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ニュースやテレビの特番でいじめや非行などの問題があるときに、私たちはついつい自分の物差しで物事を判断します。大抵の人はどうしても自分の価値観から抜け出せません。例えば「いじめの問題」。いじめられた人がどう思っていたか、それは本人に直接語ってもらわないとわからないのです。遺書などがある場合は、その内容が参考になるでしょう。そんな事実は無かった!と関係する人は思うかもしれません。でも、事実がどうだったかなどのは絶対にわからないと私は思っています。極端な話、事実はひとつではないからです。目に見える出来事はそうではなかったように見えたとしても、本人がそう思ったということは紛れも無い事実なのです。これらの奥に秘めた感情を人間関係トレーニングでは、「プロセス」と読んでいます。プロセスは氷山の海の下に隠れている部分としてよく説明されます。つまり表面に見えている表情や言葉、態度(これらをコンテントといいます)よりもずっと大きな存在であったりします。私は教育関係に携わる人は、人間関係において、このプロセスに思いを馳せる人でいて欲しいと思います。ここでいう教育関係の人とは学校や行政の人だけでなく親や家族、地域も含まれます。私たちは日々家族間、親子間、そして教師や保護者の人々となんとかコミュニケーションを図りながら表面には見えない、その人の今の瞬間の感情を推し量るあるいは直接的に尋ねることで、より深い関係を構築しようと試みています。もし親子が、あるいは教師と子供が、もっと相手の気持を推し量る姿勢を示せば、信頼感を構築するのは簡単なことだと考えているのです。自分の考えが確固たるモノとして存在するように、今目の前にいる相手にも同じような確固たる考えがあるのです。それを理解するだけで、おそらく多くの人間関係が好転するのではないかと確信しています。たとえどちらも自説を曲げなかったとしても、「あなたの言うこともわかる」という姿勢を示すことが重要なのではないでしょうか。
2006.10.31
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PTA会長になってまだ半年です。が、随分気が早いというか、わがPTAでは新年度の役員を募集を始めました。締め切りは11月2日で、それから立候補者の調整や応募者が少なかった場合は、他薦された推薦者を執行部で口説いて回ります(笑)。他の会でも年度末間際に次の会長を・・・などとあたふたするのはよくないと感じていたので、私が会長になったときに規則を変えて、早めに次の会長予定者を会の内外に示すことにしました。年度末に引き続き役員をする人は今年度と来年度の両方に参加するので、とても忙しいという弊害もあります。しかし、いずれしなければならないことを先にやるだけなのでメリットの方が多いと思っています。例えば、会長は副会長の中から互選ということにしていますので、一年前から段取りを勉業することができます。また一緒にがんばる人たちを物色して(笑)口説く事ができます。どんな会であれ、会長の一番の仕事は次の会長を決めることだと、10年くらい前に商工会議所青年部の当時の会長から教わりました。私もPTAは残り少ないですが、しっかりと次の会長予定者のことは考えていこうと思っています。今年の年度初め、地区の教育関連団体の協議会での挨拶で「昨今の風潮は行き過ぎた個人主義による、自分さえよければ・・・という価値観が強すぎるように思います。PTAの活動を通じて、地域や公、誰か知らないほかの人のために生きる、という視点を子供たちに示していきたい」といいました。まだまだ不十分で、成果などと呼べるものは無いのですが、確実に私の24時間のうちに、「誰か知らないほかの人」のために使う時間は増えています。そして学校や地域や社会を全体的に「教育現場」から見る視点が加わったことは、自分にとってとてもよかったと感じています。
2006.10.31
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読んでいて、あることに気がついた。人造人間の名前、キリスト教の「七つの大罪」の名前なんだね(笑)。映画「セブン」で覚えたんだよねぇ(笑)。かなり吐き気を催した映画だったが、「セブン」と書いただけで・・・気分が悪くなった(爆)憤怒 … ワース(wrath)キングブラッドレイ大総統。司る悪魔はサタン。 色欲 … ラスト(lust) 司る悪魔はアスモデウス。絶世の美女に化けている(笑)暴食 … グリトニィ-(gluttony)司る悪魔はベルゼブブ。何でも食べる 嫉妬 … エンヴィ(envy)。司る悪魔は、リヴァイアサン。だから蛇なのね(笑)傲慢 … プライド(pride)。司る悪魔は、ルシファー(サタンの別名)強欲 … グリード(greed)司る悪魔はマモン。強欲のあまり仲間も裏切る。怠惰 … アシディー(accidie)司る悪魔はベルフェゴール。 しかし・・・なんでキリスト教だ?カタカナ音のノリか?仏教の十二神将でもいいじゃん!数も多いし、キャラにはこまらんよ(笑)。宮毘羅大将(クビラ):子 伐折羅大将(バサラ):丑 迷企羅大将(メキラ):寅 安底羅大将(アンチラ):卯 安爾羅大将(アニラ):辰 珊底羅大将(サンチラ):巳 因達羅大将(インダラ):午 波夷羅大将(ハイラ):未 摩虎羅大将(マコラ):申 真達羅大将(シンダラ):酉 招杜羅大将(ショウトラ):戌 毘羯羅大将(ビカラ):亥 クビラって、なまって金比羅(さん)って、知ってた?(笑)。
2006.10.30
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鋼の錬金術師によると人間を構成する、三つの要素は「肉体、精神、そして魂」だって。私の定義では精神と魂はイコールだったので、作者荒川弘氏の洞察に感心する。鋼錬では魂をエネルギーと解釈している。肉体は滅んでも、魂だけになった多くの人間は人造人間に取り込まれて、生命維持の活力として利用されているんだね。人造人間が一見不死身のように繰り返し肉体を再生できるのは、取り込んだ人間の数だけ死んでも甦生できるからなんだって。映画「マトリックス」ではコンピュータ(正確にはネットワークサーバーだが)が自分たちの電源確保に生きた人間の生体エネルギーを使っているという設定だった。生物的コンピュータ(ニューロコンピュータ)はその原理を人間の神経細胞と脳に求めている。ある科学者、SF作家のなかには地球全体をひとつの高度なコンピュータとして捉える人たちもいる。宇宙旅行には人間の肉体では限界があるのは事実だ。太陽系の属する銀河から最も近い隣の銀河まででも5千万光年!光の速度で飛んでも、5千万年かかる(爆)やがて人類は肉体を捨て、精神の塊だけになると想像する科学者もいる。一個のエネルギーの塊だ。自分自身が肉体から解放されるということがイメージできる?(笑)。なんか楽しそう。(笑)。とっても自由なイメージですね。荒唐無稽な発想と夢の世界でも、あるものは実際に100年後、200年後に実現される事が歴史が証明している。それほど人間の想像力はドラマチックなのだ。たとえば携帯電話。個人と個人が遠く離れていても、簡単に直接話ができるなんて、100年前は夢の世界の出来事だよね。秋の夜長は、しばし100年後の世界を夢見る。とても楽しくワクワクする。しかしそんなに長いと検証できないので(笑)、自分の目で見ることが出来る可能性がある40年後くらいを想像する。まだ命があったとして、ひょっとしたら私は寝たきりになっているかもしれないが、それでも精神はとっても忙しく世界を駆け回り、退屈なんかしてないかもしれない。(笑)。ファンキーなおじいちゃんになるために、新しいことにどんどんチャレンジしとこう!「鋼の錬金術師」公式ホームページhttp://www.sonymusic.co.jp/Animation/hagaren/
2006.10.29
