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日曜日、5時半に一人で焼き鳥屋に飛び込む。飲み物は黒ホッピー。ここはお通しにキャベツのザク切が小鍋に山盛りで出てくる。キャベツにはゴマ油と白ゴマが降ってあり、お通しというより焼き鳥の箸休めの感覚がつよい。地鶏と頭をタレで、皮とヤゲンを塩で、他にガツ刺しを頼む。日曜のこの時間、私が一番のりではなく、年配の軽装のおやじが先に飲んでいた。なんでも今日は一日歩いたそうで、運動の締めがホッピーだという。穏やかな日差しの中、菜の花が咲き、田に水が張られたあぜ道を土の香りを満喫しながら歩いてきたという。頭が下がる。明らかに運動不足な私はチャリでここまで飲みに来た。しかもこの駅前まではほとんど下り坂。ギア比をトップに入れ、信号でなるべく止まらない道を選び、ノンストップでこられる。ぐうたらしている人間がお天道様があるうちから飲んで、後ろめたさを感じたがしっかり中は三杯お替りをする。無愛想なネーチャンがチロリに中と氷を入れ、それをジョッキに無造作に空けて去っていく。どうも氷入りはペースが速くなる。6時には店をでるとお天道様はまだ空から見ている。ここで気づくのである。しまった今日は汗をかいていないと。帰りは位置エネルギーを蓄えるために先ず一気に上り坂に挑戦する。坂の3分の1時点でチャリをこぐのを断念、押して上っていく。200メートルの坂を登りきるころには汗だくとなり、酔いがかなり回ってくるが後はフラットである。車が通らない田舎道をローギアでゆっくり帰ってくる。風が気持ちいい。家に帰ってくると酒気はほとんど抜けていた。日差しがあるうちなので早く酔い早く醒めることができた。もしこれが都内で飲んでおり、汗をかかずに飲食し、最終電車で汗だくになるパターンを考えればナンボ後味が良かったことか。
April 29, 2007
GWが始まるらしい。朝早く高速の東北縦貫道下りがやたら込んでいる。佐野藤岡で降りて、50号線を前橋に向かう。こちらは群馬県人の朝のラッシュがなく比較的すいていた。工場のラインはもう止まっているのだろう。15になった上の娘が荷物があるので東京まで送ってくれろという。何ヶ月ぶりかで会った彼女は少し顔つきが丸くなっていた。この年代は縦に伸びたり、横に伸びたりいろいろいそがしい。りんごの色を聞いても赤とも白とも何もいわない子で、ここ10年位無口な性格を押し通している。(失語症ではないかと精神科にもかからせたが、どうも先生方は病気を治すほうではなく作るほうに忙しいらしい)その割には目立ちたいというヒロイン願望がある。ミーハーなアイドルグループの話題にもやたら食いつく。自分の容姿も考えず芸能プロのオーディションにも応募したようである。登校拒否児のくせに生徒会の副会長をやっている。(おとうさんもお尻をフクカイチョーというと嫌われそうなので言わないことにしている)その彼女がギターをやりたいという。夏休みに豪州に短期のホームステイもしたいという。と相談をしてきた。下の子は将来の自分のやりたい目標に向かって、ステップアップのため、キャリアアップのために準備する人間である。が、この女は単に目立ちたいんだと思う。それで社交的になるのか、挫折して内向的になるのかはギャンブルであるが、やってみなければわからないので許される範囲ではゴーサイン出すつもりでいる。(ダメなものはダメだが)もっとも、挫折ばかりの子だったのでそろそろ性格の変換期に来ているのかもしれない。わざとダメサインを出してもっとエネルギーを貯めさせるのも手かもしれない。でもこちらもあざとく是々非々を言わないほうがいいのだろう。それもすべて運、天命に従うということなんだろう。
April 28, 2007
