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図書館で『嫌韓問題の解き方』という本を手にしたのです。在日のエスニック・ビジネスなんかを取り上げていて、単なる嫌韓本ではないようです。嫌韓という現象に焦点を当てて、韓国通のお三方が論じています。【嫌韓問題の解き方】小倉紀蔵, 大西裕著、朝日新聞出版、2016年刊<「BOOK」データベース>よりヘイトスピーチや「嫌韓」論調はなぜ起きたのか?異色の組み合わせによる韓国分析の決定版!【目次】1 韓国文化・思想、日韓問題(韓国文化の特徴とその変容/変化と不変化の韓国社会ーエリート支配、市民の権力、道徳性/日韓相互の眺め合いに対する解釈)/2 韓国政治、イデオロギー、市民社会(政党政治の変容ー地域主義からイデオロギーへ/大統領の強力なリーダーシップという幻想/変貌を遂げる市民社会ーエリート主義から多元主義へ)/3 ヘイトスピーチ、在日コリアン、参政権・国籍(排外主義とヘイトスピーチ/在日コリアンの仕事の変遷/在日コリアンの参政権と国籍)<読む前の大使寸評>在日のエスニック・ビジネスなんかを取り上げていて、単なる嫌韓本ではないようです。嫌韓という現象に焦点を当てて、韓国通のお三方が論じています。rakuten嫌韓問題の解き方韓国といえば激越な政治シーンが目立つのだが、その過激さに注目して見てみましょう。p143~146 <韓国社会は過激なのか> 21世紀冒頭、日韓ワールドカップの頃からか、韓国に関する報道が日本でも劇的に増え、それと同時に韓国の人々が過激なパフォーマンスを伴いつつ日本に対し批判的なデモを行うシーンを見ることが多くなった。 日韓の間には様々な問題、見解の相違があるが、それを道徳的に非難する姿に疑問を感じた人も少なくないと思う。テレビで映されるパフォーマンスに対して、なぜあんなに過激なんだろうかと感じるのは不思議なことではない。韓流ブーム以降、韓国に親近感を抱いていた人々が反日デモを見て裏切られたと感じたことも多かったようだ。 ただ、韓国に限らずこういったニュースに接するとき、私たちは次の二つの点を念頭に置いておく必要がある。一つは、報道は多くの場合、その国の人々の平均的な反応を伝えているわけではなく、よりセンセーショナルな動きを伝えているのだということである。 2015年の安全保障法制に対する若年者の反対運動が世界的に大きく報道され、日本の若者もついに政治に目覚めたとのニュースが流れた。しかし報道とは逆に、多くの若年層はこの反対運動にコミットしていないことは、周囲を見渡せば分かることであろう。報道は人々の耳目を集めねばならないのでどこの国でも過激な側面に光を当てる傾向がある。それだけバイアスがかかっているのである。 もう一つは、海外からの報道は自国民に関係のある側面を捉えることに注力する傾向がある点である。私たち日本に住む人々の場合、日本のマスメディアは日本に関連のあるニュースを流す。そうすると私たち情報の受け手は、その国で日本のことが大きな話題になっているように感じたり、日本に対してとりわけエキセントリックな行動をとっているように感じたりする。 先ほどから例として取り上げている韓国の反日運動であれば、その報道に接したとき、韓国内で対日関係がとりわけ重要なように思えたり、日本に対してとりわけ厳しいレスポンスを示しているうように感じたりするであろう。しかしこれらの感じ方は、マスメディアの性格を理解して私たちの方で修正しなければならない。日本の報道だからそのように報じているに過ぎない可能性が高いのである。 これらの補正の必要性からすれば、私たちはいま例として取り上げている反日報道について次の点に注意を払う必要がある。 第一に、報じられている対象は誰なのかである。それは一般的市民ではなく、この問題にコミットしている団体のメンバーであることがほとんどである。ではそれは一般市民の平均的な姿勢なのだろうか。第二に、日本はそれほどこの国にとって重要なのか、日本に対してのみ過激なのか、という点である。 韓国にとって日本は重要な国の一つであることは間違いないが、いつも念頭に置かねばならないような国ではない。例えば、私たち一般市民にとっても外交は重要であり、日本に最も重要な国であるアメリカは存在感があるが、私たちにとっての日常最大の関心事はそこにはないであろう。 韓国人にとっても同様である。アメリカと比べて遥かに存在感の劣る日本のことを常に考えているわけではないと想像するのが普通だろう。とすれば、過激なパフォーマンスも、日本にだけおこなわれると考えるのは不自然である。むしろ、デモ活動は一般的に韓国では日本に比べて過激なのだと考える方が自然である。 つまり、私たちが報道を通して得られる、韓国社会に関するより一般的な理解は、争点は何にせよ、過激なアピールをおこなう団体が韓国には存在する、ということである。そして、これこそが実は韓国内でも定着していた市民団体を眺めるイメージであった。例をあげよう。 2008年春、就任したての李明博大統領は、米国産牛肉輸入をめぐる激しいデモの洗礼を受けた。大統領は、輸入解禁を手土産にアメリカを訪問したが、BSE(牛海綿状脳症)感染の疑いが十分に拭えない中でアメリカが要求する解禁に応じたことが強く非難され、反対デモは首都ソウルの中心部を埋め尽くした。 デモはそれにとどまらず、李明博政権に好意的だった保守的な新聞社への批判、さらには反政府デモの様相すら呈した。デモの結果、大統領は全面謝罪、大統領秘書室陣退陣にまで追い込まれたのであった。 このように、韓国では過激なデモなどを通じて自分の主張を繰り広げる市民団体はNPOという名称で理解されることが多い。どちらかというと草の根的で、行政とも協力しつつ、福祉や環境問題など社会問題の現実的な解決を目指している。本章では、なぜ韓国ではこのようなイメージが持たれるのか、それは本当に現実の市民社会の姿なのかを考えていこう。p149~150 <政治的な志向性> 韓国の市民団体の特徴は、一言でいえば、包括的、アドヴォカシー(政策唱道)中心、エリート主義である。 第一に、組織的には多くの市民団体は集権的な意思決定構造を有しており、少数の幹部が決定的な影響力を有する。他方、一般市民への広がりは狭く、参加の形態も主体的に意思決定に加わる形の参加ではなく、寄付金など間接的なものにとどまっている。メンバーシップがはっきりしたボトムアップ型の団体とはいえず、「市民なき市民団体」と揶揄されるのもしばしばである。 例えば、ジュ・ソンスによれば、主要51個のNGOでは意思決定機構である代表機関、諮問機関、執行機関の構成員のうち、全体の6割を「市民運動家」と称される活動家と大学教授を主とする教育者が占めており、とりわけ執行機関となるとほとんどが活動家である。 第二に、関心の範囲が広範囲だが立法活動や争点掘り起こしに偏り、政策実施過程など市民が直接ガバナンスに関与することに活動の重点を置いていない。韓国を代表する市民団体である、経済正義実践市民連合や、参与連帯がその典型例で、関心の広さから「百貨店式市民団体」と呼ばれる。政策唱道に活動の重点があるため、政治性を帯びやすい。 前節の言葉で言えば、韓国の市民社会を構成する団体は第三次集団的であり、かつ公共目的、言い換えれば政治的な志向性に傾斜している。世界の流行にマッチしているともいえるが、メンバーシップを重視する伝統的な団体観からかなりかけ離れた存在である。これらが市民社会の特徴だというのは、とりわけ日本から見れば異様に映る。 それのみならず、ここまで注目してきたのは全国規模で活動する代表的な市民団体であって、その検討から引き出された知見が市民社会全体に対し一般性を有するとはいえない。代表的な市民団体に着目することは重要であるが、それが韓国の市民社会の平均的な姿からはかけ離れている可能性がある。ウン、隣国への鋭い分析であるが・・・・これだけケチョン、ケチョンに述べてもいいものだろうかと、不安に思うんですが。『嫌韓問題の解き方』1
2016.09.30
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図書館で黒田勝弘著『韓国を食べる』という本を手にしたのです。とにかく、韓国通の黒田さんの本だから、かなり期待できると思うのです。【韓国を食べる】黒田勝弘著、光文社、2001年刊<「MARC」データベース>より韓国人は「耳」で食べる? 在韓20年におよぶ著者が、自らの実体験をもとに韓国の食文化に迫る、驚きの韓国・食紀行。食べれば日本人の知らなかった韓国人のメンタリティがわかる。<読む前の大使寸評>とにかく、韓国通の黒田さんの本だから、かなり期待できると思うのです。amazon韓国を食べる本書は読みどころが多いのだが、本当の肉料理とやらを見てみよう。p37~40 <韓国の本当の肉料理は>より 韓国では街に焼き肉など肉料理屋が多いので、日本人は「韓国人はよく肉を食べる」と思う。魚文化の日本人と比べると肉文化の韓国人の方が当然、肉は好きだ。しかし常食では必ずしもない。街の風景は逆に、肉は貴重だから外食となると肉ということでそうなっている、とみるべきなのだ。 家でしょっちゅう食っていれば外食まで肉を食う必要はない。 ただ飽食の時代となって今なお、韓国の街でその風景が続いているのは、「ハレの食事イコール肉」という観念の名残りだろう。意識として、もてなしに肉はかかせないのだ。家庭でも、お客の接待には必ず肉が出る。胃袋ではなく意識(文化)がそうさせるのだ。 しかし飽食時代に入っている韓国は、実際には「肉離れ」の現状にある。これは「魚文化」の浸透、拡大ということで相対的な現象なのだが、詳細については後で紹介する。 具体的な肉料理としては、まずキムチのところで紹介したお勧めの「ソルロンタン」がいい。牛乳のように白濁した牛のスープに、きざんだネギを緑に散らした彩りがなんとも美しい。漢字で「雪濃湯」などと美しく当て字することもある。 味付けは粗塩をスプーンで好みに合わせて適当に入れる。ご飯は最初から入っていて汁メシ(クッパブ)になって出てくるところもあれば、別々に出てきたものを後でスープに入れるというスタイルもある。見ていると韓国人はほとんど最初からメシをスープに入れるが、ぼくはまずスープをじっくり味わってから後でメシを入れて食べる。まさに「肉のスープ」を味わうためだ。 汁メシというと日本人はメシに汁をかけるが、韓国人は汁にメシを入れる。なぜか。この答えも簡単だ。メシに汁をかけるよりメシがふくらむからだ。汁が多いのでより食ったような気がする。貧しい時代の知恵だろうか。 もうひとつ、それの方がかき込むのが早い。せっかちの韓国人にぴったりでもある。「ソルロンタン」はドンブリ汁メシだから昼食にちょうどいい。スープのせいで食べた当初は満腹感があるがすぐおなかは減る。肉片は入っているが、湯がいて十分脂抜きしてある。肉料理にしてはヘルシーである。 タップリしたスープの汁メシだから、食べた後は必ずゲップが出る。「ソルロンタン屋」からツマヨウジを口にシーハーさせながら出てきた男たちは、必ずといっていいほどゲップをやる。(中略) そういうこともあるのだろうか、近年、「ソルロンタン屋」の客に若い女性は少なくなった。ソウルで「ソルロンタン屋」の老舗で知られる鐘閣の交差点裏の「里門(イームン)」など、伝統の味に郷愁を抱く老世代をはじめ、客のほとんどはおじさんである。釜山郊外の定宿では、毎朝道向こうの店に出向いてソルロンタンを食べた大使であるが(たまにカルビタンに代えたが)・・・・飽きない味でした♪『韓国を食べる』1『韓国を食べる』2この記事も韓国料理あれこれ収めておくことにします。
2016.09.30
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図書館で『一度も植民地になったことがない日本』という本を手にしたのです。著者は、団塊世代よりちょっとだけ年上のバリバリのコスモポリタンのようです。それでは、ヨーロッパから見た日本を見てみましょう。【一度も植民地になったことがない日本】デュラン・れい子著、講談社、2007年刊<「BOOK」データベース>よりヨーロッパ人は毎日、日本の話をしているー日本は不思議でエレガントな「世界の孤児」9・11のテロを「カミカゼ」と呼ぶ、ヨーロッパフツー目線の、赤裸々な日本人評満載。【目次】序章 ヨーロッパ人が見た日本人/第1章 日本流気配りはヨーロッパでは通じない/第2章 有名な日本語はKAMIKAZE/第3章 日本は「世界の孤児」として生きよう/第4章 ヨーロッパが敬意を払う日本/第5章 日本のサラリーマンも案外悪くない!?/第6章 ヨーロッパ流コミュニケーションは、したたか<読む前の大使寸評>著者は、団塊世代よりちょっとだけ年上のバリバリのコスモポリタンのようです。それでは、ヨーロッパから見た日本を見てみましょう。rakuten一度も植民地になったことがない日本日本のサラリーマンの可笑しさを、見てみましょう。p154~156 <社歌斉唱なんて、冗談はやめろ> スイスで行われた国際ビジネス・セミナーへの出張から帰ってきた夫が、玄関で私の顔を見るなりゲラゲラ笑い出した。 「あら、何がおかしいの?」 「ああ、お前が日本人だからさ」 「ふん、ご挨拶ね!今ごろ気がついたの?」 「そんな顔しなさんな。実はスイスのセミナーでとても面白いことがあったんだよ。日本人って不思議な人種だなって、しみじみ思って帰ってきたところなのさ」 国際ビジネス・セミナーとは、いうまでもなく国際的に活動する企業を対象としたもので、ヨーロッパ各国の企業から派遣されたビジネスマンが集まったのだそうだ。夫は会社からひとりだけ派遣された。今回のテーマが「日本企業の分析」だったので、日本人の奥さんを持ち、日本へも数回出張したことのある彼が選ばれたらしい。 日本製品に押しまくられているヨーロッパのこと、日本企業の経営管理に興味が集中するのは当然で、日本通として知られるオランダ人講師が、1時間にわたって日本企業の経緯英管理の話をしたそうな。 そのなかで「ある日本企業では、従業員のモラール向上のため、毎朝全員で社歌を歌う」という実例報告は参加者を驚かせたという。 これはヨーロッパのビジネスマンにとっては信じられない「別世界」の話。彼らにとって会社とは自分の能力を買ってくれるところであり、家族のために働きに行くところではあっても、「会社のために働く」という感覚は皆無なのだ。そのうえ個人主義のヨーロッパのこと、なぜ朝から団体行動をとるのか理解できないのは私にも想像できる。 社歌斉唱の実例が披露されるやいなや、会場はザワザワしはじめたそうな。それでも日本で長年にわたり現実を見ている講師は、真面目に講演を続けようとした。 すると、会場からヤジが飛んだ。 「冗談はやめろ!真面目にやれ!」 <日本人は出世すると思っている> 今では社歌斉唱は少なくなっていると思うが、朝礼は珍しいことではない。日本のテレビ番組で見た有名家電メーカーの朝礼では、リーダーが応援団長よろしくこぶしを振りあげ、「ヤルゾー!」と叫んでいた。 すると彼を取り巻くグループ全員が、リーダーに合わせて同じようにこぶしを振りあげ、「ヤルゾー!」と唱和するではないか。世界最先端を行くという液晶テレビ工場からの中継だった。 その生産している製品と製造ラインのモラール向上の応援団風のやり方が何ともチグハグでおかしく、しばし、テレビにクギづけになった。社歌斉唱といえば『川の底からこんにちわ』という映画を思い出すのだが・・・・社歌斉唱をパロッっているわけで、日本社会の感覚から見ても可笑しいのです。【川の底からこんにちは】石井裕也監督、2010年制作、H24.2.8観賞<movie.walker作品情報>妥協した生活を送るOLが、実家のしじみ工場を継いだことから人生に立ち向かっていく姿を描く人間ドラマ。監督は、「剥き出しニッポン」の石井裕也。出演は、「愛のむきだし」の満島ひかり、「夢十夜 海賊版 第七夜」の遠藤雅、DVD『THE3名様』の志賀廣太郎。第60回ベルリン国際映画祭フォーラム部門招待作品。<大使寸評>これ以上後のない者が、中小企業の社長として開き直るときのパワーが炸裂しています。それもプロゼクトX風というより、もっと底辺の火事場の馬鹿チカラみたいな感じです。佐和子が自分を「中の下」とランクするけど、「中の下」にしては美人すぎるが・・・・美人なら許す♪movie.walker川の底からこんにちは『川の底からこんにちは』石井裕也監督 インタビュー『一度も植民地になったことがない日本』1
2016.09.30
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図書館で『一度も植民地になったことがない日本』という本を手にしたのです。著者は、団塊世代よりちょっとだけ年上のバリバリのコスモポリタンのようです。それでは、ヨーロッパから見た日本を見てみましょう。【一度も植民地になったことがない日本】デュラン・れい子著、講談社、2007年刊<「BOOK」データベース>よりヨーロッパ人は毎日、日本の話をしているー日本は不思議でエレガントな「世界の孤児」9・11のテロを「カミカゼ」と呼ぶ、ヨーロッパフツー目線の、赤裸々な日本人評満載。【目次】序章 ヨーロッパ人が見た日本人/第1章 日本流気配りはヨーロッパでは通じない/第2章 有名な日本語はKAMIKAZE/第3章 日本は「世界の孤児」として生きよう/第4章 ヨーロッパが敬意を払う日本/第5章 日本のサラリーマンも案外悪くない!?/第6章 ヨーロッパ流コミュニケーションは、したたか<読む前の大使寸評>著者は、団塊世代よりちょっとだけ年上のバリバリのコスモポリタンのようです。それでは、ヨーロッパから見た日本を見てみましょう。rakuten一度も植民地になったことがない日本それでは、表紙タイトルにもなっている下りを見てみましょう。p88~92 <植民地になったことがない日本> 古い小さな車の運転席で、彼女は私にたずねてきた。 「私は日本について何も知りません。日本のマスターズ・カントリーはどこなんですか?」 マスターズ・カントリー?私は何のことかわからず、バックミラーの中の彼女の顔を見るしかなかった。すると、いぶかしげな私の視線にとまどったらしい彼女。 「あ、ごめんなさい。『どこですか』ではなくて『どこだったのですか』と聞くべきでしたね」 まず驚いたのは、マスターズ・カントリー(ご主人様の国)という言葉。彼女は日本がヨーロッパかアメリカの植民地になっていて、マスターズ・カントリーを持っていると思っているらしい。ところが私が不思議な顔をしたので、「昔はそうでしたね」と言い直したに違いない。 「日本は一度も植民地になったことがないんですよ」 説明する私に、今度は彼女のほうが信じられないという顔をして、バックミラー越しではなく、直接まじまじと私を見るのだった。 それは当然なのだ。発展途上国の移民である彼女にとって、日本の歴史など何の関心もないに違いない。それは私も含め日本人の大多数が、彼女の国の歴史に興味がないのと同じことだ。 家に着き、玄関を入って振り返ると、私が鍵を開けたのを確かめた彼女は、合図のクラクションを鳴らしてくれた。ガタガタの小さな車は、オランダ人や私のような先進国の外国人が住む分譲住宅地の並木道を走り去って行った。 彼女は私のことをどう思ったのだろう。そのあとも気になってしかたなかった。 「同じ有色人種なのに、なぜ日本人はマスターズ・カントリーの住人と同等に生活できるの?」と思ったのではないか。「なぜ日本人は、アーチストなんていうわけのわからない仕事で暮らせるのか」と思ったかもしれない。 <ゲスト・ワーカーって何?> 翌朝、画廊のディレクターに鍵を返しに行った私は、昨日のスリナムの女性のことを話した。するとオランダ人の彼はこう答えるではないか。 「ああ、彼女はとてもいい性格だね。ゲスト・ワーカーにしてはトップレベルですよ」 「え?ゲスト・ワーカー?」 この言葉も初めてだったので私は聞き直したが、彼の返事は極めてそっけない。 「つまり外国からの労働者。オランダ国籍を持っている人もいるし持っていない人もいるけれど、特に旧植民地からの人たちのことですよ」 ガーンと頭を殴られたような気がして、ため息が出た。オランダに住むようになって、 「なんてこの国の人はインターナショナルなことか!」と感激したものだ。なぜならオランダでは、私が学生時代にロンドンで体験したような人種差別を受けることがまったくなかったから。 1960年代に、短期間だったがロンドンで学生生活を送った私は、ほんとに哀しい人種差別を体験させられた。犬か猿のように見られていると感じることもあったし、下宿探しをしたときは顔を見ただけで「もう、決まりました!」とドアをピシャン!そして翌日の新聞にまた同じ3行広告が載っている。あのころのロンドンはまだ大英帝国の誇りと驕りをどこかに持っていたのだろう。 しかし、オランダにも人種差別がある、とそのとき初めて私は知ったのだ。 この話を夫にすると、複雑な顔をしながらも大きくうなずいた。 「そうだよ、オランダではそういう人々をゲスト・ワーカーと呼ぶんだ。まったく優雅な名前を考えたものだ、お客様の労働者とはね。もちろんキャノンやトヨタで働く日本人は、そうは呼ばれないけれど」 「日本が昔も今もマスターズ・カントリーを持っていないと言っても、彼女は信じないのよ」 夫は「うーん」と考えこむ。 「アジア、アフリカで植民地にならなかった国は、日本のほかに・・・どこだろうな?おそらくひとつかふたつしかないと思うよ。昔は一般的に『日本、タイ、エチオピア』と言われていたけれど、エチオピアは第二次大戦前、イタリアに攻め込まれたし。あとはタイだけだろうな」 「え?そんなに少ないの?」 「日本は運がいい。いや、運がいいのではなく頭がよかったのだろうな。だって織田信長のころ宣教師が来日したときや、徳川時代の終わりに西欧の国々が日本に開国をせまったときも、植民地になる危機があったわけだろ?」 ハッとした。そういう考え方を日本の学校の歴史の時間に習った覚えがなかったからだ。たぶん、今の日本の中学生、高校生も習っていないだろう。幕末の日本人の中で、アフリカや南米と同じように日本が植民地になるという恐怖を抱いた人が、はたしていたのだろうか。 第二次世界大戦の敗戦のあとも同じで、「アメリカに占領される」とは言っても「植民地にされる」とは言わなかったのではないか。この時期、欧米列強は植民地の発想は捨てていたかもしれないが、日本列島を分割占領する案が検討されていたとも聞く。 日本に住んでいれば、ほとんどの人が人種差別の体験を持つことなく暮らしていける。その代わり、差別されている人たちの心もわからない。ヨーロッパ人には有色人種に対して「ある感情」を持っている人々は今でも多い。それが表面に出てこないのは口に出さないからだ。しかし、そういう嫌な体験があるからこそ、相手の立場を思いやる気持ちも生まれてくるのだ。それが単なる同情であってはならない、と思うけれど。オランダではゲスト・ワーカーって言うのか・・・・植民地経営の生活感が感じられる言葉ですね。それに比べて日本の場合は、最初で最後の植民地経営だったので、恨まれるし、損ばかりして儲からなかったなあ。
2016.09.29
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図書館で『嫌韓問題の解き方』という本を手にしたのです。在日のエスニック・ビジネスなんかを取り上げていて、単なる嫌韓本ではないようです。嫌韓という現象に焦点を当てて、韓国通のお三方が論じています。【嫌韓問題の解き方】小倉紀蔵, 大西裕著、朝日新聞出版、2016年刊<「BOOK」データベース>よりヘイトスピーチや「嫌韓」論調はなぜ起きたのか?異色の組み合わせによる韓国分析の決定版!【目次】1 韓国文化・思想、日韓問題(韓国文化の特徴とその変容/変化と不変化の韓国社会ーエリート支配、市民の権力、道徳性/日韓相互の眺め合いに対する解釈)/2 韓国政治、イデオロギー、市民社会(政党政治の変容ー地域主義からイデオロギーへ/大統領の強力なリーダーシップという幻想/変貌を遂げる市民社会ーエリート主義から多元主義へ)/3 ヘイトスピーチ、在日コリアン、参政権・国籍(排外主義とヘイトスピーチ/在日コリアンの仕事の変遷/在日コリアンの参政権と国籍)<読む前の大使寸評>在日のエスニック・ビジネスなんかを取り上げていて、単なる嫌韓本ではないようです。嫌韓という現象に焦点を当てて、韓国通のお三方が論じています。rakuten嫌韓問題の解き方韓国といえば激越な政治シーンが目立つのだが、その訳あたりを見てみましょう。p108~113 <投票行動を規定する「地域主義」> 表1は2002年の大統領選挙の結果である。当時の大統領候補である慮武ヒョンが光州で95%を獲得するなど、特定の地域の評を特定の候補がほぼ独占する状況が生じていることが分かるであろう。この傾向は現在でも続いている。 表2は2012年の大統領選挙の結果であるが、十年を経ても2002年のコピーかと思えるほど地域間の票の偏りが大きくかつ固定的であることが分かるであろう。 これが、韓国において有権者の投票行動を規定する最大の要因とされる、「地域主義」である。すなわち、有権者の出身地ないしは居住地という属性が一票を投じる政党を決めてしまう状況が続いてきた。具体的には、光州、全羅北道、全羅南道からなる、朝鮮半島南西部の湖南地域(全羅道)の有権者が支持・投票する政党と、釜山、大邸、蔚山、慶尚北道、慶尚南道からなる南東部の嶺南地域(慶尚道)の有権者が支持・投票する政党が全く異なるという、地域間偏差が存在してきたのである。 これは例えて言えば、日本で太平洋沿岸地方のほとんどの有権者が自民党、日本海沿岸地方では民進党に投票するというような構図であり、日本では想像困難である。韓国人の間でも、地域主義的な投票行動は異常であるとの認識が示され続けている。 韓国の有権者はなぜこのような得意な投票行動をとり続けているのであろうか。韓国人自身がこのテーマに関心を持ち続けていて、様々な仮説が提示され、論争に決着がついていないが、その仮説は大きく二つのグループに分けられる。 一つは、もともとは差別意識から形成された地域アイデンティティに淵源があるとするもので、もう一つは、有権者の合理的選択の結果であるとするものである。差別意識とは、金大中元大統領の出身地である湖南地域に対するそれを指す。湖南地域の出身者は、民主化以前から出身地ゆえの差別を受けることが少なくなかった。その理由として、次のようなものが挙げられる。 一つは、湖南地域が以前流刑地であったなど前近代からの歴史的経緯で、第二に、独裁政権時代、大統領の出身地が嶺南地域で、その地域出身者が優遇されたゆえとするもの、第三に、同じく独裁政権時代に経済開発がソウルと釜山を結ぶラインを軸におこなわれたために湖南地域が開発から取り残されたゆえとするものである。 いずれが理由であるかはここでは判断しないが、何らかの理由が差別意識を生み、それが地域アイデンティティに転化したことが重要視されている。なお、韓国はほぼ純粋な単一民族国家なので、ここでいう地域アイデンティティはスペインのカタルーニャ地方のように分離主義的な地域アイデンティティにつながるものではなく、政治的には投票行動にのみ特異に見られるものである。ウーム 日本ではこれほどまでの地域差別はありませんね。げに激しい韓国である。
2016.09.29
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<図書館大好き175>今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「植民地」でしょうか♪<市立図書館>・漁港の肉子ちゃん・一度も植民地になったことがない日本・嫌韓問題の解き方<大学図書館>・世界の居住文化百科・韓国を食べる図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【漁港の肉子ちゃん】西加奈子著、幻冬舎、2011年刊<「BOOK」データベース>よりみんな、それぞれで生きている。それでいい。圧倒的な肯定を綴る、西加奈子の柔らかで強靱な最新長編。<読む前の大使寸評>この本の表紙はクリムトの絵の摸写であるが、なかなかのもんやでぇ♪・・・・と、大使は加奈子画伯が描く絵にも注目しているのです。<図書館予約:(7/07予約、9/27受取)>rakuten漁港の肉子ちゃん加奈子画伯の画像【一度も植民地になったことがない日本】デュラン・れい子著、講談社、2007年刊<「BOOK」データベース>よりヨーロッパ人は毎日、日本の話をしているー日本は不思議でエレガントな「世界の孤児」9・11のテロを「カミカゼ」と呼ぶ、ヨーロッパフツー目線の、赤裸々な日本人評満載。【目次】序章 ヨーロッパ人が見た日本人/第1章 日本流気配りはヨーロッパでは通じない/第2章 有名な日本語はKAMIKAZE/第3章 日本は「世界の孤児」として生きよう/第4章 ヨーロッパが敬意を払う日本/第5章 日本のサラリーマンも案外悪くない!?/第6章 ヨーロッパ流コミュニケーションは、したたか<読む前の大使寸評>著者は、団塊世代よりちょっとだけ年上のバリバリのコスモポリタンのようです。それでは、ヨーロッパから見た日本を見てみましょう。rakuten一度も植民地になったことがない日本【嫌韓問題の解き方】小倉紀蔵, 大西裕著、朝日新聞出版、2016年刊<「BOOK」データベース>よりヘイトスピーチや「嫌韓」論調はなぜ起きたのか?異色の組み合わせによる韓国分析の決定版!【目次】1 韓国文化・思想、日韓問題(韓国文化の特徴とその変容/変化と不変化の韓国社会ーエリート支配、市民の権力、道徳性/日韓相互の眺め合いに対する解釈)/2 韓国政治、イデオロギー、市民社会(政党政治の変容ー地域主義からイデオロギーへ/大統領の強力なリーダーシップという幻想/変貌を遂げる市民社会ーエリート主義から多元主義へ)/3 ヘイトスピーチ、在日コリアン、参政権・国籍(排外主義とヘイトスピーチ/在日コリアンの仕事の変遷/在日コリアンの参政権と国籍)<読む前の大使寸評>在日のエスニック・ビジネスなんかを取り上げていて、単なる嫌韓本ではないようです。rakuten嫌韓問題の解き方【世界の居住文化百科】ジョン・メイ著、柊風舎、2013年刊<「BOOK」データベース>より世界の大多数の人々は、土、レンガ、石、木、竹、ヤシ、葦、そして廃タイヤやビール瓶を建材に、自分や、友人、家族らが手作りで建てた家に住んでいる。失われつつあるこれらヴァナキュラー建築には、先祖からの伝統や知識、技術が詰まっている。人々はいかに与えられた自然環境に適合して暮らしてきたのか。世界中のヴァナキュラー建築を巡り、様々な民族の生活や伝統を紹介する。<読む前の大使寸評>全ページに画像満載で、まさにビジュアル版である。お値段が7020円とあるが・・・図書館目当てのマーケティングなんだろうか?amazon世界の居住文化百科【韓国を食べる】黒田勝弘著、光文社、2001年刊<「MARC」データベース>より韓国人は「耳」で食べる? 在韓20年におよぶ著者が、自らの実体験をもとに韓国の食文化に迫る、驚きの韓国・食紀行。食べれば日本人の知らなかった韓国人のメンタリティがわかる。<読む前の大使寸評>とにかく、韓国通の黒田さんの本だから、かなり期待できると思うのです。amazon韓国を食べる***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き174
2016.09.28