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略して、ハガ錬。子供が熱中している漫画です。戯れに・・・それと子供のことも知っておかなければと思って読んでみました。いつの間にか14巻も買い揃えていました ^^;ナンセンス漫画が書きたいから・・・と作者も言っているように、設定は荒唐無稽です。しかし・・・面白い(笑)。昨夜の23時頃から読み始めて、熱中してしまい、徹夜で一気に読んでしまいました。(爆)錬金術師とは中世にヨーロッパで化学反応で「金を作る技」を研究した人々の総称です。れっきとした科学者ですがアカデミックな研究者とはちょっと違って、結構野心のある下世話な市中の発明家、というような猥雑な響きがあります(笑)。設定の錬金術師は手に触れるものの原子構造を一度崩壊させ、再構築できる能力を身につけています。ですから壁から武器を出したり、建物などを簡単に元の形にすることができます。無機物の再構築は比較的楽なのだそうですが、有機体の再構築は大変レベルの高い業です。また再構築には「等価交換」の法則があり、有機体を作るためには同じ料の有機体が必要になります。つまり人間を再構築しようとすると、別の人間の塊が必要になるということです。そこには哲学的な要素もあり、創造者として神に近づくというテーマもあります。大学の専攻は化学でしたので、分子構造のイメージや化学反応など動きや、細胞の再生など大変おもしろい物語でした。主人公は12歳で国家錬金術師の資格をもつ天才で、無くなった母親を生き返らそうと、弟と禁忌を破って人体甦生を試みます。結果は失敗し、すぐに死んでしまった異様な生物を作ってしまいますが、タブーに触れたリバウンドの結果として左足と弟の「身体すべて」を持っていかれてしまいます。弟を助けるために、自分の右腕を「等価交換」し、辛うじて「魂」だけを取り戻し、鉄の鎧の中に魂を定着させることができました。片手、片足を機械で補強した兄と中身は空っぽの鎧だけになった弟は(空っぽだけど魂がそこにあるので会話したり、動いたり普通に生活できます。)もとの身体を取り戻すために、様々な冒険をすると言うものです。他愛ない、荒唐無稽な話といえばそれまでですが、物語の中には人生とは?生きるとは?愛とは?など人類普遍のテーマがあります。ただ殺戮シーンが多いので・・・できれば人格がきちんと形成された高校生くらい(R15指定?)までは読んで欲しくないですね。まあ、子供を信じて禁止することはしませんが、とても不思議な物語です。機会があったら是非読んでみてください(笑)。
2006.10.29
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履修単位不足が問題になっている高校では、今年受験する大学に内申書を出していました。その中には当然授業をしていないものもあるわけです。テストもしていません。しかし成績は記入してあったということです。捏造することも大問題ですが、生徒の立場になって考えると・・・・その点数の基準はなに?って気にならないでしょうか。試験していないのに、友達は○○点、自分は○○点、この差はなに?(笑)。ちょっと心外ですよね。
2006.10.28
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やはり!というか勢いは止らず、日本ハムが日本一になりました。レギュラーシーズンからの好調は止らず、ついに44年ぶりV.優勝~!新庄選手の引退宣言で波乱の2006年でしたが、この引退宣言によりチームは一丸となった、とヒルマン監督はインタビューに答えています。何かにつけて絵になる男、新庄剛はやはり引退も劇的ですね。そういう巡り合せになる、ともいえますが人間は持って生まれた性格、意志というものがかなりどんな人生を歩むか、を決めるような気がしています。きっと新庄選手は楽しく、華々しい一生を送るのではないかなと思わせる明るさがあります。(笑)。さて、日ハムといえば、今回の優勝は完全なマーケティングの勝利といえますね。後楽園を後にし、東京の二流のチーム?(笑)。読売ジャイアンツの影に隠れた日陰の存在から、一躍北海道の一流チームになりました。マーケティングの勝利とは徹底した地域球団としての振る舞い、名前も札幌日本ハムファイターズではなく、「北海道」としたことなどです。これで北海道の全域で地元チームという雰囲気を作ることができましたね。やはり地域のファンあってこそのプロスポーツです。それともうひとつは最後まで自分の応援するチームが優勝争いをすることが重要だそうです。帝京大学の大坪正則教授は、プロスポーツの発展には「地域ファン」と「戦力の均衡」が不可欠と言っています。ですから「プロ野球は崩壊する」という本で読売ジャイアンツ中心のプロ野球界の将来は無いと断言しています。大坪教授によると、NFLは徹底した各チームの戦力の均衡化を行った結果、選手の年俸も球団の利益もファンの満足度もすべて世界一のプロスポーツリーグとなったそうです。毎年どこが優勝するかわからない。毎試合どちらが勝つかわからない。毎試合選手は頑張る。毎試合面白い。だからファンは毎試合応援する。試合を見に行く。そしてリーグ全体が盛り上がり、新規チームが増える。リーグはさらに拡大する。そんな図式だそうです。これは非常にわかりやすい話です。誰かさんに教えてあげたいです。(笑)。比較的Jリーグはそうなっているのではないでしょうか。川淵チェアマンが発足時、チーム名にスポンサー企業名を入れることを拒み、「Jリーグには読売ジャイアンツはいらないのです」とだれかさんに言ったという、有名なエピソードがありますね。
2006.10.28
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高等学校の履修単位不足は、よく聞くととんでもない実態が明らかになってるんですね。ほんとうにびっくりしました。ヒルマン監督ではないけど「しんじらぁれな~い」です。報道によると、「岩手県では県教委への虚偽報告に加え、大学の推薦入試の提出書類で、未履修の科目に成績までつけて記入している実態も明るみに出た。」あるいは「時間割には地理や倫理と書いてあるのに、政治経済をやっていた」。「受験カリキュラムとして当然のように処理されていた可能性も高く「4月に先生から『受験のために地理(の時間)で政経をやる』と聞いて納得していた」あなたは信じられますか?なんで誰も気づかなかったのだろう・・・と書いたのは、過失と思っていたからです。ところが実態は確信犯でした。こうなると事故ではなく、犯罪ですね。本当に驚きました。「子供たちのためにと思ってやったことが、結果的に子供たちに負担をかけて申し訳ない」この発言も信じられません。こどもたちのために、ルールを破る、それはいいことなのだ。ということなんでしょうか?日頃日常の中で私たちも含め、ルールを破ることに鈍感になっているということでしょう。ただ・・・民間の世界ではよく聞くこれらのルール破りも、こんなに確信的にそして教育委員会や大学に対し虚偽の報告書まで作るほど、学校という組織がマヒし、腐敗していたとは驚きです。日本全体に巣くう、問題の深さに驚愕します。
2006.10.27
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PTAの役員をしているからか、学校関係の記事が気になります。役につけば保護者の一人というのとは違う視点になるから面白いですね。チャンスがある人は是非PTAの役員をされることをお薦めします。さて、今高等学校の必修科目の履修不足の問題がおきています。受験に必要のない世界史Aとか家庭科とか書道とか文部科学省による必修科目指定がされているにもかかわらず、生徒に授業を行っていなかったというのです。これは・・・どういう感覚のマヒなのでしょう。一瞬耳を疑いました。学校にはたくさんの先生がいて、だれもこの問題に気がつかなかったのでしょうか。いじめ問題や、今回のことで校長先生が生徒に向かって「ごめんなさい」と頭を下げるシーンを、本当に痛々しく、悲しく感じています。とてもつらいです。学校は塾ではないのに、現実は受験にでる勉強しか行っていないのですね。現時点で33都道府県143校で問題が発生しています。この中には山口県も含まれています。これだけ広範囲だと、あらためて日本の教育に不安を感じます。社会に出たら、受験の知識よりももっと大事なことがたくさんあるのに、高校生たちは隔離された自宅と学校の教室と塾の中でただひたすら教科書の中に没頭しているんですね。2004.3.7に産経新聞に載っていた「あくゆう」氏のコラムを思い出します。危機感が襲い掛かってきました。でもどうしたら良いのかはわかりません。その記事には、こんな事が書いてあります。今も壁に貼ってあるからわかるのです(笑)。