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暑くて眠れない日が続いたが、一気に秋めいてきた。虫の音をバックによく眠れるのである。「素敵な夢をかなえましょう」というこの時期(晩夏)の歌を歌いたくて、夜カラオケに出かけた。しかし題名が思い出せずに結局歌えずじまいであった。いや、暑すぎて地球が破壊されこのまま終わりを告げるのではないかとさえ思えた。ところが秋はやってきた。酷暑の夏を過ぎた秋も悪くないもんである。稲穂が重そうにたれ今年は収穫も早いのではないだろうか。お腹を壊しながらも酒を飲み続け、1週間以上まともなものが出てこないゆるい状態が続いた。ただでさえ汗で体のミネラルが出て行く。キリンアミノサプリの2Lボトル(BCAA4000mg)を何本も買い込み、塩をなめながらこれを飲んでいた。とうとう根負けし、月火水と禁酒をしたらお腹は一気によくなった。落ちていた食欲も俄然回復してきたのである。この日記も実は暑くて書く気が失せていたのだが、パソコンに向かう気持ちにもなれた。だらだら書いていても何かのトレーニングにはなっているのだろう。強い酒を煽らない歌えなかった歌もそれほど飲まなくても声が出ていたように思う。いろんなところで気持ちが少しづつ満ちているような気がした。
August 30, 2007
実を言うといままで邪道というか外道であり、カレーラーメンを敬遠していたのである。というかどこ行ったら食えるんだカレーラーメン、マイナーだぞカレーラーメン、カップ麺しかみたことないぞカレーラーメンという印象を持っていた。今日、たまたま近くの中華「末広」でカレーラーメンを食う。いつも行く店ではあるが、他のメニューも食べ飽きたことだし、何か変わったものを探しているとカレーラーメン500円の文字が目に入る。実はこの店、カレーライスがメニューになく、ラーメンを頼んだ人のみ半カレーライスのサイドオーダー(150円)がある。そのカレーはあまりうまいともまずいとも思わない凡庸な味がするビーフカレーである。今日はカレーラーメンと半チャーハン(150円)を注文する。出てきたラーメンは醤油ラーメンの上に、市販のビーフカレーをかけたもの。シンプルである。なんの工夫もない。見た目も悪い。ところがどっこい、合うのである。そんじょそこらのカレーうどんよりうまい。中華でもそば屋でもそうであるが、麺の上に片栗粉でトロミをつける手法をとることがあるが、ここのは普通のカレールーである。(ただ具材にじゃがいもは入っていなかった)それがうまく麺と絡むのである。スープもだんだん一体化し、時間がたつにつれ飲んでも旨いカレースープとなる。箸休めの半チャーハンがこれまた旨い。ここの店の中華麺は細めストレートでやや白い、何の変哲もない麺である。ここの麺類では塩味のあんかけの鳥そばがいちばんここの麺との相性が良いと思っていたが、このカレーラーメンのほうが相性が良いかもしれない。一見家でも簡単に作れそうであるが、具材の感じからレトルトと判断したが、違うかもしれない。レトルトとしてもあまり暖めてないものをかけたかもしれない。暖めてない状態のほうが具材と麺がよく絡むような気がした。それでいて具材やルーの冷たさは感じない。ここのオヤジただ者ではないので、いろんな計算が入っているんだろう。ラーメン専門店が麺の素材やスープの手間に時間をかけ店番はバイトのにーちゃんでもできそうであるが、街の中華屋は短時間の内にいろんな調理をする腕を持ってなければやっていけない玄人の(脱サラではできない)世界である。しかも少ない調理人で多人数を処理する店は安くて旨いというのが私の持論である。カレーラーメンはその象徴のように思えた。
August 29, 2007