リチャード・ギアにワイセツ罪の逮捕状というのが気になってしまった。インドでの出来事でインドの女優と公衆の面前(エイズ撲滅キャンペーン会場)で抱擁し、キスしたのがヒンドゥー教の教えに反するということらしい。スポーツ紙は面白おかしく「ギア入りすぎ!?」という見出しをつけている。写真を見る限り社交ダンスの一場面の様でもあり、無理やりセクハラをしているようでもある場面が掲載されていた。あまり美しい写真ではない。なんとなく間が悪いというか、息が荒く汚いオヤジにリチャード・ギアが写っている。インドにはチークダンスみたいなものはないのだろうか。そういえば「踊るマハラジャ」なんて映画も男女別れてダンスをしている。ヒンドゥーやイスラムは戒律が厳しそうであるが、反面羞恥心にも敏感なんであろう。日本でも電車の中でイチャイチャするバカップルがいるが、お前ら美しくないんだからやめろ!と言いたくなる。抱擁とキスの意味も色々あるが、パブリックな場所で相思相愛でイチャつくのは日本だとどこまで許されるのだろうか。電車は×、公園は○とかあるんだと思うが、人の密度によっても違うんだろう。本人たちは甘いかもしれないが、周りはしょっぱい雰囲気となる。
April 26, 2007
とまらない。夜酔っ払いながら雨の中を歩いた記憶もないのであるが、午後から出始め夜になり止らなくなった。薬局で強い咳止めを買ってくる。なんとか明日10時にお客に会うときには鎮めたいものである。しゃっくりの止め方の民間療法はいろいろあるが、咳というのはなんとも度し難い。製薬会社はこの咳止めでどれ位儲けているのかわからない。もしかしたら売れる薬の八割は鎮痛剤と咳止めではないかと薬局でいつも思うのである。おとなしく夜寝るのも辛いものである。治まったと思い起きているとまたコンコンとぶり返してくる。咳止めはそう頻繁に飲んではいけないのだが、辛くて飲んでしまう。その内意識がもうろうとしながらもテレビで楽しみにしていた中村俊輔の優勝を決めた試合を見る。興奮するとまた咳がぶり返す。そとは依然として雨が降ったり止んだり、ハッキリしない。
April 25, 2007
なんとなく雨が降り、肌寒く、憂鬱な日が続く。日曜にお客から朝取れたばかりの筍を頂いた。昼に友達に電話したら、もったいないので直ぐに持ってらっしゃいという事だった。なんでもその日のうちに下処理しないと固さが全然違ってしまうとのことである。筍は先端の部分を切り落とし皮付きのまま茹でるのが水煮の正しい方法だと講釈を受けた。明けて月曜、筍ご飯を作ったというので、夜に刺身の盛り合わせを持っていく。他にもシンプルに筍を炊いたものが用意してあった。ほんとは鯛の刺身が筍には合うのであるが、真鯛だけの刺身がスーパーに売っていなかったので、盛り合わせということになってしまった。筍ご飯にはマグロや金目鯛の脂ののった物でなく、淡白な白身の魚が合う。特に筍ご飯に刻んだ揚げが入っている場合は尚更で、鯛の身の締まった淡白さとの相性は群を抜いている。この時しみじみと日本人に生まれてよかったと思うのである。炊いた筍も穂先は柔らかく、なるほど直ぐ持ってきてよかったと思うのであった。しかも雨の日の憂鬱をこちらは筍の若い生命力が吹き飛ばしてくれる。ただ、冷静に考えてみると菜種梅雨の適度の湿り気と寒さが筍を旨くしているのである。もし高気圧のからっと晴れた日の収穫であるなら、筍ももっと固く、香りも飛んでいる様な気がするのである。魚屋がやっている居酒屋からは今週は鯛の昆布締めを用意してます。とのメールがあった。菜種梅雨の晩に熱燗と鯛の昆布締めも捨てがたい。
April 23, 2007
