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新元号は「安滅」もしくは「安崩」で決まりなんじゃないかと思う恐慌間近のこの頃である。この国はアホ総理のせいで、全てが下降線デフレスパイラルを辿っている。奈落の底にまっしぐらである。特に経済の崩壊が物凄いことになっている。地方はシャッター通りと化し、都市はコンビニだらけで、画一化が進んでいる。生物の滅亡の法則で明らかなのは多様性に欠け、画一化していくことにある。中国頼みの景気回復も、米中の覇権争いで、中国が栓を閉め始めたので、日本は泡を食って一気に冷え込んでしまった。このままこの国は堕ちるとこまで堕ちていくのだろう、という話をお馴染みのサイトから紹介する。 ★ ★ ★安倍のせいで日本は東南アジアよりも貧しいhttp://my.shadowcity.jp/2019/03/post-14952.html青森の困窮家庭、という話なんだが、あのあたりというのは産業らしい産業がなくて、農業だけ、その農業も、冬になったら何も出来ない。結局は水稲栽培がメインなんだが、減反だ何だと、パッとしない。昔から「出稼ぎ」で食ってるような地域です。現金書留来たといい、走る妹よw 青森県内の小学5年生と中学2年生がいる世帯を対象に県が行った実態調査で、所得が基準以下にとどまるなどの「困窮家庭」が全体の約1割に上ることが25日、明らかになった。子どもを持つ県内家庭の経済的な実態が数値で明確になったのは今回が初めて。子どもの進学や生活などさまざまな面で、一般的な家庭との格差が際立っており、一層の支援の必要性が浮き彫りとなっている。 困窮家庭では生活面で、過去1年間に金銭的理由で食料品を買えなかった(時々、まれにを含む)と答えた世帯が約7割あった。同様に、子どもを医療機関に受診させる必要性を感じながらもできなかった世帯が約3割あった。 教育に関しても、困窮家庭の子どもの約2割が大学以上の進学を望んでいるものの、実際に可能だと思っている子どもは約1割にとどまっている。授業の理解度にも差があった。自分の存在を肯定的に捉えている子どもの割合も一般家庭に比べて小さかった。 また困窮家庭ほど、無料または安価で提供する「子ども食堂」や「学習支援」に関心があるのに利用したことがない割合が高かった。そこまで貧しくなると、核施設だろうが米軍基地だろうが、カネをもたらしてくれるならウェルカムだw 典型的なのが六ケ所村で、豪邸が並んでますねw ああいう田舎の人というのは、持ちつけないカネを持つと、とりあえず豪邸を建てるw 有り金全部はたいて豪邸を建て、トンキンの飯場に出稼ぎに行くw 都会人と行動パターンが違うので、金持ちなのか貧乏なのか、よくわからんw ★ ★ ★このままいくとどうなるかというと、金持ち貧乏が増殖することになるだろう。金持ち貧乏とは、カネをもっているが、将来の幸福につながる有効な使い方がわからない、思考力ゼロの金持ち動物=獣が増えるということである。幸福について真剣に考えたことがないバカだからである。例えば、大企業の内部留保なんかその典型である。大金を抱え込んでいるが、勇気がなく、不安がもたげるので、将来のために投資できない。いずれ社会の要になる産業などに投資できない。安楽を貪り、将来をみる思考力を失ってしまったからである。外見は豪華なのだが、心が貧弱なので、要するに勇気がない。気力がない。生きていても死んでいるようなゾンビのような獣が増えていく、ということだ。このような獣は自分を客観視できないので、間違ったことを主張して恥じないバカなのである。ヨハネの黙示録の獣とは、この金持ち貧乏の事である。金持ち貧乏総理をみればわかる。
2019年03月27日
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忙しい合間を縫って、短く書いてみたいと思う。 健全な精神には健全な肉体が宿る、という真実が古代ギリシアでは唱えられていた。それが古代ローマになると、健全な肉体には健全な精神が宿る、に置き換わった。それだけ人類はローマになってバカになったのである。 「健全な精神には健全な肉体が宿る」というのは健康と病気の関係を良く言い表している。 現代では、病気に罹ると、それは、あなたの考え方が良くないからだ、と答えると、途端に差別問題にすり替えられてしまう。 人がなぜ病気になるのか、については、ドーリルの書「療法の真義」に書いてあるから、読んでほしいが、一言でいえば、病気とは、一種の洗脳状態にある、のである。 常識も一種の洗脳状態である。催眠術はそのことを端的に示している。 寝ると、洗脳状態が解かれるので、洗脳の結果としてもたらされる病気は少し改善に向かう。 例えば、欧米人が肩がこらないのは、その概念がないからである。肩こりという洗脳にかからないからである。これと同じように、馬鹿は風邪をひかない、というのも、馬鹿は風邪という概念をもたないからである。 誰がみても、間違ったことを主張するおバカ総理のようなのがいるが、そういうバカの洗脳を解くのはほとんど不可能だが、それと同じように、病気が治らないのは、洗脳は自分自身で解くしかないからである。 つまり、病気は患者自身で治すしかないのである。 治療者は、あなたの考えは誤っていますよ。あなたの生活や生き方は間違っていますよ、と警告し、自らで洗脳を解くように促し、実践し、努力させるしかできない。 では、なぜ、ガンにかかるのか、を、ドーリルの書「療法の真義」から端的に抜粋し、紹介する。 ガンにかかるのは、生命力が組織に浸透せずに、組織が不活性化し、死んでしまったからである。生命力が浸透せずに、物質界の崩壊の法則が適用され、生命活動に不要なゴミが増えるのと同じように、物質が増殖してしまうためである。 現代風にいうなら、ガン細胞とは、細胞が死に、ゾンビ化したものである。自我からの生命力である秩序命令が神経を伝わらずに、断線し、遮断され、死んでしまったものが、ゾンビとして、物質界の無秩序の影響を受け増殖するのである。 自我という自分から離れ、自我の制御できない、かつての自分の分身がゾンビとして襲い掛かってくるのである。 俺はお前なのに、よくも俺を見捨てたな、と無秩序に増えた古い自分が、新しい自分にとって代わろうとするわけである。自分のなかの嫌な自分が、殺された復讐をするようなものである。無秩序に自分が増えたせいで、自我が統合できなくなっている洗脳状態ともいえる。 自分で自分を恨む無秩序状態ともいえる。私はかつて、この状態を複雑系のカオスのモデルの、カオスの縁で説明しようと試みたことがある。 生命活動とは、節度やバランスの秩序を保つことにある。平和や安定の基本である。 部屋でも掃除せずに、整理整頓がなされていないと、腐敗し、ハエのようなのがわいてくるのと同じで、肉体も節度を保たず、つまり整理整頓せずに、散らかし放題にしておくと、ウイルスや細菌のようなのがわいてくるわけである。 