つくづく権威がないというか、何も決められない団体である。何を恐れているのか知らないが、朝青龍が病気だったら単身モンゴルに帰してやればいいし、治療とペナルティーは歴然と違うんだから、日本に戻ってから中断していた謹慎を続ければいいのである。なぜか歯切れが悪く優柔不断さを匂わせている。結果、引退・廃業になろうが朝青龍の自己責任である。逆にその謹慎の間、練習してまた優勝できれば、それなりに評価されてしかるべきである。病気がどれくらい悪かっただの、彼に説明責任があるだのとそんなの関係ない。朝青龍も謝る必要もない。何もしなければ日本で食えなくなるのは彼だし、復帰したいのなら謹慎を全うすれば良いだけの話である。国技でしかもインターナショナルスポーツを目指すのではなく、ローカルルールの精神的で祭事的な要素が強いので別に海外から非難されるべきものでもなく、協会自体が権威であり秩序でいいのである。人格が手本でなければならないというのなら、歴代横綱はみな聖人だったのか説明してほしいものである。いや、むしろ横綱にペナルティーを課すこと自体、自分たちの護ってきた伝統美、自分たちの神聖なものを冒涜しているんじゃないのか。世間や秩序維持ばかりに目をとらわれ、実を見失ってしまっている。今の弟子はスパルタか誉めて育てるかとかそういう問題ではない。だからデブは頭が悪いと世間から疎んじられるのである。(一応、私も同じデブとしての意見である)自分たちが魅力ある大人であれば、若い子はついてくるし、人気も出てこようというものである。今回の事件で相撲協会の対応の仕方で、ますます幻滅する若者は多いのだと思う。親方連中にどんな呪縛があるかしらないが、彼らの方が社会人としてお寒い限りである。
August 28, 2007
江戸前の組み合わせではなさそうであるが、最近はまっている。刻んだ本わさびと練りわさびを併せたものをかんぴょうの巻物に入れたものが好きである。こうするとわさびの食感と香りと辛さが全部楽しめ、かんぴょうの甘さとあいまってうまさを引き立ててくれる。実は最近まで知らなかったのであるが、これが置いてあるすし屋はちらほらとあるのである。先日、いなり寿司に刻んだわさびの葉が入っており、これに辛さと甘さの旨さを感じたのである。ただ、このいなり、煮しめ方を薄くしてあるので仄かな葉の香りと合うように計算してある。これであれば、あきが来ず数多く食べられそうである。味が強いにしろ、弱いにしろ、甘辛みりん醤油系とわさびの組み合わせが結構イケテルのである。ただ、バランスが大事なんだと思う。特にいなり寿司は酢飯とのバランスがとりにくい。よく、セブンイレブンでもいなりを買うが、甘くて食べてられないのが本音である。もともと痛みにくいように味が濃くしてあるのかもしれない。いや、京樽だってそんなたいして変わらない。それをさらに味を濃くするかの様に中身も味が濃い交ぜご飯を使われるとちょっと勘弁してくれとなる。ご飯の量が少ないと軽くやわらかいものをつまむ感覚でいいのだが、味がこくなる弱点がある。前記のいなり寿司はこの弱点を見事に克服していた。揚げの味を薄くしてもわさびの葉で具入りご飯はいたみづらくしてあり、尚且つ味のバランスというか塩梅が抜群にいいのである。もっとも、私が単にわさび好きなのかもしれない。わさびにも二種類あって、本わさび系と練りわさび系(さとう大根系)。甘辛みりん醤油系は本わさびとあう。こんど挑戦したいのはみたらし団子と本わさびである。かたや練りわさびは脂とあう。すしねたで言えばマグロのトロ、豚や牛の脂身もこの手のわさびが合う。ところがこのわさび脂がなくても原料が大根であるので醤油ともあう。蕎麦には本わさびという人もいるが、田舎の人間は辛み大根そばもすきなのである。そこはそれ、甘みとのバランスとなってくる。汁の味に応じてわさびも使い分けられるべきなんであろう。甘み・醤油・わさび、更に醤油の甘さとわさびの辛さ。それの酢飯とのバランスが如何に大事か考え始めると眠れなかった。
August 27, 2007
