週間や1カ月の間に起こることは、統計上や市場のノイズに過ぎない可能性がある」と語った。 同時にベッセント氏は、トランプ政権は「米国債市場が世界で最も安全かつ健全である」ことを投資家に示すための「基盤を整えている」と主張した。 一方、CBSニュースが27日発表した世論調査では、トランプ政権は物価抑制に十分取り組んでいないとの回答が69%に上った。トランプ氏の経済運営に対する支持率は3月初めの51%から42%へと低下した。 トランプ氏は、政権1期目の2017年に成立した所得税減税の延長を目指している。同減税措置の多くは25年末に失効する。また同氏はチップ収入や社会保障給付金に対する課税の減免、法人税率の21%から15%への引き下げも提案している。関税交渉進展を強調 ベッセント氏はこの日、各種世論調査に応じる形で発言し、米国の個人消費は依然堅調であり、政権は二国間貿易協定の締結に向けた取り組みを進めていると強調した。 ベッセント氏はABCの番組で、中国を除く主要貿易相手17カ国との交渉が進行中だと説明。「今後90日間で交渉を進めるプロセスを整えた」とし、「一部の国々、特にアジア諸国との交渉は非常に順調に進んでいる」と語った。 同氏はまた、中国は米国が課した145%の関税に耐えられず、いずれ交渉のテーブルに着かざるを得なくなるというトランプ政権の見解を改めて主張。「中国のビジネスモデルは、安価かつ政府補助金を受けた商品を米国に輸出することに依存している。この流れが突然止まれば中国経済も急停止を余儀なくされるため、最終的には交渉に応じるだろう」と話した。 トランプ氏は米中間で貿易協議が進んでいると主張しているが、中国側はこれを否定している。ベッセント氏は、トランプ氏と習近平国家主席が直接対話したかどうかは把握していないと述べた。 ベッセント氏は、先週ワシントンで開かれた国際金融会議の場で中国側の関係者と顔を合わせたとした上で、「主に金融安定や世界経済の早期警戒システムといった従来の議題が中心だった」と説明した。 さらに、中国との交渉には前進する道筋があるとし、「緊張緩和」から「原則合意」に至るものだとの見解を示した。 「貿易協定の締結には数カ月を要する可能性がある」としながらも、原則合意に達し、貿易相手国がその取り決めを順守すれば「関税が再び最高レベルに戻る事態を防ぐことができる」と語った。
2025.04.29
報徳記巻之5 【7】先生小田原の大夫某と飢歳當然の道を論ず その2報徳記&二宮翁夜話198「安居院庄七と鷲山恭平」を本年2月出版しました。本書はすでに安居院庄七の生誕地・秦野市及び足柄上郡各町の教育委員会を通して、図書館・公民館図書室・全小学校・中学校に寄贈しました。安居院庄七終焉の地、浜松市の全図書館にも寄贈し、浜松市立中央図書館では、既にに蔵書となっています。また東京都立図書館の蔵書にもなっております。現在、神奈川県と静岡県の公共図書館に寄贈を進めています。神奈川県秦野の大山御師(相模国大山の先導師)の出身で、50歳過ぎてから「報徳の教え」に目覚め、「報徳を広める」志を抱いて、遠州一円に報徳の教義を伝え、報徳社を続々と設立させた安居院庄七、その教えを受けた遠州報徳の指導者達、そして安居院先生の伝記を記した鷲山恭平氏に連なる遠州報徳の指導者たちの偉大な功績を広く次の世代に、そして現代共に生きる人々に知らせるプロジェクトです。報徳記 巻之五【7】先生小田原の家老某と飢歳当然の道を論ず家老が言った「願はくばその道を聞ききたい。」先生は言われた。「国が窮乏し米蔵が空となり、五穀が実らないで国民が飢えて死ぬことが免れない、その罪はどこにあるか。国君、家老以下の職は、天から民を預ってこれを悪に陥らせることなく、善を行わせ、人倫の道を踏ませ生養を安らかならしめるものがその職分ではないか。この勤労によって恩禄を賜って父母や妻子を養ふことができる。しかるにその民を預って安んじようとするものの思慮がここになく、自ら安居する道を計って奢侈に長じ、上下ともに困窮に陥いらせ、万民をして飢えさせて死亡におとしいれるに至りながら、なお漠然として自分の罪であることを知らない、これは歎くべきの至りではないか。この時にあたって救助の道を得られればよし。もし得られなければ君主はこの罪を天に謝し万民に先立って飲食を断じて死ぬべきである。しかしながら一国の君主を失うならば、その憂いは大変大きく、誰が国家を治めえようか。しからば家老たるもの君主の死を止め、領中に令してこう言うべきである。『我等君主を補佐し仁政を行い百姓を安らかにするための職分である。しかるに上、君に忠を尽くすことができず、下、百姓を安んずることができず、一年の飢饉なおその飢渇を救うことができない、これは皆我が不肖であるためでありその罪は重いというべきである。百姓に謝するに死をもってしても、どうしてその罪を償うことができようか。君主は仁心厚く、それがしらの罪を自分のあやまちとされ、今、領民に先立って命を棄て万民に謝したいとおおせられている。それがしらは大変驚いた。一国の上下の大患これより大きいものはない。君主はもとから臣等に安民のまつりごとを任じられた。臣はその任を受け、そしてその民を飢渇に陥らしめた。この罪は臣等にありますと言上し、君主の百姓に先立たれるのを止め奉った。これによって、それがし百姓に先だって食を断って死をもって領民に謝するなり。』と令し、第一に家老が餓死に及ぶべきである。その次に郡奉行の職とする所は、領民の危険を去らしめ安からしめるにあり。しかるにその行ふ所が道にたがい、この民を飢え死させる、これは私の罪である。死をもって百姓にその罪を謝せんと言って食を断って死ぬべきである。その次は代官も奉行と同罪であると言って食を断って死ぬべきである。このように行うならば、はじめてその任にありながら、その任を忘れた罪を知るというべきである。領民はこの事を聞くならば、国君が民を憐まれること一身にも換へられようとしている。家老以下、我々が飢渇したということで、その責任を一身に引き受けて餓死に及んだ。君主や家老以下に何の罪があろうか。我々は通常の年におごりが過ぎて米財を費し、凶年の備えをなさなかった。そのために自らこの飢えに及んだのだ。しかるに高禄歴々の重臣がこのために死亡に至る事は我々の大罪ではないか、餓死するのも元より当然のことである。高禄の貴臣すら、なお食を断って亡くなった。我々の餓えに至っても何を恐れることがあろうかと、一同飢饉の年であると恐れ、死亡を憂える心が忽然と消えうせてその心は悠然となる。一旦憂い恐れる心が去る時は食はその中にある。領民はたがいに融通しあい又は高山に登って草の根を食とし、国中一人の餓死者がないに至る事は必然である。一年の凶飢でどうして一国の米粟が尽き果てるような道理があろうか。又百草百木も人を養うに足りる。しかして国民が飢え死にに及ぶのは憂いと恐れの心が主となって、食を求める気力を失って死亡に至るのである。たとへば玉をこめていない猟銃の音に驚いて死ぬようなものである。猟銃に玉がなければどうして人を害することができようか。しかして斃(たお)れるのは、玉があると思ってその音に驚いて死す。一年の飢饉がどうして人を害することがあろうか、人は飢饉の音に驚いて飢渇に及ぶのだ。この故に政治を執るものが責任を一身に引き受けて先づ死ぬ時は、音に驚いた衆民の恐れる心が消散し、必ず飢えに及ぶものはなくなる。どうして奉行代官までの死を待つことがあろう。家老が餓死すれば万民を救わないでいて必ず飢亡を免れるであろう。これが、救済の方法が尽きて万民を救わないで救う道である。」と言われた。家老は愕然として自失し、汗が流れ衣をうるほした。暫く黙ってようやくこう言った。「誠に至当の道である。」報徳記 巻之五【7】先生小田原の大夫某と飢歳當然の道を論ず某(ぼう)曰く願はくば其の道を聞かん。先生曰く、國(くに)窮し倉廩(そうりん)空しくして五穀實(みの)らず國民(こくみん)餓ヒョウ(がへう)を免れざるもの其の罪安(いづく)んかある。國君(こくくん)大夫(たいふ)以下の職たるや、天民(てんみん)を預り之をして悪に陥らず善を行ひ、人倫の道を蹈(ふ)み生養(せいやう)を安ぜしむるもの其の職分にあらずや、此の勤勞(きんらう)を以て恩禄を賜り父母妻子を養ふことを得。然るに其の民を預り安んぜんとするもの思慮此(これ)にあらずして自ら安居(あんきょ)の道を計り奢侈(しゃし)に長じ、上下(じょうげ)困窮に陥り萬民(ばんみん)をして飢渇死亡に穽(おとしい)るゝに至りて、猶(なほ)漠然として我が罪なることを知らず、歎ず可(べ)きの至りに非ずや。此の時に當(あた)り救助の道を得(え)ば可也(かなり)。若し得ずんば人君(じんくん)此の罪を天に謝し萬民(ばんみん)に先立ち飲食を斷(だん)じて死すべし。然りといへども一國(こく)君を失はゞ其の患(うれ)ひ至大(しだい)にして、誰か又國家(こくか)を治めん。然らば大夫(たいふ)たるもの君の死を止(と)め、領中に令(れい)して云(い)ふべし。我等君(きみ)を補佐し仁政を行ひ百姓(ひゃくしやう)を安んぜんが爲(ため)の職分なり。然るに上(かみ)君に忠を盡(つく)すことあたはず、下(しも)百姓を安んずることあたはず、一歳(さい)の飢饉猶(なほ)其の飢渇を救ふことを得ず、是皆我が不肖(ふせう)にして其の罪重しといふべし。百姓に謝するに死を以てすといへども何を以て其の罪を償ふことを得んや。君(きみ)仁心厚くして某等(それがしら)の罪を自分(じぶん)の過(あやま)ちとなし、今領民に先立ち命を棄て萬民(ばんみん)に謝し玉はんと宣(のたま)ふ。某等(それがしら)大いに驚き一國(こく)上下の大患(だいくわん)是より大なるはなし。君(きみ)素(もと)より臣等に安民の政(せい)を任ず。臣其の任を受けて而(しか)して其の民を飢渇に陥らしむ。此の罪臣等にありと言上し、君(きみ)の百姓に先立ち玉ふことを止(と)め奉りしなり。是(これ)に由(より)て某(それがし)百姓に先んじ食を斷(た)ち死を以て領民に謝する也と令し、第一に大夫餓死(がし)に及ぶべし。其の次に郡(こほり)奉行(ぶぎょう)なるもの其の職とする所領民の危(あやふ)きを去り安からしむるにあり。然るに其の行ふ所道に差(たが)ひ此の民を飢亡(きぼう)せしむ、是我が罪なり。死を以て百姓に其の罪を謝せんと云(い)ひ斷食(だんじき)して死すべし。其の次は代官たるもの奉行同罪なりと云ふて食を斷(た)ちて死すべし。是(こ)の如くなれば始めて其の任に在りて、其の任を忘れたるの罪を知れりとすべし。領民此の事を聞かば國君(こくくん)の民を憐み玉ふこと一身にも換(か)へ玉ふ。大夫(たいふ)以下我々飢渇の故を以て其の咎(とが)を一身に引(ひ)き飢亡(きぼう)に及べり。君(きみ)大夫(たいふ)以下何の罪あらんや。我が輩(ともがら)平年奢(おご)りに長じ米財(べいざい)を費(ついや)し凶年の備(そな)へをなさず自(みずか)ら此の飢(うゑ)に及べり。然るに高禄歴々の重臣之が爲に死亡に至れる事我輩(わがはい)の大罪にあらずや、餓死元より當然(たうぜん)なり。高禄の貴臣尚(なほ)食を斷(た)ちて終れり。我々の餓ヒョウ(がへう)に至らん事何の恐るゝ所やあらんやと、一同飢歳(きさい)を恐れ死亡を憂ふるの心忽然として消(せう)し其の心悠然たり。一旦憂懼(いうく)の心去る時は食(しょく)其の中にあり。領民互(たがひ)に融通(ゆうつう)し又は高山に登り草根(さうこん)を食とし、國中(こくちゅう)一人の餓ヒョウ(がへう)なきに至る事必せり。一年の凶飢(きょうき)何ぞ一國の米粟竭盡(けつじん)するの理あらんや。又百草百木も人を養ふに足れり。然して國民飢亡(きぼう)に及ぶものは憂惧(いうく)の心主となり、食を求るの氣力(きりょく)を失ひ死亡に至るなり。譬(たと)へば玉なしの鳥銃(てうじゅう)の音に驚き死するが如し。鳥銃玉なくんば豈(あに)人を害せんや。然して斃(たふ)るゝものは玉ありとなし其の音に驚き死す。一歳(さい)の凶年何ぞ人を害せんや、人飢饉の音に驚き飢渇に及べり。是の故に政(せい)を執るもの咎(とがめ)を一身に引(ひ)きて先づ死する時は、音に驚きたる衆民(しゆうみん)の惧心(ぐしん)消散(せうさん)し、必ず飢(うゑ)に及ぶものなし。豈(あに)奉行代官までの死を待たんや。大夫(たいふ)餓死せば萬民(ばんみん)救はずして必ず飢亡(きぼう)を免るべし。是(これ)荒政(くわうせい)の術盡(つ)き萬民(ばんみん)を救わずして救ふの道なり と云ふ。大夫(たいふ)愕然(がくぜん)として自ら失ふが如く、流汗(りうかん)衣(ころも)を沾(うるほ)し良(やゝ)久しくして曰く、誠に至當(したう)の道なり。