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図書館で黒田勝弘著『韓国を食べる』という本を手にしたのです。とにかく、韓国通の黒田さんの本だから、かなり期待できると思うのです。【韓国を食べる】黒田勝弘著、光文社、2001年刊<「MARC」データベース>より韓国人は「耳」で食べる? 在韓20年におよぶ著者が、自らの実体験をもとに韓国の食文化に迫る、驚きの韓国・食紀行。食べれば日本人の知らなかった韓国人のメンタリティがわかる。<読む前の大使寸評>とにかく、韓国通の黒田さんの本だから、かなり期待できると思うのです。amazon韓国を食べる本書は読みどころが多いのだが、まず大使が好きなフグ鍋を見てみよう。p174~176 <韓国人は朝からフグを食べる>より 韓国のフグ料理が以外に面白い。ぼくが韓国暮らしをはじめた1970年代には、ソウルに限っていえばフグ料理屋はほとんどなかったように思う。ごく一部の「日式(日本料理屋)」が特別にやっていたくらいで、ほとんど記憶にない。 ただ、ぼくが語学留学していた1970年代末、下宿していた延世大学前の新村に一軒だけ専門店があり、印象的だった。「サムホ」という店で、今も現代百貨店横の路地に健在だ。 しかし当時でも釜山など南部の港町ではそれなりにフグ料理屋はあったようだ。たまに釜山に行くと韓国人の方から「フグを食べに行こう」とよくいわれた。また、南部ではフグの内臓を食って中毒死という新聞記事もよく見た。 ソウルで流行のようにフグ屋がふえたのは、いつごろからだったか。「日式」つまり魚料理屋が一般化するのは1080年代後半あたりからか。ぼくの記憶では、最初の特派員生活だった1080年代前半にはあまりフグを食った記憶はないのだが、二度目の赴任となった1080年代末以降はよく食っている。 韓国のフグ料理で感動したのは「ユスク」である。肉のところで紹介したが、「ユスク」とは「水肉」で、湯がいたものを意味する。したがって「フグのユスク」というと、フグの湯がいたものというわけだ。 「ユスク」がなぜ感動的かというと、これはフグの身をぶつ切りにして湯がいたものだからフグの身がかたまりになって出てくるのだ。料理としてはそんなに複雑なものではない。フグのかたまりだけが出てくる店もあれば、近年は多少の彩りとして、セリや豆モヤシの湯がいたのがあんかけ風に添えられて出ることもある。 しかし韓国的というエキゾティシズムで言えば、添え物は何もなく、フグのかたまりだけが大皿にのってドーンと出てくるのがいい。「ユスク」を見るとたいがいの日本人は「オーッ」と感嘆詞を発し、顔がほころぶ。 フグ料理というと、ぼくら日本人の食習慣がいかにつつましやかであるかを、逆に物語る場面だ。ぼくらにはフグ料理というと超薄切りのフグ刺しか、野菜や豆腐の陰に隠れたフグの身のかけら(?)しか見当たらないフグチリのイメージではないか。 それが、かたまりで出てくるのだから感動しないわけにはいかない。こいつをワサビ酢醤油みたいなタレで口いっぱいにほうばって食うのだ。 しかしこの豪華版「ユスク」が存在するせいか、フグ鍋である「メウンタン」や「チリ」となると、逆に野菜過剰となってフグが埋没してしまう。フグは韓国語では「ポク」というが、トウガラシで真っ赤な「ポク・メウンタン」にしろ赤抜きの「ポク・チリ」にしろ、セリや豆モヤシがやたらにたくさん入っている。 そこでぼくはいつも「おばちゃん、これじゃセリのメウンタンじゃないの!」とか「豆モヤシ・チリじゃねえ」と冷やかす。もちろんフグの身だけ追加注文すればいいのだが。 余談だが、韓国の食ではこの「追加!」の妙を心得ておくといい。 たとえば四人で何かを食べる時、一度に四人分を注文すると損をする。まず二人分を注文し、それを食べ終わった後、追加で頼むのがいい。なぜなら最初に出る一人前より、追加の一人前のほうが必ず量が多いからだ。 これには理由がある。店としては最初の量を少なくしておけば、足りないといって必ず追加注文になり、売上が増えるからだ。だからこちらはその逆手を取るわけですね。フグ鍋釜山に出張した際、メーカー接待の食事には、よくフグ鍋を所望したものです。そのフグ鍋といえば、黒田さんの分類では「ポク・チリ」に相当するわけで・・・・フグ、セリ、豆モヤシ、お酢の配分も不満はなくて、わりと洗練した味付けに感じたものでした♪この記事も韓国料理あれこれ収めておくことにします。
2016.09.28
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図書館で『日本のエスニック・ビジネス』という本を手にしたのです。ブラジルからのデカセギ、チャイナタウンのニューカマー、在日が営むパチンコ屋とか・・・目下のところ、日本に住むオールドカマー、ニューカマーが興味深いのでおます。【日本のエスニック・ビジネス】樋口直人著、世界思想社、2012年刊<「BOOK」データベース>より韓国・朝鮮人、ニューカマー中国人、ブラジル人、フィリピン人、ベトナム人、パキスタン人、南米系の人びと…日本に暮らす外国籍の人たちの築き上げた個性的なビジネスの世界。歴史的変遷と現状を精細な調査により解き明かす。【目次】プレリュード 日本のエスニック・ビジネスをめぐる見取り図/第1章 在日韓国・朝鮮人ービジネスのダイナミズムと限界/第2章 ニューカマー中国人ー一般市場における多様な展開/第3章 ブラジル人ー揺れ動くエスニック・ビジネス/インテルメッゾ エスニック・メディアの担い手たちー在日ブラジル系メディアビジネスの興亡/第4章 フィリピン人ー「主婦」となった女性たちのビジネス/第5章 ベトナム人ー外部市場志向のビジネス/第6章 パキスタン人ー可視的マイノリティの社会的上昇/フィナーレ 鶴見でのしあがるー京浜工業地帯の南米系電気工事業者たち<読む前の大使寸評>ブラジルからのデカセギ、チャイナタウンのニューカマー、在日が営むパチンコ屋とか・・・目下のところ、日本に住むオールドカマー、ニューカマーが興味深いのでおます。rakuten日本のエスニック・ビジネスサウジアラビアの工事現場では、フィリピン人労働者と一緒に辛い業務をこなしてきたので、フィリピン人には好印象を持っているのです。ということで・・・・在日フィリピン人のエスニック・ビジネスを見てみましょう。p183~185 <第5節 まとめ> 在日フィリピン人のエスニック・ビジネスについて記述と分析をしてきたが、冒頭に示した三つのキーワード、1.主婦の副業的ビジネス 2.日本人夫という社会関係資本の利用 3.新規参入ニッチとしての英語教育ビジネス、に沿う形でまとめていこう。 第一に、良くも悪くも、在日フィリピン人の多くは「主婦」である。そして、エスニック・ビジネスから見えてくるのは、女性の生き方の階層分化といえるのではなかろうか。永住する女性が多くを占め、全国に分散居住するフィリピン人。集住地域がきわめて少ないことから、店舗型のエスニック・ビジネスを維持するのは難しい。 同胞対象ならばネットワーク型、それ以外対象ならば、レストラン、化粧品販売、英会話教室といった小規模自営業となる。もちろん、この売上だけで家族を養うのは難しい。換言すれば、参入障壁が低く、誰かに養ってもらいながら自営業をしている人が多いのではないか。自営業は「良い配偶者を得た成果」の表象かもしれない。 とはいえ、日本での自営業の「成功」だけで在日フィリピン人の「成功」を測るのは早計だと筆者は考えている。というのは、物価が高い日本で自営業の初期投資をするよりは、フィリピンで自営をするほうに魅力を感じるフィリピン人は多く、その実践例も見られる。 日本では「主婦」として夫の収入で暮らしつつアルバイトの収入から700万円を貯蓄し、フィリピンで小学校を買い取り経営している人がいる。日本は「稼ぐ場所」でフィリピンは「お金を使う場所」・・・日比を往復するトランスナショナルな生活様式を実践し、フィリピンで起業することで出身家族の雇用創出ともなり、日本からの送金をいずれ減らす手段ともなる。日本での「成功」だけを目指すのではなく、当初からフィリピンでの「成功」を形成する術として日本での定住や労働があるのかもしれない。 第二に、先行研究で指摘されるように、日本人配偶者が在日外国人のエスニック・ビジネスの展開へ寄与するところは大きく、日本人配偶者は社会関係資本といえよう。 しかし、竹下が研究対象としたインド、パキスタン、ネパール等出身の外国人夫と日本人妻の夫婦に見られるような「夫の夢を妻が共有し、ビジネスパートナーとして協力し合う」例は、在日フィリピン人においては稀である。エスニック・ビジネスの自営業は一種の「危険な賭け」でもあり、安定した職についている日本人夫が職を手放してまで妻の自営業につきあうことはリスクが高く、「主婦の副業」のようなビジネスになるという解釈もできよう。 一方、小林は、フィリピン人妻がフィリピン食材店を経営し、日本人夫が手伝う事例を紹介している。ここから、エスニック・ビジネスが生活手段となる可能性を秘めていることがうかがわれる。また、その過程で日本人夫がエスニック・ビジネスにおいて果たす「」の役割が重視されたりする等、興味深い観察がなされている。 不況により失業した日本人夫や、定年退職する日本人夫も増えており、今後はフィリピン人妻が主導するエスニック・ビジネスが増えるかもしれない。日本人夫が経営に関わり、日本人への宣伝に力を入れ日本人になじみのあるメニューを開発していけば、フィリピン料理はもう少し人気が出るだろう。 さらに付言すれば、レストランや化粧品の「営業」は、今もなお在日フィリピン人の結節点であるカトリック教会で行われている。こうした同胞ネットワークは健在で、さらには日本人の配偶者また日本で育つ子どもたちの母親として、地域社会や学校社会での社会関係が築かれており、それが英語教育という新たなビジネスに生かされていることが在日フィリピン人の特徴といえるのではなかろうか。 第三に、CHOBETのような同胞の自助組織が、来日から何年もたった人びとを対象に人的資本を高めるために研修を主催している。エスニック・ビジネスでの人的資本形成は、通常はオン・ザ・ジョブ・トレーニングでなされており、こうした研修プログラムが用意されるのは珍しい。 また、これは彼女らの長い在日歴でつちかわれた地域社会とのネットワークが生かされる職であり、英語教育を通じて在日フィリピン人全体のイメージ向上が目指されている。今後、として拡大する可能性があり、注目する価値があるだろう。在日フィリピン人のビジネスといえば、以前はフィリピン・パブのお世話になったが、今では英語教育なんかに変わってきているのか・・・堅実というか、健全というか、いいではないか♪『日本のエスニック・ビジネス』1『日本のエスニック・ビジネス』2
2016.09.27
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図書館で『樹木の文化史』という本を手にしたのです。この本では第2部の樹木譜(バオバブ/カバノキ/カジノキ/ツゲ/シーダー ほか)が、画像にあふれ充実している。『沙漠の事典』という本でアフリカビャクシンの話を読んだ後なので、借りた次第でおます。【樹木の文化史】フランシス・ケアリー著、柊風舎、2016年刊<「BOOK」データベース>より樹木は人間と、自然、神とを結びつけるものであった。世界最古の文学『ギルガメシュ叙事詩』には天を衝き抜くようなレバノン杉の森が神々の世界とされ、ウェルギリウスの『アエネーイス』の主人公も森の不思議な力に魅了され、南アジアの叙事詩『ラーマーヤナ』でも森が重要な空間となっている。大英博物館所蔵の樹木の標本帳や標本箱、スケッチ、水彩画、工芸品などを通して、われわれの歴史に樹木がいかに重要な意味を持ってきたのか、科学と芸術、旅行と交易、詩文と散文、神話や宗教など、裾野の広い文化史の一部として読み解く。<読む前の大使寸評>この本では第2部の樹木譜(バオバブ/カバノキ/カジノキ/ツゲ/シーダー ほか)が、画像にあふれ充実している。『沙漠の事典』という本でアフリカビャクシンの話を読んだ後なので、借りた次第でおます。 著者は大英博物館の幹部だったことだから、イギリス人が描く文化史ということになります。rakuten樹木の文化史ブッダガヤの菩提樹イチジクを見てみましょう。この木はキリスト教やヒンドゥー教、仏教に関係が深いことが興味深いのですp152~162【イチジク(Ficus)】 イチジクは多くの種類がアフガニスタンから南ヨーロッパに自生し、とりわけ食用イチジクの栽培は4000年以上前から記録に現れていて、プリニウスの『博物誌』には29の品種が言及されている。「上質とされたイチジクは乾燥され、箱に収めて保存される。最高で最大なものはイビサ島で採れる」今日の食用イチジク生産国には、エジプト、トルコ、シリア、アルジェリア、モロッコ、アメリカ合衆国などがある。 聖書では、エデンの園で名前が挙げられた唯一の木で、イチジクの、太い指をもつ手のひらのような葉は、善悪を知る木の実を食べたアダムとエバが、つなぎ合わせて「腰を覆うもの」にした。原罪とこのようなつながりを持つことで、キリスト教の書物ではイチジクの評判に影がさしている。新約聖書では実をつけないイチジクの木が信仰の足りないたとえにされ、またキリストが実をつけていないイチジクを「枯らす」ことで信仰の力を示す証拠にされている。何より不幸だったのは、イエスを裏切ったユダの自殺に結びつけられたことだった。(中略) エジプトイチジクは、主に熱帯アフリカ、ナイル川流域、そして紅海沿岸からイスラエル、ヨルダン、イエメン、オマーンに自生し、古代エジプトではもっとも有用で神聖な樹木の一つだった。木陰と果実と材木が珍重され、死者の書などによく登場するこの木は、家具の製作に使われ、テーベにある第18王朝の墳墓では壁画や供物台に描かれていて、ツタンカーメンをはじめとして、死者に供えられた食べ物の中にも見つかる。エジプトイチジクの果実は、早く熟させるために切り込みが入っていてふつうのイチジクと見分けがつく。(中略) このようなイチジクの木、とりわけベンガルボダイジュに対してヨーロッパ人が与えた名前は「バンヤン」だ。これはグジャラート語で商人を意味する「バンヤ」を写したもので、インドの商人たちがこの木の木陰で取引を行ったことに由来する。ヒンドゥー教の行者で賢者(サドゥー)と呼ばれる人々にとっては瞑想を行う神聖な場所だった。トマス・ハーバーは1634年に、「この宗派はこの木を崇め、絹のリボンなどの吹き流しでこれを飾る者がいる」と書いている。 バンヤンの中でもっとも広く尊敬されるのはインドボダイジュで、サンスクリットではピーパルの木またはアシュバッタ、仏教では菩提樹と呼ばれる。インドで木が描かれたもっとも古い例はピーパルのもので、インダス文明の印章に表されている。ヒンドゥーの哲学と宗教の基本文書であるヴェーダやウパニシャッドにも登場している。ピーパルがいかに大切にされたかというと、この木を切り倒すことはバラモン、聖職者階級の人物を一人殺すのと同罪とされていた。 仏教徒にとって菩提樹と言えば仏陀の瞑想と悟りで、これは紀元前6世紀の終わりに北東インドのブッダガヤ、すなわち「悟りの地」と呼ばれるようになった場所の、この木の下で起きたこととされている。 今は仏陀の生涯に関わるいちばん重要な巡礼地となっていて、アショーカ王建立と伝えられるマハーボーディー寺院と聖なる菩提樹がある。この菩提樹は、スリランカのアヌラーダプラにあった初代の菩提樹の子孫と伝えられる木からの挿し木で育てられたものである。『樹木の文化史』1『樹木の文化史』2
2016.09.27
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<『「ニッポン社会」入門』>図書館で『「ニッポン社会」入門』という本を手にしたのです。著者の『新「ニッポン社会」入門』を図書館に予約し待っているのだが(5ヶ月待ち)まだです。でも、先に『「ニッポン社会」入門』を借りられて、ラッキーやで♪【「ニッポン社会」入門】コリン・ジョイス著、日本放送出版協会、2006年刊<「BOOK」データベース>より日本社会について手っ取り早く学びたければ、近くのプールに行ってみることだ。規則と清潔さを愛し、我慢強く、大きな集団の悪事に寛容な国民性が理解できるはずだから。過剰なまでに礼儀正しく親切な人々、思ったより簡単で奥深い日本語、ガイドブックには載っていない名所の数々…。14年間日本に暮らす英紙記者が無類のユーモアを交えて綴る、意外な発見に満ちた日本案内。<読む前の大使寸評>著者の『新「ニッポン社会」入門』を図書館に予約し待っているのだが(5ヶ月待ち)まだです。でも、先に『「ニッポン社会」入門』を借りられて、ラッキーやで♪rakuten「ニッポン社会」入門母国語が滞在先の言葉に染まる実態が、面白いのです♪p94~103 <日本人になりそうだ> 「日本人になりそう。日本人になりそうな気がする。ほんとにそんな気がするんだ・・・」 これは80年代初期のポップソングの歌詞で、いまでもぼくの知り合いのほとんど誰もがこのフレーズを覚えている。一度聞いたら耳から離れないメロディーのせいもあるだろうが、歌詞の内容の突飛さのためでもあろう。 しかし、ときには人は自分が日本人になりつつあることに気づくのである・・・それも、たいてい、自分が思いもしなかった点で。たとえば、ぼくは国籍を変えようなんて決して思わないし、神道の狂信的な信者にもなりそうにない。 いまから思えば馬鹿げたことだが、日本に来る前、ぼくは日本語を話し、「日本語で思考する」ことによって自分の英語が「錆びつく」のではないかと心配していた。十年以上経ったいま、確信を持って言おう。外国語に「磨きをかける」ことの方が、母国語を「錆びつかせる」よりもはるかに困難だ。 しかし、それでもやはり、ぼくは日本人の行動様式をいろいろと身につけ始めてもいるのである。仲間のイギリス人記者のひとりは、英語で頼みごとをするときでさえ、いつも“Iknow you're busy but..."(お忙しいところすみませんが)と前置きしてしまうと言っていた。 また、冗談で「上司に“scolded severely”したよ(ひどく叱られたよ)」などと言ったりする。日本語の「叱る」を翻訳するとたしかに“scold”としか言いようがないのだが、これは子供に関してのみ用いられる言葉なのだ。あるいは、店員から「申し訳ありませんが」に相当するフレーズもなしに、いきなり「売り切れです」と言われたら、ぼくはすごくムッとすることだろう。 それに、日本の生活習慣の中には、すごく理にかなっているのでやめられないものもある。日本に住んだことのあるイギリス人で、イギリスでの風呂の入り方、ぬるぬるした泡の中に浸かる入浴の仕方に戻る気がしないのはぼくだけではあるまい。ぼくの高校時代の親友のふたりは、日本に住んで以来、自分の家にやって来る人たちに玄関で靴を脱ぐように言っている。(中略) ときどき、自分がもうイギリス人として見てもらえなくなってきているのではないかと感じることもある。二年前、エスプレッソにクリームを入れようとしているところを、デスクのひとりにしっかり見られてしまった。どうやら、これは「われわれ日本人」しかやらないことらしい。また、こんな気恥ずかしいこともあった。イギリスで電話をかけ終わると、ぼくは“Good-bye”とか“Thanks”とか言いながら、お辞儀をしていたと姉から指摘されたのである。姉は、日本人になりつつある弟を興味と絶望が入り混じった目で見つめていた・・・。
2016.09.26
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図書館で『今宵どこかのBARで』という本を手にしたのです。それぞれのお話に成田一徹さんの挿絵(モノクロの切り絵)を添えて、やや小型の装丁の本であるが・・・小粋な感じで、ええでぇ♪【今宵どこかのBARで】伊藤精介著、集英社、1999年刊<「MARC」データベース>より本格的なBARとは何か。国内外のBARでの様々な体験、映画や本の中のお酒がからんだ名場面、BARで出会った有名無名の人々、至極のスピリッツをめぐる物語をセンチメンタルに綴る。<読む前の大使寸評>それぞれのお話に成田一徹さんの挿絵(モノクロの切り絵)を添えて、やや小型の装丁の本であるが・・・小粋な感じで、ええでぇ♪rakuten今宵どこかのBARで無国籍という名のカクテルを、見てみましょう。p181~183 <無国籍という名のカクテル> 「Are you a Japanese?」 明らかに日本人の血を受け継いでいると思えるそのバーテンダーに、僕は意を決してこう訊ねた。年齢のころ20代半ば。引き締まったそのマスクは、どこかジョン・ローンを思わせる。となると中国系という可能性もあるが、いや、ちがう。十中八九、日本人に間違いない。 午前零時少し前、サンフランシスコ市内にある一流ホテルのメイン・バー・・・。 そのバーテンダーのことが気になりはじめたのは、前の晩、初めてそのバーに立ち寄ったときからだった。そのとき僕はカルフォルニア産のスパークリング・ワインをハーフ・ボトルで注文したのだが、その栓の抜き方といい、ボトルの底を支えて透明な発泡酒をグラスにそそぐ一連の所作といい、彼は客の目を引きつけずにおかない独特の雰囲気を漂わせていた。 それは本質的に欧米人には真似のできない、明らかに東洋的な、正確に言うなら日本人特有の繊細さだった。身長170センチ弱の細身な体躯。アメリカ社会では小柄な部類に属する。だが、そのメリハリの効いた身のこなしからは、日ごろから意識的に肉体を鍛え上げている節がうかがえる。 昨夜から気にかかっていた僕に質問に、彼はじっとこちらの目を見つめ返した。ドキッとするような思い詰めた眼差しだった。僕は視線を逸らさずに答えを待った。一瞬、緊迫した沈黙が流れ、次の瞬間、彼は決然とした口調でこう答えた。 「No, I'm not a Japanese」 もうこの話題は止めてくれ、という強い拒絶が滲んでいた。 そうか、わかったよ、と僕はこころのなかで同意し、昨夜と同じ銘柄のスパークリング・ワインを無言で飲みつづけた。 ボトルが空になったのを潮に、僕は腰を上げかけた。と、そのときだったのだ。彼が日本人しか口にしないその言葉を発したのは。客の指定したウイスキーのボトルを取ろうとバックバーに脚立を立てかけ、その踏み板に片足を乗せてめざすボトルに手を伸ばした瞬間、彼は小さく、けれど日本人の僕にははっきりと聞き分けられる発音で「ヨイショッ」と発声したしたのである。 僕は思わず頬がゆるむのを感じた。ほら見ろ、僕の目に間違いはなかったじゃないか。 僕は多めのチップをカウンターに置きながら、もう一度、親しみをこめて彼に訊ねた。 「Are you a Japanese?」 「No, I'm not a Japanese」 彼は微塵も表情を変えずに答えた。 「だって、いま、ヨイショッて言ったじゃないか」 「No, I'm not a Japanese」 僕は自分を恥じた。それは多民族社会アメリカで、初対面にもかかわらず相手の属する民族について質問した不用意さを恥じたのではない。日本人であることを棄てようとしている若者の生き方に対する不躾を恥じたのだ。とかく群れをつくりたがる日本の若者たちとは対照的に、彼の深く息を詰めたような無国籍への意思は、翌朝帰国する僕のこころに一陣の爽やかな風を巻き起こしてくれた。 無国籍という名のカクテル・・・・。 部屋に戻るエレベーターのなかで僕はそんなことを考えていた。
2016.09.26
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図書館で絲山秋子著『ラジ&ピース』という本を手にしたのです。先日読んだ『逃亡くそたわけ』という小説が面白かったので、二匹目を狙って借りた次第です。パラパラめくると、この小説には群馬弁がでてくるんだけどこれが田舎ふうで・・・おっと、鄙びた感じでええでぇ♪『逃亡くそたわけ』には佐賀弁と名古屋弁の掛け合いが載っていたが、この本では群馬弁か。東京出身の絲山は方言の魅力にはまってしまったのか?あるいは東京コンプレックスなのか?(笑)【ラジ&ピース】絲山秋子著、講談社、2008年刊<「BOOK」データベース>より女の心は、何も入っていない冷蔵庫のようにしんと冷えていた-。それでも電波は、必ずラジオを見つけて鳴らす。女性DJの心を描く、絲山秋子の最新小説。<読む前の大使寸評>先日読んだ『逃亡くそたわけ』という小説が面白かったので、二匹目を狙って借りた次第です。パラパラめくると、この小説には群馬弁がでてくるんだけどこれが田舎ふうで・・・おっと、鄙びた感じでええでぇ♪rakutenラジ&ピースそれでは、群馬弁のあたりを見てみましょう。p54~57 毎週火曜日のこの時間は、「なっから群馬弁」。 初心者の私、相馬野枝に、皆さんの群馬弁を伝授していただくコーナーです。FAXは027-3・・・メールアドレスはwww.joshn-fm・・・ケータイはスラッシュkをつけてください。 先週いただいた「ガショーキ」つまり乱暴とか粗雑って意味なんですけれど、わかんねーよ、使わねーよ、という声多数いただきました。「ガショーキ」は東毛の方の言葉なんですね。高崎、前橋では使わないようです。 さて、今週もたくさんいただいています。ラジオネーム恐妻センター前橋さんのなっから群馬弁。 (嶋野がBGMを切ると同時にあらかじめ録音していた音源を流す。エコーをかけた間島の声が流れる) 「チョットイッテミラァ」 「ハアキャア?」 (BGMをスタートさせる) これは、「帰るよ」「もう帰るのかい?」という意味だそうです。「もう」が「ハア」なんですね。なるほどー。帰るときでも、行ってみらぁなんですんね。「ハア、ケエラア」「ハア、ケエルンベ」になると、もっと帰る意思が強いっていう解説をいただいたんですが、これはすごい。恋人同士で使ったりもするんでしょうか? それからこちらは、えーと藤岡市のバイアス33さんからいただきました。 (嶋野、BGMを切り、音源を流す) 「ミンナンチのカタログ持ってきてクンナイ」 (BGMスタート) この場合「ミンナンチ」っていうのは、「あなたの会社」だそうです。これもびっくりですね。私が藤岡へ行ったら、「ミンナンチの番組いつも聞いてるよ」って言われるのかな、なんだかかわいい言葉ですね。 えーっと、もう1枚行けますね。こちらは高崎市の不眠鳥さん。 (BGMを切る。ここは野枝がメッセージを読む) 「野枝さん、ナカラとオーカとマッサカの使い分けってわかりますか?全部すごくという意味なんですが、ニュアンスが違います。オーカはどっちかというと否定的なニュアンス、マッサカは予想と違う驚きのニュアンスです。これをマスターしたら野枝さんも群馬人ですよ」 (BGMスタート) はい、英語で言うとveryということですよね。ナカラはわかりますが、あとの二つは全然わからないです。そっかー、副詞を聞いただけで意味合いがわかるんですね。奥が深いなあ。 今日採用された方にはステッカーお送りします。「なっから群馬弁」のコーナーでした。 (嶋野、CDを流す。野枝、天気予報が原稿と変わっていないかどうか確認のため、ブースを出て行く) (野枝、ミネラルウォーターを持ってブースに戻ってくる) 「あと十秒です」 (CDが終わり、サイレントとなる)関西圏に住む大使には、もうひとつ面白みが伝わらないが・・・関東圏では手を叩いて笑う人がいたりして♪この後、リスナーのおじさんと日帰り旅行するという驚きの展開があります。p100~102 温泉施設の入り口で恐妻センター前橋と一緒に靴を脱ぎながら、野枝は夫婦みたいに見られたら恥ずかしい、と思う。 そして風呂の入り口で別れてほっとっする。 日帰りで温泉に来たことなどなかった。そもそも、温泉自体が相当久しぶりだった。仙台のときも、あちこちあるのは知っていたが、自分で行くことはなかった。 野枝はゆっくり顔と体を洗って浴槽につかる。 出会ったばかりの恐妻センターが壁の向こうでのんびりと温泉に浸かっているということが面白い。 髪を洗って露天に行く。近くの山がよく見える。秋の空が高い。羊毛の塊のような雲が眩しい。 距離にして50キロ程度なのだが、野枝はとても遠いところに来た気がする。風呂から上がって、また恐妻センターと話したい。 野枝が自分から話したい、と思うことは滅多にないことだ。 「ビール飲んでください、ビールビール」 タバコを吸いながら待っていた恐妻センターが言う。 「でも、自分だけじゃ」 「いいんですよ、温泉のあとはビール。俺はあとから飲みますから大丈夫」 「温泉なんて久しぶりでした」 と野枝は言った。 「群馬に来てから初めて」 「え、クサヅも行ってないんですか?」 「クサヅって草津のことですか」 「もちろんです。クサヅのお湯はね、毒が抜けていいですよ」 「それってイヤミですか?」 「とんでもない、そうじゃないです。体に悪いものが抜けるんですよ。でも強いからね、長風呂したら当たっちゃいます。来週行きましょう」 来週? なんで来週の約束をしなければいけないのか、と野枝は思う。なんで温泉から上がったばかりなのにまた温泉なのか。もちろん、来週やることがあるわけではない。・・・というわけで、このあと野枝は恐妻センター前橋と友達付き合いをすることになるのです。先日読んだ『逃亡くそたわけ』です。【逃亡くそたわけ】絲山秋子著、中央公論新社、2005年刊<「BOOK」データベース>より逃げるのに理由なんていらない。川端康成文学賞作家、糸山秋子初の書き下ろし長編小説。<読む前の大使寸評>絲山秋子のエッセイを読んだあとなんで・・・彼女の小説ならイケてるんじゃないかと期待するのです♪rakuten逃亡くそたわけ『逃亡くそたわけ』byドングリ
2016.09.25
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図書館で『明日は、いずこの空の下』という本を手にしたのです。獣の奏者や精霊の守り人の著者ということもさることながら・・・大使の場合、オーストラリアのアボリジニとの交流のエピソードが興味深いのです。【明日は、いずこの空の下】上橋菜穂子著、講談社、2009年刊<「BOOK」データベース>より17歳の夏、初めて旅したイギリスとフランス、フィールドワークで訪れた沖縄やオーストラリア。そして海外旅行で訪れた国々…物語が芽吹く土壌となった旅のエッセイ。国際アンデルセン賞受賞記念出版!<読む前の大使寸評>獣の奏者や精霊の守り人の著者ということもさることながら・・・大使の場合、オーストラリアのアボリジニとの交流のエピソードが興味深いのです。rakuten明日は、いずこの空の下アボリジニとの交流の一端を、見てみましょう。p91~94 <場違いな人> 深夜の道路脇に、赤ん坊を抱いた若い女性がひとり、ぽつんと立っていたら、かなり怖い光景になりそうですが、たとえ真っ昼間でも、周囲数百キロ人家がない大自然の只中で、そんな光景を見かけたら、思わず目を疑ってしまうものです。 アボリジニの友人たちとキャンプに行った帰り道でのこと。深い森の中に延々と続く赤い土の道を四輪駆動車で走っていたとき、赤ん坊を抱いて、ぽつんと道端に立っている白人の女性に出くわしました。 ちょっとハイキングに来たという感じのTシャツとジーンズの軽装で、赤ん坊を胸に抱いていた彼女は、私たちの車が傍らに止まると、心底ほっとした顔になって、 「神様ありがとうございます!ああ、たすかった!ピクニックに来たのだけれど、川縁で車がスタックしちゃって」 と、助けを求めてきたのです。 車がスタックする、というのは、ご存知のとおり、車が何かに乗り上げたり、はまったりして、タイヤが空回りし、動けなくなってしまった状態を言うのですが、彼女と赤ちゃんを車に乗せて川まで下りてみると、いかにも都会風のピカピカのセダンタイプの車が、川縁の泥の中で見事にスタックしていました。 車の中には、彼女の夫とおぼしき白人男性がひとり、しきりにアクセルを踏んでタイヤを空回りさせては、盛大に泥をはねあげています。 アボリジニの友人たちが車から降りていき、しばらく状況を調べていましたが、やがて、「こっちの車と、そっちの車を針金で繋いで引っ張ってやるから、おれたちが合図したらアクセルを踏めよ」と、その旦那さんに指示して、戻ってきました。 四輪駆動車の後ろにくっついている台車などを連結する金具と、セダンのバンパーを針金で繋いで、「いっせ~のせ!」という感じで引っ張ったのですが、何度やっても針金がぶち切れるだけで、セダンは泥の中から抜け出せません。 40度近い暑さの中で、みんながへたばりはじめた頃、私はふと、あることに気づきました・・・・セダンに乗っている男性の体格です。どう見ても百キロは軽く超えている、お相撲さん体型の彼が運転席に乗っているから、針金では引っ張れないのではないか、と思い、 「あの・・・私がアクセル踏んでみてもいい?」 と、声をかけると、男らはみんな、え?という顔で振りかえりましたが、すぐに全員、私が敢えて口にしなかった理由に思い当たったようで、代わってやってくれ!と、白人男性を運転席から出して、私を座らせてくれたのでした。 どうなったと思います?いや、もう、実に簡単。「いくぞ!」の声に合わせて、アクセルをめいっぱいに踏むや、車は跳びだすようにして泥地から解放されました。 何か、ちょっと映画みたいだったな、と、私はけっこう興奮していたのですけれど、真っ赤な顔に汗をたらたらかいて、「いや、たすかった。ありがとう」と言っている男性と、うんざりした顔の奥さんに手を振って別れたあと、アボリジニの友人たちは、しきりに、ブッシュの中に、あんな都会用の車で入ってくるのが間違っているんだ、赤ん坊まで連れてて、冗談じゃねぇよ、おれたちが通りかからなかったら死んでるぜ、と怒っていました。 彼らの怒りはもっともで、オーストラリアでは、原野に出れば、あたりには家もガソリンスタンドもない状態が当たり前。油断して、用意を怠れば、容易に命を奪われる危険が生じるのです。 あの車がスタックしていた場所も、周囲百キロぐらい人家などありませんから、ほんとうに偶然、私たちが通りかからなかったら、あの太った旦那さんでは、とても助けを求めに行けなかったでしょう。・・・いや、ワイルドなお話ですね。上橋さんは、この本を出したあとに『隣のアボリジニ』という本も出しています。人類学の研究者という側面もあるわけで・・・ええでぇ♪【隣のアボリジニ】上橋菜穂子著、筑摩書房、2010年刊<「BOOK」データベース>より独自の生活様式と思想を持ち、過酷な自然のなかで生きる「大自然の民」アボリジニ。しかしそんなイメージとは裏腹に、マイノリティとして町に暮らすアボリジニもまた、多くいる。伝統文化を失い、白人と同じように暮らしながら、なおアボリジニのイメージに翻弄されて生きる人々。彼らの過去と現在をいきいきと描く、作家上橋菜穂子の、研究者としての姿が見える本。池上彰のよくわかる解説付き。<読む前の大使寸評>アボリジニといえば、自然人、岩絵を描くアーティストというイメージがあるのだが・・・上橋さんが報告する現代のアボリジニが興味深いのです。<図書館予約:(5/03予約、5/24受取)>rakuten隣のアボリジニ隣のアボリジニbyドングリ