-------------------------------------------------日本の高校生は世界の中できわめて特異な存在である。それは学校の価値を考えるとか、社会とのかかわりを思うとか、家庭の意義を検証するとか、そういう姿勢がまったくないというのだ。ただ自分の気分を答えとして出している。「べつに・・」という言葉に象徴される。-------------------------------------------------ふと今回の事件を考えるに、こういう高校生を私たちは作り出しているのではないか?と心配になりました。社会や地域、人生、世界観・・・そんなものがまったく欠如しているとしたらそれは日常学んでいることの「質」が問題なのではないでしょうか。今回の科目が「世界史」だというのも象徴的ですね。さらに注目すべき事態が起きました。全国高等学校PTA連合会は、文部科学省に「特別の配慮を」と願い出たのです。PTAは保護者の団体ですから、親の気持としてはとてもわかります。このままではこどもが高校を卒業できません。補習授業で対応すると330回も必要な高校があるそうです。だから気持はとてもわかります。・・・・・・でも、と別の考えが浮かびます。こうやって私たち大人が「いつも誰かが何とかしてくれるんじゃ・・・」と安易に甘い考えをもっていいのでしょうか。高校生もインタビューで何とかしてほしいと言っていました。いまさら入試前に必要ないものに時間を割きたくない、と。これは素直な気持で、子供らしい発言です。(本当はもっと別の意見が聞きたかったですが)でも大人の私たちが自分の都合だけで発言していいのでしょうか?ルールが決まっていて、そのルールを自分たちの都合で守れなかったところ、今ペナルティが発生しそうになった。それは大変だから、もっとも権力のある誰かに「お願い!」と頼る、そんな印象がします。大変難しい問題です。子供たちの将来にかかわることです。だからと言って、かわいそうだ、大目に見てね・・・・。で、いいのでしょうか。とても難しいのだけれど、何か別の解決策を自分たちで考えることは出来ないのでしょうか。自分が高校のPTA会長だったら・・・・と考えさせられました。当事者ではないので本当に切実な問題がピンとこないのかもしれませんけどね。希望を言えば保護者と学校が相談して問題の解決策を見出せるといいなぁと思っています。さて、これからどうなるのでしょうか。
2006.10.27
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詐欺をする人というのは、まったくよく頭の回る人たちらしい(笑)。インターネットは新しいツールなので新しい詐欺の宝庫になりうる。フィッシングサイトが問題になったかと思えば、今度は偽ソフトの販売だそうだ。これは名づけて「不正ソフトの押し売り詐欺」。皆も気をつけよう(笑)。今年4月頃から日本語された不正ソフトが出回り始めたようだ。名前は「WinAntiVirus Pro」「SystemDoctor」「ErrorSafe」「SpywareQuark」「Win Fixer」など。手口はこんなところ。ブラウザでサイトを見ていると突然「パソコンにエラーが見つかりました」「検出された脅威:255」などと警告メッセージで脅かす。その後対策ソフト(先ほどの名前のソフト)の購入を促す。しかし、実際にはウイルス対策の機能も嘘で、それどころか個人情報を抜かれる恐れもある。紛らわしい名前だが、やはりソフトは信頼できるルートで入手しよう。またこのようなソフトを発見するツールやサービスも出始めた。しかし忘れていけないのはそれさえも信じすぎたり、頼りすぎるのは考えものだということだ。やはり最終的にこれらのトラブルから身を守るには、自分自身の五感(第六感も含めて)が一番だろう。世の中はどんどん進化し、世界が机の上のPCのデスクトップの中に凝縮されていくにしたがってどんどん我々は生物としての本能をなくしがちだが、「あれ?ヤバイんじゃない?!」と感じる感覚はずっと持ち続けたいものだ。
2006.10.26
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やはり・・・というか、少し予感めいたものがあったが・・・少女と問題の男はインターネットで知り合ったとの事。要するに理由や動機はともかく、二人は最初から小諸駅で会う約束だったようだ。小学6年生にしてこの行動力。インターネットはそれほど子供立ちの間にも浸透しているというこだろう。しっかりと認識しなければと思う。都会とわが校区では比較にならないが、もしこのような事件が起きたら・・・と考えてみる。PTAはどんな対応をとればいいのだろう。できれば少女が好奇の目で見ることは避けたいところだが、もしマスコミが大挙して押し寄せたら?地域としてどう対応すればいいだろう。大人としての対応が問われるところだ。万が一にも発生しないとは思っているが、ふと心構えをしてみる。
2006.10.26
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まったく、同じ年頃の女の子の親としては信じられない事件が多い。小諸市で起きた少女の失踪事件は神奈川県で警察へ出頭するというまったく意外な展開で解決した。どうして見ず知らず(まだ事件の全容はわからないが)の大人についていくんだろうか・・・理解できない。好奇心から?恐怖で逃げられなくて?いずれにせよ、周りには親切な人ばかりじゃないから気をつけるように・・・と諭さなければいけないつらい現実。僕らの子供の頃は人を疑うものではない!と教えられたような気がする。本当に悲しいなぁ。平成の世の中は子供にとって危険な世の中になりました。つれまわした男は31歳。動機は不明だけれど、そういうことをしたら自分の身がどうなるか、そんな分別もないなんて、やっぱり幼稚なんじゃないかなと想像してしまう。まったくわけがわからん。
2006.10.25
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NHKで盛んにコマーシャルしていた嬬恋での「吉田拓郎&かぐや姫」同窓会コンサート?(笑)の特番を見た。総集編はまたBSでやるらしい。吉田拓郎・・・12、13歳の頃から25歳くらいまでどっぷりと浸っていた歌手だ。中学、高校、大学とずっと一緒だったね。画面に映る大人たちは40歳前半から60歳くらいまでが大半で、いい年をしたおじさん、おばさんだ(笑)。しかし皆楽しそうだった。嬬恋コンサートは伝説的なコンサートで、学生時代先輩によく聞かされたものだが、何度か映像で見ただけだ。今回も3万5千人もの人が集まったらしい。情熱はかれていない。すごいな。拓郎も60歳だって。(笑)。こっちも年取るはずだ。懐かしい歌に、ほろっとする。ずっと歌い続けていたんだねぇ。「皆、よく来たね。」と拓郎が微笑んで、みんなの好きな歌を歌いますと言って「落陽」を歌ってくれた。いい曲だ。1973年、14歳の時。ずっとカセットで聞いていた。涙がでそうになったよ。6時間のコンサートのラストの曲は「今日までそして明日から」1970年。拓郎がデビューした年に発表された。拓郎、24歳の時だ。さすがにこの曲はリアルタイムには聴いていない。・・・と思う。11歳だぜ(笑)。でも、13歳の時には歌っていたなぁ。24歳の拓郎にそんな人生の重みもわかっていなかったのでは?という人もいるかもしれないが、当時「反戦」「メッセージソング」の硬派なイメージだったフォークソングの世界に、恋愛の歌を持ち込んだ彼は、フォークのファン層から総バッシングを受けていたのだ。そんなことを思い出せば、この歌を書いた彼の心理状態も今なら推し量れる。しかし当時は自分の前に広がる、未知の「人生」というものを漠然と想像して、大人になりたがっていたのかもしれない。背伸びしたい年頃だった。(笑)。それから人生の節目節目で思い出す曲。口ずさむ曲。拓郎も毎年36年歌い続けているんだってさ。考えてみれば13歳で人生というものに関心が強くて、自分はどんな人生を・・・と考えていたんだから随分ませた少年だったんだろう。ひょっとしたら、普通に子供にとっても「人生」という概念が身近にあったのかもしれない。私が特別ではなかったように思う。そして、今、番組の中の多くの大人と同じように、いろんな人生の経験を重ねたうえで、この歌の歌詞をかみ締める。そして・・・明日からも、生きていくんだ。