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連休に突入したが、毎日が日曜日の大使にとって・・・・図書館が休みだったりして、特段うれしくもないのだ。今朝から、青森から鹿児島まで新幹線がつながったらしいので、皆さんおおいに利用して景気を盛り上げてほしいものである。ところで、TPPはその後どうなっているのだろう?クリントンさんが来日した際も原発の収束が第一で、もしかしたらTPPの話は出なかったかもしれないが・・・大使はしつこく覚えているのである。アメリカがグローバル資本主義で生き残るには、日本と中国を奴隷のように搾取するしか方策はないはずである。原発が収束したあとには、アメリカはTPPを持ち出してくるだろう。アメリカのTPP対応が今どうなっているか、ウィキペディアで調べてみよう・・・・環太平洋戦略的経済連携協定より2011年3月30日、アメリカ合衆国通商代表部ロナルド・カーク代表はワシントンD.C.での講演会で、2011年東北地方太平洋沖地震の被害への復興や福島第一原子力発電所事故の対処のために日本政府は専念すべきとして、2011年6月までにTPPに参加するかどうかの基本方針決定の先送りを容認すると述べた[40]。・・・とのことで、現状は先送りを容認するとのことである。竹中さんが、次の様に述べているが・・・・竹中平蔵 TPP参加で政権公約も見直せより本来、国家戦略室に各試算を持ち寄り、首相の前で政策論議を行う必要がある。最終的には戦略室の事務局で統一試算を示し、首相決断を仰がなければならない。その際、TPPの推進を機に農業の競争力をいかに高めるか施策を明確にすることも求められよう。 考えてみれば民主党内閣は今、不評のマニフェストを見直す絶好機を迎えていることになる。TPPを軸に、これを強力に推進しようという野党と新たな連立を組む覚悟もあってしかるべきだ。TPPは米国などに歩調を合わせて枠組みに参加すればよい、という性格のものではない。日本の経済社会の枠組みを変える大きなチャンスととらえなければならない。・・・・いくら言論の自由があるとはいえ、こんなミスリードが許されるのか、天誅を加えなあかんな(オイオイ)TPPに反発する攘夷派の大使としては、TPPはすなわち「黒舟」であり、国防のためにも食料自給率を上げる必要性を強く主張したいのである。また、遺伝子組み換えナタネ抜取隊に志願したいと思ったりする大使であるが、四国の片田舎にはGMナタネが生えていないので・・・どうもやる気が空回りするのである。ネットを巡っていたら、「大豆100粒運動」とか「菜の花プロジェクト」などが地道に活動していることがわかったのです。TPPをぶっつぶすには、この際、何にでも首を突っ込む必要があるわけで・・・・これらもなかなかの活動であると思うわけです。菜の花プロジェクトはもともと循環型社会を目指す活動らしいけど、菜の花はチェルノブイリの土壌の除染にも役立っているそうですね。チェルノブイリの被爆区域に菜の花を植えることは日本人が指導したらしいが、今では日本人が逆に指導を仰ぐほど、彼の地に定着しているようです。菜の花プロジェクトネットワーク大豆100粒運動
2011.04.29
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「原発が安い」のは電力会社から見れば本当のようだが、国民から見れば間違っていると言われています。それは、税金を原資とする財政支出や「バックエンド費用」が原発の発電コスト(1キロワット時あたり5.3円)にカウントされていない為のようで・・・・知っている人は知っているいわゆる原発マネーであるが、今回の事故以降は、原発マネーのあり方が問われるのは必至のようです。4/23「原発は安い」は本当かより これまで政府や電力会社は、「原発は安全でクリーン、他の発電方法よりも安く、原発を使用しなければ電力が不足する」などと説明をしてきた。福島第一原発が事故を起こした今、原発が安全だという点への信頼はもろくも崩れ去った。では、喧伝されてきた「原発は安い」は、本当なのだろうか。環境経済学の専門家で立命館大学教授の大島堅一氏と共に、ジャーナリストの武田徹と宮台真司が議論した。 大島氏は、原発の商用利用が始まった1970年以降に原発にかかったコストの実績値を計算した。その結果、「原発が安い」のは電力会社から見れば本当なのだが、われわれ利用者にとっては間違っていると話す。一体どういうことか。 発電にかかるコストとしてよく電力会社が出す数値は、たとえば04年に電気事業者連合会が経産省の審議会に提出した資料では、1キロワット時あたり、水力(揚水発電を除く一般水力)は11.9円、石油10.7円、天然ガス6.2円、石炭5.7円、そして原子力は5.3円としている。これは、稼働率を80%に設定するなど、ある一定の条件を想定して計算した値だ。この数値はあくまでモデル計算の結果であり、本当にかかったコストはこの方法ではわからない。 さらに、われわれ利用者の負担という観点で考える時に重要なのは、「見えないコスト」と「バックエンド費用」だという。「見えないコスト」とは、国からの財政支出だ。技術開発費や立地対策費がエネルギー特別会計の中から支出されるが、電源別に集計されていない交付金もあり、知らない間に原子力にお金が出ている状態が作られていると大島氏は話す。大島氏が集計したところ、1970年~2007年の交付金の約7割が原子力に支出されており、ほとんど「原子力交付金」だということがわかったという。つまり、原発は国の優遇策を受け、必要なコストは国、つまり国民の税金で負担してきた。そのために、電力会社にとっては「原子力は安い」のだと大島氏は言う。 大島氏は1970年~2007年の約40年間について、想定のモデル計算ではなく、実際に発電にかかったコストを、財政支出の国民負担についても合算して計算した。その結果、1キロワット時あたりのコストは、原子力10.68円、火力9.90円、水力7.26円と、原子力はもっとも高かった。 もう一つの「バックエンド費用」とは、原子力特有の使用済み燃料の再処理費などのことで、これは燃料費など発電に必要な費用と共に、電気料金に算入されている。つまり、われわれ利用者が電気料金の中で負担させられている。大島氏は、たとえば使用済み燃料の再処理に11兆円以上が掛けられているが、そこで得られるプルトニウムはウランで購入した場合の9000億円分でしかないなど、バックエンド費用には今の原子力政策が抱える不合理が多々あり、それをわれわれが知らされないまま、原子力を選択してきたのではないかと指摘する。 大島 堅一立命館大学国際関係学部教授ネットを巡っていたら、もっと詳しい「原発の発電コスト」がありました。原発の発電コストより政府・電力会社は原発推進の理由として、その経済性をあげています。ところが、最近公表されて来た核燃料再処理に関する費用などを含めると、原子力発電はむしろ高くつくのではないでしょうか?●隠蔽体質・・・・原発推進データの信用性 「原子力発電は安全でしかも経済的」、政府・電力会社は、原発推進の理由としてことあるごとにそういってきました。なかでも原発の経済性は、これまで原子力推進の最も大きな根拠でした。 しかし、その根拠を支える議論の透明性は確保されているのか、根本的な信用に疑問を抱かせるようなことがまた一つ明らかになりました。 2004年3月参議院予算委員会において,社民党の福島党首の質問に対し,日下資源エネルギー庁長官(当時)は,「日本では(核燃料の)再処理*をしない場合のコストを試算したことはございません」と答弁しました。ところが、7月になって資源エネルギー庁の「ロッカー」から、したはずのない「試算」の資料が出てきたのです。 隠されていた資料は,1994年2月4日の総合エネルギー調査会原子力部会核燃料サイクル及び国際問題作業グループにおける議論用参考資料として、事務局が作成した「核燃料サイクルの経済性試算について」というものです。これによると核燃料再処理のコストは再処理をしないで直接使用済み燃料を処分*する費用の2~4倍という結論でした。●この発電コストに含まれていないそのほかの費用 これまで見てきたとおり、経済産業省(旧通産省)・資源エネルギー庁のコスト試算そのものが、きわめて意図的に数字を操られていますが、実はそれ以外にも、原子力発電には隠されたコストがあります。大きく分けて次の4つの内容については、本来原子力発電を成立させるために必須の費用となっていますので、厳密な意味では原子力発電のコストに含まれるべきものです。 ・電気を捨てる"発電所"・・・揚水式発電所 ・電源三法交付金・・・地元への懐柔策 ・バックエンド費用 ・送電費用●電源三法交付金 いわゆる電源三法とは、1974年6月3日に成立した次の3つの法律をさしています。 ・電源開発促進税法 ・電源開発促進対策特別会計法 ・発電用施設周辺地域整備法 電力会社は販売電力量に応じ、1,000キロワットアワーにつき425円を、電源開発促進税として国に納付しています(電源開発促進税法)。このうち、 190円が電源立地勘定で、235円が電源多様化勘定(2003年10月法改正により「電源利用勘定」に名称変更)となります。2003年予算で、この税の総額は4855億円になります。(電源開発促進税率は、今後段階的に引き下げられる予定。) もちろん最終的にこの税金の負担は、消費者が電力料金に上乗せされて支払っています。 納められた税金は、特別会計に組み込まれ、発電所など関連施設の立地及び周辺市町村に対し交付金などの財源にあてられます(電源開発促進対策特別会計法)。
2011.04.28
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NHK-BSの若冲4夜特集に福岡博士がゲスト出演していました。「若冲の絵が草木国土悉皆成仏(ソウモクコクドシッカイジョウブツ)を彷彿とさせる」だって・・・・福岡博士は自然に寄り添う若冲を評価するが、投資家におもねて自然を塗り替えようとするアメリカ主導の科学がクローズアップされるわけです(大使の場合)博士がカルトがかった一神教の国からカミングアウトしたのも、わかるような気がします。虻に双鶏図(若冲ミラクルワールドより)冗談はさておいて、この本のさわりを紹介します。「動的平衡」福岡伸一著、木楽舎、2009年刊p110~113<現代人の栄養失調> 飽食の時代に生きる現代人は、常時、オーバーカロリーの危険性にさらされることはあっても栄養素が欠乏することはほとんどありえない。それは糖質、タンパク質、脂肪の三大基本栄養素はもちろん、身体が作り出すことのできないビタミンとミネラルでもそうである。 これは毎年、厚生労働省が行う栄養調査でも明らかになっていることで、少なくとも普通の食生活をしている日本人であれば、不足する栄養素は一つとしてない。 逆に、日本人の栄養所要量を数年ごとに定める研究会は、ビタミンやミネラルの摂取上限を策定する作業を進めているくらいである。 つまり、私たちが、どこか身体の調子が悪い、なぜか疲れが取れない、お肌の調子がおかしい、そんなふうに感じた時に「きっとこれは何らかの栄養素が不足しているからだ」と思うのは幻覚なのであり、サプリメエントを欠かさず飲んで、不足がちな栄養素を補うという行為は、栄養障害でもなんでもなく、むしろ脅迫的な神経障害に近いと言える。 栄養所要量は、たとえばカロリーベースなら1日あたり2000キロカロリー、カルシウムなら600ミリグラム、ビタミンAは・・・・・、という具合に定められている。私は先に「普通の食生活をしている日本人であれば、不足する栄養素は一つとしてない」と記した。しかし、この事実の別の一面にまったく無自覚であるというわけではない。 栄養所要量はあくまで「1日あたり」の摂取の目安である。ほとんどの栄養素は程度の差こそあれ貯蔵できる。だから、たとえ多い日、少ない日があったとしても平均してだいたい所要量に見合った摂取が行われている限り、収支は維持されうる。しかし、貯蔵することのできない栄養素であれば?ここに問題の所在がある。 タンパク質は貯蔵できない。なぜならタンパク質(正確に言えばその構成要素であるアミノ酸)の流れ、すなわち動的平衡こそが「生きている」ということと同義語だからである。タンパク質の合成と分解のサイクルはとどめることができず、この回転を維持するために、外部から常にタンパク質の補給をしなければならない。 成人の一日あたりのタンパク質所要量は60グラム(乾燥重量)だ。だから、私たちは何も毎日、血の滴る何百グラムものプライムリブを常食する必要はもちろんない。しかし、一日に60グラムのタンパク質は、身体の代謝回転を駆動するためにいつも必要とされているのである。(中略) 私たちの身体の中でタンパク質の代謝回転が最も早い臓器はどこか?それは膵臓である。膵臓は常時、大量の消化酵素を合成し分泌するため、高速度のタンパク質代謝を行っている。 私自身もともとは膵臓の生化学的メカニズムを研究することから科学の世界に入った。実験動物を絶食させると、短時間であってもたちまち膵臓のチモーゲン顆粒という酵素を貯める細胞内小器官に異常が認められる。 現代人がこれと同じ状態にあるとしたら?私は21世紀に新しい栄養失調(マル・ニュートリション)の研究が必要だと思い至り、現在、研究を進めている。胃を全摘した大使にとって、胃とともに排除したガン細胞は切実な題材である。未分化段階を目指して分裂と増殖をやめることがないとのこと・・・・怖い。p154~156<ガン細胞とES細胞の共通点> ES細胞は万能細胞と呼ばれている。しかしES細胞だけから一つの固体は決してできない。一つの細胞から一つの固体を生み出せるのは受精卵だけである。その意味で真の万能細胞は受精卵しかない。ES細胞は全体を作ることはできないが、その一部とはなりうる。だから正確には多機能性細胞と呼ぶべきである。 実は、ES細胞にそっくりの特徴を持つもう一つの細胞を、私たちはずっと昔から知っていた。ガン細胞である。ガン細胞はいったんは分化を果たして、生体内での自分の天命を知った細胞である。身体の一部として、その役割を果たしてきた。 ところが、偶然が重なって、分化の過程を逆戻りし、未分化段階に戻ってしまった。それでいて分裂と増殖をやめることがない。 このような暴走細胞が身体の様々な場所に散らばり、他の細胞の秩序を撹乱するのが、とりもなおさずガンの正体である。 自分の分際を見失って、しかし無限に増殖することはやめない細胞。この点において、ガン細胞はES細胞と極めて似通った、おそらく表裏一体の関係にある。 私たちがもし、ガン細胞に再び正気を取り戻させ、人体組織の一部に分化することを思い出させることができたなら、私たちはガンを制御することができるはずである。 しかし、長年の研究を経ても、未だガン細胞に再び「空気を読ませる」ことに誰も成功していない。おそらく、現段階では、私たちはガン細胞を制御するのとほとんど同じ程度にしか、ES細胞やiPS細胞(ES細胞と同質で、より簡単に胚以外の細胞から作りだせる)を制御できないだろう。 それは分化をコントロールすることに関して、同じ科学と同じ技術を必要とするからである。つまり過去、何度も何度も喧伝されたガン征圧の勇ましいプロミスが「果たされた」のと同じ程度にしか、再生医療へのバラ色のプロミスも果たされることはないだろう。私にはそう思える。 p231~233<「動的な平衡」とは何か> 生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新され続けているのである。 だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数ヶ月前の自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとして私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。 つまり、環境は私たちの身体の中を通り抜けている。いや「通り抜ける」という表現も正確ではない。なぜなら、そこには分子が「通り過ぎる」べき容れ物があったわけではなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体も「通り過ぎつつある」分子が、一時的に形作っているにすぎないからである。 つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。シェーンマイヤーは、この生命の特異的なありように「動的な平衡」という素敵な名前をつけた。 ここで私たちは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」という回答である。 そして、ここにはもう一つの重要な啓示がある。それは可変的でサスティナブルを特徴とする生命というシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」であるということだ。生命現象とは構造でなく「効果」なのである。(中略) このように考えると、サスティナブルであることは、何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではないのがおのずと知れる。 サスティナブルなものは、一見、不変のように見えて、実は常に動きながら平衡を保ち、かつわずかながら変化し続けている。その軌跡と運動のあり方を、ずっと後になって「進化」と呼べることに、私たちは気づくのだ。
2011.04.27
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アメリカでの研究生活が長かった福岡博士であるが・・・・内田先生が絶賛するのは、科学者としては異質とさえ言える血の通った明晰な文章である。図書館で福岡博士の「動的平衡」を借りたので紹介します。「動的平衡」福岡伸一著、木楽舎、2009年刊p22~23<生命現象とは何だったのか> 世界初のバイオ企業ジェネンテック社が設立されたのは今から約30年前、1977年のことだった。ジェネンテック社は最新の遺伝子操作技術を売り物とし、貴重な薬品などの生産を約束していた。カルフォルニア州立大の研究者たちが自分たちの発明を商業化したものである。実際、同社の株は公開されるやいなや瞬く間に値上がりし、彼らは文字通り一夜で億万長者となった。 それ以降、現在までに星の数ほどもバイオ関連企業が勃興した。皆がジェネンテックの成功を目指したのだ。しかし、今日、見渡してみると、実際に成功したのは数万社のうち五指にも満たない。残念ながらアルファ・ジーン社その中に入ってはいない。 インタビューのとき、私はシーリー博士のオフィスの棚に人目に触れないようにヴァリウムの小瓶が置かれているのに気づいていた。ヴァリウムは精神安定剤である。 その後、アルファ・ジーン社はしばらく健闘していた。しかし、最後は流れ星となって燃え尽きた。投資家からの支援が途絶えたことが直接の原因である。 現在、ジョージ・シーリー博士もまったく別の人生を歩んでいるが、なお傷が十分に癒えているとはいえない。アルファ・ジーン興亡史が語られるにはもうすこし時間が必要であろう。 実は、私もフレックス技術の共同開発者の一人であり、特許申請にも名前を連ねていた。シーリー博士は義理堅く、彼のもとをすでに去っていた私に対して、アルファ・ジーン社の初期株式を25万株分けてくれていた。だからアルファ・ジーン社の帰趨は、まったく他人事ではなかったのである。株式はただの紙くずとなった。 なぜ、バイオテクノロジーはうまくいかないのか。今日も明日も、メディアには「画期的な」新発見や新発明が報道される。病気の遺伝子の発見、先端的再生医療技術、万能細胞・・・・ しかし、それはどこまでも一時のニュースであり、多くの場合、まもなく色褪せたものとなり、次のニュースにより塗り替えられる。なぜだろうか。 それは、端的に言えば、バイオつまり生命現象が、本来的にテクノロジーの対象となり難いものだからである。工学的な操作、産業上の規格、効率よい再現性、そのようなものになじまないものとして、生命があるからだ。 では、いったい生命現象とは何なのか。それを私はいつも考える。・・・とまあ、反米の大使にとって魅惑的な導入部である。バイオテクノロジーの限界と短期的な成果を駆り立てる投資家の存在が感じられるこの章を読んで思うのですが・・・・アメリカに友人の多い福岡博士もやはり中谷巌さんのように、アメリカからカミングアウトしたのではないかということです。ノーベル賞受賞者を多発しながら、世界をどこかしらミスリードする迷惑な国である。なお、大使はアメリカに行ったこともないし、今後も行くことがないからカミングアウトとは言えないのである(行けないだけじゃん)
