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今日、2つ目の記事である。今日は、塾は休みである。バーベキューの記事は、職場で書いたのである。だから、今度は、自宅で書くのであるこのブログの一番の常連さんであるぽてにゃさんと我々の「仲間」である、よろどうさんとの間で「はみだしっ子」というマンガが盛り上がってる。なんかくやしいので、僕も、amazonで購入してみることにした。それはそれとして、このブログからもおわかりかと思うんだけど、僕は、たぶん、相当なガンコ者でヒネクレ者である。「異端」という言葉が好きである。だから、ある意味、僕自身が「はみだしっ子」?周囲の人とは違うことをしたくなる。その性向は子どもの頃からだ。きっかけは僕の意志ではなかったものの、結果として、僕は「男のくせに」ピアノを習い (↑当時は、そうやってからかわれたんです…)小中高と、合唱祭で「歌わない」という経験を重ねた。(必ず、伴奏者か指揮者だったから)中学の部活では、誰も編み出さなかったであろうロングジャンプの3ポイントシュートとか、バックボードの裏からのシュートとか、絶対奪われないパス回しによる攻撃パターンとかを考案し、誰にも受け入れられず、一人でやっていた。高校の修学旅行では、自分の好きなコースに行ける行程で、多くの人が秋芳洞や神戸に向かうなか、最も行く人の少ない出雲を選んだ。大学では、浮世離れした、アブナイ目をした人の多い哲学科の中で、おそらく、もっとも哲学者っぽく見えない学生だった。自分が意図しているわけではなく、でも結果として、僕は「異端」であったように思う。 で、「異端」と言われる人にも魅力を感じる。例えば、音楽家であれば、なんだか曲芸みたいな演奏をする人とか、ヘンテコな楽器を使う人とか、必ずといっていいほど、CDなりを購入してしまう。そういえば、僕の持ってる楽器もまあ、ヘンテコといえばヘンテコだ。通常、4本の弦がはってあるはずのベース。僕のベースは、6本はってあったり、フレットがなかったりする。6本弦のはずのギターも、僕のには7本の弦がはってある。ドラムをたたくときには、バスドラムが2個ないと、いやだ。 あー、ひねくれもんだ・・・ そんな僕だから、今、テレビでさわいでいる「世界卓球」でも、もちろん、「異端」と呼ばれる選手に注目している。 福岡春菜選手。彼女のプレイは、北京オリンピックで初めて知って、それ以来、こっそり注目し続けている。 福岡選手は、投げあげ、かがみこみ、メチャメチャ変化の「王子サーブ」を、なんと16種類も使いこなす。 福岡選手といえば、王子サーブ。七色のサーブとか、「卓球界の異端児」とか言われる。当然、注目している。ぶっちゃけ、20歳になった●ちゃんとか、どーでもいいけど、福岡選手のテレビ中継は見るようにしている。 さっき、世界卓球の1回戦、当然のように勝利した。今度は2回戦である。世界を王子サーブで震撼させるべく、がんばってほしい。応援してます。みなさんも、福岡選手の異端サーブ、ご覧になってはいかが?Kama
2009.04.30
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昨日、4月29日は、晴天に恵まれバーベキューを行いました。どーでもいいけど、毎年バーベキューの日は雨が降ったことがないですこれも、日頃の行いのおかげ・・・いや、最強の晴れ男、小田切大明神のおかげ。生徒・保護者との親睦を深める場として毎年この日にバーベキューをやってます。冬にはスキー・ストック、春先にはギター、秋にはオリエンテーリングのコンパスを持つ我々講師陣は、4月29日にはフライ返しを手にし、野外シェフへと変貌するのです。昨年までは「家校舎」の「庭」でやっていて、それこそ、入れきれないくらいのご来場をいただき、もうね、ケムリにまかれながらの状態で焼いても焼いても、お肉が足りない。動物園のワニエリアに肉、あるいは、池の鯉にエサを投げてるんじゃないんだから、もうちょっとみんな落ち着いて、まったりしようよ・・・そんな「阿鼻叫喚のバーベキュー」だったのですが今年は新校舎に移転し、当然のように「庭」はなくなって、一時は、企画自体をとりやめにするというハナシも出ていたのですが、でも、少なかったとしても、来てくれるという生徒・保護者がいらっしゃるなら、なんとかして開催しようではないか。ということで、愛夢舎のある武蔵藤沢から電車で15分徒歩10分、飯能市は入間川にかかる阿岩橋のたもと、ざくろの里ドッグパーク付近の川原というスポットを見つけ、昨日の開催に至りました。今までみたいに、家から歩いて来れるわけでなし、車でいらっしゃるとなるとビールも飲めないし小学生たちは保護者同伴という形にしたし、さぞかし、こじんまりとした会になって、まあ、少人数で、まったりとオハナシしながら僕らもお肉を焼きつつ、食べつつ、そういうことになるだろう・・・。塾長佐々木と僕は午前10時に現地入り。小田切先生と田中先生は、お肉、お魚などの食材の最後の買出し。現地に着くと、早くも数組のグループがいる。っていうか、今回のスタート時刻13:00というのは、アウトドアに慣れている人にしてみれば、えらく遅い時間のようです・・・それと、ほかのグループの様子を眺めていると、いや、なんとも、装備やら段取りやらが、しっかりしてる。・・・というか、我々の装備があまりに心もとない何台ものコンロに加えて、七輪まで並べ、さらに、いつ建てたのかわからん、木製の柱つきのタープの下で笑い声をあげるグループを尻目に「それが本業じゃないとしても、 いくらなんでも、ウチのはちゃちーですね・・・」「そだね・・・」小田切先生と田中先生の到着を待つ佐々木と僕の間では、そんな会話がなされる。 11:30頃、ようやく買出し組が到着。ついたはいいけど何もすることのなかった僕らにようやく仕事ができた毎年、なぜか佐々木は自ら火をおこす今年も炭に火を移し、2つのコンロの火力を上げていく。その一方、僕はひたすら、ニンニクの皮むき。小田切先生が、その量につい手がでてしまったという15個くらいのネットのニンニクをひたすらむいていく。途中で、さすがにあきちゃったでも、BBQ後半には「鎌田先生、ニンニクばっか切ってるじゃないですか」という保護者からのツッコミが入る程度にはがんばった。 12:30。はじめの生徒たちがやってきた。と思うやいなや、彼らは川に突入していった花より団子・・・。子どもたちにとっては、「川」というのは、それほどまでに魅力的な場のようで、もう、ほとんどの子がヒザ上くらいまでの深さの川を走り回ってた。改めて思う。「最近の子は、表で遊ばない」のではなくて、「表で遊ぶ『機会』を待っている」のだなぁ。水をかけあったり、昔なつかし、石を使っての「水キリ」に挑戦したり、アメンボやらサカナやらを探したり。僕らが子どもの頃と、なんら変わってません。 12:45。続々と生徒・保護者のみなさんが集まってきて、少々フライング気味だけど、「焼き」に入りました。僕の持ち場は、板前。山と積まれた肉やら野菜やらをとにかく、刻む刻む。ストーブ前は、田中先生。僕が切った食材をとにかく、焼く焼く。お皿やコップ、飲み物、箸などの手配は小田切先生。大声を張り上げて、「迷子」が出ぬよう、しきっていく。佐々木は、保護者のみなさんとオハナシ。 ・・・と、こう書くと非常にバランスのとれたいい感じのチームワークに見えます ・・・が 結局、昨日お越しになった方は総勢50人以上。そんな、ね、おちついて切ったり焼いたりしてる状態にはならんのですよ小田切先生も次第に「焼き」に回り、僕もそっちに行かねばならないけど、でも、目の前には、これでもかというくらいの肉・野菜・肉・肉・野菜・・・。 ま・わ・ら・な・い! ついには、見かねた保護者のみなさんがあいてるコンロの前に陣取って僕らに加わって、焼きを担当してくれた。いや、ホント、申し訳なかったですお客さんの手をわずらわせてしまうとは・・・。まぁ、しかし、こういうところにいらっしゃるお母様方はゲスト側より、オーナー側に立たれるのが好きだったりもして、僕らとしては、ただただ恐縮するしかなかったのですが、それはそれで、お楽しみになられたようで、かろうじて、救われる思いです。場所が変わっても、人数が若干減っても、結局「阿鼻叫喚のバーベキュー」になってしまつた・・・。 でも、後半になって、子どもたちがまたしても「肉より川」になってきたあたりから、お母様方にも食事を楽しんでいただけたようで・・・。 そうすると、今度は・・・。 焼いても焼いても、食材が底を尽きない・・・肉を全部消費したと思ったら、まだサカナのヒモノが山ほどあった。さらに100本くらいの焼き鳥も出てきた。そして、キャベツとモヤシもわんさか残ってる。 ・・・買いすぎだって。 そんなこんなで、ずっと板前にいた僕にとっては肉と格闘しただけのバーベキュー、恥ずかしながら、全体像としてなにが起こってるのか、わけがわからんうちに終わってしまった。段取り悪くて、ホント、すみません。 うーむ、50人でも、さばききれないかぁ。こりゃあ、来年はスタッフの強化が必要だぁ。 午前中、佐々木と僕と2人だけで川原にいたときに佐々木が言った。「ウチのバーベキュー、 なんでこんなに人が来るのか、わからない・・・。」はい、僕も分かりません。また来年~~。Kama
2009.04.30
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おはようございます。 さあ、今日はBBQですね。 昨年までのフォーマットとガラリ変わりましたので、講師一同、段取りが上手くいくか心配しております(笑)。 ご参加くださる保護者の皆様、なにか不備があるようでしたら本当にすみません。 精一杯やらせていただきますので、よろしくお願いいたします! ジュクチョウ
2009.04.29
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愛夢舎が長年お付き合いしているライブハウスが今月で閉店することになったそうだ・・・ 昨夜、オーナー兼ドラマーのL氏からお電話を頂き、その事実を知りました。 私たちは、2000年に愛夢舎を開校し、翌年の2001年から毎年のように「卒業生親睦会~愛夢舎バンドライブ」と称してイベントを行ってきました。 その会場を提供してくれていたのが、小手指にあるライブスポットSSさんでした。塾としての私たちの成長を見守ってくれ、いつも音楽についてのアドバイスをくれたオーナーL氏にはとても感謝している。 お別れライブ(元フィンガー5のアキラ氏が出演)にお誘いいただきましたが、残念ながらウチも明日のイベント準備で大忙し・・・ この場を借りて、サウンドスポットSSさんと、オーナーであり最高にファンキーなドラマーL氏に感謝の言葉を述べさせてもらいたいと思います。 SSという最高のステージ、そしてL氏、長い間ありがとうございました。いつかどこかでまた、一緒に音楽をやらせてくださいね。 ジュクチョウ
2009.04.28
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さて色々とありま~す! 4月29日(祝) BBQ大会今日が申し込み締め切り日だったんですが一気に申込書が出てきてあせるあせる(笑)。 5月1・2日 講師研修あのT塾を見学させてもらいます!楽しみ! 5月6日(水) 中3・高3模擬試験、中1・2勉強法セミナー受験学年諸君初の模試で~す。まずは腕試し!そして、勉強法セミナーは私塾長が自らお話させてもらいますよ~!中1・2諸君(特に新入会生)は必聴! 5月7日(木) 中3・高3志望校調査締め切りGW中に存分に学校を調べ、足も運ぶこと!その行動から本当の意味で受験は始まるのだ! 5月16日(土) 定期テスト対策特講開始さあ、1学期中間テストの準備も本格化!パンフレットで特別講義の内容を確認して申し込んでね。 ジュクチョウからのお知らせでした
