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ここに、数年前に写した何の変哲もないお正月用テーブルセットの写真がある。ところが、じっと見つめている内に、面白い事が見えてきた。明治から令和の世の移り変わり物語がぎっしりつまっているのだ。それらを反芻しているうちに、これは私が歩いてきた人生なんだと、まるで美空ひばりの『川の流れのように』の歌のように思えておかしくなった。 先ずは、向かって右側の重箱セットは、祖母が明治時代に嫁いだ時に当時大審院判事長(現在の最高裁番所長官に値するらしい)であった父親を通して、明治天皇からいただいた菊の御紋付きのピクニックセットの一部である。このセットの引き出しには、大正天皇生誕祝いの引き出物で、菊の御紋入りの盃もはいっていた。もう100年以上経っているのでガタガタになってはいるが、見た目も触った感覚も横綱級のしろもの。それに、何と軽いことか。このセットは、祖母の煌びやかな娘時代から大正を経て、太平洋戦争の東京大空襲の中を通って来た曰く付きのもの。私がカリフォルニアで受け継いだ時はセットの一つがなかったので、「どうしたの?」と母に聞いたら「キンピラをつくってご近所の方にさしあげたのが、かえってこないまま」と、無頓着であった。実に母らしい。 黒の塗りのお椀とサラダボールセットを持っているのだが、これは戦後私がアメリカに嫁いで、久しぶりに里帰りした昭和40年代に京都に行ったときに漆塗りの老舗で買ったもの。日本にいたら月給7千円くらいであったから絶対に手がでなかったが、$1が360円の時代であった。 椰子の葉で編んだ、ランチョンマットは前夫が昭和30年代の独身の時サモアから沢山持ち帰ったもので、重宝している。ツーリスト用に土産屋で売っていたらしい。そりゃそうだろう、当時のサモアの人々はこの生地でつくったござに座って、手で食事をしていたのだから。 次は、左側にある重箱。これは一見「あらすてき」と思っても、良く見るとメラミンで出来ていて、しかも中国製らしい。平成時代に日本にいったとき、友達が、「これ最近できた駅の構内にある安物屋で買ったのだけど、便利だからアメリカ土産にあなたにもあげる」といって、色々なお菓子をいれ、ちりめんの風呂敷で包んでくれたものである。 さて、幾重にも折っているので写真では見えないだろうが、実はテーブルランナーとして、オレンジ色の名古屋帯をつかっている。これは東京の原宿を散策中に道端で中古の着物や帯のたたき売りをしているのにぶつかり、千円で買ったもの。着物など自分で着れっこないので、最初からテーブルランナー用として買ったが、その時の心境は実に複雑なものであった。日本の文化がこのように扱われていた事が悲しかったのと同時に、街中を漫画のキャラクターのような恰好をして歩いていた茶髪の日本人の若者達をみたらもっと悲しくなった。ところが、さらに驚いたのは見るからにヨーロッパやアメリカの若い子達も、そういう恰好で歩いていた事だった。ま、名古屋帯をテーブルランナーにしようという私だって茶髪の彼等と変わりはないと思いなおした。これが時代の進化というものだろう。 四角の朱色のお皿は、ウォルマートで買った安物だが、お重箱の色にもマッチするので好きである。そして、何と言っても決め手は真ん中の鏡餅!よう!出ました!(パン!と、扇子で膝をたたく) これは、令和にはいってから和食材をうってるスーパーで買った、吹けば飛ぶようなプラスチックと紙でできていて、この中に沢山の切り餅が入っていたので、デコレーション用に保存してあったのだ。 このように、由緒ある重箱もペラペラのプラスティックの鏡餅も、名古屋帯も、ウォルマートのお皿も私の一部であり、日本語と英語で話しながら生きて来た私の人生が、この写真につまっている。「知らず知らず、幾つもの時代を生きて来た」これからも川の流れに逆らわず、やがて大海にでてゆく人生。これでいいんだよ、と自分に言い聞かせ。「そのままを受け入れ人生をまっとうしよう」と言うのが、今年の新年の抱負である。
2022.12.31