2011.04.26
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巡る 巡る季節の な~か~で~♪大震災があっても、季節は巡り、山笑う季節になりました。四国西南部は近畿あたりよりは1週間ほど先行しているようです。山笑うフジところで、想定外の大津波の確率「50年以内に10%」という東電の報告書であるが・・・その報告書は「津波の影響を評価する時に、『想定外』の現象を予想することは重要である」と書き始められているそうだが・・・・・地震後にこの報告書を見せられると、千年に一度の津波という表現より、現実味があり、確率が高いように思えるのです(よくわからないが)こんな散文的で逃げのような文章を報告書に入れるのは科学的でないし、津波対策についてもっと報告すべきであったと・・・・地震の後で言えるのが悔やまれますね。。4/24想定外の大津波「50年以内に10%」 東電06年発表より 東京電力は、福島第一原発に、設計の想定を超える津波が来る確率を「50年以内に約10%」と予測し、2006年に国際会議で発表していた。東電は「試算の段階なので、対策にどうつなげるかは今後の課題だった」と説明している。 東電原子力・立地本部の安全担当らの研究チームは福島原発を襲う津波の高さを「確率論的リスク評価」という方法で調べ、06年7月、米国であった原子力工学の国際会議で報告した。 その報告書は「津波の影響を評価する時に、『想定外』の現象を予想することは重要である」と書き始められている。 報告書によると、東電は慶長三陸津波(1611年)や延宝房総津波(1677年)などの過去の大津波を調査。予想される最大の地震をマグニチュード8.5と見積もり、地震断層の位置や傾き、原発からの距離などを変えて計1075通りを計算。津波の高さがどうなるか調べた。 東電によると、福島第一原発は5.4~5.7メートルの津波を想定している。だが報告書によると、今後50年以内にこの想定を超える確率が約10%あり、10メートルを超える確率も約1%弱あった。
2011.04.25
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果たして原発は儲かる仕組みなのか?今回の福島原発の後でも、原発に対する賛否はほぼ2分しているけど・・・・プラント関係の仕事に従事してきた大使としても、果たして原発は儲かる仕組みなのか?と市場原理に則って自問するわけですね。巨額な事故補償費を抜きにしても・・・・不透明な原子力村の仕組みを見直しした場合には、これまでどおり潤沢な原発マネーは出ないだろう。安全強化費用、廃炉費用を見直しして、さらに立地費用を電力側で負担するなら、発電コストはいくらにになるか?電力会社および経済産業省はすでに、コスト試算を見直ししているはずである。クマさんのエントリー「ミツバチの羽音と地球の回転」を見て、以上の疑問が沸き自問している大使でおます。鎌仲監督が「思考停止の原発ムラ」とか言っています。ミツバチの羽音と地球の回転より鎌仲監督の印象は映画監督というよりも、環境運動家というかんじであった。監督トークの終わりに質問が出た。「日本政府はなぜこんなにも原発を推進するのですか」鎌仲さんはこのように答えた。「原発が儲かる仕組みを早々と作ってしまったんです。1954年第五福竜丸の事件が起き、450万人の反核運動が盛り上がりました。このとき、米国と密約を交わしたんです。「原発は核の平和利用といえばいいのだ」このときの中心人物が中曽根です。絶対損はしない原発政策をこのとき作ったのです。核兵器への転用が出来ることとかあったのかもしれません。世論は残念ながら、原発をまだ支持している人が多い。日本人は一旦決めたらなかなか変えない体質を持っています。これは原発だけじゃなくて、日本の政治も会社もそうです。飯田哲也さんなんかは「思考停止の原発ムラ」とか言っています。結局、一人ひとりが気がついた人たちが、声を出す勇気を持たなくてはいけないのです」sowonさんが原子力村に対する鎌田實さんの苦言を紹介しています。私もまったく、同感です。こういうのはやめにしたい よりぼくは62歳になっても、若造みたいな考え方をしてしまう。東京電力の幹部やOBが自民党に2007年から3年間、2000万円の献金をしていることがわかった。社長や会長は30万円。個人献金の形をとっているが、組織ぐるみで献金をしているのではないかと勘ぐってしまう。あげる方もあげる方だが、もらう方ももらう方。資源エネルギー庁の前長官だった石田さんは東京電力の顧問に天下っている。4月末で辞任するようだが、天下りを許してしまう民主党も頼りない。旧政権も、新政権も本当に困った人たちだ。おかげで日本は世界からレッドカードをつきつけられている。東京電力は200億円という広告費や情宣活動費をもっている。マスコミも、電力会社に正しいことが言えなくなってしまう。そろそろこういうのはやめにしたい。鎌田實 2011年4月23日 (土) 10時03分 原発の発電コストより政府・電力会社は原発推進の理由として、その経済性をあげています。ところが、最近公表されて来た核燃料再処理に関する費用などを含めると、原子力発電はむしろ高くつくのではないでしょうか?●隠蔽体質・・・・原発推進データの信用性 「原子力発電は安全でしかも経済的」、政府・電力会社は、原発推進の理由としてことあるごとにそういってきました。なかでも原発の経済性は、これまで原子力推進の最も大きな根拠でした。 しかし、その根拠を支える議論の透明性は確保されているのか、根本的な信用に疑問を抱かせるようなことがまた一つ明らかになりました。 2004年3月参議院予算委員会において,社民党の福島党首の質問に対し,日下資源エネルギー庁長官(当時)は,「日本では(核燃料の)再処理*をしない場合のコストを試算したことはございません」と答弁しました。ところが、7月になって資源エネルギー庁の「ロッカー」から、したはずのない「試算」の資料が出てきたのです。 隠されていた資料は,1994年2月4日の総合エネルギー調査会原子力部会核燃料サイクル及び国際問題作業グループにおける議論用参考資料として、事務局が作成した「核燃料サイクルの経済性試算について」というものです。これによると核燃料再処理のコストは再処理をしないで直接使用済み燃料を処分*する費用の2~4倍という結論でした。 まるで子供だましのやり方で、この問題の責任の追及はなされないのでしょうか。この試算が隠されている間に、着々と将来計画をたててしまって、再処理を既定路線にしてしまってから肝心の試算を公表する。例えば、「長期エネルギー需給見通し(1998)」や、「エネルギー基本計画(2003)」、それらに基づくさまざまな計画や方針決定に関わる作業が行われてきました。この試算が公表されていたら、路線を巡る議論は別の方向に行っていた可能性もあるでしょう。 原子力推進に都合の悪いデータはひた隠しにして、都合の良いデータだけを並べる。もんじゅの事故の時も、昨年の東電の事故隠しの時もそうでしたが、この隠蔽体質はどうしたものでしょう。結局自分たちの信用をおとしめ、原子力は不透明だと宣伝しているようなものです。 そのほかの試算・データは存在しないのでしょうか? また、そうして明らかになったデータそのものが果たして信用できるものなのかという疑念も湧いてくるはずです。●この発電コストに含まれていないそのほかの費用 これまで見てきたとおり、経済産業省(旧通産省)・資源エネルギー庁のコスト試算そのものが、きわめて意図的に数字を操られていますが、実はそれ以外にも、原子力発電には隠されたコストがあります。大きく分けて次の4つの内容については、本来原子力発電を成立させるために必須の費用となっていますので、厳密な意味では原子力発電のコストに含まれるべきものです。 ・電気を捨てる"発電所"・・・揚水式発電所 ・電源三法交付金・・・地元への懐柔策 ・バックエンド費用 ・送電費用●電源三法交付金 いわゆる電源三法とは、1974年6月3日に成立した次の3つの法律をさしています。・電源開発促進税法 ・電源開発促進対策特別会計法 ・発電用施設周辺地域整備法 電力会社は販売電力量に応じ、1,000キロワットアワーにつき425円を、電源開発促進税として国に納付しています(電源開発促進税法)。このうち、 190円が電源立地勘定で、235円が電源多様化勘定(2003年10月法改正により「電源利用勘定」に名称変更)となります。2003年予算で、この税の総額は4855億円になります。(電源開発促進税率は、今後段階的に引き下げられる予定。) もちろん最終的にこの税金の負担は、消費者が電力料金に上乗せされて支払っています。 納められた税金は、特別会計に組み込まれ、発電所など関連施設の立地及び周辺市町村に対し交付金などの財源にあてられます(電源開発促進対策特別会計法)。
2011.04.22
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遺伝子組み換え大豆の豆腐を食いたいと思わないのは勿論であるが・・・・遺伝子組み換えナタネ抜取隊なるものがあるんですね。これだ これだ♪ 開国に抗う水戸の浪士みたいなものかな?(ちょっと違う)モンサント社のような、ウォール街とグルになった倫理なき強欲多国籍企業に対して、石を投げるような所業が求められていると思うのです。「遺伝子組み換え食品を考える中部の会」の檄文を紹介します。遺伝子組み換え食品を考える中部の会より 多くの作物がGM化され、大地に放たれました。その結果、受け継がれてきたかけがえのない農作物が失われています。さらに農業が資本力によって支配されようともしています。農業は単なるビジネスではありません。人の健康・いのちを維持するための基本です。本来の目的に反するGM作物を受け入れるべきではありません。 ところで、どこに行けば遺伝子組み換えナタネ(GMナタネ)が生えているの?残念ながら(残念と言うか、幸せというか)、四国の片田舎のような鄙の地には生えていないようです。今度 神戸に行ったときまでお預けになるかもしれないが、見かけ次第に引き抜いてやろうと思っている次第です。なお、ネット情報によれば次の場所で発見されているようです。広がる遺伝子組み換えナタネの自生より 特徴は港湾周辺で見つかっていることです。千葉は千葉中央港付近道路脇で4件、神奈川は横浜市磯子区原町の動物検疫所前、静岡は清水港の穀物サイロ近くで6割も検出され、愛知は名古屋港の潮見IC直下、三重は四日市港の海保前、防潮扉と国道23号沿いが多く見つかっています。三重は採取した5割が組み換えナタネで驚き、除草剤をかけて周囲の植物が枯れているのに、組み換えのナタネだけが咲いている光景は異常でした。兵庫は深江浜で発見され、こうした港近くでは昨年より増えている状況でした。東京、長野、埼玉、岡山、大分は内陸部のためか組み換えは発見できませんでした。一方、組み換えが良く見つかっていた鹿島がゼロだったり、千葉が若干少なかったりなど変化もありましたが、全体的に見ればたくさんの遺伝子組み換えナタネが特に港湾周辺地域や運搬道路付近などに自生し、ちょっと行けば採取できるというのは異常な事態です。種子までできていることは重大です。私たちの調査では見つかりませんでしたが、環境庁の報告では、グリホサートとグルホシネートの2種類の遺伝子組み換えのナタネが現認されたというではありませんか。日本のナタネや類縁の十字科植物に交雑が起きることが強く心配されます。そして遺伝子組み換え植物が日本の大地にはびこることは絶対許されないと思います。イリーナ・エルナコヴァさんの実験の報告は人類の未来への警鐘です。遺伝子組み換えナタネ 自生より 知多~松阪 交雑種も 除草剤耐性 生態系乱す恐れ 津市内で見つかったGMナタネと交雑したブロッコリー=遺伝子組み換え食品を考える中部の会提供 国内では栽培されていない遺伝子組み換えナタネ(GMナタネ)が、愛知県知多市から三重県松阪市にかけて、伊勢湾を取り囲むように自生していることが、「遺伝子組み換え食品を考える中部の会」の調査で分かった。名古屋、四日市港に輸入され、トラックで運ばれる途中にこぼれ落ちて発芽したとみられる。在来種との交雑種も見つかっており、同会は「交雑によって生態系がかく乱される危険性が高い」と指摘している。遺伝子組み換え植物の生態系への影響は、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)でも話し合われる。 同会は2004年からGMナタネの調査をしており、三重県四日市市から松阪市にかけて国道23号などの沿線に点々と自生しているのを確認した。今年4月に調査範囲を愛知県にも広げたところ、知多市から飛島村までの国道、県道沿いで数十メートルおきに数株ずつ生えているのを見つけた。 GMナタネは除草剤に耐性があり、カナダを中心に外国では主流。財務省貿易統計によると、昨年、植物油の原料として輸入されたナタネは約207万トン。名古屋、四日市港には計33万トンが運びこまれた。 同会や国立環境研究所の調査では、ナタネと同じアブラナ科のカラシナやブロッコリーなどとの交雑種も見つかった。津市内では家庭菜園のブロッコリーにナタネのような黄色い花が咲き、遺伝子検査でGMナタネと同じ除草剤耐性を持つことが分かった。 同会は河川敷などに繁殖しているセイヨウカラシナとの交雑を懸念する。すでに愛知県内で交雑のセイヨウカラシナが見つかっており、GMナタネを調査、研究している四日市大非常勤講師の河田昌東(まさはる)さんは、「生命力の強いセイヨウカラシナが交雑で除草剤耐性を持てば、一気に広がって在来の植物を駆逐してしまう。GMナタネの抜き取りなど、行政が対策を取る必要がある」と指摘する。 同会は22日、名古屋市中村区の愛知県産業労働センターで調査結果を公表し、シンポジウムを実施する。(2010年5月21日 読売新聞)「自生するGMナタネの今後」を読むと食用国産ナタネの状況はかなり厳しいようだが、日本のアブラナ科を救うには・・・・やはりGMナタネを抜きまくる必要がありそうですね。(最新情報はよくわからないけど)自生するGMナタネの今後より 米澤製油-安田氏から、国のナタネ栽培対策と今後について報告がありました。全国のナタネ栽培面積は約800ha自給率は0.05%。これまで契約栽培に対して国より出ていた補助金が05年度で打ち切りとなり、農水省との交渉により06年産から3年限定で「高品質なたね産地確立対策事業」の助成が始まりました。その後の国産ナタネの栽培については楽観できる状態ではありません。80%以上をカナダから輸入し、食卓にGMナタネが出回る割合は60%以上になっています。輸入依存度が高まればGMナタネの割合も増えていくことは確実です。食糧自給、食の安全、環境保全等を考え、食用国産ナタネを作り続けられるよう、ナタネ産地と共に運動を進めていく必要があります。ところで、GMナタネと特定するには、ラウンドアップとバスタ耐性GMナタネ検出用試験紙を使う必要があり、この試験紙が高価のようです。でも、危険地帯でのGMナタネの確率は約60%程度ということらしいので、やみくもに抜き取ることでも、役に立つようです。最新調査結果が国道23号沿線の調査(11/03/17)で見られます。「遺伝子組み換え食品最前線」
2011.04.22
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今回の大震災に際して日本人の示した態度を、世界は賞賛しているが・・・英紙は、この際アメリカは学ぶべきことはないのか?と辛口で結んでいます。4/20 英紙「日本という国を過小評価していないか」アメリカも中国も到底かなわないと取り上げ話題に よりイギリス・ガーディアン紙が「日本という国をたいそう間違って認識していないか」という記事をとりあげ、海外掲示板で盛り上がりを見せています。並べられていた事実というのが…「失業率5%、給与の格差最小、全員に医療保険、平均寿命最高、新生児死亡率最低、高い学力レベル、犯罪率・投獄率・殺人・精神病・麻薬乱用率すべて低い国がある。アメリカも中国も全く届いていない」いったい経済とは?と問題を投げかけている記事です。そして、「比較的経済が安定している日本やドイツからアメリカは学ぶべきことはないのか」と言った内容で結ばれています。このガーディアン紙の記事に関して、海外掲示板では様々な意見が交わされていたので、一部抜粋してご紹介します。*************************************************************************・それからすごい同民族ばかりの国だ。・外国人嫌いが集まった社会がいいのか、それが理由で分けられた社会がいいのかという問題になってるのか?・この8~10年で相当変わったよ、もう一度訪ねるといいよ。日本を嫌う・好くという段階でいうとそれはまだステージ2だ。ステージ1は観光で行って、みんなが親切で大好き。ステージ2は日本で働く経験をして日本の腹黒い部分が見えて日本人社会の裏面を知るんだ。・記事に書かれているのは真実だ。住んでるけどかなりすごい。それはみんながまともな給料をもらっていて、どんな職業も尊いと思われてることだ。電車の掃除夫さえきちんとした給料をもらっている。 理由のひとつには企業のトップがそこまで強欲ではないからじゃないか。みんながまっとうな金銭感覚を持っていて、何億円のボーナスをもらうことが最悪だと思っているからじゃないか。富はかなり公平に分配されているので中流クラスが大きく安定している。この中流クラスが犯罪を減らしていてるので、誰もハンドバッグをひったくって逃げようとか誰かの財布のためにナイフを出したりしない。もちろん日本社会も問題だらけだが、このことに関しては自分は日本のシステムを賞賛する。・日本にいる間に不思議に思ったのは、みんな自分の仕事にプライドを持っているってことだった。それもどんな仕事にでも。ここフィンランドでは日本のように最低な仕事にでも良い給料を与えるけれど、人々は良い仕事だとは思っていない。むしろ恥じている。お金の問題じゃなく文化でもあるかなと思う。どんな仕事でも尊敬されているということがね。・驚くのはここで問題になっている強欲の問題がないことだ。海外掲示板から見えることは・・・・世界の庶民は、良くも悪くも日本社会の独自性を日本人以上に、わりと的確に見ているということでしょうね。ハンチントン教授もいっているように、地球上の主たる文明の中で有史以来「一国家・一文明」を維持してきたのは日本しかないのだが・・・・日本人もそのあたりを再認識し、その美点については、もっと世界に押し出していくべきと思うのですが。(少なくとも、カトリーナ台風の収拾などと比較すると、日米の評価は逆転する)更に大使は想うのですが・・・・フランス人は勿論、イギリス人でさえ、アメリカの強欲資本主義を苦々しく思っているだろうということです。しらぬはアメリカばかりなのか?それとも嫌われても強欲をとりさげるつもりはないのか?