(笑)。<今日までそして明日から> 吉田拓郎 1970年 わたしは今日まで生きてきました 時には誰かの力を借りて 時には誰かにしがみついて わたしは今日まで生きてみました そして今、私は思っています 明日からもこうして生きていくだろうと わたしは今日まで生きてみました 時にはだれかをあざ笑って 時にはだれかにおびやかされて わたしは今日まで生きてみました そして今 わたしは思っています 明日からもこうして生きて行くだろうと わたしには私の生き方がある それは恐らく自分というものを 知るところから始まるものでしょう けれど、それにしたって どこでどう変わってしまうか そうです、分らないまま生きている 明日からのそんな、わたしです わたしは今日まで生きてみました 時にはだれかにうらぎられて 時にはだれかと手をとりあって わたしは今日まで生きてみました そして今 わたしは思っています 明日からもこうして生きて行くだろうと わたしは今日まで生きてみました わたしは今日まで生きてみました わたしは今日まで生きてみました わたしは今日まで生きてみました そして今わたしは思っています 明日からもこうして生きて行くだろうと私もこれかもずっと、こうして生きていくんだろうなぁ・・・そんなことを思いました。若干残り少なくなってきましたが(笑)。
2006.10.24
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すっかり忘れていたのだけど、写真の車を街で発見して思い出した(笑)。大学を出て最初に就職した会社で開発部に所属していた時のこと。ガラス繊維の会社でFRPの開発を担当していたのだけれど、自動車のバンパーやボンネットなどをプラスチック化することに頑張ってたんだよねぇ。写真のバンパーは樹脂の種類は違うけどプレス機で圧力がかかって、成型時に流れていく樹脂の模様がはっきり見えた。塗装が完全にはがれてむき出しになってたんだけど。(笑)。思わず携帯カメラで写真を撮りました。もちろん、信号待ちの停車中ですよ。写真よりも肉眼だとはっきり見えたので、最初綺麗な模様のバンパーだなぁって思った(笑)。懐かしいひと時でした。
2006.10.23
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愛車の走行距離。92300Km。2002年10月12日から、まる4年間で走った距離だ。年間にすると?約23,075Km。結構な距離でしょ?ちょっと最近ペースダウンしてるけど、最初の一年間は3万Km超走ったよ!頑張ったね。うん。頑丈なつくりなので、まったく新車と変わらない乗り心地。素晴らしい。ビルシュタインの足回りも健在です。まあ、あと10万Kmは大丈夫だろうね(笑)。なんたって、世界記録保持車だもんね!エッヘン!!と威張ったところで、すごいのは車であって私はただ乗せてもらってるだけなんだけどね(笑)。<信頼性の世界記録>1989年1月2日から21日にかけて、初代レガシィ(BC・BF型)は、アメリカ合衆国アリゾナ州の フェニックス市郊外のアリゾナ・テスト・センター において10万キロ世界速度記録を樹立した。10万キロを447時間44分09秒887で走破、平均速度223.345km/hの世界速度記録である。つまり、世界一頑丈なエンジンのステーションワゴン!<性能の世界記録>ニ代目レガシィ(BD・BG型)は発売直前の1993年9月9日にはアメリカ・ユタ州のソルトレイクシティで速度記録に挑戦、1kmの区間平均速度で249.981km/hをマークし「ステーションワゴン多量生産車無改造部門」における世界速度記録を樹立する。そして三代目レガシィ(BE・BH型:小生の車です)は発売直前の1998年4月23日、アメリカ・コロラド州の公道で再び速度記録に挑戦し、1kmの区間平均速度で270.532km/hを達成した。レガシィ自らの持つ「ステーションワゴン多量生産車無改造部門」における世界速度記録を更新する。8年後の今もこの記録は破られていない。つまり、世界最速のステーションワゴン!まだまだ一緒に走ろうね。これからもよろしく!
2006.10.22
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相変わらず強い日差しだ。土日はサッカー日和。世話をするお母さんたちは、わが子のプレーに一喜一憂。声援もエスカレートしがちだがプレーへのコメントも堂に入ったもの!だめじゃないの~。そこは○○しないと。トラップは柔らかく!!ああせい、こうせい、プレーのアドバイスも熱狂的だ。絶対自分は出来ないと思うよ。(笑)。お母さんたちはわが子のためなら強い日差しもなんのその。お肌に大敵の紫外線は相変わらず強い。少し少なくなったけど、夏場はこんな重装備のお母さんがグランドにうじゃうじゃ。(笑)。暑くない?しかし日焼けするくらいなら、汗だくの長袖もなんのその、なんだろう。手の甲も油断大敵?指先まで手袋でしっかりガードです。見ているだけで汗がでそう・・・・
2006.10.21
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ファシリテーションを学ぶようになって「シェアする」という概念が普通に私の中に存在するようになった。若い頃(?(笑)。)は少し突っ張っていて、人とわかりあうための努力というものをあまりしなかったのだが、この共有(シェアする)ということの大切さを知るにつけ、そのための努力を惜しまなくなったのである(笑)。情報の共有化と同じような概念だけど、ちょっと優しい感じがするのは気のせいか(笑)。たぶん研修のワークで触れる言葉だからかな。話は飛ぶが仕事柄WEB2.0について考えることが多い。そこでもキーワードは「受信」と「検索」そして「発信」と「共有」である。毎日私はインターネットを介して、メールや情報を受信し、キーワードで検索し、ブログやメールで発信し続けている。それはいったい何のためなのか?最初は気づかなかったが、大いなる目的は「共有」するためなのかもしれないなと思いつつある。どうやら21世紀前半のトップキーワードは「共有する(シェアする)」らしい。(笑)。人間関係ファシリテーションではワークが終わった後、何が起こっていたのか?を時系列で思い出し、共有する。そのためには自分自身を出来るだけ開示する。本当はどう思っていたのか、どう感じていたのか、あるいは他の人をどう見ていたのか。このことは一見とても怖いことのようだけれど、やってみると実際はとても暖かいものだとわかる。誰と誰の関係でこんなことがあり、それはどういう感じだったのか?まず個人でふりかえる。その上でグループ全員でシェアする。このシェアがとても重要だ。「えぇ?そうだったの~?」みたいな確認がお互いの理解を深めるし、グループを成長させる。ということは・・・インターネット上でも積極的に自己開示をおこない、情報をシェアすることが重要なのではないだろうか。顔の見えないネットの向こうの人。きっと分かち合うためにはお互い努力しなければいけないよね。そして間違いなくその努力はいいことだよね(笑)。昨日のNHKプロフェッショナル、「経営者・新浪剛史」。16万人を率いる大手コンビニチェーンの経営者である彼は、経営者に必要な能力とはコミュニケーション能力だ、と語っていた。他の人と感覚を、感情を、思想を、哲学をシェアできるかどうか、コミュニケーションはますます重要になってきたね。(笑)。
2006.10.20
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有名な韓国の映画。DVDで観た。どうやらこの映画もこの2・3日の心理状態に影響しているようだ。悲しい映画と予想して、たまには心洗われるのもいいかな。感動したら、泣いてもいいしねぇ。みたいな軽い気持で観たのだが・・・・結果は映画の出だしの店舗が遅すぎて・・・物語の展開になじめず・・・テーマが重たすぎて・・・どっと疲れた、2時間でした。いい映画だったけど、考えさせられえる。人間とは?人生とは?家族とは?愛とは?生とは?死とは?いっぱい、い~っぱい考えた。で、とても疲れた。でも、やっぱり考えることはいいことだ。せっかく生まれたし、脳みそがあるのだから、精一杯考えてみよう。考えることはいいことだ。♪嵐の中に人の姿を見たら♪消え入るような叫びを聞こう♪わかり合うよりは確かめ合う事だ♪季節の中巡る中で今日を確かめる♪超えていけそこを、超えていけそれを♪今はまだ人生を、人生を語らず~よしだたくろう ~今はまだ人生を語らず~ 1974