このところ何かに取り付かれた様に食い物の話ばかりで、申し訳ない。(誰に謝ってるの?)今日は夜帰ってきて、迷った末、末広(近所の中華料理屋)にいく。ここは一種類だけ日替わり定食を出している。(グルメ本とかタウン情報誌に載っていないが、何を食べても安心して食える店で、客が入っていないところを観たことがにくらい地元では人気がある)本日の定食は「かに玉定食」であった。家庭で作るのと違い、外はこんがり中はゆるゆるの卵の状態に、蟹のほぐし身、たけのこが入っており、巧く餡と絡み合って旨かった。ほかに刻んだ葱も入っているのだが、葱香は一切無く、甘みだけが残るよう湯がいてあるのかもしれない。ここの餃子も旨い。オーソドックスな味であるが旨い。古典的な味というか、小さい頃から食べてたような懐かしい味で、ニンニクがしっかり効いている。定食には餃子が3ケ付く。小皿に普通に焼き目を上に乗っているのだが、醤油皿は付いてこないので直接乗っている皿にラー油、酢、醤油を垂らす。このとき私なりのポイントがある。焼き目を下にひっくり返してから、調味料をかける。焼き目が上の場合、ここの餃子は下向きの口が開いて肉汁が出てくるのである。いつもは「鳥そば」か「かたやき」に半チャーハンであるが、この日は冒険をし「かに玉」を食べた。いや定食だから食べたのである。本当の冒険は「かに玉」や「肉だんご」、「酢豚」を単品で頼む時である。(一人だと単品は勇気がいる)そもそも街の中華屋というか、高級店でないので紹興酒も置いてない店である。昔のこの手店には白乾(高粱焼酎)がおいてあったが、今はおいてある店をほとんど見かけなくなった。末広もビールと日本酒、ウーロンハイ、レモンサワーしかない。今住んでいる場所の駅周辺には、5、6軒の中華屋があるが(ラーメン屋ではなく中華屋)、メニューに斬新さはないけどこの店が一番好きである。そういえば、依然住んでいた近所の中華屋が今月いっぱいで閉店するという。来週火曜日は閉店記念に大勢で押しかけようとお声がかかったが、果して駆けるかどうか二の足を踏んでいる。今のお気に入りの店の味に慣れてしまって、憩える空間ではなくよそ者で落ち着かない気がするのである。
April 21, 2007
今隣町との市境に住んでいるが、なんとなく文化の違いが見えてくる。昔は方や職人や工員の町で我が方は官僚や軍人が多く住む町であった。私が通った小中学校は元の師範学校で体育の授業などは行進が多く(戦後何十年も経っているのに)、空気も息苦しさを感じていた。映画でいうなら小津安二郎の映画に出てきそうなサラリーマンの街であった。みな外食などはめったにしない家が多かった。今でこそファミレスはあるが、昔は1丁目~5丁目位に一つ商店街があり、そこには何軒かの飲食店があるが出前の店が多かった。ところが、隣接市は町内(何丁目単位で)に必ず飲食店が連担する地域がある。もしかしたら昔から共働きや独身者が多く、外食文化があったのかもしれない。今は市境に住んでいるので、この連担が家でご飯を作らない人間にとって非常にありがたい。都内と違い駐車場も整備しているので結構広範囲に食べ歩きが出来るのも嬉しい。もともと気取らない気風があるのか外国人も多く住んでいて、インド、中国、韓国等も楽しめる。ただ旨いかどうかはギャンブルで日本人にあっている食味の店はやはり混んでいる。私の出身の街だと恐らく東京の飲食店(外国料理)を真似たものが多く、しかも気取って高いのであるが、この街は東京の中央で何が起ころうとお構いなし、修行を積んだかどうかもわからないネィティブな人が店を開き、誰かしらが食べにきている。居酒屋も発達している。数年前近所に住んでいた飲み仲間が、隣接市の中心部に移り住んで今居酒屋ライフを謳歌しているのを見ると羨ましい限りである。(彼曰く、品がない人達が多いと言っているが)
April 18, 2007