2011.04.21
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「遺伝子組み換え食品最前線」という本を図書館で借りたのです。13年ほど前に発行された本なので、厚生省となっていたり、知見の一部が古いけど、強欲多国籍企業の実態、企業寄りの厚生労働省の体質についてはさほど変わりないので、遺伝子組み換え食品の本質は充分伝わってきます。また、昨今原子力村の唱えた安全性評価指針などと比べると、よく似たメカニズムが見えるが・・・この点が、まさにこの本の今日的意義なんでしょう。「遺伝子組み換え食品最前線」渡辺雄二著、家の光協会、1998年刊<実質的同等性の不合理>p106~107 そもそも細菌というまったく種の違う遺伝子を組み込まれた植物は、細菌と植物の性質を合わせ持つ改造植物である。これは自然交配では誕生しえないもの、すなわち自然界には存在しえないものである。それが、自然界に存在する植物と「同等」であるはずがない。ところが、「違う」と認めると、食品としての安全性の確認がきわめて困難になる。組み換え作物自体を動物に投与して、急性毒性、慢性毒性、発がん性、催奇形性、アレルギー誘発性などを調べなくてはならない。さらに人間でも同様に調べる必要性も出てくる。これを行うには、膨大な労力と資金、時間が必要である。これでは、開発企業はいつになったら組み替え作物を市場に出せるかわからない。そこで、「実質的同等」という概念を無理やり捻り出したのである。<モンサント社の虚偽報告>p107~112 遺伝子組み換え作物の場合、実質的同等性そのものが、成り立たないケースがある。それが明らかになったのは、モンサント社の害虫抵抗性トウモロコシのアミノ酸組成をめぐる問題からだ。 遺伝子組み換え作物の安全性評価は、開発企業が組み替え作物に関するデータを厚生省に提出し、それを食品衛生調査会が、安全性評価指針に基づいて行っている。つまり、すべて企業側が提出したデータで判断されるのだ。 これがそもそもの大きな問題である。企業側が自分たちにとって都合の悪いデータ、すなわち安全性の確認の障害となるようなデータをわざわざ出すとは考えられない。これでは、客観的なデータに基づいた正しい評価を行うことができない。 さらに、企業側が意図的に虚偽のデータを提出することもある。これが実際に起こったのである。(中略) 実質的に同等かどうかの判断は組み替えを行ったトウモロコシと、行う前のトウモロコシを比較して行うのが当たり前である。ところが、モンサント社では、わざわざそれとは別のトウモロコシと比較している。ここにある意図が働いているのは明らかである。このことからも、企業が提出したデータは信用できないことがわかる。(中略) 前のデータを冷静に客観的に判断すれば、原文データから、アミノ酸組成が組み替え前と組み替え後のトウモロコシでは差があり、実質的に同等とはいえないことは明らかだ。モンサント社が行った分析データは、別のトウモロコシを使ったものであり、信憑性に欠ける。当然こうした解釈になるはずである。 ところが、寺尾部会長は、こうしたデータをねじ曲げ、モンサント社に都合のいいような判断を示している。科学者としてまことに情けないと思う。厚生省も、寺尾部会長と同様な判断である。 結局、日本の行政は、アメリカに逆らえないということなのだろう。もし、組み換えトウモロコシを安全と判断しなければ、アメリカ政府が圧力をかけてくることは目に見えている。それを恐れているのだろう。<生態系破壊のメカニズム>p138~142 アメリカの「」のジェーン・リスラーとマーカレット・メロンは、遺伝子組み換え作物は、生態系に対して次のような深刻な影響を与えると警告している。1、遺伝子組み換え作物が雑草化する。2、作物に導入された遺伝子が、雑草や作物に移行し、自然界に存在しない新たな植物を作り出す。3、ウィルスの遺伝子を組み込まれた作物が、自然界に存在しない新しいウィルスを誕生させる。4、遺伝子組み換え作物中にできる物質が、標的以外の生物に危険をもたらす。 1は、当然起こりうる。なぜなら、遺伝子組み換え作物には種子ができるからである。その種子が周辺に飛び散って、子孫を作れば、雑草化ということが起こる。その雑草は、細菌の遺伝子を持つ自然界には存在しない植物ということになる。 2は、デンマークの国立リソ研究所の実験ですでに確認されている。3もアメリカのミシガン大学で確認されており、この現象はウィルスだけでなく、細菌でも起こりうると考えるべきだろう。 また、4も容易に起こりうる。害虫抵抗性のトウモロコシは、ガやチョウの類いの幼虫をすべて殺す作用を持っている。したがって、花粉を運ぶチョウなどが減ってしまうことになる。害虫抵抗性のジャガイモは、コガネムシ、テントウムシ、ホタルの類いに作用する。したがって、アブラムシを食べてくれるナナホシテントウなどが減ってしまう。 ここで、国立リソ研究所の実験を詳しくみることにしよう。同研究所のトーマス・R・ミッケルセンらは、除草剤耐性の遺伝子組み換えナタネが、近縁の雑草と交配し、その雑草が除草剤耐性を獲得することを確認した。(中略) ミッケルセンらは、「受粉能力を持つトランスジェニック(遺伝子組み換えの)雑草様植物が、ハイブリッド化、および戻し交配というわずか二世代後に誕生したことは、ナタネからその近縁種の雑草ブラシカ・キャンペストリスへの遺伝子拡散が急激に起こる可能性を示唆している」と、結論づけている。TPPに反発する攘夷派の大使としては、組み換え作物はすなわち「黒舟」であり、国防のためにも食料自給率を上げる必要性を強く主張したいのである。<組み換え作物という「黒舟」>p161~166 遺伝子組み換え作物は、現代の「黒舟」といっていいだろう。アメリカ側は日本に「開港」を迫り、その受け入れを認めさせた。そのため通常の作物に混じって遺伝子組み換え作物が輸入され、醤油や豆腐、納豆、サラダ油、コーン油、ビール、スナック菓子、マヨネーズなどさまざまな加工食品に姿を変え、私たちの口に入っている。消費者はそれを拒否したくても、表示がないため拒否できない。 いずれ、組み換えの小麦や米もアメリカから入ってこることが予想され、日本の食卓が遺伝子組み換え食品で占領される日も遠くないという状況である。 アメリカ政府は1991年、「国家バイオテクノロジー政策報告書」なるものを発表し、アメリカが国を挙げて遺伝子組み換え技術の開発を行い、その特許を知的財産として保護し、世界各国に広めていく方針を打ち出した。また93年のガット・ウルグァイラウンドでは、組み換え作物の特許を各国が認めるべきと主張し、受け入れられた。つまり、アメリカは政府と企業が一体となって、遺伝子組み換え作物というハイテク商品によって、世界経済の覇権を握ろうとしているのだ。 アメリカのこの戦略に日本は完全に取り込まれている。それは、1996年9月に最初に安全性が確認された遺伝子組み換え作物7品目をめぐる経過をみれば明らかだ。 多国籍化学企業のモンサント社が開発した除草剤耐性組み換えダイズの安全性が、アメリカで確認されたのは94年9月。96年春には全米のダイズ畑の約2%に作付けされた。農家は通常、乾燥に強い、病気に強いなど5~6品種のダイズを作付けするが、その一つが遺伝子組み換えダイズであった。 それらは同じ時期に一緒に刈り取りされ、何ら区別されることなく、カントリエレベーターに貯蔵された。そしてなどでリバーエレベーターに運ばれ、さらにハシケで港湾の倉庫に運び込まれた。これらの過程で組み替えダイズと通常のダイズとは完全に混じってしまう。 この流通システムはカーギル社などの穀物メジャーが長い間かけて作り上げてきたもので、急に変えることはできない。 アメリカにとって日本は最大のお得意様で、輸出ダイズの18%(95年実績)は日本が買っている。ダイズを日本に輸出するためには、混じっている遺伝子組み換えダイズも輸出できる体制が必要だった。 ところが、日本には95年まで遺伝子組み換え作物に関する安全評価指針がなかった。そこで、厚生省に指針の策定を急ぐように働きかけた。厚生省はそれを受けて研究班を作って急いで指針作りにとりかかり、95年10月に指針案をまとめ、わずか4ヶ月後の96年2月には指針を公表したのだ。 モンサント社はすぐに組み替えダイズの申請を厚生省に行い、わずか半年後の96年9月には「安全」との判断が下された。アメリカ政府は、是が非でもダイズの輸出が始まる秋までに、日本に「安全」と認めさせる必要があった。もし組み替えダイズの安全性が確認されなかった場合、日本へのダイズの輸出が全面的にストップする恐れがあったからだ。(中略) もし、アメリカの意向に従わず、組み換えダイズを「危険」と判断すれば、組み換えダイズばかりか通常のダイズも日本に入ってこなくなる可能性があった。こうなったら、食品業界は大混乱に陥ってしまう。時間をかけてじっくり審議する余裕はなかったのだ。結局、組み換えダイズが安全であろうとなかろうと「安全」と判断せざるを得なかったのだ。 ナタネや飼料・加工食品用のトウモロコシもほぼ100%輸入に頼っており、状況は同じである。つまり、日本の厚生行政はすでに主体的な判断ができないような状況になっているのだ。(中略) ヨーロッパの国々では、消費者の組み換え作物に対する反発が強く、また生態系への影響などを考慮し、それを拒否する国々が少なくない。オーストリアとルクセンブルグでは、害虫抵抗性の組み換えナタネの栽培が、イタリアでは組み替えトウモロコシの栽培が禁止された。 ヨーロッパの国々が、アメリカに対して強い姿勢に出られるのは、食料自給率が高いからである。1987年の時点ではあるあが、フランスは140%を超え、イギリスも70%を超えている。アメリカから食料が全面的に入ってこなくなっても、なんとかしのげる数字である。日本も食料自給率を少なくとも60~70%に引き上げるべきであろう。遺伝子組み換えダイズ抜きの豆腐が食いたいと思うが、既に発売されていたようです。太子食品工業さん・・・・あんたは偉い♪遺伝子組み換え不使用宣言は、タイシが国内で最初より 今では当たり前になった「遺伝子組み換えでない」の表示。実は、食品衛生法で義務化される以前から太子食品工業が国内で最も早く取り組んだことなのです。 平成9年1月、タイシは「遺伝子組み換え大豆不使用宣言」を新聞広告で発表。当時、大きな反響を呼び、タイシの情報公開への取り組みが多方面から絶大な支持を得ました。同年4月には日本で一番最初に商品パッケージに「遺伝子組み換え大豆は使用しておりません。」の表示もスタート。その企業姿勢は現在も少しも変わっておりません。栽培から流通まで厳重な管理を行うIPハンドリングシステムを徹底しており、安心安全が確認された大豆のみを原料としています。 [H13.4.1]厚生労働省が遺伝子組み換え食品の表示義務化厚生労働省は「遺伝子組み換え」「遺伝子組み換え不分別」の表示を義務化。「遺伝子組み換えでない」を任意表示とする食品衛生法の一部改正を施行しました。すでに私たちタイシが行っていた取り組みが法によって義務化されたといえます。
2011.04.21
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ソーシャルメディア・リテラシーという大げさなキャッチワードがあるんですな~。4/19ソーシャルメディア・リテラシーより まず始めに必要なリテラシーは、「アウトプット癖」である。 大げさな表現をすれば、古来アウトプット、つまり情報発信というものは崇高なものだった。価値あるものを世に発信する。共有するべき知的資産は、限られたものである。未だにほとんどの人の頭の中では、この「良質で限られたもののみがアウトプットされ、共有されるべき」という価値観が根付いている。 ソーシャルメディア・リテラシーでは、この価値観はまったく逆になる。まず何はともあれアウトプットするのである。まず発信するのである。それが価値あるものかどうかを自らの価値観だけで判断してはいけない。それが価値あるものかどうか。それは受け手が判断するのである。情報流通コストがほぼゼロになり、デジタル情報を蓄積するストレージの利用料も格安になった今、思いついた情報はまずオープンにするのである。ふん ふん、まず発信するリテラシーが求められているのか♪それでは・・「南無八幡大菩薩」を発信してみよう。各地に八幡さんと呼ばれるお宮があるが・・・・また、「南無八幡大菩薩」という声明や、神宮寺があり、神仏混交は国内では当たり前である。そして八幡神の本地仏は阿弥陀如来になっているそうだが、そのあたりをウィキペディアより引用します。 本地垂迹より本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に表れた神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。 神の正体とされる仏のことを本地仏という。神々に付会される仏は、宗派、信仰、寺院、神社によって違っている。日本の神の仏号は菩薩が多く、八幡大菩薩は阿弥陀如来であるなど本地仏の仏号と相違することもある。垂迹神と本地仏の一例を以下に示す。天照大神 = 大日如来、十一面観世音菩薩 八幡神 = 阿弥陀如来 = 応神天皇 熊野権現 = 阿弥陀如来 日吉 = 天照大神 = 大日如来 市杵島姫 = 弁才天 愛宕権現 = 秋葉権現 = 地蔵菩薩 素盞鳴 = 牛頭天王 大国主 = 大黒天 東照大権現(徳川家康) = 薬師如来 松尾 = 薬師如来 ところで「南無八幡大菩薩」で、私は何を発信したかったんだ?それは、本地垂迹(ほんじすいじゃく)という聞きなれない言葉から、やや強引かもしれないが、「自然崇拝」という日本人古来の精神に、もっと立ち帰るべきではないかという事なんですね。この発想の出所は、この前もふれた中谷巌さんの「資本主義はなぜ自壊したのか」からであるが・・・突き詰めれば、TPPとかグローバル資本主義が憎いのである。(かなり強引な誘導となっておりますが)「資本主義はなぜ自壊したのか」中谷巌著、集英社文庫<一国家・一文明>p266~285 さて、本地垂迹の説明が長くなってしまったが、日本のように古来自然崇拝を維持しつづけてきた国は、少なくとも先進国と呼ばれる国々の中には存在しない。そもそもG7(先進国主要7ヶ国懐疑)の中で、非キリスト教国は日本だけである。 たしかに今や、中国やインド、あるいは韓国など、日本以外の非西洋・非キリスト教文明圏からも経済的に台頭している新興国家が現れているわけだが、しかし、これらの国の人々が日本人のように一木一草にも神が宿ると考え、自然を守ってきているかといえば、そうとは言えない(たしかにインドで広く信仰されているヒンドゥー教は日本と同じような多神教であり、自然現象に起源を持つ神々も崇拝しているが、それが自然崇拝に結びついているというわけではない) ではいったい、なぜ同じようにアジア圏にあり、キリスト教の影響が少ないにもかかわらず、日本だけがこのような自然崇拝の気持ちを古代から維持しつづけてきたのだろうか。 その理由を考えていくときに、私たちはまず日本という国が世界的に見て特異な歴史を経過してきたことに注目すべきであろう。 これはハーバード大学のサミュエル・P・ハンチントン教授もいっていることだが、地球上の主たる文明の中で有史以来「一国家・一文明」を維持してきたのは、日本しかない。大著「文明の衝突」の中でハンチントンは地球上の主要な文明を七つに分けているが、中華文明にせよ、イスラム文明にせよ、そしてもちろん西欧文明にせよ、大規模な民族移動や異民族支配を受けた歴史を有している。ところで、中国では、弥勒菩薩が布袋さんに変わったというが、これは今回の論点の趣旨と違うので割愛する。(大使の中国嫌いについては、また日を改めて考察してみたい)八幡神より 八幡神(やはたのかみ、はちまんじん)は、日本で信仰される神で、清和源氏をはじめ全国の武士から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた[1]。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。神仏習合時代には八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)とも呼ばれた。
2011.04.20
