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第 二百九十九 回 目 「 人間万歳! 人、この素晴らしいもの 」 ―― ムハンマド の 場合 人物:司会者、男、女、数名 司会者:今回はイスラム教の創始者であり、勝れた戦略家、卓越した政治指導者でもあったムハンマドを取り上げてみたいと思います。右手にクルアーン、左手には剣と言われるムハンマドですが、出自は商人であった。 男「四十歳頃に郊外の洞窟に籠って瞑想していた彼の所を、大天使ガブリエルが訪れ開眼した」 女「大天使ガブリエルは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と引き継がれた 神の人 であり、イスラム教では唯一神のアッラーの言葉を引き継ぐ役割を担っている」 男「ムハンマドは天上の崇高な世界を説くよりは、徹底して地上の現実世界をよりよく生き抜く方法や理念を実践して見せた」 女「絶対神アッラーの前では人間は皆平等であることを説き広め、自ら実践して見せた。多神教的な偶像破壊も彼自身が率先垂範した」 司会者:ムハンマドはアラビア半島を歴史上で初めて統一した、卓越したWar kingであり、同時にBiz kingと呼びうるただ一人の人間でもあった。 男「War kingとBiz kingについて、少し言葉の解説を付け加えておきましょうか。ワー・キングとは文字通りに武力によって最高の権力者・支配者の地位に立った人物を言います。アレキサンダー大王とかナポレオンなどがその代表例です。ビズ・キングとはビジネス・商業の分野での力によって王位を勝ち取った者を意味しますが、現在の二十一世紀においても事業や商業の領域で世界に君臨する大富豪は何人も出現しているのですが、彼らがキングの名に値する威厳と風格とを併せ持っているか、という点になると首を傾げざるを得ない」 女「その点では、傑出した手腕と人望とを兼ね備えたBiz kingであると躊躇なく言える。また、女性に対しても一定の礼節を持って対したし、被征服者に対しても七世紀初頭の当時としては、例外的に寛大であったと称されている」 男「一つの信仰の下に結束して集団をつくり、勢力を拡大し、教祖の死後には正統カリフ時代を経て、ウマイヤ朝の時代にはアラブ人たちが、東は中央アジア、西は北アフリカ・イベリア半島に至る大イスラム帝国を建設した」 女「その後、帝国は分裂していくものの、イスラム商人らの活動でイスラム文化圏は拡大し、発展する。特に9世紀以降は、イスラム人、次いでトルコ人が台頭してイスラム文化を継承するとともに、イスラム世界の拡大に重要な役割を果たした。ご承知の如くに21世紀の今日では、四人に一人がイスラム教徒と言われる」 男「その礎をSecred kingたるムハンマドとその周辺の信者数十人の集団グループが結束して築き、その後の大飛躍への足場を構築した」 司会者:ところで一神教の系譜にはユダヤ教、キリスト教、イスラム教とあり、それぞれが預言者によって人々に与えられた神の言葉を教えの根本としています。しかもこの三つの啓示宗教の人格神は同一だとされています。 女「つまり根っこの所では同一であるが、その神の言葉を受け取る人間の置かれている時間的、空間的な相違、人間性等によって様々なニュアンス、力点などに相違が出ているだけだと言うことになる」 男「宗教学的な立場に立てば、絶対者と呼ぶに相応しい 神的存在者 は人間的な諸要素を遥かに超越した何物かですから、人間化は本質的に無理であり、人間化した途端に巨大な重要要素が切り捨てられる事に、論理的には絶対になってしまう」 女「と言う事は、敢えて宗教学的な立場に立って、本質的な 絶対者 を仮に想定すれば、と言う事になりますが、その神的な存在者からの啓示とか諭しとかは、人類に対してずっと 呼び掛け を続けていると解釈するのが正しい」 司会者:ここではイスラムの教えを創始したムハンマドの偉大さを褒め讃えるのが本筋でしたから、再びそこに戻りたいと考えます。 男「人間化した絶対者、つまり人格神を対象にした人類の歴史の中では、ずば抜けて傑出した教祖様だと言う事になりますね、ムハンマドは」 女「人間ですから当然に短所や欠点もあったでしょう。戦闘も指揮した。ですから、所謂聖人とか聖者と呼称される人々とは、趣を異にしている。そう言う意味では、宗教界に革命をもたらした」 男「他の偉大な宗教の開祖と同様に、偉大な天才的な宗教家と呼ぶべき人物でしょう」 司会者:ムハンマドの場合にもう一つ特筆すべき点がある。それは彼が商人であったこと。商人とは商業を生業(なりわい)とする者の事で、商業とは 安く仕入れたり作った物・商品を一定の値段で売り、そのマージン・商売での利ざや・もうけを基本収入とする事業 の事。平たく言えば商(あきな)いを言うわけですから、これは実に画期的な出来事であった。 女「封建時代で言えば士農工商、つまり武士、農夫、工人、商人という全ての階級を形作る人々の中で、最下層に位置づけられる階層が、彼ムハンマドの出身だった」 男「現代では商売をビジネス、商人をビジネスマンと呼び替えてみたところで、その本質に変わりがない以上、それに携わる者が世人の尊敬を集めるためには、一定の制限が設けられるのは必然なのでしょうか。しかも、利益至上主義を掲げて軍隊並みのヒエラルキーを堅持して、構成員に強烈な箍(たが)をはめた上で、世界覇権を目指す暴走ぶりを露わにするとなると、人類全体の幸福安寧を将来する器とはとても言えないでしょう」 女「その事実を考える時に、ムハンマドの存在は極めて異彩を放っていると、称賛しないではいられません」 司会者:それでは現代と来るべき次の時代を支配する指導者たる王者は、どの様な人物なのでしょうか? 少し考えてみましょう。 男「現代はPop kingの全盛時代ですし、次世代の王としてはArt kingとでも命名すべき真の実力者が君臨する予感がしますよ」 女「Pop kingのポップとは勿論 popular つまり人気を背景として支配者の座に就いた者ですし、Art kingのアートとは職人とか芸術家の意味を内包した言葉として使用しています。ですからアートキングに期待される力とは、人類全体は勿論のこと、各個人個人の生命力に創造的で生産性の高い彩と、輝きとを増す爆発的なエネルギーそのものであります」 男「物質的にだけでなく、精神的に豊穣で上昇傾向を倍加させる、そうした指導力と包容力とが大いに期待される」 司会者:そうした理想のキングの出現を、このシリーズで取り上げたソクラテス、孔子、釈迦、キリスト、ムハンマド等の偉大な人類の共通の教師達が道を開いてくれている。