生命力というのは、無秩序のなかに秩序をもたらすことなのである。だから知識が必要なのである。 知識が洗脳を解いてくれるからである。 知識の総体、つまり生命力のことを、オカルトではエーテルと呼んでいる。人体は肉体の他にエーテル体をもつのである。このエーテル体は、肉体を整理整頓し、秩序づけている。 だから、このエーテル体を読み取れないと、医療者失格なのである。 古代ギリシアの医療、つまり医学は、このエーテル体を見通す訓練を行っていた。師について弟子となり、訓練したので、現代からみると宗教的で、古代ギリシア当時は、哲学者と呼ばれた。哲学者は、エーテル体をみれないといけない。 エーテル体は眼にはみえないから、霊と呼ばれた。昔は、病気は悪霊の仕業とされたが、それはエーテル体の流れがよくない。つまり、肉体にエーテル体が流れ、浸透していかないことを意味していた。 整理整頓がされていない汚い部屋と同じである。 現代では、物質面しか問わないから、物質化して捉えようとするが、物質化してからでは手遅れなのである。ガンも小さいときには除去すれば済むが、生命力、つまり自分で掃除しなければ、また散らかるのと同じである。 ドーリルは、ガンの要因を、感情の抑圧と言っている。肉体は、精神を表す道具でもあるが、精神が、その道具をうまく使えこなせないと、道具が物質界の法則により、錆びてしまい、使えなくなってしまうのである。 だから、肉体というのは絶えず精神の僕でなければならない。精神が肉体に支配されてはダメなのである。それがガンで、肉体が精神を抑制していくと、死に向かっていくわけで、つまり、物質界による、精神の洗脳というわけである。 そもそも、死というのも、肉体の洗脳なのである。精神は決して死なない、不死だからである。キリストの復活というのも、キリストは死なず、エーテル体で存在していることを意味する。 キリストという精神、大いなる秩序は常に宇宙をバランスさせているのである。 だから、良いことをすれば良い成果を得るし、悪いことをすれば悪い結果になる。 病気は、良くない精神から、罹るわけである。 独力で、あらゆる洗脳から自らを解放するために、いま地獄の世を生きているのである。
2019年03月19日
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以前このブログで披露したのだが、再掲する。もはや恒例行事か、冬の風物詩か、巷を賑わすインフルエンザが猛威を振るっているらしい。現代科学では、なぜ冬に流行るのかの原因を、ウイルスの感染力に帰しているが、ではなぜ冬に感染力が高くなるのか、言及はほとんどないばかりか、ただ気温が低いと、免疫が弱くなる、としている。 冬に免疫が弱くなる原因も未解明なのである。 予防法といっても、ホルマリンなどで弱毒無害化させた特定のウイルスがもつ抗原を与え、指名手配書を配って、免疫の警察力を高めるしか、つまり流行りそうなウイルスのワクチンを打つしか手立てがないのである。それもウイルスの種類は数百にわたり、ワクチンを量産するにはせいぜい4種類の過去流行したウイルスしか選べないのでは、来年の天気を予想するのとほとんど同じである。 天気が移り変わりやすいのと同じで、ウイルスは怪人二十面相のように姿を変えていくので、出回った手配書はすぐに役に立たなくなる。全てのウイルスの手配書をつくるわけにはいかないので、ほとんどお手上げなのが、アホ総理とバカ大統領と同じ両国の現状なんである。 しかしまぁ、インフルエンザに罹っても、2、3日寝てればほとんどが自然治癒力で免疫が回復するので、それほど大騒ぎする必要はないのだが、毎年ブームなのに、ほとんど役に立たないワクチンを売りまくる詐欺に近い商売しかできないのでは、人類の無能さを象徴する現象といえる。 さて、人智学では、感染の原因を既に解明している。唯物論者には信じ難い事だろうが、規則正しい呼吸のリズムと、規則正しい睡眠と起床、つまり規則正しい生活が乱れると、眼に見えない横隔膜が破れて、横隔膜が保っていた肺と心臓の活動リズムが乱れて、感染しやすい体質になる事がわかっている。 人智学では感染症をウイルスや細菌のせいにするのではなく、それらはあくまで副次的な病因で、本質は、体内のリズム活動が乱れた体質にあるとしている。 では、なぜ冬に流行るのかというと、これまた唯物論者には信じ難いだろうが、冬の星位にある。地球から見て、冬の太陽が、火星、木星、土星に近いために、これらの惑星を通じて強い影響を、地球の特定の地域に与えるからである。 呼吸のリズムが乱れやすい体質の人が、その地域に住んでいると、感染症に罹り易くなる、というわけなんである。 だからとにかく、呼吸リズムを規則正しくする為に、規則正しい生活を心掛けるのが、ワクチンよりも無料でなしえる予防法なんである。子供が感染しやすいのは、まだ、眼に見えない横隔膜が未完成なためで、子供には生活の規則正しいリズムが必要なのがわかるだろう。 ちなみにシュタイナーは、子供の思考力は肉体づくりに使われるので、あまりに早くから(約7歳まで)記憶を酷使させるような暗記教育をすると、肉体づくりの妨害になるので、晩年に肉体の柔軟性が失われ、肉体や脳の硬化が進み、関節炎や認知症になると述べている。 だから、昨今の高齢者の関節炎や認知症は、子供のときの暗記教育の弊害にあると思われる。 さて話を戻して、冬や夏は生活が乱れやすいので、免疫が弱い体質となり、感染症や食中毒に罹り易くなる、というわけなんである。 感染症や食中毒に罹ると2、3日寝て休み、呼吸のリズムと、生活のリズムを整えて、眼に見えない横隔膜を回復し、肺と心臓の活動を分けないといけないわけで、乱れたリズムを元に戻す事になるので、理に叶っている。 つまり、体質を改善すれば、細菌やウイルスが蔓延る余地はなく、逃げ出していくのである。 規則正しい生活が健康の基本である事がわかる。だから、規則正しい生活のために、夏と冬に行事として長期休みがあるわけである。しかし、現代には、生活を乱す誘惑が数多くあるので、要注意なんである。 本来の休息は健康の為に、つまり規則正しいリズム(神様)をつくる(祈る)為にある。休息の大切さを知らない現代人は、偽宗教の金儲けの神社や寺に行って、邪な願いをしてかえって金銭や名誉に生命を振り回され、流感に罹る地獄の奴隷となっているわけだから始末が悪いというか自業自得である。 また、人智学では、人体のリズムを、脾臓が調節しているのがわかっているが、脾臓は非常に霊的な臓器で、なくしても、容易にエーテル体が役割を代替するので、それほど問題がない事がわかっているが、現代医学では、脾臓を摘出すると、感染症に罹り易い事がいわれている。 それは恐らく、脾臓の摘出というよりも、人体のリズムが調節できないほど乱れているのに問題があると考えられる。