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物質界は善と悪のてこの原理で動き光と闇の天秤の原理で観測されている以前、学問という意味での、哲学は、自分の能力を制限している過去の呪縛から、解放を願う祈りだと紹介してきたが、前回人間が神の記憶喪失だと紹介してきた意味で、今回は哲学的命題からはじめてみたい。以前、神と仏の違いをオカルトで紹介したが、哲学でいうなら、神は人間のように記憶喪失にならなかった霊魂や意識で、仏は記憶喪失から回復した霊魂や意識といえるかもしれない。そこで、次のような命題を考えてみたい。神にあって人間にないものは沢山あるが、人間にあって神にないものは何か?という問いについて、例えばAIの回答では以下になる。人間にあって神にないものは何か?AIアシスタント『一般的に、人間にあって神にないものとして、「イコール(=)」の概念が挙げられます。これは、人間が抽象的な思考によって作り出した概念で、チンパンジーでさえ理解できません。また、哲学的な視点から見ると、人間は「無知を知る」ことや、「美学」「哲学」を学ぶことができます。人間にあって神にないものとしては、以下の可能性が考えられます。🧠 脳の働き抽象概念イコール(=)など思考無知を知る哲学を学ぶ』このAIの回答から、確かに、「無知」は、人間にあって神にないものといえる。しかし、それ以外の、「抽象概念、イコール(=)など、思考」は、人間が、神から与えられた知性なので、神にないものとはいえない。聖書でお馴染みのように、人間は神に似せてつくられたわけだから、神の分身ともいえるわけで、神が主体で、人間が客体ともいえる関係と考えられるからで、神がクラウドサーバーだとすれば、人間はそのネットワークにアクセスする端末の関係に準えられるだろう。だからして、このAIの回答から、「無知」だけが、人間にあって神にないものといえる。しかし、人間が無知を自覚するには、無知を越える知識が必要で、知識を語っている時点では、その無知を自覚していないことになる。つまり、人間には無知があるのだが、その無知が具体的にどういう知識の欠如で何なのかが、人間が知識を語っている時点で、無知なので、その無知がわからないというジレンマを同時に合わせもっていることになる。人間には無知があるのに、その無知がなんなのか、どういう知識が欠けているのか、無知なのでわからない。ソクラテスはこの無知を知るために無知の知を提言した。つまり、人間は神の記憶喪失なのに、神の記憶がなんであるのか、わからないから、哲学を必要とするので、哲学を、自分の能力を制限している過去の呪縛から、解放を願う祈りだとすると、どうしても人間を超えた存在、神々との対話が必要となる。古代ギリシア人よりも遥かに劣って無知な現代人は、無神論的な唯物機械論に洗脳されているので、神の記憶喪失として、以下のようなソクラテスメソッドなる代替法を編み出しているが、本来のソクラテスの対話法は、次のようなAIの回答の、一種の霊感で、インスピレーションを呼び起こす方法に近い。第57回 ソクラテスメソッド | 広島大学神との対話 ソクラテスAIアシスタント『ソクラテスには、神(神託)との対話を通じて自身の「無知の知」を自覚し、その問いを人との対話にも広げていったというエピソードがあります。🎭 神との対話の経緯ソクラテスが神との対話(神託)に至った経緯は以下の通りです。デルフォイの神託ソクラテスの友人がデルフォイの神託を受けた。その内容は「ソクラテスより知恵のある者はいない」というものだった。ソクラテスの疑問ソクラテス自身は自分が一番知識があるとは考えていなかった。そのため、当初はこの神託を信じなかった。神への信頼と探求しかし、「神に嘘はない」と考えたソクラテスは、この神託の真偽を確かめるため行動を始める。街に出て人々との対話を通して、自身と他者の知識について探求した。🗣️ 人との対話への展開「神との対話」によって、ソクラテスは人との対話へと行動を広げます。「無知の知」の発見街の人々との対話を通じ、ソクラテスは多くの人が「自分は知っている」と思い込んでいるだけで、実際は知らないことを自覚していないと気づく。これが「知らないことを自覚している」というソクラテスの「無知の知」に至る。対話の目的ソクラテスにとって対話とは、相手に自らの無知を自覚させるための方法だった。相手からの答えを引き出すことで、共に真理を探究した。ソクラテス自身は著述を残さず、対話による問答法を重視した。』このAIの回答の、『「神に嘘はない」と考えたソクラテスは、この神託の真偽を確かめるため行動を始める。街に出て人々との対話を通して、自身と他者の知識について探求した。』というように、ソクラテスの無知の知は「神託」、つまり俗に言うインスピレーションを確かめるための作業が対話という形をとったのである。このソクラテスの無知の知を、いわばスピ系用語で解釈するなら、高次元の宇宙人のクラウドサーバー、いわゆるアカシックレコードにアクセスできなければ、人間は無知蒙昧で、必ずや何パーセントかの嘘をつく、ということになるだろう。だからして、無知の知とは、自分が嘘をついているのを自覚させる対話法なのである。だから、人間は嘘つきだから、常にその嘘の検証が必要というのが、ソクラテスの対話法なのである。つまり、人間が無知だからこそ、嘘がつけ、その嘘を当人が自覚できないから、地上に悪魔崇拝の自由な宗教が蔓延り、論争、闘争、戦争が巻き起こるわけなのである。ましてや権力者などは権力を悪用し巧妙に嘘を押し付けるわけである。人間が嘘つきなのを自覚できないから、相手との対話を通して嘘を自覚しないと論争、闘争、戦争になってしまうわけなのである。このソクラテスの対話法の真逆にあるのが勝ち負けの論争のディベートといえるかもしれない。ディベートは、まるで嘘宗教の信者でもある。しかし、ディベートは人間の自由な嘘の検証には有効ともいえる。ソクラテスの対話法もディベートも人間が自由に嘘をつくことや無知だからこそ有効だからである。嘘を嘘として楽しむのなら、嘘も方便だが、嘘を悪用して人を騙すから有害なのである。だから、神にないもので人間にあるのは、無知故に、嘘をつくことなのである。神は自由に嘘をつくことができない。嘘が本当になってしまうからである。だからして、神の言葉はロゴス=法といわれる由縁なのである。神と人間の違いはこの点にあり、だからして、人間は神の記憶喪失でないと、自由に嘘をつけなくなる。人がつくる法は破れるが、神のつくる法は破れずに、破ると、当人にその報いの天の配剤で罰せられる。ある意味、逆説的にいうなら、人間は無知の上に自分をつくっているといえるかもしれない。つまり、ありったけの知っている経験から自分を集めてきて、無知との境界の上に自分という存在を構築しているともいえる。だから、新しい経験をするたびに、無知との境界が広がり、自分の無知さを糧にして無知の知により再生している、といえるかもしれない。要するに、パソコンのOS(オペレーティングシステム)のようなものかもしれない。例えば、コンピュータのアルゴリズムを開発したアランチューリングは、間違えることで数学が発展するのを、チューリングマシンで示した。アラン・チューリング - Wikipediaチューリングマシンとは?コンピューター・ソフトウェアの生みの親アラン・チューリング | パーソルクロステクノロジー株式会社『「数学者はいち早く現実を受け入れ、それを前提に新しい数学を構築していく必要がある」 そう考えたチューリングは、代数学の世界でも数学の不完全性を証明しようと考えます。』つまり、チューリングは、数学の不完全性から、数学の発展性を証明したのである。人間が不完全だからこそ、人間はこの世を体験し、霊魂を発展させ得るわけでもある。この不完全な自由こそ、神にない、人間だけの特権で、この世に生まれ、いま生きている、という感動なのである。当初、人間にあって神にないもの、という命題には、「悪を志向する自由」で、「悪に接し、悪を善にかえる働き」というオカルト的な答えを想定していたのだが、先のAIの回答から、「無知」に気づかされ、自分の無知さを改めて認識させられた。だから、無知というのはそれだけ自由でもある。というのも、悪とはTPOが間違った善だからで、無知というのは間違える可能性があり、悪を志向する自由でもある。そして、なによりも、その嘘の土台となっている、人間にあって神にないものは、この世を生きる感覚と、肉体での経験で、またその死なのである。この低次元の闇の世界を生きる経験は、人間に与えられた特権でもある。本来、宇宙は無限なのだが、人間が無知故に、その無知な感覚で捉えきれるのは、狭い三次元空間だけなのである。しかし、そこには高次元世界にない、自由がある。その自由を生かすも殺すも自分次第なのである。さて、このブログでは毎度のことながら、巷の偏向報道が酷いオールドメディアのNHKやTBSやテレ朝の相変わらずのインチキぶりを紹介してきたが、ソクラテスではないが、狂ったソクラテスと言われたディオゲネスの、ネットフーテンの寅として、地上人の悪魔崇拝ぶりや悪魔が与えた唯物論への洗脳度、つまり地上人の無知度を観測するのにはよいから、参考程度に、特に科学番組やオカルト番組をみているのだが、科学番組はそれなりの研究者を呼んでいるのでまだマシだが、オカルトについてはあまりに無知蒙昧なので呆れ果ててしまうばかりである。そもそも聖書の意味を唯物論で解釈しようとするのが間違いで、例えばエドガーケーシ―にいわせれば、そのような無神論そのものがアンチキリストの悪魔崇拝の危険思想なのである。神の否定も危険思想だが、人間が勝手につくった神を崇め奉るのも危険思想である。だからして、そのような危険思想で、聖書を解釈しようとする行為自体が無知蒙昧の神への背徳行為といえるだろう。そのオカルト番組は、不老不死をテーマに歴史上そのような永遠の生命を手に入れた人物を紹介していた。その人物はサンジェルマン伯爵で、解説者として数人が出ていたが、荒俣宏氏が少しオカルトの知識がある以外は、他の人たちは無知蒙昧で、それも荒俣氏の話を他の人たちが唯物論に染まっているために理解できずに、荒俣氏が浮いた存在になり、無駄な議論で終わっていたのが、物足りなさや不甲斐なさを感じた。荒俣宏 - Wikipediaその番組での、サンジェルマン伯爵の扱いは悲惨なもので、ある意味で詐欺師のように捉えられていた。そもそもサンジェルマン伯爵の紹介にも何点か誤りがある。以下のウイキの解説をみれば、サンジェルマンに敵対したショワズール公爵がサンジェルマンを罠にハメようとゴウという人物にサンジェルマンに扮して偽装工作をした話を、サンジェルマンとして番組が取り上げていたのがわかる。NHK番組のほとんどがこのような偽装工作をするので、NHK自体が信用できない団体なのがこの番組からもわかる。このような子供だましで洗脳番組をつくるのだから、悪魔の申し子というほかはない。ちなみにウイキの解説は以下である。サンジェルマン伯爵 - Wikipedia『ルイ15世の寵愛とショワズールの関係サン・ジェルマンは王と親しい関係を結ぶが、ルイ15世の重臣ショワズール公爵 (duc de Choiseul) が彼を疎み、その信頼を貶めようと策を巡らせた。ショワズールはゴヴ (Gauve) と云う名の道化を雇ってサン・ジェルマンに変装させたという。ゴヴはサン・ジェルマンの風体で各地のサロンに顔を出し、ありそうもないほら話を吹聴した。アレクサンダー大王と杯を交わしたであるとか、イエス・キリストに恐るべき末期を予言された、などといった大言壮語である。 程無くしてゴヴの活動は露見し、その正体が明かにされることとなった。ショワズールの企みはサン・ジェルマンをペテン師に貶めることにはならず、むしろ逆にその威光を増すこととなり、一層ミステリアスなオーラを与えることとなった。 ショワズールは1760年になって漸く、サン・ジェルマンをスパイ容疑で告発することによって宮廷から厄介払いした。この結果、サン・ジェルマンは名誉を著しく損なわれてオランダへと逃れることとなった。これ以降、サン・ジェルマンの足跡は、イギリス、イタリア、ロシア、ザクセン及びプロイセンなどヨーロッパ各国で確認され、様々な地で、顔料と色彩についての自身の研究を披露しようとしたことが分かっている。』サンジェルマン伯爵については、以前このブログでも紹介したが、シュタイナーが別名カリオストロ伯爵として、「神殿伝説と黄金伝説」という本のなかで、錬金術で永遠の生命を獲得し、フリーメーソンを再生させた人物としても紹介している。神殿伝説と黄金伝説 シュタイナー秘教講義より[本]神殿伝説と黄金伝説 / シュタイナー,ルドルフ【著】〈Steiner,Rudolf〉/高橋 巖/笠井 久子/竹腰 郁子【訳】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア楽天ブックス: 神殿伝説と黄金伝説 - シュタイナー秘教講義より - ルドルフ・シュタイナー - 9784336039781 : 本実はシュタイナーのこの幻の本を読まなくても、サンジェルマン伯爵は、最近の日本のオカルト界隈では以下のチャネラーの動画で、すでに有名である。「セントジャーメイン」と日本語読みで訛って呼ばれているが、以下の動画をみれば、どのような人物なのか大まかにわかる。【総集編】地球の状態を正すために高次元の存在がしてきた提案 - YouTube【総集編】戦争も宗教もない"もう一つの地球"のお話 : 清水浦安先生へインタビュー - YouTube「高次元からの声が聞こえる」もうひとつの地球へ行った男性…そこで見たものとは?/高次元からのサインを受け取る/クマ被害の真相/◯◯な生き方を終わりにする/お金に困らない宇宙の法則 - YouTube【神回】いま明かされる宇宙法則の真実。“使命”を知る方法とは?/人間が創られた理由/嫌なひとが目の前から消える/同じ現実パターンを繰り返す理由/偽の喜びと真の喜び - YouTubeこれらの動画のなかにも何パーセントかの無知故の誤解釈の嘘があるだろう。その不完全性を、オカルト的な対話によって、論争するのではなく、自らの無知を自覚し、自分の知性を改めるために、より発展させるために、認めるべきである。自分の知性を無知により殺して、不完全性に死を与え、新しく再生させ、発展させるべきである。いわば、禅の「仏陀に会えば仏陀を殺せ」である。論争のために、相手の意見を否定するのではなく、自分の無知蒙昧さを否定するのである。対話によって、善と悪との、てこの原理を、光と闇の、天秤の原理で、自分のなかの闇を観測すべきである。そのための動画を以下に紹介する。地球には異世界が400ある - YouTube次元とは〝箱の自由度〟だった!?この世界の構造を解き明かす - YouTube人生を根本から変えることすらできる魂の力: 光田秀先生×入江富美子さん インタビュー【後編】 - YouTubeクンダリーニと惑星の関係【前編】生まれる前に霊として滞在した惑星の影響:光田秀先生×入江富美子さん インタビュークンダリーニ ― ・上昇する生命と意識の転換 - YouTube妬みを愛にかえる不倫の嵐とクリスタルの愛 | シュタイナーが明かすカルマと自由の深層そして、これらの動画から、自分のなかの破壊の源となる闇の、「承認欲、支配欲、虚栄心」などを感じるとれるようになるか、ならないかで、霊魂の成長は貴方次第!なのである。
2026年03月26日