私たちは、何が何でも、是が非でも地球村の平安と安寧を願わないわけには行きません。 男「人間とは生命を持つ生き物全体と共に、自然状態でも、つまり自然体でいても素晴らしく輝かしい存在なのですが、より深く掘り下げた時に、神々の恩寵を受けている自己に感謝の念を抱き、より生き生きと素晴らしさを倍加させることが可能な存在であり、神の無限の愛情に見習って、自らも仲間と同類とを慈しみ愛(め)で、生命力を発展・伸長させる可能性を所有している」 女「つまり、無条件に絶賛されるべき、世にも珍しい幸福者たちの集団が人類だという結論に達した。正に 人間万歳! なのでありますね」 司会者:私たちは生命体の内部に在ることの至福を、味わい尽くすべき義務があるのですよ。そして、感謝、感謝、そして又、感謝あるのみ。
2018年03月30日
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第 二百九十八 回 目 「 人間万歳! 人、この素晴らしいもの 」 ―― ナザレのイエスの場合 人物:司会者、男、女 の 数人 司会者:普通にはイエス・キリストと呼びますが、キリスト教の信者ではない者が、一人の人間としてイエスを理解した上で、なお且つその「素晴らしさ」を讃美してみようという、一つの試みを今回は敢えてしてみたいと考えました。ご協力を宜しくお願いいたします。 男「イエス・キリストと言えば誰もが、彼の十字架上での痛ましい死を思い浮かべますが。今回はこれを 弱い者・弱者の王・King として捉えた上で、あの有名な磔の刑での姿を心・精神界で最高位を極めた人の象徴と理解する立場をとります」 女「最初はちょっと謎めいて聞こえるかも知れませんが、少しだけ辛抱していただけば、追々分かって頂けるでしょう」 男「イエスは言います。かの栄華を極めたソロモン王ですら、野に咲く百合程に豪奢な衣装に身を着飾ったことはない。この驚くべき事実を改めて直視して御覧なさい、と。人間を含めた地上の生物たちに注ぐ超越者の慈愛の広大無辺な事を、見事に言い切っています」 女「彼は人類が生んだ最大にして最高の詩人である所以ですよ」 男「実際。仏教で言う 泥の沼から次々に咲き出る清浄にして無垢な蓮華 の比喩と並んで、野の百合の譬えは傑出した素晴らしい表現でありますね」 女「シェークスピアは『マクベス』の中で魔女たちに言わせています。綺麗は汚い、汚いは清浄(きれい)だ、と。この伝で行けば 弱いは強い であり 強いは弱い なのであります。驚くべきことに弱者こそは実は、真の強者であった。イエスと弱者、弱者の代表であるような女性や貧者たち。そして、彼の母親であるマリアの位置付け・立場」 男「彼は徹底して弱者の立場に立とうとした。力の弱い者、社会的に不遇な立場に立たされている者、物質的・精神的に貧しい者、子供、女性等など様々な意味合いにおいて劣等な境遇に在る者の味方、助力者として自己を明確に位置付けている」 女「マザーテレサは言う。愛の反対は憎しみではない、無関心だ、と。彼女はイエスの心を直接に受け継ぐ聖女だと言えるでしょう」 男「憎しみは時に殺人と言う残虐行為に及ぶことがある。現にイエスは時の権力者カエサルによって殺されているのですが、それでも無関心の冷酷非情さよりは、救いの余地があると言うのです。憎悪や怨恨という人間存在が内包している、恐るべき、唾棄すべき悪感情を称揚しているのではなく、無関心という人にありがちな怠慢の齎す害毒の大きさを、強く、強く糾弾し戒めている言葉と、解すべきでしょう」 女「現実を知る努力の必要性を、無知、たとえそれが邪気のない、それ自体は罪のない単なる怠慢であっても、その結果として出て来ている様々な不条理や、非情苛烈な偏見・差別の実態を、無知な状態で怠惰から留まっている大衆に向けて、大きな怒りを込めて叱責している」 男「イエス・キリスト、つまりメシア・救世主としてのイエス像に触れてみましょうか。救世主とはダビデやソロモンに代表される 支配者・王 Sacred kinng を意味しますが、明らかにWar kingであるカエサルに対して カエサルの物はカエサルに と彼は自分の権利を自己規定しています。少なくとも自分はWar kingではない。Sacred beingであると主張しているのですが、飽くまでも旧約聖書に説くメシアを待望していた人々には、意味が通じなかった」 女「生かす者であり、殺す者では断じてない。彼のこの高邁な志は素直には受け入れられなかった」 男「ユダヤ教に言うメシア像の大変革であり、或る意味で質的な大転換が見られた。事実、新しい宗教の派生・発足があった」 司会者:ここでイエスの言葉に耳を傾けてみましょう。狭き門から入れ、とは一般民衆にとって難しい注文と感じられますが、どの様に解釈したらよいのでしょう。 女「滅び・死に通じている入口に在る目印の門は広く、大勢がいともたやすく通ることが出来る。然し、命を真に生かす正しい道は狭く、本当に選ばれた者だけが入ることを許されている。例えば、罪を犯すことは誰にとっても容易であるが、人間としてあるべき隣人愛に生きることは、至難である。だから、人として神に選ばれた者として生きるためには、自分から進んで困難で狭い門を目指し、自分を可能な限り高め、輝かせて立派な隣人として生きるように、心掛けたいものだ。大体、その様な意味内容になる」 男「そういう意味では、彼自身がそうした 狭き門 をめがけて、一直線に生き切った。あたかも、十字架上での死がゴールであることを、熟知していたかのように」 女「本当にそうですね。あんなにも鮮明に自己の立場を明らかにしなくても、よかったのではないか?そう感じさせるものが確かにあった。それは何かと言えば、権威や権力によって無視され、否定されている弱者一般の 声なき声 を高らかに代弁し、反旗を翻すこと」 男「右の頬を打たれたら、左の頬を向けよ、の教えにしても、無力な弱者が絶対の暴力を振るう権力者に反抗する、唯一の手段・方法だった。その究極の姿が、磔刑(たくけい)での死。彼は単に言葉を発しただけではなく、果敢に自ら実行して見せた」 女「敲けよ、されば開かれん、の言葉にしても同様でしょう。先ず切実な思いを、自身の行動として示そうではないか。