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次のような18日の新聞記事があったが、「原子力村の見直し」は必至なんでしょうね。4/18石田・前エネ庁長官、東電顧問辞任へ「一身上の都合」より 1月に東京電力顧問に就任していた経済産業省資源エネルギー庁の前長官、石田徹氏が東電に4月末で辞任する意向を伝えていることが18日分かった。菅政権はこの日、同省幹部が電力会社に再就職することを自粛するよう通達。枝野幸男官房長官は石田氏についても「適切に対応されると期待する」と辞任を促していた。 東電によると、この日、石田氏から「一身上の都合で4月末で顧問を辞任したい」との連絡があった、という。東電側も辞意を受け入れる方向だ。 石田氏は昨年8月にエネ庁を退官。わずか4カ月余りで、東電顧問に就任していた。東電は今年6月の株主総会で石田氏を役員に起用する方向だった。 東電は過去3人の通産省(現経産省)OBが役員になっている。 あまりにも空文化した「天下り禁止」に、経産省自身があわてて引導を渡したのが真相のようであるが・・・・まったくのほころび隠しであり、前向きの原子力村改革などぶち上げんかい!と思ったりする。また、事は経産省内、原子力村のレベルではなくて、電力政策、国家戦略のレベルであると高橋洋さんが述べています。4/19電力政策、「経産省頼み」からの脱却をより 今回の東日本大震災は、津波も含めた天災による直接的被害と、原子力発電所の事故に関連した2次的な、人災ともいうべき被害とが複合していることが、対応を大変難しくしている。後者は、原子力の安全神話の崩壊と計画停電に見られる安定供給義務の破綻である。 我が国の電力政策とは、【1】地球温暖化対策のために原子力への依存度を2030年に50%近くに高める(資源エネルギー庁「長期エネルギー需給見通し(再計算)」)、【2】安定供給義務を果たすために地域独占・垂直統合の閉鎖的システムを維持するという2本柱から成るのであり、これらが双方ともに真っ向から否定された以上、抜本的な改革は不可避である。既に、産・官・学の強固な「原子力村」意識が安全への過信を生み出し、今回の事故を引き起こしたといった批判がなされ始めている。正論であろう。今回の大震災を踏まえて筆者が強く感じたのは、電力システムの在り方を1つの省庁が考えることの限界である。 今後、EVを電力網につなげようというのであれば、国土交通省との関係も重要であるし、EVの蓄電池からの電力再販を実現するには、電力の規制改革と共にEVの安全基準を見直す必要もある。スマートグリッドならば通信を所管する総務省と連携しなくてはならない。地域コミュニティ単位の分散型ネットワークに期待するのであれば、地方自治体との関係は見逃せない――。大震災以降、国家戦略室の影が薄い。最大級の危機管理案件であり、形式的には「政治主導」あるいは「内閣主導」が連発されているにも関わらず、「総理直属」で「国家ビジョンを創る」はずの国家戦略室は(民主党マニフェスト2009)、内閣に新設されたどの会議体にも直接的な関与はないようである。筆者は2011年1月に内閣改造があった際に、「国家戦略室の機能麻痺」を指摘したが、それ以降も改善されなかったということであろうか。 一方で、復興にしろ、電力・原子力政策にしろ、国家戦略そのものである。特に国家戦略室は、2010年6月の「新成長戦略」でも、「再生可能エネルギーの普及拡大」や「スマートグリッド」を掲げていた。長期的戦略の実施にまで責任を持つという意味でも、電力・原子力政策検証改革会議の事務局として活躍することが期待される。 このところの震災対応の新規構想の乱発で、どれを信じていいのやら?国家戦略室は何をしているのだ?政治主導の手綱さばきに疑問符のつく菅政権であるが・・・・だがしかし、さしあたっての復旧、復興に頑張ってもらうしかないんですね。計画的避難区域、牛も集団避難へ 農水省、全国に打診だそうです。やや 遅きに失した感もあるが・・・餓死するよりましですね。
2011.04.19
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16日のNHK-BS「谷村新司のショータイム」のゲストはチョー・ヨンピルであった。これこれ「釜山港へ帰れ」やがな♪・・・・満を持して、テレビの前に正座して傾聴する大使であった。「釜山港へ帰れ」も大使の持ち歌であるが、カラオケでたくさんのバージョンがあって日本人歌手バージョンが流れると、ちょっとスローで歌いにくいのである。やはり、8ビートのチョーヨンピル・バージョンがいいのだ。私事になるが釜山出張の際、カラオケ接待を受けたことがあったのです。私のリクエストで韓国メーカの社長さんが「釜山港へ帰れ」を披露したが・・・・これがまさに8ビートで乗りがいいのです。余談になるが、国民皆兵の韓国において、社長さんは空挺部隊に籍を置いたとのことで、元気なんですな~、といっても歳は私より下かも。(お酒が出るカラオケだったので楽しいサービスもあったけど、それは内緒)また、同行した韓国社員が「サチコ」を歌ったが、私の歌が霞んでしまうほどで・・(悔しいけど)お上手♪まったく、日韓カラオケ合戦では、一敗地にまみれたというか・・・韓国人の喉自慢を認識させられた大使であった。おっと、テレビ番組である。香港の歌手、谷村を含めて3人で東アジアシーンを切り開いた歴史とか、「釜山港へ帰れ」誕生のエピソードとか、パンソリを下地にした「恨500年」とか・・・興味深いお話が続きます。米軍基地相手のロックバンドからスタートしたチョーヨンピルは、もともと「釜山港へ帰れ」が好きでもなく、乗り気でもなかったが、この歌が韓国で大ヒットし、日本にまで進出したという・・・運命とは、わからないものです。騒がしいテレビに愛想をつかしたチョーヨンピルは今では、韓国でのテレビ出演を拒んでいるそうで・・・・今回が何年かぶりのテレビ出演になったと述懐していました。番組の中で谷村新司が、多分打合せなしでチョーヨンピルに「チング(友)」をリクエストした。谷村のギター伴奏だけだから、ほとんどアカペラで「チング(友)」を歌ったが・・・・高音で、繊細で、いい感じでした。高音が響く歌手としては森進一などいるが、高音で誰が一番うまいかといえばチョーヨンピルが筆頭だろう(大使の場合)。ところで、大使の韓国演歌好きは年季が入っていて・・・「カスマプゲ」が流行っていたころ(第一次流行期)、この歌が入っている李成愛(イ・ソンエ)のLPレコードを買い求めたほどなんですね。当時から、演歌のルーツは韓国だとか、韓国風の古賀メロディが演歌のルーツだとか諸説入り乱れて気になっていたが・・・今では若者は演歌自体を気にもかけていないようです。日本では聞いたことが無かったけど、彼の地のテレビで見た「モッポの涙」なんか、いいではないか(古すぎる?)。だけど・・・・韓国演歌は廃れてはいないにしても、どうも主流から外れているようです。まったく、今時の若者の歌なんて・・・うるさいだけである(コレコレ)私が薦める(レパートリーの)韓国系歌謡曲です。・釜山港へ帰れ(チョー・ヨンピル)・想い出迷子(チョー・ヨンピル)・カスマプゲ(イ・ソンエ)・大田ブルース (青江三奈) ・モッポの涙・カスバの女・Lee Sun Hee - J演歌のルーツについて「ソウル賛歌」という本から引用します。p131~137 「演歌の源流は韓国」説の主張者たちが、挙証として動員するのは、ほぼこの李美子の世界である。論証の過程においては、かならず古賀政男が登場する。つづめて言えば、だいたいこんな主張である。「少年時代を朝鮮ですごした古賀政男は、朝鮮の民謡やパンソリに接し、それを心の奥深く刻みこんだ。やがて演歌作家となったとき、自然にそれが沸きあがり、『影を慕いて』に代表されるような、哀愁にみちた古賀メロディーをつくることになった。韓国的なものの継承のうえにあらわれた李美子の世界が、古賀メロディーときわめて相似した世界であるのはこうした理由である」云々。 この説は、かなり広汎に流布しており、とくに「韓国を愛する日本人」には、圧倒的支持を得ている。韓国人が多く出入りするスナックなどで、これに近い説の「講義」をうけた経験を持つ人は多いはずだ。そして、その説に一定の根拠のあることも認めないわけにはいかないのである。 もっとも「一定の根拠」といっても、それはさしあたり、古賀メロディーと李美子などの歌が、たいへんよく似ているという事実だけのことである。植民地として朝鮮を支配・収奪した日本が、支配された朝鮮から演歌というジャンルの歌を輸入し、それが日本人に広く愛されるに至ったというなら、それはそれ自体相当大きな問題なのである。それを、事実に即して実証しないまま、「演歌のルーツは韓国説」が流布しているように思えるのだが、私の見るところ、この説が成立した背景にはコマーシャルベースにおける「日韓親善」の進行がある。ところで、支配と被支配という日韓の近代史、その問題が今日もなお清算されていない現実のうえで、その現実を無視ないし忘却した「似たものさがし」的ルーツ論には、両国民いずれの側においても、歴史認識をゴチャゴチャにしてしまうおそれがないだろうか。この私の感覚は、直接的には、たとえば日本で売り出される李成愛のレコードの広告に、「演歌の源流をたどる・・・」なんて文句を見つけたときの、たとえようもないイヤな感じを基礎にしている。この場合には、韓国人歌手のレコードを日本でたくさん売るためのルーツ説にすぎない。 私が言いたいことは、「似たものをさがす」のもそれ自体としては興味のあることにちがいないが、日本と韓国の近代史に関係する問題である以上、韓国の歌なら歌を、それが日帝時代に生まれたという固有の歴史性においてとらえるべきではないかということだ。(中略) もし韓国の知識人のいうように、李美子の世界が「倭色」であるとすれば、それが韓国社会で大衆的人気を得た理由は何であろうか。おそらく、日帝時代を記憶する世代の感覚とマッチしたこと、同時にあくまでも韓国の歌謡曲として登場したことの、ふたつであろう。 韓国人にとって日帝時代の記憶は、苦生(コセン-苦労)の一語に尽きるだろう。苦しい時代であったからこそ、その時代の追憶が「なつかしさ」をともなう感情を喚起させることがあるのを、たいていの人はその個人史において経験している。まして李美子の歌は、かたちのうえでは韓国人歌手が、韓国語で、韓国人の気持ちをうたったものとして、その世代の人たちに受けとめられることができたのである。「ソウル賛歌」滝沢秀樹著、田畑書店、1984年刊
2011.04.17
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中谷さんの「資本主義はなぜ自壊したのか」を長々と紹介するのは、主に自分の学習の為でもあったが・・・・TPPというアホな動きを前にして、この本のエッセンスを皆さんに紹介したい為でもあるわけです。グローバル資本主義(厳密に言うとアメリカ流新自由主義、中国の国家ファンドなど)という怪物に箍(タガ)をはめることは焦眉の急であり、できることなら息の根を止める必要があると思ったりして(オイ、オイ)。ところで、今や時の人ともいえる保安院の西山審議官。この人はTPP推進の急先鋒なんだそうですが・・・こういう人にこそ読んでもらいたい本です。「資本主義はなぜ自壊したのか」中谷巌著、集英社文庫、2011年刊<アメリカ流新自由主義の限界>p242~244 だが、はたしてアメリカの唱えた資本主義とは「人類普遍の原理」であったのか--金融恐慌の勃発を契機に、いま、このことが問われているのは言うまでもない。 すでに述べてきたように、グローバル資本主義の拡大は世界経済に未曾有の不安定をもたらしただけでなく、日本やヨーロッパ、あるいは新興国において深刻な社会の分裂と社会的な価値の棄損をもたらすことになった。すなわち、格差社会の出現であり、地球環境破壊であり、安心・安全社会の崩壊である。 だが、これは当然の帰結であった。 なぜならば、アメリカ流新自由主義においては、文化や社会といった要因は考慮の外に置かれるのが普通だからである。文化、伝統、歴史や社会の紐帯といったものは、むしろ保護主義や規制の温床になる。 これまで誰も考えなかったこと、前例のないことを実現するイノベーションこそが資本主義のエンジンであるとする考え方に立てば、歴史や伝統などは資本主義経済の「健全な発達」にとっては邪魔ものでしかないのだ。2008年秋のアメリカ大統領選挙でオバマ、マケイン両候補が使っていたキーワードは「チェンジ」であったが、絶えず変えていないと落ち着かないアメリカ人のDNAがいまだに強く残っていることを印象づけていた。 もちろん、この「チェンジ」の中身が問題になる。新自由主義がもたらした弊害を認識し、それを是正するための改革ならばよいが、彼らの演説を聞いている限り、そのような気配はあまり感じられなかった。やはり、アメリカの原点は個人の自由であり、そこを制限して社会的な価値、伝統的価値の見直しを図るという発想はなかなか支持されないのである。 その意味において、ポランニーが市場主義を「悪魔の碾き臼」として批判したのは正しかった。アメリカ式の資本主義が言うところの「普遍性」とは、結局のところ、文化の差異、あるいは社会伝統といったものを排除した、いわば人間社会の非合理的な側面や因習などがない、仮想的な真空空間において成立するものにすぎなかった。そして、その中で暮らす人々はいわばアトム的な、孤独な存在であり、人間同士のつながり、そこから生まれる苦しみや感動などとは無縁の存在にすぎなかった。 このような社会像はアメリカという理想国家の建設に邁進する「前へ前へと進むことに意義を見出す」人々にはさほどの違和感もなかったのかもしれない。しかし、それを普遍的な原理、理想だと勘違いしたところにアメリカ式の新自由主義の大いなる誤謬があったと言わざるを得ない。 実際のところ、アメリカが理想と信じてやまないグローバル資本主義の拡大も今や、大きな壁にぶち当たってしまった。市場原理の作り出した格差によって、アメリカ社会そのものが求心力を失いつつあるように見える。そして、モラルなき利益追求によってグローバルな金融資本市場そのものが破綻の淵に立っている。さらに言えば、「前へ前へと進む」果敢な経済活動が奨励されたことで引き起こされた環境破壊、資源の争奪戦、食料価格の高騰は世界中の虐げられた人々の存在を脅かすほどにまでなってしまった。【予備知識】ウィキペディア本地垂迹<一国家・一文明>p266~285 さて、本地垂迹の説明が長くなってしまったが、日本のように古来自然崇拝を維持しつづけてきた国は、少なくとも先進国と呼ばれる国々の中には存在しない。そもそもG7(先進国主要7ヶ国懐疑)の中で、非キリスト教国は日本だけである。 たしかに今や、中国やインド、あるいは韓国など、日本以外の非西洋・非キリスト教文明圏からも経済的に台頭している新興国家が現れているわけだが、しかし、これらの国の人々が日本人のように一木一草にも神が宿ると考え、自然を守ってきているかといえば、そうとは言えない(たしかにインドで広く信仰されているヒンドゥー教は日本と同じような多神教であり、自然現象に起源を持つ神々も崇拝しているが、それが自然崇拝に結びついているというわけではない) ではいったい、なぜ同じようにアジア圏にあり、キリスト教の影響が少ないにもかかわらず、日本だけがこのような自然崇拝の気持ちを古代から維持しつづけてきたのだろうか。 その理由を考えていくときに、私たちはまず日本という国が世界的に見て特異な歴史を経過してきたことに注目すべきであろう。 これはハーバード大学のサミュエル・P・ハンチントン教授もいっていることだが、地球上の主たる文明の中で有史以来「一国家・一文明」を維持してきたのは、日本しかない。大著「文明の衝突」の中でハンチントンは地球上の主要な文明を七つに分けているが、中華文明にせよ、イスラム文明にせよ、そしてもちろん西欧文明にせよ、大規模な民族移動や異民族支配を受けた歴史を有している。 (中略) 現在の中国人と、「史記」の時代の中国大陸の住民とは、人種的に見ればまったく違う集団であるというのが、今や歴史学者の定説である。4世紀初頭から始まった大戦乱、いわゆる五胡十六国時代の主人公になったのは、鮮卑族をはじめとする周辺の騎馬民族であり、一世紀以上にわたる戦乱で、漢民族はほとんど滅びたと言われている。そして、この後に中原の覇者となった隋帝国・唐帝国の中心となったのは、他ならぬ鮮卑族であった。さらにその後も戦乱は繰り返され、モンゴルの元帝国、女真族の清帝国などができているわけだから、「中国4000年の歴史」といっても、そこには人種的連続性はないのである。 (中略) 先にも述べたように、およそ世界の先進国の中で、日本は「一国家・一文明」を維持してきた例外的な存在である。