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幸福を求めて誰もが生きているのは人間が神の記憶喪失だからであるオカルトでは、現在の姿かたちは前世であなたが求めた生き方なのがわかっている。美人に生まれたのは美人を求めたわけで、不細工に生まれたのは不細工を求めたからである。同様に金持ちに生まれたのは金持ちを経験したかったわけで、貧乏に生まれたのは貧乏を経験したかったからである。だから性別についても、前世の経験から男に生まれたかったから男に生まれたわけで、女に生まれたかったから女に生まれたわけである。あなたが前世の体験からいまの感覚器をつくりあげ、その体験に相応しいように準備した肉体を獲得し選択したからである。例えば、音楽家になりたい霊魂は、正確な音を聞き分ける耳を持つ肉体を準備し、そのような肉体を与えてくれる親に生まれるように選択すると、シュタイナーは述べている。だから、なんでこんな自分なのか?なのは、あなたが選んだ選択にすぎないのである。全ては自業自得なのである。だから例えば、なんで不細工な男に生まれたのか、もてない男に生まれたのか、とか嘆くのはお門違いで、あなたがそのように選択して生まれた、あなたの責任なのである。そもそも異性を求めるのは、自分が完璧な存在ではなく、自分に足りないものを外から補完してもらおうという欲求であり、成長途上の偏った存在である証拠なのである。自分にはないものを異性に求める動機からもわかるはずである。だから性欲とは、どちらかの異性に極端に偏っている証拠でもある。自分に足りないなにかをみつけたときに、恋に陥りやすいのが、この異性を求めることからもわかるはずなのである。例えば、昭和の男性は家事育児ができないのに仕事で独立し、家庭を持ちたい願望から、女性にそれらを求めて、女性らしさや男性らしさを社会的に強要してきたのが男尊社会の価値観だったわけだが、男女平等の社会進出や男性も家庭での相応分担の必要性から、平成から令和にわたって家事育児の平等分担が広められ、男尊社会のパワハラモラハラが目立ってきて、女性も総合職の仕事で独立し、家庭の育児家事も男女共同参画事業になってきたわけである。そのような昭和から平成を経て令和への家庭環境の価値観の変化などは、以下のサイトをみてもわかるが、令和に男らしさ女らしさは廃れた価値観で、厳しくいうなら、コンプライアンス違反なのである。女らしさ・男らしさはもう古い? 7割弱の人が「子どもに性別による役割を押しつけたくない」【博報堂調べ】 | Web担当者Forumもともと霊魂には性差の偏りがなく、だから神が性差に分かれて、男神や女神などというのは誤った解釈で、本来は両性具有で、創造的に積極的なのか、受動的なのか、の意味で、つまり精神性で、男だとか、女だとか、いっているだけにすぎない。例えば、釈迦やキリストなどは、支配階級に男が多い社会では、教えを聞いてもらいたいために、外見が男を選択して受肉したわけで、女が支配階級の星なら、外見が女を選択して受肉したらしい。だから外見をもたないキリストの教えを聖母マリアの教えと思っても人間には区別できないので仕方がない。キリストと同等の知性をもってはじめて、この教えはキリストのものだと区別できるわけである。神々のようなアバターとかアデプトとか言われる霊魂の存在は、宇宙的、もしくは社会的役割について、どちらが影響を与えやすいかなどを加味して、地上に受肉し、教えを広めてきたわけで、人間の霊魂も、これと似たように、前世の反省から、霊魂を成長させるのに、できる限り適した地上での経験を選択して生まれてくるという。このことから考えれば、前世は反省により、いまの自分とはほとんどが真逆だったのがわかる。シュタイナーはこの観点から、前世を知りたいのなら、いまの自分とは真逆の、自分が嫌うような存在を思い浮かべるのが近道と述べてもいる。金持ちが貧乏に、美人が不細工に、またその逆もあるが、とにかく外見などに囚われずに、経験を積んで、霊魂の能力を開発し、バランスを保つために生まれてくるのである。そもそも神のような霊魂は、ヒューマノイドの人間の姿にならなくてもいいのだが、その方が信用されやすいから、そのような形をとったそうである。トートなどは鳥人間やヒヒ、スフィンクスなどの形で当時のエジプト人に神とイメージさせやすい姿で古代遺跡に残っているのでもわかる。神とは別に、人間ばかりに転生する場合は、人間の執着が残っているので、前世からの因縁で、今度はこうなりたい、ああなりたいで、偏って生まれてくる。例えば、男ばかりに生まれて今度は女になりたいと思えば、今度は女に生まれるわけである。そんなこんなで、現代人のほとんどが一万回ぐらいの輪廻転生を経験しているそうである。だからある意味偏向した特殊な人間に生まれ変わってくるといえるかもしれないが、しかし、偏向し過ぎるとかえってバランスを失い、破壊的に感情に流されやすく、自立できなくなってくるわけである。だから、偏り過ぎないで、適度にバランスを保つために輪廻転生するようになる。そのような偏った破壊的な転生の霊魂が増えると、地上の道場もバランスを失って、地球も破壊されてきてしまうからである。高次の宇宙人によれば、地上人が自らの平和の修行場の地球を破壊しないように霊能力を取り上げたのが、現代の地上人の肉体上の姿である。つまり、地上人は肉体というVRゴーグルで目隠しをされて、その目隠しを操っているのが悪魔といえるかもしれない。それを外せないでいると、霊魂が成長できないので、それを外すのを死と呼んでいるわけである。例えば、映画「スターウオーズ」でジェダイの騎士がゴーグルのようなものをつけて、ライトセイバーの訓練をしているシーンなどがあったが、あのような霊魂の訓練を人間は平和教育の一環で、地上で行っているわけなのである。完全体の神からいえば、一種の記憶喪失の状態といえるかもしれない。だからして、人間は楽園という記憶を失った、バランスを失った偏向状態にある神ともいえるかもしれない。ニーチェはこの人間の現状を、「神は(記憶喪失になり)死んだ」と表現した。だからして、地上人は失った神の楽園の記憶の断片を探しながら、地上を徘徊し、パズルのピースのように記憶の断片を統合しながら、アニメのワンピースとなるべく、宇宙の海賊王を目指して、自我の航海に旅立ち、地球の海原を自由に運行している現状にある、ともいえるかもしれない。ONE PIECE (アニメ) - Wikipedia神智学によれば、神とは、「エヘイエ アシャル エヘイエ」で、それはバランスのなかのバランスという意味で、あらゆる偏向についてバランスし霊魂をクリアに浄化する存在なのであるという。そして、それは9次元の意識体で、色で表わすなら、七色を超えた可視と不可視の2色を加えた合計7色に2色の9色で象徴化されるという。そして、その9色の表現は主に4つのテトラグラマトンのYHVHの人間の意識体にも反映されているという。テトラグラマトン - WikipediaこのテトラグラマトンのY(よど)H(へい)V(ヴァう)H(へい)の4つの文字が二回唱えられ、上下左右前後の六方向に示されて、無秩序から秩序だった宇宙空間が創造意識によりつくられたという。それを人智学で示すなら、自我、アストラル体、エーテル体、肉体となるだろう。この4つの体をバランスするのが、人間の役割で、その体は、それぞれ霊界、アストラル界、幽界、物質界などと呼ばれる世界のいわば出先機関となっているようである。いきなり冒頭からトンデモなオカルト知識を並べ立てられて面食らった人もいるかもしれないが、要するに、高次の宇宙人がチャネラーを通じて送っているメッセージをまとめると、人間は神の記憶を喪失して、地上を徘徊している神の子である、というわけなのである。このように現代人のほとんどが古代からの神意識を喪失している上に、地上で流される情報のほとんどが偏向されて、悪魔崇拝の宗教ばかりで、金儲け塗れの詐欺師たちばかりなので、何を信じればよいのか、路頭に迷っている子羊たちが多いのが、巷の現状である。オールドメディアの地上波バラエティ報道番組は悪魔ばかりの偏向報道ぶりが凄まじいので、もはや笑いよりも呆れ果ててしまうのでほとんどみないが、唯一の一服の清涼剤ともいえ、毎週欠かさずみているお笑いトーク番組の「にけつッ!!」で、記憶喪失と臭覚についての興味深い、お笑いトークが繰り広げられていた。にけつッ!! - Wikipediaそれは、交通事故などで記憶喪失になった知人が、当時食べていたカップラーメンやカラムーチョの匂いで、かつての記憶を思い出し、食べなかったら、思い出さなかった嫌な記憶も蘇ってしまい、損をしたというオチの話であった。必要な記憶は思い出したいが、不必要な記憶は思い出したくないという、当時食べていた食品の匂いのジレンマを巧く笑いに落としていた。この匂いと記憶の関係を利用して、例えば、元カレとか、元カノとかの香水と同じ匂いから、付き合った当時の記憶を蘇らせることもできるわけである。ちなみにAIの回答では以下になる。『「匂いと記憶の関係」のAI回答匂いと記憶は脳の構造上深く関係しており、特定の匂いを嗅ぐことで過去の記憶や感情が鮮明に呼び起こされる現象は「プルースト効果」と呼ばれます。これは、嗅覚情報が記憶や感情を司る脳の部位に直接伝わるためです。匂いと記憶が結びつく仕組み人間の五感の中で、嗅覚だけが記憶を司る「海馬」や感情に関わる「扁桃体」を含む大脳辺縁系に直接つながっています。視覚や聴覚などの他の感覚は、一度「視床」という部位を経由してから脳に伝わりますが、嗅覚は視床を通らずに直接大脳辺縁系に届きます。このため、匂いは記憶や感情と強く結びつきやすいのです。プルースト効果とは特定の香りを嗅いだ瞬間に、その香りに紐づいた過去の記憶や感情が無意識的に呼び起こされる現象を「プルースト効果」と呼びます。この名前は、フランスの作家マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』に由来しています。作中で主人公がマドレーヌの香りを嗅いで幼少期の記憶を思い出す場面が描かれています。匂いが記憶に残りやすい理由匂いは「匂い分子」という物質を直接感知し、わずか0.1秒ほどで脳の記憶領域に伝わります。他の感覚が電気信号を経て処理されるのに対し、匂いはより直接的に脳に働きかけるため、記憶に残りやすいと考えられています。匂いと感情の関連性匂いを嗅ぐと、記憶だけでなく、その時の喜怒哀楽や好き嫌いといった感情も同時に呼び起こされます。これは、嗅覚が大脳辺縁系に直接信号を送るため、感情と記憶が一体となって保管されているからです。恋愛の記憶にも匂いが強く残ることが多く、好きな人の香りを覚えているといった経験は多くの人に共通しています。匂いの活用方法学習時に特定の香りを使うと、その匂いが記憶の合図となり、後で思い出す際の手がかりになります。また、リラックスしたい空間にお気に入りの香りを置くことで、その香りが心地よい記憶と結びつき、外出先でも同じ香りを嗅ぐことでリラックス効果を得られることもあります。』匂いで過去の記憶が蘇るのなら、更に進めて、失われた前世の記憶は取り戻せるのだろうか?という疑問が生まれるが、脳の大脳辺縁系の構造が前世とは別人になっているので、恐らく不可能だろうが、デジャヴという現象があるので、再度、匂いとデジャヴの関係をAIの回答に求めてみると以下になる。AIアシスタント『においとデジャヴの間には関連性がある場合があります。👃 匂いとデジャヴの関連性記憶の引き金: 特定の匂いが、過去の記憶や感情を鮮明に呼び起こし、デジャヴの感覚につながることがあります。これは、匂いが「タイムカプセル」のように機能し、その時の感情や景色、匂いをすべて思い出させるためと考えられます。脳の現象: デジャヴは脳の健全な機能の証拠とされており、脳が現実の整合性を保とうとする過程で起こる現象です。匂いは、この脳の働きに影響を与える要素の一つと考えられます。前兆としての匂い: 片頭痛やてんかんのような発作の前兆(オーラ)として、奇妙な匂いを感じることがあり、これがデジャヴと共に現れることもあります。これは脳の一部の神経細胞が過剰に興奮したり、血流が変化したりすることで起こるとされています。🧠 デジャヴについてデジャヴ(既視感)は、「すでに見たことがある」という感覚を指します。脳の「故障」ではなく、むしろ脳が健全に機能している証拠であると、最新の脳科学研究では考えられています。デジャヴのメカニズム:脳の検証機能: 脳が「今起きていること」と「過去の記憶」を照合・検証する際の現象です。側頭葉と前頭葉の対話: 脳の側頭葉と前頭葉が情報を処理し、過去の出来事と似ているかどうかを判断する過程でデジャヴが起こります。空間レイアウトの類似性: 特定の空間の配置や構造が、過去に経験した似たような空間を思い起こさせ、デジャヴを引き起こすことがあります。デジャヴを経験しやすい人:若年層: 15〜25歳は脳の検証機能が最も活発なため、デジャヴを経験しやすい傾向があります。疲労時: 疲れているときには、脳が現実の整合性を保とうと懸命に働くため、デジャヴが増えることがあります。旅行好きな人: 新しい体験が多いと「隠れた類似性」に遭遇する機会が増え、デジャヴを経験しやすくなります。』以上のAIの回答にはまだまだ疑問の余地があるが、匂いから記憶を思い出せるのなら、その人にとって、幸福となった記憶の匂いを再現できたら、そのような匂いの虜になってしまうかもしれない。そして、その匂いから、デジャヴを経験するなら、その匂いは、現世だけでなく、前世の記憶に起因しているのかもしれない。しかし、匂いが肉体の脳だけでなく、霊魂に記録されているのが現代脳科学では未解明なので、そのような匂いを物質で再現するのはほぼ不可能であろう。匂い分子を量子力学のプランク長以下の量子もつれに起因するものに求めない限りは、3次元空間を超えて、前世の記憶へと四次元以上のタイムマシンで旅をするのは不可能だからである。というよりも、匂い分子が物質と考えている時点で、質量をもつので、それは三次元空間では偏っていて、バランスを保つ存在ではなく、再現されたものでなく、いわば鏡の世界として、逆に反射された逆性の再生といえるものかもしれない。つまり、デジャヴとは前世の再現ではなく、前世とは主客を逆転した鏡像関係の再現と言った方がよいかもしれない。つまり、前世の幸福を再現するのではなく、むしろ前世の不幸を再現し、それを別の立場から経験すると言った方がよいかもしれない。早く言えば、前世の自分とは逆の視点をもった自分を経験することで既視感が生まれデジャヴと呼んでいるのかもしれない。人間はかつて楽園にいたが、楽園から追放されて、内だった楽園を外からみるように、つまりネガティヴな立場からポジティヴを眺めるようになった。プラトンは、この状態を洞窟のなかの低次な人間に喩えて、かつて内にあった高次の楽園をイデアと呼んだ。人間は光から追放されて、いま闇のなかで、光のイデアを求めて生きている。だからして、天国の匂いは地獄のなかでこそ嗅げるものなのかもしれない。偏りがあるからこそ、バランスが必要なのかもしれない。男女に分かれてしまったのは、それだけ人間が低次に偏向してしまったからである。神であったときには男女の区切りがなかったからである。偏向報道からバランスを回復するには理性と分析能力をもつべき昔の時代劇といえば、銭形平次や水戸黄門、遠山の金さんや大岡越前、そして暴れん坊将軍など、主に講談を素にした架空の虚構ドラマなのだが、江戸時代がこのようなドラマの世界だと信じて疑わない昭和のお年寄りの大人たちがいて、自称歴史通も、司馬遼太郎の小説などから、司馬史観の信者なども昭和の大人たちの歴史観を象徴していたのだが、前者がTBSと昔はNETと呼ばれていたテレ朝で放映されていた時代劇で、後者が主にNHKで放映されていた大河ドラマなのは、昨今の巷の偏向報道となんらかの因果関係があるのかもしれない。というのも、オールドメディアがこぞってネガキャンキャン騒ぐ反高市キャンペーン狼煙のトランプ高市日米会談の偏向報道ぶりが、まるで上記のような現実離れした、昔の勧善懲悪の架空の時代劇のようにみえるからである。ネット界隈では、すでにテロ朝とも呼ばれている、トランプから、悪名高き真珠湾奇襲攻撃発言を引き出したテロウソ記者の奇襲質問に、銭形平次の「親分、てぇへんだ」の子分の八五郎と、水戸黄門の「こいつはうっかりだ」のうっかり八兵衛の道化役を感じさせたからでもある。【衝撃】千々岩記者さん、とんでもない姿で発見されるwww - YouTube銭形平次捕物控 - Wikipediaうっかり八兵衛 - Wikipediaこれが自爆テロ級のうっかり質問なのは、事前に知らせれば、奇襲や抜き打ちにならないからで、「敵を欺くには味方を欺け」という諺もあるし、あのお釈迦さんも、実行するためには他言するな、とも言っているし、イランの核開発が密かに隠されてきた経緯からも明らかである。インチキ監査や悪を拡散させないためには、抜き打ち監査や攻撃などが性悪説からも支持される。そもそも地上人に地球環境を破壊する核兵器をもたせるのを地上人以外の宇宙人のほとんどが危惧しているからでもある。実際に北朝鮮を見過ごした失敗があり、それは日本の責任でもある。その責任のせいで、北朝鮮からミサイルが飛んでくる現状がある。それは話せばわかると言ってきた左翼言論者の責任でもある。本来愛国心があるのなら、北朝鮮がミサイルを飛ばさないように左翼言論者は命を懸けて人柱にでもなるべきだろう。核兵器不拡散条約(NPT)の概要|外務省このような平和ボケのうっかり質問がでるのも、日本の監査が、スパイや工作員などにより、事前に情報漏れで、骨抜きになっている実態なのがわかる。警察や消防のガサ入れも、事前にほとんど情報が洩れているのだから、この国ではバレなければ悪事をしても見逃されるという悪癖が定着しているので、賄賂や癒着が後を絶たない現状がある。裏金議員を告発した野党議員も同じようなことをやっているのでわかる。このような怠惰で腐敗した精神を、ビートたけし氏は、「赤信号みんなで渡れば怖くない」とギャグにしたわけだが、いまや日本人の低俗さを巧く表現した諺になっているのだから情けない。赤信号みんなで渡れば怖くない - Wikipediaこのような実態があるから、エコノミックアニマルや働きアリとして日本人が蔑称された過去がある。時代劇という架空の世界でも、八がつく名前が道化役を演じるのは、八切史観から、八が被差別部落民の俗称からきているのがわかる。いま大河ドラマで豊臣兄弟をやっているが、秀吉の人物評の、安国寺恵瓊の有名な手紙が残っていて、そこには「藤吉郎(秀吉)は八の者」という記述があり、この八の者とは、ペルシャから海洋をわたってやってきた渡来系民族の、ペルシャのぺーの平氏のうちの落ちぶれた被差別民という意味なのがわかっている。