2025.04.29
神奈川県で「安居院庄七と鷲山恭平」が新たに秦野市の図書館と11の公民館図書室の蔵書となった既に松田市、伊勢原市、厚木市、相模原市と小田急沿線で(残念ながら海老名市は受け入れない旨の連絡あり)平塚市、藤沢市で蔵書となっている。本年11月1日に秦野市で報徳サミットが開催される是非秦野出身の安居院先生の本を秦野の市民の皆様に読んで貰いたい
2025.04.28
「東アジアの誇り」「日本は韓国の先生だ」川崎のアル・サッド撃破に韓国&中国がなぜ歓喜?「サウジ勢を倒してくれ」【ACLE】4/28(月)4月27日にサウジアラビアで開催されたアジア・チャンピオンズリーグエリ―ト(ACLE)の準々決勝で、川崎フロンターレがカタールのアル・サッドと対戦。120分間の死闘を3-2で制し、クラブ史上初のベスト4に進出を決めた。開始4分にエリソンのゴールで先制に成功した川崎は、5分後に追いつかれたものの、21分にマルシーニョのゴールで突き放す。 71分に被弾し、2-2で突入した延長戦の98分、山田新のラストパスを受けた脇坂泰斗がネットを揺らし、勝負を決めた。 ここまで準々決勝の3試合は、アル・ヒラルが韓国の光州FCに7-0、アル・アハリがタイのブリーラム・ユナイテッドに3-0、そしてアル・ナスルが横浜F・マリノスに4-1と、豊富な資金力でスターを集めたサウジアラビア勢が東地区のチームを圧倒していた。 サウジアラビア開催の大会方式や無制限の外国人枠について不満の声が上っていただけに、川崎の勝利は東アジアのファンの留飲を下げたようだ。韓国や中国のメディアが速報を伝えると、次のような声が上った。「よくやった!」「東アジア唯一の星」「川崎は本当に頑張った」「東アジアの誇りだ」「日本は韓国の先生だ。戦術と集中力を学ぼう」「うらやましい」「東アジアの希望」「サウジアラビア勢を倒してくれ」「東アジアの栄光を守った」 サウジアラビア勢以外で唯一、4強入りをした川崎は、現地4月30日に開催される準決勝で、横浜FMを破ったアル・ナスルと対戦する。
2025.04.28
「生活即禅」18 入浴道徳、入浴偈 沐浴身体、当願衆生、身心無垢、内外皎潔、これは入浴場の教えである。沐浴する時は当(まさ)に願わくは衆生も自分も共に内外皎潔身心無垢自分の垢を落とすばかりでなく、残ったお湯を冒涜せず清浄にまた後の人を自分の垢でなるべく汚さないようにするばかりでなく、心まですがすがしく清らかになることが必要である。いつか銭湯で見た広告に標語が書いてある。 垢を落して心を磨け それは垢を落して心を磨けというのである。大変面白い心を磨いたらその周囲界隈を冒涜はしない。それで宗教は生活であるから風呂へ入ること、それ自身がもはや修行である。 修養ということはただ坐禅の時だけに限られているのではなくいつでもそうである。然るに大きな身体を石鹸だらけにしてづぶんと飛び込む。そして油ぎった石鹸だらけのタオルを風呂の中で絞って顔をブルンブルンとやる。次に入るものは堪ったものじゃない。金魚をすくうようにそれをすくって桶でかい出して入らなければならぬ。そういうことをするとあいつは風呂を汚すからというので一番後回しにされるか、あるいは風呂をたてても知らせぬというようになって、いつの間にかその人は、一番最初に風呂に入る資格を失ってしまう。私が初めて東京に来て銭湯に入った時、入れ墨をした男が、一生懸命水をかぶっているのだが、八分通りは向こうに飛ぶ。その水が外の男に引っかかった。そうするとかけられた男が「おいおい気をつけろ。水がひっかかるじゃないか」「なに後ろに眼がないから堪忍しろい」「なに後ろに眼がないから堪忍しろいこの馬鹿野郎」というのでぽかりとやったから堪らない、お風呂の中で大立廻りが始まった。これは立派な態度でしょうか。これが君子とか神様仏様の風呂の入り方かよく考えて見れば分る。風呂の流しの所で向こうをむいて妙な格好をしている。よく見れば小便をしておるのです。これは前に廻って顔を見ないでもコンマ以下の人間だということが直ぐ分る。こういうような風呂の入り方にも修養があるのです。(「生活即禅」p.51-53)
2025.04.28
「報徳の歌ー二宮尊徳道歌から学ぶー」小関栄著 百人一首についての道歌的解釈 (155頁)9 終わりに仮の身を 元の主に貸し渡し 民安かれと願ふこの身ぞ「仮の身」とは客観的な表現をしていますが自分のことを言っています。この世を仮の世という仏教からの言い方で、自分の人生は短く仮の世に生きている存在で、これは仮の姿と考えたのです。「元の主」とは「父母の根元は天智の霊命にあり」と「報徳訓」にあるように、すべての根元は天にあり、その天に我が身を任せる「貸し渡す」といったのです。 この我が身は「民が安らかになるために働くこと」を願いながら身をもって努めるといっているのです。 この歌は尊徳が小田原侯の命令を受けて、桜町の復興に臨んだ時に自分の決意をあらわした歌です。仮の身を もとのあるじに 貸し渡し 民やすかれと 願ふこの身ぞ(「解説 二宮先生道歌選」佐々井信太郎著より抜粋)○この歌は、二宮先生が桜町の仕法に全力を注がれていた時の気分を詠まれたものであって、「仮の身」というのは、この世を仮の世といった仏教思想から来ている。次の「貸し渡し」と対応する意味で「借の身」すなわち天地人の三才(3つの働き)から借りた身と解釈してもよい。「もとのあるじ」というのは、造化の神などといったこの世を造った神で、日本書紀にも最初に出た神を造化の三神といっており、漢語で造物主ともいっている。二宮先生は、「父母の根元は天地の令命に在り」と報徳訓の第一句に書かれている。また天地をもって父母の根元、すなわち元の父母といった歌「きのうより 知らぬあしたのなるかしや もとの父母 ましませばこそ」もあるのであるから、天地や造化の神を「もとのあるじ」と詠んだと思われる。「貸し渡し」は、わが身をわが意で働かないで、元のあるじの意で働くように自他を振り替えて、さてこの身は、民の安らかになるためにのみ働かせる。すなわち自己のためにと全力を尽くして来たのを、他のため、国民のため、社会のため、すべてを他のためにと全力をささげるというのである。 このような心構えで生きることは、二宮先生が父母を失って何一つも無い時に、積小為大の法則を知ってから、一家を独立したその頃、大久保忠真候の命によって桜町の仕法に従事することになった。そのとき、35歳の二宮先生は、再興した自分の一身や家の一切を桜町復興に振り替える決心をしたのであった。 この自他振替は、その後の実践を通じて、さらに広く深くなり、全推譲の実践となった。 そして天保の大飢饉のときには、数万の飢えた人々を餓死から救うとともに、生涯を通じて無気力、自堕落な生活から、心の田を耕す、すなわち勤労と推譲の生活へと多くの人を導いたのである。 二宮先生が一農夫から神に祀られるようになったゆえんである。二宮翁夜話巻之一一〇 翁曰、 親の子における、農の田畑に於る、我道に同じ、 親の子を育(ソダツ)る無頼(ブライ)となるといへども、養育料を如何せん、農の田を作る、凶歳なれば、肥代(コヤシダイ)も仕付料も皆損なり、夫(それ)此道を行はんと欲する者は此理を弁(ワキマ)ふべし、吾始(ハジメ)て、小田原より下野(シモツケ)の物井の陣屋に至る、己が家を潰して、四千石の興復一途(いちず)に身を委(ユダ)ねたり、是則(これすなわち)此道理に基けるなり、 夫(それ)釈(シヤク)氏は、生者必滅(セウシヤヒツメツ)の理を悟り、 此理を拡充して自ら家を捨(ステ)、妻子を捨て、今日の如き道を弘めたり、只此一理を悟るのみ、夫(それ)人、生れ出(いで)たる以上は死する事のあるは必定(ひつじょう)なり、長生といへども、百年を越(コユ)るは稀なり、限りのしれたる事なり、 夭(ワカジニ)と云(いう)も寿(ナガイキ)と云(いう)も、 実は毛弗の論なり、譬(タトヘ)ば蝋燭に大中小あるに同じ、 大蝋といへども、火の付(つき)たる以上は四時間か五時間なるべし、 然れば人と生れ出(いで)たるうへは、必(かならズ)死する物と覚悟する時は、一日活(イキ)れば則(すなわち)一日の儲(マフケ)、一年活(イキ)れば一年の益也、故に本来我身もなき物、我家もなき物と覚悟すれば跡は百事百般皆儲なり、予が歌に「かりの身を元のあるじに貸渡し民安かれと願ふ此身ぞ」、 夫(それ)此世は、 我(われ)人(ひと)ともに僅(ハツカ)の間の仮の世なれば、 此身は、かりの身なる事明らかなり、 元のあるじとは天を云(いう)、このかりの身を我身と思はず、生涯一途(ヅ)に世のため人のためのみを思ひ、 国のため天下の爲に益ある事のみを勤め、一人たりとも一家たりとも一村たりとも、困窮を免(マヌカ)れ富有になり、土地開け道(ミチ)橋(ハシ)整ひ安穏に渡世の出来るやうにと、夫(それ)のみを日々の勤とし、朝夕願ひ祈りて、おこたらざる我(わが)此身である、といふ心にてよめる也、是(コレ)我(ワレ)畢生(ヒツセイ)の覚悟なり、我道(ワガミチ)を行はんと思ふ者はしらずんばあるべからず(現代語訳)一〇 尊徳先生は言われた「 親の子における、農の田畑における、これは我が道と同じである。親が子を育てるに無頼であるからといって、養育料を請求することがあろうか。農民が田を作る、凶歳となれば、肥料代も仕付料も皆損となる。この報徳の道を行おうと欲する者はこの道理をわきまえるべきである。私がはじめて、小田原から栃木の物井の陣屋に至ったとき、自分の家を潰して、4千石の復興に一途に身をゆだねたのだ。これはすなわちこの道理に基いたのである。お釈迦さまが、生者必滅の理を悟って、この理を拡充して自ら家を捨て、妻子を捨て、今日のような道を弘めたのも、ただこの一理を悟ったのだ。人は、生れ出た以上は必ず死ぬという事がある、長生きしたといっても、百年を越えるのは稀である、限りのしれた事である。若死にというのも長生きというのも、 実は毛ばかりの差に過ぎない。たとえばロウソクに大中小があるのと同じだ。大きなロウソクといっても、火の付いた以上は4時間か5時間であろう、そうであれば人と生れ出た以上は、必ず死ぬ物と覚悟する時は、一日生きれば一日の儲けである。一年生きれば一年の利益である。故に本来わが身もない物、我が家もない物と覚悟するときは、あとは百事百般皆儲けである。私の歌に「かりの身を 元のあるじに 貸渡し 民安かれと 願ふ此身ぞ」と詠んだ。この世は、 我も人もともに僅かな間の仮の世であるから、この身は、仮の身である事は明らかである、元のあるじとは天をいう。このかりの身を我が身と思わず、生涯一途に世のため人のためのみを思って、 国のため天下のために益のある事のみを勤めて、一人だけでも一家だけでも一村だけでも、困窮を免れて富裕になり、土地が開け、道や橋を整え、安穏に渡世ができるようにと、それのみを日々の勤めとし、朝夕願い祈って、怠らないわが身である、という心にて詠んだものである。これは我が畢生の覚悟である、我が道を行おうと思う者は知らなくてはならない。
2025.04.28
