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闘牛の牛は、闘志満々で、頭が良くて、健康で、強くなくてはならない。そういう牛を見抜いて育てるファームの見学に行くことになった。ロンダの宿を出て直接行くので、グレッグのように行きたくない人も否応なしにバスで行くことになった。 田舎道をでると、ちょっとしゃれた郊外になって、左右に牧場のようなものがでてきて、ゲートが見えて来た。ゲートで、中年の女性が手を振ってまっていて、バスを降りたハビエルをハグし、キスして、スペイン語で会話してから、我々をみて「ウェルカム」と英語で言った。 その英語が堪能なガイドは、まず、闘牛場でバンディネロが乗る馬のトレーニングをしている円形の馬場に案内し、馬が円をかいて走り回るのを暫くみせてから、こじんまりした展示場にはいると、マタドール(闘牛士)の写真とか、衣装が飾ってあった。 有名なマタドールになると、ロックスター並みの扱いになり収入も、ファンもぐんと増え、将来の嫁さん候補もよりどりみどりになるので、マタドールにあこがれる男の子は後を絶たないらしい。ちなみに、貴族から求婚される事もあるそうな。 (牛のいる所では、バスからおりなかった)牧場には沢山の樫の木が生えていて、広い牧場には牛が放し飼いになっている。どんぐりが筋肉隆々の牛をそだてあげるのだそうだ。そして、牛の世界でも代々チャンピオンの闘牛を生み出した種牛を大事に扱うらしい。そして、候補の牛は闘牛場でマタドールに殺されるために健康かつ強くなるように育てられるわけで、なんとも悲しい性ではある。とは言え、闘牛にならない牛も肉として売られていくのだから、どのみち悲しい運命である。 ある日突然グレッグが、「四つ足動物を食べるのをやめよう」といいだしてから、一年たつ。彼は簡単にいうけど、料理する私は結構メニューにあたまをつかう。前にも一年くらいやめたことがあるが、人の家に招待されたときとか。メキシコの屋台では良いことにしようとか、いつの間にか食べていたのを又やめたのだった。勿論、このスペイン旅行中も食べて良いことにした。いい加減な二人である。(笑) バスで牧場を一回りしてゲートの所に戻ると、ここの持ち主が現れた。ガイドの女性が「元、有名なマタドールで、リタイアしてからこの牧場をてにいれ、闘牛の飼育をしているんです」といって紹介し、質疑応答の時間になった。最初に入った展示場の闘牛士の写真や衣装は、彼のものであった。穏やかで、にこやかな牧場のおじさん風なこの人が、かつてはリングに入ると凛々しく変身したマタドールだったとは! 更に、最初に馬のトレーニングをしていた人も、その馬とツアーバスまでさよならを言いにでてきた。 バスに乗ったらハビエルが、「彼は超有名になって、伯爵の娘さんと結婚して豪邸にすんでます。」といった。つまり、中には貴族と結婚するマタドールもいるというのは、彼の事であった。
2022.06.30
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我々のバスは荒野の細い道にはいったので、ターンするためかと思っていたのだが、そうではないらしい。どんどん狭くなって対向車が来たら、どちらかがバックしなければならないような道になっても、走って行った。農家が数キロごとにポツンとたっていて、バスの左右を木の枝がガリガリこするくらいの狭い所も時々あった。 腰を痛めているので、私はバスの一番前、つまりハビエルの後ろに座っていたのだが、そんな状態の所を曲がろうとしたので、「え?」と自然に声をもらしたら、ハビエルがマイクロフォンをとって、「皆さんも、一体どこにいくのかと思うでしょう?僕もトレーニングの時に会社の人に連れられてきた時は、運転手が間違えたのだと思ったくらいです。もうじきつきますよ」といって、数分した時、急に眼の前に広場があらわれ、大きな門が出て来て、バスはそのゲートの前で停まった。 荷をもってゲートをくぐると、豪邸があらわれた。その昔、スペインの豪農が持っていた家をドイツ人が買ってモダンに改築し20室くらいの寝室のあるプライベート・ホテルとして、一部屋、一部屋が大きく、どの部屋にも素敵な眺めがみられる窓がついていた。 バーは、Honor systemといって、ノートブックが置いてあって、正直に自分の飲んだものを書いておくと、チェックアウトするときに加算されてくる仕組みになっている。応接間も、バーも私の裕福な友達の家に行ったようなフレンドリーで、いつまでも座っていたいような安楽さがあった。おどろいたのは庭で、公園のように広く、公園のようにきちんと木のなまえが表示されていて、整頓されていた。野菜や果物も自家製である。 オリーブ畑が続いているが、それもこのホテルの持ち物で、そこで自家製のオリーブ油をつくって売っていたのでチェックアウトの時に買った。 ここでの、夕食もアルハンブラ宮殿を見ながらのグラナダの夕食に負けないほど、エレガントであったが、なんか心が洗われるような平和なイメージであった。従業員は数人で、フロントから、ウェイトレスから、メイドから、全部やっているようで、とてもフレンドり―で、温かい人達だった。
2022.06.28
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Go with flow (流れのままに)の人生なんですが、面白い事になってきました。これで、今年4回目の講座です。ぼけてはいられませぬ。皆の衆、80過ぎの人生もあきらめてはなりませぬぞ!