味覚というのがどれほど信用できるかわからないが、ほんとはひとつの感覚じゃなくて視覚、嗅覚、触覚といろいろ併さったものじゃないかと考える事がある。否、ほんとは味覚なんて無いのかもしれない。舌で感じるものはあくまで舌の触覚である。その証拠に甘いとか辛いとか、微弱の電流だけで味を表現する機械に出会ったことがある。もしそうであるなら、味覚はなにも舌だけで構成されるものではない。例えば、牧場で飲む牛乳は旨い。そして必ず口が広い瓶に入っている。ところが我々はフレッシュでクリーミーでうまいとか言っているが、ほんとは広口瓶で野外で飲む感覚が旨いと言わせているかもしれないのである。(前記の機械の発明者からすると匂いも電気の波長の鼻粘膜に対する刺激で説明できると考えている。)ところが味の表現というものは、各人が件(くだん)の味があたかも存在するのが当り前のように振舞う。ほんとは主観でしかないのに。もし、絶対味覚というものが電気で表現すると成分が舌ではどんな電気の波形を繰りひろげ、鼻の粘膜ではどんな波形が繰りひろげられているのかという非常に無機的なものになるはずである。それと成分だけではない。温度と器の形による水流速度が電気の流れが味に影響するのだと思う。例えば缶ビール。アレにはプルタブというのが必ずついている。プルタブの減り込む様を観察してみると必ず右側に折れて下がる。この右側の折れ垂れ下がりによって、飲む時の水流の流れは押しとどめられたり、逆流したり、捻じ曲がったりして、スクリューの渦のように口の中に入っていく。もし、このプルタブが左折れ下がりだったら、渦が逆回転だったら、缶ビールの味は違うのかもしれない。私はあまり好きではないが、ストローと小さい紙パックはセットになっている。(ここから本題です)日本酒のストロー付がよくある。焼酎もある。最近ワインの紙パックにストローがついていたのにはビックリした。もともと酒にはアロマというものがあり、ストローで飲む酒はそれを省略する行為である。酒を口に含んでクチュクチュやっているとそこから鼻に上がってくるというか、抜けてくる香りがある。若干この香りを楽しむだけで、ほとんどはダイレクトに食道に抜けていく事になる。なにか早く酔っ払いそうであるが、その酔う感覚がすきであれば、それもいいのかもしれない。つまり、食道で感じる味覚を求めている。ただ、ストロー先生は酒は器だと教えてはくれる。
April 14, 2007
なんとなく間が悪い日があるもんである。ご飯でも食べようと集まろうとしたが、なかなか日時が決まらない。13日は漠然と2週間ぐらい前から決まっていたのであるが、時間が読めなかったので朝、別の用事を入れようとして伺いをたてたら烈火のごとく怒られてしまった。ダブルブッキングは隠密裏に運ばないと巧く行かないものである。もう片方にも怒られ、両方用事は流れ、「いいことなんか無い~」という感じであった。先週に引き続き飲み講となる。最初にメートルを上げるため居酒屋に入る。雰囲気が明るく綺麗な店で大将と女将さんとインドパキスタン系の若い娘との三人でやっている。外国人の顔立ちであるが、流暢な日本語を話すので日本育ちなのであろう。鰹、ホタルイカ、明石のたこ刺しをくらう。この手の店はネタが新鮮であればオッケーで、初鰹は淡白で旨かった。今、どの辺まで上ってきているのだろうか、本格的な上り鰹は下田沖まで来ると旨いというがまだそこまで行っていない。でも爽やかな若さと新鮮さがいいのである。伊勢丹クイーンズでワインと惣菜を買って飲み講に持っていく。このパターンはかなりのエネルギーと金を使うのでよろしくない。しかもこの日はあまり良いつまみが買えなかった。一件目の飲み代はもう一人の人間が、買物は私が支払った。タクシーで目的地へ。八時過ぎ、飲み講がぼちぼち始まる。ピザの出前を頼んでおいたがアンチョビのトッピングが却下されちょっと悲しかった。うるさいことを言うと煙たがられるので言葉を呑み込む。餃子やいなり寿司を作ってきてくれた人たちがいて、こちらは旨かった。最初に甘いカクテルを飲む。これが苦手な飲み物であるという事に飲んでから気がついた。心臓が締め付けられる感覚があり、鼓動が大きくなり、息苦しくなっていく。それでも他のものを飲んで食べてカラオケで歌っているうちに夜が更けていく。カラオケは周知の共通項が出来上がっているのでかなりも盛り上がりを見せていた。昼間はすっきりしないことがあったが、終わってみればいいことがあった。鰹が旨かった。パキスタン(?)のかわいい子も観られた。個人タクシーの女性ドライバー(県内で4人しかいないという)にも会えた。餃子やいなり寿司も旨かった。カラオケもうまい人と気持ちよく歌えた。最後にスイカも食えた。