2006.10.19
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いじめは私が子供の頃(40年前ほど)からあったように思う。しかし、子供心に今よりも自殺という選択肢は少なかったと思っている。昔と今と何が違うのだろう・・・そんなことを考えている。いじめの質が変わった?-たしかに昔はいじめっ子はいたけど、友達もいたな。少なくともクラス全員からいじめられるなんてことは無かったな。いじめの質が変わった?-昔はそんなに長期にいじめられることは無かったかな。いじめっ子とも時には仲良く遊んだものだ。学校の先生が変わった?-そうだねぇ。昔より若く、幼くなったかな?でもそれはこっちが老けただけだよね(笑)。昔の先生のほうが口は悪かったし、よく殴られた。変わらないと思うな。地域の大人が変わった?-確かに地域の子供に無関心になった。名前を知らない子供が多い。でもいじめられた子供が昔、地域の人を頼ってたかな?優しいおばさんとか、怖いおじさんはいじめに立ち向かったか?子供が変わった?-どうかな。子供のころ、どんなにつらいことがあっても死にたいと思ったことは無いな。死とは怖いものだったな。幽霊とか魂とか畏敬の念を持って恐れていたな。最近の子供はどうだろう。親が変わった?-どうかな。確かに変わった、幼くなった。子供に道を説くなんて少なくなった気がする。どうだろうね。価値観が変わった?-う~ん。どうだろう。確かに勉強以外にいろんな価値観があったけど今は勉強に偏ってる?でも、成績のいい子でもいじめられて死ぬものな~。兄弟が少ない?-これはあるかもな。小さい頃から喧嘩して育っているのと、一人でのんびりと保護されて育ったら、打たれ弱くなるかもねぇ。死が身近になった?-うん。そうだね。これはニュースで聞いたり、友達が死んだりすれば、「自分も」と問題解決のひとつに数えるかもね。でも決定的なことはわからない。どれも原因のようでいて、それほどのことでもないような。難しいなぁ。若くして自分で死ぬなよな。いずれどんなに頑張っても80年位したら皆死ぬんだから。
2006.10.18
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相変わらず子供の自殺が続いている。原因はいじめだといわれているが、警察庁の発表によると毎年40名程度が、学校関連(いじめ、進路、人間関係・・・など)で自殺しているらしい。毎月3人強、これはニュースで取り上げられる日常の感覚とほぼ一致していると思う。一方文部科学省の発表によると、「いじめ」で自殺した子供は、ここ8年間ゼロらしい。この差はいったい何を意味するのだろう。また今回も一度はいじめを認めるような発言があったが、一転「いじめと自殺の因果関係ははっきりしない」というように校長の発言が変わってしまった。これはいったい何を意味するのだろう。私はそこに「保身」が感じられて、嫌な気分になる。これから起きる訴訟などで不利にならないように発言に気をつけるようにという教育委員会の圧力なのだという。まったく情けないと思う。無くなった教え子のことよりも、これからの自分たちの境遇、そして少しでも責任を回避したいというずるい考え方、そんなものを感じてしまう。いつから日本ではこのように、「潔さ」をなくしてしまったのだろう。様々な要因(学校、家庭、地域・・・)が重なって起きた事件に対し、自分は悪くない、悪いのはあっちだとそれぞれが責任を押し付けあって、自分たちの責任から逃げ回っている、そんな気がしてならない。相手も悪かったかもしれない、しかし自分にも悪い部分があったなら、人の悪いところをあげつらうよりも、自分の悪い点を省みる。そんな精神が昔の日本にはあったような気がする。悪いと思ったら悪い。悪かったら誤るのだ筋だ。他からの圧力に負けて言い逃れるのは「立派な大人」のすることではない。ましてや教育者の姿勢としては問題だろう。「潔さ」ということを思い出して欲しい。今日はロータリークラブで会長より、第2710地区の地区大会の報告があった。テーマのひとつに教育問題があったが、現在の教育問題を憂いつつ、かつての日本は「神道」と「儒教」と「仏教」から精神的支柱が構築されていた。もう一度この素晴らしい基本概念を取り戻さない限り、学校や地域や家庭で起きている子供たちを取り巻く様々な問題、ひいては日本の問題の解決は出来ないだろうという内容の話があった。まったくそのとおりだと思う。不幸にして太平洋戦争突入を導いた精神構造であるといわれているが、それは戦勝国によりそう思わされてきただけなのではないだろうか。連合国の占領政策によって我々は大切なものをなくしてしまったのではないか。私は基本精神が悪かったのではなく、当時の海外進出政策(アジア諸国を欧米と同じ様に植民地化しようとしたこと)まり国の政策の誤り(それは軍部の暴走を止められなかったということかもしれない)だったのだと思っている。戦後日本では反戦と反省から日本の精神構造すべてを否定してきた。そしてこのような戦後の教育の「ツケ」がいま噴出して多くの問題を引き起こしているように思う。戦後60年、多くの幼稚な大人を作り続けてきた、その「ツケ」である。もう一度「武士道」精神を取り戻してみよう。地区大会の報告によると、ロータリアン(ロータリークラブのメンバー)はまず自らが率先して範を示そうとなっている。そのとおりだと思う。自らが実践し、少しでもその輪を広げていくしかないのである。身の回りのできることから始めよう。今年のRI(Rotary International)のスローガンは、Lead the way(率先せよ)である。
2006.10.17
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久しぶりに土曜日・日曜日・月曜日と三日かけて車を磨く。まとまった時間が取れないので夕方時間が空いた部分分で仕上げていく(笑)。仕方ないが、本当に久しぶりに磨き上げる。窓ガラスにも撥水加工までして、タイヤもピカピカ、ワックス仕上げ!(笑)。おまけにダッシュボードなど内装の樹脂部分もワックスがけした。パッと見は4年たった車とは思えないほど綺麗になった。強い日差しにキラキラ輝く愛車を眺めひとり悦に入る。しかし・・・疲れた。(笑)。身体が痛いよう。
2006.10.16
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今日は日曜日。地区の親睦ソフトボール大会だ。男子はソフトボール、女子はソフトバレーボール。男子のソフトボールは20代が3名、30代が3名、40代が2名、50代が1名という組み合わせでチームを編成する。右田小学校校区の中で、地区代表というわけだ。わが塚原地区はこのところ子供の出生が少ない。子供たちが結婚して新居を隣の地区に建てたりするからだ。(笑)。どうしても同居が難しいらしい・・・ということで出場者はここ10年くらいあまり代わり映えしない。往年の名?プレーヤーたちが、夜年波と戦いつつ、昔は・・・だったよねぇ。なんてお互いを慰めあう大会だ。(笑)。まあ、一回戦は11対10で勝利できたが、次の試合は8対14で負けた。なぜだか自分でもわからないのだが(笑)まったくヒットが打てない(爆)20代と同じように振っているのに、前へ飛ばないのだ・・・不思議だ(笑)。まあ。当たり前の話だが、考えてみればあと三年で50だ。そろそろ引退の時期かな?(笑)。女子は頑張ってソフトバレーボール(4人制)で優勝した。二回目の優勝で打上では鼻息が荒かったが(笑)、男子も負けずと10年前の黄金時代を引き合いに出す(爆)まあ、親睦ですから・・・ね。
2006.10.15
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Archivesを紐解くと、最初のブログは2005年10月3日となっている。うっかりしていたがあっという間に一年が過ぎている。この間ほとんど毎日(書き逃して、あとから一度に追加したことも時々あるが・・・(笑)。)書くことが出来た。本当にありがたいことだ。つまりこの一年、つつがなく健康で過ごせたということだろう。何か不幸なことに襲われていたらとても日記など書けるものではない。そのことで頭がいっぱいなはずだ(笑)。さて、365日と11日=376日間に書いた記事は?記録がない・・・(笑)。だけど記入率97%だそうだから、概算で365くらい?それに「無双神伝英信流」のブログも合わせて書いているので・・・430くらいになりそうです!ちなみに、このブログのアクセス数は21857(約57アクセス/日)だそうです。多いの?少ないの?(笑)。これからも、よろしく。