2022.06.28
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今夜25日(ロス・タイム土曜の夜6時半)日本は明日朝10時半Zoomでお会いできますか。 私は、正夢、予知夢、教えなど、子供のころから色んな夢をみます。この日は、「Happy介護」25章の「夢」の話をもう少し詳しく、お話ししてみようと思っています。皆さまのおいでをお待ちしております。ZoomミーティングID 864 7039 6946セキュリティパスコード 12345招待リンクhttps://us02web.zoom.us/j/86470396946...弘子(Happy 介護)のご購入は、日本のアマゾンでどうぞ。アメリカの場合は 8pkaigo@gmail.comでおしらせください
2022.06.26
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私の所属するOCFC (Orange County Friendship Chor)は、久々に田中ファームで歌ってきました。これは、東北大震災のチャリティー・ショーで、あの震災後から毎年つづけているのですよ。田中さんという日本人が明治時代に移民して、いまでは三世が経営してるのだとおもいますが、巨大な農場なのです。イチゴを自分でとったり、収穫祭りにはパンプキンをえらんだり、いろんな行事がありますが、6月には、Walk the Farmというイベントで、この日の収入の何パーセントかを、東北の復興に寄付するのです。二年間がまんしていた、会員達が、やっと里帰りできるようになったので、次々と、日本にいくわけで、この日に何人あつまるかなあと、心配していましたが、三部合唱が歌えるだけの人数があつまってほっとしました。
2022.06.24
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動物愛護家のグレッグとは、絶対に一緒に行きたくない場所に行くことになった。闘牛場である。スペインの闘牛といえば、日本の相撲にもひってきする国技として古い歴史がある。グラナダからバスで3時間走って、お昼ごろロンダに着き、街中で全員降ろされたので、否応なしの見学であった。「まず、ここから真っすぐ300メートル位行ったところに、素晴らしいGorge(峡谷)がありますから、是非みておいてください。足の丈夫な人は下までおりる階段もありますよ。ここを右にいくと、見晴台のある公園があります。お昼過ぎまで自由行動ですが、午後、この闘牛場の見学をしますから、1時にこの闘牛の銅像の前に集合してください」とハビエルがいって、自由行動になった。 ちなみに、その銅像は有名な闘牛の等身大だというから、巨大な牛だったのだ。こんなジャイアンツに角を突き付けられたら即死であろうから、闘牛士も必死だっただろう。「牛が勝つこともありますか」と聞いたら「歴史上、怪我をした人が多いけど死んだのは一人だけです」といった。また、「死んだ牛はどうなるのですか」と聞いたら、「全部、無駄なく肉も皮も消費されます」とのこと。 先ずは峡谷を見に行った。グレッグは「わ~!」と驚いていたが、私は、グランドキャニオン、ザイオン、キャニオン・ドシェーなどに、何度もいってるので、!大したことはないと内心思ったが、一緒に、「わ~!」といって、写真をとった。彼は、アメリカ生まれなのに、アメリカを旅していないのである。だから、雪が降るのも初めて見て興奮したり、この峡谷でも目を回しそうだといった。 考えてみたら、かえって外国からアメリカに来た人の方がアメリカを旅行してるのだとおもう。そういえば、ハワイに住んでいた頃、地元の仕事仲間のなかで、オアフ中を見て回り、ハワイ、マウイ、カウアイをしってたのは、私だけだったのを思い出した。皆、ラスベガスやディズニーランド、ハリウッドはしっていても、オアフ島の滝の数々を知らなかったし、横浜ベイも行った事がない人ばかりであった。こういうのを『灯台下暗し』というのだろう。 渓谷をみて、街中を散歩したあとに、レストランで食事をした。現金があまりなかったので、カードの使えるのを確かめてから椅子に座り、二人でのんびりと昼食をとり、トイレに行ったら、トイレのドアが開かなくなって、内側からドンドンたたいて、外側から開けてもらうというハプニングがあった。古い建物には、こういうことがままある。 闘牛場の見学は、私が懸念していたのに反して、「闘牛そのものをみるわけでないから」と、グレッグも皆と行動をともに観客席5000という大リングの見学をした。娘も絶対に来ない場所であるが、私は良くも悪くも、一応この国の歴史の一部であるからみておきたかった。ハビエルは、「闘牛に反対する人も多いのはよくわかってますが・・・僕自身、牛がじわじわと殺されるのは嫌いですが・・・」と前置きして「サッカーと同じく国民がこぞって興奮する国技のひとつなので・・・」とツーリストの中での反対者の気持ちも考慮して、言葉を選んで控えめに説明してくれたが、「夏休みに娘を連れて行くことになってます」と、プライドを隠しきれないのも伝わって来た。 牛がここをとおって、リングにでるのである。