そうすれば、進んで行く道は自ずから姿を見せて来るし、それに伴う困難や支障は行動を起こした者自身の努力だけではなく、対象の方から自然にその解決策を指し示して呉れる。勇気を鼓舞して自己の信じる道をまっしぐらに、進め、邁進せよ! そう教えている」 司会者:キリストと奇跡とは切っても切り離すことが出来ない程に、非常に密接な関係にあると言えますが、この現象を私たちはどのように受け止めたらよいのでしょうか? 男「素直に信じられる人は、そうすればよいと思います。しかし疑問を抱く人々は、無理に奇跡を信じなくともよいのではないでしょうか。所謂 奇跡の行為 を除いても、イエスがこの世に出現し、様々な教訓を残された。それ自体が人類共通の遺産なのですから」 女「マリア信仰、女性に属する 女性性の優越 への無条件の肯定もイエス・キリストの偉大なる功績と、言って良いでしょう。いや、言うべき事柄でしょう」 司会者:数々の奇跡を信じなくともよい。もう少し、かみ砕いて理解しやすく説明をして下さると、有難いのですが。 男「飽くまでも自然体で接すればよいと、言う事ですよ。無理せずに信じられるのであれば、それに越したことはないわけですが。個人の資質や置かれている環境や境遇などによって、様々な反応が有り得るし、また有って構わない」 女「合縁機縁と言う言葉がありますが、イエス及びキリスト教との出会いも、色々な不思議な出会いや結びつきが現にあるのですが、無理に信じたり、信じなかったり、するには及ばない。自然に任せれば謂わば 神の御意思 に叶うと言うもの」 男「それから、或る程度までは信じられるが、どうしても疑問が残ってしまう。そいう人も同様に自然体で考えればよい。疑問を安易に自分流に解決するのではなく、自然に氷解するまで心の底に大切にしまって置けばよいのです。時が、解決してくれるでしょうよ」 女「奇跡を廻っては多くの疑問や反応が想定されるし、又現実に存在する。ある人にとってはそれがきっかけとなって、深い人生理解へと到達する契機となるでしょう。或いは、バカバカしい迷信としてキリスト教との決別の原因とも、なり得るでしょう」 司会者:そのどちらに対しても天上の神は OK とおっしゃり、決して強制はなさらない。選択は私たちの側の自由に委ねられている。それも素晴らしい。父なる神は寛大で慈愛に溢れている。最愛の嬰児(みどりご)を血塗られた犠牲の祭壇に、自ら進んで差し出した。優しいは同時に厳しいのでありましたよ。
2018年03月22日
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第 二百九十七 回 目 「 人間万歳! 人、この素晴らしいもの 」 ―― 孔子 の 場合 人物:司会者、男、女 数人 司会者:今回は人類の偉大な教師の一人、古代中国の孔子を取り上げてみたいと思います。彼の特徴の最大のものは、戦国動乱を絵に描いたような時代に、極めて誠実に 人を愛することの大切さ を力説した事ではないでしょうか。 男「仁の事ですね。仁徳を中心にして修身、つまり自己を厳しく律して学習し、近くでは斉家(せいかか)、つまり家庭内や身内との関係を整え、その延長として治国・平天下、つまり国内を上手に治め、延いては世界中を平和で安定したものに導く」 女「実に素晴らしいの一語に尽きますね」 男「女性からその言葉が出て、ほっとしました。実は、儒教と言うと男尊女卑の風潮が兎角やり玉にあがるからです」 女「男尊女卑は古代中国だけではなく、全世界的な、或る意味では人間社会全般に付き纏う傾向と言ってよい物でしょうから」 男「つまり、筋肉の強さで優勢な男どもが、力弱い女性たちに自分たちの肉体的な力強さを必要以上に誇示しようとする、悪しき習性のひとつなのですが、ここはその点をあまり深掘りしないで、孔子様に話を戻しましょう」 司会者:愛の教えと言いますと、キリスト教も一般にその様に言われますが、孔子の説いた仁とキリスト教の愛とは、どの様な違いがあるのでしょうか? 男「結局は同じことかも知れませんが、力点や、方法論が違うのかもしれませんね。例えばキリスト教では神の愛と言うことが持ち出されてきます。天上の大きな神の愛に見習って、あなたの隣人を深く愛しなさい、と」 女「孔子も天命とか、天と言う事を話題にはしますが、彼の関心は徹底して現実の人間の在り方、リアルな人間性にしっかりと視点を据えて、そこから発言している」 男「現代の日本人はお金さえあれば、何でも実現出来ると単純に考えて行動しますが、人を愛する人間愛があれば、不可能な事は本当に何もないとは、絶対に考えない。そして、お金のない状態、を蛇蝎(ダカツ、蛇とサソリ。忌み嫌う物の代名詞)の如くに嫌悪する」 女「貧乏と言えば、孔子は生涯を通じて清貧に甘んじた。弟子団は三千五百人と言われますが」 男「自分の国を出て、十数年の間各地を放浪し仕官を求めるも果たさず、不幸な境遇の裡に一生を終わります。各国の支配者に徳治という自己の政治思想を広めようとしたが、結局は成功しなかった」 司会者:人の世も弱肉強食、実力において優勢な者が、虚名の上位者を襲い打ち負かす。所謂下剋上が世の習いですから、『 人を愛する 』・仁 を中核とする孔子の考えは、覇権を事とする世の権力者たちとは本質的に、相容れない断絶があった」 男「麻の如くに乱れた戦国乱世ですから、諸子百家と言われるように、色々の立場に立って実に大勢が様々な事を主張し、周囲の説得にこれ努めた。その中で、非常に堅実な、と言う事は裏を返せばとても地味で、一見すると魅力や説得力に劣るかに思える、孔子の教えが長く後代にまで残った」 女「それにはそれだけの深い理由が、実はあったのですが、当時の少なくとも有力な権力者には、それが通じなかった。ペンは剣よりも強し、という言葉がありますが、建設的な思想や主張は戦争に代表される破壊行為よりも、長いスパン(期間)で考えてみれば勝つし、また結果として強いのだ、との考えですね」 男「今日から見ると非常に見え難いと言いますか、とても想像し辛い事柄なのですが、まるでコロンブスの卵の譬えの如くに、一度種明かしがされてしまうと本当に簡単なことでも、当初は殆ど不可能に近い難事業に思えてしまう。そういう一種の不思議が現実には幾つも、歴史の上で繰り返されている。その一つが 人類愛に基づいた思想や行為 の結果的な輝かしい勝利の事実であると、つつくづくと感じられる」 女「ソクラテスの場合も、仏陀の場合にもそうでしたが、深く大きな同胞や友人に対する愛情が、偉大な哲学や宗教を生み出した。