被差別民からみた敗者の歴史観の八切史観以外では、この手紙の内容を、八を、葉とか、ハとか、覇とか間違って解釈している不勉強な自称歴史通がいるが、勝者の論理で記述された主に一向宗門徒の通説を基にして、先にあげた小説虚構の江戸時代の時代劇を鵜呑みにする信者になっているせいなのである。秀吉の藤吉郎という名も、藤吉の藤が、唐の藤原にあやかってつけられたのがわかるはずである。本名の秀吉だと出自がわかり、当時尾張の中村は稗(ひえ)の産出が良かったので、「ひえよし」と言う名が、田吉や粟吉などと共に多かったらしい。安国寺恵瓊の小早川隆景らへの手紙の読み間違い!初歩的ミスが何故に残る? | 作家園田豪の筆の向くまま藤吉郎の素性 木下藤吉郎は「八」の部族の出身 | 『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。天下人豊臣秀吉の『茶』は、『侘茶』ではなく『バサラ茶』なの? – 歴史好きのつぶやきこのように、時代劇の「八」のつく名前は下層民の代名詞で、うっかり八兵衛の、親分にあたる、弥七も、弥(や)は、八の「や」の当て字で、八七とも読めるから、上等でなく、下等の被差別の意味なのである。そして、平氏は海洋民族で、それはペルシャの拝火教からきたので、赤色を民族の色にしている。つまり平氏の赤はモーセの赤で赤の鳥居もペルシャ起源である。このブログではお馴染みの、信長も八の民の八田が源流で、平氏を起源にするので、赤色を基調にしているから、名古屋の赤の蒲鉾が、信長の平氏の赤に由来しているのも、楽市楽座で、黒の仏教徒から商売を略奪した経緯からわかる。ちなみに源氏は白で、橘氏は黄である。織田信長や熱田神宮との関係とは?伝統食品「名古屋かまぼこ」のルーツを紐解く | sotokoto online(ソトコトオンライン)そういえば、最近、赤飯が10年以上も前の東日本大震災の日に出されたのがいかがなもんかとクレームを受けて廃棄された勿体ない無知な出来事があったが、赤の蒲鉾でもわかるが、赤飯は厄払いの食べ物で、法事でも食されるのだから、震災の日に出されるのは厄除けの意味で相応しいものなのに、無知のなせる業は恐ろしい。電話1本で「赤飯2100食」捨てたいわき市教委の誤算…「提供止めれば廃棄」の給食ルール、求められた慎重な判断 | 弁護士JPニュースこのような無知なクレーマが権力をもつと馬鹿馬鹿しい迷惑な出来事が起こる。職場にこのような無知なのが一人でもいるとしかもそれが権力者だと無駄で迷惑な仕事が増えて、仕事のやる気を奪っていくからたまったもんではない。このような地獄な職場を散々経験したので、そこから抜け出すのに必死だった記憶がある。オカルト知識が少しでもあれば、赤色が火の色で、悪霊を退散させる色で、祝いというよりも悪霊払いや魔除けなのがわかるはずなのである。恐らく赤ん坊というのも、天国からの授かりもので、悪霊を退散させる意味の赤色で、還暦に赤のちゃんちゃんこなどを着るのも、魔にとどまることなく元に戻って失楽から楽園に戻るという意味なのだろう。巫女さんが赤の袴をしていることからもわかるはずである。赤は魔除けの色なのである。話を戻すと、信長が美濃からタワケ殿と呼ばれたのも、当時の都だった京都に近い美濃からみれば、田舎の八の出自にあり、八のクズレものが、八屑で、「やくざ」の語源で、ヤバいの語源の、ヤバ(八場)が牢獄を意味したのも、大陸からきた当時の仏教カーストを上流とした藤原朝廷からみた卑賎民の蔑称である。だからして、信長はキリスト教を利用して、天下布武で反仏して、平氏再興で身分制度を改めようとしたのだが、道半ばで家督を信忠に相続したために、織田家を二分する目の上のタンコブの家康や秀吉に裏切られて、本能寺の変で消されたわけである。家康は信長から命を狙われていたから仕方ないが、秀吉が裏切ったのは予想外だったのかもしれない。いずれにしても、宗教による権威化や身分制度の争いである。それもこれも、人類が霊能力について記憶喪失になったせいである。オカルト知識からも、赤色が平氏の旗色なのは、ペルシャの拝火教が、ゾロアスターのアフラマズダの太陽神に由来し、日本でいうなら、天照大御神のことになる。出口王仁三郎の大本教によれば、元々が日本から出てペルシャにわたってかえってきたものだから、東から西へとわたり、また西から東にかえってきたサケの回遊みたいなものかもしれない。大本教のような、人類皆兄弟という思想からすれば、古代レムリアが滅んで古代アトランティスになり、それも最後に残った文明が古代エジプトで、古代エジプトの興隆を頂点として、近辺のペルシャからまた日本に流れてきて、サケの回遊のように、古代アトランティスの文化が、インド経由での仏教やペルシャ経由での拝火教や西欧経由でのキリスト教などに成り代わって、古代レムリアに戻ってきたともいえるかもしれない。その違いは、古代レムリア文明には善悪の区別がなく、古代アトランティス文明になって善悪の区別ができた。このように回遊魚のように地上を巡る宗教も人間と同じように東から西、西から東へと巡るうちに仏教やら、拝火教やら、キリスト教やらと、元々は高次の宇宙人からのメッセージなのが、そのチャネラーや解釈により十人十色に区別されて、かわってきてしまったわけである。どの宗教も、地上だけの教えでは物足りないのを教えている。人間の知識がいかに乏しく無知なのか、絵に描いた餅なのか、を教え諭している。このような自らの不勉強による知性盲信で、中国の日本侵略工作の片棒を担いだ運動家たちが、平和教育と偽って転覆事故を起こしたのが、いまネット界隈で炎上し話題になっている。その事件を冷静に分析したのが以下の動画である。政治のウラ教室 - YouTubeなぜ辺野古沖の転覆事故が起きてしまったのか? - YouTubeなぜ共同声明の国旗リストで、日本が最後なのか?幸福の第一歩は、自分の感情をコントロールすることで、感情を顔面に表わさないのが、古来から、この国では尊ばれてきた。というのは、心頭滅却すれば火もまた涼し、といった快川和尚で有名な名文句からもわかるように、喜怒哀楽をコントロールし、情緒に左右されないのが、悪魔に対する神の理性の体現で、神の能力を回復させる修行だからである。ちなみに、「浮世」と「心頭滅却」のAIの回答は以下になる。「浮世の意味」のAI回答「浮世」とは、世の中や俗世間、現世を指す言葉です。元々は「憂き世」と書かれ、つらい世の中や仏教的な無常観を表していましたが、時代とともに意味合いが変化しました。浮世の語源と意味の変遷1. 平安時代以前:「憂き世」「浮世」の「うき」は「苦しい」という意味を持ち、平安時代には「憂き世」と表記され、つらい世の中を嘆く心情や仏教の無常観(常に変化する世界観)と結びついていました。この世は苦悩に満ちているという厭世的な意味合いが強かったのです。2. 中国からの影響中国には、常に移り変わり安定しない世の中を意味する「浮世(ふせい)」という言葉があり、これが日本に伝わり「浮き世」と読まれるようになりました。3. 近世以降:「浮世」近世になると、「どうせはかない世の中なら、楽しく浮かれて生きよう」という享楽的な意味合いに転じました。この頃から「浮世」という漢字が一般的に使われるようになり、現代風や流行、好色なといった意味も含むようになりました。現代における浮世現代では、単に「世の中」や「俗世間」を指す言葉として使われることが多いです。例えば、「浮世の義理」や「浮世のしがらみ」といった表現があります。』「心頭滅却とは?」のAI回答『「心頭滅却(しんとうめっきゃく)」とは、心の中の雑念を消し去り、無の境地に至れば、どんな苦難も感じなくなるという意味の四字熟語です。これは「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉を略したものです。意味と由来「心頭滅却」は、心の中にある気を散らす考えや雑念をすべてなくすことを指します。これにより、集中して物事に取り組めば、苦痛を感じなくなるという境地を表します。この言葉は、唐の詩人である杜荀鶴の漢詩に由来し、日本では戦国時代の禅僧、快川紹喜が織田信長による恵林寺の焼き討ちの際に発した言葉として広く知られています。「心頭」と「滅却」心頭: 心の中、胸の内を意味します。滅却: 何も残らないようにすべて無くすことを意味します。類語「心頭滅却」に似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。無念無想(むねんむそう): 雑念がなく、無我の境地に入ること。明鏡止水(めいきょうしすい): 邪念がなく、澄み切った心境のこと。堅忍不抜(けんにんふばつ): どんな困難にも耐え忍び、心を動かさないこと。現代での使われ方近年では、夏の暑さを我慢する際など、困難な状況を精神力で乗り越えようとする文脈で使われることがあります。』このようなAIの回答では、偏った物質界からの観点からしか解釈していないので、ただ我慢すればいいという風に解釈しているが、それはただ感情をそのまま反対に受け取っているだけにすぎない。その本質を解説しているのが、以下のお馴染みの「人智学らぼ」の動画などに示されている。また生理学的観点からみた輪廻転生は面白い。あなたは世界を見ていない|シュタイナーか明かした“現実の正体 - YouTube生理学的観点から見た輪廻転生 - k-lazaro’s note人間が、私といういまの体験を現実化させている。私が私を限定している。本来の私は無限なのである。いまの体験から次の新しい知覚器官をつくり、宇宙をつくるのが人間の霊魂の私という使命と役割なのである。世間をかえるのではなく、自分をかえるしかできない。それは自らの知覚感覚器でつくりあげるシンフォニーを奏でる無限の幸福であるべきなのだ!それは今生きることで善と悪とを区別し、善を選択する意志による。その善への意志が、善の感覚器官をつくりあげ、光を感じるか感じないか、貴方次第の次のステップアップの人生となるのである!
2026年03月24日
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菊と刀と石油とバットと東のオールドメディアと西のレールウェイWBCはベネズエラのメジャー選抜チームの優勝で終わった。今大会ではドミニカとベネズエラが打撃力も凄いが、中継ぎ抑えの投手力で一つ抜きんでていた感じがした。ストライクゾーンを拡げる攻めのピッチングとストライクゾーンを絞る選球眼のバッティングができていたようにみえた。米国は、もしイタリアがメキシコに勝たなければ、準々決勝にも進めていなかったし、対ドミニカ準決勝戦では最後の誤審に助けられた面も否めない。米国は、今回いち早くジャッジ選手が参加を表明したから、至上最強とも呼ばれる選抜チームができたが、日程上、米国にはまだWBCよりもメジャーリーグを優先する傾向が残っている。だから、次回のWBCはメジャーのデータベースボールを中核とした、恐らく中南米のメジャー選抜チームが今回と同じように実力の上で中心となっていくのだろう。そこにAIがどう導入されていくのかはまだわからないが、審判のストライクゾーン判定の不公平感をなくすには必須のように思われる。いずれAI審判が出てくるのを期待したい。というのも、メジャーの審判は誤審が多く、米国人審判ばかりでは、公平感を欠き、毎度の誤審では明らかにレベルも劣るからである。さて、優勝チームの、ベネズエラといえば、トランプの攻撃で、米国の裏庭といわれ、南米なのは知っていたが、正直いって、地図上の正確な場所は把握していなかった。WBCがなければ、日本人の大半はほとんど関心のない国だったかもしれない。そこで、ベネズエラが野球大国になった理由をググってみた。米国によるベネズエラ攻撃 関連ニュース:時事ドットコムなぜベネズエラはサッカーより野球が強いのか?WBCで侍ジャパンと対戦する国の歴史と文化 - STUDY HACKER(スタディーハッカー)|社会人の勉強法&英語学習『【なぜ野球か?】石油が加速させた「スポーツの地図の塗り替え」ここで、多くの人が抱く疑問に答えましょう。「なぜ南米の国が、サッカーではなく野球なのか?」じつはベネズエラの野球の歴史は古く、1895年にはすでに首都カラカスで公式試合が行われていたという記録があります。ただ、この文化が国全体に根づき、制度として確立されていった背景には、20世紀の「石油」が大きく関わっています。 巨大な油田が発見されると、採掘のために大量のアメリカ人技術者が流入しました。彼らは各地に野球場を整備し、余暇にベースボールを楽しんだのです。その文化と施設が、ベネズエラ社会に一気に浸透していったのです。 ブラジルやアルゼンチン、コロンビアがサッカーに熱中したその時代に、米国企業の資本と文化の流入を直接受けたベネズエラは、野球という独自の強みを磨き続けました。「選択と集中」が生んだ、野球大国 ビジネスや学習の世界でよく知られる「ランチェスター戦略」—— 弱者が強者に勝つための本質は「特定の一点へのリソース集中」です。 ベネズエラの歩みはその比喩として見事なほど当てはまります。南米で唯一、FIFAワールドカップに出場していない代わりに、野球という領域に人材と情熱を注ぎ込んだ結果、通算400人以上のMLB選手を輩出し、ドミニカ共和国に次ぐ中南米第2位の野球人材大国へと成長を遂げました。』以上のサイトから抜粋した内容によれば、『「ランチェスター戦略」—— 弱者が強者に勝つための本質は「特定の一点へのリソース集中」です。』が野球大国の戦略としてあったという。米国人が石油採掘とともに持ち込んだのがベースボールで、米国の資本と文化を継承し発展させたのが、ベネズエラの野球文化だったようである。確かに日本戦では山本投手の低めを捨てて、カウントを取りに行くやや甘い球を好球必打でとらえていた。投手攻略のランチェスター戦略といえるかもしれない。そこで、日本の野球と比べてみるために、ググると、以下のサイトに出くわす。日本野球の歴史 野球殿堂博物館『1878(明治11) アメリカ留学から帰国した平岡 熈が、わが国初の本格的野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を結成。1905(明治38) 早大チームが初の米国遠征を行い、最新の野球技術を学んで帰国。1906(明治39) 応援の過熱により、早慶戦が中止となる。1907(明治40) 慶大が初めて外国チーム(ハワイ・セントルイス)を招待し、国内初の有料試合を行う。明治時代末には、早稲田の渡米遠征や外国チームの来日など海外との交流により、日本野球は大きく進歩した。さらに、1910年には慶応の直木松太郎によりはじめて米国の野球ルールを全訳した『現行野球規則』が出版された。1915年、全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)開催。 1924年には全国選抜中等学校野球大会(現在の春の甲子園大会)も始まった。1925(大正14) 秋季より早慶戦が復活、東大の加盟により東京六大学リーグ戦始まる。1926(大正15) 明治神宮野球場完成。1927(昭和2) 都市対抗野球大会始まる。1934年11月ベーブ・ルースら米大リーグ選抜チームは全日本チーム等と16戦を行い全勝。12月には、この全日本チームを中心として大日本東京野球倶楽部(現在の読売ジャイアンツ)が誕生した。 そして1936年には東京巨人、大阪タイガース、名古屋、東京セネタース、阪急、大東京、名古屋金鯱の7球団により日本職業野球連盟創立、プロ野球のリーグ戦がスタートした。1945(昭和20) 11月18日に神宮で全早大対全慶大を挙行。プロ野球も11月23日に東西対抗を行う。1946(昭和21)学生野球、社会人野球、プロ野球が復活。』野球伝来150年に「令和の怪物」「村神様」のすごさを教えてくれた「記録の神様」の地道な情熱 : 読売新聞以上のサイトから、ベネズエラの『1895年にはすでに首都カラカスで公式試合が行われていたという記録があります。』に比べると、日本では、すでに1878(明治11)年に野球チームができていたのだが、国内というよりも、米国遠征による米国との交流で行われていたようである。公式記録が定着するのは1910年で、国内での日本人同士の公式試合が行われるのが、『1915年、全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)開催。 1924年には全国選抜中等学校野球大会(現在の春の甲子園大会)も始まった。』とあるので、ベネズエラから、約15年くらい遅れて野球が国民に浸透したことになる。明治維新以来富国強兵のこの国では、日清戦争が1894年にはじまり、ついで日露戦争が1904年から1905年まで、そのあと1937年の日中戦争に突入するまでの間に、1924年に高校野球がはじまり、10年遅れて、1934年にブロ野球もはじまるが、1937年の日中戦争から1941年の米国参戦の太平洋戦争へと、次第に戦況が不利になっていき、野球どころではなくなっていくのがわかる。