脾臓を摘出してもエーテル体がリズムをある程度調節しているので、脾臓摘出が感染症の病因ではなく、調節を越えるリズムの乱れが問題なのである。 まず人体のリズムを調節するには、呼吸のリズムと、睡眠と起床のリズムを規則正しくする必要がある。 私見だが、それには、ヨガが良いと思われるので、以下にヨガを紹介したい。ヨガへのいざない。 昨今のヨガブームに便乗して、自称オカルト研究家からヨガをオカルト解説してみたく思ったので、少しばかりの間お付き合い願えれば物怪の幸いである。皆さんは、ヨガという言葉から何を連想するだろうか? インドの怪しい修行僧か、スターウォーズのヨーダか、セクシーなタイツで男を魅了する漫画キャッツアイの泥棒三姉妹か、はたまた神秘的な北欧の聖天使の瞑想姿か?昨今はテラピスなどが流行っているから、このようなイメージはもはや年代モノの化石かもしれない。心理テストのような問いを一発かましてみましたが、いかがでしたか?ヨガと聞いて連想するイメージによって思考の癖というか、趣向が露わになるのが面白いでしょう。ヨガといえば、知る人ぞ知る東名インターでそこそこ有名な用賀は、昔ヨガがお盛んなお土地柄にちなんでつけられたそうで、いまでは首都圏の交通の一躍を担う重要拠点とも考えられる。 さて、人や物流が合流する用賀のように、ヨガとは、宇宙にみなぎる生命エネルギーを人体に合流させる受信法なのである。全てを物質的に捉える唯物論では、ヨガは理解困難だろうが、宇宙から人間が生まれている事実は否定できないだろう。宇宙から人間や生命体が生まれては死んでいく現象を真剣に考えていくのが、オカルトの使命でもある。巷に溢れている都市伝説として拡がる偽オカルト話は、面白おかしく大河ドラマのように脚色し盛っているので、いかにも怪しくみえるが、それはなんでも物質で解釈しようとする傲慢さに無理がある。人類史のなかでごく最近の19世紀に始まった唯物論の代表が、物理学で、その還元的性質が進行して、全てを素粒子で解釈しようとするのが素粒子論だが、もはやいきづまって、超弦理論という、超弦とよばれる空間からなる弦を考案しているが、宇宙空間がバイオリンの弦のように振動している、と考えればなにやらオカルトめいた天空の音楽が響き渡ってくるようでもある。だから堅物な古老物理屋さんたちは、超弦理論を認めないので、代わりに数学分野で、超弦理論の提唱者のウイッテンが、アポーペンのピコ太郎のように、盛んに持て囃されもした。 しかし、最近になって、人体がネットワークになっている事がようやくというか、ネットワークって弦の一種だよねぇ、皆つながってるの、そう宇宙はつながってるの、君の名は?てな感じで、ブームになりつつある。では、ネットワークのエネルギーはどこからくるのだろうか?はてエネルギーを説明するのは些か難儀だが、例えば、電気エネルギーが、電子の流れから生じているのをみれば、プラスとマイナスの二極性から生じるのがわかる。宇宙には、ポジティヴとネガティヴの大きな2つの流れがあり、男女が出会い、もしかすると惹かれあった挙句に、最後は罵倒し傷つけあってしまう昨今の芸能界の不倫騒動と同じく、その流れが合流するところに大きな過ち、いやエネルギーが生じるのが、オフホワイトだが、限りなくダークでもブラックではなく、誘惑に敗れ去った人にも、きっとわかってしまうに違いない。宇宙、宇宙と、あまりに宇宙を言いすぎると、宇宙の果てはあるのかどうかといった質問好きアリジゴクの格好の餌食になってしまっては適わないので、アニメ一休さんに「どちて」を繰り放ち質問攻撃してくるどちて坊やがいたが、そんな輩は「自分で考えろよ」防御でかわして、できるだけありきたりいったりきたりの日常生活レベルで語るために、宇宙から地上の話に、はしよってワープしよう。とりあえず、大きな2つの流れがある、というのだけ覚えておきましょう。ヨガは、この2つの流れ、それは地球上では、地球の力と、宇宙の力の2つになっちゃうのだが、この2つを、人体にどう取り入れていくのかが問題なんである。電子の流れを蓄積すれば電池になるように、エネルギーを蓄積するには、川口探検隊が行かない前人未到の奥地にも、満遍なく流れる力を集める必要がある。取るに足らない政治に無知な連中を集めてきてチルドレンにして主流派を形成し、古参政治家を政界から追い出した自称改革者がいたが、どんなものでも集めてくるのが重要で、エネルギーとはとにかく集める事からはじまる。エネルギーはコレクターである。だから、ヨガの基本は呼吸法になる。どんな呼吸をすれば、人体に宇宙のエネルギーが合流し、健康となるのか、がヨガの初歩となる。唯物論でも、呼吸によって酸素を集め、人体にある炭素を燃焼して、エネルギーを取り出し、二酸化炭素を排出するのがわかっている。人間は主に、鼻の2つの孔と口を使って、肺で呼吸しているが、酸素だけを取り入れているのではなく、宇宙に満遍なく流れている、プラーナ、もしくはエーテルと呼ばれているエネルギーも吸収している、というから、唯物論に染まりん子ちゃんにはおったまげだろう。この眼に見えずに、物質でもないエネルギーは、3次元の物質界ではみえない、まるで異星人のように、4次元からやってくる、というのである。スピルバーグの未知との遭遇トワイライトゾーンか、ある意味、リングの貞子である。きっとくる、いやいつもきている。4次元からね。しかし、あなたにはみえない。唯物論の申し子の、超弦理論でも、宇宙は10次元以上からなるといわれているが、物質界しか考えられない人には、想像できない世界である。数学を学べば、物質界以上も考えられるが、物質界の虜になって、金銭の奴隷になっている守銭奴俗物地球人には、ヨガは火星人による滑稽なダンスや体操のようにみえるだけだろう。ともかくも、ヨガの呼吸法では、左右の鼻の孔から同時に呼吸するのを「二重呼吸」といい推奨している。なんでもスーパーサイヤ人になれるらしいというのは勿論嘘だが、サイヤ人に目覚めていない地球人は皆、左右どちらか片方で、大体1時間交代で、呼吸するしかできないのである。悲しきかな地球人。そこでヨガの達人をヨギというが、ヨギは左右の鼻の孔や口を自由自在に操って、様々に呼吸法を駆使するというのだから、とにかくスーパー海王様なんである。二重呼吸を試みるのもいいが、ヨギは達人なので、ムヤミヤタラに真似せずに、真似して地獄に堕ちても、当方は責任を負いかねますので、自己責任でおこなってください。そこでなぜ、二重呼吸が重要なのかといえば、驚くべき事に、如何わしさ満載なのだが、人体には脊柱に沿って、4次元の3つの管が脳橋から下半身までのびていて、その3つが、尾骶骨の下で「山」の字のように合流している、というから、バブルの女王も、しもしも、おったまげーである。そんでもってそれぞれ名前までついとるというじゃ、ヨガ用語で、左側をイダ、右側をピンガラ、中央をスシュムナ、そんでもって3つの管がつながるところを、カンダと呼び、山手線と中央線が繋がる処も神田だよねぇ、と連想しつつ山手線ゲームをやってもよいが脱線すること請け合いである。