世界がグローバル資本主義の荒波によって揺さぶられている今日、日本の持つユニークさから可能になる国際社会への貢献はますます求められているのではないだろうか。民族主義に目覚めた大使は、中華文明に別れを告げ、日本の美意識にまで耽溺するのであった。<日本の美意識>p280~283 さて、縄文時代がおよそ1万年も続いたことは、その後の日本文化にとって決定的な意味を持っていると私は考える。 すでに述べたように、日本列島に後からやってきた弥生人たちは縄文文化を抹殺することがなかったわけだが、それは一つには縄文人の文化そのものが豊かで、強固な精神的地盤を確立していたことも関係しているのではないだろうか。だからこそ、弥生人、そしてその後裔である古墳時代の人々は縄文人の信仰した聖地をそのまま活かし、また、自然に対する畏敬の念や崇拝心を受け継いだのであろう。 また、その後の時代、仏教や中国文明といった高度の文明が入ってきても、神道が排除されることがなく、それどころか本地垂迹説のような日本的神学が作られたというのも、やはり日本文化の基礎に、この1万年にわたる縄文時代の精神が脈々として生きているからではないか――このように考えていかないかぎり、なぜ日本人だけが「自然との共生」という独特の哲学、美意識を持ち得たのかが理解できないと私は考えるのである。 こうした縄文の思想は、単に自然を崇拝し、自然と共生するだけのことに終わらない。たとえば日本人には、「素朴の美」を愛する、独特の感性があるが、これもまた縄文的なものだと言えるだろう。 西洋の一神教においては「自然とは征服・管理するものである」という思想が基本にあると述べたが、このような思想においては「自然そのまま」、すなわち素朴な造形は高等な美であるとは評価されない。 人間が万物の霊長であると考える一神教的土壌においては、美術品や工芸品にしても、優れた人間のセンスによって精緻に手を加えられ、さまざまに意匠を凝らしたものがより上等であるとされる。バロックやロココの美とは、まさにその象徴である。これはイスラム圏でも、あるいは中華文明圏でも基本的には同じである。 ところが日本人の場合は、たしかに一方で繊細さや壮麗さを好むセンスもあるが、それと同時に、何も手を加えない、素朴なるものに美を感じるセンスも持っている。 たとえば、それが如実に表れているのが、戦国時代に生まれた茶道である。千利休が完成させた茶道においては、細工を凝らした茶器は好まれない。カンボジアやベトナムあたりで庶民が使っていたとおぼしき、形も少々歪んだような陶器にこそ「わび・さび」があると感じ、戦国大名はそうした素朴な茶器を手に入れるためには万金を投じても惜しくはないと感じていた。力と富を得れば、「金ぴか」に走るヨーロッパや中国の王族や諸侯の行動パターンといかに違うことか(この点については、呉善花「日本的精神の可能性」が面白い) それは宗教芸術においても同じである。本来、インドや中国の仏教において、釈迦像や菩薩像とはきらびやかであることが尊さの象徴であるとされてきた。したがって、仏像は金属製であったり、あるいは金箔で被われていた。また、仏教寺院そのものも朱塗りで豪奢に作るのが普通であった。 ところがこの仏教が日本に入ってくると、とたんに質素を好むようになる。たしかに初期の仏教においては東大寺のようにその富貴を誇る、立派な施設が作られたが、時代を経るにしたがって仏像も木肌をそのまま活かしたようなものが好まれるようになった。寺にしても禅宗などでは質素な寺院が営まれたし、その庭園も石と白砂だけの石庭が現れるようになる。 このように日本の場合は、文化程度ああるいは経済レベルが上がるにしたがって、むしろ豪奢さよりも簡素さを追求するのが上流であるという感覚がある。能や詫び茶も「とことんそぎ落とす」ことが最高の美を生み出すという考え方である。西洋でこのような感覚が生まれてくるのは、つい最近のことと言っていい。 たとえば建築において、ドイツのバウハウスのようなシンプルなスタイルが生まれたのは20世紀初頭にすぎない。これに対して、日本で簡素な建築の極北と評される桂離宮が作られたのは17世紀のことである。このことから見れば、日本人の美的センスは西洋の数百年先を行っていたとも言えるし、西洋人が「自然とは征服すべきものである」というドグマから脱したのは、ついこの頃のことであるということも分かる。最近のケイタイにはOCR機能付きのものがあり文字資料写真を文字データに変換できるのだそうだ(大使はケイタイを持たないが)そのケイタイで中谷さんの文章を取り込めば楽かもしれないが、それではちっとも自分の頭に残らないだろう。だから、この本で学習しようという意味もあり、労苦を厭わず書き写した次第なんです。幕末ころまでは、本をまるごと書き写したそうだが、大使の場合、打ち写したというべきか。人差し指だけでは遅いので、ブラインドタッチの練習をせなあかんな・・・いやいや訥々と、効率のよくないアナログ的所業がええんやないか♪なお「懺悔の書」シリーズは今日で打ち止めとしますが、この後は左側の「資本主義はなぜ自壊したのか」1,2に入れておきます。
2011.04.16
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福島原発の暫定評価がレベル7と発表されたが、「1か月過ぎてレベル7」ともっぱら発表のタイミングが問題視されていますね。情報隠蔽とか報告の遅さに、国内、国外ともにフラストレーション気味なので、発表を聞いて、「1か月過ぎてレベル7かよ」とも思ったが、早く発表しても今以上に事故収束が進んでいたとも思えないし・・・・2日過ぎて頭を冷やすと枝野さんの発表で良かったのではないかと思うわけです。4/13レベル7の可能性、3月末には認識 枝野官房長官より福島第一原発事故について枝野幸男官房長官は13日の記者会見で、3月末までに、経済産業省原子力安全・保安院からレベル7に引き上げる可能性について報告を受けていたことを明らかにした。データの精査を指示した結果、4月12日の発表になったという。 枝野氏は、報告を受けた時点では「根拠が3カ所の放射性物質のデータに基づくもので、確信を持って言える状況ではなかった」と説明。確実な分析を指示した結果、11日夕方に保安院と原子力安全委員会からレベル7に相当するという最終報告があった。このため菅直人首相に報告した上で12日に公表したという。 これに関連し、菅政権の別の政府高官は12日夜、3月15~17日の時点で、すでにレベル7に相当する量の放射性物質が放出されていたとの見方を示した。この高官は「引き上げるタイミングが適切だったのだろうかと正直思っている」と語り、認定が後手に回ったとの認識を示した。 また、「過小評価を続けた菅政権の責任は重大だ。首相に代わってもらうのが危機管理の要諦だ」という野党発言に注目する読売新聞には、この新聞のスタンスが表れていて・・・・新聞各社の違いが興味深いのです。朝日の場合は、良くも悪くも親方日の丸なんでしょうね。4/13与野党から首相批判噴出…1か月過ぎてレベル7より 菅首相の東日本大震災発生後の対応は不適切だとして与野党で12日、首相への批判が噴出した。 統一地方選前半戦での民主党敗北に加え、東京電力福島第一原子力発電所事故の暫定評価が、発生から1か月を過ぎて「レベル7」に引き上げられたことが退陣論を勢いづかせている。 みんなの党の渡辺代表は党会合で、「政府は『レベル7』の原発事故という懸念を示してこなかった。過小評価を続けた菅政権の責任は重大だ」と述べ、首相は危機管理に失敗したと断じた。その上で、「首相に代わってもらうのが危機管理の要諦だ」と、退陣を迫る考えを表明した。 自民党の小池総務会長も記者会見で、「初動の遅れが(事故の)レベルを上げてしまったのではないか」と批判。地震・津波の被災地復興にも首相の指導力が欠如しているとし、「さっさと退陣することが復興への早道だ」と強調した。現在進行中の福島原発の暫定評価を出すことは、予測を含むだけに難しいことであり・・・・私には国際原子力機関(IAEA)の見解が一番しっくりするのです。4/13チェルノブイリとは異なる…レベル7に海外機関より 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、経済産業省原子力安全・保安院が12日、「国際原子力事象評価尺度(INES)」の暫定評価を最悪の「レベル7」に引き上げたことについて、海外の原子力専門機関からは、同じ「7」だった1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故とは深刻度や被害規模が大きく異なるとの指摘が相次いだ。 国際原子力機関(IAEA)のデニ・フロリ事務次長は12日の記者会見で、福島の事故とチェルノブイリ事故は規模などが「全く違う」と強調し、同列には扱えないとの考えを示した。事故発生時、チェルノブイリ原発は稼働中だったが、福島第一原発は停止後で圧力容器の爆発も起きておらず、放射性物質の放出量が大きく異なると指摘した。 フロリ次長は一方で、日本側のデータに基づくと、レベル7に引き上げた判断は妥当との見方を示した。 パリ郊外にある仏放射線防護原子力安全研究所(IRSN)のパトリック・グルムロン人体防護局長も12日の記者会見で、「福島の状況は深刻だが、被害の大きさはチェルノブイリ原発事故と比べてはるかに抑えられている」と評価した。チェルノブイリ原発と福島原発の違いは、事故のタイムスパンであり・・・・東電を筆頭とする現場作業員は批判されながらも頑張っているし、今後の頑張りで挽回可能と思いたいではないか。また、福島県民にとって早期の収束が何よりであり、政局に結びつける余裕なんかないのではないでしょうか。3月15~17日の時点で、すでにレベル7に相当する量の放射性物質が放出されていたとの見方を政府高官は示したそうだが・・・・どこに、どれだけ降下したかをすぐ公表することのほうが、レベルアップ公表より急がれていたはずである。
2011.04.15
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今夜のNHK-SONGSでシンディー・ローパーの放映が予定されています。大震災後に来日したシンディーであるが、いち早く避難したフランス人や中国人がいる一方で乗り込んでくるとは、あんたは偉い♪(日記にメモしていないと、つい見逃す恐れ大なもんで)はすっぱなロッカーとの印象もあるが、もともと好きなタイプでもあるし、乗り込んでくる義侠心がいいではないか。また、台湾から100億円もの義捐金が届いたそうだが、日本より貧乏なはずの台湾からこれほどの義捐金が届くとはありがたいものです。英語の諺で「困ったときの友が真の友」とかいうのがありましたね。シンディ・ローパーをよく読んでみたら・・・震災後に来日でなくて、震災が起きたその日、シンディ・ローパーは「メンフィス・ブルース・ジャパン・ツアー」のために来日しました。刻々と伝わる深刻な状況に激しく心を痛めながらも、シンディはコンサートを中止せず、日本を元気づけるために予定通り歌うことを決意となっていました。・・・・いずれにしても偉い♪シンディ・ローパーより2011年3月11日に起きた日本での大地震の直後、日本でのコンサートツアーのために来日。他の外人ミュージシャンが日本での公演を中止して帰国ないし、来日をキャンセルし、レコード会社からも帰国するように勧めら?れていた中、予定通りコンサートを行った。更に会場でチャリティのための募金を呼び掛け、コンサートをチャリティイベントにした。また大阪滞在時に湯川れい子へ「こんな時に日本にくることが出来て、私の人生の中でも名誉なことでした。ありがとう」と綴ったメールを送っている。1995年、『ニュースステーション』に出演した際に、当時社会現象となっていた女子高生の「ルーズソックス」のニュースにコメントを求められ、「あのソックスは格好いいし、いいじゃない?!」とスタッフの思惑と正反対のことを言い出し、「あの年頃の少女たちは、自分が何か特別の存在でありたいと願い、同時に一人で突出する勇気はまだない。そんな少女たちが社会においては特別な自分たちであるという主張としてのルーズソックスなのではないだろうか」と続け、コメントの最後に「でも誰が何と言おうとあのソックスは格好いい!」と結んだ。 ************************************************************************この番組を見たが・・・・ま~すっかり穏やかになっちゃって、ブルースなど歌っていました。昔のパワフルな歌が好みだけど、ブルースもいい感じでした。
2011.04.13
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たまたま神戸に帰っていたので選挙権を行使したという期待感でしたが、今朝の新聞を見ると・・・・兵庫県議選は民主1増、自民1減で、投票率41.4%で戦後最低という有様で、全国紙1面のヘッドラインは「民主、統一選敗れる」となっています。ま~菅政権の震災対応が評価されていないというか、惨憺たる政治不信が表れているな~。一方、「大阪都、府議過半数」とあるように、大阪府民の2大政党離れが見て取れます。そして、東京では石原都知事が4選を果たした・・・なんか、先は暗いな~。天罰発言で物議をかもした石原さんが3月11日に出馬表明した直後に、今回の地震が揺れたそうですね。このどさくさが石原陣営に味方したようで・・・・神も仏もないものかと思うわけで、政権交代命の大使は、意気消沈でおます。選挙:統一地方選 首長政党、台風の目 「維新の会」大阪府議選で過半数より10日の統一地方選では、大阪や愛知などの首長が代表を務める「首長政党」が台風の目となり、既成政党に加え、機能不全が指摘される地方議会への批判票を集めて存在感を示した。今後は国政への影響力強化も狙う。 橋下徹大阪府知事が代表の「大阪維新の会」は大阪府議選、大阪・堺市議選で計119人の候補者を擁立し民主、自民、公明、共産などと激突。3選挙で獲得議席は告示前48から2倍超の103に伸ばし、3議会とも第1党となった。府議選(定数109)では57人が当選、過半数を占めた。大阪市議選(同86)では33人、堺市議選(同52)では13人がそれぞれ当選した。 橋下知事は大阪府と大阪・堺両市を解体・再編する「大阪都構想」実現に向け勢力を拡大し、議会運営でも優位に立った。府議選で当選した維新幹事長、松井一郎氏(47)は都構想について「有権者からご支持をいただいたと思う」と話した。 東日本大震災発生後、橋下知事は「日本を支えるには東京と大阪の二つの『都』が必要」と述べ、防災面でも都構想の必要性を強調。選挙後は3議会での都構想推進決議に向け会派間の政策協議を優位に運びたい考えだ。統一選、民主敗北 「対決」2知事選全敗 石原氏は4選サクラが満開だしウジウジしている場合ではない。・・・・花見に行こう♪************************************************************************今年の花見は王子動物園にしました。散り始めという絶好のお日柄で。王子動物園オオヤマネコ
2011.04.11