つまり日本に野球が本格的に定着するのは、終戦後の1945年の戦後の復興からで、前回も紹介したが、背後のGHQの3S政策が有効に働いてきたのが、読売のポダムこと正力と、現代の高野連にもつながる朝日のポカポンこと緒方などのCIAによる情報工作などから伺える。読売のポダムと朝日のポカポン 新聞人を世論誘導に悪用したCIAの大罪 - MEDIA KOKUSYOMEDIA KOKUSYO昭和の高度成長期当時のゴミ売りによる巨人一極集中の人気に、どことなく反共右翼的なスポーツ面を賑わす新聞報道の言論扇動活動を感じさせ、また、それに対するウソヒの教科書狩りなどの社会面を賑わす、共産コミュニスト社会扇動運動を感じさせ、それらの学生運動などに対するマッチポンプの言論統制には、子供ながらにも、どこか胡散臭さを感じたものである。読売のポダムと朝日のポカポン 新聞人を世論誘導に悪用したCIAの大罪 - MEDIA KOKUSYOMEDIA KOKUSYO話が野球から離れてしまうが、現代の阪神巨人戦の根底にも通じるので、あえて続けるが、この国を二分する大きな流れを日本史の中世から鑑みると、室町体制が崩壊し、信長による天下布武で、秀吉による豊臣政権樹立によって形ながらも、公武合体が図られ、八切史観では、武士はブジン(不信)の被差別部落民出からの古神道系で、公家は大陸からきた唐を源流にする藤原(トウゲン)の仏教体制なので、秀吉による天下統一とは、公家ら仏教徒と武士ら古神道部落出の神仏習合ともいえるわけなのである。このように大局的にみれば、信長の天下布武は、キリスト教を利用した外圧による武力革命で、仏教徒の公家カースト身分制の改革が目的なので、だから、裏切られたと分かったイエズス会は、外堀を埋め、国内が二分するのを恐れた朝廷の近衛前久や細川藤孝や足利義昭らの工作により、信長政権は打倒されて、美濃派閥を取り込んだ家康派と尾張近江派閥を取り込んだ秀吉派にわかれて、秀吉派が懐柔されて、秀吉の天下統一となり、キリスト教は排斥されて、秀吉が唐入りさせて、新たに大陸から持ち込んだ仏教支配体制になる。つまり秀吉は、キリシタン大名を排斥して、新しい仏教を創設しようとしていたようなのである。しかし、道半ばで亡くなったのは、以下のサイトをみればわかる。都市史19 大仏殿天下人豊臣秀吉の『茶』は、『侘茶』ではなく『バサラ茶』なの? – 歴史好きのつぶやきそして今度は、秀吉の死後に、国外貿易継続の豊臣政権と国内経済立て直しの徳川政権との間に紛争が起こり、関西の公家政権と関東の武家政権に再び二分し、家康は関ヶ原で勝利すると、秀頼の豊臣体制を孤立化させて、朝廷から切り離し、秀吉の持ち込んだ仏教を方広寺事件で逆に咎めて、関東に従来あった古神道由来の薬師寺系の仏教を、天海などを用いて保護重用し、朝廷には京都所司代をおいて、徳川家から娘を送りこんで婚姻関係を結び骨抜きにして、薬師寺系仏教による公武合体を、幕末の明治維新が起こるまで持ち越した。京都所司代 - Wikipedia江戸時代になると、薬師寺系仏教カースト制度が中途半端におわったのと、三代家光から、本能寺の変の首謀者の斎藤利三の娘お福が春日局として君臨し、稲葉家などを重用して、済州島出身の綱吉の母桂昌院に権勢が引き継がれて、関東に多かった古神道系の薬師寺仏教を貶めるために、綱吉に、生類憐みの令を出させて、原住民の毛皮取りなどの職業を奪って、信者を弾圧したので、五代綱吉以降から、モラルが崩壊し、賄賂が横行するようになり、大奥が益々権力を掌握して、豪勢になっていき出費がかさんだために、その権勢を削ぐために、頻繁に大奥改革が吉宗、松平定信、水野忠邦と続いて施行されるが失敗し、いよいよ幕末になって、大久保一翁などが、「奥から潰れる」と言ったような様相となり、大老井伊直弼が幕府大事と外様大名を安政の大獄で弾圧したので、長州薩摩などが反発し、外圧頼みで改革してきた日本の風習に従って、戦国時代のキリスト教宣教師が、幕末にはイギリスのフリーメーソンになり、ペリーの黒船襲来になりかわって、西から原住民系の南朝の後醍醐天皇の系統の大室帝を掲げて、倒幕運動から文明開化などをお題目とした明治維新へとつながっていった。春日局 - Wikipedia桂昌院 - Wikipediaこのような大きな日本史の流れを読み取ると、外圧により、関西と関東に大きく二分されてきたのがわかる。戦国では関西が秀吉の豊臣政権で、関東が家康の徳川政権、幕末では西の薩長官軍と、東の江戸幕府。もっと過去に遡るのなら、鎌倉期では、東の北条政子と西の後白河法皇となる。明治維新で、薩長明治政府ができるが、これまた外圧の、朝鮮との外交問題で、洋行組の薩摩の大久保派と大アジア合従連衡構想の西郷派に分かれて、西郷が明治帝に遣使を具申するが、入れられずに、下野し、薩摩に独立国をつくろうとし、明治政府が二分されるのを恐れて、西南戦争が起こされた。その前には東と西の分立を予測するかのような、神仏分離の廃仏毀釈が行われている。神仏分離 - Wikipedia征韓論 - Wikipediaこの外圧により、二分される流れはその後も継続し、戦時中では、陸軍の親ソ統制派と、反ソ新英米皇道派や海軍にわかれていく。以前紹介した茂木誠氏の動画によれば、この二分した勢力の統制派がスターリンに利用されて、陸軍は南進し、またジョンコールマンの書からもわかるが、英国チャーチルから支援の勧誘を受けたルーズベルトが、参戦する気のなかった米国民を、日本軍の真珠湾奇襲攻撃により、米国世論を一変させて、米国を参戦させ、日本軍を中国から追い出したかった蒋介石の罠にまんまとハマってしまう。どうして日本人はこんなにもおバカでお人良しなのか、大局的観点がすっかり抜け落ちて、仲間割れする性分が、この二分された流れからもよくわかる。そのような戦中からの二分勢力が、いまの左翼と右翼として、いわや負の遺産としてオールドメディアの偏向報道などに受け継がれている。このようなゴミ売りとウソヒのプロレスに騙されて二分されて戦場に送りこまれるほど馬鹿な国民は他には見当たらない。オールドメディアが流す、このようなプロレスごっこに付き合うのはやめて、令和になったのだから、自分なりの趣向をもつべきである。実際、オールドメディアが洗脳ツールと化していた昭和のプロレスでは、ゴミ売りのジャイアント馬場の全日本と、ウソヒのアントニオ猪木の新日本にわかれていたし、昭和の野球では、ゴミ売り巨人の東日本での一極集中人気と、アンチ巨人の、西の阪神、広島、パリーグにわかれていた。そのような昭和では、巨人ファンには金持ちが多く、アンチ巨人には貧乏人が多いなどの陰口がいわれたもので、巨人戦がプラチナチケットになっていた。これらの噂がオールドメディアの広報活動の成果なのだろう。それら現代の広報活動の根源を古代にまで遡ると、古代史では、渡来弥生系と、原住縄文系にわかれ、そして、オカルト色を加味するなら、アトランティス人とレムリア人にわかれるのだろう。さて、話を野球に戻すと、戦後の地上波の野球の広報が、ゴミ売りに端を発しているのが、その背景のGHQの3S政策の、いわゆるCIAによる愚民化政策にあり、元々は反共政策なのがわかるが、そのアンチというと、コミュニスト共産左翼の労働運動で、教科書狩りなどの教科書問題にあったようだが、当時田中角栄の物まね「まあそのぉ〜」が流行った子供だった自分には、非常に違和感を感じさせたものである。ちなみに教科書問題のAIの回答は以下である。『歴史教科書狩りAIアシスタント「歴史教科書狩り」という言葉は、特定の歴史観に基づく教科書の記述内容を巡る問題や対立を指す可能性がありますが、この言葉自体は一般的な表現ではありません。より広く「歴史教科書問題」として認識されており、これは歴史教科書の記述や解釈を巡って、国内外で発生する様々な問題を扱うものです。📝 歴史教科書問題の背景歴史教科書問題は、国際関係や内政が絡み合った政治的な争点となることがあります。🌍 歴史教科書問題の事例歴史教科書に関する問題は、多岐にわたります。戦前の南朝正当論: 明治時代には、小学校の国定教科書における南北朝時代の記述を巡り、南朝を正当とする立場からの批判がありました。墨塗り教科書: 終戦後、GHQによる軍国主義・国家主義的な教育からの転換として、不適切と判断された教科書が墨塗りされる対応がありました。近隣諸国条項: 1982年には、中国・韓国との間で教科書検定を巡る外交問題が発生し、その解決策として「近隣諸国条項」が教科書検定基準に導入されました。沖縄戦の集団自決: 沖縄戦における集団自決の記述を巡り、教科書の内容が訂正された事例もあります。八重山教科書問題: 特定の地域の教科書採択を巡る問題も発生しています。📚 教科書検定と採択制度日本の教科書は、文部科学大臣の検定を経たものが使用されます。検定: 歴史的「事実」の確定や歴史事象・事件の解釈、評価など、歴史観に関わる重要な側面を持っています。採択: 都道府県教育委員会が採択地区を設定し、現場教員や管理職などで構成される調査研究委員会が審議します。住民が公募で加わる場合もあります。』このAIの回答ではわからないのだが、『近隣諸国条項: 1982年には、中国・韓国との間で教科書検定を巡る外交問題が発生し、その解決策として「近隣諸国条項」が教科書検定基準に導入されました。』を持ち出してくる大人の大半が日教組関係なのが、高校生になるとわかってくる。自分は私立高校出身で、男子校だったので、日教組の教師はなぜだか陰では馬鹿にされていた。恐らく教師面して、思想を押し付けてくるからだろう。不思議なのは、自分も敗者の一人なのに、自分は度外視して、上から目線で勝者の振りをして勝者の論理を押し付けてくるところである。「反省しろ」というのなら、「お前こそ反省しろ」と、このような連中には、お笑いのジミー大西氏のギャグのように、「ジミー頑張れよ」の振りに、「お前もな」の返しが必要なのがわかる。自分がやるべきことを人に押し付けてくる無責任な輩には要注意である。このような輩が嫌われるのは、宗教の勧誘とどことなく似ているからで、平成に流行った意識高い系にもよく似ていた。とにかく画一的な見方しかできずに自分が常に正しいと自論を押し付けてくる輩が多かった。いまでも地上波でこのような左翼崩れのコメンテーターがよくいる。そもそも歴史は勝者によって書かれたもので、それは『近隣諸国条項』なども日本が敗者なのだから、勝者の論理なのである。原爆を落としたのは米兵の犠牲をなくすためというのも、従軍慰安婦も南京大虐殺も、勝者の論理なのである。実際に、日本史だって、八切史観を知るまでは、勝者に書かれた歴史だとは思いもよらなかった。敗者側の視点や敗者の論理などは無視され闇に葬られてきたわけなのである。だから、日本史の歴史教科書問題でも、敗者側の視点も書くべきなのである。つまり歴史には敗者も勝者もなく、人間は常に間違える生き物なので、その間違いを修正していく他はない。本能寺の変だって、敗者側の視点に立てば、家康や秀吉が勝者なのだから、信長は敗者として抹殺されて、しかもその忠実な部下だった光秀は謀反の汚名を着せられ、責任にされたのだろう。勝者の反対が真相に近いはずなのである。生命を奪われた側は何も言えないからである。しかし、霊能者がみれば、死者とも会話ができ、アカシックレコードリーディングにより真相が明らかになる。野球の話がまた日本史の話になってそれてしまったが、要するに、この国に野球が定着したのは、ベネズエラが米国との石油の利権を巡って、それがベネズエラの移民の歴史の闇の部分だとすると、ベースボールは、アメリカ文化との融合の光の部分で、ベネズエラと同じように、日本の現代史の闇の部分が、米国によるCIAの資金で生まれた自民党傀儡政権の植民愚民化政策で、野球が、アメリカ文化との日米同盟の光の部分なのがわかる。そして、その野球を日本に持ち込んだ人物が、平岡凞(ひろし)氏で、この人は鉄道技師だったようである。日本のプロ野球球団に鉄道会社が多いのは、この人に由来しているのかもしれない。パリーグは南海、西鉄、近鉄、阪急で、セリーグは阪神、国鉄だったのだから。だとすると、日本のプロ野球の関東は巨人中日東映などオールドメディア系で、関西はオールドレールウェイ系といえるかもしれない。そういえば、ファミスタにレールウェイズというチームがあった。平岡凞 - Wikipediaレイルウェイズ - Wikipedia野球の発展の影に日本の基幹産業の鉄道業があったわけで、田中角栄は裏日本にレールの代わりに道路で交通網をつくり、日本列島改造計画をぶちあげて道路公団などの公共事業でカネ儲けしたわけである。角栄は国内では敵なしだったが、地上から外に向かって中国と外交した途端に空中戦のロッキードでキッシンジャーに撃墜された。ジョンコールマンによれば中国の李財閥とロックフェラーが石油利権でつながっていたらしいから、角栄は飛んで火にいる夏の虫だったわけである。このように日本の政治史を野球史から振り返るのも、面白いかもしれないが、日本の野球の将来を考えると、日本特有の産業とつながっていくのが良いと思われる。アニメやゲーム、観光産業はどうなのだろうか? 侍ジャパンと呼ばれる日本野球の進む道がシンクロニシティというか、以下のお馴染みの「人智学らぼ」の動画に示されている。邪馬台国と卑弥呼の霊学的再考・人智学的視点から見る日本文明の転換と意識の進化 - YouTube侍とは、菊と刀の統合であり、権力による支配の秩序と破壊による無秩序とを融合し、愛によりバランスする中庸の精神なのである。日本人は組織を脱し、一個人のモナドの単子として覚醒すべきなのである。その参考になる動画をまた「人智学らぼ」から以下に紹介する。あなたは完成していない・それが人間の本質です 1未完成だからこそ死んで生きる日々を送るのである。感じるか感じないかは貴方次第!
2026年03月19日
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行く川の流れは絶えずしてしかも元の水に非ずあれから30年ならぬ3年が過ぎて、この3年間のうちに野球の進化が進んだのか、はたまた進まなかったのか、とにかくWBC日本敗戦で、相変わらずの大谷選手への過剰な報道ぶりからもわかるが、オールドメディアのWBC連覇の偏向呪文から、メジャー選抜ベネズエラチームに負けて、ようやく解き放たれた感が無きにしも非ずで、日本の野球教というか、昭和ジジイのノスタルジーとしては、野球狂にはせめて水島新司氏の「野球狂の詩」だけにしてほしいように感じた先週末だった。野球狂の詩 - Wikipediaしかし、昭和の野球愚民化親父たちは頼んでもいないのに、勝手に敗因分析祭りをはじめているが、NPB関係者ならまだしも、一介の野球ファンの分析など公共の電波で流す価値などなく、私的な酒の肴でしかない。そんなことよりも、トランプのイラク攻撃の分析をしたほうが遥かに有意義なので、一応以下のサイトに紹介しておきたい。【3分で分かる】なぜイランはアメリカに先制攻撃を仕掛けられてのか...知らないと損する政治雑学 #180 - YouTubeこの動画をみれば、現在の国際社会が核兵器権力体制なのがわかり、ウラン濃縮度が覇権国家のメルクマールとなっている。宇宙人からみれば、地上人の知性レベルは幼児並で似たり寄ったりなのだが、幼稚園児の知性のなかで、もつ者がもたざる者を制限しているわけである。核兵器を持たせることで権力を失うのが怖いのである。というのもその延長上の、死ぬのが怖いからである。お馴染みの小さなおじさんや宇宙人からすれば、核兵器などは線香花火でしかないのだが、幼稚園児にはそれがわからない。この国の天下り利権をもつ財務官僚と似たようなものである。権力を手にすると失うのを恐れる、悪魔に魂を売った連中は、幼稚な知性しかもたないので、古今東西どこでも同じなのである。要するに核兵器チキンレースをしている。核兵器を拳銃にかえれば、まるでタランティーノの映画「レザボアドックス」の様相のようで、ラストシーンを思い出す。人類が物質界から自らを解放できないと、犯罪者となって第八圏に自らを拘束し果てるだろう。レザボア・ドッグス - Wikipedia映画『レザボア・ドッグス』感想|どいひー映画日記さて、野球に話を戻すと、昔から阪神ファンや広島ファンは宗教染みていて、巨人ファンにも似たような熱狂的な信者がいて、親子二代とか生粋のとか言い出す大人もいたが、プロ野球チームを私物化する、某アナウンサーやナベツネが大嫌いだった。昭和の大人たちの江川-小林論争とか、巨人大鵬目玉焼き神話とか、長嶋ミスター伝説とか、それらの同調圧力に反発するアンチ巨人とか、野球に闘争心を燃やす大人たちに影響された昭和のイタイケな少年時代だった。陰謀論によってプロ野球人気の背後に、GHQの3S政策があったのがわかっているが、巨人しか放送しないからの巨人ファンとか、令和の若者たちにはきっと、それって打算でファンやっているだろといわれそうなのに、巨人が負けると、印籠が出されない水戸黄門ドラマのような、物足りなさを感じるGHQの思惑通りの巨人愚民化政策で、正直いって、大人の野球一国主義の親方日の丸の、右翼的な野球論争と、そのアンチ的な、左翼的な歴史教科書論争は、大人になってから気づいたが、一種の思想的な洗脳なので、子供のときには非常に迷惑千万だった。