2016.09.25
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図書館で『樹木の文化史』という本を手にしたのです。この本では第2部の樹木譜(バオバブ/カバノキ/カジノキ/ツゲ/シーダー ほか)が、画像にあふれ充実している。『沙漠の事典』という本でアフリカビャクシンの話を読んだ後なので、借りた次第でおます。【樹木の文化史】フランシス・ケアリー著、柊風舎、2016年刊<「BOOK」データベース>より樹木は人間と、自然、神とを結びつけるものであった。世界最古の文学『ギルガメシュ叙事詩』には天を衝き抜くようなレバノン杉の森が神々の世界とされ、ウェルギリウスの『アエネーイス』の主人公も森の不思議な力に魅了され、南アジアの叙事詩『ラーマーヤナ』でも森が重要な空間となっている。大英博物館所蔵の樹木の標本帳や標本箱、スケッチ、水彩画、工芸品などを通して、われわれの歴史に樹木がいかに重要な意味を持ってきたのか、科学と芸術、旅行と交易、詩文と散文、神話や宗教など、裾野の広い文化史の一部として読み解く。<読む前の大使寸評>この本では第2部の樹木譜(バオバブ/カバノキ/カジノキ/ツゲ/シーダー ほか)が、画像にあふれ充実している。『沙漠の事典』という本でアフリカビャクシンの話を読んだ後なので、借りた次第でおます。 著者は大英博物館の幹部だったことだから、イギリス人が描く文化史ということになります。rakuten樹木の文化史ヨーロッパナラ(オーク)イギリス人にもっとも親しまれているオークを、見てみましょう。p246~252【オーク(Quercus)】 常緑樹と落葉樹、合わせて9百種を超えるオークが、ヨーロッパ、アジア、南北アメリカに分布している。強さと忍耐の象徴として、この木は地域や民族や帝国のアイデンティティーに関わる神話の数々を支え、ギリシャ神話の主神ゼウスや北欧神話の雷神トールをはじめとする神々の聖樹だった。 ギリシャ北西部ドドナにあったゼウスの聖域(ギリシャ最古の神託所とされている)の中心にはオークの古木があった。ヘロドトスによると、エジプトのテーベから黒い鳩が飛んできて、この場所にゼオスの神託所を作るようにと人間の声で言ったという伝説があった。ホメロスの『オデュッセイア』の中で、主人公オデュッセウスは「長い留守の後に、イタケーの緑豊かな地にどのようにして帰るべきか、ゼウスの考えを高く茂った樫の木の葉擦れから聞こう」と、ドドナへ行く。 金で作られたオークのリースはギリシャの神殿や聖地の財宝目録に掲載され、マケドニア、イタリア南部、小アジア、黒海北部地方では副葬品として知られている。その一例が古代マケドニアの首都アイガイで最近発掘された紀元前4世紀のものだ。(中略) ドングリは象徴としてだけではなく、経済的にも重要性をもっていた。プリニウスによると、特に現在のスペインにあたる地方ではドングリを乾燥させて粉に挽き、パンを焼いて食卓に供していたという。「ドングリは多くの民族にとって、平和を享受している現在もなお、財産の一部である」。 プリニウスが名を挙げた「ヘルキュニアのオークの森」は、現在のドイツ南部に、西はシュバルツヴァルトから、東はカルパティア山脈までを覆っていた。しかしこれは、18世紀から19世紀にかけてドイツの文化的民族的アイデンティティーの要となった古代の森のほんの一部にすぎない。 このアイデンティティー形成の中心的人物が、この森で紀元9年にローマ軍を破ったゲルマンの族長ヘルマンである。歴史家タキトゥスの記述を下敷きに、詩人のF・G・クロブシュトックは三篇の領歌を書いた。中でいちばんよく知られているのは1767年作の「ヘルマンの戦い」だろう。プロイセンがオーストリアやロシアとともに1813年にライプツィヒの戦いでナポレオンを破ったとき、ヘルマンの勝利との類似が即座に喚起され、ヨーロッパ解放戦争の戦中戦後に、この森は自由と団結の象徴となった。(中略) イギリスに目を向けると、ウィリアム・ブレイクの詩『エルサレム』が記憶を呼び覚ました「アルビオンのオーク林」には、主にヨーロッパナラやフユナラが生えていた。17世紀の末にアメリカ北東部から新種のチェスナットオークとスカーレットオークが持ち込まれたが、それらは「地元」の仲間たちが背負っていた象徴性を引き受けなかった。ロバート・ヘリックの誌「アンシアに捧げる」は古くからの慣習である教区の「境界検分」に触れている。もしオークの木が境界になっていたら、その木に向かって福音書を読み上げる習わしだった(ロンドン市内の地名「ゴスペルオーク」はここから来ている)。(中略) このように特別な地位を与えられているにもかかわらず、オークは他の木々と同じように多種多様な用途の犠牲になってきた。オークの利用は、内陸の水路を往き来するために幹をくりぬいて丸木舟が作られた青銅器時代や、造船に使う木材と金属精錬に使う木炭を供給するために南イングランドのオークの森を消耗させたローマ人の時代までさかのぼることができる。イーブリンが1664年に「樹林誌」で嘆いた状況は国家の非常事態だった。(中略) イギリス諸島のアイデンティティーをローマ人やそれに続くノルマン人による征服以前の時代に求めて19世紀以前に盛んになったケルト民俗学では、オーク、トネリコ、それにソーンが三大聖樹とされた。このロマンティックな考えがラドヤード・キプリングの子ども向け歴史小説『プークが丘の妖精パック』冒頭の「木の歌」の下敷きになっている。 古きイングランドを彩って 美しく繁る木々のうち 天下に並ぶものがない オーク、トネリコ、そしてソーン実質的に日本特産のようになったイチョウを、見てみましょう。p171~174【イチョウ(Ginkgo biloba)】 Ginkgo(イチョウ属)は「生きた化石」で、bilobaは約二千万年をさかのぼる化石記録から判明している多くの中からたった一つ残った種である。中国が原産で、未来仏弥勒菩薩や孔子と特に深いつながりがある。そこから、中国、韓国、日本で寺社に植えられるようになった。 イチョウは、ドイツ人植物学者エンゲルベルト・ケンペルがヨーロッパ人に紹介した中でいちばん有名になった植物である。1691年に長崎で初めてイチョウを目にしたケンペルは、こう書き記した。「もう一種、ギンナンというナッツがあって、大きなビスタチオナッツの形をしている。これはこの国のいたるところで穫れ、ホウライシダに似た形をした葉をもつ。美しくて信じられないほどの大木になる。この木はイチョウノキと呼ばれ、油が多くの用途に供されている」さらに重要なことに、ケンペルは1683年から1693年まで、ロシア、ペルシャ、アラビア、日本をめぐった旅で目にした、イチョウやカジノキを初めとする植物について、豊富な挿絵の入った本を1712年に出版した。 この『廻国奇観』はサー・ハンス・スローンの興味をひき、ケンペルが1712年に亡くなると、ハノーファーにいたジョージ一世の侍医をケンペルの故郷レムゴーに派遣して、原稿や「天然および人工の珍品多数」というコレクションを買い取った。この品々は1753年にスローンのコレクションの一部として大英博物館に収蔵され、現在は自然史博物館、大英博物館、大英図書館に分割されている。さらに、スローンはケンペルの未刊の原稿『今日の日本』を翻訳させ、それが1727年に「日本誌」として刊行された。 ヨーロッパでは早くも1750年代にはイチョウが植えられていたようで、ロンドン東部でマイルエンド種苗園を営んでいたジェイムズ・ゴードンが栽培していたという記録がある。もしかすると、キュー植物園に今も生えている、イギリス最古のイチョウは、ここから来たものかも知れない。 ゲーテはイチョウに魅せられた多くの文筆家や芸術家の一人だった。その詩『イチョウ』は、当時ゲーテが夢中になっていた女性、マリアンネ・フォン・ヴィレマーに捧げられている。(中略) 日本の美術や意匠は19世紀後半のヨーロッパにとても大きな影響を与えた。イチョウはフランスの装飾様式アール・ヌーヴォーや、そのドイツ版ユーゲント・シュティールで、印象的なフォルムの一つとして、写実的にも幾何学的にも利用された。イチョウの木は今も園芸家のみならず、芸術家をも引きつけてやまない。 2005年にギルバート・アンド・ジョージはヴェネツィア・ビエンナーレのイギリス館のために25点の新作を制作したが、そのすべてにイチョウの葉の形が取り込まれている。イチョウは補完医療に広く使われ、大気汚染に強いことから、あらゆる逆境に耐えて生き残ることの象徴と見られるようになった。広島では、1945年に原子爆弾が投下された爆心地に、今も4本のイチョウが枯れずに残っている。ところで、ギンコー(ginkgo)という奇妙な綴りについてはイチョウ 奇跡の2億年史(3)で謎明かししています。『樹木の文化史』1
2016.09.24
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図書館で『樹木の文化史』という本を手にしたのです。この本では第2部の樹木譜(バオバブ/カバノキ/カジノキ/ツゲ/シーダー ほか)が、画像にあふれ充実している。『沙漠の事典』という本でアフリカビャクシンの話を読んだ後なので、借りた次第でおます。【樹木の文化史】フランシス・ケアリー著、柊風舎、2016年刊<「BOOK」データベース>より樹木は人間と、自然、神とを結びつけるものであった。世界最古の文学『ギルガメシュ叙事詩』には天を衝き抜くようなレバノン杉の森が神々の世界とされ、ウェルギリウスの『アエネーイス』の主人公も森の不思議な力に魅了され、南アジアの叙事詩『ラーマーヤナ』でも森が重要な空間となっている。大英博物館所蔵の樹木の標本帳や標本箱、スケッチ、水彩画、工芸品などを通して、われわれの歴史に樹木がいかに重要な意味を持ってきたのか、科学と芸術、旅行と交易、詩文と散文、神話や宗教など、裾野の広い文化史の一部として読み解く。<読む前の大使寸評>この本では第2部の樹木譜(バオバブ/カバノキ/カジノキ/ツゲ/シーダー ほか)が、画像にあふれ充実している。『沙漠の事典』という本でアフリカビャクシンの話を読んだ後なので、借りた次第でおます。 著者は大英博物館の幹部だったことだから、イギリス人が描く文化史ということになります。rakuten樹木の文化史レバノン杉第2部の樹木譜のなかでレバノン杉あたりを、見てみましょう。p116~118【シーダー(Cedrus)】 本物のシーダー(ヒマラヤスギ属)はマツ科に属している。アルジェリアとモロッコにまたがるアトラス山脈原産のアトラスシーダー、キプロス島のキプロスシーダー、ヒマラヤ西部原産のヒマラヤスギ、そしてレバノン、シリア、トルコに自生するレバノンスギの四種が知られている。 シーダーと一般に呼ばれるそれ以外の樹木は、だいたいがヒノキ科の植物で、たとえばアメリカ合衆国東部原産で黒鉛の芯をカバーするために使われて、「ペンシルシーダー」と呼ばれるビャクシンの1種などがある。 本物のシーダーの中でいちばんよく知られているのはレバノン杉だろう。「ギルガメッシュ叙事詩」では、主人公が親友エンキドゥとともにレバノン杉の森へ危険に満ちた旅路をたどる。その森は、大地を支配する最高神エンリルの頼みを受けた怪物フンババに守られていた。 ギルガメッシュは最後に知恵を得るが、その前に無差別に環境破壊を行っている。それはレバノン山の偉大なシーダー林を破壊する長い歴史の始まりだった。わずかに残った木立は「神のシーダー」として、1998年にユネスコの世界遺産に加えられている。 紀元前2000年紀以後、西アジア諸国間で不可欠な交易品となったシーダーは、メソポタミア国王の碑文にも戦利品または貢ぎ物として記述されている。 大口の消費者はエジプト人だった。イラク北部コルサバードにあったサルゴン二世(紀元前710)の宮殿跡から出土し、現在はルーブル美術館にあるレリーフの1枚に「エジプト人用レバノン木伐採図」がある。芳香と防腐効果のあるシーダー材は木棺にするだけでなく、薬品の調合に使ったり、香料として燃やしたりされた。『沙漠の事典』3でアフリカビャクシンが見られます。お次はクワを見てみましょう。もちろんクワは養蚕のための木であるが、イギリスで一般にはクワの実が連想されるようです。p198~199【クワ(Morus)】 クワの中でいちばんよく見られる種はレッドマルベリー、ブラックマルベリー、ホワイトマルベリーの三種で、前二者は果汁の多さで区別される。北アメリカ東部原産のレッドマルベリーは、現在では世界各地で生育している。ブラックマルベリーは南西アジアの原産で、ローマ人は果実そのものだけではなく、果実から作るワインやシロップをたいへん好んだ。プリニウスの言によれば、 「この木には人間の手による改良がいちばんおよんでいない。品種もなく、接ぎ木による改変もなく、唯一果実が注意深い手入れによって大きくなったこと以外に何の改良もされていない」。 イギリスではクワの栽培を王室が後押しした。1608年、贅沢品の消費が増加していることに対応して、ジェイムズ一世が絹の生産を促すためにクワの木を植えるよう布告を出したのだ。ところが、この植物はブラックマルベリーで、本来の目的に必要なホワイトマルベリーではなかった。1608年の布告に関係のあるブラックベリーの1本が、今日までケンブリッジ大学クライスツ・カレッジに残っている。また、「回ろ、回ろ、マルベリーの木を囲んで」と歌うイギリスの童謡「マルベリー・ブッシュ」に登場するのも、このブラックマルベリーで、刑務所の運動場にクワの木を植えたことを指していると考えられている。 一方、東アジアから来たホワイトマルベリーは、最高級の白絹を生産するカイコガの幼虫、つまりイモムシの唯一の食糧として主に知られている。1キログラムの絹を作るには、104キログラムのクワの葉と3千匹のカイコが必要とされる。 カイコのすばらしい性質はいつの時代にも脅威の的で、その一例が、しばしば「顕微鏡生物学の父」と呼ばれるマルチェロ・マルピーギによる、顕微鏡解剖学草分けの一つとされる研究である。1668年にボローニャで書かれたカイコに関する論文は、翌年彼が王立協会の会員として認められる根拠となった。 中国の言い伝えによると、カイコの能力が発見されたのは紀元前2700年頃とされているが、養蚕の痕跡はそれよりまだ早い紀元前3000年代までさかのぼり、世界最古の「工業型」農業となっている。紀元前1000年の以後、絹は中国からインド、西アジア、地中海地方へ、集合的に絹の道と呼ばれた中央アジアの街道筋を経由して売買された。中国はその後1000年の間は絹の生産を独占していたが、そこから先は製造の秘密がホータン、韓国、日本、インドへ広まり、紀元6世紀にはビザンティン帝国に達する。 これほど珍しく神秘のヴェールに包まれたものは必然的に独自に神話を作り上げる。絹の秘密がどのように中国の外へ伝わったのか、たくさんの物語がある。中央アジアのホータンは、中国以外で最初に養蚕が行われた場所だった。肝心な情報や原料を教えない中国に業を煮やしたホータンの王は、皇女にプロポーズして、もし結婚後も絹を身につけたいと思うなら、それを作る手段をホータンへ持ってこなくてはならないと告げた。彼女はそれに同意し、国境の役人に見つからないよう、クワの種子とカイコの卵を冠の中に隠して嫁入りしたという。
2016.09.24
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「漂泊」でしょうか♪<市立図書館>・ラジ&ピース・明日は、いずこの空の下・日本のエスニック・ビジネス<大学図書館>・樹木の文化史・今宵どこかのBARで図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【ラジ&ピース】絲山秋子著、講談社、2008年刊<「BOOK」データベース>より女の心は、何も入っていない冷蔵庫のようにしんと冷えていた-。それでも電波は、必ずラジオを見つけて鳴らす。女性DJの心を描く、絲山秋子の最新小説。<読む前の大使寸評>先日読んだ『逃亡くそたわけ』という小説が面白かったので、二匹目を狙って借りた次第です。パラパラめくると、この小説には群馬弁がでてくるんだけどこれが田舎ふうで・・・おっと、鄙びた感じでええでぇ♪rakutenラジ&ピースラジ&ピースbyドングリ【明日は、いずこの空の下】上橋菜穂子著、講談社、2009年刊<「BOOK」データベース>より17歳の夏、初めて旅したイギリスとフランス、フィールドワークで訪れた沖縄やオーストラリア。そして海外旅行で訪れた国々…物語が芽吹く土壌となった旅のエッセイ。国際アンデルセン賞受賞記念出版!<読む前の大使寸評>獣の奏者や精霊の守り人の著者ということもさることながら・・・大使の場合、オーストラリアのアボリジニとの交流のエピソードが興味を引くのです。rakuten明日は、いずこの空の下明日は、いずこの空の下byドングリ【日本のエスニック・ビジネス】樋口直人著、世界思想社、2012年刊<「BOOK」データベース>より韓国・朝鮮人、ニューカマー中国人、ブラジル人、フィリピン人、ベトナム人、パキスタン人、南米系の人びと…日本に暮らす外国籍の人たちの築き上げた個性的なビジネスの世界。歴史的変遷と現状を精細な調査により解き明かす。【目次】プレリュード 日本のエスニック・ビジネスをめぐる見取り図/第1章 在日韓国・朝鮮人ービジネスのダイナミズムと限界/第2章 ニューカマー中国人ー一般市場における多様な展開/第3章 ブラジル人ー揺れ動くエスニック・ビジネス/インテルメッゾ エスニック・メディアの担い手たちー在日ブラジル系メディアビジネスの興亡/第4章 フィリピン人ー「主婦」となった女性たちのビジネス/第5章 ベトナム人ー外部市場志向のビジネス/第6章 パキスタン人ー可視的マイノリティの社会的上昇/フィナーレ 鶴見でのしあがるー京浜工業地帯の南米系電気工事業者たち<読む前の大使寸評>ブラジルからのデカセギ、チャイナタウンのニューカマー、在日が営むパチンコ屋とか・・・目下のところ、日本に住むオールドカマー、ニューカマーが興味深いのでおます。rakuten日本のエスニック・ビジネス日本のエスニック・ビジネス2byドングリ【樹木の文化史】フランシス・ケアリー著、柊風舎、2016年刊<「BOOK」データベース>より樹木は人間と、自然、神とを結びつけるものであった。世界最古の文学『ギルガメシュ叙事詩』には天を衝き抜くようなレバノン杉の森が神々の世界とされ、ウェルギリウスの『アエネーイス』の主人公も森の不思議な力に魅了され、南アジアの叙事詩『ラーマーヤナ』でも森が重要な空間となっている。大英博物館所蔵の樹木の標本帳や標本箱、スケッチ、水彩画、工芸品などを通して、われわれの歴史に樹木がいかに重要な意味を持ってきたのか、科学と芸術、旅行と交易、詩文と散文、神話や宗教など、裾野の広い文化史の一部として読み解く。<読む前の大使寸評>この本では第2部の樹木譜(バオバブ/カバノキ/カジノキ/ツゲ/シーダー ほか)が、画像にあふれ充実している。『沙漠の事典』という本でアフリカビャクシンの話を読んだ後なので、借りた次第でおます。 著者は大英博物館の幹部だったことだから、イギリス人が描く文化史ということになります。rakuten樹木の文化史樹木の文化史2byドングリ【今宵どこかのBARで】伊藤精介著、集英社、1999年刊<「MARC」データベース>より本格的なBARとは何か。国内外のBARでの様々な体験、映画や本の中のお酒がからんだ名場面、BARで出会った有名無名の人々、至極のスピリッツをめぐる物語をセンチメンタルに綴る。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten今宵どこかのBARで***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き173
2016.09.23
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久々にくだんの2本立て館に繰り出したが・・・・今回の出し物は「バベットの晩餐会」と「千年医師物語」であり、館主の設けたテーマは「今を忘れて楽しむ2本」となっています。毎度のことながら、2作品を選ぶ館主のセンスには感心しているのですが・・・・今回のテーマはなんかピンボケである、大使に言わせたら「故郷から離れていても」あるいは「人生いたるところに青山あり」になるんですけどね♪【バベットの晩餐会】ガブリエル・アクセル監督、1987年、デンマーク制作、H28.9.8観賞<Movie Walker映画解説>より19世紀後半のデンマークを舞台に、質素な生活を送っているプロテスタントの村人たちとカトリックの国フランスからやってきたひとりの女性との出会いと当惑、そしてある晩餐会の一夜を描く。製作総指揮はユスツ・ベツァー、製作はボー・クリステンセン、アイザック・ディネーセンの小説の映画化で、監督・脚本は「性歴2000年」のガブリエル・アクセル、撮影はヘニング・クリスチャンセン、音楽はペア・ヌアゴーが担当。出演はステファーヌ・オードラン、ボディル・キェア、ビアギッテ・フェザースピールほか。88年度アカデミー外国語映画受賞作。<大使寸評>バベットが催した晩餐会は村人にとっては身分不相応であったが、それが彼女流の謝意であり、心意気でもあったのでしょう。デンマークとフランスといえば、言葉の壁は小さくないのだが、それを物ともしないのがヨーロッパの感覚なのか?♪国籍、宗教の違いを超えた交わりがおとぎ話風のタッチで、小気味いいテンポで描かれています・・・・後半はバベットがフランス料理にプロの技を見せるのが、ええでぇ♪それにしても、デンマーク映画を観たのは初めてだったかも。Movie Walkerバベットの晩餐会例の如くサンドイッチで昼食を摂り、お次の映画に移ります。【千年医師物語】フィリップ・シュテルツル監督、2013年、独制作、H28.9.8観賞<Movie Walker映画解説>より世界中で2100万部以上を売り上げたノア・ゴードンのベストセラー小説を映画化したアドベンチャー大作。11世紀、医学を志して欧州からペルシアへ渡った青年の冒険を描く。監督は「アイガー北壁」のフィリップ・シュテルツェル。出演はイギリスの新鋭トム・ペイン(テレビ映画『嵐が丘』)、「ガンジー」のベン・キングズレー。<大使寸評>2時間半の大作である。この映画の中で、ときどき砂漠の美しいシーンが出てくるが・・・大使のツボがうずくのでおます。それにしても、遠いペルシャまで出向き先端医療を学ぶ英国の青年を描いたドイツ映画というのが・・・コスモポリタンな映画だと思うのです♪Movie Walker千年医師物語今回も例の如くハリウッド映画を外しているわけで・・・ここで観るのは、英、仏、独、日の作品が多いのです。でも、2本立ての関係で、やむなくハリウッド映画を挟むこともあったりします(笑)。パルシネマ上映スケジュール
2016.09.23
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<『沈みゆく帝国』2>図書館で『沈みゆく帝国』という本を手にしたのです。i-phon7が新発売とのこと・・・何それ?携帯を持たない主義で、アップル嫌いの大使でも、タブレットは持っているのである。そのタブレットとは、人気のないWinタブレットである・・・何故か?要するに、アップルが嫌いなのである。アップルが鬼門なんである。このアップルに対する怨念が、この本を借りた理由なんですが(何か)【沈みゆく帝国】ユカリ・イワタニ・ケイン著、 日経BP社、2014年刊<「BOOK」データベース>より偉大でクレイジーな反逆者は、いつしか傲慢な巨人となり、衰退の道を突き進んでしまうのかー。ウォール・ストリート・ジャーナル元エース記者が、厳しく切ないアップルの真実を明らかに。【目次】かつて私は世界を統べていた/去りゆくビジョナリー/ジョブズの現実歪曲/CEOは僕だ/在庫のアッティラ王/皇帝の死/ジョブズの影と黒子のクック/中国の将軍と労働者/アップルの猛獣使い/Siriの失敗〔ほか〕<読む前の大使寸評>i-phon7が新発売とのこと・・・何それ?携帯を持たない主義で、アップル嫌いの大使でも、タブレットは持っているのである。そのタブレットとは、人気のないWinタブレットである・・・何故か?要するに、アップルが嫌いなのである。アップルが鬼門なんである。このアップルに対する怨念が、この本を借りた理由なんですが(何か)rakuten沈みゆく帝国アップル帝国の陰りを、見てみましょう。p451~453<アップルストーリーのほころび>より 「人々の暮らしを豊かにするすごい製品を作れば、ほかのことは結果としてついてきます」 ここで、モスバーグとスウイッシャーは、製品に話を転じた。まったく新しいタイプの製品を生みだすことだけがイノベーションではないとクックがiPad miniをかばおうとすると、 「丁々発止のやりとりがしたいわけではないんです」 とモスバーグが割って入る。そして、次なるすごいモノをアップルはいつ出すのかと突っ込む。テレビは?インターネット対応の眼鏡や腕時計といったウウェアラブルデバイスは? 「そのお話を詳しくするつもりはありません」 クックは話をそらそうとする。 「そういうお話には・・・お答えしたくありません。いま、公表できることはありません」 ジョブスも未発表の製品について語ることはなかったが、そのかわり、アップルのクエイティブな面についてわくわくするようなことを語っていた。新しい情報はなにも出さずに聞き手を魅了する次の質問がぶつけられる。アンドロイドを脅威とは思わないのか、だ。 「別に現実から目をそらせているわけではありません」・・・クックはこう言うと、また、世間の人々はアップル製品を使っている時間が長いという話をもち出した。 アップルの市場シェアが下がっているのをどう思うかと問われるたび、クックは話をそらそうとする。そうこうしているうちに、表情が少しずつ硬くなっていった。 厳しい質問が続く。気にすべきなのはアップル製品を使う時間だけなのか?アップル製品の売上はどうでもよくなったのか?顧客満足度は?若者のあいだではiPhoneの人気が下がっている、ルック&フィールに飽きてきたからだと指摘した上で、アップル顧客の年齢が上がりつつあることは心配しなくていいのかとスウイッシャーが尋ねる。若者にアピールするよう、デザインを変更する予定はないのか? 「アップルはあらゆる年齢をカバーしています。すばらしいことです」 そろそろ、内容なしにそれらしく取り繕うのが難しくなってきたようだ。同じことばかりをくり返すようになっている。アップルは快調だと言いつのる。わくわくするような新製品を開発中だと請け合う。将来に不安はない。皆、よくやっている。インフィニットループ1番地の文化はなにも変わっていない。すべて順調だ。 だが、その目は泳ぎ、聞き手をしっかりとらえずちらちら見るだけになってしまった。手元は時計をいじっている。ここまで追いつめられた場合、ジョブスなら怒りを爆発させたかもしれない。クックは、少しずつ肩に力が入ってはいったが、最後まで礼儀正しい姿勢を崩さなかった。この何週間か前、連邦議会における証言の準備として、厳しい質問をどうさばくべきかを訓練したのが効いているのかもしれない。論理的だと思ってもらえるように、数字や統計を飲用しながらゆっくりとしゃべる。 口を滑らせようとする質問は、台本どおりの答えでかわしていく。年寄りが多く、技術がよくわかっていない上院議員相手であればこの戦法が効くが、今回の聴衆は簡単にごまかされない。シリコンバレーの事情通がそろっているからだ。クックの答えにだまされる人などいなかった。ん、何やらソニーやシャープの没落の危機に似ているではないか(笑)アップルはまだ没落しているわけではないが・・・さて今後どのように推移するでしょうね。『沈みゆく帝国』1
2016.09.22
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<『沈みゆく帝国』>図書館で『沈みゆく帝国』という本を手にしたのです。i-phon7が新発売とのこと・・・何それ?携帯を持たない主義で、アップル嫌いの大使でも、タブレットは持っているのである。そのタブレットとは、人気のないWinタブレットである・・・何故か?要するに、アップルが嫌いなのである。アップルが鬼門なんである。このアップルに対する怨念が、この本を借りた理由なんですが(何か)【沈みゆく帝国】ユカリ・イワタニ・ケイン著、 日経BP社、2014年刊<「BOOK」データベース>より偉大でクレイジーな反逆者は、いつしか傲慢な巨人となり、衰退の道を突き進んでしまうのかー。ウォール・ストリート・ジャーナル元エース記者が、厳しく切ないアップルの真実を明らかに。【目次】かつて私は世界を統べていた/去りゆくビジョナリー/ジョブズの現実歪曲/CEOは僕だ/在庫のアッティラ王/皇帝の死/ジョブズの影と黒子のクック/中国の将軍と労働者/アップルの猛獣使い/Siriの失敗〔ほか〕<読む前の大使寸評>i-phon7が新発売とのこと・・・何それ?携帯を持たない主義で、アップル嫌いの大使でも、タブレットは持っているのである。そのタブレットとは、人気のないWinタブレットである・・・何故か?要するに、アップルが嫌いなのである。アップルが鬼門なんである。このアップルに対する怨念が、この本を借りた理由なんですが(何か)rakuten沈みゆく帝国最初に著者まえがきと目次を、見てみましょう。p1~5<著者まえがき>より 本書はノンフィクションである。ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者としてアップルを追っていた3年間と本書のための取材、あわせて5年分の記録をもとに書かれている。登場する名前や情報はすべて事実である。 本書の執筆準備に取りかかったのはスティーブ・ジョブスが亡くなる前で、そのときは、スティーブ・ジョブスというCEO(最高経営責任者)と彼が選んだ経営幹部がアップルを倒産の危機から救い、息をのむほどの成功を収める帝国を築いていく様を描こうと思っていた。ところが、1年ほど取材を続けてみると、アップルでは、トップ交代という目を奪われるような事態が展開しつつあることがわかる。 私は以前、ソニーを追っていたことがあり、創業者がいなくなったソニーが衰退していくのを目の当たりにしている。それだけに、今回会社トップが創業者から別の人に変わる、しかも、事業環境がどんどん複雑になっていくなかでトップが交代するという難しい事態にアップルがどう対処するのか、強く興味を惹かれた。そんなわけで、改めて、ひとつの疑問、「ビジョナリーなリーダーが去っても、偉大な会社が偉大なままでいられるのか」を胸にアップルを追うことにした。これを実現できる会社が世の中にあるとしたら、アップルが最右翼だと思いつつ。 ウォール・ストリート・ジャーナル紙の記者であった時代にはアップルのメディア向けイベントに出席したり経営幹部に話を聞いたりしていたが、それ以外の取材はアップルに断られ、参加することがかなわなかった。それでも、米国、欧州、アジアでアップルの世界を直接知っている人々、200人近くから200回を超える回数、話を聞くことができた。 アップルの幹部や社員のほか、取引先、弁護士、友人、知人など、アップルの歴史のさまざまな時点において中核にいた人々と深いかかわりのあった方々だ。フォックスコンとサムスンの社員、幹部、コンサルタント、取引先だったことのある方々からも話を聞いた。これら3社はいずれも秘密主義の巨大企業であり、思わぬ影響が出ることを恐れて匿名なら取材に応じるという人が多かった。中国政府の報復が怖いという人もいた。 本書の取材をするにあたり、私は世界各地を回った。カリフォルニア州クパチーノのアップル本社を皮切りに、シカゴ、ボストン、ロンドン、フランクフルト、北京、香港、ソウル、東京という具合だ。ティム・クックの故郷であるアラバマ州ロバーツデールも訪問し、彼の恩師に話を聞いたり、彼が通った高校のあたりを車で走ったり、地元で人気のレストラン、ママルーズで食事をしたりした。 サンノゼでおこなわれたアップルとサムスンの訴訟も傍聴したし、深センの闇市場も取材した。龍華にあるフォックスコンの巨大工場では、門へと流れ込んでいく工員の群れもこの目で確かめてきた。台北では、工業地帯となっている土城区の鴻海精密工業(フォックスコンの正式名称)本社も訪問した。 アップルの取引資料や何千ページもの法廷記録、社内メモ、会社の電子メールなど、公開されている記録も大量に集めた。本書のストーリーを組み上げるにあたり、これらの情報も大いに役に立った。(中略) 特許法や企業統合、ソフトウェアデザインといった専門分野については、その背景や状況を専門家に教えていただいた。世界各地に散る著名な同業者からも、知見や洞察、情報をいただいた。皆、快く、本書に役立つ素材を提供してくれた。協力いただいたジャーナリストの名前は、謝辞に記してある。 真にグローバルな本書のストーリーを語るにあたり、英語だけでなく、中国語や韓国語、日本語で書かれたニュース素材も山のように使用した。私は日本での教育も受けているため日本語の記事は読むのに苦労がなかった。中国語と韓国語については、これらの言語に堪能なアシスタントに助けてもらった。 各章で使用した具体的な情報ソースについては、巻末の原注に記載してある。【目次】著者 まえがき序章 かつて私は世界を統べていた第1章 去りゆくビジョナリー第2章 ジョブズの現実歪曲第3章 CEOは僕だ第4章 在庫のアッティラ王第5章 皇帝の死第6章 ジョブズの影と黒子のクック第7章 中国の将軍と労働者第8章 アップルの猛獣使い第9章 Siriの失敗第10章 アンドロイドに水素爆弾を第11章 イノベーションのジレンマ第12章 工員の幻想と現実第13章 ファイト・クラブ第14章 きしむ社内、生まれないイノベーション第15章 サプライヤーの反乱第16章 果てしなく続く法廷闘争第17章 臨界に達する第18章 米国内で高まる批判第19章 アップルストーリーのほころび第20章 すりきれていくマニフェスト終章 2013年11月この本をまだ読破していないのだが・・・・まえがきに見られるように、著者のやる気がええでぇ♪著者情報に見られるように、頼もしい日系人が現れたものです。【著者情報】(「BOOK」データベースより)ケイン岩谷ゆかり(ケイン・イワタニユカリ)ジャーナリスト。1974年、東京生まれ。ジョージタウン大学外交学部(School of Foreign Service)卒業。父の仕事の関係で3歳の時に渡米、シカゴ、ニュージャージー州で子ども時代を過ごす。10歳で東京に戻ったものの、15歳で再び家族とメリーランド州へ。大学3年の時に1年間上智大学へ逆留学したが、その後アメリカへ再び戻る。アメリカのニュースマガジン、U.S.News AND World Reportを経て、ロイターのワシントン支局、サンフランシスコ支局、シカゴ支局で勤務後、2003年末に特派員として東京支局に配属