で、左右の管イダとピンガラは左右の鼻の孔につながっていて、片方の呼吸だけだと、一方が弱く、片方に「∪」のように流れるだけで、タンタン狸の金玉は風もないのにぶぅらぶぅらと同じで、左右に揺れ動くだけなんである。しかし、左右の呼吸が二重呼吸で両方がなんとカンダで平衡に至るとはじめて合流し、吸収したエーテルエネルギーが、おめでたく開通した中央のスシュムナに流れ上っていき、それにつられてカンダの下で眠っていた潜在エネルギーのクンダリーニが、「なんやら外が騒がしおますな、まろも加えておじゃれ」とまじ卍で解き放たれる、というのである。。鯉の滝登りや龍の昇天で伝説化しておるそうじゃ。書いていて気がついたが、この話は、まるで古事記の岩戸開きのようでもある。外のダンスにつられて、隠れていたアマテラスが招き出された話である。クンダリーニはアマテラスなのかもね。クンダリーニとは、3回半のとぐろを巻いた蛇で象徴化されている生命エネルギーの事で、医学の紋章のカドケウスの杖のイメージにもつながっている。医学の紋章になっているのは、恐らく旧約聖書のモーセがカドケウスの杖を使って悪霊を撃退した話にちなんでいるのだろうが、それはモーセが呼吸法を駆使して病気を治した、のを意味している。カドケウスの杖の話を続けると紙面はつきないので、ここでやめるが、ユダヤ人のカバラで有名な生命の樹を源流としている。生命の樹は古代人の言語体系を意味すると謎めいた事を最後にいっておこう。 さて、サハジヨガに、アーユルヴェーダというのがある。恐らくお馴染みのアーユルヴェーダは、生命科学という意味で、知られているものだと思う。しかし、それは単なる看板にすぎない。本当は人体のある処を表していて、勿体ぶらずにいえば、脳内の松果体の上で、オカルトでは第3の眼と呼ばれているところである。キリストが神殿と呼ぶときは、この第3の眼の事を指す。だから神殿は誰にもあり、閉じた眼の洞窟になっている。古代人を三つ目で表すのは、この眼が開けていたからで、仏像もそれにならっているのは、仏陀となって開眼すると、この第3の眼が青白く光輝くからである。万物を見通す目ともいわれ、生命の樹では無限光のアインソフアインと呼ばれる。神殿が御開帳で、失われたアークが取り戻される。フリーメーソンで有名なピラミッドの眼の図は、松果体と第三の眼を表し、通俗的には、イルミネーションと呼ばれている。ちなみにメーソンの階級は33位階あるが、これは脊柱骨の33個を表し、頂上に達すると、イルミネーションの第3の眼に達するから、これになぞらえてアダムハンスヴァウフトがイルミナティという悪魔組織をつくっているのは謀略論でお馴染みである。悪魔は神を語り神の偽物をつくる。いずれにしても、アインソフアインを開眼させるのが人類の地球進化紀の課題である。第3の眼は旧約聖書でモーセが、神に出合った時に神を何とお呼びすればよろしいですか?と尋ねたときに、エヘイエアシェルエヘイエと答えたのと同じで、誤訳では「我は我在る者なり」となっているが、本当は、無限光の、宇宙に満ちた1なる実在という意味らしい。唯一無二の存在というか、もう全部の存在というか、全きお方で言葉では表現できないんである。そういう創造神の事で、1つの存在だから、性でいえば両性具有で、サハジヨガでは、第三の眼を開くやり方を説いているのだが、人間もいまや男女に分かれているが、かつては両性具有で、そもそも霊魂は両性具有で、肉体に宿ると男女に分かれてしまい。創造力を失ってしまうので、失われたアークならぬ第三の眼が閉じた、という状況になるわけである。物質界で執着心を洗うはずだが、異性を求めるうちに物欲に目覚めてしまい、極まってドロドロとなっていきづまり、生と死を繰り返すうちにまたその物欲を失っていく教育カルキュラムにはなっている。物質界に生まれても、物欲に囚われるな、ということなんである。物質界で全てを失う死が必要な霊魂は性懲りもなく何度も生まれてくるだろう。死んでも失わないものを探すために。だから、第三の眼は、肉体を駆使しても、どうにもこうにも開かないのだが、失われた創造力を求めて、男は女を、女は男を求めてしまう、というわけなんである。肉体的に男女が結びついても、子供は生まれるが、本物の創造力は、霊的な結婚でないとダメなんである。霊的な結婚を説いたのが、ローゼンクロイツの薔薇十字の会というわけで、随分長くなったので、第三の眼が開く前に、お開きとする。以下に、昔、枯れ草病と呼ばれた花粉症との関係についても人智学から紹介したい。他サイトからの転載なので、文面が読みづらい。そのうちわかりやすく改変したい。 ★ ★ ★1922年12月27日にドルナッハルドルフ・シュタイナー ゲーテアヌム労働者に、「私たちはなぜ病気になるのか――インフルエンザ、花粉症、精神障害」「外的な症状とは内(精神)的な苦痛の最終的な結果にすぎない」「病気が一つの器官しか犯さなくても、人智学的治療法は、肉体機構全体における、その器官の根本を治療する。」「喉が渇いたり、空腹を感じるときは、実際に、少々病気で、飲んだり、食べたりすることで、自身を治療することになる。」だから「飲食一つ一つの行為が、実は、治療行為となっている。」(医食同源)「人体の絶えまない活動も考慮に入れなければならない。たとえ体内に何も入れなくても、例えば5時間、体内に何も入らなくても、その活動は止まない。」人智学は、この活動をアストラル体と呼んでいる。「アストラル体は決して怠けることはない。食物を破壊し、溶解し、活動を維持できるなら、内的快適さに満たされる。 そのとき、アストラル体は内的幸福感を持つ。しかしもし、食物を取り入れなければ、そのときアストラル体は満足しない。この不満は空腹感で表出される。空腹感は我々の内で安らいでいるものではない。それは活動である。静めることのできない霊魂の活動である。 この内的活動は食物と恋愛関係にあるといえる。だから、もし、この内的活動が、食物を受け止めることができないなら、アストラル体は、捨てられた恋人のように、満たされぬ思いがする。この不満が空腹感である。」 「アストラル体の活動は、食物を分解することで成り立つ。役に立つものは血管に運ばれ、残りは糞尿を通して除去される。」 「ここで次のように想像する。ある人が生まれつき、座りがちになる体質を持っている。長い時間たらたらと座り込んでいることは、その人の間抜けな頭を、いや、その人の間抜けな自我を、喜ばせる。 さて、もしその人がたらたら座り込んでいる体質を持っているなら、ところがアストラル体は歩き回る体質を持っているから、その人のアストラル体も間抜けになる。」 「アストラル体はもはや、食物を適切に仕分けすることも、適切な器官に運搬することもしなくなる。」 「栄養物質は体に必要なものなので、糞尿などで体外に排泄されることはない。