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「福島原発事故で浮上した未来の原発」というサブタイトルの記事があり、中国科学院は、「トリウム溶融塩炉システムを選択した」と述べているそうですね。元エンジニアの大使としては興味深いが、リタイヤ後ともなると世の流れに疎くなるものです。4/7さよならウラン、こんにちはトリウムより 3・11震災発生までは、中国科学院の発表に対して世界のメディアのメインストリームはほとんど反応しなかった。しかし、3・11以後は変わった。 日本に設置されている固形燃料ウラン原子炉は時代遅れの技術であり、より安全でかつコストの安い、全く異なった種類の核エネルギーによって置き換えられ、次第に消えていくだろうといった議論がここ数年の間に始まっていた。それが、トリウム液体燃料原子炉である。 トリウムは連続的にウラン233を作ることによってトリウム自身の燃料を生み出し(=増殖させ)、同じ量の燃料からウランの約90倍のエネルギーを生み出すことができる。ウラン233の核分裂反応によってプルトニウムその他核兵器製造原料を発生することがない。トリウム溶融塩炉方式では、燃料が最初から溶融しているのだから、燃料棒のメルト・ダウンということはあり得ない。そして、核反応は冷却に従って減速される。 新しい技術は、常に完成するまでに成熟したライバル技術と格闘することになる。しかし、トリウムのライバルであるウランはすでにコスト面で沈没した。 「核兵器生まぬトリウム炉の検討を」を読むと、かなり期待できる原発であるが・・・・兵器転用がきかない平和的な原発ということで、アメリカの選択から漏れたのかもしれないが(それは、大使の思いすごしか)・・・・日本の選択から漏れているのは、現在運用している軽水炉システムの他に手を出す余裕がないだけかもしれない。「アメリカが出し抜かれた」というセンセーショナルな記述があるが、中国が絡むとなると・・・最近、世界で顰蹙を買っている中華の民の「資源の囲い込み」がクローズアップされます。3/3中国が独占意欲「トリウム原発」とはより 去る1月25日、中国科学院(the Chinese Academy of Science=CAS)がショッキングな公式発表を行った。 中国の“戦略的・先導的科学技術特別プロジェクト”としてトリウム溶融塩原子炉の開発プログラムを実施するということだ。 現在の原子力エネルギーシステムはウラン-235 を燃料としている。その埋蔵量は少なく、石油・石炭など化石燃料と同時期に枯渇が懸念されている。 わが国はトリウム資源大国。1000年にわたって枯渇の心配がない。(世界のトリウム資源はウラン資源の約4倍) この方式は、核燃料(トリウム-232)をフッ化物にして、フッ化物塩からできている溶融塩に溶解した状態で燃やす。地殻の中のマグマに少し似ていて、“ストーブ”の中で燃え続け、絶えず巨大なエネルギーを出す。液体燃料の原子炉ということがほかの原子炉と違うところだ。 その特徴は構造が簡単で、長期連続運転が可能で、燃料の“雑食性”が強いなどの利点がある。しかも、小型かつ精巧に作ることができ、一定量の核燃料を装入すれば数十年の安定運転ができる。さらに、理論的に、核廃棄物は現在の技術による原子炉の1000分の1しか発生しない。次世代原子炉は世界で研究開発中であるが、我が国がトリウム溶融塩炉の研究を今始めれば、おそらくすべての知的所有権を獲得することになる。 これまで人々は、“核”に言及すると顔色が変わる。広島・長崎の原爆、チェルノブイリ原発事故など悪夢のように人類の歴史に刻まれている。しかし、トリウム原子力は平和の象徴で、人類を新しい紀元へと導いてくれる。伝統的な原子炉で発生した核廃棄物の中には核兵器に使われるプルトニウム-239が多く含まれるため、核拡散のリスクにつながる。“新しいストーブ”でトリウム-232を燃やすと核燃料としてのウラン-233を出すと同時に不純物としてウラン-232 も出るが核兵器には利用できない。 中国がこの原発を開発する動機が、知的所有権と資源の囲い込みにあることが釈然としないし、手放しで喜べないですね。平和的な原発ということだが、今となっては繰り言になるかもしれないが・・・・日本の原発はアメリカ製原発からスタートしたが、アメリカ製原発は軍事技術の転用だったんですね。原子力潜水艦の推進動力には加圧水型原子炉が採用されているが、アメリカはその原子炉を商用発電に取り入れた。(英断というか大胆というか)軍事技術であれば、多重防護を必要とする原子炉を採用することにためらいはないのでしょうね。原子力潜水艦溶融塩原子炉福島事故を受け、原発大国・中国はどう動くか
2011.04.10
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福島原発では、高濃度汚染水の移送が今日から始まるそうだが・・・・1~3号機の冷温停止の準備が始まった段階であり、これから息の長い過酷な作業が待っています。気になるのは作業員の作業環境である。4/10フクシマ50、続く苦闘 蓄積する被曝量、不安とも戦うより 東京電力福島第一原発で続く過酷な作業は、収束の道筋すら見えないまま1カ月を迎える。「フクシマ50」と海外メディアから称賛された作業員たち。不安と苦悩を背負い、見えない敵と戦い続ける。 現在、食事は3回に増え、一部は数十キロ離れた宿に泊まれるようになった。東電関係者によると、線量計も全員に行き渡るようになったが、「これまでにどれだけ放射線を浴びたのかわからない」と不安を訴える作業員は少なくない。 社員を派遣している企業の関係者は「鉛のスーツを着せたいぐらいだ」と話す。第一原発には内部被曝(ひばく)量を計測する「ホールボディーカウンター」と呼ばれる機器もあったが被災して使えず、検査車両で代替している状態だ。 「何年かたって症状が出る作業者が現れるのではないか」。過去に原発作業員の労災問題を担当した鈴木篤弁護士は心配する。 鈴木弁護士が担当したのは1977~82年に第一原発で配管工などとして勤務した男性。退職後に多発性骨髄腫と診断され、2007年に死亡した。被曝によるものと労災認定されたが、損害賠償を求めた訴訟では東電が責任を認めず、請求は棄却された。 「被曝と、事後に発症した病気との因果関係を科学的に立証するのは極めて困難。いま、現場で作業する人たちは自ら予防する余裕すらないだろう。国や東電は十分な予防措置と、万が一の時の補償をしっかり検討していく必要がある」と話す。 東電の協力会社から作業に参加した40代の男性は、「行きたくなかったが、断れば今後の仕事がなくなる」と打ち明ける。日当は1万数千円。「時給数万円で雇われた建設関係の作業員もいるらしいが、日頃から東電と協力関係にある我々は通常の日当で働いている」 一方で、「自分たちしかいない」と責任感を持って志願した同僚も多く、「現場には団結感があった」と話す。 想定外の事故で、関係者は頑張っているが・・・・今回の緊急事態では、(作業環境も含めて)原子力村の対応では不十分ではないか?つまり、東電/保安院からのボトムアップの対応では、うまく機能していないのではないか?この非常時に悠長な感慨になるかもしれないが・・・・無責任な開戦を止められなかったように、日本人はトップダウンの行動が不得意なんだろうなあ。(大使、批評家になってるで)外国プレス向け会見場でドイツの記者が鋭く指摘していた。曰く・・・・「保安院も、政府も東電の一次情報をもとに動いているが、東電の情報提示には不信感を持っている」・・・私もそう思うのです。情報発信が不得意な日本政府でもあり、外国プレスも困惑気味であるが・・・枝野さんあたりが、英語でブリーフィングすれば、対外広報としては言うこと無いのだが。
2011.04.10
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先ごろ震度6強の余震があったそうだが、阪神大震災を体験した大使にとって・・・・(前後左右上下と、洗濯機のなかで振り回されるように感じた・・多分震度7のはず)震度6はどおってことないわけで、震度6弱は問題なし、震度6強で死人が出るかも?という認識なんですね。ところが、東北各地の原発で外部電源が途絶えたとか、非常用発電機が作動したとか使えないとか・・・これは原発にとって一大事であったが、今回は結果的に幸運にも全て自動停止できただけのことである。大使にとっては震度6は想定内であるが、原発にとっても想定内の震度で、これだけの異常事態に陥るとは・・・・現状の耐震設計は大丈夫?と不安になるわけですね。今進めている多重防護計画(非常用電源車の拡充とか)を、余震にそなえて更に急がせる必要があるようです。4/8東通原発、非常用発電機全て使えず 女川も1台故障より 7日深夜に起きた余震では、東北地方の複数の原子力施設で外部電源からの電力供給が途絶した。このうち東北電力東通原発や女川原発では、バックアップ用の非常用ディーゼル発電機が使えないなど、危うい状態が続いたままだ。今回は辛うじて難を免れたが、今後も予想される大規模な余震の揺れと津波に、原発は耐えられるのか。 東北電力によると、東通原発(青森県東通村)1号機は、余震で外部からの電力供給が2系統とも遮断されたため、非常用ディーゼル発電機による冷却に切り替えた。 女川原発(宮城県石巻市、女川町)1号機でも、非常用ディーゼル発電機2台のうち1台が壊れたまま、1週間にわたって必要な機能を果たせない状態にあることがわかった。経済産業省原子力安全・保安院が8日、明らかにした。 女川原発はこの状態のまま7日の余震にあい、外部電源3系統のうち2系統が途絶。1系統は生き残ったが、一時は綱渡りの運転を余儀なくされた。 東通、女川の両原発で、この状態が続いたまま再び外部電源が失われた場合、どう対処するのか。東北電力は保安院などに対し、福島第一原発の事故を受けて配備した電源車で最低限の冷却はできる、などと説明しているという。 日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)でも、外部電源が途絶え、非常用ディーゼル発電機で使用済み燃料貯蔵プールの冷却を続けたが、8日午後3時ごろ外部電源が復旧した。 sowonさんが【転載】国を守ろうとしている原発作業員を守ろうとしない国はやがて世界から孤立すると木村知さんの弁を紹介しています。原子力村の感覚は、村内でしか通用しないものかもしれないので・・・人権問題に発展しないよう対処してほしいものです。世界は福島を注視しています。
2011.04.09
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“「菊と刀の国よ、再び」日本の復興を見つめる中国人”という記事が、在日華人の情報HP(大紀元日本-東日本大震災特集)にありました。中国人の日本人観が表れていて興味深いのです。曰く・・・・「菊と刀の国よ、再び」日本の復興を見つめる中国人より今回、日本人の国民性に最も感服したのは、おそらく中国人だろう。 その理由は、中国人が、日本人の国民性の中にある儒教文化の道徳的基盤に共感するとともに、中国共産党政権によって中国では破壊された儒教文化の大切さを、日本人の秩序ある行動を見て再び実感できたからである。 米国在住の中国人作家・張朗朗氏は、日本人の国民性について感服しながら、次のように分析している。 「明治維新後の日本人は西洋化の過程の中でも、東洋の精神を放棄しなかった。日本人が有している教養は、文化のジャンルから見ると、彼らの着物や剣道と同様、漢や唐の時代の中国から伝承されてきた儒教精神の表れだと思う。これは日本人が有する特別な国民性というより、中国古代の義の精神と伝統的儒教思想、更に老子や荘子の思想も取り入れて、高いレベルの情操に発展させたものである」 しかし、もともと中国に由来する精神文化が現代中国には残されていないため、中国人が震災中に見た日本人の国民性については、懐かしさばかりでなく、「悔しさ」を感じるという複雑な心情もあるようだ。張朗朗氏はまた次のようにも言う。 「中共の言う『新中国』が設立されて以来、特に10年にわたって続いた文化大革命の嵐の中で、中国人の道徳や、社会の基盤となる責任感が破壊され尽くした。その後に続いた改革開放経済の時代には、資本主義の諸段階のような弱肉強食の精神が広がってしまった。もしここで政治改革をしなければ、たとえ今の中国経済が一部の国民に裕福な生活を与えられたとしても、国民は高いレベルの精神状態に達せないだろう」 日本からはるかに離れた米国で張朗朗氏が感じたことに共通する懸念を、被災地の中心である仙台にいた中国人・張陽氏も感じていた。 東北大学で助教を務める同氏は、震災後の避難所で中国人留学生を含む多くの東北大学の学生に出会ったが、進んでボランティア活動を志願した中国人留学生が一人もいなかったことを残念に思ったという。 「日本国民は、まさしく中国2千年の儒教思想を受け継いでいる。遣隋使が中国から儒教文化を日本に持ち帰った後、聖徳太子は十七条憲法を発表した。その憲法の第一条に『和を以って貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗と為す』とある。これはまさに孔子の『論語』の内容に合致している」 今回、世界を感服させた日本人の「冷静さと秩序正しさ」の淵源について、張陽氏はこのように理解していると言う。一方、同氏は「日本人をこれほど素晴らしい民族に教化した儒教思想は、現代の中国では見られない」と悔やむ。「日本人をこれほど素晴らしい民族に教化した儒教思想は、現代の中国では見られない」だって?・・・・教化された覚えはないんですけどね。この在日華人のわりと尊大な中華意識が鼻に付く大使である。(このあたりにG2憎しの大使が現れるのである)北京オリンピックの聖火リレーの時にも見た世界各地の在外中国人の中華意識に、世界は違和感を抱いたと思うけど、この記事にも同様な違和感が沸くんですね。それにしても、中国共産党は孔子批判を行ったが、在外中国人の間には、今もこのような上から目線の孔孟思想が生きているんだろうか?遣隋使や遣唐使を出してまで持ち帰った儒教や孔孟思想を、官僚制度を取り入れるために日本の権力者は利用したが・・・・当時も現在も、日本の大多数の民衆の意識まで教化していたとは、思えないのである。この記事を書いた記者には、儒教思想の本質についてもう一度、勉強してもらう必要があるのではないだろうか?そして、日本独自の心性に対して「悔しさ」を感じると、前言を訂正してほしいものである。ところで・・・・福島原発に関する次の記事には人為的な要素として「100年間で二度の世界大戦が発生した」とあり、この危機管理の感覚には聴くものがありますね。このへんに、いい意味の大陸根性が表れているんだろう。福島原発事故 その回顧と反省より それ以来10年、原子力発電工業の人気は少しずつ回復したが、1986年に発生したソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故は徹底的に世界の核工業を震え上がらせた。この事故は原子力発電所に関する安全性の分析のもう一つの結論を実証した。すなわち、80%の原子力発電所事故は人為的な要素が原因であり、また、これらの人為的な要素のうち80%が企業組織と企業文化が要素である。原子力発電所の安全性における人為的な要素の支配的役割は、現在の原子力発電所の設計における固有の安全性の深刻な欠如を反映している。 この二度の大事故の後、世界の核工業界は各種の設計基準を超える事故について広範な研究を行ったが、そこから誕生した第3世代の原子炉はやはりいくつかの肝心な安全問題、例えばテロ活動や戦争を完全に解決できない。 現在、加圧水型原子炉の安全基準は小型の飛行機の直接衝突に耐えられるが、テロリストが大型の旅客機をハイジャックして自殺した米国911事件のような行為には対抗できない。 スリーマイル島、チェルノブイリと福島はいずれも確率が百万分の1ないし10万分の1より小さいと思われることによって発生し、また100年間で二度の世界大戦が発生し、数十回の局地戦争、数え切れない数のテロ攻撃があった。人類はこれらの事件の中で安全性の保障を確保できるかどうかが、原子力発電が直面する最も基本的な問題でもあり、そして困難でもある。孔子批判/ついG2嫌いがより大使思うに、中国共産党という言わば士丈夫の率いる政治は、官僚支配そのものであり・・・・論語とか漢詩たらいう中国文化は、この官僚支配と分かち難く続いたものであり、これらに日本人が情緒的に傾倒する様は、ナイーブに過ぎるのかもしれないですね。上から目線の記者につい反発したが、日本人を評価する中国人には(同床異夢でも)お隣として素直に感謝するのが大人なんでしょうね。
2011.04.08