「能登半島地震で家が壊れたことが転機に」珠洲市出身、10年以上ひきこもっていた44歳の男性が見つけた人生の楽しさ4/27(日)幼いころから集団行動が苦手だった石尾大輔さん(44)は、中学3年のときいじめを受けて不眠と幻聴がひどくなり、統合失調症と診断された。大学を卒業したが就活もできず、10年以上ひきこもった。能登半島地震で珠洲市の実家が半壊し、ひきこもっていた部屋を失ったことで、人生が思いがけない方向に向かういじめられたトラウマのある小中学校に開設された避難所には「死んでも行きたくなかった」という石尾さん。車中泊を1週間続けていたが心身の疲労は限界。能登から逃げ出すようで後ろめたさはあったが、林さんの勧めで家族と一緒に能登を出ることに。金沢に避難して祖母、両親、弟はアパートに住むことになったが、石尾さんは激痛の走る左足の治療のため福井県の病院に入院。骨折とわかり手術とリハビリをして、4月からシェアハウスで暮らし始めた。「新年を祝っていたのに、何でこんなことが起こるんだ、もう神も仏もあったもんかって思いましたよ。でもね、震災のおかげと言ったら不謹慎かもしれませんが、僕の場合、震災をきっかけに、大きく人生がよくなったという部分はあるんですよ。ひきこもる部屋が壊れてダメになったんで、選択としては出るしかなかったから。人生は何が幸いするか、わかんないです」もし、地震で家が壊れていなかったらと聞くと、石尾さんは「今も家にいました。100パーセント、いましたね」と即答する。石尾さんはシェアハウス2階の6畳間で生活をしながら、林さんが営む便利屋で働いている。最初の仕事は、掃除だった。「仕事っていうのは地獄の苦しみしかないもんだと勝手に思っていたんです。だけど、あーだこーだ言わずに、体を動かして働いてみると楽しかった。意外と正解はシンプルなんですね。汚いところを綺麗にしたら達成感もあるし、依頼主さんがありがとうって言ってくれる。やっぱり社会から求められるって、うれしいですね。それに給料ももらえて、自分の好きな本とか骨とう品も買えるし。“物欲”って、よくないことのように言う人もいますが、僕は好きな物で満たされたいという欲があるから頑張れる。それが働く原動力にもなっています」林さんによると、ゴミ屋敷の清掃の依頼が多いが、シェアハウスの住人や卒業生に声をかけても嫌がる人が多い。それなのに石尾さんは喜んで行ってくれるので助かっているという。石尾さんに理由を聞くと、こともなげに答える。「もともと物がいっぱいで汚ねえ部屋に住んでたんで、免疫がついちゃった(笑)。人によっちゃ、ゴミ屋敷の臭いだけで吐きそうになるけど、僕はそれがないんで。ほんとにね、何が幸いするかわからない。もしかしたら、人生の楽しさって、そういうことかもしれないですよね」石尾さんは初めて稼いだお金で、祖母に松前漬け、父親にウイスキーをプレゼントして、母親には少しお金を渡したという。「そういうことは一生できないと思われていたんで、みんな喜んでましたね。両親が生きている間に家から出て、なんとか自立して生活する姿を見せられたのがよかった。お金を稼げるようになったことよりも、そっちの方が僕の中では大きいです。地震で亡くなった方もいるので、自分だけこんなに幸せでいいのかなと思うくらい、幸せですよ。林さんがいなかったら、今の人生はなかったです。ほんと感謝しかないです」昔の石尾さんを知る人に言わせると、ひきこもっていたころは話し方もたどたどしかったそうだ。15歳で統合失調症と診断されて以来、不眠や「謎の倦怠感」に長い間苦しんできたが、今は元気そうだし話もとてもスムーズだ。どのようにして回復したのかと聞くと、2、3年前に症状が劇的に改善したのだという。それまで石尾さんは金沢の病院の精神科に通院していたのだが、遠くて通うのが大変なこともあり、地元の珠洲市の病院で診てもらった。そこで心理テストを受けると、こう言われた。「あなたは統合失調症よりも、発達障害のASD(自閉スペクトラム症)の方が強く出てますね」そして、新しく処方された薬を飲むと、よく効いたのだと話す。「まだ若い先生だけど腕がすごくよかったんですね。それまでは規定量の薬を飲んでも眠れなかったのに、今は飲んだ直後に眠れるし。たまたま病院を替わって、いい先生に巡り合えたのは運が良かったんです。繰り返すようですが、人生は何が幸いするか、ほんとわからないですね」また、発達障害だと診断されたことで、気持ちにも変化があった。「僕の部屋を見ていただくとわかると思うんですが、やたらこだわりが強くて、自分の好きなものを、バーッて集める癖があって。お金に余裕がなくても買っちゃうから、マヨネーズご飯をよく食べています(笑)。それに、人がカチンとするようなことをパッと言っちゃう。悪気もないし陥れようという気持ちもないのに、相手を怒らせちゃう。大学時代に『そういう言い方はよくない』と教えてくれる友だちができたんで、失敗を重ねて改善はできたんですよ。ほんのちょっとずつですけど(笑)。こだわりの強さも人を怒らせちゃうのも、わざとじゃなかったんだと医学的に証明されてホッとしました。それまではなんかやらかすたびに、何でこんなことをするんだと自分を責めていたんで」当時はまだ発達障害という言葉すら知られていなかったが、小中学校でいじめられたのも発達障害の特性が関係していたのかもしれない。「謎の倦怠感」も、それまで処方されていた薬が合わなかった可能性がある。石尾さんもそれを十分わかった上で、前を向こうとしているのだ。「いじめとかひどいことをするのも人間ですが、救ってくれたのも人間なんですよね。今苦しんでいる人たちには、いい人間はたくさんいるし、怖がらなくてもいいと伝えたいです。僕だって、普通に就職して、結婚して、子どもを持ちたかった。でも、それはできない代わりに、自分の体験を社会に伝えることで、自分を保てる部分があるんです。話すことで一番救われているのは僕自身なんです」石尾さんがシェアハウスで暮らし始めて1年経った。「今の生活は楽しいし、ずっとここで頑張りたい」と言うほど馴染んでいるが、今でもたまに能登の夢を見るそうだ。夢の中ではみんな笑顔で、自然豊かで平穏な田舎の風景がどこまでも広がっている。家もインフラも壊れたままで集落の再建は難しいが、「やっぱり人生の最後は珠洲で迎えたい」と故郷に思いをはせている。
2025.04.28
中国ネット通販SHEIN、米国で最大377%値上げ-関税が消費者直撃4/27(日)中国発のファッション通販大手SHEIN(シーイン)は米国向け製品の価格を引き上げた。中国から米国に輸入される少額貨物に対する関税の引き上げを前に、貿易戦争が消費者に与える影響が早くも現れた格好だ。ブルームバーグ・ニュースの集計によると、米国での値上げは25日に集中し、カテゴリーごとに大きな差がみられた。美容および健康分野の上位100品目では平均価格が前日比51%上昇し、2倍余りの値上げとなった商品もある。ホームおよびキッチン、玩具は平均で30%超値上がりし、キッチンタオル10枚セットは377%もの値上げとなった。婦人服の価格は8%の上昇。トランプ政権は今月、輸入申告額が800ドル以下の場合に関税を免除するいわゆる「デミニミス(非課税基準額)」ルールについて、5月2日以降は中国・香港に適用しないと発表。これにより、SHEINや「Temu(テム) 」といった中国発のオンライン通販は多くの商品で120%の関税に直面する。トランプ氏は21日、エネルギーと食料品の価格下落を背景に「インフレはほとんど存在しない」と自身のソーシャルメディアに投稿していた。しかし、SHEINによる今回の値上げは、中国系オンライン小売業者がコスト上昇分の少なくとも一部を消費者に転嫁する動きを浮き彫りにしている。トランプ氏の関税政策に備え、SHEINは今年2月、一部の中国サプライヤーに対してベトナムで生産拠点を設けるよう促していた。Temuも中国国内のサプライチェーンを見直し、工場側が製品をまとめて米国倉庫に直送し、同社はオンライン運営に専念する「ハーフカストディ」方式への移行を加速している。ブルームバーグのデータによると、SHEINとTemuの売り上げは3月から4月初旬にかけて回復。関税による値上げを見込んだ米消費者からの旺盛な需要が背景にあるとみられる。両社とも今月に入り、米国での値上げ方針を発表していた。ブルームバーグがカテゴリー横断的に選んだ50品目のサンプル調査では、SHEINの米国での価格は4月24日から26日にかけて平均で約10%上昇。この間、50品目のうち7品目は米国での販売が中止となった。対照的に、英国での価格はほぼ据え置きで、販売中止となった商品もなかった。米国向けサンプル調査で残った43品目のうち、30品目が2日間で10%余り値上がりした。広範な価格改定は25日に行われたが、一部商品はその前から価格が上がっていた。例えば、婦人服カテゴリーでは22日に人気商品の価格が相次いで上昇。同カテゴリー上位100品目の平均価格は8.68ドルから9.06ドルに4%余り値上がりした。貿易戦争で「時間は米国の味方、中国の敵」-アックマン氏資産家でヘッジファンド運用者のビル・アックマン氏は、中国は米国との貿易合意を速やかにまとめる必要があると述べた。長引く貿易戦争は、中国経済に深刻な打撃を与えるため同国に勝ち目はないという。 アックマン氏はX(旧ツイッター)への投稿で、中国政府は「貿易合意をできるだけ早急に結ぶ強い動機を持つべきだ」と指摘。高関税が長引くほど中国は、経済的に合理的な条件で製品を調達または生産できる市場という企業からの信頼を失う可能性が高まると述べた。 早期に合意が成立しない場合、「中国にサプライチェーンを置くすべての企業が、インドやベトナム、メキシコ、米国といった国に拠点を移す」と予想した。さらに、「中国がプライドや感情的な問題から交渉を拒否し続けるなら、もっと深刻で永続的な経済的ダメージを受ける」とし、「この交渉において時間は米国の味方であり、中国の敵だ」と述べた。 トランプ米大統領は就任以来、大半の中国製品に145%の関税を賦課しており、中国も報復措置を講じていることから、世界の二大経済大国間の貿易は大きく縮小しかねない状況にある。そうした中、中国政府は米国に対する125%の報復関税で一部製品を対象から除外することを検討しているとブルームバーグ・ニュースは25日に報じた。 アックマン氏は、関税による経済的ダメージを考慮すると、中国も米国も関税を「より現実的な」10-20%程度の水準にできるだけ早く引き下げる十分な理由があると指摘。これを妨げている唯一の要因は「両国の指導部が弱腰と受け止められるのを恐れている点だ」と付け加えた。
2025.04.28
報徳記巻之5 【7】先生小田原の大夫某と飢歳當然の道を論ず その1報徳記&二宮翁夜話198「安居院庄七と鷲山恭平」を本年2月出版しました。本書はすでに安居院庄七の生誕地・秦野市及び足柄上郡各町の教育委員会を通して、図書館・公民館図書室・全小学校・中学校に寄贈しました。安居院庄七終焉の地、浜松市の全図書館にも寄贈し、浜松市立中央図書館では、既にに蔵書となっています。また東京都立図書館の蔵書にもなっております。現在、神奈川県と静岡県の公共図書館に寄贈を進めています。神奈川県秦野の大山御師(相模国大山の先導師)の出身で、50歳過ぎてから「報徳の教え」に目覚め、「報徳を広める」志を抱いて、遠州一円に報徳の教義を伝え、報徳社を続々と設立させた安居院庄七、その教えを受けた遠州報徳の指導者達、そして安居院先生の伝記を記した鷲山恭平氏に連なる遠州報徳の指導者たちの偉大な功績を広く次の世代に、そして現代共に生きる人々に知らせるプロジェクトです。報徳記 巻之五【7】先生小田原の家老なにがしに飢饉の年に当然為すべき道を論ずる尊徳先生は天保8年の大飢饉にあたって、救済を命ぜられて小田原に至った。時に小田原藩家老が先生に問うた。「飢饉の年となり民を救うことができない。この時にあたってどのような方法で飢えている民を救って、こえを安んずることができようか。」先生はこう言われた。「礼経にこう書いてあります。『国9年の貯えがないのを不足といい、6年の貯えが無いのを急といい、3年の貯えが無いのを国その国に非ず』と申します。それ歳入の4分の一をあまらせこれを貯え、水害やヒデリや、飢饉、盗賊など衰乱の非常に充てるというのが、聖人のさ定められたことではありませんか。事あらかじめする時は救済の道をどうして憂える事がありましょうか。そうであるにわずか一年の飢饉がきて救済の道がないとはどうしたことでしょうか。このようにして国の君主の任務はどこにありましょう。家老の執政の任務は何をもってその任務としましょうか。」家老は言った。「事前に備えることがあれば、元より飢饉の憂いはない。今、どのようにすればよいのか。その備えもなく、またその方法も得ることができない。この難場に臨んでこれを解決するの道はあるのか。救済の米や財がなくて、民を救うことは英傑明知であってもできないところではないのか、それとも別に道はあるのか。」先生は答えて言われた。「どのような困窮の時であっても自然と処すべき道がないなどということはできません。ただ行う事ができないことを憂いとするだけです。」報徳記 巻之五【7】先生小田原の大夫某と飢歳當然の道を論ず申(さる)の凶荒(きようくわう)に當(あた)り、救荒(きうくわう)の道を命ぜられ小田原に至れり。時に大夫(たいふ)某(それ)先生に問て曰く、年飢ゑて民を救うの道を得ず。此の時に當(あた)り何の術を以て飢渇の民を救ひ之を安(やす)んぜんや。先生曰く、禮(れい)に云(いわ)く國(くに)九年の蓄(たくわ)へ無きを不足と曰ひ 六年の蓄(たくわ)へ無きを急と曰ひ 三年の蓄(たくわ)へ無きを國(くに)其(その)國(くに)に非ずと曰ふ夫(そ)れ歳入の四分が一を餘(あま)し之を蓄(たくわ)へ、水旱(すゐくわん)荒年(くわうねん)盗賊衰亂(すゐらん)の非常に充(あ)つるもの、聖人の制(せい)にあらずや。事豫(あらかじ)めする時は救荒(きうくわう)の道何ぞ憂ふる事之あらん。然るに僅(わづか)一年の飢饉至り救荒(きうくわう)の道なしとは何ぞや。是の如くにして國君(こくくん)の任何(いづ)れにかある。大夫(たいふ)執政(しつせい)の任何を以て其任とするや。大夫(たいふ)某(ぼう)曰く、事前に備ることあらば元より凶飢(きようき)の憂(うれひ)あらず。今如何(いか)にせん。其の備(そなへ)なく又其の術を得ず。此の難場(なんば)に臨み之を處(しょ)するの道ある歟(か)。撫育の米財なくして民を救(すく)はんこと英傑明知と雖(いへど)も能(あた)はざる所ならん、將(はた)別に道あるか。先生答へて曰く、如何(いか)なる困窮の時といへども自然處(しょ)すべきの道なしと謂(い)ふ可らず。唯(たゞ)行ふ事の能(あた)はざるをのみ憂ひとせり。