2009.04.27
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愛夢舎では新年度が始まって2ヶ月が経ちました。学校の新学期も、ひと月が経過しようとし、生徒たちも大分慣れてきたようです。そんな中、田中先生による「生徒インタビュー」が続いております。僕らとしては、トータルな面倒見をしたいと思っていて、その一貫として、彼らがどんな部活動をしているのか、ほかに何か習い事やスポーツをやっているのか、プライバシーに踏み込まない程度に色々教えてほしいという主旨のもとです。したがって、まずは新中学1年生に、「何部に入りたいの?」というところから、インタビューは始まった模様。僕も塾を訪れた親御さんから、部活動について聞いたりするのですが、なんか、近年、部活に対しての僕のイメージと実際とが、だいぶんずれてきている感じがします。どうもですね~、近年は、部活に明け暮れて、寝てもさめても練習練習、汗水たらして練習して、試合に出て、負けてくやしくって泣く・・・とか、そういうの、流行りじゃないみたい。ばかりか、「顧問の先生が、県大会に行くぞ! って、いきりたってるんだけど、どうかと思う・・・」という声さえ聞く。いや~、僕はですね~、県大会を目指さない顧問の先生、部活動っていかがなものか、と、そんな風に思うんだけど、おかしいですか?やるからには一生懸命うちこんで、強くなって、県大会どころか、その先まで目指したい。中学の頃は、そうかと言って、弱小チームだったから、地区予選敗退の常連だった、高校に入って、陸上に転向して、県大会常連組になったら、今度はインターハイまで目指した。僕はそうだったので、だから「どうせ負けるし、いいよ、テキトーで」的な顧問だったとしたら、ダンコ、抗議し、大ゲンカをしたであろうと思うんだけど・・・。でも、近年は、生徒たちの言葉を聞いても、「いや、部活動は、みんなで楽しく、 ほどほどにがんばる、ラクなとこがいい」という意見が多い。うーむこれは時代が変わったのか、それとも、長野出身の僕と関東埼玉の彼らの違いなのか。例えば、「調査書での加点を考えて、だから帰宅部はまずい、どっかに入らなければ、そして、3年生になったら適度なところで速やかに引退して、とっとと受験勉強に集中しないと・・・。」この仕事をしてて、なんだが、そういう考え方、僕には、ちょっと理解できないというか、そんなことまで考えてるんだー、すごいなー、冷静だなーって思う。 ・・・ってハナシを埼玉出身の田中先生にしてみたところ、「いや、自分も、 一生懸命やらない部活とか、ありえない」って言った。とすると、地域差ではなくて、やっぱり、時代が変わったのだろうか。 ひとつ思い当たるのは、僕らが幼かった頃にはよく見かけたものがなくなったこと。スポ魂だ。例えば「エースをねらえ」とか「アタックNo.1」、「柔道一直線」とか、そのへんは、さすがに僕もリアルタイムでは観てないし、「巨人の星」ですら、ちょいと古い、ドンピシャというと「キャプテン翼」になるけど、まあ、僕はサッカーにはいかなかった。でも、「キャプテン翼」を観て、サッカーを始めたという子は少なくなかった。「ボールは友だち、怖くない!」というセリフが流行ったものだった。僕がなんでバスケを始めたのかそのきっかけはよくわからんけど、ともかく、テレビでは必ず、「スポ魂もの」のアニメかドラマをやっていた。最近はテレビでそういうの、やってない気がする。テレビに限らず、映画なんかでも、根性系、スポーツ系は少なくなってる気がする。僕なんかは、ジャッキー・チェンのカンフー映画をみて、酔拳やら木人拳やらにすっかり影響され、修行のマネゴトなんかをしたもんである。ブルース・リーに影響された人も多かったろう。最近は、スポーツものと言っても、なんか少し、色合いが違う気がする。 根性系、もう流行らないのかなぁ。部活動は、適度に楽しくやるもんになっちゃったのかなぁ。 そんなことを憂いていたら、佐々木は言う。それは、県大会を目指すという顧問の先生の想いが当の生徒・選手たちに伝わっていないか、もしくは、先生自身がうわべだけでそう言っているか、つまり、一丸となっていないからヒンシュクを買うのでは。ちゃんと子どもたちにがんばることの意義とか、アツイ想いとかを語れば、きっと最近の子だって、「よし、県大会を目指そう!」となるはずだ、と。まあ、その通りだと思います。どうでしょ、ここはひとつ、スポ魂文化を復活すべく、テレビでそういう番組をやるというのは。・・・僕はテレビ局の人でもスポンサーでもないので、その点では何もできないけど・・・。Kama
2009.04.26
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おかげさまで、まだまだ生徒数が増えています。 「教室のキャパ」や「1クラスの最適な人数」を考えると、必然的に「クラス分け」をすることになります。 そこで、「フレッシュで(笑)熱い先生」に愛夢舎に加わっていただきたいと思い、4月から「講師採用活動」を始めています。 「大学生以上のフレッシュで熱い方」が応募資格です(笑)。 塾講師未経験の方も授業技術研修がありますのでご心配なく。 愛夢舎の生徒たちを成長させてくれる方々、是非いらしてくださいね。お待ちしております。 愛夢舎 塾長 佐々木圭
2009.04.25
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昨今、「エコ」、「エコ」と、にぎやかだ。エコノミー(節約)なのか、エコロジカル(環境にやさしい)なのか、あるいは、その両方なのか、世間が騒いでいるのはどれだろう?僕の感覚だと、「エコロジカル」なことを目指そうというスローガンのもと、人々が実際に取る具体的行動として「エコノミー」であるように思う。そもそも「エコ」という接頭語には「経済」、「生態」の両方の意味があってだから当然といえば当然なんだけど、だったら、「エコ、エコ」と繰り返した結果の「エコエコアザラク」はなんなんだろう?悪魔を召還して、粛清をかけて、世界全体を「経済的」にしちゃおうとでもいうのか。きゃー、怖い さて、エコのうちでも、「環境」の方はおいといて、「節約」という意味では、僕の知る限りおそらく究極のエコノミスト(節約家)であろうという人物がいる。 野比のび太氏だ。彼の発想はもしかすると、今の世界不況を救うかもしれない。のび太氏というと、マンガ好きで昼寝と射撃が特技というイメージが強い。自室の押入れにはネコ型ロボットが住んでいる。しかし、その押入れの中にはロボット以外にも色々なモノが入っているようだ。というのは、一度母である玉子氏が押入れのふすまを開けたところ、中から大量の物品がなだれのように流れ落ち、それに押しつぶされたことがあるのだ。その後、のび太氏はネコ型ロボットと物品の整理を始めるのだが、このとき、氏のエコ具合、着想のすばらしさが明らかとなる。 氏のエコ・グッズとは、例えば次のようなものだ。【穴の開いたグラス】 のどが渇いていないときに使える。【壊れた扇風機】 暑くないときに便利。どーです、モノをムダにしないという意味では究極の節約でしょう この着想でいけば、捨てるものはまるでなくなる。【映らなくなったテレビ】 テレビを見たくないときに使う。【去年のカレンダー】 今年のことを考えたくないときに眺める。【使用期限の過ぎた薬】 病気でないときに使える。 この着想を借りれば、日頃の食事だって、今まで以上に楽しめる。 【カレーのかかっていないカレーライス】【味噌の入っていない味噌汁】【漬かっていないタクアン】【サカナのいないお造り】どーです白いゴハンとお湯、生の大根だけで立派な食事になるじゃあないですか。この「のび太イズム」をみんなで実践することで、地球に優しい、エコ文化が実現できる、そんな気がしないでもないような気がしないような気がする。 のび太氏よりも程度は低いが、ウチの生徒たちの中にも、同じような意味で「エコ」に貢献している例が見られる。特に男子に多くみられるのだが、カバンの中に使いきった計算用紙とか、1年前に配られたプリントとか、全部を解ききった講習会のテキストとか、使うはずのない膨大な量のペンとか・・・。そういうモノをカバンがパンパンになるほど詰め込んで塾に来る生徒。かと思うと、その日の授業で使うはずの肝心のモノが入っていないカバン。このカバンには何の役に立つか。 もうお分かりですね。【勉強したくないときに使えるカバン】【成績を上げたくないときに使えるカバン】です。だいたい、のび太氏の着想を持って過ごすとどういう結果が待っているか、それも、のび太氏が自ら体現している。 のび太君の毎回のテストの結果を見れば、よくわかる。(0点、0点、0点・・・)Kama
2009.04.23
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もうね、まったくもって個人的なことでしてこのブログを楽しんでいただいている方にとっては「だから、どうした?」と怒られそうな内容なんですけど・・・。 蒸し返すようでイヤなんですが、僕、病気をしておりまして、今はすっかり良くなったと自分では思っているんですが、念のためというか、そういうものであるという医師の指示もあって、いまだ、月に1度の通院と毎日の投薬は続けているんですね。しかし、日々の生活、仕事は、支障なく過ごしております。ありがたいことです~現場復帰したのが2月の末でした。逆に言うと、今からわずか2ヶ月前は、まったく身動きができないような状態の日々であって今だからいえますが、ぶっちゃけ、最悪のケツマツまで思ったこともあった。それがほんの2ヶ月で今のようになって、「なんだったんだ、あの頃は」と自分で不思議になる。病で思うように職場にこれなかった日々が5ヶ月くらい続いたわけですが、今にして思うと、アレはホントに自分のことだったのか、あるいは、現実のことだったのか、自分でも不思議に、おかしく思うくらいだから、周囲でその状況を見てきた方にしてみればなおさらだろうと思います。ところで、2月末から、今日、4月22日まで、このわずか2ヶ月で、僕のカラダに、色々と「変化」があったようです。半年~1年前の僕を知る人にとってはまったく想像もできないであろう変化なので、おもしろいので、ご紹介してみようかと思った次第で・・・。【変化その1】なーんと、この僕が、甘いモノを食べられるようになっちゃった食べ「られる」というより、時には食べたくなるようになっちゃった。これはですね~、僕にとっては、とんでもなくスゴイことなんですよ~。だって、1年前はケーキを1ピース食べようもんなら、胸がやけやけ・・・失礼、胸がムカムカして、気持ち悪くなってたんだから。当時の僕の砂糖摂取量は異常に少なかったはずです。ところが今は、スーパーなんかに買い物に行くと、チョコレートとか、ヨーグルトに手が伸びる。いや~、チョコレートを買うなんて、10年以上ぶりのことです~このことを話したら、田中先生から「そりゃあ、人生の楽しみの半分が増えましたね」といわれた。そんなもんか。あ、でも、いまだに、アンコだけは食べられる気がしませんけど【変化その2】やけに早起きをするようになりました。っていうか、早く起きちゃう。夜中2時くらいに寝ても、翌日は朝の6時とか7時には目が覚めちゃう。それは、不眠症ではないのか・・・というハナシもあるので、体力にムリがこないよう、惰眠をとるようにはしてますが、なにせ、「早寝早起き」という、僕には縁遠い言葉に近い状態になってます。しかし、この仕事の上では長時間現場にいるのがキツクなってきてしまったので、(まぁ、ありていに言うならば、 持久力が落ちたということだと思うので)仕事の効率を上げ、より密度の高い時間を過ごすことが今の僕の課題です。【変化その3】そしてそして、なんとびっくり。太りました。2ヶ月で5キロ増。もっとも、2ヶ月前はガリガリだったところがさらに体重が落ちちゃって、ガリガリガリガリくらいだったのですがそれにしても、元の体重を超えてしまった。いつも以上に食べている気もしないし、だいたい、今までは「食べても太らない体質」だと思っていたんです。いや~、僕が「太る」って言葉を使うとは~。そんな心境です。・・・が、もしかして、どんどん増え続けたとしたら・・・・・・ってハナシをしたところ、「太ったカマティー、想像できねぇ~~」(塾長佐々木)「ガハハハハハハハ・・・」(小田切先生)って笑われた。 以上、ホント個人的ななんのオチもない、どーでもいいハナシでした失礼しましたKama