そして、現代にもそれが受け継がれ、未来へと伝えられて行く」 男「とても有難いことだと、深く感謝しなければいけませんね。所で、大勢の弟子たちに囲まれて不遇の裡に人生を終えた孔子本人ですが、幸せな、幸福な人生を送ることが出来たのでしょうか?」 女「学びて、時にこれを習う。また喜ばしからずや。友、遠方より来るあり。また楽しからずや。人知らずして、怨みず。また君子ならずや。と述べていますね」 男「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。つまり、学を楽しむ者が最高の智者ということになり、それは孔子自身であった。また、言っています。吾、十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順う。七十にして心の欲(ほっ)する所に従って、矩(のり)をこえず、と。まさに悠々自適の、自らは満足できる一生だった」 司会者:孔子の言行録「論語」から少しばかり、珠玉の名言を拾い出してみましょうか。 女「ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪(にく)む。仁徳に徹した人は、心が明鏡の如くであるから、善悪を見誤ることもない。好むべき善を好み、憎むべき悪を憎む。憎むと言っても人を憎むのではなく、その悪を憎むのです」 男「ただ、女子と小人とは、養い難しとなす。これを近づくれば、すなわち不遜なり。これを遠ざくれば、すなわち怨むと。ここで言う女子とは、女性の総称語ではなく、身分の低い、学問も修養も、自制心もない女性と解すべきで、小人もつまらない男、身分の低い、教養のない人を指す」 女「男性は君子、理想的な人物。そして女性は淑女を目指すことを、心底から念願している」 男「図らざりき、楽を作ることのここに至らんとは。いにしえの聖天子・舜の徳業が歌い込まれた韶(しょう)の音楽を学ぶこと数か月。深くその美を尽くした楽調に感嘆して、発した言葉だと言う。孔子は芸術の美に陶酔した。彼は、芸術への深い理解の持主であった」 女「詩を学び、礼を重んじ、楽を解して、芸術の絶対境に遊んだ。ここに孔子の偉大さがあった。単なる窮屈な道学者ではなかったから」 男「詩、三百、一言を以ってこれを蔽(おお)う。曰く、思い邪(よこしま)無し、と。世界最古の詩の一つ『詩経』を一言で要約するならば、どの詩も作者に邪念が無く、真情の発露が見られるだけだ、と表現している」 司会者:君子は、食飽くことを求むるなく、居安きことを求むるなく、事に敏にして言に慎み、有道ににつきて正す。学を好むと謂うべきのみ、と言っています。君子の実質的な定義であると同時に、完成に到る前に孔子自身が実行した事でもある。これで十分だとは、一言も言っていないことに、注意する必要があるでしょうね。なぜなら、まだ学を楽しむ境地にはないから。 男「人生を楽しむ者がいたならば、その人こそ、君子の中の君子と称すべきでありましょう。その意味で江戸時代の国学者の本居宣長が、聖人の類ならめや 孔子(くし)は善き人、と言ったのは正に名言だと感心します。近寄りがたい神に近い存在の聖人と理解するよりも、自分は孔子と言う人を、人間が到り得る最高に素晴らしい御方と、把握したい」女「親しみやすく、人間味に溢れた、そして何よりも人間愛に満ち満ちた偉人の、言葉による描写としては素敵ですね」 司会者:朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり。人として当然に踏み行うべき道を聞くことが出来たなら、仮にその晩に死んでも宜しい。道を求める情熱のほとばしる表現であると、思いますが、君子たる者の生きる目的・目標を道に置いた。人類の偉大なる教師に相応しい名言ではないでしょうか。
2018年03月18日
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第 二百九十六 回 目 「 人間万歳! 人、この素晴らしいもの 」 ―― ガウタマ・シッダールタ(釈迦)の場合 人物:司会者、男、女 数人 司会者:仏教の創始者であるお釈迦様について、楽しい会話を紡ぎたいと思います。ご協力を宜しくお願いいたします。 男「今日、私たち庶民が仏教と係わりを持つ、唯一の機会が葬式だったり、法事などの死者との関係を間に介在させた時、と言えるのではないでしょうか」 女「そうですね。仏教の熱心な信者であるとか、文字通りの仏教専門家、つまり僧侶とか仏教の専門的な研究者・学者を除いては、そう言えるのではないでしょうかね」 男「釈迦は、そもそも何所が他の宗教者と違った、独自と言うのか、ユニークな所なのでしょうか。初めにその点を少し掘り下げてみたいと、思うのですが」 女「賛成です。釈迦は古代インドの小さな国の王子として生まれ、結婚して子供まで儲けています。禁欲とか、断食とか、厳しい戒律とか、常人には近づきがたいイメージと、一見そぐわない印象を受けますが、本質的にはとても人間的な、親しみやすいお方だった」 男「だからこそ、と敢えて言わしていただきますが、ご自分だけではなく、他者を、多くの大衆を救済されたいと念願された」 女「男性だけではなく、女性の幸福も排除されなかった」 男「宗教家としての独自性についてですが、実は一人の篤実・誠実な人間としての正しい生き方を追求された。その結果として、新しい信仰教団を樹立するに至った。そう表現するのがもっとも ブッダ・釈迦 の生き方に則した、表現になるだろうと思います」 女「よく言われるのは、仏教は不思議な宗教だ。宗教としての特別な教義も教則もない。分解していくと、跡には何も残らないと。まるで、玉ねぎやらっきょの皮を剥いているようで、中心には何も残らない。空であり、無であり、涅槃という悟りの境地が提示されるだけ」 男「難しい話に逸れそうですので、解りやすく、楽しい御話に戻りましょうか。Buddha・ブッダ(覚者・智者の意で、釈迦をさす)は文字通りに悟りを開いたお人であります。それではその悟りとは何か? それは一言で言えば、この世の苦しみから正しい方法によって解脱、逃れ出た、脱出し得た者を意味します」 女「一人の生きた人間として、生きる上での苦しみを正しく克服できた、最初の人だったと言ってもよい。いや、そう言うべきなのが正確なのでは、ないでしょうか」 司会者:釈迦・ブッダが悟りを開いて最初に説いた教えが、十二縁起であり、四聖諦であると伝えられています。