となると、本来必要のない器官に栄養物質が運ばれて、そこに溜まることになる。」 「例えば、喉頭に向かう栄養が体内の別の処にあることを想像する。アストラル体が正常に働かないので、『喉頭の栄養物』は、体内の至る処で分泌される。」 最初に生じることは、喉頭が弱くなるということである。喉頭器官が十分な維持を受けられないため、喉頭が弱くなり、苦しむ。しかし、それはそれとして、体内には喉頭の栄養物が含まれ、至る処に広がっている。人体の90パーセントは、水なので、喉頭の栄養物は、この液体組織全体に溶ける。 人間が、体内に必要としている純粋で活性化された液体が、汚染される。この生体水の汚染は、体内で非常によく起こる。体内のある特定の器官に向けられた栄養物が、体内の液体組織に溶け、汚染するのである。」 「喉頭の栄養物が、体内中に溶け、それが胃と何らかのつながりを持ったとする。その栄養物が、胃で破壊を引き起こすことはない。なぜなら、胃は必要なものを保持し、何も奪われていないからである。 しかし体液は人間有機体の至る処を流れ、喉頭の領域にも浸透している。そして、喉頭は既に弱っている。喉頭は、この汚染された液体を受け取る。喉頭の栄養物が溶けている、この水を受け取る。正しく、このために、喉頭器官は病気になる。喉頭栄養物は他の器官に影響を及ぼさないが、弱った喉頭が病気になる原因となる。」人間は、他の誰かが話すのを聞くとき、ただ聞いているだけではない。非常に弱められた形で、人間の喉頭は、その話を模倣、再創造している。だから、インフルエンザに罹った人に会って、その人の話を聞くとき、たとえ、こちらが同情していなくても、内的には「その人の話を模倣し、お気の毒にと感じているので、その人への感受性が高まっている。」「人間が、体内にインフルエンザの廃物(汚物)があるとき、上級の玉ねぎとニンニクを生産するために、土壌に添加するのと、同じ物質[硫黄とリン]が、液体組織に溶けている。そして、やがて、その病人は、先の植物と同じような臭いを放ち始める。」「インフルエンザに罹った人から出る臭いのため、頭は鈍くなる。なぜなら、頭部のある器官、すなわち「感覚器」が必要とする物質が、適切に供給されていないからである。人体中に、インフルエンザ廃物が入る結果として、頭部の器官が適切な供給を受けなくなる。この臭いは必ず玉ねぎとかニンニクに似ていて、繊細な鼻の持主には探知できる。金切り声やかすれ声を、調子を合わせて模倣するように、病人が発散する調子に、自ら合わせる。その結果、自身のアストラル体、自身の活動が、乱れる。このアストラル体の混乱が、化学的基盤を引き起こし、インフルエンザに罹患させる。玉ねぎとニンニクに相応しい土壌を作るようなものである。だから、最初、病気は細菌とは無関係で、人と人との関係だけがある。」「なぜ人が病気になるのか」という問いには、シュタイナーの考えは次のようなものである。「人間を何かが害するとき。精神病ですら、何かが害する。例えば、本来の目的にない、汚染された液体には、本来の場所で消化されるべき物質が溶けこんでいる。この本来の目的にない汚染液が、害をなす。」インフルエンザから花粉症に目を転じると、花粉症の発生は、空気中の花粉よりも、季節によると、シュタイナーはいう。花粉症に罹り易くなる最大の原因として、「アストラル体が適切に物質の排出を行なっていない」ことを挙げる。春が近づき、あらゆるものが水中で成長をはじめるとき、人間の液体組織もまた敏感になる。そういうとき、この液体組織、すなわち「水人間」=エーテル体に様々な物質が溶け込み易くなる。そうすると、人体の液体組織が通常よりも、少し薄く広がることになる。「花粉症に罹り易い人の液体組織は常に幾分大きすぎる。液体は液体内に溶解するものによって、四方八方に押しやられる。このように液体組織が乱されると、人間は、春に出現する全てに敏感に反応するようになる。特に、植物から放たれる花粉は格別刺激が強い。」だから花粉が花粉症を発生させるのではない。花粉は花粉症を悪化させる。人智学の洞察から作られた花粉症予防薬の効能へと話が移る。膨張した液体組織を1つにして、少し濁らせて、最初に溶け込んだ不適切な物質を外へと排出させ、その薬を注射した後で少し汗をかくようにすればよい。ここから興味深い事実が明らかになる。発汗作用は、このようなアストラル体の調整に役立つということである。もし寝汗をかくことがあれば、まして夜尿症に悩むことがあれば、明らかにアストラル体の問題を指し示している。子供の場合にも、細心の注意を払う必要がある。恐らく、少年犯罪者の生い立ちを調べれば、このような考え方の正当性とは言わないまでも、少なくとも、方向性の正しさは立証可能だろう。また、だからといって、性急に、人智学の花粉症薬を求める人を諌めるよう、シュタイナーは言う。医者は患者が便秘でないかどうかを、まず確認すべきである。便秘の人は液体組織が更に濃縮されて益々外へ出づらくなるからである。「便秘の人は花粉症薬の注射と一緒に、通じをよくする薬も投与しなければならない。」「真に効果のある治療をする場合、医師は、どの薬がどんな病気を治すのかを知るだけでなく、患者にどのような質問をすべきかをも知ることが大切である。偉大なる医術は正しい質問を行うことと、患者をよく知ることにある。この事は非常に重要である。なのに、おかしなことに、患者に年齢さえ尋ねない医師によく出会う。年齢を尋ねることは非常に意味がある。同じ治療方法を用いるにしても、医師は、例えば五十歳の人と四十歳の人とでは、全く異なった方法で治療する必要がある。治療では、(年齢等体質を考慮せずに)図式的に「この薬は、この病気に効く」としてはいけない。」例えば、犬と猫という身近な例を挙げる。犬は便秘がちで、猫は下痢気味である。だから犬と猫に薬を与えて、作用の仕方の違いを観察するとよいと思う。「人間は『物質人間』だけでなく『水人間』であり、更に、…『空気人間』でもある。『空気人間』は一瞬ごとにその形を変える。この瞬間には空気は外にあり、次の瞬間には内にある。」既に不要になった固体物質が身体の液体組織に溶け込むように、「体内の水自体も、絶えず蒸発している。」「土壌の水が蒸発すると、大気の中へと立ち上るが、水人間の中で、水が絶えず微量ずつ蒸発すると、吸い込む空気(大気)の中に侵入する。」「特に、肺がおかしいという人には気を付けるべきである。というのも、その人の中では何か、先に述べたようなプロセスが起こったからである。この人は、恐らく肺病になるが、もし水人間の中に不当に沈殿した物質により生じた肺病なら治療できる。しかし、いまは肺病が、表面(徴候)に現れるほど悪化していないものと仮定する。何と言っても、人間の身体器官とは敏感である。肺が炎症を起こすほど強く犯される状態にまで至らなくても、少しばかり具合が悪くなる。人間は、このような軽い病気には耐えられるが、実際、肺に浸透すべき物質が、液体組織に入り込んでしまう。