全8件 (8件中 1-8件目)
1

年に一回催されるカフェでのジャズヴォーカルのライヴがあり、老人会のジャズ好き仲間と聞きに行った。去年も行ったので、前回と同じようなことをまた書いている。この女性4人のグループは、老人会主催のジャズコンサートにも来てもらったことがある顔馴染みだ。演奏はピアノとベースで、特にベースの佐々木エヘラ俊一さん、もと東京キューバンボーイズ、の味のある演奏は聞き応えがある。狭い店内でのライヴはより親近感があり、馴染みのコーラスを気楽に聴いていられるひとときだった。ワインを呑みながら聴くこともできたが、乗せてきてもらった車を運転される方に遠慮してジンジャーエールで我慢する。そう言えば、年に一回の行事で欠かしてないもののうち、今年は恵比寿での世界報道写真展に行きそびれた。猛暑で出かける気分にならなかった。 コーラスとピアノとベース(スマホで撮影)
2018年08月30日
コメント(0)

今、日本橋では頭上の高速道路を地下に潜らせ空を取り戻す計画が浮上している。以前からこの話があり、東京オリンピックに間に合わせようとのことだった。5年も前にこのブログで書いたことがあった。そして今ごろまた復活しているが、2020にはとても間に合いはしない。これを韓国では15年も前に実施している。ソウルの清渓川の上を走っていた高速道路を撤去し川を整備して市民のプロムナードとした。2006年に韓国旅行から帰ってきたとき、このことを日本橋でもやるべきだとブログに書いたことがあった。但し、ソウルの場合は高速道路が老朽化し、安全な道路とは言えなくなっていたものであり、日本橋上のひっきりなしに車の走る都市高速道路とは条件が異なるのだが・・・。地下道にするとその工事費はべらぼうな金額になるだろうが、日本橋一帯を縄張りとする三井グループや綿々と続く老舗連が商売繁盛するのだから、税金ばかり当てにしないで、相応な拠出はあって然るべきだろう。 ソウル市内の清渓川の現在(2006年撮影)
2018年08月25日
コメント(0)

鼈甲飴をしゃぶりながら祭りから帰る途中で、一本の木のまわりに4人、たぶん祖父、娘、孫二人、が何か見ていた。近寄って見ると、何匹もの蝉の脱皮が始まっていた。私は蝉の脱皮を見たことがないので仲間に入れてもらったが、ここではやさしい祖父が案内し、孫の自由研究になっているのだろう。そのおじいちゃんが教えてくれた。この木の根本の周りにいくつも穴が空いており、そこから3年の潜伏を終えて次々と木に登り脱皮しており、毎年見られる光景だと。長い時間がかかりそうなので、私はあきらめて家に向かった。自由研究のなかった時代の私は、老いてこの歳で自由研究を行なった。蝉は樹上で産卵し、卵はその年の秋か翌年孵化する。孵化した幼虫はそこで最初の脱皮をして地中に潜る。長い地下生活で更に数回脱皮した幼虫は再び木に登り脱皮羽化を行う。そして明け方に骨格が固まり成虫となる。地下生活は種類によって異なり、3~7年という長きにわたる。成虫になって約一か月間、雄は鳴いて雌を探し交尾し雌は産卵し、以って寿命を全うする。最近高値で話題の鰻の一生もすごいが、蝉の変態する長い一生もすごい。それにしても孵化してからの寿命は長いけれど、天敵だらけの環境で、成虫になるまでにどれくらいが生き残っていくのだろう。また、蝉が逃げる際、尿をふりかけるのは、体を軽くするために余剰水分を放出しているらしい。 羽化始まる
2018年08月20日
コメント(0)

1970年、過激派学生9人がハイジャック事件をを起こし、北朝鮮に亡命した。その「よど号」事件のメンバーらが、今も北朝鮮・平壌郊外にある「日本人村」に住んでおり、その様子が「隣人それから」の写真集に載っていた。この時彼らは別に殺人を犯したり、拉致したりはしてないが、民間航空機をハイジャックし、北朝鮮に亡命した犯罪者たちなのだが、北朝鮮ではシンパとして歓迎されたようだ。今彼らは隔絶され監視されてはいるが、衛星放送の受信や電子メールのやりとりが認められるなど、統制社会の中では一定の特別扱いを受けているようだ。「よど号事件」とは、赤軍派の学生9人が、羽田発福岡行き日航機「よど号」を乗っ取り、韓国・ソウルから乗客と引き換えに乗り込んだ山村新治郎運輸政務次官(当時)を人質に北朝鮮に渡った。乗客と政務次官は日本に戻された。9人のうち今も北朝鮮に残る4人はハイジャック犯として国際手配されているほか、ヨーロッパでの日本人拉致に関わったとして、後に北朝鮮に入国した妻ら3人には結婚目的誘拐の容疑がかかっている。ロシアKGBに誘導され日本のみならず世界に革命を起こす、という信念でアジアや中東でテロ活動をおこなった当時の歪んだ情熱は、歳とともに消え、社会から忘れ去られようとしている。風化しているこの事件、このことを広く知ってもらいたくてあえて写真集から複写させてもらった。 赤軍派の現在
2018年08月16日
コメント(0)