2009.04.22
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先日、中学3年生対象に「入試ガイダンス」を実施したということを書きましたが、その直前に、高校3年生対象の会も開いておりました。大学受験は高校受験をはるかに超える複雑さ。当然のように、目標をしっかり見据えた上での教科選択、勉強計画の立案、そして、志望校・学科の選択が重要になります。そこで、高校3年生も「志望校調査」を仕上げてもらうのですが、調べる事項はとても多くなる。そして、志望校を選択するうちに、将来の職業や取得できる資格などにも目がいくことになり、生徒たちは、あらためて問い直すことになるのです。「自分は何をやりたいんだろう?」この3月から通い始めてくれたひとりの生徒が僕らに「志望」を語ります。「将来は、獣医になりたい。」しかし、例えば僕なんかが、獣医という仕事の難しさ、厳しさ、現実の姿などを語ると、だんだん表情が暗くなってくる。当たり前だが、「イヌやネコがかわいくて、好き」というだけでは到底勤まるまい。もちろん、目指すきっかけとしてはいいのだろうが、ハイティーンの彼らは、もっと具体的に「現実の姿」を知ってもよいと思う。そんなことがあって、自宅からある本を持ってきて、塾に置いてみました。↓コレです。「動物のお医者さん」。一世を風靡したので、ご存知の方も多いでしょう。北海道大学獣医学部を舞台とし、獣医を目指す学生と動物たちの繰り広げる日常をオモシロおかしく描いたマンガである。「マンガかよ!」そう、マンガである。僕は幼少の頃からマンガに親しんできた。最初に読んだマンガは、ドラえもんだったと思う。以来、同じくマンガ好きの姉の影響もあって、「SWAN」やら「僕の地球を守って」やら、「ここはグリーンウッド」やら「笑うミカエル」やら、とにかく多くの少女マンガ、さらには、やはりマンガ好きの父の影響で「ブラックジャック」やら「ゴルゴ13」やら・・・。まあ、とにかくいろんなものを読んできたのですわ、はい。もっとも、本当のマンガ好きの人にしてみれば、僕の読んできた量なんて、微々たるものでしょう。大人になってからは、まるで読んでないし。 さて、塾にマンガを置きました。天津木村じゃないけど、「あると思います」。例えば、「マンガ日本の歴史」とか、そういう教育マンガを置いてもいいのでしょうけれども、僕は、いわゆる名作とされるマンガは、文字だけの小説をはるかに超えた非常によい文化だと思っています。無論、活字だけの本でも、面白いものは多いわけですが、逆に、つまらないものは、つまらない。ちゃんと読めば、つまらなくないはずだというのは、詭弁であり、むしろ、ちゃんと本を読んでこなかった大人の発言であろう。だから、面白くもない本を子どもたちに強要するのは、僕はよしとしない。だったら、絵があることで、より臨場感を増し、大きな感動を与えてくれるマンガの方が、はるかによい。もちろん、マンガの中にだって、ダメなものもありますよ。でも、いいものは、いい。当たり前の言説になってしまいますが、「活字のみ=善」、「マンガ =悪」というステロタイプな判断はやめませんか?というハナシです。高校時代に読んだ「スラムダンク」なんて、ホント、感動したもんでした。僕は読んでないけど、最近連載してる(?)「ワンピース」なんていうのもそりゃあ泣けるマンガらしいじゃないですか。僕はいまだに「火の鳥」を読んでは色々と考えている。僕は、子どもたちの間では「どーでもいいことを色々知っている人」らしいが、その知識の一部は、マンガから得たものでもある。「あさきゆめみし」の効果なんてのは今さら言うまでもありませんね。(もっとも、アレは 女の人の顔がみんな同じで、余計わかりづらく、 僕は活字のみの方が分かりやすいんだけど)反対に、これはヒドイという「活字のみ」の本に出くわすことも少なくない。近年、一番ヒドイと思ったのは、深作欣二監督によって映画化され、R指定がついて、話題になった中学生の命懸けのゲームを描いた「B・R」(←バレバレですね)映画化されて多少まともになったけど、原作本は、ヒドイの一言。何の含みも、何の主張も、何の技巧もなく、あんな本だったら、ちり紙交換に出してもこれっぽっちも惜しくない。まさに百害あって一利なしの本だ。だったら、マンガの方がいい。だから、僕は「本」だから、「マンガ」だから、という基準で判断しないよう、あえて、塾にマンガを置きます。肝心なのは、マンガだろうと本だろうと、自分で良し悪しを判断できるような経験値を積むまでは、やっぱりだれか先人のガイドがあってもよいだろうなということ。僕自身は、特に見境なく濫読をしてきたので、子どもたちも気になるタイトルの本・マンガはどんどん読めばいいのだろうけど、「これはいいぞ!」という図書の推薦。「これはダメだ!」ではなく、「これを読んでごらん!」というガイド。そんなことをしていきたいと思います。Kama
2009.04.21
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昨日は、中学3年生対象に「入試ガイダンス」を実施いたしました。昨今、埼玉県の高校入試制度は複雑になってきて、東京都内の私立高校も受験できる入間市の受験生にとっては、まず、自分たちが「闘う」入試制度をしっかり理解するところから始めなければならない。また、埼玉県立高校の入試は、今度の入試から大きくシステムが変わる。我々愛夢舎には、10年にわたって蓄積してきたデータがあるのですが、それらが全くムダになるとは言わないまでも、「初挑戦」の入試になることは間違いない。「入試ガイダンス」では、入試の制度、内申点の扱い、テストの内容などを説明し、現時点での志望校を決められる状態になることが目的です。5月のゴールデン・ウィーク中には、中学3年生、高校3年生には「志望校調査」を書いてもらいます。特に、中学3年生は、実際にその高校まで足を運び、校舎の様子、周辺の様子などを体感してくる。仕上げとして、校門の脇に立つ自分の姿を写真にとってくるはじめは億劫と思うかも知れませんが、実際にその学校の前に立つことで、「よし!僕はここに来年通うんだ!」と、より強く思うようになることもある。あるいは、「ここは自分に合わないな・・・」と見極めができることもある。もちろん、現時点での志望校はこれから勉強をしていき、成長していく中で変わっていくかもしれない。しかし、受験勉強をスタートするにあたって、「成績を上げたい」と漠然と思うのと、「偏差値○○をとれるようにする」と具体的に思うのでは、まったくもって、「受験生活の過ごし方」がかわってくる。当然のことであるけれども、目標・ゴールラインが明確で具体的であればあるほど、実感しながら、ラクに過程をふむことができる。 そういう意味で、愛夢舎では、毎年4月にこの会を開いています。この会で「よし、やるぞ!」という気持ちを手に入れ、志望校選び、そして、5月の中間テストに臨んでほしい。ところが、それ以前に、彼らには身につけねばならない能力があるようだ。それは、「人の話を聴く能力」。昨日の会において、塾長佐々木や田中、我々「大人」が語る内容が自分の糧になると思って聴いていた生徒がどれだけいただろうか。世の中に本当に「ムダ」な話というのは、そうそう転がっていない。どんな話でも、「ムダ」であり、かつ「有益」である。それは、聴く側の問題である。つまり、ある話を「ムダ話」にしか聴こえないのか、「有益な話」として聴くことができるのか。それは、話し手の問題もあるかもしれないけれども、ほとんどの場合、「聞き手側の問題」であると思う。「校長先生の話はつまらない」と思い込んで、ハナから聴こうとしない人は話がつまらないのではなく、話をつまらなくしか聴くことができないのである。 国語の授業において、僕は「3通りの文章の読み方」という話をする。50行の文章があるとする。そこからわずか25行分しか読み取らない人もいれば、50行分を読み取る人もいる。そして、中には100行分を読み取ることができる人もいる。無論、僕は全ての生徒に100行分を読み取れる人になってほしいと思っている。談話についても同じだ。「話を聴く」というのは、「声」のストリーミングの中に身を置くことではない。そこからどれだけの「糧」を聴き取り、結実させることができるか。これは大変重要な能力である。 しかし、まず「聴き取ろう」と思うには話を聴いているこの時間が自分にとってどれだけ有益とできる時間なのかそれを理解せねばならないだろう。残念ながら、昨日の様子をみていると、殆どの生徒たちは50行分の談話を25行分に聴いてしまったように思う。そして、それは即、僕ら「大人」にとって、反省すべき材料だ。僕らが「50行分、100行分」の話の聴き方を教えてあげねばならない。その力を身につけさせてあげるのは僕ら「大人」の「義務」である。正しい話の聴き方を教えず、声のストリーミングに巻き込んでしまったとしたら、それは彼らに悪いことをしてしまったなぁ。まず、スタートラインを教えてあげなければなぁ。そんなことを強く思った会でした。今日の授業から、さっそく語っていこう・・・。Kama
2009.04.20