3S政策 - Wikipediaスポーツに派閥争いとか、政治を持ち込むべきではないだろうし、歴史教科書問題では、教科書狩りとか呼ばれたが、そもそも歴史教科書なんて年号しか覚えないのだから、大人がスポーツで騒いだり、歴史教科書で騒いだりしているのが、みなきゃいいし、読まなきゃいいだけじゃんと、大人たちが杓子定規に社会問題化するのが子供のことなど眼中にないように見え、それに巻き込まれる子供もいるにはいたが、ほとんどはそんな親たちにかまわずに、子供たちは開き直っていた。令和にも、子供がみれないから、ネットフリックスが許せない、地上波で無料でやれとか、五百円をケチって、自分がみたいくせに、NHKの受信料などその4倍もするのに、子供を山車に巻き込む大人のエゴなどをネットで見るにつれて、昭和の親父体質が抜けきらない世間に嫌気がさしてくる。大人の思想の押し付けに対して、昭和の子供は思想の意味がわからないので、流行遅れの服でも着させられるような心境で、反発するだけなのだが、そういう意味では、スポーツが野球一極集中から多様化したのは、時代の流れと価値観の推移で、多様なスポーツに対応しなければならないほど、スポーツにも情報化、世界化の潮流の波が押し寄せている令和の現状のなかで、願わくば、背が低くても、それがハンデにならない競馬の騎手とかの多様なスポーツが普及すべきと、背の低いことでスポーツにハンデを覚えた自分の密かな願いでもある。確かに天気の話題のように、昭和の大人の世界では、共通の話題つくりで、日本のプロ野球は、昭和時代の交流や飲み会などでは重宝してきたようだが、サッカーが台頭してきて、野球派とサッカー派にわかれて、平成になると、派閥争いをするようになって、政治ネタのように、論争するようになってしまい。競馬をはじめてから、スポーツは競馬一色で、個人的には代表戦しかみなくなった。いまだに職場にも、数は少ないが、巨人が負けて不機嫌になるとか、好きなアイドルが結婚して八つ当たりするとか、公私混同の化石のような、子供のような大人がいるのが不思議だったが、そのような輩に理性を求めても無駄だが、今更ながら、スポーツは楽しくみるもので、負けたときにこそ、どう楽しめるかが、スポーツの醍醐味に思われる。日本が負けて悔しくないのか、と聞かれれば、日本人としての心情としては悔しいが、日本のプロ野球に対して何の貢献をしているのか、と問われれば、大谷選手の人気にただ便乗しているだけで、バレンズエラのドジャースファンの個人的なテレビ鑑賞経験から、スピードとパワーのメジャーに魅せられた一野球ファンの分際なので、日本の敗因を語る資格など毛頭もなく、馬券を購入し、一口馬主で、多額の寄付をし、競馬という産業になけなしの金銭を喜捨しているのとは雲泥の差といってもよいかもしれない。表向きには、応援とはいうが、馬券を買ったらわかるが、実は馬を応援しているのではなく、自分の利益を皮算用しているだけで、それは負けた時のスポーツ選手への罵詈雑言でも明らかになる。本当の応援なら、そもそも見返りを求めるのがおかしい。負けて思い通りにならない悔しさはわかるが、そもそも世の中が思い通りに進んだら、生きている実感もわかずに、精神的な成長もないだろう。とりとめのない昭和の少年時代からのプロ野球話を冒頭から続けて羅列してきたのは、世の中が自分の思い通りに進まないからこそ、自分の成長の糧や肥しになる、という人生の醍醐味を、人生の不自由さを神秘学から紹介してきた建前のためで、ネットフーテンの寅をしていると、そのような嘆きの動画が盛り沢山のネット界隈に頻繁に出くわすからでもある。その最たる例が、予算審議にWBC観戦を持ち出したスポーツに政治を持ちこむ公私混同の低能アホ議員であり、そのような税金の無駄使いに呆れ果ててしまうので、そのような精神的な未熟な人間には、お馴染みの高橋洋一氏の動画を紹介して、中道議員の低レベルな精神に喝をいれたい。1468回 中道小川、国会でWBC観戦を質問 実にくだらない - YouTubeこのような中道議員は図体だけ大人で、中身は幼稚園児のようなのが、ネットフーテンの寅をしていると、まさに公金チューチューの不逞の輩で、反高市の揚げ足取りに終始し、政府をあてにする動画などにみられる。年金では暮らせないという話は、自分が30代のときにはすでに巷では話題になっていたから、定年後は最低二千万の貯蓄が必要と耳にタコができるほどいわれていたのに、右から左に聞き流してきた外見や図体だけが高齢者、いわゆるとっつぁん坊やが多いのに驚く。議員まで、このとっつぁん坊やなんだから呆れ果てる。恐らく霊魂が幼いのだろう。とっちゃん坊やとは?意味や特徴・類語も徹底解説! - 仕事と会社と年収の事典金持ちと権力を持つような家庭に生まれるほど、とっちゃんボウヤが多いのは、世間が外見に騙されている、特に現代は唯物論に染まり切って、精神を見抜けない人間が多いのがわかる。とっちゃんボウヤは、自分の人生も、自分では始末をつけられないようで、思い通りにいかない自分の敗因を他人や世間のせいにする。とっちゃんボウヤは日本代表の敗因分析よりも、自分の応援の敗因を分析すべきである。今回はWBCに夢中になり、神秘学の話は休息してしまった。日本代表の応援を反省し、ドミニカ対米国を堪能し、ベネズエラ対米国の決勝を楽しみたいためである。日本人だからといって、日本だけを応援する必要もないだろう。日本のために自分は何をしたのか? 確かに税金をそれなりにしこたま納めているが、不要な議員を落選させる運動はしていないし、そのような連中を当選させる組織票に負けてしまっている現状がある。だからして、せめてものオールドメディアのように人気に便乗して金儲けしかアタマにない連中にはなりたくない反骨心で生きているだけである。そしてなによりも人生を楽しみたいだけなのだ。
2026年03月18日
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人生は一回きりではなく永遠に流転する宇宙人がUFOで地球にやってくる目的は、このブログでは何度も紹介してきたが、地上人が地球という霊魂の道場を破壊してしまわないように見守るためと、地上人の人生という霊魂による芸術作品を鑑賞しにきているためであるのが、神智学によりわかっている。というのも、地球は、霊魂の道場としてはかけがえのない唯一の物質界なので、宇宙人にとっては貴重な世界であるという。物質界というのは、思い通りに行かない自由があり、何でも思い通りにいくとかえって自由が実感できず、自由を自分で実現するやりがいがないからで、自由な無秩序をどうにかして秩序に置き換え、悪を善に変換するのが、霊魂の成長につながるからだという。つまり、人間は、神の代わりに、地球にきて、束縛された不自由な境遇から、物質ゆえの自由な無秩序さと格闘し、霊魂に従うように自由に霊化させていくのが、人生における経験の成果なのである。神智学では、このことをネガティヴのポジティヴ化と呼んでいる。だから、人間は、自由のために、物質悪魔と闘うのが宿命なのである。思い通りにいかない物質的な人生と格闘し、霊魂によって霊化することで、自由を体現していくのが、地上人の使命であり、これまでの前世からの絡み合った人間関係の因縁を解きほぐして、ネガティヴな関係をポジティヴな関係にかえ、悪の闇を善の光にかえることで、我欲のエゴとなっている、抑圧された自己のなかに蠢いている、いわばストレスを解消していくのが、人生を芸術にする役割であるという。このような物質悪魔との闘いを芸術的に儀礼化したのが、恐らく、日本の相撲のようにみえる。だから相撲の土俵は地球の物質界を意味するのかもしれない。もしかすると、相撲は、古代エジプトの最後の審判を模範にできた行事なのかもしれない。だとすると、相撲の行司は、古代エジプトの神トートかもしれない。以下の古代エジプトの壁画では、ジャッカルの頭やハヤブサの頭などはトートの化身の姿と伝承されている。というのも日本の相撲は、以下のサイトにあるように、『旧約聖書の創世記第32章には、イスラエル民族三大父祖のひとりであるヤコブが、天の御使いと夜明けまで、暗闇の中で取っ組み合いの格闘をしたことが書かれています。』というように、古代ヘブライ語の「シュモー」『שמו(Shumo、シュモー)』を起源にしている、という説もあるからである。元貴乃花親方が語る相撲ユダヤ説の真相! – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究相撲の土俵を地球の物質界とするなら、中央で立ち会う二力士は、恐らくポジティヴとネガティヴのエネルギーで、以下のサイトによれば、古代エジプトの死者の書では、「審判の日」として、次のように記述されている内容から、相撲は、恐らく人生の意味を教え記した演劇などとしてはじまったのかもしれない。以下は以下のサイトからの抜粋である。『審判の日 これだけ入念に準備をしても、まだ永遠の命が保証されたわけではない。死者はまず、自分が歩んできた人生について裁きを受けなければならない。古代エジプト人は、誰もが「カー(生命力)」と「バー(魂)」をもつと考えられていた。死が訪れると、まずは「カー」が肉体を離れ、さまよいはじめる。「バー」はその後も体内にとどまり、埋葬されると、呪文や墓の壁に描かれた絵、遺体に添えられた護符などに導かれて冥界への旅に出る。ハヤブサの頭を持つ神ホルスが「バー」を導いて炎とコブラの扉を通し、裁きの場へと連れていく。 裁きの場では、ジャッカルの頭を持つ神アヌビスが、死者の心臓と、真理と宇宙の調和を司(つかさど)る女神マアトの羽根を天秤(てんびん)にのせて重さを調べる。この儀式には「否定の告白」が含まれていて、死者は、窃盗も、殺人も、他人に迷惑をかけたことも、その他の罪も犯したこともないと言わなければならない。審判の様子は、冥界の王オシリスや他の神々が見守っている。審判に合格しなかった死者は、ライオンとワニとカバが合体したアメミットという幻獣に魂を貪り食われ、永遠に目覚めることはできない。永遠の命を手に入れる 死者の心臓がマアトの羽根と釣り合い、審判に合格すれば、「バー」は再び「カー」と合体し、「アク」になる。「アク」は、美しい山と川がある「アアル(葦原、あしはら)」という明るい領域に出る。アアルはオシリスが支配するこの楽園で、愛する人々やペットと再会し、永遠に暮らすことができる。とはいえ、死者は現世から永遠にいなくなってしまうわけでもなかった。死者の姿は見えなくても、現世に戻ってきて、供物を食べたり、妻と暮らしたり、召使にかしずかれたりする楽しみを享受することができると考えられていた。』「永遠の命」を求めて 古代エジプト人がしていたこと - 日本経済新聞このように考えると、相撲は人生の縮図だが、相撲に限らずに、スポーツ全般などもいわば人生の縮図といえるかもしれない。だから、宇宙人は地球に地上人の人生の縮図ともいえるスポーツを観戦しにきているともいえるかもしれない。スポーツは肉体を用いながらも肉体を超えた自由の芸術作品なのである。さて、いま野球ファンには国民的行事と呼ばれるWBCを地上波でやらないということで、仕方なくネットフリックスを最低料金で契約し、日本戦以外の好ゲームや、この際に、見逃してきた映画やドラマなどを楽しくみる毎日で、時間があっという間に過ぎ去っていくのだが、日々ユーチューブで、ネットフーテンの寅をしていると、巷のWBC盛り上がりの波に乗って、以下の面白い動画をみつけた。「大谷翔平は打撃練習しなかった」「佐々木朗希は2球で壊れるレベルだった。でも…」ダルビッシュ・山本由伸・有原航平…メジャー選手の共通点は!?吉井理人さんが語る天才たちの激ヤバ伝説【②/4】【WBC】この動画の「選手に答えがあるので、それを引き出すのがコーチ」というのがまさに指導や「教え」とはどういうものか、を端的に示している金言に思われた。わからないことを人生経験が豊富な人に聞くのは当たり前だが、その答えは自分でみつけないと自分の人生でなくなる。前回は神と仏の違いや祈りについて紹介したが、自分の人生は、自分の霊魂を磨き浄化させ、成長させるために、いわば霊魂のトレーニングカリュキュラムとして与えられたものなので、神や仏は、自分で答えをみつけられるように「教え」はするが、その答えは自分の人生のなかでみつけないと、また同じ人生を一からやり直す羽目になる。そのような同じ人生を繰り返すのが、いまも永遠に彷徨うユダヤ人の伝承となっている。この伝承では「ユダヤ人」となっているが、特にユダヤ人を指すだけでなく、地上人全ての代表として、つまり人生の落伍者の代名詞で呼ばれているだけで、ユダヤ人がユダヤ教に依存し過ぎている傾向を戒めているにすぎない。それは、以前紹介した自称星系インテリジェンスの「小さなおじさん」がチャネラーを通して警告している内容でもわかる。「小さなおじさん」の警告とは、地上人があまりにも無知だから、宇宙人が見えない形でいるのに気づかずに、太陽系は宇宙で言えば、辺鄙な田舎にすぎないのに、地上人は自分たちが中心で、一番偉いと思いあがっているから、宗教や戦争を生み出すアホさに気づいていない、のを以下の動画などでチャネラーを通じて話しているわけである。【となりの小さいおじさん】瀬知洋司 先生インタビュー【総集編②】45年間『小さいおじさん』と暮らす男とは!?この小さなおじさんにいわせると、人間は宗教や戦争などに依存することで、無知の壁を自分でつくっていることになる。要するに、自分で自分を苦しめていることに気づいていない。無知を解消するために、生まれてきたのに、かえって無知に染まってしまっている。人間が勝手に神や仏をつくってそれを崇めよと呪っている滑稽さにはやく気づくべきで、そのような間違った祈りをしていると、自分をますます束縛するだけである。オールドメディアの流す洗脳情報やネット界隈での救世主詐欺広告なども、この間違った祈りの典型といえる。地上人があまりに無知なので、誤った信仰として、主に6つの宗教が地上には形骸化して残っている。それらの6つの宗教が伝える死後の世界をまとめた面白い動画を見つけたので以下に紹介する。6宗教の人々が向かう死後の世界 [人間関係の法則] [偉人の言葉] [朗読]この6つの宗教の細かな違いを無視して、おおまかな一致を抜粋すると、以前紹介した「人智学らぼ」の以下の「臨死体験・木内鶴彦氏とシュタイナーの邂逅」の内容とほぼ同じなのがわかる。臨死体験・木内鶴彦氏とシュタイナーの邂逅それらをまとめると、死後に、肉体を脱する際に川や暗闇を抜けて、7✕7=49もしくはその全体をあわせた1を加えた49+1=50のプロセスを経て、生前を走馬灯のように振り返り、霊魂を浄化し、天国に還れるか、もしくはやり直すために、輪廻転生を続ける、というような、人生は一回きりではなく、永遠に続くのがわかる。そのような内容は、以前も度々紹介した「21世紀 死者の書」でも解説されている。ちなみにAIの回答は以下である。『21世紀 死者の書AIアシスタント『21世紀 死者の書』は、灯鳥ママリ氏が執筆し、ヴォイス出版事業部から2025年4月25日に発売される書籍です。古代エジプトの『死者の書』を現代によみがえらせるというコンセプトで、智慧の神であるトート神からのメッセージが記されています。✨ 本書についてこの書籍は、激動の時代を生きる人々へ向けたメッセージで、「死は終わりではなく生であり、命は無限に永遠に続く」という考え方を伝えています。📚 古代エジプトの「死者の書」とは古代エジプトの「死者の書」は、新王国時代以降に作られた葬礼文書で、死者が冥界を通過する際の注意点や魂の保護方法などが祈祷文や呪文として記されています。これは、もともと王のために作られましたが、時代が下るにつれて富裕層にも用いられるようになりました。』「21世紀 死者の書」のトートによれば、古代エジプトでも、金儲けや権力獲得のために、司祭などが勝手な祈りや教えを付け加えて、これまでの間違った祈りや教えを伝承してきたという。それら間違った祈りや教えを改めるための、火の教えと水の教えについて解説したのが、以下の「出口なおが遺した立て替え立て直しの秘密 ルドルフ・シュタイナー的考察」の動画である。出口なおが遺した立て替え立て直しの秘密 ルドルフ・シュタイナー的考察そして、大本教と人智学が照合しあうのを解説しているのが以前紹介した以下の動画である。大本教と人智学の神学的検証・出口王仁三郎とルドルフ・シュタイナーそして、また間違った信仰が広がってしまった最たるものが、人間の死である。人間の死はいわば偶像崇拝によってうまれた産物である。物質がエネルギーによって形をかえるように、万物が流転するように、生命も流転する。それは全てが創造主という一なる神を中心として大きな宇宙の大河として秩序と無秩序とのバランスをとりながら流転する。感じるか感じないかは貴方次第!