April 13, 2007
富山の人間は昆布好きである。一人当たりの年間消費量は一番多いのではないかと思う。魚が旨いのであるが、新鮮な魚をなぜか昆布〆にして食ってしまう。かまぼこにもなぜか昆布が巻いてある。うどんには必ずおぼろ昆布をかけてしまう。私はどうもおぼろ昆布が苦手で、昔喧嘩になったことがある。北前船の発達で、北海道から日本海側、瀬戸内、大阪と昆布の支配下であり、京都も北陸道の入り口で昆布の影響が強い。沖縄も昆布貿易の中継基地で昆布文化圏である。出汁も昆布でとる。強いと淡口醤油とあいまって凄く喉が渇く感じであまり好きではなかった。でも、最近は結構食べている。すし屋で子持ち昆布を見つけると必ず食べている。先日も鯛の昆布締めを食べたが旨かった。昆布関連の食い物は作り手の手間が多いというか仕事をしているというイメージが出来上がってきた。でもやはり旨いのは、ご飯の伴である。煮昆布で「こうはら本店」の舞昆シリーズが一番気に入っている。とくに白鳳(エリンギ)舞昆が好きである。いままで楽天で唯一の買物は「こうはら本店」である。昔は関東人はそれほど昆布は食わなかったが、いつの間にか昆布の旨みのインパクトに慣らされてしまっているし、常習性がある。脳内物質が信号を送るので、塩昆布を想像するだけでご飯を一膳食える人が登場してもおかしくない。マヨネーズ常習者をマヨラーというなら、昆布常習者はコブラーとでもいいのであろうか。いずれにしても過剰摂取はよくない。
April 12, 2007
麺喰いは喉越しとか、擦過感覚を大事にする。そこでは麺の太さとコシと形は重要なポイントになる。勿論、材料の粉の風味とタレやソースの味も大事であるが、それ以上に喉をどのように通過していくかを気にする。だから餡かけ麺や脂がスープに膜を張っているような汁麺は火傷をするのでパスとなる。逆に盛り蕎麦をくちゃくちゃ反芻するように食べていたり、音を立てないで口の中で静に呑み込もうとすると人を見ると間抜けなことやってるんじゃねぇと怒りが湧いてくる。(ほんと?)そんなことはどうでもいいのだが、自分の好みから言うと麺は角麺が好きである。最近気がついたのであるが、角麺フェチだということがわかった。そばは概ね四角いので好きである。うどんは太さは関係なく、きしめん、手打ちで断面が四角い麺が好きである。間違っても稲庭うどんなどは旨いとはおもわない。中華麺は概ね手延べ由来の丸麺が多く好きではない。素麺も好きではない。但し、富士宮やきそばの麺は四角いので好きである。パスタもフェットチーネやリングィーネは好きであるが、スパゲッティは丸麺なので宜しくない。一般には角が立つという言葉はあまりいいイメージでないが、角麺フェチからすると誉め言葉である。「いいねぇ、今日角立ってるねぇ」という賛辞が送られる。麺喰いからすると冷麺や韓国麺は固すぎで噛み切れず喉の通りが悪くて嫌われてるかもしれない。でも、角麺フェチは「エッジが効いててたまらんねぇ」ということになる。別に鋏で麺を切って食べる事を恥だと思っていないのである。ただ、延びたり、ふやけたりすると角が無くなってくるので「ちくしょう!丸くなりやがって」と半べそを掻き始める。(ウソです)コシとはあまり関係がないので、ところ天、くず切りなども好きである。特に「寒天突き」で押出されてくる瞬間を見ると身震いするほど焦がれる思いがするのである。