2016.09.22
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<『沙漠の事典』3>図書館に予約していた『沙漠の事典』という本をゲットしたのです。ビジュアルな大型本で、原則として1概念で1頁(多くて2頁)となっていて、事典形式ではあるが、読み物として面白いのが、ええでぇ♪サウジアラビア出張でひどい目に遭った大使であるが・・・それ以来、砂漠愛が亢進しているのでおます。【沙漠の事典】日本沙漠学会編、丸善、2009年刊<「BOOK」データベース>より 気象・気候・景観・産業・生活・歴史・生態系・水・土壌など、さまざまな角度から約200の項目を選び、沙漠のすべてをあますところなく解説する中項目事典。日本沙漠学会創立20周年記念。1項目1ページの読み切り形式とし、各項目には、最も象徴的な図・表・写真を掲載。<読む前の大使寸評>ビジュアルな大型本で、原則として1概念で1頁(多くて2頁)となっていて、事典形式ではあるが、読み物として面白いのが、ええでぇ♪<図書館予約:(9/11予約、9/16受取)>amazon沙漠の事典四大文明消滅と煉瓦の関係を見てみましょう。p158<エネルギー資源問題> 本項目が「11.沙漠の資源と利用」ではなく、あえてこの場所においた理由は、森林破壊・沙漠化こそエネルギー資源問題そのもの、とさえいえるからである。ただし、もちろんある視点からだけの議論をすれば、の話である。 世界の四大文明とはエジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明を指す。しかしそのいずれもが現代ほとんど廃墟ともいえる状況でありその周囲には広大な沙漠が広がっている。なぜそうなってしまったのだろうか? その一つの説明として「煉瓦」をもちだそう。その四大文明のいずれにおいても建造物はほとんど煉瓦で造られている。そもそも煉瓦はどのようにしてつくられていたのか?まず粘土に砂を混ぜ、いわゆる煉瓦の形に成形する。次いでこれを天日乾燥したのち、大昔は野火で、そしてだんだん温度制御ができるようになり大型の窯で焼くようになる。温度は約千℃。 この、煉瓦をつくる時のエネルギーとして、薪が使われたのである。薪はどこから採取するのか?もちろん、都市の周辺に存在する森林である。このようにして、エネルギー源を搾取するために森林を大規模に伐採し、そのことが沙漠化を誘発したというのである。 現代では荒漠とした沙漠が広がる周囲に昔、森林があったというのだろうか?という疑問は確かにある。 樹木は大地に根を張り、土を耕し固定し、水を浸透・保持し、その水を蒸散させる。この樹木を伐採すると何が起こるのか? まず土壌が失われる。すると水は土に保持されず、この場所で蒸発散する水が少なくなり、海に水が流れ出るようになる。(中略) 木をエネルギー源として使うことの罪、実は、四大文明に限らず、そして用途は煉瓦の他にも、さまざまな歴史の中で、木をエネルギー源として用いることが、環境破壊をもたらしてきた。 有名な例では、中国での毛沢東時代の鉄精錬、中国のさまざまな地域での植生悪化をもたらしたとされる。もちろんその前にもさまざまな金属精錬に木材は使われてきた。そして精錬プロセスからはSOXが排出され、大気と水の酸性化をもたらし植生に悪影響をもたらす。日本での足尾鉱山の事件はまさにその典型であった。さらに蒸気機関燃料としての利用、鉄道の敷設には枕木として木材が使われた。このような事例は、過去や途上国ばかりではなく、多くの先進国でも見られてきた事例である。 図にはエネルギー使用量の変遷を示す。文明はエネルギーとともに発展し、滅びたのがこれまでの歴史とすれば、化石燃料は森林破壊を防ぎ、文明を発達させる原動力であったのである。少なくともこの200年は・・・・、さて・・・。 始皇帝はトップダウンで、万里の長城という地球的規模の構造物を造ったが・・・一方、現代の毛沢東はトップダウンで地球的規模の環境破壊(鉄精錬による森林破壊)を行ったようですね。(毛沢東のこの失政には得るものが皆無というお粗末さが目立つのです)中東の樹木としてはレバノン杉が知られているが、アフリカビャクシンもこの地域の樹木だったようです。p164~165<ビャクシン林の保全> サウジアラビアでは1978年には森林と放牧地の無制限な利用を抑制する法律が制定された。また、1980年に国の最初の国立公園アシィール国立公園も設立され、続いて、1986年にサウジアラビア野生生物保護委員会が創設された。1995年には自然保護区の設置が法制化され、自然保護区内での狩猟、樹木伐採、放牧、農耕、野生生物採集、ゴミの投棄などが禁止されるようになった。(中略) アフリカビャクシン林の保全を目的に、サウジアラビア野生生物保護委員会は1989年、アシィール山地の中心都市アブハーから西10kmにある急傾斜地にレイダ自然保護区を設置した。面積的には決して広くないが、1000m以上の高度差の中に環境傾度に沿って多様な動植物が分布している。サウジアラビア全土で見られる植物種1800種の約25%にあたる460種をこの保護区とその周辺で確認することができる。 レイダ自然保護区は、以前はバニー・ムガイド族の部族領土であった共有地の内部に存在する。ビャクシンが豊富な山岳の急斜面は、ナーイブと呼ばれる村の部族の代表による管理と保護のもとにおかれてきた。 村のある個人がビャクシンの木材を使って新しい家屋を建設しようとした時には、その人は会議においてナーイブに許可を求めなければならなかった。その求めが通った後に、ナーイブと4~5人からなる村のセクションの他の長老が申請者とともに山へ行って、適当な量のビャクシンを伐採した。コミュニティの許可なく、隠れて樹木を伐採し市場へ持っていったり商人に売ったりしたものは、人々によって捕まえられた。違反したものは一定の賠償金を支払うことが課せられた。「サウジアラビア紹介シリーズ:高橋俊二」より、アシール地方のビャクシンを見てみましょう。花冠とスカート姿の男達が住むアシール(Asir)への訪問より 私が最初にこの地方を訪問したのは1987年の冬であった。その時は写真でサウジアラビアにも川が流れ、山がある地方を知り興味を持って居たところを親しい先輩から誘われて出掛けた。纏まった休暇さえ有ればこの禁酒国から抜け出し酒を飲む事ばかりを考えていた私に取っては職場のあるカフジ(Al-Khafji)から2,000 キロ以上も離れたアシール(Asir)まで行く等、思いも寄らなかったのでかなり珍しい旅行であった。 当時は外国人居留者の移動は厳しく制限されて居た上に、地図も無く、アブハー(Abha)とナジュラーン(Najran)間には武器・麻薬の密輸取締の為に4 キロ毎に検問所があり、秘密警察の密偵が至る所で目を光らせて居た。それでもナジュラーンまで往復し、ナジュラーン渓谷に広がる大規模なナツメヤシ園や岩山に残るローマ軍の遺跡を見学した。又、アブハーから洪水跡の生々しい谷道を下ってジーザーン(Jizan)のハヤット(Hyatt)ホテルまで足を延ばして紅海の魚を食べに行ったりもした。 その後、第一次湾岸戦争を経験し、その戦災の後始末をして1992年に帰任し、再びサウジアラビアに赴任したのは沙漠緑化事業の為で1997年の初めであった。その年の4月に沙漠偵察で、更に9月に一年先輩のご夫婦を案内してこの地方を訪れてから1998年4月、2000年12月、2002年2月、2003年2月と2003年7月末に帰任するまでに都合8回もこの地方を訪れて居り、一番親しみを感じると共に訪れる度にその変化の多様さの中に新たな発見をしている。この地方との触れあいがあった事で沙漠の植生、土質のみでは無く、地勢、地質、動物、考古学、歴史、民族、伝統等広い分野に渡って私はサウジアラビアに対して私は興味を持つ様に成った。Al Soudahの空中Cableから見たビャクシンの森おお 大使にとって思い出深いアブハーから紅海までの断崖ルートが見られるではないか♪『沙漠の事典』1『沙漠の事典』2
2016.09.21
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図書館で『中国壊死』という本を手にしたのです。あまた出てくる嫌中本には食いつかないようにしているのだが・・・目次にもある「いやでも中国人と戦う時代」なんかを見ると、つい手が出たのです。【中国壊死】宮崎正弘, 宮脇淳子著、ビジネス社、2015年刊<「BOOK」データベース>より転んでもただでは起きない嫌われ者の中国人が雪崩込む!歴史捏造と漢字支配の恐怖。いやでも中国人と戦う時代がやってきた!【目次】第1章 強盗国家の常識/第2章 漢字支配と歴史捏造の実態/第3章 中国を動かす客家コネクション/第4章 中国は大分裂するのか/第5章 「習王朝」権力闘争の行方/第6章 経済大崩壊の末路/第7章 いやでも中国人と戦う時代<大使寸評>あまた出てくる嫌中本には食いつかないようにしているのだが・・・目次にもある「いやでも中国人と戦う時代」なんかを見ると、つい手が出たのです。rakuten中国壊死「第7章 いやでも中国人と戦う時代」のあたりを、見てみましょう。p175~177<中国人移民対立の三重構造>宮崎:最後のこの章では、結局中国人って何なのということと、彼らと日本はこれからどうやって付き合っていけばいいのかを論じたいと思います。 ゴーマン中国の裏技の読み方が大事です。 まずバンクーバーでのチャイナタウンの実情から話したい。完全に三重構造になっちゃってる。バンクーバーの旧市街のほぼ中心地が昔のチャイナタウン。これは苦力貿易で連れていかれて残留した連中が一応成功してつくった。ところがもうさびれちゃって、シャッター通りになって、まわりみんな浮浪者とごろつきとチンピラと、昼間でもちょっと危ないくらいですよ。夜は完全に危ない。ここの商人たちは夜シャッターを下ろして、各自郊外の自宅に帰る。 そこに、香港からホンコニーズがどっと来たでしょう。この人たちが飛行場の周囲にニュータウンをつくり、オールドチャイナタウンとニュータウンが対立している。 そこへ次の問題。近年、大陸から金持ちが来た。これが対岸の高級住宅地に住み始めた。いま完全に対立の三重構造。世界中が中国人移民っだらけだけど、シドニーもそうで、四百五十万都市のうち五十万人ぐらいが中国人だからね。宮脇:中国人同士が仲が悪いから問題なんですよね。出身地やそれこそバンによって、ものすごい抗争をしてますから。宮崎:日本はそうじゃないけれども、中国人はいまだに地縁血縁でしょう。だから世界中どこに行ったって、まず、血族。次に同じ郷土の出身。みんな出身地で区分けされている。シンガポールのチャイナタウンも、福建省の金門の人なら金門だけで一つのストリートがある。寧波人だけのストリートがある。路地によって全部違う。 ニューヨークがそうでしょう。ウォールストリートから二つ北のカナルストリート。それが中国人の店で道にあふれるようになって、増殖して1本北にあるイタリア街を全部飲み込んだ。リトルイタリアなんていまないんですよ。あれはみんなチャイナタウンになった。 それからブロードウェイを挟んだソーホー地区という倉庫街があった。ここもほぼ中国人に乗っ取られた。この通りは、みんな広東人。それで広東以外から来た人たちはどこに行ったかというと、ラガーディアの飛行場のそばにニューチャイナタウンをつくった。それだけでいま人口30万人ぐらいいます。 するとこれも世界中そうなんだけれど、今度はコリアンタウンがチャイナタウンにへばりついてできる。必ずそうです。だからニューヨークも御多分にもれず、ラガーディアのチャイナタウンのまわりにべたっとひっついてコリアンタウンがある。 一方の日本人はみんなバラバラ。ジャパニーズタウンはない。ロスにあったリトルトーキョーなんて、いまや完全にコリアンに乗っ取られちゃった。日本人はそれぞればらばらに住んでいて、団結することがあんまりないでしょう。慰安婦像の建設で、いやな反日運動が中国人、韓国人によって自治体の決議にまで拡がったとき、初めてジャパニーズが米国や豪州で団結しはじめたのです。「第7章 いやでも中国人と戦う時代」のつづきを、見てみましょう。p202~204<中国に勝っていたら日本人も中国人にされた>宮脇:結果がすべて。もし日本が大東亜戦争で勝っていたら、日本に天命が下りたことになる。アメリカに負けたから満州は偽だったというだけです。宮崎:だから秀吉だって、まかり間違ってあの鴨緑江を超えてね、北京まで上って秀吉が皇帝になっていたら、すんなりと統治できたと思います(笑)。宮脇:でも秀吉が北京まで行かなくて本当によかったと思うのは、そしたら日本は隅々まで中国になっちゃうわけだから。日本人も中国人だということになって、新しい奴に支配されるのだけはご免だったんで、よかったと私は本気で思います。宮崎:底辺のエネルギーってのはすごいからね。宮脇:そうなったら、絶対日本人は大陸から来た奴にすっかりやられて、私と宮崎さんぐらいだったらシナ人に負けないハッタリかますけど、普通の日本人は全員奴隷扱いですよ。宮崎:いつの間にか、漢化されてね。<満州帰りの日本人が国際化に貢献した>宮脇:私、最近、もし満州国があのまま続いていたら、日本の文化がすごく変質して、面白い国際派日本人がいっぱい生まれたのになあ、とよく考えるんです。宮崎:あれでも、一応13年続いた。世界60ヶ国のうちの20ヶ国に承認されていた。宮脇:当時の世界で独立をしていた国の半分近くが満州国を承認しました。もし満州国が続いていたら、日本で公務員になったら、まず研修は満州ですよね。最初二年は満州へ行け、とかね。 で、外地から660万人が戦後に日本に引き揚げてきて、この人たちのおかげで戦後の日本が国際化し、外国に対しても柔軟になったと思いますよ。それを明代のシナみたいに外に出るのをやめて、内向きになって後退して劣化したら危なかった。新しいタイプの日本人が、それこそ満州大陸風の茫洋としてわけのわかんない奴だとか非難されもしたけれど、こせこせしない大陸式の人間がたくさん日本に帰ってきて、よかったと思います。宮崎:あの当時、満州へ行くと言ったらみんなうらやましがったんだ。宮脇:水洗トイレもあったし、最先端でした。日本は満州にあんなに投資したのに。宮崎:満鉄なんて本当にエリート社員で。宮脇:日本人の偉いのは、日本でもらう倍くらいのお給料でちゃんとみんな喜んで行ってたことですよ。宮崎:そりゃそうですよ。お人好しの典型ですから。宮脇:シナ人みたいにいっぱいポケットに入れようと思っていない。それはもう、お手当て入れてもせいぜい倍ですよ。しかも向こうで無理に日本式の暮らしをしようとしたから、実際はけっこう大変だった。宮崎:いまでも満鉄ビルはちゃんと残っているけど、日本がそこいらじゅうに建てたヤマトホテル。いまは名前が変わっているけど、だいたいみんな残ってるでしょう。立派な建物ですよ。天井は高いしね。瀋陽(奉天)のヤマトホテルはいまでも映画のロケに使われる。宮脇:そうですよ。国を挙げて投資したんだから。本当にどこが侵略でどうして謝らなきゃいけないかって思います。お二人の対談から、えげつないチャイナタウン、ディアスポラの悲哀のイメージが沸きあがってくるが・・・・つくづく、漢族とはお付合いしたくないと大使は思うのです。『中国壊死』1『中国壊死』2
2016.09.20
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図書館で『中国壊死』という本を手にしたのです。あまた出てくる嫌中本には食いつかないようにしているのだが・・・目次にもある「いやでも中国人と戦う時代」なんかを見ると、つい手が出たのです。【中国壊死】宮崎正弘, 宮脇淳子著、ビジネス社、2015年刊<「BOOK」データベース>より転んでもただでは起きない嫌われ者の中国人が雪崩込む!歴史捏造と漢字支配の恐怖。いやでも中国人と戦う時代がやってきた!【目次】第1章 強盗国家の常識/第2章 漢字支配と歴史捏造の実態/第3章 中国を動かす客家コネクション/第4章 中国は大分裂するのか/第5章 「習王朝」権力闘争の行方/第6章 経済大崩壊の末路/第7章 いやでも中国人と戦う時代<大使寸評>あまた出てくる嫌中本には食いつかないようにしているのだが・・・目次にもある「いやでも中国人と戦う時代」なんかを見ると、つい手が出たのです。rakuten中国壊死最初に宮脇淳子さんの「まえがき」を、見てみましょう。p3~6 『真実の中国史』で、私はこれまで通説とされてきたことがいかに誤りであったかを、いろいろあけすけに書きましたが、なかでも注目を浴びたのが、孫文がじつは大言壮語の大嘘つきで、どのようにして日本と日本人を裏切ったかを暴露したことです。だから、この本を台湾人が翻訳したいと言ってきたことにビックリしました。 孫文を国父と仰ぐ台湾人の人までが、本当の中国史を知りたいと思うようになったということは、まことに喜ばしいことです。台湾で繁体字本が出さえすれば、香港はじめ、大陸の知識人も必ず読むことでしょう。政府のみならず、中国人が書くことがいかに嘘ばかりかということは、中国人すべてが自分たちでも自覚していると思うのです。 右の本が、1949年の中華人民共和国誕生で終わっているのは、私は中国現代史の専門家ではなく、中国共産党の真実の歴史を書くことはとてもその任ではないと思ったからです。私の専門はモンゴル史で、なかでも、17、18世紀に中央アジアを席巻し、清朝とロシアに脅威を与えた最後のモンゴル遊牧帝国ジューンガル史で博士号を取得しています。それでもモンゴルに関係のあることは何でも調べているうちに、満州史や朝鮮史に興味が広がり、19世紀末から朝鮮や満州に深く関係した日本の近現代史にも首をつっこむことになりました。もともと東洋史学科の出身ですから、シナ通史にも普通の人よりは詳しいつもりです。(中略) 中国の文化やその他の諸事情に関する宮崎先生の見方は、私と完全に一致します。意見が不一致で激論になる部分がなかったことが、読者にとっては残念なところかも知れませんが、中国に対するわれわれの見方は、一般の日本社会ではまだまだ少数派ではないでしょうか。でも、中国の将来を考えるとき、このまま無事で行くわけがないと思います。中国に大波乱が起きたとき、日本人はどのような覚悟で対処すべきかを、日本人全員に考えてほしいと思うのです。 宮崎先生に現代中国について教えていただいた私の結論は、「真実の中華人民共和国史」を書くことは当分無理ということです。なぜなら、中国人の出す統計が嘘ばかりで、書いたものの中に真実がないのに、そんなものを史料として、どうやって真実の歴史が書けるでしょう。歴史学というものは、ものごとが終わったあとで結果から遡って因果関係を明らかにする学問であって、進行している最中のことを描写できるものではないからです。お二人の対談で、内モンゴル自治区のオルドスあたりの歴史とか、漢族が思い描く「中華」の概念を見てみましょう。p23~27 <名前を漢字で書けばすべて「中華民族」> 宮崎:内モンゴルにはチンギス・ハーン陵がありますね。中国の内モンゴル自治区のことで、モンゴル人はあくまで「南モンゴル」と言ってますが。宮脇:オルドスですね。黄河の屈曲のなか。オルドというモンゴル語は帳殿(巨大なテント)のことで、チンギス・ハーンが死んだあと移動式の御陵となり、それを祀る遊牧民と一緒に黄河を越えて南下したので、あの土地をオルドス(オルドの複数形)と呼ぶようになったのです。中国が固定式の建物にしてしまいました。 宮崎:パオトウ(包頭)からオルドスへ行ってオルドスの南に、世界でも悪名高き百万人の幽霊都市がある。カンバシ新区という。そこからさらに15キロぐらい南なんでうよ、砂漠の真ん中にチンギス・ハーンの墓陵と称するものがあって、山のように中国人観光客が観にきている。それでね、非常に不思議に思ってそのへんにいた中国人にこう質問しました。「これは異民族がお宅を支配したんじゃないの、それなのに漢族であるあんたたちが異民族の英雄を尊敬して御陵にしているわけですね」。すると「あれは中華民族だから一緒なんだ」と答えた。宮脇:チンギス・ハーンは中国の英傑にされています。なぜなら名前が漢字で書いてあるから。それから孫のフビライが建てた元朝の太祖と死後に呼ばれた。元朝はシナ王朝の一つで、その創始者だからいいんだ、と。もう一つは、モンゴル族はいま現に中華民族だからという理由です。 宮崎:チベットも中華民族。宮脇:そう、黄帝(中国の伝説上の帝王)の子孫という神話を根拠としています。 宮崎:だから55の少数民族が全部中華民族にされたわけだ。漢字の読み書きもできない民族まで。それなら、中華民族とはいったい何ですか、と質問したら答えられない。当たり前で、文化人類学的にはない民族名だからね。言ってみれば架空の民族でしょう。話をもとに戻すと、要するに中華民族のなかに異民族の英雄もひっくるめちゃったから、チンギス・ハーンが中国でも英雄になっちゃった。これって史実的にもずいぶんと飛躍している。宮脇:しかもいちばん遠いヨーロッパまで攻めた英雄です。 宮崎:ヨーロッパのどこ行っても、ハンガリーへ行っても、ヒト、モノ、カネを掠奪して、ウィーンの手前まで行っていますからね。もしウィーンを取っていれば、いまのヨーロッパの言語というのは、義務教育がモンゴル語だったかもしれない(笑)。宮脇:当時はまだモンゴル語はありませんでしたけれど、オゴデイ・ハーンがお酒を飲み過ぎなければ(モンゴルにいたハーンが酒の飲み過ぎで急死したので、遠征軍は引き揚げなければなりませんでした)、モンゴル軍は絶対フランスまで行って、ドーバー海峡まで間違いなく達しています。 宮崎:ユーラシアをあちこち旅行していますと、ああ、ここまでチンギス・ハーンが来たのかかって、驚きます。宮脇:宮崎さんはこのあいだコーカサスへいらしたし。 宮崎:コーカサスにも、ここまでモンゴルが来たって跡、たくさん残ってましたよ。宮脇:1部隊が別動隊としてコーカサスを走り回っています。だからモンゴルとの混血も非常に多い。それから、じつはコーカサスの部隊を内モンゴルへたくさん移住させています。 宮崎:そうでしょ。だってウイグルがそうだ。中国のいう「新疆ウイグル自治区」にはかなりモンゴル人を強制移住で入れているでしょう? いちばん移されたのは満州族だけれど。宮脇:いえ、ウイグルはモンゴル人が入る以前からもともとコーカソイドです。ヨーロッパ系の人はあのあたりから出発して西に行っています。だからとても古い古墳から、コーカソイドのミイラが出てくる。別にヨーロッパ人が入ってあの顔になったのではなくて、もともといた人たちの上に、東のモンゴロイドがかぶってそうなった。 宮崎:それを言いだすと、2600年前の孔子様は山東の人だけど、あの同時代の人骨をいまDNA鑑定するでしょ、そしたらこれ人種的に漢族ではない。背が2メートル近くあって、目がブルーで、ぜったい漢族じゃないっていう判定も出ています。宮脇:陸続きというのは、移動がけっこう簡単で、だから文化的にも、都市国家も中近東のほうが古いから、西方からシナに伝わったという研究もあるんです。人は絶えず移動していました。アジア人種とかヨーロッパ人種というのは後世に言い出したことで、「いったいどの割合で」と言わなければいけないぐらい、じつは混血が盛んで、モンゴル時代はもちろん、東の人も西に行ったし西の人も東に来ているのは間違いないです。 宮崎:そのころから、シルクロードはあっただろうしね。アゼルバイジャンやグルジアの各地には砦のようなキャラバンサライ(隊商宿)が残っています。宮脇:シルクロードはうんと古くからラクダで行きますけど、紀元前1000年に騎馬が誕生した北のほうは人が馬で移動していました。 宮崎:中国だって西夏のあった寧夏回族自治区とか、青海省あたりに行くとだいたい砂漠ですよ。日本人がよく行く敦煌なんて、真冬は半年間雪に閉ざされるのに、夏行ったら砂漠でラクダがいる。だから漢族文化に何の関係もない地域だなっていうことがよくわかります。甘粛省の酒泉あたりが万里の長城の最西端です。宮脇:でも、紀元前の漢の武帝も敦煌には馬を探しに行きました。だから漢字が伝わったところはみんな中国だって主張するんですよ。つまり、漢族とは人種じゃなく、文化概念なんです。漢字の「中華」も。 宮崎:漢族というのも文化人類学的にいえばモンゴロイド系。漢族は文化概念だよね。宮脇:そうなんです。出自はなんでもいいけれど、漢字さえ使えば漢族なんです。 宮崎:そもそも、歴代王朝にしたって、隋・唐は明らかに牧畜狩猟民族の鮮卑系です。なんで鮮卑系も漢族になったかというと、漢字を書いて中華料理喰ったから。もう、それで一緒に漢族に飲みこまれちゃった。宮脇:その時代はまだ文字が漢字以外になかった。そのあといろんな文字が生まれて、いかにも日本人が言う「民族」に見えるけど、違う文字や言葉を持っている人たちも便利だから、当時の国際語である漢字を使うようになります。途中から漢字の名前に変えたことで、漢族にされた。 宮崎:殷墟のある河南省安陽市に行った際に、甲骨文字の博物館を見たのだけれど、「ここから漢字になった」ということだけを強調していて、他の不都合な歴史はみんな外して展示してある。おしなべて向こうの博物館というのはそんなものなんだけれど、そういう意味でも、中国人の本質というか、歴史に対する解釈が非常によくわかるので、博物館の見学も面白いですよ。
2016.09.20
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<『沙漠の事典』2>図書館に予約していた『沙漠の事典』という本をゲットしたのです。ビジュアルな大型本で、原則として1概念で1頁(多くて2頁)となっていて、事典形式ではあるが、読み物として面白いのが、ええでぇ♪サウジアラビア出張でひどい目に遭った大使であるが・・・それ以来、砂漠愛が亢進しているのでおます。【沙漠の事典】日本沙漠学会編、丸善、2009年刊<「BOOK」データベース>より 気象・気候・景観・産業・生活・歴史・生態系・水・土壌など、さまざまな角度から約200の項目を選び、沙漠のすべてをあますところなく解説する中項目事典。日本沙漠学会創立20周年記念。1項目1ページの読み切り形式とし、各項目には、最も象徴的な図・表・写真を掲載。<読む前の大使寸評>ビジュアルな大型本で、原則として1概念で1頁(多くて2頁)となっていて、事典形式ではあるが、読み物として面白いのが、ええでぇ♪<図書館予約:(9/11予約、9/16受取)>amazon沙漠の事典中国の退耕還林・還草政策の現状および課題を見てみましょう。p160~161<退耕還林・還草政策> 退耕還林・還草政策は、中国政府が1999年から推し進めてきた、世界でも最大規模の緑化事業である。その目的は中国全土において、人為的な水食の主要発生源とされる傾斜地の耕作を計画的・段階的に禁止し(退耕)、造林・植草により植生を回復し森林・草原へ戻すこと(還林・還草)により、水土流出を防止し、生態環境を保護し改善することである。 四川、峡西、甘粛の3省で試験活動が始められ、中国全土の25の省(直轄市・自治区)で実施されるに至った。事業期間は2010年までとされる。 主な対象地は、傾斜度25度以上の耕地で、大型河川の両岸、湖やダムの周辺など水土流出が最も起きやすい傾斜面の耕地および沙漠化が深刻な耕地も含まれる。耕地を手放した農民には食糧補助と生活補助が支給される。補助の内容は地域により異なるが、一般的には南方と長江上流域では年間1haあたり2250kg、北方と黄河流域では1haあたり1500kgの穀物、また苗木が政府から無償支給される。生活費の補助もある。 造林地の面積は県を単位として8割以上を生態林として、果樹などを植えることが可能な経済林は2割におさえられる。また、政府の補助の行われる期間は、基本的に生態林で8年間、経済林で5年間となっている。その一方、25度以下の斜面では段々畑(テラス工)の造成が認められている。傾斜地を直接耕作する場合と比べて、表面流失による水損失と土壌浸食を抑制でき、良好な生態環境を維持し、持続的な耕作と作物収量の向上に役立つと位置づけられている。(中略) 主な栽培植物別の作付けをみると、谷地で栽培される商品作物のトウモロコシだけが生産量を大幅に増加させ、ソバ、コムギはほぼ消滅した。現在も主食として自家消費されるアワ、キビ、マメ類、ジャガイモなどは、栽培面積は減少したものの斜面畑や段畑で栽培され続けている。 家畜飼養としては、集落ではブタ、ニワトリの飼養に加え、犂耕や運搬に用いられるウシ、ロバの飼養、また集落から離れた山頂部などではヤギ、ヒツジなどの放牧がなされてきた。退耕還林により、ヤギ、ヒツジの飼養はほとんどなくなり、トウモロコシを主な飼料とするブタ飼養の重要度が高まってきた。 このように伝統的な農耕・家畜飼養とも大きな変化を余儀なくされたが、耕地・退耕還林地の実測調査と農家世帯の経済調査を実施した結果からは、退耕還林後に始まったトマト、トウガラシ、インゲンマメ、キュウリなどの換金作物栽培・ビニルハウス栽培が順調に収入をあげていることがわかった。ただし、その経済活動の将来的な持続性については市場の安定性に左右されるため、事業終了後の森林管理のモニタリングとあわせて世帯経済の動向を追跡していく必要がある。退耕還林・還草政策は世界でも最大規模の緑化事業とのこと・・・環境保全の上でも、中国農民の行く末を占う上でも気になるわけでおます。『沙漠の事典』1
2016.09.19