この場合、肺の中の液体は不適当な物質を溶かし持つことになる。そして、このような汚染物質は、特に肺がすっかり健康とはいえない場合、蒸発する。」不適当な(汚染)物質が水組織に溶け込むだけでなく、蒸発して、吸い込んだ酸素と混じり合うようになると、神経組織に害を及ぼす。神経組織は健全な酸素を必要とするのに、水人間の汚染された液体が蒸発し、汚染した酸素が入り込むからである。肺において、このような蒸発が生じると、肉体的な疾患にならなくても、いわゆる精神病になってしまうと、シュタイナーは言う。「いわゆる精神病は、実際には、字面通りの精神病などではない。なぜなら、精神、或いは霊は病気にはならないからである。精神病は、体液が不適当に酸素の中に蒸発して、神経組織に分配されることにある。」だから「自分の液体の中には、何も不適当な汚染が広がらないよう、更には液体が不適当に蒸発しないように、人は絶えず物質を正しく管理、処理しなければならない。しかし、日常の生活でさえ、水を不適当に蒸発させることがある。そして、喉が渇いたときに、この事に気付く。」このように興味深い特徴づけが行える。喉の渇きは精神疾患への傾向であり、空腹は肉体の病気への傾向であると、シュタイナーは言う。それから、非常に実践的な提案をする。「状況によって、渇きをうまく癒せない場合を探知するのが困難なときがある。特に乳児期である。乳児期には、飢えと渇きを明確に識別できない。両方ともミルクで満たされるからである。だから、もし母親や乳母の乳を通して有害なものが組織に入ったなら、ずっと後になって、液体組織が不当な蒸発をしたとき、いわゆる精神病を導く原因になることもある。また次のような場合もある。ある人が間違った接種を受け。牛のリンパや病気の人のリンパのなんらかのものを間違った選択をして接種すると、たとえ、水組織自体が直接病気にならなくても、水組織に作用する諸器官が苦しめられる。不適切な接種の結果、蒸発過程(プロセス)が正しい機能を果せず、やがて何らかのいわゆる精神病に罹り易くなる。」「今日非常に多くの人々が早発性痴呆症…に悩まされているということに、既に気付いている人もいるだろう。この病気は、若い時期に、いわゆる精神が崩壊し始めるのだが、その大部分は乳幼児期の間違った食事の類に起源している。赤子のミルクを化学的に調査するだけでは十分ではない。全く異なる側面を吟味すべきである。現代になって人々は食事に関心を払うのを止めてしまったので、この病気が恐ろしい勢いで発生している。」「今まで述べたことから、この病気には、この治療がよいと知るように医者を訓練するだけでは十分でないと、気付くだろう。生の総体を、健全にするように努めなければならない。そのためにはまず、健全な生に関連する全てを発見しなければならない。人智学は、この理解を与えることができる。人智学は、衛生分野でも有効であることを目的としている。人智学は健康の諸問題の正しい把握を望んでいる。」 ★ ★ ★人体内の固化と液化の関係は、腫瘍と花粉症の関係に似ている。
2019年03月18日
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歴史科学捜査班なる番組を先日みたが、あまりに滑稽でバカらしく思えた。このような科学を語って全く科学ではない内容には呆れてしまう。 まるで、現インチキ政権の買収された御用学者のようである。 それに比べて、陰謀論とされている、先日読んだ、加地将一氏の「禁断の幕末維新史」方が遥かに素晴らしいと思う。 このブログでも度々紹介している、八切史観に出会って、日本史の謎が解けた。明治維新とは何だったのか、戦国時代の天下統一とは何だったのか、全ては白村江の戦いからの、古代史からきているのである。 戦国時代の信長も、明治維新の西郷さんも、部落民の出で、部落民に対する差別を撤廃したかったわけで、だから信長も仏教徒を弾圧して、部落民にも商業権などの特権を与えたのが楽市楽座で、寺管理の農奴を解放したのも、信長の天下布武だったわけである。 農奴に刀を与えて武士にして、仕官させたのが信長だったわけである。仏教徒から位階を奪い、家臣に分け与えたから、部落民の農奴は、織田家に仕官したのである。 その際、大陸から持ってきた賭博のバサラ茶を、つまり仏教徒の位階を、わびさび茶の、部落民の源流である原住民の古代文明への忠誠心に変えたのが、後に利休で有名な、千宗易で、だから利休は仏教徒には不人気だったわけである。 唐由来の茶器文化を、原住民由来の茶器文化に変えたわけで、最も当時は茶器だけではなかった。秀吉が、利休を斬首したのは、豊臣家に反乱するほどの勢力をもったのと、秀吉が仏教徒の頂点の天皇に成り代わって、仏教徒に嫌われていた利休を犠牲にしたのだろう。 さて、その全く科学ではない出鱈目な番組では、龍馬暗殺について明治維新以来の通説の京都見廻り組が犯人と結論づけているが、歴史の流れを全く無視している。 当時、幕府側の活動をしていた龍馬が、幕府側から暗殺されるわけがなく、慶喜の命を受けて永井玄蕃が身柄を保護している限り、ありえない話なのである。京都見廻り組の犯行だと、慶喜が殺せと命令したことになるわけで、その後の歴史経過をみれば、慶喜は自分の首を自分で絞めるバカ丸出しの殿様となる。 一歩譲って、永井玄蕃の単独の命令だとすれば、その後の薩長有利の歴史経過から、玄蕃は腹切りものである。京都見廻り組の犯行だとすると、永井玄蕃か、慶喜がバカだということになる。 大体、当時の幕府が自分たちの損になることなどするわけがない。常に身柄監視の人物を付き添わさせていたはずで、加地氏によると、龍馬の幕府側の監視役は海援隊の部下の白峰俊馬だという。 だから、幕府側が龍馬を暗殺するなら、白峰俊馬がキーパーソンとなるはずだろう。 では、当時の情勢から、龍馬暗殺を考えるために、八切氏の西郷論の龍馬暗殺を紹介する。 ★ ★ ★「岩山八郎太の娘いとと祝言せい」と、慶応元年一月二十八日39才の西郷は新郎にされた。 「今度が三度の上の目か」未体験のおごじょの嫁を、いとおしむよう優しく扱かって、「おいどんの上へ跨がるがよか」といった。 久しぶりに新婚気分を味わっているのに、「京へ来ちょくれ」と大久保がいってきた。「長州が割拠というて独立ばすると、高杉とか桂らが騒いどる、また長州征伐だそうな」物騒な知らせが入ってきた。西郷はすぐ、「おはん長州へ行け」と黒田了介をだした。 その結果が、松平容保を親任されていた孝明帝の急死となった。少年の帝がたたれた。 「今でごわす。出京して九州独立のため京坂を国境にして、長州に守らせたらよかでごわそ」大久保に言われた通りを久光へ報告した。「念願のハヤト国か」島津は開戦をきめた。なのに坂本竜馬の進言で、土佐山内容堂が、徳川慶喜に大政奉還させてしまった。 「ふらちなやつだ、殺したれ」大久保は怒り、西郷には内緒で刺客をむける算段をさせた。