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ライブの録画です。80才になった、私のインタビューがみられます。https://www.facebook.com/watch/live/?ref=watch_permalink&v=414230187178310
2022.03.30
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3月29日(火)に、若くしてアメリカで事業を立ち上げた、中村エミリさん・スポンサーのライブ・インタビューがありますので、よろしかったらどうぞ。L.A. Timeでは、午後の4時ですから、日本は翌朝でしょうと思います。このリンクで、詳細をお読みください。弘子
2022.03.27
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(昨日の続き)「自分達は、ロシア語を話す人が多く住む地方のウクライナ人をゼレンスキー大統領指揮いるネオ・ナチスのグループが迫害してるから守れという上からの命令できていたので、パトロールするだけのつもりだったのに、そのような(迫害)雰囲気は全くなく、数日後急にアタックの命令が来て混乱してしている。こうやって捕虜になってみたら、ウクライナ人は親切で、我々の怪我を治療してくれ、丁寧に扱ってくれてる」 ここまでいって、彼はカメラを見て「ロシアの人達に伝える、自分はロシアの陸軍士官、決して拷問にかけられてこの発表をしているのではなく、あくまでも自主的なインタビューだということを先ず言っておく。」と言って続けた。「ロシア人もウクライナ人も兄弟だとおもう、両方の国にロシア人もウクライナ人も平和に住んでいるではないか。これでは、自分の家族を殺しているようなものではないか。何故、平和な人家を爆撃し、平民を撃ち殺さなければならないんだ?ロシアでは、真実が報道されていないが、ネットで見ている人に伝える。我々は多くのたてものを破壊し、罪もない人々を殺してるんだ。軍隊はすぐ国に引き返して、真実をつたえるべきだ。ロシアは、我々を送っておいて、ガソリンや食料の補給もしてくれないではないか」と、可なり長い事話していたが、恐らくロシアでは報道されないだろうし、彼等が国に戻ったらプーチン政権の間は、拷問にかけられて監獄行きであろう。そして、今夜は又違うロシア人が話していた。ここではMKとしておくが、彼はロシア人でキエフで人気のあるレストランを経営しており、奥さんと3人の子供がいる。ロシアには彼の父母、祖父母などがいて、キエフが爆撃されたことを電話で父親に話したら「ロシアがそんなことするはずはない!こまってるロシア系の人に食料や医療を配達するために軍隊がいったのだ。嘘もいいかげんにしろ!」と怒鳴って、電話を切られたという。 MKは、キエフが食糧難になったときから、レストランのサプライで無料で友達や知り合いに食べさせているのだが、それも2週間もたてば危険な程少なくなっているであろう。MKは父親ととても仲が良かったのに、信じてくれないのでフラストを感じていた。それから、何度かけても電話に出てくれないが、諦めずかけ続けていたら、少しずつウクライナの現状が見えて来たらしいと言っていたが、今度は父親が家族に真実を伝えるのに苦労しているらしい。多くの若い世代のロシア人は、自由の国のウクライナで仕事や事業をしているので、このような会話はきっと、MKだけではないと思う。反対にロシアに住んでるウクライナ人も国からのライブのビデオをネットでおくってくる筈。つまり、MKみたいな人が1000人いて、1000人のロシアにいるロシア人が、2人に伝え、その2人が2人に伝える、指数関数でいけば、真実は数週間で全国民に広がると思うのだ。 ただ、それを信ずる人は同じ数ではないだろうが、それとて、自分の子供がウクライナで死ねば信じざるをえないではないか。もう、2000人以上のロシア兵が戦死しているとニュースで聞いた。 さらに、国境に近いロシア人の老人とのインタビューもみたが、「ウクライナは酷い事になってるんだね。プーチンは嘘をいってるんだね」と独り言をいうようにつぶやいていた。 ウクライナ人のワイフと離婚した私の息子は、その後もまたウクライナに何度も行っており、汽車のなかで知り合ったキエフに住むイゴーという男性とは友達になって時々連絡しあってるので、「僕に出来る事ならするよ。何でもいってくれ」と今夜メールを出したら、すぐ返事がきて、「まだ生きてるよ。