2022.06.23
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アルハンブラと聞くと、先ず思いうかべるのは、私の大好きなフランシスコ・タレガ作のクラシック・ギター、Recuerdos de la Alhambra (アルハンブラ宮殿の思い出)。これは何十年、何度聴いても飽きない。その宮殿に行くことになったのだから、朝からわくわくしていた。 今日のガイドはアラブ系ドイツ人で、ドイツ語、英語、スペイン語とアラブ語を話せる人だった。「アルハンブラって、どういう意味?」ときいたら、「赤という意味ですが、つまり、この宮殿の壁の色です」といった。薄いレンガ色みたいな色を言うらしい。 (アルハンブラは、この壁の色の事) 時節がら、セキュリティーが激しく、パスポート、コロナのワクチン済カードのコピーをされ、荷物の中身を調べられてグループの入口からはいった。余談だが、グループ・ツアーの長所は、1時間くらいかかる行列の時にでも、別の入口から早めにいれてくれる事である。ガイドと一緒に短時間で回るからだと思う。早く入場できる替わりに、長くいたい場所でも、すぐ動かなければならないことはあるが、このガイドはその辺を良く心得ていて、次のミーティングポイントを教えてくれたら、自分のスピードで回れホテルまで自由行動だったので、時間的にはゆったりと見学できた。 いつも思うのだが、エジプトやメキシコのピラミッドにせよ、奈良の法隆寺にせよ、中国の万里の長城にせよ、原始的な道具で100%手作りのしかも千年以上たっても残っている物件を作り出した昔の人間の英知には尊敬とか凄いとかいう表現以上の何か神秘的なものを感ずる。設計者のクリエティビティーは無論の事、細かい計算をするエンジニア、無限に近い経済力のある権力者、そしてその下ではたらく万という奴隷とか労働者、そして、その木工技術の繊細且つ正確なことには脱帽である。気の遠くなるような忍耐力をもった人間達の事、沢山の事故死や大けがをした人々のエネルギーの集まりを、写真をとりながら考えていた。今のインスタント・グラティフィケーションの時代では考えられない歴史である。 砂漠地方では水が何よりも貴重であるから、水をふんだんに使うという事は、権力の象徴であり、それを示すがごとく、広大な敷地には沢山の池や、噴水、休みなく流れる水路がある。いくら王族にしても13世紀の砂漠地帯では無理な話、スペインだったから出来たことである。 上にも述べたように、まるでレースのように、やわらかにみえる壁は全部、大理石のような石であるとわかって驚愕したことは、トレドのユダヤ教殿堂の話に書いたが、ここでは建物の内外の壁だけでなく天井にまで及び、その面積はトレドのユダヤ教会堂でみたもの数百倍もあった。 メインの宮殿から離宮にいくと、風通しがよく寒いくらいであった。良くできたもので、ここは夏用につくったそうで、宮殿は半袖でも良いくらいだったのに、離宮は4月の末でもセーターやジャケットが必要であった。広大な敷地には今でも果物の木や野菜を栽培しており、その昔も恐らく食べ物は豊富であったろうと想像する。 沢山オレンジのような実をつけた木が何百本とあって、これは食用なのか聞いたら、まずくて食べられないのだそうだ。というか、皮をマーマレードにするくらいだといったが、その昔は、別の果物の木だったのかもしれない。 メインの宮殿も、離宮もドアが殆どなかったが、これは観光客に見せるために全部はずしたのだろうが、もしそのままあったとしたら、外側の廊下は明るくても、部屋はまっくらであったろう。明かりを入れるためにドアをあけたなら、かなり寒かっただろとか、いや、以外に中庭をふんだんにつかって、食事をしたり、客の接待などもしたかもしれないとか、色々想像を楽しんだ。 ・・・・さて、先ほどからヘッドフォーンでくりかえし聴いている「アルハンブラの宮殿の思い出」を、そろそろオフにしよう。