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昼食を食べているとき、田中先生が「富士急ハイランドに行ってみたい」と言い出した。なんでも、これまで行ったことがないということで、いくつかの絶叫マシンに乗ってみたいらしい。中でも、田中先生は「ドドンパ」に乗りたいのだそうだ僕は、たしか中学生以来、一度も遊園地に行っておらず・・・あ、いや、大人になってからは一度だけ、小田切先生と横浜の八景島に行って、最高到達地点100メートル、最高落下速度125km/h、日本最強のフリーフォールに乗ったなぁ・・・でもそれ以来なので、やっぱりとんと、絶叫マシンに乗ってない。でも、「ドドンパ」はマズイと思う。思ったので、田中先生に、「アレはマズイんじゃないの?」と言ってみた。何がマズイかって、だんだん速くなるのならともかく、発射(?)後わずか1.8秒で時速172キロにまで達するその加速力2秒でゼロから170キロですよ?それを知らなかった田中先生は「首がもげるんじゃないですか?」と言ったが、今まで「ドドンパ」で頭が取れたというハナシは聞いたことがないので、まあそこは、日本の技術力で、なんとかしてるんだろう。 ところで、このハナシをきっかけに、僕はあるスポーツを思い出した。「スピードスキー」というスポーツをご存知ですか?スピードスケートではありません、スキーです。メジャーなスポーツではないようですが、僕は、アルベールビル冬期オリンピックで公開種目としてやってるのをみて、まぁ、なんと、アホな競技があるもんだと子どもながらにあきれた思い出がある。長いこと忘れていたのだが、「ドドンパ」のハナシで思い出した。 「スピードスキー」というのは、名前がその種目の特色を過不足なく表現している。とにかく、速さを競うスポーツだ。長さ1キロ以上の急斜面がコースとなり、選手は、タマゴ型、いわゆるクラウチングスタイルをとり、ただひたすら、直滑降する。途中に設けられた100メートルくらいの計測範囲で平均速度がどんだけ出ているか、それを競うのである。 僕の知る限り、人間が生身で出すことのできる最高速度が出る。その速さ、なんと時速250キロF1カーに乗っているのではない。生身の人が、スキーで滑っているのだ。まぁ、四の五の言ってもわかりづらいので、なんならこちらの動画を見てください。(ほかに、youtubeで「スピードスキー」って検索すると、 クラッシュを含め、ワールドカップの様子とか、 いっぱいでてきます♪)どーです?アホでしょう?この競技、僕はやったこともないし、やろうとも思わないんだけど、なんか、技術がどうこうということではない気がする。むかーし、「ザ・ガマン」という、これはこれでアホなテレビ番組があったのをご存知の方はいるかしらん?まあ、あらゆるシチュエーションで参加者がガマンをするのですよ。例えば、イグアナが顔に近づいてくるのをガマンするとか、水車にくくりつけられて、ぐるぐる回るのをガマンするとか。スピードスキー、ある意味、最強の「ザ・ガマン」であるように思うのは、僕だけか? 僕は向かないだろうなー。というのは、いざ滑り始めて、しばらくしたら「もし、ここで右足がちょっと外側を向いたら・・・」とか考えちゃう。考えちゃうと、実際にそうなるもんで、この場合、文句なしの大クラッシュになる。なんでも、スピードスキーの事故の例としては、転倒した選手が900メートル吹っ飛んだとか・・・(もちろん、お亡くなりになった・・・) うーむ、観ているのは楽しいかもしれないが、このスポーツを実際にやろうと思う人の気がしれない。生身で時速250キロは、イカンでしょう。 「イカンスポーツ」といえば、ガケを落ちるようにすべる、エクストリームスキーというのもあるけど、最近、知られるようになってきたのがもうひとつある。 「フリー・ランニング」はご存知ですか?街中で道具も使わず、手軽にできるスポーツです。これも、動画をリンクしておきますので、よかったらどうぞ。(これも、フリーランニングで検索すると、いっぱいでてきます)・・・絶対、マネできん。Kama
2009.04.19
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愛夢舎の小学生英会話部門「英語サークル・マーガレット」のメンバーが、おかげさまで、増えてきています(笑)。 3階の301・2教室のパーテーションをはずし、大教室にしてレッスンを行っています。 特に最近は低学年(小1・2生)が多く入会してくれ、若い(?)血がマーガレットを盛り上げてくれています。 小1~6生が無学年で楽しく英語を学んでくれる姿を見て、私もパワーをもらっています。 今日は『ハンプティ ダンプティ』を暗唱したり、ビートルズの『Eight Days a Week 』を歌いました。 さあ、来週は?
2009.04.18
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愛夢舎では毎年GWの頭に「BBQ大会」を開催しています。 しかし・・・ 今までは校舎の前に「ひろ~いお庭」がありました。 移転した今では、校舎前は「大通り」「交差点」・・・もちろん、校舎前でBBQをやる場所などありません(悲)。 ということで、昨日のオフを利用して鎌田と飯能方面の河原を何ヶ所か視察に行って参りました。まっ、愛夢舎BBQをやるにふさわしい場所があるかの下見ですね。 なんとか「いい場所」を見つけました。具体的な企画が後手後手になっていますが、開催する方向で検討しておりますので、参加希望の生徒諸君、そして同伴してくださる保護者の皆様、お待ちしております。 4月29日(祝)の休館日、元加治にて開催予定です。
2009.04.18
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今日は3人の塾長で集まります。 いつもお世話になっている所沢WILL塾長、そして久々にお会いするひばりが丘ZERO塾長です。 我々3人は2000年の同じ時期に自塾を立ち上げました。商圏は違えど、9年間ずっとお互いを意識してきました(たぶん)。 生産的な話をするために会うんだけど、3人で集まると、いつも「なつかしい昔の苦労話」が多くなっちゃうんですよね(笑)。 さあ、今夜はどんな話ができるのか、楽しみです! ジュクチョウ
2009.04.16
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一昨日は「愛夢舎 卒業生親睦会」でした。 1期生から5期生までの卒業生と愛夢舎に縁の深い保護者の皆様に集まっていただきました。 愛夢舎も9期生まで卒業生を出してきました。この辺で「愛夢舎アルムナイ(=同窓会)」を発足したくて、私が勝手に、来てくれたメンバーを役員に任命させていただきました(笑)。 1期生同窓会代表 A君とEさん 2期生同窓会代表 I君とM君 3期生同窓会代表 T君とF君 4期生同窓会代表 Mさん 5期生同窓会代表 T君とS君(6期生以降の卒業生は今後決定します) 後援会会長 Tさん 後援会副会長 Fさん 後見人(?) IさんとKさん これからもよろしくお願いいたします! ジュクチョウ
2009.04.14
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昨日、我々愛夢舎講師陣は、根性・精神力を試し、また、さらなる成長を促すために、自らの限界に挑戦する、そんな「修行の場」に身を投じた。これは、その「精神修養」の記録である。 【2009年4月12日 晴天】 参加者:塾長 佐々木 圭 佐々木敏江 鎌田 昌典 田中 健一 卒業生 I13:40 新校舎前に、参加者集合。気合を入れ、二台の自家用車に分乗し「修行の場」となる会場へ出発する。14:00 会場到着。会場は、入間市にある、そば・うどんを主体とする食事処 「古都」。14:10 めいめい、メニューより一品を選び、注文。 佐々木 圭 ― カレーライス 佐々木敏江 ― 野菜天せいろそば 鎌田 昌典 ― 天せいろそば 田中 健一 ― カツ丼 卒業生 I ― 焼肉定食14:13 つきだし、来る。頼んでもいないのに、おでんと、おひたし、お漬物のセット。「サービスで~す♪」と店員さんは言うが、初挑戦の卒業生Iの表情は、固くこわばる。「・・・いや、コレ、頼んでないんですけど・・・」 14:15 卒業生I の頼んだ「焼肉定食」、来る。 ・・・ごはんが富士山。時を経ずして、続々、注文の品が運ばれてくる。 【佐々木敏江オーダーの「野菜天せいろそば」】【佐々木圭オーダーの「カレーライス」。大きさ比較のため、携帯電話を一緒に撮影】【田中健一オーダーの「かつ丼」】この店は、何を頼んでもこのサイズ。決して「大盛り」を頼んでいるわけではない。また、「逃げ」のメニューも存在しない。とにかく、何を頼んでもこのサイズ。今回の「修行」は、この「デカ盛り定食」を、人はいかに、精神力で食いきるか、がテーマ。この日に備えて、田中と鎌田は前日の夕食を抜いての調整済み。 14:15 修行開始。満腹中枢が反応する前にどれだけ胃に入れられるかが勝負の決め手とみて、全員、猛スピードで箸をすすめる。が、食べても食べても、器の底が見えない途中、店員さんがやってきて、「サービスにアイスコーヒーかウーロン茶がつきますが、 どうしますか~?」と聞かれるが、そんなことは、どーでもいい。 14:30常日頃、小食である佐々木圭、ついに、カレーライス・ギブアップ!これでも結構食べたのだ・・・ 14:40カツ丼に挑んでいた、田中健一、先陣を切って、見事、完食!ちなみに、ウツワの数が多いように思われるが、この店では、ごはんモノを頼むと、お漬物のほか、お味噌汁と、なんと、「うどん」までついてくる。「うどん屋」のこだわりか。でも、修行中の身にとっては、「小さな親切、大きなお世話」である。ついで、天せいろそばに挑んでいた鎌田も完食。そばの量もすごいけど、天ぷらの数が、やたら多い。やたら多い上に、カボチャが占める割合が異常に高く(6~7個?)腹持ちのいいこと、この上ない。最後は、そばではなく、カボチャの天ぷらとの闘いとなった。 14:45田中健一、明日のジョーよろしく、「真っ白な灰」になる。この時点で、佐々木敏江も、チャレンジを断念。残るは、「焼肉定食」と格闘中の、卒業生I。「負けてなるものか!」という気合が伝わってくる、見事な「戦士」の表情である。しかし・・・。 卒業生I、キケンな表情になる。 14:50卒業生I 、焼肉とごはんをなんとか食べきる。しかし、「ごはんモノ」なので、まだ「うどん」が残っている。思わず手がとまる I 。「がんばれ!がんばれ!」という周囲の声に「・・・人生で一番マズイうどんだ・・・。」というIの発言。ホントはおいしい。・・・そしてついに!卒業生I、焼肉定食を制覇! こうして、講師陣の挑戦は幕をとじた。「15:00に閉店ですので~~」という店員さんの声に追い出されるように、我々は現場を後にした。その後、夕方からは「卒業生親睦会」が催されて、会食パーティとなったのだが、挑戦者たちの箸が動かなかったのは言うまでもない。以上、現場より鎌田がお送りしましたKama ※テレビなどでも取材された、 「デカ盛り」の有名店、 入間市の「古都」は、 月曜・木曜の夜以外は営業されていらっしゃいます。
2009.04.13
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先日書いた記事に、「走るあん馬さん」から真剣なコメントをいただきました。ありがとうございます。僕も真剣にお答えするのが礼儀だろうと思いましたので、コメント欄ではなく、こちらにてお返事申し上げます。(たぶん、字数制限にひっかかるので)>動機が曖昧>では志望動機がない人が全面的に悪いのか、僕はそうは思いません。僕も、志望動機がないこと自体を「悪い」とは思っていません。それを助長するようなCM、メディアの立ち位置に問題があると思ったまでです。志望動機に関して言えば、では、なくても良いのかと言えば、それはやはりよろしくない。というのは、雇用する側にとってマイナスであるからでなく、雇用される側、すなわち、就職面接を受ける側にとって著しくマイナスであると思うからです。例えば、僕個人に関していえば、今現在は塾講師として働いておるわけですが、これが道路清掃の仕事になったり、工場での作業員になったり、あるいは、政治家として議会に出席するような職であったとして、僕はそれでも「志望動機」を見つけようとします。「志望動機」は、すでに「ある」ものではなく、臨むに当たって「探す」ものであると思うからです。そして、それがないことのマイナスというのは、その仕事にあたる時間、提供する労働力が対貨幣的な価値のみを持ち、簡単に言えば「やりがい」という点において意味を見出しづらくなると思うからです。簡単に言えば、「志望動機」なしで働くのは、その人にとって、もったいない。世の中には、自分が思い描いていた職に就けないという人の方が圧倒的に多い。では、自分の理想とする職でない時点でもう「第一志望」としての「志望動機」を持てず、受け身での仕事になってしまうのかというと、それは結局、その人がどういう心づもりで職場に立つか、それのみによって決まることだと考えます。