2006.10.14
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※UI:ユーザーインターフェイス(操作性)7つ目の原則は「軽量」だ。軽いとはどういうことだろう。軽快な操作性、開発スピードが速い、ビジネスモデルがシンプルでクイックレスポンス、利用するのが簡単・・・そんなイメージか。顧客の利便性を向上させる、その一点を重視する姿勢。見習いたいものだ。安くて、軽い技術の組み合わせ・・・とてもいいことだ。ひとつだけわが社の進んできた方向がこの「軽量」に合致していると思えるものがある。それはソフトウエアは開発よりも市販のアプリケーションソフトを組み合わせたほうが絶対に優れたモデルになる、という考えで開発ではなくアプリケーションに主軸を置いたことだ。会社を始めて5年くらいたった、1995年頃のこと。当時は会計、販売、若干の給与、という三種類の分野を中心に業務系ソフトウエアの指導を行い始めていたが、独自に業務にぴったりしたソフトを開発するよりも、ソフトに合わせて業務を改善する方向でアプローチした。出来上がったシステムは独自に開発するものより、お金の面でも、導入までの時間的にも、ソフトの動作・操作性でも、明らかに軽くて優れていた。今当時の選択が、図らずも良い方向だったことを確信できた。(実際には開発能力不足、資金不足・・・などの現実的な理由があったからなのだが(笑)。)これからのweb2.0的な軽量ビジネスモデルはどんなスタイルかというと、ずばり投入コストをかけないということだろう。人も資金もあまり投入しない、また維持コストも出来るだけかけない。そんなものを目指すべきだ。例えば、音楽配信のiTMSはデータだけを売るので、在庫や輸送コストはほとんどかからない。iPodは設計とデザインのみを行い、製造は安い海外の会社に外注だ。gogleは安いサーバーに自社開発のOSでコストを下げ、最近のGSAというサーバーの販売事業では「工場渡し」として商社に工場まで取りにこさせる方式で輸送にかかる管理や配送コストをゼロにしている。徹底したコスト意識だ。中小企業は一般的に、コストに甘いといわれている。零細企業ならなおさらだ。特に社長のコスト意識が問題だ(笑)。どんな経費も自由に使える立場だからこそ、自分に関連する経費へのチェックを厳しく管理しなければならない。あらためて企業はその経営者の器を越えることは無い。という言葉を思い出す。もっと会社を立派なものにしたいと思うなら、経営者自身がもっと立派な理念で行動できるようにならなければだめだ。この言葉を自分自身に投げかけよう。
2006.10.14
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この姿を目撃したのは2度目だ。今回は携帯のカメラに収めることができた。颯爽と本橋から市役所方面へ自転車をこいでいた。年のころは16~18歳?うら若き乙女であるが、茶髪のちょっとツッパリ系の彼女にして、このコスチュームはとてもギャップがある。(笑)。始めてみた時は、「おっと・・・」と愕然としたが、二度目となるとなんとなくほほえましい(笑)。大人用のこんなコスチュームがあるのを初めて知ったが、街中でこの色合いはかなり強烈だ。おまけにフードにあしらった、プーさんの顔がなんともひょうきんだ(笑)。周りのみんなの注目をよそに、彼女は颯爽と去っていった。いったい・・・この姿の意味はなに?(笑)。
2006.10.13
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昨日の話題を今朝、目が覚めても考え続けている。山田詠美氏曰く、「親兄弟の縁を切ることが出来ないように、どんなに罵声を浴びせ喧嘩しても石原氏との関係は切ることができない。」と。そんな関係がクライアントとの間に築くことができるなんて、本当に素晴らしいな。はたして我々は出来ているか?自問自答して忸怩たる気持に陥る。頑張ろう(笑)。
2006.10.13
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初めて知る「編集者」という仕事。今日のゲストは石原正康氏。石原氏によれば、作家が世に出す作品は作家にとって子供。その子供を世に出す産婆さんのようなもの・・・村上龍・吉本ばなな・山田詠美・・・そうそうたる作家と20年来の付き合いだ。石原氏が組んで手がけた作品はベストセラー間違いなしといわれているそうだ。石原氏のプロフェッショナルの流儀、「作品を全身全霊で褒める」そうそうたる作家にして孤独なんだなぁと驚いた。褒められることでさらに作品がグレードアップするのだという。やっぱり人間だなぁと思った。番組を見て、孤独で気まぐれな小説以外に興味がないような芸術家を相手にするのは本当に難しいだろうなと感じた。そこにはビジネスでは割り切れない、人と人のつながりがある。誠心誠意向き合った結果が、この絆とこの成功を生むのだろう。私も自分の仕事に、顧客に誠心誠意向き合っていこう。そんなふうに思った。やっぱり熱心に仕事する人は見ていて気持がいいなぁ。うん。「執念」という言葉はなんて美しく、綺麗な言葉なんだと思ったよ。今の自分には何に「執念」があるだろうか。どこかに置き忘れてきたんじゃないか。そんなことを考えた。「熱を広げる」口コミの力を信じる人だ。地道な書店まわりで作家の想いを伝えて歩く。大事なことは小さなことの積み重ねだ。勉強になるなぁ。石原氏にとって、プロフェッショナルとは「借りてきた言葉じゃなくて、自分の言葉で仕事ができること。裸になれるかどうか」♪あと一歩だけ前に、進もう♪
2006.10.12
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今日新聞の折込チラシに・・・若者支援センターのイベント企画の案内が入っていた。それを見て目が、点というか、脳みそがトリップした。まったく理解に苦しむ。そこには「親のための就職相談会」・・・絶句。プログラムの中身は、どんな人材が求められているか?とか、どんな会社が人気か?とか面接の受けさせ方??挙句には・・・就職を控えた子供との接し方、と来た。この幼稚さをいったい、なんと言ったらいいのだろう。仮に一番若い世代としても、高校三年生、18歳だろう。しかし行政の区割りとして考えれば、若者支援センターは紛れもなく大学生以上を対象にしているはずだ。22歳の成人に対して、この扱い。その親の世代40歳代後半~50歳前半?に対して、この扱い。22歳にもなって、親に進路をきめてもらわなければならないのか?そして自分の子供の進路にそこまで介入する幼稚な親?ましてや人に指導してもらわなければ、親としてどう振舞ったらいいかわからない?ニーズがあるから、こんなものがあるのか、それともただのおせっかいで実際には参加者はゼロか?なんともやるせない瞬間だった。もちろん就職、自分の進路、将来に不安はあるだろう。しかしその不安をしっかりと受け止めてこその成人だろう。結果は誰にもわからない。正解なんて無い。だけど何かを考え、選んで、決断しなければならない。確かに今は就職が厳しいらしい。しかし時には自分の思うようにならない選択もしなければならない。不本意な就職もありうる。でも何かを選ばなければならない。それにあと数年すれば企業は途方も無い、人材不足になる。ちょっと我慢して実績を積めば、もっといろんな展開が開けることだろう。そんなこともちょっと情報を集めて、自分で考えればすぐにわかることだ。人生の選択は誰にも頼れない。それは人に頼れないことなのだ。自分の人生だもの。---------------------------私が昔、親と交わした進路の会話は次の2つか3つだ。遠い昔・・・28年前。(笑)。私「農業をついで欲しいと思っている?」父「お前の人生だ、好きにしろ」私「じゃ、大学は工学部にする。大学はココを受けるよ」そして4年後。私「就職はココに決まったから。ガラス繊維の会社だ。最初の勤務地は東京だよ。」父「いいか。3年はそこで頑張れ」そんなもんだ。転職したのは5年後だから、まあ親孝行なほうだろう(笑)。