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メリークリスマス兎に角忙しい日が続いてまして。。。。急に泊り客が来たり、その人に私のヴァンを数日貸してあげたり、合唱団のクリスマス会があったり、もう、てんてこ舞い。今日はこちらは、クリスマスイブで、「楽天ブログから遠ざかってるな」と気づいて、ちょいと、やってきました。暇ができたらまた書きますが、写真日記さえいれるひまないのです。80歳も終わりに近づいてるのに、ン?何このいそがしさ?って感じです。一応、上にかいた、泊り客が写真家なので、我々の写真をとってもらい、これをクリスマスカードの代わりにします。今年で25回目の二人のクリスマス。私80、夫70. 二人共、頬も首もたるんできてますけどね、いいんですそんなこと。で、今日はイブですからこれから明日の下ごしらえしたり、息子もやってくるので、今夜はうな重をつくろうとか、色々頭の中は混乱してますので、ごあいさつだけね。皆様も、よいクリスマスをお迎えくださいね。 25年前 現在。二日前の我々です。
2022.12.25
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なんだか、やたらと時が過ぎるのが速いように感じられるのは、私自身がだんだんスローになってきてる可能性がありますね。考えてみると、若い頃なら、あれと、これと、それも、ついでにこれも、と一日に全部詰め込んでもケロリとしていたのに、80を越えてからというもの一つのベッドシーツを取り換えるだけでも、時間がかかり、一休みなどしてると、昼寝しちゃったりね。で、夕食を食べるころ「今日は一日なにしたのだろう?」と考えると、ベッドシーツをかえただけだったり。 まさか、こうなるとは思ってなかった事が実際におきてるんですよ。これが、年とるっていうことなんだなあ。 ま、今日はそんな話ではなく、うわ~ッという話を書くつもりだったんだ。ちょとまってください。写真をさがすので・・・・・はい、これがアニメ監督の娘でJun Falkensteinと言います。今回はアニメ監督ベストとして、エミー賞を受賞しましたよ。去年もピーボディ賞をもらったけど、コロナでリモートオンラインの授賞式で、実際の盾は配達されたので、感激感も少なくて、つまらなかったらしいです。今回は、実際の会場に、テレビ関係の人、俳優達も含めてが集まるわけで、がぜん雰囲気がちがって、有名人に囲まれ慣れてる娘でも興奮したようです。とくに、ベスト監督ノミネートされた人の名前を発表した時は頭に血がのぼってきて、「そして…賞は・・・」と、自分の名前を呼ばれたときは、頭の中が真っ白になった。。。といってました。でも、一応受賞の挨拶をタイプしたものを用意してあったから、それを読んだだけだったけど、夢の中でぼわ~んとしてる間に終わっていたそうです。「これで、やっとハリウッドのパワーグループの一員になった」と言ってたから、可なりの名誉らしいですよ。考えてみたらもうこの世界にはいって30年のベテラン監督です。 監督の90%がところは、仕事がはいらなかったり、昇格しないで、やめていくらしいです。特に女性には大変な職業です。でも、好きでやってるので、苦労とは思わないそうです。日本では、パンダのしずか。。。という題らしいですが、原作者Jon J Muthといってフランスの作家、アップルTVでみられます。これは、穏やかで、道徳があって、真実を語る禅僧のようなパンダのしずかと、子供達とのやりとりを、娘のビジョンでまとめてあるので、かなり日本的なシーンが沢山でてきます、喜怒哀楽は、誰にでもあるんだよ、生きてるものは死ぬんだよ、やって見なきゃわからないんだよ、嘘ついちゃだめだよ。。。みたいな、私がならった子供時代に戻った感じの世界の話で、今の世界に欠けている何かを教えてくれるシリーズです。去年もベスト監督賞をとったのですが、ゴールディハーンがいってたように、「今の忙しい世界、自分本気な世界に必要なアニメ。とっても平和になるアニメ」です。お孫さんがいらっしゃる方、ご一緒にどうぞごらんください。
2022.12.12
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昭和育ちの方は覚えていらっしゃるとおもうが、日本には子供のラジオ番組が沢山あった。「♬みどりの丘の、あかい~やね~。とんがり帽子の時計台♩♬~!」この歌が始まると、小学生だった私はラジオにぴったり寄り添って動かなかった。当時、一般市民がニュースをいち早くしるのはラジオが主であった。ラジオ体操というのもあって、夏休みの早朝にはオーシャンフロントにあった我が借家と海の間に出来た堤防に近所の老若男女が集まり、母がラジオのボリュームをあげると、一斉に体操をはじめた記憶がある。 大人向け番組には、ニュース、政治解説の他に、落語、クラシック、連続小説、二十の扉、歌謡曲などがあり、子供向けには、お話しの時間、唄のおばさんなどがあった。その大人の連続小説に、菊田一夫脚本の『君の名は』というのがあって、時間になると全国のお風呂屋の女湯が空っぽになると言われるくらい人気があり、マセ子だった私もその時間が待ち遠しかった。