十二縁起(または因縁)とは、苦しみや悩みなど、現実の人生上の苦悩の根源を滅するための、12の条件を系列化したもの。そして、四聖諦とは、真理を四つの側面から考察したもの。 男「現実は苦である。苦(どぅっか・Dukkha、空しい、不満、不完全、無常、無我・実体がない、などの意)は、思うにまかせない現実とでも理解するのが、適当でしょうか」 女「現実は苦である、という立場から始まり、苦の原因は迷妄と執着にある。そして又、苦や迷妄を断ち切ることが、悟りの境涯にいたる要諦であること。更には、悟りの境涯にいたる具体的な実践方法は、八正道であると説きます」 司会者:その八正道と言うのは、正しく現実を見、正しく考え、正しく語り、正しく行為を行い、正しい生活を送り、正しい努力を続け、正しい想念を凝らし、正しい精神統一を行うことにある。簡単に言えば、そういう事であります。 男「Vipassana、ヴィパサナー瞑想法、または普通に 座禅 と呼んでいるものです。人間の心の動きを知り、自分の 心 と静かに向き合う精神統一法を言います」 女「Vipassana の Vi とは、明確に、詳細に、という意味。passana とは観察するという意味だそうです」 男「言葉にすれば簡単なようですが、私たちの心は、その実態は、把握が難しい。殆ど不可能に近く、難しいプロセスや修行が必要であります。非常に優秀で堅固な実行力を備えた釈迦が、実際に行った通りにすれば、理論的には万人が 悟りの境地 に到達できる筈のもの」 女「言うは易く、行うは難し、なのであります」 司会者:いまビジネス社会で流行しているマインドフルネス(今、此処に在る自分を十分に知る)なども簡便な瞑想法の一種だと言えます。 男「つまり、現実をまさに生きている人々が、様々な要因で生起してくる悩みや、苦しみから脱し、抜け出し、本来の健康そのものの生命力を回復する。その強力な手助けとなる正しい教えが、仏教の本質だと言えそうですよ」 女「時代、場所、人種などの特殊性を超えて、万人に適応できる悩みや苦しみからの解放手段を提供し、あらゆる人間の現世での充実した、輝かしい人生を保証した。又、そうした道を開拓し大勢の人々に差別なく指し示した」 男「まさに、新時代の新しい福音を説き広めた」 女「唐突な質問に聞こえるかも知れませんが、嘘も方便という言い方がされます。どの様に考えたら宜しいのでしょうか?」 男「方便とは衆生を導くための手段ということ。嘘でさえも便宜的に、有意義な使用法が有り得る、と言うことでしょう。正しい教えに虚偽の言説を交えるのは、何か違和感を覚えるのは自然です。しかし、自分の側の都合ではなく、相手の為になる咄嗟の場合とか、緊急避難的に問題を解決する必要に迫られた際に限り、悪いとされる嘘も許されてよいケースもある。そんな風に解釈しておいたらどうでしょうか」 女「平たく言えば、罪のない嘘、と言うことでしょうね。しかし、乱用してはいけない」 男「勿論ですね。仏教的に言えば、苦や悩みから解放されることが根本ですから、幼児を相手に他愛のない 嘘 、例えば深夜まで起きていると怖い鬼が来るよ。などと言って早く寝かせたという、昔の老人の様に」 女「総じて仏教は、出家者・僧侶など言わば仏教の専門家にとって必要であるばかりではなく、一般の人々、つまり通常の生活を送っている在家の者にとって、人生を生きる上で、非常に有意義で為になる教えであると言えますね」 男「苦という汚泥の中から、清浄にして可憐極まりない蓮の花が、次々と咲き出て来る。悟りを開く前の釈迦がそうであった如くに、特殊な環境下にある選ばれた者だけでなく、通常人にとってこそ涅槃(Nirvana 煩悩を断った至福の境地)は大いに渇望されている。少なくとも、その可能性を圧倒的多数者に開放し、大きな希望をもたらした」 女「信者である無しを問わず、と言う点が特筆すべき点でしょう。と言うよりも、初めから釈迦と言う慈悲心に溢れた偉人は、人間存在のド真ん中から自己及び他者に対する救済を、希求され超人的な努力を惜しまずになされた。実に、実に、有難い事であります」 男「そうした偉人を生み出した人間と言う存在に、私たちもその一人であることに、非常な誇りと感謝の念が、自然に身内から湧いてまいります」 女「本当に、そう思います。私たち女性の立場からも」 司会者:最後に、私たち人間の生存は、当初から「苦」であり「痛み」であるとして、捉えられていたのでしょうか。それとも歴史の何処かの地点で変化し、健康そのものであった「生」が痛苦として感じられるように、変化したのでしょうか。その点を考えてみたいと思います。 男「難しい問題ですね。どの様にも考えることは可能ですが、恐らくは、そのどれもが正しいのではないでしょうか」 女「つまり、生きることはそもそも最初から辛く、苦しいことであった。逆に、原始人は地上の楽園を心の底からエンジョイ出来ていた」 男「その折衷案めきますが、健康そのものだった人間の生命力が、文明の進歩・発達とともに次第に衰え、弱者の代表者の様な下層の大衆が、その生命エネルギーの枯渇に、敏感に反応するに至った」 司会者:いずれにしても、人類は様々な難しい局面を迎えているのですが、その都度にとても必要とする偉人を生み出して、それに正しく対処できている。ヴィバ!人類、フラー!人間、万歳、万歳!釈迦牟尼仏。
2018年03月14日
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第 二百九十五 回 目 「 人間万歳! 人、この素晴らしいもの 」 ―― ソクラテスの場合 人物:司会者、男、女、その他 司会:最近の世相を眺めて居りますと、人間が嫌いになると言いますか、何とも暗く陰鬱な気分に陥りそうになるのは、私一人ではなさそうです。そこで、人類の歴史を概観して思いっきり明るく、希望の持てる話題を持ち出して、皆さんと共に明日に向けての活力源に、してみたいと考えました。全人類の師と讃えられるソクラテスですが、実は彼ソクラテス自身は何も著作を残して居りません。師を心の底から敬愛する愛弟子のプラトンの伝える、ソクラテスに関する著作からしか、遥か後代の私たちは偉大なる人物像を、わずかに偲ぶより手がないわけです」 男「しかし、ソクラテスの人物像は非常に際立っており、ユニークそのものですから、一度聞いたら忘れがたいものがありますね」 女「不知の知、でしたかしら。