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図書館に予約していた『沙漠の事典』という本をゲットしたのです。ビジュアルな大型本で、原則として1概念で1頁(多くて2頁)となっていて、事典形式ではあるが、読み物として面白いのが、ええでぇ♪サウジアラビア出張でひどい目に遭った大使であるが・・・それ以来、砂漠愛が亢進しているのでおます。【沙漠の事典】日本沙漠学会編、丸善、2009年刊<「BOOK」データベース>より 気象・気候・景観・産業・生活・歴史・生態系・水・土壌など、さまざまな角度から約200の項目を選び、沙漠のすべてをあますところなく解説する中項目事典。日本沙漠学会創立20周年記念。1項目1ページの読み切り形式とし、各項目には、最も象徴的な図・表・写真を掲載。<読む前の大使寸評>ビジュアルな大型本で、原則として1概念で1頁(多くて2頁)となっていて、事典形式ではあるが、読み物として面白いのが、ええでぇ♪<図書館予約:(9/11予約、9/16受取)>amazon沙漠の事典内モンゴル自治区といえば、鬼城(亡霊都市)とか、レアアース生産とか、とかく過酷な地域というイメージがあるのだが・・・・この本で内モンゴル自治区の沙漠化対策を、見てみましょう。p23 中国内モンゴル自治区における沙漠化の主要な原因は過伐採、過放牧、過耕作とされている。 過去50年の間、内モンゴルにおいて、きわめて激しい人口増加と農業開発が進んだ。人口増加に伴う小都市の建設は新たな燃料の需要高をもたらし、それが伐採を推し進めた。農業開発は草原の開墾を意味していた。人民公社時代、とりわけ文化大革命中の草原は荒地とされ、多くが開墾され、その後に放棄されている。 開墾されたのは草原でも水資源が豊富で最も肥沃なところである。現在、沙漠化したとされる土地の多くが当時開墾されたところである。それは、放牧可能な牧地の面積の減少を意味すると共に、家畜をより荒廃した牧地に追いやることになった。 これまで沙漠化対処は主として緑化、つまり植林であった。その最前線を担ってきた一つが日本人による植林ボランティアであるが、乾燥地における植林は水資源の枯渇を招くという指摘がある。 近年、中国政府は沙漠化対処として、「生態移民」、「退耕還林(草)」、「退牧還草」とよばれる一連の環境政策を施行している。いずれの政策も、自然環境が悪化した原因を該当地域で営まれる生業にあるとし、その生業を制限、もしくは、やめさせることによって自然環境を保全しようというものである。 これらの環境政策の中でも、牧畜地域を対象とした「退牧還草」と「生態移民」は家畜を牧地で放牧することをやめて、草原に戻すという政策である。かわって、家畜を畜舎内で飼料によって飼育する畜舎飼育、もしくは、牧畜そのものをやめて、第二次、第三次産業へ就業することが奨励されている。人口圧と家畜圧を減らそうというのがこれら一連の牧地を対象とした環境政策であるが、その代替として推奨されているのは牧地の開墾による飼料生産である。しかも、地下水を利用した灌漑農業である。さらに、移住後の生活をどのようにして維持していくのかという経済的な問題や牧畜の否定という文化的な問題など、さまざまな問題をはらんでいる。まあ 牧畜の否定も選択肢にいれて、少数民族の文化に頓着しない荒っぽさがすごいですね。次に、日本にも影響が大きい黄砂について、見てみましょう。p162<越境汚染―黄砂> 黄砂とは、中国大陸内陸部のタクラマカン砂漠やゴビ砂漠、黄土高原、中央アジアなど乾燥・半乾燥地域で数千mの上空にまで巻き上げられた鉱物・土壌粒子が偏西風に乗って拡散し東アジア・西太平洋地域を中心に広く拡散あるいは降下する現象を指し、中国では砂塵暴とよばれている。日本では、春に観測されることが多く、時には空が黄褐色に染まり視界不良を起こす。 黄砂粒子はいったん大気中に舞い上がると、粒径が10μmぐらいの比較的大きな粒子は重力によってすみやかに落下するが、粒径が数μm以下の小さな粒子は上空の風によって遠くまで運ばれる。近年、中央アジアや東アジアが起源の黄砂粒子は頻繁に中国北東部、台湾、韓国、日本へと運ばれるようになり太平洋を横断して北米やグリーンランドまで運ばれたという報告もあって、黄砂は東アジア諸国だけでなく、地球全体の国境を越えた環境問題として認識されつつある。(中略) 黄砂粒子には石英や長石などの造岩鉱物や、雲母やカオリナイトなどの粘土鉱物が多く含まれている。その他に菌類、細菌、花粉などが付着していると考えられている。近年、硝酸塩や硫酸塩など大気汚染物質の含有が明らかとなり、これらは黄砂が工業地帯を通過する際に付着すると考えられている。除草剤、農薬などの付着も指摘されている。 黄砂は発生域周辺の農業生産や生活環境に被害を与え、経済的および社会的損失をもたらすと同時に、日射の散乱・吸収、黄砂粒子を核とした雲の発生など気候へも影響を及ぼす。また、海洋へも大量に供給され、海洋表層のプランクトンへのミネラル・栄養素の供給を通して海洋の生態系に大きな影響を与えていると言われている。そして、黄砂発生は環境問題だけに止まらず、健康への被害も懸念されている。 日本における放射性セシウム(137Cs)を含む砂塵の主な発生源は大陸の草原域であることが確認され、広島と敦煌で採取された黄砂から96%という高い類似係数を示す同じ菌株が検出されている。また、科学的根拠は十分ではないが、台湾、韓国、日本などでは黄砂発生時期にアレルギーや喘息症状の悪化を訴える患者数が年々増加しているといわれている。 黄砂発生と同時期に、家畜の口蹄疫が東アジアを中心に発生していることからウィルスの付着・輸送も問題視されている。この記事も砂漠への憧れ3に収めておきます。
2016.09.19
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李相日監督の最新作『怒り』が9月17日から公開されるということで・・・満を持して公開初日に観に出かけたのです。【怒り】李相日監督、2016年制作、2016.9.17鑑賞<movie.walker作品情報>より原作・吉田修一、監督・李相日という『悪人』のコンビによるミステリアスなドラマ。顔を整形し、社会に紛れ込んだ殺人犯らしき人物と出会った、千葉、東京、沖縄の人々の身に起きる出来事を描き、人を“信じる”とは?という根源的な問いを投げかける。渡辺謙、森山未來、松山ケンイチら日本映画界を代表する実力派が多数出演する。<大使寸評>李相日監督の最新作ということで、公開初日に観に出かけたのです。こんな父子家庭を描いた小説や映画は少ないけど、過酷になったニッポンでは案外と多いのかもと思ったのです。このしょぼい親父には大使も身をつまされるのでおます♪ちょっと壊れかけた父子家庭を渡辺謙、宮崎あおいがいい味で演じています。それから、妻夫木聡が演じるホモ関係には驚いたというより、やや目をそむけていた大使でおます。助演陣も頑張っていて・・・池脇千鶴演じる伯母のポジティブな信頼も忘れ難いのです。個人的に熱演度を順に挙げるとすると・・・妻夫木聡、宮崎あおい、渡辺謙、森山未来、松山ケンイチあたりになるんですが。作品情報が述べているように、なるほど「信じるとは?」という問いかけを描いた映画ですね。movie.walker怒り李相日監督などのエピソードがネットに出ていました。2016-07-11渡辺謙「怒り」李相日監督の“魔力”を語る 広瀬すずの告白には爆笑の渦より [映画.com ニュース] 吉田修一氏の問題作を李相日監督のメガホンで映画化した「怒り」の完成報告会見が7月11日、都内のホテルで行われ、李監督、吉田氏とともに、渡辺謙、森山未來、松山ケンイチ、綾野剛、広瀬すず、宮崎あおい、妻夫木聡、高畑充希ら日本映画界を代表するオールスターキャストが出席した。李監督が吉田氏の著作を映画化するのは、興行収入19億8000万円を記録する大ヒットとなった「悪人」に続き2度目。今作は、「怒」という血文字を残したまま未解決となった殺人事件から生まれた疑念が日本中に広まり、人々の“信じたい”気持ちに歪みを与えていくさまを、行き場のない感情に葛藤する3組の登場人物を、東京・千葉・沖縄を舞台に描く。千葉パートで、漁港で働く洋平に息吹を注いだ渡辺は「日本を代表する豪華キャストという作品が、今年はたくさんある。代表するかは別にして、本当に素晴らしい俳優たちが肉弾相打つというか、魂をぶつけあう作品にはなったと思う」と手応えをにじませる。「悪人」では“座長”を務めた妻夫木も、「『悪人』でそうだったように、原作に心を鷲づかみにされた。李監督とご飯を食べた時に優馬役をやりたいと伝えましたが、正式に出演のオファーを頂いた際には、『悪人』の時のような奇跡が生まれるんだなと思った。本編を見終わって、この直感が正しかったと感じている」と同調した。原作を読み、沖縄パートの小宮山泉役を熱望した広瀬は、オーディションに参加して勝ち取った。李監督の現場はハードで知られているが、想像以上だったようで「監督がご飯を食べている姿を見て、『監督も人間だ、人間だ』と思うようにしていた」と吐露すると、場内は爆笑の渦。
2016.09.18
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「アジア」でしょうか♪<市立図書館>・海を渡ったモンゴロイド・沙漠の事典・中国壊死・人生張ってます・「ニッポン社会」入門・文藝春秋7月号<大学図書館>(今回はパス)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【海を渡ったモンゴロイド】後藤明著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>より紀元前に千キロ単位を航海し、太平洋の島々に移住した人々とは。そして、彼らと我々の驚くべき関係とは。遺伝子、言語、遺跡、そして神話に残された痕跡を縦横に読み解き、広大な大洋を渡った「海人」の実相に肉薄する。【目次】序章 ボエッジ・オブ・リディスカバリー/第1章 海人の民族学ーアジアの海浜にて/第2章 海人の黎明ースンダランドからオセアニアへ/第3章 海人の始動ーオーストロネシア系海人の登場/第4章 海人の展開ー未知の海域へ/第5章 海人の精華ーポリネシア人のからだとこころ/第6章 海人の戦略ー移住の戦略と航海術/第7章 海人の小宇宙ーシンボルとしてのカヌー/第8章 海人日本へ、そしてアメリカへ/終章ー海人論から学ぶもの/補章 比較言語学と歴史言語学<読む前の大使寸評>たまたま、中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』を読んだあとなので・・・渡来人が日本文化に与えた痕跡を、この本で読んでみたいと思ったのです♪rakuten海を渡ったモンゴロイド海を渡ったモンゴロイド2byドングリ【沙漠の事典】日本沙漠学会編、丸善、2009年刊<「BOOK」データベース>より 気象・気候・景観・産業・生活・歴史・生態系・水・土壌など、さまざまな角度から約200の項目を選び、沙漠のすべてをあますところなく解説する中項目事典。日本沙漠学会創立20周年記念。1項目1ページの読み切り形式とし、各項目には、最も象徴的な図・表・写真を掲載。<読む前の大使寸評>ビジュアルな大型本で、原則として1概念で1頁(多くて2頁)となっていて、事典形式ではあるが、読み物として面白いのが、ええでぇ♪<図書館予約:(9/11予約、9/16受取)>amazon沙漠の事典『沙漠の事典』2byドングリ【中国壊死】宮崎正弘, 宮脇淳子著、ビジネス社、2015年刊<「BOOK」データベース>より転んでもただでは起きない嫌われ者の中国人が雪崩込む!歴史捏造と漢字支配の恐怖。いやでも中国人と戦う時代がやってきた!【目次】第1章 強盗国家の常識/第2章 漢字支配と歴史捏造の実態/第3章 中国を動かす客家コネクション/第4章 中国は大分裂するのか/第5章 「習王朝」権力闘争の行方/第6章 経済大崩壊の末路/第7章 いやでも中国人と戦う時代<大使寸評>あまた出てくる嫌中本には食いつかないようにしているのだが・・・目次にもある「いやでも中国人と戦う時代」なんかを見ると、つい手が出たのです。rakuten中国壊死『中国壊死』3byドングリ【人生張ってます】中村うさぎ著、小学館、2002年刊<「BOOK」データベース>より自らも「ブランド買い物道」という無頼の道を生きる中村うさぎが、今もっとも語り合いたい「無頼な女」5人とガチンコ対談。赤裸々に語られるその激しい生き方に、うさぎも思わずヒートアップ!対談相手は、岩井志麻子、西原理恵子、斎藤綾子、花井愛子、マツコ・デラックス、いずれも個性豊かなオンナたち。デブを語り、金を語り、性を語り、バクチを語り尽くしてそれぞれの人生にぎりぎりまで迫る、オフレコなし、危険で痛快な語り下ろし対談集。<読む前の大使寸評>表紙コピーが「無頼な女たちと語る」となっていて・・・危険な感じがするでぇ♪rakuten人生張ってます【「ニッポン社会」入門】コリン・ジョイス著、日本放送出版協会、2006年刊<「BOOK」データベース>より日本社会について手っ取り早く学びたければ、近くのプールに行ってみることだ。規則と清潔さを愛し、我慢強く、大きな集団の悪事に寛容な国民性が理解できるはずだから。過剰なまでに礼儀正しく親切な人々、思ったより簡単で奥深い日本語、ガイドブックには載っていない名所の数々…。14年間日本に暮らす英紙記者が無類のユーモアを交えて綴る、意外な発見に満ちた日本案内。<読む前の大使寸評>著者の『新「ニッポン社会」入門』を図書館に予約し待っているのだが(5ヶ月待ち)まだです。でも、先に『「ニッポン社会」入門』を借りられて、ラッキーやで♪rakuten「ニッポン社会」入門『「ニッポン社会」入門』1byドングリ【文藝春秋7月号】雑誌、文藝春秋、2015年刊<目次>より[緊急特集] 中国、韓国、ロシアの「歴史教科書」、他<読む前の大使寸評>てっきり今年の7月号と思っていたら、2015年の7月号だった。(イカン イカン)omni文藝春秋7月号***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き172
2016.09.18
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図書館で『海を渡ったモンゴロイド』という本を手にしたのです。たまたま、中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』を読んだあとなので・・・渡来人が日本文化に与えた痕跡を、この本で読んでみたいと思ったのです♪【海を渡ったモンゴロイド】後藤明著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>より紀元前に千キロ単位を航海し、太平洋の島々に移住した人々とは。そして、彼らと我々の驚くべき関係とは。遺伝子、言語、遺跡、そして神話に残された痕跡を縦横に読み解き、広大な大洋を渡った「海人」の実相に肉薄する。【目次】序章 ボエッジ・オブ・リディスカバリー/第1章 海人の民族学ーアジアの海浜にて/第2章 海人の黎明ースンダランドからオセアニアへ/第3章 海人の始動ーオーストロネシア系海人の登場/第4章 海人の展開ー未知の海域へ/第5章 海人の精華ーポリネシア人のからだとこころ/第6章 海人の戦略ー移住の戦略と航海術/第7章 海人の小宇宙ーシンボルとしてのカヌー/第8章 海人日本へ、そしてアメリカへ/終章ー海人論から学ぶもの/補章 比較言語学と歴史言語学<読む前の大使寸評>たまたま、中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』を読んだあとなので・・・渡来人が日本文化に与えた痕跡を、この本で読んでみたいと思ったのです♪rakuten海を渡ったモンゴロイド海人の日本到来あたりを、見てみましょう。p230~232 <列島の黎明期> アジアに進出した新人類は、移動をする民であった。彼らは、数万年前、オーストラリアやニューギニアへと渡海した。日本列島では、確実なところでは今から3万年ほど前、旧石器時代の遺跡が存在する。日本列島は大陸に近いのでもっと古い遺跡はあると思うのだが、それは今後の調査に期待しよう。 南方に限れば、鹿児島県の種子島や徳之島では旧石器時代の遺物が発見されている。旧石器時代に人類が島づたいか、あるいは、氷河期に陸橋になった琉球列島やトゥンハイランドを移動してきた証拠であろう。徳之島の遺跡は2万~3万年前のものである。 琉球列島において、それ以外の旧石器時代の証拠は人骨である。日本の確実な最古の人骨とされる港川人である。これは沖縄本島で発見された化石人骨だ。その年代は2万年前である。この人骨の特徴は、スンダランドの古モンゴロイドの形質を受け継ぎ、彼らと縄文人の橋渡しになると考えられている。 最終氷河期が終わり、日本が完全に島になったのが、今から1万2000年ほど前のことである。そのとき花咲いたのが縄文文化である。日本列島の地理的特徴を考えると、縄文文化には北からあるいは朝鮮半島から、いろいろな影響が及んだと思われる。さらに海を越えて、南方から文化が及んでいた証拠もある。 たとえば鹿児島県のカコイノ原遺跡や上野原遺跡だ。今から1万1000年から9500年前の縄文時代の遺跡である。これらの遺跡からは、オーストロネシア世界に広く分布する丸鑿型の石斧や、石蒸し料理の跡が発見されている。丸鑿型石斧は、手斧としてカヌーのように木を彫りぬく道具と考えられている。また石蒸し料理とは、主にオセアニアの民族が行っていた調理法だ。 さらに、上野原遺跡からは大きな壷型土器が出土している。主に弥生時代に出土し、用途的には穀物の貯蔵用と考えられている土器形式である。遺跡では土中のプラントオパール(植物珪酸体)の分析により、アワ、ヒエ、ジュズダマのような雑穀類が利用されていたのではないか、と推測されている。 これらの雑穀には、台湾周辺のオーストロネシア民族が持っていたとされる種類が含まれている。遠くオセアニアで後にポリネシア人を生み出した海人文化が、日本列島にすでに及んでいた可能性があるのだ。 縄文時代の日本にオーストロネシア系文化が及んでいた、とする研究者は少なくない。たとえば神話学者の吉田敦彦は、神話論的な立場から縄文土偶の謎に迫っている。長野県の釈迦堂遺跡で出た土偶が、意図的に壊されるために作ってあったことに吉田は注目している。これは『古事記』のオオゲツヒメ神話のように、神は死ぬことによってその体から作物を生じた、とする信仰に基づく儀礼であると考えられている。すなわち「死体化生型神話」であり、東南アジアやオセアニア、さらにアメリカ大陸などにも色濃く分布する形式の神話である。吉田はこの神話が、縄文時代に、オーストロネシア系ないし先オーストロネシア系文化とともにもたらされた文化要素である、と考えている。 <「海上の道」論の真の意義> 柳田国男はその独創的な着想によって晩年に名著『海上の道』を著わした。この著作は日本人の起源に関するものである。ここで彼は、日本人の祖先は、稲を携えて、琉球列島を伝って日本列島に到来したと考えたのだ。 稲作は揚子江流域に起源を持つが、中国南部から直接に北九州へ、あるいは朝鮮半島を経由して北九州へ伝播した、というのが現在の定説である。したがって、琉球列島沿いに今われわれが食べている米(ジャポニカ型)が入って来た、という柳田の仮説は今は受け入れられていない。 しかしその後、幾人かの研究者が柳田の「海上の道」論のアイデアを発展させてきている。たとえば、熱帯性のジャヴァニカ型の米、あるいは、米以外の文物がこのルートで日本列島に入ってきたということは十分あり得るからである。柳田がジュズダマに注目していたことも有名だ。『海を渡ったモンゴロイド』1
2016.09.17
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図書館で『グローバル化と食品企業行動』という本を手にしたのです。大使思うに、食糧戦略といえば伝統的にアメリカの十八番であるが、TPPに見られるようにニッポンの不得意とするところである。これではアカンというわけで・・・こんな専門的な本を借りたわけでおます。【グローバル化と食品企業行動】斎藤修著、農林統計出版、2014年刊<「BOOK」データベース>より【目次】第1部 グローバル化と国際分業の新展開(オープン・リージョナリズムと国際分業の新展開/食品産業の産業内貿易の理論と現実/食品企業の海外立地選択行動:新経済地理学からの接近/フードシステムの成長とアジア経済ーアジア国際産業連関表による分析/わが国フードシステムをめぐる経済環境ー地域貿易協定の展開と交易条件)/第2部 食品企業の海外展開とその戦略(食料品開発輸入の転換期ー中国産冷凍野菜を事例に/中国における日系食品企業のパートナーシップ形成/アジアにおける日系流通企業の展開と課題/グローバル化時代の食文化と日本食の海外進出/日系食品企業のASEAN(GMS)への直接投資とその戦略ータイ国への直接投資を中心として ほか)<読む前の大使寸評>大使思うに、食糧戦略といえば伝統的にアメリカの十八番であるが、TPPに見られるようにニッポンの不得意とするところである。これではアカンというわけで・・・こんな専門的な本を借りたわけでおます。rakutenグローバル化と食品企業行動人工衛星から見てもわかるように、ブラジルのセラード開発がアマゾンの衰退につながっているのが気になるのだが・・・・第12章 ブラジル・セラード開発&日系アグリビジネスで、その動向を見てみましょう。p177~180<セラード開発を契機に発展する日系商社> セラード地帯におけるダイズのダイナミックな増産は、ブラジルにおいて穀物調達を進める日系商社の事業戦略に大きな影響を与え始めている。これまで、カーギルやブンゲなどの大手穀物メジャーから二次的にダイズを購入するという日系商社の買い付けルートは徐々に弱まり、農家からの直接買い付けや現地穀物企業の買収、さらには現地法人の設立(子会社化)によるダイズの調達が主要なルートになりつつある。ここでは、2011年と2012年に実施した現地での聞き取り調査をもとに日系商社の動向について検討する。 日系商社によるブラジル産ダイズの取扱いは、2000年当時はまだ着手段階にあり、限られた商社による僅かな取り引きにとどまり、買い付け量も30万トン程度でしかなかった。当時はアメリカ産ダイズが世界市場で主流を占め、ブラジル産ダイズに関しては、セラード地帯を拠点に生産量が拡大していたにもかかわらず、未だ4000万トン程度の水準でしかなかった。これは、アメリカのダイズ生産量7000万トン余に比べて、生産量も少なく、供給能力も不安定であったため、国際市場で信頼される状況ではなかった。また、現在、世界最大のダイズ輸入国である中国の輸入量も伸びてはいたが、当時は1000万トン程度にとどまっていた。 その後、セラード地帯でのダイズ生産が本格化するに伴い、ブラジル産ダイズが拡大する中で、中国のダイズ輸入量増加の動きが活発化するに連れて、生産量とともに、輸出余力の大きさに魅力のあるブラジル産ダイズに対する日系商社の注目度が高まっていった。 現在日系商社が取り扱うダイズの出荷先は日本市場だけにとどまらず、日本はもとより中国をはじめとするその他のアジア諸国を輸出の対象にしている。さらにはブラジルの国内消費にもその矛先が向けられている。日本の穀物商社MR社(仮称)が主力取扱商品の一つとするダイズは中国の輸入急増とともにその取扱量が拡大し、2011年には500万トンを中国向けに輸出するまでになっている。 担当者へのインタビュー調査では、「」との発言が聞かれたが、農産物の買い付けは新規参入業者が簡単に実現できるわけではなく、商習慣に基ずく長い付き合いが必要となる。同社は、第1期プロデセル事業が終了した1980年代から、小規模ながらもダイズの買い付け実績を積み重ね、輸出の機械を模索してきた結果が現在の大量買い付けに結びついたと言えよう。(中略) MT社に代表される日系商社による最近のダイズ事業への参入行動からは、アメリカ系大手穀物メジャーへの依存度を引き下げ、生産農家や他の穀物企業の買収や子会社化を通じて、買い入れ先の多元化を図りつつ、グローバルな食糧需要に対応しようとする日系企業の戦略の一端がうかがえる。 また、サプライチェーンの川上に位置する生産農家からの直接買い付けや生産法人の買収には、非GMOダイズ製品などの生産、販売を取り扱うことで、安心、安全なダイズを提供することによって国際市場での取り扱い商品の差別化を図るという市場戦略がある。こうした取り組みによって、今後、第2、第3の穀物企業の買収や農業生産法人の子会社化の可能性も高まっている。この本では、アマゾンの森林破壊については、一言も触れていないが、それはないやろと大使は思うのです。2015/06/22アマゾンの森林破壊が急速に悪化。サバンナ化の可能性もより 世界中で森林破壊が深刻化する中、つい最近までブラジルにある世界最大の熱帯雨林、アマゾンはその流れに逆らっていた。1990年から2010年で世界の熱帯雨林は62%も消滅した一方で、ブラジルでは同期間における森林破壊が急減していたのだ。その背景には規制強化や熱帯雨林跡地での大豆栽培の禁止など様々な森林保護活動があった。 しかし、そんな状況に再び暗雲が立ち込めている。米環境ジャーナルのScientific Americanは、”Amazon Deforestation Takes a Turn for the Worse“と題してアマゾンの現在の状況に対する警鐘を鳴らす記事を掲載している。 同記事によると、衛星データ分析研究所のImazonによる調査によって2014年8月以降、同国の森林伐採は前年比で2倍以上に急増していることが分かったという。森林破壊を後押ししているのは、畜牛用の牧草地だ。牧草地は現在森林破壊の最大の要因となっており、全体の70%近くが該当するとのことだ。 中国によるブラジル産大豆の輸入急増についてネットに出ているので、見てみましょう。【ブラジル】伯産大豆の輸入約5割増=中国(サンパウロ新聞)より 2016年1~5月の中国によるブラジル産大豆の輸入量は前年同時期を48.8%上回る1400万トンに達した。中国の税関当局によって21日公表された資料に基づいて伯メディアが同日付で伝えた。 中国によるこの5カ月間の輸入量のほぼ半分は5月の1カ月間に記録された。16年5月のブラジル産大豆の輸入量は15年5月よりも約3割多かった。 中国が16年5月に世界中から輸入した大豆は770万トン。16年1~5月累計の輸入量は3100万トンで、このうちの1570万トンは米国からの輸入だった。中国人の肉食が広まると、世界中の飼料ダイズが枯渇する恐れがあるのだが、そんなことは商社の知ったことではないのかも?『グローバル化と食品企業行動』1『グローバル化と食品企業行動』2
2016.09.17
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図書館で『ジャポニスム』という本を手にしたのです。個人的にはクリムトのジャポニスムが興味深いのです。ジャポニスムを装飾として活用するとは、やったもん勝ちでんがな♪【ジャポニスム】馬渕明子著、 ブリュッケ、2015年刊<「BOOK」データベース>より19世紀末のヨーロッパが選んだNIPPONとは?第19回ジャポニスム学会賞受賞。【目次】1 ジャポニスムとは何かー序にかえて/2 ジャポニスムと自然主義/3 モネの“ラ・ジャポネーズ”をめぐってー異国への窓/4 A travers-モネの“木の間越しの春”をめぐって/5 モネのジャポニスムー自然と装飾/6 ゴッホと日本/7 クリムトと装飾ーウィーンにおける絵画のジャポニスム/8 葛飾北斎とジャポニスム<読む前の大使寸評>個人的にはクリムトのジャポニスムが興味深いのです。ジャポニスムを装飾として活用するとは、やったもん勝ちでんがな♪rakutenジャポニスム成就(部分)クリムトの装飾性を、見てみましょう。p192~194<クリムトの装飾活動> ウィーンで19世紀から20世紀初めにかけての代表的な画家は、グスタフ・クリムト(1862~1918)である。彼はハンス・マカルト(1840~84)が大々的にリングシュトラーセの建造物の装飾を手がけた時代に成長し、工芸美術学校で学んだ。彼の最初の仕事は1880年代初め教則画集『寓意と象徴』のための作品の制作やカルロヴィ・ヴァリ、リベレツなどの建築の装飾である。つまり彼は20代を通して、マカルト風の、あるいはアルマ=タデマ風の古典主義的で甘美な、そして空間のイリュージョニズムをたっぷりと使った様式をマスターしたわけである。 このような装飾は、バロックやロコオの時代の、あいたスペースに物語を展開させて、華やかに埋め尽くすやり方から一歩も出ていない。しかっし3~4年の隔たりのあるブルク劇場と美術史美術館の作品を比較すると、おもしろい特徴が生まれ始めていることに気づく。すなわち、前者では背後の、あるいは人物の取り巻く空間が広々としているのに対し、後者は人物の背後をその時代を意味する美術で埋め、衣装の繰り返し文様に大きな配慮を払っていることである。つまり、1891年には空間は浅くなり、繰り返し文様が画面の一部を覆う。 1890年代のクリムトの仕事の中で、顕著に見られるのは平面化である。それは、人物の衣装を中心に、繰り返しの文様が画面内の大きな部分を占めてゆくのと、背景として描かれる「地」への関心が高まってきているという二つの点に明らかである。 布地の質感ではなく、文様そのものを使い、華やかな「かざり」の効果で面を覆ってゆくことによって、空間は二次元的になってゆく。人体はそのヴォリュームを失い、平坦な衣装からかろうじて現れる手や顔だけの存在となってしまうのである。(中略) しかしそれにもかかわらず、「地」の表現は存在した。特に人物の顔立ちを写実的に表そうとする肖像画の場合、背景が煩雑であることを避けようとした時に、「地」が意味不明の均一の色彩の面として登場したことは、しばしばある。しかしそれは自己主張しない、きわめて消極的な「地」であった。クリムトが積極的に空間を閉ざす目的で用いた「地」とは大きな隔たりがある。クリムトの装飾化は、ある意味、初めてのクール・ジャパンだったのでは♪p204~205<動きの文様> このように、日本の文様やモティーフはほとんどが季節感を豊かにたたえた自然の動植物や現象をデザイン化したものであり、そこに人間が登場することは稀であった。クリムトはこうした文様がただ華麗な装飾に利用するだけでなく、日本におけるおとはまったくの別のコンテクスト、すなわち官能的で動物的で挑発的なファム・ファタールのイメージを作り上げるのに利用し、成功した。 女たちはある時は自然の流れと同化し、自然の豊饒に身を委ねるが、時折そこから身をもたげ、魔女のような冷ややかさで男/人間の前に立ち現れる。そして、そのファム・ファタール的な特質は、より平面性の強い表現と硬質な文様と組み合わされた人間表現において、いっそう顕著に現れるのである。 クリムトの人物画はほとんどが女性をモティーフにしているが、女性と衣装のデザイン、もしくは衣装の文様との密接な関係は、浮世絵と非常に近いものがある。浮世絵に描かれた、粋であでやかな女性たちは、その顔立ちと肉体の様式化された美しさと、洗練された衣装によって、19世紀のヨーロッパの人々を魅了し、クリムトもその例に漏れず浮世絵を所蔵していた。 しかしここにおいて、日本とウィーンとでは非常に大きな表現上の違いを示している。日本人にとっては、人体も衣装も、材質こそ違え表現の上では差異はない。すなわち輪郭線によって形取り、平面として描く。しかし文様の持つ平面的装飾的魅力にとりつかれたウィーン派の人々にとって、問題はさほど簡単ではない。 人体の三次元性を重視して衣装をそれに添わせてしまえば、硬質で斬新な平面の魅力は失われてしまう。かといって、人間表現を平面に還元してしまえば、人体の持つ官能的な生命力は失われてしまう。結局のところ、装飾デザインにおいては、人間は次第に平面的になってゆく方向をとるのだが、クリムトはこの平面と立体を一つの画面に共存させることによって、緊張感溢れる不思議な効果を生み出すことになるのである。ところで、日記をめくっていたら、この本を借りるのは2度目であることが分かりました。で、この日記は(その3)に改めました。『ジャポニスム』1『ジャポニスム』2
2016.09.16