2022.06.22
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ミゲール・サルバンテスは17世紀のスペインの劇作家で、ドン・キホーテ、シリーズは何か国語にも訳されて世界の多くの人達をたのしませてくれた・・・というか、未だに進行形で、楽しませてくれている。 お恥ずかしながら、私はその本を全部読んだことがないが、ドン・キホーテは架空の人物であり、物語の中では下級の貴族で、サンチョ・パンサという家来をつれて馬にのって旅をするという設定になってるのは知っている。その中に風車と戦うエピソードも出て来るが、今日はその舞台となったラ・マンチャ地方の風の強い丘の上に行ってきた。どの風車も回らないように、全部針金でとめてあったのは、きっとけが人を出さないためだと思う。 その丘の上で、また酒盛りのランチ。今回は、グレッグやロレーン用にコカ・コーラも用意してあったが、物凄い風でナプキンも紙コップもとばされそうであった。また、ワイン、パン、チーズ、サラミであった。朝食は、ワインの替わりにジュースかコーヒーだが、パン、チーズ、サラミ、果物で、もう今朝たべたばかり。 グラナダのホテルに荷を下ろして、シャワーを浴び、今夜は、アルハンブラ宮殿と夕陽をみながらの特別なディナーだというので、ちょっと気取った恰好をして待機していた。アルハンブラは13世紀頃アラブの王族が建設したもので、この辺にはアラブ系の人がすんでいて、ホテルのすぐそばは、アラブ系の人が経営する店がずらりと並んでいた。 今夜行くレストランは、普通の豪邸の一階をレストランにしてあり、経営者は二階にすんでいるので、予約は必修。メニューの予約も二日前からいれておくようで、バスの中で、ハビエルがその説明をし、「三つのチョイスがあります」といって、全員予約をしたので、何がでるか分かっていた。つまり必要分だけの食材を用意しておくわけで、これは無駄をださない利口なやり方である。 出かける前になって、小雨が降り出し、可なり急な坂を上る事になっていたので、私達四人はタクシーにのった。タクシーはぐるぐると、狭く、急な石の坂をあちこちまがったので、皆で顔を見合わせて「歩いたら、1時間はかかるね」と言ったのだが、徒歩の人達は我々より先についていた。つまり、丘を直接階段で縦に上るなら、すぐの場所であったが、可なり急な坂であった。 「タクシー、私がはらって、領収書をもらうから先に行ってて」といったら、皆消えてしまい、領収書をもらって後ろをむいたら誰もいなかった。御屋敷町で、豪邸ばかりでひっそりしてる。さて、どの家なのだかわからず、あちこち歩いていたら、小雨が中雨くらいになってきたが傘は先に降りた人に渡してしまったし、屋根もないので、せめて大木の下をえらんだが、ぼたぼたと水が落ちてくる。 二人の女性が歩いて来たので捕まえて、聞いてみたが彼女達もツーリストだという。それでも親切にトマト・レストランというのをネットで調べてくれたら、谷の反対側を一山超えたところにある。というのだ。絶対にそんなことはないが、お礼をいって、知らないところを歩くより、タクシーを降りた所で待ってる事にしたら、めかした服もびしょ濡れになったころ、グレッグが心配気にでてきた。なんと、私はその門の前でまっていたのだった。大きな花園をとおり、絶景のテラスをぬけて、ダイニングルームに入っていくと、もうワインをのんでいた。谷をはさんで、向かい側にアルハンブラ宮殿がみえ、暗くなったら、ライトアップでくっきり浮かび上がってきて、とてもよい雰囲気であった。今夜のディナーは今回の旅で一番豪華であった。 これは、鹿の肉のシチューで、牛肉とあまりかわらなかった。 谷の向こうにみえるおが、アルハンブラ宮殿である。
2022.06.21
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父の日を祝う今年の2月で、私は80才になった。毎年、母の日は祝っていても、父の日は忘れがちであった。ひとつには、父は、私がうまれて、すぐに戦争に行ってしまったわけで、戦地から心身ともにボロボロになって帰国したころ、私は3才になっていたこともあって、父というより、知らないやせこけた叔父さんであったから、「これが、お父様よ」と母にいわれても、こわくて母の背中にかくれてしまったくらいで、父にしてみたらショックであり、可愛げのない子だったであろうと思う。父にしてみれば、その後うまれた私の弟や妹が可愛かったに違いない。