自分は肝腎要の事を何も知らない、という事を自覚している。その点で、世の物知り人とは、一線を画す知者なのだ。そんな風に自分を表現する」 男「人の意表を突いた言い方に聞こえるが、よく考えてみれば実に言い得て妙な、巧みな表現であることが分かる」 女「しかも、自分をそう理解出来たのは、デルフォイの神託が始まりだ、と言うのです」 司会者:デルフォイ、またはデルポイの神託の解説をいたしましょう。古代ギリシャ中部のデルフォイにはアポロンの神殿があり、多くのポリス(都市国家)がここに参じて、政治・外交の指針を神託(予言)に求めた。そういう古くからの伝統があったのです。 男「ある時、ソクラテスの友人の一人が ソクラテス以上の賢人はいるか とデルフォイの神に伺いをたてたところ、ピュテイアと呼ばれる巫女が次の如く答えたという。ソフォクレスは賢い、エウリピデスは更に賢い、しかしソクラテスは万人の中で、最も賢い、と」 女「神々を深く崇敬するソクラテスは、その神託に最初非常な驚きを感じたという」 男「真、善、美などといった最高の価値を持った永遠に変わらない、究極の普遍的存在に関して人々から賢人として尊敬されている自分は、何も分かっていないから。ソクラテス自身は謙遜ではなく心底から、そう思っていたから。しかし、神の言葉に偽りがあろう筈もない」 司会者:神の言葉の真意を汲み取るために、ソクラテスは当時素晴らしい知恵を持っていると評判の著名人たちを、次々に歴訪することになった。その結果、何が起こったか? ソクラテスと対話するうちに全員が、自己の 無知 を曝け出す仕儀に立ち至った。つまり、彼らは自分は何でも知っていると自負し、幻想のプライド、偽りの虚栄心を誇っているだけで、論理的に問いかけるソクラテスの言葉に窮して、立ち往生してしまう。その結果として、自分に恥を掻かせたソクラテスを逆恨みする、それも陰にこもった激しい憎悪の感情で。 男「ソクラテスの容貌は、目はギョロ目で、鼻が低く、その鼻も上を向いている。唇は厚く、顔全体がでっぷりとしている。頭ははげかかっており、その顔は醜怪なシビレエイにも似る。そしてて、顔ばかりではなく触れる相手を 痺れさす と」 女「自他ともに許す天下の賢者が、ソクラテスにかかると文字通りに痺れてしまい、手も足も出なくなってしまう」 司会者:もうひとつ、ソクラテスに関する有名なエピソードがありますよ。曰く、汝自身を知れと弟子たちに教えたと言われる。これもソクラテス以外には言いそうもなかった。 男「自分の事は自分自身が一番知っている。今更、自分を良く知れ、などと言われたら誰だって吃驚しますよ、素直に」 女「所が、よくよく考えてみると、意外や自分自身について本当に知っている、とは言えない。不思議な事に。それを象徴しているのが、自分の顔を直接見ることが出来ない、という事実」男「そうですね。鏡を見れば直ぐわかると言うけれど、左右が逆転している虚像でしかない」女「不思議と言えば、これほど不思議な事も無い。自分以外の他人からは、いともたやすく見ることが出来ると言うのに」 男「つまり、自分が認識している自己像と言うものは虚像だよ、とソクラテスは言いたいのでしょう。神は何故か、自分にだけ自分の本当の顔を見られない様に、意図して御創りになられた。其処の所を、その神のとても奥深い謎かけを、非常に含みの多い意図を、心して探るようにしよう。それが愛知者としてのフィロゾファー・哲学者への第一歩となるのだから。そうも言いたいのでしょう、きっと」 女「ソクラテスは、彼こそ自分自身とは何者なのかという疑問に、常に付き纏われていた。その様に解釈できますね、恐らく…」司会者:そして見事にその解答を出した。彼は自分の神々から命じられた使命を、財宝とか物質的な富ではなく、神々から受け継いだと彼が判断した、魂や霊魂の正しい世話の仕方に常に心を配り、十分に留意して正しく健全な方向に、自らを導いていけるように誠心誠意努力すること。その実践と指導とを自分の使命・職業と心得、極貧に甘んじて、前途ある有能な若者たちの啓蒙・啓発・教育に身命を賭けた。 男「そのソクラテスが、皮肉にも神を信じない不敬者であり、青少年を腐敗堕落させているとの、不当なレッテルを張られて、死刑に処せられた」 女「現代から見れば信じられないような、理不尽な言いがかりとしか思えませんが、或る意味では、その最後はソクラテス本人が最も望んでいた、事態でもあったように判断される」 男「自分が敬愛してやまないアテナイ市民が、その法律が私に死を望むのであれば、私は甘んじてそれを受け入れよう。そう言って、従容として、いつもと変わらない平静な態度で、自らの手で毒杯を仰ぎ、死に就いたと伝えられている」 女「人間も動物の一種であるから、当然の如く生命を失う事、自分の死を恐れる。ソクラテスも偉人であり、最高の賢者ではあっても死を恐れていたに相違ない。然しながら彼には、死より大切にしたい自己にとっての重要なものがあった」 男「それは一体何だったのか? 此処からは想像するしかない事柄ではありますが…」 女「元来、ソクラテスは祖国に対する愛着が極めて強い人間であり、力の及ぶ限り国法を遵守しようとする、義務観念の異常に強い、忠良無比の市民であった」 男「彼は、市民としての義務を果たすためには、財産とか身命の如き物質的な財宝が喪失するとしても、それらには全く無頓着に、喜んで国法に服従した」 女「ただし、至高の精神的問題の決定に際した場合には、理性が是とするところ、又は神の命ずるところに敢然として従う。たとえ、それが国法に反することであったとしても」 司会者:ソクラテスのこの様な態度の根底の所には、世界秩序の維持者であり、恵み深い守護者である神に対する、不動の信仰と、霊魂不死への不抜の信仰があった。そう言えそうですよ。
2018年03月10日