2026年03月12日
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成長しない人には幸運の女神は微笑まない三次元の唯物論に洗脳されている現代人の考えを端的に知るのに良く、ブログを書くネタを提供してくれるので、いわば反面教師として、「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?」というNHK番組をたまにみているのだが、先日、「なぜ“神さま仏さま“なのか?」をテーマにしていた。知的エンタメ番組「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?」第5回は「なぜ“神さま 仏さま”なのか」神社とお寺どちらにもお参りする日本人の“祈り”を徹底解剖! | ステラnetこの番組のなかでの流れで、参拝を、天災と結びつける着眼点は面白いのだが、霊と結び付けられない唯物論に洗脳されている点で、あまりに近視眼的で、無知過ぎて、幽霊を信じていない連中が、地震を祟りに結び付ける矛盾や滑稽さに、ドリフのコントをみるようで、お笑い番組のように面白かった。現代の唯物科学論で捉えると、脳科学では幽霊などを幻覚などに結び付けているのだが、そのような考えだと、日本人が地震や火山噴火などの天災を、神の祟りに代々結び付けて参拝してきたという滑稽な文化を継承してきたことになる。この誤った参拝文化からわかるのは、自分たちが自然破壊を続け、それが蓄積して、災害を招いてきたのに、全てを祟り神のせいにして、神社や寺社に金銭を寄進し、責任転嫁をしてきた代々の無責任体制を「お上」と呼ばれてきた現代の官僚機構の実態として、いまでも継承している、という悪しき慣習である。例えば、いま巷を賑わしている、神と悪魔を取り違える、このような悪しき慣習が、中東のイランでは独裁者による核兵器開発につながってしまい、せっかくの石油資源がありながら、貧困を招いている現状を、お馴染みのスパイチャンネルの動画が紹介しているので以下に紹介する。#955_イラン後継者は私腹を肥やすとんでもない人間だった! - YouTubeこのような悪しき習慣などの、神でもなく仏でもなく、どちらかといえば悪魔に近い財務省の緊縮財政を崇め奉って日本人は失われた30年の無責任な天下りなどの放漫行政を放置し、度々、増税なき行政改革、もしくは赤字財政と言う、虚言癖のお題目を、お経のように唱え、まるで破戒坊主のような政治家は、国民から増税で税金を収奪してきた。その現状は以下のお馴染みの「令和の勝海舟」と勝手に私が呼んでいる、高橋洋一氏の国会答弁でもわかる。【財務省のレトリックを粉砕】 高橋:「普通の政策をやるだけです」日本経済を復活させる最強の処方箋- YouTube【高橋洋一】"はっきり言って嘘でした…" 国交省の役人が見せた衝撃の裏切り 日本を30年間 貧しくした本当の元凶… #北村弁護士 #北村晴男 #高橋洋一 #今野忍 #山本期日前 #国会 - YouTube1464回 衆議院予算委員会の公聴会に出席してきました。中身を解説します!先に紹介したNHK番組のように、神と仏を一緒くたにして参拝するのが正しいかのような方便が語られるが、どちらも祟りが怖いだけの、外圧頼みでしか変われない恐怖心から参拝しているだけにすぎない。大体の日本人は、神と仏の区別ができずに、お参りしているだけにすぎない。もし神と悪魔が区別できるなら、神殿でカネ儲けする悪徳商売の糞坊主の言うことを鵜呑みにして賽銭などを支払うはずがなく、見栄を張って、葬儀に大金を投じる愚かさに気づくだろう。現代では、幽霊を脳がつくる虚像や幻想としているように、つまり神と悪魔の区別すら現代人はできないわけなのである。悪魔が仏に化け、自称宗教家などの専門家の言うことも鵜呑みにするようでは、自らの思考能力の成長を止めているだけで、悪魔が、神や仏に化けて騙していてもわからないのが現代人の特徴である。全く科学的でない後追い説明で「科学的」という言葉を宣伝文句のように唱える自称科学詐欺師に誤魔化されている。つい先日も、ネットフーテンの寅をしていると、この国の総理をキツネ呼ばわりする某ゴリラ研究者の、このとんでも発言の動画をみたが、昭和の時代劇のセリフじゃあるまいし、この女狐発言には時代錯誤を感じた。どうやら、このゴリラ研究者は、公共の電波で、失礼を承知しながら、高市総理を女狐、小池都知事を女狸に当て込んで悪口を語ったらしいが、かえってネットでは炎上したようである。京大前総長のとんでも発言 高市早苗総理はキツネなのか? -YouTubeしかも、この研究者は京大元総長というのだから、京大がノーベル賞学者をこれまで輩出してきたといっても、それらは少なくとも量子力学のプランク長以上の物質界での話で、アインシュタインの相対論の時空を超える、量子力学のプランク長以下の、4次元以上の高次の、霊魂に関してはほとんど無知無学で、学問の意味すら理解できていない。しかも、「神通力」という言葉を誤解釈し、誤用しているから始末に負えない。神通力というのは三次元以上の時空を超える力のことで、このような元総長の暴走族並の発言は度外視すべきだが、マトモに捉えるのなら、京大の哲学は、西田幾多郎以降死んでいる、というしかないかもしれない。プランク長 - Wikipedia西田幾多郎 - Wikipedia狐霊と動物の狐を混同しているようでは、人間の脳とゴリラの脳を混同するのと同じである。「神通力」というのは神に通じる能力のことで、人智学でいうところの、お馴染みの「インテンション」の神人合一の、別名アートマンとも呼ばれる究極の霊能力を意味する。動物には個体的な霊能力はなく、動物は動物種の集合魂をもつので、ある意味堕天使の魂なので、だから悪霊に近い自然霊といわれている。だから、前回も紹介したように狐霊で有名なコックリさんは危険だから交霊術はやらないほうがいい。つまり動物の狐と、狐霊は全くの別物である。無知なのに、ゴリラ学を専門外にも応用して、知ったかぶりをするから、詐欺師になってしまうわけである。この人は、政治についても素人同然の見識しかないのに、政治を語っていたのに驚かされた。ゴリラ学を万能薬と勘違いしているくらい脳が委縮し退化してしまったのかもしれない。クスリには主作用と副作用があるのを肝に銘じるべきである。このような似非学者の妄言は、神や仏をみたこともないのに、妄想で語るので、それに騙されてはいけないわけで、宗教を金儲けや権力獲得の道具にした詐欺なのである。このような悪霊にとり憑かれた似非科学者が詐欺師のようにいるので、たとえ金銭欲につながる必要のない金銭を寄付するにしても、坊主の私服を肥やすのに使われないように、その坊主の人柄をみて、悪霊がとりついて欲ボケ坊主でないか、外見や仕草から得度などを見抜かないといけない。坊主が詐欺師だったら、結果的に、詐欺に加担することになる。破戒坊主もろとも地獄行きとなる。お釈迦さんがなぜ現代を末法の世と預言したのか、それは神と仏の区別ができる仏法の教えが形骸化するのを千里眼で見通したからである。神や仏を語るのは宗教のなかでは本来は御法度なのである。というのは古代から詐欺の道具や、黒魔術師の道具にされてきたわけで、だからオカルトとして秘密を洩らさないように厳格に管理されてきた。だから、高度な秘儀参入や修行のなかで獲得された霊能力でないと、エドガーケーシのようにアカシックレコードリーディングできない一般人が、神や仏を区別できないのは当たり前で、その盲目さを利用して、悪魔の悪霊にとり憑かれた連中が金儲けや権力獲得の道具に宗教などを利用してきたのである。もし坊主が詐欺師だったら、現代の貧困ビジネスと同じである。例えば、東日本大震災の復興資金に使うといいながら、国民の預かり知らぬ処で、防衛費に使われていることもある。防衛費に使うならその名目で、国会で議論すればいい。国民の不幸を金儲けの道具などにしているから、国会議員の不信感につながり、震災が論争や闘争になり、戦争につながっていく。戦争が貧困ビジネスの最たるものだからである。このような嘘をついて詐欺をする人類をみて、宇宙人が警告しているのに知らんぷりなのが現代人の罪深さといえるかもしれない。復興特別所得税、1270億円がすでに防衛費に使われていた | Tansa要するに、カネを投じたのなら、その投じた先も、全体の破壊につながり、不幸にならないように考えないといけない。私利私欲の穢れた心で寄付するのなら、詐欺師の横行を防ぐために、しない方がマシである。自分だけ得をしたい、という邪念があるから、詐欺師がつけ込む。宗教が集票マシンや集金マシンに使われている自覚すらない。自分が地獄に堕ちている感覚すらない。その感覚がマヒするから、神と仏の区別がつかなくなる。宗教が偶像崇拝の道具の詐欺になって、詐欺師を増やしたら身も蓋もなく地獄の到来となる。現に仏と神の区別もできない現代人はまさに盲目である。自称専門家の肩書きなんか金銭でいくらでも買えるもので何の役にもたたない。そもそも神様が金銭を要求することなどありえない。神様には低次元の物質界の金銭など必要なく、逆の意味で、猫に小判なのである。キリストが、古代ローマの金銭だったコインに描かれていたカエサルの像をみて、カエサルのものはカエサルに返せ、と言ったのは、物質界のものは、物質界に返せ、という意味で、金銭は、物質界を自由自在に支配するための、霊の成長に使え、と言ったのである。オカルトでは、このように霊が物質を自由自在に支配する使用法を物質の霊化とも呼び、人智学ではエーテル化とも呼ぶ。霊魂を成長させるために、この世に生まれてきているのに逆に金銭などにとり憑かれているようでは、天国に還るどころか地獄に堕ちるだけである。まずは自分の人生を金銭などによって自由にしないと話にならない。三次元世界に囚われていては、その世界に拘束されて、奴隷となるだけである。例えば、金持ちの若者が、キリストに自分も弟子にしてくださいといったエピソードが聖書に書かれているが、キリストは、その若者が金銭の三次元世界に囚われているので、私についてくるのなら、金銭全てを貧しい人に施し無一文になってから来なさい、と言った。つまり、高次元の霊の能力で、自由に物質をかえる力、つまり霊の成長は神に返し、低次元の物質を変化させる金銭などは、物質界を発展させることで、心を自由にして、物質界の束縛を払い取り、拭いなさい、という意味で、皆が幸福に住めるように物質的にも福祉を分かち合い充実しなさい、まずは自分の心のなかの貧困をなくしなさい、ということである。自分の人生が金銭欲に溺れているようでは、他人を救うなどできない。他人を救うどころか、他人を騙すことになる。だから、宗教を広めるのなら、まずは正しい教えを身に着けるために、自分の人生くらいは自給自足できないと、かえって他人を騙すだけである。この自然の摂理に沿った、自給自足の最低限度の生活をしている坊主がこの国にはどれくらいいるのか? 物質界に染まり切っているような破戒坊主には、仏の教えなどは、金儲けの道具に使われて、猫に小判なのである。自給自足をして大自然の調和から太陽光の恩恵や神の恵みが感じられるような、仏さまが身近にいないから、仏がわからないのである。大自然の循環から、低次元の物質と高次元の心とを、不浄の心と浄化の心を、邪心と正心とを区別できるのが、仏心なのである。仏心で救うのが聖心で、時空を超えて、高次元の知識に到達できてはじめてわかる、この心でもってはじめて区別できるのが、仏と神の違いである。哲学についても、現代人の考える哲学は無知ですでに死んでいる。神と仏の区別ができない哲学は哲学でなく死んだ学問で、プラトンが学院の門に、「幾何学をせぬ者通るべからず」と掲げたのは、幾何学がイデアで、神の言葉だからである。神の言葉がわからない奴は通るな、ということである。ここで話を元に戻すと、だから、なぜ“神さま仏さま“なのか?という問いは、唯物論では回答不能なのである。参拝には合掌して目を閉じて祈るのは瞑想と同じで、自分の心を内観しているのである。つまり、唯物論を超えたプランク長以下の量子力学で量子にならない、いわば観測できない、超弦理論のような世界の話なのである。それでも、あえて、この問いの哲学的な回答を得るには、このブログでは、お決まりのセリフなのだが、オカルトの知識がないとほぼ回答困難なのである。この問いは「宇宙人がいるのか?」と同等かそれ以上の唯物論を超えた知識が必要となる。NHKのつくる番組は、いつも問いは高尚なのだが、自分たちでは解決できない問いを掲げるので、大体適当なところで、自称専門家が出てきて自説を語って、お茶を濁して終わる、のがこれまでの典型といえるかもしれない。ちなみにAIの回答は以下である。三次元から高次元を捉えようとしても、三次元の壁、つまり洞窟の壁しかみえない。AIアシスタント『「なぜ“神さま 仏さま”なのか」日本人が「神さま仏さま」と言うのは、神道と仏教が複雑に関わり合いながら日本の文化や歴史を形作ってきたためです。異なる起源を持つ神様と仏様が、長い歴史の中で互いに影響し合い、時には一体化する形で信仰されてきました。🇯🇵 日本での神と仏神仏習合神道と仏教が混ざり合った状態。お互いの良い点を取り入れ発展。日本独自の表現欧米やインドでは見られない。キリスト教とユダヤ教などを一括りにしない。💡 神様と仏様の違い神様と仏様には、基本的な定義とルーツに違いがあります。項目 神様 仏様ルーツ 日本で生まれた神道 海を越えて伝わった仏教基本的な定義 自然現象、祖先の霊、特定の場所や物に宿る 輪廻転生と修行で悟りを開いた存在具体例 山、川、雷、祖先の霊、天神様など お釈迦様、阿弥陀如来、観音様など』この問いは人智学、もしくは神智学を学べばその理解度によって回答が得られるが、このAIの回答からもある程度予測できるだろう。例えば、「仏さま」というのは、解脱した霊魂のことで、ヒトの姿をしていた経験でわかるが、「神さま」というのは、必ずしも、ヒトの形をしたものではない不定形の存在なのがわかる。なによりも、我々人間の霊魂も神様の一部なのである。だから我々の一部の「人」の形をして神といっても、その局所面で成立するものでしかない。人間をミクロに分析していくと、素粒子と時空にわけられるが、その全体の配分を構成し、バランスをとっているのが神の摂理で、古代人はエーテルとか、水とかの名で呼んでいた。素粒子でいうなら、ニュートリノに満ちた宇宙線の海である。宇宙線は何も外だけからくるのではなく、人体がニュートリノを放出しているように、宇宙の大きな循環の流れから巡っていて、宇宙線のバランスにより、生物の進化が生まれたという。だから、宇宙線を、神の息吹と、古代人は呼んだようである。宇宙線を循環させるのが宇宙人である。そもそも、宇宙人というのを「人」としているのが現代人の無知の一つで、一般的にヒューマノイドにしているのは、人類の愚かな知性に対する盲信である。現代人には、宇宙人と神の区別もつかないわけで、地上人が考える宇宙人がいないから、宇宙人がいないとしているだけである。この論理で、無神論者も、無知な知性で神が観測できないから、神がいないとしているだけで、観測基準の定規をかえればいいだけの話である。少し考えればわかるが、人間に観測できるような神なんて、悪魔の存在証明よりも更に困難で、愚かな人間に神とわかれば、神に何でも相談して、あれこれとねだるだけの話である。神というものが、そんな奴の言うことを聞くわけがないだろうし、そんな奴に神の正体を明かすわけがない。宇宙は、老子が説いた「天網恢恢疎にして漏らさず」なのである。だから、もしアインシュタインの一般相対論の式を書き換えるのなら、宇宙項に、メビウスの輪、もしくはクラインの壺のように、内と外とを入れ替えるトポロジーを表現するような数学が必要になるだろう。AIの回答は以下だが、宇宙定数を、トポロジーとして変換するような形が予想される。『「一般相対性理論 式」のAI回答一般相対性理論の主要な方程式は、アインシュタインが1915年から1916年にかけて発表したアインシュタイン方程式です。この方程式は、物質やエネルギーが時空の曲がり方を決定し、その曲がった時空が物質やエネルギーの運動に影響を与えるという、重力の幾何学的な記述を表しています。アインシュタイン方程式の概要アインシュタイン方程式は、時空の曲率と物質・エネルギーの分布の関係を示すテンソル方程式です。この方程式は、重力を時空の歪みとして捉える一般相対性理論の核心をなします。アインシュタイン方程式の形式アインシュタイン方程式は以下の形で表されます: Gμν+Λgμν=8πG//c4Tμν· Gμν:アインシュタインテンソル(時空の曲率を表す) Λ:宇宙定数(宇宙の膨張に関わる)gμν:計量テンソル(時空の幾何学を表す) G: ニュートン重力定数c: 光速Tμν: エネルギー・運動量テンソル(物質やエネルギーの分布を表す)関連する重要な概念1. 等価原理重力と慣性力が物理的に等価であるという原理です。アインシュタインが一般相対性理論を構築する上で重要な着想となりました。2. 測地線方程式重力の影響のみを受ける物体が時空中でたどる経路を示す方程式です。これは、曲がった時空における最短経路(測地線)に相当します。3. 計量テンソル時空の距離や角度を定義する数学的な道具です。一般相対性理論では、この計量テンソルが時空の曲がり方を記述します。特殊相対性理論との関係一般相対性理論は、特殊相対性理論を重力場を含む加速度系に拡張したものです。特殊相対性理論では平坦な時空を扱いますが、一般相対性理論では物質の存在によって曲がった時空を扱います。特殊相対性理論は、一般相対性理論における一点の近傍での一次近似と考えることができます。』有名な形では、アインシュタインテンソル表記を用いない以下がお馴染みである。ただし宇宙項が省かれている。宇宙項 [物理のかぎしっぽ]人類の英知⑪ 一般相対性理論(3/4)人類史上最も美しい理論 | Frontier Eyes Online by フロンティア・マネジメント地上人は直線的思考に馴れているので、曲率がゼロに近い世界しかみえないだけで、だから宇宙が膨張しているようにみえるのだが、それは地上人の知能が、宇宙に比べれば低次元の直線にすぎないだけなのである。霊や心の世界がみえないのに、見えると嘘をつくから、嘘が膨張するのである。だから、知れば知るほどわからなくなるのが学問なのである。さて、幸運の女神には後ろ髪がない、という諺があるが、ウイキの解説にもあるように、「チャンスは訪れたそのときに掴まなければならない」という意味で用いられているが、古代叡智のオカルトの知識では、神は常に眼前にいる、という意味である。幸運の女神には前髪しかない - Wikipediaこの古代叡智の意味を理解するには、ソクラテスの説いた無知の知に至る必要がある。人間は必ずなんらかの間違いを犯すが、それは無知を知らないからで、何を知らないかを知らないからである。自分が何を知らないのかを知っていれば、実際に経験する必要もないし、失敗することもない。なんだか言葉遊びのようにみえるが、要するに、人間は神を知らないという無知に気づくべきなのである。神を知らないのに、神を知っているというのもおかしなもので、果たして、神を知っているという人は、神という存在全体の何パーセントを知っているといえるだろうか?万物は流転するのに、無常といわれているのに、神だけがいつも同じなのは、人間が無知なだけだろう。神は宇宙の成長を司っているのだから、アインシュタインの一般相対論の観測を基にした方程式の宇宙項のように、時空の歪みを質量に換算すれば膨張しているわけで、質量が膨張しないように重力で拘束しているわけで、この方程式は、万物流転の法則を体現化した数式といえるかもしれない。いわば宇宙は無限なのだが、人間の知性は有限なので、有限の時空に換算して解釈するしかできないから、お釈迦さんの手の上を巡る孫悟空と同じなのである。ここに神と仏の違いが表れる。つまり、神智学によれば、神はこの世に転生したことがない人間の形の経験のない存在で、宇宙全体の総体を司る意識の素のような存在で、人間もその一部なのである。そして仏とは、この世に転生した経験をもち、そのような人間から、神のような存在に近づき、少なくとも、物質世界を自由自在に操作できるようになった解脱の、地球を卒業した存在のことで、神智学では、神のような存在をアヴァターと呼び、仏のような存在をマスターと呼んでいる。だから、アヴァターは人間のような有形の有限の存在ではなく、元から両性具有で、男女にわかれたこともない。アヴァターが転生したら、キリストがそうだといわれているが、両性具有で、地上人はキリストの肉体しかみえていなかったといわれている。キリストは、自分の自我を「父」と呼んでいたわけで、自我の周囲のアストラル体を「聖霊」と呼んでいたことになる。肉体は二人のイエスの肉体を使い、三年間しか受肉できなかった。地上人はイエスの肉体しかみえなかったので、イエスの行いを通してキリスト教を信仰したようである。しかし、キリストはイエスの肉体を捨てても、エーテル体などで活動しているので、弟子たちに霊界通信で聖書を書かせたわけである。このことからも肉体の死が死でないのがわかるはずである。肉体の死をいまだに説いている宗教徒は偶像崇拝で、悪魔崇拝教といわざるをえないのがわかるはずである。宗教でカネ儲けや権力闘争をすると、永遠に彷徨えるユダヤ人のように地球を落第し続ける魂のゲヘナとなるだろう。最後にそのような動画をお馴染みの「人智学らぼ」により紹介する。臨死体験が解き明かす「生と死の真実」:木内鶴彦の証言とシュタイナー精神科学の邂逅 - YouTubeさて、冒頭に紹介した番組でも、最後の締めにタモリ氏が哲学の回答を出していた。それは「日本人は天に祈っている」という回答である。この「天に祈る」という回答は、オカルトでいえば、学問という言葉の本質で、学問とは実は「祈り」なのである。だから哲学も祈りなのである。学問とは「霊魂を成長させてください」という神への祈りなのである。古代では神殿で学問が教えられていた。人智学の秘儀参入法がそれである。しかし、現代人は神殿の祈りで金儲けしたり、権力を切り売りしたり、悪魔を呼び寄せるようなことをしている。そのような祈りで霊魂が成長するだろうか?だから、キリストが言ったように、祈るなら、人に知られず、密かに、心を浄化するように、自分のなかの良心を鑑みて、神と対話するように祈るべきなのである。「まずは神の国を求めよ。さすればすべてが与えられる。」というように、自分のいまの知性の限界を超えるべきなのである。マタイ6章25~34節「まず神の国と神の義を求めなさい」 | 大田原キリスト教会神の国をまず求めるとはどういう意味?神の国を求めよというのは、自らの限界を超えて、霊魂を成長させなさい、ということである。人生の最後には死が待っている。その時には霊魂を成長させる機会が奪われる。死を嘆くのではなく、死を喜ぶべきである。霊魂を成長させていれば、死を超えることもできる。死者とも、心でつながるのなら、貴方は永遠に生きられる。祈りとは心のつながりで、愛の火を灯す行為である。祈るときは、内に秘めて高次元のなかで祈るべきなのである。そうすれば祈りにより自分の肉体故の死の限界を超えて、死者の霊魂とも交信できる。死を感じるか感じないかは貴方次第!