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図書館で『海を渡ったモンゴロイド』という本を手にしたのです。たまたま、中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』を読んだあとなので・・・渡来人が日本文化に与えた痕跡を、この本で読んでみたいと思ったのです♪【海を渡ったモンゴロイド】後藤明著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>より紀元前に千キロ単位を航海し、太平洋の島々に移住した人々とは。そして、彼らと我々の驚くべき関係とは。遺伝子、言語、遺跡、そして神話に残された痕跡を縦横に読み解き、広大な大洋を渡った「海人」の実相に肉薄する。【目次】序章 ボエッジ・オブ・リディスカバリー/第1章 海人の民族学ーアジアの海浜にて/第2章 海人の黎明ースンダランドからオセアニアへ/第3章 海人の始動ーオーストロネシア系海人の登場/第4章 海人の展開ー未知の海域へ/第5章 海人の精華ーポリネシア人のからだとこころ/第6章 海人の戦略ー移住の戦略と航海術/第7章 海人の小宇宙ーシンボルとしてのカヌー/第8章 海人日本へ、そしてアメリカへ/終章ー海人論から学ぶもの/補章 比較言語学と歴史言語学<読む前の大使寸評>たまたま、中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』を読んだあとなので・・・渡来人が日本文化に与えた痕跡を、この本で読んでみたいと思ったのです♪rakuten海を渡ったモンゴロイド「オーストロネシアの源境」が言語学的に興味深いので、見てみましょう。p72~75<オーストロネシア語の広がり> 世界には五千から一万の言語があり、それらは語族というグループにまとめられる。たとえば、英語、ドイツ語、スペイン語などのヨーロッパの言語と、インド古代のサンスクリット語、現在のヒンディー語、パキスタンのウルドゥー語、イランのペルシャ語などはすべて、インド=ヨーロッパ語族としてまとめられる。 このような大語族に匹敵するのが、オーストロネシア語族である。オーストロネシア語族には600から1200の言語が含まれると言われ、約2億7千万人の話者が存在する。その中でも話者人口の多いのが、インドネシア公用語、マレー語、ジャワ語などである。さらに、フィリピンの公用語であるタガログ語、あるいは話者の数ではタガログ語をしのぐとも言われるセブアノ語などである。 一方、ベトナムのチャム語や、先に触れたミャンマーのモーケン族など、少数民族化した民族の間でもオーストロネシア語が話されている。アミ、ヤミ、タイヤル、パイワンなど台湾の先住民の言語も同じ語族である。そしてオセアニアの島嶼部、すなわちニューギニアの海岸部からメラネシア、ミクロネシア、ポリネシアにかけて話されている言語のほとんどがオーストロネシア語である。 さらに驚くべきことに、アフリカのマダガスカル島にもオーストロネシア語を話す民族がいる。これを西端とし、ポリネシアのイースター島を東端とする広い海域にオーストロネシア語を話す民族が広がっているのである。(中略) さらにこの系統樹の意味するところは、たとえば、台湾先住民語とフィリピン緒語の違いに比べたら、オセアニア語の中のハワイ語、マオリ語、タヒチ語などに至っては、その違いは方言に毛が生えたほどで、たいした違いではない、ということである。 たとえばイギリスのキャプテン・クックが18世紀後半に初めてハワイに来たとき、ハワイ語はタヒチ語とよく似ており、タヒチ語の「豚」や「ヤムイモ」という言葉が通じた、と驚いている記録がある。 さらに特徴的な点がある。ニューギニア島では、北部や東部の海岸部のみにオーストロネシア語が分布し、内陸の大多数の民族は系統の異なるパプア語を話しているのである。すなわち、オーストロネシア民族の移動経路は海岸部であり、内陸には入って行かなかったのである。また、オーストラリア大陸には到達していない。逆に、東部インドネシアの一部やメラネイアの西部には、パプア語ないし非オーストロネシア語が分布する。たとえば、第1章でふれたマレ島のある北マルク地方がそうである。 だが一方で、メラネシアの東部からポリネシアやミクロネシアの多くの地域、すなわちリモート・オセアニアの未居住の島々にオーストロネシア語は分布を広げていった。すなわち、オーストロネシア民族が、これらの地球上の最後に残された地域を開拓したのである。この章では中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』で読んだ内容とかぶるので、興味は倍加するのです。p78~81<言語学的証拠> オーストロネシア語の系統分類がなされるにつれて、各段階の祖語復元の作業が進展してきた。中でも第5章で紹介するポリネシア祖語の研究が一番進んでいる。しかし最近、他の言語の研究も進展し、おおもとのオーストロネシア祖語研究もかなり進んできた。祖語の復元の方法については補章にゆずるが、オーストロネシアの源境(ホームランド)は、次のように考えられてきた。 オーストロネシア祖語には、熱帯性の作物や植物に関する語彙が数多く存在しているので、その源境は赤道周辺の熱帯地域であると考えられる。いち早くその源境を推測したオランダの言語学者ヘンドリック・ケルンは、さらに海や航海に関する語彙から、それは海岸部であろうとした。また「南」を意味するselatanという語彙は、マラッカ海峡周辺の言語では原義が「海峡」を意味するところから、南に海峡が存在する所であろうと考えた。(中略) 現在、もっとも有力な学説は先に見たハワイ大学のブラスト説である。彼はオーストロネシア語の最初の分岐は、台湾先住民語(以下台湾語)とマレー・ポリネシア語派の間に起こり、オーストロネシアの源境は台湾付近であると考える。 かなり広く育成する作物や植物名称だけでは確定的なことは言えない。しかしブラストは一つの証拠として、台湾語と北部フィリピン語に存在する「松」を意味する語彙は、亜熱帯にしか存在しないことを重視する。また同じように限定的な分布をする「地震」を意味する語彙、そして台湾では「冬」を意味する語彙が、フィリピン方面では「北風」を意味することなどに注目している。 そこで彼は、ケルンの推測はおおむね正しいが、源境は熱帯ではなく亜熱帯で、地震などの起こる地殻の不安定な所、また季節風の存在する場所であるとする。結論として、総じて台湾がもっともその要件を備えている、と主張している。 ブラストは紀元前4000年ごろとされる台湾の原初オーストロネシア文化の特徴を、言語学の証拠から次のように要約している。(1)米と雑穀の耕作、(2)杭上の木造家屋、(3)豚、犬、水牛、そしておそらく鶏、(4)おそらく腰機による機織り、(5)弓矢の使用、(6)土器の製作、そして(7)錫を含む何らかの金属の知識。 これらの中で作物は熱帯地域に至るに従って、熱帯気候に適したヤムイモ、タロイモなどの根菜、およびバナナ、パンの実のような樹木作物に転換した。一方、フィリピン以南では航海技術関係の語彙の発達が著しい。そしてオセアニアに至ってラピタ文化の段階になると、水牛、機織り、金属などの要素は欠落していった。 <中国南部と台湾の新石器文化> 次に、オーストロネシアの源境に関するもっとも有力な候補地である。中国南部と台湾の考古学の状況を見よう。 中国の考古学というと、華々しい黄河文明の遺跡発掘を思い出す。しかし広大な中国大陸の自然環境は多様である。中国はもともと、異なった民族が共存する一大曼荼羅であった。そして最近では、黄河文明に匹敵する古さを持つと言われる揚子江文明の調査も盛んである。ジャポニカ型の米は黄河ではなく、揚子江流域で栽培されていた。この意味で、われわれ日本人にとってより重要な地域は揚子江なのである。 この揚子江の低湿地に紀元前6000年ごろ発達した河拇渡文化では、稲作のほかに、多様な陸上および水生の動物が狩猟されていたことがわかっている。この河拇渡および類縁の馬家浜文化には、農民というより、水人的な生活が窺われる。(追って記入予定)
2016.09.16
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図書館で『グローバル化と食品企業行動』という本を手にしたのです。大使思うに、食糧戦略といえば伝統的にアメリカの十八番であるが、TPPに見られるようにニッポンの不得意とするところである。これではアカンというわけで・・・こんな専門的な本を借りたわけでおます。【グローバル化と食品企業行動】斎藤修著、農林統計出版、2014年刊<「BOOK」データベース>より【目次】第1部 グローバル化と国際分業の新展開(オープン・リージョナリズムと国際分業の新展開/食品産業の産業内貿易の理論と現実/食品企業の海外立地選択行動:新経済地理学からの接近/フードシステムの成長とアジア経済ーアジア国際産業連関表による分析/わが国フードシステムをめぐる経済環境ー地域貿易協定の展開と交易条件)/第2部 食品企業の海外展開とその戦略(食料品開発輸入の転換期ー中国産冷凍野菜を事例に/中国における日系食品企業のパートナーシップ形成/アジアにおける日系流通企業の展開と課題/グローバル化時代の食文化と日本食の海外進出/日系食品企業のASEAN(GMS)への直接投資とその戦略ータイ国への直接投資を中心として ほか)<読む前の大使寸評>大使思うに、食糧戦略といえば伝統的にアメリカの十八番であるが、TPPに見られるようにニッポンの不得意とするところである。これではアカンというわけで・・・こんな専門的な本を借りたわけでおます。rakutenグローバル化と食品企業行動中国野菜といえば、その低価格と安全性が気になる商品(開発輸入食糧品)であるが・・・第6章 食糧品開発輸入の転換期(菊池昌哉)で、その動向を見てみましょう。p83~91<1. 課題の設定> 1960年代末以降、日本の商社や食品企業がタイ国や中国等を中心に東アジア諸国に資金や技術を投入し、日本向けの農産物や食材の供給体制を確立してきた。 日本企業は進出先国において、原料や製品の生産設備の細部にまで深く関与し生産された商品を一定の価格水準で継続的に大量発注することによって日本企業優位の取引関係を構築し、食品・食材の安定調達を図ってきた。これらの取り組みが食料品の開発輸入であり、日本独自の食糧の輸入形態として位置づけられてきた。 国際貿易投資研究所「ITI財別国際貿易マトリックス(2009年版)」によると、2008年度の東アジア域内からの日本の輸入額は159.5億ドル(30.2%)に達しており、ASEAN諸国(177.8億ドル)に次いで2番目の貿易規模となっている。とりわけ、日本の中国からの食料品の輸入額は圧倒的な割合を占め、日本が東アジア域内から調達する食料品のおよそ半分(71億ドル)に達し、東アジア域内貿易の中でもASEAN域内での相互取引に次いで2番目の貿易規模となっている。これらの点からも、日本の中国からの食料輸入は東アジア域内貿易において重要な位置を占めるとともに、日本の中国への食料輸入依存度の高さを窺い知ることができる。 ところが、2000年代末以降、中国の日本への食料品の輸出割合は急速に低下している。中華人民共和国商務部対外貿易司の「中国進出口月度統計報告農産品」によると、2001年から2010年にかけての10年間に、中国は食料品の輸出額を159.8億ドルから488.8億ドルに大きく増加させたが、その一方で日本向けの輸出シェアは35.8%から18.1%へと半減している。つまり、食糧の輸出先としての日本の存在感が相対的に低下しているのである。こうした変化は食料調達のバイイングパワーの低下につながることから、日本企業優位の下で進められてきた食料品の開発輸入に変化をもたらしていると考えられる。 もしそうだとすれば、これまで中国をはじめとする東アジアで実施してきた日本の食糧開発輸入そのものが大きな転換期を迎えている可能性があり、多くの食糧を輸入に依存しているわが国にとって看過できない問題である。(中略)<2. 日本向け輸出シェアの低下とその要因> わが国に輸入されている食料品の多くは、世界基準のような規格の普遍性を持った食料品と、日本独自の細かなレシピに基いて生産されたいわば日本仕様の食料品が輸入されている。前者は、大豆、小麦、鶏肉などの素材原料が主であり、加工度が低く似姿にも同じような特徴がある。このため、輸出国は生産した商品を日本以外の複数の国へ販売することが可能である。一方、後者の食料品は日本側が指定する独自の加工基準や安全基準を満たしたものであり、全体的に加工の程度が高く、味付けまで行われていることがある。このため、日本以外の国に転売することの難しい商品である。 したがって、開発輸入による日本向け食料品の場合、生産国の企業は工場内の敷地や稼働率に限界があること、販路の狭さや高度な生産基準等を勘案すると他の国よりも魅力的な価格条件でなければ生産に応じないのが一般的である。 では、日本向けの輸出シェアの低下は日本の買い付け価格が相対的に低下しているために起きたのであろうか。「中国海関統計年鑑」に記載され輸出実績のある農産品11品目を対象に、日本向けの輸出動向を見ると、2000年と2011年を比較して輸出数量と輸出シェアがともに大きく減少しているのは、その他の豆、ほうれん草、ミックス野菜の3品目である。 これらの品目は、2000年当時、輸出量が1万トンを越え、なおかつ日本向けが総輸出量の80%を超えていた品目である。すなわち、残留農薬問題が発生する以前には、輸出の中心的な品目であった。同品目は現在米国向けの輸出が増加しており、最大の輸出先は日本ではなく米国に変わっている。(中略)<4. 安全管理面に見る日本企業と現地企業の不一致の要因> 野菜の加工工程の外部化は人件費の高騰や第一次関連産業の従業者の不足など、中国社会の構造変化が主たる要因となっているが、その運用形式が凍菜協に代表されるような日本側の要求に対応したものになっていないのは、中国の冷凍野菜製造企業の安全管理能力が向上していることに加えて、日本企業と中国の企業との間で冷凍野菜取引をめぐる主体間関係が変化しているからである。(中略) 中国企業がグローバル展開に向けて大きく舵を切ったのは、2002年に日本で発生した残留農薬事件の影響が大きかったものと考えられる。この問題が発生する以前には日本市場は中国にとって最大の販売先であり、およそ80%ものシェアを占めていた。残留農薬問題が発生したことによって、日本政府がポジティブリスト制度を導入し、モニタリング検査の検査項目を大幅に拡大し、検疫所の監視員も増員するなど、それに加えて中国政府も輸出先国で残留農薬違反を起こした場合、冷凍野菜製造企業に対して輸出禁止や罰金等の厳格な措置を講じたため、現地の製造企業の間で先行きへの不安が高まり、リスク回避の面から積極的に脱日本向け輸出に着手せざるを得ない状況が生まれたのである。 またわずかな期間内に輸出先の多角化に成功したのは、中国の冷凍野菜製造企業が世界で最も厳格な基準を品質、規格、安全性に掲げている日本との間で他品目の商品を長年にわたって取引していたことが、他国への輸出先の転換を容易に成し遂げることになったのである。 これに対して、日本企業は調達コストおよび他品目の原料を大量に生産可能な中国の気象条件、さらには安全性への対応能力などの面から調達先を中国以外の国へ本格的にシフトさせることができていない。このため、大手開発輸入業者といえども安全管理対策以外の価格交渉の面でも値上がりした商品を購入するか、あるいは管理レベルのより低いコストの安い工場から調達するかの選択を迫られている。こうした状況は日本向けの輸出シェアが高かった当時には想像できなかった現象であり、こうした点からも取引の主導権が中国側に移行していることがうかがえる。ところで・・・韓国のトウガラシ産地の危機がネットに出ています。韓国も辛いぜ。中国産の流入で危機に瀕する韓国のトウガラシ産地より 実はトウガラシはかつて日本でも盛んに栽培されていた。昭和30年代には生産量が7千トンにも達し、輸出もしていたほどだったのだ。しかし円高による輸出難と、手間がかかりすぎ人件費が賄えないという理由で生産は減少。今ではほとんどを中国とベトナムからの輸入に頼っている。韓国は今、日本から数十年遅れでこうした状況になりつつある。言葉を換えれば、ようやく日韓が課題を共有できる状況になったのだ。 「イムシルは昔からトウガラシの町として有名だが、今回の視察で新宿のトウガラシの工夫に本当に感銘を受けた。将来、トウガラシを通じた交流を活発にして、共同で良いものが開発できるようにしたい」シン・ミン郡守は視察後こう語り、成田さんと固い握手を交わした。廉価な中国産という共通の壁を前に、日韓の産地が手をとりあう日が来るのかもしれない。
2016.09.15
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図書館で『栽培植物と農耕の起源』という新書を手にしたのです。中尾佐助さんと言えば、照葉樹林文化論を唱えた第一人者として大使が尊敬している学者だから、この新書もいけてるのではないかと期待するわけでおます♪【栽培植物と農耕の起源】中尾佐助著、岩波書店、1984年刊<「BOOK」データベース>より古書につき、データなし<読む前の大使寸評>中尾佐助さんと言えば、照葉樹林文化論を唱えた第一人者として大使が尊敬している学者だから、この新書もいけてるのではないかと期待するわけでおます♪rakuten栽培植物と農耕の起源第5章・イネのはじまりから、イネについて見てみましょう。p116~118 <イネは湿地の雑穀> サバンナ農耕文化は乾燥した熱帯であるサバンナ地帯で、夏のモンスーン雨期に生育した禾本科の草の穀粒を採集して食用とすることからはじまった。そのような野生の禾本科穀粒を食用とすることを知った人々が、サバンナ地帯から離れて、雨量の多い地帯にはいっていくと、そこにいままでの乾燥したサバンナとちがった、多くの食べられる湿性の禾本科植物の自然の群落に出あうことになる。 それらの植物の中でとくにすぐれていて、人間によって選びだされ、水田という新しい栽培地で栽培されるようになった雑穀が、すなわちイネであるというわけである。したがって、アフリカとインドの両方にまたがったサバンナの周辺、すなわちその両端であるインドの東部と、アフリカのゴールド・コーストに近い西アフリカの両方で別々にイネという作物が開発されたという歴史が当然のこととなる。 西アフリカで独立的に開発されたイネは独特な種類で、オリザ・グラベリマと呼ばれるもので、西アフリカ特産で、ニゼル川の中流、チンブクツ付近から、やや湿った地域に栽培されている。 アフリカにはがんらい純然たる野性のイネ類は多数あって、その穀粒が採集利用されていたことは多くの報告がある。その状態は、サバンナに生えている野生の禾本科植物の穀粒を採集利用していたのと、まったく同じ現象であった。イネはただ湿地に生ずるだけで、農耕文化の基本複合のタイプとしては、簡単に他の雑穀と同じカテゴリーにはいるものだ。そこではイネはなにか他の文化要素と複合して、雑穀農耕の複合と区別すべきなんらの理由もない。イネは湿地の雑穀だ。(中略) しかしアジアで開発されたイネは、農業上ものすごく重要になり、アジアの歴史を多くの点で規定してきたし、人類の将来へも大きな影響をあたえるに違いないので、この本では相当のページをさくのが当然であろう。さらに、山棲みと平野型のイネ作農業について見てみましょう。p132~136 <山棲みとスワンプ・フォレスト> アジアの焼畑農耕民はすべて山に棲んでいる。たとえば典型的なボルネオのディアック族の場合を見てみよう。彼らは河流に沿って上り、河岸に最初に山の傾斜があらわれはじめた所から、上流の傾斜地に焼畑をひらき、主としてオカボを掘り棒で植えている。海岸から彼らの居住地のある山地までのあいだの平野は、一面森林のまま残されている。彼らは平地の生活を好まず、山の斜面に棲むことを好むのだ。このことは東アジアの焼畑農耕文化の共通特色で、焼畑は平地がないので山でやるのではなく、平地はあまっていても山へ行って住んでいる連中の農法である。 山の中へ逃げ込んだのではなく、山をいとわない文化があるのだ。これが山棲みの民族だ。その山の高さはいろいろで、ボルネオでは海抜高度は問題にならないほど低いが、ネパールななどでは1000-2500メートルくらいの高度がそれにあたっている。 この山棲みの焼畑農業は発展とともに、段階耕作の永久畑、永久水田にすすんでくる。段々畑、段々水田はそこで一つのクライマックスとして出現してくる。ネパールのヒマラヤ中腹地域やアッサム、フィリピンなどでは驚くほど、段々水田が完成の域に達している。 しかしこの山棲み焼畑農業が完全な段々耕作になっても、その農業生産力の剰余は、山岳地帯に全般的な統一国家をつくるほど大きくはならなくて、ただ地域的な小王国を負担するのが限度である。この点ネパールは例外のようにみえるが、ネパールの場合は歴史にあきらかなように、権力はカトマンズという盆地の生産力の上にきずきあげられたものである。 東南アジアにはもう一つの型のイネ作農業がある。それが平地水田農業だ。そのもっとも典型的なもの、たとえばタイのメナム川の下流、バンコック付近の水田地帯、あるいはビルマのイラワジ川下流のラングーン付近の水田地帯をみてみよう。 この二つの地帯はモンスーンの雨期の半ば、8月ごろともなれば、その土地はことごとく洪水の下に没してしまう。飛行機の上から見ると、目のとどくかぎり全部が水面だ。ただ人家の敷地と町や、鉄道線路だけが水の上に露出して、道路もほとんど水底だ。水平な大地は水、水、水だ。コメの主産地がこれだ。毎年毎年、ここはこうして数ヶ月間水没するのだ。それでも、そこは全部水田耕作地である。 このように年間数ヶ月は水没する地帯は、水田が拓かれるまでいったい何が生えていたのだろうか。現在この地帯はくまなく開墾されているため、原始林はめったにみられないが、それはスワンプ・フォレストという型の森林であるはずだ。 数ヶ月も水没したのではふつうのジャングルの樹木では枯れてしまう。とくに水に耐える種類の樹木だけが育っている熱帯林の一種である。このスワンプ・フォレストの典型は現在ボルネオやスマトラの低地に大面積になって残っている。このスワンプ・フォレストは今日の農業技術をもってしても、開拓の非常に困難な場所のように考えられているが、タイやビルマの下部ではあきらかに開拓しつくしてしまったのだ。 東南アジアの平地水田農業は、このスワンプ・フォレストを開拓しつくすほどの力をもつまでに成長してきた。そしてこの平地水田農業はいくつかの古代国家をささえる力をあらわし、カンボジアのアンコール・ワットに示され、ジャワのボロブドールの古跡に示されるような巨大なモニュメントを残すような力をたくわえることができた。アンコール・ワット 東南アジアのイネ作農業はこのように、山棲みでオカボを栽培し、焼畑から段々水田へと進展した1系統が根菜農耕文化の土台の上に成長し、その後、一方の極としてスワンプ・フォレストの開拓力で示される平地水田農業の展開がおこり、国家形成力を示したという、二段階のイネ作農業の発展があった。 この二つの段階の進行度は地域的に一様にはおこっておらず、その差異は大陸周辺部の島をみると大陸部より隔離のある島々で相互によく比較できる。日本、台湾、フィリピン、ボルネオ、ジャワ、スマトラ、セイロン、マダガスカルなどの大島の歴史の展開と現状の大勢は、これらの二つの山棲みと平野型のイネ作農業の相互関係で理解できる。以下その点を簡単に説明しよう。 日本――雑穀型の山棲み、焼畑農業が現在までごくわずか残存した。日本古代史でも山間に山棲みの農耕民がいたことは文書の歴史にあきらかである。しかし日本の古代国家は近畿の平野や盆地で、平野水田農業の生産力の上に成立した。日本では熱帯でスワンプ・フォレストに相当する大河下流の低地は、アシ原となっていたと推定できる。日本の古名「葦原の中つ国」という言葉は「樹林の中つ国」でなかったこと、すなわち山棲みでなく、平野棲み、しかも低湿地を指示することは、東南アジアにおける国家形成力が平野水田農業の段階ではじめておこったこととよく一致する。ちなみにシナの揚子江下流の湿地も、日本と同様にアシ原が原始景観であったと推定できる。 台湾――こんにち山中に局限されている高砂族は典型的山棲み生活者だが、農作物の主力は雑穀である。平野部は比較的近代まで自然状態にのこされてきたが、漢族が対岸から移住して開墾したが、台湾独自の漢族社会、漢族国家が成立する時間的余裕がないまま、現代にはいってしまった。(このあと、フィリピン、ボルネオ、ジャワ、スマトラ、セイロン、マダガスカルと続くのだが割愛します。興味ある方はこの本で読んでください)要約すると・・・山棲みの縄文人が、移民が持ち込んだ水稲を育てて「葦原の中つ国」を作ったんでしょうね。『栽培植物と農耕の起源』1『栽培植物と農耕の起源』2『栽培植物と農耕の起源』3『栽培植物と農耕の起源』4
2016.09.15
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図書館で『栽培植物と農耕の起源』という新書を手にしたのです。中尾佐助さんと言えば、照葉樹林文化論を唱えた第一人者として大使が尊敬している学者だから、この新書もいけてるのではないかと期待するわけでおます♪【栽培植物と農耕の起源】中尾佐助著、岩波書店、1984年刊<「BOOK」データベース>より古書につき、データなし<読む前の大使寸評>中尾佐助さんと言えば、照葉樹林文化論を唱えた第一人者として大使が尊敬している学者だから、この新書もいけてるのではないかと期待するわけでおます♪rakuten栽培植物と農耕の起源巻頭の前書きを、見てみましょう。格調高いなァ♪pⅱ~ⅲ 「文化」というと、すぐ芸術、美術、文学や、学術といったものをアタマに思いうかべる人が多い。農作物や農業などは「文化圏」の外の存在として認識される。 しかし文化という外国語のもとは、英語で「カルチャー」、ドイツ語で「クルツール」の訳語である。この語のもとの意味は、いうまでもなく「耕す」ことである。地を耕して作物を育てること、これが文化の原義である。 これが日本語になると、もっぱら「心を耕す」方面ばかり考えられて、はじめの意味がきれいに忘れられて、枝先の花である芸術や学問の意味の方が重視されてしまった。しかし、根を忘れて花だけを見ている文化観は、根なし草にひとしい。 文化の出発点が耕すことであるという認識は、西欧の学界が数百年にわたり、世界各地の未開社会に接触し調査した結果、あるいは考古学的研究、あるいは書斎における思索などを総合した結論である。人類の文化が、農耕段階にはいるとともに、急激に大発展をおこしてきたことは、まぎれもない事実である。その事実の重要性をよくよく認識すれば、「カルチャー」という言葉で、「文化」を代表させる態度は賢明といえよう。 人類はかつて猿であった時代から、毎日食べつづけてきて、原子力を利用するようになった現代にまでやってきた。その間に経過した時間は数千年でなく、万年単位の長さである。また、その膨大な年月の間、人間の活動、労働の主力は、つねに、毎日の食べるものの獲得におかれてきたことは疑う余地のない事実である。近代文明が高度の文化の花を開かせた国においても、食物生産に全労働量の過半を必要とした時代は、ついこのあいだまでの状態であった、とはいえないか? 人類は、戦争のためよりも、宗教儀礼のためよりも、芸術や学術のためよりも、食べる物を生みだす農業のために、いちばん多くの汗を流してきた。現代とても、やはり農業の流す汗が、全世界的に見れば、もっとも多いであろう。過去数千年間、そして現在もいぜんとして、農業こそは人間の努力の中心的存在である。このように人類文化の根源であり、また文化の過半を占めるともいい得る農業の起源と発達をこれからながめてみよう。(中略) 農耕文化は文化財に満ちみちている。農具や農作技術は、原始的どころか、全世界のほとんどの農耕民のものがそのまま驚くばかり進歩したものになっている。その一つずつに起源があり、また伝播があり、発達や変遷があるが、そのすべてをときあかすことは、人類の全歴史をあらためて述べることになるほどであるが、ここではその大筋だけを述べてみよう。イラチな大使ですいませんが、この本の「あとがき」を紹介します。p191~192 こんな内容を書いた本はまだどこにもない。しかし今はもうこれを書かねばならない時代になってきたと思う。 農業の起源と発達の歴史は、20世紀までの人類の歴史の中心的事実であったのだし、それは今まであまりに断片的にしか報告されていなかったからだ。「農業の歴史は栽培植物の中に書きこまれている」というプリンシプルを前提として、この本に書かれている体系ができあがってきた。そうして、その結果は、従来の歴史観・世界観とたいへんに違ったものになった。 バナナやサトウキビを開発して立派な作物にしたこと、あるいはジャガイモを寒い気候に適するイモにして開発してきた成果・・・それらが人類の生活のためにつくした貢献を考えてみよう。それを蒸気機関や原子力開発とならべて比較してみてもよいだろう。そして誰が、いつ、どこで、そのすばらしい貢献をしたのかを中心として考えると、全世界史の体系は一変する。それは権力や戦争の歴史でもなく、芸術やいわゆる消費的文化の歴史ともまったく違った、全世界の民衆が参加してできてきた農業の歴史がうかびあがってくるのである。(中略) 考えてみると、私がこの問題に興味をいだきはじめてからいつのまにか25年以上もたってしまった。北朝鮮の狼林山脈の中で春播きコムギの畑の中に混じった半脱落性のライムギの存在に驚いたのは昭和15年だったし、ミクロネシアのポナペ島で南洋興発会社の宿舎にとまって、パンノキやヤムイモを調べていたのは太平洋戦争直前の昭和16年の夏だった。それから東アジア各地やヒマラヤ地域にわたり、合計12回の探検調査の結果、この本の体系ができてきた。 その間にいろいろの人たちに一方ならぬ御指導、御援助をいただいた。とくに植物学では木原均博士、生態学では今西錦司博士から親しく教えを受けることができたのは何よりも幸いであった。また京都大学人文科学研究所の「人類の比較社会学的研究」のグループで一緒に討論して研究した皆さんのおかげも大きい。ここで皆々さんに深く感謝したいと思います。 昭和41年1月 中尾佐助
2016.09.14
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図書館で清水義範著『やっとかめ!大名古屋語辞典』という本を手にしたのです。清水義範といえば、サイバラとのコンビによる教科書シリーズで知られる器用(&貧乏)な作家であるが・・・このような名古屋マターになると、俄然、水を得た魚のように張り切っています♪【やっとかめ!大名古屋語辞典】清水義範著、 学研プラス、2003年刊<「BOOK」データベース>より本書は、名古屋語の、生きた姿をやみくもに伝えてしまうかつてない辞典である。<読む前の大使寸評>清水義範といえば、サイバラとのコンビによる教科書シリーズで知られる器用(&貧乏)な作家であるが・・・このような名古屋マターになると、俄然、水を得た魚のように張り切っています♪rakutenやっとかめ!大名古屋語辞典この辞典では、みゃあ、やっとかめ、どえりゃあ、た~け、えびふりゃあ、どでゃあ、んみゃあ・・・等々の基本語に清水さんがエピソードをまぶして説明しています。それでは、名古屋弁の謎あたりを、見てみましょう。p45~46<名古屋弁の謎>より 次のような例は、かなり多くの名古屋人が、えっ、と驚くかもしれない。作文に次のような文章があるのだ。 「水族館でたくさんの魚を見たけど、名前がややこしくて覚わらなかった」 この文章を東京人が読むと、これ、どういう意味ですか、と言う。名古屋人は、この明瞭な文章のどこがわからんのだ、と思うであろう。 「覚わる、ってどういう意味ですか」 と彼らはきくのだ。 実は、私自身もこの「覚わる」については、上京して15年ぐらい思い違いをしていた。もう私も、完全な東京人になってしまって、名古屋弁はとんと口から出なくなったなあ、と過信していて、小説の中に何気なく、この「覚わる」を書いてしまったのだ。 そうしたら、東京人の編集者が、これはどういう意味ですか、ときくのだ。 「覚わる」は全国共通語だと思い込んでいた私は大いにショックを受けた。 「つまりその、覚えられる、という意味です」 「へーえ、面白い言い方ですねえ。でも、名古屋の人以外には通じませんよ」 ためしにいろんな編集者にきいてみたところ、全滅だった。みんな、「覚わる」と言われるとキョトンとした顔をするのだ。 あーあ、それが名古屋弁だとは知らなかったなあ、という話である。 そういう例はいくつかある。 強調の接頭語に、「ど」というのがあり、「ど真ん中」なんていうふうに使う。関西には、「どアホ」というような用法もある。しかし、あれをやたらによく使うのが名古屋人である。たとえば、「ど叱られる」というのは、口にするとみんながキョトンとする点において、名古屋弁だと考えたほうがいいだろう。
2016.09.14