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第 二百九十四 回 目 「 神話の世界を 楽しく 語る 」の二回目 人物:司会者、解説の男 と 女 司会者「今回も神話の世界を皆様方に改めて、御紹介したいと思います。先ず 神話 ですので神々の世界から始まります。地上から見て遥かな上空に、高天原という八百万(やおよろず)の神々たちが楽しく、平和に暮らしている世界がある。それが何よりもまず前提条件として、存在している」 男「そうです。我々人間の世界がどのように始まり、今日、と言うのはつまり代々語り継がれて行く神話の、謂わば原材料としての説話が成立した、大昔を意味しますが…」 女「まるで大人が子供たちに、楽しい昔話を語って聞かせる。そいう説話の 現場 を想像上で思い浮かべてみる、必要があるようです。何よりも説話・神話の内容を心から楽しむためには」 男「我々が住む、この大宇宙の誕生と言う不可思議千万な現象を、神話ではいとも素朴に、そしてある意味では非常にリアルな表現で、簡潔きわまりない叙述を以って済ましています」 女「何処からともなく御一人の神が出現され、やがて又、何処へともなく姿を隠された、と。そして七代目に当たる男女の神が御結婚されて、日本列島を誕生させた」 男「そして火の神をお産みになられた後、産褥熱で女性の神は亡くなります」 女「男の神・イザナギは死して地下の黄泉(よみ)の国に行かれた女神・イザナミの後を慕って魔物の住む、恐ろしい闇の世界に下って行きます。それ程に妻の事を強く愛して居られたのですね」 男「所が、イザナミは黄泉の国の食事を済ましてしまっていたので、生者の昼の世界には戻れない事が、判明します。それどころか、凶悪な悪魔と化してイザナギを襲います。そして、元夫婦の世にも恐ろしい会話が、交わされることになる。光の世界と闇の世界を峻別している千引きの岩を間に挟んで、貴方の国の人間を一日に千人殺してしまう。そう、女神が言うと、男神はそれならば自分は一日に千五百人、誕生するようにしむけよう、と返答したのです」 女「何という恐ろしい、そしてまた実に痛ましく悲しい会話ではありませんか」 男「深く愛し合って、大勢の神々をこの世に誕生させたお二人の神々が、まるで仇敵同士であるかのように、呪いの言葉を相手に投げかけ合うのですからね」 女「そして、禊・みそぎ という日本人にとって非常に大切な儀式の始まりが、イザナギによって行われ、ここでも大勢の神々が誕生する」 男「善い事の後には凶事が、悪い事の後では善き事が、あざなえる縄の如くに生じている。イザナギは恐ろしく汚い国での穢れを洗い清めるために、綺麗な海水で身を洗い清拭する。そのプロセスで太陽神のアマテラス、夜の世界を支配する月・ツクヨミ、大海原の支配者のスサノオ、という最重要な三神が出現する」 女「昼間の天、夜の世界、そして海上の広大な世界。この三つが神話の作られた当時の人々によって認識され、区別された大きな世界の基本的な在り方だった」 男「ところで、姉のアマテラスと弟のスサノオの間に激しい抗争が生じて、アマテラスが遂に姿を隠してしまう。海上で猛威を振るうスサノオの乱暴な行為に、堪忍袋の緒を切った太陽神。自然現象を壮大なドラマとして描写した、古代人の雄大な想像力に感嘆せずにはいられない」 女「時代はずっと下りますが、兄弟姉妹の関係から言えば、海幸と山幸の兄弟の話がありますよ。海幸と山幸が役割を一度交換するのですが、弟は兄が大切にしていた釣り針を紛失してしまった。そこで弟は無くした釣り針を求めて、海神の宮を訪問し、美しい海神の娘と結婚するという、美しい説話があります」 男「姉妹つながりで言いますと、高天が原から降臨したニニギの命が木の花のサクヤ姫に求婚した際に、父親のオオヤマツミは醜い姉のイワナガ姫を一緒に献上したのです。長女の甲姫は醜く次女の乙姫(おつひめ、おとひめ)は美貌であるという考えが、広くあったようであります。同時に観賞用ではない娘には、健康と長寿という善きことが、保証されているとの信仰も伴っていた」 女「非常に含蓄のある考え方が、背景に隠されている。特に、適齢期の殿方には十分に心して頂きたい教訓ですよ」 男「はい、十分に考慮に入れたいと考えます。ところで兄弟の話ですが、秋山の下氷(ひたひ)オトコと春山の霞オトコのエピソードがあります。兄は弟に言いました。自分は多くの男性が求婚しても得られないでいた美女・イズシ乙女との結婚に失敗してしまった。お前は見事乙女を手に入れることが出来るか、と。母親の手助けを借りて乙女との結婚に成功した弟でしたが、兄は約束したご褒美の品々を与えては呉れない。弟はまたもや母親に泣きついて、兄をさんざんにいたぶり報復する。そういう内容の御話」 女「源の頼朝と義経の反目と抗争の例を持ち出すまでもなく、兄弟間の喧嘩や仲違いは世間一般に見られる現象であり、珍しい事ではありませんね。ここで一つ指摘しておきたいのは、蔭に隠れている女性の援助の力の偉大さであります。日本人は元来が農耕を主とする女系家族性を主体として、長い歴史を発展させて来たとみられますが、倭健の物語やこの秋と春の兄弟のエピソードでの女性の驚異的な助力や献身が、ヒーローを裏側でしっかりと支えている。注目に値する重要な事柄だと思います」 男「その女性の力の、負の側面を代表するのが強力な嫉妬心の発露でしょうか。高き屋に 登りてみれば 煙(けふり)立つ 民のかまどは 賑わいにけり ― と詠まれた仁徳天皇ですが、その御妃・皇后のイワノヒメは非常に嫉妬深い事で、有名でした。クロヒメ、八田のワカイラツメ、メトリの女王などが天皇の愛情の対象になった場合の、やり取りにそれが如実に現れています」 女「歴史的には一夫多妻制度が圧倒的に長く多く、一夫一夫制度はほんの最近に定着したものですが、様々なこじつけに近い言い訳や口実があっても、男女の愛情の質に本質的な違いはない筈のもの。特に私たちの国・日本は大昔から女性で持ってきた、つまり女性の力によって支えられて来ている。太陽神の天照大御神に始まり、卑弥呼、現代の かかあ天下と甲斐性なし亭主 に到るまで 女性上位 の趨勢は持続しているのです。その点を、よくよく御考慮なさって、賢明な行動をなさってくださいませ」 男「御忠告、胸の奥に叩き込んで、君子としての振る舞いを、よくよく心掛けたいと思います。が、それにつけても、女性と言うものは私たち男性にとって、なんとまあ可愛らしく、魅力に溢れた存在なのでしょうか」 女「そんなお上手な事をおっしゃいながら、またまた浮気心を発揮なさろうという、下心なのではないのですか」 男「御明察、恐れ入りました」 女「女性の真の恐ろしさを、篤とお考え下さいね」 男「重ねて、恐れ入りまして御座います」 女 と 男「(笑い)」
2018年03月07日