2026年03月11日
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UFOが頻繁に目撃されるのはハルマゲドンの前兆相変わらずオールドメディアは、アンチキリストに従って、宇宙人の存在を隠し続けているが、それも無数のUFOの目撃談などで、そろそろ限界にきているようである。古代人が宇宙人と交信し、高度な文明を築いたのは、エジプトのピラミッドや、マヤのピラミッドのティカルや、インカのマチュピチュなどの遺跡をみればわかる。第1回 知ってるようで知らないマヤ文明 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト高度な文明を築いた彼らがどこに行ったのか、と問うのならば、神智学が読み解いたカバラやトートのエメラルドタブレットから、地球を卒業し、太陽に近い水星や金星に、より繊細な波動の霊魂で行った、という回答を得るだろう。つまり、前回紹介した動画の「かごめ歌」で喩えるなら、地球という大海の「かがみ」で、禊を済まし、「が」を洗い、空に浄化したので、「か(が)み」から「かみ」になったわけである。ホツマツタエが解き明かす「かごめ歌」と魂の覚醒 - YouTubeこの「かごめ歌」からUFOを想定すると、「かがみ」のかごめ紋をつくる、「△」や「▽」なのがわかる。だから、かごめ紋の六芒星は、UFOを動かす光と闇を統合した波動エネルギーなのがわかる。そこで、六芒星とUFOの関係をググると、以下のようなサイトに遭遇するので、高次の宇宙人のチャネラーからある程度その推進力が謎解きのように明かされているのがわかる。おそらくUFOのパイロットは「が(我)」をもつと飛べないのかもしれない。多次元空間とUFO!!ー宇宙と戯れるー大摩邇(おおまに) : 六角形と四角形は波動共鳴を誘発する第11回 やっぱりUFOはUFOである | 採U記 | NeWORLD | 斜めうしろから世界をのぞく六芒星との関連で、バックミンスターフラーも、シュタイナーも、地球が正四面体構造を基盤にしているのを解き明かしている。それはあとで、シュタイナーの講義の動画で紹介するが、かごめ歌の六芒星を、地球にあてはめると、興味深いことが浮かびあがる。その前に前回紹介したペンテコステの意味を再確認してみる。前回はペンテコステと呼ばれる聖霊降臨祭のオカルト的な「アンタレス星からきた聖白色同胞団と呼ばれる、聖霊たちの人類の救済の人類進化計画の意味を紹介した。そして、それが7✕7=49で、最終的に全体で1つの過程を表すので、その1つを加えて、50なので、それがギリシア語の「ペンテコステ」を表わし、かつての地球の出来事をも表わすのを同時に紹介した。さて、49と聞くと、日本では、仏教の49日を思い出す人もいるだろう。それは、以下のAIの回答のように、「死後に閻魔様に審判され、来世の行き先が決まる日数」とされている。だから、ペンテコステの意味から、50日を加えて換算されると、地球を卒業し、次の進化段階に進めるが、加えられずに、49日のままだと、前世の償いをするために、再度地上に戻って、輪廻転生を続けることになる。『「49日 意味」のAI回答四十九日とは、故人の命日から数えて49日目に行われる仏教の追善法要を指します。この期間は、故人が現世と来世の間をさまよい、7日ごとに閻魔様の裁きを受け、49日目の最終審判で来世の行き先が決まると考えられています。遺族は故人が極楽浄土へ行けるよう祈り、この日をもって「忌明け」となります。四十九日の意味仏教では、故人が亡くなってから49日間を「中陰」と呼びます。この期間、故人は7日ごとに審判を受け、遺族は故人の成仏を願って供養を行います。特に四十九日目は、故人の魂が生まれ変わる先が決まる大切な日とされています。四十九日法要の目的四十九日法要は、故人が無事に極楽浄土へ旅立ち成仏できるよう、遺族が祈りを捧げる「追善供養」です。また、この法要をもって「忌中」が終わり、「忌明け」となる重要な節目でもあります。浄土真宗の場合浄土真宗では、「往生即成仏」の考え方に基づき、故人は亡くなるとすぐに極楽浄土へ行くとされます。そのため、他の宗派のような追善供養は必要ありませんが、故人への感謝を伝え、仏教の教えを再認識する機会として四十九日法要を行います。四十九日法要の流れ一般的な四十九日法要は、以下の流れで進行します。一同着席僧侶入場・開式の挨拶読経・焼香僧侶による法話・中締めの挨拶納骨式・お墓参り(法要後に続けて行われることが多い)献杯の挨拶・会食(お斎)施主の挨拶・引き出物を渡して閉式四十九日までの準備四十九日法要に向けて、以下の準備が必要です。日程と会場の手配参列者への連絡会食の手配本位牌、仏壇、お墓の準備卒塔婆の手配(浄土真宗を除く)僧侶へのお布施の用意』本来の49日をオカルトの知識で解き明かすなら、死者と遺族との霊的な交信の期間で、古代では高次の宇宙人と人間との霊的な交信を意味していたものと考えられる。人間がだんだんバカになってきて、霊能力を失ってきたので、破戒坊主などが仏教を金儲けの道具にして、坊主自らが地獄に堕ちるカルマを現代までつくってきたわけなのである。本人たちに全くその自覚がなく、悪魔に操られているのが愚かなのだが。そのような高度な霊能力もない糞坊主が金儲けに走るほど、悪霊を招き寄せるだけなので、そのままいけば、かえって益々悪魔崇拝を拡げるだけなので、聖霊たちが、人間から霊能力を取り上げ、代わりに人類が見えないところで、UFOなどで人類の進化を監視するようになったわけなのである。そもそも、地上の人間の霊魂は、地中のシャンバラという場所で、霊的なネットワークで、各霊魂の成長度をモニタリングされているので、地上の外に出て、監視する必要もないのだが、むしろ、人間に影響を与えている悪霊となっている自然霊を間接的に監視しているようである。というのも、人間が起こした人間への影響は極力人間に解決させるように干渉せずに見守り、人間に害を与えている自然霊やその背後の悪魔たちのネガティヴ度合いを測っているようなのである。人間が野生動物になるべく干渉せずに、その生育環境を調査するのと同じである。野生動物にエサなどをやって接触すると、その背後の自然霊たちの生態系を壊し、自然環境を破壊する、のと同じである。このような観点からも、人間が行う安易な霊視や霊媒を使った交霊術は悪霊となっている自然霊を呼び寄せるので、非常に危険なので、しかも、自然霊は人間が地上に受肉するよりも前からネガティヴに接触するために地球に精霊として生息しているので、人間を騙すことなど容易いといわれている。例えば、死んだ故人に化けて、遺族の潜在意識を読み取って、その故人の情報をアカシックレコードから検索してきて故人のように振舞い騙し、その背後の悪魔に遺族の魂を引き渡すこともできるらしい。「こっくりさん」のようなのは非常に危ない交霊術なのである。現代の振り込め詐欺の手口でいえば、このような悪魔に使われる自然霊は、子供などに成り代わり親などに、カネが必要と電話をする詐欺師のようなものである。このような詐欺師を使う裏には反社のような悪魔がいるわけで、つまり、この世の詐欺師のようなのが、あの世にもいるわけで、その詐欺師の背後に地獄の第八領域に堕ちる悪魔たちがいるわけで、だから、エメラルドタブレットには、下にあるものは上にもある、という格言や戒めが説かれてもいる。ただ、目に見えるか、見えないかの違いでしかない。さて、先のAIの回答に話を戻すと、そのような悪霊との交信など全てが、当人のカルマに記録されているわけで、49日の期間の、7✕7=49は、地球の進化全体を表し、その進化に見合う経験を積んだのかどうか詳細にわたって、閻魔様により調査され、審判されるわけなのである。仏教では閻魔様となっているが、シュタイナーの人智学では、ドッペルゲンガーで、自分の双子の霊なのがわかっている。閻魔様は冥界の王のことで、ドッペルゲンガーは、天国にもっていけなかった、過去の罪なので、カルマでもあり、それらは天国に持ち込めない無秩序なネガティヴなので、冥界の王に始末してもらうしかなく、それを基に次の転生の肉体がつくられるわけなのである。さて、UFOの出没地域をググると、山が多いのに気づくかもしれない。山の形が△なのもあるが、六芒星と次に紹介するシュタイナーの四面体の地球の動画から、ある程度、その頂点に多いのがわかる。シュタイナー「日本が地球の頂点」四面体の地球:隠された幾何学 - YouTubeシュタイナーの地球四面体論によれば、南極、コーカサス、コリマ山が正四面体の底辺の3つの頂点をなす。その3つの地域について、UFOや古代遺跡についてググると以下のようなサイトに遭遇する。なかには眉唾モノもある。正四面体の頂点の日本については、シュタイナーと出口王仁三郎の神秘学検証の動画を最後に紹介する。Fujisan Trends 『南極の厚い氷の下に、UFOの基地が存在!?』南極アトランティス超文明と巨人伝説の謎南極大陸に潜むUFOをついに発見!? メタリックな円盤が映り込んだ衝撃の衛星画像|webムー 世界の謎と不思議のニュース&考察コラム考古学の常識を覆す発見、ドローンで明らかになった約3000年前の巨大要塞 | カラパイアコーカサス山中に眠る3000年前の巨大要塞の全貌が明らかに | カラパイアまたもやメキシコ火山からUFO大量出現! UFO研究家らが賛否両論の大論戦! - TOCANA Paranormal News Mediaメキシコの有名なUFOスポット5つまとめ。【実際に行ける!】|VIVA MEXICOこれら3つの地域になぜUFOが飛来するのか?という問いを投げかけるのなら、様々な回答が考えられるが、あえてシュタイナーの正四面体論を根拠にして考えるのなら、かつて古代人が、この地域に古代都市をつくり、宇宙人と交信していた名残という一つの回答が挙げられる。我々地上人が名跡や名所を観光するように、宇宙人も地球の名跡や名所を、かつて人間と交流していた地域を観光していると考えれば、この回答は不思議でもなんでもない。「そういえば、地球のこの地で、昔、地球人と交流したよね」と宇宙人が思っても不思議でないどころか、地球人の観光の感覚からもすんなり理解できるだろう。神智学やエメラルドタブレットのトートによれば、また以前紹介した自称星系インテリジェンスの小さなおじさんの話でも、我々地上人の他にも、勿論、人間のように、比較的安定した物質的な波動の肉体をもつ存在ではないが、また人間も肉体以外のエーテル体、アストラル体、自我などは不可視の高次の波動をもつが、それらを肉体にする宇宙人が、宇宙には沢山いるのを、教えてくれている。自称星系インテリジェンスの小さなおじさんも精霊や宇宙人ともいえるし、我々人間も、小さなおじさんからすれば、地球の地上に転生する宇宙人といえる。主にどの波動域の時空に転生するか、ぶっちゃけていうなら、いつもどのチャンネルをみているかで、例えば、地上波で例えるなら、NHKばかり見る人はNHK人と呼んでいるにすぎない。だから、仏教でいうなら、乗り物の外見の肉体だけでなく、中身の霊魂の同調性、もしくは霊魂の成長度合いの、いわゆる霊格で、宇宙人を区別したほうが妥当といえるわけで、地上人の人間は、肉体というネガティヴな時空間に閉じ込められ、その時空間に同調しているので、霊魂の保育器に育てられている幼児といえるかもしれない。「今どきの若い者が」と昭和世代が平成世代を見下すように、その霊格は、攻撃的になるほど、下降し、益々無知になっているわけなのである。人類の進化により社会が快適で便利になったのなら、論争や闘争や戦争はなくなっていくはずで、モラルが空気や水のように保たれて、誰もが満足する生活を実現できるはずなのに、それはあくまで理想で、幻想にすぎないものとなっている。そして、現実は、死ぬまで労働しないと、ある程度の生活が保てなくなっているわけで、この最低限の生活でさえも、自分たちの権益しか考えない政治家や官僚たちのせいで、現代人のほとんどはモラルハザードを起こし、ストレス社会を到来させて、ギスギスしたいたるところにモンスターを生み出すような権力支配のまるで野獣のような社会となっているわけで、そのようなつまり、早く言うなら、現代人は次第に退化し、サルになっているから、自由を失い、サル山のボスを中心にした独裁組織を形成するようになっているわけなのである。五千年前からいる「最近の若者は」と言う老害。 | 退職代行なら労働組合法人のガーディアン[807]大昔から繰り返されてきた慣用句、「今どきの若者は・・・」 | 「できる!」ビジネスマンの雑学 | 明日香出版社#023 最近の若者は……っていつの時代も言うのは何故か?|吉田寛輝|株式会社データシード|いちばんやさしい医療統計以上のように、「最近の若い者は」の枕詞のような不平不満を次世代に持ち越している、人類のこれまでの経過をみてもわかるが、また、この言葉の起源が古代エジプトに端を発しているのをみても、古代エジプトの高度文明を超えるような古代叡智を継承するどころか、それ以下の無知蒙昧のサルの退化と遜色のない現代人となっているわけなのである。古代ギリシアの哲学者の発言だけをみても、人類が益々無知になっているのがわかる。ドルトンの原子仮説は、レウキッポスとデモクリトスが、パルメニデスの存在論に対して提唱しているし、有名な、「万物は流転する」という生命を含めた存在の循環説を、ヘラクレイトスがすでに提唱しているし、そのような流体の循環論を、タレスが、「万物の根源は水である」とすでに提唱している。原子論 - Wikipediaタレス - Wikipediaそのような古代ギリシアの哲学者たちの提唱した、いまでいう思考実験の定理や法則を、物質界に適応するように焼き直し、解釈したのが、中世のルネッサンスに転生したレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロたちなのである。ルネサンス - Wikipediaこのような人類の歴史をみていると、人間が次第に近視眼的になってきているのがわかる。確かにミクロの顕微鏡はみれるようになったが、宇宙全体の包括的な視野を、例えば、不可視の存在を無視するようになってきたのがわかる。例えば、病気を細菌やウイルスのせいにしたり、それらは人体の環境がそれらの寄生に相応しくなったのが本当の原因で、細菌やウイルスの増殖は副次的要因にすぎないと、シュタイナーは説いている。このような自らの責任を他者などに責任転嫁する傾向が益々増えてきて、昨今のオールドメディアの偏向報道をみればわかるが、責任を明確にしないから、放置されて、いつまで経っても改善されないばかりか、現状は益々悪化し、自然環境が破壊されていく。そのような人類の退化をみている、高次の宇宙人が心配になって、人類は大丈夫か?とUFOなどで到来し、何とか元に戻そうと、人類に自覚を促しているわけで、その自覚を人類の一人一人に求めているわけなのである。そのような人類を救う聖白色同胞団の救済基地が、地球には7か所あって、それら7つの場所が、ヨハネの黙示録で語られている7つの教会を意味している。ヨハネの黙示録(34)—キリストの再臨— 黙示録19章:11〜21 | メッセージステーション7つの教会 - Wikipediaこの7つの教会は、かつて地球に凹凸の山や谷がなく、海面と地表が平面であったときの、シュタイナーが説く正四面体であったときの、7つの大陸を意味しているらしい。そして、前回紹介したように人類が失楽したときに、エックスジアンが地球にきてから、人類が奴隷化支配された経緯や、アンテレス星から聖霊たちが救いにやってきたものの、ほとんどの人間はネガティヴに陥ったままなので、とりあえずは1人1人に小分けして、輪廻転生で次第にネガティヴを除去していくような進化計画を与えたが、人類は馬鹿で愚かなので、原子力などで戦争をしてしまい、数回の破局を経て、地球の環境がすっかりかわってしまい、いまの地球のようなハルマゲドンの一歩手前のような現状となっている。そして、聖白色同胞団の聖霊たちは、そのような7つの教会から、人類進化を見守っているわけなのである。その7つの教会とは以前にも紹介したが、チベットのシャンバラ、人類発祥のゴビ砂漠、ドイツのハルツ山脈、カナダの極北、アメリカのシャスタ山、アフリカのアトラス山、中米のユカタンと伝承されてきた。この7つの教会と、シュタイナーの人智学と出口王仁三郎の大元教との調和の教えの動画がアップされたので紹介する。大本教と人智学の神学的検証・出口王仁三郎とルドルフ・シュタイナー - YouTubeこの2つの教えに、エドガーケーシ―のアカシックレコードリーディングもしくは、ドーリルのエメラルドタブレットによるトートの教えの解釈を合わせると、7つの教会の霊的な教えが浮かび上がるようにみえる。7つの教会を貴方のなかに感じるか感じないかは貴方次第!