僕は、分類するならば、実存主義者の側の思想を持っておるのですが、だからかもしれません、どんな職業、どんな立場であっても、そこに「現存在」としての自分にとっての「やりがい」を見出したいと思っています。>最近の若者は(自分もですがw)精神的に未熟な人が多い。最近に限ったことではないでしょう(笑若者は「未熟」なもんです。でも、壮年になれば「成熟」するのかといえば、それもまた、違うように感じています。というのは、僕自身、「完成した」と感じてしまったならば、それ以上の自分の成長は望めない、あとは時間が経過するのを待つだけの身になりさがってしまうと思うからです。 >親に努力することを教わらなかった人、耐えることを知らない人、>がんばる方法を知らない人が多いのです。うーん、難しいところですね。親が教えればできるようになるのか、教えなくともできるようになるものなのか、そもそも、がんばることって、教えられたり教えたりすることができるものなのか。だから、僕は、言葉で教えるということではない、自分自身が頑張っている姿を子どもたちに見せる、それが最も良い指導だと考えています。がんばっていない人に「がんばれ」と言われることほど腹立たしいことはありませんからね。ただひとつ、がんばることを「知らない」からしょうがない、とだけは思ってほしくないですね。>派遣として働いていた人の中にも間違いなくそういう人がいると思います。僕は、今の講師職に就く前、労働者派遣事業・派遣元責任者という立場で、人を派遣する側として働いておりました。派遣労働の場合、勤務先の方に労働者を選別する権利はありません。したがって、派遣元が、その業務にふさわしい人物を選定します。そのため、派遣元は労働を希望する人の希望を聞きつつ、人となりをある程度判断する、「面接」行為は禁止ですが、「面談」という形で、人物像を把握することになります。僕も年間数千人の方とお会いしてきました。今でも強烈に覚えている方がいます。その方は、40台半ばで、それまでスポーツ用品店を経営なされていた。ところが、その事業がうまくいかず、収入を得る手段を探し、僕らのところにやってこられた。しかし、僕が所属していた派遣会社というのは学校教員を専門とするところでして、つまり、先生を希望する方のみを扱う。その方は、大学の頃に教職課程を受講されており、たまたま教員免状をお持ちだったんですね。で、おっしゃる。「とにかく収入が必要だ。免許は持ってるので、やらせてください。」お任せするわけにはいきませんよね。理由は簡単で、もちろん、免許を持ってはいるもののそれまで全くの未経験であったということも大きいのですが、なにより、仕事そのものに対する思いが、まるで感じられない。「なんでもやります」というのは、そこに明確な意志がないと「やりたいことは、なにもありません」という表現と同義になってしまう。また、新卒学生の方で、「自分に向いていると思う」とおっしゃった方も、基本的には不採用としておりました。向き、不向きを語るには新卒学生は、あまりに早すぎる。少なくとも10年ほどの実務経験を踏まえてから言うべきセリフですね。逆に、10年選手だったとしても、向き・不向きにこだわらず、どんなことにも挑戦しようという前向きな方もいらっしゃいました。こういうことは、派遣労働だから起こるのではありません。雇用形態が派遣だろうが正規だろうが、同じような割合で、同じような人がいるもんです。>TVから発せられる情報というのは膨大だ、というのはおっしゃられる通りです。>ではそのすべてが有用かというとそうではないです。 >>テレビなしでは文化的な生活を営むことすら困難な現代>僕はそうは思わないですね。「文化的」の定義にもよりますが、>少なくとも生きていくのに不自由はないです。まったくおっしゃる通りです。僕が自分自身で、テレビなしの生活をしてみた結果、確かに、生きていくのに困ることはありませんでした。しかし、有用な情報、不要な情報にかかわらず、新聞から得られるだけの情報量だと、単純に言えば、周囲の人の会話についていけなくなった。今は、インターネットが普及しているので、もしかすると「テレビなし」でもいけるのかもしれません。それでも、僕は、生徒や保護者の方には「テレビを見るのはよいことだ」と公言しています。というのも、目からのみ入る情報に加え、耳から入る情報量というのは、想像以上に大きいからです。テレビを見るにあたって、ニュースや報道番組、教育テレビだけを見るというのも現代においては、どうかと思います。ときには、いわゆる「有用でない番組」を見ることも結果として有用になる。それは、子どもたちのボキャブラリーの枯渇状態を見るにつけ、思います。最近の子は、本当に言葉を知らない。また、いわゆる流行語を知らなくてもよいかといえば、残念ながら、周囲との円滑なコミュニケーションをはかるにはやはり知っておいた方がよいですし、では「現代用語の基礎知識」を読むことで補えるのかといえば、到底ムリなハナシです。僕が「文化的な生活」と書いたのは、この点にあります。ただ生きていくためでも、社会権で規定する「文化的生活」でもなく、周りの人と、円滑なコミュニケーションをとり、人の間で、楽しく暮らしていける、そのためには、新聞・書籍だけでは足りないと感じています。そして、それがテレビであろうと書籍であろうと、ネットであろうと、そこにはペアレンタル・ガイダンスがあってほしい。学校では、情報という教科あるいは総合学習の時間でインターネットの使い方、メールの送受信の仕方などは教えるようですが、ネットマナー、礼儀作法などの指導はされていないようです。携帯電話のメールで、相手の都合も考えず、自分の名前も書かず、あいさつの文もなしで、いきなり自分の主張だけを送りつける。そんな中高生が増えています。そこにこそ、教育が必要であり、それは「親」に限った義務ではありません。全ての年長者が、年少者に対して負う義務であると考えています。ですから、僕ら、愛夢舎では、携帯電話の使い方、メールマナーなども口うるさく言うことにしています。ええ~~、だいぶん長くなってしまいました。何気なく書いた記事に対して非常に真剣なご意見をいただいたもので、嬉しくなっちゃいまして(笑ウチのブログは、ほとんどが雑多な記事で、それこそ「ムダ情報」のようなのが多いのですが、僕は「ムダ」=「文化」だと考えております。どうぞ今後とも、よろしくお願いいたします。Kama
2009.04.12
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久々に連続で「ひとりごと」書いています。 先日、鎌田がこのブログで「あいさつ」について記事を書きました。 私はそのとき、まさに、別の場所で塾生と保護者に配布する「ニュースレター」を書いていました。 その内容が、鎌田の書いた内容にそっくりだったので驚きました。 もちろん、ウチの教育理念にのっとって鎌田も仕事しているのだから当たり前なのかも知れないが、こういう偶然(いや偶然ではない。必然だ。私は日ごろから、「この世に偶然などない」とみんなに言っているんです)大好きなんです。 「シンクロニシティー」と呼ばれる現象(?)で、これが多発するときは「何かが起こる」ときなのです。 私にとっては「シンクロニシティー」は「幸運が近づくとき」を意味します。 今まで大きな成功(あくまでも私にとってですが)をしたときは必ずといっていいほど、連続で「シンクロニシティー」が起こっているんです。 「偶然」のように思われる「シンクロニシティー」ですが、よく考えてみれば偶然でもなんでもないですよね。 自分の感覚が研ぎ澄まされている、アンテナが敏感になっている、そんなときだから、本当は当たり前のように毎分・毎秒起こっている「同じような現象」によく気づくようになる。 別の言い方をすれば、その「鋭い感覚」が私に「幸運を引き寄せる」ってことなのでしょうか。 最近、私と「つばさ塾」のがっきーとの間で流行っている(?)「宇宙」という言葉も、「シンクロニシティー」と同義語なのかもしれません。(ねっ、がっきー!) さあ、「シンクロニシティー」が頻発しています。きっと、愛夢舎にまたスゴイ事が起きますよ!みなさん、お楽しみに! ジュクチョウ
2009.04.11
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忘れた頃にやってくる・・・海技免状の更新・・・ウチはアウトドアーもよくやるため私や小田切は小型船舶の免許を持っている。もちろん、プライベートで操船することはほぼないので、いつもお手紙を頂いてから更新時期に気づくのである。私は誕生日が5月であるため、いつもこの時期に更新しなければならないのです。でも、更新手続き(講習会)の日程が上手い具合に設定されていないんですよね。自分のオフ日に丁度あればいいんですが・・・車の免許と違って千代田区や横浜まで出かけて行かなければならないのも難点・・・ホントただの独りごとでした。ジュクチョウ
2009.04.11
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まぁ、テレビCMっていうのは、いかに視聴者の気をひくかというのが最大のポイントで、とおり一辺倒のことをしていてもダメ、何か斬新な切り口で商品をアピールする、そういう類のもんだろうし、だから、そのCMについて、ここでマジメに語っている時点で製作者の思うツボなのだろうけど、「これは、ひどい!」というのがあったので、ちょいと書いてみよう。大体において、テレビCMというのは、必ずどこかツッコミどころがあって、例えば「テレビCMに関することだけで文章を書け」と言われたら、たぶん丸一日、原稿用紙何百枚、「もうやめてください」と言われるまで書き続けることができるだろう。けれど、だからそれは、製作者の思うツボであるし、「CMごときに、なにをマジメに・・・」とあきれる人も多いだろうから、やらない。しかして、そのCMは、ちょいと見逃すことができなかった。というより、この危機的日本の象徴、その原因が見事に表れているような気がした。なんていうんでしょう、アメなのか、ガムなのか、商品については僕はよくしらんが、たぶん、食べるとスーッとする、そういう系統のタブレットのCMである。数ある類似商品の中でも「M」から始まるヤツと言えば、大体見当はつくと思う。場面は、学生が就職面接に臨んでいるところ。人事担当者から聞かれる。「志望動機は?」すると学生は答える。「御社の社風が自分に合っていると・・・。」 この学生が例のタブレットを口にすると、突然態度が豹変する。「志望動機?そんなもん、ねえよ~♪ アンタ、志望動機、あったのかよ~?」すると人事担当者も「そうだね~、なんとなく入っちゃったもんね~♪」で、二人で肩を組んで、ゲラゲラ笑いながら、大団円・・・である。 ・・・なんなんだ、このCMはそのタブレットを食べると、モヤモヤしていたものがスッキリするというそういうイメージで作ったのであろうが、これは、もう、悪影響を与える以外の何物でもない。確かに、就職面接で「社風が良い」と答えるのはこれはおろかしい。なんだ、社風って?会社の雰囲気がよいから入るなんて、まったくもって、「ワタシは使えない社員になりまーす」と声を大にして宣言しているようなもんだ。お茶を飲む喫茶店を探しているのではない。雰囲気で選ぶとは、何ごとかしかし、だからといって、タブレットを食べてスッキリした学生が「志望動機なんてない!」と断言すると、これはですね、スッキリして、澱みのない状態になったのではない。 バカ。バカになったのである。 