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<『日本戦争映画総覧』>図書館で『日本戦争映画総覧』という本を手にしたのです。『ハワイ・マレー沖海戦』あたりから、『人間の条件』なんかを経て『真夏のオリオン』まで・・・データベースが、400作品以上を徹底網羅と豪語しているが・・・まったくその観があります♪【日本戦争映画総覧】川北紘一編、学研パブリッシング、2011年刊<「BOOK」データベース>より“日本の戦争映画”400作品以上を徹底網羅。日露戦争当時の記録映画から最新作『聯合艦隊司令長官山本五十六』までー日本の戦争映画約107年の歴史を、詳細な作品解説とともに辿る前代未聞のデータブック。<読む前の大使寸評>『ハワイ・マレー沖海戦』あたりから、『人間の条件』なんかを経て『真夏のオリオン』まで・・・データベースが、400作品以上を徹底網羅と豪語しているが・・・まったくその観があります♪rakuten日本戦争映画総覧アニメ『火垂るの墓』とか異色な『キャタピラー』まで取り上げているので、徹底網羅に概ね抜けはないようです。(今村監督の『カンゾー先生』が抜けています)コラムの中から一つを、見てみましょう。p251<日本軍は捕虜をどう扱ってきたか>より 日本軍が劣勢となった後半になると捕虜の扱いはいっそう過酷になり、島嶼部ではしばしば虐殺が見られるようになる。ウェーク島は開戦直後の1941年12月に日本軍が占領し、千数百人の民間人を含む米軍捕虜が出た。大部分の捕虜は上海に輸送されたが、反乱を企てた数名の捕虜を途中で処刑している。また残されて作業に従事した捕虜も、米軍の侵攻が予想されたことからのちに98名全員が処刑された。 日本本土でも状況は大差なく、1944年暮れから始まった米軍の本土爆撃では、撃墜された米軍搭乗員が裁判も受けずに処刑される事態が続出。日本側にしてみれば、敵に対する憎しみを目の前の捕虜に向け、見せしめとして処刑する意図もあった。 なお、捕虜の処刑は軍上層部による「規則に則って処分せよ」との指示に基いていた。戦後、B級戦犯として裁かれた軍人の中には、処刑を命じた上官が戦死したため生き残っていた最上級の者や、上官の命によってやむなく手を下した兵士が含まれていた。 熊井啓監督『海と毒薬』は、戦中の日本における、捕虜をどのように扱ってもよいという状況の中で起こった事件を描いている。ちなみに、生体解剖した捕虜の人肉を食したという話は、戦後の裁判において進駐軍が捏造した話だったことがのちに明らかになっている。
2016.09.13
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「地政学」でしょうか♪<市立図書館>・日本戦争映画総覧・グローバル化と食品企業行動・やっとかめ!大名古屋語辞典・栽培植物と農耕の起源<大学図書館>・ジャポニスム図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【日本戦争映画総覧】川北紘一編、学研パブリッシング、2011年刊<「BOOK」データベース>より“日本の戦争映画”400作品以上を徹底網羅。日露戦争当時の記録映画から最新作『聯合艦隊司令長官山本五十六』までー日本の戦争映画約107年の歴史を、詳細な作品解説とともに辿る前代未聞のデータブック。<読む前の大使寸評>『ハワイ・マレー沖海戦』あたりから、『人間の条件』なんかを経て『真夏のオリオン』まで・・・データベースが、400作品以上を徹底網羅と豪語しているが・・・まったくその観があります♪rakuten日本戦争映画総覧【グローバル化と食品企業行動】斎藤修著、農林統計出版、2014年刊<「BOOK」データベース>より【目次】第1部 グローバル化と国際分業の新展開(オープン・リージョナリズムと国際分業の新展開/食品産業の産業内貿易の理論と現実/食品企業の海外立地選択行動:新経済地理学からの接近/フードシステムの成長とアジア経済ーアジア国際産業連関表による分析/わが国フードシステムをめぐる経済環境ー地域貿易協定の展開と交易条件)/第2部 食品企業の海外展開とその戦略(食料品開発輸入の転換期ー中国産冷凍野菜を事例に/中国における日系食品企業のパートナーシップ形成/アジアにおける日系流通企業の展開と課題/グローバル化時代の食文化と日本食の海外進出/日系食品企業のASEAN(GMS)への直接投資とその戦略ータイ国への直接投資を中心として ほか)<読む前の大使寸評>食糧戦略といえば、伝統的にアメリカの十八番であるが・・・TPPに見られるようにニッポンの不得意とするところである。これではアカンというわけで、こんな専門的な本を借りたわけでおます。rakutenグローバル化と食品企業行動【やっとかめ!大名古屋語辞典】清水義範著、 学研プラス、2003年刊<「BOOK」データベース>より本書は、名古屋語の、生きた姿をやみくもに伝えてしまうかつてない辞典である。<読む前の大使寸評>清水義範といえば、サイバラとのコンビによる教科書シリーズで知られる器用(&貧乏)な作家であるが・・・このような名古屋マターになると、俄然、水を得た魚のように張り切っています♪rakutenやっとかめ!大名古屋語辞典【栽培植物と農耕の起源】中尾佐助著、岩波書店、1984年刊<「BOOK」データベース>より古書につき、データなし<読む前の大使寸評>中尾佐助さんと言えば、照葉樹林文化論を唱えた第一人者として大使が尊敬している学者だから、この新書もいけてるのではないかと期待するわけでおます♪rakuten栽培植物と農耕の起源【ジャポニスム】馬渕明子著、 ブリュッケ、2015年刊<「BOOK」データベース>より19世紀末のヨーロッパが選んだNIPPONとは?第19回ジャポニスム学会賞受賞。【目次】1 ジャポニスムとは何かー序にかえて/2 ジャポニスムと自然主義/3 モネの“ラ・ジャポネーズ”をめぐってー異国への窓/4 A travers-モネの“木の間越しの春”をめぐって/5 モネのジャポニスムー自然と装飾/6 ゴッホと日本/7 クリムトと装飾ーウィーンにおける絵画のジャポニスム/8 葛飾北斎とジャポニスム<読む前の大使寸評>個人的にはクリムトのジャポニスムが興味深いのです。ジャポニスムを装飾として活用するとは、やったもん勝ちでんがな♪rakutenジャポニスム***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き171
2016.09.13
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図書館で『本なんて!』という本を手にしたのです。本への愛は、人さまざま・・・・大使の頭も凝ってきたので、凝りをほぐすのにいいではないか♪【本なんて!】キノブックス編集部、キノブックス、2015年刊<商品の説明>より読んだり、嗅いだり、埋もれたり。本への愛は、人さまざま。本好きのサガも、人それぞれ。52人の作家たちが綴る、珠玉の“本エッセイ”・アンソロジー。<読む前の大使寸評>本への愛は、人さまざま・・・・大使の頭も凝ってきたので、凝りをほぐすのにいいではないか♪amazon本なんて!園子温監督が選ぶ一冊を、見てみましょう。p78~80<二十世紀が終わった夜> 14年前、僕はサンフランシスコにいて、どん底だった。どこにも行く当てがなく、カリフォルニアを漂流していた。もうすでに、30代後半で、夢見る季節なんかとうの昔に終わっていた。十年間、東京で自主映画を作ったり、パフォーマンスやったりして色々模索したけど、煮詰まってしまい、今まで書いた小説の原稿や、シナリオや、好きな本やらを持ってアメリカに脱出。さらに1年後には、逃げてきたアメリカで、もっとひどいどん底暮らしをしていた。 毎日、全力で歯ぎしりしていた。「ちくしょう!もし運良く日本に帰る事が出来たら、今度こそ絶対に、商業映画監督になってやろおう」。そう心に誓って、日々、全力で歯ぎしりしながら町を漂流していた。 やがてサンフランシスコにたどり着く。シスコは雨が降らない。いつだって晴れてて、どこも大変な坂道ばかり。上り坂を見上げると、最初は空しか見えない。それも、途方もなくひたすら青い空だ。その坂道のむこうに、青い海が広がっていて、本当に、自分の夢が叶う日なんて来るのだろうかと、不安になった。 ずうっと放浪していると、最初の頃、いつも読んでいたビートニックな作品群、例えば、ジャック・ケルアックや、アレン・ギンズバーグといった放浪の作家たちの本は、いつしか、どこかに置き忘れ、僕の汚い鞄の中には、最後の一冊が、隅の方にポツンと残った。それが、J・コクトー詩集(堀口大学訳)。 日本から持ってきた何冊かの小説や詩集の中で、もっとも手に取らなかった一冊が最後に残った。2000年の大晦日の夜、サンフランシスコの夜空に花火がぱあっと咲き乱れ、人々が酒で乾杯をしてる頃、誰ひとりいない倉庫街で、そおっとこの詩集を開いた時、僕は少し、泣いた。二十世紀がその夜、終わった。 ホームシックは海での吐気 思い出よ 熱帯に飽いた水兵が 心臓でお前の苦い煙草は吸う 何という烈しく、的を射た言葉、苦い一節だろうか。そしてその頃吸っていたフランスのタバコ、ゴロワーズを吸いながら、映画監督になるんだ、そしてすべての思い出をたたんで、日本に帰ろうと決意した。
2016.09.12
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図書館で『日本人の知らない日本語4』という本を手にしたのです。外国での日本語学校事情をマンガで紹介しているが・・・・貝原益軒の『養生訓』など、レベルの高い教本とか、アニメ事情に精通している生徒とか、かなりディープで面白そうです。【日本人の知らない日本語4】蛇蔵, 海野凪子著、 メディアファクトリー、2013年刊<「BOOK」データベース>より海の向こうで日本語を勉強している人たちに会ってきた。オールカラー、コミックエッセイ。【目次】第1章 フランス編/第2章 ベルギー編/第3章 ドイツ編/第4章 イギリス編/第5章 オーストリア編/第6章 チェコ編/第7章 スイス編/第8章 さまざまな学び方/第9章 みんな来日直後がありました<読む前の大使寸評>外国での日本語学校事情をマンガで紹介しているが・・・・貝原益軒の『養生訓』など、レベルの高い教本とか、アニメ事情に精通している生徒とか、かなりディープで面白そうです。rakuten日本人の知らない日本語4『国別データ』コラムを、見てみましょう。p23<国別データ、フランス編:フランスの象徴>より フランスの国旗は青・白・赤のたてじまです。憲法ではこの三色旗を「自由、平等、友愛」としていますが、マリアンヌと雄鶏もフランスの象徴として有名です。 マリアンヌとは特定の人物ではなく、自由と共和制を表すフリジア帽をかぶった女性像のことです。フランス革命のころ登場し、絵画や胸像、切手などに使われています。 雄鶏はマリアンヌよりもさらに古い歴史がありますが、現代ではスポーツの世界などでフランスを表すために使われています。p53<国別データ、ドイツ編:同じ意味です>より「すし」や「カラオケ」のように、日本語がそのまま外国語として使われる言葉が最近増えてきましたが、偶然にも似た発音で同じ意味を持つ言葉もあります。 たとえばドイツ語の「Ahc so(アッ ソウ)」。相槌の言葉ですが、日本語の「あ、そうなの」と同じ意味だそうです。もうひとつ有名なのは「Nanu(ナヌー)」。日本語の「なに?」「何だって?」という意味ですが、私はこれを聞いて一昔前の漫画でよくあった「なぬ!?(片方の目が☆)」という顔を連想してしまいました・・・・。たくさんある4コマ漫画の一つを、見てみましょう。p118<難しい言葉>■日本語上級の学生でも混乱する言葉がある。それは・・・〇「これ Aさんから。もらってあげてくれませんか?」●「もらうの? あげるの? くれるの?」●「ど どうすれば・・・」〇「好きにしたら」この「日本人の知らない日本語」シリーズであるが・・・・日記をめくると、今年の3月にシリーズ3を読んでいました♪【日本人の知らない日本語3】蛇蔵, 海野凪子著、メディアファクトリー、2012年刊<「BOOK」データベース>より大爆笑の日本語バトル、いよいよ3巻目。【目次】日本語学校の中と外/意外とできない「簡単な話し方」/敬語とマナーのおさらい/笑い、伝わる/表記いろいろ/違いを楽しむ/キャラクターと言葉/去りがたい国/別れの季節/その後/番外編<大使寸評>日本語学校の教員が語る日本語、漢字の話は、日本人にとってびっくりポンのお話になっています♪rakuten日本人の知らない日本語3日本人の知らない日本語3byドングリ
2016.09.12
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図書館に予約していた『櫻画報大全』という文庫本を、待つこと4日でゲットしたのです。この際、マンガ作家としての赤瀬川さんを、じっくり回顧してみようと思うのです。【櫻画報大全】赤瀬川原平著、新潮社、1985年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>マンガ作家としての赤瀬川さんを、じっくり回顧してみようと思うのです。<図書館予約:(9/05予約、9/09受取)>rakuten櫻画報大全1973年のニセ千円札事件を、主筆デスク日記に見てみましょう。p541~550<続・主筆デスク日記:1973年>より抜粋【10月22日】 西荻窪の喫茶店で『美術手帖』編集部の出村弘一氏に「資本主義リアリズム講座第9回」の原稿を渡す。今回は貧乏性類纂・其三。この連載は毎回第一ページ目を教室の黒板の絵にしているのだけど、4月開講が四角い黒板ではじまったのだから、5月は五角、6月は六角と毎月一角ずつふやしていこうというわけで、今回は12月号の12角形で十字架型。 出村氏はそれを見ながら、「この十字架で最後にならなければいいが・・・・」と冗談まじりに慨嘆。最近美術出版社の経済危機がささやかれているのだ。つぶれるかもしれない。そこへ会社から出村氏へ呼び出し電話。電話に出た出村氏、浮かぬ顔をして戻ってくる。 「編集のAさんだけど、何だか9月号の千円札を切り取って貼っつけて使った奴がいて、いま警察がきて雑誌を全部没収してったというけど、ホントかなァ?あの人ときどきかつぐからなァ」 と、少々心配そう。まさかと思うが、少し気になる。 「でも、あの9月号が出たすぐあとでそういうウソでかつぐなら話はわかるけど、もう2ヵ月前だもんなァ。やっぱりいまの話はホントなのかなァ」 と、今度は出村氏の方から編集の別の人に電話をする。雑誌全部没収というのはウソだけど、警察が来たのはどうやら本当らしい。【10月30日】 N子がいうには今日、見知らぬ男が何事か探しながら家のまわりをうろついていたという。一人は中年男、もう一人はパリッとした若い男の二人連れで、N子が干しものを取りこみながら外を見たら、下の道路からこちらの窓を見つめている二人の視線とぶつかったという。 痴漢だろうか。刑事だろうか。二人連れの痴漢だとすると、ホモ同士の痴漢なのかな?【10月31日】 コンコンとドアを叩くのであけてみると、黒い表紙に金文字の警察手帖をヌッと出され、刑事が三人はいってきて家宅捜査令状を示し、それに目を通していると一人の刑事が私に向けてフラッシュをたいて写真をとった。 私はガサ入れに会うのははじめてだ。家中ひっくり返されたあとの片付けはどうしようか、とか早くも先のことを心配していると、刑事はその令状に記載された押収品目を指し示し、 「この中でお宅にあるものを提出してもらえば、私たちは何も手をつけることはないのですが」と迫ってきた。見るとその品目は製版フィルムとか校正用紙とかいう出版社や印刷所関係のものがほとんどで、うちにありそうなのは『美術手帖』9月号か、日記帳か、製作メモくらいのもの。なァーんだ、と思いつつ、それにしても何か抵抗する手段はないものかと考えたが、何もない。やむをえず『美術手帖』9月号を一冊さし出す。 日記などというものはつけたことがないが、刑事はメモ帳があるだろうという。出さないと身体検査をされるので、私はポケットから富士銀行のマーク入りの手帳をとり出す。刑事たちは三人で、これは日記帳なのか、メモ帳なのか、富士銀行手帳なのかと、書類に記載する正式名について討議している。どうやらこれを日記帳のかわりに押収するらしい。「千円札」にかこつけて私の私生活をのぞこうというコンタンだ。そして私の「思想的背景」を探り、あわよくば三億円事件か何かの「突破口」でも開くようなヨロクが出てこないかと欲張った気持ちもあるのだろう。 しかしそのメモがなくなると私は仕事ができずにメシの食いあげになるので、目の前で一つ一つ電話番号を写しとり、メモの控えをカチ取った。(中略) こんなものが今回の「第二次千円札事件」の証拠として何の役にも立たないことは、神のみぞ外の誰が見てもわかることだ。 しかしこの間刑事たちがわが家の家具にまったく手をつけなかったことは、あと片付けの心配がなくなって本当に助かった。この状況を以前千円札裁判でお世話になった杉本昌純弁護士に報告しながら、こういうのは紳士的な態度というのですかとたずねてみると、 「いやァ、紳士的ですよー。やっぱりそれは原平さんの社会的地位を認めておるからですよ。ウワッハッハッハッ」 と教えられた。うわァ、ボクも大物になったもンだ。と、朝日の件につづいて思う。【11月5日】 朝11時、川崎署へ任意出頭。前回の雑談によるメモをもう一度確認しながら調書に仕上げていく。この「千円札」には「国家に捧げるコンセプチュアル・アート」という表題がついているので、またもや十年前と同じく芸術とはいかなるものであるかということを説くのに大サービスで美術史の講義。 知能犯担当の警察労働者の知能を相手に話は無料のまま中世にまでさかのぼる。芸術の話を大衆的にわかりやすく進めていくにはそうするより他にしようがないのだ。政治犯、あるいは確信犯であれば黙秘権で突進できるが、知能犯の道はきびしい。おかげで今日の取調べは夜の8時までかかってしまった。【11月12日】 朝10時半、川崎署へ任意出頭。 「こないだの猟銃男はどうなったんですか」と聞くと、 「あー、死んじゃったヨ」と警部補。 私はまだ死なないで取り調べられている。今日は証拠品、つまり資本主義リアリズム講座の原画や、上にかけたトレペや、ゲラ刷りなどの確認。 「この絵はあなたが描いたものですか」 「はい、そうです」 「このトレペの上の文字は誰の文字ですか」 「これがぼくので、こちらはたしか出村さんの字だと思いますが・・・」 「はいはい、いいでしょう」 という具合で進み、夕方6時に終わる。 「もう来てもらわなくてもいいでしょう」 という言葉をホッとした背中で聞きながら、友好的な雰囲気のうちに別れをつげて、同じく今日が最後の出頭であった福住氏といっしょに川崎署の玄関の階段を降りる。川崎駅前で取り調べ終了を祝しながら例によっての疲労回復のためのオサケをのむ。川崎署へ任意出頭し、大サービスで美術史の講義を行ったとのこと。権力と対峙してもこれだけの余裕をかますところが・・・ええなァ♪『櫻画報大全』1
2016.09.11
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図書館に予約していた『櫻画報大全』という文庫本を、待つこと4日でゲットしたのです。この際、マンガ作家としての赤瀬川さんを、じっくり回顧してみようと思うのです。【櫻画報大全】赤瀬川原平著、新潮社、1985年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>マンガ作家としての赤瀬川さんを、じっくり回顧してみようと思うのです。<図書館予約:(9/05予約、9/09受取)>rakuten櫻画報大全この本の序文を、見てみましょう。p16~18<櫻画報1985年文庫版への序文> もう「櫻画報」の序文は書きつくしたと思っていたが、こんどは文庫版で出ることになった。これも相当にしつっこい本である。この文庫版の本体である『櫻画報大全』が出てから8年、最初の『櫻画報永久保存版』からは15年、もはやサクラも散りつくしたというふりをして、私は氏名改造の上「純文学」などやったりしている。画家につづいて作家、こんどは「序文家」という肩書もつけてみようか。 この「櫻画報」が誕生したのは1970年8月の『朝日ジャーナル』誌上である。そのとき同時に蛋白質の塊としてこの世に誕生した人々も、いまはもう屁理屈をこねる高校生となり、この文庫版の読者であろう。その人々には、かつてこのような時代があったという空気の缶詰、あるいは観光絵葉書として、この本が機能するのかもしれない。(中略) 櫻画報のライブでのスタイルは、1970年8月から8ヶ月間『朝日ジャーナル』のグラビアページに毎週3ページ連載であった。そのあとは『ガロ』やその他の新聞雑誌上を点々として、それがはじめて1冊にまとめられたのが『櫻画報永久保存版』で、1971年8月発行B5版上製箱入、表紙は赤いクロスで見返しには紅色の渦巻くような「彩雲」という紙を使った。(中略) 今回は文庫版であり、表紙本体は一般の文庫版のスタイルの中に収められた。「櫻画報」の本体ページは完全縮小されたが、回収事件のページや主筆デスク日記などは、文庫の版型に合わせて組み直した。そのためページ数が増大し、形体はこのように聖書みたいに部厚くなった。 「櫻画報」は社会の力によっていままた文庫本となったのだと思う。私たちは種々の本を買ったり売ったり、その結果廃刊にしたりベストセラーにしたり、そんなことをそれぞれが勝手に人文科学的な気分でやっているが、これらはすべて自然科学の対象である。 「櫻画報」は朝日新聞社と青林堂という極大極小の力なくしては、この世に生まれることがなかった。その生い立ちにより、宇宙の果てからゴミの量子の芯にまで及ぶ振幅をもつことができたのである。 1985年6月15日 赤瀬川原平(序文家)櫻画報大全の画像より
2016.09.11
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図書館で『漫画の歴史』という新書を手にしたのです。『北斎漫画』から説き起こし、今日の隆盛に至る漫画文化の軌跡をたどるという広い視野が、ええでぇ♪個人的には、ビゴーと中江兆民との交遊が、興味深いのでおます。【漫画の歴史】清水勲著、 岩波書店、1991年刊<「BOOK」データベース>より漫画は、大量印刷が可能になって初めて民衆のものとなった。1830年代にパリで創刊された諷刺新聞『カリカチュール』と、同時期に江戸で大評判となった『北斎漫画』から説き起こし、今日の隆盛に至る漫画文化の軌跡をたどる本書は、諷刺画・戯画から劇画・コミックまで、豊富な図版で傑作を紹介し、巻末に詳しい人物略歴・年表を付す。【目次】1 諷刺画・権力・大衆ー1830年代のパリと江戸/2 「漫画」という言葉ー誕生から定着まで/3 『パンチ』と『ジャパン・パンチ』-架け橋となったワーグマン/4 自由民権期の漫画ー政治を痛撃した人びと/5 中江兆民とビゴーー漫画雑誌の謎を推理する/6 ヒーローは語るー時代を映す人気者たち/7 長篇ストーリー漫画の誕生ー岡本一平と活動写真/8 子供漫画の時代ー推進役をはたした講談社・中村書店/9 戦争と漫画ー国策遂行の要請の下で/10 大阪という発信地ー鳥羽絵から劇画まで/11 戦後漫画の潮流ーコミックの隆盛、一枚絵漫画の低迷<読む前の大使寸評>『北斎漫画』から説き起こし、今日の隆盛に至る漫画文化の軌跡をたどるという広い視野が、ええでぇ♪個人的には、ビゴーと中江兆民との交遊が、興味深いのでおます。rakuten漫画の歴史ビゴーと中江兆民の関係の続きを、見てみましょう。p88~90<新しい時局風刺雑誌を> 長期にわたる刊行体制に自信がついたビゴーは、最後に日本人協力者の選定に入った。『トバエ』の編集顧問となったフランス人フークの意見やビゴー自身の判断からも、中江兆民が協力者に最もふさわしいと考えたのは当然のことであったろう。<渡りに舟> 一方、ビゴーの計画を聞いた兆民は、自由民権運動が行き詰まりを見せていたときだけに、居留地の治外法権を利用したその出版活動に興味を示した。兆民は明治の代表的思想家であるが、それと同時に革命家でもあった。言論によって世直しを図ることを理想としていたが、それが容易でない場合は力ずくで達成することを肯定していた。 発想を変えた出版活動(秘密出版など)も当然、彼の局面打開の方策として考えられていただろう。したがって、ビゴーの雑誌企画は渡りに舟と受けとめたのである。 何人かの仏学塾の文才ある高弟たちを動員することが、兆民の頭にうかんだ。居留外国人だけでなく日本人に政界の裏面を風刺画・風刺文を使って伝えれば、日本のジャーナリズムや自由民権運動に影響を及ぼしうると考えた。ビゴーの風刺画に匿名の風刺日本文を併載することは、一種の秘密出版活動になりうるからである。 兆民は、幕府に官軍側が大量にばらまいた幕府軍劣勢を風刺・宣伝する木版画の威力を知っていたと思われる。また、彼はフランス留学時代にたくさんの風刺新聞・風刺雑誌を見ていた。パリ・コミューン期の風刺画ブームは去ったあとではあるが、『シャリバリ』、『グルロ』、『シャルジュ』などの風刺新聞やたくさんの風刺画集、あるいは風刺ポスターなどを見ていた。 さらには明治16年から17年にかけて兆民は文部省から『維氏美学』を翻訳出版している。西洋美術史・西洋美術論の紹介書である。このようにヨーロッパの美術にも詳しく、風刺画のなんたるかを知っていた。そこで兆民は、ビゴーの提案した日本の大衆に売るための和訳入りの『トバエ』をつくるのではなく、日本のジャーナリストや自由民権運動にかかわる人々を対象にした日本文の添え書き入り『トバエ』をつくるべきだと提案した。ビゴーはその提案を受け入れ、兆民は匿名を条件に『トバエ』の編集に協力することを約束した。(図54) こうして『トバエ』(図54)は明治20年2月15日、横浜居留地の海岸五番館クラブホテルを発行所にして創刊された。石板刷で月二回刊、定価80銭であった。トバエの画像より『漫画の歴史』1
2016.09.10
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図書館で『漫画の歴史』という新書を手にしたのです。『北斎漫画』から説き起こし、今日の隆盛に至る漫画文化の軌跡をたどるという広い視野が、ええでぇ♪個人的には、ビゴーと中江兆民との交遊が、興味深いのでおます。【漫画の歴史】清水勲著、 岩波書店、1991年刊<「BOOK」データベース>より漫画は、大量印刷が可能になって初めて民衆のものとなった。1830年代にパリで創刊された諷刺新聞『カリカチュール』と、同時期に江戸で大評判となった『北斎漫画』から説き起こし、今日の隆盛に至る漫画文化の軌跡をたどる本書は、諷刺画・戯画から劇画・コミックまで、豊富な図版で傑作を紹介し、巻末に詳しい人物略歴・年表を付す。【目次】1 諷刺画・権力・大衆ー1830年代のパリと江戸/2 「漫画」という言葉ー誕生から定着まで/3 『パンチ』と『ジャパン・パンチ』-架け橋となったワーグマン/4 自由民権期の漫画ー政治を痛撃した人びと/5 中江兆民とビゴーー漫画雑誌の謎を推理する/6 ヒーローは語るー時代を映す人気者たち/7 長篇ストーリー漫画の誕生ー岡本一平と活動写真/8 子供漫画の時代ー推進役をはたした講談社・中村書店/9 戦争と漫画ー国策遂行の要請の下で/10 大阪という発信地ー鳥羽絵から劇画まで/11 戦後漫画の潮流ーコミックの隆盛、一枚絵漫画の低迷<読む前の大使寸評>『北斎漫画』から説き起こし、今日の隆盛に至る漫画文化の軌跡をたどるという広い視野が、ええでぇ♪個人的には、ビゴーと中江兆民との交遊が、興味深いのでおます。rakuten漫画の歴史侍に扮したビゴービゴーと中江兆民の関係が出ているところを、見てみましょう。p83~87<日本人グループとは> それでは、この『トバエ』の風刺画に日本文を書き入れた数人の日本人グループとは何者だろうか。彼らはフランス語がわかり、きわめて達筆で教養のある人物たちである。漢詩や漢文について深い知識を持っている。いずれも知識・教養の程度はほぼ同レベルの者たちと見てよかろう。『トバエ』は横浜居留地の治外法権を利用して、同地を発行所として出した“危険思想”の雑誌である。こんな仕事をまかせられる人たちだから、ビゴーとは相当深い信頼関係を持った人たちに違いない。はたして彼らは何者なのか。これからそれを推理してみたいと思う。<仏学塾の仏語教師> 中江兆民が自分の主宰する仏学塾にフランス人画家ジョルジュ・ビゴーを雇ったのは、明治18年3月のことであった。同年3月1日から8月31日まで6ヶ月契約のフランス語教師として雇ったのである。 仏学塾は皇居近くの麹町区五番町にあり、ビゴーは当時、現在の市ヶ谷駅近くの麹町区土手三番町に住んでいた。この麹町・市ヶ谷にはボアソナードの関係した仏学法律学校・フランス公使館・陸軍士官学校があった。ビゴーは来日すると間もなく、東京のフランス人社会のいくつか、さらにはフランス語の話せる日本人社会に入り込む。麹町・市ヶ谷辺には東京のフランス人社会の一つがあった。ビゴーはその中で中江兆民と出会ったのである。 ビゴーは明治17年10月、二年間という陸軍士官学校画学教師としての契約期間が終わり、次の職を求めていた。仏学塾の職は、たぶんビゴー自身の売り込みで得たものであろう。画家であるビゴーがフランス語を教えなければならなかったのは、洋画が国粋主義の台頭で冷遇されていた時代だったからである。短期間でも固定収入が約束されたことで、フランス語教師の職でもビゴーにとっては満足のいくものであったろう。 ビゴーのスケッチ帳の一冊には、彼の日本語学習の様子をうかがわせる漢字練習の跡が見られる。そこには「前置詞」「接続詞」「冠詞」「命令法」といった文法用語が漢字で書かれていて、彼が日本語学習の上で文法を正確に理解しながら学んでいたことがわかるが、そうした文法用語はフランス語を教えるときも十分役立ったと思われる。(中略)<条約改正への関心> このような仕事を通して、兆民とビゴーはきわめて親しい間柄になった。ビゴーの日本語より兆民のフランス語の方がまさっていたから、込み入った話をするとき二人はフランス語で話し合った。兆民は、そうしたフランス語の会話を楽しむくらいであった。政局・政界の話をする場合などは、フランス語の会話ならどんな場所でも治安当局の聞き込み逃れになったことだろう。 国会開設まで3年余となった明治19年の暮ころ、二人は自由民権運動の行く末や、伊藤内閣の政策、とくに条約改正問題について情報を交換し合った。そんな話の中で、ビゴーは兆民に時事風刺雑誌を横浜居留地で創刊することを打ち明ける。 ビゴーは明治17年に『トバエ』を創刊したが、1号で休刊している。当時、横浜居留地で刊行されていたイギリス人C・ワーグマンの漫画雑誌『ジャパン・パンチ』と内容が似ていたこと、フランス人のみを読者対象にしたためだと思われる。当時、東京・横浜の居留地に住んでいたフランス人は百人足らずであった。第二次『トバエ』の創刊は、前回の失敗を反省し、居留地外国人全体を対象にした娯楽雑誌を目指すと同時に、日本人にも読んでもらうことを目的の一つとした。現代の『コミック』を、見てみましょう。p197~199<コミックの時代> 昭和58年、大友克洋の『童夢』は日本SF大賞を受賞した。これは小説と肩を並べる質の高いコミックが登場したことを意味した。さらには柴門ふみの『女ともだち』のように、微妙な恋愛審理を描いて、これまで小説が扱っていたテーマをコミックの中に表現する作品も登場するようになる。昭和61年、石ノ森章太郎ノ『マンガ日本経済入門』が大ヒットし、以来、大衆向け教養書や専門書の分野をコミック化して出版することが盛んになった。 映画「釣りバカ日誌」シリーズのようにコミックを原作あるいは原案とする映画やテレビドラマも最近ふえてきた。映画の出現によって漫画はコマ漫画や漫画映画(アニメ)を生み出し、コマ漫画がさらに変型してストーリー漫画(コミック)が誕生する。このコミックが描くテーマはますます拡大されつつある。 表現内容に深みがあるかどうかは別として、映像が表現しうる世界はほとんどコミックにも表現できることを現代のコミックは証明しつつある。それどころか、映像が表現できない世界も表現できるからコミックは大衆の心をつかんだのだ、ともいわれる。たとえば、時代劇で何千頭という騎馬群が行進あるいは交戦する場面を、あらゆる角度から臨場感を持たせて描写するには、実写よりもコミックの方がまさっているという。何千頭もの馬を集めて危険な戦闘シーンを撮影するなど、現代の日本では不可能なことだからである。 コミックは、自分で読むスピードを調節して楽しむことができる。通勤途中の一駅通過する間に一作読むこともできれば、コタツの中でゆっくり絵を味わいながら読むこともできる。(中略) コミック本の総発行部数は5億冊で全書籍の35%を占めた。月刊コミック誌も5億冊で全月刊誌の20%、週間コミック誌は7億冊で全週刊誌の40%。以上、合計17億冊、日本人一人あたり年間10冊以上買っているという計算である。出版物の三分の一はコミック関係、という驚異的な数字である。
2016.09.10