ありがとう。ロシアは無分別に爆弾を落としてくるよ。いつ落ちるか不気味だけど、プーチンは力を無くすことを極力怖がってるし、周りの人も、今の所こわがって彼を止めないから、これからも死者はふえるだろう」と書いてきたと言ったが、何も送ってくれるなといったらしい。 これは、市民戦争中のユーゴスラビアにいた、娘のジュリーに私が電話で「何でも送る」と言ったときに、「マム、それだけはやめて。全部開けられて、盗まれるから」といったから良くわかる。 以上。ハイテクの進んだ現代、奇跡は以外に早く来るかもしれないと思う理由をのべた。(死者が少ないとは思わない。) プーチンと言えば、自分がKGBだったので多くの人を絞殺、射殺、毒殺してきたから、自分もいつ暗殺されるかわからない、と可なりのパラノイヤにかかっているそうで、護衛はもちろんのこと、食べものも飲み物も全部、自分の前で毒見をさせるそうである。つまり、自分は悪い事をやってるのだというのを承知の分けであるから実に始末がわるい。 アメリカのある議員が言った「早く、彼を誰かが暗殺してくれたらいいのに」と。同意する人も多いと思う。いずれにせよ、プーチンはトランプと同じく、負ける事を恐れ、恥としているから、どんな嘘でもつくだろうし、フォロワーがいる限り、もっと狂ってウクライナを破壊するだろう。そして気が付いたときは、周りの子分は消え去り一人になってるかもしれない。 2004年に私の見た美しく平和なクリミアは2014年にロシアに乗っ取られたから、そのまま残っているだろうが、一泊したキエフは瓦礫の山だろうと思うと悲しい。早く奇跡が来ることを祈っている。
2022.03.10
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なぜこのようなことになるのだろう?一緒に考えてみよう。 プーチン、ヒットラー、ムッソリーニ、金、トランプにしろ、独裁者あるいはその要素のある人は、ある種の天才でもあり人を惹きつける魅力もある訳で、その魅力に惹きつけられた人達 (フォロワー) が本人の『独裁者パワー』を作り上げて行くのだと思う。 何故なら、持ち上げてくれる人達がいるから社会運動でも、宗教でも、娯楽関係でも、スターやリーダーが出来上がるわけで、いくらわめいても誰も同調してくれる人がいなかったら、そのまま消えてしまう筈である。一度、何百、何千人というフォロワーを動かすようになるとその勢いで、フォロワー達が勝手にどんどん増えて行くのが人間の業で何万人ふえるというのも時間の問題。いわゆるカリスマのあるスーパースターの虜になってしまうようなものだろう。そうなると、もう、元の理由などどうでもよくなっていて、フェイクニュースでもなんでもリーダーのいう事は全部「正しく」心に響いてしまう。リーダーは本能的にフォロワーのエネルギーを吸い込んで、もっと、もっとという征服欲がでてくるのだろう。つまりパワーハングリーな化け物になってしまうのだ。 こういう状態になると、カルトと同じで可なりフォロワーは深く洗脳されてしまい、一般世間のモラルなど見えなくなって、自分達の考えが一番正しいと信ずるようになるから、他の人が真実を伝えようとしても、「正義の敵」とみて、かえって攻撃するようになるのだと思ってる。そして、フォロワー達がうすうす、『教祖様は何かへんだ』と感じ出す頃は、すでに事遅し。。。今回のウクライナのような大惨事になってしまうのだ。 ただ、このウクライナに関しては私が考えていた通り、若い年代の人達は世界中繋がりができているのでソーシャルメディアの発展でネット上で色々な情報を交換し、真実も分かって来るであろうから、ロシアでもプーチン崇拝派の親の代と全く違う意見をもつ若い世代がの国内で反戦デモをおこし、あちこちで逮捕され留置されている。家庭内でプーチン派と反戦派に分かれ亀裂が生じているという情報もあちこちから入って来る。これを見た時、一途の希望がわいてきた。いわゆる、プーチンを取り巻くオリガーキー(国を動かす地位にある大富豪) の子供達も混じって反戦運動を起こしているからだ。しかも、ロシアのあちこちの地方で勇気ある(投獄を覚悟で) 人達のこの運動が日に日に大きくなっている。これがもっともっと広がってくれると何か奇跡が起こるかもしれないというのが、先に述べた一途の希望である。 第二次世界戦当時の大日本帝国のメディアが国民には本当のことを言わず、大勝利をきたしているとフェイクニュースを発表し続けていたように、ロシアも、ロシア兵の戦死者数、破壊された戦車などの事は極力伏せているようだ。