が、和平気分が京の御所を支配しだした。「弱り、もうした」西郷も首ひねってしまった。「長州へ落ちのび今では九州大宰府の三条卿以下の復位。正式に岩倉具視の処分解除」そして、その日新帝の母方の中山忠能卿は、土佐の陸援隊へ高野山を占拠するため出動させて、御三家の紀州藩の牽制をさせていた。薩摩の大久保から、「御玉音で、勅許がおりた」と発表された。 だからして大村益次郎のごとき単細胞は、「・・・・まったく訳が分らん。御国(長州)はどないになるんじゃろ」眉をいかめ考えた。 12月9日。徹夜の会議がすんで徳川慶喜が退出した後、岩倉具視が参内して、はっきりと、王政復古」を奏請した。帝はまだ幼少。 朝までは和平会議だったが、恐い顔をした岩倉具視に奏上されると、脅えたように、「あッ、そう」とだけ言われたという。 大阪から御所へ参内した徳川慶喜は、なんとかして平和的にと会議している間に、薩摩の大久保と岩倉がどんどん戦争の用意をした。「まるで平行線じゃ。どうなるんじゃろうな」大村益次郎も双方の情報をきき迷っていた。 しかし岩倉と大久保は三井に命じて銀の有るだけを出させ、土佐だけでなく安芸の広島から尾張、越前といったインフレで困惑している雄藩に、みな金のクツワをかませた。 よく、義理と人情をハカリでかけりゃ、義理が重たい男の世界と唄にまでされている。が義理とは困った時に金を貰ったり、その金で助かることである。人情とは単なる感情である。つまり感情より勘定の方が重いというのである。雄藩連合が三井の銀で成功した。小栗上野介の信任をえて弾左ヱ門家や徳川家の一切合財を押さえていた三野村利左ヱ門を迎えて番頭にした三井は、その金を逆に岩倉へ廻し討幕資金にし鴻池を蹴落した。それも現銀でなく為替紙を発行してあてた。「土佐の山内容堂侯は内ゲバせんとなんとかまとめようとしたというが、西郷が凄い目つきで、文句があるなら徳川より土佐を先に血祭りにあげると脅かした。海援隊はあっても坂本が死んでは何も期待できんし、陸援隊も中岡なき後は薩摩の傭兵化して中山卿についている。土佐も仕方なくうなづいたそうだ。いったい、どうなっとるぞなもし・・・・」 ★ ★ ★ 薩長は土佐を討幕側にするために、中岡に、坂本を殺させたのである。 だから、黒幕は大久保と岩倉、このコンビで孝明帝も毒殺(便器で刺殺という説もある。)された。 実行犯は、中岡らの陸援隊士で、補佐役が土佐の谷干城と、薩摩の大久保の片腕の吉井幸輔。 この加地氏の龍馬暗殺説が真相に思われる。 そして京都見廻り組はひょっとすると、龍馬でなく、中岡の暗殺を狙ったか、龍馬を保護しに偵察してたのが、現場を目撃してしまい、情報のもみ消しに走ったのかもしれない。 新選組の犯行にすれば、会津藩預かりなので、慶喜ではなく、松平容保の命令になり、幕府ではなく、会津藩のせいにして、目を逸らせる。 また幕府側からみると、京都見廻り組は土佐を討幕側につかせないために、中岡暗殺を狙うことはありえるからである。つまり、龍馬が中岡を誘き出して、京都見廻り組に撃たせる手筈だったのが、逆に中岡に先手を打たれたのかもしれない。 龍馬が討たれて、土佐は薩長に靡き、討幕側に加担し、討幕に反対した、討幕の英雄として龍馬伝説をねつ造するのだから、嘘の上塗りで皮肉である。後の西郷も英雄として実像とは逆の存在に仕立て上げられるのだから、明治政府は嘘塗れである。 いずれにしろ土佐藩内での内ゲバで、恥を晒すので、暗殺の真相は語られないわけである。 だから、田中光顕が、土佐藩の恥になるので、「あれは語ってはいけない」といったわけなのだろう。
2019年03月16日
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今更ながら、いま是非読むべき本を紹介する。 それは「世界でバカにされる日本人」という本である。https://bookmeter.com/books/13050606 日本はクールなんかではなく、クルクルパーのダサい三流国である、という現実を教えてくれる本である。 実際は、世界からバカにされるほど、日本のことなど知られてさえいない、というのが現実である。米国は、日本のことを、例えるなら、日本が台湾を考えるほども考えていない、というのが現実だろう。ましてやヨーロッパは、極東で反対側だから、中東よりも端の遠い国としか思っていない。 日本でいえば、日本人が沖縄を考えるぐらいも考えてはいない。 アジアでは、先進国とされているので、韓国や台湾が隣国なので、日本のことをよく考えているが、中国やロシアは、米国ほどは考えていない。共に主にヨーロッパの方に目が向いていて、日本は米国のつけたしみたいな感覚だろう。 そんなぜんぜんイケてなくダサい国の裸の王様ぶりを皆がみえないふりをしている。 裸の王様を裸だと叫ぶ少年がいないのが、この国の不幸である。国民総出で見て見ないふりをしている。騙すゴミなんか裸ではないと叫びまくる始末なのである。 改憲テロ総理を代えることが一刻の猶予なく即座に必要なのに、誰も代えようとはしないばかりかその片棒を担ぐ始末。 結局、この国は、先進国からみればガラパゴスなんである。 観光立国を叫んでいるが、それは物珍しさで来ているにすぎない。 恐らくその大半が幻滅して帰っていくだろう。特にアジア人はこのような国にならないように教訓を得て帰っていくだろう。 確かに優れている面もある。それは下層民の勤勉さである。 例えば、司馬遼太郎の本で読んだが、戦後にソ連と米国が、日本軍を評価したところ、共に、兵隊は優秀、下士官は並、将官は劣等というものだったそうである。 日本史を調べてみればわかるが、白村江の戦いから、大陸からきた渡来人が、坊主となって仏教カースト制度をもちこんで、上級国民となって、土着の原住民たちを支配してきた名残が残っていて、後に、日本帝国軍となった長州軍の元となった奇兵隊が、酷いカースト制度の階級支配だったのが、受け継がれているのである。 被差別された部落民を騙して連れてきて最前線に送る手法が、日本帝国軍の基本となっているから、無謀な作戦も実行に移されたのである。一言でいって、下層民の人命軽視、上級民の過大妄想が、日本軍の実態である。 要するに、明治維新は看板を挿げ替えただけで、精神的な中身は中世となんら変わりがないどころか、互いの人格の競争がないから、責任をなすりつけあって、かえって劣化している。 だから、外国人がきて驚くのは、この国の外見は現代風だが、中身や内容は古風というところにある。洗練された欧米人は、アホ総理やこの国の政治家などは、その言動やTPOをわきまえない身なりでバカだとすぐにわかるはずである。 とにかく考えが古く、無能だとわかるから、できるだけ搾取してやれと、無理難題を吹っかけてぼったくってバカにする。欧米人は一応伝統だけは儀礼として重んじるから、天皇に面会するのである。 米国は日本のことなど一ミリも考えてはいない。