問題なのは、このCMを見るほぼすべての人は、そういうあら探し的な視聴のしかたをしていないので、学生が「バカ」になったこと、就職面接において「志望動機はない」と宣言してしまうことに危機感を持たないであろう点だ。 「ニワトリかタマゴか」ではないが、テレビ文化がこれほど蔓延してきて、テレビなしでは文化的な生活を営むことすら困難な現代。(↑これは、僕が自分自身で実験済みである。 学生のころ、ためしにテレビなしで、新聞だけで暮らしたらどうなるか、 半年ほど試してみたところ、 自分が吸収する情報量のあまりの少なさに愕然とし、 あわててテレビを設置したのである。) テレビCMは、基本的に、商品の良さをアピールし、宣伝するためのものである。そういう概念は、小さな子ですら持っている。 だからこそ、その概念を逆手にとった「雪国もやしは、メチャメチャ高いから、買うんじゃないぞ」というCMすら成立してしまう。CMで紹介しているものは良いものだから、「メチャメチャ高い」=「良いもの」という構造を生みだしてしまう。それだけのパワーがある。 そこで、例のタブレットであるが、だから学生が「バカ」になったところで、「このタブレットは危険だ」と思う人はゼロだろう。ばかりか、むしろ、「そのタブレットを食べれば、こんな風にスッキリできる。 スッキリした状態での、正しい答えは、 正直に『志望動機はない』と答えることだ」そんなイメージが潜在意識に刷り込まれるのではなかろうか。 マスコミもだいぶおとなしくなってきたが、年末、年始にかけての、いわゆる「派遣切り問題」。以前、このブログでも書いたけれども、麻生総理が、ハローワークを訪問し、そこにいた若者に「君は何がしたいんだ?」と尋ねたら「いや・・・とりあえず、なんでもいいんですけど」と答え、「いや、それじゃ、どうにもならんだろ」と総理が答えるという場面があった。ところが、その後の街頭インタビューでは「でも、この状況だから、なにがしたいとか言ってられない。 総理は、全然わかってない」と、麻生さんは叩かれに叩かれていた。でも、これも「ニワトリかタマゴか」になってしまうが、そもそも、なぜ「派遣労働」という形での職についたのか。やりたいことを探すため?それとも、やりたいことがなかったから? ハナシを戻すと、先のCMが違和感なく受け入れられているとするならば、「志望動機なんてありません」という若者の答え、現代日本では、メジャーな答えになってしまっているのだろうか。ここで言う「答え」とは、就職面接そのときの「答え方」ではない。若者たちの、本心の部分での「志望動機」だ。本心で「なんでもいいから、働きたい」と思っているのか。いや、自体はもっと深刻だろう。「できれば、働きたくない。 できれば、誰かに食わせてほしい。 でも、それが叶わないのなら、 なんでもいいから、できるだけラクで、 しかもカッコいいヤツ。 そういうの、ないかな・・・。」・・・と、こんな感じなのかもしれない。もちろん、すべての若者がそういうわけであるはずがなく、先日、各社の入社式の様子の報道を見ていたら「自分たちが、この世の中をなんとかしますよ!」と力強く、前向きに社会人生活をスタートさせた若者がいて、なるほど、「志望動機なし組」は少数派なのかもしれないな、とも思う が、ともかく、このCMはまずいだろ倫理的なチェックとか、行っていないのか。もし行っていて、この結果なら、審査している人も、バカだ。 僕は、小学生や中学生でなりたい職業が決まっていなくともよいと思う。もちろん、あればそれにこしたことはない。小学生のころになりたかった職業が、中・高校と成長するに従って変わっていってもよい。ただ、「なんでもいい」「なんでもいいから、サラリーマン」「なんか、安定してるっていうから、公務員」そういう言葉を子どもたちから聞くと、とても寂しい思いをしている。そして、それを言わせてしまっている僕ら大人のふがいなさを、反省するのである。Kama
2009.04.10
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今回は、少々カタい文章ですが、もしよろしければ、おつきあいくださいませ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~この3月~4月、お問い合わせをいただいた保護者の方とお話する機会が多かった。愛夢舎のご紹介などをさせていただいたのだが、そうすると、こんなことをおっしゃる方が少なくなかった。「まるで、学校みたいですね」愛夢舎のやってること、教育方針などについてご評価いただいた言葉である。実は、今回に限ったことではなく、前々から言われてきたことであるし、僕が大学生相手に講演活動などをしていた頃にも同じことを言われていた。「学校みたい」というのは、おそらく愛夢舎の教育方針として、例えば「あいさつをしっかりする」、「授業が終わったら、机の上の消しゴムのカスなどは、自分で片付ける」「忘れものは、極力しないが、してしまったら先生にはちゃんと告げる」「遅刻、欠席をするときは自分で連絡する」などなど、そういうことを徹底するということを旨としている、その部分をお知りになっての評価であろうと思う。が、ふと思う。塾長佐々木を中心とする我々が「学校みたい」であるのならば、では、当の「学校」はどうなっているのだろう。この業界にいると、とかく、「学校」をライバル視、あるいは敵視する人が少なくないし、学校の悪口を耳にすることも多い。逆に、学校の先生が塾を敵対視されることもある。僕らとしては、決して学校を批判したいわけではなく、むしろ、子どもたちのために尽力する「同志」であると思いたいのだが・・・。いや、そういう言い方は、おこがましいな、僕ら塾というのは、あくまでも「学校の補助機関」であるし、学校教育あってのものだから、僕らに学校についてとやかく言う権利があるのかどうか。これも昔の話だが、「塾」という機関に身をおきながら、学校教員の採用・教育活動をしていた頃、ある著名な教育評論家の先生がテレビの取材で僕らを指し、「塾ごときが学校教員になんら手を出すのはおこがましい」と痛烈なコメントを残されたことがある。それも、構造的には、おっしゃる通りと思う部分もある。が、事実として僕らは「学校みたい」と言われる。僕らが「学校みたい」と言われるからにはひょっとして、当の「学校」は保護者の皆様が考えるところの「学校」らしくなくなってきているのではないか。僕も、学校教育に関わっていた者として多少のことを発言する資格はあるのではないかと思うのだが、そもそも(学校)教育は三本の柱によって成るという。知育・徳育・体育である。このうち、知育に特化したものが「塾」であると思われがちで、そして、愛夢舎の教育方針に「徳育」をお感じになった方が「学校みたい」とおっしゃる。だがしかし、僕個人の意見ではあるが、この「3つの柱」というのは、3つに見えて、実は1つである。少なくとも、愛夢舎、佐々木の中では1つであるに違いない。すなわち、徳育を重視せねば、知育は充分な効果を発揮せぬし、知育に富んだ場であれば、おのずと体育も発達する。徳育を重視する愛夢舎において、生徒たちが積極的にスポーツ大会やスキー、富士登山に参加するのは、まったくもって、当然のことである。そして、徳育をおろそかにするがゆえ、知育もうまくいかない。さらに、逆もまたしかりである。つまり、知育を重視することは、徳育の発達に直結し、徳育の発達なき知育は、それがうまくいっていないことを明らかにしている。だからといって、愛夢舎で「あいさつ」に対してこだわるのは、知育の成功を計算してのことでは、もちろん、ない。「あいさつが満足にできない人が、勉強だけできることはない」とは言うけれども、それは、だから、そのまま逆を言うこともできるからである。では、逆に知育を徳育の充実の道具として使うことを目的としているかと言われれば、そういう風に見えるかもしれないし、やはり、そういう言説を用いることもあるけれども、必ずしも重みを置く理由のすべてではない。だから結局、何が言いたいのか、よくわからなくなってきたが、第一、それを語るのは僕の仕事ではなく、佐々木の領分であるし、すでにここまでの段階で「塾長でもないくせに、偉そうに語るな」と、「肩書き」で論の是非を判断する輩が、また現れかねないのでもうこれでやめにするが、だから、これは一介の講師たる僕の個人的希望として、愛夢舎について、僕は、こう思っていただきたい。愛夢舎は「あいさつ」も指導する、のではありません。「あいさつ」を指導するから、成績も上がるのです。Kama
2009.04.09
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長く、「1秒にこだわる人間」であることを書いてきた。いつからだろう、時間がもったいなく感じるようになったのは。たぶん、高校生のころからだろう。自分がやがては死ぬということを理解し、自分の「意識」がなくなってしまうかもしれないことにこの上ない恐怖を感じ、それから、凝縮した1秒を過ごすようになったように思う。が、「凝縮した1秒」について、実は僕には、悔いても悔いても、悔やみきれない、そんな思い出がある。何か、みなさんの心の琴線に響くものがあればいいかと思って、僕にとっては「恥」である、そのことを書こう。 15年ほど前、高校3年生だった僕は、学校の陸上部に在籍していた。中学時代はバスケット部でキャプテンまで務めていたのだが、腰の骨に先天的な欠陥があることがわかって、今まで以上にハードな練習にはついていけないだろうと自分で勝手に判断をし、陸上に転向した。中学時代から、ヘルプとして駅伝大会などには参加していた。つまり、長距離が得意だった。中学生にとっての長距離とは、1500m走とか、長くても3000m走。これが、高校生になると5000mとか10000mになる。僕以外の長距離チームメンバーは、1500mの練習を核として、やがて5000mを中心とする選手に育っていった。ところが僕は、中学時代から未成年者がやってはならない、大人だけに許された、今現在は肩身のせまい思いをすることの多い嗜好品に手を出していたので、(↑もう、時効ということで・・・)自然、専門とする距離が短くなっていった。他のメンバーは5000mの選手になり、長距離あがりでは、僕だけ800m、400mを主体とする選手になった。800m走というのは、陸上経験のない人にとってはとても大変なレースにように思われるらしい。でも、僕にとっては、最も「ラク」な競技だった。よくいわれるように、400m走は短距離であって、基本的に無酸素状態で全力疾走する。最後の100mは完全に無酸素運動で、乳酸もたまり、レース直後は臀部の筋肉が引き裂かれそうな疲労が襲う。対して1500mは、長距離の中ではスピードレースであって、いってみれば、マラソンのラストスパートを1500メートル続けるようなもんで、これはこれで、心肺がはりさけそうな苦しさがある。800mは、かけひきのレースだ。400メートルトラックを2周するのであるが、1周目は、遅い選手のふるいおとし、自分のポジションどりに専心するので、いわゆる「流し」の状態で走ることが多い。勝負は最後の100メートルである。だから、1周目なんかは、見えないところで選手どうしが小突きあっていて、そのプレッシャーに心が萎えた選手は脱落していく。「格闘技」と言われる所以である。このあたりも自分の趣味にあって、僕は800メートルを専門とする選手になった。高校1年のとき、国体の予選会があって、少年の部の長野県代表選考レースにおいて6位に入賞した。全県で6位だから、地区では、それなりに注目される選手になる。長野県は、そこそこの広さがあるので、北信・中信・南信、そして、僕が暮らしていた東信に分割され、それぞれ地区大会が催される。