2025.04.28
DeNA バウアーが8回1失点で2年ぶりNPB勝利!中4日で来日最多129球の熱投 八回ピンチ切り抜け雄たけび「九回も行きたかった」4/27(日)今季初めて中4日で先発したバウアーは、8回1失点。八回に1死三塁のピンチを招いたが、連続三振で切り抜け雄たけび。本拠地は盛大なバウアーコールに包まれ、今季4度目の登板で復帰後初勝利を挙げた。 バウアーは大歓声を浴び「ベイスターズファンのみなさんの前でピッチングできることを待ち望んでいた」と語り、「欲を言えば九回もいきたかった。伊勢選手が締めてくれて感謝しています」。八回のピンチは「あの場面がヤマ場だった。ランナーを絶対にかえしたくない」と気迫で切り抜けて見せた。 初回に1死一、三塁から三走・羽月の本盗を許し1点先制を献上したが、その後は自身の投球を崩さず。150キロ台の直球にスライダー、ナックルカーブを交え広島打線を封じた。そんな右腕を味方打線も援護し、四回に佐野の2点適時打で逆転に成功した。 お立ち台で佐野は「自分のスイングをしようと思った。本当にいいところに転がってくれた」とコメント。バウアーについて「守ってる方も気迫が伝わった。素晴らしいピッチングだった」とたたえた。
2025.04.27
山北町生涯学習センター図書室に「現代語訳 安居院義道」と「安居院庄七と鷲山恭平」を寄贈する。令和7年4月26日 山北町生涯学習センター図書室 様 春暖の候、ご清祥にお過ごしのことと存じます。 『安居院庄七と鷲山恭平』を出版しましたので、謹んで貴図書館に寄贈いたします。 昨年(令和6年)3月に『現代語 安居院義道』を、11月に『安居院庄七先生小伝』(秦野市の小学校教諭故井上静男氏の著)を出版したので、併せて寄贈します。『安居院庄七と鷲山恭平』は「子どもからお年寄りまで読める」・「絵と地図で楽しめる」をコンセプトに、新たなプロジェクトとして出版し、現在、神奈川県・静岡県の図書館並びに秦野、足柄上郡及び静岡県の遠州地方の全小学校・中学校に各教育委員会を通じて寄贈中です。既に松田町、伊勢原市、厚木市、相模原市などで蔵書となっております。安居院庄七(あぐい・しょうしち)は、神奈川県秦野市の出身で、大山御師の家に生れ、50歳を過ぎてから報徳の教えを学び、養子先の穀物商で元値売りを実践し、また近隣の横曽根村に報徳仕法を指導し、「報徳の教えを世に広めよう」という志を抱いて、遍歴の旅に出て、遠州において報徳社を数多く創設し、報徳の普及に生涯尽しました。鷲山恭平(わしやま・きょうへい)は、静岡県掛川市の出身の篤農家で、報徳運動や農村復興運動を推進し、嶺向(みねむかい)報徳社の初代社長を経て、大日本報徳社の副社長となった方です。安居院先生の伝記『報徳開拓者 安居院義道』の著者であり、現在でも当該書は安居院先生の生涯を知る上で必須の書となっています。「子どもからお年寄りまで読める」ように本文は全ルビとし、「活字も大き過ぎるほど大きい」ものとし、読みやすくしました。また本文中に注釈をほどこしました。「絵と地図で楽しめる」ように、静岡県森町の画家O氏に挿絵を提供いただき、神奈川県足柄上郡松田町の文化財保護委員のK氏に矢倉沢往還などの地図を提供いただきました。さらに国土地理院に「伊能図」をご提供いただき、「遠州報徳」普及の歴史を地図で読み解くカラフルで、ユニークな本となりました。神奈川県秦野の大山御師(おし)の生れで、50歳過ぎて二宮尊徳の「報徳の教え」に目覚め、「報徳を広める」志を抱いて、遠州一円に報徳の教義を伝え、遠州に報徳社を続々と設立させた安居院庄七、その教えを受けた遠州報徳の指導者達、そして安居院先生の伝記を記した鷲山恭平氏に連なる「報徳の指導者たち」の偉大な業績と「安居院庄七小伝」を著した井上静男先生の功績を市民の皆様に広く知って頂ければと存じます。もし貴館の方針で収蔵できない場合は、直接貴館に赴くか又は返却用のレターパックをお送り致しますので、本を返却下さるようお願いします。出版した本を無駄に廃棄することなく循環して還元するためですのでご理解下さい。どうぞよろしくお願いします。二宮尊徳の会・鈴木藤三郎顕彰会・報徳文化研究会
2025.04.27
「生活即禅」17 真実の生活 そこで生活ということにもいろいろな生活がある。それは物の食べ方でもクシャミの仕方でも咳払いの仕方でも上品な仕方がある。両手を突き上げて大きな口を開いてああとやる。これは下品なあくびである。嘘にも片手で鼻をすりあげてことさら大きな声をする雲助のクシャミもあるわけである。葉隠には「人中で欠伸やくさめをするは不嗜。出たら知れぬようにせよ」とある。それだから昔潙山禅師という人は潙山という山をどういうふうに歩いたか、私は見ておらないし、トーキーにも取っておらぬから分らないが、どんなふうにか歩いて咳払いをした。その咳払いが山のように立派な咳払いだった。世界一の咳払いの仕方であったという。そうしたらその男は世界一に良い男である。そういうふうにクシャミの仕方、咳払いの仕方であの人はやりっぱなしだということがよく分る。聴く力のある人があるとあれはひょっとこだということがちゃんと分る。この態度というものは妙なもので例えば、今日はという挨拶をするにしても、しかめ面をして挨拶するのと、笑顔で挨拶するのとは大変違う。昔の武士の教育に歩行する時、上体を左右前後に動かすなという事がある。上体を左右に動かせば与太郎みたいでおかしい。武士には武士の態度、宗教家には宗教家の態度というものが必要である。 態度身構えがきちんとしておればそこに威徳威光というものが現れて来る。人間に威徳威光がなければ何をしたところで駄目です。俺は学者だといっていばって見ても、態度が備わっていなければ、そのノートをアナウンサーのよい声でレコードに吹き込んで置いて小使に教室に配らせた方がよい。変な声でノートを読むよりましだ。威徳威光のあるがっちりした人間でなくてはまるで機械になってしまう。機械だから役目によって、ある程度まではやっておるけれども、ちょうど芝居をしておるのであって、坊主が本堂の真ん中へ出た時は良い行儀をしているようだけれども、裏面に入ってら全くなっていないという、それだからまるで坊主と役者と同じように見られても仕様がないという向きもある。表面があまり窮屈だから裏に廻ったら素裸になって行儀悪くやっているというような者が、もしあらばそれは宗教家でなくて俳優である。教俳ということになるわけである。そうすると一番大事なことは生活の態度が行儀良くなるということであって、そこが一番辛いことです。 そこで態度というものを考え直して見るといろいろな態度がありますが、例えばあかんべえをして南無阿弥陀仏と言ったらおかしい。鼻を押えて南無妙法蓮華経と言ったらなおおかしい。あるいは拳骨を固めて南無八幡大菩薩と言っても変なものである。そうかといって夫婦喧嘩する時に両手を合わせて念仏申すような恰好をしたら喧嘩にならない。そうすると態度というものがいかに我々に影響するものであるかということが分る。彼の道元禅師は我々の態度についていろいろ書かれておりますが、まず飯を炊く態度ということが実に詳しく説かれております。飯を炊く態度にもし誤りがあるならば、日雇いの女中とちっとも違わない。その反面にその態度が備われば飯炊き仏様にもなれる。また例えば一銭の銭といえどもそれを使う態度によっていろいろと分類出来る訳です。石川五右衛門が銭一銭を貰った、凡夫なら、飴を買ってペロペロなめてしまうところだが、石川五右衛門はご承知の通りその道の天才だからその一銭で買った飴を糸にくくりつけてお寺の賽銭箱の中に投げ込んだ。たしかに手ごたえがあったぞ、というので引き上げて見るとちゃんと銭を吊り上げている。たった一銭を使う態度においてもここに悪人が出来、善人が出来る。あるいは悟りを開くか、迷いを生ずるのである。身長五尺四寸二分体重十五貫七百五十匁のこの沢木という素材原料をどうするかというに、そこに我々の修養がいる訳です。修養ということはこの原料をどちらに使うかということです。これを酒屋に運ぶか、銀行に運ぶか、酒を飲めば酔っ払い坊主。金をためれば金畜め坊主この素材をどういうふうに使うか、その態度によって聖者となり凡人となる。あるいは善人ともなれば悪人ともなるのです。 道元禅師の書に正法眼蔵洗浄の巻。洗面の巻などというのがありますが、例えば小使をするにしても非常に行儀の好い仕方もあれば悪い仕方もある。風呂に入るにしてもいろいろな行儀がある。(「生活即禅」p.47-51)
2025.04.27
佐々木朗希 6度目登板でも初勝利ならず 自己最多93球熱投も6回途中降板 5回に逆転許すも打線が援護4/27(日) ◇ナ・リーグ ドジャース―パイレーツ(2025年4月26日 ロサンゼルス) ドジャースの佐々木朗希投手(23)が26日(日本時間27日)、本拠でのパイレーツ戦でメジャー初勝利を目指して先発登板。初回先頭のオニール・クルーズ外野手(26)に初球を被弾していきなり1失点した。1点リードの5回には2点適時打を浴び、逆転を許したが、5回2/3を投げ、5安打3失点だった。速球の最速は97.7マイル(約157.2キロ)で平均球速は96.1マイル(約154.7キロ)だった。 先頭のクルーズに対し、外角高めボールゾーンへの96.8マイル(約155.8キロ)を投じると、打球は中堅方向へ。過去2登板連続でホームランキャッチの超美技を披露している中堅パヘスが懸命にジャンプしたが、そのはるか上を越えて着弾した。これで登板3試合連続で被弾となった。しかし、その後は立ち直って3人を仕留め、1失点で切り抜けた。 直後の攻撃で先頭の大谷が二塁打で出塁すると、T・ヘルナンデスの適時打などで2点を奪って逆転に成功。佐々木は2回は先頭に四球、続くヘイズには左前打を許して無死一、二塁のピンチを招いたが、ブレージャーを遊ゴロ。ファムは浅い右飛に打ち取ると、三塁走者が中途半端な走塁で飛び出して本塁を狙い、ラッキーな併殺で無失点で終えた。 3回は2死走者なしからこの試合2個目の四球を与えたが、3番マカチェンを一邪飛に打ち取った。4回はこの試合初めて3者凡退に仕留めて4回を51球で投げ終えた。 しかし、5回に再びつかまった。連打で無死二、三塁とされると、1死後に初回に本塁打を被弾したクルーズに右前へ2点適時打を許し、逆転を許した。1死一塁からはレイノルズに中堅へ大飛球を打たれたが、ここはパヘスがフェンス際で好捕し、佐々木を救った。6回は2死走者なしからヘイズにフォークがすっぽ抜けて死球を与えたところでロバーツ監督がベンチを出て交代となった。 これまで5試合に先発し、0勝1敗、防御率3.20。前回登板した19日のレンジャーズ戦ではメジャー自己最長の6回を投げ2安打2失点とまずまずの投球を披露した。 デーブ・ロバーツ監督は試合前に取材対応。佐々木が前回登板で初回の直球の平均球速が93.1マイル(約149.8キロ)など球速が上がらなかったことについて言及。「彼は抑えていたと思います。もし本人が望めば、もっと出せるものがある。コマンド(制球)を重視しているために、少しリミッターをかけているようにも見えます」と分析した。https://x.com/i/status/1916319452523860233
2025.04.27