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引用の続きです。まだまだ続きます。請うご期待。「資本主義はなぜ自壊したのか」中谷巌著、集英社文庫、2011年刊<金融立国の破綻>p103~106 そもそもアメリカ経済は規模が大きいこともあって輸出依存型ではなく、国内経済だけで自己充足的に動く経済体質を持っていた。1970年代までは、アメリカ産業の中心は製造業であり、国際展開をすると言っても、せいぜい海外に製造拠点を移してそれぞれの国で実績を上げるという形態でとどまっていた。 しかし、1980年頃までにアメリカ産業の中心であった自動車産業や家電産業など主要な製造業が日本やドイツなどに追いつかれ、競争力を失っていった。このため、日本に対しては通商摩擦が引き起こされ、日本市場は閉鎖的でアンフェアだと断定されることになったが、これは製造業が競争力を失うとアメリカ経済が成り立たないという危機感が強かったからである。 しかし、1990年頃になって、アメリカ産業の中心はデトロイトなど中西部から東海岸の金融業と西海岸の情報通信産業にシフトしていく。アメリカの戦略としては、東西冷戦が終わり、東側諸国がグローバル経済に参画してくる中で、金融業と情報通信産業に活路を見出したのであった。1990年代に入って飛躍的に発展を始めたグローバル資本主義がアメリカを中心に進んだのは、グローバル化に適した金融と情報通信で競争優位を確立することに成功したからである。 情報通信については多くの言葉を必要としない。マイクロソフトやインテルなどがデファクト・スタンダードを作り上げ、世界市場を席巻した。今世紀に入ってからはグーグルのようなネット企業が信じられないほどの大成功を収めた。他方、GMやフォードなど、かってのアメリカ経済を支えた巨大製造企業が経営危機に陥っているが、金融や情報通信の分野で圧倒的な優位を築いたアメリカはかってのように通商摩擦を仕掛けることもしなくなった。アメリカの産業構造が製造業中心から、金融と情報通信産業中心に大きくシフトしたからである。 1990年代後半になると、ニューエコノミー論が台頭した。つまり、アメリカ経済は金融と情報通信産業の産み出す継続的イノベーションの結果、かっての資本主義経済の宿命であった景気循環を克服し、長期にわたる継続的成長が可能になるという学説である。そのニューエコノミー論の一翼を担ったのがアメリカの金融業界、特にゴールドマン・サックス、モルガンスタンレーなどの投資銀行の「レバレッジ経営」ビジネスモデルであった。 結局、レバレッジ経営でわが世の春を謳歌してきたアメリカの投資銀行は、巨大な金融商品のマーケットを作り、巨大な利益を得たが、しかし、肥大化したマーケットを支配していたつもりが最終的にはモンスター化したマーケットに翻弄される結果となった。 アメリカは、製造業中心の経済から、金融とITに立脚した「金融立国」への脱皮を目指したわけだが、それがついに挫折したのである。バブルに浮かれ、借金を重ねて身の丈以上の消費に走った国民も、今やその被害者となった。アメリカ主導の金融資本主義(グローバル資本主義)は、ついに「破綻」したのである。 <アメリカ流資本主義の暴力性>p202~203 今回のサブプライム・ローン問題が引き起こした影響があまりにも巨大なものになったことに世界中の市場関係者はショックを受けた。無制限に国境を越えて資本が移動することがもたらすグローバル資本主義の「負の側面」が、今回の危機で明らかになったからである。 金融取引は通常の財の取引に比べると振幅が大きい。というのも、近年の金融工学の発達によって、限られた資金であってもそれにレバレッジを利かせることが可能になった。すなわち元金の何倍、何十倍、いや場合によると数百倍もの「賭け金」で、金融取引に参加できるようになったのである。日本でも為替取引の一種であるFXに、主婦や学生までもがのめり込んだのも、元金の100倍以上もの信用取引ができるからである。 こうした金融取引は、上昇気流に乗っているときにはどんどん相場が上がっていくが、ひとたび下降気流に乗ってしまうと怖い。実体のない「バブル」が崩壊すると、最悪の場合には金融恐慌に至る。そこまで行かなくても、金融相場が振れすぎるために実体経済が大きく影響を受けてしまう。言い換えるならば、今やグローバル資本主義は実体経済に対して一種の「暴力性」を持つようになり、それだけ世界経済の安定性が根本的なところで失われてしまっているということなのである。 したがって、かりに今回の金融危機がいったんは回避できたとしても、グローバル資本主義を従来どおりに「放任」していれば、いずれ起きるのは間違いない。さすがにアメリカの金融当局、あるいは政府もそこまでは愚かではないと信じたい。 実際、今回の危機でリーマン・ブラザーズは破綻したし、メリル・リンチはバアンクオブアメリカに吸収合併された。これまで大変な収益を上げてきた証券会社(投資銀行)上位二社、ゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーも金融持株会社化された。業界の再編成が急ピッチで起きているというわけである。 しかも、二大証券会社が金融持株会社の傘下に入ったということの意味は大きい。というのも、これによって、これらの証券会社は間接的であれ、米連邦準備制度理事会(FRB)の規制下に入ったからである。つまり、これまでのような野放図ともいえる「自己資本を大幅に上回って資産を膨張させるレバレッジ経営」はできなくなることを意味する。これで権勢を誇ってきたアメリカ系の証券会社はすっかりおとなしくなるはずだ。 <宗教国家>p216~220 「予定説」の教義は非キリスト教者にとっては、きわめて難解なものではあるが、そのエッセンスだけを述べれば、カルヴァンの神学は、神とは人間の理解を超越した、全能なる存在であるということが大前提となっている。 このような全能なる神の前には、人間の信仰などはあまりにも小さな力しか持っていない。したがって、いくら人間が熱心に神に働きかけたところで、神の決断を変えることはできない。救われるか救われないかは、すでに神が予定していて、変更の余地などない-だから、「予定説」なのである。 日本人のように、一神教に慣れていない人間から見れば「最初から救済されるかどうかが決まっていて、人間にはもはや努力の余地が残されていないというのは、信仰そのものを否定するものではないか」と思えてしまうのだが、カルヴァンの信仰体系を受け入れた人たちはますます篤い信仰を持つことになる。というのも、自分たちがすでに「神に選ばれている」と信じることができるならば、どのような試練も乗り越えられるからである。自分たちがかならず救済されると思っているのだから、怖いものはないし、心配することは何もない。一歩間違えれば狂信にもつながりかねない強さがカルヴァン主義にはあるのである。 そこで話を戻せば、1630年に新大陸にやってきたウィンスロップたちは、まさしくカルヴァン主義者であった。(中略)さて、ウィンスロップたちのようなカルヴァン主義者たちがいて、世界の規範となるべき「理想の国」を作り上げたいという、彼らの強い決意がのちのアメリカ建国につながるということを理解すれば、どうしてアメリカが世界中に民主主義と市場原理を「布教」しなくてはいけないと、まるで強迫観念のように考えているかも理解できるというものであろう。 彼らにとってみれば、アメリカが理想的国家を作ること、そしてその理想の光を世界中に及ぼすことは「神から与えられた使命」であると同時に、それが達成できなければ、それはアメリカが神の祝福を受けていないことの証明になってしまう-アメリカが外国にアグレッシヴに自己の信念や理想を広めていこうと考えるのは、単なる善意や信念からではない。 アメリカという国家の存立は、ひとえにアメリカが「理想の国」、聖書に言う「山の上の町」であるかどうかにかかっている。神から与えられた崇高な理念を果たせなければ、それはアメリカ自身が奈落の底に落ちることになる。だからこそ、アメリカはどのような手段を使っても、イラクやアフガンを民主化し、また、世界に市場原理を広めなくてはいけないのである。 その意味では、今でもアメリカは紛うことなき「宗教国家」なのである。 ブッシュ大統領がイラク戦争を始めるにあたって「十字軍」という言葉が思わず口をついて出て、世界の顰蹙を買ったのも、おそらくこのような「宗教国家」としての性格がアメリカ人の背骨に深く刻み込まれているためであろう。 いかにヨーロッパなど諸外国から批判されても、イラク駐留を止められないというのも、この観点から考えれば理解しやすい。それはアメリカにとっての国益保持ももちろん関係はしているが、同時に「ここで後退することは、神から与えられたアメリカの崇高な使命を放棄することになる」という恐怖心も大きく関係するものではないか。アメリカがかってベトナム戦争からなかなか撤退できなかったのも、そうした十字軍的心性が大きく影響していると見れば、なるほど分かりやすいと思うのである。 ちなみに中西氏の解説によれば、アメリカが時として孤立主義(いわゆるモンロー主義)に陥るのは、こうした「宗教国家」としての性質に矛盾するわけでもないという。 頭悪すぎ包囲網を敷く
2011.04.07
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東日本大震災対応で選挙が霞む感じであり、TPP何だった?という状況であるが・・・個人的な「頭悪すぎ包囲網」は依然として続いているわけで、やや時宜を得ていないかもしれないが、中谷巌著「資本主義はなぜ自壊したのか」という本を見つけたのです。中谷巌さんと言えば、細川内閣や小渕内閣で経済政策のブレーンとして活躍した人であるが、竹中さんと違うのは、新自由主義に別れを告げたことです。反米の大使としては・・・・「アメリカかぶれ」の中谷さんが、いかにして解脱またはカミングアウトできたかという点に興味があり、この本を読み進んだのですが・・・・戦前から今までの日米の経済活動を少し長期的な視点で見ることは、越し方の私の生活とは何だったのだろう?とか、私は如何にして反米になったのか?という疑問に答えてくれるわけですね。中谷さんのこの読みやすい本で、かなり頭の整理がついたと思うのですが・・・・・読みやすいと感じたのは、中谷さんの文章が明晰であることは勿論で、私のアメリカ憎しの思いがうまくマッチしたのかもしれません。この本の一部を紹介します。「資本主義はなぜ自壊したのか」中谷巌著、集英社文庫、2011年刊<大圧縮の時代>p53~65 最近出版されたロバート・B・ライシュの「暴走する資本主義」(東洋経済新報社)や、2008年ノーベル経済学賞に輝いたポール・クルーグマンの「格差はつくられた」(早川書房)の中でも指摘されていることだが、第二次大戦終結の1945年から、オイルショック直後の1975年にかけてのアメリカは、第二次世界大戦前に比べて圧倒的に所得格差が縮小した「大圧縮の時代」(クルーグマンの命名)だった。 私は若き留学生として、その「大圧縮」によって誕生した豊かな中流層が中核となっている健全なアメリカ社会の中に飛び込んでいったことになる。 ところが、こうしたアメリカの中流社会は、1981年に登場したレーガン政権によって決定的な変質を起すことになる。「小さな政府」「高額所得者向けの減税」「自己責任」といったキャッチフレーズのレーガノミックスが推進されたことで沈滞していたアメリカ経済を活性化することにはある程度成功したが、たったの30年足らずで、アメリカ社会では所得格差の拡大と、それに伴う中流階級の消滅、医療や福祉の後退が起こったのである。 トーマス・ピカティとエマニュエル・サエズの著名な研究によれば、2005年のアメリカでは上位1%の富裕層が、国の総所得のなんと17%以上を受け取っていた。 これだけでも驚くべき所得格差の拡大だが、この富裕層の中でも実は大きな較差があるのだ。 というのも、アメリカ全体で上位0.1%の超富裕層の人々が、アメリカ全体に占める所得シェアは、なんと全体の7%に達するという。ちなみにレーガン登場依然においては、上位1%の富裕層が占めていた総所得は8%、同じく0.1%の超富裕層の総所得はわずか3%だったのだから、格差社会もここに極れり、である。 さらに、この30年間の格差拡大については、アメリカの大企業トップの年俸金額の推移にも明確に現れている。(中略) レーガノミックスによって、アメリカ社会の中核的存在であった中流階層の存在感が失われていったことがこれらのデータから読み取れるが、実は今のような格差社会がアメリカに生まれたのはこれが最初ではない。 大恐慌が起きる直前の1927年ごろのデータを見ると、所得上位1%の人々の所得シェアは何と20%にも達していたのである。戦前のアメリカは実は今よりひどい格差社会(いわゆる「金ぴか時代」のアメリカ)だったんおである。 ところが、こうした格差は、1940年前後から急速に縮小する。その理由は先に述べたように、大恐慌の教訓から、アメリカの歴代政府が経済活動をすべて市場に委ねるという古典派的な考え方を捨て、政府自らマーケットに介入し、総需要管理政策や所得再配分政策を行うようになったからである。 フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策がアメリカ経済を立て直らせるのにどの程度効力を発揮したかはともかく(第2次世界大戦勃発による軍需の拡大が恐慌状態のアメリカを救ったという見方が支配的であるが)、公的部門が景気安定化や所得再配分に積極的な役割を果たすようになる傾向は第2次大戦の勃発によってさらに加速した。この結果、20世紀半ばには米国の産業のおよそ15%が政府による直接的な規制を受け、残る85%の産業に対しても、ゆるやかな統制が行われるようになった。 こうした政府による経済統制は、既存の大企業にとってはそれだけマーケットでの競争リスクが減ることを意味する。新規参入のライバルが現れないとなれば、安心して長いスパンで経営戦略が立てられるわけだから、こうした統制はアメリカ企業が寡占的な力を付けていくうえで大きなプラスになった。現在でもアメリカの多くの伝統的産業が寡占体質であるのはこのためである。 戦後の日本経済は官僚統制による「護送船団方式」だとさんざん批判をされたわけだが、実は戦後のアメリカ経済の強さもまた護送船団にあったというわけである。(中略) こうやって見ていけば、アメリカの歴史も循環を繰り返してきたことが分かる。戦後アメリカの豊かさを生み出したのは、所得格差の「大圧縮」と社会福祉政策の拡充のためであったが、それが行き過ぎたために、「小さな政府」を標榜するレーガノミックスが登場し、アメリカをふたたび戦前型の格差社会に逆戻りさせたのである。 このように、少し長期的な視点で歴史を追いかけるとその流れはひじょうに単純明快であり、自由放任政策の追求がアメリカ社会を安定させ、「豊かな社会」を作り上げたわけではないことが分かるのだが、近視眼的に世の中の動きを追っかけているだけでは、本当のところ、社会で何が起こっているのかはなかなか正確に読み取れないものらしい。 しかし、最近の研究によって、アメリカの経済政策は30年から40年ごとの循環を繰り返し、その中でも「適切な」政府介入が行われた時期にアメリカは真の意味での黄金時代を謳歌したのだということが確認できるようになった。 そういった循環論から言えば、アメリカにおける経済政策は、早晩、個人の自由を優先する新自由主義から、所得格差や社会保障制度の拡充など、公共の利益により大きな配慮をする民主党的な政策に移行していくことになるだろう。 実際、2008年11月、アメリカは中堅層への減税による所得格差の是正を政策の柱に掲げた民主党のオバマ氏を大統領に選出した。その結果、2009年以降のアメリカは共和党の「個人の自由」優先の政策から、民主党の「公共の利益」優先の政策に転換していくものと思われる。これはアメリカにとっての福音であろう。 とにかく、個人的に始めたTPP「頭悪すぎ包囲網」の一環として、お奨めの本です。頭悪すぎ包囲網を敷く
2011.04.07
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福島原発の事故原因は津波による電源喪失につきるのだが、その非常用ディーゼル発電機の冠水などについて東電より発表がありました。説明図つきで良く解る説明になっているが、発表が遅いんだよな~。保安院や政府の関係者には報告があったかもしれないが、国民やメディアへの情報提示が遅いではないか。(もしかして、情報開示を遅らせたのは政官業のいわゆる原子力村かもしれないけど)4/6福島第一、安全設計で第二と違い 電源喪失巡り東電指摘より 東日本大震災で被災した東京電力福島第一原子力発電所で、津波を受けて電源喪失事故に至った主要な理由は、福島第二原発との安全設計上の違いにあると、東京電力作成の資料で指摘されていることが分かった。第一ではタービン建屋内の非常用ディーゼル発電機などが冠水し、使用不能。第二では、発電機などが気密性が高い原子炉建屋内にあり、機能を維持した。今後、事故の検証で安全設計の問題が焦点の一つになるのは確実だ。 福島第一、第二の両原発は3月11日、5.2~5.7メートルの想定を大幅に上回る14メートル以上の津波に襲われた。電源を失った第一では原子炉の制御が困難になり、その後、深刻なトラブルが続発。第二では原子炉の冷却水を海水で冷やすシステムが正常に働かなくなるなどのトラブルがあったが、大きな事故には至らなかった。 国民軽視の情報開示ではないかと思うのだが、これには、かねてから噂される隠蔽体質がからんでいるのではないか?福島第一では機器レイアウトに設計不良があると指摘されていたが、この説明図で一般人でも、それが良くわかります。(これでは、発表をしぶる気持ちはわかるのだが)なお、この説明図には津波にさらわれたディーゼル燃料タンクが記載されていないが、それは単なる省略なのか、隠蔽なのか?(それとも大使の疑心暗鬼か)困るのは汚染水の放出「情報公開不足」近隣諸国に不満広がるとあるように、韓国、ロシアなどから情報開示のあり方に不満が表明されています。原子力村の感覚では・・・だめやで!原子力安全・保安院HPを覗くと・・・・福島第一原子力発電所からの低レベル廃液の海洋放出についてが出ているが、東電発表を保安院と原子力安全委員会が追認している様が見てとれます。ここからは、執行直前の公表、すなわち待ったなしの緊急性は見えるけど、漁民の風評被害とか近隣諸国への配慮を読み取ることはできませんね。最新情報福島第一、汚染度低い水の放出続く9日までによれば、汚染水放出は9日まで続くそうだが・・・先が見えたというか、長すぎるというか微妙ですね。いずれにしても、原子炉の冷温停止を最重視して頑張ってもらうしかありません。