地区大会で上位入賞することで、全県大会への出場権が得られる。僕は、高校1年のころから、800メートル、1500メートルに関して、県大会行きを逃したことはなかった。 3年生の春、東信地区大会が開催された。僕は、それまでの実績から、800メートルの優勝候補と目されていた。ライバルは、ひとり。彼とは2年生のころから、同学年でどっちが速いか、しのぎの削りあいをしてきていた。400メートルトラックを2周するわけだが、高校生の大会では、この2周で極端なペースチェンジがあることは少ない。例えば、2分ジャストで走り切るとすると、(↑この2分の壁が、ホント、なかなか超えられない)1周目58秒、2週目62秒、そんな感じのペース配分が多い。僕は、1600メートルリレーの選手でもあったが、800メートルの決勝に温存するため、リレーの予選は参加しなかった。つまり、まさに必勝態勢、それまでの集大成。確かに、上位の県大会があるわけだが、全県レベルでは、僕は決勝に残れるかどうかというレベルだったので、この地区大会では、優勝をもぎとってやろうと考えていた。 レースはスタートした。この日、僕は、ライバルの「彼」との完全決着のみを考えていたので、1周目は集団の中位に位置し、様子を見ていた。・・・遅い。ペースは異常に遅かった。それでも、勝負に徹して、先頭に出ることはしない。「彼」もまた、いつでも先頭に出られるポジションをキープし、様子をうかがっている。 400メートルを通過。アナウンスの声は「65秒」と言っている。またアナウンスは「大変スローなペースです」とも言っている。これは1500メートル走のペースだ。 「彼」との、見えないかけひきが始まった。最後の100メートルで勝負をかけた場合、僕より速い選手がどれだけいるか。 考えに考えた結果、残り250メートルでスパートをかけた。やや長めのラストスパートである。結果として、2周目ははじめの400メートルより7秒速い、58秒で仕上げた。 ラストスパートに入るや否や、ほとんどの選手は脱落した。「彼」だけがついてくる。残り100メートル、最後の直線に入ったとき、僕と「彼」は、完全に横並びだった。そこから残りの距離、1センチでも肩先を前に出そうと、呼吸もできない中、全力疾走であった。800メートルって、こんなに苦しかったっけ・・・。そんなラスト100メートルだった。おそらく、13秒くらいでは走っていたと思う。 わずか13秒。しかし、ゴールのテープはなかなか近くならない。 「彼」は、まだ僕のすぐ左にぴったり、いる。 「彼」もまた、悲鳴のような呼吸音を響かせている。 本当に、5センチたりともどちらかが前に出ていたわけではない。このままゴールに飛び込んだら同着であるかもしれない。 いよいよ、あと10メートル・・・。 あと5メートル・・・。 時間にして、あと1秒たらず・・・。 そのとき、僕の心の中によぎった思い・・・。 「・・・2位でも・・・。」 その瞬間、彼は胸先を突き出し、僕は1瞬遅れてゴールに飛び込んだ。 タイムは同タイム。着順で、「彼」が優勝、僕は2位となった。 あの最後の1秒、僕は、確かに、一瞬、気がゆるんだ。 あの瞬間、心が折れた。 ・・・あきらめることを思った。タイムは同タイム。実力の差はなかった。もっといえば、そのあとの県大会では、僕が「彼」の上位になった。しかし、「優勝」という大きな栄光を勝ち取る戦い、そこにおいて、勝負をわけたのは、走力ではなかった。精神力だった。 僕は、自分の心の弱さを呪った。チームに戻っても、みんながなんとなくよそよそしく感じられる。「あんな情けない負け方しやがって・・・」誰も、そう言ったわけではない。僕をたたえてくれる人もいる。が、僕は自分の想いをみんなに投影して、自分にぶつけつづけることになった。嗜好品に手を出したのも、バンド活動と二足のわらじをはいていたのも、全てが、その一瞬で自己否定につながった。「情けねぇなぁ、オマエ・・・」 僕は今、生徒たちに、最後の最後、残り1秒まであきらめるな、と言っている。それは、僕がまさに「最後の1秒」で敗れた経験があり、しかもそれは、「できない1秒」ではなかったはずであり、最後の最後、自分の心を強くもち、鼓舞することができれば、優勝していたのは僕であったかもしれない・・・。その思い出に15年たった今でも、悔恨の思いをぬぐいきれない、だからかもしれない。あの頃の僕は、心が弱かった。以来、いつのまにか「凝縮された1秒」を口にするようになった。あの頃より、少しは心が強くなっただろうか。そうあってほしい。Kama
2009.04.07
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気が向いたので、昨日、新中学1年生に向けて話したことを書きます。きっかけは、彼らの「確認テスト」の採点でした。僕は、国語を担当しており、その採点をしていたわけですが、よい得点の子もいれば、これから頑張らなきゃという子もいる。しかし、危機を覚えたのは、点数についてではない。ある生徒は、よく読めないような字で自分の名前を書いている。また、ある生徒は、テスト用紙の空白部に、なにやら落書きをしてある。これは、彼らに伝えなければ、そう強く思って、時間をいただいて、彼らに話した。「真剣」ということがどういうことか分かっているかい?「真剣」に何かをやる、「真剣」に人の話を聞く。みんな軽い気持ちで「真剣」という言葉を使うけれども、言うまでもなく、「真剣」とは、人や自分を斬りさくものである。命がけの覚悟、それが「真剣」ということだ。僕らは、「職業だから」ということを通り越し、「真剣」に授業に臨む。年長者としての義務、責任として、生徒たちに伝えたいことは山ほどある。定められた授業だけでは、到底時間がたりない。でも、その時間の中で伝えられることをギュッと濃縮して、足りないながらも、彼らにぶつける。講習会の授業も後半になると、僕のノドは嗄れてしまい、声がかすれてくる。まさに、「真剣勝負」である。誰に勝つとか、負けるとか、そういうことではないけれども、「真剣」に生徒たちに想いをぶつけている。確認テストひとつとっても「真剣」だ。生徒がいる時間帯は、もちろん、何よりも生徒指導を優先するから、デイタイムにはテストは作れない。生徒たちが帰宅した後深夜にコツコツ作成するのである。簡単すぎず、理不尽でないように、そして、授業中の「真剣」さ、復習日の「真剣」さが結果にダイレクトに反映される、そんなテストを、真剣に作る。だから、生徒たちには「真剣」に、授業に出席してほしい。僕らが吐き出す「真剣」な思い、それを、「真剣」な姿勢でくみとってほしい。テストには「真剣」に向き合ってほしい。いや、僕らが「真剣」なのであるから、彼らも「真剣」でいてもらわねば困る。もし、僕らの授業が退屈だ、という生徒がいたならば、それは、僕らの「真剣」さがまだまだ足りない。そう考えているから、彼らには、僕らの授業を「真剣」に評価してほしいし、テストでは、「真剣」な思いをぶつけてほしい。 キミたちは、テストに真剣に向き合っただろうか。 答案が返却されると、「うわ~、そうだったぁ~~」という声がわき起こる。例えば、英語のテストで「apple」の前に「an」ではなく、「a」と書いて惜しくもトップをとれなかった子がいた。キミは、真剣に向き合った結果、「a」と書いてしまったのだろうか。 テストの時間は40分間だった。キミは、40分間の最後の1秒まで真剣に問題用紙に向き合っただろうか。 真剣な者が、自分の名前を雑な字で書くだろうか。 真剣な者が、落書きをするだろうか。 真剣な者が、終了10分前に鉛筆を置くだろうか。 僕は、残酷であることを十分承知の上で、落書きをした生徒の答案に「0点」をつけた。 何のために「真剣」であることが必要か。 難しい問題だ。前々から書いているように、僕は「1秒がもったいない人間」だ。1秒たりとも「真剣ではない」瞬間があれば、それは、自分の人生に対して申し訳ないし、もったいないし、僕を生かしてくれている、この世界に失礼だ。僕自身はそう思っているが、この考え方は、一般的ではないだろう。 だから、彼らには、わかりやすい答えを用意した。 僕ら、講師陣は「真剣」に、ひとりひとりに向き合っている。これは真実だ。それなのに、受け取る側のキミたちが「真剣」でなければ、「勝負」にならぬではないか。「真剣」である僕らに失礼ではないか。「真剣」に自分に向き合ってくれる人、そういう人に対しては、自分も「真剣」に応えねばならぬのだ。それが、人としての最低限の心得なのだ。 テストは、点数で評価されるものではない。テストは、向き合った姿勢で評価されるべきものだ。 もうじき彼らは中学校入学式をむかえる。いよいよ、中学生だ。学校生活、学校での授業を「真剣」な姿勢で過ごしてほしい。 ・・・そんな話をしました。ほんの少しでもいいから、彼らにとって、何か感ずるものがあったら、そう願っています。Kama
2009.04.06
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今日は、春期講習会最終日。愛夢舎の講習会は、ラス前の日を「復習日」とし、最終日は「確認テスト」を実施して、定着度をはかります。今は、中学2~3年生がテストに挑戦中。模擬試験や入試とは異なり、講習で勉強したことが、そのままテスト範囲となるので、日々の授業でどれだけ吸収できたか、昨日の復習日で、忘れてしまった分をどれだけ取り戻せたかが得点となって現れます。実は、午前中、そのあたりのことについて、少々厳しめに新中学1年生に、何十分もかけて語らせてもらいました。ほんの少しでもいいので、何かを感じ取ってもらえていたらいいな。(このハナシについては、気が向いたら、後日ご紹介しますね)さて、新中学1年生は、これで講習会を終えて、いよいよ本当に「新中学生」としての生活がはじまります。また、長く愛夢舎を慕ってくれた旧中学3年生は、「新高校生」として、それぞれの道に旅立っていきます。来週からは、塾に来る顔ぶれも替わって、いよいよもって、「新年度」の空気が流れることでしょう。しかし、特に卒業生のみんなには、「それでも、愛夢舎には僕らがいる」ということを思い、何かあるごとに、気軽に立ち寄ってほしいと思っています。近況報告でもいい、勉強の相談でもいい、あるいは、自分の学校の学園祭の宣伝でもいい。なんでもいいから、疎遠にはなってほしくない。そう強く思います。とりあえず、6月くらいには恒例の「アニバーサリー梅酒」の製作でまた集まってくれることでしょう3月1日の新校舎開講以来、入塾説明会、スキー旅行、春期講習と、特に、塾長佐々木は、1日の休みもなく働きづめでした。今日が終わったら、しばしの休息をくださいねKama
2009.04.05
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今日は、春期講習会の「復習日」です。愛夢舎の講習会では、必ず日程の最後にこの「復習日」を設けています。ヒトですから、一度覚えたことは、時間が経てば忘れてしまうこともあります。せっかく学校の休みを利用して塾に勉強しにきたのに、何も残らないのではもったいなさすぎます。そこで、「復習日」では、講習会の授業で勉強したことがちゃんと定着しているかどうか、もう一度、解きなおし、やりなおしをしてみるのです。【新中学1年生の様子】もちろん、問題を解きなおすと言っても、先生がそばについて、分からないところは質問を受けます。それだけではありません。「受身一方」の勉強では、やがて自分ひとりで問題を解決しなければならなくなったときに、その方法が分からず、戸惑うことになりかねない。愛夢舎の復習日は、子どもたちが「自分で問題点を発見し、 自分で解決する」、その力を身につけるための場でもあるのです。【新高校生の様子】勉強のしかたが身についている高校生は、さすがに自分の必要なことを見出して先生に聞いたり、調べたり、解決する方法を知っていますが、小学生や中学低学年の子たちは「自分が分かっていない」ということを見つめずに先に行ってしまいがち・・・。実に、この「問題解決能力」を養うことは、愛夢舎の講習会最大のポイントです。極端なハナシ、授業を一回も受けなかったとしてもこの復習日に参加するだけでも、絶大な効果があると思っています。朝9時からやってますが、各学年の生徒たちが順番にやってきて、問題に向かいあっています。夜10時まで、程よい緊張感の中、復習大会は続きます。Kama