「報徳の歌ー二宮尊徳道歌から学ぶー」小関栄著 百人一首についての道歌的解釈 (153頁)滝の音は絶えてひさしくなりぬれど 名こそ流れてなお聞こえけりこの歌は大納言公任(きんとう)の作で、ここに滝があったというのはずっと昔のことだが、その滝の名は今でも立派に残っている。人は亡くなってもその名前は消えないと解しています。 尊徳は、この歌を今の文化が先代の推譲と考えると同時に、生前の功労はいつまでも残っている。二宮翁夜話巻の5 【205】下野国しもつけのくに某それの郷村がうむら、風俗ふうぞく頽廃たいはいする事こと甚はなはだし、葬地そうち定所ていしよなく、或あるひは山林さんりん原野げんや、田畑たはた宅地たくち皆みな埋葬まいそうして忌いまず、数年すうねんを経ふれば墓はかを崩くづし菽まめ麦むぎを植うゑて又また忌いまず、故ゆゑに荒地くわうち開拓かいたく、堀割ほりわり、畑捲はたまくり等とうの工事こうじに、骸骨がいこつを掘ほり出だす事こと毎々まいまいあり、翁をう之これを見みて曰いはく、夫それ骸骨がいこつ腐朽ふきうすといへども、頭骨づこつと脛骨けいこつとは必かならず存そんす、如何いかんとなれば、頭あたまは衆体しゆうたいの上うへに有あつて、尤もつとも功労こうらう多おほき頭脳づなうを覆おほひて、寒暑かんしよを受うくる事こと甚はなはだし、脛すねは衆体しゆうたいの下したに有あつて、身体しんたいを捧ささげ持もち、功労こうらう尤もつとも多おほし、其その人ひと、世よに有あつて、功労こうらう多おほき処ところ、没後もつご百年ねん其その骨ほね朽くちず、其その理り感銘かんめいすべし、汝なんぢ等ら頭脛づけいの骨ほねの如ごとく、永ながく朽くちざらん事ことを勤つとめよ、 【205】下野国(しもつけのくに)のある村では、風俗がはなはだ頽廃していた。埋葬地も定まっておらず、あるいは山林・原野・田畑・宅地などどこにでも埋葬して忌むことを知らなかった。数年がたつと墓を崩して豆や麦を植えて忌むことがなかった。だから荒地の開拓、堀割りや畑の土壌回復等の工事の際に、骸骨を掘り出す事がしばしばだった。尊徳先生はこれを見て言われた。「骸骨は腐朽しても、頭蓋骨と脛(けい)骨とは必ず残る。なぜかといえば、頭は体の上にあって、もっとも功労の多い頭脳をおおって、寒さや暑さを受ける事がきわめて多い。脛(はぎ)は体の下にあって、身体をささげもって、功労がもっとも多い。人もまた、世にあって功労が多いところは、亡くなった後百年たってもその骨が朽ちない。その道理をよくわきまえるがよい。あなたたちも、頭や脛の骨のように、ながく朽ちないように勤めなさい。
2025.04.27
山本由伸 5回3失点2敗目「なかなかリズムをつくりきれない投球だった」 防御率1・06でリーグトップ4/27(日)ドジャース・山本が5回3失点(自責1)で2敗目を喫した。立ち上がりから制球が安定せず、三回までに65球を費やした。大リーグ移籍後で自己ワーストとなる4四球を記録。「ピンチの場面でも乗り切れず、すごく悔しかったです。リズムの悪い投球だった」と反省交じりに振り返った。ロバーツ監督「今夜のヨシはらしくないと思った。ピンポイントの投球ではなかった」初回、先頭のクルーズを四球で歩かせると、2死までこぎつけたが、バルデスに先制適時打を許した。二回、三回と連続して先頭打者を四球で出塁させる苦しいピッチング。指揮官は「直球、変化球ともにわずかにゾーンを外れていた」と評したが、何とか無失点で粘った。 四回を三者凡退に仕留めてテンポが上がってくるかに思われたが、五回、先頭を三ゴロに打ち取ったかに思われたがマンシーが一塁へ悪送球。ここからタイムリーを2本浴びて失点を重ねてしまった。 山本は試合前まで18イニング連続無失点と安定した成績を残していた。4月の自責点はゼロでナ・リーグの防御率ランキングでもトップに立つほど。この日は自責点1で防御率1・06となり、ナ・リーグトップの座はキープした。
2025.04.27
トランプ氏「ここ数日プーチン氏は民間人がいる地区にミサイルを打ちこんでいるがそんなことをする理由はない。あまりにも多くの人が死んでいる」「プーチン氏は私を利用しているだけかもしれない」トランプ米大統領は26日、自身の交流サイト(SNS)で、米国の停戦努力にもかかわらずウクライナへの攻撃を続けるロシアのプーチン大統領について「戦争を止めたくないのかもしれない」と批判した。その上で、ロシアと取引を行う第三国に対する制裁なども検討する考えを示した。トランプ氏は「ここ数日、プーチン氏は民間人がいる地区にミサイルを打ちこんでいるが、そんなことをする理由はない」と非難し、「あまりにも多くの人が死んでいる」と嘆いた。また、トランプ氏は「プーチン氏は私を利用しているだけかもしれない」とも書き込み、「銀行取引や二次的制裁のような違うやり方が必要なのだろうか?」と問いかけた。二次的制裁は、ロシアと取引を行っている国に対しても経済制裁を加えることを指しているとみられる。「歴史的会談になる可能性」とゼレンスキー氏 15分間会談のトランプ氏に謝意も示す4/26(土) 米国のトランプ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領は26日、バチカンでローマ教皇フランシスコの葬儀参列に合わせて会談した。ウクライナ停戦が議題となり、米ホワイトハウスは「非常に生産的」な話し合いだったと成果を強調した。両首脳の会談は、2月28日に2人がホワイトハウスで激しい口論を交わして以来、初めて。ゼレンスキー氏は式典後、SNS(交流サイト)でトランプ氏に謝意を示し、2人がいすに座って差し向かいで話し合う様子をとらえた写真を公開した。人命の保護、無条件の停戦、持続可能な和平などの課題を列記し、「共に成果をあげられれば、歴史的な会談になる可能性を秘めている」と書き込んだ。報道によると、2人は約15分間会談した。ウクライナ政府は26日、トランプ、ゼレンスキー両氏とマクロン仏大統領、スターマー英首相の4人が大聖堂で肩を寄せ合い、立ち話している写真も公開した。
2025.04.27
報徳記巻之5 【6】小田原領駿豆相飢民に撫育を行ふ その4報徳記&二宮翁夜話198「安居院庄七と鷲山恭平」を本年2月出版しました。本書はすでに安居院庄七の生誕地・秦野市及び足柄上郡各町の教育委員会を通して、図書館・公民館図書室・全小学校・中学校に寄贈しました。安居院庄七終焉の地、浜松市の全図書館にも寄贈し、浜松市立中央図書館では、既にに蔵書となっています。また東京都立図書館の蔵書にもなっております。現在、神奈川県と静岡県の公共図書館に寄贈を進めています。神奈川県秦野の大山御師(相模国大山の先導師)の出身で、50歳過ぎてから「報徳の教え」に目覚め、「報徳を広める」志を抱いて、遠州一円に報徳の教義を伝え、報徳社を続々と設立させた安居院庄七、その教えを受けた遠州報徳の指導者達、そして安居院先生の伝記を記した鷲山恭平氏に連なる遠州報徳の指導者たちの偉大な功績を広く次の世代に、そして現代共に生きる人々に知らせるプロジェクトです。尊徳先生は大久保忠真候の逝去されたことを聞いて、慟哭悲歎し涙を流して言われた。「ああ、私の道はついにここに窮してしまった。賢君が上にあってこそ私は安民の道を行うことができた。私は始めて命を受けてから10数年間、千辛万苦をつくしてきたのは何のためか。上には明君の仁を広め、下には万民にそ恩沢をこうむらしめようとするだけだ、ほかに何があろう。ついにその事業はなかばに至ることなく、殿は忽然として逝去されてしまった。今後、誰と共にこの民を安んずればよかろうか。」と大きくため息をつかれて、その悲痛のありさまは前後を忘れるほどであった。暫くしてその容貌を改めて毅然としてこう言われた。「ああ、憂心歎息が度を過ぎるときは、飢えた民の救助の道を怠ることになる。一人の民でさえ失う時は、殿の尊霊はどんなにか歎かれることであろう。一刻も早く殿の仁沢をあまねく施してこの民を救わなければならない。」と、涙をぬぐって、村々をまわり、一村ごとに無難(ぶなん)・中難(ちゆうなん)・極難(ごくなん)と三段に分けて、穀物を貸与する人数を定めた。そしてその償還期限を5年とした。極難のものが償還できない時は一村の力でこれを償還するべき約束を定めた。蔵の米が到着する間も死亡を免れないような飢えた民があった。先生は数百両を懐にして、このような飢えた民一人ひとりに尋ねて、自ら金を与えてこう言われた。「近いうちに殿の恵みがあって汝等一人も死亡に至らないように救助がある。暫くの飢渇はこれをもってしのぐがよい。」飢えた民や病気の者は数日、絶食してその容貌は疲れやせて立ってこれを受けとることもできなかった。ただ、先生に合掌して拝み、涙を流してその救助のかたじけないことを感謝した。これを見る人、皆落涙しないものはなかった。駿河・伊豆・相模(さがみ)の領中の村々をこのように回り歩くこと数日で救済のの道はことごとく備わった。救済したものは、合計で飢民40,390余人である。天保9正月から5月の麦作の実りまでの食糧をゆたかに貸与したため、領中から一人の民も離散や死亡に至る者もなく、無事に大飢饉の憂いを免れたのであった。実に先生の非常な丹誠によるもので、一世の心力をつくした。古今比類のない救済の良法を行ったのであった。領民は必ず死に至る大患を免れて再生の思いをした。その大恩を感動し、感謝することは深く、数万の貸与の穀物は一人として不納はなく、約束を守り、五年で皆納するに及んだ。これを以て民心の感動の深さを知るべきである。これにより小田原領は先生の良法を慕って、旧弊を改めて大いに風化する発端となった。救済の正業は外に全備の帳簿がある。だから今はその概略を記すところである。報徳記巻之五【6】小田原領駿豆相飢民に撫育を行ふ先生君候の逝去し玉ふ事を聞き、慟哭悲歎流悌(りうてい)して曰く、嗚呼(あゝ)我が道既に斯(こゝ)に窮せり。賢君上に在(いま)し我をして安民の道を行はしむ。臣(しん)始めて命を受けしより十有(いう)餘(よ)年千辛萬(ばん)苦を盡(つく)せるは何の爲(ため)ぞや。上(かみ)明君の仁を擴(ひろ)め下(しも)萬民(ばんみん)に其の澤(たく)を被(かうむ)らしめんとする而已(のみ)、豈(あに)他あらんや。遂に其の事半(なかば)に至らず、君奄然(えんぜん)として逝去し玉ふ。以來(いらい)誰と共に此の民を安んぜんや と大息(たいそく)悲痛自ら前後を失するが如し。暫くありて容貌を改め毅然(きぜん)として曰く。嗚呼(あゝ)憂心歎息度に過ぎ飢民救助の道を怠り一民だも失ふ時は、君の尊靈(そんれい)何ぞ歎き玉はざらんや。一刻も早く君の仁澤(じんたく)を布(し)き此の民を救はん而已(のみ)と、涕(なみだ)を拭ひ廻村し一邑(いふ)毎に無難(ぶなん)中難(ちゆうなん)極難(ごくなん)と三段に分ち、賑貸(しんたい)の員數(ゐんずう)を定め之を償はしむるに五年を以てし、極難のもの償ひ難き時は一邑(いふ)の力を以て之を償ふべきの約を定めたり。廩粟(りんぞく)至るの間も死亡を免れざるの飢民あり。先生數(すう)百金を懐にし、此の如き飢民一人毎に之を尋ね、自ら金を與(あた)へて曰く、近日(きんじつ)君の惠(めぐ)みありて汝等一人も死亡に至らざるの救助あり。暫時(ざんじ)の飢渇之を以て凌(しの)ぐべしと云ふ。飢民或(あるひ)は病者數日(すうじつ)の絶食容貌疲痩(ひそう)立って之を受くること能はず。只(ただ)合掌流涕(りうてい)救助の忝(かたじけ)なきことを謝せり。人皆落涙せざるものなし。駿豆相(すんづさう)の領中村々是の如く回歩數日(すうじつ)にして救荒の道悉(ことごと)く備はり、都合飢民四萬三百九十(40,390)餘(よ)人、酉(とり)正月より五月麥作(ばくさく)實(み)のりまでの食を優(ゆた)かに賑貸(しんたい)し、領中一民も離散死亡に至れる者なく、無事に大飢(だいき)の憂ひを免れたり。實(じつ)に先生非常の丹誠一世の心力を盡(つく)し、古今類(たぐ)ひなき救荒の良法を行ひたり。領民必死の大患を免れ再生の思ひを爲(な)し、大恩を感戴(かんたい)すること深くして數萬(すうまん)の貸粟(たいぞく)一人の不納なく約(やく)を守り、五年にして皆納(かいのう)に及べり。是を以て民心感動の深さを知るべし。是小田原領先生の良法を慕ひ、舊弊(きうへい)を改め大いに風化(ふうくわ)せるの發端(ほつたん)なり。救荒(きうくわう)の正業外に全備(ぜんび)の簿(ぼ)あり。故に今其の概略を記す。