2006.10.11
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何とか無事終わった・・・しかし冷や汗もんだ。間違ってなんとかごまかした技が2つくらいあったな(爆)居合に関係ない人ばかりだったので助かった。昇段試験だったら不合格だね。まだまだ修行の身だから許してもらおうか。
2006.10.10
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先週から毎週月曜日は英信流奥居合之部の技を稽古している。今日は二本目の「柄留」(つかどめ)である。そもそも師範の、少なくとも知識として技を伝えておきたいとのお考えから始まったことであり、私の技のレベルから行けば、とても恐れ多いことなのだ。したがって身体もついていかず、技の動きをなぞるのが精一杯の状態だ。無双神伝英信流は、初伝:大森流十一本、中伝:英信流表之部十本、奥伝:英信流奥居合之部二十本からなる。私は今のところ中伝の半分くらいのレベルなのである。実際にはこのあたりの技を十年~二十年稽古したあとに始める技なのである。(笑)。師範に、あまり詰め込みすぎて消化不良にならないか心配しているが、まあ続けよう、といわれても実際には味わうことも出来ていないのだ。しかし伝書には簡単に書いてあることの裏づけを、口伝により師から弟子に伝わることの醍醐味を感じている。そうやって500年続いているのだから。明日はいよいよロータリークラブで披露する日だ。居合いを知らない人たちの前では初めてやるし、なにより同志がいないのがなんとも心もとない。無事出来ますように・・・(笑)。
2006.10.09
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息子がサッカーをやっているので、スポーツ少年団の当番で朝から練習に付き合った。10月だというのにとても暑い一日だった。日焼けするほどの紫外線の強さで、夏が戻ってきたようだった。時間をのんびりすごしながら・・・こうやって一緒に遊べるのもあと数年、2,3年だろうなと思ってみる。そう考えると、こんなありふれた一日も大切なものに思える。
2006.10.08
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9.11テロに関してはたくさんの特集が日本でも報道された。大変ショッキングな事件だし、日本人の犠牲者もあったためとても関心が高い。惨事のドキュメンタリーはテレビでも制作され、もうすぐ映画も公開される。そのなんとも卑劣な国際テロ軍団に対し、全世界は激しく非難した。ショッキングなニュースとは、その9.11の同時多発テロが実はアメリカ政府の自作自演だというのだ。理由はイラク戦争、フセインを排除したいためということだ。事故が起きたのは2001年。そしてこのような自作自演説は、2004年ごろからネット上でも新聞・マスコミでも登場していたとのことだが、私はとんとこの手の情報に接していなかった。遅ればせながら最近知ったのである。当時CIAが情報をつかんでいながら、軽視したため防げた犯罪を防ぐことが出来なかった・・・とアメリカ政府は非難された。ところが、実は・・・この犯罪そのものがアメリカ政府によって行われたものだという。世界貿易センタービルは旅客機の衝突で崩壊したのではなく、爆弾によって爆破されたというのだ。動機は軍産複合体による、世界世論の煽動とフセイン打倒だというのだ。そしてこのニュースをアメリカ人の75%は信じている、そう思っているというのだ。本当だろうか?「日本と世界を騙し続ける独裁国家アメリカ」という本を書いたのはベンジャミン・フルフォード氏。上智大を卒業し日本でも働いたことがある元「フォーブス」誌アジア太平洋支局長のカナダ人フリーランス・ジャーナリストだ。本に書いてある疑問な点は次の通り。1.飛行機の火事では摂氏260℃くらい。鉄骨を溶かす1650℃にはならない。 (しかしこれは・・・柱が折れたので支えきれなかったという説明だったぞ)2.崩壊ビルからは爆破解体用の火薬の痕跡3.飛行機が激突してない7号棟もわずか4.5秒で完全に壊れた。4.ペンタゴンに激突した飛行機の残骸が無い。5.ペンタゴンは火災が発生しなかった。6.ペンタゴンの傷跡は飛行機よりもサイズが小さい。7.WTCビルに1機目が衝突してから52分も立っているのに警戒態勢がしかれなかった。8.飛行機に対する対空ミサイルは発射されなかった。9.ペンタゴンには84個の監視カメラがあるが、衝突の瞬間はとうとう公表されなかった。10.WTCビル2号棟に突入する2機目の機体の下部に軍事用ミサイルのようなものがある。11.2機目は衝突する直前に先端から閃光を発した。劣化ウラン弾の可能性がある。ネットで探すと荒唐無稽な情報だと一笑にふしたもの、あるいはこの本のように陰謀をほのめかすもの・・・・いろいろだ。私にはとても信じられないが・・・アメリカ政府には、すでに前科があるので疑われるのだ。例えば次のようなものがある。1898年メイン号事件:戦艦メイン号の爆発はスペインの仕業として開戦。1975年誤りであることが判明。1964年トンキン湾事件:北ベトナム軍の攻撃に報復する形で開戦。しかし攻撃は無かった。1971年ニューヨーク・タイムスのスクープで捏造発覚。1989年パナマ侵攻:民主主義とパナマ運河を守る名目で侵攻。しかし実際はパナマの独裁者ノリエガの排除が目的。そもそもノリエガはアメリカの傀儡政権で、CIAとノリエガによる麻薬取引の隠蔽だった。1991年湾岸戦争:イラクのクウェート侵攻阻止を大儀に、開戦。クウェートの少女によるイラク兵による赤ん坊を床にたたきつけたという証言は実はヤラセで虚偽だと後に判明。少女はアメリカの駐在大使の娘だった。本当の目的は石油開発権益?そしてこの事件2001年同時多発テロ?:ビン・ラディン率いるアルカイダへの非難を背景にアフガニスタン侵攻。テロの温床とする。アルカイダはアメリカが対ソ連目的に育てたアフガニスタンの反政府組織である。反抗を始めたビンラディンをテロリストにして、撲滅する計画。さらに2003年イラク戦争:生物・化学兵器等、大量破壊兵器を保有し続け、その事実を否定し、国連の武器査察団に全面的な協力を行わない、フセインの圧制から民衆を解放する、アルカイダを保護しているテロ国家との戦いとして開戦。しかし大量兵器は無く、フセインはアルカイダを弾圧していたことが判明。実際には石油権益をまもるためとフセインの排除が目的であった。正直言って、今のアメリカ政府は独裁国家の印象がつよい。正義は自分たちだけであり、自分たちと違う場合は「誤り」であったり「悪」であると断言する。そして核兵器をコントロールして安全に持つことができるのはアメリカであり、他の国が持つことは断じて許されないとする。自分たち以外の人を見下したような言動には正直辟易する。私は正直今のアメリカは好きではない。もっとも個人としてのアメリカ人はまったく別の話だが。
2006.10.07
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国民文化祭やまぐち2006が開催される。いろんな文化祭が催されるが、山口県立美術館と毛利博物館で前後して開かれる雪舟展は楽しみだ。雪舟の六点の国宝が一堂に会する最初で最後の展示会ということだ。偶然NHKのBS2で「慧可断臂図」の解説を見た。雪舟の特集だった。慧可断臂図は禅の世界でとても有名な挿話、慧可が九年間座したままの修行僧、達磨様に弟子入りを願い出る慧可と達磨様の姿を凝縮した傑作ということだ。慧可は弟子を取らないという達磨様に対し、自ら自分の右手を切り落とし、師に差し出して決意の程を示す有名な場面らしい。その時かわされた会話は次の通り。慧可「私は自分の心が未だ定まらず、迷っております。どうぞ私をお救いください」達磨「それではお前の心とやらをここへ持ってまいれ、そうしたらお前を救ってやろう」しばらくして慧可は再び師を訪れて、慧可「ずいぶんと探してみましたが、どこにも私の心が見当たりません」達磨「よし、これでお前を救うことが出来た」ここで交わされた真意が何か知るよしもないが、このような精神世界を尊ぶ気持を忘れずにいたい。目の前に見えることが世界のすべてではないことを知る。それはとても素晴らしいことのように思える。禅も居合いも、すべての「道」と呼ばれるものは、このような哲学的な精神性の追求の道に他ならない。何者にも揺るがない精神支柱を私も持ちたいものだ。意外と知られていないが、雪舟はその才能が開花したのは60歳を過ぎてからであり、80歳を超えてなお旺盛な創作意欲を失わなかったそうだ。そしてその生涯の半分以上、50数年を山口の地で過ごしている。