今にして思えば、PTSD (戦争のトラウマ)も手伝って、物凄い酒乱になり、子供としては、酔っ払った父の思い出の方が多いのだが、素面の時の父は、本当に、なんでもできるスーパーマンであった。学校でも成績は一番うえだったらしく、兎に角数学、科学、国語、英語など私の学校の先生より出来たと思う。海軍中佐であったから、天気の予報の仕方、潮の流れ、星の位置をコンパスで計って、航海する方法などを教えてくれた。もうほとんど忘れてしまったが、潮の流れを馬鹿にしてはいけないこと、つまり表面が穏やかでも、海流はちがう方向に向かってる事もある、あれ海でも、安全に泳いで岸に戻る方法もある。。。。というのは、実際に体験して、助かっていて、「Happy 介護」にも、その考え方を人生に当てはめて書いた章がある。戦後の物資難時代でも、大工道具があれば、ベッド、ダイニングセット、寝椅子、ベンチなど、次々につくっていた。電気の故障も直し、井戸のポンプが壊れると、「空気がもれないように、ここにゴムをとりつけるんだよ」とその理由も教えてくれたので、電気、水道など自分でも直せるようになっていたことが、結婚後も前夫と基礎から家を建てるのに役立った。人間はネガティブな事のほうをよく覚えているので、酒乱のイメージの父の方が大きかったのだが、数年前に英語で短歌の本を書いているうちに、父の事がかわいそうになって来ていた。「今にわかるよ」と言ってた言葉が、頭を横切り、その日から父の良い方を見るようになった。上流家庭に育ち、「xxxxさんは、えらい、えらい。あなたは出世しますよ」と、実母にほめられて、家族の皆からも大いに期待されていただけに、負け戦で、夢が全部潰れてしまった時にめちゃめちゃになってしまった、と思ったのだろう。今のように、精神医もふんだんになく、アル中は病気だという扱いはしない時代であったから、自分でコントロールするしかなかったのだろう。我が家にいた、お手伝いさんと再婚して、素面になったり、また飲んだりの繰り返しであったらしいが、戦争さえなかったら。。。。と考えると実に不運な人であったと思うと同時に、この歳になってやっと父の悩みがよくわかってきた。15年位、音信不通になっていたのに、ある晩父が夢に現れて「なかなおりしようよ」と、床に横たわったまま手を差し伸べて、私と握手をしたのだが、その朝起きて、手にまだその感覚が残っていた時に、妹経由でもらった住所に15年降りで子供二人の写真をいれた手紙を速達でだした。翌週に、異母姉妹から速達がきた、「父はxx日にひろこ。ゆるしてくれといいながら、しにました」と書いてあった。私は父の死を同時に夢でみていたのである。(下の部分んがぬけていたので、追加します)その時に、父と私の強いスピリットの繋がりを感じ、全てを許した。スピリチュアルな人は「死に花をさかせる」とか「なかなおり」をするらしいが、父と私はその「なかなおり」をしたのである。今では、すんなりと父の日に感謝の心を届けている。 父の父、私の祖父は東郷平八郎の従兄弟です。
2022.06.20
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https://www.facebook.com/events/2285994908217220 皆さん今日は。今月25日(ロス・タイム土曜の夜6時半)26日日本時間日曜の朝10時半)Zoomでお会いできますか。 私は、正夢、予知夢、教えなど、子供のころから色んな夢をみます。この日は、「Happy介護」25章の「夢」の話をもう少し詳しく、お話ししてみようと思っています。皆さまのおいでをお待ちしております。ミーティングのインフォメーションはリンクの下の方にあります。弘子(ご購入は、日本のアマゾンでどうぞ。アメリカの場合は 8pkaigo@gmail.comでおしらせください)
2022.06.16
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スペイン紀行・9 なんだかなぁ~の日 京都のお寺の数ほどではなくても、兎に角スペインはカテドラルだらけ。しかも、莫大な経費と何十年という時間をかけて、パワーを象徴するごとくキンキラキンの彫刻やら、気が遠くなりそうに細かい細工のデコレーションが延々とつづき、素晴らしいと思う一方、一体何百万人という労働者の血と汗をながしたのだろうかと考えると息がつまりそうで、はやく建物から出たくなるという複雑な心境になることが多い。 