2025.04.27
「生活即禅」16 禅は生活の態度である 生活ということにはいろいろありまして僕は生活が困難でという、生活はただ食うというだけの生活である。その外に我々の昔し向きには寝るのも起きるのも生活である。大勢の人が共同生活をする場合に一人でも生活の態度に欠陥のある人がいると、その共同生活は壊されて、これは僅かなことでありますが、便所がよごれたり洗面所がよごれたりする。こういうように朝から晩までのことをよく見まして、この生活の態度を自他共に互いによく睨み合せて、これは人の為に害になりはしないか、あるいはまた自分自身に早晩還って来る害ではなかろうか。始終注意しなければならぬ。自他を利益する。即ち自己と他人と両方が利益になることを常に工夫するのが仏教というものである。 態とは儀なり成なり形なり 態度というものは、我々の顔つき一つでも我々お互いの間に影響を及ぼすものである。始終苦虫をかみつぶしたような顔をしておっては、世の中が冷たくなってしまう。私らは本山にいても雲水を怒り、また駒澤大学におってもやむを得ず学生を叱ります。これを年がら年中やっていたら大変です。自分も窮屈なら人もたまったものじゃない。我々が生徒を相手にしておって急所を外れた態度を執ったら、あるいはストライキが起こるか、排斥運動が起こるか、あるいはそうでなくとも折角の我々の教育というものはなりたたない。我々は一生の中に何万人の人に付き合うか知りませんが、毎日目まぐるしく移り変わっていくその間に、我々の生活態度がうまく命中しなくて、これはしくじったと思うようなことがあるものです。「宗教は我々の肉体で直に人間の魂と触れ合う一番大切なものである。」そこで我々の態度を考える時に宗教というものはただ亡者の呪いではなくて、我々の肉体で直に人間の魂の触れ合う一番大事なものである。つまり事上磨練という言葉がありますが、これは精神鍛錬でなしに肉体も鍛錬するのである。皆さんは精神の鍛錬をすると同時に肉体の鍛錬をされるのだから、青瓢箪の哲学者とは違う。ただ机の上だけで神経衰弱に罹っていたり、素人に分らない文字でごまかす輩とは違う、生きた筋肉でやっておられるのだから、これは本当の事上磨練である。 事上磨練をやってる人はどことなく底力がある。 本当の事上磨練をやっておる者はどことなく底力がある。我々の修養とか鍛錬をとかいうことは、精神という無形なものだけでなしに形の上にも現れなければならん。形とは儀なり、威なり、態なり。我々は朝から晩までやれ国旗掲揚とか、あるいは東方遥拝とか、いろいろな儀式があるが、これは事上磨練です。最敬礼の場合に俺は形は寝転んでおるが心では最敬礼しておるのだ、といってもそれは最敬礼にはならない。儀というのは態度です。(「生活即禅」p.44-46)
2025.04.26
「報徳の歌ー二宮尊徳道歌から学ぶー」小関栄著 百人一首についての道歌的解釈 (152頁)久方の光のどけき春の日に 静心なく花の散るらむ この歌は紀友則の作で、太陽の光が空に満ちてうららかな「春の日に」桜の花が散っている。 尊徳はこの歌を引用して藤曲村仕法書「難村取り直し相続手段帳」に自身の道歌に交えて掲載しています。 二宮先生語録にも「静心なく」は世の移り変わりと解釈していたのです。「春の末の暖かい日に人は皆よろこび浮かれていて、爛漫たる桜の花の下では誰ひとり風雪の寒さが来ることを考えないものである。このような時に、雪のように散る花を見て、人の世の移り変わりと同じと悟って、静心なく無限の感慨にふけり、よく世態・人情を述べ尽した名歌」(語録425より)と観賞していたのでした。二宮先生語録巻の5 【425】その1【四二五】紀き氏し飛ひ花くわの和わ歌かを解かいし曰いはく、暮春ぼしゆん暖だん日じつ、人ひと皆みな快くわい活かつ、桜あう花くわ爛らん漫まんの下もと、誰だれか風ふう雪せつの寒さむきを思おもはん。時ときに飛ひ花くわ雪ゆきの如ごときを見みて、人じん世せいの変へん遷せんを感かん慨がいするや、人ひと既すでに生うまるれば、則すなはち日ひに月つきに死しに近ちかづくのみ。七情じやうの発はつするも、亦また死しに至いたるの序じよ次じ(始め)なり。然しかるに男だん児じの長ちやうずるを楽たのしみ、女ぢよ子しの嫁かするを悦よろこび、児じ孫そんの生うまるゝを祝しゆくする者もの、是これ則すなはち花はなの下したの快くわい活くわつなり。然しかるに男だん児じの長ちやうずるは、則すなはち父ちゝの老おゆるなり。女ぢよ子しの嫁かするは、則すなはち母はゝの衰おとろふるなり。児じ孫そんの生うまるゝは、則すなはち祖そ父ふの死しに近ちかづくなり。二宮先生語録巻の5 【425】その2暖だん日じつ快くわい活くわつ忽たちまち風ふう雪せつ悲ひ惨さんと為なる。猶なほ桜あう花くわの速すみやかに散さんずるごとくなり。人ひと其その悲かなしむべきを知しらず。却かへつて悦えつ楽らくに安やすんず。実じつに悲ひ惨さん極きはまり無なきの世よに非あらずや。乃すなはち桜あう花くわの飛ひ散さんを見みて、無む限げんの感かん慨がいを発はつし、能よく世せ態たい人にん情じやうを尽つくす。名めい歌かと謂いふべし。1『報徳秘稿』二四九「桜ちる木の下風は寒からで空にしられぬ雪ぞ降りける。此の歌、暮春桜下の遅日、春暖人皆快然、何ぞ雪風の寒さを思わん、桜花の散る雪の如きを見て、人世の意外に往来するを感慨する句なり。実に一言にして浮世の形勢を尽せりと云うべし。夫れ、人世の哀れなる、此の世に生まるれば一日一日皆死に近くのみ。喜怒哀楽七情(喜怒哀懼愛悪欲)に迷う、皆死に至るの序也、限て死遠ることを得ず。然るを子の長ぜしを喜び、女の嫁せしを喜び、孫の産るるを祝す。是桜下の暖に快然たるの事にして、子長ずるは父の老する也、女の嫁するは死に近く也。孫の産るは祖の死至るなり。意(おもわ)ざるに老い来り、衰え死ぬの雪風来る、桜花の散るよりも疾し。皆是、憂うべきを忘れて喜ぶ人情の儚さを、桜を見て倩(つらつら)感慨するの歌なり。」《訳》紀貫之の桜の花が散る歌を解して言われた。春の末の暖かい日に、人は皆喜び浮かれ、桜は満開の下で、誰が風雪の寒さなど思おう。その時に散る花が雪のように舞うのを見て、人の世の変遷を感慨する歌だ。人が生まれれば日に月に死に近づく。喜怒哀楽を発するのもまた死に至る始めだ。それなのに男児が成長するのを楽しみ、娘の嫁するを喜び、孫が生れるのを祝うのは花の下の浮かれだ。男児が成長すれば、父が老い、娘が嫁すれば母が衰え、孫が生れるのは祖父が死に近づくことだ。暖かい日の快活もたちまち風雪の悲惨となる。ちょうど桜の花がすぐに散るようなものだ。人はその悲しむべきことを知らずに、かえって悦楽に安んじている。実に悲惨極まりない世の中ではないか。そこで桜の花の飛び散るのを見て、無限の感慨を発し、よく世間の人情を尽した、名歌というべきだ。
2025.04.26
『あんぱん』脚本の中園ミホさん「小さな役でも<アンパンマン>のキャラクターを当てはめています」のぶと嵩の恋は「うまく書けた自信がある」4/26(土) 朝ドラの脚本は『花子とアン』で経験していますが、朝起きたら息つく暇もなく書かなくてはいけない。私はお酒が大好きなのですが、飲みに行けなくなるくらい忙しくなるのはわかっていました。体力も心配でしたし、筆が早いほうではないので、たくさん書かなくちゃいけないこともプレッシャーでした。半分断るつもりでしたが、それでも「やなせ夫妻を描けるなら、私が書きたい!」との思いからお引き受けしました。やなせさんと文通していたのは、10歳で父を亡くしたときに、やなせさんの詩集『愛する歌』を読んでファンレターを出したことがきっかけでした。<たったひとりで生まれてきて たったひとりで死んでいく 人間なんてさみしいね 人間なんておかしいね>という詩にすごく救われたからです。お会いした頃は代表作がないことを気にしていらして、お手紙でも愚痴っぽかった。小学生の私に「またお金にならない仕事を引き受けてしまいました」とか書いているんですよ(笑)。音楽会にも何回か呼んでくださいましたが、お会いするといつも「お腹すいてませんか」と、優しく声をかけてくださいました。やなせさんとの文通は、大変失礼なのですが、思春期になって私の方から止めてしまいました。その後19歳のときに代々木の交差点を歩いていたら、向こうからやなせさんがいらして偶然再会しました。不思議なご縁ですよね。でも、私はこうして書く仕事に就いた後も連絡しなかった。今思えば、やなせさんのおかげで詩を書き続け、脚本家になりましたって手紙ぐらい書けばいいのに。仕事とシングルマザーとしての子育てに精一杯でできなかったのです。ただ、ここ数年、「やなせさんが生きておられたら、今の世の中を見てなんておっしゃるだろう」とよく考えるようになっていました。そのタイミングで朝ドラのお話をいただきました。今作のヒロインはのぶですが、奥さんのことはあまり存じ上げませんでした。「はちきんのぶ(はちきん=男勝り)」ってあだ名をつけられていたパワフルな女性。朝ドラだと妻が夫を支えるイメージがありますが、それとは違って、奥さんがやなせさんを引っ張り上げて、背中を押したんだろうと取材を通じて感じました。史実では、奥さんとやなせさんは戦後、高知新聞社で出会いますが、『あんぱん』では、2人を幼馴染にしました。昔やなせさんに子どものころのことを聞いたら、「気が弱くて、あんまり男の子っぽい遊びはしなくて、元気のいい女の子の友達がいた」とおっしゃっていたので、そこから着想を得ました。やなせさんは早くに父親を亡くしたり、実の母と暮らせなかったりと複雑な生い立ちで、結構寂しかったんじゃないのかと思うのです。そんなやなせさんの傍には元気のいい明るい女の子がいてくれたらいいなと、私の願いも込めました。史実に沿って描こうとすると、朝ドラの『ゲゲゲの女房』(松下奈緒主演、漫画家の水木しげるさん夫妻の半生を妻の視点で描いた作品)のように結婚したところから始めるという方法もありましたが、幼少期や青春期を描かないと、やなせさんを描いたことにならないと思いました。青春期の資料はほとんど残っていませんから、想像力を膨らませて書いています。当時のまじめで純粋な女の子は、私の知る限りほぼ軍国少女になっていきますから、きっとのぶもそうだっただろうと想像しました。初回の冒頭シーンに書きましたが、「正義は逆転する。じゃあ、決してひっくり返らない正義ってなんだろう。おなかをすかせて困っている人がいたら、一切れのパンを届けてあげることだ」っていう考えに行き着く夫婦の話です。のぶは、戦争の前と後で思い切り正義が逆転する経験をすることになります。戦時中で重いテーマを扱いますが、青春期は書いていて楽しいです。最近は、お仕事ものばかり書いていたので、久々に大恋愛、ラブストーリーを書いている。のぶと嵩が出会って、こういう会話をしたら、こういうことが起きるんじゃないかな…と想像を膨らませて書いていたら、ちゃんと2人が自然に恋に落ちました。そこはうまく書けた自信があります。見どころです。前半はつらい展開が続きますし、週のタイトルには「人間なんてさみしいね」とか生きる厳しさを感じさせるものもありますが、一番力を入れているところです。何も失わない人生などありません。のぶと嵩にも、いろんな別れがたくさんあります。深い悲しみを何度も乗り越えたから、アンパンマンが生まれたと私は思っています。やなせさんは、人生にはつらいことが多いからこそ、物語や楽しい音楽が必要だと、すごく感じていた方だと思います。ただ、ドラマなのでどうやって楽しく面白く、皆さんに届けられるかを日々考えながら書いています。キャストの顔合わせのときにも、「つらいことが続きますが、毎日毎朝観て元気になれるドラマにしたいので、楽しく明るくやってください」とお願いしました。深い悲しみを味わわなければ、喜びも幸せもわかりません。それがやなせさんの作風であり、2人の人生だと思っています。やなせさんは生前、ドキンちゃんのモデルはお母さんと奥さんだと語っています。2人は似ていたんだと思いますね。奥さんはバタコさんのモデルだということもどこかで話されていたそうです。女の人っていろんな面がありますからね。ドキンちゃんみたいに好奇心が強くて、ちょっとわがままで…みたいな部分と、バタコさんのようにいつもニコニコして優しく支えてくれているみたいな部分と。奥さんは、どちらの要素もある方だったんじゃないかなと思います。