2011.04.06
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福島原発では、汚染度の低い水を数日かけ計1.1万トン海へ放出するんだそうだ。おいおい 事はそんなに逼迫していたのか。保安院も、それから政府も「やむを得ない」と追認しているが・・・・情報の出方が唐突に見えるので、もしかして東電の報告が遅いためでないかと危惧するのです。(なにしろ情報隠蔽体質だから)東電、汚染度低い水を海へ放出 数日かけ計1.1万トンより 福島第一原子力発電所で問題になっている高濃度の放射能汚染水の保管場所確保と、設備の浸水防止のため、東京電力は4日午後7時すぎ、原発内にある比較的汚染度の低い水を海に放出し始めた。今回の事故で、汚染された水を意図的に放出するのは初めて。数日かけて計1万1500トンを出す。 原子炉等規制法に基づき、汚染や災害が発生するおそれがある場合の「応急の措置」として、東電は経済産業省原子力安全・保安院に計画を報告、了解された。 この放出の影響を試算した東電によると、原発から1キロ以遠の魚や海藻を毎日食べたとしても、年間に自然界から受ける放射線量(2.4ミリシーベルト)の4分の1程度としている。 東電によると、集中廃棄物処理施設にある1万トンを放出する。2号機のタービン建屋地下などにある高濃度の汚染水の流出を防ぐため、あらかじめ処理施設にある汚染濃度の低めの水を外に出すことで、高濃度汚染水の保管スペースを確保するという。 放射性物質を含む水は、通常時は低濃度であっても、そのまま環境中に出すことは許されていない。今回の判断について、東電は「汚染水の量が非常に多く、時間的な問題もあって放出を選択した。地域の皆様に申し訳なく思っている」と謝罪した。保安院も「やむを得ない」としている。 福島原発を熟知した東電が第一線に立って指揮するべきであり、事実そうなっているのは良しとしても・・・なんか大丈夫?と不安になるんです。保安院には期待できないが、原発のエキスパートがサポートできているんだろうか?つまりほんとに、オール日本の体制で対応しているんだろうか?東電が事を抱え込んで、周りの英知がサポートできていないなら・・・・アホやで。ネットを巡ると原子力防災に関する体制が文科省原子力安全課HPに載っていたが・・・・今回のような本物の事故には、うまく機能していないみたいですね。また、福島第1及び第2原子力発電所周辺のモニタリングカーを用いた固定測定点における空間線量率の測定結果(地図)などが、文科省の放射線モニタリングデータHPに出ています。余談になるが予断を許さない状態でありで大使が汚染水放流を危惧していたが、不幸にして現実のものとなってしまったな~。(危機的状況を脱すると、大使はバンバンと予断をはさむのである)
2011.04.05
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ホーホケキョ♪裏山ではウグイスのトッツァンが、元気に仕事(縄張り宣言)に精を出しています。お天気良し♪サンデー毎日の大使にとって絶好の練習日和である。65分コースを走ってきたが、ほぼ手術前のラップタイムで走りきったのです。いけてるジャン 宿毛マラソンが自粛でなかったら結構走れたかも?(いえいえ フルマラソンをなめたらあかんで!)手術して3ヶ月になるが、記録的にも体調もほぼ復活したな~。ただ 食が細く、酒は弱くなったのです。************************************************************************とかなんとか言いながら・・・・chappiさんお奨めのアイリッシュパブのギネスが飲みたいということで・・・遠路、西宮北口まででかけて、1パイント(560cc)ほどいただきました。おお 時間をかければ、これだけ飲めるのか♪(術後の飲食は試行錯誤でおます)カプリシカ【業務連絡】4/04 12'38" 25'37" 35'02" 57'34" 70'36"(快晴-手術後初)
2011.04.04
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母をショートステイにあずけ、昨日、半年ぶりに神戸に帰ってきた。我が家は息子と娘が暮らしているが・・・・庭なんかほったらかしで、無人のような荒れ模様である。(なんとかせんかい!)帰ってきたといっても、10日ぐらい神戸で雑務をこなし、また四国に帰る予定なので・・・・友人との再会、神戸再訪?、映画鑑賞とかで慌しいのです。ところで、福島原発では冷却水をどんどん注水しているが、その水はどこに行っているか?その水は循環、貯留、放出のどれかでしかありえず、現在は循環していないので貯留されているはずであったが・・・・ところが、あってはならない放出(ピットから汚染水流出)があったんですね。4/2汚染水、壁面の亀裂から海へ 流出場所を初確認 2号機より 東京電力は2日、福島第一原子力発電所2号機の取水口付近にある作業用の穴(ピット)に、原子炉からのものとみられる高濃度の放射能汚染水がたまり、壁面の亀裂から海に流れ出ているのを見つけたと発表した。汚染水が海へもれる場所が確認されたのは初めて。原子炉と海を結ぶ流出経路の可能性がある。東電は亀裂を防ぐためコンクリートを注入したが、流出は続いたままという。 同原発の付近の海では、放射性物質の濃度が急上昇しており、東電は汚染拡大を防ぐため、ピットの中にコンクリートを注入して亀裂をふさぐ作業をしたが、コンクリートが固まらず、汚染水の流出は食い止められなかった。 そこで、水分を吸収して膨らむ高分子ポリマーを入れてピットの上流側の通り道をふさいだうえで、改めてコンクリートを注入する手法を3日朝から試すという。 現在は流出経路が不明なまま、タービン建屋、トレンチなどの土建構造物に汚染水が溜まっている状況であるが・・・・だいたい土建構造物に水が溜まるようなことは設計の想定外であり、止水できる構造になってないかもしれないし、またコンクリート壁が地震でひび割れた可能性もおおいにあるのだろう。こうなれば、土木建築部門(大成建設?)の出番である。いや・・・ここはオール日本で、いや世界中の英知、機材を投入して、汚染水の流出を止める必要があると思うのです。また、作業員の線量計が不足していることが判明したが、なんてこった、英雄であれこそ奴隷じゃあるまいし・・・・大幅に補充せんかい!汚染水の流出による風評被害とか、もちろん魚類とか環境への放射性物質の蓄積が心配ですね。汚染水の流出から海洋の汚染にまで進んだイギリスの例が気にかかります。4/3英の放射能海洋汚染半世紀…健康被害なくても拭えぬ不信より 放射性物質の流出として過去最悪とされる海洋汚染は、1960年代から70年代にかけて英国の核燃料再処理工場から起きた。周辺漁場で取れる海産物に今、基準を超える汚染は見られない。だが、廃液は今も海に流され続け、住民や周辺諸国は不信をぬぐえずにいる。 グレアムさんは、福島原発事故の影響で「日本の漁師たちが、風評被害を受けないか、心配だ」と顔をくもらせた。 セラフィールドでは1万人が働く。原子力は、ほかにさしたる産業のない地域の大黒柱といえる。地元で表だって批判を唱える人はわずかしかいない。 だが、この地方の公衆衛生を統括するジョン・アシュトン博士は「住民の胸には不安感がよどんでいる。そのいくばくかは原子力産業の秘密体質に由来する」と語る。セラフィールドの環境団体COREの代表マーティン・フォーウッドさん(70)は「微量とはいえ、汚染魚を食べ続けたら、将来どうなるかわからない」と話した。(セラフィールド=橋本聡) 4/3放射性物質止まる時期「数カ月後が目標」 細野補佐官とあるが・・・・細野補佐官が言うように危機的状況は脱したとは感じるが、汚染水の流出防止は待ったなしであり、土建構造物の早期の補修などは日本の技術でできないはずはない(と思う)そして、建屋を覆う遮蔽カバーとか、汚染水の貯留とその処理に、気を緩めることのできない息の長い対応が待ってるのだろう。廃炉については20~30年の対応になるが、今回事故を反映して廃炉コストとか耐震強化コストの見直しなんかが必要になるんだろう。ところで、最新情報によればタービン建屋、トレンチなどの土建構造物に溜まる汚染水の水位が上昇しないそうだが・・・・これはもう、汚染水がどこかに漏れている可能性大なんですね。多分、コンクリート壁から地中に漏れていると思うが、(東電よりも)ゼネコンが表にたってやればいいのにと思うことしきりである。
2011.04.03
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サウジから脱出したあと、ドーハのトランジットラウンジで飲んだくれた大使である。なにしろドリンクはタダなので、ピストンのようにカウンターに通ったんですね。(もしかして禁酒ダンピング)そこで英語を操るアジアティックなカウンター嬢に国籍を尋ねるとフィリピンとのこと。サウジの工事現場でも、フィリピン人作業員は思いのほか信頼に足るものであったし・・・クリスティーナ(カウンター嬢)の魅力もあり、私の中でフィリピン株は上がったのである。 図書館で野村進の「調べる技術・書く技術」という本を借りたが、タイトルが一見ハウツウ本のようではあるが、もっと深いというか面白い読み物となっていたのです。昨日のアレクサンドラ・ハーニーに続く書籍紹介であるが、奇しくも、アジアに向かうお二人の視点が似ていなくもないのです。違いといえば、野村進が人類学的、アレクサンドラ・ハーニーが経済的というところでしょうか。(かなり荒っぽい断定ではあるが)前ぶりが長くなったが、韓国やフィリピンに精通したノンフィクションライターということで、野村進は個人的に要注意の作家なんですね。この本の一部を紹介します。「調べる技術・書く技術」野村進著、講談社現代新書、2008年刊<偶然か意志か>p23~24 私が大学一、二年のとき、最も愛読していたアジアの作家は、魯迅と金芝河である。魯迅は「阿Q正伝」で知られる中国革命前の作家、金芝河は韓国の軍事独裁政権を批判して死刑を宣告され獄中にあった詩人だが、この二人の作品がいまや若い世代にまったくと言ってよいほど読まれなくなった現実が、日本人のアジア観の激変を物語っている。金芝河は、韓国では何やら“オカルト・マニア”のごとくみなされているようだ。 こうしたアジアに関する書物の輪読会を大学の友人たち4,5人と開いていたのだが、アジアに留学したのは結局、私一人きりであった。彼らと私とを分けたものは、閉塞感の違いだけだったような気がする。いまから思うと傲慢きわまりない話なのだが、私は息苦しくてたまらない日本を脱出して、アジアの「混沌」のただ中に身を投げ込んでみたかったのだ。 フィリピンに行ったのは、大学の交換留学制度のある相手国が、アジアではフィリピンだけだったからにすぎない。交換留学生になれば、往復の航空運賃と年間50万円の滞在費が支給される。50万円は、欧米では数ヶ月しかいられない額でも、フィリピンでなら優に1年以上は過ごせる大金である。 はっきりとした動機とは言えないが、フィリピンという国に何となく心動かされてもいた。私の留学しているあいだに、ひょっとしたら当時のマルコス独裁政権が倒れるのではないかと思ったのである。私は、絶対的な権力が崩壊する現場に立ち会いたかったのである。 それからデビュー作の「フィリピン新人民軍従軍記」を刊行するまでの三年間は、偶然の連続だったと言ってよい。人づてに紹介してもらったマニラの下宿先が、たまたまフィリピン人作家の家であった。しかも、このフィリピン人作家が、マルコス政権に対して武装闘争を繰り広げていたフィリピン共産党の地下活動の支援者だったのである。(中略)「人間はある運命に出会う以前に、自分がそれを作っている」という箴言は、たぶんそのとおりなのである。次はハウツウというか、ライター裏話です。<技術はあとからついてくる>p25~27 私のケースは、ノンフィクションライターになる道筋としては、かなり異例かもしれない。しかし、どのような過程を辿るにせよ、出発点はやはり自分自身なのである。 自分は何者なのか。なぜノンフィクションを書くのか。この二点だけは、若いうちに突き詰めて考えておこう。その答えはたいてい、自分の出自や生い立ち、なかでも思春期までの体験に求められるはずだ。それを、以前は「原体験」と呼んだ。 かっての作家には戦争や貧困、旧弊な家族制度といった“わかりやすい”原体験があった。現役の作家でも、五木寛之には朝鮮半島からの引き揚げの際、母親を失った過酷な葛藤があり、梁石日には在日朝鮮人二世としての被差別体験や一世の父親との激越な葛藤がある。 以前、吉行淳之助は、身の周りに殺人犯がいたり、妹が娼婦をしていたりする作家のことを「サラブレッド」と呼んだが、読者の大半はそのような「サラブレッド」ではあるまい。だが、何かを書きたいなら、現在の自分を形作った根っこにあるものを、しっかりとつかまえて、よくよく噛みしめておきたい。フィクションであれ、ノンフィクションであれ、書き手が立ち返れるところはそこしかない。 ノンフィクションを書くという仕事には、深い充足感がある反面、さまざまな“シンドさ”もつきまとう。特にプロで生きていこうとすると、自分の書きたいことを書くだけでは生活できない現実に、すぐさま直面する。そこで、やむなく意に染まぬ仕事も引き受けるはめになるのだが、そんな仕事でも専念しさえすれば案外容易に生計が成り立ってしまう。書きたいものだけでは食えない。食えるけど書きたくない。このジレンマをほとんどのノンフィクションライターが抱えている。だが、ここで易きに付くと、沖合に流される小船のように初志は遠ざかっていく。 ほかにも、取材が立ち行かなくなったり、原稿が進捗しなかったり、発表の媒体が見つからなかったり、「一難去ってまた一難」と言いたくなるくらい“シンドさ”は押し寄せてくる。そのとき立ち返れるところがなければ、ノンフィクションを書く仕事は続けられないかもしれない。 繰り返しになるけれど、自分とは何者なのか、なぜノンフィクションを書くのか、自分なりの、そして自分をある程度(完全に、ではなくてもいい)納得させられるだけの答えを、まず見出しておこう。ここさえしっかりしていれば、技術はあとからついてくる。<チェックポイント>・時代を貫く普遍性を持っているか・未来への方向性を指し示せるか・人間の欲望が色濃く現れているか・テレビなどの映像メディアでは表現できないか、もしくは表現不可能に近いか・そのテーマを聞いた第三者が身を乗り出してきたか。ライターを気にせずに「コリアン世界の旅」という本を既に読んでいたのだが・・・・野村進のこの本は、1997年に大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞していたんですね。このところ、チェーンのように途切れずに、図書館で本を借りているが・・・・乱読のようでいて、傾向が現れているようです。ところで、地獄のサウジレポートでサウジアラビアの修羅場を思い起こすのであるが、約40日の間、ビールが呑めなかったのが・・・堪えたのです。
2011.04.01
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