得にスペインで一番大きいといわれるゴシックの殿堂は、まるで教会の中にいくつもの個別の教会があるような感じで、一つ一つの柵のなかにキリストやらマリアやらの偶像、祭壇があったり、パイプオルガンまである。「これら、全部のパイプオルガンを一度にひいたら爆音で建物が割れそうね」とグレッグにささやいたくらい、沢山のパイプオルガンがあった。凝りにこっていたのは、天井に大きな穴が開いており、上から銅像達が見下ろしていて、何だろうと思ったら、ある時間になると太陽光線がキリスト像にパーッと降りそそがれるように計算してあるとか。信者獲得のための、アトラクションだったのだろうかもしれないけど、ご苦労様なことだと、勝ってに考えていた。(写真は一つ前の#8にあります) 「ここからは、自由行動です。ホテルは、こっちの方向。では、今夜は特別なディナー・パーティーをやりますからロビーで8時にあいましょう」とハビエルがいったので、やっと殿堂から出られることになって、ほっとした。 「先ずは、腹ごしらえだね。絶対にタパスもサラミにチーズもいやだ」というグレッグに賛成し、レストランの散策をしはじめたら、10人くらいがついて来て、一緒のレストランに入った。ウェイトレスが「お飲み物は?」と聞いたので、アイスティーがあるかきいたら、聞いたことがないというので、「じゃ普通のホットでいい」と言ったら、気をきかせてポットに紅茶がはいったものと、ティーカップにアイス・キューブを入れたものを持ってきたので、可笑しくなって「パーフェクト!」と笑ったら、安心した顔がいかにも可愛らしかったので、彼女の親切に「グラシアス」とチップをあげた。(ヨーロッパではチップは要りません) レストランをでて、ホテルまでウィンドウショッピングを楽しみ、ちいさなユダヤ教会堂をちょっと覗いたときに、レースのような模様の壁に感激したのだが、それは次の目的地グラナダのアルハンブラ宮殿に行く前の単なる予行練習ならぬ予行感激(こんな言葉はないです)であった。つまり、この教会堂の比ではないものを見る事になる。 夜8時に、ちょっとめかしてロビーに行ってまってると、ハビエルが忙しそうに重そうな袋を抱えて、数回往復し、暫くすると後ろ手でドアを閉め、まるで秘密の国にいくように声をひそめて話をしはじめた。「階段は狭く、暗く、数百年前の昔つくったので階段の幅も均一でないから、しっかりレールを握ってゆっくり降りてください」といって、支配人室と書いたドアをあけると、何年も使ったことのないような物置のような部屋になり、そこから地下に行く階段があった。小さくてもきちんとしたロビーのとなりの部屋だという事が実に奇妙であった。 降りて行くと、こじんまりした部屋がいくつかあって、一番大きな部屋の大きなテーブルに、キャンドル、6本位のワインボトル、ナイフを突き刺した数種類のチーズ、サラミが、乱雑にならべてあり、使い捨てのプラスチック・ワイン・グラスとナプキンがおいてあるだけで、食べ物をのせる紙皿もなかった。周りにベンチがあったので、おしくらまんじゅうのように勝手にすわると、ハビエルが又、おもむろにワイン、チーズ、パン、チョリソの歴史の話をはじめ、ボトルをあけ、皆のカップにそそいで、「では、皆で乾杯をしましょう。ようこそトレドへ。ご自由にどうぞ」といって、自分からチョリソを口にいれ、「うまい!」といった。 グレッグとロレーンも私も飲まないので、水があるかきいたら、ワインしかないと言う。「これが、スペシャル・ディナー・パーティー?」とグレッグの耳元にささやいたら、「昼間、ちゃんとしたレストランで食べといてよかったね。ちょっとだけつまんで、出よう」と同意し、ワイン好きな他のメンバーがわいわい騒いでる間に、そっとでた。。。と思ったら、後ろから、あと3人くらいついてきて、その後ろからも2人ついてきた。だれも何も言わなかったが、恐らく皆同じ思いだったと思う。なぜなら、どこかに食べに行こう、と話していたからだった。なんとなく、狐につままれたような、不思議な夜であった。
2022.06.13
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2月に書いた短歌、英訳の時間がなくてやっと今日、典穂さんの写した写真にぴったりなのでのせます。I've written this TANKA in February but I didn't have time to translate into English until today. 遥かなる八十路の旅を返りみて思えば全て遠くて近し I have accomplishedeighty bends of adventurelife fascinates meseems it took too long and yeteverything passed in a flash02/28/2022