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図書館で司馬遼太郎著『故郷忘じがたく候』という文庫本を手にしたのです。おお これだ♪ 朝鮮人陶工の歴史を描くノンフィクションということで、前から気になっていたのです。なお、この文庫本は、3篇の話で構成されているので、気が向いたら他の2篇も読んでみよう。【故郷忘じがたく候】司馬遼太郎著、文藝春秋、2004年刊<「BOOK」データベース>より16世紀末、朝鮮の役で薩摩軍により日本へ拉致された数十人の朝鮮の民があった。以来四百年、やみがたい望郷の念を抱きながら異国薩摩の地に生き続けた子孫たちの痛哭の詩「故郷忘じがたく候」。他、明治初年に少数で奥州に遠征した官軍の悲惨な結末を描く「斬殺」、細川ガラシャの薄幸の生涯「胡桃に酒」を収録。<読む前の大使寸評>おお これだ♪ 朝鮮人陶工の歴史を描くノンフィクションということで、前から気になっていたのです。rakuten故郷忘じがたく候司馬さんの語り口を、ちょっとだけ見てみましょう。p41~46 私事になる。 韓神玉山宮の鎮まるあの丘に登って東シナ海をながめてみたいという思いが日ごとにつのったが、春のはじめはどうにも予定がつかず、春の終わりになってやっと家を出ることができた。 飛行機はやや遅れて鹿児島飛行場についた。陽が傾くと色が変わるという桜島が、すでに辰砂のような肌をみせはじめている時であった。私は、いそいだ。市内を通りすぎて西へゆき、あの無名峠を越えて苗代川の村に入ったときは、すでに夕方近かった。 沈寿官氏は待っていてくれたが、待ちくたびれて窯場に入ったという。私は、あの中庭に面した座敷で待たせてもらうことにした。臥竜梅はすでに葉がしげり、下枝のほうの葉には毛虫がついていた。 座敷には、次室がついている。次室の壁に当主の父にあたられる十三代沈寿官氏の写真がかかっていた。この十三代翁については、さきに苗代川にきたとき、十四代の当主である沈さんから聞くことが多かった。(中略) この村が日本のどの村の風習ともちがっているひとつは、徳川初期、島津義弘のころから藩規として学問が強制されてきたことである。義弘は、初代の陶工の子を無条件で相続させることはせず、試験制度を設け、技法の巧みな者には俸禄を重くし、無能の者は長子といえども家職を継がせず、その試験にはあわせて学問の考査もおこなった。このため江戸三百年のあいだこの村の子弟は受験勉強に明け暮れ、それが村の風習化した。素読の習慣は十三代の少年のころまでつづいていたという。 緑のむこうが、暗くなった。 沈寿官氏はよほどの上戸である。が、それでも多少は酔いがまわったらしく、声が先刻にもまして陽気になった。「どうしても悲しめぬ質が如る。そいどん、悲しかこつもごわした」と、少年のころ他の日本人にいじめられた話をしてくれたが、終始笑顔を絶やさない。 鹿児島の少年仲間には終戦まで喧嘩は公然という風があり、戦国島津家いらいの強兵策によるものらしい。中学に入ると強弱の順序がきまるまでのあいだ、あちこちで連日喧嘩沙汰があり、やがて1学期のおわりごろになると学級の強弱序列もきまり、学年全体がしずかになる。 沈寿官氏は、苗代川小学校を出て六里むこうの鹿児島市内にある旧制二中に入学した。 入学早々、教室にすぐ上級の者が数人入ってきて 「このクラスに挑戦人の居っとじゃろ。手をあげい」 と、わめいた。沈少年が手をあげなかったのは、かれは自分が日本人でないなど夢にも思ったことがなかったからである。 かれが出た村の小さな小学校はすべて村民の子弟のものであり、そこでの教育は日本の他の小学校とかわりがなく、無いばかりでなく、この苗代川小学校は学童の平均がくりょくは県下第一であり、学校では「わが学校は小なりといえども日本一の小学校である」と学童に教えてきた。しかも村中のほとんどの家は士族であり、この大戦の終了まで士族が権威をもちつづけてきたこの県にあっては、苗代川村民であることはむしろ選民であると思っていた。 ついでながら、旧幕から維新にかけて苗代川郷士は薩軍のなかに組み入れられ、官軍苗代川小隊として戊辰戦争に従軍し、はるか東北にまで転戦している。
2016.09.09
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<図書館大好き171>今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「愛国」でしょうか♪<市立図書館>・故郷忘じがたく候・漫画の歴史・本なんて!・沈みゆく帝国・櫻画報大全 <大学図書館>(今回はパス)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【故郷忘じがたく候】司馬遼太郎著、文藝春秋、2004年刊<「BOOK」データベース>より16世紀末、朝鮮の役で薩摩軍により日本へ拉致された数十人の朝鮮の民があった。以来四百年、やみがたい望郷の念を抱きながら異国薩摩の地に生き続けた子孫たちの痛哭の詩「故郷忘じがたく候」。他、明治初年に少数で奥州に遠征した官軍の悲惨な結末を描く「斬殺」、細川ガラシャの薄幸の生涯「胡桃に酒」を収録。<読む前の大使寸評>おお これだ♪ 朝鮮人陶工の歴史を描くノンフィクションということで、前から気になっていたのです。rakuten故郷忘じがたく候【漫画の歴史】清水勲著、 岩波書店、1991年刊<「BOOK」データベース>より漫画は、大量印刷が可能になって初めて民衆のものとなった。1830年代にパリで創刊された諷刺新聞『カリカチュール』と、同時期に江戸で大評判となった『北斎漫画』から説き起こし、今日の隆盛に至る漫画文化の軌跡をたどる本書は、諷刺画・戯画から劇画・コミックまで、豊富な図版で傑作を紹介し、巻末に詳しい人物略歴・年表を付す。【目次】1 諷刺画・権力・大衆ー1830年代のパリと江戸/2 「漫画」という言葉ー誕生から定着まで/3 『パンチ』と『ジャパン・パンチ』-架け橋となったワーグマン/4 自由民権期の漫画ー政治を痛撃した人びと/5 中江兆民とビゴーー漫画雑誌の謎を推理する/6 ヒーローは語るー時代を映す人気者たち/7 長篇ストーリー漫画の誕生ー岡本一平と活動写真/8 子供漫画の時代ー推進役をはたした講談社・中村書店/9 戦争と漫画ー国策遂行の要請の下で/10 大阪という発信地ー鳥羽絵から劇画まで/11 戦後漫画の潮流ーコミックの隆盛、一枚絵漫画の低迷<読む前の大使寸評>『北斎漫画』から説き起こし、今日の隆盛に至る漫画文化の軌跡をたどるという広い視野が、ええでぇ♪個人的には、ビゴーと中江兆民との交遊が、興味深いのでおます。rakuten漫画の歴史【本なんて!】キノブックス編集部、キノブックス、2015年刊<商品の説明>より読んだり、嗅いだり、埋もれたり。本への愛は、人さまざま。本好きのサガも、人それぞれ。52人の作家たちが綴る、珠玉の“本エッセイ”・アンソロジー。<読む前の大使寸評>本への愛は、人さまざま・・・・大使の頭も凝ってきたので、凝りをほぐすのにいいではないか♪amazon本なんて!【沈みゆく帝国】ユカリ・イワタニ・ケイン著、 日経BP社、2014年刊<「BOOK」データベース>より偉大でクレイジーな反逆者は、いつしか傲慢な巨人となり、衰退の道を突き進んでしまうのかー。ウォール・ストリート・ジャーナル元エース記者が、厳しく切ないアップルの真実を明らかに。【目次】かつて私は世界を統べていた/去りゆくビジョナリー/ジョブズの現実歪曲/CEOは僕だ/在庫のアッティラ王/皇帝の死/ジョブズの影と黒子のクック/中国の将軍と労働者/アップルの猛獣使い/Siriの失敗〔ほか〕<読む前の大使寸評>i-phon7が新発売とのこと・・・何それ?携帯を持たない主義で、アップル嫌いの大使でも、タブレットは持っているのである。そのタブレットとは、人気のないWinタブレットである・・・何故か?要するに、アップルが嫌いなのである。アップルが鬼門なんである。このアップルに対する怨念が、この本を借りた理由なんですが(何か)rakuten沈みゆく帝国【櫻画報大全】赤瀬川原平著、新潮社、1985年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>マンガ作家としての赤瀬川さんを、じっくり回顧してみようと思うのです。<図書館予約:(9/05予約、9/09受取)>rakuten櫻画報大全***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き170
2016.09.09
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図書館に予約していた『永続敗戦論』という本を待つこと2日でゲットしたのです。3年くらい前の硬い内容の本なら、予約したらツーカーでゲットできるようです。【永続敗戦論】白井聡著、太田出版、2013年刊<「BOOK」データベース>より「永続敗戦」それは戦後日本のレジームの核心的本質であり、「敗戦の否認」を意味する。国内およびアジアに対しては敗北を否認することによって「神州不滅」の神話を維持しながら、自らを容認し支えてくれる米国に対しては盲従を続ける。敗戦を否認するがゆえに敗北が際限なく続くーそれが「永続敗戦」という概念の指し示す構造である。今日、この構造は明らかな破綻に瀕している。1945年以来、われわれはずっと「敗戦」状態にある。「侮辱のなかに生きる」ことを拒絶せよ。<読む前の大使寸評>この本は待つこと2日でゲットしたのだが・・・3年くらい前の硬い内容の本なら、予約したらツーカーでゲットできるようです。<図書館予約:(9/01予約、9/03受取)>rakuten永続敗戦論「永続敗戦」というこの本のキモような箇所を、見てみましょう。p135~137<従属構造の現況>より もうひとつの懸念要素は、安全保障問題である。より正確に言えば、米国の世界戦略における日本の利用方法をめぐる問題である。第二章で見たように、日本の領土問題にはすべて米国の過去と現在の対日戦略が関係しており、今日的問題としては、仮に尖閣諸島において日中軍事衝突が起きた場合に米国がどのように振る舞うのか、ということが合い重要の問題として立ち現れている。 もっと言えば、これも先に指摘したように、尖閣諸島の一部を米国は軍事施設として借り上げているのだから、本来的に言えばこの騒動にすでに巻き込まれているのである。それにもかかわらず、尖閣諸島の帰属について米国は「中立」である。言うなれば、米国は「誰のものかわからない」ものを平気で借りているという状態にある。 こうした態度は、豊下楢彦が言うように、典型的な「オフショア・バランシング」の戦略に基いている。オフショア・バランシングとは、「単純化して言えば、海の向こうにAという強大な勢力が出てくる場合に、同じ海の向こうにBという別の勢力を擁して支援を与え、AとBとの間で緊張関係を高めさせ、自らは海のこちら側で安全を確保するという戦略である」。米国から見れば、中国の台頭、その政治的プレゼンスの巨大化は抑えがたいものとなりつつある。これを単独で抑制するためのコスト負担にはもう耐えられない。また、中国と日本とが接近・協同して、米国中心の世界秩序への挑戦を企てることこそ、最悪の構図であり避けられるべきである。 したがって、日中の関係に一定の楔を打ち込んでおくこと、その関係が決して親密にならないよう火種を残しておくことが、重要な戦略であり、軍産複合体の利益にもかなう。そして、同様の構図は、日韓・日露間の関係に対しても多かれ少なかれあてはまる。もちろん、こうした戦略は、冷戦時代にも見られた。ただし冷戦時代と現代で大きく異なるのは、ボーダーレス経済化によって潜在的な敵対国であっても経済関係の緊密化は避けられず、そのためにコンフリクトの種は容易に増大しうること、言い換えれば、「嫌いな相手とは付き合いを避ける」という選択はとれない、という事情である。ゆえに、米国が弄する戦略のもたらす帰結は、冷戦時代に比べて、はるかに危険なものとなりうる。 ここで繰り返さなければならないが、こうした事情はわかり切っている。オフショア・バランシングは卑劣な意図に基づく帝国主義的政策であると難じることには、どうしようもない空しさが付きまとう。国家とはそういうものである、としか言いようがない。ここでも問題は、「日米同盟の強化」のマントラを唱え続け、対米従属の無限化を自ら嬉々として押し進める勢力がこの社会を支配している。特に外交・安全保障の世界についてはとりわけ権力を独占しているという日本の側の問題なのである。 永続敗戦という構造の中核に位置するこの勢力が持つ世界観の歪みは、いまやほとんど狂気の域に接近している。豊下楢彦は、80年代の日米関係において重要な役割を果たした元外交官・中島敏次郎の言葉を紹介している。「日米外交の達成目標を何であると認識していたか」という質問に対し、この人物は「やはり日米関係のゆるぎない紐帯だと思っております」と答えたという。これが日本社会のエリートを代表する言葉であるという事実に、戦後日本の病理が凝縮されている。 質問者は、「達成目標」を聞いているのに対し、その答えは「日米基軸」であるという。答えになっていない。本来、論理の初歩として、達成すべき外交目標があり、日米基軸は目標達成のための手段である。このようなあまりに自明な事柄に彼らは気づくことができない。ウン、「日米同盟の強化」というお題目に短絡する従米的なエスタブリッシュ達の病弊を暴いているようですね。『永続敗戦論』1『永続敗戦論』2『永続敗戦論』3
2016.09.08
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図書館に予約していた『永続敗戦論』という本を待つこと2日でゲットしたのです。3年くらい前の硬い内容の本なら、予約したらツーカーでゲットできるようです。【永続敗戦論】白井聡著、太田出版、2013年刊<「BOOK」データベース>より「永続敗戦」それは戦後日本のレジームの核心的本質であり、「敗戦の否認」を意味する。国内およびアジアに対しては敗北を否認することによって「神州不滅」の神話を維持しながら、自らを容認し支えてくれる米国に対しては盲従を続ける。敗戦を否認するがゆえに敗北が際限なく続くーそれが「永続敗戦」という概念の指し示す構造である。今日、この構造は明らかな破綻に瀕している。1945年以来、われわれはずっと「敗戦」状態にある。「侮辱のなかに生きる」ことを拒絶せよ。<読む前の大使寸評>この本は待つこと2日でゲットしたのだが・・・3年くらい前の硬い内容の本なら、予約したらツーカーでゲットできるようです。<図書館予約:(9/01予約、9/03受取)>rakuten永続敗戦論福一原発事故や事故現場の労務管理のいかがわしさを、見てみましょう。p7~10<「侮辱」の経験>より まず、事故の発生に際し、政府は、原発周辺住民の避難に全力を尽くさなかった。それを最も端的に物語る経緯は、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)のデータが国民に公表されなかった、という事実である。 しかもそのデータは、国民には隠される一方で、米軍にはしっかり提供されており、菅首相(当時)はSPEEDIの存在そのものを「知らなかった」とシラを切り続けている。当然のことながら、この件について、民間事故調査委員会も、SPEEDIは「」と厳しく批判している。開発に30年以上の歳月と、100億円以上の費用が投じられ、維持運営に年7億円の税金が費やされてきたこの装備は、実にこうした使われ方をしたのである。そして依然として、この件について責任を取らされた人間は誰もいない。 有名になった「想定外」という言葉の内実についてもあらためて思い出しておく必要があるだろう。全電源喪失事故を想定しないという政府・電力会社が事故以前にとっていた方針がそもそも論外なのであるが、より具体的には、2006年の国会において吉井英勝衆議院議員(共産党)が「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」を提出し、地震・津波による原発の全電源喪失の可能性を指摘していた。 しかも、このように外部から指摘されるまでもなく、東京電力の側も福島第一原発における津波対策の強化の必要性を繰り返し検討していた。現在報道されているのは、2006年と2008年におけるものである。にもかかわらず、東電は事故発生当時から繰り返してきた「想定外」という説明を、自社による事故調査報告書においても基本的に守り続けている。 そして、忘れてはならないのは、事故そのものが収束したと言うには程遠い状態にあり、いまもなおその現場で被爆をこうむりつつ作業に従事している多くの人々がいるという事実である。種々の報道によれば、これらの人々が、その任務の死活的重要性と危険性に照らして、しかるべき待遇を受けているとは到底思えない。(中略) 現に約70年前、この国は、「やれば必ず負ける」と各界の権力者・識者のほぼ全員が理性の上では承知していながら、太平洋戦争を開戦した。つまり問題は、この事故が処理されうるに適切な体制を構築する意思を現在の政府という組織が実際に体現できているのか、ということであって、関係者が主観的意識の次元でどう考えていようが、それは意義を持たない。 そして、旧態依然たるの結晶のごとき多重下請の労務構造によって現場の作業が担われているという事実は、かかる体制の不在を象徴するものではないのか?が引き起こした事故をによって解決しうる、という空しいばかりでなく危険な夢想がここにはある。 原発業界の関係者にとって実際の安全よりも「安全神話」がより重きをなしていたのと全く同じように、実際の事故収束よりも「収束宣言」という言葉のほうが、時の政治家にとってはるかに重要なものとして認識されたことを、われわれはすでに見た。無論、こうした「夢想」はすぐにでも「悪夢」に転化しうる。「侮辱のなかに生きることを拒絶せよ」とのやや過激なお言葉が・・・ええでぇ♪
2016.09.08
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図書館で『ダンス・ウィズ・ドラゴン』という本を手にしたのだが・・・・この本の装丁と『ダンス・ウィズ・ウルブズ』に似たタイトルに惹かれて、借りたわけです♪どだい、ファンタジー小説なんか、バカにしている大使なんだけど。【ダンス・ウィズ・ドラゴン】村山由佳著、幻冬舎、2012年刊<「BOOK」データベース>より井の頭公園の奥深くひそむ、夜にしか開かない図書館。“龍”を祀る旧家に育った血のつながらない兄妹が、時を経て再会した。消し去れない想いを抱き合うふたりは、記憶と今を結ぶため故郷を訪れる。<読む前の大使寸評>この本の装丁と『ダンス・ウィズ・ウルブズ』に似たタイトルに惹かれて、借りたわけです♪amazonダンス・ウィズ・ドラゴンこの小説の語り口を紹介するということで、ちょっとだけ覗いてみましょう。p77~79<ドリームズ・オブ・ドラゴン> 「じつは、今日訪ねた宮前教授の研究室の隣が、史学科の図書室でさ。教授の授業が終わるのを待っているあいだ覗かせてもらったんだけど、ちょうどそこに日本の苗字に関する研究書があったんだ。ほら、前にきみ、僕ら三人の名前のことを言っていたでしょ。長岡館長から『面白い符合だ』って言われたのがよくわからないって」 オリエが、手元の古書から顔を上げた。 「僕もずっとわからずにいたんだけど、その本によるとさ、僕の苗字のは、音読みだとで、中国の八卦の一つなんだって。方角に当てはめると東南、つまり辰巳をさすから、それでこの一字でもって読むようになった。そう書いてあった。ただ、うちの場合はちょっと特殊でね」 黒目がちの瞳が、問うようにスグルを見つめる。 「本来は、の字じゃなかったんだ。子どもの頃に祖父から聞かされたんだけど、もともとは龍の水と書いてっていう表記が正しいところを、イナミ・・・つまり、尊いものの名前を口に出したり書いたりするのを避ける意味で、言ってみれば通称としての字を当てるようになったんだって」 オリエが納得したように頷き、先を促す。 「それから館長のだけど、これもどうやら別の表記があるらしい」 「別の? って、どんな?」 「龍が臥する岡、と書いて」 「何それ。三国志じゃない」 「いや、そう書いてって読むんだって。発祥としては当て字みたいなものだったんだと思うよ。たとえばと書いてと読むのと同じようにさ。なるほど龍が寝そべることのできる岡なら、そりゃあよね」 「つまり・・・」オリエが眉を寄せた「もも、どちらも龍に関係のある名前だってことね?」 「うん」 「だけど、じゃあ私のは?なんて、八卦も方角も関係ないし、別の表記っていわれても・・・」 言いかけたオリエが、はっと口をつぐんだ。 「そう。滝田のの字の中には、しっかりが入っている」 オリエの眉根に、ますます深い皺が刻まれてゆく。 スグルは、コーヒーに手をのばした。さっきよりもいくらか冷めたマグカップを両手で包み込む。 「あのさ、滝田さん」 ためらいながらも、思いきって言ってみた。 「こんなこと、訊いていいかどうかわからないんだけど・・・もしかして、あの満月の晩、屋根裏部屋で何かあった?」 その一瞬、自分に注がれるオリエのまなざしが、ひどく揺れたのがわかった。水面にさざ波が立つというより、底のほうからぐらりと水のかたまりが湧きあがるような揺れ方だった。龍、ドラゴン、ペガサス、グリフォン、半獣人などの伝説、図書館、古書、装丁技術、漢字・・・・大使のツボばっかりではないか♪だいたい、ファンタジー小説を馬鹿にして読むことがなかったのだが・・・この小説には魅入られたのでおます。
2016.09.07
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図書館で『シネマ古今東西』という本を手にしたのです。各イラストレーターが選んだ映画について、その感想とイラストがセットになっているわけで・・・楽しい編集になっています。【シネマ古今東西】東京イラストレ-タ-ズ・ソサエティ編、芸文社、2003年刊<「BOOK」データベース>より東京イラストレーターズ・ソサエティのメンバーのうち150人が映画をテーマにイラストレーションを1点ずつ描いている。<大使寸評>各イラストレーターが選んだ映画について、その感想とイラストがセットになっているわけで・・・楽しい編集になっています。感想が文字どおり一言であったり、イラストとともに切れ味が良い感想が付いていたりで・・・ええでぇ♪rakutenシネマ古今東西この本で『パリ、テキサス』を、見てみましょう。p202、203<パリ、テキサス:高橋キンタロー>より ライ・クーダーのスライド・ギターにのせて、カメラは荒涼とした砂漠を一人歩く男を追う。やがて水を求めた男はガス・ステーションのアイスボックスの氷を口に含んで昏倒する。 このプロローグを見るだけで、この映画が自分にとって大切なものになることを予感させるのに充分だった。 ストーリーの大半はハリー・ディーン・スタントン演じるトラヴィスの謎めいた行動と空白の過去に充てられる。もう一人の主役であるジェーンが姿をあらわすのは映画も終盤になってからだ。 空の高さや乾いた砂漠の風景、セメント色のハイウェイ、何気ない光景すべてがスチールで切り取れるかのような印象を与え、痛い程の愛を知ることになる意外なラストを予感させる。その映像すべてが、後半やっと姿をあらわすナスターシュ・キンスキー演じるジェーンが振り向く一瞬のシーンのために用意されていたのかと思う。 ヴェンダースの映画は終わりを感じさせない。 トラヴィスという名前がタクシー・ドライバーでデ・ニーロが演じたベトナム帰還兵と同じ名前であることや、挿入されるホーム・ムービー、メキシコ人メードとの会話、一瞬姿を見せて存在感を感じさせるジョン・ルーリーなど、それぞれのシークエンスに個人的思いが重なり、物語りが続くであろう(続いてきたであろう)ことを想像させる。 後に、ライ・クーダーと組んで撮った『ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ』というドキュメンタリーが老人達の終(つい)を描いているのではないことと一致するのかも知れない。高橋キンタロー:作品一覧/プロフィールくだんの映画フォームを作ってみました。【パリ、テキサス】ヴィム・ヴェンダース監督、H24.1.31観賞<movie.walker作品情報>よりテキサスを舞台にひとり放浪していた男が妻子と再会するがまた再び去ってゆく姿を描く。製作はクリス・ジーヴァニッヒ、エグゼキュティヴ・プロデューサーはアナトール・ドーマン、監督は「ことの次第」のヴィム・ヴェンダース、脚本は「カントリー」等で役者として知られるサム・シェパード<大使寸評>出だしは、同じくドイツ人監督の「バクダッド・カフェ」のようにドライな不条理感あふれている。しかし、だんだんと「エデンの東」のような母親探しになり、ウェットになるのが意外でした。movie.walkerパリ、テキサス
2016.09.07
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「安全保障」でしょうか♪<市立図書館>・尖閣一触即発・日本人の知らない日本語4・永続敗戦論<大学図書館>・シネマ古今東西・手が作り出す暮らしの道具図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【尖閣一触即発】山田吉彦×井上和彦著、 実業之日本社、2013年刊<商品の説明>より中国による尖閣諸島の侵略計画は着々と進行しています。中国の公船による領海侵入は常態化し、人民解放軍による日本の自衛隊に対する挑発はエスカレートするばかりです。本書では、なぜそこまでして中国は尖閣諸島の侵略にこだわるのか、本当の理由はどこにあるのか。また将来、本当に日本と中国の軍事衝突があるのか、衝突が現実となった場合は、どうなるのか。そして日本はどのように対処すべきなのかなどを、海洋政策と軍事の2人の専門家が、今の尖閣諸島の情勢を分析を交えて執筆、対談しました。<読む前の大使寸評>2013年刊行の本なので最新情報とは言えないが・・・・長期的視点を持つ人民解放軍の戦略を見ることでは陳腐化していないだろうと思って、借りたわけでおます。amazon尖閣一触即発尖閣一触即発byドングリ【日本人の知らない日本語4】蛇蔵, 海野凪子著、 メディアファクトリー、2013年刊<「BOOK」データベース>より海の向こうで日本語を勉強している人たちに会ってきた。オールカラー、コミックエッセイ。【目次】第1章 フランス編/第2章 ベルギー編/第3章 ドイツ編/第4章 イギリス編/第5章 オーストリア編/第6章 チェコ編/第7章 スイス編/第8章 さまざまな学び方/第9章 みんな来日直後がありました<読む前の大使寸評>追って記入rakuten日本人の知らない日本語4【永続敗戦論】白井聡著、太田出版、2013年刊<「BOOK」データベース>より「永続敗戦」それは戦後日本のレジームの核心的本質であり、「敗戦の否認」を意味する。国内およびアジアに対しては敗北を否認することによって「神州不滅」の神話を維持しながら、自らを容認し支えてくれる米国に対しては盲従を続ける。敗戦を否認するがゆえに敗北が際限なく続くーそれが「永続敗戦」という概念の指し示す構造である。今日、この構造は明らかな破綻に瀕している。1945年以来、われわれはずっと「敗戦」状態にある。「侮辱のなかに生きる」ことを拒絶せよ。<読む前の大使寸評>この本は待つこと2日でゲットしたのだが・・・3年くらい前の硬い内容の本なら、予約したらツーカーでゲットできるようです。<図書館予約:(9/01予約、9/03受取)>rakuten永続敗戦論【シネマ古今東西】東京イラストレ-タ-ズ・ソサエティ編、芸文社、2003年刊<「BOOK」データベース>より東京イラストレーターズ・ソサエティのメンバーのうち150人が映画をテーマにイラストレーションを1点ずつ描いている。<大使寸評>各イラストレーターが選んだ映画について、その感想とイラストがセットになっているわけで・・・楽しい編集になっています。感想が文字どおり一言であったり、イラストとともに切れ味が良い感想が付いていたりで・・・ええでぇ♪rakutenシネマ古今東西【手が作り出す暮らしの道具(別冊太陽)】ムック、平凡社、2002年刊<「MARC」データベース>より木・ガラス・染織・鉄・漆・竹…さまざまな素材で、より一層デザイン性や作家性にこだわった生活道具、暮らしの雑貨が、今人気を集めている。32人の旬の作家と作品を紹介。<読む前の大使寸評>追って記入amazon手が作り出す暮らしの道具***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き169
2016.09.06
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<『尖閣一触即発』>図書館で『尖閣一触即発』という本を手にしたのです。2013年刊行の本なので最新情報とは言えないが・・・・長期的視点を持つ人民解放軍の戦略を見ることでは陳腐化していないだろうと思って、借りたわけでおます。G20首脳会議の直前に尖閣領域に軍艦を侵入させた人民解放軍であり、することと言うことはまるで逆というしたたかさを見せています。一方で北朝鮮はG20にあわせて、ミサイルを発射するし・・・中国は内憂外患状況が続いています。【尖閣一触即発】山田吉彦×井上和彦著、 実業之日本社、2013年刊<商品の説明>より中国による尖閣諸島の侵略計画は着々と進行しています。中国の公船による領海侵入は常態化し、人民解放軍による日本の自衛隊に対する挑発はエスカレートするばかりです。本書では、なぜそこまでして中国は尖閣諸島の侵略にこだわるのか、本当の理由はどこにあるのか。また将来、本当に日本と中国の軍事衝突があるのか、衝突が現実となった場合は、どうなるのか。そして日本はどのように対処すべきなのかなどを、海洋政策と軍事の2人の専門家が、今の尖閣諸島の情勢を分析を交えて執筆、対談しました。<読む前の大使寸評>2013年刊行の本なので最新情報とは言えないが・・・・長期的視点を持つ人民解放軍の戦略を見ることでは陳腐化していないだろうと思って、借りたわけでおます。amazon尖閣一触即発人民解放軍による尖閣諸島上陸のシュミレーションを、見てみましょう。p108~110<海上保安庁の情報収集不足を海上自衛隊が補う>山田:海上保安庁と海上自衛隊とでは情報収集能力が格段に違います。海上自衛隊は、アメリカの協力を得てレーダーや衛星写真を分析して中国軍の艦艇がどこにいるか、分かるわけです。海保の情報収集能力は自衛隊ほどではないので、その情報を生かせれば相手の行動がかなり想定できるようになるわけです。このメリットは大きいものがあります。そういう意味でも後ろにいつも自衛隊がいてくれた方がいいのに決まっています。 そうした情報が入ってこないと作戦展開は出来ないです。結果的に海上保安庁の巡視船が孤立してしまうような形になってしまう危険性があります。特に尖閣諸島の周辺海域ではそのようになることが想定されているのです。井上:現在、中国海軍は60隻の潜水艦を持っており、そのうちの10隻が原子力潜水艦です。これらの潜水艦は、いまだ旧式艦が体勢を占めており、現時点では世界一の実力を誇る海上自衛隊の潜水艦部隊には太刀打ち出来ません。が、中国海軍の潜水艦戦力は目下急速に近代化が進んでおり決して侮れない存在になってきています。 しかも中国海軍が保有する旧式潜水艦も使い道がまったくないわけではありません。プロローグでも触れましたが、潜行しながら日本領海に侵入し、闇夜に乗じて尖閣諸島に特殊部隊や海上民兵などを上陸させる潜水輸送船として使われた場合、海上保安庁は打つ手がないのです。海上保安庁の巡視船は、潜水艦を探知して対処する能力をまったく備えていないからです。こうした海上警備の盲点を衝かれる可能性は極めて高いと思われます。 実際、1996年には北朝鮮が旧式の小型潜水艇を使って20数名の武装工作員を韓国国内に潜入させた例もあります。我が国は、漁船を使った海上民兵の上陸作戦はもとより、潜水艦による尖閣諸島への上陸を警戒する必要があるのです。もっと言えば、この潜水艦による魚雷攻撃を受ければ海保巡視船はひとたまりもないことも、しっかり肝に銘じておく必要があります。 つまり海上保安庁がどれだけ警備能力が高くとも、水中の監視が出来なければ中国の尖閣諸島上陸は防ぎようがないのです。だからこそ、世界一の対潜能力を誇る海上自衛隊の艦艇や哨戒機が必要になってくるのです。海上保安庁と海上自衛隊との協力行動などという安保の機微に関しては、多分ネットを巡っても出てこないと思うのだが・・・諸島防衛上、大事なことなんでしょうね。
2016.09.06
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