2026年03月06日
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上るのは難儀だが堕ちるのは容易い現代の地上人の感覚からして、この世は地獄なのか?という問いに何と答えるだろうか? もし、この世が地獄だとしたら、死ぬことは地獄から抜け出すことになり、地獄が嫌だから自殺する人もでてくるかもしれないが、死後の世界のほうがもっと地獄の可能性もあり、この世だけが地獄という保証もない。地獄の種類も多種多様で、しかも、地獄の程度問題もある。この世は確かに地獄のような場面もあるが、たまには天国かのような良い思いをすることもあるし、地獄のような経験から、逆に天国を想像できる。ちなみにAIに回答を求めると以下になる。この世は地獄なのか『AIアシスタントこの世が地獄であるかどうかは、個人の感じ方や宗教的な考え方によって異なり、一概には言えません。「この世は地獄だ」と感じる人もいれば、そうでない人もいます。🎭 「この世は地獄」と感じる理由「この世は地獄」と感じる理由には、以下のものが挙げられます。人生の不公平さ: 運によって人生が大きく左右される弱肉強食の現実: 力のある者が勝ち、弱い者が淘汰される生きる意味の喪失: 人生に目的や価値を見出せない人間の欲望: 欲望に縛られて生きている避けられない死: 最終的に訪れる死への絶望努力が報われない経験: 努力しても状況が変わらない苦しみ☸️ 仏教における地獄仏教では、地獄は死後に存在する苦しみの世界とされています。概念 説明六道 私たちの世界を含め、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道の六つの世界が存在し、生まれ変わりを繰り返すとされています。地獄道 六道の中で最も苦しみの多い世界です。生前の悪行によって地獄に堕ちると考えられています。ただし、地獄は罰のためだけではなく、その人の「心の波長」が地獄に合っているためとも言われています。八大地獄 仏教では、地獄をさらに八つの種類に分けて説明することもあります。これらは、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄(無間地獄)を含みます。各々異なる苦痛と期間があります。🌍 この世の苦しみと地獄仏教では、「苦より苦に入り、冥より冥に入る」という言葉があり、この世で苦しんでいる人は死後も地獄の苦しみを受けると説かれています。この世での不安や暗い生活が、そのまま死後の地獄に繋がると考えられています。』このAIの回答のように、仏教では、死後の世界と捉えていて、この世での地獄のような経験よりも、更に地獄のような死後の世界を想定している。それでもあえてもし、この世が地獄だとしたら、なぜ死を恐れるのか?という疑問が生まれてくる。死後の地獄よりもまだマシな感覚が残っているのかもしれない。いずれにしろ、死を恐れる、ということはそれなりに、この世での居心地が良い証拠で、たとえ地獄でも、その影響を受けない生き方もできる。上のAIの回答の、仏教の言葉「苦より苦に入り、冥より冥に入る」は、この生き方を説く教えといえるかもしれない。キリストも、心が世界をつくる、というようなことを述べている。神智学では、人間が死後に行くはじめの世界は、一般的に冥界で、人智学では、カマローカと呼ばれている。この冥界は欲界とも呼ばれ、太陽光がほとんど届かない冥王星の裏にあり、前回紹介した第10番惑星で通称X星とも呼ばれている。冥王星という命名でも、その暗い、ある程度のネガティヴさがわかるが、更に外だから、ほとんどネガティヴな闇なのがわかる。ちなみに冥王星のオカルト的意味は次のようなサイトで紹介されている。冥王星は占星術界の魔王!その意味をまとめてみた|星読みテラス占星術における「冥王星」とは?意味やホロスコープでの特徴を解説 | うらなえる | 無料占い・今日の運勢『占星術における「冥王星」は、人の力では避けることができない世代的あるいは社会的な仕組みや突発的な出来事を根本から覆していく変容を意味します。 冥王星は、とても公転周期が遅い天体で、個人(パーソナル)の領域ではなく、世代間の傾向や特徴、個人という枠組みを超えた「トランスパーソナル」として区分されている天体です。』冥王星でさえも、『冥王星は、避けることのできない大きな変化を、社会的な制度や仕組み、個人に対して起こす星です。』と伝承されているので、その外の地獄のX星はいわば地上人に破壊をもたらす星ともいえるかもしれない。さて、前回このX(エックス)星とリリスと悪魔との関連から、人類が失楽したときに、X星からエックスジアンが地球に到来し、地球で人類を奴隷化し支配したので、アンタレス星から人類を救いに聖白色同胞団が地球に降臨して、エックスジアンを地球の核の中に幽閉したエメラルドタブレットなどに書かれている話を紹介した。現代の唯物論しか信じない地上人には理解困難でトンデモな話に聞こえるだろうが、そのような出来事が、地上にペンテコステとして残っている事実がその証拠ともなる。『ペンテコステという名前はギリシア語で「50番目(の日)」を意味する』と、以下のウイキにもあるように、この50の意味は、聖白色同胞団の、つまり聖霊がやがてまた降臨する日で、その時は人類が地球を卒業し、続いて、金星、水星と卒業し、自由と愛の天使になる日と伝承されている。ペンテコステ - Wikipediaこのペンテコステとは、いわば人類が「聖霊とともに蘇る」日で、聖白色同胞団による人類進化計画を表わしてもいる。というのは、人類は7つの時代の更にその時代のなかに7つの文化期を通過しながら、計7✕7で合計49の進化段階を乗り越えるために、いま生きているが、それらを一つの全体として、1を加えると、49+1で50の進化段階を通過し、乗り越えて成長する、と伝承されてきたからである。前回も紹介したが、5月1日が地球の核に幽閉されたエックスジアンが地上に影響し、特に悪夢として、地上人の夢のなかに霊媒などとして現れる日で、一般的にメーデーと呼ばれているのを前回紹介したが、その後でペンタコステが行われるのは、闇にたいして光がもたらされるという、地球上のかつての歴史的出来事に起因している、のがわかる。ちなみにAIの回答は以下である。「メーデーメーデー意味」のAI回答「メーデー」には主に二つの意味があります。一つは、毎年5月1日に世界各地で行われる労働者の祭典で、労働者の権利向上を訴える日です。もう一つは、無線電話で遭難信号を発信する際に使われる緊急符号語で、「助けに来て」を意味するフランス語に由来します。労働者の祭典としてのメーデー起源と目的メーデーは、元々ヨーロッパの「五月祭」として夏の訪れを祝う日でした。しかし、1886年5月1日にアメリカのシカゴで8時間労働制を求めるゼネラル・ストライキが行われたことがきっかけで、労働者の祭典としての意味を持つようになりました。この日は、労働者の団結と権利を主張し、労働条件の改善や賃金向上、労働時間短縮などを訴える目的があります。日本におけるメーデー日本では1905年にメーデーの先駆けとなる茶話会が開かれ、1920年には第1回メーデーが開催されました。第二次世界大戦中は禁止されましたが、戦後に再開され、労働者の地位向上に貢献してきました。現在では、労働者の権利主張だけでなく、民主主義の発展や恒久平和の希求などもメッセージとして発信され、家族で楽しめるイベントも開催されています。祝日としての扱いメーデーは国際デーとして、世界の80カ国以上で祝日とされています。しかし、日本では祝日としては定められていません。遭難信号としてのメーデー意味と由来遭難信号としての「メーデー(Mayday)」は、フランス語の「Venez m'aider(ヴネ・メデ)」、つまり「助けに来て」に由来する国際的な緊急符号語です。人命が危険にさらされているような緊急事態を知らせる際に、警察、航空機の操縦士、消防士、各種交通機関などで使用されます。使用方法「メーデー」は、誤解を防ぐために常に3回繰り返して発信されます(メーデー、メーデー、メーデー)。この信号を受信すると、救助活動が開始され、虚偽の発信は多くの国で犯罪とされています。』このAIの回答でもわかるが、5月1日が、人類が危険に曝される日で、それはかつて悪魔がリリスを通して人間に人身御供を強要し、権力で奴隷化し、支配した地球的な出来事の象徴の日なのである。そして、その後に行われる五旬節は、その人類の救いのために、聖白色同胞団から人類に与えられたのがペンテコステの人類進化計画で、それはキリストの降臨により、地上の人間一人一人の死後の欲界での禊として行われる死後の霊魂の浄化と再生にちなんだ聖霊降臨祭なのである。現代人はカリユガの闇のせいで、その古代叡智を忘れてしまい。いまだに人身御供、つまり生贄を「人間を神への生贄とすること」と曲解しているが、このような自己犠牲を神が要求するはずがなく、犠牲を要求するのは神ではなく、リリスとエクスジアンたち悪魔なのがわかる。ちなみにAIの回答は以下になる。「人身御供」のAI回答『人身御供(ひとみごくう)とは、人間を神への生贄とすること、またはその生贄となった人を指します。転じて、権力者や他者の欲望を満たすために、理不尽にも犠牲となることやその人を比喩的に表現する際にも使われます。概要人身御供は、人間にとって最も重要な「人身」を供物として捧げることで、神への最上級の奉仕とする考え方から生まれました。特にアニミズム文化を持つ地域で広く見られ、自然災害の発生防止を祈願する目的で行われたとされます。日本における人身御供伝承と実態日本では、人身御供の伝説が各地に多く残されていますが、実際に人命が捧げられたという明確な記録はほとんどありません。しかし、人柱と思われる大量の人骨が建造物から発掘された事例も存在します。伝説の例水神への生贄: 河川の氾濫を司る水神が生贄を求めると考えられ、美しい娘を捧げる伝承があります。隻眼の人身御供: 近江国(現在の滋賀県)伊香郡では、水神への生贄が片目の娘であったという伝承があり、柳田國男は人身御供と隻眼の関係を説いています。しっぺい太郎伝説: 全国各地に伝わる伝説で、人身御供を要求する化け物を霊犬が退治するという話です。現代の祭りへの影響現代でも、人身御供の由来を持つ祭りが存在します。例えば、滋賀県草津市下笠の老杉神社で行われるオコナイでは、人形を神前に供える行為が「人身御供譚」を儀礼的に再演したものとされています。比喩的表現現代では、祭祀的な意味で人身御供が使われることは少なく、主に「目的や組織のための犠牲者」という意味で、日常会話で用いられます。』もし百歩譲って、人身御供を要求するのが、神であったとするなら、それは、穢れた肉体を捨てることで、地上への執着心や、権力欲や金銭欲、物質的な野心など、承認欲や虚栄心を欲界で焼き尽くすことを意味するものとなるだろう。つまり、肉体というのは、無限の神の能力を狭い有限な空間に幽閉する、人間のなかの悪魔を意味するダブルミーニングになっている。この肉体の無限の可能性を有限に封じ込める働きを、例えるなら、西遊記の孫悟空のアタマを締め付ける『岩波文庫版『西遊記』によると、孫悟空の頭の輪は「緊箍児(きんこじ)」という名のようです。「緊箍児呪(きんこじじゅ)」(またの名「定心真言(じょうしんしんごん)」 )という呪文を唱えると、頭をしめつけます。ただし緊箍(きんこ)、緊箍呪(きんこじゅ)としている翻訳もあります。』の「緊箍児(きんこじ)」を思い浮かべることもできる。孫悟空の頭にはまっている輪の名前を知りたい。西遊記には三種類同じような輪が出てきたと思うので、それぞ... | レファレンス協同データベース西遊記の話は、神話として考えると色々示唆に富むオカルト的知識を披露してくれる。孫悟空は悪さを働いたので、お釈迦さんと有名なやりとりをして負けてしまい、山に閉じ込められ、そこを通りかかった三蔵法師というお坊さんに救われて、お供をする、有名な話である。以下のサイトに紹介されているように、お釈迦さんは、いのちの光であり、孫悟空の名は、空を悟る孫という意味にもなる。この孫は、神から生まれて神の子だから、神の子の子で、三代目の孫という意味でもある。速い!阿弥陀仏 | 読むお坊さんのお話 | 浄土真宗本願寺派(西本願寺)アインシュタインは光速度を基準にして相対論の体系を記述したが、この西遊記には、空になるには、物質界を捨て去る必要がある、のが示唆されているのに気づく。つまり、人間は寝ているときに物質的な肉体を抜けでて、心の世界で、タイムマシンに乗って旅をしているのである。孫悟空が使う筋斗雲は仙人しか乗れないとされているが、お釈迦さんの光速度は超えられないが、雲のような水蒸気よりも身体を軽くすればUFOのように地球を移動できる。以下のウイキの回答のように、孫悟空はサルの仙人とされているが、恐らく、いまのサルが堕落する前の祖先で、昔は人間よりも賢い存在だったのかもしれない。人間も堕落したが、サルは人間以上に堕落して、サルになったとも考えられる。觔斗雲 - Wikipediaさて、このように西遊記をオカルト的に解釈していくと、西遊記というタイトルからもわかるように、人類が東から西に行く話で、三蔵法師が、中国からインドに経典をとりに行く話だが、神智学によれば、実は三蔵の時代『629年にシルクロード陸路でインドに向かい、ナーランダ僧院などへ巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還。』の三蔵の辿った経路が、三蔵よりも古く、約数百万年前の人類が辿った文明の進化経路だった、のがわかっている。玄奘 - Wikipediaというのも、元々シルクロードとは、東から西への人類の進化経路だったからである。その証拠は、三蔵の出発地の「河西回廊」は、古代レムリア大陸水没後の人類の発祥地のゴビ砂漠とほぼ同じ近辺だからである。レムリア大陸が水没する前は、ゴビ砂漠は砂漠ではなく、肥沃の土地だったからである。河西回廊 - Wikipediaゴビ砂漠 - Wikipedia愚かな人類のせいで、地球が何度も破局を迎えてきたのは以前からも紹介しているが、一回目の破局が、南極に住んでいた蛇人と北極の人類の原子力による戦いのせいで、地球の水蒸気が急速に冷やされて、肥沃な北極と南極が水没し氷結して、生き残った人類は赤道周辺に向かい、いまのゴビ砂漠などの地がその第二の文明の進化拠点となったという。そこから古代レムリア時代がはじまり、また戦争して、第二の破局が起こり、レムリア大陸が水没し、ゴビが砂漠化して、人類はシルクロード経由で、西に向かう移住がはじまったという。そして、古代アトランティス文明の興隆となり、つまり太平洋の古代レムリア文明から、大西洋の古代アトランティス文明へと古代叡智が受け継がれていった。その東から西への文化交流のなかで、古代叡智が、人智学で説かれる、我々のポストアトランティス時代の、古代インド文化、古代ペルシャ文化、古代エジプト文化、古代ギリシア文化と続いて、古代アトランティス時代に主にアーリア人種が保持してきた秘儀参入法から、古代叡智が、仏教や拝火教などの教えとして広まったわけなのである。そのような文明の流れが、シルクロードとして、西遊記として残っているのがわかる。このように地獄を巡りながら、天国に向かって霊魂の成長を説き、進化を推し進めるのが、聖霊たちの人類への救済のペンテコステの人類進化計画なのである。地獄を知らずして、天国を語るなかれ、そのような話をお馴染みの動画で紹介して今回は終わる。臨死体験・ルドルフシュタイナーの死後の地図 - YouTube次の以下は、死を乗り越えるための教えが隠されている「かごめ歌」についての動画ホツマツタエが解き明かす「かごめ歌」と魂の覚醒 - YouTube地獄から這い上がり、かごめ歌を、地獄から天国へのシルクロードの霊の成長の道として、感じるか感じないかは貴方次第!
2026年03月04日
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