2009.04.04
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まったくもって、どーでもよくって、まったくもって、くだらないんだけど、気になったこと・・・。 ケンタウロスっているじゃないですか。(↑いません)下半身が馬のヒト。あれ、下半身が馬っていうか、馬の首から上に、ヒトの上半身が乗ってますよね。だから、上半身にはバッチリ2本の腕がある。すると、下半身の4本足とあわせて、合計で6本の肢があることになる。ってことは、ケンタウロスは、昆虫ではないでしょうか? それから、ですね~、ペガサス(天馬)っていうのがいるじゃないですか。(↑だから、いません)ウマの背中から2つ、翼が生えているヤツですね。でも、鳥類の翼って、前脚が変形したものじゃないですか。すると、ペガサスには4本の肢に、さらに2つの肢があることになって、やっぱり、昆虫ってことになるのではないでしょうか まだあります。天使っているじゃないですか。(↑いるのか?)ガブリエルとかミカエルとか、そういうの。彼らは、ヒトの姿をしているけど、背中から2つ、翼が生えてますね。すると、やっぱり昆虫ってことになるのではないでしょうか まったくもって、どーでもいいんだけど、ちょいと気になりました。美しき生き物たちがぜーんぶ、昆虫・・・。ムシ・・・。Kama
2009.04.04
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最近サボってしまっているのですが、私は「ゲリラメッセージ」なる地域の皆様へのお手紙(?)を6年ほど書いてきました。 その都度、1000枚くらいコピーして自分たちの足でポスティングしてきました。 内容は本当に私の「ひとりごと」ですが、意外にも読んでいただいていた保護者が多い。 移転して以来、訪問してくれる保護者から「昔からゲリラメッセージを読んで愛夢舎のことは知っていました」などと超うれしいお言葉を何度も頂いた。 旧校舎の頃は僻地(笑)だったため、興味を持っていただいても入会にまでいたらなかった方々が、移転をキッカケに訪問してくださる。 地道に「ゲリラメッセージ」を書いていて本当によかった、と幸福感に浸っている。 と同時に、今サボっている自分が情けなくも思っている。 落ち着いたら、また徒然なるままに「ゲリラメッセージ」を書き、お届けさせていただきますので、拙い文章ですがお読み頂ければ、と思っております。 本日「ゲリラメッセージ」をキッカケに訪問してくださったお母様ありがとうございました。 ジュクチョウ
2009.04.03
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先月、3月26日から29日にかけて行われた、愛夢舎恒例スキー旅行大きなけが人も出ず、無事に入間に帰ってきました旅行中のさまざまなエピソードをご紹介したい・・・・・・とも思ったのですが、なにせ、今回、僕は行っていないさすがに、現地にいなかった出来事を語ることはできませんもしかしたら、他の先生が報告文を書くかもしれませんが、今は春期講習期間で、僕も含めて、朝から晩まで授業の連続、なかなか・・・ねそれで、思い出が色あせてしまってはなんなんで、とりあえず、当地での写真を何枚かご紹介させていただきます。生徒たちの表情から、今回のスキー旅行の成功を感じとっていただければ幸いですKama
2009.04.03
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先日、小説読解について、僕の指導方針を少しご紹介した。(未読の方は、こちらから)「小説の世界」は、作者によってでっちあげられた「でっちあげの世界」であって、作者はそこでは「神」の存在であり、つまり、起こす全てのことを決定づけるわけだから、「小説において、偶然はありえない」という視点を持つということ。ひとつの例として、「水戸黄門の出発のシーンで、雨が降ることはない」ということをご紹介した。テレビドラマの場合、この「仕組まれた必然」には、音響による効果も大きな力としてはたらく。先の水戸黄門でいえば、助さん、格さんが悪人どもをばったばった倒す8時45分前後のシーンではアップテンポの緊迫感あふれる音楽が流れ、かげろうお銀なんかが敵の館にしのびこむシーンではどこか不気味な音楽が流れる。旅立ちのシーンでは、例外なく、名曲「あゝ人生に涙あり」のバリエーションが流れる。ドラマや映画において、音楽のもたらす効果は絶大だ。その音楽が流れることによって場面の雰囲気を観客に伝えることができる。悲しいシーンでは短調(マイナー)の曲、明るいシーンでは長調(メジャー)の曲を流し、勢いづくシーンではアップテンポの曲を流す。もちろん、場面と音楽のギャップを作ることでより一層の効果を上げる場合もある。例えば、ドニゼッティのオペラ、「ランメルモールのルチア」では、主人公が死す、ラストの場面において長調の曲が高らかに流れる。そのことによって、よりいっそうの悲哀が表現される。しかし、これはやはりレベルの高いハナシで、普通の「読解力」の持ち主である僕らにとっては、悲しいシーンは短調、明るいシーンは長調としてくれたほうがわかりやすい。場面全体の雰囲気ではなく、登場人物や川とか指輪とか、そういう全てのキャラクターにそれぞれ旋律を与え、徹底的に論理的に音楽構成を行った人がいる。それが、R・ワーグナーだ。ワーグナーの信奉者は「ワグネリアン」と呼ばれる。僕は、ワグネリアンではなく、オペラに関しては、ワーグナーなどのドイツものではなく、どちらかといえば、イタリアものが好きなのだが、大学の卒論において、芸術論・音楽論を扱ったのでその資料として、ワーグナーの大作楽劇「ニーベルングの指輪」のLDを入手、解説本とにらめっこしながら、何度も観たものである。いったい、ワーグナーにおいてライトモチーフ、示導動機と呼ばれる、キャラクターに与えられた旋律、その組み合わせで成り立つ音楽を耳で聴くだけで解読するのは、大変なことであるまあ、わかりやすくいえば、そのフレーズが流れることで、舞台に次に登場する人物が予想できたり、その人物の心情を察したりすることを目的とし、また実現しているのが、ライトモチーフだ。ただ、ワーグナーのそれは、あまりにフクザツで、僕なんかは、解説本と楽譜とを横において、「はいはい、今、これが流れているのね」という確認作業をしないと解読できなかったりして、そうなると、これはもう音楽の楽しみ方としてはいかがなものか、と思う。第一、そんなことをしていると、大変疲れてしまう僕がワーグナーをあまり好まないのは、この「疲れる」というのが最大の理由である。よほど覚悟してからでないと、ワーグナーは観られない。 ある旋律によって人物の登場を想起させる、あるいは、場面の細部を想起させるライトモチーフの手法は、別にワーグナーの専売特許ではない。例えば、スターウォーズにおけるダースベイダーのテーマ音楽などは、一種のライトモチーフと呼んでいいだろう。水戸黄門では、雰囲気にあった音楽を流すだけで、キャラクターそのものに旋律が与えられているわけではないので、ライトモチーフとは言いがたい。 だが、日本の庶民的な作品において、かなり明確なライトモチーフの手法を僕は発見している。 ジャイアンだ。ドラえもんにおいて、「♪お~れ~は、ジャイア~ン、 ガ~キ大将~~天下無敵の男だぞ~~」というあの曲。曲名は「おれはジャイアンさまだ!」という。あの曲が流れることによってジャイアンの登場は予感できる。 ところで、あの曲ではジャイアンは何と歌っているのか。 出だしは有名だ。「♪お~れ~は、ジャイア~ン、ガキ大将~」そもそも、ジャイアンというのは本名ではない。剛田武というのが名前である。 なんで、ジャイアンというのか。 これには諸説あるのだが、割と有力な説として、「ジャイ子のアンちゃんだから、ジャイアン」というのがある。 だとすれば、ジャイ子あってのジャイアンであって、えらそうに「おれはジャイアン~」とか言ってる場合ではない。 ジャイ子さまさまだ。 同じ境遇の人に、バカボンパパがいる。あのオジサンの名前が「バカボンパパ」であることは表札にそう書いてあることから、まず間違いない。バカボンというのは、和服を着て、ほっぺにぐるぐるのあるあの息子である。 なんてこった息子あっての名前である。 ・・・ハナシをジャイアンにもどそう。 実際のところ、ジャイアンの由来がジャイ子だとすれば、じゃあ、ジャイ子の由来はどうなるのかということになるので、たぶん、ジャイアンが先だとは思うが、今となっては知るよしもない。 「おれはジャイアンさまだ」の歌詞は続く。 「♪のび太、スネ夫は、目じゃないよ~」 ・・・当たり前だ。なんの自慢にもならない。 実は、この歌、歌詞は3番まである。2番の歌詞は面白くもなんともないので省くが、3番はなかなか聴き所がある。 「♪ドラもドラミも、目じゃないよ~」 大きく出た 「♪足の長さはまけないぜ~」 ・・・そのくらいしか勝つところがなかったのが悲しい。 どうもジャイアン、負け惜しみの歌を歌っているとしか思えない。 まぁ、しかし、あの曲が流れることでジャイアンの登場が想起されるわけだから、これは立派なライトモチーフだと思うのだが、いかがか? ・・・おわかりの通り、結構、ムリヤリ、書いた記事です。春期講習中で忙しく、なかなか「これは!」というネタが思いつかんのです。完全に失敗している記事になっちゃった・・・ご愛嬌ということで・・・。Kama
2009.04.02
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幸運にも、入間の老舗リフォーム会社「アイライフ」の中林社長とお話しする機会をいただきました。 一時間くらいでしょうか、対談(?)させていただいたのは。 私なんか足元にも及ばない社長さんに、私たちの経営理念に対する「うなずき」を何度もいただきました。 というのも、中林社長も「人間教育」を社内・社外で実践されている方なんです。入間や埼玉県内だけでなく、色々な地方で「人間教育」に関するセミナーまで主催されています。私たちのような「ベタな教育機関?」ではないのに、「人間教育」の大切さを強く感じ、世の中に発信されているんですね。 恐縮しますが、私たちの「人間教育」の考え方とまったく同じ考えを持っていらっしゃって、異業種の方でも根底に流れる理念は同じなんだな・・・と気づかされました。 社長とは、いつかコラボで、世の中に貢献する「人間教育」をしましょう、と約束させていただきました。 それにしても、ウチとアイライフさんの理念は似ているんですよね。 「アイ」ライフと「愛」夢舎・・・やはりキーワードは「愛」のようです(笑)。 P.S.イメージキャラクターはアイライフさんが「愛太郎」、ウチが「夢太郎」でした(笑)。 ジュクチョウ
2009.04.01
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