2冊目は地方の写真を入れる、とあったので、終戦まで私が住んでいた沙里院(平壌と京城の中間の町)も出ているかなと期待しながら図書館から写真集を借りてきた。ちなみに、現在の日本語表記では、サリウオン(ピヨンヤンとソウル)となる。サリウオンは中間よりピヨンヤンに近い中都市だ。北朝鮮を縦断するメイン鉄道の駅があるが、私の戦死した兄はこの旧朝鮮鉄道の車掌を務めていた。今回はどれだけ地方を撮らせてもらえたのか、ははっきり言えば期待外れだった。それぞれの写真の解説が数点しかなされておらず、多くの写真に説明がされてないので撮影地点が不明なのが多い。どこまでがピョンヤンで、どれがどの地方か判断し難い。ピョンヤンは北朝鮮国の繁栄をアピールするために、韓国や日本と変わらない景色が見られる。が地方に行くと、貧しい生活があり外国人に見せたがらないと聞いている。それが写真の地名をはっきりさせられない理由なのかも知れない。これも北朝鮮当局の指示であろうか。しかし写真を見る限り、金正恩体制になってから人民の生活は地方でもかなりよくなっているようだ。2冊目は冬の景色が多かった。2月に行ったからだが、しかも北部を多く回っていたようだ。今回は写真のコピー転用は止めた。前回は気が付かなかったが写真集の巻末に警告が出ていたからだ。代わりに、ネットで見つけて気に入ったノルウェーの写真を載せることにする。 北極圏ノルウェー湾のモスケネス島ハムノイの冬景色 オーロラも見られ世界の旅行写真家の撮影スポットになっているようだ
2018年08月13日
コメント(0)

この町の祭りには毎年屋台が10店前後店を張る。今年も常連が来ており、顔馴染みが写真を撮らせてくれる。 1.鼈甲飴のおばさんは昨日(土曜日)の方が人出が多かったと言う 2.ドネルケバブ店のイラン人に切って見せてもらう 3.射的屋さんは昔から子供に人気の店だ
2018年08月10日
コメント(0)

町の夏祭りが終わった。去年は時ならぬ集中豪雨に見舞われ中止となったが、今年は晴天に恵まれた。しかし今年は暑かった。この町も例外ではなく老化が進み、人手不足で実行委員会は大変だと友人がぼやいていた。私も広報担当でカメラマンを任されていたが、後継ぎができたので私は自由に撮らせてほしいと去年から降ろしてもらっている。私のように趣味でやっているのとは違い、準備、実行、後片付けとけっこう力仕事もあり、もう少し歳の若い人が加勢できるようにならないとそのうちに行き詰ってしまうのではないだろうか。というわけで、私はうちの町会の店でビールを呑み、町会の役員手作りのおつまみを頂き、暗くなってきてからおもむろに撮影に入った。この祭りに市長や国会議員の挨拶や笑顔振りまきはいらない、と何人かが言っていたが、来てもらいたい者がいるからだろう、今年も来ていた。私はあまり気にならないほうだが・・・。 祭り3点
2018年08月07日
コメント(0)

写真集から写真をコピーしてブログに載せてもいいのか。北朝鮮の写真集から、数枚を複写して自分のブログに載せることに躊躇があった。著作権法に違反するのではないか、訴えられ罰金が課せられるのでないか、と心配したものだ。結論的に言えば、私的利用で営業活動もしくは営利を目的とするもの以外は大丈夫なようだ。しかし、公開されるブログに載せることは、私的利用の枠を超えるものと判断されることもあるようだ。文章においても同様な判断となるようだ。どこで線引きされるのかは、微妙な判断があるようで、ケースバイケースとなる。また、引用元を明らかにしておけば、ブログなどはいいと言う説もある。私は今までときどき、ネットの画像や文を引き抜いてブログに貼り付けたことがある。引用元を明かし、アフィリエイトは行っていないので営利ではないし、読者数も限られた数であり、これぐらいならいいだろうと自分に有利な甘い判断を下して行なっていた。今まで13年間、1700回近くブログ記事を書き、このスタイルはこれからも変わることはないだろう。自分で判断し、ここまでは大丈夫と思ったら転用する。これはまずいかも知れないと思ったら転用しない。しかしなるべく転用は止め、自分の意見を述べ、自分が撮ったものを載せる、がまっとうなブロガーだ。 蒼天へ
2018年08月05日
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1