執筆があまりに辛いので(笑)、私の趣味としてやっていることなのですが、脚本には全部、「この役はロールパンナ」とか書いてあるんですよ。小さい役でも全部アンパンマンに登場するキャラクターに当てはめています。釜次と天宝和尚、饅頭屋の桂さんは、いつも一緒にいるので、それぞれ、かまめしどん、てんどんまん、カツドンマンがモデルです。のぶを演じる今田さんは『ドクターX』からご一緒していますが、とっても性格がよくて、それが画面にも表れる方。のぶは気の強い役ですし、演じる俳優さんによってはちょっとうっとうしい役になりそうなところがありますが、今田さんだから大丈夫、と信頼して書いています。北村さんは、初回の冒頭、50代前半のやなせさんを演じている姿を見たら「やなせさんそのままだ」と思いました。本当にああいう感じの人だったんです。ちょっと鳥肌が立ちました。北村さんがどうやって役作りをなさっているのかわからないですけれど、どうしてあんなに乗り移ったような演技ができるんだろうと思いましたね。『あんぱん』は、今年が戦後80年ということを意識して書いています。 皆さんが驚くぐらいしっかり戦争を描きます。反対意見もありましたが、やなせさんを描くってことは戦争を描くということですから。戦時中、やなせさんは激しい戦闘に巻き込まれることはありませんでした。けれども、飢えることがどんなつらいことかをいろいろと書き残されています。だからお会いすると私に「お腹すいてない?」って聞いてくださったんだと思います。戦争は嫌だって言い続けた方なので、「飢えることの辛さ、切なさ」は時間をかけてしっかり描きたいと思います。毎日、2人のことを考えていると、覚えるほど読んでいた詩をより深く味わえるのが楽しいですし、ちょっとスピリチュアルな話になってしまいますが、脚本を書いているときにやなせさんの存在を感じるときがあります。気づいたらそのシーンを書き終えていたようなこともあって、やなせさんが怠け者の私に書かせてくださっている感じがします。今回、改めて詩集を開いてみたら、繰り返し読んでいたので、そのほとんどを覚えていました。ですから、脚本を書いていても自然に出てきます。第1週では、寛先生とヤムおじさんのせりふに使いましたが、狙って使おうと思ったのではなくて、脚本を書き始めたら自然に降りて来たという感じです。やなせさんは絵本もたくさん描かれていますし、アンパンマンの前にも素敵なお仕事をたくさんされている。私はこのドラマを通して、多くの方にやなせたかしワールドを知っていただきたいですし、やなせさんの言葉を見つけてくださったら嬉しい。 やなせさんの精神、全てを伝えたいですね。
2025.04.26
ガザ支援搬入認めるようイスラエル首相に要請=トランプ氏4/26(土) トランプ米 大統領は25日、今週行ったイスラエルのネタニヤフ首相との電話会談で、パレスチナ地区ガザへの食料や医薬品の搬入を認めるよう求めたと明らかにした。ネタニヤフ氏の反応について記者団から問われると、「良い反応だった」と答えた。イスラエルは、イスラム組織ハマスが残る全ての人質を解放するまで人道支援物資の搬入を認めておらず、ガザには3月2日以降、支援物資は届けられていない。世界食糧計画(WFP)はこの日、ガザの食料備蓄が底を尽いたと発表した
2025.04.26

通信105号より『安居院庄七と鷲山恭平』が浜松市で16館で蔵書となっている。うち南陽、引佐、津田の3図書館で「貸出中」になっているのが嬉しい。・○○印刷に保管して貰っていたセンターに本を送ってもらい、「現代語訳 安居院義道」を蔵書としていただいているうち、開架としていただいている大学図書館への寄贈を開始する。北海道教育大学、東京都立大学、御茶ノ水女子大学、日本女子大学、京都工芸繊維大学、酪農学園大学、鹿屋体育大学、大東文化大学、高崎経済大学、鹿児島純心女子短期大学の各図書館に寄贈する。「(略)本書は参詣講(大山講・三社燈籠万人講)の体験を遠州の報徳運動に生かした「安居院庄七」と遠州の報徳指導者達の活躍を「絵と地図」で楽しく理解しやすく記した本です。『安居院庄七と鷲山恭平』を貴図書館に寄贈致しますので、蔵書としていただき、教員及び学生の皆様にぜひ手に取って読んで頂ければ有難く存じます。 もし貴館の方針で収蔵できない場合は、返却用のレターパックをお送り致しますので、お手数おかけして誠に恐縮ですが本を返却下さるようお願いします。出版した本を廃棄することなく循環して活用するためですのでご理解下さい。どうぞよろしくお願いします。」
2025.04.26
石破首相、27日からベトナム・フィリピン訪問石破茂首相は27~30日の日程で、ベトナムとフィリピンを訪問する。中国を念頭に両国と安全保障協力の深化を図るとともに、トランプ米政権の関税措置について意見交換する。首相は1月にもマレーシアとインドネシアを訪れており、東南アジア諸国との連携を重視する姿勢を打ち出す。ベトナムでは、日本が同志国軍に防衛装備品を供与する「政府安全保障能力強化支援(OSA)」の対象にすることを伝達する見通しだ。首相はファム・ミン・チン首相や最高指導者のトー・ラム共産党書記長とそれぞれ会談を行う方向で調整している。チン氏とは、OSAの活用や経済協力を盛り込んだ成果文書の締結を目指す。両国の外務・防衛当局間の協議体新設も確認する。フィリピンとは軍事情報包括保護協定(GSOMIA)締結への議論開始で一致するとみられる。マルコス大統領と物品役務相互提供協定(ACSA)の交渉入りでも合意し、海上保安機関の合同訓練実施を申し合わせるとみられる。また、先の大戦後にフィリピンに残され、無国籍状態となった日系2世と面会し、日本国籍回復を支援する考えを伝える。ルソン島ラグナ州にある「比島戦没者の碑」で献花し、戦後80年の節目に日本人戦没者の慰霊も行う予定だ。石破茂首相は大型連休の外遊先に東南アジアを選んだ。中国を訪問する案も一時浮上したが、政権内に慎重論が強かった。米中間で関税戦争が勃発しており、訪中は当面難しそうな状況だ。もっとも現時点で首相に求められるのは訪中ではなく、トランプ米大統領の関税措置で米国離れしかねない国々への関与を強め、対中傾斜に歯止めをかけることだ。首相は2月に米国を訪れ、トランプ氏と面会後、周囲に「次は中国だ」と語っていた。首相は日中国交正常化を果たした田中角栄元首相を「政治の師」と仰いでおり、中国には強い思い入れがある。ただ、政権や与党内から「日本が米中間でバランス外交を展開するのは、リスクが大きい」との意見が上がり、首相自身も今は日米同盟の結束をさらに固めることが重要だと判断した。首相が今回訪問するベトナムとフィリピンは、東南アジア諸国連合(ASEAN)の中で経済成長が著しい。両国とも南シナ海で中国との領有権問題を抱える一方で、経済面では中国との結びつきが強い。特にベトナムは中国が最大の貿易相手国だ。対米貿易黒字額も大きく、中国貿易網の「抜け道」と見なされたためか、トランプ氏が発表した関税率は46%に上る。米国の高関税措置に対抗するため、各国が連携を図る中、中国の習近平国家主席は14、15両日にベトナムを訪れ、トー・ラム共産党書記長ら指導部と会談した。米国との追加関税の応酬に発展している中国はベトナムをはじめ東南アジア諸国と連携を強化し、トランプ政権に対抗する狙いがある。自民重鎮は「日本もしっかり東南アジアに関与しなければ、中国に持っていかれる」と危機感を示す。高関税措置で米国離れの懸念が高まるのと比例して、日本が東南アジア諸国をつなぎとめる重要性は大きくなる。米国が最優先で関税協議を始めた日本の動向には東南アジア諸国からも注目が集まっており、政府はこれを追い風として連携強化を図る構えだ。
2025.04.26
報徳記巻之5 【6】小田原領駿豆相飢民に撫育を行ふ その2報徳記&二宮翁夜話198「安居院庄七と鷲山恭平」を本年2月出版しました。本書はすでに安居院庄七の生誕地・秦野市及び足柄上郡各町の教育委員会を通して、図書館・公民館図書室・全小学校・中学校に寄贈しました。安居院庄七終焉の地、浜松市の全図書館にも寄贈し、浜松市立中央図書館では、既にに蔵書となっています。また東京都立図書館の蔵書にもなっております。現在、神奈川県と静岡県の公共図書館に寄贈を進めています。神奈川県秦野の大山御師(相模国大山の先導師)の出身で、50歳過ぎてから「報徳の教え」に目覚め、「報徳を広める」志を抱いて、遠州一円に報徳の教義を伝え、報徳社を続々と設立させた安居院庄七、その教えを受けた遠州報徳の指導者達、そして安居院先生の伝記を記した鷲山恭平氏に連なる遠州報徳の指導者たちの偉大な功績を広く次の世代に、そして現代共に生きる人々に知らせるプロジェクトです。先生は直ちに米蔵に走っていって、すぐに蔵を開けるように番人に伝達した。番人は言った。「君命がなければ、どうして開ける事ができよう。あなたの言葉だけでこれを開くならば後でどんな罰をこうむるかわからない。」先生は言った。「私は江戸で君命を受けて来た。また、この地でも蔵を開くことで衆議一決した。事は急を要し、まだ役所から文書で伝達するいとまがない。汝がもし開くことができないというなら、私と一緒に飲食を絶ってその命令を待つがよい。領民は飢饉の歳のために露命は明日の朝にも迫っている。どうして平常の事でこれを論ずることができようか。 」と大きな声でこれを戒められた。番人は先生の一言に服して米蔵を開いた。先生はその俵数を点検して領村へ運送の手配りを定めた。これから領中を一人歩き廻り、あるいは高い山を超え、深い谷をわたり、終日終夜少しも休まれなかった。この時になって勘定奉行の鵜澤作右衛門が君命を受けて、江戸から来たって先生と一緒に廻村した。報徳記巻之五【6】小田原領駿豆相飢民に撫育を行ふ先生直ちに倉廩(さうりん)に走り、速かに藏(くら)を開く可(べ)きの云々(うんぬん)を守者(しゅしゃ)に達す。守者曰く、君命あらざれば豈(あに)開く事を得ん。子(し)の言に因りて之を開かば後難(こうなん)免(まぬが)る可(べ)からず。先生曰く、某(それがし)江都(かうと)に於て君命を受け又(また)此の地に來(きた)り衆議一決せり。事急(きふ)にして未だ役所より達するに遑(いとま)あらず。汝若し開く能はずんば我と共に飲食を斷(た)ち其の命を待つべし。領民飢歳(きさい)の爲(ため)に露命一朝(てう)に迫れり。何ぞ平常の事を以て之を論ぜんや と大音(だいおん)に之を戒む。守者某(ぼう)先生の一言(ごん)に服して倉廩(さうりん)を開く。先生其の苞數(へうすう)を點檢(てんけん)し領邑(りょういふ)へ運送の手配りを定め、是より領中を獨歩(どくほ)或(あるひ)は高山を超え深谷(しんこく)を渉(わた)り、終日終夜頃刻(けいこく)も休まず。此の時に至り勘定奉行鵜澤某(それ)君命を受け、江都(かうと)より來(きた)り先生と共に廻村(くわいそん)せり。
2025.04.26
「生活即禅」15 生命への警告としての禅 禅の修養とはいったいどうすればよいか 禅の修養とはいったいどうすればよいのか。よく肚(はら)とか、なんとか言うが今日の新聞には肚から常識へとかいうことが書いてあった。それはいろいろな言い方もあるでしょうが、私をして言わしめるならば、行儀をいうものを以て我々の心身を鍛錬するものである。言葉を換えて言うと生活である。言葉を換えて言うと生活である。昔と今と言い方が変わっている。昔は行儀という言葉でよく分ったのです。あれは器量は良いけれども行儀が悪い、と言えば別嬪さんがオナラ一つで見合いが不合格になった、という事になる。行儀が悪いというとあの人があの人は位は高いけれども行儀が悪い。元が元だから、我々と一向変わらぬということである。ところが、修養とは生活に品を持つことである。品の良い生活の態度が上品なことであって、上品と言えばあの人は器量が良いというのではない。けれども」上品でという。それは仕込みが違うからこうなるのである。行という事は宗教上の行が上品になる事です。彼はあれだけ喋るけれども下品で堪らない、それでは駄目である。ところが現代というよりも明治大正以来の教育には理知を高めるという事、魚術を欧州人にも負けないようにということで、非常な急速度で日本人は努力したが、本当のところ上品に養われるということは欠けておったのではのでなかろうか、それは余りに実用向きに駆ってそういう余裕がなかったのです。ちょうど貧乏人が食う為に、金を儲ける為に上品になっている暇がないというのと同じではあるまいか。そうすると我々に今日なければならぬものは、即ち品を良くするということが我々一般の人間というもののならねばならぬ本質的な問題ではなかろうか。そうしたふうなことを養うおのが即ち禅という宗教である。これは西洋人には分らない東洋独特の、殊に日本に残っている禅という宗教が西洋人に分ろう道理がない。生活即宗教ということも言える。生活そのものが宗教に適うこと、然れば上品になる。そういう宗教が一体どこにあるかといえば禅がそれに該当する訳である。(「生活即禅」p.42-44)