April 11, 2007
仕事の合間というか、サボリでTVで映画を見てしまう。最近面白かったのは、「TOKYO ジョー」(1949年アメリカ)。占領下の日本を描いている映画で主演はハンフリーボガード、悪役に早川雪洲が出ていた。たぶんこんな映画は日本人が見ていたらデタラメだと怒り出すんではないだろうか。でも記録映画じゃないしフィクションなのでサスペンスとしての演出は良く出来ている。古き良きアメリカが垣間見られてアメリカ人はいまでもこの映画は好きだと思う。それにしても早川雪洲の悪役は迫力があった。「カリフォルニア・ドールス」(1981年米)という映画も面白かった。ピーター・フォーク主演で女子プロレスのマネージャー役を演じている。気の荒い、でも繊細な優しさを持つ男を好演している。今だったら女性蔑視で訴えれそうで成立し得ない人間像であるが、ジゴロ的な人間臭さが魅力的である。余談だがミミ萩原が冒頭に出てくる。タッグを組んでいるのはジャンボ堀というレスラーらしい。いま、彼女は新興宗教の教祖らしい。「マルクス捕物帖」(1949年米)というDVDを買ってみていた。マルクス兄弟のこの頃はパワーが落ちてきている。コメディアンは30代が体が一番動いて面白いのではないだろうか。
April 9, 2007
飲み講に持っていく焼き鳥を駅前の売店で注文し、30分時間が開いたので魚目当てに飛び込みで居酒屋に入る。鯨とさよりの刺身を注文し、チュウハイを飲んでいた。大皿に半分半分に鯨とさよりのお造りが並んでおり、ワサビと生姜盛ってある。カウンターに醤油さしが、二種類。ひとつはしょうゆ、もうひとつは秋田のおいしい醤油と小さな紙が張ってある。「おいしい」と書いてるんだから美味しいんだろう思い試してみると今まで食したことが無い味であった。色がうすく甘いのである。九州の方だと甘くて濃いものがあるが、あれとは違う。関西のうすくち醤油は塩辛い。これが実にどうも淡白なさよりの魚の甘味を増して旨かった。(恐らく赤身の魚には合わない気がする)鯨肉も臭みを感じさせない、ちょうど良い刺身の大きさに切ってくれた。こちらは濃い生姜醤油で頂く。ご主人が秋田出身で、秋田の湯沢から醤油を取り寄せているという。多分こけしも飾ってあったんで鳴子とかに近い秋田の南の出身なのかもしれない。メーカー名は教えてくれなかったので、ネットで秋田味噌醤油工業協同組合の名簿を見ると湯沢市だけで5件ぐらいある。その内HPを開設しているのが3件、その商品ラインナップを見てみると石孫本店の「みそだまり」という商品が色・甘さ・塩分控えめでコクのある甘さが引き立つ味と書いてあり、それではないかと思った。気がついたのであるが、醤油・味噌の蔵元がこの湯沢市だけで五件ある。ところが特別に多い街でもなく、県内だけで45件以上あった。さらにエリアを広げると全国味噌工業協同組合連合会というのがあって、東北6県で247企業の加入がある。わが県は神奈川・埼玉味噌工業協同組合というのがあって、5企業しか加入されていない。湯沢市と2県が同じ規模である。(関東地区は醤油は別なのかもしれない)しかも本部は都内にあるし、組合の盛り上がりに欠けている。加入企業が多い県は長野の108、ついで福島の80、次が新潟の70であった。そもそも「手前味噌」という言葉はどの地方から出てきた言葉なのであろうか。手前という線引きが辞書に載っている家の単位よりもう少し大きい集落という単位のような気がするのである。それは味噌は自家製かもしれないが、材料素材は地域地域で同じもを使っていたであろうし、共同体意識が強いのに、隣の家の味噌を自分の家の味噌と比べて自慢する奴は村からつまはじきにされるだろう。逆に言うと昔から交通量の多い地域には、共同体意識も薄く味噌・醤油の蔵元も少なかったのかもしれない。その代わり問屋は多かったのだろう。で、何の話してたっけ?