2022.06.07
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本音と建て前・へつらい 遠慮なく言わせていただくと、私は『本音と建前』は嫌いだし、『日本式奥ゆかしさ』も持ち合わせていない。「お口にあいますかどうか存じませんが、どうぞ」というのと、「不味いものですがどうぞ」というチョイスがあるなら、私は前者をとる。「ほんの一口ですが、どうぞ」に対して「何もありませんが、どうぞ」の場合も前者をとる。 実はこの件で、最近日本人の男性と会話をした。「これ(後者の例)、英語に直訳すると大変なことになるわね」と言った私に、「あのねぇ、ひろこさん、これは日本人の奥ゆかしさなんだよ。相手を敬った口のききかたで、我が家には貴方のような方の、お口にめすようなものは何もございませんが、とへりくだってる日本の奥ゆかしい風習なんだ」と説明してくれた。勿論わかってはいる。でも私だったら「これ、とっても美味しいから食べてみて」という方が好きである。だから日本には住めないのかもしれない。 へりくだる、と言えば思い出すのは、私がまだ日本からハワイに来たばかりの1960年代の就職活動のころ、面接ではへりくだって控えめでなければならない、出しゃばったり、しったかぶってはいけないという日本の一般社会の常識があったから、「何々はできますか」と質問された時も「あまりできません」とか「少しなら出来ます」と答えていたら、どこも雇ってくれなかった。 毎日「今日も落ちた」という私の事を不審に思ったアメリカ人の友達に説明したら、「そりゃ落ちて当然だよ。アメリカではね、ちょっと出来る事でも、できます!と言わなかったらどこも雇ってくれないよ」と言われたのだった。それで、次の面接を受けた時に、「タイプは?」「できます、1分70~80ワード位打てます」「でも、経験はないのでしょう?」「ありませんけど、頑張りますからチャンスを下さい」といったら、「では明日から来てください」という事になったのである。しかも、いままで受けた会社の数倍も良い収入!ワイキキの一流ホテルのフロントデスクの仕事であった。勿論、就職したからには、それ相応の仕事が出来なければくびになるから、一生懸命にはたらいたが、この時、アメリカでは日本式奥ゆかしさでは生きていかれないのだと学んだ。 『本音と建て前』の話に戻ろう。私がまだ日本にいた昭和時代のはなしであるが、「親戚同様でございます、京都においでになったら、是非是非我が家にお泊り下さい」とフレンドリーな人がいた。実際に、我が家にもよく泊まった人で、『親戚同様』の付き合いをして数年後、京都へいくことになった時、祖母に「〇〇さんに手紙をだしてみたら?」といわれて、「初めての京都で心もとないので、お言葉に甘えて二泊ばかりさせていただけますでしょうか」みたいな内容の丁寧な手紙をだしたのだが、なかなか返事が来なかった。すると、一月以上たった頃、第三者を通して「何とずうずうしい娘だ、我が家へどうぞというのは社交辞令だという事もしらないのか、との事です」と言う返事が返って来たのだった。これには、祖母も母も立腹し「それなら、最初から来いなどといわなきゃいいのに」といい、親戚付き合いはその場で終わった。 考えてみたら我が家系は、父母も祖父母も親戚も本音と建前の嫌いな人ばかりであった。「先生、本当ですか?」などと聞かれると、父は「僕が嘘を言うとでも思ってるのか!」と、よく怒鳴っていたのを覚えている。又お世辞などもいわない家庭だった。それゆえに褒められると最高に嬉しかったものである。 更に「出来ない事を約束してはいけない」「約束した事は守らなければいけない」これは、私が育った家の躾の一つであり、自分の子育てにも口を酸っぱくして繰り返した言葉である。日本人だとか、アメリカ人だとかではなく、人間の道徳として実行してもらいたかったからだ。 かたちは違えども『本音と建て前』はアメリカでも勿論あり、特に政治の世界や競争の激しいエンターテインメントの世界では成功者の足を引っ張ろうとする人が使う手である。若くして監督になった我が娘を嫉妬した元監督の男性に、人前ではお世辞たらたらで娘を褒めたたえていたその裏で足を引っ張るような事をされて酷い目にあった事がある。 娘も息子も世の中の『本音と建て前』をそれぞれに体験して、悔しがったり、鬱気味になったりして成長してきたが、本人達は今だに『正直であれ』『出来ないことは約束するな』『約束は守れ』という私の教えをまもってるようで嬉しい。因みに、娘の足をひっぱったその男性はそれきり二度と監督職についてないが、娘は30年このかた次々と監督職を続けて今に至る。フェイク・ニュースがはびこる今、誠実さの方が長持ちするこの社会、まだ見捨てたものではない。