それを正直に発表するテレビ局、ラジオ、インターネットは次々とプーチンの圧力がかかって閉鎖していく。つまりロシアは報道の自由などない国だからである。 プーチン派は、「ロシアを支持するウクライナ人を迫害するナチスのようなギャングのウクライナ人から守る爲に我々の軍隊が侵入するのだ。大統領はそのナチスの親玉である」というプーチンの嘘を、そのまま信じているわけであるが、ネットに詳しい子供達はチャットでウクライナの燃え盛る建物、ごったがえした電車やバスで疎開する人々、疎開するために荷物をもって歩いてる人を銃殺したり、死体などの新しい情報を携帯のライブで見ているので、プーチンの嘘が丸見えなのであるが、それを公表すれば投獄になるので、多くは沈黙を守っているのだろう。 と、ここまで書いた時に、ニュースで、ウクライナ側に逮捕されたロシアの陸軍士官と兵隊二人のインタビューを聞いて、「奇跡は以外に早くやってくるかもしれない」と思った。その内容は・・・(続く)
2022.03.09
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桃の節句 「灯りをつけましょぼんぼりに~、お花を活けましょ桃の花~♪」と言う歌を80歳の今でも最後まで歌えるくらい、幼かった私に『お雛祭り』は、インパクトがあったらしい。 戦争で家を焼け出された疎開組みだったから、我が家にはひな壇などなかったが、お店のガラスケースに入った華やかな人形の数々をみるのが楽しくて一人で何度もじっくり見に行った。自分の家にないからと惨めに思ったこともないし、悲しくもなかった。かえって戦前まで富豪であった母や祖母達こそ、私の爲にひな壇を与えることもできなかった事が無念だったのではなかろうかと今では思う。 我々の借家は海に面した、いわゆるオーシャンフロントの二階建てで、国道に面した大家さんと背中合わせに建っていた。と言っても、その辺では大地主だったから大きな庭があって、お蔵が我が家との堺になっていた。つまり、我が家の玄関と松の木が生えてる築山は駿河湾に面していて裏庭がそのお蔵の壁の前にあった。両親は台所の窓からお蔵の灰色の壁を直接みるのが嫌だったらしく、朝顔やグミの木を植えたので、夏は色とりどりの朝顔の花がさいてきれいだった。そして、その種をとって来年また植えるのは小学生の私の楽しいしごとであった。 築山からは太平洋と三保の松原が見え、二階からは富士山がすぐそばに見えるという健康的な環境の漁村であった。その築山の下に防空壕があって空襲警報の時に入ったのも記憶にある。裏庭で鶏を飼っていたから卵はいつもあったし、海の幸も豊富だったので都会では餓死する人が後をたたない食糧難の時代でも私は美味しいものを沢山食べてそだった。 大家さんの末っ子は、ノリコちゃんといって私より一つ上で、時々あそんだが、「お蔵には、刀とか印籠とか、壺とか面白いもんがあるよ」と聞いていたので覗いてみたくても子供にはご法度の場所だった。 ある日、「おかあさん鍵をかけ忘れたから今あいてるよ」と呼びに来たので、「はいってみよう」とこっそりと入った。「わ~、おっきい。かびのにおいがする箱ばっか。宝もんがかくれてるかもしんないね」と静岡弁でいうと、「うん、これ開けてみようか」という事になり二人で、ウンウン開けようとしてた所にノリコちゃんのお母さんがきて見つかってしまった。むろん叱られたが以外にも、「じゃあ、これを見せてやろうね」と言って、その箱の中から大事そうに包んだものを出して開けると、何とも古い、鼻や指先などが欠けた汚らしい人形が出て来た。なんで、こんなに気味の悪いものを大事にしまっておくのか不思議だった。「これは、私が子供のころのお雛さん。ノリコのお雛さんはこっちにある。桃の節句にだすから、それまでここに眠らしとこうね」と又紙に包んで箱に入れた。 三月三日に招かれて行ったら、大広間に赤い毛氈を敷き詰め、その頃の私の背より高い、大きなひな壇が飾ってあった。お蔵の中で見た、薄気味の悪い人形もせいぞろいをすると何とも威厳があった。ノリコちゃんの雛段はまだ新しくてきれいだったが負けずに大きく、お母さんの雛壇の横にならんでも引けを取らない立派なものであった。 昭和39年に日本を出た時、祖母が「日本の行事を忘れないように」と自分が布で押絵のように作って色紙に張り付けたお雛様をくれたのがどこかにある筈だが見つからないので、里帰りしたときに行った京都で、豆雛を買い、三月になると飾っていたが、アメリカ暮しも長くなるうちに時々忘れるようになった。 そうこうしている内にまた何年も経ってしまい、知り合った福岡の友達が送ってくれた豆びなや、彼女の手作りのお手玉雛が加わったので、またひな祭りを思い出し、場所をとるわけでもないから一年中飾っておくことにした。そういう訳で、カリフォルニアの我が家では、二度とひな祭りを忘れる事のない生活をしている。