相談に乗ったほうは、その顛末が気になるところである。相談事といっていいかどうかわからないが、娘の宿題の手伝いをする。公民の授業というのがあるらしいが、その中で税金についてレポートを書くという。原稿用紙4,5枚にまとめてくるもので、テーマに沿えば何を書いてもいいということであった。夜、電話がかかってくる。「消費税って何?」・・・・・、よくよく話を聞いてみると税金についてのレポートを夏休みの登校日(3日後)までに仕上げなければいけないとのことで、おまけに登校日にはテストもあるという。先週の夜そんな話をしていた。こちらは痩せても枯れてもプロである。(ほんとは痩せてないが)二時間でワードのフォント11の字でA4用紙3枚ほどにまとめてファックスしてあげる。登校日を過ぎても彼女は何も言ってこなかった。彼女がどれくらい理解できたかも定かでない。いや、その背後の社会科の教師もどれくらい理解出きるのだろうか。恐らく自分の理解できたところを抜粋するのだと思うが、変な抜粋をしないか心配であった。いや、どんな立派なレポートでも理解できていなければ意味がない。彼女たちは、原稿用紙が埋まってさえすれば勉強したというのだろうが、考えなければ意味がない。きれいな写真やグラフを取り込めば良いレポートと思ったら大間違いである。そのテーマに対し、どれだけ考え、いろんな角度から可能性を追求し、思索を重ねたかがすべてである。だから頭の中で温まってくるまでで8割は完了しているのである。でも、ネチネチしつこく言うと嫌われるので、こちらはわからないところを質問してくるのを待っていた。でもボールは帰ってこなかった。夜、夏バテが甚だしいので辛い中華料理を食べる。バテ気味に辛いものはよいが、疲弊しバテた体には刺激が強すぎた。いい汗から脂汗に代わりトイレに駆け込むこと×回、真夏の夜は白々と明けていった。
August 20, 2007
何回目の終戦の日か覚えてないけど、なまなましい体験を話す人が少なくなってきた。親父もお袋も私が小学生ぐらいのときまではたまに戦時中の話をしていた。まだ日常の中にそんな話題にふれるきっかけがそこここにあったのだろう。少なくても風化させないために話してる意図はなかったように思う。むしろ体験者にしてみれば本音はふれたくない部分が多いのだろう。最近はそうゆう体験者がいなくなったので、そろそろ冷静に学校でも近現代史を教えるべきなのかもしれない。もちろん教科書に載っているのだが、大概は授業がそこまで行かず終了してしまう。もはや一番近いところの歴史ではなくなってきている。昨夜の宴は酣であり、結局明け方まで続いたのであった。一種のカラオケパーティーであるが、そこに行く前に焼き鳥屋で4,5杯酎ハイをのみ勢いをつけたせいか、調子に乗ってでかい声で歌っていたように思う。もちろんその後も飲み続けていたので12時ごろになるとさすがに眠さと気持ち悪さで立っていられなくなった。その上マッチョな誰かと握力を競ってしまったのかもしれない。気がついてみるとやたら手が痛かった。結局3時ごろにタクシーが来たので失礼した。今、二日酔いからなんとか抜け出そうと必死である。もう酒やめようとだらしなさにブルーになる。静かに粛々と一日を過ごしたいものである。
August 15, 2007
溶けそうなのであります。あまりクーラーに頼りたくないのですが、風呂場の脱衣所のクーラーを入れ、風呂場との扉を開けて半身浴をしております。半身浴といってもほとんど水風呂でして温水プール程度の温度だと思います。風呂桶に板を渡し、その上にパソコンを置きDVDを見たり、本を読んだりする。今日は人形町は縫月堂のどら焼とボルヴィックのレモンを持ち込んで、「プリズン・ブレイク2」(DVD8巻から10巻)を見て谷崎潤一郎の「猫と庄造とふたりのおんな」を読んでいた。お盆休みでないとこんなお馬鹿なわがままなことができないので結構楽しいのである。風呂で飲み食いし、映画を見て、本を読んで過ごしているのである。上がり際に体を洗って体を拭くと、腕に鳥肌が立つ。これがまたいい。体は内側から温まっているのだが、皮膚の表面はクーラーの冷気で鳥肌がたつ。上質なサウナ上がりのようで肌はサラサラで体はしっかり温まっている。こういうときの綿のシャツの着心地は抜群である。ただ、昼間からのビールは精神衛生上よくないのでやらないようにはしている。