2022.06.05
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“Holy Toledo!” ツアーバスを降りたとたんに、私は叫んだ!何人かが、くすくすと笑った。アメリカ発音だと、トリードになってしまう。驚きの表現であるとは知っていたが、トレドに関係あるのかどうか、このエッセイを書くにあたって、ネットで調べたら、ビル・キングという、スポーツ・アナウンサーが ”Wow!”という意味で野球の中継中に発言したところから始まったと書いてあって、別に特別な意味はなかった。でもトレドの町を見た途端にその言葉が口をついて出て来たわけで、川の向かい側の山から、Toledoの町全体が一つになって見えた時は、本当に「ワ~オ!」という景色であった。 この町には、エル・グレコの本物の壁画が沢山あるときいていた通り、これでもか、これでもかという数の作品がでてきて、「もう結構です」という感じになる。他の著名な画家でも同じだが、宗教の絵や肖像画が圧倒的に多すぎるのだ、つまり皇族や宗教団体からのコミッションワークであるから、どれを見ても似てるし、画家が描きたくてではなく食べるために描いているからだと思う。だから、どれを見てもだんだん同じに見えてきて、途中で飽きて来る。画家の妻だから知ってるが、「どうぞ、あなたの好きなように描いてください」というのと、「これを、この色で、こういう風に描いてください」という注文付きでは、描いてるエネルギーが全く違うのである。 旅の間、私は毎日フェイスブックに沢山の写真をいれたが、娘から「トレドには、また行きたい。ほら、私の寝室にexcaliburエクスカリバー飾ってあるでしょ?あれは、トレドで買ったのよ」と娘からメッセージが来た。娘は、自分は騎士の生まれ変わりだと言ってるが、鎧とか刀が大好きなので、この町に来た時にも、土産に買って帰ったという。兎に角、10軒に1軒は、刀を売っていた。 中世のヨーロッパは、敵の攻撃から逃れるために、わざと細い道をくねくねとさせたらしいから、迷子になりやすいので、着いたらすぐにホテルの周りの風景の写真を撮っておき、それを目印にして戻って来るようにしている。その点、大きなカテドラルなどがあると良い目印になる。
2022.06.04
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私は楽天ブログを始めてから20年近くになりますが、実際に、日本、カナダ、アメリカでお会いした方々も100人ではきかないでしょう。さらに、ネット上で会話をさせていただいてる方は、何人かわかりません。人生も80年の間に悟ったことは、人と人との繋がりの大切さです。世の中はピタゴラスウィッチのように、これをこうすると、次にこうなる・・・と、繋がって行きます。私がよく、落語の「風が吹くと桶屋がもうかる」の話を例にあげますが、私が北海道に旅したときに乗ったバスで、アメリカの学生とめぐりあったことから、今ここで皆さんとお話しをしてることにつながっていきます。又、17年日本にかえらなかったことから、忘れた日本語を取り戻すつもりで入団した合唱団。そこから地元の日本語月刊誌にエッセイを書く事になり、ひいては「Happy介護」となって出版されることになり、それをお読みになった、中村エミリさんという、2011年にアメリカで起業をたちあげた方に巡り合います。そのエミリさんが、「ヒロコさんをかこんで、日本と、アメリカ、カナダ、メキシコなどをつなげて、楽しむイベントを作りましょう」という事になりました。お時間のおありの方は、どうぞいらしてください。https://fb.me/e/eQwtN9G7xZoom日本時間: 6月26日(日) 朝10:30~ロス時間: 6月25日 (土) 18:30~ミーティングID 864 7039 6946セキュリティパスコード 12345招待リンクhttps://us02web.zoom.us/j/86470396946...
2022.06.03
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