全2件 (2件中 1-2件目)
1

とても印象的な一冊に出会ったのだが、その前に自分の過去について。二十代の頃はスキー技術の向上に一生懸命だった。バッチテスト1級を取得するまでは、努力することが楽しかった。その後、正指導員なども含めた上級者が揃って受験するテクニカル・プライズという技術テストを受けた。約40人の技術達者が集まって、その中で合格者はたった一人だった。そこで自分の技量の低さを思い知ったのだが、それは生まれ持った才能のなさでもあると後に悟った。努力してどうにかなる水準ではない世界に触れたのだ。二十代半ばにして、スキー技術の追求を諦めて、それはレジャーになった。つまるところ、剣術、武道にしても、その一握りの水準があるのだろうし、自分はそこに入れないのはわかる。ならば、なにを目的にするのか?そこが不透明になってしまい、合気道も新陰流剣術もやめてしまった。まるで憑き物が落ちてしまったみたいに。そんな心境と重なるように、上記の著書に出会った。陸上の世界で名を馳せた為末選手が実体験から語っている内容は一つ一つスッと腑に落ちるような感覚がある。「人生は可能性を減らしていく過程でもある。年齢を重ねるごとに、なれるものやできることが絞り込まれていく。可能性がなくなっていくと聞くと抵抗感を示す人もいるけれど、何かに秀でるには能力の絞り込みが必須で、どんな可能性もあるという状態は、何にも特化できていない状態でもあるのだ。 できないことの数が増えるだけ、できることがより深くなる」「本当は生まれたときから無限の可能性なんてないわけだが、年を重ねると可能性が狭まっていくことをいやでも実感する。最初は四方に散らかっている可能性が絞られていくことで、人は何をすべきか知ることができるのだ」「『才能じゃない、努力が大事なんだ』この言葉には『すべてのことが努力でどうにかなる』という意味合いを含んでいて、諦めることを許さないところがある。挫折することも許されず、次の人生に踏み出すことのできない人を数多く生み出している」「人生にはどれだけがんばっても『仕方がない』ことがある。でも、『仕方がある』こともいくらでも残っている」彼の目線は冷静かつ優しい。どうにもならないことは諦めて、他に向かってもいい。それが人生を棒に振らないことでもあるという内容だ。ただその「踏ん切り」のさじ加減は自身で体得していくしかない。40代ではじめたテニスはもとより、スキーのように合気道もスポーツ(レジャー)として楽しむという手もある。そういえば、先月から今月にかけて三度登山へ行った。母親の病が一進一退を続けており、ストレス発散に最適だ。歩き瞑想と云えなくもないが、山行自体は技量を高めるわけでもなく人間性を高めるわけでもない、無意味といってもいい。本当に気分転換のためだ。ともかく人生も終盤戦。「仕方のある」ことに戦力を集中するほかない。
2016年05月30日
コメント(4)

GW最終日、友人を誘って新城方面へ。新東名高速は走りやすくて気持ちいい。新城のナイアガラと云われる長篠堰堤は迫力があって本当に見ごたえがあり、細かな水しぶきが全身にまとわりついてくる。四谷千枚田は農家の方の邪魔にならないように見学コースを歩く。農作業のおばちゃんに上から見られる場所があるよと教えられ、駐車場からさらに上へ車で移動。わずかなスペースに車をとめて千枚田を見下ろすと、なるほどやはり上から見下ろした方がいい感じ。休耕田も目立つけれど、現在に至るまで水田を守り続ける農家の方々に敬服する思いだ。メインの乳岩峡もかなり見ごたえがあって面白く、水と緑の気持ちのいい空間。ハイキングコースとは名ばかりの登山コースという感じ。風の通り道を歩いているようで、常に良い風が吹いている。途中、二人組の「山ガール」と前後するようになり、「どこから来たんですか?」とおしゃべりするようになり、それもちょっとした楽しい思い出になった。
2016年05月08日
コメント(2)
全2件 (2件中 1-2件目)
1