2025.04.25
「報徳の歌ー二宮尊徳道歌から学ぶー」小関栄著 百人一首についての道歌的解釈 (151頁)郭公(ほととぎす)鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞ残れるこの歌は百人一首の後徳大寺左大臣藤原実定の作。尊徳は歌の心を次のように道歌的に解しています。二宮翁夜話巻之4 【157】翁曰く、「郭公ほとどきす鳴なきつる方かたをながむれば只ただ有明ありあけの月つきぞ残のこれる」、此この歌うたの心こころは、譬たとへば鎌倉かまくらの繁花はんくわなりしも、今いまは只ただ跡あとのみ残のこりて物淋ものさびしき在様ありさまなりと、感慨かんがいの心こころをよめるなり、只ただ鎌倉かまくらのみにはあらず、人々ひとびとの家いへも又また然しかり、今日こんにちは家蔵いへくら建並たてならべて人ひと多おほく住すみ賑にぎはしきも、一朝てう行違ゆきちがへば、身代限しんだいかぎりとなり、屋敷やしきのみ残んこるに至いたる、恐おそれざるべけんや、慎つつしまざる可べけんや、惣すべて人造物じんざうぶつは、事ことある時ときは皆みな亡ほろびて、残のこる物ものは天造物てんざうぶつのみぞ、と云いふ心こころを含ふくみて詠よめるなり、能よく味あじはひて其その深意しんいを知しるべし。 【157】尊徳先生がおっしゃった。「郭公(ほととぎす)鳴きつる方をながむれば、ただ有明の月ぞ残れる この歌の心は、たとえば繁栄していた鎌倉も、今はただ跡だけが残ってものさびしいありさまであると、感慨の心をよんだ歌である。ただ鎌倉だけではない、人々の家もまた同じである。今日は家や蔵が建ち並んで人が多く住んでにぎやかであっても、ひとたび行き違うならば、破産することとなり、屋敷だけが残ることになる。恐れなくてはならない。慎まなければならない。すべて人が造った物は、事ある時は皆亡んで、残る物は天造物だけである、という心を含んで詠んだものである。よく味わってその深意を知るがよい。このように歌の心を「人為は勤めねば滅びる」と解しています。
2025.04.25

浜松市の16の図書館で「安居院庄七と鷲山恭平」が蔵書となった。うち南陽図書館、引佐図書館、都田図書館で蔵書となっているのが嬉しい。
2025.04.25
令和7年4月25日東京都立大学。御茶ノ水女子大学、日本女子大学に「安居院庄七と鷲山恭平」を寄贈する。いずれも「現代語訳 安居院義道」を蔵書とし、しかも書庫ではなく、開架図書としていただいている。教員、学生の皆様にぜひ手にとって読んでいただきたいと切に願う。 春暖の候、ご清祥にお過ごしのことと存じます。『安居院庄七と鷲山恭平』を出版しましたので、謹んで貴図書館に寄贈いたします。 昨年(令和6年)3月に本書の元本となる『現代語訳 安居院義道』の貴館への寄贈につきましては、蔵書としていただきまして心から感謝いたします。 『安居院庄七と鷲山恭平』は「子どもからお年寄りまで読める」・「絵と地図で楽しめる」をコンセプトにした新たなプロジェクトとして出版し、神奈川県・静岡県の図書館並びに秦野、足柄上郡及び静岡県の遠州地方の全小学校・中学校に各教育委員会を通じて寄贈し、蔵書となっています。また国立国会図書館においては「児童図書」として分類され、所蔵されております。安居院庄七(あぐい・しょうしち)は、神奈川県秦野市の出身で、大山御師の家に生れ、50歳を過ぎてから報徳の教えを学び、養子先の穀物商で元値売りを実践し、また近隣の横曽根村に報徳仕法を指導し、「報徳の教えを世に広めよう」という志を抱いて、遍歴の旅に出て、遠州において報徳社を数多く創設し、報徳の普及に生涯尽しました。鷲山恭平(わしやま・きょうへい)は、静岡県掛川市出身の篤農家で、報徳運動や農村復興運動を推進し、嶺向(みねむかい)報徳社の初代社長を経て、大日本報徳社の副社長となった方です。安居院先生の伝記『報徳開拓者 安居院義道』の著者であり、現在でも当該書は安居院庄七の生涯を知る上で必須の書となっています。「子どもからお年寄りまで読める」ように本文は全ルビとし、「活字も大き過ぎるほど大きい」ものとし、読みやすくしました。また本文中に注釈をほどこしました。「絵と地図で楽しめる」ように、静岡県森町の画家大須賀義明氏に挿絵を提供いただき、神奈川県足柄上郡松田町の文化財保護委員の草門 隆氏に矢倉沢往還などの地図を提供いただきました。さらに国土地理院に「伊能図」を、国立文書館に天保国絵図をご提供いただき、「遠州報徳」の歴史を地図で読み解くカラフルでユニークな本となりました。本書は参詣講(大山講・三社燈籠万人講)の体験を遠州の報徳運動に生かした「安居院庄七」と遠州の報徳指導者達の活躍を「絵と地図」で楽しく理解しやすく記した本です。『安居院庄七と鷲山恭平』を貴図書館に寄贈致しますので、蔵書としていただき、教員及び学生の皆様にぜひ手に取って読んで頂ければ有難く存じます。もし貴館の方針で収蔵できない場合は、返却用のレターパックをお送り致しますので、お手数おかけして誠に恐縮ですが本を返却下さるようお願いします。出版した本を廃棄することなく循環して活用するためですのでご理解下さい。どうぞよろしくお願いします。二宮尊徳の会・鈴木藤三郎顕彰会・報徳文化研究会
2025.04.25
米、ウクライナの軍保有の権利認めるようプーチン氏に要求へ=報道4/25(金) 米国は、ロシア・ウクライナ和平合意の一環として、ウクライナが自国の軍や防衛産業を保有する権利を認めるよう、ロシアに要求する見通し。ブルームバーグが24日、関係筋の情報として報じた。米政権のウィットコフ中東担当特使が次回の会談でロシアのプーチン大統領に提起する計画という。トランプ氏、ロのキーウ攻撃を非難 「ウラジミール、やめろ!」4/24(木)トランプ米大統領は24日、ロシアが23日夜にミサイルなどでウクライナの首都キーウを攻撃したことを受け、ソーシャルメディアに「ウラジーミル、やめろ!」と投稿した。トランプ氏がロシアのプーチン大統領を非難するのはまれ。トランプ氏は「ロシアによるウクライナへの攻撃には不満だ。その必要はなく、タイミングも非常に悪い」とした。
2025.04.25
食事の15分くらい前に牛乳、プロテイン、ナッツなど食前に食べて血糖値の急上昇を抑える山村聡先生「空腹時は血糖値が下がっています。その状態で糖質の多い食事をしてしまうと、血糖値は急に上がってしまいます。防ぐには、糖質の少ないものを食前に食べておけばいいんですよ。食前に食べるのは炭水化物以外のものということになりますが、血糖値を上げにくいものならなんでもいいです。脂肪分が多いもの、タンパク質が多いもの、食物繊維が多いもの…、それらを食事の前に食べておく。飲み物でもかまいません。豆乳、牛乳、ヨーグルトドリンクでもいいんです。それだけで同じ食事でも血糖値の上昇がゆっくりになります。つまり、糖質をいちばん最後に食べる「カーボ・ラスト」と同じことになるんですね。食事の何分前に食べればいいかは個人差があって、5分前でも効く人は効きます。20〜30分前がいい人もいるので、患者さんには平均して『15分くらい前に』とアドバイスしています」・血糖値を下げるといわれるサラシア茶を食前に飲んだり、あえてフルーツを先に食べてみたりと実験してくれた結果…、効果があったのは牛乳でした!・食事の約20分前にカシューナッツを5粒だけ食べてみました食べる前の血糖値自体が違ったせいか、血糖値のピークに差はありますが、みごとにスパイクは抑えられています。カシューナッツ5粒! わずかそれだけのことでこれほど血糖値の上昇を抑えられるなんてびっくりです。Mさんはこの後も何度かカシューナッツあるなし実験をやってくれましたが、毎回効果が表れていました。・朝食15分前にプロテイン1杯(グラスフェッドホエイ:タンパク質15g、糖質2g)。175mg/dLまで上昇していた朝食。けれど、食前プロテインをとった日は125mg/dLまでしか上昇せず、しかもスパイクのようなトンガリもできていません。山村先生「なかなかわかりやすい結果でしたね。 血糖値が上がりやすい人、カーボ・ラストが難しい人は、『食前○○』が効果的だと思います。特に、朝の慌ただしい時間に、牛乳や豆乳など準備の必要がない手軽なドリンクを食前に飲んでおくとよいと思います。乳製品には乳糖という糖質が含まれていますが、ブドウ糖とは違ってあまり血糖値に反映されないようです。プロテインはよりGOOD。40代、50代の女性なら、筋肉を増やすためにもおすすめですよ。ただ、水はもちろんコーヒーや紅茶などのお茶類では、意味がありません。また、市販の野菜ジュース類の中には糖質の高いタイプもあるので、栄養成分表示を見て買うようにしましょう。そして、すばらしい効果があったのがナッツ類ですね! 糖質が低いうえに脂質、食物繊維ともに含まれています。ランチなら、職場のデスクでナッツを食べてから食べに行くのもいいんじゃないでしょうか」💛早速、夕食前に牛乳を一杯、ランチにカシューナッツを5粒持参して、食事15分くらい前に食べてみよう!
2025.04.25
埼玉県立図書館から寄贈した『安居院庄七と鷲山恭平』について「蔵書としない」連絡があった。二宮尊徳の会・鈴木藤三郎顕彰会・報徳文化研究会 様埼玉県立図書館 資料収集・整理担当です。当館を御利用いただき、ありがとうございます。 過日当館へ御寄贈いただいた資料について、別添のとおり御礼を申し上げます。 また、当館の選定基準に基づきまして担当内で検討を行ったところ、申し訳ありませんが今回は蔵書としないという判断となりました。悪しからずご了承いただけますと幸いです。ご返却をご希望される場合は、お手数をおかけいたしますが返却用レターパックの送付を以下の宛先までお願いいたします。(略)すぐに郵便局から返送用のレターパックを郵送した。現在、都道府県立図書館で蔵書としていただいているのは、東京都立図書館のみである。愛媛県立図書館から「安居院庄七と鷲山恭平」寄贈の礼状が届いた。神奈川県では、藤沢市、平塚市、伊勢原市、厚木市、相模原市、松田町の図書館で蔵書となっている。静岡県では、浜松市の16の図書館と、御殿場市、富士宮市、沼津市、湖西市、袋井市の各図書館で蔵書となっている。浜松市で新たに佐久間図書館で蔵書となった。1 中央 5110939302 151/41/K 調査支援室 郷土資料 貸出不可 在庫 ×2 南 5410280910 157.2// 郷土資料 郷土資料 在庫 ○3 東 5710362426 157.2// 郷土資料 郷土資料 在庫 ○4 南陽 5910254027 157.2// 郷土資料 郷土資料 貸出中 ×5 城北 5310885347 157.2// 郷土資料 郷土資料 在庫 ○6 舞阪 6410722844 157.2// 郷土資料 郷土資料 在庫 ○7 雄踏 6510724591 S157.2// 郷土資料 郷土資料 在庫 ○8 浜北 6210626237 S157.2// 郷土資料 郷土資料 在庫 ○9 積志 5610374281 157.2// 郷土資料 郷土資料 在庫 ○10 春野 6910355947 157.2// 郷土資料 郷土資料 在庫 ○11 佐久間 7010279169 S157/シ/ 郷土資料 郷土資料 貸出不可 納品確定 ×12 引佐 6710707420 S157/ジ/ 郷土資料 郷土資料 貸出中 ×13 三ヶ日 6810919727 S157// 郷土資料 郷土資料 在庫 ○14 北 5810433275 157.2// 郷土資料 郷土資料 在庫 ○15 はまゆう 6110439947 157.2// 郷土資料 郷土資料 在庫 ○16 都田 7610542230 157.2// 郷土資料 郷土資料 貸出中 ×
2025.04.25
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