2022.03.06
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(途中で私の80才の誕生日が入ってしまったのでシリーズが途切れました。その間にウクライナもロシアも大勢の死者を出してます)1.冬の朝 産声たかく 日の本に 生れいでたら 戦(いくさ)のさなか2.焼夷弾 (しょういだん)町は火の海 生きるもの 本能たよりに 逃げ道さがす3.火の中を 逃げ惑う人 後絶たず 美しき川 溺死の修羅場 (できしのしゅらば)4.列車内 田舎に逃げる 人溢れ トイレ通路も 身動きできぬ5.家やかれ 裸いっかん 無一文 さまよいの果て 漁村に暮らす6.昨日まで 贅沢ざんまい 今日からは 食べるに困る これが戦争上は、2015年に終戦70年を記念して私の経験談を英語の短歌で出版した本の最初の6首を和訳したものであるが、ウクライナの現状をみて全く同じ事を繰り返しているな、と戦争体験者の私は体の全細胞で感じている。 80になった今でも、ごった返す汽車に乗った時の感覚は覚えている。私は2才前後だった計算になるが、向かい側の椅子にすわっていた親切なおじさんが、食糧難の時代に立派なみかんをくれ、同じ駅で降りたことから祖母と懇意になり長く付き合う事になった。「野菜がほしい時は、いつでもきな」と静岡弁で言われ、訪ねていったら大きな蜜柑山を二つももっている豪農の長男だったことも覚えている。そのあと長い事付き合う仲となった。 太平洋戦争中、アメリカ軍は都会と軍事関係の場所を主に攻撃したが、田舎はかなり安全であった。それに比べて、ウクライナに侵入したロシア軍は軍関係でない場所にも爆弾をおとし市民をも攻撃して自分の国内で疎開などできない。卑怯きわまりない。 テレビでウクライナの中継をみていると空襲警報が鳴る。あの不気味さも何度も経験した。空襲警報がなると雨戸をぴったりしめ、明かりがもれないように隙間も全部ふさいだものだ。今考えるとおかしいが、敵機が上空を飛ぶときは、「シーっ」と、声もヒソヒソになったが、飛行機の中から聞こえっこないのに心理的にそうなったのだと思う。 現時点では、ウクライナの市民が火の海にかこまれて川や湖に逃げるというのはきいてないが、東京では江戸川などが死体の山となり、後に原子爆弾を落とされた広島でもやはり川は暑さに逃げ惑う人で死体の山となった。 私の短歌は、人間の108の煩悩からヒントを得て、108首かいたが、今のウクライナ戦争中継を安全な場所から安楽なソファーに座って、見ていて申し訳ないほど、私には彼等のおかれている立場がよく理解できるし、これからどうなるだろう、という事もだいたい想像できる。ラッキーな人もいるが、大抵の疎開人はこの先10年位は、想定外の苦労がまっているだろうと思うので気の毒でならない。(続く)
2022.03.05
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なんか今日は、一日中動き回り、世界中からのメール、声のメッセージにお礼をしたり、お茶によばれたり、夕食に出たり、ボランティアーの仕事で、一日があわただしくおわりました。80年など、あっという間なのだな、とつくづく思ってます。 また、時間をみて、80年の思い出話をかきますが、今日は、お茶によばれたり、レストランにいったり、花の配達などがあって、やはり皆さん80才というと、一目おくのだな?と思った一日です。 朝一番でクロアチアのダビデからのメッセを皮切りに、日本、アイルランドロンドン。タヒチ、イタリア、ドイツ。フランス、などなどから、誕生祝いのメールやら歌のメッセージやら、沢山舞い込んできました。このばあさん、9時になると、眠くてしょうがないので、また書きます。私の人生、やろうと思ったら、ぱっとやり、振り向いたら、随分色々なこと、とっぴなことなどやって来たみたいです。これから先も続けてポジティブな考えで、出来るだけの事をやってブログに書くつもりですのでよろしく、お付き合いください。
2022.03.01
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