2006.10.06
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WEB2.0的であること・・・それは結構難しいようだ(笑)。デバイスの枠を超える。これからのサービスはパソコン用とか携帯向け・・・などという装置に依存していてはだめなんだそうだ。ソニーが長年マルチメディアの世界で実現したかったことは、いともかんたんにiTMSやiPODによって実現された。最初から複数の装置で使われることを前提としたファイル構造、その勝利だろう。これからはデバイスに縛られてはいけないのだ。しかしわが社の今の状態はどうだ。わが社のサポートはパソコンのそれもwindowsに限ったサービスになっている。確かにメジャーなフィールドではある。しかし・・・ユーザーがこのようなフィールドの枠を超え始めたら・・・我々のサービスもデバイスを超えなければならない。たとえばこんな仕事が出始めた。オーディオコンポをインターネットに無線でつなぐのだ。CDを入れると音楽の再生と同時に、ネット上にある最新の情報がダウンロードされて表示される。そしてさらには家庭内LANでPCとオーディオコンポは合体する。CDのダビングや録音は無線で行われるのだ。そのうちコンポの制御もビデオカメラからのビデオ編集作業もすべて無線で行われるようになるかもね。我々のサービスも家庭内へ入っていくのか?経営はいつも決断の連続だ。進むべきかさがるべきか、家庭内ネットワーク?パーソナルネットワーク(携帯)?そして分野もさることながら、そのスピードが問題なんだよねぇ。人よりちょっと先駆ける、そのリスクを負えるか?決断の連続だ。1971年。小学校六年だった。第二次世界大戦、いや太平洋戦争というべきか。この戦争の著名な局面で、両軍の司令官がどのような決断をしたのか、その決断に至るまでの過程、そして結果。それらを劇画調のアニメーションで実現したテレビ番組があった。とても興奮しながら見たものだ。人生・・・を意識するよりも幼かったが、それでも・・・きめることの重要性、そして責任を子供心に学んだものだ。決断と責任はつきものなんだ。決断という言葉で思い出した。35年もたつのか(笑)。
2006.10.05
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昨日防府ロータリークラブで「国民文化祭やまぐち2006」の雪舟展について県立美術館から学芸員の方に来ていただいて話をしてもらった。あまり知られていないこと・・・雪舟のイメージに無いこと、がたくさんあった。1.雪舟は87歳くらいまで生きたこと2.雪舟が活躍を始めたのは60歳を過ぎてからのこと3.雪舟は生涯の半分以上、50数年を山口県で過ごしたこと4.雪舟は大内氏へお抱えの画家として就職していたこと5.雪舟の役割は外交官及び紀行の記録係であったことどうしても幼少から画才の優れた天才で、諸国放浪の画家で、暮らしぶりは質素・・・というイメージがあるが、大内氏の保護を受け中国大陸へ貿易船に随行して渡ったりする官僚的な仕事をしていたらしい。晩年ちょっと大内義興と不仲になり、島根県または岡山県でひっそりと亡くなったようだ。なくなった年も定かではないらしいが、有力な1506年説をとり、没後500年の展示が行われる。雪舟の国宝6点がすべてそろうのは初めてであり、もう二度とないだろうといわれている。500年・・・この頃、林崎甚助師が「夢想流居合」(その後、織田信長の御前で技を披露した時に、この世に二つと無い見事な技、ということから無双神伝流という名をもらったと伝えられている)の基礎を完成させたのだ。なんとなくこの両日500年というキーワードに感慨深いものを感じた。
2006.10.04
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私が習っている「無双神伝流抜刀術」の奥義、奥居合いの部を図らずも経験することが出来るようになった。「写真は流祖、林崎甚助源重信公像(林崎居合神社鎮座)」師範のご心境の変化によるもので(笑)未熟な我々でも、とりあえず知っておくことは重要だと思われたようだ。つまりひとつの仕草、ひとつの動作であっても奥深い世界で、その所作の構成による技の習得には数十年の繰り返し稽古が必要になる。しかるに初伝(大森流)十本、中伝(英信流表)十本、そして奥伝(英信流裏)二十一本の合計四十一本を習得するには・・・はっきり言って寿命が足りない(笑)。私にはあと30年くらいしか残っていないだろうから、到底無理なのだ。師範はこのような状況を踏まえ、弟子が成長するまで待つよりも、未熟ではあってもまずは伝えることが重要で、伝わったのちは弟子の修練に期待しようということなのだろう。でなければ500年の技が耐えてしまうかもしれないのだ。ということで昨日から奥居合い(奥伝:英信流裏)を一本ずつ稽古するようになった。よその道場からはうらやましい限りだろうが、本部道場の特典なのだ。(笑)。昨日の稽古を受けて感じたこと。室町時代から現代に流れる歴史と伝統の中に身をおく幸運を実感したひと時だった。今日は一本目、「向拂」(むかいはらい)だ。この技は相手の想定、どんな風に相手が逃げるか、どう対応するかによって三種類に分かれるのだそうだ。ただ伝書に記録されているのはそのうちの一本だけ。まったくワクワクする。とても興味深い。やはり稽古事は口伝が基本。今日稽古をつけてもらいながら、おそらく500年前(室町時代末期)からこうして伝わったのだろうと感慨深かった。技には人の歴史が刻まれている。人々の思想と哲学が形として凝縮している。それを私は今、学んでいる。これほどすごいことがあるだろうか。本当にワクワクする。約500年前に編み出した武人(林崎甚助)がいて、それを学びつつさらに開花させた達人(第七代長谷川英信)が約350年前にいた。そして現在・・・う~ん。素晴らしい。
2006.10.03
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陰陽という考え方がある。裏表の関係である。韓国や中国からの思想だろう。陰陽師「安倍清明」でも有名な言葉だ。私はこの言葉、というか考え方が好きだ。物事はそう単純に白黒をつけることはできないと思う。どんな場合でも白と黒(善と悪、表と裏・・・)の両面を持っていると思っている。だからこの陰陽の図案が好きだ。白と黒は混じりあいながら両方でひとつの図形を形作る。白を上にして横になったデザインもあるが、私はこの縦の方が好きだ。世の中は、単純じゃないから面白いんだよね(笑)。陰と陽でひとつ、どちらも必要。陰の中にも陽があり、陽の中にも陰がある。陽にばかり関心をもたず、陰にも目を向けよう。両方でひとつなのだ。私の中にある長所(陽)と短所(陰)。短所が無いほうがいいけれど、それも含めて自分なのだ。長所は誇りに思いつつ、短所も温かく見守ろう。それがいい。(笑)。
2006.10.02
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秋の訪れとともに今年ももう残り少ないことを実感する。同時に来年は・・・などと思い始めたりする。都会では来年のスケジュール手帳が売られ始めていると聞く。まだ2ヶ月もあるに気持はどんどん先へ行く。そうやって加速する。心が加速するために、現実の今がもう過去のように感じてしまう。実際にはまだ明日は来てないのに、明日はすでに昨日のようだ。未来の計画を立てるのは楽しい。まだ結果が出ていないから。だから、明日は・・・来週・・・来月は・・・来年は・・・と考える。「今何をしよう?」やりたいこともある。やらなければならないことがあることも知っている。でもやっぱり「明日しよう」と思ってしまう。今がいちばん大事なのに。
2006.10.01
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