April 6, 2007
お調子もんというかC調な人間であり、変なことになる。普段紅茶など飲まないのになぜか客がデンさんは紅茶好きと記憶していてお中元やお歳暮に贈ってくれる。そのたびに飲んでもいないのに「大変おいしゅうございました」と適当なことを言っていたら、ティーバックが350個以上たまってしまった。ファミレスでドリンクバーが開ける規模となる。どうやら品物は贈答用なので悪くないらしい。仕方ないので配ってくださいとさるお方に頼んでしまった。大方好評で、これで他人の味覚を介したことになるが、「おいしゅうございます」が真実み帯びた言葉になるとホッと胸をなで下ろす。特にウバ茶が旨いという。なんだウバ茶って?と、検索してみると、セイロン(スリランカ)の一地方にウバ州というのがあり、そこの茶葉らしい。解説ではフローラル感やメントール感がある香りと書いてある。よし「おいしゅうございます。とくにウバ茶は花の香りがしてようございました。」と次回あったときには言っておこう。あたしなんぞコンビニでしか紅茶を買ったことが無い。ついでにコンビニで言えば、キリンの午後の紅茶ロイヤルミルクティーがウバ茶使用らしい。そういえばミルクティーにしては何とかなく香りが高貴なような気もする。所詮この程度の人間。味がわかる人に飲んでもらってウバ茶も幸せだろう。ところが幇間と一緒で、基本的に相手に喜んでもらわなければ御祝儀(報酬)がもらえないと思っている。勿論自分の専門的なことは口出しさせないのであるが、その材料というか情報の中で相手のいいところや持ってるアドバンテージを救い上げようとする癖がついている。とにかくそういう時な誉める。いやみにならないように誉める。真実を誉める。真実には裏表があって、利点の方を誉める。浮き足立つのがいやな人には、「誉め殺しはしないでください」とキッパリ言われてしまう。でも、喜んでもらえればいいのである。(ただし、たまに逆切れし、客の気分を害する事がある。)幇間と言う職業はもうない。30年ぐらい前に絶滅したと聞く。昔、オヤジに言われた事がある。「いいかいデンさん、○○業(オヤジも同じ職業だった)なんてなぁ~他人のお余りで飯食ってるんだから、間違っても外車(いい車)なんか乗るんじゃないよ」と。どうもこれが家訓と言うか、人生訓に未だになっている。(いやそんなカッコがいいものじゃなく、ひきずってるので未だに成り上がれないんだろう)所詮マネージメントアドバイザリーサービスなんて、生産的なことはひとつもやっていない、ややもすると他人のふんどしで相撲をとっている感になる。だったら、相手に生き生きと活動してもらう事が一番である。そのための幇間家業である。
April 5, 2007
東海林さだおのエッセイに「ドーダな人々」というのが出てくる。要は自慢をさりげなく、時にはあからさまにする人のことをいう。そのことから発展し、周囲に迷惑を掛ける人々のことをいう。これがドーダ学界西荻学派の理論である。さて、先日であった。お客の前、一家5名を前に一人資料を説明する自分がいた。元来あがって支離滅裂になる時も多いのだが、その日は精神的優位に立っていた。内容は専門的な事を相手の理解度も計らずに、自信満々で話していく。一応質問も受けるが、その質問を一とすると十ぐらいの言葉の量で、関連事項や新たな難しいことばを織り交ぜて反撃をしてしまう。そう、反撃である。ディベートでもないのに。いや、言葉は非常に慇懃であるのだが、態度がソファに片肘を付き斜に構え始めていた。