母などは、編み物や繕い物をしながら聞いていた。 余談になるが、ずっと後に南カリフォルニに住むようになったとき、この『君の名は』で真知子巻きを考え出した人の娘さんの家に夕食によばれカレーライスを御馳走になった事がある。たかが、カレーライスというなかれ、彼女のその出し方が素敵だったので覚えている。カレーを真ん中において、周りをレーズン、ナッツ、ピクルス、マンゴーチャットニ~の数々をいれた息子さんの手作り陶器で囲んであり、各自がご飯の上に好きな物をのせるようになっていた。その陶器繋がりで彼女に出会ったのだが、後にも先にもそれ切りだったので、申し訳ない事にお名前も忘れてしまったが壁には彼女の母親が撮影中の佐田啓二の春樹と、岸恵子の真知子と一緒にうつってる写真が何枚か、かざってあった。彼女自身は、自宅で注文の洋服を縫って暮らしていたが、「母が、あの映画の衣装係で、ロケの時さむかったので岸さんに、ショールをあのように巻いてもらった事からはじまって・・・」と話してくれた。 話を元に戻すと、私は小学生時代から落語が好きで、その時間になるとラジオにかじりついて、丸暗記するまで何回でも聞き、「落語家になるんだ!」といったが、「バカ、何を言うか!あれは女の職業ではない」と父に言われがっかりしたのを覚えている。それで、次は笠置シズコ、江利チエミとか、美空ひばりとかの物まねをして、「私は歌手になるんだ!」というと、「そんな下品な声だすな」と、また父から叱られた。小学生に下品だとか上品だとか言われたって分かりっこない。ちなみに、両親はクラシック音楽を聴いていたから、オペラの蝶々さんの『ある晴れた日』も真似したが、その時は叱られなかった。 大人になって外国語が分かるようになったとき考えたが、歌謡曲、演歌、オペラ、ラテン系、シャンソン、フォーク、ハワイアンでも歌詞の内容の多くは失恋とか、惚れたとか、恨みつらみ、祈りとか人間の生活の一部や感情を歌にしてるわけだから、上品も下品もない。音楽とは音を楽しむという意味であるから歌いたい曲を歌えばよいのだと思ってる。 アメリカに来たばかりの頃は、英語がよく分からなかったからテレビは観ても、ラジオでは音楽ばかり聴いていた。それが、いつの間にか車を運転しながら、ラジオのニュースに向かって文句をいったり、コメディーに爆笑したりしている自分になっているから驚きである。 視覚と聴覚をつかうテレビとちがって、ラジオの場合は聴覚だけを要するので想像力をかきたててくれる。連続ものは話にでてくるキャラクターの名前や声や筋書きを覚えてなければならないために、きちんと聞いているから、記憶力も増す筈である。 そして、日本のラジオの思い出で忘れられないのは、大晦日の『紅白歌合戦』。これを聴かずに年は明けないと言われたくらい全国民の一部となっていたが、昭和30年代にはラジオとテレビで同時放映されるようになった。最近はアメリカでも日本と同時にみられるらしいが、60年近く日本を離れていると、歌手など知らない人ばかりなので、いつの間にか見なくなってしまった。 更に、ハイテクの進化とともに我々の脳も進化していて、大きなスクリーンのテレビが一階と二階と二つもあるのに、近頃ではテレビもあまりみなくなった。絵描きの夫は、アトリエではラジオをつけっぱなしだし、そうでなければ本を読み、私もラジオを聞きながらパソコンでエッセイや本を書いているし、さもなくば携帯でネット・ニュースのハイライトや、講義や音楽を『聴く』ようになっている。何のことはない、二人共シニアになって子供時代のラジオの感覚に逆戻り、とても平和である。
2022.12.09
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茶に浮かすレモン一切れ目を瞑り香り楽しむ亡き母のごとlike her late mother (5syllables)she slides a slice of lemon (7 syllables)into the black tea (5 syllables)inhales steaming aroma (7 syllables)while gently closes her eyes (7 syllables)Enjoy the syllable game while expressing your visible and invisible observation.That is Tanka.
2022.12.02
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