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第 二百九十三 回 目 「 楽しく語る 日本神話 の世界 」 話し手:男女数人 司会役:今日は私たちの国・日本の始まりについて、自由に、そして何よりも楽しく、更には有意義に話し語ることにいたしたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。 男「資料としては古事記と日本書紀が有名ですね」 女「古事記も日本書紀も大雑把に言えば、同じような内容と思われるものが、つまり一種の歴史書が七世紀に天皇の命令で編纂された」 男「通説では、目的が違っていた。古事記は日本の国内向けに、そして日本書紀の方は外国、特に中国を意識し、歴史ある超大国に対抗するライバル心をむき出しにした形で、意図的に編集・改訂されているらしい」 女「此処は歴史学会ではありませんので、解説めいたことはそのくらいにして、楽しい内容について話を進めたいと考えます」 男「古代には 語り部 と呼ばれたストーリーテラーの専門職が居て、代々口伝え・口承されて来たものを中国から渡来した文字を改良して、書物として定着させた」 女「本来は口誦(こうしょう、暗記している文句などを声に出して言うこと)されていた。つまり人の口から口へと、文字を使わずに伝えられて、親から子、子から孫に語り継がれた」 女「ですから、自然に話して楽しく、聞いて面白い、とても為になる内容が多い」 男「その代表的なエピソードが 因幡・いなば の白ウサギ の話」 女「簡単に御話の内容をご紹介しましょうか。因幡と言うのは現在の鳥取県の東部を指す地名ですが、神話の世界の物語ですからウサギを含めて、登場する動物や人物たちは全員が神々です。ある時、沖ノ島から本土に渡ろうとした兎が、鰐ざめ一族を騙して一列に並ばせ、その背中の上をぴょんぴょんぴょんと飛んで数を数える振りをして、最後の所で嘘をついたことを、うっかり口にしてしまいます。怒った鰐ざめ達は兎の皮を剥いで、赤裸にしてしまった。そこへ人の好い大国主の命が通りかかって、親切に治療法を教えてあげ、その大国主の優しい気持に報いる兎の感謝の心が、大国主に大層美しいヤガミ姫を、妻として得させる直接の原因となる、と言った教訓話です」 女「人の上に立つ支配者は、何よりも力弱い他者を慈しむ優しい心根が大切なのだという、極めてストレートで分かりやすいメッセージが、込められていることが理解できます」 男「そして次に、古事記を代表する世にも美しく勇壮な説話、ヤマトタケルの一代記です。これも掻い摘んでご紹介しましょう。景行天皇の御代です。その第二番目の皇子(おうじ)小碓の命が主人公のエピソード。ある時、父の天皇が小碓の命に質問します。兄の大碓は何故朝夕に開催される食事会に出席しないのか。その理由(わけ)を訊ねてみよ、と。実は大碓は蔭で天皇を大きく裏切る卑劣な行為をしていた。それで、食事の会への出席が憚られていた。しばらくしてから天皇は再び弟小碓にお尋ねになられた。「大碓はまだ出席しないが、理由をまだ訊いてはいないのか?」と。すると小碓は答えました。「既に、訊いてしまって居ります。早朝に兄が厠(かわや、トイレ)に入る所を待ち伏せて、兄の体を引きちぎって殺し、菰(こも、わらで編んだ粗末なシート)に包んで川に捨ててしまいました」と。これを御聞きになられた天皇は、心の底から驚愕し非常な恐怖を感じられたのでしょう、間を置かずして西の国々の討伐を、小碓にお命じになられた。こうして小碓の命は数々の武勲をお立てになられるのですが、その最大のものが熊襲猛(くまそたける)兄弟の討伐です。熊襲は殺される前に小碓に ヤマトタケル の尊称を献上した。以来、小碓はヤマトタケルを名乗るのです。そしてヤマトタケルは故郷の都に帰還するのですが、天皇は間をおかずに彼に更に、東の国々を征伐するように命じるのです」 女「そこで彼が、伊勢神宮に奉仕する叔母のヤマト姫に、涙ながらに訴えるくだりが、非常に印象的ですね」 男「そうです。父天皇は私に死んでしまえとお思いなのでしょうか?と言って…」 女「父親と息子の宿命的な相克、とでも言うのでしょうか」 男「最高の権力者となるには圧倒的な力が必須ですが、その王者としての立場を脅かす存在は更に強力な力です。それが息子であっても、直ちに始末しなければわが身が、危ない。毒を以って毒を制する。腕力や武力だけが力ではなかった。奸智に酷似した才知も、力には相違ない。比類なく優れた武将であるヤマトタケルも、老獪な大人の策略の前に屈する」 女「悲劇のヒーローたるヤマトタケルは死んで美しい白鳥と化し、大空を飛翔して永遠の彼方にと姿を消す」 司会者:後からの解説と言うことになりますが、神話とか、神代、つまり神の時代という意味ですが、この場合の「神」とは一体どのような概念とか、意味合いを持つ言葉なのでしょうか? 男「あまり複雑な内容を持つものではなく、通常の人の世界で、何事であっても、つまり人間や動植物、更には自然物の石とか鉱物であってもよい。普通より優れた不思議な力を発揮したり、その内部に異常な威力を秘めている、と見做された対象を「神・上・かみ」とごく平たく呼んだ。ただそれだけの事と考えてよい」 女「一神教の絶対的な神の概念とは、著しい相違が見られる。相違が見られるだけで、どちらがより優れているとか、劣っているとかの質の差はないと、考えた方がよいようです」 男「そうです。感受性の違い、風土や環境の違いが、神と言う概念を構成する場合にも、然るべく影響していたと捉えるべきでしょう。そうですね、古代ギリシャの神々の世界にとてもよく似ている」 女「神代には人間も勿論「神」でしたし、ウサギや亀の様な動物でも皆神々の列に、加えられていた。ですから、神代とは存在するものが全て、神的な存在であった。だからこそ、その時代を神の時代と称したわけです。ただそれだけのこと。そして、次第に今日の如きただの人間、ただの動植物、ただの自然、と言う風に非常に穏やかに推移して来た」 男「黄金の時代が銀の時代に成り下がり、そして銅、鉄の時代にと変遷してきたことに、パラレルに照応している。今日の進歩の概念とは真逆の思想概念ですが…」 司会者:神代、つまり神の時代には実に素晴らしい世界が展開していた。百鬼夜行と言った魑魅魍魎の跋扈もあった代わりに、妖精や木魂や鬼、妖怪変化の類も多種多様に出現していた。木々や草や、山や沼、湖、大海原でさえ物を言った。そして命の生きた交流が盛んに行われ、魂の交歓・響き合いという奇跡の如き、豊かな生命の大合唱が演じ続けられていた。そう言う時代だったのです、神代と言うのは…」
2018年03月02日
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