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に蒙古タンメン味というのがある。もちろん中本の監修にはなっているが、本物を食べたことがないのでどれくらい似せてあるのか分からない。ただ旨辛く、120円にしてはよく出来ているスナックであることには間違いない。本物は噂には聞いているが、このスナックのパッケージに写真が載っていて、初めてどんなラーメンか理解できた。どうやら味噌タンメンの上に更に辛味噌に和えた豆腐が乗っているラーメンらしい。実はどちらかというと辛いのは苦手である。このスナックでさえ1/4で汗が止まらずギブアップしたくらいである。(残りは翌日回し)でも旨いのである。単純に辛いだけでなく調味料、香辛料の配合の妙というか、熟成の妙というか完成度はかなり高い気がする。たとえば、この辛さは味噌味が最初に来て後から額から熱くなっていく。豆板醤ぽいものがベースなっていると思うが、よく寝かせてあるのか旨み成分が辛味とよく馴染んでいる。そして汗を掻いた後ほのかにニンニク香が残る。あくまで臭ではなく香である。でも中華の辛さより味噌が前面に出ていて和風でもある。酒のあてにはもってこいである。奴にかけてもよさそうだし、餅にまぶして磯辺にして食べても旨いかもしれない。とにかくこれだけ食べていると汗がとまらない。
November 27, 2007
学校で水道の蛇口から水を飲んでいた。街に水道タンクなるものがあり、大きな井戸として水を供給していた。要は水道の蛇口から出てくる水も地下水であり、今にして思えばミネラルウォーターであったと思う。夏は冷たく冬は飲んでも暖かさまで感じていたかもしれない。日没まで遊んだ後、息を切らしながら貪り飲んでいたような記憶がよみがえる。その後、この水は飲めなくなった。地盤沈下の原因だという。その名残であった下流のビール工場も5,6年前に操業を停止し(もちろんこの時点では地下水は使ってないと思う)、今は再開発でショッピングセンターになってしまった。現在は川の水を取水堰から引き込み、浄水して各家庭に供給されている。いつしかこの地域では、水道から直には水を飲まなくなった。この水を唯一飲める場所が数年前まであった。赤羽岩淵の酒造メーカーが井戸からくみ上げた水の蛇口を通り沿いに出し、一般の人に開放していたのである。それも今は建物を建て替えたのであるか定かでない。小さい時の体感した記憶なのか、それとも単なる郷愁なのか、この水を使った日本酒を飲むと今でも落ち着くのである。新潟の名水よりずっと自分の体質に合っているように思う。瓶のラベルに荒川水系伏流水と書かれていると安心する。多分源流は秩父なのだろうけど秩父の水ではだめなのである。岩淵までは歩くのが遠いので、代わりに東口の駅近くのアーケードの「健ちゃん」というおでん屋でこの水を使ったワンカップを飲んでいる。地下何百メートルかの岩盤をとうとうと流れていたから価値があるのである。フレッシュな山の沸き水はミネラルが少ない気がするのかもしれない。地下水脈はその水流を想像するだけで旨そうである。どんなに雨が降らなくても枯れない水源がよい。いま私的にそのイメージに近いのは富山の水で、立山の中腹に十年も備蓄された水のタンクが枯れることなく、その位置エネルギーから生きよいよく排出されている気がするのである。
November 25, 2007
日延べしてしまい、今日ボジョレーヌーボーを頂く。最近は葡萄の出来不出来というより、技術の進歩で安定して美味しいワインが飲めるという話である。(と近所のソムリエオヤジが言っていた)ドミニク・ローランというネゴシアンから出ているヌーボーを今年(2007)は買っておいた。ジョルジュ デュブッフというのが日本では知られているが、2004年にクリュボジョレーを偽装したとして、2005年に彼は起訴されている。(下級ワインの水増し疑惑)実は柏の河内屋で1200円のモルゴンを売っていて、もしかしたらあれが疑惑のワインかもしれない。モルゴンはクリュボジョレーの一種で、しかもそのワインはジョルジュ デュブッフと同じ花柄であった。(ジョルジュ デュブッフのマークはついてなかったけど)個人的には飲みやすくそれなりに旨かったけど、もはやガメイのワインはブレンドと製法技術で人工的に味を作れるのかもしれない。で、良心的に作っているというドミニク・ローランを楽しみしていたのである。ところがどっこい、アロマが薄い。スミレのような華やかな香りも全然無し。ただ、ストラクチャーはしっかりしていた。意外と牛肉のステーキにも合うのである。ヌーボーなぞに骨太さは誰も期待してないんじゃないかと思いつつ、澱が瓶に溜まっていたには驚いた。その製法から何で澱たまりづらいんだと理解していたが、そうでもなさそうである。本来の素朴さがなんとなく残っている。と、酔っ払いはああでもないこうでもないと想像を逞しくしていく。あいつ絶対インチキやってるけど、ワインを工業製品レベルにまで押し上げた功績は大きいのかもしれない。今年は昨年よりヌーボー輸入量が少ないというが、日本中のスーパー・コンビニには年々ジョルジュ デュブッフのラベルが目立っていくのは気のせいだろうか。
November 20, 2007