考えている振りをして金銭をぼったくっているだけである。考えてやるから、米国口座に振りこんでね、って感じである。それがジャパンハンドラーズである。 しかし、古いのが全て悪いわけではないから、特に古い大衆文化の浮世絵や和食などが、人気になるわけである。人気といっても、日本だけで知られている人気であって一発屋のブームみたいなもんになるだろう。物珍しさがウケてるだけである。 つまり、この国の下層民は素晴らしいが、中級民、いまでいえば、マスコミや財界人などは並で、上級民の政治家や官僚などは劣等なのである。 それでもアニメが素晴らしいという日本人もいるかもしれないが、所詮アニメは空想の世界で、現実ではない。子どもには必要かもしれないが、大人には現実ではない。 アニメの神様の手塚治氏が、所詮アニメは哲学にはなりえないと言っているくらいなのである。 哲学は現実を捉える点で、アニメとは大きく違う。王様の裸がみえない子どものような中身の日本人が増殖中だ! もう一度、東京裁判が必要になるときがくるだろう。今度こそは日本国民の下層民の手で裁きたいものである。東京裁判が厳密に行われていたら、現バカ総理などは産まれてこなかったはずである。 というわけで、最後にお馴染みのサイトから紹介する。 この国を亡ぼすバカ者である。 ★ ★ ★http://my.shadowcity.jp/2019/03/post-14897.html実質賃金暴落は間違いなし春闘がメタメタで、前年比割れ、これで増税なので、実質賃金の暴落は間違いなしだろうが、まさに、破壊神アベシンゾーの本領発揮といったところだw 賃金の上昇分が消費税の上昇に追いつかないというのが決定。また一年、暗黒の時代が続く。2019年春季労使交渉(春闘)で、自動車や電機などの主要企業が13日、労働組合の賃金要求に対して一斉に回答した。基本給を底上げするベースアップ(ベア)は前年水準を割り込む企業が相次いでおり、賃金上昇を起点とした消費拡大に黄信号がともる結果となっている。安倍晋三首相の賃上げ要請に応える「官製春闘」が支えてきたアベノミクスは正念場を迎えている。 今年は増税があるというのに、増税のなかった去年以下というんだから、これを不景気と呼ばずして何と呼ぶw
2019年03月14日
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コンビニで面白い本をみつけた。「幕末通説のウソ」という本である。このブログでも何度も紹介してきたが、通説の多くは、明治以降につくられたフィクションである。 そのことがわかる本である。 歴史というのは、端的にいって、人類が差別をつくり、その差別を克服してきた時系列ともいえる。権力を手に入れたい者は差別制度をつくるが、権力が腐敗すると、その差別制度を破壊する者が現れ、また異なる差別制度をつくる。 この繰り返しである。 キリストや釈迦は差別をなくそうとして現れたが、差別制度を好む大半の人類により、この世から追い出されてしまったわけである。しかし、差別制度を無くそうという思想だけはいまも残っている。 それは人類のはじめにはなかったし、人類が究極に進化した社会にはなくなるはずだからである。 初歩的究極的には差別はなくなるのである。 しかし、まだまだその道のりは遠い。 そもそも、偉人なる呼び方そのものも差別だからである。本当の偉人は自分を偉人とは思わないはずだからである。恐らく、どんな人も差別しないように努力してきたと語るだろう。非常に謙虚な人に思われるからである。 歴史上の重要な人物という言い方も差別である。歴史をつくるのは数人ではないし、単に記録に残る代表的な、特に表立って目立つ人物だったにすぎないからで、その裏には何万人、何億人と生活を営んできたからである。 例えば、非常に有名な、「天は人の上に人をつくらず」というセリフがあるが、これは福沢諭吉が語ったものと多くの人が思いこんでいるが、「学問のススメ」には、世間ではそういう風にいわれているが、これからは、学問をすることで、立身出世できるというのが、諭吉の主張なのである。 つまり、学問をすれば、当時の身分制度を越えられるという主張なのである。簡単にいえば、江戸時代の藩閥が、いまでいう学閥になったわけである。これは表面的な体裁だが、裏では、古くからの被差別民である部落民の解放運動にもつながったわけである。部落民でも学があれば、奴隷ではなく、平民扱いを受ける、というものである。 明治維新の意味は身分制の差別撤廃にある。西郷も、大久保も、郷士といわれているが、実際は、部落民で、士族ではない。少なくとも、朝廷から認可を受けた武士階級ではないから、郷士とされているのである。 薩摩の島津斉彬が、部落民出の西郷、大久保を抜擢して、薩摩の政体を改革しようとしたから、薩摩はお家騒動となったのである。斉彬にとっては、藩を改革するには下忍を使わざるを得ない事情があったわけである。実際、やりすぎて病死として殺されてしまう。 明治維新の本当の意味は、日本列島古来からの王を立てて、大陸由来の王を排除するという意味だったのである。日本列島は統一されておらず、各藩ごとにそれなりの王、当時は「玉」を抱えていたのである。古くから権力闘争を続けていたのである。ただ、戦国時代は武力闘争で大幅に行われたから、語り草になっただけである。 江戸時代の身分制度は士農工商というのも嘘で、朝廷を冠した仏教徒が上位で、中位に武士階級、それ以外は農奴や部落民というサンカというのが実態だったらしい。戸籍は仏教徒の寺が管理していた。それはつまり、仏教徒が人身売買をしていたというのである。 そもそも、「庶民」という言葉は、売 春 婦の子という意味をもつ。だから、庶民は差別用語なのである。寺で坊主が、人身売買で産ました子という意味がある。当時は、仏教だけでなく、キリスト教なども人身売買していたのである。それはいまでも人権無視のブラック企業があることでわかるだろう。 こんなことは表立って書けないから、日本史には一切記述がないのである。寺に大麻という漢字が使われているのは、大麻を使って奴隷を管理していた名残だからである。いまでいうキャバクラやホストクラブ、芸能界みたいなものである。当時の坊主は、社交界で有名な、芸能界のタレントみたいなものである。 仏教界の上層部はいまのマスコミみたいなものと考えられる。そう考えれば、ほとんどが地獄行きになることがわかるだろう。地獄に行ってから染まることなく、独力で這い上がるために、いま生きているのである。 だから偉人なんていってもぜんぜん偉くないどころか、俗物なのである。むしろ、偉人とされる人物ほど、地獄に堕ちて抜け出せないでいる可能性が高い。 偉人とされる人物の矛盾を考えるのに、良い本を歴史の本とすべきだろう。
2019年03月01日
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