August 13, 2007
ヘビーロテーションにならないよう、たまに行く飲み屋がある。今日はそのたまたまの日になった。この店は、半分食事をしに行くようなもので、お通しに必ず自家製のパンと枝付干し葡萄を出してくれる。そこでまずはビールを飲み(モルツを聖杯っぽい器で飲ませてくれる)、その後肉料理とワインを飲んで帰ってくるのがパターンである。今日は鴨のコンフィーとシャルドネの白ワインを頼んだ。ワインバーであるが、とにかく肉の焼き方がうまい店である。酒器や酒の状態もよく、カウンター席が主体なので一人でも入りやすい。但し焼酎は置いてない。けれども今日は枝付干し葡萄がなかったのである。なんでもアメリカ産枝付干し葡萄が木の病気で作られてないらしく。9月まで全国的に品薄で入荷できないとのことであった。コンフィーなんて名前はかっこつけているが、ケンタッキーフライドチキンと味は似たり寄ったりである。(焼き鳥屋の塩とは似て否なるものだが)ただ付け合せにこの日はザワークラフト、プチトマト、イタリアンパセリが付くとなんとなく鴨のもも肉が立派に見えるものである。1皿750円。それとこの店ではいつも一人で下品な飲み方や酔いつぶれ方をしてないので、なんとなく暖かく迎えてくれる。たまにワインの話もすれば、肉の扱い方の話もしてくれるので料理はしないのに薀蓄だけは膨らんでいくのである。
August 6, 2007
と最近思うのであります。E-mail や携帯の発達により、何が安いのか、早いのか、機動性があり便利なのかよくわからなくなってきてしまいました。今日一番便利で安くても明日は比較的高くなっているかもしれません。用事があり国際電話をかけるとき何が安いか調べているときりがありません。インターネットのスカイプだとテレビ電話は世界どこでもお金がかからないですもんね。携帯電話も最近パソコンに近づいてきたというか、端末機能が増えてきております。勿論線を引くコスト、電波の中継基地を作るコストがかかるので、無料というのは広告が入ったりパーソナルなものが犠牲のなるものがありますが、機能や目的が果たせればそれも言いとは思います。それでもサービスの差別化をしたいのか電話会社はしのぎを削っております。先週は携帯の会社を変えたというメールを2通ほどもらいました。ドコモからauとソフトバンクからauでありました。なんであんなに値下げ競争ができるのでしょうか。NTTは昔から信用してなくて、くだらない、せこいことでもしっかり料金を加算してきますが、今ではそれが懐かしくさえ思えるのであります。通信手段はまどろっこしいのですが、今日久しぶりにエアメールというものを送りました。エアメール、死語であります。オーストラリアまで110円、1週間はかかるであろうとのことでした。当然この間が逆にドキドキ感というか、いろんな感情や想像を増幅させる効果を持つのであります。たとえば、E-mailでの「ありがとう」の一言と書簡での「ありがとう」の一言は時間の重みが違うのであります。よく肉筆でなければ伝わらないというのも想像を掻き立てる部分があるんでしょう。(私みたいに字が下手な人間にとっては苦痛でしかないですが)その分e-mailは情報量でカバーしなければならず。何がありがたいのか、どうありがたいのか、どれくらいありがたいのかを表現しなければならず、言葉の独り歩きもなく無機的になってまいります。通信とはだんだん無機的なものは無料になり、想像力を書き立てるものに値段がかかるようになっていくのでしょうか?
August 1, 2007
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