威圧さえしている。いや、はっきり言って目的が威圧する事なのである。相手を黙らせることなのである。自分の作った数字に文句は言わせないというのが、本旨である。その場で反対されてもひっくり返すつもりもサラサラないのに質問を受けるのは、質問者を黙らせるのが目的である。説得、ディベート、仕切りどんな言葉を使ってもいいのだが、とにかく相手を懐柔させてこちらの陣営に引き入れる、ネゴシエーションの鉄則である。この場合相手に不利なものを押し付けるという感覚をこちらでももっていたら失敗になる。全てお見通しでみんなのためにはベストな解決なんだと言い聞かせて望まなければいけない。たまにこんなことがあり、好きで慇懃無礼を働いているのではなく、役割だ!仕事だ!と言い聞かせていた。慇懃さが鼻につく嫌なヤツになっている。40代になると急に威張り出す人間がいる。20代は俺、30代は私、40代になるとあたくしと自分の呼び方も変わってくる。権威も無いのに風格を無理に見せようとする。「イバリスギ(エヴリシング) イズ オール ライト」と、とでも思っているのか。自分がよければ他人も良い、威張る事では物事は解決しないのに相手が威圧されていることが解決だと思ってしまう独善的考えである。これではまるで中国人ドーダみたいではないか。大阪人が日々ボケとツッコミの練習をするように、中国人はドーダの練習をしているのだろうか。
April 2, 2007
連想ゲームみたいだが、お花見シーズン、アウトドア、飲酒、乾き物、伍魚福となってしまった。関東では知名度が低いが、乾き物や珍味では名が通っている神戸のメーカーである。(なんとなく華僑っぽい名前だけど)この手のメーカーは「なとり」とか、「でんろく」とかあるが、わたしは伍魚福のファンである。今日も午前中は仕事があったが、陽気がいいので午後から自転車で桜の並木を通って、近所のスーパーでワンカップ酒(万両と天覧山)、わさび味マカデミアナッツ、「海のふんわりじゃこせんべい」「諫早の骨ごとあじ天」(伍魚福)を購入した。ネットで検索してみると「いかなごの釘煮」が主力商品らしい。これも春を告げる食べ物らしいがこおなご(小女子)の佃煮とどう違うのだろうか。一概に佃煮といっても地方によって味付けが違い、この企業のHPを見ていると無性に御茶漬が食べたくなった。さらにここのHPを見ているだけでつまみになる。豆腐羊(418円)、アイスバイン(398円)、ニシンの燻製、キャビア、鯛の昆布締め、フォアグラ、からすみ・・・和洋を問わずソーセージ、ハム、練物なんでもラインナップしているから、味を想像しながら充分に珍味を堪能した気分になれる。日本酒はなぜかワンカップが好きである。燗とかひやとか冷酒とかそういう問題じゃなく、ワンカップが好きである。酒はよく器で飲ませるというが、白木の升でもなく、漆器の杯でもなく、陶器のぐいのみでもなく、ガラスのワンカップが好きである。飲み口のあたりがなんともよい。とくに万両は前からよく飲んでいるが、今日は酒売り場の棚に4合瓶で4150円の高い万両もおいてあった。(万両さん高い酒をつくらなくていいから・・・)酒、乾き物、桜の花・・・なんとなく頭の中がウキウキする日であった。ちなみにマカデミアナッツワサビ味は、ハワイのメーカーが日本向けに作っている乾きものである。
April 1, 2007
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