今回の泰葉小朝離婚会見を見ていて思ったのが、弟たちよりねえちゃんの方が面白いということだった。もちろん気丈に振舞おうということだったんだと思うが、弟達より落語家の素質があるんじゃないかと感じた人は多いんじゃないか。少なくても客イジリというか、視聴者を引き込む術は父親ゆずりというか正蔵より格段上である。素人ではあるが、落語家囲まれているのでそういう気転も訓練されてるのかもしれない。でも本人は曰く、落語に囲まれている状態がいやだったという。それとなぜ小朝はあれほど海老名家に肩入れするのか未だにわからない。プロデューサーの仕事が好きなのであろうか。これを機に縁を切るのかと思えば、そうではないことを示すために義弟達を同席させたらしい。アットホームな雰囲気を打ち破り、これからはヒールでいきますと宣言したほうが面白い落語ができそうである。離婚してもこの家を背負わされて、埋没しそうな気がした。落語界は二世だからと言ってアドバンテージは無いと思うのだが、家自体を看板にする梨園と勘違いしてるんじゃないだろうか。
November 14, 2007
夜わが町の飲み屋を巡礼する。一件目は焼き鳥屋。ここの焼き鳥はスモーキーで大きめなのが人気だったが、今日は空いていた。いつもの大将がいないせいか、若い焼き方はのびのびしていた。ねぎ間を食べて気がついたのであるが、水っぽい。客がいないので回転せず仕込んでから時間がたったものを焼いたのかもしれない。ここはタレとか塩ではなく、練りわさび食べる焼き鳥屋である。この日唯一の収穫は、背肝、これだけはうまかった。でもなんとなく味が落ちたようで残念だった。2件目は嗜好を変えてワインバーに。一見難しそうな店で寄り付く人が少ないのであるが、出してるものからすると意外とコストパフォーマンスが高い。おそらく県庁所在地の隣町であれば2割増しの料金はとられるかもしれない。それよりここの兄ちゃんのコックが結構いい腕しているので気に入っている店である。この日はホタテのパテを茹でたキャベツで巻いたものとスカンピの香草焼きをシュールリーで頂く。ワインバーのいいところは酒の薀蓄が聞けるところにある。ソムリエのオヤジがシュールリーについて説明してくれる。3件目は・・・。
November 13, 2007
と小沢一郎のニュースばかりで、こいつは一体なんなんだと思うほどみんなが騒ぎ出す。同じやめるという話でも安倍君と取り扱い方はぜんぜん違う。それだけ話題に事欠かないというか、マスコミはいろんな方面から深読みをしようとする。私は4日の明け方これで政治生命は終わったと書いてしまったが、その後辞表を出してからが国中大騒ぎになっていて、今6日になったところではどうやら復活しそうである。密室かオープンかということでは議論をわかりやすく公表してくれればいいことで、何一つ決めたわけでもない。ただ実しやかにいろんな噂が新聞の一面(読売)を飾っている。たらればの話が大新聞の一面を飾るなんてどう考えてもおかしな話である。テレビタックルでは浜田幸一がアメリカに逆らって日本はやっていけない。特措法を福田は命がけで通さないと益々日本は停滞するんだといっていたが、波紋というかテレビでこれだけガチャガチャいろんな事を取り上げているのでなんとかなるような気もしてきた。事実アメリカの圧力は与党党首と野党党首双方に強くあったのかもしれない。アメリカは相当焦っていて、日本の国防費が削られることへの懸念じゃないかという話もあった。(森永卓郎談)逆に日本人はそうか財政再建にはその手があったかと気づかされる。主権在民で国民のために政治かも役人も動くべきなんだろう。アメリカは確かに理不尽な国であるがそれが解ってて、あえて国民に詭弁を弄してもアメリカの意に沿うことをした小泉くんのやり方はもはや通用しないんだろう。国益等の高度の政治判断はしなくていいから、これだけ情報が駆け巡る社会になったのだから、マスコミを介して騒然とガチャガチャ意見交換や討論をもんだほうが国民的意見の趨勢が見えてくるような気がしてきた。通信手段の発達によりテレビを見ながらアンケートや意見をリアルタイムでモニターできるので各人も判断しやすい。それを一日何回も続けるとディベート技術の優劣だけではない実像が見えてくる。もちろん国会の場で議論するべきものはしなきゃいけないが、テレビやマスコミの論争には役人のやの字もないことが国会と違うのかもしれない。
November 5, 2007
物事の意思決定の方法があるとすると多数決による決定と少数の人間による決定の2つに大別される。前者は民主主義で後者はエリート主義である。過去において日本の政治は表の前者と裏は後者でうまく使い分けてきたが、小泉君あたりからうまく機能しなくなっている。というか問題が山積してくると前者だと意見が多岐にわたりうまく機能しない。日本の政治を見てると混乱しているというかガンの末期症状のような気がするのである。小泉くんはエリート主義で進めようとしてやることが直線的過ぎていろんなひずみを生み、その後の安倍くんは調整型の民主主義をしようとして何一つ前に進まなかった。福田くんは表裏も使い分けが面倒だい!ということで大政翼賛的な意思決定機能(ファシズム的な香りはないと思うけど)を作ろうとして大ヒンシュクを買ってしまった。小沢一郎くんもこれで政治生命がおわりかもしれない。2院政で違う党が多数を持っているので議論がオープンになるというが、そうかもしれないが意思決定はますます何もできなくなっている。どう考えても国力というか国の総合評価は年々落ちてくのは否めないんだろうなと思ってしまうのである。あと10年もすると経済力も完全に中国に抜かれるんだろうな、いや経済力が長期低落する方が年金基金破綻より怖いのである。(円が弱くなるほうが生活に不安を感じる)政治が混迷して役人が保身に走り勝手なことをやっていることが、どれほど国際的な国力低下につながっているんだろうか。今回の党首会談を見ていて、確かにスタンドプレーではあるが、それをなぜするのか考えようとしない危機感がない国民が多すぎるような気もするのである。
November 4, 2007
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